「――う、ゲホッ! ゴホゴホ……」
私の式神の藍が、具合を悪くした。
本人曰く、熱っぽくて怠くて咳が出て食欲が無いらしい。
最近は布団から出られず、一日中床に臥せっている。
症状が始まった初日は(風邪でも引いたんでしょ)と気楽に構えていたが、2~3日と続くとさすがの私も異変を感じてくる。
そして今日も鍋焼きうどんを半分以上残し、藍はつらそうに体を布団に横たえる。
「藍……大丈夫?」
「はい……でも、治る兆しもないのは、さすがに堪えますね」
何度目かもわからない問いかけに、とうとう藍も弱気な答えを返す。
医者には、とっくに診せた。永遠亭の永琳先生だ。
でも、信じられないことに原因は不明。体や内臓に異常はないし、病原菌や毒物も検出されないとのこと。
結局「疲れが出ているのでしょう」と曖昧な診断で、栄養剤をくれただけだった。
私は永琳先生を責める気はない。私にだって原因が分からないのだから。
式の体調は手に取る様に分かるし、原因が分かればプログラムをちょちょいといじって治すこともできる。
ただ、いくら不調箇所を探っても、返ってくるのは『異常ナシ』の応答だけ。
明らかに病気なのに異常ナシとはこれ如何に。私は頭を悩ませる。
結局のところ私は藍にご飯を作り、身の回りの世話をしてやるぐらいしかできず、もどかしい思いに駆られていた。
私が藍の額に乗せる布巾を濡らして絞っていると、藍が布団の中でモゾモゾと動く。
何やら背後が気になる様で、しきりに後方を確認しようとしている。
「藍、どうしたの? 布団が湿っていて気持ち悪いの?」
「いえ……その、何か変な気配を感じて」
ん? と私は怪訝な表情になる。藍は布団の中に一人でもぐっているのに、背後に何がいるというのだろう。
でも藍が不安げに呟くので、私は藍の背後に回って布団をめくってみる。
「……何もいないわよ」
「そう、ですか」
藍は小首をかしげると渋い顔で横向きに寝転がり、目を閉じた。
私は心配になる。
熱の出ている期間が長すぎて、感覚器官が誤作動を起こし始めているのか。または神経が過敏になっているのか。
ともかく、私は藍を注意深く見守ることにした。
――◇――
明くる日。私が狐の病に関する本を読みふけっていると、ふと藍の部屋から物音が聞こえてきた。
がさごそと、物を出し入れして掃除をするような音だ。
私は藍の部屋に向かう。
すると、室内で藍がなぜか寝間着姿で押し入れの中身を漁っていた。
勿論今日の体調も相変わらずで動き回るのもつらいはずなのに、藍は汗を垂らして懸命に押し入れの荷物を出し、中を覗き込んでいた。
「ちょっと藍!? 何をやっているの。寝ていないとダメでしょう」
「ああ、紫様。すみません、でも怪しい気配を感じたもので」
そう熱を孕んだ胡乱な目つきで訴える藍。
聞けば藍は、押し入れを背に寝ていた所、背後に居る、と認識できる程の何らかの気配を感じたらしい。
それでたまらず押し入れを捜索していたとのことだ。
私はなるべく藍を刺激しない様に、こう諭す。
「藍、この部屋には何もいないはずよ。いえ、この屋敷内に不埒な輩がいたら真っ先に私も気付くわ。
藍、貴女は少し気を落ち着けた方がいい」
「でも……確かに何か居るんです。近くに、居るんですよ」
「……じゃ、少し私と一緒に探しましょうか」
藍が信じてくださいと必死の表情で私に話すので、私は藍が納得するまでそばでつき合うことにした。
私が押し入れから荷物を全て出してやると、空っぽの押し入れを藍は穴が開くほど見つめる。
しかし、どこを見ても何も居やしない。
第一この屋敷には結界を張っているため、外部から異物が侵入するのは困難を極める。
そのことを実感した藍は、ほとんど泣きそうな表情で布団に戻った。
いよいよ藍は、本格的に参っているのかもしれない。
押し入れを片づけ、私は自宅療養の限界を感じてため息を吐く。
入院か、式のリセットか。
私は最終手段の選択をしつつ、明日には行動を起こそうと準備し始める。
しかし、決定的な出来事はその夜に起こった。
私が近日の疲れからつい自室でうとうとしていると、藍の部屋からどたばたと大きな音が響いた。
畳を叩き、足音荒く走り回る音だ。まるで誰かと取っ組み合いをしているような騒ぎに、私は一瞬で覚醒する。
即座に藍の部屋に走り、障子戸を開ける。
するとそこで藍は、自分の尻尾を追いかけて、布団の上で全力疾走していた。
はぁはぁと苦しそうに息を切らせて、それでも自分の尻尾を捕まえようとしているのか懸命に追いかけるので、その場でグルグルと四つん這いで激しく回転する。
私が思考停止していると、藍がこちらに気づき、こう叫ぶ。
「あ、紫様! 分かりました! これです。背後にコイツが居たから妙な気配を感じていたんですよ。
紫様も、捕まえるのを手伝ってください!」
そう自分の九尾を指し示す藍。
私はたまらず膝をつく。
藍が、壊れてしまった。
