ある晴れた昼下がり、風見幽香は頗る退屈していた。
昔はもっとぶいぶい言わせ周囲からは大妖として恐れられていたものの、今ではすっかり落ち着いてしまった。
無駄に争い力を浪費することを好まず、することといえば四季のフラワーマスターの名の如く折々の草花を楽しみ、ゆったりとした時間の流れに生きるくらい。
この生活に特に不満があるわけではないが、余った時間の有効活用法がいまいち上手くいかない。新しい趣味を始めてみても、長い時間の中では飽きもくる。
そんな手持無沙汰に心を悩ませていた今だからこそ
「幽香さ~ん。一緒に遊びませんか~?」
家のドアをドンドンと叩きながら間延びした声を出す蛍の妖怪の誘いに乗ってみようかと、幽香は思い立ったのかもしれなかった。
「みんな~、もう一人連れて来たよ~」
リグルに導かれるまま空を飛び、辿りついたのは湖の畔。
そこに待っていたのは二人の妖精と二人の妖怪。幽香は地に降り早々彼女らに向かって挨拶をする。
「こんにちは」
目の前に並ぶ四人は、いずれも幽香に比べてずっと背の低い子どもたち。
快活な氷の妖精に、比較的大人しい緑髪の妖精、背中の羽と長い爪が特徴的な夜雀の妖怪と、黒い服に金の髪と赤いリボンが映える宵闇の妖怪。
「おいっす!」
「こんにちはー」
「よろしくね」
「よろしくー」
四人が四人ともにっこり笑って挨拶する。目の前に降り立ったのは一応泣く子も黙る大妖怪なのだが、毛ほども気にしていないようだ。
幽香自身、相手に肩ひじ張られるとやりにくくてしょうがないので、この方がありがたい。
素直な子どもたちとの触れ合いに、自宅に籠って暇していた幽香の心も少し和らぐ。
そんな中、リグルがパンッと手を合わせた。
「それじゃあ人数も集まったことだし、遊ぼっか!」
「「「「おー!」」」」
リグルの声に同調して、他の四人も手を挙げる。
しかし幽香一人、少し戸惑う。そもそも一体どんな遊びをするのか、何一つ聞かされていないのだ。
まあ別に危なっかしいことをするとは思っていないのだが、それでも何も分からない状況というのは不安なものである。
「ねえリグル。何をして遊ぶのかしら?」
「すぐに分かりますよ」
そう言いながら、準備に取り掛かるリグル。
しかしその準備というのも実に簡単。
リグルが地面に小さく円を描き、チルノがポケットから取り出した空き缶を円の中に置けばそれで終了。
様子を見ていた幽香も、これが何の準備かすぐに分かった。
「缶蹴りね」
「はい。すごく楽しいんですよ!」
ぱあっと明るい顔をしてリグルは言う。
缶蹴り。
円の中に置かれた空き缶が蹴られた瞬間からゲームは始まる。鬼が缶を元に戻している間に他は隠れる。鬼は隠れた側を探し、見つけたらその名前を呼びながら缶を踏むと捕まえたことになる。
全員捕まえれば鬼の勝ち。次は最初に見つかった者が鬼となる。
全員捕まる前に誰かが缶を蹴り飛ばせば隠れた側の勝ち。鬼は続行となる。
あとは幻想郷の少女たちの特別ルール。弾幕の使用は禁止。
「じゃあ早速最初の鬼を決めようか!」
「じゃんけんだじゃんけんだ!」
ミスティア、ルーミアがはやし立てるように言うと、リグルやチルノ、大妖精も手を出す。
しかし幽香はあえてそれには乗らなかった。
「いいわ。最初はわたしが鬼をやる」
「え、いいんですか?」
大妖精が尋ねると、幽香は軽く笑った。
「いいのよ。これでもわたしの方が大人なんだから、ハンデよ」
「でも……」
なお戸惑いの色が隠せない大妖精の肩にチルノがポンと手を置いた。
「大ちゃん気にしすぎだよ。自分が鬼をやりたいって言うんだからいいじゃん」
「……そうだね!」
チルノに説得されて、笑顔で言う大妖精。
笑みを浮かべたまま幽香に向かって話を続けた。
「それじゃあ、覚悟してくださいね」
「……っ!?」
大妖精の言葉に、思わず背筋を凍らせた幽香。
いや言葉だけではない。「覚悟してください」と言ったその笑みが、いやに不敵だったのだ。
しかもこのゾッとする笑みは、大妖精だけではなかった。
「ふふっ、ハンデか……」
「あーあ幽香さん。無理しない方がいいのに……」
「幽香が鬼なのかー」
ミスティア、リグル、ルーミアたちのひそひそ声が聞こえてくる。
その顔には、まとわりつくような笑み。
(……この悪寒は何かしら?)
一抹の不安を抱えつつ、缶蹴りはチルノが空き缶を思いっきり蹴り飛ばすところからスタートした。
「あーもう、チルノったらやってくれたわね……」
大きく振りかぶったチルノのキックは芯をとらえて空き缶を盛大に吹っ飛ばした。
それを取りに行くだけで数十秒は使う程度に。
空き缶を拾って戻ってくると、当り前ではあるが誰も残っていなかった。
「……さて」
円の中に空き缶を置いて、幽香は周囲をぐるっと見回す。
空き缶が置かれているのは湖のほとり。南側はすぐ近くまで水が迫っている。
東側と西側は開けた場所ではあるが、北側は数十メートル離れたところから鬱蒼とした森となっている。隠れているとするならば、その茂みのあたりだろう。
「おっと、空き缶からは離れてないと」
大妖精が言っていたのだが、鬼が空き缶のそばに密着していてはゲームが進まないらしい。
そのため鬼は誰かを見つけた時以外は空き缶から十メートル離れなければいけない。
それもまあそうかと納得した幽香は、皆が隠れているであろう森に向かって歩を進める。
まさにその時だった。
「……しまった!?」
「よく気付いたな幽香! でももう遅い!」
湖の中から、チルノが飛び出した。
まさか水浸しになるような真似はすまいと高をくくっていた幽香。しかしチルノは水に濡れていない。
なんと自身の周囲に薄い氷を張って水中に潜っていたのだ。
湖から飛び出す音に反応して振り向くものの、幽香は既に空き缶から数歩離れている。
一方チルノは空き缶の目の前。間に合うはずがなかった。
「とーうっ!」
カーンッ!
