「じゃあ魔理沙、もし私が失敗したら後は頼んだわよ」
社務所を照らす行灯のともし火を頼りに、霊夢は馴れた手つきで卓上に広げた札や針を確認しては、袖や懐に備えていく。
「ああ、まかしとけ。もっとも永琳はお前のほうが適役って言っていたから問題ないとは思うが」
揺れるともし火に暖かみよりも不吉を覚えてしまうのは、やはり己の内心が不安に揺れているからか。
気のせいか出された宇治茶までも渋く感じる。
お茶請けが無いのだから、渋く淹れられているはずなんてないだろうに。
「最適だろうと上手く行くとは限らないわ。人間死ぬ時は死ぬもの。ま、今回はすぐに死んだりはしないでしょうが」
淡々と語る友人の言葉を耳にして、霧雨魔理沙は思わず身震いする。博麗霊夢の死は、実のところ彼女にとって己の死と同等、いやそれ以上に重い。
ちゃぶ台を挟んで己の顔を正視している魔理沙の視線に気がついたのだろう。
霊夢もまた装備を中断して視線を相手に向けると、少し呆れたように微笑んだ。
「ちょっと、囮になるのはこっちなんだからあんたが緊張する必要ないでしょうが」
「……うるさいな、ちょっと冷えただけだよ」
苦笑する霊夢に対し魔理沙は誤魔化しを口にするが、不機嫌そうな表情を隠しきれていない。
本人もそれは自覚しているし、そしてそれはある意味故意にでもある。
だがその言葉とは裏腹な表情による訴えを理解しているはずなのに、霊夢は「確かにね」なんて魔理沙の言葉のほうに同意する。
「最近冷えてきたし、失敗したら風邪引いちゃうかも。その時はお布団掛けといてよね」
「最初から布団にもぐったまま実行しろ」
「あーそれが出来れば理想ね」
口を開けばすぐに軽口。でも、それでいいと魔理沙は思う。
今日は日常、明日も日常だ。いつもと変わらぬ悪態をついてこそだろう。
特別な会話をしたら今日という日が非日常になってしまうかも、なんて恐怖するのは魔法使いとしてどうかとは思うのだが。
「じゃあ私は一旦引きあげるが……本当にお前一人で大丈夫なのか? やっぱり私も残ったほうが……」
「あんたにはあんたの役割があるでしょ? それに万が一あんたの気配が気取られたら囮になんないじゃない」
緊張感の欠片もなしに霊夢は溜息をつく。
どこまでも日常の延長といったその表情に今度は魔理沙が呆れて苦笑する番だ。
――まったくこいつは、なんでこんな風に落ち着いていられるんだか。
既にどの勢力も各々警告体勢に移行しているし、正体不明の敵側としても巫女は始末しておきたいだろうから敵は必ずここに来るはず。
だが、果たしてのるかそるか。
最初は魔理沙とて、自分が囮になり霊夢がバックアップするという逆の立場を提案してみたのだ。
だが異変解決は巫女の仕事である、と妙にやる気を出している霊夢を説き伏せることが、とうとう魔理沙にはできなかったのである。
いささかぐうたら巫女などと揶揄しすぎたのかもしれないな、との後悔も後の祭。
二人が同時に囮になっては意味がない以上、結局のところ魔理沙はこの場から引き下がらざるをえない。
数瞬、思いをめぐらせた後に魔理沙はかぶりをふって立ち上がる。
そのまま重い足取りで幼馴染へと背を向けて社務所の縁側へと向かうと靴を履き、雨戸に立掛けてあった箒を手に取って、
「Good Luck」
一言呟き箒に跨がり、後ろ髪を引かれるような思いを抱いたまま神社を後にする。
この選択が吉と出るか凶と出るか、今の魔理沙には分からなかった。
先生、お願いできるかしら? ~~Nec possum tecum vivere, nec sine te.~~
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
――博麗霊夢と霧雨魔理沙の会話から一週間ほど前――
「あー、掃いても掃いても落ち葉がやってくるわー」
強風でほどけかけたマフラーを適当に巻きなおした博麗霊夢は恨めしげに境内を見回した後、天を仰いで文句とも諦観ともつかぬ言を空に投げかける。
霜月も残りあと僅か。赤と黄に染まった美しい紅葉の季節も既に終わりを告げて、今やそれらは落ち葉となるのみ。
そしてその落ち葉ときたら、霜月の颪に攫われて霊夢が一ヵ所に掃き集める傍から散っていってしまうのである。
憤懣やる方なしといった表情の霊夢は一旦午後の掃除を中断して本殿の小階段に腰を下ろす。
と、社務所からぼろーん、ぼろーんとボンボン時計の間延びする歌声が響いてきた。
午後二時。一日において最もまどろめる時刻だ。ならば労働を放棄することは巫女にとって義務ですらあろう。
そんな心の声に従いつつ落ち葉舞い散る境内を眺めていると、魔理沙や早苗が霊夢には少しばかり羨ましく思えてくるのだ。
なにせ霊夢自身が使える術の大半は妖怪相手に特化しており、日常における汎用性の低さは目を覆うばかり。
全てを焼き尽くす高熱の魔法や風を操れる秘術が妬ましい、嗚呼妬ましい。
「嫌になっちゃうわね、ほんと」
「確かにこの落ち葉との格闘は幾度も苦難と苦労を繰り返すシジフォスのようね」
唐突に霊夢の独り言へと返答が帰ってくるが、心臓が毛だらけの巫女は眉一つ動かさない。
さらりと訪問者に歓迎でも非難でもない表情を向ける。
「一人とは珍しいわね」
霊夢の横に佇むは、飛来するでもなく鳥居をくぐって歩むでもなく、ただ忽然とその場に現れたパーフェクトメイド。
十六夜咲夜はスカートの端を掴むと優雅に神社の主へと会釈する。
「ちょっとね。お嬢様が珍しく私の世話はいいって仰るから空いた時間の暇つぶしに来たんだけど……困ったわね」
「何が?」
そう問いかける霊夢に咲夜は無言で手提げ袋を手渡した。
中を覗いてみれば、幾許かの木炭と濡れた新聞紙に包まれた芋と思われる塊が数点。
「貴女は掃除だけは欠かさないし、落ち葉くらい集まっていると思ったのだけど……」
当てが外れた、とでも言うかのように咲夜が肩を竦めた。
せっかく差し入れられたおやつのお預けをくらった霊夢もまた、やはり同様に肩を竦めてみせる。
「この風じゃどうしようもないわ」
「いっそのこと神社を結界で覆ってしまえばいいんじゃない?」
「ああ! その手があったか。頭いいわね咲夜」
名案とばかりに霊夢はポンと手を叩くと、箒を放り投げて立ち上がり石畳の中ほど、神社の中心へと移動する。
なにやら咲夜にはよく分からない祝詞のようなものを霊夢が二言三言唱えた瞬間、吹き荒ぶ風が途端にその勢いを失って微風と成り変わった。
「……冗談だったんだけど、よくやるわね」
芋を焼くために神社を結界で封印したその浅ましさに対してか、それともそんな結界を数秒で展開してのけた実力に対してか。咲夜はほぅ、と息を吐いた。
御丁寧にも結界に僅かばかりの隙間を空けてあるようで、若干ではあるが空気も循環している。これならば一酸化炭素中毒になることもあるまい。
「井戸から水汲み上げるのと落ち葉集め、どっちがいい?」
「……落ち葉集めね」
客人に労働を要請する霊夢に苦笑しつつも、咲夜は霊夢のマフラーを濡れないように短めに巻きなおしてやり、然る後に放り投げられていた箒へと歩み寄る。
この身勝手な巫女に文句を言っても意味がないし、なにより咲夜自身、人が働いているのを見ながら休憩することなど出来ない性分なのだ。
それに博麗神社境内は霊夢の存在によってスペルカード以外の決闘が実質禁じられているため、咲夜にとっては自室と美鈴の部屋に次いでくつろげる居場所なのである。
そう、安全、安心といったものの有り難味を恐らく人間組の中では妹紅と一、二を争うであろう程によく知っている十六夜咲夜にとっては。
そんな第三の己の部屋とも言える場所であるならば、少しでも居心地を良くしておくに越したことはない。
安全云々はともかく、居心地に関しては恐らく神社をまめに訪れる者達の大半が咲夜と同様に感じているのだろう。
だから博麗神社はいつもそれなりに小奇麗で、そして霊夢が貧窮することはほとんど無い。
「とはいえ、ワーカホリックかしら……」
咲夜の人となりを知る者なら十中八九、「当たり前だ馬鹿」と答えるであろう呟き一つを残した後に、咲夜は意識をマナーモードからメイドモードに切り替える。
箒を拾い上げた咲夜はハウスキーパーの目で周囲を見回すと、境内中に散らばった落ち葉の掃討作戦を開始し、次第にそれに没頭していった。
◆ ◆ ◆
「そろそろいいかしらね」
「ん、ならお茶淹れてくるわ。お湯ももう沸いてるし」
参道の脇に拵えられた、もくもくと煙を上げる落ち葉焚き。
それをちまちまと突付いて芋の焼け具合を確認していた咲夜の呟きに応じて、霊夢がお茶を用意するために社務所の中へと消えていく。
その間に咲夜は持参した軍手をはめると棒で芋を一つ掻き出して手に取り、周囲の濡れ新聞紙が焼け落ちたそれを二つに割ってみる。
二つに欠いた薩摩芋の断面は黄金色に艶を帯びており、同時に暖かい湯気と芋の甘い香りが周囲に漂い始めた。
落ち葉焚きとはいえ木炭も投入しているし、芋を投入してから一時間以上が経過している。十分時間をかけた加熱のおかげで火の通りも問題はないようだ。
「ちょっと咲夜、抜け駆けはよくないわ」
振り向くとお盆に急須と三つの湯飲み、そして河童印の魔法瓶を載せた霊夢が非難するような表情で歩み寄ってくる。
「抜け駆けするつもりはないわよ、はい半分」
博麗神社本殿の縁上にお盆を置いた後、落ち葉焚きへと近づいてきた霊夢に咲夜は割った芋の半分を手渡した。
そのままあちちっ、とお手玉する霊夢に微笑みを向け、さてお茶でもとお盆に視線を移した咲夜は首をかしげる。
「……三つ?」
「ん、まあ勘が叫んでるのよね……って、やっぱり来たか」
そう口にした霊夢はあらぬ方向に視線を向ける。
追って咲夜も目線を動かすと、その先では箒に跨る黒影ひとつが、
「よう霊夢! 遊びに来たぶべっ!」
不可視の結界に激突して墜落した。
「あらーごめん魔理沙、今結界を展開中だったの忘れてたわー」
「てめぇ、絶対覚えてたよな……」
「ふん、いつも凄い勢いで埃と落ち葉を撒き散らすんだもの、いい気味よ。とりあえず鳥居にまわりなさい。そっからなら徒歩で入れるから」
落下した先の鎮守の森にて呪詛やら文句やらを口にしていた魔理沙だったが、一人結界の外でがなっていても仕方ないと考えたのだろう。
結局言われるがままに森を抜け、鳥居をくぐって二人の傍へとやってくる。
「あー、で、何で結界なんか張ってたんだ? 新手の弾幕使いの登場か?」
「芋焼くのに風が邪魔だったからよ」
「それだけかよ!? まぁ、実にお前らしいとも言えるが……咲夜もグルになって酷いじゃないか。教えてくれたっていいだろう?」
「先日紅魔館大図書館の入り口をぶち破ってくれたのは何処のどなただったかしら? パチュリー様の怒りは舌先三寸で上手くそらしたようだけど、私はそうはいかなくてよ?」
「……世の中には酷い奴がいるもんだなぁ」
おどけたようにそう語った魔理沙は、さもそれが当然とばかりに用意されていた煎茶を一口啜る。
さらに「霊夢、ちょっと渋いぜ」なんて言いつつ咲夜の手からひょいと芋を奪ってかじりつく彼女の職業はシーフである。
まあ、そんなのは今更なので咲夜は軽く苦笑しただけで特に気にした風もなく、落ち葉の下から新たな芋をつつき出した。
もっとも咲夜は猫舌なので、またしても引っ張り出した芋を冷ます所から始めなければならないのだが。
「で、一人とは珍しいな。どうしたんだ?」
「お嬢様に暇を出されちゃってね。……と言っても、あくまで日常業務からお嬢様のお世話が抜けただけで、メイド業務は普通に残ってるんだけど」
「それらは時間停止中に全て済ませられるから実質フリーってわけか。成る程」
咲夜にとって時間停止中にこなせない業務なんて他人への対応だけだ。
だからレミリアの世話を解除された現状では、住人達に対する三食の時間以外は全てオフタイム。
ふーん、と霊夢は首肯し、然る後に首をかしげる。
「にしてもレミリアは一体どうしたの?」
「それが私にも分からないの。ただ数日間私の世話は不要だ、って仰られただけで」
「あいつといい神子といい、一歩先が読める連中はどうにも言葉少なで困るよなぁ」
「ホントよね。ま、レミリアの場合はわざと語らないで右往左往する連中を見て楽しんでるってのもあるんでしょうが」
「お嬢様は悪魔ですので」
咲夜としてもそれに振り回されてはいるものの、主を非難されてはさすがに反論をせざるを得ない。
だからそんな反論にもならない反論を一応してはみるのだが、
「で、レミリアは一体何をたくらんでいるのかしら?」
やはり霊夢は未だ咲夜に疑念に満ちた目線を向けたまま。
「お嬢様信用無いわね」
「だってあいつ思考が脊髄反射なんだもん、信用できるわけないでしょ? あんたちゃんと手綱握っといてよ」
一つ目の芋を食べ終えた霊夢がお茶を啜りながら、ん、と手を伸ばしてくる。
その手に二つ目の焼き芋を手渡すと、咲夜は若干の思案顔を浮かべた。
「私が感じた所では、どちらかと言うとお嬢様は受身のようだったわ」
「受身、ねぇ」
「ええ、何かが来るのを待っている、そんな感じ」
「じゃあレミリアの方からなんかおっ始めるってつもりじゃないのか」
珍しいな、と霊夢の横、向拝下の小階段に腰を下ろした魔理沙もまた首をひねる。
並んで芋をかじっている姿はまるで小動物のようで可愛らしい――なんてこの爆弾娘二人を評せる人間は、彼女達を手玉に取れる咲夜ぐらいのものだろう。
クスリ、と笑って、
「ええ、だからあまり注意する必要はないと思うわよ? ぽつりと「漫画を読んでいるよりは楽しめそうだ」って呟いていたのを耳にしたし」
「漫画よりまし、じゃ暇つぶしにしかならないか」
多分ね、と咲夜は魔理沙達の疑念を切り捨てた。
咲夜とて人の子である。敬愛する主にあらぬ疑念が降りかかるのは避けたいし、
――主が好かれたいと思っているかはともかくとして――やはり友人達にあまり主を嫌って欲しくもない。
「そ、ならいいわ。そんなことよりなんかアイディアを頂戴。最近守矢や命蓮寺だけじゃなくて神子の奴まで怪しい商売に手を出し始めたせいで私の立場が危ういのよ。……全く、何がみこえもんよ!馬鹿じゃないの!」
「みこえもん? あの四猿ちゃんの名前か何か?」
あまりにも豊聡耳神子の纏う雰囲気にそぐわない単語に思わず咲夜は面食らった。
それを目にして、ああ、と阿求の屋敷で草稿を摘まみ食いしている魔理沙と霊夢は顔を見合わせて含み笑い。
「そっか。まだ阿求は改版した縁起を発行してないんだったな。発行されたら見てみ? 笑えるから。ま、それはそうと霊夢の立場なんてお賽銭0の時点でとうの昔から危ういだろ」
「ええ。彼女達は新聞も大いに利用しているし、向こうの広告勝ちよね。昔みたいに神社が一つ、とはいかなくなったのだから貴女ももうちょっと営業手段を考えたほうがいいんじゃないかしら?」
「営業……ああもう、馬鹿仙人の言うことなんか聞いたせいで私だけ一人負けじゃない! 仙人ってホント人の役に立たない連中ね!」
「お前の場合、単純にものぐさなだけじゃないのか? そもそもからしてろくに異変解決にも乗り出さないし……」
交わされる三人の会話は取り留めのない内容のものばかり。
しかしそれは時間を操りながらも従者という職に就いているが故、時間に縛られざるを得ない咲夜にとっては貴重なひと時である。
そんななんでもない時間をこそ、咲夜は二番目に至福な時間として楽しんでいるのだった。一番目は……言うまでもない。
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――博麗霊夢と霧雨魔理沙の会話から3日ほど前――
「よう香霖、腐ってるか?」
ガランガランカラン、と入り口に備え付けられたベルがけたたましい音をたてる。
此処は魔法の森の外れに位置する閑古鳥の巣。
商売人ならぬ店主が商品でない物を客でない者に奪われるために趣味で陳列しているという奇妙な建築物だ。
不機嫌そうな表情を浮かべ、蹴破らんばかりに勢いよく扉を開いた魔理沙は勝手知ったる己の庭の如くその趣味空間に踏み込んでいく。
だが、いつもの仏頂面や不機嫌そうな声はいつまで経っても魔理沙に投げかけられてこない。
「さて、不在なら入り口に札が掛かっているはずだが……なんだ、居るんじゃないか」
きょろきょろと周囲に視線を巡らせた魔理沙の目に飛び込んできたのは、うずたかく荷物が積み重ねられたカウンター。
そしてそれらの荷に埋もれるようにカウンターに突っ伏して、静かな寝息を立てている森近霖之助の頭頂部だ。
ふと、時計に目をやると時刻は23時に差し掛かったばかり。
霖之助は半人半妖だからその気になれば夜行性での生活も出来る。
だが人里で修行していた過去のせいか? はたまたこのように時折彼の元を訪れる目を離せない妹分の相手をするためか? 基本的には昼に活動して夜は睡眠をとる、という生活リズムを維持していた。
だから寝ててもおかしくないとは言え、「まだ」 23時だ。良い子でもないのに寝るのが早すぎだろ? と魔理沙は目の前の旋毛に呪いをかける。禿げてしまえ。
「にしても、幸せそうな寝顔をしてやがるなぁこいつ」
カウンターの内側に回って、霖之助の顔を覗き込んだ魔理沙はふっと小さく溜息をついた。
両手を重ねて枕とすることすらせず、頭を直接卓に落として眠る霖之助の横顔は、まるで宝物を見つけた少年の様相。
それは魔理沙が屑鉄と引き換えに商品を要求するようになってからは久しく見ることのなかった顔だ。
「だがまぁ、幸せな夢もいつかは覚める。起きろ香霖。こんなところで寝ているといくら馬鹿なお前でも風邪引くぜ?」
ぐりぐりと青年の頬を突付いてはみるが、霖之助を捕らえる睡魔の力は駆け出し魔女のチャームが及ぶ所ではないようだ。
ネバーランドに旅立った青年の意識を取り戻すにはいささか魅力が足らんのだ、という事実を否応無しに突きつけられた魔理沙は、
――ぶん殴るか。
若干の嫉妬から、そんなことを考えてもみる。
だが結局の所、霧雨魔理沙には現在唯一の家族と言ってもいい青年に対してそのような手段を取ることはできないのであった。
だから彼女は住居区へと続く扉を開くと遠慮なく奥まで踏み入って押入れを開き、半纏を引っ張り出す。
そしてそれを抱え上げて青年の元へと戻ると、そっと青年の肩へと被せるのである。
「腰痛になっても知らないぜ。腰が使いものにならなくなってもお前の責任だ。じゃあな、香霖」
相手が寝ているのをいいことに小さく一つ投げキッス。
霧雨魔理沙は――その人となりを知る者が見たら驚くのであろうが――ベルが鳴らないように配慮してそっと扉を開く。
同じようにベルが鳴らないように静かに扉を閉めるとそのまま冬の夜空へと飛び去っていった。
後には幸せそうに惰眠をむさぼる半人半妖が残るばかりである。
◆ ◆ ◆
「しかしまぁ、当てが外れたな」
満天の星空を、黒い魔女が切り裂く――と言うには程遠い速度で――浮遊していく。
彼女は気分転換をしたかったのである。昼間の大半を魔法の研究に費やした挙句、手元に残ったのはやっぱりくたびれだけ。
いつものこととてそれを繰り返し続けて、もはや半年程にも及ぶ。ここまで長い間「魔法らしきもの」すら作り上げられなかったことはこれまで一度もなかったのだ。
一度己の無力さに歯噛みしてしまうともう駄目だ。そのまま気持ちを切り替えて再度、ノートと触媒を片手に研究室へ戻ることなどほとんど不可能である。
そう、煮詰まったときに一人でいたって何もいいことはない。
魔理沙はそれをよく知っているから、こんな夜半になっても活動していて、かつ彼女をさほど邪険に扱うことのない数少ない知人の元を尋ねたというのに。
霊夢や早苗は……いい子だから寝ているだろう。白玉楼は些か遠い。咲夜は起きているだろうが紅魔館への来訪は戦闘が前提。
心がささくれ立っている時の戦闘は、それが前面に出てしまうことが多々あるものだ。
ましてやスペルカードは己の魂の体現。心に闇を抱えた状態の時には心置ける相手と弾りあいたくない。弱いところを見せたくない。
だからもしスペルカードで暴れるなら、そんなことを意にも留める必要がない馬鹿な妖怪の相手がいい。
「あ、食べてもいい人間発見」
「ああ、栄養満点な人間だぜ」
そう、こういう意味不明なポーズがビシッと板についている、間抜けな妖怪とか。
頭上に冠するは闇夜に輝く黄金のナチュラルボブ。白いブラウスに黒のベストとロングスカートを重ねるその姿は、人外の魔性とはとても思えない。
さりとてニコリと笑うその口腔内に輝く犬歯はやはり、まごうこと無き妖怪のそれ。
「ね、わたしお腹すいてるの。だから決闘しよう? わたしが勝ったらあなたを食べていいルールで」
「ああいいぜ、相手してやる。カードアタックはお互い二回までだ」
「つまりわたしは十回おっけー?」
「人類は十進法を採用したってのに妖怪は二進表記で十進読みかよ……ま、いいけどな」
賢いんだか馬鹿なんだか。だがまぁ、ルーミア相手ならばスペルカードの十枚程度、何てことはないと魔理沙は笑う。
それにどうせルーミアは十種類ものスペルカードを用意してなんていないだろう。
スペルカードの種類の多さは、それすなわちそのもの自身の経験と思考の多彩さだ。何も考えていない妖怪は恐らく数枚でネタが底をつく。
それでは数多のスペルを所持する己はどうするか、と相手を見据えた眼に映るはさらりと流れる相手の金髪。
――ルーミアのルはルミネスのル、ってな。
「先手必勝! 『ナイトバード・フライング』!」
「うむ、まさにフライングだな」
開幕のラッパもそこそこにルーミアがカードアタックを宣言し、小鳥のようなスレイブを羽ばたかせた。
若干ルール違反のような気もしないでもないが、魔理沙は気にしない。獰猛な笑みを浮かべてこれを迎え撃つ。
せいぜい、
「暴れさせてもらおうか!」
相手は妖怪。やってやりすぎるということはない!
◆ ◆ ◆
「必要なかったけど、せっかくなんで『ルミネスストライク』だ! 落ちな、ルーミア!」
ルーミアの周囲を周回しながらミサイルを連射。その後駄目押しとばかりに箒を構えて宣言と共に巨弾を発射。
「と、っとっと!」
二条のレーザーでミサイルを焼き払うのに夢中のルーミアは、宣言されたにもかかわらず魔理沙の方を向く余裕が無い。
結果、側面から飛来する巨大な流れ星に対処できず、三秒後に響き渡るはどかーんという小気味良い爆発音。
これにて月夜の舞闘は幕引きのようだ。
力尽きたように大地へと落下してゆくルーミアに追いすがった魔理沙はさっと華麗に空中キャッチ。
そのままルーミアを己の前に座らせると再び空へと舞い上がる。
「うー、また負けた」
悔しげに唸るボブヘアーを梳った魔理沙は、自然と浮かび上がってきた笑顔をふくれっ面へと向ける。
「そう残念がるなよ。最初のスペル、自動追尾か? 結構悪くなかったぜ」
「うんそう。自動で追尾して相手の思考を闇に落とし込むの」
自分でネタバレしてどうすんだよ、と可笑しくなった魔理沙は目の前の金髪をくしゃりとやる。
「ふん、鳥型だったしどっかの夜雀とかぶるのは置いておくとして、お前も色々考えてるんじゃないか。ならばいつか勝てるさ、私以外にはな」
「それほめてるの? けなしてるの?」
「無論褒めてるのさ」
「そーなのか」
どういう思考に行き着いたのか、したり顔でルーミアは一度うん、と頷くと、ふにゃりとした笑顔を魔理沙に返す。
一勝負終えてふと気づけば、魔理沙の心の中のもやもやは既に取り払われており、先のように慰めの言葉がすらすらと口をついて出て来る程。
ルーミアも試行錯誤をしているという事実に負けず嫌いの感性が触発されたのだろうか?
それともただ単に運動をしてアドレナリンが分泌された結果か。
はたまた、目の前の闇を操る妖怪によって心の闇が取り払われたのか。
――まさか、な。くだらない夢想だ。
だが、ルーミアとの弾幕ごっこによって陰鬱とした感情が払拭されたのは純然たる事実。
ならば礼の一つも述べておいたほうが良いだろうと魔理沙が口を開こうとした、
その瞬間。
一瞬だけ二人を眩しい光が照らし出し、その姿を闇夜から浮き彫りにする。
「あやや、そうしていると姉妹のようね」
「ブン屋か。何の用だ?」
いきなりフラッシュを焚かれてちょっとビビったことなどおくびにも出さず、何気ない口調で問い返す。
「ああ、弾幕ごっこの光が見えたので。最近あまり世間を揺るがす異変もないし、面白いことがないのよねぇ。飢えてるってわけ」
「面白いこと、ないのかー?」
「ええ、無いの。全く」
「じゃ、その鞄の中身は出鱈目の束か。捏造記事ばかり書いてると信頼をなくすぞ?」
「失礼ね。私は出鱈目な人間を記事にすることはあっても出鱈目を記事にしたりはしないわよ」
文花帖や新聞、資料などを詰め込んだ文の肩掛け鞄を顎で指して魔理沙はせせら笑う。
魔理沙の言にむっとした、しかし心底残念そうな表情を返して肩を竦める文とは対照的にルーミアはにこやか笑顔だ。
「あー、出鱈目新聞みてみたい! みせて?」
「だから、出鱈目じゃない……やっぱダメ」
カモゲット! とばかりに新聞を取り出そうとした文はしかし、魔理沙の顔を目にしてピシリと固まった。
「おっとそりゃ事実上の敗北宣言だな?」
「……ネタがないのが悪いのよ」
バツが悪そうな表情で文は鞄を閉じて留め具をロックする。
「で、なんかない? 面白いこと。せっかくだから魔理沙がルーミアに負けてればいい記事になったんだけど」
「この大魔法使いがそう簡単に弾幕ごっこで負けるかよ……そうだな。レミリアがなんか面白そうなことを知っているかもしれん」
先日の神社内における咲夜達との会話を思い出した魔理沙は、そこで交わされた会話を文へと語ってみせる。
「漫画よりは面白いこと、か。ちょっと行ってみようかしらね」
「ああ、面白そうな内容だったら探りを入れて記事にしてばら撒いてくれ」
「それが目的? ちゃっかりしてるわね」
「やかましいよ。ほれ新聞のネタくれてやったんだからちゃんと敬え」
「はいはい、ありがとうございましたーっ」
呆れたように慇懃無礼な敬語を魔理沙に返すと、そのまま鴉天狗は一陣の風となって魔理沙達の前から姿を消してしまう。
風のように現れて風のように去っていった天狗の慌しさにルーミアは目を瞬かせて小首をかしげた。
「へんなの。暇なら適当に弾幕ごっこでもすればいいのにね」
「ま、無理だろうな。夢追人ってのはただ暇を潰したいんじゃなくて、充足を得たいんだから。あいつの場合はそれが新聞なんだろう……お前はないのか? そういうの」
「ないなぁ。あるといいことあるの?」
「そうだな、あれば人生が華やぐ……と思う」
「そうなの? わたしには苦しそうに見えたけど」
そのルーミアの感想は不機嫌そうな表情の文を見たためか? それとも開幕の魔理沙の表情を見たためか?
いずれにせよ痛いところを突かれた、とばかりに魔理沙は渋面を浮かべる。
確かに研究にうち込んで試行錯誤し、全く成果を挙げられずにいる間は苦しい。苦しいのだが。
「苦しいこともあるけど、それが永遠に続くわけじゃない。まぁ緩急強弱良悪ひっくるめての充足なのさ……多分な」
「ふーん。でもそんなことよりおなかがすいたよ」
思わず魔理沙は失笑した。妖怪相手に一体自分は何を語っているのか、と。
「そうだな、私も少し腹が減った。ミスティアの屋台で一杯やっていくか」
「ツケで?」
「ツケで」
「ツケっていいね! いくらでもただで食べられるんだもの!」
「ああ! 全くだな!」
非常識極まりない会話をその場に残しつつ、魔理沙は妖怪獣道へと箒を向ける。
そのまま箒に仕込んである八卦路と同期したスレイブに魔力を送り込んで一気に解き放てば、輝く箒星が一つ出来上がりだ。
「しゅっぱーっつ!! あっかるいまっりさ~、地球の光~、マスパの光~」
「夜空の上はマッハの時代~、ヤツメウナギの味がする~、っとくらぁ!」
どうにもおかしな同道が出来たが、まぁこんな夜も悪くはない。
ルーミアと共にどこかで聞いたような歌を歌いながら魔理沙は冬の夜空を疾走する。
――ちょっと出歩けば飲み友達がすぐ見つかる。ああ、素晴らしきかな、幻想郷の毎日!
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
――博麗霊夢と霧雨魔理沙の会話当日・昼過ぎ――
「ねえ魔理沙、パチュリー様を見かけなかったかしら?」
いつものように美鈴をスペルカードルールで下し、紅魔館内部への進入を果たした魔理沙の背に投げかけられたのは些か意外な咲夜の疑念であった。
咲夜にしては珍しく苛立ったような気配と口調。これは無視するのはまずかろう、と魔理沙は大図書館入り口を前に立ち止まって背後を振り返る。
「いや? なんだあいつ留守にしているのか。ならば今なら図書館の本を借り放題だな」
「残念、小悪魔は健在よ。司書たる彼女に決闘を挑まれた時点で貴女は客でなくなることをお忘れ無きよう」
「美鈴はいいのか?」
「美鈴への勝利は入館資格ですので」
「ふん、いつかあいつとも全力で弾り合いたいものだがな。ま、それはともかく落ち着けよ咲夜。お前らしくもない、カフスボタンが外れているぜ?」
言われて己のカフスに目をやった咲夜だったが、ボタンはキッチリと留められている。
嘘を仰い、と言おうとして咲夜は怒りより先に羞恥を覚える。紅魔館でメイドを務め、パーフェクトメイドと呼ばれるようになって早数年。
どんな精神状態、どんな身体異常時であろうと、ベッドを離れる余力がある咲夜には衣服の乱れなどあろうはずが無いのだ。
そんな釣りにあっさり引っかかるような余裕のない咲夜を目の当たりにしては、シーフの異名を持つ魔理沙とてあまり傍若無人に振舞うこともできぬというもの。
「何事だ? 異変解決なら力を貸すぞ? 無論、霧雨魔法店は博麗神社と違って慈善事業じゃないから報酬は頂くがな」
「……いいわ、仕事と割り切ってもらったほうが気が楽。1945年物のボルドーを報酬につけましょう。ただし守秘義務は守ってもらうわよ?」
「ああ、正式な依頼とあればそんぐらいは守るさ。で、一体どうしたんだ? 相当のっぴきならない状況のようだが」
憔悴の表情――恐らく紅魔館の住人を除けば付き合いの長い魔理沙と霊夢ぐらいしか気がつかないであろうその表情――を読み取った魔理沙は気を引き締めたのだが、
「とりあえず、私の自室に先に行っていて頂戴。話はそれからするわ」
「……了解」
他者の踏み込んでくることのない自室での会話とは、と咲夜の用心っぷりに若干の薄ら寒さすら覚える。
だがもう既に乗りかかった船であるし、霧雨魔理沙の辞書には手ぶらで後退の記述はない。
毒を喰らわば皿まで、とばかりに先行して咲夜の自室へと足を踏み入れると、咲夜愛用の猫の抱き枕をフライングボディプレスで粉砕した。
◆ ◆ ◆
「お嬢様がね、目を覚まさないのよ」
クッキーと二人分のカモミールティーをテーブルに置いた咲夜は、魔理沙を投げ捨てて自身がベッドに腰を下ろすと、若干苛立った口調でそう切り出してきた。
「目を覚まさないって……それだけか?」
椅子の背もたれに顎を載っけてダラーんとしている魔理沙はいまいち釈然としない表情だ。
ええ、と帰ってきた返答によりその表情は残念へと昇華する。
そんな表情の魔理沙を目にして、眠っているだけではあるんだけどね、と前置きしてから咲夜はさらりと深刻さを表す言を付け足した。
「お嬢様が最初に眠りについてから既に150時間以上が経過しているわ。その間ずっとお嬢様は茨姫よ」
「6日間もあいつは眠り続けているってか? すげえな、小町以上じゃないか……睨むな、ちょっとした冗談だろ?」
白眼を向けてくる咲夜に軽く首を振ると、魔理沙はテーブルの上のクッキーを一つ摘んで口へと放り込んだ。
チョコチップとバターが織り成す蕩けるような甘みを十分に堪能した後に、渋めのカモミールティーで口内を漱ぐ。
後にやおら立ち上がって椅子をくるりと半回転し、しかめ面を浮かべながらドスンと腰を下ろして腕と脚を組んだ。
「で、今のお前はお姫様を守る茨の役ってわけか。……普段あいつはそんなに寝ないんだよな?」
「当然。美鈴から聞いた話によると、重傷を負ったり、魔力を使い果しそうになったりすると数日間寝込むことがあるらしいのだけど……」
「あいつの気配は今も駄々漏れ。衰えているとも思えない、か」
吸血鬼であるレミリアの魔力は凡庸な妖怪のそれを数百集めたとて及ぶものではない。
濃厚な葡萄酒を思わせるその気配を本人は一応抑えているつもりなのだろうが、魔理沙からしてみればほとんど発散させているのと変わらない。
しかも自身の万魔殿たる紅魔館ではいっそう気が緩むらしく、紅魔館は地下を除いて常にレミリアの気配が満ち溢れていて、それは今日も変わらず。
「胡蝶夢丸でも飲んだか?」
「それらしき小瓶は確認できなかったわね」
ちゃんと確認したのか、なんて問いなど咲夜には無意味。部屋の隅々まで捜索し尽くされているはずだ。
だからこれは日常の延長ではない。となると思い出されるのは数日前に神社で交わされた会話の内容であるのだが……
「おまえ、これが漫画よりも楽しいことだと思うか?」
「前後関係からその可能性は高いわよね。でも何が楽しいの? これ」
「だよなぁ。娯楽としての睡眠となるとやっぱり夢以外には考えられそうにないが……」
あまりにレミリアらしくない、という認識を二人は共有する。納得がいかないのだ。
レミリア・スカーレットは西洋の吸血鬼であり、故に権威主義的な貴族でもある。
そして何より齢500を数えてなお、その精神は幼く直情的。そんな彼女にとって夢想にふけることは無駄以外の何物でもない。
欲しいと思ったものは夢で済ませず実際に手に入れようとするし、そのための障害はなんであろうと撃ち砕く。
前進制圧こそが彼女の本質。レミリア・スカーレットとは生まれついての強者であり、覇道を歩む運命を約束された覇者であるというのが魔理沙の見解だ。
「じゃ、まずはお前の予想を拝聴しようか。あるんだろう? あんまり好ましくない予想が」
会った時から若干落ち着きを失い気味の咲夜にそう問いかけるが、咲夜はまだ早い、とばかりに目をひそめて首を横に振る。
「私としては、先入観の無い貴方の意見を先に聞きたいのだけど」
「お前らしくもない発想だな。いいか? 問題の早期解決には常に情報量の多さがものを言うんだ。突拍子も無い意見から解決へと至った問題が目を引くのは、それが非常に珍しい事例であるからにすぎない。異彩を放つからそれが人目に強烈に焼きつくだけで、実際には多くの問題は正確な情報の擦り合わせで解決されるのが常なんだよ」
己よりも数日早くからこの問題に対面している咲夜に持論を披露して、魔理沙は咲夜の双眸を凝視する。
思ったよりも真面目に考察モードに入っている魔理沙に感心したか、それとも無為に議論で時間を消費することを否としたか。
わずかに思考を巡らせた後に咲夜はその小さな口を開く。
「一つ、お嬢様は恐らく己の意思で眠りについた、これは大前提。美鈴が何も察知していないからこの前提はまず事実である」
「美鈴がねぇ」
「貴女が彼女をどう思っているか知らないけど、美鈴がお嬢様への悪意や敵意に気付かないなんていうことは有り得ないわ。それが美鈴の能力だもの」
お前随分と美鈴を信頼しているんじゃないか、と揶揄するように口笛を吹きそうになって、魔理沙は慌てて口をすぼめる。
とりあえずこんなとこでいちいち腰を折っていてはいつまで経っても話が先に進まない。
「二つ、だからといってお嬢様が安全であるとは限らない。お嬢様の運命閲覧、及び操作はかなり曖昧さを含むものらしいし、なによりお嬢様は自身の安全にあまり頓着しない」
「確かになぁ。あいつの場合仮に命がけであってもそれ相応の楽しみがあるなら「よろしい、本懐である」とか言いそうだ」
主人に対する友人の理解の深さは、咲夜のお気に召すものであったようだ。
満足げに頷くと一旦会話を打ち切り、咲夜もまたクッキーを一つ摘まみ上げてそれを口に運ぶ。
「その二つは事実である、と思っていいわけだ」
「ええ、そうなると現時点でもっとも怪しいのは……」
「「パチュリー・ノーレッジ」」
レミリアに対して悪意が無く、しかし同時にその知的好奇心の車輪で以ってあらゆるものを轢き潰し進む魔女が現在行方不明。
怪しむな、と言うほうが土台無理な話である。
「だがしかし、証拠が無い、か」
「ええそう。パチュリー様が犯人であると判明するならば、それはそれで安心できるのだけれど」
「肝心のあいつは行方不明か」
パチュリー・ノーレッジが(結果的には)レミリア・スカーレットのためにならないことをするはずがない。
それは二人の馴れ初めを知らない咲夜であっても確信出来る程、二人は固い信頼で結ばれている。
だからパチュリーが「私がレミィを眠らせた」と言ってくれれば、咲夜は心安らかに主の目覚めを待つことが出来るのであるが……。
「あいつの行き先は誰も知らないのか?」
「ええ、小悪魔にも何も言わずに出て行ったみたい」
「じゃあ今のあいつは完全に糸の切れた凧ってことか」
「一応最後にパチュリー様が小悪魔に用意させた資料をリストアップしてもらったんだけど、それが余計に怪しくてね。コウモリで在るとはどのようなこととか……夢解析だとか」
「もうあいつが犯人でいいじゃないか」
「……でも、証拠はない」
肩をすくめる魔理沙を一瞥した後、咲夜はカモミールティーを一口啜ってから、私が語れるのはここまでとばかりに姿勢を崩す。
「本当、紅魔館の外で何をやっているのやら。道行く人々を眠らせて歩いていたりしなければ良いのだけど」
「おいおい、茨姫の魔女だってそこまではしないぜ……眠らせる?」
一通り情報共有を終えて若干落ち着いたのか、冗談めかして語った咲夜に軽口を返そうとした魔理沙は急に眉間にしわを寄せた。
「まさか……いや、そんな、しかし」
「……何か心当たりでもあるの?」
手がかりを得て歓喜する、という様相からは程遠い表情を浮かべた咲夜の口調は勘弁してくれとでも言いたげだ。
「三日前に香霖に会った時、あいつ眠ってたんだ。寝ててもおかしくない時間ではあったんだが……」
「ちょっとゆすってみても目を覚まさなかったってところかしら……となると犯人はパチュリー様じゃないのかしら?」
レミリアとパチュリーの組み合わせであれば違和感は全く無いのだが、香霖堂とパチュリーという組み合わせは些か噛み合いにくい。
だが、魔理沙は分からないとばかりに首を振ると立ち上がって咲夜に背を向け、部屋を後にするべく扉を開く。
「知らん。だが確かめた方が良さそうだ。ちょっと行ってくる」
乱暴に部屋の扉が閉じられる。
嫌な予感が当たらなければ良いけど、と呟きそうになった咲夜は代わりに大きな溜息を一つこぼした。
そういうことは口にしてしまうと概ね現実になってしまうのでは、というパーフェクトメイドに相応しからぬ、まじないのような愚考が頭を過ぎったのである。
だがまぁ、そんな咲夜の配慮は概ね無駄であった。
そもそも、嫌な予感とは予感した時点で概ね的中してしまうものであるのだから。
◆ ◆ ◆
「どうだった……と、訊ねるまでもなさそうね」
「三日前と全く変わらぬ姿勢で眠っていたよ。客が来ない店ってのは普段はありがたいが困ったものだな、発見が遅れる」
魔理沙は明らかに憔悴したような表情を浮かべて紅魔館のテラスに降り立った。
迎えた咲夜もその整った顔立ちを渋面に変えて息を吐く。
「永琳の所に運んだんだが、医学的見地からすればただ眠っているだけだそうだ。だが……」
「だが?」
「呪術的見地からすれば何らかの力が行使された痕跡が在るそうだ。つまりは人為的ってことさ」
吐き捨てるように魔理沙は永琳の言葉を復唱する。
「多分お嬢様も同じ、か」
「レミリアを永琳に診せなくてもいいのか?」
「……分からない。ただお嬢様は鬼として幻想郷のパワーバランスの一端を担う御方だから……」
「目を覚まさないってのを迂闊には公に出来ないってことか……やべ、そういや文が来なかったか?」
数日前にレミリアについて文に語ってしまったことを思い出した魔理沙は、若干バツが悪そうな表情で疑問を口にする。
「ああ、パパラッチ? 数日前に来たわよ。お嬢様が昏睡中って悟られるわけにはいかなかったから美鈴と二人で追い返したけど……まさか、魔理沙の差し金?」
「差し金って言うか……まさかこんなことになってるって知らなかったから、レミリアに娯楽の当てがあるって言っちまった。悪いことしたな」
「……まぁ、私もこんなことになるなんて思ってなかったから貴女達に話したわけだし、それに関しては不問でいいわ」
「助かる」
ほっとしたように吐息をもらした魔理沙だったが、すぐに顔を引き締めると咲夜の顔へギラついた視線を注ぎ込む。
「で、どうする? どうやら事は紅魔館内だけの問題じゃ無くなっちまったようだ。まずは被害状況を確認する必要があると思うが」
「そうね。貴方の話を聞く限りでは、永琳の見解は「ただ寝ているだけ」なのね?」
「ああ、問題を身体的特徴だけに限るならな。エネルギー摂取が出来ないだけ、つまり餓死以外は心配無用っていうのが現時点での永琳の判断だ」
「そういう意味ではお嬢様も霖之助さんも差し迫った危機は全くない、ということね」
森近霖之助は半妖、飲まず食わずでも人よりはるかに長持ちするし、レミリアに至ってはそもそも餓死という運命自体が存在しないように思える。
若干安堵したように咲夜は大きく深呼吸をした。
「では現状の確認を優先しましょう。外見的にも寝ているだけ、とあらば潜在的な被害者はまだまだ居るかもしれない。貴女の言う通り、まずはそれの確認ね」
「ああ、私は守矢神社に向かう。お前は霊夢の所に行ってくれ……時間」
「現在15:40。本日の天気は晴れ。北寄りの風、風速4m。日没まであと1時間弱」
「よし、17:00に再度紅魔館に集合後、手分けして現状確認と行くか」
「ええ、まずは人手を増やすこと。寄り道は無しよ?」
「そっちもな」
二人は頷き会うと魔理沙は箒に跨って、咲夜は空間を操作してふわりと宙に浮かび上がる。
そしてそのままお互いを一瞥すると魔理沙は妖怪の山へ、咲夜は美鈴に館の留守を任せた後に幻想郷の東端へと一直線に飛翔して行った。
後に残るは傾き始めた太陽と、白く朧な上弦の月。人間と妖怪の時間が混同する空に、両雄は溶け込むように消えていく。
◆ ◆ ◆
「……というのが現在までの顛末、何か質問疑問点はあるかしら?」
霊夢と早苗を加えてカルテットとなった人間組を一旦紅魔館食堂に集め、ジンジャーティーとカステラでねぎらいつつ一通りの説明を終えた後。
咲夜が一同の顔をぐるりと眺めやると、早苗がハイと手を挙げた。
「何かしら、早苗」
「まずは状況の把握と注意喚起、という話でしたが、もしパチュリーさんを見つけてしまったらどうするんですか?」
やはり人数が増えれば色々な考えが浮かんでくるものだ。
確かにその可能性もあるな、と魔理沙は若干感心したような視線を早苗に向ける。
「ああ、確かにな。一人で勇み足もまずいが見つけた以上放置するのもあれだよなぁ……っと霊夢」
「何よ?」
「直感でいいから答えろ。今回の件はパチュリーが犯人だと思うか?」
「あんまりそういうのを期待しないでほしいんだけど……こんな都合よく姿を消していて無関係ってことはないんじゃないの?」
普段は直感でなにもかもなんとかする霊夢とて、こんなろくに手がかりも無い状態から解答を導き出すのは不可能に近いのだろう。
だがそれでも巫女――すなわちシャーマンとして類まれなる才能を持つ霊夢の直感が他の人間の一歩先を行くことは疑いない。
やはり今回はパチュリーが絡んでいる可能性は高いと思って良いだろう、と魔理沙は咲夜と顔を見合わせて小さく頷いた。
「まずは状況確認と各地への注意喚起、再集合を優先しましょう。パチュリー様を見つけてもスルー。他に怪しそうな奴が出てきてもスルーで。絶対にスペルカード荒事問わず勝負は回避して、情報を持ち帰るように」
「分かりました、それでいきましょう。……ところで、妖夢さんはどうしたんですか?」
「冥界は距離がありすぎるからなぁ、特に声をかけなかっただけだが……それがどうかしたのか?」
冥界白玉楼は概ね幽々子と妖夢の二人……いや妖夢一人で切り盛りしている。
無論他に業務をこなす幽霊達もいるにはいるが、妖夢には咲夜にとっての美鈴や小悪魔に当たる人材が存在しない。
それをよく知っているために些細なことではあまり魔理沙や咲夜は妖夢に声をかけないのであるが……。
「いえ、なんか仲間はずれみたいであれかなーって」
そんな茶飲み話的な発言をぽつりと洩らした早苗に対し、咲夜はパチュリー直伝のジト目を向ける。
「あのねレディ、私達は遠足に行くわけじゃないのよ?」
「分かってますよ! でも人手は一人でも多いほうがいいんじゃないですか?」
油断を指摘された早苗は赤面しつつも同時に憤慨してみせる。
発想に至った理由は実際アレだ。だが言っていること自体は正しいか、と咲夜はその意見を受け入れた。
「ま、確かにね。じゃあ魔理沙、貴女が妖夢に声掛けて来て」
「私がか?」
「この中では群を抜いて速いじゃない。私達の飛行速度はお世辞にも速いとは言えないし」
「私だけ移動距離が半端じゃないな……なら一回燃料補給に戻るか」
ついでにアリスも人手に加えてしまおうか、と魔理沙は思考を廻らせる。
反論が無いのを確認した咲夜は再び全員の顔に視線を投じるが、特に口を開く者はない。
「ならば行動に移りましょう。最終確認よ。私が永遠亭とその周辺、霊夢が人里、魔理沙は白玉楼後に天界で早苗が命蓮寺」
「仙人の方々はいかがします?」
「何処にいるか分からない奴らは放置。地底も地上妖怪は進入禁止だから保留」
「細かい所は明日、日が昇ってからにするのよね?」
「ええ」
「じゃ、行動開始と行くか」
魔理沙がガタンと勢いよく食堂の椅子を蹴飛ばして立ち上がる。
残る三人もそれに続いて静かに腰を上げた。
「それじゃ、21:30に全員紅魔館に再集合。いいわね?」
「「「了解!」」」
食堂を後にする三人の後姿を見やって咲夜は一人、内心で鎌首をもたげて来た不安と格闘していた。
つまり注意喚起をして回るのは明らかに後手、パチュリーを探すのを優先したほうが良いのではないか、という不安と。
――でも今は各地に協力を仰いで包囲網を作り上げるのが吉のはず……あれこれ悩む暇があったら行動あるのみ!
