[はじめに]
・長大になってしまったので連載モノの体裁を取らせていただきます。
・不定期更新予定。
・できるだけ原作設定準拠で進めておりますが、まれに筆者の独自設定・解釈が描写されていることがあります。あらかじめご注意下さい。
・基本的にはバトルモノです。
以上の点をご了承頂いた上、ぜひ読んでいってください。
前回 H-2
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【 L-1 】 【 G-4 】
三人は廊下を歩いていた。
ほとんど一本道の廊下を彼女たちは歩き、まるで進むべき道を示すかのように、襖戸がひとりでに開く。
それはまず間違いなく、紫の仕業。
彼女たちはそれに従うように、延々と廊下を歩き、部屋を横切り、廊下を歩く。広大な屋敷の中をグルグルと歩き回らされているような感覚を覚えたが、ここまで誰も文句を言わずに歩を進めていた。
これがただの悪ふざけだろうと、罠へと一直線に誘われているのだろうと、彼女たちのとる道は変わらない。
指し示された道を、ひたすらに進む。
すでに潜った襖の枚数は分からない。シャッ、と敷居を滑る音を上げ、彼女たちの正面の襖が勝手に開く。
それを潜った先――彼女たちは、ついにゴールまで辿り着いた。
「いらっしゃい」
紫は一人、その部屋で寛いでいた。
肘掛に肘を乗せ、頬杖を突き、足を崩して、三人を見上げている。
ここが彼女の住処でないということを一瞬忘れそうになるほど、その姿は妙に堂に入っていた。
「まったく……人のこと散々歩かせておいて、いいご身分だぜ」
「あら失礼。まぁあなたたちも楽にして。そこら辺にある座布団でも使って、適当にくつろいで頂戴」
その言葉に魔理沙は肩を竦め、言われた通り適当な座布団を手に、紫の正面を陣取った。早苗も「失礼します」と追従し、アリスは何も言わずに魔理沙の隣に座り込む。
そうして六、七畳ばかりの部屋に四人――三対一の形で向かい合う。
魔理沙はそれとなく部屋を見回してみたが、小ざっぱりとした部屋には彼女たちのほか家具も無く、ガランとしていた。
襖が二枚。窓さえ無い。普段は何に使われている部屋なのか見当もつかない。白玉楼に忍び込むのも茶飯事な魔理沙でも、知らない部屋はある。
「さて……ご用件を伺おうかしら?」
おもむろに紫が切り出し、
「はいっ」
と真っ先に早苗が反応を示す。
澱みなく返事をし、その瞳を真っ直ぐに、紫を見据える。
「先ほども言いましたが、私たちは聞きたいことがあってきました」
「それはさっき聞いたわ、お山の巫女さん。せっかく向かい合ったのだから、もっと具体的な話から始めましょう?」
「――そうですね。失礼しました。具体的に言えば、“結界”について伺いに参りました」
紫は、その言葉を黙って聞いていた。
「今幻想郷には特別な結界が張ってありますね?幻想郷維持のための博麗大結界だけではなく、もっと限定的な用途の結界が。その効果とはなんなのか。また、わざわざ結界を張ってまで行う、このイベントの目的はなんなのか。そこら辺をハッキリさせたくて来ました」
一息に言いたいことを言い切り、早苗は一転、口をへの字に曲げて言葉を閉じた。
紫はその問いに答えず――その代わり、早苗に向けていた視線を、おもむろに魔理沙へと移した。
その視線の意味に気づいた魔理沙は、「あー……」と一度言葉を濁し、
「私も早苗と一緒だ。どうにも収まりが悪くてな、気になって仕方ない」
魔理沙で止まった視線は、アリスへと動いてゆく。
「私も同じく。そっちとは別グループだから結界云々は知らないけど――まぁそれも含めて喋ってもらいたいものね」
自分の下を訪れた全員の意図を聞き、紫は、「そう」と短く呟くと、ゆっくりと眼を閉じた。
そして僅かな間を置き、口を開く。
「一応聞くけど――“あなたたちは本当に、それを知りたい”のね?」
その問いの意図が読めず、三人とも僅かに言葉に詰まるが、
「はい!!」
「もちろんだぜ」
「当然」
その答えにも紫は、「そう」とだけ返した。
先ほど聞いた同じ言葉よりも、僅かに感情を込めて。
真っ直ぐに向かってくる六つの瞳を受け止める彼女は、寂しそうな、楽しそうな、不満なような、満足なような、なんとでも取れ、なんとも取れない表情を見せていた。
彼女に限っては、そのどれもが正解で――どれもが正解ではないのだろう。
「恐るべきは人の好奇心、ね。ヒトをヒトたらしめる、原初から続く本能……何百年経っても、人間というのは面白いわ」
目を細めて、口許に僅かな笑みを見せる。
ここで初めて、紫の表情に判別可能な感情が見えたような気がした。
嬉しいとか、楽しいとか、そういったような類の感情――妖怪が人間に見せるものとしては、不適切で、ありふれた感情。
「まぁいいわ。それぞれ何が知りたくて来たのかということはわかりました。せっかく冥界まで来てもらったんだから、聞きたいことには答えましょう」
紫はおもむろに扇子を広げ、笑みを見せた口許を隠すようにして添える。
彼女へと向けられていた六つの瞳は、それぞれに期待や不安の色を滲ませた。
「まず……そうね。今回の目的が不明瞭だと言うことで、それからいきましょうか」
ついに始まる本題に、誰かがゴクリと唾を飲む。
ガラリとした部屋に緊張感が漲っていることが、肌を通して伝わってくる。
「今回の催しの目的は――暇潰し、よ」
まぁ最初にも言ったから分かってると思うけど、と紫は何食わぬ顔で切り出した。
早苗と魔理沙が、
「はぁ……」だの、
「何言ってんだ?」などと、
口々に不満の声を上げている中で――アリスだけが黙って次の言葉を待っていた。
『ただの暇潰し』
昨日も聞いたその言葉を、アリスだけはしっかりと受け取った。
だがアリスが知りたいのは、その向こう――“暇潰し”という言葉が指す、もっと深い意味。
「……もちろん、もっと先まで教えてくれるんでしょう?」
盛大に疑問符を浮かべる二人を無視して、アリスは静かに口を開いた。
「ふふ、あなたは多少わかってるみたいね。まったく、困ったものだわ。誰が入れ知恵したのやら」
「さぁね。――ほら、続き」
楽しげに目を細める紫と、素知らぬ顔でいるアリスとを見て、魔理沙も早苗も不思議そうな顔をしているばかりである。
――それだけ反応を示せるのも、ある意味才能ね。
アリスは内心で半分皮肉な賞賛を送っていた。
「……じゃあ逆に質問よ。あなたたちはここ最近暇じゃなかったかしら?」
続きを促され、紫はそれに応えるかのように三人に問いかける。
「いつもと変わらない日常。大した事件が無いのも茶飯事の毎日。日が昇り、日が暮れるのを体で感じるのみの日日。とうに慣れたサイクルにもかかわらず、穴が開いたかのように手持ち不沙汰だったことは?」
紫の問いに返事は無い。
だが――それぞれ思い返す胸の内の答えは同じだった。
それを無言の肯定と取り、紫は扇子の向こうで満足そうに微笑む。
「そうでしょう?そうでしょうとも。それだけであなたたちには参加資格があると言えるわ」
だって暇だったのだから――そう続けるその言葉に、反論する者はいない。
みな黙って、その先を待っている。
「私は無差別に人を萃めた訳じゃないわ。最近のこの日常を、暇だと思って過ごしている者にのみ、声を掛けたのよ」
部屋の空気が再び張り詰め出す。
「この企画に呼ばれた者たちの多くは、この穏やかな日常を愛しつつも、各々が持つ力を発散させる機会を欲している者。もしくは潜在的に力を持ち、発散させる機会を与えるべき者。――今回のコレは、そんなメンツばかりの萃まりよ」
誰かが再び喉を鳴らす。
「暇を感じる、ということは“退屈を感じている”、ということ。退屈、とは“発散する機会が無い”、ということよ。今、それを感じている者は少なくないわ。今回の参加率の高さが良い証拠。現に、あなたたちも……そう。でしょう?」
力のある者が、その力を本能のまま振るうことはそうそう出来ないようになっている――少なくとも、今の幻想郷はそうできている。
妖怪たちが力のまま人を襲うだけの殺伐とした日常は、もはや過去のものだ。今や人も妖怪も、一定の不文律の下で比較的規律の取れた穏やかな生活を送っている。
「この幻想郷で他を圧倒する能力を持ち、それを発揮出来ずに力を抑圧された者たち。それが今回の参加者――“暇人たち”」
彼女は満足そうに、そう言葉を締めた。
「……で、そんな変人ばかり萃めてどうしようってんだ?」
紫の言葉に一区切りがついたことを感じ、魔理沙は思ったままのことを口にした。
彼女も暇人のひとりとして呼ばれたのだから、変人のひとりということになるが、それは彼女的には棚上げであるようだ。
紫はその言葉を受けて、笑う。
それはここまでの笑顔とは違い、明確な意志を露に。
「もちろん――やりたい放題、存分にその力を振るってもらうためですわ」
そうじゃなきゃ、退屈でしょう?――と。
※
永遠亭の広い広い一室。
元々薄ぼんやりと不思議に明るい部屋ではあったが、今は満月の光が差し込み、室内は煌々と照らされている。
