Coolier - 新生・東方創想話

忠節の彼岸、断迷の剣

2009/05/21 03:58:12
最終更新
サイズ
76.52KB
ページ数
1
閲覧数
1676
評価数
15/52
POINT
3060
Rate
11.64

分類タグ


「そういえば、そろそろお彼岸よねえ」
 わが主人、西行寺幽々子様は、いつもののんびりとした口調でそうおっしゃった。
 ものを食べながら話すのはいささか行儀が悪い、とたしなめるべきだろうか。いや、使用人の分際でそんな口出しは無礼ね。幽々子様だってそのくらいの常識はわきまえておられるはず。私に気を許してくださっている表れなのだろう、と好意的に解釈しておこう。
「聞いてるぅ? 妖夢」
「あ、はい。しかしながら――」
 まったく、いつもながら唐突なフリである。つい答えに窮する。
「――彼岸といわれましても、ここ白玉楼にそのしきたりは無かったと思いますが」
 お彼岸が無いなんて妙なお屋敷だ、と思われるかもしれない。でもそれにはちょっと特殊な事情があるのだ。
「じゃあ今年からやりましょ、お彼岸。あ、おかわり」
 私は差し出されたお茶碗を受け取り、おひつに向かった。後ろで幽々子様がまだなにかせがんでいる。
「あのね、あれがやってみたいのよ。ほら、お野菜に楊枝を刺して、牛とか馬とかにする」
 なるほど。茄子やら胡瓜やらで動物をかたどる――精霊馬、とか呼ぶんだっけ――アレは確かに可愛らしいし楽しげです。しかしそれ以前に。
「冥界の亡者がなんのお彼岸ですか。どちらかというと化けて出るほうでは? 我々は」
 そう。私も幽々子様も人の身ではない、幽霊のたぐいだ。その証拠にいつもヒトダマを連れ歩いている。もっとも、そこらへんの格の低い浮遊霊とは違って我々には確固とした実体があるので、そうは見えないかもしれないけど。
 幽々子様はなにやら考え込み始めた。
「そうねえ。言われてみると、彼岸なんていつでもご挨拶に行けるわけだし」
 なんだか物騒な独り言をこぼしていらっしゃるが、別に世を儚んで死のうという意味ではない。この冥界の霊の管理を閻魔庁から一任されている幽々子様なら、三途の川も顔パスで往復できる。
「うん、じゃあ下界にお出かけしましょう、いまから。そうしましょったらそうしましょ」
 ひとりで納得し、鼻歌交じりにお新香をぱくつく幽々子様。今日はいつにもまして上機嫌のご様子である。
「はあ……」
 思わずため息交じりの追従が漏れ出てしまう。いままでの経験上、幽々子様がこういう調子のときはたいてい何か裏がある。平穏無事に済んだためしがあまり無い。
「んふふ、なに着ていこっかなー。あ、妖夢、おかわり」
 満面の笑顔と共に、再びお茶碗が差し出された。だからそのほほえみが怖いんですってば。
 よく食べますね、と言い返そうとして、やっぱりやめにした。そんな非難めいた物言いはよくない。幽々子様にどんな思惑があろうと私は忠節を尽くすのみ。主人の喜びは従者の喜び、と知り合いのメイド長も言っていたことだし。
「よく食べますね」
 文字にしたら同じだけど、私も精一杯の笑顔と共に器を受け取った。幽々子様は少しだけ驚いた表情になって、こちらからやや眼を背けた。
「あ、うん。あれよ、食べる子は育つ、ってよく言うじゃない」
 言いません。

 朝食を済ませ、あとかたづけ等の雑事も済ませたのちに外出することとなった。幽々子様につきしたがって冥界の門を飛び越え、雲海の切れ間から下界へと降り立つ。第一目標地点は、とあるうらびれた神社。現世に来た際はとりあえずここを冷やかすのがお決まりの経路となっている。
「お邪魔しまーす」
「お邪魔ね」
 いつものごとく縁側でお茶をすすっていたここの家主は、我々の姿を一目見たとたんにそう即答した。
 冥界の頂点に立つ西行寺家当主に向かって、なんたるぞんざいな態度か! と一刀のもとに無礼打ちしてやりたいところだけど……うん、相手が悪いわね。
 純然たる人間の身でありながら鬼神とサシで渡り合える存在、博麗の巫女、霊夢。彼女の霊力の強大さは、かつて私も身をもって知った。まっとうにやり合って勝機の見える相手ではない。
 霊夢は大仰にため息をつき、さらに言い放つ。
「お茶なら出すわよ、お茶なら」
 つまりお茶うけまで用意するつもりはないと。これはもう、おまえら帰れと言われているに等しい応対である。
「出がらしのじゃイヤよ」
 冷淡なあつかいにも動じず、変わらぬ口調で答える幽々子様。これに対し霊夢の眉がぴくりと動いた。
「訂正。白湯なら出すわ」
 まだ残暑も厳しいこの折に、客人にただの湯を飲ませようというの、この女は。つい怒りが先に立ち、私は霊夢と幽々子様のあいだに割って入った。
「こちらの巫女様は、どうも我々をもてなす気など毛頭ないようです。よそを当たりましょう」
 とまあ、あてつけがましい言いかたをしてみたところで、霊夢はあいかわらず涼しい顔のままだった。私の存在なんて、博麗の巫女にとってはなんの脅威でもないってことなの。自分の無力が恨めしい。
「えー? やだ、ずるいわ」
 子供のように頬を膨らませる幽々子様。
「何がよ」
 あきれ顔で答える霊夢。
「だってだって。私たちはお邪魔だけど、ゆかりんはお邪魔じゃないって言うの」
『ゆかりん?』
 私と霊夢、同時に同じつぶやきが漏れる。霊夢ははっとして後ろを振り向いた。彼女の背後の空間、何もないただの空中に、すっと裂け目が生じて怪しく開いていく。その隙間から一人の女性が顔を出し、こちらへ手を振った。
「はあい。やっぱり見つかってしまうのね」
 彼女は八雲紫様。妖怪の楽園たるここ幻想郷の創始者にして妖怪の賢者。幽々子様の数百年来のご友人でもある。
 幻想郷でも屈指の実力者二人に挟みこまれているとあれば、さすがの霊夢の緊張の色を隠せないはず――
「お邪魔よお邪魔。どいつもこいつも」
 霊夢は心底めんどくさそうに、再度深くため息をついた。断言できる、この二人にこんな態度を取れるやつは世界でこいつだけね。
 ただの虚勢? それとも、お二人を同時に相手にしたって勝てる自信があるの? 幽々子様も紫様も、並の人妖が束になってかかったところで、指一本動かすだけで現世から放逐できるほどの力の持ち主。お二人が自分に牙を向くはずがないという確信でもあるの。
 どうどうめぐりの思考に陥った私のことなど気にも留めず、霊夢のぼやきは続く。
「だいたいねえ。ここはどこ、神社でしょ。参拝者が神社に来たら、まず真っ先に行うべき儀式があるんじゃない? わかってんのかしら」
 この聞こえよがしな独り言をさえぎって、幽々子様がパンと手を打ち鳴らした。
「妖夢、お賽銭。私の分も奮発してきてね」
 お賽銭と聞いた瞬間、霊夢はすばやく立ち上がった。
「お茶を入れなおしてくるわね。ひとりぶんでいい?」
 そう言って、霊夢はじろりと紫様をにらむ。紫様は顔をしかめて二度手を叩いた。彼女の両脇に先ほどと同様のスキマがひとつずつ開き、そこからふたつの影が降り立つ。
「ラン、チェン……適当に奮発してきなさい」
 九本の狐の尾を持つ女性、藍と、二本の猫の尾を持つ少女、橙。彼女らは見ての通り妖物のたぐいである。紫様に使役される式と、そのまた式の二人組。私とはお互いそれなりに見知った仲だ。
 藍には目礼を、橙には微笑みを送る。それに対し二人とも同じ仕草で返してくれた。

 彼女らに出会ったのは久しぶりだけど、だからと言って取り立ててこちらから話すような話題もない。それはむこうも同様らしく、我々三人は無言で神社の表側へ回る。藍が先導し、橙はそのすぐ後をついて行く。少し離れて私が最後尾。
 藍の九本の尻尾は、全方位に広がっていて遠目にもかなり目立つ。あれだけの分量があるとさすがに日常生活が不便じゃないの? 任意に縮められるのか、あるいはあのボリュームの大半は単に毛の分量であって、実体の大きさはさほどでもないのか。それにしても彼女のはきものはどういう構造になっているのだろう。謎は尽きない。
 九尾の狐といえば、三国一の悪妖怪として恐れられた存在である。それが目の前の彼女なんだろうか。だとしたら、なぜ式の身分なんかにおさまっているの。紫様の妖力が九尾以上だというなら、それと同等に戦える霊夢はもはや生きた伝説の領域に達している。
 あるいは、齢を経た妖狐はそれに応じて尻尾の本数が増えるのかもしれない。であれば九尾の妖狐が複数存在してもおかしくはない。
 藍の能力のほどは、私にとって未知数の部分が多い。多くとも、主人の紫様を超えることはないはず。そして少なくとも、妖怪賢者の筆頭従者として八雲の姓を名乗れるほどの力はある。その程度の推測しかできない。
 あの一見無防備な背中に、例えば私の刀を振り下ろしてみたなら、藍はどう反応するのだろう――
 不穏当な空想にふけっているうち、私は無意識に刀の柄頭に手をやっていた。そのとたん、藍はふとこちらを一瞥した。思わず背中に冷や汗が出る。いまのわずかな殺気を気取られたの? 私としたことが、妖獣の感覚の鋭敏さを失念していた。何食わぬ顔で、刀の位置を調整するふりをしてごまかす。
 よくないな、こういうの。どうも私には、相手が自分より強いか弱いかで物事をはかっている節があるみたいだ。以前からその傾向はあったのかもしれないけど、霊夢に敗北したあの日以来、特に。
「うわ、これ立派なのは見た目だけですね。ほら、中身がすっからかん」
 いつのまにか先頭に立っていた橙が、賽銭箱の中を覗き込んで藍を呼んでいる。
「おやおや。これではお茶も渋るわけだ」
 藍もそのそばに寄り添う。先ほど私が放ってしまった殺気について、これ以上追求される気配はなさそうだ。ほっと胸をなでおろす。
 さて、幽々子様からは賽銭を奮発せよと命じられている。まさか有り金全部を投入するわけにもいかないけど、今日の遊行費として用立てた金子のうち、一割程度はつぎ込んでみてもいいだろう。今後の霊夢との友好関係のためにも。
 じゃらりと投入された硬貨を見て、橙は目を丸くしている。彼女も懐から財布を取り出し、しばらくその中身とにらめっこしたあと、さびついた銅銭を一枚だけ投げ入れた。元気よくぱんぱんと手を打ち、深くお辞儀する。
 その様子を目を細めて眺めていた藍が、おもむろに手近な木の枝を一本だけ折りとった。木の葉をぶちぶちとむしりとり、枝を投げ捨てると、手の中の葉っぱをさらに細かくちぎり始める。
「らんさま?」
 不思議そうな表情で手元を見やる橙に対して、藍はにやりと笑ってみせた。切れ切れになった葉っぱの山に口を近づけ、ふっと吹き散らす。そのとたん大量の硬貨がじゃらじゃらと賽銭箱になだれこんだ。
「うわあ……」
 先ほどまでがらがらだった箱の中は、いまや底も見えないほどに硬貨で敷き詰められている。見た目の上では。
「初歩的な幻術さ。半日もすればまやかしは解ける」
 ええ、その手の妖術は化け狐の十八番でしょうとも。でも普通人前で堂々とやる?
「そっか、そうですよね。本物のお金なんて、あの巫女にあげる必要ないですよね!」
 年若い妖怪に特有の、きらきらとしたけがれなき瞳で主人を見つめる橙。
「ああ。この程度の術なら、おまえもそのうち覚えられるよ」
 わが子を見つめる母親のごとき微笑を浮かべる藍。
「ふふっ」
「えへへ」
 二体の妖獣のあいだで、慈愛のまなざしと敬愛のまなざしが交錯する。こうして少女はまた一歩大人へと近づいていくのだろう。この畜生妖怪め。

