何度となく廻るこの世界に身を窶し、いつも手の届きそうな所までたどり着いては足元を掬われる。
其は死と生の際。可能性の境界線を歩み続ける、一匹の猫。
たどり着いた先に、もし己の望む結末があったとしても、それは救済足りえない。もはや、望む永遠は彼方。
それでも。解っていても。
例えそれが、分かたれた世界の一端でしかないのだとしても。
そこへ辿り着かなければいけない。
其は死生の黄金。
願う事はただ一つ。その暁に見るものは、悲惨な結末だ。
それでも――あなたは見てみたいだろうか。
No title
歩き、立ち止り、振り返る。振り返る事は忌とされ、古くから怪談話のネタでしかないと思われて来たこの行動も、いざ経験すればどれほど恐ろしいものか良く理解出来た。振り返るだけの勇気は心臓を締め上げ脳裏に電気のような緊張がチラチラと明滅する。
そこには金髪の女性がいた。
夜道で、闇夜で、顔は良く分からない。けれど、背格好は悉く私に似ていて、酷く不自然だ。鏡が私の行動に従わないような、仄暗い恐怖感を覚える。
彼女の周りには、過去見た事もないような、世界の歪。空間として存在すべき場所が、熟れすぎたトマトのように割れている。空間のその場所だけが、富栄養化を起こして許容量を食みだしてしまったのかもしれない。爆発的な情報は、世界を叩き割る。そこにまっとうな理由はあれど、人間には理解出来ず知覚出来ず科学も及ばない。
こんなモノを眼の前にすれば、私達は自分の存在に疑問を持たずにはいられない。何が正しいのか、どこがおかしいのか。果たして自分はちゃんと存在出来ているのだろうか、そもそも誰に存在を許されているのだろうか。
少なくとも、今は。今は、眼の前にいる女性が私に手を加えないからこそ、私はある。つまり、彼女の力というのは、私の生命を采配可能なものだった。
世界が明滅する。描写しようのないグロテスクな背景は、アッと言う間に私を包み込んだ。
そのたった数瞬だけ、私は彼女の顔を見た。
――皇紀2731年 8月15日 京都 帝国首都大学 第三教室 11時30分
その昔は、物凄く長い夏休みがあったらしい。しかも、一ヶ月半近くも。そんなに長く休んでどうするのだろう、と考えたりする。大体、高い受講料を払っているのに休まされたら損ではないだろうか。いや、当時はそれで良かったのかもしれないけれど、今そんな事をしたら非効率だぼったくりだと大学側が学生にシュプレヒコールを浴びせられるかもしれない。
私は別に長い休みを批難したりしないけれど、家にいると空調の電気代が偉い事になってしまうので、大学で涼んでいた方が楽だし、勉強もはかどる。それに、家に居てもあまり面白い事はないので、外かつ内、という環境が大事だった。
教室を見渡せば、いつもの顔ぶれがある。みんな勉学に忙しいので、授業をさぼったりはしない。それに、皆も大体同じ心づもりだろう。どこでも授業を受けられる通信環境があると言っても、自宅には誘惑が多いだろうから。私は違うけど。
「――で、あるからして。相対性精神学とは、この人口縮小社会における人間の心の安定をはかる事を目的とした、謂わば互いによる精神の救済を目的として創設された学問なのです。以来十数年、様々な研究者によって切り開かれた路でありますから、若い君たちには是非とも、我々老人の戯言を参考に、更なる研究を重ねてもらいたい」
いつもの口上を述べた教授が、やっと講義を開始する。
私はディスプレイに映るテキスト――皇紀2660年からの人口推移グラフと、簡易な歴史年表に目を通しながら教授の話をぼんやりと聞く。
順調に増え続けた人類が、2670年辺りから急激に減り、比例するようにして年表の説明が事細かに増えて行っている。
合衆国の衰退、人民共和国の大繁栄とそれに伴う弊害からの騒乱、移民問題を抱えた日本国の社会混乱。EUは早期に社会問題への取り組みにかかり、それら人間社会における不可避の災厄を逃れようとしたものの、ある一つの事柄で、全てが吹き飛んだ。
超多剤耐性型インフルエンザと結核の同時パンデミック。先進国は皆少子高齢化に悩んでいたけれど、これによって人間社会は究極的に生きるか死ぬかの選択を迫られた。そういった病原体の反映は、資本主義社会における勝者と敗者を完全に分けたのだ。
何故資本主義に結びついたのかといえば答えは単純で、医療費が健康保険負担では限界だった事、超多剤耐性病原体に効果的な抗生物質を開発した製薬会社が独占して値段を釣り上げた事、その利権をその国の政治家が押さえた事、それによって各国で暴動が起こった事。
インフルエンザと結核、その合併症によって亡くなった人数は測定不能とされている。ただ、アフリカのような場所では国が三十消え、先進国でも低所得層が悉く死に、アメリカが東西に分かれ、人民共和国は群雄割拠時代に戻り、日本においては大陸から流れた革命勢力と内患の増長で日本が二分しかけた。
抗生物質の開発者は『人類に死を』と残し拳銃自殺。世界に語り継がれる大悪党として歴史に残った。
彼とて、最初は人類を救いたいからこそ、開発したはずだ。人類を救うはずだった薬が、金に目がくらんだ経営者と政治家達によって政治の道具にされ、戦争の火種になり、謂れのない批難を受け……自殺。悔やんでも悔やみきれない死に際だろうと思う。
「……現世界総人口は五億……六十億もいたのがびっくりよねえ」
「東京とか、ヒトだらけだったらしいわよ。歩くと肩がぶつかったんですって」
「あの古臭い街が、そんなに?」
「ヒトの故郷を古臭いとか言わない。古風なのよ。昔のままが残ってるから」
「それで、何故蓮子がここに?」
「良い質問ね。たまには、心の学問に身をやつしてみたくもなる、のよ」
秘封倶楽部部員、宇佐見蓮子はそのように言って、机に顔を伏せた。最初からそのつもりなら自分の講義でやれば良いのに。そんなに私の隣で寝るのが心地良いと思ったのだろうか。
「つまり、夢と現は双方とも脳の見せる幻影に過ぎず、物質か非物質かで物事を判断する事は、非常に不合理である、という学説が前身である絶対性精神学創設時に提示されている訳ですが、改良の程を施した相対性精神学においても、その考えは完全否定される事なく続いており……」
蓮子が眼の前で寝ているのに、教授はまるで咎めようとしないので、私もそれに従う。総学生数からすると広すぎる、レトロな雰囲気を醸し出した古い作りの階段型教室は、今日も今日とてガラガラだ。この講義を取っているのは私を含め十名程度。そこに蓮子が混ざったら直ぐに指摘されそうなものだけれど、妙齢の教授は気にする風もない。
この時代において、私たち世代は金の卵と言えた。確か二十世紀末にもそのような名称で学生が呼ばれた時代もあったと記憶しているけれど、この時代の金の卵は質が違う。まず数が少なく、子供の頃から徹底したエリート教育を行う教育制度下にある為、ごらく者が非常に少ない。頑張れば頑張るほど待遇を国家直々に保障される為、美味しい汁の吸い方を知った子供たちは、自分からそういった道を捨てたりはしないからだ。
資本主義を乗り越え、超競争社会を円満な形で再現可能にしたのは、奇しくも人口減少だった。
学生たちにはランクがある。これの開示は高校生になってから自己に任される訳だけれど、大概の人間が口にしたがるので、大体がオープンな話題になっている。ちなみに宇佐見蓮子はSS+級。この学校を卒業した後に、学費全額の免除と政府直轄の研究室に入る事、家族一生分の生活費を約束された、超エリートだ。私はA+級なのでそこまでは行かないけれど、卒業すれば学費は免除だし、大きな大学の研究員や大会社への道は大体決まっている。
頑張れば、だ。ちゃんとこなす事をこなし、やる事をやり、それを発揮する事。どこかで躓いたら、目も当てられない。
「ハーン君」
「はい、なんでしょう、教授」
「宇佐見君は、今何をしていると思うかね」
「はあ。たぶん、向こう側で超統一物理学の難題と肉弾戦か、もしくは今日のお昼のメニューを考えている所でしょう」
「それは夢かね、現かね」
「本人の満足度によります。相対性精神学的に言えば、私がそれを補完してあげる事によって、また彼女も満足度に変化があるでしょう。つまり、後でお昼を奢る事によって彼女の満足度の変化を計る事は、研究の一つと言えます。なので今日は寝かせておいてください、教授」
「うむ。詭弁も甚だしいが、お前が言うと妙な説得力があるから、許そう。相対性精神学とは正しく詭弁の粋だ」
教授とは思えない発言をしてから、また講義へと戻る。
まあ別に、お昼を奢っても良いだろう。どうせ一緒に食べるつもりだったのだから。
昼食は何にしようか、なとど考えたけれど、最近はどうも食生活が充実していたので、一食抜く事にした。コーヒーを啜る私の前で、蓮子はパスタをがっついている。一時期粗悪品が横行した合成パスタだけれど、メーカーの企業努力によるものか質は上がっているようだ。前に食べた時は、明らかに蕎麦味だった。
「何故、小麦粉と蕎麦粉を間違えたのかしら」
「うーん。お米は大貧困期でもちゃんと存在したし、受け継がれたけれど、小麦や蕎麦となると、前世代は殆ど輸入に頼っていたらしくって、在庫切れ&生産者死亡&時間が経って味を覚えている人が居ないのトリプルパンチで、本当に味が解る人から抗議が来るまで、誰も疑問に思わなかったそうよ。最近は改善がみられるっていうけど……私、そもそも本物の小麦も蕎麦も、食べた事ないのよね。なんでメリーは直ぐに蕎麦だって解ったのよ」
「外食」
「ああ、幻想郷……。本物のパスタって、どんな味なのかな」
「今のはだいぶ近いと思うわ」
「幻想郷、ねえ」
「行ってみたい? 一緒に寝るとかすれば行けるかもよ」
「しょっちゅう寝てるじゃない」
最後の残りをちゅるりと吸い上げて、蓮子は丁寧に口元を拭いた。吸うものじゃないんだけどなあと思ったけれど、別にレストランでもないし、吸わない文化圏でもないし、まあ麺は吸っていくらかもしれない。正しい行儀は兎も角として、蓮子は教養もそうだけれど、所作がなかなかに綺麗だ。
一度、お墓参りという事でヒロシゲに乗って蓮子の実家へとお邪魔した事がある。超前時代の日本家屋であったのはまだ驚かないにしても、その門構えがあり得ない程大きくて、尚且つ塀が道の向こう側まで続いているような所だった。聞けば昭和から続く名家の娘なのだという。筋金入りのお嬢様なのだ。
「まあ、京都じゃあ難しいかも。最近じゃ、結界暴きの規制も厳しいし……」
「それは科学的になんとかしようって奴等が取り締まられているの。ESPで結界を穿つような人間、そもそも国の想定に入ってない」
「逮捕されたらヤダわ」
「逮捕よりも、研究施設にモルモットとして送られる事を心配した方が現実的」
「そうだ、今日は」
「ええ、旧研究棟に行ってみましょ。噂が気になるし」
私と蓮子は、相変わらず結界暴きに熱心だった。非合法倶楽部は非合法のままあり続け、さてそろそろ二年目になる。新入部員を迎えるでもなく、会誌を作る訳でなく、目下の目的を幻想郷として、私たちはモラトリアムを楽しんでいた。私が夢と現の境目に取り込まれそうになった頃以来、私の能力はだいぶ改善したので、ある程度までは意図的に操れるようになっていた。ただ、それでも幻想郷へ行こうと思うと、数か月に一回程度。しかも、何か切欠になって流入可能なのか未だに不明だ。
「現実といえば、テストはどうだったの?」
「満点だけど」
「あら、そう。全教科?」
「そりゃあ、もちろん。メリーは?」
「日本語を一問、落としたわ。漢字が読めなかったのよ」
「日本語なんて、どうやったら間違うのよ。インドの少数民族の言語でもあるまいに」
「インド好きねえ。まあほら、容姿は西洋人風じゃない? おまけしてって教授に言ったら、してくれたわ。まあ、相当昔の血だし、国籍は日本だけど」
「……今の世の中で、そんな事が可能だって事に驚きだわ……教授、バレなきゃいいね」
「皆が口を噤めば、バレはしないわよ。前のテストは全教科満点だったし、誰も疑問に思わないだろうし」
こんな怪しげな活動をしていても、教授達や指導部に咎められたりしないのは、正しく日々の努力の賜物……という訳でもない。蓮子はそもそも勉強せずともなんでも知っていそうだし、私もテスト前日に教科書と参考書に目を通してしまえば、まず落第なんてしないので問題ない。後何年もしない内に、私達は別々になるのだから、勉強如きに足を引っ張られて、大切な活動が出来ないなんて馬鹿な話は作りたくない。
「ところでメリー」
蓮子は事も無げにカード型電子端末を取り出し、弄りながら私に問いかける。
「何?」
「これ、押してみて」
そういって、蓮子が電子端末を私に見せる。極薄の液晶画面には、大きな赤い丸があり、その周りが黒と黄色のトラ模様で、四角い形をしていた。明らかに危険色だ。ただ、まさかこれが核ミサイル発射ボタンにはなっていないだろうから、私は蓮子にしたがって、それをゆっくりタッチする。
「でろでろでろでろでろん」
「え? え?」
「人類は絶滅しました」
「……――」
液晶に、地球が隕石で粉微塵になる映像が映り込む。……蓮子は馬鹿なのかもしれない。
「や、はは。いやね、なんだかものすごく暇でさ、ストレス解消の為に豪快な事を出来るアプリケーションが欲しくて自作したのよ」
「ストレス発散が地球破壊って、昔のアメリカ映画じゃあるまいに……この、この」
「ああ、ちなみに数種類の滅亡方法が……連打しちゃ駄目だよ、ほら、滅亡人数のカウントが右肩上がりに」
「人数じゃなくて、破壊した地球の数を数えた方がデータ処理的にも優しいでしょう。このアプリ頂戴」
「いいわ。なんかクセになるでしょ」
「最近の若者は滅亡思想が強くていけないわ。研究の為に貰うわね。相対性精神学は、そういう破滅主義者を救う為に存在しているのだから」
「口調が古い教授みたいになってるわよ。なんで文学部とか医学部の先生は、老人ばかりなのかしら」
「その代わり、理系はみんな若いわよね。新しく来たあの教授も……確か、蓮子の学科に」
「超統一物理学ね。岡崎夢美教授。聡明なのだけれど、凄く感動屋らしくて。素敵素敵って、まるで少女だわ」
「実際少女でしょう。私達より若いんじゃないの?」
「十八だか、二十歳だか。一緒に来た北白河ちゆり助教授も、まだ十六だって」
最近になり、大学へ新しい教授と助教授がやってきた。学生数の少ない大学なので、そういった話は早速行き渡るし、私のような情報に疎い人間にも直ぐ耳に入る。二人とも若いと評判だけど、そこまで特別視されている訳でもない。理系の学科には若い教授が多い所為だ。
国家政策で人類存亡をかけた過去のある先進国には何処にでも存在する、所謂超先進教育機構出の人達だろう。
藁にもすがる思い……というものがあるように、日本国は免疫力の少ない子供と老人から次々と死んで行く現実に直面し、当時の現代科学、医学の常識を超える対策を必要とした。後世の生き残りをかけ、最初は頭の良い学生を集める事に必死だった政府だけれど、やがてIQテストからESP試験まで実践するようになり……そこで集めた子供たちを管理、教育する機関が出来上がった。
パンデミック時代には幾つかの分類がある。病床世代、大貧困世代、回復世代だ。病床世代は言わずもがな、老いも若きも右から左まで人間がバタバタ倒れていった頃。大貧困世代は、輸入に頼っていた日本が次々と消えて行く輸入先国家を眼の前にして、食料自給率アップの為に血眼になった頃。回復世代は、政策の成功によって希望の光が見え始め頃だ。
そういった世代を乗り越えたご先祖様には感謝するほかない。現在の日本国の技術を支えるものは、病床世代に作られた礎であるエリート教育機関出の人々だ。
「あ、一応私達の方が若いのね。蓮子、いくつになったの?」
「同い年でしょうに」
「そうだったわね。そういえば、蓮子。そろそろ誕生日。一緒に過ごす殿方は出来た?」
「毎日一緒にいて、私に男がいるとでも?」
「じゃあ決まりね。レストランが良い?」
「いーや。合成食品なんて、味はみんな一緒よ」
「じゃ貴女の家か私の家」
「私の家、今人には見せられないのよ」
「すごい?」
「すごいわ。そろそろ片づけられない女として、マスコミに取り上げられる事でしょう」
「じゃあ、うちに来てね。本物の砂糖でケーキを作るから」
「……すごい、本当? 高いでしょうに。美味しかったら結婚を申し込む勢いの嬉しさよ」
「結婚を申し込むのが最大級の賛辞っていうのも……ぽちぽち」
「あ、また地球が……」
そうして地球は滅亡したのだ。
――旧研究棟2F 20時
学校というのは、怪談がつきものだ。歴史文献を引く限り、学校制度が敷かれて以来ずっと付きまとっている非常に息の長い語り草で、民族問わず存在している。大概が小学校から高校までの多感な時期の子供たちが学ぶ学舎での物語だけれど、現代においては大学でもまたその手の話は多い。
これは単純に、大学の年齢が下がったからだろう。前教育制度下とは教育課程が異なる為だ。10歳には中学生、12歳には高校生で、14歳にはもう皆大学生。教育の究極的な効率化は社会平均年齢も下げている。とはいえ、教育が幾ら進もうとも、人間に備わる精神性は変えようがなく、また怪談話のようなものも、多感な子供達には付き纏う事になる。
夏の小休みまでまだ日にちがあり、けれども冒険せずにはいられない秘封倶楽部にとってこの研究棟というのは非常にありがたい存在だった。先進的な機材と旧世代の機材が混在し、建物もだいぶ老朽化して備品が所せましと並ぶこの旧研究棟は、見るからに何かありそう、という雰囲気がある。
京都の結界技術は他の地方に比べて進んでおり、まず簡単には結界の歪なんて見つけられないけれども、どうもこの研究棟は私が見る限り歪が多いように思えた。閉鎖社会というのは常に開かれた社会とは違った空間を生み出すものだ。
結界の歪が怪談を引き起こしている、とインターネットのオカルト討論で結論付けられたのは二十年ほど前。以来怪異は悉く結界の歪の周りで起きている、と言われている。誰が確認したのかはさておき、私も同意するものだ。つまり世界の境目を確認し得る私が認めるのだから、まず間違いはない。
蒸し暑い空気にたまらず服をバタつかせながら、蓮子はうなだれるように言う。
「うちの大学って、京都でもかなり良い所なのに、どうして研究棟はこんなに古いのかな。空調すら入って無い」
「みんな研究に熱心で、周りが見えないのよ。頭が良い人は往々にしてそんな兆候があるわ。貴女みたいに」
六時も過ぎて外も薄暗く、所々蛍光灯を取り換えていないらしく電気がついていない。高い学費分ちゃんと整備しろと言いたい所だけれど、これはこれで旧世代的怪談な趣があるので、あえて口にしない。旧研究棟というだけあって、入っている研究室もかなり疎らであり、人気はあまりない。
空調も一部が壊れているらしく、この階は近代科学の恩恵をまるで受けていなかった。
「それにしても怪談ってねえ。怪談と結界の歪の関連性についてはだいぶ昔に答えが出されたらしいけど、メリーのいう所の幻想郷と関連しているって事だよね?」
ふと、蓮子がそのような単語を出す。怪談と結界の歪、その先にある幻想の世界。
実しやかに囁かれる楽園の名称だ。この単語が初めて現れたのは、西暦1990年代。以来細々と語られ、噂が一気に爆発したのが『諏訪湖消失事件』だ。名称通り、長野県の諏訪湖が一夜にして蒸発。諏訪信仰総本社である守矢神社と、幾つかの摂社末社も同時に消失している。
この時、たった一人だけ消えた少女が居た。
東風谷早苗。諏訪信仰の大元締め、代々受け継がれる現人神たる神官長だった。あらゆるデータが失われた現代においても、オカルト方面では彼女の写真がインターネット上に氾濫している。ネットでも神扱いなのだから、現実に及ぼす影響力は実際本物だったのかもしれない。
噂によれば、生まれて以来不思議な力を持った子で、一族、氏子等からは正しく現人神として崇められていたそうである。写真を見る限り、大変美しく聡明そうな顔つきをしている。そんな宗教法人の親玉が神社と共に消え失せたのだ。一族、氏子からは神扱いだったらしいけど、その不気味な力を恐れたり、容姿を妬ましく思った者達による迫害もまた、あったという。
そんな彼女は蒸発する前、親しい友人に幻想郷へ行かないか、と問いかけたと言われている。消えてしまった守矢は、幻想郷にて未だ息づいている……というのが、専らの根も葉もない話。
「でしょうね。向こうに暮らしているのは、妖怪を中心に人間、妖精、鬼に天狗に幽霊にと、ありとあらゆる幻想物だから、それが結界の歪を通って顔をのぞかせても不思議ではないわ」
「消えた少女、か。確か携帯に画像が――ああ、これこれ。当時高校生だから、今生きていたとすると80歳過ぎ」
