今日は濡れ濡れ日曜日だ。
日曜日を祝日と言うらしいが、私の定休日は火・木である。
門番隊は、雨が降っても休みにならず、門の隣に備え付けた屋根の下でひたすら突っ立つのだ。
屋根の下という薄らぐらい場所で、梅雨のじっとりとした暑さに耐えながら、『早く終われ』と念じて交代を待ち続けるのである。
しとしと、さあさあいう雨音と、代わり映えのしない光景を半目に見ながら、門番長と私はずっと立ち尽くしている。
その体感時間の長さといったら、平妖精の私と妖怪の美鈴さんがツーカーの仲になるぐらい長い。
「暇ですね」
「暇って言い出すと、余計に辛くなるよ」
「言う事を耐える方が辛いです。私は」
互いの声が死んでいた。
雨どいを伝う雨水がびちゃびちゃ水音を立てている。近づいたら、靴がびしょ濡れになるんだろう。
「お勤めは不自由ですね」
「だねえ。不自由だ」
梅雨は、アレだ。好きくない。
雨が降ったら虫も鳴かないし、鳥も飛ばない。
鳴くものといったら蛙ぐらいだ。蛙の声は好きだけど。ぐあっ、ぐあっ、って今も鳴いている。
それでも意識しなければ、蛙が鳴いていることも忘れてしまう。気は一切紛れない。
もっと言うと、雨がふっている日の門番業務が嫌いだ。
蒸し蒸ししているのに、ずっと死んだ魚の眼一歩手前でずっと立ち尽くさなければならない。
なにかやることでもあれば良いけども、ひさすら異常なしを確認し続けるってのは酷だ。
今日みたいな日の業務は特に、だるい、ダサい、誰も来ないの3Dである。
ああ、やだやだ。
「ねえ、門番長。こんな日に誰も来ないですよ。サボりましょうよ」
「きっと来るよ……魔理沙は年中無休だから。そんで見逃したら『美鈴!何してたの!』って怒られるんだよ……」
「ああ、来ますね。馬鹿ですね。濡れ濡れ魔女ですね」
「何よその言い方やらしい……」
自由だな、あいつは。
魔理沙は風邪を引くかもという可能性を無視して、びしょ濡れになりながら来るんだろう。
そんで私たちを吹っ飛ばすなり懐柔するなりして、屋敷に入っていくのだ。
自由すぎる。
私にはそんなこと出来やしない。
「……門番長。聞いてもいいですか」
「うん?」
「空を飛ぶのって、どんな感じなんです?」
「……」
門番長がこちらを向く、その顔はどう言ったものかという戸惑いの色が、見て取れた。
私は、割と珍しい飛べない妖精である。
私の背には羽が無い。だから飛べないとは限らないだろうけども、私は飛べないのだ。
皆すいすい空を飛んでいる中、私は地面にべったりとへばり付いている。
「あー、まさ子ちゃんはジャンプ力が半端ないから、空を飛ぶ感じはわかるんじゃないの?」
「方向転換も出来ませんし、直ぐに落ちちゃいますよ」
「ああ、そっか」
私が空を飛べないのに門番隊をやっていられる理由に、自慢のジャンプ力がある。
多少の上空で暴れられようとも、全力でジャンプすれば楽々と取り付いて二三発ぶん殴れる。
割と腕っ節は強いし、妖力を使えばゆっくりと降下出来るので、空を飛べないことで不自由したことはあまり無い。
まあ、無いってわけでも無いが。
大妖精が『うぷぷ、まさ子ってカエルみたいだよね。うぷぷ』 って馬鹿にして来た事も有る。
その時は詰所に有った鉄やらなんやらの重りを全身に括りつけて、上空で馬鹿にし続けている大妖精目がけてジャンプし、締め上げてやった。
私たちはぐるんぐるんと何度も上下を入れ替え、もつれ合い、キリモミ飛行した。
大妖精は重い私を突き放そうと、必死の表情で蹴りを入れてくる。だが、取り付いたならこっちの物で、羽やら腹やらをしこたま殴ってやった。
大妖精がしだいに疲れ始め、徐々に高度を下げていく。地面に着いたなら私の勝ちだとほくそ笑み、門の柱に括りつけてやろうと考えるまでに私は勝利を確信した。
しかし、大妖精も侮れない奴だった。
湖の上に移動していたのだ。途端奴は強気になって叫ぶ。
『湖の上だッ!湖に沈みたくなかったら降参するんだなぁ!」
大妖精の口調は、まるでアクション映画の悪役だった。間違いなく映画の影響だろう。
