Coolier - 新生・東方創想話

そをみよせいじん

2012/01/13 21:59:19
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今ではもうすっかり人里の一部と化した命蓮寺、その中を今虎の化生と鼠の化生が連れ立って歩いていた。
するすると磨き上げられた廊下を微かに時々聞こえる衣擦れの音が響くほどに寺内は静寂を保っている。
昼間の命蓮寺内は実に静かであった、奔放なぬえは誰かをからかいに行っているのか分からないが外に行ってしまう為この時間帯は誰の悲鳴も聞こえてこない、村紗や一輪は仕事をしに行ってしまっている為やはり居ない、最近入信してきたあの山彦は良い声には良い睡眠が必要とかの弁で今は午睡に入っている。
つまり、今命蓮寺に居るのは寅丸星、その付き妖怪ナズーリン それともう一人、この命蓮寺において居なければならない存在が一人、それきりであり、それ以外には一人一匹たりともいなかった。

静かだ、星は静かに歩きながらほぅと白い息を吐く
幻想郷の中でも寒さに弱い人間が住む為に温度が他所より高くなっている人里においても冬の寒さは厳しい、寺の床はそれこそ足裏が張り付いてしまうように冷たくなるのである。
だが星といえば何の事もあらんと言った風にその上を静かに歩いてゆく、彼女にとってすれば極寒の冬の夜に行われる滝行に比べれば屁でもないし比べるまでも無いと言った風に粛々としている。

だがその傍にいるナズーリンは渋い顔を隠さずにいた
星は仏教に帰依しているし、表向きとはいえここの代表ともとれる立場に居る、それに真面目極まりない彼女の事だ、例えどんなに厳しくあろうとそれを耐えきれないなどと言う態度は絶対におくびにも出さないだろう。
一方でナズーリンと言えばそうでもないどころでは無く、彼女はあくまでも星の監視役である、それには決して仏教に帰依する必要はないし我慢も必要が無い、ただそこに居るのがナズーリンだ。

「これでも」

不意にナズーリンは相変わらず平然としている星の背中に向かって声をかける。

「我慢はしているつもりなのだがね」
「ああ、足」
「よくもまあこんなに冷たくて平然として居られるものだ」
「仕事だからね」
「使命でもあるだろう?」
「そうとも言う」

ナズーリンは皮肉を言ったつもりだが当の言われた本人はそんな物知らんといった風で歩き続ける
暫く歩いてゆくと急に星の歩幅が次第にのろくなり、立ち止まった
くくく、星は何が面白いのか分からないが下を向いて堪えきれない様に吹き出す。
生真面目で大方通っている星だが時々――――面白い事を考えついた時や誰かに悪戯する時になるとこうして堪えきれずに吹き出してしまう。
はて、堪えきれずと言うのだが何が堪えられないのだろうか、ナズーリンは相変わらずな様子の星を見つめながら自問する 笑いが堪えきれないと言うのが一般的だと言うがそれはこの場合すこうし考えるとややおかしい事に行き着く、笑いと言うのは元々無い物だ、 なんらかのプロセスやらファクターを通して『何か』が『笑い』に変わるのだ、だとしたら…この場合堪えきれずにこぼれてしまいそうなのはその『何か』と言う方が正しい。

この問答は得てして全く無意味な物である、だが人生 及び妖怪生のある時になると全く無意味無価値極まりない事を考えずにはいられなくなるのだ。
そう、非常に退屈極まった時に

すると星はくるっとナズーリンの方に振り向きながらまるで少年のような笑みを浮かべた

「いやなに、仕事と使命の違いについて考えていたところさ」
「そんなくだらない事を考えている暇があったらさっさと歩き給えよ」
「ひどいね、あんまりだ 君も同じ様な事を考えていた癖して」
「何が零れるかと言う事?」
「そんな訳無いだろう」
「くだらない事と言う事かい?」
「然り」
「つまり、どういう事だい?」
「つまりは私も暇なんだよ、だからこういう時間帯になると頭の中はがらくたでいっぱいになる」

