一.
紅魔館の地下にある私の寝室に蜂が飛んできた。それも一匹だけこっそりと紛れるように入ってきたというのではなく、通気口越しに蜜蜂が百匹くらい来た。
「鼠一匹通さないと評された我が館のセキュリティも随分と開放的になったものね」
皮肉を飛ばしつつさてどうしたものかと思案する。蜂と出くわしたときの対処法としては慌てず騒がずだと物の本に書いてあった。しかしそれは人間流の対処法であり、吸血鬼なら真正面から大立ち回りを演じても普通に勝てるのではなかろうか。
だが私はしばらく様子を見ることにした。刺されるリスクを鑑みたというのもあるが、それ以上に物珍しさがあった。蜂、とりわけ蜜蜂は外で花の蜜を吸う昼行性の虫だ。引きこもりの吸血鬼にはそうそう見れるものではない。同じ殺すにしても一生分、せめて五百年分は鑑賞してから殺そうと決定した。
それを決定してすぐ、雲を形作るかのように乱雑に飛んでいた蜂がそれぞれ向きを変えて、明確に記号を作った。王冠の形だ。
偶然か意図してか、意図的だとしてどのような意味を込めているのか、分からずに私は首をかしげた。私の疑問を感じ取ったのか、蜂の群れはまた形を変えて、今度は文字になった。漢字混じりの英語と象形文字的記号を組み合わせた、果たしてこの蜂達は何から学んだのかと謎になる言語だったが意味はとれた。
「偉大なる貴公、赤煉瓦の王国の女王へのご謁見が叶ったことを、我が国を代表してお礼申し上げます」
誠意は伝わってくる。外交挨拶として正しいのかどうかは分からない。多分蜂も我流だし私も外交なんてものは知らないので正しさを審判する存在はここには不在である。
それ以前に、どうも私を女王だと勘違いしているらしい。巣一個が国のような蜂という昆虫が館の主を女王とみなすという認識になるのは分からなくはないが、それならば女王はお姉様の方になる。
「貴方達と我々とでは姿形も文化も全く違う。私をこの館の主と判断した根拠が知りたいものね」
蜂はブブブという羽音でホバリングしながら一瞬固まった。床や家具、壁に足をつけている蜂は首をひねっていて、何が疑問だったのか分からないといった風である。しかし十秒もすると納得したかのようにまた動き回答を出した。
「女王とは国の要。であるならば国土の最奥の一番安全な場所に鎮座しているのが道理というものでしょう」
「違いないわね」
私は大仰に足を組み直してそう言った。紅魔館目線ではとんだ簒奪者になってしまうが、王様扱いはいざされると存外気分の良いものだ。長子相続権を採用した数多の国家の歴史において兄を殺害しての王位簒奪の試みが耐えなかった理由が、今なら心で分かる。
「この度、我が国も艱難辛苦の冬の時代を乗り越えてついぞ独立を果たしました。ひいては貴国とも是非国交の樹立を通した互いの発展と可能ならば外患への対応のための安全保障条約の締結を……」
ああ今は冬が明けた頃かと部屋の中を見回したが、赤い壁と床、天井の六面にアンティーク調の家具や人形などがいくらかあるだけで季節感のあるものは一個もなかった。強いて言えば今日のおやつは桜餅だったはずだが、流石に胃の中身を出して確認するわけにはいかない。
まあ昆虫の建国もとい巣作り事情など正直どうでもいい。重要なのはいかに女王らしく振る舞うのかということで、軽率に了承するのは違う気がした。
なので、私はもう少し探りをいれることにした。
「……。『貴国とも』? 私のところ以外にも行ったんだ」
「貴国とは別というと語弊があるのかもしれません。この館の書庫を収める領邦の君主と先程同盟を締結したところなのです。関係性を踏まえると貴国に先に話を通すべきかとも思いましたが、例えば西欧の伊太利亜国内に所在するサン・マリノ国のようにある国の領内に別の国家が存在することがあること、そのような例においても独立国は国際社会において対等な地位にあるべきという先例や慣習に則って判断させていただいた次第です」
パチュリーのところに先に来ていたらしい。確かに立場上は図書館の管理を任されている居候だから独断で動けはするのだろうが、それにしたって何段階かをすっ飛ばしていきなり同盟とは意外と思い切ったことをやるものだ。流石に気になる。
とはいえやっぱり今の状況では「じゃあ我が国とも仲良くしましょう」と即決はできない。
「我が国も貴国の新たなる旅立ちを祝福するわ。しかし国家承認を超えた条約ともなると国の行く末を決める重大な決断になるから、すぐには答えを出しかねるわね」
「では三日後改めて伺いましょう。我が国の外交状況は正直なところ逼迫しております故、快い回答を期待します」
「ふうん。蜂の社会というのも意外ときな臭いのね」
壁掛け時計が五回鳴った。
「時間よ。私はそろそろ朝餉にしなければならない。貴方達もうちの家来に見つかるのはまだ良くないでしょう?」
「そうですね。一旦お暇するといたしましょう。また三日後に」
蜂は方形に群れの形を整え、この日最後の信号を発した。
「偉大なる貴王国と我が王国、我らがRoyal "Harmey"(王立「蜂蜜軍」)に栄光あれ」
二.
図書館は相変わらず暗く、空気は除湿されて乾燥していたが淀んでもいた。そういう陰気くさい部屋の中央で魔女はいつも通りに不機嫌そうな顔で分厚い魔導書のページをめくっていた。もっとも彼女は元々こういう顔なので内面は不機嫌とも思っていないのだろう。ふてぶてしい顔をした猫みたいなものである。むしろただ本を読むことに集中できるこの環境を望ましく思っている節がある。
私はこの猫顔の魔女に、蜂との友好について問うた。
「蜂と同盟を結んだんだって?」
「そうね。国家ごっこをしているのは向こうに話を合わせてあげているってだけだけれど、こっちにも実利はあるから協力関係を築くことはやぶさかではなかったわね」
「実利?」
「蜂蜜と魔理沙への罰」
「パチェって蜂蜜好きだったんだ。っていうかなんで蜂との関係の話で魔理沙が出てくるのさ」
「あの蜂の国家
の成り立ちについて聞いてないの?」
「冬が明けたから増えて自分達は国家だっていう自我を持ったってだけでしょ」
私がそう言うと、パチュリーは座りながらずっこけて、開いた魔導書のページの間に顔をうずめた。
「どこをどう解釈したらんな単純な話に歪曲できるのよ……。いいわ。あいつらに代わって教えてあげる」
パチュリーは顔を上げて、腕を組み目を閉じた。
「あれは魔法の森の蜜蜂でね、どこにでも魔力がある環境柄、花の蜜や花粉を集めるごとに蜂にも魔力が濃縮されていく。そうすると魔法が使えるだけの魔力を溜めた蜂が出てくるの」
魔力、魔法は様々な効能を生むが、目に見えにくいが重要な作用として知能の高まりがある。頭が良いから魔法使いになるのではなく、魔法使いだから頭が良いのだ。それで蜂達もかなりの知能を有していたのだろう。
「普通なら小賢しい蜂になる程度でバランスが取れるのだけれど、あの馬鹿が最初から魔力を込めた巣箱で蜂を育てることを思いつきやがって。で、最初は高濃度の魔力を含んだ蜂蜜を回収することに成功していたのだけれど蜂の知能が高くなりすぎて魔理沙の家を乗っ取りましたとさ、めでたしめでたしってわけ」
「なんか私のところに来た蜂はそんなにイケイケな感じではなかったけれど」
「そのときに魔理沙の家を占拠した蜂は退治されたからね。ただ魔理沙もその尻拭いをした人達も気が付かなかったんだけれど、複数の巣箱で蜂を飼育していたわけだから女王蜂も何匹かいて、うち一匹が偶然生き残っていた。蜂の言うところの『分家の生まれだが連合王国全ての王冠をかぶる権利を有する』のが」
「ああ。『艱難辛苦の冬の時代』ってのは比喩だったのね。生き残りがどっかで再起を図っていたわけだ」
「大体今は冬の終わりどころか五月の頭だしね。質素な内装で過ごすのはいいにしてもやっぱりカレンダーもないってのは不便よ。私の方からもレミィと咲夜に言っておくから貼ってもらいなさい。……蜂の話ね。まあそんな経緯でできたコロニーだから蜂は魔理沙のことをすっごく恨んでいる。あいつらの歴史観だと魔理沙宅は自分達の正当な領土で今は一時的に亡命しているに過ぎない、になるのね」
話を聞く限り、魔理沙が馬鹿をしたのはそうな上でどうも蜂側のが侵略者にしか思えないが、視点が変わればということなのだろう。
「で、パチェは蜂の歴史が正しいのかどうかはどうでもいいけれど魔理沙をギッタンギッタンにするのに使えるから協力したと」
「別にそこまでは思ってないわよ。盗んだ本を返して頭下げるくらいまで反省してくれたらそれで良くて」
パチュリーは頬を膨らませて反駁した。
「あと蜂蜜ね。魔力入りだし喘息にも効くのよ。前払いで貰っといて良かったわ」
パチュリーは健康食品の宣伝をするサクラみたいなことを言いながら、グラスに黄色の液体を入れて私に勧めてきた。
「なんか変な臭いするんだけれど」
体力もやしのパチュリーが飲んで平気なのだから私が飲んでも死にはしないだろうと一気に口に含んだら臭い通りに珍妙な、酢を腐らせたらこうなるのだろうという感じの味がした。
「なにこの不味い酒みたいなの」
「蜂蜜酒よ」
「なんで酒にしたのさ。蜂蜜そのものならまだ紅茶に混ぜるとかお菓子に使うとかやりようがあったじゃない」
「酒にしないと変質するらしいから酒にしたのを送ってもらったのよ。しかし味についてはフランの言う通りね。あいつらの知識って魔理沙の家の本由来だと思うんだけれど、醸造の本は読まなかったかそもそもなかったんでしょうね。次からはこっちで酒にするわ」
私が最低級蜂蜜酒の一気飲みでむせているのをパチュリーは意地悪く観察し、それが落ち着くと質問をしてきた。
「率直に、あの蜂達についてどう思う?」
私はランプの火も届かない黒い天井とその近くの壁のあたりを注意深く観察した。
「蜂は入ってこれないから大丈夫よ。そういうセキュリティになっているから。……なにその不信そうな顔。確かに鼠の侵入を許していることは認めるけれど、人間に限りなく近い鼠と人間を見分ける術式は物理的に組めないってだけで虫を入れない結界ってだけなら簡単なんだから。その証拠に蝿一匹、蚊一匹飛んでないでしょ」
「まあ確かに。そうねえ。とりあえず、知識は相当なものよね。でも教養的な知識じゃなくて基礎的なおつむでは私達にはまだ勝てていない。居る場所だけで判断してお姉様じゃなくて私を女王だと勘違いするくらいだし。本だけで子供時代を過ごした世間知らずって感じ。パチェみたいな」
「フランみたいな?」
私達は乾いた笑いを一瞬しあったが、また真面目な顔に戻った。
「じゃあ今後はどうなると思う?」
「あれには学習能力があるわけだし、自前で効率的な魔力収集方法を見つけているのだから知能が頭打ちとは到底思えない。じきに人間を凌駕するでしょうし、それで人間に取って代わったとして人間がそうしてくれたように妖怪
を怖がってくれるかどうか分からないよね? そんなハイリスクなものとよく協力する気になれたなって、私にとってはそれが一番疑問だったんだけれど」
「模範解答ね。幻想郷全体のバランスを踏まえた意見。賢者達もただフランを連れ出しているわけじゃないようで安心したわ」
「感心してるとこ悪いんだけれど蜂に協力してるパチェもハイリスクってことだからね。お姉様にバレたら放逐されても文句は言えないよ」
「安心しなさい。目的が達せられたら裏切るつもりだから」
「勝算はあるの?」
「あるから同盟することにしたんじゃない。ただ裏切るには協力者がいた方がやりやすいわね」
パチュリーは真っ直ぐこちらを見つめた。
「……私を協力者に。つまり蜂に反逆するときに戦って欲しいと」
「その前段階から。フランにも蜂と同盟を結んで欲しいの」
「なんでさ。裏切り前提なら相手を助けるのは悪手でしょ」
「奇襲のためにはあえて信頼を稼いでおいた方が得でしょ」
パチュリーの真意には二通りの可能性があると思った。一つは言葉通りに作戦のために裏切ることを目的とした同盟を組んで欲しいと思っている以上の意図はないというもの。そしてもう一つは、蜂に操られるか何かして、蜂に奉仕するため言葉巧みに蜂の味方を増やそうとしているという可能性。
私はパチュリーの顔色や漂うオーラを観察したが、どちらかはさっぱり分からなかった。こういう他者の気持ちを読み取るというのはお姉様の領分であって私ははっきり言って苦手である。私が読み取れるのは悪意の有無だけで、今のパチュリーは悪意たっぷりだった。しかし発言が本当だとしたら蜂を、嘘だとしたら私をそれぞれ騙しているのだから結局真偽に関わらず悪意はあるのだ。今この場の状況を判断するにはなんの役にも立たない。
だからパチュリーが蜂に対してそうしたように、私も実利だけで動くことにした。蜂から何かを対価として貰おうというつもりはないから、どれだけ得れるかという損得勘定ではなく、どれだけ失わずに済むかという損得勘定である。
蜂とはどうあがいても敵対する。蜂との関係性の選択なのに実は蜂とどうしようが変わらないのだ。
蜂と一時的にでも手を組むと魔理沙が酷い目に合う。しかし所詮魔理沙は他人だし、私が蜂に味方しなくても痛い目は見そうな経緯だ。全く可哀想ではないと言えば嘘になるが、「嫌な事件だったね」の一言で流される程度の悲しさである。
一方パチュリーの提案を拒否するということはパチュリーとの敵対を意味する。これはこれで蜂が悪知恵をつける前に潰せるというメリットがある。だがその利点は同時にパチュリーを倒さねばならない面倒さで希釈されてしまうし、パチュリーとの友人関係や彼女が図書館を管理することで館に与えている利益にヒビを入れるデメリットには見合っていないように思える。
「分かったわ。明後日に私のところにまた来るよう蜂には伝えているから、そこで紅魔館としても同盟を組むと伝える」
三.
