Coolier - 新生・東方創想話

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2016/01/14 02:23:28
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 命蓮寺には月に一回、修行が休みになる日がある。
 その日は一般人に寺は解放されず、棲みこんでいる妖怪たちも、各々好きな所へ出かけていくのだった。

 村紗は地獄に遊びに行った。これは白蓮に内緒にしておいてと言われている。彼女ならお見通しなのかもしれないが。
 一輪は雲山と空の旅に出かけた。二人は長年連れ添った夫婦のようで、この日は毎月二人だけで過ごしている。
 マミゾウは人里へ出かけた。最近は貸本屋の娘に興味があるようで、変装して会いに行っているらしい。
 星はナズーリンの小屋に遊びに行った。やっぱり、二人きりだ。私にはあの二人のどちらが偉いのかよく分からない。もしかしたら二人の中では対等な気持ちで付き合っているのかもしれない。
 響子はバンドの練習に出かけた。夜雀とコンビを組んでいるバンドが、密かに人気だそうだ。声を出す妖怪としていい趣味だと思う。
 私はと言えば、特に行きたいところはなかった。強いて言えば人里周辺で人間を驚かせて楽しむくらいだが、今日はあまり気分が乗らない。
 幻想郷は真冬間近だが、今年はまだ雪が積もっていない。どころか、今日は春の陽気のように暖かかった。私は命蓮寺の屋根の上で、田畑で働く人間を眺めたり、小さな白い雲が流れるのをぼんやり見つめたりしていた。

「ぬえはそこにいましたか」

 ふと見下ろすと、白蓮がこちらに向かって手を振っていた。何だろうと思い私は屋根から下りた。

「どうしたの白蓮」
「ぬえは出かけないのですか?」
「うん。今日はそういう気分じゃないの。なんだろ。ぼーっとしていたいっていうか、ゆっくり考え事でもしたい気分」
「そうですか。実は私もそうなのです。ちょうどよいですから、居間でお話しでもしましょう」

 白蓮はそう言うと、私の返事も聞かずに居間へと向かった。
 修行が休みの日でも、白蓮は命蓮寺に残って留守番をしている。どこかを掃除していたり、一人でお堂にこもって念仏を唱えたりしている。それがどういうわけか、今日は私と話そうと言うのだ。どういう風の吹き回しだろう。
 私は白蓮とあまり親しくない。寺のメンバーの中では白蓮と最も関わりが薄いかもしれない。私より後に入ってきた響子でさえ、私よりも白蓮と親しい。
 それは私があまり話し好きでないからというのもあったし、白蓮が何を考えているのか私には分かりにくいというのもあった。
 今回の誘いは私のそんな思いを汲み取った上でのことなのだろうか。白蓮ならやりかねない。少し前に神子というやつが現れて聖人だと人間の間でもてはやされていたが、私にとっては白蓮のほうがよっぽど聖人だと思っている。
 居間に入ると白蓮はお茶を淹れる準備をしていた。ちゃぶ台に湯のみが二つ。その隣に急須が置いてあり、既に注ぎ口からは湯気が立っていた。

「楽に座ってください。今日は休日です。ぬえも嫌になったら出ていって構いませんから」
「いいよ。私も白蓮と話をしてみたかったから」
「そうですか。ところで、ぬえはさっき屋根の上で何をしていたのですか?」
「人間を観察したり、空を眺めたりしていたわ」
「そう。何か昔のことを思い出していたのではないですか?」
「……どうしてそんなこと分かるの?」
「そういう目をしていたのです」

 私は驚きを隠せなかった。普通、目を見ただけで何を考えているか分かるだろうか。私が驚いた表情を見せても、白蓮は相変わらず柔らかい笑顔のままだった。大妖怪たる私ですら少し恐ろしいと思ってしまう。

「私はぬえの過去をよく知らないのです。他の皆は、まあ響子を除けば古い付き合いですから、知らないことはないのですが。よろしければ何かお話ししてもらえますか?」

 私はそう言われてから気づいた。私は白蓮に自分の過去を話したことがなかった。そして、私のほうも、白蓮の過去についてあまり知らなかった。

「その前に聞きたいんだけど、白蓮っていつ頃生まれたの?」
「もうずいぶん昔の話ですね。1000年……いやそれ以上前かもしれません。と言っても、900年近く封印されていましたけどね」
「そうなんだ……」

