千二百年前、蝦夷の残党が幻ヶ原に足を踏み入れた時こそ、幻想郷の歴史が始まった瞬間と言える。幻想郷は妖怪と、そして人が住む場所である。この二つはセットであり、分かちがたい。それまで妖怪の土地だった場所に人が住むことによって始めて、現在に続く幻想郷の形が生まれたのだ。
幻想郷は奥羽と関八州の境目あたりの、山々に囲まれた盆地にある。千二百年前、ここはその人跡未踏さから『幻ヶ原』と呼ばれており、人っ子一人住んではいなかった。だが、それでもこの地はにぎやかだった。常に宴会が開かれ、朗々と歌が響き渡っていた。そう、当時から妖怪たちが住み着いていたのだ。妖怪たちがいつからここを住処としていたのかは記録がないため(また、さすがに古すぎるので、生きている妖怪がほとんどいないため)分かっていないが、この時点で妖怪たちは種族ごとに村を作り暮らしていたらしい。今と変わらず酒を飲み、大声で笑い、喧嘩をして過ごしていた。
そんな幻ヶ原に、かの征夷大将軍坂上田村麻呂の攻撃によって打撃を蒙った蝦夷のとある部族が移り住んできた。リーダーは恵那柿人(かきと)という男で、彼は領域の減少による同族の土地問題を少しでも解決するため、百人程度の希望者と共に、あえて南に下り、やがて幻ヶ原を発見した。ここを開墾し、豊かにした後で、仲間たちを呼び寄せよう。彼らはそう思い飛び上がるほど喜んだ。だが、その喜びは一瞬で打ち砕かれることになる。幻ヶ原が妖怪の住む地だったからだ。今度は妖怪たちが喜ぶ番となった。大量のごちそうが自分からやってきたのだ。なんのためらいもなく、妖怪は恵那たちを襲った。蝦夷の中でも特に勇猛果敢な人物ばかりがそこにいたが、それでも妖怪は強すぎた。一人、また一人と食べられていく。もはやこれまで。彼らは絶望した。
その時である。ふらりと、一人の巫女が現れた。
巫女は妖怪たちを、瞬時に叩きのめした。そして妖怪たちのなかで一番強いやつに会わせろ、話し合いをするぞ、と叫んだ。突然現れた巫女は、いきなり人間と妖怪の調停者になると言い出したのである。
文句のある者は人間だろうが妖怪だろうが拳を叩きつけられ、ここに巫女を仲立ちとした、幻想郷初の人妖間会議が無理やり開かれることとなった。人間側代表は恵那柿人。妖怪側代表は、いつもは家で寝ているがおもしろいことがあると起き上がる、妖怪の賢者、八雲紫。議題は幻ヶ原に人の居住を許すか。許したとして、その場合人は安全か。幻ヶ原は盆地でそんなに広くはないが、それでもまだまだ生活が出来るスペースは余りまくっており、土地問題は存在していなかった。だが、ここで問題となるのは、やはり妖怪が強いというその一点である。例え人が住んだとしても、すぐに妖怪に食べられてしまうのでは意味がない。蝦夷たちは巫女に助けを求めたが、巫女はこれを謝絶。自分は何者にも与してはいけない。常に調停をするだけなのだ。彼女はただ、こう言い続けた。しかし、それと同時にこうも言った。秤はそろえる、と。
会議が開かれたのは巫女の乱入から一ヵ月後。それまでの間に、平安京から陰陽師の一団が幻ヶ原にやってきた。この五十人ほどの集団は全員が、ある夜に夢のなかで巫女にここに来てくれと頼まれた、という人々だった。彼らは事実夢のなかで巫女が言った通りの出来事が起こっていることに驚きつつ、多くの妖怪が住むこの地を日ノ本の安寧を脅かす場所であると考えた。我々はここに住み、妖怪たちを見張ろう。陰陽師たちがそう結論をするのに時間はかからなかった。
ここに妖怪と人間のパワーバランスが成立する。会議は人間の定住を認める決議を出し、妖怪が人間を襲う権利と、人間が妖怪を倒す権利を認めた。この決まりは人間側の代表者の名前を取り、『柿人の約』と呼ばれ、これは現在に至るまで有効である。
また、陰陽師の一団についてくる形で、一人の歴史家がやってきたことも書いておく。まあ、ぶっちゃけて言えば「私」だ。私の八代前の御阿礼の子、稗田阿一である。東の地に大挙してぞろぞろと旅立つ陰陽師に興味半分でついて行き、そのまま幻ヶ原が気に入ったのだ。ここなら、神代のような物語が見られると思ったらしい。
会議の終わった後、巫女は姿を消した。人々が礼を言う間もなかった。
巫女の血統が再び幻想郷の歴史に姿を現すのは、それから四百年後のことである。
人間たちは幻ヶ原に住み始めてすぐに、熱心な人口拡大に努めた。妖怪に対抗するためだ。
最初は、そもそもこんな妖怪だらけの地は捨てようという意見も蝦夷たちのなかにはあった。だが実際に暮らしてみると、ここは多くの実りを手に入れられる土地であることが分かった。作物は北の地にしては異様に良く育つし、狩りをすれば幾らでも獲物を得ることが出来た。なぜか。ここは妖怪の国であるとともに、神々の国でもあったのだ。陰陽師いわく、他と比べると考えられないくらい豊穣の神が大量にいるらしい。これらに信仰を捧げれば、すばらしい恵みを得ることが出来るだろう。
妖精と言われる自然の具現はときたまイタズラをしかけてくるし、なにより妖怪がいる。それでも、ここは楽園と言えた。実際およそ八百年の間、人間は飢餓というものと無縁でいられたのだ。これは日本の、いや世界の他の地域と比べた場合、近代以前においては奇跡である。
幾らでも人口は拡大できる。当時彼らがそう思ってもそれは間違いではなかった。蝦夷たちは北から自分たちの同胞を呼び寄せた。陰陽師たちも自分たちの伝手を使い、集められるだけの人を住まわせた。ただ、あくまで世間には秘密の上で。妖怪たちの国がある、というそれだけで民が恐怖するのは目に見えている。人々には枕を高くして眠って欲しかった。村を作るための元手は、稗田阿一がその財を出資した。これにより稗田家は人間の里最大の家格を手に入れることになる。
