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注意 この作品は、
作品集73「籠から飛び出した少女」
の続きの話となっています。
上記の話を読んでからこの作品を読むことをお勧めします。
この作品にはオリジナルキャラクターが登場します。
また、後編は重い話も含みますので苦手な方は戻る、を押してください。
では、お楽しみください。
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「咲夜、地底に行ってくるね!」
紅魔館の玄関の大きな扉の前で嬉しそうな笑顔を浮かべながらフランは真っ赤な傘をさしている。吸血鬼用の特性の日傘なのでそれなりの大きさがある。なので、太陽が大きく傾かなければ身体のどこかに陽が当たる、ということもなさそうだ。
その傘は、フランが自由に館を出入りできるようになった記念に咲夜が用意したものだ。外に出るのなら必要になるだろう、と。
貰ったのはフランが初めて外出をしたその翌日。パチュリーの所で本を読んでいるときだった。
咲夜に「これは、フランお嬢様が外出を許可されたお祝いです」と言って傘を渡された直後にフランは館から飛び出して行った。そのとき、紅魔館の中に小さな紅色の風が吹いた。
向かった先は当然、魔理沙の所だった。
魔理沙はフランが二日続けてやってきたことに驚いていた。しかし、魔理沙もちょうど暇だったようで追い返すようなことはしなかった。
フランは新しく貰った傘を嬉しそうに魔理沙に見せていたが、魔理沙はさほど興味がないようで反応が淡白だった。
そんな魔理沙の反応に不満を持っていたが、先日約束したように魔理沙に甘い紅茶を淹れてもらってすぐに機嫌を直した。
フランが傘を貰った直後にはそんなことがあったが、今回行くのは魔理沙のところではない。
あの日交わしたもう一つの約束を果たすため、地底へと向かうのだ。
「はい、気をつけて行ってらっしゃいませ」
咲夜は恭しく一礼をしてフランを送り出す。フランは咲夜に手を振りながら屋敷から出た。
真上から太陽の光が降り注ぐ。吸血鬼にとって忌々しきその光は全てフランの持つ赤色の日傘に遮られ赤色を帯びた影となる。
「あ、フランドールお嬢様、お出掛けですか?」
門番の前に立っていた美鈴がフランの気配に気づき振り返る。
「うん。ちょっと、地底の方にね」
「そうですか。今日は日差しが強いですから気を付けてくださいね」
「ありがと。じゃあ、行ってくるわ。門番の仕事、頑張ってね」
「はい、今日も精いっぱい頑張らせていただきます」
フランは笑顔で手を振り、美鈴も笑顔を浮かべて手を振り返す。
こうして、誰かに見送られるだけで不思議と心が躍る。
美鈴が見えなくなったところでフランは前に向き直る。それから、楽しそうに歩を進める。彼女の宝石のような羽もそれに合わせて揺れる。今にもスキップをしてしまいそうだ。
吸血鬼を焼く太陽の光だが、実はフランはその光が好きだった。
太陽の光をほとんど取り入れない紅魔館の中はどこか寒さを感じる。対して太陽の光は紅魔館の中にはない暖かさをくれる。その暖かさがフランは好きなのだ。例え、直接当たることはできないのだとしても。
傘をくるくると回して上機嫌な様子で歩く。飛んでもいいのだが、今日はそんな気分ではなかった。
それに、霧の湖に辿り着けば嫌でも飛ぶしかない。だったら、霧の湖までは存分に歩いていこう、そう思ったのだった。
◆
「あら、お嬢様もお出掛けですか?」
フランを送り出して、さて、仕事に戻ろうか、と思った咲夜の目に淡い赤色の傘を持ったレミリアの姿が映った。
「え、ええ。ちょっと、霊夢の所に行ってこようと思ってね。最近、神社には行ってなかったから」
咲夜に呼び止められて、目を泳がせながらそう答える。明らかに挙動不審だ。何かを隠している、としか思えない。
「……フランお嬢様を追いかけるのですか?」
静かな表情で主の姿を見て、質問をする。
「そ、そんなことしないわよ。本当に霊夢の所に行きたいのよ」
「では、私もついていきましょう。主がヒトリで外に出歩く、なんていうのはいかがなものかと思いますので」
言いながら、レミリアの傘を受け取ろうとする。けれど、レミリアは渡そうとしない。
「何で今日に限ってそんなことを言うのよ。いつもは、私がついてこい、と言わない限りついてこないのに」
「何だか、そういう気分なのですわ」
咲夜はおどけるように答える。対して、レミリアは咲夜を止めようと少々真剣な口調だ。
「そう。でも私はヒトリで霊夢の所に行きたい気分なの」
「人生とは思い通りにいかないものなのですね」
「人間じゃない私にはわからないわね。……じゃあ、私はヒトリで行くけど、絶対についてくるんじゃないわよ」
レミリアは咲夜に念を押して館から出て行った。
主の背中を見て咲夜は一人で呟く。
「……先ほどの言葉は私に対する前振りだと思っていいのかしらね?」
そうして、咲夜の姿は紅魔館内から消えた。
◆
(ここが、地底の入り口?)
パチュリーに言われたとおりの場所を目指して着いたのは、見かけは何ら普通の洞窟と変わらない場所だった。一つ変わっているとすれば洞窟の中から風が吹いてきていることだろうか。
しかし、それもある程度大きな洞窟では珍しいことでもない。
フランが視線を横の方に向けると、立札が立てられているのが見えた。
『地底へようこそ』
木の板に達筆な字でそう書かれていた。乾く前に立てたのか、それとも、立てた状態で字を書いたのかわからないが、墨が血のように垂れていてなんとなく近寄りがたい雰囲気を醸し出している。この立札を書いたモノはその辺りについては考えなかったのだろうか。
しかし、フランにとっては関係のないことだ。書いてあるのは単なる歓迎の言葉。パチュリーの書く流れ水の魔力が込められた言葉の方がよっぽど怖い。
「あ、フランだ。こんにちはー」
洞窟の中に入ろうと足を進めた所で声をかけられた。その間延びした声は聞き覚えのあるものだった。つい最近聞いたばかりの声だ。
振り返る。そこには薄っすらとした闇に覆われたルーミアの姿があった。彼女のチャームポイントである赤いリボンがひょこひょこと揺れている。
「こんにちは。こんな所に、何か用事でもあるの?」
ここに来るまでに特にこれと言って珍しいものも目につくものもなかった。それは、この洞窟に近づくモノが少ないからだろう。何も寄らないところには何も出来ない。
そんな場所に来るくらいだから地底に用事があるのだろう、と思っていた。
「用事、というか、なんと言うか。フランの姿が見えたから追いかけてきたんだ」
しかし、違ったようだ。
「……私を見つける前はどんな用事があったのよ。用事もなくこんな所に来るはずがないでしょう?」
「そーなのかー?私は、適当にふよふよと浮かんでたらフランを見つけただけだよ」
重力に捕らわれていないルーミアは暢気に告げる。対して、フランは少し呆れているようだった。
「まあ、しいて言えばフランの魔力に引き寄せられたんだと思うよ。ちょっと誰かに会いたいなー、って思ってたからー」
「磁石みたいね」
「北も南もわかんないけどねー」
フランの感想にそんなどうでもいいことを言い返した。
「フランは、どーゆー理由があってここに来たの?」
「私は、こいしに地霊殿、っていう場所に来ないか、って誘われたから来たのよ。あなたも聞いてたはずよ」
「そーいえば、そーいう約束してたね。私もついて行っていいかなー。この前名前を教えられなかったから教えに行こうと思ってね」
かなり自分勝手な理由だった。でも、そんな理由も良いのかもしれない。
「うん、いいわよ」
「ありがとー。じゃあ、行こうか」
フランはその言葉に頷いて、歩きだした。しかし、ルーミアは何故か立ち止まったまま後ろを振り返る。
「……」
「ルーミア、どうしたの?誰かいる?」
「ううん、誰もいなかったよ。背後の確認は常に行っておかないとね」
「ふーん?」
フランは釈然としない様子だったが特に追及はしなかった。もし仮にナニモノかがいるのだとしても危なくなればルーミアがちゃんと教えてくれるはずだ。そう思って気にしないことにした。
ルーミアがフランの横に並び今度こそフタリは洞窟の中へと入って行った。
◆
長い長い洞窟を下り、広い広い旧地獄街道を抜けてようやく地霊殿についた。
洞窟を下る途中、釣瓶落としや土蜘蛛に話しかけられたり、絡んでくる橋姫を振り切るのに苦労したりした。
そして、旧地獄街道に着いた時には鬼に喧嘩を売られた。いや、喧嘩と言うよりは腕試しだった。
彼女の弁では地底には危険もあるからここにいても大丈夫かどうかの腕試しらしい。フランは半分くらいの力を出してそれを退けた。ちなみに、ルーミアは闇にまぎれて身を隠していた。完璧に逃げることが出来るのも必要な能力の一つ、ということで一応認められはした。
あと、咲夜から貰った傘だが激しい動きをしたにも関わらず折れたりも曲がったりもしなかった。武器として耐えれるかどうかはわからないが、それなりに強い作りとなっていたようだ。
そんなこんなで地霊殿についた。西洋の大教会のような造りをしている建物がそれだ。ステンドグラスがあるが、地底に必要なものなのだろうか。
「大きいねー」
ルーミアが地霊殿を見上げてそう言う。
「そう?うちの館よりは小さいわよ」
幽閉されていたとはいえ仮にもお嬢様なフランの価値観は他のモノとはズレている。ただ、ルーミアはそんな価値観のズレを気にしたりはしない。
「確かにあの館は大きいよね。多分、幻想郷にある建物で一番大きいんじゃないかなー」
ふよふよふらふらと幻想郷中を散歩しているルーミアの見聞は意外に広い。地底など隔絶されていたもしくは現在も隔絶されている場所以外で彼女が行ったことのない場所はないのではないだろうか。
「へえ、そうなんだ」
興味深げにうなずく。自分の住んでいる場所が幻想郷一大きい、と聞いて何か誇りのようなものでも感じているのかもしれない。
「まあ、こんな所で立ち話をしててもしょうがないわね。さっさと行きましょうか」
「そーだねー」
二人は並んで扉へと近づく。
木製であるその扉は建物の大きさの割には小さい。両方の扉を開いても並んだフタリがやっと通れるくらいの幅しかない。
フランはそんな扉を叩く。古い木独特の乾いた音が響く。
「はいはいはーい、どちら様ですかー……?」
勢いよく扉が開けられた。フランはその扉に当たりそうになったが咄嗟に後ろに避けた。
そうして、姿が見えたのは黒猫の耳を生やした妖怪猫、燐だった。
燐は見かけない客人にしばし動きを止める。
ぱちくり、と非常にゆっくりと瞬きをすると、やっと口を開いた。
「えっと、ほんとにどちら様?」
困ったように首を傾げる。見知らぬモノが来てどうすればいいのか悩んでいるようだ。
「私はフランドールよ。こいしから私のこと、聞いてない?」
「そう言えば、こいし様がいつかそんな名前のモノが来るかもしれない、って言ってたねぇ。あなたの話は聞いてるよ。こいし様よりも強いんだってねぇ。まぁ、こんな所で立ち話も何だから上がってよ。今はこいし様はいないけどね」
