「……ふぅ」
喉の奥に冷たさが広がる。
文字通りほっと一息、といったところだろうか。今日は外出するにはいささか暑い。
冷えた麦茶がまだ少し残る湯飲みを置くと、目の前で柔和に微笑んでいる女性と目が合った。
「いかがでしたか?」
「ええ、よく冷えていますね。どうやって冷やしたのですか? 氷室でもお持ちで?」
「これでも、魔法使いの端くれですから」
聖白蓮。この妖怪だらけの寺、命蓮寺の住職――でいいのだろうか?
まぁ、中心人物であることに間違いはない。
「ほう――」
寺の人間が魔法使いを名乗るか。
なんとも変わった御仁のようだ。……まぁ、変わってない御仁とは一体何なのだろうという話にはなってくるが。
「ともあれ、ありがとうございます。生き返った心持ちですよ」
「いえいえ、こちらこそ暑い中お越しいただいて感謝しております」
「助けを求める声あらば、どこにでも駆けつける……それが医者ですから」
などと、少し格好付けてみる。
こういう人相手には少しくらい調子に乗ってみたほうが面白いだろうから。
「その献身的な姿勢……す、素晴らしいです……!」
きらきらと瞳を輝かせて、手を組んで感動を表現された。
ほら面白い。ちょっと真っ直ぐすぎて眩しいけれど。
なんか調子のってゴメンと言いたくなったのは、初めての経験だった。
この私、八意永琳がこうして命蓮寺で麦茶をいただいているのにはわけがある。
まぁ往診に来ただけなんですけどね。
寅丸星という虎の妖怪の調子が悪いというので、魔理沙を通して依頼が来たのだ。
こじらせてはいるが疲れから夏風邪にかかっただけのようで、そう難しいものではなかったのだけれど。
「星、病気が治るまで添い寝をしていてあげましょう」
「疲れているんですからそっとしておいてくださいよ水蜜……」
とりあえず大変そうなのはよくわかった。
冷えすぎないようにね。
そんな感じで診断を終えて薬を置いて出てきたところで、白蓮に麦茶を勧められたのであった。
「お疲れ様です。冷たい飲み物でも如何ですか?」
「ほう、麦湯ですか。懐かしいですね」
「今は麦茶と呼ぶのが一般的らしいですよ。良い麦をいただいたので、作ってみたのです」
「ではお言葉に甘えて――」
「……ふぅ」
再び一息。
いくつ年を経ても、やはり夏に得る清涼感というものには抗いがたい喜びがある。
人間とは無いものねだりな生き物だ。
月の民が穢れとして欲望を拒否していられたのも、自分達に足りないものなどないと信じていたからではないだろうか。
えらそうなことはまず満ち足りてから言えるものだ。
……なんて、寺の人間を前にして考えるようなことではなかったかしら。
そう思って前を見やると、白蓮もまた麦茶を飲んで気の抜けた顔をさらしているところだった。
なんとはなしに眺めていると、目が合う。そして話しかけられた。
「そうそう、永琳さんは妖怪なのですか?」
「……さて、人がどう判ずるかは知りませんが、私としては人間であるつもりです」
なぜそのような話を、とはあえて聞かないことにした。
何となくわかるからだ。
「では、あなたも寿命を延ばして? ……ああいえ、失礼しました。これを見て始めに『麦湯』が出てくるにしては、お若いと思いまして。妖怪というにも少し違うような気がしましたもので……」
むしろわざわざ麦湯と言って鎌をかけたのはこっちだったし。
きっと似たような境遇の人間を見つけて興味しんしんなのだろう。
「ええ、よく観察されておいでで」
「ふふ。といっても私も『麦湯』を飲んだことはほとんどありませんでしたけどね。封じられる前の時代は貴族の飲み物でしたし」
「そうですね。私も初めて飲んだのは江戸あたりになってからのような覚えがありますよ」
ついと過去に想いを巡らせる。
姫様にねだられて、たまーに飲みに行ったものだ。
「一般的になったのはそのころなのですかね」
「店で売られているものは冷たいものではありませんでしたがね」
姫様もどっちかといえば麦湯売りの女の子と話すのが楽しかったみたいだし。