天井に開けられた大穴から、白い月光が降り注ぐ。白銀色の照明は、永遠亭内を跳ね回る二つの影を、はっきりと浮かび上がらせていた。
「ふふっ、さすがねぇ。夜の王を名乗るだけはあるわ」
永遠亭に現れた闖入者、風見幽香は軽快に屋内を飛び跳ねていた。風になびくスカートを片手で押さえながら、笑顔を崩さない。
「誰に口利いてるのかし……らっ!」
同じく永遠亭に踏み込んだ敵陣大将のレミリアもやはり、楽しそうな声を上げ、広い室内を縦に横に駆け抜ける。
その足を止めることなく、彼女は新たに弾幕を展開する。
「冥符――『紅色の冥界』」
うっすらと紅く輝く小さな弾がレミリアを中心に広がってゆく。
無数の紅弾は術者の周りをシュルシュルと周廻し――そして一気に牙を剥いた。
弾速自体は中の上程度。彼女の持つ弾幕の中でもさして足の速い方ではない。だが、群れをなして迫る弾たちは、それを補って余りある圧倒的なまでの空間制圧力を持っていた。
幽香は目前に広がる弾の雨を、広く遠く、全てを一望した後、
「――はぁ………」
と、小さく溜め息を吐いた。
「今、この場において、私相手に使う弾幕じゃないわね」
そう呟き、彼女は立ち位置を少しずらす。
弾の群れは整然とした隊列を組んで敵へと襲いかかり――そしてそのまま素通りしてゆく。
そう、“冥符『紅色の冥界』”には安全地帯というものが存在する。
それらは多くの弾幕にも見られるように、一定のパターンを持って動いていた。速度もややあり、弾数も圧倒的であるが、パターンが発覚すれば避けられる類いの弾幕。
これは何も珍しい話ではない。
スペルカードルールにて実行される弾幕というものは、“弾幕の美しさを競う”というルールがため、そして、遊びであるがため、展開する弾幕は意図的に避けられる余地を残しておく、という美学がある。
本来なら回避不可能な弾を呼び出す力を持つ妖怪だろうと、わざわざごっこ遊びに――いや、遊びであるからこそ、そこには遊びとしての隙が作られるのだ。それ故、安全地帯のある弾幕は、そう珍しくも無い。
ただし、その中でも『紅色の冥界』は、その圧倒的な数による空間制圧力から、安全地帯があっても飛び込むことは容易ではない。
だが、にもかかわらず、幽香は初見であるこの弾幕の弱点を即座に見つけ、疑うことなくそこに飛び込んでみせていた。
「こんな不様な弾幕……今がただの弾幕ごっこだとでも思ってるのかしら?」
喋り終わる内には、第一波が過ぎ去ろうとしていた。
続いて第二波、第三波と射出されるのだろうが、パターンが露見している今、それはもはや脅威にはなりえないだろう。
幽香は退屈そうに吐き出し、その集中力をわずかに逸らしていた。
そこに、吸血鬼の声が通る。
「――それこそ“まさか”ね」
ここまで顔色変えずに笑顔でいた幽香だが、その言葉を聞いて一瞬表情を無くした。
電気信号の早さだけ驚き、彼女の瞳がその声のする方へと素早く動く。
眼の動きに僅かに遅れ、連動するように体がついてゆく。
その方向は――後ろ。
「ボーッとしてると――――」
レミリアは避けさせること前提で、わざわざ安地のあるスペルを放っていた。
そこにいれば当たらないという安全地帯がある、ということは逆に、相手がそこからは動かなくなくということを意味している。そうして決められた場所に誘導させた相手の背後に強襲を掛けるのは簡単なこと。
だが、これはもちろん“弾幕ごっこ”の動きではない。
「――死ぬわよっ!!」
レミリアが腕を振り上げ、瞬きよりもなお疾く襲い掛かる。
その指――正確には爪――にはすでに魔力が込められ、紅く輝いていた。
振り下ろされる右腕は、紅い魔力の残滓を引き、幽香へと容赦無く迫る。だが彼女はとっさに振り返り、手にしていた傘で弾くようにしてその掌戟を逸らしてみせた。重い衝撃がその傘から伝わり、幽香の腕を震わせる。
「まだまだぁ!!」
右腕を弾かれる反動をそのままに、レミリアは空いた左腕を突き上げる。再び紅い爪痕が虚空へと浮かぶ。
幽香はそれもどうにか返す傘で凌ぎ――そして間髪入れず、右手での第三撃が振るわれた。それすらも幽香は防いでみせる。
レミリアが攻め、幽香が防ぐこの差し合いが、瞬く間に数度繰り返される。
爪と傘がぶつかりあっているにもかかわらず、ガキィィンッ、という異様に硬質な音が部屋に響く。
そうして数度目、振り下ろされたレミリアの腕を幽香は大きくいなし――左手がリロードされる前、幽香はレミリアの肩口に、傘の先を突きつけた。
「……調子に乗り過ぎよ」
一言呟いた時、傘の先から光が迸る。
弾幕でもなんでもない、ただの魔力の放出は、レミリアの肩をつけ根から焼き切り、それでも止まらず、永遠亭の壁に新しい穴を開ける。
瓦解の音。魔光の残響。
焼き切られた腕が、ドサリと重い音を立てて床に転がった。
レミリアは床に落ちた自分の腕を眺め――なぜか笑みで顔を歪める。
「紅蝙蝠――――――」
落ちた腕がゾワゾワと崩れだす。
蠢くようにして形を失っていく腕は、数羽の蝙蝠へと姿を変え、周囲を羽ばたき始める。
「『ヴァンピリッシュナイト』」
蝙蝠たちは主の声に応じ、意志を持つかのようにして幽香の周りを羽ばたき始め――蝙蝠たちから弾が一斉に発射された。
一瞬虚を突かれた幽香ではあったが、この現象への対応もまた一瞬であった。素早く身を翻し、放たれた弾を避ける。
そのついでと言わんばかりに、傘を払い、蝙蝠を数匹叩き落としてみせた。魔力により強化された傘は、『バンパイアクロウ』を防ぐほどに硬化されている。蝙蝠数匹程度の耐久力では耐えられない。
一息に全体の三分の一程度を薙払い、幽香は楽しげに吐き捨てる。
「まったく……満月の吸血鬼は楽しい生き物ね!!」
顔にはまた笑みが戻っている。
彼女は顔にも口にも出すほどに、全身でこの狂喜を楽しんでいた。
「まだまだ……私も楽しませてちょうだいな!」
レミリアは言うと、周囲の蝙蝠共々、再び幽香の懐へと飛び込む。
そんな二人のやり取りを、同じ部屋で眺める少女たちがいた。
「なんか……すこぶるテンション高いですね、お嬢様」
「久しぶりに全力でぶっ放せて気分がいいんじゃない?紅魔館でやってくれてなくてホントに助かるわ」
「確かに屋内でやるには盛大だな。今回はさすがに、永遠亭の住人たちに同情するよ」
「まったく、戦い好きの野蛮な妖怪はイヤだねぇ。私ゃキュウリかじって機械いじってた方が楽しいよ」
申し訳程度の簡単な障壁を張り、その向こうで、少女たちは座り込んで観戦を決め込んでいた。
すでに敵も味方もなく、美鈴、パチュリー、妹紅、にとり、と並んで障壁の向こう側――吸血鬼と妖怪の戦いを眺めていた。それぞれに本来はここを根城にしている者たちではなく、ほとんど野次馬に近い。
酒とつまみがあれば、今この場ですぐにでも宴会が始まりそうな緩い空気が満ちていた。口々に歓声やら野次やらを飛ばしながら、目の前で起こっている激しい戦闘を気楽に傍観している。
だが、この空気に染まりきれない者もいた。
「みなさん……どうして平気なんですか?」
そんな彼女の震える声に、美鈴と妹紅が振り返る。
振り返った先――衣玖の顔は、まったく笑っていなかった。
緊迫感を湛えたその顔は、見方によればほとんど泣き出しそうにさえ見える。顔は確かに青ざめ、その瞳は大きく見開かれていた。
「あー……衣玖さん?どうかしました?」
「どうかしました、じゃないですよ!これはもう戦いとは呼べません。殺し合いに……近いです」
「そう?こんくらい普通じゃない?」
「普通じゃないでしょう!?」
叫びに近い声でそう主張するが、しかし、その声が美鈴と妹紅の顔色を変えることは無かった。
美鈴も妹紅も、けろりとした顔のままである。
目の前で起こっていることよりもさらに――この二人のリアクションが、衣玖には信じられなかった。
「ま、まぁまぁ衣玖さん……昨日私たちがやったのもこんな感じだったじゃないですか?」
「あれは降りかかる火の粉を払う程度です!現に私は、神様に落とした雷だって、巫女に落とした雷だって、命を奪うほどの威力を込めてはいなかった!」
珍しく、衣玖が声を荒げていた。それが珍しいと思える程度には、彼女たちはチームとして一緒にやってきたのだ。
だがそれでも、まだ解り合えていないことの方が、多すぎた。
鬼気迫る表情で詰め寄る衣玖を前に、美鈴には咄嗟に返す言葉が見つからなかった。
困ったように口を濁し――そして、そこに別の声が響く。
「――そこの不死人の言う通りよ。これくらい普通」
言葉に詰まる二人を余所に、切り返したのはパチュリーだった。
彼女は衣玖へと振り向くこともせず、ポツリとそう呟く。
「だから普通じゃ――」
「それはあなたに普通の経験が無いだけ」
レミリアたちの方を眺めたままに、衣玖の反論をピシャリと防ぐ。
大きくハッキリとした声ではないが、その語気には、相手に反論を許さない雰囲気があった。
障壁の向こうではまだ戦いは続いている。
「幻想郷にきた――外の世界で幻想となった妖怪たちは、多かれ少なかれ、こういった闘争を繰り返してきたのよ」
時には同じ幻想と。