早口にまくしたてるような口調でそう言った。フランは燐のその喋り方に圧倒された。
パチュリーは早口で喋るが声量があまり大きくないためあまり圧倒されるようなことはない。対して、燐の声は声量もあるため話を聞くのにあまり慣れていないフランは圧倒されてしまったのだ。
けど、すぐに持ち直す。決して不快な喋り方ではない。むしろ、その軽快な口調がどこか心地よかった。
燐を先頭にしてフラン、ルーミアは地霊殿の中へと入っていく。
外見同様、内装も教会のように見える。しかし、一ヵ所、いや、一点教会とは全く違う異様な雰囲気を出している点がある。
それは床が光っている、という点。色とりどりのステンドグラスが辺りの壁に色をつけ妖しげな光景を作り出している。
床に埋め込まれたステンドグラスの向こう側に何か絶大な光量を持った何かがある。それこそが、かつて地底が地獄と呼ばれていた頃、恐れられていた地獄の一つ火焔地獄だ。
一度、熱を失ったのだがそこを管理している地獄鴉が核の力を得ると同時に熱を取り戻した。そんなことをフランはパチュリーから聞いていた。
「あたいは火焔猫燐。お燐でいいよ。火焔猫なんて長ったらしくて嫌だろうからね」
「私はルーミア」
燐、ルーミアのフタリが名乗った。フランは入り口で名乗ったからもういいか、ということでこの場で改めて名乗りはしなかった。
「燐、の方が短いんじゃないかしら」
代わりに口から出たのはそんな突っ込みだった。
そう、「おりん」と呼ぶよりも「りん」と呼ぶ方が一字少ない。
「ちっちっち。甘い、甘いねぇ。そんな呼び方じゃぁ親しみが湧かないよ。「お」、を付けるからこそ親しみが湧くんだよ」
フランにはよくわからない考え方だった。フラン、と呼ばれようと、フランドール、と呼ばれようとあまり変わりはないのではないんだろうか、と思っている。
それは、彼女の隣にいるルーミアも同じように思っているだろう。
でも、だからといって彼女の考え方を否定する気はない。
「まあ、とりあえず、お燐、って呼べばいいのね」
「とりあえず、ってのが気になるねぇ。まあ、いいか」
両者ともに細かいことは気にしない。
「あら、珍しいのが来てるわね」
「あ、さとり様」
燐が声のした方に顔を向ける。
そこにいたのは胸元に第三の目を揺らすさとりだった。癖っ毛のある紫の髪が目に入る。フランはそのことからこいしのことを連想した。
そして、思い出す、こいしが、お姉ちゃん、と言っていたのを。
「……ああ、こいしの言っていた方ですね。話に聞いていないのもヒトリいますが」
誰も何も言っていないのにヒトリで納得したように言う。
パチュリーから心の中を視ることのできる妖怪が地底にはいる、と聞いていたが、やはりフランは驚く。聞くだけのと、実際に目の当たりにするのとは違うのだ。
「初めまして。私はこの地霊殿の主である古明地さとりです」
「……初めまして。言う必要はないと思うけど、私はフランドール・スカーレットよ」
「自己紹介はお互いに名前を名乗って意味があることなのですよ、フランドールさん。……そちらは、なんと仰るのでしょうか」
地に足を付けず、ふわふわと浮かんでいるルーミアに視線を向ける。
「私はルーミア。よろしくねー」
「ルーミアさん、ですか。……貴女は地上では有名な妖怪なのですか?」
何を思ったかそんな突拍子もないことを尋ねる。
「私は、弱小の妖怪だよー」
「ふむ、そうですか……」
ルーミアの言葉を聞いても釈然としない様子だった。何か引っかかることがあるようだ。
「さとり様、どうかしたんですか?」
いつも彼女とともにいる燐は主人の様子に気がつく。
「いえ、些細なことだけど、そこのルーミアさんの心の中がはっきりと見えなかったのよ。まるで濃い闇に覆われているかのように」
「へぇ、さとり様でも心の視ることのできない生き物がいるんですね。驚きです」
「私の方が驚きよ。今までこんなこと、なかったんだから」
地霊殿組のフタリで話を進めてしまっている。外来組のフタリはその間に入ることが出来ない。せめて出来るのは外野らしく地底組のフタリに干渉しない程度にルーミアと意見交換をするくらいだ
「なんだかルーミア、すごい妖怪に思われてるみたいだね」
「うーん、買い被り過ぎなだけだと思うけどなー」
他のモノからどんな評価を受けようとも暢気にマイペースを崩さない。
「いやいや、何を言ってるんだい。さとり様は今までこいし様以外の心を視れなかったことなんてないんだ。それを凄くない、で片付けられるほどさとり様の能力は貧弱じゃぁないよ」
燐は心を視ることの出来なかった本人であるさとりを差し置いて興奮しているようだった。真っ直ぐに感情が表に出やすいのかもしれない。
「……ふむ、まあ、心が視れないなんて些細なことです。全く視えない、というわけでもないですし、伝わらない分、口に出していただければよろしいのですから」
さとりはヒトリで納得したようだった。それは、こいし、という心の視れない存在がいて彼女は無意識で動いているから、ルーミアも半分くらいは無意識で動いているのかもしれない、と判断したからだ。
「口に出すことに意味がある、でしょー」
さとりの言葉を更に広義に解釈すればそうなるのだろう。自己紹介だけでなく、自分の言いたいこと思っていること、それも言葉にしてこそ意味がある、のだと。
「……無意識の割には私よりも一枚上手。いや、でも、こいしも私以上の時があるし……。考えすぎかしら」
ルーミアの言葉に必要以上に頭を捻らせるさとり。いくら頭を悩ませたところでルーミアの思考をはっきり読み取れないその原因の答えが出てくることはないだろう。
「さとり様、さとり様、お客さんの前で考え込んだら駄目ですよ」
思考に耽っていたさとりを燐がこっち側に引き戻す。さとりは一度考え込んでしまうとなかなか抜け出せなくなる熟考タイプなようだ。
「おっと、そうだったわね。……えぇと、フランドールさんはこいしよりもこの地霊殿自体に興味があるみたいですね。ちょうど、私も暇だったので案内して差し上げましょう」
「さとり様はいつも暇を持て余してますよね」
「ええ。それは、貴方たちが有能だからよ。……いつもありがとう、お燐」
「えへへへ~。いいんですよ、さとり様があたいを拾ってくれたそのお礼をしたいだけですから」
さとりに頭を撫でられ燐は嬉しそうに目を細める。
「……そんなに、幸せ一杯になられるとこちらも、恥ずかしいのですが……」
さとりは燐の頭を撫でながら微かに顔を赤くする。
「おゎ、あたいの心を視ないでくださいっ!……あ、あたい、し、仕事してきますっ!」
ぴゅーっ、と逃げるように走って行ってしまった。さとりは、燐の突然の行動に呆然としていた。
「すっかり蚊帳の外ね、私たち」
そう言いながらも、フランの瞳にはお燐を羨ましがるような光が浮かんでいる。
「吸血鬼なだけにー?」
「……どういう意味よ、それは」
フランがルーミアを軽く睨む。蚊と同一視されるのはお気に召さなかったようだ。
「ごめん、ごめん、ちょっとした冗談だよ」
「ならいいんだけれど」
そう言ってルーミアを睨むのをやめる。
「……ああ、おフタリともすいません」
フランとルーミアの相手をしていないことに気付いたさとりがフタリの方を向き、少し頭を下げた。
「仲がいいんだね。さとりとお燐は」
「ええ、彼女とは随分と長い間一緒にいますからそれだけ親しみも湧くということでなんでしょう。……さて、貴女たちにはどうでもいいことですね。どこから見せるべきかわかりませんが適当に案内しましょう」
「うん、お願い」
「では、付いてきてください」
さとりが部屋の奥へと向けて歩きだす。
フランとルーミアは並んでその後に着いて行った。
◆
地霊殿の前、ヒトリのお嬢がうろうろとしていた。
「ああ、フラン。中で何をやってるのかしら。さっきの鬼みたいな奴に絡まれてたりしないかしら」
足が止まることなく動き続ける。今、地霊殿の住人が出てきたらなんと言うつもりなのだろうか。誰が見ても怪しい妖怪にしか見えない。
自らフランの外出を解禁したレミリアだがやはり今まで外に出なかったフランを外に出す、というのは心配で心配でたまらないようだ。
初めてフランが外に出た日はどうするのが最善か、と考えるだけでそこまで心配には思っていなかった。しかし、フランの外出禁止を解いて暇な時間に、フランが外に出たら、ということを考えていると徐々に心配が大きくなっていった。
だから、こうしてレミリアはフランを隠れて追いかける、という行動に出てしまった。
今は、地霊殿の中に入ってしまったフランの様子を見る方法が思い浮かばず入口の前でうろうろしている。
そんなレミリアの様子を、地霊殿から少し離れた場所から咲夜が見ていた。
咲夜はレミリアからついてくるな、と言われていたがフランの心配をして平常心を失っている主が何をしでかすかわからないので後ろから追いかけていた。……というのは建前で、フランの心配ばかりをして平常心を失っているレミリアの行動が面白そうだから、ということで着いてきていた。
咲夜はフランが外に出ることに関してそれほど心配はしていない。ヒトリでいるときは精神が不安定になることがあるようだが誰かと居ればそんな心配はない。それに、なによりもフランのことを信用している。絶対に、大丈夫だ、と。
「あれ?フランの従者さん?どうしたの、こんな所で」
咲夜の思考を遮るように背後から声をかけられた。後ろから来たモノの気配に全く気付いていなかった咲夜はびくっ、と体を震わせる。驚いて声を出さなかったのは流石だと言えるだろう。
咲夜は後ろを振り返る。そこにいたのはこいしだった。
「……どうしたか、と聞かれればうちのお嬢様の様子を観察してるのよ」
「お嬢様、ってフランのこと?」
「いいえ、あそこにいるレミリアお嬢様のことよ」
咲夜は地霊殿の前で未だにうろうろしているレミリアを指差す。こいしの視線は咲夜の指先からレミリアの方へと移っていった。
「フランとはどういう関係なの?というか、何してるの?」
無意識の好奇心で思ったことを口にしていく。
「あの方はフランお嬢様の姉よ。今はフランお嬢様のことが心配でたまらなくてああしてあなたの家の前でうろうろしてるのよ」
「ふーん、あんまり似てないんだね」
「確かによくそう言われるわね。髪の色も、髪型も、纏う雰囲気も羽の形も色も全然違うから。けど、瞳の色はフタリとも同じよ」
「そうなんだ。ここからじゃ、わかんないね。ちょっと、近くで見てくる」
「って、あ、ちょっと、待ちなさいっ」
レミリアの方へと走り出したこいしを止めようとしたが止まらなかった。声を抑えていたせいもあってこいしに咲夜の声は届いていなかっただろう。
レミリアはうろうろするのをやめて地霊殿の入り口をじっと見つめている。そんなことをしても意味がないというのに。
そんなレミリアの所へと走り寄ったこいしはレミリアに声をかけることもせずその顔を覗き込む。ちなみに、フランのことばかり考えているレミリアはまだこいしの存在に気付いていない。