 再び神社の裏手に戻ると、霊夢が縁側で仰向けに寝そべっていて、座敷にいるお二人と談笑していた。
「それにしても、雑味がひどいわねこのお茶」
「それがウチの一番茶よ。お茶屋さんに無理言って裁断クズを分けてもらってるんだから」
 そんなシロモノを里の人間にせがむな。客に飲ませるな。
「おせんべ、しけりまくってるんだけど」
 と言って紫様は、一口だけかじった跡のあるお煎餅を鉢に戻した。ちなみに幽々子様の目の前の鉢はすでに空っぽである。
「そうね、歯にくっついちゃって気持ちが悪いわ。爪楊枝でしーしーってのもなんだかお行儀悪いし」
「贅沢言うな。とにかくその件、悪いけどウチじゃ……んあ」
 霊夢が我々の帰還に気がつき、身を起こす。
「あんたたちも上がってく?」
 この質問には幽々子様が答えた。
「いえ、こちらはけっこう。用も済んだし、行きましょ妖夢」
 幽々子様が立ち上がったので、私は縁側のそばに置かれた履き物をそろえる。
「従者ってのも大変ね。あ、はずんでくれたんでしょうね、お賽銭」
「ええ。びっくりするわよ」
 二重の意味でね。ともかく一刻も早くここから立ち去りたい、タチの悪いいたずらのとばっちりをこうむるのはごめんだ。
 身支度を整えて、では、とあいさつして飛び上がった幽々子様のあとを私も追い、隣に並ぶ。
「して、次はどちらまで」
「んむむ……ん、取れた」
 人の話を聞いてくださいよ、頼みます。
「どうしましょっか。あ、ちょっと景色のいいところまで行ってみない?」

 風光明媚な場所といえば、山間か水辺と相場が決まっている。今日は幽々子様に連れられて湖畔へと向かうことになった。夏の日差しを受けた水面がきらきらと輝く。三途の川の淀んだ流れとは違って、この湖の水はおそろしく透明度が高い。
「あ、いま妖精がいたわよ。あそこ、二人で遊んでる」
「それはまあ、またの名を妖精の湖というくらいですから」
 幽々子様は妙にはしゃいでいて、さっきから目に付くものすべてを私に解説してくる。
「ほら、あっちにはシャトーまであるじゃない。ロマンチックねえ」
 言われて指差された方を見る。確かに西洋風の館が見えてきた。でも、ちっともロマンを感じないのはなぜでしょう。
「ありますね、どぎついほど真っ赤な館が」
「うんうん、住んでる人の感性を疑っちゃう外装よね、あれ」
 私は飛行の速度を緩めた。幽々子様がこちらを振り向く。
「ん?」
 今朝がたと同じ、わざとらしいほどの笑みを浮かべていらっしゃる。絶対に何かたくらんでるでしょう。
「行く、つもりですか」
「そうよ。レミィちゃんのお宅はいけーん」
 本気で? その存在を知らぬものなどいない、猛悪な吸血鬼姉妹の住まう館、あの紅魔館へ?
「だってほら。私たち、あのお屋敷の人に押しかけられたことはあっても、こっちからお邪魔したことほとんどないじゃない」
 これまでに我々は、あの館の住人と敵対したこともあれば、共闘したこともある。だから知っている、恐るべきは当主のレミリア・スカーレットだけではない。彼女は腕の立つ従僕・食客を何人も召し抱えている。
 さらには、妖精たちのうち力の優れたを者を戦闘部隊として組織していると聞く。幻想郷のパワーバランスの一角と呼ばれるのも当然だ。
「なに硬い顔してるの。もう飲み友達じゃないの、あの子たち」
 確かに紅魔館組とは何度も酒席を共にした。我々との間の過去の遺恨は、建前上すでに晴れたことになっている。でもそれは博麗神社で開催された宴会の席でのことである。
 不定期に催されるあの宴会では、驚くほど多種多様な参加者が顔を突き合わせることになる。幻想郷の治安執行力たる博麗の巫女の顔を立てるなら、その席でおおっぴらに揉め事を起こすことなどできない。仮に起きたとしてもすぐ霊夢に仲裁され、それでことが済む。
 でも相手の居城に直接乗り込むとなったら話はまったく別だ。最悪の場合、宣戦布告しに来たとみなされてもおかしくない。そのぐらい幽々子様だって承知しておられるはず。だったらなぜ。
 物思いにふけっているあいだに、だいぶ幽々子様との距離が開いてしまった。すぐさま速力を上げて追いつく。

 紅魔館の門前には一人の女性が立っていた。門扉の脇に腕組みしてよりかかり、目を閉じている。
 彼女には見覚えがある、確か大陸渡りの妖怪だったはず。さほどの交友もないので、その正体も、名前も、実力のほどもいまのところ不明。
 こちらが警戒されている気配はない。というか、我々に気がついていないと見える。まさかとは思うけど、本当に寝てる?
「あらー。妖夢、あの子のほっぺたつねってきなさい」
「御意に」
 音に聞こえた紅魔館の門番にしては、このたるみようはなんなんだか。ここに来るまでの緊張を肩透かしにされて、ひとごとながら少し腹が立ってきた。心持ちゆっくりと門へ歩み寄る。そばまで行っても気がつかなかったら、本当に言いつけ通り頬をつねってやろう。
 およそ十間の距離――霊弾を収束して弾幕を形成できる間合い――に足を踏み入れた瞬間、彼女はすっと目を見開いた。
「冥界のかたが、何用ですか」
 空気が変わる。先ほどまでまったく無防備な体勢に見えた彼女が、いまはピンと張り詰めたような気迫を放っている。いや違う、きっとこれがこいつ本来の『気』だ。完璧に気配を隠していたから本当に寝ていると思い込んでいた。私はともかく、幽々子様まで。
「ち、ちょっとこちらのご主人にうかがいたいことが」
 声が震えてます、幽々子様。ここは嘘でもいいから、あなたの実力なんてお見通しでしたわよ、みたいな態度でお願いします。
「来客があるとは聞いてませんけど」
 そう言って彼女は腕組みをとき、寄りかかっていた壁から背を離す。両腕をだらんと垂らした自然体、だからこそ隙がない。
「それはそうでしょうねえ、ふらっと立ち寄っただけだし」
「ふらっとここに来た人、初めてですよ」
 門番が苦笑する。でもその瞳の奥は笑っていない。こちらの出かたを冷静に観察している。
「なんにせよ、お嬢様の許しもないのに通せません……私がサボってると思われちゃうじゃない」
 彼女の笑みの性質が変わった。我々を品定めするような態度が失せて、何かを期待するような視線に変わる。幽々子様が私のすぐ隣まで来て、こちらを見て軽くうなずいた。出番ですね。
 一歩前に進んで一息吸い込み、臍下三寸、丹田に意識を集中させる。
「ならば力ずくでも。白玉楼が庭師、魂魄妖夢、参る!」
 彼女の笑顔が消えた。こちらに向かってすっと腰を落として身構える。あれは大陸の武術の構えか。
「紅魔館の門番、ホン・メイリン、お相手します」
 やっと名前がわかった。ホンメイリン……漢字だと『紅美鈴』かな、違うかも。いや、いまは勝負に集中よ。あの人の名前なんてどうだっていい。
 美鈴は二枚のカードを取り出し、その裏地を私に向けてかざして見せた。短期決戦で決めようってことね。いいでしょう。
「乗った!」
 そう宣言して私は地を蹴り、宙に舞い上がった。同時に美鈴もカードをしまって飛翔する。

 スペルカードによる弾幕勝負。それはあの紫様と霊夢が定めた、この幻想郷における決闘の作法。
 腕に覚えのある人妖は、いつなんどき起きるかわからぬ戦いに備えて、自分の力――霊力、妖力、あるいは魔力など――を込めた札を用意しておき、いざとなったらそれを発動して能力を限界まで引き出す。
 いま美鈴は二枚のスペルカードを提示してみせ、私はそれに合意した。つまりこの勝負、カードを先に二回使い切ってしまった方が負けを認めなくてはならない。
 一度の立会いで普通は四、五枚、多くて十枚近くのカードを消費するものだから、二枚というのはかなりの即決勝負。戦いを楽しむためというより、こっちの実力をはかるための決闘だからそれで十分ということね。
 となれば、まずは先手を奪っておきたいところ。先に相手にカードを切らせてしまえばその後の展開がぐっと楽になる。
 相手の姿を見据えながら両腕に霊力を込め、掌から拡散霊弾を放った。私の第一手はたいがいこの左右同時弾幕と決めている。群れなす程度の格下妖怪が相手なら、これ一撃で蹴散らせる。
 だが美鈴は、最小限の動作でこの初撃を回避した。まあ当然ね。弾道をきちんと見きわめれば、こんなの半身をかわすだけで避けられる。私の真骨頂はここから。
 頭上に待機させておいた巨大なヒトダマ、半霊に攻撃を命じる。言葉にする必要はない、ただそうせよと念じるだけでいい。
 この半霊は、単に霊気がよどんで集まっただけの燐光などではない。この身に流れる半霊族の血のおかげで、私は常に幽体離脱し続けていることが可能なのだ。私の魂は肉体に、魄は霊体に宿っており、互いに独立して動くことができる。
 私が撃ち続けている攻撃と、寸分たがわぬ弾幕が半霊からも放たれる。ただし軌道をほんの少しだけずらして。この四重弾幕、スペルカードなしでしのぎ切れた者はほとんどいない。さあ、切り札を使うがいいわ。
「うわっと、くそぅ、キツいなこれ」
 美鈴は情けない悲鳴をあげながらも、驚くほど俊敏な動作で次々と霊弾をかわしていく。しかも後退しながらではなく、少しずつ前進しながら。まずい、これほどの身のこなしとは予想外。彼女相手にぬるい弾幕は一切通用しないと思ったほうがいい。
「それじゃあこっちの番――」
 ついにこちらの攻撃をかわしきった美鈴は、空中で旋回しながら妖気の弾丸を形成していく。鋭くとがった妖弾が彼女の周囲に展開され、二重、三重の波となって繰り出される。
 弾速自体はかなりのものだけど、どうにも弾幕の密度が薄い、それに弾の配列が整然としすぎている。こんなのに被弾する私じゃない。むこうも様子見のつもりで牽制を仕掛けてるんだろうけど、あまりにも手ごたえがない。
「――ねっ!」
 気合と共に、美鈴は自分の放った弾幕を後ろから蹴り飛ばした。正しくは、蹴り足に収束した妖気を開放して弾道を乱したというべきか。
 等間隔に整列した第一波のすぐ後ろから、でたらめな方向に乱れ飛ぶ第二波が迫ってくる。一瞬の油断を突かれた。背筋に戦慄が走る。
 安全地帯はどこ? 早く見きわめないと避けきれない……おちついて、第一波に対してはすでに回避軌道に入っている、下手に動かなければ当たらないから無視していい。最低限の動きで、ぎりぎりのタイミングで、致命傷になりうる攻撃だけをかわせばいい。
 一発の妖弾が私の頬をかすめていく。ダメージはないけど、上着の襟のあたりをもって行かれた。もうお出かけどころじゃないなあ。さっさと勝負を決めて、破れたところを繕わないと。
 相手の攻撃をかわした直後が反撃の好機。私は再び拡散霊弾を放った。今度は半霊と同時に撃つ。私が右手側、半霊が左手側を担当して、続けざまに二発。
 今度の攻めにはちょっとした罠を仕込んである。半霊との連携をあえて完璧にはせず、弾幕のカバー範囲に隙間を空けておいた。ちょうど私の真正面に、人一人が通れるほどの通路ができる。彼女ほどの使い手がこの隙を見逃すはずがない、一気に弾幕を抜けて反撃を試みてくるはず。そこを狙い打つ。
 上半身を左側にひねり、背負った大小の太刀に手をかけた。毎日の素振りによってよく手をなじませた二振りの刃、わが半霊族の伝家の霊刀、妖を斬る楼観剣と、迷いを断つ白楼剣。この刀に匹敵する霊宝といえば、幽霊族に伝わる霊毛ちゃんちゃんこぐらいのものだろう。
 気迫を込めて、左右連続の変則居合い斬りを放つ。刀身にまとわせた霊気を一列の短刀の群れとして形成し、偽りの突破口へ向けて叩き込む。
 だがその先に美鈴の姿はなかった。彼女がスペルカードを発動した気配もない。どこに? すばやく視線を左右に走らせる。
 いた。弾幕の海の中を、水を得た魚のように巧みにすり抜けている。どうして罠にかからなかったの。第一波をやり過ごさせた時点では誘い込めていたのに、直後の第二波で、彼女は同じ通路を通らずに弾幕の中へ身をさらした。完全に策を読まれていたとしか思えない。
 こちらの攻撃を回避しながら美鈴は私の側面に回りこみ、またしても波状妖弾を放ってきた。先ほどの高速・低密度の弾幕とは逆に、今度の攻撃は弾速がゆるく、非常に密度が高い。致死性の壁が目の間に立ちふさがる。
 小太刀の白楼剣を半霊に預けて、私は懐から霊符を取り出した。いますぐ使うべきか……だめ、先出しは形勢が不利になる、せめてこの攻撃をしのいでから。さっきと同様、ぎりぎりまで引きつければ抜け道を見つけられるはず。あと三つ数えたら、一気に間合いを詰めよう。
「いまっ――」
 可能な限りまっすぐに敵の懐を目指す。群れなす妖弾を寸分のところでかわしてつっきった。今度はスカートの端のほうを破られたけど、もう衣服の被害なんて気にしていられない。
「――!」
 目の前に美鈴がいた。私が間合いを詰めるタイミングに合わせて、彼女も神速のステップで前進してきたのだ。さっきからこちらの挙動が、気配が、ことごとく先読みされてる。まさかそれが彼女の能力?
 私は突進してから攻撃するつもりだった。いっぽう美鈴はすでに攻めの体勢に入っている。彼女の掌から大量の光弾が撒き散らされた。回避の余地はどこにもない、退路はすでに私自身が断ってしまった。間に合わない、しかたがない、ならば。

