Coolier - 新生・東方創想話

初嵐

2010/09/21 22:00:02
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 某月某日。
 我が家に早苗が嫁に来た。



「不束者ですが、よろしくお願いいたします。
「……あー、まぁ……うん。死ぬほど頑張って責任取るから……よろしくね」
「はい」
 向けられる笑顔が、とっても痛かった。

 
 さて、なぜにこのような事態になっているか、説明しなければならないだろう。
 それは、いつものようにいつものごとくのらんちき騒ぎとなる、我が博麗神社の宴会に端を発する出来事である。

「ぷはーっ! うまい! 萃香、もーいっぱい!」
「あいよー! がんがん行ってよ、がんがん!
 もうね、私の手元に大量にあるからさー!」
 その日、宴会をやろうと提案してきたのは萃香。
 別段、それについては、特に何も問題はない。何でも、珍しいお酒がたくさん手に入ったから、みんなと一緒にお酒を飲みたい、というのがその理由だった。
「おーい、霊夢。お前、そろそろやめとけって。顔が真っ赤だぞ」
「珍しいわね。霊夢が前後不覚になるまで酔っ払うなんて」
「あによー、うっさいなー。いいじゃん、たまにはさー。
 なー?」
「なー!」
「……私ゃ、知らないぞ」
「私も。酔っ払いの世話なんて、魔理沙一人で充分よ」
「頼んだ覚えはないぞ」
「頼まれた覚えもないわ。いっつも『う~……気持ち悪い~……。アリス、家に連れてってくれ~……』って言ってくるの、誰だったっけ?」
「覚えてないから無効だ!」
 相変わらず、仲がいいんだか悪いんだかわからない二人だの、いつものごとく騒ぐ連中にまぎれていることで、たぶんに、私は気をゆるくしていたのだろう。
 そのため、萃香から勧められる、得体の知れない酒をぐいぐいとやってしまったわけだ。
「こういう甘いお酒って、ついつい飲みすぎるのよね。ジュースと間違って」
「それがわかってて勧めるんだから、あの子鬼、ある意味、たちが悪いですよね」
「うどんげ。全員分の酔い覚ましと、二日酔い分の薬を用意しておいてちょうだい。稼ぎ時よ」
「はーい」
 という会話が聞こえていたような気もする。
 ともあれ。
「……はぁ~っ! たまらん! うまい!
 酒はさぁ、こうやって、ぐいーっとやるのがいいよねぇ?」
「いいよね、いいよねぇ。
 ほら、霊夢。もう一杯! まだまだあるよ~!」
「お、いいわね~! よこせよこせ!」
「誰か、いい加減、あれを何とかしたほうがいいんじゃない?」
 その、誰かの発言で白羽の矢が立ったのが――、
「あの、霊夢さん。そろそろお時間もすぎたことですし。
 皆さん、解散されたほうがいいんじゃないかと……」
 ――早苗だったというわけだ。
「あによー、さなえー。あんた、あたしにめーれーする気!?」
「い、いえ、そういうわけでは。
 ただ、あの、さすがに飲みすぎはよくないかと。美容とか健康とか……」
「こんなの酔っ払ったうちにも入らないわよ!
 わっはっは!」
「霊夢はな、酔うと気がでかくなるんだ」
 早苗の後ろから、魔理沙がアドバイス。それを受けて、早苗の顔が引きつる。
 その瞳に、私の姿はどう映っていたのだろう。
 ……まぁ、間違いなく、たちの悪いへべれけの酔っ払いに映っていたことだろうな。
「だ、だめですよ、ほら」
「んあ~……! もう!
 そんなに邪魔するんだったら、あたしとしょーぶしろ、しょーぶー!」
「しょ、勝負ですか?」
「そう! あたしにめーれーするんなら、あたしよりつよ~くないと!」
「……どういう理屈でそうなるんでしょう」
「酔っ払いに正論は通用しないわ」
「萃香! どっちがお酒を一杯飲めるか勝負!」
「はいよー! どーん!」
 取り出されたのは一石樽。それが二つ。
「わははは、これでしょーぶだ、さなえー! あたしが負けたら、み~んなゆーこときーてやるわよー!」
「……わかりました」
 はぁ、と早苗はため息をついた。
 おそらく、『言ってわからないのなら実力行使』を考えたのだろう。彼女は。
 かくて、私と早苗との飲み比べ合戦が始まったわけだが……元より、この勝負、勝てる勝負ではなかったのだ。
「ごちそうさまでした」
 しーん……と、宴会の会場が静まり返っている。
 早苗の前に置かれた一石樽の中身は空っぽ。対する私は、ひしゃく5杯分くらいで死んでいた。
「……あの、早苗? あれだけのお酒を一体どこに……?」
「わたし、うわばみだそうです。しかも底の抜けた」
「……化けもんか、お前……」
「ほら、霊夢さん。勝負に勝ちましたよ。宴会は終わりです」
「き、きもちわるい~……うぇ~……」
「さあさあ、皆さん。お片づけをはじめましょう」
 早苗が音頭をとる形で、三々五々の解散が始まる。
 その中で、一人、くたばってる私のところに、早苗が近づいてくる。
「ほら、霊夢さん。起き上がれますか?」
「……むり」
「……全くもう。
 よい……しょ。今、お布団まで連れて行ってあげますからね」
 彼女に肩を貸してもらって、引っ張られていく私。
 ……思えば、この段階で、誰かがそれを止めてくれなかったのも、言うなれば原因の一つだったのかもしれない。
「さなえぇ~……あんた、ほんっとにいいこやね~……」
「どこの人ですか、もう」
「ん~……」
「ちょっと、霊夢さん?」
「いい子にはごほーびっ!」
 ……あの時の私を、今の私の視線から見れば、間違いなくこう思う。
 ぶっとばしてやろーか、こいつ、と。

 私はそのセリフの後、早苗に飛びついて、思いっきり、その唇を奪ったらしい。そりゃもう1分間以上にわたる、実に熱烈な口付けだったと、後のハクタクが語っていた。


「……ほんとにごめん」
「いえ……お構いなく」
 目が……目が怖い……。
 嫁入り道具一式と共に博麗神社にやってきた早苗の周囲の温度が下がりまくっている。絶対零度とはこういうやつか。
 私としては『帰れ』という事も出来ず、かといって下手なご機嫌取りも出来ず、「と、とりあえず、お茶、用意するわね」と立ち上がる。
「いえ、そういうことは妻の仕事ですから。
 霊夢さん。どうぞ、座ってお待ちください」
「……はい」
 セリフの端々にとげがある。普段はこんな物言いをしない子なのだが、やっぱり、相当怒っているのだろう。
 ……あの時の私よ。イッペン、死ンデコイ。


 ――さて、その後が大変だった。
 布団の上で目が覚めた私を待っていたのは、文字通り、怒髪天をつき、柳眉を逆立てた神奈子の姿。
「うちの早苗を、よくも傷物にしたな! この腐れ巫女ぉっ!」
「神奈子、ストップストップ! 霊夢を殺すのはマジやばいって!」
 振り下ろされるゴルディオンオンバシラの直撃を食らいかけ、私は危うく光になるところだった。
 布団の上を転がってぎりぎり回避して、「な、何よ!?」と叫ぶ私に、
「何よも何もないっ!
 お前は、うちの早苗に、あんな辱めを……! 断じて許しておけるかっ!」
「ひぇぇっ!?」
「ちょっと待ってってば、神奈子! はい、すとーっぷすとーっぷ! どうどう!」
 その時ほど、諏訪子が頼りに思えたことはなかった。
 怒り狂う大魔神を何とか鎮めてくれた彼女は、「まぁ、実はかくかくしかじかでね――」と、その日の晩、私が何をやらかしたかを教えてくれたのだ。
 それを聞いて、まず最初に私が思ったのが、何でんなことで殺されかけなきゃならんのだ、という感想。早苗に悪いことをしたな、という思いは、その次にしか浮かばなかった。
「それは……まぁ……私が悪いわね。謝る。ごめん」
「謝ってすむのなら、私がこんなところにまで来ると思うか」
「ん~……。
 まぁ、霊夢みたいなお気楽巫女には、そもそもそういうのがないかもしれないんだけどさ」
 ……さりげなくバカにしてるな、このケロちゃんめ。
 にらむ私に、諏訪子は言った。
「あの子はさぁ、神力高めるために、まぁ、色んな修行とかしてきたわけね? その中には、結構、厄介なものもいくつかあってさ。
 うちらから見れば、何もそこまでと思うことも多かったんだけど、あの子は責任感が強くてねぇ。そういう修行にも手を出していってさ」
「……つまり、どういうこと?」
「そん中の一つに厄介なものがあんのよ。
 神に仕えるものとして、決して、嘘をつかない制約」
 は? と私は声を上げた。
 途端、神奈子の手がみしりという音を立てる。見れば、彼女が掴んでいるテーブルの足が握り潰されていた。
「あの子は子供の頃から今に至るまで、自分の発言、行動、あらゆるものをきちんと守っていかなきゃいけないのさ」
「……ふーん」
「そんでね。
 あの子が子供の頃に立てた約束があってさ。それが――」
「一番最初に、私と口付けをした方に将来を捧げる、というものですよ。霊夢さん」
「……え?」
 隣のふすまが開いて、その向こうから現れるのは白無垢片手に持った早苗の姿。
「……あれがわたしのファーストキスでした」
「ち、ちょっと!? 冗談きついわよ、早苗!」
「冗談だとお思いで?」
「諏訪子、どういうことよ!? そもそも、神様との約束ってあんた達とのでしょ!? そんなの破棄しなさいよ!」
「あのさぁ、霊夢。神様何だと思ってるのさ。
 わたしらは早苗の身内かもしれないけど、身内だからって甘やかしてたんじゃ神格も何もないじゃないか。そんなの出来ないんだよ。出来たら苦労しないっての」
 あの諏訪子ですら、憮然とした口調で返してくる。
 それにはさすがに、『うっ』と私も言葉に詰まってしまった。
「とにかく、早苗はそのルールを厳守しないといけないわけ。わかった?」
「わ、わかったって……何を……」
「早苗を幸せにすること。
 それが出来なかったら、マジであんたをぶっ飛ばすよ。幻想郷のルールなんて知ったことか」
 ……自分で『ルール厳守』と言っておきながら、直後にそのセリフ……。結局、早苗のことが大切というわけだが……迷惑千万と言って追い返すことは、私には出来なかった。
「ま、同性結婚もいいんじゃない? 早苗」
「……諏訪子さま、ちょっと、奥で話し合いましょうか」
「いやいや、わたしに言われても」
「霊夢。
 私は納得したわけじゃない。納得はしてないけど……早苗の言うことはきちんと守ってやりたいと思っている。
 いいわね?」
「……は、はい……」
 心臓をぎゅっと掴まれた上で、喉元に刃物突きつけられているような気分だった。
 ――そんなことで、私はなんと、早苗を嫁にもらうことになってしまったのである。

