博麗神社
勢いよく日がさす縁側。
上手い具合に出来た影の部分に座って、霊夢は茶を啜っていた。
この神社のお馴染みの光景であり、日常と化しているその光景は、博麗神社にとってなくてはならないものである。
しかしそれは日常のお話。
現在幻想郷は異変の真っ最中。
幻想郷のどこからか雑多な霊がわらわらと涌いているのだった。
博麗の巫女である霊夢は、異変を解決する義務があるのだが……。
なぜか霊夢はいつもと同じように縁側で茶を飲んでいる。
目を閉じ、茶を飲む霊夢の傍らには、急須と、空の湯飲み。
誰かを待っているようだった。
湯飲みの中の茶が半分を下回ったぐらいだろうか。
直感が働いて、私は瞼をゆっくりと開いた。
「来たわね」
そう呟いてから間を置いて、縁側に誰かが現れた。
「あら」
鋭さを感じさせる銀色の髪と、西洋の給仕服。
紅魔館のメイド長だ。
「もう出て行ったと思ってたわ」
そう言いながら、咲夜は縁側に腰掛けて湯飲みに茶を入れた。
「あんたが来るような気がしたからね」
「待っててくれたの?嬉しいわ」
クスリ、と笑いながら咲夜がそう言う。
相変わらず意地の悪い奴だ。
「……お茶飲んだらすぐに行くわよ」
私がそう言い返すと、咲夜は何か思いついた顔をして。
「そういうことなら」
その言葉の後、手に持っていた湯飲みが微妙に重くなる。湯飲みを見るとお茶が満杯になっていた。
何故?と考えるまでもない。時を止めてる間にお茶を注いだのだろう。
「あんたねぇ」
「あはは」
咲夜がまた笑った。花がぱっと開くような笑顔。
なんだか気恥ずかしくなって、視線を湯飲みに戻した。
――いつからだったっけ。私が咲夜とこうやってお茶を飲むようになったのは。
確か、あの花が咲き乱れた異変の後だったような気がする。
咲夜は、不定期にだけれど神社に来ることが多くなった。
あの時のことははっきりと思いだせる。
いつもなら、レミリアに付き添って来るはずの神社に、一人で来たときのことはまだよく覚えていた。
「あんた一人ってのは珍しいわね。何か用?」
「特に用はないわ」
「……じゃあお帰り願おうかしら」
「やっぱりあるわ」
「…なによ」
「暇をつぶしに来たの」
意味が分からないのでとりあえずスペルカードを何枚か袖から取り出そうとしたが、咲夜は全く戦う気が無いようで。
よく話を聞くと『お嬢様に休暇をもらったが、どうやって暇をつぶせばいいのかわからないからとりあえず神社に来た』らしい。
「自分の部屋でやることとか無いの?」
「外に出て遊んできなさいって言われて」
それは休暇とは言わないのでは。
仕方ないからお茶を出してあげた。二人で縁側に座ってお茶を飲む。
ちらりと咲夜のほうを見ながら、私は最初に咲夜に出会った時のことを思い出していた。
紅霧異変。紅い霧の出所である紅魔館に乗り込んだ時のことだ。
初めて会った時の咲夜は、刃物のような冷たさを感じた。
異変が解決した後も、館や宴会で見る彼女はどこか近寄りがたい雰囲気を出していた。
でも、今の咲夜からはそんな雰囲気は微塵も感じられなくて。いつも紅魔館で見ている瀟洒な彼女からは想像もつかないような気の抜けた顔をしていた。
私たちは特に話すこともなく、無言でお茶を飲んでいた。
いつもは魔理沙やレミリアやら、頼まなくても勝手に喋り出すような奴ばっかりで、誰かと黙って一緒にいるというのは初めてのことだったかもしれない。
何とも言えない雰囲気に、私は何だかむず痒くなった。けれど、嫌な沈黙ではなかった。
辺りは静かで、咲夜は縁側の風景の一部として溶け込んでいた。
あまりにも静かすぎて、私以外ここには誰もいないんじゃないかと思って横を見ると、やっぱり咲夜はそこにいて。
「さっきからちらちら私のほうを見てるけど、何かついてる?」
「べっ、別に?!何も…」
「…変な霊夢」
咲夜が笑った。今思うと、この時初めて咲夜の笑う顔を見たのかもしれない。
私はその時も視線を湯飲みに戻したのを覚えている。
その後、会話も無くなって透明な時間が過ぎていった。
穏やかな陽光が、安らかな静寂が心地よくて、私は咲夜が居ることも忘れて、いつの間にかうたた寝をしていた。
目が覚めると空は夕焼け色に染まっていた。未だ夢見心地の頭で状況を思い出す。
横を見ると、咲夜は眠る前と同じ姿でそこにいた。
「あんたまだいたの?」
「暇だったからね。でももうそろそろ帰るわ」
すくりと立ち上がって数歩前に歩いた。銀の髪が夕焼けを反射して少し眩しい。
「また来てもいいかしら」
振り返って咲夜は言った。
「別にいいけど」
冷めたお茶を入れつつ、特に考えずにそう言った。
「ありがとう。楽しかったわ」
ただお茶を飲んでいただけなのに。何が楽しかったのだろう。
「じゃあね」
手を振って、姿がかき消えた。
咲夜の忙しさは私でも知ってる。
