Coolier - 新生・東方創想話

彗星の約束:流星の願い

2010/06/16 16:41:51
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◆ 

 魔法の森の湿った空気が私の口腔を満たす。
 湿った空気の中に僅かに芳醇な香りが混じっている事に気付いた。
 私はスンスンと犬の様に鼻を鳴らし、目当ての物を探す。
 鼻には自信があったし、茸に関しては造詣が深いつもりであった。
 あいつの店にあった本で読んだ事がある。こういうのを確かトリュフ犬とか呼ぶのだ。
 トリュフ犬は地中に埋まっているトリュフの匂いを嗅ぎ分け、探し当てる事が出来るらしい。 
 流石の私もそこまで鼻は利かない。精々地上に顔を出している茸を探せる程度の能力だ。
 地面を見ながら歩いていると目当ての物が私の目に映った。
 その茸を何本か採取し、帽子の中に詰め込む。それを頭に被ると多少の重量感と湿っぽさを感じた。今日はあいつに茸鍋でも作ってもらおう。
 別にあいつの所に行くのに理由なんか要らないが、特に用事も無しに行くとあいつは不満そうな顔をする。何かしら手土産があれば文句も言われないだろう。
 森の中の空気が一段と湿って来た様な気がした。
 ふと空を見上げる。木々の合間からは濃い雲しか見えない。もうすぐ雨が降るな、と思った。
 雨の日くらい家で大人しくしてても良いのだが、香霖堂で雨に降られれば帰らなくても良い理由になる。
 あいつは雨の中無理矢理私を追い出す様な事はしないだろう。
 そうまでして香霖堂に居座る価値があるのかどうかは判らない。
 でも私は程良く薄暗く静かなあの店が好きだった。指定席の壺の上に座り、お茶を飲みながらゆったりと本を読むのは私にとって至福の時だ。
 いつかあいつから店を乗っ取ってやりたいと思う程に不思議と居心地が良いのだ。
 よし、いつか必ず乗っ取ってやろう。
 そんな事を考えながらしばらく森を歩いていると少し開けた場所に出た。同じ森の住人であるアリスの家の前だ。
 窓から家の中の様子を窺ってみる事にした。魔法の森で二番目の美少女(一番目は当然私だ)の私生活を覗き見るのは割と楽しい。
 優雅にティーカップを傾けながら読書に耽るアリスの姿はどこか由緒ある家の令嬢の様だった。
 私の気配に気付いたアリスと目が合った。
 アリスは「やれやれ」といった感じで読んでいた本を置く。そして面倒臭そうに立ち上がり私が覗いていた窓を開いた。
「よう、アリス」
「……何か用? 魔理沙」
 不機嫌そうに私の顔をジッと見つめるアリス。家を覗かれて不機嫌なのか、それとも読書の邪魔をされて不機嫌なのか。まあ両方だろう。
「いや、別に用は無いんだが。お、そうだ。茸要るか?」
 帽子の中に詰め込んだ茸を自慢げにアリスに見せてやる。が、アリスはそれに全く興味を示さなかった。
 アリスは森に住んでいるクセにあまり茸には興味を示さない。茸に関心が無いなんて正直かなり変な奴だと思う。
「要らないわよ。用が無いんならお茶でも飲んでいけば?」
 ここは普通『用が無いなら帰れ』と言うべき所だ。この場合は『アンタどうせ暇なんだから茶でも飲んで行け』と言う事なのだろう。
 好意的なのか何なのか良く判らない所にアリスの複雑な乙女心が垣間見える。相変わらず可愛い奴だ。
「悪いが遠慮するぜ。これから香霖堂にでも行こうと思ってな」
 アリスは「そう」と素っ気ない返事をし、木々の合間に見える空を見上げた。少し残念そうな顔に見えたのは私の都合の良い思い込みだろうか。
「今日は雨が降るわよ?」
「知ってるぜ。土砂降りなら泊まりになるかもな」
「……前から聞きたかったんだけど」
「ん、何だ?」
「魔理沙と霖之助さんってどんな関係なの?」
「あー?」
 随分と素っ頓狂な質問をしてくれる。だがアリスの顔は至って真面目だった。
「どんなって、そんなの決まってるだろ。……そういやどんな関係だったっけ?」
「私が聞いてるんだけど」
 アリスは「呆れた」と言わんばかりに溜息を吐く。
 そんな事は今まで考えた事も無かった。どんなと聞かれても困る。
「あー、幼馴染って所かな。多分」
「ふーん」
 満足行く答えではなかったのか釈然としない表情のアリス。釈然としないのは私の方だ。実に変な質問をしてくれたものだ。
「何でそんな事聞くんだよ」
「だって、魔理沙と霖之助さんって妙に仲が良いじゃないの。幼馴染とか友人とか言うよりはずっと」
「普通だぜ。それにあいつは霊夢とも仲が良いぜ」
 そうだ。あいつは霊夢と仲が良い。もしかしたら私とより仲が良いのかもしれない。
 霊夢が博麗の巫女だからか優しくしているのだろうか。それとも……。
 別に私だけが特別な存在と言う訳ではないのだ。そう思うと何故かちょっぴりだが腹が立った。本当にちょっぴりだが。
「ま、別にいいわ。変な事聞いてごめんね」
「いいけどさ。んじゃ、またなアリス。今度晴れたらデートしようぜ」
「何言ってんのよバカ!」
 アリスは窓を勢い良く閉め、そっぽを向いてしまった。本当に可愛い奴だ。
 さて、ここから香霖堂までは目と鼻の先だ。雨が降り出す前に余裕で行けるだろう。
 私は箒に跨り、暗く重い雲が掛かった空へと飛び上がった。





 窓の外からポツポツと雨が降る音が聞こえ始めた。
 晴れの日でも暗い店内は曇天や雨天では尚の事暗くなる。自然光での読書は困難と判断した僕は机の上のランプに明かりを灯した。
 明かりを確保し読書を再開しようとしたその時、店のドアが勢い良く開かれた。誰が入って来たのかは見なくとも判る。
「ちくしょう、参ったぜ。まさかあの僅かな間で急に降り出すとは……」
「やあ魔理沙。ほら、これで体を拭くといい」
 魔理沙に向かってタオルを放り投げる。
 雨の日は念のため乾いたタオルを用意する事にしていた。何故なら霊夢や魔理沙が態々濡れながらやって来る時があるからだ。
「要らないぜ」
「駄目だ。ちゃんと体を拭かないと追い出すぞ」