「我が勇敢なるRoyal "Harmey"は邪智暴虐なる霧雨魔法国を一気呵成に攻めたて完膚なきまでに撃滅いたしましたこと、女王陛下にもご報告いたします」
同盟を組んでしばらくした初夏のある日、いよいよ情勢が動いたという報告が蜂からもたらされた。蜂側の視点から出される大本営発表はいささか割り引いて解釈しなければならないが、勢力図として魔理沙の家が蜂の手に落ちたことは事実とみなして良いだろう。
個人的にはせっかく蜂と同盟したのに戦いに呼んでくれなかったことが物凄く不満だった。折角の暴れまわるチャンスだったというのに。しかし、だからといって癇癪を起こすのは女王っぽくない。玉座の上でふんぞり返っているだけなら楽かと思っていたが、そうではないというか、ただ威張るだけというのもいざそういう立場になると意外と大変なことのようだ。
「まずは『再征服
』おめでとう。しかし前回は魔理沙の家を落とした後退治されたのよね。そこへの対策はあるのかしら」
「ご心配なく。同志ノーレッジ卿がこのようなものを援助してくれましたので」
蜂が馬鹿ではなかったというかパチュリーが狡猾だったというか、何にせよ対策はしていたようだ。蜂は金色の薄い膜でできた珠を取り出した。
「なにこれ」
「いわゆる防毒面、ガスマスクです。もっとも我々蜂は人のように顔で呼吸するのではなく体に空いた気門で呼吸するのでいささか大きくなってしまったのですが」
蜂は珠の中に体を入れてみせた。体も全体的に黄色いので、概ね金色の球体に金色の羽が生えた外観になった。外の世界の魔法使いはこれの大きいのを使ったスポーツをしていると聞いたことがある。
「奴らは煙で攻撃してくるのでこのような装備が必須になります。逆に煙以外の攻撃をしてこないところを見るに、煙さえ封じてしまえば手も足も出ないようです」
蜂は勝ち誇ったかのようにブンブンと羽を震わせていた。
「それで、同盟の公正なる相互利益のために、我々には貴国が霧雨国に窃盗されたものがある場合、それを返還させる用意があります」
「……パチェと違ってそういう関係は紅魔館にはないから大丈夫よ」
もしかしたら適当に所有権を捏造すれば魔理沙から何かふんだくれるかもしれないが、「公正なる」とわざわざ念押ししている以上それは悪手と思われた。それに我が家は普通に裕福なので魔理沙から奪わなくても大体のものは手に入る。
私のこの発言を、蜂は魔理沙との戦争における紅魔館の不介入と受け取ったようで、それ以上の話はせずにまた形式的な挨拶だけして去っていった。
その後パチュリーの所に詳しい状況を聞きに行ったが、魔理沙は本当に困ったことになったようだった。
「霊夢と何人かの妖怪、前に魔理沙の蜂を退治したのと同じメンバーが呆れ顔でまた魔理沙の家を燻しに行ったらしいけれど、私が蜂にガスマスクを渡していたからね。ガスマスクの付け方が甘かったのは倒れたかもしれないけれど蜂側は殆ど無傷」
「退治した霊夢達は?」
「そっちも。フランもガスマスクを見せてもらったと思うけれど、体全体を覆う構造だからね。ガスマスクをつけていると針で刺せない。発声による詠唱が必要な攻撃魔法の類も使えないようだから蜂は蜂で攻撃手段がなかったのよ。だから勝負としては引き分けだけれど戦略的には霊夢達の負け。蜂を排除できなかったのだから」
「でもどうせ魔理沙も霊夢も諦めはしないでしょ」
「まあその諦めないの方向性が問題で、霊夢と妖怪達は魔理沙の家を解体するか燃やすかするかを検討している。巣ごと壊せば倒せるだろうという考えね」
今も実質的にそうではあるが、魔理沙はホームレスの危機に瀕しているらしい。その案に対して首を縦には振らないだろう。
「魔理沙だけではない。アリスも成美も、森の魔法使いは全員反対している。森のじゃないけれど私もそうね」
「それは盗品の保護が保証できないから?」
「盗じゃなくて物全般が、ね。そもそもアリスなんかは魔理沙に何かを盗まれたことはないらしいし」
「憎たらしいことにね」とパチュリーは毒づいた。
「魔理沙が蒐集しているもののうち、八割……いや九割……。九割五分かなあ、まあ要は大体はガラクタだけれど、たまに本物が紛れてるのよ。あと当然魔理沙が研究したものとかメモ書きとか。魔理沙そのものはどうでもいいけれどその成果物は失うには惜しいとなるのが魔法使いの本音」
パチュリーは小悪魔に黒板を持ってこさせ、チョークで、粉を吸って数度むせながら、四つの丸などで構成された図を書いた。丸の中にはそれぞれ「蜂」「魔理沙」「霊夢達」「魔法使い」と書いていて、蜂と魔理沙、魔理沙と霊夢達、霊夢達と魔法使いの間に双方向の矢印が引かれている。酷い対立関係だ。
「魔理沙と私達との利害関係は人によりけりだから置いておくとして、蜂と私達との関係性も微妙なところ」
「パチュリーと蜂が同盟を組んでいる以上そこだけは足並み揃うんじゃないの」
「私と蜂は友達だけれどアリスや成美はそうじゃないってところがね。要は彼女達は蜂が魔理沙の私物を壊さずにいておいてくれるかどうか信用していないし、近所の自分達にも被害が及ぶのではと危惧している。まあ他の対立軸に比べたら十分にまとまりはするけれど」
パチュリーは蜂と魔法使いの間に一旦等号を書き、真ん中を疑問符に書き換えた。
「この関係図を覚えといて」
「なんでよ。私はこの件においては実質部外者でしょ」
「部外者だからこそよ。明日この問題をどうにかするための会議をここでする。私の権限で招集させたの。でも私はこの問題に対して中立ではないから代わりに調停役をして欲しい」
私の了承をとってから会議を決定するのではなく、事後承諾なのだから性格が悪い。ま、私とパチュリーの仲なのでそのくらいはしてあげるが。
翌日、私はこの提案を安請け合いしたことを後悔した。
開かれた会議は喧々諤々。会議と言われれば会議なのだが言われなければ人語を喋る獣が吠える動物園と区別がつかなかっただろう。
というか、普通に考えて会議の仲介という神経を使う頭脳労働を私がしているのはおかしいだろ。もう喧嘩両成敗ってことで全員壊せば静かになるし対立も当事者事消えるんだからそれでよくない? ……という名案を実行に移してやろうかと私がニヤリと笑う度、他全員が殺気を感じ取るのか額に汗を垂らした顔を見合わせて頷く。蜂も肯定の意思を示す。それで会議が少し進む。これがパチュリーが私を調停役に抜擢した理由らしい。なおその提案をした張本人、魔法使い派閥代表「知識と日陰の少女」は会議中語彙力だけやたら豊富なゴリラと化していた。
ともあれ私が五度笑ったところで「講和条約」が纏まったようだ。
・蜂は魔理沙宅(霧雨魔法店)の領有を認められる
・魔理沙宅内部の物品は隔離領域に一時的に転送し、正当な所有者への返還を確認した後、当該領域は魔理沙のみに出入りの権限が与えられる
・蜂の採蜜は魔法の森内部に限定され、生命の危機に瀕した場合を除き住民への攻撃を行ってはならない。何人たりとも、この原則が守られている限りにおいて採蜜活動を妨害してはならない
以上が骨子のようだった。
四.
魔理沙は家を失った。私物を置いておくための領域、仙界の魔術版のような空間が講和条約に基づいて作られたが、私物の量が多すぎるのに対して空間は狭く(魔法使い達が空間形成のために支払う魔力をケチったのが原因である)、文字通りの物置にしかならなかった。
魔理沙は住む場所がないので、各地を転々と居候しながら周るようになった。大体の人妖は魔理沙は痛い目をみて然るべきと考えていたが、一方で死んで欲しいとまでは思っていなく、見捨てたら後味が悪いという良心から受け入れていた。それをいいことに魔理沙はなんら悪びれることなくそれぞれの家に上がり込んでいたらしい。「蜂に家を二度も乗っ取られた女」という新聞の風評もとい事実もなんのそのである。図々しい奴だ、と皆思ったことだろう。
紅魔館にも週一で来た。紅魔館に泊まりに来る日の魔理沙はもっぱら図書館で過ごしていた。少し意外なことにはパチュリーとの関係は険悪のけの字もない穏やかなもので、何なら時折談笑する声が聞こえてくるほどだった。泥棒をしない魔理沙は普通にパチュリーの味方らしい。
「利害関係という意味でも貴方に協力しないといけないからねえ。これからは蜂にどうやって対処するかという局面になるから」
「急いでくれると私としてはありがたいな」
「言われなくとも。私達は裏切る気満々だけれど、向こうは世間知らずで、裏切りという発想自体が今のところない。この優位を活かせるのは蜂が人間社会での立ち振る舞いを覚えるまでの期間だけだから、その間で決着をつけるスケジュールで動くわ」
「それで蜂をやっつけるための魔法の研究というわけか」
「いや、貴方の出る幕はしばらくないわ」
パチュリーがつっけんどんにそう返すのを聞いて、魔理沙は少し苛ついた声色になった。
「なんだよそれ。私は足手まといだっていうのか」
「そもそも魔法で退治しようってのじゃないからね。使うのはここ」
パチュリーは頭の横を人差し指でつつく。
「計画は既に私の頭の中にある。船頭が多くても船は山に座礁するだけ。もしかしたら戦いになるかもしれなくて、そうなったらあの家の構造を熟知している貴方の出番になるけれど」
その後パチュリーは「戦いは手段であって目的ではない」とも言った。反撃の狼煙かとワクワクして盗み聞きしていたが、思っていたよりもだいぶ静かで陰鬱な感じになりそうだ。いささか興味が削がれたし寝なければいけない時間になったので私はそっと図書館から出た。
その後も図書館で話す魔理沙とパチュリーをしばしば見かけたが、具体的な計画について話している様子はなかった。二人共、本当に蜂を退治しようというつもりがあるのだろうか?
情勢が動いたのは魔理沙が家を追われてから一ヶ月程経った頃、紅魔館的には殆ど関係ないが世間はお盆の行事をしている、そんな季節だった。
図書館に蜂が来ていた。パチュリーが同盟の解消とかそれを通り越して宣戦布告とかまでするのではと内心色めき立ちながら耳をそばだてていたが、魔理沙に対面しているとき以上にパチュリーは上機嫌そうで、しかもあろうことかパチュリーは蜂に本を数冊渡し、蜂は恭しく礼をして去っていった。
これは問いたださなければならないと、蜂と入れ替わりで私は本棚の陰から飛び出した。
「パチェさ、私とか魔理沙とかを騙してない?」
「どうしてそう思うのかしら」
「しらばっくれても無駄だよ。蜂に本を渡しているのを見たんだから。蜂にとって脅威になりそうな人達をあらかじめ丸め込んでおいて退治されないようにして、甘い蜜を吸い取ろうとかそういう腹積もりなんでしょ。文字通りにね」
パチュリーは微笑した。しかしそれは私の甘い蜜という言い回しに感心しての笑みだったらしく、肝心のパチュリーが誰の味方なのかという真意はやっぱり読み取れなかった。
「これも計画よ」
「蜂に本を渡すのが?」
「無節操に本を渡しているわけじゃないの。哲学、政治思想、歴史。そういうのから読ませたいのを選んで渡して、逆に読まれたくない本は隠してあるから大丈夫よ」
パチュリーが指を鳴らすと本棚のいくつかを布が覆った。布の模様は本棚の後ろにある背景を映している。
「河童の光学迷彩技術を魔法で再解釈して作ってみた。試作品だけれどちゃんと機能するようね」
「飛んでるときうっかりぶつかったらバレない?」
「私もそれは懸念していて、指摘されたとき用の言い訳を用意していたんだけれど意外と大丈夫だったわ。あいつら元々所狭しと壁がある場所に住んでいるから違和感を覚えないんでしょうね」
「なんだそれなら良かった……。とはならないよ。検閲だよね、パチェがやってるの」
「悪い?」
「私はパチェの見え透いた悪意は嫌いじゃないけれどさ、道徳的には良くないでしょ」
「じゃあ逆に聞くけれど、検閲はどうして悪いのかしら」
「知りたい情報を得る自由を侵害している」
「そう。これは自由の問題なの」
「それってどういう……」
時計の鐘の音だ。タイミングがあまりにも悪い。今日はこれ以上パチュリーとやり合う時間はない。
「続きは明日ね」
「ああ帰る前に。早ければ明日にでも蜂が相談にフランのところまで来るかもしれない。こう相談されたらこう答えて……」
パチュリーがいくらか呟く。
「指図されなくても私の性格ならそういう答えになるって感じねえ。でも信じて大丈夫?」
「『敵を欺くためにはまず味方から』を地でいっているって自覚は私にもあるから、とりあえず今は信じてってしか言えない。でも本当に私がフランの敵で蜂の味方ってだけなら、味方である蜂相手に検閲なんてしないと思わない?」
パチュリーが敵か味方かはさておき、今すぐにパチュリーに「私は貴方の敵でした。申し訳ありませんでした」といった言葉を吐かせるのは無理なのだとこの発言で悟った。
「紅茶を持ってきました」
翌日の午前三時、メイド妖精がお茶とお茶請けを持ってきた。
「机の上にでも置いておいて……。じゃなくて、えーと、よきにはからえ」
「……? はあ」
メイド妖精は戸惑って一瞬固まったが、ぎこちない感じに動きを再開しトレーを机の上に置いた。
「ふむ。大儀であった」
「……。ああ、今日はそういう設定なんですね」
この妖精は礼儀の面で少し問題がある。もっとも良く言えば率直なのであり、何を考えているのか分かりやすいというのは今回の場合ありがたくもある。
「そう。どうかしら」
「良い演技だと思いますよ。ロイヤル感があって」
「演技ねえ」
それらしく振る舞えてはいるらしいが、演技であって本物の王様には見えていないらしい。少なくともお姉様よりは王様っぽい口調にしているつもりなのだが。
「これじゃあ駄目ね」
「えー」
何故かメイド妖精の方が不満をこぼす。ごっこ遊びか何かだと思って楽しんでいる。……ごっこ遊びで合ってるか。
「まあ良いわ。……チョコレート五個は多いわね。一個あげるから好きなの貰っていきなさい」
「あ、ありがとうございます」
今度はメイド妖精から自然な敬意のようなものを引き出せた気がした。しかし、これでは物で釣っているのと変わらないからやっぱりいまいちだなと思案しつつ紅茶を飲む。
そうしていると、本当にパチュリーの忠告通りに蜂が来た。
「大変お恥ずかしい話なのですが、王政の先達たる陛下にどうしても相談をお願いしたいことが……」
申し訳ないと思っているのだろうか。群れ全体が頭をヘコヘコさせている。先ほどのメイド妖精とのやり取りのせいで、王政の先達という評し方がとんだ皮肉に思えてしまうが、それは悟られぬようあくまで平静を装った。
「何かしら」
「最近他国の技術、知識を学ばせようと群れの一部を図書館の国に派遣しています。しかし、それらのうち何匹かが良からぬ思想にかぶれているようなのです」
「良からぬ思想?」
「端的にいえば王政の否定です。働き蜂の身分でありながら女王蜂との平等を要求している。しかし万人が貴族であることはできないのだから実質的には女王を平民の座に引きずり下ろす、あるいは女王を亡き者にして『働き蜂と比して不平等な者』が存在しないようにしようという策謀でありまことけしからん」
「ふむ。私がすぐにアドバイスをあげてもいいけれど、それじゃあ芸がないわね。貴方達はどう対応すべきだと思ってる?」
「我々は図書館の国への使節派遣を即刻やめ、借りている本は返還、王国内での新たな出版の試みを止めるといった対応が必要と考えております」
「一つ確認したいのだけれど、『良からぬ思想』に傾倒しているのは派遣団のうちの一部の蜂だけよね」
蜂の群れは肯定の意を示した。
「であるならば検閲は良くない。知識に罪はないのだから」
「しかし現に危険な考えが……」
「検閲よりスマートなやり方があるわ。問題となっている蜂を私のところに連れてきなさい」
それはなされた。蜂数匹を移送するためだけに乗り物の籠のような道具を使っているし、罪人の蜂は植物の繊維と固めた蜜で雑に縛られている。思えば蜜蜂は草食だから獲物を運ぶという本能に由来したスキルがないのだろう。
いや、私は自由研究の昆虫観察をするために蜂を連れてこさせたわけではないのだ。やるべきこと、見せしめの処刑を執行するべく手を握った。
蜂が一匹光って消えた。蜂相手には少しばかり力が強すぎたらしい。見せしめなら惨たらしく殺すべきで、消してしまっては意味がない。