「あ、ほんとだ。瞳の色がフランと同じだね」
声がすると同時にずざっ、とレミリアが後ずさった。
こいしの口から無意識に漏れた声に驚いたのだろう。
「だ、誰よ、貴女は」
他のモノの家の前で不審な動きをしていた、という自覚があるのか微妙に動揺が見られる。
「私は、古明地こいしだよ」
「……古明地こいし、って言ったらこの家の主の妹ね。そんな貴女が一体私にどんな用よ」
「あなたの従者さんにあなたがフランのお姉ちゃんだってことと瞳の色がフランと同じだ、って聞いて覗きに来たんだ」
「初対面の顔を覗き込むなんて礼儀がなってないわね。……それよりも、咲夜が貴女に私の話をしたの?どこで?」
なんとなく予想は付いている。
「あの人、咲夜、っていうんだ。話ならそこで聞いたよ」
そう言ってこいしが指差したのはレミリアの背後。レミリアは振り返ってその指の先に視線を向ける。
当然、誰もいない。今この状況で姿が見えているようなら彼女の従者失格だ。即刻追い出す準備をしなければならない。
だからと言って、自分の従者が優秀だ、と喜ぶことはしない。
「咲夜、出てきなさい」
不機嫌な口調でそう告げた。絶対に付いてくるな、と言ったのに付いてきた、というそのことが不満なようだ。
「はいはい、お呼びでしょうかお嬢様。それにしても、こんな所にまで来ても私を呼び出すなんてお嬢様は寂しがり屋なのですね」
主の前だと言うのに飄々とした態度で白々しくそう言う。
「はい、は一度で十分よ。あと、貴女みたいな不誠実な従者がいて私は悲しいわ」
「ああ、寂しいのではなく、悲しい、のですね。そんな主に私は何を致せばよろしいでしょうか」
「さっさと帰って家事を終わらせなさい。というか、貴女はなんで付いてきたのよ」
「帰ってからでも十分できますわ。あと、付いてきたのはお嬢様が神社とは別の場所に行くような予感がしまして、もしかしたら道に迷ってお嬢様が涙目になるのではないだろうか、と思って追いかけたのですよ。まさか、こんな所にまで迷って入ってしまわれるとは、中々の方向音痴みたいですね」
「白々しいわよ、咲夜。大体―――」
「あ、これ、魔理沙の家に置いてあった傘だ。ほんとはあなたのなの?」
こいしが話の流れを完全に無視してそんなことを聞く。出会った時にフランが持っていたレミリアの傘に興味を示している。
「私が話してるのに勝手に口を開くんじゃないわよっ!」
お嬢激怒。フランのことを心配したり、咲夜が言うことを聞かなかったりといろいろとあって虫の居所が悪いようだ。
こいしは咲夜の後ろに隠れた。レミリアの声が怖かったとかそう言うことではなく無意識が危険を察知して安全な場所に逃げただけだった。要するに驚いただけだ。
「……びっくりしたぁ」
「まあまあ、お嬢様、落ち着いてください。紅魔館の主がそんなことで怒っていたら魔理沙辺りに笑われてしまいますわよ」
「貴女はどっちの味方なのよ」
レミリアが咲夜を睨む。その瞳には鋭い輝きが潜んでいるが咲夜は一切怯まない。
「私は、何時だろうと、何処だろうレミリアお嬢様の味方ですわ」
「じゃあ、なんでそいつをかばってるのよ」
レミリアは咲夜の後ろに隠れるこいしを睨む。対してこいしはべーっ、と舌を出した。どうやら、こいしは怒鳴ってきたレミリアを嫌ってしまったようだ。
レミリアの眉がむ、と寄せられる。こいしの反応が気に入らないようだ。まさか、舌を出してくるとは思っていなかったのだろう。
「私は主として威厳あるお嬢様を見ていたいのです。その為なら例えお嬢様に対してでも冷たい態度をとるだけの覚悟はありますわ」
「それはまるで今の私に威厳のないみたいな言い方ね」
「ええ、そうですね。ついでに、落ち着きもなければ、思慮深さもありません。あるのは空回りするフランお嬢様に対する心配だけですわ」
「うっ……」
咲夜の的確な言葉はレミリアに大きく効いた。言葉を失って答えることが出来ない。
「それにすぐに怒鳴るしねっ」
こいしが茶々を入れる。
「う、うるさいっ!」
再びレミリアが怒鳴る。
自分が認めている咲夜ならまだしも、出会ったばかりのこいしから何かを言われる、というのは耐えれないようだった。
「わ、怒った怒った」
こいしは怒るレミリアを見て楽しんでいるようだった。
「咲夜、そいつを捕まえなさい!」
びしっ、と咲夜の後ろに隠れるこいしを指差す。
「へぇ、自分ヒトリだと何にも出来ないんだ」
今度はこいしが挑発する。こいしはとことんレミリアのことが気に入っていないようだ。
レミリアもこいしに挑発されたりからかわれたりしてこいしのことが気に入っていないようだ。再度こいしのことを睨みつけている。
「こいし、お嬢様があんなんだから黙っててくれるかしら。今度、美味しいお茶とお茶菓子を出してあげるから」
咲夜は背後にいるこいしの方に身体を向け、こいしに目線を合わせる。
「私、そんなものに釣られないよ。……でも、フランの従者さんだし、あなた、そんなに悪そうな人じゃないから、しょうがないから今だけは黙っててあげるよ。お茶とお菓子、楽しみにしてるね」
「無償でもいいならこんな条件出すんじゃなかったわね。まあ、いいわ。大体いつでもいるから好きな時にいらっしゃい」
「わーい、ありがと」
「わっ、と」
こいしが咲夜に正面から抱きついた。嬉しさが素直に現れた結果だ。
咲夜は倒れないようにしっかりとこいしを受け止めた。
「咲夜!なんで、そいつを館に招待してるのよ!それも、お茶を振舞うなんて勝手なこと!」
従者の勝手な行動にレミリアは激昂する。今日のレミリアは物事があまり思うとおりに進んでいない。
「お嬢様、争うことでは何も生みませんわよ」
「だよっ」
咲夜はこいしを放してレミリアの方に向く。こいしは咲夜の後ろから同調するように言葉を続けた。
今、この場においてレミリアの味方となるモノはいない。
「くっ、私の従者の癖に……!」
「お嬢様の従者だからこそ、ですよ」
レミリアが悔しがる様子を見せるが咲夜はいたって冷静な対応を返す。どちらが上なのかよくわからなくなっている。
「ねえ、咲夜、だったっけ。私の家に来ない?あなたの主がフランの様子を知りたいんならあなたが私の家に来れば万事解決だよ」
「ああ、それもそうね」
咲夜がこいしの言葉に納得したように手を叩く。
こいしの発言は突拍子もないが、咲夜はその程度ではあまり動じない。彼女の主もまた突拍子もない発言が多いのだ。
「というわけでお嬢様。フランお嬢様のことは私にお任せしてレミリアお嬢様は館の方にお帰りください」
「なっ!フランを見守るのは姉であるこの私の仕事よ!従者の貴女には任せられないわ!」
「ですが、フランお嬢様が初めて外に出られた日は、私に任せられましたよね?」
「あ、あれは、その、フランとの距離の取り方がわからなかったし、ばれたらどうしようか、って思ってたし、雨も降ってて付いていくのも難しかったし……。そ、そんなことは別にどうでもいいのよ!」
言い訳をしようとして、結局投げ捨てる。
「まあ、そう言うのならよしとしましょう。ですが、私たちに付いてきてフランお嬢様にどう言い訳なさるつもりですか?私は、館の近くこいしがやってきてここまで誘われた、と嘘でも付きます。……別にいいわよね、こいし?」
「うん、いいよ」
非常に素直に頷くこいし。それを見たレミリアは、
「なら、私もその嘘に乗らせてもらうわ。私が付いて行ったとしても何の問題もないでしょう?」
「やだ。あなたのためには絶っ対に嘘付かないから!」
再びべーっ、と舌を出してレミリアの言うことは聞かないことを現す。そんなこいしをレミリアは再び睨む。ワンパターンなところが両者ともに非常に子供っぽい。
「お嬢様、こいしもこう言っていることですし、諦めたらよろしいのではないでしょうか」
「い、や、よ!姉として妹の心配をするのは当たり前のことでしょう?!」
「なら、フランお嬢様に素直に心配だったから付いてきた、とでも言えばよろしいではありませんか。こんな所に居ても中の様子は全く見えませんわよ」
「そ、それは、私のプライドが許さないわ」
「フランお嬢様はそんなに気にしないと思いますけどね。まあ、私はこいしと共に中に入りますのでおヒトリでゆっくり考えてください」
咲夜はこいしの手を引いてレミリアの方――地霊殿の入口へと歩いて行く。
「さ、咲夜の」
「?なんでしょうか、お嬢様」
レミリアに名前を言われて立ち止まると、
「咲夜の馬鹿っ!もう知らないわよっ!」
そんな単純な言葉で咲夜を罵り、来た道を走って行ってしまった。瞳に光るものが浮かんでいたのは気のせいだろうか。
「泣いてたね」
「ああ、気のせいじゃないのね」
呆然とレミリアの走り去っていく姿を見送るフタリ。
「異変を起こす前はもっと堂々としてたんだけれど、霊夢の暢気な空気にあてられたのかしらねぇ」
遠い過去を思い出すような口調だ。確かに、今のレミリアに堂々、という言葉は程遠いかもしれない。
「霊夢って、あの紅白のめでたそうなやつのこと?」
「そう、それ。頭の中はいつでも春だとか噂されてる巫女のことよ」
「ふーん、そんなに影響力が強いやつなんだ」
「あの巫女はうちのお嬢様を始めいろんな強力な妖怪から好かれてるから何か不思議な魅力があるんでしょう」
「そういえば、私のお姉ちゃんも地霊を片付けるのにあの巫女が欲しい、って言ってたけどその魅力が関係してるのかな」
「さあ、それは単に霊夢を道具として必要としてるだけじゃないかしら」
「うん、そうだろうね」
頷きながらこいしが扉を開けた。
「あら、いつの間に」
歩き出した記憶がないのに扉の前まで来ていたことに驚く咲夜。
こいしが咲夜の無意識を操ってここまで歩かせたのだが答えるつもりはないようだ。いや、こいし自身、咲夜の無意識を操っていた、という自覚がない。
「咲夜、どうしたの?」
「いや、なんでもないわ。では、お邪魔いたしますわ」
「ようこそ、我が家へ」
初めて誰かを家へと招いたこいしは少し嬉しそうだ。友達、と呼べる存在もいなかったのかもしれない。咲夜がそうなのかどうかはわからないが。
「さてと、フランはどこかなぁ」
こいしがそんなことを呟きながら歩いて行く。咲夜はその隣に並んだ。
◆
「ここが、最後の部屋です」
さとりが木で出来た扉の前で立ち止まる。扉の作りが他と違う。下の方に押すと動くようになっている木の板がついている。しかも、その板の周りは傷が多い。
何のための板なのだろうか。
「入る前に一つ確認なのですが、フランドールさん、ルーミアさん猫は平気でしょうか」
「見たことないからわかんないけど、見てみたい」
「私は全然大丈夫だよー」
さとりの言葉にフランは期待に瞳を輝かせ、ルーミアはいつも通りの様子で言葉を返した。
「とりあえず大丈夫なようですね」
言いながらさとりはゆっくりと扉を開く。猫の声が、徐々に開いて行く隙間から漏れてくる。
そして、扉が完全に開くその前に、部屋の中から猫の大群が溢れてきた。
にゃーーーーーーー!!
