幻想郷の夏が大層蒸し暑いのは、住人の誰もが辟易している事実であるのだが、ここ紅魔館周辺などは近くに湖があるせいで尚更湿気が酷い。
ぶらりと散歩しただけで蒸し焼きになりかねないこの暑さには、普段ゲコゲコ五月蠅いカエル達も流石に参っているらしく、水中でおとなしくじっとしていた。
折しも天候はジメジメした曇天。不快指数はとっくに有頂天を突破している。
しかし、そんな気候と汗で張り付く衣服にも気を留めず、レミリア・スカーレットは大変に満足そうな笑みを浮かべていた。
「咲夜。これどう思う?」
酷暑にもかかわらず、汗の一滴も顔に浮かべない瀟洒さを以ってレミリアの隣で佇む従者は、主の問いにくるりと回りを見渡した。
扇状に敷き詰められた広大で鮮明な緑色は、丹念な手入れの跡が伺える天然芝だ。正確に真四角に引かれた白線とそれを囲む土のゾーン。
少し視線を上に向けるとフェンスの向こうにずらりと、それこそ万の単位の数で椅子が規則正しく並べられていた。
「典型的なベースボールパーク。特徴的な左右非対称はライト方向が狭く左打者に有利な設計。歴史を感じさせる佇まいと、偉大な選手達をたたえるための各所に設けられたモニュメント。
MLBニューヨーク・ヤンキース本拠地、“ルースが建てた家”ことヤンキー・スタジアムに相違ありませんわ」
「正解よ咲夜。ヤンキー・スタジアム。数々の名勝負の舞台となった、ベースボールの歴史を語る上で欠かせない、もっとも人々に愛された球場だわ。
しかし、何しろ建てられたのは百年近く前だから、流石に時の流れには勝てなかったのでしょうね。
これが幻想郷に来たって事は、きっと今頃は新しい球場がヤンキースナインを迎えているのだわ」
少し寂しげな表情を浮かべ、レミリアはフェンスを指でなぞった。浮いていた鉄錆がぽろりと剥がれた。
咲夜が芝の上に落ちた錆片に眉をひそめたのは、綺麗好きな彼女のメイドとしての部分が不快感を訴えたからなのだろう。
「……で、お嬢様。野球場丸ごと幻想入りだなんて偉く大雑把な事態に私たちは直面しているわけです。
あのスキマは何やってるんだ、絶対我々紅魔館に対する嫌がらせだろってのが私の本音ですが。お嬢様はどうされますか?
差支えなければ、さっさとクズ鉄に解体して湖の底にでも沈めてしまいたいのですが。
何しろあんまりにも館の紅さにふさわしくない建物です。隣にこんなのがデンと建っているのは景観的にとてもまずい感じがします。
ぶっちゃけ不愉快です。とっとと無かった事にしましょう、ええそうしましょう」
何やら感傷的になっているレミリアとは対照的に、咲夜の声はとても平静だった。事務的にたんたんと主の裁可を仰ぐと見せかけて、すでにヘルメットと作業服姿の妖精メイドを招集し始めている。
いつの間にか咲夜が握っていたドリルがぎゅるるるるとトリッキーな音を立て始めたあたりで、レミリアはようやく事態の急変に気付いた。
「は? 何してんの咲夜? 壊すつもりなの? この球場を? ヤンキースタジアムを? ウェルズとコーンの二人のデービッドが完全試合を達成したこの球場を?
止めなさいって! どうしてそんな常識知らずな事ができるのかしら。あなたベーブ・ルース物語を読んだ事ないの?」
「大昔に、読書感想文で読まされた覚えはありますが」
ぎゅるん、ぎゅるんと、ボタンを押してドリルを回転させる咲夜は、穴をあけるのが待ち切れないような表情である。
「ならどうして壊すなんて事言うの! 史上もっとも偉大なベースボーラーである彼が60の本塁打を放ち歴史を打ち立てたのが、ここヤンキー・スタジアムなのよ!
彼の伝記を読んだなら、『ああ、ベースボールって何て素晴らしいスポ-ツなんだろうか。私も今から始めよう。そしてナックルボールを取得してプロになって、いずれはポスティングでメジャーに行って100億ドルの女と呼ばれるんだ』っていう野望を抱かなきゃおかしいわ!」
「いや、ぶっちゃけ興味なかったので。ボール遊びでお金がもらえるなんて、大人の世界って随分ちょろいんですねって書いて提出した覚えがあります」
「何よ咲夜。あなたったら、『作文で捻くれた文章書いて、先生に媚びない私って他の生徒と違ってカッコイイ!』とか考えやがる勘違いした糞ガキだったわけ? がっかりだわ!