今度は弱めに力を入れた。蜜が焦げる匂いがしたが、本体はいい感じに胸が潰れて頭と腹が泣き別れになった。
蜂は静まって、さらに私が一匹潰すと単に恐怖の感情を示した。
こんな弱っちいの相手に延々と国家ごっこを繰り広げていたのかと私は軽く幻滅した。つまらなくなって両手をだらりと下げたら、殺意が消えたのが伝わったのか、狼狽える大半の蜂に反して「反逆者」のうち残る数匹が安堵したかのように軽く動いた。その油断したところを破壊してやった。これだけは少し楽しかった。
処刑が終わって蜂達は帰っていった。動揺しているのか去り際の挨拶は形がひどく乱れていたし綴りが間違っているしでやたらと読み取りにくかった。そして熊相手に人間がそうするように、こちらに視線を向けながらゆっくりと、後退りで部屋から出ていった。
「言われた通りにしたわ。蜂の国は反抗的な思想の持ち主を処刑する社会になった」
「上出来よ。これで蜂の国にはバスティーユ牢獄が生まれた。史実通りよりもやや比喩的な意味での」
「パチェが何をしたいのか、大体見えてきたよ。極端な圧政を敷く絶対君主制勢力と共和主義を信奉する勢力に蜂の社会を二分し、後者に前者を革命という形で討たせる」
「ま、大体それで合ってるわね。何か不満なのかしら」
私の顔はだいぶ険しくなっていたらしい。
「まだるっこしくない? 罪人のレッテルを貼られた蜂を潰していて思ったけれどさ、数匹選んで潰すんじゃなくて、全部まとめて壊せば解決するじゃん」
「その考え方で一度駆除に失敗している」
パチュリーは食い気味に返答した。
「かつての駆除の敗因は女王蜂を一匹取り逃がしたこと。結局のところ、蜂と我々の大きさの差を踏まえれば、蜂を殺す方法はいくらでもある。真に問題となるのは確実に一族郎党皆殺しにするため殺すべき蜂を逃さない方法の方でしょ?」
「蜂に討たせた方が確実だと思ってるの?」
「革命に熱狂した大衆の執念というのは凄まじい。ルイ十六世らは脱出に失敗してヴァレンヌで捕縛された。ニコライ二世は妻と五人の子と共に銃殺された。当然革命が失敗に終われば元も子もないしこちらで暗殺してしまってもいいのだから革命には私も武力で協力するつもりだけれど、革命を利用することは女王蜂抹殺の戦力としても使えるし保険にもなる」
パチュリーは日が来たら戦いに赴くつもりらしい。私を戦力に加えるか否かがどうなのかということについて言及しなかったことが既に不穏ではあったが、このときにはまだ私もお呼ばれするのだろうという希望があった。
「で、革命はいつ頃起こりそうなの?」
私がそれを聞くとパチュリーの顔が曇った。
「実のところ、そこで行き詰まっているのよ。蜂の生物学的な特徴として女王に生殖を依存しているというものがあるのは分かるわよね? つまり女王とその後継者まで皆殺しにするとコロニーが絶滅する自殺になってしまう。結局、自分達が抑圧されていると考えるようになっても、自由人としての死より家畜としての生を選ぶのが人情なんでしょうね。あいつら人ではなく蜂だけれど」
「だからまだるっこしいって言ってるのよ」
それで一旦この話はおしまいになった。パチュリーにも問題を打開する案はないのだろう。相変わらず不機嫌な猫みたいな顔で本とティーカップを交互に持ち替えていて、今は本当に表情通りの気分なのだろうと思われた。
もっとも私に空気を読むつもりはないので、そんなのお構いなしに愚痴をこぼす。
「最初に蜂を潰したときの反応がさあ、まるでこの世のものじゃない人を見たみたいだったの。表情は読めないにしても動きとかで分かるくらい露骨に。普通に失礼だって話だし、罪人ってのは処刑するものなんだから処刑したあとで後悔するくらいならそもそも罪人のレッテルを貼るんじゃないよって。パチェもそう思わない?」
「あーはいはいそう思うわ……」
パチュリーは時間差で手に持っていたティーカップから指を離した。幸い空になっていたのでソーサーの上に倒れて軽い音を立てただけで済んだ。
「そうよ。私としたことが、なんでこんなことに気が付かなかったのかしら……」
翌日には既に異変が起こっていた。図書館内に没薬の香の匂いが立ち込めていたのである。
匂いの発生源の魔女は馬鹿みたいな量の香を体にかけているというだけでも既に滑稽なのだが、加えて古代ギリシャみたいな白布の服を着てそれを金色の鎖で装飾しているという謎のイメチェンをしていた。変な儀式でもするつもりなのだろうか。
「蜂に欠けていたもの、それは宗教よ。宗教の役割とは世界の説明と救済。この世の理は蜂が独学した魔法と私が吹き込んだ政治哲学で説明されているけれど、そこに死後の世界という概念を追加することで、死後の救済、あるいはアルマゲドンへの対抗という目的で死ぬことへの理由付けがなされる。そして魔法でも近代哲学でも説明できないそれは宗教それ自身によって根拠のあるものになるの。今日からは、人民が生まれながらにして平等であるべきなのは神がそう望まれたから、ということになる。民権神授説とでも名付けようかしら」
「ほーん。で、パチェはその宗教の創始者気取りで妙ちくりんな格好を」
「私が、神よ」
私は額に手を当て思案して、やっぱり「お前は何を言っているんだ」という感覚が拭えなかったのでその手でパチュリーの発熱の有無を確認した。相変わらず体温の低い魔女だった。
「何よ。私は正気だし健康よ。外の世界の宗教だって三位一体だし、幻想郷の中にだって巫女にして現人神がいるじゃないの。別にこの世のものが神であってもいいの」
「パチェは知らないみたいだから教えてあげるけれど、そういうのは神の名を騙っているっていうの」
「だから私は神を語るのよ。あ、フランは抑圧と不義を司る邪神にして破壊神ってことにしてるから」
「私を巻き込まないでくれる?」
「あら、邪神は不満だった?」
「それは大歓迎」
私は控えめに言ってパチュリーの奇行にドン引きしたのだが、蜂は、少なくともパチュリーの思想に共感していた蜂は「審判の時来たれり」とパチュリーの変貌を受け入れていて、殉教や聖戦といった概念が車輪の再発明されていた。私の元に処刑のため送られる「不義理な」蜂の数は増えていたが、それらが断頭されるたびに死刑になった蜂を贄にして信者はますます数を増しているようだった。
このままでは破局は明らかだったが、王党派は有効な手を打つことができなかった。共和派とはパチュリーから知識を得てそれを理解した者達であるからにして共和派の方が思想では上手だったし、「革命が失敗に終わった例」に関する本はパチュリーが頑なに秘匿していたのだ。
そして、蜂の寿命換算でそれなりの時、私達の時間感覚ですぐ、その日は訪れた。
五.
図書館の出入り口が封鎖されていた。
雨の降る音がしていた。静かな音である。激しくないということはにわか雨ではなく、長く降り続ける雨ということだ。秋の長雨である。
珍しくパチュリーは出かけていた。それも出不精だというのに、明らかに外出には向いていない天気の日に。
私は扉の前を行ったり来たりしながら、胸の不快感を言語化していった。雨の日に、図書館に鍵をかけて動かない大図書館が動いた。私を外からも図書館からも締め出して、勝手に何かをしに行った。しに行かなければならない何かには心当たりがあるが、それを私抜きでする抜け駆けは許せない。
私は扉を殴りつけた。地響きのような音が館を揺らすも、扉はびくともしない。パチュリーは本気のようだ。
そのとき、背後から蜂の一弾が来た。私が振り向くなり全力疾走で模様を形成し続けていてその慌てようが分かる。
「大変です! 共和主義者共が蜂起を始めました! 既に玄関周辺で交戦が始まっています! 敵には図書館の国の邪神と森の魔女が一人加わっております! 陛下には至急援助を頂きたく!」
私は肩をすくめた。
「知らないのかしら。吸血鬼は流水を渡れない。あいつ、それを知っていて雨を降らせたか雨の日を狙って動いたかしたのよ。忌々しいことに」
蜂は雲の形を崩して乱雑に飛び始めた。
「ところで、あいつは図書館に鍵をかけた。私もここ最近では覚えのないくらい厳重な鍵を」
私は扉を叩く。
「中に何を隠しているんでしょうね。それを壊せば、あいつの企みも相当邪魔できると思わない? そうでなくても、少なくとも腹いせにはなる」
蜂は激しく肯定の意を示した。
「いくよ」
私は手を握る。黒檀の扉は蝶番を吹き飛ばして崩れ落ちた。
魔理沙の家に満杯まで詰まったハニカム構造を二人の魔女が崩している。一人は紅魔館の魔女パチュリー、もう一人は森の人形使いアリスである。
アリスが依頼を受けたのは一週間前のことだった。
「今度の十三日の金曜日は空いてる?」
「暇だけれど何するの。黒ミサへのお誘い?」
「いや、ただ天気が悪いって予報だから」
「どういう理由よ……」
「不確実性を減らすためには雨である必要があるの。来週金曜に蜂の政権を転覆させる」
「ふうん。戦力は?」
「蜂の三割と私、そして首を縦に振ってくれたら貴方」
「少ないわね」
「むしろよく三割もの蜂に死後の救済を説得できたものだと私を褒めてほしいわ」
アリスは頭のネジが数本飛んだ人に対してするような憐れみの目でパチュリーを見た。彼女からはまだ神になりすますための香の匂いが漂っていた。
「裏で阿呆なことやってるというのは分かったわ。私が聞きたいのは他の魔法使いはってことよ」
「魔理沙は共和派の蜂からも敵視されてるから誘えない。成美は仕事。まあ貴方がいれば百人力よ」
「人形の軍隊が手に入るから?」
「それもあるけれど、カラーリングがなんとなく革命フランスのトリコロールっぽい」
「はあ」
そんな会話をアリスは思い出していた。
蜂は二種類の旗を持っていた。蜂が旗を持つというのも奇妙だが、国家というのは旗を持ちたがるものらしい。
一種類は百合の花と蜂を混ぜたような金色の模様を青地に沢山つけている。王国時代のフランスはこういう旗を使っていたと本で見たことがある気がする。
もう一つは黄と白と青の三色で塗り分けられていた。赤と黄色の差のためトリコロールにはあまり似ているようには見えないが、何にせよ三色の塗り分けは蜂でも人気らしい。
「王国っぽい旗が王党派で、共和国っぽい旗が共和派」
「分かりやすくてありがたいわね。で、私達はこのちっちゃく飛び回っている蜂達の敵味方をどうやって見分ければいいの?」
「……蜂には分かるのよ」
「考えてなかったでしょ」
「数発までなら誤射よ」
図書館内にも何重もの魔力障壁が貼っていて、さながらマトリョーシカ人形の様相を呈していた。とはいえ私の能力の前には時間稼ぎにしかならない。多分パチュリーもそれは分かっていて、だからこそ時間を最大限に稼ぐために厚い障壁を一枚ではなく最低限の障壁を多数という構成にしているのだと思われた。
「邪神は何を隠しているのでしょうか」
「さあ。でもどこにあるのかは分かりやすいね」
「そうですか?」
「女王と同じよ。一番奥の一番厳重に隠された場所に置いている」
流石に面倒になって直線上に穴を開けるように壁を壊した。貼りすぎた壁の並びがそのまま「ブツ」を示す矢印になっている。それはパチュリーがいつも使っている机の辺りを指している。
「罠という可能性はないでしょうか?」
蜂が私の視界に入り込んで懸念を表明した。
「確かにパチュリーは策謀を張り巡らせるのを好むけれど、無駄なこともしない。まして蜂を攻めるのに力を使っているんだから、ここの防御に魔力を使う余裕は本来ない。ダミーの壁があるとは考えにくいわね」
果たして机の上にこれ見よがしに黒い水晶玉が置いてあって、それを囲むように貼られている結界が最後のようだった。結界ごと水晶玉におもいっきり力を加えて、それは粉々に割れた。
「これで、邪神の策も妨害できましたかね」
「どうだか」
効いているというのは床に散らばる黒い破片を見ても明らかなのだが、視覚に見える現実に反して、なんだか加えた力が没収されたような感覚があり、私は手を閉じたり開いたりしながら首を傾げていた。
蜂の巣攻略は難航していた。蜂のうち七割は巣を壊されまいと必死に抵抗する。蜂の体躯では防護魔法さえ展開していれば取るに足らない蟷螂の斧だが、逆に言えば防護魔法を都度張るのに足を止められるということでもある。魔理沙から家の間取りを貰っていたが、全部蜂の巣で壁も天井も見えないでは今自分達がどこにいるかも分かったものではない。全部蜂の巣があるのが悪いのであって壊せば解決するのだが、魔理沙に家を壊さないようにと強く約束されていて、主に「うっかり壊してしまったら後から煽られるだろうがそれは避けたい」という魔法使いのプライドから巣と壁の区別は慎重にしなければならず、攻略は遅々として進まなかったのである。
それでも、時間をかければ確実にこちらが勝てるという点において、いささか予想外であるとはいえパチュリーの想定の範囲内ではあった。彼女が背負っていた箱から歯車が周る音が鳴るまでは。
「何その箱? 音がするけれど」
蜂の羽ばたき音がそこら中でするのによく聞き分けられたものだとアリスは自分自身の耳に驚いた。
「有り体に言えば時限爆弾ね。しかし音が鳴ったとは参ったね。予想外に早く作動が始まってしまった」
「河童にでも貰ったの?」
「いや。魔術的なものよ。爆薬で作動させるのではなく、他の地点で加えられた力を時間差で球状の爆発として伝達するという機械なの」
「どのくらいの時間で」
「五分後」
「割とすぐね。じゃあ一番重要な点。威力は」
「フランドール・スカーレット」
「馬鹿じゃないの」
アリスは考えられる限りで最悪の答えを聞いて時が止まった感覚を覚えた。それを埋めるためにもう一度同じ言葉でパチュリーを罵倒した。
「馬鹿じゃないわよ。考え得るうち一番確実な女王暗殺方法でしょ」
「あの吸血鬼の妹を使うことそのものが悪いって言ってるんじゃないの。力が必要なら直接連れてきて然るべきタイミングで直接使わせればいいじゃないの」
「そうするとフランが王党派を裏切ってこちら側についたと蜂に認識されてしまう。もし万が一この計画が失敗に終わったとき、フランが王党派のままだったほうが二の矢をつぎやすいでしょ。私は幾重にも可能性を想定する魔女なの」
「それは結構なことだけれど、初回で成功すれば要らない保険よね。その初回がこの最悪に不安定な保険のせいで失敗に終わりそうという本末転倒について、何か申し開きはあるのかしら」
パチュリーは智謀に長けるが実戦はからっきし。人形使いとして歴戦の小隊長張りの前線指揮能力を知らず知らずのうちに身に着けていたアリスからは余計にそう見えることだろう。それは周知の事実なのでもうどうでも良いのだが、自分を巻き込まないで欲しいものだとアリスは舌打ちした。
「間に合わせれば良いんでしょ」
パチュリーは駆け出した。蜂の巣迷路と重い爆弾、本人の運動神経という各要素が組み合わさった結果の時速三キロという歩くのと変わらない速さで。
「特攻って言うのよ、それ」
「持久力とHPは別物。死にはしない」
「それ、持久力がないから無理ってことじゃない。ほらあ」
パチュリーは床の上に作られた巣を踏み抜き、それに足を引っ掛けて勢いよく転倒した。蜂が大量に群がり、何箇所か刺されて毒が入ったのか、単純に蜂の重さに潰されているのか、パチュリーは動く気配がない。
アリスはパチュリーの背中の箱を拾った。馬鹿馬鹿しい戦争ごっこから抜け出して帰るという選択肢もあったが、良心、あるいはここでパチュリーを見捨てると後からレミリアあたりに散々に文句を言われるだろうという怠惰がパチュリーを助ける選択肢を選ばせた。
「最初っからこうすれば良かったのよ」
アリスは火薬入り人形を取り出した。魔理沙に家は壊すなと言われていた手前、一応用意しつつも使うのは自重していたがそんなこと気にしている場合ではない。というかいざ使おうと決心すると、あんな詐欺師みたいな奴の頼みを律儀に聞き入れていた自分達が惨めに思えてきた。
アリスは二階の最奥部の部屋に向けて直線に道を作るよう発破した。パチュリーから女王がどこにいるか聞きそびれていたが、ボスというのはダンジョンの一番奥にいるものだ。
人間と蜂との決定的な違いの一つとして、蜂は玉座を飾らないというのがある。だから、視界の一番遠くに見えている六角形の集合体の中に女王がいるかどうかなんてアリスには分からない。分からないが時間もないのだ。彼女はためらいなく爆弾を投擲した。
三、二、一、ゼロ。
六.
