※この作品は、作品集80「9=8」の外伝的位置づけですが、元の作品を読んでいなくても恐らく問題ない仕様となっています。しかし、ノリは元の作品と同じです。というか悪化しています。
つまり読者に親切でない固有名詞がいっぱい出てきてやりたい放題です。ご注意ください……。
『Change! Yes! we can!』
「河童に頼んで作ってもらった、36型ハイビジョンブラウン管テレビデオの中にて、情熱的なジェスチャー交えつつ弁舌を振るう、男前な某合衆国黒人大統領。
蝙蝠羽をぱたぱたさせつつ、すっかり画面に釘付けになっていた私が、彼の言い放ったフレーズにいたく感銘を受けたのは、きっと至極当然な事であったのだろうと思う。
MLBオールスターゲームの始球式参加がため、セントルイスはブッシュ・スタジアムまで遥々ワシントンから駆け付け、シカゴ・ホワイトソックスの熱烈なファンでもある彼。
野球好きの演説が心に響かない訳がないだろう?
ああ……チェンジ!
なんて大きなわくわくを内包した言葉だろうか?
より良き未来に対する莫大な期待と、幾らかのギャンブル性を伴ったスリル。
……ん? 女の子の前で三回この言葉を繰り返したらヤクザが来て酷く怒られた。死ぬかと思った? ……あー、そういうの、私はまだ子供だし? ちょっと分からないかな、うん。
それはそうとして。
チェンジなのである。日本語だと変革なのである。
組織において変革とは、しばしば必要とされるものなのだという事実を、私は彼の饒舌な演説によって確信した。今なら某小浜市の少々空回りな応援団よろしく、フラダンスだって喜々として踊れる。
変革の実例を一つ上げてみよう。
1947年、ブルックリン・ドジャーズでメジャーデビューを果たした黒人内野手ジャッキー・ロビンソンとメジャーリーグ機構の場合だ。
今となっては信じられないだろうが、当時、メジャーリーグは白人だけのものだったのだ。
マーティン・ルーサー・キング・ジュニア牧師が「I have a dream」で始まる、かの有名な演説を行ったのが1963年。
公民権法制定によって、人種差別を合衆国の法律が否定したのがその翌年の1964年。
つまり、ジャッキーがメジャーのフィールドに降り立った、戦後間もない47年というのは、未だ人種差別の嵐吹き荒ぶ、黒人は劣等のレッテルを張られるが当然の時代であったのである。
だが、ジャッキーは、差別の罵声にも負けず、その並はずれた運動能力を武器にフィールドに立ち続けた。
いや、しかし彼の最大の武器は、その肉体よりも、差別の逆流に耐え続ける紳士的なその姿勢であったのだろう。
ジャッキーが契約を結ぶ際、彼の理解者の一人であり、ドジャースのオーナーであるブランチ・リッキーは言った。
『君はこれまで誰もやっていなかった困難な戦いを始めなければならない。その戦いに勝つには、君は偉大なプレーヤーであるばかりか、立派な紳士でなければならない。仕返しをしない勇気を持つんだ』
そして、ジャッキーの右頬をぺちんとはたく。
リッキーは、怒りを僅かにも見せること無く、穏やかにこう答えた。
『私の頬はもう一つあります。御存じですか?』
ああ! 実に感動的なエピソードではないか!
フランに是非とも見習わせたい。
靴下を片方脱がすと、『お姉さま、私の靴下はもう一つあるのよ。方っぽだけで満足できて?』と、甘い声で囁く。そういう姉妹愛を熱烈に確かめ合うイベントをだな、フランなら理解してくれると思ったのに! 思ったのに!
……いいじゃん! 靴下くらい、ぱんつよこせって言ってる訳じゃないんだし。
ん? 靴下は履いたままだからこそ価値がある?
ふむ……。
中々に目の覚める提言だ。考慮の余地がある。
しかし、この問題に正しい結論を出すには、百年単位の膨大な時間とマリアナ海溝よりも深く、ピータンよりも熟成した議論が必要となるだろう。とりあえず今は保留しておこうか。
……ああ、なんの話だったか。
そうそう、ジャッキー・ロビンソンだ。
メジャーデビュー後の彼の活躍は素晴らしいものだった。
デビューの年に新人王を獲得。2年後にはナ・リーグMVPを獲得。オールスターには6年連続で出場した。
そんな彼の活躍に、観客も大きな喝采を浴びせた。
公民権運動にも積極的に参加。まさにメジャーリーグにおける黒人選手の道を拓いた選手と言えるのだ。
ハンク・アーロン。ウィリー・メイズ。バリー・ボンズ。
球史に名を残す黒人プレイヤー達。しかし、彼らの偉大なるキャリアは、ジャッキーの巨大な足跡があったからこそ存在しえたと言い切っても、決して大げさではない。
そして今や、メジャーリーグでプレイする選手の国籍は優に10を超え、実力さえあれば肌の色に関係なく、彼らは思う存分プレイを見せつける事ができるのだ。
現在ジャッキーの背番号42番は、全ての球団で永久欠番となっている。
それは、人種の壁を乗り越えるという偉大な変革をメジャーリーグが果たした事を証明する名誉の数字。
偉大な先駆者、ジャッキー・ロビンソンの成し遂げた変革を称える輝かしい数字。
私は不屈という手段を以って逆境と戦い抜いたかの紳士に、心の底よりのリスぺクトを宛てるものである!
さて、少々前置きが長くなったが、そろそろ結論へと移ろうか。
そう、すなわち今の我々に必要なのは変革なのだ!
既存の概念を打ち砕き、新風を吹き込む変革! それこそが、我々をより新鮮でワンダフルな我々に進化させ得る!」
今の私は、自分で言うのもなんだか最高にかっこいいと確信できる。
ベースボールに公民権運動を絡め、変革の必要性を華麗に説いたこの知的にして感動的な演説。かのジョン・F・ケネディだって真っ青だろう。
少しばかり息は上がっている。若干の汗も掻いた。そりゃそうだ、それだけのエネルギーを費やした演説だったのだから。
感情を揺さぶり、大衆を扇動すらしかねない熱い熱い弁舌。
もうケネディとか目じゃない。今の私なら全盛期のヒトラーにだって勝てる。
そんな、殆ど戦略兵器みたいな演説の熱気を間近で浴び続けたのだ。聴衆の咲夜の身が少し心配だった。
彼女は鍛えているから、熱狂のあまり気を失っていたりはしないと思うが、しかし興奮に鼻息荒くしているくらいは十分考えられる。
そんな瀟洒からかけ離れた彼女の顔を見て、もしプゲラwwwとか笑っちゃったらどうしようとか、少しの心配をしながら、私は彼女の顔を覗き込んだのだけど……。
……なあ咲夜。どうしてお前はそんなに眠そうな瞼をしている。
「そりゃ、眠いからですよ……」
ぐしぐしと目元を擦り、欠伸を噛み殺し軽く涙を浮かべ。
ナウタイムにおける私の最も親愛な友人は低反発マットレスと、羽毛のかけ布団と、安眠枕の三人衆ですわって顔してやがる。
「お嬢様お言葉ですが……」
「ん?」
若干赤くなった目に、不機嫌そうな色を湛え、彼女は言う。
「一体何時間喋っていたと思うのですか? 最後のバラク・オバマ大統領の辺りからは、まあ、よしとしましょう。
しかし、そこに至るまでの前振り。1977年のポストシーズンを一試合ごと丁寧に解説するなんて離れ業を見せてくれたお嬢様の知識には頭が下がりますが、しかし、そこまで綿密な解説が今必要だったのか? 酷く疑問ですわ」
「いや……だって77年っていうと、“ミスターオクトーバー”レジー・ジャクソンがワールドシリーズで三打席連続本塁打を放って伝説をつくった……」
「ああもう! ああもう! 77年はもうまっぴらですわ! 頭がおかしくなりそう。お嬢様。それ以上続けるおつもりなら、これはパワハラですわ! 閻魔に訴えてやるぅ!」
……やっべ、今の咲夜、どうしてか分かんないけど超怒ってる。
主の金言を前に清聴以外の選択をした彼女の不躾を正すべく、軽い説教をしようと思っていたけど、それは、もういいかな……。
彼女は、3時のおやつのモンブランに、マロンクリームと間違えた振りしてチューブ一杯の練りワサビを乗っけられる女だ。
『……お残しは、許しませんよ』
柔和な笑みに、ダマスカス・ナイフの声色。
あの時は本気で死ぬかと思った。咲夜を本気で怒らせてはならない。
「ご、ごめん咲夜……」
理不尽だと思いつつもぺこりと頭を下げる。
バッドエンドへ直結する選択肢をぎりぎりで回避する能力は、我が悪友に付き合わされてプレイした美少女攻略ゲーによって培われたものだ。
『はい』『いいえ』の選択肢を一回間違えただけで、ヒロインに後ろから心臓を出刃包丁でぐさりとやられる。そんな修羅の国での経験が初めて役にたった。今だけはパチェに感謝してもいい。
私の誠意の塊みたいな謝罪に、流石の咲夜も機嫌を直してくれたらしくて、平静な表情で口を開いてくれた。
「……で、要するにお嬢様が言う変革とは、お屋敷のリフォームという事でよろしいので?」
「うん」
その通りなのである。我が紅魔館本年度の目玉事業。館の大改装。
これをする意義を咲夜に説くため、あれだけの熱烈な演説を私はしたのだ。
「しかし、変革とリフォーム。この二つは線で繋がらないような気がするのですが……」
怪訝そうな咲夜の声に、私はチッチッチと人差し指を振る事で応える。
「“人は石垣、人はキャッスル”戦国日本のダイミョウ、シンゲン・タケダの格言にならえば国家も屋敷も人が織りなすものと言う点で同じだわ。
つまり屋敷をリフォームする事は、国家におけるチェンジに相当する。
過去の伝統を尊重しつつ、新たな価値観を導入する。それによってより瀟洒で素敵な紅魔館へと発展できるのだ」
「はあ……てか、どうして中途半端に日本知ってる外人みたいな喋り方なんですか?」
「そりゃ、外人だし、私」
「そういやそうでしたね……。ネイティブな日本語を嗜まれるからすっかり失念しておりましたが。
ああ、しかし、そうそう、お嬢様は外人ですから知らなかったのでしょうが、かの御仁を武田信玄と呼び捨てにする事は、実は古来よりこの国では禁忌とされているのです」
「え? まじ? そんなの、初めて聞いた」
「まじです。信玄公と呼ばなければ、信州人に殺意籠った瞳で見つめられるのですよ。いや、見つめられるだけならいいのですが……。
何しろ信州といえばもののふの国。かの国家の住人は、今でも武田最強騎馬軍団の血統を頑なに墨守し、信玄公をないがしろする者を見つけたなら即座に血祭りにあげられるよう、赤備えと十文字槍の手入れを欠かさないと聞きます。
いやはや、実に恐ろしい」
「やべぇ……信州マジやべぇ」
守矢のとこの青巫女は、最近常識を捨てたとか、清純さが嗜虐趣味に浸食されたとか、色々と言われているが、なるほど、つまりはそういう事だったのだ。
信州人。恐るべき血族。
その余りに濃く、そして闘争に特化した血が、ただの可憐な少女であった彼女の精神をじわじわと蝕んでいるとすれば……。
『くっ……腕の疼きが……駄目だ出てくるな! お前はまだ出てくるな! 大人しく私の中で眠っていろ! ぐ……ぐわぁぁぁ!』
いつぞやの宴会で、一瞬で場を白けさせた彼女の痛々しい奇行も、同情してあげてよかったのかもしれない。
うん。次、彼女が紅魔館に来た時にはおいしいものを御馳走してあげよう。……あ、でも信州人って何食べるんだろ?