 白蓮が自分よりも長く生きていることに私は動揺を隠せなかった。てっきり500年前程度の僧侶だと思っていたのだ。自分が生まれたのが約900年前だから、白蓮は年上ということになる。

「ここまで長生きしていれば、年齢なんて大した指標にはなりませんよ。私はぬえがどれくらい生きているのか知りませんが、例え2000年だろうと100年だろうと、今までと変わらず接し続けるつもりです」
「そう……。私は900年くらい生きてるけど。結構世間を騒がせたんだけどな。知らないってことはその前には封印されてたのかな」
「そうかもしれませんね」
「近衛天皇って分かる?」
「実は歴史があまり得意ではないのです。ずっと封印されていましたから」
「じゃあ……源頼政は?」
「残念ながら」
「そう」

 白蓮がお茶を湯のみに注いでいく。少し時間が経ちすぎていたようで、濃い緑色のお茶が急須から出てきていた。私は自分の湯のみを手に取り、ゆっくりと傾けてお茶を飲んだ。ずず、ずず、と二回口にして湯のみを置く。
 白蓮もお茶を飲んで湯のみを置くと、また私のほうを見ながらうっすらと柔らかい笑みを浮かべていた。私の話の続きを待っているようだった。
 だから私は、過去の自分を思い出す。そして過去に出会ったある人間のことを思い出す。





 今から900年くらい前の話。近衛天皇という天皇の時代。私は今みたいな大妖怪ではなかった。
 私の本当の正体は空の鳥と書く『ぬえ』で、人間の不幸や凶事を察知して鳴く、ただの妖鳥だった。
その時代は天皇の跡継ぎや派閥の争いが激しくて、大内裏の中は常にピリピリしていた。そんなとき、近衛天皇を呪い殺そうとする人物が現れた。それに気づいた私は、夜な夜な天皇が住んでいる内裏の上空に行って鳴いていた。
 私は正体不明の妖怪などではなかった。鳴き声を聞かせて人間を恐れさせる妖怪だった。私は凶事を察して鳴くから、人間は私が凶事を運んでくると思って私の鳴き声を恐れた。
その頃は今のように妖怪として強くはなく、せいぜい暗雲とともに現れるくらいしかできなかった。ましてや人間を呪い殺すような力などなかった。それなのに人間たちは、近衛天皇が呪いで弱っていくのを見て、夜に現れる私が近衛天皇を呪っているのだと考えた。

「なるほど。ぬえは鳴き声で凶事を伝えるという妖怪としての働きをしただけなのに、その凶事自体をぬえが行っていると考えられたのね」
「そうなのよ。でもそれは私にとって願ってもないチャンスだったわ。だって人間がそう噂すればするほど、私の力が強まっていくんだもの」

 妖怪の力の源は人間の恐怖心だ。私はどんどん力をつけていった。身体もトラツグミくらいの大きさだったのが、ワシよりも大きな妖鳥の姿に変化できるようになった。自分に力が備わっていくのが楽しくて、私は毎晩暗雲とともに現れては鳴いてやった。

「さすがに我慢できなくなったのか、近衛天皇はある武士にぬえ退治の依頼をした。その依頼を受けたのが、源頼政よ」
「頼政って、ぬえのスペルカードの?」
「そうよ。あの男の名前。絶対に忘れられない……」

 私は当時のことを今でもはっきりと覚えている。あの男の表情までも、はっきりと。
 私が過去を懐かしむ間、白蓮は何も言わずに私を見つめていた。そして時々、私の顔を見てクスッと笑った。

「まるで初恋の人を思い出しているみたい」
「そ、そんなわけないでしょう!」
「はいはい。それで、ぬえは頼政に退治されちゃったの?」
「むぅ……。退治されてたら今ここにはいないわよ」

