太陽の畑
「お邪魔しますわ」
「ん?何よ、随分珍しい顔じゃない」
太陽の畑で静かに佇んでいた幽香は、珍しい来客に少し驚いた顔をした。
「って、ああ、もうそんな時期?」
「ええ、そんな時期なの」
だが、直ぐに事を察し、何かを探し始める。
「これでしょ?」
「いつも悪いわね~」
幽香は摘んできた花を相手に渡す。
「報酬前払いして貰ってるんだから当然でしょ」
「それもそうね」
幽香のもらった報酬とは、今はまだ幻想入りしない外の植物。
無論、この畑の生態系を破壊しないような。
「しっかし、貴女も律義な事ねぇ」
「あら?私がそんなにだらしなく見える?」
「しっかりしてると思ってもらえてたと思ってるの?」
「当然じゃない♪」
「ま、流石と言っておこうかしら」
「お褒めに預かり恐悦至極」
「褒めて無い」
まぁ、幽香自身もこの相手に皮肉が通じるとは思っていない。
「まぁいいわ。用が済んだら帰って頂戴。八雲紫」
「ええ、それじゃあね」
そう言って来訪者、八雲紫は隙間を開けて去って行った。
「…………そうか……もうそんな時期だったかしらね」
紫が消えた後、幽香は空を仰いでそう呟く。
「本当、律義な妖怪だ事」
その言葉は誰に聞こえる事もなく空へと消えた。
およそ百年程前・昼下がり
「こら!待ちなさい!!」
「うるさいな!放っておいてよ!!」
一人の少女が屋敷から飛び出した。
「どうせお父さんや兄さんには解らないわよ!!」
「阿弥!!」
父親が娘の名を叫ぶ。
彼女の名は稗田阿弥。
名前から解るとおり、八代目の御阿礼の子だ。
御阿礼の子とは、代々幻想郷縁起を書き綴って来た者の事である。
初代、稗田阿一より転生を繰り返し、何度も幻想郷縁起を更新して来た。
彼女はその八代目。
転生、と言っても前世の記憶は殆ど無く、あるのは幻想郷縁起に関する事のみと言って良い。
「あら?また阿弥様よ」
里の人間が走る阿弥を見て言う。
「本当、まだ自身が御阿礼の子だって言うご自覚が無いのかしら?」
(うるさい!)
その言葉はしっかりと阿弥の耳に入っている。
「困るわねぇ………今年でもう十六でしょう?そろそろ本格的に動いて貰わないと」
(うるさい!うるさい!)
「これじゃあ先代までの御阿礼の子に申し訳ないと思わないのかね?」
(うるさい!うるさい!うるさい!!)
「はぁ………御阿礼の子もこの代で終わりかねぇ…………」
(うるさい!うるさい!うるさい!!うるさい!!うるさい!!うるさい!!!うるさい!!!うるさい!!!うるさい!!!!)
阿弥は走り続ける。
里を出、街道をひた走り、自分の息が持つまで。
そして
「うるさぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁい!!!!!!!」
思いっきり叫んだ。
「うるさいのは貴女よ」
その声に呼応するように、何処からともなく妖怪が姿を現す。
阿弥はその声に応える事もなく、ハァハァと肩で息をしている。
ここまで走って来たのだから無理もない。
そして、息が整った所で振り向き
「またあんたなの?隙間ババァ」
そう言った。
「だ~れが隙間ババァよ。好い加減怒るわよ?」
そこに居たのはご存じ、幻想郷最強と謳われる妖怪、八雲紫だった。
阿弥がこうして家を飛び出すのは今回が初めてではない。
最近では良く家の人間、と言うか父親と反発して飛び出す。
その度に紫と顔を合わせる。
紫の方も御阿礼の子を守護すると言う目的もあるが、こうして姿を現すと言う事は紫自身、阿弥が気に入っているのかもしれない。
「ふん、人間にそんな事言われたくらいで怒るほど小さくない癖に良く言うわよ」
が、阿弥は恐れも見せずにそう返した。
「今日は又一段と荒れてるわねぇ」
「別に良いでしょ」
阿弥はふんっと顔を横に背ける。
因みに、普通ならこんな里から離れた所は人間にとって危険極まりない場所なのだが、彼女は御阿礼の子。
妖怪もその存在がどういう者か知っているので手は出さないし、仮に低能な輩、あるいは獣が出てきても問題はない。
彼女、八雲紫ないしその式の八雲藍が彼女を助ける。
幻想郷にとっても御阿礼の子は重要なのだから。
「ねぇ、隙間」
「紫。何度言えばわかるの?」
「そんな事はどうでも良いの。幻想郷縁起って本当に必要なの?」
紫の指摘など聞きもせずに自分の言葉を続ける。
「ええ、必要よ」
紫は即答した。
