「早く寝ないとクランプスが来るわよ」
私は小さい頃お母さんからよくそういうことを言われた。クランプスとはドイツ南部に伝わる化け物らしい。悪い子の前に現れて子供を連れ去り脅す。お母さんはバイエルンの出身だった。
クランプスはクリスマスの期間にだけ現れるのが本来のあり方らしいが我が家のクランプスは一年中、どこにでも来た。春のギリシャに来た。夏のアイルランドに来た。
私は両親の仕事の都合で齢一桁にして日本に来て、そして大学入学が決まった瞬間に私を置いて日本から出ていった。空港でも子供時代と同じこと、いい子にしていないとクランプスが来るというようなことを言われた。わざわざ極東の地までご苦労さまだ。どう考えても我が子を置き去りにして海の向こうに行くような奴こそ化け物に罰せられるべき悪人なのだが、クランプスはあくまで私を標的にしているらしい。
当然十八にもなれば親の言うことが詭弁ということは分かっていた。結局子供に言う事を聞かせるには理屈をこねるよりも悪い事をすると怖い目に合うということにしたほうが遥かに効率的なのだ。川で泳ぐと河童に襲われる、みたいなお金のかからない安全インフラなのである。ああそうだね。河童はいた。数百年前に絶滅したけれど。狼と並んで人間の敵だったが、人間の敵だったが故に人間の安全と繁栄に寄与し、そして消されてしまった存在だ。
「河童は結構昔に絶滅したけれどさ、川で泳いでいると河童が来るってのは今でもまあまあ『それらしさ』があるわけよ。同じ絶滅動物の例えでも、一人で山を歩いていたらマンモスに襲われるよ、だとあまりにも馬鹿馬鹿しい。そう考えると河童って凄くない?」
「今この光景を見て口から出てくるのが河童の話っていうメリーの思考回路が凄いわよ。頭の中どうなってんの」
私達の目の前には蓑を被ってナタを持った鬼がいた。まあ、怪異じゃなくて単にそういう出し物ってだけなんだけれど。だから蓮子の言う凄いは、危機的状況に何暢気なこと考えてるのではなく、鬼と対面してるんだから河童じゃなくて鬼のこと考えなさいよ、なのだろう。しかし思考が脳内でくるくる転がっていって最終的には当初と全然別のことを考えているなんてよくあることではなかろうか。むしろそうでなくては進歩がない。
それにしても、この鬼。ナマハゲという名前らしいが、悪い子を探して町を練り歩き、家に入ってくることもあるという。どこかで聞いたことのある話だ。観光案内所の説明によれば正確には鬼ではなくて年末年始に来る来訪神という。じゃあ今がそういう時期なのかというとそうではなく今は九月、東北と言えども残暑がまだ厳しい時期だ。一年中来てもらわないと子供の教育によくないから仕方のないことなのかもしれないが、洋の東西問わず親というものは怪異使いが荒いものらしい。雪対策で羽織ってるのであろう蓑なんて、この季節じゃ絶対暑いだろう。ナマハゲさんにだって夏服を着る権利くらいあると思う。
「お疲れ様ね」
私はあくまで神としてのナマハゲに敬意を評してそう言ったつもりだったのだが、「中の人」がいるかのような反応が癪に障ったということなのか、はたまた純粋に失礼ととられたのか、ないしはそもそもそういう存在なのかやたらめったら怒られてしまった。ナマハゲ心理は難しい。
†
秋田まで来たのは季節外れのナマハゲを見るためではなく、県内の廃寺に結界があるという噂を聞きつけそれの夜間調査をするためだった。
明らかに「悪い子」の行動だという自覚はある。やっぱり昼にナマハゲに怒られたのは妥当なことだったかもしれない。しかし、悪だからというのは探求をやめる理由にはならない。思うに、有史以来、学術的発見というのは天使にお伺いを立てて神の御業を知るというキリスト教徒が喜びそうな関係よりも、むしろ悪魔と対話をしてその対価を得るがごとき営みだったのではなかろうか。私は知識を得るためならアモンにもヴワルにも魂を売るだろう。おそらく蓮子だって同じ気持ちだ。禁忌を犯さずして何が秘封倶楽部か。
……という意気込みは夜闇の恐怖への本能的裏返しでもある。秋田の夜は暗い。余りにも暗すぎる。なるほど、現代日本の集約政策は是が非かと問われたら、やむを得なかったのだろうという理由で消極的に是と答える。だが集約とは悪く言えば切り捨てであり、この県の大半は残念ながらアポトーシスされた側だった。
廃寺もそれが属していた町ごと捨てられて廃れた場所だった。しかし、その前の道は当然荒れに荒れていたとはいえ、まだ雑草がアスファルトを完全に破砕するには至らず、雑草とアスファルトはまだらになっていた。廃寺の詳しい情報を調べるのは蓮子に任せっきりだったから実は事情をよく知らないのだが、廃寺になったのは意外と最近のことなのだろうか。東京の環状線の外側が切り捨てられたより後のことのようにも見える。集約政策とは人口政策のことであると一般的には言われるが、こういうところを見ると他の事情もあったのではないかと邪推したくなる。結界を観測する技術が発明され方方を調べると、日本中に結界がある。しかし日本全土、三十八万平方キロメートルの結界全部をどうこうする財源や人員があるはずもなく、まだ人がいる、人口をトリアージ判定するならば黒タグではなくせいぜい赤だった場所からもやむを得ないのだと人を立ち退かせ……。
寺は塀に囲まれていた。いくらか崩れてはいたが、敷地の中と外がはっきりと区別できるくらいには残っている。寺の内側はススキの草原だった。蓮子が鎌のようなもので邪魔なススキを刈りながら前進していく。銃刀法違反の五文字が脳裏によぎるが、廃寺が草で埋まっていて道を切り開かないといけないという可能性は私には思い至らなかったので法律違反については不問にしてあげることにした。
ただ、敷地内は確かにススキで埋まっているのだが、正門からお堂に繋がる参道はまだススキの密度が薄い。石畳だから生えてきにくいと考えるのが自然だろうが、他の疑念が脳裏をよぎる。
噂の内容は大体が「夜に前を通りがかったらお堂の縁側に動くものを見た」といったものだった。何個目かの報告が誘蛾灯となりオカルトマニアがこぞって訪れるようになった。昼に行った者は全員空振ったが、夜のオカルトマニアは怪奇現象に出くわすこともあった。
「つまりデンデラ野や七夕坂のように時間に大きく影響する結界と考えられる」
お堂までの道を開拓しきった蓮子は得意げにそう言った。
「そうなんでしょうけれど、一個気になることがあるのよね」
「何かしら」
「確か噂の中に『仏像の背後を白い影が動いた』とかそういうのがあったじゃん」
「あったわね」
「でも外からだと仏像の後ろどころか仏像自体が見えないのよ。つまり私達より前に中に入った人が」
こう考えれば、ススキの密度の差にも説明がつく。すなわち獣道ならぬ「人道」が門からお堂にまでできていたのではないか、と。
「オカルトマニアなんて倫理観のネジが吹っ飛んだ酔狂だからそういう人もいるでしょうよ。それに仏像の話は廃寺になる前のことかもしれない。いずれにせよ何時に結界が開くとか、そういう構造を一切発表していない時点で調査としては甚だ不十分ね。私達にはそれを解き明かす使命がある」
こうして酔狂二人は縁側を踏んだ。
廃寺は薄く埃が積もっていた。埃は人が活動している場所じゃないと積もらないという話を聞いたことがある。だとするならば、やっぱり廃寺になってからも人の出入りがあったのだろうか? でも人が全く入らない遺構でもこういう薄く粉砂糖をまぶしたみたいな埃の積もり方をしているのはよくあることな気もする。
「十時三十八分」
蓮子は少し神経質な声で空に呟いた。まだ何も起きていない。何かが起きるにはまだ早すぎる時間なのだろう。
それにしても、いつから夜の十一時前が「まだ早すぎる時間」になったのだろうか。昼にナマハゲを見てクランプスのことを思い出したからか、そんなことを考えてしまう。子供の頃は十一時どころか十時には寝かされていて、今の自分の性格を考えたら誠に信じがたいことに、言いつけに素直に従って布団に入っていた。
「十時四十五分」