私は後ろを横目に見た。間違いなく水面だった。しかし、私は奴の片羽を掴んだ。私たちは大きく揺れ、また高度を下げていく。
『馬鹿かお前は!一緒にオダブツする気かッ!』
大妖精は必死に喚き、私との間に足を入れて振り払おうとする。
『一緒に地獄に行こうぜブラザー』
私はアクションスターの様に囁き、そして大妖精のがら空きの腹を殴り抜いた。肺の中の空気が、全て吐き出された音がした。
大妖精の羽がガクガクと揺れて止まり、そのまま私たちは湖に突っ込んだのだった。
完全に頭に血が上ってたから出来た所業だ。
この事件は霧の湖の妖精達の間で、ちょっとした伝説になっている。
喧嘩はほどほどにしておけという教訓として、だけど。
門番長が口元にやっていた手を離した。
「その、ねえ。外を見たことがない子どもに『外ってどんなの?』って聞かれるようなもんで戸惑うんだけど……」
「ああ、妹様ですねぇ」
「あんた畏れ多いな!」
「こんな日に門の中でずっと突っ立ってたら、誰だってこうなりますよ」
割と真剣な門番長の目から、ついっと目をそらす。
面と向かっては絶対に言えないけど、陰で言うには良いんじゃなかろうか。別に悪口じゃないし。
念の為後ろを振り向く。雨に包まれた館には誰も見えなかった。セーフ!
私が馬鹿な事をしている間、門番長は人のいい性格のままに、うーんと唸って言葉を探しているようだった。
「……言ってみたら、加速したら風が抜けて、止まったらふわふわしてて、そんで上空に行けば行くほど寒くなるって感じかなぁ」
「あの、まあ、そうなんでしょうけどもそういう事じゃなくて。つまり……気持ちとか」
「気持ち?別に普通だよ」
「自由な感じとかは、しないですか」
「いや……別に」
そんなもんか。
空を飛べない私にとって、空を飛ぶ人々は皆自由そうに見えた。
私がギリギリまで助走をつけて全力でジャンプして、空に上がって飛んでる奴らに追いついても、直ぐに速度を失ってふわふわ落下してしまう。
落ちていく私が見る、スイスイ飛んでいく奴らは、いつも自由に見えた。
でも、当たり前に飛べるんだから、自由なんて感じないか。
関係ないのだ、空が飛べるかどうかなんて。
夜の原っぱに時々開かれる映画会のスター達は、空を飛べなくともあれ程自由なのだから。
映画妖怪と呼ばれる謎のおっさんが、デカイ機械を担いで山から降りて、時々上映会を開いてくれている。
このおっさんは本当は唯の河童で、せっかく作った映写機を有効利用したいから開いているらしい。これは直接おっさんに聞いたんだけども、ちょっとショックだった。
『映画を上映することで力を得ている映画妖怪』という妄想をふくらませていた私のトキメキを返して欲しいと思ったものだが、映画は相変わらず好きだ
映画妖怪は虫がたからないよう上映中は蚊取り線香を焚く。焚くがそれでも光に釣られて虫たちが集まる。映画妖怪はそれを退けようとウチワで忙しなく扇ぐのだ。
なんで室内でやんないのって私が尋ねた事があったが、映画妖怪は「風情があるだろ」ってニッと笑っただけだった。自由なおっさんだ。
でも言われてみると、蚊取り線香の匂いがする中、草っ原で虫に光を邪魔されながら見る映画は確かに風情があった。そう感じたとき、今見ている映画が終わるまでの間、スター達のように私も自由になれるのではないかと思った。
見事な手管で金をむしり取る、女たらしのギャンブラー。ほんのひと時の間心を通わせる王女と新聞記者。そして雨の中で歌い、希望に踊る『映画の中の映画俳優』。
皆、輝かしくスクリーンに映った。今も、目を閉じれば目の前に現れる。
――私にとって、映画は自由の象徴だ。
なんてポエムな事を考えてると、急に後ろから声がした。
「お前たち、なに辛気臭そうに突っ立ってるんだい?」
「職務を全うしているのでありますよ、お嬢様。雨大丈夫なんですか?」
びっくりして私はちょっと跳び上がってしまった。振り向くと、お嬢様が居た。雨合羽フル装備だった。大丈夫って事を示すように、お嬢様は手を大きく広げている。
