Coolier - 新生・東方創想話

不干渉浮遊 ~3~

2010/12/29 18:23:52
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 そこは不思議な場所だった。

 冷涼な山頂付近だというのに、地面には色とりどりの花が所狭しと咲き、辺りを瑞々しい緑が覆っている。そして今、その楽園の境界に一人の妖怪が佇んでいた。その瞳には無味乾燥な光だけを灯して、まるで時が止まったように立ち尽くしている。

 幻想郷の全てを見渡せるような崖の上、そこには小さな墓標が二つ仲良く並んでいた。墓というには寂しすぎる、石塊がただ並んでいるだけとも思える標。妖怪の視線は、その二つの石の間を泳ぐようにふらついていた。

「紫様、言われたものをお持ちしました」

 藍が後ろから声を掛ける。その手には二種類の花が携えられていた。
 今の季節には同時に咲くことのないその花を、従者はあらゆる手を尽くして主の前に揃えてみせたのだ。
 藍の手元で、その花たちは見事に群れ咲いていた。

「ご苦労様、ありがとう」

 紫はその花を受け取ると、墓石の前にそれを捧げる。
 名前の刻まれる事のない墓石への手向け。それは、他の誰にも知られずに執り行なわれた、寂しい埋葬であった。

「珍しいですね、そんな花をお供えするなんて……。何か、特別な意味でも?」

 藍の問いに首を振り、紫は風に揺れる花弁を撫でながら教えてやる。

「花菖蒲は幻武、孔雀草は幽夢の好きだった花なの」

 不意に、強い風がやってきて紫の腰まで伸びる髪を大きく靡かせた。それに合わせるように、供えた花々もその身から花びらを散らしていく。崖から舞っていった花片たちは、幻想郷へと降り注いでいった。
 背を向けた二人は、振り返ることなく去っていった。




◇ 7.博麗の巫女育成計画 ◇





 博麗神社の広い境内に、乾いた音が規則正しく鳴り響く。それは金槌が木材を叩く音だ。
 社務所の周りでは“粒”のように小さな何かが駆けずり回り、これまた小さな金槌を片手に、あくせくと働いていた。――そう、博麗神社の社務所は、ほとんど一から作り直されている最中なのである。

「悪いわね、こんな仕事を頼んじゃって」
「良いって事よ、私も暇してたしさ」

 紫と小鬼が談笑する。彼女たちは、凄まじい速度で組み上げられていく新しい社務所を、境内の真ん中から見学するように眺めていた。
 旧知の小鬼に依頼したのは、社務所の大幅な改築であった。それは血で汚れた寝室はもちろんのこと、まるで今まで人が住んでいたという痕跡を全て消し去るような大工事となった。
 それは、これからそこで時を過ごす霊夢の為である。

「お礼代わりといっちゃなんだけどさ、今度また宴会でも開いてよ」

 子鬼が冗談めかして、半分は本気で笑いかける。

「……そうね、時間があれば。何しろ私はこれから、この子を育てなきゃならないもの。……忙しくなるわ」

 紫の視線の先には、賽銭箱の前に立ち、それを不思議そうに眺める霊夢の姿がある。
 彼女は最近、ようやく一人で立てるようになった。そして、それが自分でも嬉しいのか、暇さえあればあちらこちらを歩きまわっているのだ。
 その様子を見ながら、鬼もフッと笑いを漏らした。

「良く似合ってるな、あの服」
「ええ、あの子は生まれながらにしての巫女ですもの」

 霊夢は半襦袢に白衣、緋赤の袴という、巫女として至って基本的な装束を身にまとっていた。
 彼女は既に博麗の巫女である。だから格好もそれに見合うようにと、紫が急遽取り寄せて与えたものだ。

「博麗の巫女か……。こんな小さな子供に任せて、本当に大丈夫なのか?」

 小鬼の不安そうな問いに、紫は少し口ごもった。
 自分にだって、霊夢が巫女としてやっていけるのかは分からない。なにせ、こんなにも幼い巫女に結界を任せるのは初めての事である。
 それでも紫は、まるで意を決したかのように大きく頷き返事をした。

「私が育ててみせるもの。それが、約束だから」
「――そうか。……おっと!」

 ちょうどその時、伊吹萃香の分身たちが社務所の方から一斉に帰ってきた。それは二人に、工事の終わりを告げる。

「まぁ、本当に早いのねぇ。たった半日で一軒の家が建っちゃった」
「いや、久々だから手間取っちゃったよ。……あれ?」

 分身たちを呼び戻していた萃香は、そのうちの一人が何か紙切れを両手に掲げているのを見つけた。解体工事をしている時にゴミ以外の異物を発見した場合、本体へとそれを持ってこさせるように分身たちへ設定していたものだろう。
 萃香はそれをひょいと取り上げると、書かれている文字を一瞥して、不思議そうに紫へと差し出す。

「紫宛てだよ」
「……へっ?」

 紫は不意をうたれたように間の抜けた声を出して、その手紙を受け取った。確かに、そこには筆でしっかりと“紫へ”と書かれている。

「これ……どこで?」
「……ふむ。寝室の畳を剥がした時に見つけたってさ。畳の間に挟まっていたんじゃないかな?」
「そう……。どうも、ありがとう」

 萃香は全ての分身を戻し終えると、仕事終わりの一杯とばかりに瓢箪から酒を呷った。紫は手紙を懐にしまうと、改めて萃香へと礼を言う。鬼は久しぶりに仕事をしたという達成感からか、満足そうに大きく伸びをした。

「それじゃ紫、また何か面白い事があったら呼んでよ」
「ふふ、面白い臭いを嗅ぎつけたら、私が呼ばずとも飛んでくる癖に」

 紫は友人へと軽く手を振って、その帰りを見送る。萃香の身体は霧のように細かくなって、あたかも風景に溶けこむようにして消えていった。
 その強大な鬼の力は、紫の頭脳と能力を以てしても、手のひらの上から零れ落ちるほど巨大である。――だからこそ、紫は萃香と友人でいられたのかもしれない。

「紫様~、ただいま戻りました~」

 萃香が消えると同時に、紫のもとへ藍が帰還した。その両手には大量の買い物袋が抱えられている。

「買い物なんて頼んで悪いかったわね。こちらも丁度、終わったところよ」
「いえいえ、里での買い物は慣れていますから。……それにしても、もう出来たのですか! 流石は鬼ですね」

 藍は完成した社務所を遠目から見て、感心に唸る。それは無理もない。朝に自分が出ていった時には屋根の瓦を剥がし始めたところだったのが、ものの数時間で全く別の建物に生まれ変わっているのだから。
 同じ妖怪といえども“鬼”というのは特に異質であり、藍のように強力な力を持つものからしても、彼らの成すことには驚かされる事がままある。
 ただその驚きもほんの数瞬の事である。藍は紫の傍らに歩み寄ると、買い物袋の口を開いて見せ、心なしか上機嫌で買ってきた物の説明を始めた。

「とりあえず、この先一週間分の食料に、霊夢の為のおしめや玩具。それに新しい服の発注を、例の道具屋でしてきました」
「完璧。流石、私の自慢の式だわ。それじゃあ、さっそく新しい家に行きましょう。さぁ、霊夢」

 紫はこちらへ来るように霊夢へ呼びかけた。しかし、賽銭箱の前で尻をついて空を見上げていた幼子は、紫の呼びかけには一切反応せずに、ただ雲の動きを見つめている。
 仕方がないので紫はつかつかと歩み寄ると、その軽い身体を抱き上げた。彼女の想像していたよりも、僅かな重さが腕に伝わった。

「まったく、しょうがない子ねぇ」
「あぶぅ」

 藍は一足先に家の中にあがり、台所で買ってきたものを、ちゃぶ台の上に広げて整理をし始めた。
 紫が遅れて居間に入ると、そこは以前と間取りは変わらずに、ただまるで新築のように生まれ変わっていた。彼女の鼻腔には木材の新鮮な香りが広がり、真新しい畳が足の裏に強い弾発を返す。

「本当に生まれ変わったのね、この建物も。……これなら、安心だわ」
「えぇ、血の匂いなんて微細にもしません」

 二人は無言のままで、部屋の中央にあるちゃぶ台を囲んで座る。それは、ここ数日の間で久々の休息であった。
 通夜も葬式もないが、ある意味ではそれらよりも二人の亡き後は手間が掛かるものであった。紫と藍の奔走のおかげで、こうして霊夢の為の舞台は整ったのである。

「そうそう、一つお尋ねしたいのですが、紫様」

 ひとまず落ち着いたところで、藍は昨日から考えていた疑問を主へとぶつけてみた。

「霊夢を紫様の屋敷に連れていかないのは、何故なのですか?」

 藍は思っていた。――どうせ霊夢を育てるのなら、紫様の家に彼女を連れていった方が色々と捗る、と。
 この神社にいたのでは、日頃から行っている幻想郷の監視もままならない。特に実務を任されている自分は、この神社を拠点にしては仕事をするのが難しい――というのが藍の本音だ。
 対して紫は、霊夢を畳の上にそっと降ろしてから、首を横に振って彼女の意見を否定する。

「いいえ、藍。霊夢はこの博麗神社にいなければならない。ここで育たなければいけないのよ」

 その答えはおおかた、藍の予想通りではあった。だから藍はさほど落胆もせず淡々と受け止めた。

 博麗の巫女は、博麗神社にいる事に意味がある。それは紫が常日頃から口にしている「幻想郷のバランス」に大きく影響するからである。
 結界を持つもの二人が、一つ所に集まっているのは幻想郷の管理衛生上よろしくない、というのが昔から変わらぬ紫の主張だ。今は霊夢の世話をする事になったので、やむを得ず紫と霊夢は一緒にいる。だが本来ならばそれも控えるべきなのだ。

「うむ、まぁそうでしょうね。――では紫様は、しばらくの間、ここに滞在なさるのですか?」

 藍の問いに、紫は少し胸を張って答える。

「ええ。霊夢が一人でも生きていけるようになるまで、私が……そだ、て」

 決意するように言いかけて、しかし紫は唇に指を当てると言葉を止めた。
 どうしたのだろうと心配の視線を送る藍に対して、少し間を置いてから紫が訂正をした。

「いいえ、やっぱり駄目ね。しばらくの間は、藍。貴方に霊夢を育ててもらう事にするわ」
「……はぁ!?」

 主人の唐突な命令に、藍は買い物袋から取り出そうとしていた採れたて新鮮の大根を落としそうになる。それを慌てて空中で受け止め、藍は主に向かって抗議の声を上げた。

「えぇ!? なんで私が子育てなんかしなきゃならないんですか? 嫌ですよ、そんなの!」
「いいじゃないの。子守が一人増えるだけよ? それに……」

 紫は先程からの冗談めかした態度から、一転して真面目な声色へと調子を変えた。そのどこか憂い気な瞳の光に、藍は自分の心臓が引き締まる思いがした。

「私には契約があるもの。……あまり、霊夢の前に姿を晒す訳にはいかないわ」
「あぁ……」

 藍はその言葉で、主の心中を察し、納得した。
 紫は幻武との契約によって、霊夢が“少女”である時間に関与することを制限されている。
 その“契約”は曖昧なもので拘束力が弱い故に、今も紫はこうして霊夢の前に立っていられるが、それをいつまでも続ける訳にもいかない。その[許容範囲]が、いつ不可と判定され、紫の魂が損傷するのか分からないのだ。もちろん藍は、主をそのような危険な目に遭わせ続ける気は毛頭なかった。

「そういう事ならば、致し方ありません。結界の管理は疎かになるかもしれませんが、この赤子が一人で生きられるようになるまで、私が育ててみましょう」
「ええ、私の式神である藍が育ててくれるのならば、きっと“幽夢の方”にも引っかからないわ」

 一安心といった表情で薄く笑みを浮かべる紫。――だが藍は主の胸中が、必ずしもその表情通りではないと気付いていた。
 主はきっと、こうなったのは自分の責任だと思い込んでいるに違いなかった。そして、その責を負う為に、本当ならば自分の手で霊夢を育てたいに違いなかった。そうする事で、贖罪をしたいと願っているはずだった。
 藍は、そう信じていた。

「ご安心下さい、しっかりと育てて見せますよ」
「ええ、信頼しているわ。貴方に任せる。――じゃあ、あまり居ちゃなんだから……」

 紫はそそくさと自らの背後にすきまを開く。そして別れを告げようと、畳の上に寝っ転がっている霊夢を一瞥する。頭に着けた紅いリボンが、白い巫女服によく似合っていると、紫は満足した。

「それじゃあ霊夢、元気でね。――また会える日が、来るのならば」

 霊夢は紫の気持ちなど露とも知らずに、すきまへ消えていく妖怪を無関心に眺めていた。
 紫はくすりと笑うと、すきまを静かに閉じた。霊夢は何が起きたのか全く理解しないままに、閉じたすきまから視線を外すと、ゆっくりと立ち上がる。

「……はぁ……」

 一人残された藍は、まるでアテもなく海を漂う無謀な航海に出されたような、あまりにも無策な状況に呆然とした。気付けばこの家には自分と、幼い博麗の巫女だけが取り残されているのみ。――藍は目を瞑ると、これからの展望について頭を悩ませた。

「……さて、まさかこの私が、人間の子供を育てる事になるとはな……。しかも、相手は幻想郷の未来を左右する博麗の巫女、下手な扱いは出来ないが……」

 ふと気付けば、霊夢は藍の方へ覚束ない足取りで近づいてくる。それに対して身構えながら、藍はごくりと生唾を飲んだ。
 それは、まるで無力なようで、かつ自分の命を脅かしかねない比類なき存在なのである。

「あぶぅあ」

 霊夢はそんな声を発しながら、畳の縁に躓いて転んだ。受身を取ることも知らない赤ん坊の身体は、べちん、と鞭を打ったような音を響かせる。
 おでこを強打して泣き始めた霊夢の姿を見て、藍はやれやれとため息をつくのであった。




    ◇    ◇    ◇




「ふむ、人間の赤子に合う食事。これで良いのだろうか?」

 訊いても仕方がないと分かっていながらも、霊夢に向けて言ってみる。もちろんのこと返事はないので、藍はお盆の上に皿を乗せると、居間のちゃぶ台へと置いてやった。

「あぅ?」

 ちゃぶ台の前に座っていた霊夢は、置かれた皿を見て声を上げる。ただ、その意味も何もあったものではない。無意識の反応のような声である。

 藍は別に食事をしなくとも良いのだが、霊夢が食べ終わるまで手持ち無沙汰なのも考えものなので、買ってきておいた油揚げを3枚ほど頂くことにして、皿を自分の前に置いた。
 自分は油揚げだけでも構わないが、流石に霊夢へはちゃんとした御飯を作ってやらねばならない。彼女はきちんと栄養の偏りがないように気を使い、献立を考えて料理をしてやることにした。その初挑戦が今回の食事である。
 座布団の上で正座し、まるで食事を待っていたような様子の霊夢の前に、出来上がったばかりの料理を差し出した。

「それでは頂きます、だ」

 両手を合わせて油揚げを箸で摘む。霊夢はそれをただ不思議そうに見つめている。気にせず油揚げを口に含んで、何度かの咀嚼を終えるとそれを喉元へ流しこむ。
 そこで横目に霊夢の方を見て、ようやく気付いた。霊夢が目の前に置かれた箸も取らずに、自分が油揚げを食べる様子をただ見つめている事に。

「どうした? 食べないのか」

 尋ねたところで、藍はある事実に気付いた。それは当たり前のようで、彼女の頭からすっかりと抜け落ちていた事だ。

「む、もしや……この子。一人では食事も出来ないのか!」

 無論、一歳と数カ月の子供が一人で、しかも箸を使って食事が出来るわけもない。特に霊夢はつい最近まで母乳を吸っていたほどなのだから、箸が使えないのも当然だった。
 自らの失策に苦笑いしつつ、藍は手に持った皿と箸をちゃぶ台へ戻した。

「やれやれ、まぁ、乳離れしているだけでも助かったものだが。なんせ乳を与えろと言われても、出ないものは出ないからなぁ」

 藍は笑いながら霊夢の側へ移動すると、その手に箸を握らせておかずの青菜を掴ませようとした。
 ここで藍が箸を使って、青菜を霊夢の口まで運んで食べさせてやるのは容易い。しかし、こうして一人で食べられるように訓練を施し、一日でも早く霊夢が一人で生きていけるようにしなければならない。――そのように考えての行動だ。
 だが、そんな藍の考えは一瞬で脆くも崩れ去る。それも、全く逆の意味で。

「うー、あぁむ」

 箸を握った霊夢は、器用に野菜を摘んでそれを口へと運ぶ。まだ生えたばかりの小さな乳歯が、よく上下に動いて野菜を咀嚼する。喉の奥へと嚥下された食べ物は、胃へとゆっくり落ちていった。
 藍の顔からは笑顔が消え去り、目の前の小さな子供に対しての恐怖が、その身を震わせた。

「……これが、博麗の巫女か」

 藍は驚愕せざるを得なかった。
 それは傍から見れば、ただ子供が食べ物を食べただけのことに過ぎない。だが藍の目には、それは全く別のものとして映っていた。
 彼女が恐怖を感じたのは、霊夢の持つ異常なまでの“学習能力”についてであった。
 霊夢はついさっきまで、箸で物を食べるという行為をまるで知らなかったはずなのだ。それが、油揚げを箸で摘む藍の動きを見ただけで、それを真似るようにして、その先の食事という行為まで会得してしまった。その事実に藍は恐怖したのだ。

「博麗の巫女、しかもその血統を受け継いだ者。それが、こういう事なのだな」

 博麗の巫女はただの人間ではない。“天才”という表現が最も似合う人種が、博麗の巫女なのだと、藍は今この時に理解した。
 更に言えば、普通の人間が博麗の巫女になるのとは違い、この目の前にいる幼子は生まれながらにして博麗の巫女。それは“生きる”事への学習を最速で遂行するよう、遺伝子に組み込まれているような人間なのだと、彼女は分析する。

「これは思っていたよりも、早く子守りが終わりそうだな」

 得体の知れなさに対する恐怖よりも、口にした推測の喜びが上回って藍を上機嫌にさせた。
 彼女は皿に残っていた油揚げを再び口に運び始めると、中から染みでてきた出汁の美味に、頬を上気させてご満悦になる。
 彼女は主から押し付けられた「人間の子守り」という厄介極まりない仕事が、思っていたよりも早目に片付きそうだという事で、油揚げをより美味しく味わうことが出来ていた。

「あう、あぐ、はむはむ」

 一方の霊夢は藍には見向きもせず、目の前に並べられた食事を少しずつ食べていった。
 藍による栄養面の管理は完璧である。その食事は霊夢に必要なものを余すことなく含んでいるのだ。だから霊夢にとっては、目の前の食事を摂取する事が生きる為の最善手だった。まさしく本能にしたがって、霊夢は食事を摂取していく。

「ふむ、生きる為だけに生きる。“周りに関心がない”と二人が不安視していたのも、こういう事なのだな」

 藍は最後の油揚げを喉に通すと、霊夢が平らげて空にした皿を台所へと下げる。そして霊夢が好き勝手に出ていかないように、障子戸に軽微な結界を張った。
 大きく伸びをしてから、藍は洗い物を始めた。

「洗い物も楽なもんだ」

 一応は背後で何やら動いている霊夢に気を配るのであるが、そこは親ではない藍の事。何かあってから動けば良いと、たまに目線を送る程度の気配りであった。

「しかし、やれやれ。こんな生活を後どのくらい続ければ良いのだろう? どうにかして、紫様が霊夢に会える方法はないだろうか」

 藍は、自分が人間の子守りなどという“雑用”に駆り出されている事が情けなかった。常日頃から雑用ばかり押し付けられているものの、それは紫が必要としている事であったので、藍にとっても苦ではない雑用であったのだ。
 しかし、これは違う。これは紫こそがやりたかった雑用のはずなのだ。これこそ主が自らの手で行うべき雑用に違いなかった。

「そうすれば、紫様に代わってもらえるのに」

 やむを得ぬ事情とはいえ、それを横取りしてしまっている自分が情けない藍であった。




    ◇    ◇    ◇




「あうぅ、うばぁ」

 人間の言葉ではない。ただ感情を音にしただけの声が、庭先に響く。
 藍は脳内で、霊夢の摂取カロリーと食材の原価が如何な相関関係にあるかを考えて暇を潰していた。

「うー、うー」
「…………」

 子守りといっても、それは食事や着替えの世話をするだけではない。一日中、好き勝手に遊び呆ける子供を見守る事も子守りのうちの一つなのだ。
 まだ料理などの雑用には意味を見いだせていた藍も、この無駄としか感じられない時間には辟易していた。

「やれやれ、何をしているのかな。私は」

 縁側に腰掛けて、せめてもの慰みにお茶を啜る。その時、霊夢は空中を泳ぐようにして、なんとか空へ上ろうとしていた。だが藍の張っている結界に跳ね返されて、それは叶わない。彼女は社務所の屋根より高くには行けないようになっている。

「……それにしても」

 藍は考えていた。――この霊夢と暮らし始めてはや一週間。その行動には本当に驚かされる、と。

 まず霊夢が、博麗大結界を張っているという事実が恐ろしい。
 先々代・楼夢の霊力を受け継ぎし“優秀な巫女”だった幽夢でさえ、毎日修行を欠かさずに行い、それでやっと平常なままで結界を張れていたのだ。それが、この赤子は産まれた時より既にそれが出来たといい、現在も確かに何食わぬ顔で博麗大結界を維持している。

 そして次に、霊夢はあらゆる事に対する人間離れした才能の片鱗を、日々の暮らしの中で藍に見せつけてくる。積み木を与えれば、最初は無関心に手にとったり投げてみたりとするだけだ。だが一度、藍が目の前で家の形に積み木を積んで見せると、霊夢はしっかりとそれを観察し、次には藍のものより立派な形を作り上げてみせる。
 これが、祖母と母の巫女二代に渡る霊力を丸ごと喰らった結果なのだと、藍は霊夢を見るたびに戦慄するのであった。

「底知れぬ霊力……。だが、それが紫様の為に使われるのが、まだ幸いだった」

 これがいずれ成長し、自分に牙を剥いてきたら――そう思うと、思わず今この場で括り殺したくなってしまうのが、千年以上の時を生きてきた大妖の性である――気付けば力の入っていた右手を叱責して、藍は自嘲した。
 まるで積み木を積むように、霊夢が妖怪退治のいろはを少しずつ覚えたならば、それは妖怪の自分たちにとって一体どのような大敵となるのだろうか。そう考えを巡らせた時、藍はあたかも氷柱を脊髄に突き立てられたように、背筋がぞくりと震えるのであった。

「藍様~!」

 突然耳に飛び込んできた聞き覚えのある声に、藍はハッとする。顔をあげると、境内の向こう側からこちらへと駆けてくる猫又の姿が見えた。
 それは藍が良く知った姿であり、ここ暫くは忙しくて顔も見られなかった顔だ。

「橙! どうしてここに!?」

 訪れたのは、彼女が溺愛する式神の橙であった。彼女の前に立ち止まった猫又は、息を切らしつつ笑顔で答える。

「はい、紫様にお手伝いをするように仰せつかったのです! 私にもお手伝いさせてください!」
「おぉ、橙……! 橙が居れば百人力、鬼に金棒だよ。よく来てくれた!」

 藍は式神の頭を撫でると、満面の笑みで歓迎した。だがしかし、藍には少し気になる事があった。

「そういえば橙、この神社に入ってくる時に、結界に引っかからなかったか?」

 藍は心配するように橙の全身をポンポンと手で叩いて、ケガがないか確認する。
 以前の博麗神社には、敷地の周りを取り囲む【妖怪避けの結界】が張ってあったはずである。霊夢に博麗大結界を維持できるような力があるのなら、神社の周りに結界を張る事も造作ないはずであった。
 身体を触られてくすぐったがりながら、橙は「何のことやら」といった表情をした。

「結界なんて無かったですよ~。ただ歩いてきました」
「ふむ、そう……か」

 藍は眉をひそめて目線を上に向ける。屋根の辺りをふわふわと浮いている霊夢を凝視し、顎に手を当てて思案する。

「神社の結界は張っていない、のか……。そこまで力が及ばないのか、それともただ知らないだけなのか……」
「どうしたんです? 難しい顔をして」

 橙に尋ねられると、藍は慌てて目の前の式神に目線を戻した。そして先ほどの思案を勘ぐられないように平静を装う。――藍はこの可愛い式神には出来るだけ、幻想郷の込み入った仕組みなどとは無関係でいて欲しいと思っているのだ。そして、藍が過保護であると紫に言われるのは、そういった所が原因であった。

「いやいや、何でもないよ。さて、ここまでの道中で疲れたろう? 一緒にお茶でも飲もう」
「わーい! ありがとうございます! って、そういえば、肝心の巫女はどこにいるんですか?」
「ああ、あれだよ。あそこに浮いているの」

 藍の指が、宙空をゆらゆらと浮く霊夢を指した。

「うわー、美味しそう!」
「はっはっは、食べちゃ駄目だぞ」

 藍と橙はそのように笑いあいながら、仲良く居間に戻っていくのであった。
 一方で庭に一人取り残された霊夢は、藍がいなくなったのに気付くと、ゆっくりと高度を下げて縁側に戻ってくる。そして辺りをきょろきょろと見渡して、自分が置いて行かれたことにようやく気付いた。

「あぶぅ……」

 不満そうに小さく漏らすと、霊夢は四つん這いのままで居間へと向かっていく。




    ◇    ◇    ◇




「あいたたた!」

 藍の耳が引っ張られた。突如として空中に現れた“謎の手”によって。
 悲鳴をあげながら耳を抑える藍に向けて、橙が心配そうな目線を送る。

「藍様、大丈夫ですか!? 突然叫んだりして」
「あ、ああ、大丈夫だよ。……紫様、突然何をするんですか」

 自分の頭上に開いた小さなすきまを見上げて、藍は噛み付くように言った。すると、そこからハミ出ていた細い腕が引っ込んで、代わりにすきまから紫の口元だけが覗いた。

「きゃっ!?」

 橙はその様子に驚いた。普段、橙の前で紫はこのように“大雑把”なすきまの使い方などはしないからだ。橙が見たことがあるのは、空間をすっと切り裂いてスカートの裾を揺らめかせながら格好良く登場する姿のみであった。

 だが、これには理由があった。自己演出を得意とする紫は、自分の神出鬼没さとそれによる影響を重々と承知しており、実はすきまの使い方にも気を使っているのだ。ただし気心の知れた藍の前では実用性を重視して、このように必要な部分だけをハミ出させたりという使い方もしている。だから橙にとっては、紫のプライベートな部分を初めてみた様なもので、ひどく驚いた訳である。
 そんな橙の驚きなどは知らずに、紫の口は、藍へ向けた叱咤の言葉を吐いた。

「“何を”って……!? それは、こっちの台詞よ、藍。あなた霊夢を外に放っておいて、自分の式神と遊んでんじゃないわよ!」
「ああ、その件ですか。いえ、大丈夫なんですよ。私の推測では……」

 藍が弁解しようとしたが、紫は問答無用でそれをピシャリと阻んだ。

「ちゃんと見守りなさい。霊夢に万が一の事があれば、この幻想郷の全てが終わるのよ」
「分かってますって。って、あっ、紫様! 霊夢が戻ってきました」
「えっ」

 障子戸が拙い動きで開かれる寸前、紫は慌ててすきまの中へと逃げた。例の“契約”がある為に、紫は霊夢の前に姿を現す事は出来ないのである。紫が消えた事により、居間には少しの静寂が訪れた。
 一連の会話をぼうっと眺めていた橙が、不思議そうに首を傾げて尋ねる。

「さっきのって紫様ですよね? こっそりと、私たちの事を覗いていたんですか?」

 耳を引っ張られた勢いでズレ落ちた帽子に手をやりつつ、藍は答える。

「そうだよ。霊夢に気付かれないように、こっそりとね。いずれ霊夢が成長すれば、そういった一方通行な干渉も出来なくなるだろうけど」

 藍が思うに、今の霊夢はまだ自分の力を自在に使いこなせてはいない。本来、霊夢の能力ならば紫がすきまから自分を覗いていたとしても、彼女の発達した霊感を以てして、その監視に感づけるはずなのだ。そういう訳で、“今は”霊夢が覗きに気付いていないので、紫もすきまを使っての監視が出来ていた。
 もしくは既に【監視の目】に気付いていたとしても、霊夢がその「覗いている奴」が紫だとは認識していないから、まだ契約には違反していないのかもしれない。
 どちらにせよ霊夢が物心つくようになれば、今のように紫がこっそりと霊夢を覗くことも出来なくなると藍は想定している。

「それにしても……」

 藍は引っ張られて赤くなった耳を押さえながら、霊夢へと目線を送った。障子戸を開けて居間に入ってきた彼女は、自分が放置されていた事に不満を感じているのか、珍しくふくれっ面で畳の上を歩いてくる。
 橙はそれを興味深そうに見つめる。そして霊夢の事を、まるで珍獣かでも見るかの様にまじまじと観察し、藍へと振り返った。

「ふーん、こいつが博麗の巫女かぁ。私、なんだか懐かしい臭いを感じます」

 それを聞いて藍は小首を傾げる。

「うむ、そうか? 橙は霊夢とは会ったことが……ないはずだが」
「まぁ人間の臭いなんてどれも似た様なものですしね。それにしても紫様は、こいつと“かくれんぼ”でもしてたんですか?」
「かくれんぼ?」

 藍は、久しく聞いていなかったその遊びの名前が、何故彼女の口から話されたのかと聞き返す。問われた橙は胸を張って自信満々に答えた。

「だって、こっそりと覗いて気付かれないようにするなんて、まるでかくれんぼしてるみたいじゃないですか」
「はは、なるほど、かくれんぼか。いや、かくれんぼとは、また違うような……」

 瞬間、落雷の如き衝撃が藍を襲った。彼女の脳裏に、天啓のような一つの種が生まれた。――育てればゆくゆく素晴らしい妙案になりそうな、小さくも輝ける種が――藍は勢い良く首を橙の方へ振ると、思わず大声を上げる。

「橙! ちょっと、霊夢と遊んでなさい!」
「え、いいですけど。藍様はどうするんですか?」
「私は、ちょっと考え事をする!」

 そういうと藍はちゃぶ台の上に紙を広げて、懐から取り出したペンで何やら図式を書き始めた。
 橙はそれを横目に見ながらも、なんだか難しそうな話だったので、首を突っ込まず大人しく赤ん坊と遊んでおく事にした。
 藍はガリガリと音を立たせてペンを走らせながら、ぶつぶつと独り言を始めた。

「“気付かれない”。それは、つまり相手の意識から外れているということ……。関わらないという事と、意識されないという事、それらが同一であるならば……」

 彼女の頭は最適解を求める為に駆動し、その手は擬似記憶装置としての役割を果たそうとインクを消費させる。ことは主の凋落に関わるのだ。その為に藍は憶測ではなく、確証が欲しかった。
 人間では到底なしえない、仮定だらけな式の補完。藍はその頭脳を持って欠落した論理を継ぎ足して、それを完成へと押し進めていった。

「契約の対象者が死亡した場合、恨みなどにより制約が厳しくなる場合があるが。いや、幻武は恨みを残さずに死んだ、つまり、こちらはクリア出来る」

 やがてインクで真っ黒になった紙片の右隅に、答えが一言、書き込まれた。

「解答。紫様は霊夢の前に姿を現しても差し支えない。――うん、この策なら問題ないな」

 藍は喜びに顔をほころばせながらペンを置いた。――それは主の願いが叶う事と、自分の雑務が減るという事への、二つの喜び。
 安心した藍は、霊夢の相手をしている橙の方へ目をやる。彼女はちょうど、霊夢と一緒に積み木で遊んでいるところだった。

「うわぁ、あんた積み木上手いわねぇ。言葉もしゃべれない癖に生意気よ」
「ぶー」
「何よ、馬鹿にして! 私だってこれくらい……ああっ」
「あぁう」

 盛大に崩れる積み木の音を聞きながら、藍は微笑ましく思って、二人をしばらく好きに遊ばせる事にした。




    ◇    ◇    ◇




 干していた洗濯物を取り込んで居間へ戻ると、橙が霊夢に向かって何やら言い聞かせていた。

「いい? この世界は紫様と藍様のお二人によって支えられているのよ? あんたも、その事を胸に刻んで、よぉく感謝しながら生きなさい」
「あーぶー?」
「本当に分かったの?」
「うー……」

 誰が見ても霊夢は橙の話など聞いていなかったが、当の本人は責務を果たした充足感で笑顔になっていた。様子を見ていた藍は、くすりと笑いながら居間へと入り、言い聞かせるように橙へ話しかけた。