仏間に入り、屋根に空いた穴を蓮子は時計にしていた。まだ何も起こらない。蓮子に結界があるのかどうか聞かれた。結界は確かにあるが閉じている。二度と開かない死んだ結界なのかまだ開いていないというだけなのかは分からない。私の技能がどうこうという問題ではなく、例えば火山の休火山と死火山の境界が実はあってないようなものというのと同じことだ。私は富士山は死火山ではないと固く信じている。
夜起きていて何かあるわけではないというのを考えると、逆にどうして夜更かしが悪いことだったのだろうか。成長にどうこうとか睡眠時間がどうこうとかいう理屈は確かにあるのかもしれないが、「健全な成長」という名目で子供時代に夜起きなかったがために得損ねたものはあるはずで、両者を天秤にかけたらその傾きはどうかと思わざるを得ない。
「十時五十八分」
一度仏間を出て残りも一通り見て回ろうということになった。何かあるとしたら一番高確率には仏間なので待つという選択肢もあったのだろうが、見れる場所があったら全部見るのが秘封倶楽部である。ただ何かあるとしたらキリのいい時間だという経験則があったので縁側をぐるりと一周したところで一度仏間に戻ることになった。注意深く観察していたので十分以上かかったが普通は数分で見物が終わるような小さな寺だ。正直オカルト騒ぎがなかったら歴史に埋没していたんじゃなかろうか。
仏間に片足を入れるときにふと自分は悪い子に育っちゃったなあと思った。後悔はしていない。いい子ぶっていた昔よりも羽目を外した今の方が楽しい。親がどう思うかということについても、我が親なら「まあ私達の娘ならそう育つだろうね」と笑ってくれるのではなかろうか。子供の目にも、両親が子供時代の私と今の私のどっちに近かったといえば後者だった。絶対いい子ではない。善人が子供を一人置いて外国に戻るかねというのを抜きにして。それすらも、私はいい子じゃないからむしろ自由になったと感謝しているフシがある。
それにしたって夜更かしはするわ墓石は回すわ夢の世界から筍引っこ抜いて来るわ、未知のウイルスをもらってサナトリウムのお世話になるわ旧型酒で酔い潰れるわ友人ほっぽりだして一人旅に出て二週間行方不明になるわ不法侵入するわやりたい放題しすぎたなあと苦笑せざるを得ない。
「十一時ジャスト」
仏間がやたらと暗い。懐中電灯の接触不良だろうか。懐中電灯により昼間のような明るさを得ていたが、それは文明という実に不安定なものの上にかろうじて立っている明るさにすぎなかった。
結界の隙間が開いている。私は躊躇なく入り込んだ。多分蓮子は後ろにいる。開いてるよの一言くらい言うべきだったな、と気が付いたときには私は向こう側にいた。
向こう側に行くと同時に目が暗闇に慣れてきた。そもそも全くの暗闇というわけではなく半月ながら月は出ているのだ。九月の月は結構明るい。
涼しい風が背後に当たって振り返った。こっちでは廃寺なら向こう側では廃されていない寺、なんてことはなくどっちの世界でも廃寺のようだった。障子戸があるべき場所が空洞になっている。
風の先、廃寺の外に動くものが見えた。向こう側の世界では外がススキの野原ではなく森林という違いがあると分かったが、その森林の木々の切れ目を人影が通っていた。
影はこちらに近づいている。それがもし人食いの化け物だったらという危惧はゼロではなかったが、それでも私は更に近づいてくるのを観察していた。ここで帰ったら「廃寺になんかいた」ということしか知らないこれまでの有象無象オカルトマニアと同レベルだ。
影だったものが森から抜けて廃寺の建っている少し開けた場所に出ようとしているところで、月の光が影の光りやすい部分の見た目を変えた。ナタのような刃物を片手に持っていて銀髪か白髪の髪。
クランプスだ。
クランプスはどこにでも来た。春のギリシャに来た。夏のアイルランドに来た。そして、秋の日本の結界の向こう側にも。
クランプスから逃れるにはいい子にしているしかない。だから大人達は口を酸っぱくしていい子にしていないとクランプスが来ると言い続けていたのだ。大切な我が子を刃物を持った怪異から守るために。
でもやっぱり大人がいい子にしていなくてもクランプスに襲われないのに、法律的にも社会的にも大人なはずの私がクランプスに襲われるのは不公平にも思う。大人になりそこねちゃったのだろうか。自覚はちょっとある。この目を得ている代償として? 自覚はかなりある。でもそうした心当たりがあるからといって大人になることも目を失うこともできないししたくもないから、今するべきことはクランプスから逃げること、そして少なくともほとぼりが冷めるまではいい子でいること。
私は全力疾走して結界から戻った。
「ちょっと、暗いんだから黙って一人で動いたら危ないでしょ」
蓮子に注意された。彼女には、私は勝手に仏間から出てどっか行ってたかのように見えたのだろうか。
「ごめん。でも今はそんな場合じゃない! 今すぐ帰るわよ! 結界の向こう側にクランプスがいる!」
私はそう叫んでお堂を駆け足で飛び出した。黙ってはいないからこの行動は無罪なはずだ。実際蓮子も観念してついてきている。
「クラン……何?」
「そういう名前の化け物よ。要は中欧版ナマハゲ」
「中欧って、ここは日本よ?」
「苦情言いたいのは私の方よ! でもあいつは悪い子の前にはどこにだって来るの! 親が日本を出ていくときにも来るって言われた。そのときは信じてなかったけれど、それでも来た!」
放棄された秋田の元田舎町の道は荒れ果てている。接触不良が直って四、五メートル先くらいまでなら照らすことのできる懐中電灯有りだとしても駆け抜けるなんて無謀な危険さだろうが、追い詰められて集中しているときの動物的本能がなせる技か、アスファルトが抜けて落とし穴になった窪み足を取られるようなこともなく、無事駅まで着いた。消えた町だが唯一駅だけはまだ文明である。念の為停まっておくか、という顔をした電車が日に数度来るだけだが、それでも待っていれば無事に帰ることができるだろうという安心感はあった。
†
最近メリーの人付き合いが悪い。
人付き合いが悪いは言い過ぎかもしれない。ランチやカフェは普通に一緒だし、そこではいつもどおりに会話が弾む。しかし秘封倶楽部の活動となると、特に夜の探検にはここ数週間賛同してくれない。これがいかに由々しき事態かということは火を見るよりも明らかだろう。秘封倶楽部は本来夜型なのだ。
最初数日は体調不良かと様子見し、状況が変わらないともうちょっとデリケートな事情があるのかとますます首を突っ込みにくくなってしまったが、それで何週間も活動休止ではたまったものではない。ちゃんと考えれば分かることだが、大学には来ているのだから体調不良ではないし精神的なものとしても二十四時間病んでるというのではないだろう。
「活動に飽きたの?」
なので多分聞くこと自体に問題はないのだが、もうちょっと柔らかい聞き方はできなかったものかと我ながら思う。この辺が狭い交友関係に甘んじている原因なのだろう。
「ああごめん。そういうわけじゃないんだけれどね……」
哀れなマエリベリー・ハーンは萎縮してしまった。私も話しかけづらい(この状況でスムーズに話しかけることのできるコミュ力の持ち主はそもそも初手デッドボールで冷え切った空気にしないのである)ので、間に置かれた二つのコーヒーを無為に冷ますだけの時間が五分くらい続く。
「前に秋田に行ったときさ」
メリーが重い口を開いた。
「クランプスを見たって言ったじゃん」
「あー、なんだっけ。ナマハゲの亜種だっけ」
「亜種ってそんな動物みたいな。まあ合ってるといえば合ってるのかな。で、目をつけられたから対処法を調べてたのよ。ところがほとんど回避方法が見つからない。ポマードとかベッコウ飴とかで退治できればいいのに」
「それどっちも口裂け女じゃん」
「そう、口裂け女は要は子供が生み出した都市伝説だから子供でも対処できる設定なのよ。ところがクランプスは大人が子供を教育するために生み出した怪物だから『いい子にしている』以外の解決法がない。大人って意地悪だよね」
メリーは観客若干一名に大人の意地汚さを演説しだした。しかし我々も世間一般には大人であるからにして、この演説は自分達の身勝手さをも表明するという一種の自爆にもなってしまっている。
あるいは、まさかメリーは自分が大人ではないとでも思っているのか?