「天上剣『天人の五衰』」
 合言葉をつぶやき、左手に構えている霊符に込めた力を開放した。全身に活力がみなぎってくるのがわかる。私に襲いかかろうとしていた無数の弾丸が瞬時に蒸発して消え去る。
 こちらのスペルカード発動を見て、美鈴は弾かれるように後方へ飛びのいた。いまこの人、空気を蹴って移動したぞ。さっき瞬間的に接近してきたのもそれか。
 力任せに剣を振るう。といっても彼女を狙って斬ったわけではない、弾幕勝負中の直接攻撃は禁じ手だ。私が切り裂いたのは空間そのもの。
 楼観剣の薙いだ軌跡が陽炎のように歪む。浮世と常世を隔てる幽明の境が揺らぎ、凍てつくような、それでいて生ぬるいような独特の気が流れ込んでくる。冥界から汲み上げてきたこの陰気を、五色の霊弾に変換してあたりかまわずばら撒く。
「ひえっ。うう、もう……」
 さっき私をしとめかけていたときには冷徹な無表情だった美鈴が、いまは露骨にあせった顔になっている。切り替えが早いなあこの人、なんで真剣勝負の最中にそんな顔ができるんだろう。なんて、高揚した気分のはずなのになぜかそんな散漫な感想を抱いた。
 いま使用しているスペルカードは、攻撃を放ち続けられる時間が短い。弾幕が目標に襲い掛かる寸前に幽明の境が閉じる。このとき一瞬だけ、世界から色が失われたような錯覚を受ける。初見の相手ならこれで目くらまし程度の効果は期待できるはずなんだけど、たぶん彼女には通用しない。
 予想通り、美鈴は乱れ飛ぶ霊弾をすばやくすり抜けてこちらへ迫ってきた。問題ない、第一波はかわされてもいい。霊符に蓄えた霊力が尽きるまでは何度でも撃てる。
「やっ!」
 半霊に持たせていた白楼剣を受け取り、今度は二刀を振りかざして弾幕を張った。これでさっきよりも密度が上がる。加えて、むこうから接近して来てくれたおかげで近距離からの攻撃になっている。今度こそ回避不能のはず。
 本当に? 不安が抑えきれない。さっきから私は翻弄されっぱなしで、苦しい戦いを強いられている。そんな状況で、なぜこの攻めなら通用するはずだなんて思えるの? ここで押し切れなかったら万に一つの勝機もない。私を信じて送り出してくれた幽々子様の顔に泥を塗ることになる。
 相手が紅魔館の主、紅い悪魔や、その完璧な従者ならともかく、門番風情に遅れをとるはずがないと舐めてかかっていなかった? 私は彼女の力を過小評価していた。そのザマがこの結果。
 やめろ、考えるな。内省してる暇なんてない、気を散らしたら本当に終わる――
 瞬間、七色の閃光が走った。
「――虹符『彩虹の風鈴』っ」
 美鈴のいる地点を中心に色とりどりの弾丸が射ち出され、こちらの放った霊弾が次々に相殺されていく。まるで空中に花が咲くように、弾幕によって虹色の図形が描き出された。これが彼女のスペルカードか。
 さっきまであせりで頭がいっぱいだったはずなのに、どうしてだろう、とても美しく見える。
 ああ、見とれている場合じゃない。再度刀を振るう。私の攻撃が彼女の攻撃を押し返し、弾幕の花を侵食していく。
 打ち消しあいをまぬがれた一発の妖弾が、まっすぐにこちらへ飛来してきた。私の肩のあたりに命中したとたん粉々になって砕け散る。これもスペルカードの力。
 スペルカードは、ただ使用者の能力を増幅するだけの道具ではない。符に霊力を込める際に、どのように力を発動させるかを明確に思い描かなくてはならない。いま使っている『天人の五衰』は回避を捨てる技だ。振るう刀に空間を切り裂く力を与える代わりに、私自身の機動力はほとんど奪われる。いまは空中浮揚を維持するのがやっと。
 その代わり、発動中のスペルカードには形代としての効力があり、使用者への被害を肩代わりしてくれる。私の身に対して致命的な打撃が及びそうになるたびに、カードに封じた霊力の一部が消費されて、いまのように敵弾を無力化する。
 見たところ、美鈴が繰り出している技も似たような系統だ。彼女も空中の一転に留まって、七色に輝く膨大な数の妖弾をばら撒き続けている。こうなったらもう正面からの力比べだ。小手先の技は意味を成さない。
 無我夢中で二刀を振り回す。その合間にも何発かの弾に被弾し、こちらの力が着実に削られていく。
 本当に効いているの? またもや不安に駆られる。だめ、心を揺らしてはいけない、そのぶん力を無駄に消耗する。まずはこの技を最後まで撃ちきらないと。考えるのはそれから。
「覇っ!」
 美鈴の発した掛け声が私の思索を中断した。虹色の渦が加速していく。彼女の表情は、先ほど見た冷たい無表情でも、どこか余裕を感じさせる苦笑でもなく……本当に苦しそうだった。もしかしてこっちが押している?
 相手だって無傷じゃない。迎撃が加速してもなお、こちらの攻撃の一部は渦の隙間をくぐり抜けて彼女の身を削っている。手数では負けていない、そう信じるしかない。
 『天人の五衰』符に込めた霊力はもうだいぶ薄れている。あと三合、いや二合が限度。
 打ち消しきれなかった妖弾の一群がこちらへ迫ってきた。それに合わせて白楼剣を振るい、押し返す。残るは一合。二刀をぐっと握りなおし、小太刀を上段に、大太刀を左脇に構える。気迫を込め、雑念を払い、ただ一心に打ち込む。
 一拍の間をおいて、弾幕同士が激しくぶつかりあった。五色の牙が七色の花を食い破る。最後の一撃だけは完全に押し勝てた。
 私たちの周囲一面に撒き散らされていた色とりどりの弾丸が、いっせいに弾けて消え去った。これがスペルカード終了の合図。霊符の力で形を保っていた霊弾が、元の霊気に分解されたのだ。
 美鈴の放った弾も消え去っているところを見るに、どうやらほぼ同時にカードの効力が切れたらしい。すぐさま周囲に半霊を飛び回らせて、残留している霊気を回収させる。
 もはや一刻の猶予もない。通常弾の打ち合いでは分が悪いことはすでに証明済み。次で決めるしかない。
 懐から一枚の霊符を取り出す。美鈴も同様の構えを取った。こちらにはもうスペルカード発動以外の選択肢がないことぐらいお見通しらしい。
 彼女は先ほどよりさらに苛烈な弾幕を放ってくるだろう。心の奥底の恐れは拭い去れない。でも、私は勝たなければいけない。
「六道剣『一念無量劫 』!」
「彩符『極彩颱風』!」

――

「それで、殴りこみに来たわけを教えてちょうだい」
 紅魔館内、玄関ホール。
「いえ、いえいえそんな。ほら、こちらのご主人とは最近ちょっとご無沙汰しちゃってるでしょ。だから軽くご挨拶でもと」
 あらゆる装飾が赤基調なのはここの主の趣味だからしかたがないとして、玄関先を石像だの甲冑だので飾り立てるのは華美に過ぎる気がする。西欧人の感性ではそれが普通なのかも知れないけど。
「ご挨拶で門庭を穴だらけにしないでっ」
 ここのメイド長は、そう言って腰に手を当て憤慨した。戦りますか? 次はこいつを斬ればいいんですか? 幽々子様。
「あらあ。このお屋敷では、とりあえず門番さんをぶっ飛ばすのが正式なお作法と聞いていたんだけど」
「誰に聞いたの……あ、いえ、わかったから言わないで」
 人間でありながら、紅い悪魔の随一の側近を務める女性、十六夜咲夜。『完璧で瀟洒』との異名を持つ彼女の目の色が変わる。比喩ではなくて実際に、その瞳が赤く染まっていく。
「なんにせよ、手荒なお客様には手荒な歓迎をさせていただきます」
 私は思わず幽々子様の前に立ちふさがった。まあ気休めにしかならないのだけど。あの咲夜の得意技である投げナイフはどの方向から来るかわからない。全周囲が危険地帯。すみませんが幽々子様、前以外から来たらご自分で防いでください。
 しばらく私は咲夜とにらみ合い続ける。このまま出かたをうかがうべきか、正々堂々と弾幕勝負を挑むべきか、あるいは有無を言わさず斬りつけるべきか。最後のが一番手っ取り早いけど、彼女をそれであっさり倒せるとは考えにくい。それに、仮に奇襲で勝ったとしてもあとくされが残る。
「妖夢」
 背後からぽんと肩を叩かれた。思わずびくりとする。
「そうカリカリしないの、ケンカしに来たんじゃないんだから。ねえ」
 そう言って、幽々子様は斜め上方向を見て笑いかけた。思わず視線を追う。
 すとん、と靴音を立てて、背に蝙蝠の翼を持つ少女が咲夜の隣に降り立った。
「西行寺幽々子。あなたが来ることはわかっていたわ、遅すぎるくらいよ」
 紅魔館主、レミリア・スカーレットは目を細めて小首をかしげ、薄笑いを浮かべた。
 なんだろう、本人は凄みとか威厳をアピールしているつもりなのだろうけど、子供が背伸びをしているみたいでどうにもほほえましい。この子は私より何倍も年上で、まさに悪魔と呼ぶにふさわしい力を持っていることは知ってるのだが。
「あとづけならなんとでも言えるわよねえ」
 そう幽々子様が切り返すとレミリアはじろりとこちらをにらみつけ、ぷいと横を向いた。仕草がいちいち愛らしい闇の帝王である。
「応接間に通しなさい」
 レミリアは我々に背を向け、廊下の奥へつかつかと歩き去っていった。咲夜が深々と頭を下げる。
「大変失礼いたしました。お客様がた、こちらへ」
 面を上げた彼女の瞳は、元の青みがかった色に戻っていた。こいつ本当にただの人間なの? もしかしたら私のように何か特殊な体質の一族なのかもしれない。
 咲夜もこちらへ背を向け、ゆっくりとレミリアの後を追って歩き出した。てっきり第二回戦が始まるものだと思っていたのに拍子抜けだ。
 そう、私は美鈴に勝った。彼女の二枚目のスペルカードは予想通り一枚目よりもすさまじい攻撃だったけれど、それについてはこちらも同様。乱れ飛ぶ敵弾を斬撃の二重方陣で防ぎつつ、ただひたすらに霊弾を繰り出していたら、先に美鈴のスペルカードの効力が切れた。
 序盤の劣勢から見事な逆転勝利。喜ばしいことなんだろうと思う。でも胸の中にはまだもやもやとした何かが残っていて、どうにもすっきりしない。
 レミリアがちらりと振り向き、立ち止まった。その場所まで追いつくと彼女は私に向けて言い放った。
「それにしたってひどい格好ね、どうにかならないの」
 それはまあ、そうでしょうとも。上着もスカートも穴だらけの破れ目だらけ。いまだって素肌が見えそうになってる所を必死で脇に挟んで隠してる。でも私をこんな目にあわせたのは、あなたの家来じゃないの。
「たしかに、お茶会にお呼ばれされていい服装じゃないわね」
 幽々子様まで! 誰のためにこんなボロボロになるまで頑張ったと思ってるんですか。今日一日中、わけのわからない思いつきに振り回されて……まずい、ちょっと泣けてきた。
「もう。本気にしないの」
 眉をひそめてこちらの顔をのぞきこんだ幽々子様に、ちょんとおでこをつつかれた。そんなんじゃごまかされませんからね。
「替えを用意して、咲夜。見苦しすぎるのよソレ」
 むぐぐ。
「予備のメイド服ならございますが」
 そう聞いて幽々子様が目を輝かせる。なにを期待してらっしゃるんですか、着ませんよそんなの。
「いやなの? じゃあ美鈴の服は? って、ふふっ、だめに決まってるわね、いろいろ余るし」
 斬る。いつか斬ってやるぞ、性悪吸血鬼め。
「縫い物でもさせたげなさい」
 そう咲夜に命じながら、レミリアは私を手で追い払うしぐさをする。
「しかしおそばを離れるわけには」
 そう抗議してみるも、幽々子様まで笑顔で手を振る。うう、どうせ私はみっともないですよ。