「橙、霊夢はまだ言葉が分からないんだよ。そのような事を教えようとしても、馬耳東風さ」
「えぇ? でも、こいつ。私よりも積み木が上手いんですよ? それなのに、なんで言葉が分からないんですか」
「積み木が上手いのと言葉を喋れるのとは、関係がないじゃないか」
「でも、こいつ、ご飯も一人で食べれるし、ちゃんと空も飛べるし! ……そんなの、おかしいですよ」

 確かにおかしい。
 藍は自らの式神の言葉を一度は否定したものの、やはり全面的に同意した。
 霊夢は、ありとあらゆる事に対して早熟な習得を見せている。だがしかし、言葉を操る事だけは人並みよりも成長が遅い。いや、遅いというよりも、習得そのものが不可能であるかのように、霊夢は言葉を全く口にしないのだ。

「そろそろ、単語の一つや二つ、口にしても良い頃なのだがな。うーむ……」
「全くこいつったら! 藍様や紫様の素晴らしさや、妖怪が如何に強いかを教えてやってるのに、まるで理解しようとしないんだから!」

 橙はあたかも霊夢が聞き分けのない妹であるかのように、不満そうに頬をふくらませた。
 藍は洗濯物が入った籠をちゃぶ台の上に置くと、ゆっくりと腰を降ろす。そして二人の間にかがみ込むと、橙と霊夢の頭を一緒に撫でてやった。そして人差し指を立てながら、あることを頼んだ。

「橙、霊夢を見ながら洗濯物を畳んでおいてくれ。私はその間に、夕飯の支度をするからな」
「はーい」
「うぅ~」

 霊夢の返事とも取れるような声を背中で聞きながら、藍は台所へと向かう。そしておもむろに立ち止まると、台所と居間を隔てる扉の影に浮かぶ、小さな“亀裂”に向かって呆れたような声を放った。

「紫様、そんなに霊夢が見たいなら、堂々と姿を現したらどうです?」
「!!」

 すきまが、ビクリと揺れる。
 無言のまま一拍置いて、二つの瞳がすきまに浮かび上がる。それは藍に向けて怯えたような視線を送った。

「ら、藍。霊夢はいないの?」
「私の後ろで橙と遊んでますよ」
「じゃあ出られないわよ」

 紫は静かにすきまを閉じようとした。
 だがそれを逃がさんと藍の手が素早く伸びて、紫の右腕をしっかりと掴む。そして、すきまから主の体を引っ張りだそうとした。不意打ちを喰らった紫は、そのまま上半身をすきまから引きずりだされ、自然と社務所側へと飛び出してしまった。すきまは、主を置いて勝手に閉じて消えた。

「ちょっと藍! 貴方……」

 畳の上に引きずり下ろされた紫は、抗議の声を上げると共に、居間にいる霊夢と目が合って固まった。
 彼女の脳内では、その時きっと、幻武との契約の事がぐるぐると円を描いて廻っているに違いなかった。彼女は霊夢が少女でいる間は、姿を現さないと幻武と己の魂に誓っている。――それを破れば魂は傷つき、妖怪として致命的な凋落を負うことも免れない。

「あ、あ、どどど、どうしよう」
「落ち着いて下さい紫様。私が“抜け道”を用意しておきましたから」

 藍は懐から一枚の紙を取り出すと、それを慌てふためく紫へと差し出した。受け取った紫がそれを見ると、そこには長々と論文のようなものが書かれていた。

「何よコレ? 『認識と記憶の同一視』……また新しい数式でも開発したの?」
「ごほん! では、私が説明しましょう」

 障子戸の陰に身体を隠し、霊夢の視線から逃げる主に向けて、藍は淡々と解説する。

「いいですか? 紫様が契約によって介入を禁じられているのは霊夢の“少女”という時間に対してです。つまり彼女が大人になってから過去を振り返り、“己が少女であった”と思い出して認識する期間に、紫様がいてはならないのです」
「そういう捉え方も可能ね。ただ、その期間というのが明言されていない……。だから私も、いつまで霊夢に関わって良いのか、関わってはならないのか、はっきりとは分からないのよ」

 不安そうに言いながら、ちらりと居間の方を見た。そして霊夢がまだこちらを凝視しているのに気付いて、慌てて紫は頭を引っ込める。

「ふっふっふ。そこで、幽夢との契約を思い出してみてください。紫様は幽夢との契約の中で、霊夢が12歳になるまでの扶養義務を約束しました。それに則れば、霊夢は12歳までは扶養されるもの、つまり少女であると見ることが出来ます」
「……うーん、一応の言い訳にはなりそうだけど。でも、それは霊夢の“少女の時間”を確定させる理論であって、私が霊夢の前に姿を見せて良い理由にはならないわよね? 12歳までが少女なのだったら、今だってあの子は少女よ」

 それを受け、藍は腕を組んで得意げに、先ほど紫へと渡した紙を指し示した。

「そこで利用するのが霊夢の幼さです。今の霊夢には人を個別に認識出来る能力も記憶力もありません。霊夢が紫様の事を個別の存在として認識した、とこちらが判別出来るまでは、霊夢は紫様を認識していない事になるのです」
「認識と記憶の同一視……。つまりは、本人が認識していなければ記憶にも残らないと解釈する。という事かしら」
「そういう事です。霊夢の記憶に残らなければ、それは霊夢の時間に紫様が介入した事にはなりません。だから紫様は、自分が霊夢に認識されるまでは好きなだけ、自由に接して良いのですよ」

 紫はしばしの間、深く、深く考えた。
 本当の事を言ってしまえば、例え抜け道のような方法があろうとも、基本的に紫が霊夢に会うのは避けるべきである。何故ならば、紫のような力の強い妖怪でも、魂の契約に違反する事にはなんらかの歪みを孕む可能性があるからだ。それは人間ならば死と云う代償であり、妖怪ならば存在の凋落といった重大な手落ちに繋がる。
 ましてや自分は――紫の存在は、自分だけのものではない。
 紫は幻想郷を作った一人でありながら、幻想郷の為に生きる一人なのである。自分の都合だけで、己が身を危険に晒す事は、彼女には決して許されていなかった。

「……それでも」

 紫はすっくと立ち上がる。肩を僅かに揺らして、ふらりと、障子戸の陰から現れた。

「紫様」

 藍の理論は確かに筋が通っている。
 だがそれは、あくまでもこじつけであり、屁理屈であり、誤魔化しである。それが契約違反と捉えられて、紫に懲罰が下される可能性は十分にある。何せ魂の契約を裁くのは人でも神でも妖怪でもなく、契約した当人たちの魂なのだから、その裁量は誰にも予想できない。
 だから藍も、本心では紫にこの提案を蹴って欲しかった。――霊夢に会わないだけ――それだけで、主の役割は依然として変わりなく遂行され続けるのだから。幻想郷の管理者として、天上に君臨し続けられるのだから。

「霊夢、久しぶりね」

 戸の陰から現れた紫に対して、霊夢は畳の上で尻餅をつきながら、口を半開きにしてその顔を見上げる。
 髪の毛を結ぶリボンが、ちらちらと微かに揺れた。

「ふふ、憶えてはいないか」

 紫は膝を畳に着けると、霊夢の体躯をその細腕で抱き上げる。その顔には嬉しさや楽しさは見られず、むしろただ憂いにのみ満ちていた。

「あれ? 紫様って霊夢に会っちゃ駄目なんじゃ……むぐっ」

 その様子を見ていた橙の唇は、咄嗟に後ろに回った藍の手で蓋をされた。

「むぐう」
「さて橙、私と一緒に薪割りでもしていようか」

 式神の口から手を離すと、藍は畳に座り込む主を横目に居間から出て行こうとする。橙は「はーい」と元気よく返事をして藍の腕から抜け出すと、一足早く障子戸を開けて庭へと駆けていった。
 藍も続いて廊下へ出ると、開きっぱなしの障子戸へ手を伸ばす。

「貴方がその道を選ぶというのなら、反対はしませんよ」
「…………」

 紫は無言のままで霊夢を抱きかかえ、対する式神は障子戸に手を掛けたままで、あくまでも互いを思って視線を交錯させる。
 長年連れ添った主従なのだ。今更、互いの幸せを願わぬはずは、ありえなかった。

「ただ、あまり……。人間の成長を侮らない方がよろしいかと」
「分かって、いるわ」

――特に、博麗の巫女ならば。

 その言葉を付け加える事を、藍は憚った。




    ◇    ◇    ◇




 なんとも珍しい光景であった。
 博麗神社にある社務所の居間で、ちゃぶ台を囲み総勢4人が夕飯を食べている。

 八雲紫、八雲藍、橙、そして博麗霊夢。
 その4名は各々がまったく別々の料理を口に運びつつ、今後の事について話し合おうとしていた。

「えーっと、紫様?」
「何かしら?」

 油揚げを噛みちぎりながら、式神は主に質問する。
 ちなみに紫が食べているのは至って質素な精進料理だ。そして、その全ての料理を藍が作ったのは言うまでもない。

「その、紫様が霊夢の世話をするという事は……、私たちはお暇を頂けるのでしょうか?」

 少し言いにくそうに、ただちょっと期待を込めた表情で問う。
 藍としては、一刻も早く幻想郷の管理という仕事に戻りたかった。ここ暫くは霊夢につきっきりだったので、きっと仕事が溜まりにたまっているのだろうと心配なのである。
 だが、主から返ってきたのは残酷な答えだった。

「駄目よ。貴方の仕事は私の補佐なんだから、霊夢を育てるのも補佐してもらわないと」
「ああ、さいですか……」

 内心、藍は頭を抱えて倒れこみたい気分だった。しかし、隣に座る霊夢へ向けて無垢な笑みを見せる紫の前では、文句も反論も出せないのである。

――やれやれ、私も甘いな。

 藍は虚脱感を覚えながらも、霊夢へと視線を送った。彼女は危なっかしい手つきながら、もくもくと御飯を食べている。

――私は、紫様の式なのだ。

 改めて藍はそう思う。自分は八雲紫の式であり、八雲紫の為に生きる妖怪なのだ。だから自分は霊夢を育てる事にも、幻想郷を維持していく事にも本質的には興味がない。ただ紫がそれを望んでいるから、それに従事しているだけである。
 故に自分の「本当の願い」というものを、彼女は自身でさえも分かりかねていた。

――私の願いは、紫様を……

「藍?」
「えっ」

 紫の声でふと我に返ると、彼女の目の前には空の湯のみが置かれていた。かちゃかちゃと箸が食器を鳴らす音をしばらく聞き呆然とした後、藍はようやく、それが紫から差し出されているのだと気付いた。

「お茶のおかわり」
「あ、すみません」

 慌てて湯のみへと熱いお茶を注ぐ藍。そしてそれを渡す相手は、自分へ向けて怪訝そうに瞳を光らせていた。

「貴方らしくもないわね、心ここにあらず、なんて」
「はい、少し考え事を……」

 本当の胸のうちを主に伝えることは、出来ない。

「ふむ、そんなに霊夢の世話をする事が気に入らないのかしら」
「いいえ。それよりは……幻想郷の方が心配なのです」

 誤魔化す為の嘘は、眉一つ動かさず藍の口から流れ出た。
 主に絶対服従し、偽ることなど平常はない藍であるが、それが真に主の為であると信じるならば、その顔貌は途端に精巧な能面へと変わる。その演技は、紫ですらも真に欺いた。

「う、確かに幻想郷の管理も、藍にお願いしたいわね……。参ったわ」

 膝の上に乗ってきた霊夢の頭を撫でながら、紫は言葉とは裏腹に、さほど困ってもいないような表情をした。一方の藍は、そんな主の姿を見て若干の苛立ちすら感じていた。以前の紫ならば、人間の赤ん坊への世話などは捨て置き、自分へと管理の命令を下すはずだった。――それが、今の紫はだらしのない笑みで、霊夢の髪を撫でるだけである。

「仕方ないわねぇ。それじゃあ藍、三日後には管理の方に戻って良いわよ」
「ありがとうございます」
「ただし、霊夢の世話をどうすれば良いのか、私に教えていってからね」
「……はい。覚える事は山ほどありますよ」

 二人の会話を黙って聞いていた橙は、難しい話に嫌気が差したのか大きな欠伸をした。それを見た藍は、少し心が落ち着くのを感じる。
 橙が発した無邪気な欠伸一つで、逆立っていた藍の気持ちは潮を引くように薄くなっていくのだ。

 そして藍は、一つ理解出来た。自分にとっての橙という存在が、今の紫にとっては霊夢なのだと。
 しかし、だからといって今の紫を受容することは、彼女には不可能であった。

 藍はそのような心境の変化は表に出さずに、眠たそうに目をこする橙へ向けて事務的に伝えた。

「橙よ。私は三日後に紫様のお屋敷に戻る。良かったら橙も、あの家に帰るか?」

 藍はこれ以上、博麗の巫女に橙が関与する事を嫌った。
 この“博麗の巫女”や“八雲紫”という存在は、幻想郷にとってなくてはならないモノであるが、いかんせん力が強すぎる。太陽は遠くから眺めている分には明るい光を恵んでくれるが、あまり近くに寄れば焼き尽くされるのだという事を、藍はよく知っていた。だから橙にも、この辺りが引き際だと告げるつもりだったのだ。
 だが彼女を想う藍の提案に、小さな猫又は真っ向から反対した。

「えぇ!? 嫌です、私、霊夢と一緒に遊びたいもの」
「なに……? そうか……」

 ほんの数日だけの関わりであったが、どうやら橙は霊夢の事を、本当の妹のように思う程にかわいがっていたらしい。しかし、そのような瑣末な感情で橙をここに置いていく訳にはいかない。そう心に決めて、藍は首を横に振り、静かにただ断固とした口調で告げた。

「いや、橙もここを出なさい。これは命令です」
「うぅ、そんなぁ」

 尻尾を垂れ下げて俯く橙を僅かに哀れだとは思いながらも、記憶力の薄い橙のこと、数日後にはその悲しみすら忘れているだろうと藍は知っていた。
 きっと人間の赤ん坊と関わったのが珍しかったので、気の迷いで仲良くなったように感じただけなのだ。――そう、気の迷いである――藍は口中で繰り返した。

「あーあ、残念ねぇ。霊夢、あんたとはお別れみたいよ」

 橙の手が紫の胸元に伸びる。そこにある霊夢の顔は、まるで人形のように一定の表情で橙の手のひらを見つめていた。猫に相応しい長く鋭い爪が、櫛のように霊夢の豊かな黒髪を梳いた。

「ぶぅ」

 喜ぶでもなく、悲しむでもなく、ただ霊夢は猫又の瞳を見つめていた。
 その表情を正面から橙、その後ろから藍、真上からは紫が、ぼうっと見つめていた。――見る人が見れば、戦慄していたであろう。何故なら、その部屋にいる4つの生き物は、揃えたように、能面が如き無表情になっていたからだ。

「藍様、やっぱりこいつ」

 橙は霊夢の髪の毛から離した手を凝視しながら、白けた声を居間に零した。

「まるで、ここにいないよ」




    ◇    ◇    ◇




 八雲紫は優秀である。
 普段の立ち振る舞いから愚迂多良に見られることの多い紫であるが、実のところ彼女は何をやっても生物として最高水準の力を発揮できる。
 ただし、それは決して突出はしない。決して、その道を極めた者には打ち勝てないのである。彼女の特異な能力が、しかし全てを補完してきた。よって、八雲紫は最強であるのだ。

 そんな彼女でも、人間の赤子を世話するという経験は、まったく初めての事であった。そんな初めての育児を、全て完璧にこなせるまでの器用さは、さすがの紫も兼ね揃えている訳ではない。
 それも、そのはず。彼女は、あくまでも“出来そうに見せかける”だけで、結局のところは実力が伴うまでの誤魔化し。――それが紫の常であった。
 そして永年、彼女に仕えてきた藍は、その事をしっかりと分かっている。だから自分がいなくなる三日までの間に、主に対して育児の特訓を施した。料理や洗濯、その他家事の全般、そして霊夢の行動形式など、その全てを叩き込んだ。
 そして紫も文句を垂れながら、その講習を見事に受けきったのである。

「本当に、明日から居なくなって大丈夫ですか?」
「あなた、誰に向かってものを言ってるのよ。式に心配される程、落ちぶれたつもりはないわよ」

 縁側からは、ちょうど完成した満月が見える。それは妖怪たちにとっては宴の時。
 ただ、それを愉しむ気持ちにはなれない藍が、紫と共に佇んでいた。霊夢は居間で橙と遊んでいる。最後になるかもしれない霊夢との時間を、橙はきっと楽しんでいるはずだった。
 虫の音が良く響く中、藍が静かに口を開いた。

「紫様にお教え出来る事は、もうないですね」
「ええ、ありがとう」
「ただ、私からひとつだけ。霊夢に関して不安な点を申し上げたいのです」
「不安? あら、何かしら?」

 基本的に紫は単独行動を好む。だから主と別れる事に、いちいちセンチメンタリズムを感じる藍ではなかった。実のところ藍は、これを伝える為だけに紫と二人きりになったのだ。
 彼女の中で、この数週間を霊夢と過ごしてきて感じた“ある事”が、小さな棘のように胸中奥深くに引っかかっていた。それは霊夢の両親も薄々と感づいていた事であり、彼女と一緒に過ごせば誰しもが感じる事のはずだった。
 ただ、紫だけは――我が主だけは例外であると、藍は見咎めていたのだ。だから、自分が伝えなければならない。

「紫様。霊夢の様子が、普通の赤ん坊とは、どこか違う様に思いませんか?」
「それは当然じゃない。この子は博麗の巫女なんだから、普通じゃ困るくらいよ」
「そう、彼女は博麗の巫女です。信じられない早さであらゆる事を習得する天才です。ただひとつ、彼女は未だに言葉というものを知りません」
「ええ。だけど、それは一般的な指標よりも少し遅い程度じゃない。まだ気にするような時期じゃないわ」

 やはり、と藍は鼻から大きく息を吐いた。彼女の不安は的中していたのだ。――目の前の主は、盲目。目が曇っている。真実を直視していないのだ。
 軽く咳払いをしてから、藍は気を取り直して続ける。

「学習能力とか成長とか、そういう単純な話ではないのです」
「あら、じゃあ……どんな複雑怪奇な話なのかしら?」

 嫌味っぽく紫が笑う。ただ藍はあくまでも冷静に、事実だけを伝える。

「いいですか、霊夢は“自分以外に興味がない”のです。生まれながらにして絶対的な能力を持った故に、孤独。……それは紫様も良く知った話だと思いますが」

 紫の表情から、余裕が消えたように思えた。実際、彼女に余裕がなくなったとして、それを表情に現すのかは不明であったが、とにかく紫の表情は厳しさを内包し始めたのである。

「……霊夢もそうであると言いたいのかしら。孤独であると。――何を根拠に? あの赤ん坊が孤独であると、誰が判断出来るのかしら」

 紫は苛立ちを隠さず、藍と視線を合わさぬままに吐き捨てた。「まるで戯言である」と、藍の言葉に耳を貸そうとしなかった。だが、そんな汚物から目を逸らすような紫の態度に、藍は毅然とした態度で立ち向かい、それを直視させようとする。

「根拠なら……霊夢が言葉を覚えない事が何よりの証拠です。恐らく彼女は既に人語を理解している。しかし必要だと思っていないから習得しないのです。人との関わりに必要な道具である、言語を」
「そんなのは推量でしかない。あなたの勝手な思い込みじゃなくて?」
「紫様、私は明日から放置していた幻想郷の管理の為にお暇をもらいます。その間、霊夢にとって大事な時期を貴方が預かるのですよ」
「分かっているわよ。だって、それが幽夢との約束だもの」

 しばしの時、無言が二人の間を通り抜ける。意見の対立など、実に久しぶりの事だと紫は自嘲った。
 出会い、服従させた時より自分に歯向かう事のなかった藍が、今は自分に向かってまるで説教のような事をしている。紫は、それがほんのり嬉しくもあった。

「紫様。……霊夢は、神社に妖怪避けの結界を張っていません。それは何故だと思いますか?」
「きっと、父親に似たのね」
「そうです。必要だと思っていないから張っていない……。そういう事です」
「……私に、どうしろって言うのよ」

 気だるそうな声と共に、紫は縁側に腰を降ろした。それに従うように膝をつくと、藍はようやく結論を出した。

「私は妖怪です。人間にとって何が正しいのか、そして間違っていたとして、それをどう直すのかも分かりません」
「……私も妖怪よ。分かるわけないじゃないの」
「しかし、紫様は霊夢を育てるとおっしゃった。責任を持って育てると。それは生命活動を維持させるという意味だけではありません」
「分かってるわよ、そんなこと。……でも、全部私にやれっていうの? 私が、幽夢や幻武の代わりになって、全てを……」
「……私も可能な限りは手伝わせて頂きます。しかし、指し示すのは紫様なのです。霊夢にとって、今の親は、貴方になるのですから」
「はぁ。私が、親、ねぇ……」

 月が薄い雲に隠れる。
 庭先を照らしていた月光が途絶えて、辺りは一変して薄暗くなる。故に、ため息混じりの言葉を、紫がどのような表情で放ったのか。藍にはそれが分からなかった。




    ◇    ◇    ◇




「それじゃ元気で良い子にしてるのよ! 紫様に迷惑掛けちゃ駄目だからね!」

 橙は腰に手をあて胸を張ると、紫の腕の中に抱かれた霊夢へと忠告した。
 その瞳は僅かに湿っぽかったが、お姉さん役だった彼女は、決して泣きはしまいと口を真一文字に結んでいる。

「紫様、くれぐれも……」
「ええ、貴方も管理の方を頼むわ」

 言葉少なに従者と主は別れた。お互いに、それぞれの心の内は分かっているつもりだった。だから今は、何も言わずに時間を置くしかないのだ。

「じゃーね、霊夢!」
「うぅ」

 返事のように聞こえた小さな呻き声は、実は橙への応答ではなかった。――それは自身の臀部が尿で汚れた事に対する抗議の意味を持っていたのだ。
 しかし橙はその“返事”に満足して、涙を見せまいと藍の陰に素早く身体を隠した。

「あう~」
「あら、霊夢。どうしたの?」

 やおら手足を動き出した霊夢の異変に気付いた紫は、赤子の股の辺りがほんのり暖かいのを、その肌に感じた。紫の表情が一瞬だけ引きつり、また笑顔に戻る。

「あらあら、しちゃってたのね……。ちょっと、ら……!」

 思わず出しかけた呼び声を口中に押しとどめ、紫は目の前の従者へと薄い笑みを漏らした。

「あ、あはは。そ、それじゃあ。元気でね」
「ええ、何かありましたら『召喚』してください」

 紫は手短に挨拶すると慌てて踵を返し、霊夢を居間へと連れていった。その様子をしかと見届けてから、藍と橙は社務所から離れた。最後に一言添えて。

「信じていますよ、紫様」

 こうして、紫と霊夢の二人だけの生活が始まった。だが、従者が去った事に気付かぬ程、紫にとってその始まりは慌ただしい幕開けとなった。

「ヤバイわ。絶対、この子、しちゃってる……!」

 居間へとやってきた紫は、とりあえず霊夢をちゃぶ台の上へ乗せて、箪笥の中から着替えなどを引っ張りだした。
 そして緊張で震える手を伸ばして、その着物をはだけさせていく。やがて現れた本丸からは、汚物の臭いが漂ってきた。

「あ、ぐ……。なによ、おしめを替えるくらい……私には造作もない、事……」

 そうは言ったものの、汚染された布地を目の前にすると、彼女の手はたじろいだ。
 意を決して、用意した手ぬぐいで汚れた臀部を拭うものの、その唇は拒絶で微かに震えていた。

「さぁ霊夢、今綺麗にしてあげますからねぇ」

 顔を引きつらせながら、あやすような言葉を投げかけ、慣れない手つきでおしめを替えてやる。そして汚れたものをその手に持って、用意した洗濯籠の中に放り込んだ。全ての作業を終えると、紫は止めていた息を一気に吐き出した。

「ぐっはぁ! うぅ、終わったわ……」

 彼女は美しかった。
 それはまるで名画のような完成された美しさで、しかも自らの能力をもって汚染される事も知らない。だが今の彼女には、自らの手を糞土に晒す事が必要であった。
 その甲斐もあって、目の前にある瑞々しい幼い臀部が、自らの手で汚れを落とされた。

「はぁ……」

 紫は思わず熱い吐息を漏らした。目の前にある美しさは、自分が持っているものとは、まるで違う。そして、それこそが紫の真情に欲していたものだった。彼女は自らの汚れた手を呆然と眺めると、思い出したように口の端から大きく息を漏らした。

「ふーっ。それじゃ、洗濯してくるから。大人しく待ってるのよ」

 紫は洗濯籠を抱えると、障子戸を閉じて指をパチリと鳴らす。つまり、そこに簡易な結界を張ったのだ。簡易といっても、彼女の張る結界は基本的に強力無比である。それは例えば、幻武が紫を閉じ込めるのに使用したものよりも、圧倒的に頑強な結界であった。
 廊下に出た紫は、籠を片手に颯爽と洗濯場へ歩む。すると籠の中から洩れた仄かな刺激臭が風に乗って、紫の鼻腔を劈く。「ぐぇっ」と顔をしかめてえづきながら、鼻を摘まんで、おしめをタライの中に放り込む。
 そこまでの動作だけでも、紫は大変に疲弊していた。おしめを替えるというだけの事が、こんなにも穢れる事だとは思っていなかったのである。その覚悟の不足も相まって、紫は心が折れそうになっていた。

「あの子たちったら、こんな事を毎日していたなんて……」

 とりあえず洗濯を済ませた紫は、二人の人間の顔を思い浮かべて呟いた。いつまでも自分が世話をしていたはずの人間たちは、自分には想像もつかないような事を日々続けていたのであると、彼女は気付いたのである。
 とりあえず一連のおしめ騒動を終えた紫は、重い足取りで廊下を歩いて居間へと戻ってきた。

「……ふぅ。霊夢、戻ったわよ」

 この先、霊夢を育てていけるのだろうかという不安が、紫に気だるさを孕んだ声を出させた。
 そしてその手が結界を解く直前に、紫はある事に気付いた。それは、霊夢が部屋を出て行かないようにと仕掛けた結界に対して、癖でついつい“音を遮断する能力”まで付加していたこと。

「あぁぁぁぁあ!」

 障子戸を突き破らんばかりの泣き声が、結界の解除と同時に紫の身体に突き刺さった。
 ずっと異変を訴えていたのであろう大きな叫び声は、紫の結界によって完全に遮断されていたのだ。

「霊夢!?」

 慌てて障子戸を開け放つと、そこには額を赤くした霊夢の姿があった。見ると箪笥の上にあった小さな置き時計が、霊夢の傍らに転がっている。
 みるみるうちに腫れ上がっていく霊夢の額を見れば、そこで何が起きたのかは想像に難くない。

「あぁ、もう! なんて事を……」

 結界で部屋から出られなくすれば、目を離しても安心だと思っていた自分が恨めしい。――紫は唇を噛んだ。
 そう言えば藍には、どんな時でも目の届くところに霊夢を置いておくように口酸っぱく教えられていた。それを思い出しつつ、紫は自分の犯した過ちに強く歯ぎしりをした。

「だって、こんなの……予想出来ないわよ……!」

 誰かに言い訳をするように呟きながら、紫は台所に駆けこんで冷やした手ぬぐいを作ると、それを霊夢の額にあててやった。
 幸いにして角で肌を切ったりはしていなかったが、その痛々しい姿に紫は胸が締め付けられるような感覚を味わう。

「あぁぁ! あー!」

 目を細めて顔を真っ赤にしながら泣き叫ぶ霊夢。紫にとってはそれが、初めて見る彼女の泣き顔だった。

「ごめんね、霊夢。私が目を離したばっかりに……」
「うぅうぅ、ううー!」

 やがて泣き声も小さくなってきたが、霊夢の額には真っ赤なたんこぶが出来てしまった。頭を撫でてなんとか泣き止まそうとするものの、その痛みは簡単には消えそうになかった。

「そうね、霊夢。貴方は赤ん坊なんだもの。私が守ってあげなくちゃいけないのよね」
「うぅ~」

 紫の胸中に、あの“約束”は無かった。今、紫はただ純然たる想いで、その言葉を口にしていた。

 霊夢がようやく泣き止んだ頃、紫は自分の従者が社務所から去っていった事に遅まきながら気付く。霊夢の傷を処置してあやしていたら、もう既に夕飯時になっている、しかも準備は誰もしてくれてはいない。そこで紫は、この先は自分だけが霊夢を育てていくのだと、改めて認識させられたのだ。




    ◇    ◇    ◇




 紫は壁に紙を貼りつけた。
 朝から「起床」「朝食準備」「洗濯」「薪割り」と続き、夜の「就寝」まで。一日の行動スケジュールが書きこまれた紙である。

「よーし。まずは、これから始めましょう」

 それは端的に言えば『紫の生活改善』であった。

「霊夢の親になるっていうのなら、まずは人間と同じ生活をしなきゃ」

 そんな決意を胸に、彼女はいつもは寝るはずの時間に朝食作りを始めた。
 妖怪というのは基本的に夜行性である。紫も例外ではなく、夜に起きて朝に眠る生活をしていた。それも、気の遠くなるような昔からの生き方である。だが、彼女はそれを変えようとしていた。

「こうして壁に貼りつけておけば、大丈夫よ。さぁ、霊夢。私も頑張るから、貴方も大人しくしていなさいよ」

 眠そうに目を細めて、畳の上に尻餅をついている赤子に向けて話しかける。
 このスケジュール表は紫にとって、謂わば“自己へのルール”ともいうべきモノなのだ。

 八雲紫は規律に縛られる存在である。
 彼女は境界を操るという特異な能力を持っている。それは物理的、概念的を問わず、全ての境目をいじくってしまう恐るべき能力。だから、その能力を持っている彼女は“曖昧”でもあった。ともすれば自分自身さえも世界との境界を失って、そのまま消えてしまうような、彼女にしか分からない危険性を孕んだ能力。

 だからこそ、彼女は己を律した。ありとあらゆるルールを作り、掟で人と自分を縛っている。それが自分の作り、自分の管理するルールであったとしても、彼女はそれを破ることを好としなかった。
 そのルールを破ったら、曖昧になってしまうからだ。自分という存在が。この世界と自分との境界が。

「あ、そうだ。まずは着替えなくちゃね」

 気付いた紫は料理の手を休めると、霊夢の元へ歩み寄った。そして、彼女を寝間着から巫女服へと着替えさせてやる。
 服を脱がされ、しっかりと着付けされ、最後にリボンを髪の毛に結ばれる。その間、彼女はじっと天井を見上げていた。自分の身体を触る妖怪には目もくれずに、木目の綺麗な天井を見つめていた。

「本当に、この子は全く……」

 羨ましい。
 そのような言葉が彼女の唇によって形作られる。

 霊夢は自由だ。何にも縛られていない。――紫はそのように感じていた。
 幾代にも渡り、巫女を、そして自分を縛り付けてきた『博麗の巫女』という大きなものでさえ、あるいはこの子ならば。――そのように思って、紫の胸中は複雑になるのであった。

「やめましょう。余計なことは」

 紫は眠気に霞む目をこすりながら、台所へと戻っていった。ここから少しずつ時間をずらして、夜昼逆転の生活にするのだ。
 生活周期を人間と同じくする事が、紫の子育ての始まりとなった。




    ◇    ◇    ◇




 暖かい日差しに包まれた庭で、紫は、ただ霊夢を見ている。
 世話をするといっても、たまにおしめを汚したのを換えたり、御飯を作ってやったりするくらいのものである。
 何しろ、この赤子は、なんとも手の掛からないものだった。
 天気が良いので廊下に出してやると、一人でお手玉を弄び遊んで、紫に迷惑を掛ける事もなく一日を過ごす。そういった訳で今日も、紫は背後にいる霊夢へ意識だけを向けて、憂鬱に縁側へ腰掛けていた。

「参ったわね。こんなに後悔した事なんて、今まで生きてきて、他にあったかしら」

 彼女は未だに悔恨の情に囚われ続けていた。――何故、自分がいながらにして、幽夢と幻武を死なせてしまったのか――自分のあまりにもらしくない失策を、彼女は今も責め続けていた。
 全ては自分の掌の上で転がる駒ではなかったのか? 幻想郷という盤上を支配するのは、常に自分ではなかったのか?
 彼女は胸中、その矜持が根底から揺らぐのを抑えきれなかった。

