※作品集168「白狼天狗は空に焦がれる」の設定を引き継いでいます
こちらを先に読んでからこの作品を読まれるとより一層楽しめると思います
ぱら、ぱらと、ページをめくる音が響く。
周りは静寂の世界。ただページをめくる音のみが聴こえる。その音すらも、虚空に溶けて、消えてなくなる。
本を読むことは嫌いではない。私が未熟だったころは書物を開くことぐらいでしか文字を学ぶことができなかった。識字に困らなくなった今でも、新聞に物語、指南書といったものを手に取ることは多い。ある時は情報を求めて、ある時は娯楽として、ある時はただの暇つぶしとして。
ある人は、「書を捨てよ、町へ出よう」という皮肉のような本を残したらしいが、私は家にこもって本を読み続けることこそ大事なことだと考えている。外で剣を振り回しているだけではうまくいかないことも多い。そういったとき、自らを助けてくれるのは先人から学んだ知識だ。現に私は書物から得た知識に何度も命を助けられている。
ただ唯一、空を飛べない、ということだけは解決できなかったが。
その本に、私はもう一度頼ろうとしている。
天狗の和書だけでは見つからなかった可能性を求めて。
「おーい、なにか見つかったか?」
もうページも残りわずかという頃、遠くから覚えのある声が聞こえてきた。先日の一件以来、よく顔を合わせるようになった人間の声だ。
パン、と小気味良い音を立てて本を閉じ、元の場所に戻す。ここの本棚は高さがある分、本を出し入れするのも一苦労だ。
声に返事を返そうとして、一瞬ためらう。曲がりなりにも図書館だ、大声を出して怒られやしないだろうかと思ったが、これだけ広いのだから大丈夫だろう。ここの主もすでに遠くにいることだし。
「いいや、まだだ。そっちはどうだ?」
「怪しい物はいくつかあったんだがな、流石にそのものズバリってものはなかったぜ。一応キープはしているけどな」
「そうか。もう少し探したら、一度合流しよう」
「オーケー、私はもうちょっと奥を探してみるぜ」
くるりと金色の髪を翻し、白黒魔法使い、霧雨魔理沙は宣言通り奥の闇へと消えていった。
私も本棚に向き直り、背表紙のタイトルから本を選び、目次に目を走らせる。それらしい内容があれば、くまなく読み、必要に応じてメモをとる。なければ本を戻し、次の本へ。そんな作業をすでに二時間ほど繰り返している。
だが、音を上げるわけにはいかない。空を飛ぶことは長年の望みだったんだ、可能性があるのならすがりつきたい。
私は、犬走椛は誓ったんだ。あの日の夕日をもう一度、今度は自分の力で見るんだ、と。
その日、珍しく非番だった私は、朝から竿と魚籠を引っさげて河童の集落付近にある隠し池に出かけていた。この場所は河童の集落に近いせいかあまり天狗が近寄ることはなく、一方で河童の集落からは木々で隠れる位置にあり、池の存在を知るものは少ない。どうやら地下を通って付近の川ともつながっているらしく、流れのある場所に生息するものから水の溜まる場所に住むもの、といった風にさまざまな種類の魚が釣れるのも魅力的だ。
こういう場所を見つけることができるのも、日ごろから大地を駆けまわっている恩恵だ。周辺の木々が覆い隠すように存在するこの池は、空を飛んでいては発見するのはきっと難しいだろう。空を飛べないというのも、案外悪いことだけではない。
チャプン、と浮きが水中に沈む。すかさず竿を引き、針を食いこませる。力任せに引っ張っても釣れないことはないのだが、道楽として面白くなくなってしまう。魚の動きを読みつつ竿を引き、徐々に体力を消耗させていく。力の駆け引き、という点において釣りは武道と変わりない。魚の体力が尽き、引きが弱くなったところを一気に引き上げる。
瞬間、ザパァと。
わずかに差し込む光に照らされ、銀色に輝く姿が水面から現れた。少々小ぶりではあるが、十分活きのいい山女魚だ。針から外し、魚籠へ入れる。中にはすでに五匹ほど種々取り取りな魚が入っていた。
さて、あまり釣りすぎて生態系を崩すのも拙い。六匹もあれば十分、むしろ少々多いくらいだ。途中にとりの工房に寄っておすそ分けしてあげようか。まだまだ工房から出てくる気配がないし、新鮮な魚にきっと飢えている頃だろう。それでも余ったら燻製にすればいい。日持ちするし、酒の肴にはぴったりだ。
そんなことをつらつらと考えつつ竿を片づけ、魚籠を手に河童の集落に向かった。
事件が起こったのはにとりに魚を差し入れた直後だった。工房を出た私のもとに若い白狼天狗が一人、あわてて舞い降りてきたのだ。
「どうした、何があった?」
「山に人間の侵入者でございます!我々木端どもで応戦したのですが、まったく歯が立たず…!至急、椛様をお連れするようにと!」
人間の侵入者。人間の中で木端といえど天狗をなぎ倒せる者を、私は二人しか知らない。そして、特別な事件もない山に好き好んで入ってくる奴など、一人だけだ。
「すぐに向かう。それまで持ちこたえろ」
「御意に!」
伝令が再び空に舞い上がったのを見届け、自身もすぐさま走り出す。
木々をかき分け、家の中に飛び込む。60秒。
魚籠と竿を放り捨て、立てかけてあった剣と盾を引っ掴む。80秒。
屋根へ上り、交戦中の空域を視認する。報告の通り、天狗側は苦戦しているようだ。90秒。
屋根を蹴り、木々を飛び渡り現場に駆けつける。170秒。
「お、お早いお着きで!」
「もっと鍛錬を積め、伝令は足が速くなければ勤まらないぞ。
…あいつは私が追い返す。お前たちは万が一に備えて周りを取り囲め、だが逃げるようなら追うな」
「御意に!」
私より数瞬遅れた伝令に命を出し、私は目標へと突撃した。
本来であれば、私でもあの人間には敵わない。だが、今回の件に限っては、私一人で収めることができると確信していた。なぜならあの人間は、霧雨魔理沙は私に言った。私が空を飛ぶ術を必ず見つけると。
光り輝く軌跡が最後の一人を叩き落としたところで、向こうもこちらに気が付いたようだ。心なしか顔がにやついている。こちらも気を引き締めながらも、どこかまったく別の感情が己を興奮させるのがわかる、期待しているのだ。
その高まる感情のまま、私は魔理沙に向かって、
「狗符『レイビーズバイト』!」
「うおあ!?」
手加減などせず、気絶させるつもりでスペルを放った。驚いた彼女は器用にも箒の軸を回転させることで弾幕を回避。さかさまになったことでエプロンドレスのついたスカートがまくり落ちた。やはり恥ずかしくないのだろうか、ドロワーズも一応下着ではあると思うのだが。
「おい!なにすんだよ!今のは絶対、飛びついて来たお前を私が華麗に受け止めるっていう感動的なシーンのはずだろ!」
「なんのことか全くわからないな」
「嘘つけ!ニヤつきながらこちらに近づいてきたくせに!大方、空を飛ぶ方法がわかったのかと期待でもしたんだろうが!」
「否定はしない。だが、山に無断で侵入した上に天狗を害したのも事実だ。それはそれ、これはこれ、ということでおとなしくしょっ引かれてくれ」
「相変わらず頭の固い奴だ、山中引き回しだなんてまっぴら御免だぜ!」
そう叫ぶと魔理沙は一枚の絵札を掲げた。虹色に輝く光の軌跡が描かれている、彼女の十八番スペルだ。下手に撃たせれば山をえぐってしまうかもしれない。私は留まっていた木をへし折らんとばかりに跳躍、彼女がまたがる箒の柄をつかむ。
「うひゃあ!だからなにすんだよ!喧嘩なら今すぐ買ってやるぜ!」
「いいから落ち着け。どうせ目的は私なんだろ?ならこのまま私を連れておとなしく引き下がってくれ、そうすれば私も目を瞑ってやるし、上へもうまくごまかしてやるから」
「今更なに言ってやがる!普段は温厚な私でも、さすがにトサカに来たぜ!」
「そうか、なら仕方ない。これ以上抵抗するなら、若い白狼たちの弓の練習台になってもらうぞ」
告げて私は片方の腕をぐるりと回し、周囲に合図する。その動きにつられて魔理沙も周りを眺め、そして絶句した。
私たちから十メートルほど離れた中空をたくさんの白狼天狗が隙間なく取り囲んでいる。さらには皆一様に弓を構え、魔理沙へと狙いを定めていた。下手をすれば一秒後にはハリネズミの完成だ。
「お前とじゃれ合っている間に準備させてもらった。こちらとしてもいささか心苦しいが、お前が山に働いた無礼も数知れない。私の合図ひとつで、引き絞られた矢はお前を射抜くことになるだろうな」
もっとも、かけられた矢そのものは矢じりの刃先が丸められた、それこそ殺傷力のない本当に練習用のものなのだが。人間の視力では離れたところにある矢じりの先など確認できるはずもない、威嚇としては十分である。
「ぐっ…」
「さあ、どうする?私を連れておとなしく引き下がるか、このまま無意味に喧嘩を売って無様に打ち落とされるか、選べ」
私は最後の宣言を口にした。しばしの沈黙、そして。
「しかたがないな、わかったよ。こちとらお前を捕まえたことで目的は達成したんだ」
「物分りがよくて助かるよ。さあ、早く行こう」
「…覚えてろよ、チクショウ」
遂に魔理沙は観念し、Uターンして山から立ち去った。箒に掴まった、私を連れて。
その後私はかの夕焼けの日に教えられた魔理沙の家へと連れてこられた。魔法の森は日の光も差さず、年中ジメジメしている上に、茸の胞子が飛び交っている、妖怪の山とは比べ物にならないほど環境の悪い場所だ。さぞ居心地が悪いのだろうなと思ったのだが、魔理沙の家の敷地に入ると意外にも空気自体は清涼だった。浄化の魔法を用いた結界のおかげらしい、何とも便利な。
だが、感心したのもそれまで。家の中に入ると今度は別の意味で居心地が悪かった。
玄関にはいろんなものが所狭しと山のように並べられ(おそらくほとんどが盗品だろう。にとりがなくしたと言っていた機械もあったのでこっそり回収しておく)、足の踏み場はかろうじて残っているという風。さらには全く触っていないものもあるのか、はたまた触ることすらできないのかはわからないが、ガラクタの山には埃がうっすらとかぶっており見ただけで咳き込んでしまいそう。
そんな魔窟の中を魔理沙はなれた足取りで、右へ左へと器用に通り抜けていく。狭い家の中だというのに少しでも目を離すと見失ってしまいそうだ、慌てて後ろについていくと不意に開けた空間に出た。開けたとは言っても、少々狭苦しいのは変わらないが、それまでの雑然とした空間と違いここはきちんと整然としている。
おそらく居間兼寝室なのだろう、中央には足の高いテーブルと椅子が据えられ、隅にはきちんと整えられたベッドがある。だが、そんなものよりも目を見張るのは、壁に隙間なく置かれた本棚と、これまた隙間なくみっちりと詰め込まれた大量の書物。通路に出るために必要な最低限のスペースを残し、四方すべてを取り囲んでいる。まるで射命丸様宅の資料室のようだ。
お茶を淹れてくるぜ、と。魔理沙はさらに奥へと消える。ちらりと見えたドアの向こうは、やはりこの居間と同じで窮屈ながらも整頓されていた。一人残された私もひとまず椅子に腰かける。
それにしても圧巻である。どこを見てもあるのは本、本、本。本棚も高さが天井まであるため、まさに本に取り囲まれているといった風だ、圧迫感さえ感じる。まるでこの辺りだけ、どこかの図書館の一角をまるまる切り抜いてきたかのような異様さだ。それでいて本の一つ一つはきれいに手入れされていて痛みも少ない、定期的に読まれている証拠だ。頭上には天窓が取り付けられており、空気の入れ替えもできるようになっている。
私自身も本は読む方だが、さすがにここまで来るとなると次元が違う。噂に聞いていた程度で、まさかここまでなどと誰が想像できるだろうか。
「ん?なんだ?そんなに珍しかったか?」
と、すると魔理沙がお盆を抱えて戻ってきた、匂いからしてどうやら紅茶のようだ。
「ああ、いや、勤勉だとは聞いていたが、まさかここまでとは」
「私にとっちゃ、好きなことをしてるだけなんだがな。好きなことに夢中になるのは、普通のことだろ」
そういいながらも若干照れくさそうではある。指摘してもよかったのだが、それはそれでややこしくなりそうなので見逃すことに。
カップを受け取りお礼とともに一口。少々酸味が強いがまずくはない、友人に出すお茶としては十分だろう。