時速100マイル近いツーシームファストボールをハードメイプルでジャストミートする技術の凄さも理解していない癖に!」
「まあ、そんな酷い子供でもなかったと思いますが……。というか、今知ったんですが、お嬢様、随分と野球が好きだったんですね」
「知るのが遅いわよ。紅魔館が外界と隔離された今でも、スキマ経由で手に入れる試合映像のチェックは欠かさないし、毎月送られるスカウティングレポートにだって丹念に目を通しているわ」
「はあ、そうだったのですか……」
そう言えばと、部屋の掃除をする時、小難しそうな英文の書類が度々散乱している事を咲夜は思い出していた。レポートってあれの事か。
しかし、スキマ妖怪経由ということは、あれの善良からかけ離れた性格を考えるにきっと何かを対価に取られているに違いない。
今度金庫の中身をきっちり確認しておく必要がある。金銭感覚など無いに等しい主の事だからきっと酷い事になっているに違いないと、そんな事を咲夜が考えている間に、レミリアは大仰に手を広げ、何やら語り始めていた。
よくよく耳を澄ませば昔語りらしい。
「そう私がベースボールと出会ったのは忘れもしない1901年のワシントン。アメリカでナショナルリーグが発足したその年だったわ。
吸血鬼として迫害されていた私達が大西洋を越え、ひとときの安息をようやく得ることができたそんな時代。
薄幸の美少女たる私の容姿とポテンシャルに注目して声をかけてきたのは、生まれたての球団ワシントン・セネターズのスカウト。名前はビリーって言ったわ。
少し癖のある黒髪とつぶらな瞳がとってもチャーミングな、そうヴラド・ツェペシュ公似の爽やかなイケメンだったわ。彼は私をこじゃれたバーに誘うと、開口一番こう言ったの――」
唾をまき散らしつつ、熱の籠った声で朗々と続けられるレミリアの演説に咲夜は、早く終らないかなぁという本音を隠す事もなく顔面に張り付かせ、退屈そうにヘルメットの中に手を突っ込むと汗で蒸れた頭をぽりぽり掻いた。
「あー、お嬢様。もしかして長くなります?」
「じっくり腰を落ちつけて聞くといいわ。足かけ5年にも渡る私の武勇伝をね」
「ああ、長くなるんですね。じゃあ少しだけ時間を頂きます。はーいみんなー、集合しなさーい!」
両手を高く上げ、咲夜は球場内で各々遊び始めていた妖精メイド達に向けて招集をかけた。すぐさまぞろぞろと集まってくるメイドたち。
「私はこれからお嬢様のお話に付き合わないといけないから、先に作業割を決めておくわ。
A班はセンターからライト方向に客席の撤去を。B班はレフト方向に。C班はフェンスの撤去を始めておいてちょうだい。
解放されたら私もすぐに指揮に戻るから、それまでは班長の指示に従う事。分かったわね? じゃあ作業を開始しなさい」
咲夜の指令に威勢よく返事をして、メイド達は散り散りに作業に向かっていった。
「ふぅ……無能だ無能だ言われてる彼女たちですけど、実際のところ悪くない物をもっていると私は思うのです。ちゃんと指示すれば動いてくれますし……。
あ、でなんでしたっけ? お嬢様がスーパーサイズミーな生活習慣を続けた末の、悲惨でメタボリカルな結果の腹いせに、ケンタッキー・フライドチキンの創業者を河に沈めて、マクドナルドを倒産に追い込もうと画策したあたりでしたか?」
「全然違うわよ! どうして私がハンバーガー大好きなデブアメリカ人みたいになってるのよ。そもそもカーネル・サンダースの呪いってそんなんじゃないし!
いい事? ワシントン・セネターズが低迷する責任を感じて苦悩するビリーに、私はカリスマたっぷりにこう言ってやったのさ。の所からよ。ちゃんと話を聞け!
ってか、咲夜、さっき私は言ったわよね。壊すなって。どうして解体の指示なんか出してるの!?
ああ! そこの妖精メイド、フェンス壊すな! ハンマーをしまえ! いやギュルルルルじゃないんだ! こら咲夜ドリルを回すな! 楽しそうに振り回すな!
お前らは従者だろうが! 私の言う事を聞けぇ!」
曇天のヤンキー・スタジアムに、レミリアの叫びがこだました。
「……分かりましたよ。壊すのは止めます。でも、そういう事は最初から言ってくださいね。メイドのシフトとかにも響いてくるんですから。」
咲夜は未練たらしく、ドリルを回転させるスイッチを押したり離したりしている。よっぽど穴をあけるのが楽しみだったらしい。
「最初から壊せなんて言った覚えはないけどね。咲夜、あなた野球場に何か恨みでもあるの?」
「別にそんな事……。昔、野球観戦に行った時、ちょうど私の方に飛んできたホームランボールを、目の前に座ってた爺さんが私に圧し掛かるようにして大人げなくキャッチした上、ポロリとフィールド上に落球したのを、子供みたいにぎゃあぎゃあ喚き立てやがったのが酷くむかついた思い出があるとか、そんなんじゃないですよ」
「……それは同情するけど、でも球場に当たるのは間違いなく八つ当たりだわ。そう、ここは偉大なるベースボールパーク。ヤンキー・スタジアム。
ベーブ・ルースが、ルー・ゲーリックが、ジョー・ディマジオが、ロジャー・マリスが、レジー・ジャクソンが。一世を風靡した名選手たちの記録と矜持がたっぷり詰まった神聖なる球場。
尊敬の念を以って接するのが、もっとも正しい方法だと思うのだけど、どうかしら?」
「……そうですね。私が間違っていたようです。申し訳ありませんお嬢様。自己の本分を忘れ、私情に走った。従者として明らかな間違いです」
「なーに。分かればいいのよ。分かれば」
ドリルを投げ捨て、ヘルメットも脱ぎ棄てた咲夜は、レミリアの眼下に傅く。それを余裕に満ちた瞳でレミリアは受け入れた。
「しかし、お嬢様、球場を残すのはいいとして、これからどうするつもりなのですか?」
「どうするって……野球場なのよ? やる事って一つしかないじゃない。
午後から野球大会を開催するわよ。出られるメイドは全員参加の通達を出しておきなさい」
「あー、お嬢様。実はその件なのですが……いや、実際見てもらった方が早いかもしれませんね」
立ち上がった咲夜は、手近な妖精メイドを手招きして呼び寄せた。
「何ですかー? メイド長?」
「一つ問題を出すから、答えてちょうだい。
いいかしら、2アウトで走者1塁の状況で、打球はショートゴロ。そのままショートはボールを持ったままでセカンドベースを踏んだ。