そして多くは、幻想を恐れる人間たちと。
魔女、吸血鬼、不死人、そして多くの妖怪たち――彼女たちの歴史には、必ず戦いのページがある。
それは、今彼女たちの目の前で繰り広げられている、全霊がぶつかりあうような酷薄な戦いの記憶。
「私は人間と仲良くしてた方だからそんなに戦ってないけどねぇ」
ちゃちゃを入れるにとりだったが、残念ながら衣玖の雰囲気を変えることはできなかった。
衣玖はまだ重い表情のまま、パチュリーの後ろ姿を見つめている。
「――仕方ありませんよ。今の幻想郷は平和ですから……最近になって頻繁に下りてくるようになった衣玖さんが取り乱す気持ちも、分からなくはないですし……」
その美鈴の声に反応することもなく、衣玖は微動だにしない。
「お嬢様やパチュリー様はここまで多くの異端狩りの人間と戦ってきましたし……私も門兵としてそういった方の相手もしました……だから多少荒事に慣れているだけです。今みたいに平和な方がいいですよ!ね!?」
なんとかこの緊迫した空気を払拭しようと、思いついた言葉をひたすら口にするが――それが説明にも弁解にもなっていないことは、喋り続ける美鈴にもわかっていた。
案の定、衣玖の表情を取り戻すことは叶わない。
「――先に紅魔館に帰ります。今日はもうこのまま終わるでしょうから」
衣玖は踵を返してひとり、部屋の出口へと歩き出してゆく。
早足に適当な襖戸へと歩を進める。
語ることはもう無いと、その背中が伝えていた。
「衣玖さんっ!!」
美鈴の声に一度歩みを止め――そしてまた歩き出す。
振り返ることは、なかった。
「……大丈夫か、あいつ」
座り込みながら衣玖の後ろ姿を眺め、妹紅が小さく口を開いた。
「大丈夫っていうのは何を以って言うのかしら?」
その呟きをパチュリーが拾い上げ、疑問で返す。
「あぁいう手合いは危険だ。あのテンションで明日戦ったら、死ぬぞ?」
「そういうこと。それなら問題無いわね。じゃあ答えはひとつ。“大丈夫”よ」
「あん?」
「まぁ普段から死なないあなたには関係の無い話よ」
要領を得ないパチュリーの答えに、妹紅は首を傾げるだけしておいた。
そんな騒ぎの最中、彼女たちから少し離れた所。
「藍さま………」
「――橙にもまだ少し早かったかな?」
橙はぎゅっと力を込めて藍のスカートを掴んでいた。
そんな自らの式神をたしなめるでもなく、藍は優しく橙の頭を撫でてやる。
「橙、怖がらずに見ていなさい。これが……この光景こそが、私たちの主の求めていたものなのだから――――」
優しい声でそう言い、顔を上げる。
彼女たちの目の前ではまだ、身を削るような光と音が溢れていた。
【 L-2 】 【 J-3 】
「――さて。とりあえずこれで今回の意義は伝わったかしらね?」
紫は不敵に微笑み、三人を見渡した。
リアクションは三者三様。
ゴクリと喉を鳴らし、固唾を飲む者。
ひたすらに口を開けて、唖然とする者。
唇を固く結び、思案に耽る者。
その中で唖然としていた少女が、開いた口からおもむろに言葉を発した。
「……突拍子も無い話もここまで来たらいっそ清々しいぜ」
固唾を飲み下し、隣で少女も口を開く。
「いや、そんなこと言ってる場合じゃないですよ……こうして私たちも参加している訳ですし……」
その言葉を引き金にして、固く結んだ口を開き、重々しげに少女は声を上げた。
「そう――ね。他人事みたいにしてる場合じゃないでしょ。あなたたち人間には苛酷なイベントよ、コレ」
そんな三人を前にして、当の紫は扇子の奥で密やかに口の端を上げていた。
「そうよ。せっかく声をかけてあげたんだから、他人事なんて思わずに思いっ切り頑張って頂戴な」
他の三人に走る動揺など意に介さないように、フワフワと緊張感無く座っている。
魔理沙も早苗も、それ以上は何も言えなかった。与えられた情報の突飛さに、彼女たちの反応がついていかない。
だがそんな中、アリスだけは休むことなく紫に疑問をぶつけていく。
「まぁ、話はわかったわ。理屈として通じてないこともない。でも……それなら妖怪だけを萃めるんで事は足りたんじゃないかしら?」
チラリと、隣に座る魔理沙と早苗を見やった。
二人ともその視線を感じ、アリスの方を向くが、当のアリスは二人と視線が交わるのを避けるように、紫へと向き直っていた。
結局また、全員の視線が紫へと注がれる。
「あらあら、そんな仲間外れみたいな真似しちゃ可哀想じゃない。非道いこと言うわ」
彼女はおもむろに扇子を下げると、パチンッと小気味良い音をたて、それを閉じる。ふふっ、と一笑を付したが、なぜかその目は笑っていないように見えた。
そのまま、「ねぇ?」と言って魔理沙へ視線を送る。
「まぁ確かに、私としてもこんな面白いことやってるなら除け者にされるのは御免願いたいな」
「でしょう?」
紫の視線を受け、魔理沙が同調するような声を上げる。それが嬉しかったのか、紫も艶やかに微笑む。
その人間の少女の無防備さは――完全にアリスの琴線に触れた。
「……それ、本気で言ってる?」
思わず発した言葉に静かな苛立ちがあることは、彼女自身わかっていただろう。
「わかってるの?さっきも言ったけど、これはあなたたち人間には苛酷過ぎる催しよ。スペルカードルールの縛り無しに全力の妖怪と戦うだなんて……正気の沙汰じゃないわ」
「別にスペル使っちゃいけない、なんて言われて無いぜ」
口を尖らせてのその反論は、ますますアリスの眉根を寄せただけだった。
「“使っちゃだめ”、とは言われていないけど、“使わなくちゃだめ”、とも言われてないわ。結局は“なんでもアリ”なのよ。お行儀よく弾幕ごっこしてもらえればいいけど、そうじゃない場合――結局、命懸けになるわ」
アリスはわざと冷たく言い放った。いや、正確には半分くらいは無意識だ。
それは、目の前の黒白の少女の疑問が――あまりにも自分と同じだったから。
昨日の自分とまったく同じ受け答えをする魔理沙に、親近感と、共感と、僅かな苛立ちを感じ、みんな混ざって出た態度が冷たかっただけの話である。
アリスは魔理沙と話していて、早苗が何か言おうとしていることには気づいていない。
話が一段落した時、その論に反したのは――――
「……舐めてもらっちゃ困るわ」
誰であろう、八雲紫だった。
「確かに人間は、この幻想郷の中では脆弱な部類の種族と言えるわ。でも――それが全てでは、ない」
早苗も、アリスも魔理沙も、紫へとまた目を向ける。
肘掛けに体重を預け、くつろいで座っている彼女から発せられる言葉を、三人とも聞き逃さないように。
「私が今回招聘した人間たちがいい例ね。この子たちは種族としての弱さを補って余りある“力”を持っているわ。そうじゃなきゃ、いかにお遊びの弾幕ごっことは言え、私たち妖怪とこうも張り合っていけるものではないでしょう」
紫は三人を見て話をしてはいたが、意識はどうやらアリス一人に向けられているようであった。
“あなたも、それをわかっているんでしょう?”と、アリスを見る二つの瞳は語っている。
確かに、今回参加している純正の人間は四人。
彼女たちは各々、人間としては充分過ぎる力を持っていた。
現人神、時を止めるメイド、黒い魔砲使い、そして――博麗の巫女。
最近幻想郷に越してきた早苗は除いて、他の三人はそれぞれ妖怪の起こした異変を解決してきたという実績もある。
人間の里に生きるほかの人間たちと比べても、ある意味、異質な存在ですらあった。
アリスもそれをわかりながらも、急いで反論の台詞を探したが、
「それに――」
という紫の接続詞の方が先だった。
「この会は、妖怪だけでやっても仕方ないわ。種族に縛りを入れて暇な子を余らせる訳にはいかないの。人間、妖怪、妖精、神、月人、天人、亡霊、エトセトラ、エトセトラ。みんなで騒いでもらわないと、このイベントは片手落ちになってしまう」
元々妖怪とその他の種族の縛りなど、彼女たちの暮らす世界では、些細なものだ。
様々な幻想の種族が住まう――幻想郷。そこは妖怪のためだけの世界ではない。
つまり彼女は、名実ともに幻想郷全てを巻き込んだイベントとして、これを企画していた。
ゆっくりと流れるように語る紫の瞳は、どこか遠くを望んでいるように、うっとりと濡れていた。
※
「なんでこんなことに…………」
敵味方混ざり合う弾の海を躱しながら、妖怪の山で、鈴仙は思わずひとりごちていた。
夜も更けきった妖怪の山。その中腹に位置する小さな池――大蝦蟇の池。
その畔は月の光を遮る木々が無く、余すことなく満月の光が注ぐ。
その照明に照らされるように、四つの影が空を舞い躍っている。
ここに、人間・月人・神様・妖怪入り乱れての、過去に例をみない組み合わせでのタッグ・マッチが繰り広げられている最中であった。
最初は山を哨戒していて出会った諏訪子と戦い始め、まず永琳が、次に咲夜が――といった具合に人が増えていき、結局その四人での混戦となっている。
敵味方入り乱れ、宙を舞う。辺り構わず撒き散らされる弾幕は四人前。すでに星の数ほどになっている弾たちがこぞって夜天を埋める。
――ホントになんでこんなことに……?
