Coolier - 新生・東方創想話

夜雀に捧ぐ焼き鳥秘話 前編

2010/05/03 22:28:38
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【部外者視点のプロローグ】

「いったいどこのどいつが焼き鳥撲滅運動なんてもんを始めたんだい?」
「解りません」
 仲間の鴉天狗に訊ねられ、こんな返答しかできない自分を情けなく思う射命丸文。
 だが肝心の"当事者"が教えてくれないのだから、仕方がなかった。

 焼き鳥撲滅運動。
 幻想郷ではすっかり知れ渡り、今も焼き鳥屋は絶えないが、その売り上げへの影響はあった。
 この運動を幻想郷全体という視野から見た場合の是非の問題はさておき、運動に参加しているのは当然ながら鳥の妖怪妖獣が中心で、その声は決して大きなものではない。鳥の妖怪という勢力の小ささでありながらも善戦しているのは、鴉天狗のブン屋、射命丸文の活動のおかげと言っても過言ではなかった。
 天狗達は優れた技術力を持ち新聞作りが趣味のような連中で、文は仲間の天狗にも焼き鳥撲滅運動への協力を要請している。大部分からは無視されたこの要請だが、同じ鳥系統の天狗は快く参加。『文々。新聞』以外の新聞でも『焼き鳥撲滅』の文字が見られるようになりつつある。

 今やそれなりに有名な焼き鳥撲滅運動。
 誰が始めたのか?
 どこから始まったのか?
 なにがきっかけで始まったのか?
 それを知る者は、少ない。

 それは美しき旋律が呼ぶ出逢いから始まった。
 今こそ明かそう、深き竹林に秘められた物語を――。


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【旋律のファースト・コンタクト】

 漂う霧の如く、翼の少女の心は晴れず、静々と竹林を歩いていた。
 平衡感覚と方向感覚を狂わせる微妙な勾配は、視界をさえぎる霧と手伝って外敵を迷わせる。迷わないのは、この竹林で生まれ育った一部の者くらいだろう。だから翼の少女は迷わない。成長とともに環境に適応し、歩くための知識を大人から教わり、実際に竹林を歩いて経験を積んだ。とはいえ翼の少女が知る道は限られたものであり、竹林の内外を自由に行き来できるものではない。半人前の者には、竹林の外に通ずる道は教えられないのだ。

 なぜなら竹林の外は人間と妖怪が殺し合う危険な世界――幻想郷なのだから。

 それでも、竹林の内側は安全が約束されているという訳ではない。
 同じ竹林に住み迷わぬ知識と経験を持つ者達とのいざこざもあれば、稀に、外敵の侵入による被害が出る事もある。たいていは迷い朽ち果てるだけの連中なれど、偶然、あるいは卓越した魔性の知識や能力によって、竹林を脅かすのだ。故に竹林の弱者の生活は閉塞の一途をたどっていた。ほんのわずか、例外はあったが。
 ふいに、竹が高く響く音色を奏でる。
 驚くよりも先に、翼の少女は不思議な居心地のよさに微笑んだ。この竹林には様々なものが隠れており、その極一部しか把握していない翼の少女は、まだ村のみんなが知らない新たなものを見つけたのではないかと胸をときめかせる。勝手に音楽を鳴らす竹があるのだろうか。いやしかし、この道は村のみんなも行き来しているはず。ここは"村から出てもいい範囲"なのだから。村のみんなはもう知っている? よく解らないけれど、ごちゃごちゃ考えるのは性に合わない。正体を確かめるべく翼の少女は歩き出した。きっと素敵なものがある。絶対に素晴らしいものがある。本能に響くこの音色が、どうしようもなく愛しい。
 翼の少女の横を、小鳥が翔け抜けていく。白い羽根の軌跡を視線で追うと、竹林に似合わぬ白い塊を見つけた。人。真っ白な髪を腰まで伸ばした女性が、篠笛を奏でているのだ。すでに聴き惚れていた翼の少女は、続いて見惚れた。篠笛の女性の儚くも生命力に満ちあふれた美しさに。
 薄暗い緑ばかりの竹林の中、咲いた一輪の竹の花を思わせる白き存在。サスペンダーつきの赤いもんぺに白いブラウス。それから大きな紅白リボンはとてもよく似合い、どことなくボーイッシュな印象を受けた。しかし顔の造形はとても可憐で、眼差しは我が子を愛でる母親のように優しく、篠笛に接している艶やかな朱唇は性別の枠を越えて触れ合いたい衝動に駆られる。強烈に惹かれすぎて、逆に翼の少女の足取りは止まった。

 旋律のファースト・コンタクト。

 他所者に慣れぬはずの小鳥達は、理解しているはずの"安全圏"を越えてすでに何羽にも増えて篠笛の女性を取り巻いている。肩で羽を休めるこげ茶色の雀。竹を背もたれに座る彼女の前に集まって、真っ直ぐに音色の出所である篠笛を見つめる白や薄緑の小鳥達。そんな光景が見せた幻想だろうか、翼の少女は見た、竹に預けられた彼女の背中から輝き伸びる翼を。
(――天使?)
 幻想の翼が見えたのは一瞬、だがその鮮烈さは忘れがたく、目に、心に、しかと焼きついていた。もっと見ていたい、小鳥達と戯れるあの人の姿を。もっと聴いていたい、小鳥達を虜にする美しい調べを。
 だが願いとは裏腹に、彼女は篠笛を唇から離してしまった。旋律が止まり、翼の少女と小鳥達は不思議そうに彼女を見つめる。そして今度はその眼差しに応えるように、彼女は慈愛あふれる微笑みを浮かべた。

「今だぁぁぁあああッ!!」

 これでもかというほど口を大きく開けて笑って、彼女は先程までの美しい雰囲気をぶち壊しながら地面に積もった竹の葉に隠されていた縄を掴むと、力いっぱい引っ張った。途端に彼女の前方に集まっていた小鳥達の頭上から竹を編んで造ったかごが降ってきた。虚を突かれた小鳥達はかごに閉じ込められ、慌てて逃げようとするもかごの網目を潜る事はできなかった。
「チュンッ!?」
 肩に止まっていたこげ茶色の雀は幸運にもかごの罠にかからなかったため、なんとか飛び立てた。しかし女はよだれを垂らしながら飛びついて、猛禽類のような動作で雀の胴体を鷲掴みにする。

「ウワーッハハハハハハッ!! 三日振りのご飯ゲェ~ット!! ちっこい鳥ばっかりだがこれだけいりゃあ腹もふくれるだろう。鳥獣を呼び寄せる妖術の演奏によって、お前達は生きながらに極楽を見たのだ。さらに苦しまないよう楽に殺してから調理してやろう、そこいらの獣に喰われるよりはよっぽどマシな最期だったと潔くあきらめるんだな。わーい今日の献立は焼き鳥だぁ!」

 ピクピクと、その場にずっこけた翼の少女は震えていた。さっきまでの感動的で幻想的な光景は、すべて妖術の演奏によるまやかしだったのだ。畜生、感動して損したなぁ! というか今まさに演奏詐欺師の毒牙にかかろうとしている同胞達を見すごせるほど、翼の少女の同族意識は薄くない。

「やめなさ~い! この演奏詐欺師っ!」

 片手五本、両手十本の指先から短刀の如き刃を伸ばし、竹をやすやすと切り裂きながら躍り出る翼の少女。演奏詐欺師は眉をしかめて振り向き、翼の少女の全身を眺めた。茶色い帽子とブーツ、そしてふわりとスカートの広がったワンピースの下には、肩のふくらんだブラウスらしきものを着ている。人間で例えれば十歳になるかならないかといった容貌だ。
 外見と内面と強さが一致するとは限らない妖怪だが、これは確実にまだ子供で未熟な妖怪だろうと確信する。
 はぁ、と溜め息をついて彼女は落胆した。
「この鳥は大きいけど食べられそうにないな」
「ムキーッ! この竹林で焼き鳥なんか食べようとするなんて許せないわ! バラバラに引き裂いてやるぅ! 感動を返せ、バカー!!」
 翼の少女は怒りに身を任せて演奏詐欺師に飛びかかり、五指の爪を真っ直ぐに伸ばして小鳥を掴んだ腕を狙った。演奏詐欺師は慌てて小鳥を手放しながら後ずさる。その隙に翼の少女は小鳥達を捕らえていたかごを蹴り飛ばした。
「今のうちに逃げて!」
 鳥族にしか解らぬ鳴き声の礼を告げて、翼を広げ逃げる小鳥達。演奏詐欺師はその姿を名残惜しそうに見つめながら篠笛を地面に落とし、自嘲気味に笑う。そんな彼女に、翼の少女は爪を振るおうとした。だが。
「あー……お腹、空いたな」
 そう呟いて、彼女は糸の切れた人形のように倒れた。爪を振り下ろす先を失った翼の少女は、戦わずして得た勝利に困惑する。どうしよう、トドメを刺すべきだろうか。しかし。
 彼女が倒れたのを見て安心して戻ってきた小鳥達は、ついさっき食べられそうになったばかりだというのに、心配そうに彼女の側に舞い降りた。こげ茶色の雀は篠笛をくちばしでつついている。すっかり鳥を惑わす音色にやられてしまっているようだ。確かにあの旋律は心に響くものがあった。けれど、それは妖術によるもの。けれど、本当に美しい旋律だった。心を惑わす妖術だけでは届かない、心の奥底に響くほどに。

 旋律に導かれ戦慄のファースト・コンタクトを果たした二人。
 すべては此処から始まった。


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【流れ流れて雀のお宿】

 流れ流れて幻想郷。ここで見つからなければ、もう外国と月くらいしか探す場所はないだろう。
 流れ流れて迷いの竹林。幻想郷の中でも隠れ住むには打ってつけの土地だろう。
 流れ流れてここはどこ?