周囲の氷を突き破って、チルノは空き缶を勢いよく蹴り飛ばした。
「ああっ!?」
「はははっ! また幽香が鬼だな!」
そう言葉を残して、茂みの中へ駆けてゆくチルノ。その姿はあっという間に見えなくなった。
「油断したわ……」
まんまとしてやられた幽香。相手は子どもだと侮っていた。
次はもっと警戒しなければならない。そう自分に言い聞かせながら空き缶を拾いに行く。
そして戻ってきて空き缶を円の中に置き、まず第一に湖の中を覗く。
「流石に同じ手は使ってこないか」
不意打ちは相手に手の内を見せていないからこそ効果を発揮するのである。
既にその手を使っているのだから、最早不意打ちでもなんでもない。それはチルノも十分理解しているようだ。
軽く息を吸って、一歩一歩空き缶から距離をとる。周囲への警戒は怠らない。
「次は一体どこから……あら?」
ガサガサと音をたて、茂みの中から何かが出てきた。
黒くて丸い、変な物体。こちらに向かってふわふわと飛んでくる。
「貴女ルーミアね?」
幽香が黒い球体に向かって声をかけると、それはぴたりと動きを止めた。
「そーなのかー?」
「そーなのかって貴女ね……」
中から返ってきたのはすっとぼけた答え。これには幽香も頭を抱える。
「自分の周りに闇を巡らせる妖怪なんてルーミア以外にいないじゃない」
「本当にそーなのかー?」
「……何が言いたいの?」
声色で分かった。
二回目の返事は明らかに笑っている。こちらを小馬鹿にしたような感じだ。
幽香がムスッとしていると、今度は威張ったような声が聞こえてきた。
「闇の中にいるのが周囲に闇を巡らせたルーミアなのか、それともルーミアによって闇に包まれた他の誰かなのか、それは闇が晴れるまで分からない! 人呼んでシュレッダーのルーミア!」
「シュレディンガーとでも言いたいのかしら?」
多分そうなのだろう。闇の中でえっへんと威張っている姿が目に浮かぶ。
しかしこんな屁理屈にはいつまでも付き合えないと、幽香はきっぱり切り捨てた。
「闇の中からルーミアの声が聞こえるのだから、貴女は間違いなくルーミアよ」
「おーそーなのかー」
闇の中からは何故か感心したような声がしてきて、幽香は呆れながら振り返った。
それでも油断はしていない、はずだった。
「えいっ!」
かこんっ、とチルノの時に比べて控え目な音がした。
幽香が振り返るとそこには、空き缶を蹴り飛ばす緑髪の妖精。
きょとんとする他、幽香には成す術がなかった。
「いつの間に……?」
ルーミアと話している最中にも、周囲の様子は絶えず窺っていた。
蟻の子一匹通さない心づもりで警戒していたはずだったのだ。
しかし今、目の前には蹴り倒された空き缶と、それを得意げな顔で眺める大妖精の姿。
「ふふ、実はずっと幽香さんの目の前にいたんですよ」
「ど、どういうこと?」
「わたし、短い距離だけど瞬間移動ができるんです。森の茂みからは届かないけど、あそこまで近付いていれば楽勝です」
「……まさか!?」
幽香は勢いよく踵を返した。
「正解は闇の中ー♪」
気分よく口ずさみながら、ルーミアが闇を解除していた。
背後からは大妖精の声。
「ルーミアちゃんの闇の中にいたのはルーミアちゃんだけじゃないってことですよ」
「わたしにしがみついて大ちゃんも一緒に来てたのだ」
「ルーミアちゃんの闇は何にも見えなくなるんですけど、空き缶の場所ならだいたい見当がつきます」
「経験の差ってやつでー」
自身を挟んで交互に繰り出される言葉のトーンはやけに不気味で、幽香はまた悪寒を感じた。
その悪寒の正体も、今ならはっきりと分かる。
「幽香さん、ハンデって言ってましたよね?」
「缶蹴りの年季が違うのに」
「さっきのチルノちゃんの不意打ち、わたしたちなら誰も引っかかりませんよ」
「未熟未熟ー」
「…………」
幽香は押し黙った。
押し黙りながら、大妖精とルーミアの言葉に耳を傾けていた。
そしてゆっくりと口を開く。
「貴女たちの言う通りだわ……」
相手は子どもだと侮って、本気を出すのは大人げないと思っていた。
しかし先ほどのチルノにせよ、目の前の大妖精とルーミアにせよ、まだ姿すら現わさないリグルとミスティアにせよ、長い時間を生きる妖精や妖怪たち。缶蹴りで遊んだ時間も数年では済まないだろう。
そんな遊びの中で、いかに缶を蹴るかという研究は絶えず積み重ねられてきた。最早缶蹴りという名の一種の戦いなのだ。
この戦いにあって、子どもたちは歴戦の猛者。幽香は新米兵士。差は歴然だった。
幽香はこの日一番の真剣な顔になって、子どもたちに宣言する。
「この先、全身全霊で挑ませてもらうわ」
「おお、幽香が本気だ」
「お手柔らかにお願いしますね」
笑顔でそう言って、ルーミアと大妖精は茂みの中へ駆けていった。
残された幽香は、大妖精に蹴り飛ばされた空き缶を拾って、元の場所に置いた。
その内心は、とてもわくわくしていた。
「一体いつぶりかしらね、こういうの」
闘争心が湧き起こる。
周囲一帯の空気に張り巡らされる、えも言われぬ緊張感。
戦いの中に身を置いている感覚。実に久しぶりだった。
「さてと……」
やはり最初に湖の中を覗く。チルノは隠れていなかった。
入念にチェックしてから森の方に目を向け、少しずつ前に進む、ふりをした。
「甘い! チルノ見っけ!」
「なんとぉ!?」
すかさず空き缶を踏んだ幽香に、チルノは宙に浮いたまま頭を抱えた。
「完璧な作戦が……」
「ふふ、湖に浮かぶ小岩の影に隠れていたのは見事な作戦だけど、詰めが甘いわね」
「な、何でバレた!?」
最初に湖の中から飛び出して空き缶を蹴ったのは、その後の幽香の注意を全て水中に向ける布石でもあった。
だから小岩の影までは気付くはずがないという二段構えの作戦が、幽香の前に打ち破られたのだ。
ショックを隠せないチルノに、幽香は楽しく笑いかける。
「あんなに殺気立っていたら、姿は見えなくてもそこにいることくらい分かるわ。貴女はもっと気配を殺すことを心がけるべきね」
「くっそ~」
「そしてそれは貴女にも言えることよ、大ちゃん?」
「ひぃ!?」
いつの間にか空き缶のすぐ近くまで移動していた大妖精。
しかし彼女が空き缶を蹴り飛ばす前に、幽香が踏んだ。
「お友達が捕まって焦るのは分かるけど、もうちょっと慎重に行動しないと」
「そんな……瞬間移動して一気に近付いたのに……」
「茂みからここまで二回の瞬間移動。わたしはずっと背中を向けていたけど、気配よ気配。手に取るように分かるわ」
「うう……」
捕まえた二人に得意げに語る幽香であったが、その心の内では結構焦っていた。
二人の気配を読み取れたのは研ぎ澄まされた緊張感の中にあったからこそ。少しでも気を緩ませれば間に合わない紙一重。
だがそれは悟らせない。弱みを見せればつけ込まれるのが戦い。平然を装い、あたかも余裕であったかのように振る舞う。
「あとの三人も見つけてあげるから、貴女たちはおとなしく待ってなさい」
「ふんだっ! 三人が仇を取ってくれるからな!」
「三人とも頑張って~!」
チルノと大妖精が森に向かって声を飛ばす。
幽香はそこから疑ってかかった。この行動自体、森の中に三人が隠れていると思いこませる陽動かもしれないからだ。
「……事は確実に運びましょう」
緊張の糸を解かず、森に向かって少しずつ前進する。
たまに振り向いて空き缶の方を確認するが、チルノと大妖精が立っているだけ。
茂みのまん前に至るまでそれを繰り返したが、三人が仕掛けてくる様子は無かった。
「どうやら本当に森の中にいるみたいね」
隠れている側も鬼と空き缶の様子は常に分かっていなければならない。
ならばそんなに奥の方までは入ってはいまい。おそらくこちらの位置を確認できる場所に隠れているはず。
そう考えながら森の中の気配を探る。チルノや大妖精を見抜いた時と同じようにだ。
だがしかし
「駄目ね。気配が多すぎる」
森の中には隠れて姿は見えないがたくさんの生き物が生息している。
それらの気配まで察知してしまうため、誰がどこに隠れているかの細かい特定まではできなかった。
「仕方ない、すこし入ってみるか」
虎穴に入らずんば虎児を得ずと、幽香は森の中へ足を踏み入れた。無論空き缶の方への警戒は解いていない。
異変はすぐに起こった。
「やけに暗い。いや暗すぎる……もしかして」
木に阻まれて日の光が届かないにしては、異様に暗かった。まるで夜のようだ。
まさかと思い空を見上げる。大きな黒い塊が、日の光を遮っていた。
「ルーミアね」
あの黒い塊は間違いなくルーミア。大きな闇を展開してこちらの視界を制限する作戦だろう。
このまま森に居続けるのは危険。そう判断した幽香は、明るい森の外へ脱出しようとする。
その瞬間
「何かしらこの音? 視界がぼやけて……」
ルーミアの闇によって暗くなっていた森の中が、奇妙な音とともに急激に暗さを増した。
その音の正体が歌声だと気付いた時には、もう幽香の視界はかなりぼんやりとしたものになっていた。
「これはミスティアの歌。鳥目にされたみたいね。でも……」
鳥目にされて、暗いところでの視界は最悪になってしまった。
しかし外の明かりの場所は分かる。そこに向かって移動すれば、再び日のもとに戻ることができる。
百戦錬磨の幽香ならこれくらい冷静に乗り切れる、はずだったのだが
「……光? きゃあ!?」
急に幽香の周りを小さな無数の光が飛び交った。そのせいで視界がチカチカして、外の明かりを見失ってしまう。
「方向が分からない……この光は一体……?」
手に持った日傘を振りまわして、辺りの光を払おうとする。
しかし光はまるで生き物のように無秩序な軌道を描き、幽香から離れようとしない。
「まるで生き物……ひょっとして」
「ふふふ、ようやく気付きましたか幽香さん!」
幽香が光の正体に勘付いたところで、どこからか高笑いが聞こえてきた。
ルーミアに日の光を遮られ、挙句鳥目にされてしまいどこにいるのか判断がつかなかったが、声の主の正体はすぐに分かった。
「この光……貴女の蛍ね、リグル?」
「正解です! でももう遅ーい!」
その声と同時に、誰かの駆け足の音が聞こえた。十中八九リグルだろう。空き缶の方へ向かっているのだ。
「くっ……間に合うかしら」
目が使えないのなら耳に頼るしかない。
駆け足の音を追い、急いでリグルの後を走る。するとすぐに森の外へ出ることができた。
しかし
「とりゃあ!」
カコーンッ!
