大豆である。
霖之助は一人、じじと音を鳴らすダイヤルを見つめていた。
その機械、オーブントースターの中では銀色をしたものが熱されている。
彼から見て奥の方、香霖堂の店としての部分は、ここからは見えない。
「……まあ、確かに便利ではあるんだが」
その分、サボり癖が付いてきたような。
そう、悩んだように呟く霖之助を見て、ルーミアが小さく溜息を吐く。
本当に、もう。この人は。
先ほどの溜息よりも小さく、呆れを幾分か混ぜて、呟いた。
「こういったものだって、本来なら数時間かけて作るか、それ相応の店に出向かないといけなかったはずなのに」
「いいことだと思うよ?だって、おうちでゆっくりたべるほうが、落ち着くし」
「それはたしかに」
「あと、りんのすけはいろいろと面倒なことしたがるから、そういうのでかんたんにやるほうがいいんだよ」
……本当、普段はだらけてるのに、なんでああなんだろう。
じじじという音を聞きながら、彼女はほんの少しだけ考えて、でもそこが霖之助だし、と思考を止める。
両手に持ったマグカップからは、ホットの珈琲が湯気を立てて、飲もうとする口と、その上のはなの下を湿らしていた。
「ならさ。りんのすけは、そういうお肉のこうそう?うん。こうそー焼きを、作るたびにどっかお屋敷のおだいどころ借りて、一生懸命作るの?」
「そうは言っていないが、ルーミア、僕は」
「りんのすけ」
「だから、」
「ねえ、霖之助」
名前を呼んで、そこで言葉を切る。
ずず、と珈琲を啜って、じぃと、オーブンを眺める霖之助を見つめる。
「なんだい、ルーミア」
「……」
「ルーミア」
「……ぅあむ」
ひとつ、欠伸。
「……たぶん何かに君が怒ってて、そしてそれは僕が悪かったから、返事をしてくれないかな」
じ、じ、じ、じ、チン。
「と、焼けた様だな」
「霖之助」
もう一度、強く霖之助の名前を呼ぶ。
一瞬眉を寄せ、その間を指で解してから、霖之助はルーミアへと向き直った。
「ルーミア」
「……なぁに?」
「そういうのは、止めた方がいいと思う」
「わかってるんだけどね。でも、りんのすけだって、いろんなこと言わなかったりするし」
でも、
「霖之助のせいにしちゃ、いけないよね、いまのは」
「……わかっているなら、いいが」
「うん、その、ごめんね」
かり、と頬を掻き、そのまま手を握り頬に当てて、ルーミアが笑う。
「なんていうか、おとなげないぁ、私」
「そんなことは」
「あるよ。あるの。大人らしく、もっとしっかりしないといけないのにね」
「見た目は子供だが」
「うるさい」
って、だから、落ち着いて、大人らしくしないと。
「大人らしく、大人ら……う、うー。うん。みんなりんのすけが悪い!」
「中身も子供だったようだ」
「子供じゃないから、ね、りんのすけ。りんのすけが悪いだけだから」
「まあ、それは置いておくとして、出来上がったから、皿をもらえるかな?」
あ、うん。
「りんのすけじゃないけど、もっと時間かかるものだと思ってた」
「僕もそのつもりで、早めに作り始めたからな。少し、夕飯には早い、けどどうしようか」
「いいよ。だいじょうぶ。食べよ、」
冷めたら、おいしくないしね。
「はい、お皿」
「二枚貰いたかったんだが」
「いっしょでいいよ。洗い物もふやしたくないし」
「一緒にするのは良いが、少し大きいような」
そうかな?
