※ 前作、および前々作と繋がっております。が、話の本筋には関係ございません。発端ではありますが。
★★★
歴史を一部食べてほしい?
突然現れて何を言い出すかと思えば、ずいぶんと面妖な依頼ですな。
いや、理由は話さなくて結構。受けるつもりはありません。聞かなかったことにするので、お引取り願います。
なんと? 貴方ではなく、藍殿の歴史? ああ、確かに先日の宴は、すさまじいものでした。
私自身、満月の日は気が昂ぶるのを覚えますが、あの晩の彼女は少し異常でしたね。呆れもしましたが、それよりも心配でした。
結局その後は酔い潰れただけで無事だったようだし、宴会も滞りなく盛り上がっていたので、安堵しましたが。
いえ、そんなつもりはありません。まぁ意外な一面を知ったという気持ちですが、すでに藍殿の徳に疑う余地はありませんよ。
なまじの人間より、よほど信頼がおけます。あの一件のみで見損なうほど、私は頭が固くはないつもりです。
……知ってます。まぁ、面と向かって言ってくるのは、私の友人と頭突きを受けた生徒達くらいですがね。
言いたい者には言わせておけばいい。まぁ、少しは気にしていますよ。少しは、ね。
な、なにを!? 放してください! やめろ! 放せ! 慧音ちゃん呼ぶな! こらっ!
全く……本当に行動が読めない妖怪だな。これでは藍殿の苦労もわかる。
ん? いや、もうこの口調で通すつもりだ。無礼な闖入者にまで敬語で礼をつくす義理はない。
そして答えは変わらん。帰ってくれ。
違う。できぬ訳ではない。
すでに知れ渡っているため、多少面倒ではあるが、あの神社の境内には歴史の根っこが残っている。それを私が食べれば、やがて噂は三日と持たずに消え去るだろう。
もっとも、すでに別の形に封じられているものまでは手出しはできん。私の記憶では、あの鴉天狗が写真を撮っていたはずだが。
ん? それはもしや、そのフィルム? どうやって手に入れた……かは聞くまでもないか。相変わらず呆れた能力だな。少々越権行為が過ぎると思うぞ。
それに、貴方の実力を持ってすれば、私に頼まずとも解決できるはずだろう。
ふむ、そこまで万能のものでもないのか。
まぁ確かに、制約も抜きにほいほいそんな力を使われては適わんからな。
いや、それでもやはり承諾できん。
朋友であることは認める。しかし、彼女は責任感の強い妖怪だ。恥ずべき失態とはいえど、自らの歴史を隠してしまおうとするとは思えん。
決してそこから逃れず、問われても正々堂々と向き合うはずだ。そういう彼女だからこそ、これからも友人として付き合っていこうと思うのだ。
というわけで、この一件は引き受けられん。
しかし、驚いたな。謎に包まれたスキマ妖怪とはいえ、彼女の保護者には変わらんのだな。
いやなに、里で教師をしていると、ついそういう目で見てしまうのだ。癖でね。
何だこれは? ババロア? いや、見るのも初めてだ。洋菓子は好かん。そうでなくても、賄賂を受け取るつもりはないぞ。
藍殿の作だと? ははぁ、こういう物も作るのだな。てっきり私と同じ和食派だと思っていたのだが。
わかったわかった。では一口味見を。
…………ん、いや、なんでもない。そうか。思ったより甘くはないのだな。
昔食べた洋菓子とはだいぶ違う。これくらいなら……。
いや、引き受けるわけではないぞ。味見でいいから食べてみろと言ったのはそちらのはずだ。
そんなことはどうでもいいから、もっと食べろだと? むむぅ。ではまた一口。
……何だ。私の口は大きいのだ。何も言ってないだと? 目がそう言ってるんだ。
…………ん。美味い。かような食べ物がこの世にあったとは。認識を改めなくてはならんな。
いや、もともと苺は好きさ。朝にはできるだけ、新鮮な果物を取ることを心がけている。
しかし、今夜は苺の別の味を知ったという心持ちだ。
そうか。これがババロア。
…………むぅ、これは。す、すまないが、これの作り方を、教えてくださらぬか。
ほう、砂糖にこだわりが。牛乳に生クリーム。驚いたな。この里でも準備ができるではないか。
いやいやいや! 引き受けるわけではない! 歴史の隠蔽などもっての他だ!
そんなことを一々引き受けていたら、私の休む時間が無くなる! ただちに帰ってくれ!
え? まだいっぱいあるの?
……ち、違う。これは少々驚いて口調が変わっただけだ。
ええい、そうちらちらと見せなくてもいいではないか。まだそんなにたくさん残っているのか。
こ、これを全部私に? し、しかし、やはり……その。
ああ! これ見よがしに食べてくれるな! 違う! 涎じゃない! 失敬な!
おおう、この舌触り、コクのある甘味、適度に冷えているのがまたよいな。
匙で一口、また一口と、進むほどに食欲が湧く。これは危険ですぞ。玄妙とはまさにこのこと。
滑らかな喉越し、後味も軽く爽やか。食後には最高です。
ああ、もう無くなってしまうとは。至福の時はすぐに過ぎてしまうのですね。
せめて、茶碗一杯食べてみたかった。
な、何と! 鉢で用意されていただと!?
にわかには信じがたい。このような美食であるからには、さぞ手がこんでいるのだろうと遠慮していたのに。
半時!? これが!? 魔法としか言いようがないぞ。
もちろんです。さぁ、よそってください。ああ、何をもたもたとしているのです。私に貸して……。
はっ! いけない! これは悪魔の囁き。私はそんなものには負けないぞ。ううう、サタンよ去るがよい。
えー! 全部食べていいの!? そっちにまだあったんだ!
わぁ、美味しそう! ええ、分かりました! 依頼の件引き受けます!
…………言ってしまったー! いや、確かに嘘は嫌いです。でもこれは全部ババロアが悪いのです。このデザートは魔性の味です。
しかしながら、それに踊らされた私も未熟といえば未熟。笑いたくば笑ってください、この哀れなハクタクを。
そんな大声で笑わなくたっていいだろう!
わかったよ! 引き受けてやるよ! あの歴史食べてやるよ!
そのかわり、このババロアはみんな私のものだからな! 全部私が食べるんだ!
ババロア! ババロアー!!
~雨ときどきパフェ~
昼下がりの人里は、人の活気で満ちていた。
里の中心から引かれたいくつもの街道には、妖怪の姿もちらほらと見られる。
居酒屋、小料理屋、商店等が並ぶ中央街道は、里の内で最も賑わっており、そこに通じる脇道には、生活雑貨やあるいは薬屋などの他に、一風変わった店が立ち並んでいる。
その道のはずれにある、一軒の喫茶店の前に、一人の女性が立っていた。
青みがかった銀の長髪、涼しげな容貌に意志の強い瞳。瑠璃色の服装に加え、赤い紅葉のような飾りがついた四角い帽子は、里で知らぬ物はいない。
時刻は未の刻。お八つには少々早く、お昼時には少々遅いという時間。さらに今日は、木曜仏滅。
それが意味するところは、この店にもっとも客が『いない』時間帯だということであった。
そして、それこそが、店の前で厳しい顔つきで立つ彼女、上白沢慧音の目指したタイミングでもあった。
「…………よし」
声に出るか否かの、小さな気合を入れ、慧音は店の扉に手をかけた。
「あ、慧音せん
……あれ?」
道の真ん中に立つ男の子が、きょろきょろと辺りを見回している。
横にいた女の子が、不思議そうに聞いた。
「どうかしたの?」
「今、なんか見えたような……あれ? おかしいな」
「右京ちゃんじゃない? ここに隠れていたんじゃない?」
「右京じゃなかったと思うんだけど……えーと」
「なになに?」
「忘れちゃった。あっちを探そうぜ」
男の子は、女の子の手を引っ張って、街道を駆けていった。
二人が去った後、建物の陰から、慧音は姿を現した。
「…………ふぅ」
安堵のため息には、罪悪の念が混じっている。
彼女は今、少年が自分を見つけたという歴史を、『食べた』のである。
慧音は半人半獣のワーハクタク。ハクタクとは歴史を食べ、創り出す妖怪である。「歴史」とは人が世界に残した痕跡であり、いくつかの層に分かれて、現世と浮世の境目に存在している。慧音が今食べたのは記憶の層。個人に使う限りには、もっとも操作が容易な「歴史」である。
やりようによっては犯罪の隠蔽さえ容易なものの、正義感の強い慧音は、本来不純な動機でこの能力を使用することはない。
ましてや、今記憶を食べた相手は寺子屋の教え子だった。今日だけは例外中の例外である。
――誰にも知られずに、というのは、虫のいい話だったかな……。
慧音は胸中で呟いてから、再び覚悟を決めて、街道に立った。
そしてその店、里では珍しい部類に入る、木造の三角屋根を乗せた洋風喫茶店。
『幻想ミラクルスイーツヘヴン』の扉を、静かに開いていった。
★★★
のれんの無い玄関を抜けると、そこはスイーツだった。
表の曇り空とは対照的な、暖い光と甘い匂いに包まれる。
「いらっしゃいませ……あら、こんにちは」
早速、エプロン姿の女性店員が会釈してくる。
編まれた長い銀髪に、頭にはホワイトブリム。服は濃い青のワンピース。
彼女の容姿は、慧音のよく知る紅魔館のメイド長、十六夜咲夜に似ていた。
というか、十六夜咲夜だった。
「丈夫な頭ですね」
咲夜はとぼけた顔で感想を述べる。
壁にひびが入るほどの勢いでコケていた慧音は、頭を押さえて唸った。
「……なんでお前がここにいるんだ」
「お一人様ですか?」
「一人だ。こちらの質問に答えてくれ」
「お煙草はお吸いになられますか?」
「吸わん。それよりも、なぜお前がこの店で……」
「では、こちらへどうぞ」
「い、いや、ちょっと待て」
慧音は咲夜を制止して、ざっと店を見渡した。
計算通り、今の時間帯は、自分以外に客は来ていないらしい。従業員も咲夜以外に見当たらない。
一番奥、窓から眺めることのできる庭園に面した、入り口から死角になっている席に目を止める。
「あれだ。あの席に座れないだろうか」
「あちらですね。喫煙席になりますが、よろしいですか?」
「ああ、構わない」
「わかりました。ご案内いたします」
歩き出した彼女の後を、慧音は多少気おされながらも、従順についていった。
はじめは、蕎麦や小料理屋の調子で行けばよいのでは、と考えていたが、いざ入ってみると、やはり内装も雰囲気もまるで違う。
高めの天井には、いくつか天窓がついている。店内のランプが暗めなのは、これで自然光を取り入れるからだろう。
木のテーブルも、白い壁にかけられた絵も、花柄のカーテンも、柔らかい絨毯も、まるで異国の地のようだ。
やがて二人は、店の最奥にあるテーブルにたどりついた。
「どうぞ。こちらがメニューになります」
「ああ、ありがとう」
「……お忍び?」
「そういうことだ。それ以上は聞かないでくれ。こっちからも聞かないことにする」
「お嬢様がここのパフェを気に入ってしまったの。ただ、夜間は営業していないし、吸血鬼が里にあまり入るわけにもいかないので、私が作り方を覚えてくることにしたのよ。昼間は店内業務。夜はレシピの実習。期限は三日」
「そちらが話してくれたからといって、私の事情を話すつもりは……いや待て。ひょっとして、お前の主人は、ここに覗きに来たりしているのか」
慧音はメニューで顔の下半分を隠し、きょろきょろと店内を見回した。
「ええ。夕方にはいらっしゃるでしょうね。そして今はまだ昼」
「そうか、よかった。しかし、あのワガママお嬢様がよく納得したものだな。そんなにここの洋菓子が食べたかったのだろうか」
「休暇だと思って、無い羽を伸ばしてきなさい、と」
「ここで働くことが休暇になるのか」
「それなりに楽しんでいますわ。ご注文がお決まりになりましたら、声をおかけください。それでは、失礼いたします」
咲夜は一礼して、スタスタと去っていった。
さすがに、この店内で無闇に時間を止めて移動することはないらしい。姿こそいつもと同じだが、珍しいものを見る気がする。
――いや、珍しいのは私も同じか。
いつの間にかテーブルに用意されていたお冷やに気がつき、慧音は渇いた喉を潤した。
いい水だ。出された水が美味いと、期待が持てる。
一息ついてから、慧音は早速、メニューを開いてみた。
が、すぐに、その眉がひそまった。
さっぱり分からないのだ。
書かれている言葉は全てカタカナ、つまり日本語であるものの、それがどんな菓子なのか見当がつかない。
里一番の賢者である慧音は、知識量も並外れている。写真が載っていなくとも、洋菓子の種類については知っている。
しかし、それらの多くは、『文字』という情報で蓄積されており、味や匂い、見た目などの具体的なイメージまでは持っていないため、単語を組み合わされるとまるで歯が立たない。
例えば、デラックスキャラメルチョコレートサンデーとはいかなるものだろうか。それは食べ物ではなくて休日ではないのか。
洋菓子の味を知らない一つの理由として、過去に一度食べてみてから、あまりの甘さに吐き出し、それから長い間口にしてこなかったというのがある。
甘い物を日本茶と合わせていただくことを常としている慧音にとって、これまで好みの洋菓子は、カステラくらいしか存在しなかった。
が、先日それに、もう一つが加わった。
――イチゴのババロアは……見当たらんな。ストロベリーパフェか。これはどうだろう。
そんな風に、ふむふむと唸りながら、メニューとにらめっこしていると、
「よろしければ、メニューについて一通り説明いたしますが」
声をかけられた。
いつの間にか側に、店員の咲夜が立っている。
慧音は首をかしげた。
「働き始めたのは最近と聞いたが。もう全部覚えているのか?」
「実際に作ったのは、その三分の一程度です。ですが、仕上がりがどんなものか程度なら。いかがなさいます?」
「……いや、もう少し一人で考えさせてくれ」
「かしこまりました」
咲夜は先ほどと同じリズムで一礼し、奥へと去っていった。
仕草にまるで違和感が無い。メイドという職種であれば、彼女はどこででもやっていけそうだった。
あの吸血鬼の令嬢と共に、お客としてここにやってきた時は、どんな様子だったのだろうか。
ふと慧音は思いついて、目を閉じた。
空中に広がる深い沼の底、溜め込まれた「歴史」へと、意識を潜行させる。
下見の段階では店の外から眺めるだけで、この中については全く知らなかった。
その知らない「歴史」を覗いてみることにした。
ぼんやりとした沼に色がつき、次第に音と組み合わさり、臭いや手触りまで伝わってくる。
やがて、アイスやケーキを楽しむ客の間を、忙しく駆け回る店員といった、和気藹々とした世界が現れた。
客の多くは里の人間だ。友人や家族、あるいは恋人同士。中には見知った妖怪もいたが、誰もが思い思いに楽しんでいる。
一人でここにやってきて、暗い顔つきでいる自分とは大違いだった。
瞑想から戻った慧音は、窓の外を眺めてみる。
曇り空の下、庭に咲く花も外国の物。まるで西洋の御伽噺に出てくる光景のようだ。
ただし、ガラスの表面には、四角い帽子をかぶった自分の顔が映っている。
服装も純和風というわけではないが、花柄のカーテンがかけられた白い壁や絨毯よりは、畳に障子が似合っている気もする。
「……やはり、場違いなのだろうな」
慧音はその姿に向けて、呟いた。
本当は来る必要などなかったのだ。
洋菓子を食べるだけなら、先日現れたスキマ妖怪の式である、八雲藍に頼めば済む。
週に二度、里に買い物に来る彼女に、何かの品を交換条件に頼めば、あるいはそんなことをしなくとも、快く引き受けてくれるだろう。
しかし、慧音がわざわざこの店に入ることを選んだのは、洋菓子を食べたいという欲求の他に、もっと別の真剣な目的があるからだった。
自らの歴史、ほんの二週間ほど前の記憶。慧音はそれに浸った。
★★★
「いやだ」
夕食後。ちゃぶ台の向こうから聞こえた声は、きっぱりとした返答だった。
里で催し物があるので来てみないか、という誘いに対してである。
慧音は嘆息を、お茶の入った湯のみでごまかしてから、
「……では、せめて寺子屋に見学に来たりとか。子供も多いぞ」
「ごめんだね」
やはり、ためらう間さえ無く断られた。
彼女はてっきり子供に弱いと思っていたのだが、それは妖怪の子に限られていたのだろうか。
だらしなく寝そべっている話し相手は、さらに不機嫌な調子で、
「私は今で十分。蓬莱人に人間の知り合いなんて……」
「だが、過去に全く知り合いがいなかったわけではあるまい。霊夢や魔理沙だっているだろう」
「あいつらは普通じゃないじゃん。……そりゃあ昔は、普通の人間の知り合いも、多少はいたけどね。でも、みんな自分より早く死んでいくし、ちょっと付き合ってもすぐに見た目が年上になっちゃう。そこから気味悪がられておしまい」
台詞の最後は、完全に乾ききっていた。
「結局は虚しいだけよ。普通の人間と付き合うなんてさ」
「……そうだな」
慧音がわざと悲しげに呟いてみると、ちゃぶ台の向こうから顔が現れた。
起きあがった蓬莱人の顔だ。ひどく狼狽している。
「ちょっ! 違う! 慧音のことを言ったんじゃないって!」
「……確かに、妹紅の言うとおりだ。私のやっていることは、虚しいだけかもしれない……」
「あわわ、ごめん! 謝るから許して! 腹を切ってでも詫びて……」
「ぷっ……あはは。やめてくれ。ここでそんなことをされたら、茶が飲めなくなってしまう」
慧音がそう笑うと、彼女はきょとんとした顔になる。
ついで引っ掛けられたことに気づいて、こちらを一睨みしてから、またちゃぶ台の向こうに引っ込んでしまった。
「怒らないで聞いてくれ妹紅。私は自分のやっていることを、虚しいなどとは思わない」
「……………………」
「なるほど、確かに私は、多くの人間と付き合い、多くの別れを経験してきた。はたから見れば、それは単なるおせっかいなのかもしれない。しかし、死別したはずの彼らの歴史は、今も私の中で息づいている。歴史にすることで、その瞬間は永遠のものになるんだ。凄いことだと思わないか?」
言いながらそっと覗くと、卓の下で思い悩んだ表情をしている友人の姿が見えた。
慧音はさらに、優しく勧めた。
「妹紅も恐れずに、人と付き合ってみるといい。きっと人生が豊かになるぞ」
彼女はしばらく黙っていた。
先ほどのように、即座に誘いを蹴ったりせず、慧音の言葉を熟考しているのが分かる。
が、やがてため息をついて、苦笑を見せた。
「……やめておくわ」
「そうか」
慧音は落胆したりせずに、静かに茶を飲んで言った。
「気が変わったら知らせてくれ」
「当分変わらないよ。今のところ私は、理屈屋の石頭で間に合ってるし」
「なっ!? またお前はそういうことを言う!」
「ふふふ、慧音も固く考えずに生きてみたら? きっと人生が豊かになるわよ」
寝転んだ態勢から、彼女は片目をつむった。
結局その後は、だらしないから起きろ、慧音の家はくつろげるのよ、といった感じで、いつもの空気に戻り、話は有耶無耶のまま流れてしまった。
それはそれで、充実した時間ではあった。
★★★
……だが、慧音は諦めていなかった。
こういった軟派な店に一人で入ってみようと決断したのも、彼女の件があるからだった。
不老不死の躰を手に入れ、復讐すべき仇敵を求めて、千年以上の時を孤独で過ごしてきた蓬莱人。迷いの竹林に住む彼女は、林を行く里の人間の護衛等を引き受けてくれている。
しかし、人里、ましてや昼間のこういう場には、絶対に顔を出さない。日の当たる人間社会については、あからさまに避けているのが分かる。
今までの慧音は、そんな彼女の性格を何とかして変えようとするばかりだったが、振り返ってみれば、当の自分の行いにも、問題の心当たりが無いわけではない。
そこで、これまでの行いを反省し、まずは自分から変わって見せるべきであろうと、慧音は決意したのだった。
今日の行動は、その第一歩であった。
近頃評判な洋菓子を出すこの店について聞き、都合の良い時間帯について調べ、綿密な計画を立ててから、一人でここに出向く。
あのメイド長はそこまで驚いた様子は無かったが、里の人間、慧音をよく知る者がこの光景を見ていたら、誰もが驚愕していただろう。
実際、こんな感じの店は得意ではないし、似合っているとも思えないが、覚悟の上である。
今日の所はひとまず、誰もいない時間帯を狙ってみたが、そのうち、もっと堂々と通うつもりでもあった。
慧音は過去の感傷から戻り、心の中で呟く。
――妹紅、私はお前の言ってくれたとおり、勇気を出してここで頑張っているぞ。だから、お前もいつか……。
二人でこんな店で、気軽にお茶を楽しめる日が来るといい。
慧音は瞼の裏に、そんな歴史を夢見ながら……、
「慧音ー」
「………………」
「慧音ってば」
何故か、歴史に浸るのをやめても、妹紅の声が聞こえてきた。
「もしもーし、慧音ー」
