「ねえ、さすがの私でもこういう事を言うのは少し気が引けるんだけどね」
月の都、綿月の屋敷。
霊夢が月に滞在をしてからはや数日が経ち、綿月姉妹の謀反の疑いを晴らすべく都のあちらこちらで神を降ろす日々が続いていた。
霊夢の神降ろしの舞は月の住人たちに以外にも好評で、本来の目的とはかけ離れ、霊夢を目当てに集る者もいるほどであった。
幻想郷で博麗神社といえば泣く子も黙る妖怪神社である。くわえて神社に住む巫女の評判ときたら、並みの妖怪ではとても太刀打ちできない世にも恐ろしい人間だというのだ。
信仰も賽銭も集まらず、神社としての面目は丸つぶれ。アイデンティティの崩壊を感じて枕を涙で濡らした事も数限りない。
だが、ここでは違う。
ひとたび舞えば辺りを喝采が包む。声援の多くが「霊夢ちゃーん! こっち向いてー!」だとか「いいぞー! 脱げー!」といったものだというのが少々引っかかったがそんなことは霊夢にとってはどうでもいいことだった。
私は必要とされている。心に生まれた奇妙な充実感。このまま月に住んでしまってもいいかもしれないという思いが霊夢の脳裏をかすめた。
しかし、その思いはいつも一瞬にして打ち砕かれてしまうのだ。
一日の勤めを終え、ねぎらいの言葉と共に用意された月の料理。どんなに裕福な国の王様であったとしても、なかなかお目にかかることはできないだろう豪華な品の数々。
そんな料理を前にして、霊夢の顔は露骨に落胆の色を浮かべていた。
「月の料理って見た目のわりにはずいぶんと味気ないのよねぇ」
そりゃあまずいとまでは言わないけど、と付け加え、自分でも行儀が悪いと思いながら霊夢は箸の先で料理をつついた。豊姫は穢れの無い料理だと言っていたが、穢れのあるなしよりもかぐわしいほどの出汁の香りや口の中に広がる肉汁を霊夢は求めている。月の住人はこんなもので物足りなくないのかしら、そう思って向かいの席に座る依姫を見やると、依姫はあきれた顔でため息をついていた。
「まったくこれだから地上の民は。いいですか、地上には食べたくても食べられない者が大勢いるのですよ? それをなんですかあなたは。日々きちんと食事を取れる事に感謝なさい」
「何よ、まるでお母さんみたいなこと言って。大体あんたたちだってこんな料理で満足してるの?」
「もちろんです。足る事を知るというのも穢れの無い生き方の大切な要素なのですよ」
「あーはいはいそうですか。どうせ私は穢れだらけのばっちい地上の民ですよーだ」
依姫のとつとつとした説教を聞いているうちに霊夢は本格的にへそを曲げたようで、不機嫌にそっぽを向いてしまっている。食べ物の恨みは怖いのだと、ありありと顔に書いてあった。
「もう! 月の民ってのは料理のりの字も知らない奴ばっかりなのかしら? せっかくの料理をおいしく作らないなんてそれこそ食べ物への冒涜じゃない!」
いまにも厨房を貸せ、私自ら作ると言い出しそうな霊夢に依姫はこめかみを押さえることで答えた。
正直言って依姫は霊夢を月に滞在させた事を少し後悔し始めていた。文化の違い、思想の違いがここまで大きなひずみを生んでしまうとは。予測はしていたが実際に対峙してみるとひどく大変なものである。
こんなことならあの魔法使いや吸血鬼と一緒に地上へ帰してしまえばよかったかもしれない。身の潔白を証明する方法など他にいくらでもあっただろうに。
だが、現実として依姫は霊夢を月に滞在させる事を選択した。ならばこの場合は霊夢をきびきびと働かせ、早々にお帰りいただくのがもっとも正しい選択だろう。そのためには少しくらいこちらから折れて霊夢のご機嫌を取っておくのも必要かもしれないと依姫は考えた。
「どうしても月の料理は不満ですか?」
「いやまあ、その、あんまりこういう事言ってると罰が当たりそうだけど、やっぱりねえ」
「仕方ありませんね。本当ならおいそれと人に出すようなものではないのですが、月の料理を馬鹿にされたままというのも癪ですからね。あなたには至高にして究極、本物の穢れ無き月の料理を味わってもらいましょう」
「至高にして究極!? そんなものがあるの!?」
依姫の言葉に霊夢が強い興味を示した。時に大げさとも取れる至高にして究極という言葉は、食事の中に寂しさを感じた霊夢の心にまるで魔法のように染み込んでいったのだ。
「少し待っていてください。地上では到底味わえない、あなたの想像をはるかに超えるものを作ってきてあげましょう」
「これから!? いいの?」
「ただし、一つだけ条件があります」
「条件?」
「私が料理を作っている間、決して中を覗かないこと。いいですね」
「え……? ええ、別にいいけど……」
絶対にですよ、と言い残し、依姫は厨房へと消えていった。
依姫の言葉には有無を言わせない迫力があった。決して中を覗いてはいけない。あれはどういう意味だったのだろうか。何か人には見せられないような事でもやっているのだろうか。
見るなと言われれば見たくなるのが人の性。霊夢であってもそれは例外ではなく厨房の中を覗いてみたい衝動に駆られていた。
霊夢は厨房めざして足を忍ばせる。しかしもうすぐ厨房の前だと言うところで、幼い頃、寝物語に聞いた話を思い出したのだった。
覗くなと言われたら覗いてはいけないのだ。現に覗いてしまった物語の人物達はみな幸せを逃がしてしまったじゃないか。
厨房の中にはきっと幸せがある。その幸せは覗いた途端、きっとあっけなく壊れてしまうだろう。そんなのは嫌だ。