さて、この場合、どういった判定が行われるかしら?」
咲夜の質問に、妖精メイドは小難しい顔で思案を始める。レミリアはどこか呆れたような表情で呟いた。
「なあ、咲夜。セカンドベースを踏んだ時点で、フォースアウトになって3アウトチェンジだろ。なに当然すぎる事を聞いてるんだ?」
「まあまあ、お嬢様、見ていてください」
むむむと唸っていた妖精メイドが、ようやく口を開く。
「メイド長もレミリアお嬢様も、日本語を喋ってください。何言ってるか分からないですー」
「は? おまえは何を言ってるんだ? フォースアウトだよ。封殺だよ。いいか例えば安打が打たれるとする。するとバッターには1塁まで進む義務が生じる、つまりだな……」
身を乗り出し、肩をつかみ、頭と頭が触れそうになるくらいの近さで捲し立てるレミリア。しかし当の妖精メイドと言えばキョトンとした顔を崩さない。
そしてレミリアを驚愕させる一言がその口より転がり出たのだった。
「あのー、ばったーって何ですか?」
「え? って、はぁ!?」
予想だにしていなかったその言葉にレミリアは動揺し、キョロキョロと落ち着きなく頭を動かす。咲夜と目が合った。
「えーと、まあ、つまりはそういう事です。妖精が理解するには野球は少しルールが複雑すぎるのと、そもそも野球なんて知らない妖精が殆どだって事ですね」
「え? じゃあ野球大会は? 毎日200本の素振りでひそかに磨いていた私のバッティングを披露する機会は!?」
「最近お嬢様の部屋の壁がしょっちゅうぼっこり凹んでるのはそのせいでしたか。これから運動ならお外でしてくださいね。とりあえず修理代はお嬢様のお小遣いから引いておきますので。
まあ、それはそうとして、大会は諦めてもらうしかないかと。仕方ないですよね、プレイできるメンツが揃わないのですから。まあフリーバッティング程度なら私が付き合いますよ」
うぐーっと、不本意そうな表情でレミリアは唸っている。頭を抱えて本気で悩んでいるのだ。
何しろ彼女にとって、本物の野球は憧れだった。真面目に練習を続けて、今やすっかり手になじんだ特注のメープルバット。それが快音とともにボールを空高く飛ばす瞬間をずっと思い描いて来たのだ。
そして突如幻想郷に降臨した野球場。レミリアは運命を感じた。吸血鬼という身の上でありながら、今日だけは神に感謝してもいいとさえ思っていたのだ。
それが、妖精メイドのIQ不足だなんて下らない理由で叶わぬ夢になってしまうとは……。レミリアは苦悶の真っただ中にいる。
しかし、彼女のからっぽな脳味噌が、キュピンと電球エフェクトを浮かべたのはこの時だったのだ。
――そうか。
思わず声が漏れた。
気付いてしまったレミリアは不敵に笑み、視線を咲夜に向ける。
「咲夜、招待状だ。今すぐ用意してくれ」
にやりとした笑みがさらに壮絶なものとなる。
「ドラフトをやるぞ!」
急遽開催されることになった紅魔館でのパーティーだが、基本的に暇しているのが幻想郷の面々である。
真昼間からただで酒が飲めるとあって、各地の有力者をはじめ、結構な人数が紅魔館の大ホールに収まる事となった。
レミリアは主催の挨拶もそこそこに演台から降りると、従者に声をかけた。
「さて、咲夜。9人だ。野球に必要な9人を今から集めるぞ。これだけたくさん人がいるんだ。野球やった事ある奴もいっぱいいるだろう。
どれだけいい人材を先に囲い込めるかが、強いチームを作る肝だ。すでに勝負は始まっている。じゃあ咲夜、健闘を祈るぞ」
「って? え? お嬢様? もしかして、いつの間にか私も9人集めて一つチーム作る流れになっているんですか?」
「そりゃそうだろ。1チームだけで試合は出来ないからな。監督兼選手ってかっこいいと思うだろ?」
レミリアは当然の事のように言ってくるが、初耳な咲夜からすればやはり回答は歯切れの悪いものにならざる得なかった。
「はあ、しかし私でよろしいので? こういう話なら妹様やパチュリー様の方が適切では?」
「ああ、フラン? あれなら最近プロのセパタクロ選手になるとかほざいてるから駄目だ。野球に興味を示さないの」
「確か、昨日はカバディのプロになるとか言っていた気もしますが」
「どっちでもいいわ。どうせ私達の知らないスポーツなんだから。それとパチェだけど、あれはもっと駄目だな。
さっき話を持ちかけたら、トトカルチョー! とか奇声をあげて、普段じゃ考えられないような溌剌さを以って野球賭博の準備をしていた。
もちろん阻止したけど。神聖な野球に賭け事なんて持ち込むべきじゃないな。
とりあえずフランの部屋に放り込んでおいたから、今頃カバディだかセパタクロだかの練習に付き合わされて死にかけてるんじゃないか。自業自得だがな」
「つまり私しかいないという事ですか……あんまりバットを握った経験はないのですが」
「大丈夫。気楽にやればいい。選手一人の実力だけで勝負が決まるスポーツじゃないしね、野球って。9人の力をいかに合わせる事が出来るかが肝要なのよ。
咲夜、あなたにはきっと監督の才能がある。だからがんばって選手かき集めて来なさい」
「はあ、まあがんばってみます……」
どうも不安そうな表情を残しつつも、とりあえず選手を勧誘に向かった咲夜にレミリアは満足そうにうなずくと、自身もチームを作るべく、招待客を値踏みするように見渡した。
「どうもどうも、レミリアさん。今日はお招きに預かりありがとうございます」
背後から掛けられた声に、レミリアは振り返る。そこには営業スマイルを浮かべ、カメラを構える鴉天狗がいた。
ぱしゃりと文は一枚写真を撮ると、胸ポケットからペンと一緒に取り出したメモ帳を開く。
「なんだ文か。スクープならすぐ外にあるぞ。見ただろ? ヤンキー・スタジアムの幻想入りだ。
まあ、あの球場についてのエピソードとかを知りたいなら、一晩でも二晩でも付き合ってやっていいぞ」
「ええ、見ました。立派な野球場ですよね。いずれ我が文々。新聞でも取り上げさせてもらおうと思います。
あと、付き合ってくれるというなら望むところです。蘊蓄の量なら私だって負けるつもりはありませんよ」
「ほう、意外だな。お前は結構話せる口か」
心底意外そうなレミリアに、文は自慢げに胸を張って見せた。