魔理沙も私の対面に座り、カップを傾ける。そして早々に口を開いた。
「まず、誤解の無いように言っておく。申し訳ないが、まだお前が空を飛ぶ方法は見つかってないんだ」
「そうか」
返事は淡泊に一言。
「あまり残念がらないんだな」
「まあな。私も過去に百年単位で試行錯誤したんだ、こうも早く見つかってしまうのも、私のやり方が悪かったと言われているようで少々癪に障る」
「難しい奴だなぁ」
「よく言われる」
からから、と。お互いに笑いあい、口を湿らす。
期待していたのは嘘ではない、しかしまさか今回ですべてが解決するなどという楽観は抱いていなかった。何しろあれからまだ一週間しか経っていないのだ、こんな短期間で見つかってしまったら、己の不甲斐なさに首を吊りたくなってしまう。
しかし、
「だが、何もないのにわざわざ呼びには来ないだろう。何か手がかりをつかんだのか?」
先日の一件で、魔理沙という少女の人となりはそれなりに把握できたつもりだ。彼女は突拍子もないことはするが、意味のないことはしない。今回私を連れ出したのも、何か意味があってのことのはず。
そんな確信を秘めつつ彼女を問いただすと、やはりというか、待ってましたとばかりにニヤリとシニカルな笑いを浮かべた。
そして彼女はゆっくりを口を開き、
「いいや、さっぱりだ」
思わず椅子からずり落ちた。
なんだそれは。評価を、頼るべき人を誤っただろうか。
「…おいとまさせていただく」
「まてまて!ジョークだジョーク!イッツマジシャンズ・ジョーク!」
立ち去ろうとしたところを魔理沙に必死に引き止められ、渋々座り直した。目配せでさっさと次を促す。もしまたふざけたらたたっ斬るとばかりに剣の鯉口を切りながら。
「いいか、ヒントがないのは事実だが、なにも空手ってわけじゃないんだ。幻想郷にはありとあらゆる知識の詰まった場所がある。そこに行けば、なにかしらの手がかりが入手できると私は踏んでいる」
「それは、紅魔館の地下大図書館のことか?」
一時期騒然となった紅霧異変の首謀者が住む館である、私もある程度の見聞はあった。
「ああ。だが、いかんせん知識が詰まりすぎていてな、私ひとりじゃヒントを探すだけでも一苦労だ」
そこでだ、と。魔理沙はぴんと人差し指を立て、
「お前にも参考になりそうな本を探すのを手伝ってほしい。私とお前では目を付けるものも違うだろうから、私は私の観点で、お前はお前の観点で、資料を探すんだ。そうすれば、ヒントくらいは見つかるはずだ」
そう語る魔理沙の言葉を、私は自らのなかで吟味していく。
彼女が言っていることは正論である、私は魔法や人間の技術のことなどさっぱりわからないし、魔理沙には逆に天狗の体のことはわからないだろう。その足りない部分をお互いで補い合えば、探索はよりはかどるはずである。
と、考えていると魔理沙が「行くよな?」と確認を取ってきた。いや、言葉でこそ確認を取っているが、彼女の中ではすでに私も行くのは決定事項なのだろう。人の都合も考えずに、勝手に決めないでほしいものだ。
もっとも、
「ああ、もちろんだ」
私自身も断るつもりは毛頭なかったので問題はない。 どのみち近いうちに訪ねようと思っていたのだ、どうせなら知ってる人の伝を頼れる時の方がいい。むしろ非番である今日が一番のチャンスだろう、と私は提案を快諾した。
だが、不安要素が一つ。
「…ところで、洋書の和訳や魔法書の解読はどうするんだ?そんな心得、私はないぞ」
「あー、そのことについては大丈夫だろ。私はある程度読めるし、なによりあの図書館にはおまけでもれなく翻訳サービスがついてくるからな」
パチン。
かわいらしくウィンクをした魔理沙の弁に、私は首をかしげざるを得なかった。
紅魔館。
幻想郷に住むもので、この場所を知らぬものはいないだろう。
先の紅霧異変の根源、レミリア・スカーレットとその一味の棲む悪魔の館、定期的に騒ぎを起こす幻想郷のトラブルメーカーその1、血のように紅い異彩を放つ豪奢な建物。当然ながらわれら天狗の間でも要注意勢力として扱われている。
そんな屋敷の地下にあるという、ありとあらゆる知識が所蔵されるといわれる紅魔地下大図書館。秘された「幕」に触れる場所、そんな風に誰かが読んだのか、畏敬をこめて謳われた名が、ヴワル。そう、里の知識人の一部は呼んでいるらしい。
「もっとも、妖怪の集団の中では幾分か開放的なところだぜ。咲夜や美鈴なんかはよく里に顔を出すし、慧音や阿求の努力もあって、最近は徐々に人間が訪れやすくもなってるみたいだ」
「・・・妖怪の山では考えもつかない話だな」
紅魔館の門番も最初こそ警戒されたものの、理由を話したところ客人として穏便に迎えて頂けた。というより、警戒されたのは私ではなく、魔理沙のような気がしたのだが、と本人に語ったところ
「失礼な話だよな、私は悪いことなんてしてないのに」
と、口を尖らせた。指摘してもいいのだが、変にへそを曲げられても困るため、再び黙っておく。
ほのかに紅い屋敷内を魔理沙の先導に従って歩く。内部の構造は外観からは想像もつかないほど複雑かつ広大だった、これも魔法や外法の類によるものだろうか。しかし通い慣れているからだろう、そんな中を魔理沙はすいすいと迷うことなく進んでいく。
しばらくして、一際目立つ大きな扉の前についた。察するにここが図書館の入り口なのだろう。
「と、中に入る前にだ。こいつを渡しておくぜ」
扉の前に立った魔理沙はこちらを振り向き、私に何か紐のようなものを投げ渡してきた。受け取って確認すると、ロープの一端にかぎづめが結び付けられている、どうやら登山用のロープのようだ。
「って、なにに使うんだこんなもの?」
「中に入ればわかるさ。感謝しろよ、それがないとお前は本も読めないと思ってわざわざ探してやったんだから」
邪魔するぜー、とこれまた慣れた口調で魔理沙が扉を開く。わけもわからないまま、私は後に従って中に入った。
最初に抱いた感想は、まさに本の森に迷い込んだよう、だった。
魔理沙の家の本棚ですら、まるで比べ物にならない。城壁のような高さの本棚が前方、左右の三方にどこまでも続いている。そして恐ろしいことにその本棚に隙間なく本が詰め込まれているのである。
本の種類も雑多だ、紐つづりの古書に皮装丁の豪著、現代語に古語、漢文、アルファベット、そのた見たこともない文字など種々で書かれた背表紙の題、書物と呼ぶにもおこがましい薄さの本からまるで武器として使えそうな大きさの本まで。
思わず、息が漏れる。これほどの量の本、はたして長い妖怪の人生を捧げたとして全て読み切れるかどうか。事務作業を務める鼻高天狗ですら、匙を投げるのではないだろうか。
「おーい、遅れるなよー!ここで迷ったら大変な目に遭うからなー!」
魔理沙の声でようやく我に返る。結構な時間、呆けていたようだ、気が付けば黒い背中はずいぶんと小さくなっていた。慌ててそばまで駆け寄る。
小さく謝ると魔理沙に「まあ、気持ちはよくわかるがな」とからから笑われてしまった。彼女も初訪問の時は似たような経験をしたのだろう、嫌味な印象はない。
「敷地面積、蔵書の種類、量、どれも桁違いだ」
「ああ、屋敷の中にこういった改造が得意な奴がいてな。引きこもりの主の魔法と組み合わせて空間を拡張しているんだそうだ。たまに模様替えなんかもしてるらしいぞ」
「この規模を模様替え・・・ぞっとしない話だな」
模様替えする側も、そのあとに利用する側も。
空を飛べない人お断り、という文句を誰かが言っていたことを思い出した。定期的に構造が変わる魔の迷宮では、マッピングも目印も意味をなさず、迷い込んだものを確実に取り込んでじわじわと死に追いやる。まるでウツボカズラに囚われた虫のようだ。逃れるにはそれこそ壁を乗り越えるしかない。
「で、この登山用ロープは、まさか」
「そのまさかだ。なに、妖怪の山でとんでもな大道芸をやってのけたお前なら、そいつに釣られながら本を探すくらいわけないさ。断崖絶壁の中、ロープ一本で採掘をやるようなもんだと考えればいい」
崖を下るときのように本棚のてっぺんにかぎづめをひっかけ、ロープにぶら下がりながら本棚を物色しろ、ということらしい。こんなものなくとも私は背表紙の文字が読めるだとか、本棚を傷つけていいのかなどの突っ込みどころはあるが、言わんとすることはわかるのでありがたく借りておくことにする。何度も崖を登り降りするのは勘弁願いたいものだ。
と、しばらく進んだところでようやく開けた空間に出ることが出来た。100平米ほどの空間の中心に巨大な丸テーブルが設置されており、その上に大量の本が山積みになっている。その本の間に挟まれるようにして対面に座っていたのは、線の細い紫髪の女性。
「よう、パチュリー。来てやったぜ」
「・・・頼んだ覚えはないのだけど」
魔理沙に声をかけられた図書館の主、パチュリー・ノーレッジは読んでいた本から視線を上げて魔理沙をじろりと睨んだ。
しかしそれも一瞬。彼女の興味はすぐに手元の分厚い本へと移り、よどみなくページをめくり始める。
「なんだ、つれないな。私とお前の仲じゃないか」
「あなたと友情を育んだ覚えもないわね。本を奪われた怨みなら山ほどあるけれど。で、なんの用かしら。貸し出しなら未来永劫お断りよ」
「そいつも魅力的なお話だが、あいにく今回は別件なんだ。私はただの付き添いで、用があるのはこっち」
「こっち?」
ほれ、と魔理沙が親指で私を指差す(私はどちらかというと魔理沙に引っ張られて来たのだが)と、パチュリーも初めて私に、これまたじろりと視線を向ける。途端、信じられないものを見たかのように目を円くした。
「勝手ながらお邪魔している、白狼天狗の犬走椛という。本日は知識の魔女と名高い貴女の知恵をお借りしたく思い、恥を忍んで訪ねた次第だ」
「天狗・・・それも白狼?いや、それよりも、何より種のプライドを大切にする白狼天狗が、私に頼みごとですって?」
私の言葉にますます瞳は円くなる。私だって先日までこんなことになるとは予想もしていなかった。もし同僚にこのことを話したら、冗談だと笑われるか、或いは天狗の誇りを汚したとののしられるかのどちらになるだろう。
白狼天狗は天狗の中でも特に外部に対して閉鎖的で、かつ同族間での仲間意識が強い。お山のなかで最も身分が低い分、群れとしての力を強めることで体面を守っている。お山への侵入者に対し我々が見敵必殺を心掛け、外部の者に対し力を誇示することも、天狗の一員として所属するために必要なことだった。
もっとも守矢騒動を経た今となっては、お山もほんの一部とはいえ里人に対して開かれているため、そのあたりの体面もすでに過去の話でしかない。それに少なくとも私個人に関しては、なりふり構わないと決めたのだから。
「ええ。とは言っても天狗全体のことではなく、私個人のことなのだが、よろしいか」
「内容も聞いてないのに是非の判断なんてできないわ。面白そうだから続けて」
では、と口を開く。山の外の者にこのことを話すのも早くも3人目だ。
私は何一つ隠すことなく事情を説明した。天狗の身でありながら空を飛べないこと、そのかわりに誰もを圧倒する脚力を身に付けたこと、それで満足させていたはずの心が博麗の巫女たちとの出会いによってふたたびくすぶり始めたこと、云々。
さして長い話でもなかったが、それでもパチュリーは興味深そうにあごに手を当てながら静かに聞いてくれていた。そんな様子にほんの少しほっとする。私にとっては恥をさらすも同然の行為だ、どんな形であれ真剣に受け取ってくれるのはありがたい。
「なるほど。あまり聞いたことのない話ね。人間やその他の生物と同じように妖怪にも個体差というものはあってしかるべきではあるけれど、種族の特性そのものが失われているなんて・・・」
「天狗としても隠したかったのだろうな。空を飛べない天狗の存在については、お山の書物にも全く載っていなかった。私も自分がそうであると知って初めて、白狼のお偉方から聞かされたことであるほどだ」
「念のために聞くけれど、もともとは天狗ではなかったなんていうことはないわよね」
