「キャッキャウフフしたいわ」
紅魔館の主、レミリア・スカーレットは朝食の場でそう呟いた。
物憂げに頬杖をつき、運命を見通すように遠くを見つめる彼女の姿は、まさしくスカーレットデビルと呼ぶにふさわしい威厳を放っている。
ここ最近カリスマ株が暴落してかつてのジンバブエみたいになってると各所で揶揄されまくっている彼女だが、今の姿を見て彼女を嘲笑える者はいないだろう。
ただそこに居るだけで魂すら削り取られるような圧倒的な存在感を誇示し、レミリア・スカーレットは再度呟く。
「キャッキャウフフしたいわ」
仕切り直しらしい。聞こえなかったと判断したのであろう。
厳かな彼女の二度目の言葉に、レミリアの親友であるパチュリー・ノーレッジは静かに顔を上げた。
それはパチュリーなりの友情の証明であり、同時に、私は確かに貴女の話を聞いていると言う無言の主張でもある。
彼女はこう見えて、義に熱いのだ。
よって七曜の魔法使いは、全力で顔を上げ続ける。
彼女は今すぐ顔を下ろして本の続きを見たいと言う欲求と戦いながら、親友の言葉に耳を傾けた。
もちろん聞くだけである。それ以上先は有料だ、ポイントをウェブマネーで購入してプレミアム会員になって貰わないと困る。
「キャッキャウフフしたいわ」
三度目に突入。レミリアにしては信じられないほど悠長なネタ振りである。
いつもなら、この辺で声にイラつきが混じるはずなのだけど。
四百九十五年間引きこもっていた悪魔の妹、フランドール・スカーレットはパンにかじりつきながらそんな事を思った。
彼女も、顔は上げても姉の発言に返事をする事はしない。
と言うより返事が出来ない。四百九十五年間引きこもっていた彼女には、姉の素っ頓狂な発言を上手く裁ける程の人生経験が不足していた。
どうしよう。やっぱりツッコミの一つでもしてあげた方が良いのかな。
時間稼ぎのためゆっくりとパンを噛みしめながら、フランは必死に頭を働かせる。
しかし、フランの人生経験上――年齢にマイナス四百九十五年する必要があるが――類を見ない姉のボケに、基本天然入ってる彼女はとてもじゃないが対処する事は出来な
かった。
「キャッキャウフフしたいわ」
四度目。関係ないはずのフランに焦りが生まれた。
どうやらレミリアは、誰かが何かを返すまで同じ台詞を繰り返すつもりらしい。
しかも淡々と。最早別人の線を疑うレベルである。
少なくともフランの知る姉なら、とっくにブチ切れてその場に居る全員にあたり散らしているはずだ。
フランは忙しなく視線を左右に動かす。誰でも良いから何とかしてくれと言う動揺の表れである。
朝食を摂っているのは、自分と姉とパチュリーの三人。
そのうちパチュリーはすでに、顔を下に向け本の内容にのめり込んでいる。
壮絶な戦いの末、欲求は友情に打ち勝ったのだ。
その戦いの詳細は語ると長くなるので割愛するが、わりと一方的であった事は語っておく。
友情も倦怠期に入るらしい。フランの人間不信度が三割ほど増した。パチュリーは人間じゃないけど。
「キャッキャウフフしたいわ」
五度目。フランは泣きたくなった。
未だかつてここまで姉にカリスマを感じた事があるだろうか。――――否、無い。
謎のプレッシャーに押し潰されたフランは、生まれてきた事さえ後悔し始めた。
誰か助けて。そう思いさらに視線を彷徨わせたフランは、レミリアの傍に控えていた彼女と眼があった。
紅魔館のメイド長、十六夜咲夜だ。
彼女はフランの視線に気づくと優しく微笑み、己が能力を使い瞬時に主の視界へと移動する。
咲夜は戯曲における英雄の様に勇ましく、両手を広げ自らの主へ高らかに告げた。
「ばっちこい」
瀟洒だった。そして完全だった。
忠誠心と言う名の鼻血を文字通り出血大サービスで提供している彼女にしては珍しく、そこには一片の邪念も存在していなかった。
この身はただ、主の望みに応えるために。