門番長はというと、私とは対照的にひどく落ち着いていた。それが気にくわないのだろう、びしょ濡れの合羽を着たまんまでお嬢様は門番長の首に抱きついた。
うわあ、絶対すげえ濡れる。
「ざんねーん、気づかれてたか。今度こそ不意を突けたと思ったんだがね」
「気付いていても、どうしようも無いことだって有りますよ。例えばお嬢様のお戯れとか。もの凄い濡れるんで止めてもらえません?」
「そりゃそうさ。あんたは私の部下だもの。そして止めなーい」
けけけとお嬢様は笑う。笑い方が割と小物臭い。門番長が口をへの字に曲げて、すっごい嫌そうな顔をしている。その門番長の首にぶら下がるお嬢様の目が私に注がれた。何だろうと思う間もなく、お嬢様は口を開いた。
「あんた、そんなしけた顔してると顔にカビが生えちゃうよ」
想像する、私の顔にカビがぱりぽり。キモかった。
そう思ったが、そんな事をお嬢様に言うわけにはいかず、かといってなんと反応していいやら分からず、私は言葉に詰まった。
でもお嬢様は私から興味を失ったらしく、すぐに目を離した。ただの気まぐれだったのだろう。
「さて、奇襲にも失敗した事だし、帰ろうかね」
ぱしゃんとお嬢様が着地する。本当に門番長の不意を突くためだけに雨合羽フル装備をしてきたらしい。この人も自由だなぁ。
お嬢様は踵を返して館に向かって、長靴を鳴らしながら歩いて行く。吸血鬼っだっていうのに雨が怖くないんだろうか。
その時、すっと横から動く物があった。門番長だった。背中がすっごい湿ってる。お嬢様に抱きつかれてた部分だ。
門番長は雨に濡れるのも構わず、お嬢様の後ろをそろそろと忍び足で追いかける。お嬢様は気づかない。
門番長がお嬢様の真後ろに付いた。お嬢様はそれでも気づかない。
門番長がお嬢様の合羽のフードを引っ張った。お嬢様の頭が顕になる。何やってんだあの人。
「あだだだっ!」
「はははは!背中をびしょ濡れにされたお返しです!」
「このやろう!」
お嬢様はフードをかぶり直して門番長に跳びかかる。しかし雨のせいか大胆に動けない。門番長はお嬢様の攻撃をひょいひょい躱す。なんでこうなったのやら分からないが、大乱闘になった。一進一退の攻防、秒を数えるごとに泥だらけになる二人。お嬢様の動きが徐々に遅くなっていって程なく止まり、お嬢様は膝を抱えてうずくまった。
門番長はその横に突っ立って右往左往して、ちょっとしてから私の方に歩いてきた。近づいてくるその顔は、ちょっと困ったような、でもすっきりしたような顔をしていた。
「いやー、泥だらけになっちゃったからお風呂入ってくるね。一時間ぐらいしたら戻るから」
「あ、はい」
門番長はドロッドロの服のまんまお嬢様の方に歩いていき、お嬢様の背中を促す様に押した。
お嬢様がのっそりと立ち上がる。もしかして泣いているんじゃなかろうか。
合羽姿のお嬢様が、門番長に肩を抱かれるようにして歩いて行く。あれ絶対泣いてるよ。なにしてんだ門番長。
そして二人は、館の方へと消えていった。辺りが一気に静かになる。
……体よく、私は仕事を押し付けられたらしい。門番長も、十分自由じゃないか。
空を見る。このままひと月ぐらい雨が降り続けそうなぐらい、分厚い雲が覆っていた。波乱を思わせるような荒れ模様もなく、ひたすら平坦な雨空だった。
しとしと、びちゃびちゃ。ぐあっぐあっ。
一人になったからだろう、色んな音が耳に入ってきた。
――自由ってなんだろ。
自由じゃない人の代表選手だと思ってた門番長が、さっき割と自由そうだったので良く分からなくなってきた。
自由、不自由とか、小難しいことを今日は考えっぱなしだったけど。何がどうしたら自由なんだろうか。まずその前提が分からない。
魔理沙やお嬢様が自由だとしたら、それはなんで自由なんだろう。なんで私は自由じゃないんだろう。
自由な人は皆楽しそうだ。私も自由になりたい。
普通嫌がることを、恐れることを、なんでも無い事の様に受け入れると、『自由』になれるんだろうか。
魔理沙が濡れるのも構わず紅魔館に来ることや、映画妖怪が虫のたかる中上映することがそれだろうな。
ああでも、じゃあ、お嬢様の事を自由だって感じた事の説明にならない。