ひらひらと顔の前で手が動き、慧音の両目が焦点を結んだ。
テーブルの対面に、護符のリボンをつけた白髪を長く伸ばした少女が立っていた。
ワイシャツにもんぺ。白眉の下に、赤いどんぐりに似た目、どこか稚気の漂う容貌ながら、全く隙の無い佇まい。
仙人の娘のような雰囲気を持つ彼女は、まぎれもなく友人の……。
気づいた慧音は、驚きのあまり、コップを倒しそうになった。
「妹紅!?」
まさに、そこに立っているのは、自分が思い浮かべていた蓬莱人、藤原妹紅だった。
「な、なんでお前がここに!?」
「そこの窓から慧音が見えたから。ほら、あの裏通り。遠くだったけど、目には自信があるのよ」
「いや、そうではなくて……!」
なんで里に、と言いかけたのを、慧音は寸前で思いとどまった。
妹紅は、ああ、と気づいたように笑って、
「やっぱり驚くよね。最初はあんたの家に行ったのよ。でも誰もいなくてさ。今日は大人しく帰ろうかとも思ったりしたんだけど……」
そこで彼女は口ごもる。傍らに置かれているのは、竹で編まれたお手製の籠だった。
それを見て、慧音は合点がいった。
「……一人で、買出しに来たのか」
「うん。いくつか店は回ってみたわよ。二言三言、会話もしたし。でもどうせなら、やっぱり、慧音の案内があった方がいいと思って……」
「なんと……」
「ま、見つかってよかったわ。入り口にあのメイド長が現れた時には驚いたけどね。おかげで入りやすかったから助かった」
「そうか……そうか」
慧音は二、三度うなずき、何度も呟いた。
咲夜が気をきかせてくれたらしい。お忍びだと断っておいたはずだが、文句を言う気にはならなかった。
まさか、こんなにも早く、願いが実現するとは思わなかったから。
感動に涙ぐむのをこらえ、慧音は張り切って言った。
「よし妹紅! よく来たな。ここは一つ、私がおごってやろうではないか」
「お、気前がいいね教師さん」
妹紅も座りながら、軽い口調で囃したててくる。
自然、先ほどまであった居心地の悪さが消え、いつもの互いの家の居間のような空気ができていた。
慧音はいそいそと、メニューを開いた。
「早速注文するとしよう。ここは洋菓子の店だが、妹紅は苦手なものはあるか?」
「うーん、あんまし詳しくないし、慧音にまかせるよ」
「そうか」
と、簡単に引き受けたものの、もちろん慧音にも、ここのメニューの内容は分からない。
何しろ先ほどまで、クリームはこういう意味で、パフェの語源はフランス語で、と頓珍漢な推理をしながら、目移りしていたばかりだ。
だが、そんな自分にも、判断基準が無いわけではない。それが値段。
一番下に書かれていた、他より十倍近くする値段の品を、慧音は見つけた。
「すみませんが、注文をお願いしたい」
片手を上げて呼ぶと、すぐに店員、咲夜がやってきた。
慧音は彼女に対し、よどみない口調で、
「アークエンジェルパフェを二つ」
「アークエンジェルがお二つですね」
咲夜が復唱したパフェは、メニューで見る限り、この店で一番高い料理だった。
自分と妹紅が、偶然同じ日に、別々に勇気を出して、運命的にこの店で出会ったのである。
特別な今日を記念して、なるべく豪華なものを頼んでみたいという気分があった。
「ご注文は以上でよろしいですか?」
「ああ、とりあえずはそれだけで」
「かしこまりました」
咲夜はお品書きを手に、瀟洒に去っていった。
一連のスムーズな流れに、妹紅は感心している。
「へー、馴れてるねやっぱり。しょっちゅうここに来るの?」
「まあそうだ。私はいつも和物が専門だが、この店もひいきにしていてね」
もちろん法螺だったし、先ほど歴史にあった人物を真似ただけだったのだが、これくらいの小芝居は許されるだろうと思う。
「里の中で私の知らないことはない。これからも何かあったら、ぜひ聞いてくれ」
「そうだね。頼りにしてるよ。あ、後で買い物に付き合ってね」
「もちろんだとも」
慧音は満足な笑みで頷いた。
いい滑り出しだった。これをきっかけに、妹紅が人里に慣れてくれれば、明日から新たな時代が始まるに違いない。
明るくなった前途に、慧音の機嫌は完全に復調していた。
注文の品が来るまで、二人はおしゃべりを楽しんだ。
会話の主導は慧音。あそこでいい野菜がとれたんだとか、後であの通りに行ってみようとか、夕飯も外食にしようかとか、普段はなかなか出ない話題だ。
相槌をうっていた妹紅が、そのうち、困ったように苦笑して、
「よく喋るねぇ、慧音」
「はっ、失敬」
舞い上がっていた自分のはしたなさに気がつき、慧音は少々赤くなって空咳をした。
妹紅は頭の後ろで、腕を組みながら、
「いやまぁ、いいんだけど、何か珍しいから」
「すまん。いつもの調子に戻らせてもらう。私らしくなかったな」
「別にそれでもいいんじゃない? 悪い気分には見えなかったよ」
そう言う妹紅も嫌がっているどころか、嬉しそうに慧音の話を聞いていた。
その彼女が、ふと店の厨房扉に視線を移し、ついで目を丸くした。
「うわ。あれ凄いね」
「ん?」
慧音も振り向いて、瞠目した。
店員、つまり咲夜が、カラフルな『岩』を乗せたグラスを運んでいた。
一見、何かのインテリアかと思ったのだが、よく見ると洋菓子のようでもある。
それを持つ彼女の手はプルプルと震えていた。完全で瀟洒と称されるメイド長には珍しい振る舞いだが、無理も無いだろう。あの大きさなら重さも相当と見える。
酔狂な注文をする客もいたものだ。それをメニューに置く店も店か、と慧音は呆れた。
「あれ、慧音。あのメイド長、こっちに来るけど」
「む? そうだな」
確かに、妹紅の言うとおり、咲夜は徐々に近づいてきた。
妙である。こちらに座っている客は、自分達だけだ。
というより、この店には今、二人しか客はいないはずで……
…………あれ?
「お待たせしました。アークエンジェルパフェでございます」
運ばれてきたその『岩』を見て、慧音はあんぐりと口を開けた。
なんだこれは。
でかい。でかすぎる。一貫の米俵ほどの大きさで、色ガラスの器も飯釜のようである。
尋常じゃないサイズだ。内容も盛り付けというより盛り上げに近い。
バケツに洋菓子を遠慮なくぶち込み、グラスにひっくり返して、さらに上に菓子をトッピングしたような代物だった。
先日食べた可愛いババロアとは次元が違う。それはまさに、甘味の天空城とも言うべき巨大なパフェだった。
テーブルに乗せられると、対面に座る妹紅の顔が見えなくなる。
「失礼いたします」
咲夜が表情を変えずに去っていく。
残された二人の間には、沈黙と巨大パフェだけが残された。
やがて慧音は、一切の動揺を見せずに、笑顔でスプーンを手に取って、向こうを覗き、言った。
「さあもこうたべようか」
いまいち声に抑揚がなかった。
妹紅は口を半開きにしたまま、パフェに視線を注いでいる。
そこで慧音は、自分が手にしていたのがフォークだったことに気がついて、慌ててスプーンに持ち変えた。
幸い、妹紅はそれには気づかずに、魂が飛んでいったような声で、
「これ……食べ物なの?」
「ああ。これぞあーくえんじぇるぱふぇだ」
「……そうなんだ。慧音って甘党だったんだね」
「もちろんだとも」
上白沢慧音。常々生徒たちに「正直たれ」と説き、清廉潔白をモットーとする寺子屋教師である。
が、今はその肩書きを偽って、思いっきり虚言を吐いていた。
どちらかといえば慧音は、甘さ控えめが好みで、それが由にこれまで洋菓子を避けていたのである。
というか普通の甘党でも、これを見たら食欲を無くすこと請け合いだった。
この量だとほとんど嫌がらせに近い。
「なに、二人で食べればすぐに終わるさ」
慧音が弱気と紙一重なセリフを口にすると、
「え? でも……」
妹紅それを言い終わる前に、どでかい『岩』がもう一つ運ばれてきた。
「お待たせしました。アークエンジェルパフェでございます。ご注文は以上でよろしかったでしょうか」
――そうだった。何を言ってるんだ私は。しっかり妹紅の分も含めて、二つ注文しちゃったんじゃないか。
慧音はテーブルに突っ伏したくなったが、今それをやると巨大パフェに顔を埋めることになるので、何とか瀬戸際で踏みとどまった。
クリームとフルーツで窒息死など、断固拒否したい最期である。閻魔様も説教に困ることだろう。
巨大パフェを二つ運んだ後も、ポーカーフェイスを保っていた咲夜は、「ごゆっくりどうぞ」とだけ残し、その場を立ち去った。
妹紅が身を乗り出し、多少うろたえた様子で、
「ちょ、ちょっと慧音」
「どうしました妹紅?」
「いやなんで急に敬語なの」
「失礼。どうした妹紅?」
「どうしたって……私さすがにこんなに食べられないよ」
「安心しなさい、藤原妹紅」
慧音は後光を背負い、菩薩のような笑みを見せて、
「残したら全部私が食べてあげるから」
地獄まで通じる巨大な墓穴を掘っていた。
もちろん、普段の慧音であれば、絶対にこんなことは言わないのだが、相手も特別なら状況も特殊であった。
妹紅は魔物だ。このパフェも魔物だ。というか、注文する前に、歴史で確認しておけばよかった、と思いっきり後悔する。
「どっから手をつければいいんだろう……」
妹紅がスプーンを片手に逡巡している。
その目がちらりとこちらに移り、慧音は嫌な鼓動が早くなった。
やはり、彼女のために、実演する他はなさそうであった。
慧音は努力して、爽やかな笑顔を保ったまま、
「上から順に、一つ一つ片付けていけばいい。まずはこのフルーツなんてどうだ?」
なるほど、と妹紅は納得していたものの、要するに『夏休みの宿題を終わらせる方法』の応用だった。
慧音はパフェの頂点に刺さったオレンジ色の薄いフルーツを手にとり、滑らかな手つきで口に運んだ。
――ぐっ!?
口にして、慧音はそれを吐き出すのをこらえた。
甘い。甘すぎる。
ただの果物だと思ったら、砂糖に漬けてあったようだ。
あまりに甘いので、元が蜜柑なのか柿なのか、はたまた別の果物なのか分からなかった。
「うわ、甘っ……」
妹紅も同じように試してから、すぐに水を口に含んでいるらしい。
陰で慧音も、こっそり真似をする。
「ぷはぁ。えーと、次はこのサクランボ?」
「い、いや待て。サクランボは後に取っておくんだ妹紅」
コップを置いた慧音は、パフェ越しに妹紅を押しとどめた。
見たところ、サクランボは普通の果物のようである。これは口直しのために、取っておかなければならない。
例え見当が外れていたとしても、これ以上甘い果物はごめんだった。
「スプーンは持ったか?」
「はい、持ったよ」
「よし。側面をそぉっと撫でるように、あくまで慎重に切り取るんだ」
「そぉっと撫でるように……」
「そう。慌てず急がずだぞ。そぉっとそぉっと……」
自らに言い聞かせるように、慧音はクリームにスプーンを差し込んだ。
するとそこから、にょろにょろと赤い物が出てきた。
パフェの向こうから、妹紅の悲鳴が聞こえてくる。
「うわ! 何か出た! 慧音、何か出てきたよ!」
「もももも、妹紅! 落ち着け!」
なだめる慧音の声も裏返っていた。
そこに救いの天使が、ウェイトレスの格好をしてやってきた。
「お客様。何か問題がございましたか?」
「あ……あのー、私よくわからないんで、これの中身について、説明してほしいんだけど」
現れた十六夜咲夜に、妹紅は助けを求める。
さすがにここで、私を差し置いて、と遮るわけにはいかなかった。
実際のところ、慧音自身もこの正体不明の怪物について、ぜひとも情報がほしいところだった。
「お客様がただ今目にしたのは、ソースでございます」
「ソース?」
「はい。このパフェには、外側のクリームとプリンによって、バニラソース、チョコレートソース、ストロベリーソース、オレンジソース、バナナソース。以上五種類の甘いソースが封じ込められているのです」
「……………………」
「その下に、アイスクリームも同じ味の分だけ入っております。大きさは一つで大体、握りこぶし三つ分程でしょうか」
聞いているだけで血糖値が上がってくる。しかもこれから、それを食べるということを考えると、慧音は頭がくらくらしてきた。
「じゃあ、さっき食べた黄色い果物みたいなのは? すごく甘かったけど」
「あれは南国のフルーツ、マンゴーの砂糖漬けでございます。ただし、上に乗っているオレンジやブルーベリー、イチゴ、サクランボ等は、全て生の物です。もし甘味が足りないと感じられた場合は、そちらにあります砂糖の小瓶をお使いください」
誰が使うものか、と慧音は思った。
「それではパフェ本体の説明に戻らせていただきます。先ほど説明した五つのアイスの合間に、ケーキが閉じ込められています」
「ケーキ!? これに入ってるの?」
「はい。当店のパフェの魅力は、プリンとフルーツとアイスクリーム、そしてケーキの融合にあります」
「うひゃあ……」
妹紅が呆れたような声を出す。
慧音の方はといえば、言葉も出なかった。
「ケーキもアイスと同じく五種類ございます。パウンドケーキ、チョコレートケーキ、カステラ、ブランデーケーキ、チーズケーキ。いずれも、当店自慢のケーキでございます」
そこで咲夜の説明が一端止まり、コホンと咳をした。
「以上で上段の説明を終わらせていただきます。続いて下段の説明に入らせていただきます」
慧音は椅子からずり落ちそうになった。
今ので全部じゃなかったというなら、下段には一体何が潜んでいるというのか。
「アイスを一つ攻略していただくと分かるのですが、下のフレーク層にぶつかります」
「フ、フレークって?」
「原料はトウモロコシです。アイスクリームのコーンと役割は変わりません。すなわち、食べ進むにつれて上段のアイスが溶けて下に流れ、その後それがたっぷりと染みこんだフレークをお楽しみいただけるというわけです」
まるでアイスの怪談だった。食べ終えてからも三代祟る勢いだ。
「しかし、フレークの下にもアイスが潜んでおります」
「まだアイスがあるの!?」
「はい。下段は主に和風のアイスとなっております。黒糖アイス、抹茶アイス、あずきアイス、加えてヨーグルトアイスに栗アイス。いずれもさっぱりした味を目指しました」
抹茶がアイスになるとは知らなかった。少々興味がそそられるが、まずは上の段を片付けなければ、ご対面することも適わない。
第一、上の半分を食べ終えた時点で、どんなアイスだろうと見たくもなくなるだろう。
「そしてその下にはフレークです」
「またフレーク……」
「はい。その下には、しっとりとしたシフォンケーキが敷き詰められています」
「またケーキ……」
「はい。そして一番底には、牛乳をたっぷり使った、巨大プリンが沈んでいます」
「プリン……」
「はい。大きめサイズのプリン八個分の質量がございます。別メニューにある、キングプリンと同じものです」
「……………………」
「以上全てを食べ終えることで、めでたく、アークエンジェルパフェの完食となるのです。お疲れ様でした」
「……………………」
「総カロリーは推定ではありますが、一万キロを軽く超えているでしょう。容積は約10リットルといったところでしょうか」
お米五合を炊いたご飯を約三千キロカロリーとすると、なんとその三倍以上ということになる。
これ一食で五日間は食べずに動けそうだった。はっはっは。十リットルだって。なんとも傑作じゃないか。
そんなたちの悪いジョークのような代物が今、二つもテーブルに乗っかっているのである。
「それではごゆっくりどうぞ。砂糖の魅惑に包まれる甘美な時間を、存分にお楽しみくださいませ。『幻想ミラクルスイーツヘヴン』より、不肖私、十六夜咲夜がお伝えいたしました」
最後まで淡々とした口調を崩さぬまま、救いの天使から甘味の獄卒へと変貌していた店員は、一礼して去っていった。
後には呆然とする二人の犠牲者と、双塔の巨大パフェが残された。
★★★
クリーム。プリン。アイス。ケーキ、その他諸々。
積み重なる砂糖の暴力に、五臓六腑をえぐられる。鼻腔を抜ける甘ったるい香りに、神経の隅々まで痺れさせられる。
七大天使の待つ聖なる山の頂点へ、登山初心者の慧音は、ろくな装備も無しに登っていた。
「慧音……言いたくないけど、これは体に悪いよ」
五分ですでに山登りを諦めたらしい妹紅は、巨大パフェの側面をスプーンで軽く叩きながら言ってくる。
「私は死なないからいいけどさ、なるべくなら控えた方がいいよ」
「いや、甘いものは脳の疲れを取るんだ」
言葉とは裏腹に、匙を動かすたび、慧音の疲労は加速していた。
「いくら頭を使っても、こんなの食べてたらさすがに太ると思うけど」
「いやいや、寺子屋も里の見回りもかなりの激務でな。これくらいのものを食べなければ動けないし、痩せ細ってしまうんだ」
「ほほう、なるほど。その見事な胸は、このパフェで維持していたのですね?」
「まあ、そういうことになるかな」
パフェの横から、ジト目でニヤニヤ笑みを浮かべる妹紅に、慧音もクリームを頬につけたまま、悪ぶった顔つきでニヤリとする。
しかし、その心中では、ミニサイズの『ほんねけーね』が、頭を抱えてうわああああとゴロゴロしていた。
言うまでもなく、胸は全く関係ない。
それどころか太ると聞いて、慧音は泣きたくなった。
頭が硬いことを生徒に『慧音・ブラジル』とからかわれることもあるのに、この上太ってしまったらどうなることやら。
例えば『メタボリック・慧音・ブラジル』……どんなリングネームだ。パフェを片手に花道でサンバカーニバルでもやるつもりか。
「おせっかいも楽じゃないってことか。慧音は大変だね」
「ああ、心配してくれてありがとう」
妹紅の優しさが慧音の胸にしみる。これを食べ終えた時には虫歯にしみることになるだろう。
無論、食べ終えることができれば、の話であった。
パフェの味自体は悪くない。むしろもの凄く美味い。
アイスの部分を一口食べてみて頬が落ちそうになり、これなら食べきることができるのではないか、と思ったほどである。
だがしかし、やはりというか、量が多すぎた。甘さも和菓子に比べてきつい。
クリームとプリンの外壁は何とかクリアできたものの、特大アイスはかなりの難敵だった。
間に設置されたケーキと組み合わさることで、脳髄まで響くほどの威力がある。
慧音はスプーンと交互に、何度も口に水を含み、駆逐されていく味雷の感覚を取り戻しながら、食べ進んだ。
「う~ぃ、甘い~。これ水おかわりできないかね」
妹紅が口を捻じ曲げんばかりの表情で、再びパフェと闘っている。
対する慧音は努めて冷静な顔を保とうとしていたが、心情は妹紅よりももっと酷い顔をしていた。
そこに、咲夜がいいタイミングで、お盆を片手にやってきた
運ばれてきた二つのカップは、香りからすると紅茶のようである。
「サービスです。砂糖は入っていませんので、お好みでそちらの小瓶を使いください」
慧音も妹紅も、この差し入れを歓迎し、もちろん小瓶には一切手を伸ばさなかった。
「ふぅ。落ち着いた。気が利いてるね、やっぱり」
「……少々味が悪いな」
「そう? 十分美味しいと思うけど」
「いや、この紅茶では我慢ならん。少し話をしてくる。ちょっと待っていてくれ」
慧音はカップを置いて立ち上がり、奥の咲夜が消えた扉へと、早足で向かった。
残された妹紅は、その様子を黙って見送っていた
が、ふと思いついた顔になり、慧音のパフェから、サクランボを一つ失敬した。
★★★
関係者以外立ち入り禁止、そう書かれた店の扉を開け、控え室へと入った慧音は、扉を閉めるや否や叫んだ。
「あのパフェを作ったのは誰だあっ!!」
「作ったのは私。でも頼んだのは貴方」
全くの正論だった。
だが慧音はなおも、総髪の獅子のような顔で、咲夜に詰め寄りながら、
「おかしいと思わなかったのか!? おかしいと思うだろう普通!?」
「珍しい注文であることは確かね。料理長曰く、最後に注文されたのは、一ヶ月前らしいわ。それも貴方じゃなかったの?」
「断じて違う! あれは人間が食う量ではない!」
「貴方だったら牛並みに食べると思ったのだけど」
「ハクタクを牛と一緒にするな! 第一私は、甘い物は苦手なんだ!」
「あら? じゃあどうしてこの店に?」
「答える義務は無い!」
痛いところをつかれた慧音は、顔をそむける。
が、ふと思い出し、ジト目で渋い表情のまま、
「そういえば、妙なことを言ったな。お前があれを作ったのか?」
「ええ。調理に時間がかかるものは私の得意分野。そうじゃなくても、今の時間帯はお客様が少ないので、パティシェは奥で新メニューの開発をしているわ」
彼女が親指でさした方には、厨房へと続く扉があった。
慧音が耳をそばだててみると、確かに数名の元気な声が、ここまで聞こえてくる。
(早苗ちゃん! モンブランってこんな感じかしら!?)