 結局、咲夜の私室に案内されることになった。裁縫道具を貸してもらい、はしたないが下着のみの姿になる。
「上着を貸して。たぶん私のほうが早いから」
 こちらの家事の腕前を否定された気がして少しムッとなるが、もう逆らう気力もわいてこない。おとなしく咲夜に上着を渡す。
 しばらく無言で繕い物に熱中。大きなことを言うだけあって、咲夜の裁縫技術は神がかっていた。つぎあてひとつとっても、どこに縫い目があるのかわからないほどの補修を見る間にこなす。私だって家事全般を人並み以上にできる自信があるけど、咲夜とはまるで領域が違う。
 以前に人里で見た、足で滑車を回して自動的に針を動かす裁縫機械を思い出した。あのときはあれ便利だなと思ったけど、咲夜にとっては不要な代物だろう。
「手、止まってる」
 考え事の最中に厳しい指摘が飛んできて、思わず指先を軽く刺してしまった。痛くない、痛くないぞ。
 上着に比べたらだいぶ単純なスカートの担当なのに、これで咲夜に負けては面目が立たない。作業を加速する。
「なんだか私まで体よく追い出されちゃったわね。いったいなんの相談をしてらっしゃるんだか」
 まったく手を休めずに咲夜がつぶやく。確かに今日の幽々子様の態度、何の目的もなしにあちこちぶらついているとは思えない。それについてなんの説明もないのは悔しいけど、私ごとき未熟者には聞かせる必要のない話なんだろう。さっきの戦いだってそう。
「意外と強かったでしょ、うちの門番」
 咲夜にまで見透かされてるなあ、私の思考。
「ええ。あの人に勝てなきゃ入れないってのは、敷居が高すぎるんじゃない」
「誰も通すつもりなんてないの。魔理沙が異常なのよ」
 と、咲夜はひとりの魔法使いの名を挙げた。そうよ。そもそもあいつが――
「――紅魔館に行く時は、門番を軽くのしてから入るのが礼儀なんだぜ、なんて言い触らしてたから。アレの言葉を鵜呑みにしたのが馬鹿だったわ」
「制裁が必要ね。まあ、美鈴にとっては相性最悪の相手だから、負けるのはしかたがないんだけど」
 相性? どういう意味。
「はい、おしまい」
 咲夜はすばやく上着をたたんで私の脇に置いた。なんで、こっちはまだ七割って所なのに。というかこいつ、仕上げのほうの手つきは残像しか見えない速度だったぞ。
「そちらもお手伝いいたしましょうか」
 意地悪くにやつく咲夜を無視して縫い続けていると、彼女の姿が忽然と消え去った。お得意の時間停止能力を使ってから部屋を出ていったらしい。いつも思うんだけど、反則だよその力。
 やっとスカートを縫い終わり、衣服を身に着けている途中で咲夜が部屋の中に出現した。普通に歩いて来い。
「あなたのご主人から伝言。その辺でお散歩でもしてきて、ですって」
 はあ? そりゃないですよ。本気で幽々子様に避けられてる気がしてきた。
「なんだかお嬢様と口論になりかけていたわよ。こっちにとばっちりが来ないといいけど」
 ひとごとのようにぼやく咲夜。自分の主人の身に危険が及ぶかも、という発想はないらしい。そんなときはすぐさま馳せ参じるのが従者の心得なんだろうけど、そもそも幽々子様に護衛なんて必要なの? 私なんて、荷物持ちと世間話相手ぐらいしか役に立ちようがないのでは。
 途方に暮れていると、咲夜がひとそろえの着替えをこちらに手渡してきた。なにこれ。私の服より若干大きいみたいだけど。
「悪いけど、これ美鈴に渡してきて。今日は替えを持っていってないはずだから」
 美鈴のか……あ、放っておくとまた咲夜は消えそうだ。その前に。
「待って、ひとつだけ教えて」
「手短にね」
 引き止めておいてなんだが、急には言葉が出てこない。でもこれだけは確かめたい。
「なんで門番なんてしているの、あの人」
 美鈴の力を見誤った最大の理由がそれだ。日がな一日路傍に立って、いつ来るとも知れない客人や賊を待ち受けて。そんなの彼女ほどの実力者がするべき仕事とは思えない。ただの見張りなんて、誰かが来たら知らせる程度の能力があれば務まるんだから。
「さあ。私に聞かれてもね」
 咲夜に文句をつける筋合いじゃないんだと思う。そういう采配の決定権は、主人たるレミリアが握ってるんだろうから。でもそれにしたって。
「言っておくけど、彼女を不当に扱っているわけじゃないのよ。一時は、美鈴を妹様の従者にしようって話まであったのに、本人が断っちゃったものだから」
 『妹様』ってのは、レミリアの妹、フランドールのことか。そんな大役を任されておきながらどうして。
「もういい?」
「ええ。引き止めて悪かったわ。服、ありがと」
 そう言うと、咲夜は微笑みだけを残して消え去った。これ以上は本人に聞くしかないか。

 門前では、最初見かけたときと同様に美鈴が壁に寄りかかって瞑目していた。衣服はさっきの私以上にズタボロだけど、それを気にしている様子はない。やっぱり寝てるようにしか見えないな。
「ひとりでお帰り?」
 すぐそばまで近寄ると、振り向きもせずにそうたずねられる。
「まさか。咲夜からの届け物」
 着替えを手渡すと、彼女の顔色がぱっと変わった。
「わあ、助かるなあ。あ、ちょっとだけ代わりに見張ってて」
 言うが早いか、近くにある門番の詰め所らしき小屋へ、着替えを持って駆け飛んでいった。見張ってろと言われても、ここに好き好んで近づく者なんてそうそういないと思うけど。
 ほどなくして着替え終わった美鈴が戻ってくる。
「いやあ、恩に着ます。もう今日一日アレ着てなきゃいけないのかと」
「あの咲夜が許すはずないでしょ、そんなの」
「それもそうね」
 ひとしきり二人で笑いあう。彼女と話していると暗い気分なんてどこかに吹き飛んでしまいそうだ。ついさっきまで戦っていた相手なのに。
 さて、なにから話そうか。なんでこんな仕事してるの、といきなり本人に聞くのもぶしつけだし。そもそも、どうして私は彼女と話がしたかったんだっけ。
 などと思っていたら。
「強いね。えーと、妖夢」
 いま何て?
「けっこう押せてると思ってたんだけど。あ、スペカは一枚っきりにしておけばよかった。その時点では引き分けてたんだし」
 ぺらぺらとまくし立てる美鈴。なにが言いたいの。彼女の真意がつかめない。
「でもそうなったら結局延長戦か。てことは、どうやっても負けには変わりなかったのね。ううむ」
 どうやら彼女は、私の力を認めて遠まわしに賞賛してくれているらしい。
「強くなんてない。だって」
 その先が言い出せないでいると、美鈴は不思議そうにこちらの顔をのぞきこんできた。
「私ごときに苦戦してるようじゃまだまだだ、って? ひどいなそれ」
「ちがう」
 あの戦いを思い出してみると、どうしても違和感がある。体術、経験、判断力、すべてにおいて彼女が一枚上手だった。私が勝てたのは、単にスペルカードの性能差。彼女は私ほどにカードに力を込めていなかった。そう考えれば答えはひとつ。
「どうして手加減したの!」
 美鈴はわざと弱いカードを使い、わざと負けた。それならすべてのつじつまが合う。手の内を明かしたくなかったのか、未熟な私に華を持たせたかったのか、あるいはあの勝負自体が入館の儀式のようなもので、元から勝つつもりなんてなかったのか、理由はわからないけど。
「え、え?」
 問い詰められて困惑顔になる美鈴。もういいのよ、そんな演技。
「なに言ってんの。あれで全力よ、いちおう」
 信じられない。それが本当なのだとしたら、彼女の身体能力と霊的能力のあいだには不自然に大きな開きがあることになる。
 美鈴は困り顔になって腕組みをした。
「うーん。実は弾幕って苦手なのよ、というか射撃技全般が」
 と言って私から視線をそらし、湖面を見つめて語りだす。
「私さ、お嬢様に雇われてこっちに来るまで、ずっと格闘一本でやってきたから。こう、打撃といっしょに妖気を送り込んで内側から破壊、っていう戦いかたがメインで」
 空中に向けて何発か突きを入れたあと、またこちらを向く。
「そうしたらなんか最近になって急に、相手をぶん殴るのは禁止っていうルールにされちゃって。どうしろっての、あのスキマババア」
 あ、妖怪の大賢者様をスキマババア呼ばわりは危険よ。あのおかたはどこで聞いてるかわからないんだから。
「ま、嘆いてたってしかたないから新しい戦法にも合わせようとは思ってるんだけど、スペカに弾幕を込めるコツってのがいまいちつかみきれてなくて。だから、さっきのが手加減だなんて誤解よ」
 あえて弱い技を使っていたんじゃなくて、もともと弾幕勝負じゃ全力が出せなかったってこと? お情けで勝たせてもらったわけじゃないようなので、少しだけ安堵した。でもそれ以上に、彼女の境遇を思うと愕然とする。
 格闘家から格闘技を奪ったらなにが残るの。もしも自分が剣を握れなくなったら……何も残らない、私はもう私じゃなくなる、考えたくもない。
 なのに美鈴は全力の私相手にあれだけの戦いができた。その力はどこから来るの。第一に――
「――スペルカードルールは、人間に有利」
 霊夢、魔理沙、咲夜。ああいう特別な資質を持った人間に、大妖怪と対等に戦う力を与えるために編み出されたのがこのルール。私もその恩恵を十分に受けている。
 肉体的な面で人間は妖怪にかなわない。腕力も、耐久力も、回復力もはるかに劣る。どちらかが死ぬまで戦うとしたら圧倒的に妖怪が有利だ。
 それを覆すのがスペルカードが切れたら負けという縛り。優れた才能を持ち、正しい修行を積んだ人間の霊力なら、大妖怪の妖力にも対抗できる可能性が出てくる。
「あなたは妖怪としての優位を封じられて、長年鍛えた技も封じられて、でも諦めない勇気があって……私は、どうしようもなく卑怯で、弱い」
 抑えきれない涙がこぼれる。こんな情けない姿、絶対誰にも見られたくないはずなんだけど、なぜだか美鈴には自分の弱みを見せたって構わない気がしてきた。おかしいな、言葉を交わしたのも今日が初めてなのに。