 誰か助けて……。
 身から出たさびだってわかってるけど……。



「霊夢さん、どうぞ」
「は、はい! ありがとうございます!」
 思わず背を伸ばして居住まいを正してしまう。
 出されたお茶にはきちんとお茶請けのお菓子もついている。ついでに言えば、普段の出がらし薄味のお茶ではないようだ。多分、お茶の葉を持参してきたのだろう。
「そ、それじゃ、いただきま~す……」
「熱いので火傷しないでください」
 ずず~、とお茶をすすって。
「……あ、おいしい」
「そうですか」
「早苗、あんた、お茶を淹れるの上手ね。こんなに美味しいお茶を飲むの久しぶり……て……」
 ……。
「その……ね。私がとんでもないことを、あんたにしたのは悪いと思ってる。
 だから……その……機嫌直して?」
「別に怒ってなどいませんよ。これが普段のわたしです」
 絶対嘘だ……。
 早苗は嘘をつけないんじゃなかったんですか、諏訪子さま。この声音と冷たい視線を見て、どうやったら、早苗が怒ってないことを証明するんですか。
「わたしは、霊夢さん。本当に、その相手に身も心も許せると判断しない限り、事をすることはないと誓っていました。だから、あんな約束をしてしまったのです。
 ですが、世の中には、相手の意思を無視してそういうことをしてくる人がいるということを、すっかりと失念していました。これは、わたしの落ち度です。ですので、霊夢さんは、どうぞお気になさらないよう」
 ……痛い……とっても言葉が痛いです……。
 心を抉る言葉の数々に、早くも私はめげて、テーブルの上に突っ伏してしまう。相変わらずの暑さが刻まれた室内の空気が、やたら寒かった。
「……さて。今日から、わたしはこちらにご厄介になることになりましたので。
 申し訳ありませんが、私のお部屋を用意していただいても構いませんか?」
「い、家くらい、別でもいいんじゃないかなー……」
「そのようなことをして、どちらかが不貞の付き合いを始めたらどうするんですか」
「……はい」
 負い目があるって……つらいなぁ……。
 早苗には何も言えず、心中でため息をつく私だった。

「んっと……とりあえず、この部屋を使って」
「きれいですね」
「……まぁ、以前、うちのお母さんが使ってた部屋だから」
 私が早苗を案内したのは、神社の母屋の一角。
 普段、この母屋は、私が使っている部屋以外は放置状態にある。広くて掃除とかがめんどくさいからだ。だから、カオスってる部屋も、きっとあることだろう。
 この部屋は、そんな扱いを受けている数々の部屋の中で、唯一、例外に当てはまる部屋だった。
「霊夢さんのお母さんですか。
 どのような方だったんですか?」
「おちゃめで優しい人だった。ただし、怒ると鬼のように怖かったけど。
 今回の私の失態を知ったら、多分、文字通り、烈火のごとく怒るだろうな、って人。……ま、大切な人」
「……その……」
「あ、別に死んだりとかしてないから。
 私に巫女の座を譲った後は、のんびり、幻想郷中を旅行中。元々、放浪癖があったって紫は言ってた」
 そんな母親だから、いつ帰ってきてもいいように、この部屋はきれいにしてるのだ。
 そんなことを語ると、早苗はしばし沈黙する。
「……そんなお部屋、使えません」
「あ、いいよいいよ、気にしないで。だって、この部屋以外だったら、まともに人が生活できるのは私の部屋か居間くらい……」
「でしたら、居間で結構です」
「何言ってんの、ダメに決まってんじゃない。一応、あんたのことを幸せにするって約束したんだし。っつーか出来ないと神奈子にすり潰されそうだし!
 よーし、片づけするか! 早苗、その間、私の部屋に荷物を置いといて」
「え? でも……」
「いいから。これも罪滅ぼしよ」
 やれやれ、と私は笑った。
 その笑顔を、早苗はどう思ったのだろう。少なくとも、ずーっと、神社に来てから浮いていた、彼女の眉間のしわはなくなっていた。

「……しかし、えらいことになったなぁ」
「普段の行いが悪いからね」
「唐突に出てくるな。あと、あんたに言われたくない」
 後ろを振り向かず、私は言う。その声の主――言うまでもない、うさんくさい妖怪は「つれないわね」とくすくすと笑っている。
「話は聞いたわよ、霊夢。面白いことになっているじゃない」
「うっさいっての」
「バカみたいに真面目な子を相手にすると、あなたも手玉に取られるのね」
「……んなことわかってるっての。
 けど、早苗をバカにすんのはやめて。あれは私が悪かったんだから」
「あら、これは殊勝な答えね」
 げほげほと、思わず咳き込む。
 手元のほうきのせいで、舞い上がったほこりが、一瞬、辺りを埋め尽くす。
「普段のあなたなら『知るか、そんなこと』って言いそうなのに」
「言いたくもなるけどさぁ」
 障子を開けて、外へとほこりを追い出す。
 続けて、畳の上の水ぶき。
「……やっぱ、私が悪いって。今回は。
 酒の勢いとかあるだろうけどさぁ。そもそも、そんなに飲む方が悪いんだし」
「罪悪感が強いのね」
「……まぁね。
 早苗ってさ、あんたも言ったけど、バカみたいにくそ真面目じゃない? ほんとは、内心でも『バカみたい』って思ってると思うのよ。自分のこと。
 けど、それを押し殺して、自分の約束を守ろうってしてるのを見てると……ほんと、何でそんなことしちゃったのか、後悔しか浮かばないのよ」
 私にしては珍しいだろ、と笑う。
 振り返った先にいる紫は、口元を扇子で隠していたため、表情を伺うことは出来なかった。
「だから、まぁ……ぶっちゃけ、どうにかしないとはいけないと思うけど」
「その手段が見つかるまでは結婚ごっこを続ける、と」
「……まぁ、ごっこだよなぁ。
 早苗の割り切り方を見てると『やっぱり家に帰ります』とは言い出しそうにないし」
「そう」
「……もしかして、助けてくれたりする?」
「さあ?」
 ケチ、と口を尖らせると、紫は私の表情を見届けてから、さっさと帰っていってしまった。……何しにきたんだ、あいつは。
 ある意味、紫らしい行動と言えなくもないが、はっきり言って、ちょいとむかついた。
 ――と、その時、障子の向こうに早苗が顔を出す。
「お昼ご飯、出来ました」
「え? もうそんな時間?」
「ええ。
 ご一緒にどうですか? 霊夢さん」
 ……ん?
 何だか、声のトーンと雰囲気が変わっているように感じた。気のせいかもしれないが、早苗の周りを包んでいる空気が変わったようにも思える。
 ……ま、いいか。気にしないで。
「じゃ、そうする。
 ああ、部屋の掃除、あと少しで終わるからさ。もう少し……」
「いいです」
「は?」
 おいこらちょっと待て。私のこれまでの苦労を無にするつもりか。
 ……とは、口に出しては言えないものの、内心で思いっきり抗議する。すると、早苗は、それを上回る爆弾発言をかましてくれた。
「よく考えると、新婚の夫婦は同じ部屋に住むものですよね」
 ――と。
 ……ちょっとマジですか。

「れーいっむさーん♪」
 ……きやがったか。
 外から響く能天気な声に、手にした針を投げつける。「あうちっ」という声。しかし、
「聞きましたよ聞きましたよ! 博麗の巫女と守矢の巫女との婚礼の話!
 いや~、もう、天狗業界は大騒ぎ! これは取材を行わなくては、ともう上へ下への騒動で! すかさず、私がトップで情報入手するべくやってきました文ちゃんです!
 さあさあ、霊夢さん、早苗さん! ばしーっと答えちゃってください!」
「帰れからす!」
「甘い!」
「な、何ぃーっ!?」
「甘いですね、霊夢さん。最近の霊夢さんの行動パターンから、私への対策及び迎撃手段は全てパターン化させて控えさせてもらいました。よほどの不意打ち以外では、文ちゃんを撃墜することは出来ませんよ!」
 くっ、無駄に研究してやがる、この鴉!
「いやはや、まずはおめでとうございます。お二人とも。
 こちら、天狗一族に伝わる秘伝の手法で作りました『神仙天狗』というお酒でして。こうした祝い事でしか飲むことの出来ない、幻のお酒です。まずはお納めください」
「いらんから帰れ」
「あややや、そう言わずに。
 いえ、別にからかったりとかするつもりはないんですよ? 私はただ、心からお二人の未来を祝福して……」
「鏡を見てこい、鏡を」
 そのにやにや笑顔を向けられて、文のセリフを素直に信じることなど出来るものか。ただでさえ、こいつは、色々と信用ならんというのに。
「いや~、それにしても、先日の宴会の場に行けなかったのが悔やまれます。
 どうですか、霊夢さん。その時の、熱烈なキスの再現など……」
「しばくぞお前」
「早苗さんはいかがですか?」
「わたしは構いませんけど」
「ほら、早苗もそういって……って、はいぃ!?」
「おお! 本当ですか!?
 では、ぶっちゅ~っと!」
「それでは、霊夢さん」
「いやいや待ってちょっと待って早苗! 相手は文よ!? ばらまくわよ!? そうしたらあんたと……!」
「……目、閉じてください。恥ずかしいので」
「は、はい……」
 ……ふと、思う。
 私ってやつぁ、意外と状況とか空気に流されるやつなのかもしれない、と。
 無重力巫女は強い風には逆らえないのかもしれないなぁ、と思いながら。自分の唇に、やわらかい何かが重なる感触をしっかりと確認する。
「こんな感じでした」
「……素晴らしい……。素晴らしい、素晴らしい、素晴らしい!
 最高ですよ、霊夢さん、早苗さん! あ、ご安心ください、この写真は絶対に外に出しませんので」
「そうなんですか?」
「ええ。まぁ、言ってしまうのは悪いですが、ちょっとした趣味もありましたから。
 それじゃ、幸せ新婚夫婦のインタビューを……って、霊夢さん?」
「それでは、霊夢さんの分はわたしが」
「はいはい」
 あー……頭がオーバーヒートしてるー……。
 何だか、目の前の光景すら、どこか遠くのものとして映っている。ダメだこりゃ、と自分を判断してから立ち上がる。とりあえず、お茶を用意しよう。文の分も、めんどくさいからまとめて作ってしまおう。
 うん、それがいい。そうしよう。そうしたほうがいい。絶対。
 がつんっ!
「あいだだだだーっ!?」
「……うわ、小指……」
 小指を思いっきりテーブル(黒檀製)にぶつけ、のた打ち回る私のところに、なぜだか、ほんのちょっぴり楽しそうな顔をして、早苗が「何やってるんですか、もう」と近寄ってきたのだった。