「なんで?里は安全なんでしょ?妖怪が暴れたって巫女がどうにかするんでしょ?巫女は幻想郷の維持に必要だから殺される事はあり得ない。仮にそんな事態があったとしてもあんたが必ず巫女を助ける。なら、幻想郷縁起の存在意義は何?」
阿弥は早口に一気にまくしたてる。
常人なら聞きこぼすかもしれないが、そこは八雲紫。
しっかりと全部聞いていた。
「戦いもしない人間が妖怪の知識を受け継いでどうするの?そりゃあんたみたいな有名で高等な妖怪なら解るわよ。でも、それならそれでそいつだけ記せばいいじゃない。そんなの誰にでも出来るじゃない!」
「歴史、記録を残すと言うのはとても大切な事よ。自分達が歩んだ足跡を残す事なのだから」
「だから!そんなの必要な人が必要な分だけ残せばいいじゃない!!里の外に出なくたって困る訳じゃない!むしろ里に居た方が困る事少ないでしょ!?なのになんで妖怪の事を記さなければならないの!?なんでその為に私の寿命が削られなきゃならないのよ!!!」
そう、御阿礼の子とは非常に短命なのだ。
長くても三十は生きれない。
その上、閻魔に許しを請い、転生の準備もせねばならぬ為、さらに時間は削られる。
そして、その削られた時間で幻想郷縁起を編集するという使命を帯びている。
つまり、「人」として生きられる時間などほんの僅かなのだ。
「私は「人」よ!「筆」じゃない!!なんで私だけ生き方を決めつけられなきゃいけないのよ!!!」
阿弥の言う事は最もであろう。
確かに、人の中には親の敷かれたレールを歩まさせられる人間も居る。
が、時に反発し、時に逃げ出し、違う道を歩む「選択」がある。
しかし、御阿礼の子はそうも行かない。
知識、記録を次世代へと受け継がねばならぬ為、人生の大半を「それ」に費やす事が決まっているのだ。
生まれた時から。
抗えない。
逃げられないのだ。
この運命からは。
「貴女だけじゃないわ。先代も先々代もその前も、皆そう言う生き方をしてきたわ」
紫は静かに言う。
初代の頃から存在していると言われている彼女のこの言葉は信憑性が高い。
「だから何!?先祖がそう言う生き方したから私にもしろ!?冗談じゃないわよ!!」
阿弥の憤りは収まりを見せない。
「大体周りの人もそうよ!!自覚が無いだのなんだのって………勝手な事言わないでよ!!!」
はっきり言えば、こんな事を紫に言ってもなんの解決にもならない。
何せ、幻想郷縁起を紡ぐ事を決めたのは他ならぬ初代の御阿礼の子、稗田阿一である。
その事で文句を言われようとも紫にしてみれば八つ当たりされてるとしか言いようが無い。
が、それでも紫は文句も言わずに静かに阿弥を見つめ、その言葉を聞いている。
「そんなに嫌?」
「当ったり前じゃないの!!!」
紫の言葉に阿弥は即答する。
「それじゃあ…………いっそ妖怪にでもなってみる?」
「………え?」
突然の紫の言葉に阿弥は漸く止まる。
「私が境界を弄れば貴女を簡単に妖怪に出来るわ。そうすれば御阿礼の子の束縛も寿命の心配も消えるわ」
紫は笑顔でそう言った。
「………………」
阿弥は黙ってしまった。
「沈黙は否定、かしらね?」
それでも阿弥は黙っていた。
「本当は解ってるんでしょ?自分の使命から逃げられない事も。逃げてはいけない事も」
「違う!私は……私は…………!!」
本当は阿弥とて解っているのだ。
先祖代々が綴って来た幻想郷縁起。
それを自分の代で無為に終わらせるのがどれだけ先祖を否定する事になるのか。
どれだけ、自分と同じ運命を負わされながらもその使命を全(まっと)うした先祖を侮辱するのかを。
だから、反発はしつつも「御阿礼の子」である事を捨てきれないでいたのだ。
「本当は貴女の中では答えは出てる。でも、きっかけが無いのよね?自分の使命を受け入れるきっかけが」
紫は阿弥の頭を優しく撫でながら言う。
「さ、御迎えが来たわよ。お帰りなさい……貴女を待つ者がる所へ」
言われて阿弥は振り返る。
「阿弥!」
「兄さん………」
そこに居たのは阿弥の兄だった。
「いくら賢者様が守って下さると言っても危険だ。里の外には出るなと言ってるだろう」
「大丈夫よ、ちゃんと守ってくれたから。ねぇ、隙………あれ?」
振り返ると既に紫の姿はなかった。
「ほら、帰るぞ」
「………兄さんは父さんに言われたから迎えに来たの?」
阿弥は兄にそう尋ねた。
「馬鹿かお前は。妹を心配しない兄が何処に居る」
「………ありがと」
阿弥は小さくそう呟いた。
兄妹が仲良く帰っていく姿を紫は境界からそっと覗いていた。
