「チルノちゃん、今日は何して遊ぶ?」
「うーん・・・鬼ごっこは昨日したしなあ」
「昨日したのはかくれんぼだよ・・・」
「なら大ちゃん、戦争しよう!」
「え・・・サニーちゃんとかがいるならまだしも私達二人じゃ、出来ないよ」
「なら、戦争を見に行こう!」
「戦争?どこかでやってるの?」
「紅い館でどんどんぱちぱちするんだって」
「へえ、珍しいね、いこうか」
「そう言えば大ちゃん、ルーミアは?」
「え、知らないよ」
「ふーん、まあいいか」
ルーミア英雄伝説 黎明篇
第一章
胎動
葉月二十七日
[一]
一つの扉がある。それは外界暦にして十一世紀末から十二世紀始めの、絶対王権の絶頂期であった時代。今となっては古き遺物でしかないその時代が刻まれている物であった。人間、或いはそれに近い生物が使うには大きすぎるそれは、磨き上げられた握りから鈍い光を放ち、重々しく幾重にも彫られた幾何学模様から言葉にもつかぬ重厚さを滲み出している。人間にとって装飾具や服装がある程度は中身を示すように、その扉もまた示すように作られているのだ。扉の向こうに有る、圧倒的力の存在を。
最も
威厳と権威の象徴であるそれは、たった今握りを使われる事もなく、一撃の下に蹴破られた。
「・・・・・・・」
格調高い空間の中、不粋な闖入者は息を荒げつつ部屋の奥へ視線を突き刺した。正確には、部屋の奥の机の前に座る、小柄な影へ。
「あなたの方から来てくれるなんて珍しいわね、霊夢」
奥から響く、茶会に誘うように軽くかけられる声。
だが霊夢と呼ばれた闖入者は引きつった表情のまま早歩きで机の前に来る。そして音をたてて両腕を机に叩きつけると、ようやく口を開いた。
「今すぐ止めさせなさいレミリア。今すぐに」
「あら、何か悪いことをしたかしら」
「惚けるなッ!」
霊夢の表情が、はっきりと見開かれる。頬、そしてついている手の血の気の多い色が、何よりも霊夢の色を表していた。
「霧の湖周辺に張り巡らせた、結界二十四層、魔力障壁七壁。猟犬変わりの使い魔数十体、無数の魔法仕掛けのスピアトラップ、おまけにご丁寧に、飛行封印結界まではってるじゃない。こんな大規模な軍事行動、あんた以外に誰が出来るって言うの!?」
返事もせず、レミリアは一つ溜め息をついた。そしてゆっくりと足を組み直し、また元のように霊夢の方に向き直った。その表情に、一点の陰も変化も無しに。
「何か悪いところでもあったかしら。私は単に警備を増やしてるだけよ」
「夜中に、人里の猟師が神社に駆け込んできたわ。体の下から半分が吹き飛んだ、仲間の死体を抱えてね」
「それが?」
「『それが?』」
数瞬。
鈍い輝きが、薄い暗闇の中で揺らめく。
たった刹那の間に、霊夢は突きつけていた。霊力を飽和寸前まで注いだ、銀色の退魔針を。
「これは異変なんてものじゃないわ。ただの戦争よ」
「ええ、それで良いのよ」
レミリアはゆっくりと、午後の茶葉を選ぶように戸棚を開けると、一枚の便箋を取り出して机に乗せた。
「序文は省略するわ。」
二三瞬きをする霊夢を後目に、レミリアは一方的に口を開いた。
「『主文。以下より霧の湖周辺に生息する、闇を操る程度の能力を持つ妖怪をルーミアと定義、以下ルーミアとする』」
「『葉月三十一日から、長月一日の日付変更時刻の際、ルーミアの頭頂部についた赤のリボンを所持している者を』」
「『幻想郷全ての行政、立法、司法権を持つ者とし、此に反旗を翳す者には幻想郷追放をも辞さぬことを結界管理人八雲紫の名の下に宣言する』」
「『なお、これは幻想郷において一定以上の特権階級を得ている妖怪にのみ送られていることを明記しておく』」
「馬鹿げてる・・・・」
退魔針の先端が、頼りなさ気に震える。猛り狂う激情は、いつの間にか湖に張った薄氷のような色に取って代わられていた。
「たかがそんな文章に、どこまでの信用性があるの?」
「ご丁寧にサインまでついてるわ」
変わらない。
寧ろ更なる余裕を漂わせて、レミリアは便箋を畳む。
ゆったりと、もったいぶって。
音も無く、退魔針が握り直された。
「このままで良いじゃない・・・・」
便箋を机にしまいかけたところで、白い指先が止まった。
「弾幕ごっこをして、お茶を飲んで、宴会して、他愛も無い話しに笑いこけて・・・それであんたは幸せじゃ無いの?幸せじゃ無かったというの?」
「・・・・・・・」
沈黙。
ほんの僅かの静かの海が、部屋を包む。
レミリアは棚にしまいかけた便箋をまた机の上に乗せる。
陰りを含まない溜息が、便箋を幽玄に揺らした。
「幸せ、ね・・・」
霊夢が何かを確かめるように声を出しかけたが、レミリアは意に介する事も無く口を開いた。
「痴鈍極まりないわね・・・」
針を構える手、その肌は赤みを失い、白を通り越して青へ染まった。
「怠惰の泥沼の中で、息を吸うことも忘れて胡蝶の夢を見続けたまま、自分も汚泥と一つになる・・・そんな生に、意味が有るのかしら」
「・・・・それで満足出来るなら、それは十二分に意味を持つわ」
そう口を開く霊夢の唇は小さく、しかしはっきりと震えていた。夜の帝王を名乗る吸血鬼は、それを認めるほど慈善家でもなかった。
「私だけじゃない。強大な力を持つ妖怪であれば、思うはずよ。幻想郷という一つの墓場で静かに死を迎えるならば、刹那ほどの閃光の如く散りたいとね」
「それはあんたの決めることじゃない!」
「いいや!あなた達人間には、骨が焼かれてもわからないわ!」
わざとなのか無意識下なのか、レミリアは目を見開いた。目の前の何かを、紅い瞳に映して。
「百年の夢、百年の野望、百年の後悔、百年の絶望!人間の短い生ではなし得ない。なまじなし得るからこそ、私達は望む」
「戦いを・・・ね」
「・・・・・・・」
無言。
沈黙。
霊夢の唇はエ段の音を出そうと揺らめいたが、それが叶うことも無くまた元の半開きに戻った。
そして、再びの沈黙。
「・・・・・・・」
霊夢は、一歩だけ左足を引いた。次に右足を引き、体を反転させて足を引き寄せた。赤いスカートの下の足が、絡繰り仕掛けのように交互に踏み出される。空疎に、そして空虚に。
「『注釈』」
一対の骨と肉の棒状の塊が、分厚い扉の前で止まった。
「『リボンの所有権に関する争議の一切に対し、幻想郷に存在するあらゆる公的司法機関は介入をせず、これを関係者の自己責任のものとする』」
「・・・・・・・・・ッ」
硬質と硬質。エナメル質とエナメル質がぶつかり削れ合う音が、確かに響いた。
「・・・それが答えか、レミリア・スカーレットッ!」
顔も見ずに一方的に叩きつけると、霊夢は扉を来たときのように蹴破り、外へ飛び出していった。
「・・・・・・・」
一人取り残されたレミリアは、手持ち無沙汰気に溜め息をついた。
ランプの蝋燭の火が揺らめき、小さな影もまたやるせなく揺らめく。
暗幕の外では既に、晩夏の日輪が顔を出し始めていた。
[二]
紅魔館の周りには広大と言うにはいささか足りないが、道に迷うには十分な広さの森が広がっている。が、低い針葉樹林であるためあまり視界も閉ざされず、吸血鬼の住む舘を囲むには閉塞感が足りていないのは明らかであった。森の中には一本の回廊が作られており、草葉のささやきが数少ない賓客を迎えるのである。
あらゆる飛行能力を封印する結界が張られた僅かに青みがかった空と、地平から這い出て間もない金赤の日輪の下、山から到着した兵士たちは、回廊から僅かに森に入りその足を止めた。
「総員この場で休息をとり、一辰刻後に戦闘態勢に入る。作戦は追って伝える!」
了解、と響く声を聞きながら、犬走中隊長こと犬走椛は『クソったれめ』と言いかけて止めた。間違っても隊長が兵士の前でそんなことを呟けば、士気に関わる。
「・・・・・・・ッ」
どうしようもない靄を抱えつつ、椛は白狼天狗の一団からそっと離れる。充分に距離が開いたの後目に確かめると、彼女は太刀と盾を放り木にもたれかかった。
「・・・・クソったれめ」
今度こそ、吐き捨てるように一人愚痴る。椛は目を細め、中隊の面々を遠目に眺めた。
無論、椛の愚痴はそれらに向けられた物ではない。犬走中隊のほぼ全てを構成する白狼天狗は、椛からしても兵卒として申し分ない。鬼に劣るものの、妖怪の中でも高い腕力と運動能力を誇り、それなりの弾幕形成も可能とする。特筆する項目は無くとも、あらゆる場面での汎用性においては優秀な兵だと、彼女は確信している。
しかし、だからこそなおさら、彼女は愚痴らずにはいられなかった。
「・・・・・・・・」
滑るような視線の動きに合わせて、椛の表情もまた頑ななそれに変わる。
針葉樹林の枝葉の間から、思わせぶりにその姿を見せるもの。
真紅色の外壁に囲まれた、真紅色の煉瓦の、窓の殆ど無い館。
紅魔館、椛がこれから攻撃しなければならない場所であった。
昨夜妖怪の山の総司令部から八雲紫の声明文が発表され、椛もまたそれに伴う任を負っていたのだ。
言うまでもなく、椛はその中に潜む者たちについても知っている。
一つの軍団として成立するほどの、膨大な妖精の兵たち。単純に数だけで勝負すれば、おおよそ中隊規模の兵力でかなう相手ではないのは明らかであった。しかも、館内はおろか森の中にも無数の罠が仕掛けられていることは誰にでも想像に値する。
要は、小手調べのための捨て駒。
そもそも犬走中隊は、単に下級の白狼天狗を寄せ集めただけの即席部隊である。でなければ、ただの一兵卒でしかなかった椛が、いきなり隊長にされる筈も無かった。
「白狼天狗の命が、鼻高の老いぼれたちのためにあってたまるか・・・!」
幾度となく山の空の下で呟いた言葉を、椛は牙を鳴らしながら繰り返した。
[三]
「入るわよ、レミィ」
レミリアに視線だけで座るように促され、パチュリーは来客用の腰掛けに掛けた。
「一体何かしら、罠を張る作業が終われば、パチェはもう休んでていいのよ」
「いえ、休もうにも休めないわ」
常日頃と同じく抑揚の無い声ではあったものの、明らかな棘が台詞に混じっていることにレミリアは小さな眉を潜めた。
パチュリーは指で空をなぞると、紅魔館周辺の地図を虚空に投影した。一応紙としても存在するものではあったが、広間に張り出されていて動かせないのだ。
しかしこれは、魔法使いならば簡単にこなすことの出来る基礎である筈だったが、パチュリーの指は若干の震えを帯びていた。
「さっきあなたに頼まれて罠を敷いたところを見たけれど、あの設置の仕方は駄目よ」
そうパチュリーが指を指す地図には、赤い斑点が浮かび上がっていた。斑点は、紅魔館の東部、霧の湖と接しているそこを、除いて夥しいほどに敷かれていた。唯一、中央を縦断する回廊のみが、羊皮紙の鶸色のかかった白を保っていた。
「全く、パチェも可笑しなことを言うわね。故意に弱点となる部分を作り出すことで、相手の兵力をそこへ集中させ各個撃破する。立派な戦術だわ」
「それは自軍の戦力が相手より小さい場合だわ。こちらの方が有利な戦場を設定できるのが前提となるのに、消耗戦を選ぶのは間違いよ、もっと罠の位置を調節して、」
「パチェ!」
不快さを剥き出しにした視線が、パチュリーのすぐ喉元に突き刺さる。
「良いかしら?何よりも一番守らなきゃならないのは、この館なのよ。それを考えるならば優先すべきは確実性と堅実性よ」
「レミィ・・・」
「諄い!」
扉の方を指差すレミリア。パチュリーは四肢に重りでもつけたような緩慢な動作で、部屋を後にし廊下に出た。
「・・・・・さて、どうしようかしら」
ふとパチュリーは、自分の右の握り拳に汗が滲んでいるのに気づいた。
[四]
犬走椛に、親はいない。彼女に物心がついた頃には、家庭の有るべき場所に父親は居ず、母親が一日中家にいたことは無かった。後に椛は知ったが、父親は山の中でも、かなり上位に位置していた天狗のようであった。身分の低い白狼天狗であった母親は、椛を身ごもった時に権力を傘に捨てられたらしい。
無論、母親の椛に対する態度もそれを物語っていた。哨戒任務をこなした後の彼女は家に帰ることも無く、歓楽街に飛び出して浴びるように酒を飲み、男たちと遊ぶのであった。時たま家に帰る時があるとすれば、それは酒の飲めない腹いせに椛を殴りにいく時だけだった。
一本の蝋燭の火すら無い暗闇の中、一日中空腹感苛まれて暮らす日々。幼い心の底に黒い雪が降り積もるには充分過ぎる生活である。
が、燻る憎しみも、幼い自我には矛先を定めることは出来ない。
「なにがわるいんだろう」
目覚めてるのか眠っているのかも分からない状態で、椛は考え続けていた。知識も思考能力も、まともに持ち合わせぬ頭脳で、どうあがいても答えの出ない質問を問い続けていた。
しかし、そんな生活にも終わりが来た。
椛の母親が、死んだのだ。死因は、過剰な酒淫からなる心臓病。椛が人間で言うところの、六歳を迎えたころであった。
まともな交友関係の無い母親の末路は、無残の一言に尽きた。ただの一兵卒だったので死体は野に打ち捨てられ、雨の降る中朽ちていった。
しかしたった独り、椛だけが雨の中ずっとその傍にいた。まともに愛を向けてくれなかった母。酒が切れると、訳の分からない叫びと共に殴ってきた母。あれだけ恐ろしく嫌だった筈なのに、何故か椛には、その死体を踏みにじることはおろか、手を触れることすらできなかった。
ただ、不思議と悲しかった。
「母はわるくない」
雨の上がった野原の中で、椛は一人呟いた。
「なら、なにがわるいんだろう」
しかし、やはり誰も答えてくれる者はいない。
母親の死後、親類のいなかった椛には一つしか道はなかった。山の組織する軍部の共同訓練学校である。椛の隣人たちは、近くに死体が新しくできるのを嫌がって、椛をそこへ追いやった。
結論から言って、椛の人生はさらに悪化の一途を辿った。白狼天狗は、山の社会の中で最低階級に属する身分である。就ける仕事と言えば、過酷な哨戒任務や残飯処理、いずれも嫌われるものばかり。将来兵士になるための訓練は、幼い椛には苛烈を極めた。
「わたしがわるいんだろうか」
脱水症状を引き起こし、生と死の境を彷徨いながら椛は呟いた。
「なにもできないわたしがわるいんだろうか」
教官の執拗なまでの叱責に、椛は思った。
追い打ちをかけるように、日々寒々しさを増していく椛には、友と呼べる存在はいない。まともな教育や作法も教わらず育った椛は、集団心理の怪物の恰好の餌であった。何かあれば椛のせいにされ、殴られ、蹴られた。
しかし。
過ぎゆく年月は、椛を確実に成長させていた。
それがはたして良かったのかどうかは、誰にも分からない。
その日もいつも通り、椛は兵舎の裏に呼び出されいびられようとしていた。その日は月は無く、星光だけの暗夜である。ただ殴るのにも飽きた天狗たちは、椛に訓練用の、刃のついて無い太刀を与えた。