「大きいね。それに、これは飾る為の皿で、あまり料理などは載せたくないのだが」
「お皿なんだから、使わないと」
「塗料が剥げて、料理につくだろうけど、それでいいなら使おうか」
「……うん、べつの出すね」
立ち上がり、ぱたぱたと店内へと出て行く。
「足元には」
「うん、だいじょぶ。気をつけるから」
「……どうだか。まあ、転んでも怪我はしないのだろうが」
目の届かない範囲にルーミアが消えたのを確認して、霖之助は溜息を吐いた。
今のところ、香霖堂への来客はない。
ざぁと遠くに聞こえる音がしてから、数日ほど来客が途切れていた。
「さて、この雨はどうしたものかな。梅雨というには、季節も過ぎたはずなんだが」
もう一度、溜息。
技術は欲に合わせて発展するものである。衣服や、性への関心や、食というものに対する探求、それらが合わさり、鍛え上げられていく。
まあ、いくら技術が進歩しても、まだと言ってしまうのが我々なのだが。と、すまない。いつもの様に横道だった。
女性が一人、机を前にして書き物をしていた。
とても綺麗な姿勢で、正座をしている。ただしくは、姿勢のみとても綺麗であった。
んわぁ、と大口を開けて、ぽかりと欠伸をする。
目をこすり、頭が船を漕ぎ、がくんと沈んで慌てて周りを眺めた。
「……いやいや。それもそうよね。ここは私の家なんだから誰も見てないに決まってるじゃない」
よし、と小さく呟いて、頭が落ちる。机にがんとぶつかるに任せ、そのままの姿勢で一分、二分。
「ねむい」
眠い。うん、眠い。
そう、何度も繰り返した。
「なんで私がこんなのの答えあわせとかしてるのかしら」
幾つかの問題と答えの書かれた、簡単に言うならばテスト用紙を指でなぞる。
横を向いて、瞬きを二度して、もう一度欠伸。
机の端に置かれた皿から、おにぎりを一つ取って、机に頭を乗せたまま口へと運ぶ。
「鮭におかかに鰹に鮪、はてさて中身はなんでしょ……、かつおとまぐろって、どうやって取ってきてるのかしらね。海とか、ないわけだし」
噛り付き、握られた白米が削れ、そのほんの一部が口からこぼれて机に落ちた。
周りに人がいないからこそ出来る、だらしなさである。
「いいのよ、ええ。私だって食べなきゃ死ぬし、不当逮捕だなんだで解任されて、なんやかんやでお仕事なくなった身だから寺小屋だろうが神社小屋だろうがなんでも。いや待っておかしいじゃない。教員?そう、教員免許とか言うものが必要なはずよね」
それに、人に教えるとか、
「無理。そう、なんで私なのよ。普段は変態だの人格破綻者だの好き勝手言っておい、いけない、紙にご飯粒ついた!」
慌てて起きる。
「よかった。もう冷たいからご飯粒そこまでくっ付かないもの。ところでこれ、中身なにもはいってないんだけど」
あのおにぎり屋、中身入れ忘れたわね、もう。
一つ目を食べきり、机の下に転がす様に置かれた缶入りの緑茶を取る。カシャリと、と小気味良い音を鳴らして、ブルタブと呼ばれる蓋を開けて、中身を喉へと流し込んだ。
「やっぱりおにぎりにはお茶よね。お茶。どうやって、このヘンテコな容器に入れてるのかは、てんでわからないけど」
手の甲で口元を拭い、次のおにぎりへと手を伸ばす。
今度は半分に割って、中身を先に確認した。
「えっと、今度のは入ってるわね。本当入れ忘れはやめてほしいのだけど。で、中身は、ふんふん」
鮭と、鰹節であった。
「二度といかない。絶対あのおにぎり屋さん行かない。なにこれ、なんで注文した具、一つのおにぎりに一緒に突っ込んでるの、これ」
まさか、と思い残りの二つも半分へと割る。
片方には鮪、片方には鰹がしっかりと入っていた。
両方ともに、生の食感に感じる様加工されたものである。
「……まあ、こっちは無事でよかった」
鰹が具のおにぎりを一口齧る。
「うん、許しましょう許しましょう。また行ってもいいわね、この味なら」
女性、小兎姫はうんうんと頷いた。
テストの用紙はまだ十数枚残っている。
彼女の方は、食べている内にまた船をこぎ始めたところだった。
三角形に丸。おにぎり、おむすびはまるで人の様である。自らを服で隠し、内心を肉で隠すのと、海苔で白米を、具という本質をまた白米で隠す。
隠されているものは見たくなるし、その隠されたものを知り、感じることは自身の欲を満たすことに繋がる、いや、これは言い過ぎだろうか。どちらにせよ余りに関係がない話だったか。
「はい、お皿の真ん中は熱いから出来たら端を持ってね」
「はいはい、わかったから。私の親かと言いたくなるわね、本当」