結局の所、選択を迫られた場合にはどちらを選んでも後悔するもの。
どっちが正しくてどっちが間違っているか、それが最初から分かっていれば苦労なんてしないものだ。
だから咲夜は唾と共にその鎌首を再び飲み込むと、一瞬で四人分のティーカップを片付けた後に彼女らに続いて食堂を後にした。
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――博麗霊夢と霧雨魔理沙の会話当日・逢魔時――
「あら、魔理沙。一体何の御用かしら?」
此処は冥界白玉楼。三千世界に冠絶する桜を湛えし大庭園。
春になれば人妖霊問わずあらゆる者を魅了するこの白玉楼庭園も、木枯らし吹くこの季節に立ち並ぶのはやはり裸木ばかり。
普段は白玉楼本宅まで出向かない限り姿を見せることはない姫君、西行寺幽々子。それが白玉楼階段中ほどにて御登場とは。魔理沙は背筋が粟立つのを感じて急制動をかける。
冥界の主にして絶対権力者、扇で口元を隠した幽々子が魔理沙に向ける幽雅な微笑みは普段と変わりが無い。無いのであるが……
「ああ、パトロールって奴さ。正義の味方は楽じゃないんだ」
「つまらない冗談ね。貴女が正義だった試しがあったかしら?」
「少なくとも人間からすれば悪じゃあないさ……多分な。妖夢をちょっとばかし借りたいんだが、あいつはどうしてるんだ?」
「あら、妖夢に用があるの?」
瞬間、魔理沙の魂が凍りついた。
……まずい、これ以上ここに留まるのはまずい!!
数多の危機を潜り抜けた本能が魔理沙に逃走を選択するように呼びかけてくる。
これ以上この場に残り続けることは死を意味する、と凡人の身で妖怪へ挑むために鍛え上げた生存本能が悲鳴をあげている。
だがその一方で背を向けてもまた殺される、とやはり同様に本能が魔理沙の動きを制限する。
「犯人は必ず己の犯行を確認するために現場へ戻る、だったかしら?」
「……つまらん推理小説の読み過ぎだぜ。冥界の業務ってのはそんなに暇なのか?」
ガチガチと根が合わずに鳴り響きそうになる奥歯を噛み締めて、それでも魔理沙は虚勢を張り続ける。
後ろめたいことなど何一つ無いのだから萎縮する必要はないし、むしろ理不尽に向けられる殺意に対しては怒りすら覚え、それが四肢に力を与えてくれる。
……だっていうのに魔理沙を襲うこの凄まじい殺意に一向に対抗できていない!
西行寺幽々子の殺意は生者の存在を塗りつぶすような圧力と、研ぎ澄まされた刃物のような鋭さの二つ。
それらが少しずつ霧雨魔理沙の意識を圧迫し、少しずつ魂へと突き込まれてくる。
「……妖夢は、……どうした」
「それは貴女が一番よく知っているのではなくて?」
「目を……覚ま……な、……のか」
「大正解」
肺腑が痙攣して呼吸を整えられない。空を飛ぶことも覚束ず、石段の踊り場へ緩やかに墜落する。
もはやろくに息も吸えずに喘ぐような声しか搾り出せない程だが、恐怖に怯えて縮こまる性分などではない。
だから八卦炉をギュッと握り締めると、魔理沙は残る呼吸と魔力を全てそこに込めて頭上に位置する冥界の主に叩きつける。
「私が友人を、売る人間に、見える程、耄碌したか……いいぜ、来いよ、ボケ老人。目ぇ覚ま、させてやる……」
……叩き付けたつもりであったが、口から漏れたのはつっかえつっかえのか細い声。魔力は収束する傍から雲散霧消していく。
魔理沙の意図に反して、魔理沙の身体はどうしようもなく甘美なる死へと転げ落ちていく。
それでも何とかレーザー一発分の魔力をかき集めて、己の意思をそこに乗せて撃ち放とうとした、その時。
魔理沙の意識と魂へ静かに食い込んでいた凄まじい殺意が前触れもなく雲散霧消した。
「妖夢は私が働かせすぎたために過労で睡眠中なのよ。だから私が話を伺いましょう」
「……そうか」
ここもか、と思う前にまず。
――まだ、生きている。
ただそれだけがひたすらに霧雨魔理沙の頭の中を巡っていた。
「それで、一体何用なのかしら?」
荒くなった呼吸を整えている魔理沙の前、自らも踊り場へと降り立った幽々子の幽雅な微笑みは普段と全く変わりが無い。
……そう、霧雨魔理沙は知っている。
彼女は必要とあらば魔理沙の、いや他者の命を奪うことに一切のためらいが無いのだと。
相手は絶対死を操る対人最強の怪物であり、そもそも警戒なんてものが無意味。
だからそんなことに注意をはらうのも面倒くさい、と魔理沙もまた普段どおりの不敵な表情に戻る。
「巷では原因不明の茨姫ごっこが流行ってるらしくってな。私が目にした――っつってもまだ妖夢は見てないが――のは此処で四……いや三人目だ。それで、妖夢はどうしたんだ?」
「気がついた時には、箒を手にこの庭園内で静かに眠っていたわ。……犯人は貴女ではないの?」
「何でそう思うんだよ」
「あら、お姫様を眠らせるのは魔法使いの為せる業でしょうに」
思わず魔理沙は失笑する。魔法使いが眠らせるって言うのも安直だが、そんなことよりも
「お前じゃなくて妖夢がお姫様なのかよ」
「あら、当たり前でしょう? 私が冥界最強の剣士で、妖夢が可愛いお姫様。何か間違っているかしら」
「間違っちゃいないな、守られるほうがお姫様だ……いや、間違ってる。最近は強い姫とひ弱な従者って構図が流行ってるらしいぜ?」
「あらあら、私はもう古い感性の存在になってしまったのね。悲しいわぁ」
失笑が苦笑いに変わる。どうせこいつの前では私も妖夢も未だ赤子のようなものであろう。
その認識――すなわち力量差――を魔理沙は悔しながらもとっくの昔に受け入れている。
現状を正しく認識できなければ、克己は不可能。
紫などには遠く及ばないだろうが、それでも磨きに磨いた高い現状把握能力と思考の切り替えの早さ。
それこそが妖怪はびこる幻想郷において、ただの人間霧雨魔理沙が未だ空に在るを支えるファクターであるのだから。
「とりあえず、現状では餓死以上の脅威はないから安心しろ。半人半霊なら餓死の心配をする必要なんてないだろう?」
「そう」
幽々子の表情は変わらなかったが、精神の体感温度は数度上昇したな、という魔理沙の認識は間違ってはいないはずだ。
つまり幽々子は魔理沙の言を受け入れた、ということなのだろうが……
「お前、私のことを信用しているのかいないのか、どっちなんだよ?」
「あらあら、私ってば信用無いのね。無論私は貴方のことを信用しているわよ? 信頼は出来ないけど」
「……じゃあ何でいきなり殺しにかかった」
「分からないの?」
背筋がゾクリとするほどに美しい笑みを浮かべた幽々子は手の内にある扇をパタンと閉じると、扇の先に死蝶を一つ、はらりと浮かべて言い放つ。
「貴女がこの事件を解決できないようであればこの私が直々に犯人を処すわ、って意思表明よ」
「そいつは脅迫か?」
「一応貴女の身を案じたつもりだったのだけど、そう取るならばそれでも良いわね」
幽々子がそう返答した、瞬間。
四方八方から殺意を浴びせられた魔理沙は総毛立った。
弾かれたように周囲を見回せば、いつの間にやら先ほどまで裸木であったはずの桜並木、その全てが幽玄の花を湛えて咲き誇っている。
今まさに此処は死を祝福する桜の杜。
空に舞い散る桜の花弁が風に揺られてふわりと踊り、光塵となって消えていく。
「覚えておきなさい。私達は相手が何であれ私達の家族を傷つける者達を絶対に」
――「ユルサナイ」――
幽々子の声に何者かの声が重なって聞こえる。
私達か、と魔理沙は脅えたように首肯した。白玉楼にはもう一体、死を操る妖怪が存在しているということを思い出したのだ。
「犯人は知り合いかもしれないんだぜ?」
「知己でしょう、間違いなく。でもそれがどうかしたのかしら?」
「……あっさり言ってくれる。にしても妖夢の奴、愛されてるんだなぁ。ま、確かにあいつはいい奴だがよ」
呆れたように魔理沙が頭を振ると、いつの間にやら幽玄の桜花は一瞬でなりを潜めており、そこは元と変わらぬ冬に相応しき木枯らし荒ぶ灰色の世界。
白玉楼のどの位置からでも視認できる大木に視線を戻した魔理沙は深々と深呼吸をした。
「……歩き出したりしないだろうな、あれ」
「さぁ? 封印されてるし大丈夫なんじゃないかしら」
「その封印、ちゃんと機能してるのかよ……まぁいい、とりあえず私達が何とかするからお前達は絶対にここを離れるなよ」
「貴女達に解決できるの?」
「当たり前だ。私達は異変解決のプロだぜ? やってやれないことはない! ……なんだ、随分と心配そうじゃないか」
幽々子に不遜な表情を返した魔理沙だったが、薄い笑みを真剣な面持ちで塗りつぶした幽々子を見て若干の不安を覚える。
幽々子の疑念はからかうと言うよりも、わりと真剣な声色であるように感じられたからだ。
「残り三名」
「あん?」
「誰?」
「ああ、森近霖之助って言うケチで孤独な道具屋、そしてアリスだ」
そう、真っ先に協力を仰ぎに行った魔法の森の魔女仲間もまた、静かな夢の世界の住人に成り果ててていたのだ。
捨食を極めたアリスもまた命の心配は無いとは言え、知り合いが次々と眠りについていく様は魔理沙の心胆を寒からしめるに十分ではあった。
だが既に霊夢も早苗も動いているのだ。まずは一通り注意喚起を済ませ、その後に人海戦術でパチュリーを発見できれば問題ないはずである。
パチュリーが犯人と決め付けたわけではない。
だがパチュリーが何らかの情報は持っているはず、という情報を持つ魔理沙と、それを知らない幽々子。
二者が認識している情報の温度差故に幽々子は不安を掻き立てられているのだろう。
そう魔理沙は思っていたのであるが、
「最後の一人は?」
「いや、だから三人……」
「一人は?」
やれやれ、と魔理沙はつい最初に四人とこぼしてしまった己を呪った。流石、このお嬢様はどうでもいい所で妙に鋭いのである。
一応依頼を受けた身であるので守秘義務は守りたいのであるが……
「……まぁ、お前ならばいいか、他言無用で頼むぜ。レミリアだよ」
西行寺幽々子は魔理沙が知る限り、組織の長としては最も利害関係や権益などに興味がない。
また下手に殺されかけても困るし、秘密は守ってくれるだろうと諦めてその名を口にしたのだが、
「レミリア?」
幽々子は意外だとばかりに首をかしげる。
「ああ、だがそんな心配することはないさ。レミリアの奴は自分から眠りについたみたいだしな。わざわざ咲夜まで下げさせてあいつ何やってんだかなぁ。部下に心配かけるようじゃ主失格だ、そう思わないか?」
そう、レミリア・スカーレットという大物まで倒れた、という事実も心配の一つになるかと考えた魔理沙はそれを払拭するかのように軽口を叩く。が、
「おい、どうした?」
当の幽々子の表情は深刻さを深めていき、終いにはふわりと宙に舞い上がった。
その意図するところを察知した魔理沙もまた慌てて宙へ舞い上がると、幽々子の進路を塞ぐように先回りする。
「おいちょっと、何処へ行くつもりだ?」
「さっき言ったでしょう? 私は貴女を信頼できない。だから私が動いたほうが良い。それだけよ」
「なんだよ、そんなに私達が頼りないってか? いや、そもそもお前出会い頭に殺して歩くつもりだろう!」
「そのほうが良いこともある、と言うことよ……いい?」
若干、顎に手を当てて考えるような仕草をとった後、幽々子は帯に挿していた扇をついと引き抜く。
そしてそれを受け取れと言わんばかりに魔理沙の前に差し出してきた。
「? なんだ?」
魔理沙がそれを受け取り、ためしに広げてみるが何も起こらない。
「つまり、そういうことよ」
「全然分からん」
「今ここにいるのは私と貴女だけ。貴女、特に注意もせずに扇を受け取って開いたわね?」
「ああ、それ……が……」
「もしそこに私が蝶を仕込んでいたら、貴女はどうなっていたんでしょうね」
雷に打たれたかのように魔理沙は硬直する。
もし、それだけで事が済んでしまうとしたら?
いや、それ以前に知り合いに途中で声を掛けられて、たったそれだけで片がついてしまうのだとしたら?
「だが……たったそれだけで……」
「あら、私は呼吸するように人を殺せるのよ? 呼吸するように人を眠らせることが出来る者がいないと、どうして言えて?」
「……」
「なぜレミリアはわざわざ咲夜を下げておく必要があったのかしら。いつまで弾幕ごっこの余韻で単独行動を続けるおつもり?」
:
:
:
しくじった!
驚愕に思考を揺さぶられた魔理沙は言葉を返すことが出来ない。
魔理沙の知る限り、呼吸するように人を眠らせられる能力を持っている知り合いはいない。
だが、知り合いが全ての手の内を明かしている、なんてことはあるはずが無いのである。
誰だって奥の手の一つや二つ隠していたっておかしくはないと言うのに!
恐らく最初に幽々子が魔理沙を殺そうとしたのは、弾幕ごっこに慣れてしまったが故に遠ざかりつつある死への恐怖を喚起する意図だったのだろう。
そんなことにすら気がつかなかった魔理沙では信頼されなくとも仕方が無いというものだ。
「貴女の顔を立てて、今回は踏みとどまりましょう。だけど貴女達が全員眠りにつくようであれば……」
それから先に紡がれたであろう言葉を聞いている余裕は魔理沙には無かった。
箒の頭を返して全速力で白玉楼階段を後にし、幽冥常世を分かつ結界目指して最大出力で飛行する。
身を切るような冬の大気は、来たときよりもはるかに冷たく感じられた。
そう長い時間、幽々子と話をしていたわけでもないのに。
◆ ◆ ◆
四人、果して一人も欠けずに紅魔館の食堂に再集合できるだろうか? 魔理沙は苦い表情を浮かべながら生者の世界を目指して風を切る。
現状の魔理沙に出来ることは一刻も早く3人のうち誰かに合流することだけだ。
では一体、誰に合流する?
さあ誰を信頼し、誰を侮る?
もしくは、誰を優先し、誰を見捨てる? これはそういう問題だ。
――ああ、クソッ!!!
あまりの迂闊さに辟易したままで、前向きな思考が出来ていない己に悪態をつく。
――落ち着いて考えろ。見捨てるとかじゃなくて、最も利のある選択をするんだ…… 霊夢は人里へ向かった。ならば人目を憚って行動するのは不可能に近い。
本来ならば真っ先に向かいたいであろう相手を候補から真っ先に除外する。
――命蓮寺……は人里に近い。竹林は……順当に考えれば時間がそれなりに経過してるし、咲夜は既に竹林を離れているだろう。
現在彼女達のリーダーシップを取っているのは咲夜だ。ならば咲夜を失うのが一番の痛手、と魔理沙は合流する相手を定めた。
咲夜の移動速度と性格から、次に向かった先を予測する。時間からしてもう永遠亭への注意喚起は済ませているはずだ。
ならば迷いの竹林で時間を浪費するよりはその先に赴いて咲夜が訪ねてきたかを確認する方が早いだろう。
――竹林から近いのは……無名の丘と太陽の畑!
一直線に無名の丘を目指して、霧雨魔理沙は下へ下へと飛翔する。
単純な直線移動ならば天狗にも届こうかという、そんな速度。大量の茸燃料消費と引き換えに凄まじい速度だけでなく眩い光をも生成し、撒き散らす。
煌めく箒星となって空を滑落する魔理沙は今、相当に目立っているはずだ。早苗や霊夢が空を見ていてくれていれば、もしかしたら非常事態と思ってくれるかもしれない。
そんな一縷の望みを夜空に託しながら、魔理沙は減速を開始した。相手を怒らせないように、鈴蘭を――地上部は既に枯れているとはいえ――吹き飛ばさないように注意して無名の丘へと着地する。
「メディスン! メディスン・メランコリー! 出て来い!!」
大声を張り上げる。自分でもみっともない、と魔理沙は思うのだが、今は優雅に振舞っていられる状況ではない。
「いないのか! 何処にいる! 独立の母! 大統領!」
「……っるさいなぁ! って、なんだ、魔理沙じゃない。どうしたの?」
寝ぼけまなこをこすりながら何処からともなく現れたのは配下を持たぬ花園の王。
妖怪でありながら花と生活を共にする存在であるために基本的には昼型ライフな毒人形。
メディスン・メランコリーは夜だというのに大声を張り上げる来訪者を眠そうな目で睨みつけた。
「寝てたのか? まぁいい、ここに咲夜が来なかったか!? ……ああ、ナイフなメイドだ! どうだ、来たのか来なかったのか?」
「……見ての通り、わたしさっきまで寝ていたの。つまり誰にも会ってないわ」
捲くし立てる魔理沙に「それぐらい見て理解してよ」とばかりにメディスンは額に手を当てて紫色の息を吐く。
「そうか、来てないか……」
がっくりと肩を落とした魔理沙は深呼吸を……しようとして慌てて口を塞ぐと、キッと虚空を見据え直す。
――まだだ、まだ咲夜がやられたと決まったわけじゃない。別の所に行ったのかもしれないし、私が早く来過ぎただけかもしれん。
「ねぇ、魔理沙。一体何事? 何か事件でも起きたの?」
めまぐるしく表情を変える魔理沙を眺めていたメディスンも流石に気になったようであるが、魔理沙には悠長に説明している余裕はない。
「悪いが時間が無いから手短に説明するぞ。一人でいる奴が昏睡するっていう異変が発生中だ。だからお前は
1.知り合いの所に行くか、
2.私がいいって言うまで誰も寄せ付けないか、
3.私の言うことを無視するか、
の好きな選択肢を選べ」
「4.じゃあついていくってのは?」
一瞬、驚いたように魔理沙はメディスンの顔を覗き込んだ。
メディスン・メランコリーは毒を操る妖怪。彼女の能力は他人を昏睡させることが出来るのではないか?
――……いや、無いな。
メディスンは現在閻魔の教えに従って極力敵を作らないように行動している。これまでの努力をふいにするようなことはしないだろう。
それによく考えれば魔理沙も今は一人で行動している身。魔理沙自身が標的になるということも十分にありえるのだ。
いざと言う時の保険にもなるし、メディスンの安全も確保できる。後は適当な所で永琳にでも預ければ良いだろう、と考えた魔理沙は、
「いいだろう、乗りな金髪同盟」
「らじゃー、さあわたしも異変解決に参加して知名度を上げて、一気に理解者を増やすわよ!」
あまりに無邪気なメディスンの発言に苦笑すると、魔理沙は箒の後ろにメディスンを乗せてふわりと空に舞い上がる。
一気に無名の丘を後にするべく八卦炉に魔力を込め始め、さあ出発! と顔を上げたその時。
闇の中に浮かび上がった赤い双眸と視線が交錯した。
「ああ、間に合った! 魔理沙、師匠から伝令! 今すぐ私と一緒に永遠亭に来て頂戴!」
箒星となって落下する魔理沙を目にしたのだろう、一直線に無名の丘へと近づいてきた妖怪はそんな声を張り上げる。
永遠亭における八意永琳の一番弟子、鈴仙・優曇華院・イナバを目の当たりにして、魔理沙は己の血の気がサッと引いていく音を耳にしたような錯覚に捕らわれた。
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――博麗霊夢と霧雨魔理沙の会話当日・夜――
「……それで、二人はどうなっている」
此処は迷いの竹林の中にひっそりと佇む永遠の姫が住まう屋敷、永遠亭の救急看護室。
メディスンと鈴仙は待合室にて待機しているため、部屋にいるのは患者と魔理沙、そして永琳のみ。
ベッドに横たえられている十六夜咲夜と東風谷早苗の姿を目の当たりにして、一分程沈黙したまま拳を握り締めていた魔理沙はようやくそれだけを絞り出した。
十六夜咲夜の外見は何の異常も無い。いつもの咲夜のまま、彼女は静かに寝息を立てている。
対して東風谷早苗のほうはどうであろう? 早急に手術を行ったためかいつもの怪しげな式服のまま、しかしその頭部には真っ白い包帯が巻きつけられている。
さらには袴の一部分が切り取られており、そこから覗く脚にも同様に包帯が巻かれていた。
「何処から説明すればいいかしらね。彼女達の過去? それとも現状?」
「あいつらの未来からだ」
「それが完璧に分かれば医者は要らないわ」
「……ならば現状だ。どうなんだ? あいつ等は……いや、咲夜は置いておこう。早苗は助かるのか!?」
早口で捲し立てる魔理沙の肩を軽く叩くと薬師――そう、本来は薬師なのだが――、八意永琳は縦に首を振った。
「ええ、100%を保障することは出来ないけど、出血も止まったし容態は落ち着いている。十中八九彼女も助かるから、貴女がまず落ち着きなさい」
「む、そうか……それで、二人はどんな経緯で永遠亭に?」
安堵の溜息をもらした魔理沙に永琳は改めて椅子を勧め、腰を下ろすよう促す。
「まず十六夜咲夜ですが、竹林内にて昏睡しているのを妹紅が発見。こちらは森近霖之助やアリス・マーガトロイドと同様、つまり順当な異変の被害者になったと言ってよいでしょう」
「そうだな、確かによく寝ている」
咲夜が未だ謎に包まれている敵の術中にはまった。それはそれで大きな問題では在るのだが、それよりまずいのが……
「次に東風谷早苗ですが、十六夜咲夜の発見場所から数十m離れた場所で同様に妹紅によって発見されました。右大腿部に切創、及び頭部の強打による急性硬膜外血腫が発生。出血多量かつ若干の脳圧迫で危険な状態でしたが手術の結果は良好。失われた血液も予備の輸血パックで補えたために生命維持に問題はありません。後遺症もまず心配する必要はないでしょう」
「……そうか、ありがとう永琳。恩にきる。どれぐらい工面すればいい? 守矢神社からかっぱらってきてやる」
「不要よ。医者にとって最も価値のある報酬は、心からの感謝の言葉なのだから」
あくまでかっぱらうのね、と静かに笑う永琳に当然だなんて返してようやく、魔理沙にいつもの勝ち気が舞い戻ってくる。
「しかしよく輸血パック? とやらの余りがあったもんだ……早苗の奴もついているな。なんだっけ、血液型とかあるんだろう?」
「ついているんじゃないわ。彼女は己の見識によって己の死を回避したのよ」
「どういうことだ?」
「これまで早苗はまめに此処を訪れては血液を抜いて保存しておいてほしい、と私達に依頼していたの。そう、このような場合に備えて」
永琳は手元に在る最後の輸血パックの予備を手に取ると、こういうことよ、とそれを魔理沙に手渡した。
魔理沙の手に移ったその輸血パックには「東風谷早苗」と走り書きされたラベルが貼り付けてある。
「東風谷早苗は、妖怪にとって決して殺してはいけない人間ではない。だから異変解決に首を突っ込む以上、彼女には死の危険が常に付き纏う。それを早苗は正確に理解していて、だからまめに血液のストックを準備していた。輝夜の能力を使えば血液の鮮度はほぼ永遠に保つことが出来るしね」
「早苗もまた、色々と考えていたってことか」
「そう、彼女が生き残ったのは運でも奇跡でもない。彼女は貴女達と共に歩むためにあらゆる手段を尽くしていて、その結果生き延びるべくして生き延びた。それだけよ」
感心したように魔理沙は吐息をもらすと、しくじったかな、と一つ呟いて輸血パックを永琳に返還した。
そういえば以前、早苗に「献血に行きませんか?」と誘われたことがあったのを思い出したのである。
早苗が献血という外の言葉をそのまま使ったが故の誤解もあって、その時は断ったものの、魔理沙もそれをやっておいて損は無かったはずだ。
「私の周りは先見の明を供えた奴らばっかりってことか。ちょっと悔しいぜ」
「類は友を呼ぶ、と思えばいいんじゃないかしら? 貴女だってアプローチは違えど、死なないための手段を色々と模索しているのでしょう?」
「早苗の手堅さに比べりゃ可愛いもんさ」
影に努力していることを悟られることが嫌いな魔理沙はふん、とそっぽを向いて壁に掛かった時計に目を向ける……と、時刻は既に21:00をまわっている。
何か忘れてるな、と腕組みをして悩みこんだ魔理沙は、すぐさまギョッとして顔を上げた。
「しまった、霊夢のことを忘れてた! すまんが咲夜と早苗を頼む。紅魔館に戻ってあいつの無事を確認しなきゃいかん!」
「待ちなさい魔理沙。霊夢にはもう伝えてあるわ」
そのままダッシュで看護室を去ろうとする魔理沙の背中を永琳の声が叩く。
「早苗と咲夜を此処まで担いで来たのはさっき言ったように妹紅なの。ついでに彼女に霊夢への言付けを依頼してあるわ。霊夢以外とは一切目を合わせず、口もきかないようにって条件付きでね」
「そ、そうか、さすが天才だな。仕事が速い」
「だから霊夢なら恐らく神社で防備を固めているはず。……それで、これからどうするの?」
「これから……か、ちょっと検討に付き合ってくれ」
「ええ。殺されるならともかく、眠らされるとなると私達にもわりと脅威ですものね。協力しましょう」
魔理沙は腕組みをして再度永琳の前に戻ってくると、頭上の帽子を手にとって先程の椅子にドンと腰を下ろす。
「まずは現状の確認だ。お前が相手だから細かい説明は省くぞ。私は白玉楼で単独行動が危険なことに遅まきながら気がついた。多分早苗もおんなじようなもんだろう」
「そうでしょうね。そして恐らく早苗は貴女と同じように咲夜と合流しようとして」
「そして見てしまったわけか。咲夜が眠らされる所を」
「多分ね。妹紅自身は膨れ上がった霊力を訝しんで調査に向かい、竹林内にて二人を見つけたらしいんだけど……ただ」
「ただ?」
いぶかしげな表情を浮かべて言葉を切った永琳に一抹の不安を覚えたのだろうか?