「おい椛、今日はお前から来てもいいんだぜ?」
そんなようなことを言いながら、天狗たちは椛を小突いた。
暗闇の中、一方的に殴られる。
椛の過去の記憶が、一気に逆再生を始める引き金だった。
気付けば、椛の前には全身を痣だらけにした天狗たちが折り重なって倒れていた。彼女自身はというと、大した傷もなく、少量の血の付いた太刀を握ってるだけである。突然のフラッシュバックに半狂乱になった結果なのだが、反撃を予測していなかった天狗たちには十分過ぎた。
が、この幸運の女神がほほ笑んだ勝利が、今までの椛を根底から覆す。
「わたしは、抗っていいんだ」
「私は、悪くない」
「私は、自由なんだ!」
一寸先も闇の中の、半ば叫ぶような呟き。
生まれて初めて、椛が自分の存在を肯定した瞬間だった。
人間年齢にして、椛が十一歳の時である。
それからの椛は、別人のように変わった。相変わらず友人は居ないものの、絡んでくる輩には容赦なく訓練用の太刀を叩きこんだため、椛に近づく者は居なくなった。しかし孤独ではあったものの、椛には一つの誇りのようなものが生まれていた。
「私は悪くなかった」
「母も悪くなかった」
「なら、何が悪いのだ」
終わりの無い答えにようやく取っ掛かりのようなものが生まれ始めた頃、椛は共同訓練学校を卒業した。正式に軍属となった彼女もまた、哨戒任務にあたることとなる。人間年齢に換算して十六歳の時だった。
特にコネも無く乱暴者としてしか認識されていなかった椛は、厄介払いされるように山の外れの滝に配属された。町からも遠く、完全な僻地であった。
自分以外に天狗がいないというのは椛にとって心地良くすらあった。が、同時に椛は、自由ということがどれだけ暇なのかに気づく。まともな快楽や趣味を持たなかった彼女は、有効な暇つぶしとして滝に流れついてくる物を漁り、片端から試してみることにした。
「何だこれは・・・食べれないぞ」
大将棋を拾った時の第一声である。
椛は物を拾っては町に行ってその用途を聞いていたが、その中でも大将棋には夢中になった。殆ど手をつける用途のない給金で指南書を買い、たった独りで飽きること無く何時までも駒を弄っていた。
同時に、椛は大将棋の中で気づく。
自分自身が、ただの歩でしかないことに。
運命、未来、希望、そのどれもを他人に握られた歩兵であることに。
「何が悪いのだろう」
「今わかったよ、母さん」
「悪いのは、駒を握っていた老天狗共だ!」
鼻高天狗や大天狗などの、上級天狗への禍々しいまでの憎悪。しかし芽生えた感情を持つのは、もはやあの暗がりの中で震えていた幼い天狗ではない。澱みきったどす黒い雪解け水が、激流となって椛の心を廻る。
天狗社会の身分制度、それを取りまとめる老天狗たち。それらへの復讐を思う度、椛は小さく牙を鳴らすのであった。まさに飢えきった狼のように・・・。
[五]
「・・・椛さん?」
時刻は既に明け方と言われる時を終えていた。
黄金色の世界は、夜風に冷ました体に熱を吸い込み、生命の息吹を溢れさせる。
日輪は既に花鳥風月を照らし、その存在を雄たけびをあげて轟かせていた。
犬走中隊の伝令を務める射名丸文は、息を押し殺しつつ言葉をかける。が、返答は無い。椛は胡座をかいたまま眼を閉じて、彫像のように微動だにしなかった。間違っても眠りこけているのでは無いのは文にもわかったが、だからこそ余計困った。
「ここで休憩し始めてからもう一辰刻になりますよ?兵士達も不安がってますから、ねえ」
「静かにッ!」
文は転がりかけた山伏帽子を慌てて掴んだ。納得のいかないのは承知だったが、文はとりあえず待つことにした。
二人の他は言葉を発する物も無く、ただ沈黙が漂い続ける。絶対的な時間軸からするとほんの少し、文からすれば永遠にも等しい時の後、椛は音も無く目を開いた。
「文さん」
「は、はい?」
「本部から送られてきた指令を一字一句そのまま暗唱して下さい」
文は訳も分からず首を傾けた。が、椛が鋭い視線を向けたのを見て慌てて口を開いた。
「『霧の湖周辺に生息する妖怪ルーミアの捕獲、及びルーミアが何らかの組織によって囚われていた場合のこれの奪還』・・・ようは紅魔館を攻めろってことですね」
「危険な任務なのに随分と余裕綽々ですね」
「はぁ」
「まあ、紅魔館の戦力を確認できれば、あとは逃げ帰ってこいとでも言われてるのでしょう?」
今度は、帽子を押さえる余裕も無かった。小さな山伏帽が音も無く宙を舞い、そして落ちた。
「・・・・・さあ、何のことだか」
全身の穴という穴全てから汗が滲むような錯覚を覚えつつ、文は帽子を拾う。偶然か、何かの悪戯か、一筋の風が文の背筋を震わせた。
文は、犬走中隊の中で唯一の鴉天狗である。天狗の中でも最高速を誇る種族ではあるが、それをわざわざ捨て駒にする部隊の伝令とするだろうか。ましてや、平時には新聞を作って暮らしてるような、一種の貴族階級に。
椛の恐ろしく疑り深い思考が結果として当たっていたのは、文の態度を見れば火を見るより明らかだった。
「・・・・・・・」
が、文を直視するその視線に、おおよそ殺気と呼ばれるものは無かった。
「文さん、一つ聞きましょう」
一旦音が切られ、また始まる。
「仮に今一つの紐があって、引けば自分が天狗の王となれるとする。」
「貴女は紐を引きますか?」
「・・・・・・・」
幾許かの、沈黙。
文の表情は苔生した石のように固まっていた。が、やがて軽く首を振ると小さな微笑みを浮かべ、文は買い物の勘定を告げるかのように答えた。
「まず引きませんね」
「それは何故?」
「結局の所、実力で成し得なかった革命など、幾何かの命ですから」
文は顔合わせで話した以外、椛と関わったことは無い。冗談の通じる人だと良いが、と思う文の鼓膜を、声が叩いた。
「文さん、少し残業を頼みたい」
「残業手当ては?」
「独占取材なら受け付けますよ」
文はわざとらしく顎に手を当て眉をひそめた後、破顔一笑しながら言った。
「落款付きの色紙もつけて下さい、きっと売れますから」
椛は音も無く歯を見せて笑うと、中隊の兵士たちに集合をかけ始めた。
なるほど、頭の固い司令部よりは面白い人だ。
記者特有の青天井の好奇心を擽られ、文は取り敢えずはここに留まることを決めた。
第二章
紅魔館会戦
[一]
「御嬢様!」
分厚い暗幕に包まれた部屋の中、レミリアは手慰みに読んでいた本を閉じた。駆け込んできた妖精メイドは二三度転びそうになりながら、レミリアの机の前まで何とかたどり着くと、妙にぎこちなく敬礼をした。
「紅魔館門前の遠くに敵影を発見しました!」
それを聞いた途端に、レミリアの呆れたような表情は一気に血に飢える吸血鬼ものへ変わった。
「数は?」
「よくわかりませんが、一個中隊よりも少ない数の天狗でした!」
馬鹿にしてるの?
小さく零れたレミリアの呟きに妖精メイドは小さな悲鳴を上げたが、レミリアは気にしなかった。天狗とはいえそんな数で突撃してくることに戸惑いを口にしただけであって、妖精メイドで憂さを晴らす趣味を彼女は持ち合わせていない。
「小手調べね」
明らかに勝つ意志の無い軍勢に対する考察に、自爆特攻もあり得るわね、と付け加えると、レミリアはまた口を開いた。
「美鈴に伝えなさい、全軍を率いて前に出て敵を殲滅しろと。館に敵を近づけさせるな!」
「し、しかし、御嬢様」
妖精メイドはつい口を開いてしまったことを後悔するような表情を浮かべつつ、レミリアに言った。
「館の前に罠を使って作った回廊は、全軍が通れるほど広くあ、ありません!それ、に・・・」
「それに?」
「ひゅ、ひゅくへいは如何なさるので!?」
平時には単なる掃除係りなのであろう、緊張の余り伏兵と言い損ねたメイドを見て、レミリアは敵が前にあることも忘れ笑った。メイドはそれを残虐極まりないものと勘違いしたのか、また小さな悲鳴をあげる。
「妖精メイドにして私に意見するとは、頼もしいくらいね」
レミリアはメイドを宥めるように、彼女の肩をさすってやった。
「杞憂に過ぎないわ、パチェの張った罠は完璧よ。仮に館にたどり着いた兵士がいても、それは既に敗残同然の兵共よ。それと美鈴には、二重回転の陣形をとれと伝えなさい、良いわね」
「ひゃい!」
答えて小さな御辞儀をするなり、妖精メイドはまたせわしなく部屋を出て行った。
「・・・・・・・」
そんなに私は怖がられてるのだろうか?
小さな悪魔は、そこはかとなく不安に思った。
[二]
「副隊長!」
その響きに何かむず痒いものを感じ、きっと慣れることも無いだろうなと思いながら、文は自分を呼んだ兵士に振り向いた。
「紅魔館の門番隊が動き出したようです。間もなく接触します!」
「わかりました。総員、横三列を維持したまま弾幕の準備を。発射はこちらで指示をします」
椛の作戦を聞いた時、文はあまりに惚けて何も言葉も出なかった。作戦の奇々怪々ぶりにもそうだが、文自身が、椛の代理として指揮を執れと言われたのだ。確かに白狼天狗たちに指揮能力に秀でた者は無い。しかし文とて元々は新聞記者、大して変わらないのだ。しかし、
「言われたことを言われた通りに出来る実行力と柔軟な思考があれば、玄人でも素人でもあまり変わりませんよ」
椛はそう言うと、ついでに空席だった副隊長に勝手に文を任命した。
白狼天狗の部隊の中で唯一の鴉天狗、あまり兵士たちも良い顔はしない。流れる気まずい空気に、文は開始早々不安を感じずにはいられなかった。
が、不思議と文は抗議する気にはならなかった。元は単なる野次馬根性を隠そうともしないブン屋である。それだけに、文は自分の審美眼に絶対の自信を持っていた。
後に椛について何か言う機会があると、文は決まって始めに言うのだった。
「あれは、獣のそれと言って良い眼でした」
「仄かな殺気と赤瑪瑙を溶かした炎が瞳の中で揺らめき、猩々緋色の輝きと影とが交わるのです」
「しかし、だからこそ、確かな存在を感じさせる眼でした・・・」
[三]
門番隊長を任されている紅美鈴は、敵の前進の中止に首を傾げた。
「・・・・怪しい!」
美鈴はお世辞にも知将などと呼ばれるような思考力は持ち合わせていなかったが、隊規模の指揮能力には定評がある。防戦に徹したときの粘りと巻き返しは、門番隊長を任される程なのだ。故に兵士からの信頼も篤い。
「接近戦は天狗の独壇場の筈。何を考えてる?」
天狗と妖精。
戦闘能力及びあらゆる面で天秤の対にもならない組み合わせである。
無論、現状の数の上では、紅魔館側は山に対し十倍を超える数をもって構えてるものの、局地的に突撃を仕掛けられれば脆い。
だからこそ接近戦に備えた策を用意してたのだが、遠距離の射撃戦になれば兵站のある紅魔館側に分がある。
「まあ好都合よ。全隊僅かに前進した後、弾幕を張りつつ二重回転の陣形をとりなさい!」
無論、あまりの大軍であるため、美鈴一人では指示が通らない。各小隊ごとの担当の伝令達は美鈴に敬礼すると、指示を伝えに散った。
一方妖精の先鋒隊が小さく見えるほどの距離を隔てた先では、文が同様に声を張り上げていた。
「総員、弾幕形成準備!」
横三列に兵を敷くことで可能な限り弾幕の密度の強化を図られた陣形のまま、白狼天狗たちは右手を前に、左手に盾を構える。
そして奇しくも、戦闘開始の号令が朝焼けの森に重なった。
「「撃て!」」
遠く離れた両指揮官の頬を、弾幕の発する七色の光条が染め上げた。弾幕同士が鈍い音をたてて弾ける度に、兵士たちの水晶体は焼き付くのだった。
「二番隊及び六番隊は前進、三、四番隊は弾幕を張りつつ後退、残りの隊は前の隊に合わせつつ息を整えて!」
美鈴の甲高い声によって、軍団が一つの生物のように動きだす。二重回転の陣形、それは軍団全てが縦に二つに分かれ、それぞれが歯車のように外側に回転しつつ戦う陣形である。前線の兵士たちはある程度戦ったあと後方に一旦戻るので、常に後方から来た万全の兵士で前線を形成できるのだ。それ以外にも、相手が中央突破を図った時、回転を止め散開することで、両方向からの集中砲火を浴びせることもできる。ある程度兵士の絶対数が必要ではあるが、正面から局地戦を行うには分が悪い紅魔館にとっては消耗を抑えつつ戦える戦術であった。最も、複雑だけに指揮官の負担も大きい陣形ではあったが。
暫く経つうちに、徐々に天狗たちの弾幕が、歪んだ亀裂を増していく。
「物量戦ですか、手厳しい」
文は誰にも聞こえないような声で独語した。
初めは火力で圧倒していたものの、次々と敵が入れ替わっていくために、息切れを起こしかけていたのだ。幸いだったのは、二重回転の陣形が全体として見れば単純な陣形であり文にも理解できたのと、兵士の消耗に文が早い段階で気づいたことであった。
「総員、弾幕を絞って形成してください。そしてそのままの陣形のまま後退します」
細波が引いてくかのように、天狗たちの戦列が後退してく。戦況の変化を見逃さないのは、美鈴もまた同じだった。
「全隊、陣形と距離を維持したまま前進!奴らを休ませるな!」
あくまで接近戦にならない程度に、二つの歯車が進む。
確実に押している、そう美鈴が思った矢先だった。
「隊長、今度は敵が接近してきます!」
「何ですって!?」
紅魔館側が前進したのにあわせて、接近戦に持ち込んできたのだ。まさに絶妙の時機である。
美鈴は汗を手の甲で汗を拭った。それが残暑の炎天下によるものなのかは、美鈴自身にも解りかねた。
「二番隊と六番隊は有りっ丈の弾幕を叩きつけつつ、全隊共に後退しなさい!」
美鈴の悲鳴のようなものにあわせて、隊列が引いてく。が、急な移動の連続が、確実に歯車に歪みを生じさせていた。
「こちら二番隊、後続の三番隊が動きません!」
「四番隊、負傷者多大のため動けず!」
「一番隊、さっさと動け!」
元々小隊ごとの連携が前提となる陣形であったが、前進と後退を繰り返す内に隊列に混乱が生じたのである。
本隊とはぐれ右往左往する兵士、負傷者を抱えて動けず、野次を飛ばされる部隊、後続が来ないため前線に残留し続け半壊しつつある部隊。
美鈴一人では、御せと言う方が無理と言うものであった。
「各伝令は何をしてるの!早く私の所に来て!」
紅魔館側で半狂乱の怒声が響く一方、文はしたり顔で頷いていた。
「副隊長、このまま突撃を仕掛けますか」
「いえ、この隙に乗じて距離を取ります。総員、弾幕体勢を保ったまま後退」
戦列に立つ妖精の数を確実に削りつつ、天狗たちは悠々と後退し追撃の無いまま態勢を立て直す。中隊にも満たない規模の兵力であることが、結果的に柔軟かつ迅速な用兵を可能としていた。
「・・・・・・・」