「ねぇ、妖怪さん」
「えっ」

 目の前から聞こえた声に驚いたのは、紫がそれほど上の空であったからだ。
 リグル・ナイトバグが、これほど無防備な紫の前に立つことが出来るのは、彼女の長い生の中でも、これが最初で最後だろう。紫が上の空で大きな隙を見せるなどという事は、それほど稀有な場面であった。
 惜しむらくは彼女が、紫の寝首を掻こうという刺客ではなく、通りすがりのただ暇な妖怪であった事だ。

「あれ? なんで妖怪がここにいるのよ」
「そりゃ自分に向かって言ってるの? それに、神社に妖怪がお参りに来て悪いかしら?」

 リグルの言葉を耳に入れた紫は、晴天に囲まれた神社の周りを一瞥し、続いて背後で廊下に寝そべっている霊夢に目をやる。
 そして、この神社の主がもう幽夢ではない事を、彼女は今更ながら再認識した。今の神社の主は霊夢であり、その赤ん坊は、神社を囲む結界を張っていない。――その事実を知った。

「ああ、やっぱり別に問題ないわ。妖怪がお参りに来たって、神様は喜ばないでしょうけど」
「神様の事なんて知ったこっちゃないわよ。私が来たいから来たの! ……あ、後ろにいるの。もしかして、人間の赤ん坊かしら?」

 紫の背後を指さして、興味深そうに身を乗り出したリグルに反応し、紫は素早く立ち上がった。そして、霊夢を隠すようにリグルの前に立ちはだかる。先程までの寝ぼけ顔から一転して非常に険しい表情になると、リグルを恫喝するように厳しい口調になる。

「ちょっと、うちの子になんの用かしら」
「え、あれって、あんたの子供なの?」
「……まぁ、そんなもんよ」
「ふーん、人間に見えるけど……。ねぇ、ちょっと遊ばせてよ」

 リグルの毒気ない笑顔に、紫も害はなさそうだと判断して脇にどけてやった。どちらにせよ、妙な素振りを見せたら即座に切断してやれば良い、と考えて。
 そんな事は微塵も知らずに霊夢へと近づくリグル。対して霊夢は、初めて会う妖怪の方へ一瞬顔を向けたものの、やはり興味がなさそうにそっぽを向いた。

「なんだぁ、愛想のない子ねぇ」

 目を逸らされて頬を膨らませるリグルに、紫はクスリと笑った。

「赤ん坊に愛想なんて求めるんじゃないわよ」

 人間の赤ん坊は初めて見るのだろうか、目を輝かせて霊夢に話しかけるリグルを眺め、紫は微笑ましく思う。そして他人から見れば、自分もそういった接し方を霊夢にしていたのだろうかと考え、紫は微かに赤面した。

「うーん、瑞々しい肌に柔らかい筋肉……。美味しそうねぇ」
「おい。食べたら殺すわよ」
「やらないわよ! むやみに人食いするなって、最近特にうるさいんだから」

 リグルはどうやら、その「人喰い制限」のお達しを出しているのが、目の前にいる妖怪だとは知らないようだった。
 だが無理もない。紫はあまり表舞台には出ないし、ましてやリグルなどの妖怪は、そんな誰が何を決めただの細かい事を、いちいち覚えてはいないのだ。
 今も、紫の事はせいぜい「なんだか強そうな妖怪ね」程度にしか思っていない。だから彼女の愚痴は続いた。

「最近は山にいる連中が、私たちみたいな山と関係ない妖怪にまで命令してくるから頭に来ちゃうわ」
「仕方が無いわ。最近あそこ、上層部の首が何個か飛んじゃったらしいから。神経過敏になっているのよ」
「ふーん、あなた、物知りねぇ。ちゃんと新聞とか読んでるの?」

 それから暫く、リグルは霊夢にちょっかいを出して反応を楽しんでいた。だが物珍しさに心浮かれていた妖怪も、やがてそれに飽きると霊夢の側からすっと離れた。「どうしたの?」と問いかける紫に「飽きた~」と返すと霊夢へ振り返って、軽々しく別れの挨拶をしようとする。
 そこでリグルは霊夢に向かって手を振りながら、こう語りかけたのだ。

「それじゃあね。大きくなったら、また会いましょう」

 何気ないそのリグルの言葉は、清閑と様子を眺めていた紫の心に、唐突に鋭く突き刺さった。
 大きくなったらまた会おう。――それは、霊夢の心の中にリグル・ナイトバグという妖怪を住み着かせる事になる。霊夢は妖怪に会ってはならない。妖怪の臭いを思い出の中に残してはならない。――紫は幻武との約束を思い出し、こめかみが鈍く痛むのを感じた。魂が歪む音が、耳に届いた気がする。

「ちょっと、いいかしら」

 紫の手が、獲物を捉える蛇のように素早く動き、リグルの肩を掴んだ。それは必要以上に力が込められており、リグルの肩の骨は軋みを上げる。

「あいたただ! 何よ!?」
「リグル・ナイトバグ、貴方は次に霊夢に会うときには、今日の事を忘れている。あくまでも次に会う時が、霊夢と初めて会う時」
「な、何言ってるのよ?? 頭大丈夫?」
「そして、今後10年間は霊夢の前に姿を現しては、ならない」

 紫の瞳が、間近で鈍く光った。それを見た途端に、リグルの全身が意思と関係なしに大きく震えた。
 一昨日の天気すら忘れるようなリグルの頭も、この時の紫の台詞は魂に刻まれたように、10年後まで覚える羽目になった。それほどに彼女の瞳は、もし命令に逆らった時に与えられる制裁の凄惨さを物語っていたのだ。

「あわ、わ、分かったわよ。神社には興味本位で寄っただけだし、今後は近寄らないようにするわ」
「うん、それでよろしい」

 肩から手を外されると、リグルは「何よ、あいつー!」と愚痴りながら脱兎の如く逃げ去った。
 その背後で、霊夢は藤色のお手玉を両手に握りながら、彼方へと消えていくリグルの背中を見上げていた。

「ふぅ、危なかったわ霊夢。貴方を、あまり妖怪に接触させる訳にはいかないもの。……それにしても……」

 今回は難を逃れた紫だったが、このまま神社に何の結界もなければ、この先も妖怪がわんさかと寄り付くに違いない。
 肝心の霊夢は、自分で神社に結界を張る気はないようなので、紫はいっそのこと自分が代わりに張ってやろうかと考えた。結界に関しては紫も博麗の巫女と同等に、最上級の技量を持っている。神社の周りを覆う妖怪避けの結界を張るなど、埃を手で払うのと同じくらい簡単に成し得る事なのだ。

「よし、善は急げね!」

 紫は、さっそく人差し指で空中に小さく円を描いた。その指先ひとつの動きだけで、妖怪を一切通す事のない強力な結界が、音も立てずに神社の周りに展開される。これで先程のような木っ端な妖怪が散歩がてらに神社へきて、霊夢と接触するという事もなくなるはずだ。紫は安堵の溜息をついた。

「ふぅ、これで一安心ね。霊夢が成長するまで、ここで妖怪の目に触れる事なく……」

 呟いた紫の足を、何かが軽く触れた。それは彼女のスカートの裾を引っ張って、まるでその布地を伸ばそうとしているようだった。振り返った紫の目には、その小さな手に力を込めて、自分へと何かを訴えるように裾を引っ張る霊夢の姿が映った。
 その行動の意味は、はっきりとは分からない。だがタイミング的に考えれば、霊夢が何に反応したのかは一目瞭然であった。

「え、何? もしかして、私の張った結界が嫌なの?」

 紫の言葉を理解しているのか、いないのか、霊夢はただスカートの裾を力いっぱい引っ張るだけであった。
 これ以上続けられてお気に入りの一点物が台なしになるのも嫌なので、紫は試しに結界を解いてみた。すると一拍置いてから、霊夢は手を離して何事も無かったように廊下に座り込んだ。

「……どうやら正解だったみたいね」

 霊夢の気持ちを汲んでやれた事を少し嬉しく思う紫であったが、これでまた面倒な事に、神社へ寄り付く妖怪たちにはいちいち自分が対処しなければならない事になった。
 そして不安はすぐに的中して、紫たちの元にはさっそく野良妖精が近づこうとしていた。紫はいちいち相手をするのも億劫なので、妖精程度なら何も言わずに倒してしまおうかと思いつつ、やはり振り返ると妖精に話し掛けた。

「あんたたち、一体何の用かしら」
「え~? ただ寄っただけぇ。あら。ねぇ、その小さな人間って何?」
「ああ、これは、人間の赤ん坊よ……」




    ◇    ◇    ◇




「お邪魔するわ。そして、お久しぶりね」
「ど、どうも……初めまして」
「……! 貴方」

 玄関先に立つ二つの人影を前にして、紫は霊夢を抱いたまま表情を硬くする。

「どうして貴方がここにいるのよ、幽々子」
「いや、最近、遊びにこないから。どうしたのかなぁって。まぁ、風の噂で聞いたわよ。大体の経緯は」
「噂に流れるような経緯じゃ、なかったつもりだけど」

 紫は悪態をつきながら、とりあえず友人を居間に招いて、煎茶を淹れる。冥界からこの亡霊が降りてくる事など、滅多にない。だから紫は、玄関先で彼女の姿を見たときに驚きを隠せなかった。
 こうして顕界で茶を啜り合うのは、もう何十年もしていなかった事のように思う。疎遠という訳ではなかったが、確かに幽々子と会うのは久しぶりであると、紫は感慨もなく思った。

「それじゃ改めて、お邪魔するわ。……ふーん、結構いいところに住んでるのね」

 ちゃぶ台を紫と幽々子が囲み、幽々子に付き従う少女は主人の後ろに控えていた。白色のおかっぱ頭を僅かに揺らしながら、その少女は分かりやすく緊張していた。

「あ、そういえば。その後ろの子はなんなの?」

 紫はさして興味もなさそうに、だが一応といった感じで尋ねる。それに対して幽々子もさらりと答えた。

「ああ、魂魄妖夢。私の家の、新しい庭師よ」

 紹介された白髪の少女は、驚いたように目を見開き、身体を大きく跳ねさせた。そして幽々子に向かって顔を赤くして反論する。

「庭師じゃありませんよ! え、と。初めまして、申し遅れました。幽々子様の剣術指南役、魂魄妖夢です」
「はぁ~……。また随分と可愛らしいのが、後任になったわね」

 紫は、前任者の深い皺の刻まれたしかめっ面を思い出しつつ、感心したように幽々子の後ろに控える妖夢を眺める。そして、こちらへ来て一緒に茶を飲むように手招きした。

「もっと近う寄れ。貴方も飲みなさいな」
「あ、いえ。私は結構です」
「いいじゃない、頂いていきなさい。妖夢」

 幽々子が背中を押すと、続くように紫もお茶を二つ、幽々子の方へ置いた。

「そうよ、折角3人分淹れたんだから。霊夢はまだ飲めないし、捨てるのも勿体無いわ」
「あ、じゃあ頂きます」

 妖夢はコソコソと湯のみを受け取ると、幽々子の陰に隠れるようにして茶を飲んだ。
 その様子を見ながら、霊夢を膝の上に乗せたままの紫が可笑しそうに笑う。

「ふふ、私の事が怖いのかしら?」
「えぇ!? いえ、そんな事はありません……!」

 まるで石のように固く緊張した妖夢の顔を見ると、紫は出会ったばかりの頃の藍を思い出して既視感を覚える。
 良い従者になるな。――紫はそんな風に妖夢の事を評した。

「それにしても……貴方が人間の子供を育てるなんて、どういう風の吹き回しよ」

 幽々子の切り出しに対し、紫は「本題って訳ね……」と手に持った湯のみを置いた。

「……この子はただの赤ん坊じゃないわ。幻想郷の未来を担う大事な人材。育てる人がいなければ、私が育てるのは自然な流れよ」
「ふふ、やっぱり貴方は、幻想郷の事が第一なのね」
「そうよ。私に子供がいるとすれば、それは、この幻想郷そのものですもの」

 そんな会話を蚊帳の外から聴いていた妖夢は、ちょうど目線の先にいる霊夢と目が合った。妖夢は「今、お二人がお話しているのは、この子の事なのか?」と状況把握に務めるのがやっとだ。そして緊張に凝り固まった妖夢の表情とは対称的に、霊夢の表情はまるで弛緩しているように無表情であった。
 そんな従者と赤ん坊の交錯を気にもせず、幽々子は続ける。

「霊夢も可哀想ね。親の愛を受けずに育てられるなんて」

 幽々子の言葉に、紫は顔をしかめて反論する。

「出来る限りは、愛情を持って接しているつもりよ」

 それを否、と幽々子が首を横に振る。

「だって、育てる理由が幻想郷の為だなんて。全ての子供は、無条件に無償の愛を受ける権利があるのよ~」

 仰々しい手振りで、不真面目に説法する幽々子に対して、紫も受け付けない態度を崩さなかった。

「この子には感謝して欲しいくらいよ。この私が直々に面倒を見てあげてるんだから」

 妖夢は剣呑な言い合いのように聞こえる会話の中、針のむしろに居るような気持ちで、もはや口の中が酸っぱくなってきていた。幻想郷のトップ会談とでも言うようなこの場に、何故自分が居るのかと、あまりの場違いに頭がクラクラする。それでも何とか胃から込み上げてくるような圧力を押しとどめ、じっと主人たちの会話に耳を傾ける。
 魂魄家の半人半霊である自分が、この程度のプレッシャーに屈する訳にはいかないと、幼いながらに彼女の責任感が心を奮い立たせるのであった。

「元人間の貴方は、霊夢の味方をしたがるんでしょうけど」
「私だって生きてる時の記憶がないんだから、紫と同じよ」
「それでも……生まれながらの妖怪である私とは、違うのよ」
「でも、それでも育てるんでしょう? その子」

 紫は返事の代わりに、霊夢の頭を優しく撫でた。
 それを見た幽々子は湯のみを静かに机に置くと、ゆっくりと立ち上がる。正確に言えば浮き上がったという方が良いかもしれない。妖夢は思わず「えっ」と零してそれを見上げる。

「それじゃあ、頑張ってね。子育ては大変と聞くわ」
「えぇ、大変ね」

 幽々子は静かに居間を出ると、まっすぐに玄関へと向かった。妖夢は唐突な会談の終わりに驚きながら、慌てて立ち上がる。そして紫に深く頭を下げると、小走りに主人を追いかけた。
 幽々子はそのまま神社を出ると、鼻歌交じりに空に浮かび上がる。それに付き従う妖夢は、咳払いをひとつしてから声を掛けた。

「ねぇ、幽々子様。結局、なんで神社に寄ったんですか?」
「いやいや妖夢。友達の所に寄るって言ったじゃない」
「えぇ? だって、ほんの少し話をしただけじゃないですか。それも喧嘩腰で」
「あれで喧嘩腰だなんて、妖夢はお上品ねぇ」

 幽々子の本題には焦点を合わせない物言いに、妖夢は辟易して追求を辞める。
 取り敢えず妖夢の関心は、これから行く人間の里での観光であり、茶屋での甘味に向けられているのだ。

 今朝、幽々子が朝御飯を食べている時「顕界へ降りたい」と突然言いだした時はどうしようかと悩んだ妖夢であった。しかし、結果としてお供に付くことで、自分も顕界観光が出来るのでラッキー、くらいに思っていた。それがまさか、八雲紫との対面へと繋がるとは、妖夢は予想もしていなかったのだ。
 「そうだ、八雲紫といえば」と妖夢は、先ほどの会談で感じた事を口にした。

「幽々子様、失礼な話ですが、私は八雲紫様に拍子抜けしてしまいました」

 妖夢の言葉に、幽々子はニヤリ、と楽しそうに笑った。

「あら、もっと恐ろしい妖怪だと思っていたの?」
「それもあります。ただ、幻想郷の守護者たる妖怪があのような気配しか持たないとは……。まるで人間と変わりないじゃないですか」
「ふぅん、妖夢も、ちゃんと目が見えていたのね」
「はあ?」

 幽々子の不可解な物言いに、妖夢は首を捻った。
 もうそんな支離滅裂な台詞への対応には慣れたつもりの彼女でも、いざ幽々子と話すと内容を理解するのに一苦労だった。
 その理解が追いつくのを待つはずもなく、幽々子は続けた。

「紫はねぇ、今は人間っぽいのよね。前の彼女はあんなじゃなかったわ」
「……何かあったんでしょうか」
「最初は気紛れ、ほんの小さな変化。でも、それが原因で起きた歪みが、心を大きくねじ曲げてしまった」
「はあ。今日は随分と噛み砕いた言い方をしてくださるのですね。まぁ、私には全然意味分かりませんけど」
「でしょうねぇ」

 いつものように、そのようなノラリクラリとした話をしていると、彼女たちはやがて人間たちの里へと辿りついた。今の時間帯では通りに人もまばらで、空を飛ぶ二人の方へ顔を向ける者も少ない。

「ほう、ここが人里ですかぁ。流石に夕刻では人もいませんね」
「…………」
「幽々子様……?」

 幽々子はその中でも目的の茶屋へ目をつけると、何故かそこへと真っ逆さまに落下していった。妖夢は慌てて、それに続いて急降下する。

「ちょ、急にどうしたんですか! 幽々子様! そんなに慌てなくても」
「競争よ、妖夢。お店の軒先まで、どっちが先につくか。負けたらお菓子はお預け」
「え、まっ。いきなりズルイですよ~!」

 ここでお菓子が食べられなければ、なんの為に顕界まで来たのか分からない。妖夢はそう思って幽々子に負けじと加速した。だが素早さには自信のある妖夢のこと、やや余裕を持ちつつ落下する幽々子へと追いつき、見せつけるように主へと話しかける。

「幽々子様が負けたら、何かくれるんですか?」
「そうねぇ、昔話をしてあげましょうか」
「いりませんよ! それより、お菓子、おごってください!」
「卑しん坊ねぇ。それでもいいけど……」

 地面に激突するかのような勢いで更に加速した妖夢の身体は、案の定幽々子より先に目的地に到着した。
 少し遅れて到着した幽々子は、一寸も悔しくなさそうな様子で、ただ悔しそうに聞こえる言葉だけを口にした。

「あぁ~、残念だわ~。妖夢に負けるなんて」
「やる気ないですねぇ、その演技……。勝っても全っ然、嬉しくないんですけど……。あ、でも! 約束ですから、お菓子をおごってくださいよ!」
「それもいいけど、ついでにお菓子を食べながら……。お話もしてあげましょうか」

 周りからの奇異の目を気にせず、幽々子と妖夢は賑やかな店内へと入っていった。

 これから語られるのは妖夢にとって、あまり興味のない話。しかしそれは彼女にとって、とても大事な話だった。




    ◇    ◇    ◇




 紫は台所の戸棚を漁っていた。隣の居間では霊夢が昼寝をしている。
 たんこぶを作った以前の失態を繰り返さないよう、勝手に動いて怪我をしないように目を配りながら、万が一に備えて部屋に結界を張っている。それで紫も一応は安心して、居間や台所にある戸棚の引き出しを開け、その中身を漁っていた。
 何故戸棚を漁るかというと、なんといってもここは他人の家であるからだ。家具はそのまま置いてあるとはいえ、紫もどこに何があるかを把握し切れていない。だから整理がてらに、戸棚に眠る食器類の確認を行っているのである。

「あら、これは……スプーンね」

 紫が見つけたのは銀のスプーンであった。一本だけ、他の食器類から離れるようにしまってあったそれは、紫にとっては大きな発見だった。

「なんだ、あいつら良いもの持ってたんじゃない」

 霊夢は箸を使って食事をしているが、それでもまだ扱いが下手でよくご飯を零していた。
 だがスプーンを使えば恐らくは、霊夢が食事を落として服が余計に汚れる事もないだろう。と考えて紫はほくそ笑んだ。毎食ごとに汚れた服を洗うのも、なかなかに骨が折れると紫も気付いたからである。

「さぁ、霊夢。あなたは今日から、これで食事すること」

 眠っている霊夢に向かって指で摘んだスプーンを揺らしてみせながら、紫はそれをちゃぶ台の上に置いた。
 すると同時に、ゆっくりと布団を剥いだ霊夢が、眠そうに細めた目で、紫に何事かと視線を送ってきた。

「あぶぅ」
「あら、起きちゃったの。はい、今日から箸の代わりにコレ使ってね」

 紫は改めて手にとったスプーンを、試しに霊夢へと差し出してみた。
 それに目をやった霊夢の顔は、みるみるうちに不機嫌そうな表情になった。

「うぅ!」

 珍しく強く発声して、霊夢は右腕を振るった。それは紫の手からスプーンを弾き飛ばして、畳の上を滑らせる。
 その行動に紫は目を丸くして、一拍置いてから気付いた。これが初めて霊夢の行った、自分への明確な反抗だと。

「こら、霊夢。食器を乱暴に扱っちゃいけませんよ」

 諭すようにいいながら、拾い上げたスプーンをもう一回差し出す紫。
 だが二度目の拳を手元に受けた紫は、そこで多少の怒りを覚えた。

「ちょっと、霊夢……!」

 身を乗り出した紫は、しかし脳裏に浮かんだ藍のある言葉によって動きを止めた。

『いいですか? どんな時も冷静に、感情任せに怒ったりしちゃ駄目ですよ。妖怪の力で叩いたら、躾どころか死んじゃうかもしれないんですから』

 空中で制止した腕が、再び、ゆっくりと霊夢へと伸びる。そして紫の細い指が、霊夢の黒髪の間を梳いていく。その様子に、霊夢も不思議そうに目を丸くして、ただ声を漏らした。

「あぁう?」
「そう、貴方はお箸を練習中ですものね。……分かった。霊夢が箸をちゃんと使えるようになるまで、私も付き合うわ」

 紫は思い出した。霊夢は異常に学習能力が高いと藍が分析していた事を。
 今は困難な事でも、何度失敗を繰り返していても、それを自分が補ってやれば良いだけなのだ。そうして自分一人で生活が出来るようになれば、霊夢は自分の手から離れて自由に生きられるのだ。それが両親の望んだ事であり、自分たち、そして幻想郷の為には最良の道なのだ。

「そう、一刻も早く。貴方は一人前にならなくちゃ」
「うー?」

 霊夢の身体を抱き締めた。ほんの少し力を入れれば、壊れてしまいそうな柔らかく脆い生命を。
 自分がいなければ、彼女は生きていけない。彼女を守ってくれる人は、もう自分しかいない。
 紫はそう思う事で、拭いきれ無い贖罪を果たそうとしていた。




◇ 8.神の箱庭 ◇





 妖夢の唇にあんみつが運ばれる。
 口中に広がった深い甘みに、妖夢は両目を瞑って身悶えた。

「おいしぃ~! こんなに美味しいものを食べるの、生まれて初めてかもしれません!」
「あら妖夢。あなた、前もそんな事いってなかったっけ?」
「記録更新です! このお店の餡蜜が一番おいしい!」

 店内は噂の甘味を求める人の波でごった返し、話し声が溢れかえり、とにかく騒がしかった。
 そんな中で0.5人と1.5霊の連れ合いは、目的のモノにありつけていた。この店の目玉である果実の盛られた餡蜜は、幻想郷において斬新な新商品として大流行になっている。
 幽々子も自分の餡蜜を口に運び、満足そうに一つ頷いた。

「さて、それじゃあ妖夢。本題に移りましょうか?」
「本題? ってなんですか?? あむ」

 幽々子に一応は視線を送りつつも、餡蜜を食べる手を止めずに妖夢が聞き返す。
 その様子に呆れきった顔で、しかし自分も餡蜜へと手を伸ばしながら、幽々子は彼女を諭す。

「こらこら、これから大事な話をするのに、食べるのをやめなさい」
「えー、幽々子様だけ食べてるのに、ずるいですよ~。それで、何の話なんですか?」
「言ったじゃないの。昔話をするって……あ、でもその前に、妖夢には分かりやすいように……」

 幽々子は閃いたように手を叩くと、視線を天井へ向けて数秒の思案の後、妖夢にこう切り出した。

「妖夢には分かりやすいよう、童話風にしてあげようかしら」
「もう、子供扱いしないでくださいよ」
「むかーし、むかし……」
「あ、駄目だ、聞いてない」

 憮然とした態度の妖夢だったが、その幽々子の語り口は不思議と耳を傾けさせる魅力があり、その興味深い内容は彼女を没頭させた。それはこんな話であった。




――むかーし、むかし。

 あるところに美しい女神様がいました。
 女神様は人間がだいっ嫌いで、同じような力を持つ仲間たちとだけで、人間のいない場所で暮らしたいと思っていました。
 でもその仲間たちは人間を食料にしなければ生き残れません。そこでまずは女神様、仲間たちが生きやすいように、小さな箱庭を作ってそこへ仲間を集めました。

 食料になるように少しだけの人間を箱庭に放り込んで、女神様はその上から箱庭を覗き込んで観察を始めました。
 そして、どうしたら仲間と人間が上手く共存出来るか、女神様は色々な策を講じて、時には箱庭の仕組みを変えてあげました。そのお陰で人間も絶滅する事なく、また仲間たちも平穏無事に箱庭の中で過ごせたのです。

 しかし、それをもう何百年も見ていた女神様は、ふと寂しくなりました。
 自分は箱庭を上から眺めるだけ。決して中に入って仲間や人間たちと関わる事はできないのです。

 やがて人間たちは、箱庭の中で自分たちが食べられないように色々と工夫を始めました。
 人間はとにかく色んなものを作りはじめました。それは女神様にとっても、新鮮に映るものばかりで大変に面白かったのです。仲間たちもそれに対抗して、自分たちで便利な道具や機械を作りはじめました。
 そして、ますます、女神様は寂しくなりました。

 女神様はものすごく力持ちです。なぜなら、箱庭を作った張本人なのですから。
 人間なんて指先一つでプチッと、仲間だって大体は手のひらで払えてしまうような小さな存在たちです。

 だけども女神様は、自分が人間たちに敵わないものがあると、知ってしまいました。
 女神様は箱庭を作りました、良い場所になるように管理もしてあげました。
 だけども、その箱庭の中で人間たちが作るようなものは、女神様には一切作り出せないのです。

 絶対的な存在であり永遠に死ぬ事のない女神様は、その実、何も作り出せないのだと自分で気付いてしまったのです。
 自分は何も作れない、どこにたどり着く事もない。あまりにも大きすぎるために箱庭にすら入れない。

 しかし目の前にいる小さな人間たちは、女神様の手から離れてどんどんと、新しいものを作り出します。
 やがて女神様は、あれほど嫌いだった人間たちに憧れるようになっていました。

 自分はもう、どこにもいけない。何者にもなれない。
 でも人間は、その短い命の中で何者にもなれるし、どこにでも行けるのです。
 まだ小さな子供から、年老いた者まで、みんなが皆、希望や絶望を持っているのです。

 やがて、女神様は自らを小さく折りたたんで、自分の作った箱庭の中に入っていきました。
 人間に憧れて、人間になりたいと思って、そうして箱庭の中で生きていく事にしたのです。

――おしまい




 話を聞いた妖夢はさきほどまでの呆けた面と餡蜜を食べるのを辞め、表情を固くして幽々子をじっと見る。
 いくら察しの悪い妖夢とはいえ、幽々子の話が誰の事を指したものなのかは見当がついた。

「幽々子様……それは」
「昔話、聞く?」
「……はい」

 単純な好奇心と、胸の奥に芽生えた使命感のようなものが綯い交ぜになって、妖夢の首を縦に振らせた。
 幽々子は満足気に「それでは」と切りだすと、そこからとある昔話を始めるのであった。

「これは私が友人から聞いた話なんだけれど……」




    ◇    ◇    ◇




「初めまして博麗の巫女」
「貴方は……誰よ」
「私は八雲紫。幻想郷の管理者。そして、これから貴方と仲間になる者よ」

 初めての挨拶は、そんな風だった。
 突然現れた管理者を名乗る妖怪に、しかし幽夢は思いのほか警戒心を抱かなかった。あっさりとその事実を認めると、その小さな右手を差し出して、紫に握手を求める。それには当の紫も拍子抜けしたものだった。

「そう、おかあさまが言っていたわ。きっと、いつか管理者が現れると。そして、それに頼るようにと」
「頼る? それは違うわね。私と貴方はお互いに助けあうのよ。博麗の巫女と幻想郷の管理者は、対等でなければならないのだから」

 握り返した手は、あまりにも小さかった。
 紫にとっても久しく見なかった“実子”による巫女の継承。それは目の前の少女の母、楼夢の身体を著しく蝕んでしまった。

「だから私は言ったのだ。――巫女を引退してから子を産めと」紫は先代の姿を思い出して心中呟いた。――結界に霊力を絞り尽くされて、燃え殻のようになってしまった巫女の姿を。
 実子をもうければ、その子に結界を受け継がせなければならない。そして子が結界を受け継ぐまでの間、結界の維持に霊力を消費しつづけた楼夢は、遂には老婆のように枯れてしまったのだ。
 だが紫は疑問であった。あれほど類まれな才能に恵まれ、豊富な霊力を生み出していた楼夢。結界の維持も息をするのと同じようにこなしていた彼女が、母親になった途端にそれに窮した。――娘に結界を受け継がせる前だと言うのに。

 そして紫が再三止めるのも聞かずに、結界を張りながら幽夢を育て、そしてつい先日についに倒れたのだった。
 里に用意した屋敷へと強制的に楼夢を隠居させた紫は、こうして幽夢の前に現れた。目の前にいる少女は弱冠――というのも憚られる齢六という幼さ――にして、博麗大結界を見事に自らの霊力で維持している。幽夢が結界を維持出来るというのに、それならば何故、楼夢は身体を蝕まれつつも自分で結界を維持していたのか、紫は未だにその理由が分からないでいた。

「あの……いきなり睨まれても、こまるんですけど」
「えっ」

 紫は気付かないうち、厳しい表情で幽夢の事を睨めつけていた。
 下から見上げる少女の瞳は、怯えるでもなく恐れるでもなく、ただその不躾に抗議していた。

「ああ、ごめんなさい。貴方が博麗の巫女として相応しいか、観察していたのよ」
「いまさら? こうして私の前に出てきたってことは、それはもう済んでいたんじゃないの?」
「…………。とにかく、今日から幻想郷の為に力を合わせて頑張りましょう」
「ええ、よろしくね、紫さん。知ってるとおもうけど、わたしの名前は博麗幽夢」
「ええ、幽夢。よろしくね」

 もう一度だけ、二人は握手した。
 その幼い巫女は紫に、今まで逢ってきた巫女たちとは何か違うものを感じさせた。

 彼女は常に『自身と巫女の対等な関係』を強調している。それが彼女の最大にして唯一の関心事である“幻想郷の安寧”にとって重要だからである。だが対等な関係といっても結局のところ、巫女たちは人間である。人間はせいぜい生きても50年。対して紫は幻想郷自体よりも長く生きているのだ。その差が、紫と巫女たちに、どうしても見えない距離を作ってしまう。

 先代・楼夢も紫の助言や命令には忠実だったし、自分に対して、どこか敬いの気持ちをもって接してきていた。紫もそれで良いと思っていたし、特に気にも留めてはいなかった。
 だが彼女は違った。その幼い身体で、回りきらない小さな舌で、紫に対してはっきりと対等に接している。初対面の人間から、しかも自分が何者か知っている人間から、そのような態度をとられるのは紫にとって新鮮であった。紫は初めて、本当の意味で仲間ができるのではないかと、この時に予感したのである。

「それじゃあ、ちょくちょく顔を出させてもらうわ」
「分かった。それまでのあいだ、わたしは神社を守っているわ」
「そう、感心ね。あなたの役目の一つは博麗神社を守ること」
「分かってるわ。ここさえあれば、いつでもおかあさまは帰ってこられるもの」

 紫は幽夢の頭に軽く手を添えると、優しくその頭を撫でてやった。

「なにするのよ! やめてよ!」

 すると彼女は弾かれたように両手を振り回して、それを拒否した。紫は驚いて手を引っ込める。

「あら、ごめんなさい。気に障ったかしら」
「あたりまえよ、貴方と私は、対等なんでしょ?」
「そう……そうね。悪かったわ」

 満足気な笑みを残して、紫はすきまへと消えていく。初めてみた紫の奇っ怪な移動法にも、幽夢は眉一つ動かさずにそれを見届けた。
 そして閉じたすきまの先にいる紫が思ったのは、この娘が成長すれば、いずれは自分の友人に成りえるのではないかという、馬鹿げた妄想であった。

――そして、それから数日も経たないうち、紫は再び博麗神社を訪れる。

「はい、これ」
「なによコレは。巻物って事は分かるけれど」

 社務所の居間で顔を合わせて座りながら、幽夢は紫の持ってきた巻物を手にしていた。

「前に言っていたでしょう? 本当は楼夢が貴方に伝えておくべき“博麗の巫女の掟”。あの子がすっかり忘れていたから、私が教えてあげる」
「あぁ。全く、お母様ったら忘れっぽいんだから……」