 歴史上では、鵺は頼政が退治したと言われている。しかし、私は退治されてはいなかった。あの時、頼政は私のことを……。




 あの日、私はいつものように暗雲とともに現れ、ヒョーヒョーと鳴いていた。しかし、下を見るといつもと少し雰囲気が違った。大きな庭になっているところで、一人の男が弓を構えていた。
 私はいつか命を狙われるだろうということをあらかじめ予測していた。だから、私と同じくらい巨大なワシをいつも一頭従えていた。もしもの時は、そのワシを身代わりにするつもりだったのだ。
 私は咄嗟に暗雲の中からワシを呼び寄せた。けど、あと一歩遅かった。まさかあの男が一発で私を仕留めるとは思っていなかった。私はあの男が放った矢で腹部を貫かれ、地面に落ちてしまった。

 私が落ちた場所へ駆け寄ってくる男がいた。私はもうだめだと思った。けど、死にたくないと思った私は、一瞬の判断で若い女の姿に変化した。地面に倒れているのが若い女だと分かれば、さすがにすぐに殺したりはしないだろうと思った。
 初めに私の元に駆け寄ってきたのは、あの矢を放った男ではなく、もう少し若い男だった。そいつは刀を抜いて近くまで来たけど、若い女に変化した私を見てとても驚いた。しかし、それは一瞬の迷いだったらしく、彼は再び私に刀を向けた。

「お前が鵺の正体だな! 頼政殿の矢が確かに腹に刺さっている! 女に化けたって誤魔化せんぞ」
「やめて! 私はぬえだけど『鵺』ではないの! 私はただ鳴いていただけなの!」
「何を訳の分からないことを。妖怪の命乞いなど聞かん!」
「猪早太! そいつが鵺の正体か!」

 私が必死に命乞いをしていると、矢を放った当人である源頼政が駆けつけた。彼もまた私が若い女の姿をしていて驚いたが、すぐに冷静さを取り戻した。彼はすぐに刀を抜いた猪早太とは違い、不思議そうな顔で私を見ていた。

「お願い殺さないで! 私は人間の凶事を知らせるだけのただの妖鳥なの!」

 私はこの男なら話が通じるかもしれないと思い、自らが無実であることを訴えた。彼は刀の鍔に手をかけて刃を抜きかけたが、私の言葉に反応してその動きを止めた。そして猪早太を右手で制しながら、私にゆっくりとした口調で話した。

「凶事を知らせるとはどういうことか。その凶事とは一体誰に起こるのか」
「頼政殿、こんな奴の言うことを真に受けてはいけませんぜ!」
「まあ待て。どうせ腹を貫かれて動けん。どうなんだ鵺よ。その人間とは誰だ」
「近衛天皇よ。彼を呪い殺そうとしている人物がいるの。私はそれを伝えるために、毎晩鳴いていたの」
「嘘ではないのだな」
「本当よ」

 私はその時既に泣きそうになっていた。頼政は私の目をしばらく見つめてきた。そして、私の必死さが伝わったのか、彼は猪早太に抜いた刀を収めるように言った。当然猪早太は反論をしたが、頼政はそれを無視して私に話しかけてきた。

「鵺よ。私はお前の言うことを信じる。お前のその目は、先の言葉がただの命乞いのための嘘ではないということをよく表している」
「正気ですか頼政殿。帝をさんざん苦しめてきた妖怪を殺さずに済ませるというのですか」
「猪早太。こいつは帝を呪ってなどいない。こいつにはそんな力はないのだ。そうなのだろう?」

 頼政はお見通しといった顔でこちらを見てきた。何故これほど妖怪について詳しいのだろう。

「そうよ! 私はずっと鳴いていただけ」
「それでは、一体誰が帝を呪い、あのように弱らせていると言うのですか!」

 私は腹を貫かれたせいで息苦しかったが、徐々に痛みがなくなりつつあった。妖怪は身体の回復は比較的早いのだ。もう少し時間を稼げば、隙を見て飛んで逃げられるかもしれないと思った。
 しかし、頼政は暗雲の中に隠れる私をたった一発の矢で仕留めた。もし飛んで逃げようとしても、また射落とされるかもしれない。そう思った私は、どうにか交渉して逃げる術がないかと考えた。