が、文自身、ここまで相手を手玉に取れるとは思っていなかった。特に紅魔館側が混乱してる事などは完全に嬉しい誤算だった。
「・・・・犬走椛、ですか」
『兵が疲れるか相手が離れたらこっちも離れる。相手が近づいたらこっちも近づく。あとは勘です』
最悪時間稼ぎになれば宜しい、とだけ付け足すと、椛は文にそれ以上何も言わなかった。
まさか、それだけでこうなることを予見してたのだろうか。
武者震いとも後ろ寒さともつかぬ震えが、ふと文を包んだ。
[四]
紅魔館の地下には、小規模ではあるが牢獄が置かれている。元は拷問部屋を兼ねて作られたものであり、十六夜咲夜が紅魔館を訪れるまでは煤色の石造りの闇の中、さび付いた血糊が、生きた鉄の臭いを形無き悲鳴と共に想起させていた。現在では咲夜の先導のもと掃除がなされ、殆ど使われないのも相まってごく清潔な状態を保っているのだった。
「お勤めご苦労様ね」
パチュリー様、と透みきった水のような声が、スカートを翻しつつパチュリーの鼓膜を叩いた。
「パチュリー様、何故このような牢獄に」
地下牢の警備を任されたメイド長の咲夜は、訝しげな表情をそこで止めた。
「小悪魔に入れてもらったのよ、ほら」
「そんな、わざわざ申し訳ありません」
咲夜は僅かに戸惑いを隠しきれないまま、パチュリーの差し出したティーカップに口をつけた。人間の身で真夜中から朝まで警備をし続けてる彼女の体に、紅茶の芳醇な香りと霞むような甘さが広がる。
「ありがとうございます、パチュリー様」
「礼は良いわ、それより例の奴を」
あのものぐさなパチュリー様が、何故わざわざ私に・・・・
そんな咲夜の疑問は、すぐに解消された。要は、通行料代わりのようなものである。
何という変人根性だと咲夜は苦笑しながら、パチュリーを奥に通した。
「幻想郷の鍵を握る少女、ルーミアです」
幻想の覇者を決める少女、ルーミアは小さな独房の中で体育座りしていた。これが幻想郷を大きく左右すると言われても、誰でも阿呆な冗談にしか思わないだろう。
「何故さっさとリボンだけとってしまわないの、咲夜」
目を細めるパチュリーに小さく頷くと、咲夜は音も無く懐のナイフを抜く。そして次の瞬間、銀色の刃が格子の間をすり抜け煌めき、
「・・・・・・・」
ルーミアに当たる直前で、見えない何かにあたり弾かれた。鉱物同士の打ち合う音が、地下牢の廊下に木霊する。
「非常に強力な結界です。三十一の日を越える一時間前になるまでは、何があろうと解除は不可能とありました」
「・・・・・・そう」
咲夜の解説にパチュリーは無愛想に頷くと、小さく口を開いた。
「・・・・・咲夜、休暇をあげるわ」
「・・・・・・え?」
そんな間の抜けた声が出る頃には、既に咲夜の身体は石造りの床の上に倒れていた。
「悪く思わないでね、これしか手は無いのだから」
パチュリーが咲夜の懐を探り、独房の鍵をその手に収める。咲夜はその手を払おうとしたが、最早その身体も意識も鉛のように重く働かなかった。
あの紅茶、毒が・・・・
それに気づくと同時に、咲夜の意識は闇に沈んだ。
「出なさい」
鍵を開けるなり、パチュリーは一方的に声をかけた。ふてくされていたルーミアが、乱暴に顔を上げた。
「いきなり攫っておいて、今度は出ろって何よ」
「お腹、空いてるわよね」
猫のように細いルーミアの目が、宝石と見紛う程に輝き、見開かれた。夜中に攫われて紅魔館に監禁されてから、彼女は何も食べていなかったのだ。別に紅魔館のメイド達が仕事をしなかったのではなく、単に戦闘態勢の形成にかまけて忘れられてたのである。
「お姉さんの言うとおりにしたら、うんとご馳走するわよ」
「そうなのかー?本当にかー!?」
「ええ、だからついてきなさい」
鉄仮面のような表情のパチュリーの後を、ルーミアは小気味良い足取りでついて行った。
第三章
逆月の狼煙
[一]
「あの馬鹿ッ!」
美鈴、苦戦。
その報せを聞き、レミリアは憤怒の色を隠そうともしなかった。空になったティーカップの取っ手が砕けて、陶磁器の破片が深いカーペットの繊維の中に埋もれる。
「脳髄がスープになって耳から出てったの!?部隊の位置を固定し消耗戦に持ち込め。無理に温存して損をするよりはマシよ!」
「し、しかし、接近戦に持ち込まれた場合は?」
「何のための二重回転よ!」
雷神の咆哮にも近い音が、レミリアから発せられていた。自分が直接指揮に向かおうにも、日光に弱い吸血鬼の身では到底不可能に近い。その事実がより、レミリアの血の一滴までを煮えたぎらせた。
「とにかく、今言ったことを直ぐに美鈴に伝えて、良いわね!」
身の竦み上がった伝令は、返事をすることも忘れ逃げるように司令室を後にした。
「・・・・・・・・ッ」
荒い呼吸を何度となく繰り返したあと、ようやく幼い悪魔は息をついた。
「くそ、一体何だと言うの・・・・」
部下の失態。
予想外の苦戦。
全てはあってもおかしくはないこと。
頭で分かったいるつもりでも、レミリアは無性に精神をざらつかせた。
『運命を操る程度の能力』を名乗るものの、レミリアには運命を根本的に変える程の力は無い。そもそもそんなものがあれば、兵士も合戦も不要だ。能力がもたらすのは、簡単な予知夢や虫の知らせ程度である。
ただ苛立ちを抑えられないのか、能力が警鐘を鳴らしているのか。
それは今を生きる本人にも分からず、また後世なってもついに分からず仕舞いである。
[二]
妖怪の戦闘能力を図るにあたって、評価する点は三つある。
一つは、その種族ならば誰もが持つ基本能力。これは知る人も多く、故に妖怪にとって種族を名乗ることは多かれ少なかれ一定以上の意味を持つ。
二つ目は、その妖怪の純粋な戦闘技術、及び体力や知力。鬼の怪力や天狗の速さなど、妖怪の種族に直結することも多い項目である。
しかし、一番危険であり、かつ隠匿が容易なのは三つ目。妖怪個人単体が持つ特殊能力である。
一人一種族の妖怪のそれも同じように扱われるが、面倒なのには変わりない。何しろ、それぞれが全く未知の能力なのだ。八雲紫や風見幽香など、かなり名の知れた妖怪が相手でなければ対策のしようも無い。
『千里先まで見通す程度の能力』
それが椛の能力。
生まれつき備わっていた固有の能力である。
が、それは単に視力が高いことに留まらない。壁を越え、空を越え、あらゆる物を見ることが出来る。
しかし同時に、この恐ろしさを理解出来る者は、未だ幻想郷には、皆無に等しかった・・・・
[三]
門を目前とした回廊内では依然として騒然とした戦いが続くものの、肝心の門自体は驚く程に静かだった。小鳥のさえずりと共に、時折門番兵の欠伸が響く程に。
「暇ねぇ」
「暇よねぇ」
本隊が出払ってる間待機してる門番たちは、そんな気の抜けた会話を交わしていた。最も、泥棒避け程度の兵力以外全て出払っていたのだ。回転陣形をとるのなら、兵士の絶対数は多ければ多い程消耗が抑えられるのだ、防衛を張り巡らした結界類に任せて兵を出すのは真っ当と言えば真っ当である。
が、指揮官の絶対数まではどうしようもない。わざわざ防衛する意味も薄い場所に指揮官を配置する程紅魔館の人材は多くない。結果として、暇を持て余した兵士たちは呑気に世間話にうつつを抜かすのだった。
と、門に寄りかかっていた兵士の一人が、突然言葉を切り顔を上げた。
「あれ?」
「どうしたのよ、いきなり」
「今、何か・・・」
森の方から、音がした。
その言葉を言い始める頃には、無名の門番兵の首から上は、真っ赤な滴りを残して地面に落ちていた。
そしてその相方もまた、悲鳴を上げる前に、喉を鮮血に染めて倒れた。
「隊長、門番の無力化に成功しました」
「了解、このまま突入するぞ」
非情なる暗殺者たち――――半個小隊ほどの白狼天狗たちは、太刀と盾を構えたまま、黙々と門をくぐっていく。それを見咎める者は、最早この場にはいない。
「まさか、こうもあっさり成功するとはな」
天狗たちの先頭に位置する人物。
隊長であるのは他でもない、椛である。
椛は低く、正直な感想を独語したのだった。
根本的な戦術において、椛は何の詭計も奇策も用いてはいない。
大部隊が陽動を行い敵の戦力を惹きつけ、その間に少数精鋭の別働隊が敵の本部を狙う。
俗に『啄木鳥の戦法』と呼ばれる、用兵学において基本中の基本である。
が、大量の罠を少数の部隊で強行突破するのは常識的に考えれば限りなく不可能に近い。
「確かに紅魔館の罠は固い。しかし、だからこそ、そこに付け入る隙があるのでは?」
椛に強いられてるのはおおよそまともな作戦ではない、だからこそ椛はまともに考えることを止めたのだ。
少数の部隊でもって紅魔館本体を襲撃し、ルーミアだけを手に入れ即撤退する。
そんな途方もない奇術のタネは、椛の能力にあった。
椛は自身の『千里先まで見通す程度の能力』でもって、紅魔館周辺の罠の敷設位置の書かれた地図を探したのだ。
仮に非常時になった時、地図が無ければ自分が困る。そんな予測が当たっていたのは、最早言うまでもない。
結果的に椛とその兵士たちは、用兵の常道を越えた奇襲に成功したのだった。
「隊長、館の玄関が閉まっています」
玄関前で、兵士たちの歩みが止まる。が、そこに憂いの色はない。むしろ、静かな勝どきの声が兵士たちの間に流れていた。
「玄関を弾幕で吹き飛ばすぞ、総員弾幕準備!」
紅魔館の吸血鬼。
老いぼれ天狗共。
私の勝ちだ。
椛は悠々と、そして整然と号令を放った。
「撃てッ!」
[四]
「て、」
「敵襲ぅ!!」
突如として吹き飛ばされた玄関扉。その後ろに見えた軍勢を目の当たりにし、エントランスホールに待機していた義務感の強い妖精は、やっとのことで悲鳴をあげた。
「死にたくなければ無様に逃げろ、妖精共!」
椛の鋭い罵声と共に、白狼の群れが、喉笛を切り裂く牙のように騒乱の中へ撃ち込まれたのだった。
辛うじて冷静を保っていた妖精兵は方々の体で逃げ出したものの、その数はごく少数でしかなかった。
理性を持つ生物は、どうしようもない生命の危機に対面し混乱した時、二通りの行動にでる。茫然と死を待つか、意味も無く奇行に走るか。
この惨状もまた、その法則に導かれようとしていた。
狂乱のあまり、槍や剣を振り回し始める者。絶叫をあげながら弾幕を乱射し、味方の妖精をも巻き込む者。失禁しながら座りこみ、何かに許しを乞う者。
しかし単体の戦闘で天狗にかなう筈もなく、そのどれもが『一回休み』になる順番が前後しただけだった。
こうしてほぼ一瞬と形容出来る間に、紅魔館の心臓部は制圧された。
「隊長、館に火を放ちますか?」
「いや、まだ早い」
盾をかざして味方を制止すると、椛は声を張り上げた。
「敵の本隊が帰ってくる前に、ルーミアを確保する!火はその後の置き土産だ!」
椛に下った指令は、あくまで『ルーミアの確保』である。ルーミアさえ手に入れれば、わざわざ紅魔館と正面から戦う必要も無かった。
「奴は地下牢だ、ついてこい!」
「その必要は無いわ」
自らの号令を切った声に、椛は鋭く反応した。が、声の主は身じろぎ一つすることなく、悠然と椛の前に立っていた。
「何者だ。死にたくなければ逃げるがいい」
「逃げる?どこに?ここは私たちの家よ」
彼女は一つ小さな咳をすると、口を開いた。
「居候の魔女、パチュリー・ノーレッジよ」
「居候にしては態度がでかいな」
「伊達に警備員をしてる訳じゃないわ」
パチュリーが手を叩くと、パチュリーの背から一人の少女が踊るようにして現れた。
「なあ、この人たちについてけば良いのかー?」
「ええ、このお姉さんたちが御馳走してくれるわよ」
「その人相は・・・・!」
貴女達の探してる奴よ。
流れるように言いつつ、パチュリーはルーミアを椛の方へ押しやった。
「・・・・・一体何のつもりだ?」
「貴女はルーミアを手に入れて無事帰還できる。私と紅魔館もまた無事でいられる。これで手を打ちましょう」
椛は鼻で笑うと、朱に染まりきった太刀をパチュリーの鼻先に突きつけた。
「私が嫌いなのはな、前線に出もしないで自分だけ助かろうとする屑のことだ」
しかしその表情は、氷で出来た仮面を張り付けたように、色と熱を欠いた笑みであった。
「気が変わった、死ね」
パチュリーもまた、その台詞を鼻で笑う。
彼女自身、そして彼女の掛け替えのない友人の姿を思いながら、パチュリーは言った。
「前線に出たくてもね、出れない指揮官だっているのよ」
誰に対してなのか、精一杯にあざ笑うように言うと、パチュリーは小気味良く指を鳴らした。
瞬間、
「ッ!!」
赤よりも紅い炎と光の渦が、玄関を潜り抜け天狗たちの網膜に焼き付いた。館を包む外壁の一部が、突然爆発したのだ。
「勤労奉仕の大安売りよ・・・我ながら、合流の合図にはぴったりね」
椛がルーミアを確保し、その後文と合流する時の合図。奇しくもそれが狼煙をあげるものであったことは、単なる偶然であった。が、椛は思い切り殴られたような表情をした。
事実、形の無い拳が椛を抉っていた。
「・・・・起爆式の魔法陣だな。まさ、か」
「ええ、あれを紅魔館中に仕掛けてある」
起爆式の魔法陣。結界等とは違い、自動反応を起こすのではなく、制作者の魔術的干渉を受け起動するものである。ようはパチュリーは、紅魔館のありとあらゆる所に爆弾を仕掛けたのだ。
ルーミアを得て敵を討ち漏らすか。
敵の大将諸とも心中するか。
考える以前の問題であった。
「・・・・魔女め!」
「魔女よ」
完全な勝利に限りなく近づいた筈の白狼天狗は、ほんの半寸鼻先のところで、完全な勝利を逃したのであった。
結果だけ見れば、十分過ぎる勝利。
しかし、一人の白狼天狗の自尊心を大いに傷つけるにも、十分過ぎる勝利だった。
[五]
「追っ手は来てますか?」
「いいえ、影も形も」
勝った。
文は一人、深く頷いた。
文の指揮下にある犬走中隊は、既に紅魔館の回廊を離脱していた。
敵が兵士の混乱を避けるため動くのを止めた時点で、あとは遠距離から撃ち合いをしてるだけで、椛のための時間稼ぎは済んでいたのだ。
文は紅魔館から昇る狼煙を確認した後、追撃を受けることも無く悠々と撤退したのであった。
「そろそろ、椛さんとの合流地点ですね」
やはり、自分の目は節穴で無かった。
迷惑そうな顔はされるだろうが、椛も労ってやろう。
文は鼻歌を歌いながら、部隊に待機命令を下した。
そして程無くして、犬走中隊はほんの十数の死者の他には、再び全員揃ったのだった。
「椛さんお疲れ様です」
「・・・ええ」
明らかに心ここに非ず、といった返事に、文は目を閉じ開いた。
「文さん、後の指揮はお願いします」
「え、椛さんは・・・」
返事をすることも無く、椛は中隊の兵士たちの中に消えていった。
「・・・・・・・・・」
疲れてるのか?
