ハロウィン、つまり復活祭だってお燐は言った。だから怨霊がいつにもまして騒がしいんだって。
私には怨霊の声は聞こえないからいまいちよく分からなかったけど、でもとりあえず、いつもよりちょっぴり灼熱廃獄が暖かいなってことは分かった。つまり私はいつもよりちょっぴり火力を下げなきゃいけないってことだ。
「怨霊の炎は小さいんだけど、数集まったらそこそこの熱にはなるからねえ」
そんなことを言ってたお燐は今はいない。何割だかの怨霊を連れて地上に向かったんだそうだ。騒がしいのは結構だけど、暴れられたら困るから、軽く祭りの気配に当てて満足させてやるらしい。
「そのついでにでもさ、お空。一緒に地上で遊んでいきやしないかい」
「いいよ。今日はなんだかそんな気分じゃないから」
そうかい、と応えたお燐は心なしかしょんぼりしていて、それを見た私もなんだか申し訳ないような気持ちになった。先の言葉を撤回しようかとも思って、けれど本調子じゃない私と一緒に遊びに回ってもきっとお燐は楽しくないだろうとか、まず掌をすぐにくるくる回すのも混乱させそうで良くないなとか、そんなことを思っているうちにお燐は出発してしまった。そういうところだよねと私は自嘲して、だから私は今もここにいる。
耳を澄ませばごうごうと、燃え盛る炎の音が聞こえる。
逆に言えば、この灼熱廃獄に於いてしては、他の音など聞こえないのだ。
まるでここには私一人しかいないみたい、と一人ごちる。それは実際それなりに正しい認識で、要するに「ここ」をどれだけの広さで取るかの問題で、つまり灼熱廃獄というのはそれを悩ましく感じる程度には広々としているということだ。
いや、いつものことなんだけど。
普段はそこまで気にならないのになあと私は思って、だからやっぱりたぶんさっきのお燐の話が影響しているのだと思う。きっといまごろ地上はどんちゃんと騒いでいるのに違いなくて、そこにお燐もいるのだろうと考えると、ああやっぱり行きたかったなあなんて思いはする。
思うだけだ。やっぱり私から動く気にはなれない。そもそも動けていたのなら、今頃地上にいるはずだし。
だからやっぱり、そういうところなんだと思う。
何をするでもなく立っていた。なにもすることがないわけではなかった。ただただやらなきゃいけないことがぐるぐると頭の中を回るだけで、それをいざ行動に移すことへの億劫さから、なにもすることができないでいた。これだから私はだめだめぽんこつ莫迦烏なのだ、と嘆息こそは出るけれど、それでも私の足は鉄でも溜め込んだかのように重かった。
……ふと、こいし様の言葉を思い出した。
「お空はきっと無意識の力が、情報を濾して流す力が弱いのね」
そう言ったこいし様は何処となく普段より嬉しそうで、それを尋ねると「だってお空はそのおかげで、私を見つけてくれるんだもの!」と破顔したものだった。
思い出したのは、眼前を誰かが横切ったからだ。誰かというか、こんな開けた明るい場所で判別のつかない相手なんて、一人しか思い浮かばないけど。
「こいし様?」
「ありゃ、ばれちゃった」
声をかけると、薄らぼんやりとしていた人影が、ふっと焦点を合わせたように判別のつくようになる。黒い帽子を目深に被り、青いコードを周囲に這わせたその姿は、間違うことなくいつもの通りのこいし様だった。
「ばれちゃったって、何してたんですか」
「さあ、なんだろうね」
私の疑問をさらりと流して、こいし様はくすくすと笑う。その瞳はどこか焦点が合ってないようで、お燐なんかはそれを怖いって評するけれど、私にとっては反対にどこか安心するような気がするのだ。
「それよりお空、今日はお祭りよ。お燐よろしく遊びに行かないの?」
言いにくいことを訊くなあ、って思わず苦笑いが漏れた。こいし様は、そういうことを尋ねてくるのに躊躇がない。
「やめときますよ。今日の私はそういう気分じゃないんです」
「本当に?」
私の言葉に被せるようにこいし様は言った。
笑顔を消してじっと私を見つめるこいし様はその実、私の向こうの何かを透かして見ているような雰囲気があって、そういうところはさとり様と少し似ているなって思った。さとり様も、ひとの心を読むときは、どこかそういう雰囲気になる。