「主食は信玄餅ですわ」
信玄餅かぁ。紅魔館には置いてないなぁ。
変なもの食べさせて、十文字槍振り回されても堪らないし、また右腕が疼くとか言われても反応に困るし……。
「仕方ないから、次に彼女が来た時は丁寧にお帰り願って」
「御意。美鈴に伝えておきましょう」
かわいそうだけど、これ政治なのよね。
貴方に罪はないけど、血に罪はあるの。恨むなら御先祖様のロリガエルを恨んで頂戴……。
「……さて、話を戻しましょうか」
守矢の憐れな少女への同情を断ち切るように、ごほんとひとつ咳払いをする。
咲夜が口を開いた。
「お嬢様。質問があります。お屋敷のリフォームは決定事項として、一体どのようなリフォームを行うおつもりなのでしょうか?」
「それは咲夜のセンスに任せるわ。
ただ、それだけじゃ咲夜も逆に困るでしょうから、主としての希望も少しだけ。
図らずも今日の日付は8月9日。何の日か分かるかしら?」
「ムーミンの日ですわ。フィンランドの辺境に位置するムーミン谷出身の妖精シモ・ヘイヘが、モシン・ナガンM28狙撃銃とスオミKP31サブマシンガンを手に、赤軍兵士をばったばった射殺していく国民的ほのぼのハートフル・スプラッタ・アニメーションの原作者の誕生日。
第4話の『殺戮の丘~白い死神と赤いクリスマス~』は、故郷より遠く離れた戦地でのささやかな楽しみとして、赤軍兵士達が開いていたクリスマスパーティーに、サンタキャップ被ったシモ・ヘイヘがサプライズ訪問し、無表情のまま9mmパラべラム弾を無差別にプレゼントする感動的なエピソード。
作画が頑張り過ぎて異常にリアルな屍のどアップシーン含め、涙無しには見られない。正に神回と呼ぶべき回でしたね」
「ムーミンそういうアニメじゃねぇよ! そんなR-18Gタグ付くのが確実なトラウマアニメがゴールデンタイムのお茶の間に全国放送されてみろ! ピカチュウの10万ボルトが幼子をばたばたなぎ倒したあれ以上の社会問題だよ!」
このメイドは時々酷くすっぽぬけた事言うから困る。
思わず荒らげてしまった呼吸を落ちつかせながら、私は諭すように言葉を続けた。
「ゼエゼエ……いいかしら? そもそも8月9日がムーミンの日だってのは確かに正しい。しかし適切でない。
常識で考えてみなさい、8月9日は野球の日でしょう? 甲子園では連日、丸刈りの高校生が青々しく、しかし、溌剌としたプレイを披露し、メジャーリーグにおいては優勝争いが佳境に入るこの時期。
そう、ベースボール。私がリフォームに求めるのはそれなのよ。
勿論、野球場に改装しろとは言わない。そこまでは求めない。しかし、“野球のある毎日”。それをテーマとした館に私は住みたい。それを求めたい」
「野球をテーマにリフォームですか……それはまた大変な難題なように思えますが……」
「信頼してるわ咲夜。貴方ならできる。何しろ貴方程に私を理解している人間は、他にいないのだから」
「はあ……わかりました。出来るだけお嬢様の意に沿うよう、努力したいと思います」
「期待してる」
何だかんだで咲夜は優秀な従者だ。仕事ならいつも完璧にこなしてくれた。それは今回だって、そうだろう。
うんうん唸りながら、思案していた咲夜が、ぴこんと、何かを閃いたように顔を明るくさせた。
ほら、これでもう安心だ。後は全部彼女に任せておけばいい。
「準備に取り掛かります」と、一礼して部屋を去った咲夜を、私は笑顔で見送った。
さて、いくら咲夜の仕事が早くとも、リフォームが始まるにはもう少し時間がかかるだろう。
時間を潰すため、夜まで少し睡眠を取る事にしようか。
◆ ◆ ◆
「お嬢様、リフォームの準備が整いました!」
咲夜が喜々とした報告を引き連れて、私の部屋を訪れたのは深夜と言って差し支えない時間の事だった。
ベッドの上、ぼんやりと目をぐしぐししていた私だったけれど、その報告に、寝起きの冴えない気分は一瞬で吹き飛んだ。
「よくやった!」と賛辞を送り、私は咲夜に先導されるまま、館の外に出たのだった。
煌々と輝く満月に、我が紅魔館が照らされている。
安全第一と書かれた黄色いヘルメットを皆一様に被り、妖精メイド達は整列をしていた。館で勤務するメイドを全て駆り出したという風だった。
「お嬢様。いよいよ大改装の時です」
同じようにヘルメットを被った咲夜が、嬉しそうに何かを差し出してくる。
それは箱だった。
黒と黄のしましま。工事カラーした手に収まる程度の箱。
そのまんなかには、赤いボタンが誂られている。
ふむふむ……これは、押せと言う事なのだろう。
咲夜が一体何を考えているかはちょっと分からないが、しかし、サプライズを解する彼女だ。
リフォームの開始に先立ち、私を楽しませるイベントを企画していても何らおかしい事はない。
「さあ、お嬢様どうぞ」
たっぷりの期待と好奇心。咲夜に促されるまま、私はボタンに指で触れる。
かちりと、小気味良い音を立ててボタンは押された。
にっこりした笑顔で咲夜が親指を立てた。私も同じことをしようとした。刹那、紅魔館が炸裂した。
「わぁお……」
衝撃音が私の耳を掻っ攫っていった。だから、目の前を漫然と眺めるくらいしかやることがないのだ。
見ろ、実に眩しい彩りだ。鮮やかな炎が高く高くあろうと無茶な背伸びをしている。天辺はあっちへこっちへ落ち着きなくゆれている。危なっかしいなぁ。
さて。
「咲夜、説明なさい」
「お屋敷のリフォームが完了致しました」
「誰が青空教室にビフォーアフターしろって言ったのよ! 劇的すぎるわよ!」
「匠の心意気が感じられますね」
「いや、悪意しか感じられないんだけど」
「依頼者の喜びの声が聞こえてきそうです」
「日がのぼったら断末魔が聞こえるわよ」
ねえ、謀反? これ、謀反なの? ねえ?
焦げくさい匂いが漂っていた。瓦礫が山になっている。爆風に屋根が綺麗さっぱり吹き飛ばされた紅魔館。
動揺する私を尻目に、妖精メイド達はあらかじめこうなる事が分かっていたかのように、消火活動を開始している。
ああ。いったい、どうしてこんな事に……。
やっぱり昼間の事、咲夜怒ってたんだ。
パワハラする主にはもう付いていけないって、見切り付けたんだ……。
うう……ごめん。今度からベースボールトークは1日2時間までにする。アルバート・プーホルスのサインバットが欲しいとか駄々こねたりもしない。
だから、許してほしいな? だめ?
明らかなびくびくを張り付け、上目遣いで咲夜の顔を覗き込む。
視線が交差した先、彼女の切れ長の瞳が湛えていた色は……?
「ん……?」
え……? どうしてそんなキョトンとした顔……。
「お嬢様、どうかされましたか? えらく深刻な顔して……」
え? えっ? もしかして天然!?
うっかりで館爆破!?
ドジっ子メイドスキル。まさかのこのタイミングで発動!?
ますます混乱する私に向かって、咲夜は胸を張って語り始めた。
「お嬢様は言われました。野球がある毎日を送りたいと」
「う、うん言ったわね。確か」
「そこで私はそんなお嬢様の願いに応えるべく熟考を重ね。ついに一つの結論を得ることに至りました。すなわち――」
その細い人差し指をピンと伸ばした咲夜は、その先っぽで大空を真っ直ぐ指し示した。
「――すなわち青空。お嬢様は常々言っておられました。
『昨今のドーム型球場の隆盛は理解する。時間や天候に囚われることなく試合が出来る事は多くの人々にとって幸いだ。しかし、そもそものベースボールの原点は、青空の下での試合にある。それを忘れてはならない』と。
その原点を尊重したのが、この青空のある紅魔館!