「ふふふ。椛、“あれ”をよこしなさい。……ほら、これ見てください」
文は引き連れていた後輩天狗犬走椛から、細長い何かを受け取った。そしてそれを保護するように包んでいた布を丁寧に剥ぎ取っていく。
姿を現したのは木製の棒であった。
「じゃーん。どうです? これ、リッキー・ヘンダーソンのサインバットなんですよ」
「え? リッキー・ヘンダーソン? あの通算1406盗塁のリッキー・ヘンダーソン?」
「そうですよ。“理想のリードオフ”リッキー・ヘンダーソンの本物です。それも、1990年にシーズン28号目のホームランを放った時のバットです」
「90年って、リッキーの最盛期じゃない! 無茶苦茶羨ましいのだけど!」
「ふふふ、どうです? もっともっと羨ましがっていいですよ」
バット一本で異常に盛り上がる二人を目の前に、椛は話についていけず、何とも微妙な表情をしていた。外界の野球にはあんまり興味ないのが彼女だ。
文がこのバットを手に入れるため、八雲紫に何度も頭を下げ、結構な金子を費やした事も知っているのだが、正直どうしてこんな棒をありがたがっているんだろうと思っている。
手持無沙汰になって、つまらなそうに突っ立っている椛。
その肩がぽんと叩れたのはちょうどそのあたりだった。
「ほら、レミィ。お客が話についていけなくて、むっとした顔をしているわよ」
椛は叩かれた感触に首を後ろに向ける。病弱そうな白い肌と、気だるそうな瞳。長く伸びた紫の髪がとても目立つ少女がそこにいた。
「あらパチェ。フランの相手は終ったの?」
「どうにかね。妹様はプロのペタンク選手になるのは諦めて、今度はプロのソリティア選手になるつもりらしいわ。おかげでようやく解放された」
「ソリティア? あれにプロも素人もないでしょうに」
「ええ、でも突っ込みは無用よ。妹様がトランプ遊びに飽きるまでの間、私達は安心して生活を送る事ができるのだから」
「それもそうね。で、パチェ。妹とのペタンクは楽しかった?」
「おおむね砲丸投げだったわね。それもルールがトマト投げ祭りのあれな。もう二度とやりたくない。ええ、反省ならたっぷりしたわ。もう賭博がどうとか言わない」
「よし、ならばよろしい」
にぃとレミリアとパチュリーは笑い合った。何だかんだで信頼し合っている彼女らの友情が見えた。
「そういえばパチェ。誰かのサインバットとか持ってない? 文が自慢してくるのよ。自慢されっぱなしじゃなんか悔しいわ」
「サインバットねぇ……うーん誰のバットが欲しいの? なんとかしてあげられるかもしれない」
思ったより好感触な友の回答に、レミリアは目を輝かせた。彼女の脳裏には偉大な選手たちの顔がぐるぐるとまわっているに違いない。
「じゃあ、パチェ。ハンク・アーロンのサインバットを出して」
ハンク・アーロン。通算755ホーマーの歴史に残るスラッガーである。
ふむふむとパチュリーはうなずくと、つき従っていた小悪魔の耳元で何かを呟いた。小悪魔はこくんとうなずき、とたとたと駈けていく。
「少し待ってなさい、すぐに小悪魔が持ってくるから」
パチュリーの言葉通りしばらくすると小悪魔は木製バットを抱えて帰って来た。
それを受け取り、わくわくと品定めするレミリア。しかし次の瞬間その眉間がぎゅっと歪んだ。
「ねえ、パチェ? ハンク・アーロンって私言ったわよねぇ?」
「ええ、そうよ、ハンク・アーロンだわ。バットにもそう書いてあるじゃない」
「確かにそう見えるわ。でもね、パチュ。一つ聞いていいかしら?」
黒マジックでバットに描かれた文字を指先でなぞりつつ、レミリアはパチュリーに突きささるような視線を向けた。
冷酷に宣告がなされる。
「ねえ、どうして、これひらがなで書いてあるのかしら? はんく・あーろんって」
瞬間パチュリーの表情が凍りついたようになった。声が上ずる。
「え、えーと、ほらハンク・アーロンは王貞治と親交があるわけだし、じゃあ日本語でサインを書いたバットがあってもおかしくはないんじゃないかしら?」
「ほんとに?」
「ええ、もちろんよ……ちょっと待ってね」
たらりとこめかみから冷汗をたらし、明らかに様子のおかしいパチュリーは、ぎゅっと小悪魔の耳をつかみ、小声で尋ねる。
(ねえ? あなたもしかして英語使えないの?)
(だから言ったじゃないですか、こんなのやめましょうって……私が使えるのは日本語と魔界語だけですよぅ……)
(しくじったわね。でも、今からでも何とか誤魔化すわよ)
ひそひそと交わされる会話はその実レミリアに筒抜けであった。吸血鬼の聴覚である。
「後ろめたい事があるなら、さっさと白状したほうがいいわよ。でないと、つい手が滑ってフランの部屋とかに放り投げちゃうかも」
ぞっとするほど冷たい声色に、パチュリーはぴんと背筋を伸ばした。
「ごめんなさい。どうせ分かりやしないだろうと思って、偽物渡して機嫌取ろうとしてました。でも悪いのは小悪魔です。妹様の部屋に放り込むなら私じゃなくて小悪魔だと思います」
「えーそりゃないですよー。どう考えても悪いのはパチュリー様じゃないですか」
ぎゃあぎゃあと醜く責任をなすりつけ合う二人を、レミリアは呆れたような目つきで見ていた。
「……ったく。まあいいわ。小悪魔。私の部屋のタンス。分かるな? あそこの奥に一本のバットがあるから、取ってきて」
親指で部屋の方向をレミリアは指し示す。小悪魔は、はい! と普段じゃ考えられないくらいのきっちりした返事をして、逃げるようにとたとたと走り去って行った。
「……ねえ、パチェ。分かってると思うけど、次はないわよ」
「分かってるわよ。長い付き合いでしょ。その辺の一線の見極めを間違えるほど間抜けじゃないわ」
パチュリーは悪びれる事もなく、すでに普段の態度に戻っていた。
そんな友の姿にレミリアは一つため息をつく。
そうこうしているうちに、包みを抱えて小悪魔が戻ってきた。
「レミリア様、これでいいですか?」
「うん、そうそうこれこれ」
小悪魔から受け取った包みを、レミリアは自慢気に開封していく。
文はカメラを構え、好奇心を瞳いっぱいに湛えていた。
「どうよ! 見なさいこの、ミッ\そこまでよ!/ー・マントルのサインバットを! ってパチェ! どうしてあなたはいい場面に限って邪魔するのかしら?
