森の中に無造作に捨てられている、くまのぬいぐるみ、割れたマグカップ、色褪せた毛布、割れたクッキー。
すべてゴミにしか見えない。でも、私にはそれらが元は大切に扱われた物だというのを知っている。
だから、どれも森の中に無造作に捨てられているのに土も付かず、錆ず、腐敗もしていなかった。
そんな所に私がいるという事が嬉しく、それが何よりも失恋したということを自覚させられた。胸が苦しいほど締め付けられる気がした。気付くと目から涙が溢れていた。
「ここは何処なんだろう」
無理矢理に平常心を保とうと疑問を口にしてみるが、私には此処が何処なのか、おおよその見当が付いていた。だから、人のいる気配がまったくしないこの場所でも、泣くのを止めようと、平常心でいようと、努力しているのだ。
でも、それは突飛な考えであり、普通ならありえない話だ。
私は携帯を取り出すとこの景色を写真に収めた。
しかし、暗くて鮮明に映っていたのは、空に浮かんでいる赤い月だけだった。
***
宇佐見蓮子の通う大学の特徴の一つとして、大学内に図書館が二つあるということが挙げられる。
一つは、通称『電子図書館』
大学内でレポートを書くために必要な電子資料閲覧の為のPCや昔の映像記録を収めた今では懐かしいDVDやBlu-ray、レザーディスクなどが置かれている図書館。基本的には生徒はこちらの方を利用する。
もう、一つの図書館は『地下図書館』と呼ばれている。
こちらは、紙媒体で書かれた本や昔の新聞、雑紙などが地下13階に渡って収められている。この図書館は、手続きさえすれば大学関係者以外でも使えるのだが、電子図書館に比べて利用者は極端に少ない。
しかし、蓮子はどちらかと言えばこの地下図書館に出入りすることが多かった。
地下図書館の自動ドアを抜けると暖かい風が頬を撫でた。流石に11月の後半にもなると暑がりな私でも、寒さを感じずにはいられなかった。
学生証を入館ゲートにかざすとピッと音が鳴りバーが上がる。地下図書館は扱っている物は古いが図書館の設備自体は電子図書館よりも新しいのだが、大抵の生徒はそれを知らずに過ごしている。
すっかり顔馴染みとなった受付カウンターにいる髪の長い女性、紫苑月(しおにつき)さんにあいさつをすると「ハーンさんなら11階のA-15にいるわ」と本当ならば教えてはいけない情報もあっさりと教えてくれる。
「いつもの場所ね。ありがとう紫苑月さん」
手を振りながらお礼を言いエレベーターホールへ真っ直ぐに向かう。5機あるエレベーターの前には私しかいない。
それにしても相変わらず利用者は少ない。平日の15時だというのに見掛けた学生の数は両手で足りるほどしかいない。
「何か、人払いの結界でもあるのかしら?」
エレベーターに乗ると地下11階を選択する。一度も止まることなく目的の階に辿り付いた。
「相変わらず不気味な場所ね」
フロアの照明は、一階に比べると暗い。しかも、人の気配がせず、何処と無く陰湿な雰囲気を醸し出していた。
「A-15だったわね」
フロアの中は漫画喫茶のように個室が列なっている。案内板を確認しながらメリーのいる個室に向かう。
この地下11階は地下12階にある未分類図書の閲覧フロアとなっている。ここのフロアをよく利用するメリーが言うには「地下図書館でもっとも利用者が少なくて、お昼寝するには最適の場所」らしい。現に私達以外の利用者を見たことは数回しかなく、いつも閑古鳥が鳴いている。
A-15の個室の前に行くと中から人の動く音がする。
コンコンとノックを二回して返事を待たずにドアを開けた。
「やっほーメリー! 遊びに来たわ!」
「えぇ!? ちょっ!? 蓮子!?」
慌てるメリーを楽しみながら狭い室内に入るとトビラを閉める。個室内は大人二人が詰めれば座れる長椅子と机。机の上には、スタンドライトに蔵書を検索するための小型端末が備え付けられている。今、机の上にはその他にメリーが持ち込んだノートPCと読み掛けの本が置いてあった。
「何を読んでるの?」
椅子に座るとメリーと肩が触れ合うほど近くになり、首を思いっきり曲げないとメリーの顔を見て喋れないのでいつも、此処に来ると個室から出る時には首が痛くなってしまう。
「村上春樹よ。――じゃなくて、何で此処が分かったのよ? 図書館に着いたら連絡してって言ったでしょう」
「いや~、紫苑月さんがメリーの場所を教えてくれたから、コレは行けるなって思ったのよ。迷惑だった?」
上目遣いで訪ねるとメリーは困ったように手で顔を覆った。
「・・・別に迷惑じゃないけど、心の準備というものがあるでしょう」
「あははは、私と会うのに気構えが必要なのメリー?」
「・・・・・・別にそういうのは無いけど」
「じゃあ、問題ないじゃない」
しかし、メリーは納得しかねるというように小さな溜め息をついた。
「今日は、蓮子に会わせたい人がいるから、一階ロビーで待ち合わせの方が都合が良かったのよ。まったく、重たいのにPC持って来た意味がないじゃない」
PCの電源を落としながらメリーが悪態を吐く。地下図書館内では携帯の電波は入らないが、PCに備え付けのケーブルを繋げればネットも利用できるようになっていた。
「そういうのは先に言いなさいよ。私も無駄足じゃない」
「そうならないように連絡を頂戴って言ったんですけどね」
狭い個室でメリーと睨み合う。
「まぁ、いいわ。ところで会せたい人って誰よ?」
「バイトで出来た友達よ。内容は会わせてから教えるわ」
「バイトの友達? 学生バイトの?」
メリーと私は、固定のアルバイトはしていないが、大学の学生課が斡旋している期間限定のアルバイトスタッフの登録をしている。バイト内容は地味だが、中々羽振りが良く生徒の間では人気だった。
「そうよ。因みに学部は私と同じね」
「名前は?」
「山瀬 亜稀」
「性別は?」
「女の子よ」
「年齢は?」
「20歳」
「お住まいは?」
「知らないわよ」
「好きなタイプは?」
「・・・年下かな?」
「昔に付き合ってた彼氏の名前は?」
「――――蓮子、いつまで続けるのよ」
「メリーの突っ込みがあるまで」
ピシッとメリーが力を入れずにデコピンをしてくる。呆れた目をしているが口元は笑っている。
「うーん。それにしても、メリーが私に知り合いをわざわざ紹介するなんて珍しいわね」
素直に疑問に思ったことを訪ねたが、メリーは素っ気なく、そうねというだけで歯切れが悪い。
「もしかして、何か脅されてでもいるの?」冗談めかしで一応、聞いてみる。
「違う!違う! そういうのじゃなくて、蓮子に相談事があるのよ」
「ますます腑に落ちない話ね。私、その子のことをちっとも知らないわよ?」
「でしょうね。私も亜稀と親しく話をするようになったのは最近だし、蓮子に話した憶えもないわ」
メリーが私以外で呼び捨てにする『亜稀』というのはどんな子なのだろうか。
「でも、多分、蓮子とも気が合うと思うわよ」と笑って付け足すメリーに、別にその子と仲良くなりたいとは思っていないのにと子供じみた反発心を抱いてしまう。
「で、その子はどこにいるのよ?」
「蓮子と同じで図書館に来たら連絡を頂戴って言ってあるわ」
「・・・メリー。じゃあ、なんでPCの電源を落としたのよ」
「えっ?」
電源の落ちたノートPCを指差すとメリーの顔が徐々に赤くなっていった。
「こ、これは、蓮子が突然、来るから何時ものノリで片付けてしまったのよ」
慌てて電源を入れながら、メリーは八つ当たりに近い言い訳を並べたてている。
若干、天然の気がある友人の顔を見ていると先までの考えが馬鹿らしくなってくる。
「それは、私が悪かったわね」溜め息混じりで答えるとメリーは自分の言い分に恥ずかしくなったのか、余計に顔を赤くした。
「蓮子のバカ」
すっかりと不貞腐れたメリーを宥めながら、私はこのまま二人だけでダラダラとしていたいと考えてしまうのだった。
***
蓮子と居るとよくあることなので一々、焼き餅を妬くのは精神に負担を掛けるだけとは分かってはいるのだ。しかし、惚れた弱みなのだろう。やはり、嫉妬してしまう。
「大丈夫ですよ。亜稀さんが気にすることもないですから」
いつの間にか蓮子は、亜稀のことを下の名前で呼ぶようになっていた。あと30分もしたら、「さん」もとれている気がする。
「どうしたのメリー?」
「別に・・・」
地下図書館でPCの電源を入れ直してメールを見ると既に山瀬亜稀から10分前に連絡が来ており、私は慌ててメールを返すと蓮子を連れて図書館のロビーに向かい、蓮子と亜稀を会せた。
山瀬亜稀は蓮子よりも頭一つ分ほど背が高く、格好もカジュアルで髪も短いため、失礼だが男性と見間違えてしまう容姿をしていた。
そんな相手に珍しく不機嫌な態度で亜稀を睨みつける蓮子に私は内心で冷や冷やしていたが、図書館を出て大学近くの喫茶店に入る頃には、蓮子は亜稀と普通に喋るようになっていた。
喫茶店に入り、今日の地下の図書館での私の話題になると蓮子は水を得た魚のように私を揶揄い始めた。
最初は反撃もしていたが亜稀も蓮子の味方になり、2対1になると私はあきらめて聞き流すことにしていた。
「怒らないでよメリー」
「怒ってないわよ」
「メリィは怒ってるというよりは、妬いているんじゃないかな?」
蓮子と違うイントネーションで私の愛称を呼ぶ亜稀を無言で睨みつける。亜稀は両手を挙げて降参のポーズをとると既にぬるくなったコーヒーを不味そうに飲み干した。
「ごめん、亜稀さん盗っちゃって」
蓮子が頬をかきながら、的外れな謝罪をしてくる。あぁ、軽く頭痛がする。
「メリィも大変ね」今度は本気で同情するように亜稀が私に哀れみの言葉を掛けてくる。
私は返事を返さずに溜め息を一つ吐くと本来の目的を口にした。
「で、亜稀は蓮子のことを気に入った?」
「そうだね。蓮子さんなら、まぁ、いいかな」
覚悟を決めたという顔をする亜稀に私は無言で頷く。一人、蓮子だけが訳が分からないという顔をしていた。
「それって、メリーが言っていた相談があるっていう話?」
亜稀と私の顔を見比べながら、蓮子が訪ねてくる。私はその蓮子の発言にしまったという気持ちで頭がいっぱいになる
「そうだよ。申し訳ないけど蓮子さんがどんな人物か分からないから、今日は会うだけとメリィには言っていたんだけどね」
亜稀の責めるような口調と視線に思わず縮こまってしまう。仕方無いじゃないか、蓮子が急に来たので慌てて口を滑らせてしまったのだ。
「内容は言ってないけどね」
弁解をするが亜稀は「ふーん」というだけで目が笑っていない。そうだろう、逆の立場だったら私も納得しないと思う。
「まぁ、そんなにメリーを責めないでよ亜稀さん」
見兼ねた蓮子が助け船をだしてくれる。
亜稀は蓮子に視線を移すと真剣な顔付きで
「今回、私が相談しようとしたことは私個人だけの話ではないんだ。だから、メリィに話した時に、最初は蓮子さんに相談しようとするのも反対していたんだ」
その声には怒気が含まれていた。出会ったばかりの蓮子には分からないかも知れないが、蓮子よりも亜稀と付合いの長い私には、亜稀がこんな風に怒りを表すのは稀だということを知っている。