フランは彼女の背中から、そんな熱い決意を読み取る。
何と言う美しい忠誠心だろうか。フランは、咲夜の瀟洒な態度に感激しつつ初めて口を開いた。
「最初の時に返事してよ……」
フラン渾身のツッコミだった。
パチュリーは心の中で、こっそりそのツッコミに四点をつける。
残念ながら、何段階評価なのかは非公開である。
――紅魔館にありがちな話――
フランは、息を切らせながら門に向って走っていた。
朝食を摂る事は諦めた。と言うより、もう摂っている場合では無い。
すでに彼女は、己があの場に置いてツッコミ役になり得ない事を確信していた。
私ではダメ。もっとしっかりとつっこめる人を探さないと。
そんな思いから、彼女は必死に足を進める。
ツッコミを入れようが入れなかろうがフランの人生には何の不都合も起きないのだが、それを悟るには彼女の経験は不足し過ぎていたのだ。
「めーりん!」
「おや、妹様?」
吸血鬼の身体能力なら、一瞬で到達するはずの紅魔館正門。
今のフランにとっては永遠に等しいその距離を駆け抜け、彼女は紅魔館門番である紅美鈴に抱きついた。
手加減せずに最高加速で突っ込んだため美鈴の腰がちょっと嫌な音を鳴らしたが、美鈴は笑顔を絶やさない。門番の鏡である。
「どうしました? またビューティフルスカーレットを始める気ですか?」
ビューティフルスカーレットとは、スカーレット姉妹が考案した全く新しい遊びだ。
ゲームプレイヤーたるスカーレット姉妹が、美鈴の頭の上に乗っけた林檎をスペルカードで撃ち落とすゲームである。
この場合、台座たる美鈴の吹っ飛ばし方も得点の対象となる。当然、より美しく吹っ飛ばした方が高得点だ。
ちなみに最高記録保持者は十六夜咲夜。林檎を一切傷つける事無く美鈴を逆剣山とした彼女は、永世名人の称号をレミリアから授けられた。
もちろん、プレイヤーがスカーレット姉妹じゃないとか、そもそも勝利条件が変わっているとかは些細な問題なのである。
「あれはもう飽きたからいいの! それよりちょっと来て!!」
「すいません。私は門番の任があるので、ここを離れるワケには」
「美鈴がいないとダメなの。お願い、力を貸して」
「妹様……」
フランの縋りつくような願いに、美鈴の心は揺れる。
彼女にとって門番の仕事は何よりも優先すべき事項だが、フランの願いも無碍にする事は出来ない。
ビューティフルスカーレットされたり、血を吸う真似ごとで失血死しかけたり、弾幕ごっこで殺されかけたりされたとしても、美鈴にとってフランは大切な存在なのだ。
紅魔館にスタッフサービスは必要ないのである。親切な匿名の誰かが気遣って勝手にかけたりする事はあるが。
「分かりました。この紅美鈴でお役に立てる事であれば!」
「ありがとう美鈴! 早速だけど来て!!」
「えっ!? ちょっ、妹様!?」
美鈴の腕を掴んだフランが、行きと同じスピードで屋敷の中へと戻る。
吸血鬼の最高速で、障害物も気にせず彼女は駆け抜けた。
後ろの方で引きずっている何かがゴンゴンぶつかっている感触すら気に掛けず、全力で。
その様はまさしく暴走超特急。妖精メイド達が恐れ慄き逃げ出すのも無理もない。
台風一過のような光景を残して、フランと美鈴だったモノは目的の場所へと到着した。
「さぁ美鈴、お願い。私の代わりにツッコミを入れてね」
「…………」
へんじがない、ただのしかばねのようだ。
ぐったりとした美鈴を引きずり、フランは食堂の扉を開ける。
もう、姉の無軌道なボケを恐れる必要は無い。彼女には百万の兵に勝る味方が居るのだ。しかばねだけど。
胸を張ってフランは食堂に足を踏み入れる。
そこに広がっていたのは、咲夜とレミリアがキャッキャウフフしている光景だった。
「……何これ」
フランは、二人がキャッキャウフフし出す前に外に出た。
だから二人がキャッキャウフフする姿を見るのは、これが初めてだ。