あのだだっ広い館の掃除に、わがままな吸血鬼のお世話。少し考えただけでも頭の痛くなるような内容だ。
せっかくの休みなのにあんなのでよかったのだろうか。
そんなことを考えながら、夕飯の準備に取り掛かろうと居間の鏡の前を通った時だった。
自分の額にでかでかと『肉』の文字が書かれているのを見つけた。
「……」
眠っている間に、落書きされていた。
そんなことがあってから、咲夜は休暇をもらうと神社に来るようになった。
一か月に数回と言う少ない頻度で、不定期に、だったが。
咲夜が来ると、決まって二人でお茶を飲んだ。
数回の会話だけで後は静寂。
そんなことを何回か繰り返しているうちに、私は咲夜が来ることを日常の一環と思うようになっていった。
「そういえばねぇ」
そんな数年前のことを思い出していたら、咲夜に話しかけられた。
「ここに来る途中魔理沙に会ったわ。もう異変に首突っ込んでたみたい」
「へぇ。なんか言ってた?」
「『最初に冥界に行ったんだが、いきなり亡霊と勝負になってな。苦戦したが寺が怪しいって情報はゲットしたぜ』って」
魔理沙の声真似をしたようだったが全然似てない。
それにしてもいい情報を聞いた。自分も冥界から行ってみようと思っていたので、うれしい誤算だ。寺から行くことにしよう。
「その後早苗にも会ったわ」
「あいつも来たのね…。それで?」
「なぜか勝負挑まれちゃって」
「……まぁ、異変の時は皆気が立ってるからね」
自分が言うのもなんだが。
それを抜きにしても、早苗は少し張り切りすぎてるような気もする。
「それで、どうなったの?」
「残機全部奪ってあげたわ」
容赦無ぇー。
一息ついて。
「あんた休暇もらったんでしょ?異変解決しに行かないの?」
こんなことを私が聞くのは、おかしいかもしれない。
博麗の巫女である私が、他人に『異変を解決しないのか』なんて聞くのは、常識的に考えたらおかしかった。
それでも、聞いておきたかった。
咲夜は、
「あ、茶柱」
聞いてなかった。
どこか抜けている奴と思っていたが、最近はそう思うことが更に多くなってきた。
「……ちょっと、聞いてる?」
「聞いてるわ」
咲夜が神社に来るようになると同時に、異変解決のメンバーに咲夜は見かけなくなった。
花の異変で、咲夜に何かあったのだろうかと思うことも少なくない。
山に神様が引っ越してきた異変の時も。
地底から怨霊が噴き出た異変の時も。
宝船が空を飛んでいた異変の時も。
タイミングが見つからなくて聞けなかったことを。
私は新しい異変に出発しようとするという今。
咲夜に問う。
「私が行かなくても、異変は解決するわよ」
頭のどこか片隅で予想していた通りの答え。
「あなたや魔理沙、妖夢に、それと早苗。これだけいたら解決しない異変なんてないと思うわ」
予想していた通りの答え。
それなら、何で聞いてしまったのだろう。
私は。
もしかしたら、異変解決の一員に、咲夜がいないのが不満だったのかもしれない。
さっきの問いも、暗に咲夜を異変解決に向かわせようとする、私の気持ちの表れかもしれない。
…よくよく考えてみるととんでもなく恥ずかしいことを自分は考えているのでは。
自分の考えを要約すると、『咲夜がいなくて寂しい』ということに……。
「それにね」
少し頬が赤くなった私の顔を見ながら、咲夜が言う。
「異変を解決して戻ってきた霊夢の顔を見る方が、私は好きなの」
そう言った咲夜は、直視できないくらい眩しい笑顔で。
やっぱり私は視線を湯飲みに移すしかなかった。
霊夢の湯飲みのお茶はもうあと少ししか残っていない。
後、一飲みで霊夢は異変解決に行ってしまう。
少し名残惜しかったが、元々はもう少し早く霊夢は出て行っていたんだ。
私のわがままでこれ以上霊夢を引き止めてはいけない。
でも、これぐらいのわがままは許してほしい。
それに、こんなことをしたって、霊夢は絶対に異変を解決することは知ってるから。
霊夢は中々お茶を飲もうとはしない。
この微妙な時間が、私には嬉しかった。
長い時間が流れた気がする。もしかしたら意図せず時間を止めてたかもしれない。
ようやく霊夢は湯飲みを傾けて、
ことり、と湯飲みを脇に置いてあったお盆に載せた。
「そろそろ、行くわ」
そう言った霊夢の顔はまだほんのりと赤い。
「片付け任せたわよ!」
「任せられたわ」
矢継ぎ早にそう言って、傍らに置いてあった大幣を掴んで縁側から飛び出していった。
「霊夢」
霊夢の体が地面から浮かんでしまう前に。
「何!」
「おゆはん作って待ってるわ。何がいい?」
また霊夢の顔が真っ赤に染まった。
私は意地悪な奴かもしれない。
「……なんかおいしいやつ!」
それだけ叫んで。
紅白の蝶が神社から飛翔していった。
咲霊は私にとって心の栄養
ご馳走様でした。
ならば仕方ない。
だけれど、どこか清涼感のあるお話でした。
キャラがとても魅力的に書かれててよかったです。
この霊咲流行れ!