広い広い庭を進んだ先に待っていたのは見事な桜だった。
満開に花を咲かせたその巨大な姿にため息を一つつく。
一体どれだけの死を喰らえば、これ程までに成長したのか。
その数は想像もつかない。
「……誰?」
見上げていた視線を桜の下へと移すと、青い着物を身に纏った少女が背中を向けて立っていた。
彼女の周りを黒い羽の蝶が舞う。
少女が手を差し出すと、蝶はゆっくりとその上に舞い降りた。
「八雲紫、妖怪よ。貴女は西行のお嬢様?」
「ええ……」
手の上で蝶を遊ばせながら少女、西行寺幽々子はつぶやくように答えた。
「死に囚われた哀れな人間……そんな娘に何の用?」
刹那、幽々子の手の甲で羽を休めていた蝶が飛び立った。
その動きは先ほどまでの儚さを感じさせるものではなく、矢のような速度で紫へと向かってきた。
「そうね、大した用はないのだけれど……」
難なく蝶を傘で叩き落とす。
「死にたがり人間に、会いにきたのよ」
もう二羽、死に誘うはずの黒死蝶が逆に死に誘われた。
「……死にたがり?」
幽々子は首をほんの少し動かし、紫に視線を向ける。
まるで理解できないと、瞳が語っていた。
「一体、誰が死にたいと思っているの……?」
幽々子の周りを再び黒死蝶が飛ぶ。
しかしその数は先ほどまでの比ではない、少なくとも目算出来る数ではなかった。
「ああ……貴女ね、死にたいと思っているのは。だってこんな場所に来るのだもの……貴女も、死に誘われたのでしょう?」
いいわ、なら……。
「望みどおりに死を貴女にあげる……!」
その瞬間、すべての蝶が紫へと襲い掛かった。
だが嵐のように迫るその姿を見ても紫は全く動じない。
不敵な笑みを浮かべると、目の前の空間を扇で薙ぐ。
地獄の扉が開かれた。
一体何が起きたのか、分からなかった。
妖怪相手であっても、過剰といえる量の黒死蝶を撃ち出した。
少しは名のある妖怪であるようだったが、これだけの蝶を相手にしては即死だろう。
少々残念に思う、その時だった。
突然襲った衝撃に体が吹き飛ばされ、背中を桜に打ち付ける。
肺からはすべての空気が吐き出された。
「ッ……」
全身に走る痛みに呻く。
先ほどまで紫がいた場所を見ると、未だに彼女は立ち続けていた。
辺りに黒死蝶の姿は一片も見当たらない。
圧倒的な力によって、完全に消滅している。
「これで、終わりかしら?」
紫が一歩一歩、近づいてくる。
非常にゆっくりとした速度だが、幽々子は抵抗らしい抵抗を見せない。
そのまま幽々子の目の前まで来た紫は彼女の首に手をかけた。
そして幽々子の体を掴みあげる。
片腕で彼女を持ち上げる紫の膂力はまさに妖怪であり、苦しげな息を漏らす幽々子が掴むくらいではビクともしない。
最初はそうやって抵抗していた幽々子だったが、次第にその力が弱まっていることに彼女は気付いていた。
物事もだんだん考えられなくなっていく。
そうか、これが死なのか。
自分が操り、沢山の人たちに与えたもの。
それがこんなにも苦しいものだなんて知らなかった。
意識は更に薄れていく。
ついに紫の腕を掴んでいた両手が離れる、その時だった。
「どうして、笑っているの?」
そんな紫の問いが耳に届いたのは。
「……え?」
不意に拘束から解放され意識が次第にはっきりしてくる。
私は笑っていたのか?