「もちろん。獣からの成り上がりでもない。・・・既に亡くなっているが、両親も空を飛べるいたって普通の白狼だ。呪いの類を受けた覚えもない」
「ますます興味深いわ・・・因子には問題が見当たらない。天狗としての素養も低いわけじゃない。なのに極低確率とはいえ種としての欠陥をもった個体が生まれてくるなんて・・・まるでアルビノね」
「アルビノ?」
「動物の中にまれに皮膚や体毛が真っ白な個体が生まれてくることがあるわ。それをアルビノというの」
そういうとパチュリーは中空に手をかざした。するとどこからか一冊の本が現れて手の内に収まり、ぱらぱらと勝手に本がめくられて、あるページが開かれる。彼女はその本をこちらへと差し出した。
受け取って中身を確かめると、そこには真っ白く描かれた様々な生物の図解とともにアルビノについての説明が日本語で書かれていた。後ろで黙っていた魔理沙も顔を覗き込ませてくる。パチュリーはというと、本に目線を落としたのを確かめると再び説明を始めた。
いわく、アルビノというのは遺伝的な欠陥により先天的に体の色素が失われるという症状、そしてその症状を持つ個体のことを言うそうだ。自然界での生存能力は極めて低く、その希少性から神聖視や吉兆・凶兆の証としてとらえられることもしばしばあるとのこと。遺伝的疾患であるため、症状はすべて先天性で後天的に症状が悪化することなどはまずないらしい。
と一通り説明が終わったところで、何か質問は?と問われた。なので正直に白状することにする
「えーと、つまりどういうことだ?」
前と後ろでずっこける音がした。
仕方がないだろう、私は生まれてこの方、お山で生きるための術しか学んでこなかったのだ。いきなり「せんてんせい」だの「いでんてきしっかん」だの難しい言葉を言われてもわかるはずがない。
「・・・要は、生まれるときに何らかのせいで、体が真っ白な状態で生まれてくる奴のことだな。神奈子の使いにも、白蛇がいるだろ」
「ちなみに生物学的に劣勢だとか欠陥だなんて言われてても、体が白いということ以外はその他の同種個体と全く変わりないわ。不用意に日の下に出てこないなど、いくつかの点さえ注意していれば通常の個体と同じように生きることもできるわね」
と、二人から捕捉を受けてようやく理解することが出来た。
「で、つまり私はその『アルビノ』なのか?」
「いいえ、その可能性は限りなく低いわ」
もしや、と思った私の仮説をバッサリと否定する知識人。
「そもそも妖怪は人間や動物とは一線を隔す存在、ありとあらゆる点が異なっている。人間や動物に通用する理論が妖怪にも通用する可能性はまずないと言っていいわ。それは妖怪同士についても同じことよ、天狗の医療知識を他の妖怪にそのまま引用することはできないように」
「まった、パチュリー。霊夢や私の治癒術は、人間妖怪問わず効くぜ?もし根本から違うものだとしたら、私たちの治癒術は妖怪には効かないんじゃないのか?」
「本当にそう思うのなら勉強不足よ、魔理沙。魔法、神道に限らず術の基本は対象が持つ力を魔力で制御すること。治癒術の場合、あなたの魔力は単に対象の自然治癒力に働きかけているだけで、傷を治しているのはあくまで魔力の働きによって活性化された本人の生命力よ。種族も何も関係ない」
「むむ・・・」
反論を反証で返されて、魔理沙も押し黙ってしまった。
確かに、と思わざるを得ない。われら天狗の間でさえ、種族によって体の違いが存在するのだ、妖怪全体をひとくくりにできる日は未来永劫来ないのだろう。
しかしそうなると困ったことになる。私は天狗で彼女は魔法使い、二人の間には種族の違いという決定的な差があることになる。そして彼女の周りにいるのは悪魔や吸血鬼。いくら彼女が知識に長けるとはいえ、天狗の、それも私の希少な悩みについて助言できるとは流石に思えない。
「では、私が空を飛べない理由も、その解決方法も」
「今の時点ではわからないわね」
やはりか、と肩を落とす。
知識人とはいえ万能ではない。彼女にだって知らないものはあるし、わからないものはわからないのだ。
ほんの少しだけ低いトーンのまま感謝の意を述べ、椅子から立ち上がり立ち去ろうとする。するとパチュリーはいかにも怪訝そうに眉をひそめた。魔理沙も慌てたように私を引き止める。
「お、おい!どこに行くんだ!?」
「何処って、ここにはもういる理由はないだろう?肝心のパチュリー殿も知らないようだったし・・・」
「・・・魔理沙。あなた、この子にここについてちゃんと説明したのかしら?」
「あー、そういえば忘れてたな。てっきり知ってるもんだと思ってたぜ」
やれやれと言いたげな雰囲気でパチュリーが肩をすくめる。
「あなた、ここの本がどのようにして集められたか知ってるかしら?」
「・・・?貴女が集めたのではないのか?」
「ええ、もちろん私が集めたものや書いたものも含まれるわ。けれどね、ここにある本の多くはいつの間にか流れ着いたものなのよ」
流れ着く。奇妙な言い方だ。
まるで無縁塚のように、幻想となったものがどこからかやってきて、いつの間にかあるかのような・・・
「まさか」
「そのまさか。ここには幻想となった外の世界の本が無数に流れ着く場所なの。おそらくこの瞬間にもどこからか本が流れ着いているでしょうね。おかげで私としたことが、本の把握が追いつかない」
その言葉を聞いて想像する。
例えるのなら、迷いの竹林が一番近いだろう。日々新たな竹が現れるそこは日ごとにその様相を変えていく。どれほど整理しても追い付かず、むしろ混迷を極めるばかり。
定期的に模様替えを行うのも、おそらくはこの魔窟を少しでも把握しようと足掻いているからなのだろう。場合によっては”本棚ごと”入れ替えた方がいいのかもしれない。
ということは、だ。先ほど図書館の主は把握が追いつかないと言った。それはつまり、彼女が把握していないだけで、この図書館のどこかに空を飛ぶ秘法が記されているのかもしれない、ということで。
改めて、この広大というにはあまりにも大きすぎる図書館を、そこに立ち並ぶ数々の本棚を見通す。
「・・・また気の遠くなる作業になりそうだな」
呆れたように小さくため息をつく私に、
「簡単には諦めないんだろ?」
魔理沙は変わらぬ笑顔で、明るく茶化した。
上等、やってやろうじゃないか。
と、まあ。
それから語るほどでもない程度に紆余曲折あって、今はテーブルに高く積み上げた日本語の文献をひも解いているところだ。
とはいえ、私は日本語で書かれた書物しか読むことはできない。他の原語で書かれていたり、魔術的なロックがかかっている本は全て魔理沙頼みになってしまっているのが心苦しい。
ちらりと盗み見れば、彼女は私の数倍の高さに本を積み上げて、辞書を片手にああでもないこうでもないとペンを走らせながらうんうんと唸っていた。
ちなみにパチュリーにも助力を申し出たのだが、
「悪いけど手伝えないわ。これから大事な実験を行う予定だから」
と、無表情でやんわりと断られてしまった。
まあ仕方がない、向こうにも予定はあるものだ。突然押しかけたにもかかわらず、こうして追い出されずに蔵書を見せてもらえているだけ僥倖だろう。
「魔理沙。あとで調べた内容を見せなさい」
「あ?なんでだよ?」
「情報提供料。ここの蔵書は私の所有物」
・・・少々注文をつけられてしまったけど、私としては十分許容範囲だ。肝心の魔理沙は不満げだったが。
それにしても。
どうして彼女はここまで私に協力してくれるのだろうか。
彼女がとんでもない努力家だというのは知っている、家に招かれたときもその一端を感じることができた。
だが、だからといってそれが私に協力してくれる理由にはならない。彼女には彼女のやりたいことがあるだろうし、それをほっぽり出して他人の世話を焼くほどお人よしでもないだろう。
でも魔理沙は決して義務感だとか、引け目があるからとかそういった理由で協力しているようにも見えない。でなければここまで協力してくれるはずもなかった。
「…しかしすごい量だな」
「ん、ああ。別にこれくらいなんともないぜ。読むときはこの数倍を一日かけて読んだりもするからな」
「そうか」
なんとなく、その理由が気になった。
長時間の読書で疲れがたまってきていた私は、気分転換のつもりで彼女に聞いてみることにした。
「なあ、どうしてここまでしてくれるんだ?」
「…何がだ」
「協力の話だ。もちろん、とてもありがたいと思っている。だけど正直に言えば、お前がここまで協力してくれる理由がわからないのが、少し不気味なんだ」
「なんだ、力を貸してやってるのに、不気味扱いされるなんて心外だぜ」
「…すまない。でも正直な気持ちだ。どうしてここまで協力してくれるのか。よければ教えてくれないか」
私がそう問いかけると、彼女は一つ深いため息をつき、本に目を走らせたまま口を開いた。
「確かに、本当ならここまでしてやるつもりはなかった。他のお願いだったら適当に首を突っ込んで、それで終わりにしていただろうな」
「なら、どうして」
「…懐かしかったんだよ。空を飛びたいと話したお前の姿は、まるで昔の私自身を見ているようだった。まるで手の届かないことに対して、精一杯手を伸ばし続ける子供の頃の私ようだ、ってな」
吐き出された言葉に思わず息が詰まる。
そういえば魔理沙も元は普通の人間だったはずだ。霊夢と一緒にいるから忘れてしまうが、魔理沙は博麗の巫女のように特別な存在、というわけではない。
相変わらず視線は本に落とされたままだ。しかしその表情はどこか苦しそうな陰を落としている。
「だから、だろうな。どうにも他人には思えなくてな、お前のことを放っておくことができなくなった。
さらに言えば、お前が空を飛べるようになった時の顔も見てみたいと思った。その時の顔は、きっと私が初めて空を飛んだ時と同じ顔をしているだろうからな。
それだけさ」
そう締めくくると彼女はようやく顔を上げて見せる。
面に浮かぶのは、苦笑い。気まずそうに頬を指でかいている。我ながらお人よしだぜ、なんて心の声が聴こえたような気がした。
「悪いことを聞いてしまったな」
だから私は、穏やかに微笑んで見せた。
彼女が過去にどのようなことを想ったのかはわからない。だが、それでも彼女は私に力を貸してくれている。
それはとても暖かく、私を励ましてくれた。
「気にしないでくれ。一応、研究の一環でもあるからな。それに・・・」
「それに?」
「飛べるようになったら、初フライトには付きあわさせて貰うぜ。いいシチュエーションも知ってるしな」
次に見た魔理沙の顔には、もうどこにも陰の残っていない、満面の笑顔が映えていた。
山のように積みあがった本をひも解き続けること、数時間。
一通り見通したところで一息つき、
「・・・ないな」
「・・・なかったな」
そう、結論づけざるを得なかった。
予想はしていた。そもそもが閉鎖的で有名な天狗の里の、それも秘匿とされた事実である。
外に流れることも無いように厳重に管理していると考えるのが自然で、そもそも文献という形に残しているかどうかすら怪しい。
いくら幻想となった知識の流れ着く図書館と言えど、本として残っていなければ流れてくることは無い。
「まあ、今まで見た本は、これでもまだこの図書館のほんの一部だ。これだけ広い場所ならなにかとっかかりくらいは・・・」
「ま、魔理沙さーん!助けてくださーい!!」
そんな徒労感に肩を落としていた気だった、図書館の奥の方から赤い髪の司書風の女性が大慌てで駆けつけてきたのは。
あの人は確か、パチュリーの使い魔だったか。相当急いできたのだろう、肩で息をしている。
「おう、どうした小悪魔、そんなに慌てて」
「いえ、それが・・・パチュリー様が大変なことに・・・と、とりあえず今すぐこちらに来ていただけませんか!?
お願いします、一刻を争う自体なんです!」
そういって小悪魔(無論本名ではない。悪魔はおいそれと本名を明かしてはいけないそうだ)は魔理沙の袖にすがりつき奥へと引っ張る。
そのただごとではない様子に魔理沙はおとなしく従いつつ、小悪魔に事の次第をうかがった。
わたしもすぐに装備を手に取り、先を行く二人の後ろに従いながら耳で会話を追う。
「おいおい、どうしたんだ。パチュリーに何かあったのか?