とうとう病が頭に回ってしまったらしい。
聡明で気高い藍が、その辺の犬の様に尻尾を追い回す姿を、私は直視できなかった。
「なんてことなの……藍がおかしくなるなんて、私は、どうしたら……」
「いや、私は正気です! ですから早く尻尾を!」
異常者に限ってそうのたまうものなのよ、藍。
私が床にひれ伏しながらショックに打ちひしがれていると、とうとうしびれを切らせた藍が、私に向かってグイと尻尾を突きだす。
「紫様、数を数えてください! 尻尾は何本ありますか!」
そう挑発するように尻を振って私に聞く藍。
この場合、そういうテストは藍がされる側でしょ……と諦めにも似た虚脱感が私を襲うが、とりあえず逆らわない方がいいと思って私は指折り数を数える。
「いーち、にー、さん……ちゃんと10本あるわよ。
って10本!!?」
私はようやく、藍が本当に正気だったと信用した。
と同時に尻尾の異常に驚愕する。当たり前だが、九尾狐である藍の尻尾は9本。
ところが、今数えたら尻尾は放射状に10本あった。これはつまり
「1本は偽物です。何かが私の尻尾に化けて、ずっとへばりついていたんですよ。
私じゃ手が届かないので、早く取ってください」
私は状況を把握した。
しかし藍のトレードマークである尻尾に化けてずっとモフモフの中に居座るとは、何たる羨ましい……いや、何たる不埒者。
この私が直々に成敗してくれんと、私は金色に流れる毛皮を凝視する。
毎日フサフサと揺れるのを眺め、撫で、さすり、櫛を入れ、愛でてきた藍の尻尾だ。偽物を見つけることなど容易い。
む。この尻尾は先っぽの白毛がやや薄い。こいつか。
私はその尻尾をむんずとつかむ。
「ひゃあぁ! そ、それは本物です! もっと右!」
あ、ごめん……
私は心中で謝ると、また索敵を再開する。
藍の言う通り右側を眺めまわし、一本不自然にぐねぐね動く尻尾を発見した。
「このっ! えい!」
「ひゃふぅん! それも本物ぉ!」
「えー!? もう、どれよ? これか。このぉ、しごいてやる!」
「あっあっ! ふうっ! ゆ、紫様! 方向が、方向性がずれてきていませんかぁ!?」
えー、だって、藍があんまり可愛い声で鳴くから……
もうちょっと堪能したかったのだが、これ以上やると藍が本気で怒るので、大人しく化け尻尾を捜索する。
左に移動しました、もっと左……行き過ぎ! 右です! なんて二人羽織みたいな追い込みをすること数分、ついに私は化け尻尾をつかみ出すことに成功した。
――◇――
「……で、何これ?」
「さぁ……」
私は捕まえた不埒者を眺めながら、藍と一緒に首を傾げた。
見た目は藍の尻尾とほとんど一緒。金毛が一方向にまとまって生えていて、ちょうどサツマイモの様な形だ。先っぽはやはり白毛が模様となっている。
ただ、尻尾には見えるけれど胴体がどこだかわからない。
目も鼻も口も無い。手足も見当たらず、藍の尻尾を一本引っこ抜いてそこに置いてある、と言ってもいい風体だ。
ただその尻尾もどきは、藍の尻尾の間で右往左往していた様に自分の意思で動き回れるらしく、逃げられないように大きな鳥かごに隔離している。
明らかに自然の生物ではない、妖怪の類だ。
それを二人でこうして検分しているのだが、当の尻尾もどきは怯えたように鳥かごの反対側にへばりついて、震えていた。
ただ油断はできない。
見た目で判断できないのが妖怪だ。どんな能力を持っているか分かったものではない。
ちなみに傍でそいつを観察している藍は、ケロッと元気になった。
どうやら病気は、そいつが原因だったらしい。
よって私は慎重に妖怪図鑑を開き、ついに正体を見破った。
「あった。名前は『毛羽毛現』……毛の妖怪みたいね」
「へぇ、初めて見ました」
私も名前くらいは聞いたことがあったが、現物を見るのは初めてだ。
それもそのはず。この妖怪はとにかく滅多に出会えない。そのレア度から別名『稀有稀見』とも呼ばれたりするぐらいだ。
私はさらに毛羽毛現の特徴を紐解く。
「ふむふむ……毛羽毛現は主にじめじめした日陰を好む習性がある。
毛羽毛現に憑りつかれた家からは病人が出るという……これのせいね、藍の具合が悪かったのは」
「灯台下暗しですね。こんな小さな、しかも尻尾そっくりな疫病神がいたとは」
藍は気恥ずかしさを誤魔化す様に頭を掻く。まさか背後の気配が、こんな近くにいるとは思わなかったのだろう。
でもそれは私も同じ。藍の体調をチェックする時、この屋敷の警備力を信じていたので、外部からの霊的な負荷は視野に入れていなかったのだ。
ともかく、藍の不調の原因が分かり、解決もできたので一安心。
でもここで、心に引っかかる事象が一つ。
「藍の尻尾の間って……そんなにじめじめしているのかしら?」
「紫様。そんなことをおっしゃられるのなら、次回から尻尾モフモフしゅっしゅは金輪際禁止ですよ」
「冗談ですごめんなさい堪忍して」
私は拝み倒す様に謝る。藍の尻尾を触れないくらいなら、土下座でも何でもした方がいい。