彼女の中では、二人はとても幸せそうにキャッキャウフフしているはずだった。
咲夜は忠誠心をダラダラ流し、レミリアはカリスマ株を大安売りし、ある意味いつも通りの二人に戻っている。
それがフランの予想したキャッキャウフフの姿であり、そこだけは変わらないだろうとフランは高をくくっていた。
しかし、目の前の二人はそんなフランの淡い願いをあっさりと打ち砕く。
咲夜はあくまでクールなパーフェクトメイドのまま、無表情にレミリアを愛でる。
レミリアは気だるげな様子で頬杖をついたまま、そんな咲夜の行為を無言で受け入れる。
フランはキャッキャウフフの新境地を見た。
「えっ? えっ? どういう事?」
フランドール・スカーレットだって、純情可憐な乙女である。
具体的に口に出す事はしないが、心の底ではキャッキャウフフにドリームを持っているのだ。
キャッキャウフフをすると幸せになり、幸せになるからキャッキャウフフする。
その相互関係は決して崩れぬモノであると、彼女のドリームはツラツラと語っていた。
しかし、その相互関係を彼女の姉はあっさりと崩した。
亭主元気で留守が良い。妻、賢ければ夫の禍少なし。少女は四百九十五年目にしてキャッキャウフフの真実を知った。
「おかえり。朝食はまだ残ってるわよ」
「あ、パチュリー……」
我関せずと本を読み続けている七曜の魔法使いは、マイペースに本を読み進める。
親友が何の生産性も無いキャッキャウフフをしていてもお構い無しだ。
フランの人間不信度が二割増した。パチュリーは人間じゃないけど。
「美鈴、めーりん! ツッコミを入れてよ!! お願い!」
「…………」
「そんだけ頭打ってたら、ツッコミどころかロクに喋る事も出来ないわよ」
「そ、そんなっ!?」
まさかのパチュリーのツッコミに、フランが驚愕する。
美鈴なら、例え頭がカチ割れようが即座に復活すると信じていたのだ。
希望は潰えた。フランは立つ力さえ失い、膝から崩れ落ちる。
最早フランに行動する力は残されていなかった。呆然と膝をついたまま、無機質なキャッキャウフフを眺め続ける。
「私って、こんなにも無力だったの?」
いつの間にか、頬に冷たい感触が広がっていた。
何一つ満足にこなせない自分が悔しくて、知らず涙を流していたらしい。
フランは流れ続ける涙を拭いもせず、己の無力を嘆く。
そんな彼女を救ったのは、フランが外に出る切っ掛けを作ったあの普通の魔法使いだった。
『フラン……フラン、聞こえるか』
「魔理沙!?」
ちなみに、本物の魔理沙は普通に寝てます。
この場合の魔理沙は、フランの想像の中で神格化された魔理沙――GOD魔理沙略してゴリサの事を指す。
ゴリサは魔理沙がやった事もない面妖なポーズを取り、フランを励ます。
『諦めるなフラン。お前はまだ、全てを出しきっていないだろう?』
「私の……全て」
『お前には、あの姉達にツッコミを入れる力が残されているはずだ。違うか?』
「そんな、私には無理だよ」
「もうちょっと音量下げてくれない? 気になって本が読めないわ」
「あ、ゴメン」
「あと、魔理沙の声はもっとビブラートがかかってるわ。ちゃんと修正してね」
「分かった」
フランは軽くセキをして、音程を調節するように声を出し続ける。
ゴリサの音声はフランの脳内でしか再生されないので、分かりやすさ重視のためフランはゴリサとの会話を声に出さないといけないのだ。
彼女は何度も調整を重ね、ゴリサの声にビブラートをかける事に成功する。
ここに、GOD魔理沙ビブラート、略してゴリラが誕生したのであった。
『うほほっ、うほっ、うほほほ』
「分かったよ! 魔理沙!!」
完全にゴリラになってしまっているが、フランの中ではまだギリギリ魔理沙の範疇である。
トンガリ帽子を被せて何とか想像の崩壊を収め、フランはゴリラのアドバイスに従い行動に移った。