暗いところから明るいところに出た幽香の目が光に順応するより前に、リグルが空き缶を蹴り飛ばした。
また幽香の負け。これで鬼の三連敗である。
「やったー!」
「三人ともすごーい!」
チルノと大妖精が諸手を挙げて喜んだ。空き缶が蹴られたことで二人とも解放である。
「……参ったわ。これは完敗ね」
思ったままを言葉にする。
ルーミアとミスティアとリグル。三人の能力を活用した見事な作戦だった。
しかし、リグルは首を横に振る。
「すごいのは幽香さんですよ。こんなに早く奥の手を使うことになるとは思わなかった」
「奥の手?」
「はい。チルノと大ちゃんがあっという間に捕まったのを見て、三人とも焦っちゃって。だからわたしたちの作戦の中で一番強力なやつを使ったんですよ」
「なるほど……」
ということは、この奥の手を破らない限り幽香に勝ち目は無さそうである。
勝つための方法を考えていると、チルノが元気よく手を挙げた。
「あたいと大ちゃんだってまだ奥の手があるんだぞ! ねっ、大ちゃん!」
「うん。今度は捕まらないもんね!」
どうやらまだ見ぬ隠し玉が妖精コンビにはあるらしい。
これは手強いなと内心思いながらそんなことはおくびにも出さず、幽香は空き缶を拾いに行った。
空き缶を拾い元の場所まで戻ってくると、周囲の風景が少し変わっていた。
開けた場所に、白い靄がかかっていたのだ。
「これは……霧?」
先程は真っ黒な闇の中に誘われたが、今度は真っ白な霧の中らしい。
こんな芸当ができるのは、五人の中で一人だけ。
「チルノね……」
周囲の気温を下げ、局所的に霧を発生させたようである。
ましてここは湖のそば。そこから発生する水蒸気はチルノによって冷やされ、霧に早変わりする寸法だ。
「相手の視界を遮るというのは変わらないのね。いい作戦だわ」
霧の中から円を見つけ出し、空き缶を置きながら幽香は呟く。
人間は周囲の情報のかなりを視覚によって調達するというが、幽香にしてみてもその点は同じである。
よってその視覚に制限がかかれば不利となる。
「でも貴女もこの霧の中にいるのよね、チルノ?」
これだけの霧を発生させるには、空気を冷却するための核が霧の中にあるはずだ。
そしてその核というのはまず間違いなくチルノ自身。
「警戒は怠らないわ……必ず見つけ出す」
真っ白な周囲に向かって声を放ったその時、少し離れたところに一瞬だけ影が見えた。
「そこっ!」
日傘で霧を払い、影の見えた場所にダッシュする。
「……これはっ!?」
そこにあったのは、ピカピカに磨かれ鏡のように反射する氷の柱。
ということは、さっきここに見えた人影は、空き缶を挟んで反対の方向にいたことになる。
「残念! わたしはこっちですよ!」
「……っ!?」
後ろから聞こえてきたのは、はしゃぐ大妖精の声。
幽香が氷の柱に気をとられた瞬間、瞬間移動で一気に空き缶まで近付いたようだ。
「……本当に残念ね、大ちゃん見っけ」
「……え?」
大妖精が蹴る直前に、幽香が空き缶を踏んだ。
あまりに唐突で、大妖精は反応ができなかった。
「だ、大ちゃん!」
「さっきも言ったでしょ? 隠れるんなら気配も殺さないと。チルノ見っけ」
「しまったぁ!」
霧の中突っ込んできたチルノの姿を確認して、幽香はもう一度空き缶を踏んだ。
観念したのか、チルノは周囲の気温を下げることをやめ、次第に霧は晴れてきた。
「くそ~……あたいたちの最強のリインカーネーションが……」
「それを言うならコンビネーションでしょうが。どういう間違え方よ」
霧が晴れて視界が開けてくると、がっくりとうなだれながら高度な言い間違えをするチルノに、未だあたふたする大妖精。
幽香がチルノの方につっこみをいれていると、大妖精があの、と尋ねてきた。
「ど、どうやってあの仕掛けを見破ったんですか? 完璧に引っかかったと思ったのに」
「ああそのこと? 簡単な話よ」
何でもないかのように話す幽香。
大妖精はそれをじっと聞いていた。
「さっきと同じ。貴女たちは気配を消すのが下手なのよ。わたしは霧の中心にいるチルノのことに気付いていたし、勿論貴女のことにも気付いていたわ。霧の中で瞬間移動を繰り返しながらこちらの様子を窺っていたこともね」
「そんなことまで……」
「視覚が効かない中で瞬間移動を続けられたら姿までは捉えられないから、わざとそっちの作戦に引っかかって移動したの。貴女が空き缶に突っ込んでくることを見越してね。まさか氷の鏡があるとは思わなかったけど」
「……完敗です」
がくん、と肩を落とす大妖精の頭を、幽香はそっと撫でた。
「落ち込むことはないわ。貴女たちの作戦はすごかった。貴女が缶を蹴るより先にこっちが缶を踏んだのだって、本当にギリギリだった」
「幽香さん……」
「チルノもすごい霧だったわね」
「お、おう! 何たって最強だから!」
元気を取り戻した大妖精とチルノに微笑みかけてから、幽香は再び真剣なまなざしに戻る。
そのまま森の方へ歩みを進める。あの三人はおそらくさっきと同じ作戦で攻めてくるだろう。
問題は、森の中では気配を読みにくいこと。チルノや大妖精と同じようにはいかない。
だが幽香は引かなかった。
「今度は真っ正面から破ってみせるわ」
真っ向勝負。相手の作戦に乗って、その上でこれを撃破する。
前回の敗北の悔しさをはじき返すにはこれしかなかった。
勝負は一瞬で決まる。幽香は深呼吸して森の中へ入っていった。
それと同時に、頭上には大きな闇の塊が広がった。
「来たわね……」
日光を遮って、森の中は一気に暗くなる。そして聞こえてくるはミスティアの歌声。
この歌を聞き続ければ、さっきの二の舞となる。
「させないわよ!」
「ららら~……むぐっ!?」
木の上に隠れて心地よく歌っていたミスティアの口が、突如何者かによって塞がれてしまった。
まあその何者かというのは幽香なのであるが。
「むぐっ! むぐ~!」
「ふふ、これで歌えないわね。お次は……」
ミスティアを押さえ込みながら、幽香は樹上から空を見上げる。相変わらず大きな闇が頭上を覆っていた。
その闇に向かって、幽香は高々とジャンプした。
