注意
※この作品には多大な百合表現が含まれています。
※この作品には設定の捏造、曲解、作者の妄想が含まれています。
※この作品にはオリキャラがでます。
※以上に嫌悪感を持たれている方は、お手数ですがブラウザの戻るボタンを押す事をおすすめいたします。
太陽は真上から地上を照らしている。青々と茂っていた草木も徐々に力を落としていた。程無くして、山は紅く染まっていくだろう。
山の奥にひっそりと建つ、小さな屋敷も例外ではない。しかし、夏に比べ幾分涼しくなったとは言え、まだまだ残暑は続いていた。
「暑いわね。」
「そうですね。」
屋敷の縁側に二人の人物が座っている。どちらも一度見れば忘れられないような美女だ。
一人は金色に輝く髪を床に投げ出し、横になっている。着物はだらしなく着崩されて、男がいたなら目のやり場に困っていただろう。
もう一人は波打つ黒髪を持ち、やや幼い顔つきをしている。金髪の女性を眺めて微笑んでいる姿は、さながら天女のようだ。
「今日はお話をしてくれないのですか?」
黒髪の少女、西行寺幽々子は期待した顔で金髪の女性に語りかける。この少女が屋敷の主人である。
むっくりと起き上がる女性。着崩れした着物はすでに二の腕近くまで落ちている。
「その・・・だらしがないですよ、紫様。」
頬を染めて注意する幽々子。そんな注意など何処吹く風と言った様子で伸びをする女性。本名を八雲紫というその女性は、人間ではなく、妖怪だ。
「この屋敷には幽々子と私しかいないのだから、気にする事無いでしょう。で、ええと、ああ、お話だったわね。半人半霊の剣士の話はしたかしら?」
大妖怪の威厳など欠片も無く、再び横になる紫。
呆れたように溜息を吐く幽々子だが、その瞳は優しく、幸せであると語っていた。
「そのお話は、先月すでに聞きましたよ。斬れぬものは少ししかない大剣豪さんですよね。」
「まぁ、私は斬られなかったけどね。じゃあ、大陸の紅龍という妖怪の話はしたかしら?」
目線だけを幽々子に向けて、口を開く。
「そのお話はまだ聞いた事がないです。」
輝く笑顔を振りまく幽々子を見て、自然と口元が綻ぶ。数ヶ月前では考えられない事だ。しばらく彼女と生活して、紫の中で何かが変わったのかもしれない。
「じゃあ、その話をするわ。」
紫は共に生活し、自身の胸に湧いた、痛みや苛立ちの答えを見つけようと思ったが、未だ見つかっていない。
判ったのは幽々子以外には、痛みや苛立ちは感じないという事。泣きじゃくる人間の子供を平気で食べられるし、命乞いをする妖怪の頭を何の感慨も無く、潰せる。それが幽々子だと途端に変わるのだ。
謎が解けた時、解けずとも苛立ちや痛みの解決に飽きた時、紫は幽々子を食べるつもりだ。ただそれがいつになるかは、全く判らない。そんな時は永遠に来ないかもしれない。
「その妖怪は燃える様な深紅の髪を持っていて、立ち昇る妖気は虹色に輝き、数百の手下の妖怪を連れていたわ。」
ただ、楽しそうに紫の話を聞く幽々子は何度見ても、飽きなかった。
*
陽が傾き、遠く烏が紅い空を飛んでいるのが見える。幽々子に昔話を聞かせて、二人で囲碁を打っている内に大分時間が過ぎたようだった。幽々子がそろそろ夕餉の準備でもしましょうかと言い出した時、屋敷の門に人の気配がした。
「私が出て参ります。紫様はそのままお寛ぎ下さい。」
そう早口で言うと、焦るように門へ向かっていった。勝手に上がり込んでいる紫が出るわけにもいかないのだから、当然幽々子が出る事になる。
この屋敷には数日に一度、食料を本家の者達が持って来る。しかし、死霊が活発化するこのような時間には来ないはずだ。もしかすると双子の妹である夜々子が、会いに来たのかもしれない。そんな事を考えていると、ぼそぼそと話し声が聞こえた。どうやら相手は中年の男らしい、夜々子ではない。境界を弄って、盗み聞きをしても良かったが、幽々子から直に聞く事にする。
ややあって戻って来た幽々子には影が差していた。朱に染められた世界の中でそこだけが、黒く塗られているかのようだ。
「誰だったの?」
紫が見ている事に気付くと慌てて、笑顔を作る。
「本家の人でした。明日の夜更けに、結界の点検をするらしいです。それで、その・・・悪いのですが・・・。」
申し訳なさそうに顔を伏せる幽々子を見ていると、やはり腹立たしくなる。ここへ初めてやって来た時には、かなりきつい事も言った。そして、言ったところで腹立たしさは消えない。