「名実ともに大人になっちゃえばいいのよ。クランプスを使う側にたてばもう襲ってはこないわよ」
「オールドアダムで二日酔いするまで旧型酒漬けになってそれでも大人扱いされないならこれ以上何をすればいいのよ。ちなみに叱るときによく使われる『大人になりなさい』の意味での大人は願い下げね。そんなの絶対つまらないから」
メリーの言わんとすることは八割くらいは理解と同意ができる。身体的社会的に大人であることと精神的に子供であり続けることは両立しうるし、それは美徳にもなりうる。特に我々が表裏の活動でしている秘を解き明かすという分野においては。
「一応、一つ解決策が浮かばなくもなかった。『いい子』にしてなくてもしばらくはクランプスに襲われなかったことから鑑みて、あいつに一生監視され続けるわけじゃない。多分ほとぼりを冷ませば一旦はなんとかなるんじゃないかしら」
「ほとぼりを冷ますって……。いつまでよ」
「さあ? 数ヶ月待ってみてちょっとずつ様子見かしら。ごめんね。『門限』までは活動には参加するから」
「ふざけないでよ!!」と叫びたいのを息を大きく吸って抑える。メリーは悪くない。もとを辿れば親の教育方針の問題だ。でも、メリーの親だって悪くないだろう。仮に自分がメリーの、数秒目を離したらとんでもないところをトコトコ歩いていそうなチェシャ猫の親だったとしたら、ありとあらゆる手を使って娘に社会で浮かない程度の自制心というものを教え込もうとするだろう。しかしメリーの束縛のされなさは特徴であり特長でもあり……。
つまるところ、別に誰も悪くはない。が、それはそれとしてメリーは呪われている。
これはメリーの方が専門かもしれないが、性格や人柄がどこまで遺伝子に由来しどこまで環境に由来するのかというのは未解決問題の一つであり続けている。私は、遺伝子をもった先天的なハードに環境や教育という後天的なソフトを埋め込んだものが人間であるという風にイメージをしている。ソフトとは文字列であり、文字列とは呪言、術式である。親に何を言われて育ったのかというのは子どもの人格形成に多大な影響を及ぼし、それはときに端から見たら不合理なほどである。
私はご飯を食べる前に必ず「いただきます」と言う。言わないといけない道徳的な理由は何通りにでも説明し得るとはいえ、言わないと死ぬわけではないし、それどころか「いただきます」と言うか言わないかで寿命が変わるということをちゃんと証明した論文もないだろう。凄く極端な言い方をすれば食前に特定の語彙を心を込めて発しなければならないという呪術的な風習だ。例えばこの習慣を外国人に正しく理解させるのは少し難しいかもしれない。クリスチャンが食前に祈りを捧げる行為の価値を私が正確に感じ取ることができないのと同じである。
メリーのそれはもうちょっと深刻だ。深刻になった、と言うべきか。私はメリーが秋田で見たものが本物のクランプスとやらだとは全く思っていない。クランプスはヨーロッパの妖怪なのだからもっとそれらしい場所に現れるべきだ。トリフネのキマイラは夢の異界には現れず、逆に異界の大鼠の化け物はトリフネには現れない。しかしメリーの頭の中に書き込まれた辞書にはクランプスはどこにでも出没するということになっていて、この辞書はメリーの成長に従い底の方に押し込まれていたはずだったのにあの日結界の向こう側でクランプスらしい何かに遭ったことで表出してしまった。
クランプスとはメリーの中では理屈の通った事象なのかもしれないが、私にとっては何の合理性もないプログラム
のバグだ。だってこのままじゃ活動できなくて私が困るもん。憑き物は落とさねばならない。
†
メリーの憑き物を落とす作戦は今の時点で頭の中にあった。
「幽霊の正体見たり枯れ尾花」。今回の場合、幽霊とはクランプス(私の見立てが正しければクランプスモドキ)のことであり、クランプスは枯れ尾花だったということにしてしまえばいい。とはいえ、枯れ尾花の方もまた比喩だ。確かに秋田のあの場所はススキの野原だったが、メリーに今更「どうせススキを見間違えたのよ」と言っても納得はするまい。
「私の方でもクランプスについて調べてみるわ。でもそのためにはもうちょっと情報がいるわね。どういう見た目だったのかしら」
私自身が枯れ尾花になることだ。
「命の危機を感じてすぐ逃げたから細部までは見えなかった。銀髪と片手に巨大な刃物を持ってたのが分かったくらい」
「それは重要なヒントね」
メリーが詳しい姿を把握していないのはかえって好都合だ。多少変装が雑でもボロが出ない。一方で銀髪、ここが大きなマイナス。私は黒髪なのに。いくらメリーを助けるためとはいえ染めたくはないからかつらだろうか。
その後も冷めたコーヒーをちびちび飲みながら粘ってみたが、これ以上の情報は引き出せなかったので、概ね最初に思いついた作戦通りに動くことにした。
クランプスに化けて、寝ているメリーを襲撃する。
下手をすれば私が社会的地位を失いかねない作戦だが、下手なことにはならないという自信はあった。なんせ私とメリーの間柄だ。合鍵を持ってるから不法侵入しなくていいし、正体が私と分かれば笑って許してくれるだろう。まあ笑いながら眉間に皺を寄せているかもしれないが、それは法的問題ではなく互いの心理的問題なので。
その日の帰りに、一応メリーが尾行していないことを確認しつつかつら専門店で銀髪を買った。この手の店は羅生門の物語以来絶滅の気配を見せない。人類が存続している限り需要があるのだろう。最後の人類も晩年はきっとかつらだ。そんなことを考える。
あとは家の包丁を持って、とまで考えたところで実際の刃物を使うとメリーとの関係性とは無関係な部分で社会的地位を失いかねないと冷静になった。だいたいメリーとの関係の部分でも、もし反撃されたらうっかり包丁でメリーを刺すか奪われて刺されかねない。包丁も段ボールを使った模造品にすることにした。作るのに時間がかかるし、そうでなくても話を聞いたその日に討ち入りではわざとらしいなと日を空けることにした。
三日経って包丁も完成したので本番だ。結構待った。これ以上待つのは我慢がならん。かつらとイミテーションの包丁を準備し、茶系の宇佐見蓮子という人物がおおよそ着そうにない服に身を固めて出陣した。遠目に蓮子だとバレたら作戦失敗なのでこのためだけに服もわざわざ用意した。蓑があればベストだったが流石に現代京都では手に入らない。いずれにせよ職質は無論知り合いに会うのもごめん被る格好になってしまったので、ステルスミッションが如く神経質に周りを見渡しながらメリーの下宿先までの十分ほどの道のりを歩いた。
午前二時、丑三つ時。メリー宅の電気は消えて真っ暗だ。平均的に悪い大学生ならまだ起きていてもおかしくはない。いい大学生はほぼ確実に寝ている時間。計画通りだ。実に残念だ。畜生め。是が非でも夜の時間にメリーを引きずり出し直さないといけない。
鍵を開けて玄関を通る部分までは無音でこなし、寝室に騒々しく乗り込んでやろうと意気込んだところで致命的な見落としに気がついてしまった。クランプスってどういう叫び声を上げるんだ?