自然と酸素を求めることを忘れ、手は顔に当てられていた。
その様子を見て紫はクスクスと笑う。
「ひょっとして本当に自覚なかったの?」
「自覚も何も、死ぬのは……怖い」
そう、死ぬのは怖い。
先ほど死にかけて、その思いは更に膨らんだ。
もう二度とあんな苦しい思いは御免だ。
「じゃあ何でさっき笑っていたんでしょうね」
「知らない……私は帰るから、花見でもなんでも好きにしていて……」
この妖怪といると体から強張りが抜けないので、そう言って立ち上がる。
少々ふらついたが歩くのに支障はなかったため、そのまま屋敷へと向かった。
何か食べるものはあったかと考えていると、
「この妖怪桜、結界が張られているのね」
背後からそう声をかけられた。
体が再び強張る、気付かれるとは思っていなかったのだ。
まだ発動すらしていないそれを。
「綺麗な術式、丁寧に構築されていて粗い箇所もない。だけど鍵が足りていないから効果もない」
振り返ると紫が西行妖に手を触れ、何かを確かめるように撫でていた。
「その鍵は貴女なのでしょう?だから貴女は死にたいと思っている」
体をこちらへ向きなおした紫が近づいてくる。
思わず後ずさっていた。
「だけど貴女は死ぬのを怖がっている。自分の命を奪おうとする誰かを殺してしまう程」
背中に桜の木が当たった。
「死にたくはない、だというのに貴女は死ななければならない」
「うるさい!!」
そんなこと分かりきっていた。
自分が死ななければたくさんの人間が死んでいく。
西行妖はそれにより力を手に入れ、更に多くの人間を死に誘う。
紫へと叩きつけた拳は軽く受け止められた。
目の前まで近づいた彼女の顔を憎々しげに睨み付ける。
それさえも気にせずに紫は笑みを浮かべると、
「私が、殺してあげましょうか?」
そう言った。
「……は?」
怒りも忘れ呆然としている間に紫は幽々子の手を離す。
「それではまた会いましょう、お嬢さん」
そしていつの間にやら出来ていた空間の裂け目に身を投じて、紫は姿を消した。
独り取り残された幽々子はしばらくその場で佇んでいたが、再び屋敷へと歩き始める。
誰かと言葉を交わしたのは久しぶりだった。
しかもそれが妖怪だったなんて。
「八雲紫……か」
もしかすれば彼女は私を恐怖も苦痛もなく殺せるのではないか?
結界にも詳しそうであったし、西行妖の結界を強化できるかもしれない。
「次に会ったら、聞こう」
もし、いきなり殺しにかかってこなければだが。
満開に花を咲かせたその巨大な姿にため息を一つつく。
一体どれだけの死を喰らえば、これ程までに成長したのか。
その数は想像もつかない。
「……誰?」
見上げていた視線を桜の下へと移すと、青い着物を身に纏った少女が背中を向けて立っていた。
彼女の周りを黒い羽の蝶が舞う。
少女が手を差し出すと、蝶はゆっくりとその上に舞い降りた。
「八雲紫、妖怪よ。貴女は西行のお嬢様?」
「ええ……」
手の上で蝶を遊ばせながら少女、西行寺幽々子はつぶやくように答えた。
「死に囚われた哀れな人間……そんな娘に何の用?」
刹那、幽々子の手の甲で羽を休めていた蝶が飛び立った。
その動きは先ほどまでの儚さを感じさせるものではなく、矢のような速度で紫へと向かってきた。
「そうね、大した用はないのだけれど……」
難なく蝶を傘で叩き落とす。
「死にたがり人間に、会いにきたのよ」
もう二羽、死に誘うはずの黒死蝶が逆に死に誘われた。
「……死にたがり?」
幽々子は首をほんの少し動かし、紫に視線を向ける。
まるで理解できないと、瞳が語っていた。
「一体、誰が死にたいと思っているの……?」
幽々子の周りを再び黒死蝶が飛ぶ。
しかしその数は先ほどまでの比ではない、少なくとも目算出来る数ではなかった。
「ああ……貴女ね、死にたいと思っているのは。だってこんな場所に来るのだもの……貴女も、死に誘われたのでしょう?」
いいわ、なら……。
「望みどおりに死を貴女にあげる……!」
その瞬間、すべての蝶が紫へと襲い掛かった。
だが嵐のように迫るその姿を見ても紫は全く動じない。
不敵な笑みを浮かべると、目の前の空間を扇で薙ぐ。