闇の中は一寸の光さえ通してはいなかった。なるほど森そのものを闇で覆わないはずである。こんなもので覆われたら、ミスティアやリグルまで視界が効かなくなってしまう。
「本当に真っ暗ね……こんなところに居続けたらどうかしちゃいそうだわ」
「むぐぐ~!」
じたばたするミスティアの口を片手で押さえ続け、闇の中を飛ぶ。
空の上でなら気配を読める。目標に向かって一直線だった。
「捕まえた!」
「おおっ!?」
闇の中心を飛んでいたルーミアの首根っこを空いていたもう片方の手でひっ捕らえて、そのまま一気に降下。
「な、何だ?」
「きゃあ!?」
着地すればそこは空から降ってきた幽香たちに驚くチルノと大妖精、そして空き缶のまん前だった。
「ミスティア、ルーミア見っけ!」
「むぐぐっ!」
「お~?」
口をふさがれ苦しそうなミスティアと、状況が全く分からず目を丸くするルーミア。
そんな二人にはお構いなしに、幽香は空き缶を踏んだ。
それからようやく二人を解放する。
「……ぷはぁ! な、何で!? 何でわたしの隠れ場所が分かったの!?」
塞がっていた口がようやく開いて、息を吸うのもほどほどにミスティアは幽香に詰め寄った。
この展開は全くの予想外だったようだ。
幽香は笑みを浮かべながら、ちょいちょいと自身の耳を指差す。
「音よ、音」
「音……?」
「視界は効きにくいし気配も読めない。だから耳に頼った。貴女の歌声が聞こえる方向めがけて飛んで行ったのよ」
「あ、あんな短時間で?」
ミスティアの驚きももっともだった。
歌い始めてたったの数秒でこちらの隠れている場所を見抜いてきたのだ。一度は上手くいった作戦も二度目は有効でなかった。
一方その頃ルーミアは
「ん~まぶしい……」
ずっと自身の闇の中に隠れていたのにいきなり光のもとへ引きずり出されて、中々順応してくれない目をごしごし擦っていた。
そんなミスティアとルーミアの頭をポンッと柔らかく叩いて、幽香はもう一度真剣な顔に戻る。
「あとはリグルだけね……」
ミスティアたちと話している間にも一切警戒は緩めていなかったのだが、リグルは一向に姿を現さない。
ここでしくじってリグルに空き缶を蹴られたら、今までの苦労が水の泡。
既に奥の手は破ったが、次からも他の作戦で仕掛けてくるだろう。流石の幽香もかなり疲れてきた。これ以上の鬼役は御免蒙りたい。
「来るなら来なさい。必ず勝つわ」
辺りをキョロキョロ見回し、ルールにのっとって空き缶から十メートルの距離をとる。
目に見える人影は、チルノ、大妖精、ミスティア、ルーミアだけ。ルーミアはまだ目を擦っている。
幽香は神経を研ぎ澄ませた。どんな些細な気配も逃さないよう、じっと集中する。
その時、何かが動く気配を感じた。湖の方ではない、森の方でもない。空の方でもない。
幽香は慌てて空き缶の方へと走り出した。
「これに気付くとは流石幽香さん! でも手遅れなんです!」
リグルが飛び出て来た。ドバッと、地中から。虫たちに掘らせた即席トンネルを利用して、地面を突き破って。
リグルの上半身が現れたその瞬間、幽香は固まった。
幽香だけではない。チルノも、大妖精も、ミスティアも、そしてリグル自身も固まった。
唯一固まらなかったのは、まだ視界がぼやけているルーミアだけ。
「ここって……えっ? あれ?」
勢いよくリグルが飛び出したのは、ずばり、なんと、あろうことか
「幽香さんの、スカートのな……」
「きゃああああああああああああ!!」
「ばわっ!?」
幽香渾身の蹴りがリグルに炸裂。美しい放物線を描いてリグルは宙に舞った。
その時、ようやく光に慣れて目を見開いたルーミアが一言。
「……リグル蹴り?」
「「「ちがうちがう」」」
手を振り否定する三人の声がきれいにハモッた。
「いつつつつ……う~」
「ほら、妖怪なんだからこれくらい我慢我慢」
ところ変わって幽香の自宅。
不幸な事故によってリグルが負傷したため、缶蹴りはお開き。
今は全員がここに集まって、リグルの手当てをしていた。
「幽香、氷はこれくらいでいい?」
「ええ、ありがとうね」
チルノが作りだした氷を受け取って氷嚢に詰め、幽香はリグルの腰にそれを当てた。
蹴られた場所はそこ。少し腫れていたのだ。
その他地面に墜落した際についた擦り傷がいくつか。こちらは消毒液を塗って絆創膏を貼っておしまいである。
妖怪であるリグルだからこそこれだけで済んだのだ。人間だったら即死だった。
「きれいな放物線だったね」
「10.0だったね」
「ちょ、二人ともそれは……」
若干不謹慎なことを話すルーミアとミスティアに、大妖精がつっこみを入れた。
「ごめんなさい。あんなことをしてしまって……」
「い、いいわよ別に。わざとじゃないんでしょ? それにこっちも貴女のこと蹴っちゃったし……」
謝るリグルに、幽香は顔を赤くしながら答えた。
正直言ってかなり恥ずかしい。もう思い出したくないので、この話はおしまいにするため話を変えた。
「き、気付いたらもうこんな時間ね。あっという間だわ」
時計を見ると、もう五時をまわろうとしているところだった。リグルに連れられてこの家を出たのが昼過ぎだったというのに。
驚きを隠せない幽香に、リグルが話しかける。
「そうですよ。遊んでいると時間なんてあっという間に過ぎちゃうんです」
そのまま言葉を続ける。
「それで幽香さん、楽しかったですか?」
「え?」
突然の質問に面食らう幽香。
しかしすぐににこりと笑顔になった。
「とっても面白かったわ。貴女たちの作戦がお見事で、すごく楽しめた」
「よかった」
幽香の言葉を聞いてリグルは満面の笑みを浮かべる。
それは他の子どもたちも同様だった。
「どうしたの貴女たち? そんなに笑顔になって」
問いかける幽香に、チルノ、大妖精、ミスティア、ルーミアが順々に言葉を紡ぐ。
「だってリグル言ってたもん!」
「幽香さんは普段あんまり楽しそうな顔をしないって」
「だから一緒に遊んで思いっきり楽しんでほしかったの」
「幽香が楽しんでくれて良かったー」
「貴女たち……」
子どもたちの無邪気な言葉に、思わず目頭が熱くなる幽香。
確かに退屈だった。でもこの子たちと遊んでいる間は、そんな退屈もどこかにいってしまっていた。
リグルの方を見る。