藍は「はぁ」とため息を吐く。その内訳は私の振る舞いに呆れた……が少しと、やっぱり毛羽毛現に憑りつかれた理由が分からないからだろう。
なので、私はこう仮説を述べる。
「思うに藍は、洗面所とか家の裏手とかじめじめしているところに行く機会が多いから、その時毛羽毛現と接触したんじゃないかしら」
「まぁ、それが自然ですね。しかし、何で私の背後に居座ったのでしょうか?」
「毛羽毛現の姿を見て。藍の尻尾にそっくりでしょ」
「それは私の尻尾に化けているから」
「いいえ、毛羽毛現にそんな能力は無いみたい。この子は多分、一種の付喪神だと思うの」
そう私は図鑑を指差す。
「たくさんの毛が風に吹かれて寄り集まって、長年経つ内に、いつの間にか意思を持つ自然発生タイプの付喪神。
お茶碗やとっくりだって化けるこの世界では、ある意味成るべくして成った存在ね」
そこまで説明して、ようやく藍は気づく。
「この子は、私の尻尾の抜け毛から成った妖怪なんですね」
「そう。だから屋敷の結界にも引っかからなかったし、藍の尻尾に憑りついた。
いや、親に甘えているつもりなのかもしれない」
そう予想を立ててみたが、どうやらそれが本当らしい。
藍が尻尾の一本を鳥かごに近づける。
すると毛羽毛現は、まるで縋りつく様にそちらの方へ身を寄せた。
「……寂しかったのかもしれませんね。成ったばかりの、しかも非常にまれな存在の妖怪に仲間なんていませんから」
藍はやや同情的な呟きを漏らす。
しかし、ここで心情に流されず、ケジメははっきりしておかないといけない。
「ま、悪意はないでしょうけど、それが厄介ね。
毛羽毛現にその自覚がなくても、そばに居ただけで藍が病気になる程強い威力を持っている。
正直この屋敷どころか、この地にも置いておけないわ」
そう藍が何か言い出しそうなのを遮る様にぴしゃりと宣告すると、藍は「そうですね」と物分りのいい返事をする。
だがその顔は、拾った小動物をまた捨ててきなさいと言われた子供の様にしょぼくれていた。
私は、しょうがないなぁ、と一息ついてスキマを開く。
その先には薄暗い空間を囲む土の壁と、漆黒の穴が奥に続く風景が見える。
地底世界の入り口。旧地獄都市に至る縦穴へスキマを繋げたのだ。
藍と私はスキマの先を覗き込む。
そこでは黄色のリボンを巻きつけた茶色いワンピースを着た女の子が、白い糸を編んだハンモックに寝転がり、ゆらゆらとくつろいでいた。
でもちょっとすると視線に気づき、目を丸くしてこちらを注視した。
「はぁい。ちょっといいかしら」
「これは珍しい。地上の大賢者殿じゃあないか」
過去に声と情報だけ聞いたことがある土蜘蛛の妖怪、黒谷ヤマメはそう楽しげに私に喋りかける。
突然の来訪にも臆せず、自前の縦糸を伝ってこちらに近づいてきた。
「何だい? 今日はあんたが私と決闘してくれるのかい?」
「いいえ。地上と地下は不可侵という不文律は守りませんと」
「またまた、そんなつまらない約束はとうの昔に形だけになっちまったよ。
こうしてあっさり地上の人と話ができるんだからね」
地底は暇なのか、ヤマメは私との会話を膨らませる様につらつらと喋り続ける。
とりあえず適当な所で、私は本題に入る。
「実は、あなたに預かって欲しい子がいるのだけど」
そう言って私は、鳥かごをヤマメに見せる。
ヤマメは中身の毛玉を不思議そうな顔で見つめるが、ふと感心した様に話しかける。
「へぇ。こんな小さいナリでも、いい瘴気を持っているね」
「分かる? さすが疫病使い」
「そんな大層なことじゃない。何となく感じるだけだよ」
なおも興味津々と見つめるヤマメに、私は頼みごとを伝える。
「あなたの見立て通り、この子は毛羽毛現といって、発病能力を持っているんだけど制御できていないのよ。
ある程度年季が入って、自分で能力を抑えられるまでここの仲間に入れてもらえないかしら」
そう笑顔で尋ねると、ヤマメは私の顔をじっと見た。
次に後ろの藍の顔と尻尾をチラリと見て、ふ、とほほ笑む。
「この地底では、入って来る者を拒む道理はないよ。病気をまき散らすのだって、私が面倒見ていれば抑えるのは容易い。
なんなら自分の家だと思って、いつまでも居てくれたっていいさ」
そう答えると、ヤマメは鳥かごの方に手を伸ばす。
私が鳥かごのフタを開けると、毛羽毛現はしばらくこちらの方をウロウロと浮遊していたが、やがて風に吹かれる様にヤマメの手にふわりと着地した。
「ははは。可愛いね。それにふさふさしていて、いい襟巻きみたいだ」
「当然でしょ。生まれも育ちも八雲家で、九尾の分身みたいなものだから」
「なるほどなるほど。大事にするよ」
そう毛並を撫でるヤマメを見て、ここなら大丈夫だろうと安心する。
さて、と藍の方を見ると、若干の寂しさは残しているものの、巣立つ子供を見送る様な穏やかな表情をしていた。
よしよし、こっちも一安心。