まさか、召喚実験に失敗してへんなもん呼び出して、そいつに絡め取られている、とでも言うわけじゃないだろうな?」
「ギク」
「・・・マジか。割と冗談だったのに」
「ええ、実は、その。お恥ずかしながら・・・」
笑わないでくださいね?という前置きの後に、小悪魔は事の次第を語り始めた。
曰く、今日のパチュリーはあまり調子がよろしくなかったということだ。
いつもならそんなときに召喚実験など押し通すことなどないのだが、今回は事情が違ったのだという。
なんでもこの実験は事前準備に手間がかかる上に、星の廻りが影響するためいつでも実験を行えるというわけではないのだとか。
だから多少調子が悪くても、今回実験に踏み切ったらしいのだが…
「案の定、詠唱失敗して召喚事故起こした、と」
「返す言葉もございません・・・」
「お、おい、魔理沙。それってかなり拙い状況じゃないのか?」
「・・・どうかな、とりあえず見てみないと」
「っ!言ってる側から見えましよた!あれです、お二方!」
魔理沙にくっ付く小悪魔が張り上げた言葉に反応して、私たちは前方に目を凝らす。
いや、凝らすまでもなかった、見えたのはあまりにも大きな、
「・・・水の塊?」
「ありゃあ水の魔法生物だな。はたして人工か精霊か」
「スライムですね、内部に水の精を閉じ込めて・・・ってそうじゃないんです!大事なのはあいつの中!」
ほら!と指差された先を見ると、スライムの中にはたして見覚えのある人物がふわふわ漂っていた。
紫髪に紫の服、線の細い姿。今日見たばかりのシルエットをまちがえるはずもなく。
「パチュリー殿!?」
私の呼び声にも反応せず、ただだらんとだらしなく体をスライムへと完全に預けてしまっている。いや、取り込まれ身動きすらもできなくなってしまっているのだろうか。
「召喚した水精との契約に失敗してしまって、暴走した次の瞬間にはパチュリー様が囚われてしまい・・・
わたしも何とかしようと頑張ったんですが、とても手に負えなくて・・・!」
「ちっ、予想はしてたが一番まずいパターンだな。肝心の術者があの状態じゃ、追い返すことも難しいぞ」
「・・・つまり、あいつからパチュリー殿を引っ張り出せば何とかなるかもしれない、ということか?」
「ああ、そういうことになるな」
私は三度スライムを見やる。
肝心のスライムは半径三間はありそうな巨大な体をぶるぶると脈動させながらその場にとどまっている。
放っておけばこちらに危害を加えてくることはなさそうだが、それではパチュリーの命が危険にさらされてしまうだろう。あまり時間は残されているようには思えない。
「って、おい!椛、何をする気だ!?」
「急いだ方がいいんだろう?引っ張り出すくらいならなんとか・・・!」
言うが早いか私は下半身に力を籠め、思い切り床を蹴りスライムへと突撃する。
そうしてぶつかった瞬間、ぶにょん、と。
水に飛び込むにしてはあまりにも弾力がありすぎる感触が体を包む。ともすると飛び込んだ時の勢いは見る見るうちに減退してしまい、半分も潜り込まないで止まってしまった。
そしてすぐさま押し返されてしまう。液体とは思えないほどの力を全身に受け私はあっという間にはじき出されてしまった。
今まで経験したことのない体験に眼を白黒させるしかない。
「な、なんだ?」
「言わんこっちゃない。あいつは自分の水を操って自由に動かせるからな、ああいうのをどうにかするときは術者を狙うか・・・」
魔理沙は私に一点を示しつつ言葉を続ける。
「あの、術の触媒を破壊するか、が定石だ」
示された先を見ると、スライムの中に青色の宝石が浮いているのが確認できた。あれが術の触媒とやらなのだろう。
「・・・小悪魔殿、あれを壊すとどうなるんだ?」
「そうですね、中に精霊を閉じ込めておくことが出来なくなり術の維持が不可能になりますから・・・
おそらくはただの水に戻るかと」
「ということはあれを壊すのが一番手っ取り早いか」
「だな。パチュリーに何とかしてもらうって手もあるが、どうやらグロッキーのようだし、引っ張り出してから叩き起こすのも手間だ」
そうして魔理沙は懐に手を突っ込むと
「相手は言葉が通じない奴だ。スペルカードルールも通用しない。パチュリーには申し訳ないが、手荒くいくぜ」
ニヤリ、とニヒルな笑いを浮かべ、私に対し「手加減無用」と暗に合図したのだった。
魔法使い、と一口に言っても扱う術は千差万別らしい。
例えばパチュリーはいわゆる普遍的な魔法使いのイメージにたがわず、呪文の詠唱や魔法陣でもって術を発動させるが、魔理沙の場合は全く違う。
彼女は普通の人間である、ゆえにその体内にため込める魔力・霊力といった力の限界は妖怪に比べるとはるかに低い。
だから彼女は自らの魔力のみで魔法を生み出すのは非常に苦手なのだ(もっとも本人は「あんな長ったらしくてこっ恥ずかしい詠唱、覚えられるか」とごまかしていた)。
そこで彼女が代替案として考えたのが、茸から作る触媒を引き金に魔法を生み出す方法であった。
これなら、あらかじめ魔法を使うに必要な魔力と術式を触媒としてアウトプットしているため、どんな大魔法を生み出すとしても本人の持つ魔力量はあまり関係がない。魔理沙にはぴったりと言える方法だ。
「ただ、あいにく今の私が持ち合わせてる触媒はあまり多くない。切らしてしまう前に一気に決めてしまうぞ、椛」
「わかった、私はさっきみたいに突っ込めばいいのか?」
「ああ、後ろからサポートしてやる。邪魔する水は残らず吹き飛ばしてやるぜ」
「了解。頼むぞ、魔理沙」
「あの、私は・・・」
「悪い、小悪魔は下がっててくれ。お前、パチュリーがいないと本領発揮できないだろ?」
「も・・・申し訳ありません・・・」
「いいってことさ。さて、そろそろ行くか、椛」
私は魔理沙と肯きあった後、先ほどと全く同じように巨大なスライムへと突っ込む。
瞬間、相手は体を大きく震わせ、その巨体から幾本か触手上の部位を作りこちらへと振るってきた。
とはいえ動きは速くない、私めがけて振り下ろされてきた触手を軽々かわす。
すると、触手を叩きつけられた床が轟音と共にへこんでしまった。
「な、あぶな!?」
「水って結構重たいからな。それより気をつけろ、さっき突っ込んだせいで完全に敵と判断されたみたい、だぜ!」
叫んだ魔理沙が手をふるうと、小さな箱状の触媒がいくつかスライムの触手の根本めがけて飛んで行く。
そして目標ぎりぎりまで接近すると、
「さあ、初手から派手に行くぜ!」
魔理沙は手のひらをかざし、魔法弾を放って触媒を残らず撃ち抜く。
すると触媒は弾に込められた魔力に反応して輝き、爆発。
水でできた触手を根元から消し飛ばした。
本体から切り離されてしまった部分は形を保つことが出来ず、空中ではじけ辺りに水滴をばらまく。
「おお、凄いな!」
「油断するな!まだ来るぞ!」
声に従ってスライムを見ると、再び体を震わせて失った分の触手を補充していた。
これではまるできりがない。消耗戦ではじきに量で劣る魔理沙の触媒が無くなってしまう。急いだ方がよさそうだ。
再び板張りの床を蹴る。今度は先ほどよりも力強く、床を踏み砕いてしまうくらいに。
更に速度を増した私に、スライムは触手をかすらせることすらできない。
数を増やして囲い込もうとしても、増やした側から魔理沙が触手を吹き飛ばし数を減らしていた。
そうして難なくスライム本体の前までたどり着くと、
「伏せろ!」
声とともに私の目の前に魔理沙の触媒が飛んできて、スライムの表面にめり込み内部へと侵入。
危険を感じ慌てて身をかがめた直後、魔法弾がスライムごと触媒を撃ち抜き爆発を起こす。
再び私が見たときには、スライムの体は大きくへこみ、宝石とパチュリーが外にはみ出ていた。
「今!」
私は三度渾身の力で床を蹴り砕き、スライムの内部へと突撃、宝石に手をかける。
すると瞬く間に私をスライムが包み込み、外へ吐き出そうと体を震わせた。
一度体感したように、スライムの体を作る水がうねり、私の全身を外に向かって押し出す。
無論、私はなすすべもなく外へと追い出されてしまった。
そう、スライムの体を構成するに欠かせない、触媒の宝石とともに。
それに気づいたのか、スライムは全身を崩壊させながら最後の力で私にのしかかってきた。
だが、あまりにも、遅い。
私は宝石を地面に叩き付けると緩やかに剣を構え、
「これで、詰んだ!」
切っ先を宝石に突き下ろした。
いかに強化されていようと、妖力をこめられた一撃をもろに喰らって耐えられるはずもなく。
宝石はスライムの体と同じように崩れ落ちていった。
「ふぅ・・・助かった・・・」
「パチュリー様!お体は大丈夫ですか!?」
「大丈夫だから耳元で大きな声出さない」
巨大スライムを片づけたあと、私たちは地面に倒れていたパチュリーを彼女の私室へと小悪魔の案内に従って運び込んだ。
質素な机とベッドしか置いていない、本当に簡素な部屋。おそらく休む目的でしか使われていないのだろう、そんな部屋のベッドにパチュリーを横たえる。
囚われていた時間が短かったからか、彼女はすぐに目を覚まし、その身を起こすまでに回復したのが幸いだろう。
「不本意ながら二人に借りを作ってしまったわね」
「全くだぜ。こいつは何か埋め合わせしてもらわないとこっちの気が収まらないな」
「おい、魔理沙。いくらなんでも失礼だぞ」
肩をすくませため息をつく魔理沙に、私は顔をしかめてしまう。
しかしそんな私をパチュリーは片手で制し、
「魔理沙の言うとおりね。いいわ、今回は特別に一冊、本の貸し出しを許可するわ」
「な、本当か!?」
「魔女は不用意に借りを作らない、そして契約は決して違えない」
「サンキュー!それじゃ椛、私は早速どれにするか悩んでくるぜ!」
「あ、ちょっと!」
私が止める間もなく、魔理沙は部屋の外へと飛び出していった。全く現金な奴だ。
「それとあなた・・・椛、だったわね。あなたには・・・そうね、この紅魔の図書館の正式な客人と認めましょう。マナーを守るならいつここにきて本を閲覧しても構わない。貸し出しはできないけれど、私が暇なときには手伝うこともやぶさかじゃない」
「・・・え?いいのか?それは非常にありがたいが・・・」
「妖怪が変な遠慮しない。私がいいと言っているのよ」
「・・・わかった、心遣い感謝する。パチュリー殿」
「それと」
パチュリーは不機嫌な、初めて感情らしい感情を表しながら、
「殿、は、やめて。背筋がムズムズする。呼び捨てていいわ」
小さく吐き捨てた。
後日。
私は紅魔の図書館を訪れていた。
「やあ、小悪魔。お邪魔する」
「あ、椛さん!ようこそ、今日もですか?」
「ああ、本を読ませてもらっていいかな」
「もちろん!汚さないようにだけは気を付けてくださいね」
もうこのやり取りにも大分馴染んでしまった、それほどに私はこの場所に出入りするようになっている。
多くは空を飛ぶ方法を探すため、たまに、単純に本を読むために。
いつものように本を選んで、中央のスペースへと足を運ぶ。そこにはこれまたいつものように。
「・・・あら、今日も来たのね」
「お邪魔する、パチュリー」
「別にいいわ。うるさくしなければ」
本を読んでいるパチュリーがいたのだった。
こちらを先に読んでからこの作品を読まれるとより一層楽しめると思います
ぱら、ぱらと、ページをめくる音が響く。
周りは静寂の世界。ただページをめくる音のみが聴こえる。その音すらも、虚空に溶けて、消えてなくなる。
本を読むことは嫌いではない。私が未熟だったころは書物を開くことぐらいでしか文字を学ぶことができなかった。識字に困らなくなった今でも、新聞に物語、指南書といったものを手に取ることは多い。ある時は情報を求めて、ある時は娯楽として、ある時はただの暇つぶしとして。
ある人は、「書を捨てよ、町へ出よう」という皮肉のような本を残したらしいが、私は家にこもって本を読み続けることこそ大事なことだと考えている。外で剣を振り回しているだけではうまくいかないことも多い。そういったとき、自らを助けてくれるのは先人から学んだ知識だ。現に私は書物から得た知識に何度も命を助けられている。
ただ唯一、空を飛べない、ということだけは解決できなかったが。
その本に、私はもう一度頼ろうとしている。
天狗の和書だけでは見つからなかった可能性を求めて。
「おーい、なにか見つかったか?」
もうページも残りわずかという頃、遠くから覚えのある声が聞こえてきた。先日の一件以来、よく顔を合わせるようになった人間の声だ。
パン、と小気味良い音を立てて本を閉じ、元の場所に戻す。ここの本棚は高さがある分、本を出し入れするのも一苦労だ。
声に返事を返そうとして、一瞬ためらう。曲がりなりにも図書館だ、大声を出して怒られやしないだろうかと思ったが、これだけ広いのだから大丈夫だろう。ここの主もすでに遠くにいることだし。
「いいや、まだだ。そっちはどうだ?」
「怪しい物はいくつかあったんだがな、流石にそのものズバリってものはなかったぜ。一応キープはしているけどな」
「そうか。もう少し探したら、一度合流しよう」
「オーケー、私はもうちょっと奥を探してみるぜ」
くるりと金色の髪を翻し、白黒魔法使い、霧雨魔理沙は宣言通り奥の闇へと消えていった。
私も本棚に向き直り、背表紙のタイトルから本を選び、目次に目を走らせる。それらしい内容があれば、くまなく読み、必要に応じてメモをとる。なければ本を戻し、次の本へ。そんな作業をすでに二時間ほど繰り返している。
だが、音を上げるわけにはいかない。空を飛ぶことは長年の望みだったんだ、可能性があるのならすがりつきたい。