 幽夢は上等な紙に書かれた文言を読み上げる。
 そこには博麗の巫女が守るべき掟、今までの巫女が従ってきたルールが書かれていた。

「ふーん、博麗の巫女は博麗大結界を維持する事を第一に考え……って、もう既に知っている事ばかり書いてあるわね」
「まぁ、貴方は優秀だから。自然と自分が成すべき事を理解できてるんでしょうね」

 紫はつまらなそうに巻物を読む幽夢を見つめた。せっかく、自分が色々と教えてあげようと思ったのに、優秀すぎるのも考えものだと思う。なんとか自分の出番を探そうと考えていた紫は、掟のある一項目について思い出した。

「あっ、そうだ幽夢。貴方にはまだまだ早い話だけど、この部分について説明してあげる」
「ん? “博麗の巫女の跡継ぎについて”……確かに、巫女になったばかりの私には、まるで関係のない話ね」
「でも、貴方にとっては他人ごとじゃないはずよ。何故なら、貴方の母親はこの掟の為に、今はこの神社にはいないんですから」
「……そういうこと」

 淡々と巻物を呼んでいた幽夢の瞳が、一瞬だけ揺らいだ。それを紫は見逃さなかった。

「ここ、第七条の九項。“博麗の巫女はその任が解ける前に子をもうけ、それが女児だった場合には、その子へと博麗の巫女の地位と結界を張る権利を受け継がさなければならない”つまり、楼夢は貴方を産んだ時から、博麗の巫女として務めを果たせるように育てていたってわけね」
「ふーん。世襲制なんだ」
「そう、そして更に十項。“博麗の巫女が実子に結界を受け継がせる場合、子が六歳になるまでに、それを完了しなければならない”また十一項、“実子に結界を受け継がせた後、博麗の巫女はその地位を引退し、子と同居することを禁ずる”とあるわ。つまり楼夢はこれら二つの掟を守るために、貴方の前から姿を消したわけね」
「……ふーん。なんだって、こんなややっこしい掟を作ったのよ」
「分からないわ」
「はぁ? あんたが作ったんじゃないの、これ?」
「忘れちゃったのよ。だって百年も前に作ったのよ、これ」

 幽夢はあきれて物も言えないといった表情で、目の前に座る妖怪を見つめた。その視線を受けて紫は「真面目な子ねぇ」と内心で笑った。

「まぁ忘れたならしょうがないけど。それにしたって、博麗の巫女は一人で神社に住まなきゃいけないなんてルール、なんのためにあるのかしら?」
「……さあ。修行の為、とかじゃなかったかしらねぇ。精神、鍛えられるでしょ? 一人暮らししてると」
「そんな下らない理由? 私はもう、一人でこうして結界を張れているっていうのに」
「でも、その状態のままで妖怪と戦うなんて経験は、まだしてないでしょ?」
「大丈夫よ。結界に持っていかれている霊力は、大体一割くらいだもの。妖怪退治なんて三割もあれば十分」

 ひとしきり巻物の内容を読み終えると、幽夢はそれを丁寧に元に巻き戻し「さて……」と呟く。紫は正座したままお茶を啜り、しばし二人は無言で見つめ合った。

「……? もう用事は終わったんじゃないの?」
「え、いいじゃないの、ちょっと世間話をするくらい。女の子同士、楽しくお喋りしましょうよ」
「…………」

 紫は睨まれた。用事が終わったら『さっさと帰れ』と言わんばかりの幽夢の態度に、結構落胆する。そんな紫の瞳が、じっと幽夢を見つめた。
 だが幽夢も、そこは譲れないというように真っ向から反対する。

「ダメよ。だって貴方は妖怪だもの。博麗の巫女は妖怪を倒すのが仕事。例外的に貴方はこうして私の前で話ができているけど、それはあくまでも仕事上の協力が必要だからでしょう? 用事が済んだなら、巫女と妖怪という本来の立場に戻るべきよ」
「……くぁ~、かわいくないわねぇ」
「悪かったわね。でも私はそういう風な役割を持って生まれてきたんだから、しょうがないじゃない」

 まだ六歳程度の女の子に、そのような口を聞かれるのは、何とも不思議で背中がむず痒くなる。まさか自分の方が巫女から説教を受けるとは、夢にも思っていなかった。だから紫は尋ねたかった、彼女の心の内を。

「ねぇ幽夢。貴方の役割って一体何かしら? 博麗の巫女としてではなく、貴方自身の役割って」
「何よ、その禅問答みたいなの。……私は、博麗の巫女として生まれてきた。だから他に私の役割なんて、無いに等しい」
「それじゃあ、博麗大結界を張るのが貴方の生きる意味なのかしら」
「それと妖怪を退治する事ね。とにかく妖怪を退治しまくる」
「何? 妖怪にそんなに恨みがあるの? 前世で何かあったのかしら」
「恨みなんてないわ。ただの格好つけよ。巫女は妖怪を倒すのが仕事、それに対抗するのが妖怪。そうしないと、バランスが良くないんでしょう? ほら、この巻物の掟にも書いてあったし」
「それはそうだけど……。でもやっぱり貴方は人間よ。博麗の巫女っていう生き物じゃない。――そのうち、自分自身の役割って奴を……」
「もう! うるさいわねっ! 妖怪に人間観を説教される筋合いはないわよ!」

 唐突に大声を上げた幽夢は、妖怪避けの御札を振り回しながら紫を部屋から追いだそうとする。

「うわ、ちょ、危ないじゃないの」
「いいから出ていきなさい! 妖怪が神社に入り浸っているなんて周知されたら困るわ!」
「あー、はいはい」

 紫はひとまず大人しく退散する事にした。しかし今の会話で、彼女は巫女の胸の内を少しだけ理解することが出来た気がした。――彼女は寂しさを紛らわそうとしているだけなのだ。彼女は決して博麗の巫女という名に縛られた人形などではない――鼻息荒い幽夢を尻目に、紫はそう思ったのである。

――それからというもの、紫はことあるごとに博麗神社を訪れる。そして幽夢へと巫女の本懐を教えたり、はたまた適当な世間話で時間を過ごした。

「さて、幽夢。今日から貴方には授業を受けてもらいます」

 どこから仕入れたのか伊達眼鏡などを使って、教師らしい素振りを見せる紫。それに対して幽夢はというと、紫の想像以上に食いつき良く、箒を掃く動作を止めて声を裏返した。

「授業!? そ、それは、あれ? 寺子屋とかいう所に、私も行くということかしら?」
「あう。えーと、ごめん。ただ私の講義を受けてもらおうと思っただけなんだけど……」
「……そう。さっさと始めて」

 幽夢が実はそこまで寺子屋に興味があったとは知らなかった紫は、あまりの喜びようと落胆ぶりに申し訳なくなった。だが自分も戯れに講義をしようというのではない。ちゃんとした目的があってするのだ。だから胸を張って、伊達眼鏡の縁を指で挟みクイと持ち上げた。

「えー、ごほん。それでは幽夢さん。貴方に果たして巫女としての教養が備わっているのか、質問をしていきたいと思います」
「あー、はいはい」
「こら! 真面目に授業を受けなさい!」
「その言葉、そのまま返すわ」

 気のない素振りで賽銭箱に背を預けた少女は、目の前にいる眼鏡の女に対して飽きを隠さない表情を向けた。
 それを受けて紫も納得がいかないようだった。

「ねぇ幽夢、何が気に入らないのよ? この眼鏡?」
「それもだし、全体的によ。……でも、授業するなら、受けてやるから早くしなさい」
「くぅー、かわいくないわねぇ。……それじゃ第一問。貴方が日頃使っている“霊力”とは一体、どうやって生み出されているエネルギーでしょうか」

 紫にとって、この程度の問題は、さっと答えてもらえる序の口問題のつもりであった。だが目の前の巫女は思いの他、即答出来ずに表情を固くした。それには紫も逆に困ってしまう。

「あら、幽夢。貴方、この問題が分からないの?」
「わ、わた、私は……。霊力なんて、知らないうちに扱えるようになっていたから、その原理は分からない……のよ」

 心底悔しそうに言った幽夢は、もはや涙を零すのではないかという程に顔を歪めていた。それを見て紫は、やれやれと鼻から息を吹きながら解説してやる。

「いいこと? 霊力っていうのは貴方たち人間が自然発生させているエネルギーのこと。魂から漏れ出しているとされるファントムエネルギーなんだけど……」
「ま、待って! ……難しい。もっと分かりやすく教えてよ」
「ええ~? 貴方って本当に才能だけで巫女やってたのね……」

 まぁ、まだ幼い故に許容は出来るが、と胸中で付け足しながら、紫は彼女に分かりやすいように解説を改めた。

「人間に限らず生き物はみんな、存在しているだけでエネルギー……力があるのよ。その存在の力を私たちは“魂”なんて定義付けしているけど。で、その魂から常時漏れ出しているとされるのが霊力」
「ふーむ。なるほど……。ということは、貴方にも霊力が備わっているってこと? 妖怪の癖に」
「良い質問ね。私を始めとした妖怪も、生き物ですから魂を持っています。ただし、その漏れ出した力を身体の外に出すときに、フィルター……濾過作業……うーん、なんていったらいいのかしら」

 紫は少し頭を悩ませて幽夢の顔をちらりと見た。彼女は未だかつて無いほど、興味津々に紫へと視線を返している。それを見て少なからず、彼女も張り切るというものである。彼女に分かりやすく教えてあげられるよう、その明晰な頭脳をフル回転させた。

「そうだわ。お茶よ。その人や種族によって、お茶っ葉の種類が違うの。だから同じように“魂から漏れる力”というお湯を注いでも、出来上がるお茶の色も香りも味も、そして名前も違うのよ」
「ふぅん。私は霊力、そして貴方たちは妖力、魔法使いは魔力、それぞれの淹れ方によって違うお茶になるってワケね」
「そういうこと。さて、それでは幽夢? その霊力というお湯、どうやったらより多くの量を沸かす事ができると思う?」

 その質問には幽夢、打って変わって「馬鹿にするなよ」と言いたげに胸を張って答える。

「魂を鍛えればいいんだ。私みたいに修行をして、魂が鍛えられれば、そこから滴る霊力も増える」
「ピンポーン。流石に、そこは分かっていたみたいね。じゃあ、本題に入ろうかしら」

 紫は伊達眼鏡を外すと、それを胸元へとしまった。

「第二問。外の人間は霊力や魔力を生み出すことが出来ません。それは何故でしょう?」

 紫としては当初、こちらの質問の方に幽夢が答えあぐねるのを想定していた。そこで改めて、自分が答えを解説してやろうと考えていたのだ。
 だが幼い巫女は、またまた彼女の予想に反して、すぐに口を開いた。その目には、まるで軽蔑の色を灯して。

「それは、外の人間がくすんでいるからよ」
「……ほう、続けて?」
「魂の強さとは、生き物としての強さ、知を持つものとしての気高さ。外の人間は文明によって、それを剥ぎ取られた可哀想な人たち」
「ま、正解ね。……それにしても貴方、知識に偏りがあるわねぇ。楼夢は一体どんな教育を……」
「お母様を、馬鹿にするな!」

 強い言葉は境内の玉砂利の上を滑って、端の鳥居まで響いた。紫は目を丸くして手と首を横に振る。

「別に馬鹿にしてるわけじゃないわよ。彼女は私の尊敬する巫女だもの」

 だった、かしら。と、これまた胸中で加えつつ紫はニコリと綺麗な笑顔を作る。
 それに毒気を抜かれたか、幽夢も怒らせた肩を静かに抑えた。

「……次の問題」
「いいえ、今日は二問だけよ。私が言いたかった答えは、貴方が出してくれたしね」
「そ、そうかしら? 私は何も……」
「霊力が足りなくなっても、魂を削るようにすれば搾り出せる。でも、それをすれば当然、魂は傷つき、命を脅かす。……修行を怠ることなかれ。霊力が生み出せなくなれば幽夢。貴方は外の人間と変わらぬ、哀れな存在になる」

 紫の言葉を、幽夢は鼻で笑った。

「そんな事を言う為に、こんな茶番を? 私の霊力が尽きる事なんて、考えられないわね」

 今も博麗大結界に莫大な霊力――彼女にとっては些細な量ではあるが――を供給しつつ、しかし溢れ出すような静かな霊力の炎を湛えて、幽夢は首を横に振る。それに対して紫も「まぁまぁ」と落ち着くように宥めた。

「まぁ、これは儀式というか。毎回、その代の博麗の巫女に言ってる事だから、気にしないで」
「そう、貴方も大変ね。――それじゃ、用が済んだら出ていって」
「えぇ? 先生にお茶の一杯も出しなさいよ」
「茶番は終わったでしょ。ぐだぐだ言ってると、退治するわよ」
「はぁ、冗談の通じない子ねぇ……トホホ」

 紫はすきまからハンカチを取り出すと涙を拭く仕草をした。そして飛んできた御札を躱しつつ神社から退散する。そこまでは最早、二人にとってお決まりの挨拶のようなものであった。
 そういった日々が暫く続き、紫と幽夢は、やがて互いの事を「友」と呼べるようになっていくのだった。




    ◇    ◇    ◇




 紫にはいくつかの友人がいる。
 それは大体人間ではないのだが、唯一人間に近いものといえば、冥界は白玉楼に住む西行寺幽々子だった。
 彼女は亡霊であり、元々は人間である。しかし人間らしからぬ性格が故に、紫と友人でいられた。

 そんな彼女の住まいの一室に、紫の『音と空間を遮断する結界』が張られていた。たまに幽々子と会って話をする時には、この結界を張って周りを気にする事なく、紫は心置きなく一個の生き物として話をする事ができたのだ。
 その立場のために、常に胡散臭さでその身を覆い隠している紫にとっては、この空間でのひとときが唯一の安息であった。

「でも紫、相手はたかが人間よ」

 玉露で唇を濡らしながら、幽々子は正面に座した友人へと語る。

「そんな、ちっぽけな存在に揺るがされるような貴方じゃないわ」
「“たかが人間”って……元人間の口にする言葉? それに私の事を知った風に言ってるけど、私は幽々子が思っているほど大きな存在じゃないわよ」

 何時にもなく弱気な紫の言葉に、幽々子は珍しく心配をする。

「どうしたのよ、本当に貴方らしくないわ」

 柔らかい笑みで、そっと言葉を投げかけられた紫は、そこで堰を切ったように話し始める。

「ねぇ、幽々子。人間って面白いわね……。幽夢だって恐らくは、ほぼ確実に博麗の巫女として生きていくのでしょう。でもそれは確実じゃないわ、万に一つでも、あの子は巫女としてではなく、全く別の人生を歩む可能性だってある」
「それは貴方にとっては困るでしょうね。新しい巫女を探すのは、億劫ですもの」
「人間は可能性の生き物よ、幽々子。赤ん坊という白紙に、色鮮やかな色彩で一人の人間が描かれていく。遺伝だって、その絵の具の一つに過ぎない。環境も出会いも、一体何がその人間を彩る要素なのか……誰にも分からないのよ」

 紫は滔々と語る。幽々子は、しばらく黙って、その独白のような言葉を聴いていた。

「幽夢のようにある程度の年月が過ぎて、大まかな構図が完成したとしても、そこからどのような人生を歩むのかは、まだ分からない。それは、その人の心一つで、いつでも、いくらでも変えられる。人間には生きてから死ぬまでの間、無数の可能性が目の前に広がっているのよ」
「それが……一体どうしたっていうのよ」
「羨ましいのよ」
「うら……」

 紫が羨望を口にすることなど、今まであっただろうか。幽々子は余りの驚きに言葉を失った。
 それも人間に。自分よりも遥かに力の劣る種族に対して、目の前の大妖は憧れという言葉を口にしたのだ。

「私は人間よりも遥かに永い時を生きてきた。その中で培った力も知識も、他の誰よりも優れていると自負して、認識ができている」
「それは私も認めるわ。貴方はこの幻想郷で誰よりも強く、美しい。それに誇りを持っていることに、誰も文句は言えない」
「でもそれだけ。私はこの幻想郷以外の何も作り出せてはいない。この世界を維持する事しか出来ていない。人間たちのようにこれから先に、また新しい可能性が残っているわけでもない。ただ自分の力に驕って、過去の栄光を引き伸ばすしかできない」

 しばしの間、部屋の中を沈黙が支配した。
 幽々子は安易に慰めや否定の言葉を投げかける事を躊躇った。そんな事で解決できるのならば、紫はとうの昔に自分で完結させているはずだ。
 だから自分は話を聞くしか無かった。血筋柄、言葉を美しく織る事には長けた幽々子ではあるが、それは見た目だけのものであると自戒もしているからだ。

「だから私は憧れるのよ。次々と新しい可能性に向かっていける人間たちを。一人ひとりの命は短くとも、種族としての人間に」
「でも、それは今更どうしようもないじゃない。貴方、妖怪辞めるの?」
「……ふっ、流石に私もそこまで無責任じゃないわよ。だから私は達観しちゃったの。人間になれないのなら、人間の可能性を見守っていこうってね」
「まるで母親ね。人間の母、八雲紫」
「茶化さないでよ。これでも真剣なのよ?」

 紫は結界を解いた。言うべきことは全て話した。それだけで良いのが、二人の友人関係であった。
 ほんの短い会合であったにも関わらず、二人は互いの友情というものを、改めて確かめ合う事が出来ていたのだ。

「紫、最後に一つだけいいかしら?」
「何かしら? 話を聞いてくれたお礼に一つだけいいわよ」

 襖の前に立つ紫へ向けて、幽々子は言い放った。

「貴方のそれ、ただの“ないものねだり”よ。貴方の持っている全ては、人間たちが、その浅ましい心で渇望するもの。貴方は自分が持っていない別の輝きを欲しがっているだけ。――今の貴方も、十分に魅力的よ」
「ありがとう、褒め言葉として受け取っておくわ」

 屋敷から出て行く紫の後ろ姿を見ながら、幽々子は身体を後ろに倒して畳の上に寝っ転がった。
 そして大きなため息を「ふぅ」とつくと、ゆっくり目を閉じて昼寝をはじめた。
 人生相談など、人の為になる事をしたので、幽々子は疲れ果てたのだ。慣れない事はするものではないと、自嘲の笑みを浮かべた。




    ◇    ◇    ◇




 話を終えた頃には、キンキンに冷えていた餡蜜もぬるくなり、妖夢の表情からも固さが抜けて、それよりもむしろ「呆然」という言葉が似合う表情になっていた。
 彼女は震える手で小さなスプーンを掴むと、おいしさの半減した甘味を口に運んで咀嚼した。極度の緊張で味覚が麻痺したのか、口中には全く味が伝わらない。
 そして淡々とそれを食べ終えると、幽々子に向かって恐る恐ると口を開いた。

「な、何で私に、そんな話をしてくださるのですか?」

 妖夢の質問はもっともだった。
 今の話は、明らかに口外してはならない、八雲紫にとって最上級の秘密であろう事は明白である。それをあっさりと自分に話した幽々子の意図を、妖夢は掴みかねていた。

「それはね、妖夢。貴方も主人公になれる可能性があるからよ」
「へ?」
「今の幻想郷の主人公、それは八雲紫の手によって定められている。間違いなく、そうね……博麗霊夢。あの子になるでしょう」

 それはそうだろう、と妖夢は納得した。
 誰かがこの幻想郷の中心であるというのなら、それは博麗の巫女に違いない。
 自分の主人である幽々子や、先程会った八雲紫は、どちらかといえば舞台を整える裏方といった印象だ。
 舞台の真ん中で華麗に舞えるのは、彼女を置いて他にはいない。

「あの子が成長すれば、この世界を舞台とした物語の主人公は、彼女になる。でもね、妖夢。私はあなたにもその資格があると考えているの」
「わ、私がですか?」
「いいえ、妖夢の他にも、誰もが主人公になる可能性がある。それが人間の可能性だもの。半人半霊のあなたは、その資格が半分ってところかしらね」
「半分って……最初から不利ですねぇ」
「だから、その分を私がサービスしてあげたのよ。その為に、この世界を動かしている奴の弱みを、こっそりと教えてあげたの」

 それでも妖夢は少し納得がいかなかった。
 自分はあくまでも幽々子に仕える身分であり、自らが主人公になる事など夢にも思っていないからだ。

「幽々子様、なんで私を……」
「演出家の秘蔵っ子が、監督の推挙した役者を押しのけて主役を張る。そんな舞台も、たまにはいいじゃない」
「そんな理由ですか?」
「どんな理由でもいいのよ。人は誰しもが己の人生という物語では主人公になる。その舞台が幻想郷なのか、貧乏長屋の片隅なのか。それは、その人が決める事だもの」

 幽々子はそれだけ言うと席を立った。そして何も言わずにふらふらと店から出て行く。

「幽々子様? どこに……」

 妖夢は慌てて追いかけようと立ち上がり、店の出口へと駆ける。

「ちょっと待ちな!」
「へっ!?」

 腕を掴まれた妖夢は驚いて後ろを振り返る。
 そこには右手で伝票を差し出す、茶屋の店員の姿があった。

「お勘定、お願いしますよ」
「え? あ、あれ? わ、分かりました」

 妖夢は泣く泣く、二人分の代金をお小遣いの中から支払う。
 店を出た妖夢のガマ口財布の中身は、すっかりと軽くなってしまった。

「ちょっと幽々子様! 結局、私がお金を払ったんですけど!」
「あら? ちゃんと昔話をしてあげたじゃない。その上で奢れなんて……妖夢は守銭奴ねぇ」
「いやいや! それに、幽々子様の分まで私が払うなんて聞いてないですし!」
「別にいいじゃないの、減るもんじゃないし」
「減りましたよ! おもいッきり!!」
「あ、美味しそうなタイ焼きが売っているわ。おみやげに買いましょう」
「まだ食べるんですか……」

 妖夢は呆れながらも、いつものように幽々子に振り回される。
 そこで彼女はやはり、自分が主人公になるのは似合っていないのだと思った。
 こうして幽々子の元で振り回されるのが、自分の性に合っているのではないかと思い、それはそれで。――ちょっと複雑な気持ちになるのであった。




    ◇    ◇    ◇




「うぐぐ……」

 八雲紫は頭を抱えた。
 目の前に広がる惨状に、思わず喉から変な声が飛び出たほどだ。
 庭に紛れ込んだ妖精を散らして、居間に戻ってみれば、そんな短時間で一体どうやったのか、部屋の中は泥棒でも入ったかのように荒らされていた。
 下手人はもちろん、ちゃぶ台の上で仰向けに寝っ転がる霊夢であった。
 どうやらご丁寧に空中に浮かび上がって、棚の上にある時計や置物まで畳の上に散らかしたようであった。

「こら、霊夢!」

 ちゃぶ台の上で悪びれもせずに、こちら見上げている犯人に向けて、紫は叱咤の声と共に駆け寄った。
 その身体をひょいと持ち上げると、顔をぐっと近づけて言い聞かせるように説教をする。

「誰が片付けると思ってるのよ! もう何回目?」

 しかし霊夢はその言葉を理解した様子もなく、あまつさえ首を後ろに振りかぶった。

「あう!」
「え」

 鐘をついたような、鈍い音が部屋の中に響き渡る。
 油断した紫は、勢い良く振り下ろされた霊夢の頭突きを正面から食らってしまった。

「いった~……」

 おでこを押さえる紫に対して、霊夢は「どうだ」と言わんばかりの不敵な笑みを浮かべた。

「もう、一体どっちに似たのかしら!?」

 紫は憤慨しながらも、床に散らばった家具や小物を拾い集めた。
 どうも最近の霊夢は活発になりすぎている、と感じる。少し目を離せば何かをいじくっていて、一時も気が休まる事はなかった。

「言い聞かせようにも、まるで聞く耳持たないし……」

 紫はそこで、藍の話を思い出した。霊夢が周りの事に無関心であることを、直す必要があるという話。
 確かに、このままでは霊夢にいくら躾をしようとしても、本人にその気がないのだから全くの無駄である。
 それで霊夢の自主性に任せて成長を見守るのも手ではあるが、紫には彼女を育てなければならない約束があった。放任主義が過ぎて契約違反になるのは避けたい。

「あー! もう、ほんっとうに、なーんで!? あんな約束をしちゃったのかしら!」

 今にして思えば、本当に厄介な契約であった。
 当初は幽夢に、子供を博麗の巫女とさせることを了承させるための譲歩であった。それがまさか、自分にこれほど重くのしかかってくるとは、紫はまるで予想できなかった。

「かといって体罰は避けたいし……。でも痛みを知らなければ成長はしないのよね……」

 紫はしばらく頭を捻り、どうしたら霊夢の躾が出来るのかを考えていた。

 そこで思い出したのが、先日の出来事であった。それは、霊夢が棚の上の時計にちょっかいを出して、落下してきたそれで大きなたんこぶを作った事件だ。
 あれ以来、霊夢は学んだのか不用意に高いところにある物を取ろうとはしなくなった。――代わりに宙に浮かんで、それらをイタズラするようになったのであるが。

「そうだわ。霊夢は、ちゃんと学べば分かる子なのよ」

 紫は痛みさえあれば、霊夢も学習をするという証拠を得た。
 つまり部屋を荒らす事にも、それ相応の痛みを与えてやれば彼女は反省するはずなのだ。

「……よし!」

 紫は決心するように呟くと、ゆっくりとした動きで部屋の片付けを始めた。
 霊夢はその様子をぼんやりと見ながら、畳の上で手足をばたばたと動かして暇を潰していた。

「あー、部屋の片付けは大変ねー。誰かさんが、こんなにしちゃったからねー」

 紫は独り言をいいながら片付けを続ける。
 しかしその動きは、まるで水牛のようにノソノソと遅いもので、一つのものを拾いあげるのに何分も掛けるような緩慢さだった。
 霊夢は紫の牛歩を面白く感じたのか、珍しく興味深げにその姿を観察していた。

「うぅー?」
「あー、こりゃ大変だわ。他の仕事に手がつけられないじゃないのォ」

 そうは言いつつも、紫は決して動きを早めようとはせず、むしろ速度は更に遅くなっていた。
 片付けを始めたのが昼の三時過ぎであったが、片付けが半分も終わらないうちに、時計の針は四時を回ってしまった。
 このままではいくら経っても掃除は終わらないが、紫も意地になって太極拳並のスローモーションを続けていた。

「あぶぅ……」
「はぁー忙しいー」

 やがて空は暗くなり始め、ついには夕飯時になってしまった。
 しかし、まだまだ部屋は片付かない。霊夢もお腹が空いたのか、何かを訴えるように紫へと近づいてきた。

「うー」
「あら霊夢、片付けの邪魔になるから、あっちで待っていてね」
「ぶう」
「いやー全然片付かないわー。これじゃあ、ご飯も作れないじゃないの」

 霊夢は空腹を訴えて紫の足元に立った。しかしそれをよそに、紫は亀のような動きで部屋を片付け続ける。
 いつもなら空腹になる前に食事が出るものなので、霊夢にとっては空腹を訴えるという事自体が初めての経験であった。

「あぶぅ!」
「あー、やっと掃除が終わったわ。それじゃあ今からご飯を作るわね」
「うぅ~」

 霊夢は観念したように畳に尻餅をつくと、不貞寝するように仰向けになって頬をふくらませた。
 やはり霊夢は言葉の大体の意味は理解しているようだ、と紫は確信した。――そしてこの作戦が成功したということも。

「分かったかしら? 部屋を荒らしても、貴方も私も損するだけよ。これに懲りたら、もう二度と部屋を荒らさないこと」

 紫は説教を終えると、急いで料理を始めて、すぐに晩御飯を作ってやる。もとより、霊夢の腹を空かせてしまうのは、紫にとっても心苦しい事であったのだ。

「さて、おまたせ~……えっ!?」

 居間にその料理を持って行くと、紫は驚いて思わず声を上げた。
 なんと霊夢が自分と紫の箸を戸棚から出し、ちゃぶ台の上に用意していたのだ。

「あら、霊夢……! もしかして反省しているつもりかしら?」
「あう」

 ご飯が遅くなるという間接的な痛みによって、霊夢は部屋を散らかす事を悪いことだと認識したのだろうか。
 箸を用意した彼女はどこか、しょんぼりとしたように小さくなって座っていた。

「あむ」
「ふふ、一回で分かるなんて流石は霊夢ね。いい子だわ」

 紫は料理をちゃぶ台に置くと、右手をそっと添えて霊夢の頭を撫でてやった。
 艶やかで真っ黒な髪が少し乱れてしまったが、霊夢はそれを喜ぶように笑った。

「え……霊夢」

 紫が唖然とする前で、霊夢はその小さな足ですっくと立ち上がり、紫の方へと足を踏み出す。
 そして倒れこむようにして、紫の胸の中に抱きついてきた。
 反射的に、全く意識もせずに、紫の腕はそれを受け止めて優しく抱擁をしていた。
 自分の行動にふと気付いた時には、霊夢の小さな頭が顎の下で左右に揺れていた。

「霊夢、貴方は……」

 自分の贈ったリボンの先端が鼻先をくすぐる。
 そのくすぐったい感触を楽しむようにして、紫はそのリボンの中心に唇を近づけた。

「貴方は、私の……」




    ◇    ◇    ◇




「いいこと? 今後10年間は霊夢に近づかないこと。そして、今日会った事は忘れること」
「はーい!」

 分かっているのかいないのか、さっぱり分からない妖精たちへの忠告を終えて、紫は一息ついた。

「まぁ、どうせ妖精なんか、寝て起きたら今日の事は忘れているでしょうけど……」

 そう思って妖精には大して気は使わない紫だったが、それがある程度の力を持った妖怪となると話は違ってくる。
 神社に結界を張れないせいで、わんさかとやってくる妖怪たちに、いちいち件の忠告をするのは面倒な事である。しかしそうでもしないと、自分の身が危うくなるかもしれないのだ。紫は仕方がなく渋々と釘を刺す毎日を送っていた。

「そこそこの妖怪なら記憶力も良いのが多いしねぇ……」

 そんな紫は今、霊夢に洗濯の仕方を教えようとしていた。
 紫は腕まくりをすると、まずは自分でやってみせようとする。庭に大きなたらいを置き、洗濯板を使って霊夢の服を洗ってやる。霊夢は縁側から、それを興味深そうに眺めていた。

「よし、こんな具合よ。霊夢もやってみなさい」

 霊夢の眼鏡に適ったのか、彼女は地面に降り立つと紫の元へやってきて、洗濯物をその手にとった。そして紫の動きを模倣するようにタライの中へ洗濯物を浸けた。

「うぅ~」

 手が濡れるのに少し嫌悪感を抱いたようだったが、続いて洗濯板の凸凹に衣類を擦りつけて洗濯を開始した。
 その様子に満足した紫は、霊夢がまた一つ、一人で生きられる為の智慧をつけたと、安堵の溜息をついた。

「ほら、見なさいよ藍。私だって霊夢の事をちゃんと……」

 そう言いかけたところで、突然に彼女の背筋が凍りつく。

「ま、さか……?」

 汗が噴き出し、奥歯がカチカチと音を鳴らす。流石の霊夢も、紫がそのような醜態を晒した事に疑問を持ったのか、首を傾げて彼女を見上げた。
 紫は“ある人物”の来訪を感じとったのだ。慌てて霊夢へと駆け寄ると、耳元に囁く。

「霊夢、ちょっと出掛けてくるから、それまでいい子で待ってるのよ?」

 振り返ってすきまを開こうとした紫の目の前に、それは現れた。紫は思わず絶叫したくなる気持ちを抑えて、覚悟をするように拳を固く握る。
 今一歩のところで逃げそびれた紫は、痛恨の退却失敗、といった表情。歯ぎしりをして鳥肌を抑えながら、ぎこちない笑顔をその来訪者へと向ける。

「あら、閻魔様。ごきげんうるわしゅう。こんな所で何を?」

 偽りの笑顔での挨拶に、静かに降り立った彼女は隙のない所作で、紫へと厳しいまなざしを向けた。

「探しましたよ、八雲紫。貴方が何故、こんなところで子守りをしているのか……。まぁ、見れば大方の事情は分かりますが」

 八雲紫に怖いものがあるとすれば、それは唯一であろう。――それが目の前にいる四季映姫・ヤマザナドゥであった。
 地獄の閻魔様である彼女の“白黒をはっきりとつける”という力は、境界を操る紫にとって、まさに天敵ともいえる相手であろう。さらに、能力の相性だけではなく、個人的な付き合いとしてみても映季は紫の苦手とするところであった。