「ごめんなさい」素直に謝ると亜稀は少し、苦い顔をして怒りを収めた。
「ねぇ亜稀さん」
「なんだい?」
蓮子はそんな亜稀と真っ直ぐに対峙する。
「メリーは嘘も吐くし隠し事もするけど、ばれないようにすることが出来ないのよ」
「―――れ、蓮子?」
「それを分からないようじゃ、メリーの隣に居ることはできないわ」
そういうと蓮子は亜稀に向かって、にっこりと微笑んだ。
亜稀はポカーンとした顔で蓮子を見ている。完全に先までの毒気は無くなっていた。
私自身も褒められたのか貶されたのか分からないが妙にくすぐったい気持ちになる。
「それじゃあ、本題に入りましょうか?」
蓮子はコーヒーカップを持ち上げながら、クラシックな探偵のように話を促した。
それが無駄に様になっており思わずドキッとしてしまう。
「あははははっはは―――なるほどね。メリィが気に入っている理由が分かったよ。うん。そうだね。君になら・・・本当に、君になら、いいよ」
亜稀は目尻に涙を溜めるほど笑うと先程までと違う熱意のようなものが瞳に宿っていた。
「でもね、蓮子さん。今日はこれでお開きにしよう。今日は他の当事者も居ないからね」
そういうと亜稀は私達に明日の予定を聞いてきた。大学も12月の後期テストに入るまでの間は暇なので予定はすんなりと決まった。
「それじゃあ、また明日ね。蓮子さん、メリィ」
店を出ると手を挙げて颯爽と亜稀は行ってしまった。その後ろ姿が見えなくなるまで、蓮子と二人で見送る。
亜稀の姿が見えなくなると蓮子は空を見上げた。空には既に星が輝いている。
「17時46分47秒。結構、喋っていたわね」
「そうね。すっかりと暗くなってしまったわ」
「暗いけどまだ、六時前じゃない」蓮子が苦笑する。
「蓮子は亜稀のことをどう思った?」
よく考えてみれば、亜稀は初めて私から蓮子を引き合わせた人物だった。
「そうね・・・」トレードマークの黒の帽子を被り直しながら、
――――私の敵じゃ無いわね。
「えっ? ごめん、聞き逃した」
蓮子にしては珍しく小声で喋るので、ぼんやりとしか聞き取れなかった。
「とりあえず、晩御飯を食べに行きましょう!」
温かい蓮子の手が私の手を掴み、歩き出す。
「ちょっと、蓮子、まだ、私の質問に答えてない!」
先を行く蓮子がくるりと振り返ると悪戯っぽい顔で
「メリーは、私がいちいちと言わないとわからない?」
「なっ!?」
蓮子は笑うだけで、教えてくれなかった。ただ、蓮子が上機嫌なのと、その笑みが照れ隠しだというのは一番、彼女の近くにいる友人として分かっていた。
***
私は、もう、あの場所には帰れない。
でも、これでいいのだろう。もう、私の居場所はないのだから。
だから、進むしかないのだ。誰も知らない場所を・・・私が居てもいい場所を見つけるまで――――。
***
良い映画だった。蓮子は凝り固まった首をぐるぐると回しながら、あぁーと、はしたなく唸った。
大学の電子図書館4階にある閲覧室で暇つぶしで観た古いアニメ映画が、此処まで面白いとは思わなかった。
主人公が魅力的なのもいいのだが、それ以上に仲間が魅力的だった。特に、黒いスーツに黒い帽子を被ったガンマンが本当に格好いい。
あぁ、メリーとでも一緒に観てれば、もっと楽しめたのにと悔しい気持ちになっていた。
返却ボックスに借りていたディスクを入れて横にある端末に学生証をかざして返却を終える。携帯で時間を確認すると15時05分と液晶に表示されていた。
もうすぐ、メリーの講義も終わるだろう。
暇なので向かえに行こうか悩んでいるとメールが届いた。
『講義が早めに終わったんだけど、何処にいる? メリー』
「ナイスタイミング」
メールの返信を返すとメリーの居る場所に向かった。
「メリー!」
3号館の前でメリーは暇そうに文庫本を読んでいた。今時、紙媒体の本を読んでいるだけでも珍しいのに、加えて留学生のメリーが読んでいると道を行く人にチラチラと盗み見されていた。
メリーがこちらに気付くと本に栞を挟み立ち上がる。彼女を見ていた何人かの男子生徒が慌てて目を逸らす姿が覗えた。
「おまたせ。メリーは相変わらずモテるのね」
「物珍しいだけよ。不快だけど慣れてしまったわ」
肩に掛かった嫋やかなブロンドの髪を撫で付けながら溜め息を吐く。その仕草に同性ながら思わず見惚れてしまう。
「何を読んでいたの?」
「この間と同じよ。村上春樹のスプートニクの恋人よ。ところでどうする? まだ、亜稀との約束まで1時間ぐらいあるけど?」
「うーん。どうしようか? 先に待ち合わせ場所に行ってる?」
「そうね。軽く食事もしたいし」
私達は早めに亜稀さんとの待ち合わせ場所である、昨日の喫茶店へと向かうことにした。別にメリーが居るならば時間の潰し方はいくらでもあるので困らない。
「蓮子、本当に何も聞かないのね」
「何が?」
「亜稀のことよ。昨日も私に何も聞かなかったし、今日も普通だし」
メリーは訝しむようにこちらの顔を覗き込んでくる。彼女の中では私は相当な野次馬として見られているんだなぁと思わず苦笑してしまう。
「だって、向こうから事件や謎が飛び込んで来てくれるなら焦る必要もないでしょう」
「嘘ね。蓮子は釣りとか絶対に出来ないタイプよ」
メリーは私の顔を指で差しながら、中々失礼な事を言ってくれる。
確かに釣りなどの待っている遊びは好きではない。でも、それは時と場合で簡単に変わる物だと最近では思うようになっていた。
「メリーは、釣りをしていたら寝てしまうタイプよね」
「むっ・・・はぐらかさないでよ」
どうやら、答えを聞くまで納得しないという顔だ。正直、この質問にはあまり答えたくはなかった。
「蓮子」
ただ、メリーに嘘を吐くのは嫌だった。たとえ、メリーが私に隠し事をしていても、だ。
「メリーは、この件に関して既に自分の解答を得ているんでしょ?」
「―――えっ?」メリーの表情が固まる。
「だからね。私は今回、お客様でいようと思うのよ。相棒のいない探偵なんて寂しいじゃない?」
「あっ・・・れ、蓮子」
怯えたように立ち止まるメリーに私は手を差し出す。私は別に怒っている訳ではない。ただ、ちょっと拗ねているのだ。
「エスコートを頼みますね。メリーさん?」
エスコートをする側のメリーが私の手を取る。ちぐはぐ状況だが、秘封倶楽部のいつもの風景だ。私の手をメリーがとってくれる。それだけで私は楽しかった。
「なんか・・・もう、疲れたわ」
メリーは、がっくりと肩を落とした。だから、あんまり答えたくなかったのだと私は苦笑いを浮かべた。
「メリー」
「なに? 蓮子?」
「私は結構、楽しんでるわよ」
メリーの握る力が一瞬、強くなったのが分かった。
「ふ、不謹慎よ。蓮子」
「そうね。ごめんなさい、はしゃいでたのよ」
呆れ返るようにメリーは首を左右に振った。なびくブロンドが眩しい。
「蓮子はこれから映画館に行く気分かも知れないけど、私からしたら警察に行くようなものね」
「友人として弁護はしてあげるわよ?」
「ありがとう」
今は、メリーの方が少しだけ拗ねていた。
***
約束の喫茶店に待ち合わせ時間の40分前に着くとメリーはサンドイッチとコーヒーのセットを頼んだ。私はカフェオレを飲みながら、のんびりとメリーの食事をしている姿を眺めていた。メリーが一度、「あげないわよ」と言った以外は特に会話らしい会話はないが、気まずい訳ではなく、不思議と充実した気分に浸っていた。
メリーと一緒に居るとそれだけで満足してしまうことが多い。ただ、彼女が傍にいればそれだけでいいと、その他がすべて不純物のように思えてしまうのだ。
それはメリーに会う前の私からすれば、酷く退屈な考えをしていると思うのだろうなと少しだけ、ノスタルジーに浸ってしまう。
「遅いわね」
「んっ?」
食事を終えたメリーが口の周りを紙ナプキンで拭きながら、店の中央にある掛け時計を見ていた。
「約束の時間を10分も過ぎているわ」
「いや、10分ぐらい誤差じゃない?」
メリーの眉毛が一瞬、ぴっくと持ち上がった。墓穴を掘ったと気付いた時には、メリーの口は既に開いていた。
「そうやって時間にルーズな考えをするから、蓮子はいつも遅刻するのよ。蓮子にとっては10分の遅刻かも知れないけど、約束の時間の10分前には着いている私からすれば、20分も待っているのよ! 今だって、一時間近くになるのよ!?」
私が遅刻した訳ではないのに何故かメリーの中では私が悪くなっている気がする。
「で、でも、二人で居たから意外と退屈はしてないわよ私?」
「―――そ、そう言っても納得しないわよ」
メリー不満ですという顔をしてコーヒーカップを口に運んだ。一口飲むとコーヒーが美味しかったのだろうか、目は怒ってますというように強張っているが口元はにやけていた。
しかし、亜稀さんはどうしたのだろう? あまり、遅刻をするようなルーズな性格では無い気がするのだけれど。
「メールしてみるね」私は、携帯を取り出すと昨日、亜稀さんと交換したメールアドレスに今、どこに居るのかとメールを送った。
「あっ・・・」
メールを送信しましたの文字が出るのと同時にメリーが小さな声をあげた。メリーの視線の先には、ショートボブにニット帽を被った私達と同じぐらいの女性が店内を不安げに見渡していた。
「メリー?」私が呼びかけてもメリーは、虚ろな眼で女性を見ていた。その姿が余りにも弱々しい。私は、急に言い様のない不安に駆られ、テーブルの上で真っ白くなるほどきつく拳を握っているメリーの手を包むように握った。
「大丈夫?」
「えっ・・・、あ、うん。平気よ。平気」
眼に光は戻ったが、顔には焦燥の色が浮かんでいた。言葉を続けようと口を開こうとした時に「ハーンさん」とニット帽を被った女性がメリーの名前を呼んだので、私はタイミングを逃してしまう。
ニット帽の少女がこちらに近付いて来るとメリー握られている手をそっとテーブルの下へと引っ込めた。
「こんにちは、奈緒ちゃん。亜稀は?」
隣に来たニット帽を被った女性をメリーは「奈緒ちゃん」と下の名前で呼んだ。
この二日間でメリーが下の名前で呼ぶ人物が突然2人も現われ、私は無理矢理にメリーの知らない部分を見せ付けられているようで、心が落ち着かない。
「やっぱり、亜稀は来ていませんか・・・」
少女はメリーの言葉を聞くと肩を落とし、酷く痛々しい姿をみせた。
「メリー、どういうこと?」
「そうね。蓮子には紹介が先ね」
メリーはそういうと落ち込んでいる少女を自分の席の隣に座らせた。
「この子は、亜稀の幼なじみで矢間瀬 奈緒ちゃん。で、こっちが私の所属しているサークル仲間の宇佐見 蓮子よ」
メリーがお互いを軽く紹介すると私は、少女と初めて目を合せて互いに挨拶をした。
「ヤマセ?」
「あっ、私と亜稀は同じヤマセですが、漢字が違うんです」
そういうと少女は、空中に字を書くようにしながら説明をして、奈?と呼んでくれと言った。なるほど、メリーが珍しく亜稀さんやこの子を名前で呼んでいたのは仲が良いからというよりは区別のためかと内心で納得した。喉に刺さった骨がとれたようにすっきりとした気持ちになる。
「じゃあ、遠慮無く奈緒ちゃんって呼ばして貰うわね。私も蓮子って呼んでくれていいよ。で、奈緒ちゃんは亜稀さんと本来なら、来る筈だったのかしら?」