人間の軍隊が敵に突っ込んでいくときの雄たけびみたいな声をあげて一斉に走り出してくる。しかし、それは攻撃をするためではない。
「な、なにっ?わっ。きゃっ!」
猫の勢いに押し負けてフランは倒れてしまう。不意打ちとはいえ吸血鬼をも倒すとは。猫の大群、侮ることができない。
ルーミアはとっさに天井近くまで浮かび上がっていたので被害はない。さとりもこうして飛び出してくるのには慣れているのか浮かび上がって猫の大群を避けていた。猫の大群に呑まれたのはフランヒトリだけだった。
「ああ、もう、やめなさい、ってば!あ、あははは!く、くすぐったい、くすぐったいからやめて!は、はははは!」
じたばたと暴れるがまるで効果はない。フラン自身本気を出さないようにしている、というのもあるのだろう。
猫もふもふ地獄に呑まれてフランの笑い声は止まることがない。面白がってる節もあるが、大半はくすぐったさから来ている。落ち着かず動き回る猫たちがフランの全身をくすぐっているのだ。
けど、徐々に猫たちも落ち着いてくる。それと同時にフランの笑い声も引いてくる。
「はぁ……、はぁ……」
笑い疲れたのか床の上で横になったまま息を整えている。そんなフランの顔を一匹の猫が舐める。
初めて猫と触れ合うモノはそこで多少の驚きを見せるのだが、最初の洗礼があれだっただけに驚きは全くない。
「あなたたち、よくも、やってくれた、わね……」
まだ息も整っていないので言葉も途切れ途切れとなっている。
「もう、なんていうか、あなたたちには、完敗よ……」
顔を舐めていた一匹の猫を横になったまま持ち上げる。そうすると、見上げる側と見下ろす側の位置となる。
フランに持ち上げられた猫はみゃー、と小さな声で鳴く。
「私を押し倒したくせに、そんな可愛らしい声で鳴くのね」
息を整え終え、フランが猫に向けたその表情は動物好きが見せる優しげな表情だった。
一段落ついてさとりが全ての猫を部屋の中へ戻すと、フランたちも猫たちとともに部屋の中に入った。
猫専用の部屋なのか家具らしい家具はほとんど置いておらず猫の遊び道具や寝床ばかりが置いてある。唯一目につく家具は机と椅子の一セットだけだ。とりあえず、一番疲れているであろうフランを座らせることになった。
「さとり、猫が飛び出してくるんなら先に言いなさいよ」
「いえ、すみませんでした。まさか、私以外がいてもあのように飛び出してくるとは思っていなかったので。この地霊殿に客人を招くのは初めてなのでどうも要領がよくわからないのですよ。だから、今回は仕方なかった、ということで」
「そう言う割には猫たちが落ち着くまで何もしなかったわよね」
足元に寄ってきた三毛猫を抱きあげながら言う。ちなみに、さとりの腕には白猫が抱かれている。
「それは、フランドールさんが楽しそうだったからですよ」
「まあ、楽しかったけど、ああいう場合は少しでも助けに入ろうとするんじゃない?」
「?そうでしょうか?」
さとりが小さく首を傾げる。魔理沙のようにとぼけているのではなく、本当にそう思っている、といった感じだ。
他のモノとの付き合いがあまりないフランはさとりの反応に少し考えてしまう。さとりもさとりで他のモノとの交流がないので自分の反応にあまり自信が持てていない。
フタリとも他のモノとの関わり方がちゃんとわかっていない、という点が共通しているのだ。
「……」
「……」
そのままフタリとも黙り込んでしまう。かと言って気まずくなるわけでもない。フランは抱き上げた猫を撫でたりしてそちらに意識を移しているし、さとりはさとりで、フランの様子を見ていればいい、とそう思っているようだ。
ルーミアはヒトリで猫と遊んだり遊ばれたりしている。猫に登られたり、猫の頭を甘噛みしてからかったりと、楽しそうである。黒猫ばかりが集まっているが、服のせいで仲間だと思われているのだろうか。
フランは壊れ物を扱うような慎重さで猫に触れている。頭を撫で、お腹を撫で、首筋を撫で、と慎重な割には結構いろいろな場所に触れている。
そうしているうちに、フランの顔からは自然な笑みが漏れてくる。今まで感じたことのないくすぐったいような、温かいようなよくわからない感情が溢れてくる。
さとりは、そんなフランの心の中を微笑ましげな気持ちとともに覗きこむ。覗きたくなくとも勝手に覗いてしまうこの力のお陰で、フランの過去については大体知ってしまった。
けど、だからこそ、微笑ましい、と思ってしまう。全てを壊す程度の能力を持ちながらも、全てを壊せないほどに優しい心を持つ吸血鬼をさとりは気に入ってしまった。
(何か、して上げたいわね)
そう思ってさとりは部屋から出て行こうとする。猫に意識を向けながらもフランはそれに気づく。
「さとり、どこか行くの?」
「この子達のおやつを取ってこようと思います。フランドールさん、よろしければ、この子たちにおやつをあげてみますか?」
「え、いいのっ?」
勢いよく椅子から立ち上がる。七色の羽がぱたぱたと揺れ、瞳が輝く。心を視なくともフランがどれだけ猫に餌をあげてみたいと思っているのかがわかりそうだ。
「いいですよ。この子たちもフランドールさんのことを気に入ってる……いや、珍しがってるだけですね。ですが、嫌がってはないみたいですし、何よりもフランドールさん自身この子達ともっと関わってみたい、って思ってるみたいですからね」
「うん」
笑顔で頷く。その笑顔には万人を魅了するような愛おしさがある。花咲くような笑顔、とはこのようなことを言うのだろう。
「……あ、ついでにお茶でも出そうと思うのですが、紅茶と日本茶、どちらがよろしいでしょうか」
「紅茶がいいわ」
「じゃあ、私も紅茶でー」
日本茶は苦いだけのお茶、という印象しか持っていないフランは即答する。ルーミアはフランの言葉に追従した。
「おフタリとも紅茶でいいのですね。……あ、砂糖とミルクですか?ちゃんとありますよ。どれくらい入れればいいかわからないので入れずに持ってきますね。では、少々お待ちください」
フランの要望を心の声から読み取ってさとりは猫の部屋から出て行った。
さとりの姿が見えなくなってからフランはようやく自分が立ち上がっている、ということに気付いて椅子に座ろうとした。けれど、椅子の上に灰色の猫がいるのに気がついた。いつの間にここに乗ったのだろうか。
さとりと話している間、ずっと抱いていた三毛猫を床の上に降ろす。すると、すぐにフランの足元によってフランの足にまとわりつくように歩く。
「あなたとはずっと、遊んであげてたでしょ。だから、今度は椅子の上の子の番よ」
しゃがんで三毛猫と視線を合わせてそう言う。フランの言葉を理解しているのか三毛猫はみゃー、と少し不満げに鳴くとフランの足元から離れて行った。
「猫って賢いのね」
遠ざかっていく三毛猫の背中を見ながら呟く。
「言葉を理解できる猫は結構少ないよ。たぶん、さとりの育て方がいいのか、ここの環境が特殊なのかのどっちかだと思うよー」
いつの間にかフランの隣に来ていたルーミアがそう言う。
「……そういえば、ルーミアも私が猫に呑まれてた時、助けてくれなかったわよね」
「理由はさとりと同じだよ」
少し離れた場所で遊んでいたが一応フランたちの会話には耳を傾けていたようだ。
「次からはちゃんと助けてあげようかー?」
「それはありがたいけど、これからそんな機会なんてあるのかしら?流石に二度目はないわよ」
「そうかなー?」
「どういう意味よ」
「私が勝手に想像してるだけでほんとに起こるかはわかんないから、言わないでおくよ。実際に起きたとしてもそんなに大きな害があることでもないからねー」
「意地が悪いわね」
「適当なことを言って混乱させたりするよりはましだと思うよー」
ルーミアの言葉に納得してしまったフランはむぅ、と唸ってそれ以上は何も言えなかった。ただ、同時にどこか釈然としない気持ちもある。
そんな気持ちを誤魔化すためにフランはしゃがんで足元に集まっていた猫たちの相手をし始める。
みゃー、みゃー、みゃー、と声を揃えて鳴く猫たちの頭を順番に撫でていく。
「あ、ちょっと、噛むんじゃないわよ」
待ちきれないのか、それともじゃれているのかフランの手を甘噛みする猫もいる。そんな猫に対しても乱暴なことはせず、優しく放そうとする。
けど、放しても放しても別の猫が甘噛みしてくるので切りがない。だから、最終的には諦めてされるがままになっている。そのせいで、手は猫の唾液でべとべとになってしまった。
猫たちはフランのことが非常に気に入ったようだ。フランの方には猫が十数匹いるのに対してルーミアの方には二、三匹しかいない。フランから猫に好かれる何かが出てきているのかもしれない。それか、もしくは最初に猫たちに呑まれたのが良かったのかもしれない。
と、突然、フランの周りにいた全ての猫が一斉にフランから離れた。視線が自然に猫の行く先を追う。
そこには、袋を持ったさとりと、それに群がる猫たちの姿があった。猫たちの鳴き声が明らかに先ほどよりも興奮しているのがわかる。
「フランドールさん、こちらに来ていただけませんか?」
「すごい勢いで群がるのね」
さとりの足元にできたもふもふ動く塊を見て呆れたように呟きながらさとりに近づく。
「何かを食べる、というのは動物にとって最も大きなウェイトを占める事柄ですからね。このときばかりはこの子たちの心も視ることができません。……では、これがおやつです」
さとりがフランに餌の入った袋を手渡すと、それに合わせて猫の群れも動く。
フランは何気なく袋の中をのぞいてみる。そこに入っていたのは大量の煮干しだった。
「私もあげてみるー」
ルーミアが空中からフランに近寄ると勝手にいくらかの煮干しを取っていった。それに合わせて何匹かの猫が動くが、まだほとんどの猫はフランの足元に集まっている。
「そんなに慌てるんじゃないわよ。えーっと、たぶん、無くなることはないと思うから」
確認を取るようにさとりのほうに視線を向ける。
「まだいくらかあるので大丈夫ですよ。では、私は紅茶を淹れてきますので、あとはお願いしますね」
「うん、任せて」
フランの返事を聞くとさとりは部屋から出て行った。
「とりあえず、袋を持ったままだとあげにくいわね」
まずは、煮干しの入った袋を置こう、と机の方に近づいていく。猫を踏みつけないように摺り足でゆっくりと。
フランの動きに合わせて猫の群れも動く。猫たちがフランを中心にして動いている。しかし、フランは細心の注意を払って移動しているのでそんなことに喜ぶような余裕もない。
なんとか机の近くまで行って袋を置く。それから、袋の中から煮干しを両手いっぱいにすくい取る。
「ほら、順番に食べるのよ」
フランがしゃがんで煮干しでいっぱいになっている両手を差し出すと一斉にそこに猫たちが群がる。
押し合い圧し合いの大混乱。我先に、と猫たちはフランの手へと集まって行く。その過程でフランの腕に登ったりする猫もいた。
「ふふ、ほんとに落ち着きがないのね。って、こら、登るんじゃないわよ」
腕を登る三毛猫を制止させようとするが両手が動かせないのでどうしようもない。
そのままその猫はフランの頭の上に乗った。食べる事にはあまり興味のない猫なのかもしれない。
「吸血鬼の頭の上に乗るなんて、あなた大物になれるんじゃない?」
視線を上に向けて呆れたようにそう言う。姿は当然見えていない。