魔理沙は意図せずして手の内の帽子を握ったり放したりを繰り返している。
「妹紅が言うには早苗が暴れたような跡しかなかったらしいわ。相手側の妖気はほとんど感じられなかったと」
「マジかよ!? いくらなんでも早苗だって用心していたはずだ。一方的にやられるってことはないだろう!?」
「でも事実でしょう。私は妹紅の判断を疑う気にはなれないわね」
藤原妹紅は千年以上に及ぶ生を妖怪と、そして輝夜との死闘に費やしてきた強者。
蓬莱人を人間と数えるならば、恐らく幻想郷人類最強。不老不死を抜きにしたとて、その積み重ねた戦闘経験が妹紅を自然と強者の地位に押し上げる。
妹紅の判断――しかも荒事の――とあれば魔理沙とて疑う気など起きやしないのであるが……信じられない、いや信じたくないのだろう。
「早苗の怪我は?」
「脚部の怪我は血痕、傷痕からして間違いなく咲夜のナイフによるものね。恐らく頭蓋骨の破損は大量出血による意識低下で墜落した時に負ったものでしょう」
「……犯人の特定が出来ないな」
「ええ。妖気を残していない点といい、咲夜のナイフを使用した点といい徹底してるわね。当然のように凶器は回収されたみたい」
「犯人は馬鹿じゃないってことか」
「単独犯、と決め付けるのも問題よ。入れ知恵している、ないしは糸を引いている黒幕がいるのかもしれない」
永琳はお手上げ、といわんばかりに手のひらを上に向けて肩を竦める。
「早苗に話を聞ければ一発解決なんだけど、いつ目を覚ますかは正直分からないわね……となると事態の拡大を防ぐには罠を張るしかないでしょう」
「トラップか……引っかかるかな?」
「喰らいついては来るでしょう。何せ相手は咲夜を狙って、しかもそれを成功させている。だから多分罠には飛び込んでくる」
「だが、チャチなトラップじゃあっさり食い破られるかもしれない、いや、食い破られるのは間違いない、ってことか」
忌々しげに魔理沙は低い声で呻く。と、なると相当に周到な準備を重ねておく必要があるだろう。
「此処は霊夢に任せたほうがいいかもしれないわね……ああ、貴女が霊夢に劣るって言っているわけじゃないの」
「そうとしか聞こえなかったがな……で?」
忌々しさ三割増の表情で魔理沙は永琳に続きを促す。
「ほら、これまでの被害者って割と話が分かる人達ばかりじゃない?」
「……ああ、そういうことか」
「そう、貴女は何も考えてないように見えてその実思慮深く、そして霊夢は何も考えてないように見えるがままに何も考えてない」
霖之助もアリスも咲夜もインテリの部類に入る人間だし、妖夢とて能動的に動く場合はともかく受動的立場であればかなり話が分かるほうである。
つまり幽々子がそうしようとしたように、今回は相手の動向なんぞすべて無視して当るを幸いぶち抜いていくほうが手っ取り早い、と永琳も判断したのだろう。
「……まあいい。しかし、結局今の幻想郷はどうなっているんだろうな?」
結局、ろくに各地を回れなかったがために現状把握は不十分。
うんざりしたような表情で天井を見上げた魔理沙だったが、その顔にいきなり灰色がかった紙が被せられる。
手に取ってみればそれは、俗に魔理沙達の間で新聞と呼ばれるより新聞紙と呼称されることのほうが多い代物だ。
「ブン屋が昨日置いていった新聞。見てみたら?」
「文か? あいつもとうとう気づきやがったか……鬱陶しいとは言えあいつにも警告したほうがいいんじゃないか?」
「警邏中のてゐ達が見かけて、一応忠告しておいたそうよ。ただ忠告に耳を貸す気は無さそうだったって」
むしろ稼ぎ時だって、と永琳は眉をひそめて呆れたように腕を組んだ。
本当、困ったやつだと自分のことは棚に上げて呟いた魔理沙は新聞の内容を追い始める。
「どれどれ……驚愕の命蓮寺在家の実態? 修行もせずに昼寝をする在家 ……ふむ、被害者は響子にぬえか。っとまだ命蓮寺しか載ってないじゃんか。情報が遅いぜ、役に立たん」
「異変だって知ったのは今日みたいだしね。一応命蓮寺の被害は分かったじゃない。あんまり酷評するものでもないわよ。こんなんでも一応役には立ったでしょう?」
「お前の発言も何気に酷いがな」
永琳と顔を見合わせて苦笑を交わした魔理沙だったが、ふと、
「でもネタ狂いのマッチポンプって可能性も無いわけじゃないんだよな」
敵の目的も手段も不明。眠らせた相手に何かするわけでもなく放置していくなんて奇行もいいところだ。
いくら幻想郷の住人が変人ばかりとは言え、ここから犯人を特定するのは中々に難題である。
「……もう誰を疑えばいいのかわからなくなってきたぜ。どうやって眠らせたのかは未だに分からないのか?」
「残念ながらね。ついでに言えば方法が分からない以上、私も貴方も――つまり今意識がある者は皆容疑者って思っておかないといけないわよ」
やめてくれ、と魔理沙は引きつった笑顔を返す。
「お前が犯人だったらと思うとゾッとするぜ……せめてどうやって眠らせているのかが分かればなぁ」
「目の前で見せてくれれば一発で分析してあげられるんだけど。ただ、一つだけ患者達全員に共通している事例があるわ」
「ほう? それは?」
「患者達は全員、夢を見続けているの」
「夢か……」
紅魔館での咲夜との会話が魔理沙の脳裏に浮かぶ。またしても夢か。
「夢って一晩中見てるもんじゃないんだっけか?」
「ええ、睡眠には二種類あって、夢を見る睡眠、夢を見ない睡眠が交互に繰り返されているのよ。通常はね」
「……それが夢を見っぱなしか。夢を見せるのが目的なのか? だが、なんでだ?」
「まだそれが目的と決め付けるのは早いわね。だから、こうやって患者達を見ているよりかは犯人を検挙したほうが早いと思うわよ」
ここのベッドも足りなくなるかもしれないしね、と永琳は肩を竦めてみせる。
それにただの人間である咲夜まで倒れた以上、あまり悠長に構えていられる余裕はなくなってしまっている、という問題もある。
「とりあえず協力ありがとさん。霊夢とちょっと相談してみるよ」
「私達のほうで罠を張ってみましょうか?」
「お前が倒れたら誰がそいつらの面倒を見るんだよ……少なくとも早苗が意識を回復するまではお前達は使えん。輝夜を使っても良いって言うなら借りてくが」
「それはダメ。それに今輝夜は監禁中なの。何せ面白がって自分から眠りにつきそうだったから」
「呆れた奴だ……まぁやってみるさ。そいつらをよろしく頼んだぜ、先生」
若干しわになったトレードマークの帽子を被りなおした魔理沙は勢いよく立ち上がる。
「十分に気をつけなさいな。貴女達のぶんのベッドなんて永遠亭はお断りですからね」
「任せとけ……待ちの作戦っつうのはどうにも苦手ではあるが」
あまり期待できない返答を一つ残して、魔理沙は救急看護室を足早に後にする。
些か乗り気のしなそうな魔理沙の背を見つめていた永琳は口元に手を当てて考え込んだ。ガンガン行くタイプの魔理沙としては何度も受身に回るのは面白くないのであろうが……
「やはり、こちらでも一手打っておいたほうが良さそうね……」
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
――博麗霊夢と霧雨魔理沙の会話から一時間が経過――
「……魔理沙さん。今この状況で盗みに来たって言うつもりならばタダじゃおきませんよ」
此処は紅魔館大図書館。
真紅の絨毯が敷き詰められた図書館に足を踏み入れた魔理沙を待っていたのは、図書館の喫茶スペースに腰掛ける二人。
美しい赤毛が――服装さえ揃っていれば――姉妹のように見えなくもない二人組である。
両者は似たような表情を魔理沙に向けてくる。それは焦燥と、憔悴と、そして不信の入り混じった、負の三重奏。
辺りにはテーブルからたち込めるジャスミンの爽やかな香りとチョコレート菓子の甘い香りが混ざり合い漂っているが、それらの芳香もあまり場の雰囲気を改善する役には立っていないようであった。
「んなわけないだろ。私だってTPO位わきまえているさ。館の主が居ない時に暴れまわってどうするんだよ」
「もの凄い理論を聞いたような気がします……」
小柄な方の赤毛――小悪魔――がぼそりと呟く。
彼女は相当参っているようでその表情の陰りは深く、全身には疲労の影が色濃く漂っている。
無理もないだろう、と魔理沙は苦労属性を背負った少女に若干同情する。
なにせ紅魔館の主と実質的な主は昏睡状態。勤務先の主が犯人候補ときている今の状況で元気溌剌としていたらそれはまさに悪魔の……悪魔と呼ぶには相応しくない少女であるようだった。
「で、一体魔理沙はここに何しに来たのかしら?」
大柄な方の赤毛――実質、なし崩し的に紅魔館の全権を司ることになってしまった紅美鈴――は不快に澱んだ目で魔理沙を睨め付けてくる。
「不満そうだな、美鈴」
操気の化身たる美鈴の不快もまた普段の陽気と同じ位に見る者を感化するのだろうか? 見ているだけで疲れを感じる程に、今の美鈴は不機嫌の塊だった。
恐らく彼女の性格からして、一秒でも早くレミリアや咲夜の仇撃ちに向かいたいのだろうが……
「不満だけど仕方ないわよ。咲夜さんまで倒れた以上、私が我を張って門前に一人立つわけにもいかないし、咲夜さんに後を任されてもいるし……で?」
「罠を張った霊夢に神社を追い出されちまってね。一人で居るのも拙いし、だったら気心がおける奴と一緒にいたほうが退屈しないだろう?」
「気心ねぇ……」
「そんなわけで美鈴、私にもジャスミンティー」
「……はいはい」
形容しがたい表情を浮かべたまま、美鈴はガタリと椅子から立ち上がると、図書館内に――なぜか――備えられている居住空間へと消えていく。
美鈴が去った後には小悪魔と、改めて椅子に腰掛けた魔理沙の間に沈黙が残るだけである。
:
:
:
「あの」「おい」
僅かな沈黙の後、二人同時に言葉を発した両者は顔を見合わせる。
「な、なんでしょうか?」
「いや、まずはお前の発言を拝聴しようか。で、なんだ?」
小悪魔は心なしか悲しげな気配を滲ませながら、それでも一度屹と口を引き締めると魔理沙へと問いかける。
「このたびの異変、やはりパチュリー様が関わっているのでしょうか?」
「関わっている可能性は高いと思うが正直判らん。だが、パチュリーが実行犯ってわけじゃなさそうだ」
「え?」
「唯一犯人に実力行使で殺されそうになった奴がいるんだがな、咲夜のナイフでやられたんだ。お前さ、五体満足術使用可能な時にパチュリーが魔法無しのナイフだけで襲ってきたとして、どうやれば負けられる?」
「負けようがないですね。余裕で七死星点ホァタァ! ですよ」
「だよな。指先一本で勝てる」
そう、もやしっ子パチュリーが咲夜のナイフを握って早苗に切りかかる姿など想像することすらナンセンスだ。
早苗は一つだけではあるが、確かな手がかりを残してくれていったのである。
「そうなると、パチュリー様は裏で糸を引いている可能性が高い、と魔理沙さんはお考えなんですね」
「そういうことだ。だがパチュリーならその気になれば大方の連中を駒のように動かせるだろうから的が絞れん。で、お前の出番」
ピッと魔理沙が向けた人差し指をさりげなくさっと躱しつつ、小悪魔は怪訝そうな表情を魔理沙へと向ける。
「私ですか? ……私を人質に取ったとしてもパチュリー様は止まりませんよ」
「そりゃそうだ、あいつは魔女だからな。そんなことは百も承知だ」
なぜ避けた、と呟きながら魔理沙はその人差し指でコンコンと机の上に放置されていた本を叩く。
「パチュリーが最後に読んでいた本。念のため確認したい、持ってきてくれ」
「ああ、そういうことですか。では少々お待ちください」
えーっと、まずは「W」だったから……などと独りごちながら小悪魔は薄暗い図書館の闇の中へと消えていく。
入れ替わるように美鈴が姿を現すと同時に、茶葉の開いたジャスミンの芳香が魔理沙の鼻をくすぐった。
「はい、お待ちどーさま」
「ん、サンキュ」
「……ねぇ、魔理沙、本当によかったの?」
コトリ、と魔理沙の前にティーカップを置きながら尋ねる美鈴の面持ちは真剣そのものだ。
「何がだ?」
「霊夢一人に任せておいて、よ。親友なんでしょう? お嬢様とパチュリー様の間柄程度には」
問われた魔理沙が浮かべた表情は、若干の当惑を帯びたものだった。
あの全てから浮く巫女が己を特別視しているとは、魔理沙にはどうにも思えないのである。
「さあ、どうだろうな。……だが、悪い妖怪退治は人間のお仕事だ。もう動けるのが私と霊夢しかいないんだからどっちかがやるしかあるまい」
「天人や仙人は?」
「どこに住んでいるかも分からない仙人なんぞ当てに出来んし、天子は天界で今は一人暮らしらしい。結局訪ねちゃいないが多分、もう遅いだろう」
「……八方塞りか」
「二方開いてるだろ、私と霊夢が。それに霊夢とは別に私も神社に一つタネ無し手品を仕掛けておいてある。たとえこれで霊夢が倒れても私がケリをつけてやるさ」
犯人さえ分かっちまえばこっちのものだ、と息巻いて見せる魔理沙だったが、なおも不安そうな表情を向ける美鈴に説明を重ねる必要があると感じたのだろう。
ぐいっとまだ熱めのジャスミンティーを一気飲みすると、「美鈴、ちょっと渋いぜ」なんて前置きしつつ、己に含ませるかのように若干訥々と語り始めた。
「別に霊夢を心配してないわけじゃないさ。だがな、今回の異変は睡眠だ。どういう意図があるにせよ殺害とかじゃなくて睡眠を選んだ以上、必ず目覚めさせる手段というものがあるはずだ。お前、眠らされた人間が眠ったまま目を覚まさないお話と、目を覚ます話、どっちを多く読んだことがある?」
「お話としては後者ね」
「そう、大方起こす手段はあるんだよ。だからこれだけの人数が眠らされた以上、それを信じて最早腹をくくるしかないんだ。それともお前、私が霊夢を心配してそわそわしてるほうが落ち着くってのか?」
「……そうね。どうやら私も苛々してたみたい。くだらないことを聞いて悪かったわ」
「構わんよ。実のところ半分……以上は自分を納得させるために語ってるんだ」
魔理沙がカップをソーサーに戻すと耳障りな陶器の擦過音が普段よりも二割増しに美鈴の耳を打つ。
見てのとおりさ、と皮肉っぽく口を歪めて魔理沙は笑う。
「なんて言ってたらマジ不安になってきた。おい美鈴、アップ代わりに一勝負やらないか?」
「いいわね! 私も体動かしてないと落ち着かないのよ」
「ちょ、ちょっと待ってくださいよ! お二人とも図書館内では戦闘決闘暴行略奪行為は禁止ですってば!」
だが二人が椅子を蹴って立ち上がったその時、二人の声を聞きつけたか、闇の中からこの世の終わりのような表情で小悪魔が駆け寄ってくる。
実際問題、美鈴と魔理沙が暴れようものなら最早紅魔館には誰も二人を止められる者がいないのだ。
唯一のジョーカーを投入したら被害が図書館から紅魔館全体に変わるだけである以上、小悪魔が必死になるのも無理はなかった。
「ほら魔理沙さん、お約束の本です! 暴れるようなら渡しませんよ!」
「ちぇっ、つまらんぞ。しゃーないな、弾幕ごっこはお預けだ美鈴」
小さく一つ肩を竦めると魔理沙はドスンと椅子へ腰を下ろす。
ほっと胸をなでおろした小悪魔は魔理沙の目の前にあったティーカップを傍らに除けると、どうぞ、と魔理沙の前に三冊の本を積み上げた。
「あーもーほんと残念。で、なにそれ?」
心底落胆したように項垂れて椅子に腰を落とした美鈴は、小悪魔が用意した資料を憎々しげに睨みつける。
「うん? パチュリーが最後に読んでいた本を持ってきてもらったんだが……全部原文かよ」
『What is it like to be a bat?』と記された薄いファイルを目にした魔理沙は呆れたように頭を振った。
「お前さ、咲夜にも同じこと聞かれただろう? あいつはこれらの資料に目を通したのか?」
「いえ、咲夜さんは題名を聞いた時点で呆れたように首を振って、もういいわって言って去ってしまいました」
「やれやれ、パーフェクトメイド失格だな」
珍しく咲夜に正面から駄目出しできたな、と軽く口笛を吹くと、魔理沙は押し黙って資料の読解に取り掛かる。
たぶん辞書が必要になるだろうな、と予想した小悪魔は再度薄暗い書架の向こう側へと消えていった。
美鈴もまた、お茶を淹れなおすために三者のティーカップを盆の上に乗せて読書スペースを後にする。
しばらくの間、魔理沙がページをめくる音だけが薄暗い図書館の中に響いていた。
◆ ◆ ◆
「あんにゃろ、何考えてやがる。協定違反だろうが」
『Die Traumdeutung』 『The Scientific Search for the Soul』 『What is it like to be a bat?』。
辞書を片手に三冊の資料へ一通り目を通し終えた魔理沙の第一声はそのようなものだった。
「ん? なんか分かったの? これで異変解決かしら?」
先ほどから呼吸を整えて勁道を開き、黙々と続けていた練功を中断した美鈴が魔理沙に期待のこもった視線を向けてくる。
同様の視線を小悪魔も魔理沙に注いでいるが魔理沙はいや、とばかりに首を横に振る。
「分かったのはパチュリーの興味の矛先と、何処へ向かったかの予想だけだ。結局はあいつを締め上げなきゃ何も分からん」
「ですが、行き先の目星が着いたのであれば……」
「ああ、一歩前進ではあるな。とりあえずこいつはパチュリーがどの本を読んでいたかを覚えていたお前の手柄だな。お見事だ」
「おだてても魔理沙さんの窃盗罪は消えませんからね」
笑顔でビシリと釘を刺してくる小悪魔に融通の利かないやつだ、なんて嘯きながら、魔理沙はすっかり冷えてしまったジャスミンティーを啜る。
美鈴もパラパラと資料を捲ってみるが、どうやら自力で読解するのは諦めたようで魔理沙の前にポンと資料を投げ出した。
「とても題名だけ見ると内容に統一性があるようには見えないけど?」
「まあな。題名だけ確認したお前や咲夜が勘違いしても仕方がないが、これらは全て心の在り方について書かれた本なんだよ」
「心、ですか……心、夢、魂、意識……ああ、成る程! だからパチュリー様はこっそりといなくなったんですね!?」
「図書館内では静かにな」
赤面した小悪魔はティーカップを傾けて一息つき、意識と舌にゆとりを与える。
「黒幕リストに一人追加、ですね。では下手人のほうはいかがですか?」
乾いた舌を潤した小悪魔が重ねた問いに、魔理沙は顎に手を当てて小考する。
「手段は置いておいて、動機だけで考えれば一番怪しいのは妖獣だな。肉弾が強いって条件も満たせるか……霊夢の囮に一旦待ったをかけるか?」
そう魔理沙が呟いた直後、コンコンコン、と紅魔館大図書館の扉がノックされる音が響きわたる。
それの意味するところを理解して、三者は顔を見合わせるとげんなりとした表情でそろって溜息をついた。
和式一辺倒の博麗霊夢が、紅魔館大図書館を訪れる際にノックなどするはずないのだから。
「どなたでしょうか?」
「はっ、紅魔館門番メイド丁班班長、ヴァイフであります! さー!」
「同じく戊班班長、ドガスでーっす! 隊長いますかーっ!」
場違いな程に元気な声が二つ、扉を通じて図書館に響きわたる。
後ろで美鈴が頷いたのを確認すると、小悪魔は妖精達には重過ぎる図書館の大扉を開いて来訪者を招き入れた。
「わー相変わらず埃くさいなぁ」
「声が響くねー、やっほぉおおおおお!」
「……お前ら、なんか報告に来たんじゃないのか?」
頭痛をこらえるように額に手を当てた魔理沙がそう呟くと、ますます妖精たちは姦しさを増して騒ぎ始める。
「あーっ! ドガスちゃん後ろ! 泥棒だー! ものどもであえー! スペルカード戦用意!」
「であえーって、誰も来ないよヴァイフちゃん!」
「……とりあえずお疲れ様。今のところ魔理沙は客だから気にしなくていいわ。で?」
苦笑しながら美鈴が妖精達に続きを促すと、ようやく自分達の来訪目的を思い出した妖精達は報告を口にする。
「えーっとですね。こそ泥のお使いと称する妖精が三体、入館を希望しているんですけど」
「赤くて青くて黄色い奴らですたいちょー」
「ああ、そりゃ間違いなく私の客だ。案内してくれ」
「……いいんですか? 隊長」
「緊急事態だからね。許可するわ」
首肯する美鈴に敬礼を返すと、戊班班長は扉の外へ向かって大声を張り上げる。
「おーい、よし子ー! その子達連れてきてー!」
「お前らネーミングセンスおかしいよ!!!」
思わず能天気な妖精思考に汚染された魔理沙は脊髄反射的な叫び声をあげてしまう。
引き締めた気があっという間に緩んでしまったが、下手に肩肘張ってるよりかはその方が良い……こともあるだろう。
そんな風に自身を納得させた魔理沙は――門番隊にもまれたのであろう――目を回した状態でポイポイポイと投げ込まれてきた三妖精達のそばにしゃがみこんで、
「さ、目を覚ませサニー、ルナ、スター」
三者にデコピンを喰らわせた。
魔理沙が秘密裏に用意したもうひとつの罠。霊夢が失敗したときのために、その一部始終を確認するために配置しておいたレコーダー代理。
自然の化身たる妖精の気配は、チルノのように常時冷気を撒き散らしていない限り察知は困難。で、あるが故に火力を求めないなら罠としては最適。
妖精固有の落ち着きのなさが若干の不安点だったが、どうやら犯人の迅速な行動ゆえに彼女達の興味好奇心が目減りする前に事が片付いたようだ。
ならば後は彼女達から話を聞けば実行犯も明らかになる。
うーんと唸りながら頭を振っていたサニー達だったが、魔理沙の顔を視界に捉えると弾かれたように立ち上がった。
さぁ、反撃の狼煙を上げようじゃないか!
「ま、魔理沙さん! 霊夢さんが! 霊夢さんで、いきなり倒れて!」
「そのまま目を覚まさなくなって!」
「お布団かけました!」
「……結果だけは理解したがな。とりあえず落ち着け」
鼻息も荒く魔理沙に詰め寄って捲し立てる三妖精をなだめると、魔理沙はテーブル上にあったチョコレートを彼女たちの手の中へと落とした。
そのまま彼女たちに椅子へ座るように目配せする。
小悪魔が無言でテーブルの上に散乱していた資料を手元に引き寄せる。菓子を持った妖精の手元に本を置いておくなど馬鹿のやることだ。
美鈴は立ち上がって門番隊を下げさせた後、追加のジャスミンティーを用意するために再び住居区へと姿を消した。
これから彼女達にはじっくり語ってもらわなければいけないのだ。舌を湿らせるためにもお茶が必要であろう。
「だがまぁ一部始終を目撃したわけだな。まずはそれを食ってリラックスしろ。次にお茶だ。その上でじっくり話を聞かせてもらおうじゃあないか」
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――博麗霊夢と霧雨魔理沙の会話翌日・真夜中――
「ようブン屋。ちょっとお前の力も貸してほしいんだが、協力してくれないか?」
守矢神社からの帰り道。
己の巫女を傷つけられて猛る神奈子から異変解決のための協力を取り付けた後、通りがかった鴉天狗を魔理沙は呼び止める。
呼び止められた鴉天狗、射命丸文は困ったように首をかしげて魔理沙に若干拒絶を滲ませた視線を向けてきた。
「うーん、今が稼ぎ時なんだけどねぇ。これ、異変でしょ?」
「お前な……こんだけ人が倒れてるんだから自重しろよ」
「そうは言うけどね。報道の仕事は犯人をぶちのめすことじゃなくて事実を余すことなく伝えることでしょうが」
「事実の中から知らしめる内容を取捨選択して世論を操ることが報道だろ。いいから黙って協力しろよ!」
マイペースを崩さない文に腹が立ったのか、魔理沙の表情は苦虫を噛み潰したかのようで、だんだんと苛立ちを募らせていく。
あまり怒らせるのもまずかろうと考えたのか、文は肩掛け鞄から一枚の折りたたまれた新聞を取り出すと、得意顔で魔理沙にそれを突きつけた。
「じゃあお買い上げいただければご協力、ってことでどうかしら?」
「……しゃーない。このままじゃ話が先に進まないからな」
魔理沙はポケットから二銭銅貨を取り出すと、文へ向かってコイントスする。
「毎度あり!」
文はパシッとそれをキャッチすると、それを己のがま口の中に落としこむ。
チャリン、という小気味よい硬貨のこすれあう音が周囲に響き渡った。
「じゃ、まずは情報共有だ。お前は一体この異変に関して何処まで調べられた?」
「それはせっかくお買い上げいただいたんですから新聞に目を通してくださいよ。ここに私の知っている範囲はきちんと記載してありますので」
「ああそうかい」
魔理沙は呆れたように首を振ると差し出された新聞を手にとって、
それを開くことなく逆の手に持った八卦炉から噴出する業火で、読んでたまるか、と言わんばかりに消し飛ばした。
「……あんた、喧嘩売ってんの?」
さっ、とそれを目にした文の瞳に怒りが灯る。その怒りは間違いなく正当なものだ。
読んで価値がない、と判断されるのは致し方ない。
だが、目も通されないまま自らの成果物を目の前でコケにされて黙っていられるような輩は創作者として失格である。
明らかに魔理沙の行いは下種の行為。他人のプライドを踏みつけてあざ笑う行為には、敢然と立ち向かわなければならない!
されどそんな文の怒りを前にして。
霧雨魔理沙は悪魔のように嘲笑する。
「やかましいよ。コピペに価値なんざあるわけないだろ?」
「!」
「お前が書いたってんなら、勿論こっちだって一読して、ああ今日もお前の新聞は学級新聞だなって酷評してやるさ。一応金だって払ったんだ、少しぐらいは投資を回収したいしな」
「……」
「だが、他人の書いた文章を丸ごと乗っけてるようなもんなんか、目を通す気にもなりはしないね」
気づけば怒りの表情を浮かべているのは霧雨魔理沙の方であり、対する射命丸文は俯いて言葉を失っている。
「まったく、お前は上手くやったよ。まさか新聞を読むだけで昏睡するとは誰も思わないだろうからな」
まさしく幽々子様の仰るとおりだったな、と魔理沙は怒りの端に苦い笑いを浮かべる。
そう。三妖精が語った神社での顛末は、文が手渡した新聞に目を通した瞬間に霊夢が意識を失った、というものだったのだ。
「あの咲夜だってさすがにそこまでは警戒しなかっただろう。誰だって現在進行形の異変に関する情報は欲しいからな。とりあえず新聞を見てみるか、ぐらいに考えちまうだろうし」
「……」
「きっちり、一人ずつ眠らせていったわけだ。ご丁寧にも昏睡用の記事といつものお前の記事、二種類用意して複数人がいる場合にはいつもの方を渡していたってわけか。成る程、最初のうちは捏造新聞になっちまうわけだ。今回の事を大々的に記事にして危機感を煽るわけにもいかない一方で、何かしら記事を書かなきゃいけないんだもんな」
「……いつ、気がついた」
文が、定型文を朗読するような抑揚のない声を発する。
そこからは何の感情も読み取れないが、事実上それは敗北宣言に違いない。
「思い返せばさ、お前が紅魔館を訪れてあっさり一回の迎撃で引き下がったこと自体怪しかったんだ。お前、興味のあることにはとことん食い下がるもんな。そのお前が一回で引き下がったってのはつまり、もうレミリアが昏睡していることを知っていたからなんだろう? 早苗をあっさり迎撃できたのも、風を操る年季では早苗のはるか上を行くお前ならではだな」
光の三妖精に見張らせていたからだよ! なんて情けないネタバレはしない。したり顔で頷きながら魔理沙は能書きを連ねる。
こっちが味わった敗北感ぐらいはせめて相手にも味わわせてやらねば気がすまない、と言わんばかりに。
「ま、そんなことはもうどうでもいい。重要なのはこれからのことだ。その鞄を渡してもらおうか」
「……」
「入っているんだろう? どうせその中に、オリジナルが」
そう、皆を昏睡させる新聞記事。そんなものを一鴉天狗である射命丸文が独力で作り上げたと考えるのは難しい。
そして姿を消した大図書館といった要素を繋いで行けば、その元となっているであろう書物があるはず、というのが魔理沙の推論であった。
「そいつをお前に与えたのはパチュリーか? いや、それ以前に……」
うつむいたままの文を気味悪げな表情で見つめ、霧雨魔理沙は問いかける。
「お前、誰だ?」
文? が顔を上げる。感情が凍りついたかのようなその表情が射命丸文のものであるはずがない!
魔理沙を写していないその瞳をぐるりとめぐらせると文? は虚空へ抑揚のない声を放つ。
「私は博麗霊夢の介入を阻止できなかった」
「何?」
ドキリ、と魔理沙の感情が波打つ。
三妖精の話では霊夢もまた皆と同じく眠りについた、ということだったはずだ。だがその言はまるで……
――やれやれ、流石というかなんと言うか。やっぱりあいつは只者じゃないな。
三妖精の報告とその何者かの言を秤にかけた魔理沙は後者を受け入れ、そして小さく苦笑した。
三妖精が嘘をついたとは思わない。だが妖精の注意力では捉えにくいことも多々あるだろうし、目の前の敵が「失敗した」なんて嘘をつく理由がない。
さらには霊夢がただ一方的にやられるなんて有り得ない、というある種の信仰めいた感情も魔理沙の内には存在していたし、何よりそう考えたほうがこれから先のイベントで前向きに思考できる。
そう、これから始まるのは……
「これ以上の干渉は許容できない。十六夜咲夜以下、主だった人間は既に排除済み。残るは霧雨魔理沙ただ一人」
早苗は無事だぜ、と嘲笑ってやろうかと魔理沙は一瞬幼稚な思考にとらわれる。だが、それを口にして文? が早苗の元に向かっては面倒だ。
言いたい奴には言わせておけばいい。それにどうせ、
「故に、霧雨魔理沙もここで排除する」
「やってみろ三流妖怪!! まぁ何処の誰かは知らないがな!!!」
さあ、迷惑な妖怪退治の始まりだ。
◆ ◆ ◆
オプションスレイブ4基を同時生成。自身との相対距離を固定して周回させると同時に視神経と接続して周囲 360°の視界を確保。
翼を広げた文? が高機動に移行するより早く背後に回りこんだ魔理沙はマジックミサイルを一ダースまとめてスレイブに装填処理する。
4つのスレイブから3発、計12発のミサイルが文? の背中めがけて発射され、爆発して閃光と衝撃波を撒き散らした。
が、その直後にスレイブが高速で移動する影を捕捉する。
「外したか!」
爆発はどうやら迎撃されたものと、その衝撃波に巻き込まれて誘爆したものによる結果であるようだ。
全弾外れ。だが魔理沙とて初撃で簡単に片がつくとは思ってはいない。
まずは後ろを取った。これでよい、とばかりに魔理沙は高速飛翔に移行した文? の後に追いすがり、ラピッドショットで文? を牽制する。
同時に自身を中心に周回するオプションスレイブ2基を消去。直後にテストスレイブを2基生成、オートホーミングに設定して射出。
攻撃、索敵センサー、姿勢制御を兼ねているオプションスレイブを失うことで自身の総合戦力は低下するが、自動追尾スレイブによって相手への負荷を上げ、動きを制限する。
――……やれる、な。
振り向きざまに文? から放たれた天狗礫を魔法で形成したフェアリング表面でいなしつつ、照明弾を打ち上げた魔理沙は心の中で胸を撫で下ろした。
本来であれば人間である魔理沙と鴉天狗である文との間に弾幕ごっこでないドッグファイトなど成立するはずがない。
推力だけなら引けをとることはない、と魔理沙は認識している。だが妖怪と人間、両者には厳然たる戦力差が存在しているのだ。
鴉天狗の身体を持つ文? にとって戦わねばならない相手は魔理沙だけ。だが人たる魔理沙は文? の相手をしつつ、己の速度がもたらす負荷とも戦わねばならない。
加えて実戦弾級の魔術ともなれば弾幕ごっこのように常時ばら撒くような使い方など、とても人間魔法使いの魔理沙には出来やしない。そんなことをすれば数分で魔力が枯渇する。
マニュアルで、必要な時に、必要な量だけ、撃つ。
速度で劣り、手数で劣り、耐久性でも劣る。その不利認識を受け入れ、焦れない心を維持することから魔理沙の実戦妖怪退治は始まるのだ。
されど状況は魔理沙が圧倒的に不利というわけではなく、文? のほうにも足かせが存在する。
――やっぱり鞄を守りながらの高機動戦闘は困難だよなぁ!
魔理沙の読みどおり、どうやら相手は鞄の中身を失うわけにはいかないようで、それが文? の能力に制限をかけている。
加えて今の文? の動きはどこかぎこちなく、まるで始めて鴉天狗の実力を発揮した、とも思えるような稚拙さが伺えたのだ。
だから多分相手はこれまで高速戦闘を経験したことがない、と魔理沙は推測していて、そしてそれが事実であるのだろう。
相手よりも己が厄介と言わんばかりに宙を舞う両者の戦技は今は拮抗。
勝利の天秤がどちらに傾くかは、これからの両者の選択次第だ。
再度魔理沙が放ったミサイルをギリギリまで引きつけて回避した文? は急降下をかけると、鋭い弧を描いて魔理沙の下部後方へと回り込む。
文? の予想進路を塞ぐように硬度だけを強化したスターダストとデブリをばら撒いて機動を阻害すると、魔理沙もまた旋回しピッチを下げて文? を正面に捕捉する。
相対、そして交錯。
烈風弾とマジックミサイルが相剋し、喰らいあって消滅する頃には両者再度カーブを描いて文? は上空から、魔理沙は地上すれすれから再加速に移っている。
――さて、どうするか。
上空からのマクロバーストに崩された体勢を、足元の大樹を蹴った反動と周回オプションからのロケット噴射で立て直す。
継いで雨のように降り注ぐ扇弾とそれが破砕する木々の破片を、僅かに擦過傷を負いながらも魔理沙はすべて横滑り運動で回避しきった。
上を取る天狗の機動を二基のスレイブからのレーザーで阻害しながらピッチアップとともに再加速。
上空へと舞い戻った魔理沙は十発目の照明弾を打ち上げながら文? の動きをつぶさに観察していた。
既に開戦から十分程。
魔理沙から見て相手がコツを掴んできたという感が無いのは救いだが、代わりに相手のテンションは一定に保たれている。
そこには生物的とは真逆をいく、淡々とプログラムを実行しているような無機質な安定が感じ取れるのだ。
――長引かせるとこっちが不利っぽいな……にしてもお山の神々は何やってやがる!
生物としてバイオリズムに左右される魔理沙は、協力を約束したくせに未だ姿を現さない神奈子達に内心で毒を吐きながらスレイブにミサイル装填処理を送る。
相手が射命丸文、と分かった時点で紅魔館の協力を仰ぐのは難しくなった。
美鈴を引き連れて妖怪の山へ殴りこみ、なんてすれば居丈高で縄張り意識が強い天狗達は黙っちゃいないだろう。
だから渋る美鈴に頭を下げて紅魔館に残ってもらう一方で神奈子達に協力を取り付けたっていうのに、その神奈子達はいまだに姿を見せる気配すらない。
とは言え無いものねだりをしても仕方がない。
あれがあれば勝てるのに、なんて夢想を抱いても女神は微笑んではくれないのだから、手の内にあるカードで勝負するしかないのだ。
テストスレイブ2基を消去。オプションスレイブ2基を再生成。視認性と正面火力、機動力を強化して一撃必殺狙いに移行する。
テストスレイブは独立動作のため、魔理沙自身にもスレイブの動きが正確には把握できない。
背後に気を配る必要がなくなった文? の自由度は増すが、ランダムさがなくなる分こちらのほうが相手の機動をハメられる可能性も増す。後は魔理沙の技量次第だ。
後ろを取りに来た文? めがけて再びデブリをばら撒くが、今度の文? は多少のダメージ覚悟で鞄を守りつつ星屑の中を突っ切ってくる。ならば。
星屑の海を抜けた直後に相対するであろうタイミングを見計らって、速度はないが殲滅範囲に優れる空中魚雷をスレイブに装填処理、射出。
文? が動きの鈍い魚雷の隙間をかいくぐろうとした、その瞬間を狙って。
スレイブからのレーザーが、各々が射出した魚雷自体を打ち抜いた。
「!」
文? を包み込むように空が燃え上がる。
手ごたえあり! されど間接的な攻撃ゆえにダメージは深くないだろう。事実、文? は爆炎の裏に後退して旋回する魔理沙を凝視し、次の攻撃に備えている。
ならば、とどめの一撃。
再度スレイブに空中魚雷を装填処理。文? の意識を前方に惹きつけながら、先ほど地上すれすれを飛行した際に設置しておいたオプティカルカモフラージュスレイブへ光撃処理。
魔理沙の背後にいる文? のさらに背後、完全な死角。そこめがけて大出力のレーザーが地上から火を噴く。
その超高熱のレーザーは大気を切り裂いて走り、文? の背中に一直線に突き刺さ――りはしなかった。
「ばかな!?」
弾幕ごっこじゃない、正真正銘の光速の一撃が躱せるはずがない!!
慌てて二撃目、三撃目を立て続けに連射するが、文? は未来が読めているかのように死角からのレーザーを次々と回避する。
瞬く間に魔理沙の至近へ迫った文? を視界に捉えた魔理沙は――
「サードアイだと!?」
思わず我が眼を疑った。
文? の右胸付近に浮かんでいる半透明の球体と結心管。鴉天狗にあるはずがないその器官に驚愕し、魔理沙の動きが一瞬硬直した、
その隙に。
烈風弾に魚雷が粉砕され、爆光が魔理沙の視界を埋め尽くす。
「! しまっ……」
た。と口にし終えることすらできないだろう。気が付けば文? は魔理沙の横に回りこんでおり、そこは既に魔理沙にとって死地の間合い。
相変わらず表情筋が凍りついたかのような表情を浮かべている文? が圧縮した風をはらんだ葉団扇を魔理沙に打ちつけようと振りかぶる。
目の前に迫る死に思わず魔理沙は目を瞑りそうになり、されどせめてもの抵抗、とばかりに文? を睨み付ける……が。
「た?」
……口に出来た?
なぜ、攻撃がこない?
なんて考えるのは後だ。相手が空振った今がチャンスなのだ! 鞄を奪って勝利を手に入れろ!
と、生存のために磨き上げた状況認識能力の囁きに従う。
即座に魔理沙は次の未来絵図を描き上げると、間髪入れずにそれを現実のものとすべく行動を開始した。
◆ ◆ ◆
固体かと疑う程までに凝縮された空気弾が魔理沙の脇、虚空を引き裂いて飛んでいく。
――外した?
そんなはずは無い。確実に仕留められる間合いだったはずだ、外れるわけが無い。
外れたのは……魔理沙が避けたからではない。左側面から魔理沙に迫っていたはずの文? はなぜか高度を失って魔理沙の右下方を飛行している。
いずれにせよ再度姿勢を立て直し、相手が虚脱から復帰する前に再度攻撃に移ろうとして……しかし彼女は姿勢を正せずに落下していった。
――なぜ、軌道が変わらない?