「こちらでいただいたこの麦茶で、私の麦湯観が変わりましたよ」
「あら、そうですか? ありがとうございます」
白蓮が照れた笑顔を浮かべる。
実際、ここで飲まなければアレを冷やして飲もうとは考え付かなかったかもしれない。
娯楽とは些細であるが故に深い。
「……あなたはなぜ、寿命を?」
ふと、気になって尋ねてみる。
まぁ、地上人が寿命を延ばしたい理由などたかが知れているとも思ったが、この変わった人間が何を望んで寿命を延ばしたのかは少し気になった。
「いえいえ、単純に死が怖かっただけですよ」
「本当に?」
「本当ですよ。弟の死を見たら、すっごい死ぬのが怖くなってしまって、それでチョチョチョイと妖術に手を」
「……それで封印されたわけ?」
見事なまでに典型的。尋ねて損したとも思うが、そのありふれているはずの答えが逆に意外だったのもまた正直な感想で。
まぁ、そんな寿命伸ばしがありふれていてたまるか、という話ではある。
軽い口ぶりで言ったが、実力は大魔法使いクラスなのは確かだ。実際いささか以上に努力や苦労はしているのだろう。
「ええまぁ、正確には妖術を維持するために妖怪を助けていたことを知られたので封印されたのですが」
思っていたよりずっとアホなのは否めないが。
「アホねえ」
しまったつい口から本心が。
「ははは、お恥ずかしい。しかし、そうして得た時間、決して悪いものじゃなかったと、今でも思いますよ」
「へえ?」
「妖怪と人間の共存という果たすべき使命を見つけたこととか、今命蓮寺にいる方々と知り合えたこととか。あれから千年も経とうというのに、まだ私のことを覚えていて、そして助けてくれたのですよ。本当に、有難い事です」
本来の意味で『有難い』事でもあるのだろう。
そういえばありがたいの言葉も仏教由来だったかしら。
「それに、こうして冷たい麦湯を飲みながら、あなたとこうしてお話できていることとか」
「はは……そうですね」
社交辞令を柔和に受け止める。
向こうとしては自然に言ってるだけなのだろうけれど。
「そういえば、永琳さんはなぜ寿命を?」
「はて」
言われて今更のように気づく。
大して私も人のことは言えなかった。
もっとも私の場合、寿命云々とは少し違う話にはなるのだが、そのあたりはここでは細かい問題としておこう。
「そうですね……まぁ、一人の少女のために、といったところですか」
私が男性であったならば格好良くも聞こえる一言だったのかもしれないが。どうも女の身では締まらん一言のように思える。
「まぁ、ろまんちっくですね」
思うところはないのかい白蓮殿。
そんなキラキラした目で私を見ないで、謝るからなんかツッコんで。
「その方と一緒に過ごすために、ですか?」
間違っちゃいませんけどさ、その解釈を素直に受け取らないでください。そういう趣味あるんですか。
いやまぁ尼寺だしごにょごにょ。
ではない。
「まぁ、その表現も間違ってはいませんが……彼女は私の薬のためにいるべき場所を追われました。それが彼女の望みではありましたが……素直に薬を作るのではなく、もっと別の方法があったはずだと後悔したのです。ですから、せめて最後までつき合わせていただこうと、そう思いましてね」
内心の動揺からか話しすぎてしまった。
まぁいい。向こうの話も聞いたのだし、お相子だ。
「今も、後悔しているのですか?」
「まぁ、色々と苦労はしましたからね。あの場所に戻りたくなるときもありました」
「ありました、ですか」
なんとなく嘘はつきたくなかったが、やっぱりつかないと的確に不自然な部分を突いてくる。
素の自分を出させるのが上手い……さすが宗教屋といったところだろうか。そういうことにしておこう。
他の宗教屋は素の自分を出しすぎるきらいがあるが。
「はい。言葉を借りればやはり……この一杯の冷たい麦湯ですかね」
月人。
穢れを嫌い完璧を謳う満ち足りた民たち。
あの中にあり、この麦湯に何かを思うことが果たしてあっただろうか。
地上で過ごした時間は、あの頃よりはるかに濃い時間であったように思う。
「一杯といわず何杯でもどうぞ?」