妖怪にしてみれば、この流れは涎の垂れる思いだっただろう。食料が勝手に増えてくれるのだから。妖怪は人里を何度も何度も襲撃した。特に赤子が狙われた。その肉が美味だったからだ。現在から考えると信じられないが、大多数の妖怪は人間がこの地からいなくなってもいいと考えていた。いなくなってしまったら遠くまで人間を狩らねばいけないが、まあ、それはそれで別に良し。妖怪は基本、享楽主義者であった。
これに対し、八雲紫は別の見解を持っていた。彼女は幻ヶ原と外を、極僅かなレベルではあるが交流させ続けた。これにより、人里は外の最新知識を保有することが可能となり、これが生活の質を上げ、また武器を更新することが出来た。八雲紫は幻想郷のバランスを保つことが重要だと考えたのだ。これは持続的な食料供給体制を作るためだった。いや、もしかしたら。後の歴史がどう動くのか予測し手を打った? まさかそんな。
閑話休題。もちろん人間たちも妖怪に喰われるがままだったわけではない。逆に妖怪の住処に攻め込むこともあった。幻想郷初期の英雄、陰陽師の安倍秋旗や森近仁ノ助が活躍したのもこの時代である。特に安部秋旗は陰陽師グループのリーダーであり、何体もの鬼を調伏した。現在幻想郷の名家の一つである安倍家は、彼が始祖である。
また、妖怪に対抗する手段の一つとして、『幻想郷縁起』が書かれ始めたのもこの時期であるとここに記しておく。
幻ヶ原に人が住み始めて二百年近くがたったころ。突如、鬼の大群が山を越えてやってきた。人間たちは妖怪の大攻勢が始まったのかと戦慄したが、すぐに幻ヶ原の妖怪たちも動揺していることに気づいた。平安時代中期、京の都を騒がせていた、かの大妖怪酒呑童子。彼が源頼光により討たれた。この大事件は妖怪世界を揺さぶり、狂乱の渦に叩き込んでいた。当時妖怪たちは(幻ヶ原だけではなく日本全体において)その勢力が著しかった。酒呑童子を旗印に京へ攻め上り、天皇の玉体を喰らおう、なんてことを公然と話していたほどだ。それが大妖怪の死とともに混乱の時代に突入する。権力争いが起こったのだ。
そんな時分に、酒呑童子の娘を筆頭に、大江山の残党たる鬼の大群がやってきた。鬼たちは言う。ここを我らの根城にしたい。ここを基点として混乱している日本妖怪界を統一したい、と。幻ヶ原の妖怪たちは、喜んでそれを受け入れた。とてつもない名誉だからだ。だが、そうなると問題が起きる。大江山の鬼たちが住むには、少々手狭であることだ。かの御大将のご令嬢をせせこましい土地に住まわすわけにはいかない。どうしようか、と妖怪たちは頭を抱えた。
そんな時である。龍神が始めて幻想郷にその御姿を現したのは。
厚い厚い黒雲がたちこめ、雷鳴が轟く。地響きが断続的に起こり、地割れが出来始めた。突然なにが起きたのかと、妖怪と人間は空をあおいだ。そこには、天を二分するかのように長い体をうねらせた龍がいた。
「我が名は、幻想龍。聞け、妖怪たちよ。汝らが日本妖怪に秩序をもたらすなら、新しい家を用意しよう」
その後、酒呑童子の娘を含む鬼四人(後の鬼四天王)、八雲紫、人間代表として恵那氏と安倍氏の棟梁、そして記録係として稗田阿爾がこの幻想龍と話し合うことになった。
しばらくして、幻ヶ原に、いや幻ヶ原の北にある山々に変化が起きた。雄大な山脈が、一つに集まり始めたのだ。記録によると、まるで子供が砂遊びで砂を集め、砂のお山をつくるようだったという。ただその時の砂遊びは、何億トンもの土砂を使ったものだった。不可視の手により山々は一つの山となった。これが、現在の妖怪の山である。
鬼の一団はこの新しい山で暮らし始めた。話しによると、この妖怪の山の内部には大空洞があり、そこでは数十万の妖怪が暮らすことが出来るという。ここを拠点とし、鬼たちは打って出た。数年もたたず、混乱は終息。妖怪統一は出来なかったが、一定の平和が生まれた。
一方、人間たちは不満たらたらだった。妖怪たちの勢力が大きくなりすぎてしまったからだ。こちらは増えたといっても数千人程度。あっちはこの十倍はいるのではないか? 人間たちは自分たちが妖怪にあっという間に滅ぼされてしまうのではないかと思った。けれど、幻想龍は人間たちの前にも現れ、こう言った。
「妖怪は今、人間以外に力を向けている。二百年は人間に見向きもしない。そして二百年後、人間の中から英雄が現れる。その英雄はこの郷すべてに平和をもたらすだろう」
龍の言う通り、妖怪はあまり襲ってこなくなった。ならば、あと二百年後に英雄が生まれるのも本当なのだろうか? 人々はそれを待つことにした。
やがて、幻想龍は大きな信仰を集め、神となった。
そして幻ヶ原はこの偉大な龍の名を頂き、幻想郷、と言われるようになったのである。
妖怪の山は富士山よりも高い。ならば、いきなりこんなものが出来上がって、幻想郷の外では大騒ぎが起きたのではないか? そう思われる方もいるだろう。それは大丈夫だったらしい。例によって八雲紫である。後の大結界のことも考えると、ちょっと歴史に顔を出しすぎとも言えるが、彼女とそれに協力する妖怪の一部は人の認識を阻害する術を、幻想郷の周りにしいた。これにより、幻想郷はしばらくの間、人々から見つかることもなかった。
だが、妖怪には通じない。この時期、一匹のとある妖怪が幻想郷に居ついた。
この女の妖怪の名を、エクストラという。他を圧倒する輝きを放つ豪奢な金髪を持った、おそらく海外から来たであろう妖怪である。彼女はどうしてここにきたのか、それを一切話すことはなかった。ただ、一つおもしろい趣味を持っていた。自らの妖力を光の玉に代え、光弾とし、それを連続発射して光の幕を作る。遠くから見ると、それは鳥のように見えた。
エクストラはこれを『弾幕』と呼び、みんなで作って遊ばないかと他の妖怪を誘い始めた。妖艶かつ無邪気に。