推理はできる。子供の教育に使われているんだから、「悪い子はお仕置きだ」とか「いい子にしなさい」とか叫ぶんだろう。……ドイツ語で。
理系はドイツ語ができてしかるべきだ、なんてのは三世紀くらい前の価値観だ。きょうび英語さえできればだいたいの論文が読めるのだから、研究という点に関しては第二外国語にさほどの価値はない。ということで私もドイツ語は学部生時代に義務的に習ったとはいえ全くできない。それでいいのだ。負け惜しみではない、決して。
ドイツ語よりは趣味で講義をとったラテン語の方がまだいくらかできる。どっちにしろクランプスが言いそうなことをラテン語で叫ぶのは無理なのだが。仮にできたとして会話用としては絶滅して久しい言語で叫ぶ怪物はとてもシュールだったことだろう。
声を失った唖者という設定で無音で乗り込もうか? いや、それではおとぎ話の化物ではなく現実的恐怖たる殺人鬼や強盗犯に見えてしまう。いくらメリーといえども許してくれるかどうか分からない。最終的に笑い話で済まさないといけないのだから、何らかの形でわざとらしく叫ぶ必要はある。
となると、残された選択肢は……。
「悪い子はいねがー!!」
クランプスが言いそうなこと、という前提はどこに行ったのか。これでは西洋かぶれして髪を染めたナマハゲだ。西洋かぶれしたナマハゲってなんなの。でもまあメリーがクランプスらしきものを見たのは秋田での一回だけで声は一度も聞いたことがないっぽいので、こんなんでも一割くらいの確率で騙されてくれるかもしれない。九割方の方だとしても苦笑いして……。
「悪霊退散!!」
部屋に入るときにメリーの部屋の電気が点いているのは見えていた。廊下を歩くときに叫んでそのときに起きたのだろう。ここまでは分かる。しかしいくらなんでも私が部屋に入るなりフルスイングのバッドで殴ってくるなんてことがあるかね。とんだ蛮族だよ。
墓石を四分の一回す力半分の膂力は中々のものだ。振りかぶるスピードが遅かったので後ろに下がってダメージは減らせた。まともに当たっていたら骨折だっただろう。一部相殺しても病院に行ったら打撲の診断をもらうとともに処方箋が出されるであろう程度の惨事にはなったのだが。
「ぎゃん!!」
「あれえ。蓮子みたいな声色で叫ぶ怪異かと思ったら蓮子じゃん」
「あれえ、じゃないわよ。フルスイングは痛いって……」
「ごめんごめん。でも本物だったら全力で迎え撃たないといけないから仕方ないでしょ。それにしても何しに来たの? ハロウィンにはまだ早いわよ」
「つまりね、クランプスとは、私なの」
これはいいネタバラシだ。台詞だけはね。メリーに一撃もらって足を抱えて寝室の床をのたうち回っている絵面は最悪の極み。締まらないなあ。
「クランプスっていうよりナマハゲみたいだったけれど……。まあ百歩譲ってクランプスのコスプレってことにしてあげるとして、その偽クランプスの目的ってことよ」
「偽も本物もないっていうか、本物クランプスなんてないっていうか。要はクランプスは私一人ということよ」
「つまり……どういうこと?」
「今回来たのも私、秋田でメリーが見たのも私」
「……それはおかしくない? だってあのとき蓮子はクランプスのことを知らなかったでしょ」
「あのときはクランプスのつもりじゃなかったもん。クランプスってのはメリーが勝手に言ってるだけ……」
私は息を吸った。ここの後に続く演説でメリーを丸め込めることができるかどうかが決まる。
「これは本当に謝らないといけないことなんだけれど、何もなかったときのためのいたずらで準備してたのよ。実際途中まで全然何も起きなかったからこれは準備しててよかったなあって。で、メリーが黙って勝手に仏間に入っていくもんだからちょっとお仕置きしてやろうと思って、先回りして外に出て変装してさ。私としてはナマハゲのつもりだったのよ」
あー、とメリーは思案しているかのような声を絞り出した。この是非はどっちだ。
「どっちも蓮子の変装かあ。刃物部分もありあわせのものだったからあのときはナタっぽくて今回は包丁と違うのね」
「えっ……。ああ、うん」
予想外の指摘が入って思わずうろたえてしまった。何やってるんだ私。しっかりしろ私。
「いやあ、妖怪じゃないとは。命拾いしたのはそうなんだろうけれど、なんかがっかりだなあ」
メリーは憐れみの目をこちらに向けていた。三文芝居を演じる私への憐れみというよりも、どこかの誰かのせいで両足を痛打して駄々をこねる子供のように床を転げ回っていることへの憐れみらしかった。しかし、メリーはただ寝巻き姿でベッドに腰掛けて憐れみの目をこちらに向けているだけで、それ以上は何もしてくれない。私の身を案じているなら、もうちょっとこう何かしてくれてもいいんじゃないと思わざるを得ないのが正直なところである。
「早寝早起きする理由が一個なくなった、と言いたいところだけれど、少なくとも今日はもう朝まで眠る気分になっちゃっているのよねえ。だから悪いけれど私はベッドに戻らさせてもらうわ。また明日……。明日? 明日でいいか。じゃあそういうことで」
「気をつけて帰ってね」という一言を最後もらえたことに関しては確かに心温まる出来事だったが、そういうのにあまり気が回らないのか、はたまた宇佐見蓮子という人間のバイタルを過大評価しているのか、メリーはその言葉と同時に私に対して特段手当てを施すこともなく部屋の電気を消してしまった。
確かに一連の事象をニュースとして表現するならば「家に無断侵入した不審者に家主反撃。不審者は家主の親友」、なので家主たるメリーに不審者たる私を治療する義務なんてものは微塵もなく、結局悪いのは私。でもそれにしたってという抗議の思いと、どのみちこんな夜更けに痛い足を引きずって家まで歩きたくないというのがあったので、ささやかな抵抗として部屋の空いているスペースに布団を敷いてそこで寝てやることにした。
当然の権利と認められたのか、朝になるまでメリーに起こされることはなかった。寝るのが早かった分起きるのもメリーの方が早かったようで、私が起きたときにはメリーの姿は消えていた。
†
カフェで私は蓮子の愚痴に付き合わなければならなかった。骨折していないかの確認と湿布を貰うために病院に行った蓮子は、「転んだんです」「でも明らかにバッドか何かで殴られた怪我ですよ」「転んで打ちどころが悪かったんです」という問答を十分くらい続ける羽目になったらしい。私をかばうためにあくまで事件性を否定する蓮子と、もし何らかしらの事件に巻き込まれていたらとヘルプのシグナルを見逃さんとする医者の努力、どちらも涙を禁じ得ない。もしも間違って蓮子を殴ってしまったら、というときのために今後は湿布含めた救急箱を常備しておこうと誓うのだった。
それにしても、蓮子はクランプス事件の全てを「クランプスの正体は蓮子だった」で完全決着できていると思っているらしく、いつものように自身に満ち溢れた顔で、カップを持った側の肘を広げた姿勢でコーヒーを飲んでいた。
私も甘く見られたものだ。昨晩のあれはまあ流石に蓮子でいいにしても、秋田の方はどう考えても蓮子じゃない。だいたい風景が結界の中外で違っていた。ススキの有無だけで一目呂だ。あれが蓮子なのだとしたら、私が結界を越えてから廃寺の外に出るまでの間に結界を越えて私を追い越して外に出て森に入ってまた戻るという距離の移動をしなければならない。ここに変装をするという手順も加わる。万に一つそこまでが可能だったとしても、私が逃げて戻ってきた直後には既に蓮子はいたのだからやはりあれは蓮子ではない。
ただ一方で、あれがクランプスではないという部分は正しいのだろうと思った。
蓮子は「悪い」「子」だ。私が大学生になってからの所業はだいたい蓮子もやっている。蓮子は友人に黙ってどっかに行って行方不明になったことはないらしいが、代わりにそのときは地蔵を薙ぎ倒していたらしい。罰当たりな。これに加えて遅刻癖。そして一番重要なことに、蓮子は精神的には子供だ。私が大人じゃないのと同程度に、彼女もまたネバーランドの住民である。
そんな悪い子が悪い子をお仕置きする存在を騙ったら本物が出てきて……というのはお約束の流れのはずなのに本物に何かされた様子はない。あそこまでして出てこないならクランプスは少なくとも日本には住んでいないらしい。