「えへへ。幽香さん、また一緒に遊びませんか? 今度はもっとすごい作戦を考えますよ。それに……」
「それに?」
「次に地面に潜るときは必ず誰もいないところから出ます!」
「そ、その話はもうやめなさい!」
せっかく忘れかけていたのに、また思い出してしまった。
赤面する幽香に、子どもたちの笑い声が絶えない風見邸であった。
昔はもっとぶいぶい言わせ周囲からは大妖として恐れられていたものの、今ではすっかり落ち着いてしまった。
無駄に争い力を浪費することを好まず、することといえば四季のフラワーマスターの名の如く折々の草花を楽しみ、ゆったりとした時間の流れに生きるくらい。
この生活に特に不満があるわけではないが、余った時間の有効活用法がいまいち上手くいかない。新しい趣味を始めてみても、長い時間の中では飽きもくる。
そんな手持無沙汰に心を悩ませていた今だからこそ
「幽香さ~ん。一緒に遊びませんか~?」
家のドアをドンドンと叩きながら間延びした声を出す蛍の妖怪の誘いに乗ってみようかと、幽香は思い立ったのかもしれなかった。
「みんな~、もう一人連れて来たよ~」
リグルに導かれるまま空を飛び、辿りついたのは湖の畔。
そこに待っていたのは二人の妖精と二人の妖怪。幽香は地に降り早々彼女らに向かって挨拶をする。
「こんにちは」
目の前に並ぶ四人は、いずれも幽香に比べてずっと背の低い子どもたち。
快活な氷の妖精に、比較的大人しい緑髪の妖精、背中の羽と長い爪が特徴的な夜雀の妖怪と、黒い服に金の髪と赤いリボンが映える宵闇の妖怪。
「おいっす!」
「こんにちはー」
「よろしくね」
「よろしくー」
四人が四人ともにっこり笑って挨拶する。目の前に降り立ったのは一応泣く子も黙る大妖怪なのだが、毛ほども気にしていないようだ。
幽香自身、相手に肩ひじ張られるとやりにくくてしょうがないので、この方がありがたい。
素直な子どもたちとの触れ合いに、自宅に籠って暇していた幽香の心も少し和らぐ。
そんな中、リグルがパンッと手を合わせた。
「それじゃあ人数も集まったことだし、遊ぼっか!」
「「「「おー!」」」」
リグルの声に同調して、他の四人も手を挙げる。
しかし幽香一人、少し戸惑う。そもそも一体どんな遊びをするのか、何一つ聞かされていないのだ。
まあ別に危なっかしいことをするとは思っていないのだが、それでも何も分からない状況というのは不安なものである。
「ねえリグル。何をして遊ぶのかしら?」
「すぐに分かりますよ」
そう言いながら、準備に取り掛かるリグル。
しかしその準備というのも実に簡単。
リグルが地面に小さく円を描き、チルノがポケットから取り出した空き缶を円の中に置けばそれで終了。
様子を見ていた幽香も、これが何の準備かすぐに分かった。
「缶蹴りね」
「はい。すごく楽しいんですよ!」
ぱあっと明るい顔をしてリグルは言う。
缶蹴り。
円の中に置かれた空き缶が蹴られた瞬間からゲームは始まる。鬼が缶を元に戻している間に他は隠れる。鬼は隠れた側を探し、見つけたらその名前を呼びながら缶を踏むと捕まえたことになる。
全員捕まえれば鬼の勝ち。次は最初に見つかった者が鬼となる。
全員捕まる前に誰かが缶を蹴り飛ばせば隠れた側の勝ち。鬼は続行となる。
あとは幻想郷の少女たちの特別ルール。弾幕の使用は禁止。
「じゃあ早速最初の鬼を決めようか!」
「じゃんけんだじゃんけんだ!」
ミスティア、ルーミアがはやし立てるように言うと、リグルやチルノ、大妖精も手を出す。
しかし幽香はあえてそれには乗らなかった。
「いいわ。最初はわたしが鬼をやる」
「え、いいんですか?」
大妖精が尋ねると、幽香は軽く笑った。
「いいのよ。これでもわたしの方が大人なんだから、ハンデよ」
「でも……」
なお戸惑いの色が隠せない大妖精の肩にチルノがポンと手を置いた。
「大ちゃん気にしすぎだよ。自分が鬼をやりたいって言うんだからいいじゃん」
「……そうだね!」
チルノに説得されて、笑顔で言う大妖精。
笑みを浮かべたまま幽香に向かって話を続けた。
「それじゃあ、覚悟してくださいね」
「……っ!?」
大妖精の言葉に、思わず背筋を凍らせた幽香。
いや言葉だけではない。「覚悟してください」と言ったその笑みが、いやに不敵だったのだ。
しかもこのゾッとする笑みは、大妖精だけではなかった。
「ふふっ、ハンデか……」
「あーあ幽香さん。無理しない方がいいのに……」
「幽香が鬼なのかー」
ミスティア、リグル、ルーミアたちのひそひそ声が聞こえてくる。
その顔には、まとわりつくような笑み。
(……この悪寒は何かしら?)
一抹の不安を抱えつつ、缶蹴りはチルノが空き缶を思いっきり蹴り飛ばすところからスタートした。
「あーもう、チルノったらやってくれたわね……」
大きく振りかぶったチルノのキックは芯をとらえて空き缶を盛大に吹っ飛ばした。
それを取りに行くだけで数十秒は使う程度に。
空き缶を拾って戻ってくると、当り前ではあるが誰も残っていなかった。
「……さて」
円の中に空き缶を置いて、幽香は周囲をぐるっと見回す。
空き缶が置かれているのは湖のほとり。南側はすぐ近くまで水が迫っている。
東側と西側は開けた場所ではあるが、北側は数十メートル離れたところから鬱蒼とした森となっている。隠れているとするならば、その茂みのあたりだろう。
「おっと、空き缶からは離れてないと」
大妖精が言っていたのだが、鬼が空き缶のそばに密着していてはゲームが進まないらしい。
そのため鬼は誰かを見つけた時以外は空き缶から十メートル離れなければいけない。
それもまあそうかと納得した幽香は、皆が隠れているであろう森に向かって歩を進める。
まさにその時だった。
「……しまった!?」
「よく気付いたな幽香! でももう遅い!」
湖の中から、チルノが飛び出した。
まさか水浸しになるような真似はすまいと高をくくっていた幽香。しかしチルノは水に濡れていない。
なんと自身の周囲に薄い氷を張って水中に潜っていたのだ。
湖から飛び出す音に反応して振り向くものの、幽香は既に空き缶から数歩離れている。
一方チルノは空き缶の目の前。間に合うはずがなかった。
「とーうっ!」
カーンッ!