弾幕は瞬く間に妖怪たちのお気に入りとなった。
妖怪の山が生まれてから十年程たったある日。八雲紫は突然、皆で月に攻め入ろうと言い出した。後に、第一次月面戦争と呼ばれることとなる戦いの始まりである。
この戦いへの勧誘に対し幻想郷の妖怪たちは、ノリノリであった。日本妖怪にその名を轟かす幻想郷妖怪軍団である。月の貴人なにものぞ。喰ろうてくれるわ。当時妖怪たちはまたも増長していた。妖怪は基本、調子にのりやすい。
急いで軍勢が整えられた。参謀は八雲紫以下、妖怪の賢者たち(この頃から賢者は役職となった)。軍の下士官は鬼の一派。斥候は快速の天狗。以下、蟲妖怪、歌妖怪、付喪神、妖獣、河童、獣人。敵の心をよむことが出来ると期待されたサトリ妖怪古明地一族。中華からも妖怪が派遣されてきた。あの謎の妖怪エクストラもいる。記録には、風見幽香の名もあった。
作戦開始は、満月の晩。八雲紫が実と虚の境界を弄くり、妖怪たちは湖に映った月に飛び込んだ。月には貴人による都がある。その都は驚天動地の大混乱に見舞われた。いきなり妖怪五万匹が襲ってきたのだから、それも当然だろう。たちまち月の都は火に包まれた。貴人とそのペットたる玉兎たちはすぐさま避難したが、無人となった都は妖怪の徹底的な略奪を受けた。考えてみれば、当時の地球にはガラスの板すら珍しかったのだから、都は未知の宝の山に見えたことだろう。とにかく光るものは全て妖怪によって持ち去られた。
妖怪軍団は略奪物を月の都の中央公園に集め、そこで酒盛りを始めた。青い地球を肴に飲む酒は、それはそれはおいしかったらしい。だが、この宴会はほんの一刻ほどで終わった。
いきなり凄まじい衝撃が妖怪軍団を襲った。衝撃波が半径三町(三百メートル以上)を吹き飛ばした。月人による反撃が始まったのだ。当初妖怪たちは、自分たちは都の真ん中にいるのだから、都そのものを吹き飛ばすような大規模攻撃は行われないと、タカをくくっていた。だが、その予想を裏切り、月人は上空千里(四千キロメートル)から攻撃マス・ドライバー、別名人工隕石砲、という想像もつかないような高度な科学兵器を使ってきたのだ。何発も何発もマス・ドライバーは打ち込まれる。都は全ての建物が吹き飛ばされた。隠れるところを失い、妖怪は直接爆風をうけることになった。妖怪の攻撃は、どれも超高々度にある発射装置には届かない。八雲紫は直接攻撃出来たが、ナノマシンという術によって(目に見えないくらい小さな式神を使うらしい)体内に妖怪封じの薬を打ち込まれてしまい無力化された。
妖怪5千匹がこの隕石攻撃で死に、参謀たる賢者たちは撤退を宣言した。慌てて妖怪たちは海に映った地球へと飛び込んでいった。この時、殿をかって出たのがエクストラである。追撃をかけて来た玉兎たちに対し、たった一人でその攻勢を受け止めてしまった。彼女がいなければ、さらに多くの妖怪が死んでいただろう。エクストラは妖怪の英雄となった(英雄といえば、あくまで噂だが、風見幽香はマス・ドライバーの発射装置の一基を撃ち落としたらしい。さすがに眉唾だ)。
第一次月面戦争は、幻想郷の妖怪の完全なる敗北で終わった。後の調査観測によると、月の都はあっという間に元通りになったらしい。月人たちが都を直接砲撃したのも、すぐに直してしまえるからだった。ただ、その後数年間、街に人が帰ってくることはなかった。どうやら、多くの妖怪の死体から、彼らが考えていたよりもはるかに多い穢れが発生。それが月人たちを都から遠のけていたようだ。その一点だけいえば、単なる敗北だけではないかもしれない。だが、結局奪ったものも全部マス・ドライバーで吹き飛んでしまったし、妖怪軍団の大遠征は文字通り、骨折り損のくたびれ儲けだったことになる。妖怪たちは惨めな気持ちでしばらく過ごすことになった。
さて、ここで少し疑問が残る。あの八雲紫が、この結果を予想できなかったのか? 彼女の頭脳なら、簡単に結果を予想できたのではないか? そもそも事前に月の科学力を調べておかなかったのはなぜか? これらの問いに対し、有力な説の一つとして、間引き説がある。増長していた妖怪たちは、幻想郷のなかで権力争いを始めるかもしれなかった。それを未然に防ぐため、特に危険な妖怪を月との戦争で死なせてしまおうとしたのだ。だが、当時戦争に参加した妖怪の話しを聞くと、「あいつ本気で負けたのを悔しがっていたよ?」(伊吹氏談)、「紫が涙目だったから慰めてあげたのよ~」(西行寺氏談)、という証言を得ることが出来た。八雲紫は本気だったのか、それとも何か策略があったのか。現時点ではまったく分からない。
戦争終結後、妖怪の山のてっぺんに雷が落ちた。山で一番大きかった木が、根元から裂けた。妖怪たちは過ぎたマネをした自分たちを龍神が叱ったのだと噂しあった。
月面戦争から二百年ほどたった時代。幻想郷の人間と妖怪、その双方に少しずつ問題が生まれるようになっていた。
まず、人間の方から書くが、その問題とは人間の犯罪者たちが徒党を組み、盗賊集団を結成してしまったことだ。妖怪という強大な敵の存在があるにも関わらず、なぜ人間の里から離反する人々が出てきたか。それは、盗賊にとって妖怪が敵ではなくなってしまったからだ。盗賊たちは妖怪と手を組んだ。自分たちを襲わない代わりに、盗んだもの、あるいはさらった人間の一部を妖怪に上納していった。これに対し、人里の有力者、特に恵那家などは何回も討伐隊を送ったが、そのたびに失敗してしまう。妖怪退治とは様々な面で勝手が違ったのだ。言うなれば、幻想郷の人間は対妖怪の経験は日本一だが、人間退治の経験はからっきしだったといえるだろう。