存分に年月を重ね成熟した佇まいを持つ館の中、爽やかな太陽光の下で過ごすうららかな午後は、さながらボストン・レッドソックス本拠地フェンウェイ・パークでのそれでありましょう!」
ああ、確かに正しい。ベースボールは青空の下で。この思想はまったくもって正しい。
故に咲夜のコンセプトによるリフォームは、限りなく正解に近い。私がもし吸血鬼でなかったなら、満点を与えてもいい。
しかし……私にとっては、本来些細であるはずの欠点が致命的すぎた。
「館すべてに爆風が行き渡る程の量のTNT火薬を掻き集めるのには苦労しました。
魔法の森の人形師にしてプロの爆弾魔、アリス・マーガトロイドの元を訪れる事から始め、最終的には河童の爆薬工場と交渉して……」
自信満々に語る咲夜の言葉を遮るようにして、私は言った。
「……青空の下じゃ、私生きられないよね?」
「はっ……そういえば!?」
ようやく気付きやがった我が従者は、普段の瀟洒っぷりからは想像できない、あたふたとした挙動をやり始める。
ふう……と私はひとつ溜息をついた。
「も……申し訳ありませんお嬢様!」
「咲夜が私の事を思って、こういう事をしてくれたのは分かっている。だから非難をするつもりはないさ。
それよりも、今は屋根の修繕をしようじゃないか」
できるだけ優しい口調に気をつける。とりあえず咲夜には落ち着いてもらわないと困る。
ちらりと館の方をに視線を流すと、あの眩しい揺らめきは殆ど消え失せ、概ね消火は順調なようだ。
咲夜が指揮を執れれば、すぐに作業へと取りかかれるだろう。
「は、はい……申し訳ありません、すっかり取り乱してしまって」
「いいさ、落ち着いてくれる事が今は一番だ。そして早く指揮を執ってくれるといい」
「あ、あの、その事なのですが……実は非常に言いにくい事なのですが……」
奥歯に物が詰まったような、はきはきしない物言い。
咲夜がこういう喋り方をするという事は、看過できない問題が発生している証拠だった。
「はっきり言ってくれ咲夜」
「実は、修繕するにも丁度資材が切れていまして……。ええ、十分な量の火薬と交換するには、倉庫一杯の資材が必要だったのです」
「河童にぼられてるじゃん。それ絶対」
いや、TNTの値段なんか知らないけどさ。
でも、あの山の性格悪い住人が足元見ないはずない。
私の倉庫からタダ同然で仕入れた高級資材を椅子やら机やらAIBOやらに加工して、暴利を貪ろうと企んでいる(に違いない)ホームファニシングスにとりには、後日制裁かますとして、とりあえず、さしあたっての対策を考えないと。
思わぬ失敗に動揺しまくりの今の咲夜では、少々心もとないのが事実。
このピンチに颯爽と現れ、スマートに解決してくれる誰かの出現を、無責任にも期待してしまっていた。
「ああ、2008年アメリカンリーグ、リーグチャンピオンシップシリーズ、タンパベイ・レイズVSボストン・レッドソックス第7試合におけるウィリー・アイバーみたいな誰かがここに現れたりしないかしら」
「あの……お嬢様。きっとその例えじゃ誰も理解できないと思います」
「じゃあ、同じく2008年ナショナルリーグ、リーグチャンピオンシップシリーズ、ロサンゼルス・ドジャースVSフィラデルフィア・フィリーズ第4試合におけるマット・ステアーズみたいなと言えば通じるかしら?」
「いや、ますます分からないかと……」
「は? 咲夜。あなたマット・ステアーズのことディスってるの? 7回を終えてドジャースとの点差は2点。ここで逆転しなければ勝利は絶望となる場面で、見事期待に応え、試合を決めるホームランを放ったのが彼なのよ。
いかつい顔と、6フィートにも満たない矮躯に秘めた漢気。18年の野球生活を経て今なお現役。カナダの剛腕。マット・ステアーズ!
そりゃ、そんなに有名な選手じゃないわよ? でもね、1番まで9番まで全てがマニー・ラミレスなチームに果たして魅力はあるのかしら?
……いや、それはそれで見てみたいっていうか、むしろ、そんなチームがあったら絶対ファンになるけど、まあ、ともかくあれよ。
マット・ステアーズを侮辱する事は私が許さない。あの試合で、彼は間違いなく救世主だったのだから!」
少々語気は荒くなっていただろう。頭に血が上っていた。後々考えると、随分とみっともない姿をさらしたものだと思う。
ぽんと、肩をたたく手。
私が冷静さを取り戻すには、彼女の出現を待たなければいけなかった。
「それくらいにしときなさいレミィ。咲夜、すっかり怯えちゃってるじゃない」
知識を死蔵させるプロフェッショナルにして、偉大なる引き籠り、そして我が悪友。
パチュリー・ノーレッジ。
いつだって、ヒートアップした私を止めてくれるのは彼女だった。
説得したり、なだめたりするのに時間を使うくらいなら、最初からロイヤルフレアの詠唱をかます剛毅でものぐさな彼女。
Like a Pavlov。彼女の前では私は冷静になる。それは体が覚えている事だ。殺す気で撃って来るから、そりゃトラウマにだってなるさ。
パチェが言うように、咲夜は殆ど半泣きになっていた。
「レミィの悪い癖だわ。時々沸点がとても低くなる。そんなのばっかしてると、いずれ禿げるわよ?」
「…………」
パチェに言葉を返すこと無く、私はそっと咲夜を抱きしめた。
思えば咲夜は失敗続きだったのだ。普段が完璧な故、失敗に慣れていない彼女。
私はもっと慮った態度で接するべきだった。
「ごめんね咲夜。私は、怒ってないから」耳元で囁いた。
「……大丈夫です。ただ、お嬢様に気遣いさせてしまったのがとても申し訳なくて」咲夜は涙目のまま返した。
全てが善意だったのだ。彼女は全て私の為に行動し、私のせいで失敗をした。
ならば、責任は悉く私のものではないか?
何故、彼女が気に病む必要があるのだ?
ああ、まったく……こう言う時、器用に振る舞えない自分の未熟さが嫌いだ。
「なあ、咲夜、もう泣かないでくれよ。無理矢理でいい、笑ってくれ。でないと、私まで泣いてしまいそうだよ。
責任を私にくれ。全部。これは命令だ。そして、いつもの瀟洒で完璧な咲夜に戻るんだ」
ぎゅっと、力強く彼女を抱きしめる。
指先で涙をぬぐった。
ぎこちなく彼女が笑う。
本当にぎこちなかった笑いだったのだ。頬の筋肉を無理に動かしたような。
でも、それでいい。十分だ。これで彼女は、いつもの完璧な十六夜咲夜へ、戻ろうとしてくれるはずだから。
願えるなら、足りない主を許してくれればと思った。
しばらくの沈黙。私と咲夜はじっと抱き合っていた。
「お嬢様……ありがとうございました、そこまでのお言葉をいただき、咲夜は幸せです」
咲夜がすっと立ち上がった頃には、その表情はだいぶ落ち着きのあるものとなっていた。
少し、安心する。
「うん、よかったと思う。あの場面でああいう事言えるようになったのは、レミィも少しは成長したのかしらね?」
肩をすくめながら、パチェは言う。
性格は悪いが、何度も助け船を出してくれた、何にも代えがたい友人だ。今回も彼女がいたからどうにかできた。
そこは、感謝している。
「はは、止めてよ。感謝されるとか柄じゃないし。皮肉屋で意地の悪い魔女。うぜぇって思われるくらいでちょうどいいのよ」
朗らかに笑むパチェはそっと私に歩みよった。慈しむような手つきで私に腕を伸ばす……と思った次の瞬間。
「きゃ……!?」
思わず声が出た。
私は著しく乱暴に豹変したパチェの手に胸倉を掴まれていたのだった。
「さて、責任が全てレミィに移譲された今、私は尋ねるわ。ねえレミィ? いったいこれはどういうつもりなのかしら?」
耳元で囁くその声は、酷く黒い。ポケットから頭を覗かせている彼女のデッキには、当然の如くノエキアンデリュージュが四枚積みされている。
やべ、パチェ実はすごく怒ってたんだ……。
デートスポットをお台場に選ぼうものなら、一瞬でその男を切り捨て、一人神保町へ歩いてゆく。それが彼女だ。
筋金入りのビブリオマニア。僅かでも蔵書に被害が及ぼうものなら、羅刹が如き憤怒で周りを恐怖させるのだ。
「咲夜にやらせず、レミィが自ら指揮を執っても、絶対同じ事をした。
リスペクト甲子園! とか奇声を上げながら、ダイナマイトでパンパンの紅魔館へ向かい、喜々として導火線に火を付けたに違いないわ。目に見えてる。
まあ、図書館は無事だけどね。こういう事もあろうかと、図書館の壁に仕込んでおいたから。
ただ、結界が上手く発動してくれなかったなら、今頃貴重な蔵書は炎の海の中で、憐れ断末魔の叫びを上げていたの。
今回の行為、レミィの真意を聞きたいわ。何故唐突にリフォームなんて言い出したのか? いくら貴方が短絡的だからって、そこまで浅慮とは思いたくないもの」
その声には凄味があった。
一切の虚偽や言い訳を許さない、暴力的なまでの意志があった。
観念せざるえなかった私は、ぽつりぽつりと、言葉を紡ぎ始めたのだった。
「この前さ、フランが言ってたじゃん……あの件のせいよ」
数日前の事を、思い出す。
五つ下の妹フランドール・スカーレット。
彼女と私の関係は大変に微妙なそれだ。
愛おしいという感情は勿論ある。それは時に、私の中で大きくなりすぎて押さえきれなくなる程のそれだ。
きっとフランの方もそうなのだと思う。
しかし、それでも私達の距離はどこか遠い。二人の間には溝がある。500年間何度何度も埋めようと試み続け、しかし未だ埋まらぬ深い溝だ。
簡単に埋める事などできないと知っているのだけど……でも、あの時フランがあんな事言うから。
それは、いつものように私が機嫌良くベースボールトークに花を咲かせている時だった。
史上最速投手“ジ・エクスプレス”ノーラン・ライアンの投球と歴史的意義について語る私の前で、フランは言い放った。
『ぶっちゃけ野球とか興味ないし……。私、カバディのプロになりたいの』
衝撃的だった。私の全てを否定された気がした。
『フラン……そこに座りなさい。私はそんな子に貴方を育てたつもりはないわ』
『……ふん』
説得しようとした私を完璧に無視し、彼女は地下の自室へと潜った。
絶望的なすれ違いを感じた。
リフォームを決意したのはその時だ。
どうすれば私達の関係は変わる事ができるだろうか?