「いえいえ、催促のつもりではありませんよ。いくらでも飲んでいては、有難みが薄れますからね」
「あらまぁ」
にこりと微笑んで言ってやると、白蓮は一本とられたという風に笑っていた。
まぁいつでも笑っているけれど。
「おいしゅうございました」
残った麦湯を飲み干すと、それを傍らの盆にのせて礼を述べた。
普段にないからこそ珍しく、また楽しい。
*
家路にて、ふと白蓮のことを思い浮かべた。
人間と妖怪の共存。
彼女はそれを目指していると言っていた。
共存とか平等とか、どういう定義で使っているのかは知らないが。
彼女から見て、永遠亭の面子は共存していることになっているのだろうか。なってないだろうなぁ。
彼女と私はちょっと似てるけど全然違う。
ロマンチストとリアリストくらい違う。というかそのものなのかもしれないけれど。
人間とは無いものねだりの生き物だ。
彼女のそれを無いものねだりと断ずれば、彼女はどういった顔をするのだろう。
そんなことはないと反論するだろうか、だから人間はなんたらかんたら南無三! と怒られるだろうか。
気になったのであの後実際にやってみた。
「しかし人間と妖怪の共存というのは難しい命題ですね。今の幻想郷も一応共存していると言えるとは思いますが、あなたは納得していないのでしょう。失礼な言い方ではありますが、私の目から見れば無いものねだりにも写ります」
「そうですね……ですが、特殊な状況とはいえ、この幻想郷の風景も、昔から見れば考えられないほどの夢物語に見えます。諦めていては何も変わりません。それに、私達はないものをねだっているのではありません。ないものを作ろうとしているのです」
見事なカウンターで返された。調子に乗りすぎるとこういう痛い目にあう。
ガンガン行こうぜの精神、長きに渡る逃亡生活をしていた私には眩しかったようだ。
まぁそもそも、『無い』ということを証明するのは難しい。しかも作るといわれれば頑張れと返すことしか出来ない。
「無いものねだり、か」
自分にないものとは一体なんだろう。
別に自惚れて言っているわけではない。知恵とか力とかそんな短絡的なものではなく、もっとこう根幹的というか本質的というか、そのあたりに無いものを考えていたのだ。
つまりは自分は何をねだって生きているのだろうという話だ。まぁ何もなくたって死ねないけど。
だがなんだかそれを考えていると、聖白蓮に行き当たった。
それもそうかもしれない。自分が聖白蓮を志そうとしたら、色々と厳しいものがあるだろう。
別に私は今の自分が嫌いなわけではない。
嫌いなわけではないが、少し彼女を見習ってみるのも面白いのではないかなと思った。
なんということのない思いつきだが、何、時間ならいくらでもある。
――さて、どのあたりを見習おう。
照りつける太陽の光を感じながら、私は思った。
とりあえずは姫様とウドンゲたちに、冷たい麦湯でも作ってあげましょうか。
とても面白かったです。
一億年以上生きているとも言われる永琳が千年程度の白蓮に気付かされるというのも奇妙なもんです。
・・・と思ったけど永琳は蓬莱の薬で不老なんでしたか。なんだかんだ永琳は若いのかもしれませんね。
永組と星組の話、ぜひ読みたいです。
ほのぼのしてないんだけど、暢気にシリアスな話題を語る雰囲気は東方っぽさの魅力、みたいなものを感じずに居られない
私からすると一体どういう時間感覚の中で生きているのか想像も付きませんが、このお話はその一つの形として面白かったです。
ナズvsてゐ が見てみたい(vsってわけではないか)
ナズとてゐが読んでみたい
どうしても額面通りに受け取れねぇ、絶対何か裏がある!
と勘繰ってしまう自分がいる。
これもある意味二人の持つ人徳のなせる業なのか……
善哉善哉
珍しい組み合わせの話ではありましたが、二人とも、とても自然に感じました。
それと「アホねえ」の一言が妙にツボにはまりましたw
本当に、ろまんちっくですねw ありがとうございました。
妙に心地いい二人の会話が心地よかった。