次に妖怪たちの問題だが、これは『嫌われ者』の問題である。『嫌われ者』とは、妖怪たちのなかにあって、そのなかでさえ忌み嫌われる能力を持った特殊な妖怪たちのことだ。相手を熱病にしてしまう、嫉妬心を操るなどが代表的だろうか。いや、そんな能力すら霞むくらい恐ろしいのが、心を読む能力だ。この能力を持つサトリ妖怪たち、特に古明地一族は妖怪たちの恐怖の対象だった。彼らは総じて性根が捻じ曲がっており、相手の心の醜さを指摘し、相手が言いよどむのを好んだ。そんな連中ぶん殴ってしまえ、が妖怪のポリシーなのだが、危害を加えるとまた何か自分の秘密をしゃべられてしまうのではないか。それが恐ろしく、何も出来なかった。『嫌われ者』の存在。その存在との対立が少しずつ深まりつつあった。
人間と妖怪、それぞれが持つ問題。だが、このうち人間の問題は、もうまもなく解決することとなる。
日本における初の武家政権がその産声をあげたころ、幻想郷では大事件が起こっていた。
人間も妖怪も、そのほとんどが眠ったまま目を覚まさなくなってしまったのだ。眠らなかったのは妖怪の賢者たち、鬼の四天王、エクストラ、安倍家の一部だけだった。
幻想郷を眠らせた犯人。それは一体の悪霊であった。
その名を魅魔という。魅魔は魂そのものに力を行使することが出来る能力を持っており、幻想郷に生きるもの全ての魂を眠らせてしまったのだ。この悪霊は全人類に憎しみを抱いており、幻想郷を支配してそこに住む人妖を、世界征服のための手駒にしようと考えていた。
いまこの瞬間にも、私は人妖の魂を消し去ることが出来る。抵抗するな。降伏しろ。魅魔は能力の影響を受けなかった者たちにそう言った。
この時点で幻想郷は九分九厘、魅魔に制圧されていた。幻想郷の歴史において、後にも先にも、この地がここまで侵略者の手に落ちてしまったのはこれだけだ。しかし、この危機のなか、幻想郷は最高の宝物を手に入れることになる。
それは、いつか見た光景だった。
誰もが気づかないうちに。
巫女は、いつの間にか魅魔の前にいた。
無論、以前の巫女とは別人。しかしその纏う雰囲気は同一だった。巫女は叫ぶ。私と一対一で勝負しろ。お前が勝ったら私の魂は好きにしていい。だが私が勝ったら皆の魂を解放してくれ。なあ、魅魔。私一人に勝てないようで、どうやって全人類と戦う。
魅魔は激怒した。巫女に飛び掛り、そのまま激しい戦いが始まった。妖怪の賢者の証言によると、この戦いは三日三晩続いたという。誰も加勢しなかった。誰もが、これは一対一でやることに意義があると思ったからだ。
戦いは、巫女の勝利で終わった。魅魔は約束通り、幻想郷人妖の魂を解放。皆は目を覚ました。だが、魅魔はこれであきらめなかった。
一年後、今度は自らの手下である妖怪たちにゲリラ戦を行わせた。これにより幻想郷のあちこちで、魅魔軍団の破壊活動が頻発。人妖が一人でいる時を狙って数人で襲撃し、殺害していった。これに対し、人間、妖怪双方が見回りを強化、ゲリラの潜伏場所を探した。この時に活躍したのが、巫女が連れてきたとある武士団である。この武士団のリーダーは、かの源義経の息子を名乗っていた。そしてその副官を務める女性はなんと平家の血を引いているらしかった。この武士団は、滅んだ平氏の残党と、かつて源義経に付き従った者たちの、混成部隊だったのである。
彼らの働きにより、ゲリラの居場所は判明。幻想郷の妖怪の攻撃によりゲリラは壊滅した。
『睡魂異変』『悪党異変』とそれぞれ呼ばれる出来事が終わった後、幻想郷の人妖は巫女にこの地への定住を願った。魅魔の脅威はいまだ去ってはいなかったからだ。だが、これを巫女は謝絶した。八雲紫がその理由を聞くと、巫女は最初言いたくなさそうに、けれど結局はしぶしぶと話し始めた。
自らに流れる血には、なぜかは分からないけれども、人智を超越した力が眠っている。いや、ありとあらゆる妖怪すら上回る力とすらいえる。もし、この力が制御出来なくなってしまえば、多くの命を奪ってしまうかもしれない。それが恐ろしいから、私の血統は代々人から離れて暮らしているのだ。……血を残さなければいいのかもしれない。だが、それでも。
私たちは誰かを救える力を持っているのだ。
そこまで言い終えると、巫女はさめざめと泣いた。
おそらく、あの幻想郷誕生のきっかけとなった巫女が去ったのも、この理由からだったのだろう。人妖は皆が、巫女の血統の数百年に及ぶ苦しみに心を揺さぶられた。どうにかしたい。いや、なんとかしなければいけない。誰しもがそう考えたとき、八雲紫が一つのアイデアを出した。
しばらくして、一人の青年が幻想郷にやってきた。彼は温和な顔立ちをして、しかしどこか高貴な雰囲気を持っていた。妖怪の賢者たちは言う。この方は恐れも多くも、かの安徳天皇である、と。安徳天皇とは、源平の戦いの最終局面、壇ノ浦の戦いにおいて、哀れ入水されたはずのお方である。幻想郷においてもこの一大ニュースは知られており、誰もが、まさかと思った。しかし賢者たちは我々が安徳天皇を保護していたのだと言い、その虚実は、これから行う儀式によって証明すると宣言した。
賢者たちが行おうとしたことを簡単に説明すると、要するに天皇の血を巫女の血統に入れてしまい、巫女の絶大なる力のストッパーにしようというわけである。天皇の力、天照により与えられた日本を統治することが出来る力は、既にその依り代となる三種の神器が次の天皇に渡っているため使えない。だが、この国の最高神の子孫であるというそれ自体が、強大な神力を安徳天皇の体に与えていた。
誰もが、このアイデアに唖然とした。そして皆が唖然としている間に、早々と儀式、つまり巫女と安徳天皇の結婚が執り行われた(安徳天皇は既に天皇ではないため上皇と呼ぶべきかもしれないが、安徳天皇のほうが通りがよいため、このままとする)。安徳天皇は人妖に、これからの巫女の血統のなかには自分の血が入っているが、決して自分の血をうやまってはいけない。自分の血はあくまで「抑え」である。抑えを信仰してしまうと、抑えとしての役割の力をなくしてしまうのだ、と言った。
