Coolier - 新生・東方創想話

さけべほんめいりん

2012/08/06 10:21:44
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 「ねえフランちゃん」
 「なあに、橙」
 「めいりんさんはお庭に住んでるの?」
 「あー……それはね」
 妹様たちの会話を聞きながら、庭の隅で、私は木の板と棒をこすり合わせて火を起こそうと格闘していた。初めは気合で何とかなるかと思っていたがそれは間違いで、思いの外作業が捗らない。今日は朝から曇りで雨が降りそうではあるものの、まさかそんなことで火の付きが悪くなるということはないはずだ。
 「JAOOOOO!!!!!」と腹に力を込めて叫び、棒を回す。しかし木片からは焦げ臭い煙が出るばかりで、火がつく気配はやはりない。折れたり割れたりしたせいでもうそろそろ材料もなくなり始めていて、次で火が起こせなければ今日の食事も水だけになりそうだった。
 「めーりん、それじゃあ燃えないわ」
 「妹様?」
 どうしたものかと悩んでいると、とてとてと妹様が歩いてくる。どこから引っ張り出してきたのかお古のオーバーオールを着て、髪まで短くまとめている。そのせいで少し髪の長い、男の子のような格好になっていた。
 「……んー、空気よし、温度よし、……あとは……」
 妹様は言い、庭を見回して何かを探しているようだった。こちら疑問を感じながらも立っていると、妹様の視線は私の帽子にとまり、
 「あ、ソレでいいかな」とにっこり笑ったかと思えばおもむろに、左手をキュッと握った。

 ボン

 「わっ!!」
 突然頭上で何かがはじけ飛ぶような音と衝撃が起こり、私は驚いて声を上げてしまう。そうして白いふわふわしたものが、私の胸や肩に降りかかり、帽子は地面に落ちて布切れとなっていた。どうやら爆発が生じたようで、見れば、妹様がニコニコとその白い綿を拾い上げていた。
 「あれー、けっこう高級素材だったんだね」と、つまみ上げたものを観察して彼女は言う。
 「フランちゃん、こっちにも!」
 「ありがと、橙」
 二人は協力してそこここに散らばった帽子の中身をかき集め、地面に白い山を作っていく。まさかこれは、新しい遊びなのだろうか。元気なのは良いことだが、他人の頭で何かを爆発させるというのは、あまり心臓に宜しくない行為だろう。
 「何してるんですか! っていうか、これはどういう――」
 「だから、これを、こうして……」と、妹様は板の窪みに綿を詰め込み、地面にセットする。そしてこちらを見上げると、私にさあどうぞと木の棒を差し出してくる。私は言いかけた口を閉じる事もできずに、押し付けられた棒を思わず握り、受け取ってしまう。
 「はあ……分かりました」と、悪戯が成功したかのような笑みの彼女たちにそう言うと、私は通算何度目か覚えていないほど繰り返したその作業に、これが最後と着手したのだった。


 「……おいひい……」
 実に三日ぶりとなる食事に舌鼓を打ち、ただ焼いただけの肉が何故こんなにも美味しいのかとそれを噛み締めながら、私はとうとう最後の一欠片を飲み込んでしまう。雨水を飲み、人心地付いたところで、ふと、今までのことをぼんやりと思い返していた。あの、八雲一行が初めて紅魔館にやってきてからまだ数日しか経っていないのだ。それなのに、私を取り巻く状況は想像もつかないほどに一変してしまっていた。しかもその変化は主にマイナス方向ばかりに偏っていて、妹様に可愛らしい友達ができたという以外には大してよいことなど起こっていなかった。
 三日前、咲夜さんに「外で寝泊まりしなさい」と言われ、まさかそれが今まで続くとは思ってもみない。八雲一行が帰った夜に突然言い渡されたものだから、理由もなにもまるで分からない始末だった。何か自分がヘマをやったのかとも考えたが、あの日咲夜さんと会話したのがそもそも夜だけで、昼間は「お客」として来ていた藍さんとしか話をしていないのだ。その前の日は普通の態度だったし、やっぱり、何が原因か全く思いつかないのであった。