「あー、ちょっと、泣くほどのこと? 妖夢が弱いだなんてとても思えないんだけど」
 そう言いながら私の頭をなでてくれた。ひとしきり涙を出すと気分が落ち着いてくる。いま自分がとんでもなく恥ずかしい状態なのに気がつく。
「あっ、あの、ごめんなさい」
 どうにも居心地が悪い。たぶん今私は真っ赤な顔になってるんだろう。
「いいのよ。でも私、あなたが言うほど強くはないと思うな。ただのしがない門番でして」
 美鈴が自嘲気味に笑う。私は顔を上げた。
「そうだ、ひとつ教えて」
 これが聞きたくて会いに来たんだった。忘れるところだった。
「咲夜から聞いたんだけど、フランドール・スカーレットの従者を断ったことがあるそうね。どうして」
「うえ。咲夜さんそんなことまで言ってたの。まいったなあ」
 館の地下室からほとんど出てこないというフランドール嬢の姿を見たことは、いままでに一度か二度しかない。そのときの印象で言うならあの子はまるで子供だ。見た目も、行動も。
 そもそも誰が美鈴を従者に推したのか。ここの住人の力関係から言って、レミリアにそういった口出しができそうなのは咲夜ぐらいのものだが、教えてくれた本人の口ぶりからするとそれはない。であれば、これはレミリアがじきじきに持ちかけた話ということになる。
 そして今日知った美鈴の人柄から、レミリアの意図も推測できる。彼女はきっと、美鈴を妹の教育係に任じたかったのだ。そこまで期待されておいてどうして。
「とても名誉なことなんじゃないの?」
 私が、師匠である祖父から幽々子様のお世話一切を任されたとき、重責も不安も感じたけど、それ以上に嬉しかった。やっと認めてもらえた、やっと幽々子様のお役に立てるんだという気持ちでいっぱいだった。
「うん……お気持ちは嬉しいし、応えなくちゃいけないとも思う。だけど、まだ駄目」
 私の顔をまっすぐに見つめる美鈴。でもその瞳は、もっとずっと遠くを見ているようだった。
「フラン様と仲がいいのは、お嬢様は別格として、次は私かな。でもあの子が本当に好きなのは、魔理沙」
 魔理沙? なんでここであの不良魔法使いが出てくるのか。
「フラン様を叩きのめして、地下から引っ張り出して、お屋敷の外も案外面白いんだって身をもって教えたのがあいつ。それは誰にも、お嬢様にもできなかったことなの」
 そんな因縁があったのね。あの誰にも物怖じしない人間の顔を思い出してみる。だんだん腹が立ってきた。
「あいつ、あちこちであなたを悪く言ってるわよ」
「知ってる。いつか見返してやりたいんだけど、まるで勝てたためしがなくて」
 咲夜の言っていた、美鈴が魔理沙と相性最悪という意味がわかった。
 魔理沙には、霊夢ほどの洞察力も、咲夜ほどの器用さもない。だがそれを補ってありあまるほどに彼女の魔術は破壊的だ。スペルカード戦が不得手な美鈴にとってはまさに天敵だろう。
 以前あの三人が白玉楼に乗り込んできた日――私が本当の敗北を知ったあの日――臨時の護衛として雇った騒霊三姉妹が、魔理沙の放った閃光呪文一撃でまとめて吹き飛ばされたのが思い出される。あれには失望を通り越して哀れみすら覚えたものだっけ。
「従者ってさ、ただ主人について回るだけの仕事じゃないよね。誰よりも主人から信頼されて、その手足になれる存在じゃないと。その最高のお手本みたいな人間を、私はよく知ってるわけで」
 美鈴の言葉がいちいち胸に突き刺さる。いまの私じゃ、とても幽々子様の手足とは呼べない。
「フラン様は魔理沙に憧れてる。あの自由な生きかたがうらやましいんでしょうね。あいつに負けっぱなしの私が何を言ったって、うるさいお説教ぐらいにしか聞いてもらえない」
「一番になれないから降りたって言うの」
 主人のお荷物でしかないのなら、従者を辞するべきなんだろうか。
「今は、ね。一番の家来として満足に働くには、まず魔理沙に並ばないと。わかりやすいのはやっぱりあいつに勝つことかな。フラン様、弾幕ごっこ大好きっ子だし」
 美鈴は一度嘆息し、腕を組んで待機の姿勢に戻った。
「だからこうやって毎日――」
 ここで言葉を区切り、目を閉じる。
「――私の理想の弾幕ってやつを、あれこれイメージしてるんだけど。いざお札に妖気を吹き込んでみると、思ってたのの半分も再現できてなくてね。修行が足りないなあ」
 打ちのめされる思いだった。彼女はずっとここで戦っていた。ただ門前に立ち尽くしている時でさえ、主のために自分を鍛え続けていた。
「私も……私も精進します」
「え? あー、よくわかんないけど、がんばって」
 具体的に何をどう精進するかはまったくもって未定だけど、美鈴を見ていたら、さっき落ち込んでいた自分が馬鹿みたいに思える。

「戦いのあとに芽生える友情、美しい展開よねえ」
 うわっ。
 いつの間にか幽々子様が後ろに立っていらした。不覚。美鈴も驚いた顔をしている。このおかたが本気で気配を消したら、肉眼じゃ見えないほどに存在が薄れちゃうからなあ。
「ではお邪魔しました」
 ここへ来た用向きはもう済んだようだ。幽々子様が軽く会釈をすると、美鈴はぺこりとお辞儀したあと、私へ向けて手を振って送り出してくれた。
 次に会う機会があれば、もっと彼女に話しかけてみようかな。
「残念だったわねえ。ふう」
 幽々子様はなにやら難しい顔をしておられる。
「なにがです?」
「きっと妖夢に似合うと思ったのに。メイド姿」
「着ませんってば」
 まだこだわってるんですか。私の本分は庭師、給仕など片手間です。そのわりには普段、庭先より厨房にいる時間のほうが長い気もするけど。
「それより、レミリア・スカーレットと口論になりかかったと聞きましたが」
 そう。美鈴と話し込んでいて失念してしまったけど、幽々子様をずっとあの吸血鬼と二人きりにさせてしまった。なにごともなかったのならいいが。
「口喧嘩なんてそんな。あの子がひとりでカッカしてただけよ。なだめるのに苦労したわ」
 それを口論というんです。やっぱりすぐおそばに戻るべきだったか。
「聞いてよ。あの子ったら、妖夢に着せるメイド服はないって言うのよ。メイドさんあんなにいっぱいいるくせに」
 本当に何を語り合っていらしたんですか。というか勝手にそんな方向で話を進めないでください。
「……して、次はどちらへ」
「んー、軽く腹ごなしでもしてから――」
 食事に関して、幽々子様の『かるく』は一般的に言うところの『がっつり』に相当する。
「――ねえ妖夢。森林浴と登山と、どっちが好き?」

 結局このあと、幽々子様に連れられて竹林の館やら山の上の神社やらを巡ることとなった。
 番人を倒さないと入れないなどというしきたりはどちらのお屋敷にもなく、幸いにして弾幕沙汰は避けられた。今度こそ幽々子様のおそばを離れまいと決意するも、大事な話が始まりそうになるとなんだかんだと理由をつけられて追い払われてしまう。月の民の館では妖怪兎とお団子作りを、蛇と蛙を祀る神社では境内の掃除を手伝わされた。
 ひととおり終わったころにはすっかり夜もふけており、いまから夕飯の用意というのも難しいので幽々子様と屋台を冷やかす。
「なんの収穫もなかったけど、今日は楽しかったわねえ」
「はあ」
 気のない返事ですみません。でも今日は正直、楽しさよりも心労が先に立ちました。
「楽しかった、本当に」
 やや目を伏せてつぶやきながら、串焼きの鰻にかぶりつく幽々子様。目を細めて遠くを見やるその横顔はなかなかの美人画になりそうだけど、唇の端についた蒲焼きのタレがすべてを台無しにしている。あ、舐めて取った。お行儀悪いですってば。
「お冷や、お願い」
「あ、ただいま」
 幽々子様の目の前の湯飲みに水を注ぐ。そういえば今日はまだお酒が入ってない。いつもならもうお調子が転がっているところだけど。
「何本か頼みましょうか」
「ん、お酒? だめよ、だめだめ、考えただけで恐ろしい」
 何がどう恐ろしいのやら。無理に勧められなくてすんで、こちらとしては助かりますが。
「じゃあそろそろ――」
 腰を上げる気になりましたか、今日は早いですね。ここらでおいとましましょうか。
「――妖夢は先に帰っていて」
「はい……え?」
 思わずはいと言ってしまったけど、いまなんと。私一人で先に? まだ何かあるんですか。
「私は寄っていくところがあるから。というか今日の大一番が」
 ここまでつきあわせておいて、最後にそんなの納得できません。
「お供します」
「命令よ、先に帰りなさい」
 真剣な瞳で見つめられる。ずるいですよ、いつもふざけて冗談めかして、まるで姉か何かのように接してくださるのに、たまにそんなまじめな顔をして。
 いつもなら、いままでの私なら、命令とまで言われたなら黙って従ったと思う。でも。
「聞けません。お供させてください」
 なぜあれこれ隠し立てなんてするのか、わからない。聞かれたくない話があるならどうして今日私をお供させたのか、わからない。幽々子様が心の裏で何をお考えなのか、わかるはずもない、この世に存在してきた年月が圧倒的に違うのだから。
 でもそれを言い訳にして、形ばかりの服従に逃げていたって何も始まらないじゃないの。
「お許しいただけないなら、せめて理由を聞かせてください」
 幽々子様の瞳が軽く見開かれた。驚かせてしまったのだろう。こういうまじめな命令に面と向かって反抗するなんて、たぶん初めてのことだから。
 すっと右手が差し出された。叱られるだろうか、ぶたれるだろうか。でも構わない。臣下が主君に異を唱えようというのだ、首のひとつも差し出す覚悟をしておくのが筋というものだろう。
 柔らかな掌がそっと私の頬をなでる。
「知らないうちに大きくなっちゃって……ほんとにもう」
 この反応は予想外。子供あつかいしないでください、甘えたくなってしまいます。
「わかったわ、ついてきなさい」
 と言ってすっと席を立つ。私も急いで勘定を支払い、その後を追った。

 幽々子様に案内された小道の先は唐突に行き止まりになっていた。ここは以前にも通った気がする場所だけど。
「このあたりね、下界の霊道は」
 と言って幽々子様が目の前の突き当りを指差した。霊道と聞いて、視覚を肉体側から半霊側に移してみる。確かにそこには異界への通路が存在していた。遠くのほうにどうどうという大河が見える。三途の川かな。
 幽々子様はすたすたとそちらへ歩き出した。真の霊体であるこのおかたにとっては普通の道も霊道も大差ない。だが肉体のある私にはやや手間のかかる関門だ。
 五感のほとんどを半霊側に移行させ、肉体側には最低限の触覚と平衡感覚だけを残し、前へと進む。
 こうしていると、まだ師匠のもとで修行していたころを思い出す。この感覚を身につけるために、目隠しと耳栓をして墓場を走り回らされたものだった。あのころは、ただひとこと『よくやった』と褒められるのが嬉しくて懸命になれた。
 とりとめのないことを考えているうち、無事に向こう側へと到着。もといた場所からは我々の姿が突然消えたように見えるだろう。
 河岸には一艘の小船が停泊しており、すぐそばで一人の女性が腕枕をして寝っ転がっていた。
「もし、そこの死神さん」
「ああ? ウチは今日は貸し切りで……って、うおわっ、西行寺様」
 赤毛の女性は驚いて立ち上がり、居住まいを正した。彼女が手にする大鎌は死神の証、三途の渡し守の小野塚小町さんである。
「えらく遅かったですね。まあアタイとしちゃ堂々とサボれたんで助かりましたが」
 私としては、堂々とそれを言い放てるあなたが驚きなんですが。冥官というものは官僚主義の堅物ばかりと思っていたけど、このあいだ彼女と知り合ってからはだいぶ印象が変わった。
「じゃあ、さっそく送ってくださいまし」
「へいっ」
 小町さんは元気よく返事をして船出の準備に取り掛かった。話の流れからして、もとから今日は彼岸に行く予定だったらしい。というか私に教えるつもりもなかったんですね、幽々子様。
「ほら妖夢、乗って乗って」
 私が乗るのはいいんですが、そうするともうひとり乗るにはかなりぎりぎりですよ。まあ詰めればなんとかなるか。と思って乗り込んだところ、幽々子様がふわりと浮かび上がって舳先に立ち、私の肩へ手を置いた。
「あ、ちょっと、三人乗りはだめですってば」
 小町さんがあわてて制止する。
「いいじゃないの、ほとんど飛んでるようなものだし」
「飛行も禁止なんですがね……まあ大丈夫か、たぶん」
 やがて小船はゆっくり離岸してく。川の水はどこまでも茶色に濁り、まるで見通せない。時折見たこともない生き物が――やたら首の長い鯨のような竜とか、目玉が五つもある謎の甲殻類とかが――波間に見え隠れする。
「三途の魚が珍しいんですかい」
 唐突に小町さんが問いかけてきた。
「ええ、ちらっとしか見えませんでしたが。この川はなぜ淀んでいるんでしょう」
「洗い流された死者の業が、恒河沙になって漂ってるんですよ」
 彼女はずいぶん話し好きのようで、我々にあれこれと問いかけてくる。
「風、強くないっすか」
「いいえ、いい風よ。生暖かくて、濃密な死の香りがたゆたっていて」
 それをいい風と評せるとは、さすが冥界の姫君。
「そりゃあよろしいことで。常人の霊なら、あっという間に最下流まで吹き飛ばされてるとこです」
「そうねえ、まったく大変ね」
 それで飛んで渡るのが禁止なのか。なら三人乗りなんて許可するな、幽々子様に万一があったらどうする。
「最下流に流れ着いた霊はどうなるんです?」
 どうでもいい気もするが、疑問に思ったので軽く聞いてみる。
「ああ、この流れの行き着く先は……あれ、知らないんですかい、冥界の介錯人さんが」
「あらま、教えていなかったっけ」
 ぐっ。なんか私の職務上知ってて当然のことだったらしい、恥ずかしいなあ。でもそれを知らないままというのもまずそうなので、恥を忍んで聞くことにする。
「このずっと先は無間地獄でさ。黄泉の国ともいいますが」
 なるほど。私がたまに冥界で斬って捨ててる霊も、その残骸は黄泉に行き着くんだったはず。
「罪業や執着が深すぎて、とても転生の輪に乗せられない魂の終点。言ってみりゃ輪廻の厠みたいなもので」
「あらあ、厠だなんてとんでもない」
 幽々子様の思わぬ反論に、小町さんはそちらを振り向いた。
「こほん。本来なら、あらゆる魂はいずれ黄泉に還るものでしょう」
 あごに手を当て難しい顔をする小町さん。
「んん、それはあれだ、梵天様が天地をお分けになってすぐのお話では。人間が今ほどいなかった時代の」
 なんだかついていけない話題になってきた。剣術だけじゃなく、座学に身を入れておくべきだったなあ。
「黄泉の国の受け入れは、一日あたり千人までと決まってるじゃないですか。とても死人の数にゃ追いつきませんよ。それを見かねた大日様が輪廻の仕組みをお決めになって、そいでアタイもこの仕事でメシが食えるというわけで」
 誰に対してもざっくばらんな小町さんには、あんまり知的な人という印象がなかったけど意外と――
「――博識なんですね」
 あやうく『意外と』を言いそうになった。
「あっはは。こんなの死神試験の参考書の受け売りで、アタイが実際見たわけでもないですし」
 笑って答えているけど、彼女は確か一級死神とかだったような。たとえ鵜呑みの知識でも、それを知りもしない者に比べたらはるかに賢いわけで。自分の努力を笑い飛ばせる人は強いなあ。
「……天から降りて、地に還って。みんな一方通行で済めば面倒もないのに」
 この幽々子様のつぶやきは、小町さんにはよく聞こえていないようだった。やがて三途の向こう岸、彼岸へと近づいていく。
「よし、とーちゃーく。お疲れ様っした。アタイはここで待ってますんで」
「はいご苦労様」
 一足先に小船から降り、ひらひらと手を振る幽々子様に対して、小町さんは直立不動の体勢で敬礼した。
「ご武運をお祈りします。あとでいっしょに、誰かさんの愚痴でも言いあいましょうや」
「ええ、またのちほど」
 そう告げる幽々子様の口調も顔色も、どこか寂しげであった。