鈴仙は疑問符と一緒に、溜息を吐かずにはいられなかった。
そうして一瞬、目の前の戦闘から意識を逸らしてしまっていた。
それは僅かな隙。
だが、その僅かを許さない者たちを相手にしていることを、彼女は失念していた。
「ウドンゲッ!!」
永琳の声に反応し、咄嗟に意識を戦闘用に戻す――が、やはり一瞬の弛緩は命取りだった。
すでに目の前から敵の数が一つ減っている。
いなくなったのは誰か、即理解した。
それはここにいる四人の中で、最も目立つ、メイドの格好をした人間――――
「甘いわね」
視界から消えたはずのメイドの声がする。
それは鈴仙の斜め後方――ある程度離れていた距離を瞬く間にゼロにして、メイドの投げ放つ銀のナイフが彼女を襲う。
月明りを反射し煌めく一本のナイフは、夜の闇を裂いて、一筋の光のように彼女を貫き――スコンという乾いた音を立てて、木に突き刺さった。
「――どっちが?」
放たれたナイフは確かに彼女を貫いた。
あくまで、咲夜の視点では。
全ての波長を狂わせる“狂気の瞳”の能力の発動が間に合ったことを、鈴仙は内心で胸を撫で下ろした。
タイミングとしてはかなりギリギリ。
あと一歩遅れていたら、あのナイフは寸分の狂い無く急所へと突き刺さり、一撃で戦闘不能にさせられていただろう。思い返し、冷や汗が流れる。
「面倒なことを……」
咲夜はそう言ってまた距離を取り、
「幻が相手だって言うなら――」
おもむろに新しくナイフを構える。
「幻ごと切り裂けばいいだけの話よ!」
彼女の瞳もまた――狂気の瞳に当てられたかのように、真っ紅に染まっていた。
片手に一本だったナイフが、瞬くうちには両の手に握れるだけ一杯に変わっている。
彼女のみが行える、種も仕掛けも無いマジック。
「奇術『エターナルミーク』」
静かに術式の名を述べる。
その口調の静けさとは裏腹に、放たれた弾幕は荒々しく空間を支配した。
「なっ――――――――!!」
放たれたのは先程と同じ銀のナイフ。それ自体の速度は速く殺傷性も高いが、動きは直線的であり避けるのは容易である――が、これはあくまでナイフ一本の話。
今このスペルで問題なのは、その数。
瞬くほどの間には、その空間は計数していられないほどのナイフで埋め尽くされ、一本一本が月の光を反射し、視界の全てに星の光のように煌いている。
「こんな、無茶苦茶な!!」
「ほんとあのメイドは出鱈目ねぇ」
鈴仙と永琳は口々にそうボヤきながら身を踊らせる。
魔力などでブーストしているのだろうが、完全手動の投げナイフである。狙いなどまったくついてはいない。
だがそれ故、避け道が見えないという恐ろしさがあった。
すでに狙いを外れたナイフが、射線上にある木々をハリネズミのようにしている。彼女たちはただひたすら自分の前まで来たナイフを避け続けなければならない。
「――おっけー。見つけたよっ!!」
鈴仙は最初、その声がなんなのかわからなかった。
迫り来るナイフを躱しながら、声のする方へと意識を向けると、目の端に諏訪子が立っているのが見えた。
気づけば彼女は弾幕を張ることを止め、大地に仁王立ちになり――パァンと手を合わせる音を響かせた。
そこまでを見て刹那、鈴仙の両脇の地面が地鳴りを上げてせり出してゆく。
「――――ちょ………っ!?」
彼女がそれに気づき、短い悲鳴を上げる頃には、せり上がった地面は巨大な掌を形作っていた。
大質量の岩の手は、そこに顕現するとともにそのまま大きな地響きを上げ、鈴仙へと殺到ゆく。
それは真っ直ぐに、正しい彼女の位置へと向かう。
諏訪子にもかかっているはずの狂気の瞳。それでも、この神は狂わされた波長に惑わされることなく、鈴仙の位置を正確に見極めている。
それがどういう方法なのか、タネはわからない。が、それを考えるより前に大地の手は鈴仙へと迫り――ズドォンッという音を立てて、二つの手は拝むかのようにその掌を合わせた。
岩と岩とがぶつかり、僅かに崩れ、カラカラと小石の鳴る音が余韻として鳴る。
両手の間にいた彼女が避け出た様子は、無い。
辺りは薄い土煙に覆われたが、そこに人影は見受けられなかった。
「やりましたかね?」
咲夜もスペルを解除し、諏訪子の隣に降り立つ。二人は視線を揃え、濛々と立つ土煙を眺めていた。
先がまったく見えなくなるほどの土煙。
だが、それは次第に晴れ――突如、岩の手が崩れた。
最初は能力の解除かと思われたが、違う。
それは同等以上の力の負荷を受けた結果の崩壊――――
「秘術……『天文密葬法』」
崩れ落ちる岩の中から現れたのは、巻き込まれたと思われていた鈴仙一人ではない。
鈴仙の前にはその師匠、八意永琳が佇んでいた。
諏訪子の攻撃の射線上にいなかったはずの彼女が、いつの間にかそこに潜り込み、自分の周りに展開させたスペルによって、その衝撃を完全に防ぎきっていた。
「ありゃりゃ。やっぱりあれくらいじゃ決まらないかー」
「そのようですわね」
永琳によって決め手を防がれたにもかかわらず、彼女たちに焦る様子は見られなかった。ただ防がれたという事実のみを受け止めて、そんな気の無い声を上げているだけである。
「けほっ――し、師匠……ありがとうございます」
「気を抜くからよ。鍛え方が足りないわ」
永琳は大したことはしていないかのように言い、振り向くことなくスペルを解除した。
「――でも、よく私の正確な位置がわかりましたね」
鈴仙はまずその疑問を尋ねた。
岩に押し潰されそうな自分のところに飛び込むスピードも確かに驚異的ではあったが、それはおそらく彼女なら容易にこなせるレベルの話である。
それよりも不思議なのは、“狂気の瞳”の力を受けてなお、正確な自分を見つけ出して助けたことであった。
彼女の能力の欠点のひとつでもあるのだが、“狂気の瞳”による波長の狂いは、指向性を持たせることが出来ない。
彼女は一定範囲内の全ての波長を狂わせてしまうため、こうして仲間と共同でことにあたる場合は、味方の視界さえも狂わせてしまう。
そのため、彼女はメイドに追い詰められるギリギリまでその力を発動させることはしなかったのだ。
「あら、何年一緒に住んでると思ってるの。あなたの場所くらい気配でわかるわ」
それが本当にそうなのか、鈴仙にはわからなかったが、こちらを振り向いていない永琳の声が、なぜか妙に楽しそうに聞こえていた。
岩が崩れて上がる土煙に咽ながら、鈴仙は永琳の背中を見つめる。
普段は飄々として輝夜の後ろに半歩下がって侍っている印象があるだけに、こうしてその実力を目の当たりにする度に驚いてしまう。
そうだ、と彼女は思い出す。
――今私の目の前にいるのは、月の賢者、八意永琳じゃないか。
そう改めて認識し、その心強さを再び噛みしめる。
「でも、ウドンゲ。狂気の瞳は解除しなさい。もうあんまり意味が無いわ」
彼女はその言葉に黙って従った。
そう、波長を狂わせることに、もうあんまり――というより、ほとんど意味はない。
どうやら永琳にだけではなく、諏訪子にもこの能力のタネはばれているようだから。
「諏訪子さん……あなたもどうして正確に私の位置が?」
彼女は間違いなく私目掛けて攻撃してきていた。
彼女も“狂気の瞳”にかかっており、私の像は別の位置に結ばれているにもかかわらず、だ。
能力を解くと、
「おぉ~ズレてるズレてる」
などという諏訪子の歓声が上がった。もうこれで完全に間違いは無かった。
「なら、どうして…………」
「ん?あぁ、二人で戦ってた時はなんとなーくオカシイかな、ってだけだったんだけど、今の咲夜のバラ撒きナイフがヒントになってね。無軌道なナイフを避けるあなたの動きを見て、ズレ幅を予想したんだー」
そう、あのナイフの海を避けるために、彼女は動きすぎていたのだ。
実像、虚像問わず投げつけられた弾を、まんまとただ避けさせられていた。
諏訪子の目に映った虚像が、明らかに安全な位置にもかかわらず、回避行動を取るような動きを見せていたのだろう。それはつまり、実像の彼女は危険な位置にいたということの裏づけである。
それを繰り返していれば、だいたいどの辺にいるかの想像がつけられてしまう。彼女は虚像の動きを考えながら動かなければならなかったのだ。
ここに来て、鈴仙は自らの能力の弱点をまたひとつ知ることとなった。
そのことに内心で奥歯を噛み締める。
実際の奥歯なら擦り切れるほど、強く。
「おもしろい力だけど、あんまり長いこと見せてちゃダメだねぇ」
「ですわね。手品はタネがバレたら手品じゃありませんわ」
などと咲夜も追従した。
位相のズレも気にせず、手当たりしだいナイフを投げるなんて力技に出た彼女が言えたものではないが、鈴仙の能力を破ったきっかけは彼女のその力技である。鈴仙は咲夜に対しても何も言うことが出来なかった。
というより、彼女が咲夜に対して何も言えないことには、別に理由がある。
鈴仙は咲夜の力に対して、内心で舌を巻いていた。
時を止めるという途轍もない力。自分と永琳の二人を相手にしても一歩も引かないその戦闘技術。妖怪たちの戦いに物怖じしない度胸。
どれを取っても人間離れしている。
彼女の生い立ちについて詳しくはわからない。
だが、人間としても年端もいかぬその人生で、どうやってここまでのものとして出来上がったのだろうか。
――なぜ、月の都の“レイセン”だった私よりも、こんなにも…………
「そうね。あなたの思った通り――あの人間はおそらくあなたより強いわ」
こちらの歯噛みしたいほどの気持ちが伝わったのか、永琳が静かに口を開いた。
「あの吸血鬼のお嬢さんにはもったいないくらい。おそらく幻想郷で最強の従者よ」
永琳をしてそこまで言わしめるということに、鈴仙は改めて驚き、今度は実際に奥歯を噛み締めていた。
「お褒めに預かり光栄ですわ。ちょっと紅魔館で働く内に、荒事に慣れてしまっただけのことです。訂正とすれば、お嬢様に私はもったいないくらい、が正しいですわ」
「でも実際咲夜って強いよねー。早苗とやったらどっちが勝つかなぁ」
「お料理と手品くらいなら負けませんわよ」
咲夜と諏訪子はきゃっきゃと話していた。この緊張感の無い心臓も、すでに人間のそれではないような気がする。
先程一瞬見せた狂気の紅い瞳は、すでに鳴りを潜めていた。
「さて、お待たせしちゃったわね。また始めましょうか。夜は短いわ」
「お、もう大丈夫?じゃあやろっか!」
永琳の声に、諏訪子が元気に応えた。
鈴仙はまだどこか沈痛な面持ちでいる。
永琳はここで初めて振り返り、鈴仙の紅い瞳を見つめた。
「――大丈夫よ。私の弟子ならそう簡単にやられはしないわ……でしょ?」
そう言って、鈴仙の頭をひとつ撫でた。
ゆっくり、優しく。
正直完全に予想外だったその行動に、しばらく黙って目を見開いていた後、
「は、はいっ!!任せてくださいっ!!」
そう、大きな声で答えた。
to be next resource ...