いや、違う。
寧ろ、寒気がするほどの殺気に満ちてたような・・・・
文は結局その思考に答えは出さず、そのまま思考を打ち切った。
たった何十行かの文字の羅列から始まった戦いは、たった一個中隊に紅魔館が敗北するという結果から始まりを迎えた。
残暑の日輪の煌めきが、痛々しいほどに幻想郷を照らしていた。
第四章
暗躍者たちの怪演
[一]
「パチェっ!いや、パチュリー・ノーレッジッ!!」
視線、視線、視線。
狭く鬱屈とした紅魔館司令室にある視線の全てが、パチュリーに集約された。
パチュリーはそれに気づきながらも、憮然とした表情を崩すことは無かった。別に憤慨してる訳でも無いが、そんな表情を浮かべるのはある種癖なのだった。
「懺悔の用意は出来てるの、裏切り者!」
「待ってレミィ、話しを聞いて」
レミリアは気安く呼ぶなと言わんばかりに、鋭い視線を送った。
「敵と戦いもせずルーミアを差し出して逃げるなんて、そのどこに弁解の余地があるの」
「あのまま紅魔館に敵を入れてたら、今頃館は灰よ」
「黙りなさいッ」
パチュリーの言ったことは正論である。しかし、故にレミリアは余計に声を荒げた。
「天狗共にルーミアを差し出して命乞いしたなんてしれたら、スカーレット家末代までの恥だわ!」
「私には、つまらない誇りとやらのために、親友を死にに行かせるなんて出来なかったわ」
再び、怒号にも近い叫び声が響こうとした時、冷ややかである同時に温もりを帯びた声がそれを遮った。
「お嬢様、パチュリー様に温情をかけてもよろしいのでは?」
咲夜は今にも爆発しそうな主人に対し、一歩もたじろぐ事すらなく口を開いた。
「あくまで行ったのは紅魔館を守るための行為。しかも昨日までの親友の命を奪ったと知れれば、それこそ当主としての器を問われるでしょう」
すると、レミリアが何か口を開くのを遮るように、頭に包帯を巻いた美鈴もまた口を開いた。混乱を制すため自ら最前線に立ち、弾幕戦を挑んだ猛将もまた、主人の御し方を幾何かは心得ていた。
「お嬢様、元はと言えば館に敵の侵入を許したのは私の失態、パチュリー様を罰すつもりならば、私にも同じ罰を!」
「・・・・・・・・」
教養や知性より、行動を得意とする者の言葉である。が、その不器用さがかえって奇妙な説得力を有していたのだ。
レミリアは、依然として眉間に深い皺を寄せていた。
が、程なくして溜め息を一つつくと、席についた。
「・・・・咲夜と美鈴に免じて、罪は許すわ。しかし、パチェは図書館に謹慎、美鈴は今月の給料は無しよ」
以上よ。
そう言うと、レミリアは部屋を出てくように促した。
主人の前であるにも関わらず、咲夜は柔らかな溜息をつき、美鈴は重々しい溜息を吐いた。
幕僚達がそれぞれの現場に戻り、再び独りのものとなった司令室。レミリアは改めて目の前の書類に目を落とした。
外壁の一部崩落。
一個小隊分ほどの武器の破損。
玄関扉の焼失。
目の前の数字が示すのは、たったそれだけの損害だった。
無論、天狗との戦闘で多くの死者は出た。しかしそれは半日もすれば蘇る妖精であり、ルーミアを奪われた以外には紅魔館はほぼ無傷であった。
しかし、レミリアは形の無い損害を見据えて唇を噛んだ。
たった一個中隊に対しての敗北。
紅魔館に踏み込まれたという事実。
士気の低下は、免れない。
そして何より、それはスカーレット家レミリアの敗北という汚点として、レミリアを抉るのだった。
[二]
「幽々子様、ただいま伝令から報せが」
「もう知ってるわ。スキマで見していただいてるもの」
平伏して、お騒がせしました、とだけ言うと、妖夢はそそくさと客間から去った。
「ふふ、ちょっと可哀想よ」
「良いのよ、減るものじゃないわ」
障子の開け放たれた寝殿造りの畳の上で、幽々子は扇子の先を向けた。
「あなたこそ、自分の作ったものを、自分からどぶに放り込んでるじゃない」
「子離れは必要なものよ」
そう言うと、その人物は指で空をなぞる。
と、その動きに合わせ、歪み湾曲していた空間が閉じていった。
「第一、私以上に幻想郷を愛してる者なんていないわ」
ほぼ全身を紫色で包んであるものの、毒々しさの全く無い道士服。
不安げに揺れるナイトキャップ。
幻想郷の管理人であり、戦いの元凶。
八雲紫は、畳の上で足も組まず伸びていた。
「結局、妖怪の山が勝ったわね」
「そ、そうね」
「勝ち越しね幽々子、今度お酒奢ってね」
幽々子は目の前の友人が、つまみと称して菓子類まで巻き上げることを思い出して、肩を落とした。
「もう、数では圧倒的に紅魔が勝ってたじゃない。賭け損よ!」
「確かに数は多くても、中身が妖精じゃ密度もあったもんじゃ無いわ」
「違う!紫、あなたあの山の天狗の能力を知ってたでしょう!」
紫は半月状に表情を歪めつつ、首を振った。
答えは明らかであった。
「全く、個人の能力で戦局を左右出来るなんて、どこの古戦場かしら」
「それが幻想の戦いよ」
でもね、と、紫は続ける。
「己の能力を最大限利用し、敵の能力に可能な限り対策をとる。そしてそれに沿った最良の用兵をしなければならない戦い」
外の世界のボタン戦争より、はるかに熱くなれるわ。
紫は恍惚にも近い表情を浮かべつつ、一方的に言った。
「自分の能力を知り、優れた用兵でもってそれを利用する。あの白狼天狗こそ、幻想郷で戦うに相応しい。そうは思わない、幽々子?」
無言で、客間に溜め息が漏れる。
この人と出会って一体何百年かしらと、幽々子は心中で呟いた。
「紫・・・私はあと何百年あなたの隣にいても、あなたをわかりそうに無いわ」
「もう、いけずね」
何で戦争を起こすようなことをするのか、それすらも幽々子にはわからない。
妖怪達が本気でぶつかり合えば、幻想郷そのものが壊れてもおかしくないのだ。
本当に私は、八雲紫を知っているのだろうか。
が、根本的な意味ではどうだって良いのだ。
紫は幽々子の友であり、幽々子を退屈させることは無い。
幽々子にはそれで十分であった。
[三]
正午もすぎたころ、ルーミアを連れた犬走中隊は、その無傷振りを見せつけるかのように、山に凱旋を果たした。
この一報は先ず天狗の長老会および守矢神社に伝えられ専制者たちの度肝を抜いたあと、『天狗希望の英雄』なる仰々しい称号付きで瞬く間に広まったのであった。
ルーミアは重要保護対象として、軟禁された。無邪気かつ凶暴な抗議が響いたものの、結局ルーミアには、ご馳走と称するに値する食事は振舞われなかった。
「号外ー!号外ー!」
そんな声を上げる文をひとかけらの迷いも無く締め上げると、椛は文の手の中にあった新聞紙を取り上げた。
「返してください!報道の自由を奪うつもりですか!」
「取材は許可しましたが報道までは許可してません」
椛は、天狗が嫌いだ。半専制主義の階級社会の最下層にはまだ同情の余地はあるが、考えることを止め専制政治の安寧を享受してる点においては、如何なる天狗であろうと彼女の憎しみの対象になりえる。そんな椛が、大衆に媚びるような真似をすることを良しとする筈も無かった。
「第一、私はそういうのが嫌いなんです。浮ついたゴシップジャーナリズムが」
「椛さん」
しかし時として事実が一つとは限らない。
文の両眼が、沈みこむように椛を見据えた。
「詭弁ですね」
「何?」
「私は貴女が紅魔館で何を見たのかは知りません。しかし紅魔館に火を放って無いこと。何故そうしなかったのか私には分かりかねますが、それについてご自身が『勝った』と思えないから、『勝った』と記事にするのが我慢ならない。違いますか」
文を締め上げる右手に込められた力が明らかに強くなったが、文は不敵な笑みを崩すことはしなかった。
「でなければ専制と言う言葉が嫌いな貴女が、自分勝手に圧政を敷くはずもありませんよね」
「知ったふうな口をきくなッ!」
やれやれ、それが素の貴女か、と文は軽く思った。
文の言ったことは、僅かな間違いを孕んではいる。椛が嫌いなのは自分以外の専制である。
無論、文はそれを知った上で煽るためにわざと言い、結局的に椛を激昂させるに至ったのだった。
「あなたは有能な見識を持った副官だと思ったが、とんだ見当違いだったか」
「いいえ、椛さん。今回の功績を広げることには、大いに意味がある筈です。貴女が野望を成就させるために必要な、圧倒的英雄性と支持。如何に愚かでも、民の支持なくしては野望の大成もありえません」
「・・・・・・・・!」
椛は黙って文から手を離すと、顔を背けた。
「・・・・・・取り乱してすみませんでした、文さん」
「『文』で良いですよ」
文もまた、椛に背を向けた。
「貴女は犬走中隊長ではなく、常に犬走椛で有るべきだ」
「・・・・・・・」
わかった。
あまり唇を動かさずそう言うと、椛はその場を去っていった。
「・・・・・・・」
文は椛の用兵家としての実力を見た。
次いで、天狗社会を壊そうとする果てない野心をその眼に見た。
が、柔軟性が足りない。
自分を曲げると言うことを知らない椛をも、文は見たのだった。
奇しくも、記者として生きるためには欠かしてはいけないものを欠いた一面である。
「・・・・犬走椛、」
文を動かすのは、革命の野心でなく、功名の計でも無い。
ただ、一介の白狼天狗がどこまで上り詰め何を思うのか、それに対する好奇心のみである。
「面白いですよ、椛さん」
その立会人となれるなら、骨を粉にし心を砕いてみせようと、文は舌なめずりしながら思った。
・・・・・・しかし文が何故、山についた時点で記事を刷り終えていたのか。
それは長く経った今日においても、多くの専門家の頭を抱えさせている。
[四]
「山が勝ち、悪魔が負けた、のね」
念を押すように永淋は繰り返すと、報告をした鈴仙に向き直った。
「この情勢、貴女はどう見るのかしら」
「私ですか?」
永琳は鈴仙の答えに窮する表情を認めた。今の彼女の仕事は兎達を纏めることであり、戦局を見ることではないのは、任命した永琳自身が知っている。
「やられたのは妖精ですから、実質的に紅魔館に損害はありません。兵の量、質共に最強を誇る、妖怪の山の独壇場でしょうか。」
「及第点ね」
ブレザーを着た肩が、ゆっくりと下がる。
「しかし、貴女の立場を考えるとやっぱり落第ね」
小さい悲鳴が、永淋に次の質問を促した。
「貴女なら、此処から先どう兵を動かすかしら」
どうしょう、まさか兎達の纏め役を追い出されるんじゃ・・・・そんな思考を宙に垣間見て、永琳は口元が緩むのを自覚した。
暫く考えて導き出した答えを、二三度躊躇ったあと鈴仙は小さく口を開いた。
「どの勢力も大した動きが無い今、戦力すら持たない私達は、身の振りようがありません」
「ふむ。まあ、平凡ね」
今度こそ鈴仙は、深く肩を下ろした。
「貴女が目の前の戦局だけでなく、より広い戦略を見ることが出来るか。並み程度には出来て安心したわ」
永淋は鈴仙の返事を待つこと無く、独語した。
「今はまだ、私達の動く時じゃない」
そして永淋は机の患者の処方箋に目を向け始める。
退室しても良いという印であった。
『今は』、その意味が分かってるのだろうか。
今は動かないということは、裏を返せばいつかは動くということに他ならない。
鈴仙自身から、月では非常に戦いなれた兵士だったと聞いたが・・・・
院長室には一人であるのに、永琳はそれを口に出さなかった。
それでも彼女には鈴仙が必要であったのだ。
言ってしまうならば、忠実な道具として。
[五]
幻想郷のあらゆる場所で、陰謀と策謀が蠢いている。限られた個人の間、或いは一個人の中で練られるそれは、例え全能の龍神を以てしても断ち切ることは叶わない。
地底、そして塗りつぶしたような闇の下、地霊殿もまたその例外では無かった。
「ヤマメたちにやらせた作業は終わった。後はあたしたちが出張るだけだな」
「ご苦労様です」
さとりは尻尾の二つある黒猫を撫でながら頷いた。
目の前で勇儀が酒器を呷ったが、さとりは強烈な酒の匂いに鼻をひくつかせただけで、艶やかな微笑を崩すことは無い。
「しかし不思議ですね。鬼と言うものは、策略を嫌うものと聞いてましたが」
勇儀は一瞬呆けた後、爆発のような大声で笑った。
黒猫が空引っかきながら、地面に着地した。
「そいつはあたしの台詞だ!心を読めるあんたが、わざわざ聞くことも無いだろうに!」
サードアイを指され、さとりは声を潜めて笑った。
「あたしを含めた地底の連中に、共通の目的なんて無い。地上に御礼参りしにく奴もいれば、兎に角暇なだけの奴もいる。しかし唯一一緒のところがあるってんなら、それはただ暴れたいってだけさ」
三つの眼が音もなく閉じ、また開いた。
「違いますね」
長大かつ鬼の象徴でもある一本角が、小さく、小さく揺れた。
「『時代を重ねるごとに失われてく戦場・・・時が経るに連れて消えてく、鬼の存在意義」
何かが固く握られてく音がさとりにも聞こえていたが、彼女は意に介すことも無い。
「誰かと戦うことを失った鬼など、失われた幻想の抜け殻に過ぎない。これが生きる意義を取り戻す、最後の機会かもしれない』」
「酒が不味い。帰る」
吐き捨てるように勇儀は言うと、さとりに背を向けて扉の方へ大股で歩き出した。
「一度でもそう思わなかった・・・・そう貴女は断言出来ますか、勇儀さん」
力強く乱暴な足取りが、止まった。
「いや別に、責めてはいませんよ。一種の職業病でして・・・」
勇儀は一言返す事無く、粉々に砕けそうな程に扉を乱暴にしめた。いや事実、扉の蝶番は芯の無い悲鳴を上げていた。
しかし、これだけ言っても勇儀はきちんと役目を果たしてくれるだろう。いや、むしろ迷いを忘れるために、狂おしい程に戦ってくれるだろうと、さとりは確信すらしていた。
「お燐、後は任せましたよ」
さとりはいつの間にかいなくなった黒猫に、そう呼びかけたのだった。
「地上の妖怪共を、今度は私達が地底に封じてやるために・・・・」
そこには、さとりの幼い顔立ちには、恐怖を覚える程不釣り合いな表情が浮かんでいた。
第五章
変革潮流
[一]
妖怪の山。
その名の通り、妖怪のみで構成された一社会のことを指す。
妖怪と称するものの、その八割五分以上は天狗で占められている。
天狗達及び妖怪たちは種族ごとに軍部に統制され、職業もまた種族によってある程度制限される。政治制度は軍部高級幹部達による議会制なのだが、その高級幹部自体もまた限られた種族のみが到達出来る領域であり、殆ど専制政治をとっているのに変わらない。
外来者を寄せ付けず、全体として変化を嫌う傾向にある。しかも有事の際には、程度の差はあれ非軍人でさえ後方任務を任される。下級天狗のそれらへの反感は強い。
しかし、その徹底された軍国主義が、妖怪の山を名実共に幻想郷最強の集団としていた。
先ず筆頭に上げなくてはならないのは、天狗の卓越した戦闘能力である。
ことに速さに関しては殆どの妖怪の追随を許さず、弾幕形成、近接戦闘などあらゆる分野に対応した戦いが出来る。
さらに、非戦闘員までを動員し形成される圧倒的な補給路。
そして妖怪の山自体の地形上の攻めにくさをあわせて、彼等彼女等は無敵を誇った。
山と言う肥沃かつ自然要塞として機能する場所を有しているのも、遥か昔幻想郷の混乱期に、その戦闘能力で手中に収めたのである。
山と聞き、天狗と聞いて、少しの恐れもなさぬ者など、幻想郷には無に等しかった。
しかし
妖怪の山は数百年単位で最強を誇った。
そう、『誇った』のだ。
それが今も、そしてこれからも続くのかは、誰も知らない。
[二]
「・・・・よし、ルーミアの収容は済んだようだ。私は少し休ませて貰おうか」
大本営の真ん中の席から立つと、神奈子は本殿から出た。
後ろに、重苦しい老天狗達の視線を受けながら。
「・・・老獪どもめ」
神奈子は独り呟くと、地平線上に近づきつつある太陽を見据えた。
何故だろう、外界に居たときの方が、あの日を美しく見れた気がする・・・・神奈子は自分の詩的な感想に、自嘲の色を含んだ冷笑を禁じ得なかった。
守矢神社は妖怪の山に賓客として迎えられ、神奈子は軍部の会議に発言権まで持つこととなった。
が、それは表向きであり、実際には守矢の神との衝突を避けた天狗達の譲歩であり、何か言えば少なからず疎まれたのだった。
「神奈子、終わったの?」
目玉のついた奇妙な帽子・・・もとい諏訪子が、神奈子を出迎えた。
「それで、どうしたって?」
「ルーミアを収容したから、あとは籠城戦を決め込むらしい」
「籠城戦、ね・・・・」
正直、神奈子にはあまり自信は無かった。
確かにルーミアを守って戦うのは神奈子にも理解できるのだが、どこか一つに腰を据えると言うのはどうにも神奈子の性に合わなかった。
「神奈子、それはいくら何でも不味いんじゃない?」
曲がりなりにもかつては一国を従えていた諏訪子が、眉を潜めて言った。
「この幻想郷には、外の世界にあるような兵器は無い。でも、それに近いものはあるじゃない」
この時点で、二人の間に一つの人物が浮かんでいた。
地底の太陽、霊烏路空。
彼女のような規格外の火力には、如何に籠城戦を挑んでも無駄であるのだ。
「大丈夫よ、問題ないわ」
神奈子は妖怪の山とその付近の地図を諏訪子に見せると、その南側に指を置いた。
「地底と地上を結ぶ通路、風穴が山の麓にあるのは知ってるわよね?」
「なるほど、ちゃんと監視兵を置いてるのね」
地図の赤は風穴であり、そこに置かれた青が神奈子の配属した天狗達である。
赤印は五つあったが、一つの風穴に対し三つ青を置くことで、散発的な攻撃や一点中央突破など様々な陣形に対し、それぞれの小隊が助け合うことで時間を稼ぎ本隊の到着を待てるのだ。
風穴の地帯を更に南に行けば僅かな空き地が広がるだけで、更に南は針葉樹林の森である。
諏訪子はこれを、何も言われずとも理解出来た。諏訪子の用兵家としての才覚と、長年連れ添ってきた者同士の阿吽の呼吸である。
「そう、なら良いや」
諏訪子は穏やかに微笑むと、渡された地図を懐にしまった。
と、神奈子は辺りを見渡しつつ口を開いた。
「あれ、諏訪子、早苗はどうした」
「早苗なら・・・・」
諏訪子は声を潜めて笑うと、境内に置かれた御柱の一つを指差した。
「そこの柱の影で、一生懸命盗み聞きに勤しんでるよ」
「早苗ぇ!!」
高い叫び声に、巫女服を着た華奢な少女が柱の影から飛び出した。
「盗み聞きとは感心しないな、早苗!」
「神奈子様、私も戦場に出して下さい!」
「二百年早い!」
早苗は人間である。
人間の寿命は、儚く短い。
神奈子はけして、早苗を過小評価してるわけではない。早苗は数多の妖怪を退治してる故に妖怪に関する知識も深く、若さ故に常識に捕らわれない柔軟性に富んだ思考が出来る。
しかし、
「お前はな、守矢の巫女として神社を守る大事な役目があるんだ。如何なる職でも戦場に出ることは許さん」
早苗をこの年まで育ててきた親心が、それを押し潰していた。
「いつもいつもそう言って、神奈子様は私が死ぬまでそう言い続けるのですか」
「ああ、そうとも。お前の骨が風になるまで言ってやるぞ」
神奈子様の馬鹿!