じゃあ秋田のあれはなんだったんだろうか。別の謎が生まれたが、今の謎は恐怖ではなく解く楽しみがあるものだった。
「今度の休みにさ、あの廃寺の追加調査に行かない?」
私はコーヒーカップで手を温めながら、蓮子にそう提案するのだった。
私は小さい頃お母さんからよくそういうことを言われた。クランプスとはドイツ南部に伝わる化け物らしい。悪い子の前に現れて子供を連れ去り脅す。お母さんはバイエルンの出身だった。
クランプスはクリスマスの期間にだけ現れるのが本来のあり方らしいが我が家のクランプスは一年中、どこにでも来た。春のギリシャに来た。夏のアイルランドに来た。
私は両親の仕事の都合で齢一桁にして日本に来て、そして大学入学が決まった瞬間に私を置いて日本から出ていった。空港でも子供時代と同じこと、いい子にしていないとクランプスが来るというようなことを言われた。わざわざ極東の地までご苦労さまだ。どう考えても我が子を置き去りにして海の向こうに行くような奴こそ化け物に罰せられるべき悪人なのだが、クランプスはあくまで私を標的にしているらしい。
当然十八にもなれば親の言うことが詭弁ということは分かっていた。結局子供に言う事を聞かせるには理屈をこねるよりも悪い事をすると怖い目に合うということにしたほうが遥かに効率的なのだ。川で泳ぐと河童に襲われる、みたいなお金のかからない安全インフラなのである。ああそうだね。河童はいた。数百年前に絶滅したけれど。狼と並んで人間の敵だったが、人間の敵だったが故に人間の安全と繁栄に寄与し、そして消されてしまった存在だ。
「河童は結構昔に絶滅したけれどさ、川で泳いでいると河童が来るってのは今でもまあまあ『それらしさ』があるわけよ。同じ絶滅動物の例えでも、一人で山を歩いていたらマンモスに襲われるよ、だとあまりにも馬鹿馬鹿しい。そう考えると河童って凄くない?」
「今この光景を見て口から出てくるのが河童の話っていうメリーの思考回路が凄いわよ。頭の中どうなってんの」
私達の目の前には蓑を被ってナタを持った鬼がいた。まあ、怪異じゃなくて単にそういう出し物ってだけなんだけれど。だから蓮子の言う凄いは、危機的状況に何暢気なこと考えてるのではなく、鬼と対面してるんだから河童じゃなくて鬼のこと考えなさいよ、なのだろう。しかし思考が脳内でくるくる転がっていって最終的には当初と全然別のことを考えているなんてよくあることではなかろうか。むしろそうでなくては進歩がない。
それにしても、この鬼。ナマハゲという名前らしいが、悪い子を探して町を練り歩き、家に入ってくることもあるという。どこかで聞いたことのある話だ。観光案内所の説明によれば正確には鬼ではなくて年末年始に来る来訪神という。じゃあ今がそういう時期なのかというとそうではなく今は九月、東北と言えども残暑がまだ厳しい時期だ。一年中来てもらわないと子供の教育によくないから仕方のないことなのかもしれないが、洋の東西問わず親というものは怪異使いが荒いものらしい。雪対策で羽織ってるのであろう蓑なんて、この季節じゃ絶対暑いだろう。ナマハゲさんにだって夏服を着る権利くらいあると思う。
「お疲れ様ね」
私はあくまで神としてのナマハゲに敬意を評してそう言ったつもりだったのだが、「中の人」がいるかのような反応が癪に障ったということなのか、はたまた純粋に失礼ととられたのか、ないしはそもそもそういう存在なのかやたらめったら怒られてしまった。ナマハゲ心理は難しい。
†
秋田まで来たのは季節外れのナマハゲを見るためではなく、県内の廃寺に結界があるという噂を聞きつけそれの夜間調査をするためだった。
明らかに「悪い子」の行動だという自覚はある。やっぱり昼にナマハゲに怒られたのは妥当なことだったかもしれない。しかし、悪だからというのは探求をやめる理由にはならない。思うに、有史以来、学術的発見というのは天使にお伺いを立てて神の御業を知るというキリスト教徒が喜びそうな関係よりも、むしろ悪魔と対話をしてその対価を得るがごとき営みだったのではなかろうか。私は知識を得るためならアモンにもヴワルにも魂を売るだろう。おそらく蓮子だって同じ気持ちだ。禁忌を犯さずして何が秘封倶楽部か。
……という意気込みは夜闇の恐怖への本能的裏返しでもある。秋田の夜は暗い。余りにも暗すぎる。なるほど、現代日本の集約政策は是が非かと問われたら、やむを得なかったのだろうという理由で消極的に是と答える。だが集約とは悪く言えば切り捨てであり、この県の大半は残念ながらアポトーシスされた側だった。
廃寺もそれが属していた町ごと捨てられて廃れた場所だった。しかし、その前の道は当然荒れに荒れていたとはいえ、まだ雑草がアスファルトを完全に破砕するには至らず、雑草とアスファルトはまだらになっていた。廃寺の詳しい情報を調べるのは蓮子に任せっきりだったから実は事情をよく知らないのだが、廃寺になったのは意外と最近のことなのだろうか。東京の環状線の外側が切り捨てられたより後のことのようにも見える。集約政策とは人口政策のことであると一般的には言われるが、こういうところを見ると他の事情もあったのではないかと邪推したくなる。結界を観測する技術が発明され方方を調べると、日本中に結界がある。しかし日本全土、三十八万平方キロメートルの結界全部をどうこうする財源や人員があるはずもなく、まだ人がいる、人口をトリアージ判定するならば黒タグではなくせいぜい赤だった場所からもやむを得ないのだと人を立ち退かせ……。
寺は塀に囲まれていた。いくらか崩れてはいたが、敷地の中と外がはっきりと区別できるくらいには残っている。寺の内側はススキの草原だった。蓮子が鎌のようなもので邪魔なススキを刈りながら前進していく。銃刀法違反の五文字が脳裏によぎるが、廃寺が草で埋まっていて道を切り開かないといけないという可能性は私には思い至らなかったので法律違反については不問にしてあげることにした。
ただ、敷地内は確かにススキで埋まっているのだが、正門からお堂に繋がる参道はまだススキの密度が薄い。石畳だから生えてきにくいと考えるのが自然だろうが、他の疑念が脳裏をよぎる。
噂の内容は大体が「夜に前を通りがかったらお堂の縁側に動くものを見た」といったものだった。何個目かの報告が誘蛾灯となりオカルトマニアがこぞって訪れるようになった。昼に行った者は全員空振ったが、夜のオカルトマニアは怪奇現象に出くわすこともあった。
「つまりデンデラ野や七夕坂のように時間に大きく影響する結界と考えられる」
お堂までの道を開拓しきった蓮子は得意げにそう言った。
「そうなんでしょうけれど、一個気になることがあるのよね」
「何かしら」
「確か噂の中に『仏像の背後を白い影が動いた』とかそういうのがあったじゃん」
「あったわね」
「でも外からだと仏像の後ろどころか仏像自体が見えないのよ。つまり私達より前に中に入った人が」
こう考えれば、ススキの密度の差にも説明がつく。すなわち獣道ならぬ「人道」が門からお堂にまでできていたのではないか、と。
「オカルトマニアなんて倫理観のネジが吹っ飛んだ酔狂だからそういう人もいるでしょうよ。それに仏像の話は廃寺になる前のことかもしれない。いずれにせよ何時に結界が開くとか、そういう構造を一切発表していない時点で調査としては甚だ不十分ね。私達にはそれを解き明かす使命がある」
こうして酔狂二人は縁側を踏んだ。
廃寺は薄く埃が積もっていた。埃は人が活動している場所じゃないと積もらないという話を聞いたことがある。だとするならば、やっぱり廃寺になってからも人の出入りがあったのだろうか? でも人が全く入らない遺構でもこういう薄く粉砂糖をまぶしたみたいな埃の積もり方をしているのはよくあることな気もする。
「十時三十八分」
蓮子は少し神経質な声で空に呟いた。まだ何も起きていない。何かが起きるにはまだ早すぎる時間なのだろう。
それにしても、いつから夜の十一時前が「まだ早すぎる時間」になったのだろうか。昼にナマハゲを見てクランプスのことを思い出したからか、そんなことを考えてしまう。子供の頃は十一時どころか十時には寝かされていて、今の自分の性格を考えたら誠に信じがたいことに、言いつけに素直に従って布団に入っていた。
「十時四十五分」
