――人間って、脆いんだ。
初めてそれを知ったのは、お姉様が起こした異変の時。霊夢と魔理沙が異変の解決に来て、お姉様が楽しそうに遊んでるから、私も遊びたいなって思って地下室を出た。そこで人間と遊んでみて、それはとてもとても楽しかったけれど、すごくもどかしくて。
スペルカードルール。お姉様が言うには、私たちが幻想郷に存在するために守らなくちゃいけない戦い方のルール。技を名付けて、必ず避けられる隙間を与えて、美しくして、殺したりとかはしちゃいけなくて……もう、ルールが多すぎて嫌になっちゃう。
それでも、人間と遊べるのは楽しかった。霊夢も魔理沙もウソみたいに強くて、私は負けちゃったけどすごく楽しかった。
だから、私は地下室から出るようになった。もっと人間と遊びたい、そう思ったから。お姉様も特に止めないで、ほったらかしみたいにしてる。そうして外に出るようになって、私は初めて知った。
きゅっ、としてどかーん。
壊しちゃったら、人間は元に戻らないこと。そうじゃなくても、びっくりするくらい脆いこと。腕が切れちゃったり、お腹に穴が開くだけで死んじゃうなんて、知らなかった。私はただでさえモノを壊しやすいのに、壊れやすいオモチャが気に入っちゃって。
遊ぶなら、壊れちゃう。壊したくないなら、遊べない。
だから私は、地下室から出なくなった。今では、この地下室に来る人も珍しい。たまに咲夜が来てくれるけど、人間は誰も来てくれない。来てくれるのは、あとは一人だけ。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
――トン、トン。
静かな二回のノック。来てくれた、ベッドに転がってた身体を起こす。
「失礼します。お茶をお持ちしましたよ、妹様」
「いらっしゃい小悪魔!」
小悪魔はほとんど毎日来てくれる。毎日お茶を持ってきてくれて、お話して、遊んでくれる。今日のお菓子は何かしら? 小悪魔は咲夜とおんなじくらい、ううん、それ以上に美味しいお茶とお菓子を持ってきてくれるから、楽しみ。
「今日のお茶はダージリンのストレートで、お菓子は甘めのクリームを挟んだバリブレストにしてみました。お茶が後味爽やかなので、きっと合うと思いますよ」
わあっ、輪っかのお菓子! 焼き立てで、すごい美味しそうな匂いがするわ。
「フランドール様はシュークリームがお好きでしたよね? これも似たような感じで、シュー生地にカスタードクリームと甘めのホイップクリームを挟んでみました。うっすら白くなるくらいに粉砂糖を振るってあります。お口に合えばいいですけど……」
「小悪魔が作ったお菓子はみんな美味しいわ」
お菓子を切り分けてる小悪魔が、ちょっと照れたみたいに笑って、
「ありがとうございます、フランドール様」
そう言って、私の前にお菓子を置いた。小悪魔の紅茶の淹れ方は、いつ見てもかっこいいな。……ん、ダージリンのいい香り。
「どうぞ。お砂糖は、お菓子に合うように少なめにしておきますね」
「ありがとう。小悪魔も一緒に食べましょ? せっかく来たんだから」
「ふふ、ではお言葉に甘えさせてもらいますね」
そう言って私の向かいに座ったけど、小悪魔も最初からそうする気だったのよね。そうじゃなきゃ、二人分のティーセットなんか持ってこないもの。小悪魔は紅茶に何にも入れない。なんか大人っぽく見えて、私もためしに飲んでみたことあるけど、私は砂糖入ってるほうが好きだなあ。
フォークでお菓子を小さく切って食べる。
「うん、美味しい!」
「あら、嬉しい。そうやって喜んでもらえると、張り切って作った甲斐もありますね」
小悪魔は紅茶を飲みながら、なんか異変のあとのお姉様みたいな目で私を見る。嫌な感じじゃなくて、なんだろう、小悪魔も私のお姉様なんじゃないかなって思っちゃう感じ。それはなんだか心が弾む感覚で、でもなんか、ちょっとだけもどかしい感覚。なんなんだろう、よくわかんないな。