途端にそんな叫びが境内に木霊し、一人の少女が境内から走り去っていった。
「あ、まて早苗!」
「神奈子は良いよ、私が行こう」
すまないな、と神奈子は肩を落としつつ言った。
神奈子が早苗につい言い過ぎてしまうのを、諏訪子が代わりに言って場を収めるのがこの一家の常道なのだった。
神奈子は音の無い秋の風を漂わせ、口を開いた。
「少ししたら、今回ルーミアを確保した部隊への褒章式になる。終わるまで早苗の面倒を見ててくれ」
「大丈夫」
諏訪子は神奈子の肩を叩きかけて、手が届かぬことに気づき苦笑いを浮かべた。
「神奈子は言い過ぎるくらいで良いんだよ、あとは私がやるから」
でも、と諏訪子は続けた。
「あの子だって幻想郷の一員なんだ、後方任務くらいは任せてみても良いと思うけどねえ」
「・・・・・・そうだな、そうかもしれん」
諏訪子は早苗を追うために駆け出した。
その背中を見やりながら、最早早苗も子供でないことに、神奈子は自らの心中に霧の形をした憂愁の影を見たのだった。
[三]
珍しく人気のない神社で、霊夢は溜め息をついた。
今日でもう二桁を迎えた溜め息である。
「・・・・・・・」
霊夢はいつも茶葉を節約するために、季節に関係なく非常に熱く茶を淹れる。
縁側に置かれた緑茶は既に冷め切って、埃が入り始めていた。
「天下の紅白巫女様が全身真っ青とは、明日は雪だな」
霊夢は突然かけられた言葉に反射的に顔を上げた。
「魔理沙・・・・」
「茶を貰いに来た」
「今日は品切れよ」
魔理沙は箒を担いだまま縁側に座ると、冷め切った茶を一口で飲み干した。
「冷めてるというか、温いな」
「・・・・・悪かったわね」
霊夢はまた俯きながら呟くように言った。
「・・・・戦争の事だろ、霊夢」
音も無く空もなく、首が上下した。
「いつものお前なら問答無用で妖怪共を殴りに行くか、徹底して無視するだけじゃないか」
空になった湯呑みを置きつつ、魔理沙は続ける。
「らしくないぜ。ああ、らしくない」
「五月蝿い」
瞬間、湯呑みが空を切り、敷石と口付けを交わして砕け散った。
魔理沙は刹那の間目を白黒させたが、その視界の中央に血走った表情を見た。
「これは異変よ・・・でも、今まであったかしら。自分以外の知り合いという知り合いの殆どが動いてる異変なんて!」
止められる筈も無い。
昨日まで分かり合えてると思っていた、仲間だった筈の彼女達は霊夢の意思など意に介することもなく殺し合うのだ。
如何に博麗の巫女が妖怪に匹敵する能力を有していようと、一人で幻想郷の全てを撃破することなど叶わない。いや、それ以前に完全に退治してしまうには、霊夢は公平を重んずる博麗の巫女として致命的な程彼女達を知りすぎてしまっていた。
霊夢には、幻想郷が滅びかけてる事実を見てることしかできないのだった。
第一、仮に幻想郷が滅ぶこと無く絶対王者が決定したとしても、それは否応無しに妖怪である。絶滅することは無いにしろ、人間の明日は暗い。
「止められるもんなら止めてみなさいよ、魔理沙」
どことなく下がった魔理沙の肩を、両の手で以て揺さぶった。
「止めてみなさいよ、霧雨魔理沙ッ!」
「良いぜ」
魔理沙は殆ど位置のずれてない帽子を被り直すと、縁側から立ち上がった。
そして、本殿の横にある倉庫へ悠然と歩いていく。
「ふざけてるの?」
「私が本気じゃない時なんてあったか?」
魔理沙は倉庫の扉に手をかけたあと、南京錠が掛かっているのに気づき声を上げた。
「霊夢、ここを開けろ」
「開けてどうするって言うの」
「博麗神社の妖怪についての文献を徹底的に洗う」
霊夢は口を開きかけたが、魔理沙は先回りをし口を開いた。
「霊夢、この戦争で最も得をするのは誰だ」
「そんなの、勿論、」
妖怪の誰か、そう言いかけて霊夢の思考は一陣の吹雪に晒された。
妖怪の誰か。
そんな不確定な物のために、八雲紫がこんな戦争を提案するだろうか。
理由を考えるのは簡単だ。妖怪の代表を決め、人間に対し権力を強める。 一枚岩でない妖怪たちをまとめる。
しかし、そのどれも、『妖怪の誰か』には得でも紫や幻想郷には、あまりにも得が無い所か損害が出る。
そう、八雲紫がこの戦争を提案すること自体に、圧倒的な矛盾があった。
「まだあるぜ。そもそも何で勝者を決めるのにルーミアを使うんだ。本能に従って気ままに暮らしてるだけの、何の妖怪かすらわからない奴を」
最早、霊夢の瞳に淀みは無かった。
「・・・・魔理沙」
霊夢は目線を魔理沙から僅かに外しつつ、しかし確かな口調で言った。
「あんたは、幻想郷中を回って協力してくれそうな奴を探して。紫が何を企んでるのか、ルーミアは何者なのか。そこに付け入る隙はある筈よ」
この戦争に存在する裏側を明かす。仮にそれが妖怪たちに不利なものであれば、これ以上の戦火の拡大を食い止められる。
魔理沙の打算を霊夢に伝えるのに、言葉など必要ですら無かった。
魔理沙は形のない溜め息をつき箒を手にすると、霊夢に背を向けて言った。
「もし紫が、とびきり親切な博愛主義者だったらどうするんだ」
「言いふらしてやるわ、在ること三割、無いこと八割」
魔理沙は何も言わずただ満足そうに頷くと、残夏の夕暮れへ飛び立っていった。
妖怪たちの、彼女達の友人として。
彼女達を止めて、顔面の原型が無くなるまで殴ってやろうと、霊夢は独り決心した。
一人の博麗の巫女が、そこにはいた。
[四]
「やっぱり部屋に帰ってたね、早苗」
「諏訪子様」
早苗は膝に埋もれていた顔を上げた。
「嫌なことがあると、早苗はいつも部屋に居るからね。変わらないねえ」
諏訪子は、神社の表とは違う外界作りの部屋を見渡した。白い壁紙に、身長の高い早苗には些か窮屈になったベッド。小学校に上がる際泣きついてきた早苗に、諏訪子と神奈子が両手を傷だらけにしてこしらえた部屋であった。
早苗はふてくされてるのとはまた違う、薄い不満を浮かべていた。
「諏訪子様、私は別に守矢の巫女だから特別扱いしろとは言って無いんです。ただ一介の指揮官としてやらせて欲しいんです」
「早苗、それはもっと無茶ってもんだよ」
あくまでも神奈子は早苗の安全のために言っているのである。
一介の指揮官など余計に無茶な話しでしかなかった。
「そもそも、何で早苗は軍を指揮したいんだい?妖怪退治と軍団を指揮するのは、また違うんだよ?」
諏訪子とて、流石に早苗を前線に出す気は無い。
先ずは理由から攻め、何とか諦めさせようと諏訪子は質問を投げかけたのだった。
そして質問に対し早苗は、刹那の迷いも無く明らかに答えた。
「負けるためです」
・・・・・は?
