からんころん。それか、ちりんちりん。その中間ぐらいの音だろうか。
ドアベルの音は陽気だ。それにくらべて建物の中――特に主のなんと陰気なことかと、霊夢は店内をぐるりと見回した。
店主はカウンターの内側に置かれた安楽椅子に座り、やたらとごつい洋書に目を走らせている。没頭しているのか、霊夢の到着にはまるで気がついていない。
客の来訪を知らせるのがドアベルの役目だと霊夢は考えている。ならば果たしてこのドアベルに意味はあるのだろうか? ドアベルの音にさえ、店主は気付いていないのだ。
なんとは無しに、霊夢は無言のままそこに突っ立ってみる。
「……おや、いらっしゃ――霊夢か、ツケを返してくれないかな」
待つこと数十秒。ようやく来客に気づいた店主は本から目を上げ、そして訪ねてきたのが店の客ではなく霊夢だということを知るとふたたび本の世界に戻った。催促の台詞を残しながら。
霊夢はそこらにあった安物の椅子を引き寄せると、つれない店主に毒を吐く。
「客に対してあからさまに嫌そうな顔をするのはどうかと思うのよ、霖之助さん。だからここ閑古鳥が鳴くんじゃない? 十羽ぐらい」
「ふむ、それはそうかもしれないが、僕としては知識を深める機会を奪われたくないものでね」
店の主らしからぬ発言に、霊夢はため息をつく。
売っているものが売っているものだし、立地が立地だし、そして店主が店主。ここまで商売っ気のない店も珍しいだろう。楽天家であり他人への興味が薄い霊夢でさえ、他人事ながら心配になる。
「……まあ、香霖堂の将来について語りに来たわけじゃないからいいわ、別に」
考えるのも面倒になり、投げた。そもそも「商売っ気の無い店」といった意味合いのことが幻想郷縁起にまで明記されるほどに商売っ気の無い店であるから、霖之助の商売する気の無さは筋金入りだ。それでも香霖堂は潰れずにやっていけているのだから、これからも多分やっていけるのだろう。
大体、自分は香霖堂のありかたについて小言を言いに来たのではないのだと、霊夢は気を取り直して本題に戻る。
「ねえ、紫が最近買い物に来なかった?」
口から出たのが意外な人物だったためか、霖之助は本から顔をあげ、思案するように両目を揉んだ。
ただ単に疲れ目だったのかもしれないが。
「そうだな、一週間ほど前に来たよ。ええと……正確には六日前か」
「何を買ったの?」
「あぁ、CDだよ。君も知ってるだろう、あのやたら薄くて硬くて脆い板さ。嬉しそうに買っていったよ」
外の世界の物品、CD。幻想郷一般レベルの知識しか持っていない霊夢とて、CDは知っているが、それを紫が嬉しそうに買うということがぴんと来ない。
幻想郷でCDなどほぼ何の役にも立たないのである。せいぜいが弾幕に用いるぐらいだ。それとてすぐに割れてしまうから実用性は低い。
「CDねぇ、なんでまた」
「彼女いわく、アレは情報を書き込むためのもの――まあ、用途的には紙なんかと同じものらしい。読み取る装置を外の世界から拾ってきたんだそうだよ。」
「へえ」
一通りのことは話し終えたらしく、霖之助はそこまで言うと再び本に目を戻した。
途中から霊夢はその話をほとんど聞いていない。というのも、霖之助からは、自分が望んでいるような話を引き出せなかったからだ。
しかし、彼女の勘は、香霖堂になにかあると告げていた。あるいは、紫が買っていったCDとやらが鍵なのかも知れないなと感じた。
ふと、霖之助は思いついたように再び本から顔をあげ、霊夢に目をやった。
「にしても一体どうしたんだ? 彼女のことなら彼女自身に尋ねればいいじゃないか――まあ、真正面から訊いて望むような返答が得られると思うのは、高望みだろうけど」
確かに霖之助の言うとおりだ。本人のことは本人に訊くのが一番早いのだろう。だが霊夢は、紫の行動について紫に尋ねていない。それは、紫に何かを訊いてみたところではぐらかされるということもあるが、もう一つ、何より大きな理由がある。
「それは無理ね」
「無理?」
霊夢の言葉に引っかかりを感じたのか、不可解だというふうに霖之助の片眉が上がった。
霊夢は続ける。
「今の紫に何訊いたって無駄よ。ろくな返事が返ってきやしない。――ま、普段の紫もそんなもんだけど、ちょっと事情がねぇ。私の勘も、紫自身にかまけても無駄だって言ってるし」
「君の勘? 異変のときの?」
「まあね。働いてるってことは一応異変らしいわ。だから紫のいたずらじゃないらしいわね――それにしてはずいぶん馬鹿馬鹿しいけど」
吐き捨てるように霊夢は言った。
ますますもって不可解だといわんばかりに、霖之助は指で前髪をくるくると弄ぶ。