私はそれを見届けてスキマを閉じようとした時、ふと毛羽毛現がヤマメの腕に抱かれたままこちらの方を向いた。
そして、白毛の先端部をゆらゆらと揺らす。
別れの挨拶なのだろうか。私と藍は小さく手を振ってそれに応え、スキマを閉じた。
「あそこなら日当たりも悪いし、適度に湿気もある。
似たような境遇の妖怪もたくさんいるし、毛羽毛現には居心地のいい場所に違いないわ」
そう説明すると、藍はぽつりとこう呟く。
「毛羽毛現は、自分の能力を抑えることができるのでしょうか」
「うーん、それは毛羽毛現の成長次第ね。もしかしたら、能力を抑える事自体が無理なのかもしれない」
そう、毛羽毛現は研究もできないほど希少な存在。果たして今後どんな成長を遂げるか分からないのが現状だ。
しかし、私はこう藍に宣言する。
「でもね、もし能力を自分の力で抑えることができたなら、その時は八雲の新たな家族として迎えてあげましょう」
その言葉に、藍は全ての懸念が消えた晴れやかな笑顔でうなずいた。
「しかし……いえ、何もなければそれでいいのですが……」
全ての話が終わったと思っていたのに、藍は最後に歯切れの悪いことを言う。
私は疑問に思ったが、藍もそれ以上何も言わないので私も掘り下げない事にした。
最近の疲れなのか、頭がぼーっとするし、深く考えるのが怠かったのだ。
――◇――
「――う、えっきし! えっきし! ふぅ……」
今度は私の具合が悪くなった。
悪寒がして節々が痛くてくしゃみが出て食欲が無い。
それで布団でうんうんうなっている私を、藍が看病してくれた。
「やっぱり。毛羽毛現の威力から見ても、紫様に何も異変が無いのはおかしいと思いましたよ」
そうやれやれといった様子で、洟をかんだティッシュを片づけながら私に伝える藍。
この前言いよどんだのはこれだったのね……
「しかし、何で毛羽毛現が去った後から病気になるのですか? 時間差攻撃ですか」
「バレーボールじゃあるまいし……たぶん緊張の糸が緩んだからじゃない?」
「は?」
「藍が苦しんでいるのに、ゆっくりなんてできないからね。
一日中藍の事を考えていて、病気になる暇なんて無かったわ」
「はぁ、それはすみませんでした」
社交辞令みたいなつれない返事だけど、手の甲に朱が差してきたし、尻尾もわさわさと揺れる。
ふふ、照れているのね。
「ではお返しに、病気が治るまで遠慮なく私に我儘をおっしゃってください」
そう、胸をトンと叩いて魅力的な提案をする藍。
そうねぇ……と私は考えて、こうお願いしてみる。
「尻尾、触らせて?」
「え、今ですか」
「そう」
私が期待に潤んだ瞳で藍を見上げると、藍はふっと笑みを浮かべる。
「いいですよ。どうぞ」
背後をこちらに見せて正座する藍。そしてモフモフの尻尾が投げ出された。
私は「んふふ~」と自分でもわかる締まりのない表情で尻尾に顔を埋める。
やはり、藍の尻尾は格別だった。
しなりの中に柔らかさがある金毛が、ちくちくもせず私の顔を受け入れてくれる。
先端はさらさらしているけど、生え際は油分を少し残しているためしっとりとした触感。
おまけにぬくぬくと人肌で、ときどきこりっとした尻尾の芯が毛先を揺らす。
何日も尻尾を触っていなくて、カラカラだった心が満たされるようだ。
「ん~、病気治りそう」
「単純なお体ですね」
「単純結構。シンプル・イズ・ベストってね」
藍の軽口もさらりとかわすと、藍はやれやれとため息をついた。
でもその尻尾はわさわさと揺れ、ぴんと毛質も根元からしなやかに起立している。
うんうん、いつも通りの健康な尻尾。応答も『異常ナシ』だ。
これで安心して眠ることができる。
でも尻尾を通した体調の検診だけではつまらない。
もうちょっと、黙ってこうしていましょ。
こうして私はようやく日常が帰ってきたことを確認し、この世で一番大好きな場所から久方ぶりの微睡に落ちるのだった。
【終】
私の式神の藍が、具合を悪くした。
本人曰く、熱っぽくて怠くて咳が出て食欲が無いらしい。
最近は布団から出られず、一日中床に臥せっている。
症状が始まった初日は(風邪でも引いたんでしょ)と気楽に構えていたが、2~3日と続くとさすがの私も異変を感じてくる。
そして今日も鍋焼きうどんを半分以上残し、藍はつらそうに体を布団に横たえる。
「藍……大丈夫?」
「はい……でも、治る兆しもないのは、さすがに堪えますね」
何度目かもわからない問いかけに、とうとう藍も弱気な答えを返す。
医者には、とっくに診せた。永遠亭の永琳先生だ。
でも、信じられないことに原因は不明。体や内臓に異常はないし、病原菌や毒物も検出されないとのこと。
結局「疲れが出ているのでしょう」と曖昧な診断で、栄養剤をくれただけだった。
私は永琳先生を責める気はない。私にだって原因が分からないのだから。
式の体調は手に取る様に分かるし、原因が分かればプログラムをちょちょいといじって治すこともできる。