彼女が背中に鈍い痛みを感じたのはそう考えた後だった。振り向いて背後を見やると右翼が半ばでへし折られ、そこから真紅の液体が飛び散っている。
その断面はレーザーで焼かれたでもなく、ミサイルで爆砕されたでもなく、まるで超高速の小片に抉られたかのようで……
ふと、文? の眼に、遠方の地上で鈍く光っている二つの鬼火が映った。
闇を見通す鴉天狗の眼で改めてそれを凝視すると、はたしてそれは鬼火などではなく……
そこに在るのは三体の人妖。
はしゃいで万歳するかのように両手を挙げている、赤いドレスを纏った金髪の人形。
頭と足に包帯を巻いた痛々しい姿ながらも、人形の小さな手に己の手を打ち付けて喜びを分かち合っている、首に双眼鏡を下げた人間。
そして最後に、伏臥して己の身長ほどもある長砲身の狙撃銃を二脚と己の両手、右肩で支えている月の兎。
その兎の赤く染まった双眸と、視線が交錯する。
――見て……しまった。
狙撃手が己の位置を知られることは本来ならば圧倒的不利な状況に陥ったことを意味する。
されど狂気の瞳を持つ鈴仙・優曇華院・イナバにとっては話は別。
相手が己に目線を向けてくるその時は鈴仙にとって不利どころか二度目の攻撃のチャンスでしかない。
ついに文? が身体のコントロールを完全に失って空を錐揉みに落下していく。
翼を損傷したためだけではなく、おそらくは文? の翼を撃ち抜いた弾体に塗りこめられていた麻痺毒と、狂気の瞳によって。
落下する文? の脇をレーザーが走り抜け、それと同時に文? の肩にかかっていた重みがふっと消え去った。
肩紐を焼き切られた鞄が落下していくが、文? にはそれを掴むことが出来ない。
いや、手が伸びているかどうかすらもう、分からない。
「……失敗か。うまく……いかないものね……ごめんなさい……」
それ以上を口にすることが出来ないまま、射命丸文の痩躯は隆起する大地によって構成された大蛇にペロリと飲み込まれた。
裏面には陰陽魚太極図、表には『心曲』と記された草紙。それを一瞥して再度鞄に戻した後、魔理沙は目の前に現れたちんまい協力者に視線を移して口を尖らせた。
「諏訪子か。……お前遅いじゃないか、何やってたんだよ? 神様の癖に役に立たないな」
「仕方ないじゃないか、こっちだって天狗との交渉とか下準備があるんだよ。そっちこそ勝手に戦闘を始めるなっつの。死にかけてたじゃん」
とん、と大地から伸びる大蛇の上に降り立った坤神、洩矢諏訪子はぎょろり、と四つの目で大蛇の横に浮遊する魔理沙をにらみつける。
「そいつが勝手に始めたんだよ、私のせいじゃない……で、文は任せても良いわけか?」
問われ、諏訪子は魔理沙が持つ鞄に目をやって小考する。
「魔理沙、その鞄をどうするつもりだった?」
「ん? いや、こういうのに詳しい知り合いがいるからそいつの所に持ち込むつもりだったが……まずいか?」
「勿論。どうやらそっちが本体で、文はその中のヤツに乗っ取られていただけってことみたい。だから人間がそっちを持ってるほうが危ないでしょ? ほら、文と交換だ」
んべぇ、と土塊大蛇が文を吐き出す。魔理沙は慌てて両手を塞いでいた鞄を諏訪子に放り投げ、落下する文をキャッチした。
「そいつと、ベッドを抜け出したうちの馬鹿をとっとと医者に連れてってくれる? 天狗達に一報告終えたら神奈子をそっちに行かせるからさ」
「お前は来ないのか?」
「お山の三柱がそろって留守にするわけにはいかないでしょ?」
「そうだな……おまえこそ乗っ取られるなよ?」
「かなり強い念が有るにゃ有るが……祟り神を乗っ取るにゃあ年季が足りないわね、こいつ」
見下すように諏訪子はケタケタと黒い笑いを浮かべると、大蛇と共にズブズブと大地に埋もれていく。
だよなぁ、と一つ小さく呟いた魔理沙は文を背負うと、いまだ喝采を続けている影の功労者達へ合流するべく箒を向けた。
「やれやれ、たまには颯爽と単独で勝利を飾ってみたいものだがなぁ。……ま、いいか。まだまだこれからだ」
悔しげに一言だけ呟いた後に表情を変え、懐から取り出した手鏡で自分が笑顔を浮かべていることを確認してから。
魔理沙は何事もなかったかのようにそこから飛び去っていく。
その背中に土中からの視線が注がれていたことに気付くことも無きままに。
馬鹿だなぁ、と諏訪子は笑う。戦場から生還出来るのは力のある者だけだ。
それは腕力然り、兵を雇える財力然り、そして知人の協力を得ることが出来る魅力もまた、然りだ。力の無いものには、時に生き延びることは出来ても生き延び続けることは出来ないのだ。
魔理沙はそんな事実に未だ思考が及ばないようであるが、されど他者を拒絶せず依存せず我武者羅に進むその生き方こそが、彼女の魅力であるのだろう。
「いぇーい!!」などと叫びながら早苗やメディスンとハイタッチをしている魔理沙の後姿。
その金髪は、夜半の闇の中でも光を失わず僅かな月光を反射して輝いている。
「箒星の価値ってのはさ。何処に落ちるかじゃなくてどれだけ輝いて飛んでいられるか、だろう? 結果だけに囚われるなよ、馬鹿者が」
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――博麗霊夢と霧雨魔理沙の会話翌日・未明――
「酷い有様だな……まぁ仕方が無いとは思うが」
「いや、そんなこと言わないで魔理沙さんも抗議してくださいよ! ちゃんと反省して謝罪したっていうのに永琳さん酷すぎますよ!」
「隣に怪我人が寝ているのですからお静かに。何なら傷口だけじゃなくてそのお口も塞いでもいいのよ」
「く、唇で……?」
「お望みとあらば」
永遠亭に文と早苗を送り届けた後、一度博麗神社へ移動して霊夢をきちんと布団に横たえ直して戻ってきた魔理沙が目にしたもの。
それは未だ弛緩した表情で眠り続けている射命丸文と、その横でベッドに縛り付けられたまま抗議の声を上げる東風谷早苗。
そしてその早苗を――すさまじい威圧感とは裏腹に――穏やかな表情で見つめている八意永琳の姿だった。
メディスンと鈴仙は係わり合いになることを恐れるかのように病室の端っこのほうでソファーに腰を下ろしていた。
勝利の立役者である二者であるがその表情に喜びは無く、両者共に目で「私たちに話題を振ってくれるな」と魔理沙に語りかけてきている。
「言っておきますがそのフェムトファイバー注連縄は貴女には決してほどくことは出来ません。無駄な努力はお止めなさい」
「なんだ永琳、珍しく怒ってるじゃないか」
「当たり前でしょう。医者にとって最も腹が立つ行いは、せっかく助けた命をドブに捨てようとする行為なのだから」
屹、と睨む。有無を言わせぬその迫力に魔理沙も思わずたじろいだ。
「……早苗、諦めて大人しくしてろ」
「……すみませんでした、永琳さん」
「御免で済んだら医者は要らないのよ」
ま、私は薬師なんだけど、と軽口を叩く一方で怒気を緩めぬ永琳を前にしては魔理沙も早苗も早々に口を噤まざるを得ない。
「友人の身を危ぶむのは結構。ですがそれで自分の命を疎かにしては意味が無いでしょう?」
「ははー、仰るとおりでございます」
「己の死を意識できないものは他者を不幸にする。己が死んだとき、どれ程の者が涙を流すか。真剣に考えたことはあって?」
「うーん、まだ神奈子様と諏訪子様くらいでしょうか?」
「戯け」
「あべしっ!」
早苗の鳩尾に容赦なく拳を捻じ込む永琳に仁王を見た魔理沙は、無意識に一歩あとずさりする。
「ま、まぁあれだ。それはともかく文の容態はどうなんだ? 結構出血してたみたいだが」
早苗や鈴仙達に助けられたが故に若干の後ろめたさがあったのだろう。
魔理沙は早苗から永琳の意識を引き剥がそうとするが、
「たいしたこと無いわ。妖怪の再生力ならあの程度の傷は一週間もせずに塞がるでしょう。問題は神経毒のほうね。メディスン、貴女少しばかり毒を盛りすぎよ」
飛び火した。
「え!? いや、でも、神経毒だし」
「神経毒でも何でも当たり所が悪ければ毒が血流に乗ってあっさりと全身に回ります。下手すれば呼吸困難を引き起こしてそのままさようなら、よ? 以後気をつけるように」
「い、いえすまむ」
蛇に睨まれた蛙のような、いや繰り糸で操られる人形のようなガクガクとした動きでメディスンは永琳に敬礼する。
「で、ウドンゲ。貴女は何で早苗の同行を許可したのかしら?」
「そ、それはですね」
「永琳さんから外出許可をもらったのです!」という早苗の言葉を鵜呑みにしたからではあるのだが、よくよく考えれば死にかけた人間の外出を永琳が許可するはずなど無いのである。
己の被害は最小限に、敵の損害は最大限にが軍人の鉄則。文が敵か分からない以上、文の負傷は最小限に留めなくてはいけない。
己の技量と早苗の奇跡を組み合わせれば移動する鴉天狗の羽を撃ち抜くという神業すら可能である、と言うのが鈴仙の見立てであった。
そして目論見通りに事はこなせたのだが、それを正直に語るのは(永琳からすれば)訓練不足との指摘を催促するようなもの。
進退窮まった鈴仙もまた内心で頭を抱えた。
「ん? 待てよ永琳。お前がここにいるってことは一体誰があの草紙の解析をしているんだ? 神奈子だけか?」
「いいえ、八雲紫にお願いしてあるわ」
自分に難癖が飛んでこないように流れをぶった切るつもりで質問した魔理沙だったが、帰ってきた応答は些か魔理沙の予想の斜め上を行くものだった。
「あれ、お前らそんなに仲良かったっけか?」
「まぁそんなに仲は良くないけれど、非常事態だし仕方が無いでしょう? 二次元と三次元の境界を覗くのは彼女のほうが都合がいいしね」
「……どういう意味だ?」
「あと2,30分もすれば分かるわよ。それより魔理沙。さっきから手の上で弄んでいるそれ、霊夢の陰陽玉よね?」
「ああそうだ! そうだった、地底に宣戦布告するんだった。忘れてたぜ」
魔理沙が博麗神社から持ち出した「それ」とは、以前地底に潜ったときに霊夢が使用していた陰陽玉である。
その一つが今も地霊殿に置かれているため、スイッチ一つで地霊殿につながり、しかも心を読まれない。
おまけに霊力を込めれば相手側にショットも送り込める、実に便利な道具なのである。
「地底のサトリね」
「そうだ。パチュリーが最後に読んでいた本も意識に関するものばっかりだったし、何より文モドキの奴、胸にサードアイを浮べてやがった。半透明だったから本物じゃないとは思うが、性能は本物だったみたいだしな」
「確かに私の風も、まるでどう吹くか分かっているかのように躱されましたね」
ベッドの上から付け加える早苗に永琳は一つ頷いてみせる。
「そして心が読めたから確実に安全、危険を判断して一人一人眠らせて行けた、ってことね」
「その裏をかいたっていう霊夢は一体どうやったんだかなぁ。マジであいつ人間じゃないんじゃないか? ほんと」
文モドキの奴油断しすぎじゃないか? などと若干の悔しさをにじませながら魔理沙は陰陽玉を握り締める。
「霊夢はどうせその場の思いつきで行動したのでしょうね……それはともかく宣戦布告は解析結果が出るまで待ってみたらどう? どうせ地底は袋小路。入り口2つを塞げば逃げ場はないのだから」
「探りを入れるくらいなら問題ないだろ。いい加減待ちの姿勢で踊らされるのは御免なんだよ」
言うが早いか魔理沙は陰陽玉のスイッチを押す。ぐずぐずしていたら霊夢に手柄を全て取られてしまうではないか!
そう返した魔理沙に永琳は軽く肩をすくめて見せたが、それ以上の言及は控えた。
数回のコール音の後、反応があった。
「ああこちら霧雨魔理沙だ。貴様は誰だ? さとりか?」
『私はしゃべる馬のエド。古明地さとり様のペットです』
「よーしいいかエド。急用があるからさとりに代わってくれ。40秒以内にな」
『さとり様は現在霧雨魔理沙様と博麗霊夢様の来訪に対応中です。偽者はさようなら。それでは』
ブチッ、ツーッ、ツーッ、ツーッ……
「ねえ魔理沙、どうだったの?」
「鈴仙、射撃用意!」
メディスンの質問には答えず、魔理沙は額に青筋を浮かべたまま号令を一つ飛ばして射命丸文のベッドへと近づくと、全力で文に向かって箒を振り下ろした。
が、その魔理沙の箒は文に吸い込まれることはなく、ただベッドの上の枕をへこませるのみ。
「あややややや、怪我人に向かってなにするんですか、魔理沙さん」
「狸寝入りご苦労だったな、文。質問があるから正直に答えろ、さもなくば鈴仙が狙い撃つ!」
「こ、答えます、答えますからその物騒なものを抜かないで下さい鈴仙さん! まだ麻痺っててうまく動けないんですから」
「……へぇ、いつも通りなら躱せる、ってことかしら?」
「やべ、台詞間違えた?」
「ちょ、文さん、私を盾にしないでください!」
ぎこちない動きで文は早苗のベッドの陰に隠れ、拳銃嚢に収められたマシンピストルの銃把に手を掛けている鈴仙の視界から逃れようとする。
そんな文の首根っこを掴んで、魔理沙は苛立たしげな視線を叩きつけた。
「お前、パチュリーと一緒に地底に行ったんだろ。大方博麗霊夢と霧雨魔理沙って名乗って」
「う……鋭いですね魔理沙さん」
「私もよく使う手だからな。気付きもするさ」
「「「…………」」」
メディスン、鈴仙、早苗が何か言いたげに魔理沙を見つめてくるが、魔理沙にとってそんなものパチュリーのジト目に比べれば涼風同然だ。
「で、どうしてそういう話になった? お前とパチュリーじゃ正直あまり接点が見つからん」
「いやぁ、魔法で姿を隠して妖怪の山に踏み込んできたパチュリーさんを椛の千里眼が見つけましてね。どうするべきか対応を問われまして」
「ああなんだ、お前は興味本位でついてっただけかよ。で、妖怪が地底に潜るわけにはいかないから私達のふりをしたってわけか」
「ご明察。さとりさんがなにやら本を溜め込んでいるって言っていましたので。ネタ位にはなるかなー、と」
飢えてたんですよー、と嘆いてみせる文に皆が呆れた視線を注ぐ一方で、魔理沙は一人怪訝そうに首をひねる。
「ちょっと待て、何でパチュリーがそれを知ってるんだ? 阿求はまだ改版した縁起を公開してないはずだが」
「え? パチュリーさんは魔理沙さんに聞いた、って仰ってましたが?」
「何だと?」
皆の視線が魔理沙に集中する。
――そういえば、前に図書館の扉をぶち破って侵入した時に。
殊更に魔理沙の行動を責め立てるパチュリーの早口を塞ぐために、あいつの興味がありそうなネタを振ったような……なんていうことを今更ながらに思い出したのだ。
「心当たりがあるんですね」
早苗がベッドの上からジットリとした目線で魔理沙をねめつけてくる。
「ちょ、ちょっと待て。私が語ったのはいずれ阿求が本にして公開する内容に過ぎん! だから遅かれ早かれパチュリーは地底に向かったはずだ! 私のせいじゃないぞ!?」
「……ほんとかなぁ」
「本当だって! 改版された幻想郷縁起を見りゃ分かるから!」
「そうね、魔女の興味は尽きること無し。問題が前倒しされただけならば、ここで魔理沙を責めても仕方がないでしょう。で?」
「で? とは?」
魔理沙を庇った、というよりは脱線しかけた話の筋を元に戻したいだけであろう永琳は文へと視線を向けて記者の本領、と呟いた。
「地底の様子。貴女は何を見たの? 地底のサトリとパチュリー・ノーレッジはグルなの? それともどちらかの単独犯?」
核心を突く永琳の問いかけに皆の視線が文へと一極集中する。
されど当の文はそれらの瞳に臆したかのように冷や汗を滲ませると、アハハという乾いた笑いと共に頭をかくのみ。
「それが、お茶をいただいてから書庫に向かったところまでは覚えているのですが……」
「そこから先は何も覚えていないのね?」
「……お恥ずかしながら」
ぽりぽりと頭をかいて苦笑いを続ける文に注がれる皆の目線は氷柱の如く冷たく鋭かった。
「妖怪って長く生きるほど格が上がっていくってわけじゃないんだね。スーさんのほうがよっぽど凄いのかも」
「事件を前に手ぶらで帰る。かつてこれほどまでに情けない新聞記者がいたでしょうか?」
「いつまでもゴシップ追って時事に流されていると記憶も流動的になっちゃうのかな」
「なぁ文、千年生きてる妖怪の癖にあっさりあんな草紙にのっとられてカッコ悪いって評価と、ブン屋の癖に文字の列記に踊らされるなんてカッコ悪いって評価、どっちがいい?」
「ぐ……ぜ、前者で……」
文のブン屋としての誇りに対してちょっと感心したような視線を一つ投じた後、魔理沙は再び己の手の内にある陰陽玉を注視する。
「結局はこいつに頼るしかないか……」
再度スイッチをプッシュすると、やはり数回のコール音の後に反応があった。
「こいしの友人の比那名居天子だ。お前はしゃべる馬のエドか?」
『いえ、私はしゃべる鹿のエトです。比那名居様ですね? ご用件をどうぞ』
「……お前はエドの兄弟か?」
『馬と鹿が兄弟とかホント馬鹿かと。それが用件ですかお馬鹿さん』
「~~っ!!! ……火焔猫燐に用がある。代わってくれ」
『お燐に?……しばしお待ちを』
ミレミレミシレドラ~、と世界的に有名なイ短調を流し始めた陰陽玉を、
「……ぶるぁああああああああ!!!!」
魔理沙は全力で永遠亭の床に叩き付ける。
「ちょ、ちょっと! 何やってるのよ!」
「鹿が! 鹿なんかに!」
「落ち着きなさいよ魔理沙、ほら」
鈴仙が拾い上げた陰陽玉からは『もしもーし? 』という軽い声が聞こえてきている。
呼吸を整えると魔理沙は再度気を取り直して手渡された陰陽玉を頬に当てる。
『えーと、比那名居さん? って確かこの前こいし様と一緒にやってきてさとり様泣かせて帰ったおねーさんでいいのかな?』
「え? (あいつ何やってんだ?) ああすまん、私だ」
『ん? ……その声、盗人のお姉さんか。で、どうしたの?』
あまりに邪気がないそのお燐の問いに、一瞬魔理沙は呆気に取られた。
「どうしたの? って……お前、地底はなんともなってないのか? いや、そもそもさとりはどうしてる?」
『え? ちょっとごめん、あたいさっきまでお空とともに灼熱地獄に篭ってたから話がよく分からないんだけど、さとり様は……あれ? さとり様の行動予定表が一週間近く更新されてないな。最後の予定が……お姉さん達の接待? どういうこと?』
「ああ、それは私達の名を騙った偽者なんだが……嫌な予感がするな。お前ちょっとさとりの書庫を見に行ってくれないか?」
『そこはペット立ち入り禁止なんだけど……察するに非常事態っぽいね。了解』
ニャアと問えばカァと帰ってくる燐の頼もしさに思わず魔理沙は涙をはらりとこぼしそうになる。
「予定が一週間更新されてなくても気にしない馬鹿共とは比較にならんなぁ。お前が地霊殿に居てくれてホントよかったよ」
『あはは、おだてても死体しか出てこないよ? それにしゃべれるだけでも結構優秀なん……って! さとり様!!!!』
がたん、と陰陽玉が地に落ちるような音が聞こえると、とたんに燐の声が遠くなる。
さとり様、しっかりしてください! なんて声を遠くに聞いた魔理沙は苦り切った。もう答えは予想できたが一応とばかりに声を張り上げる。
「おい! 幸いなことにこっちは今病院に居るんだ! 医者に伝えるからそっちの状況を教えろ!」
急に声を荒げた魔理沙に皆の視線が説明しろ、とばかりに集中するが、正直魔理沙はもう口を開くのも億劫だった。
ちょっと待ってろとだけ目で返すと黙したまま燐の応答を待つ。
『さ、さとり様となんか病弱そうなお姉さんがなんか安らかに眠ってて目を覚まさないんだ! どうしよう!』
……ああ、やはりか。
犯人と思われていた二人すら昏睡とは。
どうしようはこっちの台詞だよ、と魔理沙は軽く眩暈を覚え、脱力してドスンと見舞い人用のソファーに沈み込んだ。
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――博麗霊夢と霧雨魔理沙の会話翌日・明け方――
ここは寝殿造に似つかわしくない異彩を放つ密閉式の扉の奥。永遠亭における八意永琳の研究室の一つ。
両壁の天井まで続く、所狭しと並べられた薬品棚に囲まれた部屋に萃まったのは八意永琳、八坂神奈子、八雲紫、そして霧雨魔理沙の四者のみ。
残る者達は部屋の外での待機を命じられていた。
密閉式の扉は内と外を完全に遮断してくれるため、仮に外の者が耳をそばだてていても中の会話は外には聞こえないだろう。
輪を成して座す四者の中心には小卓があり、そこから独特のウバ・フレーバーを放つ紅茶が湯気を立てているものの、それに手をつけるものはいない。
4つ用意されたパイプ椅子に腰掛けた誰もが、狭い研究室で腕を組んで押し黙っている。
「で? 一応は説明をしてくれるんだろう?」
「一応どころか、一から十まで説明してあげるわ。おまけにこれから先の方針も貴女に決めさせてあげる」
口火を切った魔理沙にそう言い放った――冬眠入りし始めたところを無理やり叩き起こされた――八雲紫は普段と変わらぬ態度をとろうとはしているものの、普段の艶然とした笑みを浮かべられずにいる。
若干強張った表情で静かに四者の中央にある小卓に『心曲』と題された草紙を置いて、紫は残る三者の顔を見回した。
「まず、この異変の犯人ですが、既に検挙されています。貴女が射命丸文から回収したこの草紙、これがすべての元凶――の一つです」
「一つ?」
「そう。射命丸文を操っていたのはこの草紙、だからこの草紙がリーダー格で実行犯ではあるのだけどね。総合的なこの異変の犯人は妖怪化した本の群体よ。……ねぇ魔理沙、貴女は本の望みって何だと思う?」
分かりにくければ付喪神を思い浮かべればいいでしょう、と唐突に紫は質問を日傘と共に魔理沙の目の前に突きつけてくる。
付喪神に傘、ときて多々良小傘を思い浮かべた魔理沙は、
「付喪神の望みは使ってもらうことだよな……ならば、『読まれたい』か?」
「大正解。本の望みは読まれること。されど古明地さとりが死蔵していたこれらの書物は誰かの目に留まることもなく、数百年近い年月を地底で悶々と過ごしていた」
それは彼らにとって己の使命を果たせない、耐え難い苦痛だったのでしょうね、と紫は語る。
魔理沙は首肯した。化け傘と化した小傘とて未だに傘としての用途にこだわっている。
では本の役目は? と問うならば、答えは大切に保管されることではなく、記録を情報として読者に伝えること、である。
保管はあくまで情報を劣化させないため。読まれることこそ本の価値。読まれない本に意味などないのだ。
「そして彼らは千載一遇のチャンスをものにしようとした。すなわち、パチュリー・ノーレッジ、射命丸文という来客によって書庫が開かれた瞬間を」
「……動機は理解できたがな、現実的に今何が起きてるんだ? あいつらが延々と夢物語に現を抜かしている状態と……夢物語?」
己が口にした単語に突っ掛かりを覚えた魔理沙は顔をしかめるが、紫はその通り、と魔理沙に軽い称賛の眼差しを送ってくる。
「ここから少し話がややこしくなるわよ? ……そしてその本達は考えた。どうすれば己が読まれる状況を作り出せるのか、と」
神奈子が紫の言を引き継ぐ。
「その答えは『己達以外は娯楽の存在しない世界を創造すればよい』。ま、一種の結界術と言い換えてもいいな。そいつらはそれを夢の中に求めた」
「夢幻世界の構築か」
「そうだ。今回はそれを実行するための役者がそろってしまったんだ。すなわち」
神奈子が三本立てた指の一本を折る。
「パチュリー・ノーレッジ。夢幻世界を設計するための知識と魔法担当。彼女の内にある賢者の石を触媒にすれば結界世界の一つ位は余裕で構築できるだろう」
「賢者の石か……いい笑顔とは程遠いあいつがなぁ」
「何の話だ?」
なんでもない、と語る魔理沙にいぶかしげな視線を向けた後、神奈子はさらにもう一本の指を折る。
「続いて夢幻世界に引き込むための催眠術。これは本達の生みの親である古明地さとりの能力を取り込んだんだろう。故にこの本に目を通したものは夢幻世界に引きずり込まれる。コピペでも然り、だな」
「ああ、『催眠』術か。そういや鈴仙だけじゃなくってあいつも催眠術使えたんだったな」
第三の目から放たれる、すべてを明け透けにするような気色悪い光を思い出した魔理沙は軽く身震いした。
そんな魔理沙をチラリと見やった神奈子は最後に人差し指を折り畳む。
「そして最後、その力を行使して人を夢幻世界に引き釣り込む実行犯。これは誰でもよかったのだろうが、射命丸文とは実に最悪の選択だな。見事に被害が広がった」
「全くだ、新聞で催眠術ってのは性質が悪すぎるぜ」
「以上が概要ね。続いて、本達が構成した夢幻世界と、取り込まれた人間達がどうなっているかを説明しましょう」
再度説明役に戻った紫がパチンと指を鳴らすと、円陣を組んで座す彼女達の中央卓の上に空間の裂け目が現れ、そこから立体映像が飛び出してきた。
そこには二重の外殻を持つ球体が映し出されている。
「まず今回構成された夢幻世界は二重構造になっています。内側の空間が普通に眠らされた者達の意識が閉じ込められる場所。この中で被害者達は延々と古明地さとりが溜め込んだ書物をあたかも実体験であるかのように順々に楽しんでいます」
「本当に見せる、読ませるだけが目的なんだな……」
内側の空間。卵で言えば黄身に相当する部分を指して解説する紫の言葉に魔理沙が呆れとも感心とも付かない表情を返す。
成る程。読んでほしい、という感情それ自体は悪意になりえない。美鈴が気がつかなかったのも頷ける話である。
「ええ、だから八意が判断したように身体的には衰弱死以外の危機は一切無いの。読者を殺しては読ませる相手を集めなおさなければいけませんからね」
「ん? じゃあ、すべての本が読み終えられればみんなは目を覚ますのか?」
「否、この空間はクラインを描いているわ。すなわちエンドレス。永遠に被害者の意識が目覚めることは無い。……言うなればこの世界は本棚そのものなのよ。本が取り出され、読まれ、また収納されるというそのサイクルに明確な終わりは存在しないの。流動的な半熟の黄身よ」
「成る程ね。とすれば外側の世界は内側のループを維持するための世界よね?」
外側の空間。卵で例えるならば白身の部分を指してそう問うたのは永琳だ。
「正解。ここはしっかり固まった白身で、一定条件下の元で終了を迎えます。無限ループを維持するための世界は無限ループにはできませんからね」
「……とりあえず白身をぶっ壊せば黄身も自動的に流れ出して、みんな目を覚ますってことでいいのか?」
「ええ、その通り。ちなみに先ほどの世界が本棚とするならば、この外殻部分の世界は本。古明地さとり、パチュリー・ノーレッジ、途中から乗り込んだ博麗霊夢の意識はこの草紙の配役としてここに閉じ込められています」
「本が本棚を内包してるってのも不思議な話だなぁ……で、その一定条件というのは?」
「本が本として成り立たなくなるか、もしくはストーリーが最後のページまで到達するか、本自体が消滅するか。この三つ」
紫はそう言いながら今度は神奈子とは逆に一本ずつその白魚のような指を立てていく。
「まず一つ目。物理的な本の破壊。現在それは我々の手の内。いとも容易く破壊できるでしょう」
「ああ、こいつがそれなのか……でもどうせ出来ないんだろう?」
「ええ、これを破壊すれば、黄身、白身問わずこの夢幻世界の内にある者達の意識も一緒に破壊されます。最も簡単にして被害の大きい手段。ま、最後の手段と言った所かしら」
「医者としては許容できない手段ね。事態が収束するだけで誰も助からないわけだし」
低く呟いた永琳に神奈子も同意するように頷いた。
「次に二つ目。ストーリーの不成立。現在この草紙のストーリーは1/3程度が消化されています。ここで登場人物を全て消去してしまえば物語は破綻。世界は表紙――即ち白紙に戻らざるをえません。その隙を突くことは容易いでしょう」
「……つまり霊夢達を殺すってことか」
「この場合の被害者は三名で済みます。最初の手段よりは良手ではなくて?」
思わず紫の襟首を絞めかからんと立ち上がった魔理沙の肩を神奈子が掴んだ。悲しみを湛えた表情で小さく首を横に振る。
そう抑えられた魔理沙もまた、紫の心情に思い当たって沈黙した。
紫にとって博麗の巫女を失うのは痛手であるし、なにより紫が霊夢を若干だが特別視しているのを――同属ゆえか――魔理沙も看過していたからだ。
だが、幻想郷の管理者たる紫には選ばなければならないモノもまた存在するのだ。
「最後の一つは……ストーリーの完結よね?」
「そう、物語が最後まで行き着いてしまえば当然のように世界はそこで終わり。すぐさま草紙は裏表紙から表紙に戻ろうとするでしょうが、その前に介入すれば同様に夢幻世界を解体することが出来るでしょう」
「……あまり聞きたくないが聞かなきゃならんな。その最良手をなぜ最後に回した?」
紫の解説が魔理沙の生存本能に引っかかってアラートを響かせているが、それを無視して魔理沙は問いかける。
「この草紙の主要な登場人物は四名。最初は二体の妖怪から始まって、そこに二人の人間が追加されていきます。追加される人間には制限があり、一つは妖怪とある程度渡り合えること、二つに妖怪と友人になれること。三つに人間同士が親しい、もしくは親しくなれること」
「一人は霊夢が既に追加されているから、後一人送り込めばいいってわけだ。成る程、こいつが言っていた意味が理解できた」
――これ以上の干渉は許容できない――
そう語っていた草紙の意図を把握した魔理沙はポンと両手を打ち合わせる。
あと一人誰かが入ってきてしまえば物語は否応無しに進行し、延々と本を読ませ続けるという彼らの望みが潰えてしまう可能性があるということなのだろう。
この草紙とて読まれなかった本の一つである。ならばエンディングに至る筋道が整ってしまえば、自然とストーリーを先に進めようとしてしまうはずだ。
「なら私が行けばすぐに解決だろうが。なにが問題なんだ?」
そう問いかける魔理沙に、一瞬口を詰まらせた後、紫はきわめて事務的な口調で呟いた。
「この草紙のストーリーは、二体の妖怪と一人の人間が互いにすれ違い、道が分かたれていったところでお終い。残る一人の人間はそこにはいない」
「……おい、どういうことだ……」
「人間のうち一人はエンディングを迎えられない。逆に言うならば一人が死んだ状態でなくてはエンディングに辿り着くことができない」
「…………」
沈黙が、場を支配した。
「……その一人の死を以って一人の人間と一体の妖怪が心を閉ざし、残る一体が館に引きこもることでこの物語は終焉を迎えます。そこまで忠実に再現する必要はないでしょうが、エンディングは三名。これだけは明確に描写されていますのでこれを覆すのはほぼ不可能と言ってよいでしょう」
「馬鹿な……そんな馬鹿な話があるか!」
そう、それはつまり、これからストーリーを完結させるために介入する人間は「己が死ぬ」か、「霊夢を見殺しにする」かのどちらかを選ばなければならないということだ。
「事実です。これを拒否するならば残る二つの選択肢を採らざるを得ません」
しかし、どちらの選択肢にも「霊夢の生存」が存在しない。
ならば魔理沙と霊夢が同時に生存するためには、魔理沙は第三者を送り込んで、そいつが死に至るよう願うことしか出来ないということになる。
だが、そんな下衆な真似が魔理沙に出来るはずも無い。
「……ふざけんな。そんな救いのない話を書いたのは何処のどいつだ!」
「著者名が記されていませんので、これはおそらく古明地さとりの手記でしょう。この内容に当たる事例には私も心当たりがあります」
「ああそうかい!」
「登場人物が死ぬ本なんていくらでもある。気持ちは分かるが落ち着け魔理沙。冷静な思考と知識こそが魔法使いの武器ではないか」
「……最後にモノを言うのはパワーだよ」
たしなめる神奈子にそう小さく反論すると、魔理沙は腕を組んで押し黙った。
「一人が死んだ直後にストーリーが終わっていれば、蓬莱人を使うことも出来たのでしょうがね……」
呟く紫の声が、虚しく部屋に響く。
「……言わないのか? いや、言えよ」
一分ほど沈黙を守った後に、魔理沙はそう紫に向けてボソリと呟いた。
その言葉だけで魔理沙の意図を理解した紫だが、されどあえて魔理沙に問い返す。
「何を?」
「貴女一人が死ぬのが一番被害が少ないし、貴女が死ねばみんな助かる。お願いだから皆のために死んで頂戴、ってさ。そのために私一人をここに呼んだんだろうが!!」
そう、霧雨魔理沙は殺してはいけない人間ではない。幻想郷の維持に必要不可欠な博麗の巫女に比べれば幻想郷内での魔理沙の重要性など比較にすらならない。
残る人間のうち、お山の三柱である早苗の命、ないしは新たな勢力を築きつつある仙人達の命よりフリーランスである魔理沙の命が消えることのほうが幻想郷のパワーバランスに影響を及ぼさない。
送り込める人間が限定されているこの状況で、どの命を消費するのが得策かを冷静に考えれば、辿り着く答えはたった一つしかないだろう。
そう叫んだ魔理沙を目にして、一瞬だけ紫はその表情を悲しみに曇らせる。
「……言えるわけないでしょう。貴女もまた、この幻想郷に暮らす命の一つなのだから。言えるわけがない」
八雲紫ほど幻想郷を愛している存在はいない。幻想郷の存続を脅かす存在を除けば、幻想郷に暮らす全ての命が紫にとって守るべき存在。
しかしその一方で、どうすれば死者の数を減らせるかを冷静に考えることもまた、幻想郷の管理人たる紫の責務である。
これまでに幾度となく紫は馬謖を切り捨ててきた。必要とあらば、咎のない者すら。
だがどれだけ涙したところで切り捨てられる側が切り捨てる側を許すことはない。
――されど、どれだけの罪を重ねても。
八雲紫には守るべきものがある。
「私が貴女をここに残したのは、貴女が霊夢の命を他人の意思決定に委ねたくはないだろうと思ったからよ。さあ霧雨魔理沙、三つの選択肢と、選択権の放棄。どれでも好きなものを選びなさい」
本心と虚心と、そして謝罪と決意を胸にそう八雲紫は言い放つ。
その言の卑怯さを、言い放った本人を含めた四者全てが理解している。
されど、霧雨魔理沙は苦悩する。
紫が何を思っているか。胡散臭い厚化粧を一瞬だけ落とした紫の思考に考えが及ばない魔理沙ではない。
紫が何を考えているか。魔理沙の状況認識力はそれをほぼ正確に把握している。
紫を苛む願望と現実のギャップを理解してしまえるから、それゆえに魔理沙もまた苦悩する。
この幻想郷は多少の小競り合いはあったとしても、暖かであるはずだった。
ちょっと出歩けば飲み友達が見つかって、馬鹿みたいに騒いで、夢を追って生きることが出来て。
でもそんな世界がひとりでに生み出されているわけではない。平和な世界の裏には、それを維持する者達がいるはずであって。
泣いて馬謖を斬る、という言葉を魔理沙は好きにはなれなかった。
切り捨てる側が何を偉そうに泣いていやがるんだ、ただの偽善じゃないかと。そう思っていた。
だが世の中の大半は、馬謖が斬られたおかげで平等な幸せが謳歌できるのだ。本人達は一切辛い思いをすること無しに。
……ならばやはり、斬った者には泣く権利があるのではないだろうか。
斬られた者から恨まれて、端に位置する者達から白眼視されて、泣くことすら出来ないとしたらその者のなんと苦しいことか。
◆ ◆ ◆
「行ってやる。私が行ってやるさ」
数分間の無言の後、霧雨魔理沙はきっぱりとそう言い放った。
「……良いのか?」
まるで早苗の代わりに魔理沙を生贄に捧げたかのようだ、と。後ろめたさと、しかし確実に僅かな安堵を抱いた八坂神奈子はそう問いかける。
そんな神奈子に魔理沙はニッと小馬鹿にするような笑みを返した。
「何だその面は。そんな自己犠牲的精神の虜になった人間を哀れむような目線はやめてもらおうか。私は死なないよ、必ず生きて帰ってくる」
「だけど……」
「おっと、つまらないご講評なら止めてもらおうか。一人は必ず死ななければならない? そんなふざけた筋書きを私が受けいれるわけ無いだろう!?」
椅子を蹴っ飛ばして立ち上がる。
「私はこれまでどんな不利な状況だって切り返して来た。今回だってそうだ。死ななければならない? そんなものは引き篭もりの弱虫が書いた戯言だ。そんな三流脚本に流されてたまるか!! つまらない筋書きなんてのはこの霧雨魔理沙作家大先生が修正してやる!」
「なにか名案があるのか?」
「まだ無い! だが、物語の配役に霊夢達があてがわれているなら、どうやったってストーリーは完全な再現にはなりっこないはずだ! だったら中に入って、付け入る隙だってあるだろうさ。それだけだ!」
何の根拠も無しに、そう魔理沙は宣言する。そう、それはただの負けず嫌いの意地っ張りだ。されどその場にいる誰もがその虚勢を嘲笑しえない。
何の取柄も無く一般家庭に生まれ、されどさりげなく天才博麗霊夢の横に常に位置する。
何の異能も持たない身でそこにあることがどれだけ困難であるか、どれだけの修練を重ねればそれが可能であるのか、誰もが把握しているがゆえに。
霧雨魔理沙とは、血と汗を漆喰に努力という足場を積み重ねて無重力の《人》《世界》を目指す魔法使いであるのだと、その場の誰もが理解しているのだから。
「……いいのね」
「ああ」
「では、最後の忠告。魔理沙、こういった世界の構築にはある一定のルールがある。一度定めたならば製作者ですら覆せないルールがね。裏をつくのならば、それをまず探しなさい」
「ルールか……」
「そしてこれが私からの餞別……持てるだけ持っていきなさい。身につけておけば、夢幻世界にもこれらを持ち込めます」
そう紫が語った直後に空間が引き裂かれ、断裂からさまざまな道具が雨あられと降り注いでさほど広くない研究室の床を埋め尽くした。
「楼観剣に白楼剣、死神の鎌に、火鼠の皮衣と、……おいおい、映姫の手鏡まであるじゃないか!? 大丈夫なのか? これ」
「非常事態ですもの。彼女達には魔理沙が盗んだって言っておくから大丈夫」
「ぜんぜん大丈夫じゃねえよ!」
吠える魔理沙に紫は儚げな笑みを返す。
「冗談よ。全責任は私が取ります。……この物語の敵は覆しようがない理不尽。故に対抗する術があるのかは分からないけど、装備は有るだけ有った方が良いはず。どうせ夢の中で現実の道具が失われることは無いのだから、後で返しておけば問題ないでしょう」
「……そうするか。にしても私の不思議な帽子の容量にも限りがあるからなぁ。とりあえず攻防補助バランスよく持っていくか」
数分ほど取捨選択を繰り返し、あらかた装備を選び終えた魔理沙の肩が叩かれる。
振り向いた魔理沙の手に滑り込んできたのは、丸薬が詰まった茶色い薬瓶だ。
「これは?」
「禁薬『胡蝶夢丸ユートピア』よ。言うなれば強力な明晰夢を誘発する薬です。貴女になら渡しても大丈夫でしょう」
「へぇ、いいもんじゃないか。でもなんで禁薬なんだ? 悪夢に悩まされずに済むようになるんだろう?」
「それは夢を自分にとって都合がいいように書き換える薬よ? 夢の中では常に楽園を手に入れられる、なんて薬を精神的弱者が手にしたらどうなると思う?」
「……永遠に夢の世界に引き篭もり、か。確かに禁薬だ」
魔理沙には理解できない思考だが、優しくない現実から逃避して眠り続けることを選択する者も確かに居るだろう。
社会の崩壊を招きかねないこの薬は、まさしく存在することが許されない禁忌である。
「ただ、貴女では早苗や霊夢程にはその薬の効果を十分に引き出せないでしょうね」
「またそうやってお前は私をいじめるわけか。で、なんでだ?」
「その薬はね、思考が非常識であればあるほど力を発揮できるのよ。貴女や咲夜の思考はとても冷静で、現実的で、地に足が着いている。そんな貴女は恐らく夢の中ですら、突拍子も無い出来事が突如として何の原因もなしに起こりえるはずが無い、と考えてしまう」
「ああ、成る程な……」
正確に物事を捉え、その裏を一つ一つ追求して解体していくその思考は弱者たる魔理沙が生き延びるために身につけた技術であり、長所である。
だがその長所が今回ばかりは足を引っ張ってしまうということか。
「裏や証拠なんて必要ないの。出来る、やれるという盲信によって力を発揮するこの薬は貴女には不向き。加えて今回は夢のストーリーが概ね定まってしまっているから効果があるかも分からない。それでも気休めにはなるでしょう?」
「そうだな。いただいておくぜ」
魔理沙は薬瓶の蓋を開くと丸薬を一つ摘み出して口に放り込み、ごくりと嚥下して瓶を永琳へと返す。
「ああ、せっかくだから神奈子。お前もなんかよこせ」
「えっ? いや、いきなりそう言われても」
神様が与えられるのはご利益だけ。軍神としての側面も持つ神奈子は勝利の加護をもたらすことが出来るとはいえ、夢の中の戦にまでそれが適用されるかどうかははなはだ怪しい。
神奈子は諏訪子と異なり実体のある神。故に神様でありながらも現実的というか、天候操作のような物理的な御利益のほうが得意なのである。
魔理沙、永琳、紫に「使えねぇなぁこいつ」という目線を向けられた神奈子は一人狼狽して慌てふためいた。
「うぐぐ、……ああ! じゃ、これ。守矢神社謹製のお御籤を進呈しよう。霊験あらたかであるぞ!」
あわてて服をまさぐった神奈子が取り出したのは折りたたまれた小さな紙片である。
おみくじ、と書かれたそれを目にした魔理沙は思わず吹き出してしまう。
「いきなり運任せかよ! ま、破天荒な守矢神社らしいっちゃらしいがな。で、これ開いて大凶が出たらどうなるんだ?」
「それは聞かないほうがいいだろうな」
「……」
だがおみくじなんぞに頼らなきゃいけないような状況であるならばそれ以上の悪化もあるまい。
そう無理矢理納得するようにかぶりを振った魔理沙はそれを袖の裏にしまい込んだ。
さぁこれで準備は完了だ。深呼吸をすると室内に漂っていたウバ・フレーバーが魔理沙の鼻腔をくすぐった。
そういえば紅茶を淹れていたんだったな、と思い出した魔理沙は椅子に戻ると、懐からブランデーを取り出して茶匙一杯程を紅茶へと落とす。
横から手を伸ばして魔理沙の酒瓶を奪い取った紫はそれを己のカップにどばどばと、さらに紫から瓶を奪った永琳は二、三滴ほど、神奈子も同様に二、三滴を。
最後に紫がパチンと指を鳴らすと、なぜか冷めたはずの紅茶から僅かに湯気とブランデーの香気が立ち込めてくる。
神奈子が、永琳が、紫が、魔理沙が、順にカップを手に取った。
「それじゃ編集部諸君、前祝いといこうか」
「霧雨魔理沙先生監修によるハートフルストーリーの出版を祝して乾杯ね」
「そうね。目に余るような酷いストーリーは編集部で書き換えなければ。……先生、お願いできるかしら?」
「ああ、まかしとけ。どんな展開がお好みだ?」
「「「エロスで」」」
「OK」
八割の強がりと、二割の不屈の精神でもって凡庸なる魔女はニヤリと笑い、残る三者も若干硬い笑顔でそれに答える。
決意を胸に魔理沙はカチンとカップを三人のそれと合わせると、
温めの中身を不安と共に一気に飲み下した。
魔理沙が飲む、ウバの紅茶は渋い。
後編へ続く
社務所を照らす行灯のともし火を頼りに、霊夢は馴れた手つきで卓上に広げた札や針を確認しては、袖や懐に備えていく。
「ああ、まかしとけ。もっとも永琳はお前のほうが適役って言っていたから問題ないとは思うが」
揺れるともし火に暖かみよりも不吉を覚えてしまうのは、やはり己の内心が不安に揺れているからか。
気のせいか出された宇治茶までも渋く感じる。
お茶請けが無いのだから、渋く淹れられているはずなんてないだろうに。
「最適だろうと上手く行くとは限らないわ。人間死ぬ時は死ぬもの。ま、今回はすぐに死んだりはしないでしょうが」
淡々と語る友人の言葉を耳にして、霧雨魔理沙は思わず身震いする。博麗霊夢の死は、実のところ彼女にとって己の死と同等、いやそれ以上に重い。
ちゃぶ台を挟んで己の顔を正視している魔理沙の視線に気がついたのだろう。
霊夢もまた装備を中断して視線を相手に向けると、少し呆れたように微笑んだ。
「ちょっと、囮になるのはこっちなんだからあんたが緊張する必要ないでしょうが」
「……うるさいな、ちょっと冷えただけだよ」
苦笑する霊夢に対し魔理沙は誤魔化しを口にするが、不機嫌そうな表情を隠しきれていない。
本人もそれは自覚しているし、そしてそれはある意味故意にでもある。
だがその言葉とは裏腹な表情による訴えを理解しているはずなのに、霊夢は「確かにね」なんて魔理沙の言葉のほうに同意する。
「最近冷えてきたし、失敗したら風邪引いちゃうかも。その時はお布団掛けといてよね」
「最初から布団にもぐったまま実行しろ」
「あーそれが出来れば理想ね」
口を開けばすぐに軽口。でも、それでいいと魔理沙は思う。