奈緒ちゃんは戸惑った顔をすると、メリーの顔を窺った。
「私も状況を知りたいから、面倒かも知れないけど、一から説明して欲しいな」
そうメリーが促すと奈?ちゃんは吃りながらも話を始めた。
「わ、わかりました。えーと、昨日の夜に亜稀から電話が来たんです。今日、ハーンさんと会うから一緒に行かないかって。明日は何も約束が無かったので、いいよと返事を返しました。それから、場所と時間の説明をされたんです。それで、その時間なら、一緒に行こうってなったんです。あっ、私達、家が近くなんで、いつものように私を亜稀が迎えに来る筈だったんですけど、時間になっても来ないから、おかしいなと思って向かえに行ったんです。でも、亜稀のおばさんに朝から家に居ないって言われて、それで先に行ったのかと思って来たんですけど・・・」
最後の方は涙声になっていた。メリーがハンカチを渡すと奈緒ちゃんは小さく、ありがとうと呟いた。
「亜稀さんは朝までは家に居たのかしら?」
「あ、あの・・・亜稀は、その、両親とは仲が、よくないんです。――だから、おばさんの話もどこまで精確かは・・・」
「そう。ごめんね。言い辛いこと言わせちゃって」
「い、いえ」
「でも、大学生が一日、家を空けたからって、そこま――」
「亜稀が黙って居なくなるのはダメなんです!!」
言い終わらない内に私の言葉は奈緒ちゃんの声に遮られた。私もメリーも呆然と奈緒ちゃんを見詰めると我に返ったのか、恥ずかしそうに顔を伏せた。
「前にも、こんなことが在ったんです。突然、何も言わずに消えて、そのまま、数日間も消息不明になったんです。流石に亜稀の両親も警察に捜索願いを出そうと話していたら、何事も無かったように帰って来ました。でも、私は、不安で不安で・・・」
嗚咽を噛み潰すように泣く奈緒ちゃんにかける言葉が私達には見付からない。
「メリーには心当たりは無いの?」
「奈緒ちゃんでもわからないのに、私がわかる訳ないでしょう」
メリーが私の顔を見ずにそう告げる。
その態度だけで、私はメリーが何か隠しているのが直感でわかった。
「メリー」
「蓮子に隠し事はないわ」
今度はメリーは射貫くような視線を向け、私にこれ以上の追及を拒んだ。
「また、同じ所にいるんでしょうか?」
「また?」
「はい。亜稀に聞いたことがあるんです。あの時にどこに居たのって。でも、亜稀は寂しそうに笑って詳しくは教えてくれませんでした。ただ、奈緒が呼んだから帰って来よって、そう言いました」
何か期待するように奈緒ちゃんは私達を見ているが、私にはさっぱりわからない。
「奈緒ちゃん、悪いけど私達にもそれだけじゃわからない」
メリーは冷めた声で語りかると奈緒ちゃんは再び、がっくりと肩を落とした。
私は、いつものメリーらしからぬ冷たい態度に胸がざわついた。
「とりあえず、亜稀さんにもう一度連絡してみたら?」
メリーが促すように言うと奈緒ちゃんは携帯を取り出した。そのまま、しばらく携帯を持ったまま何か考えるように動きを止めてしまう。
「どうしたの?」
「あの、その、もう一度、亜稀に連絡する前に電話を掛けたいんですが・・・」
「・・・別にいいけど」
すると、奈緒ちゃんは席を立ち店の外に出て行った。奈緒ちゃんが店を出たのを確認して、私はメリーに向き直ると不味そうに残っていたコーヒーを飲む彼女に疑問を打つけた。
「で、メリー。そろそろ、隠していることを教えてよ」
「なんのことかしら?」
「しらばっくれないでよ。メリー、何か知っているでしょ?」
「――――まだ、言えないわよ。彼女が戻ってくるかも知れない」
彼女と奈緒ちゃんをまるで他人のように冷たく言い放つメリーに接していると私は悲しい気持ちになる。上手く言えないが、今のメリーはらしくなかった。
「ねぇ、メリー?」
「なに?」
「私は、メリーにそんな顔をさせたくない」
「――――蓮子?」
「上手く言えないけど、私といる時にメリーは明るくないとダメなのよ」
メリーは、困惑したように口をぱくぱくとさせている。まぁ、さっきのまでの冷めた表情よりはメリーらしい。ちょっとバカっぽいけど。
「嫌?」
「っ―――。嫌じゃないけど」
メリーの耳が赤い。こういう時にメリーの白い肌は分かり易くて面白い。
「照れちゃって可愛い」
正直に口にするとメリーが備え付けの紙ナプキンを丸めて顔面に投げてきた。意外と速く、顔面でキャッチする羽目になった。
「・・・何をやっているんですか?」
いつの間にか奈緒ちゃんが戻って来ていた。
「あはは」と苦笑いを浮かべる私にメリーは、ふんと鼻を鳴らした。
「もう、電話は済んだの?」
「あっ、はい。大丈夫です。それで・・・その・・・」
「うん?」
「私、これで失礼させて頂きます。その、彼氏が一緒に今から捜してくれるらしいので・・・」
私はメリーの方を窺うと、また、冷めた表情をしていた。
「そう。私達も何か手がかりが有るわけじゃないし別々で捜した方がいいかもね」
「お願いします。私も何か分かったら、ハーンさんに連絡します」
「わかった。気をつけてね」
「はい! 失礼します。宇佐見さんも今度はゆっくりと会いましょう」
「えぇ・・・。最後に一つ、聞いてもいい?」
「なんですか?」
「亜稀さんは、貴女を何て言って誘ったの?」
「え? さっきも言いましたけどハーンさんと遊ぶから来ないかって」
「他には?」
「いいえ、特に何も。何か知っているんですか?」
「私は、何も知らないわ」
訝しむように睨んで来たが、私が飄々とした顔で返すと何か言いたそうにしたが、時計を見て諦めたようだ。
一応、お互いの連絡先を交換すると別れの挨拶をして足早に立ち去っていく。
店に入って来た時とは違い、元気な姿で奈緒ちゃんは店をあとにした。その後ろ姿に、メリーが一言、「さようなら」と投げ掛けたのを私は聞き逃さなかった。
その態度に私はイラッと来たので先程、投げつけられた紙ナプキンをメリーの顔面へと投げ返した。
完全に意識が奈緒ちゃんに向いていたらしく、メリーも顔面でキャッチした。
「意外と凸凹していて当たると不愉快ね」
「私といる時は、笑ってメリー!」
物凄く嫌な顔をされたが、暖かみのある表情でもあった。
「もう、メリーは奈緒ちゃんと会わない方がいいかもね」
メリーは渋い顔をするだけで否定も肯定もしなかった。
「で、ようやく二人きりになれたんだから、そろそろ話してくれない?」
「そうね。でも、場所を変えましょう」
会計を済ませて外に出ると、既に日は落ち始めて一番星が輝いていた。
「日が落ちるのが早くなったわね。ところで、どこに行くの?」
「本当に二人きりになれる場所なんて、限られているでしょう」
「えっ?」
一瞬よからぬ想像をしてしまい、返事が詰まってしまう。そんな姿を見て笑うメリーの唇が色めかしく、私は思わず生唾を飲み込んだ。
「そういえば、私がエスコートをするって約束だったわね」
メリーが差し出してくる手を握るとひんやりとしていた。不自然に上がっている鼓動がばれるんじゃないかと心配になる。
「蓮子の手、温かいわね」
「メリーが冷たいのよ」
私の皮肉混じりの返しにメリーは、妖麗な笑みをたたえる。私は、顔が赤くなるのがわかり、被っていた帽子で顔を隠す様に被り直した。
「そんなに帽子を下げて歩いたら、ぶつかるわよ?」
「――――エスコートよろしく」
「・・・はいはい」
今日、何度目かの溜め息を吐くとメリーは私の手を引いて歩き始めた。
***
私が亜稀に初めて会ったのは大学の地下図書館の書籍整理のバイトよ。ほら、蓮子も一日だけ、やったでしょう? そう、あれの最終日だった。もう、前日までに仕事の殆どが片付いていたから、整理する振りをして本の飛ばし読みをしていたのよ。そうしたらね、私と似たような事をしていたのが亜稀だったの。なんだか変なシンパシーを感じて、チラチラと亜稀を盗み見していたら、彼女もこちらに気付いたみたい。そのあと、二人で仕事をする振りをして、二人で本の話をしていたわ。わかるでしょう? あのバイト、殆ど流れ作業のように一人で黙々とやるから、人恋しくなるのよ。一人で居るのを苦にする方じゃないけど、流石に5日目になるとね。亜稀は蓮子と違って、後半の2日間だけのバイトだったみたいね。
話がずれちゃったわね。えっーと、そう、本の話よ。亜稀とオススメの本を紹介しあってる時に、亜稀が凄く薦めてきた本があったの。ちょっとまってね。これよ。村上春樹のスプートニクの恋人。今から、90年前ぐらいの作品。私は読んだ事が無かったから、そのまま、その本を借りて読むって言ったの。そんな話をしている内に、奈緒ちゃんとその彼氏もバイトをしていたらしくて、亜稀を呼びに来たのよ。そのまま、4人で作業をしてその日は終わったわ。今、考えると亜稀は――――。ううん、なんでもない。
それで、亜稀に薦められた本を読み終えたのだけど、私達、連絡先の交換をしていなかったのよ。私も、この本は気に入ったから感想を語り合いたと思った。本当に連絡先を聞かなかったことを後悔したわ。えっ? 蓮子にも薦めたけど読まなかったじゃない。―――本当よ。なんか、古典純文学は興味ないーとか言ったもの。まぁ、いいわ。
それで、なかば諦めかけていたんだけど、亜稀も同じ学部だったから、講義の一つが被っていたのよ。結構、時間も経っていたし、忘れてるかなとも思ったんだけど、向こうも憶えていたみたいで声を掛けてきてくれたわ。
そのまま、また、私達は本の話になった。本当に私達は、二人の時は本の話しかしなかったわね。――――うん。同じ学部だけど亜稀は不良学生だから、講義にもほとんど出ないのよ。だから、専攻とかの話も一度もしなかった。
それで、亜稀に薦められたスプートニクの恋人なんだけど。
この本のあらすじを簡単に言うと、ヒロインが冒頭で行方不明になって、そのヒロインが戻ってくまでの主人公の話なの。しかも、ヒロインがどこに行っていたかは、最後まで語られない。
――――今、蓮子は読まなく良かったと思ったでしょ? 嫌いだもんね。答えが出ない話。
亜稀もそういうタイプの叙事詩が好きな子だった。でもね、亜稀はこの作品が気に入っていた。このヒロインがどこに居たのか亜稀は判るって言ったのよ。
その口調が本から読み取ったという感じじゃなくて経験者が語るみたいに言うから、私は亜稀に聞いたのよ。
「亜稀にもそういう経験があるの?」ってね。そうしたら亜稀は「あるよ」って凄く寂しそうに答えたの。
――――すぐに返事ができなかったわ。それぐらいに亜稀は、どこか消えてしまいそうな空気を醸し出していたの。
しばらくお互いに黙っていると亜稀の方から口を開いたわ。
亜稀はこう言ったの『ヒロインは心の中に閉じ込められたんだよ』って。
最初は、気取ってるんだと思ったの。でもね、亜稀は本当に行ったことがあるって言った。だから、証拠はあるのかって訪ねたら、亜稀はこれにもあるって、答えた。
それでね。これを見せてくれたの。
――――そう、亜稀が閉じ込められていたっていう場所で撮った写真。ねぇ、蓮子、この写真に写ってる赤い月。・・・あなた、この場所がどこだかわかる?
