Coolier - 新生・東方創想話

今日も爪先にキスをして

2014/04/07 00:55:57
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「咲夜さん、すみません」
 ベッドに横たわり衰弱しきった顔で謝る美鈴に、咲夜は優しい微笑みを見せる。
「良いのよ」
 咲夜が美鈴の頬を何度か優しく撫でると、美鈴はゆっくりと目を瞑った。咲夜は一瞬、悲しげな顔をしたが、すぐに笑みを作って、ゆっくりと美鈴の顔から離れ、足元へと向かった。
 布団を捲ると、美鈴の足が顕になる。もう随分長い事寝たきりになっている所為でか細く痩せ細っている。守衛室で盛大に股を開け広げ居眠りをしていた頃が懐かしい。力強く瑞瑞しかったあの足は見る影もなく、きっともう歩く事すら出来ないだろう。
 咲夜はゆっくりと腰を屈め、爪先へと顔を近付けた。そうして目を瞑り、爪先へとキスをする。足先が震え、美鈴の呻きが聞こえてくる。それを聞いて、咲夜は涙を流しそうになった。
 美鈴は長い事、病に掛かってベッドから起きられないで居た。倒れたのは門番をしていた時で、遊びに来た氷の妖精がそれを見つけて、慌てて屋敷に助けを求めてきた。屋敷の者達は初めの内こそただの疲労だろうと、働かせ過ぎた事を反省しながらも、冗談の様な空気が流れていたのだが、美鈴の病状が悪化の一途を辿るにつけ、次第に屋敷は騒然として、永遠亭の医者が呼び出された。医者はすぐに病名を言い渡し、その分かり難く長ったらしい病名の後にこう言った。
 この病気を抑えるには爪先にキスをするしか無い。
 一体どんな理屈でそうなっているのか説明されても、これまた長く難解な説明で紅魔館の者は誰一人として分からなかった。とにかく一日一度爪先にキスが必要であり、それは患者の憧れの者でなければならないと言うので、話し合いの結果、咲夜がその役を任ぜられた。咲夜自身、憧れを抱かれている等と思っていなかったので、治せるのかどうか半信半疑であったが、とにもかくにも咲夜が美鈴の爪先にキスをする事によって、苦しんでいた美鈴は落ち着き、事無きを得た。ただそれはあくまで病状を抑えるだけで、決して治る訳では無かった。
 今日も咲夜は美鈴の爪先にキスをする。食事を運び、排泄物を処理し、体を拭き、マッサージとストレッチをして、最後に爪先へキスをする。それを茶化す者は居ない。初めの頃は妖精メイド達が、この一連のやり取りを見て笑っていた。爪先にキスをするというのは、例えそれが苦しむ美鈴を救う為であっても、滑稽な事であった。咲夜は爪先にキスをする度に笑われる事に羞恥を感じた。そして羞恥を感じる自分と笑う妖精メイド達に怒りを覚えた。それも今や昔。美鈴の病気がもう治らず、ずっと寝たきりになったのだと理解しだすと、妖精メイド達の笑いは聞こえなくなった。そうして静かになった今、美鈴の痩せ細った爪先に目を瞑ってキスをして、足先の震えと一緒に聞こえてくるのは美鈴の呻き声だけ。静寂の所為でそれが酷くはっきりと聞こえる。それが堪らなく嫌だった。その呻き声を聞く度に美鈴が醜く思えてしまう。そしてそう思う自分もまた醜く思えた。美鈴の呻き声を聞いていると頭がおかしくなりそうだった。
 今日も咲夜は美鈴の爪先にキスをする。耳を澄ましても辺りからは何の物音も聞こえてこない。美鈴が寝込んだ当初は様様な者達が美鈴を見舞いに来た。人当たりが良く、誰にでも親切にしていた美鈴の事を慕う者は多かった。特にこの館に住まう主の妹フランと近くの湖に住む氷の妖精チルノは、美鈴が元気だった頃、毎日の様に遊んでいた事もあり、競う様にして寝込んだ美鈴の下にやって来て朝から晩まで付き添っていた。そして美鈴は布団から起きられない体になったというのに、毎日本当に嬉しそうにしていた。
 だが今はもう見舞いに来る者は誰も居ない。それどころかこの部屋に近付く者さえ居なくなった。あれだけ通っていたフランやチルノも、次第に時間を減らし、日を減らし、今では全く顔を見せなくなった。それどころかチルノはこの屋敷に来なくなった。フランはこの屋敷に戻ってくる事が少なくなった。病気や美鈴だけでなく、この屋敷自体を厭う様に。
 きっと疲れたんだろうと咲夜は思っていた。伏して動けなくなった相手の下へ通うのは、例え僅かの時間であっても大変な労力になる。生活の中心に通う事を組み込まなければならないから。普段通りの日常を営みつつ毎日通っていれば当然疲れてしまう。疲れを押して通ったとしてもいつかは限界が来る。生者の世界を営む者はこの部屋に通えない。この部屋は既に死人の部屋なのだ。だからみんなこの部屋を厭って近寄らなくなった。咲夜が美鈴の下へ向かう時は、誰もがそれを無視をする様になった。まるでこの部屋等、存在しないとでも言う様に。
 見舞客が目減りすると美鈴は荒れた。皆の意識から自分が消えていく事を、もう二度と光の下で歩けない事を、そして自分の醜い部分を全て咲夜に詳らかにし擦り付けなくてはいけない事を、やるせなく思ってひたすら荒れた。罵声が飛んだ。泣きじゃくった。我儘を言って、全てに反抗した。咲夜はそれを必死で宥めつつ、美鈴の為に食事を運び、排泄物を処理し、体を拭き、マッサージとストレッチをして、最後に爪先へキスをした。誰も通わなくなった死人の部屋で、咲夜は必死になって美鈴の傍に寄り添い続けた。
 それもしばらくして収まった。感情を使い果たしてしまったかの様に、今では美鈴から情動が消え去った。もう何の反抗も示さない。代わりに何の反応もしなくなった。交わす言葉は無い。淡淡と処理して終わる。それを繰り返す内に、咲夜自身も自分の中から情動が消えていくのを感じていた。
 咲夜が部屋に来ると謝ってくる。咲夜がキスをすると足先を震わせ呻き声をあげる。その二つだけが今の美鈴にあるはっきりとした反応で、そのどちらもほとんど感情を伴っていない。咲夜が来たから謝り、キスをされたから足先を震わせ呻く。ただそれだけ。せめて何の反応もしなければ良いのにと咲夜は時偶思う。傍からは色色な声が聞こえたが、咲夜自身は美鈴の看病が苦痛だとは思っていなかった。けれど感情の無い声で謝ってくる事には何だか苛立ちを覚えたし、キスをした時の反応には醜さを覚えて、そうした嫌悪を抱く自分が酷い人間に思えたから、いっその事美鈴が何の反応もしなければ心穏やかで居られるのにと思った。そして醜く酷い余計な感情を抱く自分をひたすら嫌悪した。
 今日も咲夜は美鈴の爪先にキスをする。食事を運び、排泄物を処理し、体を拭き、マッサージとストレッチをする。日に日に衰弱していく美鈴の顔にかつての面影は無く、筋肉の痙攣による些細な表情の変化に、またどす黒い感情が湧きかけて咲夜は慌てて顔を背けた。
 そうして布団を捲ると、美鈴の足先が露わになる。枯れ木の様に痩せ細った足にゆっくりと顔を近付けた。そうして目を瞑り、爪先へとキスをする。足先が震える。ふと唇に痛みが走って、咲夜は自分の指を唇に添えた。血が出ていた。見ると美鈴の爪を長い事整えて居なかった。無造作に伸びた爪の所為で唇を切ってしまったのだろう。爪を切らなくちゃいけない。そう思った時、美鈴が呻き声を上げた。
 その瞬間、咲夜は捲った掛け布団を掴んでそのまま美鈴に伸し掛かり、美鈴の顔に思いっきり布団を押し付けていた。美鈴が、何処にそんな力があったのか、手足をばたつかせて抵抗する。けれどその力は人間である咲夜をどかす事も出来ない程弱弱しくて、咲夜がしばらく美鈴の顔に布団を押し付けていると、やがて美鈴の体から力が抜けた。
 それでもしばらくの間、咲夜は呼吸を忘れて同じ体勢で固まっていた。やがて喉に詰まった何かを吐き出す様に咳き込むと、のろのろと美鈴の顔から離れ、足元へと向かった。
 そうして咲夜は美鈴の爪先にキスをした。もう足先は震えない。咲夜はもう一度爪先にキスをする。呻き声も聞こえない。またキスをして、舐った。口を離してそのまま目を瞑り、満足気に息を吐くと、咲夜は無表情で立ち上がり、ベッドを繕って外へ出た。
 今日も咲夜は美鈴の爪先にキスをする。食事を運び、体を拭き、マッサージとストレッチをして、最後に爪先へキスをする。静まり返った死人の部屋で咲夜は黙黙と美鈴の世話をする。
 溶け崩れた九相図の中で、今日も咲夜は爪先にキスをする。
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コメント