 目を覚ましたら見知らぬ場所、というのは飽き飽きするほど体験していたため今さら慌てはしない。荷物を奪われ冷たい地下牢に囚われていた時や、下卑た男達が酒盛りする中で手足を拘束されて目覚めた時に比べれば、こうして布団で寝かされているというケースの半分は善意のものだ。だから、親切を装ってどこかに売り飛ばそうだとか、手篭めにしようだとか、生贄に捧げようだとか、悪意の可能性も半分ある。だが善意と悪意、双方を何度も何度も経験したために、なんとなくこれは善意の助けだと感じた。
 布団の中、手足が拘束されている様子はなく、また寝やすいようにと浴衣に着替えさせられているようだ。身の汚れもどうやら落とされているようで、それなりの看護を受けたらしいと解る。解るが、空腹は満たされていない。せっかく呼び寄せた鳥を食べ損ねてしまい、鳥の妖怪に絡まれて……。
「じとー」
 と、実際に口に出している訳ではないが、そんな目つきが襖の隙間から覗いていた。
「じろり」
 と、実際に口に出している訳ではないが、そんな風に見つめ返してやる。
 すると襖をぴしゃりと閉めて、深呼吸の音の後、部屋が揺れんばかりの勢いで襖が開かれる。身体を大の字にし、さらに背中の翼を目いっぱい広げていた。威嚇しているのだろうか。ガオーとか言いそう。
「やい人間! 食べられたくなかったらおとなしくしてなさい!」
「うん、おやすみ」
 言われた通りおとなしくすべく、彼女は布団の中に頭までもぐった。だが馬鹿にされたと思ったのか、実際からかっているのだけど、翼の少女は頬をふくらませて床を蹴った。
「こぉの演奏詐欺師ー!」
 踏まれる。即座に悟った彼女は布団を跳ね除けて少女にかぶせつつ、畳の上を転がりながら立ち上がった。布団に包まって落ちた翼の少女は、くぐもったわめき声を上げながらもがいている。
「わー! 出せー! 二度と焼き鳥を食べられない身体にしてやるー! ガオー!」
 言ったよガオーって。可愛いなぁ。
 ついつい微笑んでしまうと、同じように微笑む老人と目が合った。廊下に立つ彼に翼は無く、人魂のような大きく白い塊をかたわらに浮かべており――本当に人魂なのかもしれない――白い髪とヒゲを伸ばしている。洋装の少女とは違い和装で、着こなしだけで尋常ではないなにかを感じさせるものがあった。そこいらの若者よりもずっと真っ直ぐに背筋を伸ばし、立ち振る舞いは穏やかなれどまったく隙が無い。
「この娘は、お主の篠笛が気に入っておるようだ」
 布団越しの少女には解らないよう小声で言って、老人は足音も無く立ち去ってしまった。残された彼女は、どうしたものかとしばし悩み、未だもがいている少女から布団を取っ払ってやり、にこやかに挨拶する。
「おはよう」
「……うー……笑顔になんて騙されないんだから! この連続殺鳥犯!」
「おいおい、妖怪だって人間を食べるだろう。お互い様、お互い様」
「私はまだ食べた事ないもん!」
「へー」
 少女は翼を羽ばたかせると、唸り声を上げながら入口の反対側、薄っすらと明るい障子の前へと回った。姿を追うついでに軽く部屋を見回してみると、布団、畳、机、座布団、壁、掛け軸、絵、花、和室ではあるが整然としすぎていて生活感が薄いと気づく。妖怪が営む宿だろうか。少女のいる障子の向こうは外のようで、耳を澄ませば鳥の鳴き声が多数聞こえる。
「ごめん。すっかり迷っちゃって、お腹が空いてたんだ」
 少女が怒っている理由は解っているので、謝るのは容易だった。人間が妖怪に襲われていたら、人間を助け、妖怪を退治する。同じように妖怪も、同種の者が人間に襲われていれば、同種の者を助け、人間を退治するのだろう。この鳥の妖怪が小鳥達を助けたように。
「お腹が空いてるからって、鳥を食べていい理由にはならないもん」
 少女はまだご立腹の様子。怒っているのは鳥の件だけではないようだ。
 そういえば先程、老人が篠笛がどうのと言っていた。記憶をたぐれば、演奏詐欺師呼ばわりもされている。鳥獣を呼ぶ妖術を音色に載せたのが癇に障った?
「幻想郷に来て、まだ日が浅くてさ。だから多分、私が悪いんだろうね。事情に精通しているのは君の方……そういえば、まだ名乗ってなかったね。私はモコウ。君は?」
「……ミスティア」
 唇を尖らせていた少女、ミスティアは小声で答え、じろじろと見つめてくる。まだまだ警戒されているようだ。
「ミスティアか。綺麗な名前だね」
 素直な感想だった。西洋風の衣装をしていたから、西洋の名前でも違和感は無いし、少女の可愛らしい容姿によく似合っている。もう一度少女の名を呟いてその響きを楽しむと、つい笑みがこぼれた。
「……どう書くの?」
「え?」
「名前。モコウって、カタカナでいいの?」
「いや、妹(いもうと)に紅(べに)で、妹紅」
「変な名前」
「そうかなぁ」
 この名前を使い始めて、もうどれだけの歳月が流れただろうか。とっくに慣れ親しんだ名前に、もう違和感は無い。だが初めて聞く者にとってはそうではない。けれど、それほど変な名前だと彼女は思わない。警戒されたままだからこんな風に言われるのだ。そうに違いない。そうだよね? 自分に言い聞かせる。
「ここ、どこか知らないけど、介抱してくれたのはミスティア?」
「そうよ。あそこで八つ裂きにしてもよかったのにわざわざ運んで上げたんだから、感謝しなさい!」
「うん、ありが――」
 とう、を言えずに妹紅は倒れた。
 驚いたミスティアが駆け寄ると、獣の唸り声のようなものが、妹紅の腹部から聞こえた。そういえば空腹で倒れて、まだなにも食べさせてなかったっけと気づく。
「もしかして飢え死に寸前? こういう場合、食べちゃっていいのかなぁ」
「あー……ねえミスティア。私を食べるつもりなら、肝だけは食べない方がいい。悪い病気が巣食っていてね、妖怪の腹でも耐え切れず、ただれ落ちるよ」
 肝に病気。妖怪の餌とならないための方便のつもりなのだろうか、いや嘘だとしたら肝だけ駄目なんて言い方はしないはずだ。他の部分は食べてもいいという事だから。しかしミスティアにとって真偽はどうでもよかった。ミスティアにも故郷を愛する心はある。伝統を誇る気持ちもある。
 故に、ミスティアは言った。
「この"雀のお宿"で、飢え死になんかさせる訳ないじゃない。看板に傷がついちゃうわー」
 胃に穴が開くほどの空腹の中、妹紅は現在地の名前を知った。


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【テンション・エスカレーション】

 白米……!! 日本人の基本……主食といったらこれ……ホッカホカのご飯……!!
 梅干……!! この香りと味の深さ……少なく見積もっても十年物……酸っぱい……!!
 お茶……!! 食事の合間に飲む……口の中をリフレッシュさせる苦味……緑茶こそ和の心……!!

 味噌汁……!! 熱々の味噌汁……具沢山でしかも……赤味噌だ……!!
 里芋……!! ころころとした舌触り……とろけるような食感……反則的やわらかさ……!!
 大根……!! 苦味というアクセント……たまらない……癖になる……!!
 肉……!! なんの肉だこれ……鶏肉のような食感だがここで鶏肉は出ない……カエルか……!?

 焼き魚……!! 絶妙な焼き加減と……塩と醤油の分配の完璧さ……シンプルを極めた美味……!!
 目玉……!! 魚の目玉は……コリコリして弾力もあり噛みにくいが……故に歯ごたえ的珍味……!!
 皮……!! 少し焦げた皮は……魚肉とは違ったよさがある……皮までおいしく食べられる……!!
 骨……!! なんかもう……ここまできたら骨まで食うしか……うぐっ!? 喉に! 喉に!!

「小骨刺さったの?」
 なにを思ったのか魚の骨までバリバリと噛み砕いて食べた妹紅は、急に喉を押さえて引っくり返った。そんなに慌てて食べるから、とミスティアは呆れながら味噌汁を飲む。
 妹紅が目覚めたのは丁度お昼時だったため準備はほとんどできており、すぐに昼食となった。余程飢えていたらしい妹紅はまるで獲物を狩る猟師のように箸を動かし、その素早さ鮮やかさは皿に載っている食材が例え生きていたとしても逃れられぬだろう手腕だった。凄いなぁ、なんて感心してたら魚の骨で倒れるって、情けないなぁ。改めて変な人間を拾ってしまったとミスティアは溜め息をついた。
「んがが、んぐっ」
 なんとか起き上がってお茶に手を伸ばし、ゴクゴクと喉を鳴らす妹紅。大きく息を吐いた時には瞳を潤ませていた。落ち着きを取り戻した彼女は照れ笑いを浮かべ、誤魔化すように料理を褒める。

「いやー、こんなにおいしいご飯は数年振りです。ここは宿だそうですが、板前さん、いい腕してますね」
「お褒めに預かり光栄ですな」
 顎ヒゲをさすりながら老人が微笑む。
「あなたが?」
「客など滅多に来ませんのでな、私一人で宿を切り盛りさせております」
「一人で。それは大変ですね。そういえば、まだ名前を存じ上げていない。私は藤原妹紅と申します」
「妖忌。ここでは妖爺で通っておる」
「妖忌殿ですか」