「本当は寂しいんじゃないの?」
「……今日は一段と手厳しいですね」
困ったなって思いながら私は応えた。
困るのは、こいし様の指摘が正しいことだ。私が寂しいのはその通りで、さっきまでだってそれで悩んでいたところだった。
だけど、そういう気分じゃないのも本心だし、その二つは両立するものだと思う。
「まー確かにそうだよねー」
そんなことを言い返したけど、こいし様はまたも笑ってはぐらかした。相変わらず掴みどころのないひとだって私は思って、はてそういえばと思いついたことを口にした。
「あれ、そういうこいし様もお祭りに混ざりに行かないんですか?」
「えー、行くわけないじゃん。だってつまらないんだもん」
こいし様は口を尖らせてそう応えて、意外だなって思った私は直後に意図するところに気付いた。
「みんなお祭りに浮かれてて、私のことに気付きもしないのよ? 楽しいわけがないじゃない」
「……そうでしたね、ごめんなさい」
認識できない隣人、あるいは雑踏の中の他人そのもの。
素で意識から抜けていたのだけれど、そういえばこいし様とはそういうひとなのだった。
「別に謝ることはないのよ? 私のことなんて忘れちゃってて当然だもの」
「笑えないのでやめてください」
「ごめんって。それに、傍から喧騒を眺めてる分にはそこそこ楽しかったりするのよ? まあ長く見てると飽きちゃうけれど。……よし、と」
こいし様は唐突に手をぱちりと合わせて、けれどどこからはぼふりなんていう柔らかい音が聞こえてきた。一瞬遅れて私の目はこいし様の手に焦点を合わせて、そこでようやくその手の内に私の服の一式が収まっていることを視認した。
「……え?」
慌てて自分の姿を確認する。普段からつけている白いマントはいつの間にか真っ黒に塗りつぶされていて、その下の白のブラウスには黒のベストが被せられ、緑だったスカートなんかは黒色に挿げ替えられていた上に、白いエプロンまでつけられていた。
「えっ???」
いつの間に着替えたのかしら、と頭に手をやってみたところで帽子の乗っていることに気付いた。取って見てみるとこれも黒色で、しかも立派な魔女帽子だった。
流石にこれは私の着替えたものじゃない。となれば。
「……こいし様?」
「知らなかったのお空、ハロウィーンには仮装がつきものなのよ?」
「はあ」
私はまったく困ってしまって、というのはせっかくこいし様に着せてもらったものなのだから無下にするのは悪いのだけど、でもやっぱりわざわざ地上まで行くのは抵抗があるということだった。それを伝えようと私は口を開いたのだけど、それより早くこいし様が言葉を紡いだので私の困惑は音になる前に消えていった。
「ほら、早く行ってあげなよ。お姉ちゃんがお菓子を焼いて待ってるのよ?」
「そうなんですか?」
私はだいぶびっくりとして、それは主にはさとり様がハロウィンを知っていることに対してだったのだけど、けれどよくよく考えてみればひとの心をまるきり読めるさとり様がそんなことを知らないはずがないのだった。
「じゃ、私の分も忘れずもらっておいてねー」
こいし様はそう言って手を振って掻き消えようとして、私は思わずその手を掴んで引き留めた。
「あれ、どしたのお空?」
あー、と私は言葉にならない声を上げた。わりあい何も考えないでの行動だったから上手く考えがまとまらなかった。
「えっと、ほら、鳥に忘れるなって言う方が無茶じゃないですか」
私はどうにかそれだけ言葉を頭からひねり出して、それを聞いたこいし様は耐え切れなかったかのように笑い出した。
「もう、お空ったら冗談がきついわ」
「ごめんなさい」
「謝ることじゃないわよ」そう言いながらこいし様は私のマントを自分の肩にばさりとかけた。
「仕方ないわね、それじゃあ一緒にお姉ちゃんのところへ行きましょうか」
そう言ったこいし様の顔はとても生き生きしていた。
私の顔はどうだか知らない。