「ごめんなさい、幽々子。急用を思い出したわ。悪いけれど、今日の夕餉はご一緒できそうにないみたい。」
幽々子が何かを言うより前に、そう告げると空間に境界を開く。紅い世界に亀裂が入る。幽々子の顔を見ないように、境界へ進もうとした時、紫は弱々しく袖を摘んでいる手に気付いた。
「どうしたの、幽々子?」
振り向かずに、幽々子に問いかける。きっと彼女は泣きそうな顔で、私を見ているのだろう。初めて会ったあの時のように。
幽々子は答えない。振り向けば何を言いたいか、判るかもしれない。それでも紫は振り向かなかった。もし、あの顔を見てしまったなら、また酷い事を言ってしまうかもしれない。そうすると、あの言いようの無い胸の痛みを味わう事になる。あの痛みは何度味わおうと慣れはしない。
「何もないようなら私は―――。」
『もう行くわね』という言葉は出てこなかった。袖を摘んでいた幽々子が腰に手を回し、抱きついている。
紫は背中に幽々子の温もりを感じていた。精一杯の勇気を振り絞った行動だろう。腰に回された手は微かに震えていた。
「・・・また、来て下さいますよね?紫様は、私に飽きるまで居てくれるとおっしゃいました。飽きたら食べるとおっしゃいました。」
消え入りそうな声だったが、しっかりと紫の耳に届いていた。腰に回された手に力が入る。
「お願いです・・・食べないまま、居なくならないで下さい、紫様・・・。」
紫は彼女の顔を見ていない。ずっと空間に開いた境界だけを見ている。にもかかわらず、胸が苦しい。どんな顔をしていてもいい、今は幽々子の顔が見たかった。
幽々子の手を優しく包み込む。力が緩むのを確認してゆっくりと振り返った。思っていた通り、泣き出しそうな顔の少女がそこにいた。
「次に来た時は、家出した陰陽師の子供を助けた話をしてあげる。」
幽々子の体を引き寄せ強く抱きしめる。その行動に理由など無かった。ただ、そうしたいと紫が思っただけだ。
「あ・・・はい!楽しみに待っています。」
夕日を背に、泣きながら笑う少女は幻想的なまでに美しかった。
*
新月の晩、とある貴族の別邸に、内密に集まった者達が居た。数本のろうそくだけが、座敷に居る数名を照らしている。
「あちらの者はまだ来ぬか?」
呟いたのは、齢三十を数えるだろう中年の男だった。些細な所作に見え隠れする独特の雰囲気が男の出が上流階級の者だと理解させる。
「明かりが近づいてきます。来たようです。」
中年の男の後ろに立っているのは、二十過ぎた程度の、巨躯の男だった。こちらはどうやら中年の男の護衛らしい。ただ座っているだけにもかかわらず、只者ではない雰囲気を放っている。かなり、腕の立つ侍らしい。
「しかし、信用してよいのですか?」
また別の貴族らしき人物が呟く。その声にはどことなく怯えがこもっている。
「くくっ、安心召されよ。確かな人物だ。すでにいくつかの情報は手に入っている。」
「と言いますと?」
「西行寺の当主には病死した双子の妹がいるらしいのだが、実は生きているそうだ。」
他の影達が頷くのを見て、男が続ける。
「なんでも変わった能力を持っておって、幽閉されているらしい。まぁ、能力云々はこの際、どうでもいい。無理やりにでも攫って婚姻を結ぶなり、人質として交渉するなり好きに使える。西行寺は京でも名の通った家柄だ。それを取り込めれば、京で名を上げる事も出来よう。」
その話を聞くなり、男達が静かに笑い出す。これからの人生を想像し、浮かれている者もいるだろう。彼らは気付かない。すでに彼らの未来は終わっている事に。
最初に異変に気付いたのは、巨躯の侍だった。何かがおかしい。先程までと明らかに空気が違う。
「皆様お気をつけ下さい。何か様子が変です。」
そう言われ、他の者達も妙な違和感に気付く。
(空気が重い、それに黒く淀んでいる。)
巨躯の男は刀に手をかけ注意深く、周りを警戒する。侍が対面に座る貴族を見た時、貴族の首から上が消えた。
「なっ!」
文字通り首から上が無い。遅れて血飛沫が上がった。自身にかかる生暖かい液体に半狂乱に逃げる者達が続出する。
「落ち着いて下さい!」
侍の声も虚しく出口に殺到する男達。が、その者達の五体が食い千切られたよう四散する。
「何が起こっている!」