蜂が革命を起こした翌日、王党派の残党が女王蜂の亡骸を背負って私のところに来た。
爆弾は二階で炸裂し王女はそれで死亡したが女王は一階にいて無事だった。しかし大混乱の中で慌てて脱出を図ったところを待ち伏せていた共和派に討たれたらしい。パチュリーの第一の策は躱したが、革命大衆の執念という第二の策に絡め取られたのだ。
女王が死んだ瞬間王党派は滅亡した。忠誠を向ける先もいなければ子孫の再生産という機能も失われて女王を頂点とした伝統的社会に一切の価値が失われてしまったのだから必然である。四十枚の駒の過半を掌握していたとしても王将を詰まされたら将棋では敗北になるというのと同じ理屈。
王党派のうち半数は諦めて共和主義に迎合することを選んだ。イデオロギーの転向による適応ができなかった残り半分が行ける屍として紅魔館地下に最後の外交行動をしにやって来た。
残党の要求は二つ。一つは女王蜂の埋葬。渡されたそれは美しくもあり醜くもあった。亡骸はできるだけ美しく見せようと王党派残党による修復と化粧が施されており、死してなお遺るその権威が美しかった。しかしその努力によってもなお、打撲され、噛まれ、刺された体は傷だらけで歪んでいた。
そしてもう一つは。
「介錯をして欲しい、と」
「ええ。他者を殺める方策、これは本能的に備わっているものですが、自らを殺める手法というのは恥ずかしながら蜂の短き歴史において蓄積はなく。既に一度死に場所を失った身。これ以上死にそびれて生き恥を晒したくはないのです」
「その精神性を人類史から見出して、肝心のやり方は会得できないというのは難儀なものねえ」
蜂は答えず、めいめい小枝を取り出した。これ以上話すこともないのだろう。折角だから辞世の句でも読めば良いのに。そのために集団体操をするのは間抜けだということか、あるいは本当は辞世の句を読んでいるところなのだが人妖には伝わらない手段で行っているということか。
ともあれ、何匹かが胸に枝を刺したのを見て私は蜂達を潰した。梱包材に使われているシロツメクサを踏むが如く容易に死んでいったが、無抵抗な小虫を壊したところでなんの手応えもないし、物凄くつまらなかった。
「まあ、なんだかんだ言って壁と天井の一部が吹き飛んだだけだし内装は空だったんだから被害としては軽いでしょ。アリスが二階に仕掛けることを選んだことに感謝しなさい。おかげで一階から崩れて全部建て直しっていうのは避けられたんだから」
女王を庭に埋葬した後図書館に寄ったらパチュリーが弁明する声が聞こえてきた。
パチュリーは点滴を刺した状態で絶対安静との処置がなされていた。療養に向いた個室など紅魔館ならいくらでもあるが、半径五メートル以内に本がない環境に長時間置かれると死ぬという本人の自己申告により紅魔館内にベットが配置された。その真偽はさておき、そこまでパチュリーのところに近づいていないのに声が聞こえてくるあたり意外と元気そうである。
本棚の区画をいくつか通り抜けたところで横を向いたパチュリーと目が合った。口は達者だが、管を片腕から伸ばしてベッドに横たわった姿で立って腕組みした怒り顔の魔理沙と対面していてどうにも締りが悪い絵面である。さぞ威厳も落ちたことだろうと思いきや、自らを磔刑に処された聖人になぞらえることで引き続き蜂の信仰を集めることに成功し続けているらしい。転んでもただでは起きないのは流石である。
「あらフラン。丁度いいところに」
パチュリーが私に声をかけると魔理沙はため息をついて去っていった。私が来ていなかったらもう少し粘っていたか、最悪暴力沙汰にでもなっていたのだろうか。
「本当困ったものよ。全く誰のおかげで家を取り戻せたと思ってるんだか」
パチュリーは魔理沙が帰ったのを見て愚痴をこぼしはじめた。私はと言えば、机に乗っている物を見て、魔理沙には少なくとも暴力に訴えるほどの悪気はそもそもなかったのだろうとほっとしていた。籠に入った見舞い品の林檎を一個取り出してかじる。
「丁度いいってのは愚痴相手としてってこと?」
「あいや。失礼。……外に出てた?」
「うん。女王蜂を埋めに。よく分かったね」
「横になると振動を感じる能力というか聴覚というかが研ぎ澄まされるのよね。地下から一人上がって、玄関を開けた気がした。しかし、本当に女王も死んでたのね。話には聞いていたのだけれど」
パチュリーは安堵した表情になった。そこには亡くなった女王への哀悼の意など微塵もなく、ある意味冷酷な顔だった。パチュリーにとっての戦いとは単に蜂を退治するという戦いではなく、いかにして蜂を根絶するか、という戦いだったのでそういう感情にもなるのだろうが。
「これであとは時間が解決してくれるってことでいいよね」
「まあ蜂に関してはそうなんだけれど、少し問題が起きていてね……」
パチュリーは歯切れ悪く息を伸ばした。
「歴史を踏まえれば当然予想しておくべきだった。今や熱烈で急進主義的な共和主義者となった蜂たちは『革命の輸出』を狙っている。つまり他国の王政を武力によって転覆させることを望んでいる」
「でも幻想郷に支配者なんて……あ」
「気がついたわね。蜂にとって一番身近で、女王が支配する国
が」
「あとパチェも」
「いいえ、私は対象外」
「蜂にとっての神がいるから? ズルい」
「蜂にとっては『図書館の国』は私が唯一の国民なの。最初は偶然だったけれど、作戦を思いついてからは意図的に蜂が侵入しうるタイミングでは小悪魔を出さないようにしていた。唯一の国民である以上この国の皇帝は私だけれど、私は誰からも奪っていない。誰も殺さず、とはいかなかった分史上最良とは言えないかもしれないけれど、同じ称号を有した人間でこの点で私に勝てる人はそういないんじゃないかしら」
やっぱりパチュリーはズルいと思った。
「でも問題なくない? パチェはともかく私なら蜂くらい余裕で勝てるし、どうせあと半年もしないうちに残ってる蜂も寿命で死ぬでしょ」
「私はともかくってのだけ余計よ。大体戦って勝つってのは次善。最善は戦わないこと。それに、王様ごっこにも飽きた頃合いじゃない?」
「まあ、そうね。言い方から察するにまた何かよからぬ策があるのね」
「もちろん策はあるわよ。最高に良いのが」
パチュリーの言う策のために私達はお姉様に全てを話すことになった。魔力を得た蜂が私のところに来て、私が紅魔館の女王、パチュリーが図書館の主ということにしてそれぞれ同盟を結んだこと。その蜂達は魔理沙の家を乗っ取り、しかしパチュリーの策謀により内部分裂を起こし女王とその後継は討たれたということ。そして共和主義者と化した蜂が紅魔館の女王である私の首を狙っているということ。
「フランなら蜂なんて楽勝でしょ。……というのは本筋じゃないんでしょうね」
お姉様は私達を値踏みするような目で眺めて、それが終わると私の方だけを見て聞いた。
「女王役は楽しかったかしら」
「思ったより楽しくなかったわ。お姉様はよくこんなつまんない仕事数百年も続けられるよね」
「私が紅魔館の主をしているのは仕事じゃなくて役割。役割は仕事と違って『嫌だから辞めます』と簡単にはできないものよ。まあ嫌だと思ったことはないけれど。フランの演じた王国には致命的に欠けているものが一個ある。分かるかしら?」
「私の王としての素質」
お姉様は首を横に振った。
「違うわ。足りないものは領民。確かにフランの所に来るメイド妖精とフランとは上下関係にあるし、蜂はそれを見てメイド妖精が国民と思ったでしょうが、フランとメイド妖精との間にはフランが妖精を統治し、支配するという能動的な関係性がない。フランの統治には善政も悪政もなかったでしょうね。統治を評価しフィードバックしてくれる存在がいなかったら一人遊びにすぎないわけで、そりゃ飽きるわよ」
お姉様はメイド妖精、そして咲夜や美鈴を政治で統治するのが楽しいらしい。政治というのも統治というのもよく分からないが、領民を富ませる育成ゲームということで良いのだろうか? 私はじっと待って育てるよりは壊す方が好きだし得意だ。統治が好きにはなれそうにないというのはやっぱり素質の問題に思える。
「まあ何にせよ、元の鞘に収める、体面的にはフランから私に譲位するってことで良いのよね?」
「ちょっと違うわね。それだと王政のままで蜂の標的になり続けるでしょ」
「なにか問題でも? 私だって蜂くらい余裕で勝てるわよ」
「なんで吸血鬼ってこうも脳筋なのよ……。戦わずに平和裏に解決できればその方が楽でしょって話。代わりにレミィには女王ではなくなってもらうけれど」
「紅魔館の主相手によくそんな提案ができるわね」
「実質は変わらないわよ。単に称号と手続きの問題で。大統領ってのはどう?」
「紅魔館初代大統領……。悪くない響きね」
お姉様は満足そうに頷いた。
三日後に紅魔館に住んでいる者全員に投票権が与えられた選挙が行われ、お姉様が九割以上の得票を得て勝利した。逆に一割近くがお姉様に投票しなかったのだが、お姉様は単に悪ふざけだろうと寛容だった。むしろ十割でないだけかえってそれらしい結果に見えるようになったとも。シラクサの王は人を信ずることができぬ邪智暴虐の王だったが、紅魔館の女王は人を疑うことを知らぬらしい。どっちもどっちに思える。
「初代大統領就任式」は広間で行われた。私の玉座の間、もとい寝室と比べるとその華やかさは雲泥の差で、見るべき人が見ると明らかに貴族の見栄の象徴だと分かる。が、式に招かれた蜂はお姉様の正当性について特に疑問を抱いている様子はなかった。民主主義というのはあくまで権力の選出手段で、権威を有している事自体は罪ではないという哲学を蜂達は採用することにしたのかもしれない。
お姉様はパチュリーが用意したらしいそれらしい原稿で演説していたがそれらしいということ以外はなんら耳には入らなかった。この場にいる者全員、お姉様含めて明日には忘れているだろう。これは最後にして最大の茶番なのだ。無論蜂は茶番であるとはまるで思っていないようだが。
私はこの式典を少し下がった、メイド妖精達と同じ場所で聞いていた。パチュリーが意図的にこの場所に私の席を充てがったというこれも一種の演出だが、私は一足先につまらない女王ごっこの茶番から抜けることができて清々していた。
七.