なに? また放り込まれたいの? フランと楽しいほのぼのグランドゴルフをしたいの!?」
カッコよく言い放ったつもりの台詞に余計なノイズを入れられて、レミリアは相当腹が立っている。
しかし、手のひらをバンと前に出し、レミリアの口から禁断の言葉が放たれてしまうのを阻止したパチュリーは、ガーディアンとしての責務を履行しきった充実感に恍惚としていた。
「まあまあ。レミリアさん。今回に限っては私もパチュリーさんの行動を支持しますよ。
なんといっても○ッキーは、口に出してしまうには余りに危険な言葉ですから。いらぬ怪物を召喚してしまうかもしれない呪いの言葉です」
顔を赤くして語気を荒らげているレミリアを、文がなだめ始める。
「どうしてよ? ミッ○ー・マントルよ? 史上最強のスイッチヒッターじゃない!? 何のやましい意味もないわ。
何故伏字にしないといけないの? 彼に失礼じゃない!」
「ええ、分かりますよ。私だって本心じゃ苦々しく思ってます。でも駄目なんです。考えてみてください。
だって、ミッ○ーはこの国じゃ、夢の国のネズミの名前なんですもの。ウォルト・ディズニーの権力を舐めるのは賢明じゃありませんよ」
「う……そんなぁ……」
泣きそうな顔で、レミリアは偉大なスラッガーのバットを抱きしめている。
「まあ、そんなに落ち込まないでください。そもそもサインバットは人に自慢する物じゃないのです。
レミリアさんの心の中で、かのスラッガーは今も燦然と輝いている。その証明のためにサインバットを持つのでしょう?
だから、レミリアさんは、名前なんて気にすることなく、かのスラッガーに対する尊敬を抱き続ければいいのです」
「……そうだな、文。おまえがが正しい」
なぜか心通じあったように抱きあう二人を、椛は『そもそも最初に自慢し始めたの文さんだよなぁ。ほんと調子いいなぁ』とか思いながら冷ややかに眺めていた。
「さて、ところでですねレミリアさん。面白い噂を小耳にはさみまして」
熱い抱擁を終えた文は、再びメモ帳を取り出し、新聞記者モードに戻った。
「噂か? 話くらいは聞いてやってもいいぞ」
どうやらレミリアも平素の余裕を取り戻したようだ。
「レミリアさん。何でも野球大会を開くとかで、選手を集めていると聞いたのですが」
「ほう、よく知っているな」
「情報の早さがブンヤの命ですから。で、メンバーはどのくらいまで決まってますか?」
「ふむ、メンバーか」
まだ誰も誘っていないのだから、当然メンバーはレミリア一人である。
忘れかけていた事を思い出して、レミリアの顔が少し曇った。しかし、同時に眼光は鋭くなった。選手を見極めようとするスカウトの瞳である。
幸いにして目の前には傑物らしき人材がいた。野球にくわしく、幻想郷最速と言われる足を持つ鴉天狗。射命丸文。
「なあ、文。よかったら、私のチームに入ってみないか? 勝つためには、おまえの力が必要なんだ」
勧誘しない手は無かった。
突然の誘いではあったが、しかし文はさして驚いた様子も見せない。にやりと笑う。まるでレミリアがそう言う事を見通していたような笑みだった。
「実はその言葉を待っていたんです。外界の球場が幻想入りしたって聞いてから、あそこで一度プレイしてみたいってずっと思ってたんですよ。
センターは任せてください。自分で言うのもなんですが、守備範囲の広さには絶対の自信を持っています。そして……椛」
文の言葉を受け、椛が一歩前へ進み出る。その手にはいつの間にかアオダモのバットが握られていた。
通常より随分と細く見えるその握り手は、彼女がもっとも扱いやすいように試行錯誤を重ねた末の加工なのだ。
「遊撃はこの子に任せてくれて大丈夫です。なかなかセンスいい守備をするんですよ。
それにスピードもありますし、細かいプレイもできる。バントだって得意です」
「ほう、それは素晴らしいな。どっちにしろ、殆どの席はまだ空席だ。喜んでチームに迎え入れよう」
椛はぺこりと軽く頭を下げた。
「私もいいかしら? 迷惑かけたお詫びの意味も込めてね」
「パチェ? まさかパチェの口からそんな言葉が飛び出すとは思わなかった。しかし体は大丈夫なのか?」
「出来れば負担が軽いポジションを貰えたら嬉しいけどね。DHがないならファーストかしら。
あと小悪魔もメンバーに入れてしまいましょう。確か魔界ではソフトボールでセカンド守ってたって話だし」
「あ、私も出ちゃっていいんですか? やった、久しぶりの球技ですよ。腕がなりますねぇ」
思ってもいなかった友と、その従者の申し出に、レミリアは熱いものが胸に込み上げてくるのが分かった。
それは感謝であり。野球という嗜好を共有できた事への喜びであった。
「ああ、頼むぞ。文も椛もパチェも小悪魔も。私にその才覚を預けてくれ」
この瞬間、野球監督レミリア・スカーレットが、始動を始めたのだった。
センターフィールダー 射命丸文
ショートストップ 犬走椛
ファーストベースマン パチュリー・ノーレッジ
セカンドベースマン 小悪魔
を獲得しました。
埋まっていないポジションを埋めるべく、レミリアは考えを巡らせていた。
「ふむぅ。しかしチームを作るとなると、クリンナップを安心して任せられる。そんなバッターがあと一人欲しいな。
4番には私が座るとして、3番を打てる選手が欲しい。文、誰か心当たりはないか?」
「そうですねぇ。ああ、そういえば、一人知ってますよ。野球に関しては少し変わり者ですが、レミリアさんならきっと大丈夫でしょう。
