儂は、悩んでおった。
すっかり秋が深くなった人里の中、にぎわいのある露店の前で顎に手を当て、手持ちの巾着の中身と相談しつつ。
「うーむ、あの雌狐のようにふくよかでぼりぃぅむのある逸品も捨てがたいが……」
一つ、また一つと手にとって、その触り心地と色合いを楽しんでおった。
ついには大人げなくしゃがみ込だり、目を細めたりしてじゃな。
「ふむ、ぬえのように、すらりとしたすまぁとな体形のモノも良いな。艶のあるのもなかなか……」
「……その感想の言い方マジでやめて」
「おお、このうっすらと白い液が垂れている具合もそそるのう!」
「やーめーてーっ!!」
しかし、なんじゃろうな。
儂が年末用に茶碗やら湯飲みを新調しようとしておるのに。横におるぬえは、邪魔な文句しか言わん。退屈だ、で始まり買いものがいちいち長ったらしいとも。
しまいには儂が焼き物の上薬の部分を褒めているだけだと言うのに、顔を赤らめてばしばしと叩いてくる始末じゃ。
「わかった。わかった……。買うものは決めたからもうおわりじゃよ」
まったく、下手をすると儂よりも年上の癖に乙女ぶりおって。
とりあえず儂は比較的ほっそりとした湯飲みをまだ若い女の店主に差し出し、会計を頼んだ。それと同時に、じゃ。
「ほれ、これで一勝負できんかいのぅ?」
「ああもう……また……」
店のゴザの上に、ぽんっと金を出す。
その意味を知っておるぬえが嫌そうな顔をするが何を言われようがやめるつもりはない。
この先においた金の意味というのはじゃな、まあ一種の値切り。
値札のない商品であった場合にやる方法で、これくらいに負けられんかという意思表示じゃな。
じゃから先程の酒屋の店主も目を丸くしておったよ。
さすがにそれは無理、とな。
そこから交渉がはじまったわけで、
『もういいって、マミゾウ! ホントに駄目だって!!』
もう少し値切れそうだったのじゃが、ぬえに必死で止められて終わりじゃ。店主の男泣きも見ることが出来たし、なかなか有意義な時間ではあったのじゃが。
ぬえが寺の評判が落ちるとかどうとか、説教をしてくる始末。
まったく、これではゆっくり市も楽しめぬ――
おっとっと、いかんいかん。
物思いにふけっておる場合ではなかった。
今はこの若い娘との交渉を進めねばな。
「今度おかしなことしたら、ひっつかんででも寺戻るからね」
横から小姑のようにうるさい娘も睨んでおることじゃし、さっさと終わらせるとするか。
通常の最低価格を頭の中に置いた上で、名声分を省いて、と。
純粋に土と、技術だけで、儲け無し。
その場合だと、ほれ。
儂が出した金に落ち着く。
それで、この店主が怒って売らないと言い出すか。
それとも、さすがにそれは無理と言い出すか。
そこから二回程度の上乗せで買うとするか。
「はい、それではいただきますね」
「む……」
そんな儂の目論見とはまったく見当違いのことが起きた。
なんと、こやつ……
ありえぬ価格設定であるというのに、金を懐に仕舞い込みおったのじゃ。
これは一体……
いやいや、落ち着け、落ち着くんじゃ。
儂の知らぬ対値切りてくにっくというものかもしれん。
きっと、そうじゃ……
まず、前金を受け取り、あとで全額受け取る。
おそらくはそういう二段構えの策略じゃ……
入場料とあとらくしょぉん料が違うと噂に聞く、てぇーまぱぁーくなるものと同じやり方じゃな!
「割れ物ですのでご注意下さい」
く、なな、なんと!
既に梱包済みじゃと。
天狗の新聞にくるまれておるではないか。
いや、いやいやいや、わかった。わかったぞ。これで相手はもう買うしかないという強迫観念を与える策に違いない。
このマミゾウの眼力に見破れぬものなのあるものか。
儂は眼鏡を指で押し上げ、いざ戦場へと心の中で足を踏み出し。
「こちらがお釣りになります」
「……にゃぬ?」
なんと言うか……じゃな。
踏み出す前に、終わったのじゃ。
若い店主の、少々疲れの残る笑みと共に。
そして、
「ぷっ」
口から吐息が漏れ出すような。
吹き出した笑いが横から……
ふ、ふん、ぬえが言いたいことくらいわかっておる。
じゃからその程度で心を乱すなど……
「な、なんじゃ? ぬえ? 何かおかしなことでも」
「……これで勝負じゃ、だっけ? あれってどういう意味? どういう意味?」
「う、ぐっ」
「あれー? 教えてくれないのぉ~?」
「ぐ、ぐぬぬぬっ」
こ、こやつ。
『マミゾウの見る目もその程度~?』
と、あからさまにニヤついてきおる。
さっきまで長々と値切りを繰り返した儂への意趣返しのつもりか。なんとも嫌らしい手段を覚えたものじゃな。羞恥で頬が火照ってしまったではないか。
ただ、ぬえとのやり取りは別にして、じゃな。
うむ、やはり納得いかぬ。
「こほん、すまぬが店主や。ものの良さにしては、随分と良心的な値段ではないか? これではあまりにも安すぎるのでは」
「いえ、この値段で買って貰えるだけでも……」
「……ふむ」
なんじゃ訳あり、か。
興味はあるがそういったことには口を挟まぬ方が良いな。
「終わったんならいくよ」
「わかったわかった、慌ただしいヤツじゃな」
「それと、買い物全部終わったら団子だからね」
「おうおう」
「約束だからね、マミゾウ!」
「おうおうおう」
ぬえがそう儂の名を初めてこの若い娘の前で呼んだときじゃったよ。
初めて、娘の顔つきが変わったのは。
商売人特有の柔らかい笑みが消え去って、どこか深刻さを感じさせる暗い表情が浮き上がってきおった。
おそらくはこれが、この娘の本当の顔の一つなんじゃろうな。
整った顔つきで、美しい黒髪を持つはずの若者じゃが……、全身からしみ出る疲労感が全てを覆い隠してしまっておるよ。
「もしかして、あなたが……最近噂の金貸しのマミゾウさん?」
「ああ、そうじゃが?」
「……実は、折り入ってご相談があるのですが」
すると娘は、儂の前で深々と頭を下げ。
「少々、お金を頂けませんか?」
疲れ切った声で、そう言った。
◇ ◇ ◇
外と比較して人口が少なめの幻想郷の中では、長持ちする焼き物や家具の売れ行きがあまりよくない。
これは儂が『りさぁち』した結果であるから間違いない。
需要が少ないのじゃから供給も少ないのは当然じゃな。
ということで、じゃ。子供用は別にしても、日用品のどれもこれもが職人が心血を注いだ一品ばかり。だから使用者も愛着を持ち。壊れてもそれを修理して使うというものもおる。良いものを長く使うわけじゃから、人里の人間の目はなかなかに肥えておって。
「で? 良いものが、安かったら駄目なの?」
「ああ、駄目じゃ」
「えー?」
おもいっきり幻想とは懸け離れた商売話じゃしな。
正直儂自身からそういうのは語るつもりはなかった。
しかし、ぬえがな。しつこいんじゃよ。
人里の、日当たりの良い屋根の上、そこで膝掛け毛布を掛けてぬくぬくしておるのじゃから。少々静かにしておって欲しいが。
こやつは平然と日の光を遮って儂の前に座り込んできおった。
相手にしろ。という意思表示であるのは見え見え。
まったく、儂を暇つぶしに使わんで欲しいモノじゃ。
じゃが放置すると余計に厄介事を起こしかねぬゆえ、仕方なく儂は小声でぬえの疑問に答えてやった。
「ぬえが言うとおり、客にとっては安いに越したことはないのは確かじゃがな」
「じゃあ、なんで?」
日の光が当たらぬからどけ、と。儂が膝を突いておるのにまるっきり無視じゃし。
儂が教えるまでどくつもりはないということか。
「簡単な理屈じゃ。人間の世界では金がものを言う。つまり安くて買い手が満足できたとしても」
「あー、そっか。使って貰おうと思って安いのばらまいたら。その分作った人の生活が苦しくなるってことね」
「そういうことじゃな、外の世界では売り手側がそういう値段合わせのようなことをすると談合などと言われるが、狭い幻想郷で競争した場合はどうなるか。そうすると他の作り手が全滅する恐れすらあるわけじゃから、さじ加減が難しい。安く売り出したのが名人となると、他の職人は手に負えぬからの」
「えっと、それって」
「ああ、今回の依頼人の先代の話。里で一、二を争う名工だったそうじゃ」
そんな名工が、何を思ったか自分の品物を安く住民に譲ると言い出して。
そしたら他の職人から猛ばっしんぐを浴びたという訳じゃ。それで職人の生活もままならなくなり引退し、そのまま亡くなって、今は若い娘の旦那がそれを引き継いでおるらしい。
「その情報は?」
「寺には便利なネズミ様が出入りしておるじゃろ? それで少々情報料を支払ったという訳じゃ」
「昨日の今日なのに、手が早いことで」
「商売は速さが肝心とも言われるからのぅ」
速さが肝心とは言うが、
昨日、若い娘から金を貸し手欲しいと言われた儂は、その場で首を縦に振らなかった。
金を貸す前にはちゃんと相手の情報を知っておく必要があるからじゃ。
それでその場は少し準備するとだけ伝えておいて、このとおり。
あの娘の家の屋根の上で、ぬえと一緒にのんびりしているというわけじゃ。屋根に耳をくっつけながらのぅ。
「で、マミゾウ。そんなんで本当に中の様子わかるの?」
「伊達や酔狂でこういう耳はしておらぬからのぅ。しっかりと話し声は聞こえておる」
日の光で温もった屋根瓦に耳を押し当てておると、温もりと一緒に中の声だけははっきりと耳に入って。
『……お金をくれだなんて、あなた、今の家の状況がわかっているんですか?』
『わかってるさ。だから俺が儲けて、あとでどーんっと返すと言っているだろう!』
『またそんなことを……、あんな賭け事はやめてくれと言ったではありませんか!』
『あれは……、もう、やめた!』
『嘘を吐かないで! この前渡したお金が、どうやったらこんな短時間で無くなるって言うんですか!』
『そりゃあ、お前……』
儂は会話が続くたび、その通りの言葉をぬえに伝える。
伝言げぇむのようなものじゃな。
すると開口一番ぬえは。
「あ、これ、駄目っぽいね」
確かに。
『……まさか、私の他に、大切な人でも出来ましたか?』
『何を言ってるんだ』
『そうだわ、きっとそうなんだわ……、だから私から取れるだけむしり取って……出て行くつもりなんでしょう!』
『違うって言ってるだろう! 俺はもう行くからな!』
『あ、ああっ! あなたっ! 待って下さいあなたぁっ!』
ガタッ
そうやってがぬえに伝えた直後、下から物音がして、外見だけ見るとなかなか器量の良さそうな男が下の通りを走っていった。
そして、残されたのは、玄関前で座り込み、すすり泣く若い女だけ。
しかし、これは……
この展開は……
「くふ、くふふふふっ」
「マミゾウ、笑い方怖い」
あれ、じゃな?
これは昼どら的展開というやつじゃな? そうであろう?
いやぁ、いつか実際に見てみたいと思っておったが、ふふ、生で体験出来るとはのぅ。人間の中高年女性における教典を、儂はその身で感じたのじゃ!
「……人間とは、良いものじゃな」
「何すっきりした顔してんの。さっさと下りるよ!」
「あ、こ、これ! 待たぬかぬえぇぇぇええっ」
とんっと。
ぬえに引っ張られて無理矢理屋根から落ちた儂であったが、なんとか落下速度を緩めることに成功して着地。
二人して若い女の前にいきなり現れて見せた。
「ま、マミゾウさん! いつのまに!」
「すまぬが、話はすべて聞かせて貰った」
驚いて立ち上がる女じゃったが、儂が全部聞いたと話すと。
観念したようにうつむいてしもうた。
「……そう、ですか」
儂とぬえが屋根でゆっくりできるほど広い屋敷ではあるのじゃが、ところどころ木材が傷んでいるのに修繕出来ていない。
そして昨日から見せるどこか疲れた顔からして、
「ご覧の通りです。父が人里の商売のバランスを崩してしまったせいで、うちの人が作った焼き物も敵視されて……もう2年ほどこの場所で作品を作れていないのです。その2年前に作った作品も未だに店先で売ることを許して貰えず、少しずつああいった露店で売っているのですが……やっぱりウチの人は堂々と売れないのが不満みたいで、今みたいに、その鬱憤を晴らしに毎日賭博を……」
「そう、じゃな。そういった不安定な状態であれば、儂としても金を貸すのは難しい。いくら儂の金利が良心的とはいってものぅ。お主が内職をしておったとしても、追いつくかどうか」
「返せる見込みがない人には貸さないってこと?」
「道楽のようなものじゃがな。しかし道楽にも決まり事やケジメがないと駄目じゃろ?」
「はい、わかりました……」
せっかくの申し出じゃが。こっちも一応契約。
収入がないものに貸しても、重い足枷となるだけじゃからな。この若い女には悪いが、今回ばかりは。
ふぅっと息を吐いて、なんとなく足元を見る。こういった断り方が一番胸に来るからのぅ。自然と目が下がってしまったのかも知れん。
そうしたら、じゃな。
動物の糞とも違う、小さな茶色い土の塊が足のすぐ横にあった。
大きさは指先ほど、色は茶色……
「……ん?」
周囲は、民家ばかり。
畑も、特になし。
と、なると……
「すまぬ、少々聞きたいのじゃが、ここ最近、荷馬車か何かがこの道を通ったかの?」
「……え? いいえ……、今は農作物の収穫時期でもないので荷車も通りません」
「それで、家の中の工房も2年ほど利用していない」
「はい」
「して? その間の生活費はどうやってくめんしておるのじゃ?」
「私の内職と、ウチの人がたまに持ち帰ってくるまとまったお金で。何をして稼いだのかは教えてくれないのですが」
「ふむ……」
「おーい、マミゾウ! 帰るんでしょー!」
もう用はないと思っているようで、ぬえはもう屋根の高さまで飛び上がっていた。
しかし、儂はそんなぬえを見上げ。
ちょいちょいっと、軽く手招きしてから。
「気が変わった。必要な額だけ貸すとするか」
「え?」
「え?」
儂の近くから、疑問の声が二つ上がった。
「人間とはおもしろいのぅ、ぬえや?」
「……私はマミゾウの方がおもしろいと思うけど? わけわかんないし」
「んー、そうか?」
「そうだよ。だって断ると思ったら引き受けちゃうんだもん。それに命蓮寺に戻ると思ったら人里から離れて行っちゃうし」
あの若い女の家を離れてすぐ、儂が命蓮寺とは別な方向へ飛んでいることに疑問を感じているというわけか。
ま、じきにわかることじゃが。
儂は、幻想郷の妖怪狸の連中から妙な噂を聞いておってな。
人里から少し離れた山小屋のような場所を行き来する人間が居ると。
それがちょうど、儂がここに入ってくる二年前から続いておるそうじゃ。
煙たくなったから、そこを通れなくなったなどと何度も愚痴を零しておったから覚えておるのじゃが。
「ほれ、ここじゃ」
その場所が、人里と魔法の森の間を繋ぐ細道から少し外れたところ。
こんもりとした丘の上にある林。
その林の中の、獣道にしては太過ぎる道を進んでいけば。
「人間の小屋? なんか煙出てるけど」
「うむ、妖怪除けの札が貼られておるところを見ると、当たりじゃな」
少々大きめの山小屋と、料理をするには不自然なほど大きな釜。
それが一緒になっている小屋など、用途は一つしかあるまい。
それに壁に貼ってある札もなかなか強力なものらしく……
「おっと」
近寄って、ためしに小屋の壁に触れてみたらじゃな。
傷みではなく、もの凄い吐き気が儂に襲いかかってきおった。頭を抱えたくなる気持ち悪さ、と言って良いじゃろうな。
外で作業をするために置かれた竈の方にはもっと別に何かを感じるが、触ってみるつもりも起きん。
「食欲を無くさせるヤツか。なかなか効果的じゃな」
食べようと思って小屋まで追ってきたら、食べたくなくなる札。
傷みを与えると下手に対抗意識を燃やしてしまうが、こっちだと諦めて帰りやすい。しかし攻撃用の札よりも明らかに難易度が高いというのに一体どんなヤツが……
と札の表面をよく見ると。
『博麗神社』
と、書いてあるではないか。
……あの若さでコレを作るか。
しかも、そうそう新しくもないところを見ると、半年以上も前か?
この世界の人間は、ホントに化け物じみておるのぅ……
儂が眼鏡をずり下げながらうんうんと感心しておったら、
「な、何者だ!」
「おっ?」
壁に設置してある窓から、儂らを見る影が一つ。
話し声で気付かれてしまったか。
それとも、何かが壁に触れたら知らせる術式でも組まれているのか。さっき、人里で見た男が儂らをじっと見つめておった。
じゃから儂は、ぐいっとぬえを前に押し出して。
「付いてきたなら、役に立て」
「はいはい、わかってますってば。えーっと、私見たことない? 命蓮寺で生活してるぬえって妖怪なんだけど」
「……命、蓮寺? ああっ! あそこの」
「うんうん、それでね。こっちのマミゾウっていうお婆ちゃんの妖怪狸――」
ごつん
「……狸の大妖怪マミゾウ様がお話をしたいっていうから」
「ああ、噂の金貸しタヌキか。ちょっと待っててくれ、仕事を一段落させるから」
そう言って、男の姿が見えなくなって十数分後。
命蓮寺の知名度のおかげで警戒されることなく、山小屋へ侵入したのじゃった。
「というわけで、ほれ、借用書じゃ」
「へ?」
儂はとりあえず必要な種類だけを作業机の空いた場所に置いて、部屋の中を見て回る。部屋のところどころにランプが見えるだけの質素な作業小屋ではあるが、棚に置かれている見栄えの良い焼き物たちはその腕の良さを充分知らせてくれる。
人は嘘を吐くが、こやつらは嘘を吐かんからな。
「え、いや、あの……、う、うぇっ!?」
「ああ、なんじゃ? そんなおかしな声を出して? ああ、そうか。儂がおぬしの仕事を何故知っているか、そういう疑問かのぅ? 答えは簡単じゃ。さきほどおぬしの家に寄ったときに、真新しい土が落ちていたから、じゃな。おぬしの家の工房は二年ほど使われてもいない。それに、農作業の時期でもない。それなのに小指の先ほどの粘土質の土があった。それでどこかでまだこっそり作っておるのではないかと思ってな」
「いやいやいやいやっ!」
しかし、何故か男は顔から汗を流しながら、必死の形相で首を横に振る。
「ああ、じゃあこの場所のことか? それはじゃな、知り合いのたぬきの噂で――」
「そうじゃなくて! これっ! この金額っ!」
男がびしっと、紙を指差してきおったから、儂は眼鏡の位置を直して、突きつけられた借用書をじーっと眺めた。
男の指は金額と、金利というところで停止しておって。
「……? 少ないか?」
「多いのっ! 滅茶苦茶多いの! 金利もおかしいだろこれ!」
「……? 良心的じゃろ?」
「なんで一年ほっといたら、元金の二倍以上に跳ね上がるんだよ!」
「ん? 何を人聞きの悪いことを……、毎月払えばそんなことにならぬじゃろ? たった1ヶ月1割金利ではないか、トイチより良心的じゃ」
儂がトイチと言った瞬間、部屋を観察しておったぬえがおもむろに近づいてきて、純粋な瞳で尋ねてきおった。
「マミゾウ? トイチってなに?」
「そうじゃなぁ、100円を借りて10日経ったら110円にして返すということじゃ」
「うわ、マミゾウ10日も待ってあげるんだ」
「良心的じゃろ? しかもこの紙には1ヶ月までその110円を我慢すると書いてあるのじゃよ」
「うわ……、マミゾウ優しすぎ……」
「そんなはっきり言うでない、照れるではないか」
「いやいやいや! 違うだろ? 100円とかそんなのと全然違うだろ! そんな一ヶ月で返せるお金の単位じゃないだろ! まるまる半年分の生活費じゃないか!」
文句ばかりを言う男の意見も、まあわからんでもない。
金を借りたのはこやつではなく、嫁の方じゃ。
その情報もその紙の中に書いてある。
ただ、その嫁の名を確認しておるはずなのに、
『嫁が勝手に借りた、俺が返す義理はない』
と、言わないということは、じゃ。
「はぁ、昼どら的な展開はなしじゃなぁ……」
「何でがっかりしてるの、マミゾウ?」
「いやいや、こっちの話じゃ」
ま、夫婦としては一応合格と言ったところじゃな。
しかし……
「おぬし、その紙を見て、半年の生活費と言うたな?」
「な、なんだよ……」
「金額については儂から伝えたモノではない。おぬしの連れが、その金額を自分の名で書いた。それがどういうことかわかるか?」
「……半年分くらいは、必要だと思ったんじゃないか? あいつが……」
「そうじゃな……半年、あやつは半年分だけ貸してくれと言うた。どこも貸してくれるところがないから、お願いします。とな?」
「……そりゃあ、まあ、俺の稼ぎが……あんまりないからな……」
さっきの勢いは何処吹く風。
男はすっかり意気消沈し、借用者を改めてじっと見ておった。
ああ、まったく。
何故こう、男というモノはこんな簡単なこともわからぬのか。
そこは落ち込むところではないというに。
まったく、仕方ないのぅ。
「あ~もぅ! わからんやつじゃな、おぬしは! あやつはな、お前を信じたのじゃ!」
「……え?」
どんっと机を叩き、顔を上げさせ。
まっすぐ目を見つめてやる。
悩みでくすんだ、黒い瞳をな。
「後半年だけあれば、お主が立派な男になるはずと。あやつが信じたのじゃよ!