現代
「貴女が亡くなってからもう百年以上経つのね…………」
紫は見晴らしの良い丘の上に立っていた。
「貴女の目から見て今の幻想郷はどうかしら?」
既にいない人間に紫は尋ねる。
「羨ましい?それとも尚更幻想郷縁起は必要なんてないって言うかしら?」
紫は軽く微笑みながら続ける。
「私は、貴女との約束を守れているのかしら?」
一陣の風が紫を撫でる。
サァッと髪と服が風に流れる。
「あの子は……楽しめているのかしら?」
再びおよそ百年程前・夜
「もう嫌!!御阿礼の子なんて止めてやる!!!」
再び屋敷で阿弥の叫びが響き渡る。
「好い加減にしないか!阿弥!!」
父親の怒声も響く。
「好い加減にして欲しいのは父さんよ!!御阿礼の子、御阿礼の子って………私は何なのよ!!」
「決まってるだろう!お前は………」
「「筆」でしょ!?幻想郷縁起を書き綴る為の筆!!」
「誰がそんな事を言った!!!」
「お父さんが言ってるじゃない!!幻想郷縁起を書け!書け!!って何時もそればっかり!!!」
「だからそれは………」
「どうせお父さんも喜んでたんでしょ!?自分に「あの」御阿礼の子が儲けられたって!!」
阿弥は一気にまくしたてる。
「死んだお母さんだってそうだったんでしょ!?どうせ私が生れて、人の気も知らないで暢気に喜びにむせび泣いてたんでしょ!?」
「阿弥!!!!」
ッパァン!!!
父親の平手打ちが阿弥の頬を捉えた。
「阿弥!!!お前は………!!!」
阿弥は父親をキッと睨み、
「出てってやる!!!こんな家、二度と戻るもんか!!!」
父親の言葉よりも先にそう叫んで走りだした。
「阿弥!!!」
父親が叫ぶが、阿弥は止まらない。
自分がどこを走っているのか解らない。
何をしてるのかもわからない。
視界も思考もぐちゃぐちゃだった。
そして、息が切れて漸く足が止まる。
「もう嫌…………何なのよ私は………何なのよ御阿礼の子は……………」
涙をボロボロ流しながら阿弥は呟く。
「もう………何が何だか訳が解らない………………」
阿弥はその場に屈みこんでしまった。
「里の外の一人歩きは危険だと言ってるでしょう?しかも夜なんて尚更」
そして、再び紫が現れた。
「あんたか…………」
阿弥は涙を拭いて立ち上がり、紫の方を振り向いた。
「あらあら、可愛い顔が台無しよ?」
紫はいつもの調子で話しかける。
「ちょうど良かったわ」
「あら、何が?」
そうは言うが、紫には次の言葉はもう解っていた。
その言葉は
「私を妖怪にして」
まさしく、紫が想定した通りの言葉だった。
「相当重症ねぇ………」
顔に手を当てて困ったように呟く紫。
「出来るんでしょ?やってよ。もう嫌よ。もう御阿礼の子でなんて居たくない」
「本当に良いの?それで」
「良いって言ってるでしょ。先祖の事も幻想郷縁起も、もうどうでも良いわ。私は私の好きに生きるのよ」
「そう…………じゃあ、その前に一つだけ」
「何よ?」
不機嫌そうに阿弥が睨む。
「ちょっとだけ境界を弄らせて貰うわ」
「!?」
その言葉を聞いて阿弥は間合いを離した。
「あら?どうしたの?」
「そう………あんたもそうなの…………」
何かを察し、阿弥は敵意を込めて紫を睨む。
「はいはい、勝手に早とちりしないの」
が、そこは八雲紫。
阿弥が何を察したのかを理解して居た。
「別に貴女の心を弄って無理矢理に幻想郷縁起書かせようなんて思ってないわよ」
そう、阿弥が懸念したのはまさにそれ。
自分の中の何かを弄られて幻想郷縁起を書きたいと言う気持ちに無理矢理される事だった。
「じゃあ、何よ?」
「弄るのは貴女の中の記憶………貴女自身は覚えてないけど、確かにある記憶」
「何それ?」
紫の言葉に阿弥は頭に?を浮かべる。
「簡単に言えば、物心付く前の記憶よ。貴女は覚えて無い。でも、確かにそれはあるのよ。記憶に」
常人ならまず間違いなく無い………否、覚えて無い記憶。
故に「物心付く前」と称される記憶。
しかし、それは確かにある。
記憶の奥深く深くに封印されて。
「どっち道お断りよ」
が、阿弥は否定した。
「残念、貴女には拒否権も逃亡手段もないのよね」
そう言った紫は既に阿弥の背後に回り、後頭部をちょんっと人差し指で触れていた。
「ちょっ!?………………!?」
阿弥が抗議の声を上げようとするよりも先に、阿弥の頭に眠っていた記憶が呼び覚まされた。
「何………これ……………?」
十六年前・稗田家の屋敷
(何処………ここ?)