 そう言うと魔理沙は「ちぇっ」と言って不機嫌そうな顔でゴシゴシと体を拭う。
 商品が濡れるのも困るが魔理沙を濡れたまま放っておいたら風邪を引いてしまう。魔理沙はそう言う所に無頓着で困る。
「拭いたぜ。これでいいだろ」
 魔理沙はそう言って僕にタオルを投げ返し、いつもの指定席の上に腰を下ろす。そう言えばあの壺の中には何が入っていただろうか。
「それで、今日は何の用だい?」
 この質問は魔理沙や霊夢にはあまり意味が無い。彼女達は理由も無くこの店にやって来るのだ。そして何をするでもなく一日を過ごす。
「おう、そうだ」
 魔理沙は壺の上からピョンと飛び降りると被っていた帽子を僕に差し出して来た。
 帽子の中を覗き込むと色とりどりの茸が何本も詰まっていた。
「前から思っていたんだが、君は帽子とポケットを混同してやしないか?」
「こんなに空間があるんだから使わなきゃ勿体ないだろ」
 成る程、魔理沙らしい尤もな意見だ。とは言え真似をするつもりは全く無いが。
 良く見ると魔理沙の頭のてっぺんには土が付いていた。茸の土くらいちゃんと払ってから頭に乗せろと思った。言っても無駄なのでいつも思うだけだ。
「僕に茸鍋でも作れと言いたいのか?」
「お、良く鍋だと判ったな」
 魔理沙の頭に着いている土を払いながら言うと、彼女は嬉しそうに笑う。
 良く判るも何も茸なんて焼くか煮るかのニ択しか無いではないか。トリュフとか言う茸は生のままスライスして料理に掛けたりするらしいが。
「これは全部食べられるんだろうな?」
「毒があっても煮込めば大丈夫だろ」
 大丈夫な訳が無い。だが茸に関しては僕より魔理沙の方が詳しい。
 彼女なりの冗談だと思いたかったが、以前妖念坊とかいう毒茸を食べさせられたのを思い出した。まあ、仮に毒キノコが混じっていても流石に死に至る様な物は無いだろう。ここは魔理沙を信用しよう。
「まあいい。この量なら三人で食べるには充分だな」
「三人? 私とお前以外に誰が居るんだ?」
「霊夢に決まってるじゃないか。そのうち来るだろう」
「あいつが態々雨の中来るものか」
 魔理沙は口を尖らせながら言う。
 自分だって雨の中態々来ているではないか。それに以前、霊夢はびしょ濡れになりながらも梅霖の妖精を退治してくれた。
 実際に来るかどうかは判らないが、もし霊夢が来て「私の分が無い」と文句を言われても困るので作っておくに越した事はない。
「大体香霖は霊夢に甘過ぎるぜ」
「普通だよ」
「いーや。甘甘だぜ。甘くて死ぬぜ」
 別に死にはしないと思う。それに甘くて死ぬとは一体どういう状況なのか。
「どこが甘いって言うんだい」
「タダで服作ってやったりしてるじゃないか」
「おい、アレはタダじゃあないぞ!?」
 僕が無料で仕事を引き受けると勘違いされては困る。ここはハッキリとさせておく必要がありそうだ。
「霊夢の服やお祓い棒も、君から引き受ける仕事だって全部ツケだからな! その内ちゃんと払ってもらうぞ!」
「そんな事言ってるけどさ、霊夢から代金を徴収してる所なんて見た事ないぜ」
 一体どの口で言っているのだろうか。彼女達から代金を請求した所で払ってくれる訳が無い。
「ならば今は君に請求しよう。そういえばいつだったか持って行ったコンピュータの代金もまだもらってないぞ」
 そう言うと魔理沙は何も言わず僕が抱えている帽子を指差す。それが代金だと言わんばかりに。
「茸くらいで帳消しになるか!」
「ちぇっ。香霖はケチんぼだな」
「商売人としてはケチどころか甘過ぎると反省してるよ……」
「そりゃあ、甘くて死ぬな」
 魔理沙のその台詞に僕はハッとなった。そうか、甘くて死ぬとは商売が立ち行かなくなって死ぬ事を言うのか。……って、冗談ではない。
 僕は深く溜息を吐き、茸の詰まった魔理沙の帽子を持ってお勝手へと向かった。
 全く、魔理沙に構うとロクな事にならない。本当に厄介な奴だと改めて痛感した。






 私はいつもの指定席の上に座り、本を読む。
 外の世界の本は意味の判らない事ばかり書いてある。あいつ自身この本の内容をどれだけ理解出来ているのだろうか。
 しばらくパラパラと本のページを捲っていると、お勝手の方から良い香りが漂って来る。そろそろ鍋が出来る頃合いか。
 外から聞こえる雨音は徐々に勢いを増していた。
 流石の霊夢もこの土砂降りの中を飛んで来たりはしないだろう。
 そう言えば霊夢は何をしに香霖堂に来ているのだろう。あいつも何をするでもなくお茶を飲み、香霖と他愛の無い会話をするだけだ。
 あいつもこの店が居心地良いのだろうか。ひょっとしたら霊夢は香霖の事が好きなのだろうか。
「霊夢が? 香霖を? ……まさかな」
「何がまさかなんだい」
「うぉっ、急に出て来るなよ」
「ここは僕の店だぞ。急にだろうが何だろうが出て来るさ」
 湯気の立つ鍋を抱えた香霖が不思議そうに私を見ていた。エプロンと鍋つかみをした姿が妙に似合っている。案外主夫に向いているのかも知れない。
「何でもないぜ。それより早く喰わせろ」
「はいはい」
 香霖は茸汁を器に取り分け、それを私に差し出す。スープの良い香りが私の鼻孔を擽る。
 熱々の汁に「ふーふー」と息を吹きかけ、一口啜る。
 茸の旨味が溶け出した濃厚なスープが舌の上を滑り、喉の奥へと落ちて行く。
「美味い」
「僕が作ったんだ、当然さ。それに君の好みに合わせてあるからね」
 こいつとは私が物心つく前からの付き合いだ。私の好みくらいは知っていて当然だ。
 それに霊夢が来る事を想定していたのに私の好みに合わせてくれた事が少し嬉しかった。
「やはり独り者は料理が上手くなるんだな。何なら私が香霖を嫁に貰ってやってもいいぜ?」
 その言葉に香霖は箸を止め、実に不満そうな顔で私を見る。私は香霖をからかった時のこの不満気な表情が少し好きだった。
「嫁だぁ? それは僕が言う台詞だろう」
「ほう、じゃあ私を貰ってやるって言ってみろ。貰われてやるぜ」
「要らないよ」
「今ならお買い得だぜ」
「買わないよ」
 鰾膠もない奴だ。霊夢だってこんな奴の事を好きになる訳が無い。どんな女だってこんな男を好きになったりするものか。