「本当に困るんですけどね、幻想郷の一大事だというのに、管轄である私に一報もないとは……。挙句に巫女を不慮の事態で失ったそうではないですか」

 映姫の容赦ない問いに、紫はしおらしく頭を下げてみせる。

「ええ、あれは私の失態でしたわ。事後報告になりましたことを、お詫びします」
「貴方は、いつもそうです。何時になったら事前に私に知らせてくれるのですか! 必要とあれば巫女を保護する手立てもあったというのに……」

 こうなれば後は、映季の説教が延々と続く。それは火を見るよりも明らかであった。

「まぁ過ぎた事は仕方ありません。しかし、今のコレはどういう事ですか! 巫女と一緒に暮らして、しかもそれを養育しているというのは。――貴方から聞いた幻想郷の平衡理論と、真っ向から逆行しているではないですか!?」
「ええ、実は霊夢の両親……つまり先代の巫女夫婦と魂の契約を交わしていまして、この子が12歳になるまでは、私がこの子を育てなければならないのです」
「なっ……なんでそんな契約を……。ともかく! 幻想郷の維持という点に関しては、貴方に全幅の信頼を置きたいのですがね。こうも好き勝手にされると信頼したくても、とてもじゃありませんが出来ませんよ」
「すみません。でもご安心を……。この子が私の事を“八雲紫という妖怪”であると認識するようになれば、後は手を引きますから」
「おや、それでは先程の契約を破棄する事になるのではないですか?」
「いえ、そこは私の式神に任せますから大丈夫ですわ。私の片腕が世話をすれば、契約の内容には違反していないでしょ? 確証はありませんが、これが私の選んだ“安全な妥協”なのです」

 その言葉を聞いて映季は呆れ返った。
 契約内容をそのように曖昧なままで締結した相手も相手だが、それをいい事に曲解する紫の考えが、映季には到底受け入れられなかった。

「もっとはっきりとした約束事をしなさい……と、故人にいっても仕方がありませんね」
「はぁ、それは閻魔様が直接説教してやってください。――そう、先代の巫女とその夫。そちらの裁判では、どのように裁かれるのでしょうね?」

 紫の言葉に閻魔はぴくりとこめかみを動かす。
 無論の事、地獄で執り行なわれる裁判の内容に関する情報は機密である。それを探ろうとした紫に対して、閻魔の鋭い警戒心が働いた。

「教えられる訳はないでしょう。貴方に、かの咎人たちの行末を知る権利はありません」
「いいじゃないの、ちょっとくらい」
「…………教えませんよ。ただ」

 そこで閻魔は片目を瞑り、ごほんと咳払いをした。そして、ちらりと霊夢の方へと目をやる。

「ただ、博麗幽夢は生前の人民に対する貢献で、その罪を許されるでしょうね。ただ、吉備津幻武は厳しいかもしれません」
「そう、やはりね」

 紫は横目で、熱心に洗い物を続ける霊夢を一瞥し、また映季へと視線を戻す。
 それに気付いた閻魔は、自分たちの傍らにいるのが“その”娘だと気付いて、少しためらいがちに、だが首を前に戻して言葉を続けた。

「彼は、あまりにも多くの命を奪い過ぎた」
「妖怪なんていくら切っても、暫くしたら、またくっつくわよ」

 紫は無駄だと知りつつも擁護の言葉を放ってみた。だがもちろん、閻魔にそのような虚言は通じるものではない。

「彼が殺生に使ったのは、昔から人々の信仰を集めてきた、いわば宝剣。それに彼自身の力も加わる事によって、多大な生命力を持った妖怪といえども、その傷が癒える事はない。……って言わなくても、貴方の腹にもまだ、その痕が残っているでしょうに」
「これはあれよ、ためらい傷よ」
「貴方が自殺するようなタマですか」

 お互いに話す事もなくなり、しばし庭には水の揺らぐ音だけがあった。
 その音を出していた霊夢も、洗濯物に飽きると、手をタライから上げて辺りを見渡した。そこでようやく映季の存在に気付いたのか、小さい歩幅で閻魔の方へとよたよた歩いていく。それを見た閻魔は、何やら焦った様子で紫に切り出した。

「……それでは八雲紫。くれぐれも、お願いしますよ」
「ええ、それじゃあ。……あ! ちょっと待って」
「何か?」
「霊夢……この子に会った事、忘れて下さるかしら。次に会うときが、霊夢を初めて見る時。そういう風に振舞っていただけません?」
「私は嘘が嫌いです。罪人を裁くものが、偽りの言葉を口にしてはならない」

 映季はふわりと浮き上がると、山の向こうから夕焼けが赤く照らす空へと向かっていく。霊夢はそれにつられて飛び上がったが、紫に素早く身体を掴まれてそれを阻止された。
 厳しい夕日の光に目を薄めて、閻魔は眼下で自分を見上げる妖怪と幼子へと一言。

「分かりました」

 それだけいうと彼女は彼岸の方へと飛んでいく。
 見上げていた紫は、次第に赤く染まっていく雲の群れを、そのまま暫く眺めていた。
 霊夢も一緒になってそれを見つめていたが、やがて自分の顔に水滴が落ちてきたのを感じて、本能的に雨から身を守るように頭へと手をやった。
 しかしその手に落ちてくる雫は、雨のように冷たくはなく、逆に驚くほどに熱かった。不思議がって上を向いた霊夢の顔に、一枚の布が掛けられた。

「ぅう?」
「洗濯が終わったら、次はそれをたたまなきゃね。これは昨日乾かした貴方のおしめ、ちゃんと、たたんでおきなさい」

 目隠しとなったおしめを外した霊夢には、居間へと戻っていく紫の後ろ姿だけが見えた。

 そして霊夢は乾いたばかりのおしめを、水の張られたタライの中へと放り込む。まだ彼女は洗濯物のたたみ方を教えられていない。――だから彼女はそれを再び洗濯し始めてしまったのだ。




    ◇    ◇    ◇




「あー、参ったわねぇ」

 紫は頭を掻きながら居間をぐるぐると歩きまわっていた。足元でおはじきをいじくっている霊夢は、その様子を不思議そうに眺めている。

「あぶぅ?」
「あぶぅ? じゃないわよ霊夢。食べ物がなくなっちゃったのよ。今日のご飯が作れないのよ?」

 そう、紫が頭を悩ませているのは、台所の米びつが空になっているという事実であった。ついでに、その他の食べ物も全て底を尽きかけている。

「……まさか藍に買いにいってもらう訳にもいかないし。あの橙でも借りられるように言っておけば良かったわね……はぁ」

 紫は全くもって油断していた。ふと気づけば、朝の食事を作り終えた時には全ての食材がなくなっていたのだ。
 今まで、買い物などは全て藍に任せていたものだから、紫は食べ物がなくなってしまうという事に気がつかなかったのである。
 なくなったのならば買いにいけば良いだけの話であるが、それにもちょっとした問題があった。

「霊夢を一人で置いていく訳にもいかないし、あまり人目につく場所に連れて行きたくはないのよねぇ。……第一」

 自分の悩みなど知らずに、畳の上をゴロゴロと転がる霊夢を見て、紫は額をポンと押さえた。

「……里には行きたくないのよねぇ」

 だが、そうは言ってもこのまま霊夢を餓死させる訳にはいかない。
 結局、紫は身支度を整え、霊夢を連れて人里へ買出しに行くことにした。

「まぁ、行き帰りは楽だけど」

 いつもの派手な服装ではなく、その美しい黄金色の髪さえ隠せば、里の女性に見えるような地味な和服。そして霊夢にも巫女服ではなく浅葱色の服を着せ、頭にはいつものリボンを括りつける。
 後は紫がすきまを作り出し、そこに二人して飛び込むだけだ。

「……人目に着く場所には出られないわね。かといって寂れた貧民街にも、出たくないけど……。あそこがいいかしら?」
「あぁうー」
「ほら、霊夢。暴れたりしないでよ? すきまの中で落ちたら私でも探すのが大変なんだから」

 紫は普段は人がいないであろう細い裏路地を選択し、すきまの先をそこへと繋げた。

「それっ」
「あう!?」

 初めて突入する、すきまの摩訶不思議な空間。それには流石の霊夢も驚きの声をあげ、己を抱く紫の腕を強く握りしめた。

「安心なさい。もう出口よ」
「うぅ~」

 空間が再び裂けて、二人は地面に吐き出された。
 そこは思ったとおりに誰もいない、狭くて暗い路地であった。紫はその陰気臭い場所から歩み出ると、店の立ち並ぶ大通りへと向かい始めた。

「霊夢は久しぶりに人里へ来たのよねぇ? どうかしら、何か覚えている?」
「あぶぅ~」

 紫の問いには答えずに、霊夢は道行く人へと黒い瞳を向けて、興味がなさそうに声を上げる。それに苦笑しながら、紫はまずは八百屋へと向かう。

「……私の変装は完璧なようね。人里に完全に溶け込めているわ」
「うぅ?」

 その言葉に、霊夢が疑問を投げかけるような声を出す。そして、それは概ね正しかった。

 紫の格好は確かに人間としては普通であった。見事な長髪も結いあげて目立たぬようにしている。
 だが、いかんせん。彼女は美しすぎた。「人間の里に住む一般人です」という主張を受け入れるには、彼女の美貌は説得力がないのだ。

 だから道行く人間たちも、その姿に見惚れて視線を集める。
 しかもその美人は、赤子をその腕の中に抱いているのだ。たちまち人々は「ありゃ誰の嫁さんだ?」「いや、そもそも居たっけ、あんな美人が」と好奇の目で彼女を見始めた。

「……おかしいわね。なんだか目立っている気がするわ」
「あぅ」
「早く八百屋さんに行きましょう」

 紫は少し歩みを早めると、藍が良く行っていると聞いた店へと入る。
 そこでは若い男が威勢の良い声で、瑞々しい野菜を売っていた。

「おぉ、らっしゃい! 今日は新鮮なのが沢山入ってるよー!」
「……これとこれ、あとは、白菜も買っておきましょう」

 紫は両手で霊夢を抱きながら、淡々と野菜を指さした。
 男はそれを見て、籠の中に次々と指定されたものを放りこんでいく。そして、その間を埋めるように滑らかに舌を動かした。

「いやぁ、お客さんベッピンさんだねぇ。サービスして一番良いのを見繕ってやるよ!」
「あら、それはどうも」
「娘さんも可愛らしいねぇ。うちの野菜を食って、元気に育てよぉ」
「あぶぅ?」

 やがて全ての野菜を揃えた男は、会計を済ませて紫から金を受け取る。そして野菜を籠に上手く詰めながら口を開いた。

「奥さん、お子さんを抱えたままじゃ大変でしょう。俺が家まで荷物持ちでもしましょうか?」

 それに紫は笑みを浮かべながら首を横に振った。

「大丈夫よ。帰りはこの子に歩かせるから」

 そういって、腕の中でじっとしている霊夢の頭を撫でた。

「本当かい? 奥さん、近所に住んでいるのか? あまり見ない顔だが……」

 男は心配そうに紫の顔を見る。
 それに対し、紫はやんわりと右手で遮った。

「え、ええ。普段は女中に買い物をさせているので」
「ふーん。……というか……」

 男の目線は、いつのまにか紫の胸元に向いていた。
 それに一瞬ムッとする紫であったが、良くよく見れば、その目線は抱きかかえている霊夢の顔を捉えているのだと分かる。

「あの、この子が何か……?」

 思わず尋ねた紫に、男は首をひねりながら答えた。

「いやね。結構前に、その子に良く似た赤ん坊を連れた夫婦が、うちへ買い物に来た記憶があるんだ。その時のお母さんも普段は見ない顔だなぁ、と思ったんだが。まぁ、お父さんの方は里でもよく見る顔だったけど。それで、よく覚えていたんだよ」
「……あら、そう。でも赤ん坊なんて、みんな似たようなものよ?」
「おいおい、母親の台詞とは思えないなぁ。それに、それだよ」

 男の指が、ある一点を指した。
 それは霊夢の頭、今もそこを飾っている紅白のリボン。

「それは覚えているんだ。あの時の赤ん坊も、そのリボンを着けていたなぁって。母親の顔はどうも思い出せないんだが、確かに赤ん坊はそのリボンは着けていたはずだ。……奥さん、あの時の人じゃなくて?」
「私は、ここに初めて来ましたわ。……このリボン、流行りものなんですの。可愛いでしょ?」
「あぁ、可愛いな。……それじゃ奥さん。これからもご贔屓に!」

 男から渡された買い物籠を受け取り、紫は霊夢をそっと地面へ降ろす。
 すると霊夢は少し覚束ない足取りながらも、小走りに八百屋の外へと駆け出した。

「あ! ちょっと、走らない! 転んだら危ないわよ!」
「あっはは、元気なお子さんだ」

 八百屋の声を背中で受けながら、紫は慌てて霊夢を追いかけた。
 その元気な姿を見て、紫はふと幽夢の姿を重ね合わせるのであった。

「……なんで、なんで私が、霊夢を連れて、ここにいるのよ」

 一人ごちて、紫は買い物籠を握る手に力を込める。




    ◇    ◇    ◇




「ねぇ霊夢、あんた、感謝しなさいよ」

 昼寝をする霊夢の横で、頬杖をつきながら紫が語りかけている。耳元に向けて囁くような声で、霊夢を起こさないように。――それは独り言といった方が正しいかもしれない。

「私がいなかったら貴方、生まれていなかったかもしれないんだから」

 霊夢はぐっすりと眠っている。故に紫の言葉は彼女に届くはずはなかった。それでも紫は独りで、ただ話し続けた。

「だって二人とも放っておいたって、くっつくような様子じゃないんだもの。幻武はあれで奥手かつ不器用な奴だし、幽夢は素直じゃないしねぇ」

 紫は思い出していた。
 二人の人間が出会い、やがて結ばれて、一人の子が生まれるまでの過程を。
 最初に出会った時は水と油のようだった二人は、最後には死ぬ時まで一緒だった。それもまた人間の可能性がなせる事なのだと、紫は二人の顔を思い出しながら考えていた。

「大変だったのよ。道端に岩を落として休憩場所を作ったり、幽夢が危ない時にオイシイ所を幻武にとっておいてあげたりさ……」

 彼女はまるで自分が創り上げた芸術品を愛でるように、夢見の幼子に向けて談義を続けた。

「でもそれがぜーんぶ、ブチ壊しよ。後に残ったのは貴方、霊夢だけ……。だから、ねぇ、いいでしょう? 貴方に夢を見たって」

 時計が刻む音が、しばらく紫の胸の鼓動と重なっていた。
 ただ寝顔を見ているだけで、どうしてこんなにも心が落ち着くのだろう。本当はただの他人、それも種族すら違うのに、この小さな身体のどこから湧いてくるのだろう、その力は。
 紫は自問自答した。そして答えを導きだす。それが人間の可能性、美しさ、そして自分がなりたいと思うものであると。

「紫様!」

 その沈思黙考を打ち破ったのは、障子戸の向こうから響いてきた式神の声であった。
 勢い良く開かれた扉の前には、もう随分と久しい藍の顔があった。

「あら、久しぶりねぇ、藍」
「えぇ、ただいま戻りました。あれからもう、一年が経つのですね」

 藍は肩から荷物を降ろし、布団の上で寝ている霊夢に気付いて足音を殺した。そして紫に目配せをすると、そっと霊夢の側へと近寄る。

「霊夢、久しぶりだね」
「あぅ?」

 目を覚ました霊夢は藍の顔を見ると、半分だけ開いたまなこを上下左右に動かした。
 そのポカンと開かれた口からは「誰よ?」といった声が漏れているようだった。

「ははは、覚えてはいないか。流石に」

 藍は霊夢の頭を撫でてやると、その黒髪を手で梳いてやった。
 すると霊夢は何か懐かしさを感じたのか、無意識のように目を細めて笑ったのだ。それには藍もおもわず歓喜の声を上げる。

「おぉ、紫様! 霊夢が笑いましたよ」
「あぶぅ」
「ゆ……」

 以前とは違う、確かなる成長への喜びを示した藍の言葉が、途中で絶句へと変わった。
 彼女はもう一度、一年ぶりに会った人間の子供へと話しかけてみる。

「霊夢、もしや、お前……」
「うー?」

 紫は式神の様子を怪訝に思いながらも、満面の笑みを崩さなかった。
 どうでしょう? これが私の育てた霊夢よ。――そう言わんばかりの主の顔に戦慄するのは、藍の方であった。
 そして式神は、懸念と疑惑の眼差しと共に、主へと尋ねる。

「紫様、もしや……もしや霊夢は、未だに言葉を話さないのですか?」

 その問いに、紫は屈託のない笑みを浮かべる。

「ええ、そうよ。でも他の事は大概出来るようになってきた。なんと炊事洗濯まで拙いながらもこなせるように……」
「違いますよ紫様!」

 主の言葉を遮り、藍の声が響く。それは、いっときは曲がりなりにも霊夢の親代わりであった式神の声であった。

「それは博麗の巫女としての……。霊夢は、これでは、この子は、人間として……あまりにも不完全ではないですか!?」

 だが彼女には、式神の言っている事が理解できなかった。
 自分は正しく霊夢を育てたはずであった。誰にも傷つけられないよう、妖怪たちにも見つからないように。この博麗神社で一年もの間、自分が責任を持って育ててきたはずなのだ。それを、目の前の式神は真っ向から否定する。それは、とても不快なものであった。

「藍……。貴方の進言には、いつも聞く耳を持つように心がけている。けど、その発言だけは看過できないわね」
「紫様……!」
「霊夢のどこが人間として不完全ですって? これが霊夢なのよ、霊夢はこれでいいのよ!」

 何か、不安定に積み重ねられていたものが崩れるように。紫は唐突に声を荒らげた。対する藍は、相変わらず冷静に、あくまでも落ち着いた様子で主を見据えていた。

「紫様。人間は、人間と関わらなければ育てない生き物なのです。『アヴェロンの少年』は、貴方もご存知でしょう?」
「じゃあ、私にどうしろというのよ? 私は、私は霊夢をちゃんと育てた。私の手ひとつで、ちゃんと……」

 胸の前に掲げた両手を震わせながら、その掌を凝視する紫。藍は主の姿を見るのが忍びなく、思わず目を伏せる。しかし、改めて顔を上げ、言い聞かせるように名を呼んだ。

「紫様。もっと霊夢を、人間と関わらせるのです。そうでなければ彼女は……。貴方は……妖怪なんですよ」
「知ってるわよ、そんな事……! でもっ……。私が責任を持って育てるのよ! だって、そう約束したんですもの!」

 藍は無表情のままで、主の張り上げる声を、言葉を、しっかりと聴いていた。
 紫の放つ声には感情がこもっていた。感情がこもるという事は、曇りのない言葉である証拠。その曇りのない言葉が、彼女の台詞に偽りがないと証明していた。
 そして主の心の内を知った式神は、霊夢から一歩離れると静かに答えた。

「分かりました。霊夢……この子は今、貴方の子供です。どう育てるかは、親である貴方が決めてください」
「そうよ。私も大分、子育てっていうのに慣れた。貴方は引き続き、幻想郷の管理の方を頼むわ」
「はい。それでは……」

 静かに引き下がる藍の目には、虚ろな光が宿っていた。今、彼女の心の中には暗く淀んだものがある。それは、目の前の幼子、そのかけがえのない父親の命を奪ったのは自身であるという枷。紫がそうであるように、藍もまた、その責任をこの一年間背負い続けていた。だから、引き下がるしかない。

 自分は紫の命に従い、その使役を受けるもの。――そう受け入れているからこそ、彼女は全く納得がいかないままに引き下がっていた。心の中で、主の考えに了承せずとも、紫の命じられたならばそれに絶対に従う。決して心の中を紫の為に変えたりはしない。それが彼女の流儀だった。

「それでは……失礼します」

 藍が部屋から出て行くと、その呆気無さに紫は気後れした。しかしすぐに紫は、無垢な瞳で自分を見上げる霊夢へと顔を近づける。

「ごめんね、霊夢。まだ眠たいかしら?」
「うぅ?」

 寝かしつけようとした紫の手を払って、霊夢は居間から出ていこうとした。

「あら、もう眠気は無くなったのね」

 それを柔和な笑顔で見守りながら、霊夢の後についていく。

「あぶぅ……」
「ふふ、可愛いわねぇ。……霊夢」

 そこはまるで箱庭だった。
 博麗神社という小さな箱の中で、一人の女神と幼い子供が永遠に戯れているのだ。
 しかし、それを心地良く感じる女神とは逆に、子供は箱庭から脱したいと思っているように見える。その真実が見えていないのは、盲目の女神だけであった。




◇ 9.非感情飛行 ◇





 藍が博麗神社を訪れてから数日後。紫は二人分の昼食を作ろうとしているところであった。
 今日も妖精たちが神社へ紛れ込んできたので、それを追い払うのに時間を取られて、少し遅めの昼食となってしまいそうだ。
 まな板に向かう紫は、霊夢がちゃぶ台の下に潜り込んで遊ぶのを傍目に見つつ、エプロンに袖を通した。そして指先でくるりと円を描いて、居間の周りを結界で囲む。
 料理をする時などは、こうして霊夢が外に出て行かないようにするのが慣例になっていた。

「さ~て、今日はなんだったかしら……?」

 鼻歌混じりに今日のレシピに目を通していた紫は、居間の方へ全く気が向いていなかった。
 それもそのはず。結界から霊夢が出られるはずはないし、結界に触れただけでも即座にそれが自分へと伝わる仕組みなのだ。それに、霊夢も大分学習して、一人で危ない真似をする事も少なくなっていた。だから、彼女は安心して料理に専念していた。

「今日はオムライスね! あ、卵あったかしら……」

 例えばの話、霊夢が空間を跳躍できる能力。それこそ、紫のそれと同じような能力を持っていなければ、霊夢が居間から外へ出る事などはありえない。紫もそれを意識しつつも、しかし、大きな前提を取り違えていた。
 そう、霊夢が空間を跳躍できる能力。それを持っているという可能性を、全く失念していたのだ。

「あら、卵が一個しかない……駄目だわ。ねぇ霊夢、貴方オムライスじゃなくても……」

 振り返った紫の手から、ただ一つだけあった真っ白な卵が滑り落ちた。床に落ちた貴重な卵は、黄身を床壁に弾かせながら台無しになってしまう。
 無言のままで居間へと飛び込んだ紫は、自分の結界が維持されている事を確認すると同時に畳に膝をついた。――霊夢は部屋のどこにもいなかった。

「あ……え……?」

 視界がぐらりと揺れる。足に力が入らない。それはまるで、心の中に起きた津波。それが身体に伝わったかのような大きな“うねり”だった。
 だが彼女はすぐに気を取り直すと、ゆっくりと立ち上がる。そして周りを見渡すと、まず押入れを開けた。もしかしたら霊夢も成長して、押入れに入った後に、戸をしっかりと閉めるようになったのかもしれない。
 だが少し冷静になった紫は、自分の頭を小突いた。結界は押入れの戸の敷居まで張られているのだ、そこに入ろうとしても結界に弾かれるはずである。
 大きく深呼吸をすると、紫はひとまず、一つの事実を確認した。

「霊夢が、私の結界を抜けだした……」

 押入れの中身をひっくり返した紫は、踵を返すと廊下へ繋がる障子戸を勢い良く開ける。
 無人の廊下には涼やかな風が流れていた。紫の足は自然と庭先へ進む。そして庭へ目を向けて一番に目についたのは、いつも薪割りをしている辺りに落ちている赤い何か。

「これは……」

 駆け寄って拾い上げた“それ”は、紫のよく知っている物だった。なぜなら、それは自分が一年前に彼女へ贈ったものだからだ。

「霊夢……」

 紅白のリボンをきつく握りしめた紫は、二つ目の事実を確認して天を仰いだ。――霊夢は自分の結界を飛び越えて、外に出て行ったのだ。

「藍!」

 大きな叫び声は境内まで届いた。だが、もちろんそれが直接に式神を呼び寄せるわけではない。
 主の危機に際して自我に関係なく戦う仕組みと同じく、藍に施されたいくつかの“仕掛け”の内のひとつが発動した。紫が彼女の力を必要とし、その名を呼んだ時。藍は例え、どこにいて何をしていようが、強制的に紫の元へ馳せ参じる。

 もっとも、これらの式神を縛る仕掛けは、藍と紫が共同で模索して作成したものである。――つまり藍にとっても、それは必要な機能であったのだ。
 空の彼方から亜音速で飛んできた藍は、紫の傍らに着地すると、何事もなかったかのように周りに吹き上がった土埃を手で払った。そして紫に対して何事かと問う。

「何用ですか、紫様」

 明らかな狼狽を見せる主に対して、冷静に藍は問う。
 そのおかげか、紫も正確に事態を伝える事が出来た。

「藍……大変よ、霊夢がいなくなったわ……! 探さなくちゃ……どうしましょう!?」

 その言葉には藍も僅かながら、その顔に焦りの色を見せる。

「なっ、あれほど目を離すなと申し上げたでしょう!?」
「だ、だって、私の結界を飛び越えられるなんて、思いもしてなかったんだもの!」
「……!! しっかりなさい!」

 藍は主の肩を強く掴むと、互いの鼻先同士をくっつけるように顔を近づけて、激しく叱咤した。

「親の貴方が慌てふためいていて、どうするのです!」
「そんな事、言われたって……どうすれば良いのか……」

 まるで怯えるように歯切れの悪い紫に、藍はため息交じりにゆっくりと語りかけた。

「とりあえず、落ち着いて下さい。……事を荒立てるの良くありません。誰かに協力を仰ぐにしても、妖怪の山は避けましょう」
「そ、そうかしら? 烏天狗たちなら、探し人には最適じゃ……」
「いいえ。博麗の巫女夫婦の死と、それに関する紫様による山への粛清があってから、一年しか経っていないのです。まだ山には、あの時の“過激派”が息を潜めているとみても、おかしくはありません」
「なるほど……。あー、ごほん」

 ようやく落ち着きを取り戻した紫は、咳払いを一つすると、自分の肩を掴む藍の手をそっと握る。「式神に叱咤されるとは情けない」と思いつつも、今は藍にも力を借りて、一刻も早く霊夢を探さなければならないと腹をくくった。

「でも、私たちが信頼をおける奴らなんて他には……」
「霊夢がいなくなってから、そう時間は経っていません。私は今すぐに辺りを探してみます。紫様は、他に信頼出来そうな助っ人に連絡を」
「あ、ええ、そうね……頼むわ」
「……命令してください。紫様」

 藍はひとこと、紫に言った。その目は何かを訴えるように強い光を灯していた。言われた紫も、その目が自分に何を伝えたいのか。なんとなしにではあるが理解できた。

「……霊夢を探し出しなさい。今すぐに、必ず」
「了解しました」

 藍は満足そうな声で了解をすると、駆けつけたのと同じくらいの早さで天を駆けて行く。
 紫はその後姿が見えなくなると同時に、式神に言われた通り、信頼に足る知り合いを探し始めた。胸に手を当てて、自分の交友関係を洗い出す。

「萃香……は駄目ね。すぐには捕まらないし。――幽々子、協力してくれるかどうか……。閻魔、呼びに行くのに時間が掛かり過ぎるわ」

 そして、紫はすぐに気付いた。――自分には、こういう時に助けを求められる知り合いが、皆無であると。
 周りの友人は自分と同じく、ある種では超越した存在ばかりである。そして超越した者というのは、得てして流動的な存在であるのが常だ。だから、こういった緊急時に、すぐさま手を借りられる者が彼女には思い当たらないのである。――以前ならそこに、博麗の巫女がいたのだから。

「駄目! やっぱり私も探さないと……!」

 紫はそう思い立つと、地を蹴って空へと浮かび上がった。思うにすきまを使わず、こうして空を飛ぶのは紫自身、随分と久々の事であった。

「霊夢。どうか、どうか無事で」

 祈る神はいない。紫はただ漠然と霊夢の無事を願っていた。




    ◇    ◇    ◇




 草葉の陰から、空へと飛び立っていく紫を見守る姿があった。

――私の願いは、何なのだろう

 彼女は自分でも、一体何をしているのかが分からなかった。
 一見すると、それは主に対する裏切りのような行為ではあったが、彼女自身にその意識は微塵もなかった。
 このまま紫が霊夢を保護すれば、彼女の願いは叶うのかもしれない。それとも、霊夢が野良妖怪にでも食べられてしまえば或いは、それでも彼女の望み通りかもしれなかった。つまり、どちらに転んでも彼女にとっては、どうでもよい。

――霊夢に対する稚拙な嫉妬? 私だけが彼女の従者であり、支えであるという自負? ……いや、違うな

 彼女の望みは、ただ一つだけであった。
 その為に今、彼女は主の本懐を踏みにじろうとしていた。何が主の為になるのか、それが自分の為になるのか。
 “人間”に憧れ“人間”になっていく主を、日々目の前にした彼女が下した決断が、これであった。

――博麗霊夢。とんだ波乱に満ちた人生だな。同情に値する。だが、それも一つの試練。お前が生き残るのか、死に果てるのか……それも

「人間の可能性の一つだ」




    ◇    ◇    ◇




 紫は神社の周りを、ぐるりと飛んでみた。当たり前のように、霊夢の姿は見つからない。
 この辺りは、もう藍が探し終えたのだろうと判断した紫は、続いて少し離れた所をぐるりと飛んでみる。しかし、ただ森林が広がる一帯から小さな幼子一人を見つけ出すのは、紫にとっても至難の業だった。

「ああ、もう! どうしたら……」

 紫が森の脇を滑空しつつ、焦りから思わず、この窮地に対しての悪態をつく。
 するとその時、彼女の耳がある雑音を捉えた。自然の音では有り得ない、森の中では通常聞こえてこないはずの音。それは些細な手がかりでも欲している紫の気を引くには、十分なものであった。

 まるで固いものを噛み砕いているかのような、乾いた破砕音。そして液体が辺りに散らかっているような、飛沫の音。最後に明確なのは、肉を歯が引きちぎり、細かく擦り潰す咀嚼音であった。
 紫は無言のままで、音の発生源である大木の陰へと降り立った。木の裏側からは、ひたすらに肉を裂く音が聞こえる。たまに耳に届く、液体を啜る音が、紫の心を逆立てた。

――まさか

 心中で呟いた紫は、意を決して木の裏側を覗き込んだ。

「うっ!?」

 瞬間、彼女が吐き気を催したのも無理はない。
 目の前に飛び込んできたのは、地面に広げられた生き物であった肉塊。そして血の海。
 卒倒しそうになる身体を持ち直し、紫は頭の中で「そんなはずはない」という言葉を繰り返す。そして血の海の真ん中に座り込んで、それを食している妖怪に目線を送る。

「なんだ……」

 彼女が口に運ぼうとしている大きな肉塊を見て、紫は安堵した。それは、茶色く濃い体毛の残る皮が付いた肉であり、屠られたのが哀れな野生の猪であると紫に知らせたからだ。

「ん? 食事中に誰よ?」
「ああ、失礼。……あなた、確かルーミア。そう、霊夢にも何度か会いに来たわね。私の忠告を無視して」

 紫が何度も忠告しても、それをすっかりと忘れて毎日のように神社へやってくるルーミアの事は、彼女も印象に残っていた。その健忘症ぶりは、忠告せずに放っておいても、きっと霊夢と会った事も勝手に忘れるだろうと、紫を安心させたほどだ。

「なんの話よ? 何、私の獲物を横取りにきたの!?」
「違うわよ。あなた、このくらいの人間の赤ん坊が、空を飛んでいるのを見なかったかしら?」

 紫は両手で霊夢の大きさを表してルーミアへと尋ねた。

「人間の赤ん坊? そんなのが、ここら辺を飛んでいる訳ないじゃない」

 やはり、博麗神社に霊夢という赤ん坊が住んでいる事すら、このルーミアは忘れているようだ。力の抜けた紫とは対称的に、食事でやや興奮しているのか、ルーミアは鼻息荒く彼女に退去を命じた。

「どこの馬の骨か知らないけど、今の私は猪の骨を砕くのに夢中なのよ。邪魔しないで! しっし!」

 血で濡れた右手を振るうルーミアに対し、紫は少し考えてから、こう切り出した。

「分かったわ。それじゃあ、何か情報をくれたら、猪をもう一匹プレゼントしてあげましょう」
「本当!?」

 紫の言葉を聞いたルーミアは、目を輝かせて態度を一変させた。手に持った猪の肉を放り投げ、何かを思い出そうと必死に考え始めた。
 そして、何か難しい数式を解いたかのように嬉しそうに充ち溢れた顔で、手槌を打つ音と共に証言した。