私は、犬走椛は誓ったんだ。あの日の夕日をもう一度、今度は自分の力で見るんだ、と。
その日、珍しく非番だった私は、朝から竿と魚籠を引っさげて河童の集落付近にある隠し池に出かけていた。この場所は河童の集落に近いせいかあまり天狗が近寄ることはなく、一方で河童の集落からは木々で隠れる位置にあり、池の存在を知るものは少ない。どうやら地下を通って付近の川ともつながっているらしく、流れのある場所に生息するものから水の溜まる場所に住むもの、といった風にさまざまな種類の魚が釣れるのも魅力的だ。
こういう場所を見つけることができるのも、日ごろから大地を駆けまわっている恩恵だ。周辺の木々が覆い隠すように存在するこの池は、空を飛んでいては発見するのはきっと難しいだろう。空を飛べないというのも、案外悪いことだけではない。
チャプン、と浮きが水中に沈む。すかさず竿を引き、針を食いこませる。力任せに引っ張っても釣れないことはないのだが、道楽として面白くなくなってしまう。魚の動きを読みつつ竿を引き、徐々に体力を消耗させていく。力の駆け引き、という点において釣りは武道と変わりない。魚の体力が尽き、引きが弱くなったところを一気に引き上げる。
瞬間、ザパァと。
わずかに差し込む光に照らされ、銀色に輝く姿が水面から現れた。少々小ぶりではあるが、十分活きのいい山女魚だ。針から外し、魚籠へ入れる。中にはすでに五匹ほど種々取り取りな魚が入っていた。
さて、あまり釣りすぎて生態系を崩すのも拙い。六匹もあれば十分、むしろ少々多いくらいだ。途中にとりの工房に寄っておすそ分けしてあげようか。まだまだ工房から出てくる気配がないし、新鮮な魚にきっと飢えている頃だろう。それでも余ったら燻製にすればいい。日持ちするし、酒の肴にはぴったりだ。
そんなことをつらつらと考えつつ竿を片づけ、魚籠を手に河童の集落に向かった。
事件が起こったのはにとりに魚を差し入れた直後だった。工房を出た私のもとに若い白狼天狗が一人、あわてて舞い降りてきたのだ。
「どうした、何があった?」
「山に人間の侵入者でございます!我々木端どもで応戦したのですが、まったく歯が立たず…!至急、椛様をお連れするようにと!」
人間の侵入者。人間の中で木端といえど天狗をなぎ倒せる者を、私は二人しか知らない。そして、特別な事件もない山に好き好んで入ってくる奴など、一人だけだ。
「すぐに向かう。それまで持ちこたえろ」
「御意に!」
伝令が再び空に舞い上がったのを見届け、自身もすぐさま走り出す。
木々をかき分け、家の中に飛び込む。60秒。
魚籠と竿を放り捨て、立てかけてあった剣と盾を引っ掴む。80秒。
屋根へ上り、交戦中の空域を視認する。報告の通り、天狗側は苦戦しているようだ。90秒。
屋根を蹴り、木々を飛び渡り現場に駆けつける。170秒。
「お、お早いお着きで!」
「もっと鍛錬を積め、伝令は足が速くなければ勤まらないぞ。
…あいつは私が追い返す。お前たちは万が一に備えて周りを取り囲め、だが逃げるようなら追うな」
「御意に!」
私より数瞬遅れた伝令に命を出し、私は目標へと突撃した。
本来であれば、私でもあの人間には敵わない。だが、今回の件に限っては、私一人で収めることができると確信していた。なぜならあの人間は、霧雨魔理沙は私に言った。私が空を飛ぶ術を必ず見つけると。
光り輝く軌跡が最後の一人を叩き落としたところで、向こうもこちらに気が付いたようだ。心なしか顔がにやついている。こちらも気を引き締めながらも、どこかまったく別の感情が己を興奮させるのがわかる、期待しているのだ。
その高まる感情のまま、私は魔理沙に向かって、
「狗符『レイビーズバイト』!」
「うおあ!?」
手加減などせず、気絶させるつもりでスペルを放った。驚いた彼女は器用にも箒の軸を回転させることで弾幕を回避。さかさまになったことでエプロンドレスのついたスカートがまくり落ちた。やはり恥ずかしくないのだろうか、ドロワーズも一応下着ではあると思うのだが。
「おい!なにすんだよ!今のは絶対、飛びついて来たお前を私が華麗に受け止めるっていう感動的なシーンのはずだろ!」
「なんのことか全くわからないな」
「嘘つけ!ニヤつきながらこちらに近づいてきたくせに!大方、空を飛ぶ方法がわかったのかと期待でもしたんだろうが!」
「否定はしない。だが、山に無断で侵入した上に天狗を害したのも事実だ。それはそれ、これはこれ、ということでおとなしくしょっ引かれてくれ」
「相変わらず頭の固い奴だ、山中引き回しだなんてまっぴら御免だぜ!」
そう叫ぶと魔理沙は一枚の絵札を掲げた。虹色に輝く光の軌跡が描かれている、彼女の十八番スペルだ。下手に撃たせれば山をえぐってしまうかもしれない。私は留まっていた木をへし折らんとばかりに跳躍、彼女がまたがる箒の柄をつかむ。
「うひゃあ!だからなにすんだよ!喧嘩なら今すぐ買ってやるぜ!」
「いいから落ち着け。どうせ目的は私なんだろ?ならこのまま私を連れておとなしく引き下がってくれ、そうすれば私も目を瞑ってやるし、上へもうまくごまかしてやるから」
「今更なに言ってやがる!普段は温厚な私でも、さすがにトサカに来たぜ!」
「そうか、なら仕方ない。これ以上抵抗するなら、若い白狼たちの弓の練習台になってもらうぞ」
告げて私は片方の腕をぐるりと回し、周囲に合図する。その動きにつられて魔理沙も周りを眺め、そして絶句した。
私たちから十メートルほど離れた中空をたくさんの白狼天狗が隙間なく取り囲んでいる。さらには皆一様に弓を構え、魔理沙へと狙いを定めていた。下手をすれば一秒後にはハリネズミの完成だ。
「お前とじゃれ合っている間に準備させてもらった。こちらとしてもいささか心苦しいが、お前が山に働いた無礼も数知れない。私の合図ひとつで、引き絞られた矢はお前を射抜くことになるだろうな」
もっとも、かけられた矢そのものは矢じりの刃先が丸められた、それこそ殺傷力のない本当に練習用のものなのだが。人間の視力では離れたところにある矢じりの先など確認できるはずもない、威嚇としては十分である。
「ぐっ…」
「さあ、どうする?私を連れておとなしく引き下がるか、このまま無意味に喧嘩を売って無様に打ち落とされるか、選べ」
私は最後の宣言を口にした。しばしの沈黙、そして。
「しかたがないな、わかったよ。こちとらお前を捕まえたことで目的は達成したんだ」
「物分りがよくて助かるよ。さあ、早く行こう」
「…覚えてろよ、チクショウ」
遂に魔理沙は観念し、Uターンして山から立ち去った。箒に掴まった、私を連れて。
その後私はかの夕焼けの日に教えられた魔理沙の家へと連れてこられた。魔法の森は日の光も差さず、年中ジメジメしている上に、茸の胞子が飛び交っている、妖怪の山とは比べ物にならないほど環境の悪い場所だ。さぞ居心地が悪いのだろうなと思ったのだが、魔理沙の家の敷地に入ると意外にも空気自体は清涼だった。浄化の魔法を用いた結界のおかげらしい、何とも便利な。
だが、感心したのもそれまで。家の中に入ると今度は別の意味で居心地が悪かった。
玄関にはいろんなものが所狭しと山のように並べられ(おそらくほとんどが盗品だろう。にとりがなくしたと言っていた機械もあったのでこっそり回収しておく)、足の踏み場はかろうじて残っているという風。さらには全く触っていないものもあるのか、はたまた触ることすらできないのかはわからないが、ガラクタの山には埃がうっすらとかぶっており見ただけで咳き込んでしまいそう。
そんな魔窟の中を魔理沙はなれた足取りで、右へ左へと器用に通り抜けていく。狭い家の中だというのに少しでも目を離すと見失ってしまいそうだ、慌てて後ろについていくと不意に開けた空間に出た。開けたとは言っても、少々狭苦しいのは変わらないが、それまでの雑然とした空間と違いここはきちんと整然としている。
おそらく居間兼寝室なのだろう、中央には足の高いテーブルと椅子が据えられ、隅にはきちんと整えられたベッドがある。だが、そんなものよりも目を見張るのは、壁に隙間なく置かれた本棚と、これまた隙間なくみっちりと詰め込まれた大量の書物。通路に出るために必要な最低限のスペースを残し、四方すべてを取り囲んでいる。まるで射命丸様宅の資料室のようだ。
お茶を淹れてくるぜ、と。魔理沙はさらに奥へと消える。ちらりと見えたドアの向こうは、やはりこの居間と同じで窮屈ながらも整頓されていた。一人残された私もひとまず椅子に腰かける。
それにしても圧巻である。どこを見てもあるのは本、本、本。本棚も高さが天井まであるため、まさに本に取り囲まれているといった風だ、圧迫感さえ感じる。まるでこの辺りだけ、どこかの図書館の一角をまるまる切り抜いてきたかのような異様さだ。それでいて本の一つ一つはきれいに手入れされていて痛みも少ない、定期的に読まれている証拠だ。頭上には天窓が取り付けられており、空気の入れ替えもできるようになっている。
私自身も本は読む方だが、さすがにここまで来るとなると次元が違う。噂に聞いていた程度で、まさかここまでなどと誰が想像できるだろうか。
「ん?なんだ?そんなに珍しかったか?」
と、すると魔理沙がお盆を抱えて戻ってきた、匂いからしてどうやら紅茶のようだ。
「ああ、いや、勤勉だとは聞いていたが、まさかここまでとは」
「私にとっちゃ、好きなことをしてるだけなんだがな。好きなことに夢中になるのは、普通のことだろ」
そういいながらも若干照れくさそうではある。指摘してもよかったのだが、それはそれでややこしくなりそうなので見逃すことに。
カップを受け取りお礼とともに一口。少々酸味が強いがまずくはない、友人に出すお茶としては十分だろう。
魔理沙も私の対面に座り、カップを傾ける。そして早々に口を開いた。
「まず、誤解の無いように言っておく。申し訳ないが、まだお前が空を飛ぶ方法は見つかってないんだ」
「そうか」
返事は淡泊に一言。
「あまり残念がらないんだな」
「まあな。私も過去に百年単位で試行錯誤したんだ、こうも早く見つかってしまうのも、私のやり方が悪かったと言われているようで少々癪に障る」
「難しい奴だなぁ」
「よく言われる」
からから、と。お互いに笑いあい、口を湿らす。
期待していたのは嘘ではない、しかしまさか今回ですべてが解決するなどという楽観は抱いていなかった。何しろあれからまだ一週間しか経っていないのだ、こんな短期間で見つかってしまったら、己の不甲斐なさに首を吊りたくなってしまう。
しかし、
「だが、何もないのにわざわざ呼びには来ないだろう。何か手がかりをつかんだのか?」
先日の一件で、魔理沙という少女の人となりはそれなりに把握できたつもりだ。彼女は突拍子もないことはするが、意味のないことはしない。今回私を連れ出したのも、何か意味があってのことのはず。
そんな確信を秘めつつ彼女を問いただすと、やはりというか、待ってましたとばかりにニヤリとシニカルな笑いを浮かべた。
そして彼女はゆっくりを口を開き、
「いいや、さっぱりだ」
思わず椅子からずり落ちた。
なんだそれは。評価を、頼るべき人を誤っただろうか。
「…おいとまさせていただく」
「まてまて!ジョークだジョーク!イッツマジシャンズ・ジョーク!」
立ち去ろうとしたところを魔理沙に必死に引き止められ、渋々座り直した。目配せでさっさと次を促す。もしまたふざけたらたたっ斬るとばかりに剣の鯉口を切りながら。
「いいか、ヒントがないのは事実だが、なにも空手ってわけじゃないんだ。幻想郷にはありとあらゆる知識の詰まった場所がある。そこに行けば、なにかしらの手がかりが入手できると私は踏んでいる」
「それは、紅魔館の地下大図書館のことか?」
一時期騒然となった紅霧異変の首謀者が住む館である、私もある程度の見聞はあった。
「ああ。だが、いかんせん知識が詰まりすぎていてな、私ひとりじゃヒントを探すだけでも一苦労だ」
そこでだ、と。魔理沙はぴんと人差し指を立て、
「お前にも参考になりそうな本を探すのを手伝ってほしい。私とお前では目を付けるものも違うだろうから、私は私の観点で、お前はお前の観点で、資料を探すんだ。そうすれば、ヒントくらいは見つかるはずだ」
そう語る魔理沙の言葉を、私は自らのなかで吟味していく。
彼女が言っていることは正論である、私は魔法や人間の技術のことなどさっぱりわからないし、魔理沙には逆に天狗の体のことはわからないだろう。その足りない部分をお互いで補い合えば、探索はよりはかどるはずである。
と、考えていると魔理沙が「行くよな?」と確認を取ってきた。いや、言葉でこそ確認を取っているが、彼女の中ではすでに私も行くのは決定事項なのだろう。人の都合も考えずに、勝手に決めないでほしいものだ。
もっとも、
「ああ、もちろんだ」
私自身も断るつもりは毛頭なかったので問題はない。 どのみち近いうちに訪ねようと思っていたのだ、どうせなら知ってる人の伝を頼れる時の方がいい。むしろ非番である今日が一番のチャンスだろう、と私は提案を快諾した。
だが、不安要素が一つ。
「…ところで、洋書の和訳や魔法書の解読はどうするんだ?そんな心得、私はないぞ」
「あー、そのことについては大丈夫だろ。私はある程度読めるし、なによりあの図書館にはおまけでもれなく翻訳サービスがついてくるからな」
パチン。
かわいらしくウィンクをした魔理沙の弁に、私は首をかしげざるを得なかった。
紅魔館。
幻想郷に住むもので、この場所を知らぬものはいないだろう。
先の紅霧異変の根源、レミリア・スカーレットとその一味の棲む悪魔の館、定期的に騒ぎを起こす幻想郷のトラブルメーカーその1、血のように紅い異彩を放つ豪奢な建物。当然ながらわれら天狗の間でも要注意勢力として扱われている。