侍の理解を超える何かがいるのは間違いないが、それが判らない。
後ろに殺気を感じ、躊躇う事無く刀を一閃する。手ごたえは無かった。そして、振り返った先には青白い何かがいた。それが何かを理解した時には、男の意識は闇に飲まれていた。
*
「馬鹿な人達ね。そうそう美味しい話なんて無いものよ。」
惨劇が起こっている屋敷を見ながら、少女は馬鹿にしたように笑っている。傍らに十数名の陰陽師が付き添い呪言を唱えていた。
「あまつさえ、姉上と婚姻を結ぶ?馬鹿も休み休み言って欲しいわ。」
心底呆れたように呟く少女は、西行寺家当主、西行寺幽々子だった。正式には西行寺夜々子だが、その名で彼女を呼ぶのは、この世に一人だけだ。
「姉上は一生私のものよ。他の誰にも渡さない。そうでしょう、姉上?」
その場に居ない姉、幽々子に語りかけるように夜々子は微笑む。
「そろそろ、いいかしら?空間連結術式開始、空間を開きなさい。」
その命令と同時に数十名の陰陽師が新しい印を結ぶ。
紫の境界の如き空間が現れ、生者を食べ尽くした死霊達が中へと入っていく。空間の先は幽々子の住む小さな屋敷だ。
「当分は姉上に会えそうもありませんね。随分とお会いしていないから、出来ればすぐにでも会いに行きたいのですけれど。」
大きめの溜息を吐くと、踵を返し、陰陽師共へ指示を出す。
「ああ、そうそう姉上の屋敷の結界も今の術式の影響で緩んでいるだろうから張り直しておいてね。流石に、これをやる度に張りなおさなければならないのは面倒ね、まぁ仕方ないけれど。」
次々と指示を出していく姿は完全に当主のものだ。
「さて、西行寺を敵に回した者達へ、お仕置きをしなくてはね。」
謳うように呟くと、夜々子達は夜の闇に消えていった。
*
幽々子と最後に会って、数日が過ぎた。残暑も幾分落ち着き、夕方の涼しい風が吹いている。
紫は暇つぶしに出かけた場所で買ったお土産を手に、幽々子の屋敷に向かっている。境界を使えば山道を登らずにいけるのだが、前回の別れ際の光景を思い出してしまい、どういう顔をして幽々子に会えばいいのか悩んでいた。
「どうするも、こうするも今まで通りでいいのでしょうけど。」
気が付けば、すでに馴染みの門が見えている。辺りは初めてここに来た時のように薄暗かった。境界を開き結界を越える。本来なら直ぐにでも来たかったが、なぜか照れ臭く時間を空けてしまった。
裏庭に回ると縁側で佇む幽々子が視界に入る。
「幽々子!」
意識するより先に名前を呼んでいた。幽々子もすぐに紫に気付き、紫の名前を呼ぶ。
「紫様!」
目に涙を浮かべ、走りよってきた幽々子は、紫に抱きつくと声を上げて泣き出した。突然の事に唖然とする紫。どうしたらいいのか判らず、ただ、幽々子を抱きしめた。
*
「落ち着いた?」
紫に抱きついたまま幽々子は頷いた。結局、幽々子は半刻ほど泣き続けた。とうに陽は暮れてしまい、暗い縁側に二人で寄り添うように座っている。
「申し訳、ありません。お召し物を・・・汚してしまいました。」
涙で腫れた目を紫に向け、すぐに逸らす。気にしなくて言いと伝えると、小さくお礼の言葉が返ってくる。紫にとって着物が濡れた事など些細な事だ。そんな事よりも、幽々子を泣かした事のほうが心苦しかった。
「私・・・紫様と会えて凄く嬉しかったんです。」
紫が、来る事が遅れたのを謝罪するより先に幽々子が口を開いた。このまま消えてしまうのではないかと思うほど、小さな声で幽々子は紫に語りかける。
「私は・・・たくさんの人や妖怪を殺してきました。紫様が出て行った次の日にも・・・人を、たくさん殺しました。」
苦しそうに語る幽々子。目を逸らしたい衝動を堪えて、紫は幽々子の瞳を真っ直ぐ見つめた。
「自刃しようと考えた事もあります。でも、出来ませんでした・・・。たくさん殺したくせに、私は、自分が死ぬのが怖かったんです。それからは何も考えないようにしました。」
幽々子は命を奪う事に慣れる事が出来なかった。しかし、自分を護ってくれている本家の命も無視は出来ない。だから、幽々子は考える事をやめた。心を閉ざして、本家からの依頼を淡々とこなしていった。
「そんな時、紫様が現れたんです。妖怪ですら殺してしまう私の能力。それを、ものともしない紫様を見て、思いました―――この方なら私を救ってくれるかもしれないって。」