(うわー! すごいです先輩! 向こうのよりも美味しい! 栗がいいからですかね!?)
(貴方の奇跡のおかげよ! よーし、こいつはいける! 早速メニューに加えさせてもらうわ!)
(ええ店長! じゃあ、次はこれを試してみましょう! この調子で幻想郷にスイーツを普及させてみせますよ! 守矢神社の名にかけて!)
なんだか、仕事場というよりは、遊び場のようだ。
店内の客席の静かな雰囲気とは、えらい違いだった。
「……気のせいか、約一名の声に聞き覚えがあるのだが」
「特別顧問のことかしら。私よりも古株で、月に四度ここに来ているの。オーナー曰く、彼女がこのお店を再建したようなものだそうよ。料理は得意だし、外界の洋菓子に造詣が深いし。この店が繁盛しているのも、その知識と能力のおかげらしいわ。今ではかなりの権限が任されていて、店の名前まで変えてしまったとか」
「じゃあ、あのパフェも彼女が考案したということか?」
「店に一つは、あんなジョークメニューがあった方が面白いって」
「なるほどな。客側の意見として、今度からメニューに写真を載せることを要求する」
「すでに天狗に頼んでいるそうよ。今日に間に合わなかったのは、タイミングが悪かったとしか言いようがないわね」
タイミングが悪い。その一言は、ぐさりと慧音に突き刺さった。
先ほどまで、妹紅と自分が出会った偶然に喜んでいただけに、かなりこたえた。
禍福は糾える縄の如し、そんな諺が頭に浮かぶ。
「それで、他に用件は?」
「いや……失礼した」
結局慧音は、咲夜を論破することができず、すごすごと店内に戻ることになった。
★★★
扉を閉じた慧音は、肩を落として、大きなため息をついた。
注文してしまったからには仕方が無い。何とか自分の分だけでも、あのパフェを食べるしかないようだ。
夕飯前にあの馬鹿げた量を胃に納めなければいけないと思うと、頭も腹も痛くなってくる。
暗澹とした未来に、慧音は生気の失せた顔のまま、席へと戻った。
その足が止まった。
奥の光景に、慧音は小さく息を呑んでいた。
蓬莱人が、頬杖をついて、雨の降る窓の外を眺めていた。
その目は心ここに有らずといった様子で、はるか遠くを向いている。
がらんとした店内には、彼女しかいない。雲に遮られた光が、その一角を白く染め、静謐な空間を作り出している。
透明な薄い壁が、自分と彼女を遮断しているようだった。あまりに自然にできていたその絵に、慧音は胸が締めつけられるのを覚えた。
と、彼女がこちらを向いた。
「あ、慧音。お帰り」
「ああ……」
慧音はざわめいた心持ちのまま、席についた。
「なんだか怒鳴っていたけど、大丈夫?」
「ん……いや、お茶の入れ方が悪い、と叱っていた」
「怒るほどのもんかね。寺子屋でもそんな調子だと、血圧が上がっちゃうよ」
「大きなお世話だ」
内なる動揺を隠したまま、慧音は苦笑した。
妹紅のパフェの量は、先ほどから変わっていない。
その目は、また窓の外に向けられていた。
「……これじゃ、買い物にも行けないね」
その呟きには、隠せぬ諦観の念がこもっていた。
傘を用意すれば……と慧音は言いかけたが、窓に当たる雨音は次第に強くなっている。曇天模様はしばらく晴れそうにない。
それに、物憂げな蓬莱人の横顔は、見ていて辛くなるほど美しかった。
昔から、気づいていた。
妹紅には雨が似合う。沈む夕日が似合う。月夜が似合う。孤独の影を思わせる情景が、これ以上ないほど似合う。
老いることもなく、死ぬこともなく、千年の生が重ねた澱が、彼女に隠せぬ風格を与えている。
それはもう宿命ともいえる、彼女の消せない一部分であり、藤原妹紅という存在の土台を形成しているようだった。
だけど、慧音は知っていた。まれに、本当にまれに妹紅が見せる顔。
竹林を案内する道中、里の人間らの身の上話を聞いたとき。自分が寺子屋でやられた、生徒達の悪戯を話したとき。里でとれた作物を持って、竹林の家にお邪魔したとき。
彼女は少しくすぐったそうに、見た目相応の、少女の笑みを浮かべるのだ。
慧音が好きなのは、そんな妹紅だった。すでに枯れきったように見える彼女が、確かに生きている姿を見せる瞬間だと思っていた。
できれば、もっとそんな風に笑っていてほしいと思うのは、我が儘なのだろうか。
それは、妹紅本人に聞くには、ためらわれる内容だった。いまだ殺し合いを続け、竹林で隠遁生活を送る彼女は、最も仲の良いはずの自分にすら、心の半分も明かしてくれそうにないのだ。
それとも、この雨といい、自分の失態といい、彼女は孤独を避けられない宿命なのだろうか。
慧音は首を振って考えるのを止め、気丈に言った。
「なに、すぐに止むさ。その後は、いい店を紹介してやろう」
「無理して付き合わなくていいよ」
「無理などしていない!」
言いようのない悲しさと、それに対する反抗に、自然慧音は怒鳴っていた。
妹紅が仰け反って驚いている。
「ど、どうしたの慧音」
「どうもせん! これを食べ終えたらすぐに行くぞ妹紅!」
宿命だろうと天命だろうと、諦めてたまるか。と、慧音は闘志をみなぎらせて、パフェをかっ込み始めた。
蓬莱人はその様子を、物珍しげに見ている。
「慧音、顔色が悪いよ」
「ムシャムシャ……パフェを食べるときは、いつもこんな顔色だ」
「慧音、顔が悪いよ」
「ムガムガ……パフェを食べるときは、いつもこんな顔だ」
「……………………」
妹紅の軽口すらまるで届かぬほど、慧音は一心不乱にパフェを食っていた。
テーブルに君臨する甘味の牙城は、登れば登るほど急になる坂のようで、すでに慧音にとって、断崖絶壁となっていた。
きっとアークエンジェルとやらは、可愛さとは無縁の、筋肉ムキムキの武闘派に違いない。尻のような胸板と鬼面のような背中を維持するために、これだけのカロリーを必要とするのだろう。
だが、筋力レベルは一般人の慧音も、努力の甲斐あってか、特大アイスのうち二つをクリア。ケーキは三種類をクリアしていた。
もっとも、先はまだ長い。フレークの層が見えているものの、これでまだ下段にアイスがあるというのだから信じ難い。
最奥に眠るプリンなど、本当にあるのかどうか、存在を疑ってしまいたくなる。
頭も痺れを通してなんだか眠くなってくるし、下腹は妙な音を立て始めている。
――やはり、正攻法や勢いでどうにかなる相手ではない。
慧音はパフェを口に運びながら、何か秘策は無いか考えていた。
例えば、糖分を急速に溜め込んでいるのだから、それを上手に使ってやればどうか。
といっても、ここで有酸素運動や柔軟体操をはじめるわけにはいかない。
人体で最もエネルギーを消費するといえば、やはり脳だ。脳を使えば使うほど、人間は甘い物をほしがるという。
早速慧音は、幻想郷の歴史を暗唱し始めた。
「…………想郷第百十七季までを旧史とするならば、その旧史はさらに三つに分けることができ、それ以前の歴史については、稗田阿一の幻想郷縁起に詳しく……れすら千二百年前に過ぎず、さらに古い幻想郷については、古文書や遺跡の形で、妖怪達に秘匿されており…………が海を越えて妖怪の山を移したことで、人間側に傾いていた力が、鬼や天狗と拮抗し……」
「慧音。なんか、ぶつぶつ聞こえて不気味なんだけど」
「ああ、すまない。ひとり言だ」
残念ながら、この策は妹紅に不評なため、断念せざるを得ないようだった。
他には例えば、もっとも脳を使う行動の一つに、会話がある。
妹紅と会話をしながら匙を進めれば、退屈な彼女を満足させつつ、このパフェを食べきることが可能なのでは。
そう考えた慧音は、パフェを咀嚼しながら言った。
「妹紅、しゃべってくれ」
「は?」
妹紅は片眉を上げて、馬鹿を見る目で聞き返した。
「なんでもいいからしゃべってくれ。会話しよう。コミュニケーションだ」
「なんで英語?」
「英語か。印欧語族のゲルマン語系が発祥で古代ノルド語の影響を受けノルマンディー公ギヨームのイングランド征服から百年戦争までの時代にフランス語から大量の語彙を受け継ぎさらにルネサンス期にラテン語・ギリシャ語を定着させることで莫大な同意の単語を内包するようになった複雑な歴史を持つ言語だ」
「はぁ」
「ある意味無駄が多いとも言えるがそれだけニュアンスが増えたともいえるイギリスやアメリカの帝国主義によって世界的に広まることとなり結果的に人類が誕生して以来最も『強い』言語になったといえるな。いずれ寺子屋で教えようかとも思うのだが私では少し荷が重いので誰かに講師を頼みたいところだ。妹紅はどう思う?」
「え……あ、ああ会話ね。ええと、魔理沙とかどうかな。名前は日本人だけど、少しは喋れるんじゃない? 金髪だし」
「魔法の森に住む人間の魔法使い霧雨魔理沙か。彼女は駄目だ。性格的に一時的な興味が湧いてもすぐに飽きることになるだろうし子供達に泥棒癖や魔法使い願望を植え付けられてはかなわん。それに寺子屋に霧雨家の縁者がいるからすぐに噂が広まる。彼女は未だに本家と絶縁状態なんだ。下手をすればさらに仲が悪くなってしまいかねん」
「へ……へぇ、そうなんだ。じゃあ、あの人形遣いとか」
「同じく魔法の森に住む魔法使いアリス・マーガトロイドのことを言っているんだな。妖怪の中では比較的穏健な存在だ私も一度説得しようとしたが駄目だった。これまた性格的に他者に積極的に関わることで時間を取られるのが億劫。加えて彼女にとってメリットが感じられないからということらしい。里でたまに開く人形劇にはそれなりの目的があるそうだ。今度妹紅にも見せてあげたいと思っているんだがそれはそうと他には誰がいるかな」
「といっても、私もそんなに詳しくないしなぁ……。ところで慧音、早口は凄いけど、スプーンが止まってるんじゃない?」
「おっとすまん。もぐもぐ……ぐあ! 甘い!」
「え?」
「妹紅の考えが甘いというんだ! これから外界の妖怪が増えるにつれて、日本語だけでは到底乗り切れないかもしれない! そのためには、英語教育が必要だというんだ! 福沢翁がエゲレス語を介して西洋文明を受け入れ近代化の道へ進もうとした志が今私たちに求められているかもしれんのだ! どうして分かってくれないんだ!」
「私に言われても……。それに、問題ないんじゃないの? 新顔も含めて、みんな日本語喋ってるし」
「そうか。それもそうだな。素晴らしきかな、やまとことば……甘っ!」
「甘いの?」
「美味いと言ったんだ。そもそも、うまいと甘いは本来同じ意味でな。日本各地に、果物等の甘味を尊ぶ文化が存在する。甘い物が別腹というのは、その欲求が脳に生理活性物質を出させて、胃袋を緩める効果があるかららしい。動物も総じて甘い物が好きだ。糖分の欲求は、生き物にとって根源的なものに違いない。もちろん私も大好きだ」
「へぇ。でも慧音がそんなに甘いものを食べてるところ、はじめて見たよ」
「そ、それは、それはだな。妹紅の前では食べないことにしていたんだ」
「は? なにそれ。私からこっそり隠れて食べてたの? 意地汚いなぁ」
「違う! だんじて違う! 妹紅が望むなら、いくらでもこのパフェをおごってやる!」
「食べられないってば。それと、またスプーンが止まってるよ」
「失敬」
無理に会話を続けているものの、ちっとも効果があるように思えない。
まだまだ会話のレベルが足りないのかもしれない。
「だめだ。妹紅、もっと難しい話題にしよう。妖怪思想史とか、現象判断のパラドックスとか、如来清浄禅について語ろう」
「いやだ。難しいのは好きじゃないから」
「じゃあ物凄く簡単なものにしよう。1+1はいくつだ」
「怒るよ?」
「怒らないでくれ。正解は『古い』の『古』だ。『田んぼ』の『田』だろうと思っただろう。やーいやーい」
「殴っていい?」
「私も拳骨をかました。相手は寺子屋の生徒だったがな」
「その問題を何で今私に」
「も、妹紅がちゃんとしゃべってくれないのがいけないんだ!」
「涙声で言われても困るよ!」
「泣いてない! これは心の汗だ!」
「へぇ……というか慧音さ。あんたやっぱり、甘い物がキツ」
「ああ美味しいなぁ! やはりこのパフェは素晴らしい!」
「……………………」
「感動のあまり、涙がとまらないぞ! ふっふはっは!」
「……………………」
慧音は豪快なわざと笑いをするものの、パフェの向こうで妹紅が白けている様子が伝わってきた。
パフェによる胃痛に加えて、プレッシャーによる冷や汗まで出てくる。
まだ自分の分でさえ三分の二ほども残っているというのに、すでに容量は限界を通り越しており、細いスプーンが鉛のごとく重く感じられた。
そこで慧音は思い出した。
――そうだ! メイド長曰く、一ヶ月前にこのパフェを誰かが注文がしたというではないか!
