「あら、今日の紅茶はなんだか美味しいわね」
午後3時のティータイム。
それは、私がもっとも大事にしている時間である。
どんなに仕事が忙しくても、どんなにペットの後始末が大変な時でも、巫女が地底に襲撃してきた時でさえも、私はこのティータイムの時間を忘れた事はない。
甘いクッキーを齧り、香り高い紅茶を啜る。
これ以上の幸福など幻想郷には存在するはずがない。
だからこそ、私はいつもより美味しい紅茶を飲めた事に対して、いつも以上の幸せを感じていた。
「それ、こいし様がお入れになさったんですよ?」
「こいしが? 珍しいわね」
お燐の言葉を聞き、だからいつもと味が違うのかと納得する一方で、こいしったらいつの間に紅茶を入れる技術なんて学んだのかしら、と疑問に思った。
あのこいしの事だ。きっと地上へふらふらと出ていった際に、吸血鬼の館に住んでいるメイドにでも教えてもらったのだろう。
こいしにそんな趣味があった事は私にも知らなかったが、こうして美味しい紅茶が飲めるのだから文句は言うまい。
「それで――当の本人はどこへ行ったのかしら?
作ったシェフに直接意見を言いたいのだけれど」
「それが……こいし様ったら私に、さとり様のところまで紅茶を運んでちょうだいと言葉を残して、またどこかへ行ってしまったんです」
「ふふっ……。あの娘らしいと言えばあの娘らしいわね」
こいしの行動が読めない事なんていつもの事だ。
それが今回はいい意味に動いただけという事。
妹からもらった久しぶりの幸福を、今はじっくりと味わう事にしよう。
「あら? お燐は自分で入れた紅茶を飲んでいるのね」
ふと気づく。
現在、ティータイムを楽しんでいるのは私とお燐の二人。
私の目の前にはこいしが入れてくれた紅茶のポットが置いてあり、お燐の前には別のポットが置かれている。
「はい。こいし様の入れてくださったものをペットであるアタイが飲むなんて大それた事はできませんので」
「ずいぶん躾けのいいペットなのね」
ふふふっ、と笑いながら、私は自分のカップに紅茶を注ぐ。
それをお燐の前に置いた。
お燐は「にゃっ!?」と目をまん丸させながら、私の顔を見た。それに対して、私はお燐の心を知らないフリをする事にした。
「しゃ、しゃとり様……? これは……?」
お燐の言いたい事は全部分かっている。
でも、知らないフリをする。覚り妖怪だからこそできる、究極の嗜虐。
「お燐も飲んでみて。その紅茶はとても美味しいから」
「で、でも……これはさとり様が今まで飲んでいたカップで……
それをアタイが口につけるという事は、あの……その……」
「失礼ね、汚くないわよ?」
「いえ……そういう意味じゃなく……えっと……」
困り果てながらも顔を真っ赤にさせるお燐。
でも、お燐の中に嫌がる気持ちは一つもない。それを知った上で、私はこういうマネをしているのだ。
「じゃあ、どうして飲まないの?
それともお燐には何か飲めない理由でもあるの?
こいしが作って、私がカップに注いだ紅茶だというのに」
「ち、違います。それは何の関係もなくて……。
アタイが言いたいのは、しゃとり様が口につけたカップを、アタイが口にするという事で……」
「間接キスね」
「ひゃああっ!!!!」
私がその言葉を告げた途端に、お燐はあわてて椅子を背後に倒してしまった。
ごちん、と。地面に頭を打つ音が聞こえる。痛そうだ……。
「大丈夫?」
私が手を差し伸べると、お燐は痛む頭をさすりながら身を起こした。
お燐はまだ顔を真っ赤にさせながら、「にゃあ~」と呟く。
それを見た私は、とある事を思いつく。
「お燐、ごめんなさいね。
これは私の失態だわ。私の我儘に貴方を付き合わせたのに、怪我をさせてしまっただなんて……。
ごめんなさい。こんな不甲斐ない私には何か罰が必要よね」
「しゃ、しゃとり……様?」
お燐が私の計画に気付き始めたようで、少し声が震えた。
「口移しで飲ませてあげるわ。
これが私から貴方へできるせめてものお礼」
「え? え?」
お燐が事態を掴み切れないうちに、私は即座に行動を開始。
紅茶を口に含むと、そのまま唇をお燐に合わせた。
「んっ! んんっ!!」
驚いたお燐のまんまるな目が間近で見える。
こうして触れあうと分かるお燐の鼓動。それは、私が第三の目で心の声を聞くよりもはるか鮮明にお燐の気持ちを伝えてくる。
ゆっくり、ゆっくりと。
私からお燐へと紅茶が注ぎ込まれる。
「ぷはぁ……」
口を離すと、お燐の口から紅茶が一滴と涎がこぼれた。
「あらあら、いけない猫さんね」