みー、という声が上から、ではなく下から多重に聞こえてきた。視線を下に向けてみると下にいた猫が全員フランの方を見ていた。フランの手から煮干しがなくなったので追加するよう催促しているのだろう。
「早いわね。まあ、これだけいれば当たり前か」
みー、みー、みー。全ての猫が甘えるような鳴き声を上げる。フランの頭に乗っている猫だけはみゃー、と少し偉そうだ。
「もう、そんなに言わなくてもちゃんとあげるわよ」
怒ったような口調で言うが、その表情はとても楽しそうだ。誰かに何かを与える、ということが今まで一度もなかったから新鮮な気持ちで楽しんでいるのだろう。
フランは、よっ、と声を出して立ち上がる。頭の上に猫が乗ってるせいで少し立ち上がりにくかったのだ。
再び袋の中から煮干しを両手いっぱいにすくい取る。それを見た猫たちが色めく。騒がしさが再び絶頂を迎える。
そんな騒がしい鳴き声を聞いて楽しそうな笑顔を浮かべながらフランは再びしゃがみ込む。そして、猫たちが一斉に集まる。
「単純ね、あなたたちは」
猫たちの頭を撫でたい、という衝動に駆られるが煮干しを床に落とすわけにもいかないのでそれも出来ない。
「フランは人気だねー」
ふと、上から暢気な声が聞こえてきた。ふよふよと浮かんで猫たちを避けつつテーブルまで近づいてきたルーミアだった。
「ルーミアの所にだって何匹かいるじゃない」
フランは猫たちの群れから離れた場所にいる数匹の猫に視線を向ける。
「あれは単に騒がしいのが苦手なだけだと思うよ。それか、妖怪化が始まってるか、だね」
「妖怪化?」
「うん、そう。この辺は独特の何かがあるみたいだからねー。それが、ここに住む動物たちに力を与えてるみたいだよ。……っと、それはどうでもよくて。煮干し、もらってくよー?」
「別にわざわざ確認なんて取らなくてもいいわよ。私のじゃないんだから」
「もう煮干しがなくなりそうだし、その子たちがまだ足りなさそうだからねー」
フランの両手にあった煮干しを食べ尽した猫たちが再び催促の合唱を始める。フランの頭の上に乗った猫だけは相変わらずのんびりしているが。もしかしたら、ルーミアの言った独特の何か、の影響を他の猫たちよりも強く受けているからこうしてマイペースなのかもしれない。
「でも、向こうの子たちもまだ物足りなさそうだからこっちに来たんでしょう?」
「意見は猫担当のフランに、ってことに。私の方に来た猫たちはこっちの子たち優先でもいい、って言ってるけどねー」
「なによ、猫担当って。というか、ルーミアは猫の言葉がわかるの?」
「猫担当は猫好きに贈られる名誉ある称号ー。猫の言葉は頑張ればわかるよー?」
ルーミアの答えにフランは訝しげな表情を浮かべる。
猫担当は納得できたが、頑張れば猫の言葉がわかる、というのには納得できなかった。頑張る、とは一体何をどう頑張る、というのだろうか。
フランは友達の不思議な発言に首を傾げるしかない。
「じゃあ、煮干しは四分の一だけもらってくねー」
「……結局、私の意見も聞かずに持っていくんじゃない。まあ、いっか」
小さいことは気にしない。それが幻想郷流。
フランも袋をテーブルの上から取ると全て掌の上に出す。それから、すぐに手を差し出すと、またもやすぐになくなってしまった。
始まる合唱。しかし、
「もうないから、静かにしなさい」
フランがそう言うとみんな静かになった。
それから、半分くらいが思い思いの方へと散っていく。そして、もう半数はフランの足元に残った。
フランの所に残った猫たちは甘えるようにフランの足に身体を擦り寄せる。フランの所に残った彼らは彼女のことが気に入ったようだ。
「あなたたち、くすぐったいわよ」
ふふ、と小さく笑いながら適当に足もとの猫たちを撫でる。そうすると、猫は気持よさそうに目を細めてフランの手に身を任せる。
お腹を見せたり床の上に横になったり。明らかにフランのことを信頼している、ということを見せている。
フランはそう言った猫の行動に関する知識を持ってはいなかった。だから、どうして自分の周りで横になるんだろうか、と思った。もしかしたら、自分のことを舐めているのかもしれない、とも。
けど、猫たちの愛らしい姿を見ていると、フランの顔からは自然と笑みが漏れてくるのだった。
◆
さとりがティーポットと、三つのカップ、砂糖、ミルクを乗せた木のトレイを持って廊下を歩く。
「あ、お姉ちゃーん!」
背後からの声。さとりの知るかぎりそう呼ばれるのは自分だけだ。それに、その声を聞き間違えるはずがない。
「こいし、フランドールさんが貴女に訪ねてきたわよ……?」
自分の妹のこいしの隣に見知らぬ人間がいてさとりの言葉が半疑問形となってしまう。
「うん、知ってるよ。どこにいるかな?」
「奥の猫の部屋にいるわよ。……それよりも、隣の人間は?」
さとりは妹の心を視ることが出来ないし、咲夜が自分のことを考えているはずもない。
「フランのお姉ちゃんの従者さん」
「そう。……ふむ、そして、名前は十六夜咲夜、というのね」
自分のことが話題に上がっていることに気付いた咲夜が自己紹介をしようと用意をしたが、それをさとりが覗いてしまった。
「うん、そうそう」
こいしが頷く。この姉妹のやり取りはさとりのことを知らないモノが見れば意味のわからないものだろう。実際、咲夜も目の前でのやりとりに驚いていた。
「なんで、あなたは私の名前を知ってるのかしら?」
「私は、古明地さとり、と言います。これだけ言えば、どうして私が貴女の名前を知っているかわかりますよね」
「……ああ、あなたがパチュリー様の言っていたさとり妖怪のさとりね。それにしてもどうしてパチュリー様は私の名前をあなたに教えたりしたのかしら」
咲夜の答えはずれていた。さとり妖怪がどういったものなのか知らないわけでもなく、ふざけているわけでもない。本気でそう思っているのだ。
「いえいえ、そうじゃないですよ。私が、咲夜さんの心を視させてもらったんですよ」
「ああ、そっちね。あなたが心の中を視れるということを失念していましたわ」
「フランドールさんに何か御用ですか?」
「心配性のお嬢様に代わってフランお嬢様の様子を見に来たのよ」
どうせ心を覗かれるなら嘘をつく意味もない、と素直に本当のことを言う。
「それなら、……こいし、咲夜さんを部屋まで案内してきてくれるかしら?私は私と貴女の分のお茶を淹れてくるから。はい、これよろしく」
言いながらさとりは手に持っていたトレイをこいしに渡す。
「うん、わかった。……よし、じゃあ、行こ、咲夜」
トレイを受け取るとこいしが奥へと向かって歩いて行く。
「あの、咲夜さん」
咲夜はそれについて行こうとしたが、さとりに呼び止められて足を止める。
「こいしは突然何をするかわかりませんけど嫌わないでくださいね。あの子、貴女に懐いているみたいですから」
「いきなり何をしでかすかわからないようなのといるのは慣れているから大丈夫よ」
自分の主の顔を思い浮かべながら答える。突然の命令にも応えることのできる咲夜が今更突然の行動に戸惑ったりすることがあるだろうか。
「あなたも、うちの妹様が迷惑をかけるかもしれないわ。……暴走したら何をしでかすかわからないから気をつけて」
「たぶん、大丈夫ですよ。フランドールさんの心が今なお変わり続けているのが見えますから。微力ながら私もその変化に力添えしたいと思います」
その申し出に咲夜は驚く。咲夜が口を開くよりも早くさとりは答える。
「私がそのような申し出をするなど意外ですか?……私も一応、姉である身なので貴女の主の心配もなんとなくですが理解できます。そんな同じ姉であるヒトリとしてフランドールさんに私が教えれることは教えてあげたいのです。まあ、フランドールさん自身がそれを望めば、ですけれどね」
言って、姉としての微笑みを浮かべる。
「……お嬢様にもあなたほどの余裕があればいいのに」
「でも、貴女は妹のことを心配して余裕のない主を嫌がってはいないんですよね」
「ま、そうですわね。見てて面白いもの」
「えー、私すぐ怒るからあの吸血鬼嫌い」
先に行っていたはずのこいしがフタリの会話の間に入ってきた。フタリともこいしが口を開くまでこいしの存在に気が付いていなかった。
「お嬢様がいくら無礼で無駄にプライドが高いのだとしても悪口は許さないわよ」
「咲夜の方がひどいこと言ってる」
「私はお嬢様の従者だからいいのよ。従者の役割は主が正しい方向に進めるよう手助けをすることよ」
「そうは言っていますが、最近になってからのようですね。レミリアさんが咲夜さんの助けを必要としているのは」
咲夜の心を視て過去のレミリアと現在のレミリアを重ねる。
「そうなのよ。霊夢たちにやられて以来、背伸びをしなくなったはいいけれど、代わりに今まで溜めてきたカリスマもなくなってきたのよね。といっても、この幻想郷においてカリスマなんてあっても付いてくるのなんて妖精か弱小の妖怪くらいでしょうけど」
幻想郷において縦社会がしっかりと存在しているのは妖怪の山の中くらいだろう。それ以外の場所に住む妖怪たちは大体個人主義なのだ。
「ねえ、そんなことどうでもいいから、早く行こうよ」
こいしはそう言ってフタリの会話を終わらせようとする。早くフランの場所に行きたい、というよりは、レミリアの話を聞いているのがつまらない、といった感じだ。
「そうね、早く行きましょうか」
咲夜はこいしの思いを汲み取ったのかそのまま話を中断させる。もしかしたら、咲夜自身どうでもいいと思っていたのかもしれない。
「すみません、無駄な話に付き合わせてしまって。……それにしても咲夜さんの能力は便利ですね」
「お姉ちゃん、咲夜、何したの?」
こいしは姉の突然の発言にもちゃんと付いて行く。咲夜はこいしの反応を見て、ああ、心の中を視たのか、と納得した。
「紅茶をよく見て」
「んー?」
こいしがティーポットの中の紅茶をじぃ、と見つめる。よくわからなかったので揺すってみた。すると、紅茶が全く動かなかった。まるで氷になってしまったかのように。
「あれ?何か変」
そう言いながらこいしは紅茶の中に指を突っ込んだ。
「んんっ!?熱くもないし冷たくもないし、温くもない。……なんて言えばいいんだろ。すごい不思議な感じ」
「こらこら、お客様に出すものに指を突っ込んだら駄目じゃない」
さとりがこいしの行動を窘めるが聞く耳持たない。
「時間を止めれば熱の動きも止まる。だから、触れても温度を感じないのよ」
「やっぱりすごいね、咲夜は。改めて聞くけど、私のペットにならない?」
「改めて答えるけれど、やっぱりあなたのペットになるつもりはないわ」
「む、残念。魔理沙と違って無理やり捕まえても簡単に逃げられそうだし……」
そのまま考え込んでしまうこいし。気に入ったモノをペットにしようとするのは彼女の悪い癖だった。
しかし、さとりはそれを咎めようとはしない。彼女も彼女で便利そうなモノをペットにしようとする癖がある。
「そんなことを考えるよりも早く行きましょう。私は、ずっとお嬢様の尾行をしていて疲れたわ」
「フランドールさんのいる部屋には一脚しか椅子はないですよ。もともとは猫たちの部屋ですから」
「それでも構わないわ。廊下は気疲れするから」
「そうですか。わかりました。では、私はあとフタリ分カップを取ってきますね」
踵を返して去っていく。
「よぅし、じゃあ、フランの所に行こうか」