「お前って、一生結婚出来ないタイプだよな」
 そう言ってやると香霖は少しムッとした表情を見せた。ひょっとして気にしていたのだろうか。
「出来ないんじゃなくてしないだけだ。僕には必要無いよ。そういう魔理沙だって嫁の貰い手が無いんじゃないか?」
「私はほら、可愛いから」
「はいはい」
 香霖は呆れた様に相槌を打ち、スープを啜った。
 こいつは女を見る目も無いんだ。私が貰ってやらなくちゃ結婚なんか絶望的だ。今に焦ってこいつの方から私に言い寄ってくるに違いない。
「だからさ、行き遅れたら私が貰ってやるから安心しろ。勿論この店ごと貰ってやるぜ」
「店ごとだって? 冗談じゃない。それに行き遅れたらって、君の方が先に嫁に行くに決まってるだろ」
「あー? 私が誰の嫁に行くんだ?」
「知らないよ。でも親父さんだってもう年なんだし、早く孫の顔を見せて安心させてやっても……」
 まただ。こいつは事ある毎に実家の話を持ち出す。私はもう霧雨の家とは関係無いと言うのに。
 私の顔が余程不機嫌そうに見えたのか、香霖は思わず口を噤んでいた。そして黙ったまま私の顔を見つめている。
「……何だよ」
「魔理沙。一度実家に帰ってみてはどうだい?」
「な、何でそんな事言うんだよ!?」
 こいつは私の味方だ。味方の筈だ。そう思っていた。実家を飛び出した後も色々と世話を焼いてくれた。
 だがこいつは霧雨の家に恩がある。私と実家のどちらの味方かと言えば、結局は実家の方なのだ。 
「親父さんだって、君の事を心配している」
「そんな訳無いだろ。私を勘当した奴だぞ」
「子供の心配をしない親なんていないよ。親父さんはいつだって君の事を……」
「やめろよ」
 そうだ。何だかんだ言ってこいつは私の事を“霧雨家”というフィルター越しにしか見ていないのだ。私個人の事を見てはいないのだ。
 世話を焼いてくれるのも、優しくしてくれるのも霧雨家の娘、恩人の娘だからだ。私の世話を焼く事がそのまま親父への恩返しに繋がるからだ。
 きっとこいつにとっては霧雨魔理沙個人の事などどうでもいい事なのだ。そう考えると無性に悔しく、惨めな気持ちになって来た。
「私はもう、霧雨の家とは関係無いんだ……」
 ならば、香霖が霧雨家と関係の無くなった私に優しくしてくれる理由は最早無いと言う事だ。
 私の世話を焼くメリットは全く無くなる。後に残るのは家出娘への憐れみだろうか。
「関係無い、ねぇ。だったら何故まだ霧雨の姓を名乗っているんだい?」
「それは……」
 同姓同名の奴など里にはいくらでもいるではないか。私が霧雨姓を名乗る事に問題は無い……筈だがやはり心の奥底に未練があるというのだろうか。名前を考えるのが面倒臭いという理由もある。
「だったらさ、お前の嫁になれば森近魔理沙になるな。ちょっと、いや、かなりダサい名前だけど我慢してやるぜ」
 香霖は静かに私の顔を見つめ、溜息を一つ吐いた。
「……魔理沙、僕は君を嫁には貰えない」
「私がお前を貰ってやるって言ってんだぜ」
「魔理沙。この際だからハッキリと言っておくが、僕は君と恋人とか夫婦とかそう言うものにはなれない」
 明らかな拒絶の言葉。その言葉に胸がギュッと締め付けられ、頭の中がカーッと熱くなるのを感じた。
「ハッ! そうかい。恩人の娘は恐れ多くて嫁に貰えないってか。お前は腰抜けだからな。だったら親父がくたばるのを待つか?」
 勢いに任せ心にも無い言葉が口を衝いて出る。自分でも何を言っているのか良く判らなかった。
「いい加減にしろ、魔理沙」
 声こそ荒げてはいないが、その声にはハッキリと怒気が混じっている。
 腰抜けと言われた事に腹を立てたのか、それとも恩人である親父がくたばればなんて事を言ったからか。ともかくこいつがこんな風に怒るなんて珍しい事だった。
「君が恩人の娘だからとか、そういう事を言っているんじゃない。僕は……」
 香霖はそこで言葉を濁らせ、私から視線を逸らした。
 その視線の先には壁に立て掛けられた一振りの古い刀があった。以前私がくれてやった鉄クズの一部だった物だ。あんな物がどうしたと言うのか。
 私はポケットの中のミニ八卦炉を握り締める。あの鉄屑と引き換えに補修してもらった宝物。それを握る手が僅かに震えているのを自分でも感じた。
「とにかく、僕も親父さんも君が心配なんだよ。今はまだそれでいいかもしれない。しかしあと数年もしたら君も大きくなるし、親父さんも年を取る。いつまでもフラフラしてる訳にも行かないだろう」
「フラフラなんかしてないぜ。私はいつだって真っ直ぐだぜ」
 流石に居た堪れなくなった私は帽子を被り直し、香霖に背を向けた。
「待て、何処へ行くんだ?」
 香霖が私を呼び止める。
「何処って、家に帰るに決まってるだろ。家って言っても当然魔法の森の家だからな」
「外は土砂降りだぞ。せめて止むまで……」
 こう言う時は黙って行かせてくれた方がスッキリするものなのに。本当に気の利かない奴だ。
「じゃあな。茸全部喰えよ」
 私は香霖の言葉を遮り、店の外へと飛び出した。冷たい雨が頭を冷やすのに丁度いい。
 この分だと暫くあいつの顔は見れない。そう思うと酷く寂しい気持ちになった。
 雨が頬を伝って流れ落ちるのを感じた。今日の雨は冷たい筈なのに、それは何故か妙に生温かかった。 






 一週間近く降り続いた雨が漸く明けた。
 外は青天のようだが店の中は相変わらず薄暗い。だが僕も魔理沙もこの薄暗さが好きなのだ。
 流石に顔を出し辛いのか、あれから魔理沙は一度も店に姿を現さなかった。
 まあ魔理沙の事だ。そのうちケロッとした顔でやって来るだろう。
「…………」
 手元の本に視線を移すが、その内容は全く頭に入って来なかった。
 僕はこの間の魔理沙との遣り取りを思い返す。
 時が経てば人は年を取る。
 霧雨の親父さんだっていつかは年老いて死んでしまう。まだ幼い魔理沙だってそうだ。
 半分は人間とは言え、僕と普通の人間との時間の流れは大きく違う。僕は魔理沙が年老いて死んで行く姿を見守らなければならないのだ。