――――うん。これが、蓮子に相談しようとしていたことよ。
亜稀がどこに居たのか。それを蓮子に聞きたかったのよ。
***
大学の地下図書館地下11階閲覧室。メリーが亜稀の事を話す場所に選んだのは、メリーのホームと言うべき場所だった。二人で個室に入り、メリーに亜稀が閉じ込められていたという場所の写真を見せてもらう。そこには赤い月だけが写っていた。
その写真を見た瞬間に私にはそれが、どこなのか頭の中に座標が浮かんできた。
私の携帯には座標を打ち込むと住所が出るアプリがあるので調べてみる。
「メリー、この場所はここから近いわよ」
「そう」
「でもね。多分、私一人では辿り着けない」
「うん」
「これは結界の中にある場所。つまり、メリーも行かないと辿り着けない。――――どうする?」
「どうするって、蓮子は止めても行く気でしょう?」
「私は、メリーが本当に行きたくないと思っているなら行かない」
メリーは息を呑んだ。メリーは、亜稀さんのことを話している時から、どこか気後れしていた。結界を暴きに行くというのに楽しそうではないのだ。
「・・・蓮子。その場所は私達が行ってもいい場所なのかしら? 亜稀の考えが正しいなら、その場所は誰かの心の中になる訳でしょう?」
「人の心に土足で入るから、気が引けるってこと?」
「うん。亜稀は私にこの写真を託したけど、本当に来て欲しいのは私達じゃないと思うのよ」
「メリーは、亜稀さんが誰に来て欲しいかわかるの?」
メリーは押し黙ってしまう。本当に彼女は、思っていることが顔に出やすい。
「奈緒ちゃんを連れて行っても、多分、解決しないわよ」
「れ、蓮子? 気付いてたの?」
メリーは耳を疑うように訪ねて来た。流石の私でもメリーの様子を見ていれば察しはついた。
「まぁね。この写真の場所、奈緒ちゃんの家だし」
私の眼は月を見ただけで、その場所がどこか判る。前回、奈緒ちゃんと会った時に連絡先を交換した時に奈緒ちゃんのデータにはご丁寧に住所まで記載されていた。その住所と私の瞳が告げる行き先は同じ場所だった。
「そう、なんだ・・・」メリーの口調には諦めの色が混じっていた。
「ねぇ、メリー。私達、秘封倶楽部は探偵じゃないわ。どちらかと言えば、泥棒よ」
自分の考えが上手く纏まらないまま、喋り出していた。ただ、メリーがこれ以上、他人の事で暗い表情をしているのが我慢できなかった。
「私達は、小説に出てくるクールで知的な探偵とは違う。思慮も浅ければ、人生経験も少ない学生よ。そんな私達に出来ることは進むことだけよ。経験を積むにはそれしかないし、理由なんて行き当たりばったりで思い付けば良いじゃない」
メリーの眼が私の顔に向けられる。
「誰もそんな私達を責めることはできないわ。だって、私達は世界が隠した場所に行く秘封倶楽部よ。隠し事をしている後ろめたい奴が正々堂々と乗り込んで行く私達を責めるなんてできないのよ! されても、無視よ!」
「それは、ちょっと開き直り過ぎじゃないかしら・・・」
私の我が儘な意見にメリーは苦笑いを浮かべる。私は立ち上がり、大げさにメリーの前に手を差し出した。
メリーは差し出された私の手を取ることを躊躇っていた。メリーの手はスカートの裾を握り締めて小刻みに震えている。
「どうして、そこまでして見たいの? 知らなくてもいいこともあるでしょう?」
「だって、本当は知りたいんでしょう」
メリーの固く握られた手を包み込むように優しく握る。
「メリーが知りたいと思っている事を私も知りたいのよ」
「蓮子」メリーの手が私の手を握りかえす。
「やっぱり、エスコートは私がしてあげるわ。行きましょうメリー!」
メリーは私の目を見て、無言で力強く頷いた。それだけで、私が張り切るには十分な理由だった。
***
バスに揺られながら、私は亜稀のことを思い出していた。
マエリベリー・ハーンと山瀬亜稀の関係は友人というよりも仲間だったのだと思う。
亜稀が矢間瀬奈緒を見ている表情や仕草で、私は亜稀が奈緒のことを友人以上に見ていることに気付いた。そして、亜稀も私がその事実に気付いたことを看破した。
できれば、私はそのことについては触れたくは無かった。亜稀とは読書がお互いに趣味のただの友人として接していたかった。
でも、亜稀の方は違っていたらしい。亜稀は、同じような境遇の仲間が欲しかったのだ。
同じように同性を好きな仲間が。
「メリィも、あのいつも一緒にいる黒い帽子の子が好きなんだろう」
亜稀は好きな本を薦める時と同じ顔でその話題を出した。その姿があまりにも自然だったから、私は素直に頷いてしまった。
亜稀は、寂しそうに笑っていた。きっと、私も亜稀と同じような顔をしていたと思う。
だから、程なくして亜稀が奈緒の心の中と言った場所に閉じ込められた話をした時に、私は秘封倶楽部の活動内容を教えたのだと思う。
秘封倶楽部の活動である結界を暴き、擬似的な神隠しに遭うということを知った亜稀はどう思ったのだろう?
亜稀の中で何か葛藤があったのは確かだ。亜稀は最初、あの赤い月の写真を私に見せなかった。
そして、最後まで、それがどこであるのか知るのを怯えていた気がする。
私が蓮子に見せた写真は、最初に亜稀に見せられた写真とは違う物だった。蓮子に見せたのは、亜稀が居なくなった日に私の携帯に送られてきたのを印刷した物だ。
私は、それを亜稀が発した向かえに来てという合図と受け取った。でも、本当に知らせたい・・・向かえに来て欲しい相手が私では無いことも判っていた。
――――考えが暗い方向に向かってしまっている。私は、隣に座っている蓮子の顔を覗き見ると楽しそうに窓の外を眺めていた。私達の通う大学の生徒ならいつも見ているだろう景色をどうしてこうも彼女はここまで楽しそうに見ているのだろうかと不思議に思う。蓮子は、私が知りたいものを一緒に知りたいと言ったが、蓮子は私の知りたいものがなんなのか理解しているのだろうか?
蓮子の横顔を見ていると不意に訪ねたくなる衝動に駆られてしまう。でも、出来ない。今、蓮子と繋いでいる手は、私に進む勇気をくれたが、私の踏み出す心を縛っていた。
この愛おしい温もりを手放す可能性を考えると自分の気持ちが酷く臆病になってしまう。
「メリー、大丈夫よ」
いつの間にか、握る手に力が入っていたらしい。蓮子は、私を安心させようと同じように力を籠めてきてくれる。その優しさが私の本音を心の奥底に沈めていった。
『×××小学校前、××小学校前・・・』
蓮子がバスの停車ボタンを押した。
程なくしてバスは停まり、バスを降りると冬の冷たい風が首筋を撫でるので、身体がぶるっと震えた。
車道を挟んで向こう側には駅名の由来の小学校が見える。その隣は道路を挟んで民家に囲まれていた。京都のベッドタウンでは、よくある風景だった。
「ここからだと、ちょうど反対側に進んだところに奈緒ちゃんの家があるわ。行きましょう」
蓮子は、頭上に浮かぶ月を見ながら場所を確認していく。こういう行動をしている時の蓮子は何処か野良猫を連想させる。
蓮子に手を引かれるままに足を進めていく。
亜稀と奈緒は、幼なじみだと言っていた。もしかしたら小学生の頃は、こんな風に手を繋いで家に帰っていたのかも知れない。そんな日常を亜稀は大切にしていたのだろうと想像すると切ない気持ちになってしまう。
「ここね」
蓮子が案内した場所は、住宅街の真ん中にある普通の二階建ての一軒屋だった。誰も居ないらしく、電気は点いていない。
「奈緒ちゃんは居ないみたいね。何か視える?」
周囲に目を凝らして視てみるが、結界らしき物は視えない。
「何も視えないわ」
「そう」
蓮子は落胆する素振りは見せなかった。境界の境目は状況によって見えたり見えなかったりするので、私達は空振りすることにも慣れていた。
でも、今回は「じゃあ、次回にまた捜しましょう」という訳にもいかない。
「とりあえず、この辺を歩いてみましょう」
私の提案に蓮子は頷き、結界の探索を始める。
似たような一軒屋が建ち並ぶ住宅街を特に会話も無く歩き廻る。
冬にも関わらず、うっすらと汗が滲んで来る頃には足が痛くなっていた。しかし、境目は見つからない。
歩くペースも落ちてきたので、住宅街の中にあるブランコとベンチしかない小さな公園で休憩をとることにした。
「21時14分53秒。―――ニ時間も粘って成果は無しか」
蓮子がベンチでだらしなく両足を伸ばして、溜め息を吐いた。流石に落胆の色が顔に滲み出ていた。
「・・・そうね。時間が悪いのかしら?」
「うーん。どうだろう? メリーの写真には星が写って無かったから、時間は判らないわね」
歩き廻っている時に亜稀の家だと思われる一軒屋も見つけたが、どの部屋も電気は点いていなかった。きっと亜稀はまだ、結界の中にいるのだろう。
「そういえば奈緒ちゃんも家に帰ってないみたいだけど、まだ捜してるのかしら?」
「どうかしらね。連絡は来てないけど、蓮子は?」
「無い。来てたらメリーに言うわよ」
正直、私達は手詰まりだった。どちらともなく溜め息が出てしまう。
「どうしようか?」
「一応、ここから奈緒ちゃんの家は見えるから、此処で張り込んでみる?」
「結局、体力勝負か。やっぱり、名探偵のように上手くいかないわね。地味だもん」
蓮子はずれた帽子を被り直しながら、微苦笑を浮かべた。
「ここまで、私達は何も推理なんてしてないじゃない」
私が呆れ顔で言うと蓮子は、ノリが悪いなーと愚痴を溢し始めた。
しばらく、無益な言い合いをしていると公園の前を二人組が通るのが目に入った。
「あれ、今の奈緒ちゃんじゃない?」
私には暗くて顔は判らなかったが蓮子には見えたらしい。
「本当? もしかして、隣に居たのって亜稀?」
私は無意識の内に期待していることを口走ってしまった。
蓮子は渋い顔をして「違う」と短く告げた。
「えっ?」
「隣に居たのは男の人よ。亜稀さんじゃない」
言葉が見つからなかった。勝手な言い分だとは判ってはいるが裏切られたという気持ちが湧き上がって来る。
「多分、奈緒ちゃんが言っていた彼氏だと思う」
蓮子の言葉が凄く遠くに聞こえる。私はふらふらと自身の目で見える位置まで移動した。
「メリー!」
奈緒の家の前で先まで二つだった人影が一つになっていた。見たくない光景だった。
二人は離れると大きい方の影が小さい方の影の頭を撫でた。
「メリー、行っちゃダメよ!」
蓮子が私の腕を握り締めて動けないようにしたが、私はそんなことをされなくても足が泥沼に嵌まったように重く、不快で動かす気にもならなかった。
小さい影の方が家の中に入っていくと大きい方の影は、再び公園を横切って行った。今度は、私にも顔が確認できた。それは確かに一度、奈緒に彼氏と紹介された男性だった。
「ねぇ、蓮子。家に入ったのって奈?ちゃんだった?」
「え? ・・・うん。奈緒ちゃんだった」
「―――そっか」
「メリー」
「大丈夫よ蓮子。私は平気」
―――今の私は、亜稀を心配しているというよりも亜稀に自分を重ねていた。
今の亜稀と奈緒の関係は、これからの私と蓮子の関係になるような気がしてならなかった。
「ねぇ、蓮子。私は亜稀を捜してもいいのかしら?」
「それは・・・」
蓮子も私も答えを見出だせなかった。気不味い沈黙が二人を包んでいた。
奈緒の部屋に明かりが点いた。奈緒はこれから、どうするのだろうか?
亜稀のことを心配して寝れない夜を過ごす? 彼氏に今日はありがとうとでも連絡を取る?
