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ベルの音。
――これより、紅魔館による舞台、『十月の西』を開演致します。
開幕。
――これは、とある世界のとある館の物語。
――二人の少女は、紅い色をした館に住んでいました。
白い照明が、椅子に座っている少女と、傍にかしずく少女を照らし出す。
「私にとって、紅は一体どんな意味を持つか、貴女は知っているかしら、咲夜」
――椅子に座った少女は、咲夜と呼ばれたメイドへと語りかけます。
「……血の色、でしょうか、お嬢様」
「そう、そうね。私に仕える貴女ならそう答えるのも無理はないわね。
なんといっても、私は吸血鬼なのだから」
――紅茶を口に含みながら、お嬢様と呼びかけられた吸血鬼は、笑みを浮かべます。
「けれど違うの。
紅には、もっともっと、私にとって……いいえ。
『私たち』にとって、重要な意味があるのよ」
「…………」
――メイドは黙して続きを待ちました。しかし、主は言葉を続けようとはしません。
「そうね……咲夜、丁度良い頃合だわ。
窓の外を御覧なさいな」
「了解致しました、レミリア様」
窓枠の形がライトで映し出される。メイド、その窓枠に寄る。
「そこからは何が見える?
『貴方たち』の目にもそれが見えるはずよ」
「……夕焼け、でしょうか」
――咲夜が大きな窓の前に立つと、西へ沈み行く太陽が、初秋の空を紅く染めているのが視界いっぱいに広がりました。
照明、白から紅へ。
(ああ、一体どうした事でしょうか。
私はこの光景を、まるで極々身近に知っているような、そんな気がするのです)
「そう、夕焼けよ。
十月の、夕焼け。
十月の西の空」
主、カップをソーサーに置く。椅子から立ち上がり、メイドの方へと向き直る。
「それが『私たち』なの。
……咲夜」
メイド、首を振る。主に背中を向けたまま、身を震わせる。
(ああ、ああ!
私はお嬢様の方を見なければいけないのに!
『私』ならばお嬢様の方を見なければいけないと言うのに!)
――咲夜は、吸血鬼の主を愛していました。そしてこれから何が起こるのかも、主の言葉で気づいてしまったのです。
「……そう、それならそのままでいいわ。
聞きなさい、咲夜」
――日ごろ傲慢を装う吸血鬼は、一瞬、泣きそうな表情を見せましたが、咲夜にはその表情が見えませんでした。
――見えていたならば、きっと咲夜は、迷わず主を抱きしめていたでしょう。そんな、寂しそうな表情でした。
「『私たち』はね、黄昏の国の住人なの。
たとえ秋の夕暮れがどれだけ長くとも。
たとえ秋の夕暮れをどれだけ愛そうとも。
それは……」
(やめて下さい、お嬢様。
お願いです。今までのように、日々を過ごしていきましょう。
いつか私が死を迎えるその時まで、私は貴女にお仕え致します。
だから……)
「……それは、いつか終わってしまう物なの。
そして記憶の中で、郷愁を誘う風景となって、いつまでも美しく残り続けるのよ」
「……いや……です」
(記憶の中でしか貴女に逢えない、そんな人生は私には耐えられません。
ですから……)
「咲夜、貴女と会えてよかったわ。
貴女はきっと、『私たち』の事を忘れないでいてくれる。
貴女はきっと、十月の西の空を、誰よりも美しく記憶してくれる。
貴女はきっと、誰よりも黄昏の国を愛してくれる」
――咲夜は気づきます。窓越しに見える夕焼けが、段々と夜へと変化していく事に。
「太陽は沈む物なの。
黄昏の国は、いずれ終わってしまう物なのよ。
……そろそろ、陽が沈む。
ただそれだけの話。
だから、咲夜、貴女はそのまま」
主、言葉を詰まらせる。
決意したかのように、背筋を伸ばし、言葉を続ける。
「そのまま、こちらを見ないで居なさい。
これは、命令よ」
「……お嬢様!」
メイド、主の方へ向き直る。
「……初めて、私の命令に逆らったわね、咲夜。
仕方のない子」
――咲夜が振り返った時、レミリアは、無理に作った笑顔のまま、涙を流していました。
――その涙が、きらきらとした粒子になって、崩れ去っていきます。
――最早一刻の猶予もないと、咲夜は悟りました。
「お嬢様っ!」
メイド、主に抱きつく。
「……暖かいわ。
出来ればずっとこうしていたいけれど……」
「お望みであれば、ずっと私はこうしています。
ですから……ですから……!」
――主も従者も、共に涙を流して、抱きしめあっていました。
「けれど……咲夜、お別れの時間よ。
……今までありがとう」
主、舞台から忽然と姿を消す。
「お嬢……様……」
――先ほどまでそこにあった主の姿を、どうにかして抱きしめようと、咲夜は虚空を捜し求めます。
――気がつけば陽は堕ちて、外は夜の気配に満ち溢れていました。
――咲夜は、虚空をかき抱きながら、ずっと涙を流していました。
暗転。
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白の照明、舞台を照らす。
――次の日。太陽が昇りはじめた頃。咲夜は館の中で誰かの姿を追い求めます。
――図書館に住んでいた魔法使いを。館を守っていた門番を。自身が従えていたメイドたちを。