「親友よ」
「たしかに親の字は入ってるけども」
夕食時も過ぎ、深夜にも近くなった頃、蓮子はテーブルを前に胡坐を書いていた。
スカートで行うその座り方は、はしたないと言う他ない。
「で、こっちグラスで」
「ん、貰う」
「ありがと。それで、お酒の瓶は床置きでいいわよね」
「別に気にしないから大丈夫」
よかった。
「置き場所ないものね、これじゃあ」
「豆腐に豆腐に豆腐。なんでこんな豆腐ばっかなのかしら」
「健康にいいし、お肉ほど肥らないもの」
「……ああ、また体重が」
蓮子は相手の首から下を眺め見た。
さっぱり変わらない様に見えるその体型に、一体どこにその体重が行っているのかと考え始め、まあどこでもいいかと思考を切り捨てる。
「おいしいからいいけど、私じゃなかったら怒ってると思う。この豆腐づくし」
「そうかしら。豆腐の和風ステーキ風に、豆腐を潰して野菜と混ぜたハンバーグ風。豆腐を乗っけたサラダに、私の飲み物は豆乳」
「馬鹿でしょ、前から思ってたけど」
「蓮子よりは頭いいわよ、きっと」
どうだか。
「そうそう。これ知ってるかしら。どっかの衛星が事故起こして、星の海に消えちゃった」
「トリフネでしょ?知ってるわよ」
「面白そうよね。今度中見てみたいわ」
「どうやっ、あー、うん。わかったからいいわよ」
豆腐のサラダを小皿に移し、さあ食べようとしたところで、蓮子は手を叩かれた。
「いただきます、しなきゃ駄目」
「……いただきます」
「どうぞ。たぁんとお食べなさい」
「本当、私の親だったっけ」
親友ですもの。
「なら仕方がない。トリフネなんて、今頃話題に出してどうしたのよ」
「ちょっと土地が足りなくなってきてね。どっかから持ってこれないかと思案中」
「モズクになったんじゃなかったっけ」
「藻屑でしょ、藻屑。そんなつまらないネタに突っ込んであげるなんてなんてやさしい私」
豆腐のハンバーグを箸で切りながら、満面の笑み。
「笑うな、わざとらしい。藻屑になってたら見れないんじゃないの?」
「そもそもなってないわよ?ある程度の人から忘れられて、存在がちゅうぶらりんにはなってるけど」
幻想に片足突っ込んだような、ね。
「というか、トリフネの話は先に蓮子から聞いたものだったと思うけど。実はまだ現存してるとか」
「そうだったかしら。わたくしにはそんなことを話した記憶はございませんわ、おほほ」
「笑わない、わざとらしい。口調もおかしいわよ、それ」
「……現存というか、中身なら先に見てきたけどね。なっかなかに凄い場所だったわよ」
蓮子の言葉に、急に真面目な顔になる。
「蓮子。どうやって行ったのかしら?」
「メリー、前に話した私の友達と、そこらへんの神社から」
「なに、危ないことしてるの?」
「大丈夫、大丈夫だから。彼女に取っちゃ現実でも、それを踏み台にしていった私にとっては夢だもの」
「夢でも、死ぬときには死ぬ。下手したら、そのまま帰ってこれないかも知れないのに」
「考え過ぎよ。昔っからあなたは悪い方悪い方って考えるわよね、紫は」
蓮子は、ついた肘を支えに右肩へ頬を置く。
そのまま、前に座る女性、八雲紫を見つめた。
「危ないのもわかってる。それでも、安全なところから見てるだけじゃ見えないものもあるから」
「…………そうね。でも、私はそういう危なっかしいことはやめてくれるとうれしいのだけどね」
「そんなに心配かしら」
「心配よ。人間、簡単に死ぬもの。肉片一かけらあったら復活するようには出来てない」
こんなになったら、戻せないようにね。
そう言いながら、紫はハンバーグを口へと運ぶ。
人参の硬さと甘さが、口に溢れた。
「うん、おいし。流石は私ね」
「心配するなら、紫も参加してくれたらいいのに」
「しないわよ。まずその友達になんて自己紹介すればいいの?」
「妖怪で、かわいい蓮子ちゃんの友達やってるやくもゆかりちゃんです、星マーク」
名前にちゃん付けしない。
「可愛いじゃない、ちゃん付け」
「年齢考える」
「まだ少女よ、少女。夢見る少女」
「白馬の王子様が馬に乗って蹴りにやってくるわよ、そんなこと言ってると」
うわぁ、と嫌そうな顔をしながら、蓮子は豆腐のステーキを箸で切る。
片栗粉を塗し、醤油と生姜で味をつけ、そこに葱を散らしたものだ。
「まだ、続けるの?その遊び」
「遊び半分で、遊びじゃないのが半分」
「目標は?」
「幻想郷。イーハトーブでも、マヨイガでもいいけど、妖怪の里、そんな感じの」
これ、生姜強過ぎない?