「ふむ、もったいぶるのは僕の仕事だと思っていたのだけれどね。霊夢――何があったのか教えてくれないか?」
もったいぶるのは僕の仕事。その言葉に霊夢は思わず笑いそうになるが、こらえる。事態は一応深刻なのだ。霊夢は醒めた目で見ているが。
「紫の中身がチルノになったのよ」
しばらく、どちらも喋らなかった。
「……ええと、霊夢、確認するが、それはつまり、見た目は八雲紫だが、性格やその他が氷精チルノであると、そういうことでいいのかい?」
霊夢がうなずくと、霖之助は酢を一本分一気飲みしたような表情になった。
信じがたいのも当然だろうと霊夢は思う。霊夢とて、藍に連れられて二つの目でしかと見るまで何が何だか分からなかったのだから。
「能力なんかは紫のままらしいわね。だから冷気が操れなくて『中身が』困惑してるわ。まあそんなことはどうでもいいのよ。問題は、管理者があんな状態のままなのはまずいってこと」
らしいわ、と霊夢は結んだ。霊夢は問題をあまり深く見ていない。問題は云々というくだりは、藍の言葉だった。
「ふむ……」
霖之助はしばし思案する顔になると、霊夢を残し、唐突に店の奥に消えた。
やがて奥から出てきた霖之助は、手に何かを持っていた。――霊夢は、それがCDを収納するためのものだと気付いた。
霖之助はそれをカウンターに置くと、安楽椅子に座り霊夢を見やる。
「これから話すことはあくまで僕の仮説に過ぎないから、まあ、あまり真に受けなくてかまわない」
霊夢はいくばくか真面目な顔になり、霖之助の仮説とやらを待つ。彼女の勘は、霖之助の話が鍵になると告げていた。巫女の勘はよく当たる。それは霊夢が一番よく知っていた。
「――特定の行動が、文化によってまるで違う意味をもつことがあるんだ」
霖之助はそう切り出した。それが紫となんのかかわりがあるのだと、霊夢は視線で訴えるが、それを霖之助は視線でなだめる。
そして、霖之助は自説の披露を続ける。
「たとえば、僕らはこうやって人を呼び寄せる」
そういって霖之助は、おいでおいでと手でジェスチャーをしてみせた。
「だが、この動作、大陸の西のほう――おそらくは吸血鬼姉妹はあそこの出身だろう――や新大陸だと、あっちへ行け、という意味になるんだ。そこでのおいでおいでは、手の平を上に向けて行う」
それは知らなかったので、ふぅん、と霊夢は鼻を鳴らした。
だが、相変わらず、それと紫のかかわりが見えない。
「他にも、大陸の印度という国では、左手で食事や握手をするのはタブーだ。汚い話だが、用を足したときに左手で尻を拭くからだよ」
「紙は?」
「基本的に無いらしい。左利きの人は苦労するだろうね」
それは不便だろうなあと霊夢は考える。未だ霖之助の考えはつかめていない。どこでどう、紫の一件と絡んでくるというのだろう。霊夢は心中でしきりに首をかしげていた。
「さて、八雲紫が買っていったCDの話をしよう」
ようやく本題に入ったかと、霊夢は集中しなおした。いいか
げん、しびれを切らすところだった。
さきほどの二つの話が――文化によって行動の意味が変わるという話がどう関わってくるのか、霊夢はやはりしきりにいぶかしんでいる。これで何の関係も無かったら殴ろうかとも思っている。
「彼女が買っていったCDに記された情報。それはどうも、音楽だったらしい」
「音楽? 楽譜っていうこと?」
「いや、違うな。楽譜ではなく、音そのもの――演奏そのものが記されていたんだ。それを専用の機器で読み取れば、記された演奏を聴くことができるらしい」
「ふぅん」
いまいちぴんと来なかったが、そういうものなのだろうと霊夢は納得した。
外の世界のことを逐一理解しようとしていたら頭がパンクする。外の世界の人間でさえ、自分が身に着けているものの仕組みを理解していないんだから、生粋の幻想郷の住人たる自分にそれが分かるはずもないと切り捨てた。
大事なのは概要である。つまり、紫は音楽を聴こうとしていたわけだ。
霊夢が頭にそれをインプットしたのを察したのか、霖之助は話を再開した。
「まあ彼女の話と僕の知識から総合しただけで、実際に聴いたことは無いけれどね。けれど、不幸なことに、幻想郷において『CDの音楽を聴く』という行為は――とくに、彼女が買っていったCD、アレの音楽を聴くという行為は、別の意味を持っていた」
「紫はそれに気付かなかったから、中身がチルノになったってこと?」
霖之助の言い方は回りくどい。霊夢は噛み砕き、霖之助に問い返す。
「おそらくはね」
うなずく霖之助。しかし霊夢の疑問は尽きない。
聴いたらチルノになる。そんな音楽を創れる人間が果たしているのか?