きっと、こんなの聞いたら笑うだろうけど、本気で考え、本気で信じ、本気で変革しようとして思い至ったのが、リフォームという手段だったのだ……。
「本当に不器用なんだから、レミィは。でも愛情は本物だわ。酷く自分勝手で、やりかたを間違えたそれだったけどね」
ぽつぽつと、独白を終えた私にかけられたパチェの声は、ちょっとびっくりしちゃう程に穏やかだった。
怒ってると思っていた彼女。しかし、今の彼女はまるで聖母か何かのような、気持ち悪いまでに優しげな瞳をしているじゃないか。
胸倉を掴む手の力が、そっと緩められた。
「ごめんなさいね、レミィ。別に脅すつもりはなかったのよ。ただ貴方の真意を糺したかっただけ」
完全に離された手。視線は真っ直ぐ私の瞳を見つめている。
「すれ違い続ける貴方達を、私はずっと見てきた。もどかしくも理解しあえない貴方達を、私はずっと見てきた。
今から言うのは、もしかしたらとても烏滸がましい考えなのかもしれない。
私は所詮血縁の部外者だから。
しかし、友として一つ言わせて欲しい。何か大切なものを擲ってでも、妹様との距離を縮めたいと願うなら――」
その瞳は、今まで一度も見た事がないほどに、誠実で慈愛に満ちたものであった。
「――レミィ。貴方が歩み寄ってあげる事が、今は必要なのだわ」
ぐさりと、心に刃が刺さったようだった。
いや、内心では分かっていたのかもしれない。ただ必死で目をそらしていた。それが彼女の一言で露わとなった。
あまりに当たり前のようにそうしてきた私の傲慢、独りよがり。しかしそれこそが、全ての元凶であったのだ。
私は500年生きてようやく気付いた。
そう、パチェの言う通りだ。
私は今まで、フランの為と言いながら、その実自分の価値観を押し付ける事しかしてこなかった。
道理。それで溝など埋まるはずがないのだ。
しかし、まだ歩み寄る道が私に残されていると言うのなら……!
新たな価値観を受け入れる事から、全ての変革は始まる。
ジャッキー・ロビンソンを受け入れたMLBのように!
「さあ、レミィ。妹様を呼んできましょう。そして、これカバディをしましょう」
そう言って、彼女は私に一つのボールを手渡した。
ベースボールのそれより何回りか大きな、片手で握るには持て余すくらいのそれ。ドッジボール。
そうか、詳しい事は知らないが、カバディとはこのボールを用いて行うのだな。
大切な事に気付かせてくれた、そしてこれからの道を照らす事をしてくれた、かけがえのない友人。パチュリー・ノーレッジ。
「……ああ、パチェ。あなたこそ私のマット・ステアーズだわ!」
ぎゅっと、ボールを握り締めた。白球とは全く違った握り心地が、随分新鮮に感じられた。
咲夜とパチェに目を合わす。
「私は今から、フランとカバディをする。彼女の目指すものを知る為に。彼女の歩みたい道を知る為に。そして、願わくはその道を突き進む事を応援できるように。
パチェ。咲夜。よかったら君達にも協力して欲しい。私ひとりではきっと力不足だが、親愛なる君たちの協力があれば、きっとどうにかなると思うんだ」
二人は、躊躇う素振りを僅かも見せる事なく、諾と頷いてくれた。
◆ ◆ ◆
「あら、派手な音がしたから出てきたのだけど、なにか面白そうな事になってるじゃない」
じゃりじゃりと瓦礫を踏みしめ、彼女はゆったりと歩いてきた。
後ろには美鈴を引き連れている。美鈴はわりと懐かれているのだ。
フランは私が握るボールを見て、キョトンと首をかしげた。
「お姉さまが、野球以外の道具を握っているのは珍しい、というか初めて見たかも」
「フラン……」
歩み寄るのには少しの勇気がいるのかもしれない。
しかし、パチェの、咲夜の、誠実な瞳が私の背中を押してくれた。
「なあ……フラン。私はお前と、カバディがしたい。お前の事を、少しでも理解したい。
よかったら姉に教えてくれないか? カバディのルールを」
「一体どういう心境の変化かしら? パチェに何か吹き込まれた?」
くすりと彼女は笑む。しかしそれはいつも見せる、どこか皮肉混じりの笑いじゃなく、純粋に上機嫌なそれに見えたのだ。
「でも、いいわ。せっかくお姉さまがそんな事言ってくれたんだもん。
ええ、一緒にカバディをしましょう。
ルールはとってもシンプル。攻撃をする人は、カバディ、カバディと連呼し続ける。キャントっていうんだけどね。それだけよ、カバディのルールって」
「え、こう、フィールドの大きさとか、どうやったら点が入るとかそういう……」
「ぶっちゃけルールとかは、そんなに重要じゃないの。つまりは、競技と対戦相手に対するリスペクトさえあれば、例え体裁が間違っていようと、それは間違いなくカバディなのだわ。そうでしょ? お姉さま?」
ああ、フラン。
流石私の妹だ。いい事言うじゃないか。
私はボールを右手で握り締め、力の限りキャントをした。
「カバディ! カバディ! カバディ! カバディィィ!」
噛もうが、発音を間違えようが、もはやそんなの、些細な事なのだ。
咲夜が、パチェが、美鈴が、そしていつのまにか消火作業を完了させ暇していた妖精メイド達が、守備の位置についた。
私の隣にはフラン。共にオフェンスをするパートナーだ。
ああ、彼女たちの、なんて生き生きとした表情! そして、私だって!
スポーツマンシップの莫大なエネルギーが、波動となって空気を熱狂的なものにしていた。
そうだ、スポーツとはそういうものなのだ。
技量や経験なんて関係ない。ひたむきに、全力に、そして正々堂々とプレイする事が、スポーツの源流なのだから。
誰かが吹き鳴らしたホイッスルを合図に、私とフランはアイコンタクトを取り合い、攻撃を開始する。
スクラムを組むようにしてボールを奪おうと迫る妖精メイドをタックルで吹き飛ばし、4歩分のゲインを確保する。
しかし、そこで私の前に立ちふさがったのは咲夜、その洗練されたディフェンスに、危うくボールを奪われそうになって……。
「お姉さま、こっち!」
その声を聞いて、私はサイドスローでフランへとパスを送る。低空を飛ぶボールは、妖精メイド達の隙間を擦り抜け、無事フランの腕に収まった。
カバディカバディと叫びながら、ばいんばいんとボールを弾ませ3mのドリブル。そしてトラベリングを取られるぎりぎり3歩のステップを経て、再びボールが私の元へ戻って来る。
息ぴったりの華麗なパス回しに、流石の咲夜も対応する事ができず、あっさり背中を抜かれる事を許した。
インターセプトをしようとしたパチェ。しかし私は彼女よりも高く跳躍し、空中でボールをキャッチする。その体勢のまま、グングニルの要領で腕を振り切る。
唸りを上げて撃ち放たれたドッジボール。砲弾が如き勢いで直進するそれに顔面を直撃されて、美鈴はすっげえいい笑顔のまま10フィートくらい吹っ飛んだ。
レンガの壁に体をめり込ませ、それでもぐっと親指を立てて私のシュートを称賛してくれたスポーツマンシップは、感動的ですらあった。
「お姉さま。ナイスカバディ!」
「フランこそ、エクセレントカバディだったわ」
満面の笑みを浮かべるフランが差し出した右手に、私も応える。
パチンと快い音を立てて、交わされたハイタッチ。
500年駄目だったのだ。だから、この一夜だけで私達の溝が埋まるなんて、そんな夢を見れるほど私は純粋でない。
しかし。
今この時は、溝が少しずつでも埋まっていく様を、確かに実感できたのだ。
私は感動していた。
ああ、カバディとは、こんなにも素晴らしきスポーツだったたのか。
溢れ出るドーパミンに対する信仰が、スポーツの価値を決めるというのなら、私はこの競技をベースボールの次に置く事をしていい。
今なら、フランがプロのカバディ選手になるためインドに留学したいとか口走っても、「よし! 頑張ってこい!」の一言で送りだす事だってできるだろう。
交錯する肉体。飛び交うボール。爽やかな笑顔。
きらめく汗が、何とも美しく、何とも眩しく……。
……って、え? きらめく?
ふとした違和感に、私は恐るべき事実に気付いた。つらりと、妙に冷たい汗が流れた。
足の動きが止まる。フラン達の不思議がってる視線に、しかし今は構ってやれない。
東の空が、白みはじめている。まもなく朝日が昇る、容赦なく日光が振りそそぐ。
――灰化オチ
そんな不吉な言葉が脳裏をよぎった。
振りかえれば、天空に向かって、はしたなくもて内装を開けっぴろげにしている我が紅魔館。
ああ、なんという事だ。
そうだ、私が今晩するべきだったのは、なによりも屋根の修繕であったはずなのに。
なのに、それなのに! 球遊びにかまけたばっかりに!
カバディは魔性のスポーツだ。
生命の危機という、もっとも警戒すべき問題が間近にあるというのに、その事を私にまったく悟らせなかったのだから。
ごくりと唾を飲んだ。カバディ……恐ろしい子……。
「……咲夜」
「はい」
ともかく、時が差し迫る今、私は可及的速やかに次善策を実行する必要があった。
幸いな事に、私の前で傅く十六夜咲夜という女は、とてもよくできた従者だ。きっとどうにかしてくれる。
彼女はこくんと頷くと懐から、いつか見たことある小振りな箱を取り出した。
黄と黒のしましまカラーリングに、赤いボタン。起爆装置。
「咲夜」
私はぐっと親指を立てる。
「ナイスTNT!」
同じ失敗は二度と繰り返さない、それが十六夜咲夜という女だ。
この危機を生み出したそれと全く同形の四角い箱。しかし、今このときは最も空気を読んだ選択だ。
咲夜もぐっと親指を立て応えてくれた。
回りを見渡す。反応は皆、咲夜と同じだ。爽やかな一点の曇りもない笑顔。
「お姉さま、がんばって!」
フランの応援に、私はにやりとした笑みで応えた。
「ああ、大丈夫だ、私に万事任せておけ」
すぅとひとつ深呼吸し、そして私は、箱の真中に誂られた、まんまるいボタンへ指を伸ばす。
さようなら、灰化オチ。さようなら、あの悪夢。
「ぽちっとな」
ドカーン! 私は爆発した。
つまり読者に親切でない固有名詞がいっぱい出てきてやりたい放題です。ご注意ください……。
『Change! Yes! we can!』
「河童に頼んで作ってもらった、36型ハイビジョンブラウン管テレビデオの中にて、情熱的なジェスチャー交えつつ弁舌を振るう、男前な某合衆国黒人大統領。
蝙蝠羽をぱたぱたさせつつ、すっかり画面に釘付けになっていた私が、彼の言い放ったフレーズにいたく感銘を受けたのは、きっと至極当然な事であったのだろうと思う。
MLBオールスターゲームの始球式参加がため、セントルイスはブッシュ・スタジアムまで遥々ワシントンから駆け付け、シカゴ・ホワイトソックスの熱烈なファンでもある彼。
野球好きの演説が心に響かない訳がないだろう?