思考と言うのは実に無駄だらけなようで無駄なく作られていると感心するよ
そう言いながら再び歩き出した星をナズーリンは暫く憮然とした表情で見ながらそれについてゆくように歩き始めた。

「どんな理想と使命持った聖人君子であろうとこればっかしは変わらない気がするんだがなぁ」
「その聖人は地下に沸いた奴かい」
「そうそう、大仰な仕草をしていても暇に対する態度だけは万人共通な気がするよ」
「聖も含めて?」
「そうだね」
「…君にしては随分とばっさりじゃないか、普段はあれだけ慕った風にしている癖して」
「慕っているとも、慕っているからこそ言えるのさ 集中していない時の彼女の顔を見てみなよ」
「顔?」
「大層ぼやーっとした目をしているよ、ああ言うのを見ていると聖も常時聖人では無いのだと思うね」

 ははあ
 ナズーリンは僅かに目を細めるが一瞬の事なので星はその様子に気が付くことは無かった、ナズーリン本人も気が付かせようとは思わなかったし寧ろ気が付いて欲しくは無い様子だったが。

 また、境内に衣擦れの音が響く



■□■

 

 星の自室は全ての部屋の中でも特段“小さい”部類に入る部屋だった、自室に在るものと言えば布団に、書をしたためる為の道具一式、それっきり。
 それもその筈、この部屋には就寝以外の用途を持っていなかったのである
 食事や説法、修行などは別の所でできるし寧ろそっちの方が効率的、わざわざそういったスペースから離れるのは面倒極まりない、そういった意向を汲んでの配置だった。

 因みにこの部屋を最初に選んだのは聖白蓮その人である、星と同じ意図と『大きい部屋は落ち着かない』と言う彼女の意識があったが他の強い反論(主に村紗と一輪である)があってこの部屋はめでたく星の物となった。
 ちなみに一番大きい部屋は一輪の自室及びトレーニングスペースである。

 ナズーリンの部屋は星の部屋の隣、更に小さい部屋となる
 元々星のお付妖怪であるナズーリンは星の部屋から離れる訳に行かず、かと言って新たに作るのもかったるいという声(主に村紗である)があったが星の部屋のすぐそばに丁度良いスペースを発見、これ幸いとばかりに本人の 意向完全無視で決まった、聖がこの部屋から引いた訳もこれである。
 ナズーリンはどこでもよかったので不満は言わなかったが毎晩星のいびきがうるさくて堪らないのは厳しい、「元々虎ですから」と言う謎の言い訳があったとしても納得しかねる。

 部屋に入って暫く経ってから出て来た星は村の若者風に様変わりした服装でくるっと一回転した、しかし女性の服装で無く男物の服装なのはどういう事だろうか。
 どちらにせよ中性的で背丈の高い星に男物の服装は合っていた、下手をすれば女物の服装よりもあっていた、胸の女性らしさの表れを除けばだれも彼女が女性である事は分からないだろう。

「似合う?」
「似合うよ、虎に洋服と言う言葉を作りたいぐらいだ」
「猫に小判みたいな意味で?」
「同じネコ科だろう?」
「そりゃそうだけどさ」

 一瞬だけ不満そうな表情をした星は「まぁ、いいか」と途端に納得して勝手口の方に向かってゆく。

「じゃ、留守頼んだよ」
「また行くのかい」
「ちょっと出ていくだけだって」
「ちょっとって夕方までだろう?」

 その返事には誰も答えなかった、声の代わりに入って来たのは開け放たれた扉からひゅうひゅうと吹き込む風ばかりで酷く寒々しい。
 一回深く溜息したナズーリンは戸締りをしつつ寺に誰も居なくなってしまった事を鼠の報告を通して確認する。
 結果は台所に小傘が一人 それを聞いたナズーリンはふむ、と一考してから静かに歩き出した、小傘は追い出しておくようにと言伝を忘れずに。