久しぶりに蜂が来た。群れではなく一匹だけ。しかし何を目的に来たのかを知ることは叶わなかった。蜂が来たのに気がついたとき、私が目を覚ましたときには既に死んでいたのである。
私は床に転がっていた蜂の死骸をつまみ上げて観察した。とはいえ観察したところで死因は分からない。羽の角度がおかしい気もするので排気口から出たときに落ちて背中を床に打ち付けたのかとも思ったが、転落死が死因というより、蜂なのに飛べないくらいまで弱っていた方を死因とした方が適当にも思える。それ以外は丁寧に足をくの字に折りたたんでいるところとか、虫が死ぬときは概ねこんな感じの外見になるのだろうという感じである。
死因もだが、今際の際に挨拶しに来たとして、私のところに来た理由も謎だ。王党派の蜂は革命とその後始末で全滅していた。共和派の蜂なら「大統領」であるお姉様の方に行きたがると思う。もしかしたら蜂は私の寝室に繋がる経路しか知らず、それを経由した遠回りでお姉様の部屋を目指そうとした途中で力尽きたのかもしれない。
この説が正しいのなら蜂にとっては不本意だろうが、私はお姉様には伝えず自分で埋葬してやることにした。お姉様だって蜂の死骸を持ってこられたところで対応に困るだろうなと思ったのだ。死人に口はなく、葬儀とはただ生者のために行われる。
墓は女王の隣に作った。パチュリーにそそのかされて真に共和としての死後を願っていたのならとんだ詐欺だろうが、宗教なんてそんなものだ。私はパチュリーの説く思想にはあまり共感できなかったし(大体パチュリー自身本心から言っていたのかどうかも怪しいし)、家族は一箇所に埋葬されるべきだという慣習の方が正しいと思う。
ここのところ天気が悪かったので庭のどこかに水たまりができていて濡れはしないかと内心心配していたが、幸い土が湿っている程度で、今日の空気はむしろ乾燥していた。
穴を掘って蜂を埋め、少し盛り上げて入れ直した土に十字架を刺すため、薔薇の小枝を折りに立った。
それで茂みに手を伸ばしたら手の甲に冷たいものが触れた。反射的に引っ込めると雪がついていた。
そういえば冬が始まる頃になっていたのだ。黒い空に、月明かりに照らされた白いものが落ちていくのを眺めながら、私は五百年分の蜂だけではなく、五百年分の王国の衰勢も見たのだとようやく理解した。
紅魔館の地下にある私の寝室に蜂が飛んできた。それも一匹だけこっそりと紛れるように入ってきたというのではなく、通気口越しに蜜蜂が百匹くらい来た。
「鼠一匹通さないと評された我が館のセキュリティも随分と開放的になったものね」
皮肉を飛ばしつつさてどうしたものかと思案する。蜂と出くわしたときの対処法としては慌てず騒がずだと物の本に書いてあった。しかしそれは人間流の対処法であり、吸血鬼なら真正面から大立ち回りを演じても普通に勝てるのではなかろうか。
だが私はしばらく様子を見ることにした。刺されるリスクを鑑みたというのもあるが、それ以上に物珍しさがあった。蜂、とりわけ蜜蜂は外で花の蜜を吸う昼行性の虫だ。引きこもりの吸血鬼にはそうそう見れるものではない。同じ殺すにしても一生分、せめて五百年分は鑑賞してから殺そうと決定した。
それを決定してすぐ、雲を形作るかのように乱雑に飛んでいた蜂がそれぞれ向きを変えて、明確に記号を作った。王冠の形だ。
偶然か意図してか、意図的だとしてどのような意味を込めているのか、分からずに私は首をかしげた。私の疑問を感じ取ったのか、蜂の群れはまた形を変えて、今度は文字になった。漢字混じりの英語と象形文字的記号を組み合わせた、果たしてこの蜂達は何から学んだのかと謎になる言語だったが意味はとれた。
「偉大なる貴公、赤煉瓦の王国の女王へのご謁見が叶ったことを、我が国を代表してお礼申し上げます」
誠意は伝わってくる。外交挨拶として正しいのかどうかは分からない。多分蜂も我流だし私も外交なんてものは知らないので正しさを審判する存在はここには不在である。
それ以前に、どうも私を女王だと勘違いしているらしい。巣一個が国のような蜂という昆虫が館の主を女王とみなすという認識になるのは分からなくはないが、それならば女王はお姉様の方になる。
「貴方達と我々とでは姿形も文化も全く違う。私をこの館の主と判断した根拠が知りたいものね」
蜂はブブブという羽音でホバリングしながら一瞬固まった。床や家具、壁に足をつけている蜂は首をひねっていて、何が疑問だったのか分からないといった風である。しかし十秒もすると納得したかのようにまた動き回答を出した。
「女王とは国の要。であるならば国土の最奥の一番安全な場所に鎮座しているのが道理というものでしょう」
「違いないわね」
私は大仰に足を組み直してそう言った。紅魔館目線ではとんだ簒奪者になってしまうが、王様扱いはいざされると存外気分の良いものだ。長子相続権を採用した数多の国家の歴史において兄を殺害しての王位簒奪の試みが耐えなかった理由が、今なら心で分かる。
「この度、我が国も艱難辛苦の冬の時代を乗り越えてついぞ独立を果たしました。ひいては貴国とも是非国交の樹立を通した互いの発展と可能ならば外患への対応のための安全保障条約の締結を……」
ああ今は冬が明けた頃かと部屋の中を見回したが、赤い壁と床、天井の六面にアンティーク調の家具や人形などがいくらかあるだけで季節感のあるものは一個もなかった。強いて言えば今日のおやつは桜餅だったはずだが、流石に胃の中身を出して確認するわけにはいかない。
まあ昆虫の建国もとい巣作り事情など正直どうでもいい。重要なのはいかに女王らしく振る舞うのかということで、軽率に了承するのは違う気がした。
なので、私はもう少し探りをいれることにした。
「……。『貴国とも』? 私のところ以外にも行ったんだ」
「貴国とは別というと語弊があるのかもしれません。この館の書庫を収める領邦の君主と先程同盟を締結したところなのです。関係性を踏まえると貴国に先に話を通すべきかとも思いましたが、例えば西欧の伊太利亜国内に所在するサン・マリノ国のようにある国の領内に別の国家が存在することがあること、そのような例においても独立国は国際社会において対等な地位にあるべきという先例や慣習に則って判断させていただいた次第です」
パチュリーのところに先に来ていたらしい。確かに立場上は図書館の管理を任されている居候だから独断で動けはするのだろうが、それにしたって何段階かをすっ飛ばしていきなり同盟とは意外と思い切ったことをやるものだ。流石に気になる。
とはいえやっぱり今の状況では「じゃあ我が国とも仲良くしましょう」と即決はできない。
「我が国も貴国の新たなる旅立ちを祝福するわ。しかし国家承認を超えた条約ともなると国の行く末を決める重大な決断になるから、すぐには答えを出しかねるわね」
「では三日後改めて伺いましょう。我が国の外交状況は正直なところ逼迫しております故、快い回答を期待します」
「ふうん。蜂の社会というのも意外ときな臭いのね」
壁掛け時計が五回鳴った。
「時間よ。私はそろそろ朝餉にしなければならない。貴方達もうちの家来に見つかるのはまだ良くないでしょう?」
「そうですね。一旦お暇するといたしましょう。また三日後に」
蜂は方形に群れの形を整え、この日最後の信号を発した。
「偉大なる貴王国と我が王国、我らがRoyal "Harmey"(王立「蜂蜜軍」)に栄光あれ」
二.
図書館は相変わらず暗く、空気は除湿されて乾燥していたが淀んでもいた。そういう陰気くさい部屋の中央で魔女はいつも通りに不機嫌そうな顔で分厚い魔導書のページをめくっていた。もっとも彼女は元々こういう顔なので内面は不機嫌とも思っていないのだろう。ふてぶてしい顔をした猫みたいなものである。むしろただ本を読むことに集中できるこの環境を望ましく思っている節がある。
私はこの猫顔の魔女に、蜂との友好について問うた。
「蜂と同盟を結んだんだって?」
「そうね。国家ごっこをしているのは向こうに話を合わせてあげているってだけだけれど、こっちにも実利はあるから協力関係を築くことはやぶさかではなかったわね」
「実利?」
「蜂蜜と魔理沙への罰」
「パチェって蜂蜜好きだったんだ。っていうかなんで蜂との関係の話で魔理沙が出てくるのさ」
「あの蜂の国家
の成り立ちについて聞いてないの?」
「冬が明けたから増えて自分達は国家だっていう自我を持ったってだけでしょ」
私がそう言うと、パチュリーは座りながらずっこけて、開いた魔導書のページの間に顔をうずめた。
「どこをどう解釈したらんな単純な話に歪曲できるのよ……。いいわ。あいつらに代わって教えてあげる」
パチュリーは顔を上げて、腕を組み目を閉じた。
「あれは魔法の森の蜜蜂でね、どこにでも魔力がある環境柄、花の蜜や花粉を集めるごとに蜂にも魔力が濃縮されていく。そうすると魔法が使えるだけの魔力を溜めた蜂が出てくるの」
魔力、魔法は様々な効能を生むが、目に見えにくいが重要な作用として知能の高まりがある。頭が良いから魔法使いになるのではなく、魔法使いだから頭が良いのだ。それで蜂達もかなりの知能を有していたのだろう。
「普通なら小賢しい蜂になる程度でバランスが取れるのだけれど、あの馬鹿が最初から魔力を込めた巣箱で蜂を育てることを思いつきやがって。で、最初は高濃度の魔力を含んだ蜂蜜を回収することに成功していたのだけれど蜂の知能が高くなりすぎて魔理沙の家を乗っ取りましたとさ、めでたしめでたしってわけ」
「なんか私のところに来た蜂はそんなにイケイケな感じではなかったけれど」
「そのときに魔理沙の家を占拠した蜂は退治されたからね。ただ魔理沙もその尻拭いをした人達も気が付かなかったんだけれど、複数の巣箱で蜂を飼育していたわけだから女王蜂も何匹かいて、うち一匹が偶然生き残っていた。蜂の言うところの『分家の生まれだが連合王国全ての王冠をかぶる権利を有する』のが」
「ああ。『艱難辛苦の冬の時代』ってのは比喩だったのね。生き残りがどっかで再起を図っていたわけだ」
「大体今は冬の終わりどころか五月の頭だしね。質素な内装で過ごすのはいいにしてもやっぱりカレンダーもないってのは不便よ。私の方からもレミィと咲夜に言っておくから貼ってもらいなさい。……蜂の話ね。まあそんな経緯でできたコロニーだから蜂は魔理沙のことをすっごく恨んでいる。あいつらの歴史観だと魔理沙宅は自分達の正当な領土で今は一時的に亡命しているに過ぎない、になるのね」
話を聞く限り、魔理沙が馬鹿をしたのはそうな上でどうも蜂側のが侵略者にしか思えないが、視点が変わればということなのだろう。
「で、パチェは蜂の歴史が正しいのかどうかはどうでもいいけれど魔理沙をギッタンギッタンにするのに使えるから協力したと」
「別にそこまでは思ってないわよ。盗んだ本を返して頭下げるくらいまで反省してくれたらそれで良くて」
パチュリーは頬を膨らませて反駁した。
「あと蜂蜜ね。魔力入りだし喘息にも効くのよ。前払いで貰っといて良かったわ」
パチュリーは健康食品の宣伝をするサクラみたいなことを言いながら、グラスに黄色の液体を入れて私に勧めてきた。
「なんか変な臭いするんだけれど」
体力もやしのパチュリーが飲んで平気なのだから私が飲んでも死にはしないだろうと一気に口に含んだら臭い通りに珍妙な、酢を腐らせたらこうなるのだろうという感じの味がした。
「なにこの不味い酒みたいなの」
「蜂蜜酒よ」
「なんで酒にしたのさ。蜂蜜そのものならまだ紅茶に混ぜるとかお菓子に使うとかやりようがあったじゃない」
「酒にしないと変質するらしいから酒にしたのを送ってもらったのよ。しかし味についてはフランの言う通りね。あいつらの知識って魔理沙の家の本由来だと思うんだけれど、醸造の本は読まなかったかそもそもなかったんでしょうね。次からはこっちで酒にするわ」
私が最低級蜂蜜酒の一気飲みでむせているのをパチュリーは意地悪く観察し、それが落ち着くと質問をしてきた。
「率直に、あの蜂達についてどう思う?」
私はランプの火も届かない黒い天井とその近くの壁のあたりを注意深く観察した。
「蜂は入ってこれないから大丈夫よ。そういうセキュリティになっているから。……なにその不信そうな顔。確かに鼠の侵入を許していることは認めるけれど、人間に限りなく近い鼠と人間を見分ける術式は物理的に組めないってだけで虫を入れない結界ってだけなら簡単なんだから。その証拠に蝿一匹、蚊一匹飛んでないでしょ」
「まあ確かに。そうねえ。とりあえず、知識は相当なものよね。でも教養的な知識じゃなくて基礎的なおつむでは私達にはまだ勝てていない。居る場所だけで判断してお姉様じゃなくて私を女王だと勘違いするくらいだし。本だけで子供時代を過ごした世間知らずって感じ。パチェみたいな」
「フランみたいな?」
私達は乾いた笑いを一瞬しあったが、また真面目な顔に戻った。
「じゃあ今後はどうなると思う?」
「あれには学習能力があるわけだし、自前で効率的な魔力収集方法を見つけているのだから知能が頭打ちとは到底思えない。じきに人間を凌駕するでしょうし、それで人間に取って代わったとして人間がそうしてくれたように妖怪
を怖がってくれるかどうか分からないよね? そんなハイリスクなものとよく協力する気になれたなって、私にとってはそれが一番疑問だったんだけれど」
「模範解答ね。幻想郷全体のバランスを踏まえた意見。賢者達もただフランを連れ出しているわけじゃないようで安心したわ」
「感心してるとこ悪いんだけれど蜂に協力してるパチェもハイリスクってことだからね。お姉様にバレたら放逐されても文句は言えないよ」
「安心しなさい。目的が達せられたら裏切るつもりだから」
「勝算はあるの?」
「あるから同盟することにしたんじゃない。ただ裏切るには協力者がいた方がやりやすいわね」
パチュリーは真っ直ぐこちらを見つめた。
「……私を協力者に。つまり蜂に反逆するときに戦って欲しいと」
「その前段階から。フランにも蜂と同盟を結んで欲しいの」
「なんでさ。裏切り前提なら相手を助けるのは悪手でしょ」
「奇襲のためにはあえて信頼を稼いでおいた方が得でしょ」
パチュリーの真意には二通りの可能性があると思った。一つは言葉通りに作戦のために裏切ることを目的とした同盟を組んで欲しいと思っている以上の意図はないというもの。そしてもう一つは、蜂に操られるか何かして、蜂に奉仕するため言葉巧みに蜂の味方を増やそうとしているという可能性。
私はパチュリーの顔色や漂うオーラを観察したが、どちらかはさっぱり分からなかった。こういう他者の気持ちを読み取るというのはお姉様の領分であって私ははっきり言って苦手である。私が読み取れるのは悪意の有無だけで、今のパチュリーは悪意たっぷりだった。しかし発言が本当だとしたら蜂を、嘘だとしたら私をそれぞれ騙しているのだから結局真偽に関わらず悪意はあるのだ。今この場の状況を判断するにはなんの役にも立たない。
だからパチュリーが蜂に対してそうしたように、私も実利だけで動くことにした。蜂から何かを対価として貰おうというつもりはないから、どれだけ得れるかという損得勘定ではなく、どれだけ失わずに済むかという損得勘定である。
蜂とはどうあがいても敵対する。蜂との関係性の選択なのに実は蜂とどうしようが変わらないのだ。
蜂と一時的にでも手を組むと魔理沙が酷い目に合う。しかし所詮魔理沙は他人だし、私が蜂に味方しなくても痛い目は見そうな経緯だ。全く可哀想ではないと言えば嘘になるが、「嫌な事件だったね」の一言で流される程度の悲しさである。
一方パチュリーの提案を拒否するということはパチュリーとの敵対を意味する。これはこれで蜂が悪知恵をつける前に潰せるというメリットがある。だがその利点は同時にパチュリーを倒さねばならない面倒さで希釈されてしまうし、パチュリーとの友人関係や彼女が図書館を管理することで館に与えている利益にヒビを入れるデメリットには見合っていないように思える。
「分かったわ。明後日に私のところにまた来るよう蜂には伝えているから、そこで紅魔館としても同盟を組むと伝える」
三.