 そして今日、門番の仕事を半ば放棄していた自分の前にまたもや「お客」がやってきたのだ。
 「あら、勝手に入ってよかったかしら?」と話しかけてきたのは紫さんで、後ろには化け猫の橙ちゃんだけが控えていた。
 「あ、おはようございます。大丈夫ですよ、連絡はなさっていますよね」
 「問題ないわ」
 そうしてすぐに案内の妖精が紫さんを連れて館に入ってしまうと、残された私と橙ちゃんは暫く土いじりなどして暇を潰していた。間もなく妹様が、文字通り飛んできたので相手役を交代すると、私は空腹を満たす為に料理の準備にとりかかった、というわけだった。
 「美鈴さん」
 「あれ、藍さん」
 私がぼーっと眺めていた庭の景色に、見知った顔が現れた。過去の出来事から自分を引き戻せば、それは金髪つり目が特徴の、九尾狐の藍さんだった。
 「こんにちは、美鈴さん。紫様はまだ中に?」
 「あ、多分。ちょっと、詳しくは分かりませんけど」
 「そうですか」
 藍さんは言ってから笑みを浮かべ、ゴザに座る私の隣に腰を下ろした。ふわりと彼女の香りが漂い私の鼻をくすぐって、そういえば、自分はもう三日もシャワーすら浴びていない事を思い出す。
 「あの、客人をこんな場所に座らせるわけにはいきません」と言い、私は立ち上がると急いで椅子を取りに行こうとした。
 「そんな、お構いなく。……それより、フフ、見て下さいよ、あの二人」
 藍さんが笑って指す方には妹様と橙ちゃんがいて、どうやら遊び疲れたのか、長椅子でもたれ合って寝息を立てていた。早くベッドにでも運んであげないと、この天気では風邪を引いてしまうかも知れなかった。
 「咲夜さんは……」と言いかけたところで、呼んでも多分来ないだろうと気づき、私は口を噤んでしまう。たった数日顔を合わせていないだけで、こんなにも寂しい思いをすることになるとは自分でも驚きだった。
 「どうかしました?」
 「あ、いえ、二人をどうしようかと思いまして」そう返事をしながら、せめて上にかけるものでもないかとテントの中を探す。暑い日が多いとはいえ今日ばかりは例外で、風も少し冷たく強く吹いていた。
 「なるほど、それでしたら――」
 欄さんは言うや否やその服を脱ぎ始める。その行動に私は何か考えるよりも目をつぶる事を優先し、しかし耳は塞げず隣でゴソゴソとする音に、口から心臓が飛び出る気さえしていた。続いて、すっと藍さんの気配が遠くなり何事かと思っていたが、そもそも同性なのになぜ自分はこんな思春期男子のような事をしているのだという考えが割り込んできて益々わけが分からなくなっていた。とにかく頭を落ち着けなければならない。その為にはまず、目で見た正確な情報が必要だった。
 「ら、藍さん?」
 「はい」
 呼びかけるとやや遠くで彼女の声が聞こえるが、どうも動き回っているようでいまいちどこにいるのかわかりづらい。感覚としては数メートル先といったところだろうか。埒があかないので意を決して目を開けてみれば、何の事はなく、ただ上着を脱いだ藍さんが長椅子の近くに立っていただけだった。何か勘違いして狼狽えてしまったようで、私は深呼吸して心を落ち着けると、彼女の近くへと歩いて行った。
 「可愛い寝顔ですね……」と彼女は言い、うっとりと二人を眺めていた。そういえば以前、天狗の記者が取材に来た時もあんな顔で妹様を見ていた事を思い出す。「門番さん大変でしょう私がおもりを交代します」とまで言われたものだから、奇妙な怖気を感じ、丁重に断ってお帰りいただいたのだった。そんな事を考えていたら思わず笑いそうになってしまい、ふと、藍さんが僅かに身震いしたのに気がついた。
 「……藍さん」
 私は呼びかけると着物を脱ぎ、その肩にかける。客人の手を煩わせてしまったのは失敗だが、まさかその上体調まで崩されれば目も当てられない。
 「これは?」と彼女はそれを取ってしまおうとしながら問うが、私は黙って首を振ると、藍さんの手を掴んで押しとどめる。こういう事は多少強引にでもやらないと意味がないのは、冬は意地でも厚着をしない咲夜さんで経験済みだった。