ああ……チェンジ!
なんて大きなわくわくを内包した言葉だろうか?
より良き未来に対する莫大な期待と、幾らかのギャンブル性を伴ったスリル。
……ん? 女の子の前で三回この言葉を繰り返したらヤクザが来て酷く怒られた。死ぬかと思った? ……あー、そういうの、私はまだ子供だし? ちょっと分からないかな、うん。
それはそうとして。
チェンジなのである。日本語だと変革なのである。
組織において変革とは、しばしば必要とされるものなのだという事実を、私は彼の饒舌な演説によって確信した。今なら某小浜市の少々空回りな応援団よろしく、フラダンスだって喜々として踊れる。
変革の実例を一つ上げてみよう。
1947年、ブルックリン・ドジャーズでメジャーデビューを果たした黒人内野手ジャッキー・ロビンソンとメジャーリーグ機構の場合だ。
今となっては信じられないだろうが、当時、メジャーリーグは白人だけのものだったのだ。
マーティン・ルーサー・キング・ジュニア牧師が「I have a dream」で始まる、かの有名な演説を行ったのが1963年。
公民権法制定によって、人種差別を合衆国の法律が否定したのがその翌年の1964年。
つまり、ジャッキーがメジャーのフィールドに降り立った、戦後間もない47年というのは、未だ人種差別の嵐吹き荒ぶ、黒人は劣等のレッテルを張られるが当然の時代であったのである。
だが、ジャッキーは、差別の罵声にも負けず、その並はずれた運動能力を武器にフィールドに立ち続けた。
いや、しかし彼の最大の武器は、その肉体よりも、差別の逆流に耐え続ける紳士的なその姿勢であったのだろう。
ジャッキーが契約を結ぶ際、彼の理解者の一人であり、ドジャースのオーナーであるブランチ・リッキーは言った。
『君はこれまで誰もやっていなかった困難な戦いを始めなければならない。その戦いに勝つには、君は偉大なプレーヤーであるばかりか、立派な紳士でなければならない。仕返しをしない勇気を持つんだ』
そして、ジャッキーの右頬をぺちんとはたく。
リッキーは、怒りを僅かにも見せること無く、穏やかにこう答えた。
『私の頬はもう一つあります。御存じですか?』
ああ! 実に感動的なエピソードではないか!
フランに是非とも見習わせたい。
靴下を片方脱がすと、『お姉さま、私の靴下はもう一つあるのよ。方っぽだけで満足できて?』と、甘い声で囁く。そういう姉妹愛を熱烈に確かめ合うイベントをだな、フランなら理解してくれると思ったのに! 思ったのに!
……いいじゃん! 靴下くらい、ぱんつよこせって言ってる訳じゃないんだし。
ん? 靴下は履いたままだからこそ価値がある?
ふむ……。
中々に目の覚める提言だ。考慮の余地がある。
しかし、この問題に正しい結論を出すには、百年単位の膨大な時間とマリアナ海溝よりも深く、ピータンよりも熟成した議論が必要となるだろう。とりあえず今は保留しておこうか。
……ああ、なんの話だったか。
そうそう、ジャッキー・ロビンソンだ。
メジャーデビュー後の彼の活躍は素晴らしいものだった。
デビューの年に新人王を獲得。2年後にはナ・リーグMVPを獲得。オールスターには6年連続で出場した。
そんな彼の活躍に、観客も大きな喝采を浴びせた。
公民権運動にも積極的に参加。まさにメジャーリーグにおける黒人選手の道を拓いた選手と言えるのだ。
ハンク・アーロン。ウィリー・メイズ。バリー・ボンズ。
球史に名を残す黒人プレイヤー達。しかし、彼らの偉大なるキャリアは、ジャッキーの巨大な足跡があったからこそ存在しえたと言い切っても、決して大げさではない。
そして今や、メジャーリーグでプレイする選手の国籍は優に10を超え、実力さえあれば肌の色に関係なく、彼らは思う存分プレイを見せつける事ができるのだ。
現在ジャッキーの背番号42番は、全ての球団で永久欠番となっている。
それは、人種の壁を乗り越えるという偉大な変革をメジャーリーグが果たした事を証明する名誉の数字。
偉大な先駆者、ジャッキー・ロビンソンの成し遂げた変革を称える輝かしい数字。
私は不屈という手段を以って逆境と戦い抜いたかの紳士に、心の底よりのリスぺクトを宛てるものである!
さて、少々前置きが長くなったが、そろそろ結論へと移ろうか。
そう、すなわち今の我々に必要なのは変革なのだ!
既存の概念を打ち砕き、新風を吹き込む変革! それこそが、我々をより新鮮でワンダフルな我々に進化させ得る!」
今の私は、自分で言うのもなんだか最高にかっこいいと確信できる。
ベースボールに公民権運動を絡め、変革の必要性を華麗に説いたこの知的にして感動的な演説。かのジョン・F・ケネディだって真っ青だろう。
少しばかり息は上がっている。若干の汗も掻いた。そりゃそうだ、それだけのエネルギーを費やした演説だったのだから。
感情を揺さぶり、大衆を扇動すらしかねない熱い熱い弁舌。
もうケネディとか目じゃない。今の私なら全盛期のヒトラーにだって勝てる。
そんな、殆ど戦略兵器みたいな演説の熱気を間近で浴び続けたのだ。聴衆の咲夜の身が少し心配だった。
彼女は鍛えているから、熱狂のあまり気を失っていたりはしないと思うが、しかし興奮に鼻息荒くしているくらいは十分考えられる。
そんな瀟洒からかけ離れた彼女の顔を見て、もしプゲラwwwとか笑っちゃったらどうしようとか、少しの心配をしながら、私は彼女の顔を覗き込んだのだけど……。
……なあ咲夜。どうしてお前はそんなに眠そうな瞼をしている。
「そりゃ、眠いからですよ……」
ぐしぐしと目元を擦り、欠伸を噛み殺し軽く涙を浮かべ。
ナウタイムにおける私の最も親愛な友人は低反発マットレスと、羽毛のかけ布団と、安眠枕の三人衆ですわって顔してやがる。
「お嬢様お言葉ですが……」
「ん?」
若干赤くなった目に、不機嫌そうな色を湛え、彼女は言う。
「一体何時間喋っていたと思うのですか? 最後のバラク・オバマ大統領の辺りからは、まあ、よしとしましょう。
しかし、そこに至るまでの前振り。1977年のポストシーズンを一試合ごと丁寧に解説するなんて離れ業を見せてくれたお嬢様の知識には頭が下がりますが、しかし、そこまで綿密な解説が今必要だったのか? 酷く疑問ですわ」
「いや……だって77年っていうと、“ミスターオクトーバー”レジー・ジャクソンがワールドシリーズで三打席連続本塁打を放って伝説をつくった……」
「ああもう! ああもう! 77年はもうまっぴらですわ! 頭がおかしくなりそう。お嬢様。それ以上続けるおつもりなら、これはパワハラですわ! 閻魔に訴えてやるぅ!」
……やっべ、今の咲夜、どうしてか分かんないけど超怒ってる。
主の金言を前に清聴以外の選択をした彼女の不躾を正すべく、軽い説教をしようと思っていたけど、それは、もういいかな……。
彼女は、3時のおやつのモンブランに、マロンクリームと間違えた振りしてチューブ一杯の練りワサビを乗っけられる女だ。
『……お残しは、許しませんよ』
柔和な笑みに、ダマスカス・ナイフの声色。
あの時は本気で死ぬかと思った。咲夜を本気で怒らせてはならない。
「ご、ごめん咲夜……」
理不尽だと思いつつもぺこりと頭を下げる。
バッドエンドへ直結する選択肢をぎりぎりで回避する能力は、我が悪友に付き合わされてプレイした美少女攻略ゲーによって培われたものだ。
『はい』『いいえ』の選択肢を一回間違えただけで、ヒロインに後ろから心臓を出刃包丁でぐさりとやられる。そんな修羅の国での経験が初めて役にたった。今だけはパチェに感謝してもいい。
私の誠意の塊みたいな謝罪に、流石の咲夜も機嫌を直してくれたらしくて、平静な表情で口を開いてくれた。
「……で、要するにお嬢様が言う変革とは、お屋敷のリフォームという事でよろしいので?」
「うん」
その通りなのである。我が紅魔館本年度の目玉事業。館の大改装。
これをする意義を咲夜に説くため、あれだけの熱烈な演説を私はしたのだ。
「しかし、変革とリフォーム。この二つは線で繋がらないような気がするのですが……」
怪訝そうな咲夜の声に、私はチッチッチと人差し指を振る事で応える。
「“人は石垣、人はキャッスル”戦国日本のダイミョウ、シンゲン・タケダの格言にならえば国家も屋敷も人が織りなすものと言う点で同じだわ。
つまり屋敷をリフォームする事は、国家におけるチェンジに相当する。
過去の伝統を尊重しつつ、新たな価値観を導入する。それによってより瀟洒で素敵な紅魔館へと発展できるのだ」
「はあ……てか、どうして中途半端に日本知ってる外人みたいな喋り方なんですか?」
「そりゃ、外人だし、私」
「そういやそうでしたね……。ネイティブな日本語を嗜まれるからすっかり失念しておりましたが。
ああ、しかし、そうそう、お嬢様は外人ですから知らなかったのでしょうが、かの御仁を武田信玄と呼び捨てにする事は、実は古来よりこの国では禁忌とされているのです」
「え? まじ? そんなの、初めて聞いた」
「まじです。信玄公と呼ばなければ、信州人に殺意籠った瞳で見つめられるのですよ。いや、見つめられるだけならいいのですが……。
何しろ信州といえばもののふの国。かの国家の住人は、今でも武田最強騎馬軍団の血統を頑なに墨守し、信玄公をないがしろする者を見つけたなら即座に血祭りにあげられるよう、赤備えと十文字槍の手入れを欠かさないと聞きます。
いやはや、実に恐ろしい」
「やべぇ……信州マジやべぇ」
守矢のとこの青巫女は、最近常識を捨てたとか、清純さが嗜虐趣味に浸食されたとか、色々と言われているが、なるほど、つまりはそういう事だったのだ。
信州人。恐るべき血族。
その余りに濃く、そして闘争に特化した血が、ただの可憐な少女であった彼女の精神をじわじわと蝕んでいるとすれば……。
『くっ……腕の疼きが……駄目だ出てくるな! お前はまだ出てくるな! 大人しく私の中で眠っていろ! ぐ……ぐわぁぁぁ!』
いつぞやの宴会で、一瞬で場を白けさせた彼女の痛々しい奇行も、同情してあげてよかったのかもしれない。
うん。次、彼女が紅魔館に来た時にはおいしいものを御馳走してあげよう。……あ、でも信州人って何食べるんだろ?