周囲の氷を突き破って、チルノは空き缶を勢いよく蹴り飛ばした。
「ああっ!?」
「はははっ! また幽香が鬼だな!」
そう言葉を残して、茂みの中へ駆けてゆくチルノ。その姿はあっという間に見えなくなった。
「油断したわ……」
まんまとしてやられた幽香。相手は子どもだと侮っていた。
次はもっと警戒しなければならない。そう自分に言い聞かせながら空き缶を拾いに行く。
そして戻ってきて空き缶を円の中に置き、まず第一に湖の中を覗く。
「流石に同じ手は使ってこないか」
不意打ちは相手に手の内を見せていないからこそ効果を発揮するのである。
既にその手を使っているのだから、最早不意打ちでもなんでもない。それはチルノも十分理解しているようだ。
軽く息を吸って、一歩一歩空き缶から距離をとる。周囲への警戒は怠らない。
「次は一体どこから……あら?」
ガサガサと音をたて、茂みの中から何かが出てきた。
黒くて丸い、変な物体。こちらに向かってふわふわと飛んでくる。
「貴女ルーミアね?」
幽香が黒い球体に向かって声をかけると、それはぴたりと動きを止めた。
「そーなのかー?」
「そーなのかって貴女ね……」
中から返ってきたのはすっとぼけた答え。これには幽香も頭を抱える。
「自分の周りに闇を巡らせる妖怪なんてルーミア以外にいないじゃない」
「本当にそーなのかー?」
「……何が言いたいの?」
声色で分かった。
二回目の返事は明らかに笑っている。こちらを小馬鹿にしたような感じだ。
幽香がムスッとしていると、今度は威張ったような声が聞こえてきた。
「闇の中にいるのが周囲に闇を巡らせたルーミアなのか、それともルーミアによって闇に包まれた他の誰かなのか、それは闇が晴れるまで分からない! 人呼んでシュレッダーのルーミア!」
「シュレディンガーとでも言いたいのかしら?」
多分そうなのだろう。闇の中でえっへんと威張っている姿が目に浮かぶ。
しかしこんな屁理屈にはいつまでも付き合えないと、幽香はきっぱり切り捨てた。
「闇の中からルーミアの声が聞こえるのだから、貴女は間違いなくルーミアよ」
「おーそーなのかー」
闇の中からは何故か感心したような声がしてきて、幽香は呆れながら振り返った。
それでも油断はしていない、はずだった。
「えいっ!」
かこんっ、とチルノの時に比べて控え目な音がした。
幽香が振り返るとそこには、空き缶を蹴り飛ばす緑髪の妖精。
きょとんとする他、幽香には成す術がなかった。
「いつの間に……?」
ルーミアと話している最中にも、周囲の様子は絶えず窺っていた。
蟻の子一匹通さない心づもりで警戒していたはずだったのだ。
しかし今、目の前には蹴り倒された空き缶と、それを得意げな顔で眺める大妖精の姿。
「ふふ、実はずっと幽香さんの目の前にいたんですよ」
「ど、どういうこと?」
「わたし、短い距離だけど瞬間移動ができるんです。森の茂みからは届かないけど、あそこまで近付いていれば楽勝です」
「……まさか!?」
幽香は勢いよく踵を返した。
「正解は闇の中ー♪」
気分よく口ずさみながら、ルーミアが闇を解除していた。
背後からは大妖精の声。
「ルーミアちゃんの闇の中にいたのはルーミアちゃんだけじゃないってことですよ」
「わたしにしがみついて大ちゃんも一緒に来てたのだ」
「ルーミアちゃんの闇は何にも見えなくなるんですけど、空き缶の場所ならだいたい見当がつきます」
「経験の差ってやつでー」
自身を挟んで交互に繰り出される言葉のトーンはやけに不気味で、幽香はまた悪寒を感じた。
その悪寒の正体も、今ならはっきりと分かる。
「幽香さん、ハンデって言ってましたよね?」
「缶蹴りの年季が違うのに」
「さっきのチルノちゃんの不意打ち、わたしたちなら誰も引っかかりませんよ」
「未熟未熟ー」
「…………」
幽香は押し黙った。
押し黙りながら、大妖精とルーミアの言葉に耳を傾けていた。
そしてゆっくりと口を開く。
「貴女たちの言う通りだわ……」
相手は子どもだと侮って、本気を出すのは大人げないと思っていた。
しかし先ほどのチルノにせよ、目の前の大妖精とルーミアにせよ、まだ姿すら現わさないリグルとミスティアにせよ、長い時間を生きる妖精や妖怪たち。缶蹴りで遊んだ時間も数年では済まないだろう。
そんな遊びの中で、いかに缶を蹴るかという研究は絶えず積み重ねられてきた。最早缶蹴りという名の一種の戦いなのだ。
この戦いにあって、子どもたちは歴戦の猛者。幽香は新米兵士。差は歴然だった。
幽香はこの日一番の真剣な顔になって、子どもたちに宣言する。
「この先、全身全霊で挑ませてもらうわ」
「おお、幽香が本気だ」
「お手柔らかにお願いしますね」
笑顔でそう言って、ルーミアと大妖精は茂みの中へ駆けていった。
残された幽香は、大妖精に蹴り飛ばされた空き缶を拾って、元の場所に置いた。
その内心は、とてもわくわくしていた。
「一体いつぶりかしらね、こういうの」
闘争心が湧き起こる。
周囲一帯の空気に張り巡らされる、えも言われぬ緊張感。
戦いの中に身を置いている感覚。実に久しぶりだった。
「さてと……」
やはり最初に湖の中を覗く。チルノは隠れていなかった。
入念にチェックしてから森の方に目を向け、少しずつ前に進む、ふりをした。
「甘い! チルノ見っけ!」
「なんとぉ!?」
すかさず空き缶を踏んだ幽香に、チルノは宙に浮いたまま頭を抱えた。
「完璧な作戦が……」
「ふふ、湖に浮かぶ小岩の影に隠れていたのは見事な作戦だけど、詰めが甘いわね」
「な、何でバレた!?」
最初に湖の中から飛び出して空き缶を蹴ったのは、その後の幽香の注意を全て水中に向ける布石でもあった。
だから小岩の影までは気付くはずがないという二段構えの作戦が、幽香の前に打ち破られたのだ。
ショックを隠せないチルノに、幽香は楽しく笑いかける。
「あんなに殺気立っていたら、姿は見えなくてもそこにいることくらい分かるわ。貴女はもっと気配を殺すことを心がけるべきね」
「くっそ~」
「そしてそれは貴女にも言えることよ、大ちゃん?」
「ひぃ!?」
いつの間にか空き缶のすぐ近くまで移動していた大妖精。
しかし彼女が空き缶を蹴り飛ばす前に、幽香が踏んだ。
「お友達が捕まって焦るのは分かるけど、もうちょっと慎重に行動しないと」
「そんな……瞬間移動して一気に近付いたのに……」
「茂みからここまで二回の瞬間移動。わたしはずっと背中を向けていたけど、気配よ気配。手に取るように分かるわ」
「うう……」
捕まえた二人に得意げに語る幽香であったが、その心の内では結構焦っていた。
二人の気配を読み取れたのは研ぎ澄まされた緊張感の中にあったからこそ。少しでも気を緩ませれば間に合わない紙一重。
だがそれは悟らせない。弱みを見せればつけ込まれるのが戦い。平然を装い、あたかも余裕であったかのように振る舞う。
「あとの三人も見つけてあげるから、貴女たちはおとなしく待ってなさい」
「ふんだっ! 三人が仇を取ってくれるからな!」
「三人とも頑張って~!」
チルノと大妖精が森に向かって声を飛ばす。
幽香はそこから疑ってかかった。この行動自体、森の中に三人が隠れていると思いこませる陽動かもしれないからだ。
「……事は確実に運びましょう」
緊張の糸を解かず、森に向かって少しずつ前進する。
たまに振り向いて空き缶の方を確認するが、チルノと大妖精が立っているだけ。
茂みのまん前に至るまでそれを繰り返したが、三人が仕掛けてくる様子は無かった。
「どうやら本当に森の中にいるみたいね」
隠れている側も鬼と空き缶の様子は常に分かっていなければならない。
ならばそんなに奥の方までは入ってはいまい。おそらくこちらの位置を確認できる場所に隠れているはず。
そう考えながら森の中の気配を探る。チルノや大妖精を見抜いた時と同じようにだ。
だがしかし
「駄目ね。気配が多すぎる」
森の中には隠れて姿は見えないがたくさんの生き物が生息している。
それらの気配まで察知してしまうため、誰がどこに隠れているかの細かい特定まではできなかった。
「仕方ない、すこし入ってみるか」
虎穴に入らずんば虎児を得ずと、幽香は森の中へ足を踏み入れた。無論空き缶の方への警戒は解いていない。
異変はすぐに起こった。
「やけに暗い。いや暗すぎる……もしかして」
木に阻まれて日の光が届かないにしては、異様に暗かった。まるで夜のようだ。
まさかと思い空を見上げる。大きな黒い塊が、日の光を遮っていた。
「ルーミアね」
あの黒い塊は間違いなくルーミア。大きな闇を展開してこちらの視界を制限する作戦だろう。
このまま森に居続けるのは危険。そう判断した幽香は、明るい森の外へ脱出しようとする。
その瞬間
「何かしらこの音? 視界がぼやけて……」
ルーミアの闇によって暗くなっていた森の中が、奇妙な音とともに急激に暗さを増した。
その音の正体が歌声だと気付いた時には、もう幽香の視界はかなりぼんやりとしたものになっていた。
「これはミスティアの歌。鳥目にされたみたいね。でも……」
鳥目にされて、暗いところでの視界は最悪になってしまった。
しかし外の明かりの場所は分かる。そこに向かって移動すれば、再び日のもとに戻ることができる。
百戦錬磨の幽香ならこれくらい冷静に乗り切れる、はずだったのだが
「……光? きゃあ!?」
急に幽香の周りを小さな無数の光が飛び交った。そのせいで視界がチカチカして、外の明かりを見失ってしまう。
「方向が分からない……この光は一体……?」
手に持った日傘を振りまわして、辺りの光を払おうとする。
しかし光はまるで生き物のように無秩序な軌道を描き、幽香から離れようとしない。
「まるで生き物……ひょっとして」
「ふふふ、ようやく気付きましたか幽香さん!」
幽香が光の正体に勘付いたところで、どこからか高笑いが聞こえてきた。
ルーミアに日の光を遮られ、挙句鳥目にされてしまいどこにいるのか判断がつかなかったが、声の主の正体はすぐに分かった。
「この光……貴女の蛍ね、リグル?」
「正解です! でももう遅ーい!」
その声と同時に、誰かの駆け足の音が聞こえた。十中八九リグルだろう。空き缶の方へ向かっているのだ。
「くっ……間に合うかしら」
目が使えないのなら耳に頼るしかない。
駆け足の音を追い、急いでリグルの後を走る。するとすぐに森の外へ出ることができた。
しかし
「とりゃあ!」
カコーンッ!