そんな屋敷の地下にあるという、ありとあらゆる知識が所蔵されるといわれる紅魔地下大図書館。秘された「幕」に触れる場所、そんな風に誰かが読んだのか、畏敬をこめて謳われた名が、ヴワル。そう、里の知識人の一部は呼んでいるらしい。
「もっとも、妖怪の集団の中では幾分か開放的なところだぜ。咲夜や美鈴なんかはよく里に顔を出すし、慧音や阿求の努力もあって、最近は徐々に人間が訪れやすくもなってるみたいだ」
「・・・妖怪の山では考えもつかない話だな」
紅魔館の門番も最初こそ警戒されたものの、理由を話したところ客人として穏便に迎えて頂けた。というより、警戒されたのは私ではなく、魔理沙のような気がしたのだが、と本人に語ったところ
「失礼な話だよな、私は悪いことなんてしてないのに」
と、口を尖らせた。指摘してもいいのだが、変にへそを曲げられても困るため、再び黙っておく。
ほのかに紅い屋敷内を魔理沙の先導に従って歩く。内部の構造は外観からは想像もつかないほど複雑かつ広大だった、これも魔法や外法の類によるものだろうか。しかし通い慣れているからだろう、そんな中を魔理沙はすいすいと迷うことなく進んでいく。
しばらくして、一際目立つ大きな扉の前についた。察するにここが図書館の入り口なのだろう。
「と、中に入る前にだ。こいつを渡しておくぜ」
扉の前に立った魔理沙はこちらを振り向き、私に何か紐のようなものを投げ渡してきた。受け取って確認すると、ロープの一端にかぎづめが結び付けられている、どうやら登山用のロープのようだ。
「って、なにに使うんだこんなもの?」
「中に入ればわかるさ。感謝しろよ、それがないとお前は本も読めないと思ってわざわざ探してやったんだから」
邪魔するぜー、とこれまた慣れた口調で魔理沙が扉を開く。わけもわからないまま、私は後に従って中に入った。
最初に抱いた感想は、まさに本の森に迷い込んだよう、だった。
魔理沙の家の本棚ですら、まるで比べ物にならない。城壁のような高さの本棚が前方、左右の三方にどこまでも続いている。そして恐ろしいことにその本棚に隙間なく本が詰め込まれているのである。
本の種類も雑多だ、紐つづりの古書に皮装丁の豪著、現代語に古語、漢文、アルファベット、そのた見たこともない文字など種々で書かれた背表紙の題、書物と呼ぶにもおこがましい薄さの本からまるで武器として使えそうな大きさの本まで。
思わず、息が漏れる。これほどの量の本、はたして長い妖怪の人生を捧げたとして全て読み切れるかどうか。事務作業を務める鼻高天狗ですら、匙を投げるのではないだろうか。
「おーい、遅れるなよー!ここで迷ったら大変な目に遭うからなー!」
魔理沙の声でようやく我に返る。結構な時間、呆けていたようだ、気が付けば黒い背中はずいぶんと小さくなっていた。慌ててそばまで駆け寄る。
小さく謝ると魔理沙に「まあ、気持ちはよくわかるがな」とからから笑われてしまった。彼女も初訪問の時は似たような経験をしたのだろう、嫌味な印象はない。
「敷地面積、蔵書の種類、量、どれも桁違いだ」
「ああ、屋敷の中にこういった改造が得意な奴がいてな。引きこもりの主の魔法と組み合わせて空間を拡張しているんだそうだ。たまに模様替えなんかもしてるらしいぞ」
「この規模を模様替え・・・ぞっとしない話だな」
模様替えする側も、そのあとに利用する側も。
空を飛べない人お断り、という文句を誰かが言っていたことを思い出した。定期的に構造が変わる魔の迷宮では、マッピングも目印も意味をなさず、迷い込んだものを確実に取り込んでじわじわと死に追いやる。まるでウツボカズラに囚われた虫のようだ。逃れるにはそれこそ壁を乗り越えるしかない。
「で、この登山用ロープは、まさか」
「そのまさかだ。なに、妖怪の山でとんでもな大道芸をやってのけたお前なら、そいつに釣られながら本を探すくらいわけないさ。断崖絶壁の中、ロープ一本で採掘をやるようなもんだと考えればいい」
崖を下るときのように本棚のてっぺんにかぎづめをひっかけ、ロープにぶら下がりながら本棚を物色しろ、ということらしい。こんなものなくとも私は背表紙の文字が読めるだとか、本棚を傷つけていいのかなどの突っ込みどころはあるが、言わんとすることはわかるのでありがたく借りておくことにする。何度も崖を登り降りするのは勘弁願いたいものだ。
と、しばらく進んだところでようやく開けた空間に出ることが出来た。100平米ほどの空間の中心に巨大な丸テーブルが設置されており、その上に大量の本が山積みになっている。その本の間に挟まれるようにして対面に座っていたのは、線の細い紫髪の女性。
「よう、パチュリー。来てやったぜ」
「・・・頼んだ覚えはないのだけど」
魔理沙に声をかけられた図書館の主、パチュリー・ノーレッジは読んでいた本から視線を上げて魔理沙をじろりと睨んだ。
しかしそれも一瞬。彼女の興味はすぐに手元の分厚い本へと移り、よどみなくページをめくり始める。
「なんだ、つれないな。私とお前の仲じゃないか」
「あなたと友情を育んだ覚えもないわね。本を奪われた怨みなら山ほどあるけれど。で、なんの用かしら。貸し出しなら未来永劫お断りよ」
「そいつも魅力的なお話だが、あいにく今回は別件なんだ。私はただの付き添いで、用があるのはこっち」
「こっち?」
ほれ、と魔理沙が親指で私を指差す(私はどちらかというと魔理沙に引っ張られて来たのだが)と、パチュリーも初めて私に、これまたじろりと視線を向ける。途端、信じられないものを見たかのように目を円くした。
「勝手ながらお邪魔している、白狼天狗の犬走椛という。本日は知識の魔女と名高い貴女の知恵をお借りしたく思い、恥を忍んで訪ねた次第だ」
「天狗・・・それも白狼?いや、それよりも、何より種のプライドを大切にする白狼天狗が、私に頼みごとですって?」
私の言葉にますます瞳は円くなる。私だって先日までこんなことになるとは予想もしていなかった。もし同僚にこのことを話したら、冗談だと笑われるか、或いは天狗の誇りを汚したとののしられるかのどちらになるだろう。
白狼天狗は天狗の中でも特に外部に対して閉鎖的で、かつ同族間での仲間意識が強い。お山のなかで最も身分が低い分、群れとしての力を強めることで体面を守っている。お山への侵入者に対し我々が見敵必殺を心掛け、外部の者に対し力を誇示することも、天狗の一員として所属するために必要なことだった。
もっとも守矢騒動を経た今となっては、お山もほんの一部とはいえ里人に対して開かれているため、そのあたりの体面もすでに過去の話でしかない。それに少なくとも私個人に関しては、なりふり構わないと決めたのだから。
「ええ。とは言っても天狗全体のことではなく、私個人のことなのだが、よろしいか」
「内容も聞いてないのに是非の判断なんてできないわ。面白そうだから続けて」
では、と口を開く。山の外の者にこのことを話すのも早くも3人目だ。
私は何一つ隠すことなく事情を説明した。天狗の身でありながら空を飛べないこと、そのかわりに誰もを圧倒する脚力を身に付けたこと、それで満足させていたはずの心が博麗の巫女たちとの出会いによってふたたびくすぶり始めたこと、云々。
さして長い話でもなかったが、それでもパチュリーは興味深そうにあごに手を当てながら静かに聞いてくれていた。そんな様子にほんの少しほっとする。私にとっては恥をさらすも同然の行為だ、どんな形であれ真剣に受け取ってくれるのはありがたい。
「なるほど。あまり聞いたことのない話ね。人間やその他の生物と同じように妖怪にも個体差というものはあってしかるべきではあるけれど、種族の特性そのものが失われているなんて・・・」
「天狗としても隠したかったのだろうな。空を飛べない天狗の存在については、お山の書物にも全く載っていなかった。私も自分がそうであると知って初めて、白狼のお偉方から聞かされたことであるほどだ」
「念のために聞くけれど、もともとは天狗ではなかったなんていうことはないわよね」
「もちろん。獣からの成り上がりでもない。・・・既に亡くなっているが、両親も空を飛べるいたって普通の白狼だ。呪いの類を受けた覚えもない」
「ますます興味深いわ・・・因子には問題が見当たらない。天狗としての素養も低いわけじゃない。なのに極低確率とはいえ種としての欠陥をもった個体が生まれてくるなんて・・・まるでアルビノね」
「アルビノ?」
「動物の中にまれに皮膚や体毛が真っ白な個体が生まれてくることがあるわ。それをアルビノというの」
そういうとパチュリーは中空に手をかざした。するとどこからか一冊の本が現れて手の内に収まり、ぱらぱらと勝手に本がめくられて、あるページが開かれる。彼女はその本をこちらへと差し出した。
受け取って中身を確かめると、そこには真っ白く描かれた様々な生物の図解とともにアルビノについての説明が日本語で書かれていた。後ろで黙っていた魔理沙も顔を覗き込ませてくる。パチュリーはというと、本に目線を落としたのを確かめると再び説明を始めた。
いわく、アルビノというのは遺伝的な欠陥により先天的に体の色素が失われるという症状、そしてその症状を持つ個体のことを言うそうだ。自然界での生存能力は極めて低く、その希少性から神聖視や吉兆・凶兆の証としてとらえられることもしばしばあるとのこと。遺伝的疾患であるため、症状はすべて先天性で後天的に症状が悪化することなどはまずないらしい。
と一通り説明が終わったところで、何か質問は?と問われた。なので正直に白状することにする
「えーと、つまりどういうことだ?」
前と後ろでずっこける音がした。
仕方がないだろう、私は生まれてこの方、お山で生きるための術しか学んでこなかったのだ。いきなり「せんてんせい」だの「いでんてきしっかん」だの難しい言葉を言われてもわかるはずがない。
「・・・要は、生まれるときに何らかのせいで、体が真っ白な状態で生まれてくる奴のことだな。神奈子の使いにも、白蛇がいるだろ」
「ちなみに生物学的に劣勢だとか欠陥だなんて言われてても、体が白いということ以外はその他の同種個体と全く変わりないわ。不用意に日の下に出てこないなど、いくつかの点さえ注意していれば通常の個体と同じように生きることもできるわね」
と、二人から捕捉を受けてようやく理解することが出来た。
「で、つまり私はその『アルビノ』なのか?」
「いいえ、その可能性は限りなく低いわ」
もしや、と思った私の仮説をバッサリと否定する知識人。
「そもそも妖怪は人間や動物とは一線を隔す存在、ありとあらゆる点が異なっている。人間や動物に通用する理論が妖怪にも通用する可能性はまずないと言っていいわ。それは妖怪同士についても同じことよ、天狗の医療知識を他の妖怪にそのまま引用することはできないように」
「まった、パチュリー。霊夢や私の治癒術は、人間妖怪問わず効くぜ?もし根本から違うものだとしたら、私たちの治癒術は妖怪には効かないんじゃないのか?」
「本当にそう思うのなら勉強不足よ、魔理沙。魔法、神道に限らず術の基本は対象が持つ力を魔力で制御すること。治癒術の場合、あなたの魔力は単に対象の自然治癒力に働きかけているだけで、傷を治しているのはあくまで魔力の働きによって活性化された本人の生命力よ。種族も何も関係ない」
「むむ・・・」
反論を反証で返されて、魔理沙も押し黙ってしまった。
確かに、と思わざるを得ない。われら天狗の間でさえ、種族によって体の違いが存在するのだ、妖怪全体をひとくくりにできる日は未来永劫来ないのだろう。
しかしそうなると困ったことになる。私は天狗で彼女は魔法使い、二人の間には種族の違いという決定的な差があることになる。そして彼女の周りにいるのは悪魔や吸血鬼。いくら彼女が知識に長けるとはいえ、天狗の、それも私の希少な悩みについて助言できるとは流石に思えない。
「では、私が空を飛べない理由も、その解決方法も」
「今の時点ではわからないわね」
やはりか、と肩を落とす。
知識人とはいえ万能ではない。彼女にだって知らないものはあるし、わからないものはわからないのだ。
ほんの少しだけ低いトーンのまま感謝の意を述べ、椅子から立ち上がり立ち去ろうとする。するとパチュリーはいかにも怪訝そうに眉をひそめた。魔理沙も慌てたように私を引き止める。
「お、おい!どこに行くんだ!?」
「何処って、ここにはもういる理由はないだろう?肝心のパチュリー殿も知らないようだったし・・・」
「・・・魔理沙。あなた、この子にここについてちゃんと説明したのかしら?」
「あー、そういえば忘れてたな。てっきり知ってるもんだと思ってたぜ」
やれやれと言いたげな雰囲気でパチュリーが肩をすくめる。
「あなた、ここの本がどのようにして集められたか知ってるかしら?」
「・・・?貴女が集めたのではないのか?」
「ええ、もちろん私が集めたものや書いたものも含まれるわ。けれどね、ここにある本の多くはいつの間にか流れ着いたものなのよ」
流れ着く。奇妙な言い方だ。
まるで無縁塚のように、幻想となったものがどこからかやってきて、いつの間にかあるかのような・・・
「まさか」
「そのまさか。ここには幻想となった外の世界の本が無数に流れ着く場所なの。おそらくこの瞬間にもどこからか本が流れ着いているでしょうね。おかげで私としたことが、本の把握が追いつかない」
その言葉を聞いて想像する。
例えるのなら、迷いの竹林が一番近いだろう。日々新たな竹が現れるそこは日ごとにその様相を変えていく。どれほど整理しても追い付かず、むしろ混迷を極めるばかり。