その人物は、あるいはこのパフェの攻略法を知っているのかもしれない。
慧音はすぐに、一ヶ月前の店内の歴史を見てみた。
「え~と。妖夢は何にする?」
「私は……あんみつでいいです、幽々子様」
「あらあら少食ねぇ。それじゃあ、注文をお願いします。あんみつと、アークエンジェルパフェを二つ」
全く参考にならないことが分かり、慧音は絶望した。
さじを投げる元気もなく、力なく手の内で垂らす。体がずるずると、ソファに埋もれていく感じがする。
ああ、天国が近い。待っていてくれ大天使よ。許してください、肉体を捨てて山に登る、不出来な私を。
慧音が意識を失う寸前、パフェの向こうから、妹紅の顔が現れ、
「あのさ、慧音……」
「……どうした妹紅! 食べないのか! 私は今すぐ食べるぞ! 少し休憩していただけだっ!!」
「いやっ、そうじゃなくて!」
血走った目で怒鳴りながら復活するワーハクタクに、妹紅は慌てて首を振り、
「これ、小皿に取り分けたりした方が食べやすかったりし……」
「そうか!」
それが言い終わるや否や、慧音はしゅたっと立ち上がった。
「では妹紅のために、小皿をもらってこよう!」
「え? 呼べば来るんじゃないの」
「いや、直接行ってくる! 妹紅はここで待っていてくれ!」
慧音は返事を待たずに、再び店員用の扉へと、駆け足で向かう。
が、その直前で九十度の華麗なターンを決め、お手洗いの方へとなだれ込んでいった。
妹紅はそれを見て、ため息をついた。
「…………何やってんだか」
両手を頭の後ろで組んで呟く。
すでに妹紅にも、慧音が今どういう状況にあるのかが分かってきた。
お人好しもあそこまで来ると、一種の病気のように思える。
が、全て自分に心配をかけさせまいとしているためだと思うと、その好意を放り捨てるのも酷であった。
さてどうしたものか、と妹紅はまた、窓の外の風景、雨の降る庭園を眺めた。
「…………ん?」
その目が大きく開き、二、三度瞬きした。
★★★
「……失礼。小皿を一つ……いや二つ所望したい」
再び、関係者控え室にお邪魔した慧音は、弱々しい声で頼んだ。
怒鳴り込んでいった先ほどとは違い、背後霊のごとくどよんとした陰を背負っている。
テーブルでレシピ表を眺めていた咲夜は、顔を上げた。
「あら、呼べばすぐに用意しましたのに」
「少し動きたくなったんだ。そして、あのパフェから距離を置きたくなった」
「苦戦しているようね。無理もないと思うわ」
咲夜はパタンと本を閉じ、椅子を勧めてくる。
慧音は重苦しい内臓を抱えたまま、ありがたくそれに座った。
「事情は見ていて何となくわかったけど、いつまで誤魔化すつもり?」
「できれば最後まで。しかし……私が悶死する方が早いだろうな」
「確か貴方、歴史を食べるんでしょう。無かったことにすればいいんじゃないかしら」
「無駄だ。結局は『食べる』ことには変わらん。……一ヶ月は腹を下すことになる」
「そうじゃなくて、私が言ってるのは、お連れさんの歴史を食べればいいんじゃないかしら、ってことなんだけど」
確かに、咲夜の言う通りだった。
手っ取り早い解決法は、妹紅がここに来たという事実を彼女の中から消してしまうこと、つまり彼女の歴史を食べるということだ。
そうすれば、あのパフェのことも、この店に入ったことも、綺麗さっぱり忘れてくれる。
またゼロからやり直しができるのだ。
……だが、
「それだけはできん」
「どうして?」
「それは」
「……お客様、大丈夫ですか?」
そこに、新たな声が参入してきた。
白い上着にエプロン姿。緑色の髪に、大きなコック帽を乗せているその姿は、何となく親近感が持てる。
以前に見たお祓い棒や巫女服ではないものの、眉が下がり気味の気弱そうな顔立ちには見覚えがあった。
彼女は頭を下げながら、
「東風谷早苗です。この前の飲み会で、ご挨拶させていただきました」
「ああ、こんにちは。覚えているよ。本日はお邪魔しています」
頭を下げて挨拶を返す慧音に、早苗はなおも帽子を押さえて、ぺこぺこと頭を下げる。
「ごめんなさい。さっき咲夜さんから聞きました。私が調子に乗って変なメニューを考えたりしたせいで……」
「貴方のせいじゃないわ早苗。注文を受けた時に、私が念を入れて確かめるべきだったのよ」
「いや、二人のせいではない。私がこんな店に来たのが……違う。そういう意味じゃないんだ。ただ、私は……その……この店の雰囲気にそぐわないだろう?」
自信のない声でそう聞くと、早苗は虚をつかれたような顔になり、それからふるふると首を振った。
「そんなことありませんよ。慧音さん、とっても似合うと思いますよ」
彼女の言葉の調子から、それが世辞でないということに気づき、慧音な意外な面持ちになって聞いた。
「果たしてそうだろうか」
「はい、そう思います。それに、うちの店はどんな方であろうと、気軽に入れる雰囲気作りが目標なんです。メニューも食べた人みんなが幸せになれる、奇跡のスイーツを目指しています」
「食べた人みんなが幸せに……か」
「あ……ごめんなさい。あのパフェは」
「いや、本当にいいんだ。早苗さんを責めるつもりはない」
うつむく彼女の隣で、咲夜が「気にすることないわ」、と肩に手をやり、思いやりのある微笑を浮かべていた。
本来立場は逆のはずだが、その光景は、良き先輩と後輩の関係に見える。
ふと、自分も妹紅も、彼女達のような、普通の人間時代があったんだと思うと、慧音は妙に心和んだ。
「二人とも若いな……。だが、私達のように長く生きてしまうと、変わることに臆病になってしまうものなんだ」
慧音は、長久の歳月を生きるもの特有の、苦笑いを浮かべた。
「私も例外ではない。だが、彼女のために、それに逆らってみたかった」
「えっと……どういう意味ですか?」
よく飲み込めない様子だった早苗に、慧音は語り始めた。
「向こうで座っている妹紅のことだ。そうは見えないかもしれないが、彼女はれっきとした人間だ。ただし、千年以上前から生きている、ちょっと変わった人間だ」
「千年……ですか?」
「ああ。その原因は蓬莱の薬。一度口にすれば、老いることも死ぬこともなく、永遠の生を手に入れることのできる史上最悪の毒薬。彼女はそれを復讐のために服し、以後長い間、孤独に暮してきた。数百年もの間、な」
その歴史を、過去に慧音は、覗かせてもらったことがあった。
ある程度覚悟はしていたものの、それはあまりに酷い内容だった。悲惨、不遇、薄幸、墜落。どんな言葉ですら追いつかないほど、苦難に満ちた一生。
しかし、彼女には――こう言ってよいものかどうか――長生きの才能があった。
強靱な精神、不屈の闘志、逞しい生活力、生来の楽天的な性格、そして復讐とはいえ、大きな野望。それが彼女を長い間、生に倦むことを回避させた。
初めて見た時、その輝きに、慧音は驚嘆し、畏敬の念に打たれたものだ。
だがそれでも、専門の修行を積んだわけでもない少女の心に、千年という時間は長すぎた。
「だから彼女は、本来、人と接することが苦手だ。普通の人間と触れ合うことで、恐れられたり、忌み嫌われたりすることを恐れている。それなのに、今日里に彼女は一人でやってきた。私にとってそれは大事件なんだ。だからこそ、せっかく勇気を出してここに来てくれた彼女の気持ちを、台無しにすることはできない。人間を恐れ続けた彼女が、初めて一歩踏み出した一日だ。消してしまいたくないんだ。それが、妹紅の歴史を食べられない理由だ」
自分より遙かに年少の人間達に、慧音は真情を吐露していた。
「人里に自力で出向いたとはいえ、何か不都合があったり傷ついたりすれば、妹紅はまた竹林に引っ込んでしまう気がする。だから、まずは軽い買い物から始めて、徐々に人里に慣れてから、やがて寺子屋で子供達に会わせてやりたい。一歩一歩確実にだ。それゆえに、最初の段階で、このあいにくの天気や、私が無理をしていた事実だとか、そうした些細なことで躓いてほしくない。つまらない理由で、意気を削いでほしくない」
「……大事な人なんですね」
「ああ。とても大事な友人だ。私はそう思っているよ」
どこか羨ましそうな早苗に、慧音はにっこりと笑って、うなずいてみせた。
隣の咲夜は、軽く肩をすくめて、
「じゃあ、さっさと話した方がいいわ。ごまかし通そうとして、空気を悪化させるよりも、その方がいいでしょう」
「でも咲夜さん。それじゃあ……」
「貴方達には、私達人間よりも、まだ時間が多く残されている。これは皮肉じゃないわ」
「……………………」
「……その通りだな。面目ない」
慧音は二人に頭を下げてから、多少なりとも楽になった腹を抱えて、立ち上がった。
「正直に話してくることにしよう。今日のところは勘定を済ませて失礼したい。あの料理を無駄にしてしまうことになるが」
「気にしないでくださいな。ちょっともったいないけどね」
「また、うちのスイーツを食べに来てください。そんなに甘くない、おすすめの品があるんです。歓迎しますよ」
「ありがとう二人とも。それと、傘を二つ借りられたら……」
そこで慧音は、言葉を切った。
咲夜と早苗も気がつき、店内に通じる扉を向く。
「あら大変。お客様ね。それも大勢」
「そうみたいですけど、でも、この声……」
扉の向こうから聞こえるのは、騒ぎ声だった。
大人にしては妙に甲高い。
慧音は嫌な予感がして、扉へと走り、ノブをひねって開けた。
「あれ!? 慧音先生!」
すぐに見知った顔に会った。
寺子屋で教えている生徒の一人だ。縛った髪の毛に、水滴がついている。
「右京!? どうしてここにいるんだ!」
「かくれんぼで、お店の庭に隠れていて見つかったら、雨がいっぱい降ってきちゃって。みんなで屋根の下で雨宿りしていたの。そうしたら……」
慧音は最後まで聞かずに、店内に視線を走らせた。
大変なことになっていた。
テーブルで、長い椅子で、絨毯の上で、寺子屋の子供達が、ぎゃーぎゃーわーわーと、好き勝手に騒いでいる。
人の気配の無かった箱庭に、大量のねずみ花火が投下されたようだ。
そんな中、自分たちが座っていた遠くの席、そのテーブルに、二人分の巨大パフェだけが残されていた。
待たせていたはずの、妹紅の姿が、ない。どこにもない。
慧音は青ざめて、咄嗟に玄関を向いた。そして、ほとんど反射的に、彼女の姿を追って走った。
★★★
夕暮れ時になって、雨はすっかり止んでいた。
空に月は無く、雲の間に星が光っている。
慧音は里の外れの道を、妹紅と並んで歩いていた。
互いに無言。虫の音に混じって、濡れた土を踏む音が続く。竹細工の買い物篭は、空っぽのままだった。
やがて、二人は慧音の家につき、妹紅が口を開いた。
「……じゃあ、ここで」
「……ああ」
慧音はいつものように、短く返事をしてから、
「妹紅、今日は色々と迷惑をかけた」
そう言うと、妹紅は首を振った。
「ううん。それより慧音、今さらだけど、あの店って初めてだったんでしょ?」
「……その通りだ」
結局慧音は素直にそれを認め、目を伏せて謝罪した。
「すまない。つい意味も無く見栄を張ってしまって」
「くくく、私も見ていて困ったよ、本当」
心底可笑しそうに思い出し笑いをする彼女を見て、慧音はふと気になった。
「まさか、最初から気づいていたのか?」
「最初からじゃないけど、あんな青い顔して食べてたら、誰だっておかしいと思うわよ。慧音は強情だから、どうやって止めさせたもんだかって考えてたところに……」
そこで、沈黙を挟んでから、妹紅は囁くように言った。
「……あの子達が入ってきてくれて、よかったね」
「…………」
「じゃあまたね、慧音」
「妹紅」
その背中を、慧音は呼び止めた。
「また今度、二人で買い物に行こう」
「…………」
「近々里でお祭りもある。それも一緒に行かないか?」
妹紅は夕闇の中、しばらく立ち止まっていたが、やがて少しだけ振り向いて言った。
「考えておくよ」
「そうか」
慧音はそれ以上無理に誘おうとはせず、彼女を行かせた。
蓬莱人は竹林の中に、一人消えていく。
やがてその姿が見えなくなってから、慧音はぽつりと呟いた。
「……考えておく、か」
やめておく、よりは幾分ましになったのだろう。
慧音はかぶりを振って、家の戸を開け、中に入った。
「さて、と」
草履を脱いだ慧音は、夕餉の支度に向かわず、真っ直ぐ自室へと向かった。
蝋燭に火をともし、机の上に綴じた紙束を広げる。
慧音の日記帳だった。
歴史書ではない。いつ誰が何をした、という客観的な歴史については、満月の晩に幻想郷中から集めて記している。
しかし、慧音はそれとは別に、自らが生きる中で感じた歴史を、紙の上にしたためるという日課があった。ハクタクには変わった趣味とも言える。
いつもは就寝前にやる作業だったが、今日の出来事は、できるだけ早く残しておきたい。
慧音は下敷きを敷いて、墨とすずりを用意し、筆をとった。
葉月●●日 木曜仏滅
不思議な一日だった。
前々から練っていた例の計画を、ついに実行に移したのである。
元々のきっかけは、私が洋菓子を食べようということにあったが、その真の目的は、新たな自分を目指してみようという試みだった。
もちろん動機は、私個人の都合だけに限られるものではない。あの蓬莱人のため、そう思ってこれまで彼女にしてきたことの、反省の意味も込めてだった。
実際、変わるというのは、口にする以上に難しい。
決心するのには勇気がいり、行動に移すのには活力がいる。
何をやっても上手くいかないかと思えば、ふとしたきっかけで簡単に成功してしまう。
当の本人ですら、それが全く予測できない。もしかしたら、壁が高いのではなく、道は初めから用意されていて、そこに明かりが無いだけなのかもしれない。
だからこそ、人は迷ったり悩んだりするわけで、結局のところ、焦らず思ったとおりの行動を選ぶのが一番なのではないかと、悟ったような気がした。
私が思ったとおりに行動した日が今日であり、妹紅と同じ時機だったという偶然については、本当に嬉しかった。
しかしながら恥ずかしいことに、この機会を逃してなるものかと、つい焦ってしまった。
私が妙な考えを抱かず、初めから素直に話していれば、その後は上手くいったのかもしれない。
そうすれば、私は腹を痛めずにすんだだろうし、買い物にも間に合ったかもしれないし、夕飯も二人で食べることができたのかもしれない。
だが私は、自分が今日を選んだのも、妹紅が今日を選んだのも、私の失態も、あいにくの天気も。
全て何かの良い流れ、大きな巡り合わせの元に行われた結果だったのだと、今では信じたくなっている。
そこに、パフェの奇跡を一さじ。いや、十二個分のさじを混ぜて。
妹紅に全て話すことを決心した私は、店内の方から、耳に覚えのある騒ぎを聞き、扉へと走った。
そこで開いた私の目に飛び込んできたのは、どこから現れたのか、客席の周りを遊び回る、寺子屋の子供達だった。
彼らは、まだ何色にも染まる可能性を持つ、白い生命力で満ちている。
普段から関わることの多い私でさえ、時折その力に圧倒されるてしまうほどに。
蓬莱の人の形にとっては、どれだけ眩しかっただろうか。どれだけ恐ろしかっただろうか。
妹紅のいないその光景を見た瞬間、私は全てが終わってしまったと思った。
地道に築こうとしていたものが、まるまるぶち壊しになったと思い、彼女に対しての申し訳なさで、それまでの苦しみを超える痛みに苛まれた。
だけど諦めきれずに、雨の中を走っていったであろう蓬莱人の影を追おうと、私は店を飛び出す構えを見せた。
しかし、それを引き止める者が
★★★
「慧音先生?」
妹紅を追おうとした慧音は、弱い力に引っ張られ、立ち止まった。
右京が服の袖を掴んで、見上げている。
「どこかに行っちゃうの?」
その不安そうな目をじっと見つめ、慧音の感情は行き場に迷う。
やがて、それが理性に取って代わっていく。
「……いや」
慧音は、寺子屋教師としての職務を思い直した。
妹紅を追うことよりも、優先することが、責任がある。
あらためて、『幻想ミラクルスイーツヘヴン』の店内を見渡すと、ひどい有様だった。
「ねー、次こっちからこっちねー!」
「すごーい! こんなパフェはじめて見た!」
「お前から先にやったんだろ! このやろー!」
「どうしたのー!? 早く持ち上げてー!」
廊下で競争する男の子達、ずぶ濡れのままソファに座る女の子達、絨毯の上でとっくみあいする悪餓鬼共、長椅子の背にもたれかかる幼き子供。
誰も彼も、里の守護者である慧音にとって、守るべき者達だった。
そして、道を外れれば、正しく導いてやるべき存在でもある。
小猿のごとくはしゃいでいた彼らを睨み、慧音は大きく息を吸い込んで、喉を震わせた。
「静かにせんかーっ!!」
大喝だった。
店内を切り裂く、凜とした怒声に 、子供達の動きが凍りついた。
誰もが、突然現れた自分達の教師の姿に、呆然としている。
「いいかお前たち、雨宿りするなとは言わん! だが! 店の人に挨拶もせず、ずぶ濡れのまま遊び回るとは言語道断! まずはきちんと事情を話して礼を述べ、席に座って静かにしているのが礼儀だろう! 寺子屋でも教えたはずだ! 忘れたのか!?」
その声は、場所こそ異なれど、寺子屋での説教と同じく、有無を言わさぬ迫力だった。
叱られた子供達は、一様に頭を垂れ、中にはべそをかく子供もいた。
ひとまず反省の念が見られたので、慧音はふぅ、と息をついて、店にいる子供を数え始める。
「にぃ、しぃ、ろぉ……右京を入れて十人か」
そう言うと、緊張に固まっていた子供の一人が、クスクスと笑い出した。
連鎖するように、数人が吹き出していた。
慧音はまた頭に血が上り、
「こら! 何がおかしい!」
だが今度は、厳しく叱っても、子供達は笑うのをやめない。それどころか、おかしくてたまらないといった様子で、一斉に笑い声をあげていた。
眉をつり上げ、もう一度怒鳴ろうとした慧音の肩を、後ろから誰かがつついた。
コック帽の早苗とともに、タオルをたくさん持ってきた、ウェイトレスの咲夜だった。
「ちょっと待って。十人かしら? 一人足りないみたいよ」
「なんだと?」
聞き返すと、彼女は視線だけで、奥を示した。
その先で、子供達は長椅子の陰に手を入れたり、話し掛けたりしている。
「ほらー! お姉ちゃん出てきなよ!」
「大丈夫! 慧音先生、もう怒ってないから!」
そこで、長椅子の背の後ろにもたれかかっていた児童が、のろのろと上に浮き始めた。
やがて、その子を『肩車』していた十一人目の人物が、恐る恐るといった感じで、顔を見せる。
慧音はあっけに取られた。
「も、妹紅!?」
そこにいたのは、てっきり子供達と入れ違いに、店を出て帰ってしまったと思っていた人物だった。
彼女は肩に乗せていた子供をそっと下ろし、ぽりぽりと頭をかいた。
「あ……あのー……ごめん『慧音先生』。注意しなけりゃいけないはずだったんだけど……つい」
蓬莱人の声には、怒った慧音に対する恐れが半分混じっていた。
「それとー……悪いけど、小皿とさじ、あと十人分追加で持ってきてくれない? この子達も、あのパフェ食べたいっていうから……」
残りの半分、その照れて困った笑みは、周囲ではしゃいでいる子供達に、本当によく似合っていた。
★★★
その後、妹紅が子供達の人気者になってしまったことについては、ここに記すまでもない。
やはり、彼女の人徳というものだろう。私の見込んだ通りだったということだ。
だが、巨大パフェを注文したのが私であると発覚し、生徒達から爆笑されて、勇者とまで呼ばれたのは不本意だった。
まぁそれもこれから、よい変化に繋がっていくことを期待する。そのうち笑い話にできる日が来るだろう。
人がこの世で生きる限り、明けない夜も、引かない雲もない。
今日の天気は雨ときどきパフェ、のち子供晴れであった。
(おしまい)
★★★
歴史を一部食べてほしい?
突然現れて何を言い出すかと思えば、ずいぶんと面妖な依頼ですな。
いや、理由は話さなくて結構。受けるつもりはありません。聞かなかったことにするので、お引取り願います。
なんと? 貴方ではなく、藍殿の歴史? ああ、確かに先日の宴は、すさまじいものでした。
私自身、満月の日は気が昂ぶるのを覚えますが、あの晩の彼女は少し異常でしたね。呆れもしましたが、それよりも心配でした。
結局その後は酔い潰れただけで無事だったようだし、宴会も滞りなく盛り上がっていたので、安堵しましたが。
いえ、そんなつもりはありません。まぁ意外な一面を知ったという気持ちですが、すでに藍殿の徳に疑う余地はありませんよ。
なまじの人間より、よほど信頼がおけます。あの一件のみで見損なうほど、私は頭が固くはないつもりです。
……知ってます。まぁ、面と向かって言ってくるのは、私の友人と頭突きを受けた生徒達くらいですがね。
言いたい者には言わせておけばいい。まぁ、少しは気にしていますよ。少しは、ね。
な、なにを!? 放してください! やめろ! 放せ! 慧音ちゃん呼ぶな! こらっ!