ただ、いくら不調箇所を探っても、返ってくるのは『異常ナシ』の応答だけ。
明らかに病気なのに異常ナシとはこれ如何に。私は頭を悩ませる。
結局のところ私は藍にご飯を作り、身の回りの世話をしてやるぐらいしかできず、もどかしい思いに駆られていた。
私が藍の額に乗せる布巾を濡らして絞っていると、藍が布団の中でモゾモゾと動く。
何やら背後が気になる様で、しきりに後方を確認しようとしている。
「藍、どうしたの? 布団が湿っていて気持ち悪いの?」
「いえ……その、何か変な気配を感じて」
ん? と私は怪訝な表情になる。藍は布団の中に一人でもぐっているのに、背後に何がいるというのだろう。
でも藍が不安げに呟くので、私は藍の背後に回って布団をめくってみる。
「……何もいないわよ」
「そう、ですか」
藍は小首をかしげると渋い顔で横向きに寝転がり、目を閉じた。
私は心配になる。
熱の出ている期間が長すぎて、感覚器官が誤作動を起こし始めているのか。または神経が過敏になっているのか。
ともかく、私は藍を注意深く見守ることにした。
――◇――
明くる日。私が狐の病に関する本を読みふけっていると、ふと藍の部屋から物音が聞こえてきた。
がさごそと、物を出し入れして掃除をするような音だ。
私は藍の部屋に向かう。
すると、室内で藍がなぜか寝間着姿で押し入れの中身を漁っていた。
勿論今日の体調も相変わらずで動き回るのもつらいはずなのに、藍は汗を垂らして懸命に押し入れの荷物を出し、中を覗き込んでいた。
「ちょっと藍!? 何をやっているの。寝ていないとダメでしょう」
「ああ、紫様。すみません、でも怪しい気配を感じたもので」
そう熱を孕んだ胡乱な目つきで訴える藍。
聞けば藍は、押し入れを背に寝ていた所、背後に居る、と認識できる程の何らかの気配を感じたらしい。
それでたまらず押し入れを捜索していたとのことだ。
私はなるべく藍を刺激しない様に、こう諭す。
「藍、この部屋には何もいないはずよ。いえ、この屋敷内に不埒な輩がいたら真っ先に私も気付くわ。
藍、貴女は少し気を落ち着けた方がいい」
「でも……確かに何か居るんです。近くに、居るんですよ」
「……じゃ、少し私と一緒に探しましょうか」
藍が信じてくださいと必死の表情で私に話すので、私は藍が納得するまでそばでつき合うことにした。
私が押し入れから荷物を全て出してやると、空っぽの押し入れを藍は穴が開くほど見つめる。
しかし、どこを見ても何も居やしない。
第一この屋敷には結界を張っているため、外部から異物が侵入するのは困難を極める。
そのことを実感した藍は、ほとんど泣きそうな表情で布団に戻った。
いよいよ藍は、本格的に参っているのかもしれない。
押し入れを片づけ、私は自宅療養の限界を感じてため息を吐く。
入院か、式のリセットか。
私は最終手段の選択をしつつ、明日には行動を起こそうと準備し始める。
しかし、決定的な出来事はその夜に起こった。
私が近日の疲れからつい自室でうとうとしていると、藍の部屋からどたばたと大きな音が響いた。
畳を叩き、足音荒く走り回る音だ。まるで誰かと取っ組み合いをしているような騒ぎに、私は一瞬で覚醒する。
即座に藍の部屋に走り、障子戸を開ける。
するとそこで藍は、自分の尻尾を追いかけて、布団の上で全力疾走していた。
はぁはぁと苦しそうに息を切らせて、それでも自分の尻尾を捕まえようとしているのか懸命に追いかけるので、その場でグルグルと四つん這いで激しく回転する。
私が思考停止していると、藍がこちらに気づき、こう叫ぶ。
「あ、紫様! 分かりました! これです。背後にコイツが居たから妙な気配を感じていたんですよ。
紫様も、捕まえるのを手伝ってください!」
そう自分の九尾を指し示す藍。
私はたまらず膝をつく。
藍が、壊れてしまった。
とうとう病が頭に回ってしまったらしい。
聡明で気高い藍が、その辺の犬の様に尻尾を追い回す姿を、私は直視できなかった。
「なんてことなの……藍がおかしくなるなんて、私は、どうしたら……」
「いや、私は正気です! ですから早く尻尾を!」
異常者に限ってそうのたまうものなのよ、藍。
私が床にひれ伏しながらショックに打ちひしがれていると、とうとうしびれを切らせた藍が、私に向かってグイと尻尾を突きだす。
「紫様、数を数えてください! 尻尾は何本ありますか!」
そう挑発するように尻を振って私に聞く藍。
この場合、そういうテストは藍がされる側でしょ……と諦めにも似た虚脱感が私を襲うが、とりあえず逆らわない方がいいと思って私は指折り数を数える。
「いーち、にー、さん……ちゃんと10本あるわよ。
って10本!!?」
私はようやく、藍が本当に正気だったと信用した。
と同時に尻尾の異常に驚愕する。当たり前だが、九尾狐である藍の尻尾は9本。
ところが、今数えたら尻尾は放射状に10本あった。これはつまり
「1本は偽物です。何かが私の尻尾に化けて、ずっとへばりついていたんですよ。