蓮子の携帯に映し出された画像の少女は、写真を取られた事を驚くように振り向いている。箒を手にしており、独創的な改造巫女装束を纏っていた。周りには他に二人おり、どちらも当時のファッションとは思えないような服装をしている。これは数枚存在するコチヤサナエの画像の中でも、もっとも議論を呼んでいるものだ。
何せコチヤサナエ以外の二人は、うっすら透けて向こう側が見えているのである。
「そうそう、その子。宗教法人の親玉にしては、純粋そうな顔してるわよね」
「メリーもおとなしくしてれば純粋だよ。中身は違うけれどね」
「砂糖、やっぱやめようかしら」
「嘘です。嘘。で、このコチヤサナエの周りに居る二人だけれど……霊?」
「私の見立てだと、霊にしてはちょっと強すぎるし、こんな満面の笑みを浮かべている霊なんていないでしょう。当時だって画像加工技術があった訳だけど、研究結果では合成はあり得ないという結論に達した。これは霊以上の何か。宗教法人の親玉というくらいなのだから、神様ではなくて?」
「神霊……ね。守矢神社の御祭神となればタケミナカタだけれど、どちらも女性だわ」
「その、大きな注連縄を背中に背負っている方がタケミナカタ、もしくはそれに準ずる巫女か何かね。論拠としては、当時諏訪を総ていた土着神を征服した証として蛇に似せた注連縄を象徴としたから。もう片方の……冗談としか思えない帽子を被っているのは、まあその征服された側の神様でしょう。仲よさそうね、凄く」
「千数百、へたすれば二千年以上前の話だから、それだけ長い間一緒にいれば仲も良くなるんじゃない?」
「古文書をひも解いても諸説あるから、答えは本人達しか知りえないでしょう」
雑談しながら横に長い研究棟の廊下を行く。コチヤサナエについての議論はかなりなされているけれど、たぶん答えに一番近いのは私達だ。あとは本人達に答えを伺えれば良いのだけれど、依然としてハッキリとした意識で幻想郷に行けた試しがないので、実現には至っていない。こうして結界の歪を探るのも、そういうものが動機として存在する。
彼女は何故現世を捨てて幻想郷に旅立ったのか。隣の二人は本当に神様なのか。
そもそも、結界とは何なのだろうか。幻想郷と現世を隔てているコレは、政府によって暴く事を禁止されている。まず間違いなく、政府は幻想郷の存在を知っている。でなければ、いちいち結界不可侵法なんて法律を作ったりはしないし、極刑まで据えるなんてありえない。
「幻想郷、行ってみたいわ。科学の支配しない世界っていうのは、どんなものなのか」
「昭和初期の山村に、色々な技術を詰め込んだような世界観よ。まあ、そもそも昭和を知らないけど」
「そういえば、ここの怪談ってなんだっけ?」
「曰く『旧研究棟二階の備品室は、20時20分20秒になると向こう側の世界に通じている』といった、どこにでもあるわかりやすーい怪談よ。他にも妖怪を見ただの幽霊を見ただの美女を見ただの。まあ実際そうなのだとしたら、好都合ね」
「それ最近よね。前まで無かったもの」
「元から歪の多い場所だし、たまたま通じただけかもしれないわ」
そもそも、怪談を探している訳でなく、結界の歪を探しているのだ。そして此方はハナからその怪談を疑う気も毛頭ない。あるんだったらあるんだろう、という気持ちだ。
備品室に辿り着く。あからさまな程厳重に鍵がかかっているここを突破して中に入る奴がいる事にまず驚きだ。扉の取っ手は鎖でぐるぐる巻きにしてあり、南京錠が三重になっている。時間は現在20時15分だ。私は辺りを確認してから、ピッキングツールを取り出す。蓮子はそれを見て、あからさまに引いていた。
「用意良いね」
「このぐらいのだったら楽勝ね。これ、かなり古い型の単純構造な南京錠だもの。いつからのかしら、骨董品ねえ」
「と言いながらもう二つ外した貴女が私は恐ろしいよ、メリー」
自宅にあった南京錠で何回も試したので、呆気なくかつスムーズに開錠して行く。校舎や新研究棟は全てカードリーダーその他電子的な鍵になっているので開けられないけれど、此方はそうでもない。
そうこう考えている間に全部の鍵を外し終わり、私はぐるぐる巻きになった鎖を取り去ると、脇に置く。時間は20時17分。楽勝だ。
「じゃ、御開帳ー」
「なんか古臭い、匂い、しかも蒸し暑い」
両手で観音開きにして中に入る。所せましと積まれた本に机に椅子にその他諸々は、明らかに十数年使われていない様子だ。元は高校だった所を改築して、土地を広げて建てた大学なので、ここはその時代からあるものだろう。
京都有数の有名大学とは思えない杜撰さだ。
「なんで捨てなかったのかな」
「粗大ごみは捨てるとお金がかかるからでしょう……あら、なんか奥が少し開けてるわね」
足元に注意しながら奥へと進む。正面を遮っているカーテンを退けると、どうやら窓際なのか、紅い光がゆっくりと漏れて見えた。ただ、その夕日を遮るようにして、何かがある。20時20分20秒。
「――――文化祭の出し物……かしら。工学部でこんなの造ってたのかなあ」
「にしては、メカメカしすぎるわね。船っぽい形だけれど」
「ああ、なんかそう、タイムマシーン的な」
「蓮子の分野ね。まかせるわ」
「何を目的としたものなのかな。それにしたって大がかりよこれ。素材も……鉄じゃなさそうだし」
眼の前に現れた物体はかなり大きく、部屋の半分程の大きさもある。所々備品が蹴散らされたような跡があり、猥雑この上ない。そもそも、これだけ大きな物体をどうやって運びこんだのだろうか。部品ごとに分けたとしても、いや、つなぎ目が見当たらない為にそれはあり得ないんじゃないかと思う。
「溶接跡がないのよねえ。ここで作業したならもっと機材らしいものもあるだろうに、それもないし。そもそもよ? こんな大掛かりなものを作っていたとしたら、必ず噂になる筈じゃない。けれど私達が聞いた噂といえば、これと何ら関係もないものだったでしょう? 工学部に知り合いもいるけれど、そんなもの作ってる節無かったもの。あやしい、あやしすぎる」
蓮子は帽子を取って難しい顔をする。きっと私もしているだろう。これは正しく意味不明の鉄塊だ。クルーザーを未来的にしたフォルムで、窓はない。最新型イージス艦の展示モデルのようだ。ただ船尾に回っても動力らしい装置は無く、とても水の上に浮けるような船底でもない。
「軍事研かな。メリー、知り合いいる?」
「居ないわ。ところでこれ、入口はないの?」
「見当たらないの。本当にただの鉄の塊?」
船らしき何かをぐるりと回っても、やはり入口は見当たらない。けれど別の入り口は見つかった。
……左目が少しだけ痛む。
薄目を開けてじっくり見れば、それは明らかに結界の歪だ。私は蓮子を手招きして、その歪を指差す。丁度備品室の一番端、掃除用具の入ったロッカーの正面に、私から見ると黒く穿たれた空間が存在する。
「指差されても見えないわ。どんな感じなの?」
「これ、凄いわ。今まで見た中で一番大きい」
「それ、私も入れそう?」
「これに入った先に何があるのか解らないから、危険といえば、そうだけれど……」
これを逃すのは大変おしい。所謂怪談話の答えは間違いなくコレだ。その『向こう側の世界に繋がっている』という噂が存在する限り、これをくぐり、尚且つ戻ってきた事の証明に他ならない。飛び込んだ先は幻想郷だろうけれど……幻想郷と一口に言っても、どこに出るか解らない。私が幻想郷に赴いた事実が夢だと思っていた頃、確か紅い館やら竹林やらへとアチコチ飛ばされたものだ。
夢からの流入ならば私一人で、危険も私が被れば良いけれど、蓮子を連れて行くとなればどうだろうか。
「これ、この船らしきものと関連したりするのかしら、蓮子」
「確かに、こんなものが物理的に有り得ない状態で存在するなら、幻想郷から流入したと考えた方が論理的だね」
「流石理系。筋だってるわ」
「全然褒めてないように思える。それで、入ってみたいのだけれど」
「……まあ、手荷物はちゃんと用意してあるし、大丈夫かしら」
私の手提げにはいざという時の催涙スプレーやらキーピックやら携帯食やら飲み物やら、携帯真水浄水器やらそんなものが全部ぶち込んであるので唐突の遠出も安心。というか、過去何度か幻想郷に行って酷い目にあってるので、いつ間違って流入しても暫くは大丈夫なようにしてある。
「うひゃ、メリー山登りでもするの?」
「幻想郷は山の中よ……どれ」
黒く、淀んだ空間に、私は頭を突っ込む。この空間が物理法則に沿っているのかどうかは別として、どうやら呼吸も出来るようだ。良く目を凝らすと、遠くの方に森林らしき光景が浮かび上がった。どうやらここに入ると、幻想郷の森の中へと通じてしまうらしい。本当なら人里が良かったのだけれど、現世でこれだけの境界を見つけられるなんて今後有るとは思えない。
「メリー、首だけないみたい……ええ……これどうなってるの……」
「ちゃんと有るわよ。それで行くの、行かないの?」
私は首を抜き去って、改めて蓮子に視線を向ける。彼女は恐怖心と好奇心の間にあるらしく、何とも言えない顔をしていた。いつも男勝りのくせに、こういう時は乙女らしく戸惑いの表情を見せるのだからずるい。
なんとなく可愛くなってしまっている蓮子の手を捕まえて、私は境目を見つめる。
「いっせえの、で飛ぶわね」
「えーと、カメラある、お菓子ある、それから家の鍵もある……」
「嫌なら辞める?」
「い、行く。ええ、怖気づいてなるものですか。さあ、引っ張りなさいよ、連れて行きなさいよっ」
「テンパりすぎよ……さあ、手を離さないでねっ」
「う、うん」
「いっせえの、」
子供の時みたいに。友達と一緒に手を繋いで草原をはねるように、私と蓮子は境目目掛けて一緒に飛ぶ。まるで抵抗がない空間に放りだされて、私は思い切り目を閉じてしまった。隣からは、押し殺すような悲鳴が聞こえて来る。
するすると、取っ掛かりの無い滑り台を降りて行くように、私達は空間のスキマを降りて行く。
――?歴 ?年 恐らくは幻想郷の森 蓮子曰く日本時間20時30分
今にして、はて、これは日帰り出来るコースだろうか、なんて思ってしまう。
歪を通って幻想郷に入った事のある回数は少ないけれど、どうもその都度体の節々が痛い。人間が通るべきではない道を通っているのだから、何かしらの負担があるのかも。明日が休みだったとしても、これは案外残るのじゃないかと心配する。
「メリー、手、痛い」
「あらら」
蓮子は落ちた帽子を拾い、それで体に付いた汚れを払う。おもむろに立ちあがると、深呼吸してからそのまま鼻を押さえた。
「うっ……何この……何のにおい? ここ、地球よね? 酸素濃度とか大丈夫なわけ?」
「ああ……私も最初驚いたけれど、これが森の香りなんですって。緑の匂い」
「吸っても平気?」
「たぶん」
蓮子は改めて口元から手を退けると、大きく呼吸する。数度繰り返して慣れたのか、一人で頷いている。私も初めて来た頃はこの空気を訝しげに思ったけれど、良く考えれば植物プラントと似たような空気である事に気が付いた。酸素が濃く、かつ植物の様々な香りが混じったこの空気は、都会人の私達にとって衝撃的と言わざるを得ない。
ここはどこだろうか。地面に傾斜がない事から、山ではないらしい。空を見上げて時間を計測した蓮子は今が20時30分であると教えてくれる。蓮子が時間を計れる、という事は一応地球上なのだろう。幻想郷へ行く、といっても確実に辿り着けるという保障がないので、少し安心だ。時空の狭間にでも落ちたらきっと帰ってこれないだろうから。
以前入った竹林では酷い目にあった。良く分からないものに追いかけられるし、ウサギは出るし、体を擦り剥くし散々だ。確か紅魔館にお邪魔した時、あまり山や森には近づくなと忠告された覚えがある。森は魔素が漂っていて、普通の人間は直ぐ気に中てられてしまうらしい。ここは気分が悪くなる事もないので、問題ないだろう。
「今度、地図を作りましょうね」
「先に作ってくれてるとありがたいんだけど、メリー」
「ねえ、場所は解らない?」
「うーん。頭の中にね、単語は幾つか浮かぶのよ。でも何だか曖昧なの」
「行ってみて」
「魔法 森林 幻想 あー……魔法使いの家?」
「西はどっち」
「あっち。逆に夜で良かったわね。じゃなきゃ、方角も解らない」
「方位磁石あるわよ。私だけ流入した時用の」
「……なら最初から使ってよ」
蓮子GPSがあまりあてにならないけれど、幻想郷というのは間違いなさそうだ。魔法の森といえば、以前紅魔館で忠告された時に教えてもらった場所だ。魔法使いは二人住んでいると聞く。東には、以前現実世界で赴いた博麗神社が存在しているらしいから、ここは……あんまりよろしくない場所なのではないだろうか。
「西に抜けましょう。たぶん人里があるっぽいから」
「曖昧ねえ。なんでわかるの?」
「以前メイドの人があっちは良くないって指差しして教えてくれたわ」
「なんかよくわからないけれど……それにしても方位磁石なんてアナログね」
「携帯GPSが通じるとでも」
「そうよねえ。あやしい。じゃ、とにかく歩きましょ。ああ、それにしても……凄い所」
都会っ娘には厳しい道のりだ。とはいえ空を飛べる訳でも、案内役が居る訳でもないので、歩くしかない。途中で現地人に会えれば良いのだろうけれど、果たして私達を見て人間と判断してくれるだろうか。幻想郷の妖怪という人達は、見た目は人間と差異がない。森の中でひょっこり会ったら、逃げられるかも。いや、逃げるのは私達かもしれない。
「こんな所、ヒトなんていないよね」
「妖怪と人間の見分け方は、笑顔かそうじゃないか」
「なんで?」
「美味しそうなものに出会ったら、笑顔になるでしょ?」
「ははーん。なるほどー……って大丈夫なの!?」
「さあ」
あまり難しい事は考えないようにしよう。幻想郷で妖怪を恐れていたら身動きが取れないし、ここに留まっていてもどうせ餌になるだけなのだから。
「日帰りは無理」
「無理ねぇ。まあ、少し早い夏の小休みだと思いましょう。それよりも、眼の前の幻想を享受した方が、よっぽど幸せだわ」
「死ななきゃね」
ここで離れたらたぶん二度と逢えないだろうから、私達は手を繋いで先に進む。
夜だというのに、月明かりがまるでライトのようにして森を照らしている。幸い岩で凸凹している訳でも、木の根が張り巡らされている訳でもないので、案外と歩きやすい。原生林のような場所に放り出されたら死んでいたかもしれない。何せ私達はサバイバル素人だ、迷ったら出られないだろう。
「さっき頭の中に魔法使いの家って単語が思い浮かんだけれど、心当たりはある?」
「魔法使いが住んでいるらしいわ。人間と本物の魔法使いが」
「人間で魔法使い、と人間じゃない魔法使い、でいいのかしら。色々いるのね」
蓮子は事も無げに言い、空を見上げて時間をつぶやいている。方角もあっているらしい。それにしてもおかしな能力だ。最初はただの計算かと思っていたけれど、直感的に日本標準時間と方角がわかるという。両方とも、知識さえあれば空を見て判断出来るだろうけれど、その部分が省略されている。
「それにしても……月が……ううん」
「何?」
「いや、まさか、なんでもない」
ESP保持者については、一応政府で公認された存在だ。私や蓮子は登録されていないので、謂わばノラ能力者。でも蓮子が凄い所は別に能力じゃなく、その頭脳だと思う。一回聞いた事はまず忘れないし、見たものは脳裏に焼き付いているという。まるで空海が習得した虚空蔵求聞持法のようだ。幾らエリートだってそれは流石にない。だからこそ、最上位のSS級を通り越して+がついているのだろう。
なんでこんな大学にいるのか。それは確か、昔話してくれたような気がする。
「蓮子って」
「ん?」
「変な子よね」
「貴女ほどじゃないよ」
「本当なら、とっくの昔に政府機関でお宮仕えしている訳でしょう? 稀代の天才、宇佐見蓮子って、新聞まで載ってたのに」
「前話した通り。どうせ、卒業したって道は変わらないのだから」
「……魔法?」
「うん。超統一物理学は、全ての力は統一可能であり、あらゆるものが人間の見知る動きによって答えが出せるという論拠の下にある。でも、違うの。そんなものじゃ説明出来ないものがある。あったからこそ、私はもっと、そんな政府の缶詰なんかにいないで、色々見て回りたかった。他の国にも行ってみたし、日本を一人で旅してみた事もあった」
魔法。超常能力。脳の働きによって生み出されるESPとはまた違った理屈にある動き、力。自らも超能力を持って、尚且つ科学のエキスパートとならんとしている蓮子にとって、魔法というものはとことん理解不能なのだろう。
「たぶんみんな気が付いていると思うの。そもそもESPって奴が全部解明されている訳じゃない。たとえば私の能力だけれど、星や月を見て脳みそが勝手に時間を計算し、勝手に緯度経度を出しているとしても、さっきみたいに、未確定な場所の単語まで出て来る事がある。メリーなんて言わずもがな。結界って何よ? どこが超統一されているのやら」
「自らの学科を否定しても得るものないわよ?」
「ひもの研究をしているのだって、根源的に解明出来れば後は芋づる式に解るんじゃないかってだけなの。宇宙が一つの弦から成り立っていて、ではそこからどのような変化に至って、宇宙が広がり、星が出来、人間が生まれたのか……」
何を見ているのか解らない、そんな虚ろな目で蓮子が語る。彼女程頭が良すぎると、とにかく答えを出してみなきゃ納得出来なくなってしまうのかもしれない。もはや、好奇心なんかとは比べものにならない疑問への執着。
「あると思うの。物理学で証明出来ない力が。そして、私の眼の前にはそれの体現がいて、しかも、その子に良く分からない世界に連れてこられたわ。ここは何かしら?」
「数字で説明出来るのなら、きっと答えは出ているわね。人間に解析出来ない世界。もう哲学とか宗教よね」
「メリー」
「なに?」
「貴女にあえてよかったわ。私、凄くウキウキしてるもの」
「――、そ、それは良かったわ」
ぐっと腕を引き寄せられる。正面には先ほどとは打って変わって、言い知れない期待感に胸を膨らませる(物質的には違うけど)少女そのものの蓮子がいる。なんだかそんな蓮子が可愛くて、私は思わず赤面してしまった。気がつかれないように顔を背けると、それが逆に彼女のいじわる心を刺激してしまったのか、ニシシ、という笑い声が聞こえた。
「ふふ」
「……女同士でこんな事しても、非生産的だと思わない?」
「その辺りは相対性精神学に感謝しているわ。あの学問の確立によって、同性結婚も認められるようになったのだもの。『互いによる情緒安定及び補助は性別によって否定されるものではなく、それによって得られる円満な家庭とは人間で有る限りどのような状況に置いても平等に齎されるものである。』だっけ?」
「……生産性の無い分、税金も高いけれどね、同性結婚」
「ま、少子化社会で同性結婚したら、子供が減る一方だもの」
なんだかドンドン体温があがって行くのが解る。それでなくても夏なのに、蒸し暑くて敵わない。私は手を無理やり解くと、その手で顔を仰いで澄ました顔をして見せる。蓮子は満足したのか、やたら笑顔だった。
それにしても、遭難と対して変わらない状況にありながら、こんな事をしていられるその無神経さには恐れ入る。そしてそれに乗っかっている私もきっとどうかしているのだろう。
こちらに行けばなんとかなる、なんて確信はどこにもないけれど、蓮子がいればどうにかなるんじゃないか、なんて思いはあった。楽観的に見ても私達の状況は芳しくないのに、恐怖心はどこにもない。それは蓮子も同じらしい。
「人間は、もしかしたらこのまま衰退するのかもしれない」
「どうして?」
「究極的な科学の行き着く先ってね、人間の努力が必要ない世界なのだと思うの。完成された技術はあらゆるものを自動化する。残された私達に出来る事といえば、脆弱なまま育った精神を保持する事のみ。そんな時、さみしいまま死んで行くのなら、隣に誰かいた方が良いわ」
「蓮子の考えは本当に良く分からないけど、まあ、その、私程度で……その……そう思ってくれるなら……」
「や、やや、やあねえ、顔真っ赤にして、まさかそんな反応するなんて……あ、そうそう、進みましょ、ほら……んべっ!」
自分からそういう話をしておいて、結局自分が恥ずかしがり、挙句暴走して木の根に足をひっかけて転ぶ蓮子の馬鹿らしさというか愛嬌が何ともいえず、私は大声で笑ってしまった。
彼女の語る話は、時折意味不明だけれど、どこか慧眼を得たような言葉を発する事もある。荒唐無稽で捉え所はないけれど、彼女が言うならあるんじゃないかな、なんて思えてしまう。
転んだ蓮子に手を貸し、恥ずかしそうにする蓮子を抱き起こす。彼女は馬鹿だけれど天才だ。少なくとも、私はそう思う。
「あー……。脚がつかれる。さっき枝で腕が少し切れたし……」
……。