定期的に模様替えを行うのも、おそらくはこの魔窟を少しでも把握しようと足掻いているからなのだろう。場合によっては”本棚ごと”入れ替えた方がいいのかもしれない。
ということは、だ。先ほど図書館の主は把握が追いつかないと言った。それはつまり、彼女が把握していないだけで、この図書館のどこかに空を飛ぶ秘法が記されているのかもしれない、ということで。
改めて、この広大というにはあまりにも大きすぎる図書館を、そこに立ち並ぶ数々の本棚を見通す。
「・・・また気の遠くなる作業になりそうだな」
呆れたように小さくため息をつく私に、
「簡単には諦めないんだろ?」
魔理沙は変わらぬ笑顔で、明るく茶化した。
上等、やってやろうじゃないか。
と、まあ。
それから語るほどでもない程度に紆余曲折あって、今はテーブルに高く積み上げた日本語の文献をひも解いているところだ。
とはいえ、私は日本語で書かれた書物しか読むことはできない。他の原語で書かれていたり、魔術的なロックがかかっている本は全て魔理沙頼みになってしまっているのが心苦しい。
ちらりと盗み見れば、彼女は私の数倍の高さに本を積み上げて、辞書を片手にああでもないこうでもないとペンを走らせながらうんうんと唸っていた。
ちなみにパチュリーにも助力を申し出たのだが、
「悪いけど手伝えないわ。これから大事な実験を行う予定だから」
と、無表情でやんわりと断られてしまった。
まあ仕方がない、向こうにも予定はあるものだ。突然押しかけたにもかかわらず、こうして追い出されずに蔵書を見せてもらえているだけ僥倖だろう。
「魔理沙。あとで調べた内容を見せなさい」
「あ?なんでだよ?」
「情報提供料。ここの蔵書は私の所有物」
・・・少々注文をつけられてしまったけど、私としては十分許容範囲だ。肝心の魔理沙は不満げだったが。
それにしても。
どうして彼女はここまで私に協力してくれるのだろうか。
彼女がとんでもない努力家だというのは知っている、家に招かれたときもその一端を感じることができた。
だが、だからといってそれが私に協力してくれる理由にはならない。彼女には彼女のやりたいことがあるだろうし、それをほっぽり出して他人の世話を焼くほどお人よしでもないだろう。
でも魔理沙は決して義務感だとか、引け目があるからとかそういった理由で協力しているようにも見えない。でなければここまで協力してくれるはずもなかった。
「…しかしすごい量だな」
「ん、ああ。別にこれくらいなんともないぜ。読むときはこの数倍を一日かけて読んだりもするからな」
「そうか」
なんとなく、その理由が気になった。
長時間の読書で疲れがたまってきていた私は、気分転換のつもりで彼女に聞いてみることにした。
「なあ、どうしてここまでしてくれるんだ?」
「…何がだ」
「協力の話だ。もちろん、とてもありがたいと思っている。だけど正直に言えば、お前がここまで協力してくれる理由がわからないのが、少し不気味なんだ」
「なんだ、力を貸してやってるのに、不気味扱いされるなんて心外だぜ」
「…すまない。でも正直な気持ちだ。どうしてここまで協力してくれるのか。よければ教えてくれないか」
私がそう問いかけると、彼女は一つ深いため息をつき、本に目を走らせたまま口を開いた。
「確かに、本当ならここまでしてやるつもりはなかった。他のお願いだったら適当に首を突っ込んで、それで終わりにしていただろうな」
「なら、どうして」
「…懐かしかったんだよ。空を飛びたいと話したお前の姿は、まるで昔の私自身を見ているようだった。まるで手の届かないことに対して、精一杯手を伸ばし続ける子供の頃の私ようだ、ってな」
吐き出された言葉に思わず息が詰まる。
そういえば魔理沙も元は普通の人間だったはずだ。霊夢と一緒にいるから忘れてしまうが、魔理沙は博麗の巫女のように特別な存在、というわけではない。
相変わらず視線は本に落とされたままだ。しかしその表情はどこか苦しそうな陰を落としている。
「だから、だろうな。どうにも他人には思えなくてな、お前のことを放っておくことができなくなった。
さらに言えば、お前が空を飛べるようになった時の顔も見てみたいと思った。その時の顔は、きっと私が初めて空を飛んだ時と同じ顔をしているだろうからな。
それだけさ」
そう締めくくると彼女はようやく顔を上げて見せる。
面に浮かぶのは、苦笑い。気まずそうに頬を指でかいている。我ながらお人よしだぜ、なんて心の声が聴こえたような気がした。
「悪いことを聞いてしまったな」
だから私は、穏やかに微笑んで見せた。
彼女が過去にどのようなことを想ったのかはわからない。だが、それでも彼女は私に力を貸してくれている。
それはとても暖かく、私を励ましてくれた。
「気にしないでくれ。一応、研究の一環でもあるからな。それに・・・」
「それに?」
「飛べるようになったら、初フライトには付きあわさせて貰うぜ。いいシチュエーションも知ってるしな」
次に見た魔理沙の顔には、もうどこにも陰の残っていない、満面の笑顔が映えていた。
山のように積みあがった本をひも解き続けること、数時間。
一通り見通したところで一息つき、
「・・・ないな」
「・・・なかったな」
そう、結論づけざるを得なかった。
予想はしていた。そもそもが閉鎖的で有名な天狗の里の、それも秘匿とされた事実である。
外に流れることも無いように厳重に管理していると考えるのが自然で、そもそも文献という形に残しているかどうかすら怪しい。
いくら幻想となった知識の流れ着く図書館と言えど、本として残っていなければ流れてくることは無い。
「まあ、今まで見た本は、これでもまだこの図書館のほんの一部だ。これだけ広い場所ならなにかとっかかりくらいは・・・」
「ま、魔理沙さーん!助けてくださーい!!」
そんな徒労感に肩を落としていた気だった、図書館の奥の方から赤い髪の司書風の女性が大慌てで駆けつけてきたのは。
あの人は確か、パチュリーの使い魔だったか。相当急いできたのだろう、肩で息をしている。
「おう、どうした小悪魔、そんなに慌てて」
「いえ、それが・・・パチュリー様が大変なことに・・・と、とりあえず今すぐこちらに来ていただけませんか!?
お願いします、一刻を争う自体なんです!」
そういって小悪魔(無論本名ではない。悪魔はおいそれと本名を明かしてはいけないそうだ)は魔理沙の袖にすがりつき奥へと引っ張る。
そのただごとではない様子に魔理沙はおとなしく従いつつ、小悪魔に事の次第をうかがった。
わたしもすぐに装備を手に取り、先を行く二人の後ろに従いながら耳で会話を追う。
「おいおい、どうしたんだ。パチュリーに何かあったのか?
まさか、召喚実験に失敗してへんなもん呼び出して、そいつに絡め取られている、とでも言うわけじゃないだろうな?」
「ギク」
「・・・マジか。割と冗談だったのに」
「ええ、実は、その。お恥ずかしながら・・・」
笑わないでくださいね?という前置きの後に、小悪魔は事の次第を語り始めた。
曰く、今日のパチュリーはあまり調子がよろしくなかったということだ。
いつもならそんなときに召喚実験など押し通すことなどないのだが、今回は事情が違ったのだという。
なんでもこの実験は事前準備に手間がかかる上に、星の廻りが影響するためいつでも実験を行えるというわけではないのだとか。
だから多少調子が悪くても、今回実験に踏み切ったらしいのだが…
「案の定、詠唱失敗して召喚事故起こした、と」
「返す言葉もございません・・・」
「お、おい、魔理沙。それってかなり拙い状況じゃないのか?」
「・・・どうかな、とりあえず見てみないと」
「っ!言ってる側から見えましよた!あれです、お二方!」
魔理沙にくっ付く小悪魔が張り上げた言葉に反応して、私たちは前方に目を凝らす。
いや、凝らすまでもなかった、見えたのはあまりにも大きな、
「・・・水の塊?」
「ありゃあ水の魔法生物だな。はたして人工か精霊か」
「スライムですね、内部に水の精を閉じ込めて・・・ってそうじゃないんです!大事なのはあいつの中!」
ほら!と指差された先を見ると、スライムの中にはたして見覚えのある人物がふわふわ漂っていた。
紫髪に紫の服、線の細い姿。今日見たばかりのシルエットをまちがえるはずもなく。
「パチュリー殿!?」
私の呼び声にも反応せず、ただだらんとだらしなく体をスライムへと完全に預けてしまっている。いや、取り込まれ身動きすらもできなくなってしまっているのだろうか。
「召喚した水精との契約に失敗してしまって、暴走した次の瞬間にはパチュリー様が囚われてしまい・・・
わたしも何とかしようと頑張ったんですが、とても手に負えなくて・・・!」
「ちっ、予想はしてたが一番まずいパターンだな。肝心の術者があの状態じゃ、追い返すことも難しいぞ」
「・・・つまり、あいつからパチュリー殿を引っ張り出せば何とかなるかもしれない、ということか?」
「ああ、そういうことになるな」
私は三度スライムを見やる。
肝心のスライムは半径三間はありそうな巨大な体をぶるぶると脈動させながらその場にとどまっている。
放っておけばこちらに危害を加えてくることはなさそうだが、それではパチュリーの命が危険にさらされてしまうだろう。あまり時間は残されているようには思えない。
「って、おい!椛、何をする気だ!?」
「急いだ方がいいんだろう?引っ張り出すくらいならなんとか・・・!」
言うが早いか私は下半身に力を籠め、思い切り床を蹴りスライムへと突撃する。
そうしてぶつかった瞬間、ぶにょん、と。
水に飛び込むにしてはあまりにも弾力がありすぎる感触が体を包む。ともすると飛び込んだ時の勢いは見る見るうちに減退してしまい、半分も潜り込まないで止まってしまった。
そしてすぐさま押し返されてしまう。液体とは思えないほどの力を全身に受け私はあっという間にはじき出されてしまった。
今まで経験したことのない体験に眼を白黒させるしかない。
「な、なんだ?」
「言わんこっちゃない。あいつは自分の水を操って自由に動かせるからな、ああいうのをどうにかするときは術者を狙うか・・・」
魔理沙は私に一点を示しつつ言葉を続ける。
「あの、術の触媒を破壊するか、が定石だ」
示された先を見ると、スライムの中に青色の宝石が浮いているのが確認できた。あれが術の触媒とやらなのだろう。
「・・・小悪魔殿、あれを壊すとどうなるんだ?」
「そうですね、中に精霊を閉じ込めておくことが出来なくなり術の維持が不可能になりますから・・・
おそらくはただの水に戻るかと」
「ということはあれを壊すのが一番手っ取り早いか」
「だな。パチュリーに何とかしてもらうって手もあるが、どうやらグロッキーのようだし、引っ張り出してから叩き起こすのも手間だ」
そうして魔理沙は懐に手を突っ込むと
「相手は言葉が通じない奴だ。スペルカードルールも通用しない。パチュリーには申し訳ないが、手荒くいくぜ」
ニヤリ、とニヒルな笑いを浮かべ、私に対し「手加減無用」と暗に合図したのだった。
魔法使い、と一口に言っても扱う術は千差万別らしい。
例えばパチュリーはいわゆる普遍的な魔法使いのイメージにたがわず、呪文の詠唱や魔法陣でもって術を発動させるが、魔理沙の場合は全く違う。
彼女は普通の人間である、ゆえにその体内にため込める魔力・霊力といった力の限界は妖怪に比べるとはるかに低い。
だから彼女は自らの魔力のみで魔法を生み出すのは非常に苦手なのだ(もっとも本人は「あんな長ったらしくてこっ恥ずかしい詠唱、覚えられるか」とごまかしていた)。
そこで彼女が代替案として考えたのが、茸から作る触媒を引き金に魔法を生み出す方法であった。
これなら、あらかじめ魔法を使うに必要な魔力と術式を触媒としてアウトプットしているため、どんな大魔法を生み出すとしても本人の持つ魔力量はあまり関係がない。魔理沙にはぴったりと言える方法だ。
「ただ、あいにく今の私が持ち合わせてる触媒はあまり多くない。切らしてしまう前に一気に決めてしまうぞ、椛」
「わかった、私はさっきみたいに突っ込めばいいのか?」
「ああ、後ろからサポートしてやる。邪魔する水は残らず吹き飛ばしてやるぜ」
「了解。頼むぞ、魔理沙」
「あの、私は・・・」
「悪い、小悪魔は下がっててくれ。お前、パチュリーがいないと本領発揮できないだろ?」
「も・・・申し訳ありません・・・」
「いいってことさ。さて、そろそろ行くか、椛」
私は魔理沙と肯きあった後、先ほどと全く同じように巨大なスライムへと突っ込む。
瞬間、相手は体を大きく震わせ、その巨体から幾本か触手上の部位を作りこちらへと振るってきた。
とはいえ動きは速くない、私めがけて振り下ろされてきた触手を軽々かわす。
すると、触手を叩きつけられた床が轟音と共にへこんでしまった。
「な、あぶな!?」
「水って結構重たいからな。それより気をつけろ、さっき突っ込んだせいで完全に敵と判断されたみたい、だぜ!」
叫んだ魔理沙が手をふるうと、小さな箱状の触媒がいくつかスライムの触手の根本めがけて飛んで行く。
そして目標ぎりぎりまで接近すると、
「さあ、初手から派手に行くぜ!」
魔理沙は手のひらをかざし、魔法弾を放って触媒を残らず撃ち抜く。
すると触媒は弾に込められた魔力に反応して輝き、爆発。
水でできた触手を根元から消し飛ばした。
本体から切り離されてしまった部分は形を保つことが出来ず、空中ではじけ辺りに水滴をばらまく。
「おお、凄いな!」
「油断するな!まだ来るぞ!」
声に従ってスライムを見ると、再び体を震わせて失った分の触手を補充していた。