「私の能力で、お姉様達のキャッキャウフフを破壊するっ!」
ゴリラは意外と過激派らしい。パチュリーはこっそりゴリラに関する知識を修正した。
その間に、フランは姉達への攻撃準備に取り掛かっていた。
思いっきり振りかぶったフランは、手に持っていた何かを二人に向かって投げつける。
「いっけぇぇぇぇぇぇぇぇっ!」
二人に向かって飛んでいく緑色の何か。ありとあらゆるものを破壊する程度の能力が発動した瞬間である。
フランの攻撃を受け、二人は即座にその場を離れた。
キャッキャウフフが終わった瞬間である。フランは喜びのガッツポーズをとった。
しかし何かが過ぎ去った後、二人は再びキャッキャウフフの姿勢に戻っていた。
フランは驚愕する。絶対の自信を誇っていた能力が、あっさりと破られてしまったためだ。
どうしよう。私の能力でも壊せないなんて……。
再度彼女を絶望が襲う。ゴリラはバナナを食べているため何のフォローもしてくれない。
「万事休す、ね」
パチュリーが本を閉じ、落胆のため息を漏らした。
二人のキャッキャウフフは止まらない。咲夜は散らかった食堂の片付けを始め、レミリアは残った朝食を片付けにかかかった。
最早、一緒に居る必要すら無いと言う事か。フランは悔しさから歯噛みをしつつ俯く。
「誰か……助けてっ」
フランに残された手段は、祈ることしか無かった。
パチュリーも両手を合わせ、同じ様に救世主の登場を願う。
それだけではない。あの咲夜も、そしてレミリアさえもが祈ってくれた。
紅魔館に住まう全員の願いは同じなのだ。皆、救いの主を求めて遠くを見つめている。
そして、彼女らの願いは天へと届いた。
「うーん……あいたたた。死ぬかと思いましたよ」
ゆっくりと身体を起こした美鈴が、苦笑しながら頭をかく。
彼女は軋む体を動かしながら、周囲の様子を窺う。
レミリアが、咲夜が、フランが、パチュリーが、食堂で一心不乱に祈っている。
「――あの、皆揃って何やってるんですか? 妖しい宗教みたいな事になってますよ?」
「!?」
「!」
全員の視線が彼女に集中する。
その事に怯む美鈴。あまり注目される事になれていないのだろう。
「美鈴、他にも何か言う事があるよね? ねっ!」
「えっと……妹様? 急いでいたからってアレは暴れ過ぎでは無いですかね。私、ミンチになるかと思いましたよ」
「うん! ゴメンね美鈴!!」
「な、何で嬉しそうなんですか?」
無邪気過ぎるが故に、フランの考えが読み切れない事は多々ある。
しかし今回のケースは美鈴にとっても初めての事だった。
思わず戸惑いから咲夜の方に視線を向けると――彼女は何故か、無表情でレミリアを愛でていた。
その隣では、パチュリーが我関せずと本を読み続けている。
ただし、三人はチラチラと美鈴の様子を窺っていた。まるで何かを期待しているかのようだ。
「えーっと……その、お二人とも? 仲良くするなら、もう少し楽しそうにしても良いと思うんですが」
「それもそうね。咲夜、もう良いわよ」
「はい、お嬢様」
「それからパチュリー様。隣に居るのでしたら、少しは止めて上げてくださいよ」
「気をつけるわ」
満足そうに解散する三人。フランも楽しそうだ。
「やっぱり美鈴がいないとダメだねー」
「メリハリがつかないのよね。メリハリが」
「やはり、いつもの形が一番ですね」
「あー、モヤモヤしたわ。だからフランに合わせると収拾つかないって言ったでしょう?」
「あら? 何だかんだでパチェもノリノリだったじゃないの」
「……あの、何の話ですか?」
呆然とした美鈴を残し、其々思い思いに食堂から離れていく四人。
残されたのは、何一つ知らされる事無くその場に残された中華小娘だけだった。
「―――な、なんでやねん」
紅魔館の主、レミリア・スカーレットは朝食の場でそう呟いた。
物憂げに頬杖をつき、運命を見通すように遠くを見つめる彼女の姿は、まさしくスカーレットデビルと呼ぶにふさわしい威厳を放っている。