 魔理沙に限らず人間の女性を妻に娶ると言う事はその死を見届けなければならないと言う事だ。
 仮に子供が出来たとしてもいつまでも容姿の変わらない父親に恐怖を覚えるだろう。僕が人間と結婚するという選択肢は始めから無いのだ。
 僕と魔理沙の付き合いは長い。お互いの事を知り尽くしている。
 魔法の森で暮らし、人里に近付かない魔理沙は僕以外の男性と接する機会が皆無だ。
 流石の魔理沙もそろそろ色恋沙汰に興味を持つ年頃だろう。そんな時に側に居る男性が僕だけというのも問題がある。
 付き合いの長い僕に対する友愛の気持ちを恋愛感情と勘違いしてしまうかもしれない。
 そうなる前に人里に帰ってもらい、普通の人間と普通に恋に落ち、普通に結婚してもらいたいと言うのが僕の本音だ。
 親父さんに「魔理沙を頼む」と頭を下げられた手前、彼女には幸せになってもらわねばならない。
 それに魔理沙が僕の事をどう思おうと、僕にとって魔理沙は家族の一員の様なものだ。恋愛など成り立つ筈が無い。
 もし魔理沙が僕の事を男性として好きだと言うなら突き放すしかない。一時は傷付くかもしれないが結果的にそれが魔理沙の為なのだ。
 そんな事を考えていると店の扉がカランカランと音を立てて開かれる。ほら来た。
「霖之助さん、居るかしら」
「……ああ、アリスか。いらっしゃい」
「何か残念そうな顔していない?」
 そんな露骨に顔に出ていただろうか。それとも霊夢ではないが女の子は皆鋭い感でも持っているのだろうか。
「そんな事はないさ。それで今日はどうしたんだい?」
「この前頼んでおいた生地は入荷しているかしら」
「ええ、少々お待ちを」
 無縁塚では幻想郷に無い珍しい布地が手に入る。
 仏が身に付けていた衣服だったり鞄だったりぬいぐるみだったり色々だ。
 死体から服を剥ぎ取る様であまり良い気分ではないが、遺体を燃やすには服を脱がした方が都合が良いし、再利用してやった方が仏も喜ぶだろう。
 勿論アリスには元は遺体から剥いだ服だった事は言わない。彼女ならそれを言った所で別に気にも留めないだろう。多分。
 アリスは布地の感触を確かめ、何か納得した様に頷いた。
「ありがとう。はい、代金」
「毎度有難う御座います」
 アリスはちゃんと代金を払ってくれる有り難く貴重な存在だ。これからも良好な関係を築いて行きたいものだ。
「そう言えば、魔理沙の茸料理は食べたの?」
「茸料理? 一週間前の茸汁の事か? それは僕が作ってやったんだが」
 アリスはキョトンとした表情で僕の顔を見つめる。
「一週間前? 三日前じゃなくて?」
「三日前? 魔理沙はここ一週間来てないよ」
「なぁに? ひょっとしてまだ魔理沙と仲直りしてないの?」
「……待ってくれアリス。一体何の話をしているんだ?」
「聞いたわよ。魔理沙とケンカしたんでしょ?」
 ケンカと言う程のものでもないが。魔理沙が愚痴でもこぼしたのだろうか。
「でも変ね、ここ数日家に居る様子が無かったからてっきり香霖堂に来てるかと思ったのに」
「アリス」
「なに?」
「魔理沙はこの一週間ここには来ていない」
「そうなの? おかしいわね。魔理沙が言ってたわ、『香霖に悪い事したから私の茸料理でも喰わしてやるぜ』って」
 魔理沙の口調を真似るアリスが何だか新鮮だった。しかし流石に全然似ていない。魔理沙には欠片も無い上品さがあるからだろうか。
「それで魔理沙は何処に行ったんだ?」
「え? 三日前に会った時は山に行くって言ってたわよ。森より良い茸が採れるって」
「ふむ、山か」
 山とは当然妖怪の山の事だ。まさか三日も山で茸を探しているなんて事は無いだろう。家にも居ないとなると博麗神社か紅魔館の大図書館だろうか。
 幾らなんでも実家に帰ってるなんて事は無いだろう。それにしても流石に少し心配である。
「ん、ちょっと待ってくれ」
 窓から差し込む光が一瞬何かに遮られた様に見えた。僕は何か嫌な予感がするのを感じた。そう、この感じは……。
 僕は素早く窓際に近付き、思い切り窓を開け放った。そして一歩横に身を躱す。
「霖之助さん、どうしたの!?」
「アリス、窓に近付くな!」
 窓を開けたのとほぼ同時に、上空から何かが高速で店内へと突っ込んで来た。そして床の上で一度勢い良く跳ねた後、バサリと落ちた。
 あと一寸遅かったら窓のガラスは無残に砕け散っていた事だろう。
「あら、これ天狗の新聞だわ」
 床に落ちた新聞をアリスが拾い上げる。
 僕は窓から顔を乗り出し、香霖堂の上空を舞う影に向かって叫んだ。
「文! いい加減に窓から新聞を投げ入れるのは止めてくれ!」
「あやややや。店主さん、勘が鋭くなりましたねぇ」
 上空から文が降りてくる。悪怯れた様子は微塵も感じられない。
 どうでもいい事だが下着が丸見えだ。この天狗には恥じらいと言うものが無いのだろうか。まあ、恥じらいなんてあったら厚顔無恥で無神経な新聞記者など務まらないのだろう。
「今まで割ったガラスの代金もそのうち払ってもらうからな」
「タダで新聞持って来てあげてるんだからいいじゃないですか。お店の広告だって載せてるし……」
「だからって窓を割っていい理由にはならないだろう」
 そもそもこの新聞が有料だったら契約していなかっただろう。
「り、霖之助さん……」
 新聞を広げていたアリスが震えた声を出す。
「ん、どうしたんだいアリス」
「ねぇ文、この記事……山で地滑りがあったって本当?」
「本当ですよ。この所の長雨で緩んだようで。結構大規模な地滑りが起きたんですよ」
「……文、地滑りが起きたのは何日前だい?」
「えーと、三日前ですね」
 地滑りが起きたのが三日前。魔理沙が山に向かったのも三日前。
「まさか、巻き込まれた? いや、あの魔理沙に限ってそんな事は……」
「でも霖之助さん、そのまさかの可能性もあるんじゃ? だって三日も音沙汰が無いなんておかしいわ」
「魔理沙さんがどうかしたんですか?」
 魔理沙がこんな事故に巻き込まれるとは考え難い。ミニ八卦炉だって持っている筈だ。しかしアリスの言う通り万が一と言う可能性もある。