あの人こそが自由だと思っているのに、言葉で考えるから抜け落ちてしまう……
いや、魔理沙が雨を厭わず、お嬢様が手間を厭わず、おっさんが虫を厭わず、門番長が危険を厭わなかった。
共通するものは有る。有った。それは、厭わないことだ。
きっとただそれは、言葉が共通しているだけの事で、共通項で括れても自由じゃない人はたくさんいるんだろう。
例えそうでも、私は――
今この目の前の雨を厭わなければ、自由になれるんじゃないかっていう思いに突き動かされていた。
雨樋から滑り落ちる細い滝に手を伸ばすと、水はびちゃびちゃと音を立てて私の手を打った。
「あむ……しー、いなれー」
私の喉から歌が漏れ出てきた。そんな感じだった。
蚊取り線香で映像が揺らめき、虫が邪魔する光の中、雨に濡れ踊った紳士が歌った歌だった。
私は歌詞を知らないし、言葉も分からないから、てんで適当だ。
手を打つ水に、エスコートされるように身を進める。屋根の下から出た。梅雨の柔らかい雨が、私の体をゆっくり濡らす。
「じゃー、しー、いなれー……」
私の声は歌うことをためらっているように小さく響いた。それでも私は足を踏み出していく。
門から離れ、ゆったりと歩く。肩から湿り始め、服が体にへばりつき始める。
「をーう、でぃーとぅとぅでぃー、とぅる……」
雨に向けて歌うように、首を上に向けて歩く。少しずつ、こわばりが解けるように私の歌声が大きくなる。
足も大股になっていく。雨と友達になれるような気がしてきた。
植え込みの葉っぱに手を伸ばし、ぱっぱと水を弾いていく。蛙がぴょんと跳ねて逃げる。
「あーむ、はーぴあげー」
さあ、あの映画俳優の様に踊ろう。
踊れもしない、タップのステップを踏む。きっと傍から見れば、足元の泥水を跳ね散らかし、踏みつけているだけにしか見えないだろう。それでも踊り続ける。
口は自然と歌い続けている。
大きく体をそり返らせ、手を雨空に広げる。きっと確か、あの俳優はこんなポーズもしていた。湧き上がるような笑顔と共に。
気がつくと私も笑っていた。そして私は紅魔館門前で叫ぶ。
「あーむ、はっぴあげー!」
雨樋から落ちる水の前までステップを踏んで行き、頭からその小さな滝に突っ込む。頭、胴、腕、足。全身あます所無くズブ濡れになる。もうこれ以上濡れようが無い。
滝からジャンプして離れ、びしょ濡れの靴で何度も何度もジャンプする。濡れた髪がむちゃくちゃになり、跳ねた泥で体が汚れていき、そしてまた雨に洗い流される。
くるくる回り、目をまわしてふらついても、まだまだ回る。雨天の空はいつまでも続く。
腕を大きく振り回す、水たまりを思い切り蹴る。耳にはあの音楽が聞こえる。
門番長が帰ってきたら、なんて言い訳しよう。そんな考えもさっぱり消えて、私はひたすら雨に踊った。
蹴られた水が舞い、一面に広がっていく。
私は、自由だ。
日曜日を祝日と言うらしいが、私の定休日は火・木である。
門番隊は、雨が降っても休みにならず、門の隣に備え付けた屋根の下でひたすら突っ立つのだ。
屋根の下という薄らぐらい場所で、梅雨のじっとりとした暑さに耐えながら、『早く終われ』と念じて交代を待ち続けるのである。
しとしと、さあさあいう雨音と、代わり映えのしない光景を半目に見ながら、門番長と私はずっと立ち尽くしている。
その体感時間の長さといったら、平妖精の私と妖怪の美鈴さんがツーカーの仲になるぐらい長い。
「暇ですね」
「暇って言い出すと、余計に辛くなるよ」
「言う事を耐える方が辛いです。私は」
互いの声が死んでいた。
雨どいを伝う雨水がびちゃびちゃ水音を立てている。近づいたら、靴がびしょ濡れになるんだろう。
「お勤めは不自由ですね」
「だねえ。不自由だ」
梅雨は、アレだ。好きくない。
雨が降ったら虫も鳴かないし、鳥も飛ばない。
鳴くものといったら蛙ぐらいだ。蛙の声は好きだけど。ぐあっ、ぐあっ、って今も鳴いている。
それでも意識しなければ、蛙が鳴いていることも忘れてしまう。気は一切紛れない。
もっと言うと、雨がふっている日の門番業務が嫌いだ。