「主食は信玄餅ですわ」
信玄餅かぁ。紅魔館には置いてないなぁ。
変なもの食べさせて、十文字槍振り回されても堪らないし、また右腕が疼くとか言われても反応に困るし……。
「仕方ないから、次に彼女が来た時は丁寧にお帰り願って」
「御意。美鈴に伝えておきましょう」
かわいそうだけど、これ政治なのよね。
貴方に罪はないけど、血に罪はあるの。恨むなら御先祖様のロリガエルを恨んで頂戴……。
「……さて、話を戻しましょうか」
守矢の憐れな少女への同情を断ち切るように、ごほんとひとつ咳払いをする。
咲夜が口を開いた。
「お嬢様。質問があります。お屋敷のリフォームは決定事項として、一体どのようなリフォームを行うおつもりなのでしょうか?」
「それは咲夜のセンスに任せるわ。
ただ、それだけじゃ咲夜も逆に困るでしょうから、主としての希望も少しだけ。
図らずも今日の日付は8月9日。何の日か分かるかしら?」
「ムーミンの日ですわ。フィンランドの辺境に位置するムーミン谷出身の妖精シモ・ヘイヘが、モシン・ナガンM28狙撃銃とスオミKP31サブマシンガンを手に、赤軍兵士をばったばった射殺していく国民的ほのぼのハートフル・スプラッタ・アニメーションの原作者の誕生日。
第4話の『殺戮の丘~白い死神と赤いクリスマス~』は、故郷より遠く離れた戦地でのささやかな楽しみとして、赤軍兵士達が開いていたクリスマスパーティーに、サンタキャップ被ったシモ・ヘイヘがサプライズ訪問し、無表情のまま9mmパラべラム弾を無差別にプレゼントする感動的なエピソード。
作画が頑張り過ぎて異常にリアルな屍のどアップシーン含め、涙無しには見られない。正に神回と呼ぶべき回でしたね」
「ムーミンそういうアニメじゃねぇよ! そんなR-18Gタグ付くのが確実なトラウマアニメがゴールデンタイムのお茶の間に全国放送されてみろ! ピカチュウの10万ボルトが幼子をばたばたなぎ倒したあれ以上の社会問題だよ!」
このメイドは時々酷くすっぽぬけた事言うから困る。
思わず荒らげてしまった呼吸を落ちつかせながら、私は諭すように言葉を続けた。
「ゼエゼエ……いいかしら? そもそも8月9日がムーミンの日だってのは確かに正しい。しかし適切でない。
常識で考えてみなさい、8月9日は野球の日でしょう? 甲子園では連日、丸刈りの高校生が青々しく、しかし、溌剌としたプレイを披露し、メジャーリーグにおいては優勝争いが佳境に入るこの時期。
そう、ベースボール。私がリフォームに求めるのはそれなのよ。
勿論、野球場に改装しろとは言わない。そこまでは求めない。しかし、“野球のある毎日”。それをテーマとした館に私は住みたい。それを求めたい」
「野球をテーマにリフォームですか……それはまた大変な難題なように思えますが……」
「信頼してるわ咲夜。貴方ならできる。何しろ貴方程に私を理解している人間は、他にいないのだから」
「はあ……わかりました。出来るだけお嬢様の意に沿うよう、努力したいと思います」
「期待してる」
何だかんだで咲夜は優秀な従者だ。仕事ならいつも完璧にこなしてくれた。それは今回だって、そうだろう。
うんうん唸りながら、思案していた咲夜が、ぴこんと、何かを閃いたように顔を明るくさせた。
ほら、これでもう安心だ。後は全部彼女に任せておけばいい。
「準備に取り掛かります」と、一礼して部屋を去った咲夜を、私は笑顔で見送った。
さて、いくら咲夜の仕事が早くとも、リフォームが始まるにはもう少し時間がかかるだろう。
時間を潰すため、夜まで少し睡眠を取る事にしようか。
◆ ◆ ◆
「お嬢様、リフォームの準備が整いました!」
咲夜が喜々とした報告を引き連れて、私の部屋を訪れたのは深夜と言って差し支えない時間の事だった。
ベッドの上、ぼんやりと目をぐしぐししていた私だったけれど、その報告に、寝起きの冴えない気分は一瞬で吹き飛んだ。
「よくやった!」と賛辞を送り、私は咲夜に先導されるまま、館の外に出たのだった。
煌々と輝く満月に、我が紅魔館が照らされている。
安全第一と書かれた黄色いヘルメットを皆一様に被り、妖精メイド達は整列をしていた。館で勤務するメイドを全て駆り出したという風だった。
「お嬢様。いよいよ大改装の時です」
同じようにヘルメットを被った咲夜が、嬉しそうに何かを差し出してくる。
それは箱だった。
黒と黄のしましま。工事カラーした手に収まる程度の箱。
そのまんなかには、赤いボタンが誂られている。
ふむふむ……これは、押せと言う事なのだろう。
咲夜が一体何を考えているかはちょっと分からないが、しかし、サプライズを解する彼女だ。
リフォームの開始に先立ち、私を楽しませるイベントを企画していても何らおかしい事はない。
「さあ、お嬢様どうぞ」
たっぷりの期待と好奇心。咲夜に促されるまま、私はボタンに指で触れる。
かちりと、小気味良い音を立ててボタンは押された。
にっこりした笑顔で咲夜が親指を立てた。私も同じことをしようとした。刹那、紅魔館が炸裂した。
「わぁお……」
衝撃音が私の耳を掻っ攫っていった。だから、目の前を漫然と眺めるくらいしかやることがないのだ。
見ろ、実に眩しい彩りだ。鮮やかな炎が高く高くあろうと無茶な背伸びをしている。天辺はあっちへこっちへ落ち着きなくゆれている。危なっかしいなぁ。
さて。
「咲夜、説明なさい」
「お屋敷のリフォームが完了致しました」
「誰が青空教室にビフォーアフターしろって言ったのよ! 劇的すぎるわよ!」
「匠の心意気が感じられますね」
「いや、悪意しか感じられないんだけど」
「依頼者の喜びの声が聞こえてきそうです」
「日がのぼったら断末魔が聞こえるわよ」
ねえ、謀反? これ、謀反なの? ねえ?
焦げくさい匂いが漂っていた。瓦礫が山になっている。爆風に屋根が綺麗さっぱり吹き飛ばされた紅魔館。
動揺する私を尻目に、妖精メイド達はあらかじめこうなる事が分かっていたかのように、消火活動を開始している。
ああ。いったい、どうしてこんな事に……。
やっぱり昼間の事、咲夜怒ってたんだ。
パワハラする主にはもう付いていけないって、見切り付けたんだ……。
うう……ごめん。今度からベースボールトークは1日2時間までにする。アルバート・プーホルスのサインバットが欲しいとか駄々こねたりもしない。
だから、許してほしいな? だめ?
明らかなびくびくを張り付け、上目遣いで咲夜の顔を覗き込む。
視線が交差した先、彼女の切れ長の瞳が湛えていた色は……?
「ん……?」
え……? どうしてそんなキョトンとした顔……。
「お嬢様、どうかされましたか? えらく深刻な顔して……」
え? えっ? もしかして天然!?
うっかりで館爆破!?
ドジっ子メイドスキル。まさかのこのタイミングで発動!?
ますます混乱する私に向かって、咲夜は胸を張って語り始めた。
「お嬢様は言われました。野球がある毎日を送りたいと」
「う、うん言ったわね。確か」
「そこで私はそんなお嬢様の願いに応えるべく熟考を重ね。ついに一つの結論を得ることに至りました。すなわち――」
その細い人差し指をピンと伸ばした咲夜は、その先っぽで大空を真っ直ぐ指し示した。
「――すなわち青空。お嬢様は常々言っておられました。
『昨今のドーム型球場の隆盛は理解する。時間や天候に囚われることなく試合が出来る事は多くの人々にとって幸いだ。しかし、そもそものベースボールの原点は、青空の下での試合にある。それを忘れてはならない』と。
その原点を尊重したのが、この青空のある紅魔館!