 「……いいんですか?」
 「また後で、返しに来てください。だから今は――」掴んだ彼女の手を離し、私はそう返す。一方藍さんの眼差しは鋭く真剣なもので、何か色々と考えているようだった。もし断られたら、彼女が二人に掛けた上着を返さなくてはならない。けれどそれは、せっかくの好意を無駄にする行動だし、私としては内心かなりヒヤヒヤものだった。
 「分かりました、有難うございます」
 「いえ、よかったです」
 「実はちょっと寒いかな、と思ってたんですよ」
 「ハハハ、そうですか」
 そんな会話を藍さんとしていると、館の中から、メイド達の挨拶の声がかすかに聞こえてくる。その後間もなく、用事は終わったらしい「お客」の紫さんが大扉を開けてこちらへ歩いて来ていた。曇りの今日でも日傘は手放しておらず、よっぽどお気に入りの品なのだという事が窺えた。
 「紫様」
 「藍、来てたの? ……橙は――」
 「どうやら疲れてしまったようですね」
 「……まだまだ子供ねえ」
 紫さんは口元を隠してクスクス笑い、それにつられたように藍さんも微笑んでいた。眠る二人にかけられていた上着を少しずらすと、紫さんは橙ちゃんを抱きかかえて息をついた。
 「ふう、重くなったかしら」
 「育ち盛りでしょう」
 一向に目を覚ます気配のないその子を受け取って、藍さんはこちらをむき、頭を小さく傾け口を開く。
 「では、また。……ありがとうございました」
 「ええ、お気を付けてお帰りください。」
 藍さんにそう言う私に後ろから、紫さんの声が聞こえてくる。
 「その子……フランドールだったかしら?」
 「そうですけど……」
 「そ、とりあえずあなたのベッドに運ぶわよ」
 「いえそんな、」と私が断りを入れる暇もなく、紫さんはほんの数瞬間だけ目をつぶり、気づけば妹様は長椅子から姿を消していた。
 「大丈夫そうね」満足げに彼女はそう言い、くるりと向きを変えて歩いていこうとする。
 「あのちょっと! 妹様を――」
 「――あなたの部屋に移動しただけ。安心なさい」
 「は、はあ……」
 「橙のお友達でしょ? これからもお願いね」
 「……そう、ですね。ありがとうございます……」
 紫さんのそう言う優しい顔に私は毒気を抜かれ、もしかしたら何か危害でも加えたのでは、という考えを取り消す。よくよく気配を探ってみれば、確かに妹様は私の部屋にいるようだった。
 「さて、それじゃあね。レミリアによろしく」
 「あ、はい。お気を付けて」と私は返し、門を過ぎて行く八雲一行を見送った。どうも近所付き合いは上手くないかも知れない、などと考えて空を仰いだり、どうしようかと手持ち無沙汰に立ち尽くしていると突然目の前に紫さんが再び現れて、
 「あなた、あの不機嫌なメイドをどうにかしなさいな」と言った。
 「――え!?」
 「……あと、あんまりうちの家政婦にちょっかいかけないでちょうだい。余計な争いごとはごめんだわ」
 「は、はあ……」
 「はいはい、それだけ。今度こそ、じゃあね」
 こちらが面食らっていると彼女は挨拶もそこそこに、宙に浮かぶ口のような大きな裂け目から身体を引っ込めてしまう。咄嗟に手を伸ばしてももうそこには何もなく、私は不思議な現象に首をかしげるばかりだった。イマイチ何が言いたいのかは分からなかったが、レミリア様いわく「大妖怪」だそうだから、私たちには想像もつかない凄い考えがあるのだろう。
 とにかく、まずテントを片付けようと、私は地面に刺さったポールを抜いていく。複数人用の大きなテントはここに雇われる前からよく使っている愛用品で、実は他にランプや飯盒や、火を起こす道具なども持っている。だがそれらは全部自室にしまってあって、庭の倉庫に置いてあるこのテント一式だけが、今回の惨事に役立ってくれたというわけだった。
 「…………」