 それに僕の所為でおかしな行動に走った可能性もあるので少し後ろめたさもある。
「文、すまないが僕を地滑りの現場まで連れて行ってくれないか?」
 出来れば霊夢やアリスに任せたい所だが、今回ばかりは僕も動かざるを得ないだろう。
 傍観に徹して最悪の結果になろうものなら悔やんでも悔やみきれない。そうなったら親父さんにも会わせる顔が無い。
「えー、まだ新聞配達の途中なんですが。それに私自ら部外者を山に入れるのはどうにも体裁が……」
「これまでの窓ガラスの代金を帳消しにしよう。どうだい?」
 窓ガラスなんかと魔理沙では天秤にかけられない。どうせ窓ガラスの弁償代だってこのままうやむやにされるに決まっている。だったら交渉の道具に使った方が良い。魔理沙が無事ならそれに越した事は無いのだから。
「う~ん、仕方ないですね。もし魔理沙さんが埋まってたら記事になるし」
「縁起でもない事を言わないでくれ」
 手早く必要な準備を済ませ、アリスと文を店の外に出す。そしてドアに『本日休業』の札を掛けた。
「霖之助さん、私も一緒に行くわ」
「いや、アリスは紅魔館に向かってくれないか。それと一応霊夢にも知らせておいてくれ。行方を知っているかも知れない」
「じゃあ、これを持って行って」
 アリスは僕に一体の人形を手渡してくれた。
「前に魔理沙が地底に行った時に貸した人形よ。離れていても私と会話が出来るわ」
「ありがとうアリス。何かあったら連絡するよ」
「うん。霖之助さんも気を付けてね」
 この人形の事は以前魔理沙から聞いた事がある。どんな仕組か非常に気になる所だ。あの八雲紫が一枚噛んでいるらしいので中に未知の道具が入っているのかも知れない。
「ちょっと霖之助さん! 人形のスカートの中覗くのやめて!」
 中を調べようとしたらアリスに怒られてしまった。そんなに重大な秘密でも隠されているのだろうか。この件が済んだら一体譲ってくれるように頼んでみよう。

 博麗神社に向かうアリスの背を見送り、僕は文の背中にしがみつく。と言っても僕の体の方が大きいので覆い被さる形になる。それでも文程の妖怪なら大した負担にはならないだろう。
「あやや、変な所触らないで下さいよ」
「ん、すまない。掴みやすかったからつい」
「もう、それじゃ行きますよ!」
 文は僕を背に乗せたまま勢い良く飛び上がり、一気に空高く舞う。
「お、落ちる! 文! もう少しゆっくり飛んでくれないか!」
「ち、ちょっと店主さん! そこはダメですってば!」
 文が空中でジタバタと動くので僕はずり落ちそうになる。落ちたら一溜まりも無いので必死に文の体にしがみつく。
「あややややスカート脱げちゃいますよ!」
「君が今更下着が見えるのを気にするのか?」
「誰にでも見せてる訳じゃないですよ!」
 何とか体勢を立て直し、針路を妖怪の山へと向ける。文の全速力ならあっと言う間に着くだろうが、それは遠慮したかった。
「さっきも言いましたが、地滑りはかなり大規模で広範囲に及んでいます。そこからどうやって魔理沙さんを探し出すんですか?」
「心配無い。僕なら魔理沙を見付けられる」
「へぇ、随分自身があるんですね。じゃあ私や霊夢さんも捜せるんですか?」
「いや、魔理沙限定だ」
「あやや、それは残念。そうですか。魔理沙さんだけですか。何か妬けちゃいますねぇ」
 これまで魔理沙には振り回されっぱなしだったが、こんなに心配する様な事は一度も無かった。
 とにかく今は無事である事を願うしかない。生きてさえいれば幾らでも説教が出来るのだから。
「全く、本当に手のかかる厄介な奴だ」
「はい? 何ですか?」
「いや、こっちの話だ。それよりもう少し速度を抑え……」
「聞こえません!」
 一抹の不安を抱えながら、僕は文の背中で幻想郷最速の風をその身に感じたのだった。






 何処からか落ちて来た雫が私の頬を叩いた。
 私はうっすらと目を開ける。木々の間から漆黒の夜空と星の煌めきが見えた。どうやら辛うじて生きているようだ。
 体に重圧を感じる。私の体は半分以上土砂の中に埋まっていた。顔まで埋まっていたら確実に窒息死していた所だ。九死に一生を得たのは日頃の行いが良過ぎる証拠だろうか。
 起き上がろうとして体に力を込める。が、直ぐに体全体が激しい痛みに襲われた。大声も出せず、腕一本動かす事すら苦痛だ。
 ポケットの中のミニ八卦炉を出そうにも体が土砂で埋まっている状態では不可能だ。
 何故こんな状況になっているのか。私はぼんやりと記憶を探る。
 魔法の森より妖怪の山の方が良い茸が沢山採れる。あいつを困らせてしまったせめてもの詫びにと茸料理を振る舞ってやろうと考えた。
 あの日山には強い雨が降っていた。だが私は雨に濡れるのもお構いなしに茸狩りに興じていた。
 私は茸に気を取られて油断していた。強い地鳴りを感じて振り返った時にはもう遅かった。
 私の体はあっと言う間に土砂の波に呑まれてしまったのだ。
 本来、空を飛べる私にとっては地滑りだろうが崖崩れだろうが何て事は無い。慌てず体勢を立て直せば呑まれたり滑落するなんて事は有り得ない。
 だがあの時の私は激しい土砂の流れの中で完全に方向感覚を無くしてしまっていた。
 そして気が付いたのがつい先刻。あれから何日経ったのかも判らない。
 今はジッと耐えて助けを待つしかない。
 河童か天狗が土砂崩れの様子を見に来てくれれば助かるかもしれない。それにアリスにも山へ行くと伝えてある。今はそれに賭けるしかない。
(チッ、我ながらカッコ悪いぜ……)
 意識が覚醒した事でハッキリと痛みを感じる。かなり痛い、と言うか苦しい。あまり長時間放置されると本当に死にかねない。
 喉がカラカラなので泥水でもいいから啜りたい気分だった。
 そう思った所で頭上の木々からポタリと雫が落ちて来る。運が味方をしてくれるのはやはり日頃の行いが良い所為だろう。
 何とか顔を動かして頬に落ちた雫を口に誘導する。頬や口を必死に動かしている姿は傍から見たらさぞ間抜けだろう。だが今は人目を気にする事はない。