記憶に移る部屋を見て、否、思い出して阿弥は思案を巡らせる。
(ここは……そうだ………屋敷の……一室だ)
それは見覚えのある自分の家の一室。
そして、次に思い出して来たのは………
(誰?この人………どこかで見た覚えが…………それに、なんでこの人泣いてるの?)
泣いている女性の姿。
どこかで見た、しかし思い出せずにいた。
やがて、部屋に静かに男が入って来た。
「まだ………泣いていたのか」
(この声……それにこの顔………間違いない……お父さん…………じゃあ、この人は……)
「あなた………」
女性は阿弥の父親の方を振り返り、そう言った。
(やっぱり………お母さん……………)
当時は画像を記録として残す手段が発達して居なかった為、阿弥は母親の顔を知らない。
いや、忘れていた。
そして今、眠っていた記憶と共に思い出した。
(若いころのお父さんと………お母さん……………)
それは記憶を眠らせていた阿弥には新鮮なものだった。
(でも何で?何で二人ともそんなに悲しい顔をしてるの?何でそんなに泣いているの?お母さん…………)
「仕方がなかったんだ。いずれ産まれてくる運命なんだ………お前が気にしても仕方ないだろう」
(何それ………?私なんて産まれて来なければ良かったって言うの?それが産まれたから泣いてるの?)
阿弥はそう思った。
「でも………それでも……………」
しかし、直ぐに違う事に気づかされる。
自分を見つめるその視線。
それを忌む物を見る視線でなく、どこまでも愛情と……そして悲哀に満ちていたから。
「私は………この子を普通に産んであげたかった………御阿礼の子ではなく、普通の子として……………」
優しく撫でながら母親はそう言った。
(……………え?)
「仕方が無いんだ……お前が生まなければその子、もしくはあいつの将来の妻がそうなっていたんだ…………」
あいつ、とは阿弥の兄の事である。
「ごめんね、阿弥………ごめんね…………」
母親は阿弥をぎゅっと抱きしめながらそう言う。
「普通の子に産んであげられなくてごめんね…………御阿礼の子として産んでしまってごめんね…………阿弥…………」
母親は何度も謝りながら阿弥を抱きしめる。
里の者だって知っているのだ。
無論、母親とて知っている。
御阿礼の子がどういう運命にあるのかを。
里からすれば御阿礼の子が生まれる事は大変めでたい。
それはそうだろう。
幻想郷縁起を書き綴る、伝説の子供が生まれたのだから。
だが、産んだ親はどうであろうか?
果たして喜べるのか?
生まれた子供は生き方を生まれながらにして決めつけられ、更には長く生きれず、自分に使える時間が殆ど無い。
特に母親はお腹を痛めてまで産んだ子が、そんな境遇にある。
御阿礼の子を産みたい!と思い産んだのならば良いだろう。
だが、純粋に子を授かりたいと願い、その子がそう言う運命にあったのなら…………それは悲しい事ではないだろうか?
