「ルナ!大変大変!大変なのよ!スターが……」
昼食後の優雅なコーヒーブレイクを楽しんでいた私、ルナチャイルドの元に、同じく妖精でいたずら仲間のサニーミルクが騒がしく飛び込んできた。
一人静かな時間を邪魔された恨みにぷいと頬を膨らませて目を上げ、いつも元気いっぱいの友人の姿を視界に写す。
すると、目に飛び込んできたサニーのいでたちは無残なものだった。
髪はまとめていたリボンがほどけてばらばら、カチューシャはゆがんでいる。
衣服も全体的に破れたり穴が開いたりしていて、スカートは心なし短くなったようで、いつもは見えないひざの辺りまでがちらちらと見える。
極めつけは布が吹き飛ばされて大きく露出した肩で、キャミソールの肩紐が見え隠れしている。
(あーそうか。最近見せる下着を買い込んだとか言ってたけど、このためだったのね)
思わずそう納得してしまうほど、この光景は今や慣れ親しんだものだった。
つまり、かの氷精チルノが光の三妖精に宣戦布告し、受けてたった三人が勝ったり負けたりすること。
馬鹿のくせにか馬鹿だからかチルノは力が強く、便利な能力を持っている三妖精ですら勝つことはまれというのが現状だった。
そして、負けて被弾するたびに衣服がダメージを受けるので、最近は自然治癒の力を使うことがとても多い。改めて妖精とは便利な存在だと実感していた。
(それにしても、毎度よくまあこんなにエロチックに破けるわね。うらやましいこと)
ボロボロのサニーは、それほどまでに毎回扇情的で嫉妬心を煽った。
それに引き換え私ときたら、弾幕で被弾する度、どうして戦場で被爆した陸軍将校程度の装いにしかならないのよ!
「ちょっと、ルナ!ちゃんと聞いてるの?」
「あ、ごめん……。全然聞いてなかった」
同姓の破れた衣服を見つめてぼんやりとする姿はさぞ背徳的だったに違いない。
少し反省しつつ、今度こそ聞く体勢に入る。
「もう。周りの音を消すのは悪戯のときだけにしてよね。それはともかく、スターが変なのよ!」
「スターが変なのはいつものことじゃない……」
「それが今日はもっと変なの!今日のスターはなんと、今までに見たことがないくらい落ち込んでるのよ!」
「……え?」
不意をつかれる言葉。確かにそれはスターにしても変だ。いやむしろ、かのスターサファイアだからこそ。
今までに見たことがないくらいと言ったが、そもそもルナにもサニーにも、スターが落ち込んでいた記憶などどこにもなかった。
「ね?驚いたでしょ。だから大事件なのよ、これは!」
「あのスターが、ねえ。あの子はいっつも何考えてるのかわかんない感じで笑ってるもんね。確かに興味深いわ」
「でしょ?だから、一緒に見に行こうよ」
「それはいいわよ。でもそれよりも、サニー」
いったん言葉を切り、サニーのほうを見つめなおす。
何?と不思議そうな顔で見つめ返してくるのは、先ほどまでの慌てっぷりを感じさせないいつも通りの所作。
……何というか、今の状況にそぐわないくらい、いつも通り過ぎるでしょうに。
「あんた、間違いなく楽しんでるでしょ」
「えへへ、ばれた?」
悪びれた様子もなく笑うサニーが、普段見られないスターの様子を絶好の暇つぶしのネタと見ているのは明らかだった。
予想通りの返答に思わず、首を振って軽くため息を吐く。
「はあ、サニーは感情が表に出すぎ。そんなんじゃ馬鹿に見られるわよ。あと、洋服くらい修復しときなさい」
「はーい」
一つ返事で返した日の光の妖精は、早速太陽の当たる明るいところへと歩み出ると、なにやら力をこめ始めた。
その仕草、あたかも光合成のごとく。
栄養が生まれる代わりにサニーの洋服が修繕され、大きく開いた穴もふさがっていく。
肩口にその一端を魅せたエロティシズムも、一抹の希望が泡沫と消えるように洋服の影へと隠れてしまう。
ああ、夢の欠片が、消えていく……。
……っと危ない。
どうも思考が色々なところにトリップするのが私の悪い癖だ。
私はとりついたものを引き離すように頭を振って雑念を振り払った。
ともかくも、これが自然の権化である妖精の自然治癒の光景。
ご都合主義と思うかしら?例えそう思っても、実際自然はこういうものなのだから、どうしようもなくこうなのよ。