 そして、その日の夜のことである。
「霊夢さん」
「何、早苗」
「その……あの、お風呂、行きませんか?」
「お風呂? そこにあるじゃない。今からお湯張るから、それで……」
「そうじゃなくて。
 この近くに温泉があること、ご存知ですか?」
 はて? 博麗神社の近くに温泉?
 まぁ、そりゃあるだろうが、何もわざわざ足を運んでまで入りに行くようなところではないだろう。というか、私がそう思っているのだから、その判断が間違っているわけはない。
 ……もっとも、早苗が行きたいのなら止める理由はないのだが。
 しかし……何だろう、あの、微妙に期待のこもった眼差しは。
 ともあれ、何だかそれが気になるものの、私は『わかったわかった』と彼女を連れて、夜の空へと舞い上がる。
「文のやつ、絶対に記事にはしないとか言ってたけど、どうなることやら……」
「それについては信用してもいいと思いますよ。
 文さんは、嘘は言ってませんでした」
「あんたは天狗の舌が何枚あると思ってるの」
 約束したことを3歩歩いたら忘れてるような連中である。そんな口約束、とてもじゃないが信じられない。
 早苗はなんというか、いろんな意味で純真なんだなぁ、と思ってしまう。……ほんと、よくもまぁ、この幻想郷で生きていけるものだ。この世界って、マジでろくなのいないのに。特に妖怪勢。
 いやまぁ、人間がまともかと言われると、少なくとも、私の知人環境においては、それは絶対にありえないのだが。
 ……考えててむなしくなってきた。
「あ、つきましたね」
「ん? こんなところに温泉なんてあったの?」
 程なくして通りすがる空の上。
 早苗は下へと移動して、私は一瞬、首をかしげた後、彼女に続く。そうして、地面に降り立ってみて、少し歩いてみれば。
 木々の梢の向こうに、硫黄の香りと真っ白な湯気。
「……こんなところに」
「ここ、人里でも有名なところですよ?」
 何で知らないんですか? という視線。
 確かに、言われてみれば、左手側には人為的に作られたと思われる、屋根つきの脱衣所がある。湯船も誰かが整えたのか、ちょっとした岩風呂になっていた。
 もしかしたら、妖怪の誰かが作ったのかもしれないが、まぁ、文字通りの天然の温泉よりは居心地もよさそうだ。
「よし、入るか。……って、ここ、混浴? 男も来る?」
「来ますよ」
「んじゃ、さっさと入るか」
 別段、私はそういうのは気にしないが、早苗が気にしそうである。
 幸い、今は貸しきり状態。ぱぱっと入ってちゃちゃっと上がるのが正しいだろう。
 さっさと服を脱いで湯船に飛び込んで。
「あ~、気持ちいい」
 極楽気分に浸っていると、後ろに気配。まぁ、振り向く必要なんてないけれど。
 私と違って、彼女はきちんと入浴前の作法を収めてから、『失礼します』なんて湯を揺らさずに入ってきた。
 そして、
「……あの~、早苗さん?」
「はい」
「お風呂、広いんですけど」
「そうですね」
「なぜに私の隣に」
「そういうものじゃないですか?」
 ……どういうものだというんだ、それは。
 なぜか、私の隣に身を沈め、しかもぴったり寄り添ってくる早苗。いや、別にそれはそれでいいんだろうけど……何というか……対応に困るというか。
「正直さぁ、早苗」
「はい」
「今、自分、どう思う?」
「わたしは別に。
 自分の約束はきっちり守らなくてはいけませんから」
「約束だから、私と一緒にいる、と」
「そうですね」
「ふーん……」
 何だか微妙に面白くない。
 とはいえ、早苗がそうやって割り切ってくれているなら、もしかしたら、今後、何とかなるかもしれないという思惑はあった。
 たとえば、何とかして、早苗が立てた『約束』を破ってもいいルールを作るとか。そうしたら、神奈子がきっと飛んできて『早苗、帰るわよ!』とか何とか言って連れて行くことだろう。
 そうしたら、私は、また晴れて自由の身だ。
 こんなことを考えているのは失礼かもしれないけれど、やっぱり、誰かに縛られている人生というのは私らしくない。
 ……とはいえ、どうしたもんか。
 神様との契約は面倒だしなぁ。パチュリー辺りにでも力を借りようか。あいつなら、小悪魔連れてるし、そういう契約に関しては詳しいだろう。
 となると……。
 ………………と、そこで視線を早苗へと。
「……あの?」
「ところでさぁ、早苗」
「はい」
「早苗って美人だよね」
「はい!?」
 お、素直に驚いた。
 その顔を見ると、ちょっとだけ、意地悪したくなってしまう。
「いや、だってさぁ、私って、私と同年代の知り合いに『美人』系っていないじゃない?
 その点、ほら、早苗はさ、スタイルはいいし性格はいいし、おまけに家事も抜群じゃない。もう完璧っていうか。おまけに、その雰囲気がさ、『かわいい』って言うんじゃないのよ。『美人』って感じなの。いわゆるなでしこの花?
 そんな感じが……」
「……あ、あの……」
「ん? 何?」
「……嬉しい……です……」
 ……あれ? 何か思惑と違ってないか?
 私の予想だと、『もう、何言ってるんですか、霊夢さん。ふざけないでくださいよ』って軽く弾幕が飛んでくるかと思ったのだが……。
「その……わたし……美人って言われたの……初めてで……」
 ぷくぷくぷく、と顔が半分沈んでいる早苗さん。
 ちらちらとこちらを伺う視線が、また何とも……。
「その……自分で言うのも……何ですけど……わたしみたいな美人のお嫁さんって……嬉しいですか?」
 あっれー……?
「いや、その……まぁ、嬉しいっちゃ嬉しいけど……」
「……そうですか」
 そのまま、気まずい沈黙。
 ……いかん、私、墓穴掘ってないか? さりげなく早苗の好感度アップしてないかこれ。パチュリー風に言うなら『早苗エンドに向けてのフラグ』立ってないか?
 よし、落ち着け、落ち着くんだ、霊夢。こういう時は素数を数えるんだ。素数は孤独な数字、私を落ち着かせてくれる……。
「……お背中お流しします」
 ……ごめん、神父様。私には落ち着くことは無理でした。

「……心臓に悪い……」
 私は布団に横になりながらつぶやいた。
 結局、始終、落ち着かない状態が続く私だ。お風呂で早苗に背中を流してもらって、お風呂から上がる時にはタオルで体をふいてもらって。どこまで献身的なんだこの娘は、と思っていたらこれだ。
「……どうする」
 隣に早苗の姿。
 彼女、『今日は霊夢さんと枕を並べます』と言って、私の隣に布団を持ってきたのだ。
 ……ちょっと待て、まさかこれは新婚初夜ってやつか? 大人の階段を上るべき時なのか? だが落ち着け、ガラスの靴もなければ私はシンデレラでもないんだぞ。
 ……しかし、落ち着けないのも事実。
 何せ、ちょっと耳を澄ましたら彼女の寝息が聞こえてくるのだ。おまけに、ちょっと手を伸ばせば手が届くし。
「……よし、落ち着け。眠れ、私。羊を数えるんだ」
 あー、ジンギスカン食べたいなー……なんて。
 頭の中を横切っていく羊たちが、私のその考えに身の危険を察知したのか、一斉に方々に向かって散っていく。
 待て、お前ら! 数が数えられないだろ、逃げるなこら!
 追いかけることも出来ず、はぁ、とため息をつくと肩をたたかれる。振り返ると、なぜか露出度のえらい高い羊もふもふコスをした早苗が立っていて、首に看板のかかった首輪をつけている。
『私を食べてはぁと』
「だーっ!」
 叫んで飛び起きる。
 何だ、今のは! 落ち着け、私の脳みそ! 継続してピンク色の夢を見続けるな!
 いや、実際に手の届く距離にいるけど! 美味しそうな羊! じゃなくて早苗! あかん……かなり混乱しているぞ……。
 こういう時はあれだ。魔理沙の家にでも行って、あいつに夢想封印ぶち込むのが一番だ。
 テロリズム? いやいや違うぞ、諸君。ただのストレス解消だ。
 それじゃ早速、と腰を浮かしかけた私の手を。
「……早苗?」
「あの……どちらへ?」
「って……起きてた?」
「今、目が覚めました」
 ……そりゃそうか。あんな大声出せば。
 彼女の顔を見れば、その視線が突き刺さる。『どこ行くの?』。……もちろん、私は答えた。「ちょっとおトイレに……」と。
 それ以外にどう返せと。あの目に。あの視線に。
「あの、そっちに行っていいですか?」
「はい?」
「狭いですか?」
「い、いえ、狭くないでございます」
「……そうですか」
 トイレから戻ってきて、布団の中に戻る私。
 その私への問いかけの後、『失礼します』と早苗が、私の布団にもぞもぞ入ってくる。
「……それじゃ、おやすみなさい」
「……お休み」
 どうしろと!?
 私は天に向かって叫んだ。おいそこの天人、ちょっとこっちの質問に答えろ。あ、顔そむけるなこら!
 いよいよ、私の困惑は有頂天へ。
 私にぴったりとくっついて、幸せそうにすやすや眠る早苗。もうほんと、色々やばい。寝顔はかわいいし体温あったかいし、ちょっぴり谷間も見えてるし。
 私にそっちの趣味があるのかないのかわからないが、とりあえず押し倒せと誰かが叫んでいる。いや、だがちょっと待て、ここでこらえてこそ女の花道、と誰かに掴んで引き戻され、脳内で天使のような悪魔の笑顔が大バトル。
「……これはあれか。耐久レースか」
 思わずそうつぶやく私。
 そして、当然のごとく、その日は一晩中寝られなかった。
 ちなみに、指先が早苗の寝巻きにかかったことだけは述べておく。
 私はこらえた、こらえたぞっ!


 さて、次の日から、私の受難は加速する。


 人里に出向けば、「おお、博麗のお嬢さん! いい嫁さん見つけたなぁ! これは俺からの祝いだ、持って行ってくれ!」と顔なじみの八百屋のおっちゃんに大根を5本もプレゼントされた。さらに「あらまぁ、博麗さんの! まあまあ、いい人にめぐり合えたわねぇ。おばさんも嬉しいわぁ」と、私のお母さんの友達のおばちゃんに手放しで喜ばれた。慧音に会えば「いいか、霊夢殿。いい夫というものはだな――」となぜか説教された。
 極めつけは、「これはうちの里からの贈り物ですじゃ」と村長さんにでっけぇタンスをプレゼントされた。