蒸し蒸ししているのに、ずっと死んだ魚の眼一歩手前でずっと立ち尽くさなければならない。
なにかやることでもあれば良いけども、ひさすら異常なしを確認し続けるってのは酷だ。
今日みたいな日の業務は特に、だるい、ダサい、誰も来ないの3Dである。
ああ、やだやだ。
「ねえ、門番長。こんな日に誰も来ないですよ。サボりましょうよ」
「きっと来るよ……魔理沙は年中無休だから。そんで見逃したら『美鈴!何してたの!』って怒られるんだよ……」
「ああ、来ますね。馬鹿ですね。濡れ濡れ魔女ですね」
「何よその言い方やらしい……」
自由だな、あいつは。
魔理沙は風邪を引くかもという可能性を無視して、びしょ濡れになりながら来るんだろう。
そんで私たちを吹っ飛ばすなり懐柔するなりして、屋敷に入っていくのだ。
自由すぎる。
私にはそんなこと出来やしない。
「……門番長。聞いてもいいですか」
「うん?」
「空を飛ぶのって、どんな感じなんです?」
「……」
門番長がこちらを向く、その顔はどう言ったものかという戸惑いの色が、見て取れた。
私は、割と珍しい飛べない妖精である。
私の背には羽が無い。だから飛べないとは限らないだろうけども、私は飛べないのだ。
皆すいすい空を飛んでいる中、私は地面にべったりとへばり付いている。
「あー、まさ子ちゃんはジャンプ力が半端ないから、空を飛ぶ感じはわかるんじゃないの?」
「方向転換も出来ませんし、直ぐに落ちちゃいますよ」
「ああ、そっか」
私が空を飛べないのに門番隊をやっていられる理由に、自慢のジャンプ力がある。
多少の上空で暴れられようとも、全力でジャンプすれば楽々と取り付いて二三発ぶん殴れる。
割と腕っ節は強いし、妖力を使えばゆっくりと降下出来るので、空を飛べないことで不自由したことはあまり無い。
まあ、無いってわけでも無いが。
大妖精が『うぷぷ、まさ子ってカエルみたいだよね。うぷぷ』 って馬鹿にして来た事も有る。
その時は詰所に有った鉄やらなんやらの重りを全身に括りつけて、上空で馬鹿にし続けている大妖精目がけてジャンプし、締め上げてやった。
私たちはぐるんぐるんと何度も上下を入れ替え、もつれ合い、キリモミ飛行した。
大妖精は重い私を突き放そうと、必死の表情で蹴りを入れてくる。だが、取り付いたならこっちの物で、羽やら腹やらをしこたま殴ってやった。
大妖精がしだいに疲れ始め、徐々に高度を下げていく。地面に着いたなら私の勝ちだとほくそ笑み、門の柱に括りつけてやろうと考えるまでに私は勝利を確信した。
しかし、大妖精も侮れない奴だった。
湖の上に移動していたのだ。途端奴は強気になって叫ぶ。
『湖の上だッ!湖に沈みたくなかったら降参するんだなぁ!」
大妖精の口調は、まるでアクション映画の悪役だった。間違いなく映画の影響だろう。
私は後ろを横目に見た。間違いなく水面だった。しかし、私は奴の片羽を掴んだ。私たちは大きく揺れ、また高度を下げていく。
『馬鹿かお前は!一緒にオダブツする気かッ!』
大妖精は必死に喚き、私との間に足を入れて振り払おうとする。
『一緒に地獄に行こうぜブラザー』
私はアクションスターの様に囁き、そして大妖精のがら空きの腹を殴り抜いた。肺の中の空気が、全て吐き出された音がした。
大妖精の羽がガクガクと揺れて止まり、そのまま私たちは湖に突っ込んだのだった。
完全に頭に血が上ってたから出来た所業だ。
この事件は霧の湖の妖精達の間で、ちょっとした伝説になっている。
喧嘩はほどほどにしておけという教訓として、だけど。
門番長が口元にやっていた手を離した。
「その、ねえ。外を見たことがない子どもに『外ってどんなの?』って聞かれるようなもんで戸惑うんだけど……」
「ああ、妹様ですねぇ」
「あんた畏れ多いな!」
「こんな日に門の中でずっと突っ立ってたら、誰だってこうなりますよ」
割と真剣な門番長の目から、ついっと目をそらす。
面と向かっては絶対に言えないけど、陰で言うには良いんじゃなかろうか。別に悪口じゃないし。
念の為後ろを振り向く。雨に包まれた館には誰も見えなかった。セーフ!