・長大になってしまったので連載モノの体裁を取らせていただきます。
・不定期更新予定。
・できるだけ原作設定準拠で進めておりますが、まれに筆者の独自設定・解釈が描写されていることがあります。あらかじめご注意下さい。
・基本的にはバトルモノです。
以上の点をご了承頂いた上、ぜひ読んでいってください。
前回 H-2
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【 L-1 】 【 G-4 】
三人は廊下を歩いていた。
ほとんど一本道の廊下を彼女たちは歩き、まるで進むべき道を示すかのように、襖戸がひとりでに開く。
それはまず間違いなく、紫の仕業。
彼女たちはそれに従うように、延々と廊下を歩き、部屋を横切り、廊下を歩く。広大な屋敷の中をグルグルと歩き回らされているような感覚を覚えたが、ここまで誰も文句を言わずに歩を進めていた。
これがただの悪ふざけだろうと、罠へと一直線に誘われているのだろうと、彼女たちのとる道は変わらない。
指し示された道を、ひたすらに進む。
すでに潜った襖の枚数は分からない。シャッ、と敷居を滑る音を上げ、彼女たちの正面の襖が勝手に開く。
それを潜った先――彼女たちは、ついにゴールまで辿り着いた。
「いらっしゃい」
紫は一人、その部屋で寛いでいた。
肘掛に肘を乗せ、頬杖を突き、足を崩して、三人を見上げている。
ここが彼女の住処でないということを一瞬忘れそうになるほど、その姿は妙に堂に入っていた。
「まったく……人のこと散々歩かせておいて、いいご身分だぜ」
「あら失礼。まぁあなたたちも楽にして。そこら辺にある座布団でも使って、適当にくつろいで頂戴」
その言葉に魔理沙は肩を竦め、言われた通り適当な座布団を手に、紫の正面を陣取った。早苗も「失礼します」と追従し、アリスは何も言わずに魔理沙の隣に座り込む。
そうして六、七畳ばかりの部屋に四人――三対一の形で向かい合う。
魔理沙はそれとなく部屋を見回してみたが、小ざっぱりとした部屋には彼女たちのほか家具も無く、ガランとしていた。
襖が二枚。窓さえ無い。普段は何に使われている部屋なのか見当もつかない。白玉楼に忍び込むのも茶飯事な魔理沙でも、知らない部屋はある。
「さて……ご用件を伺おうかしら?」
おもむろに紫が切り出し、
「はいっ」
と真っ先に早苗が反応を示す。
澱みなく返事をし、その瞳を真っ直ぐに、紫を見据える。
「先ほども言いましたが、私たちは聞きたいことがあってきました」
「それはさっき聞いたわ、お山の巫女さん。せっかく向かい合ったのだから、もっと具体的な話から始めましょう?」
「――そうですね。失礼しました。具体的に言えば、“結界”について伺いに参りました」
紫は、その言葉を黙って聞いていた。
「今幻想郷には特別な結界が張ってありますね?幻想郷維持のための博麗大結界だけではなく、もっと限定的な用途の結界が。その効果とはなんなのか。また、わざわざ結界を張ってまで行う、このイベントの目的はなんなのか。そこら辺をハッキリさせたくて来ました」
一息に言いたいことを言い切り、早苗は一転、口をへの字に曲げて言葉を閉じた。
紫はその問いに答えず――その代わり、早苗に向けていた視線を、おもむろに魔理沙へと移した。
その視線の意味に気づいた魔理沙は、「あー……」と一度言葉を濁し、
「私も早苗と一緒だ。どうにも収まりが悪くてな、気になって仕方ない」
魔理沙で止まった視線は、アリスへと動いてゆく。
「私も同じく。そっちとは別グループだから結界云々は知らないけど――まぁそれも含めて喋ってもらいたいものね」
自分の下を訪れた全員の意図を聞き、紫は、「そう」と短く呟くと、ゆっくりと眼を閉じた。
そして僅かな間を置き、口を開く。
「一応聞くけど――“あなたたちは本当に、それを知りたい”のね?」
その問いの意図が読めず、三人とも僅かに言葉に詰まるが、
「はい!!」
「もちろんだぜ」
「当然」
その答えにも紫は、「そう」とだけ返した。
先ほど聞いた同じ言葉よりも、僅かに感情を込めて。
真っ直ぐに向かってくる六つの瞳を受け止める彼女は、寂しそうな、楽しそうな、不満なような、満足なような、なんとでも取れ、なんとも取れない表情を見せていた。
彼女に限っては、そのどれもが正解で――どれもが正解ではないのだろう。
「恐るべきは人の好奇心、ね。ヒトをヒトたらしめる、原初から続く本能……何百年経っても、人間というのは面白いわ」
目を細めて、口許に僅かな笑みを見せる。
ここで初めて、紫の表情に判別可能な感情が見えたような気がした。
嬉しいとか、楽しいとか、そういったような類の感情――妖怪が人間に見せるものとしては、不適切で、ありふれた感情。
「まぁいいわ。それぞれ何が知りたくて来たのかということはわかりました。せっかく冥界まで来てもらったんだから、聞きたいことには答えましょう」
紫はおもむろに扇子を広げ、笑みを見せた口許を隠すようにして添える。
彼女へと向けられていた六つの瞳は、それぞれに期待や不安の色を滲ませた。
「まず……そうね。今回の目的が不明瞭だと言うことで、それからいきましょうか」
ついに始まる本題に、誰かがゴクリと唾を飲む。
ガラリとした部屋に緊張感が漲っていることが、肌を通して伝わってくる。
「今回の催しの目的は――暇潰し、よ」
まぁ最初にも言ったから分かってると思うけど、と紫は何食わぬ顔で切り出した。
早苗と魔理沙が、
「はぁ……」だの、
「何言ってんだ?」などと、
口々に不満の声を上げている中で――アリスだけが黙って次の言葉を待っていた。
『ただの暇潰し』
昨日も聞いたその言葉を、アリスだけはしっかりと受け取った。
だがアリスが知りたいのは、その向こう――“暇潰し”という言葉が指す、もっと深い意味。
「……もちろん、もっと先まで教えてくれるんでしょう?」
盛大に疑問符を浮かべる二人を無視して、アリスは静かに口を開いた。
「ふふ、あなたは多少わかってるみたいね。まったく、困ったものだわ。誰が入れ知恵したのやら」
「さぁね。――ほら、続き」
楽しげに目を細める紫と、素知らぬ顔でいるアリスとを見て、魔理沙も早苗も不思議そうな顔をしているばかりである。
――それだけ反応を示せるのも、ある意味才能ね。
アリスは内心で半分皮肉な賞賛を送っていた。
「……じゃあ逆に質問よ。あなたたちはここ最近暇じゃなかったかしら?」
続きを促され、紫はそれに応えるかのように三人に問いかける。
「いつもと変わらない日常。大した事件が無いのも茶飯事の毎日。日が昇り、日が暮れるのを体で感じるのみの日日。とうに慣れたサイクルにもかかわらず、穴が開いたかのように手持ち不沙汰だったことは?」
紫の問いに返事は無い。
だが――それぞれ思い返す胸の内の答えは同じだった。
それを無言の肯定と取り、紫は扇子の向こうで満足そうに微笑む。
「そうでしょう?そうでしょうとも。それだけであなたたちには参加資格があると言えるわ」
だって暇だったのだから――そう続けるその言葉に、反論する者はいない。
みな黙って、その先を待っている。
「私は無差別に人を萃めた訳じゃないわ。最近のこの日常を、暇だと思って過ごしている者にのみ、声を掛けたのよ」
部屋の空気が再び張り詰め出す。
「この企画に呼ばれた者たちの多くは、この穏やかな日常を愛しつつも、各々が持つ力を発散させる機会を欲している者。もしくは潜在的に力を持ち、発散させる機会を与えるべき者。――今回のコレは、そんなメンツばかりの萃まりよ」
誰かが再び喉を鳴らす。
「暇を感じる、ということは“退屈を感じている”、ということ。退屈、とは“発散する機会が無い”、ということよ。今、それを感じている者は少なくないわ。今回の参加率の高さが良い証拠。現に、あなたたちも……そう。でしょう?」
力のある者が、その力を本能のまま振るうことはそうそう出来ないようになっている――少なくとも、今の幻想郷はそうできている。
妖怪たちが力のまま人を襲うだけの殺伐とした日常は、もはや過去のものだ。今や人も妖怪も、一定の不文律の下で比較的規律の取れた穏やかな生活を送っている。
「この幻想郷で他を圧倒する能力を持ち、それを発揮出来ずに力を抑圧された者たち。それが今回の参加者――“暇人たち”」
彼女は満足そうに、そう言葉を締めた。
「……で、そんな変人ばかり萃めてどうしようってんだ?」
紫の言葉に一区切りがついたことを感じ、魔理沙は思ったままのことを口にした。
彼女も暇人のひとりとして呼ばれたのだから、変人のひとりということになるが、それは彼女的には棚上げであるようだ。
紫はその言葉を受けて、笑う。
それはここまでの笑顔とは違い、明確な意志を露に。
「もちろん――やりたい放題、存分にその力を振るってもらうためですわ」
そうじゃなきゃ、退屈でしょう?――と。
※
永遠亭の広い広い一室。
元々薄ぼんやりと不思議に明るい部屋ではあったが、今は満月の光が差し込み、室内は煌々と照らされている。