存分に年月を重ね成熟した佇まいを持つ館の中、爽やかな太陽光の下で過ごすうららかな午後は、さながらボストン・レッドソックス本拠地フェンウェイ・パークでのそれでありましょう!」
ああ、確かに正しい。ベースボールは青空の下で。この思想はまったくもって正しい。
故に咲夜のコンセプトによるリフォームは、限りなく正解に近い。私がもし吸血鬼でなかったなら、満点を与えてもいい。
しかし……私にとっては、本来些細であるはずの欠点が致命的すぎた。
「館すべてに爆風が行き渡る程の量のTNT火薬を掻き集めるのには苦労しました。
魔法の森の人形師にしてプロの爆弾魔、アリス・マーガトロイドの元を訪れる事から始め、最終的には河童の爆薬工場と交渉して……」
自信満々に語る咲夜の言葉を遮るようにして、私は言った。
「……青空の下じゃ、私生きられないよね?」
「はっ……そういえば!?」
ようやく気付きやがった我が従者は、普段の瀟洒っぷりからは想像できない、あたふたとした挙動をやり始める。
ふう……と私はひとつ溜息をついた。
「も……申し訳ありませんお嬢様!」
「咲夜が私の事を思って、こういう事をしてくれたのは分かっている。だから非難をするつもりはないさ。
それよりも、今は屋根の修繕をしようじゃないか」
できるだけ優しい口調に気をつける。とりあえず咲夜には落ち着いてもらわないと困る。
ちらりと館の方をに視線を流すと、あの眩しい揺らめきは殆ど消え失せ、概ね消火は順調なようだ。
咲夜が指揮を執れれば、すぐに作業へと取りかかれるだろう。
「は、はい……申し訳ありません、すっかり取り乱してしまって」
「いいさ、落ち着いてくれる事が今は一番だ。そして早く指揮を執ってくれるといい」
「あ、あの、その事なのですが……実は非常に言いにくい事なのですが……」
奥歯に物が詰まったような、はきはきしない物言い。
咲夜がこういう喋り方をするという事は、看過できない問題が発生している証拠だった。
「はっきり言ってくれ咲夜」
「実は、修繕するにも丁度資材が切れていまして……。ええ、十分な量の火薬と交換するには、倉庫一杯の資材が必要だったのです」
「河童にぼられてるじゃん。それ絶対」
いや、TNTの値段なんか知らないけどさ。
でも、あの山の性格悪い住人が足元見ないはずない。
私の倉庫からタダ同然で仕入れた高級資材を椅子やら机やらAIBOやらに加工して、暴利を貪ろうと企んでいる(に違いない)ホームファニシングスにとりには、後日制裁かますとして、とりあえず、さしあたっての対策を考えないと。
思わぬ失敗に動揺しまくりの今の咲夜では、少々心もとないのが事実。
このピンチに颯爽と現れ、スマートに解決してくれる誰かの出現を、無責任にも期待してしまっていた。
「ああ、2008年アメリカンリーグ、リーグチャンピオンシップシリーズ、タンパベイ・レイズVSボストン・レッドソックス第7試合におけるウィリー・アイバーみたいな誰かがここに現れたりしないかしら」
「あの……お嬢様。きっとその例えじゃ誰も理解できないと思います」
「じゃあ、同じく2008年ナショナルリーグ、リーグチャンピオンシップシリーズ、ロサンゼルス・ドジャースVSフィラデルフィア・フィリーズ第4試合におけるマット・ステアーズみたいなと言えば通じるかしら?」
「いや、ますます分からないかと……」
「は? 咲夜。あなたマット・ステアーズのことディスってるの? 7回を終えてドジャースとの点差は2点。ここで逆転しなければ勝利は絶望となる場面で、見事期待に応え、試合を決めるホームランを放ったのが彼なのよ。
いかつい顔と、6フィートにも満たない矮躯に秘めた漢気。18年の野球生活を経て今なお現役。カナダの剛腕。マット・ステアーズ!
そりゃ、そんなに有名な選手じゃないわよ? でもね、1番まで9番まで全てがマニー・ラミレスなチームに果たして魅力はあるのかしら?
……いや、それはそれで見てみたいっていうか、むしろ、そんなチームがあったら絶対ファンになるけど、まあ、ともかくあれよ。
マット・ステアーズを侮辱する事は私が許さない。あの試合で、彼は間違いなく救世主だったのだから!」
少々語気は荒くなっていただろう。頭に血が上っていた。後々考えると、随分とみっともない姿をさらしたものだと思う。
ぽんと、肩をたたく手。
私が冷静さを取り戻すには、彼女の出現を待たなければいけなかった。
「それくらいにしときなさいレミィ。咲夜、すっかり怯えちゃってるじゃない」
知識を死蔵させるプロフェッショナルにして、偉大なる引き籠り、そして我が悪友。
パチュリー・ノーレッジ。
いつだって、ヒートアップした私を止めてくれるのは彼女だった。
説得したり、なだめたりするのに時間を使うくらいなら、最初からロイヤルフレアの詠唱をかます剛毅でものぐさな彼女。
Like a Pavlov。彼女の前では私は冷静になる。それは体が覚えている事だ。殺す気で撃って来るから、そりゃトラウマにだってなるさ。
パチェが言うように、咲夜は殆ど半泣きになっていた。
「レミィの悪い癖だわ。時々沸点がとても低くなる。そんなのばっかしてると、いずれ禿げるわよ?」
「…………」
パチェに言葉を返すこと無く、私はそっと咲夜を抱きしめた。
思えば咲夜は失敗続きだったのだ。普段が完璧な故、失敗に慣れていない彼女。
私はもっと慮った態度で接するべきだった。
「ごめんね咲夜。私は、怒ってないから」耳元で囁いた。
「……大丈夫です。ただ、お嬢様に気遣いさせてしまったのがとても申し訳なくて」咲夜は涙目のまま返した。
全てが善意だったのだ。彼女は全て私の為に行動し、私のせいで失敗をした。
ならば、責任は悉く私のものではないか?
何故、彼女が気に病む必要があるのだ?
ああ、まったく……こう言う時、器用に振る舞えない自分の未熟さが嫌いだ。
「なあ、咲夜、もう泣かないでくれよ。無理矢理でいい、笑ってくれ。でないと、私まで泣いてしまいそうだよ。
責任を私にくれ。全部。これは命令だ。そして、いつもの瀟洒で完璧な咲夜に戻るんだ」
ぎゅっと、力強く彼女を抱きしめる。
指先で涙をぬぐった。
ぎこちなく彼女が笑う。
本当にぎこちなかった笑いだったのだ。頬の筋肉を無理に動かしたような。
でも、それでいい。十分だ。これで彼女は、いつもの完璧な十六夜咲夜へ、戻ろうとしてくれるはずだから。
願えるなら、足りない主を許してくれればと思った。
しばらくの沈黙。私と咲夜はじっと抱き合っていた。
「お嬢様……ありがとうございました、そこまでのお言葉をいただき、咲夜は幸せです」
咲夜がすっと立ち上がった頃には、その表情はだいぶ落ち着きのあるものとなっていた。
少し、安心する。
「うん、よかったと思う。あの場面でああいう事言えるようになったのは、レミィも少しは成長したのかしらね?」
肩をすくめながら、パチェは言う。
性格は悪いが、何度も助け船を出してくれた、何にも代えがたい友人だ。今回も彼女がいたからどうにかできた。
そこは、感謝している。
「はは、止めてよ。感謝されるとか柄じゃないし。皮肉屋で意地の悪い魔女。うぜぇって思われるくらいでちょうどいいのよ」
朗らかに笑むパチェはそっと私に歩みよった。慈しむような手つきで私に腕を伸ばす……と思った次の瞬間。
「きゃ……!?」
思わず声が出た。
私は著しく乱暴に豹変したパチェの手に胸倉を掴まれていたのだった。
「さて、責任が全てレミィに移譲された今、私は尋ねるわ。ねえレミィ? いったいこれはどういうつもりなのかしら?」
耳元で囁くその声は、酷く黒い。ポケットから頭を覗かせている彼女のデッキには、当然の如くノエキアンデリュージュが四枚積みされている。
やべ、パチェ実はすごく怒ってたんだ……。
デートスポットをお台場に選ぼうものなら、一瞬でその男を切り捨て、一人神保町へ歩いてゆく。それが彼女だ。
筋金入りのビブリオマニア。僅かでも蔵書に被害が及ぼうものなら、羅刹が如き憤怒で周りを恐怖させるのだ。
「咲夜にやらせず、レミィが自ら指揮を執っても、絶対同じ事をした。
リスペクト甲子園! とか奇声を上げながら、ダイナマイトでパンパンの紅魔館へ向かい、喜々として導火線に火を付けたに違いないわ。目に見えてる。
まあ、図書館は無事だけどね。こういう事もあろうかと、図書館の壁に仕込んでおいたから。
ただ、結界が上手く発動してくれなかったなら、今頃貴重な蔵書は炎の海の中で、憐れ断末魔の叫びを上げていたの。
今回の行為、レミィの真意を聞きたいわ。何故唐突にリフォームなんて言い出したのか? いくら貴方が短絡的だからって、そこまで浅慮とは思いたくないもの」
その声には凄味があった。
一切の虚偽や言い訳を許さない、暴力的なまでの意志があった。
観念せざるえなかった私は、ぽつりぽつりと、言葉を紡ぎ始めたのだった。
「この前さ、フランが言ってたじゃん……あの件のせいよ」
数日前の事を、思い出す。
五つ下の妹フランドール・スカーレット。
彼女と私の関係は大変に微妙なそれだ。
愛おしいという感情は勿論ある。それは時に、私の中で大きくなりすぎて押さえきれなくなる程のそれだ。
きっとフランの方もそうなのだと思う。
しかし、それでも私達の距離はどこか遠い。二人の間には溝がある。500年間何度何度も埋めようと試み続け、しかし未だ埋まらぬ深い溝だ。
簡単に埋める事などできないと知っているのだけど……でも、あの時フランがあんな事言うから。
それは、いつものように私が機嫌良くベースボールトークに花を咲かせている時だった。
史上最速投手“ジ・エクスプレス”ノーラン・ライアンの投球と歴史的意義について語る私の前で、フランは言い放った。
『ぶっちゃけ野球とか興味ないし……。私、カバディのプロになりたいの』
衝撃的だった。私の全てを否定された気がした。
『フラン……そこに座りなさい。私はそんな子に貴方を育てたつもりはないわ』
『……ふん』
説得しようとした私を完璧に無視し、彼女は地下の自室へと潜った。
絶望的なすれ違いを感じた。
リフォームを決意したのはその時だ。
どうすれば私達の関係は変わる事ができるだろうか?