私が馬鹿な事をしている間、門番長は人のいい性格のままに、うーんと唸って言葉を探しているようだった。
「……言ってみたら、加速したら風が抜けて、止まったらふわふわしてて、そんで上空に行けば行くほど寒くなるって感じかなぁ」
「あの、まあ、そうなんでしょうけどもそういう事じゃなくて。つまり……気持ちとか」
「気持ち?別に普通だよ」
「自由な感じとかは、しないですか」
「いや……別に」
そんなもんか。
空を飛べない私にとって、空を飛ぶ人々は皆自由そうに見えた。
私がギリギリまで助走をつけて全力でジャンプして、空に上がって飛んでる奴らに追いついても、直ぐに速度を失ってふわふわ落下してしまう。
落ちていく私が見る、スイスイ飛んでいく奴らは、いつも自由に見えた。
でも、当たり前に飛べるんだから、自由なんて感じないか。
関係ないのだ、空が飛べるかどうかなんて。
夜の原っぱに時々開かれる映画会のスター達は、空を飛べなくともあれ程自由なのだから。
映画妖怪と呼ばれる謎のおっさんが、デカイ機械を担いで山から降りて、時々上映会を開いてくれている。
このおっさんは本当は唯の河童で、せっかく作った映写機を有効利用したいから開いているらしい。これは直接おっさんに聞いたんだけども、ちょっとショックだった。
『映画を上映することで力を得ている映画妖怪』という妄想をふくらませていた私のトキメキを返して欲しいと思ったものだが、映画は相変わらず好きだ
映画妖怪は虫がたからないよう上映中は蚊取り線香を焚く。焚くがそれでも光に釣られて虫たちが集まる。映画妖怪はそれを退けようとウチワで忙しなく扇ぐのだ。
なんで室内でやんないのって私が尋ねた事があったが、映画妖怪は「風情があるだろ」ってニッと笑っただけだった。自由なおっさんだ。
でも言われてみると、蚊取り線香の匂いがする中、草っ原で虫に光を邪魔されながら見る映画は確かに風情があった。そう感じたとき、今見ている映画が終わるまでの間、スター達のように私も自由になれるのではないかと思った。
見事な手管で金をむしり取る、女たらしのギャンブラー。ほんのひと時の間心を通わせる王女と新聞記者。そして雨の中で歌い、希望に踊る『映画の中の映画俳優』。
皆、輝かしくスクリーンに映った。今も、目を閉じれば目の前に現れる。
――私にとって、映画は自由の象徴だ。
なんてポエムな事を考えてると、急に後ろから声がした。
「お前たち、なに辛気臭そうに突っ立ってるんだい?」
「職務を全うしているのでありますよ、お嬢様。雨大丈夫なんですか?」
びっくりして私はちょっと跳び上がってしまった。振り向くと、お嬢様が居た。雨合羽フル装備だった。大丈夫って事を示すように、お嬢様は手を大きく広げている。
門番長はというと、私とは対照的にひどく落ち着いていた。それが気にくわないのだろう、びしょ濡れの合羽を着たまんまでお嬢様は門番長の首に抱きついた。
うわあ、絶対すげえ濡れる。
「ざんねーん、気づかれてたか。今度こそ不意を突けたと思ったんだがね」
「気付いていても、どうしようも無いことだって有りますよ。例えばお嬢様のお戯れとか。もの凄い濡れるんで止めてもらえません?」
「そりゃそうさ。あんたは私の部下だもの。そして止めなーい」
けけけとお嬢様は笑う。笑い方が割と小物臭い。門番長が口をへの字に曲げて、すっごい嫌そうな顔をしている。その門番長の首にぶら下がるお嬢様の目が私に注がれた。何だろうと思う間もなく、お嬢様は口を開いた。
「あんた、そんなしけた顔してると顔にカビが生えちゃうよ」
想像する、私の顔にカビがぱりぽり。キモかった。
そう思ったが、そんな事をお嬢様に言うわけにはいかず、かといってなんと反応していいやら分からず、私は言葉に詰まった。
でもお嬢様は私から興味を失ったらしく、すぐに目を離した。ただの気まぐれだったのだろう。
「さて、奇襲にも失敗した事だし、帰ろうかね」
ぱしゃんとお嬢様が着地する。本当に門番長の不意を突くためだけに雨合羽フル装備をしてきたらしい。この人も自由だなぁ。
お嬢様は踵を返して館に向かって、長靴を鳴らしながら歩いて行く。吸血鬼っだっていうのに雨が怖くないんだろうか。