「そんなもんよ、味付けは。ま、来れたら歓迎しますわ。来てほしいような、来てほしくないような」
「いつもと言ってること違うけど」
「私に一言言ってくれたら、手をつないでご案内するわよ。でも、蓮子は自分で見つけたいっていうんだもの。その為に危ないことされるんなら、来てほしくないって」
「……お酒おいしい」
ぐびり、と芋焼酎の水割りを飲む。飲みながら、蓮子の目が泳いだ。
「真面目な話してるんだから、逃げない。本当なら、夜のお散歩と行きたかったのに、そんなことしてるなら連れてけないわよ、もう」
「お散歩、ね。話の流れだと鳥船遺跡かしら」
「そう。視察も兼ねて。きっと大喜びで着いてくると思ったのに、やる気なくなったわ。帰って寝たい」
「冬眠時期は過ぎたわよ?」
冬眠たって、
「実際は、こっちに出てきてるだけなんだけどね。いい言葉だわ、冬眠。いなくたって寝てるからで通せるんだから」
サラダを皿へと移す。レタスにスライスした玉葱、茹でたブロッコリーがドレッシングで和えてあった。
「全部は見てないから、トリフネ行きたいです、紫隊長」
「だぁめ。蓮子はお家でいろいろ反省なさい、いろいろと」
「反省はしてるんだけどね、反省は」
「後悔もしなさい。あと懺悔」
「ダンケ」
「やっぱり連れてくのなしね」
紫は、はぁ、と溜息を吐いて、やれやれと首を振る。
作り過ぎたような食べ物たちは、まだまだテーブルから消えそうになかった。
食べるとは、肥ると言うことである。作ったものの心を、味を、自分の心に食させて、心を肥えさせる。
それが、生きていくことの楽しみであり、日々の活力へと、なるので、あの、出来たら毎日同じごはんはやめて、ああ、無理ですか……。
霖之助は一人、じじと音を鳴らすダイヤルを見つめていた。
その機械、オーブントースターの中では銀色をしたものが熱されている。
彼から見て奥の方、香霖堂の店としての部分は、ここからは見えない。
「……まあ、確かに便利ではあるんだが」
その分、サボり癖が付いてきたような。
そう、悩んだように呟く霖之助を見て、ルーミアが小さく溜息を吐く。
本当に、もう。この人は。
先ほどの溜息よりも小さく、呆れを幾分か混ぜて、呟いた。
「こういったものだって、本来なら数時間かけて作るか、それ相応の店に出向かないといけなかったはずなのに」
「いいことだと思うよ?だって、おうちでゆっくりたべるほうが、落ち着くし」
「それはたしかに」
「あと、りんのすけはいろいろと面倒なことしたがるから、そういうのでかんたんにやるほうがいいんだよ」
……本当、普段はだらけてるのに、なんでああなんだろう。
じじじという音を聞きながら、彼女はほんの少しだけ考えて、でもそこが霖之助だし、と思考を止める。
両手に持ったマグカップからは、ホットの珈琲が湯気を立てて、飲もうとする口と、その上のはなの下を湿らしていた。
「ならさ。りんのすけは、そういうお肉のこうそう?うん。こうそー焼きを、作るたびにどっかお屋敷のおだいどころ借りて、一生懸命作るの?」
「そうは言っていないが、ルーミア、僕は」
「りんのすけ」
「だから、」
「ねえ、霖之助」
名前を呼んで、そこで言葉を切る。
ずず、と珈琲を啜って、じぃと、オーブンを眺める霖之助を見つめる。
「なんだい、ルーミア」
「……」
「ルーミア」
「……ぅあむ」
ひとつ、欠伸。
「……たぶん何かに君が怒ってて、そしてそれは僕が悪かったから、返事をしてくれないかな」
じ、じ、じ、じ、チン。
「と、焼けた様だな」
「霖之助」
もう一度、強く霖之助の名前を呼ぶ。
一瞬眉を寄せ、その間を指で解してから、霖之助はルーミアへと向き直った。
「ルーミア」
「……なぁに?」
「そういうのは、止めた方がいいと思う」
「わかってるんだけどね。でも、りんのすけだって、いろんなこと言わなかったりするし」
でも、
「霖之助のせいにしちゃ、いけないよね、いまのは」