諏訪子は思わず言いかけて、慌てて咳払いをした。
「早苗、何を酔狂な・・・」
「仮に、もし仮に妖怪の山がルーミアを守りきり勝利したとしましょう」
早苗は一方的に続ける。
「紅魔館にはレミリア・スカーレットがいます。永遠亭には蓬莱山輝夜、地霊殿には古明寺さとり、命蓮寺には聖白蓮、と言ったように」
早苗が上げたのは、幻想郷に存在する、一つの軍団として機能する組織である。
白玉楼や神霊廟に関しては、あまりの兵の少なさが組織と称するより場所とでも称した方が正しい。
「ルーミアを手に入れれば、彼女達がいます。しかし、山には・・・・」
私達神がいる、という答えが、どれだけ愚劣なものか理解するのに、諏訪子はそうかからなかった。
神と言えど、立場は軍部最高議会の一員に過ぎない。議会には一応天魔と呼ばれる議長職があるものの、それはあくまで議長であって最高権力者ではない。
「勝利のあとにあるのは内部分裂、そして山の崩壊です。如何に幻想郷の支配者たる証があっても、相応の力が無ければただの紙ですから」
八雲紫が認めるのは、幻想郷の支配の『権利』であり、言い換えるのならば、『何をしようと八雲紫は口を出さず、また揉め事がある場合には味方をする』程度のものである。しかも、仮にリボンを手にした人物が死ねばその効力も消える。力あってこその権力である不文律は、変わりはしないのだ。
「・・・・・・・」
まさか、ここまでとは。
気づけば、諏訪子の帽子の中は汗で蒸れを起こしていた。
「なら、早苗はこの先どう動くんだね」
「さっきも言った通り、『適当に』負ければ良いのです」
そう、適当に、と早苗は繰り返した。
「戦力を温存し、適当に理由をつけて撤退を行う。こうして最小限の犠牲で負けることで、ルーミアのリボンが山に渡らなくとも、軍事力の差で消耗した他勢力と対等以上に交渉できます。」
諏訪子は一つ、深い溜め息をつくと、汗の染み込んだ帽子を床の上に置いた。
「・・・早苗、最後に一つ聞くよ」
諏訪子の口調は確かなものであったが、その奥には擦れた色があった。
「何故それを私に話して、神奈子には言わなかったの」
「・・・・・・・」
早苗は始めて困ったような表情を見せた。そして子供が怒られたように、小さく口を開いた。
「神奈子様は、言っても聞かないと思います・・・あの方は、軍神だからです。神奈子様に上を見ることを止めろと言うのは、賢しいだけの私には出来ません・・・」
神奈子に悟られることも無く、負ける。
それを目指すが故に早苗は諏訪子に話したのだった。
「・・・・・諏訪子様」
早苗は諏訪子に顔を近づけた。
「・・・・負けたよ、私の負けだよ」
早苗が大人になったのか、私達が老いたのか・・・・諏訪子ふとそんなことを思いながら、山に駐留してる部隊の配置図を早苗に投げた。
[五]
河城にとりは実に忌々しそうに顔を上げると、分厚いゴーグルを額に当てた。
火花と熔鋼にかき消えかけていた呼び鈴が、彼女を呼んでいた。
「・・・・・何だ、雛か」
「何だとはなにかしら」
「何だ以外の何だって言うんだよ」
口では散々に言うものの、にとりは玄関の前に立っていた鍵山雛を招き入れた。
二人は特に種族や職業で接点がある訳でも無いが、暴言を互いに受け流せる程度には仲は良かった。
「最近顔も見せて無かったから、たまにはね」
「あっ、そう!」
にとりは再び煮えたぎる鉄と向き合いながら、ろくに言葉も聞かず返事をした。
強烈な熱気と熔解音の中、喉もやられず話すのは、最早にとりには慣れたことだった。
「つれないわね、あなたの一番の友人が、ここにいるって言うのに」
「鉄とバーナーの事かい?」
にとりはしばらく経ちようやく熔鋼場を離れると、皮の手袋に包まれた手の甲で汗を拭った。
「天狗の奴らめ、河童の英知たる崇高な技術を使って、刀と槍を作れとさ!溶鋼炉に放り込んで鳥鍋にしてやろうか!」
「武器?河童様の力で銃でも何でも作れば良いじゃない」
「使う奴の頭が足りなけりゃがらくただよ」
単に近代兵器を扱うのに訓練が必要なだけなのだが、にとりはそれは天狗の怠慢であることを、どれだけ誰と論じても信じて疑わなかった。
「それで?私でさえ季節外れの戦争で忙しいんだから、厄だって増えるでしょ。雛なんて過労死しないの?」
「過労死するくらいなら、初めから仕事しないわよ」
雛は溜め息をつくと、部屋の端に置かれた、油のこびり付いた腰掛けに身を沈めた。
「えっ、それって・・・・」
にとりはゴーグルを外す手を止め、顔を真っ青にした。
「どこもかしこも厄だらけ。特に山なんて、まるで厄浸しよ」
仕事しろと殴りつけるか、聞かなかったことにして熔鋼に戻るか。
にとりは二三視線を泳がせた後、無言で後者を選んだ。
第六章
崩壊
[一]
東風谷早苗は死にたかった。
それは早苗が十三歳の時である。
母は早苗を生んだ際に命を落とし、父は守矢神社を存続させるために昼も夜働き続け、早苗が四歳の時体を壊して倒れ、そのまま帰らぬ人となった。
が、早苗は同年代の同じ境遇の子供と比べれば、かなり悲しまず済んだ方だった。
親がいなくなったあとには、二人の守矢の神が彼女を育てたのだ。
二人の優しい神との、笑顔の絶えない生活。小学校に入るまで、早苗は貧乏な神社暮らしでも幸せであった。
『小学校に入るまで』、は。
小学校に上がると同時に、早苗は虐められ始めた。
元々、守矢神社の近所からの評価は最低以外の何物でもなかったのだ。
何せ実体化した二人の神が早苗を育てているとは言え、端から見れば二人の女性が一人の娘を育ててるのだ。様々な誤解を受けるのも当然である。
早苗を巫女の修行のために近所の子供達と遊ばせられなかったのも、それに拍車をかけていた。
手当たり次第に持ち物を盗まれ、神社に生活の余裕が無いためにそれを補充出来ずからかわれる。由緒正しい筈の守矢信仰を、怪しい宗教扱いされる。
神の血を引いた証である、人間には皆無に等しい緑の髪。
諏訪子には『草原を吹き抜ける優しい風の色』といわれたそれも、学校では『苔の生えた蛙の色』だった。
しかし、神奈子も諏訪子も、そんなことは露程も知らなかった。いや、知り得なかった。優しく考え深く育った早苗は、いじめにあってることなど一言も話さなかったのだった。
が、何時までも早苗は六歳ではない。早苗が歳を重ねる毎に、いじめは過激なものへ変わっていく。
服の上からわからないように殴られ、僅かでも金を持っていれば即巻き上げられた。声を上げて逃げ出して難を逃れたものの、男子たちに辱められかけたこともあった。
それは早苗が中学に上がっても終わることは無く、早苗の行くところにはどこまでもついてきた。
七年間の間、早苗は既に感覚を失った老人であり、生きながらにして死んでいたのだった。
早苗が自殺をしようとしたのは十四歳の時である。
自分の部屋で首を吊ろうとしていたのを、たまたま部屋に入ろうとしていた神奈子と諏訪子が間一髪の所で止めたのだ。
「二人まで私を虐めるのですか?二人まで私に苦しめと言うのですか?」
早苗は怒りと嘆きをわけのわからぬままに混ぜて、叫んだ。
「私はこんな家に生まれたくなかった!」
洗いざらいをぶちまけられて、神奈子も諏訪子も早苗を怒るようなことはしなかった。
彼女たちは早苗を抱くと、泣きながらただひたすらに謝った。早苗が悪いのでなく、気付けない私達が悪いのだと。
気づけばもう一つすすり泣きが始まり、三つの泣き声は夜明けまで止まなかった。
その日から早苗は学校に行くのを止め、神社で巫女としての修行に専念しだした。
「自分が普通の人間に馴染めないならば、人間以上の存在になってしまおう」
修行に精を出す早苗の脳裏には、そんな自答が焼き付いていた。
故に、初めの方こそ発作的に自殺未遂やリストカットを繰り返してものの、やがてこれまでとは桁違いに力を発揮し始めたのだ。
奇跡の力を得て、巫女としての政略や扇動術を学ぶ度、早苗は自分が肯定されてくのを感じた。
自分は人間でなくてもいい、と。
早苗が十六歳になる頃には、最早早苗は別人のように明るく変わることが出来ていた。
心の底から、守矢神社に生まれ二人の神の巫女であることに誇りを持て、強大な奇跡を操り様々な知識に満ちた早苗は、既に一人前の巫女であった。
が、この二人の神の判断は、親としては正しくとも、神としては自殺行為に等しかった。
数年間早苗の修行につきあうことで早苗は立ち直ることが出来たが、その間にただでさえ少なかった信仰は限りなく無に近づいていた。信仰無しには、神は命を保てない。二人の神の命は、既に風前の灯火であった。
神奈子が幻想郷の存在を知ったのは、そんな時である。
幻想郷行きは、一家の満場一致で決められた。二人は早苗の反対を懸念していたが、早苗はむしろ飛び上がって喜んだ。
人間ではなく、巫女として生きるのが許される世界。それは早苗が十年の間憧れ、恋い焦がれた世界であった。
早苗は幻想郷を愛している。自らの行くところは、それ以外のどこにも無いのだらか。
だからこそ、早苗は戦わんとする。手に入れるのでなく、守るために。自分自身が、また道を見失わないように。
[二]
「文、式典とやらは何時からだ」
「半刻後からですよ、椛」
椛と呼ばれたことについて、椛の白い耳が浮き上がるように動いた。
が、副官ならばこのくらい図太くて良いかと思い、椛は何も言わなかった。
「中隊の連中はどうした」
「今、式まで体を休めてるところです」
ルーミアを確保した功績を認められ、椛は正式に指揮官職に昇格となった。それも大隊長である。戦いから帰ってきた直後ではあるものの、直ぐにその辞令式が行われるのである。
「あまり時間も無いな、寝るのは止めにしておこう」
椛は文に言うと、弛緩させ寝転がっていた体を起こした。
「文、兵士の配置資料を寄越せ」
式典までの間椛は文から渡された紙束に目を通すことにした。
椛の最終的な目的は、妖怪の山の勝利ではない。天狗社会に対する復讐、それ以外の何物でも無いのだ。そのためには、犬走中隊あらため大隊には勝ち、山には負けて貰わなければならないのだ。
椛が勝てば勝つ程椛の力は増し、山が負ければ椛を当てにせざるおえなくなる。そうなれば、どさくさに紛れてルーミアを手に入れるのも、軍の高級幹部をまとめて暗殺するのもどうとでも出来る。
椛が決めようとしたのは、そのための『立ち位置』であった。
あまりに前線に配属されれば犬走大隊の消耗は免れない。椛は僅か一個中隊で紅魔館を実質的に陥落させたが、それは止むに止まれずのことである。数を確保して戦いに臨みたいのは当たり前であり、用兵の常でもあった。
かと言って、あまりに後方にいれば功を逃し、集めた兵士も無駄になる。
前線と後方のちょうど真ん中、前線と戦い消耗した敵を駆逐出来る位置、椛が求めるのはそれだった。利を弄ぶ漁夫たる場所さえ分かっていれば、あとは今回の昇格に乗じて無理やり配属をさせれば良い。
椛は次々と資料に目を通して行きながら、小さく呟いた。
全く、凝り固まった爺連中にお似合いの固まった陣形だな、と。流石の椛も、ここまでの暴言は堂々と吐けなかった。
「隊同士の密度が高いせいで、あまり付け入れる場所が無いな」
椛はそれを、山の外苑部の地図を見ながら言った。
「地底からの軍勢を警戒しすぎて、消極的に配置しすぎてる。もう少し風穴より南側に陣を広げて良いはずだ」
妖怪の山にも、幻想郷の拠点の例に漏れず飛行封印結界が仕掛けられている。荒れた斜面である山において本陣への一点突破を狙おうとすれば、補給は届かず兵士は消耗するのは目に見えている。
ならば、本陣に一定以上の軍を置き、あとは妖怪の山の外側で地の利を利用し遊撃戦または消耗戦に持ち込むべきと、椛は考えていた。
「外側は・・・保留だな」
椛は地図を捲り、次の地図を見ようとして、
「・・・・・・!!」
表情を、凍りつかせた。
その表情は、まるで色が無かった。青白いとか土気色などではなく、まさしく血の色が無いのである。眼は瞳まで引き裂かれんばかりに見開かれていた。
「あった・・・」
椛は、気づいたのだ。いや、気づいてしまったのだ。
山の利点である、荒れた斜面と距離。濃密な兵士たちの壁。
その一切を相手にすらすることなく、本陣とその近くに展開された兵士の全てを全滅させる方法を。
「文、何をしてる、起きろ!」
椛は船を漕ぎつつある文の首根っこを乱暴に掴むと、引き寄せた。
「何をするんですか椛!一体何が、」
「今すぐ全隊員を叩き起こせ、私についてこれない奴は打ち首だ!」
「え、いや、」
「良いから早く!」
文は表情に本物か偽物か、おそらくは本物である涙を浮かべて叫びながら、兵舎に駆けていった。
「何としても式典を前倒しでやらせる。老害共の阿呆のツケを払うのが、私であってたまるか!」
椛もまた傍らの太刀と盾を背に抱えると、風を切って部屋を飛び出していった。
[三]
一人の野心が顔面から色を飛ばした頃、もう一人の才人もまた地図の端を握りしめていた。
「・・・・・・・・」
「早苗?」
神奈子の戦略を説明してからと言うものの、急に黙りだした早苗に、諏訪子は遠い口調で口を開いた。
が、固い表情の早苗から、返答は無い。
「早苗、どうしたの?」
「諏訪子様・・・・!」
早苗は喉を鳴らしながら、とても早い口調で言った。
「神奈子様は今どちらに?今どちらに!」
「神奈子?神奈子なら、今本殿で、式典の準備でもしてると思うけどなあ」
わかりました、とだけ言い捨てて駆け出そうとし早苗を、諏訪子は慌てて巫女服の袖を掴んで―――――袖では脱げるだけなので、裾を掴んで引き止めた。
「一体何処に行くんだい!今は神奈子だって忙しいだろう」
「そんなことは二の次何です、早くしないと!」
「第一、何が起こるんだい?」
「説明してる暇は無いんです、一刻も早く部隊を動かさないと駄目なんです!」
諏訪子は少しだけ口を閉じた。そして少しだけ大きく目を開き、少しだけ強く言った。
「・・・・わかった、早苗を信じるよ」
諏訪子が裾から手を離した次の瞬間には、既に遠くから、ありがとうございます、という言葉だけが響いていた。
「・・・・無茶しちゃあいけないよ、早苗・・・・」
諏訪子は力を抜きつつ、早苗の後を追って歩き始めた。
しかし、一人のうら若き英雄によって、既に式典の時間は早まっていた。
後世、早苗は、この時その先を行けなかったことを、死ぬまで悔やみ続けることとなる
。
[四]
「これより、大隊長への昇格式を始める」
神奈子の厳かな口調によって、式典は始まりを告げた。
始まりはもっと先からの筈だったが、当事者である椛の要望によって早まって行われることとなったのだった。
式典と言うものの、天狗の最高議会の面々と犬走中隊のみと言う、荘厳なのか簡素であるのか分けがたい規模のものだったからこそ、時間を早めることが出来たのだ。
「最高議会議長、天魔殿より挨拶がある」
こういった具合に、何か式典があれば余計なものが混じるのは、幻想郷も外界も変わらない。
椛は隣の文にしか聞こえぬ程に小さく、牙を鳴らした。
そして椛の正座をする足が痺れを感じ始めた頃に、ようやく椛は呼ばれたのだった。
「犬走椛中隊長、前へ」
椛は立ち上がると、小走りにも近いような早さで神奈子の前に立った。
「我々妖怪の山最高軍事議会は、天狗戦線を勇敢に戦い抜いた貴官を、今日付けで中隊長から大隊長に昇格することを決定した。何か、それに対しての言はあるか」
「まだ未熟なる小官に大隊長の栄誉をくださり、恐悦至極で御座います」
誰がそんなことを思うものか。椛は牙を鳴らしかけて、代わりに唇を噛むことでこらえた。
「ですが、諸侯に対し小官のささやかなる願いを聞いていただきたい」
最高議会の面々が、顔を見合わせた。昇格の際に言う、一種のしきたりとしての問いに、突然答え出したのだから。
「如何に大隊長であろうと、小官は天狗のため、山のために戦うことを忘れたくはありません。ですから、小官とその大隊の、最前線への配置を願いたい」
神奈子は意外そうな表情を浮かべながら、老天狗たちの方を見た。