■□■



 自室にいた聖白蓮は気が付くと寝てしまっていたらしく、彼女が窓を見上げると太陽はすっかり上空に昇ってしまっていた。
 机の前に在る小窓からはもう太陽の姿は見えず、ただ寺の裏に茂る林が見えるのみだった。
 一度、大きく欠伸する
 まだ頭のぼんやりとした感じは取れないがしばらくすれば取れるだろう、それまで何をしていようか
 とは考えているものの聖自身にはするべきことが数えきれないほどある、入信者への挨拶や説法内容を考えたりする寺業務の事や近所付き合い、星たちとの触れ合う時間も大切だ。

 正直、息が詰まると感じた時は数知れずいっその事逃げ出して人里のどこかで娯楽に興じたいと思った事も数知れない、僧侶なのに。

 溜息を、今度は欠伸では無く溜息を一つ
 仏門を選んだことに彼女は少したりとも不満は無いし後悔した事も一度たりともない、ただ少々窮屈だなと感じた事はある、これでも元人間で人間だった頃の精神は持っているのでそういった感情を『完全に』滅する事が出来ないのは分かっているつもりだ。

 ぼうっとした頭で茶を沸かすために立ち上がった聖が台所に向かうとすでにそこには先客がいた。

「やあ、聖」
「ナズーリン、居たんですか」
「前後不覚に眠るなんて不用心だね」
「ここは私の部屋ですよ」

 それでもだよ、ナズーリンは相変らずの憮然とした表情で湯呑を差し出す

「そんな場所で寝てしまったら体調が悪くなるだろう」
「心配してくれてるんですね」
「…説法に響くだろう」

 それが本心で無い事を私は知っているし、誤魔化しきれていない事を彼女自身も知っている、大きな溜息が響いた。

「全く、聖はどうしてそう自分の事になると大雑把になるんだろうね」
「そうでしょうか?」
「私が片付けないと部屋は汚いし食事をとるのも忘れるし下手すれば寝ない事だってあるだろうに」
「しかしですね、私にはやる事が山積みなのですよ」
「ならばもっての外だよ、自分を大切にしない者の説法なぞ心が籠らないだろう」
「私が心配しなくてもナズーリンが心配してくれるじゃないですか」
「他人任せはいけないよ」

 別にいいじゃありませんか、ぐでっとしながら聖は緑茶を飲む 今日も良い出来だとばかりに満足げだ。
 いや、それは私の入れた緑茶なのだが ナズーリンはそう思ったが口に出すのは憚られた。

「うん、ナズーリンが淹れるお茶は今日も美味しいです」
「少しは自分で入れようとは思わないのか」
「淹れようと思ったんですよ、でもナズが淹れてくれるのならそっちの方が良いですし」
「…ま、いいんだがね」

 二人で急須と湯呑など一式を卓袱台の上に置き、向き合って座る
 静かに湯呑に口を付けて茶を啜ると香ばしい香りが鼻孔をくすぐった、どうして聖の淹れる緑茶とナズーリンが淹れる緑茶は違うのか、彼女は前に直接聞いてみた事があるが本人は肩を竦めて『繊細さが違うんだよ』と言ったきりだった、

「しかし、どうにも調子が違うね」

 不意に思い出したかのようにナズーリンが頭をあげる

「何がです?」
「悩み事があるんじゃないかい」

 一瞬その眼が奥底まで見ている様な気がして、聖は息を僅かに詰まらせた。
 綺麗な瞳だ 水晶の様な透明度のある球体に宿る理性の富んだ者が持つ鋭い目線、命蓮もこんな目をしていたなと聖は思わず回想する。
 なのにナズーリン本人はと言えば「たかが鼠の目だよ、こんな物より遥かに価値のある目玉なぞそこらへんに転がっているのさ」と変に意地を張るから滑稽だ。
 それにしても、やはり彼女は悩み事の事を分かっていたのか

「当然」

 またしても言葉を出す前にナズーリンが先回りする

「聖程分かり易い者はそうそう居ない、悩んでいる時は変に落ち着かない」
「そうですかね」
「素人にも分かるぐらいさ」

 どうにもそれだけではない気がするのだが、聖は何だか魚の小骨が引っ掛かったような表情をしたがナズーリンは「さっさと飲みたまえよ、折角淹れたのに冷めてしまうじゃないか」とだけ言って黙りこくってしまったのでそれきり聞く事は難しい様に思えた。