おとなしく席に戻ろう。幸せがやって来るのを待とう。
そして待つこと数分。皿を手にした依姫が厨房から出てきたのだった。
「なにこれすごい」
「地上の民はこういうのが好きなんでしょう? さあ、遠慮せずに食べていいのですよ」
皿に乗っていたのは色艶もよく、食欲をそそる香りを放つ肉厚のステーキだった。
霊夢の目がまるで宝物を見つけたかのように輝いた。こんなものは生まれてこの方お目にかかったことが無かった。
ナイフとフォークをたくみに操りステーキを一口大に切り分ける。中は程よいミディアムレア。早速口に運べばたちまち熱々の肉汁があふれ出した。
「うンまァ―――――――――――――――――――――――――――――――――い!!!」
それは霊夢の魂からの叫びであった。感動のあまり涙が出そうなほどだ。
今までの料理とはとても比べ物にならない。馬鹿にしてすまなかったと今なら土下座さえできそうだった。
「そうでしょうそうでしょう。ああ、後でデザートもありますからね」
向かいに座る依姫も霊夢のリアクションに満足したようで、口元に手を当てて笑っている。
「でもあんたたちって、殺生を嫌ってるのよね? どう見てもお肉なんだけどこれって穢れにはならないの?」
「大丈夫です。前にも言いましたがこれは穢れの無い料理ですよ。……種を明かせば、実は神降ろしをしてから作ったのです。神の力を借りて作ったものが穢れているわけがありません」
「へぇ、神様の力をね。いったい誰を降ろしたの?」
「保食神(うけもちのかみ)です。あなたも知っているでしょう?」
当然霊夢は知っていた。保食神といえばこの世に穀物を生み出したとされる偉大なる女神である。
なるほど、食べ物とかかわりの深い神様の力を借りれば料理もよりおいしくできるのだろう。
「これはいいことを聞いたわ。幻想郷に戻ったら私も試してみようかしら」
「何言ってるの。そういう事をやってたからあなた一人だけ月に残ることになったのよ」
依姫にたしなめられて、霊夢は苦笑いを浮かべながら頭をかいた。
それにしても、と霊夢は思った。依姫の様子が少しおかしい。先ほどからずっと口元に手を当てているのだ。どこか具合でも悪いのだろうか。当人は穢れなんて無いと言っていたが、もしかしたらあまりよくなかったのかしれない。
「ねえ、あんたもしかして具合悪いの? 大丈夫?」
「いえ……、あんまり喋ると出てきそうで……」
「え?」
いま、依姫は何と言ったか。出てきそう、と言ったのか。
それほどに具合が悪いのなら料理など作っている場合ではなかったのではないのか。
いや、これはそういう意味じゃない。巫女の勘が告げている。
出す。何を出す。
そういえば保食神には他に有名な逸話が無かったか。
「この料理、本当にあんたが作ったのよね?」
「……広義の意味で、と言うのが正確ですが」
広義の意味ってなんやねんとつっこみそうになる右手を押さえつつ霊夢は考えた。
依姫は霊夢に対して、間違いなく何かを隠しているのだ。
「あんた、まさか……」
霊夢の問いかけが終わるより早く依姫は霊夢から目を逸らした。
口元に手を当てたまま。
疑惑は確信へと変わった。
「あ、あんたぁぁぁ!! この料理、一体どこから“出した”のよぉぉぉぉぉ!!!!!」
「だ、大丈夫だから! 汚くなんてないから!!」
叫びながら、依姫は勢いよく椅子から立ち上がる。だが途端に口を押さえて2、3歩よろめいてしまった。
その表情があまりにも辛そうだったので霊夢も慌てて依姫に駆け寄った。
「きゅ、急に叫んだから、デザートが……!」
「ちょっと待って! ええと、こんな時はどうすればいいのかしら……!? あ、そうだ! お皿ね! お皿はいるわよね!?」
普通の人間なら一生に一度すらないだろう状況に置かれ、霊夢は半ばパニックに陥っていた。
一方の依姫も我慢の限界がすぐそこまで来ているようだった。
「もう、ダメ……! 出ちゃうっ……!!」
「ちょ! ちょ、待っ……!!!」
霊夢の叫びも空しく、神の奇跡は起こった。
料理を“作る”ではなく“生み出す”と言う行為。人によってはトラウマになる可能性もあるのでここでは詳細な描写を割愛するが、人間では到底及ぶ事の出来ない、神の領域というものであった。
そう、霊夢は穢れ無き料理の真髄を目の当たりにしたのである。
こうして八雲紫の計画した第二次月面戦争は、霊夢にとって一生の思い出になったのだった。スイーツ。
保食神は逸話では殺されてしまいましたが…よっちゃんの運命やいかに
逸話の展開も知ってますが、それを知ってて出したなら他にも方法あるだろw
……豊穣の神とか(違うか?)
好い具合に元ネタとかみ合ってかなり楽しめました,口移しから生まれる恋?とかになっちゃったりしてw
よっちゃんのネタとしての万能性能を再確認できた
発想の勝利ですな、いや面白かった。
よっちゃんは神様関係で色々ネタ作れるなあ。
……原作通りにすると悲惨な目に遭いそうだけど、そんなよっちゃんも良いと思う。
というか何気に調理済みで出てくる事にビックリw
タッパーでお持ち帰り可能ですか?
色々ひどくてアレだけど、とりあえずその料理をこちらにも一つ。
この作品でその、新たな自分を発見した人、割といるんじゃないかなー。
……いける!!
マウストゥマウスで摂食することは可能ですか?
極上の料理である
依姫の生み出した料理を食べられるかって?
...種類によります。