「我が勇敢なるRoyal "Harmey"は邪智暴虐なる霧雨魔法国を一気呵成に攻めたて完膚なきまでに撃滅いたしましたこと、女王陛下にもご報告いたします」
同盟を組んでしばらくした初夏のある日、いよいよ情勢が動いたという報告が蜂からもたらされた。蜂側の視点から出される大本営発表はいささか割り引いて解釈しなければならないが、勢力図として魔理沙の家が蜂の手に落ちたことは事実とみなして良いだろう。
個人的にはせっかく蜂と同盟したのに戦いに呼んでくれなかったことが物凄く不満だった。折角の暴れまわるチャンスだったというのに。しかし、だからといって癇癪を起こすのは女王っぽくない。玉座の上でふんぞり返っているだけなら楽かと思っていたが、そうではないというか、ただ威張るだけというのもいざそういう立場になると意外と大変なことのようだ。
「まずは『再征服
』おめでとう。しかし前回は魔理沙の家を落とした後退治されたのよね。そこへの対策はあるのかしら」
「ご心配なく。同志ノーレッジ卿がこのようなものを援助してくれましたので」
蜂が馬鹿ではなかったというかパチュリーが狡猾だったというか、何にせよ対策はしていたようだ。蜂は金色の薄い膜でできた珠を取り出した。
「なにこれ」
「いわゆる防毒面、ガスマスクです。もっとも我々蜂は人のように顔で呼吸するのではなく体に空いた気門で呼吸するのでいささか大きくなってしまったのですが」
蜂は珠の中に体を入れてみせた。体も全体的に黄色いので、概ね金色の球体に金色の羽が生えた外観になった。外の世界の魔法使いはこれの大きいのを使ったスポーツをしていると聞いたことがある。
「奴らは煙で攻撃してくるのでこのような装備が必須になります。逆に煙以外の攻撃をしてこないところを見るに、煙さえ封じてしまえば手も足も出ないようです」
蜂は勝ち誇ったかのようにブンブンと羽を震わせていた。
「それで、同盟の公正なる相互利益のために、我々には貴国が霧雨国に窃盗されたものがある場合、それを返還させる用意があります」
「……パチェと違ってそういう関係は紅魔館にはないから大丈夫よ」
もしかしたら適当に所有権を捏造すれば魔理沙から何かふんだくれるかもしれないが、「公正なる」とわざわざ念押ししている以上それは悪手と思われた。それに我が家は普通に裕福なので魔理沙から奪わなくても大体のものは手に入る。
私のこの発言を、蜂は魔理沙との戦争における紅魔館の不介入と受け取ったようで、それ以上の話はせずにまた形式的な挨拶だけして去っていった。
その後パチュリーの所に詳しい状況を聞きに行ったが、魔理沙は本当に困ったことになったようだった。
「霊夢と何人かの妖怪、前に魔理沙の蜂を退治したのと同じメンバーが呆れ顔でまた魔理沙の家を燻しに行ったらしいけれど、私が蜂にガスマスクを渡していたからね。ガスマスクの付け方が甘かったのは倒れたかもしれないけれど蜂側は殆ど無傷」
「退治した霊夢達は?」
「そっちも。フランもガスマスクを見せてもらったと思うけれど、体全体を覆う構造だからね。ガスマスクをつけていると針で刺せない。発声による詠唱が必要な攻撃魔法の類も使えないようだから蜂は蜂で攻撃手段がなかったのよ。だから勝負としては引き分けだけれど戦略的には霊夢達の負け。蜂を排除できなかったのだから」
「でもどうせ魔理沙も霊夢も諦めはしないでしょ」
「まあその諦めないの方向性が問題で、霊夢と妖怪達は魔理沙の家を解体するか燃やすかするかを検討している。巣ごと壊せば倒せるだろうという考えね」
今も実質的にそうではあるが、魔理沙はホームレスの危機に瀕しているらしい。その案に対して首を縦には振らないだろう。
「魔理沙だけではない。アリスも成美も、森の魔法使いは全員反対している。森のじゃないけれど私もそうね」
「それは盗品の保護が保証できないから?」
「盗じゃなくて物全般が、ね。そもそもアリスなんかは魔理沙に何かを盗まれたことはないらしいし」
「憎たらしいことにね」とパチュリーは毒づいた。
「魔理沙が蒐集しているもののうち、八割……いや九割……。九割五分かなあ、まあ要は大体はガラクタだけれど、たまに本物が紛れてるのよ。あと当然魔理沙が研究したものとかメモ書きとか。魔理沙そのものはどうでもいいけれどその成果物は失うには惜しいとなるのが魔法使いの本音」
パチュリーは小悪魔に黒板を持ってこさせ、チョークで、粉を吸って数度むせながら、四つの丸などで構成された図を書いた。丸の中にはそれぞれ「蜂」「魔理沙」「霊夢達」「魔法使い」と書いていて、蜂と魔理沙、魔理沙と霊夢達、霊夢達と魔法使いの間に双方向の矢印が引かれている。酷い対立関係だ。
「魔理沙と私達との利害関係は人によりけりだから置いておくとして、蜂と私達との関係性も微妙なところ」
「パチュリーと蜂が同盟を組んでいる以上そこだけは足並み揃うんじゃないの」
「私と蜂は友達だけれどアリスや成美はそうじゃないってところがね。要は彼女達は蜂が魔理沙の私物を壊さずにいておいてくれるかどうか信用していないし、近所の自分達にも被害が及ぶのではと危惧している。まあ他の対立軸に比べたら十分にまとまりはするけれど」
パチュリーは蜂と魔法使いの間に一旦等号を書き、真ん中を疑問符に書き換えた。
「この関係図を覚えといて」
「なんでよ。私はこの件においては実質部外者でしょ」
「部外者だからこそよ。明日この問題をどうにかするための会議をここでする。私の権限で招集させたの。でも私はこの問題に対して中立ではないから代わりに調停役をして欲しい」
私の了承をとってから会議を決定するのではなく、事後承諾なのだから性格が悪い。ま、私とパチュリーの仲なのでそのくらいはしてあげるが。
翌日、私はこの提案を安請け合いしたことを後悔した。
開かれた会議は喧々諤々。会議と言われれば会議なのだが言われなければ人語を喋る獣が吠える動物園と区別がつかなかっただろう。
というか、普通に考えて会議の仲介という神経を使う頭脳労働を私がしているのはおかしいだろ。もう喧嘩両成敗ってことで全員壊せば静かになるし対立も当事者事消えるんだからそれでよくない? ……という名案を実行に移してやろうかと私がニヤリと笑う度、他全員が殺気を感じ取るのか額に汗を垂らした顔を見合わせて頷く。蜂も肯定の意思を示す。それで会議が少し進む。これがパチュリーが私を調停役に抜擢した理由らしい。なおその提案をした張本人、魔法使い派閥代表「知識と日陰の少女」は会議中語彙力だけやたら豊富なゴリラと化していた。
ともあれ私が五度笑ったところで「講和条約」が纏まったようだ。
・蜂は魔理沙宅(霧雨魔法店)の領有を認められる
・魔理沙宅内部の物品は隔離領域に一時的に転送し、正当な所有者への返還を確認した後、当該領域は魔理沙のみに出入りの権限が与えられる
・蜂の採蜜は魔法の森内部に限定され、生命の危機に瀕した場合を除き住民への攻撃を行ってはならない。何人たりとも、この原則が守られている限りにおいて採蜜活動を妨害してはならない
以上が骨子のようだった。
四.
魔理沙は家を失った。私物を置いておくための領域、仙界の魔術版のような空間が講和条約に基づいて作られたが、私物の量が多すぎるのに対して空間は狭く(魔法使い達が空間形成のために支払う魔力をケチったのが原因である)、文字通りの物置にしかならなかった。
魔理沙は住む場所がないので、各地を転々と居候しながら周るようになった。大体の人妖は魔理沙は痛い目をみて然るべきと考えていたが、一方で死んで欲しいとまでは思っていなく、見捨てたら後味が悪いという良心から受け入れていた。それをいいことに魔理沙はなんら悪びれることなくそれぞれの家に上がり込んでいたらしい。「蜂に家を二度も乗っ取られた女」という新聞の風評もとい事実もなんのそのである。図々しい奴だ、と皆思ったことだろう。
紅魔館にも週一で来た。紅魔館に泊まりに来る日の魔理沙はもっぱら図書館で過ごしていた。少し意外なことにはパチュリーとの関係は険悪のけの字もない穏やかなもので、何なら時折談笑する声が聞こえてくるほどだった。泥棒をしない魔理沙は普通にパチュリーの味方らしい。
「利害関係という意味でも貴方に協力しないといけないからねえ。これからは蜂にどうやって対処するかという局面になるから」
「急いでくれると私としてはありがたいな」
「言われなくとも。私達は裏切る気満々だけれど、向こうは世間知らずで、裏切りという発想自体が今のところない。この優位を活かせるのは蜂が人間社会での立ち振る舞いを覚えるまでの期間だけだから、その間で決着をつけるスケジュールで動くわ」
「それで蜂をやっつけるための魔法の研究というわけか」
「いや、貴方の出る幕はしばらくないわ」
パチュリーがつっけんどんにそう返すのを聞いて、魔理沙は少し苛ついた声色になった。
「なんだよそれ。私は足手まといだっていうのか」
「そもそも魔法で退治しようってのじゃないからね。使うのはここ」
パチュリーは頭の横を人差し指でつつく。
「計画は既に私の頭の中にある。船頭が多くても船は山に座礁するだけ。もしかしたら戦いになるかもしれなくて、そうなったらあの家の構造を熟知している貴方の出番になるけれど」
その後パチュリーは「戦いは手段であって目的ではない」とも言った。反撃の狼煙かとワクワクして盗み聞きしていたが、思っていたよりもだいぶ静かで陰鬱な感じになりそうだ。いささか興味が削がれたし寝なければいけない時間になったので私はそっと図書館から出た。
その後も図書館で話す魔理沙とパチュリーをしばしば見かけたが、具体的な計画について話している様子はなかった。二人共、本当に蜂を退治しようというつもりがあるのだろうか?
情勢が動いたのは魔理沙が家を追われてから一ヶ月程経った頃、紅魔館的には殆ど関係ないが世間はお盆の行事をしている、そんな季節だった。
図書館に蜂が来ていた。パチュリーが同盟の解消とかそれを通り越して宣戦布告とかまでするのではと内心色めき立ちながら耳をそばだてていたが、魔理沙に対面しているとき以上にパチュリーは上機嫌そうで、しかもあろうことかパチュリーは蜂に本を数冊渡し、蜂は恭しく礼をして去っていった。
これは問いたださなければならないと、蜂と入れ替わりで私は本棚の陰から飛び出した。
「パチェさ、私とか魔理沙とかを騙してない?」
「どうしてそう思うのかしら」
「しらばっくれても無駄だよ。蜂に本を渡しているのを見たんだから。蜂にとって脅威になりそうな人達をあらかじめ丸め込んでおいて退治されないようにして、甘い蜜を吸い取ろうとかそういう腹積もりなんでしょ。文字通りにね」
パチュリーは微笑した。しかしそれは私の甘い蜜という言い回しに感心しての笑みだったらしく、肝心のパチュリーが誰の味方なのかという真意はやっぱり読み取れなかった。
「これも計画よ」
「蜂に本を渡すのが?」
「無節操に本を渡しているわけじゃないの。哲学、政治思想、歴史。そういうのから読ませたいのを選んで渡して、逆に読まれたくない本は隠してあるから大丈夫よ」
パチュリーが指を鳴らすと本棚のいくつかを布が覆った。布の模様は本棚の後ろにある背景を映している。
「河童の光学迷彩技術を魔法で再解釈して作ってみた。試作品だけれどちゃんと機能するようね」
「飛んでるときうっかりぶつかったらバレない?」
「私もそれは懸念していて、指摘されたとき用の言い訳を用意していたんだけれど意外と大丈夫だったわ。あいつら元々所狭しと壁がある場所に住んでいるから違和感を覚えないんでしょうね」
「なんだそれなら良かった……。とはならないよ。検閲だよね、パチェがやってるの」
「悪い?」
「私はパチェの見え透いた悪意は嫌いじゃないけれどさ、道徳的には良くないでしょ」
「じゃあ逆に聞くけれど、検閲はどうして悪いのかしら」
「知りたい情報を得る自由を侵害している」
「そう。これは自由の問題なの」
「それってどういう……」
時計の鐘の音だ。タイミングがあまりにも悪い。今日はこれ以上パチュリーとやり合う時間はない。
「続きは明日ね」
「ああ帰る前に。早ければ明日にでも蜂が相談にフランのところまで来るかもしれない。こう相談されたらこう答えて……」
パチュリーがいくらか呟く。
「指図されなくても私の性格ならそういう答えになるって感じねえ。でも信じて大丈夫?」
「『敵を欺くためにはまず味方から』を地でいっているって自覚は私にもあるから、とりあえず今は信じてってしか言えない。でも本当に私がフランの敵で蜂の味方ってだけなら、味方である蜂相手に検閲なんてしないと思わない?」
パチュリーが敵か味方かはさておき、今すぐにパチュリーに「私は貴方の敵でした。申し訳ありませんでした」といった言葉を吐かせるのは無理なのだとこの発言で悟った。
「紅茶を持ってきました」
翌日の午前三時、メイド妖精がお茶とお茶請けを持ってきた。
「机の上にでも置いておいて……。じゃなくて、えーと、よきにはからえ」
「……? はあ」
メイド妖精は戸惑って一瞬固まったが、ぎこちない感じに動きを再開しトレーを机の上に置いた。
「ふむ。大儀であった」
「……。ああ、今日はそういう設定なんですね」
この妖精は礼儀の面で少し問題がある。もっとも良く言えば率直なのであり、何を考えているのか分かりやすいというのは今回の場合ありがたくもある。
「そう。どうかしら」
「良い演技だと思いますよ。ロイヤル感があって」
「演技ねえ」
それらしく振る舞えてはいるらしいが、演技であって本物の王様には見えていないらしい。少なくともお姉様よりは王様っぽい口調にしているつもりなのだが。
「これじゃあ駄目ね」
「えー」
何故かメイド妖精の方が不満をこぼす。ごっこ遊びか何かだと思って楽しんでいる。……ごっこ遊びで合ってるか。
「まあ良いわ。……チョコレート五個は多いわね。一個あげるから好きなの貰っていきなさい」
「あ、ありがとうございます」
今度はメイド妖精から自然な敬意のようなものを引き出せた気がした。しかし、これでは物で釣っているのと変わらないからやっぱりいまいちだなと思案しつつ紅茶を飲む。
そうしていると、本当にパチュリーの忠告通りに蜂が来た。
「大変お恥ずかしい話なのですが、王政の先達たる陛下にどうしても相談をお願いしたいことが……」
申し訳ないと思っているのだろうか。群れ全体が頭をヘコヘコさせている。先ほどのメイド妖精とのやり取りのせいで、王政の先達という評し方がとんだ皮肉に思えてしまうが、それは悟られぬようあくまで平静を装った。
「何かしら」
「最近他国の技術、知識を学ばせようと群れの一部を図書館の国に派遣しています。しかし、それらのうち何匹かが良からぬ思想にかぶれているようなのです」
「良からぬ思想?」
「端的にいえば王政の否定です。働き蜂の身分でありながら女王蜂との平等を要求している。しかし万人が貴族であることはできないのだから実質的には女王を平民の座に引きずり下ろす、あるいは女王を亡き者にして『働き蜂と比して不平等な者』が存在しないようにしようという策謀でありまことけしからん」
「ふむ。私がすぐにアドバイスをあげてもいいけれど、それじゃあ芸がないわね。貴方達はどう対応すべきだと思ってる?」
「我々は図書館の国への使節派遣を即刻やめ、借りている本は返還、王国内での新たな出版の試みを止めるといった対応が必要と考えております」
「一つ確認したいのだけれど、『良からぬ思想』に傾倒しているのは派遣団のうちの一部の蜂だけよね」
蜂の群れは肯定の意を示した。
「であるならば検閲は良くない。知識に罪はないのだから」
「しかし現に危険な考えが……」
「検閲よりスマートなやり方があるわ。問題となっている蜂を私のところに連れてきなさい」
それはなされた。蜂数匹を移送するためだけに乗り物の籠のような道具を使っているし、罪人の蜂は植物の繊維と固めた蜜で雑に縛られている。思えば蜜蜂は草食だから獲物を運ぶという本能に由来したスキルがないのだろう。
いや、私は自由研究の昆虫観察をするために蜂を連れてこさせたわけではないのだ。やるべきこと、見せしめの処刑を執行するべく手を握った。
蜂が一匹光って消えた。蜂相手には少しばかり力が強すぎたらしい。見せしめなら惨たらしく殺すべきで、消してしまっては意味がない。