■□■



「暇ですね」

 聖のその一言でナズーリンは大体の事が分かったらしく「暇だね」とのみ答えた、それで聖の方もナズーリンが説明しようの無い程理解しているのを了解して「暇です」とだけ答える。

「しかし、聖はやる事なす事山積みの筈じゃなかったか」
「そぞろ神が憑りつきまして」
「そう易々と旅に出られたら堪ったものじゃないね」
「全くです」

 そこで聖はまた溜息を一つ吐き、「暇ですね」とのぼやきだけが宙に漂った。
 ナズーリンにしても聖にしてもこれ以上会話が続いても延々と同じ場所を回り続ける事だけは分かりきった事だった。
 だが、かと言って会話を中断させてしまえば今まで以上に暇になる、喋ると同じ事の繰り返しで時間の無駄だが喋らないと逆に時間が潰せない、かと言ってこの状況を改善する手も思いつかずどうすればいいかすらも分からない、完全に思考の泥沼である。

 ふいに手元にあった湯呑を手に取るとすでに冷え切った器の中には僅かな水滴たりとも付着してはいなかった。

「茶を淹れてきます」と聖が立ち上がる
「茶を淹れて来よう」とナズーリンが立ち上がる
 結果として二人が二人とも各自の湯呑を持って急須を取り合いながら立ち上がると言う事態になり、そうなってからやっとこさ場は僅かずつ動き始めた。

「そういえば紫さんが作った釣堀がある様で」
「ほう、聞いたことがある」
「魚取り放題の様ですよ」
「うむ、調理すると美味しいとかで評判の釣り堀だな」
「行きますか」
「行きますか」

 そうして二人は人里の外れへと連れ立って行った



■□■



ぽしゃん

「ほっ」

ぱしゃ

「えいっ」

ぱしっ

「お見事」
「いえいえ、大したことありませんって」
「一時間でこれだけ釣り上げた者が言う言葉じゃないね」

 ぼんやりと全く動かない竿を見つめながら欠伸をしている最中にも聖はまた釣り上げた、もう何匹目か数えるのも飽きてしまったので適当な賛辞だけ投げておく。
 どうやらこの釣堀はただの釣り堀では無く「外の世界の釣り」を体験する為の釣り堀らしい。
 前にダウジングしていた時に釣り専門誌と言うのを見た事があるがどうやら釣りの魚を待つ時間を楽しむと言うのは今も昔もその本質は変わってはいない様で
 そう考えると忙しなく動いて見事に魚を釣り上げてしまう聖の釣りと言うのは釣りの常人の楽しみ方とは違うのではないかとも思ってしまうが釣りと言うのは本来魚を釣る為の事で…ややこしくなってきたぞ。

 気がつくと私の横に誰かが座っているのに気が付いた、気配すら見えないとは流石八雲の式 八雲藍だ。

「いや、お見事な腕前で」
「あらまあ、藍さんじゃありませんか」
「これは失礼聖殿、挨拶を忘れるとは ついつい見事な腕前に見入ってしまいました」
「いえいえそれほどじゃありませんよ それっ」
「聖、そう言いながらも釣り上げていると説得感が無いのだが」
「しかしよく釣れますね、この釣堀の難易度は紫様が最高まで引き上げたはずですが」

 ははあ、そう言いながらも聖また一匹釣りあげた、ぱしゃりと水音だけが湖面に響く。
 難易度最高まで引き上げた所で大した事は無いだろうと言った風に構える聖の釣竿の先を九尾は興味深げに見つめている。

「こつは、あるんでしょうかね」
「なんとなくで釣り上げられますよ、流水の心意気です」
「ほう」
「如何にも、流れる川の如く来る者を受け入れ、去る者は見送り、食いついた者は漏らさない」
「ははあ」