「……わかっているなら、いいが」
「うん、その、ごめんね」
かり、と頬を掻き、そのまま手を握り頬に当てて、ルーミアが笑う。
「なんていうか、おとなげないぁ、私」
「そんなことは」
「あるよ。あるの。大人らしく、もっとしっかりしないといけないのにね」
「見た目は子供だが」
「うるさい」
って、だから、落ち着いて、大人らしくしないと。
「大人らしく、大人ら……う、うー。うん。みんなりんのすけが悪い!」
「中身も子供だったようだ」
「子供じゃないから、ね、りんのすけ。りんのすけが悪いだけだから」
「まあ、それは置いておくとして、出来上がったから、皿をもらえるかな?」
あ、うん。
「りんのすけじゃないけど、もっと時間かかるものだと思ってた」
「僕もそのつもりで、早めに作り始めたからな。少し、夕飯には早い、けどどうしようか」
「いいよ。だいじょうぶ。食べよ、」
冷めたら、おいしくないしね。
「はい、お皿」
「二枚貰いたかったんだが」
「いっしょでいいよ。洗い物もふやしたくないし」
「一緒にするのは良いが、少し大きいような」
そうかな?
「大きいね。それに、これは飾る為の皿で、あまり料理などは載せたくないのだが」
「お皿なんだから、使わないと」
「塗料が剥げて、料理につくだろうけど、それでいいなら使おうか」
「……うん、べつの出すね」
立ち上がり、ぱたぱたと店内へと出て行く。
「足元には」
「うん、だいじょぶ。気をつけるから」
「……どうだか。まあ、転んでも怪我はしないのだろうが」
目の届かない範囲にルーミアが消えたのを確認して、霖之助は溜息を吐いた。
今のところ、香霖堂への来客はない。
ざぁと遠くに聞こえる音がしてから、数日ほど来客が途切れていた。
「さて、この雨はどうしたものかな。梅雨というには、季節も過ぎたはずなんだが」
もう一度、溜息。
技術は欲に合わせて発展するものである。衣服や、性への関心や、食というものに対する探求、それらが合わさり、鍛え上げられていく。
まあ、いくら技術が進歩しても、まだと言ってしまうのが我々なのだが。と、すまない。いつもの様に横道だった。
女性が一人、机を前にして書き物をしていた。
とても綺麗な姿勢で、正座をしている。ただしくは、姿勢のみとても綺麗であった。
んわぁ、と大口を開けて、ぽかりと欠伸をする。
目をこすり、頭が船を漕ぎ、がくんと沈んで慌てて周りを眺めた。
「……いやいや。それもそうよね。ここは私の家なんだから誰も見てないに決まってるじゃない」
よし、と小さく呟いて、頭が落ちる。机にがんとぶつかるに任せ、そのままの姿勢で一分、二分。
「ねむい」
眠い。うん、眠い。
そう、何度も繰り返した。
「なんで私がこんなのの答えあわせとかしてるのかしら」
幾つかの問題と答えの書かれた、簡単に言うならばテスト用紙を指でなぞる。
横を向いて、瞬きを二度して、もう一度欠伸。
机の端に置かれた皿から、おにぎりを一つ取って、机に頭を乗せたまま口へと運ぶ。
「鮭におかかに鰹に鮪、はてさて中身はなんでしょ……、かつおとまぐろって、どうやって取ってきてるのかしらね。海とか、ないわけだし」
噛り付き、握られた白米が削れ、そのほんの一部が口からこぼれて机に落ちた。
周りに人がいないからこそ出来る、だらしなさである。
「いいのよ、ええ。私だって食べなきゃ死ぬし、不当逮捕だなんだで解任されて、なんやかんやでお仕事なくなった身だから寺小屋だろうが神社小屋だろうがなんでも。いや待っておかしいじゃない。教員?そう、教員免許とか言うものが必要なはずよね」
それに、人に教えるとか、
「無理。そう、なんで私なのよ。普段は変態だの人格破綻者だの好き勝手言っておい、いけない、紙にご飯粒ついた!」
慌てて起きる。
「よかった。もう冷たいからご飯粒そこまでくっ付かないもの。ところでこれ、中身なにもはいってないんだけど」
あのおにぎり屋、中身入れ忘れたわね、もう。