よくわかんないから、ちょっとだけ首を傾げて、またお菓子を食べる。
「? どうかしました、フランドール様?」
そんな小さな仕草にも気付いてくれる。それも、なんか嬉しい。小悪魔がしてくれることがなんでも嬉しくて、それも不思議で、よくわかんない。
「――それでは、今日はこれで失礼しますね」
小悪魔といろいろお話して、お茶もお菓子も終わっちゃった頃になって、小悪魔はそう言った。いつもとおんなじ流れだけど、いつもとおんなじで寂しいな……。
「……また、明日も来てね?」
オモチャを壊したくないから部屋に籠ってるけど、やっぱり、独りは寂しい。ほんとにお姉様みたいに笑って、小悪魔は小さく頷いた。
「明日もお菓子、作ってきますね」
「うん、楽しみにしてるわ」
地下室の扉が開く。
「それでは、失礼しました。妹様」
地下室の、扉が閉まる。
少しの間じっと見てて、そのうち私は、ごろんとベッドに転がった。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
――トン、トン。
静かな二回のノック。今日はベッドに転がってなかった。
「失礼します。お茶をお持ちしました、妹様」
「いらっしゃい! ……それは、何のお菓子?」
真ん円で、真ん中が格子みたいになってる。上には昨日のお菓子みたいに粉砂糖が振るってあって、中には……なんのジャムかしら?
「今回のお菓子はリンツァートルテです。中にはクランベリージャムを入れてみました。前のバリブレストとはちょっと違って、甘酸っぱい感じだと思います。なので、お茶はアッサムで、ミルクティーっていうよりはチャイみたいな感じにしてみました。シナモンの香りがいいですよ」
「ふわあ……いい香り……」
やわらかくて、ふわふわしてるような……。今まであんまり嗅いだことのない香り。小悪魔って、ほんとにいろんなことを知ってる。私が地下室に籠りっきりっていうのを差し引いても。やっぱり、図書館にいるからなのかな?
アーモンドとクランベリーの匂い。小悪魔が向かいに座るのを待ってから、お菓子をフォークで小さく切り分けた。
「ほんとに、ちょっと甘酸っぱい感じだね」
「口に合いません?」
「ううん。すごく美味しい!」
小悪魔がチャイって言ってたお茶を飲む。……ん、甘くて美味しい。甘酸っぱいジャムとすごく合ってる。なんか、身体があったまるなあ……。
「実際のチャイはほとんどミルクで煮出すんですが、紅魔館にある茶葉は咲夜さんの眼鏡にかなった良質の茶葉なので、あんまり美味しくならないんです。だから今回は、シナモンやクローブなんかがミックスされたティースパイスを使って、それっぽい雰囲気にしてみました」
「ほんとのチャイはどれくらい美味しい?」
「どうでしょう……私はまだ飲んだことがないのでわかりませんが、どちらかというとお菓子感覚で飲まれていたみたいですよ。とても甘くするんだそうです。まあ、今回のこれも結構甘めですが」
そういえば、ほんとにこのお茶は甘めだよね。
「小悪魔、甘くても飲むの大丈夫?」
小悪魔はいっつも砂糖も何も入れないから、この甘さで飲むの、大変じゃないかな……? 小悪魔はくすっ、て笑った。
「ありがとうございます、フランドール様。でも、大丈夫ですよ。私、甘いのも好きですから」
微笑みながら、小悪魔はカップを傾けた。……あ、中身もうない。
「私は、お代わりいただきましょうか。フランドール様はどうします?」
残りのお茶を飲んで、カップを差し出す。
「いただくわ」
◆ ◆ ◆
「――それでは、今日はこれで失礼しますね」