 聞いた話によると死期が来ると死神が迎に来ると言う。追い返す事が出来れば寿命が延びるらしいが、この状況ではとてもじゃないが追い返せそうに無い。
 死神は弱気になった所に精神を揺さ振る攻撃を仕掛けてくるらしい。体が弱れば比例して心も弱くなりがちだ。
 だが逆に言えば死神が来ないと言う事はまだ自分は死なないと言う事でもある。
 取り敢えず死神が来ない事を祈るが、死神は死神でもあのサボタージュの泰斗なら私を助けてくれる様な気がした。
 もし死んだらどうなるのだろう。ぼんやりと自分が死んだ時の事を考える。
 私が死んだら親父の奴は怒るだろうか。それとも呆れるだろうか。もしかしたら泣くだろうか。勝手に家を出て、勝手に死ぬ娘の為に泣くだろうか。
(いかん、親父の事を考えるなんて心が弱っている証拠だ。今死神に来られるとマズイぜ)
 別の事を考えようとジッと星空を見つめる。空には北斗七星が美しく輝いていた。柄杓の柄の方にある一つの星、その脇に輝く小さな星も良く見る事が出来た。
(そういえば……)
 以前、シエスタの大老こと紅美鈴に聞いた事がある。北斗七星の脇に輝く星は何とか星と呼ばれていて、その星を見た者は近い内に死ぬらしい。
 妙に熱く語る美鈴に対し話半分に聞いていたが、まさかあれこそが死の星なのだろうか。
(やばいぜやばいぜ、やばくて死ぬぜ。ハッキリ見えてるぜ)
 やはり自分はこのまま死んでしまうのだろうか。佳人薄命と言う言葉が脳裏を過ぎる。
(まだ香霖に謝ってないのになぁ……)
 今頃あいつはどうしてるだろうか。
 私がこんな状況に陥ってるのも知らずいつもの様に本を読んでいるのだろうか。
(そうだ、アリスやパチュリーにも本返してやんないとな……)
 時間が経つにつれ確実に心が弱くなっているのを感じた。もしかしたら既に死神の精神攻撃が始まっているのかもしれない。
 その時、夜空を一筋の流星が駆けた。夜空で最も美しく輝く星。願いを叶えてくれる素敵な星。
 そう言えばこの時期は流星が多く見られるのだ。星が獅子や牡牛や竜の方向から沢山落ちて来るのだ。
(あ、そうだ。帰ったら流星祈願祭やらなくちゃ……)
 ここ最近はずっと私一人で流星祈願祭をやっている。香霖や霊夢と一緒の時はとても楽しかった。
「こ……りん」
 声を出すのも辛いのに無意識の内にその名を呼んでいた。
「こう……りん」
 ふと一週間程前にアリスに香霖と自分の関係について訪ねられた事を思い出した。
 私とあいつの関係は何なのだろうか。
 私が物心付いた時からあいつは私の側に居た。既に霧雨の家から独立はしていたがちょくちょく訪ねて来ていたし、私とも遊んでくれた。
 側に居るのが当たり前の存在。それがあいつだ。親父やお袋よりも、霊夢よりもだ。
 何故か無性にあいつの顔が見たくなった。
 始めて会った時から全く変わらないあの顔。大してカッコイイ訳でもないのに、見ると何だか安心するあの顔。
 無性にあいつの声を聞きたいと思った。口を吐けば蘊蓄ばっかりで気の利いた台詞の一つも言えない癖に、聞くと妙に安心するあの声。
 ずっと小さい頃、私が迷子になってもあいつは必ず私を見付けてくれた。
 寂しい時も悲しい時もあいつはいつだって私の側に居てくれた。あいつが側に居るだけで私はとても嬉しくなった。
 私が我侭を言うと少し困った様に笑って私の頭を撫でるのだ。あいつは昔から私で苦労してるんだ。
 何故か急に小さい頃の香霖との思い出がドッと溢れて来た。
(おお、これが走馬灯ってやつか。一度見たいと思ってたんだ)
 何で最期に思い浮かぶのがあいつの事なんだろう。そう思うと何だか少し腹が立った。
 でも、もうあいつに会えなくなるのはとても嫌だと思った。
 まだ謝らなくちゃいけない事が沢山あるのに。
 まだ本当に言いたい事を何にも伝えていないのに。
 もし自分に最後の時が訪れるならば、その時はあいつに側に居て欲しい。
(私とあいつの関係……)
 私自身あいつの事が好きなのか何なのか良く判らない。 
 ただお互いが側に居る関係。生まれた時から死ぬ時までずっと側に。私達はきっとそういう関係なのだ。
 今一度どんな関係かと尋ねられたら“霧雨魔理沙と森近霖之助の関係”と答えるだろう。
 長ったらしいので略すと魔理霖関係だ。
 また一つ流星が夜空を駆け抜けるのが見えた。願わくば、もう一度あいつに会いたい。
 瞼が重くなり、徐々に世界が闇に閉ざされる。後はただ死を待つだけなのか。ここで死ぬ運命ならばこの際仕方ない。足掻くのも格好悪いし素直に受け入れようと思った。
 薄れ行く意識の中で、遠くからあいつの声が聞こえた。私を呼ぶあいつの声が。
 流れ星が願いを叶えてくれたのだろうか。だがそんな簡単に都合良く私を捜し出せる訳が無い。恐らく幻聴だろう。
 だが今は幻聴でも何でもいい。最期にあいつの声が聞けて良かった。
 ただ心配な事が一つだけある。
 私が死んで転生してもあいつはまだ生きているだろうか。
 どんなに時が過ぎても、私が生まれ変わって姿が変わっても、あいつは私の事を見付けてくれるだろうか。また側に居てくれるだろうか。それだけが気掛かりだった。






 コチコチと時計の針を刻む音が暗い室内に響く。
 僕はベッドの上で眠る少女を静かに見つめていた。
「う……」
「魔理沙?」
 意識を取り戻したのか、魔理沙が低く呻く。
「ここ、は?」
「ここは君の家だ」
「……香霖?」
 魔理沙は驚いた様に僕を見つめる。
「そうか。私、助かったのか。香霖が見つけてくれたのか?」
「ああ」
 確かに土砂に埋まっていた魔理沙を見付けたのは僕だ。だがそれは運命的な物でも何でも無い。
 山に入った僕は、まず地滑りによる土砂崩れの規模を調査していた天狗達に出会った。そして直感した。やはり魔理沙はそれに巻き込まれたのだと。
 文の協力もあって天狗達に大まかな地滑りの現場の位置を教えてもらい、そこから魔理沙を探し出したのだ。
 文の言う通り地滑りの範囲はかなり大きかった。僕がどうやってそこから魔理沙を探し当てたかと言うと、ちょっとしたカラクリがあったのだ。