全く……本当に行動が読めない妖怪だな。これでは藍殿の苦労もわかる。
ん? いや、もうこの口調で通すつもりだ。無礼な闖入者にまで敬語で礼をつくす義理はない。
そして答えは変わらん。帰ってくれ。
違う。できぬ訳ではない。
すでに知れ渡っているため、多少面倒ではあるが、あの神社の境内には歴史の根っこが残っている。それを私が食べれば、やがて噂は三日と持たずに消え去るだろう。
もっとも、すでに別の形に封じられているものまでは手出しはできん。私の記憶では、あの鴉天狗が写真を撮っていたはずだが。
ん? それはもしや、そのフィルム? どうやって手に入れた……かは聞くまでもないか。相変わらず呆れた能力だな。少々越権行為が過ぎると思うぞ。
それに、貴方の実力を持ってすれば、私に頼まずとも解決できるはずだろう。
ふむ、そこまで万能のものでもないのか。
まぁ確かに、制約も抜きにほいほいそんな力を使われては適わんからな。
いや、それでもやはり承諾できん。
朋友であることは認める。しかし、彼女は責任感の強い妖怪だ。恥ずべき失態とはいえど、自らの歴史を隠してしまおうとするとは思えん。
決してそこから逃れず、問われても正々堂々と向き合うはずだ。そういう彼女だからこそ、これからも友人として付き合っていこうと思うのだ。
というわけで、この一件は引き受けられん。
しかし、驚いたな。謎に包まれたスキマ妖怪とはいえ、彼女の保護者には変わらんのだな。
いやなに、里で教師をしていると、ついそういう目で見てしまうのだ。癖でね。
何だこれは? ババロア? いや、見るのも初めてだ。洋菓子は好かん。そうでなくても、賄賂を受け取るつもりはないぞ。
藍殿の作だと? ははぁ、こういう物も作るのだな。てっきり私と同じ和食派だと思っていたのだが。
わかったわかった。では一口味見を。
…………ん、いや、なんでもない。そうか。思ったより甘くはないのだな。
昔食べた洋菓子とはだいぶ違う。これくらいなら……。
いや、引き受けるわけではないぞ。味見でいいから食べてみろと言ったのはそちらのはずだ。
そんなことはどうでもいいから、もっと食べろだと? むむぅ。ではまた一口。
……何だ。私の口は大きいのだ。何も言ってないだと? 目がそう言ってるんだ。
…………ん。美味い。かような食べ物がこの世にあったとは。認識を改めなくてはならんな。
いや、もともと苺は好きさ。朝にはできるだけ、新鮮な果物を取ることを心がけている。
しかし、今夜は苺の別の味を知ったという心持ちだ。
そうか。これがババロア。
…………むぅ、これは。す、すまないが、これの作り方を、教えてくださらぬか。
ほう、砂糖にこだわりが。牛乳に生クリーム。驚いたな。この里でも準備ができるではないか。
いやいやいや! 引き受けるわけではない! 歴史の隠蔽などもっての他だ!
そんなことを一々引き受けていたら、私の休む時間が無くなる! ただちに帰ってくれ!
え? まだいっぱいあるの?
……ち、違う。これは少々驚いて口調が変わっただけだ。
ええい、そうちらちらと見せなくてもいいではないか。まだそんなにたくさん残っているのか。
こ、これを全部私に? し、しかし、やはり……その。
ああ! これ見よがしに食べてくれるな! 違う! 涎じゃない! 失敬な!
おおう、この舌触り、コクのある甘味、適度に冷えているのがまたよいな。
匙で一口、また一口と、進むほどに食欲が湧く。これは危険ですぞ。玄妙とはまさにこのこと。
滑らかな喉越し、後味も軽く爽やか。食後には最高です。
ああ、もう無くなってしまうとは。至福の時はすぐに過ぎてしまうのですね。
せめて、茶碗一杯食べてみたかった。
な、何と! 鉢で用意されていただと!?
にわかには信じがたい。このような美食であるからには、さぞ手がこんでいるのだろうと遠慮していたのに。
半時!? これが!? 魔法としか言いようがないぞ。
もちろんです。さぁ、よそってください。ああ、何をもたもたとしているのです。私に貸して……。
はっ! いけない! これは悪魔の囁き。私はそんなものには負けないぞ。ううう、サタンよ去るがよい。
えー! 全部食べていいの!? そっちにまだあったんだ!
わぁ、美味しそう! ええ、分かりました! 依頼の件引き受けます!
…………言ってしまったー! いや、確かに嘘は嫌いです。でもこれは全部ババロアが悪いのです。このデザートは魔性の味です。
しかしながら、それに踊らされた私も未熟といえば未熟。笑いたくば笑ってください、この哀れなハクタクを。
そんな大声で笑わなくたっていいだろう!
わかったよ! 引き受けてやるよ! あの歴史食べてやるよ!
そのかわり、このババロアはみんな私のものだからな! 全部私が食べるんだ!
ババロア! ババロアー!!
~雨ときどきパフェ~
昼下がりの人里は、人の活気で満ちていた。
里の中心から引かれたいくつもの街道には、妖怪の姿もちらほらと見られる。
居酒屋、小料理屋、商店等が並ぶ中央街道は、里の内で最も賑わっており、そこに通じる脇道には、生活雑貨やあるいは薬屋などの他に、一風変わった店が立ち並んでいる。
その道のはずれにある、一軒の喫茶店の前に、一人の女性が立っていた。
青みがかった銀の長髪、涼しげな容貌に意志の強い瞳。瑠璃色の服装に加え、赤い紅葉のような飾りがついた四角い帽子は、里で知らぬ物はいない。
時刻は未の刻。お八つには少々早く、お昼時には少々遅いという時間。さらに今日は、木曜仏滅。
それが意味するところは、この店にもっとも客が『いない』時間帯だということであった。
そして、それこそが、店の前で厳しい顔つきで立つ彼女、上白沢慧音の目指したタイミングでもあった。
「…………よし」
声に出るか否かの、小さな気合を入れ、慧音は店の扉に手をかけた。
「あ、慧音せん
……あれ?」
道の真ん中に立つ男の子が、きょろきょろと辺りを見回している。
横にいた女の子が、不思議そうに聞いた。
「どうかしたの?」
「今、なんか見えたような……あれ? おかしいな」
「右京ちゃんじゃない? ここに隠れていたんじゃない?」
「右京じゃなかったと思うんだけど……えーと」
「なになに?」
「忘れちゃった。あっちを探そうぜ」
男の子は、女の子の手を引っ張って、街道を駆けていった。
二人が去った後、建物の陰から、慧音は姿を現した。
「…………ふぅ」
安堵のため息には、罪悪の念が混じっている。
彼女は今、少年が自分を見つけたという歴史を、『食べた』のである。
慧音は半人半獣のワーハクタク。ハクタクとは歴史を食べ、創り出す妖怪である。「歴史」とは人が世界に残した痕跡であり、いくつかの層に分かれて、現世と浮世の境目に存在している。慧音が今食べたのは記憶の層。個人に使う限りには、もっとも操作が容易な「歴史」である。
やりようによっては犯罪の隠蔽さえ容易なものの、正義感の強い慧音は、本来不純な動機でこの能力を使用することはない。
ましてや、今記憶を食べた相手は寺子屋の教え子だった。今日だけは例外中の例外である。
――誰にも知られずに、というのは、虫のいい話だったかな……。
慧音は胸中で呟いてから、再び覚悟を決めて、街道に立った。
そしてその店、里では珍しい部類に入る、木造の三角屋根を乗せた洋風喫茶店。
『幻想ミラクルスイーツヘヴン』の扉を、静かに開いていった。
★★★
のれんの無い玄関を抜けると、そこはスイーツだった。
表の曇り空とは対照的な、暖い光と甘い匂いに包まれる。
「いらっしゃいませ……あら、こんにちは」
早速、エプロン姿の女性店員が会釈してくる。
編まれた長い銀髪に、頭にはホワイトブリム。服は濃い青のワンピース。
彼女の容姿は、慧音のよく知る紅魔館のメイド長、十六夜咲夜に似ていた。
というか、十六夜咲夜だった。
「丈夫な頭ですね」
咲夜はとぼけた顔で感想を述べる。
壁にひびが入るほどの勢いでコケていた慧音は、頭を押さえて唸った。
「……なんでお前がここにいるんだ」
「お一人様ですか?」
「一人だ。こちらの質問に答えてくれ」
「お煙草はお吸いになられますか?」
「吸わん。それよりも、なぜお前がこの店で……」
「では、こちらへどうぞ」
「い、いや、ちょっと待て」
慧音は咲夜を制止して、ざっと店を見渡した。
計算通り、今の時間帯は、自分以外に客は来ていないらしい。従業員も咲夜以外に見当たらない。
一番奥、窓から眺めることのできる庭園に面した、入り口から死角になっている席に目を止める。
「あれだ。あの席に座れないだろうか」
「あちらですね。喫煙席になりますが、よろしいですか?」
「ああ、構わない」
「わかりました。ご案内いたします」
歩き出した彼女の後を、慧音は多少気おされながらも、従順についていった。
はじめは、蕎麦や小料理屋の調子で行けばよいのでは、と考えていたが、いざ入ってみると、やはり内装も雰囲気もまるで違う。
高めの天井には、いくつか天窓がついている。店内のランプが暗めなのは、これで自然光を取り入れるからだろう。
木のテーブルも、白い壁にかけられた絵も、花柄のカーテンも、柔らかい絨毯も、まるで異国の地のようだ。
やがて二人は、店の最奥にあるテーブルにたどりついた。
「どうぞ。こちらがメニューになります」
「ああ、ありがとう」
「……お忍び?」
「そういうことだ。それ以上は聞かないでくれ。こっちからも聞かないことにする」
「お嬢様がここのパフェを気に入ってしまったの。ただ、夜間は営業していないし、吸血鬼が里にあまり入るわけにもいかないので、私が作り方を覚えてくることにしたのよ。昼間は店内業務。夜はレシピの実習。期限は三日」
「そちらが話してくれたからといって、私の事情を話すつもりは……いや待て。ひょっとして、お前の主人は、ここに覗きに来たりしているのか」
慧音はメニューで顔の下半分を隠し、きょろきょろと店内を見回した。
「ええ。夕方にはいらっしゃるでしょうね。そして今はまだ昼」
「そうか、よかった。しかし、あのワガママお嬢様がよく納得したものだな。そんなにここの洋菓子が食べたかったのだろうか」
「休暇だと思って、無い羽を伸ばしてきなさい、と」
「ここで働くことが休暇になるのか」
「それなりに楽しんでいますわ。ご注文がお決まりになりましたら、声をおかけください。それでは、失礼いたします」
咲夜は一礼して、スタスタと去っていった。
さすがに、この店内で無闇に時間を止めて移動することはないらしい。姿こそいつもと同じだが、珍しいものを見る気がする。
――いや、珍しいのは私も同じか。
いつの間にかテーブルに用意されていたお冷やに気がつき、慧音は渇いた喉を潤した。
いい水だ。出された水が美味いと、期待が持てる。
一息ついてから、慧音は早速、メニューを開いてみた。
が、すぐに、その眉がひそまった。
さっぱり分からないのだ。
書かれている言葉は全てカタカナ、つまり日本語であるものの、それがどんな菓子なのか見当がつかない。
里一番の賢者である慧音は、知識量も並外れている。写真が載っていなくとも、洋菓子の種類については知っている。
しかし、それらの多くは、『文字』という情報で蓄積されており、味や匂い、見た目などの具体的なイメージまでは持っていないため、単語を組み合わされるとまるで歯が立たない。
例えば、デラックスキャラメルチョコレートサンデーとはいかなるものだろうか。それは食べ物ではなくて休日ではないのか。
洋菓子の味を知らない一つの理由として、過去に一度食べてみてから、あまりの甘さに吐き出し、それから長い間口にしてこなかったというのがある。
甘い物を日本茶と合わせていただくことを常としている慧音にとって、これまで好みの洋菓子は、カステラくらいしか存在しなかった。
が、先日それに、もう一つが加わった。
――イチゴのババロアは……見当たらんな。ストロベリーパフェか。これはどうだろう。
そんな風に、ふむふむと唸りながら、メニューとにらめっこしていると、
「よろしければ、メニューについて一通り説明いたしますが」
声をかけられた。
いつの間にか側に、店員の咲夜が立っている。
慧音は首をかしげた。
「働き始めたのは最近と聞いたが。もう全部覚えているのか?」
「実際に作ったのは、その三分の一程度です。ですが、仕上がりがどんなものか程度なら。いかがなさいます?」
「……いや、もう少し一人で考えさせてくれ」
「かしこまりました」
咲夜は先ほどと同じリズムで一礼し、奥へと去っていった。
仕草にまるで違和感が無い。メイドという職種であれば、彼女はどこででもやっていけそうだった。
あの吸血鬼の令嬢と共に、お客としてここにやってきた時は、どんな様子だったのだろうか。
ふと慧音は思いついて、目を閉じた。
空中に広がる深い沼の底、溜め込まれた「歴史」へと、意識を潜行させる。
下見の段階では店の外から眺めるだけで、この中については全く知らなかった。
その知らない「歴史」を覗いてみることにした。
ぼんやりとした沼に色がつき、次第に音と組み合わさり、臭いや手触りまで伝わってくる。
やがて、アイスやケーキを楽しむ客の間を、忙しく駆け回る店員といった、和気藹々とした世界が現れた。
客の多くは里の人間だ。友人や家族、あるいは恋人同士。中には見知った妖怪もいたが、誰もが思い思いに楽しんでいる。
一人でここにやってきて、暗い顔つきでいる自分とは大違いだった。
瞑想から戻った慧音は、窓の外を眺めてみる。
曇り空の下、庭に咲く花も外国の物。まるで西洋の御伽噺に出てくる光景のようだ。
ただし、ガラスの表面には、四角い帽子をかぶった自分の顔が映っている。
服装も純和風というわけではないが、花柄のカーテンがかけられた白い壁や絨毯よりは、畳に障子が似合っている気もする。
「……やはり、場違いなのだろうな」
慧音はその姿に向けて、呟いた。
本当は来る必要などなかったのだ。
洋菓子を食べるだけなら、先日現れたスキマ妖怪の式である、八雲藍に頼めば済む。
週に二度、里に買い物に来る彼女に、何かの品を交換条件に頼めば、あるいはそんなことをしなくとも、快く引き受けてくれるだろう。
しかし、慧音がわざわざこの店に入ることを選んだのは、洋菓子を食べたいという欲求の他に、もっと別の真剣な目的があるからだった。
自らの歴史、ほんの二週間ほど前の記憶。慧音はそれに浸った。
★★★
「いやだ」
夕食後。ちゃぶ台の向こうから聞こえた声は、きっぱりとした返答だった。
里で催し物があるので来てみないか、という誘いに対してである。
慧音は嘆息を、お茶の入った湯のみでごまかしてから、
「……では、せめて寺子屋に見学に来たりとか。子供も多いぞ」
「ごめんだね」
やはり、ためらう間さえ無く断られた。
彼女はてっきり子供に弱いと思っていたのだが、それは妖怪の子に限られていたのだろうか。
だらしなく寝そべっている話し相手は、さらに不機嫌な調子で、
「私は今で十分。蓬莱人に人間の知り合いなんて……」
「だが、過去に全く知り合いがいなかったわけではあるまい。霊夢や魔理沙だっているだろう」
「あいつらは普通じゃないじゃん。……そりゃあ昔は、普通の人間の知り合いも、多少はいたけどね。でも、みんな自分より早く死んでいくし、ちょっと付き合ってもすぐに見た目が年上になっちゃう。そこから気味悪がられておしまい」
台詞の最後は、完全に乾ききっていた。
「結局は虚しいだけよ。普通の人間と付き合うなんてさ」
「……そうだな」
慧音がわざと悲しげに呟いてみると、ちゃぶ台の向こうから顔が現れた。
起きあがった蓬莱人の顔だ。ひどく狼狽している。
「ちょっ! 違う! 慧音のことを言ったんじゃないって!」
「……確かに、妹紅の言うとおりだ。私のやっていることは、虚しいだけかもしれない……」
「あわわ、ごめん! 謝るから許して! 腹を切ってでも詫びて……」
「ぷっ……あはは。やめてくれ。ここでそんなことをされたら、茶が飲めなくなってしまう」
慧音がそう笑うと、彼女はきょとんとした顔になる。
ついで引っ掛けられたことに気づいて、こちらを一睨みしてから、またちゃぶ台の向こうに引っ込んでしまった。
「怒らないで聞いてくれ妹紅。私は自分のやっていることを、虚しいなどとは思わない」
「……………………」
「なるほど、確かに私は、多くの人間と付き合い、多くの別れを経験してきた。はたから見れば、それは単なるおせっかいなのかもしれない。しかし、死別したはずの彼らの歴史は、今も私の中で息づいている。歴史にすることで、その瞬間は永遠のものになるんだ。凄いことだと思わないか?」
言いながらそっと覗くと、卓の下で思い悩んだ表情をしている友人の姿が見えた。
慧音はさらに、優しく勧めた。
「妹紅も恐れずに、人と付き合ってみるといい。きっと人生が豊かになるぞ」
彼女はしばらく黙っていた。
先ほどのように、即座に誘いを蹴ったりせず、慧音の言葉を熟考しているのが分かる。
が、やがてため息をついて、苦笑を見せた。
「……やめておくわ」
「そうか」
慧音は落胆したりせずに、静かに茶を飲んで言った。
「気が変わったら知らせてくれ」
「当分変わらないよ。今のところ私は、理屈屋の石頭で間に合ってるし」
「なっ!? またお前はそういうことを言う!」
「ふふふ、慧音も固く考えずに生きてみたら? きっと人生が豊かになるわよ」
寝転んだ態勢から、彼女は片目をつむった。
結局その後は、だらしないから起きろ、慧音の家はくつろげるのよ、といった感じで、いつもの空気に戻り、話は有耶無耶のまま流れてしまった。
それはそれで、充実した時間ではあった。
★★★
……だが、慧音は諦めていなかった。
こういった軟派な店に一人で入ってみようと決断したのも、彼女の件があるからだった。
不老不死の躰を手に入れ、復讐すべき仇敵を求めて、千年以上の時を孤独で過ごしてきた蓬莱人。迷いの竹林に住む彼女は、林を行く里の人間の護衛等を引き受けてくれている。
しかし、人里、ましてや昼間のこういう場には、絶対に顔を出さない。日の当たる人間社会については、あからさまに避けているのが分かる。
今までの慧音は、そんな彼女の性格を何とかして変えようとするばかりだったが、振り返ってみれば、当の自分の行いにも、問題の心当たりが無いわけではない。
そこで、これまでの行いを反省し、まずは自分から変わって見せるべきであろうと、慧音は決意したのだった。
今日の行動は、その第一歩であった。
近頃評判な洋菓子を出すこの店について聞き、都合の良い時間帯について調べ、綿密な計画を立ててから、一人でここに出向く。
あのメイド長はそこまで驚いた様子は無かったが、里の人間、慧音をよく知る者がこの光景を見ていたら、誰もが驚愕していただろう。
実際、こんな感じの店は得意ではないし、似合っているとも思えないが、覚悟の上である。
今日の所はひとまず、誰もいない時間帯を狙ってみたが、そのうち、もっと堂々と通うつもりでもあった。
慧音は過去の感傷から戻り、心の中で呟く。
――妹紅、私はお前の言ってくれたとおり、勇気を出してここで頑張っているぞ。だから、お前もいつか……。
二人でこんな店で、気軽にお茶を楽しめる日が来るといい。
慧音は瞼の裏に、そんな歴史を夢見ながら……、
「慧音ー」
「………………」
「慧音ってば」
何故か、歴史に浸るのをやめても、妹紅の声が聞こえてきた。
「もしもーし、慧音ー」
ひらひらと顔の前で手が動き、慧音の両目が焦点を結んだ。
テーブルの対面に、護符のリボンをつけた白髪を長く伸ばした少女が立っていた。
ワイシャツにもんぺ。白眉の下に、赤いどんぐりに似た目、どこか稚気の漂う容貌ながら、全く隙の無い佇まい。
仙人の娘のような雰囲気を持つ彼女は、まぎれもなく友人の……。
気づいた慧音は、驚きのあまり、コップを倒しそうになった。
「妹紅!?」
まさに、そこに立っているのは、自分が思い浮かべていた蓬莱人、藤原妹紅だった。
「な、なんでお前がここに!?」
「そこの窓から慧音が見えたから。ほら、あの裏通り。遠くだったけど、目には自信があるのよ」