その程度のことも理解できんのか? おぬしという男は!」
「あいつが……俺を……」
「じゃから! あやつは自分の名で契約した! 家主のお前に伝えず、いざというときはその身を切る覚悟でな!」
「っ!」
「わかったならばっ、シャキッとせんかっ!」
「ああ、ああっ! わかった! やってやろうじゃないか! この程度の金額、耳揃えて返してやるよ!」
「おうおう、その意気じゃ! それでこそ男というモノよ」
やっと瞳に生気が戻ったか。世話の焼けるヤツじゃ。儂の後押しで吹っ切れたのか、次の作品を考えると言いながら土を触り始めおった。
ふむ、職人とはそういうものなのかもしれん。
と、おや?
「あれ? ねえねえ、あの女の人が売る場所がないって言ってたのに、作り続けて問題ないの?」
ぬえも同じ疑問を持ったようじゃな。
土をこね始めた男の手元を眺めながら、不思議そうに話しかけておるよ。
「ああ、大丈夫! 俺の家の名前が出ると振りになるかも知れないからって、代理で売ってくれるていう人を見つけてるんだ。今までも定期的に買い取って貰って、それで収入を得ていたんだ」
ふむ、なるほど。
悪名が邪魔をするならそう言うやり方もある、か。
「自分で売った金額を10とするならおおよそ、8から9程度の金しか入ってこないけど、それでもなんとか生活出来ていた。その人が、今度は売る数をもっと増やしても良いと言ってくれたんだ!」
「おお、よかったじゃん。お兄さん」
「ああ、もう契約してるから専属の職人。だから、この工房も借りることが出来た。やっと、この前その借り賃を全部支払終えたところでね。人里からは離れてるけど、近くで良質の土が取れる絶好の場所なんだよ」
ふむふむ、やはり儂の商売の勘も捨てたモノではないな。
この男の焼き物が売れれば、ちゃんと金は戻って来るじゃろうし、と。
ん? 工房を借りた?
「まさか、金が必要になったという話は? そういうことなのかのぅ?」
「ああ……、あいつはどうしても父親の名にこだわってるから。誰かの雇われになるって言っても反対ばかりだったし。でも家計を支えるには収入も必要だし、腕を上げ続けるのも必要だ。だから先に行動を起こしたってわけさ。借り賃を一気に払えるかと思ったら、2年もかかっちまったけど……
だからあいつには余計な心配をかけちまったかな、うん。今夜正直に話して謝ってみるさ。それで俺の収入が早めに安定するなら、部分返済もできるだろうし」
「ん? ゆっくり返済してくれて構わんよ」
「その方が儲けが出るからか?」
「ああ、もちろんじゃとも」
「はははっ、こんなにはっきり言う金貸しは初めてだ」
なにはともあれ、今回の返済計画もまあ、何とかなるかのぅ。
とと、いかんいかん。
聞いてみるだけ聞いてみるか。
「のう? その契約書、というやつは手元にあるかのぅ? 金貸しについて書かれてあったら厄介じゃから、覗いておきたいのじゃが」
「そうか、別に他人に見せるなって口止めされてるわけじゃないから……、ああ、そこの棚の一番下に入れてあるよ」
「よし行け、ぬえ」
「なんでこういうときだけ私を使うかな」
文句をたれながらも、特に嫌がる様子もない。そのまま棚のところまで歩いていって、一番下から紙を一枚持ってやってくる。
丈夫そうな和紙で書かれている、しっかりとした作りのものをな。
儂はそれにざっと目を通し。
「ふむ……、借金があっても、契約は可能そうじゃな」
「なら良かった」
一般的な文面に加え、一定数の以上の商品を納められるなら、月単位での定給制となるとも書いてあるし。
『不慮の事故により作業が出来なくなった場合、給与を支払う』
『治療費がかかった場合も、必要な金額を払う』
とあるから、滅多なことがない限りは返済が止まることもないじゃろう。
しかし危険な場所での作業に加え、ちょっと気になるところもあるからのぅ。
儂はまたそれをぬえに戻してくるように言ってから。
軽く耳打ち。
「え、えぇ? 私がやるの?」
「うむ、おぬししかできんじゃろ?」
ちょっとした依頼をした。
「それでは、な。返済の方、期待しておるよ」
で、そのちょっとした『いたずら』を終えた後。
儂は後ろ手を振りながら小屋を出た。
すると、その後ろからぴょんぴょんっと。
何故か嬉しそうにするぬえが飛び跳ねながら近寄ってくる。
「やっぱりマミゾウ。いいとこあるじゃない」
「ん? 何がじゃ?」
「あの男の人、わざと励ますような言い方してさ。もう、にくいね~このっこのっ」
「何を言うか。単なる約束事の話をしただけじゃ。儂は守銭奴じゃからな」
「でも、そんな守銭奴さんが今回みたいな危ない橋渡ったんだ~、へ~」
「……うるさい、黙っておれ」
横でにこにこ笑うぬえから逃げるように顔を背けて、儂はその林を後にした。
それから2ヶ月ほど経った頃、じゃったかな?
冬も本番を迎えて、寒さが肌を刺す季節の到来じゃ。
そうなると人間も妖怪も限られたときにしか外出しなくなり。
この命蓮寺にも、そうそう客人が来なくなる。
「儂は大忙しなのじゃがな」
年末年始を終え、精算の頃合いじゃからな。
年が変わっても支払わなかった輩に、形だけでも支払の催促をしに行かねばならぬじゃろうし。いやはや、骨が折れる。
掘り炬燵に浅く入って、その机の上でソロバンを持ちつつ。
普段の服装からちゃんちゃんこを着ただけの己の格好を見ておったら、なんだかため息が零れてくるのじゃて。
「あーあー、どうして年頃の乙女がコタツでソロバンを弾かねばならんのか」
儂もそろそろ良い歳なのじゃから。
こう、じゃな?
凝った肩をぽんぽんっと叩いていると。
『お疲れ様、マミゾウ』
なんて優しく声を掛けてじゃよ?
何も言わずとも後ろから肩を揉んでくれたりじゃな。
『ごめんね、こういう手伝いしかできなくて』
儂を気遣いながら、こう、茶を煎れてくれてじゃな。
こう、湯飲みを受け取るときに、ちょっと指が触れただけでも……
『あっ……』
とか、ちょっと寂しげに手を離したり、じゃ。
そういうのを見ながら儂はこう、思うわけじゃよ。
いくじなし。
とな?
儂とおぬしは今、この狭い部屋の中で二人きりなのに、とか。
重いながら、こう湯飲みを覗いたら。
茶柱が立っていたりしておってな?
『……僕とマミゾウの間に、幸せなことがあるってことかな?』
なーんてな!
なーんてな!
そして、儂はこう、今みたいに湯飲みを口に当ててちょと恥ずかしげに言うんじゃよ。
『幸せにしてくれるのかのぅ?』
って!
それで儂は温もりを噛み締めて。
二人はそのまま幸せに――
「なにしてるのマミゾウ? 湯飲みなんて抱きしめて」
「う、うにゃるぉぅっ!?」
そのとき、いきなり後ろから背中を叩かれた。
あまりの驚きで、全身が大きく跳ね上がったのじゃよ。まるで尻で飛び跳ねるかのように。で、そうなるとじゃな……
あ、熱っ!?
湯飲みの茶がっ!
茶が胸に掛かってっ!
「ああもう! ぬえっ! じゃから必ずのっくしろと言っておるではないか!」
「いいじゃん、別にやましいことないんだから? それとも何か見られて困るようなことあったの?」
「ん~、いや……ない。あ、あるわけがないじゃろう」
「ほら、じゃあ問題ないじゃん。あ~あ~、お茶零しちゃって」
うむ、やましくはない。
全然やましくはないじゃろうな。
健全な乙女であれば、誰でも想像してしまうことであろうし、うむ。
「こほんっ! で、何か用か? 儂はもうしばらく精算作業で忙しいのじゃが」
「なんだって言われても、遊びに来ただけ。ねえねえ、みんなでカルタしよう。カルタ。年始は忙しくて全然遊べなかったでしょ? だから」
「だから誘いに来た、と」
「うん」
「今日は響子や一輪が非番じゃったじゃろ?」
「でも、マミゾウも一緒の方が楽しいし」
はぁ、まったくしょうのないやつじゃな。
今日明日中にやらなければならぬというわけでもないし、付き合ってやるとするか。
儂は茶で濡れた服を着替え、廊下で待っていたぬえと一緒に居間へと向かう。
途中、廊下から覗く景色が白く染まっているのを楽しみながら進んでいると。
「そういえばマミゾウ。あの焼き物の夫婦ってどうなったの?」
「ん? さっきの湯飲みで思い出したか?」
「うん、ちゃんとお金返してる?」
「そうじゃな。なかなか問題児じゃな」
「ああ~、駄目だったんだ」
「うむ。いきなり一回目の徴収のときに利子と一緒に元金の半分も返してきおった。そんな駄目な子じゃ」
「なるほど、そういう意味ね」
「そういう意味じゃ」
世間一般では優等生と呼ばれる部類じゃがな。
「でも、マミゾウの湯飲みを見たからってわけでもないんだよね」
「別なところでそやつを見かけたのか?」
「うん、鴉天狗の新聞に出てた」
「新聞……、まだ居間にあるかいのぅ」
「たぶんあると思うけど」
儂は居間にはいると、カルタ遊びの準備をしていた響子と一輪の後ろを通り、部屋の隅に落ちていた新聞を拾い上げる。
すると、
『廃れていく伝統芸能に救いの光。次代を担う後継者たち!』
などという題名の後に、家具や竹細工などの写真が飾られており。そして一番最後に漆器や茶碗が並んでいた。
その写真の横には作成者と思われる人の名前も書いてあるわけだが、焼き物に限ってはたった二人。
見たことも聞いたこともない名前と。
「ふむ」
借用書で見慣れた名前が、しっかりと記入されておったよ。
しかもその後継者の一言、という場所で。
『いつか自分の家で、胸を張って作品を出せるようになりたい』
と、あって。
「マミゾウが目をつけただけ合って、なかなか良いヤツだねぇ」
追いついてきたぬえがそうやって儂に声を掛けてくるが。
「遊び終わった後で少しだけ覗いてくるか」
儂の中では、言いしれぬ不安が暴れ回っておった。
◇ ◇ ◇
「万屋『藤』、ふむ、ここか」
新しい漆器や焼き物から始まって生活用品、骨董品まで。
古き良き時代を感じさせるしっかりとした店構え。
店の名前の記した、藤という文字入りの垂れ幕もなかなか品が良い。
記事の通りならあの男はここに雇われているはずじゃが。
「ふむ、ここは商品を置いておるだけか」
木製の格子の外から眺めても販売員しかおらず、職人の姿らしきものはない。やはりあの林までいかなければならないかと、観念して己の足跡が残る雪道を振り返り。
「あれ? マミゾウ?」
「おお」
なんという偶然か。
大事そうに木箱を抱えるあの男と出くわすことができた。
どうやら商品を納入するために来たところに見える。
「あ、もしかして何か探してたのかい?」
「いやいや、新聞を見たらおぬしの名前が載っておったからな。それで激励だけでもとな」
「おお、それはありがたい。俺もあれから結構調子良くて。里の中の目利きの人にも褒められて、いやー、最高だよ」
「おー、大変じゃ。人里に天狗がおる」
「いいだろ。こういうときくらい喜んでも」
だが、言葉とは逆に、物腰はずいぶんと落ちついたように見える。
やはり生活に追われて作品を作っておる頃よりも、心に余裕を持って打ち込めたことがこやつの実力を高めたということかのう。
「おぬしの腕もあったのかもしれぬが、それを拾ってくれた店にも恩義を感じねばならん。それが人の世というものじゃろ?」
「うわ、妖怪に説教された」
ああもう、儂が真剣に注意しておるのに、この男は……
「妖怪だからこそ、見えるモノもあるのじゃぞ」
「はは、怒らないで。わかってる。新聞では軽々しく言っちまったけど。夢は夢、恩は恩。だから俺がこの店とずっと契約させてもらってもいいかもしれない。でも、もう1人名前が挙がってたやつってここの跡取りなんだよ」
「……ふむ」
「自分で言うのも何だけど、俺もそいつも20代。我が強くてさ、結構ぶつかったりするんだよ。だから早めに出て行った方がそいつのためかも知れないって思ってさ」
「そうか、そういった事情があるのなら、それもやむなしじゃな」
後継ぎが店にいるのなら、邪魔になる可能性もある。
実力重視の店であるとするならば、下手をするとこやつが跡取り候補をつぶしかねんというところか。
「まあ、ここまで持ち直したのじゃから。下手な欲を出すなよ」
「ああ、ありがと。あれ? そういえば激励の品とかは?」
「ん? 儂がそんなものを準備するとでも?」
「ははっ、そりゃそうだ。じゃあ、俺はこいつを届けてまた職場に戻るから」
「おう、またのぅ」
店の中に入っていく男を見送って、と。
さあ、儂もさっさと戻って精算仕事の続きをせねばなるまい。
一度大きく伸びをする。
尻尾の先や、耳の先まで力を入れて、うーーんっとな。
よし、すっきり。
「ん?」
店先で突っ立っていたせいで客と勘違いされたかの?
周囲のにいる人間の男や女達にじーっと視線を向けられてしまっておる。
そんな視線に追われるように、儂はその場から退散したのじゃった。
そうやって、儂がその万屋を見つけてからおおよそ1ヶ月半ほど経った頃じゃろうか。
「ん?」
儂は春に向けて何か掘り出し物はないかと、人里の市をうろついておった。冬じゃから屋根付きの露店もかなり多くてのぅ。露店というよりあれじゃな、見た目だけで言うと、縁日の屋台だけを切り取ってここに持ってきたような感じじゃな。
そういうのがずらり、と。
雪掻きされた道に並んでおる訳じゃ。
「おお、蒸した饅頭もあるか」
時には湯気を上げて暖かい食べ物を振る舞う店もあって、なかなかにおもしろい。ぬえが一緒だと『何あれ、食べてみたい』などと、食べてもあまり意味のない妖怪でありながらもせがんでくるからのぅ。
いやはや、本当に良かった。
「藍さま、あれ! 私あれが食べたいです!」
「もう、橙。さっき食べて良いのは一個だけって言ったでしょう?」
きっと、あの化け猫にねだられる九尾の狐のように、甘えられておったじゃろうから……
って、
「でも、藍さま、この前一緒に遊んでくれるって言ったとき、急に仕事が入ったって……遊んでくれなかったから……、そのときの分も欲しい、です」
「……ぅぅ、橙! いけない子だな、橙はっ! そんな我が儘をいうなんて! まったくもう、今回だけだよ。
そこのご主人! 今あるやつ全部貰おうか!」
「うわぁっ!!」
「うわぁ……」
うん、違うな。
儂、あんな暴走しないし。
儂、ぬえに甘えられてもそんな満開の笑顔にならないし。
「……何をしておるのじゃ、おぬしらは」
「ほう、いつぞやの古狸」
いやいやいや、目を細めて格好つけても全然駄目じゃからな?
手遅れじゃからな?
「そんな殺気立つでない。里の外で会ったのなら一勝負といくところじゃが、中で争い事をするつもりはないのじゃ。儂とて市を楽しんでおるだけじゃからな」
「ふん、私はお前とは違うよ。市場の視察も重要な管理業務の一つだ」
「……え? 藍様……私と遊んでてくれたんじゃないんですか……?」
「もう、何を言ってるの、橙! 私は橙と遊びながら仕事をしているんじゃないか!」
「わぁっ! 凄いです! いっぺんに二つも出来るなんてさすが藍様です!」
「ふ、こういうことだ。わかったか?」
わかってたまるか。
おぬしら絶対儂より市をえんじょいしておるじゃろ。
明らかに楽しいお散歩状態ではないか。
竹製の籠におもいっきりなんでも詰め込みおってからに。
「……勘違いするな。私はあくまでも、もうすぐ冬眠からお目覚めになる紫様用の買い物と、橙のために必要なもの購入しているだけであって」
儂の視線に気付いたのか。
竹の籠を持ち上げて、自分は立派に仕事をしているだけと主張するが。
その一番上に豆腐屋の包みが見えるんじゃがな。
油揚げじゃろ、それ。
おもいっきりおぬし用じゃろ。
それ以外に細い竹の隙間から見えるのは……
湯飲み用の木箱のようなもの、か。
「ん? おぬしの主も、茶をたしなむのか?」
「もちろん、冬眠から目覚められた後で一番最初にお渡しするお茶。そのときの紫様の微笑みのために私は万全を期すつもりだよ」
「ふーむ、従者とはそういうものなのか」
儂の周りも『聖のためなら、この身を犠牲にしてもっ!』という輩ばかりじゃからなぁ。
ナズーリンも星に御執心じゃし。
と、おや?
「その箱のもの、どこで買ったのじゃ?」
「ん? あそこの露店だよ。なかなか値が張ったがいいものだった」
値が張った、か。
その箱に書かれた店の名は確かに見たことがあった。
最近でかけた万屋ではなく。
寂れ、今にも消えてなくなりそうだった、あの若い娘の工房の名。
「……ふむ」
眼鏡を掛け直し、藍が指差したところを見やれば。
楽しそうに客人と会話する、見覚えのある娘がおった。
あの頃の暗さなど幻であったかのように、晴れ晴れとした顔じゃ。
「はっはっは、こりゃあ、後1~2回程度で。付き合いも終わりじゃな」
「……なんのことだ?」
「いやいや、こっちの仕事の話しじゃよ。
冬来たりなば春遠からじ、っということじゃて」
厳しい冬の季節が、もう終わる。とな。
「よくわからないな。さあ、橙。理屈っぽい狸の言うことを聞いていると老けやすくなるから、いこうか」
「はい、藍さま!」
「おいこら! 老けるとかなんじゃっ! こら、まて~っ! ……ったく。ぬえといいあやつといい、どうして儂を年寄り扱いするのやら」
それから儂も市を軽く見て回って、帰路についた。
そこでぽつんと立つ、梅の木が目についてな。
寂しそうな枝じゃなと思っておったが、よく見るとぷっくらと膨らんだ蕾が並んでおって。思わず笑ってしもうた。
◇ ◇ ◇
ふむ、もうすぐ春、か。
儂はコタツで横になりながら、まだまだ寒い部屋の中でキセルをくわえておった。寝たばこは駄目と、聖殿に叱られることもあるからほどほどにしておるが。
やはり、これを吸うと気持ちがすっと晴れるからのぅ。
そうじゃ、これがあれば嫌なことも飛んでいくというモノよ。
まったく、これというのもあの馬鹿者どもが悪いのじゃて。
『あ、あのマミゾウ親分! 春になったら、俺、あの妖怪狸に告白したいんですが! どうすればいいですか!』
朝食が終わってノンビリしておったら。
いきなり狸の妖怪から相談があると言われて行ってみれば、恋の相談じゃよ。
『……あれじゃな、まっすぐな気持ちをそのままぶつけてやればいいと思うのじゃ』
『さ、さすがマミゾウ親分!』
儂も最近ご無沙汰じゃと言うのに、何が悲しゅうて他人の恋の世話までせねばならんというのか。
しかし、親分親分と慕ってくるやつらを無碍にもできんからのぅ。
一応話を聞いてやった訳じゃ。
で、部屋に戻ったらまた、狸が来たと呼び出されてな。
『あ、あのマミゾウ親分! 私、好きな男の人がいるんですが……春になってから告白してもらえるか自信なくて……こういうときって、女の子から積極的に行った方がいいんでしょうか!』
……あれか?
これは遠回しに、独り身の儂に対する当てつけか?