ぱしゃり

 また一匹の魚が釣り上げられる
 水で満たされた大きめのバケツの中にはもう魚で一杯だ
 ふむ、考え込むような仕草をしたバケツは静かに傾けられて 魚は水流と共に勢いよく湖に向けて放流されていった。
 九尾の方も驚いた様子もなくただ「大漁ですな」とだけぼんやりと呟いた。

「いいのかい、聖」
「何がです?」
「放流してしまって、折角釣り上げたんだろう?」
「元々こうするつもりでした、こんなに食べ切れませんしそれに…」
「それに?」
「誰かに頼むのならまだしも、尼である私が殺生できる訳無いじゃないですか」

 本人はそれが笑いごとのつもりで言ったのだろう、実際屈託のない微笑を顔いっぱいに浮かばせながら語る聖には何の不満も苦痛も無い様に見えた。


 冗談、冗談ね
 それが冗談だとしたならば、私はどこで笑えばいいのだろうか
 少なくとも私にはさっぱり理解できなかった



■□■



 ぱしゃん

 僅かな竿のうねりを感じたナズーリンが腕を振り上げた時、既に餌はすっかり食べられてしまった後だった。

「…全く、呆れたものだよ」
「ナズーリン、釣れないからって焦ってたり苛立ったりしたら折角の暇つぶしの意味が無いでしょう」
「いや、私が呆れているのはそういう事では無いのだがね」
「…?ではなんでしょう」

 とたんにぱしゃっと言う音がして、まるで三日月の様に体をしならせた魚が宙を飛んだ。
 それを見てナズーリンはいよいよ呆れた様な表情と共に肩を竦める。

「しかし見事な腕前だね」
「ふふ、昔はナズーリンの方が上手かったですから負けじと練習したんですよ」
「昔?」
「ほら、私がまだあの山で籠っていた頃の話ですよ」

 一瞬
 まるでその話が何かの引き金であるかのように
 ほんの一瞬だけナズーリンの顔が顰められた

「…ああ、あの頃か」
「昔は私も若かったですねー 懐かしいですね、ナズーリン」
「まあ、確かに若かったと思うよ」

ぱしゃん

 そんな音は今も昔も変わらなかった



■□■



ぱしっ

 静かな山の谷間に位置する湖畔にその音は一際大きく響いたように感じた

「わあ、凄い」
「別に大したことじゃない」
「謙遜ですよ、私はそんなに釣れませんもの」

 後に尼となる聖は当時まだ十になって久しい少女で、その時期と言えば子供が一番多感な時期である。
 本来するべき勉学をほっぽって、しかも釣りに興ずる事は周囲の大人にとってすればただでさえ頭を痛める事例で、しかも妖怪を連れ立っての事ならば何人かの気の弱い者は悲鳴をあげさえするだろう。
 だが、そんな論理感や危険なぞ彼女の天秤にかかればこの鼠の化生と遊ぶ時間と比べてしまった時点でその他どうでも良い有象無象に数えられてしまうのだろう。

 釣りを開始してもう2時間ともなるのに聖の釣り針には何もかかる気配は無く、ナズーリンの方と言えば既に大量に釣り上げてしまってもう殆ど戯れに糸を垂らしているといった感じだった。
 これだけ釣れればもう退散しても良い頃合いだろう、だがナズーリンと言えばぼうっとしながら釣り糸を垂らすのみで特に撤収などは考えていない様子だった。
 隣では相変らず聖が魚を釣り上げようと悪戦苦闘している。

「…案外下手なんだね」
「努力してるんです、これでも」

 無意味に糸でやったらばしゃばしゃやったり立ち上がったり座りこんだり忙しなく動く聖を横目に見ているナズーリンの竿がまたしなった。

ぱしっ

「ふむ、もう少し落ち着きたまえよ そんな忙しなく動いていると魚が来ない」
「しかしこうでもしないと魚が寄ってこない様な気がして」
「待つのさ、ただ待つ 魚の動きを竿の先で感じるのさ」
「そんな事が出来るんですか?」
「無論、できない」
「なーんだ」
「しかし重要なのは心の持ちようさ、竿から魚の動きを知ろうとすれば自然と集中して動かなくなる」
「難しいですね」
「白蓮は勉強にも集中できないからな、まずそこから始めると良い」
「ええー、ナズーはこうしているのが楽しいのが分かって意地悪をするんですか」
「しかしだね、鼠の私とこんな事をしているよりも遥かに有意義だとは思うがね」