 親しみを込めて名前を呼ぶが、老人は表情を厳しくし、真摯な眼差しとともに畏まった口調で言う。

「妖爺ちゃんでオッケェじゃ」

「オッケェ妖爺」

 親指をグッと立てて応じながら呼び捨て決定。しょんぼりした妖忌をスルーして食事を続ける妹紅。色んなものが馬鹿らしく思えてきたミスティアは、早々に食事を終えて出て行ってしまった。妹紅はというと、たらふくおかわりを食べた。
「ぷはぁー、おいしかった。でさ、お世話になっといてなんだけど、ここどこ? 雀のお宿だって?」
「うむ。この村に住まう妖怪妖獣は皆、鳥に属する者達だ。私以外はな」
「で、私をどうする気? 軟禁より監禁の方が安全よ」
 食事を終えた妹紅は、あぐらをかいて微笑んだ。挑発したつもりは無い。助けてもらった恩からの忠告だ。
「ここは隠れ里でな、宿と言っても信頼のおける者しか招かぬ。はてさて、招かれざる客はどうすべきかの」
「殺すのが一番の安全策ね」
「殺せるのならばそうだろうな」
 一瞬、妖忌の視線が鋭さを増した。
 妹紅は瞳の奥を熱くさせられてしまい、奥歯を噛むと、唇の片端を釣り上げて笑う。
「殺すべきだろう。妖怪は人間を襲い、人間は妖怪を退治する。それは幻想郷でも変わらないはずだ」
「幻想郷ではそうだろう。だがここは雀のお宿。私は半分人間、しかし仲良うしとるよ」
「殺せないからの間違いじゃないのか、お侍さん」
 一瞬、妹紅の視線が灼熱し、妖忌の水鏡のような瞳をわずかに揺らした。
 しばし沈黙、互いに沈黙。
 しばし見つめ合う、互いに見つめ合う。
 その視線がぶつかっている箇所、部屋の中心で熱気と冷気が渦巻いていた。
 妹紅はさらに笑みを深くし、上半身をほんのわずか前倒しにする。
 熱気が強まり、妖忌の全身を包みつつあった。だが。
 心臓に、針のように鋭い冷気が刺さる。
 一瞬で青ざめた妹紅は気を散じ、熱気も幻であったかのように消失した。
「どうかされましたかな、妹紅殿」
 素知らぬ顔でお茶をすする妖忌。
 あぐらをかいたまま、妹紅は畳の上に仰向けになって倒れた。
「やーめたやめた。こんな怖いお爺ちゃんが見張ってるんじゃ、オイタなんてできないや」
「おやおや、オイタをするつもりだったのかね?」
「場合によっては、ね。それで実際、私をどうする気? おたくのお姫様はなんの気まぐれか私を拾ってきたけど、素性の知れん私を自由にさせるって訳にもいかないでしょう」
「生憎、座敷牢すら無い平和な村でしてな。正直を申せば妹紅殿の奥底にある、黒々と煮えたぎったものを不安に思いますが、ミスティアが聴き惚れたという旋律を私は信じてみたい」 
 そんなもんでいいのか。可愛い孫娘のような者のために慧眼を曇らせているように思えたが、こちらも気ままに動ける方がありがたい。笛で信用が買えるなら安いものだ。けれど笛はどこだろう? 妹紅が目を覚ました部屋には置いていなかったが。

 お宿を出たミスティアは、わずかに射し込む木漏れ日を見上げた。飛ぼうと思えば、竹の葉の空を突っ切って真実の青空へと到達できる。しかしそれは雀のお宿の存在が知られかねない大変な危険をともなうのだ。故郷を、友達を、同属を犠牲にしてまでわがままを通すほどミスティアは悪い子ではない。
 竹林は、竹の成長の早さのため短い時間で景色を変え、しかしどこまでも延々と竹が続き、平衡感覚を狂わせる傾斜、そして視界をさえぎる霧のために迷いの竹林という名前を頂戴した経緯があった。
 例外の地も幾つかあり、雀のお宿がそのひとつ。
 霧は晴れ、木漏れ日を浴びられるだけではない。川と湖、さらには温泉まであり生活しやすい環境なのだ。村が竹だらけにならないのは地面の大半が岩場のおかげで、歩くには苦労するが空を飛べる鳥の妖怪達に不都合は無かった。だからこそ鳥の妖怪達の住処として選ばれたのである。地に足を下ろして作業をしなくてはならないような場所は、しっかりと石畳が敷かれてあった。
 このように竹林の中で安全に暮らせる環境を作ったのは、雀のお宿の創始者『舌切り雀』であると伝えられている。妖怪の中でも弱小であった雀の妖怪ではあったが、仲間と力を合わせ、危険な竹林の中に安全な里を築いた。同属を呼び寄せ、温泉を利用して宿を開き、信用の置ける者のみを客とし、完全な自給自足が可能でありながら竹林を迷わず歩く技術を仲間に伝え、外界との交流も密かに続けている。
 竹林の外で暮らす鳥の妖怪の一割は雀のお宿の出身であるとも言われているが、正確に数えた事はないので真相は不明。お宿から出て行く鳥妖怪もいれば、外からお宿の存在を知ってやって来る鳥妖怪もいる。それでも信用の置ける鳥の妖怪と宿のお客以外には、決してお宿の存在を明かさないというルールは今まで一度も破られた事がない。
 そういった歴史を聞かされたり、古から伝わる歌を練習させられたりするのは、いつの時代も若い妖怪からは煙たがられていた。ミスティアは特にその傾向が強く、伝統を守るという意識が希薄だった。若いうちは皆そんなもんだという意見もあるが、だからといって放置していいという道理はなく、大人がしっかり言って聞かせねばという風潮はいつの時代も健在している。
 ミスティアは里の周辺を散歩するようになった。
 うるさい声を聞かなくてすむから。
 そうして、出会った。
「チュン」
 また散歩に行こうと里の外れまで行くと、一羽の小鳥がミスティアと並行するように飛んできた。こげ茶色の翼はミスティアの服と似た色合いで、昨日、妹紅に食べられそうになった鳥の一羽だ。
 種族、雀。
 名付け親、ミスティア。
 名は。
「アンカ、おはよ!」
「チュン」
「おいで」
 両手を差し出すとアンカは吸い込まれるようにして手に収まり、優しい手つきで胸に抱いてやる。お宿の妖怪の中で年少者であるミスティアにとって、お姉さんになれる相手は妖怪にまで成長していない普通の鳥達が主であったが、鳥の妖怪の数よりもただの鳥の方が数が多く、微妙に情けない記憶力も手伝って名前を覚えている鳥の数は少ない。
「ねえねえアンカ、私ね、凄いの持ってきたんだよ」
「チュン?」
「違うよー。もう、食いしん坊なんだから。太って飛べなくなっても知ーらないっ」
「チュン……」
 里から離れた坂までやって来て座ると、ミスティアに気づいて鳥達が集まってきた。色も大きさもバラバラ。様々な鳥が集まり、地面や竹の枝に降り立つ。アンカはミスティアの左肩に乗って、カラスが帽子の上に、右の肩には白い小鳥が二羽並んで、投げ出した足の爪先に青い鳥が留まる。
「みんなー、おはよぅ」
「チュチュン」
「ケーンケンケン」
「コケコッコー」
「チンチン」
「カァカァ、カァカァ」
「クルックー、クルックー」
「ミーンミンミンミン」
「ツクツクボーシ、ツクツクボーシ」
「カナカナカナカナカナカナ」
「スワスワスワスワスワスワ」
「サナサナサナサナサナサナ」
「チンチン」
「ホーホケキョ、ホーホケキョ」
「コッコッコッコッコッ」
「コケェー」
「ニワニワニワニワトリガイル」
「ソーナノカー」
「コァー、コァー」
「ミョンミョンミョンミョン」
「クエーッ、クエーッ」
「チンチン」
「マンマン」
「トリトリトリトリトリトリトリ」
「パルパルパルパルパルパルパル」
「チンチンチンチンチンチンチン」
「ジュゲムジュゲムゴコウノスリキレカイジャリスイギョノスイギョウマツ」
「ケルルー、ケルケルピーチャン、ケルルーチャン、ドレンプチャンケルケルー」
「チンチンチンチンチンチンチンチンチンチンチンチンチンチンチンチンチンチンチンチンチンチンチン」
「テケリ・リ」
「うん、みんな元気そう!」
 鳥のさえずり大合唱。さすが幻想郷の秘境、迷いの竹林だけあって変わった鳴き声の鳥もたくさんいる。まるで鳥じゃないような鳴き声の鳥もいる。まるでアレやコレやソレのような鳴き声の鳥もいる。うん鳥だ。鳥だらけである。鳥さん。全部鳥ね。鳥鳥鳥。鳥だよ。鳥が! 鳥が! 鳥だから、鳥なので、鳥と、鳥は、鳥、鳥っていうのは、違っ……鳥鳥……嘘だ……うぐぐ、鳥、鳥、鳥……うふふ鳥さんがいーっぱい!
 ご機嫌ミスティアはスカートのポケットからある物を取り出し見せびらかす、ご存知藤原妹紅の篠笛だ。元気いっぱいに息を吸い込んだミスティアは、さっそく歌口に唇を当てる。

 その音は甲高く耳障りに響いた。
 篠笛というより警笛であった。
 アンカを含めすべての鳥達は翼を羽ばたかせていっせいに飛び去った。

 残されたのは無言のミスティアだけだった。篠笛を唇に当てたまま身じろぎさえしない。虚しさを表すように冷たい風が吹いた。ああ、寒い。心が寒い。そうだよね歌が得意だからといって楽器まで上手にこなせるとは限らないよね。笛から唇を離してうなだれていると、逃げ去った鳥達が近くの竹に戻ってきた。
「チュン」
 鳥達は竹から用心深くミスティアを見つめていたが、唯一アンカだけはミスティアの肩まで戻り、頬に身体をすり寄せた。先程の異音は事故であり悪意は無かったのだと理解していたし、なにより落ち込んでいる友達が哀れだった。そのアンカが、ミスティアのやわらかな頬をくちばしで突いた。
「痛いッ。いきなりなにするのよ!」
「警告してくれたんじゃないかなぁ」
 答えたのは、アンカとは反対側に忽然と現れた妹紅だった。ミスティアと同じように足を投げ出して座っており、自然な手つきで篠笛を取り返す。
「かっぱらいはよくない。これは友達から譲り受けた思い出の品なんだ」
 目を丸くして固まっていたミスティアは、隣り合って座る妹紅の眼差しをじっと見つめていた。どうしてここにいるんだろう。どうしてここが解ったんだろう。
「あれだけ大きな音を立てられちゃね」
 まるで心を読んだように言った妹紅は、篠笛の歌口に唇を当てる。すると氷が溶けたようにミスティアは唇を動かした。
「よ、妖術禁止ッ!」
 こくん、と。
 うなずきながら微笑んで、瞳を閉じ、奏で始める妹紅。

 それは低音から高音まで縦横無尽にほとばしり、美しくも激しい旋律はまるで物理的な力によって身体を打たれるような錯覚さえあった。音が高鳴れば胸も高鳴り、動悸が同機して一体感を得る。
 妖術なんかじゃなかった。
 心を震わせながらミスティアは真っ直ぐに妹紅を見つめる。
 あの旋律に心奪われたのは、妖術だけのせいじゃなかった。真実美しい演奏だったのだ。
 故に、ミスティアは喉を震わせた。
 龍の鳴き声の如き音色が、夜雀の歌声と力強く混ざり合う。二人は次第に昂ぶっていき、旋律もまた力強さを増していく。あれ、ちょっとおかしいなとみんな思い始めた。しかし滝を登る龍のように上へ上へと激しくなる音色の中で、ミスティアはお日様のように表情を輝かせていた。
 先祖代々伝わる夜雀の歌、それとはまったく異なる激しくも美しい旋律は、ミスティアの中で歌革命を起こした。これが後々、若い者に受ける騒々しい歌となって、若くない親世代祖父世代の同属を悲しませる事になる。そして若い者に受ける要員のひとつとして、今この場で歌革命に立ち会ったのが、これから妖怪へと成長するだろう若き鳥達だったのも関係しているのかもしれない。