 片付けながら、確かにこのままでは良くないなと言う自分と、理由も分からないし時期を見るべきだよと言う自分とが、頭の中で戦っていた。たたんだテントと金具類をまとめてケースにしまったところで、じゃあ私はどうなれば満足なのかと考え始め、すると答えは簡単に出てくるのだった。庭の端にある倉庫の戸をあけ、ケースを元の場所にしまってから鍵をかける。
 「……よし」
 バチン、と両の手で自分の頬を叩き気合を入れ、私は倉庫の鍵を、思いっきり森の方へと投げ飛ばした。綺麗な弧を描いて飛んでいくそれは一瞬だけ輝き、どうやらきちんと森の中に落ちたようだった。ざあっと風が庭を吹き抜け、思わず帽子を押さえようとする。けれど頭には何も乗っていなくて、そういえば火を起こす材料にしたのだと一人納得していた。
 「……あとで怒られるかな……」と、私は思わず笑いながら呟いたのだった。


 決心は付いたもののそういう時に限って咲夜さんと会う事ができず、そもそも館の中に入れないのだから事態はますます深刻だった。妹様と橙ちゃんのいない庭はいつも通りなはずなのに、あるべきものが欠けているようなとても寂しい場所になっていた。私は門の傍で待ち伏せするという作戦を変更し、とにかく歩き回って咲夜さんを探そうと動き出した。
 「……そういえば」
 歩を進めながら、以前二人で人里まで出かけた時の事を思い出す。私が安請け合いしてしまったばっかりに、実に半年分の食料や衣類、日用品の荷物持ちをさせられ、そのせいで咲夜さんとはぐれてしまい、夜になるまで合流できなかったのである。大荷物を担いであちこち探し回ること数時間、人もまばらになったとある路地で、私は後ろから肩を掴まれ、驚いて振り返った。
 「はぁ、はぁ、……ここにいたのね……」
 「あっ、咲夜さん!」
 「……じゃないわよ……いい? 美鈴、こういう時はね――」
 そうして無事とは言えないまでも帰路に着き、お小言をさんざん聞かされながら一つの教訓を学んだのだった。その日は帰宅が夜遅くなった上に、罰として買ったものをしまう作業を手伝い、床につけたのは明るくなってからだった。
 「だからまあ、こういう時はじっとしてるのがいいのかもしれないけど」と言いながら、花壇を通り過ぎて裏庭に回る。つい一昨日までは草地が手入れされずに広がっているだけだったそこには、「工事中」などと注意書きのある白い壁のようなものが乱立していた。よく見れば、その壁は二メートル四方ほどの囲みをあちこちに作っていて、裏庭は見通しの悪く歩きにくい場所となっていた。
 「――もう、庭をこんなにするなんて、いい度胸だわ」
 何か建物でも建てるのかと首を傾げていた自分の耳に、そんな声が届いた。聞こえた方には咲夜さんが腰に手を当てて何か思案しているようで、傍らには衣服の入った籠と、大きな包みが置いてあった。
 「咲夜さん!」
 私は物陰から首を出して呼び、少し早足で歩を進めていった。
 「いや、ホントですよね、歩きにくいったら――」と言いながら近づいていくと、咲夜さんは少しムッとした表情で、
 「――美鈴、帽子は?」と言う。
 「え! あ、これは」
 「それに、服も」
 慌てて頭を抑える私へ歩み寄り、そのまま手を伸ばしてこちらの髪の毛に触れる。驚いて硬直していた私の目の前に、咲夜さんはその手に取った何かを突きつけてきた。見ればそれは白い綿毛で、更に、エプロンのポケットから同じものを出してみせ、咲夜さんは口を開いた。
 「これ、あちこちに落ちてるんだけど、帽子の中身でしょ?」
 「えーと……」愛想笑いも顔が引きつって上手くできないまま、私は思わず目をそらして言い訳を探す。全部回収したと思っていたが、まさかこんな所にまで飛んできていたとは予想外だった。叱られるのを覚悟で、本当のことを言うべきだろうか。
 「話しにくそうね」と、咲夜さんは綿毛をしまいながら言う。
 「まあいいわ……それで、上着はどうしたの」と、どうやら帽子の件は見逃してくれるらしく咲夜さんは言うと、今度はジト目で腕組みまでしている。矛先が変わっただけで事態はよくなっていないものの、帽子よりはきちんとした理由がある上着の方がまだマシそうだった。困っている人に「貸してあげた」という理由がある分、状況に助けられたと思うべきだろう。