暗いところから明るいところに出た幽香の目が光に順応するより前に、リグルが空き缶を蹴り飛ばした。
また幽香の負け。これで鬼の三連敗である。
「やったー!」
「三人ともすごーい!」
チルノと大妖精が諸手を挙げて喜んだ。空き缶が蹴られたことで二人とも解放である。
「……参ったわ。これは完敗ね」
思ったままを言葉にする。
ルーミアとミスティアとリグル。三人の能力を活用した見事な作戦だった。
しかし、リグルは首を横に振る。
「すごいのは幽香さんですよ。こんなに早く奥の手を使うことになるとは思わなかった」
「奥の手?」
「はい。チルノと大ちゃんがあっという間に捕まったのを見て、三人とも焦っちゃって。だからわたしたちの作戦の中で一番強力なやつを使ったんですよ」
「なるほど……」
ということは、この奥の手を破らない限り幽香に勝ち目は無さそうである。
勝つための方法を考えていると、チルノが元気よく手を挙げた。
「あたいと大ちゃんだってまだ奥の手があるんだぞ! ねっ、大ちゃん!」
「うん。今度は捕まらないもんね!」
どうやらまだ見ぬ隠し玉が妖精コンビにはあるらしい。
これは手強いなと内心思いながらそんなことはおくびにも出さず、幽香は空き缶を拾いに行った。
空き缶を拾い元の場所まで戻ってくると、周囲の風景が少し変わっていた。
開けた場所に、白い靄がかかっていたのだ。
「これは……霧?」
先程は真っ黒な闇の中に誘われたが、今度は真っ白な霧の中らしい。
こんな芸当ができるのは、五人の中で一人だけ。
「チルノね……」
周囲の気温を下げ、局所的に霧を発生させたようである。
ましてここは湖のそば。そこから発生する水蒸気はチルノによって冷やされ、霧に早変わりする寸法だ。
「相手の視界を遮るというのは変わらないのね。いい作戦だわ」
霧の中から円を見つけ出し、空き缶を置きながら幽香は呟く。
人間は周囲の情報のかなりを視覚によって調達するというが、幽香にしてみてもその点は同じである。
よってその視覚に制限がかかれば不利となる。
「でも貴女もこの霧の中にいるのよね、チルノ?」
これだけの霧を発生させるには、空気を冷却するための核が霧の中にあるはずだ。
そしてその核というのはまず間違いなくチルノ自身。
「警戒は怠らないわ……必ず見つけ出す」
真っ白な周囲に向かって声を放ったその時、少し離れたところに一瞬だけ影が見えた。
「そこっ!」
日傘で霧を払い、影の見えた場所にダッシュする。
「……これはっ!?」
そこにあったのは、ピカピカに磨かれ鏡のように反射する氷の柱。
ということは、さっきここに見えた人影は、空き缶を挟んで反対の方向にいたことになる。
「残念! わたしはこっちですよ!」
「……っ!?」
後ろから聞こえてきたのは、はしゃぐ大妖精の声。
幽香が氷の柱に気をとられた瞬間、瞬間移動で一気に空き缶まで近付いたようだ。
「……本当に残念ね、大ちゃん見っけ」
「……え?」
大妖精が蹴る直前に、幽香が空き缶を踏んだ。
あまりに唐突で、大妖精は反応ができなかった。
「だ、大ちゃん!」
「さっきも言ったでしょ? 隠れるんなら気配も殺さないと。チルノ見っけ」
「しまったぁ!」
霧の中突っ込んできたチルノの姿を確認して、幽香はもう一度空き缶を踏んだ。
観念したのか、チルノは周囲の気温を下げることをやめ、次第に霧は晴れてきた。
「くそ~……あたいたちの最強のリインカーネーションが……」
「それを言うならコンビネーションでしょうが。どういう間違え方よ」
霧が晴れて視界が開けてくると、がっくりとうなだれながら高度な言い間違えをするチルノに、未だあたふたする大妖精。
幽香がチルノの方につっこみをいれていると、大妖精があの、と尋ねてきた。
「ど、どうやってあの仕掛けを見破ったんですか? 完璧に引っかかったと思ったのに」
「ああそのこと? 簡単な話よ」
何でもないかのように話す幽香。
大妖精はそれをじっと聞いていた。
「さっきと同じ。貴女たちは気配を消すのが下手なのよ。わたしは霧の中心にいるチルノのことに気付いていたし、勿論貴女のことにも気付いていたわ。霧の中で瞬間移動を繰り返しながらこちらの様子を窺っていたこともね」
「そんなことまで……」
「視覚が効かない中で瞬間移動を続けられたら姿までは捉えられないから、わざとそっちの作戦に引っかかって移動したの。貴女が空き缶に突っ込んでくることを見越してね。まさか氷の鏡があるとは思わなかったけど」
「……完敗です」
がくん、と肩を落とす大妖精の頭を、幽香はそっと撫でた。
「落ち込むことはないわ。貴女たちの作戦はすごかった。貴女が缶を蹴るより先にこっちが缶を踏んだのだって、本当にギリギリだった」
「幽香さん……」
「チルノもすごい霧だったわね」
「お、おう! 何たって最強だから!」
元気を取り戻した大妖精とチルノに微笑みかけてから、幽香は再び真剣なまなざしに戻る。
そのまま森の方へ歩みを進める。あの三人はおそらくさっきと同じ作戦で攻めてくるだろう。
問題は、森の中では気配を読みにくいこと。チルノや大妖精と同じようにはいかない。
だが幽香は引かなかった。
「今度は真っ正面から破ってみせるわ」
真っ向勝負。相手の作戦に乗って、その上でこれを撃破する。
前回の敗北の悔しさをはじき返すにはこれしかなかった。
勝負は一瞬で決まる。幽香は深呼吸して森の中へ入っていった。
それと同時に、頭上には大きな闇の塊が広がった。
「来たわね……」
日光を遮って、森の中は一気に暗くなる。そして聞こえてくるはミスティアの歌声。
この歌を聞き続ければ、さっきの二の舞となる。
「させないわよ!」
「ららら~……むぐっ!?」
木の上に隠れて心地よく歌っていたミスティアの口が、突如何者かによって塞がれてしまった。
まあその何者かというのは幽香なのであるが。
「むぐっ! むぐ~!」
「ふふ、これで歌えないわね。お次は……」
ミスティアを押さえ込みながら、幽香は樹上から空を見上げる。相変わらず大きな闇が頭上を覆っていた。
その闇に向かって、幽香は高々とジャンプした。
闇の中は一寸の光さえ通してはいなかった。なるほど森そのものを闇で覆わないはずである。こんなもので覆われたら、ミスティアやリグルまで視界が効かなくなってしまう。
「本当に真っ暗ね……こんなところに居続けたらどうかしちゃいそうだわ」
「むぐぐ~!」
じたばたするミスティアの口を片手で押さえ続け、闇の中を飛ぶ。
空の上でなら気配を読める。目標に向かって一直線だった。
「捕まえた!」
「おおっ!?」
闇の中心を飛んでいたルーミアの首根っこを空いていたもう片方の手でひっ捕らえて、そのまま一気に降下。