 里からやや離れた竹林で、鳥の観客に囲まれての二重奏。
「心配無用だったな」
 竹の着ぐるみに身を包んで景色と同化していた老人はその格好のまま里の方へと帰っていったが、気配も足音もまったく発さず動いていたため妹紅もミスティアも気づかなかったとさ。


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【キッズタイム、アダルトタイム】

 妹紅の年齢は幾つくらいだろうか。
 外見はミスティアより年上に見える。人間で言えば十代の半ば前後。けれど人間の寿命は短くて、普通は百年も生きられないし、五十年くらいで死ぬのも珍しくないそうだ。もちろん健康なうちに事故や殺人に遭ったという訳ではなく、寿命で弱って死んでしまうという意味で。だから、外見年齢が近しい人間というのは、妖怪から見れば相当の年下という考えで概ね正しい。魔術や仙術などで寿命を延ばしていたり、若返っているケースもあるけれど。
 妖術が使える妹紅は、鳥獣を呼ぶ以外にも様々な術を持っているはずだった。そうでなければ、妖怪の賢者に守られている幻想郷にただの人間が入り込むのは難しいし、妖怪に襲われる危険を退けてきたはずだ。
 そういった疑問、憶測、その他もろもろ一切合財を――ミスティアは微塵も抱かなかった。
 ずっと隠れ里で育った事、稀に来るお客の中に人間もいたが平和なお宿で能力を使う様子を見せなかった事、無関係ではないが最たる理由はやはり篠笛の音色だった。初めて聴いた時の感動に、妖術という偽者が混じっていたのは確かだろう。しかし妖術抜きで聴き直した今、素直な気持ちで感嘆したから。新しい歌の世界が見えた気がしたから。

 なにはともあれ、こうして二人の少女に美しい友情が芽生えたのだった!



「妹紅のバカー!」
「ギャアアーッ!」

 血まみれの妹紅が地に伏すかたわらで、刃の如き爪を真紅に染めたミスティアが震えていた。

「どうして、どうして解らないの? やっぱり人間と解り合うなんて無理だったんだわ!」
「うぐぐっ、ミスティア……しかし人は、歴史を重ねている……だから……」
「だからなに? だから認めろっていうの?」
「違う、そうじゃない。ただ、理解できなくとも、認められなくとも、違うものがあって、それを信じている人はたくさんいるんだ。人の数だけ異なる正義がある。人間の正義、妖怪の正義、私の正義、ミスティアの正義、みんなみんな、違うものなんだ……」
「そう、違うもの、異なるもの。だから否定する! 私は絶対に許さない!! おむすびに……塩を入れるなんて!!」
「確かに……塩を入れなくたって、おむすびはおいしいさ。梅干や昆布……具次第で味わいは千差万別! でも塩おにぎりという単純さは、シンプルな味わいはッ! 疲れた身体と精神を満たしてくれる生命の源なんだよ! 塩は海から簡単に作れてお手軽だし、幻想郷は海に面していないけど、日本という国は海からたくさんのものをもらっているんだ。それに、塩はね、海から取れるものだけじゃないんだ。良質な岩塩とか舐めてみなよ。塩だけなのに、物凄くおいしいんだ。癖になる白い粉、それが塩なんだよ!」
「幻想郷に岩塩は無いってお爺ちゃんが言ってた! それに、しょっぱいの嫌いー! 甘いのがいいー!」
「それは子供の味覚だよミスティア! 知っているか? 納豆にネギを入れた時の食感を……」
「ネギなんて無くなっちゃえばいいんだ! 納豆どころか蕎麦にだって必要無い! 私はいつも避けて食べてる!」
「偏食だよそれは! いいか、食べ物には栄養のバランスというものがあるんだ。そんなんじゃ、大きくなれやしない!」
「妹紅だって大きくないくせに! そりゃ、私よりは大きいかもしれないけど、自慢できるほど無いじゃない!」
「身長だよね、身長の話だよね!?」
「ネギは……ネギはね、風邪を引いた時、とても苦しい仕打ちをしてくるのよ。邪悪の化身、悪魔の野菜、それがネギ!」
「まさか! ミスティア、それはいけない! 効果があるのかどうかは知らないが、食べ物をそんな所に挿入するだなんて! お百姓さんが一生懸命作ったんだぞ! いただきますと手を合わせて召し上がるのが最低限の礼儀じゃないか! そんな所に入れちゃ……食べられなくなる! 食べ物を粗末にしたら、不作の冬に後悔するぞ!」
「知らない! もう妹紅なんて知らない! ネギに塩を山ほどかけて食べてればいいんだわ!」
「違う! 何事にも適切な量というものがあって、塩は身体に必要不可欠なものだが、多すぎては死を招く! 塩は、塩は大事なものなんだよ! そんな無駄遣いをしてはいけないんだ!」
「なら砂糖を! 砂糖をいっぱい食べればいい!」
「砂糖の取りすぎも身体に悪いんだよミスティア! 虫歯は何本あるんだ!?」
「まだ全部乳歯だから、いくら虫歯になったっていいんだもん!」
「そういう問題じゃないんだミスティア! 歯磨きをするんだミスティア。塩を使って歯磨きをするんだ!」
「イヤよー! 塩を使うくらいなら砂糖で歯磨きしてやる!」
「それじゃ逆効果だよ! ところで私達は最初なんの話をしてたんだっけ?」
「私の帽子はお爺ちゃんの手作りなんだっていう自慢話って話よ! なのになんでこんなんになっちゃったの!? 妹紅よ、妹紅のせいよ! 妹紅が全面的に悪いんだからー!」
「そんな言い方はないだろう!? ミスティアだって最初は、キノコよりタケノコの方が好きだって言ってくれたじゃないか!」

 美しい友情が……芽生えたのか?
 雑談とは得てして始まりと終わりでまったくの別物になるものである。その後も話題を二転、三転、大回転させて、その凄まじさに恐れをなした鳥達はみんな逃げて行ってしまった。アンカ含む。それほどまでにヒートした二人が出した結論とは、甘い砂糖よりもしょっぱい塩の方が西瓜を甘く感じられる妙こそこの世の神秘というものであり、ミスティアはついに塩を認めたのであった。ていうか普段からお爺ちゃんの料理にも塩は使われてるんだけど。
 そんなこんなで二人は仲良くなったり悪くなったりを日が暮れるまで繰り返して、お宿に帰りましたとさ。

 お宿では鰻の焼ける匂いが漂っていた。
 竹林には鰻の取れる川があって、お宿の名物料理にもなっている。跡取り娘であるミスティアも鰻料理は得意だと自慢していたが、妖忌が苦笑いをしながら顔をそむけていたので、あまりそうでもないのだろうと妹紅は納得する。秘伝のタレを使用した鰻料理は絶品で、ミスティアは自分が料理した訳でもないのにしきりに自慢していた。