 閻魔庁、幻想郷部、裁きの間。左右には金棒を持った牛頭馬頭の鬼が控える中、威圧感あふれる裁判席の前で我々は平伏の姿勢を取っていた。
「西行寺幽々子、および従者一名、参上いたしました」
「遅いっ」
 壇上から、怒り心頭に達した閻魔様の一喝が飛んでくる。普通ならここで身がすくむほどの恐怖を味わうものなんだろうけど……なんでしょうね、そんな鈴の鳴るような声で怒られても、まるで凄みが感じられないというか。
「今日中とは伝えましたが、こんな夜更けになるとは何事です。閻魔の召集をなんと心得ていますか」
 この、はきはきと我々を叱責なさっているおかたが幻想郷担当閻魔の四季映姫様、あの小町さんの上司である。ご本人の容姿だけなら十代前半の童女にしか見えず、それゆえ侮られまいと居丈高に振舞う姿がよけいに愛らしい、などと思ってしまう私は地獄行きだろうか。
「申し訳ようもございません、ひらにご容赦を」
 決して弁解しない幽々子様。わかっていらっしゃる、下手にいいわけしたら余計にお説教が長くなる。
「遅参の件はまたあとで問います。それより、これほど待たせた以上、用意は万端なのでしょうね」
 閻魔様の問いに、幽々子様は何も答えない。しばらくあたりがしんと静まり返る。
「どうしました。すぐ作業にかかれるのですよね」
 なおも黙する幽々子様、こちらをにらみつける閻魔様。ああ、この沈黙が痛い。どうしたんです、早く答えないと。ほら彼女の顔色がどんどん怒りに染まっていく。
「聞こえていますか、魂魄妖夢!」
 え。
 え? 今たしかに私の名が呼ばれたような。聞き違いなんかじゃないよね。もしかしてこれは私が答えるべき質問だったの? 作業の用意がどうとか言われたけど、何も聞いていない。というか今日ここに来る予定だったと知ったのもつい先刻で。
 頭が真っ白になる。どうなってます、幽々子様。思わず隣のほうを見るが、幽々子様はいつものように朗らかに微笑んでいらっしゃる。だからその笑顔が怖いんですってば。
 この場でよそ見をするのは失礼に当たると思い、再度壇上を見上げる。閻魔様は引きつった怒り顔で、手にする笏の先を私に向けた。
「まさか……まだ?」
「ええ、まだ」
 わけのわからぬ問いをさらっと流す幽々子様に対し、閻魔様は拳でどんと壇を叩いた。
「西行寺幽々子っ!」
 さらに何か言おうとして口を開け閉めしたのち、両手で自分の口を押さえて何事かをつぶやく。よく聞き取れないけど、「うそでしょ」「どうするの」とかなんとか。そしてまた、どんどんと壇上へ拳を打ち付けた。
「あ、あ、あなたはっ、冥界管理の職責をなんと心得ていますか。春に雪を降らせた程度では飽き足りませんか。幻想郷を破滅させるつもりですか。主従そろって無間地獄送りが望みですか――」
 顔を真っ赤にさせ、流れるような滑舌でまくし立てる閻魔様。もはや説教を通り越して恫喝されている気が。
「まあまあまあ」
 幽々子様は平伏をやめて立ち上がった。両手のひらを上に向け、首をすくめるそぶりをしてから語りかける。
「お怒りは至極ごもっともです、いかなる叱責でも承ります……あとで」
「あとで? あとなんて――」
 閻魔様の怒り顔が驚き顔に、そしてまたゆっくりと怒り顔に変わっていく。
「――謀りましたね」
 と言って、こほんこほんと何度かせきこんでからすうっと息を吸い込み、ついでにずり落ちかけた冠を直して、閻魔様は我々に言い放った。
「わたくし四季映姫が、ヤマザナドゥの職権をもって命じます。西行寺幽々子、すみやかに冥界を閉鎖し、現世および彼岸から完全に隔離しなさい」

 帰り道は早かった。どういう理屈かは不明だけど三途の川幅が軽く泳いで渡れそうなほど狭くなっていて、向こう岸には冥界行きの霊道が開いていた。
 白玉楼への長い石段を幽々子様に続いてゆっくりと登る。急いで戻らなくていいのだろうか、閻魔様の言葉の意味はなんだったのか、問い詰めたいことは山ほどあるけどきっかけがなくて話し出せない。
「ねえ妖夢」
 あちらから話題をふってきてくれた。とりあえずはいと答える。
「妖忌がここにいた最後の日――」
 師匠の話ですか。急にどうしたんです。
「――その二振りの刀を受け継いだ時のこと、覚えている?」
「もちろんです」
 今も私の背にある双剣、西行寺家剣術指南役の証。もう何十年も前のことだが、授かったあの時の言葉だけは鮮明に覚えている。
「妖怪の鍛えた刀、妖を斬る楼観剣。亡霊の鍛えた刀、迷いを断つ白楼剣。ふたつでひとつ」
「でもあなたはその意味を問うた」
「はい。妖はわかりますが、迷いなどという形のないものをどう切るのですかと。ですが――」
 その解はいまだ不明のままだ。なぜなら師匠の答えは。
 『――真実は斬って知る物』
 幽々子様も言葉を合わせてくれた。そう、斬ればわかるらしい。だがまだ私にはわからない。己の迷いを断てていないからだろう。
「いいこと教えてあげる。その答えには二重の意味が込められているのよ」
 手がかりがもらえるとは思わなかった。少し驚いたせいで足が止まる。二重の意味?
「ひとつは、あの妖忌が好みそうな、哲学的っぽい深い意味。いくら考えても理屈じゃ答えが出ないようなね」
 と言って幽々子様も立ち止まった。石灯籠の明かりがそのはかなげな横顔を照らす。
「あ……ええと、もうひとつの意味というのは」
「文字通りよ。斬ればわかるの、迷いを」
 はあ。やっぱりすんなりと教えてはもらえないようで。あとは自分で考えろということなんだろうけど。
 ふいに白玉楼のほうからひとつだけ鐘の音が響いてきた。鐘番の幽霊が子の刻の鐘を突いたようだ。幽々子様が私の目の前、石段の数段上に立って問いかけてきた。
「もうお彼岸よね」
 はい? お彼岸というのは、さっきまで行ってた場所としての彼岸じゃなくて、夏と秋の間のお彼岸のことでしょうか。
「正確には、つい今しがたからがお彼岸ね」
 つい今しがたというと……そうか、子の刻を過ぎて日付が変わったから。
「今日からだったんですか、すみません、疎くて」
 幽々子様はこくこくとうなずき、私をじっと見た。なんか変な気分だな。
「妖夢は知らなかったようだけど、冥界にもちゃんとあるのよ、お彼岸が」
「今朝もそんなお話をされましたね。でもここは年中霊であふれているじゃないですか」
「それでも帰ってくるの――」
 さっきからなんとなく幽々子様の視線に違和感があったけど、その正体に気がついた。このおかたが見ているのは私ではない、そのもっと向こう、石段の下のほうだ。
「――黄泉の国から」

 背後にただならぬ気配を感じて振り返る。そしてわが目を疑った。
 冥界の門が開いている。無駄に頑丈で巨大な冥界の大門はこれまで常に閉ざされていた。だが今は、向こう側から押されるようにしてじわじわと開き始めている。
 悪臭が漂ってきた。気分の悪くなる腐敗集と刺激臭、それでいて妙に甘ったるい。ただ臭いというだけじゃなくて、明らかに死の陰気を帯びている。
「秋分の前後は幽明の境があいまいになって、世を去ったはずのモノが帰ってきてしまう。それは冥界も例外ではないの」
 門の向こうから何かが這い出してくる。われ先にと折り重なるようにして、ぞろぞろと。
 それらはおおむね人の形をしていた。つまり、胴体の下のほうに足が、横のほうに腕が、上のほうに頭がついている、おおむねは。たまに首から足が生えているものとか、尻から腕が生えているものもいる。
 それらは平均して、二本ずつの手足とひとつの頭を持っていた。平均して、だ。二人の人間が――卑猥な体勢で――融合しているようなものもいれば、まともな手足がなくて地べたを這い回っているものもいる。
 そして例外なく……全身が腐敗して崩れ落ちかけていた。
「なっ、うあっ、あれはいったい」
 全身が総毛立つ。心臓が高鳴り、のどが無性に渇き、まともに言葉が出てこない。剣士としてあるまじき態度、平静を保たないと。
「この石段は黄泉へと通じているの、つまりは黄泉比良坂ね。あれらは黄泉醜女〈ヨモツシコメ〉ってところかしら、女性だけとも限らないようだけど」
 平然と答える幽々子様。こうなることは知っていらしたんだろう。だから朝から彼岸がどうとかいう話題を出したのね。でも。
「こんなこと、今までに一度だって」
「なかったわね。だってずっと冥界を封鎖していたんだもの、最低限の魂しかあちらに送られていなかったの」
 そうか、霊夢たちが白玉楼に乗り込んできたあの一件以来――
「――冥界の結果が緩められて、送られてくる霊も増えて」
「そう。トドメがこないだの、六十年に一回の霊の大氾濫ね。あのとき閻魔様がたが、妄執にまみれた魂をほいほい黄泉路につかせるものだから」
「黄泉の国がいっぱいになって、そこの住人が冥界に逆流してきたと」
 亡者たちの足取りは総じて遅い。石段を一段登って、二段登って、三段目に差し掛かったところで別の亡者を踏みつけて転がり落ちるといった有様。それでも次から次へと湧き出てくる後続に押されて、少しずつ上へと押し寄せてくる。
 比較的足の速い何体かが、べちゃべちゃといやらしい足音を立てて近づいてきた。臓物がはみ出て、全身に蛆がわいている。耐えがたい悪臭を放ち、声にならないうめきをあげて……思わず目を背けたくなる自分を気力で抑えた。
 不快感に耐え切れず、連中に向けて弾幕を放ってみる。いとも簡単にはじき飛ばされる亡者たち。だがすぐにむっくり起き上がって、手足を吹き飛ばされているのにお構いなしで這いずり寄ってくる。
「だめよ。普通に叩いたってあいつらを祓うことはできないわ」
 のんきに絶望的なことを言わないでください。
「ではどうすれば」
「とりあえず撤退ね」
 とにかくやつらから離れる方向へ逃げる。白玉楼の庭先、石段を見下ろせる場所に我々を待ち受けている人物がいた。
「まったく……ここまで大規模な黄泉還りは初めてじゃない? ホントにどうするつもりよ」
 日傘を杖代わりにしてたたずむ女性、言わずと知れた幻想郷の管理者、紫様だった。
「んー、手がないことはないけど」
「じゃあさっさとやってちょうだい」
 相変わらずわざとらしいほどのんきな幽々子様と、目に見えて機嫌の悪そうな紫様。
「わりと博打なのよねえ……だめだったら、紫、あとはぜーんぶお願い」
「はったおすわよ」
 この局面で軽口を言い合えるとは、さすが幻想郷の長老様がた。口に出すのは畏れ多いのでこの感想は黙っておくけど。
 それにしても。
「ひとつ思ったのですが、よろしいでしょうか」
 お二人が私を見る。
「幽々子様のお力なら、あれらを追い返せるのでは」
 あまりの事態につい取り乱してしまったけど、幽々子様には死を操る力がある。だからこそ冥界の管理人を任されてきたわけで、あの手の死霊を支配するのはお手の物だろうに。
「数が多すぎるのよね。あいつらは、黄泉の女王イザナミ様の神気に染まっているから、そう簡単に言うことを聞いてくれないの」
 手詰まりですかっ。
「放っといたら西行妖の封印を破られるわよ、これ」
 紫様が眉をひそめてつぶやいた。白玉楼でも一番古い妖怪桜、西行妖。この異変にもあれがからんでいるの?
「封印って、どういうこと」
「やつらは生者への恨みと死体への渇望で動いてる。このままだとあの妖怪桜におびき寄せられて、封印の要を掘り出してしまうわ、結果的にね」
 幽々子様はいまいち話が飲み込めていないご様子。それは私もいっしょだけど。状況を完全に把握できてるのは紫様だけらしい。
 今の状況で西行妖の封印が解けるとどうなるというのか。詳しくはわからないけど、紫様の話しぶりから察するにろくでもないことになるのは間違いなさそう。あいつらが下界にまであふれ出てしまう、とか。