「私はその人物を知っている」
「なに! 帝を呪う人物を知っていると言うのか」

 猪早太がすぐに反応した。頼政は変わらず無言で私を見つめていたが、私の言葉にその眉がピクリと動いたのが見えた。

「教えてあげてもいいけど、その代わり条件があるわ」
「言ってみよ」

 今度は頼政が言った。それは決して敵対する相手に向けるような声ではなかった。むしろ、部下に優しく問いかけるような柔らかさを持っていた。私もまた、頼政が自分に敵対するような存在とは思えなった。

「私を殺さないで欲しいの。でも、あなたは鵺を退治したことにして、『鵺は頭が猿、胴体は狸、手足は虎、尻尾が蛇の恐ろしい妖怪だった』ってみんなに伝えてほしいの。その噂が広まれば、私は噂通りの恐ろしい妖怪になれるし、あなたは恐ろしい妖怪を退治したという伝説を手に入れられる。この通りにしてくれたら、近衛天皇を呪っている人物を教えるし、もう夜中に出てきて鳴くこともしないって約束する。死体は、私の代わりにこのワシを殺していいから」

 私は身代わりとして用意しておいたワシを呼び寄せた。そのワシが私の腕に止まると、頼政は素早く刀を抜き、ワシの頭だけをスパッと綺麗に切り落とした。頭から切り離された胴体は私の手から滑り、ダラリと地面に落ちた。

「いいだろう。約束する。私は鵺という頭が猿で胴体が狸、手足が虎で尻尾が蛇の恐ろしい妖怪を退治した。このことを皆に伝える。猪早太、ワシの残りの部分はお前が切り刻んでおけ。帝や大臣らには、既に死体は切り刻んだ。とても恐ろしく帝には見せられないから、これから丸太船に乗せて鴨川に流しに行くと伝えろ」
「本当にそれでいいんですかい?」

 猪早太は不審そうな表情で私を見てきた。彼はまだ私が命乞いで嘘をついていると思っているらしかった。しかし、普通の人間はそうだろう。きっと頼政が変わっているのだ。

「妖怪というものは人間よりも、武士よりも、強情で頑固で、自分の考えを曲げないのだ。鳴くだけと言ったら妖怪は鳴くだけなのだ。橋姫は他の橋を褒めた者を呪うが、橋を通り過ぎるだけの者を呪ったりはしないだろう。私はこいつが嘘をついているとは思えない」

 頼政の言葉を聞いた猪早太は、渋々といった感じでワシを切り刻み始めた。そして驚いたことに、頼政は未だ倒れたままの私に手を差し伸べてきたのだ。
 まるで、それが当たり前であるかのように。人間が妖怪に手を差し出すなど、あるはずがないのに。

「立てるか?」
「えっ……あ、えっと、あり、がとう……」

 私は妙に照れくさくて、頼政の顔も見ずに彼の手を握った。初めて握った人間の手は、大きくて、とても熱かった。私はお腹を押さえながら頼政に引っ張られて立ち上がる。その時にはもう、飛び立って逃げるだけの力が復活していた。

「近衛天皇を呪っているのは、藤原頼長っていう人物よ。私が分かるのはそれだけ。じゃあ、約束は果たしたからもう行くわよ。あなたもちゃんと約束を果たしてよね」

 やはり、と頼政は小さな声で言った。それから「武士に二言なし。約束は果たす」と続けた。

 私はその言葉を聞いて闇夜に飛び立った。私が飛び立った直後に、射落とした鵺が落ちた場所を聞きつけた人たちが次々と集まってきていた。どうやら間一髪だったらしい。もう少し遅ければ、私の正体がばれるところだった。
 飛び立つ間際、頼政は「やはり」と言った。彼は近衛天皇を呪っている人物に心当たりがあったのかもしれない。しかし、元々人間の呪いだということを知っていたかどうかまでは分からなかった。