自分自身の醜さに吐き気を催しながらも幽々子は、紫から目を逸らす事だけはしなかった。ここで目を逸らしてしまったら、二度と紫の目を見られなくなる気がしたからだ。
「初めて会った夜の事、覚えていますか?紫様はこうおっしゃいました、『貴女といる事に飽きるまでの間なら、貴女の側にいてあげてもいい』、『貴女と居る事に飽きたら・・・私は貴女を喰らうわよ』と。本当に嬉しかったです。側に居てくれると、言ってくれました。私を食べて紫様の一部にしてくれると言ってくれました。」
紫の真意はどうあれ、幽々子はあの言葉に救われたのだ。人形同然だった彼女は、紫の言葉で再び人へと戻った。
「でも、あの夜に怖くなったんです。紫様に抱きしめられて、紫様の温もりを知って、怖くなりました。もしも、紫様が戻らなかったら、私はずっと独りで生きなければならない。食べられる事すらなく、誰かの命を奪いながら独りで生きなければいけない。・・・独りは、怖いです・・・紫様・・・。」
世界から消えてしまいそうな幽々子を強く抱きしめる。彼女が消えてしまわぬように、自分の体温が伝わるよう強く、強く。
「私はここにいるわ。」
再び、声を殺して泣き始める幽々子。よく泣く娘だと、溜息を吐く紫。腹立たしいとはすでに思わなかった。謎はすでに解けている。
ただ単に、似たもの同士だったのだ。どちらも過ぎた力で世界から浮いている。そして助けて欲しいと思っていたのだ、紫も幽々子も。違いといえば、紫は救いを探し、幽々子は救いを待っていた事くらいか。それが最初の腹立たしさの原因だ。待っていた幽々子に紫は怒っていたのだ。自分は探していたのに、お前は何なのだと。
ただ、それも今ではどうでも良かった。紫も幽々子に救われたのだから。どれだけ強い妖怪を相手にしても埋まらなかった退屈が、笑顔一つで消えたのだ。感謝してもしきれない。
(たったそれだけの事が判らないなんてね。自分で思っているよりも頭が良くないみたいだわ。)
夜の闇が嘘のように、幽々子の顔がはっきりと見える。二人以外の生者の気配が無い屋敷も、今は気にならなかった。元より世界から浮いている二人だ、今更だろう。
いつの間にか泣き止んでいた幽々子を見つめる。紫を見上げる幽々子は濡れた瞳と紅く染まった頬のせいか、いつもより大人びて見えた。鼻腔をくすぐる甘い香りと柔らかい肌に、下腹部が熱くなる。
「紫様?」
謎は解けたのだ。だったら、あの時考えていた事を実行してもいいのではないだろうか。
幽々子の波打つ髪に指を絡ませる。腰に回していた腕に力を込めて、引き寄せていく。吐息を感じられるほど近くに、お互いの顔がある。幽々子も無意識に紫の頭へ手を回していた。唇がゆっくりと重なる。
「ん・・・・・・。」
硬く閉じられた瞳、震える睫毛、柔らかな唇、甘い吐息、紫は幽々子を形作る全てが愛しく感じた。幽々子も同じだろう。
唇を離し、お互いの瞳を見つめあう。この瞬間言葉はいらない。それでも、あえて、紫は言葉にした。
「貴女を食べるわ、幽々子。頭から爪先まで、残らずね。貴女は私の一部になる。それから―――貴女も私を食べて、貴女の一部にして頂戴。」
*
「う・・・ん・・・?」
重い瞼を開くと、目の前に幽々子の顔があった。相変わらず、生物の気配のしない屋敷だが、朝の陽射しは別らしい。
「・・・何しているの?」
「紫様の顔を眺めていただけですよ。」
はにかむように微笑む幽々子には、朝日が似合っていた。幽々子は寝巻きを着ていない。紫も同じだが、薄手の掛け布団を体に巻いているだけだ。
「昨夜みたいに、『紫』と呼んでくれないのかしら?」
そう言った途端、幽々子の顔が真っ赤に染まる。布団を口元まで引き上げ、恥ずかしさを誤魔化すように、もじもじしている。
「そんなに恥ずかしがらなくてもいいじゃない。昨夜はあんなに―――。」
紫が口を開いた矢先に、幽々子が口を塞いだ。暫らくその状態が続き、ふと視線が重って二人一緒に微笑んだ。
「ねぇ、紫様?」
不安そうな声色で語りかけてくる幽々子。
「私が・・・おばあちゃんになっても、側にいてくれますか?」
見た目の違いなど些細な問題だ。紫は幽々子の容姿に恋したのでは無いのだから。それは幽々子も同じだろう。
「貴女が貴女でいる限り、私は飽きないわ。」
それが答えだ。その答えに満足したのか幽々子は満面の笑みを浮かべている。
紫は体を起こすと愛しい少女の唇を奪うのだった。