「阿弥……阿弥……阿弥…………」
母親は涙を流しながら、阿弥を抱き、そして何度も我が子の名を呼ぶ。
(お母……さん…………)
そこで阿弥は記憶の底から現実へと引き戻された。
「どうだったかしら?貴女の母親は喜びにむせび泣いてたかしら?」
紫は現実に引き戻った阿弥に尋ねる。
「…………聞いてたの?」
「あら?なんの事?」
紫は扇子を口に当ててコロコロと笑う。
「ったく、本当に良い趣味しているババァだわ」
「ババァは止めなさいって言ってるでしょ」
少しムッとした表情で紫は言う。
尤(もっと)も、まるで気にしていないのだが。
「あれ?でも生まれた瞬間に私が御阿礼の子って解るの?」
阿弥は紫に尋ねた。
「私が教えたもの」
「あんた、解るの?」
「私を誰だとお思い?」
「隙間ヴァヴァア」
「ちょっと、変な方向に強化しないでよ」
「でも、確証はないんじゃないの?特に人間側は」
「ええ、だから成長して本人からその証言が取れるまでは里への発表は控えさせてるわ」
「へぇ…………」
阿弥は納得した風に相槌を打つ。
「さて、頭が冷えた所で行きましょうか」
「何処へ?って、ちょっ!腕を引っ張らないでよ!!」
抵抗するが、人間が妖怪に敵う訳は無し。
阿弥はずるずると引きずられ……
「賢者様!?それに、阿弥…………」
いつの間にか境界を経由して自分の屋敷へと引き戻されて居た。
「ちょっ!!あんた………!!」
阿弥は何かを言おうとしたが、
「この子に産まれた時の記憶を蘇らせましたわ。他に言う必要はありませんわね?」
紫は無視して父親にそう告げた。
「はい。ご迷惑をおかけしました」
父親のその言葉には何も応えず、紫は今度は無言で一人で隙間へと消えた。
「お父さん………お母さんは……………」
「思い出させて貰ったのだろう?そうだ、悲しんでいたよ………お前の運命をな」
父親の方も子が非を認めたのを見て熱が下がったのだろう。
冷静にそう言った。
「うん………」
阿弥は小さくそう返事をする。
「母さんはな………」
「ん?」
「最後にこう言ったよ」
父親は母親の最後の言葉を紡ぐ。
「あの子がもし、早い内に幻想郷縁起を書き記す事が出来たのなら、残りの人生はあの子の好きにさせてあげて下さい。とな」
「お母さん………」
父親が常日頃から阿弥に幻想郷縁起を書けと言っていた裏にはこう言う事情があった。
早くに縁起を書き終わらせ、残りを好きなようにさせてやろうと。
「阿弥。確かに選択権すら与えられずに御阿礼の子として産まれてしまったお前は辛いかもしれない、だがな………」
「ううん、もう良いの。もう大丈夫………」
「阿弥………」
「私は幻想郷縁起を書くわ。でも、それは御阿礼の子としてじゃない。稗田阿弥、一人の人間として自分の意志で選んだの」
「阿弥、お前は………」
「ご先祖様には申し訳ないけど、私は御阿礼の子とかは関係ない。自分の意志で、幻想郷縁起を書く事を決めたのよ」
そう、自分自身で決めた。
このまま幻想郷縁起から逃げ続けても長くは生きれない。
最悪、何も残せないままこの世を去る事すらあり得る。
それは自分を御阿礼の子として産んだことを嘆いた母をさらに悲しませる事になる。
ならば、遺す。
短い間でも生きた証を遺せると言う、その証を。
幻想郷縁起を。
幻想郷縁起を書き綴るために生きるのではなく、生きた証を立てる為に幻想郷縁起を書き綴る。
「すまない、阿弥…………」
「謝らないでよ、お父さん。お母さんも、悲しむ必要なんてないの………だって、私が自分自身で好きに決めた事だから」
阿弥は笑顔でそう言った。
「ありがとう………」
父親はそれでもそう返した。
以後、稗田阿弥は先祖代々に倣い、幻想郷縁起を書き綴った。
己の人生全てをそれに捧げて…………
およそ十年後・稗田家の屋敷・夜
「阿弥、体は大丈夫か?」
静かに部屋に入って来た兄が尋ねる。
「ん~………大丈夫、とは言えないかな?まぁ、生きてるけど」
阿弥はそう返した。
現在、阿弥は部屋で寝たきり状態だ。
そう、もう寿命が近いのだ。
「ま、幻想郷縁起も何とか書き終えられたし、思い残す事はないかな」
「そんな事を言うな、阿弥」
悲しげな顔で兄は言う。
「そんな顔しないでよ、兄さん。私は十分楽しかったんだから」
「過去形にするなよ」
「もう、兄さんも私なんか気にしないで、自分のしたい事をしてよ」
「俺はお前の側に居たいんだ」
「そう言うのは義姉さんに言ってあげなよね」
「もう言って貰ってますよ」
その言葉と共に女性が部屋に入って来た。