きっと、こんなの聞いたら笑うだろうけど、本気で考え、本気で信じ、本気で変革しようとして思い至ったのが、リフォームという手段だったのだ……。
「本当に不器用なんだから、レミィは。でも愛情は本物だわ。酷く自分勝手で、やりかたを間違えたそれだったけどね」
ぽつぽつと、独白を終えた私にかけられたパチェの声は、ちょっとびっくりしちゃう程に穏やかだった。
怒ってると思っていた彼女。しかし、今の彼女はまるで聖母か何かのような、気持ち悪いまでに優しげな瞳をしているじゃないか。
胸倉を掴む手の力が、そっと緩められた。
「ごめんなさいね、レミィ。別に脅すつもりはなかったのよ。ただ貴方の真意を糺したかっただけ」
完全に離された手。視線は真っ直ぐ私の瞳を見つめている。
「すれ違い続ける貴方達を、私はずっと見てきた。もどかしくも理解しあえない貴方達を、私はずっと見てきた。
今から言うのは、もしかしたらとても烏滸がましい考えなのかもしれない。
私は所詮血縁の部外者だから。
しかし、友として一つ言わせて欲しい。何か大切なものを擲ってでも、妹様との距離を縮めたいと願うなら――」
その瞳は、今まで一度も見た事がないほどに、誠実で慈愛に満ちたものであった。
「――レミィ。貴方が歩み寄ってあげる事が、今は必要なのだわ」
ぐさりと、心に刃が刺さったようだった。
いや、内心では分かっていたのかもしれない。ただ必死で目をそらしていた。それが彼女の一言で露わとなった。
あまりに当たり前のようにそうしてきた私の傲慢、独りよがり。しかしそれこそが、全ての元凶であったのだ。
私は500年生きてようやく気付いた。
そう、パチェの言う通りだ。
私は今まで、フランの為と言いながら、その実自分の価値観を押し付ける事しかしてこなかった。
道理。それで溝など埋まるはずがないのだ。
しかし、まだ歩み寄る道が私に残されていると言うのなら……!
新たな価値観を受け入れる事から、全ての変革は始まる。
ジャッキー・ロビンソンを受け入れたMLBのように!
「さあ、レミィ。妹様を呼んできましょう。そして、これカバディをしましょう」
そう言って、彼女は私に一つのボールを手渡した。
ベースボールのそれより何回りか大きな、片手で握るには持て余すくらいのそれ。ドッジボール。
そうか、詳しい事は知らないが、カバディとはこのボールを用いて行うのだな。
大切な事に気付かせてくれた、そしてこれからの道を照らす事をしてくれた、かけがえのない友人。パチュリー・ノーレッジ。
「……ああ、パチェ。あなたこそ私のマット・ステアーズだわ!」
ぎゅっと、ボールを握り締めた。白球とは全く違った握り心地が、随分新鮮に感じられた。
咲夜とパチェに目を合わす。
「私は今から、フランとカバディをする。彼女の目指すものを知る為に。彼女の歩みたい道を知る為に。そして、願わくはその道を突き進む事を応援できるように。
パチェ。咲夜。よかったら君達にも協力して欲しい。私ひとりではきっと力不足だが、親愛なる君たちの協力があれば、きっとどうにかなると思うんだ」
二人は、躊躇う素振りを僅かも見せる事なく、諾と頷いてくれた。
◆ ◆ ◆
「あら、派手な音がしたから出てきたのだけど、なにか面白そうな事になってるじゃない」
じゃりじゃりと瓦礫を踏みしめ、彼女はゆったりと歩いてきた。
後ろには美鈴を引き連れている。美鈴はわりと懐かれているのだ。
フランは私が握るボールを見て、キョトンと首をかしげた。
「お姉さまが、野球以外の道具を握っているのは珍しい、というか初めて見たかも」
「フラン……」
歩み寄るのには少しの勇気がいるのかもしれない。
しかし、パチェの、咲夜の、誠実な瞳が私の背中を押してくれた。
「なあ……フラン。私はお前と、カバディがしたい。お前の事を、少しでも理解したい。
よかったら姉に教えてくれないか? カバディのルールを」
「一体どういう心境の変化かしら? パチェに何か吹き込まれた?」
くすりと彼女は笑む。しかしそれはいつも見せる、どこか皮肉混じりの笑いじゃなく、純粋に上機嫌なそれに見えたのだ。
「でも、いいわ。せっかくお姉さまがそんな事言ってくれたんだもん。
ええ、一緒にカバディをしましょう。
ルールはとってもシンプル。攻撃をする人は、カバディ、カバディと連呼し続ける。キャントっていうんだけどね。それだけよ、カバディのルールって」
「え、こう、フィールドの大きさとか、どうやったら点が入るとかそういう……」
「ぶっちゃけルールとかは、そんなに重要じゃないの。つまりは、競技と対戦相手に対するリスペクトさえあれば、例え体裁が間違っていようと、それは間違いなくカバディなのだわ。そうでしょ? お姉さま?」
ああ、フラン。
流石私の妹だ。いい事言うじゃないか。
私はボールを右手で握り締め、力の限りキャントをした。
「カバディ! カバディ! カバディ! カバディィィ!」
噛もうが、発音を間違えようが、もはやそんなの、些細な事なのだ。
咲夜が、パチェが、美鈴が、そしていつのまにか消火作業を完了させ暇していた妖精メイド達が、守備の位置についた。
私の隣にはフラン。共にオフェンスをするパートナーだ。
ああ、彼女たちの、なんて生き生きとした表情! そして、私だって!
スポーツマンシップの莫大なエネルギーが、波動となって空気を熱狂的なものにしていた。
そうだ、スポーツとはそういうものなのだ。
技量や経験なんて関係ない。ひたむきに、全力に、そして正々堂々とプレイする事が、スポーツの源流なのだから。
誰かが吹き鳴らしたホイッスルを合図に、私とフランはアイコンタクトを取り合い、攻撃を開始する。
スクラムを組むようにしてボールを奪おうと迫る妖精メイドをタックルで吹き飛ばし、4歩分のゲインを確保する。
しかし、そこで私の前に立ちふさがったのは咲夜、その洗練されたディフェンスに、危うくボールを奪われそうになって……。
「お姉さま、こっち!」
その声を聞いて、私はサイドスローでフランへとパスを送る。低空を飛ぶボールは、妖精メイド達の隙間を擦り抜け、無事フランの腕に収まった。
カバディカバディと叫びながら、ばいんばいんとボールを弾ませ3mのドリブル。そしてトラベリングを取られるぎりぎり3歩のステップを経て、再びボールが私の元へ戻って来る。
息ぴったりの華麗なパス回しに、流石の咲夜も対応する事ができず、あっさり背中を抜かれる事を許した。
インターセプトをしようとしたパチェ。しかし私は彼女よりも高く跳躍し、空中でボールをキャッチする。その体勢のまま、グングニルの要領で腕を振り切る。
唸りを上げて撃ち放たれたドッジボール。砲弾が如き勢いで直進するそれに顔面を直撃されて、美鈴はすっげえいい笑顔のまま10フィートくらい吹っ飛んだ。
レンガの壁に体をめり込ませ、それでもぐっと親指を立てて私のシュートを称賛してくれたスポーツマンシップは、感動的ですらあった。
「お姉さま。ナイスカバディ!」
「フランこそ、エクセレントカバディだったわ」
満面の笑みを浮かべるフランが差し出した右手に、私も応える。
パチンと快い音を立てて、交わされたハイタッチ。
500年駄目だったのだ。だから、この一夜だけで私達の溝が埋まるなんて、そんな夢を見れるほど私は純粋でない。
しかし。
今この時は、溝が少しずつでも埋まっていく様を、確かに実感できたのだ。
私は感動していた。
ああ、カバディとは、こんなにも素晴らしきスポーツだったたのか。
溢れ出るドーパミンに対する信仰が、スポーツの価値を決めるというのなら、私はこの競技をベースボールの次に置く事をしていい。
今なら、フランがプロのカバディ選手になるためインドに留学したいとか口走っても、「よし! 頑張ってこい!」の一言で送りだす事だってできるだろう。
交錯する肉体。飛び交うボール。爽やかな笑顔。
きらめく汗が、何とも美しく、何とも眩しく……。
……って、え? きらめく?
ふとした違和感に、私は恐るべき事実に気付いた。つらりと、妙に冷たい汗が流れた。
足の動きが止まる。フラン達の不思議がってる視線に、しかし今は構ってやれない。
東の空が、白みはじめている。まもなく朝日が昇る、容赦なく日光が振りそそぐ。
――灰化オチ
そんな不吉な言葉が脳裏をよぎった。
振りかえれば、天空に向かって、はしたなくもて内装を開けっぴろげにしている我が紅魔館。
ああ、なんという事だ。
そうだ、私が今晩するべきだったのは、なによりも屋根の修繕であったはずなのに。
なのに、それなのに! 球遊びにかまけたばっかりに!
カバディは魔性のスポーツだ。
生命の危機という、もっとも警戒すべき問題が間近にあるというのに、その事を私にまったく悟らせなかったのだから。
ごくりと唾を飲んだ。カバディ……恐ろしい子……。
「……咲夜」
「はい」
ともかく、時が差し迫る今、私は可及的速やかに次善策を実行する必要があった。
幸いな事に、私の前で傅く十六夜咲夜という女は、とてもよくできた従者だ。きっとどうにかしてくれる。
彼女はこくんと頷くと懐から、いつか見たことある小振りな箱を取り出した。
黄と黒のしましまカラーリングに、赤いボタン。起爆装置。
「咲夜」
私はぐっと親指を立てる。
「ナイスTNT!」
同じ失敗は二度と繰り返さない、それが十六夜咲夜という女だ。
この危機を生み出したそれと全く同形の四角い箱。しかし、今このときは最も空気を読んだ選択だ。
咲夜もぐっと親指を立て応えてくれた。
回りを見渡す。反応は皆、咲夜と同じだ。爽やかな一点の曇りもない笑顔。
「お姉さま、がんばって!」
フランの応援に、私はにやりとした笑みで応えた。
「ああ、大丈夫だ、私に万事任せておけ」
すぅとひとつ深呼吸し、そして私は、箱の真中に誂られた、まんまるいボタンへ指を伸ばす。
さようなら、灰化オチ。さようなら、あの悪夢。
「ぽちっとな」
ドカーン! 私は爆発した。
明らかに不親切で付いていけないが、ふつうに読む分には単純に楽しかった。
つーかレミリア自重しろwwwwwww
爆発ネタも面白かったですw
貴方の野球知識には恐れ入る……w
ネジが、ねwww
スポーツ好きなんでこういうSSもっと増えてくれないかねw
信州人KOEEEwww
あと白い死神@アンサイクロペディアは腹がよじれるからやめてくれw
深い知識が垣間見えるような作品はとてもいいものです。
でも面白かったから100点で良いよね!
つ、疲れた、眠い。咲夜さんの疲労も推して知るべし。
今度一緒に野球しましょう。