その時、すっと横から動く物があった。門番長だった。背中がすっごい湿ってる。お嬢様に抱きつかれてた部分だ。
門番長は雨に濡れるのも構わず、お嬢様の後ろをそろそろと忍び足で追いかける。お嬢様は気づかない。
門番長がお嬢様の真後ろに付いた。お嬢様はそれでも気づかない。
門番長がお嬢様の合羽のフードを引っ張った。お嬢様の頭が顕になる。何やってんだあの人。
「あだだだっ!」
「はははは!背中をびしょ濡れにされたお返しです!」
「このやろう!」
お嬢様はフードをかぶり直して門番長に跳びかかる。しかし雨のせいか大胆に動けない。門番長はお嬢様の攻撃をひょいひょい躱す。なんでこうなったのやら分からないが、大乱闘になった。一進一退の攻防、秒を数えるごとに泥だらけになる二人。お嬢様の動きが徐々に遅くなっていって程なく止まり、お嬢様は膝を抱えてうずくまった。
門番長はその横に突っ立って右往左往して、ちょっとしてから私の方に歩いてきた。近づいてくるその顔は、ちょっと困ったような、でもすっきりしたような顔をしていた。
「いやー、泥だらけになっちゃったからお風呂入ってくるね。一時間ぐらいしたら戻るから」
「あ、はい」
門番長はドロッドロの服のまんまお嬢様の方に歩いていき、お嬢様の背中を促す様に押した。
お嬢様がのっそりと立ち上がる。もしかして泣いているんじゃなかろうか。
合羽姿のお嬢様が、門番長に肩を抱かれるようにして歩いて行く。あれ絶対泣いてるよ。なにしてんだ門番長。
そして二人は、館の方へと消えていった。辺りが一気に静かになる。
……体よく、私は仕事を押し付けられたらしい。門番長も、十分自由じゃないか。
空を見る。このままひと月ぐらい雨が降り続けそうなぐらい、分厚い雲が覆っていた。波乱を思わせるような荒れ模様もなく、ひたすら平坦な雨空だった。
しとしと、びちゃびちゃ。ぐあっぐあっ。
一人になったからだろう、色んな音が耳に入ってきた。
――自由ってなんだろ。
自由じゃない人の代表選手だと思ってた門番長が、さっき割と自由そうだったので良く分からなくなってきた。
自由、不自由とか、小難しいことを今日は考えっぱなしだったけど。何がどうしたら自由なんだろうか。まずその前提が分からない。
魔理沙やお嬢様が自由だとしたら、それはなんで自由なんだろう。なんで私は自由じゃないんだろう。
自由な人は皆楽しそうだ。私も自由になりたい。
普通嫌がることを、恐れることを、なんでも無い事の様に受け入れると、『自由』になれるんだろうか。
魔理沙が濡れるのも構わず紅魔館に来ることや、映画妖怪が虫のたかる中上映することがそれだろうな。
ああでも、じゃあ、お嬢様の事を自由だって感じた事の説明にならない。
あの人こそが自由だと思っているのに、言葉で考えるから抜け落ちてしまう……
いや、魔理沙が雨を厭わず、お嬢様が手間を厭わず、おっさんが虫を厭わず、門番長が危険を厭わなかった。
共通するものは有る。有った。それは、厭わないことだ。
きっとただそれは、言葉が共通しているだけの事で、共通項で括れても自由じゃない人はたくさんいるんだろう。
例えそうでも、私は――
今この目の前の雨を厭わなければ、自由になれるんじゃないかっていう思いに突き動かされていた。
雨樋から滑り落ちる細い滝に手を伸ばすと、水はびちゃびちゃと音を立てて私の手を打った。
「あむ……しー、いなれー」
私の喉から歌が漏れ出てきた。そんな感じだった。
蚊取り線香で映像が揺らめき、虫が邪魔する光の中、雨に濡れ踊った紳士が歌った歌だった。
私は歌詞を知らないし、言葉も分からないから、てんで適当だ。
手を打つ水に、エスコートされるように身を進める。屋根の下から出た。梅雨の柔らかい雨が、私の体をゆっくり濡らす。
「じゃー、しー、いなれー……」
私の声は歌うことをためらっているように小さく響いた。それでも私は足を踏み出していく。
門から離れ、ゆったりと歩く。肩から湿り始め、服が体にへばりつき始める。
「をーう、でぃーとぅとぅでぃー、とぅる……」
雨に向けて歌うように、首を上に向けて歩く。少しずつ、こわばりが解けるように私の歌声が大きくなる。