安徳天皇は巫女との間に子供を作ると、この時代までに全国に散らばってしまった巫女の血統に、自らの血を入れるべく旅に出た。そしてそれ以後、ときたま幻想郷に戻り、自らの子供を愛でたという。
生まれた女の子は、うまく力をコントロールすることが出来た。巫女は、ようやく一族の悪夢が終わったのだと笑顔で泣いた。この時、天から龍神が降りてきた。龍神は幻想郷に新しい時代が始まるのだと告げ、巫女の血統に姓を授けた。その姓を『博麗』という。また、八雲紫は自らの住んでいた幻想郷の東の端の土地を巫女に譲り、ここに巫女の姓を冠した、『博麗神社』を建立した。
幻想郷に『博麗の巫女』が生まれた瞬間である。
博麗の巫女は幻想郷のバランスを取るための存在である。基本的には人間の味方だが、それ以上に幻想郷全体の味方だ。その時の状況によって、常に最善の結論を見つけ出していく。二百年前、龍神が予言した英雄とは博麗の巫女のことだ。
ちなみに、この時の巫女の血筋は不幸な事故により五代で途絶えるが、全国に散らばっていた巫女の血統にはもれなく安徳天皇の血が入っていたため、幻想郷は新しい巫女を得ることができた。以降、世襲と外から血統を連れてくるという二つの方法で巫女は選ばれることになる。
博麗の巫女が誕生したころ、人間側にもう一つ変化があった。ゲリラ討伐で活躍した源平混成部隊。行くあてのないかれらは幻想郷に根を張り、武等(むとう)家を名乗った。そして人間の里を困らせていた盗賊集団を、あっという間に壊滅させてしまった。武士たちには、このような犯罪者たちを懲らしめるノウハウがあったのだ。これにより武等家も、幻想郷のおける大きな家格を手に入れた。
魅魔はその後、幻想郷に対して散発的かつ小規模な襲撃を続けることになる。睡魂異変のような大規模な計略は、妖怪の賢者たちの対策により不可能となっていたからだ。魅魔が何か行動を起こす。そして、博麗の巫女がそれに対応する。以後、幻想郷ではこれが恒例行事のようになっていく。
また、魅魔という幻想郷共通の敵の出現は、人間と妖怪の間に連携を強いた。それまで宿敵同士であった二者が、肩を並べて戦う機会を作ったのだ。そうなると、人間にしても妖怪にしても、お互いのことを多少は知っておいたほうが良くなってくる。このため開かれることになったのが年二回の『人妖宴会』だ。これは人間と妖怪が一緒に楽しむ宴であり、お盆の時期と、年末の時期に、三日間に渡って盛大に催される。もちろん人食いは禁止であり、人肉も肴には出てこない。妖怪からすればそこがちょっと不満だが、それでも人間と酒を酌み交わすというのは意外とおもしろいことだった。その後も妖怪と人間の対立は続いていくが、この人妖宴会によって少しずつ両者は接近していくことになる。
宴といえば酒、酒といえば鬼。ここで少し当時の鬼たちの話をしておこう。鬼は幻想郷の妖怪たちの支配者であった。妖怪の賢者たちは、支配者というよりも支配者の相談役であり、平常時権力を行使していたのは鬼である。妖怪の山には鬼の大宮殿『鬼角殿』(きかくでん)があり、山の政務はここで行われていた。鬼は正直者を尊ぶ性格であり、同じように鬼角殿で執り行われる裁判はとても公正だった。無理やり酒を飲まされることはあったが、それでも鬼はよき統治者だったと言えるだろう。また、鬼は優れた技術も持っていた。その技術力の高さは、なんと現在の外の世界すら凌駕するのではないかとも言われている。一晩で極上の酒を作ってくれる酒虫。無限に酒が湧き出てくる瓢箪。病気や怪我を治す酒を生み出す枡。なぜか酒に関係するものばかりのような気がするが、決してそんなことはなく、遠くの相手の顔を見ることが出来る鏡、牛も馬も使わず一人でに動く車、少しの間入れておけば火も使わずに料理を温めることが出来る箱、なんてものもあった。他の妖怪はこれら鬼の優れた技術の恩恵を得ることができたのである。
鬼の下で幻想郷の妖怪たちは平和に暮らすことが出来た。だが、これに対し不満を持つ者がいた。それは、平和をもたらした当事者である鬼たちであった。
鬼はその根っこから戦いが好きである。けれど時代が下るにしたがい、鬼と戦おうとする者が少なくなってきた。鬼が強すぎたのである。百回戦って、九十九回こちらの負け。百回目で勝てるとしても、誰がそんなに戦うだろう。妖怪たちは鬼の顔色を伺うばかりだったし、人間たちにしても妖怪勢力と戦う場合、鬼と戦うのだけは極力避けた。鬼は段々、退屈を覚えるようになっていったのである。
博麗の巫女が幻想郷に生まれてから、三百年後。日本が群雄割拠の戦国時代に突入していた頃、幻想郷の人間たちはその勢力を大きく拡大していた。人口が遂に三万人を突破したのである。かつて百五十人ほどだったことを考えれば、その二百倍になったのだ。またこの時代は農業技術の大きな発展があり(二毛作の普及や人糞などの肥料、くだものの栽培)、さらなる人口増も可能であるとの推測もあった。人々は神によく祈り、神はその恩恵を人間に与えた。この信頼関係が続く限り、幻想郷の人間は無敵である。人々はそう思った。人里も以前とは比べ物にならないくらい大きくなった。京の都をモチーフにした碁盤の目状の計画構造として再整理され、里の南北を縦断する龍神通りは多くの店舗が軒を連ねるようになった。かつては、流浪の旅商人であった霧雨家が大店をかまえるようになったのもこの頃だ。ついでに書いておくと、人里は長老、もしくは里長と言われる人間の代表者によって治められる。大抵の場合この職には、稗田、恵那、安倍、武等などの人里の名家出身者がなった。