 僕は店を出る時にあの霧雨の剣を持って出たのだ。
 緋々色金と言うのはかなり特殊な金属であり、他の金属には見られない特性が幾つかある。僕はその一つである“共振”を利用したのだ。
 細かい仕組みは判らないが、緋々色金同士が近付くと僅かに共振が起こる。
 魔理沙は緋々色金で補強したミニ八卦炉を持っている筈なので、霧雨の剣はそれに反応すると考えたのだ。
 共振を利用すると言っても広い山の中からピンポイントで魔理沙を捜すのは不可能だ。だが文と天狗達のお陰で範囲をかなり絞る事が出来た。
 魔理沙の方も僕の剣に呼応したミニ八卦炉の振動を感じていたかも知れないが、ミニ八卦炉に使った緋々色金はごく僅かだ。霧雨の剣程の振動は得られないだろう。
 僅かな共振を頼りに歩き回り、そしてやっと土砂に埋もれた彼女を見付けだせたのだ。
 青白い顔の魔理沙を見た時は僕の顔も一気に青ざめた。最悪の結果が頭を過りもした。だがやはり魔理沙は強運の持ち主だと実感した。
 直ぐに魔理沙を永遠亭に運び、永琳に看てもらった。永琳の診察によると全身に打撲や傷はあったが骨折などはしておらず、数日休めば直ぐに動ける様になるとの事だった。
 自宅療養で充分との事なので、合流したアリス達に手伝ってもらい魔理沙の家に運んだのだ。それから魔理沙は丸二日眠り続け、今に至ると言う訳だ。
「良く見付けてくれたな。でも、香霖なら見付けてくれると思ったぜ。そうだよな。香霖は昔からどんな時も私の事を見付けてくれたもんな」
 ひょっとしたら魔理沙は僕がドラマチックに自分を助けてくれたと思っているかもしれない。あの剣の事は魔理沙にはまだ秘密だ。当然どう助けたかは教えられない。
「魔理沙、無理して喋るな。水を持って来るよ」
「いい。行くな」
 椅子から立ち上がろうとする僕を魔理沙のか細い声が制した。 
「何処にも行くな。側に居ろ」
 それは普段の魔理沙からは想像も出来無いようなが弱々しい声だった。
 普段の行動から気が強い様に思えるが、魔理沙だって根は普通の女の子だ。気弱になる時くらいあるだろう。僕は黙って椅子に座り直した。
「判ってる。僕はいつだって君の側に居るよ」
「そうだぜ。お前は私の側に居ればそれでいいんだ。それ以外では物の役に立たないんだからな。置き物以下だな」
 弱気かと思いきや案外そうでもないらしい。ずけずけと言いたい放題だが僕はそんないつもの魔理沙の態度に腹が立つ前に少しホッとした。寧ろ暴言を吐かれてホッとしている自分に少し腹が立った。
「そうだ香霖、私見たらヤバイ星を見たんだ」
「見たらヤバイ星? 何だいそれは。太歳か何かかい?」
「香霖は北斗七星の脇に輝く星を見た事があるか?」
「北斗七星の脇にある星? んー、ひょっとして輔星の事かな」
 輔星とは北斗七星を構成する星の一つミザールの伴星だ。一般的にはアルコルと言う名で知られている。北斗七星を天龍座と呼ぶ妖怪達が何と呼んでいるかは知らないが。
 アルコルとミザールは二重星になっており、視力の強い人なら区別して見えるだろう。かつてアラビアやローマでは視力検査の星として用いられていたらしい。残念ながら僕の視力では見付けるのは難しい。
「あれが見えるのか。魔理沙は目が良いんだな」
「美鈴に聞いたんだ。その星を見たら近いうちに死ぬらしいぜ」
 確かに輔星は寿命星や死兆星とも呼ばれ、東洋や西洋で不吉な星とされていたという記録もある。
「ああ、そう言う伝承もあるらしいね。僕はその星が見えなくなったら死ぬと聞いたがなあ」
「どっちにしろ死ぬのかよ」
「ま、いずれにせよ単なる迷信だろう。美鈴の郷里にはそういう言い伝えがあるのかもしれないね。今度調べておくよ」
「じゃあ、私は死なないのか?」
「当たり前だろ。星を見たくらいで死ぬんならオチオチ夜空も見上げられないよ」
「そ、そうか。そうだよね。クソッ、美鈴め。元気になったら最大火力で吹っ飛ばしてやる……」
 逆恨みの様な気がしないでもないが特に止める理由も無い。美鈴には可哀相だが僕には関係の無い事だ。
 魔理沙はモゾモゾと布団の中から僕の方に手を伸ばして来た。
「……香霖、手ぇ出せよ」
「手? こうか?」
 言われるままに魔理沙に向かって手を伸ばす。すると魔理沙は僕の手をギュッと握り締めた。
「私が握っててやるぜ」
「おいおい、それは僕が言う台詞だろ」
「ずっと握っててやるよ。私が眠るまで。だから、安心しろ」
「はいはい」
 僕は溜息を吐いて彼女の小さな手を軽く握る。
 魔理沙は僕の手を握ったままボーッとした表情で窓の外に広がる星空を見上げていた。
 そう言えば今は流星祈願祭の時期だ。窓を覗いていれば幾つか流星が見えるかも知れない。ここ最近は参加していないが魔理沙は一人で流星を見ているのだろうか。魔理沙が元気なったらまた霊夢と三人で祈願祭をやるのも良いかも知れない。
「なぁ香霖」
「ん?」
「私さ、まあ今は死なないにしてもさ、いつか香霖を置いて先に逝っちまうだろ?」
 僕はドキリとして魔理沙の顔を見つめる。その表情は不思議と穏やかだった。
 人間である魔理沙の方が先に寿命を迎えるのは当然の事だ。だが先の事なんて判らない。僕の方が先に死ぬかも知れないし、魔理沙の寿命が人間のそれを超えて伸びる事だってあり得る。
「どうしたんだい急に。君らしくもない」
 事故で死を間近に感じた所為だろうか。それとも実は頭でも打っていたのだろうか。どちらにせよ自分の死を意識するには彼女はまだ若すぎる。僕は少し不安気に魔理沙を見つめる。
「私が居なくなったら、きっと寂しくなって泣くだろ?」
「誰が泣くんだよ」
「香霖がだよ。決まってるだろ」
 言ってくれる。いくら魔理沙が居なくなったとしても自分が泣いてる姿など想像出来無い。それ以前に魔理沙が居なくなる事自体今の僕には想像出来無い。そんなのはずっとずっと先の事だ。正直今はまだそんな事は考えたくなかった。
「その時はさ、流星を見て私の顔を思い出せよ。そうすりゃ寂しくないだろ?」