「……何、この善意の刃……」
 これから何かと物入りだろうから、と渡されたタンスの設置をようやく終えて、私はぽつりとつぶやく。
「いい人たちでしたね」
「いやいやいやいや! 確かにそうだけど!
 っつーか、早苗! あんた、本気に本気なの!? 私でいいの!? ほら、霖之助さんとかもいるのよ!?」
「……約束ですし」
「だーっ! そうじゃなくて……!」
「それに……本当に、霊夢さんなら、大丈夫かなぁって思い始めてきてるし……」
「今、なんて?」
「いいえ、何にも」
 ……さて、どうしたものか。
 母屋の縁側に座って悩む私。そのそばに腰を下ろす早苗は、『妻は夫の後ろを三歩下がって歩くべし』と言わんばかりの姿。
 もういっそ、早苗に嫌われようか。
 とんでもなくひどいことして『もう私、実家に帰ります!』と言わせようか。そうでもしないと、彼女、本当に私と結婚してしまいそうだ。
 いや、女同士で結婚ってどうなのよとは思うが、幻想郷に常識が通用しないのは周知の事実であるからして何も問題はない。
 問題は早苗だ。
 本気で、私以外にいい相手がいるはずなのに。もったいないことこの上ないではないか。
 ……よし、実行するしかない。
「早苗。あの……」
「はい」
「あ……」
 あんたなんて大嫌いよ!
 そう言おうとした瞬間、視線を感じて、そちらを振り向く。文字通り、弾かれたように。
 ……居やがりましたよ、おい。
 そこには、森の木々に偽装して佇む親ばかっていうかバカ親神こと神奈子の姿。あれで隠れてると思ってるつもりらしい。
 ……いや、まぁ、今の今まで私たちが気づいてなかったんだから、隠れるのに成功してはいるんだろうが。
 ちなみに、そのすぐそばの石の上では諏訪子がかえるに変装して『ケロケロ』と鳴いている。
 ……なんであれに気づかないんだろう、私たちは。
「あのー……さ。その……私と一緒にいて楽しい?」
「……最初は別に。
 その……最初は、正直に言うと、霊夢さんを困らせてやるって思っていたのも嘘じゃないんです。だって……あんなことされたから……」
「あー……やっぱりそうだよね……」
「……だけど、今は違いますよ?
 その……少しだけだけど、別にいいかなぁ、って思ったりとか……」
「……あんたが最近まで暮らしてた、外の世界ってのもそういうのって普通だったの……?」
「……どう……なんでしょう……。
 以前ですけど、近くの大学の方々が『待ってメリー! 私の愛を受け取ってー!』『うふふ、蓮子、寝言は寝てから言いなさーい』って、朝からいちゃいちゃしてたのは見ましたけど」
 ……いちゃいちゃしてるのか? それ。
 あと、私の脳内で、その後に『ぐしゃあっ!』っていう壮絶な音が響き渡ったのは気のせいか?
「ただ、その……咲夜さんとか見てると……」
「あー……まぁ、確かに……」
「……いいなぁ、って思ったりとか」
 ……意外と恋に恋するお年頃だったってことだろうか。早苗は。
 そういうところ、結構、現実的で冷めていると思ったのだけど……私の勘違いだったみたいだ。
「う~ん……。
 その、さ。早苗。ちょっと今、あんたは頑張ってるんだと思うけど……やっぱり、今夜は別の部屋で寝てもらっていい?
 掃除も終わったし」
「あ、はい……。やっぱり迷惑でしたか?」
「そうじゃなくて……。
 ……ちょっとさ、冷静になってほしいんだ。お互いに」
「あ……」
 私が言いたいことがわかったのか。
 早苗は小さくうなずくと、「わかりました」とつぶやいた。
 正直、今の言葉を口にするのは辛かったけど、これも彼女と、そして私のためだ。明日の朝、それでも彼女がここにいてくれるなら、もう少し、私も身の振り方を考えるとしよう。
「じゃあ、ご飯、作ろうか。私が作ってあげる」
「え? い、いいですよ。そういうのは……」
「まぁ、任せておきなさいって。
 伊達に一人暮らしが長いわけじゃないんだから」
「……じゃあ、お言葉に甘えて」
 なんて会話を交わしながら、私たちは部屋の中へ。
 後ろから聞こえる、「諏訪子、離せ! あの巫女にとどめをーっ!」「どう考えても霊夢のが正しいでしょ今のは!? 落ち着け、このバカ親!」という声は聞こえなかったことにしておこう。

「……とはいえ、なーんかもったいないことしたかなぁ」
 一人、天井の模様を、目で追いかけながらつぶやく。
 時刻は深夜。普段なら、宴会のある日でも床についている頃だ。
 隣に早苗はいない。今頃は、私が必死こいて掃除した部屋で眠っているか、あるいは――。
「……よく考えてみれば、あんないい嫁さん、いないんだよねぇ」
 いや、お前も女だろ、という意見は甘んじて受けよう。
 だが、諸君。幻想郷に百合の花は必要だろう? いやまぁ、咲き乱れるレベルまで行くとアレかもしんないけど。
 だけど、思うのだ。
 女の私の目から見ても、あんないいお嫁さんはいないよなぁ、と。そう考えると『もったいない』と思うわけである。早苗が私とくっつくのは、早苗にとって、絶対にもったいない。かといって、私があの金の卵を手放してしまうというのも実にもったいない。……ま、後者は私の独りよがりだけど。
 ともあれ、早苗は賢い子だ。今日まで、色々と無理をして、私のそばにいようと努力してくれていたのだろうが、きっと、私の言葉で目が覚めたことだろう。
 明日から、この生活も終わりを告げるに違いない。私はいつも通りの生活に戻るわけだ。
「……って、いつぞやもこんなことがあったような」
 それを思い出して、一人つぶやいて。
 けれど、その生活も、やっぱり今は昔の話なわけで。
 ……世の中ってそういうもんなのかもしれないな。布団の中で、私は思った。

 翌朝、目が覚めた私は、服を着替える間も惜しんで、そっと、気配と音を殺して、早苗にあてがった部屋の前にやってきていた。
 障子に伸ばした手が、すでに10分は止まっている。
 中の様子を確かめようと思ってはいるものの、実行に移せない自分のへたれっぷりが、実に情けない。こんなんじゃ、普段、からかってる連中が笑えないじゃないか。
 ……しかし、勇気が必要な行為である。今後は、そうした連中をからかうのは控えようと、私は胸に誓った。
 ただ、障子を開けるだけなのに、何度も何度もためらってしまう。
 どうしてそんなことを思っているのかな。
 自分で自分に問いかけた後、大きく、私は息を吸った。
 ――よし! 開けるぞ!
 その決意を立ててから、私の手が障子にかかる。
「早苗、おはよ……」
 すっ、と障子を引き開けて。
 予想通りの光景に、私はしばし、沈黙する。
「……ま、そりゃそっか」
 わかってしまえば、一気に気が楽になった。自然と、不思議な笑顔も生まれてくる。
 ――部屋の中は、もぬけの殻。何もなかった。
 唯一、私が用意した布団だけが、部屋の隅に、きれいに畳まれて置かれている。それ以外は、いつも通りの、この部屋だ。
「あとで謝りに行かないとなぁ。早苗に」
 色々ごめんね、なんて言えばいいだろうか。
 もっとも、彼女がもう一回、私に笑顔を向けてくれるかどうかは怪しいものだ。こういうことを選択するよう、彼女に迫ったのは私なのだから。
 ……何か、顔あわせづらいな。
 私は、自分らしくないぞ、と自分を叱咤する。けれども、何だかとても心が萎えていた。きっと、今の私を魔理沙あたりが見たら、指差して大笑いすることだろう。
『なんて顔してんだよ、霊夢。情けないな』
 ――なーんてことを言うだろう、あいつなら。
 ……あ、何か想像したらむかついた。
 ともあれ、これで、私の生活はいつも通りに戻ったわけだ。ちょっとだけ寂しいけれど、受け入れるしかないだろう。
 ……そうだそうだ。そうなのだ。元々の私の生活は、こんな感じなのだ。つい先日までが異常だったに過ぎないのだから。そんな状態を『普通』と考えてしまう方がおかしい。
 全く、何考えてるんだ、私は。あっはっは。
「よし、まずは朝ご飯だ!」
 部屋に取って返して、布団を畳んで、服を着て。
 ただそれだけで、気持ちを入れ替えて。……誰かの目から見れば……いや、私自身の目で自分自身を見たとしても、『何にも割り切れてないだろうな』と思える虚勢を張りながら、私は朝の身支度を調えた。
 そうして、居間へと移動して――自分の目を疑った。
「あ、霊夢さん。おはようございます」
「何でいるの!?」
「……何で、と言われても」
 困ったような顔を浮かべた早苗の姿が、なぜか、そこにあった。
 彼女のその顔を見て、一瞬で、心がかき乱されるのを感じた。けれど、同時に、私の中に風が吹いたようにも感じた。
 今までの自分の感情全てが吹き飛んでいく。何だか、すごくバカらしい。
「早くに目が覚めてしまったので境内の掃除をしてました。私の日課でもあったので」
「……んなこと、私がやるのに……」
「もうそろそろ、霊夢さんを起こしに行こうかなって思っていたところです」
「……荷物とかは?」
「ここに」
 てへ、と舌を出す彼女。
 お部屋の掃除をするのに邪魔だったので、こっちに移したんですよ、と事情を説明してくれる。
 いつもの早苗の笑顔が、そこにあった。
「やっぱり、一人寝の夜は寂しいですね。また今夜から、ご一緒に……って、いいですか?」
「好きにしろっ!」
「え?」
「あーもー、何か自分がすごく間抜け! 顔、洗ってくるから!」
「あ、は、はい」
 ……とりあえず、鏡は見ないようにしよう。私は思いっきり、心に誓う。
 きっと、今の私の顔は、何ともいえない表情になっているだろうから。ほっぺた熱いし。
 嬉しい?
 いやいや、違う。絶対に違う。これはそんな感情じゃない。
 胸の中に、ぽっと何かの花が咲いたような、そんな感じ。一言では言い表せない。
 じゃ、どうしろと?
 ……まずは、それをどう説明するか、私自身が頭を冷やす必要があるのだ。うん、そうだ。絶対にそうだ。私が決めた、今決めた。
「何だよ、もう……。しっかりしろよ、自分」
 こつん、と自分の頭を叩いて。
 つと境内の方を見れば、目許に隈を浮かべた変装二名が「眠たいよ、神奈子~……もう帰ろうよ~……」「何言ってるんだ、諏訪子。私たちは、早苗の身の安全を守らないといけないのよ」なんてやってる、実に微笑ましい光景が見えた。
 ……ところで、早苗は、あの露骨な変装には気づかなかったのだろうか。
 あとで聞いてみよっと。
 ――その時、ちょっとだけだけど、心が浮かれたのだった。