私はハンカチでお燐の顔を拭いてやる。
お燐はその間、我を忘れているかのようにぼ~っ、と私の行動を見るばかりだった。
「アタイ、幸せすぎて死にそうです」
「……幸せのお裾分けね。
こいしから私へ。私からお燐へ」
※※※※※※
「わっ! 今日のおやつはドーナツなんだ♪」
地底最深部。
マグマが暴れ狂い、熱風が吹き荒れる正に地獄と呼ぶに相応しい場所。普通の生物では生きる事も敵わず――地底の鬼ですらも近づこうとはしない。蠢くものは悪霊と、それを管理するアタイ――火焔猫燐。
それと――ここを仕事場とする熱かい悩む神の火と称される事もある霊烏路空のみ。
と、まぁ。
これだけ聞くとマイナスイメージしかもたないのだが、アタイとお空からしてみれば当たり前の場所であり、慣れてくると案外心地がよかったりもする。
熱さに慣れてしまえば、マグマの胎動は飽きがこないBGMへと変わり、熱風に清涼を感じられたりもする。
そして、慣れ過ぎてしまうと、この場所でおやつを食べる事すらも当たり前となり、前述のお空のような場違いなセリフも生まれてくる。
「昨日、地上に行ったら偶然ドーナツ屋さんを見つけてね~。食べたら美味しかったから、お空にもと思って買ってきたのさ」
「私、ドーナツ大好きっ♪」
お空という少女は、いい意味でも悪い意味でもストレートだ。
嫌な時はさとり様の前でも嫌とはっきり言うし、好きなものをあげればどこへだって付いて行ってしまったりもする。
「お空はどれが食べたい?」
箱を開けて、二人で中身を物色する。
「私はそのチョコレートがいっぱいかかってるやつ♪」
「じゃあ、アタイはココナッツのにしよっかな」
ドーナツを選んで、それをパクリと食べようとしたところで、お空に止められた。
「ちょっと待って」
「ん? どうかしたの?」
食べる邪魔をされて、アタイは大口を開けたままでお空を見る。その状態だと少し間抜けに思ったので、恥ずかしながらも口だけは閉じた。
「せーので食べよ♪」
「お空はわがままだねぇ……」
そう言いながらも、アタイはお空の意見に賛成する事にした。
たしかに美味しいものは誰かと一緒に食べるのに限る。そしたら、美味しさが倍増するからだ。
「せーの」と声を合わせて。
二人でパクリ。
「美味しいね~」
「ほんとだね」
むしゃむしゃと咀嚼した後で、お空のほっぺたにチョコレートがついているのを発見する。
なぜこの極熱の中でチョコレートが溶けないのか疑問に思うところだが、そういうものとしか解釈のしようがない。
アタイは顔を近づけると、ほっぺたについていたチョコレートを舌で舐め取った。
「ひゃあっ!」
お空はくすぐったかったのか、情けない声をあげた。
「お空のほっぺたにチョコレートがついてたよ」
舌を出して、舐め取ったものを見せる。
「ちゅーだね♪」
「ぶふぅ~~~~っ!!!!」
お空の突然の発言にアタイはむせかえる。
アタイが驚いた理由は二つ。
一つ目はキスと意識をしないでしてしまった事。
二つ目は、先日のさとり様のアレを思い出してしまった事。
みるみるうちに顔が赤くなっていくのを分かっていながらも、自分では止められそうになかった。
「お燐、どうしたの? 顔が赤いよ」
「……」
お空に指摘されても返す言葉がない。
……お空、ごめんよ。アタイは淫らなペットだ。
心の中だけで謝っておいた。
「ドーナツ一つだけ余っちゃったね……」
しばらく時間が経って――といっても一、二分くらい――、お空が箱の中身を見ながら言う。
「あ~、うん。
本当はさとり様の分とこいし様の分と合わせて四個買ってきたかったんだけど、あいにく三個で売り切れになっちゃってね~。
このまま持って帰ったら姉妹二人で取り合いになっちゃいそうだし、どうしようか?」
……さとり様とこいし様のドーナツの取り合いを見てみたくもあるというのは、アタイだけの秘密だ。きっとさとり様は未練がましい瞳を必死に隠しながらこいし様に譲るのだろう。
「じゃあ、私がもらってもいい?」
「やっぱりそれが一番の方法かな」
お空は満面の笑みを浮かべながら、残り一つの――シュガーをまぶしたドーナツを手にとり口の中に放り込んだ。
お空の咀嚼している姿を見て思う。
お空の食べてる姿って本当に可愛いなぁ……。
見てるだけでお腹いっぱいになりそうだよ。
「お空って、ほんとに美味しそうに食べるよね」
「だって美味しいもん♪」
「そう言われると返す言葉もないねぇ」
「お燐が買ってきてくれたドーナツを、お燐と一緒に食べてるんだよ?