仏間に入り、屋根に空いた穴を蓮子は時計にしていた。まだ何も起こらない。蓮子に結界があるのかどうか聞かれた。結界は確かにあるが閉じている。二度と開かない死んだ結界なのかまだ開いていないというだけなのかは分からない。私の技能がどうこうという問題ではなく、例えば火山の休火山と死火山の境界が実はあってないようなものというのと同じことだ。私は富士山は死火山ではないと固く信じている。
夜起きていて何かあるわけではないというのを考えると、逆にどうして夜更かしが悪いことだったのだろうか。成長にどうこうとか睡眠時間がどうこうとかいう理屈は確かにあるのかもしれないが、「健全な成長」という名目で子供時代に夜起きなかったがために得損ねたものはあるはずで、両者を天秤にかけたらその傾きはどうかと思わざるを得ない。
「十時五十八分」
一度仏間を出て残りも一通り見て回ろうということになった。何かあるとしたら一番高確率には仏間なので待つという選択肢もあったのだろうが、見れる場所があったら全部見るのが秘封倶楽部である。ただ何かあるとしたらキリのいい時間だという経験則があったので縁側をぐるりと一周したところで一度仏間に戻ることになった。注意深く観察していたので十分以上かかったが普通は数分で見物が終わるような小さな寺だ。正直オカルト騒ぎがなかったら歴史に埋没していたんじゃなかろうか。
仏間に片足を入れるときにふと自分は悪い子に育っちゃったなあと思った。後悔はしていない。いい子ぶっていた昔よりも羽目を外した今の方が楽しい。親がどう思うかということについても、我が親なら「まあ私達の娘ならそう育つだろうね」と笑ってくれるのではなかろうか。子供の目にも、両親が子供時代の私と今の私のどっちに近かったといえば後者だった。絶対いい子ではない。善人が子供を一人置いて外国に戻るかねというのを抜きにして。それすらも、私はいい子じゃないからむしろ自由になったと感謝しているフシがある。
それにしたって夜更かしはするわ墓石は回すわ夢の世界から筍引っこ抜いて来るわ、未知のウイルスをもらってサナトリウムのお世話になるわ旧型酒で酔い潰れるわ友人ほっぽりだして一人旅に出て二週間行方不明になるわ不法侵入するわやりたい放題しすぎたなあと苦笑せざるを得ない。
「十一時ジャスト」
仏間がやたらと暗い。懐中電灯の接触不良だろうか。懐中電灯により昼間のような明るさを得ていたが、それは文明という実に不安定なものの上にかろうじて立っている明るさにすぎなかった。
結界の隙間が開いている。私は躊躇なく入り込んだ。多分蓮子は後ろにいる。開いてるよの一言くらい言うべきだったな、と気が付いたときには私は向こう側にいた。
向こう側に行くと同時に目が暗闇に慣れてきた。そもそも全くの暗闇というわけではなく半月ながら月は出ているのだ。九月の月は結構明るい。
涼しい風が背後に当たって振り返った。こっちでは廃寺なら向こう側では廃されていない寺、なんてことはなくどっちの世界でも廃寺のようだった。障子戸があるべき場所が空洞になっている。
風の先、廃寺の外に動くものが見えた。向こう側の世界では外がススキの野原ではなく森林という違いがあると分かったが、その森林の木々の切れ目を人影が通っていた。
影はこちらに近づいている。それがもし人食いの化け物だったらという危惧はゼロではなかったが、それでも私は更に近づいてくるのを観察していた。ここで帰ったら「廃寺になんかいた」ということしか知らないこれまでの有象無象オカルトマニアと同レベルだ。
影だったものが森から抜けて廃寺の建っている少し開けた場所に出ようとしているところで、月の光が影の光りやすい部分の見た目を変えた。ナタのような刃物を片手に持っていて銀髪か白髪の髪。
クランプスだ。
クランプスはどこにでも来た。春のギリシャに来た。夏のアイルランドに来た。そして、秋の日本の結界の向こう側にも。
クランプスから逃れるにはいい子にしているしかない。だから大人達は口を酸っぱくしていい子にしていないとクランプスが来ると言い続けていたのだ。大切な我が子を刃物を持った怪異から守るために。
でもやっぱり大人がいい子にしていなくてもクランプスに襲われないのに、法律的にも社会的にも大人なはずの私がクランプスに襲われるのは不公平にも思う。大人になりそこねちゃったのだろうか。自覚はちょっとある。この目を得ている代償として? 自覚はかなりある。でもそうした心当たりがあるからといって大人になることも目を失うこともできないししたくもないから、今するべきことはクランプスから逃げること、そして少なくともほとぼりが冷めるまではいい子でいること。
私は全力疾走して結界から戻った。
「ちょっと、暗いんだから黙って一人で動いたら危ないでしょ」
蓮子に注意された。彼女には、私は勝手に仏間から出てどっか行ってたかのように見えたのだろうか。
「ごめん。でも今はそんな場合じゃない! 今すぐ帰るわよ! 結界の向こう側にクランプスがいる!」
私はそう叫んでお堂を駆け足で飛び出した。黙ってはいないからこの行動は無罪なはずだ。実際蓮子も観念してついてきている。
「クラン……何?」
「そういう名前の化け物よ。要は中欧版ナマハゲ」
「中欧って、ここは日本よ?」
「苦情言いたいのは私の方よ! でもあいつは悪い子の前にはどこにだって来るの! 親が日本を出ていくときにも来るって言われた。そのときは信じてなかったけれど、それでも来た!」
放棄された秋田の元田舎町の道は荒れ果てている。接触不良が直って四、五メートル先くらいまでなら照らすことのできる懐中電灯有りだとしても駆け抜けるなんて無謀な危険さだろうが、追い詰められて集中しているときの動物的本能がなせる技か、アスファルトが抜けて落とし穴になった窪み足を取られるようなこともなく、無事駅まで着いた。消えた町だが唯一駅だけはまだ文明である。念の為停まっておくか、という顔をした電車が日に数度来るだけだが、それでも待っていれば無事に帰ることができるだろうという安心感はあった。
†
最近メリーの人付き合いが悪い。
人付き合いが悪いは言い過ぎかもしれない。ランチやカフェは普通に一緒だし、そこではいつもどおりに会話が弾む。しかし秘封倶楽部の活動となると、特に夜の探検にはここ数週間賛同してくれない。これがいかに由々しき事態かということは火を見るよりも明らかだろう。秘封倶楽部は本来夜型なのだ。
最初数日は体調不良かと様子見し、状況が変わらないともうちょっとデリケートな事情があるのかとますます首を突っ込みにくくなってしまったが、それで何週間も活動休止ではたまったものではない。ちゃんと考えれば分かることだが、大学には来ているのだから体調不良ではないし精神的なものとしても二十四時間病んでるというのではないだろう。
「活動に飽きたの?」
なので多分聞くこと自体に問題はないのだが、もうちょっと柔らかい聞き方はできなかったものかと我ながら思う。この辺が狭い交友関係に甘んじている原因なのだろう。
「ああごめん。そういうわけじゃないんだけれどね……」
哀れなマエリベリー・ハーンは萎縮してしまった。私も話しかけづらい(この状況でスムーズに話しかけることのできるコミュ力の持ち主はそもそも初手デッドボールで冷え切った空気にしないのである)ので、間に置かれた二つのコーヒーを無為に冷ますだけの時間が五分くらい続く。
「前に秋田に行ったときさ」
メリーが重い口を開いた。
「クランプスを見たって言ったじゃん」
「あー、なんだっけ。ナマハゲの亜種だっけ」
「亜種ってそんな動物みたいな。まあ合ってるといえば合ってるのかな。で、目をつけられたから対処法を調べてたのよ。ところがほとんど回避方法が見つからない。ポマードとかベッコウ飴とかで退治できればいいのに」
「それどっちも口裂け女じゃん」
「そう、口裂け女は要は子供が生み出した都市伝説だから子供でも対処できる設定なのよ。ところがクランプスは大人が子供を教育するために生み出した怪物だから『いい子にしている』以外の解決法がない。大人って意地悪だよね」
メリーは観客若干一名に大人の意地汚さを演説しだした。しかし我々も世間一般には大人であるからにして、この演説は自分達の身勝手さをも表明するという一種の自爆にもなってしまっている。
あるいは、まさかメリーは自分が大人ではないとでも思っているのか?