「よっし、完了!さあ、ルナ。スターのとこに行くよ」
「はいはい。でも、スターをからかったりしちゃ駄目よ」
「えー。せっかく楽しそうなのになー……」
「今は駄目。その代わり、後になってからこれをネタにお茶汲みでもしてもらいましょう」
こうしてルナは、あれこれとスターに悪戯をしかけてやりたい様子のサニーをなだめつつ、若干その提案に乗りかかりつつも、二人してスターの元へと向かうのだった。
†
途中でサニーに言われ、私たちは姿と音を消してスターのいるという場所に近づいていく。
気配を消すことに関して、私たちの右に出るものはいない。いや、言い過ぎた。少なくとも妖精の中ならそう。
ともかく、これでいくらスターと言えども、私たちの気配を感じ取ることはできないはずだ。
そう確信して、サニーが指差す方向へと忍び足で進む。
……いや、忍ぶ必要がないことくらいわかってるわよ?そんなに馬鹿じゃないわ。でもなんかこう、さ。
「ねえ、サニー」
「なあに?スターならもう少しで姿が見えるはずよ」
「まあ、それも知りたかったのだけれど。サニーは、スターが落ち込んでる理由わからない?」
ひそひそ声で意思疎通をはかる。
やっぱりこういう状況では、そのほうが『自然』に思われるのだから、仕方がない。
これも妖精の性。
「んー、なんだろ。年頃の女の子特有の悩みとか、そういうのかな」
「年頃の女の子ぉ?そうだとして、例えばどんなことよ?最近自慢の黒髪に櫛が通りにくくて困るんです、みたいな?」
「え、なにそれ。あんたもしかして自分の髪のことで悩んでる?」
しまった、墓穴掘った。
べ、別に、自分が天然パーマのドリルで、スターがきれいなストレートだからって、ひがんだりしてませんよーだ。
それが本心からの言葉なら、すぐに言い返すことだってできたはずなのに。
「別に気にすることないじゃん。その髪型、ルナに一番似合ってると思うよ」
それなのにこいつは、間の悪いときに嬉しいことを言ってくれちゃって。
言い返すタイミングを失った私は、少し熱くなった頬をごまかすようにうつむいて、黙々と歩き続けるのだった。
長く感じた沈黙の後、しばらくして顔を上げると、スターの姿はもう目の前だった。
サニーの言う通り、確かにスターは何事か落ち込んでいるようで、珍しくも少しうつむき気味に、ぼんやりと立っていた。
見たことのないそのしおらしい姿は、後ろから見ると綺麗な黒髪ともあいまって、一瞬かぐや姫かとも見紛うほどにはっとさせられてしまう。
思わず見とれていると、サニーに声をかけられた。
「おーい、ルナ!見とれてないでこれからどうしようか考えようよ」
「ああ、そう、だったわね。んー、スターが何を悩んでいるかわからないわね。そういえば結局サニーは何か考えがないの?」
『年頃の女の子特有の悩み』とか漠然とした答えしかもらっていなかったことを思い出す。
聞いたところでサニーから納得のいく答えが得られる気はしないけど、念のためだ。
「うーん。私はずばり、恋、だと思うね」
「恋ぃ?」
やっぱり返ってきたのは予想斜め上の答え。あのスターが恋、それも恋煩いまで抱えているという大胆な仮説。
スターは恋をしたら悪女の笑みで相手を陥落させるタイプだと思うんだけどなあ、私は。
「だってそうでしょ?乙女の悩みは恋って相場が決まってるのよ」
「そんな短絡的な……。第一私たちの今までの生活のどこに、恋に落ちる要素があったのよ?」
毎日毎日だらだらして、悪戯して、こらしめられて。おまけに知り合いのほとんどが同姓と来たものだ。
私には恋の糸口さえみつからない。少なくとも純粋なものは。
「んー、わかんないよ?毎日近しく馴れ合っていたら、いつの間にかその人が恋しくなってた、みたいな。誰かスターと親しい人なんかいなかったっけ?」
「えーと……。私の知る範囲では、チルノ、とか?」
「あはは、ありえないありえない!」
私は何も悪くないのに、大笑いされた。なんか悔しい。
仕方がないのでそっぽを向いて、改めてスターを観察すると、その洋服もさっきのサニーに負けず劣らずそこかしこが破れていることに気づいた。
というより、今の今まで気づかないとは、どれだけ服が破れるのが日常茶飯事になっていたことか。