『……一応相手の出方を見てからの方が良いな。それからでも遅くはないじゃろう』
『さすがはマミゾウ親分!』
と、若干『ばかっぷる』なるものの恋の悩みを聞かされた儂は、傷心もぉどというやつじゃて。
器量も包容力もあると自負しておるのじゃがな~。
何がいかんというのか。
ふむ、春になったら、外で噂の肉食系女子というやつになってみるかいのぅ。
キセルを仕舞い込み、畳の上にごろんっと転がって。
「おーい、マミゾウー。お客さん」
……またか。
「おうおう、わかった。次は何狸じゃ?」
春が近いとは言っても、活発すぎじゃろう。
と、心の中で毒づいてみるが、断るのも可愛そうじゃしな。
仕方ないが悩みというヤツを聞いてやろうではないか。
などと、考えながら立ち上がってみたが。
「ううん、違うよ。あの焼き物してた人間の関係、女の人の方」
「ああ、あやつか」
そういえばあと一回か二回で返済が終わりそうじゃったからな。
それを納めに来た訳か。
「通して貰っても良いぞ、一応伝票の準備をするからのう」
「あー、うーん、なんかね。マミゾウ。そういうのじゃなくてさ。聖に用が合ってきたみたいで……」
「ん?」
聖殿に、それは妙な話じゃ。
「で、聖がマミゾウの話を聞きたいって、私も呼んできてくれってナズーリンに言われただけだからわかんないんだけど」
「……わかった、行こうではないか」
金の相談なら直接儂のところに来ても良いはずなのじが、
これまでも儂のところに来ることもあったしのぅ、はてさて。
言いしれぬ胸騒ぎを覚えながら、儂はぬえの後ろをついていった。
聖殿は、普段使わない客間の方におるそうじゃ。
寺の奧にある団体用の広い場所。
宴会を開くとき以外は使用されないはずのそこで、待っていると。
たった1人の、人里の女性を迎え入れただけだというのに、な。
ぬえの足取りが重いのも、その不自然さを気にしてのことだろう。
儂も長年の感で何かあると踏んでおった。
だからじゃろうな。
廊下に立つだけで、部屋の中から伝わる緊迫した雰囲気を感じ取るのも簡単。
息を呑みながらふすまを開け、十畳以上ある広い客間に、儂が足を踏み入れた途端じゃったよ。
「よくもっ! よくもぉぉっ!」
見覚えのある若い女が、鬼のような形相で儂に飛び掛かろうとしたのは。
しかしな、見えるんじゃ。
何かあるかもしれんと、予想しておったから。
悲しいくらいに、はっきりとな。
その手に握る包丁らしき刃物も、決して上等と言えぬ動きも。
それ故、避けるのも、防ぐのも容易かった。
しかし、じゃ。
「やぁっ!」
そういった反応速度なら、儂を軽く上回るヤツがな。
儂の前を歩いておったのじゃよ。
そして、そやつも何かおかしいと怪しんでおった。
よって……
「ぐふっ……」
まるで、コマ送りの画面を見ておるようじゃった。
女の手をあっさり捕まえたぬえが、身を逸らしながら足を払い、上体を崩す。
さらに受け身を取る時間すら与えず、その首を持ったまま――
どんっと。
背中から畳に叩きつけたのじゃ。
もちろん、まだ首を捕まえて、
「……折る?」
「やめなさい、ぬえ!」
こらこら、真っ赤な目をして物騒なことを口走るな。
聖殿も慌てておるではないか。
「聖殿の言うとおりじゃ。もう良いから包丁を奪ってから放してやれ」
「でも、こいつ! マミゾウに」
「良い」
「でもっ!」
「良い」
「……わかったよ」
そう言うと、ぬえはまだ妖気を放ち続けたまま女を解放した。
もちろん包丁を奪った上でな。
すると、頼みの武器を失ったからか、女が急に大人しくなって……
「――――っ!」
髪を振り乱し、大声で鳴き始めてしまう。
こうなってはこやつから話を聞くのは難しいじゃろうし、さて。
「聖殿、頼めるか?」
金を返しに来たと思ったら。
何故か命を狙われた。
さすがにそのおかしな食い違いを理解せねば、対処しようがないからのぅ。
一応この場で一番話を聞いていそうな聖殿を頼った。
すると、聖殿は、星に女の方を任せて。
「……その方の言葉しか聞いていないので、マミゾウさんに辛い言葉になるかも知れませんが?」
「ああ、構わんよ」
「では……」
儂を気にしながら、ゆっくりと。この若い女がこの場で何を伝えたか、それを語り始めた。
「その女性が、最後の返済金を準備していたときのことです」
それが昨日のことだと、聖殿は語る。
夫の名声もあがり、商品の売れ行きもなかなか。
工房からも悪名が綺麗さっぱり消え去って、昔のように作業ができるようになった。それでも土取りに便利なため、夫の方は人里から離れた林の方で作業を続けていたそうだ。
そして夕方、もうすぐ夫が帰ってくると女性が玄関で待っていたが、いつもの帰宅時間から半刻、1刻と時間が経っても戻らなかった。
それで心配になり、林へ行こうとしたが。
すでに空は真っ暗。
人間1人での外出は危険なため、慧音に護衛を頼み、さあ出かけようとしたとき。
「……永遠亭の鈴仙さんがやってきて、お連れの方が……不幸に合われたと」
「その原因は妖怪じゃな?」
「ええ……」
「それが、儂か?」
「はい……」
「そうか」
彼女の夫を見つけ、永遠亭に運んだ人間の話だと。
大きな尻尾を持った妖怪が、屋敷を弾幕で破壊した、と。そんな証言があると、聖は努めて平静に説明してくれたのじゃ。
「その証拠に、男性の方が持っていたはずの借用書が無くなっていたそうです」
「……ふむ」
男の方が借用書を持っていることを誰かに話したか。
もしくは男を襲った誰かが偶然をそれを見つけたか。
どちらにしろ、な。
「それで、あの男はどうなったのじゃ?」
「……重体とまではいきませんが、腕の傷が激しく」
……ほう。
妖怪に襲われて、食われ掛けて。
何故か、腕だけ重傷か。
おかしなことを言う。
「それで、その女性は私に言ったのです」
聖殿は、紅い風呂敷を儂に差し出してきた。
中身が何かは、見ずともわかる。
金、じゃな。
この厚みからして、儂の借金の返済を越える。相当の額じゃ。
「マミゾウを、成敗して欲しいと……」
「そうよ! どうせ借金の返済期日が近くなったから、それを妨害して! 利子だけ上乗せしようって魂胆なんでしょう! この守銭奴っ! 卑怯者っ!」
「お、落ち着いて!」
また儂に飛び掛かろうとするが、慌てて星が羽交い締めにして止める。その瞳のなんとも悲しげなことか。
頬に伝わる涙の筋の、なんと濃いことか……
「治療は、できぬのか?」
「もちろん永琳先生に看て貰ったけど! 応急処置はできるけど、もとどおり動かせるようになるには、お金が足りなくて無理って言われたのよ!」
……?
腕の治療が、この金額で不可能? じゃと?
しかもあの永琳殿がか?
儂に対する残りの返済金で充分なはずじゃが……
「それは、本当かのう?」
「嘘をついてどうなるっていうのよ!」
「では、あれは……? あの男が持っておった万屋との契約書。あれに不慮の事故があったときは、という項目が」
「嘘を吐かないで! 契約書は見せて貰ったけど! どこにも保証するなんて書いてなかった! こうなったのも全部あなたのせいだわ! あの人がもう少しでっ、独立できるかもしれないっていってたのにっ! そうでなくても、あの人の頑張りで店の評判があがって! 父の作品も売れるようになってきたって言うのにっ! あなたが全部駄目にしたんだわっ!」
「っ!?」
ほぅ……
そうか。
そういうことか。
あれがかんでおるとするならば、じゃ。
それであれば、永琳殿が治療をできないのも理解できる。
こやつが、これほどの無念を抱えることになったのも、理解できた。
「のう、娘や。おぬしは今、儂を犯人と思うておる。そして憎くてたまらんのじゃな?」
「ええそうよ! 当たり前じゃない」
「……しかしな、考えてみてくれ。お主達の経営は順風満帆であった。その状況から、後一回分程度の金を捻出するなど難しいことではない。そんな意味のないことは儂はせぬ。それに儂は人間が嫌いではないからのぅ、おぬしら夫婦のような若い夫婦が頑張る姿を見るのは正直楽しかった」
「……」
儂はその若い女と視線の高さを合わせ、穏やかな口調で話しかけ続けた。
そうしたら、やっと。ほんの少しだけ抵抗が緩くなった。
「それにな、昨日のその時間帯であれば、儂はずっと命蓮寺におった。それは聖殿も同じ意見のはずじゃ」
「え?」
いきなりぶつければ、命蓮寺も共犯だと言われかねんからな。
儂は頃合いを見計らって、儂のありばいというヤツを説明する。ちょうど儂と聖殿が食事当番で、一緒に夕飯の準備をしておった、とな。
「……でも、でも! あなたじゃないと借用者はいらないはずで……でも……」
若い女の表情が曇る。
苦しそうに、胸を押さえてな。視線を部屋中に彷徨わせておったよ。
何が正しいのか、自分と、夫の身に何が降りかかっているのか。それがわからず、どうしていいのかもわからない。
じゃから、儂は。
じっと、まっすぐ瞳を見つめて、
彷徨う瞳を、儂の視線と合わせて
「……のう、客人や。儂にはひとつ、ぽりしぃというモノがある。何があっても、客人には手を出さぬし、その家族も同様じゃ。儂は思うのじゃよ。金貸しはな、金の繋がりではない。相手を信用し、心で繋がる商売じゃと」
戸惑う女性の手を、儂の手で覆い。
儂の手の中にあったものを返してやる。
「っ!」
包丁じゃ。
女が儂に向けた包丁。
それを今一度、儂に向けて握らせ。
「じゃから、儂に賭けてみんか?」
握らせたまま、儂は女との距離を詰め。
その刃先を胸の中央に当てる。
ぬえが後ろでなにやら喚いているが知ったことか。
これは、儂とこの女との真剣勝負じゃ。
「おぬしが今、失いそうになっている大切なモノを取り返してやる。それで儂のことを許してはくれんか?」
「……失敗、したら?」
「見てわからんか? この命、くれてやる」
儂はさらに、包丁を服越しに押し当てる。
少々ちくりとしたが、この程度の傷みなどしったことか。
「な、なんでそこまで……」
「儂が仕掛ける大勝負は、一歩間違えば儂の一生を狂わす。死んだも同然となるかもしれぬのじゃからのぅ。失敗した後でおぬしに殺されたとしても死に方が変わるだけじゃ。
それと、じゃな?」
儂は、もう一度、強く女性の瞳を見つめ、
「おぬしこそ、あの男を支えたいと願うなら、勝利以外は全て死も同然じゃろ?
ほれ、儂らは一緒じゃ」
「……マミゾウ、さん」
そこでやっと、女は包丁を落としてくれた。
やっと自分から、心の刃をしまってくれたのじゃよ。
「お願い、できますか?」
「おうよ、まかせておけ。この儂を誰だと思っておるのじゃ」
正座し、両手をついて深々と頭を下げる女の前で、儂は胸を叩き。
尻尾をどんっと畳の上で叩きつけて、
「ぬえ!」
「は、はいっ!」
「例のモノは、まだしっかり作用しておるじゃろうな?」
「……う、うん。大丈夫みたい」
「……みたい?」
「だ、大丈夫! 絶対大丈夫!」
「ならばよし」
みたい。では困るんじゃよ。
ここから一世一代の大勝負を始めるのじゃから、一手一手を詰めを間違うわけにはいかん。
「さぁて、と。正々堂々とではなく、遠回しに儂にケンカを売るとは、どうしてくれようかのぅ。ふふふ……」
あの手か?
それとも、この手か?
ふふ、どれを選んでやろうかのぅ。
そうやって笑っておったら、何故か儂の周りから皆が離れていく。
何故じゃろうな、思考の回転を上げるために少々力を解放しただけじゃというのにな。
「マミゾウ? ねえ? 大丈夫?」
「ん? なんじゃ、ぬえ? 儂は冷静じゃよ?」
うむ、ちゃんと頭は冴えたままじゃ。
策もいくつか浮かんでおる。
それなのに何故かぬえは嫌そうな顔を向けてくるんじゃて。
「……うわぁ」
「なんじゃ? 冷静だと言っておるじゃろう?」
「マミゾウが自分から冷静ってアピールするときって、たいていぶち切れてるときじゃ……」
「ぁん?」
「……ほら、これだもんね。自覚無しって一番厄介だよ。いいよ、私がちゃんと付いていってあげるから」
何を言うか。
ぬえの出番があるのんじゃからおぬしが付いてこなければ始まらんと言うのに、わざとらしいことじゃ。
そんなぬえを引き連れ、儂は寺を出発した。
高く昇った日の光の中、若い女から託された重い金を握りしめて。
「ふふ、やはり来たか。落ちたモノだな妖怪狸よ」
これまでの情報を整理するならば、じゃ。
儂があの男と出会ったとき、あやつはすでに万屋との契約を行っておった。
この時点でそれを女は知らず、内容も見たことがない。
もしくは見たとしても覚えていないというところじゃな。
そうでなければ、あの台詞が出るはずがないからのぅ。
「橙が持ってきた人里の手紙で、おまえの悪事はすべて把握している。その蛮行、実に許し難し。よって、私が直接手を下してやる」
で、もしかしたら残っておるかと思い。
あの契約書を探しに人里と魔法の森の中間、そこからすこし離れた場所にある小屋にやってきてみたわけじゃが。
そのあまりのこわれっぷりに儂の方が驚いた。
何せ、一番大きな破片ですら、儂の胴体よりも小さいものしかないからな。そんな瓦礫が山積みじゃ。
「しかし、私とて鬼ではない。親しい友人に最後の言葉を残すくらいの猶予は与えようではないか」
「おーい、ぬえや。瓦礫をどけるの手伝ってくれ~」
「えぇ……、だってそれって、触ったら気持ち悪くなるヤツでしょ?」
「いや、平気じゃ。その札はどうやら破れておるようじゃし」
「でも、無駄だと思うよ。だって反応全然残ってないしさ。やっぱり人里だよ」
「……ほう、それが最後の言葉か。最後までくだらんヤツめ」
幻想郷に入って、体調は少々戻ってきたが。
やはり肉体労働はぬえの方が得意じゃからな。それに1人より2人という素晴らしい言葉がある。
そうやって二倍速で、契約書が入っていたはずの小さな棚を探しておったら。
それっぽい木材しか出てこんかった。
おそらくはこの小屋が潰れたときに、一緒に吹き飛んだのだろう。
「……それでもマミゾウ。己が正しいというなら、この八雲藍を倒して証明してみるがいいっ!」
さて、棚が壊れておるのに、ぬえが『アレはない』と言うておるし。
それならば、一応あれじゃな。
この木片でも証拠の一つとして持って行くしかあるまい。
「さあ、かかってくるがいい!」
「帰るか、ぬえ?」
「っえ?」
しかし、儂が木片を持って小屋から離れようとするのに、じゃ。
ぬえが何か妙な声を上げてのぅ。
「さあっ! かかってくるがいいっ!」
「なんじゃ? 何かおぬしも気になることがあるのか?」
「……うん、気になるって言うか。ほら……ね、そろそろ……」
何がそろそろ、なんじゃろうか。
ふむ、特に何かを約束しておるわけではないし。
「さあっ! さぁっっ!!」
「引っかかることがあれば、言う手くれた方が良いぞ。そのちょっとしたきっかけで解決した例もあるからな」
「ただね、あんまりちょっとした感でもないんだけど……」
なんじゃ、はっきりせぬヤツじゃのう。
儂はこれから永遠亭にも行かねばならぬと言うに。
この場に小屋以上に大切な何かがあるというのか。
「………………」
「ね、ねえ? そろそろあの狐の人相手にしてあげようよ。なんかしゃがみながら、指で地面をなぞってるんだけど。しかもなんかこっちをチラチラ見てるし」
「……仕方ないのぅ」
こっちが調べものをしておるというのに、周りで騒いでおると思ったら、一体何がしたいのやら。
無視しておれば攻撃でもしてくるかと、そうやって真意を読み取ってやろうとしたのじゃが。
それすらせぬとは、いや……
様子見はお互い様と言うことかいのぅ。
「で? そんなあからさまな挑発で儂に何をして欲しかったんじゃおぬしは」
と、声を掛けた途端。
いきなりすっと立ち上がって、儂を指差して。
「ふふ、やはり来たか。落ちたモノだ――」
「そこからかっ!」
と、また藍が御苦労にも最初から話そうとしたから、儂も思わず突っ込みとして、手に持っておった木片を投げつけてもうた。
命蓮寺の厄介事が頭に残っていたからか、思いの外速度が乗ってしもうた。
「ふ、我慢出来ずに手を出したかっ!」
って、なんで嬉しそうなんじゃ、おぬしは。
そんな無視されるのが辛かったのじゃろうか。
と、思っておるうちに、藍は飛んでくる木片にむかって紫炎の弾を撃って華麗に防御を。
ごんっ
「は?」
「へ?」
今、何が起きた?
確かに藍の弾は木片を捉えたはずじゃ。
じゃが、木片は何事もなかったかのように空中を突き進み。
呆然と口を半開きにした藍の額を直撃。
またしても、しゃがみ込む結果を生んだ。
今度は精神的でなく、物理的なダメージではあるが。
「あ、藍って狐の人、なんかすっごい複雑そうな顔でこっち見てる」
「ああ、たぶん。あれを迎撃して、また口上を続けようとしておったのだが、予想外の展開でどうしようか迷っておるのじゃろ。
加えて、一番知りたい情報を知ってしまったからのぅ」
「一番知りたい情報って?」
「本当に儂と争うべきかどうか、そういったところじゃな。ほれ、この紙を藍のところにとどけてこい」
儂が投げつけた木片を手の中で遊ばせている藍の元へぬえを送り込むと、藍は紙を受け取って、
「…………」
無言のまま消えていきおった。
まあ、そうであろうな。
あやつも半信半疑で動いておったようじゃし。
ここで儂らが争っても、何の得もない。
まあ、どこかの誰かさんは得をするかもしれんが。
「さぁ、次じゃ」
「あ、ちょっと、マミゾウ」
儂はまた別の小屋の木片をぬえに持たせ、また新たな場所へと向かう。
男が治療されているという、永遠亭にな。
妹紅という案内役に頼んでここまでやってきたわけじゃが……
少々問題が起きた。
儂らの姿を見つけた途端、てゐという小さな妖怪兎が近寄ってきおって、
「こっちこっち」
と声を上げつつ手招きしおったよ。
診療所の中には入るなと、そんな風にも見えた。
それで、裏口から診療所、ではなく。
盆栽等が置かれた永遠亭の中庭らしき場所に案内された儂らは、その場で待つように言われた。
そこで待つこと四半刻。
「ごめんなさいね、少々厄介なお客が来ていたから」
謝罪しながら、永琳と呼ばれる医者が現れた。
見た目通り大人びた、知性溢れる女性じゃな。その横の大きな妖怪兎は確か鈴仙というやつじゃったか。
「ああ、構わんよ。それで、少々お願い事があるわけなのじゃが」
「……あの男には会わせられないわ。応急処置は済んでいるけれど、あなたと会って興奮したら傷が開きかねないから。そちらのお嬢さんにもお願いしたいのだけれど」
「ああ、構わんのじゃ」
儂よりもぬえを警戒するか、うむ、良い心がけじゃ。
ぬえであれば正体不明の種と己自身を入れ替えて、男と接触出来てしまうからのぅ。しかし、儂もそのような強硬手段に出るつもりない。
「無理なら手ぶらで帰ってもよいからのぅ。すでに必要な情報は揃うておるし、おぬしらのような手練れと争う気もさらさらない。ただ、気になることがあったからやってきただけじゃ」
「そう、なら答えられる範囲でお答えしますわ」
会えずとも、目的は達成できるが。
「まず一つ、あの男の治療、なぜあの金額でできんのじゃ?」
「必要経費というものは、時間や状況で変化するモノだから、これでいいかしら?」
「そうか、では、二つ目じゃ。あやつは、小屋が教われたときの状況をどう言うておった?」
儂が行いたいのは、交渉じゃからな。
情報は多いに越したことはない。
「夕方に作業を終えようとしていたら、いきなり大きな音がして小屋が崩れ始めた。慌てて外に出たら、暗がりから襲われて腕を負傷。襲ったのが誰か確認しようとしたら、また近くで大きな爆発音があって、その粉塵で見えなくなったそうよ。ただ、すぐ側から『妖怪が逃げる!』みたいな声を聞いたらしいけれど」
「ふむ、犯人は見ておらぬ、と」
「ええ」
腕を傷つけられた後、その爆発の後で妖怪が逃げた。
そしてその場には、人らしきものがいた。
それだけ確認出来れば充分だったのじゃが……
「最後の質問じゃ、あの男は、儂を恨んでおったか? 妖怪を、他の人間を恨んでおったか?」
その声に、初めて永琳殿の表情が揺らいだ。
「その答えが意味するモノは何かしら?」
そして初めて儂に、質問で返し、
「儂は、あの男の連れの若い女にこの事件を任された。しかし、事件が終わった後も、あの夫婦は人里で、幻想郷で生きねばならん。
それ以上の答えが必要か?」
「ふふ、失言だったわ。ごめんなさいね」
少しだけ、頭を垂れた。
「マミゾウという狸の妖怪が来るかも知れないと言うことは、言っていた。怪我をしたとき運ばれる途中で、その妖怪が犯人かも知れないと言うことを聞いたと」
「……」
「それでも、あの男はあなたに感謝すると言っていた。夫婦関係と仕事への意欲、どうあっても逃げないという強い決意を持てたのは、あなたのおかげだと言っていた。
でも、今、会うと。汚い言葉を浴びせそうだとも、ね。それくらいかしら」
「……そうか」
「もし叶うのなら。自らの手で大切なモノに触れたい、と」
「……そうじゃな」
そうじゃな、あやつが世界を恨むより。
そういった希望を多く持つのであれば……
「それでは、あやつに伝えてくれ。マミゾウがこう言うておった、とな」
儂が言えることは一つしかない。
「儂に任せておけ、とな」
さあ、ぬえや。
そろそろ、人里の中の鬼退治といこうかのう。
◇ ◇ ◇
日が沈み、夜の帳が下りた頃。
飲み屋以外の店の灯りが次々と消えていく中で、その店もまた店じまいの準備を進めておった。
客が居なくなり、暖簾を中にしまい込む。
使用人のその動きに合わせ、
「邪魔するぞ」
ろうそくとらんぷのぼんやりとした灯りだけが玄関を照らす中、儂らは提灯を手にしたまま強引に店内に入る。
単なる人間が入ってきたと思い、『困ります』などと言い追い出そうとする使用人じゃったが。儂とぬえの2人組と判明した瞬間、悲鳴を上げながら奧へ行ってしもうた。
「ぬえ、外を頼む」
「はいはい」
外の世界ではなく、妖怪を見慣れておるはずのこの世界でのあの反応じゃ。
あまりにもわかりやすすぎる。
「これはこれは、金貸しのマミゾウさん。こんな夜分にどういった品物をご所望で?」
それはすでに、儂の来店を警戒しておるから。
じゃから使用人にもすぐ知らせるようにと言っておったのじゃろうな。
「白々しいことを言いおるわ」
「はて? なんのことやら?」
中肉中背の生粋の商売人に見える、この青い着物の男。こやつが万屋『藤』の代表か。その左右を固める恰幅の良いヤツはごろつきにも見えるが、おそらく妖怪にも対処できる部類か。
加えて、少々予想外な客人が1人。
「……マミゾウ、お前がまさかこのようなことに手を染めるとは」
「頭の固いのが増えおった……」
遅れて、男たちの後ろから現れたのは、上白沢慧音。ハクタクを宿す、人里の守護者と呼ばれる存在じゃ。しかしこやつの能力ならば、真相が見えそうなものじゃが。まさか、歴史に残らないような小さな出来事はハクタクの能力の外であったりするのじゃろうか。
しかし、そんな考察をしている場合ではない、か。
「さてマミゾウさん、夜に無理矢理店に侵入するのは犯罪ですが、そこはおわかりですかな?」
そんな慧音の前で、あくまでも儂を悪人にみせようとする。
店主の身長は儂よりも少し高い程度じゃが、その横におる2人組のおかげでなかなかに威圧感もあるしな。
慧音殿も、そのいんぱくとの一つになって、なかなか面白い。
面白い、が。
「くくっ、はっはっはっはっ」
「何かおかしなことでも?」
「いやいや、おかしいも何も、盛大に馬鹿をやっておるのに。それに気付かず堂々としておるモノを見たら、誰でも可笑しく感じるじゃろうて」
それは諸刃の剣じゃよ、そいつはな。
しかものこぎり付きじゃ。
それを握ったまま儂と一戦交えたいのなら、良い。
望み通り受けて立つ。
「さてさて、こうやって意味のない会話を繰り返してもなんじゃから。手短に行こうか。とりあえず聞きたいのじゃが、尻尾のある妖怪をあの林の小屋で見たとヤツはどいつじゃ?」
「……私、ですが?」
どっこいしょと。
儂が玄関の段差に腰を下ろしながら尋ねると、店主の右側の男が軽く手を上げる。
「慧音殿に伝えたのもこいつかの?」
「ああ、間違いない」
「本当じゃな?」
「ああ、本当だ」
慧音殿もこいつを見たと言い、本人もその場に居たという。
「ならば、攻撃をして破壊した、と言うたのは?」
「私ですが?」
また、同じ男が手を挙げる。
「ならば状況を詳しく説明してみよ」
「……そこまで知っているなら必要ないのでは?」
「儂は今この場で聞きたいと言うておるのじゃが? それとも、たった一日経っただけで忘れたか? ん?」
挑発じみた言葉を返すと、男は少しだけ口元を歪める。が、店主が何かを耳打ちして冷静さを取り戻したようで。
「あのときは、あの小屋の契約期間の打合せをしにあの職人のところに行きました。ちょうど仕事を終える時間を狙ってです。そうしたら、小屋の近くに大きな尻尾を持つ妖怪が立っていた」
部屋の中の灯りに誘われ、二匹の小さな虫が部屋の中に入ってくる。ひらひらと、羽根を羽ばたかせてな。それを気にせず、男は説明を続けた。
「だからあの男の知り合いかと思って声を掛けようとしたら、その妖怪はいきなり小屋に光を放つ弾を撃った。そうしたら小屋が壊れて男が飛び出し、待ち受けていたかのように妖怪が襲いかかったのです。私が大声を出したら居なくなりましたが……」
「間違いないな?」
「ええ、もちろんです。しかし、私は尻尾のある妖怪ということと、男の借用書のことを知っていたので、それに関係した妖怪とは思っていましたが……、やはりあの男の妻も同じ感想を持ったようで」
「で? 儂がその下手人であると」
「はい、失礼ながら」
金貸しはあまり良い捉え方をされぬ。それも利用した、か。
ほうほう、ほうほうほう……
「では、聞こう。儂はあの男の話を永琳殿から聞いてきたのじゃが。爆発は確かに1回でいいな?」
「……は?」
「一回でいいのかと聞いておる。その男がおびき出されるまでは小屋も無事で何もなかったのかと」
「はい、間違いありません」
「じゃが、男は爆発を2回聞いたと言っておったぞ?」
「…………は?」
男の顔色が、あからさまに変わる。
そして視線が面白いように泳いだのじゃ。
「さて、確かにその際は屋敷を壊すための爆発が1回あった。しかし、もう一回の爆発があったとき、粉塵が凄かったと男は言うた。さて、この食い違いはいったい何じゃろうな?」
「……いや、しかしあのときは」
「ああ、そうじゃ! もしその2回目の爆発が目くらまし目的のヤツであれば! その妖怪が煙玉のようなものを持っておれば、近距離だけで作用するかもしれんな!」
「あ、ああっ! たぶんそれ――」
「いや、違うな。ありえんか。おぬしがもし近くにおったのなら、音付きの煙玉も爆発の一つと数えるはずじゃからのぅ」
「ぁ……」
「して? おぬし、先程何を言い掛けた?」
爆発の中、男の姿が見えたのなら、目くらましの爆発も数えたはず。しかしそれを数えなかったのは何故か。
答えは簡単じゃ。
「おかしいのぅ、同じ爆発なのにのぅ」
それを省けるのは、一つが煙玉だと理解している人物だけ。
だから破壊を生む爆発は1回だけで、2回じゃない。
そう頭の中で整理出来てしまっている人物だけじゃ。
儂が顎に手を当て、悩みながら上目づかいで男を見やれば、
はははっ
青い顔でおもしろいくらい冷や汗をかいておる。
「……しかし、マミゾウさん? 妖怪が爆発を起こしたという疑問は残ったままでは?」
おお、店主さすがに鋭い。
そうじゃよ、今はただ爆発の不審点を説明しただけであって、妖怪が攻撃したということの否定にはならん。
おぬしのように頭が回るヤツからその言葉が出るのは当然じゃ。
「おお、そうじゃな。妖怪が攻撃しておらぬという証拠にはならん。知恵があるのぅ」
じゃから、待っておったよ?