「そういえば! 猪を食べ始めた時に、おいしそうな“お肉”が空を飛んでいったわね。柔らかくて美味しそうなのが」
「それ、どっちに飛んでいったのかしら」
「あっち」

 ルーミアの指さしたのは、人間の里がある方角だった。「人里の方ね」と少し安堵しつつも、紫は急いで地を蹴って空へと舞い上がる。途端、ルーミアが声を上げた。

「あー!? ちょっと、プレゼントはー?」
「安心なさい。後で、冷凍猪でもお届けしとくわ」
「約束よぉー!?」

 霊夢の事すら忘れていた記憶力の乏しい妖怪ではあるが、その食欲で釣った情報ならば信憑性があると紫は考えていた。だから人間の里の方へ霊夢が向かったというのは、信じられる情報だと判断する。
 さらに、人間の里へと霊夢がたどり着けば、誰かがそれを目撃するはずである。人間に友好的かつ、空を飛べるものが居れば、保護もしてくれるだろう。そして紫には、そのアテがあった。

「ちょっと、気が楽になったかも……」

 ルーミアの目撃情報は、紫にとって自らの平静を維持するのに役立った。
 今の紫には、前向きに考える材料すらも必要なのであった。
 思わず爪を噛みながら、紫は湧き上がる言葉を呟く。

「お願いよ、霊夢。どうか無事でいて……無事でいてさえくれたら」




    ◇    ◇    ◇




 紫がルーミアに会う、ほんの少し前。人間の里は、ちょっとした騒ぎになっていた。
 人間たち曰く、赤ん坊が空を飛んでいるそうなのだ。

「何を馬鹿な……」

 寺子屋で授業をしていた上白沢慧音は、子供たちがそんな戯言で騒いでいた為に説教をした。だが子供たちは「本当だって、先生!」と言って聞かない。どうもその真に迫る様子から、ただの嘘や冗談ではないと予感した慧音は、授業を中断して一足早い昼休みとすると、騒ぎを調べる為に外へ出てみる事にした。

 寺子屋から大通りに出ると、そこでは、いつものように人間たちで活気に溢れていた。しかし、いつもと違う事が一つある。それは――皆がみんな空を見上げているのだ。中には、空のある一点へ向けて指をさす者もいた。

「まさか……?」

 慧音がその指の先を見上げる。すると、そこには何か小さい物が飛んでいた。
 一見すると空を舞う木の葉か何かであるが、縮尺を考えれば、それよりも遙かに大きい物質であると分かる。

「カラスか、何かか?」

 まだ認めない慧音は、更に目を凝らして宙に浮かぶ何かを見つめた。そしてすぐに分かったのは、どうやらそれが、本当に赤ん坊らしいという事だった。

「なんで、あんな小さい子が空を飛んでいる!? 親は何をしているんだ!」

 叫んだ慧音に対して、ちょうど近くにいた見物人の一人が声を掛けた。

「先生、いいところに! 親が誰かは分からないんだけど、とりあえずは何とかしてあげなきゃって、皆で言ってたんだ。あのまま空を飛んでたんじゃ、妖怪にでも食べられちゃうんじゃないかって心配でさ」
「分かっているなら、何故に助けてあげないで、ただ見物しているのです!」
「いや……だって空飛んでる奴を、どうにかしろって言われたってねぇ? 俺らは空飛べないし」
「あっ……」

 そこで慧音はハッと気づいた。里の人間は大体、空を飛ぶ事が出来ない。つまり今、あの赤ん坊を救う事が出来るのは、自由に空を飛べる自分だけなのだ。

「くっ、助けに行きます!」

 慧音はキッと鋭い目で赤ん坊を睨むと、地を蹴って勢い良く空へと飛んでいった。
 それを見る野次馬たちも、これで一件落着と、好き勝手に歓声をあげる。

「おぉー! 姉ちゃんいいぞー!」
「先生ぇー! 早く助けてあげてぇ!」

 そんな声を尻目に、慧音はふわふわと空を飛ぶ赤ん坊へと、ゆっくり慎重に近づいていった。赤ん坊は手足をバタつかせながら、気のせいか、とても楽しそうに空を飛んでいる。

「どんな原理で飛んでいるのか……? もし、あの子の意思で飛んでいるとしたら、驚かせてしまって集中力が途切れ、そのまま落下という事態も考えられる。慎重に近づかねば……」

 自分に言い聞かせつつ、赤ん坊を刺激しないように近づく慧音。しかし、彼女は赤ん坊の身を気遣うあまり、気付くのが遅れてしまう。――その自分と赤ん坊の方へ、高速で近づく何者かがある事に。

「先生ぃぃ! 右から妖怪が来てるぞぉぉ!」

 野次馬たちの叫びが耳に入った時には、慧音の右手から三匹の妖怪が、ほんの間近まで迫っていた。

「!? くぅ!」

 とっさに防御の体勢をとった慧音であったが、妖怪たちは彼女に目もくれずに脇を掠め、その先にいた宙を浮かぶ赤ん坊をさらった。
 その動きは、どうやら最初から赤ん坊だけを狙っていたようだ。

 慧音は、その場に滞空した敵の姿を視界に捉える。その妖怪たちは一様に山伏の格好をしており、種族でいえば烏天狗であった。内の一人がその腕の中に赤ん坊を包みこむと、一瞬だけ慧音へと視線を送った。目が合った慧音は、はたと気付いたように叫ぶ。

「待て! その子を放せっ!」

 慧音が近づこうとすると、烏天狗は赤ん坊を白い布で包んで、慧音に背中を向けた。そして、黒い羽を一回大きく羽ばたかせると、つむじ風を残して妖怪の山へ飛び去っていく。

「ええい、待てと言っている!」

 慧音は慌てて、それを追いかけようとする。しかし、烏天狗のうち一匹がそこに残り、慧音の足止めをしようといわんばかりに団扇を構えた。その目には明らかに殺気が込められており、人間の里への手出しを禁ずる「山の掟」の事などは、まるで頭に無いのが明白だった。

「……あいつの、仲間か?」
「えっ?」

 ぼそり、と零された妖怪の言葉を耳にして、慧音は呆気に取られた。

「いや……戯言か。その手はくわんぞ、天狗」

 しかし、それは自分を混乱させるための虚言であると即座に切り捨て、赤ん坊を追いかける事に専念しようと身構える。
 慧音は長年に渡って人間を守る為に、妖怪たちと戦ってきたという自負があった。随分と久々の戦いにはなるが、烏天狗一匹に遅れを取ることはないという自信がある。

「天狗よ、そこを退けっ!」
「いかせん」
「なら、お前を倒す。……行くぞ」

 当たり前の話ではあるが、慧音の説得は功を奏さなかった。馬鹿丁寧に開戦の言葉を口にしてから、慧音は両手に霊力を集める。そして、それを前方に突き出し、天狗へと突進した。
 それで天狗を突き飛ばして、勢いをそのままに、赤ん坊をさらった連中を追跡しようというのが慧音の戦術だ。それは愚直な突進という、ある意味では天狗の虚をついた攻撃であった。

「……ふん。蠅が止まるな」
「くっ!?」

 だが天狗は、それを読んでいたかのように、あっさりと回避をした。というよりも、慧音の突進の速度は、烏天狗からすれば余りにも遅かったのだ。確かに意表を突かれた天狗も、突進してくるのを見てから、余裕を持って回避したのである。
 攻撃を躱された慧音は苦し紛れに、そのまま山へと向かおうとする。それへ向けて、天狗は手に持った団扇を振るった。――天狗の団扇は突風を巻き起こす。天狗たちの唯一にして最大の武器が、その風であった。

「!?」

 慧音の視界が、がくんと大きく揺れる。――地表で突風に遭ったとしても、足を踏ん張れば済む話だ。しかし慧音がいるのは空中。そこは風が全てを支配する世界である。そして天狗は、風を自在に操る団扇を持っている。
 その認識が、慧音には足りなかった。

「うわあぁぁ!?」

 慧音の飛行とは、自分の身体を空気の流れに乗せるようにして、空気の波間を泳ぐような方法だ。他の空を飛ぶ者がそうであるかは分からなかったが、とにかく、彼女の飛行能力はそういった仕組みであった。だから突然に、その気流が根こそぎ、根本からひっくり返されれば一溜りもない。
 それはいうならば、木の葉舟で沖に出たら、突然に時化に巻き込まれたような、抗いようのない天変地異が人為的に起こされたようなものである。

「……むぐっ!」

 舌を噛まないようにしただけでも、上出来であった。慧音は回転する視界の中でも、状況が把握出来るまで、下手に身体を動かさないようにした。それは、水底で溺れた時に、頭上と足元のどちらが水面なのかを冷静に判断する様に似ている。
 事実、一瞬で平衡感覚を失った慧音は、既に自分の頭が地面へ向いているのか空へ向いているのかすら分からないほどに、身体をもみくちゃにされていた。自らの飛行能力を完全にもぎ取られた慧音は、錐揉みするように高速で落下していく。

「きゃああ! 先生ぇぇ!」
「くそぉぉ! 誰か、逃げてった妖怪を追える奴はいないのか!?」
「馬鹿! 天狗が飛ぶのより早く走れる人間が、この世にいるか!」
「それよりも先生は! 先生は大丈夫なのか!?」

 野次馬たちは慧音を応援しつつ、しかし他に手出しのしようもない自分たちの無力を嘆いた。このままでは山に連れ去られた赤ん坊が、天狗たちの餌になることは自明の理である。だけれども、自分たちに出来るのは、上空で戦う慧音を応援する事のみであるのだ。

「あっ、ぐぅぅう! 止まれぇ……!」

 完全に制御を失っていた自分の身体を何とか持ち直すと、慧音は自由落下へのブレーキを掛ける。五臓六腑が身体の中で一方向に圧縮される、その嘔吐感と苦痛に耐えつつ、あらん限りの霊力を足元に噴射し続ける。身体中の血液が頭に集まったようで、慧音は目の前が真っ暗になる寸前まで陥る。
 だが地表まで、あと数秒の所で間一髪。慧音は踏みとどまった。

「っはぁ!」

 ようやく命の危機から逃れ、一息ついた慧音。だが、しかし、上空へと目を向けた彼女の目には、間近に迫った天狗の身体が映った。
 ただ落下していく慧音を、天狗がぼうっと見逃している訳はない。

「すまんな、念には念を入れる」
「うわ!」

 落下していく慧音を追いかけてきた天狗は、手に持った団扇を振り上げる。
 次に突風に煽られれば、慧音は確実に地面へと叩きつけられるであろう。

 彼女の背筋に冷たいものが走る。途端に汗が噴き出し、全身の肌をじっとりと濡らした。そして、その感覚が、彼女の中に眠っていた記憶を呼び覚ました。呼び起こされたのは、今までに幾度となくあった、人喰い妖怪たちとの戦いの記憶。それは謂わば、彼女の身体に刻まれた歴史であった。

「させん!」

 慧音はとっさに両手をつきだして、見境なしに己が霊力を解き放つ。それは拡散するレーザーのような形をとって、間近に迫っていた天狗を襲った。
 なまじ、確実性を求めて慧音に接近していた天狗。そのレーザーを避ける為に、攻撃動作を中断せざるを得なかった。むしろ、そこまで接近した状態で、慧音の起死回生の攻撃を躱しただけでも上出来である。冷や汗をかきながらではあるが、天狗は見事に慧音の攻撃を回避してみせた。
 そして、皮肉でもなんでもなく、純粋に慧音へと賞賛の言葉を放つ。

「ほぉ! 妖術を使うか、この人間。大したものだ」
「危なかった……。妹紅との組み手のおかげか、腕は鈍ってはいなかったようだ」

 慧音は体勢を立て直しつつ、起死回生の一撃をあっさりと躱した天狗を睨みつける。

 彼女は人間を守る為の手段として、昔から妖術の類を扱っている。しかし、最近ではそれを使う機会もなく、確かに腕は落ちていたと言わざるを得ない。ただし、週に一回は行っていた友人との組み手が、この緊急時において、咄嗟の判断を誤らせなかったのだ。――慧音は心の中で、組み手に付き合ってくれた友人へと感謝する。

「だが、こうしている間にも……!」

 慧音は目の前の天狗から視線を外すと、妖怪の山へと向き直って、その場を離れようとする。
 赤ん坊を連れた天狗が山へ向かってから、もうかなりの時間が経ってしまっている。もう一刻の猶予もないと判断し痺れを切らした慧音は、目の前の敵を無視してでも追跡体勢に入ろうとしたのだ。
 それに対して天狗は薄ら笑いを浮かべながら、涼しい顔で慧音の後を追う。その早さは慧音のものと比べて――否、比較にもならぬ程、圧倒的に早かった。

「いかせん。天狗の早さに、敵うと思うてか」

 あっという間に肉薄された慧音は、そこで振り返った。天狗は、再び慧音が繰り出す妖術での攻撃に備えつつ、そして慧音への攻撃を繰りだそうと、更に加速する。
 恐らく、この人間。こうして逃げながらも、なんとか自分の事を振り切ろうと、隙を見て攻撃を仕掛けてくるだろう。――そのように考えた天狗は、むしろここで急接近をして一気にカタをつけようと目論んだ。
 だが、その瞬間。慧音は天狗の予想外の行動に出た。

「振りきれるとは、最初から思っちゃいないさ」

 空中での急ブレーキである。

「うお!?」

 慧音は空中で急停止すると同時に、その両手を覆うように霊力を展開し、渾身の防御壁を形成した。
 天狗は全力に近い速度を出して、まっすぐに慧音を追いかけていた。故に、急には止まる事など出来ない。
 天狗は、ほとんど最高速度のままで慧音の防御壁に激突してしまう。

「……ぐっ、げぇっ!」

 まるで花火が弾けたように、空中に黒い羽が散った。
 そして力を失った天狗は、フラフラと蛇行しながら地表へと墜落していく。――だが、その顔が満足気に笑っていたのを、防御壁を解いた慧音は見逃さなかった。

「くそっ! 力が……足りなかった!」

 勝負に勝ったはずの慧音が、彼女にしては珍しく、悪態をつく。
 そう、天狗は慧音との一騎打ちには破れたものの、時間稼ぎという点では十分すぎる役割を果たしたのだ。今頃、二匹の天狗と赤ん坊は山へと紛れ込み、もしかしたら既に手遅れとなっているかもしれない。
 更に、今から追いかけていったとしても、山は不可侵の領域である。山で人間と妖怪が争う事など、その組織力が許すはずもない。どちらにせよ、山へ逃げられた時点で、慧音にはもう手が出せないのだ。

「すまない……」

 慧音は震える手を力強く握り、救えなかった赤子への謝罪の言葉を漏らす。そして、歯を食いしばりながら里へと降下していった。
 項垂れた里の守護者を慰めるように、野次馬たちは口々に彼女の健闘を讃える。だが皆が同じ気持ちだった。あの赤ん坊を救えなかったと、力が及ばなかったと、心の中では嘆いていた。

「……いや、まだだ」

 人々の健闘を称える言葉に囲まれながらも、慧音の瞳は死んでいなかった。むしろ、ますます勢いを増す炎を宿したままで、彼女の拳を固く握らせていた。




    ◇    ◇    ◇




 紫はルーミアの情報をもとにして、人間の里へと辿り着いた。
 道中で霊夢が見つかるかもしれないので、すきまによる瞬間移動ではなく空を飛んでの鈍足移動だ。おかげで少し時間が掛かってしまった。

 さらに彼女は、わざわざ変装をしている。何故なら彼女は、人間の里に妖怪である自分が姿を現すのを好ましく思っていないからだ。だから正体を隠すように、尼頭巾のような白い布で頭から全身をすっぽりと覆い隠していた。
 しかし、それが却って目立つという事にまで、頭は回っていなかった。

「何やら……騒がしいわね」

 里の通りに出た紫は、そこがいつもとは少し違う雰囲気だという事に気づいた。人間たちは口々に小声で何やら囁き合い、その表情は一様に暗く淀んで感じられる。
 紫は何事かと思いながら、今の自分にとっては、里の違和感よりも霊夢の事が一番であると思い直す。そして早速、聞き込みをしようと手近にいた女性に声を掛けた。

「もし、あなた。空を飛ぶ赤ん坊を、ご存知じゃないかしら?」

 話し掛けられた中年の女性は、紫の方へ振り向くと早口でまくしたてた。

「そう! 聞いておくれよ! さっきねぇ、赤ん坊を助けようとした慧音先生が山へ向かったところでね。惜しかったねぇ、あれは。かわいそうに、今頃、あの子はどうなってるのかしらねぇ~」
「ちょ、知ってるの!? 空を飛ぶ赤ん坊の事!」

 まさか一発で情報を得られるとは思っていなかったので、その不意打ちに紫も声を大きくする。
 女性は喋りたくてしょうがないように、紫へとその弁舌を振るった。

「知ってるも何も、みんなが見てたじゃないのさ。あ、もしかしてアンタは今来たのかい?」
「え、ええ……。それで、赤ん坊はどうなっ……」
「かわいそうにねぇ。どんな事情かは分からないけど、あの赤ん坊の母親は何をしてたんだか! あんな小さな子を放っておいてさ。空を飛べるっていったって、それだったら尚更目を離すなって言いたいねぇ、わたしゃ」

 止まることのない喋りに紫は圧倒されつつ、その至極もっともな意見に押し黙るしかなかった。
 少しして、紫が俯くようにして黙りこくっているのに気づき、女性はようやく口を閉じた。女性も、紫の様子にただならぬモノを感じ取ったようだ。

「……あんた、もしかして。あの子の母親なのかい?」

 心臓が跳ね上がった気がした。

「ま、まさか。違いますよ」

 紫は慌てて否定し踵を返すと、小さな路地へと逃げこむように去る。
 女性の話から推測するに、霊夢が一刻の猶予もない状況に陥っているのは明らかであった。それであれば尚更、さっきの女性に詳しい事情を聞くべきであった。
 しかし、紫は思わず路地裏へ逃げこんでしまったのだ。その矛盾は本人も重々承知であった。

「な、何やってるのよ私! 早く、霊夢の居場所を探らなきゃ……」

 自分に言い聞かせて、紫は再び通りへと出ようとする。
 しかし、その足が震える。前に歩みを進めようとしても、それが出来ない。自分の中の誰かが「もう手遅れだよ」と残酷な台詞を耳元でささやくようだった。

「違う、霊夢はまだ。早く、早く探さないと……!」

 紫は全身を震わせながら、その路地から出ようとし、そして延々ともがいていた。
 くいしばった歯は今にも砕け散るような軋み声をあげて、目は焦点を合わさずに喧騒鳴り止まない通りを見つめている。

「紫、あんたそんな格好で何してんだい」

 その声は背後から聞こえた。

 ハッとして振り返る紫の目には、彼女が今、もっとも会いたくない人物の姿が映った。何故なら自分は、彼女の大切なものを守れず、そして今また失おうとしているのだから。
 覚悟をするように、目を見開いて紫は尋ねる。

「吉備……なんで、ここに」
「見て分かんないかい。野菜買った帰りだよ」

 老婆は右手に掲げた買い物籠を紫へと見せつける。籠の端っこからは、風味豊かな香りを漂わせるネギが顔を出していた。
 そしてヨネは表情を変えずに、くつくつと笑いながら、ただ淡々と尋ね返した。

「それで、どうした? 狐の嫁入りみたいな格好して」

 紫は言葉に詰まった。実際のところ、自分は今すぐヨネに刃を向けられてもおかしくはないし、文句も言えない。
 それだけの事を自分はしでかした。彼女との約束をひとつも守れずに、全てを失わせてしまったのだから。
 だから訃報を届ける際にも、紫は烏に式神を貼りつけ、それに運ばせた封書にて知らせたのみであった。どのような顔して彼女に会えば良いのか、紫には分からなかったのである。

「吉備、貴方……。私のこと、恨んでるんじゃないの……?」

 平然と自分へ接する老婆に対して、紫は尋ねるしかなかった。彼女の真意を問わなければ、ただの一つも言葉を交わす事はできない。それほどに今の紫は、失う事を恐れていた。彼女は人の心の中を、知りたかったのである。

「聞くんじゃないよ、そんなこと」

 言ってヨネは一瞬、強く瞼を閉じる。だが、それを静かに開けると、フッと息を漏らして、妖怪の山の方を指さした。
 その顔には、紫への暗い感情というものは一切含まれておらず、やはり口の端を釣り上げて、嫌みったらしい笑みを浮かべるだけであった。

「あっち」
「は?」

 紫は口を半開きにしてヨネへと聞き返す。老婆はやれやれといった感じで、紫を叱りつけるように言い放った。

「妖怪の山の方に、連れ去られたってよ。霊夢」

 数秒の間、路地裏を沈黙が支配する。
 それが終わるのにさほど時間はかからなかった。紫は気を持ち直したように背筋を伸ばすと、ヨネに向けて綺麗にまっすぐと、頭を下げた。
 そして、すきまを開くと、そこへ身体を滑り込ませる。その動きに迷いはない。先程までの臆病な妖怪は、既にどこかへと消え去っていた。

「かっかっか」

 乾いた笑い声を路地に残して、彼女は買い物籠を片手に去っていった。




    ◇    ◇    ◇




 紫がヨネに会う少し前、妖怪の山にて。
 山肌に沿って二匹の烏天狗が滑空していた。その片方の腕の中には、布にくるまれた赤ん坊。それは何の汚れを知らないような綺麗な瞳で、自分を抱える天狗の顔を見上げた。

「霊夢、か。……もう少しで降りるからな」

 天狗は赤ん坊へと、心なしか優しく話しかける。
 しかし、それまで大人しくしていた赤ん坊の中で、その時にある変化が起きた。先程まで、霊夢は自分を抱える天狗たちに、何か自分と同じものの臭いを感じていた。

 だが霊夢は気付いたのだ。それは僅かな残り香に過ぎず、この妖怪たちが自分とは違うものであるという事実に。それは、ただ単に時間経過が起こした変化なのか、それとも霊夢の中で何かが変化したのか、天狗は知る術もなかった。
 ただ理解した霊夢は、この腕の中から離れたいと思う。自分とは違う臭いの者から逃れたいと思う。――思った彼女がとる行動は、一つきりである。

「あうぅ!」

 やや強い声に驚いた天狗が、腕の中を見る。
 それと同時に、彼の腹部から強力な閃光が漏れ出した。それは高位な巫女が放つ、霊力の高ぶりであった。

「うわ! これは……」
「どうし……」

 相棒が異常に気付き、案じる目の前で、天狗の身体が吹き飛んだ。
 それは霊力による強力な攻撃。しかも全く油断していたところに、零距離から放たれた一撃である。天狗はとっさに霊夢から手を放し、流れに身を任せるように墜落していった。

「あっ、おい!? ……霊夢が!」

 残った天狗は一瞬、吹き飛んでいった相棒の心配をしつつ、それよりも墜落していく霊夢を拾い上げるのが先であると、賢明に判断した。
 霊夢は、まるで空を飛ぶ事を忘れたかのように、重力に任せて自由落下していく。通常であれば、今から彼女を救い出す事は不可能である。霊夢と天狗の間には、三途の川幅程度の絶望的な距離があった。――だが天狗なら、可能であった。

「間に、合えッ」

 彼は団扇を股下から頭上へと大仰に振り上げた。すると、霊夢の真下から突風が吹き起こり、彼女の身体が落ちるのを僅かに緩めたのだ。その隙をつくように、自分の身体を暴風に乗せて、天狗は目標へと急接近した。
 風で浮き上がる感覚を楽しむように笑う霊夢。その顔が確認出来る程に近づいた天狗は、その腕の中に霊夢を掴みとる事が出来る、はずであった。

「うお!?」

 横手から殴りつけるような光線。その唐突な攻撃を避けるには、天狗はひとまず急旋回せざるを得なかった。
 それはもちろん、霊夢を確保するのには致命的なタイム・ロスとなる。

「何だと!?」

 相次ぐ急展開に混乱しつつも、レーザーを大きく躱した天狗は、反射的にその出所へと目をやった。
 その瞳には、こちらへ飛んでくる人間の姿が映った。彼女の表情は、普段の温厚で冷静な彼女を知る者ならば想像すら出来ないであろう、文字通り鬼の形相であった。
 そして、その手には二波目の光線を放たんと、強力な霊力が溜めこまれている。

「あっ、里にいた奴……。ちぃ……! おい、今は邪魔するな!」

 何と間の悪い事か。一刻も早く急降下して霊夢を拾い上げなければならない時に、自分たちを追跡してきた慧音の邪魔が入る。天狗は苛立ち、舌打ちをしつつ、慧音へと停戦を呼びかける。
 一方、慧音からすれば、地の不利覚悟で赤ん坊を必死に追いかけてきて、ようやく天狗のうちの一匹を見つけた所なのだ。相手の事情など知る由もなく、その手に霊夢がいない事を確認し次第、攻撃をするに決まっている。

「お前らに、ごちゃごちゃ言う権利などない! さぁ、赤ん坊を返せ!」
「いや、だから! それを今……」
「喰らえっ!」

 天狗の弁解は、慧音の放った光線が空気を焼く音にかき消される。
 再び舌打ちしながらも、天狗はそれを躱す為に高度を上げつつ身を捩った。今度は回避に集中できずに脇腹を光線が掠め、天狗の腹は燻られたように焦げ付く。だが彼は痛みなど気にしてはいなかった。何故ならその視界の端に、森の中へと落下していく霊夢の、まるで豆粒のような姿を捉えたからだ。

「うわァー! 間に合わないっ!」

 天狗は絶叫した。
 最初の救出に邪魔が入ったのが命取りであったのだ。今から追いかけたとしても、霊夢が地表に激突するのは免れない。そして、その生命が失われる事も、まず間違えない。
 脱力した天狗は、やがてその原因となった慧音への怒りが沸いてきた。

「てめぇ……。よくも、よくも邪魔しやがったな!」
「何を言うか、観念しろ! 人食い妖怪め!」

 二人はいがみ合いつつ、空中で激突しあう。
 それはもう、誰も止めようがない恨み合いに膨れ上がっていた。




    ◇    ◇    ◇




 姉妹の目の前で、落ち葉が乱れ散った。
 空から紅葉が舞い降りてくる、その優美で儚い光景は、人が見ればなんと素晴らしい秋の情景だろうかと感心するであろう。
 しかし、次の瞬間に彼女たちの口から飛び出たのは、怒りの言葉だった。

「な、なんて事すんのよー!」

 彼女たちは声を合わせて、落ち葉の山へ墜落してきた“何か”に向けて抗議した。

 何が落ちてきたのかは視認出来なかった。しかし事実、彼女たちは被害を被ったのだ。
 豊穣を祈る儀式のため、今日一日かけて集めた落ち葉の山を、一瞬で台なしにされて憤慨しつつも、その落下物を拾い上げたようと神様たちは落ち葉を掻き分ける。

「まったく、さっきから上で喧嘩してる、アイツらが落としたのかしら?」
「あいつらぁ! 妖怪なんて、後で焼き芋にしてやる!」

 言いながら、ようやく積み上がった落ち葉の底へと手を突っ込んだ二人は、その手に伝わる感触に顔を見合わせる。

「えっ、この柔らかい感じって……」
「も、もしや?」

 落ち葉の中から拾い上げたのは、白い布にくるまれた赤ん坊であった。それも人間の。

「えぇぇぇ!? 人間っ! しかも赤ん坊!」
「な、なんで空から子供が降ってきたのよ……!? てか、この子だいじょうぶ……?」

 心配そうに赤ん坊の顔を覗き込む静葉。それに応えるように、霊夢はまだ生えそろっていない歯を見せて、驚きに満ちた表情をみせる。
 さすがの霊夢も、空中から自由落下をするのには、いささか驚いたようである。

「……強運な子ねぇ。せっかく集めた落ち葉はバラバラになっちゃったけど、クッション代わりになってくれて良かったわ」
「はぁ~。また一から集めなおしよ……。あんたのせいよ? 分かってんの~?」
「あ~ぅ?」

 穣子は霊夢の頬を人差し指で突っついた。すると霊夢はくすぐったそうにして、両手をバタつかせる。

「やめなさいよ、穣子。この子にあたったってしょうがないじゃない。それにしても、あの上で戦っている連中。あいつらが、この子を落としたのかしら……ひどい」
「あいつら妖怪っぽいしね。人間なんて石ころ程度に思ってる奴らなんじゃない? もしかしたら、食べられちゃう所だったのかなぁ……。でも、私たちに会ったのが幸運ね! ちゃんと里まで送り届けてあげるわ」

 優しく微笑みかけてくる姉妹に対して、霊夢も大人しくその腕に抱かれていた。どうやら、二人の神に対しては敵意も感じずに、居心地が良いと感じていたのだろう。もしかしたら、彼女たちの発する生焼き芋の香りが、霊夢にとっては安息の効果があったのかもしれない。
 対する姉妹の方も、久々に見る可愛らしい赤ん坊に癒され、しばし見とれていた。

「赤ちゃんはいつ見ても可愛いわね」
「妖怪の山に住んでいると、なかなか見れないものねぇ」
「あぁーう……」

 すると、霊夢の顔を見ていた穣子が、ふと何かを感じ取った。

「あれ、ねぇ……お姉ちゃん? この子、なんだか……どこかで見たことない?」

 問われた静葉は、しかし霊夢のような赤ん坊は記憶になかった。そもそも、里には良く呼ばれる神である二人。赤ん坊が産まれたならば、良くご利益があるようにと顔通しをさせられるのだが、このような歳の赤ん坊は最近産まれたという報せはなかった。
 それは、穣子も同じく疑問に思っていた。

「え? うーん。里に呼ばれた時に、見かけたのかしら……?」
「いいえ、そんなんじゃなくって……もっとこう、よく知っている人のような」
「私たちが良く知っている人間なんて、そうそういないじゃない。例えば、ほら」

 それと同時であった。上空から二人に向けて、再び何かが墜落してきたのは。
 自分たちへと真っ直ぐに落下してくる、その大きな影に気付いた二人は、慌ててその場から飛び退いた。

「危なっ!」
「なに!?」

 それは、上空で戦いを繰り広げていた慧音であった。彼女は天狗の攻撃によって急降下を余儀なくされ、姉妹にぶつかる直前で軌道を変えた。
 慧音は姉妹の姿を見咎めると、慌てて地に足を着けて頭を軽く下げる。

「そこの、すまん! 今ちょっと、目がいってなくて……」

 ニアミスへの謝罪をする慧音だったが、肝心の姉妹はというと、何やら慌てて周りを見渡している。
 どうしたのだろうと慧音が視線を送ると、静葉が顔面蒼白のままで呟く声が耳に届いた。

「赤ん坊が……、消えちゃったわ!」

 そう。彼女が腕に抱いていたはずの霊夢が、その一瞬の間に跡形もなく消え去ったのだ。
 無論、彼女も赤ん坊を庇うように腕の中に抱え込んで、慧音を回避したはずだった。慌てて放り投げたという話ではない。だが、事実として赤ん坊は消えた。
 妹の穣子もそれに気付くと辺りを見渡し、そして少し離れたところを飛んでいる赤ん坊の姿を認めた。

「あーっ! お姉ちゃん、あそこ、あそこー! 浮いてるよ!」
「えっ、あら! 本当だわ!」

 何故、赤ん坊が空を飛んでいるのかは知らない。だが姉妹がやるべきことは、その子を安全な場所へと確保する事である。

「あれは……さらわれたはずの赤ん坊!?」

 慧音もそれに気付いて、姉妹と共に霊夢へと視線を送る。
 そのせいで、上空から襲撃してきた天狗への反応が遅れてしまった。

「お前のせいでぇぇ!」

 怒り狂った天狗は、姉妹を全く問題にせず、地面へ向けて突風を叩きつけた。
 その暴虐な風は砂塵を巻き上げ、落ち葉を狂わせ、辺りを騒乱に陥れた。

「うわっ」
「きゃあぁぁ!?」

 反射的に顔を防いでうずくまる三人。天狗はその暴風の中を突っ切って、慧音へと肉薄する。いち早く体勢を立て直した慧音は、地を蹴って後方へ退避しつつ、天狗の繰り出した鎌鼬の一閃を、霊力で形成した剣で防いだ。

「くっ、剣だと!? 器用な……」
「風を操るだけでは、芸がないな、天狗!」

 そして二人は、また鍔迫り合いをしながら、空へと舞い上がって何処かへと転戦していった。
 後に残されたのは、集めた落ち葉を完膚なきまでに吹き飛ばされた姉妹だけだ。

「お姉ちゃん……大丈夫?」
「それより、赤ちゃんは!?」

 顔を上げた姉妹は、さきほどまで確かに赤ん坊が浮いていた場所へと目をやる。
 しかし、そこには既に跡形もない。どうやら、赤ん坊はまた一人でふらふらと飛んでいってしまったようだ。