天井に開けられた大穴から、白い月光が降り注ぐ。白銀色の照明は、永遠亭内を跳ね回る二つの影を、はっきりと浮かび上がらせていた。
「ふふっ、さすがねぇ。夜の王を名乗るだけはあるわ」
永遠亭に現れた闖入者、風見幽香は軽快に屋内を飛び跳ねていた。風になびくスカートを片手で押さえながら、笑顔を崩さない。
「誰に口利いてるのかし……らっ!」
同じく永遠亭に踏み込んだ敵陣大将のレミリアもやはり、楽しそうな声を上げ、広い室内を縦に横に駆け抜ける。
その足を止めることなく、彼女は新たに弾幕を展開する。
「冥符――『紅色の冥界』」
うっすらと紅く輝く小さな弾がレミリアを中心に広がってゆく。
無数の紅弾は術者の周りをシュルシュルと周廻し――そして一気に牙を剥いた。
弾速自体は中の上程度。彼女の持つ弾幕の中でもさして足の速い方ではない。だが、群れをなして迫る弾たちは、それを補って余りある圧倒的なまでの空間制圧力を持っていた。
幽香は目前に広がる弾の雨を、広く遠く、全てを一望した後、
「――はぁ………」
と、小さく溜め息を吐いた。
「今、この場において、私相手に使う弾幕じゃないわね」
そう呟き、彼女は立ち位置を少しずらす。
弾の群れは整然とした隊列を組んで敵へと襲いかかり――そしてそのまま素通りしてゆく。
そう、“冥符『紅色の冥界』”には安全地帯というものが存在する。
それらは多くの弾幕にも見られるように、一定のパターンを持って動いていた。速度もややあり、弾数も圧倒的であるが、パターンが発覚すれば避けられる類いの弾幕。
これは何も珍しい話ではない。
スペルカードルールにて実行される弾幕というものは、“弾幕の美しさを競う”というルールがため、そして、遊びであるがため、展開する弾幕は意図的に避けられる余地を残しておく、という美学がある。
本来なら回避不可能な弾を呼び出す力を持つ妖怪だろうと、わざわざごっこ遊びに――いや、遊びであるからこそ、そこには遊びとしての隙が作られるのだ。それ故、安全地帯のある弾幕は、そう珍しくも無い。
ただし、その中でも『紅色の冥界』は、その圧倒的な数による空間制圧力から、安全地帯があっても飛び込むことは容易ではない。
だが、にもかかわらず、幽香は初見であるこの弾幕の弱点を即座に見つけ、疑うことなくそこに飛び込んでみせていた。
「こんな不様な弾幕……今がただの弾幕ごっこだとでも思ってるのかしら?」
喋り終わる内には、第一波が過ぎ去ろうとしていた。
続いて第二波、第三波と射出されるのだろうが、パターンが露見している今、それはもはや脅威にはなりえないだろう。
幽香は退屈そうに吐き出し、その集中力をわずかに逸らしていた。
そこに、吸血鬼の声が通る。
「――それこそ“まさか”ね」
ここまで顔色変えずに笑顔でいた幽香だが、その言葉を聞いて一瞬表情を無くした。
電気信号の早さだけ驚き、彼女の瞳がその声のする方へと素早く動く。
眼の動きに僅かに遅れ、連動するように体がついてゆく。
その方向は――後ろ。
「ボーッとしてると――――」
レミリアは避けさせること前提で、わざわざ安地のあるスペルを放っていた。
そこにいれば当たらないという安全地帯がある、ということは逆に、相手がそこからは動かなくなくということを意味している。そうして決められた場所に誘導させた相手の背後に強襲を掛けるのは簡単なこと。
だが、これはもちろん“弾幕ごっこ”の動きではない。
「――死ぬわよっ!!」
レミリアが腕を振り上げ、瞬きよりもなお疾く襲い掛かる。
その指――正確には爪――にはすでに魔力が込められ、紅く輝いていた。
振り下ろされる右腕は、紅い魔力の残滓を引き、幽香へと容赦無く迫る。だが彼女はとっさに振り返り、手にしていた傘で弾くようにしてその掌戟を逸らしてみせた。重い衝撃がその傘から伝わり、幽香の腕を震わせる。
「まだまだぁ!!」
右腕を弾かれる反動をそのままに、レミリアは空いた左腕を突き上げる。再び紅い爪痕が虚空へと浮かぶ。
幽香はそれもどうにか返す傘で凌ぎ――そして間髪入れず、右手での第三撃が振るわれた。それすらも幽香は防いでみせる。
レミリアが攻め、幽香が防ぐこの差し合いが、瞬く間に数度繰り返される。
爪と傘がぶつかりあっているにもかかわらず、ガキィィンッ、という異様に硬質な音が部屋に響く。
そうして数度目、振り下ろされたレミリアの腕を幽香は大きくいなし――左手がリロードされる前、幽香はレミリアの肩口に、傘の先を突きつけた。
「……調子に乗り過ぎよ」
一言呟いた時、傘の先から光が迸る。
弾幕でもなんでもない、ただの魔力の放出は、レミリアの肩をつけ根から焼き切り、それでも止まらず、永遠亭の壁に新しい穴を開ける。
瓦解の音。魔光の残響。
焼き切られた腕が、ドサリと重い音を立てて床に転がった。
レミリアは床に落ちた自分の腕を眺め――なぜか笑みで顔を歪める。
「紅蝙蝠――――――」
落ちた腕がゾワゾワと崩れだす。
蠢くようにして形を失っていく腕は、数羽の蝙蝠へと姿を変え、周囲を羽ばたき始める。
「『ヴァンピリッシュナイト』」
蝙蝠たちは主の声に応じ、意志を持つかのようにして幽香の周りを羽ばたき始め――蝙蝠たちから弾が一斉に発射された。
一瞬虚を突かれた幽香ではあったが、この現象への対応もまた一瞬であった。素早く身を翻し、放たれた弾を避ける。
そのついでと言わんばかりに、傘を払い、蝙蝠を数匹叩き落としてみせた。魔力により強化された傘は、『バンパイアクロウ』を防ぐほどに硬化されている。蝙蝠数匹程度の耐久力では耐えられない。
一息に全体の三分の一程度を薙払い、幽香は楽しげに吐き捨てる。
「まったく……満月の吸血鬼は楽しい生き物ね!!」
顔にはまた笑みが戻っている。
彼女は顔にも口にも出すほどに、全身でこの狂喜を楽しんでいた。
「まだまだ……私も楽しませてちょうだいな!」
レミリアは言うと、周囲の蝙蝠共々、再び幽香の懐へと飛び込む。
そんな二人のやり取りを、同じ部屋で眺める少女たちがいた。
「なんか……すこぶるテンション高いですね、お嬢様」
「久しぶりに全力でぶっ放せて気分がいいんじゃない?紅魔館でやってくれてなくてホントに助かるわ」
「確かに屋内でやるには盛大だな。今回はさすがに、永遠亭の住人たちに同情するよ」
「まったく、戦い好きの野蛮な妖怪はイヤだねぇ。私ゃキュウリかじって機械いじってた方が楽しいよ」
申し訳程度の簡単な障壁を張り、その向こうで、少女たちは座り込んで観戦を決め込んでいた。
すでに敵も味方もなく、美鈴、パチュリー、妹紅、にとり、と並んで障壁の向こう側――吸血鬼と妖怪の戦いを眺めていた。それぞれに本来はここを根城にしている者たちではなく、ほとんど野次馬に近い。
酒とつまみがあれば、今この場ですぐにでも宴会が始まりそうな緩い空気が満ちていた。口々に歓声やら野次やらを飛ばしながら、目の前で起こっている激しい戦闘を気楽に傍観している。
だが、この空気に染まりきれない者もいた。
「みなさん……どうして平気なんですか?」
そんな彼女の震える声に、美鈴と妹紅が振り返る。
振り返った先――衣玖の顔は、まったく笑っていなかった。
緊迫感を湛えたその顔は、見方によればほとんど泣き出しそうにさえ見える。顔は確かに青ざめ、その瞳は大きく見開かれていた。
「あー……衣玖さん?どうかしました?」
「どうかしました、じゃないですよ!これはもう戦いとは呼べません。殺し合いに……近いです」
「そう?こんくらい普通じゃない?」
「普通じゃないでしょう!?」
叫びに近い声でそう主張するが、しかし、その声が美鈴と妹紅の顔色を変えることは無かった。
美鈴も妹紅も、けろりとした顔のままである。
目の前で起こっていることよりもさらに――この二人のリアクションが、衣玖には信じられなかった。
「ま、まぁまぁ衣玖さん……昨日私たちがやったのもこんな感じだったじゃないですか?」
「あれは降りかかる火の粉を払う程度です!現に私は、神様に落とした雷だって、巫女に落とした雷だって、命を奪うほどの威力を込めてはいなかった!」
珍しく、衣玖が声を荒げていた。それが珍しいと思える程度には、彼女たちはチームとして一緒にやってきたのだ。
だがそれでも、まだ解り合えていないことの方が、多すぎた。
鬼気迫る表情で詰め寄る衣玖を前に、美鈴には咄嗟に返す言葉が見つからなかった。
困ったように口を濁し――そして、そこに別の声が響く。
「――そこの不死人の言う通りよ。これくらい普通」
言葉に詰まる二人を余所に、切り返したのはパチュリーだった。
彼女は衣玖へと振り向くこともせず、ポツリとそう呟く。
「だから普通じゃ――」
「それはあなたに普通の経験が無いだけ」
レミリアたちの方を眺めたままに、衣玖の反論をピシャリと防ぐ。
大きくハッキリとした声ではないが、その語気には、相手に反論を許さない雰囲気があった。
障壁の向こうではまだ戦いは続いている。
「幻想郷にきた――外の世界で幻想となった妖怪たちは、多かれ少なかれ、こういった闘争を繰り返してきたのよ」
時には同じ幻想と。