 さて、その日から、私の生活が、何か変わったような気がする。
「おい、霊夢。何かお前、このごろ楽しそうだな」
「え? 何が?」
「いや、何となくなんだが……。
 ……霊夢のばーか」
「何言ってんのよ、魔理沙。子供じゃあるまいし」
「やっぱり、お前、おかしいぜ!」
 何やら驚いたような顔を浮かべ、後ろにバックジャンプし、びしっと大仰な仕草と共に私に指を突きつけ、彼女は叫ぶ。
「は?」
「普段のお前なら、行動と同時に拳か蹴りが飛んできただろう!? なのに、ただ笑顔で流すだけだと!? お前、いつからそんなに心がおおらかになったんだよ!?」
「……あんた、人を何だと思ってるのよ」
「心に余裕が出すぎてるということか……。いつもの霊夢の、殺伐とした、貧乏と退廃の狭間に生きる巫女の気配がどこにもないんだぜ……」
 何を戦慄しとるかお前は。
 何やら、絶対に勝てない強敵(と書いて友と読む)に出会った時の様な顔をして、汗をぬぐう彼女にツッコミを入れておく。
 っつーか、私はそういう風に思われているのか、こいつに。ちょっと、真面目に自分の人生の生き方を考えよう。
「それにお前、この頃太っただろ。顔が丸くなってきてるぜ」
「ぎくっ!」
「ふっふっふ。このまま体重が増加すれば、さらに移動速度が落ちて初心者向けになると同時に、速さの面では私に、永久に勝てない……」
「甘いわね、魔理沙。それを、人は幸せ太りというのよ」
『うおお!?』
 いきなりどこぞから現れる銀髪メイド。
 つくづく心臓に悪い登場の仕方だ。っつーかまともに出てこい、お前は。
「……私にはわかるわ、霊夢。好きな人に作ってもらった料理は、たとえ量がありえなかったとしても、絶対に残せないものね……」
「いやいやちょっと待て、いきなり人を仲間扱いするな」
「というわけで、あなたにいいダイエット方法を教えにきたの。一緒にやらない?」
「お前もかよ!?」
「悪い!?」
「うわいきなり逆ギレされた!?」
 つくづく遊びやすいなぁ、十六夜咲夜。
 ……ま、確かに言われてみれば、いつぞやの紅異変の時の彼女と今の彼女とでは、明らかに腰周りが変化しているというか。
 それを指摘したら物理的に刺されそうだから言わないけど。
「だけど、霊夢が丸くなるということはいいことだと思うわ」
「お前、それ、本人の前で失礼だろ」
「意味が違うわよ。
 どこかやさぐれているよりも、円満な家庭で幸せをかみしめている方が、幸せオーラが違うもの。参拝客も増えるでしょ」
「……あんた、私をバカにしてる?」
「最近までは」
「……ちょっと表に出ろ」
「ここが表よ」
 ええい、生来のツッコミ気質の娘め!
 華麗にツッコミで返してくる咲夜の前にセリフを失った私は、竹箒片手に神社の境内の掃除に戻る。珍客二人は、特に何をすることもなく、社殿の方で腰を下ろして、「にしても、霊夢が結婚とかするとは思わなかったぜ」だの「最初はどうなることかと思ったわ」だのと会話をしている。
 そんな二人の視線が、何気なく、境内の片隅へ。
「くー……」
「こら、諏訪子! 起きろ!」
「あいたっ!
 ……う~。だってさぁ、もういい加減、めんどくさいんだよ~。眠たいし、おなかすいたし。神奈子、帰ろうよ~」
「何言ってんのよ! 私たちが目を離した瞬間、あいつが早苗に何をするか!
 お腹がすいてるなら虫でも取って食べてればいいでしょう! かえるなんだし!」
「んじゃ、神奈子は光合成してたらいいじゃん」
 相変わらず、木とかえるの言い争いは続いている。
 それを眺めていた二人は、そろって『何だあれ……』とつぶやいた。
「霊夢さーん」
「ん? どうしたの、早苗」
「あの、ちょっと母屋の掃除で聞きたいことが……」
「あー、はいはい。わかった。
 今行くからちょっと待ってね」
 竹箒をおいて、ぱたぱたと足早に。
「……聞いたか、咲夜」
「ええ。
 普段の霊夢なら『どうでもいいから適当にやっといて』って言うのに……」
「声音まで変えて『ちょっと待ってねー』だぜ? おい、どうなってるんだよ! 幻想郷、明日にでも崩壊するのか!?」
「落ち着きなさい、魔理沙。恋は人を変えるのよ」
 ……などという会話が後ろから聞こえてくる。
 とりあえず、あの二人は後で泣かそう。絶対に。人を何だと思ってるんだ。
 第一、あいつらは勝手を知らない他人の家で生活をしたことがないからあんなことが言えるのだ。
 早苗にとって、まだまだ、この神社は『よそ様の家』なのだから。勝手を知っている人間に色々聞くのは当然じゃないか。
「どうしたの、早苗」
「あの、これなんですけど……」
「……どっから取り出したの、これ」
「使ってないお部屋のタンスの中にありましたよ」
「洗濯直行!」
「……ですよね」
 何が出てきたかは、諸兄の想像にお任せすることにしよう。ちなみに、何で神社にそんなものがあるんだ、というものを彼女が持っていたということは付け加えておく。
「あ、ついでにさ、早苗。悪いんだけど、布団を干すの、やっておいてもらっていい?」
「あ、はい。いいですよ」
「あと、後で注文した布団が届くから。今夜からはそれを……」
「おーい、霊夢ー。何か香霖がでっけぇ荷物かついで持ってきたぞー」
「あ、はいはーい!
 というわけだから!」
「わかりました」
 慌てて神社入り口に取って返す。
 そこには、重たい荷物を背負って、何とかかんとかやってきたという具合の霖之助さんの姿。
「ご、ごめんなさい。わざわざ配達してもらって」
「いや、いいよ。女性にこれを持って歩けというのは酷だろう」
「霊夢、お前、何頼んだんだ?」
「へっ?
 な、何でもいいじゃない! あ、ほら、霖之助さん! これ、お代!」
「……霊夢、あなた、そのお金はどこから出したのかしら?
 素直に白状すればお上にだって慈悲はあるのよ」
「人を犯罪者みたいに言うな! ちゃんとうちの財産よ!」
『ええっ!?』
 ……何でそこまで大げさに驚きますかお前ら。
「で、何を買ったんだよ」
「布団よ、布団」
「自分用以外はかびてたとかか?」
「ま、まぁ、そんなところね」
「……ダブルサイズ……」
「んなっ!?」
 いつのまにやら咲夜の姿が荷物のそばへ。そのタグと、霖之助さんが持っていた受取状を見て、やたら優しいいい笑顔になって、彼女は私の肩を叩いた。
「困ったことがあったら、いつでも私に聞いて。私はあなたの先輩よ」
「どういう意味よっ!?」
「なるほどそういうことか!
 これはもう、みんなに伝えないとな! 赤飯の用意だ!」
「ま、待てこら魔理沙!」
「だが断るぜ、はっはっはー!」
「逃がすかぁぁぁぁぁぁぁ!」
 飛び立とうとする彼女を掴まえ、そのまま奥義の体勢へ。
「必殺、妖怪バスターぁぁぁぁぁぁぁ!」
「ぐげふぅっ!?」
「……いつから、その技は48の殺人技になったのよ」
 先日、パチュリーから借りた漫画の主人公、ありがとう。あなたのおかげで、我が奥義、妖怪バスターは人間でも倒せる技になりました。
 何かかっこいい悲鳴を上げて沈黙した魔理沙を、ぺいっ、と捨ててから、私は布団を背中に背負う。
「じ、じゃあ、これで」
「大丈夫。誰にも言わないよ。
 いや、しかし、霊夢も身を固めて落ち着くのか。何だか少し寂しい気はするね」
「だ、だから変な勘違いしないでよ、霖之助さん!」
「霊夢。バスタオルはちゃんと用意するのよ。なかったら貸してあげるからね」
「何でそこまで優しい笑顔浮かべてますかあんたは!?」
 ちなみに後ろでは、「離せ諏訪子ぉぉぉぉぉ!」「だから落ち着けってのバカ親ぁっ!」という声も響いていたりするが、とりあえず無視だ。
 私は布団を背負って、そそくさとその場から退散する。
「霊夢、安心してね。魔理沙の口止めはやっておくから」
 ……なんて、頼りになるんだかただひたすら怖いんだかわからない咲夜の声が、妙に頭の隅に残ったりもした。

 しかし、やはり、人の口には戸が立てられず、妖怪の口に鍵をかけるのは不可能だった。
 次の日から、各陣営の色々な連中が、我が博麗神社に訪れることになる。
 初日はレミリアがやってきた。「ひどいわ霊夢わたしを捨てて他の女に走るなんてー!」と泣きついてきたので、追いかけてきた従者に首ねっこ掴んで突き出してやった。従者は「お嬢様、ちょっとお話しましょうね」とかなり怖い笑顔を浮かべていたので、もうレミリアがうちらにどうこうしてくることはなくなるだろう。
 次の日には妖夢がやってきた。「これ、幽々子さまからです」とお赤飯に紅白饅頭を山盛り用意してきた。ちなみに本人は、なぜか顔を赤らめて「あの……頑張ってくださいね」とよくわからんエールを飛ばしてきた。
 さらに次の日には永琳がやってきた。「これ、寝る前に飲んでね。あと、こっちは必要な時以外は、必ず早苗さんに飲ませるように。ああ、霊夢さんが飲んでもかまわないからね」と、大量のドリンク剤とよくわからない丸薬を押し付けてきた。
 また次の日には閻魔さまと小五ロリがやってきた。「よいですか、霊夢さん、早苗さん。結婚というのは――」と、一応、ありがたいお説教を頂き、ついでに「これは地獄名物の湯の花です。子宝に恵まれるといわれる温泉のものですので」とおみやげまでもらってしまった。
 またまた次の日には『聖の遣いです』と村紗がやってきて、一枚の巻物を押し付けられた。開いてみると『夫婦円満安産祈願』と書かれていた。ものすごいオーラとありがたさを放っていた。
 とどめに文がやってきて「ずばり、子供は何人ほしいですか!?」とド直球の発言をしてきたので妖怪バスターで黙らせた。

「……あー、疲れた……」
「お疲れ様です」
 苦笑いを浮かべている早苗が、『どうぞ』とお茶を出してくれる。それを飲みながら、もう一度、肩から力を抜く。
「ったくもー……。結局、色々誤解されるんじゃないの……」
 霖之助さんもやってきて、「いや、大変なことになってるみたいだね。やはり、誰もいない時を見計らった方がよかっただろうか」ってものすごくすまなそうな顔をしていたのだ。これじゃ、完全にこっちが悪者じゃないか。
「あの……やっぱり、わたしのわがままのせいですよね……?」
「あー、いいのいいの。早苗は悪くないから」
「けど……これがほしいって言ったの、わたしですし……」
「いいからいいから」
 さて。
 何であんなややこしいものを注文したのかというと、あの親バカ二人のためである。
 ようやく早苗が、神奈子と諏訪子の存在に気づき、彼女たちを神社の中へと招き入れることになったのだ。曰く、「そんなことしてたら体を壊しちゃいますよ」と。やっぱり根本的なところでずれているのは間違いないのだが、神様二人にとっては、それでも嬉しかったらしい。二人そろって、喜んで『それじゃ、お邪魔になる』なんて言ってくれたわけだ。
 で、この二人用の布団を用意すると、私と早苗の分がなくなってしまった。他にもあることはあるのだが、先日の魔理沙の指摘通り、どれもかびくさくて使えたもんじゃない。そこで、慌てて布団を新しく注文しようとしたのだが、博麗神社の財政では一人分を買うのがやっと。というわけで、安売りセールをしていた、例の布団を購入したというだけだ。
 言っておくが、断じて、よこしまな気持ちなどないのだ。
「疲れたから、今日はもう寝よ。はい、明かり消すよー」
「はい」
 ……で、それ以来、神様二人は早苗の部屋とはまた別の部屋に陣取っている。ただし、お互いの生活は完全に別々だ。諏訪子がその辺り『気を利かして』いるらしい。
 そういうわけで、私と早苗の生活は、今のところ、今までの通り。
 今までの通りなのだが……。
「……うーん」
 やっぱり、ちと、悩んでしまう。
 横目でちらりと隣の早苗を見て。
 つんつん、とそのほっぺたをつつく。
 振り向いた彼女は、私の言いたいことがわかったのか、布団の中で私の手を握ると、にこっと笑った。
「おやすみなさい」
「おやすみ」
 ……別にいいじゃん、これくらい。
 仲がよければ手をつなぐくらいはするだろう。私だって、魔理沙や咲夜やら、その他大勢とそういうことはするのだ。
 寝る時、一緒の布団に入って手をつなぐくらい、別にいいじゃないか。
「……ねぇ」
 つぶやく口元に、わずかに笑みが浮かぶのを、私は抑えられなかった。