 「その、服は藍さんに貸しました」
 「…………そ」
  堂々とまっとうなことを言ったにもかかわらず、咲夜さんの反応はひどくそっけないもので、やはり怒っているように見えた。感情を隠してしまうことが多い人だから分かりづらいけれど、今は確実に不機嫌だ。それだけは間違いない。
 「そっちは言うのね」
 「どういうことですか?」と聞けば、咲夜さんは応えずに、けれどこちらを見据えたままでいた。
 「……」
 「咲――」
 「――自分の部屋に戻りなさい」
 「はい?」
 「庭で生活するなんてみっともないマネはよして」と、こちらを向いていながら、どこか遠くに視線を合わせて咲夜さんは言う。突然語気を強めたその勢いに焦って、私は疑問を口にする機会を逸してしまった。
 「……す、すみません……」
 「それでもお嬢様の従者かしら」
 「な……」
 言い返そうとするけれど、その時私が黙ってしまったのは、胸のあたりが引きつって唾をうまく飲み込めなかったからだ。咲夜さんに会って謝れば、それで終わりだと思っていた。あの夜、なぜ不機嫌だったのか、自分の何が悪いのか聞けば、全部元通りになるというのは、勘違いも甚だしい事だったのである。
 「なによ」
 咲夜さんのそんなセリフも、声色も、唇を尖らせる仕草だって全部、私にとってはどういうわけか、いつもと違って見える。何気ないはずの一言が、自分の胸を貫いたかのようで辛く、普段通りに振舞う余裕がなくなっていった。
 「……咲夜さんはすごいです」冷え切った血が全身に流れるのを感じながら、私は震える唇をなんとか動かして、そう言った。
 「??」
 「いつも主人の事を考えていて、」と、ゆっくり、慎重に言葉を紡いでいく。
 「ちょっと、美鈴?」
 「……そりゃ、そうですよね」
 「何で急にそんなこと」
 「分かりますよ」
 そう言いながら、頭から油を浴びせられたような感覚が襲ってきて、視界がぼんやりしてくるのが分かる。
 「何をよ」
 「咲夜さん、レミリア様のこと好きなんでしょう」似たような事を藍さんにも話したが、私はその時とは比べ物にならないくらい嫌な気分でここに立っていた。いっそのこと走ってどこかに行ってしまおうかと思うくらい、それは、嫌な気分だった。
 「…………」
 「この前の夜だって、何でしたっけ、服の汚れがどうとかで……館に入れてもらえませんでした」と、それでもだんだん止まらなくなってきた口で私は続ける。自分の足は縫い止められたように動かない。
 「今も、『レミリア様にふさわしくない』って怒ってるんでしょう?」
 「…………」
 「も、もしかして、私、邪魔かもしれませんね? それなら――」と、私は思わず言ってしまう。自分でも突然こんなことを話すのはおかしいと分かっていた。考えがまとまらず、口が勝手に動いていくのを、私は呆然と見ているだけのようだった。
 「何言ってるのよ」と、顔を上げた咲夜さんは、泣きそうな顔で言う。
 「ですから、レミリ――」
 返事をする途中、涙を溜めて見上げていた咲夜さんが、二歩の距離を詰め私の胸に顔をうずめた。心臓がドキリとするよりも早く顔が熱くなり、私は言葉を区切って、それきり何も言えなくなってしまう。次第に身体が熱くなってきて、足から順に感覚がなくなっていくような感じがする。けれどそれに任せて座り込んでしまうわけにはいかないから、私は姿勢を変えると同時に、咄嗟に、咲夜さんの肩を抱いて少しだけ引き寄せてしまった。
 「!! …………」
 「さ、咲夜さん……」
 びくり、と咲夜さんは身体を震わせてこちらを突き放そうとする。だが握った両の手をそのまま私の胸に当てたまま、ゆるゆると力の抜けたその肘が下がっていった。この態勢だと咲夜さんの頭がよく見える。色の薄くなった黒髪は細く艶やかで、くせっ毛がぴょこぴょこはねていて可愛らしい。そんな中形の良い耳が、真っ赤に染まって飛び出していた。誕生日にあげたピアスがその耳たぶにあるのに気づいて、私は自分の耳までつられて赤くなるのを感じていた。