「あ、義姉さん」
それは阿弥の兄の妻だった。
「大丈夫ですか?阿弥様」
「義姉さん」
阿弥は強い調子で言う。
「あ、ごめんなさい。阿弥「さん」」
阿弥は自分を御阿礼の子扱いされるのを嫌った。
だから、義姉に様付されるのを拒んでいた。
「あの子は?」
「今寝かせつけて来ました」
あの子、とは兄夫婦の子供だ。
「そう……ま、あの子がいれば稗田家の血筋は問題ないわね」
そう、阿弥に子供は居ない。
阿弥は結婚すらしていない。
理由は、早くに死にゆく自分が子供を遺したくないと言う事だった。
確かに、難病などに掛かり、それでも自分の子を遺したいと言う者は居る。
だが、阿弥にはしっかりと遺した物が有る。
幻想郷縁起。
それこそが、阿弥が生きた証。
故に、それ以外の物を残す気はないのだ。
「阿弥、調子はどうだ?」
最後に父親が入って来た。
「兄さんにも聞かれたわ、それ。ってか、皆そればっかり」
阿弥は軽く笑いながらそう返した。
「その調子ならまだまだ平気そうだな」
父親は軽く笑いながらそう言う。
「あったり前じゃない」
阿弥もそう返す。
だが、当の阿弥の顔は痩せこけ、お世辞にも顔色が良いとは言えない。
「ねぇ、お父さん」
「ん?」
「私は恨んで無いよ」
「どうした?突然」
突然の阿弥の言葉に父親も訝(いぶか)しがる。
「お父さんとお母さん、私が産まれた時泣いてたでしょ?悲しくて」
「…………ああ。できればお前を普通の子に産んでやりたかったよ」
「私もね、自分の運命を呪った時が有ったわ。寿命なんてすっごく短いし」
阿弥はそのまま続ける。
「でもね、だからこそ見えた物が有ったわ。寿命が少ないからこそ、その短い人生を精一杯生きようと思った。一日一日を大切に生きようと思った」
皆静かに聞いている。
「もし、私が普通に産まれていたら私の性格上、怠惰に生きてたかもね」
阿弥は笑顔でそう言う。
「ふふ………そうかもな」
兄がそう返す。
「もう、そこは否定してよ」
「すまんすまん」
「それに……私は生きた証を残す事が出来た」
言わずもがな、幻想郷縁起である。
「だからね、お父さん。私はお母さんに向こうで会ったらこう言うの」
向こう、とは当然「あの世」の事である。
「ん?」
「私を産んでくれてありがとう。私を御阿礼の子として産んでくれてありがとう。お陰で私は素晴らしい人生を送れたわ。って」
「阿弥………」
父親の目には涙が浮かんでいる。
兄にも義姉にも浮かんでいる。
「兄さんも………こんな自分勝手な妹を面倒みてくれてありがとう」
「馬鹿な事を言うな。お前がいたから俺は楽しかったよ」
「うん、私も………兄さんの妹で良かった」
「馬鹿…野……郎…………」
兄はとうとう我慢できずに涙がこぼれた。
「私は野郎じゃないってのに…………義姉さん、兄さんの支えになってあげて下さいね。ちょっとおっちょこちょいな所が有るから」
「ええ、解ってます」
義姉は笑顔でそう返した。
「ふふ………義姉さんが奥さんで兄さんは幸せ者ね…………」
「あら?阿弥さんと言う妹が居るのも十分に幸せ者ですよ」
「ありがとう、義姉さん……………そろそろ眠くなってきたわ。ちょっと喋りすぎたみたい」
「そうか……ゆっくり眠りなさい」
「………うん」
父親がそう告げ、阿弥は素直に頷く。
そして、みんな部屋から出て行った。
部屋に静寂が訪れる。
「さて、出てきなさいよ、隙間ヴァヴァア」
阿弥は目を瞑ったまま虚空に向かってそう言う。
「だ~れが隙間ヴァヴァアよ」
そして、空間を引き裂いて紫が姿を現した。
「あんたよ、あんた」
「何よ、元気そうじゃない」
「お生憎様、まだまだ生きるわよ」
阿弥は寝たままそう返した。
「あ~………でも起きるの億劫(おっくう)だから起こしてくれない?」
「もう、どっちがヴァヴァアなのよ」
「勿論、あんた」
阿弥の上体を起こしながらも悪態を吐(つ)き続ける二人。
「それにしても良く気づいたわねぇ」
「燃え尽きる前の蝋燭(ろうそく)は激しく輝くって言うでしょ?感覚が鋭くなってるのよ」
「あら?まだまだ生きるんじゃなかったの?」
コロコロと紫は笑う。
「良く言うわよ。最近まで姿を現さなかったくせに」
そう、紫は縁起が完成してからは阿弥の目の前に姿を現さなかった。
「邪魔したくなかっただけよ。わずかな「人間」としての生き方を」
「お生憎(あいにく)様。私はずっと「人間」として生きてたわよ。「筆」として生きたつもりなんて毛頭ないわ」
「そう………」
少し嬉しそうに紫は笑う。
「ま、一応お礼を言っておくわ」