おぬしか、そこの慧音殿から、その言葉が出るのをな!
「して、少々話は変わるが、おぬしら、博麗の巫女のことをどう思っておる?」
「……今の話と何の関係が?」
「おおありじゃよ? ふふ、して? どう思っておるか?」
「……なかなか、素質のある子なのでは?」
店主がいう。
素質がある、と。
ふふ、ははは、素質がある子。止まりか、やはりな。
「儂はあやつを天性の才を持つモノじゃと思うておるよ。まさしく、言葉通りの天才じゃな」
「ははは、天才、ですか? 妖怪がそこまで褒めるとは」
「褒める? 儂が? 慧音殿はどう思う?」
店主の顔にはこう書いてある。
あんな子供がまさか、と。天才という文字に当てはまらないという部類だ、とな。じゃが、あやつと対峙したことのあるものならば……
「普段の生活はあまりみていないが、マミゾウに近い認識だと思う」
「慧音先生まで……」
そうじゃ、慧音殿も霊夢と勝負をしたことがあるからな。あののほほんとして努力もしておらぬ巫女が、異変の際に見せるあの力。
あの異変時の姿を見ておるモノは、あやつを人間の枠内で認識し続けられるかどうか怪しいぞ。だから、じゃ。
「では、ほれ。慧音殿」
「お、おわっ! なんだ急に」
儂はぽいっと、持ってきた木片を投げ捨てた。
慧音殿に向かって、
「それをおぬしの力ではなく、ハクタクの妖力で壊してみせてくれぬか?」
「……? ああ、やってみるが?」
それになんの意味があるのか。
そう言いたげに慧音殿は力を込め始めた、が。
「……?」
すぐさま首を傾げる。
そりゃあそうじゃろうな。
そしてもう一度、手の平の木片をじっと見つめて、力を込めるが、
「……無理だ」
「ああ、そうじゃろうな。儂でも無理じゃった。ならば今度は、腕力だけで崩してみせてくれぬか?」
「ああ、わかった」
妖力で壊れなかったのだから相当堅い何か。そう判断したんじゃろうな。慧音殿は身体を折り曲げながら木片に力を入れようとして。
ポキッと。
「な、なんだ?」
本格的な力を入れようとする前段階で、あっさりと割れた。
「まあ、脆くなっておったからなそれは仕方のないことじゃ」
「……今の慧音先生がやったことに、意味があるのですか?」
「おおありじゃよ。妖力では壊れず、単純な力で壊れる。それが大事じゃ。はてさて、それはいったいどこから持ってきた木片だと思う?」
「どこから、って。私たちが知るはず――っ!?」
「おや? 顔色が変わったのぅ? どうじゃ? 気付いたのならわかるじゃろう? 博麗の巫女がどれほどの技術を持つか、それに関係した事象もな」
もちろん、この木片はあの小屋のモノ。
あの小屋は札で守られていただけではなかったのじゃ。木材そのものが清められ、払われた。対妖怪用の防御であった。だからこそ林の中で平然と立っていられたと言うことじゃ。
「さて、もう一度聞こうか? そこの男や? おぬしは確かに見たというたな? 尻尾を持った妖怪が、妖弾で攻撃し小屋を破壊した、と。そのときの詳しい話を、もう一度聞かせてはくれまいか?
人里の歴史を司る一人、慧音殿の目の前でなっ!」
「……それは、その……私が、見たのは……」
人間達の動揺と、怯え。
そこで慧音殿は気付いたようじゃな。
「お前達、まさか……」
今の話、こうすればなんの違和感もなく伝わる。
この万屋の誰かが、小屋の外から爆薬を仕掛け。破壊。
それで慌てて出てきた男を襲い、妖怪が出たと嘘を吐く。
ほれ、なんとも簡単じゃ。人間という種族の歴史の中では、種族内での争いが絶えることはない。それを慧音殿は嫌ほど知っておるじゃろうしな。
ほれ、儂の思うたとおり。
儂を牽制するために呼んだのかも知れぬが、
諸刃の刃じゃったじゃろ?
「ああそうじゃ、そうじゃ。その他にもお主等、いろいろ頑張っておるようじゃな。若手の育成という名目で、契約料を支払い。収入が不安定な時期を手助けしておるとか」
「あ、ああ、そうだ。私は人里の未来のためにっ!」
「焼き物や漆器だけではなく日用品もいろいろとな。で、少々気になって調べたのじゃが。お主等、とある薬草を育てておる薬屋とも協力体勢にあるとか? 確か、薬屋は人里の中でもそんなになかったからのぅ。しかも永遠亭が有名になってから、そちらに客が奪われて、薬の材料を取ってきて、永遠亭に流すことが多くなったらしいな。そんな薬屋にとっておぬし等の存在はありがたかったことじゃろうな。それが評判になって、我も我もと、協力態勢が増えていき、薬品と言えば万屋『藤』のような知名度も得ておるとか? いやぁ、ご立派、ご立派」
「……」
「して? その薬草、永遠亭で使う分は、どうなった?」
「……それは」
「持っておるだけでは宝の持ち腐れである薬、それの流通は今どうなっておるのかと聞いたのじゃが?
ああ、思い出したが、それは大怪我をしたものを治療する際に必要になる物質じゃったか。
コレは大変じゃ!」
儂はわざとらしく手を叩き、座ったまま店主を見上げてやったよ。
敵意をまるっきり隠さぬ顔でな。
「誰かに大怪我をさせられて、薬が必要になったとき、医者へ行っても治療が出来ぬ。もし他のところで薬が欲しくなっても、その薬の金額だけが馬鹿高くなっておったら……、おお怖い! 怪我をせぬように祈るしかないわけじゃ! しかし祈っておっても誰かに襲われてしもうては意味がない!
ほれ、あやつ。
お主等との契約をやめようとしておった。あの若い男のようになっ!」
「契約? な、なんの根拠があって……そんな……、ほ、ほら、そういう恨みの線ならお前の金貸しだって怪しいだろうが!」
ほうほう、言葉を飾る余裕もなくなってきおったか。
しかもこれだけ言うても、謝罪ひとつなしか……
よかろう。
見せてやれば良いんじゃな?
「ぬえ、こっちにこい」
外を見張っておったぬえに声を掛けると、ぬえは儂の横で飛ぶ二匹の虫を大袈裟に避けて、入ってくる。ぐるりっと回るようにな。
それで、儂に一枚の紙を手渡してくれた。
その紙をそのまま、男と慧音殿の足下に突き出す。
「ほれ、これに見覚えは?」
「っ!?」
「これは、契約書か? 事件の被害者の男と、この店の」
「そうじゃよ、慧音殿。そのとおり」
どうしてこれが、という顔をしておった男たちじゃったが。
店主が瞳に冷静さを取り戻し、
「は、はははっ! 語るに落ちたなっ! その書類は偽物だっ! 契約書はこちらにある!」
足をもたつかせながらも、奧に走ると。
何か一枚の紙を持ってきて、それを突き出した。
「これこそが本物の契約書だっ!」
大きく宣言して、儂の契約書に並べるように置いた。
「……なんだ、これは。文面も印も……同じ」
しかし、慧音殿の声を聞いて、店主もその紙を見下ろし。
固まった。
はっはっは、そりゃあそうじゃ。
もともとは同じものじゃからのぅ。
「馬鹿な、こんなことが……」
違う部分があるとするならば、その内容じゃ。
『不慮の事故により作業が出来なくなった場合、給与を支払う』
『治療費がかかった場合も、必要な金額を払う』
などなど、儂が持ってきた紙では、店側が職人に配慮する内容になっておるが、店主の持ってきた紙にはこうあった。
『不慮の事故により作業が出来なくなった場合、給与を支払わない』
『治療費がかかった場合も、必要な金額を払わない』
その他にも、少々店側に有利な内容に書き換わっておる。
「おやおや、語尾が変わるだけでこうじゃからな」
しかし、その「う」と「わ」の部分じゃが。
『わ』の方がな、少々歪なのじゃ。
おそらくは、一枚だと気付かぬような違いじゃがな。こう二枚を並べてみると、な?
まるで、『う』を上書きして、『わ』に無理やり仕上げたようではないか?
「と、とにかく。お前たちのものの方が偽物だ! はやくそれをひっこめろ!」
店主が、泡を吹くほど興奮しておったからな。
仕方なく儂は、ぬえに命令する。
「ぬえ、戻さなければならぬらしいぞ」
「はいはーい。何ケ月も出張させてたから、地味に維持するの疲れ気味だったから助かるね」
さて、わかるかのう。
そこの間抜け面ども。
こやつの能力は、どういったものか。
慧音殿にも同じものが見えたというのは意外じゃったが、ぬえがほれ、指を鳴らした後。それが何に見える?
「なっ……」
ほれ、戻したぞ。
ぬえが、正体不明の種をな。
するとどうじゃ?
残ったものが、それじゃよ。
青い顔をしてももう手遅れじゃ。
なにせ、はっきりと書いてあるからな。
おぬしらの逃げようもない悪事が……
儂はその動かぬ証拠を持ち上げて、店主たちに突きつけてやる。
文字と印の大部分が消えた、なんの意味ももたない紙をな。
「ほれ? おぬしらが本物と言い張った契約書じゃ。この白紙に『わない』を書き加えただけの、この紙がおぬしらの真実じゃよ」
「……貴様らっ!!」
「ひぃっ!」
あの若い男の職人と小屋で出会ったときじゃ。
少々気になったため、契約書をこっそり正体不明の種付きの紙に入れ替えたのじゃが、それがおぬしらの致命傷になったな。
あーあー、ほれみたことか。おぬしらの後ろの慧音殿もお怒りじゃ。
話の内容はあまりわかっておらぬかもしれぬが、儂の言葉からこやつらがどんな悪事を働こうとしたかわかってしまったのじゃろうな。
「こ、こんなものっ!」
そうやって追い詰められた店主は、儂の持っている紙を掴みとると無理やり破り捨てた。置いてあった契約書も同様じゃ。
儂らが見ておる前で狂ったように破り続け、
「は、はははっ! これで、これで証拠は何もない! 契約の内容など一字一句誰も覚えてはいまい!」
などと言いおった。
おうおう、ここで謝っておれば、お役人突き出しと。
慧音殿の頭突き程度で済んだかもしれぬのじゃが……
「一字一句。覚えておれば良いのじゃな?」
儂はそう問い掛けてみた。
すると、
「はは、いいぞっ! 正確にすべて暗唱でもできるのなら! ははっ、契約の約束事はまもってやろう! 無理だろうがなっ! ははははははっ!」
なんて言うたから。
儂は傍で立っておったぬえに、もう一度。
「ぬえ、戻してよいぞ」
「どっち」
「小さい方じゃ」
「おっけー」
するとな、玄関で飛んでおった。
季節的に異常なもの。
虫の方に向けてぬえが手をかざすと。
「……人里の住人であれば。私の能力はご存知ですね」
「稗田、阿求だとっ!?」
正体不明の種が取り除かれ、虫が阿求に姿を変えた。
一度見たものを忘れぬ、この場面では最高の……
いや、店主ら側にとっては最悪の能力者。
「いやはや、これで偶然にも歴史を司る二人が揃ってしまったのぅ。しかも阿求殿は今までのやりとりを見てしまっておる。おぬしらは虫だと思い込んでおったようじゃが。
ほれ、阿求殿。さきほどの契約の文言。覚えたかのう?」
「ええ、もちろんです」
「くそっ! くそぅっ!!」
いやはや、追い詰められた人間の心理とは恐ろしいな。
阿求殿を襲って、何も言えなくすれば助かるとでも思うたのか。揃いもそろって阿求殿に襲い掛かりおった。
じゃから、儂は最期の支持をぬえに送った。
「ぬえ、大きい方をたのむ」
「ほいほい」
と、ぬえが最後の一つ。
もう一匹の虫に右腕を向けると。
ばさり、と。
鳥類が羽を広げるごとく、金色の毛が空間に広がってじゃな。
阿求殿と男たちの間、そこに割り込んでその突撃を尻尾だけで受け止める。
両腕は、胸の前で組まれたまま。
解かれることはない。
その冷たい金色の瞳は、この程度の相手に手を見せる必要もないと告げているようだった。
「さて、私は冬期間に限り、幻想郷の全権を紫様から頂いている。これ以上何かするようであれば、私が干渉するが?」
「……八雲の九尾、だとっ」
人里の権力者と。
妖怪の権力者。
その二つを揃えた時点で、もう勝負は見えた。
膝をつき、今にも放心しそうなほど衝撃を受けておる店主にじゃな。
にっこりとほほ笑みながらにじり寄って。
隠しておいた右腕から、とんっと。
今度こそ『本物の契約書』を置いた。
「お役所と儂と、人里の商工会と。楽しい楽しい交渉を始めようではないか。
のう? 店主や?」
さて、儂の大切な客人に手を出した罰じゃ。
しっかりと搾り取ってやるからのぅ。
それから、じゃがな。
万屋『藤』は閉店。
それに関与しておった職人は元の店に戻り、各々の職に戻った。放置しておれば、人里を裏から牛耳る商人に育っておったかもしれんが、まあ、儂の客に手を出したのが運のつきじゃな。
ん? あの若い職人の夫婦はどうなったか、じゃと?
ああ、しっかり仕事は果たしたのじゃて。
ちゃ~んと、あの契約書のとおり。
不慮の事故でかかる治療費、そしてその治療中にかかると思われる生活費。そして夫婦に与えた精神的だめぇじの賠償金。
ざーっと計算して、4~5年かの?