 住処まで帰って矢を抜き、傷の手当てをした。ダメージは大きかったが、致命傷にはならなかったらしい。
私を貫いた矢は、夜中のうちに鴨川に放り投げて流しておいた。置いておけば、「鵺を貫いたいわくつきの矢」などとなってしまい、二度と手放せなくなってしまう。そうなる前に捨ててしまえば、ただの捨てられた矢になり、私の脅威ではなくなるのだ。

 その後、私の妖怪としての力は急激に上がっていった。頼政に頼んだあの噂は爆発的に広まっていったのだ。そして語り継がれるうちに、頭や手足のパーツの情報があやふやになり、鵺は正体不明の恐ろしい妖怪とされた。

 果たして、私は凶事を伝える妖怪『鵼』から正体不明の妖怪『鵺』になったのだった。





 白蓮が入れてくれたお茶はすっかり冷めてしまっていた。白蓮は自分の分は飲み終わっていたようで、私が冷めたお茶を飲み干すと、二杯目を二つの湯のみに注いだ。私が飲み終わるのをずっと待っていてくれたらしい。

「世間一般では、私こと鵺は頼政に退治されたと言われている。でも、実際は違うの。私は頼政によって命を救われ、頼政のおかげで『鵺』になれたの。私は妖怪で、彼は人間で、だから私たちは敵同士だけど、でも、頼政だけは……私の大事な人なの。忘れられない人なの」
「そんな過去があったのね。全く知りませんでした」
「うん。この話、今まで誰にもしてこなかった。私のとてもとても大切な秘密だもん。でも、どうしてかな。白蓮にはこんな簡単に話しちゃった。ねえ、このこと誰にも言わないでね」
「もちろん秘密にしますよ。私とぬえの二人だけの秘密です」
「うん」

 二人だけの秘密、という響きが妙に照れくさくて、まるであの時――頼政が手を差し出してくれたときのような気分だった。胸の奥がじんわりと熱くなって、喉のあたりが乾いていくような感じがした。
 こんな風に二人で話をすること自体が初めてなのに、私は今まで誰にも言わなかった秘密を口にした。口にできた。白蓮は本当に不思議な人だと思う。彼女が持つオーラは、人を安心させ、そして柔らかく包み込むような感じがするのだ。
 白蓮の元来の性格なのか、長い修行によって得たものなのかは分からない。でもその性質のおかげで、私と白蓮は以前よりも少し距離を縮められた気がした。

「ぬえは頼政のことが好きでしたか?」
「す、好きって、そんなんじゃ、ないよ」
「そうですか。その当時はそこまで考えなかったのでしょうね。でも、とても大切に思っているのは伝わってきましたよ」
「そう……」
「一つのモノや人をずっと大切だと想い続けられる。人はそれを愛と呼ぶのよ」
「あ、愛とか、そういうのは、わかんないよ……」

 白蓮は口元にそっと手をやりながら、ふふふと柔和な笑顔を浮かべていた。何だかとても恥ずかしくなってきた。私は畳の上に寝転がって天井を見上げた。
 ずずず、とお茶をすする音が聞こえる。そういえば二杯目のお茶を淹れてもらったのだった。今度は冷める前に飲まなきゃ。
 身体を起こすと、もう白蓮は笑っていなかった。穏やかそうな表情でお茶を飲んでは部屋の中空を見つめていた。私もお茶をちびちびと飲み、しばらく無言の時間が流れた。

「もう一杯淹れてきますね」

 白蓮はそう言うと急須を持って台所へ向かった。数分後に戻ってくると、急須の中はまたお湯で満たされているようだった。一体何杯飲むつもりなんだろう。

「ぬえの話を聞いていると、私も昔のことを思い出していてしまいました」
「白蓮が封印される前の話? もう1000年くらい前の」
「そうです。私がまだ普通の人間だった頃の話です。聞きたいですか?」
「うん。私白蓮の過去はほとんど知らないから、知りたいよ」