地獄の扉が開かれた。
一体何が起きたのか、分からなかった。
妖怪相手であっても、過剰といえる量の黒死蝶を撃ち出した。
少しは名のある妖怪であるようだったが、これだけの蝶を相手にしては即死だろう。
少々残念に思う、その時だった。
突然襲った衝撃に体が吹き飛ばされ、背中を桜に打ち付ける。
肺からはすべての空気が吐き出された。
「ッ……」
全身に走る痛みに呻く。
先ほどまで紫がいた場所を見ると、未だに彼女は立ち続けていた。
辺りに黒死蝶の姿は一片も見当たらない。
圧倒的な力によって、完全に消滅している。
「これで、終わりかしら?」
紫が一歩一歩、近づいてくる。
非常にゆっくりとした速度だが、幽々子は抵抗らしい抵抗を見せない。
そのまま幽々子の目の前まで来た紫は彼女の首に手をかけた。
そして幽々子の体を掴みあげる。
片腕で彼女を持ち上げる紫の膂力はまさに妖怪であり、苦しげな息を漏らす幽々子が掴むくらいではビクともしない。
最初はそうやって抵抗していた幽々子だったが、次第にその力が弱まっていることに彼女は気付いていた。
物事もだんだん考えられなくなっていく。
そうか、これが死なのか。
自分が操り、沢山の人たちに与えたもの。
それがこんなにも苦しいものだなんて知らなかった。
意識は更に薄れていく。
ついに紫の腕を掴んでいた両手が離れる、その時だった。
「どうして、笑っているの?」
そんな紫の問いが耳に届いたのは。
「……え?」
不意に拘束から解放され意識が次第にはっきりしてくる。
私は笑っていたのか?
自然と酸素を求めることを忘れ、手は顔に当てられていた。
その様子を見て紫はクスクスと笑う。
「ひょっとして本当に自覚なかったの?」
「自覚も何も、死ぬのは……怖い」
そう、死ぬのは怖い。
先ほど死にかけて、その思いは更に膨らんだ。
もう二度とあんな苦しい思いは御免だ。
「じゃあ何でさっき笑っていたんでしょうね」
「知らない……私は帰るから、花見でもなんでも好きにしていて……」
この妖怪といると体から強張りが抜けないので、そう言って立ち上がる。
少々ふらついたが歩くのに支障はなかったため、そのまま屋敷へと向かった。
何か食べるものはあったかと考えていると、
「この妖怪桜、結界が張られているのね」
背後からそう声をかけられた。
体が再び強張る、気付かれるとは思っていなかったのだ。
まだ発動すらしていないそれを。
「綺麗な術式、丁寧に構築されていて粗い箇所もない。だけど鍵が足りていないから効果もない」
振り返ると紫が西行妖に手を触れ、何かを確かめるように撫でていた。
「その鍵は貴女なのでしょう?だから貴女は死にたいと思っている」
体をこちらへ向きなおした紫が近づいてくる。
思わず後ずさっていた。
「だけど貴女は死ぬのを怖がっている。自分の命を奪おうとする誰かを殺してしまう程」
背中に桜の木が当たった。
「死にたくはない、だというのに貴女は死ななければならない」
「うるさい!!」
そんなこと分かりきっていた。
自分が死ななければたくさんの人間が死んでいく。
西行妖はそれにより力を手に入れ、更に多くの人間を死に誘う。
紫へと叩きつけた拳は軽く受け止められた。
目の前まで近づいた彼女の顔を憎々しげに睨み付ける。
それさえも気にせずに紫は笑みを浮かべると、
「私が、殺してあげましょうか?」
そう言った。
「……は?」
怒りも忘れ呆然としている間に紫は幽々子の手を離す。
「それではまた会いましょう、お嬢さん」
そしていつの間にやら出来ていた空間の裂け目に身を投じて、紫は姿を消した。
独り取り残された幽々子はしばらくその場で佇んでいたが、再び屋敷へと歩き始める。
誰かと言葉を交わしたのは久しぶりだった。
しかもそれが妖怪だったなんて。
「八雲紫……か」
もしかすれば彼女は私を恐怖も苦痛もなく殺せるのではないか?
結界にも詳しそうであったし、西行妖の結界を強化できるかもしれない。
「次に会ったら、聞こう」
もし、いきなり殺しにかかってこなければだが。
このシーンだけポンと出されてもどう評価しろと?