先ほどから非難の声がやまない。あんなに張り切っていたのに、今や私の一歩が彼女の三歩だ。机に向かって計算ばかりしているから、私よりもずっと足腰が弱っているのだろう。この先、先ほどのような未来が待ち受けているとすれば、私は彼女の介護に人生を預けなければならなくなってしまうではないか。
……あんな話の後にこんな情けない所を見せられると、なんだかギャップでガックリしてしまう。
「都会っ娘は弱いわねえ」
「貴女もでしょうに」
「半袖なんか着るからよ。少し休みましょうか? お菓子と、それと水筒もあるし」
「既に四次元ポケットは実用化していたのね。フジコ御大はすさまじい先見性を持っていたと言える」
「あのマンガ、今じゃ古典科学だものね。ま、冗談はさておき……あら」
「ん、なに? メリー、妖精でも踏んだ?」
だらだらと喋りながら歩き続けてそろそろ一時間は過ぎている。風の流れない森の中にありながら、今までよりも強い風を感じて、私は足をとめた。普通、夜の森の中を歩き回るなんて常識的な考えを持った人は絶対しないだろうけれど、そんな非常識が功を奏したのか、少し先に開けた場所があるように見えた。
「月明かりの御蔭で転ばずに済んだわね。それにしても、幻想郷は月が大きい」
先ほどまでは普通の大きさだった月も、時間が経つにつれてだんだんと大きく、明るく見えるようになってきた。それは単に空気が澄んだからなのか、物理的に近付いたからなのか、それとも科学に寄らない幻想郷だからこそなのか。判断は出来ないけれど、私達はその明りを頼りに歩いてきた。
ゆっくりと足を進めると、そこが人が踏み固めた道であるという事が直ぐに分かった。標識も立ててあり、そこには『この先魔法の森、うかつに入るべからず』と日本語で書かれている。
「あはは、なんか呆気ない。迷いに迷ってサバイバル番組みたいになっちゃうかと思ってたのに」
「その割に蓮子は随分と楽観的だったみたいだけれど、まあ結果オーライね。この先に進むと人里があるだろうから、そこを目指しましょう。人工物も見当たるし、もう人の文化圏だわ」
道なりに行くと、次第に人の作ったであろう納屋や農機具が見て取れるようになった。作りが明らかに昭和初期のようなものばかりで、ここが普通の世界ではない事が物質から明らかになる。意識というのはそう簡単に非常の状況を理解出来るものじゃない。普段とは明らかに違うモノやヒトと出会ってから、やっと段階を踏んで理解に至る。
私も蓮子もそれに漏れる事なく、ここが本当に違う場所なのだな、という実感をじわじわと味わい始めた。
「思うに」
「何、蓮子」
「ここって一応、現代でいいんだよね?」
「どういう事かしら」
「だから、連続した時間の流れにある場所なのかって事。私達がいた皇紀2731年代と同じ時間にある場所なのかってこと」
「違うの?」
「うーん。結界で隔離されている空間が、私達の知っている時間軸にあるとは限らないじゃない。原理的に不明かもしれないけれど、空間を隔離するって事は、私達が科学で知っている以上の状況下にある可能性だって否定出来ないわ」
「そうなのかしら。ずっと結界の歪っていうのは、別世界に通じているだけ、だと思っていたわ」
「外の時間が解ればいいのだけれど……まあ、解りそうな人に聞いて見るのが一番かしらね?」
蓮子が突然SF解釈を持ち出す。いや、そもそも空間の歪に頭を突っ込んでいる時点でもはや常識なんて向こう側にぶん投げたようなものではあるけれど、そうだ。以前夢の中で何処かに彷徨い出た時、私はタイムスリップしたんじゃないかと疑った筈だ。あれが幻想郷だったとしたなら、その可能性も有りうる。私は結構忘れっぽいし、蓮子がいれば違う視点から観察してくれるのだろう。私みたいな観念的な奴は、こういう科学的な奴がいてこそ改めて客観的に状況を把握出来るのかもしれない。
あいや、そうだ。以前だってそうだった。彼女がいたからこそ、私は幻想郷を現実と認識出来たのだから。
「そうねえ。蓮子、里に知り合いはいない?」
「居るわけないでしょ。むしろそれ私の台詞じゃない?」
「このまま直接里に赴くのは良いけれど、それだったら仲介があった方が楽よね。こう、突然現れて道を案内してくれて、尚且つ外から来た人間にも寛容で、更に里で情報を知っていそうな人に取り成してくれるような人」
「んな都合の良いものがあったら、そりゃフィクションだ」
「まあそうだな。そんなのがいたらフィクションだぜ。だが、ここは幻想郷だから、案外と都合よくなる」
「うわ」
「うえ」
「うお?」
突如聞こえた声に思わず振り向く。振り向いた先に居たのは、とんがり帽子で、黒くて、箒を持っている、魔女らしき何かだ。よくよくじっくりみるとあまり邪悪そうでもなく、私達と同じか、それ以下ぐらいの少女だと解った。
とっさに、その少女の顔面を両手でつかむ。さわり心地は人間だった。
「いやその、オジョーサン、ヒトの顔をペタペタ触って観察するのは、流石に失礼じゃないか?」
「蓮子、魔女っぽい何かよ。どうする? コマンド?」
「ニァ ころしてでもうばいとる じゃなく、ほら、その子困ってるよ。離してあげなさいって……」
「外からの人間にしては、だいぶ大胆だぜ……」
私から解放された女の子は帽子をかぶりなおして咳払いをする。どうやら私達が外から来た人間であると知っているらしい。服で判断したのか、それとも瀟洒さが足りなかったのか。たぶん両方だろう。こんな夜の森を女二人がキャッキャワイワイと普通に歩いている筈もない。そんなものが居れば、妖怪か変態か外の人間だけだ。
「あの、魔女さん?」
「ああ、魔女だぜ。すごくおっかない魔法使いだ。私の家の近くで姦しい騒ぎ声が聞こえたから、ついてきたんだよ」
「一時間近くも? 信じられないわねえ。疲れるし」
「ふらふら一時間浮いてるくらいならなんともないぜ。それに、外来人にしては面白そうだったんでな」
「……幻想郷の人は暇つぶしに飢えてるって、紅魔館の人が言っていましたわ」
「メリー、貴女紅魔館でどんな待遇受けてたの……」
「なんだ、紅魔館が解るのか。初めてじゃないんだな?」
金髪おちゃめな魔法使いの霧雨魔理沙さんとやらに、一連の事を可及的速やかに伝えると(早く休みたいので)、彼女はあらかた理解してくれた。魔女とは言うけれど、襲う気もなく、本当に好奇心だけで後を付けて来たらしい。
「なるほど、そりゃまた気味の悪い能力持ちだな」
「あ、ちょっと、メリーの悪口?」
「いやあ……境目を移動する奴っていうとな、一人面倒くさいのがいるんだ。別にアンタを批難してる訳じゃない」
「なんでもいいですわ。それで、フィクションな魔理沙さん。出来れば人里に案内して頂いて、かつ知識人にお会いしたいのだけれど」
「そんな都合のよい話が案外とある。いいぜ。その代わりといっちゃなんだが、御代を貰えるか?」
「外の御金も持っていませんの。何せカード払いだから。物で良いかしら?」
「そうそう。外から来たなら怪しげな機械とか持ってるだろ?」
そうそう。確か、この幻想郷は機械文明も殆どなくて、たまに外から流入してくる物品がとても珍しいらしく、コレクションしている人も多数いるという。この人もその一部の人間(?)なのだろう。手提げ袋を漁り、何か手土産になるようなものは無いかと探すと、一つだけ見つかった。流石に携帯やらカメラやらは差し上げられないので、これなど如何だろうか。
「メリー、え、ちょ……」
「蓮子は黙りなさい。魔理沙さん、これなんて如何?」
「おお、なんだそりゃ……」
「このスイッチをいれると、この丸いのが振動しますわ」
「香霖の所でも見た事ないな……機械?」
「一応。かなり昔からあって、形が変わっていませんの。つまり、完成度の高い機械という事になります」
「へえ……用途は?」
「自分に使うもよし、他人に使うもよし」
「名称と用途なら香霖に聞きゃわかるか。おっけい、いいぜ、人里はこっちだ」
実に話の解る子で助かる。外の世界の人達も、これだけ素直であればもっと円満に暮らせるに違いない。
(ちょっと……)
(なにかしら)
(なんでそんなの持ってるのよ……)
(聞くの?)
(……)
蓮子ももっと純情なら、きっと恥ずかし紛れに帽子で顔を隠す必要もなかったに違いない。
いや、別に私が使う訳じゃないわよ。
――?歴 ?年 幻想郷 人里 蓮子曰く日本時間22時
長い田んぼの畦道をだいぶ歩くと、ようやく火の明かりらしきものが遠くに揺らめいて見えた。魔理沙さんに聞けば、なんでも夜は妖怪が出るので、入口にはかがり火を焚いて警備しているのだという。昼でも妖怪はいるんだけどな、なんて話だけれど、どういう意味だろうか。
「月がやたらと大きいだろ。こういう日は、妖怪が人を襲いやすい。友好的な奴だって、夜道であったら襲うだろうさ。ちなみに紅魔館なんて行くものじゃないぜ。満月じゃあ夜食にされるのがオチだ」
月の影響を直に受ける妖怪にとって、こんな日はどうしても疼いてしまうという。なんだか子供の妄想ね、なんて蓮子に話すと、彼女は少しだけ暗い顔をした。もしかしたら、小学生のような設定で小説なんぞを書いた覚えがあるのかもしれない。
「蓮子、違うのよ。設定が問題ではなくて、運用が問題なのよ。どんな設定だって、背景がなければ生かしきれないわ。アニメも漫画も小説も、突き詰めてしまえば痛い設定だらけなのだから」
「な、何の話よ。私にはわからないわっ!!」
「良く分からないが、本当に食われるから気をつけろよ?」
そんな話もまかり通ってしまう辺りが幻想郷らしい。実際見てみない事には確証も得られないけれど、大の大人たちが夜に外で槍を持って警戒しているのだから、冗談で処理出来たりもしない。魔理沙さんが警備の二人に挨拶すると、私達もそれに倣う。どうやら警備の人も、私達が外来人であると解るらしく、その眼は少し好奇なものだ。
「霧雨のお嬢さん。その子らは、人間だよな。しかも外来人」
「ああ。外で拾ったんだ。放っておくと食われちまうだろうから、これから稗田に持ってくよ」
「あのモノ好きなら部屋ぐらい貸してくれるだろ。よかったな、お嬢さん達」
どうやら本当に食べられるかもしれなかったらしい。そんな危機感まるでないけれど。
「霧雨さん。これからどちらへ?」
「知識人の所に連れてけって言っただろ。本当なら慧音の所なんだが、満月は忙しいからな」
「満月……ねえ」
「蓮子、どうしたの」
「いや、計算したのだけれど、私達のいた時代の八月の満月は……十一日なのよ。次の八月十五日満月が来るのは、五年後」
「ええ……やっぱりおかしいと思ったわ。じゃあ、蓮子の話も馬鹿に出来ないわね」
「馬鹿にしてたの? 心外だわ」
「お前ら、何ごちゃごちゃと。ほら、キリキリ歩け、罪人らしく」
何故かいつの間にか罪人にされていた私達は、魔理沙さんに連れられて人里の奥へと足を踏み入れて行く。流石に田舎の夜は消灯も早いらしく、明かりがついているのも数件だ。あとは居酒屋などがポツポツと営業しているだけで、生活音がない。
それにしても、変な場所だ。こんな光景、歴史映像でも見た事がない。猥雑な下町、というイメージではないし、古風な農村、という感じもない。あちらこちらに漢字の看板、綴りの間違った英語の看板も見当たる。煉瓦造りでモダンなイメージの服屋があると思えば、隣にはバラックのような古臭い飲食店が立ち並び、突然コンクリート建築が見当たったかと思えば、正面には洋館のような建物もある。
……統一感が無さ過ぎる。どこの文化圏と括ればしっくりくるだろうか。大東亜戦争後の日本だってもっと『らしい』空気があっただろうに、ここにはそんなものが欠片も見当たらない。
「変な里ねえ」
「ああ。商業地と農村が同じ場所にあるって事か? それなら仕方がない、商人も百姓も、まとまって暮らしてないと、いざ異変となった場合助けを求めるのに苦労するからな。最近は妖怪も大人しいが、争っていた時期を覚えている年寄り達もいる。今更分散して暮らしたりしないのさ」
「あ、そういう意味じゃないのですけれど、なるほど、そうなのね。人間と妖怪が争った時期もある、と。満月は特別」
「こればっかりは妖怪の性だからなあ。ま、現れたら魔理沙さんが退治してやるぜ」
「へえ。魔理沙さんは魔法使いで、しかも妖怪退治もするだなんて、たくましいですわ」
「外の人間は褒める口があって良いなあ。ここの奴等と来たら、自分が一番だと信じて疑わないからな」
「蓮子も親切な魔理沙さんを賞賛しておいた方が良いわ」
「……え? あ、魔理沙さん流石ね」
「ばっか、あんまり褒めても出るのはマスタースパークぐらいだぜ?」
そのマスターなんたらは良く分からないけれど、こんなわざとらしいおだて方でも魔理沙さんは喜ぶらしい。幻想郷はよっぽど他人に褒められる事のない世界なのだろう。よくそんな個人主義世界が円満に存在しているものだ。
それにしても、先ほどから里の規模を見るに、なかなか大きな社会があると見える。統治機構があったりするのだろうか。だとすれば、このひと達をまとめる人物には相当のカリスマが必要になると思うのだけれども、いや……幻想郷は非常識がまかり通る場所だから、無政府だってやっていけそうな気がしなくもない。
大通りから外れて脇道に入ると、だいぶ立派な日本家屋が建ち並ぶ通りに出る。この辺りは有力者達が住んでいる場所なのだろう。やがて正面に長い生垣が現れ、その先に大きな門構えの家が現れる。表札には『稗田』とある。
ふと、古事記の編纂者と同じ名字だなと思ったけれど、まさか有り得ないわよね、と蓮子に同意を求める。蓮子はもしかしたらあるんじゃない、幻想郷だし、などと言い出した。染まるのが早すぎる。
「稗田んちだ。外でも有名だろ?」
「私達が知ってる稗田なんて、稗田阿礼ぐらいですけれど」
「なんだ、知ってるじゃないか。ここはその稗田だぜ。しかも本人だ」
意味が解らない。このひとは何を言っているんだろうか。
「まあ混乱するよな。本人に聞け。おーい、誰かおらぬかー、お客様の御成りだぞー」
夜だというのに、魔理沙さんは憚る事なく大声をあげて門に呼び掛ける。こんな無作法で相手にしてくれる家なのだろうかと思うと、直ぐに勝手口から女中らしき人が現れた。魔理沙の顔を見ると少しだけ変な顔をして、暫くお待ちくださいと言って下がる。
「無作法ねえ。魔理沙さんったら。蓮子だってもっと礼節がありますわよ?」
「まるで人を無作法みたいに……」
「作法で通るなら弾幕はいらないぜ。それに、面白い人間を持ってきたんだ、感謝こそされど、怒られる筋合いはない」
「普段もこんな感じなの?」
「いいや? ただ勝手に流入したんじゃなくて、自分から来たって奴は珍しいからなあ。帰りたくなったら博麗にでも頼めよ」
「博麗……巫女がいるんですわね? 蓮子、やっぱりあの博麗神社、こっちにもあるんだわ」
「あらゆる疑問が簡単に氷解して行くのは、ある意味すがすがしくさえある。こりゃ、メモが足りるかな」
やがて再び女中が現れると、案外にもすんなりと私達を通してくれた。魔理沙さん自体は稗田氏と交流があるのだろう。じゃなきゃこんなあやしくて勝手そうな人を家に上げたりもすまい。女中に案内され、稗田家へと御邪魔する。古い家特有の匂いがして、有りもしない故郷への郷愁を感じた。日本人、というには西洋人顔だけれど、遺伝子的にもこういったものは刷り込まれているんじゃなかろうか。木と、線香と、その他色々、日本的な匂いが混じった空間は……ああそうだ、最近だと、蓮子の家で感じた。
「阿求、面白いもの持ってきたぜ」
客間に通されると、上座には一人の女性が座っていた。阿求と呼ばれた人は少し面倒くさそうに魔理沙さんへ受け答えし、その顔を私達に向ける。
「……まったく貴女は、夜だというのに……まあ妖怪ですから仕方ありませんかね」
美人画、とでもいうか。絵に描いたような日本人女性の理想形が、正しく三次元として眼の前にある。長く伸ばした黒髪は隅々まで手入れが行っているのか、一本たりとも跳ねてなどおらず流れるようだし、その端正で奥深い顔の作りは比率を計ったかの如く整っている。袖から覗かせる腕は病的に白く、如何にも薄幸そうだ。
「こんばんは、お二人とも。稗田家当主、稗田阿求です。ああ、掛けてください」
「きょ、恐縮ですわ」
「メリー、なんでガチガチなの」
力が強いとか、威圧感があるとか、そういう問題では片付けられない雰囲気がある。何をどうすれば、いや、何をどう生きれば、その歳でこれだけの存在感を生み出せるのだろう。蓮子はこれに気がつかないのだろうか。あの瞳、どう考えても、二十代とは思えない。このヒトが妖怪じゃないのだろうか? 人間……いや、たしか、稗田がどうのと。
「いやあ夜分遅く悪いな。外からの人間を拾ったんだが、こいつら自分から来たって言うんだよ。本当なら霊夢ん所か、慧音の所に持ってくんだが、夜の神社は危ないし、慧音は満月で忙しいだろ」
「納得しました。良判断です。お二人は……」
「あ、えっと。マエリベリー・ハーンですわ」
「宇佐見蓮子よ。結界の歪を通ってきたら、魔理沙さんに拉致されたわ」
「自らいらっしゃったと言いますけど、どうやって……? 博麗や八雲でもあるまいに、結界を通り越して来たんですか?」
なんだか口べたになってしまった私に代わり、蓮子が諸事情を説明する。阿求さんはその話を否定するでもなく、全て理解してくれたようだ。美人で聡明で金持ちって、もうなんだろ、世の中そういう完璧な人間がいるんだなあと変な所で感心する。
「……似てますものね。ハーンさん」
「メリーで、良いですわ。あの、誰に似ていますって?」
「境界を操る妖怪がいるのです。たぶん、幻想郷で一番強い力を持った、境界の魔が。顔の作りも、その髪も、ましてや能力まで。縁者でしょうか?」
「名は何と?」
「八雲紫と言います。ただ、貴女はどう見ても人間のようですね。願わくば、人間のままでいて貰いたいものです。決して、絶望してはいけません。境界線とは、たやすく崩壊するものですから」
真摯な瞳が私を貫く。八雲紫、と言われてもピンとこないけれど、どうやら私のそっくりさんが居る様子だ。魔理沙さんもその話を聞きながら、ああやっぱり、なんて頷いている。その人はよほど有名で、しかもあまり好かれていない様子だ。
「まあ、これも何かの縁でしょう。今日は是非ウチに泊っていってくださいな。お聞きしたい事もありますし、聞きたい事も、あるでしょう?」
案外にも御茶目な人なのか、静かにそう語ると、笑顔で私達を受け入れてくれる。蓮子は先ほどから少しムッとしているけれど、別に否定意見を出そうという気もないらしいので放っておく。
「あの、早速ですけど一つ」
「はい、なんですか、メリーさん?」
「魔理沙さんが、稗田は稗田阿礼本人だ、なんて抜かすのですけれど」
「ええ、間違いありません。私は稗田阿礼の転生体ですよ。外から来た人には、ピンとこないと思いますが」
「……」
「……」
「くく、阿求、流石にやっぱり、納得しないだろうさ。いやいや、有り得ない事を眼の前に叩き付けられてポカンとする人間の顔は、何年経っても面白いもんだぜ」
「意地の悪い妖怪だこと。そんなだから、未だに博麗に勝てないんですよ」
「ああああ!! そういう事言うな!!」
話の流れから、何かおかしい事に気が付く。いや、正しい事に気が付いた、が正しいか。
「魔法の森には、人間の魔法使いと、妖怪の魔法使いがいると聞いていましたわ、魔理沙さんは妖怪の方?」
「あ? いや、そうだな。昔は人間だったぜ。今は妖怪だが。もう片方のアリスってのは、昔から妖怪だぜ」
「おかしいわね。以前、紅魔館にお邪魔した時……うーん……」
「メリー、やっぱり時間がおかしいんだわ。ねえ、阿求さん、東風谷早苗ってご存知?」
蓮子の問いに、阿求さんと魔理沙さんがその目をパチクリとさせる。どうやら知っているらしい。
「ええ、良く。守矢神社の風祝ですね。先ほどから疑問に思っている事があるみたいですけれど、詳しくお聞かせくださいな」
「東風谷早苗が幻想郷に流入したのは、何年前?」
私達は今、とんでもない疑問を投げかけているのかもしれない。この答えによっては、結界の歪を通るだけではなく、時間旅行までしている可能性が出て来るからだ。そうなると蓮子ですら手に余る問題に違いない。私など言わずもがなだ。
「早苗が来たのは、今から十二年ぐらい前だな」
「私が覚えている限り、十二年ほど前ですね」
答えが出た。守矢神社消失が西暦2007年、そこから十二年後、つまり今は、西暦2019年。
今は……西暦2019年、皇紀2679年……8月15日の、満月だ。するとなると、正しく、外の世界は大病床期真っ只中。戦争での死者を上回る勢いで、人間が死んでいる頃。私は思わず、口元をふさぐ。
「……幻想郷で、病気は流行っていませんか、魔理沙さん、阿求さん」
「いいや。ただ、だいぶ彼岸に流れる人間が多いな。ここの彼岸は幻想郷からの死者を主に扱ってるが、他の彼岸のキャパシティを超えると、こっちにも人間が割り振られるって閻魔様が行ってたぜ。その辺りは阿求のが詳しいだろ」