 「……ねえ、美鈴、」
 ゆっくり顔を上げた咲夜さんが、潤んだ瞳でこちらを見据え、そう話し始める。眉をひそめて頬の染まったその顔を見た瞬間、私は抗いがたいある衝動に駆られ、殆どそれに従いそうになってしまう。血が滲むほど唇をかんで堪えなければならないくらい、その衝動は強く大きかった。
 「……ちょっと痛いわ」
 「あ、す、すみません……」
 その人は首を横に振ると、私を突き放すようにして三歩ほど距離をあけた。その言葉と行動によって私は頭から、今度は水を浴びせられたように感じて、同時に恥ずかしくなって彼女の顔を見られなくなっていた。つい少し前につけた「仲直りする」という決心が、もう揺らぎそうになっているのはどうしてだろう。何だかさっきから、下手なこ事しかしていない気がする。
 「どうしちゃったのよ?」
 「すみません、その――」
 「――謝ってばっかり」と、こちらの顔を覗き見るようにしてその人は続ける。
 「わたしね、美鈴、」
 「……」
 言葉を待ちながら私は、自分のものと比べるとずいぶん華奢な彼女の足を、ただ観察していた。きちんと手入れされた靴と清潔なストッキング。スカートの裾からはナイフの先が見え隠れしていて、血色の良いふとももを今にも傷つけてしまいそうだった。
 「もうやめるわ」
 「え……」
 「――いつも美鈴はそう」そう言いながら、咲夜さんはまた私との距離を縮めていて、下を見ていた私は咄嗟に顔を上げた。
 「あの――」
 こちらが言葉を言い終わる前に、いつの間にか首に回されていた腕に力が込められる。そうしてよろめいた自分の額に、咲夜さんの額がこつん、と押し付けられていた。咲夜さんの息は少し荒くて、肩にその爪が食い込んで、私は鋭い痛みを感じていた。
 「美鈴、分かってる?」
 「な、何がですか」
 「…………」
 こちらが首を傾げて聞いてみても、咲夜さんは何も言わない。けれど至近距離で私の目に映るその顔からは、言葉を続けようとしては躊躇する咲夜さんの気持ちが伝わってくるようだった。
 その瞬間、自分がちょっと前に何を決心したのか思い出した。それで私は、いよいよ何か言おうとする咲夜さんを目で制して、ゆっくりと口を開いたのだった。こういう事は受身ではいけない。何もせずに待ち構えてむこうが来るのを待つのは、門番をする時だけで十分だった。
 「……ごめんなさい、咲夜さん」
 「……」
 「何かその、変なことばっかり言っちゃって」
 「……そう、ね……」
 私が先手を取ったのを気にしているのか、咲夜さんはやや引っかかりながら返事をする。相変わらず距離は近いままだし、密着しているせいでかなり暑かった。
 「あの、私は、……」と、勢いで言ってしまいそうになるのを堪え、どうにか踏みとどまって言葉を続ける準備をする。不思議と緊張は感じられなかったが、それは単に感情が麻痺しているだけかも知れないし、どちらにせよ、進むのに勇気がいる状況に変わりはなかった。
 「……――……咲夜さん、好きです。とても」
 「――」
 とうとう言った。もう結構なあいだ一緒に過ごしてきたのに、一度も口にした事のない言葉だ。今も昔も変わらず感じていた、この感情を伝えるとしたらこれしかない。他の誰でもなく、「十六夜咲夜」を一番に、私は好きで、愛していた。
 「ちょっと嫉妬してたんです。咲夜さん、いっつもレミリア様ばかり気にして。――そういうのよくないと思ってたんですけど、やっぱり、この数日、少し会えなかっただけでもうダメでした。――それで、あの、さっきは変なこと喋っちゃって、……気分、悪くしましたよね」
 そんな風に一気にまくし立ててしまってから、まずい、と思って慌てて口を閉じた。自分でも驚くくらい早口で、もう何を言ったかも覚えていないくらいだ。抱きついたままの咲夜さんをよく見れば、眉間にしわを寄せて、叱られた子供のような顔で、こちらに視線を向けているのだった。
 「……」
 「…………」