これ以上の幸せはないよ♪」
アタイは返す言葉もなかった。
お空は簡単に幸せを感じ過ぎると思うけど。
一方で、その幸せの中にアタイが入っている事はまぎれもなく嬉しい事だ。
ずっと、こんな幸せが続けばいいのになぁ。
※※※※※※
「お空はほんとに可愛いっすなぁ~」
お風呂での入浴中。
ぽかぽかお風呂の中るんるん気分で鼻歌を歌っていたら、突然こいし様が入ってきた。
私だって女の子だ。突然乱入者が来たらそれは驚く。
あわてて湯船に身を沈めるけど、こいし様は全く気にした様子もなく、身体にお湯をざばぁってかけると、湯船に入ってきた。
ここの湯船は二人入れる程大きくないから――さとり様が小さいのが好きだから――、私とこいし様が同時に入るとぎゅうぎゅうになってしまう。
自然と身体が密着し、私は恥ずかしいからこいし様に背中を向ける。でも、こいし様は堂々と私の背中に胸をぎゅうっと押しつける形で抱きついてくる。ほんのり膨らんだこいしの胸を背中に感じてしまい、私はさらに顔を赤くさせる。
そして、あのセリフ。
「こいし様ぁ~……」
暴れる事もできた。
核反応制御ダイブする事もできた。
ギガフレアをぶちかます事もできた。
でも、しなかった。
私だってこいし様が大好きだからだ。
「なんでお空はこんなにぷにぷにで柔らかいんだろうねぇ」
「うぅ……」
抵抗できないのをいいことに、こいし様の悪戯は続いていく。
私はそれに黙って耐える事しかできない。
こいし様はまるで味わうように、私の首筋を舐める。
「ひゃん……っ」
くすぐったくもあり、そしてなんだかもどかしい。
さとり様に撫でられるのは好きだけど、こいし様に舐められるのはあんまり好きじゃない。私自身がどうにかなってしまいそうだから。
こいし様はそれを分かった上でやっているのだから手に負えない。
次第に、私の中の力が抜けていき、こいし様に好いように弄ばれる。
「私、お空の身体をぎゅってするの好きなんだ」
「え……?」
思わず聞き返してしまったのは、こいし様の声のトーンが変化したから。
さっきまでは楽しさ満開だったのに、今は寂しさ七分咲きになっている。
「こいし……様?」
私に何ができるだろう、と考えた。
こいし様が悲しむ顔なんて見たくないから、私の肩に置いていたこいし様の手を両手で握りしめる。
「あ……ごめんね、お空。
地上に出たら、私は無意識のせいでいつも一人ぼっちなの。誰かにぎゅってしてもらいたいのに、誰も私に気付いてくれないの」
「だから、私をぎゅっとするんですか?」
「そう……。
ぎゅっとしたら、お空はちゃんと反応を返してくれるし、お空の温もりを感じられる。
暖かくて、優しくて、いい気持ち……」
頭がぼ~っ、としてくる。
お風呂に浸かりすぎたせいだろうか? それとも、こいし様の温もりをいつも以上に感じているせいだろうか?
どちらにしても、私も気持ちいい。
「私でよければ、ずっとぎゅっとしててください。
こいし様が嬉しいなら私も嬉しいです」
私がお燐と一緒にドーナツを食べるのを幸せと感じるのと同じように。
こいし様は、誰かの傍にいて、ぎゅっとして温もりをもらうのを幸せと感じるのだろう。
私がお燐に幸せをもらったように、その幸せをこいし様にあげられたなら嬉しいな。
――なんて考えていると、こいし様に抱きつかれるのも悪くはない。
「幸せが伝染してるみたいです」
幸せの連鎖。
誰かにもらった幸せを誰かに返す。
幸せは巡りめく。
「そうなの? じゃあ、私は――
お空にもらったこの幸せを、今度はお姉ちゃんにあげたいな」
好いものを読ませていただきました。
素晴らしい!!!
糖尿病になりそうだ…
だがそれが良い
さとり様Sすぎるぜ…
幸せは流転するのですね
甘さマックスでした