その程度の生活費をぽんっと置いてきたからな。たぶん大丈夫じゃろ。
「……って? あれ? マミゾウ? 損してない?」
などと、自室のこたつに入りながらぬえに答えてやったら。
ぬえが不思議そうに目をぱちぱちさせてな。
「問題ないのじゃ。借金は途中までしっかり返してもらっておるし。その契約の交渉の賃金としてちょっぴり多めに頂いておるからな。まあ、とんとんじゃな」
「とんとんって、その賃金っていくら……あ、いい、やっぱり聞くのやめとく。トンデモナイ額出てきそうだし」
「うむ、賢明じゃな」
「でもやっぱり、あの夫婦って借金してたお金よりだいぶプラスになったってことだよね? 金利マイナスもいいところなんじゃない?」
「はっはっは、まあ、金も大事じゃが。大事なのは、あやつらの今後じゃよ。金におぼれて、あの罪を犯した店主たちのようになるか。それとも、腕を治療した後もしっかり工房を続けていくか。
それを考えるだけでも人里に出向く楽しみが増えるというもんじゃろ?」
「あー、そういうのならちょっとわかるかも」
ぬえは元から悪戯気質があるからな。
おもしろいか、おもしろくないか。そういう判断を持たせた方が理解しやすいのかもしれん。
で、そのおもしろさや楽しさを例に出したからかのぅ。
ぬえが思い出したかのようにこんなことを聞いてきおったのは。
「マミゾウって、何が楽しくて金貸しやってるの?」
「ふむ、何が楽しくて、か」
そりゃあ、決まっておる。
金というのは人間が生み出した、最高で最悪の道具じゃ。
人間を仏や神にも、鬼や悪魔にすら変えてしまう。
金のせいで命も軽々しくやり取りされることも多い、が。
「金貸しをしておるとな、いろんな人間を見ることができる。人間の綺麗なところも汚いところも、全て見える気がしてな。それが楽しいんじゃよ」
「ふーん」
うむ、やはりそうじゃな。
ぬえに言われて改めて考えても、やはりこれに尽きるのぅ。
妖怪でありながら、人間と対等の立場で繋がりあえる。
言葉以外での、こみゅにけぃしょんつぅる。
手の中に入るこの可愛いキラキラがな、新たな人間との出会いを運んでくれおるから。
ふふ、実に楽し――
「あ、そっか! マミゾウは人間をお金で操って楽しんでるってことか」
「……」
「な、なによ」
ぷっ……
「く、ふふ、っ、あ~っはっはっはっ!」
「な、何よ! そんな笑わなくていいでしょ!」
すっかり秋が深くなった人里の中、にぎわいのある露店の前で顎に手を当て、手持ちの巾着の中身と相談しつつ。
「うーむ、あの雌狐のようにふくよかでぼりぃぅむのある逸品も捨てがたいが……」
一つ、また一つと手にとって、その触り心地と色合いを楽しんでおった。
ついには大人げなくしゃがみ込だり、目を細めたりしてじゃな。
「ふむ、ぬえのように、すらりとしたすまぁとな体形のモノも良いな。艶のあるのもなかなか……」
「……その感想の言い方マジでやめて」
「おお、このうっすらと白い液が垂れている具合もそそるのう!」
「やーめーてーっ!!」
しかし、なんじゃろうな。
儂が年末用に茶碗やら湯飲みを新調しようとしておるのに。横におるぬえは、邪魔な文句しか言わん。退屈だ、で始まり買いものがいちいち長ったらしいとも。
しまいには儂が焼き物の上薬の部分を褒めているだけだと言うのに、顔を赤らめてばしばしと叩いてくる始末じゃ。
「わかった。わかった……。買うものは決めたからもうおわりじゃよ」
まったく、下手をすると儂よりも年上の癖に乙女ぶりおって。
とりあえず儂は比較的ほっそりとした湯飲みをまだ若い女の店主に差し出し、会計を頼んだ。それと同時に、じゃ。
「ほれ、これで一勝負できんかいのぅ?」
「ああもう……また……」
店のゴザの上に、ぽんっと金を出す。
その意味を知っておるぬえが嫌そうな顔をするが何を言われようがやめるつもりはない。
この先においた金の意味というのはじゃな、まあ一種の値切り。
値札のない商品であった場合にやる方法で、これくらいに負けられんかという意思表示じゃな。
じゃから先程の酒屋の店主も目を丸くしておったよ。
さすがにそれは無理、とな。
そこから交渉がはじまったわけで、
『もういいって、マミゾウ! ホントに駄目だって!!』
もう少し値切れそうだったのじゃが、ぬえに必死で止められて終わりじゃ。店主の男泣きも見ることが出来たし、なかなか有意義な時間ではあったのじゃが。
ぬえが寺の評判が落ちるとかどうとか、説教をしてくる始末。
まったく、これではゆっくり市も楽しめぬ――
おっとっと、いかんいかん。
物思いにふけっておる場合ではなかった。
今はこの若い娘との交渉を進めねばな。
「今度おかしなことしたら、ひっつかんででも寺戻るからね」
横から小姑のようにうるさい娘も睨んでおることじゃし、さっさと終わらせるとするか。
通常の最低価格を頭の中に置いた上で、名声分を省いて、と。
純粋に土と、技術だけで、儲け無し。
その場合だと、ほれ。
儂が出した金に落ち着く。
それで、この店主が怒って売らないと言い出すか。
それとも、さすがにそれは無理と言い出すか。
そこから二回程度の上乗せで買うとするか。
「はい、それではいただきますね」
「む……」
そんな儂の目論見とはまったく見当違いのことが起きた。
なんと、こやつ……
ありえぬ価格設定であるというのに、金を懐に仕舞い込みおったのじゃ。
これは一体……
いやいや、落ち着け、落ち着くんじゃ。
儂の知らぬ対値切りてくにっくというものかもしれん。
きっと、そうじゃ……
まず、前金を受け取り、あとで全額受け取る。
おそらくはそういう二段構えの策略じゃ……
入場料とあとらくしょぉん料が違うと噂に聞く、てぇーまぱぁーくなるものと同じやり方じゃな!
「割れ物ですのでご注意下さい」
く、なな、なんと!
既に梱包済みじゃと。
天狗の新聞にくるまれておるではないか。
いや、いやいやいや、わかった。わかったぞ。これで相手はもう買うしかないという強迫観念を与える策に違いない。
このマミゾウの眼力に見破れぬものなのあるものか。
儂は眼鏡を指で押し上げ、いざ戦場へと心の中で足を踏み出し。
「こちらがお釣りになります」
「……にゃぬ?」
なんと言うか……じゃな。
踏み出す前に、終わったのじゃ。
若い店主の、少々疲れの残る笑みと共に。
そして、
「ぷっ」
口から吐息が漏れ出すような。
吹き出した笑いが横から……
ふ、ふん、ぬえが言いたいことくらいわかっておる。
じゃからその程度で心を乱すなど……
「な、なんじゃ? ぬえ? 何かおかしなことでも」
「……これで勝負じゃ、だっけ? あれってどういう意味? どういう意味?」
「う、ぐっ」
「あれー? 教えてくれないのぉ~?」
「ぐ、ぐぬぬぬっ」
こ、こやつ。
『マミゾウの見る目もその程度~?』
と、あからさまにニヤついてきおる。
さっきまで長々と値切りを繰り返した儂への意趣返しのつもりか。なんとも嫌らしい手段を覚えたものじゃな。羞恥で頬が火照ってしまったではないか。
ただ、ぬえとのやり取りは別にして、じゃな。
うむ、やはり納得いかぬ。
「こほん、すまぬが店主や。ものの良さにしては、随分と良心的な値段ではないか? これではあまりにも安すぎるのでは」
「いえ、この値段で買って貰えるだけでも……」
「……ふむ」
なんじゃ訳あり、か。
興味はあるがそういったことには口を挟まぬ方が良いな。
「終わったんならいくよ」
「わかったわかった、慌ただしいヤツじゃな」
「それと、買い物全部終わったら団子だからね」
「おうおう」
「約束だからね、マミゾウ!」
「おうおうおう」
ぬえがそう儂の名を初めてこの若い娘の前で呼んだときじゃったよ。
初めて、娘の顔つきが変わったのは。
商売人特有の柔らかい笑みが消え去って、どこか深刻さを感じさせる暗い表情が浮き上がってきおった。
おそらくはこれが、この娘の本当の顔の一つなんじゃろうな。
整った顔つきで、美しい黒髪を持つはずの若者じゃが……、全身からしみ出る疲労感が全てを覆い隠してしまっておるよ。
「もしかして、あなたが……最近噂の金貸しのマミゾウさん?」
「ああ、そうじゃが?」
「……実は、折り入ってご相談があるのですが」
すると娘は、儂の前で深々と頭を下げ。
「少々、お金を頂けませんか?」
疲れ切った声で、そう言った。
◇ ◇ ◇
外と比較して人口が少なめの幻想郷の中では、長持ちする焼き物や家具の売れ行きがあまりよくない。
これは儂が『りさぁち』した結果であるから間違いない。
需要が少ないのじゃから供給も少ないのは当然じゃな。
ということで、じゃ。子供用は別にしても、日用品のどれもこれもが職人が心血を注いだ一品ばかり。だから使用者も愛着を持ち。壊れてもそれを修理して使うというものもおる。良いものを長く使うわけじゃから、人里の人間の目はなかなかに肥えておって。
「で? 良いものが、安かったら駄目なの?」
「ああ、駄目じゃ」
「えー?」
おもいっきり幻想とは懸け離れた商売話じゃしな。
正直儂自身からそういうのは語るつもりはなかった。
しかし、ぬえがな。しつこいんじゃよ。
人里の、日当たりの良い屋根の上、そこで膝掛け毛布を掛けてぬくぬくしておるのじゃから。少々静かにしておって欲しいが。
こやつは平然と日の光を遮って儂の前に座り込んできおった。
相手にしろ。という意思表示であるのは見え見え。
まったく、儂を暇つぶしに使わんで欲しいモノじゃ。
じゃが放置すると余計に厄介事を起こしかねぬゆえ、仕方なく儂は小声でぬえの疑問に答えてやった。
「ぬえが言うとおり、客にとっては安いに越したことはないのは確かじゃがな」
「じゃあ、なんで?」
日の光が当たらぬからどけ、と。儂が膝を突いておるのにまるっきり無視じゃし。
儂が教えるまでどくつもりはないということか。
「簡単な理屈じゃ。人間の世界では金がものを言う。つまり安くて買い手が満足できたとしても」
「あー、そっか。使って貰おうと思って安いのばらまいたら。その分作った人の生活が苦しくなるってことね」
「そういうことじゃな、外の世界では売り手側がそういう値段合わせのようなことをすると談合などと言われるが、狭い幻想郷で競争した場合はどうなるか。そうすると他の作り手が全滅する恐れすらあるわけじゃから、さじ加減が難しい。安く売り出したのが名人となると、他の職人は手に負えぬからの」
「えっと、それって」
「ああ、今回の依頼人の先代の話。里で一、二を争う名工だったそうじゃ」
そんな名工が、何を思ったか自分の品物を安く住民に譲ると言い出して。
そしたら他の職人から猛ばっしんぐを浴びたという訳じゃ。それで職人の生活もままならなくなり引退し、そのまま亡くなって、今は若い娘の旦那がそれを引き継いでおるらしい。
「その情報は?」
「寺には便利なネズミ様が出入りしておるじゃろ? それで少々情報料を支払ったという訳じゃ」
「昨日の今日なのに、手が早いことで」
「商売は速さが肝心とも言われるからのぅ」
速さが肝心とは言うが、
昨日、若い娘から金を貸し手欲しいと言われた儂は、その場で首を縦に振らなかった。
金を貸す前にはちゃんと相手の情報を知っておく必要があるからじゃ。
それでその場は少し準備するとだけ伝えておいて、このとおり。
あの娘の家の屋根の上で、ぬえと一緒にのんびりしているというわけじゃ。屋根に耳をくっつけながらのぅ。
「で、マミゾウ。そんなんで本当に中の様子わかるの?」
「伊達や酔狂でこういう耳はしておらぬからのぅ。しっかりと話し声は聞こえておる」
日の光で温もった屋根瓦に耳を押し当てておると、温もりと一緒に中の声だけははっきりと耳に入って。
『……お金をくれだなんて、あなた、今の家の状況がわかっているんですか?』
『わかってるさ。だから俺が儲けて、あとでどーんっと返すと言っているだろう!』
『またそんなことを……、あんな賭け事はやめてくれと言ったではありませんか!』
『あれは……、もう、やめた!』
『嘘を吐かないで! この前渡したお金が、どうやったらこんな短時間で無くなるって言うんですか!』
『そりゃあ、お前……』
儂は会話が続くたび、その通りの言葉をぬえに伝える。
伝言げぇむのようなものじゃな。
すると開口一番ぬえは。
「あ、これ、駄目っぽいね」
確かに。
『……まさか、私の他に、大切な人でも出来ましたか?』
『何を言ってるんだ』
『そうだわ、きっとそうなんだわ……、だから私から取れるだけむしり取って……出て行くつもりなんでしょう!』
『違うって言ってるだろう! 俺はもう行くからな!』
『あ、ああっ! あなたっ! 待って下さいあなたぁっ!』
ガタッ
そうやってがぬえに伝えた直後、下から物音がして、外見だけ見るとなかなか器量の良さそうな男が下の通りを走っていった。
そして、残されたのは、玄関前で座り込み、すすり泣く若い女だけ。
しかし、これは……
この展開は……
「くふ、くふふふふっ」
「マミゾウ、笑い方怖い」
あれ、じゃな?
これは昼どら的展開というやつじゃな? そうであろう?
いやぁ、いつか実際に見てみたいと思っておったが、ふふ、生で体験出来るとはのぅ。人間の中高年女性における教典を、儂はその身で感じたのじゃ!
「……人間とは、良いものじゃな」
「何すっきりした顔してんの。さっさと下りるよ!」
「あ、こ、これ! 待たぬかぬえぇぇぇええっ」
とんっと。
ぬえに引っ張られて無理矢理屋根から落ちた儂であったが、なんとか落下速度を緩めることに成功して着地。
二人して若い女の前にいきなり現れて見せた。
「ま、マミゾウさん! いつのまに!」
「すまぬが、話はすべて聞かせて貰った」
驚いて立ち上がる女じゃったが、儂が全部聞いたと話すと。
観念したようにうつむいてしもうた。
「……そう、ですか」
儂とぬえが屋根でゆっくりできるほど広い屋敷ではあるのじゃが、ところどころ木材が傷んでいるのに修繕出来ていない。
そして昨日から見せるどこか疲れた顔からして、
「ご覧の通りです。父が人里の商売のバランスを崩してしまったせいで、うちの人が作った焼き物も敵視されて……もう2年ほどこの場所で作品を作れていないのです。その2年前に作った作品も未だに店先で売ることを許して貰えず、少しずつああいった露店で売っているのですが……やっぱりウチの人は堂々と売れないのが不満みたいで、今みたいに、その鬱憤を晴らしに毎日賭博を……」
「そう、じゃな。そういった不安定な状態であれば、儂としても金を貸すのは難しい。いくら儂の金利が良心的とはいってものぅ。お主が内職をしておったとしても、追いつくかどうか」
「返せる見込みがない人には貸さないってこと?」
「道楽のようなものじゃがな。しかし道楽にも決まり事やケジメがないと駄目じゃろ?」
「はい、わかりました……」
せっかくの申し出じゃが。こっちも一応契約。
収入がないものに貸しても、重い足枷となるだけじゃからな。この若い女には悪いが、今回ばかりは。
ふぅっと息を吐いて、なんとなく足元を見る。こういった断り方が一番胸に来るからのぅ。自然と目が下がってしまったのかも知れん。
そうしたら、じゃな。
動物の糞とも違う、小さな茶色い土の塊が足のすぐ横にあった。
大きさは指先ほど、色は茶色……
「……ん?」
周囲は、民家ばかり。
畑も、特になし。
と、なると……
「すまぬ、少々聞きたいのじゃが、ここ最近、荷馬車か何かがこの道を通ったかの?」
「……え? いいえ……、今は農作物の収穫時期でもないので荷車も通りません」
「それで、家の中の工房も2年ほど利用していない」
「はい」
「して? その間の生活費はどうやってくめんしておるのじゃ?」
「私の内職と、ウチの人がたまに持ち帰ってくるまとまったお金で。何をして稼いだのかは教えてくれないのですが」
「ふむ……」
「おーい、マミゾウ! 帰るんでしょー!」
もう用はないと思っているようで、ぬえはもう屋根の高さまで飛び上がっていた。
しかし、儂はそんなぬえを見上げ。
ちょいちょいっと、軽く手招きしてから。
「気が変わった。必要な額だけ貸すとするか」
「え?」
「え?」
儂の近くから、疑問の声が二つ上がった。
「人間とはおもしろいのぅ、ぬえや?」
「……私はマミゾウの方がおもしろいと思うけど? わけわかんないし」
「んー、そうか?」
「そうだよ。だって断ると思ったら引き受けちゃうんだもん。それに命蓮寺に戻ると思ったら人里から離れて行っちゃうし」
あの若い女の家を離れてすぐ、儂が命蓮寺とは別な方向へ飛んでいることに疑問を感じているというわけか。
ま、じきにわかることじゃが。
儂は、幻想郷の妖怪狸の連中から妙な噂を聞いておってな。
人里から少し離れた山小屋のような場所を行き来する人間が居ると。
それがちょうど、儂がここに入ってくる二年前から続いておるそうじゃ。
煙たくなったから、そこを通れなくなったなどと何度も愚痴を零しておったから覚えておるのじゃが。
「ほれ、ここじゃ」
その場所が、人里と魔法の森の間を繋ぐ細道から少し外れたところ。
こんもりとした丘の上にある林。
その林の中の、獣道にしては太過ぎる道を進んでいけば。
「人間の小屋? なんか煙出てるけど」
「うむ、妖怪除けの札が貼られておるところを見ると、当たりじゃな」
少々大きめの山小屋と、料理をするには不自然なほど大きな釜。
それが一緒になっている小屋など、用途は一つしかあるまい。
それに壁に貼ってある札もなかなか強力なものらしく……
「おっと」
近寄って、ためしに小屋の壁に触れてみたらじゃな。
傷みではなく、もの凄い吐き気が儂に襲いかかってきおった。頭を抱えたくなる気持ち悪さ、と言って良いじゃろうな。
外で作業をするために置かれた竈の方にはもっと別に何かを感じるが、触ってみるつもりも起きん。
「食欲を無くさせるヤツか。なかなか効果的じゃな」
食べようと思って小屋まで追ってきたら、食べたくなくなる札。
傷みを与えると下手に対抗意識を燃やしてしまうが、こっちだと諦めて帰りやすい。しかし攻撃用の札よりも明らかに難易度が高いというのに一体どんなヤツが……
と札の表面をよく見ると。
『博麗神社』
と、書いてあるではないか。
……あの若さでコレを作るか。
しかも、そうそう新しくもないところを見ると、半年以上も前か?
この世界の人間は、ホントに化け物じみておるのぅ……
儂が眼鏡をずり下げながらうんうんと感心しておったら、
「な、何者だ!」
「おっ?」
壁に設置してある窓から、儂らを見る影が一つ。
話し声で気付かれてしまったか。
それとも、何かが壁に触れたら知らせる術式でも組まれているのか。さっき、人里で見た男が儂らをじっと見つめておった。
じゃから儂は、ぐいっとぬえを前に押し出して。
「付いてきたなら、役に立て」
「はいはい、わかってますってば。えーっと、私見たことない? 命蓮寺で生活してるぬえって妖怪なんだけど」
「……命、蓮寺? ああっ! あそこの」
「うんうん、それでね。こっちのマミゾウっていうお婆ちゃんの妖怪狸――」
ごつん
「……狸の大妖怪マミゾウ様がお話をしたいっていうから」
「ああ、噂の金貸しタヌキか。ちょっと待っててくれ、仕事を一段落させるから」
そう言って、男の姿が見えなくなって十数分後。
命蓮寺の知名度のおかげで警戒されることなく、山小屋へ侵入したのじゃった。
「というわけで、ほれ、借用書じゃ」
「へ?」
儂はとりあえず必要な種類だけを作業机の空いた場所に置いて、部屋の中を見て回る。部屋のところどころにランプが見えるだけの質素な作業小屋ではあるが、棚に置かれている見栄えの良い焼き物たちはその腕の良さを充分知らせてくれる。
人は嘘を吐くが、こやつらは嘘を吐かんからな。
「え、いや、あの……、う、うぇっ!?」
「ああ、なんじゃ? そんなおかしな声を出して? ああ、そうか。儂がおぬしの仕事を何故知っているか、そういう疑問かのぅ? 答えは簡単じゃ。さきほどおぬしの家に寄ったときに、真新しい土が落ちていたから、じゃな。おぬしの家の工房は二年ほど使われてもいない。それに、農作業の時期でもない。それなのに小指の先ほどの粘土質の土があった。それでどこかでまだこっそり作っておるのではないかと思ってな」
「いやいやいやいやっ!」
しかし、何故か男は顔から汗を流しながら、必死の形相で首を横に振る。
「ああ、じゃあこの場所のことか? それはじゃな、知り合いのたぬきの噂で――」
「そうじゃなくて! これっ! この金額っ!」
男がびしっと、紙を指差してきおったから、儂は眼鏡の位置を直して、突きつけられた借用書をじーっと眺めた。
男の指は金額と、金利というところで停止しておって。
「……? 少ないか?」
「多いのっ! 滅茶苦茶多いの! 金利もおかしいだろこれ!」
「……? 良心的じゃろ?」
「なんで一年ほっといたら、元金の二倍以上に跳ね上がるんだよ!」
「ん? 何を人聞きの悪いことを……、毎月払えばそんなことにならぬじゃろ? たった1ヶ月1割金利ではないか、トイチより良心的じゃ」
儂がトイチと言った瞬間、部屋を観察しておったぬえがおもむろに近づいてきて、純粋な瞳で尋ねてきおった。
「マミゾウ? トイチってなに?」
「そうじゃなぁ、100円を借りて10日経ったら110円にして返すということじゃ」
「うわ、マミゾウ10日も待ってあげるんだ」
「良心的じゃろ? しかもこの紙には1ヶ月までその110円を我慢すると書いてあるのじゃよ」
「うわ……、マミゾウ優しすぎ……」
「そんなはっきり言うでない、照れるではないか」
「いやいやいや! 違うだろ? 100円とかそんなのと全然違うだろ! そんな一ヶ月で返せるお金の単位じゃないだろ! まるまる半年分の生活費じゃないか!」
文句ばかりを言う男の意見も、まあわからんでもない。
金を借りたのはこやつではなく、嫁の方じゃ。
その情報もその紙の中に書いてある。
ただ、その嫁の名を確認しておるはずなのに、
『嫁が勝手に借りた、俺が返す義理はない』
と、言わないということは、じゃ。
「はぁ、昼どら的な展開はなしじゃなぁ……」
「何でがっかりしてるの、マミゾウ?」
「いやいや、こっちの話じゃ」
ま、夫婦としては一応合格と言ったところじゃな。
しかし……
「おぬし、その紙を見て、半年の生活費と言うたな?」
「な、なんだよ……」
「金額については儂から伝えたモノではない。おぬしの連れが、その金額を自分の名で書いた。それがどういうことかわかるか?」
「……半年分くらいは、必要だと思ったんじゃないか? あいつが……」
「そうじゃな……半年、あやつは半年分だけ貸してくれと言うた。どこも貸してくれるところがないから、お願いします。とな?」
「……そりゃあ、まあ、俺の稼ぎが……あんまりないからな……」
さっきの勢いは何処吹く風。
男はすっかり意気消沈し、借用者を改めてじっと見ておった。
ああ、まったく。
何故こう、男というモノはこんな簡単なこともわからぬのか。
そこは落ち込むところではないというに。
まったく、仕方ないのぅ。
「あ~もぅ! わからんやつじゃな、おぬしは! あやつはな、お前を信じたのじゃ!」
「……え?」
どんっと机を叩き、顔を上げさせ。
まっすぐ目を見つめてやる。
悩みでくすんだ、黒い瞳をな。
「後半年だけあれば、お主が立派な男になるはずと。あやつが信じたのじゃよ!