紹介しますから、ついてきください」
文の導きに従い、少し歩を進めた先に彼女はいた。短く切りそろえた金髪に、凛々しく知的な横顔。八雲藍。
数学の天才である彼女は、文が太鼓判を押す一流のスラッガーでもあった。
二言三言文と言葉を交わした藍は、ふむふむと頷くと、レミリアのそばに歩み寄る。
「レミリア・スカーレット。質問だ。年間40の盗塁を決めるだけの傑出した走力を持つ外野手マイケル・ボーン。
しかし、そんな俊足の彼が、その実1番バッターとして今一つだった理由は?」
瞳にはどこか挑発的な色が含まれていた。試されている。レミリアはそれを悟る。しかしレミリアは微笑みすら浮かべ、余裕を以って問いに答えてみせた。
「簡単だ。リードオフに求められるのは出塁する能力。しかし残念ながら彼の出塁率は三割にも満たない。三割五分が合格点と言われる一番という役割で、この数字じゃさすがに低すぎる」
「なるほど。では次の言葉の意味を答えてもらおう。OPS?」
「出塁率+長打率。強打者の評価をする指標だ」
「IsoD?」
「出塁率-打率。高ければ高いほどより多くの四球を選べるバッター。選球眼をはかる指標だな」
「WHIP?」
「1イニングあたりに出す走者数。低ければ低いほど安定した投球をするピッチャーと言える」
「ふむ……」
どうだとばかりに、自信満々な笑みを向けるレミリアに、藍は顎に指をそえて、何やら思案している。
「……なかなかよく勉強しているようだな。
あらかじめ言っておく。私はセイバーメトリクス(野球のデータを統計学的に分析し、より客観的な視点で選手の実力を測ろうとする理論)の信奉者だ。
数字に対して、並々ならぬ執念を抱いているが、それでもおまえに私を使う事ができるか?」
「セイバーメトリクスは確かに価値ある思想だ。私はそれをよく理解している。
作戦を立てる上で大いに役立てるつもりだし、その時は八雲藍。お前の頭脳を借りたいとも考えている。
ただ、いまだセイバーメトリクスには不完全なところがあるのも確かだ。例えばスモール・ベースボールの評価とかだな。
それをもっとも理解しているのも八雲藍。おまえだろう。
だから私はデータという強力な武器を装備しつつも、それには決して振り回されない采配を心がけるつもりだ。
どうだ八雲藍。一緒に来い。野球をしようじゃないか」
レミリアの朗々たる声は、藍の耳に力強く伝わった。ふっと可笑しそうに笑いをこぼす藍。
「いいだろう。レミリア・スカーレット。この自慢の頭脳、あなたに預けよう。
はは、どうしてだろうな? 年甲斐もなく興奮しているよ。楽しみで仕方ないんだ」
「それが野球の力だ。その熱い思い決して無駄にはしない。だから私を信じて付いてきてくれ」
「ああ、よろしくな監督。」
「うむ、よろしくだ」
藍が右手を出す。レミリアもそれに応える。固い握手で二人は結ばれた。
ライトフィールダー 八雲藍
を獲得しました。
「さて、だいたい埋まって来た感じだが、肝心のピッチャーがいない事に私は気付いてしまったぞ。
いくら打線が優秀でも、ピッチャーがいないと試合にならないじゃないか。誰か心当たりはないか?」
打順とかをメモした紙にえんぴつをすらすら走らせながら、レミリアはチームのメンバーに尋ねた。
「そうですねぇ……山に戻れば私の同輩で結構いい球を投げるのがいるのですが、今日は来てないみたいで……」
「私も同じような感じだな。紫様に出張ってもらえたなら心強かったのだが……しかし珍しく別件が忙しいとかで、丁度家を空けていてなぁ」
「むう、つまりは自力で探すしかないわけか。……まあこれだけいるんだ。ピッチャーが務まる奴も一人くらいはいるだろう」
ぐるりとレミリアは周りを見渡す。
(ねえねえ、ピッチャーを探してるんだって? ならいい話があるのよ、ちょっと耳を貸してくれない?)
「ん……今何か聞こえたような……気のせいか。お? あれとかどうだ? いい感じの肩をしている気がする」
何やら耳にちょっとした違和感を覚えたレミリアであったが、どうせ大した事じゃないと捨て置き、目をつけた人材に歩み寄る。
「確か鈴仙って言ったかおまえ? 野球は分かるか?」
パーティーに供されていたツマミの類をあわててごくりと飲み込み、応対に当たった、何となく気の弱そうな月のウサギ。
鈴仙・優曇華院・イナバであった。
「野球……ですか? 一応ルールは知ってますが、実際プレイした事は……」
「ふむ、しかし何となく投げ慣れているような肩をしている。そういう経験はあるのか?」
「はあ、まあ一応ですね……」
鈴仙はソフトドリンクの入っていたコップをテーブルに置くと、右拳をぎゅっと握り、それで何かを投擲するようなフォームを描いて見せた。
「軍隊の出身なので。こうやって手榴弾投げる訓練は度々やってました」
「なるほどな、藍、どう思う?」
「外見の割に、とてもばねの強い体をしているな。伸びるストレートを投げられるタイプだ。
もちろん不足している部分はたくさんあるが、ずぶの素人をマウンドに上げるよりはずっといい」
「そうか、なら決定だな。鈴仙、話がある。聞いてくれ」
「え、あ? はい……」
レミリアが鈴仙を引き込むべく交渉を開始した頃。
さて、実はまだ誰も気づいていないのだが、レミリアに対して必死にアピールする人物がこの時すぐ近くにいたのであった。さっきのレミリアの幻聴の正体である。
「ねえ、聞いてよ! 私のお姉ちゃんは凄いのよ。魔球を投げれるの。ナックル。聞いた事くらいあるでしょ?