「ねえ。今気づいたけど、スターの洋服もボロボロじゃない。あれもチルノの仕業かしら?」
「そうねえ。確かにあいつ、私のとこ来る前にスターと弾幕してきた感じだったような」
「そうなの。じゃあ……。スターが立ち直ったら、まず二人で私にうまい被弾の仕方を教えなさい。いい?絶対よ」
「え、どしたの?急に顔が真剣だよ」
当たり前じゃないか、と憤る。
そりゃ私だって、あんなふうに肩をチラ見せで官能的な姿になってみたいわよ。袖がばっさりの負傷兵なんかでなく。
いやいや、それはともかく、だ。落ち込む前に弾幕をしていたというのなら、それが悩む原因になったとは考えられないだろうか?
「まあ、私のことは今はいいわ。スターはそれじゃあ、自分の弾幕のことで悩んでるんじゃないの?ほら、いつもチルノに負けてばかりだから、思いつめて、とか」
「うーん、そうかなあ。私はやっぱり恋に一票入れるわ」
自分で提案して自分で票を入れるな。それを世では自作自演という。
それと、思うに、サニー、あなたは乙女という幻想に酔っているだけなんじゃないかしら?
友人が乙女的な悩みでふさぎこむなら、それを解決しようと動く自分も可愛い乙女。
……ちくしょー、うらやましいわ。乙女扱いまでは望まないからせめて、私の髪型をどこぞの宮廷音楽家になぞらえるのだけはやめて欲しい。
こうしてルナが一人嫉妬の海に沈み、サニーが思案顔で恋について考えている横で、それまで微動だにしなかったスターがついに動きをみせた。
意を決したように一つうなずき、広い空間に歩み出ると、誰もいない場所に向けていつもの通常弾幕を繰り出す。
妖精がよくやる、自然を相手とした弾幕練習の風景だ。
「ほら、スターが弾幕の練習始めたわよ?これでも恋の悩みだって言い張る?」
「え、えーと。あれよ、あれ。綺麗な弾幕で異性にアピール、みたいな」
「孔雀じゃないんだから……。ま、弾幕関連の悩みってことで大方決まりね」
そこまで言ってふと、私たちがスターの背後でなく正面に立っていたら、今頃どうなっていたんだろう、と考えて冷や汗が流れたが、まあ無事だったんだからと考えるのをやめた。
終わりよければ全てよく、他のことなど考えない。それが楽しく生きるコツだ。
まあ悪戯なんかでは、終わりがよくないことのほうが圧倒的に多いのだけど。
「だけど、弾幕関連ってもねえ。今のままで十分綺麗じゃない」
サニーがぽつりとつぶやき、私もつられてスターの弾幕に注目する。
スターらしい青い色の弾が円形に放たれ、弧の形を保ったまま木々で反射して逆向きに動き始める。
返る弾は出た弾と交差し、私たちの目の前で綺麗な幾何学模様を作っていた。
あの魅入られる模様の弾幕は、ちょっとやそっとの努力で作れるものではない。
「そうよねえ。私なんか出鱈目に弾を出して相手を狙わせるくらいが関の山なのに」
その上氷精に負けたくらいで落ち込んでいるとすれば、贅沢もいい所だと思った。
妖精が弾幕に強さを求めるものではないし、第一チルノの能力が突出しているだけで、あの氷精をのぞけば光の三妖精の実力は妖精の間で最高峰といっても過言ではない。
だからこそ、そんなことで悩むなんてスターらしくない。
だが若干の違和感は残りつつも、状況証拠ではそうとしか考えられないのが現状だった。
「じゃあ、どうする?お茶汲みは後に取っとくとして……」
「そうね……。それなら今は、スターの悩みになんか気づかないふりをして話をしながら、本当のところを探りましょうか」
†
私たちは一旦その場を離れ、十分遠く離れた場所で二人の能力を解除してから、もういちどスターの元へと向かった。
馬鹿みたいだと思うかしら?正直私もそう思う。でも仕方ないじゃない。覗き見してたことはスターには知られたくないんだから。
元の場所に戻ると、とっくに私たちの接近に気づいていたらしいスターは、弾幕の練習もやめ、いつものように不思議な笑みを浮かべて私たちを出迎えた。
「あら、サニーにルナ。久しぶりね」
「うん、スター、久しぶり。実に四時間ぶりといったところよね」
「いいえ、サニー。正確に言うと、三時間と少しね」
……これは、私が突っ込みを入れろという前振りか?