嬉々とした様子のこいしと共に咲夜はフランの所を目指した。
◆
「フラーン、紅茶、持ってきたよ。あと、私の家にようこそ」
「一応、私もいますわよ」
フランたちのいる部屋にフタリの来客。ヒトリはトレイを持ったこいしでもう一人はこいしの後ろに立つ咲夜だった。
「しーっ」
ルーミアが口の前に人差し指を立ててフタリの前に立つ。それから、自分の背後の光景をフタリに見せた。
そこにはフランが足を伸ばして床に座っていた。その周りにはたくさんの猫が丸まって眠っている。足の上にも何匹かの猫が乗っている。そして、頭の上には一匹いる。
フランが周りに来た猫たちを撫でているとその全てが眠ってしまったのだ。よほど、彼女の撫で方が気持ち良かったのかもしれない。すやすやと静かに眠っている。
猫に囲まれたフランは困ったような、それでいて嬉しそうなそんな表情を浮かべている。彼女の手は周りにいる猫たちを愛おしそうに撫でている。
「……うちの猫ってあんなに懐くんだ」
こいしが小声で言う。
「……自分の家のペットのことも把握してないのかしら?」
「……だって、私、この家にはあんまりいないもん。無意識に任せて外をふらふらとしてるんだよ」
「……ふらふらとしている、という割には今まで一度も見たことがないわね」
「……外って言ってもこの地底からは出てないからね」
「……フタリともこの場で関係のない話になってるよー?」
ルーミアがフタリの会話に突っ込みを入れる。
「……おっと、無駄話をするのは悪い癖ね。……それにしてもフランお嬢様、今まで見たことがないような表情を浮かべていますわね。これなら、レミリアお嬢様も安心できるかしらね」
フランはまだ咲夜たちが部屋に入ってきたことに気付いていない。それだけ、猫たちを撫でるのに夢中になっている、ということなのだろう。
その姿は優しさで満ちている。わがままばかりだと思っていたがそうでもないのだろう。
「……なんだかレミリアお嬢様よりも優秀そうな感じがするわね」
ふと、咲夜がそんな言葉を漏らす。この場にレミリアがいれば怒り狂うか本気で落ち込んでいたことだろう。もしくは、下手に強がって逆に傷を広げてしまうかだ。
「……従者なのに主のことを貶すようなことを言うんだねー」
「……完璧な主になっていただくための愛の鞭ですわ」
「……飴はいつあげるのかなー」
「……あんなのは好きなだけいじめちゃえばいいよ」
フランの周りにできた空気に近づくことのできないサンニンは部屋の入り口付近で雑談を始めた。話題の内容は、ここにいないレミリアのことだった。どこかでくしゃみでもしていることだろう。
「貴女たちはこんな所で何をしているんですか。邪魔ですよ」
フタリ分のカップを持ってきたさとりが入口のサンニンを訝しげに見る。
すると、すぐさまサンニンは口の前に人差し指を立てる。さとりは咲夜とルーミアの心を視てすぐさま理解する。
そして、臆することなく部屋の中へと入っていく。
「フランドールさん、紅茶を持ってきましたけど、飲みますか?」
少し抑えた声でフランに話しかける。フランも同様に少し抑えた声で答える。入口の前に立つサンニンよりも明らかに自然な喋り方だった。
「あ。ありがとう。けど、この状態だとどうしようもないわね」
困ったような笑みを浮かべながら自分の周りで眠る猫たちに視線を向ける。
「そのようですね。……っと」
一匹の灰色の猫が目を覚ましさとりの足にすり寄ってきた。
さとりは、カップをテーブルの上に置くとそっと抱き上げた。
「本当、猫たちはフランドールさんに懐いてますね」
「そう、なのかな。今まで自分以外と関わったことがあんまりないからわかんないや」
「大丈夫ですよ。どのような生き物であれ安心できる場所でないと眠れないものですから」
「でも……」
まだまだ他者との関わりの経験が少ないフランは不安そうだ。ましてや、その相手は意思疎通がしがたい猫なのだ。もしかしたら、自分のことに興味がないから自分の周りでも眠れるのかもしれない、とも思ってしまう。
さとりはフランのそんな心の内を覗く。
「自分の興味のないモノの場所まで行って眠るような生き物なんていませんよ。この子たちは貴女のことが好きなんですよ」
灰色の猫を撫でながら答える。その猫はフランが撫でていた猫たちと同じような表情を浮かべている。
それを見て、さとりの言ったことは本当なのかもしれない、と思った。猫たちが自分に寄ってきて、そして寝るのは信頼している証なのだ、と。
そう思うと、途端に心の中に不思議な感情が浮かんできた。それは、暖かいようなくすぐったいようなそんな不思議な感覚を持っている。
「あ、……寝ちゃったね」
「あら、これで私も動けなくなってしまいましたね」
さとりに抱かれていた灰色の猫は実に気持よさそうな表情を浮かべて眠っていた。そんな猫の様子を見て、フランとさとりが同時に微笑を浮かべた。
さとりはゆっくりとフランの隣に座る。といってもフランの周りには猫がいるせいで少し距離がある。
こうして、猫好きによる猫好きのための空間が出来上がる。
入口の前に立つサンニンは余計にフタリの方へと近づき難くなってしまった。
猫たちが徐々に目を覚ましはじめたとき、ようやくフランは咲夜たちの存在に気付いた。さとりもすっかりサンニンのことを忘れていたようだった。
「こいしもルーミアもそんなところで何してるの?あと、咲夜はなんでここに?」
フランのその一言で他者を寄せ付けない雰囲気が壊れた。
「紅魔館で家事をしていたらこいしが来て、ここに来ないか、と誘われたんですよ」
それを嘘だと知りながら指摘するモノは誰もいない。こいしは嘘に付き合ってくれ、と頼まれているし、さとりは心の中を視て事情を知っている。ルーミアは咲夜とレミリアが付いてきていたことを知っているが、あえて黙っている。
「よくお姉様が許可してくれたわね」
「勝手に出てきたんですわ」
「えっ!咲夜が?珍しいこともあるものね」
咲夜がレミリアの命令なしに勝手に動くことはない、と思っていたフランは咲夜の発言に驚く。
しかし、実際の所は咲夜がレミリアの命令をちゃんと聞いていないことは多々ある。今回も咲夜はレミリアの、付いてくるな、という命令を無視して勝手に尾行していた。
「そう言う気分の時もたまにはありますわ」
「ふーん、そうなんだ。ちゃんと料理を作ってくれるんなら私は好きなようにしていいと思ってるけど」
「大丈夫ですわ。お嬢様方を飢えさせるつもりは毛頭ありませんから」
「なら、少なくとも私は咲夜が勝手な行動してることについてはなんにも言わないわ」
「ありがとうございます。……では、さとりの淹れた紅茶でも飲みましょうか」
咲夜が指を鳴らす。すると、こいしの持つトレイにあるティーポットから湯気を立ちのぼり始める。
従者としての性なのかティーポットを手に取ると、全てのカップに紅茶を注いだ。テーブルの上に置かれた二つのカップにもちゃんと淹れている。
「どうぞ、フランお嬢様」
机の上からティーカップを一つ取りフランに手渡す。
「ありがと、咲夜。あと、さとりもありがと」
「いえいえ、お口に合うといいのですが」
そう言いながら、さとりはこいしからトレイを受け取ってルーミアとこいしにカップを渡す。
「よほど不味くない限り大丈夫よ。私、そんなに味にはこだわらないし」
フランはトレイから砂糖の入れ物を取ると、砂糖をスプーンですくえるだけすくって、どばっ、と紅茶の中に入れた。それから、更にもう一杯同じように砂糖を入れミルクもたっぷりと入れる。
ソーサーに置かれたスプーンでそれらを混ぜる。
「すごく甘そうですね。飲めるんですか?それ」
フランの砂糖、ミルクの量にさとりはかなり驚いているようだ。それは、こいしも同様のようで目を見開いている。
咲夜はいつも見る光景なので驚かない。ルーミアも魔理沙の家でフランが大量の砂糖を日本茶の中に入れたのを見たことがあるので驚かない。
「飲めるわよ。さとりは甘いものが苦手なの?」
自分が標準からかけ離れた量の砂糖を入れたのだ、ということに気付いていないフランは首を傾げる。
「いえ、別にそういうわけではないです。ただ、甘すぎるのもどうかな、と」
「だね。これくらいがちょうどいいよ」
こいしはスプーン一杯分の砂糖を入れそのスプーンでそのまま紅茶を混ぜた。
「こいし、紅茶を混ぜるときはちゃんとスプーンを変えなさい、って言ってるでしょう?」
「えー、わざわざ持ち帰るのなんてめんどくさいよ。それに、これを代わりに使えばいいし」
ソーサーからスプーンを取ると砂糖の入った入れ物に入れた。
「それだと、砂糖を入れるには浅すぎるでしょう?」
「まあ、その辺は頑張ってもらえばいいよ」
「なんで、そうなるのよ……」
さとりは片手で顔を覆ってため息をついた。対してこいしは首を傾げた。さとりが何故ため息をついているのかわかっていないようだ。
「換えのスプーンを取ってきますね」
トレイの上に紅茶を戻し部屋を出て行こうとする。
「あ、別にいいわよ。私はそのまま飲むから」
咲夜が部屋から出て行こうとしたさとりを呼びとめる。
「そうですか。わかりました」
さとりはテーブルの方に戻ってトレイから紅茶を取ると、そこにミルクを入れた。
そうしてそれぞれが紅茶を飲む準備を終える。咲夜とルーミアはストレート派なので特に手を加える必要もなかったのだが。
フランとこいしは他のモノ達が準備し終えるのを待たずに勝手に飲み始めていた。もはや、このフタリが半ば自分勝手なのは周知の事実なので誰も止めはしない。
他のサンニンも各々で勝手に飲み始める。
「これは、アッサムかしら?いい味が出てるわね」
「はい、そうですよ。よくわかりましたね」
「紅魔館で紅茶の選定を行っているのはこの私だから当然のことよ」
「それでも凄いと思いますよ」
それからフタリは紅茶談義を始める。あの紅茶がいいだとか、ああすると美味しくなるだとか、そんなことを尽きることなく話す。
特にこだわりを持たない残りのフランたちがその会話に入れるはずもなく、サンニンはサンニンで別の会話を始めていた。
「フラン、うちの猫たちにすごい懐かれてるね」
目を覚ました猫たちはまだフランから離れようとしない。そのうちの何匹かがフランの羽に興味を示している。
「一緒に住んでるならこいしも懐かれてるんじゃないかしら?」
猫が羽に興味を持っていることに気付いたフランは羽を揺らす。その揺れに合わせて猫たちの首が動く。
フランはそんな光景を目にして微かに笑みを漏らす。
「そんなことないよ。ほら、私って無意識に動くことが多いから、こう、たたた~っ、と猫を追いかけちゃうんだよね」
そう言いながら紅茶を持ったまま猫を追いかけ始めるこいし。猫たちは騒ぎながら逃げ出した。
逃げ出した猫たちはフランとさとりの方へと走って行くと背中に隠れた。二、三匹ほどはルーミアの所へと逃げたが。
「ほら」
「ほら、じゃないわよ。怖がってるじゃない」
フランの言葉に同意するように猫たちが声を上げる。その中心でフランがこいしを睨む。
「うあ……、ごめん」
こいしはフランの気迫に押し負けてたじたじとなる。
「じゃあ、今度からするんじゃないわよ」
「うん、無理だね」
「なんで即答なのよっ!」
今にも手を床に叩きつけそうな勢いだったが紅茶を持ってるのでそれはできなかった。