ここ最近カリスマ株が暴落してかつてのジンバブエみたいになってると各所で揶揄されまくっている彼女だが、今の姿を見て彼女を嘲笑える者はいないだろう。
ただそこに居るだけで魂すら削り取られるような圧倒的な存在感を誇示し、レミリア・スカーレットは再度呟く。
「キャッキャウフフしたいわ」
仕切り直しらしい。聞こえなかったと判断したのであろう。
厳かな彼女の二度目の言葉に、レミリアの親友であるパチュリー・ノーレッジは静かに顔を上げた。
それはパチュリーなりの友情の証明であり、同時に、私は確かに貴女の話を聞いていると言う無言の主張でもある。
彼女はこう見えて、義に熱いのだ。
よって七曜の魔法使いは、全力で顔を上げ続ける。
彼女は今すぐ顔を下ろして本の続きを見たいと言う欲求と戦いながら、親友の言葉に耳を傾けた。
もちろん聞くだけである。それ以上先は有料だ、ポイントをウェブマネーで購入してプレミアム会員になって貰わないと困る。
「キャッキャウフフしたいわ」
三度目に突入。レミリアにしては信じられないほど悠長なネタ振りである。
いつもなら、この辺で声にイラつきが混じるはずなのだけど。
四百九十五年間引きこもっていた悪魔の妹、フランドール・スカーレットはパンにかじりつきながらそんな事を思った。
彼女も、顔は上げても姉の発言に返事をする事はしない。
と言うより返事が出来ない。四百九十五年間引きこもっていた彼女には、姉の素っ頓狂な発言を上手く裁ける程の人生経験が不足していた。
どうしよう。やっぱりツッコミの一つでもしてあげた方が良いのかな。
時間稼ぎのためゆっくりとパンを噛みしめながら、フランは必死に頭を働かせる。
しかし、フランの人生経験上――年齢にマイナス四百九十五年する必要があるが――類を見ない姉のボケに、基本天然入ってる彼女はとてもじゃないが対処する事は出来な
かった。
「キャッキャウフフしたいわ」
四度目。関係ないはずのフランに焦りが生まれた。
どうやらレミリアは、誰かが何かを返すまで同じ台詞を繰り返すつもりらしい。
しかも淡々と。最早別人の線を疑うレベルである。
少なくともフランの知る姉なら、とっくにブチ切れてその場に居る全員にあたり散らしているはずだ。
フランは忙しなく視線を左右に動かす。誰でも良いから何とかしてくれと言う動揺の表れである。
朝食を摂っているのは、自分と姉とパチュリーの三人。
そのうちパチュリーはすでに、顔を下に向け本の内容にのめり込んでいる。
壮絶な戦いの末、欲求は友情に打ち勝ったのだ。
その戦いの詳細は語ると長くなるので割愛するが、わりと一方的であった事は語っておく。
友情も倦怠期に入るらしい。フランの人間不信度が三割ほど増した。パチュリーは人間じゃないけど。
「キャッキャウフフしたいわ」
五度目。フランは泣きたくなった。
未だかつてここまで姉にカリスマを感じた事があるだろうか。――――否、無い。
謎のプレッシャーに押し潰されたフランは、生まれてきた事さえ後悔し始めた。
誰か助けて。そう思いさらに視線を彷徨わせたフランは、レミリアの傍に控えていた彼女と眼があった。
紅魔館のメイド長、十六夜咲夜だ。
彼女はフランの視線に気づくと優しく微笑み、己が能力を使い瞬時に主の視界へと移動する。
咲夜は戯曲における英雄の様に勇ましく、両手を広げ自らの主へ高らかに告げた。
「ばっちこい」
瀟洒だった。そして完全だった。
忠誠心と言う名の鼻血を文字通り出血大サービスで提供している彼女にしては珍しく、そこには一片の邪念も存在していなかった。
この身はただ、主の望みに応えるために。
フランは彼女の背中から、そんな熱い決意を読み取る。
何と言う美しい忠誠心だろうか。フランは、咲夜の瀟洒な態度に感激しつつ初めて口を開いた。
「最初の時に返事してよ……」