今度は弱めに力を入れた。蜜が焦げる匂いがしたが、本体はいい感じに胸が潰れて頭と腹が泣き別れになった。
蜂は静まって、さらに私が一匹潰すと単に恐怖の感情を示した。
こんな弱っちいの相手に延々と国家ごっこを繰り広げていたのかと私は軽く幻滅した。つまらなくなって両手をだらりと下げたら、殺意が消えたのが伝わったのか、狼狽える大半の蜂に反して「反逆者」のうち残る数匹が安堵したかのように軽く動いた。その油断したところを破壊してやった。これだけは少し楽しかった。
処刑が終わって蜂達は帰っていった。動揺しているのか去り際の挨拶は形がひどく乱れていたし綴りが間違っているしでやたらと読み取りにくかった。そして熊相手に人間がそうするように、こちらに視線を向けながらゆっくりと、後退りで部屋から出ていった。
「言われた通りにしたわ。蜂の国は反抗的な思想の持ち主を処刑する社会になった」
「上出来よ。これで蜂の国にはバスティーユ牢獄が生まれた。史実通りよりもやや比喩的な意味での」
「パチェが何をしたいのか、大体見えてきたよ。極端な圧政を敷く絶対君主制勢力と共和主義を信奉する勢力に蜂の社会を二分し、後者に前者を革命という形で討たせる」
「ま、大体それで合ってるわね。何か不満なのかしら」
私の顔はだいぶ険しくなっていたらしい。
「まだるっこしくない? 罪人のレッテルを貼られた蜂を潰していて思ったけれどさ、数匹選んで潰すんじゃなくて、全部まとめて壊せば解決するじゃん」
「その考え方で一度駆除に失敗している」
パチュリーは食い気味に返答した。
「かつての駆除の敗因は女王蜂を一匹取り逃がしたこと。結局のところ、蜂と我々の大きさの差を踏まえれば、蜂を殺す方法はいくらでもある。真に問題となるのは確実に一族郎党皆殺しにするため殺すべき蜂を逃さない方法の方でしょ?」
「蜂に討たせた方が確実だと思ってるの?」
「革命に熱狂した大衆の執念というのは凄まじい。ルイ十六世らは脱出に失敗してヴァレンヌで捕縛された。ニコライ二世は妻と五人の子と共に銃殺された。当然革命が失敗に終われば元も子もないしこちらで暗殺してしまってもいいのだから革命には私も武力で協力するつもりだけれど、革命を利用することは女王蜂抹殺の戦力としても使えるし保険にもなる」
パチュリーは日が来たら戦いに赴くつもりらしい。私を戦力に加えるか否かがどうなのかということについて言及しなかったことが既に不穏ではあったが、このときにはまだ私もお呼ばれするのだろうという希望があった。
「で、革命はいつ頃起こりそうなの?」
私がそれを聞くとパチュリーの顔が曇った。
「実のところ、そこで行き詰まっているのよ。蜂の生物学的な特徴として女王に生殖を依存しているというものがあるのは分かるわよね? つまり女王とその後継者まで皆殺しにするとコロニーが絶滅する自殺になってしまう。結局、自分達が抑圧されていると考えるようになっても、自由人としての死より家畜としての生を選ぶのが人情なんでしょうね。あいつら人ではなく蜂だけれど」
「だからまだるっこしいって言ってるのよ」
それで一旦この話はおしまいになった。パチュリーにも問題を打開する案はないのだろう。相変わらず不機嫌な猫みたいな顔で本とティーカップを交互に持ち替えていて、今は本当に表情通りの気分なのだろうと思われた。
もっとも私に空気を読むつもりはないので、そんなのお構いなしに愚痴をこぼす。
「最初に蜂を潰したときの反応がさあ、まるでこの世のものじゃない人を見たみたいだったの。表情は読めないにしても動きとかで分かるくらい露骨に。普通に失礼だって話だし、罪人ってのは処刑するものなんだから処刑したあとで後悔するくらいならそもそも罪人のレッテルを貼るんじゃないよって。パチェもそう思わない?」
「あーはいはいそう思うわ……」
パチュリーは時間差で手に持っていたティーカップから指を離した。幸い空になっていたのでソーサーの上に倒れて軽い音を立てただけで済んだ。
「そうよ。私としたことが、なんでこんなことに気が付かなかったのかしら……」
翌日には既に異変が起こっていた。図書館内に没薬の香の匂いが立ち込めていたのである。
匂いの発生源の魔女は馬鹿みたいな量の香を体にかけているというだけでも既に滑稽なのだが、加えて古代ギリシャみたいな白布の服を着てそれを金色の鎖で装飾しているという謎のイメチェンをしていた。変な儀式でもするつもりなのだろうか。
「蜂に欠けていたもの、それは宗教よ。宗教の役割とは世界の説明と救済。この世の理は蜂が独学した魔法と私が吹き込んだ政治哲学で説明されているけれど、そこに死後の世界という概念を追加することで、死後の救済、あるいはアルマゲドンへの対抗という目的で死ぬことへの理由付けがなされる。そして魔法でも近代哲学でも説明できないそれは宗教それ自身によって根拠のあるものになるの。今日からは、人民が生まれながらにして平等であるべきなのは神がそう望まれたから、ということになる。民権神授説とでも名付けようかしら」
「ほーん。で、パチェはその宗教の創始者気取りで妙ちくりんな格好を」
「私が、神よ」
私は額に手を当て思案して、やっぱり「お前は何を言っているんだ」という感覚が拭えなかったのでその手でパチュリーの発熱の有無を確認した。相変わらず体温の低い魔女だった。
「何よ。私は正気だし健康よ。外の世界の宗教だって三位一体だし、幻想郷の中にだって巫女にして現人神がいるじゃないの。別にこの世のものが神であってもいいの」
「パチェは知らないみたいだから教えてあげるけれど、そういうのは神の名を騙っているっていうの」
「だから私は神を語るのよ。あ、フランは抑圧と不義を司る邪神にして破壊神ってことにしてるから」
「私を巻き込まないでくれる?」
「あら、邪神は不満だった?」
「それは大歓迎」
私は控えめに言ってパチュリーの奇行にドン引きしたのだが、蜂は、少なくともパチュリーの思想に共感していた蜂は「審判の時来たれり」とパチュリーの変貌を受け入れていて、殉教や聖戦といった概念が車輪の再発明されていた。私の元に処刑のため送られる「不義理な」蜂の数は増えていたが、それらが断頭されるたびに死刑になった蜂を贄にして信者はますます数を増しているようだった。
このままでは破局は明らかだったが、王党派は有効な手を打つことができなかった。共和派とはパチュリーから知識を得てそれを理解した者達であるからにして共和派の方が思想では上手だったし、「革命が失敗に終わった例」に関する本はパチュリーが頑なに秘匿していたのだ。
そして、蜂の寿命換算でそれなりの時、私達の時間感覚ですぐ、その日は訪れた。
五.
図書館の出入り口が封鎖されていた。
雨の降る音がしていた。静かな音である。激しくないということはにわか雨ではなく、長く降り続ける雨ということだ。秋の長雨である。
珍しくパチュリーは出かけていた。それも出不精だというのに、明らかに外出には向いていない天気の日に。
私は扉の前を行ったり来たりしながら、胸の不快感を言語化していった。雨の日に、図書館に鍵をかけて動かない大図書館が動いた。私を外からも図書館からも締め出して、勝手に何かをしに行った。しに行かなければならない何かには心当たりがあるが、それを私抜きでする抜け駆けは許せない。
私は扉を殴りつけた。地響きのような音が館を揺らすも、扉はびくともしない。パチュリーは本気のようだ。
そのとき、背後から蜂の一弾が来た。私が振り向くなり全力疾走で模様を形成し続けていてその慌てようが分かる。
「大変です! 共和主義者共が蜂起を始めました! 既に玄関周辺で交戦が始まっています! 敵には図書館の国の邪神と森の魔女が一人加わっております! 陛下には至急援助を頂きたく!」
私は肩をすくめた。
「知らないのかしら。吸血鬼は流水を渡れない。あいつ、それを知っていて雨を降らせたか雨の日を狙って動いたかしたのよ。忌々しいことに」
蜂は雲の形を崩して乱雑に飛び始めた。
「ところで、あいつは図書館に鍵をかけた。私もここ最近では覚えのないくらい厳重な鍵を」
私は扉を叩く。
「中に何を隠しているんでしょうね。それを壊せば、あいつの企みも相当邪魔できると思わない? そうでなくても、少なくとも腹いせにはなる」
蜂は激しく肯定の意を示した。
「いくよ」
私は手を握る。黒檀の扉は蝶番を吹き飛ばして崩れ落ちた。
魔理沙の家に満杯まで詰まったハニカム構造を二人の魔女が崩している。一人は紅魔館の魔女パチュリー、もう一人は森の人形使いアリスである。
アリスが依頼を受けたのは一週間前のことだった。
「今度の十三日の金曜日は空いてる?」
「暇だけれど何するの。黒ミサへのお誘い?」
「いや、ただ天気が悪いって予報だから」
「どういう理由よ……」
「不確実性を減らすためには雨である必要があるの。来週金曜に蜂の政権を転覆させる」
「ふうん。戦力は?」
「蜂の三割と私、そして首を縦に振ってくれたら貴方」
「少ないわね」
「むしろよく三割もの蜂に死後の救済を説得できたものだと私を褒めてほしいわ」
アリスは頭のネジが数本飛んだ人に対してするような憐れみの目でパチュリーを見た。彼女からはまだ神になりすますための香の匂いが漂っていた。
「裏で阿呆なことやってるというのは分かったわ。私が聞きたいのは他の魔法使いはってことよ」
「魔理沙は共和派の蜂からも敵視されてるから誘えない。成美は仕事。まあ貴方がいれば百人力よ」
「人形の軍隊が手に入るから?」
「それもあるけれど、カラーリングがなんとなく革命フランスのトリコロールっぽい」
「はあ」
そんな会話をアリスは思い出していた。
蜂は二種類の旗を持っていた。蜂が旗を持つというのも奇妙だが、国家というのは旗を持ちたがるものらしい。
一種類は百合の花と蜂を混ぜたような金色の模様を青地に沢山つけている。王国時代のフランスはこういう旗を使っていたと本で見たことがある気がする。
もう一つは黄と白と青の三色で塗り分けられていた。赤と黄色の差のためトリコロールにはあまり似ているようには見えないが、何にせよ三色の塗り分けは蜂でも人気らしい。
「王国っぽい旗が王党派で、共和国っぽい旗が共和派」
「分かりやすくてありがたいわね。で、私達はこのちっちゃく飛び回っている蜂達の敵味方をどうやって見分ければいいの?」
「……蜂には分かるのよ」
「考えてなかったでしょ」
「数発までなら誤射よ」
図書館内にも何重もの魔力障壁が貼っていて、さながらマトリョーシカ人形の様相を呈していた。とはいえ私の能力の前には時間稼ぎにしかならない。多分パチュリーもそれは分かっていて、だからこそ時間を最大限に稼ぐために厚い障壁を一枚ではなく最低限の障壁を多数という構成にしているのだと思われた。
「邪神は何を隠しているのでしょうか」
「さあ。でもどこにあるのかは分かりやすいね」
「そうですか?」
「女王と同じよ。一番奥の一番厳重に隠された場所に置いている」
流石に面倒になって直線上に穴を開けるように壁を壊した。貼りすぎた壁の並びがそのまま「ブツ」を示す矢印になっている。それはパチュリーがいつも使っている机の辺りを指している。
「罠という可能性はないでしょうか?」
蜂が私の視界に入り込んで懸念を表明した。
「確かにパチュリーは策謀を張り巡らせるのを好むけれど、無駄なこともしない。まして蜂を攻めるのに力を使っているんだから、ここの防御に魔力を使う余裕は本来ない。ダミーの壁があるとは考えにくいわね」
果たして机の上にこれ見よがしに黒い水晶玉が置いてあって、それを囲むように貼られている結界が最後のようだった。結界ごと水晶玉におもいっきり力を加えて、それは粉々に割れた。
「これで、邪神の策も妨害できましたかね」
「どうだか」
効いているというのは床に散らばる黒い破片を見ても明らかなのだが、視覚に見える現実に反して、なんだか加えた力が没収されたような感覚があり、私は手を閉じたり開いたりしながら首を傾げていた。
蜂の巣攻略は難航していた。蜂のうち七割は巣を壊されまいと必死に抵抗する。蜂の体躯では防護魔法さえ展開していれば取るに足らない蟷螂の斧だが、逆に言えば防護魔法を都度張るのに足を止められるということでもある。魔理沙から家の間取りを貰っていたが、全部蜂の巣で壁も天井も見えないでは今自分達がどこにいるかも分かったものではない。全部蜂の巣があるのが悪いのであって壊せば解決するのだが、魔理沙に家を壊さないようにと強く約束されていて、主に「うっかり壊してしまったら後から煽られるだろうがそれは避けたい」という魔法使いのプライドから巣と壁の区別は慎重にしなければならず、攻略は遅々として進まなかったのである。
それでも、時間をかければ確実にこちらが勝てるという点において、いささか予想外であるとはいえパチュリーの想定の範囲内ではあった。彼女が背負っていた箱から歯車が周る音が鳴るまでは。
「何その箱? 音がするけれど」
蜂の羽ばたき音がそこら中でするのによく聞き分けられたものだとアリスは自分自身の耳に驚いた。
「有り体に言えば時限爆弾ね。しかし音が鳴ったとは参ったね。予想外に早く作動が始まってしまった」
「河童にでも貰ったの?」
「いや。魔術的なものよ。爆薬で作動させるのではなく、他の地点で加えられた力を時間差で球状の爆発として伝達するという機械なの」
「どのくらいの時間で」
「五分後」
「割とすぐね。じゃあ一番重要な点。威力は」
「フランドール・スカーレット」
「馬鹿じゃないの」
アリスは考えられる限りで最悪の答えを聞いて時が止まった感覚を覚えた。それを埋めるためにもう一度同じ言葉でパチュリーを罵倒した。
「馬鹿じゃないわよ。考え得るうち一番確実な女王暗殺方法でしょ」
「あの吸血鬼の妹を使うことそのものが悪いって言ってるんじゃないの。力が必要なら直接連れてきて然るべきタイミングで直接使わせればいいじゃないの」
「そうするとフランが王党派を裏切ってこちら側についたと蜂に認識されてしまう。もし万が一この計画が失敗に終わったとき、フランが王党派のままだったほうが二の矢をつぎやすいでしょ。私は幾重にも可能性を想定する魔女なの」
「それは結構なことだけれど、初回で成功すれば要らない保険よね。その初回がこの最悪に不安定な保険のせいで失敗に終わりそうという本末転倒について、何か申し開きはあるのかしら」
パチュリーは智謀に長けるが実戦はからっきし。人形使いとして歴戦の小隊長張りの前線指揮能力を知らず知らずのうちに身に着けていたアリスからは余計にそう見えることだろう。それは周知の事実なのでもうどうでも良いのだが、自分を巻き込まないで欲しいものだとアリスは舌打ちした。
「間に合わせれば良いんでしょ」
パチュリーは駆け出した。蜂の巣迷路と重い爆弾、本人の運動神経という各要素が組み合わさった結果の時速三キロという歩くのと変わらない速さで。
「特攻って言うのよ、それ」
「持久力とHPは別物。死にはしない」
「それ、持久力がないから無理ってことじゃない。ほらあ」
パチュリーは床の上に作られた巣を踏み抜き、それに足を引っ掛けて勢いよく転倒した。蜂が大量に群がり、何箇所か刺されて毒が入ったのか、単純に蜂の重さに潰されているのか、パチュリーは動く気配がない。
アリスはパチュリーの背中の箱を拾った。馬鹿馬鹿しい戦争ごっこから抜け出して帰るという選択肢もあったが、良心、あるいはここでパチュリーを見捨てると後からレミリアあたりに散々に文句を言われるだろうという怠惰がパチュリーを助ける選択肢を選ばせた。
「最初っからこうすれば良かったのよ」
アリスは火薬入り人形を取り出した。魔理沙に家は壊すなと言われていた手前、一応用意しつつも使うのは自重していたがそんなこと気にしている場合ではない。というかいざ使おうと決心すると、あんな詐欺師みたいな奴の頼みを律儀に聞き入れていた自分達が惨めに思えてきた。
アリスは二階の最奥部の部屋に向けて直線に道を作るよう発破した。パチュリーから女王がどこにいるか聞きそびれていたが、ボスというのはダンジョンの一番奥にいるものだ。
人間と蜂との決定的な違いの一つとして、蜂は玉座を飾らないというのがある。だから、視界の一番遠くに見えている六角形の集合体の中に女王がいるかどうかなんてアリスには分からない。分からないが時間もないのだ。彼女はためらいなく爆弾を投擲した。
三、二、一、ゼロ。
六.