 食後、二人は温泉に向かった。
 この里は温泉に恵まれており、住人達は里の中央にある公衆浴場を利用している。だが雀のお宿には、お客様のための専用温泉がある。竹を紡いだ塀と、さらにその周囲を天然の竹が囲っているため、覗かれる心配もない。
「へえ、ご立派」
 全裸妹紅の第一声。女湯で女同士という事もあって特に隠そうとせずつまり丸出し。
「どうだ、凄いでしょ!」
 全裸ミスティアはえっへんと胸を張った。まだ幼いそれはツルンペタン。お腹はややふくらんでおり、プニプニとした弾力は子供ならではのものだ。日の当たらない竹林で暮らしているために白い肌には、普段やんちゃをしている証拠だろう擦り傷の痕が幾つか見られたが、元気な証として妹紅の目には好意的に映った。
「温泉かー、久し振りだな。どれ、まずは身体を洗わないとな」
 全裸妹紅はくびれた腰に手を当て、温泉の美しい造りを見回している。ミスティアの元気印の傷跡と反対に、長旅を越えてきたはずの妹紅の身体には傷跡ひとつ無い。さらによく日に焼けてもいたので、ますますミスティアとは正反対。しかし健康的な肌だという点は共通していた。いや、健康という意味では妹紅の方がはるかに上回っているだろう。程よくついた筋肉のおかげで身は引き締まっており、すらりとした肢体は軽やかでありながら芯の通った力強さを兼ね備えている。カモシカのようにしなやかな太ももには色香があり、膝、ふくらはぎ、足首へと続く扇情的なラインは大人の女性と比べてなんら遜色は無い。
 桶で湯をすくった妹紅は、肩から浴びて身を清める。細いうなじから流れる湯は、小振りな青い果実の間をすべり落ち、へそのくぼみを経由してから、小さな茂みを潤した。二度、三度と湯を浴びていると、熱により肌は桃色に染まっていったが、朱色の突起は赤みに埋もれずツンと勃って主張し、先端から湯の雫を落とす。
 続いて石鹸を取った妹紅は手の内側でこすり泡立たせ、手のひらで全身をくまなく洗う。小さなシャボンが宙を舞い、そのひとつひとつが泡化粧を施された妹紅の裸身を写した。背筋をそらした妹紅の手は、しっかりと背中まで届いて肩甲骨の周辺までをも丁寧に洗う。その際、うんと胸を張る姿勢になったために先端の突起を隠す泡がゆっくりと下腹部まで垂れていき、閉じた太ももへと溜まって白毛とともに乙女の華を覆い隠した。
 ミスティアはというと、石鹸でタオルをたっぷりとこすってから、タオルを広げて背中に回しゴシゴシと洗う。翼の付け根をタオルでするたび、翼が水を得た魚のように跳ねて心地よさそうだ。たっぷりの泡は背筋に沿って落ちていき、瑞々しい白桃の隙間へと進み、股下から石畳へと落ちて白く濁った水溜りを作っていった。
 最後に湯を全身に浴びて泡を綺麗さっぱり流した二人は、念願の温泉に肩までつかって、逢瀬をすごす女性のようにますます肌を紅潮させる。
「ああー、いい湯だなぁ。ミスティアは毎日この露天風呂を満喫してるのか?」
「ううん、普段は公衆浴場に行くよ。みんなそっちに入るし、お湯も同じだもの。でもこっちはお客さん用だからとっても綺麗な造りで、気持ちよさも違ってくるんだよねー。ちゃんと掃除をするなら自由に入っていいってお爺ちゃんは言うけど、面倒だし、でも今日は妹紅がいるからいいの!」
「なるほど、私はお客さんか。でも代金払ってないんだけど。ああ、ミスティアが勝手に連れて来たから、ミスティアが肩代わりしてくれるのか。掃除決定ご苦労様」
「しまったハメられたー」
「ははは。ミスティアはおっちょこちょいだなぁ」
 二人のはしゃぐ声は長く続いた。
 じゃれ合っていると、美肌の効能があるらしい湯のおかげでプニプニスベスベなミスティアのお肌の心地良さにうっとりしてしまう妹紅。羨ましいなぁと言う彼女の肌もまた、傷跡ひとつない赤ん坊のような肌で、ミスティアは褒め返したのだがなぜか妹紅は残念そうに苦笑した。
「傷が無いったって、長旅のせいでそれなりに筋肉ついてるしなぁ。女の子はさ、やっぱりミスティアみたいにやわらかい身体の方がいいよ。男の子も喜ぶぞ」
「お宿にはあまり格好いい男のいないもん。みんな子供っぽくてさ」
 ミスティアも十分子供っぽいとは口に出さず、妹紅は一匹の雀を思い浮かべた。
「あのアンカって雀はボーイフレンドじゃないのか?」
「アンカは弟分。それにあの子はまだ子供だよー。子供っぽいんじゃなくて、子供なの。こーてんてきに妖怪になるには凄く時間がかかるってお爺ちゃんが言ってた。それに、妖怪になれるとは限らないもん。格の高い仙人や妖怪の肉を食べたりすれば、また別なんだろうけど」
「格、ね。私は妖術の心得があるけど、私の肉を食べたら妖怪になれるかな、アンカは」
「もうっ。いくらなんでも友達を食べたりしないよー」
「だよなー。そういえばミスティアはまだ、人間を食べた事がないんだっけ?」
「うん、無いよ。お宿に来る人間はみんな、お客さんだもの」
 湯船の中を回り込んできたミスティアは、妹紅の背中にのしかかってきた。ぺったんこの胸が背中に貼りついてくる。お餅みたいな感触に妹紅は微笑んだ。
「そうか。竹林の外と違って、ここは平和なんだな」
「お宿はね、場所を知っている人しかやって来れないよう結界が張ってあるの。つまり私達お宿の住人と、信頼できるお客さんしか来れない。後は竹林のすべてを知ってるって噂の白兎くらいかなぁ。だから忍者だって手が出せないの」
「忍者?」
 ミスティアの体重の軽さを微笑ましく思っていた妹紅は、意外な単語によくないものを感じ表情をひそめた。
「うん、忍者。竹林には昔から人間の忍者集団が暮らしてるってお爺ちゃんが言ってた。妖怪退治を生業にしてるから、見つかったら殺されちゃうの」
「そんな、危険じゃないか。ミスティアはお宿の外で私を見つけたんだろう? その時、もし忍者に見つかってたら……」
「妹紅が結界ギリギリの位置にいたから大丈夫なの。結界の外に出てたのなんて、ほんのちょっとだもん」
 道理で、と妹紅は思い返した。
 鳥を寄せる妖術の笛を吹いたが、妖怪をも招き寄せる危険から警戒もしていたのだ。しかし飛び出してくるまでミスティアの存在には気づけなかった。空腹のせいだと今まで思っていたが。
「結界か……まったく気づけなかったな。余程の術者が張ったんだろうね」
「妖怪の賢者様が張ってくれたっていう伝説があるんだけど、昔の事だしどこまで本当だか。でも、そのせいで妖怪の賢者を目の仇にしてる忍者達や焼き鳥屋から睨まれてるって噂もあるの」
「ふーん。忍者ねぇ……焼き鳥屋?」
「うん。焼き鳥屋は私達にとって天敵なんだよ。噂では、雀のお宿に攻め込んですべての鳥を焼き鳥にしてしまおうという恐ろしい計画が焼き鳥屋連合の間で進められているとかいないとか……」
「あー……そう」
 焼き鳥屋はともかく、やはりこの幻想郷に、真実安全な場所など無いのだ。しかし限りなく安全に近い場所もまた存在する。だとすれば、この雀のお宿のように外敵からは発見できない特殊な守りの中にあいつが隠れているかもしれない。
 竹林をすべて探索するのは不可能に近いだろう。ならば。
「その、竹林の全部を知ってる兎っていうのは?」
「竹林に住む兎達のボスが因幡の白兎とかっていう妖獣で、昔はよく見かけたらしいんだけど、最近はあまり見かけないって、里の外に出れる大人達が話してた」
「因幡の白兎……ね」
 伝承は知っている。実在しているらしいが、幻想郷では伝説伝承の存在が石を投げれば当たる程度にいるので、驚くほどの事ではない。『舌切り雀』だって昔話として外の世界に伝わっていたのだから。
 そういった訳で伝説伝承の集まる土地、幻想郷だからこそ妹紅は、やって来た。
「そういった訳でね」
 ぎゅうっと妹紅にしがみつきながら、ミスティアは嬉しそうにささやく。
「雀のお宿は、幻想郷の中でもすっごく安全で平和で楽しくてご飯もおいしくて温泉も気持ちいい場所なんだよ。だから」
「だから?」
「ずーっと、雀のお宿にいればいいよ。そうしなよ、妹紅」
「ああ、それは素敵だね、ミスティア」
 心底幸せそうにミスティアは言い、心底幸せそうに妹紅は言った。
 本当に幸せそうに。

 楽しい温泉タイムの終了は、ミスティアの湯あたりを待たねばならなかった。そのままミスティアは眠ってしまい、妹紅は一人客室に戻って夜が更けるまでのんびりすごしてから、旅の荷物を整理する。といっても、元々荷物はもんぺのポケットに入る程度しかない。金銭を含め、ちゃんとした旅のための荷物は竹林で迷ってる間に失ってしまった。だから、宿代として残せそうなものは篠笛だけだった。
「牛若の旦那にもらった思い出の一品だけど、値打ちものだし、まあ、あの娘なら大切にしてくれるだろう」
 卓の中央に篠笛を置いた妹紅は、室を出ると足音を殺して廊下を歩いた。しかし。
「こんな時間に、どちらにお出かけですかな」
 声のした廊下の陰に人の気配は無かったが、それくらいの技量はあるだろうと承知していたので、妹紅は慌てた様子を見せなかった。
「こんな夜更けに行く所と言えば、ひとつしかないでしょう」
 廊下の陰から、やはり足音もなく姿を現したのは妖忌であった。
「解らぬから訊ねておるのですよ」
「解ってて訊ねてるんでしょう? 破廉恥なお爺さんね」
「厠はそちらではない」
「なにを想像してるんだか。夜のお散歩ですよ」
「散歩もよいが、この老いぼれの晩酌につき合ってはもらえぬかな? 主のような貴人に酌を頂ければ寿命も延びるというもの。老い先の短い爺に慰みを、どうかひとつ」
 どこまで本気で言ってるんだか。
 しかし、このまま出て行くのも礼節に欠けるかと妹紅は思い直す。
「ご一緒しましょう」
 子供同士ではしゃぐ時間は終わり、大人同士の静かな時間が始まった。

「まずは一献」
「どうも。お返しにどうぞ、これで寿命が延びるかな」
「延びますとも。老いぼれとはいえ、私も男、美しい女性と呑む酒は格別ですよ」
 互いに酒を注ぎ合い、二人はぐっと飲み干した。
 場所は庭先の縁側。里を隠す竹の葉は月明かりを拒み、灯篭のみが庭を照らしていた。文様を描く砂利、蓮が浮かぶ池、苔に彩られた岩。ああ、見事だ。造られた景色といえども、この美しさは肴として絶品の域。
「で、私になにか用かい? 宿代なら、あの篠笛で十二分に釣りが来ると思うけれど」
「あの笛か。見せてもらったが、確かに宿代の代価としては値打ち物すぎますな。だが私は単に、そなたと言葉を交わしたかっただけだ。お宿に来て以来、歳の近い者と話す機会がほとんど無くてな。長老でも二百歳程度の若輩なのだ」
「こんな若い娘を捕まえて、なんて事を言いやがるんでしょうかね、この爺様は」
「蓬莱の薬」
 酒を呑む手を止める妹紅、構わず呑み続ける妖忌。
 灯篭の灯りを酒に映して見つめながら、妹紅は妖忌とともにある人魂の意味を考えた。
「ご老体、いったいどういう素性の者なのです?」
「死と縁深い立場におったものでな。私は半人半霊。千年ほど生きておれば自然、物知りとなろう」
「物を知っていたとしても、真実を見抜く眼力は、ただ長生きするだけでは得られないでしょう。余程の達人とお見受けしますが、この里に来る以前はいったいどこでなにをしていたのやら。ミスティアはそれを存じてない?」
「存じておりません。私の素性を正しく認識していたのは、あの娘の両親と長老だけです」
「ふぅん。こっちから質問しといて悪いけど、あなたが素性を語ってくれても、こっちの事情を話すつもりは無いんだ。ごめん」
「ではひとつだけ教えて頂きたい」
「質問次第だけど」
「お主、実のところ何歳くらいなのかのう?」
「……千と、百くらい」
 その瞬間、妖忌は静かに涙した。
「ロリババァ……いや、お主の場合はロリというより少女ババァとか。少女ババァ、少女ババァ。なんと美しい響きよ。見かけは少女、中身はババァ、お爺ちゃん嬉しすぎて涙が出ちゃう」
「酒瓶で殴りつけていいかな」
「オチャメなジョークじゃよ」
 ピタリと涙を止めてVサインを決める妖忌。まったく、変な爺さんだ。大酒を煽った妹紅は、酒臭い息を深々と吐き出す。つまみが欲しくなり、頭に浮かんだのは焼き鳥だった。実は竹林に入る前、人里で焼き鳥屋を見つけ、焼いているのが美青年だった事もあり一食すませてきていたのだ。その味わいは見事なもので、遭難した妹紅が鳥を集めたのも、その焼き鳥が美味だったからである。
 だが今は焼き鳥と一緒にミスティアの顔も浮かんでしまい、鰻料理に軌道修正した。
「では改めて、ひとつだけ教えて頂きたいのだが」
「ヤだ」
「まあそう言わず、ささ、もう一杯」
「どうも。これいいね、どこのお酒?」
「雀のお宿の地酒です。この里は自給自足で暮らせるようになっておるのでね。まあ、自給自足はできるが、それだけでは満たされぬ部分もあるので、出稼ぎに行く者や、外から色々な物を買ってくる者もおります。もちろん、この里の存在は秘匿し、幻想郷のどこにでもいる鳥の妖怪を演じてではありますが」
「言いたい事は解ってるよ。里の存在を秘密にする、約束をしてもいい。魔術的な契約でもいい、破ったら呪われるようなのでもね。吹聴したところで得がある訳でなし、恩を仇で返すほど悪趣味な性癖はしてないよ。ここはいい所だけど、私が求めるものはいない。今度は代金を持って、客として来るのも悪くないとさえ思ってる。どうかな、妖爺が期待してる解答をしたと思うけれど。それとも、まだなにか不満があるかな」
「在る」
 はっきりと妖忌は言い切った。
 鋭い刃物のような真摯な眼差しは、神々や大妖怪でようやくまとえるというカリスマさえ漂わせていた。しかし今までの言動により様々なものが失墜しており、妹紅としては胡散臭さしか感じられない。
 さて、次はどんなおふざけ発言が飛び出すか。
「ミスティアは妹紅殿に懐いておられる。友人として客人として、どちらでも構わぬが、たまには顔を出してもらいたいと老婆心ながら願っております」
「年寄りは耳が遠い上に物忘れが酷くて困る。客として来るのも悪くないと思ってるって、言ったろう?」
「その言葉は真実でしょう。しかし思うだけで、本当に来るつもりは無い。違いますかな?」
 違わない。
 そう答える必要は無いだろうと妹紅は確信した。
「私はね妖爺、他人の自分語りは嫌いじゃないけど、自分の自分語りは大嫌いなんだ。人生は楽しい事よりもつらい事の方が多い。永く生きていれば、蓄積された幸福と不幸の差は開くばかりさ」
「経験から言わせて頂ければ……私の人生は、つらい事よりも楽しい事が多かったな」
「そういう奴もいるのは認める。けれど私はそうじゃない」
「後のつらい想いを避けるために、目の前にある楽しい想いまでをも避けていては、つらい想いばかり募るのが道理。永く生きているからではない、妹紅殿の生き方に問題があるのだ」
「年寄りは説教臭くて困る」
「私の方が年下じゃ」
「心の在り方の話さ。寿命のあるあなたは、精神までもが老人になっている。寿命の無い蓬莱人は、精神もまた老いない。だから私は、いつまで経っても年寄りの話に耳を貸さないガキのままなのさ」
 まだ酒の残る杯を、妹紅は庭に放り捨てた。