 もう一度ぱしと言いう音が水面に響いたが、やがてそれはちゃぽんと言う音と共に薄れて消えた。












 結局 その日聖は一匹も釣り上げる事は出来なかった



■□■



「そうか、あの頃か」
「あの後散々練習しました」
「やっぱりするべき事を放り投げてかい」
「何もかも投げ出したくなるようなこともあるんですよ」
「投げ出しちゃいけないんじゃないか」
「だからこそ、こうして釣りを練習してたんですよ」

 相変らずナズーリンの竿には何も引っかからず、聖の竿には入れ食い状態だった
ナズーリンはこうしてゆっくりしているのが性に合っていたし聖の方はなんとなく体を動かしたかった。
 丁度良い関係なのかもしれないな、言葉を発したのはどちらとも言えないし、どちらも言ったのかもしれない、そんな言葉はただの空耳だったのかもしれない。




 やがて真上で寒々しい光を降り注がせていた太陽は沈んでいき、遂にはナズーリンの背丈ほどになった。

 相変らずナズーリンのバケツには魚一匹たりとも入っていなかったし、聖のバケツにも入っていなかった。
不意に吹いてきた寒々とした風にナズーリンは背筋をぶるりと震わせて竿を引き上げる

「聖、帰ろうか」
「一匹も釣り上げてないじゃないですか」
「構わないさ、良い暇つぶしだったよ」

 辺りにはもう人一人として居ない、その代わりに辺りに点在する民家からはもうぽつぽつと灯りが灯っていた。
 聖にはそのぽつぽつとした灯りがかえって物悲しく、冬の風よりも寒々しい光景に見えて、それが彼女の震えを誘う。
 釣り堀のある湖の方を見ると、もうわずかな程にか細くなった斜陽の最後の橙色が今もう掻き消えそうな程に揺らめいていて

ぱしゃり

「あ」
「ほう」

 その上に橙色に輝いた魚がぱしゃりと跳ねた。



■□■



 竿とバケツは釣り堀の物だったので、魚を一匹も持っていないナズーリンと聖はすっかり手ぶらになってしまう。
 ぶらぶらと命蓮寺に帰る二人の内どちらかは手ぶらと言うのはかえって物悲しいなと思い、もう片方は楽でいいと思っていた。

「あの時、竿を引き上げなければ魚は釣り上げられていたのでしょうか」
「私は竿を引き上げてしまったから分からないし これからも分かることは無いよ、それだけで十分だ」
「ナズって私よりも欲が無かったりします?」
「いいや、私には多分執着心が無いんだ」

 道には人気は無く、聖の前を歩くナズーリンの表情は誰にもわからない
 だが彼女には何となくナズーリンが何を考えて、どういう表情をしているのかが分かっている気がした。

「所詮は鼠だ、争奪戦に負けた獲物をさっさと諦めて次の標的を狙わなくちゃ生き残れない」
「あなたは、鼠その物じゃないでしょうに」
「鼠さ、人の形をしていると言っても所詮はどこの道端で冷たくなっていてもおかしくない」

 ははっ 自嘲気味に笑うナズーリンを聖は過去に何度も見た事がある
 その度に彼女は酷く悲しげな表情を隠すかのように顔をそむけるのだ
 背けているのは果たして聖に対してなのか、それとも別の何かに対してなのか

「まあ、こうしてのんびりと釣りができたりする点に対しては他の鼠とは違うのだろうがね」
「また、来ましょうか」
「聖に誘ってもらえるのなら光栄の極みだ」


その響きに聖の顔が僅かに歪む

「ナズーリン」

引き止める様な声に思わずナズーリンが振り返った

「なんだい」
「一つ、お願いしても良いですか」
「…場合によっては、聞こう」
「ねえ、昔の様に私の事を“白蓮”と呼んでくれはしませんか」



「無理だね」

 まるで予想していた様に、ナズーリンの返答は冷たく響く

「ねえ聖、分からないのかい 君は多くの者に救いを与える聖人で、私はただそこら辺に居る鼠なんだよ、君が何と言おうと私にとっての君は“聖人白蓮”であって“白蓮”じゃないんだ」
「…そう、ですか」
「眩しすぎるんだよ」