「いや、そうではなくて……!」
なんで里に、と言いかけたのを、慧音は寸前で思いとどまった。
妹紅は、ああ、と気づいたように笑って、
「やっぱり驚くよね。最初はあんたの家に行ったのよ。でも誰もいなくてさ。今日は大人しく帰ろうかとも思ったりしたんだけど……」
そこで彼女は口ごもる。傍らに置かれているのは、竹で編まれたお手製の籠だった。
それを見て、慧音は合点がいった。
「……一人で、買出しに来たのか」
「うん。いくつか店は回ってみたわよ。二言三言、会話もしたし。でもどうせなら、やっぱり、慧音の案内があった方がいいと思って……」
「なんと……」
「ま、見つかってよかったわ。入り口にあのメイド長が現れた時には驚いたけどね。おかげで入りやすかったから助かった」
「そうか……そうか」
慧音は二、三度うなずき、何度も呟いた。
咲夜が気をきかせてくれたらしい。お忍びだと断っておいたはずだが、文句を言う気にはならなかった。
まさか、こんなにも早く、願いが実現するとは思わなかったから。
感動に涙ぐむのをこらえ、慧音は張り切って言った。
「よし妹紅! よく来たな。ここは一つ、私がおごってやろうではないか」
「お、気前がいいね教師さん」
妹紅も座りながら、軽い口調で囃したててくる。
自然、先ほどまであった居心地の悪さが消え、いつもの互いの家の居間のような空気ができていた。
慧音はいそいそと、メニューを開いた。
「早速注文するとしよう。ここは洋菓子の店だが、妹紅は苦手なものはあるか?」
「うーん、あんまし詳しくないし、慧音にまかせるよ」
「そうか」
と、簡単に引き受けたものの、もちろん慧音にも、ここのメニューの内容は分からない。
何しろ先ほどまで、クリームはこういう意味で、パフェの語源はフランス語で、と頓珍漢な推理をしながら、目移りしていたばかりだ。
だが、そんな自分にも、判断基準が無いわけではない。それが値段。
一番下に書かれていた、他より十倍近くする値段の品を、慧音は見つけた。
「すみませんが、注文をお願いしたい」
片手を上げて呼ぶと、すぐに店員、咲夜がやってきた。
慧音は彼女に対し、よどみない口調で、
「アークエンジェルパフェを二つ」
「アークエンジェルがお二つですね」
咲夜が復唱したパフェは、メニューで見る限り、この店で一番高い料理だった。
自分と妹紅が、偶然同じ日に、別々に勇気を出して、運命的にこの店で出会ったのである。
特別な今日を記念して、なるべく豪華なものを頼んでみたいという気分があった。
「ご注文は以上でよろしいですか?」
「ああ、とりあえずはそれだけで」
「かしこまりました」
咲夜はお品書きを手に、瀟洒に去っていった。
一連のスムーズな流れに、妹紅は感心している。
「へー、馴れてるねやっぱり。しょっちゅうここに来るの?」
「まあそうだ。私はいつも和物が専門だが、この店もひいきにしていてね」
もちろん法螺だったし、先ほど歴史にあった人物を真似ただけだったのだが、これくらいの小芝居は許されるだろうと思う。
「里の中で私の知らないことはない。これからも何かあったら、ぜひ聞いてくれ」
「そうだね。頼りにしてるよ。あ、後で買い物に付き合ってね」
「もちろんだとも」
慧音は満足な笑みで頷いた。
いい滑り出しだった。これをきっかけに、妹紅が人里に慣れてくれれば、明日から新たな時代が始まるに違いない。
明るくなった前途に、慧音の機嫌は完全に復調していた。
注文の品が来るまで、二人はおしゃべりを楽しんだ。
会話の主導は慧音。あそこでいい野菜がとれたんだとか、後であの通りに行ってみようとか、夕飯も外食にしようかとか、普段はなかなか出ない話題だ。
相槌をうっていた妹紅が、そのうち、困ったように苦笑して、
「よく喋るねぇ、慧音」
「はっ、失敬」
舞い上がっていた自分のはしたなさに気がつき、慧音は少々赤くなって空咳をした。
妹紅は頭の後ろで、腕を組みながら、
「いやまぁ、いいんだけど、何か珍しいから」
「すまん。いつもの調子に戻らせてもらう。私らしくなかったな」
「別にそれでもいいんじゃない? 悪い気分には見えなかったよ」
そう言う妹紅も嫌がっているどころか、嬉しそうに慧音の話を聞いていた。
その彼女が、ふと店の厨房扉に視線を移し、ついで目を丸くした。
「うわ。あれ凄いね」
「ん?」
慧音も振り向いて、瞠目した。
店員、つまり咲夜が、カラフルな『岩』を乗せたグラスを運んでいた。
一見、何かのインテリアかと思ったのだが、よく見ると洋菓子のようでもある。
それを持つ彼女の手はプルプルと震えていた。完全で瀟洒と称されるメイド長には珍しい振る舞いだが、無理も無いだろう。あの大きさなら重さも相当と見える。
酔狂な注文をする客もいたものだ。それをメニューに置く店も店か、と慧音は呆れた。
「あれ、慧音。あのメイド長、こっちに来るけど」
「む? そうだな」
確かに、妹紅の言うとおり、咲夜は徐々に近づいてきた。
妙である。こちらに座っている客は、自分達だけだ。
というより、この店には今、二人しか客はいないはずで……
…………あれ?
「お待たせしました。アークエンジェルパフェでございます」
運ばれてきたその『岩』を見て、慧音はあんぐりと口を開けた。
なんだこれは。
でかい。でかすぎる。一貫の米俵ほどの大きさで、色ガラスの器も飯釜のようである。
尋常じゃないサイズだ。内容も盛り付けというより盛り上げに近い。
バケツに洋菓子を遠慮なくぶち込み、グラスにひっくり返して、さらに上に菓子をトッピングしたような代物だった。
先日食べた可愛いババロアとは次元が違う。それはまさに、甘味の天空城とも言うべき巨大なパフェだった。
テーブルに乗せられると、対面に座る妹紅の顔が見えなくなる。
「失礼いたします」
咲夜が表情を変えずに去っていく。
残された二人の間には、沈黙と巨大パフェだけが残された。
やがて慧音は、一切の動揺を見せずに、笑顔でスプーンを手に取って、向こうを覗き、言った。
「さあもこうたべようか」
いまいち声に抑揚がなかった。
妹紅は口を半開きにしたまま、パフェに視線を注いでいる。
そこで慧音は、自分が手にしていたのがフォークだったことに気がついて、慌ててスプーンに持ち変えた。
幸い、妹紅はそれには気づかずに、魂が飛んでいったような声で、
「これ……食べ物なの?」
「ああ。これぞあーくえんじぇるぱふぇだ」
「……そうなんだ。慧音って甘党だったんだね」
「もちろんだとも」
上白沢慧音。常々生徒たちに「正直たれ」と説き、清廉潔白をモットーとする寺子屋教師である。
が、今はその肩書きを偽って、思いっきり虚言を吐いていた。
どちらかといえば慧音は、甘さ控えめが好みで、それが由にこれまで洋菓子を避けていたのである。
というか普通の甘党でも、これを見たら食欲を無くすこと請け合いだった。
この量だとほとんど嫌がらせに近い。
「なに、二人で食べればすぐに終わるさ」
慧音が弱気と紙一重なセリフを口にすると、
「え? でも……」
妹紅それを言い終わる前に、どでかい『岩』がもう一つ運ばれてきた。
「お待たせしました。アークエンジェルパフェでございます。ご注文は以上でよろしかったでしょうか」
――そうだった。何を言ってるんだ私は。しっかり妹紅の分も含めて、二つ注文しちゃったんじゃないか。
慧音はテーブルに突っ伏したくなったが、今それをやると巨大パフェに顔を埋めることになるので、何とか瀬戸際で踏みとどまった。
クリームとフルーツで窒息死など、断固拒否したい最期である。閻魔様も説教に困ることだろう。
巨大パフェを二つ運んだ後も、ポーカーフェイスを保っていた咲夜は、「ごゆっくりどうぞ」とだけ残し、その場を立ち去った。
妹紅が身を乗り出し、多少うろたえた様子で、
「ちょ、ちょっと慧音」
「どうしました妹紅?」
「いやなんで急に敬語なの」
「失礼。どうした妹紅?」
「どうしたって……私さすがにこんなに食べられないよ」
「安心しなさい、藤原妹紅」
慧音は後光を背負い、菩薩のような笑みを見せて、
「残したら全部私が食べてあげるから」
地獄まで通じる巨大な墓穴を掘っていた。
もちろん、普段の慧音であれば、絶対にこんなことは言わないのだが、相手も特別なら状況も特殊であった。
妹紅は魔物だ。このパフェも魔物だ。というか、注文する前に、歴史で確認しておけばよかった、と思いっきり後悔する。
「どっから手をつければいいんだろう……」
妹紅がスプーンを片手に逡巡している。
その目がちらりとこちらに移り、慧音は嫌な鼓動が早くなった。
やはり、彼女のために、実演する他はなさそうであった。
慧音は努力して、爽やかな笑顔を保ったまま、
「上から順に、一つ一つ片付けていけばいい。まずはこのフルーツなんてどうだ?」
なるほど、と妹紅は納得していたものの、要するに『夏休みの宿題を終わらせる方法』の応用だった。
慧音はパフェの頂点に刺さったオレンジ色の薄いフルーツを手にとり、滑らかな手つきで口に運んだ。
――ぐっ!?
口にして、慧音はそれを吐き出すのをこらえた。
甘い。甘すぎる。
ただの果物だと思ったら、砂糖に漬けてあったようだ。
あまりに甘いので、元が蜜柑なのか柿なのか、はたまた別の果物なのか分からなかった。
「うわ、甘っ……」
妹紅も同じように試してから、すぐに水を口に含んでいるらしい。
陰で慧音も、こっそり真似をする。
「ぷはぁ。えーと、次はこのサクランボ?」
「い、いや待て。サクランボは後に取っておくんだ妹紅」
コップを置いた慧音は、パフェ越しに妹紅を押しとどめた。
見たところ、サクランボは普通の果物のようである。これは口直しのために、取っておかなければならない。
例え見当が外れていたとしても、これ以上甘い果物はごめんだった。
「スプーンは持ったか?」
「はい、持ったよ」
「よし。側面をそぉっと撫でるように、あくまで慎重に切り取るんだ」
「そぉっと撫でるように……」
「そう。慌てず急がずだぞ。そぉっとそぉっと……」
自らに言い聞かせるように、慧音はクリームにスプーンを差し込んだ。
するとそこから、にょろにょろと赤い物が出てきた。
パフェの向こうから、妹紅の悲鳴が聞こえてくる。
「うわ! 何か出た! 慧音、何か出てきたよ!」
「もももも、妹紅! 落ち着け!」
なだめる慧音の声も裏返っていた。
そこに救いの天使が、ウェイトレスの格好をしてやってきた。
「お客様。何か問題がございましたか?」
「あ……あのー、私よくわからないんで、これの中身について、説明してほしいんだけど」
現れた十六夜咲夜に、妹紅は助けを求める。
さすがにここで、私を差し置いて、と遮るわけにはいかなかった。
実際のところ、慧音自身もこの正体不明の怪物について、ぜひとも情報がほしいところだった。
「お客様がただ今目にしたのは、ソースでございます」
「ソース?」
「はい。このパフェには、外側のクリームとプリンによって、バニラソース、チョコレートソース、ストロベリーソース、オレンジソース、バナナソース。以上五種類の甘いソースが封じ込められているのです」
「……………………」
「その下に、アイスクリームも同じ味の分だけ入っております。大きさは一つで大体、握りこぶし三つ分程でしょうか」
聞いているだけで血糖値が上がってくる。しかもこれから、それを食べるということを考えると、慧音は頭がくらくらしてきた。
「じゃあ、さっき食べた黄色い果物みたいなのは? すごく甘かったけど」
「あれは南国のフルーツ、マンゴーの砂糖漬けでございます。ただし、上に乗っているオレンジやブルーベリー、イチゴ、サクランボ等は、全て生の物です。もし甘味が足りないと感じられた場合は、そちらにあります砂糖の小瓶をお使いください」
誰が使うものか、と慧音は思った。
「それではパフェ本体の説明に戻らせていただきます。先ほど説明した五つのアイスの合間に、ケーキが閉じ込められています」
「ケーキ!? これに入ってるの?」
「はい。当店のパフェの魅力は、プリンとフルーツとアイスクリーム、そしてケーキの融合にあります」
「うひゃあ……」
妹紅が呆れたような声を出す。
慧音の方はといえば、言葉も出なかった。
「ケーキもアイスと同じく五種類ございます。パウンドケーキ、チョコレートケーキ、カステラ、ブランデーケーキ、チーズケーキ。いずれも、当店自慢のケーキでございます」
そこで咲夜の説明が一端止まり、コホンと咳をした。
「以上で上段の説明を終わらせていただきます。続いて下段の説明に入らせていただきます」
慧音は椅子からずり落ちそうになった。
今ので全部じゃなかったというなら、下段には一体何が潜んでいるというのか。
「アイスを一つ攻略していただくと分かるのですが、下のフレーク層にぶつかります」
「フ、フレークって?」
「原料はトウモロコシです。アイスクリームのコーンと役割は変わりません。すなわち、食べ進むにつれて上段のアイスが溶けて下に流れ、その後それがたっぷりと染みこんだフレークをお楽しみいただけるというわけです」
まるでアイスの怪談だった。食べ終えてからも三代祟る勢いだ。
「しかし、フレークの下にもアイスが潜んでおります」
「まだアイスがあるの!?」
「はい。下段は主に和風のアイスとなっております。黒糖アイス、抹茶アイス、あずきアイス、加えてヨーグルトアイスに栗アイス。いずれもさっぱりした味を目指しました」
抹茶がアイスになるとは知らなかった。少々興味がそそられるが、まずは上の段を片付けなければ、ご対面することも適わない。
第一、上の半分を食べ終えた時点で、どんなアイスだろうと見たくもなくなるだろう。
「そしてその下にはフレークです」
「またフレーク……」
「はい。その下には、しっとりとしたシフォンケーキが敷き詰められています」
「またケーキ……」
「はい。そして一番底には、牛乳をたっぷり使った、巨大プリンが沈んでいます」
「プリン……」
「はい。大きめサイズのプリン八個分の質量がございます。別メニューにある、キングプリンと同じものです」
「……………………」
「以上全てを食べ終えることで、めでたく、アークエンジェルパフェの完食となるのです。お疲れ様でした」
「……………………」
「総カロリーは推定ではありますが、一万キロを軽く超えているでしょう。容積は約10リットルといったところでしょうか」
お米五合を炊いたご飯を約三千キロカロリーとすると、なんとその三倍以上ということになる。
これ一食で五日間は食べずに動けそうだった。はっはっは。十リットルだって。なんとも傑作じゃないか。
そんなたちの悪いジョークのような代物が今、二つもテーブルに乗っかっているのである。
「それではごゆっくりどうぞ。砂糖の魅惑に包まれる甘美な時間を、存分にお楽しみくださいませ。『幻想ミラクルスイーツヘヴン』より、不肖私、十六夜咲夜がお伝えいたしました」
最後まで淡々とした口調を崩さぬまま、救いの天使から甘味の獄卒へと変貌していた店員は、一礼して去っていった。
後には呆然とする二人の犠牲者と、双塔の巨大パフェが残された。
★★★
クリーム。プリン。アイス。ケーキ、その他諸々。
積み重なる砂糖の暴力に、五臓六腑をえぐられる。鼻腔を抜ける甘ったるい香りに、神経の隅々まで痺れさせられる。
七大天使の待つ聖なる山の頂点へ、登山初心者の慧音は、ろくな装備も無しに登っていた。
「慧音……言いたくないけど、これは体に悪いよ」
五分ですでに山登りを諦めたらしい妹紅は、巨大パフェの側面をスプーンで軽く叩きながら言ってくる。
「私は死なないからいいけどさ、なるべくなら控えた方がいいよ」
「いや、甘いものは脳の疲れを取るんだ」
言葉とは裏腹に、匙を動かすたび、慧音の疲労は加速していた。
「いくら頭を使っても、こんなの食べてたらさすがに太ると思うけど」
「いやいや、寺子屋も里の見回りもかなりの激務でな。これくらいのものを食べなければ動けないし、痩せ細ってしまうんだ」
「ほほう、なるほど。その見事な胸は、このパフェで維持していたのですね?」
「まあ、そういうことになるかな」
パフェの横から、ジト目でニヤニヤ笑みを浮かべる妹紅に、慧音もクリームを頬につけたまま、悪ぶった顔つきでニヤリとする。
しかし、その心中では、ミニサイズの『ほんねけーね』が、頭を抱えてうわああああとゴロゴロしていた。
言うまでもなく、胸は全く関係ない。
それどころか太ると聞いて、慧音は泣きたくなった。
頭が硬いことを生徒に『慧音・ブラジル』とからかわれることもあるのに、この上太ってしまったらどうなることやら。
例えば『メタボリック・慧音・ブラジル』……どんなリングネームだ。パフェを片手に花道でサンバカーニバルでもやるつもりか。
「おせっかいも楽じゃないってことか。慧音は大変だね」
「ああ、心配してくれてありがとう」
妹紅の優しさが慧音の胸にしみる。これを食べ終えた時には虫歯にしみることになるだろう。
無論、食べ終えることができれば、の話であった。
パフェの味自体は悪くない。むしろもの凄く美味い。
アイスの部分を一口食べてみて頬が落ちそうになり、これなら食べきることができるのではないか、と思ったほどである。
だがしかし、やはりというか、量が多すぎた。甘さも和菓子に比べてきつい。
クリームとプリンの外壁は何とかクリアできたものの、特大アイスはかなりの難敵だった。
間に設置されたケーキと組み合わさることで、脳髄まで響くほどの威力がある。
慧音はスプーンと交互に、何度も口に水を含み、駆逐されていく味雷の感覚を取り戻しながら、食べ進んだ。
「う~ぃ、甘い~。これ水おかわりできないかね」
妹紅が口を捻じ曲げんばかりの表情で、再びパフェと闘っている。
対する慧音は努めて冷静な顔を保とうとしていたが、心情は妹紅よりももっと酷い顔をしていた。
そこに、咲夜がいいタイミングで、お盆を片手にやってきた
運ばれてきた二つのカップは、香りからすると紅茶のようである。
「サービスです。砂糖は入っていませんので、お好みでそちらの小瓶を使いください」
慧音も妹紅も、この差し入れを歓迎し、もちろん小瓶には一切手を伸ばさなかった。
「ふぅ。落ち着いた。気が利いてるね、やっぱり」
「……少々味が悪いな」
「そう? 十分美味しいと思うけど」
「いや、この紅茶では我慢ならん。少し話をしてくる。ちょっと待っていてくれ」
慧音はカップを置いて立ち上がり、奥の咲夜が消えた扉へと、早足で向かった。
残された妹紅は、その様子を黙って見送っていた
が、ふと思いついた顔になり、慧音のパフェから、サクランボを一つ失敬した。
★★★
関係者以外立ち入り禁止、そう書かれた店の扉を開け、控え室へと入った慧音は、扉を閉めるや否や叫んだ。
「あのパフェを作ったのは誰だあっ!!」
「作ったのは私。でも頼んだのは貴方」
全くの正論だった。
だが慧音はなおも、総髪の獅子のような顔で、咲夜に詰め寄りながら、
「おかしいと思わなかったのか!? おかしいと思うだろう普通!?」
「珍しい注文であることは確かね。料理長曰く、最後に注文されたのは、一ヶ月前らしいわ。それも貴方じゃなかったの?」
「断じて違う! あれは人間が食う量ではない!」
「貴方だったら牛並みに食べると思ったのだけど」
「ハクタクを牛と一緒にするな! 第一私は、甘い物は苦手なんだ!」
「あら? じゃあどうしてこの店に?」
「答える義務は無い!」
痛いところをつかれた慧音は、顔をそむける。
が、ふと思い出し、ジト目で渋い表情のまま、
「そういえば、妙なことを言ったな。お前があれを作ったのか?」
「ええ。調理に時間がかかるものは私の得意分野。そうじゃなくても、今の時間帯はお客様が少ないので、パティシェは奥で新メニューの開発をしているわ」
彼女が親指でさした方には、厨房へと続く扉があった。
慧音が耳をそばだててみると、確かに数名の元気な声が、ここまで聞こえてくる。
(早苗ちゃん! モンブランってこんな感じかしら!?)