愚か者の世迷い言だ、面倒だから許可してやれ、と言わんばかりに、老天狗たちは低く頷いていた。
「よろしい。貴官を妖怪の山防衛戦線の最前線に配置することを、最高議会を代表してこの八坂神奈子が保証しよう」
隣の文以下、遠巻きに椛を見る犬走中隊の隊員たちは、示し合わせたように一斉にしかめっ面をして椛を睨みつけた。
が、椛は見向きもしない。
「では、貴官に大隊長の証である、紅葉勲章を授与す―――――」
「神奈子様ッ!!」
打ち破られる静寂。
神奈子は声の方向、本殿の入り口の方に振り向いた。
「早苗、お前何でここに・・・」
「神奈子様、今すぐ部隊を動かしてください!でないと、」
早苗が言いかけたところで、二人の守衛の天狗だ真っ先に飛んできて、早苗を両側から押さえつける。が、早苗は必死に振り解こうとしつつ、叫ぶ。
「でないと危ないのです、最悪、妖怪の山が消えてしまう程に!」
「守衛」
冷製さを取り戻した神奈子は、明らかな怒りを込めて早苗を見据えた。
「こいつは式典の邪魔をした、連行しろ」
「神奈子様!?」
「どうやら私はお前を甘やかしすぎたらしい。守矢の巫女であっても、どんな理由があろうと式典を妨害するのは立派な罪だ」
「神奈子様、せめて話しを、」
「特例を認めてはそれは法としても軍としても成り立たない。連れてけ」
神奈子へ手を伸ばす早苗を、守衛が無理やりに引っ張っていく。
式典が、早まってなければ。
もしくは神奈子が、己の権力のままに早苗を贔屓にしていたら。
しかし、歴史に『もしも』は存在しない。在るのはただ、整然と我々を見つめてる事実のみである。
「・・・・・・・ッ」
これしかない。
早苗は呟くと、何か言葉として成り立ってない、ただの音を呟き始めた。
「!!」
直ぐに神奈子は反応はしたが、それを止めるにはいささか距離が有りすぎた。
気づいた頃には、至近距離から一切手加減の無い弾幕をくらい、悶絶する二人の守衛が転がっていた。
早苗は、既に本殿から駆け出し始めている。
「早苗!」
「八坂様」
椛は太刀と盾を背負うと、走り出さんとす直前で口を開いた。
「奴は小官以下中隊が捕らえます。式典に栄誉を増やすまでの間、しばしお待ちを」
椛はほぼ一方的にそう言うと、明らかに戸惑う中隊を叱咤し、風を侮辱するような速さで本殿から出て行った。
[五]
時刻は、既に夜の帳を開き始めている。
日は殆どその姿を隠し、辺りは一面闇に覆われようとしていた。
風穴地帯からさらに南側、あとは直ぐ森に入るこの小さな平地には、戦略的な価値が無い故に天狗たちもおらず、ひっそりと静まり返ってた。
筈だった。
「お空、ついたよ」
火炎猫燐に連れられて、霊烏路空は自身の身体程もある翼を畳み、地上に降り立った。地上を見たことがない彼女は、訝しげな表情を辺りへ送った。
「お燐、地上って、やたら暗いんだね。これなら私のいる地底の方が良いよ」
「地上にも太陽はあるの。あんたと違って、ちょっと仕事したら直ぐ休むけどね」
空は地上を知らない。いや、知らなかった。それは彼女がけして地上に出てはならない存在だったからに他ならない。彼女の一撃は山を砕き、湖を灼き、星を塵埃とするのだから。
「よし、全員出てきたか」
空と燐の姿を見て、勇儀は頷いた。
二人だけではない。
辺りには、血の気に満ちた地底の荒くれ者たちが、所狭しと集まっていた。
いずれも、かつて、そして今も地上にいることを許されない妖怪たちである。
故に風穴には大量の天狗たちが待機し、彼らを見張っていた筈なのだ。が、そんな天狗の姿は今ここには無い。
さとりが勇儀に授けた策は、至って単純であった。風穴を見張られているのならば、そもそも風穴を通らなければ良いのだ。地底には、工場や力仕事に優れた『土蜘蛛』と呼ばれる妖怪が大勢いる。さとりはその全てを動員して、この防御の手薄な場所に新たに風穴を作らせたのだ。天狗に見つかることも無く、空は妖怪の山に核砲撃を放ち、その混乱と夕闇に乗じて、勇儀と地底の荒くれ者たちは大いに暴れまわることが出来る。
「よしお空、行くよ」
「うん!」
無邪気な笑みを浮かべながら、空は右手の制御棒を山の最頂部へ向かって構えた。
初めに狙うは、妖怪の山の本陣。上から爆破してった方が、土石流による破壊効率が良いのだ。
「手加減はするんだよ、一撃で壊す必要は無いんだからね」
「了解!」
制御棒の先端を中心に、この世の物理法則をねじ曲げかねない程の熱量が収束してく。
それは煮えたぎる怒りのように大きさを増し、形を成していく。
そして熱が一つの限界を超えると同時に、地獄の業火は放たれた。
「発射!」
第七章
不毛荒蕪
[一]
空によって放たれた弾幕は、数瞬後には僅かに狙いを外して妖怪の山の上山腹に着弾した。
周辺には敵の本部への進撃を阻むための議会直属部隊、及び議会員達の私兵が駐屯していた。
その半数は核エネルギーが地表に着弾する前に死を認識する事もなく蒸発し、そして残りの半分は地表に着弾した際に拡散した熱により、光を認識した頃には灰も残さずこの世から影も形も無くなった。
核融合弾は地表に着弾後、一瞬にして弾け、その爆風は近くの数個の中継基地を吹き飛ばしたあと、流体の法則に従い茸雲を形どった。完全に燃料を燃やし尽くす核融合であるため燃え残りである放射性物質は出ないものの、空中に拡散した土砂は天へ上り続けた後に重力落下に従って辺りに降り注ぐ。
幸いな事に民間人の住む区域はもっと山の下に位置した。が、それでも大規模な土砂崩れからは逃れられない。
子を残し、一人で逃げようとする母親。
二人の子と妻の上に被さろうとする父親。
この世のものとは思えぬ爆音に目を覚ました老天狗。
恋人を抱き、恋人に抱かれた、まだ若い天狗。
立ち上る茸雲に好奇の目を輝かせた子どもたち。
民間地区の約四割りあまりが、皆等しく土と砂の下に沈んだ。
辛くも無事であった民間人たちと、外部で哨戒をしていた天狗兵たち。
彼ら及び彼女らは、風に巻き上げられた砂の雨の中、崩壊した何かを呆然と見上げていたのだった。
日は既に、沈んでいる。
[二]
地底の面々は、沸き立っていた。
強面の荒くれたちが、皆一様に手を叩き踊っている様は、ある種滑稽ですらあった。
誰もが持参してきた血の色をした酒を飲み、自らを封印してきた妖怪の山に対する罵詈雑言悪口一切を喚き散らし、最後にはざまあみろと言葉を結んだ。
「・・・・・・・・」
が、中には、ほんの数人程には、また違う反応があった。
勇儀もその一人である。
彼女は、別に妖怪の山に恨みは無かった。別に封印されて地底に暮らしてた訳でもなく、寧ろ山には長い間住んでいたこともあったのだ。
最期の最期まで戦い抜くことと、誇りと情を抱いて溺死すること。そのどちらが鬼として正しいのか、勇儀は今になって考えていた。
「・・・・・私、は」
勇儀はゆっくりと、持参してきた瓢箪に口をつけた。
いくら喉を鳴らしても血の味しかしないので、勇儀は瓢箪を放り捨てた。
「お空、第二弾、行くよ」
何はともあれ、地底は確かに勝っていた。一撃で妖怪の山の軍事力、生産力を半分以下にまで叩き落としたのだ。二三撃目を撃ち込めば、後の結果は目に見えている。
燐の指示によって、空は再び構えた。
「もう一発、食らうがいい!」
しかし。
その声は、他ならぬ地底妖怪たちの悲鳴によってかき消されたのだった。
[三]
「・・・・総員、扇状陣形を保ちつつ突撃を開始!」
新たな風穴の、すぐ南側の森。
早苗の引き絞った号令とともに、犬走中隊は突如として森から飛び出し、浮かれきった地底妖怪たちに牙を向けた。
突然の接近戦、そして日がくれた夕闇の中であることが、地底の混乱をさらに加速させた。如何に荒くれであろうと、けして彼ら彼女らは軍人では無いのだ。自ら臨む戦いはあれど、突然の奇襲に対応しうるだけの訓練をしてる筈も無い。
重ねて、地底には定まった指揮官がいないことが完全に負の方向に働いた。
荒くれたちが一枚岩に固まる筈も無いの、でむしろいない方が動きやすくはあるのだが、混乱を収める者がいないのは少なくともこの戦場では致命的であった。
地底妖怪の殆どが逃げ惑う中、犬走中隊の白狼天狗たちは本能と感情の赴くままに、一方的に敵を切り続けた。怒りを抑えることはない、陣形さえ維持出来るならば、猛然と突撃せよ。
そんな指令を出したのは、暫定で指揮官を勤める早苗であった。
そして、最もその指令に従いたいのも、また早苗であった。
「私は・・・いや、私は・・・」
早苗はただ闇雲に守矢の本殿から逃げ出したのではない。守矢神社にいる守衛、もしくは犬走中隊、あわよくば神奈子自身が追いかけてくるのを狙っていたのだ。逃走者が人間であるとはいえ、入り組んだ山で逃走者を見つけるのは難しい。よってすぐ近くの兵士たち、それも一定以上の数を持った部隊が追ってくると考えたのだ。
早苗の目論見は当たり、犬走中隊は追いかけてきた。早苗はある程度まで逃げると、隊長の椛に面会を求め言ったのだ。
地底が新たな風穴を作るであろうこと。
それは見晴らしの良い森の前であろうこと。
敵はそれを使って核攻撃を仕掛けてくるであろうこと。
攻撃は、まとめて戦力を焼き払うために、山がルーミアを手に入れ、本陣に兵を固めたあとにあるであろうこと。
そして攻撃は混乱を狙って日の暮れた後、つまりすぐにあるであろうこと。
その全てを椛に伝えたのだ。
指揮官の交代、及びこのまま地底を叩くことに関して椛は二つ返事で承諾し、犬走中隊は音に遅刻を強いる早さで山を下り、地底を叩いたのだった。
しかし。
早苗は、間に合わなかった。
けして遅かったのではない。
けして早苗の部隊運用が遅かったのではない。
ただ、何処までも厚く高い時間の壁が、そこにはあった。
自分のせいで、二人の神が危険に陥ってる。
自分のせいで、自分の居場所が消えつつある。
「・・・・左翼、右翼に合わせてさらに進撃してください。中央は重ねて突撃を」
しかし、今の早苗は指揮官であった。
怒りも、悲しみもその他一切も深く沈ませ、早苗は指揮を執るのだった。
[四]
「本隊の奴らが退くことを忘れる位なんだ、行き過ぎるな!」
椛は右の別働隊を指揮していた。扇状陣形の早苗とは別に動き、左を担当する文の隊と共に、面に敷かれた兵を前に逃げる敵を追い詰め逃がさないのだ。
椛の用兵は的確かつ好機を逃さない。
怒りに任せ突撃する中央に合わせて、程良く包囲をこなしてるのだ。あまり前に出過ぎても濃密な敵を相手することとなるし、退きすぎれば敵を逃す。そのちょうど真ん中、動き続ける黄金律を正しく守ってるのである。
それは椛の指揮能力もあるが、『千里を見通す程度の能力』用いて戦局を良く見ていることも大きい。
最も、左の文にはそんな能力は無いので、そこは兵力の比重で補っていた。
「・・・・・・くそ、」
しかし、椛の表情は浮かない。
彼女は勝ち、負けているのだ。
他ならぬ、東風谷早苗に。
地底から核攻撃がくるのは、椛にもわかっていた。むしろ、早苗より早くに気づいている。
が、肝心な部分、今日すぐにでも砲撃がくるであろうことは、椛にさえわからなかったのだ。
出来るだけ急いで山の中央から離れる必要はあるが、流石に今すぐは無理だし、こだわる必要も無い。
椛はそう判断し、さっさと式典を終わらせ最前戦、山の最外部に逃げようとしていたのだ。早苗とは違い、神奈子や最高議会には恩も義理も何も無い。故に、それを彼らと彼女らに言うつもりは毛頭無かったが。
早苗を追いかけたのもそんな思惑である。あわよくばそのまま最外部に駐屯し、伝令を議会に送って任命して貰おう、と。
早苗がある程度までは犬走中隊から逃げおおせていたのは、椛がわざと手を抜いてる部分もあったのだ。
自分の手のひらの中で、世界が踊っている感覚。自分が全知全能にでもなったような高揚感。
が、蓋を開けて見れば自分は一歩も二歩も早苗に遅れ、滑稽な道化となって踊っていたのは、むしろ椛自身であった。
一日のうちにパチュリーによって完全勝利を逃し、早苗に全くの遅れをとる。野望に煮えたぎる椛にとって、それは最大級の屈辱であった。
「・・・・畜生!」
今は早苗と共に戦う。
『今』、は。
それが椛の答えであった。
[五]
戦場は収束を迎えようとしていた。
地底妖怪たちは天狗の攻撃を避けるために次々と後退をしていたが、左右両側の部隊によって退散そのものを阻まれていた。故に後ろにしか進むしか道は無かったのだ。
「お空、撃つんじゃない、撃つんじゃないよ!」
戦いつつも退却を続けていた燐は、制御棒を構えた友人を遠目に、金切り声を上げた。空の弾幕が放たれれば、どんなに力を抑えても敵どころか味方まで殲滅してしまう。それは燐ですら例外ではない。
しかし、全く弾幕を撃てず逃げるだけと言うのは、この上も無い恐怖である。無抵抗となる状態は、自らの無力感と絶望を掻き立てるのだ。空は燐の声を聞いたような気がしたが、ただ混乱のままに狙いも定めず弾幕を放った。
爆風と灼熱が命を吸い、弾ける。そこには敵も味方も無く、あるのはただ身を包む業火である。刹那の間、燐はその幻想的なまでの美しさに酔いしれたが、数瞬後には視界まで灰となり、燐の存在そのものが骨も残さずこの世から消えた。
早苗は突然の核による砲撃に即座に対応し、扇状陣形の速度を劇的に緩めた。炎を前に兵士たちが闘争心を欠いたのも、その指令を支えていた。が、混乱に賑わう地底にはそんな戦場の変化を見極めることが出来ず、ただ後退を続けるか、空の弾幕に巻き込まれた。
そして早苗は既に、攻撃を弾幕による遠距離戦へ切り替えていた。どうあがいても、地底妖怪たちはそれ以上逃げられなかったからである。
前と左右を囲まれ後ろに逃げたものの、彼ら彼女らはぶつかってしまったのだ、自らが地上に来た道である、新しい風穴に。
風穴の中までは空戦封印結界も機能せず、空を飛ぶことで楽に行き来出来る。が、全ての妖怪に空が飛べるわけでもない。味方にしがみついて地上にやってきた妖怪たちは、頼るべき味方を見失い立ち往生した。
そこから先は凄惨を極める。
敵に恐れをなし風穴に飛び降り、原型を留めぬ肉の塊になる者がいれば、自暴自棄を起こし単独で突撃し、弾幕の波に散る者。空を飛べる者たちすらその例外ではなく、運悪く空中で味方にしがみつかれた者は、バランスを欠いて穴の横壁に激突しそのまま落ちていった。
「撃ち方、止め」
早苗がその指令を伝えた頃には、既に地上に生きた妖怪はいなかった。
あるのは物言わぬ死体と、死体になりつつあるものだけである。
天狗たちは地底を罵る声と共に、勝どきの声を上げたのだった。
第八章
血の代償
[一]
犬走中隊が地底に勝利を収めたのに、僅かに時刻は前後する。
「!!」
耳をつんざく爆音に、霊夢は慌てて倉庫から飛び出した。まさか博麗神社にまで戦いの余波が来たのか。が、音の遠さに気づき胸を撫で下ろした霊夢は、今度は遥か妖怪の山の光条を見て、腰を抜かしかけた。
「あ、あれは・・・!」
妖怪退治の専門家である霊夢には、あれだけの火力を誇る妖怪は一人しか思い当たらなかった。
「さとりの奴、あんな物まで持ち出したって言うの!?」
幻想郷も、ついに終わりか・・・。
そう思った霊夢だったが、核砲撃が続かないのを見て、首を傾げた。が、すぐにその原因に感づいた。
「誰か・・多分、山の連中が戦ってるんだわ」
その後ランプの油を替えるまで霊夢は夕闇の山を見つめ続けたが、ついに砲撃はなされなかった。
山が地底の妖怪を撃退したのか、地底の妖怪が一撃離脱の下に去っていったのか。考えど明確な答えは出ず、霊夢は取りあえずは考えるのを止めた。どちらにしろ、殺しあっているのには変わらないのだから。
しかし、霊夢は今まで見落としていたことに気づいた。
「そうだ、山には早苗がいるじゃない」
妖怪や、妖怪に絶対の忠誠を誓ってるような者を説得するのはほぼ不可能と言っていい。しかし、山の権力に近く、また普通の人間である早苗ならば、あるいは。戦いに参加する勢力を一つでも減らせれば、霊夢には万歳三唱であった。