 そうですか、と言って白蓮は湯のみを置いた。そしてしばらく黙想したかと思うと、ゆっくりと目を開いた。

「あれは、私がまだ普通の人間だった頃の話です――」





 私は幼い頃、信州の田舎に住んでいた。私には命蓮という弟がおり、二人で仲良く仏の修行に励んでいた。ある日命連は、奈良の東大寺に行って受戒すると言い出し、私は奈良へ旅立つ命連を見送った。
 田舎の僧侶は野僧と呼ばれ軽蔑されていたのだ。そのため奈良の東大寺で受戒するということは大変大きな意味を持っていた。
 私は命蓮が受戒を受け、しばらく経てば帰ってくると思っていた。しかし、待てども彼は帰ってこなかった。私は仏の修行に励みながら、ずっと大事な弟の帰りを待ち続けていた。

 20年ほど待っても命連は帰ってこなかった。会いたい気持ちを抑えられなくなった私は奈良へ命連を探しに行くことを決めた。何日も歩き続け、ようやく奈良の東大寺にたどり着いた。

「命蓮という僧を知りませんか。20年前、東大寺で受戒を受けたはずなのですが」
「さあ、知らないな」
「私は命蓮の姉で、旅立ったまま帰ってこない弟を心配してやってきたのです。弟の顔を見ずに帰ることはできません」
「なにしろ20年も前のことだ。覚えている者はそうそういないだろう」

 私は寺の様々な人に命蓮のことを尋ねた。しかしもう20年も前に受戒した僧のことなど、知っている人はいなかった。命蓮に会えないまま信濃になど帰れるはずもなく、私は東大寺の大仏様の前で、命蓮の居場所が分からないものかと祈り続けた。
 その頃はちょうど今のような冬の時期で、地面から伝う冷たさに身を震わせながら、私は必死に大仏様に手を合わせた。
 夜通し祈りをささげていると、明朝ごろ眠さにうとうとしていたところに私は夢を見た。その夢の中で「未申の方に紫雲たなびく山あり。その山を訪ねるべし」という声が聞こえた。ハッと目を覚まして南西の方を見ると、紫雲たなびく中に山際が霞んで見えた。
 その山は信貴山といい、かつて聖徳太子が毘沙門天に出会い、寺を立てたという伝説があった。
 私は信貴山に向かって歩き始めた。ほとんど寝ずに祈り続けていたせいで身体はあちこちが痛かったが、それでもそこに命蓮がいると信じて歩き続けた。
 山を登っていくと頂上付近にお寺らしき建物が見えてきた。私は嬉しくなり、痛む身体に鞭を打って歩を進めた。
 ようやくお堂にたどり着き、中に向かって「命蓮はおるか」と声をかけた。すると中から一人の僧が現れた。

「姉さん! どうしてここに」
「命蓮! あなたが帰ってこないから、心配してはるばる信濃から会いに来たのです」

 そこにいたのは確かに命蓮だった。顔や背丈は変われども、姉の白蓮に分からないはずがなかった。
 私は弟と再会できた喜びで、足に力が入らなくなった。命蓮は倒れこむ私の身体を支えてくれた。私はその腕や身体を見て、旅立つ前は幼かった命蓮が立派に育ったことを感じさせられた。

「ああ、会えて嬉しいわ命蓮。元気でしたか」
「はい。身体は障りなく、仏道に励んでおりました」

 ふと私を支える命蓮を見ると、冬だというのに紙衣だけで、とても寒そうなかっこうをしていた。
 やっと自分の力で立てるようになった私は、衣包から太い糸で丈夫に縫った着物を取り出した。命蓮はそれを受け取ると、喜んで私の前で着てくれた。

「暖かいですよ姉さん。姉さんが縫ってくれたのですね」
「ええ。修業の傍ら、命蓮にいつか渡そうと思いを込めて塗ったものです。完成したのはもう5年も前でしたが、命連に渡す日が来て本当によかったです」

 感極まった私は命連の身体を抱きしめていた。まだ小さかった昔のように頭を撫でてあげた。命連はひどく恥ずかしがり、赤く染めた顔を伏せた。

 私はもう信濃には帰らないことに決めた。命連もここで修業を続けると言うので、私も命連と共に仏道に励むことにしよう。

 命連は法力を使って鉢や倉を飛ばしたり、遠く離れた帝のご病気を治したりしていたらしい。そのため『聖』と呼ばれ、このあたりの人々は皆命蓮を慕っているらしかった。
 寺で暮らす他の人達は、聖の姉ということで私を暖かく迎えてくれた。私は命連から法力を学び、少しずつ力を使えるようになっていった。