「嘘、もう……。どこ行っちゃったの!?」
「探しましょう、穣子!」

 慌てて霊夢の消えていった方角へと駆け出そうとする二人。

「待って、そこのお二人さん」

 だが、それを止めたのは、唐突に背後から湧き立った声だった。

「へ?」

 振り返るとそこには、やけに慌てた様子の紫がいた。彼女はすきまから這い出るようにして、頭の上の帽子はズレ落ちかけている。
 姉妹もその妖怪の存在は知っていたが、今の姿が、話に聞くような大妖の姿とは、まるでかけ離れていた為に呆気にとられた。
 今の紫は言うなれば、逃げ出した子犬を追いかける飼い主のように。あるいは、それ以上に大切なものを失いかけた、一介の人間であるように見えたのだ。

「あなた……えと、何の用?」
「人探しをしているの。空を飛ぶ赤ん坊は見なかったかしら?」
「ああ! それなら今、私たちも探そうとしていました! ちょうどさっき、あそこら辺を飛んでいたんですが、目を離した隙に消えてしまって……」
「…………! ありがとう。でも、貴方達はここで手を引きなさいな。後は私が探すから」
「でも、探す人数は多いほうがいいでしょ? 私たちも探すのを手伝うわ」

 姉妹の申し出に、紫は首を縦には振らなかった。むしろ、彼女たちを拒絶する言葉を放つ。

「悪いけど、貴方達。さっき見たという赤ん坊の事は忘れて頂戴。決して、成長した彼女に対して今日の事を教えたりしないこと」
「えぇ? まぁ、いいけど……。でも早く見つけないと妖怪に」
「結構、私が見つけるから」

 そういうと紫は姉妹の横を通りすぎて、山の中腹へ向けて飛んでいった。
 それを見届けた後、散らばった落ち葉の中に佇む二人は、やがて大きな嘆息を吐く。

「っていうか、あいつ何様よー! せっかく神様である私たちが、人探しを手伝おうって言ったのにさ!」

 憤慨する妹に対して、姉は落ち着いた様子でそれをなだめた。

「あの赤ん坊と妖怪にも、事情があるんでしょ。それに……」
「それに?」

 紫の去っていった方角を眺めながら、静葉はポツリと零した。

「あの妖怪、きっと自分の手で見つけたいのよ。どうしても」
「……ふーん。まぁ、いいわ。とにかく落ち葉集めを再開しましょ! 全く、エライ目に遭ったわ」

 姉妹は赤ん坊の身を案じながらも、また一から散らばった落ち葉を拾い集め始めた。




    ◇    ◇    ◇




 紫が神様の姉妹に会う少し前、霊夢は川の上をゆっくりと浮遊していた。
 特に目的もないのであるが、生まれて初めて自由に空を飛べているのだ。彼女の表情には明るいものがあった。

「あぶぅ?」

 そんな彼女は眼下、さらさらと流れる川の中に何か光るものを見つけた。だがそれは、ただ単に太陽の光が川に反射しているだけであった。
 しかし霊夢はそれを興味深げに見つめ、やがて、それを手にとろうと高度を下げる。
 今はただ浮遊しているだけの霊夢であるが、一度川に手を触れれば、川の流れに影響を受けて身体のバランスを失うだろう。
 そうすれば霊夢は川に墜落し、無論泳げるはずもない彼女は溺れ死ぬ。

「おい、危ないよ!」

 川岸から人影が飛び出した。その影は、川に触ろうとしていた霊夢を、素早く拾いあげて抱きしめた。

「うー!?」

 霊夢は突然の出来事に対応できずに、ひどく驚いた顔をして手足をばたつかせる。それを見て、赤ん坊の命を救った彼女は、にっこりと笑った。

「随分と驚かせちゃったみたいだね。でもさ、こうしなきゃ君、死んじゃってたかもしれないんだよ?」

 反対側の河原に着地した彼女は、不満げに自分を睨みつける霊夢を見て、どうしたものかと困惑した。

「ねぇ、なんで人間の赤ん坊がこんな所にいるわけ? ……あ、私は河城にとり。見ての通りの河童さ。……って、君、言葉は喋れないのか」
「うぅーう?」
「うん、喋れないっぽいね」

 にとりは霊夢を抱えたままで、しばらく河原に立ち尽くした。
 休暇を楽しむために川釣りに勤しんでいたのだが、とんだ厄介ごとに巻き込まれたかもしれない。――にとりは、ちょっと後悔し始めた。
 最近は人間に対する取り扱いが、上の方から煩く言われるご時世である。この人間の赤ん坊にしても、自分の手には余るものだと頭を抱えた。

「里にでも届ければ良いのかなぁ。うーん、でも私一人で行くのもなぁ。ねぇ、君、ママは何処にいるんだい?」
「あぁーぁあ?」
「ママっていうのは、お母さん。えーと、君を産んだ女の人の事で、料理を作ったりおしめを替えたりしてくれる人……って。喋れないのに説明しても意味ないか」
「あぅあ」
「あーん。どうしよー!? ……とにかく、私一人じゃ、どうしようもないよ」

 にとりは悩んだ末に、とりあえず誰かに相談してみようと結論づけた。
 ひとまず、この近くにある河童の工場へと行って、そこで働いている知り合いに相談してみる事にしたのだ。

「えーと、ここから一番近いのは……あそこか。それじゃ君、これから河童の工場に行くよ。本当は人間に見せちゃいけないんだけど、今回は特別にね」

 そう言い聞かせると、にとりは霊夢を抱える腕に一際力を込めて、川に沿って上流へと向かい始めた。
 河童の工場というのは、山の中に幾つか点在しているのであるが、基本的には位置が分からないように上手く偽装されている。
 今にとりが向かっているのは、比較的最近になって作られた食品工場なのであるが、それも一見すると、ただの岩にしか見えないところに入り口がある。
 周りの風景と溶けこまされたような入り口は、普段は何の変哲もない岩肌にしか見えない。だが、にとりが近づいて手をかざすと、それは引き戸のようにぱっくりと口を開いた。

「へへ、どうだい? 河童の技術力は? ……まぁ、君に言っても分かる訳ないか」
「あぶぅ」
「ここはね、機械でお弁当を作って、里の人間に売っている工場なんだ」
「あぁ~う」
「最初は味付けもイマイチで全然売れなかったんだけど、みんなで商品改良を行ってさ、最近じゃ随分と里でも人気になったんだよ」
「うぅ~あ?」
「……ふぅ……。せっかくの工場見学も、赤ん坊には無意味だなぁ……」

 入り口から洞窟の中を進むと、やがてそこは大きなドーム状の工場となる。そこでは神社の鳥居よりも背の高い機械が、ガタゴトと歯車を鳴らしながら駆動していた。
 霊夢は神社の鳥居よりも高い建造物を見たことがなかった。故に、その巨大な機械を見上げながら、興味をそそられて目を輝かせるのだった。

「へへっ、ようやく良い反応が見られた。これこそ我らが技術力の結晶、自動弁当作りマシーンさ!」

 機械の体をポンポンと叩いて、にとりは自慢気に言い放った。それに対してはさほどの反応も見せない霊夢を連れて、河童は蒸気で湿気にまみれた暑苦しいドームの中を、更に奥へと進む。
 階段を登り、機械の天井を覗き込める渡り廊下へと出る。そこからは、薄木で組まれた弁当箱へ、次々と食材が敷き詰められる工程が見られた。

「あれはベルトコンベアーといって、物を運ぶのに使う機械なんだ。そこに乗せた箱に、ご飯やおかずを詰めてお弁当が出来るってワケ」
「あぅ~」

 弁当の製造がどのように行われているのか説明し、機械の周りを一通り回ったにとりと霊夢は、やがて機械の管理をしている河童たちの元へやってきた。
 そこでは、ここに来た本来の目的である相談相手、にとりの知り合いが働いていた。その河童は、にとりの姿を見つけると小走りに駆け寄ってきた。

「あ、にとり! なんでここに……って、それ!」
「ああ、人間の赤ん坊さ」
「どうしたのよ? もしかして、攫ってきちゃったの?」
「バカ言わないでよ! 川の上をふらふらと飛んでいたから、保護してやったんだ」
「保護って……早く親に返した方がいいんじゃない?」
「でもさ、私一人で里まで届けるに行くのも……なんていうか……」
「もう、相変わらずだねぇ。にとりは、まだ人間から逃げてるんだ」
「逃げてるわけじゃないけどさぁ」

 二人の河童の会話の間、機械の方へと興味深げな瞳を向けていた霊夢。だが、その動きがふいに止まった。
 そして次の瞬間には、にとりの腕の中で何かを訴えるように騒ぎだした。

「あう! うぅ~」
「おや、どうしたんだいチビスケ?」
「チビスケって何よ……。でも、本当にどうしたのかな? この子」
「うぅ、あー、あう!」
「ん?」

 手足をばたつかせながら声を荒げる霊夢は、やがて、その手で何かを掴むような動作を起こした。それはまるで、握り飯でも頬張るかのような動きだ。
 それを見て、河童はピンときた。

「ああ、この子……もしかして、お腹が空いてるんじゃないか?」
「うん、そうかも。……ねぇ、弁当を一個。チビスケにあげてもいいかなぁ?」
「……仕方ないわね、黙っとく」

 言うと整備士の河童は、ベルトコンベアーの上を流れてくる完成品のうちの一個を、ひょいと取り上げた。
 そして蓋を外して、出来立てホカホカのお弁当を霊夢へと差し出す。

「どうぞ、うちの自慢のお弁当。召し上がれ」
「ほーら、チビスケ~。箸は使えるか?」
「あむ」

 割り箸を二つにして渡された霊夢は、その問いに答えるように箸でご飯をつまんだ。そして、その小さな口の中へ白飯を放り入れる。

「ほっほう、なかなか器用じゃないか、チビスケ」
「よっぽど、お腹が空いていたのね。みるみるうちに無くなっていくわ」

 整備士の言うとおり、霊夢はあっという間にその弁当を平らげた。
 そして大きくげっぷを一つすると、短い腕を精一杯伸ばして大きく欠伸をする。

「あはっ、食べるもの食べたら眠くなっちゃったのかな」
「さて、にとり? いい加減、この子を返してあげないと、親は今頃……」

 彼女たちの会話が、激しい音響によって遮られた。

 警音が鳴り響いたのだ。それは、工場内へ河童以外の妖怪が無断で侵入した合図である。
 整備士はハッとして目付きを鋭くすると、スパナを握る手に力を込めた。にとりも入り口の方へと目線を送り、侵入者への警戒をする。
 だが何故か、警報はすぐに鳴り止んだ。それを止める事が出来るのは、河童の中でも管理職のみであり、それが止まる理由は数少ない。――例えば、侵入してきた妖怪が、自分たちの手に負えないレベルの者だった場合などだ。

「ま、まさか鬼でもやってきたんじゃ……!?」
「バカ言いなよ。ただの誤報に違いないさ。それに、なんの為にこの工場なんかに鬼クラスの奴が……」

 冷や汗を流しながら小さく漏らした二人の前に、やがて一人の妖怪が降り立った。それは音もたてずに、静かに床へと足を着ける。
 驚いて目を見開いたままに固まる二匹の河童に向かって、それは尋問をするように、威圧的な声色で始めた。

「そこの河童。空を飛ぶ赤ん坊を知らないかしら?」
「えっ、それなら……」

 今、私の腕の中に。
 にとりは、そう言おうとしたはずであった。だが、言われて初めて気付く。――いつの間にか、あの赤ん坊が煙のように消えてしまっていた事に。

「あ、あれぇぇ!? さっきまで、私が抱っこしてたのに!」
「うぇ、本当だ! 弁当の空き箱だけ残して、消えちゃった!」

 慌てる河童の様子を見て、紫は大体の事情を察した。
 霊夢は空間を跳躍する能力を持っている。それも彼女の無意識に近い部分で、それを実行する事が出来る。そのせいで、紫は社務所から彼女が消えるのを許してしまったのだ。
 おおかた工場見学に飽きた霊夢は、山の方へとワープをしてしまったのだろう。

「いや、結構。ここにいたという情報だけで十分よ」
「あ、そりゃどうも。ってか、貴方は確か……」

 誰何を尋ねようとするにとり。しかし、それを認めないようにきっぱりと紫は宣告した。

「二人とも、あの赤ん坊の事は忘れなさい。貴方達は何も見なかった、何も覚えていない。例え、のちにあの子と会ったとしても……それが初めての出会い」
「はぁ? あんた何言って……!?」

 問い直そうとしたにとりに向けて、薄ら寒い視線が向けられる。それは、河童へとそれ以上の有無を言わせなかった。

「わ、分かったよ。チビ……あの赤ん坊の事は忘れるってば。……早く、探してやりな」
「……ええ、それでは」

 紫は機械の側面へと指をなぞらせると、そこを“切り裂いて”すきまを作る。
 そして慣れた身のこなしで、肉体をそこへと滑らせた。紫がすきまへ消えると、そこでは何事もなかったかのように、歯車の噛み合う音だけが残る。
 にとりと整備士は、その様子を阿呆のような面で見送った後に、がっくりと肩を落とした。

「あーあ、チビスケ。かわいかったのになぁ」
「しょうがないよ。ヒトの子だもん。子供が好きなら、自分で子供でも作ればいいんじゃない?」
「えぇ~。やだよ、面倒くさい。きっと、他人の子供だから、あんなにかわいかったんだ」
「それは一理あるわね。まっ、にとりは機械をいじっている姿が一番似合ってるよ」
「そっ、それはそれで失礼だ!」
「はは、ごめんごめん」

 機械は蒸気を吐き出しつつ、延々と人間の為の弁当を作り出していた。




    ◇    ◇    ◇




 紫が河童の工場を去った少し前。山の中腹にある一本杉の頭の上で、射命丸文が大変に不機嫌な様子で酒を呷っていた。
 それは昨日、天狗の新聞コンテストの結果発表があったのが原因に違いなかった。――彼女渾身のルポを掲載した【文々。新聞】は恒例の最下位付近であったのだから。
 彼女は仕事のない今日一日を、やけ酒で喉を潰すのに浪費していた。

「こんにちは!」

 そこへ、一筋の風がやってくる。射命丸ほどではないにせよ、足の早さに自信がある彼女。先輩が落ち込んでいると聞き及んで、慰めようと急ぎ足で駆けつけたのだ。

「射命丸さん! 落ち込まないでください!」
「はぁ? 開口一番に何を言うかと思えば……。私をこれ以上落ち込ませたくないなら、今すぐに私の視界から消える事ね」
「ひゅぅ! 相変わらずの毒舌ですね、痺れます。……ふふふ、そう言うと思って今日は、ちゃんと実利のある手土産を持ってきましたよ!」
「はぁ、あんたの手土産なんて、全く期待出来ないんだけど……」

 この部下と射命丸は、2年ほど前の過激派取り締まり以来、腐れ縁のような形で付き合いがあった。
 というのも、あれ以降はわざわざ天狗が招集を掛けられて、仕事を割り振られるような大きな事件も起きていない。すると面倒臭がりな天狗たちのこと、自然に人事異動もなく、名目上だけは部下という、厄介きわまりない存在が発生するという訳である。
 射命丸は一人で仕事をするのが好きだったので、仲間も部下も必要がない。かといって、部下という肩書きを持っている以上は、あんまり無下にも出来ない。簡潔にいえば“やたら引っ付いてくる足枷”というのが、その部下に対する射命丸の評価だった。

「うっふっふ、今回はスペシャルな物を用意しましたからね! 腰を抜かさないでくださいよ~」
「いーから、さっさと見せなさい。どうせ大したものじゃないんだから」

 射命丸は、両手を後ろに回して“何か”を隠している部下へと、酒臭い息と共に投げやりな言葉を吐きかけた。
 今まで目の前の天狗が、自分を喜ばそうと熟考の末に持ってきたものといえば、イモリの串焼きだとか矢鱈に苦い漢方だとか、ロクな物がなかった。だから今回も、射命丸は全く期待をしていなかったのである。

「へっへ、じゃあ見せますよー。……じゃーん!」
「ぶーぅぅっ!!」

 射命丸は口に含んでいた酒を盛大に吐き出した。部下は、それを頭からおもいっきり被ってしまう。

「うへぇ、汚いです。射命丸さん」
「げっほげほ……。あ、あんたソレ!? どこで……?」
「えへ、さっき森の中を浮いてるのを捕まえてきました。美味しそうでしょ」

 天狗の手の中で逆さ吊りのまま暴れているのは、博麗霊夢に他ならなかった。
 そして新聞記者として情報収集に余念が無い射命丸は、それが博麗の巫女であると知っていた。だからこそ、それを自分への供物として持ってきた部下の行動に、噴酒を禁じ得なかったのである。

「馬鹿、あんた! 早く! そいつを私によこしなさい!」
「やったぁ! 喜んでいただけたんですねぇ」
「そーいう問題じゃないわよっ!」

 のほほんと笑う部下に怒りをぶつけるように、その手から霊夢をひったくる。とりあえず、その生命が無事であることを確認した。
 そして一息つくと、射命丸は腕の中で平然としている赤子を見つめながら、コレをどうするかと思案を始めた。

「あぅ、うぅぅ」
「あはっ、射命丸さん。こいつ、食べられたくないのか、唸ってますよぉ~」
「ちょっと、黙ってなさい」

 果たして、この赤子をどうするべきなのか?
 恐らく、博麗の巫女がこんな所にいるのは、妖怪の賢者としても全く想定外の事態であろう。もしかしたら、今も必死に探している最中かもしれない。――射命丸は知っていた。博麗の巫女は、その不可侵性故に、妖術や魔法の類で位置を探り当てるのすら、受け付けないと。
 それならば、コレを自分が賢者へと送り届ければ、自分はあの鼻持ちならないすきま妖怪に対して、多大なる恩を着せる事が出来るのではないかと考える。
 それとも、この事情を話した上で、天魔に近い大天狗へと霊夢を預けるのも手だ。最近の天魔や大天狗たちは、先の巫女殺害の責を問う粛清を執行されるなど、賢者に煮え湯を飲まされ続けてきた。きっと逆襲や恩を売る機会を待っているはずだ。そこへ迷子の巫女を届ければ、大天狗たちの間で自分の評価が上がり、烏天狗としての地位もそれなりに上がるだろう。
 問題は、射命丸が個人的に賢者へ恩を売るのが得か。それとも大天狗たちに恩を売るのが得か。

「……ふふ、組織の枠から離れる、いい機会かもね」

 ぼそりと呟いた射命丸の選択は、前者であった。これを賢者の元へ届ければ、自分は妖怪の山に居ながらにして、賢者側にもある程度の影響を持てるようになる。それはこの先も幻想郷で上手く立ちまわっていくには、かなり旨味のあるカードになるはずだ。
 特に野心もなく飄々と天狗社会に生きる彼女であるが、このまま組織の中で埋もれて、ただ一生を終えるのが望みという訳でもないのだ。

「どうしたんですか、射命丸さん」
「いや……今回ばかりは、いい仕事をしたわ。やるじゃない! 部下A」
「え、部下Aって……もしかして先輩、私の名前を覚えていないんですか!?」
「ははは、そんな訳ないじゃない。私のかわいい部下A」
「あのですねー、私の名前は……!」

 射命丸が部下の名前を聞くことは出来なかった。何故ならば、その声が、突然発生した小型の竜巻によってかき消されたからだ。

「……っ!」

 全くの奇襲。だが、風を操る射命丸だからこそ、その大気の微細な変化に気付いて素早く身を躱す事が出来た。そして部下Aも、その射命丸の動きを見てから間一髪で退避をする。
 ちょうど二人の間を割って入ったその竜巻は、もちろん自然に発生したものではない。射命丸は気配を感じ取って、頭上を見上げた。そして、堂々とこちらを見下ろしている下手人と目が合う。
 それは雄の天狗二匹であった。それらは悪びれた様子もなく、竜巻を起こした団扇を片手に、目線から逃げようともしなかった。

「ちょ、あんたら何するのよ」
「……赤ん坊。こちらによこせ」

 見れば二匹の天狗は、それはもう随分と傷付いていた。片方は腹部に大きな焦げ跡をつけ、もう一方は全身に生傷をつけて止血もままならぬ状態。その天狗の有様と台詞で、射命丸は自分たちの置かれた立場を瞬時に理解した。

「ははぁ、さてはアンタたちが博麗の巫女を攫ったってワケね。途中で追っ手と交戦でもして、巫女を落としちゃったの?」
「…………。とにかく、その子を俺たちによこせ」
「残念でした~。この子は私が賢者に届けるわ。ついでに犯人であるアンタたちも、ふん縛ってセットでお届けしてあげる。ふふ、予想以上の収穫になりそうだわ」
「く、仕方がない。力づくで、行く」

 天狗二匹は言葉少なに、ただその瞳には“霊夢を奪い返す”という明確な意思を宿して射命丸に突貫した。
 対する射命丸は、腕に持っていた霊夢を一瞥すると「案外と丈夫そうだ」と確認する。そして敵の気迫に怖気付いて押し黙っていた部下Aを、ちらりと見た。

「パス! 持っといて!」
「うぇぇ!?」

 空中を舞った赤ん坊を慌てて掴んだ部下Aは、目の前の事態に追いつけないまま、とりあえず射命丸の言った通りに赤ん坊を保護する事にした。
 しっかりと両手で小さな身体を抱きしめると、射命丸から距離をとるように後ろへ下がった。

「ちぃ!」
「……乱暴な……!」

 天狗は短く舌打ちをすると、射命丸から部下の方へと攻撃目標を変えた。だが、それを易々と許すほど、射命丸も惚けてはいない。
 彼女も腰に提げた得物を右手に持つと、戦闘体勢に入った。久しぶりに妖怪同士での喧嘩だ、心中思って彼女の血も滾る。
 自分の脇を迂回して部下Aへと迫る敵に狙いを定めつつ、彼女は妖力を右手の葉団扇へと練りあげる。

「背中がガラ空き!」

 射命丸の振るった葉団扇は、彼女自身が持つ風を操る力と相まって、敵の放つそれよりも、数倍の勢力を持つ豪風を産み出した。
 だが相手も天狗である。天狗の武器が風であることは百も承知、それを見越して、背後に迫る見えない脅威をすんでのところで回避した。

「うっきゃあああ! 射命丸さーん!」

 問題は、射命丸の放った豪風の行く先であった。部下Aへと突き進んでいた天狗が背中越しに風を躱したのだから、無論のこと風は部下Aへと直撃する。
 彼女は悲鳴を上げつつ、その暴力的な風の中へと飲み込まれてしまった。風でもみくちゃにされた部下Aは、その制御を失って真っ逆さまに地表へと落下していく。

「あっ、馬鹿! 巫女を離すんじゃないわよぉー!」

 部下Aへ向けて絶叫する射命丸。しかし、そこを狙って天狗の一匹が突進をかましてきた。
 その手には凝縮された風が纏わりついており、それで殴られれば爆発的な突風を零距離で喰らう事と同じ。射命丸は遥か彼方まで吹き飛ばされ、戦線離脱を余儀なくされるだろう。

「っとぉ! 欠伸が出ますね」

 だが、挑発するような台詞を吐きながら、半身を捻ってそれを躱す射命丸。ついでに、そのまま後ろへ流れていった天狗の身体へと、振り返りざまに鎌鼬の攻撃を加える。
 射命丸の振るった葉団扇から発生したのは、金切音をあげながら高速で回転する空気の輪。当たれば頑丈な妖怪の肌でも容赦なく引き裂き、肢体を八つ裂きにする脅威である。
 天狗は咄嗟に反転すると、風を操るのと羽ばたきを止めて、自由落下する。そして、それによって僅かに時間を稼いで体勢を立てなおすと、自分に迫り来る射命丸の鎌鼬に向けて、己の団扇を振り抜いた。団扇が呼び起こした突風が、射命丸が放った鎌鼬の軌道を逸らしていく。
 こうして難を逃れた天狗ではあるが、退避の為に自由落下をしたせいで、射命丸とは大分距離が離れてしまった。その隙に射命丸は、突風に煽られ落ちていった部下Aを探そうとした。
 そしてその前に、ある事に気付いた。

「あ、もう一匹は……? ……! いけない」

 自分に攻撃を仕掛けてきたのが陽動だと看破した射命丸は、敵の姿を確認しないまま、部下Aの落ちていった方角へ急降下した。だが射命丸に確信はあった。その方向に、消えたもう一匹の天狗がいるはずであると。
 そして、それはすぐに確認できた。もう一方の天狗は相棒が射命丸を引きつけている間に、部下と霊夢の方を追っていたのだ。そこでは丁度、逃げ惑う部下Aへと手加減した攻撃を繰り返しながら、天狗が迫っているところであった。
 相手の天狗も相当な手練であると、射命丸はここまでの数合に渡る風の打ち合いで推し量っていた。だが、彼女には有象無象の天狗には負けない絶対的な自信がある。それこそが彼女の最大の武器であり、特徴である。

「捕った!」

 もはや遥か遠くに見える天狗と部下Aの追いかけっこ。そこへ目を凝らした射命丸は“あと1秒ほど後”に敵がどの位置を飛んでいるのか、その時間差を見切った。
 そして空を飛ぶ前に地を蹴るように、彼女は空中にある空気の壁を蹴りつけた。否、そのような現象は有り得ないのであるが、傍から見ればそうとしか見えないのだ。急加速で発生した衝撃波は、空気中に爆発的な音を響かせる。そしてきっかりと1秒。彼女の目標とした地点へ、弾丸と化した身体が滑りこむ。
 そこにあったのは狙い通りに敵の肉体。そして火縄銃から打ち出された鉄の塊のように、圧倒的な速度によって生み出された破壊力は、射命丸自身の身体を一つの武器とさせて、天狗へと強烈な体当たりをかましていた。

「……!? うっ、が……!」

 天狗からすれば、もう随分と後方へ置いてけぼりにしたはずの射命丸である。それが、まさか1秒ばかりの間に空間を跳躍するように、自分へと体当たりをかましてくるとは微塵も思っていなかった。否、彼は飛来してきたその大きな物体が、射命丸だとは気付けなかっただろう。
 完全な不意打ちになった一撃は、彼の身体を軽々と弾き飛ばして、空中での制御を完全不能へと陥らせた。

「ひぃ~、射命丸さぁぁん! 早く助け……って、あれ?」

 後ろから迫りくる空気の刃に、もう限界だと悲鳴を上げていた部下Aは、その追っ手の気配が消えた事にようやく気付いた。
 そして後ろを振り向いた彼女の瞳には、森の中へと墜落していく天狗と、空中で颯爽と蜻蛉返りを決める射命丸の勇姿が映った。

「あっ、た……助かった~」

 安堵に胸を撫で下ろした部下Aは涙目のままに、自分へと近づいてくる射命丸を尊敬の眼差しで見つめた。

「いやぁ、流石は射命丸さん! 吸血鬼異変で残した武勇は、伊達ではなかったのですね! ますます尊敬しちゃいます!」
「はいはい。それはいいから、さっさと巫女をよこしなさい」

 乱れた前髪を軽い仕草で直しながら、射命丸は肝心の“お宝”を拝もうと部下へと近寄った。
 だが、その部下の顔からみるみるうちに血の気が引いていくのに気づいた射命丸は、自分の顔が引きつるのを感じた。
 そして、その空っぽになった腕の中を見て、危うく卒倒しかけた。

「ちょ、っと……。あんた、巫女は!?」
「あわ、わ。分からないです、今、気付いたら、いい、いなくなってて……」
「馬鹿!! なんのために……って、あ! あいつら、もしかして」

 振り返った射命丸は、ついさっき撃破した天狗も、もう一匹の天狗も、いつの間にか姿を消していた事に気付いた。
 彼らは部下Aの元から霊夢が消えたのが分かり、既に別の場所へと探しに行ったのに違いなかった。射命丸からすれば、戦いには勝ったものの、大局的に見れば上手い具合にいなされた気分である。

「くあぁー!? うぐぐ、私たちも探すわよ! 他の誰かに見つかったら、手柄を横取りされちゃう!」
「は、はい!」
「ちょっと、待った」

 部下Aが慌てて飛び去ろうとするのを止めたのは、静かな一声だった。射命丸は、その存在を一目みるなり、心中で溜息と舌打ちに興じた。
 彼女がこうして自分の前に現れては、もはや莫大な恩義を売る事は不可能となってしまった。あの皮算用は、紫が霊夢に関しての情報を全く知らない状態で、射命丸が彼女を送り届ける事によって成立する図式。ここに紫が現れたということは、彼女は巫女の所在に関してある程度のアテを持っているという事なのだ。

「これはこれは、賢者様。こんな所で一体何を?」
「そういうのはいいわ。簡潔に教えて、霊夢はどこに行ったの」

 その言葉を聞いて、射命丸は再び考える。
 この紫の口ぶりからすると、彼女は恐らく自分たちが霊夢を目撃した事を前提に質問している。つまり紫が欲しているのは、自分たちが霊夢を見つける事ではなく、自分たちから霊夢を見つける為の情報を得る事だけ。ここで射命丸が下手に奸計をめぐらそうとすれば、紫はあっという間に踵を返して霊夢を探しに行ってしまうであろう。そうなれば収穫は全くのゼロである。
 だから、ここで射命丸が最も利を取れるのは、彼女に正しい情報を教えて、目論見よりは大分目減りしてしまった恩を売るという選択肢だった。
 内心の悔しさはおくびにも出さずに、射命丸は満面の笑みで答えた。

「はい、さきほど天狗二匹が赤ん坊を探しに、あそこら辺の森へ降りていきました」
「……! そう。ありがとう」
「新鮮で生きた情報をお届けする烏天狗の射命丸文、これからもどうぞご贔屓に」
「憶えておくわ。それじゃ」

 ついに紫は、目撃者に“霊夢を見た事を忘れろ”という忠告をせずにその場を立ち去った。それは、彼女が如何に焦りに囚われているかを、如実に表しているのだ。
 だがそんな事情を知らない射命丸は、とり逃した大きな獲物に思いを馳せて、ただ大きな嘆息を吐いた。

「あのぉ、元気出してください。射命丸さん」
「うっさいわね! あんたがちゃんと霊夢を確保してれば……。ぬぁあ~! 悩んだってしょうがないわ。……さっ、憂さ晴らしに呑みにでも行くわよ」
「まだ呑むんですか!?」
「文句あんの!?」
「は、はい! お供します!」




    ◇    ◇    ◇




 山の中腹、それも特に深い森の中で、鍵山雛が傍観をしている。
 彼女は厄を集める神様で、基本的には人間の味方をするのであるが、その役目のせいで人間に近づく事を忌避している。己の身に集めた厄が、人間へと移ってしまっては何の意味もないからだ。
 そういった訳で、彼女は今も、ただそれを眺めていた。

「なんで、こんな所に赤ちゃんが……?」

 少し離れた位置から、森の中を漂う赤ん坊を見て、雛は呆然としていた。
 一般的な考え方から言えば、それは保護すべき、か弱い存在なのであるが、いかんせん雛にはそれが叶わない。
 だから、その赤ん坊の元へと天狗が二匹ほどやってきたのも、雛はただ木陰から見つめていた。

「おう、赤ん坊、いたいた!」
「よし、早速連れて帰ろうか」

 天狗たちは乱暴にその小さな身体を掴むと、それを小脇に抱えて山の奥深くへと帰っていった。雛は「あらあら」と漏らして口に手を当てた。

「そこの神!」

 そう呼ぶには随分と乱暴な言い方で、雛は呼び止められた。無論その声の主は、髪を振り乱しながら息を切らす憔悴の紫であった。その様子に、雛は少し心配をしてしまう。

「あら、どうしたの?」
「赤ん坊、見なかったかしら。空を飛んだ、巫女の服を着た……」
「あぁ、それなら。ついさっき、天狗に連れ去られていったわよ」
「…………! そりゃあ、どうも!!」

 紫は悪態をつくように叫ぶと、雛の指さした方へと足取りを向けた。そのあまりの後ろ姿に、雛は思わず声を掛ける。

「ねぇ、貴方。人間の赤ん坊に、何故そこまで心を注いでいるの? 少しは気を抜いた方が、心の健康に良いわよ」

 紫は、幽鬼のように緩慢な動きで首を向け。

「親が子を助けるのに、必死になって悪いのかしら」

 雛へと引きつった笑みを向けると、紫はズレた帽子を被り直しつつ、山中へと消えていった。
 難儀なものだ、と雛は思う。そして、もし彼女の子供が天狗に取って喰われてしまったのならば、あの妖怪の悲しみという厄は、自分が吸いとってあげようと思った。




    ◇    ◇    ◇




 幻想郷において、妖怪の人喰いは制限されている。それは妖怪の賢者・八雲紫が定めた『幻想郷管理条文』そこにきっちりと記されている。
 だが、それには、全ての妖怪を束縛するほどの力はなかった。特に大きな争いもない、この平和な世界では、闘争本能に滾る妖怪たちは、まるで首輪をされたような狭苦しさを感じる事になるのだ。だから、往々にして欲求不満になり、本能に基づいた『人喰い』を衝動的に行なってしまう者が出てくる。その衝動は、紫の定めた文章などでは抑えきれるものではないのだ。