足も大股になっていく。雨と友達になれるような気がしてきた。
植え込みの葉っぱに手を伸ばし、ぱっぱと水を弾いていく。蛙がぴょんと跳ねて逃げる。
「あーむ、はーぴあげー」
さあ、あの映画俳優の様に踊ろう。
踊れもしない、タップのステップを踏む。きっと傍から見れば、足元の泥水を跳ね散らかし、踏みつけているだけにしか見えないだろう。それでも踊り続ける。
口は自然と歌い続けている。
大きく体をそり返らせ、手を雨空に広げる。きっと確か、あの俳優はこんなポーズもしていた。湧き上がるような笑顔と共に。
気がつくと私も笑っていた。そして私は紅魔館門前で叫ぶ。
「あーむ、はっぴあげー!」
雨樋から落ちる水の前までステップを踏んで行き、頭からその小さな滝に突っ込む。頭、胴、腕、足。全身あます所無くズブ濡れになる。もうこれ以上濡れようが無い。
滝からジャンプして離れ、びしょ濡れの靴で何度も何度もジャンプする。濡れた髪がむちゃくちゃになり、跳ねた泥で体が汚れていき、そしてまた雨に洗い流される。
くるくる回り、目をまわしてふらついても、まだまだ回る。雨天の空はいつまでも続く。
腕を大きく振り回す、水たまりを思い切り蹴る。耳にはあの音楽が聞こえる。
門番長が帰ってきたら、なんて言い訳しよう。そんな考えもさっぱり消えて、私はひたすら雨に踊った。
蹴られた水が舞い、一面に広がっていく。
私は、自由だ。
自由とはそういう物だ!
最近自由って言葉を忘れかけてるような気がする…
そして美鈴はおぜうを泣かすなw
良く言えないけれどとても素敵な雰囲気にほわっとした。
レミ様の「うー」もかなりの高レベルだ。
で、卑怯な言い方かもしれませんが、好きだからこその個人的な我侭を。
門番長やお嬢様、映画妖怪のおっさんによって撃鉄は起こされた。
ただ引鉄を絞るシーンが弱くて、まさ子ちゃんのもやもやが粉々になるカタルシスも若干弱くなった印象。
トリガーは彼女の目の前でピョコタンと跳ねるカエルでもいいし、頭上を翔け抜ける魔法使いでも良かった。
もう一つ。基本自由な妖精であるはずの彼女が、何故紅魔館の勤め人になったのか。
そこら辺のエピソードにもちょっと触れて頂けるとありがたかったかも。
甚だ勝手な一読者の戯言、お目汚し失礼致しました。
私も結構自由な人には憧れます。大抵の人間は何かに縛られて生きているから、きっとそういうことが関係しているのかもしれませんね。
自分でも何か弱いなってもやもやがあったんで、ぜひ次の参考にさせて頂きます
そして毎度誤字すみません……
皆さんお読み頂いて有難うございます。雨に唄えばは前半が特に好きですね、アレが戦後直後の作とは正直思えません……
『雨に唄えば』を頭で再生しながら、妖精の踊るさまを思い浮かべる。そこにときおりジーン・ケリーのダンスシーンが重なってくる。ラストがとくによかったけれど、全編とおして楽しいひとときでした。
まさ子と大妖精の掛け合いと、美鈴とレミリアの乱闘が面白いですねw
美鈴がはっちゃけてたり大ちゃんが妖精らしかったりと、乾いた地面に雨が染み込むようにすんなりとした作品でした。自由に乾杯!。
日々をあくせく生きてるとなかなか自由を実感することができないんですよね。
でも、ちょっとしたことでも違った道に一歩踏み出せば手に入るものかも知れないんですね。
彼女の自由に幸福よあれ。
平妖精と大妖精のやり取りに和みました。
いいなあ・・・悲しくも微笑ましい
雨苦手なのにわざわざ合羽来てまで美鈴にいたずらしに来るお嬢様もいいなぁw
不自由を嘆けばキリがない。
世の中『やったもん勝ち』であり、如何に現状を楽しむかが自由への第一歩かしら。
うーん、作品全体に薫るシトシトダラダラな雰囲気が美味しいなぁ。
レミィが美鈴に飛び付いてる様とか、まさ子ちゃんが雨の中で独り歌い上げる場面とか、淡い雨雲フィルタが掛かって脳裏に浮かびますな。
場面場面ごとに映えてていい作品だね
美鈴とレミリアのじゃれ合いにも凄く和んだ
……上の人とコメント被っちゃってますがww
大妖精さんのwww小物臭wwww
そしておぜうwwwww
いやぁ、しかし凄いジャンプ力だ。これならハリウッド進出も夢じゃないな