「パチュリー様……美鈴……皆……」
――誰の姿もありませんでした。幻想の住人は、黄昏の国と共に、消え去ってしまったのです。
「……私は……」
――咲夜は思い返します。あの美しき十月の西の日々を。胸が締め付けられるほどに愛おしい日々を。
――そして、咲夜は一つの決心をしました。
「……私は、いつまでも待ち続けます。
確かに、十月の黄昏はいつか終わってしまうもの。
けれどそれは、再び……いいえ、何度でも訪れるものなのですから」
――それから咲夜は、自分に許された能力の限りを駆使して、一つの魔法を作り上げました。
――凍れる時の秘法。自分に流れる時間を止めてしまう、大魔法です。
――それから咲夜は……
「いつお嬢様が帰ってきても良いように掃除をしておかないといけないわね」
――来る日も来る日も。広大な館の隅々までを掃除して過ごしていきます。
照明、春の桜を思わせるピンクに。
夏を思わせる青の照明に蝉の鳴き声。
秋の紅の色と、落ち葉の文様。
真っ白な雪と吹雪の音。
繰り返し。
メイド、その間ずっと掃除をしている。
――どれほどの時間が経ったでしょうか。凍った時の中を生きる咲夜にも、途方も無く長く感じられる時間が経った頃。
――咲夜は、とうの昔に色あせてしまった景色が、急に瑞々しく見え始めた事に気がつきました。
「……まさか」
――咲夜の耳に、館の隅々から、絶えて久しい物音が聞こえてきます。
「……!」
――咲夜は、主の部屋めがけて走り出しました。
――息も絶え絶えに、ドアを開けると、そこには……
メイド、ドアを開ける動きをする。
「……本当に仕方のない子。
まさかこれだけの時間、『私たち』の事を待ってる人間が居るなんて」
主、忽然と現れる。
――そこには、笑みを浮かべた咲夜の主の姿がありました。
「お嬢様!」
――その瞬間、咲夜は苦労して築き上げた大魔法を、迷わず破棄して、主を抱きしめました。
「……私は、死ぬまで貴女にお仕え致します。
決して、貴女の居ない場所では死にません」
「そうね、以前確かに貴女はそんな事を言っていたわ。
……また会えたわね、咲夜」
――抱きしめあう二人の主従は、今度は出会いの喜びに満ち溢れていました。
「貴女に会う為ならば、何度でも、私はこう致しますわ、お嬢様」
暗転。
――そうして、
――咲夜は幸せの内に寿命を全うし、
「……死んだ貴女まで拘束する気はないのだけれど」
照明、主の傍で憤慨するメイドを照らす。
「私が居なくなった後の館の散らかり様!門番の怠け様!図書館の混沌!誰が見過ごしておけるものですか!」
――幸せの内に、黄昏の国へと、仲間入りしたのでした。
明転、続々とメイドたちが現れ、主役の二人と手を繋ぎ、
――以上で、紅魔館の舞台、『十月の西』を終演致します。
観客へ向けてお辞儀をする。
――うわっとと!忘れてましたごめんなさい!レミリア役、十六夜咲夜。咲夜役、レミリア・スカーレット。脚本、パチュリー・ノーレッジ。大道具、小道具、照明、音響、その他諸々は小悪魔とメイドの皆さん、そして、
ジリリリリリ。
ベルの音が鳴り響く。
――ナレーションはこの私、ホンメ……
――ほら、終わったんだからどけどけ。次は私たちの番だぜ。
閉幕。
――うわあああああああああああん!
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「ううぅ……」
「まだ気にしているのかしらこの子は」
「自業自得ですわ」
「うう……その通りです、はい」
落ち込むナレーターを、冷やかすような目で見る主演の二人。
ナレーターは自分の名前が言えなかった程度の事で落ち込んでいるのだった。
「……ねえ、咲夜」
レミリアが咲夜へと向きを変え、何処か真剣な物を匂わせる調子で話しかける。
「……待ちますよ」
咲夜は、レミリアが言葉を続ける前にそう言った。
「私は、お嬢様を待ち続けます。きっと」
「……そう。仕方のない子ね、全く」
何処までも真剣な語調の咲夜を前に、レミリアは穏やかに笑った。
「……そ、そのー……私のことも待っていてくださると嬉しかったりするのですが……」
「……まあ、待つんじゃないかしら……多分」
苦虫を噛み潰したような顔で、咲夜がそう告げる。
「てっきりばっさりと断られるとばかり思ってたので物凄く嬉しいんですけどそれならそれで断言してくださいよ!?って言うか何でそんなイヤそうな表情なんですか!?」
「あら、こんな所に居たのね。レミィ、咲夜、それからナレーターの人。魔理沙たちの劇が始まるわよ。小悪魔に席を取らせてあるから見に行きましょう」
パチュリーが現れ、次の舞台へと三人を誘った。
「それじゃあ見に行くわよ、咲夜」
「了解致しました、お嬢様」
「え?何で名前呼んでくれないんですかパチュリー様?もしかして最後ミスったの物凄く怒ってます?って待ってください!私も!私も見ますよー!」
紅美鈴が走り出すのと同時に、開幕のベルが鳴り響いた。
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