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【少女蹂躙】

 雀の鳴き声で目を覚ます夜雀。
 雀はアンカ、夜雀はミスティア。
「くぁ~……おはよう」
 窓から入り込んだアンカに頬擦りをされて、ミスティアはゆっくりと布団から起き上がった。縁側に出ると静かで冷たい空気が胸を満たし、心身を健やかにさせる。庭では竹の葉が朝露で光っており、今日一日が楽しいものになると予感させる。
「そうだ! アンカ、妹紅はまだ寝てるかな?」
 帽子の上に乗っかっているアンカは楽しそうに鳴いた。
「だよね! よーし、どーんと起こしてやろー」
 ドタバタと騒々しく廊下を走り、妹紅の客室へ到着したミスティアは、力いっぱい襖を開けた。
「もこー! おっはよー!!」
 返事は無く、布団も無く、妹紅も無い。
 小鳥のさえずりという静寂の中、ミスティアは呆けた表情で部屋を見回した。
「……妹紅?」
 もう起きてしまっただけだろう。
 だとしたら、広間でご飯でも食べてるかもしれない。
「チュン」
 アンカが帽子の上から卓へと飛び移り、ミスティアは置かれている篠笛に気づき手に取った。
「……忘れ物。まったくもう、しょうがないなぁ。届けて上げないと」
 なぜだろうか、妹紅が部屋にいなかったというだけなのに、妙にさみしい気持ちになってしまう。とりあえずお爺ちゃんにおはようの挨拶をして、妹紅がどこにいるか訊ねてみなくては。
 そして、笛を返して、今日も合奏をするんだ。
 妹紅と一緒に。

「お爺ちゃーん、おはよう」
「おはよう。ちゃんと顔を洗ったかい?」
 お爺ちゃんは気さくな笑顔でご飯を炊いており、半霊は野菜を洗っていた。うん、今日もおいしい朝ご飯が食べられそう。もしかしたら妹紅がお手伝いをしてるかもという期待は外れたが、お爺ちゃんに訊けば問題無い。
「ねえお爺ちゃん。妹紅はどこ?」
「出て行ったよ」
「散歩?」
「いや」
 波の無い水面のような眼差しのまま、妖忌は真実を告げる。
「この里から出て行ったのだ、宿代としてその篠笛を置いてな」
 その篠笛を握りしめたまま、ミスティアはしばし立ち尽くした。