「でも、それってどんなCDなの? 中身がまるごとチルノになるだなんて、よほど強力な呪いでも実現できないわ。少なくとも神道では」
「ふむ、そのCD、実は同じものがもう一枚手に入っているんだ。もう一枚というか、結構な枚数が手に入っている。外の世界ご自慢の、大量生産というやつだよ」
必要な分だけ作れば良いのになぁ。そういって霖之助は、さきほどカウンターに置いたCDケースを霊夢へと差し出した。
霊夢はそれをおっかなびっくり受け取る。チルノになるのは嫌だった。まして外見が自分のままだからたちが悪い。その状態で外を出歩かれたなら、しばらく引きこもらなくてはならなくなるだろう。もっとも、戻れる保障は無いが。
「情報を読み取って聴きさえしなければ問題は無いだろうから――現に僕がそうだし――怖がる必要はないさ。それで、そのCDに入っている曲のことなんだけれど、分かるかい?」
「Beethoven……? べーすおべん?」
アルファベットを知らないわけではないが、霊夢にそれを読み解くだけの知識は無かった。
日本語が話せれば、幻想郷では通じるのである。
「ベートーヴェン、と読むそうだ。僕も名前は知っている。外では知らないものが居ないくらいの偉大な作曲家だ」
「そのべーとーべんが、聴くとチルノになる曲を作ったの?」
「いや、彼はそれを意図していないはずだ。そもそも幻想郷のことを知らなかっただろうしね。多分、チルノのことを知っているものでないと、チルノにはならないんだ」
「どういう事? ……ああ、文化によって行動の意味が変わる、ってことね。この場合は文化というより知識?」
「ご名答。まあ、文化、という言葉だと多少ぶれていたね」
そういって霖之助は何かしらぶつぶつと独り言を呟き始めたが、霊夢の視線に気付いて話題を元に戻す。
「まあそれは置いておこう。そのCDに入っている曲は、外で知らないものはいない。最後のほうに合唱があるんだが、僕も文献で眺めたことがあるし、八目鰻の屋台、あそこの店主も歌えるはずだよ。それくらい有名な曲だ」
「へぇ……」
改めて、霊夢はCDケースをしげしげと眺め、そして気付いた。
何の変哲も無いと思っていたが、なるほど、チルノになってしまう要素はあるというわけだ。
「どういう歌詞だったかなぁ、ええと、Seid umschlungen, Millionen! Diesen Kus der ganzen Welt! とかなんとか」
霖之助のバリトン声は、霊夢の耳に届いていなかった。彼女はただ、ケースにプリントされた文字を、じっと見つめているだけだった。おかしな偶然もあったものだと思いながら。
交響曲第⑨番。
それでチルノだった。
チーちゃんっつったらあの二曲しか無ぇ。
⑨っていう観点では交響曲でしょうけれど。
どうでもいいけれどセカンドライフでたまにマジ泣きしながらシャウトするのは少数派でせうか。
変な期待を擁いてしまったのでこの点数で。冒頭の2人のやり取りが面白かったですね。
霖之助さんがバリトン声で高らかにうたってるところがみえました、まる
これどうやって直すんだろう。
きっと一過性の症状であるに違いない…てか、そうでないと「幻想郷は⑨の炎に包まれた!」な事態になりかねん(汗
あとべとべんに謝れw
多分三楽章あたりでチルノになるはず
というか俺の知り合いかなり⑨に…
それにしても、氏の地の文の書き方にはちょっと憧れるな。
洒落てるというか、適度に捻ってあるのに読みやすい。
面白い作品をどうも有難う御座いました。