「成程。今外では病気が大流行なんですか。もしかして、それで幻想郷に逃げて来た、と?」
「そんな単純な話なら、私もメリーも頭を悩ませたりしないのよね。取りあえず、ここは無事なのね?」
「外の流行病が幻想郷に流入したりはしませんよ。八雲が許しませんでしょうし。本当に、随分と込み入った事情が御有りの様子ですね、お二人は」
阿求さんは呆れるでもなく、むしろ興味深そうに頷く。その興味、もっともだ。
過去何度か幻想郷に流入して、その都度何かしらはして来たけれど、ここまで追求したのは初めてだし、まさか自分がタイムスリップしているとは考えもしなかった。蓮子の話がなければ、きっと死ぬまで気が付かなかったに違いない。
「蓮子、どうしましょ」
「どうもこうもないわ。ねえ魔理沙さん、明日にでも守矢神社に案内してくれるかしら」
「ああ、霧雨なんでも屋は観光も請け負ってるぜ。じゃあ明日の午後にでも」
「ありがとう。メリー、面喰ってる暇はないよ。こんな機会、二度とあるもんじゃないのだから」
「なんか突然やる気が出たわね。ごめんなさい、阿求さん、うちの蓮子が子供みたいにはしゃいで」
「いえいえ。私の好奇心も満たせるのですから、好きなだけ滞在してください」
取りあえず、阿求さんのご厚意を預かり、幻想郷観光は上手く行きそうだ。元の時間軸に帰れるか否かなど、色々疑問はあるけれど、過去帰れなかった試しもないので、たぶん大丈夫だろう。寝ている間ではなく、ちゃんとハッキリとした意識の中、幻想郷の人と交流を交わせば、色々なものが見えて来るに違いない。
それに秘封倶楽部の活動として、今日ほど完ぺきなシチュエーションもないだろう。
「メリー、魔理沙さん、阿求さん、ちょっと並んで」
「あ、カメラか? お前、天狗か何かか?」
「天狗? 良く分からないけど、記念撮影」
机の上にタイマーをセットしたカメラを置き、私達の輪に蓮子が飛び込む。二人とも写真には慣れているのか、阿求さんも魔理沙さんもピースでシャッターを待ち構える。
カシャリ、という音と共に、私達が枠の中に納められた。
「お、撮った写真が直ぐ表示される奴か……うん、相変わらず私は美人だ。お前らもそれなりだな」
「魔理沙さんは本当に美人ですね羨ましいわ。ねえ蓮子」
「ほんとうねー。美人ねー」
「ば、ばっか。あんまり褒めるなよ……」
おだてておけば明日の観光もすんなり行きそうだ。単純なんだか純粋なんだか良く分からないけれど、彼女は本当に嬉しそうなので水は差さない事とする。私達と大して変わらない背格好なのに、たぶん年上だ。幻想郷では見た目ほど信用ならないものはないという話は本当だ。
「さて、お二人とも、御夕飯は?」
「まだですわ」
「まだよ」
「まだだぜ」
「……ま、いいでしょ。魔理沙さんも食べていってください。面白い方々を連れてきてくださったお礼に」
「言ってみるもんだぜ」
「食事も御酒も人が多い方が美味しいにきまってます。腹を割って色々話して頂きましょうかね」
「阿求、お前はー……」
「何、短い余生、楽しまなかったら損ですよ。魔理沙さんも手伝ってください」
「あー、まあ、いいぜ。ツマミの準備してる間ってのは実に充実してるもんだからな」
そのように言って、二人が部屋を後にする。残された私達は互いに顔を見合わせて、なんだかおかしくて笑ってしまった。世の中、面白い場所があるものだな、なんて。元の世界に戻れる保障が無くても、私達はあまり悲観的にはならない。もとより、焦がれる程外の世界に残してきたものは無いし、互いに立派な家庭環境に有ったともいえないからかもしれない。
「あ、言い忘れたが」
「はい?」
「幻想郷は、幻想郷を享受するものを悉く取り込む。そういう魔術の下にあるんだ。帰りたいと思うなら、あまり幻想郷に入れ込まない事だな」
「だってさ、蓮子」
「ふぅむ。メリーの経験を聞くに、もしかしたら明日にも元の世界に戻る可能性だってあるし、その辺りはあまり意識しなくてもいいかもね。どうせ、私達は部外者で、時間旅行者」
蓮子は事も無げに言う。確かに、どうせ私達はそんなものだ。目を覚ませば全ては泡沫に消えているのだろう。
ただ、この思い出は消えないんじゃないかな、なんて考える。日々刻々と過ぎて行き、私達はやがて大人になって離れてしまうかもしれない。再開する度に、あの時は楽しかったね、なんて幻想郷の想い出を語れるとすれば、それは素晴らしい事だ。
「幻想郷の御酒、どんな味かしら」
やがて現れた魔理沙さんが、一升瓶を両手いっぱいに抱えて来た所で、私達は死を覚悟した。
――おそらく西暦2019年 おそらく8月16日 幻想郷 稗田本家 客間 1時25分
「あぁー、ちょおっと、メリー……どこいくのよぉう……置いていかないでよぉ……」
「縁側で涼むだけよ。おいていかないから、魔理沙さんと遊んでて」
「ああ!! なんて薄情な相方か、なあ蓮子、お前の相方は薄情だなあ……!!」
「そうなのよ! あの子、知ってるくせに思わせぶりな態度とってね、私をいじめるのよぉ……」
「若い、若いなぁ……でも居るんだよな!! そういう奴……!! 魔理沙さんにはよぉく解るぞれんこぉー」
「はあ、蓮子泣きたい……蓮子泣きたい……」
「泣け!! さあ、魔理沙さんの胸で泣いておけ!!」
「うあぁぁぁー……」
「酷過ぎる……」
蓮子がこうなってしまうのも、解らないでもない。そう、何せ純度100%、交じりっけ無しの合成でない本物の米から作られたドブロク、清酒、焼酎のフルコースだ。よっぽどの金持ちが、超大道楽で作るようなお酒を眼の前に出されて飲まない訳もない。おつまみも信じられないくらい美味しくて、今後合成食品をまともな顔で食べられるだけの自信がなくなってしまう程だった。
おつまみは美味しいし、魔理沙さんは陽気だし、話も弾むし、お酒の消費量が跳ね上がるのも仕方がない。
「とはいえ、ちょっと弾けすぎね」
頬に三回、唇に五回、額に六回もキスされた挙句胸まで揉みしだかれた。もはや私に純潔のじの字もない。きっとこの状態で二人一緒に放置されたら、私も彼女も明日には清らかな体ではなくなっている事必定だろう。
なのでせめて私ぐらいは理性的に居ようと思い、縁側へと出て来た。空から月は去り、星々が暗い夜空を彩っている。視線を下ろせば隅々まで手入れの行き届いた日本庭園があり、座って眺めているだけで心に平静が宿る。こういう庭は、私の居た時間軸にもちゃんとある。一応、受け継がれるものはちゃんと受け継がれているらしい。
「……ふぅ。なんでこんなに美味しいのかしら」
手元にはグラス。魔理沙さんが『お猪口? しゃらくせえコップにしちまえ』などと言うものだから、せっかくの粋が台無しだけれど、確かにこれだけ美味しくて沢山飲めるなら、雰囲気的にもこれだろう、なんて納得する。
「楽しんでもらえて何よりです」
「ああ、阿求……さん」
この混沌とした中唯一の情緒守護者とばかり思っていた阿求さんだけれど、そうでもないらしい。着物は暑いのか肩まで着崩されているし、だらしなく障子戸に背中を預けて、尚且つその手には徳利が直に握られている。目がなんだか座っているけれど、顔色は紅いし、表情も緩い。ああなるほど、と頷く。こんな女性が眼の前に居たら、きっと男性はイチコロに違いない。
「蓮子がはっちゃけちゃって。魔理沙さんもだいぶ楽しいみたいだし」
「まあ、幻想郷じゃ良くある事です。飲み会やら花見だと、凄いものが見れます」
「見たくもあり、見たくなくもあり」
「楽しいですよ、凄く。貴女の居た時代にも、お酒ぐらいありますよね?」
「まあ、有りますけど。本物の材料で作られたお酒なんて、初めて呑みましたわ。昔の人はこんな美味しいものを呑んでいたんですのね」
「お聞かせ願いますか。たぶん、その話だと食料がまともに支給されない時代が今後有り得る、という事でしょうから」
「過去の人に未来の助言は……あー、ここは幻想郷ですし、たぶん大丈夫でしょうから話します」
幻想郷に通じる彼岸に魂の数が増えている理由が、外の世界の病原体大流行に有る事。その後やってくる大貧困によって、今まで当たり前に食べて来たものが食べられなくなってしまった事。文明保持ギリギリの状態を如何に遣り繰りするか悩みに悩み、究極的な科学世紀に突入した事。
大きな出来事から小さなものまで、私はつらつらと阿求さんに語る。
「一つだけ、気になります」
「なんでしょう」
「あらゆる感染症や病原体は、完全に死滅して消え去ったり、しましたか?」
「いいえ。まさか。人間が居る限り、有り続けます」
「……なら、良いんです。いえ、良くないですがね。ここは幻想郷ですから、外で幻想となったものが、集まります」
「……成程」
「ただ、もし本当にそれだけの災厄がここに訪れたとしたなら、それが幻想の終りなのだと思います。貴女達は未来から来たという話ですね」
「ええ。西暦で2071年から。今は恐らく、推測ですけど、2019年ですわ」
「貴女の時代と並行した時間軸の幻想郷へは、行った事もないんですよね」
「解りません。何せ、ちゃんと意識を持ってここへ来たのは初めてなので」
「紅魔館と言っていましたが、訪れた事は何度かあるのですね、時間問わず」
「ええ」
「誰がいましたか?」
「銀色の髪をした、綺麗なメイドさんとか……」
「十六夜咲夜。歳のころは?」
「十代……の後半?」
「彼女もだいぶ大人の女性です。するとなると、今から十年くらい前に訪れた事がある、となります。やはり、未来の幻想郷には訪れていない、ですね」
阿求さんの顔に少し陰りが見える。人里の有力者という程だから、やはり幻想郷の未来も気がかりなのだろう。とはいえ、行った事がないだけで、幻想郷が滅びているなんて確証は何処にもない。
「此方へは意図的に入れるけれど、時間までは指定出来ないんですね、貴女は」
「ええ。未熟なのか、能力の限界なのか」
「……あまり極めない方が身の為かと。貴女が流入している事、あの八雲紫が知らない訳がない」
「それほどの、妖怪ですか? 私に似た?」
「悪い人じゃ、ありませんよ。むしろ、慈悲深い。誰も理解しようとはしませんけど。いえ、彼女自身が誰にも理解されようとはしていない。式といって、従者も居ますが、本来孤独な妖怪なんです。たぶん彼女は、寂しかったからこそ、幻想郷なんて世界を作ろうと思ったんじゃないかと……この歳にして、ようやく理解しました」
……。
言葉は続かない。阿求さんは話を打ち切ってしまった。ただ、そこまで思わせぶりに言われると、どうしても気になってしまうのはこれ致し方無き事だとは思うのだ。
「八雲、ですけど」
「ええ」
「逢う事って、出来ます?」
「うーん……」
「難しいです?」
「一つに、神出鬼没。一つに、夜しか動かない。一つに、あまり逢わせたくない。向こうが接触して来るなら、むしろそれは大事故です。熊に襲われたとか、牛車に轢かれたとか、そのレベルを考えるべき」
「前の二つは解りますけれど、あとの一つは。そんなに、逢うべきではないヒト?」
「私が稗田阿礼の転生体であるという話はしましたね」
「……ええ。俄に信じ難い話ですけど、見せて貰った資料も、記録も、裏付けは十分でしたわ」
「もうひとつあります。私は見たもの、聞いた事を決して忘れません。虚空蔵求聞持法と言いまして、空海が会得したものと同じ法を代々引き継いでいます」
「……ふむ」
「改めてもう一度聞きます。貴女は彼女の縁者ではないんですね? 素のままの人間ですか?」
「――」
素のままの人間か、と面と向かって聞かれると、私は答えに詰まってしまった。数多といるESP能力者の中でも、私のような特異能力を所有しているものは極少数であると専らの噂であるし、私のご先祖はかの小泉八雲だ。異界を観ていたからこそ、あのような小説を執筆していたのではないかとまで言われている人物であるから、その末裔たる私が、そのまま本当にただの人間かと言われると、即答は出来ない。
「ハーン……ヘルン、ですかね。私の本名は小泉真絵理縁です、国籍は日本人ですよ。代々、小泉八雲の頃からその子孫は通名で洋名も名乗っています。能力は……境目を見る程度、弄る程度の能力です」
「左目、何かありますね」
「――凄い観察眼ですわ。高いんですのよ、この義眼。最新式のもの。飾りじゃなくて視覚もありますし、電気信号で筋肉にも働きかけていますから、瞼の動きだって完璧に再現出来る筈なのに」
……。私はコップを縁側に置くと、左目の直ぐ横を少し強く押す。カチリ、という音と共に私の左目は、そのまま掌へと収まった。握りしめたそれを、阿求さんにそっと見せる。
「異能は異能であればあるほど、犠牲にするものが大きい。精神であったり、性格であったり、身体であったり。私の場合は寿命、貴女の場合は、その目ですか」
「過去、私の先祖にも何人かいますわ。私は殊更、その気が強い。生まれて以来私には左目がない。小泉八雲、ラフカディオ・ハーンは左目の喪失と共に、異界を見始めたのではないかと、言われています」
「先祖返り、ですか。何か親近感を覚えますね、貴女には。私は発達した記憶力と引き換えに、寿命が長くありません。あと数年もすれば動けなくなり、そして死ぬ事でしょう」
「辛くはありませんか」
「最初は辛かったようです。でも、今の幻想郷を見ていると、そうは思わなくなりました。妖怪の知り合いも沢山増えましたから、また転生しなおす頃には、顔見知りも生きている事でしょう」
「……」
「八雲立つ 出雲八重垣妻ごみに 八重垣作る その八重垣を」
「スサノオ、ですね」
「小泉八雲は島根の松江に住み、松江の士族の娘、小泉節子と結婚しました。日本名は出雲を象徴するその八雲からとったものでしょう。ご存知かも知れませんが、小泉家の縁者には出雲国造が居ます」
「……」
「八雲紫は何時から生きているのか、どのようにして生まれたのか、定かではありませんが、神話の昔と言われても、私は驚きません。その八雲が、八雲と名乗る限り、これに関連していない、とはとても思えないのです。貴女は出雲国造、つまり国家祭祀の有力者の親類です。血のつながりは無いでしょうが、逢わない方が、身の為です。長くなりましたが、こんな理由ですかね」
阿求さんはそこまで口にすると、疲れたようにだらしなく胡坐をかいて徳利から直接お酒を飲む。深い溜息が洩れるのと同時に、彼女の緊張したような顔も抜けて行った。私は左目を元に戻すと、阿求さんに倣ってコップのお酒を一気に煽る。日本酒の甘い香りが鼻を抜けて行き、アルコールが喉を焼く。
阿求さんの話はこじ付けかもしれない。ただ、言っている事の殆どがその通りだし、私にソックリだと言う人が、尚且つ八雲と名乗っているのなら、関連性を無視出来ない。幻想郷で最も力を持った妖怪の一角である八雲紫に出会った所で、私の得るものは何かと問われても、まっとうな理由は見つからなかった。単なる好奇心だからだ。
「歳を追う毎に、語り癖が酷くなります。嫌わないでくださいね?」
「興味深い話でしたわ。飛躍した論理でしたけど」
「あはは……でも、貴女が彼女に似ているのは間違いありません。ドッペルゲンガーをご存じでしょう?」
「ああ、芥川龍之介もやられたアイツですね。出会うと死ぬっていう」
「同じ顔のモノには逢わないのが吉です。入れ替わるかもしれませんから。何せ、ここは幻想郷」
「外で死滅したあらゆる幻想が集まる場所。ここではありえないことがありえる」
「幻想郷、楽しんで行ってください」
阿求さんがニッコリとほほ笑む。少しおしゃべりだけれど、あらゆるものが揃っている彼女は本当に美しいと思えた。その代償が寿命かと考えると、何とも言えない気持ちもあるけれど、眼の前にある素晴らしいものを私は否定出来たりしない。
「見どころは?」
「夏ですと、青い稲が広大に渡る田圃なんて、何時見ても壮観です。里を観光するのも良いでしょう。たぶん、貴女達にはなじみの無い、もしかしたら昔懐かしいものまで揃っているに違いありません。命蓮寺という大きなお寺もあります。ちょっと昔に来て、里で一番の信仰を集める大寺院に成長したんです、相当に立派ですよ。それから、魔理沙さんがいるなら三途の川も良い。ゆったり流れていて、日本の川とは思えない程に雄大です。博麗神社は……八雲が良くいるので、昼に行った方が良い。あそこから見下ろす景色は心にスッと落ち着くものがあります。……そしてやっぱり、幻想郷入りした大神社、守矢神社と諏訪湖、立ち並ぶ御柱でしょうかね。御柱祭も復活したのですが、残念ながら時期じゃありませんでしたねえ……」
「見て回りきれるかしら……」
楽しそうに語る阿求さんの声色に、なんだか私までワクワクしてくる。ここまで来ておいて、本来の目的である守矢神社しか行かない、なんて手はまずない。魔理沙さんが飽きる前におだてておいて、徹底して観光につき合って貰おう。
これほど胸が高鳴るのは一体、いつ振りだろうか。私も、それに蓮子も、生まれてからずっと勉強ばかりしてきた身だ。その反動として、いつも小旅行を楽しんでいる私達にとって、これだけの大イベントはきっとこの先二度もない。
「阿求さん……その……」
「ええ、解ってます。少しばかりですけど、御駄賃も必要でしょ?」
「あ、あいや……」
「……ふふ。楽しみを眼の前にした子供みたいな目をしてますよ。おねだり上手ですねえ」
「いや、そんなつもりは……」
「良いんです。言っちゃなんですが、あの怪物を妹にしたみたいな優越感があります。たまりませんね……」
「――え、えぇ……」
クツクツと彼女は笑い、袖で隠した目を此方に少しだけ向ける。これだけの美人に窘められるような経験のない私にとって、その嗜虐に満ちた瞳に対抗する手段がない。本当に、良く表情の変わる人だ。……もしかして、ただ酔っているだけだろうか。
私は阿求さんの如何わしい目を避け、奥の蓮子達へと視線を向ける。
「……ほうほう、それで?」
「それでね、それでね、メリーがまりしゃしゃんに渡したそれ、実はね、女性のー……」
「ふふーん、へえーそっかあー!! じゃあ蓮子、試してみるか?」
「で、でもわたし、メリーとしかしたことないし……」
「まあまあ、そんな事気にしてたら幻想郷じゃ生きて行けないぜ。さぁて、このスイッチをー……」
――私は駆けた。
どれほどの速度が出ていたのか、きっと獲物をとらえんとする猛禽類も裸足で逃げ出す程の速度で駆け、そして飛んだのだろう。板の間に踏み込み、一歩、ちゃぶ台を踏み台にし、二歩、そして揃えた両足は確実に着実に、魔理沙の阿呆のドテっ腹に悉くめり込んだ。
「どっせぇぇぇぇぇぇぇぇーーーーーーーーーーーーーいっっ!!!!」
「うわらばッッッ!!!!!」
「メリー!!」
「ぶはっ……蓮子、無事ね!?」
「メリー……ちょうかっこいい……」
「あら、今更気が付いたの? もっとかっこよがっても良いわよ、蓮子」
「好き、好きよメリー、愛してるわ。結婚して!!」
「おーよしよし……」
「お、おお、おいメリー……会って数時間しか経ってない妖怪に……そりゃあ、無いんじゃないか……なあ?」
「妖怪に謝る言葉はないわ。危なく眼の前で寝取られそうになったこっちの身になりなさい魔女」
「表に出ろ!!」
「上等じゃない!!」
「やめてー私のためにあらそわないでー」
ピンクの謎機械を握りしめた私は、庭に出て魔理沙と対峙する。取っ組みあった隙に、私は謎機械を彼女の下半身を保護する肌着の中に突っ込み、スイッチを入れた御蔭で勝利を収める事が出来た。やはり所詮科学の前には前時代的な魔法など造作もないのだと改めて感じる。流石最新式、自動で一番都合のよい部分を探り当ててくれる。持ってきて良かった。
「あの」
「何でしょう、阿求さん」
「楽しそうですね」
「ええ!!」
元気よく答え、私はそのまま庭にぶっ倒れる。急に動いた所為で、アルコールが回ったのだろう。たぶん今日の出来事も、酔っ払いの楽しげな不規則行動だとして魔理沙さんも大目に見てくれるに違いない。じゃなきゃ明日には食われる。
「蓮子さん、御布団しきますから、手伝ってください」
「はあ……ふふふっ」
「――ゆかいな人達ねえ……」
阿求さんの大きな溜息が、妙に印象的だった。
つづく
其は死と生の際。可能性の境界線を歩み続ける、一匹の猫。
たどり着いた先に、もし己の望む結末があったとしても、それは救済足りえない。もはや、望む永遠は彼方。
それでも。解っていても。
例えそれが、分かたれた世界の一端でしかないのだとしても。
そこへ辿り着かなければいけない。
其は死生の黄金。
願う事はただ一つ。その暁に見るものは、悲惨な結末だ。
それでも――あなたは見てみたいだろうか。
No title
歩き、立ち止り、振り返る。振り返る事は忌とされ、古くから怪談話のネタでしかないと思われて来たこの行動も、いざ経験すればどれほど恐ろしいものか良く理解出来た。振り返るだけの勇気は心臓を締め上げ脳裏に電気のような緊張がチラチラと明滅する。