私じゃ手が届かないので、早く取ってください」
私は状況を把握した。
しかし藍のトレードマークである尻尾に化けてずっとモフモフの中に居座るとは、何たる羨ましい……いや、何たる不埒者。
この私が直々に成敗してくれんと、私は金色に流れる毛皮を凝視する。
毎日フサフサと揺れるのを眺め、撫で、さすり、櫛を入れ、愛でてきた藍の尻尾だ。偽物を見つけることなど容易い。
む。この尻尾は先っぽの白毛がやや薄い。こいつか。
私はその尻尾をむんずとつかむ。
「ひゃあぁ! そ、それは本物です! もっと右!」
あ、ごめん……
私は心中で謝ると、また索敵を再開する。
藍の言う通り右側を眺めまわし、一本不自然にぐねぐね動く尻尾を発見した。
「このっ! えい!」
「ひゃふぅん! それも本物ぉ!」
「えー!? もう、どれよ? これか。このぉ、しごいてやる!」
「あっあっ! ふうっ! ゆ、紫様! 方向が、方向性がずれてきていませんかぁ!?」
えー、だって、藍があんまり可愛い声で鳴くから……
もうちょっと堪能したかったのだが、これ以上やると藍が本気で怒るので、大人しく化け尻尾を捜索する。
左に移動しました、もっと左……行き過ぎ! 右です! なんて二人羽織みたいな追い込みをすること数分、ついに私は化け尻尾をつかみ出すことに成功した。
――◇――
「……で、何これ?」
「さぁ……」
私は捕まえた不埒者を眺めながら、藍と一緒に首を傾げた。
見た目は藍の尻尾とほとんど一緒。金毛が一方向にまとまって生えていて、ちょうどサツマイモの様な形だ。先っぽはやはり白毛が模様となっている。
ただ、尻尾には見えるけれど胴体がどこだかわからない。
目も鼻も口も無い。手足も見当たらず、藍の尻尾を一本引っこ抜いてそこに置いてある、と言ってもいい風体だ。
ただその尻尾もどきは、藍の尻尾の間で右往左往していた様に自分の意思で動き回れるらしく、逃げられないように大きな鳥かごに隔離している。
明らかに自然の生物ではない、妖怪の類だ。
それを二人でこうして検分しているのだが、当の尻尾もどきは怯えたように鳥かごの反対側にへばりついて、震えていた。
ただ油断はできない。
見た目で判断できないのが妖怪だ。どんな能力を持っているか分かったものではない。
ちなみに傍でそいつを観察している藍は、ケロッと元気になった。
どうやら病気は、そいつが原因だったらしい。
よって私は慎重に妖怪図鑑を開き、ついに正体を見破った。
「あった。名前は『毛羽毛現』……毛の妖怪みたいね」
「へぇ、初めて見ました」
私も名前くらいは聞いたことがあったが、現物を見るのは初めてだ。
それもそのはず。この妖怪はとにかく滅多に出会えない。そのレア度から別名『稀有稀見』とも呼ばれたりするぐらいだ。
私はさらに毛羽毛現の特徴を紐解く。
「ふむふむ……毛羽毛現は主にじめじめした日陰を好む習性がある。
毛羽毛現に憑りつかれた家からは病人が出るという……これのせいね、藍の具合が悪かったのは」
「灯台下暗しですね。こんな小さな、しかも尻尾そっくりな疫病神がいたとは」
藍は気恥ずかしさを誤魔化す様に頭を掻く。まさか背後の気配が、こんな近くにいるとは思わなかったのだろう。
でもそれは私も同じ。藍の体調をチェックする時、この屋敷の警備力を信じていたので、外部からの霊的な負荷は視野に入れていなかったのだ。
ともかく、藍の不調の原因が分かり、解決もできたので一安心。
でもここで、心に引っかかる事象が一つ。
「藍の尻尾の間って……そんなにじめじめしているのかしら?」
「紫様。そんなことをおっしゃられるのなら、次回から尻尾モフモフしゅっしゅは金輪際禁止ですよ」
「冗談ですごめんなさい堪忍して」
私は拝み倒す様に謝る。藍の尻尾を触れないくらいなら、土下座でも何でもした方がいい。
藍は「はぁ」とため息を吐く。その内訳は私の振る舞いに呆れた……が少しと、やっぱり毛羽毛現に憑りつかれた理由が分からないからだろう。
なので、私はこう仮説を述べる。
「思うに藍は、洗面所とか家の裏手とかじめじめしているところに行く機会が多いから、その時毛羽毛現と接触したんじゃないかしら」
「まぁ、それが自然ですね。しかし、何で私の背後に居座ったのでしょうか?」
「毛羽毛現の姿を見て。藍の尻尾にそっくりでしょ」
「それは私の尻尾に化けているから」
「いいえ、毛羽毛現にそんな能力は無いみたい。この子は多分、一種の付喪神だと思うの」
そう私は図鑑を指差す。
「たくさんの毛が風に吹かれて寄り集まって、長年経つ内に、いつの間にか意思を持つ自然発生タイプの付喪神。
お茶碗やとっくりだって化けるこの世界では、ある意味成るべくして成った存在ね」
そこまで説明して、ようやく藍は気づく。
「この子は、私の尻尾の抜け毛から成った妖怪なんですね」
「そう。だから屋敷の結界にも引っかからなかったし、藍の尻尾に憑りついた。