今日は日常、明日も日常だ。いつもと変わらぬ悪態をついてこそだろう。
特別な会話をしたら今日という日が非日常になってしまうかも、なんて恐怖するのは魔法使いとしてどうかとは思うのだが。
「じゃあ私は一旦引きあげるが……本当にお前一人で大丈夫なのか? やっぱり私も残ったほうが……」
「あんたにはあんたの役割があるでしょ? それに万が一あんたの気配が気取られたら囮になんないじゃない」
緊張感の欠片もなしに霊夢は溜息をつく。
どこまでも日常の延長といったその表情に今度は魔理沙が呆れて苦笑する番だ。
――まったくこいつは、なんでこんな風に落ち着いていられるんだか。
既にどの勢力も各々警告体勢に移行しているし、正体不明の敵側としても巫女は始末しておきたいだろうから敵は必ずここに来るはず。
だが、果たしてのるかそるか。
最初は魔理沙とて、自分が囮になり霊夢がバックアップするという逆の立場を提案してみたのだ。
だが異変解決は巫女の仕事である、と妙にやる気を出している霊夢を説き伏せることが、とうとう魔理沙にはできなかったのである。
いささかぐうたら巫女などと揶揄しすぎたのかもしれないな、との後悔も後の祭。
二人が同時に囮になっては意味がない以上、結局のところ魔理沙はこの場から引き下がらざるをえない。
数瞬、思いをめぐらせた後に魔理沙はかぶりをふって立ち上がる。
そのまま重い足取りで幼馴染へと背を向けて社務所の縁側へと向かうと靴を履き、雨戸に立掛けてあった箒を手に取って、
「Good Luck」
一言呟き箒に跨がり、後ろ髪を引かれるような思いを抱いたまま神社を後にする。
この選択が吉と出るか凶と出るか、今の魔理沙には分からなかった。
先生、お願いできるかしら? ~~Nec possum tecum vivere, nec sine te.~~
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――博麗霊夢と霧雨魔理沙の会話から一週間ほど前――
「あー、掃いても掃いても落ち葉がやってくるわー」
強風でほどけかけたマフラーを適当に巻きなおした博麗霊夢は恨めしげに境内を見回した後、天を仰いで文句とも諦観ともつかぬ言を空に投げかける。
霜月も残りあと僅か。赤と黄に染まった美しい紅葉の季節も既に終わりを告げて、今やそれらは落ち葉となるのみ。
そしてその落ち葉ときたら、霜月の颪に攫われて霊夢が一ヵ所に掃き集める傍から散っていってしまうのである。
憤懣やる方なしといった表情の霊夢は一旦午後の掃除を中断して本殿の小階段に腰を下ろす。
と、社務所からぼろーん、ぼろーんとボンボン時計の間延びする歌声が響いてきた。
午後二時。一日において最もまどろめる時刻だ。ならば労働を放棄することは巫女にとって義務ですらあろう。
そんな心の声に従いつつ落ち葉舞い散る境内を眺めていると、魔理沙や早苗が霊夢には少しばかり羨ましく思えてくるのだ。
なにせ霊夢自身が使える術の大半は妖怪相手に特化しており、日常における汎用性の低さは目を覆うばかり。
全てを焼き尽くす高熱の魔法や風を操れる秘術が妬ましい、嗚呼妬ましい。
「嫌になっちゃうわね、ほんと」
「確かにこの落ち葉との格闘は幾度も苦難と苦労を繰り返すシジフォスのようね」
唐突に霊夢の独り言へと返答が帰ってくるが、心臓が毛だらけの巫女は眉一つ動かさない。
さらりと訪問者に歓迎でも非難でもない表情を向ける。
「一人とは珍しいわね」
霊夢の横に佇むは、飛来するでもなく鳥居をくぐって歩むでもなく、ただ忽然とその場に現れたパーフェクトメイド。
十六夜咲夜はスカートの端を掴むと優雅に神社の主へと会釈する。
「ちょっとね。お嬢様が珍しく私の世話はいいって仰るから空いた時間の暇つぶしに来たんだけど……困ったわね」
「何が?」
そう問いかける霊夢に咲夜は無言で手提げ袋を手渡した。
中を覗いてみれば、幾許かの木炭と濡れた新聞紙に包まれた芋と思われる塊が数点。
「貴女は掃除だけは欠かさないし、落ち葉くらい集まっていると思ったのだけど……」
当てが外れた、とでも言うかのように咲夜が肩を竦めた。
せっかく差し入れられたおやつのお預けをくらった霊夢もまた、やはり同様に肩を竦めてみせる。
「この風じゃどうしようもないわ」
「いっそのこと神社を結界で覆ってしまえばいいんじゃない?」
「ああ! その手があったか。頭いいわね咲夜」
名案とばかりに霊夢はポンと手を叩くと、箒を放り投げて立ち上がり石畳の中ほど、神社の中心へと移動する。
なにやら咲夜にはよく分からない祝詞のようなものを霊夢が二言三言唱えた瞬間、吹き荒ぶ風が途端にその勢いを失って微風と成り変わった。
「……冗談だったんだけど、よくやるわね」
芋を焼くために神社を結界で封印したその浅ましさに対してか、それともそんな結界を数秒で展開してのけた実力に対してか。咲夜はほぅ、と息を吐いた。
御丁寧にも結界に僅かばかりの隙間を空けてあるようで、若干ではあるが空気も循環している。これならば一酸化炭素中毒になることもあるまい。
「井戸から水汲み上げるのと落ち葉集め、どっちがいい?」
「……落ち葉集めね」
客人に労働を要請する霊夢に苦笑しつつも、咲夜は霊夢のマフラーを濡れないように短めに巻きなおしてやり、然る後に放り投げられていた箒へと歩み寄る。
この身勝手な巫女に文句を言っても意味がないし、なにより咲夜自身、人が働いているのを見ながら休憩することなど出来ない性分なのだ。
それに博麗神社境内は霊夢の存在によってスペルカード以外の決闘が実質禁じられているため、咲夜にとっては自室と美鈴の部屋に次いでくつろげる居場所なのである。
そう、安全、安心といったものの有り難味を恐らく人間組の中では妹紅と一、二を争うであろう程によく知っている十六夜咲夜にとっては。
そんな第三の己の部屋とも言える場所であるならば、少しでも居心地を良くしておくに越したことはない。
安全云々はともかく、居心地に関しては恐らく神社をまめに訪れる者達の大半が咲夜と同様に感じているのだろう。
だから博麗神社はいつもそれなりに小奇麗で、そして霊夢が貧窮することはほとんど無い。
「とはいえ、ワーカホリックかしら……」
咲夜の人となりを知る者なら十中八九、「当たり前だ馬鹿」と答えるであろう呟き一つを残した後に、咲夜は意識をマナーモードからメイドモードに切り替える。
箒を拾い上げた咲夜はハウスキーパーの目で周囲を見回すと、境内中に散らばった落ち葉の掃討作戦を開始し、次第にそれに没頭していった。
◆ ◆ ◆
「そろそろいいかしらね」
「ん、ならお茶淹れてくるわ。お湯ももう沸いてるし」
参道の脇に拵えられた、もくもくと煙を上げる落ち葉焚き。
それをちまちまと突付いて芋の焼け具合を確認していた咲夜の呟きに応じて、霊夢がお茶を用意するために社務所の中へと消えていく。
その間に咲夜は持参した軍手をはめると棒で芋を一つ掻き出して手に取り、周囲の濡れ新聞紙が焼け落ちたそれを二つに割ってみる。
二つに欠いた薩摩芋の断面は黄金色に艶を帯びており、同時に暖かい湯気と芋の甘い香りが周囲に漂い始めた。
落ち葉焚きとはいえ木炭も投入しているし、芋を投入してから一時間以上が経過している。十分時間をかけた加熱のおかげで火の通りも問題はないようだ。
「ちょっと咲夜、抜け駆けはよくないわ」
振り向くとお盆に急須と三つの湯飲み、そして河童印の魔法瓶を載せた霊夢が非難するような表情で歩み寄ってくる。
「抜け駆けするつもりはないわよ、はい半分」
博麗神社本殿の縁上にお盆を置いた後、落ち葉焚きへと近づいてきた霊夢に咲夜は割った芋の半分を手渡した。
そのままあちちっ、とお手玉する霊夢に微笑みを向け、さてお茶でもとお盆に視線を移した咲夜は首をかしげる。
「……三つ?」
「ん、まあ勘が叫んでるのよね……って、やっぱり来たか」
そう口にした霊夢はあらぬ方向に視線を向ける。
追って咲夜も目線を動かすと、その先では箒に跨る黒影ひとつが、
「よう霊夢! 遊びに来たぶべっ!」
不可視の結界に激突して墜落した。
「あらーごめん魔理沙、今結界を展開中だったの忘れてたわー」
「てめぇ、絶対覚えてたよな……」
「ふん、いつも凄い勢いで埃と落ち葉を撒き散らすんだもの、いい気味よ。とりあえず鳥居にまわりなさい。そっからなら徒歩で入れるから」
落下した先の鎮守の森にて呪詛やら文句やらを口にしていた魔理沙だったが、一人結界の外でがなっていても仕方ないと考えたのだろう。
結局言われるがままに森を抜け、鳥居をくぐって二人の傍へとやってくる。
「あー、で、何で結界なんか張ってたんだ? 新手の弾幕使いの登場か?」
「芋焼くのに風が邪魔だったからよ」
「それだけかよ!? まぁ、実にお前らしいとも言えるが……咲夜もグルになって酷いじゃないか。教えてくれたっていいだろう?」
「先日紅魔館大図書館の入り口をぶち破ってくれたのは何処のどなただったかしら? パチュリー様の怒りは舌先三寸で上手くそらしたようだけど、私はそうはいかなくてよ?」
「……世の中には酷い奴がいるもんだなぁ」
おどけたようにそう語った魔理沙は、さもそれが当然とばかりに用意されていた煎茶を一口啜る。
さらに「霊夢、ちょっと渋いぜ」なんて言いつつ咲夜の手からひょいと芋を奪ってかじりつく彼女の職業はシーフである。
まあ、そんなのは今更なので咲夜は軽く苦笑しただけで特に気にした風もなく、落ち葉の下から新たな芋をつつき出した。
もっとも咲夜は猫舌なので、またしても引っ張り出した芋を冷ます所から始めなければならないのだが。
「で、一人とは珍しいな。どうしたんだ?」
「お嬢様に暇を出されちゃってね。……と言っても、あくまで日常業務からお嬢様のお世話が抜けただけで、メイド業務は普通に残ってるんだけど」
「それらは時間停止中に全て済ませられるから実質フリーってわけか。成る程」
咲夜にとって時間停止中にこなせない業務なんて他人への対応だけだ。
だからレミリアの世話を解除された現状では、住人達に対する三食の時間以外は全てオフタイム。
ふーん、と霊夢は首肯し、然る後に首をかしげる。
「にしてもレミリアは一体どうしたの?」
「それが私にも分からないの。ただ数日間私の世話は不要だ、って仰られただけで」
「あいつといい神子といい、一歩先が読める連中はどうにも言葉少なで困るよなぁ」
「ホントよね。ま、レミリアの場合はわざと語らないで右往左往する連中を見て楽しんでるってのもあるんでしょうが」
「お嬢様は悪魔ですので」
咲夜としてもそれに振り回されてはいるものの、主を非難されてはさすがに反論をせざるを得ない。
だからそんな反論にもならない反論を一応してはみるのだが、
「で、レミリアは一体何をたくらんでいるのかしら?」
やはり霊夢は未だ咲夜に疑念に満ちた目線を向けたまま。
「お嬢様信用無いわね」
「だってあいつ思考が脊髄反射なんだもん、信用できるわけないでしょ? あんたちゃんと手綱握っといてよ」
一つ目の芋を食べ終えた霊夢がお茶を啜りながら、ん、と手を伸ばしてくる。
その手に二つ目の焼き芋を手渡すと、咲夜は若干の思案顔を浮かべた。
「私が感じた所では、どちらかと言うとお嬢様は受身のようだったわ」
「受身、ねぇ」
「ええ、何かが来るのを待っている、そんな感じ」
「じゃあレミリアの方からなんかおっ始めるってつもりじゃないのか」
珍しいな、と霊夢の横、向拝下の小階段に腰を下ろした魔理沙もまた首をひねる。
並んで芋をかじっている姿はまるで小動物のようで可愛らしい――なんてこの爆弾娘二人を評せる人間は、彼女達を手玉に取れる咲夜ぐらいのものだろう。
クスリ、と笑って、
「ええ、だからあまり注意する必要はないと思うわよ? ぽつりと「漫画を読んでいるよりは楽しめそうだ」って呟いていたのを耳にしたし」
「漫画よりまし、じゃ暇つぶしにしかならないか」
多分ね、と咲夜は魔理沙達の疑念を切り捨てた。
咲夜とて人の子である。敬愛する主にあらぬ疑念が降りかかるのは避けたいし、
――主が好かれたいと思っているかはともかくとして――やはり友人達にあまり主を嫌って欲しくもない。
「そ、ならいいわ。そんなことよりなんかアイディアを頂戴。最近守矢や命蓮寺だけじゃなくて神子の奴まで怪しい商売に手を出し始めたせいで私の立場が危ういのよ。……全く、何がみこえもんよ!馬鹿じゃないの!」
「みこえもん? あの四猿ちゃんの名前か何か?」
あまりにも豊聡耳神子の纏う雰囲気にそぐわない単語に思わず咲夜は面食らった。
それを目にして、ああ、と阿求の屋敷で草稿を摘まみ食いしている魔理沙と霊夢は顔を見合わせて含み笑い。
「そっか。まだ阿求は改版した縁起を発行してないんだったな。発行されたら見てみ? 笑えるから。ま、それはそうと霊夢の立場なんてお賽銭0の時点でとうの昔から危ういだろ」
「ええ。彼女達は新聞も大いに利用しているし、向こうの広告勝ちよね。昔みたいに神社が一つ、とはいかなくなったのだから貴女ももうちょっと営業手段を考えたほうがいいんじゃないかしら?」
「営業……ああもう、馬鹿仙人の言うことなんか聞いたせいで私だけ一人負けじゃない! 仙人ってホント人の役に立たない連中ね!」
「お前の場合、単純にものぐさなだけじゃないのか? そもそもからしてろくに異変解決にも乗り出さないし……」
交わされる三人の会話は取り留めのない内容のものばかり。
しかしそれは時間を操りながらも従者という職に就いているが故、時間に縛られざるを得ない咲夜にとっては貴重なひと時である。
そんななんでもない時間をこそ、咲夜は二番目に至福な時間として楽しんでいるのだった。一番目は……言うまでもない。
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――博麗霊夢と霧雨魔理沙の会話から3日ほど前――
「よう香霖、腐ってるか?」
ガランガランカラン、と入り口に備え付けられたベルがけたたましい音をたてる。
此処は魔法の森の外れに位置する閑古鳥の巣。
商売人ならぬ店主が商品でない物を客でない者に奪われるために趣味で陳列しているという奇妙な建築物だ。
不機嫌そうな表情を浮かべ、蹴破らんばかりに勢いよく扉を開いた魔理沙は勝手知ったる己の庭の如くその趣味空間に踏み込んでいく。
だが、いつもの仏頂面や不機嫌そうな声はいつまで経っても魔理沙に投げかけられてこない。
「さて、不在なら入り口に札が掛かっているはずだが……なんだ、居るんじゃないか」
きょろきょろと周囲に視線を巡らせた魔理沙の目に飛び込んできたのは、うずたかく荷物が積み重ねられたカウンター。
そしてそれらの荷に埋もれるようにカウンターに突っ伏して、静かな寝息を立てている森近霖之助の頭頂部だ。
ふと、時計に目をやると時刻は23時に差し掛かったばかり。
霖之助は半人半妖だからその気になれば夜行性での生活も出来る。
だが人里で修行していた過去のせいか? はたまたこのように時折彼の元を訪れる目を離せない妹分の相手をするためか? 基本的には昼に活動して夜は睡眠をとる、という生活リズムを維持していた。
だから寝ててもおかしくないとは言え、「まだ」 23時だ。良い子でもないのに寝るのが早すぎだろ? と魔理沙は目の前の旋毛に呪いをかける。禿げてしまえ。
「にしても、幸せそうな寝顔をしてやがるなぁこいつ」
カウンターの内側に回って、霖之助の顔を覗き込んだ魔理沙はふっと小さく溜息をついた。
両手を重ねて枕とすることすらせず、頭を直接卓に落として眠る霖之助の横顔は、まるで宝物を見つけた少年の様相。
それは魔理沙が屑鉄と引き換えに商品を要求するようになってからは久しく見ることのなかった顔だ。
「だがまぁ、幸せな夢もいつかは覚める。起きろ香霖。こんなところで寝ているといくら馬鹿なお前でも風邪引くぜ?」
ぐりぐりと青年の頬を突付いてはみるが、霖之助を捕らえる睡魔の力は駆け出し魔女のチャームが及ぶ所ではないようだ。
ネバーランドに旅立った青年の意識を取り戻すにはいささか魅力が足らんのだ、という事実を否応無しに突きつけられた魔理沙は、
――ぶん殴るか。
若干の嫉妬から、そんなことを考えてもみる。
だが結局の所、霧雨魔理沙には現在唯一の家族と言ってもいい青年に対してそのような手段を取ることはできないのであった。
だから彼女は住居区へと続く扉を開くと遠慮なく奥まで踏み入って押入れを開き、半纏を引っ張り出す。
そしてそれを抱え上げて青年の元へと戻ると、そっと青年の肩へと被せるのである。
「腰痛になっても知らないぜ。腰が使いものにならなくなってもお前の責任だ。じゃあな、香霖」
相手が寝ているのをいいことに小さく一つ投げキッス。
霧雨魔理沙は――その人となりを知る者が見たら驚くのであろうが――ベルが鳴らないように配慮してそっと扉を開く。
同じようにベルが鳴らないように静かに扉を閉めるとそのまま冬の夜空へと飛び去っていった。
後には幸せそうに惰眠をむさぼる半人半妖が残るばかりである。
◆ ◆ ◆
「しかしまぁ、当てが外れたな」
満天の星空を、黒い魔女が切り裂く――と言うには程遠い速度で――浮遊していく。
彼女は気分転換をしたかったのである。昼間の大半を魔法の研究に費やした挙句、手元に残ったのはやっぱりくたびれだけ。
いつものこととてそれを繰り返し続けて、もはや半年程にも及ぶ。ここまで長い間「魔法らしきもの」すら作り上げられなかったことはこれまで一度もなかったのだ。
一度己の無力さに歯噛みしてしまうともう駄目だ。そのまま気持ちを切り替えて再度、ノートと触媒を片手に研究室へ戻ることなどほとんど不可能である。
そう、煮詰まったときに一人でいたって何もいいことはない。
魔理沙はそれをよく知っているから、こんな夜半になっても活動していて、かつ彼女をさほど邪険に扱うことのない数少ない知人の元を尋ねたというのに。
霊夢や早苗は……いい子だから寝ているだろう。白玉楼は些か遠い。咲夜は起きているだろうが紅魔館への来訪は戦闘が前提。
心がささくれ立っている時の戦闘は、それが前面に出てしまうことが多々あるものだ。
ましてやスペルカードは己の魂の体現。心に闇を抱えた状態の時には心置ける相手と弾りあいたくない。弱いところを見せたくない。
だからもしスペルカードで暴れるなら、そんなことを意にも留める必要がない馬鹿な妖怪の相手がいい。
「あ、食べてもいい人間発見」
「ああ、栄養満点な人間だぜ」
そう、こういう意味不明なポーズがビシッと板についている、間抜けな妖怪とか。
頭上に冠するは闇夜に輝く黄金のナチュラルボブ。白いブラウスに黒のベストとロングスカートを重ねるその姿は、人外の魔性とはとても思えない。
さりとてニコリと笑うその口腔内に輝く犬歯はやはり、まごうこと無き妖怪のそれ。
「ね、わたしお腹すいてるの。だから決闘しよう? わたしが勝ったらあなたを食べていいルールで」
「ああいいぜ、相手してやる。カードアタックはお互い二回までだ」
「つまりわたしは十回おっけー?」
「人類は十進法を採用したってのに妖怪は二進表記で十進読みかよ……ま、いいけどな」
賢いんだか馬鹿なんだか。だがまぁ、ルーミア相手ならばスペルカードの十枚程度、何てことはないと魔理沙は笑う。
それにどうせルーミアは十種類ものスペルカードを用意してなんていないだろう。
スペルカードの種類の多さは、それすなわちそのもの自身の経験と思考の多彩さだ。何も考えていない妖怪は恐らく数枚でネタが底をつく。
それでは数多のスペルを所持する己はどうするか、と相手を見据えた眼に映るはさらりと流れる相手の金髪。
――ルーミアのルはルミネスのル、ってな。
「先手必勝! 『ナイトバード・フライング』!」
「うむ、まさにフライングだな」
開幕のラッパもそこそこにルーミアがカードアタックを宣言し、小鳥のようなスレイブを羽ばたかせた。
若干ルール違反のような気もしないでもないが、魔理沙は気にしない。獰猛な笑みを浮かべてこれを迎え撃つ。
せいぜい、
「暴れさせてもらおうか!」
相手は妖怪。やってやりすぎるということはない!
◆ ◆ ◆
「必要なかったけど、せっかくなんで『ルミネスストライク』だ! 落ちな、ルーミア!」
ルーミアの周囲を周回しながらミサイルを連射。その後駄目押しとばかりに箒を構えて宣言と共に巨弾を発射。
「と、っとっと!」
二条のレーザーでミサイルを焼き払うのに夢中のルーミアは、宣言されたにもかかわらず魔理沙の方を向く余裕が無い。
結果、側面から飛来する巨大な流れ星に対処できず、三秒後に響き渡るはどかーんという小気味良い爆発音。
これにて月夜の舞闘は幕引きのようだ。
力尽きたように大地へと落下してゆくルーミアに追いすがった魔理沙はさっと華麗に空中キャッチ。
そのままルーミアを己の前に座らせると再び空へと舞い上がる。
「うー、また負けた」
悔しげに唸るボブヘアーを梳った魔理沙は、自然と浮かび上がってきた笑顔をふくれっ面へと向ける。
「そう残念がるなよ。最初のスペル、自動追尾か? 結構悪くなかったぜ」
「うんそう。自動で追尾して相手の思考を闇に落とし込むの」
自分でネタバレしてどうすんだよ、と可笑しくなった魔理沙は目の前の金髪をくしゃりとやる。
「ふん、鳥型だったしどっかの夜雀とかぶるのは置いておくとして、お前も色々考えてるんじゃないか。ならばいつか勝てるさ、私以外にはな」
「それほめてるの? けなしてるの?」
「無論褒めてるのさ」
「そーなのか」
どういう思考に行き着いたのか、したり顔でルーミアは一度うん、と頷くと、ふにゃりとした笑顔を魔理沙に返す。
一勝負終えてふと気づけば、魔理沙の心の中のもやもやは既に取り払われており、先のように慰めの言葉がすらすらと口をついて出て来る程。
ルーミアも試行錯誤をしているという事実に負けず嫌いの感性が触発されたのだろうか?
それともただ単に運動をしてアドレナリンが分泌された結果か。
はたまた、目の前の闇を操る妖怪によって心の闇が取り払われたのか。
――まさか、な。くだらない夢想だ。
だが、ルーミアとの弾幕ごっこによって陰鬱とした感情が払拭されたのは純然たる事実。
ならば礼の一つも述べておいたほうが良いだろうと魔理沙が口を開こうとした、
その瞬間。
一瞬だけ二人を眩しい光が照らし出し、その姿を闇夜から浮き彫りにする。
「あやや、そうしていると姉妹のようね」
「ブン屋か。何の用だ?」
いきなりフラッシュを焚かれてちょっとビビったことなどおくびにも出さず、何気ない口調で問い返す。
「ああ、弾幕ごっこの光が見えたので。最近あまり世間を揺るがす異変もないし、面白いことがないのよねぇ。飢えてるってわけ」
「面白いこと、ないのかー?」
「ええ、無いの。全く」
「じゃ、その鞄の中身は出鱈目の束か。捏造記事ばかり書いてると信頼をなくすぞ?」
「失礼ね。私は出鱈目な人間を記事にすることはあっても出鱈目を記事にしたりはしないわよ」
文花帖や新聞、資料などを詰め込んだ文の肩掛け鞄を顎で指して魔理沙はせせら笑う。
魔理沙の言にむっとした、しかし心底残念そうな表情を返して肩を竦める文とは対照的にルーミアはにこやか笑顔だ。
「あー、出鱈目新聞みてみたい! みせて?」
「だから、出鱈目じゃない……やっぱダメ」
カモゲット! とばかりに新聞を取り出そうとした文はしかし、魔理沙の顔を目にしてピシリと固まった。
「おっとそりゃ事実上の敗北宣言だな?」
「……ネタがないのが悪いのよ」
バツが悪そうな表情で文は鞄を閉じて留め具をロックする。
「で、なんかない? 面白いこと。せっかくだから魔理沙がルーミアに負けてればいい記事になったんだけど」
「この大魔法使いがそう簡単に弾幕ごっこで負けるかよ……そうだな。レミリアがなんか面白そうなことを知っているかもしれん」
先日の神社内における咲夜達との会話を思い出した魔理沙は、そこで交わされた会話を文へと語ってみせる。
「漫画よりは面白いこと、か。ちょっと行ってみようかしらね」
「ああ、面白そうな内容だったら探りを入れて記事にしてばら撒いてくれ」
「それが目的? ちゃっかりしてるわね」
「やかましいよ。ほれ新聞のネタくれてやったんだからちゃんと敬え」
「はいはい、ありがとうございましたーっ」
呆れたように慇懃無礼な敬語を魔理沙に返すと、そのまま鴉天狗は一陣の風となって魔理沙達の前から姿を消してしまう。
風のように現れて風のように去っていった天狗の慌しさにルーミアは目を瞬かせて小首をかしげた。
「へんなの。暇なら適当に弾幕ごっこでもすればいいのにね」
「ま、無理だろうな。夢追人ってのはただ暇を潰したいんじゃなくて、充足を得たいんだから。あいつの場合はそれが新聞なんだろう……お前はないのか? そういうの」
「ないなぁ。あるといいことあるの?」
「そうだな、あれば人生が華やぐ……と思う」
「そうなの? わたしには苦しそうに見えたけど」
そのルーミアの感想は不機嫌そうな表情の文を見たためか? それとも開幕の魔理沙の表情を見たためか?
いずれにせよ痛いところを突かれた、とばかりに魔理沙は渋面を浮かべる。
確かに研究にうち込んで試行錯誤し、全く成果を挙げられずにいる間は苦しい。苦しいのだが。
「苦しいこともあるけど、それが永遠に続くわけじゃない。まぁ緩急強弱良悪ひっくるめての充足なのさ……多分な」
「ふーん。でもそんなことよりおなかがすいたよ」
思わず魔理沙は失笑した。妖怪相手に一体自分は何を語っているのか、と。
「そうだな、私も少し腹が減った。ミスティアの屋台で一杯やっていくか」
「ツケで?」
「ツケで」
「ツケっていいね! いくらでもただで食べられるんだもの!」
「ああ! 全くだな!」
非常識極まりない会話をその場に残しつつ、魔理沙は妖怪獣道へと箒を向ける。
そのまま箒に仕込んである八卦路と同期したスレイブに魔力を送り込んで一気に解き放てば、輝く箒星が一つ出来上がりだ。
「しゅっぱーっつ!! あっかるいまっりさ~、地球の光~、マスパの光~」
「夜空の上はマッハの時代~、ヤツメウナギの味がする~、っとくらぁ!」
どうにもおかしな同道が出来たが、まぁこんな夜も悪くはない。
ルーミアと共にどこかで聞いたような歌を歌いながら魔理沙は冬の夜空を疾走する。
――ちょっと出歩けば飲み友達がすぐ見つかる。ああ、素晴らしきかな、幻想郷の毎日!
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
――博麗霊夢と霧雨魔理沙の会話当日・昼過ぎ――
「ねえ魔理沙、パチュリー様を見かけなかったかしら?」
いつものように美鈴をスペルカードルールで下し、紅魔館内部への進入を果たした魔理沙の背に投げかけられたのは些か意外な咲夜の疑念であった。
咲夜にしては珍しく苛立ったような気配と口調。これは無視するのはまずかろう、と魔理沙は大図書館入り口を前に立ち止まって背後を振り返る。
「いや? なんだあいつ留守にしているのか。ならば今なら図書館の本を借り放題だな」
「残念、小悪魔は健在よ。司書たる彼女に決闘を挑まれた時点で貴女は客でなくなることをお忘れ無きよう」
「美鈴はいいのか?」
「美鈴への勝利は入館資格ですので」
「ふん、いつかあいつとも全力で弾り合いたいものだがな。ま、それはともかく落ち着けよ咲夜。お前らしくもない、カフスボタンが外れているぜ?」
言われて己のカフスに目をやった咲夜だったが、ボタンはキッチリと留められている。
嘘を仰い、と言おうとして咲夜は怒りより先に羞恥を覚える。紅魔館でメイドを務め、パーフェクトメイドと呼ばれるようになって早数年。
どんな精神状態、どんな身体異常時であろうと、ベッドを離れる余力がある咲夜には衣服の乱れなどあろうはずが無いのだ。
そんな釣りにあっさり引っかかるような余裕のない咲夜を目の当たりにしては、シーフの異名を持つ魔理沙とてあまり傍若無人に振舞うこともできぬというもの。
「何事だ? 異変解決なら力を貸すぞ? 無論、霧雨魔法店は博麗神社と違って慈善事業じゃないから報酬は頂くがな」
「……いいわ、仕事と割り切ってもらったほうが気が楽。1945年物のボルドーを報酬につけましょう。ただし守秘義務は守ってもらうわよ?」
「ああ、正式な依頼とあればそんぐらいは守るさ。で、一体どうしたんだ? 相当のっぴきならない状況のようだが」
憔悴の表情――恐らく紅魔館の住人を除けば付き合いの長い魔理沙と霊夢ぐらいしか気がつかないであろうその表情――を読み取った魔理沙は気を引き締めたのだが、
「とりあえず、私の自室に先に行っていて頂戴。話はそれからするわ」
「……了解」
他者の踏み込んでくることのない自室での会話とは、と咲夜の用心っぷりに若干の薄ら寒さすら覚える。
だがもう既に乗りかかった船であるし、霧雨魔理沙の辞書には手ぶらで後退の記述はない。
毒を喰らわば皿まで、とばかりに先行して咲夜の自室へと足を踏み入れると、咲夜愛用の猫の抱き枕をフライングボディプレスで粉砕した。
◆ ◆ ◆
「お嬢様がね、目を覚まさないのよ」
クッキーと二人分のカモミールティーをテーブルに置いた咲夜は、魔理沙を投げ捨てて自身がベッドに腰を下ろすと、若干苛立った口調でそう切り出してきた。
「目を覚まさないって……それだけか?」
椅子の背もたれに顎を載っけてダラーんとしている魔理沙はいまいち釈然としない表情だ。
ええ、と帰ってきた返答によりその表情は残念へと昇華する。
そんな表情の魔理沙を目にして、眠っているだけではあるんだけどね、と前置きしてから咲夜はさらりと深刻さを表す言を付け足した。
「お嬢様が最初に眠りについてから既に150時間以上が経過しているわ。その間ずっとお嬢様は茨姫よ」
「6日間もあいつは眠り続けているってか? すげえな、小町以上じゃないか……睨むな、ちょっとした冗談だろ?」
白眼を向けてくる咲夜に軽く首を振ると、魔理沙はテーブルの上のクッキーを一つ摘んで口へと放り込んだ。
チョコチップとバターが織り成す蕩けるような甘みを十分に堪能した後に、渋めのカモミールティーで口内を漱ぐ。
後にやおら立ち上がって椅子をくるりと半回転し、しかめ面を浮かべながらドスンと腰を下ろして腕と脚を組んだ。
「で、今のお前はお姫様を守る茨の役ってわけか。……普段あいつはそんなに寝ないんだよな?」
「当然。美鈴から聞いた話によると、重傷を負ったり、魔力を使い果しそうになったりすると数日間寝込むことがあるらしいのだけど……」
「あいつの気配は今も駄々漏れ。衰えているとも思えない、か」
吸血鬼であるレミリアの魔力は凡庸な妖怪のそれを数百集めたとて及ぶものではない。
濃厚な葡萄酒を思わせるその気配を本人は一応抑えているつもりなのだろうが、魔理沙からしてみればほとんど発散させているのと変わらない。
しかも自身の万魔殿たる紅魔館ではいっそう気が緩むらしく、紅魔館は地下を除いて常にレミリアの気配が満ち溢れていて、それは今日も変わらず。
「胡蝶夢丸でも飲んだか?」
「それらしき小瓶は確認できなかったわね」
ちゃんと確認したのか、なんて問いなど咲夜には無意味。部屋の隅々まで捜索し尽くされているはずだ。
だからこれは日常の延長ではない。となると思い出されるのは数日前に神社で交わされた会話の内容であるのだが……
「おまえ、これが漫画よりも楽しいことだと思うか?」
「前後関係からその可能性は高いわよね。でも何が楽しいの? これ」
「だよなぁ。娯楽としての睡眠となるとやっぱり夢以外には考えられそうにないが……」
あまりにレミリアらしくない、という認識を二人は共有する。納得がいかないのだ。
レミリア・スカーレットは西洋の吸血鬼であり、故に権威主義的な貴族でもある。
そして何より齢500を数えてなお、その精神は幼く直情的。そんな彼女にとって夢想にふけることは無駄以外の何物でもない。
欲しいと思ったものは夢で済ませず実際に手に入れようとするし、そのための障害はなんであろうと撃ち砕く。
前進制圧こそが彼女の本質。レミリア・スカーレットとは生まれついての強者であり、覇道を歩む運命を約束された覇者であるというのが魔理沙の見解だ。
「じゃ、まずはお前の予想を拝聴しようか。あるんだろう? あんまり好ましくない予想が」
会った時から若干落ち着きを失い気味の咲夜にそう問いかけるが、咲夜はまだ早い、とばかりに目をひそめて首を横に振る。
「私としては、先入観の無い貴方の意見を先に聞きたいのだけど」
「お前らしくもない発想だな。いいか? 問題の早期解決には常に情報量の多さがものを言うんだ。突拍子も無い意見から解決へと至った問題が目を引くのは、それが非常に珍しい事例であるからにすぎない。異彩を放つからそれが人目に強烈に焼きつくだけで、実際には多くの問題は正確な情報の擦り合わせで解決されるのが常なんだよ」
己よりも数日早くからこの問題に対面している咲夜に持論を披露して、魔理沙は咲夜の双眸を凝視する。
思ったよりも真面目に考察モードに入っている魔理沙に感心したか、それとも無為に議論で時間を消費することを否としたか。
わずかに思考を巡らせた後に咲夜はその小さな口を開く。
「一つ、お嬢様は恐らく己の意思で眠りについた、これは大前提。美鈴が何も察知していないからこの前提はまず事実である」
「美鈴がねぇ」
「貴女が彼女をどう思っているか知らないけど、美鈴がお嬢様への悪意や敵意に気付かないなんていうことは有り得ないわ。それが美鈴の能力だもの」
お前随分と美鈴を信頼しているんじゃないか、と揶揄するように口笛を吹きそうになって、魔理沙は慌てて口をすぼめる。
とりあえずこんなとこでいちいち腰を折っていてはいつまで経っても話が先に進まない。
「二つ、だからといってお嬢様が安全であるとは限らない。お嬢様の運命閲覧、及び操作はかなり曖昧さを含むものらしいし、なによりお嬢様は自身の安全にあまり頓着しない」
「確かになぁ。あいつの場合仮に命がけであってもそれ相応の楽しみがあるなら「よろしい、本懐である」とか言いそうだ」
主人に対する友人の理解の深さは、咲夜のお気に召すものであったようだ。
満足げに頷くと一旦会話を打ち切り、咲夜もまたクッキーを一つ摘まみ上げてそれを口に運ぶ。
「その二つは事実である、と思っていいわけだ」
「ええ、そうなると現時点でもっとも怪しいのは……」
「「パチュリー・ノーレッジ」」
レミリアに対して悪意が無く、しかし同時にその知的好奇心の車輪で以ってあらゆるものを轢き潰し進む魔女が現在行方不明。
怪しむな、と言うほうが土台無理な話である。
「だがしかし、証拠が無い、か」
「ええそう。パチュリー様が犯人であると判明するならば、それはそれで安心できるのだけれど」
「肝心のあいつは行方不明か」
パチュリー・ノーレッジが(結果的には)レミリア・スカーレットのためにならないことをするはずがない。
それは二人の馴れ初めを知らない咲夜であっても確信出来る程、二人は固い信頼で結ばれている。
だからパチュリーが「私がレミィを眠らせた」と言ってくれれば、咲夜は心安らかに主の目覚めを待つことが出来るのであるが……。
「あいつの行き先は誰も知らないのか?」
「ええ、小悪魔にも何も言わずに出て行ったみたい」
「じゃあ今のあいつは完全に糸の切れた凧ってことか」
「一応最後にパチュリー様が小悪魔に用意させた資料をリストアップしてもらったんだけど、それが余計に怪しくてね。コウモリで在るとはどのようなこととか……夢解析だとか」
「もうあいつが犯人でいいじゃないか」
「……でも、証拠はない」
肩をすくめる魔理沙を一瞥した後、咲夜はカモミールティーを一口啜ってから、私が語れるのはここまでとばかりに姿勢を崩す。
「本当、紅魔館の外で何をやっているのやら。道行く人々を眠らせて歩いていたりしなければ良いのだけど」
「おいおい、茨姫の魔女だってそこまではしないぜ……眠らせる?」
一通り情報共有を終えて若干落ち着いたのか、冗談めかして語った咲夜に軽口を返そうとした魔理沙は急に眉間にしわを寄せた。
「まさか……いや、そんな、しかし」
「……何か心当たりでもあるの?」
手がかりを得て歓喜する、という様相からは程遠い表情を浮かべた咲夜の口調は勘弁してくれとでも言いたげだ。
「三日前に香霖に会った時、あいつ眠ってたんだ。寝ててもおかしくない時間ではあったんだが……」
「ちょっとゆすってみても目を覚まさなかったってところかしら……となると犯人はパチュリー様じゃないのかしら?」
レミリアとパチュリーの組み合わせであれば違和感は全く無いのだが、香霖堂とパチュリーという組み合わせは些か噛み合いにくい。
だが、魔理沙は分からないとばかりに首を振ると立ち上がって咲夜に背を向け、部屋を後にするべく扉を開く。
「知らん。だが確かめた方が良さそうだ。ちょっと行ってくる」
乱暴に部屋の扉が閉じられる。
嫌な予感が当たらなければ良いけど、と呟きそうになった咲夜は代わりに大きな溜息を一つこぼした。
そういうことは口にしてしまうと概ね現実になってしまうのでは、というパーフェクトメイドに相応しからぬ、まじないのような愚考が頭を過ぎったのである。
だがまぁ、そんな咲夜の配慮は概ね無駄であった。
そもそも、嫌な予感とは予感した時点で概ね的中してしまうものであるのだから。
◆ ◆ ◆
「どうだった……と、訊ねるまでもなさそうね」
「三日前と全く変わらぬ姿勢で眠っていたよ。客が来ない店ってのは普段はありがたいが困ったものだな、発見が遅れる」
魔理沙は明らかに憔悴したような表情を浮かべて紅魔館のテラスに降り立った。
迎えた咲夜もその整った顔立ちを渋面に変えて息を吐く。
「永琳の所に運んだんだが、医学的見地からすればただ眠っているだけだそうだ。だが……」
「だが?」
「呪術的見地からすれば何らかの力が行使された痕跡が在るそうだ。つまりは人為的ってことさ」
吐き捨てるように魔理沙は永琳の言葉を復唱する。
「多分お嬢様も同じ、か」
「レミリアを永琳に診せなくてもいいのか?」
「……分からない。ただお嬢様は鬼として幻想郷のパワーバランスの一端を担う御方だから……」
「目を覚まさないってのを迂闊には公に出来ないってことか……やべ、そういや文が来なかったか?」
数日前にレミリアについて文に語ってしまったことを思い出した魔理沙は、若干バツが悪そうな表情で疑問を口にする。
「ああ、パパラッチ? 数日前に来たわよ。お嬢様が昏睡中って悟られるわけにはいかなかったから美鈴と二人で追い返したけど……まさか、魔理沙の差し金?」
「差し金って言うか……まさかこんなことになってるって知らなかったから、レミリアに娯楽の当てがあるって言っちまった。悪いことしたな」
「……まぁ、私もこんなことになるなんて思ってなかったから貴女達に話したわけだし、それに関しては不問でいいわ」
「助かる」
ほっとしたように吐息をもらした魔理沙だったが、すぐに顔を引き締めると咲夜の顔へギラついた視線を注ぎ込む。
「で、どうする? どうやら事は紅魔館内だけの問題じゃ無くなっちまったようだ。まずは被害状況を確認する必要があると思うが」
「そうね。貴方の話を聞く限りでは、永琳の見解は「ただ寝ているだけ」なのね?」
「ああ、問題を身体的特徴だけに限るならな。エネルギー摂取が出来ないだけ、つまり餓死以外は心配無用っていうのが現時点での永琳の判断だ」
「そういう意味ではお嬢様も霖之助さんも差し迫った危機は全くない、ということね」
森近霖之助は半妖、飲まず食わずでも人よりはるかに長持ちするし、レミリアに至ってはそもそも餓死という運命自体が存在しないように思える。
若干安堵したように咲夜は大きく深呼吸をした。
「では現状の確認を優先しましょう。外見的にも寝ているだけ、とあらば潜在的な被害者はまだまだ居るかもしれない。貴女の言う通り、まずはそれの確認ね」
「ああ、私は守矢神社に向かう。お前は霊夢の所に行ってくれ……時間」
「現在15:40。本日の天気は晴れ。北寄りの風、風速4m。日没まであと1時間弱」
「よし、17:00に再度紅魔館に集合後、手分けして現状確認と行くか」
「ええ、まずは人手を増やすこと。寄り道は無しよ?」
「そっちもな」
二人は頷き会うと魔理沙は箒に跨って、咲夜は空間を操作してふわりと宙に浮かび上がる。
そしてそのままお互いを一瞥すると魔理沙は妖怪の山へ、咲夜は美鈴に館の留守を任せた後に幻想郷の東端へと一直線に飛翔して行った。
後に残るは傾き始めた太陽と、白く朧な上弦の月。人間と妖怪の時間が混同する空に、両雄は溶け込むように消えていく。
◆ ◆ ◆
「……というのが現在までの顛末、何か質問疑問点はあるかしら?」
霊夢と早苗を加えてカルテットとなった人間組を一旦紅魔館食堂に集め、ジンジャーティーとカステラでねぎらいつつ一通りの説明を終えた後。
咲夜が一同の顔をぐるりと眺めやると、早苗がハイと手を挙げた。
「何かしら、早苗」
「まずは状況の把握と注意喚起、という話でしたが、もしパチュリーさんを見つけてしまったらどうするんですか?」
やはり人数が増えれば色々な考えが浮かんでくるものだ。
確かにその可能性もあるな、と魔理沙は若干感心したような視線を早苗に向ける。
「ああ、確かにな。一人で勇み足もまずいが見つけた以上放置するのもあれだよなぁ……っと霊夢」
「何よ?」
「直感でいいから答えろ。今回の件はパチュリーが犯人だと思うか?」
「あんまりそういうのを期待しないでほしいんだけど……こんな都合よく姿を消していて無関係ってことはないんじゃないの?」
普段は直感でなにもかもなんとかする霊夢とて、こんなろくに手がかりも無い状態から解答を導き出すのは不可能に近いのだろう。
だがそれでも巫女――すなわちシャーマンとして類まれなる才能を持つ霊夢の直感が他の人間の一歩先を行くことは疑いない。
やはり今回はパチュリーが絡んでいる可能性は高いと思って良いだろう、と魔理沙は咲夜と顔を見合わせて小さく頷いた。
「まずは状況確認と各地への注意喚起、再集合を優先しましょう。パチュリー様を見つけてもスルー。他に怪しそうな奴が出てきてもスルーで。絶対にスペルカード荒事問わず勝負は回避して、情報を持ち帰るように」
「分かりました、それでいきましょう。……ところで、妖夢さんはどうしたんですか?」
「冥界は距離がありすぎるからなぁ、特に声をかけなかっただけだが……それがどうかしたのか?」
冥界白玉楼は概ね幽々子と妖夢の二人……いや妖夢一人で切り盛りしている。
無論他に業務をこなす幽霊達もいるにはいるが、妖夢には咲夜にとっての美鈴や小悪魔に当たる人材が存在しない。
それをよく知っているために些細なことではあまり魔理沙や咲夜は妖夢に声をかけないのであるが……。
「いえ、なんか仲間はずれみたいであれかなーって」
そんな茶飲み話的な発言をぽつりと洩らした早苗に対し、咲夜はパチュリー直伝のジト目を向ける。
「あのねレディ、私達は遠足に行くわけじゃないのよ?」
「分かってますよ! でも人手は一人でも多いほうがいいんじゃないですか?」
油断を指摘された早苗は赤面しつつも同時に憤慨してみせる。
発想に至った理由は実際アレだ。だが言っていること自体は正しいか、と咲夜はその意見を受け入れた。
「ま、確かにね。じゃあ魔理沙、貴女が妖夢に声掛けて来て」
「私がか?」
「この中では群を抜いて速いじゃない。私達の飛行速度はお世辞にも速いとは言えないし」
「私だけ移動距離が半端じゃないな……なら一回燃料補給に戻るか」
ついでにアリスも人手に加えてしまおうか、と魔理沙は思考を廻らせる。
反論が無いのを確認した咲夜は再び全員の顔に視線を投じるが、特に口を開く者はない。
「ならば行動に移りましょう。最終確認よ。私が永遠亭とその周辺、霊夢が人里、魔理沙は白玉楼後に天界で早苗が命蓮寺」
「仙人の方々はいかがします?」
「何処にいるか分からない奴らは放置。地底も地上妖怪は進入禁止だから保留」
「細かい所は明日、日が昇ってからにするのよね?」
「ええ」
「じゃ、行動開始と行くか」
魔理沙がガタンと勢いよく食堂の椅子を蹴飛ばして立ち上がる。
残る三人もそれに続いて静かに腰を上げた。
「それじゃ、21:30に全員紅魔館に再集合。いいわね?」
「「「了解!」」」
食堂を後にする三人の後姿を見やって咲夜は一人、内心で鎌首をもたげて来た不安と格闘していた。
つまり注意喚起をして回るのは明らかに後手、パチュリーを探すのを優先したほうが良いのではないか、という不安と。
――でも今は各地に協力を仰いで包囲網を作り上げるのが吉のはず……あれこれ悩む暇があったら行動あるのみ!