蜂が革命を起こした翌日、王党派の残党が女王蜂の亡骸を背負って私のところに来た。
爆弾は二階で炸裂し王女はそれで死亡したが女王は一階にいて無事だった。しかし大混乱の中で慌てて脱出を図ったところを待ち伏せていた共和派に討たれたらしい。パチュリーの第一の策は躱したが、革命大衆の執念という第二の策に絡め取られたのだ。
女王が死んだ瞬間王党派は滅亡した。忠誠を向ける先もいなければ子孫の再生産という機能も失われて女王を頂点とした伝統的社会に一切の価値が失われてしまったのだから必然である。四十枚の駒の過半を掌握していたとしても王将を詰まされたら将棋では敗北になるというのと同じ理屈。
王党派のうち半数は諦めて共和主義に迎合することを選んだ。イデオロギーの転向による適応ができなかった残り半分が行ける屍として紅魔館地下に最後の外交行動をしにやって来た。
残党の要求は二つ。一つは女王蜂の埋葬。渡されたそれは美しくもあり醜くもあった。亡骸はできるだけ美しく見せようと王党派残党による修復と化粧が施されており、死してなお遺るその権威が美しかった。しかしその努力によってもなお、打撲され、噛まれ、刺された体は傷だらけで歪んでいた。
そしてもう一つは。
「介錯をして欲しい、と」
「ええ。他者を殺める方策、これは本能的に備わっているものですが、自らを殺める手法というのは恥ずかしながら蜂の短き歴史において蓄積はなく。既に一度死に場所を失った身。これ以上死にそびれて生き恥を晒したくはないのです」
「その精神性を人類史から見出して、肝心のやり方は会得できないというのは難儀なものねえ」
蜂は答えず、めいめい小枝を取り出した。これ以上話すこともないのだろう。折角だから辞世の句でも読めば良いのに。そのために集団体操をするのは間抜けだということか、あるいは本当は辞世の句を読んでいるところなのだが人妖には伝わらない手段で行っているということか。
ともあれ、何匹かが胸に枝を刺したのを見て私は蜂達を潰した。梱包材に使われているシロツメクサを踏むが如く容易に死んでいったが、無抵抗な小虫を壊したところでなんの手応えもないし、物凄くつまらなかった。
「まあ、なんだかんだ言って壁と天井の一部が吹き飛んだだけだし内装は空だったんだから被害としては軽いでしょ。アリスが二階に仕掛けることを選んだことに感謝しなさい。おかげで一階から崩れて全部建て直しっていうのは避けられたんだから」
女王を庭に埋葬した後図書館に寄ったらパチュリーが弁明する声が聞こえてきた。
パチュリーは点滴を刺した状態で絶対安静との処置がなされていた。療養に向いた個室など紅魔館ならいくらでもあるが、半径五メートル以内に本がない環境に長時間置かれると死ぬという本人の自己申告により紅魔館内にベットが配置された。その真偽はさておき、そこまでパチュリーのところに近づいていないのに声が聞こえてくるあたり意外と元気そうである。
本棚の区画をいくつか通り抜けたところで横を向いたパチュリーと目が合った。口は達者だが、管を片腕から伸ばしてベッドに横たわった姿で立って腕組みした怒り顔の魔理沙と対面していてどうにも締りが悪い絵面である。さぞ威厳も落ちたことだろうと思いきや、自らを磔刑に処された聖人になぞらえることで引き続き蜂の信仰を集めることに成功し続けているらしい。転んでもただでは起きないのは流石である。
「あらフラン。丁度いいところに」
パチュリーが私に声をかけると魔理沙はため息をついて去っていった。私が来ていなかったらもう少し粘っていたか、最悪暴力沙汰にでもなっていたのだろうか。
「本当困ったものよ。全く誰のおかげで家を取り戻せたと思ってるんだか」
パチュリーは魔理沙が帰ったのを見て愚痴をこぼしはじめた。私はと言えば、机に乗っている物を見て、魔理沙には少なくとも暴力に訴えるほどの悪気はそもそもなかったのだろうとほっとしていた。籠に入った見舞い品の林檎を一個取り出してかじる。
「丁度いいってのは愚痴相手としてってこと?」
「あいや。失礼。……外に出てた?」
「うん。女王蜂を埋めに。よく分かったね」
「横になると振動を感じる能力というか聴覚というかが研ぎ澄まされるのよね。地下から一人上がって、玄関を開けた気がした。しかし、本当に女王も死んでたのね。話には聞いていたのだけれど」
パチュリーは安堵した表情になった。そこには亡くなった女王への哀悼の意など微塵もなく、ある意味冷酷な顔だった。パチュリーにとっての戦いとは単に蜂を退治するという戦いではなく、いかにして蜂を根絶するか、という戦いだったのでそういう感情にもなるのだろうが。
「これであとは時間が解決してくれるってことでいいよね」
「まあ蜂に関してはそうなんだけれど、少し問題が起きていてね……」
パチュリーは歯切れ悪く息を伸ばした。
「歴史を踏まえれば当然予想しておくべきだった。今や熱烈で急進主義的な共和主義者となった蜂たちは『革命の輸出』を狙っている。つまり他国の王政を武力によって転覆させることを望んでいる」
「でも幻想郷に支配者なんて……あ」
「気がついたわね。蜂にとって一番身近で、女王が支配する国
が」
「あとパチェも」
「いいえ、私は対象外」
「蜂にとっての神がいるから? ズルい」
「蜂にとっては『図書館の国』は私が唯一の国民なの。最初は偶然だったけれど、作戦を思いついてからは意図的に蜂が侵入しうるタイミングでは小悪魔を出さないようにしていた。唯一の国民である以上この国の皇帝は私だけれど、私は誰からも奪っていない。誰も殺さず、とはいかなかった分史上最良とは言えないかもしれないけれど、同じ称号を有した人間でこの点で私に勝てる人はそういないんじゃないかしら」
やっぱりパチュリーはズルいと思った。
「でも問題なくない? パチェはともかく私なら蜂くらい余裕で勝てるし、どうせあと半年もしないうちに残ってる蜂も寿命で死ぬでしょ」
「私はともかくってのだけ余計よ。大体戦って勝つってのは次善。最善は戦わないこと。それに、王様ごっこにも飽きた頃合いじゃない?」
「まあ、そうね。言い方から察するにまた何かよからぬ策があるのね」
「もちろん策はあるわよ。最高に良いのが」
パチュリーの言う策のために私達はお姉様に全てを話すことになった。魔力を得た蜂が私のところに来て、私が紅魔館の女王、パチュリーが図書館の主ということにしてそれぞれ同盟を結んだこと。その蜂達は魔理沙の家を乗っ取り、しかしパチュリーの策謀により内部分裂を起こし女王とその後継は討たれたということ。そして共和主義者と化した蜂が紅魔館の女王である私の首を狙っているということ。
「フランなら蜂なんて楽勝でしょ。……というのは本筋じゃないんでしょうね」
お姉様は私達を値踏みするような目で眺めて、それが終わると私の方だけを見て聞いた。
「女王役は楽しかったかしら」
「思ったより楽しくなかったわ。お姉様はよくこんなつまんない仕事数百年も続けられるよね」
「私が紅魔館の主をしているのは仕事じゃなくて役割。役割は仕事と違って『嫌だから辞めます』と簡単にはできないものよ。まあ嫌だと思ったことはないけれど。フランの演じた王国には致命的に欠けているものが一個ある。分かるかしら?」
「私の王としての素質」
お姉様は首を横に振った。
「違うわ。足りないものは領民。確かにフランの所に来るメイド妖精とフランとは上下関係にあるし、蜂はそれを見てメイド妖精が国民と思ったでしょうが、フランとメイド妖精との間にはフランが妖精を統治し、支配するという能動的な関係性がない。フランの統治には善政も悪政もなかったでしょうね。統治を評価しフィードバックしてくれる存在がいなかったら一人遊びにすぎないわけで、そりゃ飽きるわよ」
お姉様はメイド妖精、そして咲夜や美鈴を政治で統治するのが楽しいらしい。政治というのも統治というのもよく分からないが、領民を富ませる育成ゲームということで良いのだろうか? 私はじっと待って育てるよりは壊す方が好きだし得意だ。統治が好きにはなれそうにないというのはやっぱり素質の問題に思える。
「まあ何にせよ、元の鞘に収める、体面的にはフランから私に譲位するってことで良いのよね?」
「ちょっと違うわね。それだと王政のままで蜂の標的になり続けるでしょ」
「なにか問題でも? 私だって蜂くらい余裕で勝てるわよ」
「なんで吸血鬼ってこうも脳筋なのよ……。戦わずに平和裏に解決できればその方が楽でしょって話。代わりにレミィには女王ではなくなってもらうけれど」
「紅魔館の主相手によくそんな提案ができるわね」
「実質は変わらないわよ。単に称号と手続きの問題で。大統領ってのはどう?」
「紅魔館初代大統領……。悪くない響きね」
お姉様は満足そうに頷いた。
三日後に紅魔館に住んでいる者全員に投票権が与えられた選挙が行われ、お姉様が九割以上の得票を得て勝利した。逆に一割近くがお姉様に投票しなかったのだが、お姉様は単に悪ふざけだろうと寛容だった。むしろ十割でないだけかえってそれらしい結果に見えるようになったとも。シラクサの王は人を信ずることができぬ邪智暴虐の王だったが、紅魔館の女王は人を疑うことを知らぬらしい。どっちもどっちに思える。
「初代大統領就任式」は広間で行われた。私の玉座の間、もとい寝室と比べるとその華やかさは雲泥の差で、見るべき人が見ると明らかに貴族の見栄の象徴だと分かる。が、式に招かれた蜂はお姉様の正当性について特に疑問を抱いている様子はなかった。民主主義というのはあくまで権力の選出手段で、権威を有している事自体は罪ではないという哲学を蜂達は採用することにしたのかもしれない。
お姉様はパチュリーが用意したらしいそれらしい原稿で演説していたがそれらしいということ以外はなんら耳には入らなかった。この場にいる者全員、お姉様含めて明日には忘れているだろう。これは最後にして最大の茶番なのだ。無論蜂は茶番であるとはまるで思っていないようだが。
私はこの式典を少し下がった、メイド妖精達と同じ場所で聞いていた。パチュリーが意図的にこの場所に私の席を充てがったというこれも一種の演出だが、私は一足先につまらない女王ごっこの茶番から抜けることができて清々していた。
七.
久しぶりに蜂が来た。群れではなく一匹だけ。しかし何を目的に来たのかを知ることは叶わなかった。蜂が来たのに気がついたとき、私が目を覚ましたときには既に死んでいたのである。
私は床に転がっていた蜂の死骸をつまみ上げて観察した。とはいえ観察したところで死因は分からない。羽の角度がおかしい気もするので排気口から出たときに落ちて背中を床に打ち付けたのかとも思ったが、転落死が死因というより、蜂なのに飛べないくらいまで弱っていた方を死因とした方が適当にも思える。それ以外は丁寧に足をくの字に折りたたんでいるところとか、虫が死ぬときは概ねこんな感じの外見になるのだろうという感じである。
死因もだが、今際の際に挨拶しに来たとして、私のところに来た理由も謎だ。王党派の蜂は革命とその後始末で全滅していた。共和派の蜂なら「大統領」であるお姉様の方に行きたがると思う。もしかしたら蜂は私の寝室に繋がる経路しか知らず、それを経由した遠回りでお姉様の部屋を目指そうとした途中で力尽きたのかもしれない。
この説が正しいのなら蜂にとっては不本意だろうが、私はお姉様には伝えず自分で埋葬してやることにした。お姉様だって蜂の死骸を持ってこられたところで対応に困るだろうなと思ったのだ。死人に口はなく、葬儀とはただ生者のために行われる。
墓は女王の隣に作った。パチュリーにそそのかされて真に共和としての死後を願っていたのならとんだ詐欺だろうが、宗教なんてそんなものだ。私はパチュリーの説く思想にはあまり共感できなかったし(大体パチュリー自身本心から言っていたのかどうかも怪しいし)、家族は一箇所に埋葬されるべきだという慣習の方が正しいと思う。
ここのところ天気が悪かったので庭のどこかに水たまりができていて濡れはしないかと内心心配していたが、幸い土が湿っている程度で、今日の空気はむしろ乾燥していた。
穴を掘って蜂を埋め、少し盛り上げて入れ直した土に十字架を刺すため、薔薇の小枝を折りに立った。
それで茂みに手を伸ばしたら手の甲に冷たいものが触れた。反射的に引っ込めると雪がついていた。
そういえば冬が始まる頃になっていたのだ。黒い空に、月明かりに照らされた白いものが落ちていくのを眺めながら、私は五百年分の蜂だけではなく、五百年分の王国の衰勢も見たのだとようやく理解した。
このタイプのジャンルは決して嫌いではないのですが、面白くするために難しくなってしまうことが多い気がします。
なのでこちらの読者レベルの低さから混乱してしまうことが多いのですが、今作は説明と各々の考えがわかりやすく、最後までしっかりと楽しめました。
知識が豊富なのに頭でっかちで珍妙なパチュリーがとても好みでした。
割りとまどろっこしくやってるなと作中のフランと同じ感想を抱く反面、引きこもりの魔女と吸血鬼にとって物珍しい蜂という存在を一生分楽しんでるんだろうななんて思っていたのですが、そのあたりのフレーズも最後にあって満足。
蜂側に共感してしまえばともすれば残酷な物語にも見えそうですが、個人的にはそうならないようなラインを保ちつつ、最後にちょっとだけ切なさを加えた作者様のバランス感覚が素晴らしい。
お見事でした。
最後のフラン、特にラスト一行が印象深かったです
パチュリーがとっても楽しそうで何より
蜂たちの王国が産まれ、育ち、変質し、滅ぶところまでを書ききってくれて本当によかったです
パチュリーがただただ悪魔のようでした
蜂が神を信仰できるなら、魔理沙は創造神になりそこねたのかな……と思ったりしました。