いや、親に甘えているつもりなのかもしれない」
そう予想を立ててみたが、どうやらそれが本当らしい。
藍が尻尾の一本を鳥かごに近づける。
すると毛羽毛現は、まるで縋りつく様にそちらの方へ身を寄せた。
「……寂しかったのかもしれませんね。成ったばかりの、しかも非常にまれな存在の妖怪に仲間なんていませんから」
藍はやや同情的な呟きを漏らす。
しかし、ここで心情に流されず、ケジメははっきりしておかないといけない。
「ま、悪意はないでしょうけど、それが厄介ね。
毛羽毛現にその自覚がなくても、そばに居ただけで藍が病気になる程強い威力を持っている。
正直この屋敷どころか、この地にも置いておけないわ」
そう藍が何か言い出しそうなのを遮る様にぴしゃりと宣告すると、藍は「そうですね」と物分りのいい返事をする。
だがその顔は、拾った小動物をまた捨ててきなさいと言われた子供の様にしょぼくれていた。
私は、しょうがないなぁ、と一息ついてスキマを開く。
その先には薄暗い空間を囲む土の壁と、漆黒の穴が奥に続く風景が見える。
地底世界の入り口。旧地獄都市に至る縦穴へスキマを繋げたのだ。
藍と私はスキマの先を覗き込む。
そこでは黄色のリボンを巻きつけた茶色いワンピースを着た女の子が、白い糸を編んだハンモックに寝転がり、ゆらゆらとくつろいでいた。
でもちょっとすると視線に気づき、目を丸くしてこちらを注視した。
「はぁい。ちょっといいかしら」
「これは珍しい。地上の大賢者殿じゃあないか」
過去に声と情報だけ聞いたことがある土蜘蛛の妖怪、黒谷ヤマメはそう楽しげに私に喋りかける。
突然の来訪にも臆せず、自前の縦糸を伝ってこちらに近づいてきた。
「何だい? 今日はあんたが私と決闘してくれるのかい?」
「いいえ。地上と地下は不可侵という不文律は守りませんと」
「またまた、そんなつまらない約束はとうの昔に形だけになっちまったよ。
こうしてあっさり地上の人と話ができるんだからね」
地底は暇なのか、ヤマメは私との会話を膨らませる様につらつらと喋り続ける。
とりあえず適当な所で、私は本題に入る。
「実は、あなたに預かって欲しい子がいるのだけど」
そう言って私は、鳥かごをヤマメに見せる。
ヤマメは中身の毛玉を不思議そうな顔で見つめるが、ふと感心した様に話しかける。
「へぇ。こんな小さいナリでも、いい瘴気を持っているね」
「分かる? さすが疫病使い」
「そんな大層なことじゃない。何となく感じるだけだよ」
なおも興味津々と見つめるヤマメに、私は頼みごとを伝える。
「あなたの見立て通り、この子は毛羽毛現といって、発病能力を持っているんだけど制御できていないのよ。
ある程度年季が入って、自分で能力を抑えられるまでここの仲間に入れてもらえないかしら」
そう笑顔で尋ねると、ヤマメは私の顔をじっと見た。
次に後ろの藍の顔と尻尾をチラリと見て、ふ、とほほ笑む。
「この地底では、入って来る者を拒む道理はないよ。病気をまき散らすのだって、私が面倒見ていれば抑えるのは容易い。
なんなら自分の家だと思って、いつまでも居てくれたっていいさ」
そう答えると、ヤマメは鳥かごの方に手を伸ばす。
私が鳥かごのフタを開けると、毛羽毛現はしばらくこちらの方をウロウロと浮遊していたが、やがて風に吹かれる様にヤマメの手にふわりと着地した。
「ははは。可愛いね。それにふさふさしていて、いい襟巻きみたいだ」
「当然でしょ。生まれも育ちも八雲家で、九尾の分身みたいなものだから」
「なるほどなるほど。大事にするよ」
そう毛並を撫でるヤマメを見て、ここなら大丈夫だろうと安心する。
さて、と藍の方を見ると、若干の寂しさは残しているものの、巣立つ子供を見送る様な穏やかな表情をしていた。
よしよし、こっちも一安心。
私はそれを見届けてスキマを閉じようとした時、ふと毛羽毛現がヤマメの腕に抱かれたままこちらの方を向いた。
そして、白毛の先端部をゆらゆらと揺らす。
別れの挨拶なのだろうか。私と藍は小さく手を振ってそれに応え、スキマを閉じた。
「あそこなら日当たりも悪いし、適度に湿気もある。
似たような境遇の妖怪もたくさんいるし、毛羽毛現には居心地のいい場所に違いないわ」
そう説明すると、藍はぽつりとこう呟く。
「毛羽毛現は、自分の能力を抑えることができるのでしょうか」
「うーん、それは毛羽毛現の成長次第ね。もしかしたら、能力を抑える事自体が無理なのかもしれない」
そう、毛羽毛現は研究もできないほど希少な存在。果たして今後どんな成長を遂げるか分からないのが現状だ。
しかし、私はこう藍に宣言する。
「でもね、もし能力を自分の力で抑えることができたなら、その時は八雲の新たな家族として迎えてあげましょう」
その言葉に、藍は全ての懸念が消えた晴れやかな笑顔でうなずいた。
「しかし……いえ、何もなければそれでいいのですが……」