ボールに回転を与えない事で、常識にとらわれない曲がり方をする、究極の変化球だわ。そんな素人に投げさせるより、お姉ちゃんに任せた方がずっといいって。
ほらお姉ちゃんも何か言って。無視するなって言ってやってよ」
「ねえ、穣子ちゃん。思ったんだけど、私達ってものすごーく地味じゃない。だから多分気付かれていないんじゃないかなぁ?」
秋を司る神様姉妹。秋静葉と秋穣子の二柱であった。
「別にね、穣子ちゃん。私はそんなの別にいいのよ。投げられなかったら死ぬってわけでもないんだし」
「良くないよ。私はいつもお姉ちゃんの球を受けてるから知ってるんだけど、お姉ちゃんは絶対過小評価されてるんだって。
絶好調の時のナックルを打てるバッターなんて、幻想郷中探してもいやしないに決まってるわ。それを知らしめたいの。
だから、何としてもお姉ちゃんに投げてもらわないと。その為なら私はなんだってするよ」
「穣子ちゃん……」
強靭な姉妹愛に支えられ、穣子は一生懸命声を張り上げる。
しかし現実は非情で、結局一度も存在に気づいてもらう事が出来ないうちに、鈴仙は首を縦に振ってしまったのだった。
悔しそうに歯噛みする穣子。こうなったら実力行使だと、手近な花瓶を持ち上げ、鈴仙の頭に叩きつけようとした、その時であった。
穣子は見た。おぞましいまでに紅い、悪魔の瞳を。
もっとも悪いタイミングでレミリアに存在を知られた事を穣子は知った。値踏みするように絡んでくる視線。穣子はある種の恐怖を感じていた。
怒っているのかもしれない。そう考えると、無意識に体が震えてしまうのだ。
「ふむ、おまえはあれだな……」
レミリアの口が開かれる。穣子はどくりどくりと脈拍が速くなるのを感じていた。
「何となくキャッチャーっぽい気がする。
よし、正捕手に任命しよう。不慣れな鈴仙をリードしてやってくれたまえ」
「え? まじで?」
予想していなかったレミリアの台詞に、思わず素っ頓狂な声が出た。
まさかの勧誘に、穣子は静葉の反応を横目で伺う。穏やかな、しかしどこかさびしげな姉の瞳があった。
「お姉ちゃん……」
物心ついた頃よりバッテリーを組んできた。姉の投げる魔球を捕球できるのは己だけだという自負も持っていた。もっとも信頼できる相棒。
穣子は知っている。姉が抱くピッチングに対する情熱を。その寡黙さには似つかわしくないまでの激烈なこだわりを。そしてその結果手にした実力を。
唇をかみしめた。目の前で吸血鬼は、どうだ嬉しいだろうと満面の笑みで勧誘の手を伸ばしている。
穣子は決意を胸にレミリアにまっすぐな視線を向けた。ともすれば敵愾心とも取られかねない瞳の強さである。強固な意志を以って、回答が発せられた。
「レミリアさん、ありがとうございます! 誘っていただけるなんて凄く光栄です。えーと、鈴仙さんの得意はフォーシームでしたっけ? もちろんOKですよ。
伊達に長い事キャッチャーやってないんで。最善のリードを心がけますよ」
鮮やかな裏切りであった。
うむうむと満足げにうなずくレミリアの陰で、静葉は何とも可哀想な表情で目に涙をためていた。そして、
「穣子ちゃんのばかー!」
「あ、お姉ちゃん!?」
右腕の袖で涙をぬぐいながら、脇目もふらず会場から走り去る静葉。
追いかけるという選択肢に穣子が思い至った頃には、すでに会場の外という、素晴らしい走力であった。
「ほう、いい足をしているじゃないか。あれはおまえの知り合いか? なるほどチェックしておこう。
レフトあたりに突っ込んでおくか。下位打線に足が使える選手がいると何かと便利だしな」
そしてレミリアはマイペースだった。
ピッチャー 鈴仙・優曇華院・イナバ
キャッチャー 秋穣子
レフトフィールダー 秋静葉
を獲得しました。
かくして揃った9人の戦士達。
監督のレミリアは感無量といった表情で、打順表を眺めていた。
1番 センター 射命丸文
「私が塁に出たら、ヒット一本でいいです。それで何とか一点をもぎ取ってみせますよ」
2番 ショート 犬走椛
「まあ、最低限の仕事はきっちりやりますよ」
3番 ライト 八雲藍
「ボール球は見逃して、ストライクゾーンに入り込んだ球だけを強打する。ほら、簡単だろ?」
4番 サード レミリア・スカーレット
「テッド・ウィリアムズよ、ウィリー・メイズよ、ロベルト・クレメンテよ。偉大なスラッガー達よ私を祝福して頂戴」
5番 ファースト パチュリー・ノーレッジ
「バット? まあ握るのは始めてだけど扱い方なら本で見て知ってるわ。要するにボールにぶつければいいんでしょ。難しいことじゃないわ」
6番 セカンド 小悪魔
「実は私、魔界でソフトやってた時は、コキュートスのリーサルウェポンとか呼ばれてて、結構有名だったんですよ」
7番 レフト 秋静葉
「ナックルで外野捕殺は、流石に無理かなぁ。まあ、肩には自信あるから返球は任せて」
8番 キャッチャー 秋穣子
「お姉ちゃん頑張ろうね。ここで活躍すれば私達の知名度もぐっと上がるに違いないわ」
9番 ピッチャー 鈴仙・優曇華院・イナバ
「え、えーと。こういうのは初めてだけど、頑張って投げ切ります」
突然の申し出にもかかわらず、ナインの一員として共に闘う事を約束してくれた仲間である。
その意思は絶対に無駄にできないとレミリアは今一度、決意を強くした。
そのチームレミリアのメンバーは、今、深紅のユニフォームに身を包み、出陣の時を今か今かと待ち構えている。
心強い。レミリアは思わず唇を緩めた。
ふと視線を向こう側に向けると、そこには純白のユニフォームに身を包んだ9人の戦士。
どうやら咲夜も問題なく9人のメンバーを集める事に成功したらしい。
よくよくその面子を眺めれば、博麗霊夢に霧雨魔理沙。風見幽香や伊吹萃香といった顔が見える。
一際気合が入っている感じの東風谷早苗は、スモール・ベースボールこそが最強なんですよと熱く語っていた。
すぐ隣でその熱弁の直撃を受けているアリス・マーガトロイドは、心底鬱陶しそうな表情を浮かべつつもなんだかんだで話に付き合っている。
そのまた隣、魂魄妖夢は精神を集中させるよう静かに眼を閉じていた。
ふむとレミリアは顎に指を伸ばした。
個人個人の能力では、若干向こう側に分がありそうだ。
しかしレミリアは知っている。野球とは一人のスーパースターだけで勝てる競技じゃない。
最後に勝つのは、9人の力をより集結させたチームなのだ。だからこそ監督としての腕がなった。
レミリアは思う。なんにしろ面白い野球になるのは間違いなさそうだと。
その思いを胸に、心底楽しそうな表情のまま演台に上った。そして声を張り上げる。
「諸君! 本日はわたくしレミリア・スカーレットの我が儘に付き合ってくれてありがとう。心の底より感謝したい。
その御礼に私は、この監督という肩書を誠意をこめて完遂するつもりである。もちろん、もう一人の監督である咲夜も同じ気持ちだ。
必ず素晴らしい試合にしてみせる。レミリア・スカーレットの名と姓に誓おう。
だから諸君らも、力の限りプレイをし、なおかつ最大限に楽しんでいただきたい。
……まあ、あまり長話もあれだな。何しろ私自身が今すぐにでもバットを握りしめ、フルスイングしたくてたまらないのだ。諸君だってそうだろう。
さあ、決戦の場に向かおうか。ヤンキースタジアム。先人の残した数々の名勝負に、我々が新たなページを書き加えるのだ!