フラン渾身のツッコミだった。
パチュリーは心の中で、こっそりそのツッコミに四点をつける。
残念ながら、何段階評価なのかは非公開である。
――紅魔館にありがちな話――
フランは、息を切らせながら門に向って走っていた。
朝食を摂る事は諦めた。と言うより、もう摂っている場合では無い。
すでに彼女は、己があの場に置いてツッコミ役になり得ない事を確信していた。
私ではダメ。もっとしっかりとつっこめる人を探さないと。
そんな思いから、彼女は必死に足を進める。
ツッコミを入れようが入れなかろうがフランの人生には何の不都合も起きないのだが、それを悟るには彼女の経験は不足し過ぎていたのだ。
「めーりん!」
「おや、妹様?」
吸血鬼の身体能力なら、一瞬で到達するはずの紅魔館正門。
今のフランにとっては永遠に等しいその距離を駆け抜け、彼女は紅魔館門番である紅美鈴に抱きついた。
手加減せずに最高加速で突っ込んだため美鈴の腰がちょっと嫌な音を鳴らしたが、美鈴は笑顔を絶やさない。門番の鏡である。
「どうしました? またビューティフルスカーレットを始める気ですか?」
ビューティフルスカーレットとは、スカーレット姉妹が考案した全く新しい遊びだ。
ゲームプレイヤーたるスカーレット姉妹が、美鈴の頭の上に乗っけた林檎をスペルカードで撃ち落とすゲームである。
この場合、台座たる美鈴の吹っ飛ばし方も得点の対象となる。当然、より美しく吹っ飛ばした方が高得点だ。
ちなみに最高記録保持者は十六夜咲夜。林檎を一切傷つける事無く美鈴を逆剣山とした彼女は、永世名人の称号をレミリアから授けられた。
もちろん、プレイヤーがスカーレット姉妹じゃないとか、そもそも勝利条件が変わっているとかは些細な問題なのである。
「あれはもう飽きたからいいの! それよりちょっと来て!!」
「すいません。私は門番の任があるので、ここを離れるワケには」
「美鈴がいないとダメなの。お願い、力を貸して」
「妹様……」
フランの縋りつくような願いに、美鈴の心は揺れる。
彼女にとって門番の仕事は何よりも優先すべき事項だが、フランの願いも無碍にする事は出来ない。
ビューティフルスカーレットされたり、血を吸う真似ごとで失血死しかけたり、弾幕ごっこで殺されかけたりされたとしても、美鈴にとってフランは大切な存在なのだ。
紅魔館にスタッフサービスは必要ないのである。親切な匿名の誰かが気遣って勝手にかけたりする事はあるが。
「分かりました。この紅美鈴でお役に立てる事であれば!」
「ありがとう美鈴! 早速だけど来て!!」
「えっ!? ちょっ、妹様!?」
美鈴の腕を掴んだフランが、行きと同じスピードで屋敷の中へと戻る。
吸血鬼の最高速で、障害物も気にせず彼女は駆け抜けた。
後ろの方で引きずっている何かがゴンゴンぶつかっている感触すら気に掛けず、全力で。
その様はまさしく暴走超特急。妖精メイド達が恐れ慄き逃げ出すのも無理もない。
台風一過のような光景を残して、フランと美鈴だったモノは目的の場所へと到着した。
「さぁ美鈴、お願い。私の代わりにツッコミを入れてね」
「…………」
へんじがない、ただのしかばねのようだ。
ぐったりとした美鈴を引きずり、フランは食堂の扉を開ける。
もう、姉の無軌道なボケを恐れる必要は無い。彼女には百万の兵に勝る味方が居るのだ。しかばねだけど。
胸を張ってフランは食堂に足を踏み入れる。
そこに広がっていたのは、咲夜とレミリアがキャッキャウフフしている光景だった。
「……何これ」
フランは、二人がキャッキャウフフし出す前に外に出た。
だから二人がキャッキャウフフする姿を見るのは、これが初めてだ。
彼女の中では、二人はとても幸せそうにキャッキャウフフしているはずだった。
咲夜は忠誠心をダラダラ流し、レミリアはカリスマ株を大安売りし、ある意味いつも通りの二人に戻っている。