 眩しすぎるんだ
 どこか諦めたように溜息をつきながら反復する

「聖人の光は薄汚い鼠にとってどうしても眩しすぎるんだ、まるで直視したら身を焼かれてしまうようにね」

 それだけさ
 そう突き放して帰途を歩くナズーリンは、聖の目にはなぜだかとても急いている様に見えた。

「さあ、もうじき同胞が隆盛を極める時間だ、その前に帰ってしまわないと村紗と一輪が怖いよ 夕飯抜きはこの空きっ腹に堪えるのでね」

 僅かばかりに頷いて、聖は先を急ぐ





ぽちゃん


 不意に魚が湖面を刎ねる音が聞こえた気がした


 思わず足を止めて辺りに耳を澄ましても、聖の小さな人間の耳にはもう夜の静寂しか聞こえてこなかった。

 不思議な音だった
 まるで遠い昔から甦った様な、その癖今さっき聞いたばかりの様な
 そんな音が 不意に聞こえた気がした






.
聖とナズーリンはまるで友達の様だったらいいなと
仲が良い様に見えて実は両方とも遠慮している様な、そんな矛盾した仲だったらいいなと思うわけです

(2012/1/28 コメント返信)

>>3さん
こんな二人でもいいんじゃないでしょうかと思いまして

>>奇声を発する程度の能力さん
感想を言いにくい作品を書いたつもりです、個人的にはどちらかと言うとこちらの方が好みかもしれません

>>5さん
捏造じゃないと書けませんね、ナズーリンはこんな冷めた性格だと良いと思ってます

>>6さん
いいですか
誤字修正しました、御報告ありがとうございます

>>名前が正体不明である程度の能力さん
誠に光栄です

>>11さん
個人的に聖はどこか抜けている所があると魅力的だと思っています、ちょっとどじっ子とか、ナズも私の中ではこんな感じです。

>>とーなすさん
策士系のナズも良いしこんなネガティブナズも良い、決行引き出しの多いキャラだと思ってるんです、この二人の距離感は絶対に在る程度よりは近寄らないと思います。
いいじゃないですか、日々鍛錬に余念のない一輪さんでもいいじゃないですか

>>15さん
最後の描写には何時もものすごく悩むんです、ありがとうございます

(2012/3/15 コメント返信)

>>20さん
聖ナズは流行ってもいいと思うんですよ 流行れ!
誤字修正しました 御報告ありがとうございます

それでは

かしこ
芒野探険隊
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コメント



0.710簡易評価
3.100名前が無い程度の能力削除
新感覚
4.90奇声を発する程度の能力削除
この何とも言えない読後感がとても好みでした
5.90名前が無い程度の能力削除
捏造だがそれがいい
ネズ公でもそれでいいではないか
独特な雰囲気がよかったです
6.100名前が無い程度の能力削除
いいじゃないの

誤字報告を
吊り上げていると説得感が無いのだが
その日聖は一匹も吊り上げる事は出来なかった
吊り→釣り
10.100名前が正体不明である程度の能力削除
凄え。
11.100名前が無い程度の能力削除
ほかにはない人間らしい聖でしたね。自分もナズはこんな風に誰からも距離をとっているような、そんな性格だと思います。
14.90とーなす削除
ナズの一歩引いた性格というか言動が、自分のナズ像と重なるところがあったので、引き込まれました。
二人の距離感が切ないです。


トレーニングスペースってw
作者さんの中ではやっぱり一輪さんはマッスルキャラなのかw
15.100名前が無い程度の能力削除
最後の、ぽちゃん、の誤読感がすごかったのでこの点数で
20.90名前が無い程度の能力削除
推奨→水晶かしら
聖ナズの組み合わせいいね