「名実ともに大人になっちゃえばいいのよ。クランプスを使う側にたてばもう襲ってはこないわよ」
「オールドアダムで二日酔いするまで旧型酒漬けになってそれでも大人扱いされないならこれ以上何をすればいいのよ。ちなみに叱るときによく使われる『大人になりなさい』の意味での大人は願い下げね。そんなの絶対つまらないから」
メリーの言わんとすることは八割くらいは理解と同意ができる。身体的社会的に大人であることと精神的に子供であり続けることは両立しうるし、それは美徳にもなりうる。特に我々が表裏の活動でしている秘を解き明かすという分野においては。
「一応、一つ解決策が浮かばなくもなかった。『いい子』にしてなくてもしばらくはクランプスに襲われなかったことから鑑みて、あいつに一生監視され続けるわけじゃない。多分ほとぼりを冷ませば一旦はなんとかなるんじゃないかしら」
「ほとぼりを冷ますって……。いつまでよ」
「さあ? 数ヶ月待ってみてちょっとずつ様子見かしら。ごめんね。『門限』までは活動には参加するから」
「ふざけないでよ!!」と叫びたいのを息を大きく吸って抑える。メリーは悪くない。もとを辿れば親の教育方針の問題だ。でも、メリーの親だって悪くないだろう。仮に自分がメリーの、数秒目を離したらとんでもないところをトコトコ歩いていそうなチェシャ猫の親だったとしたら、ありとあらゆる手を使って娘に社会で浮かない程度の自制心というものを教え込もうとするだろう。しかしメリーの束縛のされなさは特徴であり特長でもあり……。
つまるところ、別に誰も悪くはない。が、それはそれとしてメリーは呪われている。
これはメリーの方が専門かもしれないが、性格や人柄がどこまで遺伝子に由来しどこまで環境に由来するのかというのは未解決問題の一つであり続けている。私は、遺伝子をもった先天的なハードに環境や教育という後天的なソフトを埋め込んだものが人間であるという風にイメージをしている。ソフトとは文字列であり、文字列とは呪言、術式である。親に何を言われて育ったのかというのは子どもの人格形成に多大な影響を及ぼし、それはときに端から見たら不合理なほどである。
私はご飯を食べる前に必ず「いただきます」と言う。言わないといけない道徳的な理由は何通りにでも説明し得るとはいえ、言わないと死ぬわけではないし、それどころか「いただきます」と言うか言わないかで寿命が変わるということをちゃんと証明した論文もないだろう。凄く極端な言い方をすれば食前に特定の語彙を心を込めて発しなければならないという呪術的な風習だ。例えばこの習慣を外国人に正しく理解させるのは少し難しいかもしれない。クリスチャンが食前に祈りを捧げる行為の価値を私が正確に感じ取ることができないのと同じである。
メリーのそれはもうちょっと深刻だ。深刻になった、と言うべきか。私はメリーが秋田で見たものが本物のクランプスとやらだとは全く思っていない。クランプスはヨーロッパの妖怪なのだからもっとそれらしい場所に現れるべきだ。トリフネのキマイラは夢の異界には現れず、逆に異界の大鼠の化け物はトリフネには現れない。しかしメリーの頭の中に書き込まれた辞書にはクランプスはどこにでも出没するということになっていて、この辞書はメリーの成長に従い底の方に押し込まれていたはずだったのにあの日結界の向こう側でクランプスらしい何かに遭ったことで表出してしまった。
クランプスとはメリーの中では理屈の通った事象なのかもしれないが、私にとっては何の合理性もないプログラム
のバグだ。だってこのままじゃ活動できなくて私が困るもん。憑き物は落とさねばならない。
†
メリーの憑き物を落とす作戦は今の時点で頭の中にあった。
「幽霊の正体見たり枯れ尾花」。今回の場合、幽霊とはクランプス(私の見立てが正しければクランプスモドキ)のことであり、クランプスは枯れ尾花だったということにしてしまえばいい。とはいえ、枯れ尾花の方もまた比喩だ。確かに秋田のあの場所はススキの野原だったが、メリーに今更「どうせススキを見間違えたのよ」と言っても納得はするまい。
「私の方でもクランプスについて調べてみるわ。でもそのためにはもうちょっと情報がいるわね。どういう見た目だったのかしら」
私自身が枯れ尾花になることだ。
「命の危機を感じてすぐ逃げたから細部までは見えなかった。銀髪と片手に巨大な刃物を持ってたのが分かったくらい」
「それは重要なヒントね」
メリーが詳しい姿を把握していないのはかえって好都合だ。多少変装が雑でもボロが出ない。一方で銀髪、ここが大きなマイナス。私は黒髪なのに。いくらメリーを助けるためとはいえ染めたくはないからかつらだろうか。
その後も冷めたコーヒーをちびちび飲みながら粘ってみたが、これ以上の情報は引き出せなかったので、概ね最初に思いついた作戦通りに動くことにした。
クランプスに化けて、寝ているメリーを襲撃する。
下手をすれば私が社会的地位を失いかねない作戦だが、下手なことにはならないという自信はあった。なんせ私とメリーの間柄だ。合鍵を持ってるから不法侵入しなくていいし、正体が私と分かれば笑って許してくれるだろう。まあ笑いながら眉間に皺を寄せているかもしれないが、それは法的問題ではなく互いの心理的問題なので。
その日の帰りに、一応メリーが尾行していないことを確認しつつかつら専門店で銀髪を買った。この手の店は羅生門の物語以来絶滅の気配を見せない。人類が存続している限り需要があるのだろう。最後の人類も晩年はきっとかつらだ。そんなことを考える。
あとは家の包丁を持って、とまで考えたところで実際の刃物を使うとメリーとの関係性とは無関係な部分で社会的地位を失いかねないと冷静になった。だいたいメリーとの関係の部分でも、もし反撃されたらうっかり包丁でメリーを刺すか奪われて刺されかねない。包丁も段ボールを使った模造品にすることにした。作るのに時間がかかるし、そうでなくても話を聞いたその日に討ち入りではわざとらしいなと日を空けることにした。
三日経って包丁も完成したので本番だ。結構待った。これ以上待つのは我慢がならん。かつらとイミテーションの包丁を準備し、茶系の宇佐見蓮子という人物がおおよそ着そうにない服に身を固めて出陣した。遠目に蓮子だとバレたら作戦失敗なのでこのためだけに服もわざわざ用意した。蓑があればベストだったが流石に現代京都では手に入らない。いずれにせよ職質は無論知り合いに会うのもごめん被る格好になってしまったので、ステルスミッションが如く神経質に周りを見渡しながらメリーの下宿先までの十分ほどの道のりを歩いた。
午前二時、丑三つ時。メリー宅の電気は消えて真っ暗だ。平均的に悪い大学生ならまだ起きていてもおかしくはない。いい大学生はほぼ確実に寝ている時間。計画通りだ。実に残念だ。畜生め。是が非でも夜の時間にメリーを引きずり出し直さないといけない。
鍵を開けて玄関を通る部分までは無音でこなし、寝室に騒々しく乗り込んでやろうと意気込んだところで致命的な見落としに気がついてしまった。クランプスってどういう叫び声を上げるんだ?