どうやらそうらしく、サニーが期待をこめた目つきでこちらをチラチラ見てきたが、無視してやることに決めた。
「そんなことより、今日はずいぶん天気が良いじゃない。絶好の悪戯日和だと思うのだけれど?」
「おお、そうだね!せっかく三人そろったんだし、人でも迷わせてやろうよ!」
「んー。せっかくだけど、今日は私はパス。午前中にお馬鹿な氷精が弾幕しに来たものだから、疲れちゃったわ」
そうだった。あまりにスターのノリがいつも通りなので忘れていたが、私たちはそのことについて聞きにきたのだった。
サニーと目配せをして、本題に入ることを伝える。
これも後々の優雅なティータイムのための布石となるのだ!
「へえ、あの娘、また来てたのね。まだ私のところには来てないわ」
「私のほうには来たよ!今日はまた一段と強くてさー。また負けて洋服ボロボロにしちゃった」
あはは、と笑うサニー。
サニーの魅力はこの明るい性格にある、と私は常々思っていた。
良くも悪くもその頭の働きについては言及させないような、無邪気な笑み。
いつの間にやら私はそれに魅入られ骨抜きにされて、どんな無茶な悪戯を計画されても結局したがってしまうのだった。
「まあ、そうなの。それにしては、サニーの洋服はもう綺麗になったのね」
「今日は晴れてるからねー。治癒能力も高いし、元気いっぱいだよ!」
「そうねえ。最近は曇りの日が多かったから……。私はいつも通りゆっくり、ゆっくりなのよ」
元気なサニーと、振る舞いがなかなかしとやかなスターのコントラスト。
先ほど垣間見たしおらしい姿も重なって、スターはやはりどこかのお嬢様のようにも見えた。
その外見に似つかわしくゆっくりおっとり回復するスターは、弾幕終わりのしどけない姿をいつまでも外気にさらし続け……。
……っと、また脱線。危なっかしいのでさっさと会話を進めましょう。
「それじゃあ、元気なサニーとのんびりなスターに私から提案があるわ。どう、これから三人で結託して、チルノを倒しにいかない?」
私たち個人個人でチルノに勝つことはまれだが、三人集まって弾幕を張ると滅多に負けなしだった。
一対三では卑怯だと思わないこともないが、かの氷精曰く『1に3をかけても1』らしいし、あまり気にしないことにしている。
そういうわけで、本当にスターの悩みが弾幕の勝敗についてならば、この提案への返答どうあれ、スターの気持ちが少しわかるのではないかという魂胆なのだ。
「いいね、それ。今度こそのしてやろうよ!」
スターの台詞を先取りしてサニーが答える。
肝心の本人はどうする?のるか、否か?