 そんななんだかんだの日々の中。
「すいませーん。霊夢さん、いらっしゃいますかー?」
「いるわよー。入っといでー」
 鳥居の向こうから、律儀に声を上げる二人の姿。
 私は彼女たちに向かって声を上げる。
「どうも。お邪魔します」
「お邪魔します」
 一人だけ、言葉のイントネーションが微妙に違ったりもする。
 彼女たちへと視線をやって、
「何、静葉に穣子。用事?」
 名前通りの秋の神、そのまんまの秋姉妹へと、私は尋ねた。
「ああ、うん。
 そろそろ季節も移り変わる頃合だから、いつも通りの秋祭りの祭事をお願いしようかなって思って」
「早苗とかに、そういえば、あんたらってお願いしないの?」
「ああ、それは……」
「妖怪のお山に登るんはちびっとばかしえらいことどしてなぁ、そんなら同じ顔見知りの霊夢はんの方が楽やないどすか。
 あらやだ、そんな目で見んといてくれまへんか。そんなぐーたらとは違いましてな、これもいわゆる……」
「姉さんは黙ってて!」
 話を遮って、なにやら長話を始めようとした姉を一喝する彼女。
 ……相変わらず苦労してんなぁ、穣子。
 ほんと、マイペースな輩を身内に持つと苦労するもんである。まぁ、そうじゃなくても苦労する身内はいるけれど。
「……というわけで。
 あちこちの村には、もう声をかけてあるから。今年もお願いしていい?」
「うちからも頼みます。やっぱり、うちらも神様どすから、人様の役に立ちたい思ってましてな。お祭りはやっぱり、最適でっしゃろ? そういうんに。
 だから……」
「姉さんはあっちでお茶飲んでて」
「いやん、もう。霊夢はん、最近、穣子が冷たいんどす」
「穣子、気持ちはわかる。
 早苗、お茶出してあげてー」
「あ、はーい」
 ぐいぐいと妹は姉の背中を押して社殿へと歩いていく。そして、彼女が社殿に到着すると同時、早苗は二人の前にお茶を出す。うむ、なんと言う手際のよさ。
「あらまぁ、美味しそうなお茶どすなぁ。それじゃ、ありがたく頂きますどす」
「はい、どうぞ」
「……姉さんって、ものを食べてる時だけまともなの」
「わかる」
 とりあえず、私は早苗に静葉を任せ、穣子と共に席をはずす。
「いつもどおり、神社の境内で祭事はやってほしいの。いいよね?」
「いいわよー。お賽銭はがっぽがっぽだし」
「で、それから色々、またお願いしたいんだけど……」
 そこで、彼女の視線は私へ。
「何かすごい幸せそうね、あなた」
「え?」
「神様の目から見ても、やっぱりわかるかな。幸せオーラ」
「……はぁ。そうかな?」
「そうだよ」
 秋は恋の季節でもあるよね、と彼女は言った。
 そういや、色んな秋があるよなぁ。けど、やっぱり、その中で、私は食欲の秋だろうか。この季節は、何を食べても美味しいのだ。
 せっかくだから、祭りの時には鍋でもやろうかと提案すると、「それ、いい!」と穣子は手を打った。
「じゃ、当日までに色々つめましょ。
 ……あ、だけど、静葉はおいてきて」
「……無理。姉さん、私が行くところに絶対ついてくるから。
 いや、私のことを心配してくれているのはわかるから、それはありがたいし、邪険に出来ないんだけど……」
 ……正直、静葉がいたら会話が進まないことは容易に想像できる。
 ここはやはり、人当たりがよく、さらには人のあしらい方もうまい早苗に頑張ってもらうのが一番だろう。役目を押し付けるようであれだが。
「あんた達、意外と相性は悪くないのかもね」
「まぁ、そうじゃなきゃ、ケンカが絶えないでしょ」
 それもそうか、と納得する穣子の後ろから、ちょうどその時、「穣子、お茶、どうどすか?」とマイペースな声が上がったのだった。

「で、お祭りの内容はこんな感じで……どうかな?」
「いいですね。とても楽しそうです」
「当日、祝詞を唱えるの、早苗、やってみる?」
「え? わたしがですか?」
「聞いてるよ~。あんたの祝詞の話。うまいって評判らしいじゃん。
 うちにもご利益ちょうだいよ」
「あはは……まぁ、神奈子さま達もいますしね」
 ふすまの向こうから、始終感じる奇妙な視線。そろそろあのバカ親は祟り神にでもなるんじゃなかろうかという勢いだ。
 ちなみにその直後、どたんばたんという音も聞こえたりする。
 ……何やってんだか、ほんと。
「秋祭り、楽しそうですね」
「そうだね」
 なおも、私と早苗の『祭り計画』は進み、それが終わったのは夜の10時を回ろうかという頃。
 秋姉妹から依頼を受けてから、早三日。
 ようやく全ての日程を詰め終わって、私は大の字で畳みの上に寝転がった。
「今、お茶、淹れますね」
「あ、うん。ありがとう」
 ぱたぱたと、彼女は歩いていく。ほんと、細かいところに気がつく子だ。
 しばらく待っていると、早苗がお茶とお茶請けを持って戻ってくる。時刻が時刻のため、甘いものは厳禁。並んでいるのはおせんべい。
「何かさぁ、楽しいよね」
「そうですね。お祭りって、お祭り当日より、それに至るまでの準備をしている時の方が楽しいって言いますよね」
「どっちにしろ大変だけどね~」
 主催者は、何せ、私なのだから。
 これからまた色々、やらないといけない作業はあるのだ。里の偉い人たちに予定を伝えに回ったり、出店を出したいという連中を取りまとめたり。もちろん、祭りの設備を整えないといけないから、蔵の中からそれを引っ張り出さないといけない。
 ……のだが。
「ま、それにさ。
 何つーか……これまで、こういうのは一人でやってたのよ。毎日、夜遅くまで悩んでさ。用意とかも全部。
 魔理沙とか、ずぇったいに手伝わないし」
「あはは……」
「けど……」
 何か気恥ずかしい。
 私は頬をかきながら、早苗からつと視線を逸らす。
「早苗がサポートしてくれてるから、すごく楽だしさぁ。何か楽しいなぁって……。
 あ、え、えっと、そういう意味じゃないからね? 私は別に……その……」
「あ……えと……」
 そのまま双方、しばし沈黙。
 この場にパチュリーがいたら『最後のフラグを立てたわね、霊夢』とか何とか親指立ててることだろう。
 つまりは、私にその自覚があるということだ。
「……その、さ」
 ちょっと訊ねてみる。
「結婚ごっこ……まだ続ける?」
「……その……」
「正直さ、早苗も割り切っていいと思うんだよね。子供の頃の約束なんて無効です! とか何とか。
 いいじゃん、一回くらい嘘ついたって。人間、嘘をつく生き物だよ」
「……はい」
「それにさ、ほら。前にも言ったけど、早苗、絶対にもったいないって。私とくっつくとか。つかありえないし。ねぇ?
 あ、えっと、早苗のことが嫌いとかそういうんじゃないからね? それだけは勘違いしないように。
 ……というか……えーっと……ねぇ」
 さすがにごにょごにょと言葉を濁す。
 やっぱり、何というか……一人寝じゃない夜って格別だと思った。それだけは、間違いない。
 誰かが隣にいてくれるだけで嬉しいんだなぁ、なんて寝ながら思ったくらいだし。変な夢も見たし。内容は言えないけど。
 ただ、それでも……。
「……そろそろやめてもいいと思うんだ。その方が早苗のためというかさ」
「……はい」
「私みたいなぐーたらを相手にしたんだもの。あんた、絶対にいいお嫁さんになれるって。私が保証する。
 あ、そだ。結婚式、絶対に呼んでよね。ご祝儀、いくらがいいかな?
 あ、それとも、その場で芸の一つでもした方がいい? 結界連打、とかさ!」
 あははは、と笑いながら。
 ……何言ってんだろなぁ、私は、と思ったりもする。心と口が乖離しているというか。何か辛い。辛いんだけど、やっぱりやめられない。
 早苗を困らせようとかそんなんじゃなくて。
 私のお母さんがここにいたら、びんたどころじゃすまないことをやってるんだと思っても。
 ……何だか口が止まらなかった。
「……あの、霊夢さん。一つだけいいですか?」
「あ、な、何? もう、何よ。もったいぶっちゃって」
「その……わたしと……」
「え?」
「わたしと一緒にいて……楽しかったですか?」
 ……。
 困った。
 なんと答えればいいんだ。
 もちろん、答えは『はい』だ。それ以外ありえない。
 けど、いえない。
 そんなこと言ったら、今までの言葉全部が嘘になる。きっと、そうしたら、早苗は傷つくだろう。『そう思っていたくせに、何でそんなことを言うんですか』って。
 ……あー、神奈子にすりつぶされるかもなぁ。んなことしたら。
 答えられないまま、刻々と時間は過ぎていく。やがて、壁にかけた柱時計が音を立てる頃。
「……ごめんなさい。変なことを言ってしまって」
「あ……うん。こっちこそ……」
「お祭りが終わったら、わたし、帰ることにします。神奈子さま達には、何とか言い訳をします」
「……うん。そうだね。
 あいつらが何か言うようだったら呼んでよ。私からも言うから」
「はい。ありがとうございます。
 ……ごめんなさい、霊夢さん。本当に、最初の頃は、ただ困らせようとだけ思っていたんです。けど……」
『けど』……何だ。
 彼女は言葉を詰まらせ、少しだけ視線を逸らしてから立ち上がる。
「……ごめんなさい」
 待て。
 何で謝るんだ。
 思わず立ち上がろうとして、私はその場で蹴躓いた。バランスを崩して畳みの上に倒れこむ。
「さな……!」
 言葉を続けようとして。