人間の勢力拡大に妖怪たちは徐々に危機感を持つようになった。まさか人間たちがここまで増えるなんて。その上人間は霊的な力の鍛錬を欠かすこともなく、妖怪を打ち負かす者もだんだん増えてきた。陰陽術だけではなく、密教式、修験道式、道教式などの対妖怪術などの研究も盛んだ。何か手を打たなくてはいけない。それが妖怪たちの一般意見になりつつあった。
一度、鬼のとある一派が里を徹底的に焼き払おうとしたことがある。こしゃくな人間たちなど根絶やしにしてしまえ、というわけだが、実際のところは彼らがあまりにも退屈だったからである。だが、これに数百の妖怪が賛同。それらを加えた一団は意気揚々と山を降り始めた。これを止めたのが、あのエクストラである。数百年前、エクストラが始めた弾幕は妖怪たちの一般的な遊びになっていた。妖怪は弾幕の華麗さを競い合った。弾幕の第一人者エクストラは妖怪たちのなかで尊敬を集めていた(それには月面戦争での活躍もあるが)。エクストラは言う。
人間を滅ぼしたいというならば、幻想郷だけではなく、世界中の人間を殺してしまえ。どうしてそう考えない? 肝っ玉の小さな連中め。
妖怪たちは烈火のごとく怒り、エクストラに踊りかかった。エクストラは鬼を含んだ数百の妖怪に対し真っ向から挑み、ボロボロになりながらも最終的に彼らを全員叩きのめした。その武勇にかの鬼の四天王も喝采をあげたという。
これ以後、人間たちに戦いを挑もうという論調はなりをひそめる。そもそも戦いをすれば、結果としてはこちらの勝ちになるだろうが、妖怪も尋常ではない損害を受けるだろう。人間たちの強大化は、もはや誰もが認めるところだった。この時期、人間の里の喧騒を山の上から眺めたとき、妖怪はいつもためいきをこぼしていたという。
そんな時だった。とある一つの計画が持ち上がる。計画の名は『妖怪拡張計画』。発案者は八雲紫である(またお前か!)。八雲紫曰く、この幻想郷の周りに『幻と実体の境界』を創り妖怪勢力の強化を図る。つまりこの境界を創ることにより、幻想郷を幻の世界、外の世界を実体の世界とすることで、外で勢力の弱まった妖怪(存在が幻に近くなってしまった)が自動的に幻想郷に飛ばされてくるようにしようというのだ。今、妖怪が弱くなっているのは数の力のせいだ。ならばを使って妖怪の数を増やそう。八雲紫のこの提案は新参者にどう対応するのかという不安要素があったものの、大した労力も使わず勢力拡大が出来るという点が非常に魅力的であったため、すぐさま実行に移された。
この時、龍神が姿を現している。龍神は妖怪たちに仔細を説明させ、この計画を承認した。そして、ある言葉を残す。
「我は幻想郷を愛している。我が愛する幻想郷には人間と妖怪がいなければいけない」
これは後に『龍の秤の言葉』といわれるようになり、幻想郷においては人妖のバランスが重要であるという認識の大元となった。
境界は無事完成した。そして、日本各地から妖怪たちが飛ばされてきた。飛ばされてきた妖怪たちは最初戸惑い、次に憤慨した。自分が幻の存在であると言われれば、それは怒るだろう。半数はそのまま帰ってしまった。だが、半数は残った。人間たちの勢力拡大は幻想郷だけではなく、日本全体で起こっていたのだ。それをきちんと認識していた妖怪は、自らの退勢を認め、この幻想郷で力を蓄えようと考えた。
境界は思わぬ副産物も生んだ。それは幻想郷の国際化だ。幻と実体の境界は日本だけではなく、全世界をその有効範囲としていた。そのため世界各国から妖怪がやってくるようになる。魔法使いなどの西洋妖怪がもっとも数が多く、他は中華、インド、南北アメリカ、アフリカ、オセアニアの順となる。彼らも半数が帰り(八雲紫のスキマによって)、半数が残った。幻想郷の妖怪は急いで、彼らとの融和を急ぐことになる。最も多用されたのは、婚姻政策だ。新参の者のなかでも名家といえるところと、こちら側の妖怪名家同士を結婚によってつなげようとしたのである。この政策のなかで有名なのは蟲の名家同士の婚姻であり、この時誕生したのがナイトバグ家だ。
幻と実体の境界が創られてから、幻想郷の妖怪の数は五割り増しになった。人間側に片寄りかけていたパワーバランスは、再び水平に戻った。
外の世界では、百年におよぶ乱世が終わりを迎えようとしていた。織田信長、そして豊臣秀吉という二人の英雄の登場である。日ノ本は豊臣家の下に統一されることになったのだ。
豊臣秀吉は間違いなく日本史上最大級の英雄だろう。それは間違いない。文句のつけようがない。だがしかし、彼は野心旺盛な男でもあった。天下統一後の朝鮮出兵がその好例であろう。そしてその朝鮮出兵の最中に、豊臣秀吉の野心の矛先は、幻想郷にも向けられてしまったのである。
それまで、日本の各時代の権力者たちは幻想郷の存在を薄々知りながら、自らが手を出すことによる藪蛇を恐れ、誰もが幻想郷を黙認していた。だが、豊臣秀吉はその出自が農民である時点で型破りであり、常識にとらわれていなかった。日本の平和のため、妖怪の住処に攻め込む。自分は天下を統一した男であり、その軍事力も強大だ。手を尽くせば必ず勝てる。秀吉はそう考えた。もちろん、妖怪の存在を公表し人心を混乱させるわけにはいかないため、準備は秘密裏に行われた。しかし、密かに行われたといっても、彼の天下人の計である。一種ばかばかしいまでにそれは壮大だった。
陰陽師一万人。日本にいる全ての陰陽師を幻想郷に叩きつけるつもりだった。当時、陰陽師はその勢力をほとんど仏教の僧たちに奪われており、歴史だけはあるが実力が全く無い人々であった。能力の鍛錬もあまり行われなくなり、農業をしてくらしていた。秀吉はそんなかれらのプライドを刺激。この戦いで功を挙げれば陰陽師の復権を約束すると言った。陰陽師たちは最初、幻想郷の妖怪たちの力をある程度知っていたため躊躇したが、結局はかつての黄金時代を忘れられなかった。指揮の一切合切は自分たちが取ることだけは秀吉に了承させ、彼らは幻想郷侵攻の準備に入った。