第一回紅魔館野球大会の開催をここに宣言するぞ!」
開会宣言に会場は沸き立った。
館の大扉が開け放たれる。レミリアを先頭に、ユニフォームを身に纏った18人の戦士は意気揚々と行進を始めた。
その顔つきは何ともさわやかで、いまだ金銭に塗れぬ高校球児の、ひたすら愚直で清々しい、白球とアオダモに対する信仰がそこにはあった。
その様を一瞥し満足そうに笑うレミリアは、雲一つ無い青空を指差し、高らかと声を響かせたのだった。
「見なさい! あれ程どんよりしていた空が、今はすっかり雲も消え失せ、これ以上ないって快晴! まるで私達を祝福しているようじゃないか。
極上の野球日和! 私は確信しているぞ。最高の試合になる! 最高の野球になる! ああ、なんて素晴らしい精神の昂りだろうか!
さあ、行こう。決戦の舞台へ! 青空と太陽の下、私達はこの世でもっとも高尚な汗を流すのだ!」
レミリア・スカーレットは灰になった。
~game and set~(次回は無理せずナイトゲームで臨もう)
・・・・おぜうさまー!
それにしてもピッチャー、紫でYUKARI劇場が連想される俺は末期…
そしてこれが伝統と信頼の灰化オチかw不憫すぎるから誰か何とかしてあげてwww
壊す気満々ですね。
しかし野球ですか…なんかとてつもない勝負になるような
気もしますね。
そしてオチが……お嬢様が灰に…。
面白かったですよ。
誤字の報告
>「確かにそう見えるわ。でもね、パチュ。
ここだけ…かな?『パチェ』ではなく『パチュ』になってますよ。
もっとネタが理解できてたら楽しめた気がする
しっかし決勝は胃の痛い試合だったなぁ、ここで言うことでもないか
これこそ真の『フィールド・オブ・ドリームス』だ‥で、あのオチかよっ!(笑い死に)
>文も椛もパチュも小悪魔も。
パチェがパチュになってます。
WBC、凄かったですね。幼女をバーに誘うビリーは、球団じゃなくて刑務所行け、と思いますがw
それにしても詳しいですね。
ヤンキースタジアムの幻想入りは早すぎるだろう。
そろそろ広島市民球場も幻想入りするのかな?
最後にWBC優勝おめでとう!!
そしてセンバツも忘れずに!!
頼んだ!
吹いたwww
ちくしょう試合楽しみにしてたのにっ!
WBC優勝おめでとうコノヤロウ!!
それにしてもなんでお嬢様はそんなにメジャーに詳しいんだwww
オチが秀逸すぎる
てかオチがやばすぎww
次はナイトゲームに期待!!
タイトルはそういう意味だったのかー
てっきり9人集まったけどお嬢様抜けて8人ってこと!?って思ったw
ところで、東方で野球と言うと
マハトマ・ガンジーのサインバットが出てくるのは俺だけか?
あっさりな癖にインパクトデケェwwwwwwwwwwwwwwwwww
ピッチャーはやっぱり魔理沙かしら?ゆうかりんは四番センターっぽいイメージがありますね。
俺もお嬢様と野球話したいな。
>>マハトマ・ガンジーのサインバットが出てくるのは俺だけか?
私もです。
あとWBC優勝おめでとう!!
なんだこのオチはwwwwwww
「Mahatma Gandhi」を期待したのは自分だけじゃないはずだっ…!
と思ったら、やはり同士がたくさんw
しかし、Flower on lake に負けず劣らずな野球ものを再び読めるとは、
作者には感謝感激雨あられです!
こんだけ野球フェチなSS初めて読んだ。
おせうさま復活後のナイター編読みたいっす!
しかしガンジーバットに期待する同士が本当に沢山でびっくり。
無論私も期待していた中の一人でしたがががw
何を考えてデイゲームやろうとしたんだおぜう様・・・
あんたが何かやってくれると思ってたが……これはひどいwww
ゆうかりんのゲレーロ並の悪球打ちを期待したのに…
萃香はセクソンみたいな扇風機かと期待したのに…
オチがwwwwwwwww
アンタも大人語んなら夜間のイっちょ前にドレスメイクした優雅で、
それでいて滑稽な見世物演じようぜ、レミィよぉ・・・
うわ!ナマ言ってすいません!!別にn(ピチューンww
是非続きを!!
野球知らなくても面白いと思わされましたわー。
やばい、ガンジーバットが出てきた作品を忘れてしまったw
もう一回見たいぜw
くそう、それにしても試合見たいなぁもぅ!
まさか、小悪魔さえも出演してあまつさえレミリアチームに入っているにも関わらず、本文中で一言も触れられていない門番なのでしょうか。
もし計算していたのならば、脱帽です。
なぜ、そんなモノを投げられるw
おいおい「完」にしてどうするよ
美味しい所を持って逝くなwwwwwwwww
ナイター試合を希望する!!
天子じゃ! 誘われなかった天子の仕業じゃ!
静葉お姉ちゃんのナックルボールは、あれですか、「狂いの落葉」?
ああオチが全てを持っていってしまった
爆笑するしかないw
面白いお話をありがとうございました。
最後の行で思いっきり吹いてしまった。100点差し上げます。
今までの盛り上がりを一気に落としてくれた!落ちとしてこれ以上はないだろう。
……野球、期待してたのになぁ
野球を知らない奴から言わせれば、いちばん疑問を覚えるべきは多分絶対、ナチュラルに野球マニアが多い幻想郷なんだぜ。
俺は奴らの会話についていけなかった。
が、ナイターに期待したくなる。
俺のわくわく感を返してwww
きっと試合になったらもっと面白いのだろうと思いました。妄想が膨らみます。