一つ目を食べきり、机の下に転がす様に置かれた缶入りの緑茶を取る。カシャリと、と小気味良い音を鳴らして、ブルタブと呼ばれる蓋を開けて、中身を喉へと流し込んだ。
「やっぱりおにぎりにはお茶よね。お茶。どうやって、このヘンテコな容器に入れてるのかは、てんでわからないけど」
手の甲で口元を拭い、次のおにぎりへと手を伸ばす。
今度は半分に割って、中身を先に確認した。
「えっと、今度のは入ってるわね。本当入れ忘れはやめてほしいのだけど。で、中身は、ふんふん」
鮭と、鰹節であった。
「二度といかない。絶対あのおにぎり屋さん行かない。なにこれ、なんで注文した具、一つのおにぎりに一緒に突っ込んでるの、これ」
まさか、と思い残りの二つも半分へと割る。
片方には鮪、片方には鰹がしっかりと入っていた。
両方ともに、生の食感に感じる様加工されたものである。
「……まあ、こっちは無事でよかった」
鰹が具のおにぎりを一口齧る。
「うん、許しましょう許しましょう。また行ってもいいわね、この味なら」
女性、小兎姫はうんうんと頷いた。
テストの用紙はまだ十数枚残っている。
彼女の方は、食べている内にまた船をこぎ始めたところだった。
三角形に丸。おにぎり、おむすびはまるで人の様である。自らを服で隠し、内心を肉で隠すのと、海苔で白米を、具という本質をまた白米で隠す。
隠されているものは見たくなるし、その隠されたものを知り、感じることは自身の欲を満たすことに繋がる、いや、これは言い過ぎだろうか。どちらにせよ余りに関係がない話だったか。
「はい、お皿の真ん中は熱いから出来たら端を持ってね」
「はいはい、わかったから。私の親かと言いたくなるわね、本当」
「親友よ」
「たしかに親の字は入ってるけども」
夕食時も過ぎ、深夜にも近くなった頃、蓮子はテーブルを前に胡坐を書いていた。
スカートで行うその座り方は、はしたないと言う他ない。
「で、こっちグラスで」
「ん、貰う」
「ありがと。それで、お酒の瓶は床置きでいいわよね」
「別に気にしないから大丈夫」
よかった。
「置き場所ないものね、これじゃあ」
「豆腐に豆腐に豆腐。なんでこんな豆腐ばっかなのかしら」
「健康にいいし、お肉ほど肥らないもの」
「……ああ、また体重が」
蓮子は相手の首から下を眺め見た。
さっぱり変わらない様に見えるその体型に、一体どこにその体重が行っているのかと考え始め、まあどこでもいいかと思考を切り捨てる。
「おいしいからいいけど、私じゃなかったら怒ってると思う。この豆腐づくし」
「そうかしら。豆腐の和風ステーキ風に、豆腐を潰して野菜と混ぜたハンバーグ風。豆腐を乗っけたサラダに、私の飲み物は豆乳」
「馬鹿でしょ、前から思ってたけど」
「蓮子よりは頭いいわよ、きっと」
どうだか。
「そうそう。これ知ってるかしら。どっかの衛星が事故起こして、星の海に消えちゃった」
「トリフネでしょ?知ってるわよ」
「面白そうよね。今度中見てみたいわ」
「どうやっ、あー、うん。わかったからいいわよ」
豆腐のサラダを小皿に移し、さあ食べようとしたところで、蓮子は手を叩かれた。
「いただきます、しなきゃ駄目」
「……いただきます」
「どうぞ。たぁんとお食べなさい」
「本当、私の親だったっけ」
親友ですもの。
「なら仕方がない。トリフネなんて、今頃話題に出してどうしたのよ」
「ちょっと土地が足りなくなってきてね。どっかから持ってこれないかと思案中」
「モズクになったんじゃなかったっけ」
「藻屑でしょ、藻屑。そんなつまらないネタに突っ込んであげるなんてなんてやさしい私」
豆腐のハンバーグを箸で切りながら、満面の笑み。
「笑うな、わざとらしい。藻屑になってたら見れないんじゃないの?」
「そもそもなってないわよ?ある程度の人から忘れられて、存在がちゅうぶらりんにはなってるけど」
幻想に片足突っ込んだような、ね。
「というか、トリフネの話は先に蓮子から聞いたものだったと思うけど。実はまだ現存してるとか」