「ごきげんよう。おバカさん達」



 夜闇に溶け込む声がした。


「……紫?」
 視線を向けると、開かれた障子の向こう。月明かりを浴びる影が一つ。
 相変わらずの格好で、相変わらずの顔をして。相変わらずの雰囲気をまとう彼女が一人。
「ごっこ遊びは楽しいかしら?」
「……ちょっと、いきなり何よ。こんな夜遅くに来て挨拶もなし?
 あんた、普段、私がそういうことしたら怒る……」
 一歩、足を前に踏み出そうとして。
 あれ? と思った。
 ちょっと待て、何か雰囲気違わないか? いや、それ以前に、何でかわからないけど、体が全く動かない。
「霊夢に朗報よ。
 つい先ほど、いい鋏を手に入れたの。良縁を断ち切り、絆を裁断する赤い糸切りバサミ」
 どこからどう見ても、里の雑貨屋で、硬貨一枚程度で売っていそうな鋏を取り出す紫。それが『しゃきっ』という音を立てた途端、全身を怖気が這い上がる。
「これでちょっきんとしてしまえば、絆も縁も断ち切られ、二人は晴れて別れ別れ。
 約束というくだらない鎖も一刀両断。
 待っていて、霊夢。これから、またあなたを自由にしてあげるから」
 はっとなる。
 彼女が差し出される鋏が、私と早苗の間に割り込もうとする。
 息が詰まる。
 体が硬直する。
 そして、頭の中がぱんと弾ける。
「あら」
 声を上げたのは紫。
 私は早苗の手を思いっきり引っ張って、彼女を自分の後ろへと隠していた。
「どういうつもりかしら?」
 にこやかな笑顔を、紫は私に向けてくる。
 ……いつぞやのバカ天人の異変の時、こいつは相当怒っていたらしいが、それも今の彼女の前ではかすむのかもしれない。
 何せ、怖いもの知らずの私の足が震えるくらいなのだから。
「霊夢。あなたが私にお願いしたのでしょう?
 こんなふざけた状態から開放してくれ、って」
「そ、それはそうだけど……!
 ちょっと待ってよ、紫! 何かいつものあんたらしく……!」
「あら、あなたは忘れたのかしら?」
 その目が、ぞっとするくらいに紅く輝く。
「私は妖怪なのよ?」
 その一言だけで、周囲の気温が下がったような気がした。
 思わず体がこわばり、息をすることすら忘れてしまう。
「私たちは、皆、夜に生きるもの。暗き狭間に潜み、照日の地を羨み、火の子を妬むもの達。それを、あなたは忘れたのかしら?
 影に潜みし隠を引きずり出し過ぎて」
 彼女の手が、持っているはさみを鳴らした。
 しゃきっ、という音が響く。
 その音が、私たちの背筋をすくませる。
「さあ、手を出しなさい。その縁、断ち切ってあげる」
「じっ……!」
 早苗を後ろに突き飛ばして、叫ぶ。
「冗談じゃないっ! 私はそんなことをあんたに頼んでない! 私がやって欲しかったのは……!」
「やって欲しかったのは?」
「やって……欲しかったのは……」
 言葉が詰まった。
 勢いを出すことが出来ず、思わず言葉を飲み込む私に、
「少しお仕置きが必要のようね」
 紫が宣言する。
 同時に、何だかよくわからない衝撃が体を貫いた。しかし、おかげで体に自由が戻る。すかさず早苗の手を取り、まずはそこから逃げ出すべく、踵を返そうとして――、
「あなたが本来、どういうものであるべきか。それを思い出させる必要がありそうね」
 紫の手が空間の亀裂に消え、現れた先にあるものを――早苗の喉をつかんでいた。
「早苗ぇっ!」
 一瞬で、彼女の体が宙づりになる。
 首を押さえ、ばたつく彼女。
「紫、やめてっ! やめなさい! 何でこんなことするの!?」
「あなたは何にも傾いてはならない。あなたは常に一個でなくてはならない。
 なのに、何? このていたらく。
 何をすることも出来ず、何を決めることも出来ず、浮き雲にもなれなければ地に根を下ろすことも出来ない。何にも出来ないあなたに何の価値があるの?
 言っておくけれど、霊夢。
 私が守るべきは人間でも妖怪でも何でもない。
 この世界が私の全て。その私の全てに当てはまるものを、私は守るべきもの。
 それを乱そうとするものを生かしておく道理がある?」
 隣の部屋につながるふすまが弾けた。
 早苗の危機に、その保護者二人が飛び出そうとして――激しい音を立てて、紫の張った結界に弾かれる。
「信仰を失い、力を失った神が、結界守に勝てるとでも?」
「紫っ!」
「己の立場を思い出しなさい。結界の子。
 それすらも出来ないとあれば――」
 小さく、長い悲鳴が響いた、その瞬間。
 翻るのは私の手。
「ふざけんなぁっ!」
 この世界に生まれ落ちてからこっち、こんな言葉を使ったことはあっただろうか。
 こんなにも、目の前が真っ赤に染まったことがあっただろうか。
 突き上げて沸き上がるその情動は――怒り。
「そんな、あんたの都合で早苗を殺していいのかよ!? この子だって、確かにこの世界じゃ新参者だ! だけど、こっちの世界で暮らしてるんだ! この世界の民なんじゃないのかよ!?
 あんた、自分の言ってることとやろうとしてること、全然、違うじゃないか!」
「そうね」
「じゃあ……!」
「それを、あなたはわかっているのに、どうして。ねぇ?」
「っ……!」
「まぁ、いいわ。せっかくだから少しだけ思い知らせてあげましょう」
 彼女は、早苗を解放し、空間の亀裂の中から取りだした自分の腕をぺろりとなめた。
 私の投げた針が突き刺さったままのその手が、不気味に伸びて私の肩をつかむ。
「あなたはね、結界の子。その役目を忘れてはならないわ」
 彼女の指が肩に食い込み、骨がきしんだ。思わず痛みに悲鳴を上げそうになる。しかし、それはかなわない。もう一本の彼女の手が、私の口をふさいでいる。
「生きるものには役目がある。果たさなければならない存在の意義がある。
 それを忘れ、自らの命に背を向けることをしてはならない。それは生きることへの冒涜であり、己の存在そのものの否定である。
 それを忘れてはならない。そうでしょう?」
 伸びたその手が戻り、私の体を運んでいく。
 そのまま私は畳に叩きつけられ、衝撃にうめいた。
「あなたは結界の子でなくてはならない。そうであるから、あなたにはあなたの役目を背負って、なお、生きる理由がある。
 それを忘れ、放棄したあなたにその理由は存在しない。結界の要石として存在していればそれでいい。
 手をちぎり、歩く足を切り落とし、目を潰し、耳と鼻をそぎ落とし、口を封じ込めて。
 何も出来ず、何もわからない要となっていればそれでいい」
 振り下ろされるはさみが、私の顔のすぐ真横に突き刺さる。
「要に戻りなさい」
 いやだ、と心の中で思いっきり叫んだ。
 そんなものになりたくない。そんなものになってしまえば、私は一体、どうなるんだ。何もいない、何も感じることの出来ない暗闇の中に置き去りにされろというのか。
 冗談じゃない。そんな風になってまで生きていたくない。
 紫はそんな目で私を見ていたというのか。
 普段、何だかんだで私を困らせ、怒らせ、そして楽しませてくれる彼女は、みんな作り物だったというのか。
 あんたは言ってたじゃないか。
 あなたは私がお腹を痛めて産んだ子なのよ、って。あんた、私の『お母さん』じゃなかったのか!
「自らが犯した過ちを償うのも、また、その肉親の務めだと思わない?」
 酷薄な笑みを浮かべた彼女が、手にしたはさみを振り上げた。
 それが振り下ろされる、その瞬間、私は目を閉じた。
 ――続けて響くのは振動と衝撃。そして、声。
「霊夢さん、逃げて下さいっ!」
 早苗の声。
 見れば、紫は、横から彼女に思い切り体当たりされたらしく、縁側にまで吹っ飛んでいた。いかに小柄な少女の一撃といえども、勢いの充分に乗った一撃を食らって無事でいられるはずがない。
 しかし、そのはずが、彼女の姿が唐突に消えていく。そして、次に現れるのは部屋の上空。
「この世界の秩序を乱すものはいらないわ。
 あらゆるものを受け入れる世界は、また、あらゆるものを排除する権利を持っている。そうでしょ?」
 降り注ぐ細かな刃が部屋中を、私と早苗を直撃する。
 互いに倒れ込み、一歩も動けないほどに消耗してしまう。……反則じゃないか、こんなの。私の決めたルールを守らない妖怪に、どうやって勝てっていうんだ。
「霊夢。私は悲しいわ」
 私のそばに舞い降りてきた彼女が、手にした傘の石突きで私の体を突いた。
「あなたは私の言うことをきちんと理解してくれていると思ったのに。
 あなたは、私の思うように育っていてくれていると思っていたのに。
 あなたは、私の期待を裏切らないと思っていたのに。
 ――なのに、このざま」
 がつん、という衝撃が脳を揺らす。
 一瞬、自分がどうなったのかわからなくなった。目が開いているのか閉じているのか、それすらもわからなくなる。
「こうまであなたをおかしくしてしまったものを、まずは取り除きましょう。それから、あなたには少しだけ猶予をあげましょう。
 その間に、あなたが己の役目を思い出してくれればよし。それが出来なければ、ただの要になってもらいましょう。
 ああ、私ってば寛大ね」
 踵を返し、早苗へと歩み寄る彼女。
 そして、私にしたように、その体を手にした傘でなぶり始める。
「自らのなす事をわかっているあなた。自らの存在をきちんと確認しているあなた。己の姿を、きちんと、己の心の鏡に映し出せているあなた。
 それが出来てこその結界の子だったというのに。
 その鏡を曇らせ、足下を揺るがせ、己の存在の在り方すら忘れ。
 全て風に流されるままの形代になってしまったあなたを見ているのは、とても辛く、悲しかったわ。
 けれど、安心しなさい。もうすぐ、風はやむから」
 そして、傘を振り上げる。
 早苗は、動かない。動けないのか、動かないのか、私からはわからない。
 時間がゆっくり流れていく。一分が何倍にもなったように感じる。
 世界から色が消え、音が消え、映像全てがコマ送りへと変わっていく。
 その中で。
 その、刹那の無限の中で。
「このぉぉぉぉぉぉ!」
 全力で、私は立ち上がった。
 もうほんの少しも動かないと思っていた体が動いた。
 早苗に飛びつき、紫の傘を蹴り上げ、私は叫んだ。
「私の嫁に手を出すなぁっ!」
 宙を舞う傘が天井に突き刺さる。
 しんと静まる部屋の中。
「……ふぅん?」
「これ以上、あんたが好き勝手やらかすってんなら、私だって容赦しないっ! あんたをぶっ飛ばすっ! 勝てなかろうが何だろうが、絶対にぶっ飛ばす! その御霊を結界の狭間に逆落としするわよ、紫!」
「それでは、一つだけ、問いかけましょう」
 彼女はふぅわりと宙に浮かび、口許を、どこかから取り出した扇子で覆い隠しながら笑った。
「根無し草の浮き雲巫女。
 あなたが最後に寄るべき場所はどこ?」
「そんなものあるわけないだろっ!」
「その心は?」
「根無し草の浮き雲は、いつだって風の気の向くまま、どこへでも漂うからよ!
 全部、風任せ! それが何か悪いっての!?」
「あなたという形をどこに置いて?」
「風に吹かれて散らなければいいんでしょ!? なら、あんたの思う通りになってやる! ええ、ええ、なってやるわよっ!
 今の私が未熟だって言いたいんなら、一年後とは言わない! 半年後だろうと三日後だろうとやってこいっ! あんたの鼻を明かしてやるわよ!」
「そう。見事な啖呵ね」
 それが果たして虚勢か、それとも実のある言葉か。
 彼女はそうつぶやくと、傘を肩に担いで、その左手で宙をなでた。その瞬間、神奈子たちを閉じ込めていた結界が消える。
 自由を取り戻した二人が戦闘態勢を取ると同時、紫は笑った。
「ところで、さっきの言葉、もう一回聞かせてちょうだいな?」
「はぁ!?」
「私の……なんだっけ?」
「だから言ったでしょ!? そんなに聞きたいならもう一回、聞かせてやるわよ!
 早苗は私の嫁だっ! 私の嫁に手を出そうってんなら容赦しないっ! ぶっ飛ばすっ!」
 その、私の絶叫に。
「……あの、霊夢さん?」
「……へっ?」
 腕の中からか細い声がした。
 振り向けば、頬を真っ赤に染めた早苗の顔がそこにあった。しかも、よく見れば、彼女の体は、服こそ破れているものの全く傷がついていない。
「……え?」
「全く……。
 霊夢。あなたは少し、他人の様子を確認することと、その言葉に何が隠されているかを探る力を身につけた方がいいわ」
 あなた達もね?
 その視線を、神様二人へと向けて、紫は言う。
 宙から舞い降りた彼女は、「とことんおバカね、あなたは」と言った。
「そんなだから、あなたはいつまでも子供なのよ」
「……どういうことよ」
「風に流されて、器用にひょいひょいよけるだけじゃなくて、たまには障害物にぶつかってみなさいということ」
 彼女はポケットから、一本の赤い糸を取り出した。
 それを、私と早苗の指にくるくると巻いてから、手にした糸切りばさみでそれを断ち切って。
「これで、あなた達を結んだ約束は切り裂いた。あなたとの約束は果たしたわ、霊夢。
 だけど」
 切られた糸の先端を取って、互いにぐるぐると絡めて、ぎゅっと縛ってしまう。
「がんじがらめの固結びをどうにかしろとは言われた覚えはないわね」
 おうちの修理は萃香に頼んでおいたわ。
 そう言い残して、彼女の姿は夜の闇に溶けて消える。
 あとに残るのは、あっけにとられた顔の私と神奈子、そして諏訪子と――。
「……あの」
「はっ!?
 ち、ちょっと、違うのよ、早苗! あ、あれはその場の勢いというか何と言うか……そ、そう! 新しいスペカ宣言! スペルカード、『私の嫁』! なんちゃって!?」
 大慌てで言い訳する私に。
 ――彼女のキスが返されたのは、もしかしたら、ただの偶然かもしれなかった。