結局の所、選択を迫られた場合にはどちらを選んでも後悔するもの。
どっちが正しくてどっちが間違っているか、それが最初から分かっていれば苦労なんてしないものだ。
だから咲夜は唾と共にその鎌首を再び飲み込むと、一瞬で四人分のティーカップを片付けた後に彼女らに続いて食堂を後にした。
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――博麗霊夢と霧雨魔理沙の会話当日・逢魔時――
「あら、魔理沙。一体何の御用かしら?」
此処は冥界白玉楼。三千世界に冠絶する桜を湛えし大庭園。
春になれば人妖霊問わずあらゆる者を魅了するこの白玉楼庭園も、木枯らし吹くこの季節に立ち並ぶのはやはり裸木ばかり。
普段は白玉楼本宅まで出向かない限り姿を見せることはない姫君、西行寺幽々子。それが白玉楼階段中ほどにて御登場とは。魔理沙は背筋が粟立つのを感じて急制動をかける。
冥界の主にして絶対権力者、扇で口元を隠した幽々子が魔理沙に向ける幽雅な微笑みは普段と変わりが無い。無いのであるが……
「ああ、パトロールって奴さ。正義の味方は楽じゃないんだ」
「つまらない冗談ね。貴女が正義だった試しがあったかしら?」
「少なくとも人間からすれば悪じゃあないさ……多分な。妖夢をちょっとばかし借りたいんだが、あいつはどうしてるんだ?」
「あら、妖夢に用があるの?」
瞬間、魔理沙の魂が凍りついた。
……まずい、これ以上ここに留まるのはまずい!!
数多の危機を潜り抜けた本能が魔理沙に逃走を選択するように呼びかけてくる。
これ以上この場に残り続けることは死を意味する、と凡人の身で妖怪へ挑むために鍛え上げた生存本能が悲鳴をあげている。
だがその一方で背を向けてもまた殺される、とやはり同様に本能が魔理沙の動きを制限する。
「犯人は必ず己の犯行を確認するために現場へ戻る、だったかしら?」
「……つまらん推理小説の読み過ぎだぜ。冥界の業務ってのはそんなに暇なのか?」
ガチガチと根が合わずに鳴り響きそうになる奥歯を噛み締めて、それでも魔理沙は虚勢を張り続ける。
後ろめたいことなど何一つ無いのだから萎縮する必要はないし、むしろ理不尽に向けられる殺意に対しては怒りすら覚え、それが四肢に力を与えてくれる。
……だっていうのに魔理沙を襲うこの凄まじい殺意に一向に対抗できていない!
西行寺幽々子の殺意は生者の存在を塗りつぶすような圧力と、研ぎ澄まされた刃物のような鋭さの二つ。
それらが少しずつ霧雨魔理沙の意識を圧迫し、少しずつ魂へと突き込まれてくる。
「……妖夢は、……どうした」
「それは貴女が一番よく知っているのではなくて?」
「目を……覚ま……な、……のか」
「大正解」
肺腑が痙攣して呼吸を整えられない。空を飛ぶことも覚束ず、石段の踊り場へ緩やかに墜落する。
もはやろくに息も吸えずに喘ぐような声しか搾り出せない程だが、恐怖に怯えて縮こまる性分などではない。
だから八卦炉をギュッと握り締めると、魔理沙は残る呼吸と魔力を全てそこに込めて頭上に位置する冥界の主に叩きつける。
「私が友人を、売る人間に、見える程、耄碌したか……いいぜ、来いよ、ボケ老人。目ぇ覚ま、させてやる……」
……叩き付けたつもりであったが、口から漏れたのはつっかえつっかえのか細い声。魔力は収束する傍から雲散霧消していく。
魔理沙の意図に反して、魔理沙の身体はどうしようもなく甘美なる死へと転げ落ちていく。
それでも何とかレーザー一発分の魔力をかき集めて、己の意思をそこに乗せて撃ち放とうとした、その時。
魔理沙の意識と魂へ静かに食い込んでいた凄まじい殺意が前触れもなく雲散霧消した。
「妖夢は私が働かせすぎたために過労で睡眠中なのよ。だから私が話を伺いましょう」
「……そうか」
ここもか、と思う前にまず。
――まだ、生きている。
ただそれだけがひたすらに霧雨魔理沙の頭の中を巡っていた。
「それで、一体何用なのかしら?」
荒くなった呼吸を整えている魔理沙の前、自らも踊り場へと降り立った幽々子の幽雅な微笑みは普段と全く変わりが無い。
……そう、霧雨魔理沙は知っている。
彼女は必要とあらば魔理沙の、いや他者の命を奪うことに一切のためらいが無いのだと。
相手は絶対死を操る対人最強の怪物であり、そもそも警戒なんてものが無意味。
だからそんなことに注意をはらうのも面倒くさい、と魔理沙もまた普段どおりの不敵な表情に戻る。
「巷では原因不明の茨姫ごっこが流行ってるらしくってな。私が目にした――っつってもまだ妖夢は見てないが――のは此処で四……いや三人目だ。それで、妖夢はどうしたんだ?」
「気がついた時には、箒を手にこの庭園内で静かに眠っていたわ。……犯人は貴女ではないの?」
「何でそう思うんだよ」
「あら、お姫様を眠らせるのは魔法使いの為せる業でしょうに」
思わず魔理沙は失笑する。魔法使いが眠らせるって言うのも安直だが、そんなことよりも
「お前じゃなくて妖夢がお姫様なのかよ」
「あら、当たり前でしょう? 私が冥界最強の剣士で、妖夢が可愛いお姫様。何か間違っているかしら」
「間違っちゃいないな、守られるほうがお姫様だ……いや、間違ってる。最近は強い姫とひ弱な従者って構図が流行ってるらしいぜ?」
「あらあら、私はもう古い感性の存在になってしまったのね。悲しいわぁ」
失笑が苦笑いに変わる。どうせこいつの前では私も妖夢も未だ赤子のようなものであろう。
その認識――すなわち力量差――を魔理沙は悔しながらもとっくの昔に受け入れている。
現状を正しく認識できなければ、克己は不可能。
紫などには遠く及ばないだろうが、それでも磨きに磨いた高い現状把握能力と思考の切り替えの早さ。
それこそが妖怪はびこる幻想郷において、ただの人間霧雨魔理沙が未だ空に在るを支えるファクターであるのだから。
「とりあえず、現状では餓死以上の脅威はないから安心しろ。半人半霊なら餓死の心配をする必要なんてないだろう?」
「そう」
幽々子の表情は変わらなかったが、精神の体感温度は数度上昇したな、という魔理沙の認識は間違ってはいないはずだ。
つまり幽々子は魔理沙の言を受け入れた、ということなのだろうが……
「お前、私のことを信用しているのかいないのか、どっちなんだよ?」
「あらあら、私ってば信用無いのね。無論私は貴方のことを信用しているわよ? 信頼は出来ないけど」
「……じゃあ何でいきなり殺しにかかった」
「分からないの?」
背筋がゾクリとするほどに美しい笑みを浮かべた幽々子は手の内にある扇をパタンと閉じると、扇の先に死蝶を一つ、はらりと浮かべて言い放つ。
「貴女がこの事件を解決できないようであればこの私が直々に犯人を処すわ、って意思表明よ」
「そいつは脅迫か?」
「一応貴女の身を案じたつもりだったのだけど、そう取るならばそれでも良いわね」
幽々子がそう返答した、瞬間。
四方八方から殺意を浴びせられた魔理沙は総毛立った。
弾かれたように周囲を見回せば、いつの間にやら先ほどまで裸木であったはずの桜並木、その全てが幽玄の花を湛えて咲き誇っている。
今まさに此処は死を祝福する桜の杜。
空に舞い散る桜の花弁が風に揺られてふわりと踊り、光塵となって消えていく。
「覚えておきなさい。私達は相手が何であれ私達の家族を傷つける者達を絶対に」
――「ユルサナイ」――
幽々子の声に何者かの声が重なって聞こえる。
私達か、と魔理沙は脅えたように首肯した。白玉楼にはもう一体、死を操る妖怪が存在しているということを思い出したのだ。
「犯人は知り合いかもしれないんだぜ?」
「知己でしょう、間違いなく。でもそれがどうかしたのかしら?」
「……あっさり言ってくれる。にしても妖夢の奴、愛されてるんだなぁ。ま、確かにあいつはいい奴だがよ」
呆れたように魔理沙が頭を振ると、いつの間にやら幽玄の桜花は一瞬でなりを潜めており、そこは元と変わらぬ冬に相応しき木枯らし荒ぶ灰色の世界。
白玉楼のどの位置からでも視認できる大木に視線を戻した魔理沙は深々と深呼吸をした。
「……歩き出したりしないだろうな、あれ」
「さぁ? 封印されてるし大丈夫なんじゃないかしら」
「その封印、ちゃんと機能してるのかよ……まぁいい、とりあえず私達が何とかするからお前達は絶対にここを離れるなよ」
「貴女達に解決できるの?」
「当たり前だ。私達は異変解決のプロだぜ? やってやれないことはない! ……なんだ、随分と心配そうじゃないか」
幽々子に不遜な表情を返した魔理沙だったが、薄い笑みを真剣な面持ちで塗りつぶした幽々子を見て若干の不安を覚える。
幽々子の疑念はからかうと言うよりも、わりと真剣な声色であるように感じられたからだ。
「残り三名」
「あん?」
「誰?」
「ああ、森近霖之助って言うケチで孤独な道具屋、そしてアリスだ」
そう、真っ先に協力を仰ぎに行った魔法の森の魔女仲間もまた、静かな夢の世界の住人に成り果ててていたのだ。
捨食を極めたアリスもまた命の心配は無いとは言え、知り合いが次々と眠りについていく様は魔理沙の心胆を寒からしめるに十分ではあった。
だが既に霊夢も早苗も動いているのだ。まずは一通り注意喚起を済ませ、その後に人海戦術でパチュリーを発見できれば問題ないはずである。
パチュリーが犯人と決め付けたわけではない。
だがパチュリーが何らかの情報は持っているはず、という情報を持つ魔理沙と、それを知らない幽々子。
二者が認識している情報の温度差故に幽々子は不安を掻き立てられているのだろう。
そう魔理沙は思っていたのであるが、
「最後の一人は?」
「いや、だから三人……」
「一人は?」
やれやれ、と魔理沙はつい最初に四人とこぼしてしまった己を呪った。流石、このお嬢様はどうでもいい所で妙に鋭いのである。
一応依頼を受けた身であるので守秘義務は守りたいのであるが……
「……まぁ、お前ならばいいか、他言無用で頼むぜ。レミリアだよ」
西行寺幽々子は魔理沙が知る限り、組織の長としては最も利害関係や権益などに興味がない。
また下手に殺されかけても困るし、秘密は守ってくれるだろうと諦めてその名を口にしたのだが、
「レミリア?」
幽々子は意外だとばかりに首をかしげる。
「ああ、だがそんな心配することはないさ。レミリアの奴は自分から眠りについたみたいだしな。わざわざ咲夜まで下げさせてあいつ何やってんだかなぁ。部下に心配かけるようじゃ主失格だ、そう思わないか?」
そう、レミリア・スカーレットという大物まで倒れた、という事実も心配の一つになるかと考えた魔理沙はそれを払拭するかのように軽口を叩く。が、
「おい、どうした?」
当の幽々子の表情は深刻さを深めていき、終いにはふわりと宙に舞い上がった。
その意図するところを察知した魔理沙もまた慌てて宙へ舞い上がると、幽々子の進路を塞ぐように先回りする。
「おいちょっと、何処へ行くつもりだ?」
「さっき言ったでしょう? 私は貴女を信頼できない。だから私が動いたほうが良い。それだけよ」
「なんだよ、そんなに私達が頼りないってか? いや、そもそもお前出会い頭に殺して歩くつもりだろう!」
「そのほうが良いこともある、と言うことよ……いい?」
若干、顎に手を当てて考えるような仕草をとった後、幽々子は帯に挿していた扇をついと引き抜く。
そしてそれを受け取れと言わんばかりに魔理沙の前に差し出してきた。
「? なんだ?」
魔理沙がそれを受け取り、ためしに広げてみるが何も起こらない。
「つまり、そういうことよ」
「全然分からん」
「今ここにいるのは私と貴女だけ。貴女、特に注意もせずに扇を受け取って開いたわね?」
「ああ、それ……が……」
「もしそこに私が蝶を仕込んでいたら、貴女はどうなっていたんでしょうね」
雷に打たれたかのように魔理沙は硬直する。
もし、それだけで事が済んでしまうとしたら?
いや、それ以前に知り合いに途中で声を掛けられて、たったそれだけで片がついてしまうのだとしたら?
「だが……たったそれだけで……」
「あら、私は呼吸するように人を殺せるのよ? 呼吸するように人を眠らせることが出来る者がいないと、どうして言えて?」
「……」
「なぜレミリアはわざわざ咲夜を下げておく必要があったのかしら。いつまで弾幕ごっこの余韻で単独行動を続けるおつもり?」
:
:
:
しくじった!
驚愕に思考を揺さぶられた魔理沙は言葉を返すことが出来ない。
魔理沙の知る限り、呼吸するように人を眠らせられる能力を持っている知り合いはいない。
だが、知り合いが全ての手の内を明かしている、なんてことはあるはずが無いのである。
誰だって奥の手の一つや二つ隠していたっておかしくはないと言うのに!
恐らく最初に幽々子が魔理沙を殺そうとしたのは、弾幕ごっこに慣れてしまったが故に遠ざかりつつある死への恐怖を喚起する意図だったのだろう。
そんなことにすら気がつかなかった魔理沙では信頼されなくとも仕方が無いというものだ。
「貴女の顔を立てて、今回は踏みとどまりましょう。だけど貴女達が全員眠りにつくようであれば……」
それから先に紡がれたであろう言葉を聞いている余裕は魔理沙には無かった。
箒の頭を返して全速力で白玉楼階段を後にし、幽冥常世を分かつ結界目指して最大出力で飛行する。
身を切るような冬の大気は、来たときよりもはるかに冷たく感じられた。
そう長い時間、幽々子と話をしていたわけでもないのに。
◆ ◆ ◆
四人、果して一人も欠けずに紅魔館の食堂に再集合できるだろうか? 魔理沙は苦い表情を浮かべながら生者の世界を目指して風を切る。
現状の魔理沙に出来ることは一刻も早く3人のうち誰かに合流することだけだ。
では一体、誰に合流する?
さあ誰を信頼し、誰を侮る?
もしくは、誰を優先し、誰を見捨てる? これはそういう問題だ。
――ああ、クソッ!!!
あまりの迂闊さに辟易したままで、前向きな思考が出来ていない己に悪態をつく。
――落ち着いて考えろ。見捨てるとかじゃなくて、最も利のある選択をするんだ…… 霊夢は人里へ向かった。ならば人目を憚って行動するのは不可能に近い。
本来ならば真っ先に向かいたいであろう相手を候補から真っ先に除外する。
――命蓮寺……は人里に近い。竹林は……順当に考えれば時間がそれなりに経過してるし、咲夜は既に竹林を離れているだろう。
現在彼女達のリーダーシップを取っているのは咲夜だ。ならば咲夜を失うのが一番の痛手、と魔理沙は合流する相手を定めた。
咲夜の移動速度と性格から、次に向かった先を予測する。時間からしてもう永遠亭への注意喚起は済ませているはずだ。
ならば迷いの竹林で時間を浪費するよりはその先に赴いて咲夜が訪ねてきたかを確認する方が早いだろう。
――竹林から近いのは……無名の丘と太陽の畑!
一直線に無名の丘を目指して、霧雨魔理沙は下へ下へと飛翔する。
単純な直線移動ならば天狗にも届こうかという、そんな速度。大量の茸燃料消費と引き換えに凄まじい速度だけでなく眩い光をも生成し、撒き散らす。
煌めく箒星となって空を滑落する魔理沙は今、相当に目立っているはずだ。早苗や霊夢が空を見ていてくれていれば、もしかしたら非常事態と思ってくれるかもしれない。
そんな一縷の望みを夜空に託しながら、魔理沙は減速を開始した。相手を怒らせないように、鈴蘭を――地上部は既に枯れているとはいえ――吹き飛ばさないように注意して無名の丘へと着地する。
「メディスン! メディスン・メランコリー! 出て来い!!」
大声を張り上げる。自分でもみっともない、と魔理沙は思うのだが、今は優雅に振舞っていられる状況ではない。
「いないのか! 何処にいる! 独立の母! 大統領!」
「……っるさいなぁ! って、なんだ、魔理沙じゃない。どうしたの?」
寝ぼけまなこをこすりながら何処からともなく現れたのは配下を持たぬ花園の王。
妖怪でありながら花と生活を共にする存在であるために基本的には昼型ライフな毒人形。
メディスン・メランコリーは夜だというのに大声を張り上げる来訪者を眠そうな目で睨みつけた。
「寝てたのか? まぁいい、ここに咲夜が来なかったか!? ……ああ、ナイフなメイドだ! どうだ、来たのか来なかったのか?」
「……見ての通り、わたしさっきまで寝ていたの。つまり誰にも会ってないわ」
捲くし立てる魔理沙に「それぐらい見て理解してよ」とばかりにメディスンは額に手を当てて紫色の息を吐く。
「そうか、来てないか……」
がっくりと肩を落とした魔理沙は深呼吸を……しようとして慌てて口を塞ぐと、キッと虚空を見据え直す。
――まだだ、まだ咲夜がやられたと決まったわけじゃない。別の所に行ったのかもしれないし、私が早く来過ぎただけかもしれん。
「ねぇ、魔理沙。一体何事? 何か事件でも起きたの?」
めまぐるしく表情を変える魔理沙を眺めていたメディスンも流石に気になったようであるが、魔理沙には悠長に説明している余裕はない。
「悪いが時間が無いから手短に説明するぞ。一人でいる奴が昏睡するっていう異変が発生中だ。だからお前は
1.知り合いの所に行くか、
2.私がいいって言うまで誰も寄せ付けないか、
3.私の言うことを無視するか、
の好きな選択肢を選べ」
「4.じゃあついていくってのは?」
一瞬、驚いたように魔理沙はメディスンの顔を覗き込んだ。
メディスン・メランコリーは毒を操る妖怪。彼女の能力は他人を昏睡させることが出来るのではないか?
――……いや、無いな。
メディスンは現在閻魔の教えに従って極力敵を作らないように行動している。これまでの努力をふいにするようなことはしないだろう。
それによく考えれば魔理沙も今は一人で行動している身。魔理沙自身が標的になるということも十分にありえるのだ。
いざと言う時の保険にもなるし、メディスンの安全も確保できる。後は適当な所で永琳にでも預ければ良いだろう、と考えた魔理沙は、
「いいだろう、乗りな金髪同盟」
「らじゃー、さあわたしも異変解決に参加して知名度を上げて、一気に理解者を増やすわよ!」
あまりに無邪気なメディスンの発言に苦笑すると、魔理沙は箒の後ろにメディスンを乗せてふわりと空に舞い上がる。
一気に無名の丘を後にするべく八卦炉に魔力を込め始め、さあ出発! と顔を上げたその時。
闇の中に浮かび上がった赤い双眸と視線が交錯した。
「ああ、間に合った! 魔理沙、師匠から伝令! 今すぐ私と一緒に永遠亭に来て頂戴!」
箒星となって落下する魔理沙を目にしたのだろう、一直線に無名の丘へと近づいてきた妖怪はそんな声を張り上げる。
永遠亭における八意永琳の一番弟子、鈴仙・優曇華院・イナバを目の当たりにして、魔理沙は己の血の気がサッと引いていく音を耳にしたような錯覚に捕らわれた。
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――博麗霊夢と霧雨魔理沙の会話当日・夜――
「……それで、二人はどうなっている」
此処は迷いの竹林の中にひっそりと佇む永遠の姫が住まう屋敷、永遠亭の救急看護室。
メディスンと鈴仙は待合室にて待機しているため、部屋にいるのは患者と魔理沙、そして永琳のみ。
ベッドに横たえられている十六夜咲夜と東風谷早苗の姿を目の当たりにして、一分程沈黙したまま拳を握り締めていた魔理沙はようやくそれだけを絞り出した。
十六夜咲夜の外見は何の異常も無い。いつもの咲夜のまま、彼女は静かに寝息を立てている。
対して東風谷早苗のほうはどうであろう? 早急に手術を行ったためかいつもの怪しげな式服のまま、しかしその頭部には真っ白い包帯が巻きつけられている。
さらには袴の一部分が切り取られており、そこから覗く脚にも同様に包帯が巻かれていた。
「何処から説明すればいいかしらね。彼女達の過去? それとも現状?」
「あいつらの未来からだ」
「それが完璧に分かれば医者は要らないわ」
「……ならば現状だ。どうなんだ? あいつ等は……いや、咲夜は置いておこう。早苗は助かるのか!?」
早口で捲し立てる魔理沙の肩を軽く叩くと薬師――そう、本来は薬師なのだが――、八意永琳は縦に首を振った。
「ええ、100%を保障することは出来ないけど、出血も止まったし容態は落ち着いている。十中八九彼女も助かるから、貴女がまず落ち着きなさい」
「む、そうか……それで、二人はどんな経緯で永遠亭に?」
安堵の溜息をもらした魔理沙に永琳は改めて椅子を勧め、腰を下ろすよう促す。
「まず十六夜咲夜ですが、竹林内にて昏睡しているのを妹紅が発見。こちらは森近霖之助やアリス・マーガトロイドと同様、つまり順当な異変の被害者になったと言ってよいでしょう」
「そうだな、確かによく寝ている」
咲夜が未だ謎に包まれている敵の術中にはまった。それはそれで大きな問題では在るのだが、それよりまずいのが……
「次に東風谷早苗ですが、十六夜咲夜の発見場所から数十m離れた場所で同様に妹紅によって発見されました。右大腿部に切創、及び頭部の強打による急性硬膜外血腫が発生。出血多量かつ若干の脳圧迫で危険な状態でしたが手術の結果は良好。失われた血液も予備の輸血パックで補えたために生命維持に問題はありません。後遺症もまず心配する必要はないでしょう」
「……そうか、ありがとう永琳。恩にきる。どれぐらい工面すればいい? 守矢神社からかっぱらってきてやる」
「不要よ。医者にとって最も価値のある報酬は、心からの感謝の言葉なのだから」
あくまでかっぱらうのね、と静かに笑う永琳に当然だなんて返してようやく、魔理沙にいつもの勝ち気が舞い戻ってくる。
「しかしよく輸血パック? とやらの余りがあったもんだ……早苗の奴もついているな。なんだっけ、血液型とかあるんだろう?」
「ついているんじゃないわ。彼女は己の見識によって己の死を回避したのよ」
「どういうことだ?」
「これまで早苗はまめに此処を訪れては血液を抜いて保存しておいてほしい、と私達に依頼していたの。そう、このような場合に備えて」
永琳は手元に在る最後の輸血パックの予備を手に取ると、こういうことよ、とそれを魔理沙に手渡した。
魔理沙の手に移ったその輸血パックには「東風谷早苗」と走り書きされたラベルが貼り付けてある。
「東風谷早苗は、妖怪にとって決して殺してはいけない人間ではない。だから異変解決に首を突っ込む以上、彼女には死の危険が常に付き纏う。それを早苗は正確に理解していて、だからまめに血液のストックを準備していた。輝夜の能力を使えば血液の鮮度はほぼ永遠に保つことが出来るしね」
「早苗もまた、色々と考えていたってことか」
「そう、彼女が生き残ったのは運でも奇跡でもない。彼女は貴女達と共に歩むためにあらゆる手段を尽くしていて、その結果生き延びるべくして生き延びた。それだけよ」
感心したように魔理沙は吐息をもらすと、しくじったかな、と一つ呟いて輸血パックを永琳に返還した。
そういえば以前、早苗に「献血に行きませんか?」と誘われたことがあったのを思い出したのである。
早苗が献血という外の言葉をそのまま使ったが故の誤解もあって、その時は断ったものの、魔理沙もそれをやっておいて損は無かったはずだ。
「私の周りは先見の明を供えた奴らばっかりってことか。ちょっと悔しいぜ」
「類は友を呼ぶ、と思えばいいんじゃないかしら? 貴女だってアプローチは違えど、死なないための手段を色々と模索しているのでしょう?」
「早苗の手堅さに比べりゃ可愛いもんさ」
影に努力していることを悟られることが嫌いな魔理沙はふん、とそっぽを向いて壁に掛かった時計に目を向ける……と、時刻は既に21:00をまわっている。
何か忘れてるな、と腕組みをして悩みこんだ魔理沙は、すぐさまギョッとして顔を上げた。
「しまった、霊夢のことを忘れてた! すまんが咲夜と早苗を頼む。紅魔館に戻ってあいつの無事を確認しなきゃいかん!」
「待ちなさい魔理沙。霊夢にはもう伝えてあるわ」
そのままダッシュで看護室を去ろうとする魔理沙の背中を永琳の声が叩く。
「早苗と咲夜を此処まで担いで来たのはさっき言ったように妹紅なの。ついでに彼女に霊夢への言付けを依頼してあるわ。霊夢以外とは一切目を合わせず、口もきかないようにって条件付きでね」
「そ、そうか、さすが天才だな。仕事が速い」
「だから霊夢なら恐らく神社で防備を固めているはず。……それで、これからどうするの?」
「これから……か、ちょっと検討に付き合ってくれ」
「ええ。殺されるならともかく、眠らされるとなると私達にもわりと脅威ですものね。協力しましょう」
魔理沙は腕組みをして再度永琳の前に戻ってくると、頭上の帽子を手にとって先程の椅子にドンと腰を下ろす。
「まずは現状の確認だ。お前が相手だから細かい説明は省くぞ。私は白玉楼で単独行動が危険なことに遅まきながら気がついた。多分早苗もおんなじようなもんだろう」
「そうでしょうね。そして恐らく早苗は貴女と同じように咲夜と合流しようとして」
「そして見てしまったわけか。咲夜が眠らされる所を」
「多分ね。妹紅自身は膨れ上がった霊力を訝しんで調査に向かい、竹林内にて二人を見つけたらしいんだけど……ただ」
「ただ?」
いぶかしげな表情を浮かべて言葉を切った永琳に一抹の不安を覚えたのだろうか?