「フランドールさん、こいしには何を言っても無駄ですよ。本人の認識していない範囲で動くことの方が多いですから」
さとりは机の上に紅茶を置いて、寄ってきた猫たちを落ち着かせようとその体を撫でている。
「それに、こいしは猫たちを脅かすことはあっても傷つけることは絶対にしませんから心配しなくても大丈夫ですよ」
「むー、なんか納得いかない」
「まあ、確かに好きなモノが嫌がっているのを見るのは嫌ですよね。……何なら、こいしをこの部屋から追い出してもらっても構いませんよ。私ではこいしには敵いませんが、一度こいしに勝っているフランドールさんならなんとかなるでしょう」
「自分の妹に対して随分と冷酷なのね」
咲夜はそう言って紅茶を口に含む。
「私ではこいしにお灸を据えることが出来ないですからね。説教をしても、無意識のうちに逃げられてしまえばどうしようもないし、力で訴えようにも私ではこいしには敵いませんし」
「ふーん、私としてはどうでもいいわ。なんであれ私は猫たちを苛めるこいしを許さないから」
フランは立ち上がり魔力を徐々に練り始める。頭の中では猫たちに被害を与えない最大の攻撃は何か、と考えている。
紅茶のカップは邪魔になるので机の上に置く。頭の上に乗っていた猫も、ごめんね、と謝りながら床の上に下ろしてあげる。
そして、最後にレーヴァテインを喚び出し、その柄を握り締める。
もしこのまま戦うとなればフランにとっては初めて周囲に気を配り傷つけないようにする戦いをしなければいけない、ということになる。
けど、フランの意識に初めて、だとかそう言った意識はなかった。猫を守るためには何でもやってやる、といった感じだ。
「あの、フラン?本気で私を追い出すつもり?」
「うん、そうよ。これ以上、猫たちを苛めるのを止めれない、っていうなら無理やり追い出すしかないもの」
全ての存在を圧倒するほどの気迫が溢れ出てくる。
徐々に練り上げられていく魔力と相まってその気迫は先ほどとは比べ物にならないほどになっている。周囲に集まっていた猫たちも少し距離を取るくらいだ。
そして、少し離れた位置にいる咲夜とさとりもその気迫を肌で感じる。
その中で唯一ルーミアだけが暢気に紅茶を飲んでいる。
「……お姉ちゃん!また、散歩に行ってくるね!」
さとりの所に走り寄るとカップを押しつけて走って部屋から出て行ってしまった。
「……」
フランはその様子を見て、まずレーヴァテインを元に戻す。それから、練り上げていた魔力を徐々に解放していく。パチュリーから魔法の使い方を習った時に一度に大量の魔力を解放すれば魔力が暴走することがある、ということを教えてもらったからだ。
仮にフランの魔力が暴走したとしてフラン自身には被害はないだろうが、周辺への被害は甚大なものとなる。それはフランの望むべきところではない。猫たちが嫌な思いをしてほしくない、という想いからフランはこいしを追い出したのに彼らを自分の手で傷つけてしまえば本末転倒だ。
「……ふぅ」
全ての魔力を解放し終え、小さくため息をついて終わりだ。精神状態は穏やかな状態へと戻る。
「みんな、悪は追い払った、わよ……?」
フランが振り返ってみると猫たちが全員フランから距離を取っていた。フランのあまりの気迫に全員が怯えてしまっているのだ。
「ほら、そんなに怯えなくても大丈夫よ。私はあなたたちに危害を加えるつもりなんてこれっぽっちもないんだから」
フランがしゃがみ込んで笑いかける。手も出して呼ぶ。しかし、どの猫も警戒したように寄ってこない。猫たちがフランに寄せていた信頼も、先ほどのフランの気迫によってどこかに追いやられてしまった。
フランの笑みは困ったようなものになり、次第に泣き出しそうなものへと変わっていく。
と、そんな中から一匹の猫が出てくる。それは、ずっとフランの頭の上に乗っていた三毛猫だ。
怯えた様子を一切見せず近づいて行く。ただ、自分の信頼するフランに近づこうと真っ直ぐ歩いて来る。
フランの手の所までたどり着くと、彼女の手を素早く昇りはじめた。そうして、フランが止める間もなく頭の上に乗った。
そうして、その三毛猫は誇らしげにみゃー、と声を上げた。
「……あなた、ほんとにそこが好きなのね」
フランは呆れたような笑みを零す。そして、そのままゆっくりと立ち上がる。
たくさんの猫が自分から離れて行ったけど、三毛猫の行動でなんだか、どうでもよくなった。時間があればなんとかなるだろう、と思った。それに、もしどうにもならなくても、頭の上のこの子がいるからいいか、とも思ったのだった。
フランは机の上のカップを取り、紅茶を口に含む。甘さが心を落ち着けてくれる。
「フランドールさん、心配しなくてもあの子たちはフランドールさんのことを嫌いになってなんかいませんよ。今はただ、恐怖心が理性を上回っていて近寄れないだけですから」
さとりが気遣うようにそう言った。しかし、さとりは猫の心を視ることに集中していたのでフランの思いはわかっていなかった。
「別に、もう気にしてないわ。この子の勝手な行動でもうどうでもよくなっちゃったわ」
「む、確かにそうみたいですね。じゃあ、代わりにこいしのことを謝っておきます。うちのこいしの行動のせいで迷惑をかけてしまいすみませんでした」
さとりは頭を下げて謝罪をする。
「さとりが謝ることじゃないわよ。謝るのはこいしの方よ」
フランはこいしが出て行った扉を見てそこにはいないはずのこいしを睨むかのように扉に視線を向ける。
「そういうわけにもいかないですよ。姉として、妹の取った行動にも責任を取らなければいけません」
「ふーん?」
妹であるフランにはさとりの、姉として責任を取る、という考えがよくわからなかった。それに、自分の姉が自分の為に責任を取ってくれた姿も見たことがなかった。
「まだフランドールさんには理解しがたいことかもしれませんね。けど、いつか知ることがあるかもしれませんよ。貴女の姉が貴女のために何かの責を負うことがある、というのを」
フランはフランの為に責任を負うレミリアの姿を想像してみたが出来なかった。フランの中で姉のレミリアは我侭で傲慢で偉そうだ、というイメージしかない。
とても自分以外の為に頑張るような存在だとは思えなかった。
「無理ね」
力強く、そう断言した。
「そんなことはないですわよ。レミリアお嬢様はフランお嬢様のことを大変心配しておられますわ」
咲夜はフランを追いかけるために館から出て行った主の姿を思い描きながら言う。けれど、その想いはフランには届かなかったようだ。
「でも、今までお姉様にまともに相手にされたことなんてないわよ」
「あれは、単にフランお嬢様とどう関わればいいかわからなくて近づきにくい、と思ってるだけですよ」
「……なんか、嘘っぽい」
地下に閉じ込められて姉妹の交流がほとんどない間にフランの中に積もったのはレミリアに嫌われているんじゃないだろうか、という想いと不信感だった。
「嘘じゃないですよ。例えば……」
フランお嬢様のことを尾行していた、そう言おうとした。けど、黙っていることにした、ということを思い出しそこで言葉を止めてしまう。
そんな隙を狙ったかのようにルーミアが口を開く。
「フタリとも地霊殿につくまでずっと付いてきてたでしょ」
「……!フランお嬢様に会ったとき、こちらを見ていた、とは思っていたけれど私たちのこと気付いていたのね。……あなた、ほんとに弱小妖怪?お嬢様には気づきやすいかもしれないけれど、私のことはそう簡単には気付けないはずよ」
咲夜は尾行をして簡単には気付かれない、という自負を持っていた。だから、表面にはあまり出してはいないがルーミアに気付かれていたことには心底驚いている。
「何度も言ってるけど、私はちっぽけな妖怪だよー。普通の人間に負けない程度には力を持ってるけど、それくらいだよ」
足元に寄ってきた黒猫の頭を撫でながら答える。ルーミアの周りにいるのは黒猫ばかりだ。
「何度聞いても納得できないわね。あなたと関われば関わるほど弱小妖怪のようには見えてこなくなるわ」
「そーなのかー」
笑顔を浮かべ暢気な声でそう言った。その様子はどう見ても弱小妖怪のそれだが、その場にいた誰もが素直にそうだとは思えなかった。
◆
「さとり様ー!そろそろ、夕御飯の準備をしないと夕御飯を作る時間がなくなりますよ!」
どれほどの時間が経ったかはわからないが、ポットの中の紅茶がなくなり、雑談をしたり、猫と戯れたりしていると騒々しい様子で誰かが部屋の中に入ってきた。
「あら、お空、もうそんな時間?」
「はい、もう酉三つ刻ですよ。私は夕御飯が食べれなくなるなんて嫌ですよっ」
空の目が微妙に涙目となっている。このままさとりが夕御飯を作らないで夕御飯抜きになってしまうかもしれない、とか思っているのかもしれない。
「そんなに焦らなくてもちゃんと作るから安心しなさい」
空のあまりの慌てぶりに苦笑を浮かべながらもさとりはそう答える。
「あぁ、良かった……」
空がそのまま床に膝をついてしまう。本当に心の底から夕飯のことを心配していたようだ。
「というわけですので、そろそろお開きとしましょうか。咲夜さんも早く帰った方がいいのではないですか?」
「ええ、そうね。……では、フランお嬢様、私は先に帰らせていただきます。おヒトリでも大丈夫ですか?」
「心配しなくても大丈夫よ。夜こそ吸血鬼が自由に動ける時間でしょう?その辺にいるのに負けるはずがないわ」
「どうやらいらぬ心配だったようですね。では、まあ、一応形だけでも言っておきますわ。フランお嬢様、お気をつけて」
「うん。美味しい御飯、作っててね」
「畏まりました」
咲夜が礼をするとその姿が一瞬で消えてしまった。何の障害もなければ既に紅魔館についていることだろう。
「咲夜さん、せっかちですね。折角、玄関までお見送りしてあげようと思ってたんですけど。……まあしょうがないですね。フランドールさんとルーミアさんのおフタリだけでもお見送りして差し上げましょう。……お空、紅茶のカップとトレイの後片付け、頼めるかしら?」
「うにゅっ。了解です。今すぐ持っていきます!」
たたたっ、とテーブルに近寄る。空の動きに驚いた猫たちが左右に割れる。
猫たちのそんな様子に構わず空は二つのトレイを重ねて、上側のトレイに全てのカップを乗せる。
それから、また、たたたっ、と走って部屋から出て行った。
「さっきのは、何をあんなに急いでるのかしら。ゆっくり持っていけばいいじゃない」
猫を驚かせたのが気に食わなかったのか空がいた方を睨む。
「あの子は私に言われたことを出来るだけ早くこなそうとする所があるんですよ。そのせいで空回りすることも多いんですけどね。まあ、見ていて飽きない子ですよ、お空は。……ちなみに、彼女は地獄鴉の霊鳥路空です。私も含めてみんなはお空、と呼んでいますけどね」
フランの口にした疑問と心の中の疑問に答えた。本人がいないの中での紹介となってしまった。
「ここには、考えなしに動くのが多いのかしら?」
猫たちが驚かされているのを二度も見て機嫌が悪いようだ。言葉に棘が混じっている。
「自覚してますから言わないでください。……今までは外と関わってなかったからいいけど、どうにかしないといけないわねぇ」
フランの言葉に溜息混じりにそんな言葉を漏らした。
「……でも、お燐と言い、ここの猫たちと言い、さっきのと言い、さとりはここにいる動物たちに随分と懐かれているのね」