私には怨霊の声は聞こえないからいまいちよく分からなかったけど、でもとりあえず、いつもよりちょっぴり灼熱廃獄が暖かいなってことは分かった。つまり私はいつもよりちょっぴり火力を下げなきゃいけないってことだ。
「怨霊の炎は小さいんだけど、数集まったらそこそこの熱にはなるからねえ」
そんなことを言ってたお燐は今はいない。何割だかの怨霊を連れて地上に向かったんだそうだ。騒がしいのは結構だけど、暴れられたら困るから、軽く祭りの気配に当てて満足させてやるらしい。
「そのついでにでもさ、お空。一緒に地上で遊んでいきやしないかい」
「いいよ。今日はなんだかそんな気分じゃないから」
そうかい、と応えたお燐は心なしかしょんぼりしていて、それを見た私もなんだか申し訳ないような気持ちになった。先の言葉を撤回しようかとも思って、けれど本調子じゃない私と一緒に遊びに回ってもきっとお燐は楽しくないだろうとか、まず掌をすぐにくるくる回すのも混乱させそうで良くないなとか、そんなことを思っているうちにお燐は出発してしまった。そういうところだよねと私は自嘲して、だから私は今もここにいる。
耳を澄ませばごうごうと、燃え盛る炎の音が聞こえる。
逆に言えば、この灼熱廃獄に於いてしては、他の音など聞こえないのだ。
まるでここには私一人しかいないみたい、と一人ごちる。それは実際それなりに正しい認識で、要するに「ここ」をどれだけの広さで取るかの問題で、つまり灼熱廃獄というのはそれを悩ましく感じる程度には広々としているということだ。
いや、いつものことなんだけど。
普段はそこまで気にならないのになあと私は思って、だからやっぱりたぶんさっきのお燐の話が影響しているのだと思う。きっといまごろ地上はどんちゃんと騒いでいるのに違いなくて、そこにお燐もいるのだろうと考えると、ああやっぱり行きたかったなあなんて思いはする。
思うだけだ。やっぱり私から動く気にはなれない。そもそも動けていたのなら、今頃地上にいるはずだし。
だからやっぱり、そういうところなんだと思う。
何をするでもなく立っていた。なにもすることがないわけではなかった。ただただやらなきゃいけないことがぐるぐると頭の中を回るだけで、それをいざ行動に移すことへの億劫さから、なにもすることができないでいた。これだから私はだめだめぽんこつ莫迦烏なのだ、と嘆息こそは出るけれど、それでも私の足は鉄でも溜め込んだかのように重かった。
……ふと、こいし様の言葉を思い出した。
「お空はきっと無意識の力が、情報を濾して流す力が弱いのね」
そう言ったこいし様は何処となく普段より嬉しそうで、それを尋ねると「だってお空はそのおかげで、私を見つけてくれるんだもの!」と破顔したものだった。
思い出したのは、眼前を誰かが横切ったからだ。誰かというか、こんな開けた明るい場所で判別のつかない相手なんて、一人しか思い浮かばないけど。
「こいし様?」
「ありゃ、ばれちゃった」
声をかけると、薄らぼんやりとしていた人影が、ふっと焦点を合わせたように判別のつくようになる。黒い帽子を目深に被り、青いコードを周囲に這わせたその姿は、間違うことなくいつもの通りのこいし様だった。
「ばれちゃったって、何してたんですか」
「さあ、なんだろうね」
私の疑問をさらりと流して、こいし様はくすくすと笑う。その瞳はどこか焦点が合ってないようで、お燐なんかはそれを怖いって評するけれど、私にとっては反対にどこか安心するような気がするのだ。
「それよりお空、今日はお祭りよ。お燐よろしく遊びに行かないの?」
言いにくいことを訊くなあ、って思わず苦笑いが漏れた。こいし様は、そういうことを尋ねてくるのに躊躇がない。
「やめときますよ。今日の私はそういう気分じゃないんです」
「本当に?」
私の言葉に被せるようにこいし様は言った。
笑顔を消してじっと私を見つめるこいし様はその実、私の向こうの何かを透かして見ているような雰囲気があって、そういうところはさとり様と少し似ているなって思った。さとり様も、ひとの心を読むときは、どこかそういう雰囲気になる。
「本当は寂しいんじゃないの?」
「……今日は一段と手厳しいですね」
困ったなって思いながら私は応えた。