そこには金髪の女性がいた。
夜道で、闇夜で、顔は良く分からない。けれど、背格好は悉く私に似ていて、酷く不自然だ。鏡が私の行動に従わないような、仄暗い恐怖感を覚える。
彼女の周りには、過去見た事もないような、世界の歪。空間として存在すべき場所が、熟れすぎたトマトのように割れている。空間のその場所だけが、富栄養化を起こして許容量を食みだしてしまったのかもしれない。爆発的な情報は、世界を叩き割る。そこにまっとうな理由はあれど、人間には理解出来ず知覚出来ず科学も及ばない。
こんなモノを眼の前にすれば、私達は自分の存在に疑問を持たずにはいられない。何が正しいのか、どこがおかしいのか。果たして自分はちゃんと存在出来ているのだろうか、そもそも誰に存在を許されているのだろうか。
少なくとも、今は。今は、眼の前にいる女性が私に手を加えないからこそ、私はある。つまり、彼女の力というのは、私の生命を采配可能なものだった。
世界が明滅する。描写しようのないグロテスクな背景は、アッと言う間に私を包み込んだ。
そのたった数瞬だけ、私は彼女の顔を見た。
――皇紀2731年 8月15日 京都 帝国首都大学 第三教室 11時30分
その昔は、物凄く長い夏休みがあったらしい。しかも、一ヶ月半近くも。そんなに長く休んでどうするのだろう、と考えたりする。大体、高い受講料を払っているのに休まされたら損ではないだろうか。いや、当時はそれで良かったのかもしれないけれど、今そんな事をしたら非効率だぼったくりだと大学側が学生にシュプレヒコールを浴びせられるかもしれない。
私は別に長い休みを批難したりしないけれど、家にいると空調の電気代が偉い事になってしまうので、大学で涼んでいた方が楽だし、勉強もはかどる。それに、家に居てもあまり面白い事はないので、外かつ内、という環境が大事だった。
教室を見渡せば、いつもの顔ぶれがある。みんな勉学に忙しいので、授業をさぼったりはしない。それに、皆も大体同じ心づもりだろう。どこでも授業を受けられる通信環境があると言っても、自宅には誘惑が多いだろうから。私は違うけど。
「――で、あるからして。相対性精神学とは、この人口縮小社会における人間の心の安定をはかる事を目的とした、謂わば互いによる精神の救済を目的として創設された学問なのです。以来十数年、様々な研究者によって切り開かれた路でありますから、若い君たちには是非とも、我々老人の戯言を参考に、更なる研究を重ねてもらいたい」
いつもの口上を述べた教授が、やっと講義を開始する。
私はディスプレイに映るテキスト――皇紀2660年からの人口推移グラフと、簡易な歴史年表に目を通しながら教授の話をぼんやりと聞く。
順調に増え続けた人類が、2670年辺りから急激に減り、比例するようにして年表の説明が事細かに増えて行っている。
合衆国の衰退、人民共和国の大繁栄とそれに伴う弊害からの騒乱、移民問題を抱えた日本国の社会混乱。EUは早期に社会問題への取り組みにかかり、それら人間社会における不可避の災厄を逃れようとしたものの、ある一つの事柄で、全てが吹き飛んだ。
超多剤耐性型インフルエンザと結核の同時パンデミック。先進国は皆少子高齢化に悩んでいたけれど、これによって人間社会は究極的に生きるか死ぬかの選択を迫られた。そういった病原体の反映は、資本主義社会における勝者と敗者を完全に分けたのだ。
何故資本主義に結びついたのかといえば答えは単純で、医療費が健康保険負担では限界だった事、超多剤耐性病原体に効果的な抗生物質を開発した製薬会社が独占して値段を釣り上げた事、その利権をその国の政治家が押さえた事、それによって各国で暴動が起こった事。
インフルエンザと結核、その合併症によって亡くなった人数は測定不能とされている。ただ、アフリカのような場所では国が三十消え、先進国でも低所得層が悉く死に、アメリカが東西に分かれ、人民共和国は群雄割拠時代に戻り、日本においては大陸から流れた革命勢力と内患の増長で日本が二分しかけた。
抗生物質の開発者は『人類に死を』と残し拳銃自殺。世界に語り継がれる大悪党として歴史に残った。
彼とて、最初は人類を救いたいからこそ、開発したはずだ。人類を救うはずだった薬が、金に目がくらんだ経営者と政治家達によって政治の道具にされ、戦争の火種になり、謂れのない批難を受け……自殺。悔やんでも悔やみきれない死に際だろうと思う。
「……現世界総人口は五億……六十億もいたのがびっくりよねえ」
「東京とか、ヒトだらけだったらしいわよ。歩くと肩がぶつかったんですって」
「あの古臭い街が、そんなに?」
「ヒトの故郷を古臭いとか言わない。古風なのよ。昔のままが残ってるから」
「それで、何故蓮子がここに?」
「良い質問ね。たまには、心の学問に身をやつしてみたくもなる、のよ」
秘封倶楽部部員、宇佐見蓮子はそのように言って、机に顔を伏せた。最初からそのつもりなら自分の講義でやれば良いのに。そんなに私の隣で寝るのが心地良いと思ったのだろうか。
「つまり、夢と現は双方とも脳の見せる幻影に過ぎず、物質か非物質かで物事を判断する事は、非常に不合理である、という学説が前身である絶対性精神学創設時に提示されている訳ですが、改良の程を施した相対性精神学においても、その考えは完全否定される事なく続いており……」
蓮子が眼の前で寝ているのに、教授はまるで咎めようとしないので、私もそれに従う。総学生数からすると広すぎる、レトロな雰囲気を醸し出した古い作りの階段型教室は、今日も今日とてガラガラだ。この講義を取っているのは私を含め十名程度。そこに蓮子が混ざったら直ぐに指摘されそうなものだけれど、妙齢の教授は気にする風もない。
この時代において、私たち世代は金の卵と言えた。確か二十世紀末にもそのような名称で学生が呼ばれた時代もあったと記憶しているけれど、この時代の金の卵は質が違う。まず数が少なく、子供の頃から徹底したエリート教育を行う教育制度下にある為、ごらく者が非常に少ない。頑張れば頑張るほど待遇を国家直々に保障される為、美味しい汁の吸い方を知った子供たちは、自分からそういった道を捨てたりはしないからだ。
資本主義を乗り越え、超競争社会を円満な形で再現可能にしたのは、奇しくも人口減少だった。
学生たちにはランクがある。これの開示は高校生になってから自己に任される訳だけれど、大概の人間が口にしたがるので、大体がオープンな話題になっている。ちなみに宇佐見蓮子はSS+級。この学校を卒業した後に、学費全額の免除と政府直轄の研究室に入る事、家族一生分の生活費を約束された、超エリートだ。私はA+級なのでそこまでは行かないけれど、卒業すれば学費は免除だし、大きな大学の研究員や大会社への道は大体決まっている。
頑張れば、だ。ちゃんとこなす事をこなし、やる事をやり、それを発揮する事。どこかで躓いたら、目も当てられない。
「ハーン君」
「はい、なんでしょう、教授」
「宇佐見君は、今何をしていると思うかね」
「はあ。たぶん、向こう側で超統一物理学の難題と肉弾戦か、もしくは今日のお昼のメニューを考えている所でしょう」
「それは夢かね、現かね」
「本人の満足度によります。相対性精神学的に言えば、私がそれを補完してあげる事によって、また彼女も満足度に変化があるでしょう。つまり、後でお昼を奢る事によって彼女の満足度の変化を計る事は、研究の一つと言えます。なので今日は寝かせておいてください、教授」
「うむ。詭弁も甚だしいが、お前が言うと妙な説得力があるから、許そう。相対性精神学とは正しく詭弁の粋だ」
教授とは思えない発言をしてから、また講義へと戻る。
まあ別に、お昼を奢っても良いだろう。どうせ一緒に食べるつもりだったのだから。
昼食は何にしようか、なとど考えたけれど、最近はどうも食生活が充実していたので、一食抜く事にした。コーヒーを啜る私の前で、蓮子はパスタをがっついている。一時期粗悪品が横行した合成パスタだけれど、メーカーの企業努力によるものか質は上がっているようだ。前に食べた時は、明らかに蕎麦味だった。
「何故、小麦粉と蕎麦粉を間違えたのかしら」
「うーん。お米は大貧困期でもちゃんと存在したし、受け継がれたけれど、小麦や蕎麦となると、前世代は殆ど輸入に頼っていたらしくって、在庫切れ&生産者死亡&時間が経って味を覚えている人が居ないのトリプルパンチで、本当に味が解る人から抗議が来るまで、誰も疑問に思わなかったそうよ。最近は改善がみられるっていうけど……私、そもそも本物の小麦も蕎麦も、食べた事ないのよね。なんでメリーは直ぐに蕎麦だって解ったのよ」
「外食」
「ああ、幻想郷……。本物のパスタって、どんな味なのかな」
「今のはだいぶ近いと思うわ」
「幻想郷、ねえ」
「行ってみたい? 一緒に寝るとかすれば行けるかもよ」
「しょっちゅう寝てるじゃない」
最後の残りをちゅるりと吸い上げて、蓮子は丁寧に口元を拭いた。吸うものじゃないんだけどなあと思ったけれど、別にレストランでもないし、吸わない文化圏でもないし、まあ麺は吸っていくらかもしれない。正しい行儀は兎も角として、蓮子は教養もそうだけれど、所作がなかなかに綺麗だ。
一度、お墓参りという事でヒロシゲに乗って蓮子の実家へとお邪魔した事がある。超前時代の日本家屋であったのはまだ驚かないにしても、その門構えがあり得ない程大きくて、尚且つ塀が道の向こう側まで続いているような所だった。聞けば昭和から続く名家の娘なのだという。筋金入りのお嬢様なのだ。
「まあ、京都じゃあ難しいかも。最近じゃ、結界暴きの規制も厳しいし……」
「それは科学的になんとかしようって奴等が取り締まられているの。ESPで結界を穿つような人間、そもそも国の想定に入ってない」
「逮捕されたらヤダわ」
「逮捕よりも、研究施設にモルモットとして送られる事を心配した方が現実的」
「そうだ、今日は」
「ええ、旧研究棟に行ってみましょ。噂が気になるし」
私と蓮子は、相変わらず結界暴きに熱心だった。非合法倶楽部は非合法のままあり続け、さてそろそろ二年目になる。新入部員を迎えるでもなく、会誌を作る訳でなく、目下の目的を幻想郷として、私たちはモラトリアムを楽しんでいた。私が夢と現の境目に取り込まれそうになった頃以来、私の能力はだいぶ改善したので、ある程度までは意図的に操れるようになっていた。ただ、それでも幻想郷へ行こうと思うと、数か月に一回程度。しかも、何か切欠になって流入可能なのか未だに不明だ。
「現実といえば、テストはどうだったの?」
「満点だけど」
「あら、そう。全教科?」
「そりゃあ、もちろん。メリーは?」
「日本語を一問、落としたわ。漢字が読めなかったのよ」
「日本語なんて、どうやったら間違うのよ。インドの少数民族の言語でもあるまいに」
「インド好きねえ。まあほら、容姿は西洋人風じゃない? おまけしてって教授に言ったら、してくれたわ。まあ、相当昔の血だし、国籍は日本だけど」
「……今の世の中で、そんな事が可能だって事に驚きだわ……教授、バレなきゃいいね」
「皆が口を噤めば、バレはしないわよ。前のテストは全教科満点だったし、誰も疑問に思わないだろうし」
こんな怪しげな活動をしていても、教授達や指導部に咎められたりしないのは、正しく日々の努力の賜物……という訳でもない。蓮子はそもそも勉強せずともなんでも知っていそうだし、私もテスト前日に教科書と参考書に目を通してしまえば、まず落第なんてしないので問題ない。後何年もしない内に、私達は別々になるのだから、勉強如きに足を引っ張られて、大切な活動が出来ないなんて馬鹿な話は作りたくない。
「ところでメリー」
蓮子は事も無げにカード型電子端末を取り出し、弄りながら私に問いかける。
「何?」
「これ、押してみて」
そういって、蓮子が電子端末を私に見せる。極薄の液晶画面には、大きな赤い丸があり、その周りが黒と黄色のトラ模様で、四角い形をしていた。明らかに危険色だ。ただ、まさかこれが核ミサイル発射ボタンにはなっていないだろうから、私は蓮子にしたがって、それをゆっくりタッチする。
「でろでろでろでろでろん」
「え? え?」
「人類は絶滅しました」
「……――」
液晶に、地球が隕石で粉微塵になる映像が映り込む。……蓮子は馬鹿なのかもしれない。
「や、はは。いやね、なんだかものすごく暇でさ、ストレス解消の為に豪快な事を出来るアプリケーションが欲しくて自作したのよ」
「ストレス発散が地球破壊って、昔のアメリカ映画じゃあるまいに……この、この」
「ああ、ちなみに数種類の滅亡方法が……連打しちゃ駄目だよ、ほら、滅亡人数のカウントが右肩上がりに」
「人数じゃなくて、破壊した地球の数を数えた方がデータ処理的にも優しいでしょう。このアプリ頂戴」
「いいわ。なんかクセになるでしょ」
「最近の若者は滅亡思想が強くていけないわ。研究の為に貰うわね。相対性精神学は、そういう破滅主義者を救う為に存在しているのだから」
「口調が古い教授みたいになってるわよ。なんで文学部とか医学部の先生は、老人ばかりなのかしら」
「その代わり、理系はみんな若いわよね。新しく来たあの教授も……確か、蓮子の学科に」
「超統一物理学ね。岡崎夢美教授。聡明なのだけれど、凄く感動屋らしくて。素敵素敵って、まるで少女だわ」
「実際少女でしょう。私達より若いんじゃないの?」
「十八だか、二十歳だか。一緒に来た北白河ちゆり助教授も、まだ十六だって」
最近になり、大学へ新しい教授と助教授がやってきた。学生数の少ない大学なので、そういった話は早速行き渡るし、私のような情報に疎い人間にも直ぐ耳に入る。二人とも若いと評判だけど、そこまで特別視されている訳でもない。理系の学科には若い教授が多い所為だ。
国家政策で人類存亡をかけた過去のある先進国には何処にでも存在する、所謂超先進教育機構出の人達だろう。
藁にもすがる思い……というものがあるように、日本国は免疫力の少ない子供と老人から次々と死んで行く現実に直面し、当時の現代科学、医学の常識を超える対策を必要とした。後世の生き残りをかけ、最初は頭の良い学生を集める事に必死だった政府だけれど、やがてIQテストからESP試験まで実践するようになり……そこで集めた子供たちを管理、教育する機関が出来上がった。
パンデミック時代には幾つかの分類がある。病床世代、大貧困世代、回復世代だ。病床世代は言わずもがな、老いも若きも右から左まで人間がバタバタ倒れていった頃。大貧困世代は、輸入に頼っていた日本が次々と消えて行く輸入先国家を眼の前にして、食料自給率アップの為に血眼になった頃。回復世代は、政策の成功によって希望の光が見え始め頃だ。
そういった世代を乗り越えたご先祖様には感謝するほかない。現在の日本国の技術を支えるものは、病床世代に作られた礎であるエリート教育機関出の人々だ。
「あ、一応私達の方が若いのね。蓮子、いくつになったの?」
「同い年でしょうに」
「そうだったわね。そういえば、蓮子。そろそろ誕生日。一緒に過ごす殿方は出来た?」
「毎日一緒にいて、私に男がいるとでも?」
「じゃあ決まりね。レストランが良い?」
「いーや。合成食品なんて、味はみんな一緒よ」
「じゃ貴女の家か私の家」
「私の家、今人には見せられないのよ」
「すごい?」
「すごいわ。そろそろ片づけられない女として、マスコミに取り上げられる事でしょう」
「じゃあ、うちに来てね。本物の砂糖でケーキを作るから」
「……すごい、本当? 高いでしょうに。美味しかったら結婚を申し込む勢いの嬉しさよ」
「結婚を申し込むのが最大級の賛辞っていうのも……ぽちぽち」
「あ、また地球が……」
そうして地球は滅亡したのだ。
――旧研究棟2F 20時
学校というのは、怪談がつきものだ。歴史文献を引く限り、学校制度が敷かれて以来ずっと付きまとっている非常に息の長い語り草で、民族問わず存在している。大概が小学校から高校までの多感な時期の子供たちが学ぶ学舎での物語だけれど、現代においては大学でもまたその手の話は多い。
これは単純に、大学の年齢が下がったからだろう。前教育制度下とは教育課程が異なる為だ。10歳には中学生、12歳には高校生で、14歳にはもう皆大学生。教育の究極的な効率化は社会平均年齢も下げている。とはいえ、教育が幾ら進もうとも、人間に備わる精神性は変えようがなく、また怪談話のようなものも、多感な子供達には付き纏う事になる。
夏の小休みまでまだ日にちがあり、けれども冒険せずにはいられない秘封倶楽部にとってこの研究棟というのは非常にありがたい存在だった。先進的な機材と旧世代の機材が混在し、建物もだいぶ老朽化して備品が所せましと並ぶこの旧研究棟は、見るからに何かありそう、という雰囲気がある。
京都の結界技術は他の地方に比べて進んでおり、まず簡単には結界の歪なんて見つけられないけれども、どうもこの研究棟は私が見る限り歪が多いように思えた。閉鎖社会というのは常に開かれた社会とは違った空間を生み出すものだ。
結界の歪が怪談を引き起こしている、とインターネットのオカルト討論で結論付けられたのは二十年ほど前。以来怪異は悉く結界の歪の周りで起きている、と言われている。誰が確認したのかはさておき、私も同意するものだ。つまり世界の境目を確認し得る私が認めるのだから、まず間違いはない。
蒸し暑い空気にたまらず服をバタつかせながら、蓮子はうなだれるように言う。
「うちの大学って、京都でもかなり良い所なのに、どうして研究棟はこんなに古いのかな。空調すら入って無い」
「みんな研究に熱心で、周りが見えないのよ。頭が良い人は往々にしてそんな兆候があるわ。貴女みたいに」
六時も過ぎて外も薄暗く、所々蛍光灯を取り換えていないらしく電気がついていない。高い学費分ちゃんと整備しろと言いたい所だけれど、これはこれで旧世代的怪談な趣があるので、あえて口にしない。旧研究棟というだけあって、入っている研究室もかなり疎らであり、人気はあまりない。
空調も一部が壊れているらしく、この階は近代科学の恩恵をまるで受けていなかった。
「それにしても怪談ってねえ。怪談と結界の歪の関連性についてはだいぶ昔に答えが出されたらしいけど、メリーのいう所の幻想郷と関連しているって事だよね?」
ふと、蓮子がそのような単語を出す。怪談と結界の歪、その先にある幻想の世界。
実しやかに囁かれる楽園の名称だ。この単語が初めて現れたのは、西暦1990年代。以来細々と語られ、噂が一気に爆発したのが『諏訪湖消失事件』だ。名称通り、長野県の諏訪湖が一夜にして蒸発。諏訪信仰総本社である守矢神社と、幾つかの摂社末社も同時に消失している。
この時、たった一人だけ消えた少女が居た。
東風谷早苗。諏訪信仰の大元締め、代々受け継がれる現人神たる神官長だった。あらゆるデータが失われた現代においても、オカルト方面では彼女の写真がインターネット上に氾濫している。ネットでも神扱いなのだから、現実に及ぼす影響力は実際本物だったのかもしれない。
噂によれば、生まれて以来不思議な力を持った子で、一族、氏子等からは正しく現人神として崇められていたそうである。写真を見る限り、大変美しく聡明そうな顔つきをしている。そんな宗教法人の親玉が神社と共に消え失せたのだ。一族、氏子からは神扱いだったらしいけど、その不気味な力を恐れたり、容姿を妬ましく思った者達による迫害もまた、あったという。
そんな彼女は蒸発する前、親しい友人に幻想郷へ行かないか、と問いかけたと言われている。消えてしまった守矢は、幻想郷にて未だ息づいている……というのが、専らの根も葉もない話。
「でしょうね。向こうに暮らしているのは、妖怪を中心に人間、妖精、鬼に天狗に幽霊にと、ありとあらゆる幻想物だから、それが結界の歪を通って顔をのぞかせても不思議ではないわ」
「消えた少女、か。確か携帯に画像が――ああ、これこれ。当時高校生だから、今生きていたとすると80歳過ぎ」
蓮子の携帯に映し出された画像の少女は、写真を取られた事を驚くように振り向いている。箒を手にしており、独創的な改造巫女装束を纏っていた。周りには他に二人おり、どちらも当時のファッションとは思えないような服装をしている。これは数枚存在するコチヤサナエの画像の中でも、もっとも議論を呼んでいるものだ。
何せコチヤサナエ以外の二人は、うっすら透けて向こう側が見えているのである。
「そうそう、その子。宗教法人の親玉にしては、純粋そうな顔してるわよね」
「メリーもおとなしくしてれば純粋だよ。中身は違うけれどね」
「砂糖、やっぱやめようかしら」
「嘘です。嘘。で、このコチヤサナエの周りに居る二人だけれど……霊?」