 20年間顔を見ることができなかった命連と共に暮らせる生活は何物にも変えがたく、私は日々に充実を感じて暮らしていた。そうしていくつかの季節が過ぎた。



 しかし、安定していた生活に一筋の闇が差し込んだ。
 命蓮が突然病に倒れたのだ。ある朝彼の眠る部屋に行ってみると、ひどい熱にうなされていた。
彼は原因不明の熱病に冒され、一夜にして目をやられてしまっていた。

「姉さん、どこにいるのですか、姉さん」
「私はここにいます。命連の目の前にいますよ」

 命連の手を取り力強く握りしめる。しかし、彼はおろおろと首を動かすばかりで、その目が私を捉えることはなかった。
私は修行など忘れて必死に命連を看病した。命連から学んだ、帝の病気を治したという法力も使った。それなのに命連の症状は悪くなるばかりで、一向に効く様子はない。

「命蓮! 死なないで命蓮」
「姉さん。私は……もう……」

 私は命連の手を握り、法力を使い続けた。しかし彼の握り返してくる力は徐々に弱くなっていった。
 20年も離ればなれになっていた弟にやっと会えたというのに、わずか1年でまた離れていってしまうのか。この世はなんて無常なのだろう。そしてどうして私は命連のように法力で病気を治すことができないのだろう。

 次の夜も、私は命連の手を握り続けていた。何度も何度も命連の名を呼び続けたが彼からもう返事はもらえなかった。

 そして夜が明ける頃には、命連の身体は冷たくなってしまっていた。

 初めて目の当たりにした人の死、それも実の弟の死に私はひどく恐怖を覚えた。その恐怖感は最愛の弟が死んだ悲しみと同じくらい私の心に暗い影を落とした。昨日まで動いていた人が動かなくなり、その身体はただの肉塊になる。端子委の抜けた弟の肉体に私は恐ろしさを感じ、触れることをためらってしまうほどだった。

 聖と呼ばれた命連の訃報は朝廷にまで伝わり、多くの人が彼の死を悼んだ。実の姉である私には慰めの言葉がいくつも告げられたが、私の心にそれらの声が響くことはなかった。命蓮が死んだことによる死に対する恐怖感が、黒く分厚い雲のように私の心を覆っていたのだった……。






「何だか少し安心したよ」

 白蓮がふうと息をついたタイミングで私は彼女の話に対して感想を述べた。

「安心、ですか」
「うん。白蓮にもそういう人間らしい時があったんだって思うと安心したよ。白蓮は完璧超人で、聖人のようなやつだと思ってたもん」
「私は決して聖人のような尊い者ではありません。もしも私がそういう人間だったなら、今頃私は魔法使いをやっていませんから」
「そうなの?」
「ええ。私は命連の死を見て自分が死ぬのが怖くなったのです。そして、若返りの術を手に入れるために、妖術……魔法に手を出したのです」
「そうだったんだ」

 白蓮の知られざる過去を暴いた私は複雑な思いでまた冷めたお茶を飲み干した。
 白蓮が今ここにいる理由。それは愛する弟が自分の目の前で亡くなったことがきっかけだった。白蓮が寺に弟と同じ名前を付けたのも、そのことを忘れないようにするためだったのかもしれない。

「それじゃあ魔法使いになって、白蓮の第二の人生が始まったのね」
「そうです。私は人間を辞めて、妖怪たちと向き合いました。そしてそのうち、弱い妖怪が人間に虐げられていることに気付いたのです。私は人間たちの前では妖怪退治を演じ、裏では人間たちに虐げられていた妖怪たちに手を差し伸べていたのです。私の考えでは妖怪も神も本質は同じなのです。それなのに神様は崇められ、妖怪は虐げられるのはおかしいでしょう? でも人間は誰もそれを分かってくれませんでした。だから私は人間に封印されてしまい……あとはぬえの知っているところです」