頭の中が奈緒のことを責めるような思考が湧いてくる。それは、いつか蓮子に私が感じる思いになるのかと考えると自己嫌悪で吐きそうになる。
いつの間にか、視界が涙で滲んでいた。
「あっ・・・?」
滲む視界の中で私は、奈緒の家の庭に陽炎のような揺らぎを見つけた。私には見馴れた世界の切れ目だ。
「れ・・・」
私は、蓮子の名前を呼ぼうとして躊躇する。私がこのまま、気付かない振りをすれば亜稀を探しに行かなくてもいいんじゃないか、亜稀を、自分と同じ悩みで傷ついた少女を見なくても済む・・・。
「ねぇ、メリー。私は、亜稀さんを捜したい。逃げているメリーを見たくないから」
「――――蓮子?」
一瞬、蓮子にも見えているのかと彼女の方を振り返る。しかし、蓮子は顔を伏せて言葉を紡ぎ出していた。
「メリー、私は最後まで貴女の隣に居るよ」
「あぅ・・・」
蓮子は顔を上げて私を正面から見据える。
――――本当に、ずるいと思う。
自分の顔が熱くなっていく。
「に、逃げたりなんかしないわよっ! そ、それよりも境界を見つけたわ」
「本当に!?」
「えぇ。奈緒ちゃんの部屋の電気が点いたら、見えるようになったみたい。奈緒ちゃんの家の庭に視える」
「行く?」
「当たり前でしょう。私達は秘封倶楽部ですもの」
秘封倶楽部と自分で声に出した時に、私は亜稀を捜す理由を見つけた気がした。蓮子も満足そうに大袈裟に頷いた。
私は亜稀に感情移入をし過ぎて忘れていた。私の隣に宇佐見蓮子は居るのだ。亜稀の隣に奈緒が居ないからといって、私の隣から蓮子が居なくなるわけじゃない。
「離さない」
自分に言い聞かせるように小さく、呟く。
「ん? メリー、何か言った?」
「別になんでもないわ」
「ふーん。ねぇ、メリー」
「なに?」
「顔、赤いわよ」
蓮子は為て遣ったりといった感じで笑っている。
――――前言撤回。蓮子はずるいのではなく、意地悪だ。
***
蓮子を引き連れて矢間瀬家の家の前まで来ると私は足を止めた。
「どうしよう・・・これ、不法侵入になるんじゃない?」
「なに言ってるのよ。今までにも経験あるでしょう」
「で、でも、個人の家に無断で入ったことはないじゃない!」
「バカ! 声が大きい!」
蓮子の指摘に慌てて口を塞ぐ。恐る恐る二階の奈緒の部屋を見るが特に変化はない。
「はぁ~、しっかりしてよメリー。流石に警察へは一緒に行きたくないわよ」
そんなのは私も一緒である。恨みがましく蓮子を睨むと蓮子は私の肩を叩いた。
「仕方無い。最初の一歩は、私が踏みだしてあげる。境界は庭の何処にあるの?」
「ちょうど真ん中ぐらいよ。ほら、あそこの花壇がある辺り」
「OK。ねぇ、すぐに結界の中には入れそうなの?」
「う~ん。弄ってみないと分からないけど、あれだけはっきりと視えるなら、すぐに行けそうな気がするのよね」
蓮子の表情に僅かだが逡巡の色が浮かび上がる。
「つまり、もしかしたら泥棒に間違われる可能性もあるのね・・・。ここ、SECOM入ってるのかしら?」
玄関の周りに警備会社のシールが貼ってあるのかどうかを蓮子はわりと本気で探し始めた。
「蓮子、ぐずぐずしてると奈緒ちゃんに見つかる前に近所の人に通報されるわよ」
「ぐっ・・・。分かってるわよ! ・・・覚悟を決めましょう」
深呼吸をして息を整える。
「行くわよメリー」
蓮子が差し出した手を握りしめる。
「うん」
そうして、私達は矢間瀬家にお邪魔させてもらった。最近は、無音警報装置を設置している家も増えているという記事を三日前に読んだのを思い出す。もしかしたら、既に通報されているのかもしれない。一瞬、『退学』という文字が頭を過ぎるが、幸いなことに特に何事も無く境界の前まで来ることができた。
「ぶ、不用心ね」
「そ、そうね。で、結界の中には入れそう?」
「ちょっと、待ってね。――――えっと、これね。これを引き延ばせば・・・」
一番、空間が歪んで視えるところに指を突っ込む。ぐにゅりとゼリーに指を差したようなひんやりとした感触がした。そのまま差しこんだ指を縦に引き裂くと、周囲の空気がピンと張り詰めたように感じる。
「あれ? 開かない?」
「えっ!? なによ、しっか―――」
蓮子が喋り終わる前に、突然、庭にゴオオオと巨大掃除機のような音を立てて、空気が境界の隙間に向かって吸い込まれていく。
近隣の家に明かりが灯り始めていた。どうやら、この音に気付いて様子を観ようとしているらしい。
「やばっ!!」
「驚いてる場合じゃないでしょう!?」
ドンと蓮子が私に体当たりをするような形で、私を境界の隙間に押し込む。
「ちょっと、あぁぁぁぁぁぁぁ・・・――――」
蓮子に体当たりをされる瞬間、矢間瀬家の二階の窓が開くのが目に映った。
***
夜の山道を自転車でひた走っていた。足が鉛のように重く感じるほど疲労が蓄積されている。それでも、走ることを止めようとは思えなかった。
ただ、進むことが目的だった。進むことが癒やしなのだ。
2時間前は住宅街を走っていたが、今では山路に入り、都会の明かりも山を一つ越えた向こうで僅かに光っているだけだ。
20m間隔で設置されている外灯だけが私の道標となっている。私の目標は誰もいない所に行くことなので、外灯が目に入る内はゴールには程遠い。
登坂は普段、運動をしていなかった私には辛く、足が地面に着いてしまう。そうなったら、自転車を押しながら進んだ。兎に角停まらないということだけは守り続けた。
「あら?」
道の先で、不思議な形の傘を差した金髪の女性が立って居た。おかしいな。先までは、あそこに誰も居なかった筈なのに――――。
「御機嫌よう」
「なっ!?」
目を懲らして視ようと瞬きをしたら、突然、女性が隣に来ていた。
「あら、そんなに驚かれると心を傷めますわ。――――貴女のようにね」
彼女が何を言っているのか意味が分からない。
「停まってしまっていいのですか? 歩きながらお話をしましょう」
彼女はそういうと私に背を向けて歩き始めた。その姿を不気味だと思いつつも、前に進むことしかできない私は、不本意でも彼女の後ろに付いて行くしか無かった。
「貴女は、人間なのに変わった月を観ているのね」
「えっ・・・なんですか? ・・・月?」
「貴女の目に映る月には色が無いでしょう」
それは、問い掛けというよりも診断という感じであった。私の心に揺らぎのような物が起こった。不意に一人の友人の名前が頭に浮かんで来る。どうして、今まで忘れていたんだろう? 目の前に居る女性はメリィに瓜二つだというのに――――。
「メリィ?」
女性に恐る恐る、友人の名前を投げ掛けていた。顔は瓜二つだが、目の前の彼女は私の友人のメリィに比べて妖美でどこか胡散臭い。
「違うわ。貴女の目に映る月と同じように、似ていても違う。私のがもっと、深遠で美しいのです」
「なるほど」
私は、納得した。メリィなら、自分で自分を美しいとは言わない慎ましさがある。メリィのそういう慎ましさは私の好きな、奈――――あれ? 今、私は誰のことを考えた?
「それでいいのよ。思い出したら、この先には進めないわ」
それは、困る。私は進まなくては行けないのだ。前に、そう前に・・・。
「貴女の名前の導き通りに、愛する人に飽きられ、山を背にして進み始めた時から貴女は既に幻想の住人なのです。この道を真っ直ぐに進みなさい。そこには、忘れられたものが集う場所があります」
「はい」
「よろしい。では、良き旅を――――」
再び自転車に跨がり、くたくたな足に力を籠めてペダルを踏み込んで進む。メリィに似た女性の気配が感じられないほど進んだ時に、彼女の名前を聞いていないことに気付いた。しかし、私は戻ることができないので、戻って聞くことも出来なかった。
でも、この道を進めば、また、あの女性には会える予感がした。
「会える。きっといつか、また、会える」
私は、空に一人、浮かんでいる無色の月に語りかけた。
―――― こうして、山瀬亜稀は神隠しに遭った。私には何も出来なかった。
「無色の月は、何も映さない。つまり、孤独ということ。攫っても誰も困らない。ただ、涙で形を歪ませるだけ。わかる?」
――――。
「それで、いいのよ。これを持って帰りなさい」
―――― 手帳?
「日記よ」
―――― 貰えないわよ。
「ふふふ。違うわ、拾ったのよ。それを届けたなら、持ち主から十割は読ましてもらえる筈よ」
―――― 一割の間違いでしょう。
「いいえ、合っていますよ。落とし主は見つからないのですから」
***
「うぅぅぅぅ」
目の前は暗く、顔全体にタオルで包んだゴム風船を押し当てられたような感触がある。
息苦しい。腕立ての要領で身体を起こすと私の身体の下にはメリーが仰向けで倒れていた。
どうやら、結界の中に入った途端に私は彼女を押し倒してしまったらしい。
さっきの感触は、メリーの胸だったのか。別に女同士だから、いやらしい気持ちは全く無い。うん、本当だ。若干、鼓動が速いが、それは異空間に飛び込んだ気分の高揚に違いない。
「メリー、起きて! 境界を越えたわよ」
顔を手のひらで優しく叩くと、メリーの長い睫毛が不愉快そうに小さく震えている。しかし、呻き声をあげるだけで起きない。
もしかして、倒れた拍子に頭でも打ったのかしら?
「メリー、ちょっと大丈夫? どこか痛いの?」
メリーの口元に手を置いて呼吸の確認をすると手のひらに生暖かい息を感じた。
息はある。何処か結界に来るときに本当に怪我をしたのだろうか?
ざっと、メリーの身体を看るが、血が滲んでいたり五体のどこかが不自然に折れ曲がったりはしていなかった。
「メリー、メリー! メリー!」
名前を呼びながら、身体を強く揺らすとメリーの呻き声が大きくなっていった。
「うわっ!」
メリーの目が突然、カッと見開くので驚いて手を離してしまう。ドンっとメリーの頭が勢いよく地面に叩き付けられた。
「くっぅ~~~~~~~~!?!?」
今度は押し殺した呻きをあげながらメリーは後頭部を押さえてジタバタとしている。
「ご、ごめん」
「なん、なのよ、もう!」
涙目になりながら、メリーの紫色の瞳が私を睨んでくる。
「だから、ごめんってば。えーと、痛いところある?」
「頭が痛いわ。物理的にも精神的にも・・・」
「良かった、いつものメリーね」
本当に無事で良かった。もしも、メリーに何かあったとしても、私一人でこの場所から出られるとは限らない。そうしたら、私はここで、何もできずにメリーを失うことになってしまう。それは絶対に嫌だった。
「ところで、ここは何処なの?」
「境界の先に入ったみたいよ」
辺りを見渡すと木木が生い茂る森の中にいた。境界の境目があった閑静な住宅街とは違う静けさが不気味な印象を与える。
頭上を見上げると雲一つ無い夜空に赤い月が一つだけ、浮かんでいるのが見えた。
「あれ? 違う・・・」
「どうしたのメリー?」
メリーは、赤い月を観て酷く狼狽していた。
「あの月には、色があるわ! 蓮子、あれは、あれは亜稀の観ていた月と違う!」
「落ち着いて、メリー。私が写真でメリーに見せてもらった月とあの月は同じ物よ。それは、私が保証する」
「違うの蓮子! 私は先まで、亜稀の姿を観ていたわ」
観ていた? メリーは、先まで気を失っていた。もしかして、メリーは――――
「メリー、亜稀の夢の中に迷い込んでいたの?」
「――――そう、そうよ。亜稀は一人で山路を進んでいたわ。それで、私に・・・あれ、違う。亜稀が私に手帳を渡したんじゃない――――蓮子、違うの亜稀じゃない!」
メリーは、混乱しているらしく会話が噛み合わない。私は、鞄から飲みかけのペットボトルを出すとメリーに飲むように促した。
「蓮子、今はそんな場合じゃ・・・」
「メリー」
「うっ・・・わかった」
メリーは渡されたペットボトルに口を付けると小さく息を吐いた。
「落ち着いた?」
「うん」
「メリーは、亜稀を見つけたの?」
「うん。亜稀は夜の山道を自転車で登っていたわ。でも、私がいることには気付いていなかった。でも、亜稀の前に派手な傘を差した、金髪の女性が話しかけたのよ」
「それで?」
「亜稀を・・・攫った・・・」
「攫った?」
「そうよ。亜稀を何処かに案内したわ。亜稀はそれに応じた」
言葉を失ってしまう。私はここに来れば亜稀さんが居ると思っていた。しかし、メリーの言うことが正しければ、亜稀さんは既に別の場所に居ることになる。
「蓮子、私は手帳を持っていなかった?」
「手帳? いいえ、持ってないかったと思うけど」
メリーは自分の鞄の中を探しているが見つからないらしく、小さく舌打ちをした。
「さっきも言っていたけど、手帳ってなんの事?」
「渡されたのよ、その変な傘の女性から。中身は日記らしいんだけど、私も中身は確認していないわ」
メリーは、夢の中で勝手に境界の向こう側に行ってしまうことがある。その時に向こう側から、何かを持って来てしまうことがあった。今回も何かを持って来たらしいが、手には何も持っていなかった。
「落としたみたいね」
「落としたって、何処に?」
「う~ん。多分、この付近に落としたんじゃないかしら?」
メリーは立ち上がると、勝手に先に探しに行こうとしてしまう。私は慌てて、メリーの手を掴んだ。
「待ってよ。メリー!」
メリーは振り返り、私の方を見ると「蓮子も探して大切な物なのよ」と事務的に告げられる。メリーの瞳には焦りが見え隠れしていた。
メリーが二手に分かれて探そうと提案してきたが私は断った。
「蓮子、時間が無いのよ」
「ここは、異界なのよ? 別れるのは危ないわ」
私達はお互いに譲らない。メリーは、不機嫌そうに肩に掛かった髪を払った。
「ねぇ、メリー。ここでは時間を気にしても仕様が無いわ」
「どういうこと?」
「時計を確認すれば分かるわ」
メリーは、携帯を取り出して時間を確認すると驚いたように目を見開いた。
「私達が境界を越えてから、時間は意味をなして無いみたいなのよ。ほら、空に雲が一つも掛かってないのに星が視えないでしょう。つまり、ここには時間が無いか、或いは時間の進みが外とは違うわ」
私はお手上げという意味で手をぶらぶらと振った。メリーは怪訝そうな顔をするが、私にも、分からないのでどうしようもない。
「メリー、一緒に探しましょう。ね?」
私が手を差し出すとメリーは、不承不承という感じでそれを掴んだ。その態度に思わず、苦笑いを浮かべる。今は、これでいい。
「なによ」
「別に何でもないよ」
「やめてよ!!」
メリーは声を荒げて、握っていた手を振り払った。一瞬、何をされたのか分からなかった。
――――拒絶された?