いわゆる『太閤戦争』が始まった。妖怪の賢者たちはこの動きを敏感に察知。大阪城に少数で乗り込み、秀吉を暗殺しようとした。だが、秀吉もずるがしこい。秀吉は天皇に協力を依頼、日本の実権を握る秀吉に対抗する力を持たなかった天皇はしぶしぶ了承した。大阪城は天皇の力により破魔の結界が張り巡らされ、賢者たちは一歩たりとも踏み込むことが出来なくなってしまう。もはや、幻想郷で敵を迎え撃つしかない。妖怪も、そして人間も、戦の準備を急いだ。人間たちの中には、せっかく妖怪を天下人が討ち果たしてくれるのだから、と思うものもいた。だが、幻想郷に人間が暮らし始めてもう七百年、人間の里は一度も外の権力者に支配されたことはないのだ。今までも、そしてこれからも、自分たちのことは、自分たちで決めたかった。
セミたちが鳴き始め、梅雨が終わりを告げようとしている頃。陰陽師一万、それを補佐する雑兵七千が認識阻害の術を破り、幻想郷に侵攻を開始した。妖怪たちは八つの防衛ラインを構築。侵略者たちを全滅させるつもりで待ち構えていた。しかし豊臣軍(以下、こう呼ぶ)は一歩幻想郷に足を踏み入れるとそこで行軍を停止させてしまう。一体何をしているのか。妖怪たちが訝しんでいると、突然轟音とともに青白く輝く砲弾が幻想郷各地を襲った。豊臣軍は20門もの鉄製大砲をここまで運び、そして砲弾に霊力を付与、それを陰陽術のエネルギーによって撃ちだしていたのだ。当時の大砲では到底とどかない、何十キロもの距離をこの霊的砲弾は飛べた。そして着弾すると妖怪を弱らせる術式を発動する。これは陰陽師渾身の策であった。これならば妖怪に直接相対することなく、敵にダメージを与えることができる。妖怪はこれに対し大いに苦戦した。近づけば、大砲の餌食になり可能性が高まる。しかしこのままではジリ貧だ。妖怪たちのなかには、かつて月面戦争におけるマス・ドライバー攻撃を思い出し、またあの一方的敗北を味あうのかと嘆いた者もいた。
だが、豊臣軍が忘れていたことがある。幻想郷には妖怪だけがいるのではない。人間もいるのだ。人里の民は武等家を中心とした決死隊を結成、豊臣軍に密かに近づいた。そして奇襲を敢行し、陰陽師の補佐をしていた雑兵たちに切り込んだ。陰陽師たちはいきなり現れた軍勢に対し、そちらにも大砲を放った。だが、大砲の弾丸は防がれる。決死隊の先頭には、博麗の巫女がいたのである。巫女は強靭な結界を広範囲に発動、決死隊は傷一つつくことはなかった。
この人間たちの切り込みを見ていた妖怪たちは、己を恥じた。自分たちは何をやっている、人間たちに遅れてなるものか。妖怪の山に鬨の声があがった。そして後に、『妖怪津波』とすら言われた突撃が始まる。先頭はかの鬼の四天王、その後ろに天狗たちが続く。津波の中にはあの『嫌われ者』の姿すらあった。陰陽師たちも必死の抵抗を行うが、一度混乱した軍勢はもろい。彼らは体勢を立て直すことは出来なかった。一刻後、妖怪と人間たちにより豊臣軍は押しつぶされてしまった。
後は、単なる残敵掃討であった。豊臣軍は散り散りとなって逃げ帰り、逃げられなかったものは妖怪のエサとなった。この結果を受けて秀吉は幻想郷に使いの者を派遣、講和しようと言ってきた。「そちたちの奮戦あっぱれ」。手紙に書いてあったこの一文を読んで、天下人の面の皮の厚さに幻想郷の人妖は呆れ返った。これ以上戦う必要がないならば、と講和を受け入れることにした。次に戦ってまた勝てる保障もないのだ。秀吉はこれ以後朝鮮出兵にのめり込み、幻想郷に攻めてくることは二度と無かった。
その年の人妖宴会は今までにないほど盛り上がった。人間も妖怪も、お互いがお互いを英雄であると褒め称えたからだ。妖怪は人間に華麗な弾幕を見せ、人間は妖怪に歌を贈った。酒は見る間に消えていき、残るは赤ら顔の群れ。人間の妖怪も、みな顔が赤かった。誰もが笑いあっていた。それは、夢のような時間だったという。
太閤戦争から百年ほどが経過した時、人里の人口は五万人に到達した。農業技術の進歩が始まってからは殆ど倍々ゲームで人の数は増えていった。計画された当初は広すぎるとすら言われた龍神通りも、今となっては往来が激しすぎるため、ときどき人が将棋倒しになってしまうことすらあった。増えすぎではないか、食糧は大丈夫か。少しずつ、そんな声が聞かれるようになってきた。けれども、大多数の人間たちは、自分たちは神々の愛した大地に暮らしている、大丈夫だ、と言いながら笑って不安論を聞き流した。
しかし、破局はすぐそばまで近づいていた。
ある年の夏、太陽の輝きが異様に小さかった。人は汗を流すこともなく農作業をした。涼しくていいじゃないか。そんな風に気楽に捉えていた人々もやがて、やってきた秋の実りが今までの半分以下であったことに愕然とした。大飢饉の始まりであった。人間の里はたちまち食糧難に見舞われ、今まで腹一杯に食べることが当たり前であった幻想郷の人間たちに飢えというものを教え込んだ。恵那、稗田、武等などの名家は蔵にあった米俵を飢えた人々に放出し、なんとか次の年まで持ちこたえさせる。だが、次の年も気候は寒冷で、作物は半分しか実らなかった。その年の冬、遂に餓死者が続出した。
人間たちはそろって神々の前にひざまずき、祈りを捧げた。だが、豊穣の神々は沈痛な面持ちで、喉の奥から搾り出すような声で言う。無理だ。この寒冷な気候は自分たちのような位の神々が何とかできるものではない。これは、もっと尊い御方が決められたことなのだ。この時、龍神もその姿を現し、人々に語りかけている。