 流星は周期的にやって来る。つまり否が応でも周期的に魔理沙の顔を思い出してしまうと言う事だ。何とも図々しい。いや、魔理沙らしい。
 もしかしたら魔理沙の老いて行く姿を見たくない余り僕は外の世界に逃げてしまうかも知れない。その時も流星を見て彼女の笑顔を思い出すのだろうか。それとも外の世界が楽しくて忘れてしまうのだろうか。
「ま、何年先かは判らんがな」
「君は相当長生きしそうだけどね」
「……何年かしたらさ、お前は変わらずパッとしないままだろうけど、私はきっと飛びっ切りの美人になってるだろうな」
 強ち冗談に聞こえない所が怖い。魔理沙ならきっと美しく成長するだろう。性格は絶対に変わらないだろうけど。
「だからお前、そん時は私にプロポーズしろよ」
「あー? 何で僕が魔理沙にプロポーズしなきゃならないんだよ」
「いいからしろよ。そん時はさ……」
「その時は?」
「思いっきり振ってやるぜ!!」
 そう言って魔理沙は満面の笑みを浮かべて見せた。キラリと輝く流星の様な笑顔を。
 僕はその笑顔を見て思った。やはり魔理沙を置いて外の世界に行く事なんて考えられない。
 僕にとって魔理沙は彗星みたいな物なのだろう。
 妖怪達は彗星を忌星と呼び縁起の悪い物としている。僕にとって魔理沙は何とも厄介な存在、つまり忌星と言えるだろう。
 それに彗星は箒星とも呼ばれている。箒に跨って空を飛び、笑顔と言う名の流星を振り撒く彼女はまさしく彗星だ。
 僕はそんな彼女が軌道から外れていかない様にしっかりと掴まえていてあげなければならない。
「約束、だぜ?」
「判った。約束するよ」
 振られる為にプロポーズするとは何とも奇妙な約束である。こんな約束でもやはり破ったら怒るのだろうか。
「……お!」
 魔理沙が嬉しそうな声を上げ、窓の外に顔を向けた。
「今流れ星が見えたぜ。香霖がちゃんと私にプロポーズする様にお願いしたからな」
「じゃあ僕は魔理沙に振られない様にお願いしようかな」
「そいつは無理な相談だぜ」
 苦笑しつつ窓の外に視線を向ける。僕の目にも夜空を駆ける煌めきがハッキリと見えた。確かに願い叶えてくれそうな力強さを感じた。
 僕は少し思案する。魔理沙ではないが何をお願いしたものやら。無難に商売繁盛でも願おうか。
「ほら、魔理沙。また見えたよ。どうせ願い事はまだ沢山あるんだろ? ……おい魔理沙。聞いてるのか?」
 返事が無い。不思議に思い振り返り、魔理沙の顔を見る。
「……魔理沙?」
 魔理沙はいつの間にやらスースーと静かに寝息を立てていた。
「やれやれ」
 僕は魔理沙の頬を優しく撫でる。
 眠りに落ちても魔理沙は握ったままの手を離そうとはしなかった。僕はその小さな手を強く握り返す。
 幸せそうに眠る魔理沙の顔を見て思った。僕はこの娘の人生を見守りたい、この娘が生きている限りは側に居てやりたいと。そうだ、それが僕の願いだ。
 窓の外でまた一つ流星が強く、美しく、まるで願いを聞き届けたと言わんばかりに煌めくのが見えた。
 僕達はただお互いが側に居るのが当たり前な存在。僕の側には魔理沙が居るし、魔理沙の側には僕が居る。
 お互いが別の誰かと結ばれたとしてもきっとその関係は変わらないと思う。最早好きだとか嫌いだとか言う次元を超越しているのだ。
 それでももし魔理沙が僕の事を好きだと言った場合、今の僕に彼女を受け入れるつもりは無い。魔理沙と僕が結ばれるなんて想像したくもない。
 もしかしたら美しく成長した魔理沙を見て僕の気持ちも変わるかも知れない。当然魔理沙がその時まで僕の事を好きでいてくれると言う保証は無い。だから本当にそんな先の事は判らないのだ。
 この間は魔理沙の気持ちも考えず色々な事を言ってしまったが、何だかんだ言って魔理沙はまだ子供だし親父さんだってまだまだ元気だ。取り敢えず今はこのままでいいのかも知れない。
 ただ確かな事は、例えこの先僕達を取り巻く状況がどう変わろうとも、魔理沙がこの世界に居る限り僕は決して何処にも行かないと言う事だ。
 そして何年先かは判らないが先程交わした約束をいつかきっと果たそう。
「約束……だぜ……」
 寝言を言う魔理沙に僕は微笑みかけ、握っていた彼女の小さな手を両手で包み込む。
「ああ。約束だ」
 
 それは決して破られる事の無い彗星の約束と、いつかきっと叶えられる流星の願い。
緋々色金の共振云々は捏造です。
香霖堂発売日決定記念で書いた……筈だったのですが諸事情によりはやぶさ帰還記念に変更。
流星となったはやぶさに早く香霖堂が発売されるようにお願いしました。割と本気で。
五味くず
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コメント



0.750簡易評価
7.90名前が無い程度の能力削除
トリュフの話があったからか、匂いで魔理沙を探し当てるのかと思ったw
人形のスカートの中を学術的探究心で覗く霖之助さんマジ探求の徒
王道かつそれぞれの性格も出ていてなかなかよかったです。
よし、次は霊夢を出してどろどろの三角関係をだな……
8.70不動遊星削除
 綺麗な作品でした。ありがとうございます。
 霧雨魔理沙の夜雨を馳せしその姿と「走馬灯」を垣間見る彼女の姿とに一抹の切なさを感じました。また、作中2つの出来事と最後の場面をつなぐ夜空に、すずろ涙を誘われます。
 願わくは、今霧雨魔理沙を迷わせるその雨が上がり、いつの日か、あの星が輝くような快晴の空に彼女が生き、そして己を完うすることを望みます。では。
13.90コチドリ削除
森近 霖之助、アンタいい男だぜ。
ただ、男同士の馬鹿話やエロ話が出来なさそうなのが玉に瑕なんだけどね?
まぁ、いつもの苦笑を浮かべて黙って話を聞いてくれそうでもあるんだけど。
16.100名前が無い程度の能力削除
なんて綺麗なラストなんだ・・・感激しました。
はやぶさ帰還と照らし合わせて涙腺が決壊したのは私だけでは無い筈。
19.90名前が無い程度の能力削除
ん~話は面白いのに少々読み辛いのが難点かな・・・