 白蓮は何百年も封印されていた。それを、怨霊騒ぎに混じって地上に上がってきたかつての仲間たちが飛倉の破片を集め、白蓮の封印を解いたのだ。その時私はムラサたちの邪魔をしてしまったが、そんな私も白蓮は許してくれて、寺に置いてくれている。
 白蓮の言っていることは間違っていないと思う。妖怪も神も人間がいなければ生きていくことはできない。いや、生きるだけならできるかもしれないが、妖怪や神としての力は失われる。そんなのは死んでいるのと大差ないのだ。妖怪も神も、本質は同じと言う白蓮の考えはきっと正しい。
 だが、正しいからといってそれが受け入れられるとは限らない。その考えを理解できない者たちからは拒絶されてしまう。それに為政者にとって不都合な真実は、たとえ正論であろうともみ消されてしまうのだ。
 幻想郷において、白蓮の考えが認められることは恐らくないだろう。幻想郷では妖怪は人間を襲い、脅かす存在であり、そして人間に退治される存在である。これは幻想郷を維持するための大事なルール。白蓮の言う「人間も妖怪も平等な世界」とはとても相いれない。

「私は悔しかったのかもしれません」

 それは唐突に放たれた言葉だった。その曖昧な言い回しに私は思わず聞き返した。

「何が悔しかったの?」
「弟の命連は、不思議な力で帝を救って人々から信仰されたのに、私が不思議な力で妖怪を救ったとき、人々は私を拒絶して封印した。人間も妖怪も平等ならば、こんなことにはならなかったはずでしょう? だから私が人間も妖怪も平等な世界を望むのは、それが正しいという信念によってではなく、自分を認めてほしいという欲求からなのかもしれません」

 白蓮は欲深い自分を卑しいと思っているのかもしれない。恥じているのかもしれない。でも私は、そんな白蓮を見て、また少し安心したのだ。

「白蓮も私も、誰かに生かされて生きてきたんだね」

 それは熟考した上での発言ではなく、ただ頭に浮かんだ言葉を口にしただけだった。しかし白蓮はその言葉を真剣に捉えたらしく、しばらく考え込んだのちに口を開いた。

「そうですね。命蓮がいなければ私は今を生きていませんし、ぬえも頼政がいなければ今を生きてはいないでしょう。そしてこれからも、私たちは人間に生かされて生きていくのです」
「……それって悲しいことなのかな」
「いいえ。生きているのは素晴らしいことですよ。たとえそれが生かされているのだとしても」

 確かにそうかもしれない。白蓮も生きていればきっと頼政のような、妖怪に理解を示してくれる人間に出会えるかもしれない。私はいつかその時が訪れてほしいと思った。その時にやっと白蓮は自分が認められたことで幸せを感じることができるのだと思う。

「ぬえとこういうお話ができてよかったです」
「私も、白蓮の話が聞けてよかったよ。白蓮のことを前よりも深く理解できた」
「それは私もです」

 昔話を終えた私たちはお互いに清々しい気持ちだった。遠かった心の距離がうんと近づいたように思えた。

 湯のみの片づけを白蓮に任せて私は外に出て、また命蓮寺の屋根に上った。
 向こうのほうには人間の里が見える。通りに見える人間を目で追いながら、私は白蓮の過去の話を一つずつ思い出していった。

 人間に生かされている私たちと人間との間に平等などあり得るのだろうか。

 ふと空を見上げた。上空は雲一つない快晴だった。私は澄み渡る青い空をキャンバスに、白蓮の望む理想の世界を思い描こうとした。
 だが私には白蓮の望む理想の世界を想像することができなかった。
12作目です。
ぬえと白蓮が仲いいといいな。あと、お互いの過去話とかしてたらいいな。そんなことを考えながら書きました。


Twitterやってます→https://twitter.com/Shizuoka_th
しずおか
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コメント



0.280簡易評価
1.90名前が無い程度の能力削除
1ゲット!
3.50名前が無い程度の能力削除
とって付けたようなエピソードが並んでいるだけで、ふーんって感じ
9.60名前が無い程度の能力削除
しんみりしました
10.70絶望を司る程度の能力削除
しっとりとした雰囲気でよかったです。