(うわー! すごいです先輩! 向こうのよりも美味しい! 栗がいいからですかね!?)
(貴方の奇跡のおかげよ! よーし、こいつはいける! 早速メニューに加えさせてもらうわ!)
(ええ店長! じゃあ、次はこれを試してみましょう! この調子で幻想郷にスイーツを普及させてみせますよ! 守矢神社の名にかけて!)
なんだか、仕事場というよりは、遊び場のようだ。
店内の客席の静かな雰囲気とは、えらい違いだった。
「……気のせいか、約一名の声に聞き覚えがあるのだが」
「特別顧問のことかしら。私よりも古株で、月に四度ここに来ているの。オーナー曰く、彼女がこのお店を再建したようなものだそうよ。料理は得意だし、外界の洋菓子に造詣が深いし。この店が繁盛しているのも、その知識と能力のおかげらしいわ。今ではかなりの権限が任されていて、店の名前まで変えてしまったとか」
「じゃあ、あのパフェも彼女が考案したということか?」
「店に一つは、あんなジョークメニューがあった方が面白いって」
「なるほどな。客側の意見として、今度からメニューに写真を載せることを要求する」
「すでに天狗に頼んでいるそうよ。今日に間に合わなかったのは、タイミングが悪かったとしか言いようがないわね」
タイミングが悪い。その一言は、ぐさりと慧音に突き刺さった。
先ほどまで、妹紅と自分が出会った偶然に喜んでいただけに、かなりこたえた。
禍福は糾える縄の如し、そんな諺が頭に浮かぶ。
「それで、他に用件は?」
「いや……失礼した」
結局慧音は、咲夜を論破することができず、すごすごと店内に戻ることになった。
★★★
扉を閉じた慧音は、肩を落として、大きなため息をついた。
注文してしまったからには仕方が無い。何とか自分の分だけでも、あのパフェを食べるしかないようだ。
夕飯前にあの馬鹿げた量を胃に納めなければいけないと思うと、頭も腹も痛くなってくる。
暗澹とした未来に、慧音は生気の失せた顔のまま、席へと戻った。
その足が止まった。
奥の光景に、慧音は小さく息を呑んでいた。
蓬莱人が、頬杖をついて、雨の降る窓の外を眺めていた。
その目は心ここに有らずといった様子で、はるか遠くを向いている。
がらんとした店内には、彼女しかいない。雲に遮られた光が、その一角を白く染め、静謐な空間を作り出している。
透明な薄い壁が、自分と彼女を遮断しているようだった。あまりに自然にできていたその絵に、慧音は胸が締めつけられるのを覚えた。
と、彼女がこちらを向いた。
「あ、慧音。お帰り」
「ああ……」
慧音はざわめいた心持ちのまま、席についた。
「なんだか怒鳴っていたけど、大丈夫?」
「ん……いや、お茶の入れ方が悪い、と叱っていた」
「怒るほどのもんかね。寺子屋でもそんな調子だと、血圧が上がっちゃうよ」
「大きなお世話だ」
内なる動揺を隠したまま、慧音は苦笑した。
妹紅のパフェの量は、先ほどから変わっていない。
その目は、また窓の外に向けられていた。
「……これじゃ、買い物にも行けないね」
その呟きには、隠せぬ諦観の念がこもっていた。
傘を用意すれば……と慧音は言いかけたが、窓に当たる雨音は次第に強くなっている。曇天模様はしばらく晴れそうにない。
それに、物憂げな蓬莱人の横顔は、見ていて辛くなるほど美しかった。
昔から、気づいていた。
妹紅には雨が似合う。沈む夕日が似合う。月夜が似合う。孤独の影を思わせる情景が、これ以上ないほど似合う。
老いることもなく、死ぬこともなく、千年の生が重ねた澱が、彼女に隠せぬ風格を与えている。
それはもう宿命ともいえる、彼女の消せない一部分であり、藤原妹紅という存在の土台を形成しているようだった。
だけど、慧音は知っていた。まれに、本当にまれに妹紅が見せる顔。
竹林を案内する道中、里の人間らの身の上話を聞いたとき。自分が寺子屋でやられた、生徒達の悪戯を話したとき。里でとれた作物を持って、竹林の家にお邪魔したとき。
彼女は少しくすぐったそうに、見た目相応の、少女の笑みを浮かべるのだ。
慧音が好きなのは、そんな妹紅だった。すでに枯れきったように見える彼女が、確かに生きている姿を見せる瞬間だと思っていた。
できれば、もっとそんな風に笑っていてほしいと思うのは、我が儘なのだろうか。
それは、妹紅本人に聞くには、ためらわれる内容だった。いまだ殺し合いを続け、竹林で隠遁生活を送る彼女は、最も仲の良いはずの自分にすら、心の半分も明かしてくれそうにないのだ。
それとも、この雨といい、自分の失態といい、彼女は孤独を避けられない宿命なのだろうか。
慧音は首を振って考えるのを止め、気丈に言った。
「なに、すぐに止むさ。その後は、いい店を紹介してやろう」
「無理して付き合わなくていいよ」
「無理などしていない!」
言いようのない悲しさと、それに対する反抗に、自然慧音は怒鳴っていた。
妹紅が仰け反って驚いている。
「ど、どうしたの慧音」
「どうもせん! これを食べ終えたらすぐに行くぞ妹紅!」
宿命だろうと天命だろうと、諦めてたまるか。と、慧音は闘志をみなぎらせて、パフェをかっ込み始めた。
蓬莱人はその様子を、物珍しげに見ている。
「慧音、顔色が悪いよ」
「ムシャムシャ……パフェを食べるときは、いつもこんな顔色だ」
「慧音、顔が悪いよ」
「ムガムガ……パフェを食べるときは、いつもこんな顔だ」
「……………………」
妹紅の軽口すらまるで届かぬほど、慧音は一心不乱にパフェを食っていた。
テーブルに君臨する甘味の牙城は、登れば登るほど急になる坂のようで、すでに慧音にとって、断崖絶壁となっていた。
きっとアークエンジェルとやらは、可愛さとは無縁の、筋肉ムキムキの武闘派に違いない。尻のような胸板と鬼面のような背中を維持するために、これだけのカロリーを必要とするのだろう。
だが、筋力レベルは一般人の慧音も、努力の甲斐あってか、特大アイスのうち二つをクリア。ケーキは三種類をクリアしていた。
もっとも、先はまだ長い。フレークの層が見えているものの、これでまだ下段にアイスがあるというのだから信じ難い。
最奥に眠るプリンなど、本当にあるのかどうか、存在を疑ってしまいたくなる。
頭も痺れを通してなんだか眠くなってくるし、下腹は妙な音を立て始めている。
――やはり、正攻法や勢いでどうにかなる相手ではない。
慧音はパフェを口に運びながら、何か秘策は無いか考えていた。
例えば、糖分を急速に溜め込んでいるのだから、それを上手に使ってやればどうか。
といっても、ここで有酸素運動や柔軟体操をはじめるわけにはいかない。
人体で最もエネルギーを消費するといえば、やはり脳だ。脳を使えば使うほど、人間は甘い物をほしがるという。
早速慧音は、幻想郷の歴史を暗唱し始めた。
「…………想郷第百十七季までを旧史とするならば、その旧史はさらに三つに分けることができ、それ以前の歴史については、稗田阿一の幻想郷縁起に詳しく……れすら千二百年前に過ぎず、さらに古い幻想郷については、古文書や遺跡の形で、妖怪達に秘匿されており…………が海を越えて妖怪の山を移したことで、人間側に傾いていた力が、鬼や天狗と拮抗し……」
「慧音。なんか、ぶつぶつ聞こえて不気味なんだけど」
「ああ、すまない。ひとり言だ」
残念ながら、この策は妹紅に不評なため、断念せざるを得ないようだった。
他には例えば、もっとも脳を使う行動の一つに、会話がある。
妹紅と会話をしながら匙を進めれば、退屈な彼女を満足させつつ、このパフェを食べきることが可能なのでは。
そう考えた慧音は、パフェを咀嚼しながら言った。
「妹紅、しゃべってくれ」
「は?」
妹紅は片眉を上げて、馬鹿を見る目で聞き返した。
「なんでもいいからしゃべってくれ。会話しよう。コミュニケーションだ」
「なんで英語?」
「英語か。印欧語族のゲルマン語系が発祥で古代ノルド語の影響を受けノルマンディー公ギヨームのイングランド征服から百年戦争までの時代にフランス語から大量の語彙を受け継ぎさらにルネサンス期にラテン語・ギリシャ語を定着させることで莫大な同意の単語を内包するようになった複雑な歴史を持つ言語だ」
「はぁ」
「ある意味無駄が多いとも言えるがそれだけニュアンスが増えたともいえるイギリスやアメリカの帝国主義によって世界的に広まることとなり結果的に人類が誕生して以来最も『強い』言語になったといえるな。いずれ寺子屋で教えようかとも思うのだが私では少し荷が重いので誰かに講師を頼みたいところだ。妹紅はどう思う?」
「え……あ、ああ会話ね。ええと、魔理沙とかどうかな。名前は日本人だけど、少しは喋れるんじゃない? 金髪だし」
「魔法の森に住む人間の魔法使い霧雨魔理沙か。彼女は駄目だ。性格的に一時的な興味が湧いてもすぐに飽きることになるだろうし子供達に泥棒癖や魔法使い願望を植え付けられてはかなわん。それに寺子屋に霧雨家の縁者がいるからすぐに噂が広まる。彼女は未だに本家と絶縁状態なんだ。下手をすればさらに仲が悪くなってしまいかねん」
「へ……へぇ、そうなんだ。じゃあ、あの人形遣いとか」
「同じく魔法の森に住む魔法使いアリス・マーガトロイドのことを言っているんだな。妖怪の中では比較的穏健な存在だ私も一度説得しようとしたが駄目だった。これまた性格的に他者に積極的に関わることで時間を取られるのが億劫。加えて彼女にとってメリットが感じられないからということらしい。里でたまに開く人形劇にはそれなりの目的があるそうだ。今度妹紅にも見せてあげたいと思っているんだがそれはそうと他には誰がいるかな」
「といっても、私もそんなに詳しくないしなぁ……。ところで慧音、早口は凄いけど、スプーンが止まってるんじゃない?」
「おっとすまん。もぐもぐ……ぐあ! 甘い!」
「え?」
「妹紅の考えが甘いというんだ! これから外界の妖怪が増えるにつれて、日本語だけでは到底乗り切れないかもしれない! そのためには、英語教育が必要だというんだ! 福沢翁がエゲレス語を介して西洋文明を受け入れ近代化の道へ進もうとした志が今私たちに求められているかもしれんのだ! どうして分かってくれないんだ!」
「私に言われても……。それに、問題ないんじゃないの? 新顔も含めて、みんな日本語喋ってるし」
「そうか。それもそうだな。素晴らしきかな、やまとことば……甘っ!」
「甘いの?」
「美味いと言ったんだ。そもそも、うまいと甘いは本来同じ意味でな。日本各地に、果物等の甘味を尊ぶ文化が存在する。甘い物が別腹というのは、その欲求が脳に生理活性物質を出させて、胃袋を緩める効果があるかららしい。動物も総じて甘い物が好きだ。糖分の欲求は、生き物にとって根源的なものに違いない。もちろん私も大好きだ」
「へぇ。でも慧音がそんなに甘いものを食べてるところ、はじめて見たよ」
「そ、それは、それはだな。妹紅の前では食べないことにしていたんだ」
「は? なにそれ。私からこっそり隠れて食べてたの? 意地汚いなぁ」
「違う! だんじて違う! 妹紅が望むなら、いくらでもこのパフェをおごってやる!」
「食べられないってば。それと、またスプーンが止まってるよ」
「失敬」
無理に会話を続けているものの、ちっとも効果があるように思えない。
まだまだ会話のレベルが足りないのかもしれない。
「だめだ。妹紅、もっと難しい話題にしよう。妖怪思想史とか、現象判断のパラドックスとか、如来清浄禅について語ろう」
「いやだ。難しいのは好きじゃないから」
「じゃあ物凄く簡単なものにしよう。1+1はいくつだ」
「怒るよ?」
「怒らないでくれ。正解は『古い』の『古』だ。『田んぼ』の『田』だろうと思っただろう。やーいやーい」
「殴っていい?」
「私も拳骨をかました。相手は寺子屋の生徒だったがな」
「その問題を何で今私に」
「も、妹紅がちゃんとしゃべってくれないのがいけないんだ!」
「涙声で言われても困るよ!」
「泣いてない! これは心の汗だ!」
「へぇ……というか慧音さ。あんたやっぱり、甘い物がキツ」
「ああ美味しいなぁ! やはりこのパフェは素晴らしい!」
「……………………」
「感動のあまり、涙がとまらないぞ! ふっふはっは!」
「……………………」
慧音は豪快なわざと笑いをするものの、パフェの向こうで妹紅が白けている様子が伝わってきた。
パフェによる胃痛に加えて、プレッシャーによる冷や汗まで出てくる。
まだ自分の分でさえ三分の二ほども残っているというのに、すでに容量は限界を通り越しており、細いスプーンが鉛のごとく重く感じられた。
そこで慧音は思い出した。
――そうだ! メイド長曰く、一ヶ月前にこのパフェを誰かが注文がしたというではないか!