「私の見立てだと、霊にしてはちょっと強すぎるし、こんな満面の笑みを浮かべている霊なんていないでしょう。当時だって画像加工技術があった訳だけど、研究結果では合成はあり得ないという結論に達した。これは霊以上の何か。宗教法人の親玉というくらいなのだから、神様ではなくて?」
「神霊……ね。守矢神社の御祭神となればタケミナカタだけれど、どちらも女性だわ」
「その、大きな注連縄を背中に背負っている方がタケミナカタ、もしくはそれに準ずる巫女か何かね。論拠としては、当時諏訪を総ていた土着神を征服した証として蛇に似せた注連縄を象徴としたから。もう片方の……冗談としか思えない帽子を被っているのは、まあその征服された側の神様でしょう。仲よさそうね、凄く」
「千数百、へたすれば二千年以上前の話だから、それだけ長い間一緒にいれば仲も良くなるんじゃない?」
「古文書をひも解いても諸説あるから、答えは本人達しか知りえないでしょう」
雑談しながら横に長い研究棟の廊下を行く。コチヤサナエについての議論はかなりなされているけれど、たぶん答えに一番近いのは私達だ。あとは本人達に答えを伺えれば良いのだけれど、依然としてハッキリとした意識で幻想郷に行けた試しがないので、実現には至っていない。こうして結界の歪を探るのも、そういうものが動機として存在する。
彼女は何故現世を捨てて幻想郷に旅立ったのか。隣の二人は本当に神様なのか。
そもそも、結界とは何なのだろうか。幻想郷と現世を隔てているコレは、政府によって暴く事を禁止されている。まず間違いなく、政府は幻想郷の存在を知っている。でなければ、いちいち結界不可侵法なんて法律を作ったりはしないし、極刑まで据えるなんてありえない。
「幻想郷、行ってみたいわ。科学の支配しない世界っていうのは、どんなものなのか」
「昭和初期の山村に、色々な技術を詰め込んだような世界観よ。まあ、そもそも昭和を知らないけど」
「そういえば、ここの怪談ってなんだっけ?」
「曰く『旧研究棟二階の備品室は、20時20分20秒になると向こう側の世界に通じている』といった、どこにでもあるわかりやすーい怪談よ。他にも妖怪を見ただの幽霊を見ただの美女を見ただの。まあ実際そうなのだとしたら、好都合ね」
「それ最近よね。前まで無かったもの」
「元から歪の多い場所だし、たまたま通じただけかもしれないわ」
そもそも、怪談を探している訳でなく、結界の歪を探しているのだ。そして此方はハナからその怪談を疑う気も毛頭ない。あるんだったらあるんだろう、という気持ちだ。
備品室に辿り着く。あからさまな程厳重に鍵がかかっているここを突破して中に入る奴がいる事にまず驚きだ。扉の取っ手は鎖でぐるぐる巻きにしてあり、南京錠が三重になっている。時間は現在20時15分だ。私は辺りを確認してから、ピッキングツールを取り出す。蓮子はそれを見て、あからさまに引いていた。
「用意良いね」
「このぐらいのだったら楽勝ね。これ、かなり古い型の単純構造な南京錠だもの。いつからのかしら、骨董品ねえ」
「と言いながらもう二つ外した貴女が私は恐ろしいよ、メリー」
自宅にあった南京錠で何回も試したので、呆気なくかつスムーズに開錠して行く。校舎や新研究棟は全てカードリーダーその他電子的な鍵になっているので開けられないけれど、此方はそうでもない。
そうこう考えている間に全部の鍵を外し終わり、私はぐるぐる巻きになった鎖を取り去ると、脇に置く。時間は20時17分。楽勝だ。
「じゃ、御開帳ー」
「なんか古臭い、匂い、しかも蒸し暑い」
両手で観音開きにして中に入る。所せましと積まれた本に机に椅子にその他諸々は、明らかに十数年使われていない様子だ。元は高校だった所を改築して、土地を広げて建てた大学なので、ここはその時代からあるものだろう。
京都有数の有名大学とは思えない杜撰さだ。
「なんで捨てなかったのかな」
「粗大ごみは捨てるとお金がかかるからでしょう……あら、なんか奥が少し開けてるわね」
足元に注意しながら奥へと進む。正面を遮っているカーテンを退けると、どうやら窓際なのか、紅い光がゆっくりと漏れて見えた。ただ、その夕日を遮るようにして、何かがある。20時20分20秒。
「――――文化祭の出し物……かしら。工学部でこんなの造ってたのかなあ」
「にしては、メカメカしすぎるわね。船っぽい形だけれど」
「ああ、なんかそう、タイムマシーン的な」
「蓮子の分野ね。まかせるわ」
「何を目的としたものなのかな。それにしたって大がかりよこれ。素材も……鉄じゃなさそうだし」
眼の前に現れた物体はかなり大きく、部屋の半分程の大きさもある。所々備品が蹴散らされたような跡があり、猥雑この上ない。そもそも、これだけ大きな物体をどうやって運びこんだのだろうか。部品ごとに分けたとしても、いや、つなぎ目が見当たらない為にそれはあり得ないんじゃないかと思う。
「溶接跡がないのよねえ。ここで作業したならもっと機材らしいものもあるだろうに、それもないし。そもそもよ? こんな大掛かりなものを作っていたとしたら、必ず噂になる筈じゃない。けれど私達が聞いた噂といえば、これと何ら関係もないものだったでしょう? 工学部に知り合いもいるけれど、そんなもの作ってる節無かったもの。あやしい、あやしすぎる」
蓮子は帽子を取って難しい顔をする。きっと私もしているだろう。これは正しく意味不明の鉄塊だ。クルーザーを未来的にしたフォルムで、窓はない。最新型イージス艦の展示モデルのようだ。ただ船尾に回っても動力らしい装置は無く、とても水の上に浮けるような船底でもない。
「軍事研かな。メリー、知り合いいる?」
「居ないわ。ところでこれ、入口はないの?」
「見当たらないの。本当にただの鉄の塊?」
船らしき何かをぐるりと回っても、やはり入口は見当たらない。けれど別の入り口は見つかった。
……左目が少しだけ痛む。
薄目を開けてじっくり見れば、それは明らかに結界の歪だ。私は蓮子を手招きして、その歪を指差す。丁度備品室の一番端、掃除用具の入ったロッカーの正面に、私から見ると黒く穿たれた空間が存在する。
「指差されても見えないわ。どんな感じなの?」
「これ、凄いわ。今まで見た中で一番大きい」
「それ、私も入れそう?」
「これに入った先に何があるのか解らないから、危険といえば、そうだけれど……」
これを逃すのは大変おしい。所謂怪談話の答えは間違いなくコレだ。その『向こう側の世界に繋がっている』という噂が存在する限り、これをくぐり、尚且つ戻ってきた事の証明に他ならない。飛び込んだ先は幻想郷だろうけれど……幻想郷と一口に言っても、どこに出るか解らない。私が幻想郷に赴いた事実が夢だと思っていた頃、確か紅い館やら竹林やらへとアチコチ飛ばされたものだ。
夢からの流入ならば私一人で、危険も私が被れば良いけれど、蓮子を連れて行くとなればどうだろうか。
「これ、この船らしきものと関連したりするのかしら、蓮子」
「確かに、こんなものが物理的に有り得ない状態で存在するなら、幻想郷から流入したと考えた方が論理的だね」
「流石理系。筋だってるわ」
「全然褒めてないように思える。それで、入ってみたいのだけれど」
「……まあ、手荷物はちゃんと用意してあるし、大丈夫かしら」
私の手提げにはいざという時の催涙スプレーやらキーピックやら携帯食やら飲み物やら、携帯真水浄水器やらそんなものが全部ぶち込んであるので唐突の遠出も安心。というか、過去何度か幻想郷に行って酷い目にあってるので、いつ間違って流入しても暫くは大丈夫なようにしてある。
「うひゃ、メリー山登りでもするの?」
「幻想郷は山の中よ……どれ」
黒く、淀んだ空間に、私は頭を突っ込む。この空間が物理法則に沿っているのかどうかは別として、どうやら呼吸も出来るようだ。良く目を凝らすと、遠くの方に森林らしき光景が浮かび上がった。どうやらここに入ると、幻想郷の森の中へと通じてしまうらしい。本当なら人里が良かったのだけれど、現世でこれだけの境界を見つけられるなんて今後有るとは思えない。
「メリー、首だけないみたい……ええ……これどうなってるの……」
「ちゃんと有るわよ。それで行くの、行かないの?」
私は首を抜き去って、改めて蓮子に視線を向ける。彼女は恐怖心と好奇心の間にあるらしく、何とも言えない顔をしていた。いつも男勝りのくせに、こういう時は乙女らしく戸惑いの表情を見せるのだからずるい。
なんとなく可愛くなってしまっている蓮子の手を捕まえて、私は境目を見つめる。
「いっせえの、で飛ぶわね」
「えーと、カメラある、お菓子ある、それから家の鍵もある……」
「嫌なら辞める?」
「い、行く。ええ、怖気づいてなるものですか。さあ、引っ張りなさいよ、連れて行きなさいよっ」
「テンパりすぎよ……さあ、手を離さないでねっ」
「う、うん」
「いっせえの、」
子供の時みたいに。友達と一緒に手を繋いで草原をはねるように、私と蓮子は境目目掛けて一緒に飛ぶ。まるで抵抗がない空間に放りだされて、私は思い切り目を閉じてしまった。隣からは、押し殺すような悲鳴が聞こえて来る。
するすると、取っ掛かりの無い滑り台を降りて行くように、私達は空間のスキマを降りて行く。
――?歴 ?年 恐らくは幻想郷の森 蓮子曰く日本時間20時30分
今にして、はて、これは日帰り出来るコースだろうか、なんて思ってしまう。
歪を通って幻想郷に入った事のある回数は少ないけれど、どうもその都度体の節々が痛い。人間が通るべきではない道を通っているのだから、何かしらの負担があるのかも。明日が休みだったとしても、これは案外残るのじゃないかと心配する。
「メリー、手、痛い」
「あらら」
蓮子は落ちた帽子を拾い、それで体に付いた汚れを払う。おもむろに立ちあがると、深呼吸してからそのまま鼻を押さえた。
「うっ……何この……何のにおい? ここ、地球よね? 酸素濃度とか大丈夫なわけ?」
「ああ……私も最初驚いたけれど、これが森の香りなんですって。緑の匂い」
「吸っても平気?」
「たぶん」
蓮子は改めて口元から手を退けると、大きく呼吸する。数度繰り返して慣れたのか、一人で頷いている。私も初めて来た頃はこの空気を訝しげに思ったけれど、良く考えれば植物プラントと似たような空気である事に気が付いた。酸素が濃く、かつ植物の様々な香りが混じったこの空気は、都会人の私達にとって衝撃的と言わざるを得ない。
ここはどこだろうか。地面に傾斜がない事から、山ではないらしい。空を見上げて時間を計測した蓮子は今が20時30分であると教えてくれる。蓮子が時間を計れる、という事は一応地球上なのだろう。幻想郷へ行く、といっても確実に辿り着けるという保障がないので、少し安心だ。時空の狭間にでも落ちたらきっと帰ってこれないだろうから。
以前入った竹林では酷い目にあった。良く分からないものに追いかけられるし、ウサギは出るし、体を擦り剥くし散々だ。確か紅魔館にお邪魔した時、あまり山や森には近づくなと忠告された覚えがある。森は魔素が漂っていて、普通の人間は直ぐ気に中てられてしまうらしい。ここは気分が悪くなる事もないので、問題ないだろう。
「今度、地図を作りましょうね」
「先に作ってくれてるとありがたいんだけど、メリー」
「ねえ、場所は解らない?」
「うーん。頭の中にね、単語は幾つか浮かぶのよ。でも何だか曖昧なの」
「行ってみて」
「魔法 森林 幻想 あー……魔法使いの家?」
「西はどっち」
「あっち。逆に夜で良かったわね。じゃなきゃ、方角も解らない」
「方位磁石あるわよ。私だけ流入した時用の」
「……なら最初から使ってよ」
蓮子GPSがあまりあてにならないけれど、幻想郷というのは間違いなさそうだ。魔法の森といえば、以前紅魔館で忠告された時に教えてもらった場所だ。魔法使いは二人住んでいると聞く。東には、以前現実世界で赴いた博麗神社が存在しているらしいから、ここは……あんまりよろしくない場所なのではないだろうか。
「西に抜けましょう。たぶん人里があるっぽいから」
「曖昧ねえ。なんでわかるの?」
「以前メイドの人があっちは良くないって指差しして教えてくれたわ」
「なんかよくわからないけれど……それにしても方位磁石なんてアナログね」
「携帯GPSが通じるとでも」
「そうよねえ。あやしい。じゃ、とにかく歩きましょ。ああ、それにしても……凄い所」
都会っ娘には厳しい道のりだ。とはいえ空を飛べる訳でも、案内役が居る訳でもないので、歩くしかない。途中で現地人に会えれば良いのだろうけれど、果たして私達を見て人間と判断してくれるだろうか。幻想郷の妖怪という人達は、見た目は人間と差異がない。森の中でひょっこり会ったら、逃げられるかも。いや、逃げるのは私達かもしれない。
「こんな所、ヒトなんていないよね」
「妖怪と人間の見分け方は、笑顔かそうじゃないか」
「なんで?」
「美味しそうなものに出会ったら、笑顔になるでしょ?」
「ははーん。なるほどー……って大丈夫なの!?」
「さあ」
あまり難しい事は考えないようにしよう。幻想郷で妖怪を恐れていたら身動きが取れないし、ここに留まっていてもどうせ餌になるだけなのだから。
「日帰りは無理」
「無理ねぇ。まあ、少し早い夏の小休みだと思いましょう。それよりも、眼の前の幻想を享受した方が、よっぽど幸せだわ」
「死ななきゃね」
ここで離れたらたぶん二度と逢えないだろうから、私達は手を繋いで先に進む。
夜だというのに、月明かりがまるでライトのようにして森を照らしている。幸い岩で凸凹している訳でも、木の根が張り巡らされている訳でもないので、案外と歩きやすい。原生林のような場所に放り出されたら死んでいたかもしれない。何せ私達はサバイバル素人だ、迷ったら出られないだろう。
「さっき頭の中に魔法使いの家って単語が思い浮かんだけれど、心当たりはある?」
「魔法使いが住んでいるらしいわ。人間と本物の魔法使いが」
「人間で魔法使い、と人間じゃない魔法使い、でいいのかしら。色々いるのね」
蓮子は事も無げに言い、空を見上げて時間をつぶやいている。方角もあっているらしい。それにしてもおかしな能力だ。最初はただの計算かと思っていたけれど、直感的に日本標準時間と方角がわかるという。両方とも、知識さえあれば空を見て判断出来るだろうけれど、その部分が省略されている。
「それにしても……月が……ううん」
「何?」
「いや、まさか、なんでもない」
ESP保持者については、一応政府で公認された存在だ。私や蓮子は登録されていないので、謂わばノラ能力者。でも蓮子が凄い所は別に能力じゃなく、その頭脳だと思う。一回聞いた事はまず忘れないし、見たものは脳裏に焼き付いているという。まるで空海が習得した虚空蔵求聞持法のようだ。幾らエリートだってそれは流石にない。だからこそ、最上位のSS級を通り越して+がついているのだろう。
なんでこんな大学にいるのか。それは確か、昔話してくれたような気がする。
「蓮子って」
「ん?」
「変な子よね」
「貴女ほどじゃないよ」
「本当なら、とっくの昔に政府機関でお宮仕えしている訳でしょう? 稀代の天才、宇佐見蓮子って、新聞まで載ってたのに」
「前話した通り。どうせ、卒業したって道は変わらないのだから」
「……魔法?」
「うん。超統一物理学は、全ての力は統一可能であり、あらゆるものが人間の見知る動きによって答えが出せるという論拠の下にある。でも、違うの。そんなものじゃ説明出来ないものがある。あったからこそ、私はもっと、そんな政府の缶詰なんかにいないで、色々見て回りたかった。他の国にも行ってみたし、日本を一人で旅してみた事もあった」
魔法。超常能力。脳の働きによって生み出されるESPとはまた違った理屈にある動き、力。自らも超能力を持って、尚且つ科学のエキスパートとならんとしている蓮子にとって、魔法というものはとことん理解不能なのだろう。
「たぶんみんな気が付いていると思うの。そもそもESPって奴が全部解明されている訳じゃない。たとえば私の能力だけれど、星や月を見て脳みそが勝手に時間を計算し、勝手に緯度経度を出しているとしても、さっきみたいに、未確定な場所の単語まで出て来る事がある。メリーなんて言わずもがな。結界って何よ? どこが超統一されているのやら」
「自らの学科を否定しても得るものないわよ?」
「ひもの研究をしているのだって、根源的に解明出来れば後は芋づる式に解るんじゃないかってだけなの。宇宙が一つの弦から成り立っていて、ではそこからどのような変化に至って、宇宙が広がり、星が出来、人間が生まれたのか……」
何を見ているのか解らない、そんな虚ろな目で蓮子が語る。彼女程頭が良すぎると、とにかく答えを出してみなきゃ納得出来なくなってしまうのかもしれない。もはや、好奇心なんかとは比べものにならない疑問への執着。
「あると思うの。物理学で証明出来ない力が。そして、私の眼の前にはそれの体現がいて、しかも、その子に良く分からない世界に連れてこられたわ。ここは何かしら?」
「数字で説明出来るのなら、きっと答えは出ているわね。人間に解析出来ない世界。もう哲学とか宗教よね」
「メリー」
「なに?」
「貴女にあえてよかったわ。私、凄くウキウキしてるもの」
「――、そ、それは良かったわ」
ぐっと腕を引き寄せられる。正面には先ほどとは打って変わって、言い知れない期待感に胸を膨らませる(物質的には違うけど)少女そのものの蓮子がいる。なんだかそんな蓮子が可愛くて、私は思わず赤面してしまった。気がつかれないように顔を背けると、それが逆に彼女のいじわる心を刺激してしまったのか、ニシシ、という笑い声が聞こえた。
「ふふ」
「……女同士でこんな事しても、非生産的だと思わない?」
「その辺りは相対性精神学に感謝しているわ。あの学問の確立によって、同性結婚も認められるようになったのだもの。『互いによる情緒安定及び補助は性別によって否定されるものではなく、それによって得られる円満な家庭とは人間で有る限りどのような状況に置いても平等に齎されるものである。』だっけ?」
「……生産性の無い分、税金も高いけれどね、同性結婚」
「ま、少子化社会で同性結婚したら、子供が減る一方だもの」
なんだかドンドン体温があがって行くのが解る。それでなくても夏なのに、蒸し暑くて敵わない。私は手を無理やり解くと、その手で顔を仰いで澄ました顔をして見せる。蓮子は満足したのか、やたら笑顔だった。
それにしても、遭難と対して変わらない状況にありながら、こんな事をしていられるその無神経さには恐れ入る。そしてそれに乗っかっている私もきっとどうかしているのだろう。
こちらに行けばなんとかなる、なんて確信はどこにもないけれど、蓮子がいればどうにかなるんじゃないか、なんて思いはあった。楽観的に見ても私達の状況は芳しくないのに、恐怖心はどこにもない。それは蓮子も同じらしい。
「人間は、もしかしたらこのまま衰退するのかもしれない」
「どうして?」
「究極的な科学の行き着く先ってね、人間の努力が必要ない世界なのだと思うの。完成された技術はあらゆるものを自動化する。残された私達に出来る事といえば、脆弱なまま育った精神を保持する事のみ。そんな時、さみしいまま死んで行くのなら、隣に誰かいた方が良いわ」
「蓮子の考えは本当に良く分からないけど、まあ、その、私程度で……その……そう思ってくれるなら……」
「や、やや、やあねえ、顔真っ赤にして、まさかそんな反応するなんて……あ、そうそう、進みましょ、ほら……んべっ!」
自分からそういう話をしておいて、結局自分が恥ずかしがり、挙句暴走して木の根に足をひっかけて転ぶ蓮子の馬鹿らしさというか愛嬌が何ともいえず、私は大声で笑ってしまった。
彼女の語る話は、時折意味不明だけれど、どこか慧眼を得たような言葉を発する事もある。荒唐無稽で捉え所はないけれど、彼女が言うならあるんじゃないかな、なんて思えてしまう。
転んだ蓮子に手を貸し、恥ずかしそうにする蓮子を抱き起こす。彼女は馬鹿だけれど天才だ。少なくとも、私はそう思う。
「あー……。脚がつかれる。さっき枝で腕が少し切れたし……」
……。
先ほどから非難の声がやまない。あんなに張り切っていたのに、今や私の一歩が彼女の三歩だ。机に向かって計算ばかりしているから、私よりもずっと足腰が弱っているのだろう。この先、先ほどのような未来が待ち受けているとすれば、私は彼女の介護に人生を預けなければならなくなってしまうではないか。
……あんな話の後にこんな情けない所を見せられると、なんだかギャップでガックリしてしまう。
「都会っ娘は弱いわねえ」
「貴女もでしょうに」
「半袖なんか着るからよ。少し休みましょうか? お菓子と、それと水筒もあるし」
「既に四次元ポケットは実用化していたのね。フジコ御大はすさまじい先見性を持っていたと言える」
「あのマンガ、今じゃ古典科学だものね。ま、冗談はさておき……あら」
「ん、なに? メリー、妖精でも踏んだ?」