「蓮子は、亜稀がどうして居なくなったのか分からないの!?」
そういうとメリーは、私を置いて走って行ってしまった。
「ちょっと、待ってよメリー!!」
私は、猛烈な不安に駆られる。ここに来て初めて、夜の静けさに恐怖を感じ始めていた。
***
私は、宇佐見蓮子に怯えていた。
蓮子の淡々とした態度が夢の中で観た亜稀の姿とダブってしまうのだ。
「メリー! メリーってば!」
後ろで私の名前を叫ぶ蓮子を振り返ることなく走る。
気付けば、森の中を私は一人で走っていた。
全力で走って逃げておいて勝手だと思うが、蓮子が居ないことに無性に苛立ちを覚えていた。
・・・何をしているのだろう。全力で駆けて、上がった息の中で私は、すべてが馬鹿馬鹿しく思えていた。
――――亜稀は奈緒のこと忘れてしまっていた。
夢の中で観た亜稀は、奈緒のことを忘れて何処かに向かって走っていた。
そして、恐らく神隠しに遭ったのだろう。
多分、亜稀が「奈緒の心の中」と言っていたこの場所には、もう居ない。亜稀はこの場所から奈緒の事を忘れて飛び出したのだ。
亜稀は私にとって、特別な友人であった。最初は、亜稀と奈緒が同じ名字でややこしいから下の名前で呼び始めたが、いつの間にか景慕を込めて亜稀と呼んでいた。
亜稀は、私よりも心が強かった筈だ。何年も、奈緒に片思いを続けていた。決して、告げることなく、ただ、奈緒の傍に居れれば良いと思いながら、何年も何年も傍に居たのだ。奈緒に恋人が出来ても、奈緒に疎まれ始めたことを感じても――――。
その姿に私は、自分を重ね合せていた。
だから、亜稀が奈緒の事で傷つけば気持ちも理解できた。理解してしまう。
何かを踏み付けて、ぐらっと身体が傾くのを感じた。そのまま、派手に転んでしまう。
地面に打つけた肘と膝の痛い。起き上がろうと腕に力を込めるが、心も身体も疲れてしまっていた。
私は、服が汚れるのも構わずに倒れ込むようにそのまま大の字に寝そべった。
首だけを動かして自分が転んだ原因を探ると、赤い色の手帳が落ちていた。
それは、夢の中で手渡された手帳だった。
――――こんな所に落ちていた。
探していたのにも関わらず、手を伸ばす気にはならなかった。読めばきっと私は、傷つくことになるだろう。そう思うと体が気怠く、動かす気にならないのだ。
あの夢の中の女性は、この手帳のことを日記と言っていた。だとしたら、私が読んでもいい物なのだろうか? 私がもしも、亜稀の立場なら他人に日記を読まれたいとは思わない。
読まない理由は考えれば考えるほど浮かんでは消えていく。そうだ、読まなければいい。このまま、此処で、奈緒の心の中で存在し続ければいいのだ。それを亜稀は望んでいるような気がしてくる
――――けれど、私は、手にとっていた。
いくら読まない理由を思いついても、亜稀が何を考えていたのか知りたいという、たった一つの私の我が儘な理由は消えてはくれなかった。
ごめん――――と小さく心の中で亜稀に謝ると私は手帳を開いた。
最初の日付は2×××年3月4日となっていた。今から、8年前になる。次は、2×××年7月8日となっていた。どうやら、毎日欠かさず書いていたという訳ではないらしい。その大雑把さが亜稀らしく、思わず笑ってしまう。
でも、書いてあることは暗い内容であった。
私は、てっきり奈緒について書いてある日記かと思っていたが、実際は亜稀自身の家族について書かれていた。
それは、8年前から徐々に家族仲が悪くなっていく過程が記されていた。
亜稀は時には両親に暴力も振るわれていたらしい記実もあり、私は耐えられずに読み飛ばしてしまう。
2×××年4月5日・・・今から約5年ぐらい前にこの空間の事が書かれていた。しかし、書かれている内容は他に比べて極端に短かった。
「奈緒の心の中に居る。あたたかい」
これだけだった。気がつくと私は、涙を流していた。大切な何かに触れた気がした。
私の中で亜稀に対する見方が変わっていく。夢の中で亜稀を観た私だから分かった。
亜稀は、人に助けてということも出来ないほどに臆病なのだ。
それなのに私は助けを求めない亜稀を強いと勘違いをしていたのだ。
そのあとに書かれた内容は、少しだけ明るくなっていた。奈緒のことが書いてある時だけは、短いながらも愛情が読めてとれた。しかし、それに比例するように家族の仲は修復することの出来ない溝を感じさせる内容であった。
そして、1年前。日記に奈緒に恋人ができた記述が書かれていた。その相手に対しての記述は何一つ無い。ただ、「居場所がなくなった」とだけ書かれていた。
亜稀はきっと、何も抵抗せずにその事実を受け入れたのだろう。亜稀は愛情に飢えているのに常に諦めている。そんな気がしてならない。
そのあとに書かれて居たのは私との出会いだった。
私の事を亜稀は友人と書いていた。亜稀のこれまでの日記に友人と書かれた人物はいなかった。奈緒のことも、幼染みとは書いてあっても友人とは書かれていない。
そのことが少しだけ、この日記を読んでいることに対する罪悪感を軽くした。
私と会ってから、ほどなくして亜稀の両親は離婚したらしい。亜稀は母方に引き取られたが、母親は別の男性と何年も前から交際があるらしく、家には帰って来ないと書かれている。これを最後に亜稀の両親が日記に出てくることは無かった。
亜稀の両親が消えてからの文章は、今まで以上に簡素だった。既に日記というよりもメモに近い。
亜稀は、既に世界に興味が無くなっていたのかもしれない。
その文章からは、私は何も感じない。いつの間にか、私の頬を伝う涙は枯れていた。心がどうしようもなく冷えていた。
亜稀の日記を全て読み終わった。――――私には亜稀が何を考えているのか分からなくなっていた。
いや、そうか。亜稀も自分が何を考えているのか分からなくなったに違いない。だから、全部、忘れたんだ。
いつしか私は、手帳を両手で胸に抱いてその場に寝転んでいた。
ここに来るまでは知りたいことが在った。亜稀に訪ねたいことが在った。
でも、それはもう適わない。私は知ってしまった。亜稀が自分と同じように告げられない恋をしていても、私と亜稀は違う。
亜稀の恋心に比べれば、私の想いはとても、単純。
私の恋心に比べれば、亜稀の想いは、冷たい。
やっぱり、他人の心に土足で入ったのが間違いだったのだ。
蓮子と離れる時に、亜稀の気持ちが分からないのかと息巻いたが、私だって分かっていなかったのだ。本当にバカみたいだ。
手帳を強く抱きしめて、体を丸める。
蓮子の声を聞きたいと思った。私の頭の中で鳴り響く自分自身への罵倒が呪詛のように響いていた。
***
「メリー」
森の中で手帳を大事そうに抱きしめて眠る友人に私は、激しい怒りを覚えていた。
「メリー、起きてよ。メリー」
ここに入って来た時もこんなやり取りをしていた。でも、その時はメリーの腕の中にこんな手帳は無かった。
肩を掴み揺さぶるが起きる気配がしない。バカにしている。
もう一回、頭を地面に叩き付ければこの寝坊助は起きるのだろうか?
試してやろうと思い、メリーの上半身を抱え起こした。メリーの艶やかな長い髪が私の手を擽った。
「メリー、起きて」
最後通告のつもりでもう一度だけ、彼女の名前を呼ぶがメリーは僅かに目蓋を震わせるだけで目を開けなかった。メリーに触れている指に力が入る。メリーが起きていたら、服に皺がつくと怒っていただろう。
「なんで、そんなに手帳なんかを大事に抱えているのよ」
メリーの腕の中の手帳を破り捨てたい衝動に駆られる。そして、それの感情を抑えることが私には出来なかった。メリーを片手で抱きかかえたまま、もう片方の手で手帳を掴むと強引にメリーから奪おうと手に力を込めた。
「離しなさいよバカメリー」
しかし、メリーは眠っているのに力強く手帳を抱えて離さない。奪うなら、メリーを支えている手を離して両手で奪うしかなかった。
「なに、考えるのよ――――こんなに大事に抱えなくてもいいじゃない・・・」
でも、私はメリーの体から手を離すことが出来なかった。
「――――起きてよバカ」
私は、両手でメリーを強く抱きしめた。
「ぐむぅ・・・」くぐもった声がした。腕の中でが苦しそうに身を捩っているのが分かる。
「れんっこぅ?」
「黙れ、バカメリー」
「くっくるしぃ――」
「我慢しろ、アホメリー」
「蓮子、泣いているの?」
泣いてなんかいなかった。泣けないほど腹が立っているのだ。
「――――ごめんね蓮子」
何に対して、コイツは謝っているんだ。私を拒絶して、置き去りにして、今度は勝手に自己完結まで始めてる。好い加減にしろ。
私がどんな気持ちで、あの暗い森の中を探したのか分かってるのだろうか。
「私は・・・、私は、謝ってほしくなんか、ない」
「うん。ごめんね」
だから、謝るなバカメリー。私の気持ちが分からないなら、せめて私の言っていることぐらい理解しろ。
「メリー、もう帰ろうよ。ここには何も無いわ」
私の提案に腕の中でメリーが首を振りいやいやをする。
「―――私は、此処に何をしに来たのかしら?」
「私達は、秘封倶楽部だもん、結界が在ったから来たの。それだけだよ」
「まだ、亜稀を見つけていないわ。彼女は迷子になったままなの、私は助けたいのよ」
「――嫌よ」
「・・・えっ?」
自分でも驚くぐらいに冷たい言葉が出ていた。
「私は、亜稀さんが嫌い・・・嫌いなのよ。なんなのよ、勝手に私からメリーを遠ざけて、探してとか巫山戯ないでよ。そんなの認めない―――そんなの知りたくない」
溢れてくる言葉は、惨めで身勝手な嫉妬だった。でも、止まらなかった。
抱きしめる力が知らず知らずの内に強くなっていた。メリーは苦しいのか、くぐもった吐息が漏れていた。それでも、力は弛めようとは思わない。弛めてしまったら、あの振り解かれた手の様に、また、メリーがどこかに行ってしまう気がするのだ。だったら、メリーを苦しめてでも、傍に置いておきたかった。
私の腹にあるメリーの腕が動く感触がする。その腕の中には手帳が抱きしめられているのだろう。そう考えるだけで、やりきれない虚しさに生まれる。
「・・・蓮子は、私が居なくなってもあきらめちゃう?」
メリーの問い掛けは、まるで子供のようにあどけなさが滲んでいた。だから、私はそんな彼女を愛おしく感じる。
「いなくならないでよ・・・お願いだから――――あきらめることも、忘れることもできないから、離れないでよ」
「・・・うん、わかった」
私の背中にメリーの両腕が回される。背中から伝わる温もりを感じて、私はメリーが自分の傍に戻って来た気がした。
いつの間にか私の頬に涙が流れていた。泣いている顔をメリーに気づかれるのが恥ずかしくて、私はメリーに顔を覗かれないようにお互いの耳が触れ合うように抱きしめ直す。
「蓮子、やっぱり泣いてるでしょ?」
「泣かないわよ。メリーが傍にいるんだから、泣く理由なんてないじゃない」
「――――そっか」
そのまま、私の涙がメリーの髪に夜露のようにしっとりと沁み込むまで抱きしめ合った。
涙も止まり、メリーの顔を笑って見れると思えるほど寂しさが薄まってから、ようやく私は抱きしめていた腕の力を抜いた。
メリーの赤らんだ顔が鼻先が触れ合う程の距離にあった。
「・・・うっ」
その表情を見ていると先程とは違う高揚感に包まれる。
「蓮子」
私の名前を呼ぶメリー唇の動きが艶かしく感じる。不意にもう、一度抱きしめたい衝動に駆られる。
「――――か、帰ろうメリー」
なんとかその言葉だけを無理矢理に絞り出すと、メリーは小さく溜め息を吐いた。
「えぇ、帰りましょう蓮子」
そう呟くメリーの声色にはわだかまりが含まれている気がした。
――――もしかして、もう一度、抱きしめても良かったのかな。
先に立ち上がるメリーの姿を見ていると後悔の念が生まれた。
「ほら、蓮子」
差し出されたメリーの右手を掴む。
「メリー、その手帳はどうするの?」
メリーの左手に握られている赤い手帳が私には不気味に感じた。できれば、ここに置いて行って欲しいと思う。
「蓮子が読んだ後に奈緒ちゃんに渡してくれない?」
「・・・ぇ?」
「だって、蓮子はまだ読んでないでしょう? 気にならない?」
気になるかどうかで言えば気になるけど、奈緒ちゃんに渡すのはなぁと逡巡している私の手にメリーが強引に握らせた。
「私が渡すよりも、蓮子が渡す方がいいのよ」
「なんでよ? 二人で渡す選択肢は無いの?」
「読んだ後の蓮子なら、奈緒ちゃんに何も言わずにそれを渡すと思う。でも、私は渡す時に余計なことを言ってしまうわ」
自嘲気味に笑うメリーに私は何も言えなかった。メリーはそれを了承ととったらしく、結界の出口に向かい歩き始めた。
「よろしくね。こんなこと蓮子にしか頼めないんだから」
メリーは狡い。この状況でそんな風に言われたら納得するしかないじゃない。隣を歩くメリーを横目で見て心の中で小さく溜め息を吐く。
なんだろう、こういうのを惚れた弱みというのだろ――――んっ?