それがフランの予想したキャッキャウフフの姿であり、そこだけは変わらないだろうとフランは高をくくっていた。
しかし、目の前の二人はそんなフランの淡い願いをあっさりと打ち砕く。
咲夜はあくまでクールなパーフェクトメイドのまま、無表情にレミリアを愛でる。
レミリアは気だるげな様子で頬杖をついたまま、そんな咲夜の行為を無言で受け入れる。
フランはキャッキャウフフの新境地を見た。
「えっ? えっ? どういう事?」
フランドール・スカーレットだって、純情可憐な乙女である。
具体的に口に出す事はしないが、心の底ではキャッキャウフフにドリームを持っているのだ。
キャッキャウフフをすると幸せになり、幸せになるからキャッキャウフフする。
その相互関係は決して崩れぬモノであると、彼女のドリームはツラツラと語っていた。
しかし、その相互関係を彼女の姉はあっさりと崩した。
亭主元気で留守が良い。妻、賢ければ夫の禍少なし。少女は四百九十五年目にしてキャッキャウフフの真実を知った。
「おかえり。朝食はまだ残ってるわよ」
「あ、パチュリー……」
我関せずと本を読み続けている七曜の魔法使いは、マイペースに本を読み進める。
親友が何の生産性も無いキャッキャウフフをしていてもお構い無しだ。
フランの人間不信度が二割増した。パチュリーは人間じゃないけど。
「美鈴、めーりん! ツッコミを入れてよ!! お願い!」
「…………」
「そんだけ頭打ってたら、ツッコミどころかロクに喋る事も出来ないわよ」
「そ、そんなっ!?」
まさかのパチュリーのツッコミに、フランが驚愕する。
美鈴なら、例え頭がカチ割れようが即座に復活すると信じていたのだ。
希望は潰えた。フランは立つ力さえ失い、膝から崩れ落ちる。
最早フランに行動する力は残されていなかった。呆然と膝をついたまま、無機質なキャッキャウフフを眺め続ける。
「私って、こんなにも無力だったの?」
いつの間にか、頬に冷たい感触が広がっていた。
何一つ満足にこなせない自分が悔しくて、知らず涙を流していたらしい。
フランは流れ続ける涙を拭いもせず、己の無力を嘆く。
そんな彼女を救ったのは、フランが外に出る切っ掛けを作ったあの普通の魔法使いだった。
『フラン……フラン、聞こえるか』
「魔理沙!?」
ちなみに、本物の魔理沙は普通に寝てます。
この場合の魔理沙は、フランの想像の中で神格化された魔理沙――GOD魔理沙略してゴリサの事を指す。
ゴリサは魔理沙がやった事もない面妖なポーズを取り、フランを励ます。
『諦めるなフラン。お前はまだ、全てを出しきっていないだろう?』
「私の……全て」
『お前には、あの姉達にツッコミを入れる力が残されているはずだ。違うか?』
「そんな、私には無理だよ」
「もうちょっと音量下げてくれない? 気になって本が読めないわ」
「あ、ゴメン」
「あと、魔理沙の声はもっとビブラートがかかってるわ。ちゃんと修正してね」
「分かった」
フランは軽くセキをして、音程を調節するように声を出し続ける。
ゴリサの音声はフランの脳内でしか再生されないので、分かりやすさ重視のためフランはゴリサとの会話を声に出さないといけないのだ。
彼女は何度も調整を重ね、ゴリサの声にビブラートをかける事に成功する。
ここに、GOD魔理沙ビブラート、略してゴリラが誕生したのであった。
『うほほっ、うほっ、うほほほ』
「分かったよ! 魔理沙!!」
完全にゴリラになってしまっているが、フランの中ではまだギリギリ魔理沙の範疇である。
トンガリ帽子を被せて何とか想像の崩壊を収め、フランはゴリラのアドバイスに従い行動に移った。
「私の能力で、お姉様達のキャッキャウフフを破壊するっ!」
ゴリラは意外と過激派らしい。パチュリーはこっそりゴリラに関する知識を修正した。
その間に、フランは姉達への攻撃準備に取り掛かっていた。