だらだらと喋りながら歩き続けてそろそろ一時間は過ぎている。風の流れない森の中にありながら、今までよりも強い風を感じて、私は足をとめた。普通、夜の森の中を歩き回るなんて常識的な考えを持った人は絶対しないだろうけれど、そんな非常識が功を奏したのか、少し先に開けた場所があるように見えた。
「月明かりの御蔭で転ばずに済んだわね。それにしても、幻想郷は月が大きい」
先ほどまでは普通の大きさだった月も、時間が経つにつれてだんだんと大きく、明るく見えるようになってきた。それは単に空気が澄んだからなのか、物理的に近付いたからなのか、それとも科学に寄らない幻想郷だからこそなのか。判断は出来ないけれど、私達はその明りを頼りに歩いてきた。
ゆっくりと足を進めると、そこが人が踏み固めた道であるという事が直ぐに分かった。標識も立ててあり、そこには『この先魔法の森、うかつに入るべからず』と日本語で書かれている。
「あはは、なんか呆気ない。迷いに迷ってサバイバル番組みたいになっちゃうかと思ってたのに」
「その割に蓮子は随分と楽観的だったみたいだけれど、まあ結果オーライね。この先に進むと人里があるだろうから、そこを目指しましょう。人工物も見当たるし、もう人の文化圏だわ」
道なりに行くと、次第に人の作ったであろう納屋や農機具が見て取れるようになった。作りが明らかに昭和初期のようなものばかりで、ここが普通の世界ではない事が物質から明らかになる。意識というのはそう簡単に非常の状況を理解出来るものじゃない。普段とは明らかに違うモノやヒトと出会ってから、やっと段階を踏んで理解に至る。
私も蓮子もそれに漏れる事なく、ここが本当に違う場所なのだな、という実感をじわじわと味わい始めた。
「思うに」
「何、蓮子」
「ここって一応、現代でいいんだよね?」
「どういう事かしら」
「だから、連続した時間の流れにある場所なのかって事。私達がいた皇紀2731年代と同じ時間にある場所なのかってこと」
「違うの?」
「うーん。結界で隔離されている空間が、私達の知っている時間軸にあるとは限らないじゃない。原理的に不明かもしれないけれど、空間を隔離するって事は、私達が科学で知っている以上の状況下にある可能性だって否定出来ないわ」
「そうなのかしら。ずっと結界の歪っていうのは、別世界に通じているだけ、だと思っていたわ」
「外の時間が解ればいいのだけれど……まあ、解りそうな人に聞いて見るのが一番かしらね?」
蓮子が突然SF解釈を持ち出す。いや、そもそも空間の歪に頭を突っ込んでいる時点でもはや常識なんて向こう側にぶん投げたようなものではあるけれど、そうだ。以前夢の中で何処かに彷徨い出た時、私はタイムスリップしたんじゃないかと疑った筈だ。あれが幻想郷だったとしたなら、その可能性も有りうる。私は結構忘れっぽいし、蓮子がいれば違う視点から観察してくれるのだろう。私みたいな観念的な奴は、こういう科学的な奴がいてこそ改めて客観的に状況を把握出来るのかもしれない。
あいや、そうだ。以前だってそうだった。彼女がいたからこそ、私は幻想郷を現実と認識出来たのだから。
「そうねえ。蓮子、里に知り合いはいない?」
「居るわけないでしょ。むしろそれ私の台詞じゃない?」
「このまま直接里に赴くのは良いけれど、それだったら仲介があった方が楽よね。こう、突然現れて道を案内してくれて、尚且つ外から来た人間にも寛容で、更に里で情報を知っていそうな人に取り成してくれるような人」
「んな都合の良いものがあったら、そりゃフィクションだ」
「まあそうだな。そんなのがいたらフィクションだぜ。だが、ここは幻想郷だから、案外と都合よくなる」
「うわ」
「うえ」
「うお?」
突如聞こえた声に思わず振り向く。振り向いた先に居たのは、とんがり帽子で、黒くて、箒を持っている、魔女らしき何かだ。よくよくじっくりみるとあまり邪悪そうでもなく、私達と同じか、それ以下ぐらいの少女だと解った。
とっさに、その少女の顔面を両手でつかむ。さわり心地は人間だった。
「いやその、オジョーサン、ヒトの顔をペタペタ触って観察するのは、流石に失礼じゃないか?」
「蓮子、魔女っぽい何かよ。どうする? コマンド?」
「ニァ ころしてでもうばいとる じゃなく、ほら、その子困ってるよ。離してあげなさいって……」
「外からの人間にしては、だいぶ大胆だぜ……」
私から解放された女の子は帽子をかぶりなおして咳払いをする。どうやら私達が外から来た人間であると知っているらしい。服で判断したのか、それとも瀟洒さが足りなかったのか。たぶん両方だろう。こんな夜の森を女二人がキャッキャワイワイと普通に歩いている筈もない。そんなものが居れば、妖怪か変態か外の人間だけだ。
「あの、魔女さん?」
「ああ、魔女だぜ。すごくおっかない魔法使いだ。私の家の近くで姦しい騒ぎ声が聞こえたから、ついてきたんだよ」
「一時間近くも? 信じられないわねえ。疲れるし」
「ふらふら一時間浮いてるくらいならなんともないぜ。それに、外来人にしては面白そうだったんでな」
「……幻想郷の人は暇つぶしに飢えてるって、紅魔館の人が言っていましたわ」
「メリー、貴女紅魔館でどんな待遇受けてたの……」
「なんだ、紅魔館が解るのか。初めてじゃないんだな?」
金髪おちゃめな魔法使いの霧雨魔理沙さんとやらに、一連の事を可及的速やかに伝えると(早く休みたいので)、彼女はあらかた理解してくれた。魔女とは言うけれど、襲う気もなく、本当に好奇心だけで後を付けて来たらしい。
「なるほど、そりゃまた気味の悪い能力持ちだな」
「あ、ちょっと、メリーの悪口?」
「いやあ……境目を移動する奴っていうとな、一人面倒くさいのがいるんだ。別にアンタを批難してる訳じゃない」
「なんでもいいですわ。それで、フィクションな魔理沙さん。出来れば人里に案内して頂いて、かつ知識人にお会いしたいのだけれど」
「そんな都合のよい話が案外とある。いいぜ。その代わりといっちゃなんだが、御代を貰えるか?」
「外の御金も持っていませんの。何せカード払いだから。物で良いかしら?」
「そうそう。外から来たなら怪しげな機械とか持ってるだろ?」
そうそう。確か、この幻想郷は機械文明も殆どなくて、たまに外から流入してくる物品がとても珍しいらしく、コレクションしている人も多数いるという。この人もその一部の人間(?)なのだろう。手提げ袋を漁り、何か手土産になるようなものは無いかと探すと、一つだけ見つかった。流石に携帯やらカメラやらは差し上げられないので、これなど如何だろうか。
「メリー、え、ちょ……」
「蓮子は黙りなさい。魔理沙さん、これなんて如何?」
「おお、なんだそりゃ……」
「このスイッチをいれると、この丸いのが振動しますわ」
「香霖の所でも見た事ないな……機械?」
「一応。かなり昔からあって、形が変わっていませんの。つまり、完成度の高い機械という事になります」
「へえ……用途は?」
「自分に使うもよし、他人に使うもよし」
「名称と用途なら香霖に聞きゃわかるか。おっけい、いいぜ、人里はこっちだ」
実に話の解る子で助かる。外の世界の人達も、これだけ素直であればもっと円満に暮らせるに違いない。
(ちょっと……)
(なにかしら)
(なんでそんなの持ってるのよ……)
(聞くの?)
(……)
蓮子ももっと純情なら、きっと恥ずかし紛れに帽子で顔を隠す必要もなかったに違いない。
いや、別に私が使う訳じゃないわよ。
――?歴 ?年 幻想郷 人里 蓮子曰く日本時間22時
長い田んぼの畦道をだいぶ歩くと、ようやく火の明かりらしきものが遠くに揺らめいて見えた。魔理沙さんに聞けば、なんでも夜は妖怪が出るので、入口にはかがり火を焚いて警備しているのだという。昼でも妖怪はいるんだけどな、なんて話だけれど、どういう意味だろうか。
「月がやたらと大きいだろ。こういう日は、妖怪が人を襲いやすい。友好的な奴だって、夜道であったら襲うだろうさ。ちなみに紅魔館なんて行くものじゃないぜ。満月じゃあ夜食にされるのがオチだ」
月の影響を直に受ける妖怪にとって、こんな日はどうしても疼いてしまうという。なんだか子供の妄想ね、なんて蓮子に話すと、彼女は少しだけ暗い顔をした。もしかしたら、小学生のような設定で小説なんぞを書いた覚えがあるのかもしれない。
「蓮子、違うのよ。設定が問題ではなくて、運用が問題なのよ。どんな設定だって、背景がなければ生かしきれないわ。アニメも漫画も小説も、突き詰めてしまえば痛い設定だらけなのだから」
「な、何の話よ。私にはわからないわっ!!」
「良く分からないが、本当に食われるから気をつけろよ?」
そんな話もまかり通ってしまう辺りが幻想郷らしい。実際見てみない事には確証も得られないけれど、大の大人たちが夜に外で槍を持って警戒しているのだから、冗談で処理出来たりもしない。魔理沙さんが警備の二人に挨拶すると、私達もそれに倣う。どうやら警備の人も、私達が外来人であると解るらしく、その眼は少し好奇なものだ。
「霧雨のお嬢さん。その子らは、人間だよな。しかも外来人」
「ああ。外で拾ったんだ。放っておくと食われちまうだろうから、これから稗田に持ってくよ」
「あのモノ好きなら部屋ぐらい貸してくれるだろ。よかったな、お嬢さん達」
どうやら本当に食べられるかもしれなかったらしい。そんな危機感まるでないけれど。
「霧雨さん。これからどちらへ?」
「知識人の所に連れてけって言っただろ。本当なら慧音の所なんだが、満月は忙しいからな」
「満月……ねえ」
「蓮子、どうしたの」
「いや、計算したのだけれど、私達のいた時代の八月の満月は……十一日なのよ。次の八月十五日満月が来るのは、五年後」
「ええ……やっぱりおかしいと思ったわ。じゃあ、蓮子の話も馬鹿に出来ないわね」
「馬鹿にしてたの? 心外だわ」
「お前ら、何ごちゃごちゃと。ほら、キリキリ歩け、罪人らしく」
何故かいつの間にか罪人にされていた私達は、魔理沙さんに連れられて人里の奥へと足を踏み入れて行く。流石に田舎の夜は消灯も早いらしく、明かりがついているのも数件だ。あとは居酒屋などがポツポツと営業しているだけで、生活音がない。
それにしても、変な場所だ。こんな光景、歴史映像でも見た事がない。猥雑な下町、というイメージではないし、古風な農村、という感じもない。あちらこちらに漢字の看板、綴りの間違った英語の看板も見当たる。煉瓦造りでモダンなイメージの服屋があると思えば、隣にはバラックのような古臭い飲食店が立ち並び、突然コンクリート建築が見当たったかと思えば、正面には洋館のような建物もある。
……統一感が無さ過ぎる。どこの文化圏と括ればしっくりくるだろうか。大東亜戦争後の日本だってもっと『らしい』空気があっただろうに、ここにはそんなものが欠片も見当たらない。
「変な里ねえ」
「ああ。商業地と農村が同じ場所にあるって事か? それなら仕方がない、商人も百姓も、まとまって暮らしてないと、いざ異変となった場合助けを求めるのに苦労するからな。最近は妖怪も大人しいが、争っていた時期を覚えている年寄り達もいる。今更分散して暮らしたりしないのさ」
「あ、そういう意味じゃないのですけれど、なるほど、そうなのね。人間と妖怪が争った時期もある、と。満月は特別」
「こればっかりは妖怪の性だからなあ。ま、現れたら魔理沙さんが退治してやるぜ」
「へえ。魔理沙さんは魔法使いで、しかも妖怪退治もするだなんて、たくましいですわ」
「外の人間は褒める口があって良いなあ。ここの奴等と来たら、自分が一番だと信じて疑わないからな」
「蓮子も親切な魔理沙さんを賞賛しておいた方が良いわ」
「……え? あ、魔理沙さん流石ね」
「ばっか、あんまり褒めても出るのはマスタースパークぐらいだぜ?」
そのマスターなんたらは良く分からないけれど、こんなわざとらしいおだて方でも魔理沙さんは喜ぶらしい。幻想郷はよっぽど他人に褒められる事のない世界なのだろう。よくそんな個人主義世界が円満に存在しているものだ。
それにしても、先ほどから里の規模を見るに、なかなか大きな社会があると見える。統治機構があったりするのだろうか。だとすれば、このひと達をまとめる人物には相当のカリスマが必要になると思うのだけれども、いや……幻想郷は非常識がまかり通る場所だから、無政府だってやっていけそうな気がしなくもない。
大通りから外れて脇道に入ると、だいぶ立派な日本家屋が建ち並ぶ通りに出る。この辺りは有力者達が住んでいる場所なのだろう。やがて正面に長い生垣が現れ、その先に大きな門構えの家が現れる。表札には『稗田』とある。
ふと、古事記の編纂者と同じ名字だなと思ったけれど、まさか有り得ないわよね、と蓮子に同意を求める。蓮子はもしかしたらあるんじゃない、幻想郷だし、などと言い出した。染まるのが早すぎる。
「稗田んちだ。外でも有名だろ?」
「私達が知ってる稗田なんて、稗田阿礼ぐらいですけれど」
「なんだ、知ってるじゃないか。ここはその稗田だぜ。しかも本人だ」
意味が解らない。このひとは何を言っているんだろうか。
「まあ混乱するよな。本人に聞け。おーい、誰かおらぬかー、お客様の御成りだぞー」
夜だというのに、魔理沙さんは憚る事なく大声をあげて門に呼び掛ける。こんな無作法で相手にしてくれる家なのだろうかと思うと、直ぐに勝手口から女中らしき人が現れた。魔理沙の顔を見ると少しだけ変な顔をして、暫くお待ちくださいと言って下がる。
「無作法ねえ。魔理沙さんったら。蓮子だってもっと礼節がありますわよ?」
「まるで人を無作法みたいに……」
「作法で通るなら弾幕はいらないぜ。それに、面白い人間を持ってきたんだ、感謝こそされど、怒られる筋合いはない」
「普段もこんな感じなの?」
「いいや? ただ勝手に流入したんじゃなくて、自分から来たって奴は珍しいからなあ。帰りたくなったら博麗にでも頼めよ」
「博麗……巫女がいるんですわね? 蓮子、やっぱりあの博麗神社、こっちにもあるんだわ」
「あらゆる疑問が簡単に氷解して行くのは、ある意味すがすがしくさえある。こりゃ、メモが足りるかな」
やがて再び女中が現れると、案外にもすんなりと私達を通してくれた。魔理沙さん自体は稗田氏と交流があるのだろう。じゃなきゃこんなあやしくて勝手そうな人を家に上げたりもすまい。女中に案内され、稗田家へと御邪魔する。古い家特有の匂いがして、有りもしない故郷への郷愁を感じた。日本人、というには西洋人顔だけれど、遺伝子的にもこういったものは刷り込まれているんじゃなかろうか。木と、線香と、その他色々、日本的な匂いが混じった空間は……ああそうだ、最近だと、蓮子の家で感じた。
「阿求、面白いもの持ってきたぜ」
客間に通されると、上座には一人の女性が座っていた。阿求と呼ばれた人は少し面倒くさそうに魔理沙さんへ受け答えし、その顔を私達に向ける。
「……まったく貴女は、夜だというのに……まあ妖怪ですから仕方ありませんかね」
美人画、とでもいうか。絵に描いたような日本人女性の理想形が、正しく三次元として眼の前にある。長く伸ばした黒髪は隅々まで手入れが行っているのか、一本たりとも跳ねてなどおらず流れるようだし、その端正で奥深い顔の作りは比率を計ったかの如く整っている。袖から覗かせる腕は病的に白く、如何にも薄幸そうだ。
「こんばんは、お二人とも。稗田家当主、稗田阿求です。ああ、掛けてください」
「きょ、恐縮ですわ」
「メリー、なんでガチガチなの」
力が強いとか、威圧感があるとか、そういう問題では片付けられない雰囲気がある。何をどうすれば、いや、何をどう生きれば、その歳でこれだけの存在感を生み出せるのだろう。蓮子はこれに気がつかないのだろうか。あの瞳、どう考えても、二十代とは思えない。このヒトが妖怪じゃないのだろうか? 人間……いや、たしか、稗田がどうのと。
「いやあ夜分遅く悪いな。外からの人間を拾ったんだが、こいつら自分から来たって言うんだよ。本当なら霊夢ん所か、慧音の所に持ってくんだが、夜の神社は危ないし、慧音は満月で忙しいだろ」
「納得しました。良判断です。お二人は……」
「あ、えっと。マエリベリー・ハーンですわ」
「宇佐見蓮子よ。結界の歪を通ってきたら、魔理沙さんに拉致されたわ」
「自らいらっしゃったと言いますけど、どうやって……? 博麗や八雲でもあるまいに、結界を通り越して来たんですか?」
なんだか口べたになってしまった私に代わり、蓮子が諸事情を説明する。阿求さんはその話を否定するでもなく、全て理解してくれたようだ。美人で聡明で金持ちって、もうなんだろ、世の中そういう完璧な人間がいるんだなあと変な所で感心する。
「……似てますものね。ハーンさん」
「メリーで、良いですわ。あの、誰に似ていますって?」
「境界を操る妖怪がいるのです。たぶん、幻想郷で一番強い力を持った、境界の魔が。顔の作りも、その髪も、ましてや能力まで。縁者でしょうか?」
「名は何と?」
「八雲紫と言います。ただ、貴女はどう見ても人間のようですね。願わくば、人間のままでいて貰いたいものです。決して、絶望してはいけません。境界線とは、たやすく崩壊するものですから」
真摯な瞳が私を貫く。八雲紫、と言われてもピンとこないけれど、どうやら私のそっくりさんが居る様子だ。魔理沙さんもその話を聞きながら、ああやっぱり、なんて頷いている。その人はよほど有名で、しかもあまり好かれていない様子だ。
「まあ、これも何かの縁でしょう。今日は是非ウチに泊っていってくださいな。お聞きしたい事もありますし、聞きたい事も、あるでしょう?」
案外にも御茶目な人なのか、静かにそう語ると、笑顔で私達を受け入れてくれる。蓮子は先ほどから少しムッとしているけれど、別に否定意見を出そうという気もないらしいので放っておく。
「あの、早速ですけど一つ」
「はい、なんですか、メリーさん?」
「魔理沙さんが、稗田は稗田阿礼本人だ、なんて抜かすのですけれど」
「ええ、間違いありません。私は稗田阿礼の転生体ですよ。外から来た人には、ピンとこないと思いますが」
「……」
「……」
「くく、阿求、流石にやっぱり、納得しないだろうさ。いやいや、有り得ない事を眼の前に叩き付けられてポカンとする人間の顔は、何年経っても面白いもんだぜ」
「意地の悪い妖怪だこと。そんなだから、未だに博麗に勝てないんですよ」
「ああああ!! そういう事言うな!!」
話の流れから、何かおかしい事に気が付く。いや、正しい事に気が付いた、が正しいか。
「魔法の森には、人間の魔法使いと、妖怪の魔法使いがいると聞いていましたわ、魔理沙さんは妖怪の方?」
「あ? いや、そうだな。昔は人間だったぜ。今は妖怪だが。もう片方のアリスってのは、昔から妖怪だぜ」
「おかしいわね。以前、紅魔館にお邪魔した時……うーん……」
「メリー、やっぱり時間がおかしいんだわ。ねえ、阿求さん、東風谷早苗ってご存知?」
蓮子の問いに、阿求さんと魔理沙さんがその目をパチクリとさせる。どうやら知っているらしい。
「ええ、良く。守矢神社の風祝ですね。先ほどから疑問に思っている事があるみたいですけれど、詳しくお聞かせくださいな」
「東風谷早苗が幻想郷に流入したのは、何年前?」
私達は今、とんでもない疑問を投げかけているのかもしれない。この答えによっては、結界の歪を通るだけではなく、時間旅行までしている可能性が出て来るからだ。そうなると蓮子ですら手に余る問題に違いない。私など言わずもがなだ。
「早苗が来たのは、今から十二年ぐらい前だな」
「私が覚えている限り、十二年ほど前ですね」
答えが出た。守矢神社消失が西暦2007年、そこから十二年後、つまり今は、西暦2019年。
今は……西暦2019年、皇紀2679年……8月15日の、満月だ。するとなると、正しく、外の世界は大病床期真っ只中。戦争での死者を上回る勢いで、人間が死んでいる頃。私は思わず、口元をふさぐ。
「……幻想郷で、病気は流行っていませんか、魔理沙さん、阿求さん」
「いいや。ただ、だいぶ彼岸に流れる人間が多いな。ここの彼岸は幻想郷からの死者を主に扱ってるが、他の彼岸のキャパシティを超えると、こっちにも人間が割り振られるって閻魔様が行ってたぜ。その辺りは阿求のが詳しいだろ」
「成程。今外では病気が大流行なんですか。もしかして、それで幻想郷に逃げて来た、と?」
「そんな単純な話なら、私もメリーも頭を悩ませたりしないのよね。取りあえず、ここは無事なのね?」
「外の流行病が幻想郷に流入したりはしませんよ。八雲が許しませんでしょうし。本当に、随分と込み入った事情が御有りの様子ですね、お二人は」
阿求さんは呆れるでもなく、むしろ興味深そうに頷く。その興味、もっともだ。
過去何度か幻想郷に流入して、その都度何かしらはして来たけれど、ここまで追求したのは初めてだし、まさか自分がタイムスリップしているとは考えもしなかった。蓮子の話がなければ、きっと死ぬまで気が付かなかったに違いない。