困るのは、こいし様の指摘が正しいことだ。私が寂しいのはその通りで、さっきまでだってそれで悩んでいたところだった。
だけど、そういう気分じゃないのも本心だし、その二つは両立するものだと思う。
「まー確かにそうだよねー」
そんなことを言い返したけど、こいし様はまたも笑ってはぐらかした。相変わらず掴みどころのないひとだって私は思って、はてそういえばと思いついたことを口にした。
「あれ、そういうこいし様もお祭りに混ざりに行かないんですか?」
「えー、行くわけないじゃん。だってつまらないんだもん」
こいし様は口を尖らせてそう応えて、意外だなって思った私は直後に意図するところに気付いた。
「みんなお祭りに浮かれてて、私のことに気付きもしないのよ? 楽しいわけがないじゃない」
「……そうでしたね、ごめんなさい」
認識できない隣人、あるいは雑踏の中の他人そのもの。
素で意識から抜けていたのだけれど、そういえばこいし様とはそういうひとなのだった。
「別に謝ることはないのよ? 私のことなんて忘れちゃってて当然だもの」
「笑えないのでやめてください」
「ごめんって。それに、傍から喧騒を眺めてる分にはそこそこ楽しかったりするのよ? まあ長く見てると飽きちゃうけれど。……よし、と」
こいし様は唐突に手をぱちりと合わせて、けれどどこからはぼふりなんていう柔らかい音が聞こえてきた。一瞬遅れて私の目はこいし様の手に焦点を合わせて、そこでようやくその手の内に私の服の一式が収まっていることを視認した。
「……え?」
慌てて自分の姿を確認する。普段からつけている白いマントはいつの間にか真っ黒に塗りつぶされていて、その下の白のブラウスには黒のベストが被せられ、緑だったスカートなんかは黒色に挿げ替えられていた上に、白いエプロンまでつけられていた。
「えっ???」
いつの間に着替えたのかしら、と頭に手をやってみたところで帽子の乗っていることに気付いた。取って見てみるとこれも黒色で、しかも立派な魔女帽子だった。
流石にこれは私の着替えたものじゃない。となれば。
「……こいし様?」
「知らなかったのお空、ハロウィーンには仮装がつきものなのよ?」
「はあ」
私はまったく困ってしまって、というのはせっかくこいし様に着せてもらったものなのだから無下にするのは悪いのだけど、でもやっぱりわざわざ地上まで行くのは抵抗があるということだった。それを伝えようと私は口を開いたのだけど、それより早くこいし様が言葉を紡いだので私の困惑は音になる前に消えていった。
「ほら、早く行ってあげなよ。お姉ちゃんがお菓子を焼いて待ってるのよ?」
「そうなんですか?」
私はだいぶびっくりとして、それは主にはさとり様がハロウィンを知っていることに対してだったのだけど、けれどよくよく考えてみればひとの心をまるきり読めるさとり様がそんなことを知らないはずがないのだった。
「じゃ、私の分も忘れずもらっておいてねー」
こいし様はそう言って手を振って掻き消えようとして、私は思わずその手を掴んで引き留めた。
「あれ、どしたのお空?」
あー、と私は言葉にならない声を上げた。わりあい何も考えないでの行動だったから上手く考えがまとまらなかった。
「えっと、ほら、鳥に忘れるなって言う方が無茶じゃないですか」
私はどうにかそれだけ言葉を頭からひねり出して、それを聞いたこいし様は耐え切れなかったかのように笑い出した。
「もう、お空ったら冗談がきついわ」
「ごめんなさい」
「謝ることじゃないわよ」そう言いながらこいし様は私のマントを自分の肩にばさりとかけた。
「仕方ないわね、それじゃあ一緒にお姉ちゃんのところへ行きましょうか」
そう言ったこいし様の顔はとても生き生きしていた。
私の顔はどうだか知らない。
ハッピーハロウィン
お空のゆううつがとてもよいですね。
ハロウィンといえば地底、地底といえばハロウィンですよね
ほんわかするお話でした。家族仲良く一緒がいいね。
すてきだからこそ、ここで終わるのがもったいないですね。
こいしとの会話の中にそれはあるんだろうけど、ちょっと情報不足?