 流れ流れて幻想郷。
 流れ流れて迷いの竹林。
 流れ流れて雀のお宿。
 流れ流れて再び竹林、道無き道。
 竹の水筒に口をつけ喉を潤した妹紅は、竹に背中を預けて天を仰いだ。当たり前のように生い茂る竹の葉によって太陽は見えず、漂う霧の寒さは温泉を懐かしくさせる。すでに雀のお宿からはだいぶ離れているはずなので、空を飛んで竹林を脱出してもお宿の住人には迷惑をかけない。しかし妹紅はまだ、竹林に用があった。闇雲に歩いてどうこうなるものではないと承知しているが、人間を獲物とする妖怪を返り討ちにして情報を聞き出すなど、やれる事はあるはずだ。
 しかし釣れない。
 妖怪も忍者も兎もそれ以外も、まったく遭遇する気配が無かった。お宿を離れた証なのか鳥も見かけない。
 一息つきながら、少し作戦を変えるべきではないかと思案する。例えば竹林を荒らしてみるとか。いや、それをしてはお宿の住人も迷惑に感じるだろう。一日留まっただけで枷を作ってしまった。それを嫌って交流を避けて生きてきたというのに。
 しかし悪い気はしない。
 深々と息を吐いた妹紅は、ミスティアの笑顔を思い出して憂鬱になった。今頃、自分がいなくなったと知ってどうしているだろう。ほんの短い時間ではあったが、本当に楽しかった。歌、笛、温泉、笑顔。まったく、これだから寿命のある者とは関わりたくない。この胸のぬくもりが、いずれ痛みに変わると解っているから。妹紅よりも早く死んでいく人間、妹紅より早く死んでいく妖怪、妹紅より早く死んでいく生命。いちいち構っていては、精神の寿命をすり減らしてしまうのではないか。そんな恐怖が、妹紅を再び歩かせた。迷っているため雀のお宿に近づいているのか離れているのか解らないが、適当に歩いていれば離れる可能性の方が高いはずだ。
 しかし本当に離れているのか。
 道を教わらずに出てきたため、恐らく結界に阻まれてお宿にはたどり着けぬだろう。妖爺から餞別にもらった竹筒を腰に下げた妹紅は、頭上のかすかな気配に意識を向けないようにしながら歩き始めた。竹の葉を踏むやわらかな感触は、踏ん張りが利かず不利になる。竹の枝にでも飛び乗った方がいいだろうか。空中飛行の妖術の心得もあるが、消耗のため戦況の読めぬ長期戦には向かない。好戦的な思考をしているのは雀のお宿という勢力に思い入れがあるためで、他の勢力に好印象を持てない心の働きが不利益を生まねばよいがと妹紅は不安になった。
「そこで止まれ」
 あえて、驚いた表情を作って頭上を見る。いかにも気づいていませんでした、不用意に声の方向を向いてしまう程度の未熟者です、そういった演技が通用するかどうか。
「誰かいるの?」
 上ずらせた声で問うと、返答は竹の陰からした。低い男の声で、わずかにくぐもっている。口元を薄い布かなにかで覆っているのだろうか。
「こんな所でなにをしている」
「妖怪を探しています。因幡の白兎という妖怪は、迷いの竹林のすべてを存じ上げているとか。私の探すものが竹林にあるのかどうか、是非とも白兎に訊ねてみたいのです」
 嘘は言っていない。妹紅の目的は因幡の白兎との接触だ。もっとも、彼女が求めるものを知っているなら白兎でなくてもいいのだが。ともかくまずは、下手に出て探りを入れよう。
「あなたは何者ですか。私を喰らおうとする妖怪ならば、このように声はかけてこないと考えてよろしいのでしょうか」
「如何にも。我等は人間に害を成すつもりは無い。しかし只人がこのような竹林の深部へ入り込める道理も無い。偽らず、演じず、真実を述べるがいい」
「妖術の心得はあります。私に害意が無いと仰るなら、姿を見せてはくれませんか? 妖怪ではないのでしょう?」
「望むなら竹林の外まで送ってやろう」
 もし了承すれば姿くらいは見せてくれるだろうか。しかし今いる場所が竹林の深部なのだとしたら、抜け出してしまうのはありがたくない。
「ご厚意痛み入ります。ですが、人を探してはるばる幻想郷までやって来たのです。なんの手がかりも無しに帰る訳には参りません」
「探し人とは何者だ」
「月の姫を名乗る、輝夜という娘です」
 もし。
 もし、声の主が知っていたら。もし、居所を教えてもらえたとしたら。もし、案内してもらえたら。
 終わる。やっと終わる。ようやく終わる。永き道が。
 しかし。
「仮に知っていたとして、竹林の秘密を外部に漏らす訳にはいかぬ」
 竹林は秘密主義の巣窟らしい。そういった連中にとって住み心地がいいからこその竹林ではあるが。
 弱った、このまま引き下がる訳にもいかない。かといって聞き出すのも難しそうだ。地の利はあちらにある。腕ずくという選択肢はちょっと面倒だ。
「我等から利を得たくば、そちら側も利を捧げよ」
 向こうから交渉を持ちかけてきてくれたのはありがたい。しかしなにが彼等の利になるのか、妹紅が知るはずもない。妖術の手ほどきでもしてやればいいのか。
「利と言われましても、私は半人前の妖術師です。このような竹林を住処とできるような方々に与えられる利を持ち合わせているかと問われましても……」
 肝臓でも贈呈してやればお釣りが来るだろうけど。
「では改めて、貴様の欲するものの名を挙げよ」
「一、月の姫を名乗る輝夜という娘の居所。二、竹林に詳しいという因幡の白兎の居所。三、先の二人の居所に心当たりのある人物がいれば紹介願えませんか」
「貴様が我等に与えられる利になりえるものはあるか」
「簡単な妖術でお手伝いできる事があれば」
「鳥獣を操る術は」
「できません」
 鳥獣ではなく、獣だけならできると答えるつもりだった。
「結界には詳しいか」
「いえ、あまり」
 これは事実だ。
「妖怪退治の腕前は」
「我が身を護りながら旅ができる程度には」
 嘘。我が身をかえりみず戦えば、余程の大妖でもない限り負けはしない自信があった。
「妖刀のような魔性の力を持つ道具は」
「持ってません」
 そういったものに頼らずとも旅はできる。呪符はお宿にいる間に何枚か作っておいたが。
「金銭の類は」
「文無しです」
 悲しい現実。
「話にならんな」
「そうですか」
 呆れられてしまった。過小評価されるよう受け答えたので仕方ないが、相手が手の内を見せないのだから、こちらも手の内を見せたくはない。過大評価させるなら、相手がこちらにとって有益だと解ってからでいい。
「では、あなたが私の利になれるかどうか、確かめさせて頂きたい」
「笑止。我等が知っていて貴様が知らぬ事など山ほどあろう」
 鳥獣。
 結界。
 妖怪退治。
 それらの質問から、雀のお宿のネタを売れば、相応の代価が得られると想像がついた。わずらわしい枷を作ってしまったものだと妹紅は内心溜め息をつく。もしかして彼はミスティアが言ってた忍者だろうか。幻想郷に来る以前、まだ人間と関わっていた頃、ちりめん問屋の隠居と旅をした時期に一緒に戦った事があり、実に頼もしい存在だった。力量次第とはいえ敵に回したくない。
「私が挙げた一、二、三のいずれも知らないというなら、あなたと交渉する価値は無さそうですね。お暇していいです?」
 挑発的に言ってみる。
 だがこんな見え見えの釣り針に、忍者ともあろう者が引っかかるはずもない。
「ええい、馬鹿にするな! 因幡の白兎なら、うちの頑駄丸(がんだまる)が仲良しこよしだったはずだ!」
 引っかかっちゃった。
 しかも身内の名前まで明かしちゃっていいのか。
 忍者って秘密を厳守するもんじゃないのか。
 好都合だからいいか。
「ほほう、頑駄丸殿ですか。ハンサムそうなお名前ですね。紹介して頂けませんか?」
「むっ……しまった。小娘! 今の事は忘れろ、さもなくば人間といえども容赦はせぬぞ」
「忘れる訳にはいかないし、容赦もされないなら、ヤるしかないか忍者サン」
 言葉尻と同時に妹紅は一本の竹に向かって疾駆し、手刀で縦に切り裂いた。真っ二つに竹が割れると、上方で枝が大きく揺れる音がし、枝と葉の向こう側で動く人影を妹紅はとらえた。
「貴様!?」
「頑駄丸とやら、紹介してもらうぞ! 名無しの三下ァッ!」
 妖力を足に込めた跳躍により、一気に竹の枝へと飛び移った妹紅は懐から呪符を取り出し妖気を込めた。呪符は紙でありながら短刀のように鋭くなると、向かってきた手裏剣を叩き落した。甲高い音の中、妹紅は手裏剣の放たれた位置へ素早く跳ぶ。待ち構えていた忍者は黒塗りの忍者刀を抜き、真っ直ぐこちらに向けていた。突き刺す気か。ニヤリと笑った妹紅は、飛びかかってくるのとほぼ同時に手前の竹を掴んで、しなりを利用しブレーキをかけタイミングをずらしてやる。必殺の速度が衰えたところで呪符を薙いで忍者刀を打ち払い、忍者の顎を思いっ切り蹴り上げてやる。
 その際、忍者の姿を明確に知る事ができた。教科書通りと言っても過言ではない黒装束と黒頭巾で顔を隠し、ハチガネや手甲で身を護っている。得物は忍者刀と手裏剣しか確認していないが、他にも暗器くらい仕込んでいるだろうと推測。地面へと落下する忍者を見下しながら、妹紅は竹を放して別の竹の枝へと着地した。しなった枝は葉をざわめかせ、音だけで忍者に位置を教えてしまう結果となり、即座に手裏剣というお返しをされた。
「はっ」
 ぬるい。この程度なら簡単に倒せる。空いている左手で手裏剣をキャッチしながら回転、悲鳴を上げる枝、遠心力を利用しての手裏剣のお返しを放つ。地を蹴って後方に逃れた忍者は背中を竹にぶつけ動きを止めた。妹紅は竹から竹へと飛び移り、忍者の周囲を旋回しながら接近する。
「呪符、一枚で十分だな」
 高速で背後に回り込んだ妹紅は、竹もろとも忍者の背中を切り裂いた。呪符の短さのせいもあって傷は浅いが、元より重傷を負わせるつもりはない。切断された竹をさらに短く切り、簡易的な竹槍を作ると同時に傷ついた背中を蹴りつけて地面に突っ伏させる。簡易竹槍を素早く掴む腕の動きを利用し、停止させずそのまま投擲する。倒れた忍者の耳元をかすめて、竹槍は地面に突き刺さった。直後、切り裂かれた背中を踏みつけた妹紅は、鋭利な刃と化した呪符を忍者の首元に当てる。
「お前のような三下じゃ相手にならない。頑駄丸って奴を紹介してくれないなら、ここで死ぬか?」
「くっ……殺せ」
 仲間を売らないだけの気概に、初めてこの忍者に対し好印象を持つ妹紅。情けをかける理由にはならないが。
「いい度胸ね。でも、私としてはお前さん達に迷惑をかけるつもりは無いんだ。目的はあくまで輝夜という女ッ。その手がかりとするため、竹林のすべてを知るという因幡の白兎とやらに会ってみたいだけ」
「む、無駄だ。因幡の白兎は何者にも味方しない。我等もある妖怪の住処を何度も訊ねているが、一度として正しい場所を教えられた事はないのだ。悪戯好きな兎なのでな」
「それでもいい。紹介してくれたら礼くらいはするさ。ただ、妖怪退治に関わる事はお断りする。どこかの勢力に肩入れして、敵を作ってしまうというのは、今後の幻想郷生活の危険が増してしまうからね。掃除洗濯料理とか、そういうお礼じゃ駄目かな?」
「……夜伽は?」
「チンコ引っこ抜くぞ」
 健やかな笑顔の妹紅ではあったが、癪に障ったらしく忍者の首筋に紅い線を引いてやった。
「お前の所って、男所帯?」
「あ、ああ……」
「じゃあ、女の子の手料理とか嬉しくないか? それでどう?」
「我等を愚弄するかッ。そんな餌に釣られるとでも……」
「夜伽には釣られるんでしょ? 助平忍者」
「くっ、このボロ丸様を侮辱するとは……後で覚えておれよ」
「名前からして三下っぽいね。顔も不細工そうだ。それならせめて、女の子に優しくできないと結婚できないよ」
「余計なお世話じゃ~!」
「おたく等、妖怪退治を生業にしてる忍者集団って奴でしょう?」
「ち、違う……」
「嘘が下手すぎて泣けてくるね。忍者じゃないならなんなのじゃ」
「し、しがない焼き鳥屋でごぜぇやす」
「焼き鳥……ねぇ。まあそれはともかく、人間同士なんだし助け合おうよ。傷の手当てもして上げるからさ」
「お、お前がやったんだろ……」
「だって容赦しないとか言うから、ヤられる前にヤっただけ。自衛だよ自衛。仲直りをしようボロ丸さん。ちなみに忍者集団の正式名称ってあるの? 伊賀とか甲賀とか」
 実力の差を教え込む意味で、余裕を見せるべく気安い口調で話しかけていた妹紅の表情が引きしまった。同時に周囲の竹がいっせいにざわめき出す。風も無いのに。
「魔神衆」
 頭上から響くように声がした。
 不用意に見上げた瞬間なにをされるか解ったものではなく、妹紅はボロ丸を人質としたまま注意深く気配をうかがった。いる。竹やぶの中、地面の中、竹の上、他にも様々な所にわずかな気配。すでに包囲されている。ボロ丸は囮? いや、戦いの気配を察知して集まってきたのか。どちらにせよこの三下忍者と違い、かなりの腕前の連中が集まってしまったようだ。
「そこの馬鹿を解放してもらおうか。馬鹿ではあるが、我等の同胞なのでな」
「かくれんぼしながらお話だなんて、行儀が悪いでしょう。ちゃんと姿を見せて、目と目を合わせてお話しませんか? 礼儀正しくね」
「礼儀を口にするなら、まずそこの馬鹿を放すのだな。素性も明かしてもらおうか。こちらはすでに、魔神衆という名を明かしているのだから」
「……妖術師の妹紅。人を探して旅をしている。この竹林に隠れ住んでいるかもしれぬので、是非とも因幡の白兎の知恵を借りたい。聞けば、そちらの頑駄丸なる者は白兎と交流があるとか。紹介してもらいたいのですが、ちょっとした行き違いがあり、自衛のためにこの者を押さえ込ませてもらいました」
 長々と説明しながら、妹紅は声の主の居場所を探り続けていた。
 最初は頭上から聞こえた声だったが、声が放たれるたびに背後だったり前方だったりして、まったく気配が掴めない。余程の達人。実際に相対せねば測り切れるものではないが、妖忌とどちらが上だろうか。
「よかろう、頑駄丸を紹介してやる。ただし」
「……ただし?」
「雀のお宿について知っている事を洗いざらい吐いてもらおうか」
「雀の……? なんだい、そりゃあ?」
「とぼけても無駄だ。お主ほどの妖術師が、この人妖争う幻想郷で妖怪退治を生業とする我等への協力を拒むなど、雀のお宿に懐柔されたとしか思えぬ。奴等は客と称して人間を招き、人間からの情報を得て優位に立とうとしておるからな。さて、他に説明が必要か? 無ければ捕縛させてもらおう」
 ボロ丸の首筋に呪符を当てている腕の、手首、突如として掴まれた。地面から生えた腕によって。虚を突かれたために妹紅はされるがまま、引っ張り倒されてしまう。直後、ボロ丸が倒れたまま左方へと引きずられていった。他の忍者の仕業だろうが、構ってはいられない。今はこの手首を掴んでいる忍者をどうにかせねば。
 手首を捻り上げられて呪符を落とした妹紅は、左手で地面から生える腕を掴もうとした。しかし腕は一瞬で地面の下に消えてしまう。残された穴からは棒手裏剣が飛び出し、間一髪、妹紅は背筋をそらして避けながら、背後に感じた殺気に反応し、横に転がった。頭部のあった場所を分銅が通り抜ける。
 懐から新たな呪符を取り出した妹紅は、周囲に現れた十人近い忍者達に睨まれ、動きを止めた。
 地面の下から現れた者、竹の枝に逆さまにぶら下がっている者、腰を落として鎖鎌を振り回している者、手裏剣を構えている者、忍者刀を抜いている者、印を結び気を練っている者。
「ははっ……怖いお兄さん達に囲まれちゃあ、もうオイタはできそうにないな……」
「おとなしくお縄につくがいい」
 妹紅の前方に立ち、印を結んでいる忍者が言った。この声、どうやら先程会話をしていたのは彼のようだ。
「あながち間違いでもないみたいね、三下馬鹿の焼き鳥屋って言い訳。雀のお宿の妖怪達を料理して焼き鳥屋でも開く気か?」
「とぼけおって。お宿の縁者が『雀のお宿総焼き鳥化計画』を知らぬとでもいうのか」
「あんた、三下馬鹿の事を馬鹿にできないレベルに落ちたぞ」
「な、なに? 本当に知らぬのか? お宿と無関係だと?」
 どうやら雀のお宿の関係者にとって『雀のお宿総焼き鳥化計画』は周知の存在のようだ。だがミスティアにより連れ込まれたイレギュラーであり、一日で出てきてしまった妹紅は知る機会がなかったらしい。
「焼き鳥屋サン達さぁ……焼かれる鳥の気持ち、考えた事ある? 無ければ教えてやるから火傷しなッ!!」
 そう叫んで、妹紅は力いっぱい呪符を地面に叩きつけた。
 紅蓮と轟音が熱風となって広がった。