その程度のことも理解できんのか? おぬしという男は!」
「あいつが……俺を……」
「じゃから! あやつは自分の名で契約した! 家主のお前に伝えず、いざというときはその身を切る覚悟でな!」
「っ!」
「わかったならばっ、シャキッとせんかっ!」
「ああ、ああっ! わかった! やってやろうじゃないか! この程度の金額、耳揃えて返してやるよ!」
「おうおう、その意気じゃ! それでこそ男というモノよ」
やっと瞳に生気が戻ったか。世話の焼けるヤツじゃ。儂の後押しで吹っ切れたのか、次の作品を考えると言いながら土を触り始めおった。
ふむ、職人とはそういうものなのかもしれん。
と、おや?
「あれ? ねえねえ、あの女の人が売る場所がないって言ってたのに、作り続けて問題ないの?」
ぬえも同じ疑問を持ったようじゃな。
土をこね始めた男の手元を眺めながら、不思議そうに話しかけておるよ。
「ああ、大丈夫! 俺の家の名前が出ると振りになるかも知れないからって、代理で売ってくれるていう人を見つけてるんだ。今までも定期的に買い取って貰って、それで収入を得ていたんだ」
ふむ、なるほど。
悪名が邪魔をするならそう言うやり方もある、か。
「自分で売った金額を10とするならおおよそ、8から9程度の金しか入ってこないけど、それでもなんとか生活出来ていた。その人が、今度は売る数をもっと増やしても良いと言ってくれたんだ!」
「おお、よかったじゃん。お兄さん」
「ああ、もう契約してるから専属の職人。だから、この工房も借りることが出来た。やっと、この前その借り賃を全部支払終えたところでね。人里からは離れてるけど、近くで良質の土が取れる絶好の場所なんだよ」
ふむふむ、やはり儂の商売の勘も捨てたモノではないな。
この男の焼き物が売れれば、ちゃんと金は戻って来るじゃろうし、と。
ん? 工房を借りた?
「まさか、金が必要になったという話は? そういうことなのかのぅ?」
「ああ……、あいつはどうしても父親の名にこだわってるから。誰かの雇われになるって言っても反対ばかりだったし。でも家計を支えるには収入も必要だし、腕を上げ続けるのも必要だ。だから先に行動を起こしたってわけさ。借り賃を一気に払えるかと思ったら、2年もかかっちまったけど……
だからあいつには余計な心配をかけちまったかな、うん。今夜正直に話して謝ってみるさ。それで俺の収入が早めに安定するなら、部分返済もできるだろうし」
「ん? ゆっくり返済してくれて構わんよ」
「その方が儲けが出るからか?」
「ああ、もちろんじゃとも」
「はははっ、こんなにはっきり言う金貸しは初めてだ」
なにはともあれ、今回の返済計画もまあ、何とかなるかのぅ。
とと、いかんいかん。
聞いてみるだけ聞いてみるか。
「のう? その契約書、というやつは手元にあるかのぅ? 金貸しについて書かれてあったら厄介じゃから、覗いておきたいのじゃが」
「そうか、別に他人に見せるなって口止めされてるわけじゃないから……、ああ、そこの棚の一番下に入れてあるよ」
「よし行け、ぬえ」
「なんでこういうときだけ私を使うかな」
文句をたれながらも、特に嫌がる様子もない。そのまま棚のところまで歩いていって、一番下から紙を一枚持ってやってくる。
丈夫そうな和紙で書かれている、しっかりとした作りのものをな。
儂はそれにざっと目を通し。
「ふむ……、借金があっても、契約は可能そうじゃな」
「なら良かった」
一般的な文面に加え、一定数の以上の商品を納められるなら、月単位での定給制となるとも書いてあるし。
『不慮の事故により作業が出来なくなった場合、給与を支払う』
『治療費がかかった場合も、必要な金額を払う』
とあるから、滅多なことがない限りは返済が止まることもないじゃろう。
しかし危険な場所での作業に加え、ちょっと気になるところもあるからのぅ。
儂はまたそれをぬえに戻してくるように言ってから。
軽く耳打ち。
「え、えぇ? 私がやるの?」
「うむ、おぬししかできんじゃろ?」
ちょっとした依頼をした。
「それでは、な。返済の方、期待しておるよ」
で、そのちょっとした『いたずら』を終えた後。
儂は後ろ手を振りながら小屋を出た。
すると、その後ろからぴょんぴょんっと。
何故か嬉しそうにするぬえが飛び跳ねながら近寄ってくる。
「やっぱりマミゾウ。いいとこあるじゃない」
「ん? 何がじゃ?」
「あの男の人、わざと励ますような言い方してさ。もう、にくいね~このっこのっ」
「何を言うか。単なる約束事の話をしただけじゃ。儂は守銭奴じゃからな」
「でも、そんな守銭奴さんが今回みたいな危ない橋渡ったんだ~、へ~」
「……うるさい、黙っておれ」
横でにこにこ笑うぬえから逃げるように顔を背けて、儂はその林を後にした。
それから2ヶ月ほど経った頃、じゃったかな?
冬も本番を迎えて、寒さが肌を刺す季節の到来じゃ。
そうなると人間も妖怪も限られたときにしか外出しなくなり。
この命蓮寺にも、そうそう客人が来なくなる。
「儂は大忙しなのじゃがな」
年末年始を終え、精算の頃合いじゃからな。
年が変わっても支払わなかった輩に、形だけでも支払の催促をしに行かねばならぬじゃろうし。いやはや、骨が折れる。
掘り炬燵に浅く入って、その机の上でソロバンを持ちつつ。
普段の服装からちゃんちゃんこを着ただけの己の格好を見ておったら、なんだかため息が零れてくるのじゃて。
「あーあー、どうして年頃の乙女がコタツでソロバンを弾かねばならんのか」
儂もそろそろ良い歳なのじゃから。
こう、じゃな?
凝った肩をぽんぽんっと叩いていると。
『お疲れ様、マミゾウ』
なんて優しく声を掛けてじゃよ?
何も言わずとも後ろから肩を揉んでくれたりじゃな。
『ごめんね、こういう手伝いしかできなくて』
儂を気遣いながら、こう、茶を煎れてくれてじゃな。
こう、湯飲みを受け取るときに、ちょっと指が触れただけでも……
『あっ……』
とか、ちょっと寂しげに手を離したり、じゃ。
そういうのを見ながら儂はこう、思うわけじゃよ。
いくじなし。
とな?
儂とおぬしは今、この狭い部屋の中で二人きりなのに、とか。
重いながら、こう湯飲みを覗いたら。
茶柱が立っていたりしておってな?
『……僕とマミゾウの間に、幸せなことがあるってことかな?』
なーんてな!
なーんてな!
そして、儂はこう、今みたいに湯飲みを口に当ててちょと恥ずかしげに言うんじゃよ。
『幸せにしてくれるのかのぅ?』
って!
それで儂は温もりを噛み締めて。
二人はそのまま幸せに――
「なにしてるのマミゾウ? 湯飲みなんて抱きしめて」
「う、うにゃるぉぅっ!?」
そのとき、いきなり後ろから背中を叩かれた。
あまりの驚きで、全身が大きく跳ね上がったのじゃよ。まるで尻で飛び跳ねるかのように。で、そうなるとじゃな……
あ、熱っ!?
湯飲みの茶がっ!
茶が胸に掛かってっ!
「ああもう! ぬえっ! じゃから必ずのっくしろと言っておるではないか!」
「いいじゃん、別にやましいことないんだから? それとも何か見られて困るようなことあったの?」
「ん~、いや……ない。あ、あるわけがないじゃろう」
「ほら、じゃあ問題ないじゃん。あ~あ~、お茶零しちゃって」
うむ、やましくはない。
全然やましくはないじゃろうな。
健全な乙女であれば、誰でも想像してしまうことであろうし、うむ。
「こほんっ! で、何か用か? 儂はもうしばらく精算作業で忙しいのじゃが」
「なんだって言われても、遊びに来ただけ。ねえねえ、みんなでカルタしよう。カルタ。年始は忙しくて全然遊べなかったでしょ? だから」
「だから誘いに来た、と」
「うん」
「今日は響子や一輪が非番じゃったじゃろ?」
「でも、マミゾウも一緒の方が楽しいし」
はぁ、まったくしょうのないやつじゃな。
今日明日中にやらなければならぬというわけでもないし、付き合ってやるとするか。
儂は茶で濡れた服を着替え、廊下で待っていたぬえと一緒に居間へと向かう。
途中、廊下から覗く景色が白く染まっているのを楽しみながら進んでいると。
「そういえばマミゾウ。あの焼き物の夫婦ってどうなったの?」
「ん? さっきの湯飲みで思い出したか?」
「うん、ちゃんとお金返してる?」
「そうじゃな。なかなか問題児じゃな」
「ああ~、駄目だったんだ」
「うむ。いきなり一回目の徴収のときに利子と一緒に元金の半分も返してきおった。そんな駄目な子じゃ」
「なるほど、そういう意味ね」
「そういう意味じゃ」
世間一般では優等生と呼ばれる部類じゃがな。
「でも、マミゾウの湯飲みを見たからってわけでもないんだよね」
「別なところでそやつを見かけたのか?」
「うん、鴉天狗の新聞に出てた」
「新聞……、まだ居間にあるかいのぅ」
「たぶんあると思うけど」
儂は居間にはいると、カルタ遊びの準備をしていた響子と一輪の後ろを通り、部屋の隅に落ちていた新聞を拾い上げる。
すると、
『廃れていく伝統芸能に救いの光。次代を担う後継者たち!』
などという題名の後に、家具や竹細工などの写真が飾られており。そして一番最後に漆器や茶碗が並んでいた。
その写真の横には作成者と思われる人の名前も書いてあるわけだが、焼き物に限ってはたった二人。
見たことも聞いたこともない名前と。
「ふむ」
借用書で見慣れた名前が、しっかりと記入されておったよ。
しかもその後継者の一言、という場所で。
『いつか自分の家で、胸を張って作品を出せるようになりたい』
と、あって。
「マミゾウが目をつけただけ合って、なかなか良いヤツだねぇ」
追いついてきたぬえがそうやって儂に声を掛けてくるが。
「遊び終わった後で少しだけ覗いてくるか」
儂の中では、言いしれぬ不安が暴れ回っておった。
◇ ◇ ◇
「万屋『藤』、ふむ、ここか」
新しい漆器や焼き物から始まって生活用品、骨董品まで。
古き良き時代を感じさせるしっかりとした店構え。
店の名前の記した、藤という文字入りの垂れ幕もなかなか品が良い。
記事の通りならあの男はここに雇われているはずじゃが。
「ふむ、ここは商品を置いておるだけか」
木製の格子の外から眺めても販売員しかおらず、職人の姿らしきものはない。やはりあの林までいかなければならないかと、観念して己の足跡が残る雪道を振り返り。
「あれ? マミゾウ?」
「おお」
なんという偶然か。
大事そうに木箱を抱えるあの男と出くわすことができた。
どうやら商品を納入するために来たところに見える。
「あ、もしかして何か探してたのかい?」
「いやいや、新聞を見たらおぬしの名前が載っておったからな。それで激励だけでもとな」
「おお、それはありがたい。俺もあれから結構調子良くて。里の中の目利きの人にも褒められて、いやー、最高だよ」
「おー、大変じゃ。人里に天狗がおる」
「いいだろ。こういうときくらい喜んでも」
だが、言葉とは逆に、物腰はずいぶんと落ちついたように見える。
やはり生活に追われて作品を作っておる頃よりも、心に余裕を持って打ち込めたことがこやつの実力を高めたということかのう。
「おぬしの腕もあったのかもしれぬが、それを拾ってくれた店にも恩義を感じねばならん。それが人の世というものじゃろ?」
「うわ、妖怪に説教された」
ああもう、儂が真剣に注意しておるのに、この男は……
「妖怪だからこそ、見えるモノもあるのじゃぞ」
「はは、怒らないで。わかってる。新聞では軽々しく言っちまったけど。夢は夢、恩は恩。だから俺がこの店とずっと契約させてもらってもいいかもしれない。でも、もう1人名前が挙がってたやつってここの跡取りなんだよ」
「……ふむ」
「自分で言うのも何だけど、俺もそいつも20代。我が強くてさ、結構ぶつかったりするんだよ。だから早めに出て行った方がそいつのためかも知れないって思ってさ」
「そうか、そういった事情があるのなら、それもやむなしじゃな」
後継ぎが店にいるのなら、邪魔になる可能性もある。
実力重視の店であるとするならば、下手をするとこやつが跡取り候補をつぶしかねんというところか。
「まあ、ここまで持ち直したのじゃから。下手な欲を出すなよ」
「ああ、ありがと。あれ? そういえば激励の品とかは?」
「ん? 儂がそんなものを準備するとでも?」
「ははっ、そりゃそうだ。じゃあ、俺はこいつを届けてまた職場に戻るから」
「おう、またのぅ」
店の中に入っていく男を見送って、と。
さあ、儂もさっさと戻って精算仕事の続きをせねばなるまい。
一度大きく伸びをする。
尻尾の先や、耳の先まで力を入れて、うーーんっとな。
よし、すっきり。
「ん?」
店先で突っ立っていたせいで客と勘違いされたかの?
周囲のにいる人間の男や女達にじーっと視線を向けられてしまっておる。
そんな視線に追われるように、儂はその場から退散したのじゃった。
そうやって、儂がその万屋を見つけてからおおよそ1ヶ月半ほど経った頃じゃろうか。
「ん?」
儂は春に向けて何か掘り出し物はないかと、人里の市をうろついておった。冬じゃから屋根付きの露店もかなり多くてのぅ。露店というよりあれじゃな、見た目だけで言うと、縁日の屋台だけを切り取ってここに持ってきたような感じじゃな。
そういうのがずらり、と。
雪掻きされた道に並んでおる訳じゃ。
「おお、蒸した饅頭もあるか」
時には湯気を上げて暖かい食べ物を振る舞う店もあって、なかなかにおもしろい。ぬえが一緒だと『何あれ、食べてみたい』などと、食べてもあまり意味のない妖怪でありながらもせがんでくるからのぅ。
いやはや、本当に良かった。
「藍さま、あれ! 私あれが食べたいです!」
「もう、橙。さっき食べて良いのは一個だけって言ったでしょう?」
きっと、あの化け猫にねだられる九尾の狐のように、甘えられておったじゃろうから……
って、
「でも、藍さま、この前一緒に遊んでくれるって言ったとき、急に仕事が入ったって……遊んでくれなかったから……、そのときの分も欲しい、です」
「……ぅぅ、橙! いけない子だな、橙はっ! そんな我が儘をいうなんて! まったくもう、今回だけだよ。
そこのご主人! 今あるやつ全部貰おうか!」
「うわぁっ!!」
「うわぁ……」
うん、違うな。
儂、あんな暴走しないし。
儂、ぬえに甘えられてもそんな満開の笑顔にならないし。
「……何をしておるのじゃ、おぬしらは」
「ほう、いつぞやの古狸」
いやいやいや、目を細めて格好つけても全然駄目じゃからな?
手遅れじゃからな?
「そんな殺気立つでない。里の外で会ったのなら一勝負といくところじゃが、中で争い事をするつもりはないのじゃ。儂とて市を楽しんでおるだけじゃからな」
「ふん、私はお前とは違うよ。市場の視察も重要な管理業務の一つだ」
「……え? 藍様……私と遊んでてくれたんじゃないんですか……?」
「もう、何を言ってるの、橙! 私は橙と遊びながら仕事をしているんじゃないか!」
「わぁっ! 凄いです! いっぺんに二つも出来るなんてさすが藍様です!」
「ふ、こういうことだ。わかったか?」
わかってたまるか。
おぬしら絶対儂より市をえんじょいしておるじゃろ。
明らかに楽しいお散歩状態ではないか。
竹製の籠におもいっきりなんでも詰め込みおってからに。
「……勘違いするな。私はあくまでも、もうすぐ冬眠からお目覚めになる紫様用の買い物と、橙のために必要なもの購入しているだけであって」
儂の視線に気付いたのか。
竹の籠を持ち上げて、自分は立派に仕事をしているだけと主張するが。
その一番上に豆腐屋の包みが見えるんじゃがな。
油揚げじゃろ、それ。
おもいっきりおぬし用じゃろ。
それ以外に細い竹の隙間から見えるのは……
湯飲み用の木箱のようなもの、か。
「ん? おぬしの主も、茶をたしなむのか?」
「もちろん、冬眠から目覚められた後で一番最初にお渡しするお茶。そのときの紫様の微笑みのために私は万全を期すつもりだよ」
「ふーむ、従者とはそういうものなのか」
儂の周りも『聖のためなら、この身を犠牲にしてもっ!』という輩ばかりじゃからなぁ。
ナズーリンも星に御執心じゃし。
と、おや?
「その箱のもの、どこで買ったのじゃ?」
「ん? あそこの露店だよ。なかなか値が張ったがいいものだった」
値が張った、か。
その箱に書かれた店の名は確かに見たことがあった。
最近でかけた万屋ではなく。
寂れ、今にも消えてなくなりそうだった、あの若い娘の工房の名。
「……ふむ」
眼鏡を掛け直し、藍が指差したところを見やれば。
楽しそうに客人と会話する、見覚えのある娘がおった。
あの頃の暗さなど幻であったかのように、晴れ晴れとした顔じゃ。
「はっはっは、こりゃあ、後1~2回程度で。付き合いも終わりじゃな」
「……なんのことだ?」
「いやいや、こっちの仕事の話しじゃよ。
冬来たりなば春遠からじ、っということじゃて」
厳しい冬の季節が、もう終わる。とな。
「よくわからないな。さあ、橙。理屈っぽい狸の言うことを聞いていると老けやすくなるから、いこうか」
「はい、藍さま!」
「おいこら! 老けるとかなんじゃっ! こら、まて~っ! ……ったく。ぬえといいあやつといい、どうして儂を年寄り扱いするのやら」
それから儂も市を軽く見て回って、帰路についた。
そこでぽつんと立つ、梅の木が目についてな。
寂しそうな枝じゃなと思っておったが、よく見るとぷっくらと膨らんだ蕾が並んでおって。思わず笑ってしもうた。
◇ ◇ ◇
ふむ、もうすぐ春、か。
儂はコタツで横になりながら、まだまだ寒い部屋の中でキセルをくわえておった。寝たばこは駄目と、聖殿に叱られることもあるからほどほどにしておるが。
やはり、これを吸うと気持ちがすっと晴れるからのぅ。
そうじゃ、これがあれば嫌なことも飛んでいくというモノよ。
まったく、これというのもあの馬鹿者どもが悪いのじゃて。
『あ、あのマミゾウ親分! 春になったら、俺、あの妖怪狸に告白したいんですが! どうすればいいですか!』
朝食が終わってノンビリしておったら。
いきなり狸の妖怪から相談があると言われて行ってみれば、恋の相談じゃよ。
『……あれじゃな、まっすぐな気持ちをそのままぶつけてやればいいと思うのじゃ』
『さ、さすがマミゾウ親分!』
儂も最近ご無沙汰じゃと言うのに、何が悲しゅうて他人の恋の世話までせねばならんというのか。
しかし、親分親分と慕ってくるやつらを無碍にもできんからのぅ。
一応話を聞いてやった訳じゃ。
で、部屋に戻ったらまた、狸が来たと呼び出されてな。
『あ、あのマミゾウ親分! 私、好きな男の人がいるんですが……春になってから告白してもらえるか自信なくて……こういうときって、女の子から積極的に行った方がいいんでしょうか!』
……あれか?
これは遠回しに、独り身の儂に対する当てつけか?