かぁーと顔が熱くなる。
今、私はメリーに惚れていると思った? そんな馬鹿な。私とメリーは、親友であって、そういう感情は持っていない・・・筈だ。
「そういえば外は何時なのかしらね? 終電無くなってたら歩くしかないけど、家まで結構、距離があるわよね」
思い返すと今日の私はちょっと遣り過ぎていたかも知れない。親友とはいえ、些か距離が近かったような・・・あれは、なんというか、その、恋人の距離――――
「蓮子、聞いてる?」
「えっ!? 違うわよ!」
意味不明な返答に怪訝そうな顔でメリーがこちらを睨んでくる。待って、ほしい。今、メリーと顔を逢わせるのはまずい。精神的に。
慌てて逃げるように顔を逸らす。手を握られていなければ走って逃げたい気分だ。
「どうしたの蓮子? ちょっと、顔が赤いけど具合い悪いの?」
「大丈夫よ。ちょっと疲れが出ただけだから・・・」
咄嗟に出た言葉だが、嘘じゃなかった。ここまで、ほとんど歩き続けていたので既に足取りは重く、早く帰って休みたいと体は訴えていた。
「ねぇ蓮子、今日はうちに泊まる?」
「・・・はい?」
落ち着き始めていた鼓動がまた早くなり、思考が置いて行かれる。
「だって、私の家の方が近いじゃない。疲れている蓮子を一人で帰すのは気が引けるし――――嫌?」
「い、嫌じゃないけど・・・」
「じゃあ、決まりね」
そういうとメリーは、本当に嬉しそうに照れ笑いを浮かべる。その表情は同性の私から見ても魅力的で、少しだけメリーを握る手の力が強まった。多分、私の表情はだらしなくにやけているだろう。それを隠すために帽子を深く被り直す。
「蓮子、手に凄い汗かいてるわよ?」
悪戯っぽく笑うメリーに返す言葉が出ないほど、余裕がなくなっていた。
***
「23時45分9秒。やっぱり、星がある夜空は落ち着くわ」
蓮子の手を握り締めながら結界の外に出ると、蓮子は空を見上げて時間を告げた。
私は、夜空ではなく矢間瀬家の二階を見ると、境界の中に入る前には点いていた奈緒の部屋の電気が既に消えていた。そのことに少しだけ、落胆を感じて小さな溜め息が漏れた。
「帰りましょう、メリー」
蓮子の声は優しく、握る手は温かった。だから、私は苦笑いをするぐらいには強がれた。
「うん。でも、帰りのバスはあるのかしら?」
結局、私達の家に向かうバスは本日の運行を終了しており、疲れて重い体を引き摺りながら帰路に着く羽目になってしまった。
最初は愚痴を溢していた蓮子も15分も歩くと言葉は数は少なくなり、時折に夜空を見上げて時刻を告げる以外は、ただ黙々と歩いていた。
私達の歩く住宅街は夜にもなると殆どの家が寝静まっていて、本当に日本の首都なのかと疑うほど静寂に包まれていた。
「ねぇ、この夜の住宅街の方が境界の向こう側よりも不気味だと思わない?」
住宅街には大体10m間隔に外灯を設けているが、あの赤い月明かりに比べれば暗いような気がした。
「どこがよ? ここなら叫べばどこからでも人が飛んで来るし怖くないじゃない」
寝静まった家々を見渡す。私の目には映らないだけで、多くの人間がそこには存在しているのだろう。でも――――
「全員、顔も知らない他人よ。叫べば他人に囲まれるって怖いことじゃない。あの森には、誰も人がいない安心感みたいのが在った気がするのよ。寂しいけど穏やかな場所だったわ」
蓮子はまだ亜稀の日記を読んでいないので、そうは思わないかも知れない。人間関係に疲れいた亜稀は、あの静けさに温もりを感じていた。改めて考えるとそれを亜稀は奈緒のくれた温もりのように思っていたのかもしれない。
「あの森には、疲れた心を癒やす何かがあった気がするの。だから、私もあの森の中で寝てしまったのよ」
「それはメリーが寝坊助だという事実に対する言い分け?」
「違うわよ。やっぱり、かしましい貴女には分からないのね」
予想通りの蓮子の返答に私は、ほっとした。握った手の平から伝わる蓮子の温もりは、あの森とは違う人を思う熱さがあった。
そんな私の心のうちを知らない蓮子は、不満そうに鼻を鳴らしている。
拗ねてしまった相棒に心の中で苦笑いを浮かべる。もしも、今、ただ手を握る関係ではなく、指を絡める関係だったら、違うと抱きしめることが出来るのにと考えてしまうのは私の望み過ぎだろう。
あの森の中で蓮子が私のことを少なからず思っているような素振りを感じられたが、それでも今の私達の関係が突然に変わるような出来事では無かった。
――――不意に握っていた蓮子の手が緩んだ。
蓮子が消えたような錯覚に陥る。慌てて蓮子の方を向くが、帽子で顔が隠れていて表情が読み取れない。
「―――蓮子どうかした?」語尾が少し震えていたと思う。
「あのねメリー・・・」
私の名前を呼ぶ蓮子の声は何時もよりも艶が含まれていた。それだけで、胸の鼓動が早鐘をつくように高鳴ってしまう。その鼓動が伝わるのが恥ずかしくて私も握る手の力が緩んでしまう。
「私は、今日一人になるのは嫌だって思ったわ。寂しくて泣いてしまうぐらいに―――」
――――私の小指と薬指の間に蓮子の小指が滑り込んでいく。そのまま、次々に指の隙間を蓮子の指が埋めていった。
「だから、メリーが嫌がっても離さないって決めたの―――だめ?」
私は自分がいざとなると惰弱だということを知った。そんな私に出来たのは、そっと指に力を込めることだけだった。
***
大学の後期テスト期間も終盤に入ると徐々にキャンパス内を歩く学生の数は減ってくる。
そんなキャンパス内で宇佐見蓮子は外にあるベンチで一人で、ぬるくなり始めた缶コーヒーを口に運んでいる。
まだ、空に星は出ていないため仕方無く携帯で時刻を確認するとメリーとの待ち合わせの時間まで、まだ一時間近くあった。
残った缶コーヒーを一気に飲み干すと私は地下図書館に向かった。連日のレポート提出に追われて寝不足なため、静かな所で仮眠を取ろうと思ったのだ。
「あー、なんで缶コーヒーなんて飲んだのかしら」
寝る前にカフェインを摂取してしまうなんて、判断力が落ちているのだろう。
欠伸を噛み殺しながら、地下図書館に入ると入り口にある案内板に図書館の年末年始の予定がでかでかと貼り出されていた。
「――――あっ」
それともう一つ、案内板には【尋ね人】と書かれている張り紙が掲示されていた。そこには、笑っている山瀬亜稀の写真と簡単な身体的特徴が大きく書かれていた。
「その子ね、ここの学生なのよ。もしかして、宇佐見さんの知り合い?」
後ろから図書館の司書である紫苑月さんが本を抱えながら話しかけてきた。
「・・・はい。でも、一回しか話したことはありませんけど」
自分で口にだして、亜稀さんと一回しか直接に会ってないという事実に驚いてしまう。今、考えると濃密な会合だったのかも知れない。
紫苑月さんは眉根に皺を寄せると溜め息を吐いた。
「もう、居なくなってから一ヶ月も経つらしいわ。警察も捜しているようだけど手がかりは無いらしいのよ」
張り紙には情報の連絡先として矢間瀬奈緒の携帯番号が書かれていた。
「もしも、見掛けたら連絡してあげて。山瀬さんには幼染みがいるんだけど、その子が凄く心配しているの。この張り紙もその子が作ったのよ」
どうやら矢間瀬奈緒の方はまだ、探しているらしい。
私が物思いに耽けていると紫苑月さんは別の司書さんに呼ばれて「よろしくね」と言ってその場をあとにした。私はその頼みに返事を返すことが出来なかった。
憂鬱な気分でエレベーターで地下に降りながら、山瀬亜稀の手帳の事を思い出す。
メリーに読んだ後に矢間瀬奈緒に渡してと言われて託されたが、私は読んだ後、封筒にしまうと矢間瀬家のポストに入れ、矢間瀬奈緒に直接渡すことをしなかった。
そのことをメリーに報告すると「ありがとう」とメリーは短く礼を言っただけで、それ以上はその件について触れようとしなかった。メリーも私も、この件に関われるのは、あの手帳を渡すことだけだと思っていた。
「薄情なのかしらね」
誰もいないエレベーターの中でその呟きに返事をしてくれる相手は居なかった。
地下11階の閲覧室に着くと適当な個室に入り、学生証をカードリーダーに置いた。すると備え付けの小型端末が起動した。私は【スプートニクの恋人】と打ち込み検索の結果を待つ。
『検索結果:スプートニクの恋人 著 村上春樹 貸し出し中(返却予定12/2)』
「あら、借りられている・・・」
地下図書館で検索した本が貸し出し中というのは初めての経験だった。しかも、貸出期間が過ぎていた。いったいどんな人が借りているのだろうと考えると頭の中で山瀬亜稀の顔が思い浮かんだが、流石に感傷に浸りすぎだと自嘲してしまう。
目的の本が無かったので、他に別の本でも探そうかと考えていると鞄に入れていた携帯が震えていた。
「・・・え?」
ここは携帯の電波が繋がらない筈である。携帯を取り出すとメールを受信中となっている。
しかし、電波を示すアイコンには圏外と標示されていた。
「なに、これ」
受信が終わる。恐る恐るメール受信フォルダを観ると差出人には『山瀬亜稀』となっていた。
背筋に嫌な汗が流れる。どういうことだと深く考える前にメールを開くと写真が一枚添付されていた。
――――そこには、青空の下で、はにかみながらピースをしている亜稀と二台の自転車が写っていた。
差出人:山瀬 亜稀
件名:Re:今、何処にいますか?