私がそう言って席を立つと、フランドール様はいつものように寂しそうな表情をしました。その顔を見ると、申し訳ないな、っていう気持ちもあるんですが、それと同じくらい嬉しくも感じてしまって。
「……また、来てね?」
どこか縋るみたいな響きを籠った声。私はフランドール様に微笑みかけて、
「勿論です。……また、お菓子を作ってきますね」
と、いつもみたいにそう言いました。
「……うん。楽しみにしてるね」
片付けたティーセットをワゴンに載せて、地下室の扉を開ける。
「それでは、失礼しました。妹様」
そうして、呼び方を意図的に変えながら、私は扉を閉めました。
地下室から図書館へ帰るまでは、いつだって苦笑いが浮かんでしまいます。
「――おかえり」
図書館に戻ると、パチュリー様は本から顔を上げずにそう言いました。
「はい、ただいま帰りました」
「そこらの本、片付けておいてもらえる? アリスが持ってきたのと、レミィが暇潰しに持っていったやつ」
見れば、五冊くらいの本が重なった塔がなんと三つも。いやあ、パチュリー様もアリスさんには奮発しますよねえ。
「かしこまりました」
「紅茶はモンターニュブルーのストレート。お茶請けは別にいいわ」
「はい、少々お待ちくださいね」
よっ、と。流石にこの厚さの本五冊は重いですね……。手早く片付けてから、図書館に備え付けのキッチンに。パチュリー様のモンターニュブルーを淹れつつ、次は何のお菓子を持っていこうかと考えます。たしか……リンゴがあるんですよね。でもただのアップルパイとかだと捻りがないですし……シブーストにしましょう。綺麗なチョコレートの細工を載せた。
「お待たせしました。お砂糖は一つ、入れておきましたよ」
「ありがとう」
……さて、お菓子はシブーストにするとして、お茶は何にしましょうか。シブーストも甘めのお菓子だから、バリブレストの時みたいにすっきりしたものがいいと思うんですが……。
「……そのうち、噛み付かれても知らないわよ?」
と、不意にパチュリー様がそう言いました。
「と、言うと?」
「ペットが飼い主を噛まない保証はない、ってこと。犬より怖いの飼ってるんだから、それくらいは考えときなさい」
相変わらず、パチュリー様は本から目を離さない。
「ペットとか、飼ってるだとか、少しひどい言い方じゃありません?」
「言葉の綾よ」
一瞬私をちらっと見たパチュリー様。その目にはうっすらと心配するような色がありました。ので、私は大丈夫ですよと微笑みかける。
……まあ、噛み付かれるなら本望ですけど。
◆ ◆ ◆
――トン、トン。
「失礼します。お茶をお持ちしました、妹様」
「いらっしゃい!」
今日は、ちょっと遅かった。待ち遠しくて、お部屋の中をうろうろしてた。
「すみません、今日はちょっと遅くなっちゃいましたね」
「ううん、いいの。今日のお菓子はなに?」
「リンゴのシブーストですよ。お茶はニルギリのストレートです。ちょっと苦いかもしれないですけど、シブーストの甘さでいい感じのはずです」
タルトの生地の上にクリームがたっぷり載ったお菓子。見えないけど、多分リンゴは中に入ってるのね。……美味しそうな匂い、紅茶の匂いもいい感じね。
「中に入れてあるリンゴは甘く煮てあるので、紅茶のお砂糖は少なめにしておきますね」
「うん」
ポットからカップにお茶が注がれるのを見てたら、小悪魔の襟元に目がいっちゃった。いっつも着けてる赤いネクタイ、今日は少し緩いみたい。白い肌が、それより白いシャツの襟から覗いた。……こくん、と唾を飲む。
「はい、どうぞ」
微笑んで、小悪魔は私に笑いかけた。
……ああ。
――気付いたら、小悪魔をベッドに押し倒してた。カチャン。カップかしら、ポットかしら。何が何だか、みたいな表情のまま横になってる小悪魔の上に覆い被さる。
「……フランドール、様?」