 妖怪の山を治める大天狗連中にしても、人間をむやみに襲う事は、いずれ自分たちの首を締めることになると理解している。だから、紫の提示したルールを山のルールとしても適用し、その統制に務めていた。
 だが彼らも、山に住む全ての妖怪をコントロール出来る訳ではない。それどころか当の大天狗たちの中にさえも、それに異を唱えるものはいた。それが、例の“過激派”と呼ばれる妖怪たちによる、博麗神社襲撃と対抗措置としての粛清という悲劇を産んだのだ。
 そして今も、この妖怪の山には『人喰い』に対する制限を快く思っていない妖怪が沢山いた。そのうちの何匹かが、森の奥深く、大天狗たちの目の行き届かないところに集まっている。

「さぁて、どうするかねぇ」

 天狗が脇に抱えていた幼子を、無造作に地面の上へと放り投げる。すると、その子はふわりと宙に浮いた。
 ただし赤子は天狗に囲まれて、逃げ出す事はできない。もとより、逃げ出すという考えもないかのように、その瞳は天狗たちを観察するように、ただ綺麗に光っているのだ。
 舌なめずりをしながら、赤子の柔肌を指でツンツンと突いて、天狗の一匹が口を開く。

「世にも珍しい、空飛ぶ人間か」
「ただの人間ってワケじゃないんだろう。きっと霊力や魔力を、その身に宿した奴かも」
「うお、そいつぁ“ご馳走”じゃないか。やっぱり、今、食べちまおう」

 天狗たちは一様に、赤子の柔い肌を引き裂いて、中に敷き詰まった新鮮な臓物を口に含むのを想像する。すると彼らの口中で、抑えきれない涎が分泌される。その血走った目をギラつかせる妖怪どもは、今にも赤ん坊へと飛びかかろうとしていた。
 だが、その中で、少しだけ冷静な者が、怪訝そうに口を開く。

「なぁ、待ってくれ。もしかして、こいつ。博麗の巫女とやらなんじゃないか?」
「あぁ? 巫女っていうと、妖怪退治をする奴か。だとしたら、俺らの敵じゃんか。なおのこと、喰って構わんだろ」
「いや、それだけじゃない。詳しくは知らんが、博麗の巫女ってのは、この世界を保つ為の大事なアレをしてるって聞いた」
「なんだよ、アレって。そんな不確かな情報で、俺らの食欲は抑えられないぜ」

 目の前にあるのは極上の馳走。少し早い気もするが、半熟というのもまたトロリとしていて美味しそうなものだ。食欲は、秒を刻むごと倍加するように溢れ出てくる。
 結局は、一度待ったを掛けた天狗も「まぁ、いっか」と目の前の子供を食べる事に賛同した。

 彼らとて、妖怪の山に下された鉄槌を知らぬ訳ではない。数年前の襲撃、そして一年程前の襲撃。彼らのような食欲に駆られた訳ではなく、権力争いが動機ではあるのだが、同じように人間を襲った連中がいた。そして襲った相手である博麗の巫女は、その妖怪が直接手を下した訳ではないが、結果として命を落とした。
 それを口実として、妖怪の賢者が山に対して相当な制裁を加えたのだ。その事を考えれば、万に一つでも博麗の巫女を自分たちが殺してしまえば、今度こそ山は終わりである。妖怪の賢者との全面戦争にもなりかねない。――そういう理由もあって、山の妖怪たちは人喰いを自重しているのである。

 だが、そんな細かい事情を推し量れる者であれば、今この場で食欲に負けているはずがない。結局、彼らは山を取り巻く事情などを深く考えている訳ではなく、ただ自分の欲望によって動いているのだ。

「あうー?」

 霊夢が声を上げた。暫くの間、妖怪の手から手へと次々に渡っていった霊夢は、流石に疲れて眠くなったのか、その瞳を小さな手でこする。
 それは今ちょうど、柔肌に鋭い爪を突き立てられる寸前であった。

「いただきまぁす」

 目を血走らせる天狗たちの背後で、いくつかの足音が聞こえていた。




    ◇    ◇    ◇




 紫は妖怪の山、その中で最も険しい森の中を走っていた。
 そう、彼女は空を飛んでいなかった。地面に這いつくばって捜し物をするような必死さの表れか、あるいは空を飛ぶ気力すらもなかったのかもしれない。
 その長いスカート、ゆったりとした服は山の中を歩くのに全く適していない。そのせいで彼女は先程から、もう何度も木の根に躓き、枝葉に引っかかって服を破いていた。全身を泥まみれにして、なおその足は霊夢を求めて山を往く。

「どこ、どこ……」

 亡者のように呟く言葉は、この日の紫にとっての全てを表す言葉であった。
 彼女は懸命に霊夢を探し、少しずつ彼女のいる場所に近づいてきた。だが何度も、あと一歩のところで既に霊夢は別の場所へと消えてしまう。それはまるで、霊夢が自分から逃げるようにも感じられ、それが紫の心を少しずつ、丁寧に折っていったのである。

 そして決定的なのが、今現在の状況である。霊夢が天狗に攫われ、それを追いかける自分は、何の手がかりも掴めていない。
 ここまでは、霊夢が無事であったのが、まだ紫の心を繋ぐ一つの欠片であった。だが、それが今にも砕け散りそうになっている。霊夢はもう、天狗どもに喰われてしまったという最悪の結末が、紫の頭の中を何度も掠める。

「どこ、霊夢……私から、逃げないで……」

 ますます、彼女の足取りがふらついた。妖怪である彼女は本来、この程度の登山で肉体的な疲労などを感じるはずはなかった。だが妖怪であるが故に、その精神に損傷を負った場合には、その器である肉体にも如実に影響が現れるのだ。もちろん、紫という妖怪はその精神にも傷がつくことなど通常有り得ないのだが、その有り得ない事態が、今は起こっていた。
 そう、彼女の心は傷ついていた。

「嘘よ、霊夢……お願い……」

 今の彼女の頭の中には、霊夢が死んでしまった場合に博麗大結界が消滅し、幻想郷が存亡の危機に瀕する事。または、あの世に逝った両親に顔向けが出来ない事。そして、彼らとの契約を破ることになって、自分が致命的な凋落を負う危険性がある事。それらの考えは、一切存在していなかった。
 ただ、彼女は望んでいたのだ。――霊夢を返して欲しいと。

「返して……霊夢を返してぇ……」

 何度かの転倒、そして遂にこぼれた涙は、まさしく紫が“人間”になった瞬間であった。
 あの満月の夜、友人の元を訪れた時、それが彼女との出会いであった。そして、その瞬間から、心の奥底もっとも深い部分に眠っていた人間への憧れが、彼女の中で静かに再燃を始めた。
 それからの彼女は霊夢の幸せを願って、そして両親の幸せを願った。だからこそ、葛藤し、幽夢の望みを一緒に叶えようとしていた。――すわなち、霊夢に普通の女の子としての日々を与える事を。
 それが叶わなくなってからも、紫は霊夢の事だけを考えて生きた。ただし、二人の間にある壁は多かった。人間と妖怪、友人の子供、賢者と巫女。だが、そんな一見大きな隔たりは、紫にはまるで関係が無かった。ただあの日々だけは本当の母親であろうとしたし、本当の子であったかのように感じられたのだから。

「霊夢、お腹……空いてないかしら」

 何かが振り切れたのか、紫は唐突に呑気な心配をし始める。――そういえば、昼ご飯の前に彼女は姿を消したのだ、と。それならばお腹を空かせているはずに違いない、あの不機嫌そうな顔で「あぅぅ」と唸っている様子が容易に思い浮かんだ。

 それと同時に、堰を切ったように、彼女の頭の中に走馬灯が流れ始めた。
 霊夢にリボンを贈った日、彼女が幽夢の背中でぼうっと空を眺めていた顔、おしめの交換に悪戦苦闘した自分、少しずつ確実に僅かながら周りに興味を示し始めた霊夢、両親の死体を前にして無邪気に蝶を目で追っていた彼女、橙と積み木で遊んでいた姿、気に入らないとすぐに行動に現れる様子、それに気付いて心の内が理解出来たと喜び小躍りした自分、娘を愛惜しそうに眺めつつ乳を与えていた幽夢、娘を想うあまりに自分へと刃を向ける幻武、そして自分の胸の中で眠る霊夢。
 それらの光景が、時系列など関係なしに津波のように押し寄せる。――それが最後の決まり手だった。紫は膝から崩れ落ちると、その場で泣き崩れた。

 全てが手遅れだと――折れないように必死に繋ぎとめていた心が決壊し――紫はそう悟った。

「……返して」

 日の落ちた森の中で、彼女の声が静かに木霊する。それに呼応するように、いくらかの烏が木々の合間から飛び立った。
 ふいに、鼻腔を鉄臭さが刺激する。どこからか漂ってきた血なまぐさい臭い、それは紫の思い過ごしであり幻覚であったのだが、衰弱した彼女には確かなる真実としか受け止められない。途端に、脳内では悍ましい光景がちらつき始める。すなわち、血溜まりの中に転がる肉塊。
 今の紫には、大妖としての誇りも、賢者としての威厳も、管理者としての責任も、何もなかった。ただそこには、わが子を失った孤独な母の姿があった。

「私の、霊夢を……返して!」

 霊夢を連れ去っていった天狗たちへ向けてでは、ない。ただ彼女は慟哭したのである。自らの手落ちによって失ったとはいえ、そのあまりにも大きい損失に納得がいかず、心がそれを許さずに。
 しかし、この山に彼女は一人である。その虚しい問いかけに応えてくれる者は――いた。

「八雲、紫」

 声に気がついて正気を取り戻せば、紫の耳には背後から迫る、いくつもの足音が聞こえていた。
 とっさに振り向いた彼女が見たのは四匹の天狗。それらは、いずれもが死闘をした後かのように傷を負っている。だが今の紫が認識出来たのは、先頭の天狗が掲げる両手の中身だけだった。そこにある、小さな布の塊。確かに、生きた温かみを内側から漏らす、柔らかな毛布。

「……ぃむ」

 あまりの感情の起伏に舌が追いついていない。だが何とか唇を開閉しながら紫は、灯りに吸い寄せられる蟲のように天狗のもとへと向かった。
 天狗たちは無言のまま、直立不動でいる。数歩、紫が前に進むと、先頭の天狗と目があった。その瞳には確かな敵意が感じられる。だが紫は全くの無警戒で、震える両手を前に差し出した。
 そして無言のまま引き渡された、その小さな身体を、両手でしっかりと受け止める。覗き込んだ綺麗な顔は、人の気も知れないで安らかに眠っていた。

「あぁッ……!」

 途端、紫の全身に力が戻った。人間であれば安堵のあまりに腰を抜かしてもおかしくない場面であるが、妖怪の彼女に限っては逆であった。気を取りなおした彼女は、先ほどの様子が嘘のように身体の調子を取り戻し、改めて目の前に立つ天狗たちへと目線を戻した。

「あなたたち……」

 身体中の生傷からじっとりと血を滴らせる天狗たちは、一様に無表情のままで紫の前に立ち尽くす。
 紫も彼らの姿を見てようやく、霊夢の失踪が如何な経緯でこのような騒動に発展したのかを理解した。彼らが霊夢を攫いさえしなければ、里で慧音が保護をして騒動は終わっていたはずなのだ。それを、こうまでややこしくしてくれた彼ら、その動機は紫にとっては明快であった。

「貴方達、私の事を……恨んでいるんでしょう」

 むしろ、肯定して欲しい気持ちで紫は尋ねる。そして、その願いは彼らに届いた。
 四つの首が一斉に、迷いなく縦に振られたのだ。「貴方を恨んでいますよ」と四匹は、当然の如く表明した。そして四匹を代表するように、先頭の天狗が固く閉じられていた口を開く。

「もちろんだ。親友の命を守れなかった俺たちの無念、失った妖怪としての誇り、踏みにじられた気持ちが分かるのかい。あんたに?」

 紫はただ、黙って首を横に振る。それは唯、ひたむきな謝罪の意味を込めた行動であった。それに構わず、天狗たちは口々に続けた。

「そして俺たちを排除しておいて、その友達もつがいも守ってくれなかったアンタを、俺たちは許す事が出来ない」
「でも、我慢していたさ。昨日まではな」

 紫は唇を噛み締め、霊夢を大事そうに抱えたままで、彼らの言葉を聴いていた。

「驚いたね。霊夢が一人で空を飛んでいるって、烏から聞いた時には」
「あんたが、せめてこの子を守って育てているから、俺たちはまだ許容が出来た」
「でも、霊夢を一人外へ放ってしまうなんて事をされたら、もうアンタを信用は出来ない」
「だから我々は、霊夢をこの手で育てる事にした……。多少、いや、かなり強引な手法ではあったが」

 彼女には一切の反論も出来ないし、する気もない。ただ頭を下げて、許しを乞うしか出来なかった。
 だから気付くことはなかった。彼らの瞳から何時の間にか敵意が消え、代わりに暖かい祝福が送られている事を。

「確かに、幻武を死なせたお前は憎いよ。でもさ、友達のガキを一生懸命に育ててくれている、そんなアンタを恨む事は出来ねぇ」
「……図らずとも、見せてもらった。あんたが霊夢を、幻武の子をどれだけ愛しているかを」
「我々も、あまり偉いことは言えないさ。こうして彼女を……危ない目に遭わせてしまったのだからな」
「だから、しっかりしてくれよ。頼んだぜ、俺たちの大事な霊夢を」

 落ち葉を踏む音が、微かに鳴った。紫が顔を上げると、そこには木立が佇むだけであった。四匹の天狗は跡形もなく消え去っていた。
 途端、紫は蹲った。服が汚れるのも厭わずに膝を地面へつけ、己の身体の中に取り込むかのように、霊夢をきつく抱きしめて。

「あーうぁ」

 目を覚ました霊夢も、その懐かしい香りにまんざらではない声を上げた。
 紫の瞳からは、枯れ切ったと思われた涙が再び溢れでてくる。そして今度は、その嗚咽が逗まる事がない。

「あ……あぁ……!」

 鳴り響く泣き声を頼りに、彼女の忠実なしもべが馳せ参じる。
 全ての結果を見届けようとしつつも、彼女は遅れて決着の場へ来る事を選んでいた。だから彼女は勘違いをする羽目になる。あんまりにも紫が泣き叫んでいるものだから、やはり霊夢は手遅れだったと思ったのだ。
 唇を噛みながら、藍は言葉をひねり出す。

「ゆ……かり様……無念、ですね」
「……ぁぁぁ、れい……む! 霊夢ぅぅぅううう! あぁぁぁぁうあぁ!」

 歯切れの悪い藍の言葉に、返事をせずに泣き叫び続けた紫。おかげで、藍が霊夢の無事を知るのは、次の日の朝という体たらくだった。
 だが無理もない。藍もまさか、八雲紫が安堵によって泣き喚くとは夢にも思っていなかったのだ。




◇ 10.夏の終わり ◇





 寺子屋の一室に横たわる慧音は、痛みに歯を食いしばっていた。それは全身に刻まれた戦いの痕跡よりはむしろ、己の力不足を嘆く心の痛みによる所が大きい。
 結局、勇んで山まで追跡をしたものの、哨戒天狗たちに見つかり戦いを辞めざるを得なくなった。そして追い払われる自分を尻目に、あの天狗たちは山の奥へと消え去った。つまるところ、慧音は赤ん坊を救いだす事が出来なかった。

「……この有様で、何が里の守護者か……」

 天井の木目を眺めつつ、慧音はひとりごちた。村の人々は帰還した慧音を労い、その傷の手当をしてくれた。だが、本音では、あの赤ん坊を救い出せなかった自分へ落胆したはずであった。そして慧音自身も、自分の不甲斐なさに心底失望していた。
 何が足りなかったのかは分かりきっている。妖怪に対抗しうる、純然なる力だ。

「慧音、起きているかしら」

 見舞い客がやってきた。しかも物音の一つも立てずに、唐突にこの部屋へと出現して。
 慧音は痛む首をかばいつつも、勢い良く顔をそちらへ向けた。
 そこには赤ん坊を手に抱いた八雲紫の姿があった。慧音は驚きに目を見開きつつも、若干の敵意を視線へと混ぜる。

「……! 妖怪の、賢者」
「久しぶりね。今日はあなたに話があって……」
「……その赤ん坊、無事だったのか」

 慧音は紫の手に抱かれているのが、自分たちが目の前で天狗に攫われた子だと気付いて、安堵の溜息をついた。
 それを見て紫も、口元を緩めながら目を細める。

「ええ、貴方も霊夢の為に尽力してくれたそうね。感謝するわ」
「霊夢、れいむ……。そうか、その子が博麗の巫女だったのか」

 むしろ、何故に気付かなかったのだろう、というような気持ちで慧音は頷いた。
 紫も少しの罪悪感を持って、それに答える。

「そういえば貴方には教えていなかったわね、この子の事を。……それで、お願いっていうのはそれに関係しているんだけど」
「何でしょう。私にできることなら、協力したいが」

 すやすやと眠る霊夢へと静かに目線を落とすと、紫はどこか物憂げな表情で切り出した。

「貴方の歴史喰いの力を利用して、この子に関する記憶を、里の人間たちの中から消し去ってくれないかしら」
「またか……。……それは、簡単には承服しかねるな」

 慧音は冷静に答えた。
 紫が求めているのは、局所的な歴史の改ざんである。それは確かに、満月の夜であれば自分にも可能な事ではある。だが、そう易々と請け負って良い事ではないのも事実。人の記憶を改ざんする事は、歴史家としても度し難い罪であるのだ。
 それ相応の理由がなければ、慧音は首を縦には振らぬ決意を固めた。

「人々の記憶を消したいという、その理由をお聞かせ願えるか」

 断固とした口調の慧音に、紫も余計な誤魔化しなどは排除する事を決める。

「分かったわ。……私は、この子を出来る限り妖怪と関わらせずに育ててあげたい。でも、その為には今日一日の騒動は邪魔なのよ。博麗の巫女が幼い時に、妖怪に攫われたなんて噂、流れて欲しくないのよ」
「博麗の巫女が、妖怪と関わらずに過ごせていけると? しかも妖怪である貴方が育てているというのに。……あなたの言っている事は、おかしい。矛盾している」

 確かにおかしいかもしれない。だが、それが真実なのだ。

「そう、おかしいわね。でも、やらなきゃいけない……そうさせてあげたいのよ。だから、お願い。里の人たちは『空を飛ぶ赤ん坊』なんて見なかった事にして欲しい」
「……たった、それだけの理由で、人の歴史を変えるのは……」

 渋い表情の慧音に対して、敗色濃厚と判断した紫は、用意していた“切り札”を提示する事にした。
 それは慧音に対して、有効であると確信があった。特に今日の出来事のおかげで、その効果は高まったはずなのだ。

「慧音、貴方……“力”が欲しいでしょ?」
「っ、……何を」

 紫の言葉に、慧音は己の心臓が高鳴ったのを感じる。
 再び、彼女の脳裏にフラッシュ・バックが起きた。

「里の人間たちを守る為に、妖怪に対抗する為の力が」
「それは……」
「今日のように、目の前でみすみす子供を攫われるような真似……。貴方は今まで、何回経験してきたかしらね」
「だ、黙れ」

 震える声で拒絶する慧音に対し、紫の頭が垂れた。

「私の言う通りに歴史を変えてくれたのなら! ……貴方に力を与えてあげるわ。妖怪にも対抗しうる、強さを」
「……卑怯な」
「お願いします。私には、これしか言えないわ」

 その時、寺子屋の廊下に小さな足音が響き渡ってきた。それは元気な子供たちの声と共に、この部屋へと近づいてくる。

「あら? 貴方の生徒たちが、お見舞いに来てくれたみたいね。それじゃあ、失礼するわ」
「ま、待て!」
「返事は、次の満月が沈む時に。良いお返事を待っているわ」

 それだけ言うと紫は身を翻して、その場から消え失せた。
 それとほぼ同時に、扉を元気よく開けて子供たちが部屋へとなだれ込んでくる。

 慧音が寺子屋にて授業を引き受けている子供たち。授業は真面目に受ける者の少ない彼らも、先生としての慧音の事は大変に慕っている。だから見知らぬ女の人に、先生が怪我をしたと聞いて飛んできたのだ。

「先生ぇー! 大丈夫ですかぁ?」
「怪我したって聞いたよ!」
「あ、ああ。カスリ傷だ、心配ないですよ。……ありがとう」

 慧音は目の前の子供たちの無垢な笑顔、そして自分を慕う様子を見せつけられて、もう一度口中で呟いた。

「卑怯だ」




    ◇    ◇    ◇




 紫の手は小慣れた様子で包丁を操っていた。まな板の上に並べられた野菜が細かく切り刻まれていく。
 霊夢は兵児帯で紫の背中にくくりつけられ、肩越しに料理の様子を見つめていた。

「さぁ、お腹が空いたでしょう? ぱっぱと作っちゃいますからね」

 山を離れ、慧音のもとに寄った二人が社務所へと帰ってきたのは、もう夕御飯の時間を大幅に過ぎていた。
 腹をすかせた霊夢は、しかし以前のように泣き喚いたり不機嫌になったりせずに、ただ紫の料理するさまを眺めている。それを視線の端で感じつつ、紫は「成長したのかしらね」とほくそ笑んだ。

「よし、出来たわ! 早く食べましょう」

 お皿に野菜炒めを盛りつけて、それをちゃぶ台のある居間へと運ぶ。おんぶしていた霊夢を降ろすと、座布団の上に正座させてやる。霊夢もそういった扱いを受けるのに慣れたのか、自分で降ろされやすいよう力を入れたりして、紫の負担も大分少なくなっていた。

「あー、もうおんぶするのも大変ねぇ。そろそろ、一人で放っておいても大丈夫なように……」

 言いかけた紫は、じっと自分を見つめる目線に気づいた。お腹がすいているのだろうに、箸を両手で持った幼子は茶碗を持った紫を見つめて、微動だにしない。
 恐らく霊夢は、目の前の食事に手をつけても良いのか、紫へと尋ねているのだろう。――それは紫に或る事を知らせた――すなわち霊夢が、自分以外の生き物へと関わろうとしている。他者との共存を意識しているのだ。
 紫は確信を持った。「霊夢は、成長した」と。

「……いただきます。食べましょう、霊夢」

 箸を取った紫の笑顔は、その時、紛れもなく、生き物として美しかった。
 霊夢は、紫の言葉に合わせるように無言で箸を取ると、湯気を立たせる野菜炒めへと手を伸ばす。そして美味しそうに、あっという間に、その全てを平らげた。箸を置いた霊夢は「ごちそうさまでした」を言う代わりに、紫に向けて微笑んだのであった。

「……ぁ」

 それを受けて、紫の中で何かが振り切れた。――愛惜しさというものは、時として人間の衝動をこれほどに駆り立てるのか。紫は無意識のうちに、箸を畳へ落として霊夢の事を抱きしめていた。
 そして、その熟れた果実のように柔らかく、瑞々しい頬へとくちづけをする。紫は誓った、二度と霊夢を離さないと、あのような目には、もう遭わせはしないと。

「まぁーま」

 腕の中に埋もれていた霊夢が発した“言葉”が、紫の耳に届いた。
 慌てて彼女の身体を少し離してやると、霊夢は確かに紫の顔を見上げて、そして笑顔で言った。

「まぁ、ま」

 紫の唇は震えた。喜びと恐ろしさ、一言では言い表せない感情が胸の中に満ちる。だが、あくまでも冷静に、心を落ち着かせて霊夢へと正す。

「ママ? 馬鹿ね、私は貴方のお母さんじゃないのよ。妖怪よ、妖怪」
「まーま」
「違うんだってば。貴方のお母さんはね、もう死んじゃったの」
「マァマ!」

 一際強く発せられた台詞は、霊夢がはっきりとした意思を持って紡いだ言葉であるという証左だった。
 その言葉には意味が込められていた。“母”という意味を込めて、霊夢が意思を持って扱った言葉であった。それは、ついに彼女が自分以外の人間に興味を持ったという証であり、物心がついたという証でもある。
 紫は霊夢の身体から手を離すと、ゆっくりと立ち上がった。霊夢は身体の支えを失ったせいもあり、こてんと尻餅をついた。だがその目線は紫から外れる事はない。

「霊夢。今度の誕生日プレゼント、何にしようかって考えていたところなのよ」
「まぁま」

 その声を背にし、唇を噛んで、まっすぐに障子戸を見る。彼女の目線はそれ以上は下へと動くことなく、そのまま前を見据えて進んでいく。
 やがて開かれた戸の向こうからは、底冷えするような秋の寒さが吹きこんできた。「もう、夏も終わりね」紫は呟く。

「そうね、もっと可愛い服を着た方が、あなたも嬉しいでしょう?」

 振り返らず、後ろ手に戸を締める。
 向こう側からは何か声が聞こえた気がしたが、それを問題とせずに紫は廊下を歩く。その動きはまるで、河童の機械仕掛けであるかのように規律にまみれ、一切の感情を排していた。
 そのまま庭へと足を向けた紫は、空を見上げる。そこには下弦の月が、ぼんやりと浮かんでいた。

「さようなら。私の霊夢」

 紫は博麗神社から離れた。
 一度も後ろを振り返る事なく、まるで月に向かおうとするように空を翔ける。
 それが、八雲紫と博麗霊夢が過ごした親子の時間の、終焉であった。




    ◇    ◇    ◇




 定期測量から帰ってきた藍は驚きにまみれた。

 いつもの調子で屋敷に帰ってくると掃除をし、主の私室へと足を踏み入れた時である。
 部屋の真ん中に、いるはずのない者がいた。その身には妖気を漂わせ、ドレスの裾は床と繋がったように静かに広がっている。そう、それは紛れもなく主である。
 しかも、その姿は、藍にとっては予想外の様相であった。

 まず、屋敷に紫がいる事に驚いた。この家の主が部屋に戻ってきたのは、実に一年以上振りのことである。この1年は、ずっと博麗神社にいたのだから。
 そして次に、紫がその身に纏う雰囲気に驚いた。主がそのような気配を身に纏っているのは、実に、実に久しぶりのことなのだ。
 藍が驚きのあまりに立ち尽くしていると、部屋の真ん中で式神へと背を向けたままの紫が、静かに口を開く。

「藍、私は気付いたわ」

 その声は研磨された鉱石のように固く、鋭く、冷たい印象を藍に持たせた。それは同時に懐かしさも抱かせてくれる声の響き。

「はっ、何を……ですか?」

 藍は興奮に、全身の毛が逆立つのを感じた。
 今から紫の口を通して紡がれる台詞は、きっと彼女の待ち望んだものであるはずだから。

「私は人間に近づき過ぎていた。故に、あのような失態を犯してしまった」

――そうだ、私が求めていたのは、これだったんだ。

 藍は続く主の言葉を、今か今かと待っていた。
 直立不動でその宣言が聞こえてくるのを、耳をそば立てて待っていた。
 彼女は待っていたのだ。この1年間。いや、もしかしたら、もっと前から、もう何年も。

「だから私は、しばらくの間は、妖怪に戻る」

――帰ってきた。

 感無量であった。まるで、この幻想郷の主人公は自分であったとばかりに、藍は悦に浸り、鼻を高くする。
 雌伏の時は長かったが、全ては自分を中心とするように結末することであったのだと、全能感さえ感じていた。
 紫の従者であると同時に、藍もまた舞台に上がる資格を有している。彼女の物語は、こうして大団円を迎えるのだ。

「人間との友達遊びも、今日で終わりだ」

 ぞくり、と藍の背筋が芯から震える。振り返った紫の瞳には、深く淀んだ至高の光が渦巻いていた。それこそが数多の妖怪、その頂点に最も近いと自分が敬愛する八雲紫の姿であった。藍が待ち望み、恋焦がれ、服従崇拝していた紫なのだ。

――帰ってきた。紫様が。

 ようやく、自分の望みが叶ったのだと藍は天にも昇る心地になる。それと同時に、深々と紫へ頭を下げた。

 それは、これからも式神として忠義を尽くすという意味。
 そして、もう一つの意味するところは、消えてしまった紫への哀悼であった。




    ◇    ◇    ◇




 朝起きた霊夢は、布団から這い出た。
 押入れに入っていたそれを床に引きずり下ろすのに、彼女は大変な苦労をした。だから当分は押入れに戻す気が起きない。しばらくの間、布団は寝室に敷きっぱなしとなるであろう。

 続いて、縁側と廊下を小さな足で移動し、居間へとやってくる。
 いつもならば既に御飯が出来ている時間。それが今日は、あの御飯を作ってくれているのが見えないようだった。

「まーま……」

 軽く呼んでみる。そう、確かに「あれ」はそういう名前だったはずだ。つい最近になって覚えた、霊夢の中にある唯一と言ってよい名前。
 この音を口に出せば、その存在の事を指し示す――名前。なんて便利なモノなんだろうと、霊夢は幼心に思う。

「マァマぁ」

 名前を呼びながら、覚束ない足取りで台所まで行ってみる。だが、そこにも「あれ」は居なかった。いつもなら、そこでゆったりとした服を着て、頭には変な帽子を被って、自分の為に食事を作っているはずなのに。
 霊夢は続いて廊下に戻り、庭を覗いてみる。
 もしかしたら、たまにやっているように、木に向けて斧を振り下ろしているのかもしれない。霊夢から見ても不得手そうなその動きは、見ていて不安になるものだった。――だが、その庭先にも「それ」は存在しなかった。

「まぁま」

 仕方がないので霊夢は台所に戻って、自分で料理を作る事にした。やり方はさんざ見てきている。多分、自分でも出来るだろうと思っていた。
 そして案の定、まだ未熟とはいえ、なんとか形のある食べ物が完成する。それを二つの皿に分けると、霊夢はちゃぶ台へと料理を運んだ。
 小さな手では一つの皿しか持てないので、二回に分けて運んでみた。皿を運ぶのは意外と重たくて、大変なんだと感じた。

「ままー」

 呼んでも来ない。いくら呼んでも、どこを探しても「あれ」がいない。
 仕方がないので霊夢は、一人で朝御飯を食べ始める。きっと、一人で何でも出来る。きっと食事だけでなく、洗濯も風呂も、霊夢は一人でこなすことが出来る。
 でも気持ちが悪かった。一人でいるのに違和感があった。いつもは横に「ママ」がいたはずなのに。何が嬉しいのか分からないけど、いつもニコニコと笑って、自分の方を見つめて。

「ママ」

 ぼつりと呟いた霊夢は、やがて、自分の勘違いなのではないかと思い始めた。
 そう。「ママ」は最初から存在しなかった。自分は最初から一人でここに暮らしていたのだ。――だって、そのように考えなければ、つじつまが合わなくなった。
 何故なら、あの「ママ」が自分を置いてどこかへ消える事など、有り得ないからだ。そのように「ママ」は、自分を抱きしめて伝えてくれたはずだった。だから、それが裏切られる事など、到底考えられないのだ。

「あう」

 畳の上に、小さな尻が落ちた。少し口を半開きにして、霊夢は天井を見上げる。その行動に感情はなく、目的もない。
 やがて彼女は、最初から自分は一人でここに暮らしていたのだという『事実』を悟る。――そして、「」の存在を脳内から消した。

「ひぁあい」

 少しして、霊夢は朝御飯を食べ終える。
 そして、片方の皿に残った料理を、台所の床に打ち捨てた。






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もうちょっとだけ続くんじゃ。

台詞の会話を多くして読みやすさを追求した結果、かえって読みにくくなった気がしないでもない。
4は年明けになってから投稿したいと思います。みなさん、良いお年を。

読了ありがとうございました。いや、ほんと。
yunta
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コメント



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2.90コチドリ削除
「霊夢は私が育てた」

成長した博麗さんが(幼)の頃の記憶を忘却していなければ、鼻で笑ってこう言い返しそう。
「私があんたを育ててやったのよ」

個人的には前二作と比較して、かなり大胆な転調を施した第三作目という印象を受けました。
紫様の言動にチクチクとした違和感を抱きながらも、出てきた感想はこれ一つ。

「シングルマザーの紫様、最高!」

人間に魅せられた妖怪と、浮遊する妖怪集合フェロモン発生体。
結界組の明日はどっちだ! 
6.100名前が無い程度の能力削除
長かった。長く感じた。200kb全て紫様の変化を書くのに使い切るとは。
これから物語が急転してくれると期待しています。
10.100紳士的ロリコン削除
凄いボリュームだ。読み応えがありますね。