その人物は、あるいはこのパフェの攻略法を知っているのかもしれない。
慧音はすぐに、一ヶ月前の店内の歴史を見てみた。
「え~と。妖夢は何にする?」
「私は……あんみつでいいです、幽々子様」
「あらあら少食ねぇ。それじゃあ、注文をお願いします。あんみつと、アークエンジェルパフェを二つ」
全く参考にならないことが分かり、慧音は絶望した。
さじを投げる元気もなく、力なく手の内で垂らす。体がずるずると、ソファに埋もれていく感じがする。
ああ、天国が近い。待っていてくれ大天使よ。許してください、肉体を捨てて山に登る、不出来な私を。
慧音が意識を失う寸前、パフェの向こうから、妹紅の顔が現れ、
「あのさ、慧音……」
「……どうした妹紅! 食べないのか! 私は今すぐ食べるぞ! 少し休憩していただけだっ!!」
「いやっ、そうじゃなくて!」
血走った目で怒鳴りながら復活するワーハクタクに、妹紅は慌てて首を振り、
「これ、小皿に取り分けたりした方が食べやすかったりし……」
「そうか!」
それが言い終わるや否や、慧音はしゅたっと立ち上がった。
「では妹紅のために、小皿をもらってこよう!」
「え? 呼べば来るんじゃないの」
「いや、直接行ってくる! 妹紅はここで待っていてくれ!」
慧音は返事を待たずに、再び店員用の扉へと、駆け足で向かう。
が、その直前で九十度の華麗なターンを決め、お手洗いの方へとなだれ込んでいった。
妹紅はそれを見て、ため息をついた。
「…………何やってんだか」
両手を頭の後ろで組んで呟く。
すでに妹紅にも、慧音が今どういう状況にあるのかが分かってきた。
お人好しもあそこまで来ると、一種の病気のように思える。
が、全て自分に心配をかけさせまいとしているためだと思うと、その好意を放り捨てるのも酷であった。
さてどうしたものか、と妹紅はまた、窓の外の風景、雨の降る庭園を眺めた。
「…………ん?」
その目が大きく開き、二、三度瞬きした。
★★★
「……失礼。小皿を一つ……いや二つ所望したい」
再び、関係者控え室にお邪魔した慧音は、弱々しい声で頼んだ。
怒鳴り込んでいった先ほどとは違い、背後霊のごとくどよんとした陰を背負っている。
テーブルでレシピ表を眺めていた咲夜は、顔を上げた。
「あら、呼べばすぐに用意しましたのに」
「少し動きたくなったんだ。そして、あのパフェから距離を置きたくなった」
「苦戦しているようね。無理もないと思うわ」
咲夜はパタンと本を閉じ、椅子を勧めてくる。
慧音は重苦しい内臓を抱えたまま、ありがたくそれに座った。
「事情は見ていて何となくわかったけど、いつまで誤魔化すつもり?」
「できれば最後まで。しかし……私が悶死する方が早いだろうな」
「確か貴方、歴史を食べるんでしょう。無かったことにすればいいんじゃないかしら」
「無駄だ。結局は『食べる』ことには変わらん。……一ヶ月は腹を下すことになる」
「そうじゃなくて、私が言ってるのは、お連れさんの歴史を食べればいいんじゃないかしら、ってことなんだけど」
確かに、咲夜の言う通りだった。
手っ取り早い解決法は、妹紅がここに来たという事実を彼女の中から消してしまうこと、つまり彼女の歴史を食べるということだ。
そうすれば、あのパフェのことも、この店に入ったことも、綺麗さっぱり忘れてくれる。
またゼロからやり直しができるのだ。
……だが、
「それだけはできん」
「どうして?」
「それは」
「……お客様、大丈夫ですか?」
そこに、新たな声が参入してきた。
白い上着にエプロン姿。緑色の髪に、大きなコック帽を乗せているその姿は、何となく親近感が持てる。
以前に見たお祓い棒や巫女服ではないものの、眉が下がり気味の気弱そうな顔立ちには見覚えがあった。
彼女は頭を下げながら、
「東風谷早苗です。この前の飲み会で、ご挨拶させていただきました」
「ああ、こんにちは。覚えているよ。本日はお邪魔しています」
頭を下げて挨拶を返す慧音に、早苗はなおも帽子を押さえて、ぺこぺこと頭を下げる。
「ごめんなさい。さっき咲夜さんから聞きました。私が調子に乗って変なメニューを考えたりしたせいで……」
「貴方のせいじゃないわ早苗。注文を受けた時に、私が念を入れて確かめるべきだったのよ」
「いや、二人のせいではない。私がこんな店に来たのが……違う。そういう意味じゃないんだ。ただ、私は……その……この店の雰囲気にそぐわないだろう?」
自信のない声でそう聞くと、早苗は虚をつかれたような顔になり、それからふるふると首を振った。
「そんなことありませんよ。慧音さん、とっても似合うと思いますよ」
彼女の言葉の調子から、それが世辞でないということに気づき、慧音な意外な面持ちになって聞いた。
「果たしてそうだろうか」
「はい、そう思います。それに、うちの店はどんな方であろうと、気軽に入れる雰囲気作りが目標なんです。メニューも食べた人みんなが幸せになれる、奇跡のスイーツを目指しています」
「食べた人みんなが幸せに……か」
「あ……ごめんなさい。あのパフェは」
「いや、本当にいいんだ。早苗さんを責めるつもりはない」
うつむく彼女の隣で、咲夜が「気にすることないわ」、と肩に手をやり、思いやりのある微笑を浮かべていた。
本来立場は逆のはずだが、その光景は、良き先輩と後輩の関係に見える。
ふと、自分も妹紅も、彼女達のような、普通の人間時代があったんだと思うと、慧音は妙に心和んだ。
「二人とも若いな……。だが、私達のように長く生きてしまうと、変わることに臆病になってしまうものなんだ」
慧音は、長久の歳月を生きるもの特有の、苦笑いを浮かべた。
「私も例外ではない。だが、彼女のために、それに逆らってみたかった」
「えっと……どういう意味ですか?」
よく飲み込めない様子だった早苗に、慧音は語り始めた。
「向こうで座っている妹紅のことだ。そうは見えないかもしれないが、彼女はれっきとした人間だ。ただし、千年以上前から生きている、ちょっと変わった人間だ」
「千年……ですか?」
「ああ。その原因は蓬莱の薬。一度口にすれば、老いることも死ぬこともなく、永遠の生を手に入れることのできる史上最悪の毒薬。彼女はそれを復讐のために服し、以後長い間、孤独に暮してきた。数百年もの間、な」
その歴史を、過去に慧音は、覗かせてもらったことがあった。
ある程度覚悟はしていたものの、それはあまりに酷い内容だった。悲惨、不遇、薄幸、墜落。どんな言葉ですら追いつかないほど、苦難に満ちた一生。
しかし、彼女には――こう言ってよいものかどうか――長生きの才能があった。
強靱な精神、不屈の闘志、逞しい生活力、生来の楽天的な性格、そして復讐とはいえ、大きな野望。それが彼女を長い間、生に倦むことを回避させた。
初めて見た時、その輝きに、慧音は驚嘆し、畏敬の念に打たれたものだ。
だがそれでも、専門の修行を積んだわけでもない少女の心に、千年という時間は長すぎた。
「だから彼女は、本来、人と接することが苦手だ。普通の人間と触れ合うことで、恐れられたり、忌み嫌われたりすることを恐れている。それなのに、今日里に彼女は一人でやってきた。私にとってそれは大事件なんだ。だからこそ、せっかく勇気を出してここに来てくれた彼女の気持ちを、台無しにすることはできない。人間を恐れ続けた彼女が、初めて一歩踏み出した一日だ。消してしまいたくないんだ。それが、妹紅の歴史を食べられない理由だ」
自分より遙かに年少の人間達に、慧音は真情を吐露していた。
「人里に自力で出向いたとはいえ、何か不都合があったり傷ついたりすれば、妹紅はまた竹林に引っ込んでしまう気がする。だから、まずは軽い買い物から始めて、徐々に人里に慣れてから、やがて寺子屋で子供達に会わせてやりたい。一歩一歩確実にだ。それゆえに、最初の段階で、このあいにくの天気や、私が無理をしていた事実だとか、そうした些細なことで躓いてほしくない。つまらない理由で、意気を削いでほしくない」
「……大事な人なんですね」
「ああ。とても大事な友人だ。私はそう思っているよ」
どこか羨ましそうな早苗に、慧音はにっこりと笑って、うなずいてみせた。
隣の咲夜は、軽く肩をすくめて、
「じゃあ、さっさと話した方がいいわ。ごまかし通そうとして、空気を悪化させるよりも、その方がいいでしょう」
「でも咲夜さん。それじゃあ……」
「貴方達には、私達人間よりも、まだ時間が多く残されている。これは皮肉じゃないわ」
「……………………」
「……その通りだな。面目ない」
慧音は二人に頭を下げてから、多少なりとも楽になった腹を抱えて、立ち上がった。
「正直に話してくることにしよう。今日のところは勘定を済ませて失礼したい。あの料理を無駄にしてしまうことになるが」
「気にしないでくださいな。ちょっともったいないけどね」
「また、うちのスイーツを食べに来てください。そんなに甘くない、おすすめの品があるんです。歓迎しますよ」
「ありがとう二人とも。それと、傘を二つ借りられたら……」
そこで慧音は、言葉を切った。
咲夜と早苗も気がつき、店内に通じる扉を向く。
「あら大変。お客様ね。それも大勢」
「そうみたいですけど、でも、この声……」
扉の向こうから聞こえるのは、騒ぎ声だった。
大人にしては妙に甲高い。
慧音は嫌な予感がして、扉へと走り、ノブをひねって開けた。
「あれ!? 慧音先生!」
すぐに見知った顔に会った。
寺子屋で教えている生徒の一人だ。縛った髪の毛に、水滴がついている。
「右京!? どうしてここにいるんだ!」
「かくれんぼで、お店の庭に隠れていて見つかったら、雨がいっぱい降ってきちゃって。みんなで屋根の下で雨宿りしていたの。そうしたら……」
慧音は最後まで聞かずに、店内に視線を走らせた。
大変なことになっていた。
テーブルで、長い椅子で、絨毯の上で、寺子屋の子供達が、ぎゃーぎゃーわーわーと、好き勝手に騒いでいる。
人の気配の無かった箱庭に、大量のねずみ花火が投下されたようだ。
そんな中、自分たちが座っていた遠くの席、そのテーブルに、二人分の巨大パフェだけが残されていた。
待たせていたはずの、妹紅の姿が、ない。どこにもない。
慧音は青ざめて、咄嗟に玄関を向いた。そして、ほとんど反射的に、彼女の姿を追って走った。
★★★
夕暮れ時になって、雨はすっかり止んでいた。
空に月は無く、雲の間に星が光っている。
慧音は里の外れの道を、妹紅と並んで歩いていた。
互いに無言。虫の音に混じって、濡れた土を踏む音が続く。竹細工の買い物篭は、空っぽのままだった。
やがて、二人は慧音の家につき、妹紅が口を開いた。
「……じゃあ、ここで」
「……ああ」
慧音はいつものように、短く返事をしてから、
「妹紅、今日は色々と迷惑をかけた」
そう言うと、妹紅は首を振った。
「ううん。それより慧音、今さらだけど、あの店って初めてだったんでしょ?」
「……その通りだ」
結局慧音は素直にそれを認め、目を伏せて謝罪した。
「すまない。つい意味も無く見栄を張ってしまって」
「くくく、私も見ていて困ったよ、本当」
心底可笑しそうに思い出し笑いをする彼女を見て、慧音はふと気になった。
「まさか、最初から気づいていたのか?」
「最初からじゃないけど、あんな青い顔して食べてたら、誰だっておかしいと思うわよ。慧音は強情だから、どうやって止めさせたもんだかって考えてたところに……」
そこで、沈黙を挟んでから、妹紅は囁くように言った。
「……あの子達が入ってきてくれて、よかったね」
「…………」
「じゃあまたね、慧音」
「妹紅」
その背中を、慧音は呼び止めた。
「また今度、二人で買い物に行こう」
「…………」
「近々里でお祭りもある。それも一緒に行かないか?」
妹紅は夕闇の中、しばらく立ち止まっていたが、やがて少しだけ振り向いて言った。
「考えておくよ」
「そうか」
慧音はそれ以上無理に誘おうとはせず、彼女を行かせた。
蓬莱人は竹林の中に、一人消えていく。
やがてその姿が見えなくなってから、慧音はぽつりと呟いた。
「……考えておく、か」
やめておく、よりは幾分ましになったのだろう。
慧音はかぶりを振って、家の戸を開け、中に入った。
「さて、と」
草履を脱いだ慧音は、夕餉の支度に向かわず、真っ直ぐ自室へと向かった。
蝋燭に火をともし、机の上に綴じた紙束を広げる。
慧音の日記帳だった。
歴史書ではない。いつ誰が何をした、という客観的な歴史については、満月の晩に幻想郷中から集めて記している。
しかし、慧音はそれとは別に、自らが生きる中で感じた歴史を、紙の上にしたためるという日課があった。ハクタクには変わった趣味とも言える。
いつもは就寝前にやる作業だったが、今日の出来事は、できるだけ早く残しておきたい。
慧音は下敷きを敷いて、墨とすずりを用意し、筆をとった。
葉月●●日 木曜仏滅
不思議な一日だった。
前々から練っていた例の計画を、ついに実行に移したのである。
元々のきっかけは、私が洋菓子を食べようということにあったが、その真の目的は、新たな自分を目指してみようという試みだった。
もちろん動機は、私個人の都合だけに限られるものではない。あの蓬莱人のため、そう思ってこれまで彼女にしてきたことの、反省の意味も込めてだった。
実際、変わるというのは、口にする以上に難しい。
決心するのには勇気がいり、行動に移すのには活力がいる。
何をやっても上手くいかないかと思えば、ふとしたきっかけで簡単に成功してしまう。
当の本人ですら、それが全く予測できない。もしかしたら、壁が高いのではなく、道は初めから用意されていて、そこに明かりが無いだけなのかもしれない。
だからこそ、人は迷ったり悩んだりするわけで、結局のところ、焦らず思ったとおりの行動を選ぶのが一番なのではないかと、悟ったような気がした。
私が思ったとおりに行動した日が今日であり、妹紅と同じ時機だったという偶然については、本当に嬉しかった。
しかしながら恥ずかしいことに、この機会を逃してなるものかと、つい焦ってしまった。
私が妙な考えを抱かず、初めから素直に話していれば、その後は上手くいったのかもしれない。
そうすれば、私は腹を痛めずにすんだだろうし、買い物にも間に合ったかもしれないし、夕飯も二人で食べることができたのかもしれない。
だが私は、自分が今日を選んだのも、妹紅が今日を選んだのも、私の失態も、あいにくの天気も。
全て何かの良い流れ、大きな巡り合わせの元に行われた結果だったのだと、今では信じたくなっている。
そこに、パフェの奇跡を一さじ。いや、十二個分のさじを混ぜて。
妹紅に全て話すことを決心した私は、店内の方から、耳に覚えのある騒ぎを聞き、扉へと走った。
そこで開いた私の目に飛び込んできたのは、どこから現れたのか、客席の周りを遊び回る、寺子屋の子供達だった。
彼らは、まだ何色にも染まる可能性を持つ、白い生命力で満ちている。
普段から関わることの多い私でさえ、時折その力に圧倒されるてしまうほどに。
蓬莱の人の形にとっては、どれだけ眩しかっただろうか。どれだけ恐ろしかっただろうか。
妹紅のいないその光景を見た瞬間、私は全てが終わってしまったと思った。
地道に築こうとしていたものが、まるまるぶち壊しになったと思い、彼女に対しての申し訳なさで、それまでの苦しみを超える痛みに苛まれた。
だけど諦めきれずに、雨の中を走っていったであろう蓬莱人の影を追おうと、私は店を飛び出す構えを見せた。
しかし、それを引き止める者が
★★★
「慧音先生?」
妹紅を追おうとした慧音は、弱い力に引っ張られ、立ち止まった。
右京が服の袖を掴んで、見上げている。
「どこかに行っちゃうの?」
その不安そうな目をじっと見つめ、慧音の感情は行き場に迷う。
やがて、それが理性に取って代わっていく。
「……いや」
慧音は、寺子屋教師としての職務を思い直した。
妹紅を追うことよりも、優先することが、責任がある。
あらためて、『幻想ミラクルスイーツヘヴン』の店内を見渡すと、ひどい有様だった。
「ねー、次こっちからこっちねー!」
「すごーい! こんなパフェはじめて見た!」
「お前から先にやったんだろ! このやろー!」
「どうしたのー!? 早く持ち上げてー!」
廊下で競争する男の子達、ずぶ濡れのままソファに座る女の子達、絨毯の上でとっくみあいする悪餓鬼共、長椅子の背にもたれかかる幼き子供。
誰も彼も、里の守護者である慧音にとって、守るべき者達だった。
そして、道を外れれば、正しく導いてやるべき存在でもある。
小猿のごとくはしゃいでいた彼らを睨み、慧音は大きく息を吸い込んで、喉を震わせた。
「静かにせんかーっ!!」
大喝だった。
店内を切り裂く、凜とした怒声に 、子供達の動きが凍りついた。
誰もが、突然現れた自分達の教師の姿に、呆然としている。
「いいかお前たち、雨宿りするなとは言わん! だが! 店の人に挨拶もせず、ずぶ濡れのまま遊び回るとは言語道断! まずはきちんと事情を話して礼を述べ、席に座って静かにしているのが礼儀だろう! 寺子屋でも教えたはずだ! 忘れたのか!?」
その声は、場所こそ異なれど、寺子屋での説教と同じく、有無を言わさぬ迫力だった。
叱られた子供達は、一様に頭を垂れ、中にはべそをかく子供もいた。
ひとまず反省の念が見られたので、慧音はふぅ、と息をついて、店にいる子供を数え始める。
「にぃ、しぃ、ろぉ……右京を入れて十人か」
そう言うと、緊張に固まっていた子供の一人が、クスクスと笑い出した。
連鎖するように、数人が吹き出していた。
慧音はまた頭に血が上り、
「こら! 何がおかしい!」
だが今度は、厳しく叱っても、子供達は笑うのをやめない。それどころか、おかしくてたまらないといった様子で、一斉に笑い声をあげていた。
眉をつり上げ、もう一度怒鳴ろうとした慧音の肩を、後ろから誰かがつついた。
コック帽の早苗とともに、タオルをたくさん持ってきた、ウェイトレスの咲夜だった。
「ちょっと待って。十人かしら? 一人足りないみたいよ」
「なんだと?」
聞き返すと、彼女は視線だけで、奥を示した。
その先で、子供達は長椅子の陰に手を入れたり、話し掛けたりしている。
「ほらー! お姉ちゃん出てきなよ!」
「大丈夫! 慧音先生、もう怒ってないから!」
そこで、長椅子の背の後ろにもたれかかっていた児童が、のろのろと上に浮き始めた。
やがて、その子を『肩車』していた十一人目の人物が、恐る恐るといった感じで、顔を見せる。
慧音はあっけに取られた。
「も、妹紅!?」
そこにいたのは、てっきり子供達と入れ違いに、店を出て帰ってしまったと思っていた人物だった。
彼女は肩に乗せていた子供をそっと下ろし、ぽりぽりと頭をかいた。
「あ……あのー……ごめん『慧音先生』。注意しなけりゃいけないはずだったんだけど……つい」
蓬莱人の声には、怒った慧音に対する恐れが半分混じっていた。
「それとー……悪いけど、小皿とさじ、あと十人分追加で持ってきてくれない? この子達も、あのパフェ食べたいっていうから……」
残りの半分、その照れて困った笑みは、周囲ではしゃいでいる子供達に、本当によく似合っていた。
★★★
その後、妹紅が子供達の人気者になってしまったことについては、ここに記すまでもない。
やはり、彼女の人徳というものだろう。私の見込んだ通りだったということだ。
だが、巨大パフェを注文したのが私であると発覚し、生徒達から爆笑されて、勇者とまで呼ばれたのは不本意だった。
まぁそれもこれから、よい変化に繋がっていくことを期待する。そのうち笑い話にできる日が来るだろう。
人がこの世で生きる限り、明けない夜も、引かない雲もない。
今日の天気は雨ときどきパフェ、のち子供晴れであった。
(おしまい)
次回作もお待ちしてます!
慧音かわいすぎ
そしてそのにやにやをまるごと吹っ飛ばすアークエンジェルパフェ!
先は読めていたが予想より3.5倍くらい多かったぜ
しかし、アークエンジェルパフェは読んでるだけで胸焼けした……。
ちょっと今からそのアークエンジェル完食しに行くわ(←男)
慧音先生が魅力にあふれてました。
札幌は雪印パーラーだっけか。
野郎四人で挑戦して、最後はみんなして死にそうな顔で食ってたのもよい思い出。
でも確かあれでも10リットルはなかったはず。アークエンジェルパフェどんだけー。
緩急も終わりもすごく綺麗で楽しかったです!
先生ももこたんもかわいいですね。
次の作品も期待!期待!!
咲夜さんはどこ行っても問題なく就職できると思う。
しかしそんなに盛ったらフレークがふやけるだろ……もったいない。
アークエンジェル喰ってみたいなぁw
それにしても、アークエンジェルパフェが予想外に大きすぎた。
一人でそれを二つも食べた幽々子は異常だと思う。
締めの部分が若干あっさりしすぎててバランスが悪かったように感じました。
あと、冒頭部分と本文との繋がりがかなり分かり難くてアレでした。『幻想ミラクルスイーツヘヴン』へ向かう切欠になる部分の心理描写をしっかり入れても良かった気がします。
それにしてもかぁいいですねww
慧音と妹紅、違う歴史を歩んできたもの同士だけれど、確かに今この時は友として共にいる。
良いお話をありがとうございました。