 あれこれ話し込んでしまったけど、まだ亡者どもがここまで到達する気配はない。白玉楼階段の異常なほどの長さに感謝するべきね。とはいえこうしている間にもじわじわと追い詰められている。
「それはそうと、紫」
「なに」
 幽々子様が数歩石段から離れ、屋敷のほうを眺めながら言う。
「今朝お願いした件、よろしくね」
「お断りだと言ったでしょう」
 紫様はイラついた様子で、日傘で石段を突いた。そしてその先端を私に向ける。
「第一、本人がまるでわかっていないようじゃないの」
「ごめんねえ、なかなか言い出せなくて」
 幽々子様が振り返る。私は思わず息を呑んでしまった。その瞳の色が、今まで見たこともないほど深く悲しげだったから。一度目を伏せ、すぐまたまっすぐに私を見てこう告げる。
「魂魄妖夢。今日限りでお暇を差し上げます。今までお世話様でした」
 ――。
 思考が停止してしまった。言ってることがわかりません。
「急な話になってしまったけど、しばらくは紫のお世話になるといいわ」
「ちょっと」
「そのあとは……ごめんなさい、自分で考えて」
 声が出ない。出てもまともな言葉にはなりそうにない。私はあれですか、いわゆるクビってことですか。
「どうにかして再就職先を探してあげたかったんだけど、どこに行っても断られちゃって」
 ははっ。やっと出てきた言葉はそんな乾いた笑いだけだった。
 そういえば今日、幽々子様は私にメイド服を着せようとした。お団子作りを、境内の掃除を手伝わせようとした。あれは全部、私の次なる職場案内のつもりで?
「ない、ですよ――」
 やっと言葉を搾り出す。それで、そんなことで私を気遣ってくれたつもりなんですか。
「――そんなのないですよ!」
 叫んでいる途中で声が裏返ってしまった。言いたいことは山ほどある、でもそれをぶつけたって幽々子様を余計に苦しめるだけ。そう思うとまた言葉につまってしまう。
「はっ。こうなるってのはわかりきっていたでしょう。なんでもっと早く追い出さなかったの」
 紫様の問いに、幽々子様は何も答えなかった。また私に背を向けゆっくりと歩き出す。どうにかして引き止めないと。
「待ってください」
 捨てないでください。置いていかないでください。
「わたっ、私は、幽々子様の補佐を任されたのです。これでは師匠に顔向けできません」
 幽々子様の足が止まる。そう、師匠は私に、この未熟者にすべてを任せて旅立った。消えてしまった。
「わかっていないわね」
 振り向きもしないで幽々子様は語る。
「妖忌は、私への忠よりも、あなたへの情よりも、己の剣の道を選んだ。私たちなんて心の迷いの元でしかないと悟ってしまったのよ」
 静かに告げる声によどみはない。どんなお気持ちで今の言葉を発したのか、まるで感情が読み取れない。
「だけど不思議と怒る気持ちにはなれないの。大切な人が自分の信じた道を行くなら、私は見送ってあげないといけない、そんな気がするから」
「答えになっていません」
 つい語気が荒くなってしまう。問い詰めたら少しだけ振り向いてくれた。幽々子様のまぶたからは涙がこぼれ落ちそうになっている。だからこっちを向きたくなかったんですね。
「もうっ。妖夢がこんなところで、あんなやつらに食い散らかされて一生を終えて、それで妖忌が喜ぶはずないでしょう」
 そう言い放つなりふわりと浮かび上がって、白玉楼へと飛び去っていこうとする。
「ねえ、だからどうするつもりなのって」
 紫様の問いかけにやや動きが止まる。
「西行妖に憑依してみるつもり。私の力にあれの力を足せば、やつらをまとめて操れるはず」
「……霊肉両面からの二重封印か、悪くないわね」
 紫様が考え込み、私が呆然としている間に、幽々子様はかなたへと飛び去って行ってしまった。
 だんだんと腐臭がひどくなってくる。幸いにして嗅覚はほとんど麻痺してしまっているけど。それよりも亡者どものうめき声の合唱が耐えがたい。階段の向こうからやつらが大挙して押し寄せてくるのも時間の問題だろう。
「ほら立って、さっさと来る。においが移っちゃうったらもう」
 すでに紫様はスキマを展開させて、半身をその中に乗り入れている。
「幽々子様は何を」
「知る必要があること? ほら」
 そう促されても、膝をついたまま立ち上がれなかった。
「本気で置いていくわよ……あっう、もう、わかってる、ちゃんと連れてくから」
 紫様が突然、見えない誰かと会話を始めた。ええと、大丈夫ですか。
「説明すれば聞いてくれる? あのね、西行妖と西行の娘は切っても切れない関係なの。幽々子はその境界を取っ払うつもりね」
 すみません、すぐには理解できません。たとえわかったって、理解を拒否したい気分です。
「まだわからないの。あいつらは完全に融合してひとつの存在になる。その上で幽々子の自我が勝てるかは知らないけど、それほど分の悪い賭けじゃないわ。ほら、話してあげたから」
 幽々子様は、今日限りで今のご自分を捨てるつもりだったと? だから私を連れ回してあちこち出掛けたりして。思えば今日一日、妙に甘えてきて、それでいて優しくしてくれて……やっぱり寂しかったんじゃないですか。
 まったくあのおかたは、人の気持ちなんてお構いなしで、そのくせ妙な方向に気を回すのが得意で。どうしようもなくわがままで、でもすべてを包み込んで許してくれて。幽々子様はいつだって私の心労の元で、そしてたったひとりのご主人様で。

 私は顔を上げて立ち上がり――
「ちょっと」
 ――楼観剣を抜いて、切っ先を紫様に突きつけた。
「お帰りください、紫様」
 もとより斬りかかるつもりなんてないし、当たる間合いでもない。
「強情ね……っう、ねえ、だったら直接言いなさいよ」
 紫様はまたもや見えない誰かに話しかけたあと、じゃあね、と言い残して消え去った。
(妖夢!)
 突然脳内に声が響いてきた。いつも私のすぐそばにいた人の声。
(すぐお屋敷に戻りなさい。もういちど紫を呼んであげるから、考え直して)
 遠話ですか? そんな能力ありましたっけ? と心の中で語りかけてみたけど特に反応はなかった。紫様みたいに言葉に出して言えばいいのかな。
「もう西行妖とひとつになってしまったんですか」
(ん? いいえ。あっさりと乗り移れたのだけど、死の力はまだ使ってないから……じゃなくてね)
 よかった。もう手遅れだったらどうしようかと。
「ではそのままご覧ください」
 ついに亡者どもの第一陣が姿を現した。あいかわらず激しく嫌悪感をそそられる姿だけど、初めて目撃したときほどの恐怖はない。
(あなただけでも幻想郷に戻って)
「聞けません」
 刀身に霊力を込めて、それを切っ先から放出しつつ横なぎに振るう。剣風によって亡者どもの胴が真っ二つに切り裂かれるが、やはり大して効いていない。下半身はそのまま歩き続けて来るし、吹き飛ばされた上半身も腕を使って這い寄って来る。
(命令と言っても聞いてくれないのよね。だからお願い、もういいから)
「知ったことではありません」
 今日一日のことを思い返すと、まだひとつだけ未解決の謎がある。閻魔様の言葉だ。
 こいつらを追い返す用意はできているのかと、閻魔様は私に尋ねてきた。私には、魂魄の者には『なにか』ができたはず。まだそれを身につけていなかったから、閻魔様はあれほどまでにうろたえた。
(ねえ妖夢、もしかして怒ってる?)
「あたりまえです」
 思った通り、妖を斬る楼観剣では黄泉醜女を倒せない。こいつらは人間の成れの果てであり、妖怪ではないんだから当然か。
 先ほどよりさらに多数の亡者が押し寄せてきた。楼観剣を足元に置いて、白楼剣を引き抜く。
「どうして、私には無理だなんて決め付けるんです」
 今度はこちらから間合いを詰める。剣風ではあてにならない、直に刃を当てないと。左脇構えにした小太刀を、最も突出している亡者に向けて斬り上げる。
 違いは歴然だった。切断面からどす黒い瘴気が燃え上がるように吹き出る。亡者はひときわ甲高い叫びを上げると、見る間にしなびて骨と皮だけの姿になって倒れ伏した。さらに全身が溶けて汚らしい腐汁に変わり、すぐに蒸発する。
(あらま……)
「なるほど、斬ったらわかった」
 楼観剣は妖しき物を斬る剣。同じく白楼剣は、迷いし人を断つ剣。黄泉へ去った人の現世に迷い出た物を断つ、迷い無き者にしか扱えない剣。それが師匠の謎かけの答え。
「一命に代えて幽々子様をお守りする、それが私の剣。誰だろうと、たとえ幽々子様ご本人であろうと、私の道は曲げさせません」
 数え切れないほどの亡者が続々と這い出てくる。石段の下はやつらでぎっしりと埋まっていた。だけどかけらも怖いとは思わない、憎いとも思わない。強いて言うなら、哀れな連中だなあ、と。
 さてどの霊符でカタをつけようか、と思って懐を探ろうとしてひとつ気がついた。白楼剣を両手でしっかりと握り、ありったけの霊力を込めていく。
 スペルカードが常にお札の形状とは限らない。ある程度の力を蓄えられる器ならなんでいい。そして、私の切り札なら今この手の中にある。
「断迷『白楼剣』」
 中段に構えた白楼剣の切っ先から、稲妻のように閃光が伸びる。照らされた亡者どもが身をこごめてあとずさった。こいつらにも恐怖ってものがあったのね。でももう遅い。
「亡霊の鍛えたこの刃に――」
 いちど上段に構え、すぐ最下段に構える。これまで何万回となく繰り返した動作の一部、ただそれだけ。放たれた霊気の刃が石段を透過し、あらゆるものを貫通し、その直線上にいた亡者をまとめて焼き尽くす。
「――断てぬものなど、およそない!」

 カードの効力が切れると一気に虚脱感が襲ってきた。今のが私の最後のスペル、しばらくは立てそうにない。
「妖夢、妖夢!」
 心の声なんかじゃなくて、肉声で私を呼んでくれる人がいる。幽々子様が飛び寄ってきて、膝をついた私の肩をそっと抱いてくれた。
「ごめんなさい、ありがとう」
「違いますよ――」
 息も絶え絶えに言葉を搾り出すと、幽々子様は涙ぐんで私を見る。
「――もっと師匠のように褒めてください」
 これで得心がいったのか、にっこり笑って私の髪をわしわしとかき乱す。
「よくやったわ、妖夢」
 思わず私も笑みがこぼれた。しばらく幽々子様に肩を預けて見つめ合う。しばらくしてふいに視線をそらされた。私もそちらを目で追う。
「あちゃあ……ねえ、立てる?」
 そりゃあもう、立ちますよ、ほかにないでしょう。
 確かに私は石段にいた亡者を一掃した。我ながらよくあの量を始末したものだと思う。だけどまだ冥界の門は開いたままで、その向こうからさらなる後続がうじゃうじゃと。もしかしてこれ、お彼岸が終わるまで続くの?
 ふらつく足を押さえて、無理に立ち上がろうとしたら転んでしまった。
「まだいいから休んでいて。私だってあれの五十や百なら操れるんだから」
 それにしたって長くは持たないでしょう、と反論しようとしたところ。
「はいっ、お待たせ……なんだ、片付いてるじゃないの」
 我々の背後に例のスキマが発生して、再び紫様が姿を見せた。私に愛想をつかして去ってしまったのでは。
「援軍なんて必要なかったかしら」
 と言ってぱちんと指を鳴らすと、さらに三つのスキマが開いてそれぞれから見知った人が現れる。
「うわあ、くっさあ。いや、クサヤ。クサヤの干物と思えば問題ないわ」
 忘れもしない紅白衣装の巫女、霊夢と。
「人呼んで守矢の風祝、見参! ってあれ、私スベっちゃいました?」
 霊夢によく似たいでたちの、山の神社の巫女と。
「ここが冥界? うわひゃっ、なに、なんですかあのキモいの」
 腰が引けてる妖怪兎の少女、なぜか弓矢を携えている。こいつ弓術なんてできたっけ。
 突然の来訪者に対して幽々子様が応対する。
「ようこそおいでくださいました。えーと、紫? 援軍ってのはありがたいけど――」
 小首をかしげて、ぽんと手を打つ。
「――あ、そうか、巫女なら」
「ええ、妖怪や人間じゃ黄泉の力に対抗できないけど、神に属する霊力ならどうにかなるんじゃない。多少なら、だけど」
 霊夢があごに手を当てて顔をしかめ、もう一人の巫女に話しかける。
「そういうことなら神様本人を呼んで来なさいよ。あんたのとこにいるじゃない」
「あー、頼んではみたんですけど、なんでも『ひいおばあさまに恨まれたらあとが怖い』とかで」
 困り顔で答える類似巫女。紫様が解説を付け加える。
「イザナミに喧嘩を売りたい神なんているわけないでしょ」
 神様同士の関係も複雑なようで。それよりも、約一名なにをしに来たのか不明な奴が。
「あなた巫女だったの。薬売りだと思っていたけど」
 ウサ耳の彼女に率直に聞いてみる。
「えっ。そんなの私が聞きたいです。いきなりお師匠様の弓を渡されて、ちょっと神社までお使いに行けと。誰か状況を教えてちょうだい」
 これを無視して紫様がぱんぱんと手を叩く。
「はーい。それでは各自適当に突撃して、妖夢が回復するまで時間を稼いでちょうだい。ああそれと、アレに少しでも傷つけられたら同類にされちゃうから、十分に距離をとってやりあうのよ」
 えっ、同類? 私ってずいぶん危ない橋を渡っていたんだなあ。そりゃ幽々子様も本気で引き止めるわけだ。