空はさとりの役に立ちたいからこそ周りが見えなくなっていたのだろう。そう思うと、少しだけ許せてしまう。
「……ちゃんと心を込めて世話をしてあげれば応えてくれるものなんですよ。フランドールさんも心をこめて接したからその子たちに気に入られたんじゃないですか?」
さとりはフランの足元に集まっている猫たちを見て言う。
フランが帰ってしまう、ということが分かっているのか悲しげな声で鳴いている。
その声をただ聞いているだけではいられなくて、フランはその場にしゃがみ込む。
「……そんなに不安そうな声で鳴かなくても大丈夫よ。また、あなたたちに会うためにここに来てあげるから。ほら、だから、離れてちょうだい?」
全ての猫の頭を順々に優しく撫でながら諭すようにそう言う。
指切りをするかのように猫たちはフランの小指を舐めていく。一匹、一匹とフランから離れていく。
そうして、フランの周りに猫がいなくなり、最後に頭の上の三毛猫だけが残った。
「ほら、あなたも」
三毛猫を頭から離し、床に降ろしてやる。けれど、離れようとはしない。
最後の一匹が離れないことに困っていると、さとりが口を開く。
「どうやら、その子はフランドールさんに飼われたい、と思ってるようです。よろしければその子の飼い主になってくださいませんか?」
「えっ?私が?」
さとりの突然の言葉に素っ頓狂な反応を返す。目が丸くなったり、羽が揺れていたりと忙しい。
「ええ、そうです。……あ、私のことはお気になさらないでください。私は放任主義なのでその子が行きたい場所に行きたい時に行かせてあげてます。遠慮せずにどうぞ。ん?飼い方ですか?トイレの場所を作ってあげていればそんなに世話は必要ないですよ。後は食事をちゃんと与えれば十分です。そうですね、ネギ、タマネギ、ニンニク、それから辛い物以外なら何でも食べますよ」
驚きでうまく喋ることが出来ないフランの心中を覗いて勝手に質問に答えていく。しかし、それがフランの耳に届いていたかどうかはわからない。
「ほんとに、私でいいの?」
呆然とした様子のまま三毛猫に聞く。
「みゃーっ!」
力強く頷くように鳴き声を上げた。
「そう、じゃあ、これからよろしくねっ」
フランは笑顔を浮かべて三毛猫の頭を撫でた。彼女の心の中は今嬉しい、という気持ちで満たされているのだが本人はどうしてそう思っているのかがわからない。
フランはまだ選ばれる、ということの嬉しさを知らないのだ。信頼され、そして選ばれるその喜びを。
何度か頭を撫でててそれから三毛猫を抱き上げる。
「そういえば、名前を聞いてなかったわね。……さとり、この子の名前、なんて言うの?」
「名前ですか。……え?ええ、わかったわ」
突然混じる独り言のような声。さとりの不審な様子にフランは首を傾げる。
「その子はフランドールさんに名前を付けてもらいたがってます」
「私が名前を付けるの?」
「はい。飼われるモノにとって名前自体にはあまり意味がありません。彼らにとって意味があるのは飼い主につけてもらった名前です。もう、その子は私の付けた名前は不要だと思ってるようです」
さとりの言葉を聞いてフランは考え込む。自分が何かに名付ける、という行為が初めてだから内面に多少の緊張が混じっている。
「うーん、ミケ、なんてそのまますぎるし……。ピシカ、ってのも響きが悪いわね。んー……。そういえば、この子の性別は?」
「その子の性別は女の子ですよ」
「そうなんだ。……よし、決めた。あなたの名前はステアね」
「何か意味はあるの?」
今までずっと黙りっぱなしだったルーミアが質問する。
「ルーマニア語で星、っていう意味よ。綺麗な響きでしょう?」
「そう思うけど、ルーマニアって?」
「こっちに移ってくる前に紅魔館があった国。あの頃からずぅっと地下に閉じ込められてたからどんな国なのか知らないけどね」
フランに望郷の思いはない。けど、かつて使っていた言葉に対する愛着のようなものはあった。だから、フランは三毛猫にステア、というルーマニア語の名を付けたのかもしれない。
みゃ~。
フランの腕に抱かれた三毛猫が鳴く。彼女もその名前でいい、と思っているようだ。
「よかった、気に入ってくれて。ま、気に入らなかったらまた考えてあげるんだけどね」
ステアに笑いかける。既にフランは飼い主らしい雰囲気を醸し出している。
「よかったわね、ステア。いや、もううちの子ではないからステアさんですか?……ん、今までどおりでいいのね。わかったわ」
さとりとステアが話をしているようだがフランもルーミアもステアの言っていることはわからない。だけど、さとりの言葉から大体予想することは出来た。
飼い主が変わってもステアのさとりに対する想いは変わらない。だから、今までどおりに接してほしい、ということでも言っているのだろう。
「さとり様っ!まだここにいたんですかっ!早く作らないと時間、無くなりますよっ」
片付けを終えた空が戻ってきた。なかなか、台所に現れなかったので様子を見に来たのだろう。
「そんなに慌てなくても大丈夫よ。……さて、フランドールさん、ルーミアさん玄関までお送りしますよ」
「うん。じゃあね、みんな」
「ばいばいー」
フランとルーミアは猫たちに手を振って部屋の中から出たのだった。
◆
さとりから猫の飼い方の簡単な説明を受けながらフランたちは玄関へと戻ってきた。フタリの間に入ることのできないルーミアと空は始終黙ったままだった。
ステアもフランの頭の上に乗って暇そうにしている。もう、フランの頭の上がステアの定位置となってしまっている。
「―――気をつけることはこのくらいです。また、わからないことがあったら聞きに来てください」
「うん、わかったわ」
フランは小さく頷く。ステアを頭の上から落とさないためだ。
「……ん?」
ふと、フランの視界を何かが横切った。そちらに視線を向けてみると、二本の尻尾を持つ白猫がいた。けど、すぐに角を曲がってしまい姿が見えなくなった。
「フランドールさん、どうしました?」
「さっき、二本尻尾のある白猫がいたんだけど」
「ああ、お劉ですね。今日はもう時間がありませんが、またここに来た時会ってみますか?彼は妖怪化が進んで言葉を話せるようになってるんですよ」
「へえ、そうなんだ。それは是非とも会ってみたいわね」
「動物のまま話せるなんて珍しいねー。私も気が向いたら会ってみようかな」
「では、彼にはおフタリのことを話しておきますね」
「うん、よろしく。じゃあ、さとり、ばいばい」
傘立てから紅色の傘を抜き取る。
「ばいばいー」
「はい、お気をつけて。あと、ステア、お達者で」
フランとルーミアが元気よく手を振るとさとりも手を振り返す。ステアは手を振る代わりに耳をぴこぴこ、と動かした。
「さとり様、早く夕御飯の支度を」
待ちきれなくなった空がさとりの服の裾を引っ張る。
「焦りすぎよ。ちゃんと、作るからそんなに心配しなくても大丈夫よ」
なでりなでり。さとりは空の頭をなでる。
「うにゅぅ、すみません。私、せっかちで……」
「ふふ、別にいいわよ。それが貴女らしさでもあるんだから。じゃあ、夕ご飯作るから、手伝ってくれる?」
「はいっ、喜んで」
空は弾んだ声で答えてさとりとともに台所に向かったのだった。
◆
「ただいまー」
地底を出てからずっとたたみっ放しだった日傘を傘立てに立てる。
日傘を使わなかったのは別にフランが地底から出た時に陽が沈んだからではない。まだ、しっかりと太陽の姿は確認できた。
ただ、太陽が傾きすぎていて日傘が意味を成さなかったのだ。地底を出てすぐの場所は木に覆われていたので良かったがそれ以上はどうしようもなかった。
なので、ルーミアに日傘代わりになってもらいここまで帰ってきた、というわけだ。
もしルーミアがいなかったなら日が沈むまで森の中に隠れることになっていただろう。
まあ、ステアと言う暇つぶしの相手がいるので特に問題はないだろう。それ以前に、夕日程度なら当たり続けない限りはそうそう致命傷にはならない。フランが全速で飛べば陽に焼かれる前に帰ることができていただろう。
ただ、経験の少ないフランはそのことを知らなかった。
「お帰りなさいませ、フランお嬢様。……あら、その猫はどうなさったんですか?」
主の妹の帰還を感じ取った咲夜がフランの前に現れる。
「さとりに貰った……じゃないか、この子が私に飼われたい、って付いてきたのよ」
「そうなんですか。外に出て早速、吸血鬼のカリスマを発揮なさったのですね」
「私は何もしてないわよ」
「本当のカリスマを持つ方は何もしなくても配下が集まってくるものなのですよ」
「配下ねぇ。頭の上に乗ってくるようなのを果たして配下なんて呼べるのかしらね」
フランは視線を上に向け頭の上であくびをしているステアへ咲夜の注意を向けさせる。
「身勝手な方がいざという時に頼りになるんですよ。そういう方は大体、表裏がないので裏切ることもありませんから」
「そんなものなの?」
「そんなものです。……そういえば、その子のお名前は?」
「ステア。良い名前でしょ」
「ルーマニア語で星、ですか?……カクテルを作る時の技法ではないですよね?」
「なんでここでカクテルが出てくるのよ。ルーマニア語の星に決まってるでしょ」
「いえ、なんとなくですわ。……お嬢様の言っていた、星を連れて帰る、とはこのことだったのですね」
「また、お姉様が占いまがいのことをしたの?」
フランはレミリアの言葉が信じられないわけではないが、なんとなく胡散臭いのでレミリアの未来予知のことを占いまがい、と言っている。
「ええ、そうですわ」
「それで、他に何か言ってた?」
「別に何も言ってませんでしたわ」
「ふーん、それは飼ってもいい、ってことよね」
「まあ、そうでしょう。今さら猫が一匹増えた所でどうってことないですし」
紅魔館では数え切れないほどの妖精が働いている。妖精たちは知力も低いためトラブルをよく起こす。
確かに、それを思えば猫一匹増えた所で負担が増えることもないだろう。
「私のペットなんだから妖精たちみたいに扱っちゃダメよ」
「わかっていますわ。……さて、もうお食事の用意は終わっていますが、ステアの食事はどうすればよいでしょうか。さとりから何か聞いているのではありませんか?」
「普通に、私達が食べる物と同じで大丈夫らしいわ。……あ、ニンニクとタマネギとネギはダメだって。あと、辛い物とかも」
「ふむ、お嬢様の苦手なものと被ってますわね。ニンニクはともかくとして、お嬢様の前世は猫だったのかしらね」
「さあ?」
わかるはずもないのでフランは首を傾げるしかない。
「どうでもいいことでしたわね。では、ステアのお食事も用意してきますのでお先に失礼いたします」
礼をすると、咲夜の姿は消えてしまった。フランとステアは玄関に取り残されてしまう。
「ステア、ここがこれからあなたが住むことになる館よ。食事が終わったら私の部屋にも案内してあげるわ」
頭の上のステアに話しかけながらフランは食堂を目指した。
あなたのルーミアが大好きです
ありがとうございます。
そう言う言葉が聞けるとなんだか嬉しいです。
作者の好きなキャラツートップを合わせただけですが、
ルーミアが中々いい味を出してくれてると思ってます。
まだまだ続きがあるので嬉しい限りです。
1箇所だけ。フランがルーミアの名前を知っているのは不自然かな、と。