そして多くは、幻想を恐れる人間たちと。
魔女、吸血鬼、不死人、そして多くの妖怪たち――彼女たちの歴史には、必ず戦いのページがある。
それは、今彼女たちの目の前で繰り広げられている、全霊がぶつかりあうような酷薄な戦いの記憶。
「私は人間と仲良くしてた方だからそんなに戦ってないけどねぇ」
ちゃちゃを入れるにとりだったが、残念ながら衣玖の雰囲気を変えることはできなかった。
衣玖はまだ重い表情のまま、パチュリーの後ろ姿を見つめている。
「――仕方ありませんよ。今の幻想郷は平和ですから……最近になって頻繁に下りてくるようになった衣玖さんが取り乱す気持ちも、分からなくはないですし……」
その美鈴の声に反応することもなく、衣玖は微動だにしない。
「お嬢様やパチュリー様はここまで多くの異端狩りの人間と戦ってきましたし……私も門兵としてそういった方の相手もしました……だから多少荒事に慣れているだけです。今みたいに平和な方がいいですよ!ね!?」
なんとかこの緊迫した空気を払拭しようと、思いついた言葉をひたすら口にするが――それが説明にも弁解にもなっていないことは、喋り続ける美鈴にもわかっていた。
案の定、衣玖の表情を取り戻すことは叶わない。
「――先に紅魔館に帰ります。今日はもうこのまま終わるでしょうから」
衣玖は踵を返してひとり、部屋の出口へと歩き出してゆく。
早足に適当な襖戸へと歩を進める。
語ることはもう無いと、その背中が伝えていた。
「衣玖さんっ!!」
美鈴の声に一度歩みを止め――そしてまた歩き出す。
振り返ることは、なかった。
「……大丈夫か、あいつ」
座り込みながら衣玖の後ろ姿を眺め、妹紅が小さく口を開いた。
「大丈夫っていうのは何を以って言うのかしら?」
その呟きをパチュリーが拾い上げ、疑問で返す。
「あぁいう手合いは危険だ。あのテンションで明日戦ったら、死ぬぞ?」
「そういうこと。それなら問題無いわね。じゃあ答えはひとつ。“大丈夫”よ」
「あん?」
「まぁ普段から死なないあなたには関係の無い話よ」
要領を得ないパチュリーの答えに、妹紅は首を傾げるだけしておいた。
そんな騒ぎの最中、彼女たちから少し離れた所。
「藍さま………」
「――橙にもまだ少し早かったかな?」
橙はぎゅっと力を込めて藍のスカートを掴んでいた。
そんな自らの式神をたしなめるでもなく、藍は優しく橙の頭を撫でてやる。
「橙、怖がらずに見ていなさい。これが……この光景こそが、私たちの主の求めていたものなのだから――――」
優しい声でそう言い、顔を上げる。
彼女たちの目の前ではまだ、身を削るような光と音が溢れていた。
【 L-2 】 【 J-3 】
「――さて。とりあえずこれで今回の意義は伝わったかしらね?」
紫は不敵に微笑み、三人を見渡した。
リアクションは三者三様。
ゴクリと喉を鳴らし、固唾を飲む者。
ひたすらに口を開けて、唖然とする者。
唇を固く結び、思案に耽る者。
その中で唖然としていた少女が、開いた口からおもむろに言葉を発した。
「……突拍子も無い話もここまで来たらいっそ清々しいぜ」
固唾を飲み下し、隣で少女も口を開く。
「いや、そんなこと言ってる場合じゃないですよ……こうして私たちも参加している訳ですし……」
その言葉を引き金にして、固く結んだ口を開き、重々しげに少女は声を上げた。
「そう――ね。他人事みたいにしてる場合じゃないでしょ。あなたたち人間には苛酷なイベントよ、コレ」
そんな三人を前にして、当の紫は扇子の奥で密やかに口の端を上げていた。
「そうよ。せっかく声をかけてあげたんだから、他人事なんて思わずに思いっ切り頑張って頂戴な」
他の三人に走る動揺など意に介さないように、フワフワと緊張感無く座っている。
魔理沙も早苗も、それ以上は何も言えなかった。与えられた情報の突飛さに、彼女たちの反応がついていかない。
だがそんな中、アリスだけは休むことなく紫に疑問をぶつけていく。
「まぁ、話はわかったわ。理屈として通じてないこともない。でも……それなら妖怪だけを萃めるんで事は足りたんじゃないかしら?」
チラリと、隣に座る魔理沙と早苗を見やった。
二人ともその視線を感じ、アリスの方を向くが、当のアリスは二人と視線が交わるのを避けるように、紫へと向き直っていた。
結局また、全員の視線が紫へと注がれる。
「あらあら、そんな仲間外れみたいな真似しちゃ可哀想じゃない。非道いこと言うわ」
彼女はおもむろに扇子を下げると、パチンッと小気味良い音をたて、それを閉じる。ふふっ、と一笑を付したが、なぜかその目は笑っていないように見えた。
そのまま、「ねぇ?」と言って魔理沙へ視線を送る。
「まぁ確かに、私としてもこんな面白いことやってるなら除け者にされるのは御免願いたいな」
「でしょう?」
紫の視線を受け、魔理沙が同調するような声を上げる。それが嬉しかったのか、紫も艶やかに微笑む。
その人間の少女の無防備さは――完全にアリスの琴線に触れた。
「……それ、本気で言ってる?」
思わず発した言葉に静かな苛立ちがあることは、彼女自身わかっていただろう。
「わかってるの?さっきも言ったけど、これはあなたたち人間には苛酷過ぎる催しよ。スペルカードルールの縛り無しに全力の妖怪と戦うだなんて……正気の沙汰じゃないわ」
「別にスペル使っちゃいけない、なんて言われて無いぜ」
口を尖らせてのその反論は、ますますアリスの眉根を寄せただけだった。
「“使っちゃだめ”、とは言われていないけど、“使わなくちゃだめ”、とも言われてないわ。結局は“なんでもアリ”なのよ。お行儀よく弾幕ごっこしてもらえればいいけど、そうじゃない場合――結局、命懸けになるわ」
アリスはわざと冷たく言い放った。いや、正確には半分くらいは無意識だ。
それは、目の前の黒白の少女の疑問が――あまりにも自分と同じだったから。
昨日の自分とまったく同じ受け答えをする魔理沙に、親近感と、共感と、僅かな苛立ちを感じ、みんな混ざって出た態度が冷たかっただけの話である。
アリスは魔理沙と話していて、早苗が何か言おうとしていることには気づいていない。
話が一段落した時、その論に反したのは――――
「……舐めてもらっちゃ困るわ」
誰であろう、八雲紫だった。
「確かに人間は、この幻想郷の中では脆弱な部類の種族と言えるわ。でも――それが全てでは、ない」
早苗も、アリスも魔理沙も、紫へとまた目を向ける。
肘掛けに体重を預け、くつろいで座っている彼女から発せられる言葉を、三人とも聞き逃さないように。
「私が今回招聘した人間たちがいい例ね。この子たちは種族としての弱さを補って余りある“力”を持っているわ。そうじゃなきゃ、いかにお遊びの弾幕ごっことは言え、私たち妖怪とこうも張り合っていけるものではないでしょう」
紫は三人を見て話をしてはいたが、意識はどうやらアリス一人に向けられているようであった。
“あなたも、それをわかっているんでしょう?”と、アリスを見る二つの瞳は語っている。
確かに、今回参加している純正の人間は四人。
彼女たちは各々、人間としては充分過ぎる力を持っていた。
現人神、時を止めるメイド、黒い魔砲使い、そして――博麗の巫女。
最近幻想郷に越してきた早苗は除いて、他の三人はそれぞれ妖怪の起こした異変を解決してきたという実績もある。
人間の里に生きるほかの人間たちと比べても、ある意味、異質な存在ですらあった。
アリスもそれをわかりながらも、急いで反論の台詞を探したが、
「それに――」
という紫の接続詞の方が先だった。
「この会は、妖怪だけでやっても仕方ないわ。種族に縛りを入れて暇な子を余らせる訳にはいかないの。人間、妖怪、妖精、神、月人、天人、亡霊、エトセトラ、エトセトラ。みんなで騒いでもらわないと、このイベントは片手落ちになってしまう」
元々妖怪とその他の種族の縛りなど、彼女たちの暮らす世界では、些細なものだ。
様々な幻想の種族が住まう――幻想郷。そこは妖怪のためだけの世界ではない。
つまり彼女は、名実ともに幻想郷全てを巻き込んだイベントとして、これを企画していた。
ゆっくりと流れるように語る紫の瞳は、どこか遠くを望んでいるように、うっとりと濡れていた。
※
「なんでこんなことに…………」
敵味方混ざり合う弾の海を躱しながら、妖怪の山で、鈴仙は思わずひとりごちていた。
夜も更けきった妖怪の山。その中腹に位置する小さな池――大蝦蟇の池。
その畔は月の光を遮る木々が無く、余すことなく満月の光が注ぐ。
その照明に照らされるように、四つの影が空を舞い躍っている。
ここに、人間・月人・神様・妖怪入り乱れての、過去に例をみない組み合わせでのタッグ・マッチが繰り広げられている最中であった。
最初は山を哨戒していて出会った諏訪子と戦い始め、まず永琳が、次に咲夜が――といった具合に人が増えていき、結局その四人での混戦となっている。
敵味方入り乱れ、宙を舞う。辺り構わず撒き散らされる弾幕は四人前。すでに星の数ほどになっている弾たちがこぞって夜天を埋める。
――ホントになんでこんなことに……?