全ての話が終わったと思っていたのに、藍は最後に歯切れの悪いことを言う。
私は疑問に思ったが、藍もそれ以上何も言わないので私も掘り下げない事にした。
最近の疲れなのか、頭がぼーっとするし、深く考えるのが怠かったのだ。
――◇――
「――う、えっきし! えっきし! ふぅ……」
今度は私の具合が悪くなった。
悪寒がして節々が痛くてくしゃみが出て食欲が無い。
それで布団でうんうんうなっている私を、藍が看病してくれた。
「やっぱり。毛羽毛現の威力から見ても、紫様に何も異変が無いのはおかしいと思いましたよ」
そうやれやれといった様子で、洟をかんだティッシュを片づけながら私に伝える藍。
この前言いよどんだのはこれだったのね……
「しかし、何で毛羽毛現が去った後から病気になるのですか? 時間差攻撃ですか」
「バレーボールじゃあるまいし……たぶん緊張の糸が緩んだからじゃない?」
「は?」
「藍が苦しんでいるのに、ゆっくりなんてできないからね。
一日中藍の事を考えていて、病気になる暇なんて無かったわ」
「はぁ、それはすみませんでした」
社交辞令みたいなつれない返事だけど、手の甲に朱が差してきたし、尻尾もわさわさと揺れる。
ふふ、照れているのね。
「ではお返しに、病気が治るまで遠慮なく私に我儘をおっしゃってください」
そう、胸をトンと叩いて魅力的な提案をする藍。
そうねぇ……と私は考えて、こうお願いしてみる。
「尻尾、触らせて?」
「え、今ですか」
「そう」
私が期待に潤んだ瞳で藍を見上げると、藍はふっと笑みを浮かべる。
「いいですよ。どうぞ」
背後をこちらに見せて正座する藍。そしてモフモフの尻尾が投げ出された。
私は「んふふ~」と自分でもわかる締まりのない表情で尻尾に顔を埋める。
やはり、藍の尻尾は格別だった。
しなりの中に柔らかさがある金毛が、ちくちくもせず私の顔を受け入れてくれる。
先端はさらさらしているけど、生え際は油分を少し残しているためしっとりとした触感。
おまけにぬくぬくと人肌で、ときどきこりっとした尻尾の芯が毛先を揺らす。
何日も尻尾を触っていなくて、カラカラだった心が満たされるようだ。
「ん~、病気治りそう」
「単純なお体ですね」
「単純結構。シンプル・イズ・ベストってね」
藍の軽口もさらりとかわすと、藍はやれやれとため息をついた。
でもその尻尾はわさわさと揺れ、ぴんと毛質も根元からしなやかに起立している。
うんうん、いつも通りの健康な尻尾。応答も『異常ナシ』だ。
これで安心して眠ることができる。
でも尻尾を通した体調の検診だけではつまらない。
もうちょっと、黙ってこうしていましょ。
こうして私はようやく日常が帰ってきたことを確認し、この世で一番大好きな場所から久方ぶりの微睡に落ちるのだった。
【終】
面白かったです
個人的な我儘としては、その後毛羽毛現がどうなって八雲一家とまたどうなったのか!?というところまで欲しいなと思いました。まぁ、妄想で楽しむことにします(笑)
あとがきの橙部分がもっと詳しく書かれてたら100点入れてました
妖怪ってのは本当よくできてますわ
も白かったです
ご感想ありがとうございます。私も健康な藍様の尻尾をもふりたいです。
大根屋様
私もまさか「毛」に特化した妖怪がいるとは思わず、面白そうだと感じてこの話を書きました。
毛羽毛現のその後については……ご感想の通り、ご想像にお任せします(汗) でも悪い結末にならないのは確かです。
4番様
ありがとうございます。
あとがきについて、紫様が橙に毛羽毛現の話をしていたら、ついつい怖い話に盛っちゃったといったシチュエーションでした。
橙は多分、説教を喰らわす藍様の膝で泣き疲れて眠っているといったところです。
6番様
しかも毛羽毛現は日当たりの悪いじめじめした場所を好むので、毛羽毛現の現れる場所はあらゆる面で健康に悪い環境です。
本当によくできていますね。
7番様
ありがとうございます。
藍様の尻尾追いのシーンは、実は真っ先に思い付いた見せ場でして(汗)
藍様に失礼かと思ったのですが、話がストンとまとまったのでよかったです。
非現実世界に棲む者様
本当に何という羨ましい奴め! でも親子同然ならしょうがないですね。
12番様
レア度も折り紙つきな妖怪さんでしたが、楽しんでいただけたら幸いです。
24番様
ありがとうございます。
毛羽毛現の想像図を見ていると、ポケモンのモンジャラを思い出すがま口でした。
知らない間に尻尾が増えてるというシチュエーションや毛羽毛現が発生した理由など面白かったです
ご感想ありがとうございます。
日本にはまだまだたくさんの妖怪さんがいるので、ネタには事欠きません。
うまく東方の世界と絡めることが出来てよかったです。
ぜひとも成長したらうちにも遊びに来て欲しいです
具合が悪くなる前に帰って欲しいけど
ご感想ありがとうございます。
見た目は可愛いのですが、能力は怖いし……ジレンマですね。