推理はできる。子供の教育に使われているんだから、「悪い子はお仕置きだ」とか「いい子にしなさい」とか叫ぶんだろう。……ドイツ語で。
理系はドイツ語ができてしかるべきだ、なんてのは三世紀くらい前の価値観だ。きょうび英語さえできればだいたいの論文が読めるのだから、研究という点に関しては第二外国語にさほどの価値はない。ということで私もドイツ語は学部生時代に義務的に習ったとはいえ全くできない。それでいいのだ。負け惜しみではない、決して。
ドイツ語よりは趣味で講義をとったラテン語の方がまだいくらかできる。どっちにしろクランプスが言いそうなことをラテン語で叫ぶのは無理なのだが。仮にできたとして会話用としては絶滅して久しい言語で叫ぶ怪物はとてもシュールだったことだろう。
声を失った唖者という設定で無音で乗り込もうか? いや、それではおとぎ話の化物ではなく現実的恐怖たる殺人鬼や強盗犯に見えてしまう。いくらメリーといえども許してくれるかどうか分からない。最終的に笑い話で済まさないといけないのだから、何らかの形でわざとらしく叫ぶ必要はある。
となると、残された選択肢は……。
「悪い子はいねがー!!」
クランプスが言いそうなこと、という前提はどこに行ったのか。これでは西洋かぶれして髪を染めたナマハゲだ。西洋かぶれしたナマハゲってなんなの。でもまあメリーがクランプスらしきものを見たのは秋田での一回だけで声は一度も聞いたことがないっぽいので、こんなんでも一割くらいの確率で騙されてくれるかもしれない。九割方の方だとしても苦笑いして……。
「悪霊退散!!」
部屋に入るときにメリーの部屋の電気が点いているのは見えていた。廊下を歩くときに叫んでそのときに起きたのだろう。ここまでは分かる。しかしいくらなんでも私が部屋に入るなりフルスイングのバッドで殴ってくるなんてことがあるかね。とんだ蛮族だよ。
墓石を四分の一回す力半分の膂力は中々のものだ。振りかぶるスピードが遅かったので後ろに下がってダメージは減らせた。まともに当たっていたら骨折だっただろう。一部相殺しても病院に行ったら打撲の診断をもらうとともに処方箋が出されるであろう程度の惨事にはなったのだが。
「ぎゃん!!」
「あれえ。蓮子みたいな声色で叫ぶ怪異かと思ったら蓮子じゃん」
「あれえ、じゃないわよ。フルスイングは痛いって……」
「ごめんごめん。でも本物だったら全力で迎え撃たないといけないから仕方ないでしょ。それにしても何しに来たの? ハロウィンにはまだ早いわよ」
「つまりね、クランプスとは、私なの」
これはいいネタバラシだ。台詞だけはね。メリーに一撃もらって足を抱えて寝室の床をのたうち回っている絵面は最悪の極み。締まらないなあ。
「クランプスっていうよりナマハゲみたいだったけれど……。まあ百歩譲ってクランプスのコスプレってことにしてあげるとして、その偽クランプスの目的ってことよ」
「偽も本物もないっていうか、本物クランプスなんてないっていうか。要はクランプスは私一人ということよ」
「つまり……どういうこと?」
「今回来たのも私、秋田でメリーが見たのも私」
「……それはおかしくない? だってあのとき蓮子はクランプスのことを知らなかったでしょ」
「あのときはクランプスのつもりじゃなかったもん。クランプスってのはメリーが勝手に言ってるだけ……」
私は息を吸った。ここの後に続く演説でメリーを丸め込めることができるかどうかが決まる。
「これは本当に謝らないといけないことなんだけれど、何もなかったときのためのいたずらで準備してたのよ。実際途中まで全然何も起きなかったからこれは準備しててよかったなあって。で、メリーが黙って勝手に仏間に入っていくもんだからちょっとお仕置きしてやろうと思って、先回りして外に出て変装してさ。私としてはナマハゲのつもりだったのよ」
あー、とメリーは思案しているかのような声を絞り出した。この是非はどっちだ。
「どっちも蓮子の変装かあ。刃物部分もありあわせのものだったからあのときはナタっぽくて今回は包丁と違うのね」
「えっ……。ああ、うん」
予想外の指摘が入って思わずうろたえてしまった。何やってるんだ私。しっかりしろ私。
「いやあ、妖怪じゃないとは。命拾いしたのはそうなんだろうけれど、なんかがっかりだなあ」
メリーは憐れみの目をこちらに向けていた。三文芝居を演じる私への憐れみというよりも、どこかの誰かのせいで両足を痛打して駄々をこねる子供のように床を転げ回っていることへの憐れみらしかった。しかし、メリーはただ寝巻き姿でベッドに腰掛けて憐れみの目をこちらに向けているだけで、それ以上は何もしてくれない。私の身を案じているなら、もうちょっとこう何かしてくれてもいいんじゃないと思わざるを得ないのが正直なところである。
「早寝早起きする理由が一個なくなった、と言いたいところだけれど、少なくとも今日はもう朝まで眠る気分になっちゃっているのよねえ。だから悪いけれど私はベッドに戻らさせてもらうわ。また明日……。明日? 明日でいいか。じゃあそういうことで」
「気をつけて帰ってね」という一言を最後もらえたことに関しては確かに心温まる出来事だったが、そういうのにあまり気が回らないのか、はたまた宇佐見蓮子という人間のバイタルを過大評価しているのか、メリーはその言葉と同時に私に対して特段手当てを施すこともなく部屋の電気を消してしまった。
確かに一連の事象をニュースとして表現するならば「家に無断侵入した不審者に家主反撃。不審者は家主の親友」、なので家主たるメリーに不審者たる私を治療する義務なんてものは微塵もなく、結局悪いのは私。でもそれにしたってという抗議の思いと、どのみちこんな夜更けに痛い足を引きずって家まで歩きたくないというのがあったので、ささやかな抵抗として部屋の空いているスペースに布団を敷いてそこで寝てやることにした。
当然の権利と認められたのか、朝になるまでメリーに起こされることはなかった。寝るのが早かった分起きるのもメリーの方が早かったようで、私が起きたときにはメリーの姿は消えていた。
†
カフェで私は蓮子の愚痴に付き合わなければならなかった。骨折していないかの確認と湿布を貰うために病院に行った蓮子は、「転んだんです」「でも明らかにバッドか何かで殴られた怪我ですよ」「転んで打ちどころが悪かったんです」という問答を十分くらい続ける羽目になったらしい。私をかばうためにあくまで事件性を否定する蓮子と、もし何らかしらの事件に巻き込まれていたらとヘルプのシグナルを見逃さんとする医者の努力、どちらも涙を禁じ得ない。もしも間違って蓮子を殴ってしまったら、というときのために今後は湿布含めた救急箱を常備しておこうと誓うのだった。
それにしても、蓮子はクランプス事件の全てを「クランプスの正体は蓮子だった」で完全決着できていると思っているらしく、いつものように自身に満ち溢れた顔で、カップを持った側の肘を広げた姿勢でコーヒーを飲んでいた。
私も甘く見られたものだ。昨晩のあれはまあ流石に蓮子でいいにしても、秋田の方はどう考えても蓮子じゃない。だいたい風景が結界の中外で違っていた。ススキの有無だけで一目呂だ。あれが蓮子なのだとしたら、私が結界を越えてから廃寺の外に出るまでの間に結界を越えて私を追い越して外に出て森に入ってまた戻るという距離の移動をしなければならない。ここに変装をするという手順も加わる。万に一つそこまでが可能だったとしても、私が逃げて戻ってきた直後には既に蓮子はいたのだからやはりあれは蓮子ではない。
ただ一方で、あれがクランプスではないという部分は正しいのだろうと思った。
蓮子は「悪い」「子」だ。私が大学生になってからの所業はだいたい蓮子もやっている。蓮子は友人に黙ってどっかに行って行方不明になったことはないらしいが、代わりにそのときは地蔵を薙ぎ倒していたらしい。罰当たりな。これに加えて遅刻癖。そして一番重要なことに、蓮子は精神的には子供だ。私が大人じゃないのと同程度に、彼女もまたネバーランドの住民である。
そんな悪い子が悪い子をお仕置きする存在を騙ったら本物が出てきて……というのはお約束の流れのはずなのに本物に何かされた様子はない。あそこまでして出てこないならクランプスは少なくとも日本には住んでいないらしい。
じゃあ秋田のあれはなんだったんだろうか。別の謎が生まれたが、今の謎は恐怖ではなく解く楽しみがあるものだった。
「今度の休みにさ、あの廃寺の追加調査に行かない?」
私はコーヒーカップで手を温めながら、蓮子にそう提案するのだった。
最初から破綻している計画を完璧だと思っている蓮子に宇佐見の血を感じました
それをわかりつつ何も言わないメリーも素晴らしかったです
最後も別の理由でクランプスが居ないと確信できる構成になっているところも素晴らしかったです
蓮子のやや強引な軌道修正でメリーが納得するかと思いきやしっかり見破ってたのがよかったです。そこからさらにあとがき欄での種明かしまで楽しませていただきました。
すごく頭いいのにやることは破天荒でそれでも相手のことを想っての行動な蓮子がよかったです。