 沈黙が続く中、肩に回された手に力が入るのを感じ、だが当の咲夜さんが何も言わないままなので、私は、どうしたのだろうかと訝しんでいた。咲夜さんの顔は真正面に向けられて、自分とは目が合っている。その瞳が少しだけ小さくなったように見えた瞬間、私の唇に、柔らかい感触が押し付けられていた。
 「――――んむっ!?」
 その力は強く、抵抗は愚か反応すらできないような突然さで、私の身体は更に引き寄せられる。少しして、咲夜さんの吐息を直接感じたところで、私は、自分と彼女の唇が重なっていることに気がついた。頭が真っ白だ。実際、どれほどそうしていたのか分からないうちに、私たちの体は離れていた。
 「さく――」と言いかけたのを、咲夜さんは真っ赤な顔を横に振って制し、やはり何も言わないままで後ろに下がって行く。頬に両手を当てた咲夜さんが、伏し目がちなその目を隠すように俯いた。一方で私は、知らず触れていた唇から手を離し、突如湧き出てきた燃え盛るような感情をどうにかしようと、自分の胸に手を当てる。
 そういうわけで結局、自分たちが元通り話せるようになるまでに、少々の時間がかかったのだった。


 「美鈴、戻ったらすぐシャワーよ」と、いち早く立ち直ったらしい咲夜さんが、いつもの調子で私に言う。そういえば、夜通し喋って明けた翌朝、私が寝不足で四苦八苦しているのに、咲夜さんは平気な顔で仕事をこなしていたのを思い出す。本当のところはどうか知らないが、少なくともそれを表に出さないのは、咲夜さんの特技なのだろう。
 「そ、そうでした……すぐ浴びます」私は慌ててそう返事をすると、咲夜さんが荷物を二つとも持っていることに気がついた。どうやらそのまま館に戻ろうとしているらしく、早く来いとこちらを見て、呆れたようなため息を漏らしている。
 「まったく……」
 「あっ、咲夜さん、こっちは私が」と言って、強引にその大きな方の包みを奪い獲った。見た目の割にそれは案外軽く、片手で楽々と運べる程度のものだった。ただし咲夜さんにとっては、多分結構な重さがあるだろうから、無理をしていたのは明白だった。
 「あ、ちょっと」
 咲夜さんはしかめっ面をして抗議したそうだったが、私は首を振ってそれに応える。
 「遠慮しないでください。ここしばらく、迷惑をかけっぱなしですし、それに――」
 「――大荷物で、はぐれたくはありませんからね」
 「……」
 「……」
 「……じゃあ、片付けるの手伝って」咲夜さんは観念したようにそう言ってから、可愛らしく唇を尖らせた。気乗りしないことを渋々する時、咲夜さんはよくこんな顔をするのだ。
 「ええ、喜んで」
 こちらがうやうやしく頭を下げて返すと何だか可笑しくなって、私達は顔を見合わせて吹き出してしまった。そうして私と咲夜さんは連れ立って、裏庭を抜け正面玄関へと歩いていく。やっと雲が途切れた空からは光が差していて、嬉しそうな咲夜さんの目と、おまけに耳のピアスを、キラキラと光らせていたのだった。
 「美鈴、手」
 「――」
 私が驚いて立ち止まってしまうと、咲夜さんはパッとこちらの手を取り、ぐいぐい引っ張っていく。
 「ほら、早くしないとお手伝い増やすわよ!」と言うのに、私はそれも良いかななどと思わずにやけながら、
 「待ってください、咲夜さん」と言いつつ、力を込めて彼女の手を握り返したのだった。
  ※この話だけでも話がわかるように書いたつもりですが、一応、「すすめほんめいりん」の続きという位置づけになっています。そちらを読んでいただけると、より一層お楽しみになれるかと思います。

 6/7追記:誤字指摘ありがとうございます。修正しました。
略蚊
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コメント



0.550簡易評価
1.100名前が無い程度の能力削除
これはいい美咲
5.80奇声を発する程度の能力削除
とても良い美咲でした
12.70名前が無い程度の能力削除
いいメーサクでした。でも
>「すすめほんめいりん」の続きという 位置づけになっています。
そういう事は先に言って下さいよ。