『……一応相手の出方を見てからの方が良いな。それからでも遅くはないじゃろう』
『さすがはマミゾウ親分!』
と、若干『ばかっぷる』なるものの恋の悩みを聞かされた儂は、傷心もぉどというやつじゃて。
器量も包容力もあると自負しておるのじゃがな~。
何がいかんというのか。
ふむ、春になったら、外で噂の肉食系女子というやつになってみるかいのぅ。
キセルを仕舞い込み、畳の上にごろんっと転がって。
「おーい、マミゾウー。お客さん」
……またか。
「おうおう、わかった。次は何狸じゃ?」
春が近いとは言っても、活発すぎじゃろう。
と、心の中で毒づいてみるが、断るのも可愛そうじゃしな。
仕方ないが悩みというヤツを聞いてやろうではないか。
などと、考えながら立ち上がってみたが。
「ううん、違うよ。あの焼き物してた人間の関係、女の人の方」
「ああ、あやつか」
そういえばあと一回か二回で返済が終わりそうじゃったからな。
それを納めに来た訳か。
「通して貰っても良いぞ、一応伝票の準備をするからのう」
「あー、うーん、なんかね。マミゾウ。そういうのじゃなくてさ。聖に用が合ってきたみたいで……」
「ん?」
聖殿に、それは妙な話じゃ。
「で、聖がマミゾウの話を聞きたいって、私も呼んできてくれってナズーリンに言われただけだからわかんないんだけど」
「……わかった、行こうではないか」
金の相談なら直接儂のところに来ても良いはずなのじが、
これまでも儂のところに来ることもあったしのぅ、はてさて。
言いしれぬ胸騒ぎを覚えながら、儂はぬえの後ろをついていった。
聖殿は、普段使わない客間の方におるそうじゃ。
寺の奧にある団体用の広い場所。
宴会を開くとき以外は使用されないはずのそこで、待っていると。
たった1人の、人里の女性を迎え入れただけだというのに、な。
ぬえの足取りが重いのも、その不自然さを気にしてのことだろう。
儂も長年の感で何かあると踏んでおった。
だからじゃろうな。
廊下に立つだけで、部屋の中から伝わる緊迫した雰囲気を感じ取るのも簡単。
息を呑みながらふすまを開け、十畳以上ある広い客間に、儂が足を踏み入れた途端じゃったよ。
「よくもっ! よくもぉぉっ!」
見覚えのある若い女が、鬼のような形相で儂に飛び掛かろうとしたのは。
しかしな、見えるんじゃ。
何かあるかもしれんと、予想しておったから。
悲しいくらいに、はっきりとな。
その手に握る包丁らしき刃物も、決して上等と言えぬ動きも。
それ故、避けるのも、防ぐのも容易かった。
しかし、じゃ。
「やぁっ!」
そういった反応速度なら、儂を軽く上回るヤツがな。
儂の前を歩いておったのじゃよ。
そして、そやつも何かおかしいと怪しんでおった。
よって……
「ぐふっ……」
まるで、コマ送りの画面を見ておるようじゃった。
女の手をあっさり捕まえたぬえが、身を逸らしながら足を払い、上体を崩す。
さらに受け身を取る時間すら与えず、その首を持ったまま――
どんっと。
背中から畳に叩きつけたのじゃ。
もちろん、まだ首を捕まえて、
「……折る?」
「やめなさい、ぬえ!」
こらこら、真っ赤な目をして物騒なことを口走るな。
聖殿も慌てておるではないか。
「聖殿の言うとおりじゃ。もう良いから包丁を奪ってから放してやれ」
「でも、こいつ! マミゾウに」
「良い」
「でもっ!」
「良い」
「……わかったよ」
そう言うと、ぬえはまだ妖気を放ち続けたまま女を解放した。
もちろん包丁を奪った上でな。
すると、頼みの武器を失ったからか、女が急に大人しくなって……
「――――っ!」
髪を振り乱し、大声で鳴き始めてしまう。
こうなってはこやつから話を聞くのは難しいじゃろうし、さて。
「聖殿、頼めるか?」
金を返しに来たと思ったら。
何故か命を狙われた。
さすがにそのおかしな食い違いを理解せねば、対処しようがないからのぅ。
一応この場で一番話を聞いていそうな聖殿を頼った。
すると、聖殿は、星に女の方を任せて。
「……その方の言葉しか聞いていないので、マミゾウさんに辛い言葉になるかも知れませんが?」
「ああ、構わんよ」
「では……」
儂を気にしながら、ゆっくりと。この若い女がこの場で何を伝えたか、それを語り始めた。
「その女性が、最後の返済金を準備していたときのことです」
それが昨日のことだと、聖殿は語る。
夫の名声もあがり、商品の売れ行きもなかなか。
工房からも悪名が綺麗さっぱり消え去って、昔のように作業ができるようになった。それでも土取りに便利なため、夫の方は人里から離れた林の方で作業を続けていたそうだ。
そして夕方、もうすぐ夫が帰ってくると女性が玄関で待っていたが、いつもの帰宅時間から半刻、1刻と時間が経っても戻らなかった。
それで心配になり、林へ行こうとしたが。
すでに空は真っ暗。
人間1人での外出は危険なため、慧音に護衛を頼み、さあ出かけようとしたとき。
「……永遠亭の鈴仙さんがやってきて、お連れの方が……不幸に合われたと」
「その原因は妖怪じゃな?」
「ええ……」
「それが、儂か?」
「はい……」
「そうか」
彼女の夫を見つけ、永遠亭に運んだ人間の話だと。
大きな尻尾を持った妖怪が、屋敷を弾幕で破壊した、と。そんな証言があると、聖は努めて平静に説明してくれたのじゃ。
「その証拠に、男性の方が持っていたはずの借用書が無くなっていたそうです」
「……ふむ」
男の方が借用書を持っていることを誰かに話したか。
もしくは男を襲った誰かが偶然をそれを見つけたか。
どちらにしろ、な。
「それで、あの男はどうなったのじゃ?」
「……重体とまではいきませんが、腕の傷が激しく」
……ほう。
妖怪に襲われて、食われ掛けて。
何故か、腕だけ重傷か。
おかしなことを言う。
「それで、その女性は私に言ったのです」
聖殿は、紅い風呂敷を儂に差し出してきた。
中身が何かは、見ずともわかる。
金、じゃな。
この厚みからして、儂の借金の返済を越える。相当の額じゃ。
「マミゾウを、成敗して欲しいと……」
「そうよ! どうせ借金の返済期日が近くなったから、それを妨害して! 利子だけ上乗せしようって魂胆なんでしょう! この守銭奴っ! 卑怯者っ!」
「お、落ち着いて!」
また儂に飛び掛かろうとするが、慌てて星が羽交い締めにして止める。その瞳のなんとも悲しげなことか。
頬に伝わる涙の筋の、なんと濃いことか……
「治療は、できぬのか?」
「もちろん永琳先生に看て貰ったけど! 応急処置はできるけど、もとどおり動かせるようになるには、お金が足りなくて無理って言われたのよ!」
……?
腕の治療が、この金額で不可能? じゃと?
しかもあの永琳殿がか?
儂に対する残りの返済金で充分なはずじゃが……
「それは、本当かのう?」
「嘘をついてどうなるっていうのよ!」
「では、あれは……? あの男が持っておった万屋との契約書。あれに不慮の事故があったときは、という項目が」
「嘘を吐かないで! 契約書は見せて貰ったけど! どこにも保証するなんて書いてなかった! こうなったのも全部あなたのせいだわ! あの人がもう少しでっ、独立できるかもしれないっていってたのにっ! そうでなくても、あの人の頑張りで店の評判があがって! 父の作品も売れるようになってきたって言うのにっ! あなたが全部駄目にしたんだわっ!」
「っ!?」
ほぅ……
そうか。
そういうことか。
あれがかんでおるとするならば、じゃ。
それであれば、永琳殿が治療をできないのも理解できる。
こやつが、これほどの無念を抱えることになったのも、理解できた。
「のう、娘や。おぬしは今、儂を犯人と思うておる。そして憎くてたまらんのじゃな?」
「ええそうよ! 当たり前じゃない」
「……しかしな、考えてみてくれ。お主達の経営は順風満帆であった。その状況から、後一回分程度の金を捻出するなど難しいことではない。そんな意味のないことは儂はせぬ。それに儂は人間が嫌いではないからのぅ、おぬしら夫婦のような若い夫婦が頑張る姿を見るのは正直楽しかった」
「……」
儂はその若い女と視線の高さを合わせ、穏やかな口調で話しかけ続けた。
そうしたら、やっと。ほんの少しだけ抵抗が緩くなった。
「それにな、昨日のその時間帯であれば、儂はずっと命蓮寺におった。それは聖殿も同じ意見のはずじゃ」
「え?」
いきなりぶつければ、命蓮寺も共犯だと言われかねんからな。
儂は頃合いを見計らって、儂のありばいというヤツを説明する。ちょうど儂と聖殿が食事当番で、一緒に夕飯の準備をしておった、とな。
「……でも、でも! あなたじゃないと借用者はいらないはずで……でも……」
若い女の表情が曇る。
苦しそうに、胸を押さえてな。視線を部屋中に彷徨わせておったよ。
何が正しいのか、自分と、夫の身に何が降りかかっているのか。それがわからず、どうしていいのかもわからない。
じゃから、儂は。
じっと、まっすぐ瞳を見つめて、
彷徨う瞳を、儂の視線と合わせて
「……のう、客人や。儂にはひとつ、ぽりしぃというモノがある。何があっても、客人には手を出さぬし、その家族も同様じゃ。儂は思うのじゃよ。金貸しはな、金の繋がりではない。相手を信用し、心で繋がる商売じゃと」
戸惑う女性の手を、儂の手で覆い。
儂の手の中にあったものを返してやる。
「っ!」
包丁じゃ。
女が儂に向けた包丁。
それを今一度、儂に向けて握らせ。
「じゃから、儂に賭けてみんか?」
握らせたまま、儂は女との距離を詰め。
その刃先を胸の中央に当てる。
ぬえが後ろでなにやら喚いているが知ったことか。
これは、儂とこの女との真剣勝負じゃ。
「おぬしが今、失いそうになっている大切なモノを取り返してやる。それで儂のことを許してはくれんか?」
「……失敗、したら?」
「見てわからんか? この命、くれてやる」
儂はさらに、包丁を服越しに押し当てる。
少々ちくりとしたが、この程度の傷みなどしったことか。
「な、なんでそこまで……」
「儂が仕掛ける大勝負は、一歩間違えば儂の一生を狂わす。死んだも同然となるかもしれぬのじゃからのぅ。失敗した後でおぬしに殺されたとしても死に方が変わるだけじゃ。
それと、じゃな?」
儂は、もう一度、強く女性の瞳を見つめ、
「おぬしこそ、あの男を支えたいと願うなら、勝利以外は全て死も同然じゃろ?
ほれ、儂らは一緒じゃ」
「……マミゾウ、さん」
そこでやっと、女は包丁を落としてくれた。
やっと自分から、心の刃をしまってくれたのじゃよ。
「お願い、できますか?」
「おうよ、まかせておけ。この儂を誰だと思っておるのじゃ」
正座し、両手をついて深々と頭を下げる女の前で、儂は胸を叩き。
尻尾をどんっと畳の上で叩きつけて、
「ぬえ!」
「は、はいっ!」
「例のモノは、まだしっかり作用しておるじゃろうな?」
「……う、うん。大丈夫みたい」
「……みたい?」
「だ、大丈夫! 絶対大丈夫!」
「ならばよし」
みたい。では困るんじゃよ。
ここから一世一代の大勝負を始めるのじゃから、一手一手を詰めを間違うわけにはいかん。
「さぁて、と。正々堂々とではなく、遠回しに儂にケンカを売るとは、どうしてくれようかのぅ。ふふふ……」
あの手か?
それとも、この手か?
ふふ、どれを選んでやろうかのぅ。
そうやって笑っておったら、何故か儂の周りから皆が離れていく。
何故じゃろうな、思考の回転を上げるために少々力を解放しただけじゃというのにな。
「マミゾウ? ねえ? 大丈夫?」
「ん? なんじゃ、ぬえ? 儂は冷静じゃよ?」
うむ、ちゃんと頭は冴えたままじゃ。
策もいくつか浮かんでおる。
それなのに何故かぬえは嫌そうな顔を向けてくるんじゃて。
「……うわぁ」
「なんじゃ? 冷静だと言っておるじゃろう?」
「マミゾウが自分から冷静ってアピールするときって、たいていぶち切れてるときじゃ……」
「ぁん?」
「……ほら、これだもんね。自覚無しって一番厄介だよ。いいよ、私がちゃんと付いていってあげるから」
何を言うか。
ぬえの出番があるのんじゃからおぬしが付いてこなければ始まらんと言うのに、わざとらしいことじゃ。
そんなぬえを引き連れ、儂は寺を出発した。
高く昇った日の光の中、若い女から託された重い金を握りしめて。
「ふふ、やはり来たか。落ちたモノだな妖怪狸よ」
これまでの情報を整理するならば、じゃ。
儂があの男と出会ったとき、あやつはすでに万屋との契約を行っておった。
この時点でそれを女は知らず、内容も見たことがない。
もしくは見たとしても覚えていないというところじゃな。
そうでなければ、あの台詞が出るはずがないからのぅ。
「橙が持ってきた人里の手紙で、おまえの悪事はすべて把握している。その蛮行、実に許し難し。よって、私が直接手を下してやる」
で、もしかしたら残っておるかと思い。
あの契約書を探しに人里と魔法の森の中間、そこからすこし離れた場所にある小屋にやってきてみたわけじゃが。
そのあまりのこわれっぷりに儂の方が驚いた。
何せ、一番大きな破片ですら、儂の胴体よりも小さいものしかないからな。そんな瓦礫が山積みじゃ。
「しかし、私とて鬼ではない。親しい友人に最後の言葉を残すくらいの猶予は与えようではないか」
「おーい、ぬえや。瓦礫をどけるの手伝ってくれ~」
「えぇ……、だってそれって、触ったら気持ち悪くなるヤツでしょ?」
「いや、平気じゃ。その札はどうやら破れておるようじゃし」
「でも、無駄だと思うよ。だって反応全然残ってないしさ。やっぱり人里だよ」
「……ほう、それが最後の言葉か。最後までくだらんヤツめ」
幻想郷に入って、体調は少々戻ってきたが。
やはり肉体労働はぬえの方が得意じゃからな。それに1人より2人という素晴らしい言葉がある。
そうやって二倍速で、契約書が入っていたはずの小さな棚を探しておったら。
それっぽい木材しか出てこんかった。
おそらくはこの小屋が潰れたときに、一緒に吹き飛んだのだろう。
「……それでもマミゾウ。己が正しいというなら、この八雲藍を倒して証明してみるがいいっ!」
さて、棚が壊れておるのに、ぬえが『アレはない』と言うておるし。
それならば、一応あれじゃな。
この木片でも証拠の一つとして持って行くしかあるまい。
「さあ、かかってくるがいい!」
「帰るか、ぬえ?」
「っえ?」
しかし、儂が木片を持って小屋から離れようとするのに、じゃ。
ぬえが何か妙な声を上げてのぅ。
「さあっ! かかってくるがいいっ!」
「なんじゃ? 何かおぬしも気になることがあるのか?」
「……うん、気になるって言うか。ほら……ね、そろそろ……」
何がそろそろ、なんじゃろうか。
ふむ、特に何かを約束しておるわけではないし。
「さあっ! さぁっっ!!」
「引っかかることがあれば、言う手くれた方が良いぞ。そのちょっとしたきっかけで解決した例もあるからな」
「ただね、あんまりちょっとした感でもないんだけど……」
なんじゃ、はっきりせぬヤツじゃのう。
儂はこれから永遠亭にも行かねばならぬと言うに。
この場に小屋以上に大切な何かがあるというのか。
「………………」
「ね、ねえ? そろそろあの狐の人相手にしてあげようよ。なんかしゃがみながら、指で地面をなぞってるんだけど。しかもなんかこっちをチラチラ見てるし」
「……仕方ないのぅ」
こっちが調べものをしておるというのに、周りで騒いでおると思ったら、一体何がしたいのやら。
無視しておれば攻撃でもしてくるかと、そうやって真意を読み取ってやろうとしたのじゃが。
それすらせぬとは、いや……
様子見はお互い様と言うことかいのぅ。
「で? そんなあからさまな挑発で儂に何をして欲しかったんじゃおぬしは」
と、声を掛けた途端。
いきなりすっと立ち上がって、儂を指差して。
「ふふ、やはり来たか。落ちたモノだ――」
「そこからかっ!」
と、また藍が御苦労にも最初から話そうとしたから、儂も思わず突っ込みとして、手に持っておった木片を投げつけてもうた。
命蓮寺の厄介事が頭に残っていたからか、思いの外速度が乗ってしもうた。
「ふ、我慢出来ずに手を出したかっ!」
って、なんで嬉しそうなんじゃ、おぬしは。
そんな無視されるのが辛かったのじゃろうか。
と、思っておるうちに、藍は飛んでくる木片にむかって紫炎の弾を撃って華麗に防御を。
ごんっ
「は?」
「へ?」
今、何が起きた?
確かに藍の弾は木片を捉えたはずじゃ。
じゃが、木片は何事もなかったかのように空中を突き進み。
呆然と口を半開きにした藍の額を直撃。
またしても、しゃがみ込む結果を生んだ。
今度は精神的でなく、物理的なダメージではあるが。
「あ、藍って狐の人、なんかすっごい複雑そうな顔でこっち見てる」
「ああ、たぶん。あれを迎撃して、また口上を続けようとしておったのだが、予想外の展開でどうしようか迷っておるのじゃろ。
加えて、一番知りたい情報を知ってしまったからのぅ」
「一番知りたい情報って?」
「本当に儂と争うべきかどうか、そういったところじゃな。ほれ、この紙を藍のところにとどけてこい」
儂が投げつけた木片を手の中で遊ばせている藍の元へぬえを送り込むと、藍は紙を受け取って、
「…………」
無言のまま消えていきおった。
まあ、そうであろうな。
あやつも半信半疑で動いておったようじゃし。
ここで儂らが争っても、何の得もない。
まあ、どこかの誰かさんは得をするかもしれんが。
「さぁ、次じゃ」
「あ、ちょっと、マミゾウ」
儂はまた別の小屋の木片をぬえに持たせ、また新たな場所へと向かう。
男が治療されているという、永遠亭にな。
妹紅という案内役に頼んでここまでやってきたわけじゃが……
少々問題が起きた。
儂らの姿を見つけた途端、てゐという小さな妖怪兎が近寄ってきおって、
「こっちこっち」
と声を上げつつ手招きしおったよ。
診療所の中には入るなと、そんな風にも見えた。
それで、裏口から診療所、ではなく。
盆栽等が置かれた永遠亭の中庭らしき場所に案内された儂らは、その場で待つように言われた。
そこで待つこと四半刻。
「ごめんなさいね、少々厄介なお客が来ていたから」
謝罪しながら、永琳と呼ばれる医者が現れた。
見た目通り大人びた、知性溢れる女性じゃな。その横の大きな妖怪兎は確か鈴仙というやつじゃったか。
「ああ、構わんよ。それで、少々お願い事があるわけなのじゃが」
「……あの男には会わせられないわ。応急処置は済んでいるけれど、あなたと会って興奮したら傷が開きかねないから。そちらのお嬢さんにもお願いしたいのだけれど」
「ああ、構わんのじゃ」
儂よりもぬえを警戒するか、うむ、良い心がけじゃ。
ぬえであれば正体不明の種と己自身を入れ替えて、男と接触出来てしまうからのぅ。しかし、儂もそのような強硬手段に出るつもりない。
「無理なら手ぶらで帰ってもよいからのぅ。すでに必要な情報は揃うておるし、おぬしらのような手練れと争う気もさらさらない。ただ、気になることがあったからやってきただけじゃ」
「そう、なら答えられる範囲でお答えしますわ」
会えずとも、目的は達成できるが。
「まず一つ、あの男の治療、なぜあの金額でできんのじゃ?」
「必要経費というものは、時間や状況で変化するモノだから、これでいいかしら?」
「そうか、では、二つ目じゃ。あやつは、小屋が教われたときの状況をどう言うておった?」
儂が行いたいのは、交渉じゃからな。
情報は多いに越したことはない。
「夕方に作業を終えようとしていたら、いきなり大きな音がして小屋が崩れ始めた。慌てて外に出たら、暗がりから襲われて腕を負傷。襲ったのが誰か確認しようとしたら、また近くで大きな爆発音があって、その粉塵で見えなくなったそうよ。ただ、すぐ側から『妖怪が逃げる!』みたいな声を聞いたらしいけれど」
「ふむ、犯人は見ておらぬ、と」
「ええ」
腕を傷つけられた後、その爆発の後で妖怪が逃げた。
そしてその場には、人らしきものがいた。
それだけ確認出来れば充分だったのじゃが……
「最後の質問じゃ、あの男は、儂を恨んでおったか? 妖怪を、他の人間を恨んでおったか?」
その声に、初めて永琳殿の表情が揺らいだ。
「その答えが意味するモノは何かしら?」
そして初めて儂に、質問で返し、
「儂は、あの男の連れの若い女にこの事件を任された。しかし、事件が終わった後も、あの夫婦は人里で、幻想郷で生きねばならん。
それ以上の答えが必要か?」
「ふふ、失言だったわ。ごめんなさいね」
少しだけ、頭を垂れた。
「マミゾウという狸の妖怪が来るかも知れないと言うことは、言っていた。怪我をしたとき運ばれる途中で、その妖怪が犯人かも知れないと言うことを聞いたと」
「……」
「それでも、あの男はあなたに感謝すると言っていた。夫婦関係と仕事への意欲、どうあっても逃げないという強い決意を持てたのは、あなたのおかげだと言っていた。
でも、今、会うと。汚い言葉を浴びせそうだとも、ね。それくらいかしら」
「……そうか」
「もし叶うのなら。自らの手で大切なモノに触れたい、と」
「……そうじゃな」
そうじゃな、あやつが世界を恨むより。
そういった希望を多く持つのであれば……
「それでは、あやつに伝えてくれ。マミゾウがこう言うておった、とな」
儂が言えることは一つしかない。
「儂に任せておけ、とな」
さあ、ぬえや。
そろそろ、人里の中の鬼退治といこうかのう。
◇ ◇ ◇
日が沈み、夜の帳が下りた頃。
飲み屋以外の店の灯りが次々と消えていく中で、その店もまた店じまいの準備を進めておった。
客が居なくなり、暖簾を中にしまい込む。
使用人のその動きに合わせ、
「邪魔するぞ」
ろうそくとらんぷのぼんやりとした灯りだけが玄関を照らす中、儂らは提灯を手にしたまま強引に店内に入る。
単なる人間が入ってきたと思い、『困ります』などと言い追い出そうとする使用人じゃったが。儂とぬえの2人組と判明した瞬間、悲鳴を上げながら奧へ行ってしもうた。
「ぬえ、外を頼む」
「はいはい」
外の世界ではなく、妖怪を見慣れておるはずのこの世界でのあの反応じゃ。
あまりにもわかりやすすぎる。
「これはこれは、金貸しのマミゾウさん。こんな夜分にどういった品物をご所望で?」
それはすでに、儂の来店を警戒しておるから。
じゃから使用人にもすぐ知らせるようにと言っておったのじゃろうな。
「白々しいことを言いおるわ」
「はて? なんのことやら?」
中肉中背の生粋の商売人に見える、この青い着物の男。こやつが万屋『藤』の代表か。その左右を固める恰幅の良いヤツはごろつきにも見えるが、おそらく妖怪にも対処できる部類か。
加えて、少々予想外な客人が1人。
「……マミゾウ、お前がまさかこのようなことに手を染めるとは」
「頭の固いのが増えおった……」
遅れて、男たちの後ろから現れたのは、上白沢慧音。ハクタクを宿す、人里の守護者と呼ばれる存在じゃ。しかしこやつの能力ならば、真相が見えそうなものじゃが。まさか、歴史に残らないような小さな出来事はハクタクの能力の外であったりするのじゃろうか。
しかし、そんな考察をしている場合ではない、か。
「さてマミゾウさん、夜に無理矢理店に侵入するのは犯罪ですが、そこはおわかりですかな?」
そんな慧音の前で、あくまでも儂を悪人にみせようとする。
店主の身長は儂よりも少し高い程度じゃが、その横におる2人組のおかげでなかなかに威圧感もあるしな。
慧音殿も、そのいんぱくとの一つになって、なかなか面白い。
面白い、が。
「くくっ、はっはっはっはっ」
「何かおかしなことでも?」
「いやいや、おかしいも何も、盛大に馬鹿をやっておるのに。それに気付かず堂々としておるモノを見たら、誰でも可笑しく感じるじゃろうて」
それは諸刃の剣じゃよ、そいつはな。
しかものこぎり付きじゃ。
それを握ったまま儂と一戦交えたいのなら、良い。
望み通り受けて立つ。
「さてさて、こうやって意味のない会話を繰り返してもなんじゃから。手短に行こうか。とりあえず聞きたいのじゃが、尻尾のある妖怪をあの林の小屋で見たとヤツはどいつじゃ?」
「……私、ですが?」
どっこいしょと。
儂が玄関の段差に腰を下ろしながら尋ねると、店主の右側の男が軽く手を上げる。
「慧音殿に伝えたのもこいつかの?」
「ああ、間違いない」
「本当じゃな?」
「ああ、本当だ」
慧音殿もこいつを見たと言い、本人もその場に居たという。
「ならば、攻撃をして破壊した、と言うたのは?」
「私ですが?」
また、同じ男が手を挙げる。
「ならば状況を詳しく説明してみよ」
「……そこまで知っているなら必要ないのでは?」
「儂は今この場で聞きたいと言うておるのじゃが? それとも、たった一日経っただけで忘れたか? ん?」
挑発じみた言葉を返すと、男は少しだけ口元を歪める。が、店主が何かを耳打ちして冷静さを取り戻したようで。
「あのときは、あの小屋の契約期間の打合せをしにあの職人のところに行きました。ちょうど仕事を終える時間を狙ってです。そうしたら、小屋の近くに大きな尻尾を持つ妖怪が立っていた」
部屋の中の灯りに誘われ、二匹の小さな虫が部屋の中に入ってくる。ひらひらと、羽根を羽ばたかせてな。それを気にせず、男は説明を続けた。
「だからあの男の知り合いかと思って声を掛けようとしたら、その妖怪はいきなり小屋に光を放つ弾を撃った。そうしたら小屋が壊れて男が飛び出し、待ち受けていたかのように妖怪が襲いかかったのです。私が大声を出したら居なくなりましたが……」
「間違いないな?」
「ええ、もちろんです。しかし、私は尻尾のある妖怪ということと、男の借用書のことを知っていたので、それに関係した妖怪とは思っていましたが……、やはりあの男の妻も同じ感想を持ったようで」
「で? 儂がその下手人であると」
「はい、失礼ながら」
金貸しはあまり良い捉え方をされぬ。それも利用した、か。
ほうほう、ほうほうほう……
「では、聞こう。儂はあの男の話を永琳殿から聞いてきたのじゃが。爆発は確かに1回でいいな?」
「……は?」
「一回でいいのかと聞いておる。その男がおびき出されるまでは小屋も無事で何もなかったのかと」
「はい、間違いありません」
「じゃが、男は爆発を2回聞いたと言っておったぞ?」
「…………は?」
男の顔色が、あからさまに変わる。
そして視線が面白いように泳いだのじゃ。
「さて、確かにその際は屋敷を壊すための爆発が1回あった。しかし、もう一回の爆発があったとき、粉塵が凄かったと男は言うた。さて、この食い違いはいったい何じゃろうな?」
「……いや、しかしあのときは」
「ああ、そうじゃ! もしその2回目の爆発が目くらまし目的のヤツであれば! その妖怪が煙玉のようなものを持っておれば、近距離だけで作用するかもしれんな!」
「あ、ああっ! たぶんそれ――」
「いや、違うな。ありえんか。おぬしがもし近くにおったのなら、音付きの煙玉も爆発の一つと数えるはずじゃからのぅ」
「ぁ……」
「して? おぬし、先程何を言い掛けた?」
爆発の中、男の姿が見えたのなら、目くらましの爆発も数えたはず。しかしそれを数えなかったのは何故か。
答えは簡単じゃ。
「おかしいのぅ、同じ爆発なのにのぅ」
それを省けるのは、一つが煙玉だと理解している人物だけ。
だから破壊を生む爆発は1回だけで、2回じゃない。
そう頭の中で整理出来てしまっている人物だけじゃ。
儂が顎に手を当て、悩みながら上目づかいで男を見やれば、
はははっ
青い顔でおもしろいくらい冷や汗をかいておる。
「……しかし、マミゾウさん? 妖怪が爆発を起こしたという疑問は残ったままでは?」
おお、店主さすがに鋭い。
そうじゃよ、今はただ爆発の不審点を説明しただけであって、妖怪が攻撃したということの否定にはならん。
おぬしのように頭が回るヤツからその言葉が出るのは当然じゃ。
「おお、そうじゃな。妖怪が攻撃しておらぬという証拠にはならん。知恵があるのぅ」
じゃから、待っておったよ?