「それじゃ、霊夢さん。わたし達はこれで」
「ああ、うん。またね」
 無事、秋祭りも終わって、閑散とした境内に、早苗の声だけが響く。
 彼女は、ここに来る時に持っていた荷物を全て背負っていた。
「ご迷惑をおかけしました」
「ああ……いや、いいんだ。何だかんだで楽しかったしね」
 何となく苦笑いで、それには返す。
 ――早苗が『わたし、明日、家に戻ります』と言ったのは昨日の夜のこと。一瞬、あっけにとられたのは紛れもない事実だ。だけど、すぐに心を切り替えることは出来た。
 ああ、そりゃそうだよな、と。
 ……納得してしまったのだ。
「昨日のお祭り、ご苦労様。早苗のおかげで、色々助かっちゃったわ。またお願いね」
 けれども、そんな気持ちはここでは出さない。彼女の足かせを増やすつもりなんて毛頭ない。
 いつも通りの私を見せてれば、彼女も安心するだろう。
「はい」
 ……ほらね。
 私は小さく肩をすくめた。
「それで、まぁ……紫が色々ひどいことをしたけどさ。全部、うちらのためだったみたいだし……。
 あんな奴だけど、それなりにいい奴だから。ま、嫌わないでいてあげて?」
「ええ。何だかんだで、あの方も、霊夢さんと似たもの同士だなって思いました」
 待て、どういう意味だ、それは。私を、あの、万年ダメ妖怪と一緒にしないでほしい。
 私が憮然としていると、早苗はくすくすと笑いながら、自分の掌を広げてみせた。
「いい加減取ったら? それ」
 その小指には、紫が結びつけた赤い糸の切れ端が残っている。
 ……まぁ、かく言う私も、何となく取るのがためらわれて、未だにそのままなのだけど。
「最初の頃は、何度も言いましたけど、ただ、霊夢さんを困らせるのが目的でした。
 だけど、霊夢さんと一緒に過ごすようになって、少しずつ、自分が変わっていったのを覚えています。わたしでも、この人のために何かをしてあげられないか。わたしでも、霊夢さんのそばにいて、この人を支えられないか。
 そして……」
 大きく息を吸い込んで、少しだけ視線を伏せて。
 次に、彼女が見せてくれた顔は、笑顔だった。
「わたしはこの人の隣にいていいのかな、って」
 何とも言えない、微妙な空気が流れる。
 お互い、しばらくの間、何も喋らない。喋ることが出来ない。
 ……あー、ほっぺた熱いし……。
「……あー、いや、それは……」
 何とか沈黙を断ち切って、私は頬をかきながら言った。
 それを受けてなのか、早苗も、頬を赤く染めながら顔を上げる。
「紫さんの言葉、とても胸にしみました。あの時は、ただ、怖かっただけだけど……今なら、よくわかるんです。
 やっぱり、そういう曖昧な状態で一緒にいるのはよくありません」
「……むぅ」
 ……まぁ、口には出さないけど、私としては、あのつかず離れずの空気がよかったんだけどなぁ、なんて。
 そんなことは、さすがに言えないけどさ。
 まぁ、それに、実際、早苗の言う通り、紫の言うことも、今になればわかる。
 彼女は簡単に、たった一言を言いたいだけだったのだ。

『好きなのか嫌いなのか、はっきりしろ』

 その一言を言いたいだけだったくせに、結界の役目がどーだだの人生があーだだの、わけのわからない言葉を連ねまくってくれたのだ。
 これだから妖怪の賢者ってやつは……。
 ……だけど、その彼女の思惑がわかってしまえば、あの行動の理由もわかる。つーか、私だって、紫と同じ立場にあったら、同じじゃないにしても似たような行動は取るかもしれない。
「このままそばにいても、きっと、わたしは霊夢さんを傷つけるだけだったでしょうから。
 だから、普段のわたし達に戻りましょう」
「そう……だね。
 けど、楽しかったよ。結婚ごっこ。相手が早苗だったから、ってのもあるだろうけど」
 たとえば魔理沙なんかと結婚ごっこしようものなら、朝から晩まで弾幕勝負だろう。
 それはそれで楽しいかもしれないが、こんな、何とも言えない初々しい気分を味わうことはなかったはずだ。その点は、早苗に感謝感激雨あられである。
「ごっこ、ですか。
 ……そうですね」
「あはは……。何かうまい言い方が見当たらなくてさ。
 あ、そうだ。
 早苗は、やっぱり、ずっとさ、約束だから一緒にいてくれたの?」
「さあ?」
「は?」
「内緒です」
 それくらい察して下さい、という視線を、彼女は向けてくる。
 何だか気恥ずかしくなって視線をそらす私に。
 彼女は、小さな言葉で続けた。
「それに、別に、約束は今すぐに守らなくちゃいけないってわけじゃないんです。
 もしも……もしも、わたし達が大人になっても、今の気持ちを覚えていて……それで、ここにわたしのお部屋がまだあって。わたしのお布団が敷かれていたら……その時は、また……考えちゃいます」
「……あー」
「固結びですから」
 ぺろりと、最後に、彼女はいたずらっ子の笑みで舌を出すと、「お世話になりました!」と頭を下げて、空の彼方に去っていった。
 それを見送ってから、私は頭をかきつつ、踵を返す。
「ごきげんよう」
「うわびっくりしたぁっ!?」
 眼前に紫の顔。
 驚き、飛び退く私に、彼女はくすくすと笑いながら続ける。
「ほんと、初々しいわねぇ。写真に撮っておきたいくらい」
「うっさいやかまし帰れ!」
「はいはい。単にからかいに来ただけだから、すぐに帰るわよ」
「もー二度とくんな! バカ紫!」
 亀裂の中に姿を隠す紫。その去り際に振り向いた彼女は、とんでも発言を残していってくれた。


「あなた達って、夫婦以上、恋人未満ね」


 ――と。


 一人で過ごす博麗神社は、とにかく広い。
 毎日の掃除なんて、もういやになるくらい。元がずぼらな私は、適当にそれをすませて、今日も縁側でだらだら過ごす。
「あー、いい天気」
 太陽はまぶしくて、風はとても優しくて。
 秋の気配を運んでくる、そんな天気の中。
 縁側に干されている布団が翻る。
 私の分。
 どこをほっつき歩いているのかわからない、私のお母さんの分。
 そして――。
「風任せの浮き雲かぁ。……ま、悪くないかな」
 いつかここに戻ってくるかもしれない、もう一人の分が、今日も風に吹かれて揺れていたのだった。
このくらいの内容ならば百合ではない(自分基準)。
この系統は、前作とあわせて「霊夢の受難」シリーズとでも名付けようかなと思います。
季節もそろそろ秋めいて来ましたので、読書の秋のお役に立てればと。
haruka
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コメント



0.3490簡易評価
2.100名前が無い程度の能力削除
花にたとえるならまだつぼみ
これからの成長に期待と

面白かったです
6.100名無し削除
これから少しずつ育てて行くんですね
わかります
19.100名前が無い程度の能力削除
いい作品だ
23.100名前が無い程度の能力削除
たった一つのことを気付かせるためになんて大仰なことをする紫…
けど、相手が霊夢だからこそここまでの行動を取ったのかも。
二人の未来に幸あれ。
24.80桜田ぴよこ削除
最後まで予想を外れず、安心して読めました。
29.100名前が無い程度の能力削除
素晴らしい
30.100名前が無い程度の能力削除
これは百合の花では無いな…
まるで大木のような安心感…
32.80名前が無い程度の能力削除
あー…つまり、霊夢の産みの親と育ての親は別なのかな?
ともあれ、歩み始めたばかりの二人の前途に祝福を。あとえーりんの渡した薬は、“こちら”では使えない類の物の気がしてならないw
33.100oblivion削除
ちょっとこの霊夢可愛すぎでしょう!
いいなぁ、いかにも女の子って感じでいじらしくなります
35.70名前が無い程度の能力削除
早苗って風神録EDで下戸じゃなかったっけ?
36.100名前が無い程度の能力削除
良いものを読ませて頂きました。
41.90名前が無い程度の能力削除
面白かったです
45.90名前が無い程度の能力削除
面白かったです。夢中で読んだ。
小五ロリってさとり様?ここで一気に冷めた。
52.90名前が無い程度の能力削除
王道って感じですらすら読めました。ごちそうさま
57.100オオガイ削除
とても楽しませていただきました。感謝。
最後の紫さんの言葉が良かったです。
58.90奇声を発する程度の能力削除
とっても良かったです。
61.100名前が無い程度の能力削除
ほっこり早苗さんと霊夢タンでした
62.100名前が無い程度の能力削除
いいなぁ、いいねぇ、良かったです。
72.100名前が無い程度の能力削除
よかったです。うん、よかった。
74.100名前が無い程度の能力削除
レイサナは夫婦!
87.100名前が無い程度の能力削除
イイネ