「元気ねえ、あなたたちは。言ったでしょ。私は疲れたから、今日はもういいわ。それに、今はあまり弾幕をしたい気分ではないの」
結果は、拒絶し、今は弾幕をしたくないという意思表示。
これはやはり、チルノに負けたことが堪えているのだろうか。
しかし、それにしたって、今までだって散々負けを重ねてきたのに、なんだって今日に限って……。
考えていると、サニーが私の意図を汲んだような質問をしてくれる。
「えー、行こうよ行こうよ。私たち三人だったら絶対にあいつにだって勝てるよ?」
いや、してくれなかった。こいつ、また自分だけ楽しもうとしている。
それでも、私もなんだか久々にチルノを負かしてやりたくなったので、同調することにした。
「そうよね。私も今まで負け越してきた分をやりかえしたいわ」
「でしょ?だったら久々にまたコンビ弾幕を……」
「お生憎様。私は勝負の結果になんてこだわらないのよ。弾幕なんて綺麗で相手を魅入らせることができればそれで十分だと思わないかしら?」
この言葉に、私とサニーが同時に驚いた顔をしたのがわかった。
弾幕勝負が悩みの種という私たちの予想は間違っていたのだろうか?それに……。
「えっ、そうなの?スターは絶対勝負にこだわるタイプだと思ってたのに」
スターの性格についても勘違いしていた。
おっとりした見た目と違い、内側では闘志が燃えているようなタイプにスターが属すると思っていたのだ。
その他にも優美で大人しそうな人が、実は腹黒かったり、執念深かったり、というのはよくあることである。
「うふふ。私のどこがそう見えるのかしら。可笑しいわね。二人ともそんな勘違いをしているだなんて」
突如として両手を合わせ、意識しておしとやかさを増して微笑むスターは、確かに腹黒いのかもしれない。恐らく悪女だ。
しかし、そんなことは差し置いて、今の言葉を信じるならば、スターの悩みは弾幕勝負ではないということだ。
だとしたら一体スターは何をそんなに悩んでいたのだろう?
途方にくれる私と対照的に、サニーは達観していた。もちろん何かわかったわけではなく、もう考えるのは飽きたという感じで……。
「ふーん。それじゃあこれからすることなくなっちゃったなあ。なんかないの、スター?」
「あるわ。それなら私の部屋に寄ってみなさいよ。さっき色々面白いものをみつけたのよ」
「おー、そーなのか。それじゃあ行く行く!ほら、ルナも一緒に行こう!」
急にテンションが再び上がったサニーは、もうとっくに本来の目的を忘れているようだった。
まあそれも仕方ないか。そもそも妖精の好奇心なんて、長く続いたためしがないのだ。
そんな気分で、疑問が解決しないままのルナもサニーの提案に乗ることにしたのだった。
†
それから私たちは、スター好みの――つまりは一般受けしない――拾いものの類を次から次へと見せられ、気づくと日はとうに暮れてしまった後だった。
そして私は今、家の窓から漏れ入る月の光に誘われて散歩に出ている。
見上げる空には、満月にはまだ遠く、欠けた部分の目立つ歪な月。
それでもその隠れ方は新月ほどではなく、満月のように真夜中という不便な時間帯に昇るわけでもないことから、私はこのくらいの月を割りと気に入っている。
結局今日は私だけがチルノと遭遇せず、特に体力を消耗するようなこともなかったが、それでも全身に浴びる月の光は心地よかった。
自然、機嫌もよくなり口笛の音が唇から漏れ出す。
こういう雰囲気での私のお気に入りは、『真夜中のフェアリーダンス』という曲だ。
軽快でノリがよく、自然と足取りも軽くなるようなこの曲は、速いテンポにも関わらず意外にも口笛で吹きやすい。
私はこの曲を作ったのが誰かは知らないが、こんな良い曲を作るのだからとても偉い人に違いない、と確信していた。
真夜中に限らず、日の暮れた後の散歩にもってこいのこの曲には、ほとんど非が見当たらない。
強いて一つあげるとすれば、メロディが変わる時の四つの音が、歩くペースを少し乱すことくらいか。
こうして歩いているうちに、ふと、不自然な冷気の存在に気づいた。