魔理沙は意図せずして手の内の帽子を握ったり放したりを繰り返している。
「妹紅が言うには早苗が暴れたような跡しかなかったらしいわ。相手側の妖気はほとんど感じられなかったと」
「マジかよ!? いくらなんでも早苗だって用心していたはずだ。一方的にやられるってことはないだろう!?」
「でも事実でしょう。私は妹紅の判断を疑う気にはなれないわね」
藤原妹紅は千年以上に及ぶ生を妖怪と、そして輝夜との死闘に費やしてきた強者。
蓬莱人を人間と数えるならば、恐らく幻想郷人類最強。不老不死を抜きにしたとて、その積み重ねた戦闘経験が妹紅を自然と強者の地位に押し上げる。
妹紅の判断――しかも荒事の――とあれば魔理沙とて疑う気など起きやしないのであるが……信じられない、いや信じたくないのだろう。
「早苗の怪我は?」
「脚部の怪我は血痕、傷痕からして間違いなく咲夜のナイフによるものね。恐らく頭蓋骨の破損は大量出血による意識低下で墜落した時に負ったものでしょう」
「……犯人の特定が出来ないな」
「ええ。妖気を残していない点といい、咲夜のナイフを使用した点といい徹底してるわね。当然のように凶器は回収されたみたい」
「犯人は馬鹿じゃないってことか」
「単独犯、と決め付けるのも問題よ。入れ知恵している、ないしは糸を引いている黒幕がいるのかもしれない」
永琳はお手上げ、といわんばかりに手のひらを上に向けて肩を竦める。
「早苗に話を聞ければ一発解決なんだけど、いつ目を覚ますかは正直分からないわね……となると事態の拡大を防ぐには罠を張るしかないでしょう」
「トラップか……引っかかるかな?」
「喰らいついては来るでしょう。何せ相手は咲夜を狙って、しかもそれを成功させている。だから多分罠には飛び込んでくる」
「だが、チャチなトラップじゃあっさり食い破られるかもしれない、いや、食い破られるのは間違いない、ってことか」
忌々しげに魔理沙は低い声で呻く。と、なると相当に周到な準備を重ねておく必要があるだろう。
「此処は霊夢に任せたほうがいいかもしれないわね……ああ、貴女が霊夢に劣るって言っているわけじゃないの」
「そうとしか聞こえなかったがな……で?」
忌々しさ三割増の表情で魔理沙は永琳に続きを促す。
「ほら、これまでの被害者って割と話が分かる人達ばかりじゃない?」
「……ああ、そういうことか」
「そう、貴女は何も考えてないように見えてその実思慮深く、そして霊夢は何も考えてないように見えるがままに何も考えてない」
霖之助もアリスも咲夜もインテリの部類に入る人間だし、妖夢とて能動的に動く場合はともかく受動的立場であればかなり話が分かるほうである。
つまり幽々子がそうしようとしたように、今回は相手の動向なんぞすべて無視して当るを幸いぶち抜いていくほうが手っ取り早い、と永琳も判断したのだろう。
「……まあいい。しかし、結局今の幻想郷はどうなっているんだろうな?」
結局、ろくに各地を回れなかったがために現状把握は不十分。
うんざりしたような表情で天井を見上げた魔理沙だったが、その顔にいきなり灰色がかった紙が被せられる。
手に取ってみればそれは、俗に魔理沙達の間で新聞と呼ばれるより新聞紙と呼称されることのほうが多い代物だ。
「ブン屋が昨日置いていった新聞。見てみたら?」
「文か? あいつもとうとう気づきやがったか……鬱陶しいとは言えあいつにも警告したほうがいいんじゃないか?」
「警邏中のてゐ達が見かけて、一応忠告しておいたそうよ。ただ忠告に耳を貸す気は無さそうだったって」
むしろ稼ぎ時だって、と永琳は眉をひそめて呆れたように腕を組んだ。
本当、困ったやつだと自分のことは棚に上げて呟いた魔理沙は新聞の内容を追い始める。
「どれどれ……驚愕の命蓮寺在家の実態? 修行もせずに昼寝をする在家 ……ふむ、被害者は響子にぬえか。っとまだ命蓮寺しか載ってないじゃんか。情報が遅いぜ、役に立たん」
「異変だって知ったのは今日みたいだしね。一応命蓮寺の被害は分かったじゃない。あんまり酷評するものでもないわよ。こんなんでも一応役には立ったでしょう?」
「お前の発言も何気に酷いがな」
永琳と顔を見合わせて苦笑を交わした魔理沙だったが、ふと、
「でもネタ狂いのマッチポンプって可能性も無いわけじゃないんだよな」
敵の目的も手段も不明。眠らせた相手に何かするわけでもなく放置していくなんて奇行もいいところだ。
いくら幻想郷の住人が変人ばかりとは言え、ここから犯人を特定するのは中々に難題である。
「……もう誰を疑えばいいのかわからなくなってきたぜ。どうやって眠らせたのかは未だに分からないのか?」
「残念ながらね。ついでに言えば方法が分からない以上、私も貴方も――つまり今意識がある者は皆容疑者って思っておかないといけないわよ」
やめてくれ、と魔理沙は引きつった笑顔を返す。
「お前が犯人だったらと思うとゾッとするぜ……せめてどうやって眠らせているのかが分かればなぁ」
「目の前で見せてくれれば一発で分析してあげられるんだけど。ただ、一つだけ患者達全員に共通している事例があるわ」
「ほう? それは?」
「患者達は全員、夢を見続けているの」
「夢か……」
紅魔館での咲夜との会話が魔理沙の脳裏に浮かぶ。またしても夢か。
「夢って一晩中見てるもんじゃないんだっけか?」
「ええ、睡眠には二種類あって、夢を見る睡眠、夢を見ない睡眠が交互に繰り返されているのよ。通常はね」
「……それが夢を見っぱなしか。夢を見せるのが目的なのか? だが、なんでだ?」
「まだそれが目的と決め付けるのは早いわね。だから、こうやって患者達を見ているよりかは犯人を検挙したほうが早いと思うわよ」
ここのベッドも足りなくなるかもしれないしね、と永琳は肩を竦めてみせる。
それにただの人間である咲夜まで倒れた以上、あまり悠長に構えていられる余裕はなくなってしまっている、という問題もある。
「とりあえず協力ありがとさん。霊夢とちょっと相談してみるよ」
「私達のほうで罠を張ってみましょうか?」
「お前が倒れたら誰がそいつらの面倒を見るんだよ……少なくとも早苗が意識を回復するまではお前達は使えん。輝夜を使っても良いって言うなら借りてくが」
「それはダメ。それに今輝夜は監禁中なの。何せ面白がって自分から眠りにつきそうだったから」
「呆れた奴だ……まぁやってみるさ。そいつらをよろしく頼んだぜ、先生」
若干しわになったトレードマークの帽子を被りなおした魔理沙は勢いよく立ち上がる。
「十分に気をつけなさいな。貴女達のぶんのベッドなんて永遠亭はお断りですからね」
「任せとけ……待ちの作戦っつうのはどうにも苦手ではあるが」
あまり期待できない返答を一つ残して、魔理沙は救急看護室を足早に後にする。
些か乗り気のしなそうな魔理沙の背を見つめていた永琳は口元に手を当てて考え込んだ。ガンガン行くタイプの魔理沙としては何度も受身に回るのは面白くないのであろうが……
「やはり、こちらでも一手打っておいたほうが良さそうね……」
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
――博麗霊夢と霧雨魔理沙の会話から一時間が経過――
「……魔理沙さん。今この状況で盗みに来たって言うつもりならばタダじゃおきませんよ」
此処は紅魔館大図書館。
真紅の絨毯が敷き詰められた図書館に足を踏み入れた魔理沙を待っていたのは、図書館の喫茶スペースに腰掛ける二人。
美しい赤毛が――服装さえ揃っていれば――姉妹のように見えなくもない二人組である。
両者は似たような表情を魔理沙に向けてくる。それは焦燥と、憔悴と、そして不信の入り混じった、負の三重奏。
辺りにはテーブルからたち込めるジャスミンの爽やかな香りとチョコレート菓子の甘い香りが混ざり合い漂っているが、それらの芳香もあまり場の雰囲気を改善する役には立っていないようであった。
「んなわけないだろ。私だってTPO位わきまえているさ。館の主が居ない時に暴れまわってどうするんだよ」
「もの凄い理論を聞いたような気がします……」
小柄な方の赤毛――小悪魔――がぼそりと呟く。
彼女は相当参っているようでその表情の陰りは深く、全身には疲労の影が色濃く漂っている。
無理もないだろう、と魔理沙は苦労属性を背負った少女に若干同情する。
なにせ紅魔館の主と実質的な主は昏睡状態。勤務先の主が犯人候補ときている今の状況で元気溌剌としていたらそれはまさに悪魔の……悪魔と呼ぶには相応しくない少女であるようだった。
「で、一体魔理沙はここに何しに来たのかしら?」
大柄な方の赤毛――実質、なし崩し的に紅魔館の全権を司ることになってしまった紅美鈴――は不快に澱んだ目で魔理沙を睨め付けてくる。
「不満そうだな、美鈴」
操気の化身たる美鈴の不快もまた普段の陽気と同じ位に見る者を感化するのだろうか? 見ているだけで疲れを感じる程に、今の美鈴は不機嫌の塊だった。
恐らく彼女の性格からして、一秒でも早くレミリアや咲夜の仇撃ちに向かいたいのだろうが……
「不満だけど仕方ないわよ。咲夜さんまで倒れた以上、私が我を張って門前に一人立つわけにもいかないし、咲夜さんに後を任されてもいるし……で?」
「罠を張った霊夢に神社を追い出されちまってね。一人で居るのも拙いし、だったら気心がおける奴と一緒にいたほうが退屈しないだろう?」
「気心ねぇ……」
「そんなわけで美鈴、私にもジャスミンティー」
「……はいはい」
形容しがたい表情を浮かべたまま、美鈴はガタリと椅子から立ち上がると、図書館内に――なぜか――備えられている居住空間へと消えていく。
美鈴が去った後には小悪魔と、改めて椅子に腰掛けた魔理沙の間に沈黙が残るだけである。
:
:
:
「あの」「おい」
僅かな沈黙の後、二人同時に言葉を発した両者は顔を見合わせる。
「な、なんでしょうか?」
「いや、まずはお前の発言を拝聴しようか。で、なんだ?」
小悪魔は心なしか悲しげな気配を滲ませながら、それでも一度屹と口を引き締めると魔理沙へと問いかける。
「このたびの異変、やはりパチュリー様が関わっているのでしょうか?」
「関わっている可能性は高いと思うが正直判らん。だが、パチュリーが実行犯ってわけじゃなさそうだ」
「え?」
「唯一犯人に実力行使で殺されそうになった奴がいるんだがな、咲夜のナイフでやられたんだ。お前さ、五体満足術使用可能な時にパチュリーが魔法無しのナイフだけで襲ってきたとして、どうやれば負けられる?」
「負けようがないですね。余裕で七死星点ホァタァ! ですよ」
「だよな。指先一本で勝てる」
そう、もやしっ子パチュリーが咲夜のナイフを握って早苗に切りかかる姿など想像することすらナンセンスだ。
早苗は一つだけではあるが、確かな手がかりを残してくれていったのである。
「そうなると、パチュリー様は裏で糸を引いている可能性が高い、と魔理沙さんはお考えなんですね」
「そういうことだ。だがパチュリーならその気になれば大方の連中を駒のように動かせるだろうから的が絞れん。で、お前の出番」
ピッと魔理沙が向けた人差し指をさりげなくさっと躱しつつ、小悪魔は怪訝そうな表情を魔理沙へと向ける。
「私ですか? ……私を人質に取ったとしてもパチュリー様は止まりませんよ」
「そりゃそうだ、あいつは魔女だからな。そんなことは百も承知だ」
なぜ避けた、と呟きながら魔理沙はその人差し指でコンコンと机の上に放置されていた本を叩く。
「パチュリーが最後に読んでいた本。念のため確認したい、持ってきてくれ」
「ああ、そういうことですか。では少々お待ちください」
えーっと、まずは「W」だったから……などと独りごちながら小悪魔は薄暗い図書館の闇の中へと消えていく。
入れ替わるように美鈴が姿を現すと同時に、茶葉の開いたジャスミンの芳香が魔理沙の鼻をくすぐった。
「はい、お待ちどーさま」
「ん、サンキュ」
「……ねぇ、魔理沙、本当によかったの?」
コトリ、と魔理沙の前にティーカップを置きながら尋ねる美鈴の面持ちは真剣そのものだ。
「何がだ?」
「霊夢一人に任せておいて、よ。親友なんでしょう? お嬢様とパチュリー様の間柄程度には」
問われた魔理沙が浮かべた表情は、若干の当惑を帯びたものだった。
あの全てから浮く巫女が己を特別視しているとは、魔理沙にはどうにも思えないのである。
「さあ、どうだろうな。……だが、悪い妖怪退治は人間のお仕事だ。もう動けるのが私と霊夢しかいないんだからどっちかがやるしかあるまい」
「天人や仙人は?」
「どこに住んでいるかも分からない仙人なんぞ当てに出来んし、天子は天界で今は一人暮らしらしい。結局訪ねちゃいないが多分、もう遅いだろう」
「……八方塞りか」
「二方開いてるだろ、私と霊夢が。それに霊夢とは別に私も神社に一つタネ無し手品を仕掛けておいてある。たとえこれで霊夢が倒れても私がケリをつけてやるさ」
犯人さえ分かっちまえばこっちのものだ、と息巻いて見せる魔理沙だったが、なおも不安そうな表情を向ける美鈴に説明を重ねる必要があると感じたのだろう。
ぐいっとまだ熱めのジャスミンティーを一気飲みすると、「美鈴、ちょっと渋いぜ」なんて前置きしつつ、己に含ませるかのように若干訥々と語り始めた。
「別に霊夢を心配してないわけじゃないさ。だがな、今回の異変は睡眠だ。どういう意図があるにせよ殺害とかじゃなくて睡眠を選んだ以上、必ず目覚めさせる手段というものがあるはずだ。お前、眠らされた人間が眠ったまま目を覚まさないお話と、目を覚ます話、どっちを多く読んだことがある?」
「お話としては後者ね」
「そう、大方起こす手段はあるんだよ。だからこれだけの人数が眠らされた以上、それを信じて最早腹をくくるしかないんだ。それともお前、私が霊夢を心配してそわそわしてるほうが落ち着くってのか?」
「……そうね。どうやら私も苛々してたみたい。くだらないことを聞いて悪かったわ」
「構わんよ。実のところ半分……以上は自分を納得させるために語ってるんだ」
魔理沙がカップをソーサーに戻すと耳障りな陶器の擦過音が普段よりも二割増しに美鈴の耳を打つ。
見てのとおりさ、と皮肉っぽく口を歪めて魔理沙は笑う。
「なんて言ってたらマジ不安になってきた。おい美鈴、アップ代わりに一勝負やらないか?」
「いいわね! 私も体動かしてないと落ち着かないのよ」
「ちょ、ちょっと待ってくださいよ! お二人とも図書館内では戦闘決闘暴行略奪行為は禁止ですってば!」
だが二人が椅子を蹴って立ち上がったその時、二人の声を聞きつけたか、闇の中からこの世の終わりのような表情で小悪魔が駆け寄ってくる。
実際問題、美鈴と魔理沙が暴れようものなら最早紅魔館には誰も二人を止められる者がいないのだ。
唯一のジョーカーを投入したら被害が図書館から紅魔館全体に変わるだけである以上、小悪魔が必死になるのも無理はなかった。
「ほら魔理沙さん、お約束の本です! 暴れるようなら渡しませんよ!」
「ちぇっ、つまらんぞ。しゃーないな、弾幕ごっこはお預けだ美鈴」
小さく一つ肩を竦めると魔理沙はドスンと椅子へ腰を下ろす。
ほっと胸をなでおろした小悪魔は魔理沙の目の前にあったティーカップを傍らに除けると、どうぞ、と魔理沙の前に三冊の本を積み上げた。
「あーもーほんと残念。で、なにそれ?」
心底落胆したように項垂れて椅子に腰を落とした美鈴は、小悪魔が用意した資料を憎々しげに睨みつける。
「うん? パチュリーが最後に読んでいた本を持ってきてもらったんだが……全部原文かよ」
『What is it like to be a bat?』と記された薄いファイルを目にした魔理沙は呆れたように頭を振った。
「お前さ、咲夜にも同じこと聞かれただろう? あいつはこれらの資料に目を通したのか?」
「いえ、咲夜さんは題名を聞いた時点で呆れたように首を振って、もういいわって言って去ってしまいました」
「やれやれ、パーフェクトメイド失格だな」
珍しく咲夜に正面から駄目出しできたな、と軽く口笛を吹くと、魔理沙は押し黙って資料の読解に取り掛かる。
たぶん辞書が必要になるだろうな、と予想した小悪魔は再度薄暗い書架の向こう側へと消えていった。
美鈴もまた、お茶を淹れなおすために三者のティーカップを盆の上に乗せて読書スペースを後にする。
しばらくの間、魔理沙がページをめくる音だけが薄暗い図書館の中に響いていた。
◆ ◆ ◆
「あんにゃろ、何考えてやがる。協定違反だろうが」
『Die Traumdeutung』 『The Scientific Search for the Soul』 『What is it like to be a bat?』。
辞書を片手に三冊の資料へ一通り目を通し終えた魔理沙の第一声はそのようなものだった。
「ん? なんか分かったの? これで異変解決かしら?」
先ほどから呼吸を整えて勁道を開き、黙々と続けていた練功を中断した美鈴が魔理沙に期待のこもった視線を向けてくる。
同様の視線を小悪魔も魔理沙に注いでいるが魔理沙はいや、とばかりに首を横に振る。
「分かったのはパチュリーの興味の矛先と、何処へ向かったかの予想だけだ。結局はあいつを締め上げなきゃ何も分からん」
「ですが、行き先の目星が着いたのであれば……」
「ああ、一歩前進ではあるな。とりあえずこいつはパチュリーがどの本を読んでいたかを覚えていたお前の手柄だな。お見事だ」
「おだてても魔理沙さんの窃盗罪は消えませんからね」
笑顔でビシリと釘を刺してくる小悪魔に融通の利かないやつだ、なんて嘯きながら、魔理沙はすっかり冷えてしまったジャスミンティーを啜る。
美鈴もパラパラと資料を捲ってみるが、どうやら自力で読解するのは諦めたようで魔理沙の前にポンと資料を投げ出した。
「とても題名だけ見ると内容に統一性があるようには見えないけど?」
「まあな。題名だけ確認したお前や咲夜が勘違いしても仕方がないが、これらは全て心の在り方について書かれた本なんだよ」
「心、ですか……心、夢、魂、意識……ああ、成る程! だからパチュリー様はこっそりといなくなったんですね!?」
「図書館内では静かにな」
赤面した小悪魔はティーカップを傾けて一息つき、意識と舌にゆとりを与える。
「黒幕リストに一人追加、ですね。では下手人のほうはいかがですか?」
乾いた舌を潤した小悪魔が重ねた問いに、魔理沙は顎に手を当てて小考する。
「手段は置いておいて、動機だけで考えれば一番怪しいのは妖獣だな。肉弾が強いって条件も満たせるか……霊夢の囮に一旦待ったをかけるか?」
そう魔理沙が呟いた直後、コンコンコン、と紅魔館大図書館の扉がノックされる音が響きわたる。
それの意味するところを理解して、三者は顔を見合わせるとげんなりとした表情でそろって溜息をついた。
和式一辺倒の博麗霊夢が、紅魔館大図書館を訪れる際にノックなどするはずないのだから。
「どなたでしょうか?」
「はっ、紅魔館門番メイド丁班班長、ヴァイフであります! さー!」
「同じく戊班班長、ドガスでーっす! 隊長いますかーっ!」
場違いな程に元気な声が二つ、扉を通じて図書館に響きわたる。
後ろで美鈴が頷いたのを確認すると、小悪魔は妖精達には重過ぎる図書館の大扉を開いて来訪者を招き入れた。
「わー相変わらず埃くさいなぁ」
「声が響くねー、やっほぉおおおおお!」
「……お前ら、なんか報告に来たんじゃないのか?」
頭痛をこらえるように額に手を当てた魔理沙がそう呟くと、ますます妖精たちは姦しさを増して騒ぎ始める。
「あーっ! ドガスちゃん後ろ! 泥棒だー! ものどもであえー! スペルカード戦用意!」
「であえーって、誰も来ないよヴァイフちゃん!」
「……とりあえずお疲れ様。今のところ魔理沙は客だから気にしなくていいわ。で?」
苦笑しながら美鈴が妖精達に続きを促すと、ようやく自分達の来訪目的を思い出した妖精達は報告を口にする。
「えーっとですね。こそ泥のお使いと称する妖精が三体、入館を希望しているんですけど」
「赤くて青くて黄色い奴らですたいちょー」
「ああ、そりゃ間違いなく私の客だ。案内してくれ」
「……いいんですか? 隊長」
「緊急事態だからね。許可するわ」
首肯する美鈴に敬礼を返すと、戊班班長は扉の外へ向かって大声を張り上げる。
「おーい、よし子ー! その子達連れてきてー!」
「お前らネーミングセンスおかしいよ!!!」
思わず能天気な妖精思考に汚染された魔理沙は脊髄反射的な叫び声をあげてしまう。
引き締めた気があっという間に緩んでしまったが、下手に肩肘張ってるよりかはその方が良い……こともあるだろう。
そんな風に自身を納得させた魔理沙は――門番隊にもまれたのであろう――目を回した状態でポイポイポイと投げ込まれてきた三妖精達のそばにしゃがみこんで、
「さ、目を覚ませサニー、ルナ、スター」
三者にデコピンを喰らわせた。
魔理沙が秘密裏に用意したもうひとつの罠。霊夢が失敗したときのために、その一部始終を確認するために配置しておいたレコーダー代理。
自然の化身たる妖精の気配は、チルノのように常時冷気を撒き散らしていない限り察知は困難。で、あるが故に火力を求めないなら罠としては最適。
妖精固有の落ち着きのなさが若干の不安点だったが、どうやら犯人の迅速な行動ゆえに彼女達の興味好奇心が目減りする前に事が片付いたようだ。
ならば後は彼女達から話を聞けば実行犯も明らかになる。
うーんと唸りながら頭を振っていたサニー達だったが、魔理沙の顔を視界に捉えると弾かれたように立ち上がった。
さぁ、反撃の狼煙を上げようじゃないか!
「ま、魔理沙さん! 霊夢さんが! 霊夢さんで、いきなり倒れて!」
「そのまま目を覚まさなくなって!」
「お布団かけました!」
「……結果だけは理解したがな。とりあえず落ち着け」
鼻息も荒く魔理沙に詰め寄って捲し立てる三妖精をなだめると、魔理沙はテーブル上にあったチョコレートを彼女たちの手の中へと落とした。
そのまま彼女たちに椅子へ座るように目配せする。
小悪魔が無言でテーブルの上に散乱していた資料を手元に引き寄せる。菓子を持った妖精の手元に本を置いておくなど馬鹿のやることだ。
美鈴は立ち上がって門番隊を下げさせた後、追加のジャスミンティーを用意するために再び住居区へと姿を消した。
これから彼女達にはじっくり語ってもらわなければいけないのだ。舌を湿らせるためにもお茶が必要であろう。
「だがまぁ一部始終を目撃したわけだな。まずはそれを食ってリラックスしろ。次にお茶だ。その上でじっくり話を聞かせてもらおうじゃあないか」
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――博麗霊夢と霧雨魔理沙の会話翌日・真夜中――
「ようブン屋。ちょっとお前の力も貸してほしいんだが、協力してくれないか?」
守矢神社からの帰り道。
己の巫女を傷つけられて猛る神奈子から異変解決のための協力を取り付けた後、通りがかった鴉天狗を魔理沙は呼び止める。
呼び止められた鴉天狗、射命丸文は困ったように首をかしげて魔理沙に若干拒絶を滲ませた視線を向けてきた。
「うーん、今が稼ぎ時なんだけどねぇ。これ、異変でしょ?」
「お前な……こんだけ人が倒れてるんだから自重しろよ」
「そうは言うけどね。報道の仕事は犯人をぶちのめすことじゃなくて事実を余すことなく伝えることでしょうが」
「事実の中から知らしめる内容を取捨選択して世論を操ることが報道だろ。いいから黙って協力しろよ!」
マイペースを崩さない文に腹が立ったのか、魔理沙の表情は苦虫を噛み潰したかのようで、だんだんと苛立ちを募らせていく。
あまり怒らせるのもまずかろうと考えたのか、文は肩掛け鞄から一枚の折りたたまれた新聞を取り出すと、得意顔で魔理沙にそれを突きつけた。
「じゃあお買い上げいただければご協力、ってことでどうかしら?」
「……しゃーない。このままじゃ話が先に進まないからな」
魔理沙はポケットから二銭銅貨を取り出すと、文へ向かってコイントスする。
「毎度あり!」
文はパシッとそれをキャッチすると、それを己のがま口の中に落としこむ。
チャリン、という小気味よい硬貨のこすれあう音が周囲に響き渡った。
「じゃ、まずは情報共有だ。お前は一体この異変に関して何処まで調べられた?」
「それはせっかくお買い上げいただいたんですから新聞に目を通してくださいよ。ここに私の知っている範囲はきちんと記載してありますので」
「ああそうかい」
魔理沙は呆れたように首を振ると差し出された新聞を手にとって、
それを開くことなく逆の手に持った八卦炉から噴出する業火で、読んでたまるか、と言わんばかりに消し飛ばした。
「……あんた、喧嘩売ってんの?」
さっ、とそれを目にした文の瞳に怒りが灯る。その怒りは間違いなく正当なものだ。
読んで価値がない、と判断されるのは致し方ない。
だが、目も通されないまま自らの成果物を目の前でコケにされて黙っていられるような輩は創作者として失格である。
明らかに魔理沙の行いは下種の行為。他人のプライドを踏みつけてあざ笑う行為には、敢然と立ち向かわなければならない!
されどそんな文の怒りを前にして。
霧雨魔理沙は悪魔のように嘲笑する。
「やかましいよ。コピペに価値なんざあるわけないだろ?」
「!」
「お前が書いたってんなら、勿論こっちだって一読して、ああ今日もお前の新聞は学級新聞だなって酷評してやるさ。一応金だって払ったんだ、少しぐらいは投資を回収したいしな」
「……」
「だが、他人の書いた文章を丸ごと乗っけてるようなもんなんか、目を通す気にもなりはしないね」
気づけば怒りの表情を浮かべているのは霧雨魔理沙の方であり、対する射命丸文は俯いて言葉を失っている。
「まったく、お前は上手くやったよ。まさか新聞を読むだけで昏睡するとは誰も思わないだろうからな」
まさしく幽々子様の仰るとおりだったな、と魔理沙は怒りの端に苦い笑いを浮かべる。
そう。三妖精が語った神社での顛末は、文が手渡した新聞に目を通した瞬間に霊夢が意識を失った、というものだったのだ。
「あの咲夜だってさすがにそこまでは警戒しなかっただろう。誰だって現在進行形の異変に関する情報は欲しいからな。とりあえず新聞を見てみるか、ぐらいに考えちまうだろうし」
「……」
「きっちり、一人ずつ眠らせていったわけだ。ご丁寧にも昏睡用の記事といつものお前の記事、二種類用意して複数人がいる場合にはいつもの方を渡していたってわけか。成る程、最初のうちは捏造新聞になっちまうわけだ。今回の事を大々的に記事にして危機感を煽るわけにもいかない一方で、何かしら記事を書かなきゃいけないんだもんな」
「……いつ、気がついた」
文が、定型文を朗読するような抑揚のない声を発する。
そこからは何の感情も読み取れないが、事実上それは敗北宣言に違いない。
「思い返せばさ、お前が紅魔館を訪れてあっさり一回の迎撃で引き下がったこと自体怪しかったんだ。お前、興味のあることにはとことん食い下がるもんな。そのお前が一回で引き下がったってのはつまり、もうレミリアが昏睡していることを知っていたからなんだろう? 早苗をあっさり迎撃できたのも、風を操る年季では早苗のはるか上を行くお前ならではだな」
光の三妖精に見張らせていたからだよ! なんて情けないネタバレはしない。したり顔で頷きながら魔理沙は能書きを連ねる。
こっちが味わった敗北感ぐらいはせめて相手にも味わわせてやらねば気がすまない、と言わんばかりに。
「ま、そんなことはもうどうでもいい。重要なのはこれからのことだ。その鞄を渡してもらおうか」
「……」
「入っているんだろう? どうせその中に、オリジナルが」
そう、皆を昏睡させる新聞記事。そんなものを一鴉天狗である射命丸文が独力で作り上げたと考えるのは難しい。
そして姿を消した大図書館といった要素を繋いで行けば、その元となっているであろう書物があるはず、というのが魔理沙の推論であった。
「そいつをお前に与えたのはパチュリーか? いや、それ以前に……」
うつむいたままの文を気味悪げな表情で見つめ、霧雨魔理沙は問いかける。
「お前、誰だ?」
文? が顔を上げる。感情が凍りついたかのようなその表情が射命丸文のものであるはずがない!
魔理沙を写していないその瞳をぐるりとめぐらせると文? は虚空へ抑揚のない声を放つ。
「私は博麗霊夢の介入を阻止できなかった」
「何?」
ドキリ、と魔理沙の感情が波打つ。
三妖精の話では霊夢もまた皆と同じく眠りについた、ということだったはずだ。だがその言はまるで……
――やれやれ、流石というかなんと言うか。やっぱりあいつは只者じゃないな。
三妖精の報告とその何者かの言を秤にかけた魔理沙は後者を受け入れ、そして小さく苦笑した。
三妖精が嘘をついたとは思わない。だが妖精の注意力では捉えにくいことも多々あるだろうし、目の前の敵が「失敗した」なんて嘘をつく理由がない。
さらには霊夢がただ一方的にやられるなんて有り得ない、というある種の信仰めいた感情も魔理沙の内には存在していたし、何よりそう考えたほうがこれから先のイベントで前向きに思考できる。
そう、これから始まるのは……
「これ以上の干渉は許容できない。十六夜咲夜以下、主だった人間は既に排除済み。残るは霧雨魔理沙ただ一人」
早苗は無事だぜ、と嘲笑ってやろうかと魔理沙は一瞬幼稚な思考にとらわれる。だが、それを口にして文? が早苗の元に向かっては面倒だ。
言いたい奴には言わせておけばいい。それにどうせ、
「故に、霧雨魔理沙もここで排除する」
「やってみろ三流妖怪!! まぁ何処の誰かは知らないがな!!!」
さあ、迷惑な妖怪退治の始まりだ。
◆ ◆ ◆
オプションスレイブ4基を同時生成。自身との相対距離を固定して周回させると同時に視神経と接続して周囲 360°の視界を確保。
翼を広げた文? が高機動に移行するより早く背後に回りこんだ魔理沙はマジックミサイルを一ダースまとめてスレイブに装填処理する。
4つのスレイブから3発、計12発のミサイルが文? の背中めがけて発射され、爆発して閃光と衝撃波を撒き散らした。
が、その直後にスレイブが高速で移動する影を捕捉する。
「外したか!」
爆発はどうやら迎撃されたものと、その衝撃波に巻き込まれて誘爆したものによる結果であるようだ。
全弾外れ。だが魔理沙とて初撃で簡単に片がつくとは思ってはいない。
まずは後ろを取った。これでよい、とばかりに魔理沙は高速飛翔に移行した文? の後に追いすがり、ラピッドショットで文? を牽制する。
同時に自身を中心に周回するオプションスレイブ2基を消去。直後にテストスレイブを2基生成、オートホーミングに設定して射出。
攻撃、索敵センサー、姿勢制御を兼ねているオプションスレイブを失うことで自身の総合戦力は低下するが、自動追尾スレイブによって相手への負荷を上げ、動きを制限する。
――……やれる、な。
振り向きざまに文? から放たれた天狗礫を魔法で形成したフェアリング表面でいなしつつ、照明弾を打ち上げた魔理沙は心の中で胸を撫で下ろした。
本来であれば人間である魔理沙と鴉天狗である文との間に弾幕ごっこでないドッグファイトなど成立するはずがない。
推力だけなら引けをとることはない、と魔理沙は認識している。だが妖怪と人間、両者には厳然たる戦力差が存在しているのだ。
鴉天狗の身体を持つ文? にとって戦わねばならない相手は魔理沙だけ。だが人たる魔理沙は文? の相手をしつつ、己の速度がもたらす負荷とも戦わねばならない。
加えて実戦弾級の魔術ともなれば弾幕ごっこのように常時ばら撒くような使い方など、とても人間魔法使いの魔理沙には出来やしない。そんなことをすれば数分で魔力が枯渇する。
マニュアルで、必要な時に、必要な量だけ、撃つ。
速度で劣り、手数で劣り、耐久性でも劣る。その不利認識を受け入れ、焦れない心を維持することから魔理沙の実戦妖怪退治は始まるのだ。
されど状況は魔理沙が圧倒的に不利というわけではなく、文? のほうにも足かせが存在する。
――やっぱり鞄を守りながらの高機動戦闘は困難だよなぁ!
魔理沙の読みどおり、どうやら相手は鞄の中身を失うわけにはいかないようで、それが文? の能力に制限をかけている。
加えて今の文? の動きはどこかぎこちなく、まるで始めて鴉天狗の実力を発揮した、とも思えるような稚拙さが伺えたのだ。
だから多分相手はこれまで高速戦闘を経験したことがない、と魔理沙は推測していて、そしてそれが事実であるのだろう。
相手よりも己が厄介と言わんばかりに宙を舞う両者の戦技は今は拮抗。
勝利の天秤がどちらに傾くかは、これからの両者の選択次第だ。
再度魔理沙が放ったミサイルをギリギリまで引きつけて回避した文? は急降下をかけると、鋭い弧を描いて魔理沙の下部後方へと回り込む。
文? の予想進路を塞ぐように硬度だけを強化したスターダストとデブリをばら撒いて機動を阻害すると、魔理沙もまた旋回しピッチを下げて文? を正面に捕捉する。
相対、そして交錯。
烈風弾とマジックミサイルが相剋し、喰らいあって消滅する頃には両者再度カーブを描いて文? は上空から、魔理沙は地上すれすれから再加速に移っている。
――さて、どうするか。
上空からのマクロバーストに崩された体勢を、足元の大樹を蹴った反動と周回オプションからのロケット噴射で立て直す。
継いで雨のように降り注ぐ扇弾とそれが破砕する木々の破片を、僅かに擦過傷を負いながらも魔理沙はすべて横滑り運動で回避しきった。
上を取る天狗の機動を二基のスレイブからのレーザーで阻害しながらピッチアップとともに再加速。
上空へと舞い戻った魔理沙は十発目の照明弾を打ち上げながら文? の動きをつぶさに観察していた。
既に開戦から十分程。
魔理沙から見て相手がコツを掴んできたという感が無いのは救いだが、代わりに相手のテンションは一定に保たれている。
そこには生物的とは真逆をいく、淡々とプログラムを実行しているような無機質な安定が感じ取れるのだ。
――長引かせるとこっちが不利っぽいな……にしてもお山の神々は何やってやがる!
生物としてバイオリズムに左右される魔理沙は、協力を約束したくせに未だ姿を現さない神奈子達に内心で毒を吐きながらスレイブにミサイル装填処理を送る。
相手が射命丸文、と分かった時点で紅魔館の協力を仰ぐのは難しくなった。
美鈴を引き連れて妖怪の山へ殴りこみ、なんてすれば居丈高で縄張り意識が強い天狗達は黙っちゃいないだろう。
だから渋る美鈴に頭を下げて紅魔館に残ってもらう一方で神奈子達に協力を取り付けたっていうのに、その神奈子達はいまだに姿を見せる気配すらない。
とは言え無いものねだりをしても仕方がない。
あれがあれば勝てるのに、なんて夢想を抱いても女神は微笑んではくれないのだから、手の内にあるカードで勝負するしかないのだ。
テストスレイブ2基を消去。オプションスレイブ2基を再生成。視認性と正面火力、機動力を強化して一撃必殺狙いに移行する。
テストスレイブは独立動作のため、魔理沙自身にもスレイブの動きが正確には把握できない。
背後に気を配る必要がなくなった文? の自由度は増すが、ランダムさがなくなる分こちらのほうが相手の機動をハメられる可能性も増す。後は魔理沙の技量次第だ。
後ろを取りに来た文? めがけて再びデブリをばら撒くが、今度の文? は多少のダメージ覚悟で鞄を守りつつ星屑の中を突っ切ってくる。ならば。
星屑の海を抜けた直後に相対するであろうタイミングを見計らって、速度はないが殲滅範囲に優れる空中魚雷をスレイブに装填処理、射出。
文? が動きの鈍い魚雷の隙間をかいくぐろうとした、その瞬間を狙って。
スレイブからのレーザーが、各々が射出した魚雷自体を打ち抜いた。
「!」
文? を包み込むように空が燃え上がる。
手ごたえあり! されど間接的な攻撃ゆえにダメージは深くないだろう。事実、文? は爆炎の裏に後退して旋回する魔理沙を凝視し、次の攻撃に備えている。
ならば、とどめの一撃。
再度スレイブに空中魚雷を装填処理。文? の意識を前方に惹きつけながら、先ほど地上すれすれを飛行した際に設置しておいたオプティカルカモフラージュスレイブへ光撃処理。
魔理沙の背後にいる文? のさらに背後、完全な死角。そこめがけて大出力のレーザーが地上から火を噴く。
その超高熱のレーザーは大気を切り裂いて走り、文? の背中に一直線に突き刺さ――りはしなかった。
「ばかな!?」
弾幕ごっこじゃない、正真正銘の光速の一撃が躱せるはずがない!!
慌てて二撃目、三撃目を立て続けに連射するが、文? は未来が読めているかのように死角からのレーザーを次々と回避する。
瞬く間に魔理沙の至近へ迫った文? を視界に捉えた魔理沙は――
「サードアイだと!?」
思わず我が眼を疑った。
文? の右胸付近に浮かんでいる半透明の球体と結心管。鴉天狗にあるはずがないその器官に驚愕し、魔理沙の動きが一瞬硬直した、
その隙に。
烈風弾に魚雷が粉砕され、爆光が魔理沙の視界を埋め尽くす。
「! しまっ……」
た。と口にし終えることすらできないだろう。気が付けば文? は魔理沙の横に回りこんでおり、そこは既に魔理沙にとって死地の間合い。
相変わらず表情筋が凍りついたかのような表情を浮かべている文? が圧縮した風をはらんだ葉団扇を魔理沙に打ちつけようと振りかぶる。
目の前に迫る死に思わず魔理沙は目を瞑りそうになり、されどせめてもの抵抗、とばかりに文? を睨み付ける……が。
「た?」
……口に出来た?
なぜ、攻撃がこない?
なんて考えるのは後だ。相手が空振った今がチャンスなのだ! 鞄を奪って勝利を手に入れろ!
と、生存のために磨き上げた状況認識能力の囁きに従う。
即座に魔理沙は次の未来絵図を描き上げると、間髪入れずにそれを現実のものとすべく行動を開始した。
◆ ◆ ◆
固体かと疑う程までに凝縮された空気弾が魔理沙の脇、虚空を引き裂いて飛んでいく。
――外した?
そんなはずは無い。確実に仕留められる間合いだったはずだ、外れるわけが無い。
外れたのは……魔理沙が避けたからではない。左側面から魔理沙に迫っていたはずの文? はなぜか高度を失って魔理沙の右下方を飛行している。
いずれにせよ再度姿勢を立て直し、相手が虚脱から復帰する前に再度攻撃に移ろうとして……しかし彼女は姿勢を正せずに落下していった。
――なぜ、軌道が変わらない?