「そうだったかしら。わたくしにはそんなことを話した記憶はございませんわ、おほほ」
「笑わない、わざとらしい。口調もおかしいわよ、それ」
「……現存というか、中身なら先に見てきたけどね。なっかなかに凄い場所だったわよ」
蓮子の言葉に、急に真面目な顔になる。
「蓮子。どうやって行ったのかしら?」
「メリー、前に話した私の友達と、そこらへんの神社から」
「なに、危ないことしてるの?」
「大丈夫、大丈夫だから。彼女に取っちゃ現実でも、それを踏み台にしていった私にとっては夢だもの」
「夢でも、死ぬときには死ぬ。下手したら、そのまま帰ってこれないかも知れないのに」
「考え過ぎよ。昔っからあなたは悪い方悪い方って考えるわよね、紫は」
蓮子は、ついた肘を支えに右肩へ頬を置く。
そのまま、前に座る女性、八雲紫を見つめた。
「危ないのもわかってる。それでも、安全なところから見てるだけじゃ見えないものもあるから」
「…………そうね。でも、私はそういう危なっかしいことはやめてくれるとうれしいのだけどね」
「そんなに心配かしら」
「心配よ。人間、簡単に死ぬもの。肉片一かけらあったら復活するようには出来てない」
こんなになったら、戻せないようにね。
そう言いながら、紫はハンバーグを口へと運ぶ。
人参の硬さと甘さが、口に溢れた。
「うん、おいし。流石は私ね」
「心配するなら、紫も参加してくれたらいいのに」
「しないわよ。まずその友達になんて自己紹介すればいいの?」
「妖怪で、かわいい蓮子ちゃんの友達やってるやくもゆかりちゃんです、星マーク」
名前にちゃん付けしない。
「可愛いじゃない、ちゃん付け」
「年齢考える」
「まだ少女よ、少女。夢見る少女」
「白馬の王子様が馬に乗って蹴りにやってくるわよ、そんなこと言ってると」
うわぁ、と嫌そうな顔をしながら、蓮子は豆腐のステーキを箸で切る。
片栗粉を塗し、醤油と生姜で味をつけ、そこに葱を散らしたものだ。
「まだ、続けるの?その遊び」
「遊び半分で、遊びじゃないのが半分」
「目標は?」
「幻想郷。イーハトーブでも、マヨイガでもいいけど、妖怪の里、そんな感じの」
これ、生姜強過ぎない?
「そんなもんよ、味付けは。ま、来れたら歓迎しますわ。来てほしいような、来てほしくないような」
「いつもと言ってること違うけど」
「私に一言言ってくれたら、手をつないでご案内するわよ。でも、蓮子は自分で見つけたいっていうんだもの。その為に危ないことされるんなら、来てほしくないって」
「……お酒おいしい」
ぐびり、と芋焼酎の水割りを飲む。飲みながら、蓮子の目が泳いだ。
「真面目な話してるんだから、逃げない。本当なら、夜のお散歩と行きたかったのに、そんなことしてるなら連れてけないわよ、もう」
「お散歩、ね。話の流れだと鳥船遺跡かしら」
「そう。視察も兼ねて。きっと大喜びで着いてくると思ったのに、やる気なくなったわ。帰って寝たい」
「冬眠時期は過ぎたわよ?」
冬眠たって、
「実際は、こっちに出てきてるだけなんだけどね。いい言葉だわ、冬眠。いなくたって寝てるからで通せるんだから」
サラダを皿へと移す。レタスにスライスした玉葱、茹でたブロッコリーがドレッシングで和えてあった。
「全部は見てないから、トリフネ行きたいです、紫隊長」
「だぁめ。蓮子はお家でいろいろ反省なさい、いろいろと」
「反省はしてるんだけどね、反省は」
「後悔もしなさい。あと懺悔」
「ダンケ」
「やっぱり連れてくのなしね」
紫は、はぁ、と溜息を吐いて、やれやれと首を振る。
作り過ぎたような食べ物たちは、まだまだテーブルから消えそうになかった。
食べるとは、肥ると言うことである。作ったものの心を、味を、自分の心に食させて、心を肥えさせる。
それが、生きていくことの楽しみであり、日々の活力へと、なるので、あの、出来たら毎日同じごはんはやめて、ああ、無理ですか……。