0.470簡易評価
5.50名前が無い程度の能力削除
爪切ったら治ったってこと?
すみません、オチがよくわからなかったです(あるいは落ちてない?)
7.10名前が無い程度の能力削除
こうして咲夜は一時の安眠を得るために美鈴を殺したことを目覚めたあとずっと後悔し続けるのであったとさ、まる。
個人的にこういう誰にも救いのない終わってる感は嫌いなので減点80
出来ればタグに鬱話とか付けて欲しかった…
10.70絶望を司る程度の能力削除
咲夜ェ……
もしかしたらキャラ死亡注意のタグが必要かと。
11.20名前が無い程度の能力削除
最初から最後まで展開が唐突過ぎる印象でした
13.90名前が無い程度の能力削除
なんか自分と他人に芽生えるある対象への苛立ちに苛立ちを覚えるのは凄く共感しますね
だから逆に対象を殺してしまう理由も理解出来ないでもないです もちろんやりませんが
愛するために死んで欲しい 不幸になって欲しい
死んだり不幸になった対象だけが愛おしい
狂っているようでも案外こういう狂気は誰にでも潜んでいそう
15.100ぬえすけ削除
素晴らしい内容でした。オチが明確なのでタグに足りないものがあるのは私も感じましたが、それと本編の完成度は関係ないものとして点数を入れさせて頂きました。
ただ、私としてはもっと人間関係を掘り下げて書いた物が読みたかったです