「なんのかしら?」
「馬鹿にしてるの?それくらい解るわよ」
今まで姿を現さなかった紫。
それが現れた、即ち…………
「私は今日死ぬんでしょ。恐らく明日の朝日は見れないわね」
外に視線を移しながら阿弥はそう言った。
「でも、お陰で皆に言い遺す事無く言えたから良かったわ。ありがとう」
紫に向き直って阿弥はそう言った。
「礼を言われるような事じゃあないわよ」
紫はそう返す。
「さて、それじゃあ家人を呼び戻そうかしら?」
紫としては姿を現すのは不本意。
人間、稗田阿弥の最期を静かに看取るつもりだったのだ。
「良いわ。皆にお別れは済ませたから」
「そう?孤独死は悲しいわよ?」
「あんた馬鹿?」
「失礼ね、私は馬鹿じゃないわよ」
「ううん、馬鹿よ。私はあんたと居たいって言ってるのよ」
「………私と?」
「そう。最後の願いなんだから聞きなさいよね」
「強引ねぇ」
そう言いつつも紫の顔は嬉しそうだった。
「さて、何から話そうかしら?」
阿弥は思案を巡らせる。
なんだかんだと言って阿弥は紫との付き合いが長い。
「私と最初に会った時の事、覚えてるかしら?」
紫が先に口を開いた
「ん~………ごめん、覚えてないわ。いつだっけ?」
阿弥はそう言った。
「貴女がまだ4歳くらいの時ね~」
そのくらいだと、物心づいて覚えてるかどうか微妙な時期だから無理もない。
「へ~………」
「それで貴女、私の事見てなんて言ったと思う?」
「や、覚えてないし」
「私の事を見るなり貴女ったら「すきま~すきま~」って言ったのよ?」
「あはははははは。何それ?私ったらその時から隙間って言ってたの?」
「まったく、求聞持(ぐもんじ)の力があるからってそれはないでしょう」
求聞持の力とは御阿礼の子が代々有している見た物を忘れない程度の能力の事だ。
「それからこんな事もあったわねぇ………」
それから暫くの間、二人は思い出話に花を咲かせた。
「さて、そろそろ帰るわね」
一通り話した所で紫はそう言った。
「そう」
阿弥は短くそう言った。
「それじゃあ」
「あ、待った」
帰ろうとする紫を阿弥が引きとめる。
「どうしたの?」
「そこの鏡台に乗ってる髪留め、あげる」
それは阿弥がかつて愛用していた髪留め。
「………ありがとう」
それが何を意味するのか、紫は解っていた。
「で、ついでにもう一つ最後の願い良い?」
「言って御覧なさい」
紫は否定せずにそう言った。
「あのさ、次の世代の御阿礼の子が産まれたら、あんたのその無駄に回る頭で人生楽しくしてあげてくれない?」
「無駄にとは何よ、無駄にとは」
「まぁまぁ…………私はさ、楽しかったんだ。自分で決めて生きたし、家族にも恵まれた。でも、次もそうとは限らないじゃない?」
「だから私にその子の人生をかき回せと?」
「かき回したらダメじゃないの。そうじゃなくて………」
「解ってるわよ。私を誰だと思ってるの?」
軽く笑って紫は言う。
それを見て阿弥も軽く笑い、
「八雲紫。私のただ一人の親友よ」
そう言った。
予想してなかった言葉に紫は目を丸くする。
「お、あんたもそう言う顔するんだ」
嬉しそうに阿弥は笑う。
「ちょっと、今の冗談は性質(たち)が悪いわよ?」
紫が珍しく本当に不機嫌そうに言う。
「ごめんごめん。でも、冗談じゃないわよ。それとも、そう思っていたのは私だけ?」
「やれやれ……どうしてこんな子になったのかしら?ちっちゃな頃は可愛かったのにねぇ…………」
「主にあんたの影響じゃない?」
「失礼しちゃうわね。さて、それじゃそろそろ………」
「待った」
「今度は何よ?」
紫は再び制止の声を掛けた阿弥に向き直る。
「あんたにも言って置く事あったから」
「何かしら?」
「大好きだったわよ、紫。貴女と会えて本当に良かった」
「あら?過去形なの?」
「そう、過去形なの」
それは、もう死にゆく定めにあるから。
「そう。それじゃ、私からも最後に」
そう言って紫は背後に隙間を開いた。
そして、隙間の方へ振り向くと同時に
「さようなら。私が愛した数少ない人の子、稗田阿弥」
そう言って隙間へと身を投じた。
「さようなら。私が愛した唯一の妖怪、八雲紫」
その言葉は閉じ行く境界と共に隙間へと消えた。
誰もいなくなった部屋で阿弥は静かに目を閉じる。
そして
今ここに、八代目御阿礼の子、稗田阿弥の人生に幕が下りた。
現代・稗田家
「あ、紫様」
縁側を歩いていた九代目御阿礼の子、稗田阿求は突如庭に開いた隙間を見てそう言う。
「こんにちは、あっきゅん」
「あっきゅん言わないで下さい」