「蓮子、どうしましょ」
「どうもこうもないわ。ねえ魔理沙さん、明日にでも守矢神社に案内してくれるかしら」
「ああ、霧雨なんでも屋は観光も請け負ってるぜ。じゃあ明日の午後にでも」
「ありがとう。メリー、面喰ってる暇はないよ。こんな機会、二度とあるもんじゃないのだから」
「なんか突然やる気が出たわね。ごめんなさい、阿求さん、うちの蓮子が子供みたいにはしゃいで」
「いえいえ。私の好奇心も満たせるのですから、好きなだけ滞在してください」
取りあえず、阿求さんのご厚意を預かり、幻想郷観光は上手く行きそうだ。元の時間軸に帰れるか否かなど、色々疑問はあるけれど、過去帰れなかった試しもないので、たぶん大丈夫だろう。寝ている間ではなく、ちゃんとハッキリとした意識の中、幻想郷の人と交流を交わせば、色々なものが見えて来るに違いない。
それに秘封倶楽部の活動として、今日ほど完ぺきなシチュエーションもないだろう。
「メリー、魔理沙さん、阿求さん、ちょっと並んで」
「あ、カメラか? お前、天狗か何かか?」
「天狗? 良く分からないけど、記念撮影」
机の上にタイマーをセットしたカメラを置き、私達の輪に蓮子が飛び込む。二人とも写真には慣れているのか、阿求さんも魔理沙さんもピースでシャッターを待ち構える。
カシャリ、という音と共に、私達が枠の中に納められた。
「お、撮った写真が直ぐ表示される奴か……うん、相変わらず私は美人だ。お前らもそれなりだな」
「魔理沙さんは本当に美人ですね羨ましいわ。ねえ蓮子」
「ほんとうねー。美人ねー」
「ば、ばっか。あんまり褒めるなよ……」
おだてておけば明日の観光もすんなり行きそうだ。単純なんだか純粋なんだか良く分からないけれど、彼女は本当に嬉しそうなので水は差さない事とする。私達と大して変わらない背格好なのに、たぶん年上だ。幻想郷では見た目ほど信用ならないものはないという話は本当だ。
「さて、お二人とも、御夕飯は?」
「まだですわ」
「まだよ」
「まだだぜ」
「……ま、いいでしょ。魔理沙さんも食べていってください。面白い方々を連れてきてくださったお礼に」
「言ってみるもんだぜ」
「食事も御酒も人が多い方が美味しいにきまってます。腹を割って色々話して頂きましょうかね」
「阿求、お前はー……」
「何、短い余生、楽しまなかったら損ですよ。魔理沙さんも手伝ってください」
「あー、まあ、いいぜ。ツマミの準備してる間ってのは実に充実してるもんだからな」
そのように言って、二人が部屋を後にする。残された私達は互いに顔を見合わせて、なんだかおかしくて笑ってしまった。世の中、面白い場所があるものだな、なんて。元の世界に戻れる保障が無くても、私達はあまり悲観的にはならない。もとより、焦がれる程外の世界に残してきたものは無いし、互いに立派な家庭環境に有ったともいえないからかもしれない。
「あ、言い忘れたが」
「はい?」
「幻想郷は、幻想郷を享受するものを悉く取り込む。そういう魔術の下にあるんだ。帰りたいと思うなら、あまり幻想郷に入れ込まない事だな」
「だってさ、蓮子」
「ふぅむ。メリーの経験を聞くに、もしかしたら明日にも元の世界に戻る可能性だってあるし、その辺りはあまり意識しなくてもいいかもね。どうせ、私達は部外者で、時間旅行者」
蓮子は事も無げに言う。確かに、どうせ私達はそんなものだ。目を覚ませば全ては泡沫に消えているのだろう。
ただ、この思い出は消えないんじゃないかな、なんて考える。日々刻々と過ぎて行き、私達はやがて大人になって離れてしまうかもしれない。再開する度に、あの時は楽しかったね、なんて幻想郷の想い出を語れるとすれば、それは素晴らしい事だ。
「幻想郷の御酒、どんな味かしら」
やがて現れた魔理沙さんが、一升瓶を両手いっぱいに抱えて来た所で、私達は死を覚悟した。
――おそらく西暦2019年 おそらく8月16日 幻想郷 稗田本家 客間 1時25分
「あぁー、ちょおっと、メリー……どこいくのよぉう……置いていかないでよぉ……」
「縁側で涼むだけよ。おいていかないから、魔理沙さんと遊んでて」
「ああ!! なんて薄情な相方か、なあ蓮子、お前の相方は薄情だなあ……!!」
「そうなのよ! あの子、知ってるくせに思わせぶりな態度とってね、私をいじめるのよぉ……」
「若い、若いなぁ……でも居るんだよな!! そういう奴……!! 魔理沙さんにはよぉく解るぞれんこぉー」
「はあ、蓮子泣きたい……蓮子泣きたい……」
「泣け!! さあ、魔理沙さんの胸で泣いておけ!!」
「うあぁぁぁー……」
「酷過ぎる……」
蓮子がこうなってしまうのも、解らないでもない。そう、何せ純度100%、交じりっけ無しの合成でない本物の米から作られたドブロク、清酒、焼酎のフルコースだ。よっぽどの金持ちが、超大道楽で作るようなお酒を眼の前に出されて飲まない訳もない。おつまみも信じられないくらい美味しくて、今後合成食品をまともな顔で食べられるだけの自信がなくなってしまう程だった。
おつまみは美味しいし、魔理沙さんは陽気だし、話も弾むし、お酒の消費量が跳ね上がるのも仕方がない。
「とはいえ、ちょっと弾けすぎね」
頬に三回、唇に五回、額に六回もキスされた挙句胸まで揉みしだかれた。もはや私に純潔のじの字もない。きっとこの状態で二人一緒に放置されたら、私も彼女も明日には清らかな体ではなくなっている事必定だろう。
なのでせめて私ぐらいは理性的に居ようと思い、縁側へと出て来た。空から月は去り、星々が暗い夜空を彩っている。視線を下ろせば隅々まで手入れの行き届いた日本庭園があり、座って眺めているだけで心に平静が宿る。こういう庭は、私の居た時間軸にもちゃんとある。一応、受け継がれるものはちゃんと受け継がれているらしい。
「……ふぅ。なんでこんなに美味しいのかしら」
手元にはグラス。魔理沙さんが『お猪口? しゃらくせえコップにしちまえ』などと言うものだから、せっかくの粋が台無しだけれど、確かにこれだけ美味しくて沢山飲めるなら、雰囲気的にもこれだろう、なんて納得する。
「楽しんでもらえて何よりです」
「ああ、阿求……さん」
この混沌とした中唯一の情緒守護者とばかり思っていた阿求さんだけれど、そうでもないらしい。着物は暑いのか肩まで着崩されているし、だらしなく障子戸に背中を預けて、尚且つその手には徳利が直に握られている。目がなんだか座っているけれど、顔色は紅いし、表情も緩い。ああなるほど、と頷く。こんな女性が眼の前に居たら、きっと男性はイチコロに違いない。
「蓮子がはっちゃけちゃって。魔理沙さんもだいぶ楽しいみたいだし」
「まあ、幻想郷じゃ良くある事です。飲み会やら花見だと、凄いものが見れます」
「見たくもあり、見たくなくもあり」
「楽しいですよ、凄く。貴女の居た時代にも、お酒ぐらいありますよね?」
「まあ、有りますけど。本物の材料で作られたお酒なんて、初めて呑みましたわ。昔の人はこんな美味しいものを呑んでいたんですのね」
「お聞かせ願いますか。たぶん、その話だと食料がまともに支給されない時代が今後有り得る、という事でしょうから」
「過去の人に未来の助言は……あー、ここは幻想郷ですし、たぶん大丈夫でしょうから話します」
幻想郷に通じる彼岸に魂の数が増えている理由が、外の世界の病原体大流行に有る事。その後やってくる大貧困によって、今まで当たり前に食べて来たものが食べられなくなってしまった事。文明保持ギリギリの状態を如何に遣り繰りするか悩みに悩み、究極的な科学世紀に突入した事。
大きな出来事から小さなものまで、私はつらつらと阿求さんに語る。
「一つだけ、気になります」
「なんでしょう」
「あらゆる感染症や病原体は、完全に死滅して消え去ったり、しましたか?」
「いいえ。まさか。人間が居る限り、有り続けます」
「……なら、良いんです。いえ、良くないですがね。ここは幻想郷ですから、外で幻想となったものが、集まります」
「……成程」
「ただ、もし本当にそれだけの災厄がここに訪れたとしたなら、それが幻想の終りなのだと思います。貴女達は未来から来たという話ですね」
「ええ。西暦で2071年から。今は恐らく、推測ですけど、2019年ですわ」
「貴女の時代と並行した時間軸の幻想郷へは、行った事もないんですよね」
「解りません。何せ、ちゃんと意識を持ってここへ来たのは初めてなので」
「紅魔館と言っていましたが、訪れた事は何度かあるのですね、時間問わず」
「ええ」
「誰がいましたか?」
「銀色の髪をした、綺麗なメイドさんとか……」
「十六夜咲夜。歳のころは?」
「十代……の後半?」
「彼女もだいぶ大人の女性です。するとなると、今から十年くらい前に訪れた事がある、となります。やはり、未来の幻想郷には訪れていない、ですね」
阿求さんの顔に少し陰りが見える。人里の有力者という程だから、やはり幻想郷の未来も気がかりなのだろう。とはいえ、行った事がないだけで、幻想郷が滅びているなんて確証は何処にもない。
「此方へは意図的に入れるけれど、時間までは指定出来ないんですね、貴女は」
「ええ。未熟なのか、能力の限界なのか」
「……あまり極めない方が身の為かと。貴女が流入している事、あの八雲紫が知らない訳がない」
「それほどの、妖怪ですか? 私に似た?」
「悪い人じゃ、ありませんよ。むしろ、慈悲深い。誰も理解しようとはしませんけど。いえ、彼女自身が誰にも理解されようとはしていない。式といって、従者も居ますが、本来孤独な妖怪なんです。たぶん彼女は、寂しかったからこそ、幻想郷なんて世界を作ろうと思ったんじゃないかと……この歳にして、ようやく理解しました」
……。
言葉は続かない。阿求さんは話を打ち切ってしまった。ただ、そこまで思わせぶりに言われると、どうしても気になってしまうのはこれ致し方無き事だとは思うのだ。
「八雲、ですけど」
「ええ」
「逢う事って、出来ます?」
「うーん……」
「難しいです?」
「一つに、神出鬼没。一つに、夜しか動かない。一つに、あまり逢わせたくない。向こうが接触して来るなら、むしろそれは大事故です。熊に襲われたとか、牛車に轢かれたとか、そのレベルを考えるべき」
「前の二つは解りますけれど、あとの一つは。そんなに、逢うべきではないヒト?」
「私が稗田阿礼の転生体であるという話はしましたね」
「……ええ。俄に信じ難い話ですけど、見せて貰った資料も、記録も、裏付けは十分でしたわ」
「もうひとつあります。私は見たもの、聞いた事を決して忘れません。虚空蔵求聞持法と言いまして、空海が会得したものと同じ法を代々引き継いでいます」
「……ふむ」
「改めてもう一度聞きます。貴女は彼女の縁者ではないんですね? 素のままの人間ですか?」
「――」
素のままの人間か、と面と向かって聞かれると、私は答えに詰まってしまった。数多といるESP能力者の中でも、私のような特異能力を所有しているものは極少数であると専らの噂であるし、私のご先祖はかの小泉八雲だ。異界を観ていたからこそ、あのような小説を執筆していたのではないかとまで言われている人物であるから、その末裔たる私が、そのまま本当にただの人間かと言われると、即答は出来ない。
「ハーン……ヘルン、ですかね。私の本名は小泉真絵理縁です、国籍は日本人ですよ。代々、小泉八雲の頃からその子孫は通名で洋名も名乗っています。能力は……境目を見る程度、弄る程度の能力です」
「左目、何かありますね」
「――凄い観察眼ですわ。高いんですのよ、この義眼。最新式のもの。飾りじゃなくて視覚もありますし、電気信号で筋肉にも働きかけていますから、瞼の動きだって完璧に再現出来る筈なのに」
……。私はコップを縁側に置くと、左目の直ぐ横を少し強く押す。カチリ、という音と共に私の左目は、そのまま掌へと収まった。握りしめたそれを、阿求さんにそっと見せる。
「異能は異能であればあるほど、犠牲にするものが大きい。精神であったり、性格であったり、身体であったり。私の場合は寿命、貴女の場合は、その目ですか」
「過去、私の先祖にも何人かいますわ。私は殊更、その気が強い。生まれて以来私には左目がない。小泉八雲、ラフカディオ・ハーンは左目の喪失と共に、異界を見始めたのではないかと、言われています」
「先祖返り、ですか。何か親近感を覚えますね、貴女には。私は発達した記憶力と引き換えに、寿命が長くありません。あと数年もすれば動けなくなり、そして死ぬ事でしょう」
「辛くはありませんか」
「最初は辛かったようです。でも、今の幻想郷を見ていると、そうは思わなくなりました。妖怪の知り合いも沢山増えましたから、また転生しなおす頃には、顔見知りも生きている事でしょう」
「……」
「八雲立つ 出雲八重垣妻ごみに 八重垣作る その八重垣を」
「スサノオ、ですね」
「小泉八雲は島根の松江に住み、松江の士族の娘、小泉節子と結婚しました。日本名は出雲を象徴するその八雲からとったものでしょう。ご存知かも知れませんが、小泉家の縁者には出雲国造が居ます」
「……」
「八雲紫は何時から生きているのか、どのようにして生まれたのか、定かではありませんが、神話の昔と言われても、私は驚きません。その八雲が、八雲と名乗る限り、これに関連していない、とはとても思えないのです。貴女は出雲国造、つまり国家祭祀の有力者の親類です。血のつながりは無いでしょうが、逢わない方が、身の為です。長くなりましたが、こんな理由ですかね」
阿求さんはそこまで口にすると、疲れたようにだらしなく胡坐をかいて徳利から直接お酒を飲む。深い溜息が洩れるのと同時に、彼女の緊張したような顔も抜けて行った。私は左目を元に戻すと、阿求さんに倣ってコップのお酒を一気に煽る。日本酒の甘い香りが鼻を抜けて行き、アルコールが喉を焼く。
阿求さんの話はこじ付けかもしれない。ただ、言っている事の殆どがその通りだし、私にソックリだと言う人が、尚且つ八雲と名乗っているのなら、関連性を無視出来ない。幻想郷で最も力を持った妖怪の一角である八雲紫に出会った所で、私の得るものは何かと問われても、まっとうな理由は見つからなかった。単なる好奇心だからだ。
「歳を追う毎に、語り癖が酷くなります。嫌わないでくださいね?」
「興味深い話でしたわ。飛躍した論理でしたけど」
「あはは……でも、貴女が彼女に似ているのは間違いありません。ドッペルゲンガーをご存じでしょう?」
「ああ、芥川龍之介もやられたアイツですね。出会うと死ぬっていう」
「同じ顔のモノには逢わないのが吉です。入れ替わるかもしれませんから。何せ、ここは幻想郷」
「外で死滅したあらゆる幻想が集まる場所。ここではありえないことがありえる」
「幻想郷、楽しんで行ってください」
阿求さんがニッコリとほほ笑む。少しおしゃべりだけれど、あらゆるものが揃っている彼女は本当に美しいと思えた。その代償が寿命かと考えると、何とも言えない気持ちもあるけれど、眼の前にある素晴らしいものを私は否定出来たりしない。
「見どころは?」
「夏ですと、青い稲が広大に渡る田圃なんて、何時見ても壮観です。里を観光するのも良いでしょう。たぶん、貴女達にはなじみの無い、もしかしたら昔懐かしいものまで揃っているに違いありません。命蓮寺という大きなお寺もあります。ちょっと昔に来て、里で一番の信仰を集める大寺院に成長したんです、相当に立派ですよ。それから、魔理沙さんがいるなら三途の川も良い。ゆったり流れていて、日本の川とは思えない程に雄大です。博麗神社は……八雲が良くいるので、昼に行った方が良い。あそこから見下ろす景色は心にスッと落ち着くものがあります。……そしてやっぱり、幻想郷入りした大神社、守矢神社と諏訪湖、立ち並ぶ御柱でしょうかね。御柱祭も復活したのですが、残念ながら時期じゃありませんでしたねえ……」
「見て回りきれるかしら……」
楽しそうに語る阿求さんの声色に、なんだか私までワクワクしてくる。ここまで来ておいて、本来の目的である守矢神社しか行かない、なんて手はまずない。魔理沙さんが飽きる前におだてておいて、徹底して観光につき合って貰おう。
これほど胸が高鳴るのは一体、いつ振りだろうか。私も、それに蓮子も、生まれてからずっと勉強ばかりしてきた身だ。その反動として、いつも小旅行を楽しんでいる私達にとって、これだけの大イベントはきっとこの先二度もない。
「阿求さん……その……」
「ええ、解ってます。少しばかりですけど、御駄賃も必要でしょ?」
「あ、あいや……」
「……ふふ。楽しみを眼の前にした子供みたいな目をしてますよ。おねだり上手ですねえ」
「いや、そんなつもりは……」
「良いんです。言っちゃなんですが、あの怪物を妹にしたみたいな優越感があります。たまりませんね……」
「――え、えぇ……」
クツクツと彼女は笑い、袖で隠した目を此方に少しだけ向ける。これだけの美人に窘められるような経験のない私にとって、その嗜虐に満ちた瞳に対抗する手段がない。本当に、良く表情の変わる人だ。……もしかして、ただ酔っているだけだろうか。
私は阿求さんの如何わしい目を避け、奥の蓮子達へと視線を向ける。
「……ほうほう、それで?」
「それでね、それでね、メリーがまりしゃしゃんに渡したそれ、実はね、女性のー……」
「ふふーん、へえーそっかあー!! じゃあ蓮子、試してみるか?」
「で、でもわたし、メリーとしかしたことないし……」
「まあまあ、そんな事気にしてたら幻想郷じゃ生きて行けないぜ。さぁて、このスイッチをー……」
――私は駆けた。
どれほどの速度が出ていたのか、きっと獲物をとらえんとする猛禽類も裸足で逃げ出す程の速度で駆け、そして飛んだのだろう。板の間に踏み込み、一歩、ちゃぶ台を踏み台にし、二歩、そして揃えた両足は確実に着実に、魔理沙の阿呆のドテっ腹に悉くめり込んだ。
「どっせぇぇぇぇぇぇぇぇーーーーーーーーーーーーーいっっ!!!!」
「うわらばッッッ!!!!!」
「メリー!!」
「ぶはっ……蓮子、無事ね!?」
「メリー……ちょうかっこいい……」
「あら、今更気が付いたの? もっとかっこよがっても良いわよ、蓮子」
「好き、好きよメリー、愛してるわ。結婚して!!」
「おーよしよし……」
「お、おお、おいメリー……会って数時間しか経ってない妖怪に……そりゃあ、無いんじゃないか……なあ?」
「妖怪に謝る言葉はないわ。危なく眼の前で寝取られそうになったこっちの身になりなさい魔女」
「表に出ろ!!」
「上等じゃない!!」
「やめてー私のためにあらそわないでー」
ピンクの謎機械を握りしめた私は、庭に出て魔理沙と対峙する。取っ組みあった隙に、私は謎機械を彼女の下半身を保護する肌着の中に突っ込み、スイッチを入れた御蔭で勝利を収める事が出来た。やはり所詮科学の前には前時代的な魔法など造作もないのだと改めて感じる。流石最新式、自動で一番都合のよい部分を探り当ててくれる。持ってきて良かった。
「あの」
「何でしょう、阿求さん」
「楽しそうですね」
「ええ!!」
元気よく答え、私はそのまま庭にぶっ倒れる。急に動いた所為で、アルコールが回ったのだろう。たぶん今日の出来事も、酔っ払いの楽しげな不規則行動だとして魔理沙さんも大目に見てくれるに違いない。じゃなきゃ明日には食われる。
「蓮子さん、御布団しきますから、手伝ってください」
「はあ……ふふふっ」
「――ゆかいな人達ねえ……」
阿求さんの大きな溜息が、妙に印象的だった。
つづく
続編、期待してます!
もうオリジナル書けばって感じ。東方から離れたら誰も付いてこないだろうけど
次も期待してます。
続き物の作品には基本的に点数は入れないのですが、溢れんばかりの期待感を放出したいが為に、この点数を入れさせて頂きます。
続編の執筆も是非頑張って下さい!
続編期待してます!
ついに俄雨さんが秘封倶楽部を書くのか!いつか書いてくれればいいなとは思っていたけどついにきたよ・・・・・・
続きを楽しみにしています!ごゆっくりどうぞー
教授の暴走トンデモ理論に超期待。
どんな話になっていくのかは分かりませんが、続編期待です
秘封夫婦の独自設定が素敵ですね
続編に期待してますちゅっちゅ
続き楽しみにしています。
と言いたいところだが作者名とやたらエロエロしい話につられた
面白かったから続編期待
続きが気になるところです
とても好みなので嬉しいです。
網膜に焼き付いている男の姿を幻視する娘の話を思い出した
なんかすっごいシリアスになる予感…と思って最後までみたら
そんなことなかった
メリー、なんてものを持ってるんだ。
よりによって魔理沙に渡すとは…グッジョブと言わざるを(え
最後で使うとは思わなかったけどw
ギャグシリアスどっちつかず…ちょっと配分が微妙な気もする
続きを待ってます。
秘封は大空魔術のジャケット読んで音楽聞いてはまったカップリング
出だしはいい雰囲気