本文:お久しぶりです。と言っても、私にはあなたが誰かわかりません。ごめんなさい。
私は記憶を失ってしまったのです。どうして無くなったのかも思い出せません。
携帯電話にはあなたからのメールだけが残っていました。それ以外のデータは消えていました。私とあなたがどれくらい親しかったのかは分かりませんが、メールの内容を見るとどうやら、知り合いだったようなので返事を送りました。
私の居る場所がどこなのかは、ごめんなさい。説明できません。
ただ、私は此処で生きていこうと思っています。心配しないでください。元気でやっています。
追申 お手数ですが、他に私のことを心配している方がいたらこのメールを回して下さい。お願いします。それでは、あなたもお元気で。
――――私は、慌ててそのメールに返信を送るが【電波がありません】という標示が出るだけで送信することは出来なかった。
荷物を急いでまとめると地下図書館の外に出てメールを送ってみたが、今度は【エラーのため送信ができませんでした】とメールが返って来てしまうだけだった。
一旦、深呼吸をして気持ちを落ち着けると私は、奈緒にこのメールを転送した。そして、奈緒を着信拒否にした後に携帯から矢間瀬奈緒のデータを消した。
奈緒にこのメールのことを聞かれても答えれることは何も無い。それに添付されていた写真を観ていると、もう亜稀さんを探す手伝いをする気にはなれなかった。
写真には亜稀さんが一人で写っているけれど、その後ろには自転車が二台写っている。きっと、この写真を撮っている人物と亜稀の物だろう。
亜稀さんがこんな笑顔を浮かべることのできる人物が近くにいるなら、私はこのまま、神隠しに遭ったままでいいように考えてしまう。
「はぁ~」
空を見上げるとどんよりと曇っていて雨が降りそうだったので私は地下図書館に戻った。
入口の案内板に貼られている亜稀と送られてきた写真を見比べると、同じくらいの笑顔に見える。だとしたらあとは――――
「本人達が決めればいい」
私は自分の役割が終わったと不意に実感した。
すると間の抜けた欠伸が出て急に肩の力が抜ける。張り詰めていた物が切れてしまったようだ。
携帯で時間を確認するとメリーとの約束まで40分ほどある。少し寝ようと思い、もう一度、地下の個室に戻るとネクタイを弛めてアラームをセットした。
目を瞑ると眠いのに色々と考えてしまう。どうやら、図書館に来る前に飲んだ缶コーヒーのカフェインが効いて来たようだ。
「うぅ~最悪だぁ~」
眠気でイライラする頭で、どうやってこのイライラを解消しようか考えると妙案を思い付いた。
早速、携帯を取り出すと写真履歴を漁り、お目当ての画像を選びトップ画に設定をした。
トップ画にはこの間、メリーの家に泊まった時にこっそりと撮影したパジャマ姿のメリーが映し出されている。
その画像を観ながら一人で愚痴を溢し始める。最初は恥ずかしい気持ちが在って声が小さくもごもごしていたが、しばらくするとカラオケのように慣れて饒舌になっていった。
――――これは、楽しいかもしれない・・・。
眠気と戦いながら、呑み屋で酔っ払いが管を巻くように愚痴っていると携帯のアラームが鳴った。
***
亜稀を探しに行ったあの日から一ヶ月が経つ。あの境界の先で私と蓮子の関係が少しだけ変わったのように感じたが、どうやら私の思い過ごしらしい。
蓮子と待ち合わせしている大学構内にあるベンチで大きな溜め息を吐いた。
今日も蓮子は遅刻だ。しかも、今までなら20分以内だったのに今日はそれを過ぎていた。
寒さには強い自信があるが冬空の下で30分も待っていると流石に堪えてしまう。
蓮子に電話をしようと携帯を取り出すと「ハーンさん!」と不意に呼びかけられた。声のする方を見ると矢間瀬奈緒が居た。
「お久しぶりです」
「奈緒ちゃん・・・」
矢間瀬奈緒と会うのも一ヶ月ぶりでだった。あの赤い月が浮かぶ境界の中で亜稀の手帳を見つけたが、そのことは奈緒には話していない。手帳も蓮子に奈緒に渡すよう頼み、私は奈緒に会うこと避けていた。
「ハーンさん、宇佐見さんがどこに居るか知りませんか?」
「えっ、蓮子?」
何故、蓮子を探しているのか先に訪ねようとしたが、奈緒の顔を見ると思い止まった。よく見ると奈緒は泣きそうな顔をしていた。
「分からない。蓮子と此処で待ち合わせをしているんだけど、約束の時間から20分経っても来ないのよ。何かあったの?」
奈緒は少し考える素振りを見せたあとに説明を始めた。その口調にははっきりと失意が感じられた。
「今から、一時間ぐらい前に蓮子さんからメールが届いたんです」
奈緒は携帯でその届いたメールを私に見せた。そこには転送された亜稀の写真と亜稀が書いたらしい簡粗な文章が映し出されていた。私は思わず口から「あっ」と声が漏れていた。
「ハーンさんには、送られて来てませんか?」
「いいえ、来てない」
奈緒が訝しむように私を見詰めて来たが、私はそんなことよりも蓮子が、今どうしているかの方が気になっていた。
「宇佐見さんの携帯に電話しても圏外だし、メールも返って来てしまうんです・・・。ハーンさん達、私に何か隠していませんか? ハーンさん、亜稀が居なくなった日に私の家に来ていましたよね? それに亜稀の手帳を私の家のポストに入れたのもハーンさんなんでしょう!?」
私の服に皺の跡が残りそうなほど強く掴んで揺さぶる奈緒の顔は泣いていた。
「それは――――」
嘘も吐くこともできず、私は奈緒に自分の知っていること話した。全てを聞くと奈緒はその場にへたり込んでしまった。辺りには奈緒の嗚咽だけが木霊した。
時折、通りかかる他の学生が何事かとこちらを見てくるが、私が怒ったように睨み返すと慌てて目を背けていった。
「分かってるんです。亜稀が居なくなるって――――もう、帰って来ないだろうって」
「そんなこと・・・」呟く私の声には、力が籠もってはいなかった。
それ以上は、お互いに何も言えなかった。ここで何を言っても亜稀は帰って来ないという気持ちがそうさせていた。だから、せめて奈緒が泣き止むまでは、傍に居てあげようと思った。それが亜稀のために私ができる最後のことだから。
「ハーンさんって、亜稀と性格が似てますよね」
「そう? 私は似てないと思うけど」
「似てますよ。嘘も吐くし隠し事もするけど、ばれないようにすることが出来ないじゃないですか。亜稀もそうでした」
どこかで聞いたことのある台詞に、私は返す言葉が出ない。そんな姿を見て、奈緒が可笑しそうに泣き笑いをする。その年齢に比べると幼く見える笑顔はどことなく宇佐見蓮子に似ている気がした。
だから、私は奈緒に問い掛けてしまったのだと思う。
「奈緒ちゃんは、亜稀のことをどう思っていたの?」
一瞬で奈緒の表情が能面のようになった気がした。
聞かなかった方が良かったかもしれない。でも、亜稀のことで奈緒と向き合うのはおそらくこれが最後だろう。だから、私は後悔だけはしたくなかった。
「なんで、そんなことを聞くんですか? 友達というだけじゃダメなんですか?」
奈緒の呟きは私に向けられたものだが、その内容はきっと亜稀に向けられているのだろう。私を見つめる奈緒の表情は未だに能面のままだった。
「それは、亜稀の――――いいえ、私の知りたい答えじゃない」
「勝手ですね。でも、私の答えはハーンさんの聞きたくないことだと思いますよ」
それでも、私は聞かなくてはいけない。そうしないと私は進めない。
私の意思を感じたのか、奈緒が少し呆れた様に肩を竦めた。
「私も亜稀の事が好きでしたよ。友人として――――」
もう分かっていたことだが、やっぱり直接に言われるとショックは大きかった。
私が「わかった」と口を開きかけると奈緒はそれを掻き消すように言葉を続けた。
「でも、それでも、亜稀が居なくなったと思うと失恋をした時のように胸が痛むのはなんでなんだろう――――」
奈緒の顔に張り付いた能面の表情はいつの間にか皺くちゃになっていた。そして、剥がれる瞬間に奈緒は自分の両手でそれを隠すと再び泣き出した。
私にはそれを受け止めることはできない。だから、私は泣いている奈緒に向かって一言だけ
「ありがとう」
と囁いた。でも、それが奈緒の耳に届いたのかは分からなかった。
地下図書館に入ると入口のカウンターには紫苑月さんが座っていた。
「宇佐見さんなら、もう来てるわよ」
私はそれを聞いてやっぱりと心の中で呟いた。奈緒が蓮子は電波の繋がらないところにいると聞いた時に多分、ここにいるだろうと経験則で考えていたが案の定である。
「どこにいます?」
「えーと、11階のB-4ね」
ありがとうございますとお礼を言うと私は駆け足気味でエレベーターに乗り込んだ。
降りるエレベーターの中で蓮子に与える罰を考える。今回の蓮子は遅刻ではなく、すっぽかすということをやってくれた。流石に私も今回は暴力も辞さないつもりでいる。
チーンと目的の階に着いたことを告げる音が鳴る。重いエレベーターの扉が開くと歌が聞こえてきた。
これって、蓮子の携帯アラーム音じゃないかしら?
音の方に向かって進んで行くと紫苑月さんの言っていた個室から音が漏れていた。
私はノックをせずにそっと個室のトビラを開けると、そこにはネクタイを弛め、涎を垂らしながら机に突っ伏して寝ている蓮子の姿があった。
そのあまりにも無防備でだらしない姿に何故、自分はこんな奴を好きなんだろうかと怒りを通り越して悲しい気持ちになってしまう。
携帯から、流れていた曲が不意に止まった。どうやら、ずっと鳴り続けていた訳ではなくスヌーズ機能で何分間か置きに鳴るらしい。しかし、待ち合わせの時間から既に一時間近くが経過している。それまでに一度ぐらいは起きなさいよと呆れてしまう。
とりあえず、どうやって起こすにせよ、ここでもう一度アラームが鳴って起きてしまうのは詰まらないと思い、蓮子の携帯をそっと取り上げる。
トップ画面には、目覚ましのマークと次に鳴るまでのカウントダウン標示がされていた。
私は、目覚ましのマークを指で触ると目覚まし機能が終了して代わりにおはようの文字が映し出される。
残念だけど貴女の持主はまだ夢の中よ、と声には出さずに一人で突っ込みをいれる。
そして目覚ましの画面が消えると、そこには私のパジャマ姿で寝ている私が映し出された。
「――――ふぇ!?」
何時の間にこんな写真を撮られたんだ? というか蓮子は何故、私の写真をトップ画にしているんだろう?
「んっ・・・んぅ・・・」
蓮子が煩そうに体をくねらせた。だらしなく見えていた姿が今では愛らしく目に映っていた。
場の空気に流されるな私。第一、携帯の待ち受けを友人の写真にするなんてよく聞く話じゃないか、現に私だってこの間まで蓮子の写真にしていたし――――あれ、私の事例は一般の事例に入れていいのか? 私は、蓮子の事が好きで待ち受けにしているのであって、だとしたら、蓮子も――――ダメだ、頭が混乱している。
それでも蓮子の姿から目が離せない。ネクタイを弛めた首元と唾液で濡れた唇が扇情的だ。
「ぐむ・・・めりー・・・」
寝言で蓮子が私の名前を呼んだ。反射的に返事を返しそうになるが既の所で飲み込んだ。もしも、それで起きてしまったら私はどんな顔で蓮子に接すればいいのか分からない。
「・・・の・・・こと、が――――」
わ、私のことが――――何なのよっ!?
しかし、そのあとに続く寝言はいくら待っても出てこなかった。私は揺さぶり起こして聞いてしまいたいと思うのだが、その想いが体を突き動かすことは無く、寧ろ楔のように体をその場に縫い付けていた。
そんなもどかしい空気に三分と経たずに私の心はギブアップした。蓮子の手に携帯をそっと戻すと静かに部屋を出る。
扉の前で深呼吸をすると私は、中で寝ている蓮子が起きるように強くノックを4回した。その姿は他人が見たら、悔しがっている子供のように映ったことだろう。
部屋の中でガタガタと慌てて起きる音がする。
「蓮子、入るわよ」
「え、えっ、、メリー!? ちょっと、待って、まだ、準備がっ・・・」
「もう、一時間以上も待っているわ」
私はそう言うと怒り4割、八つ当たり6割の力加減で扉を開ける。中にはネクタイを慌てて締め直す蓮子がいた。そんなだらしない姿を見ても胸の高鳴りが納まらない自分が少しだけ恨めしかった。
~Fin~
オリキャラもちょうど良い感じの目立ち方で良かったです
携帯からですが特に問題ないっす
誤字報告を
今日は、蓮子に会せたい人がいるから、一階ロビーで待ち合わせの方が
蓮子と亜稀を会せた
会「わ」せた
そんなに帽子を下げて歩いたら、打つかるわよ?
打つかるわよ→ぶつかるわよ
大丈夫よ。ちょっと疲れたが出ただけだから・・・
疲れたが→疲れが
オリキャラも良い味出していました
ただ、最後に彼女が蓮子に会うものだとばかり。
何故メールを、という事を彼女はまだ納得してないように思うんですよ、蓮子から直接聞いてないし。
まぁ彼女が彼女なりに納得したものだと言われればそれまでですが。
最後にそれだけが気になってしまった。
忌避されがちなオリキャラもいい味出してたし、この物語には必要不可欠でしたね
フィールドワークとはまた違った秘封倶楽部の活動が見れて良かったです
秘封縁記の事は初めて知りましたがこれからも楽しみにしています
もどかしい距離感のいい蓮メリ!
続きを待ってます
奈緒が呼んだから帰って来たよ
>そのヒロインが戻ってくまで
そのヒロインが戻ってくるまで
>奈?
なおちゃんではないのでしょうか?
うーむ。なんだかすごい繊細なことを言っていると思うんだけれど、僕にはよくわからなかった。
端末はiphoneなのでなんの問題もないです。頑張ってくださいね
最高です。