とても具合が良い滝が見つかったんです。
だから滝行に行きましょう、と星が笑顔でナズーリンを誘ったのが、今日の午後時分だった。
滝があるという山の麓まで飛んで降りて、現在は藪をかきわけて滝を目指しているところだ。
図体の大きな星が先頭だって歩いてくれるおかげで、ナズーリンは星の身体の形に程よく補整された獣道を通っている。
まあ、滝行をしたいのは星で、こちらはそのただの付き添いなのだから、これぐらいの楽はさせてもらわないと割に合わない。
滝まで直接飛んでゆけばいいじゃないかとの提案を「これも修行のうちです」と蹴ったのだって星なのだ。
むしろよく付き合ってやっていると、自分を褒めたくなってしまう。
(しかし、修行ねぇ)
毘沙門天は、周知のとおり仏の一尊だ。
仏になるために行うはずの「修行」をする必要など一切ないし、むしろ修行をしているなどと知られれば、毘沙門天の代理を自称している身では何かと不味い事が多い。
疑惑の種を増やすことになるからと、何度か諌めはしたのだが
「しかし表向きはどうあれ、私は毘沙門天に帰依する修行中の身。そのうえ弟子にして頂いた恩義もあるのですから、『行』を行わずしてどうします」
梃子でも動かぬ、というのはああいうのを言うのだろう。
いや、どちらかというと、暖簾に腕押し、のほうだろうか。
梃子であれば反発が得られる分、より強い力をかければ動く可能性が残されているだろうが、相手が暖簾ではその期待も持てはしない。
百歩も千歩も譲ったうえで、ナズーリンは「決して人間の目の届かないところで行うこと」という条件を提示した。
星もそれは承知していたので、二つ返事で快諾してくれた。
出会ってから、割とすぐの出来事だ。
それから幾星霜も経つわけだが、こうして星の「行」の付き添いをすることはよくあった。
「監視役」という役柄だからもあるが、星が誘うから、というのが理由の大半だった。
「ほら、ナズーリン。大きな滝でしょう?」
前を行く大きな背中が停止して、代わりに見返り顔が向けられた。
なぜか自慢げな笑顔だった。
「…確かに、修行にはうってつけの滝ですね」
星の身体を越えた先には、彼女の言葉の通り、大きな滝が広がっていた。
水量も水流も、おまけに水の落差すら激しい滝だ。
あれに当たる時の水圧たるや、想像するだに寒気がする。
「私は滝壺の、ほら、あの石に座ろうと思いますから、ナズーリンは滝の裏に回ってください。滝裏の崖が削れて、洞が出来ているんです」
「……濡れたりしませんか?」
「奥行きがありましたから、奥に居れば大丈夫だと思います」
「なるほど。信用しましょう」
「ええ、任せてください」
返答のあと、星が歩みを再開させる。
ナズーリンもそれに従った。
「しかし、ご主人様は濡れるのがよく平気ですね」
「虎ですからね。泳ぎも得意ですし」
ああ、そういえば。同じネコ科のイエネコと違って、トラは湿地の生物だ。
むしろ水は好むのかもしれない。
星が行う「行」のなかで、「滝行」の割合が高いのもその為だろうか。
ほどなく、滝壺に到達した。
滝のしぶきは眼前まで届かんばかりの勢いで、下手に近づけば濡れ鼠の出来上がりだろう。
わずかに顔をしかめたナズーリンの服のすそを、星がちょんちょんと引っ張る。
意識を向けると、星はついで、滝壺からすこし離れた迂回路を人差し指で弧を描く様に指し示した後に、その指を滝の洞で停止させる。
あのルートで洞に入れば濡れない、ということらしい。
洞の入り口付近で若干濡れてしまうだろうけれど、なるほど、そのぐらいならば許容範囲だ。
了承の意味をこめて頷く。
星も頷き返して、「さて」と一声発した後にひとりで滝へ向かい始めた。
いや、待て。
「ご主人様」
「はい?」
「なんのために白装束を持ってきているのか、判っていますか?」
「……………………………。着替えを忘れていました」
だからどうして忘れる。
あわただしく用意をしている星を放って、ナズーリンは教えられたルートに従って滝裏の洞に回った。
前述の説明の通りに、かなり奥行きのある洞のようだ。
これなら奥にいる限り濡れる心配は皆無だろう。
座り心地のいい場所を見つけて腰掛けたあたりで、星も用意を終えて滝壺の石に腰を下ろしたようだ。
滝の中に大きな影が現れた。
さて、あとはあの背中でも眺めながら、小一時間待てばいい訳だ。
「久しぶりだったから、だいぶ身体に堪えました」
滝からあがって着替えを済ませ、洞のナズーリンの隣に座った星は、朗らかに笑った。
終わればすぐに帰るというわけではなく、いつからか、滝行が終わったあとはこうやって滝壺の側で雑談をするのが恒例になっていた。
「そういえば、滝行はしばらくやっていませんでしたね」
ナズーリンは星の言葉に、記憶を掘り起こす。
思い返せばここ数百年、つまり白蓮が封印されている間はあまり滝行を行った記憶がない。
「ええ、その……聖が封印の憂き目にあっている間に、自分だけ好きなことをやってよいものかと思いまして…」
「あー、なるほど」
相変わらず、妙に律儀だ。いや、くそ真面目のほうだろうか。
「ですが、ようやく再開できました」
ずいぶんとはしゃいだ様子で星が笑う。
白蓮の封印が解けたことで、この虎の心理的束縛も解けたらしい。
それで喜び勇んで滝探しに行っていたのかと思うと、苦笑してしまう。
「ご主人様は、滝行が好きですからね」
「いえ、滝行はそれほど好きではないのですが」
「? 『好きなこと』なんでしょう?」
ナズーリンは首をかしげる。
「ただ、こうやって貴方と話をするのがとても好きなので―――、ナ、ナズーリン!? どうしました!? 額を押さえたりして痛いんですか!?」
「……………………………………………いや、放って置いてくれると有難い」
「そ、そうですか?」
おろおろとした気配を感じる。
心配なのか、顔を覗き込もうとしてくるが、正直勘弁して欲しい。
本当に。
頼むから。
「……星」
「は、はい!」
「とりあえず帰ろうか」
残念そうな星を直視しないようにしながら腕をとり、無理やり空中に連れ出す。
もしかしたら帰りもこの虎は徒歩のつもりだったのかもしれないが、「行」は終わったのだし、滝から直接空の旅でも問題はないだろう。
それになんとなく、あの背中を見ながら後を歩くなど、今は勘弁して欲しかった。
「あー…星――じゃない、ご主人様」
「え、ええ」
「『滝行』は―――その、」
「その?」
「その………………………………いや、気にしないでくれ」
「? そうですか」
控えて欲しい、のひとことが不思議と喉を通らなかった。
しかし、こういった作家同士でリスペクトしあうのを見るのも読者の楽しみの一つですね。
まさかの展開にびっくりしつつ2828をありがとうございました!
こっちも点数で返すのはあまり相応しくない気がするのでフリーレスで失礼します。
……はっ、まさかこれは返礼にまた星ナズをという罠なのk(ry
そんな星さんから離れられないナズかわいいよナズ
相変わらず良い作品を書くねぇ。
いやはや素晴らしい
>喜んで読みにいきますから!
だが、私はあなたのように「皮肉屋」であるナズーリンだったり「超かわいい」☆さんだったりを
上手く美しく楽しく描写することができぬのだよ! orz
ナズに「文章で有象無象を楽しませる程度の能力」さがしてもらおうかしら。