 遠くからなにかが響いてきた気がした。しかし距離がありすぎて、それがなになのかミスティアには解らなかった。肩に乗っているアンカも同様だったが、不吉なものを感じたのか急に怖がり出してしまった。
「大丈夫だよアンカ。ほら」
 上着のボタンを外すと、巣穴に潜り込むかのようにアンカが入ってきた。まだ二次性徴を迎えていないミスティアにとって性別の差は希薄で、それがまだ妖怪にもなっていない雀ともなれば尚更。胸元に男の子の雀を匿うくらいどうって事はなかった。むしろ、胸元があたたかくなるためアンカの存在を頼もしくさえ感じる。
「ねえアンカ……やっぱり私、この笛、受け取れないよ。私は夜雀、歌うのが大好きなんだもの。笛を演奏するのは……妹紅にして欲しい。だから、返しに行っちゃダメかな……」
「チュン……」
「うん……ダメだよね、結界の外に出ちゃ……お宿のみんなに迷惑がかかっちゃう。お爺ちゃんに叱られちゃうよ」
 ミスティアの目線の先には、切断された数本の竹があった。妹紅と出会った時、怒ったミスティアが切り裂いたものだ。地脈を利用した結界のため、ミスティアはどこまでが進んでいい一線なのかを理解している。その一線から一歩分内側にミスティアは立っていた。
「妹紅……どうして、なにも言わず行っちゃったんだろ……」
 手が、持ち上がる。
「私みたいな子供、迷惑だったのかな……」
 切断された竹を撫でる。
 地脈から、結界から、一歩分外側の竹を。

 なにが起きたのか。

 きょとんとしたミスティアの目線の先では、竹を撫でる手の甲から、細長い枝が生えていた。枝だと思った。でもそれは鈍色をしており、鉄の匂いがした。
 釘? 針? それが忍者の使う手裏剣の一種、千本という武器だとミスティアは知らない。長い針のようなこの武器は、手裏剣に比べ携帯性に優れる半面、脆く、使いづらい。そのため実戦で使用するのは熟練の忍者だけだ。
 つまり熟練の忍者がここにいる!
 遅れて襲ってきた激痛により、手のひらに穴を空けられたのだと理解したミスティアは絹を裂いたような悲鳴を上げた。同時に手首に鎖が巻きつき物凄い力で引っ張られる。千本が刺さったままの手が地面に叩きつけられ、ミスティア自身も倒れ込んでしまった。地面に転がる石に強打して、右の腋下が強く響く。さらに引きずられて、鎖が手首に食い込んだ。
「痛いッ! 痛いよォッ!!」
 ぎゅっと閉じた目から涙があふれる。なにもかもがあまりに突然すぎてミスティアは完全にパニックに陥り、ただ泣き喚き手足をもがく事しかできなかった。そのうちのひとつ、泣き喚く事を口に布を押し込まれる事によって妨害される。驚いて目を開けようとした瞬間、すぐさま目隠しを巻かれてしまった。
 逃げなきゃ。ようやくその考えに至ったミスティアは、力いっぱい翼を羽ばたかせた。
 だが身体の芯まで砕ける音が響き、翼に力が入らなくなる。折られたのだ、左翼の付け根の骨を。
 逃げる。
 その思考さえ踏み潰されたミスティアは抵抗をやめ、身体を縮めて震わせるしかできなくなってしまった。謎の襲撃者達は、ミスティアがおとなしくなったからといって丁重に扱ってくれる訳ではなく、四肢すべてに鎖を巻きつけ、うっ血するほどきつく絞めつけた。
(助けて、助けて、助けて、助けてッ)
 乱暴に持ち上げられたミスティアは、襲撃者の肩に担がれた。知らない体温に密着する恐怖で再び逃げ出そうと暴れるも、頭部を痛烈に叩きつけられ、意識を断絶させられてしまった。暗い淵に落ちる間際、ミスティアは両親と妖爺と、妹紅の姿を思い浮かべた。

 ――テキにさらわれた。
 足りない頭でもそれくらいは理解できる。
 姉貴分のミスティアを乱暴したのだから、この黒ずくめの男達は敵だ。
 そして姉貴分のミスティアがやられてしまったのだから、自分では太刀打ちができない。
 だから。
 なんとしても伝えなくては。
 里の仲間に。妖爺に。竹林をさまよっているだろう妹紅でもいい。
 助けてくれる誰かに伝えなければと、アンカはミスティアの胸の中で息を潜める。



 燭台のみが照らす、狭く寒い和室にて、老人の前に黒装束の忍者がかしずいていた。
「魔神牙(まじんが)様、ご報告致します。紅蓮隊が怪しい妖術師を取り逃しました。炎の術を得意とし、お宿の縁者ではないかと推測されます。そして不自然に切断された竹の周辺を見張っていた下駄隊が、雀のお宿出身の夜雀の小娘を捕らえて参りました。現在は岩牢に閉じ込めております」
「うむ。夜雀は情報を聞き出した後、糞尿を抜いてから焼き鳥にするぞ」
「御意」
 返事の後、黒装束の忍者は天井へと飛び上がり姿を消した。
 気配が去ったのを確認してから、魔神牙と呼ばれた和装の老人は背後に目線をやる。

「妖怪を喰らい妖力を我が物とする、魔神衆に伝わる禁断の秘術……さらに雀のお宿を一網打尽にし、焼き鳥にして人里で振舞えば、人間全体の底力を向上させられる。同じようにして妖怪どもを糧とし続ければ、人間の手で八雲を打ち滅ぼすのも夢ではない」
「……確かに……八雲を倒す悲願をかなえる機……しかし……」
「しかし、なんです?」
「人間が妖怪を喰らう……惨い……どちらが妖怪か解らなくなります……」
 魔神牙はくつくつと笑った。
「お主ともあろう者が、迷っておられるのか? それとも怖気づいたのですかな? 闇を覗く者もまた、闇に浸らねばなりませぬ。妖怪どもと戦うために、我等は修羅となる覚悟」
「人間の"それ"は、時として妖怪よりも恐ろしい。闇を覗き修羅となっても、やはり私達は人間のままなのでしょうね……」
 燭台の明かりの届かぬ部屋の隅で、静かな声の持ち主はわずかにうつむく。
 魔神牙の瞳の奥にいる修羅を見つめ、魔神牙が見つめる己の瞳にもやはり修羅がいるのだろうかと夢想した。


【後編へ続く】
無人島級の容量で一括投稿しちゃおうかと思ったけど分割しちゃったぜい。
妹紅とミスティアが焼き鳥関連で仲良くなるSSの構想は団子を書いた頃からあったのだけど、
何度も筆が止まって書き直して消して書き直して消してを繰り返し、ようやく完成したよ。

妹紅とミスティアが衝突を通じて解り合い仲良しこよしになる程度のSS。
の、はずだったが……なぜ忍者が出てきてバトルなんかしてるのだ。

くどい後編もヨロシク。
イムス
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コメント



0.1680簡易評価
2.100名前が無い程度の能力削除
ひゃっほう。イムス妹紅ktkr!!
5.100名前が無い程度の能力削除
相変わらず妹紅の描写に並々ならぬ執念を感じるぜ。
6.100名前が無い程度の能力削除
妹紅は黄門様と知り合いだったのか!
8.無評価名前が無い程度の能力削除
>テケリ・リ
ちょwおまww
後編へいってきます、評価はそこで
12.100名前が無い程度の能力削除
イムスさんの妹紅きたこれ!これでかつる!!
13.100名前が無い程度の能力削除
妹紅、色んな人に会いすぎw
温泉の描写が流石としか。
14.100名前が無い程度の能力削除
いや、もう色々と凄い。
さすがイムス殿!!
それにしても貴方のミスティアは可愛いw
16.90名前が無い程度の能力削除
おもしろいじゃない
21.80ずわいがに削除
危ない危ない、鳥のさえずり大合唱で危うくスクリーンにゴッドフィンガーぶち込むところだった。なんか色々ひでぇ鳴き声だったぞ;ww
なんだろう。シリアスなんだけど、どこかシリアスになり切れない。そう、まるでSDガンダムのようなノリ……!
23.100名前が無い程度の能力削除
ちょ、インコ大仏動かしちゃらめぇwww
39.100名前が無い程度の能力削除
じーぜる猿人とはな…懐かし過ぎるぜ…
後編いってきます。