阿求はムッとした顔になって言う。
「ん~………あっきゅんは可愛いわね~。先代と違って」
紫は阿求の頭を撫でながら言う。
「あ、頭をグシャグシャしないで下さい!って、そうだ。紫様」
突然、阿求が思い立って言う。
「どうしたの?」
「先代、稗田阿弥の幻想郷縁起で紫様にお尋ねしたい事が有ったんです」
「あら?そうなの?私もちょうどあの子の書いたのを見ようと思って来たのよ」
紫が突然来た目的はそれだった。
「で、何を聞きたいのかしら?」
ちょうど阿求はその八代目の縁起を持っていた為、その場で開く。
「これです。この紫様の項なんですが…………」
その問題となる部分にはこう書かれて居た。
八雲紫(一部抜粋)
境界を操る妖怪で別称「隙間ババァ」。
妖怪らしく力も強い上に頭が無駄な事この上ないくらいに回る。
付き合うと引っ掻き回される事請け合いなので、近づかないのが最良の手段である。
「ああ、これね~」
紫は懐かしむように言う。
「紫様は先代と仲が良かったのですか?」
阿求はそう尋ねた。
「これ見てそう思える?」
「はい」
阿求は即答した。
「紫様は完成した縁起に目を通してらっしゃいますよね?と言う事は当然この項目も見てるはずです」
自分の事なのだから尚更だろう。
「なのに、これをそのまま載せたと言う事は、仲が良かった事に他なりません」
「どうしてそう思うのかしら?」
「普通、良く知りもしない相手を悪く書きませんから。書くと言う事は良く知っていると言う事。更に、こんな書き方されても怒らない、あるいは少し性質の悪い冗談で済ませられるような間柄だと推測されます」
紫は力の強い妖怪なのだから、相手が気に入らなければ力づくで押し込める。
何より、あの書き方はふざけた書き方すぎる。
仲が良くない限り許可しない、あるいは強制的に書き直させるだろう。
「単にあの子が、書き直せと言っても書き直さない意地っ張りだっただけよ」
「そうですか」
阿求はそれ以上言わなかった。
「意地っ張りと言うのを知っているほど仲が良かったんですね」という言葉を飲み込んで。
「所で、あっきゅん、今は楽しいかしら?」
「あっきゅんと言われて頭をぐしゃぐしゃされてるので楽しくないです」
ムスッとした顔で阿求は返す。
「ですが、そうですね………今の幻想郷は楽しいですよ」
「そう」
その言葉に紫は満足したように微笑み、阿求の髪を元に戻す。
「それじゃあ、私は行くわね」
「はい。あ、紫様」
帰ろうとする紫を阿求は引きとめる。
「どうしたの?」
「紫様は、今の幻想郷をどう思われますか?」
八代目の時とは違い、妖怪と人間の距離が近くなった今。
この妖怪の賢者はどう思ってるのだろうか?
「さぁ…………どうかしらね?」
だが、紫は答えなかった。
答えは出てても人に言う事ではないのだろう。
「そうですか」
阿求もその答えに満足した………と言うよりは、答えを聞く事を諦めた。
「それじゃあね」
「はい」
そう言って今度こそ紫は去って行った。
誰も居ない見晴らしの良い丘。
名前も彫られて居ない、しかし、綺麗に手入れされた確かな「墓石」。
その下に眠るは、八代目御阿礼の子、稗田阿弥が愛用した髪留め。
その石を飾るは、菖蒲(あやめ)の花。
きっと、稗田阿弥がそれを見たのならこう言うだろう。
「くっだらない洒落(しゃれ)言ってんじゃないわよ、隙間ババァ」
と。
そりゃ短い間しか生きられないんだから反抗する子もでてくるよね
稗田家の考察、とても面白かったです。
ともあれ、お疲れ様でした。昔の幻想郷にはこんなエピソードもあったのかもしれませんね。「筆」として生きたく無い・・・ですか。
ちょうど今日買ってきた「大空魔術~Magicak Astoronomy~より、ネクロファンタジアを聞きながら
稗田という血は中々難しいですよねぇ
>稗田家の考察、とても面白かったです。
>先代もゆかりんもいい味だしてるなぁ
ありがとうございます^^
>そりゃ短い間しか生きられないんだから反抗する子もでてくるよね
>稗田という血は中々難しいですよねぇ
普通に使命感とかそういうものが残ってないと、かなり理不尽な運命に感じるのではないかと思います(´・ω・`)
そういうのを普通に受け入れているあっきゅんは凄いと思います。
因みに件のAAですが、後日、幻想郷のとある一日の最終話のあとがきにでも載せようと思います。
あっちなら水と油にはならないでしょうから・・・・・・・・・
先代とあっきゅんの違いがいい味だしてました。
まじでいい話でした。<(_ _)>