鈴仙は疑問符と一緒に、溜息を吐かずにはいられなかった。
そうして一瞬、目の前の戦闘から意識を逸らしてしまっていた。
それは僅かな隙。
だが、その僅かを許さない者たちを相手にしていることを、彼女は失念していた。
「ウドンゲッ!!」
永琳の声に反応し、咄嗟に意識を戦闘用に戻す――が、やはり一瞬の弛緩は命取りだった。
すでに目の前から敵の数が一つ減っている。
いなくなったのは誰か、即理解した。
それはここにいる四人の中で、最も目立つ、メイドの格好をした人間――――
「甘いわね」
視界から消えたはずのメイドの声がする。
それは鈴仙の斜め後方――ある程度離れていた距離を瞬く間にゼロにして、メイドの投げ放つ銀のナイフが彼女を襲う。
月明りを反射し煌めく一本のナイフは、夜の闇を裂いて、一筋の光のように彼女を貫き――スコンという乾いた音を立てて、木に突き刺さった。
「――どっちが?」
放たれたナイフは確かに彼女を貫いた。
あくまで、咲夜の視点では。
全ての波長を狂わせる“狂気の瞳”の能力の発動が間に合ったことを、鈴仙は内心で胸を撫で下ろした。
タイミングとしてはかなりギリギリ。
あと一歩遅れていたら、あのナイフは寸分の狂い無く急所へと突き刺さり、一撃で戦闘不能にさせられていただろう。思い返し、冷や汗が流れる。
「面倒なことを……」
咲夜はそう言ってまた距離を取り、
「幻が相手だって言うなら――」
おもむろに新しくナイフを構える。
「幻ごと切り裂けばいいだけの話よ!」
彼女の瞳もまた――狂気の瞳に当てられたかのように、真っ紅に染まっていた。
片手に一本だったナイフが、瞬くうちには両の手に握れるだけ一杯に変わっている。
彼女のみが行える、種も仕掛けも無いマジック。
「奇術『エターナルミーク』」
静かに術式の名を述べる。
その口調の静けさとは裏腹に、放たれた弾幕は荒々しく空間を支配した。
「なっ――――――――!!」
放たれたのは先程と同じ銀のナイフ。それ自体の速度は速く殺傷性も高いが、動きは直線的であり避けるのは容易である――が、これはあくまでナイフ一本の話。
今このスペルで問題なのは、その数。
瞬くほどの間には、その空間は計数していられないほどのナイフで埋め尽くされ、一本一本が月の光を反射し、視界の全てに星の光のように煌いている。
「こんな、無茶苦茶な!!」
「ほんとあのメイドは出鱈目ねぇ」
鈴仙と永琳は口々にそうボヤきながら身を踊らせる。
魔力などでブーストしているのだろうが、完全手動の投げナイフである。狙いなどまったくついてはいない。
だがそれ故、避け道が見えないという恐ろしさがあった。
すでに狙いを外れたナイフが、射線上にある木々をハリネズミのようにしている。彼女たちはただひたすら自分の前まで来たナイフを避け続けなければならない。
「――おっけー。見つけたよっ!!」
鈴仙は最初、その声がなんなのかわからなかった。
迫り来るナイフを躱しながら、声のする方へと意識を向けると、目の端に諏訪子が立っているのが見えた。
気づけば彼女は弾幕を張ることを止め、大地に仁王立ちになり――パァンと手を合わせる音を響かせた。
そこまでを見て刹那、鈴仙の両脇の地面が地鳴りを上げてせり出してゆく。
「――――ちょ………っ!?」
彼女がそれに気づき、短い悲鳴を上げる頃には、せり上がった地面は巨大な掌を形作っていた。
大質量の岩の手は、そこに顕現するとともにそのまま大きな地響きを上げ、鈴仙へと殺到ゆく。
それは真っ直ぐに、正しい彼女の位置へと向かう。
諏訪子にもかかっているはずの狂気の瞳。それでも、この神は狂わされた波長に惑わされることなく、鈴仙の位置を正確に見極めている。
それがどういう方法なのか、タネはわからない。が、それを考えるより前に大地の手は鈴仙へと迫り――ズドォンッという音を立てて、二つの手は拝むかのようにその掌を合わせた。
岩と岩とがぶつかり、僅かに崩れ、カラカラと小石の鳴る音が余韻として鳴る。
両手の間にいた彼女が避け出た様子は、無い。
辺りは薄い土煙に覆われたが、そこに人影は見受けられなかった。
「やりましたかね?」
咲夜もスペルを解除し、諏訪子の隣に降り立つ。二人は視線を揃え、濛々と立つ土煙を眺めていた。
先がまったく見えなくなるほどの土煙。
だが、それは次第に晴れ――突如、岩の手が崩れた。
最初は能力の解除かと思われたが、違う。
それは同等以上の力の負荷を受けた結果の崩壊――――
「秘術……『天文密葬法』」
崩れ落ちる岩の中から現れたのは、巻き込まれたと思われていた鈴仙一人ではない。
鈴仙の前にはその師匠、八意永琳が佇んでいた。
諏訪子の攻撃の射線上にいなかったはずの彼女が、いつの間にかそこに潜り込み、自分の周りに展開させたスペルによって、その衝撃を完全に防ぎきっていた。
「ありゃりゃ。やっぱりあれくらいじゃ決まらないかー」
「そのようですわね」
永琳によって決め手を防がれたにもかかわらず、彼女たちに焦る様子は見られなかった。ただ防がれたという事実のみを受け止めて、そんな気の無い声を上げているだけである。
「けほっ――し、師匠……ありがとうございます」
「気を抜くからよ。鍛え方が足りないわ」
永琳は大したことはしていないかのように言い、振り向くことなくスペルを解除した。
「――でも、よく私の正確な位置がわかりましたね」
鈴仙はまずその疑問を尋ねた。
岩に押し潰されそうな自分のところに飛び込むスピードも確かに驚異的ではあったが、それはおそらく彼女なら容易にこなせるレベルの話である。
それよりも不思議なのは、“狂気の瞳”の力を受けてなお、正確な自分を見つけ出して助けたことであった。
彼女の能力の欠点のひとつでもあるのだが、“狂気の瞳”による波長の狂いは、指向性を持たせることが出来ない。
彼女は一定範囲内の全ての波長を狂わせてしまうため、こうして仲間と共同でことにあたる場合は、味方の視界さえも狂わせてしまう。
そのため、彼女はメイドに追い詰められるギリギリまでその力を発動させることはしなかったのだ。
「あら、何年一緒に住んでると思ってるの。あなたの場所くらい気配でわかるわ」
それが本当にそうなのか、鈴仙にはわからなかったが、こちらを振り向いていない永琳の声が、なぜか妙に楽しそうに聞こえていた。
岩が崩れて上がる土煙に咽ながら、鈴仙は永琳の背中を見つめる。
普段は飄々として輝夜の後ろに半歩下がって侍っている印象があるだけに、こうしてその実力を目の当たりにする度に驚いてしまう。
そうだ、と彼女は思い出す。
――今私の目の前にいるのは、月の賢者、八意永琳じゃないか。
そう改めて認識し、その心強さを再び噛みしめる。
「でも、ウドンゲ。狂気の瞳は解除しなさい。もうあんまり意味が無いわ」
彼女はその言葉に黙って従った。
そう、波長を狂わせることに、もうあんまり――というより、ほとんど意味はない。
どうやら永琳にだけではなく、諏訪子にもこの能力のタネはばれているようだから。
「諏訪子さん……あなたもどうして正確に私の位置が?」
彼女は間違いなく私目掛けて攻撃してきていた。
彼女も“狂気の瞳”にかかっており、私の像は別の位置に結ばれているにもかかわらず、だ。
能力を解くと、
「おぉ~ズレてるズレてる」
などという諏訪子の歓声が上がった。もうこれで完全に間違いは無かった。
「なら、どうして…………」
「ん?あぁ、二人で戦ってた時はなんとなーくオカシイかな、ってだけだったんだけど、今の咲夜のバラ撒きナイフがヒントになってね。無軌道なナイフを避けるあなたの動きを見て、ズレ幅を予想したんだー」
そう、あのナイフの海を避けるために、彼女は動きすぎていたのだ。
実像、虚像問わず投げつけられた弾を、まんまとただ避けさせられていた。
諏訪子の目に映った虚像が、明らかに安全な位置にもかかわらず、回避行動を取るような動きを見せていたのだろう。それはつまり、実像の彼女は危険な位置にいたということの裏づけである。
それを繰り返していれば、だいたいどの辺にいるかの想像がつけられてしまう。彼女は虚像の動きを考えながら動かなければならなかったのだ。
ここに来て、鈴仙は自らの能力の弱点をまたひとつ知ることとなった。
そのことに内心で奥歯を噛み締める。
実際の奥歯なら擦り切れるほど、強く。
「おもしろい力だけど、あんまり長いこと見せてちゃダメだねぇ」
「ですわね。手品はタネがバレたら手品じゃありませんわ」
などと咲夜も追従した。
位相のズレも気にせず、手当たりしだいナイフを投げるなんて力技に出た彼女が言えたものではないが、鈴仙の能力を破ったきっかけは彼女のその力技である。鈴仙は咲夜に対しても何も言うことが出来なかった。
というより、彼女が咲夜に対して何も言えないことには、別に理由がある。
鈴仙は咲夜の力に対して、内心で舌を巻いていた。
時を止めるという途轍もない力。自分と永琳の二人を相手にしても一歩も引かないその戦闘技術。妖怪たちの戦いに物怖じしない度胸。
どれを取っても人間離れしている。
彼女の生い立ちについて詳しくはわからない。
だが、人間としても年端もいかぬその人生で、どうやってここまでのものとして出来上がったのだろうか。
――なぜ、月の都の“レイセン”だった私よりも、こんなにも…………
「そうね。あなたの思った通り――あの人間はおそらくあなたより強いわ」
こちらの歯噛みしたいほどの気持ちが伝わったのか、永琳が静かに口を開いた。
「あの吸血鬼のお嬢さんにはもったいないくらい。おそらく幻想郷で最強の従者よ」
永琳をしてそこまで言わしめるということに、鈴仙は改めて驚き、今度は実際に奥歯を噛み締めていた。
「お褒めに預かり光栄ですわ。ちょっと紅魔館で働く内に、荒事に慣れてしまっただけのことです。訂正とすれば、お嬢様に私はもったいないくらい、が正しいですわ」
「でも実際咲夜って強いよねー。早苗とやったらどっちが勝つかなぁ」
「お料理と手品くらいなら負けませんわよ」
咲夜と諏訪子はきゃっきゃと話していた。この緊張感の無い心臓も、すでに人間のそれではないような気がする。
先程一瞬見せた狂気の紅い瞳は、すでに鳴りを潜めていた。
「さて、お待たせしちゃったわね。また始めましょうか。夜は短いわ」
「お、もう大丈夫?じゃあやろっか!」
永琳の声に、諏訪子が元気に応えた。
鈴仙はまだどこか沈痛な面持ちでいる。
永琳はここで初めて振り返り、鈴仙の紅い瞳を見つめた。
「――大丈夫よ。私の弟子ならそう簡単にやられはしないわ……でしょ?」
そう言って、鈴仙の頭をひとつ撫でた。
ゆっくり、優しく。
正直完全に予想外だったその行動に、しばらく黙って目を見開いていた後、
「は、はいっ!!任せてくださいっ!!」
そう、大きな声で答えた。
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アリスも内心は紫に理解を示しながらも義務的に反発をしていそう。人間に優しいから。
この二人の絡みにおける醍醐味というか、よく抑えてると思う。
スペカだけだとフラストレーション溜まるんでしょうね。
よくよく考えたら、ここで幽香が負けたら出落ちな気がするw
でもレミリア勝て!
説明パートになってしまうので、棒立ちトークにならないようには気をつけました。
妖怪に制約が多いイメージって、やっぱりありますよね。
彼女たちはもっと明らかにデタラメでも良さそうな気がした、っていうのが作者の動機の一つだったりします。