 数刻後。
 霊夢たちの奮闘により亡者の進軍はだいぶ食い止められていた。それでも押し返すには到らないようで、少しずつ上へ上へと制圧されている。
「あの、もう立てますから」
「まーだ、もっと押されてからだって問題ないでしょ」
 起き上がろうとしたところで幽々子様に頭を抑えられ、私は膝枕される格好に戻った。
「本当にもういいですって」
「知ったことじゃないわ、こうしてなさい」
 と言われてまた髪をなでられる。今回の件では幽々子様も思うところがおありなんでしょうけど、正直言ってこの愛の形は重いです。
 だけどまあ、とても気分が安らぐのは事実なのでもうしばらく甘えさせてもらう。
「師匠は――」
「うん?」
 言いかけたところで顔をのぞきこまれる。あの、お顔が近いです。
「――以前は、師匠がこの仕事をしていたんですよね」
「ええ、たまに。何十年かに一回ぐらいかしらね、あれがあふれ出そうになったら、閻魔様に門を開けていただいて」
 そんな重大な使命があったのに、なぜすべてを打ち捨てて旅立ってしまったのか。考えを巡らすうちひとつの可能性に思い当たった。今日の出来事がなければ考えもつかなかっただろう。
「だけどそのお勤めを、果たせなくなってしまった?」
「そうよ。ある日突然に、妖忌は白楼剣を使いこなせなくなってしまった。それであの人が出て行ってから、冥界を紫に封じてもらっていたの」
 何事にも揺るがない、完璧な精神の持ち主に見えた我が師匠、魂魄妖忌。でもその心の内にただ一つ迷いがあったとしたら。
「私のせい、ですね」
 幽々子様は優しく笑う。
「こんなに可愛い孫娘がいるのに、ひとに自慢の一つもできないのではねえ。いちどぼやいていたわよ、いまさら甘い顔などできかねます、って」
 師匠のことを、血の繋がった祖父だとはあまり意識したことがなかった。どうしてもつらい時には幽々子様が慰めてくれたし。気恥ずかしいけど、母親代わりになってもらってたんだなあ。
「私はただ、一人の弟子であれたらそれでよかったのですが」
「おじいちゃんとしてはそうもいかないでしょ。妖夢がだんだん女の子らしくなっていくのに、毎日生傷の絶えない修行ばかりで」
 もし私が男に生まれていたなら、あるいは兄か弟の一人でもいたなら、師匠はずっと剣の鬼でいられたのだろう。なんて、仮定の話をしたって仕方ないけど。
 さて、ずっと寝っ転がっているのも飽きてきた。階下では地獄の亡者が暴れているというのに、私一人休んでもいられない。
「幽々子様、本当にそろそろ……」
「ずいぶんといいご身分ね、あんたたち」
 霊夢がしかめっつらで宙に浮かんでいた。この体勢を見られた、よりによってこいつにっ。
「それはもう、いいご身分なのよ」
 私の頭をぎゅっと押さえつける幽々子様。もういいかげんにしてください。その手を振り払って跳ね起きると、霊夢がにやりと笑った。
「もうしばらく甘えていたら? 私たちが死ぬ気で食い止めてるあいだに」
 皮肉たっぷりな言い方にカチンと来る。
「ずいぶん仕事熱心ね、面倒くさがりのあなたが」
「それはまあ、葉っぱじゃないお賽銭の上客だから」
 葉っぱというと。ああ今朝の、というかもう昨日にあげたお賽銭か。あれがなかったら来なかったつもり?
「葉っぱのほうはどうしたの」
「シメといた」
 道理で、紫様が忙しく動いていたわりに藍が姿を見せないわけだ。
「ともかく、私はもう大丈夫ですからね」
 残念そうなお顔の幽々子様。甘えさせてもらうのはもう今日限りですよ。
「魂魄妖夢、出ます!」

 さらに数日後。
 際限無く続くかと思われた黄泉還りだが、あふれ出る亡者を一昼夜にわたって一網打尽にし続けたところ、やがてぴたりとおさまった。
 そのあと、わざわざ白玉楼まで出向いてきた閻魔様によってさらに丸一日お説教され続けるはめに。荒れ果てた石段周辺の復旧のため私は早めに解放してもらえたけど、幽々子様は今日も彼岸に出向いて事後処理の書類を書かされているそうな。
 そのあと小町さんと飲んでくると言っていたので、今日は帰りが遅くなるだろうな。たっぷりと愚痴ってきてください、私は聞きたくありませんからね。
 片付けもあらかた済んだので、今日はお世話になった人たちのところへお礼参りをしてきた。これから向かうのは最後の目的地。幽々子様の代理としてではなく、私個人がお礼したい人がいる所。
 湖畔の館、今日も今日とて門前にたたずみ、瞑想にふける姿があった。私が近くの地面に降り立つと、手をあげて呼びかけてくる。
「やっ。今日はひとり?」
「ええ、大した用でもないのだけど」
 荷物をあさって、彼女への手土産を取り出す。
「よかったらどうぞ」
 小ぶりの酒瓶を美鈴に手渡す。中身は蔵から見繕ってきた上等の焼酎だ。以前の宴会で彼女はかなり強いお酒をちびちびやっていたから、口に合うかはともかく迷惑にはならないはず。
「あいや、ご丁寧に。誰に渡せばいいの。あ、案内しようか」
 これを私物化しようという発想はないらしい。これも彼女の人柄ね。
「ここの門番さんによ。この前は庭を荒らしちゃったから、お詫びの印」
「私? うわあ、いいの、ありがと」
 いいのよ。あなたは大切なことを教えてくれた、この程度じゃ感謝しきれないんだから。などと口に出すのも恥ずかしいので黙ってうなずく。
 さて、いちおうの義理は果たして回ったけど、あとはどうしようか。美鈴が迷惑でないなら、ひとつまたお手合わせでも願おうかな、などと考えていると。
「おっと。なんだあ、珍しいやつが居たもんだな」
 いきなり上空から声をかけられた。白黒でそろえた服装にとんがり帽子、ついでに箒にまたがった、普通すぎるほど普通の魔女に。
「珍しくもないやつが来た」
 美鈴はおでこに手をかざして見上げ、魔理沙をにらみつける。
「さあおとなしく通せ。いやなら無駄に抵抗してから通せ」
 この手の言葉遊びが好きよね、こいつ。
「それともふたりがかりで来るか? 言っとくが私は逃げも隠れもするぜ」
「冗談っ!」
 美鈴は大地を蹴り、不埒な侵入者めがけて飛びかかっていった。すぐさま弾幕の応酬が始まる。
 たぶんまた美鈴は負けるのだろう。あの魔理沙が数年の歳月をかけて――妖怪にとっては数十年、数百年に匹敵するだろう年月をかけて――身につけた魔術の数々、今の美鈴に対抗できる手段は無いはず。
 二人の戦いは対照的だ。距離を詰めて大技を封じようとする美鈴と、小技をばら撒きながら逃げ回り、必殺の間合いを取ろうとする魔理沙。とはいえ空中の機動力では格段に魔理沙に分がある。美鈴にとっては絶望的な鬼ごっこ。
 それにしたって魔理沙のやつも、よく正面から訪問してくるものだ。侵入が目的だったら、姿を消す術でも使って手薄なところから忍び込むべきだろうに。これではまるで、美鈴の修行相手になりに来ているようなものだ。
 まったく素直じゃないんだから。
 二人の激闘を観戦しながら私は、あと今日は何を仕入れて帰ろうか、なんてぼんやり考えていた。
 季節物の胡瓜なんて悪くないわね。幽々子様が戻られたら酔い覚ましとしてお出しすればいいし、それでも余るようなら……ご一緒に精霊馬でもこしらえてみましょうか。
 
はじめまして。
東方でSSを書くのは初めてです。ご意見お待ちしています。

随所に独自設定が混ざりこんだお話になってしまいましたが、原作設定との矛盾はできるだけ避けたつもりです。
(「妖怪が鍛えた」と明言されてるのは楼観剣だけですよね、たぶん)

あと、敬語のあつかいって難しいですね。
ちゃんとやろうとするとなんだか読みづらくなってしまうし、そもそも私自身がちゃんとした敬語をマスターしてるのかと問われたら非常に怪しいわけで…
なので、ほとんどタメ口のなんちゃって敬語でごまかしてます。
妖怪は人間ほど上下関係にこだわらない、ということでひとつご容赦を。

では。

>>15
余計な説明ばかりで読みづらいと?
その通りですね…

固有名詞や専門用語を説明なしで使うのは好きじゃないので、「語り手にとってそれはどういうものか」をできるだけ書くようにしたのですが、
話の分量のわりに登場人物が多いこともあいまって、すでに知ってる人にとっては無用な解説が多くなってしまいました。
もっと長い話にすれば相対的に読みにくさが減っていたと思いますが、そうなると途中でダレない構成を考えるのが大変で。

次の機会があれば、もっと快適に読める文章を心がけます。
FoFo
簡易評価

点数のボタンをクリックしコメントなしで評価します。

コメント



0.1640簡易評価
12.100名前が無い程度の能力削除
普通に良い話。
各キャラもちゃんと味があって良かったです。
15.40名前が無い程度の能力削除
知ってて当たり前ぐらいのことをいちいち説明するのでとにかく文章のリズムが悪い。
その辺をもっと切ったり削ったりしてメリハリをつけるとぐっと良くなると感じただけに残念です。
16.100名前が無い程度の能力削除
良かった!
18.100名前が無い程度の能力削除
面白かった!
25.100名前が無い程度の能力削除
新参には思えないww
みんなかっこいいっす!!
27.100名前が無い程度の能力削除
やっと読み終わったぜ。
初投稿から眺めのSSだと点数付きづらいし独自設定タグがあるとなおさら。
そそわなら設定解説なんかを短く出来るのがつよみだしね。
もっと評価されてもいいと思いました。

面白かった。


そそわなら設定解説なんかを短く出来るのがつよみだし、
28.100名前が無い程度の能力削除
もっと評価されてもいいですねぇ
29.100名前が無い程度の能力削除
長めの話だけど飽きさせないような伏線や、ほのぼのとシリアスのメキハリ、独自設定にも違和感が無くとても読みやすく面白いSSでした。
31.100名前が無い程度の能力削除
とても面白かったです
33.80名前が無い程度の能力削除
これはもっと評価されていい。
一本筋が通ったお話で、読み終わったときになんだか満足感がありました。
39.100名前が無い程度の能力削除
濃くて旨みのあるいいお話でした。
テンポも良い上にキャラ(主に妖夢)がいきいきとしてると感じました。
40.100名前が無い程度の能力削除
いいですね。
45.100名前が無い程度の能力削除
面白かったです
独自設定もお話も充分楽しめました
48.100名前が無い程度の能力削除
すげー面白かった
ワクワクしたし、助っ人参上の所でさすが早苗さんだと思った
52.100名前が無い程度の能力削除
迷いを断つって物理的に迷い出てきた連中かいな
その発想は無かった
あと早苗さん、滑ってはいない、その状況でその余裕はただただ凄い