彼女が背中に鈍い痛みを感じたのはそう考えた後だった。振り向いて背後を見やると右翼が半ばでへし折られ、そこから真紅の液体が飛び散っている。
その断面はレーザーで焼かれたでもなく、ミサイルで爆砕されたでもなく、まるで超高速の小片に抉られたかのようで……
ふと、文? の眼に、遠方の地上で鈍く光っている二つの鬼火が映った。
闇を見通す鴉天狗の眼で改めてそれを凝視すると、はたしてそれは鬼火などではなく……
そこに在るのは三体の人妖。
はしゃいで万歳するかのように両手を挙げている、赤いドレスを纏った金髪の人形。
頭と足に包帯を巻いた痛々しい姿ながらも、人形の小さな手に己の手を打ち付けて喜びを分かち合っている、首に双眼鏡を下げた人間。
そして最後に、伏臥して己の身長ほどもある長砲身の狙撃銃を二脚と己の両手、右肩で支えている月の兎。
その兎の赤く染まった双眸と、視線が交錯する。
――見て……しまった。
狙撃手が己の位置を知られることは本来ならば圧倒的不利な状況に陥ったことを意味する。
されど狂気の瞳を持つ鈴仙・優曇華院・イナバにとっては話は別。
相手が己に目線を向けてくるその時は鈴仙にとって不利どころか二度目の攻撃のチャンスでしかない。
ついに文? が身体のコントロールを完全に失って空を錐揉みに落下していく。
翼を損傷したためだけではなく、おそらくは文? の翼を撃ち抜いた弾体に塗りこめられていた麻痺毒と、狂気の瞳によって。
落下する文? の脇をレーザーが走り抜け、それと同時に文? の肩にかかっていた重みがふっと消え去った。
肩紐を焼き切られた鞄が落下していくが、文? にはそれを掴むことが出来ない。
いや、手が伸びているかどうかすらもう、分からない。
「……失敗か。うまく……いかないものね……ごめんなさい……」
それ以上を口にすることが出来ないまま、射命丸文の痩躯は隆起する大地によって構成された大蛇にペロリと飲み込まれた。
裏面には陰陽魚太極図、表には『心曲』と記された草紙。それを一瞥して再度鞄に戻した後、魔理沙は目の前に現れたちんまい協力者に視線を移して口を尖らせた。
「諏訪子か。……お前遅いじゃないか、何やってたんだよ? 神様の癖に役に立たないな」
「仕方ないじゃないか、こっちだって天狗との交渉とか下準備があるんだよ。そっちこそ勝手に戦闘を始めるなっつの。死にかけてたじゃん」
とん、と大地から伸びる大蛇の上に降り立った坤神、洩矢諏訪子はぎょろり、と四つの目で大蛇の横に浮遊する魔理沙をにらみつける。
「そいつが勝手に始めたんだよ、私のせいじゃない……で、文は任せても良いわけか?」
問われ、諏訪子は魔理沙が持つ鞄に目をやって小考する。
「魔理沙、その鞄をどうするつもりだった?」
「ん? いや、こういうのに詳しい知り合いがいるからそいつの所に持ち込むつもりだったが……まずいか?」
「勿論。どうやらそっちが本体で、文はその中のヤツに乗っ取られていただけってことみたい。だから人間がそっちを持ってるほうが危ないでしょ? ほら、文と交換だ」
んべぇ、と土塊大蛇が文を吐き出す。魔理沙は慌てて両手を塞いでいた鞄を諏訪子に放り投げ、落下する文をキャッチした。
「そいつと、ベッドを抜け出したうちの馬鹿をとっとと医者に連れてってくれる? 天狗達に一報告終えたら神奈子をそっちに行かせるからさ」
「お前は来ないのか?」
「お山の三柱がそろって留守にするわけにはいかないでしょ?」
「そうだな……おまえこそ乗っ取られるなよ?」
「かなり強い念が有るにゃ有るが……祟り神を乗っ取るにゃあ年季が足りないわね、こいつ」
見下すように諏訪子はケタケタと黒い笑いを浮かべると、大蛇と共にズブズブと大地に埋もれていく。
だよなぁ、と一つ小さく呟いた魔理沙は文を背負うと、いまだ喝采を続けている影の功労者達へ合流するべく箒を向けた。
「やれやれ、たまには颯爽と単独で勝利を飾ってみたいものだがなぁ。……ま、いいか。まだまだこれからだ」
悔しげに一言だけ呟いた後に表情を変え、懐から取り出した手鏡で自分が笑顔を浮かべていることを確認してから。
魔理沙は何事もなかったかのようにそこから飛び去っていく。
その背中に土中からの視線が注がれていたことに気付くことも無きままに。
馬鹿だなぁ、と諏訪子は笑う。戦場から生還出来るのは力のある者だけだ。
それは腕力然り、兵を雇える財力然り、そして知人の協力を得ることが出来る魅力もまた、然りだ。力の無いものには、時に生き延びることは出来ても生き延び続けることは出来ないのだ。
魔理沙はそんな事実に未だ思考が及ばないようであるが、されど他者を拒絶せず依存せず我武者羅に進むその生き方こそが、彼女の魅力であるのだろう。
「いぇーい!!」などと叫びながら早苗やメディスンとハイタッチをしている魔理沙の後姿。
その金髪は、夜半の闇の中でも光を失わず僅かな月光を反射して輝いている。
「箒星の価値ってのはさ。何処に落ちるかじゃなくてどれだけ輝いて飛んでいられるか、だろう? 結果だけに囚われるなよ、馬鹿者が」
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――博麗霊夢と霧雨魔理沙の会話翌日・未明――
「酷い有様だな……まぁ仕方が無いとは思うが」
「いや、そんなこと言わないで魔理沙さんも抗議してくださいよ! ちゃんと反省して謝罪したっていうのに永琳さん酷すぎますよ!」
「隣に怪我人が寝ているのですからお静かに。何なら傷口だけじゃなくてそのお口も塞いでもいいのよ」
「く、唇で……?」
「お望みとあらば」
永遠亭に文と早苗を送り届けた後、一度博麗神社へ移動して霊夢をきちんと布団に横たえ直して戻ってきた魔理沙が目にしたもの。
それは未だ弛緩した表情で眠り続けている射命丸文と、その横でベッドに縛り付けられたまま抗議の声を上げる東風谷早苗。
そしてその早苗を――すさまじい威圧感とは裏腹に――穏やかな表情で見つめている八意永琳の姿だった。
メディスンと鈴仙は係わり合いになることを恐れるかのように病室の端っこのほうでソファーに腰を下ろしていた。
勝利の立役者である二者であるがその表情に喜びは無く、両者共に目で「私たちに話題を振ってくれるな」と魔理沙に語りかけてきている。
「言っておきますがそのフェムトファイバー注連縄は貴女には決してほどくことは出来ません。無駄な努力はお止めなさい」
「なんだ永琳、珍しく怒ってるじゃないか」
「当たり前でしょう。医者にとって最も腹が立つ行いは、せっかく助けた命をドブに捨てようとする行為なのだから」
屹、と睨む。有無を言わせぬその迫力に魔理沙も思わずたじろいだ。
「……早苗、諦めて大人しくしてろ」
「……すみませんでした、永琳さん」
「御免で済んだら医者は要らないのよ」
ま、私は薬師なんだけど、と軽口を叩く一方で怒気を緩めぬ永琳を前にしては魔理沙も早苗も早々に口を噤まざるを得ない。
「友人の身を危ぶむのは結構。ですがそれで自分の命を疎かにしては意味が無いでしょう?」
「ははー、仰るとおりでございます」
「己の死を意識できないものは他者を不幸にする。己が死んだとき、どれ程の者が涙を流すか。真剣に考えたことはあって?」
「うーん、まだ神奈子様と諏訪子様くらいでしょうか?」
「戯け」
「あべしっ!」
早苗の鳩尾に容赦なく拳を捻じ込む永琳に仁王を見た魔理沙は、無意識に一歩あとずさりする。
「ま、まぁあれだ。それはともかく文の容態はどうなんだ? 結構出血してたみたいだが」
早苗や鈴仙達に助けられたが故に若干の後ろめたさがあったのだろう。
魔理沙は早苗から永琳の意識を引き剥がそうとするが、
「たいしたこと無いわ。妖怪の再生力ならあの程度の傷は一週間もせずに塞がるでしょう。問題は神経毒のほうね。メディスン、貴女少しばかり毒を盛りすぎよ」
飛び火した。
「え!? いや、でも、神経毒だし」
「神経毒でも何でも当たり所が悪ければ毒が血流に乗ってあっさりと全身に回ります。下手すれば呼吸困難を引き起こしてそのままさようなら、よ? 以後気をつけるように」
「い、いえすまむ」
蛇に睨まれた蛙のような、いや繰り糸で操られる人形のようなガクガクとした動きでメディスンは永琳に敬礼する。
「で、ウドンゲ。貴女は何で早苗の同行を許可したのかしら?」
「そ、それはですね」
「永琳さんから外出許可をもらったのです!」という早苗の言葉を鵜呑みにしたからではあるのだが、よくよく考えれば死にかけた人間の外出を永琳が許可するはずなど無いのである。
己の被害は最小限に、敵の損害は最大限にが軍人の鉄則。文が敵か分からない以上、文の負傷は最小限に留めなくてはいけない。
己の技量と早苗の奇跡を組み合わせれば移動する鴉天狗の羽を撃ち抜くという神業すら可能である、と言うのが鈴仙の見立てであった。
そして目論見通りに事はこなせたのだが、それを正直に語るのは(永琳からすれば)訓練不足との指摘を催促するようなもの。
進退窮まった鈴仙もまた内心で頭を抱えた。
「ん? 待てよ永琳。お前がここにいるってことは一体誰があの草紙の解析をしているんだ? 神奈子だけか?」
「いいえ、八雲紫にお願いしてあるわ」
自分に難癖が飛んでこないように流れをぶった切るつもりで質問した魔理沙だったが、帰ってきた応答は些か魔理沙の予想の斜め上を行くものだった。
「あれ、お前らそんなに仲良かったっけか?」
「まぁそんなに仲は良くないけれど、非常事態だし仕方が無いでしょう? 二次元と三次元の境界を覗くのは彼女のほうが都合がいいしね」
「……どういう意味だ?」
「あと2,30分もすれば分かるわよ。それより魔理沙。さっきから手の上で弄んでいるそれ、霊夢の陰陽玉よね?」
「ああそうだ! そうだった、地底に宣戦布告するんだった。忘れてたぜ」
魔理沙が博麗神社から持ち出した「それ」とは、以前地底に潜ったときに霊夢が使用していた陰陽玉である。
その一つが今も地霊殿に置かれているため、スイッチ一つで地霊殿につながり、しかも心を読まれない。
おまけに霊力を込めれば相手側にショットも送り込める、実に便利な道具なのである。
「地底のサトリね」
「そうだ。パチュリーが最後に読んでいた本も意識に関するものばっかりだったし、何より文モドキの奴、胸にサードアイを浮べてやがった。半透明だったから本物じゃないとは思うが、性能は本物だったみたいだしな」
「確かに私の風も、まるでどう吹くか分かっているかのように躱されましたね」
ベッドの上から付け加える早苗に永琳は一つ頷いてみせる。
「そして心が読めたから確実に安全、危険を判断して一人一人眠らせて行けた、ってことね」
「その裏をかいたっていう霊夢は一体どうやったんだかなぁ。マジであいつ人間じゃないんじゃないか? ほんと」
文モドキの奴油断しすぎじゃないか? などと若干の悔しさをにじませながら魔理沙は陰陽玉を握り締める。
「霊夢はどうせその場の思いつきで行動したのでしょうね……それはともかく宣戦布告は解析結果が出るまで待ってみたらどう? どうせ地底は袋小路。入り口2つを塞げば逃げ場はないのだから」
「探りを入れるくらいなら問題ないだろ。いい加減待ちの姿勢で踊らされるのは御免なんだよ」
言うが早いか魔理沙は陰陽玉のスイッチを押す。ぐずぐずしていたら霊夢に手柄を全て取られてしまうではないか!
そう返した魔理沙に永琳は軽く肩をすくめて見せたが、それ以上の言及は控えた。
数回のコール音の後、反応があった。
「ああこちら霧雨魔理沙だ。貴様は誰だ? さとりか?」
『私はしゃべる馬のエド。古明地さとり様のペットです』
「よーしいいかエド。急用があるからさとりに代わってくれ。40秒以内にな」
『さとり様は現在霧雨魔理沙様と博麗霊夢様の来訪に対応中です。偽者はさようなら。それでは』
ブチッ、ツーッ、ツーッ、ツーッ……
「ねえ魔理沙、どうだったの?」
「鈴仙、射撃用意!」
メディスンの質問には答えず、魔理沙は額に青筋を浮かべたまま号令を一つ飛ばして射命丸文のベッドへと近づくと、全力で文に向かって箒を振り下ろした。
が、その魔理沙の箒は文に吸い込まれることはなく、ただベッドの上の枕をへこませるのみ。
「あややややや、怪我人に向かってなにするんですか、魔理沙さん」
「狸寝入りご苦労だったな、文。質問があるから正直に答えろ、さもなくば鈴仙が狙い撃つ!」
「こ、答えます、答えますからその物騒なものを抜かないで下さい鈴仙さん! まだ麻痺っててうまく動けないんですから」
「……へぇ、いつも通りなら躱せる、ってことかしら?」
「やべ、台詞間違えた?」
「ちょ、文さん、私を盾にしないでください!」
ぎこちない動きで文は早苗のベッドの陰に隠れ、拳銃嚢に収められたマシンピストルの銃把に手を掛けている鈴仙の視界から逃れようとする。
そんな文の首根っこを掴んで、魔理沙は苛立たしげな視線を叩きつけた。
「お前、パチュリーと一緒に地底に行ったんだろ。大方博麗霊夢と霧雨魔理沙って名乗って」
「う……鋭いですね魔理沙さん」
「私もよく使う手だからな。気付きもするさ」
「「「…………」」」
メディスン、鈴仙、早苗が何か言いたげに魔理沙を見つめてくるが、魔理沙にとってそんなものパチュリーのジト目に比べれば涼風同然だ。
「で、どうしてそういう話になった? お前とパチュリーじゃ正直あまり接点が見つからん」
「いやぁ、魔法で姿を隠して妖怪の山に踏み込んできたパチュリーさんを椛の千里眼が見つけましてね。どうするべきか対応を問われまして」
「ああなんだ、お前は興味本位でついてっただけかよ。で、妖怪が地底に潜るわけにはいかないから私達のふりをしたってわけか」
「ご明察。さとりさんがなにやら本を溜め込んでいるって言っていましたので。ネタ位にはなるかなー、と」
飢えてたんですよー、と嘆いてみせる文に皆が呆れた視線を注ぐ一方で、魔理沙は一人怪訝そうに首をひねる。
「ちょっと待て、何でパチュリーがそれを知ってるんだ? 阿求はまだ改版した縁起を公開してないはずだが」
「え? パチュリーさんは魔理沙さんに聞いた、って仰ってましたが?」
「何だと?」
皆の視線が魔理沙に集中する。
――そういえば、前に図書館の扉をぶち破って侵入した時に。
殊更に魔理沙の行動を責め立てるパチュリーの早口を塞ぐために、あいつの興味がありそうなネタを振ったような……なんていうことを今更ながらに思い出したのだ。
「心当たりがあるんですね」
早苗がベッドの上からジットリとした目線で魔理沙をねめつけてくる。
「ちょ、ちょっと待て。私が語ったのはいずれ阿求が本にして公開する内容に過ぎん! だから遅かれ早かれパチュリーは地底に向かったはずだ! 私のせいじゃないぞ!?」
「……ほんとかなぁ」
「本当だって! 改版された幻想郷縁起を見りゃ分かるから!」
「そうね、魔女の興味は尽きること無し。問題が前倒しされただけならば、ここで魔理沙を責めても仕方がないでしょう。で?」
「で? とは?」
魔理沙を庇った、というよりは脱線しかけた話の筋を元に戻したいだけであろう永琳は文へと視線を向けて記者の本領、と呟いた。
「地底の様子。貴女は何を見たの? 地底のサトリとパチュリー・ノーレッジはグルなの? それともどちらかの単独犯?」
核心を突く永琳の問いかけに皆の視線が文へと一極集中する。
されど当の文はそれらの瞳に臆したかのように冷や汗を滲ませると、アハハという乾いた笑いと共に頭をかくのみ。
「それが、お茶をいただいてから書庫に向かったところまでは覚えているのですが……」
「そこから先は何も覚えていないのね?」
「……お恥ずかしながら」
ぽりぽりと頭をかいて苦笑いを続ける文に注がれる皆の目線は氷柱の如く冷たく鋭かった。
「妖怪って長く生きるほど格が上がっていくってわけじゃないんだね。スーさんのほうがよっぽど凄いのかも」
「事件を前に手ぶらで帰る。かつてこれほどまでに情けない新聞記者がいたでしょうか?」
「いつまでもゴシップ追って時事に流されていると記憶も流動的になっちゃうのかな」
「なぁ文、千年生きてる妖怪の癖にあっさりあんな草紙にのっとられてカッコ悪いって評価と、ブン屋の癖に文字の列記に踊らされるなんてカッコ悪いって評価、どっちがいい?」
「ぐ……ぜ、前者で……」
文のブン屋としての誇りに対してちょっと感心したような視線を一つ投じた後、魔理沙は再び己の手の内にある陰陽玉を注視する。
「結局はこいつに頼るしかないか……」
再度スイッチをプッシュすると、やはり数回のコール音の後に反応があった。
「こいしの友人の比那名居天子だ。お前はしゃべる馬のエドか?」
『いえ、私はしゃべる鹿のエトです。比那名居様ですね? ご用件をどうぞ』
「……お前はエドの兄弟か?」
『馬と鹿が兄弟とかホント馬鹿かと。それが用件ですかお馬鹿さん』
「~~っ!!! ……火焔猫燐に用がある。代わってくれ」
『お燐に?……しばしお待ちを』
ミレミレミシレドラ~、と世界的に有名なイ短調を流し始めた陰陽玉を、
「……ぶるぁああああああああ!!!!」
魔理沙は全力で永遠亭の床に叩き付ける。
「ちょ、ちょっと! 何やってるのよ!」
「鹿が! 鹿なんかに!」
「落ち着きなさいよ魔理沙、ほら」
鈴仙が拾い上げた陰陽玉からは『もしもーし? 』という軽い声が聞こえてきている。
呼吸を整えると魔理沙は再度気を取り直して手渡された陰陽玉を頬に当てる。
『えーと、比那名居さん? って確かこの前こいし様と一緒にやってきてさとり様泣かせて帰ったおねーさんでいいのかな?』
「え? (あいつ何やってんだ?) ああすまん、私だ」
『ん? ……その声、盗人のお姉さんか。で、どうしたの?』
あまりに邪気がないそのお燐の問いに、一瞬魔理沙は呆気に取られた。
「どうしたの? って……お前、地底はなんともなってないのか? いや、そもそもさとりはどうしてる?」
『え? ちょっとごめん、あたいさっきまでお空とともに灼熱地獄に篭ってたから話がよく分からないんだけど、さとり様は……あれ? さとり様の行動予定表が一週間近く更新されてないな。最後の予定が……お姉さん達の接待? どういうこと?』
「ああ、それは私達の名を騙った偽者なんだが……嫌な予感がするな。お前ちょっとさとりの書庫を見に行ってくれないか?」
『そこはペット立ち入り禁止なんだけど……察するに非常事態っぽいね。了解』
ニャアと問えばカァと帰ってくる燐の頼もしさに思わず魔理沙は涙をはらりとこぼしそうになる。
「予定が一週間更新されてなくても気にしない馬鹿共とは比較にならんなぁ。お前が地霊殿に居てくれてホントよかったよ」
『あはは、おだてても死体しか出てこないよ? それにしゃべれるだけでも結構優秀なん……って! さとり様!!!!』
がたん、と陰陽玉が地に落ちるような音が聞こえると、とたんに燐の声が遠くなる。
さとり様、しっかりしてください! なんて声を遠くに聞いた魔理沙は苦り切った。もう答えは予想できたが一応とばかりに声を張り上げる。
「おい! 幸いなことにこっちは今病院に居るんだ! 医者に伝えるからそっちの状況を教えろ!」
急に声を荒げた魔理沙に皆の視線が説明しろ、とばかりに集中するが、正直魔理沙はもう口を開くのも億劫だった。
ちょっと待ってろとだけ目で返すと黙したまま燐の応答を待つ。
『さ、さとり様となんか病弱そうなお姉さんがなんか安らかに眠ってて目を覚まさないんだ! どうしよう!』
……ああ、やはりか。
犯人と思われていた二人すら昏睡とは。
どうしようはこっちの台詞だよ、と魔理沙は軽く眩暈を覚え、脱力してドスンと見舞い人用のソファーに沈み込んだ。
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――博麗霊夢と霧雨魔理沙の会話翌日・明け方――
ここは寝殿造に似つかわしくない異彩を放つ密閉式の扉の奥。永遠亭における八意永琳の研究室の一つ。
両壁の天井まで続く、所狭しと並べられた薬品棚に囲まれた部屋に萃まったのは八意永琳、八坂神奈子、八雲紫、そして霧雨魔理沙の四者のみ。
残る者達は部屋の外での待機を命じられていた。
密閉式の扉は内と外を完全に遮断してくれるため、仮に外の者が耳をそばだてていても中の会話は外には聞こえないだろう。
輪を成して座す四者の中心には小卓があり、そこから独特のウバ・フレーバーを放つ紅茶が湯気を立てているものの、それに手をつけるものはいない。
4つ用意されたパイプ椅子に腰掛けた誰もが、狭い研究室で腕を組んで押し黙っている。
「で? 一応は説明をしてくれるんだろう?」
「一応どころか、一から十まで説明してあげるわ。おまけにこれから先の方針も貴女に決めさせてあげる」
口火を切った魔理沙にそう言い放った――冬眠入りし始めたところを無理やり叩き起こされた――八雲紫は普段と変わらぬ態度をとろうとはしているものの、普段の艶然とした笑みを浮かべられずにいる。
若干強張った表情で静かに四者の中央にある小卓に『心曲』と題された草紙を置いて、紫は残る三者の顔を見回した。
「まず、この異変の犯人ですが、既に検挙されています。貴女が射命丸文から回収したこの草紙、これがすべての元凶――の一つです」
「一つ?」
「そう。射命丸文を操っていたのはこの草紙、だからこの草紙がリーダー格で実行犯ではあるのだけどね。総合的なこの異変の犯人は妖怪化した本の群体よ。……ねぇ魔理沙、貴女は本の望みって何だと思う?」
分かりにくければ付喪神を思い浮かべればいいでしょう、と唐突に紫は質問を日傘と共に魔理沙の目の前に突きつけてくる。
付喪神に傘、ときて多々良小傘を思い浮かべた魔理沙は、
「付喪神の望みは使ってもらうことだよな……ならば、『読まれたい』か?」
「大正解。本の望みは読まれること。されど古明地さとりが死蔵していたこれらの書物は誰かの目に留まることもなく、数百年近い年月を地底で悶々と過ごしていた」
それは彼らにとって己の使命を果たせない、耐え難い苦痛だったのでしょうね、と紫は語る。
魔理沙は首肯した。化け傘と化した小傘とて未だに傘としての用途にこだわっている。
では本の役目は? と問うならば、答えは大切に保管されることではなく、記録を情報として読者に伝えること、である。
保管はあくまで情報を劣化させないため。読まれることこそ本の価値。読まれない本に意味などないのだ。
「そして彼らは千載一遇のチャンスをものにしようとした。すなわち、パチュリー・ノーレッジ、射命丸文という来客によって書庫が開かれた瞬間を」
「……動機は理解できたがな、現実的に今何が起きてるんだ? あいつらが延々と夢物語に現を抜かしている状態と……夢物語?」
己が口にした単語に突っ掛かりを覚えた魔理沙は顔をしかめるが、紫はその通り、と魔理沙に軽い称賛の眼差しを送ってくる。
「ここから少し話がややこしくなるわよ? ……そしてその本達は考えた。どうすれば己が読まれる状況を作り出せるのか、と」
神奈子が紫の言を引き継ぐ。
「その答えは『己達以外は娯楽の存在しない世界を創造すればよい』。ま、一種の結界術と言い換えてもいいな。そいつらはそれを夢の中に求めた」
「夢幻世界の構築か」
「そうだ。今回はそれを実行するための役者がそろってしまったんだ。すなわち」
神奈子が三本立てた指の一本を折る。
「パチュリー・ノーレッジ。夢幻世界を設計するための知識と魔法担当。彼女の内にある賢者の石を触媒にすれば結界世界の一つ位は余裕で構築できるだろう」
「賢者の石か……いい笑顔とは程遠いあいつがなぁ」
「何の話だ?」
なんでもない、と語る魔理沙にいぶかしげな視線を向けた後、神奈子はさらにもう一本の指を折る。
「続いて夢幻世界に引き込むための催眠術。これは本達の生みの親である古明地さとりの能力を取り込んだんだろう。故にこの本に目を通したものは夢幻世界に引きずり込まれる。コピペでも然り、だな」
「ああ、『催眠』術か。そういや鈴仙だけじゃなくってあいつも催眠術使えたんだったな」
第三の目から放たれる、すべてを明け透けにするような気色悪い光を思い出した魔理沙は軽く身震いした。
そんな魔理沙をチラリと見やった神奈子は最後に人差し指を折り畳む。
「そして最後、その力を行使して人を夢幻世界に引き釣り込む実行犯。これは誰でもよかったのだろうが、射命丸文とは実に最悪の選択だな。見事に被害が広がった」
「全くだ、新聞で催眠術ってのは性質が悪すぎるぜ」
「以上が概要ね。続いて、本達が構成した夢幻世界と、取り込まれた人間達がどうなっているかを説明しましょう」
再度説明役に戻った紫がパチンと指を鳴らすと、円陣を組んで座す彼女達の中央卓の上に空間の裂け目が現れ、そこから立体映像が飛び出してきた。
そこには二重の外殻を持つ球体が映し出されている。
「まず今回構成された夢幻世界は二重構造になっています。内側の空間が普通に眠らされた者達の意識が閉じ込められる場所。この中で被害者達は延々と古明地さとりが溜め込んだ書物をあたかも実体験であるかのように順々に楽しんでいます」
「本当に見せる、読ませるだけが目的なんだな……」
内側の空間。卵で言えば黄身に相当する部分を指して解説する紫の言葉に魔理沙が呆れとも感心とも付かない表情を返す。
成る程。読んでほしい、という感情それ自体は悪意になりえない。美鈴が気がつかなかったのも頷ける話である。
「ええ、だから八意が判断したように身体的には衰弱死以外の危機は一切無いの。読者を殺しては読ませる相手を集めなおさなければいけませんからね」
「ん? じゃあ、すべての本が読み終えられればみんなは目を覚ますのか?」
「否、この空間はクラインを描いているわ。すなわちエンドレス。永遠に被害者の意識が目覚めることは無い。……言うなればこの世界は本棚そのものなのよ。本が取り出され、読まれ、また収納されるというそのサイクルに明確な終わりは存在しないの。流動的な半熟の黄身よ」
「成る程ね。とすれば外側の世界は内側のループを維持するための世界よね?」
外側の空間。卵で例えるならば白身の部分を指してそう問うたのは永琳だ。
「正解。ここはしっかり固まった白身で、一定条件下の元で終了を迎えます。無限ループを維持するための世界は無限ループにはできませんからね」
「……とりあえず白身をぶっ壊せば黄身も自動的に流れ出して、みんな目を覚ますってことでいいのか?」
「ええ、その通り。ちなみに先ほどの世界が本棚とするならば、この外殻部分の世界は本。古明地さとり、パチュリー・ノーレッジ、途中から乗り込んだ博麗霊夢の意識はこの草紙の配役としてここに閉じ込められています」
「本が本棚を内包してるってのも不思議な話だなぁ……で、その一定条件というのは?」
「本が本として成り立たなくなるか、もしくはストーリーが最後のページまで到達するか、本自体が消滅するか。この三つ」
紫はそう言いながら今度は神奈子とは逆に一本ずつその白魚のような指を立てていく。
「まず一つ目。物理的な本の破壊。現在それは我々の手の内。いとも容易く破壊できるでしょう」
「ああ、こいつがそれなのか……でもどうせ出来ないんだろう?」
「ええ、これを破壊すれば、黄身、白身問わずこの夢幻世界の内にある者達の意識も一緒に破壊されます。最も簡単にして被害の大きい手段。ま、最後の手段と言った所かしら」
「医者としては許容できない手段ね。事態が収束するだけで誰も助からないわけだし」
低く呟いた永琳に神奈子も同意するように頷いた。
「次に二つ目。ストーリーの不成立。現在この草紙のストーリーは1/3程度が消化されています。ここで登場人物を全て消去してしまえば物語は破綻。世界は表紙――即ち白紙に戻らざるをえません。その隙を突くことは容易いでしょう」
「……つまり霊夢達を殺すってことか」
「この場合の被害者は三名で済みます。最初の手段よりは良手ではなくて?」
思わず紫の襟首を絞めかからんと立ち上がった魔理沙の肩を神奈子が掴んだ。悲しみを湛えた表情で小さく首を横に振る。
そう抑えられた魔理沙もまた、紫の心情に思い当たって沈黙した。
紫にとって博麗の巫女を失うのは痛手であるし、なにより紫が霊夢を若干だが特別視しているのを――同属ゆえか――魔理沙も看過していたからだ。
だが、幻想郷の管理者たる紫には選ばなければならないモノもまた存在するのだ。
「最後の一つは……ストーリーの完結よね?」
「そう、物語が最後まで行き着いてしまえば当然のように世界はそこで終わり。すぐさま草紙は裏表紙から表紙に戻ろうとするでしょうが、その前に介入すれば同様に夢幻世界を解体することが出来るでしょう」
「……あまり聞きたくないが聞かなきゃならんな。その最良手をなぜ最後に回した?」
紫の解説が魔理沙の生存本能に引っかかってアラートを響かせているが、それを無視して魔理沙は問いかける。
「この草紙の主要な登場人物は四名。最初は二体の妖怪から始まって、そこに二人の人間が追加されていきます。追加される人間には制限があり、一つは妖怪とある程度渡り合えること、二つに妖怪と友人になれること。三つに人間同士が親しい、もしくは親しくなれること」
「一人は霊夢が既に追加されているから、後一人送り込めばいいってわけだ。成る程、こいつが言っていた意味が理解できた」
――これ以上の干渉は許容できない――
そう語っていた草紙の意図を把握した魔理沙はポンと両手を打ち合わせる。
あと一人誰かが入ってきてしまえば物語は否応無しに進行し、延々と本を読ませ続けるという彼らの望みが潰えてしまう可能性があるということなのだろう。
この草紙とて読まれなかった本の一つである。ならばエンディングに至る筋道が整ってしまえば、自然とストーリーを先に進めようとしてしまうはずだ。
「なら私が行けばすぐに解決だろうが。なにが問題なんだ?」
そう問いかける魔理沙に、一瞬口を詰まらせた後、紫はきわめて事務的な口調で呟いた。
「この草紙のストーリーは、二体の妖怪と一人の人間が互いにすれ違い、道が分かたれていったところでお終い。残る一人の人間はそこにはいない」
「……おい、どういうことだ……」
「人間のうち一人はエンディングを迎えられない。逆に言うならば一人が死んだ状態でなくてはエンディングに辿り着くことができない」
「…………」
沈黙が、場を支配した。
「……その一人の死を以って一人の人間と一体の妖怪が心を閉ざし、残る一体が館に引きこもることでこの物語は終焉を迎えます。そこまで忠実に再現する必要はないでしょうが、エンディングは三名。これだけは明確に描写されていますのでこれを覆すのはほぼ不可能と言ってよいでしょう」
「馬鹿な……そんな馬鹿な話があるか!」
そう、それはつまり、これからストーリーを完結させるために介入する人間は「己が死ぬ」か、「霊夢を見殺しにする」かのどちらかを選ばなければならないということだ。
「事実です。これを拒否するならば残る二つの選択肢を採らざるを得ません」
しかし、どちらの選択肢にも「霊夢の生存」が存在しない。
ならば魔理沙と霊夢が同時に生存するためには、魔理沙は第三者を送り込んで、そいつが死に至るよう願うことしか出来ないということになる。
だが、そんな下衆な真似が魔理沙に出来るはずも無い。
「……ふざけんな。そんな救いのない話を書いたのは何処のどいつだ!」
「著者名が記されていませんので、これはおそらく古明地さとりの手記でしょう。この内容に当たる事例には私も心当たりがあります」
「ああそうかい!」
「登場人物が死ぬ本なんていくらでもある。気持ちは分かるが落ち着け魔理沙。冷静な思考と知識こそが魔法使いの武器ではないか」
「……最後にモノを言うのはパワーだよ」
たしなめる神奈子にそう小さく反論すると、魔理沙は腕を組んで押し黙った。
「一人が死んだ直後にストーリーが終わっていれば、蓬莱人を使うことも出来たのでしょうがね……」
呟く紫の声が、虚しく部屋に響く。
「……言わないのか? いや、言えよ」
一分ほど沈黙を守った後に、魔理沙はそう紫に向けてボソリと呟いた。
その言葉だけで魔理沙の意図を理解した紫だが、されどあえて魔理沙に問い返す。
「何を?」
「貴女一人が死ぬのが一番被害が少ないし、貴女が死ねばみんな助かる。お願いだから皆のために死んで頂戴、ってさ。そのために私一人をここに呼んだんだろうが!!」
そう、霧雨魔理沙は殺してはいけない人間ではない。幻想郷の維持に必要不可欠な博麗の巫女に比べれば幻想郷内での魔理沙の重要性など比較にすらならない。
残る人間のうち、お山の三柱である早苗の命、ないしは新たな勢力を築きつつある仙人達の命よりフリーランスである魔理沙の命が消えることのほうが幻想郷のパワーバランスに影響を及ぼさない。
送り込める人間が限定されているこの状況で、どの命を消費するのが得策かを冷静に考えれば、辿り着く答えはたった一つしかないだろう。
そう叫んだ魔理沙を目にして、一瞬だけ紫はその表情を悲しみに曇らせる。
「……言えるわけないでしょう。貴女もまた、この幻想郷に暮らす命の一つなのだから。言えるわけがない」
八雲紫ほど幻想郷を愛している存在はいない。幻想郷の存続を脅かす存在を除けば、幻想郷に暮らす全ての命が紫にとって守るべき存在。
しかしその一方で、どうすれば死者の数を減らせるかを冷静に考えることもまた、幻想郷の管理人たる紫の責務である。
これまでに幾度となく紫は馬謖を切り捨ててきた。必要とあらば、咎のない者すら。
だがどれだけ涙したところで切り捨てられる側が切り捨てる側を許すことはない。
――されど、どれだけの罪を重ねても。
八雲紫には守るべきものがある。
「私が貴女をここに残したのは、貴女が霊夢の命を他人の意思決定に委ねたくはないだろうと思ったからよ。さあ霧雨魔理沙、三つの選択肢と、選択権の放棄。どれでも好きなものを選びなさい」
本心と虚心と、そして謝罪と決意を胸にそう八雲紫は言い放つ。
その言の卑怯さを、言い放った本人を含めた四者全てが理解している。
されど、霧雨魔理沙は苦悩する。
紫が何を思っているか。胡散臭い厚化粧を一瞬だけ落とした紫の思考に考えが及ばない魔理沙ではない。
紫が何を考えているか。魔理沙の状況認識力はそれをほぼ正確に把握している。
紫を苛む願望と現実のギャップを理解してしまえるから、それゆえに魔理沙もまた苦悩する。
この幻想郷は多少の小競り合いはあったとしても、暖かであるはずだった。
ちょっと出歩けば飲み友達が見つかって、馬鹿みたいに騒いで、夢を追って生きることが出来て。
でもそんな世界がひとりでに生み出されているわけではない。平和な世界の裏には、それを維持する者達がいるはずであって。
泣いて馬謖を斬る、という言葉を魔理沙は好きにはなれなかった。
切り捨てる側が何を偉そうに泣いていやがるんだ、ただの偽善じゃないかと。そう思っていた。
だが世の中の大半は、馬謖が斬られたおかげで平等な幸せが謳歌できるのだ。本人達は一切辛い思いをすること無しに。
……ならばやはり、斬った者には泣く権利があるのではないだろうか。
斬られた者から恨まれて、端に位置する者達から白眼視されて、泣くことすら出来ないとしたらその者のなんと苦しいことか。
◆ ◆ ◆
「行ってやる。私が行ってやるさ」
数分間の無言の後、霧雨魔理沙はきっぱりとそう言い放った。
「……良いのか?」
まるで早苗の代わりに魔理沙を生贄に捧げたかのようだ、と。後ろめたさと、しかし確実に僅かな安堵を抱いた八坂神奈子はそう問いかける。
そんな神奈子に魔理沙はニッと小馬鹿にするような笑みを返した。
「何だその面は。そんな自己犠牲的精神の虜になった人間を哀れむような目線はやめてもらおうか。私は死なないよ、必ず生きて帰ってくる」
「だけど……」
「おっと、つまらないご講評なら止めてもらおうか。一人は必ず死ななければならない? そんなふざけた筋書きを私が受けいれるわけ無いだろう!?」
椅子を蹴っ飛ばして立ち上がる。
「私はこれまでどんな不利な状況だって切り返して来た。今回だってそうだ。死ななければならない? そんなものは引き篭もりの弱虫が書いた戯言だ。そんな三流脚本に流されてたまるか!! つまらない筋書きなんてのはこの霧雨魔理沙作家大先生が修正してやる!」
「なにか名案があるのか?」
「まだ無い! だが、物語の配役に霊夢達があてがわれているなら、どうやったってストーリーは完全な再現にはなりっこないはずだ! だったら中に入って、付け入る隙だってあるだろうさ。それだけだ!」
何の根拠も無しに、そう魔理沙は宣言する。そう、それはただの負けず嫌いの意地っ張りだ。されどその場にいる誰もがその虚勢を嘲笑しえない。
何の取柄も無く一般家庭に生まれ、されどさりげなく天才博麗霊夢の横に常に位置する。
何の異能も持たない身でそこにあることがどれだけ困難であるか、どれだけの修練を重ねればそれが可能であるのか、誰もが把握しているがゆえに。
霧雨魔理沙とは、血と汗を漆喰に努力という足場を積み重ねて無重力の《人》《世界》を目指す魔法使いであるのだと、その場の誰もが理解しているのだから。
「……いいのね」
「ああ」
「では、最後の忠告。魔理沙、こういった世界の構築にはある一定のルールがある。一度定めたならば製作者ですら覆せないルールがね。裏をつくのならば、それをまず探しなさい」
「ルールか……」
「そしてこれが私からの餞別……持てるだけ持っていきなさい。身につけておけば、夢幻世界にもこれらを持ち込めます」
そう紫が語った直後に空間が引き裂かれ、断裂からさまざまな道具が雨あられと降り注いでさほど広くない研究室の床を埋め尽くした。
「楼観剣に白楼剣、死神の鎌に、火鼠の皮衣と、……おいおい、映姫の手鏡まであるじゃないか!? 大丈夫なのか? これ」
「非常事態ですもの。彼女達には魔理沙が盗んだって言っておくから大丈夫」
「ぜんぜん大丈夫じゃねえよ!」
吠える魔理沙に紫は儚げな笑みを返す。
「冗談よ。全責任は私が取ります。……この物語の敵は覆しようがない理不尽。故に対抗する術があるのかは分からないけど、装備は有るだけ有った方が良いはず。どうせ夢の中で現実の道具が失われることは無いのだから、後で返しておけば問題ないでしょう」
「……そうするか。にしても私の不思議な帽子の容量にも限りがあるからなぁ。とりあえず攻防補助バランスよく持っていくか」
数分ほど取捨選択を繰り返し、あらかた装備を選び終えた魔理沙の肩が叩かれる。
振り向いた魔理沙の手に滑り込んできたのは、丸薬が詰まった茶色い薬瓶だ。
「これは?」
「禁薬『胡蝶夢丸ユートピア』よ。言うなれば強力な明晰夢を誘発する薬です。貴女になら渡しても大丈夫でしょう」
「へぇ、いいもんじゃないか。でもなんで禁薬なんだ? 悪夢に悩まされずに済むようになるんだろう?」
「それは夢を自分にとって都合がいいように書き換える薬よ? 夢の中では常に楽園を手に入れられる、なんて薬を精神的弱者が手にしたらどうなると思う?」
「……永遠に夢の世界に引き篭もり、か。確かに禁薬だ」
魔理沙には理解できない思考だが、優しくない現実から逃避して眠り続けることを選択する者も確かに居るだろう。
社会の崩壊を招きかねないこの薬は、まさしく存在することが許されない禁忌である。
「ただ、貴女では早苗や霊夢程にはその薬の効果を十分に引き出せないでしょうね」
「またそうやってお前は私をいじめるわけか。で、なんでだ?」
「その薬はね、思考が非常識であればあるほど力を発揮できるのよ。貴女や咲夜の思考はとても冷静で、現実的で、地に足が着いている。そんな貴女は恐らく夢の中ですら、突拍子も無い出来事が突如として何の原因もなしに起こりえるはずが無い、と考えてしまう」
「ああ、成る程な……」
正確に物事を捉え、その裏を一つ一つ追求して解体していくその思考は弱者たる魔理沙が生き延びるために身につけた技術であり、長所である。
だがその長所が今回ばかりは足を引っ張ってしまうということか。
「裏や証拠なんて必要ないの。出来る、やれるという盲信によって力を発揮するこの薬は貴女には不向き。加えて今回は夢のストーリーが概ね定まってしまっているから効果があるかも分からない。それでも気休めにはなるでしょう?」
「そうだな。いただいておくぜ」
魔理沙は薬瓶の蓋を開くと丸薬を一つ摘み出して口に放り込み、ごくりと嚥下して瓶を永琳へと返す。
「ああ、せっかくだから神奈子。お前もなんかよこせ」
「えっ? いや、いきなりそう言われても」
神様が与えられるのはご利益だけ。軍神としての側面も持つ神奈子は勝利の加護をもたらすことが出来るとはいえ、夢の中の戦にまでそれが適用されるかどうかははなはだ怪しい。
神奈子は諏訪子と異なり実体のある神。故に神様でありながらも現実的というか、天候操作のような物理的な御利益のほうが得意なのである。
魔理沙、永琳、紫に「使えねぇなぁこいつ」という目線を向けられた神奈子は一人狼狽して慌てふためいた。
「うぐぐ、……ああ! じゃ、これ。守矢神社謹製のお御籤を進呈しよう。霊験あらたかであるぞ!」
あわてて服をまさぐった神奈子が取り出したのは折りたたまれた小さな紙片である。
おみくじ、と書かれたそれを目にした魔理沙は思わず吹き出してしまう。
「いきなり運任せかよ! ま、破天荒な守矢神社らしいっちゃらしいがな。で、これ開いて大凶が出たらどうなるんだ?」
「それは聞かないほうがいいだろうな」
「……」
だがおみくじなんぞに頼らなきゃいけないような状況であるならばそれ以上の悪化もあるまい。
そう無理矢理納得するようにかぶりを振った魔理沙はそれを袖の裏にしまい込んだ。
さぁこれで準備は完了だ。深呼吸をすると室内に漂っていたウバ・フレーバーが魔理沙の鼻腔をくすぐった。
そういえば紅茶を淹れていたんだったな、と思い出した魔理沙は椅子に戻ると、懐からブランデーを取り出して茶匙一杯程を紅茶へと落とす。
横から手を伸ばして魔理沙の酒瓶を奪い取った紫はそれを己のカップにどばどばと、さらに紫から瓶を奪った永琳は二、三滴ほど、神奈子も同様に二、三滴を。
最後に紫がパチンと指を鳴らすと、なぜか冷めたはずの紅茶から僅かに湯気とブランデーの香気が立ち込めてくる。
神奈子が、永琳が、紫が、魔理沙が、順にカップを手に取った。
「それじゃ編集部諸君、前祝いといこうか」
「霧雨魔理沙先生監修によるハートフルストーリーの出版を祝して乾杯ね」
「そうね。目に余るような酷いストーリーは編集部で書き換えなければ。……先生、お願いできるかしら?」
「ああ、まかしとけ。どんな展開がお好みだ?」
「「「エロスで」」」
「OK」
八割の強がりと、二割の不屈の精神でもって凡庸なる魔女はニヤリと笑い、残る三者も若干硬い笑顔でそれに答える。
決意を胸に魔理沙はカチンとカップを三人のそれと合わせると、
温めの中身を不安と共に一気に飲み下した。
魔理沙が飲む、ウバの紅茶は渋い。
後編へ続く
あと早苗は唇って八意先生に気があるのか…?
幽々子さんマジ怖いです。
こういう多少シリアスな幻想郷も好き
期待して後編を読みに行きます!
おみくじは一体何の役に立つのやら……なんかキーアイテムっぽいんだよなぁ