これではまるできりがない。消耗戦ではじきに量で劣る魔理沙の触媒が無くなってしまう。急いだ方がよさそうだ。
再び板張りの床を蹴る。今度は先ほどよりも力強く、床を踏み砕いてしまうくらいに。
更に速度を増した私に、スライムは触手をかすらせることすらできない。
数を増やして囲い込もうとしても、増やした側から魔理沙が触手を吹き飛ばし数を減らしていた。
そうして難なくスライム本体の前までたどり着くと、
「伏せろ!」
声とともに私の目の前に魔理沙の触媒が飛んできて、スライムの表面にめり込み内部へと侵入。
危険を感じ慌てて身をかがめた直後、魔法弾がスライムごと触媒を撃ち抜き爆発を起こす。
再び私が見たときには、スライムの体は大きくへこみ、宝石とパチュリーが外にはみ出ていた。
「今!」
私は三度渾身の力で床を蹴り砕き、スライムの内部へと突撃、宝石に手をかける。
すると瞬く間に私をスライムが包み込み、外へ吐き出そうと体を震わせた。
一度体感したように、スライムの体を作る水がうねり、私の全身を外に向かって押し出す。
無論、私はなすすべもなく外へと追い出されてしまった。
そう、スライムの体を構成するに欠かせない、触媒の宝石とともに。
それに気づいたのか、スライムは全身を崩壊させながら最後の力で私にのしかかってきた。
だが、あまりにも、遅い。
私は宝石を地面に叩き付けると緩やかに剣を構え、
「これで、詰んだ!」
切っ先を宝石に突き下ろした。
いかに強化されていようと、妖力をこめられた一撃をもろに喰らって耐えられるはずもなく。
宝石はスライムの体と同じように崩れ落ちていった。
「ふぅ・・・助かった・・・」
「パチュリー様!お体は大丈夫ですか!?」
「大丈夫だから耳元で大きな声出さない」
巨大スライムを片づけたあと、私たちは地面に倒れていたパチュリーを彼女の私室へと小悪魔の案内に従って運び込んだ。
質素な机とベッドしか置いていない、本当に簡素な部屋。おそらく休む目的でしか使われていないのだろう、そんな部屋のベッドにパチュリーを横たえる。
囚われていた時間が短かったからか、彼女はすぐに目を覚まし、その身を起こすまでに回復したのが幸いだろう。
「不本意ながら二人に借りを作ってしまったわね」
「全くだぜ。こいつは何か埋め合わせしてもらわないとこっちの気が収まらないな」
「おい、魔理沙。いくらなんでも失礼だぞ」
肩をすくませため息をつく魔理沙に、私は顔をしかめてしまう。
しかしそんな私をパチュリーは片手で制し、
「魔理沙の言うとおりね。いいわ、今回は特別に一冊、本の貸し出しを許可するわ」
「な、本当か!?」
「魔女は不用意に借りを作らない、そして契約は決して違えない」
「サンキュー!それじゃ椛、私は早速どれにするか悩んでくるぜ!」
「あ、ちょっと!」
私が止める間もなく、魔理沙は部屋の外へと飛び出していった。全く現金な奴だ。
「それとあなた・・・椛、だったわね。あなたには・・・そうね、この紅魔の図書館の正式な客人と認めましょう。マナーを守るならいつここにきて本を閲覧しても構わない。貸し出しはできないけれど、私が暇なときには手伝うこともやぶさかじゃない」
「・・・え?いいのか?それは非常にありがたいが・・・」
「妖怪が変な遠慮しない。私がいいと言っているのよ」
「・・・わかった、心遣い感謝する。パチュリー殿」
「それと」
パチュリーは不機嫌な、初めて感情らしい感情を表しながら、
「殿、は、やめて。背筋がムズムズする。呼び捨てていいわ」
小さく吐き捨てた。
後日。
私は紅魔の図書館を訪れていた。
「やあ、小悪魔。お邪魔する」
「あ、椛さん!ようこそ、今日もですか?」
「ああ、本を読ませてもらっていいかな」
「もちろん!汚さないようにだけは気を付けてくださいね」
もうこのやり取りにも大分馴染んでしまった、それほどに私はこの場所に出入りするようになっている。
多くは空を飛ぶ方法を探すため、たまに、単純に本を読むために。
いつものように本を選んで、中央のスペースへと足を運ぶ。そこにはこれまたいつものように。
「・・・あら、今日も来たのね」
「お邪魔する、パチュリー」
「別にいいわ。うるさくしなければ」
本を読んでいるパチュリーがいたのだった。
消化不良の感はあるけれど、面白かったからこの点数で。
霧の湖の周辺に妖精の粉持ち妖精でもいないかなw
ストーリーがわからずキャラクターに興味をいだきようのない段階でのこういった設定説明はちとまずいです。
前作の空に焦がれるは、個人的にベスト5に入るお気に入りだったので、楽しみです
タグの空を自由に飛びたいなで前作は涙腺崩壊しました、タイトルとか看板を上手く付けれる人は尊敬します
次作期待
続きにも期待。
今後がどうなるか楽しみですね
全四話の構成ということは、今作で折り返し地点に当たるのですね。続き物の半ばを描くことになりますから、
なかなか苦労されたのではないかと思います。それでも、今作は中盤には中盤なりに話を膨らませようとする
工夫が随所に描かれていて、前作と合わせて楽しく読み終えることが出来ました。面白く興味深いお話です。
具体的に申し上げますと、もちろん終盤のバトルシーンもさることながら、隊長してる椛の早駆でありますとか、
魔理沙が椛の質問に答えて“空への憧れ”を語るシリアスなシーンでありますとか、あおみす氏の、登場人物の
魅力を伝えようとする努力が感じられました。丁寧かつ適度に削られて書かれており、軽快さも魅力的でした。
文章面におきましても、参考になると云いますか、好ましいと云うと語弊がありますが、とにかく、難解な表現や
文構造を排した、とても滑りの好い読み口が素晴らしいと思います。説明も必要に応じて適度に挟まれていて、
少なくとも読んでゆく上で引っ掛かりを覚えることはありませんでした。なかなか書けるものではないと思います。
―――――
その反面で、気になったところもいくつかありました。惜しいと思われるところも、私の主観に過ぎないのですが、
“こういう意見もあるんだな”と受け止めて下されば幸いでありまして、以下に書き連ねます。ご容赦ください。
コメントの5番の方が仰っている通り、冒頭につきましては、私も今ひとつの工夫が必要なように思われます。
タイトルが『書を開く』であり、タグに「パチュリー」「空を自由に」とありますから、前作を読んだ方や、初見でも察し
のつく方は、それだけで作品の大まかな内容は先刻ご承知しているわけでありまして、それならば、作品の冒頭に
“椛が空を飛ぶ方法を書物に求める”という機能を持った場面を挟むことの必要性は薄いように思われます。
同じ図書館での場面を描くのならば、まずは読み手に“椛の空への想いの強さ”を知ってもらうためにも、例えば
『雲の図鑑』でありますとか、『空の神秘』でありますとか、読者により色彩豊かな印象(イメージ)を以て迫るような
“描写”を取り入れるのもアリだったんじゃないかな、と思うのです。その後から“説明”を入れても遅くはないと思います。
5番の方の「キャラクターに興味をいだきようのない段階でのこういった設定説明はちとまずい」という御言葉は正に
その通りでありまして、“場面の機能”を意識してみますと、より効果的な冒頭の描きようは他にもあると私は考えます。
―――――
次に、キャラクター像に関してなのですが、私が惜しいと感じておりますのは、登場人物の奥行きと云いますか、
掘り下げ方の問題なのです。実は飛べない椛、という真新しい設定から始まって、さらに空を飛びたいという希望を
叶えるために奔走する、という基本軸から、この連作は始まっています。となると、やはり重要になってきますのは、
椛の空を飛びたいという希求がいかに切実なものであるか、という動機を、氏が読み手にいかに早い段階で、かつ深く
説得できるか、であると思われます。椛の一人称で進む、ややシリアスな構成となると、それは尚更のことであります。
しかるに、本作と前作を読み返してみますと、椛が空への憧れを持つようになる経緯は、少なくとも現時点では、
『白狼天狗は空に焦がれる』の冒頭付近「ところが、だ。~」の一節、つまり、“霊夢と魔理沙の姿に魅せられて”
という説明の部分が確認されるのみです。このように説明が付されるのみでありますと、読み手もそれに応じて
客観的に留まらざるを得ないと云いますか、椛への共感を控えて距離を取った読み方をしてしまいがちです。
これがユーモア主体のお話なら事情も違ってくると思いますが、上記の基本軸を前提にしている以上は、勢い、
椛の動機に説得力を持たせるだけの“経験”ないし“記憶”の場面を挿入する必要性が出てくると思います。
閉鎖的な天狗社会、椛は苦い思い出を抱えているでしょうから、その時の心情を描写しておくと、後の椛の
試行錯誤にも深みが増してくると考えられます。これが初めに記しました、“登場人物の奥行き”のことです。
さらに、これに関連しまして、重要なキャラクターになってくるのが魔理沙だと思われます。本作で触れられました、
図書館での小休止における、椛の質問に対する魔理沙の回答の場面。魔理沙の過去がほのめかされる印象深い
シーンで、この描写を発展させると、椛の動機との相似性が出てくるわけです。それの何処に意味があるのかと
申しますと、椛と同時に魔理沙の奥行きも深めてゆくことで、結果的に、椛の動機に“相対性”が生まれるわけで
ありまして、その相対的な構図が、人物だけでなく、“物語全体の奥行き”をも生む成果に繋がってゆくわけです。
まだ連作は二話が残っているということで、人物の描写は更に深まってゆくであろうとは思います。それを承知で
私が上記のように書き連ねましたのは、氏が別の設定で新たに物語を構想する際に、よろしければ参考にして
頂きたいと考えた次第であるからでございます。もっとも、“描写”と云いますのは量が過ぎてしまいますと、氏の
持ち味であります“軽快さ”が失われてしまう危険性もありますので、これは宜しく斟酌して頂ければ、と思います。
―――――
長々と失礼いたしました。申し訳ありません。それだけ可能性を秘めた作品であると思ったのです。それだけ
私としましては面白かったのです。あおみす氏の作品が、私は好きです。また読ませて頂ければ幸いです。
それでは、ありがとうございます。
ここの椛と魔理沙の関係が好きだわー。
椛が山を飛び出して空を飛ぼうとする様は、みていてワクワクします。
続き、期待してます。
御礼のコメント返答です。
>1
消化不良の点を残り二作で解消できるよう作ってまいりますので、これからもよろしくお願いいたします。
>2
本当、何がしたかったのでしょうか・・・w
楽しんでいただけたようで何よりです。
>5
ご指摘ありがとうございます。
以降の作品づくりへの糧とさせていただきます。
>6
そんな、ベスト5だなんて恐れ多い・・・でも、気に入ってくださって本当にありがとうございます。
次作以降も気長に楽しみにしていただければと思います。
>8
キャラがどう動くか、どう考えるかというのは一番頭を使いますね・・・
でも楽しい作業でもあります、期待に応えられるよう頑張ります。
>9
読んでいただきありがとうございます。
椛には悪いですが、この先は一筋縄ではいきませんよ、ふふふ・・・
>かべるねさん
うわわわわ、こちらこそいつも楽しく読ませていただいております!
しかも長文での批評・・・感謝の言葉が尽きません。
ご指摘については以降の作品で形にして応えるとして、今この場では読んでくださったこと、褒めてくださったこと、改善点を指摘して戴いたことへの感謝を述べるに留まりたいと思います。
ただ一つ、この作品を作る際の特筆すべきこととして述べておきますと、実はこの作品。
第二話の執筆に入る前にすでに第三話、第四話のプロットまで組んでしまっているということがございます。
そのため、これらを三つに分割してしまったことによって単体として読むとある程度不自然な点が出てきてしまったのかとも思います。
無論、実際に執筆する際にそのような違和感はなるべく消去し、単体でも面白くなるよう仕上げたつもりではありますが、未熟ゆえ>1様や>5様がおっしゃる通り消し切れていないのが現状でございました。
また、せっかくのご指南、特にキャラの広がりに関してですが、こちらもどこでどの風呂敷を広げて畳むかをおおむね決めてしまっているのです。
このようなことになったのは、大筋でとどまらず全体にわたって詳細なプロットをすべて書いてしまったことが原因の一つでございますが、こればかりはこの先大幅に変えることは難しいのも事実です。
ゆえにかべるね様からご指摘いただいたことは、可能な限り今作に、できないところでは次以降に活かしていくよう努力したいと思います。
長くなりましたが、最後に私の作品を好きだと言ってくださったことに改めて深い感謝を。
よろしければ続きにもどうぞご期待ください。
>12
続きましたw
いっそまりもみという新しいジャンルでも立ててしまいましょうか・・・
>13
ありがとうございます。
空に憧れるのは椛のみならず、我々にも共通する感情だと信じて止みません。
>ALL
さて、ここまでは起承転結の承まで終わったことになります。
次回、転。なにがどう転んでしまうのか、どうか楽しみにしてください。
最後に、皆様へもう一度。読んでいただき、コメントをくださり、本当にありがとうございました。
悩みも多いでしょうが是非完成を目指して頑張ってください。ご自身の為にも。
こちらも一読者として最後まで付き合わせて貰います。