思いっきり振りかぶったフランは、手に持っていた何かを二人に向かって投げつける。
「いっけぇぇぇぇぇぇぇぇっ!」
二人に向かって飛んでいく緑色の何か。ありとあらゆるものを破壊する程度の能力が発動した瞬間である。
フランの攻撃を受け、二人は即座にその場を離れた。
キャッキャウフフが終わった瞬間である。フランは喜びのガッツポーズをとった。
しかし何かが過ぎ去った後、二人は再びキャッキャウフフの姿勢に戻っていた。
フランは驚愕する。絶対の自信を誇っていた能力が、あっさりと破られてしまったためだ。
どうしよう。私の能力でも壊せないなんて……。
再度彼女を絶望が襲う。ゴリラはバナナを食べているため何のフォローもしてくれない。
「万事休す、ね」
パチュリーが本を閉じ、落胆のため息を漏らした。
二人のキャッキャウフフは止まらない。咲夜は散らかった食堂の片付けを始め、レミリアは残った朝食を片付けにかかかった。
最早、一緒に居る必要すら無いと言う事か。フランは悔しさから歯噛みをしつつ俯く。
「誰か……助けてっ」
フランに残された手段は、祈ることしか無かった。
パチュリーも両手を合わせ、同じ様に救世主の登場を願う。
それだけではない。あの咲夜も、そしてレミリアさえもが祈ってくれた。
紅魔館に住まう全員の願いは同じなのだ。皆、救いの主を求めて遠くを見つめている。
そして、彼女らの願いは天へと届いた。
「うーん……あいたたた。死ぬかと思いましたよ」
ゆっくりと身体を起こした美鈴が、苦笑しながら頭をかく。
彼女は軋む体を動かしながら、周囲の様子を窺う。
レミリアが、咲夜が、フランが、パチュリーが、食堂で一心不乱に祈っている。
「――あの、皆揃って何やってるんですか? 妖しい宗教みたいな事になってますよ?」
「!?」
「!」
全員の視線が彼女に集中する。
その事に怯む美鈴。あまり注目される事になれていないのだろう。
「美鈴、他にも何か言う事があるよね? ねっ!」
「えっと……妹様? 急いでいたからってアレは暴れ過ぎでは無いですかね。私、ミンチになるかと思いましたよ」
「うん! ゴメンね美鈴!!」
「な、何で嬉しそうなんですか?」
無邪気過ぎるが故に、フランの考えが読み切れない事は多々ある。
しかし今回のケースは美鈴にとっても初めての事だった。
思わず戸惑いから咲夜の方に視線を向けると――彼女は何故か、無表情でレミリアを愛でていた。
その隣では、パチュリーが我関せずと本を読み続けている。
ただし、三人はチラチラと美鈴の様子を窺っていた。まるで何かを期待しているかのようだ。
「えーっと……その、お二人とも? 仲良くするなら、もう少し楽しそうにしても良いと思うんですが」
「それもそうね。咲夜、もう良いわよ」
「はい、お嬢様」
「それからパチュリー様。隣に居るのでしたら、少しは止めて上げてくださいよ」
「気をつけるわ」
満足そうに解散する三人。フランも楽しそうだ。
「やっぱり美鈴がいないとダメだねー」
「メリハリがつかないのよね。メリハリが」
「やはり、いつもの形が一番ですね」
「あー、モヤモヤしたわ。だからフランに合わせると収拾つかないって言ったでしょう?」
「あら? 何だかんだでパチェもノリノリだったじゃないの」
「……あの、何の話ですか?」
呆然とした美鈴を残し、其々思い思いに食堂から離れていく四人。
残されたのは、何一つ知らされる事無くその場に残された中華小娘だけだった。
「―――な、なんでやねん」
前半のフランドールが特に面白い
なんでやねん
タイトルと内容のギャップがいっそ清々しいです。
どうしてそこをとったw
ゴリラはないwwwww
ゴリビじゃないのかw
ゴリラに不意打ちでやられたw
爆笑してしまいました。100点以外無いです。
最早魔理沙ではない。w
もう、それ、魔理沙じゃないwww
ビューティフルスカーレットww