スターでなくとも容易に感知できるこの気配。これは間違いなく……。
(チルノ、ね)
正直な所を告白しよう。私はこの冷気に出会うまで、昼間の悩めるスターに関することをすっかり忘れていた。
妖精の好奇心も七十五分とはよく言ったものである。自分で作ったけど。
冷気はさらに近づき、とうとう薄暗い木陰からチルノその人が姿を現した。
「あ、お前!…………名前忘れた」
「ルナチャイルドよ!何度言わせれば気が済むのよ……」
全く、これだから馬鹿の相手をするのは疲れる。
それでいて、これでも妖精の中では頭がいい方、と言われた日には、日々妖精を相手にする私たちの苦労もわかってもらえるだろう。
いや、私たちも妖精だけどさ。
(それにしても、チルノもまた満身創痍ね)
目の前のチルノの衣服もまた、今日見てきた弾幕の敗者二人と同様、見るも無残な様子だった。
衣服の破れ方を、私は負傷兵、サニーとスターは色気ある生女房と――不本意ながら――例えるならば、チルノの今の様子はこのいずれでもなく、一日遊びまわった子供のそれである。
実際、チルノの一日の過ごし方を聞けば、一日遊びまわった子供と大差ないと思う。
恐らく、朝から今まで弾幕ごっこをして、そこらの春の妖精なんぞにやられて帰るところなのだろう。
「そうそう、ルナチャだルナチャ。ここであったが百年目!」
「誰がルナチャよ……。というか、やる気もないのに自分から喧嘩吹っかけないの」
今のチルノには、私と弾幕し合う気力も体力もないことが見て取れた。
そこでこう言い返してやると、やはりというか、弾幕はそのまま飛んで来なかった。
「ちぇー。せっかく久しぶりに戦えると思ってたのに……。今度元気なときに会ったら、絶体絶命に追い詰めてやるんだから覚悟しとけ!」
「あ、ちょっと待ちなさいよ」
よくわからない捨て台詞を吐いてそのまま走り去ろうとしたチルノの背中に、声をかけて引き止める。
スターのことは先ほどまで忘れていたような疑問ではあるが、解決しないままというのも気持ちが悪い。
チルノなら何か心当たりがあるのではないか、と思った。
「なに?あたいは忙しいんだから時間とらせないでよね」
「すぐ終わるから。あのさ、あんた今日スターと弾幕したわよね。ほら、長い黒髪で青いリボンの妖精」
案の定というか、スターの名前も忘れていた様子のチルノはしかし、私の説明で納得したようで、途中からうんうんとうなずいていた。
「ああ、あいつね。やったけど、それがどうしたのよ。敵討ちとか言わないでよね」
「言わないわよ。そうじゃなくて、スターがあんたとの弾幕の後、珍しく落ち込んでたの。その理由に何か心当たりはないかしら?」
問われた当人は目をぱちくりとさせ、首をかしげている。
まあ無理もないか。この氷精には他人の感情の機微はわかりそうにない。
「んー?あたいはいつも通りあいつと弾幕して、今日はあたいが勝って。終わった後もいつも通りだったよ、あいつ」
大方、あらあら負けちゃったわ、と捉えどころのない笑みを浮かべていたのであろう。
その光景はたやすく目に浮かんだ。
「まあ、そうよね。ごめんね、聞いても仕方ないことだったわ。気にしないで頂戴」
「そう?……あ、そうだ!それであたいが勝った後、今日はあいつにとっておきの捨て台詞を残してやったんだ!なんだと思う?」
「へえ。わからないわね。なんて言ったのよ?」
何気なく聞いた、その言葉。
それに対するチルノの爆弾発言に、私はひどく驚愕すると同時に、今のスターの気持ちがやっとわかったような気がした。
自分の弾幕に関する悩みはもちろんだが、それは七割。そして、微妙にうまいことをチルノに言われた、というショックが三割。
いや、と心の片隅で否定する声がした。
そもそもスターの弾幕のことになんて何の関係もないはずの私までこんな衝撃を受けているのだから。
あるいは七三の比率は逆ですらあるかもしれない、と。
スターサファイアをも落ち込ませ、ルナチャイルドを驚天動地の心地にまで至らせたその言葉は、すなわち。
「あたいはこう言ってやったのよ。『あんたの弾幕って、導火線みたいでいいよね。