「な、何だ?」
「きゃあ!?」
着地すればそこは空から降ってきた幽香たちに驚くチルノと大妖精、そして空き缶のまん前だった。
「ミスティア、ルーミア見っけ!」
「むぐぐっ!」
「お~?」
口をふさがれ苦しそうなミスティアと、状況が全く分からず目を丸くするルーミア。
そんな二人にはお構いなしに、幽香は空き缶を踏んだ。
それからようやく二人を解放する。
「……ぷはぁ! な、何で!? 何でわたしの隠れ場所が分かったの!?」
塞がっていた口がようやく開いて、息を吸うのもほどほどにミスティアは幽香に詰め寄った。
この展開は全くの予想外だったようだ。
幽香は笑みを浮かべながら、ちょいちょいと自身の耳を指差す。
「音よ、音」
「音……?」
「視界は効きにくいし気配も読めない。だから耳に頼った。貴女の歌声が聞こえる方向めがけて飛んで行ったのよ」
「あ、あんな短時間で?」
ミスティアの驚きももっともだった。
歌い始めてたったの数秒でこちらの隠れている場所を見抜いてきたのだ。一度は上手くいった作戦も二度目は有効でなかった。
一方その頃ルーミアは
「ん~まぶしい……」
ずっと自身の闇の中に隠れていたのにいきなり光のもとへ引きずり出されて、中々順応してくれない目をごしごし擦っていた。
そんなミスティアとルーミアの頭をポンッと柔らかく叩いて、幽香はもう一度真剣な顔に戻る。
「あとはリグルだけね……」
ミスティアたちと話している間にも一切警戒は緩めていなかったのだが、リグルは一向に姿を現さない。
ここでしくじってリグルに空き缶を蹴られたら、今までの苦労が水の泡。
既に奥の手は破ったが、次からも他の作戦で仕掛けてくるだろう。流石の幽香もかなり疲れてきた。これ以上の鬼役は御免蒙りたい。
「来るなら来なさい。必ず勝つわ」
辺りをキョロキョロ見回し、ルールにのっとって空き缶から十メートルの距離をとる。
目に見える人影は、チルノ、大妖精、ミスティア、ルーミアだけ。ルーミアはまだ目を擦っている。
幽香は神経を研ぎ澄ませた。どんな些細な気配も逃さないよう、じっと集中する。
その時、何かが動く気配を感じた。湖の方ではない、森の方でもない。空の方でもない。
幽香は慌てて空き缶の方へと走り出した。
「これに気付くとは流石幽香さん! でも手遅れなんです!」
リグルが飛び出て来た。ドバッと、地中から。虫たちに掘らせた即席トンネルを利用して、地面を突き破って。
リグルの上半身が現れたその瞬間、幽香は固まった。
幽香だけではない。チルノも、大妖精も、ミスティアも、そしてリグル自身も固まった。
唯一固まらなかったのは、まだ視界がぼやけているルーミアだけ。
「ここって……えっ? あれ?」
勢いよくリグルが飛び出したのは、ずばり、なんと、あろうことか
「幽香さんの、スカートのな……」
「きゃああああああああああああ!!」
「ばわっ!?」
幽香渾身の蹴りがリグルに炸裂。美しい放物線を描いてリグルは宙に舞った。
その時、ようやく光に慣れて目を見開いたルーミアが一言。
「……リグル蹴り?」
「「「ちがうちがう」」」
手を振り否定する三人の声がきれいにハモッた。
「いつつつつ……う~」
「ほら、妖怪なんだからこれくらい我慢我慢」
ところ変わって幽香の自宅。
不幸な事故によってリグルが負傷したため、缶蹴りはお開き。
今は全員がここに集まって、リグルの手当てをしていた。
「幽香、氷はこれくらいでいい?」
「ええ、ありがとうね」
チルノが作りだした氷を受け取って氷嚢に詰め、幽香はリグルの腰にそれを当てた。
蹴られた場所はそこ。少し腫れていたのだ。
その他地面に墜落した際についた擦り傷がいくつか。こちらは消毒液を塗って絆創膏を貼っておしまいである。
妖怪であるリグルだからこそこれだけで済んだのだ。人間だったら即死だった。
「きれいな放物線だったね」
「10.0だったね」
「ちょ、二人ともそれは……」
若干不謹慎なことを話すルーミアとミスティアに、大妖精がつっこみを入れた。
「ごめんなさい。あんなことをしてしまって……」
「い、いいわよ別に。わざとじゃないんでしょ? それにこっちも貴女のこと蹴っちゃったし……」
謝るリグルに、幽香は顔を赤くしながら答えた。
正直言ってかなり恥ずかしい。もう思い出したくないので、この話はおしまいにするため話を変えた。
「き、気付いたらもうこんな時間ね。あっという間だわ」
時計を見ると、もう五時をまわろうとしているところだった。リグルに連れられてこの家を出たのが昼過ぎだったというのに。
驚きを隠せない幽香に、リグルが話しかける。
「そうですよ。遊んでいると時間なんてあっという間に過ぎちゃうんです」
そのまま言葉を続ける。
「それで幽香さん、楽しかったですか?」
「え?」
突然の質問に面食らう幽香。
しかしすぐににこりと笑顔になった。
「とっても面白かったわ。貴女たちの作戦がお見事で、すごく楽しめた」
「よかった」
幽香の言葉を聞いてリグルは満面の笑みを浮かべる。
それは他の子どもたちも同様だった。
「どうしたの貴女たち? そんなに笑顔になって」
問いかける幽香に、チルノ、大妖精、ミスティア、ルーミアが順々に言葉を紡ぐ。
「だってリグル言ってたもん!」
「幽香さんは普段あんまり楽しそうな顔をしないって」
「だから一緒に遊んで思いっきり楽しんでほしかったの」
「幽香が楽しんでくれて良かったー」
「貴女たち……」
子どもたちの無邪気な言葉に、思わず目頭が熱くなる幽香。
確かに退屈だった。でもこの子たちと遊んでいる間は、そんな退屈もどこかにいってしまっていた。
リグルの方を見る。
「えへへ。幽香さん、また一緒に遊びませんか? 今度はもっとすごい作戦を考えますよ。それに……」
「それに?」
「次に地面に潜るときは必ず誰もいないところから出ます!」
「そ、その話はもうやめなさい!」
せっかく忘れかけていたのに、また思い出してしまった。
赤面する幽香に、子どもたちの笑い声が絶えない風見邸であった。
人間では作戦に限界があるけど
それを練るのが楽しかったんですよね
さすがに同世代はもう付き合ってくれないだろうけど、
子供ができたら一緒にやりたいなあ。
とても良いものでした。
とか妄想しました
缶蹴り、最近やってる子どもいないなぁ…
一気に読めました、面白かったです。
あとリグルそこ代われ。
『缶蹴りを本気でやる』って題材、ニコニコにある某動画と完全に被るんですよね。
まぁ話の内容自体はまるで違うので、盗作とかそういう事を言いたい訳では無いのですが、読んでいて微妙な気分になったのでこの点数で。
たまたまだとしたらすいません。
そこへ混ざる幽香の様子もまた良い感じです