……ああ、また、名前で呼んでくれた。
息がかかるくらい顔を近づけて、できる限り怖くならないように、囁く。
「ねえ、小悪魔」
「……はい?」
「私に、血、吸われたい?」
――ネクタイの結び目に指をかけて、解いた。出てきた、白い首筋と妖艶な鎖骨。小悪魔は、私を見てる。
「小悪魔がほんとに嫌って、そう言うなら、私は絶対にしないわ。今も、これからも」
ふわ、と、紅茶の香りが漂ってきた。……ああ、いい香り。
「……小悪魔は、とってもとっても大事だから」
傷つけたくない。壊したくない。
名前を呼んでくれる、一緒にお茶をして、お話してくれる、そんな小悪魔を、大事な相手を、傷つけたくない、壊したくない。
小悪魔は、少しきょとんと眼をぱちぱちさせて。そうして優しく微笑んでから――
――私の頬に、キスをしてくれた。
「小悪魔……」
その微笑みは、すごく優しくて。
真っ白なシャツをはだけさせて、小悪魔の首筋に噛み付いた――。
◆ ◆ ◆
……ちょっと、ふらついちゃいますね。吸血されたのは初めての経験ですけど、あんな感じなんだったら……少し、クセになっちゃうかも。
お腹いっぱいになって眠くなっちゃったんでしょうか。フランドール様はベッドですやすやお眠り中です。そっと布団をかけて、落ちたカップの欠片を片付けます。テーブルの上には、綺麗な色を出したニルギリ。食べてないシブースト。……シブーストは、また作り直しますか。
ワゴンにティーセットを載せて部屋を出ます。そのまま扉を閉めようとして、それをやめる。そうして私は部屋に戻って。
眠るフランドール様の頬に、軽いキスをしました。
「……また明日、お菓子を作ってきますね」
「う……ん……」
返事をするみたいに小さく声を出す。微笑んで、私は部屋の外に出ました。
「――それでは、失礼しました。妹様」
「……やっぱり、噛み付かれたのね。あれほど言ったのに」
きちっとネクタイも締め直して、襟も正してたんですけど、やっぱりパチュリー様には気付かれましたね。まあ、吸血されたことで自分の中の魔力の流れに少し違和感を感じますし、魔法使いのパチュリー様には気付かれて当然でしたか。
「そうですねえ、噛み付かれちゃいました」
笑いながら、パチュリー様の前にロイヤルブレンドのミルクティーを置きます。パチュリー様は溜め息をつきながら本を閉じて、私を見ました。
「……まあ、いいわ。どうする? なんなら、その傷くらい治せるわよ」
「あ、それは結構です。心遣いはありがたいですが」
理解しがたいように目を細めるパチュリー様に、私はシブーストを載せたお皿を差し出しました。
「……この傷は、私の勲章ですからね」
さて、今回も張り切ってお菓子を作りましょうか。今回は前回と同じ、シブーストを。タルト地にリンゴの甘露煮を敷き詰めて、クリームをたっぷりと載せて、軽く焼き目をつける。載せるチョコ細工は、フランドール様の翼を模して、とても綺麗で華やかで、食べてしまうのが勿体ないくらいにすごいものを。
ティーセットをワゴンに載せて、フランドール様が待つ地下室へ。
――行く道中で、お嬢様が向こうから歩いてきました。廊下の端によって、小さく頭を下げます。
すれ違う、その瞬間に、
「……ふふ」
と、お嬢様は笑いました。顔を上げても背中しか見えず、どんな表情かはわかりませんが、思わず苦笑いが浮かびました。
……あーあ。やっぱり小悪魔は、悪魔に敵わないようですね。
さて、急いで地下室に行かないと。フランドール様を待たせすぎてはいけないですもんね。
紅茶の香りを漂わせながら、私は歩みを再開しました。
でもすごく良い感じです。続きに期待してます。
ちなみに東方界隈ではカップリングの名称は語呂の良さで決まるので前後によるうけ攻めはあんまり関係ないんだとか。