おぬしか、そこの慧音殿から、その言葉が出るのをな!
「して、少々話は変わるが、おぬしら、博麗の巫女のことをどう思っておる?」
「……今の話と何の関係が?」
「おおありじゃよ? ふふ、して? どう思っておるか?」
「……なかなか、素質のある子なのでは?」
店主がいう。
素質がある、と。
ふふ、ははは、素質がある子。止まりか、やはりな。
「儂はあやつを天性の才を持つモノじゃと思うておるよ。まさしく、言葉通りの天才じゃな」
「ははは、天才、ですか? 妖怪がそこまで褒めるとは」
「褒める? 儂が? 慧音殿はどう思う?」
店主の顔にはこう書いてある。
あんな子供がまさか、と。天才という文字に当てはまらないという部類だ、とな。じゃが、あやつと対峙したことのあるものならば……
「普段の生活はあまりみていないが、マミゾウに近い認識だと思う」
「慧音先生まで……」
そうじゃ、慧音殿も霊夢と勝負をしたことがあるからな。あののほほんとして努力もしておらぬ巫女が、異変の際に見せるあの力。
あの異変時の姿を見ておるモノは、あやつを人間の枠内で認識し続けられるかどうか怪しいぞ。だから、じゃ。
「では、ほれ。慧音殿」
「お、おわっ! なんだ急に」
儂はぽいっと、持ってきた木片を投げ捨てた。
慧音殿に向かって、
「それをおぬしの力ではなく、ハクタクの妖力で壊してみせてくれぬか?」
「……? ああ、やってみるが?」
それになんの意味があるのか。
そう言いたげに慧音殿は力を込め始めた、が。
「……?」
すぐさま首を傾げる。
そりゃあそうじゃろうな。
そしてもう一度、手の平の木片をじっと見つめて、力を込めるが、
「……無理だ」
「ああ、そうじゃろうな。儂でも無理じゃった。ならば今度は、腕力だけで崩してみせてくれぬか?」
「ああ、わかった」
妖力で壊れなかったのだから相当堅い何か。そう判断したんじゃろうな。慧音殿は身体を折り曲げながら木片に力を入れようとして。
ポキッと。
「な、なんだ?」
本格的な力を入れようとする前段階で、あっさりと割れた。
「まあ、脆くなっておったからなそれは仕方のないことじゃ」
「……今の慧音先生がやったことに、意味があるのですか?」
「おおありじゃよ。妖力では壊れず、単純な力で壊れる。それが大事じゃ。はてさて、それはいったいどこから持ってきた木片だと思う?」
「どこから、って。私たちが知るはず――っ!?」
「おや? 顔色が変わったのぅ? どうじゃ? 気付いたのならわかるじゃろう? 博麗の巫女がどれほどの技術を持つか、それに関係した事象もな」
もちろん、この木片はあの小屋のモノ。
あの小屋は札で守られていただけではなかったのじゃ。木材そのものが清められ、払われた。対妖怪用の防御であった。だからこそ林の中で平然と立っていられたと言うことじゃ。
「さて、もう一度聞こうか? そこの男や? おぬしは確かに見たというたな? 尻尾を持った妖怪が、妖弾で攻撃し小屋を破壊した、と。そのときの詳しい話を、もう一度聞かせてはくれまいか?
人里の歴史を司る一人、慧音殿の目の前でなっ!」
「……それは、その……私が、見たのは……」
人間達の動揺と、怯え。
そこで慧音殿は気付いたようじゃな。
「お前達、まさか……」
今の話、こうすればなんの違和感もなく伝わる。
この万屋の誰かが、小屋の外から爆薬を仕掛け。破壊。
それで慌てて出てきた男を襲い、妖怪が出たと嘘を吐く。
ほれ、なんとも簡単じゃ。人間という種族の歴史の中では、種族内での争いが絶えることはない。それを慧音殿は嫌ほど知っておるじゃろうしな。
ほれ、儂の思うたとおり。
儂を牽制するために呼んだのかも知れぬが、
諸刃の刃じゃったじゃろ?
「ああそうじゃ、そうじゃ。その他にもお主等、いろいろ頑張っておるようじゃな。若手の育成という名目で、契約料を支払い。収入が不安定な時期を手助けしておるとか」
「あ、ああ、そうだ。私は人里の未来のためにっ!」
「焼き物や漆器だけではなく日用品もいろいろとな。で、少々気になって調べたのじゃが。お主等、とある薬草を育てておる薬屋とも協力体勢にあるとか? 確か、薬屋は人里の中でもそんなになかったからのぅ。しかも永遠亭が有名になってから、そちらに客が奪われて、薬の材料を取ってきて、永遠亭に流すことが多くなったらしいな。そんな薬屋にとっておぬし等の存在はありがたかったことじゃろうな。それが評判になって、我も我もと、協力態勢が増えていき、薬品と言えば万屋『藤』のような知名度も得ておるとか? いやぁ、ご立派、ご立派」
「……」
「して? その薬草、永遠亭で使う分は、どうなった?」
「……それは」
「持っておるだけでは宝の持ち腐れである薬、それの流通は今どうなっておるのかと聞いたのじゃが?
ああ、思い出したが、それは大怪我をしたものを治療する際に必要になる物質じゃったか。
コレは大変じゃ!」
儂はわざとらしく手を叩き、座ったまま店主を見上げてやったよ。
敵意をまるっきり隠さぬ顔でな。
「誰かに大怪我をさせられて、薬が必要になったとき、医者へ行っても治療が出来ぬ。もし他のところで薬が欲しくなっても、その薬の金額だけが馬鹿高くなっておったら……、おお怖い! 怪我をせぬように祈るしかないわけじゃ! しかし祈っておっても誰かに襲われてしもうては意味がない!
ほれ、あやつ。
お主等との契約をやめようとしておった。あの若い男のようになっ!」
「契約? な、なんの根拠があって……そんな……、ほ、ほら、そういう恨みの線ならお前の金貸しだって怪しいだろうが!」
ほうほう、言葉を飾る余裕もなくなってきおったか。
しかもこれだけ言うても、謝罪ひとつなしか……
よかろう。
見せてやれば良いんじゃな?
「ぬえ、こっちにこい」
外を見張っておったぬえに声を掛けると、ぬえは儂の横で飛ぶ二匹の虫を大袈裟に避けて、入ってくる。ぐるりっと回るようにな。
それで、儂に一枚の紙を手渡してくれた。
その紙をそのまま、男と慧音殿の足下に突き出す。
「ほれ、これに見覚えは?」
「っ!?」
「これは、契約書か? 事件の被害者の男と、この店の」
「そうじゃよ、慧音殿。そのとおり」
どうしてこれが、という顔をしておった男たちじゃったが。
店主が瞳に冷静さを取り戻し、
「は、はははっ! 語るに落ちたなっ! その書類は偽物だっ! 契約書はこちらにある!」
足をもたつかせながらも、奧に走ると。
何か一枚の紙を持ってきて、それを突き出した。
「これこそが本物の契約書だっ!」
大きく宣言して、儂の契約書に並べるように置いた。
「……なんだ、これは。文面も印も……同じ」
しかし、慧音殿の声を聞いて、店主もその紙を見下ろし。
固まった。
はっはっは、そりゃあそうじゃ。
もともとは同じものじゃからのぅ。
「馬鹿な、こんなことが……」
違う部分があるとするならば、その内容じゃ。
『不慮の事故により作業が出来なくなった場合、給与を支払う』
『治療費がかかった場合も、必要な金額を払う』
などなど、儂が持ってきた紙では、店側が職人に配慮する内容になっておるが、店主の持ってきた紙にはこうあった。
『不慮の事故により作業が出来なくなった場合、給与を支払わない』
『治療費がかかった場合も、必要な金額を払わない』
その他にも、少々店側に有利な内容に書き換わっておる。
「おやおや、語尾が変わるだけでこうじゃからな」
しかし、その「う」と「わ」の部分じゃが。
『わ』の方がな、少々歪なのじゃ。
おそらくは、一枚だと気付かぬような違いじゃがな。こう二枚を並べてみると、な?
まるで、『う』を上書きして、『わ』に無理やり仕上げたようではないか?
「と、とにかく。お前たちのものの方が偽物だ! はやくそれをひっこめろ!」
店主が、泡を吹くほど興奮しておったからな。
仕方なく儂は、ぬえに命令する。
「ぬえ、戻さなければならぬらしいぞ」
「はいはーい。何ケ月も出張させてたから、地味に維持するの疲れ気味だったから助かるね」
さて、わかるかのう。
そこの間抜け面ども。
こやつの能力は、どういったものか。
慧音殿にも同じものが見えたというのは意外じゃったが、ぬえがほれ、指を鳴らした後。それが何に見える?
「なっ……」
ほれ、戻したぞ。
ぬえが、正体不明の種をな。
するとどうじゃ?
残ったものが、それじゃよ。
青い顔をしてももう手遅れじゃ。
なにせ、はっきりと書いてあるからな。
おぬしらの逃げようもない悪事が……
儂はその動かぬ証拠を持ち上げて、店主たちに突きつけてやる。
文字と印の大部分が消えた、なんの意味ももたない紙をな。
「ほれ? おぬしらが本物と言い張った契約書じゃ。この白紙に『わない』を書き加えただけの、この紙がおぬしらの真実じゃよ」
「……貴様らっ!!」
「ひぃっ!」
あの若い男の職人と小屋で出会ったときじゃ。
少々気になったため、契約書をこっそり正体不明の種付きの紙に入れ替えたのじゃが、それがおぬしらの致命傷になったな。
あーあー、ほれみたことか。おぬしらの後ろの慧音殿もお怒りじゃ。
話の内容はあまりわかっておらぬかもしれぬが、儂の言葉からこやつらがどんな悪事を働こうとしたかわかってしまったのじゃろうな。
「こ、こんなものっ!」
そうやって追い詰められた店主は、儂の持っている紙を掴みとると無理やり破り捨てた。置いてあった契約書も同様じゃ。
儂らが見ておる前で狂ったように破り続け、
「は、はははっ! これで、これで証拠は何もない! 契約の内容など一字一句誰も覚えてはいまい!」
などと言いおった。
おうおう、ここで謝っておれば、お役人突き出しと。
慧音殿の頭突き程度で済んだかもしれぬのじゃが……
「一字一句。覚えておれば良いのじゃな?」
儂はそう問い掛けてみた。
すると、
「はは、いいぞっ! 正確にすべて暗唱でもできるのなら! ははっ、契約の約束事はまもってやろう! 無理だろうがなっ! ははははははっ!」
なんて言うたから。
儂は傍で立っておったぬえに、もう一度。
「ぬえ、戻してよいぞ」
「どっち」
「小さい方じゃ」
「おっけー」
するとな、玄関で飛んでおった。
季節的に異常なもの。
虫の方に向けてぬえが手をかざすと。
「……人里の住人であれば。私の能力はご存知ですね」
「稗田、阿求だとっ!?」
正体不明の種が取り除かれ、虫が阿求に姿を変えた。
一度見たものを忘れぬ、この場面では最高の……
いや、店主ら側にとっては最悪の能力者。
「いやはや、これで偶然にも歴史を司る二人が揃ってしまったのぅ。しかも阿求殿は今までのやりとりを見てしまっておる。おぬしらは虫だと思い込んでおったようじゃが。
ほれ、阿求殿。さきほどの契約の文言。覚えたかのう?」
「ええ、もちろんです」
「くそっ! くそぅっ!!」
いやはや、追い詰められた人間の心理とは恐ろしいな。
阿求殿を襲って、何も言えなくすれば助かるとでも思うたのか。揃いもそろって阿求殿に襲い掛かりおった。
じゃから、儂は最期の支持をぬえに送った。
「ぬえ、大きい方をたのむ」
「ほいほい」
と、ぬえが最後の一つ。
もう一匹の虫に右腕を向けると。
ばさり、と。
鳥類が羽を広げるごとく、金色の毛が空間に広がってじゃな。
阿求殿と男たちの間、そこに割り込んでその突撃を尻尾だけで受け止める。
両腕は、胸の前で組まれたまま。
解かれることはない。
その冷たい金色の瞳は、この程度の相手に手を見せる必要もないと告げているようだった。
「さて、私は冬期間に限り、幻想郷の全権を紫様から頂いている。これ以上何かするようであれば、私が干渉するが?」
「……八雲の九尾、だとっ」
人里の権力者と。
妖怪の権力者。
その二つを揃えた時点で、もう勝負は見えた。
膝をつき、今にも放心しそうなほど衝撃を受けておる店主にじゃな。
にっこりとほほ笑みながらにじり寄って。
隠しておいた右腕から、とんっと。
今度こそ『本物の契約書』を置いた。
「お役所と儂と、人里の商工会と。楽しい楽しい交渉を始めようではないか。
のう? 店主や?」
さて、儂の大切な客人に手を出した罰じゃ。
しっかりと搾り取ってやるからのぅ。
それから、じゃがな。
万屋『藤』は閉店。
それに関与しておった職人は元の店に戻り、各々の職に戻った。放置しておれば、人里を裏から牛耳る商人に育っておったかもしれんが、まあ、儂の客に手を出したのが運のつきじゃな。
ん? あの若い職人の夫婦はどうなったか、じゃと?
ああ、しっかり仕事は果たしたのじゃて。
ちゃ~んと、あの契約書のとおり。
不慮の事故でかかる治療費、そしてその治療中にかかると思われる生活費。そして夫婦に与えた精神的だめぇじの賠償金。
ざーっと計算して、4~5年かの?
その程度の生活費をぽんっと置いてきたからな。たぶん大丈夫じゃろ。
「……って? あれ? マミゾウ? 損してない?」
などと、自室のこたつに入りながらぬえに答えてやったら。
ぬえが不思議そうに目をぱちぱちさせてな。
「問題ないのじゃ。借金は途中までしっかり返してもらっておるし。その契約の交渉の賃金としてちょっぴり多めに頂いておるからな。まあ、とんとんじゃな」
「とんとんって、その賃金っていくら……あ、いい、やっぱり聞くのやめとく。トンデモナイ額出てきそうだし」
「うむ、賢明じゃな」
「でもやっぱり、あの夫婦って借金してたお金よりだいぶプラスになったってことだよね? 金利マイナスもいいところなんじゃない?」
「はっはっは、まあ、金も大事じゃが。大事なのは、あやつらの今後じゃよ。金におぼれて、あの罪を犯した店主たちのようになるか。それとも、腕を治療した後もしっかり工房を続けていくか。
それを考えるだけでも人里に出向く楽しみが増えるというもんじゃろ?」
「あー、そういうのならちょっとわかるかも」
ぬえは元から悪戯気質があるからな。
おもしろいか、おもしろくないか。そういう判断を持たせた方が理解しやすいのかもしれん。
で、そのおもしろさや楽しさを例に出したからかのぅ。
ぬえが思い出したかのようにこんなことを聞いてきおったのは。
「マミゾウって、何が楽しくて金貸しやってるの?」
「ふむ、何が楽しくて、か」
そりゃあ、決まっておる。
金というのは人間が生み出した、最高で最悪の道具じゃ。
人間を仏や神にも、鬼や悪魔にすら変えてしまう。
金のせいで命も軽々しくやり取りされることも多い、が。
「金貸しをしておるとな、いろんな人間を見ることができる。人間の綺麗なところも汚いところも、全て見える気がしてな。それが楽しいんじゃよ」
「ふーん」
うむ、やはりそうじゃな。
ぬえに言われて改めて考えても、やはりこれに尽きるのぅ。
妖怪でありながら、人間と対等の立場で繋がりあえる。
言葉以外での、こみゅにけぃしょんつぅる。
手の中に入るこの可愛いキラキラがな、新たな人間との出会いを運んでくれおるから。
ふふ、実に楽し――
「あ、そっか! マミゾウは人間をお金で操って楽しんでるってことか」
「……」
「な、なによ」
ぷっ……
「く、ふふ、っ、あ~っはっはっはっ!」
「な、何よ! そんな笑わなくていいでしょ!」
しかし藍さまにちゃんと格好いい場面があって良かったw
狸妖怪らしく、相手を化かして追い詰める様、
実にお見事でした。
相変わらずすげー投稿速度だ・・
ありえなさそうだけど
自分もその場にいるかのような錯覚をしてしまうほど良いテンポでした。
それと、誤字報告を
>慧音殿にも同じものが見えたというのは以外じゃったが、~
意外、でしょうか
いやはや、妖怪とは恐ろしげですね
つまりマミゾウ親分かっこいい
まさに、悪党成敗の時代劇のようでとても面白かったです。
しかし乙女チックな妄想して悶えるところは吹いた