「霊夢、帰ったぜ!」
そんな折り、上空から魔理沙の声が響いた。
「アリスを連れてきた、猫の手位にはなるだろ」
「話しは聞いたわ」
アリスは魔理沙とともに着地すると、霊夢を見据えた。
「猫の手位には手伝ってあげる。私もあまり騒がしいのは、好きじゃないもの」
彼女は魔女ではあるが、勢力と呼ばれる物には全く所属しておらず、またその意思を示した事もない。魔女は基本的に、自分の好む分野を徹底的に研究するので、誰かの命や意思で研究をすることは無いと言っていい。むしろ、どこかの勢力に属する魔女が異端なのである。
魔理沙はそれを知り、さらに過去の異変でも、アリスが手を貸す程度の良識を持つのを考えアリスに助けを求めたのだ。
結果的に、元来魔理沙と友人であることもあり、アリスは二つ返事で承諾したのだった。
広く深く、そして散らかりきった倉庫を調べる霊夢には、一人人員が増えるだけでありがたかった。
「ところで霊夢、さっきのやつを見たか」
「ええ、おそらく、山と地底でぶつかってるんでしょう」
「それで、山で思いついたんだが・・・」
頼むわ、と霊夢は魔理沙を見る事なく答えた。魔理沙もまた、任せろと頷く。
最早言葉を交わす必要も無い信頼が、二人にはあった。
「行ってくるぜ、後は任せた」
魔理沙はまた箒を握り直すと、塗りつぶしたような闇の中に飛び立っていった。
「魔理沙・・・・」
あら、熱いのね。
アリスの呟きに、霊夢は拳でもって答えた。
[二]
「師匠・・・・」
鈴仙は、表しようのの無い恐怖を紛らわすように、目の前の人物を呼んだ。
幻想郷が、戦場となる。
鈴仙は永淋から聞き理解していた。
いや、『理解してたつもり』であったのだ。山の崩壊を目の当たりにし、鈴仙はそれを息苦しさを感じる程に知った。
「優曇華」
鈴仙が師匠と崇め、従う人物。
「面白けれど、寒い時代ね・・・」
八意永淋は、そう言って表情を歪めた。そしてその表情は、見る者に厳冬の一陣の風を感じさせるのだった。
「幻想郷のパワーバランスは、今崩れ始めた。いや、既に崩れてるのよ。かつて無い混乱が、動乱が訪れるわ」
永淋の目は、既に鈴仙を見ていない。
自分か、或いはここにない何かを見ていた。
「戦いはたった何日かの間よ。しかし、だからこそ誰もが力を惜しむことも無い。本来何年を要する覇権争奪を、僅か五日でやるのよ、誰も見たことの無い、酷い戦いになるわ」
鈴仙は、永遠亭に住み既に何十年と経つ。しかし、今の永淋の表情と同じものを見た記憶は、ついに無かった。
「永遠亭を灰にするわけにはいかないわ」
永淋はゆったりと、重く鈴仙に顔を近づけた。
「各勢力はいずれここを狙ってくる、補給物資や医療用具を狙って、きっと」
「戦わなければ、生き残れない。それを覚えておきなさい」
生き残ってどうするのだ。
勝った先に何があるというのだ。
鈴仙は思った。
しかし、負けた先にもまた、何も無い。
二十日余りを過ぎた月が、細く暗闇に浮いていた。
[三]
地底妖怪をあまり損害を出すことも無く撃破した犬走中隊は、即座に守屋神社を目指した。闇雲に目の前の核砲撃による犠牲者を助け出すより、守矢神社の大本営に向かい、指揮系統の立て直しと伝令による各部隊への発令をした方が円滑な立て直しを図れると、早苗が判断したためであった。
そこに守矢の神を案ずる、早苗の私情が入っているのは明白であったが、指令自体は正しいので誰もそれを指摘することはしなかった。
むしろ、椛はそれを聞いて手を叩いた。
「どうだ」
一旦早苗と別れ、焼け野原と化した本殿に立ち、椛は問う。文は兵士たちからの報告を椛に言った。
「たった今、最高議会員の全員の死亡が確認されました。」
「そうか」
椛は実に素っ気無く答えた。
事実、椛の心の中は殺風景極まりなかった。
まさか、全員が命を落としているとは思ってなかったのだ。
夢に見るほどにまで憎んだ彼らの死体を拝めると喜んだものの、それらの殆どは顔も分からぬ程に炭であるかそもそも原型すら保っていなかった。しかも、手を下したのは椛ではないのだ。
「・・・・・・・」
これが、本当に自分のしたかった復讐なのだろうか。
牙を鳴らすべき敵を、椛は失ったのだった。
「どうしたんですか、椛」
後ろから響いた陽気な声を、椛は何でもないと一蹴した。
「そんな暗い顔をして、嘘が下手ですね。一人で抱えるのは駄目ですよ」
「五月蝿いッ、お前如きに何が分かるッ!私を哀れむんじゃないッ!」
「私の見た犬走椛は、そんな物のために自分を見失う器じゃありません」
目を剥き牙を慣らす椛に、文は整然と言った。
「過程はどうあれ、それは倒れたのです。椛、貴女が今牙を鳴らすべきは、既に形を失った屍ではないのでは?」
文が何もかもを見通してることに、椛は自分の中を土足で踏み荒らされたような感覚を覚えた。それが余計に椛の怒りを駆り立てる。
「私が最も殺してやりたかった連中は死んだ、なら、私は何を殺せばいい!」
「天狗社会と言う制度その物です」
椛は息を止めた。
「そしてもう一人、東風谷早苗です」
その声は、真っ直ぐではあったものの、辺りに聞く者はいない程には小さい物だった。
しかし、椛の心にはどんな音よりも大きく、真っ直ぐに染み入ったのだった。
「貴女は最高議会とは違う。貴女には山を、幻想郷を手に入れる力がある。そしてその資格がある」
「・・・・・・・」
妖怪の山を、幻想郷を手に入れ、今度は自らを生んだそれらに復讐を下す。
椛の目に、紅玉を溶かしたような色の焔が浮かんだ。
「文・・・・・」
椛は牙を鳴らすと、破顔した。
「文、私についてくるか」
「ええ、貴女が幻想郷を手にする、その時まで・・・」
文は、胸の中で安堵の溜め息をついた。
文は、椛の過去など知りうる筈も無い。が、同じように老天狗達に恨みを抱く者たちの姿は、取材の中飽きる程見てきた。
文からすれば、椛の思考と行動は用兵と戦略以外は子供のそれと同じようにわかりやすいのだ。
それらを以て文は、迷う椛を、文が望んで止まない、歴史を動乱と激動へ導くであろう道へと修正したのである。
安寧よりも鳴動を望む、それが射命丸文であった。
しかし、それは逆を言えば、椛があまりにも妖怪として幼児性を残してることに他ならない。今まで直情的な復讐心だけを糧にしてるか、ただ死んでいないだけかのような人生を歩んできた椛である。しかもろくに人と接したことも無く、親にそれを教えられたこともない。要は、椛は頭脳と肉体だけ成長した幼児であった。
それが椛、そして文の覇道にどんな風をもたらすか、は未だ誰にも分からない。
[四]
僅かに時刻は前後する。
「早苗!」
「諏訪子様!」
椛と別れた早苗は、松明を持った兵士を携え、焼け焦げた木材を避けつつ、小走りで諏訪子に近づいた。
「諏訪子様、お体は?」
「大丈夫、元々この近くにいなくて、さっきここに来たんだ」
そう言う諏訪子の声は、ほんの僅か弱々しかった。
致命傷こそ無いものの、帽子は煤まみれで、全身に擦り傷を作り、さらに捻挫した右足を引きずっている。
諏訪子は運良く、核砲撃の瞬間を目の当たりにし、自らのありったけの力を持って相殺したのだ。最も、それでも満身創痍を免れなかったが。
しかし、諏訪子の弱々しさは、肉体的なものとは若干気色が違った。
「諏訪子様、神奈子様は?」
「・・・・・・・・」
諏訪子は急に下を向くと、黙って早苗の手を引いた。
早苗は口を開こうとしたが、その喉はひび割れた大地の如く乾ききっていた。
何か、何か言ってください、諏訪子様!と、早苗は声にならない声を叫ぶ。 しかし、あくまで人間でしかない早苗に、それを伝える術は無い。
そして、諏訪子の頼りなさげな歩調が、音もなく止まった。
朽ち果てた風と共に。
「・・・・・さな、え・・・・」
辛うじて焼け残った大黒柱の下に、それはあった。
健全な血の色を失い、黒と紅でそれを覆う肌。
持ち主を離れ千切れ飛び、乱雑に転がっている、炭化した左腕。
右鎖骨の下を抉り、無いに等しい呼吸と共に上下する木片。
八坂神奈子と呼ばれ、たった今それが過去形になりつつあるものが、柱に潰されながら最期の呼吸を続けていた。
「神奈子様ッ!!」
考えるより、思うより、慈しむより先に。早苗は神奈子の下へ駆け寄ると、華奢で処女雪のような色の手を、赤黒い鉄色に染まった粘着質の海に沈めさせた。
「ごめ・・んな、さなえ・・・わた、し、が・・・」
「喋らないでくださいッ!」
最早言葉としての形を放棄した悲鳴を上げながら、早苗は両手を若草色に光り輝かせた。奇跡の力、早苗が最後に縋るのはそれしか無かった。
「奇跡の力なら、私の力なら・・・・!」
程なくして、早苗の柔らかな肢体の節々が、紅く汚れた花を咲かせ、裂け始めた。限界を超えた力の放出が、早苗の身体を急激に蝕んでいるのだ。が、神奈子に変化は現れない。
「いい加減にしな、早苗!」
諏訪子は早苗の手を無理やり掴むと、神奈子から離した。
「離してくださいッ!」
「最期に神奈子はあんたに謝ってるんだ!伝えようとしてるんだッ!神の言葉を聞くのが巫女じゃないのか、早苗!」
早苗は叫びを上げて諏訪子を振り解こうとしたが、幽かな呼び声に、動きを止めた。
「さなえ、わた、しが・・・わたしが、おま、えを・・・・きいて、やらなかったから・・・・」
早苗は首を振った。
「違います、私が遅かったんです!」
神奈子もまた、小さく首を振った。
「かくは・・・ちてい、は、どうして・・る・・・」
「地底の軍勢は私が撃退しました、山は、」
刹那の間、視線が虚ろな闇をさまよう。
「本殿以外は全く無事です、神奈子様は何も心配せず身体を治して下されば・・・」
「・・・うそが、へただな・・・」
神奈子は音も無く焼け焦げた右手を動かすと、既に冷たいその手で早苗の両手を握った。
「・・・すまない、ひと、つ、たのむ・・・・」
「何でも言ってください!」
「わたし、が・・・わたしのたち、みがってで・・・こんなになった、やまを・・・」
神奈子は咳き込み、血を吐いた。が、口を開くことは止めようとしなかった。
「せめて・・・・やまの、み、ら、い、を・・・・・」
「た、だ、・・しい、ほうへ、・・・・みちびいて、く、れ」
「わ、た、し、の、・・・さ、、な、、、え・・・・・・・」
完全に熱を失った手が、握る力を失った手が、早苗の手から力なく落ちた。
守矢の土着神、八坂神奈子は、死んだ。
「起きてください、神奈子様」
「早苗・・・・」
「私になんでも投げだして良いんですか」
「神奈子は死んだんだ・・・・」
「そんなこと知ってるんですよッ!」
早苗は壊れそうなほどに握られた拳を、擦り切れるのも構わず灰の中に叩きつけた。
「私の・・・私のせいで・・・・神奈子様は・・・!」
早苗の表情が崩れる。
乱暴に丸められ、ずぶ濡れになり、放り捨てられたように、心も身体も崩れ初めていた。
諏訪子には、何も言うことができない。むしろ、何を言えば良いと言うのだろうか。
「神奈子様・・・・」
『早苗』
『強く生きなよ』
早苗は目を見開き、辺りを見渡した。そして暗がりの中に何も見ること無く、今度は熱を失いつつある神奈子を見た。無論、神奈子だった物が動くこともなかった。
諏訪子が不審そうに声をかけるが、早苗の耳には届かない。
「今のは・・・」
早苗は心在らずと呟いた。
早苗を呼んだ声。
早苗に戦えとした声。
風の音が気まぐれに奏でたのか、早苗の願望から生まれた幻か。
「神奈子様・・・・」
しかし、それが夢か現かなど、早苗には最早どうでも良かった。その正体が何にしろ、それは早苗の意識を確かに覚醒さしめたのだから。
「神奈子様」
早苗は、強くその名を呼んだ。
目に浮かんでいた筈のものは、どこかに消え失せていた。
[五]
「紫・・・」
幽々子は僅かに表情を青く染めつつ、声を出した。
「あんなことばかりやってたら、幻想郷が滅びるわよ?止めないの?」
幽々子の言うことが妖怪の山のことであるのは、最早言う必要も無い。
紫は扇子から僅かに顔を見せた。
「それもまた良いわ」
幽々子は戦慄を隠すことができなかった。
その表情は、ただの微笑みである。まるで、昼下がりの日の当たる縁側で、茶を飲んでいるような。しかし、故に恐ろしいのだった。
「幻想郷は全てを受け入れるのよ」
「『今』・・・は、ね」
山と地底は多大なる被害を出し、戦火は民間人にまで及んだ。しかし、戦いはまだ、最初の日すらまだ消化しきっては無いのだった・・・・・
つづく
これはひどい。
二度言いました。
いい意味じゃないよ?
感覚的におそらく「一つの扉」でしょう。けれど二文目を読むと、どうにもちぐはぐしてる感があります。
二文めって何回読んでも「時代」にたいしての説明ですものね。次の三文目に「その時代」、「物」とありまして
ようやく一文目と二文目がそれぞれそこにかかってんだなとわかるわけですが。まぁブラウザバッカーならもう
この時点でバックですわな。
ありがとうございます。
もうひとつ思いましたのは、その扉が概念上のものか実体のあるものかは判りませんが、もう少し扉自体の
描写(不気味感をあおるとか、神秘感をあおるとか、後々の話の伏線になるような)がほしかった。
ついでに、二行目でざっくり「時代」ときってあるけれど、読み手としてはどういう「時代」なのかさっぱり
なので、三行目で「その時代」とかいわれても欠片の興味もわかないところ。
こーいうのって、自分でなんどか読み返すなり推敲するなりすれば、だいたい気づくはずなんです。
このじてんでもう、書きっぱなし作品なのかな? とか思ってしまうわけで、そうなるともう先々にわたっても
こーいうところが多々あるんだろうな、とげんなりしてしまうわけで。
ただ90kbもの作品を書き上げてしまう情熱だけは見事なもの。次回にきたいしたいろころです。
ストーリーがいきなり勢力争いと画策とか何が面白いのかわからない。
特定のシチュだけをぶっこんでSSって言われても困る。もう少し伏線にしろ細かな設定にしろ書いて読者を引きこませる努力をしたらどうかな?
鏡がないのか鏡を見る気がないのか知らないけど、アンタの思いのままって魅力的とは程遠いよ?不細工なりに小細工しようって気概くらい持つべき。これは一つの話への評価以前の問題。
最近異変物はやり投げが多いなか、これ程まで文章を書くのは素晴らしいと思います。
だから、途中でやめないでください。
私はルーミア好きですし、あなたに期待しています。
他の方の意見などを参考に、楽しい作品を期待します。
頑張ってください。今回は50つけときます。
今後ルーミアがどうなっていくのか楽しみです
続きお待ちしています
野心的な体制の破壊者椛に立会人と言うには些か協力的すぎる文は面白い組み合わせだと思います。
また早苗と椛という、護る者と壊す者の二頂構造が同じ陣営にいる事も今後どのように展開していくか楽しみです。同じ様に社会から迫害を受け一方はその頂に噛み付く事を目指し、もう一方はどん底まで落ちる手前で救われた。一方は際限ない飢えを野心と目的で満たし、もう一方は満たされた愛情を他の者に分け与える。この違いがどのように顕れるのか。
他の皆も魅力的で、完全な負けを土壇場で引き分けにしたパチュリーがこれから先どれだけ椛の勝利に泥をつけるのか。永遠亭の重要性を自覚している永琳はどのように諸勢力の間を渡り歩くのか。あっさり退場したお燐なんかも愛おしく思える次第です。
次回はどうなるか、聖が後方から犠牲を尊く語るような展開になるんじゃないかと恐々としながら期待しています。
そも「命がけの実戦」なら各人が異能を発揮してもいいのではないだろうか?
パチュリーなどの嫌戦派の面々はともかく、レミリアや神奈子や地底組が手段を選ばない
ならもっとエグい手も使うだろうし、幽々子が警戒対象に入らないのは納得しにくいと思う。
こういった話に興味があるかどうか、多少のキャラ崩壊を許容出来るかどうかでかなり評価が分かれそうですね。
ただ東方感が少し薄いかもです。