「いま、この世界全体が寒くなっているのは、そうしないと後々世界の運営に無理が生まれるからだ。気候はずっと同じというわけにわけにはいかない。この寒さにも理由がある」
神たちの言葉を完全に理解することは難しかったが、それでも、この飢饉は神にすがってもどうしようもないのだということは分かった。人々はただうずくまり、この不幸を嘆くしかなかった。人口が半分であれば。だが、考えてももう遅い。
一方、妖怪たちの側でも深刻な問題が発生していた。鬼の内紛である。
鬼たちのなかでもヒエラルキーの高い位置にいた鬼の一人が、白昼堂々刺殺された。周りには他の鬼たちもおり、直前まで刺殺された鬼と会話をしていたが、不可解なことに気が付いたら彼の腹に短剣が突き刺さっていたという。妖怪の山は蜂の巣のひっくり返したような騒ぎとなり、そして短絡的に容疑者を決めてしまう。鬼を殺した短剣の持ち主、それまで様々な理由で対立していたライバルの鬼こそが犯人だというのだ。あまりにも杜撰な推理だが、当時の鬼の社会ではそれでも良かった。鬼たちは、退屈していた。誰も彼らと戦わなかった。誰も彼らの大好きな喧嘩に付き合わなかった。鬼のストレスは既に、ピークに達していたのだ。本来、鬼の暗黙の了解として、同族との戦いは忌避されていた。だが、それも破られることになったのである。殺鬼事件ともいえる出来事は、あっという間に鬼の大喧嘩へと発展していった。刺殺された鬼の友人がライバルの鬼を殴り、ライバルの鬼が友人の知り合いを殴り……という風に争いは徐々にエスカレート。やがては、妖怪の山全体を巻き込み始めたのである。
人間と妖怪を襲った大きな混乱。
だが、真の混乱はこの先にあった。
『白沢(はくたく)異変』『嫌われ者の地底移住』が起こったのはこの時代のことである。
安倍永時(ながとき)はそれまでほとんど注目を集めたことのない、安部家の次男坊だった。だが彼の兄が飢饉と共にやってきた流行病で死んでしまうと、横滑りの形で安倍家の当主となった。安倍家は、人々に対妖怪のためのさまざまな技術を教えるグループの中核的な役割を任じてきたが、今回の飢饉では蔵にある食糧を放出するのが他の名家に比べ遅かったため、その人望に陰りが見え始めていた。
そんな安倍家の新当主がいきなり、「白沢教」という新興宗教を始めたのだから、人々が当初ますます安倍家を白眼視したのも当たり前だと言えるだろう。だが、この白沢教は驚くべき信仰のシンボルを持っていた。永時曰く、白沢の女。ある日永時が幻想郷を襲う飢饉を嘆いていると、天から聖獣白沢が降臨し「お前が人間を治めよ」と言った。そして白沢は永時の一人娘に憑依し、永時の治世を守護してくれることになったらしい。龍神通りのど真ん中に現れた永時の一人娘は、その頭に二本の角を生やし、人々の目の前で大量の米俵を何もないところから出現させた。そしてそれを皆に振舞った。腹をすかした人間には食事はなによりの現世利益だった。白沢の女は何も言わず、虚ろな目のままでただ父である永時の言われるがままだったが、久しぶりに腹一杯食べることが出来た人々には、どうでもよいことだった。白沢教の教義は一つ。白沢に選ばれた永時を里の主とすること。
人間たちも最初は永時と白沢教を信じなかった。だが、白沢の女が見せる奇跡の技、そして振舞われる食事に、だんだん心が揺らぐことになっていった。そもそも白沢とはこのようなことをする聖獣だったか。そのような疑問も呈されたが、長引く飢饉に疲れていた人々にとって、白沢教は新たな希望になっていった。疑問は、すぐに忘れ去られていった。
永時を人間の里の主としよう。そう主張する人々が少しずつ増え始めた。そして大勢の人間が幻想郷の名家に乗り込み、当主を囲んで、何時間でも説得(脅迫)する事件も起きた。やがて、白沢教の緑の法衣を着た人々が人里の道という道を練り歩くことが日常茶飯事となっていく。あまりにも異様な雰囲気が、人間の里を覆いつつあった。
妖怪の山でも大きな動きがあった。サトリ妖怪古明地一族が、妖怪の政治改革を提唱したのである。
鬼の内紛はますます激しくなり、鬼の四天王でも止められなくなっていった。鬼同士の闘争は凄まじい。ほんの一瞬の殴り合いでも、半径数十メートルの木々がなぎ倒されるほどなのだ。そんな戦いあちこちで起これば、あっという間に山がぼろぼろになるのは自明の理である。そんな状況を踏まえ古明地一族は、鬼に妖怪の統治は任せて置けない、山の政治は皆の協議制としよう、と主張したのである。つまり妖怪の民主主義を確立しようということだ。これに対し他の妖怪は複雑な気持ちだった。確かに鬼たちにはもう山の実権を任せられないかもしれない。だが、仮に協議制が採用された場合。サトリ妖怪は圧倒的に有利になりのではないか。なにせ彼らは心が読めるのだ。力ではなく議論が重要になったら、全てにおいて勝利をつかむのは古明地一族になってしまうかもしれない。
しかし、考えている猶予はもうあまりなかった。こうしている間にも山は鬼の喧嘩によって危機に瀕しているのだ。古明地一族は今こそ革命の時、鬼を追い出せと叫んだ。
幻想郷全体が混沌とした状況に叩き込まれていたとき、当時の博麗の巫女は白沢教の集会にいた。もちろん白沢教に入信したわけではなく、いつも集会の端っこで何か発言をするわけでもなく、ただぽつんと立っていた。永時は、博麗の巫女も我々の味方であると宣伝したが、これに対して巫女は、無言を貫いた。ある人が尋ねた。どうしてあなたは何もしないのか。二つの大きな異変が幻想郷を覆っているではないか。これに対し巫女はただ一言、こう答えた。
「これは一つの異変である」
実は、博麗の巫女は秘かに『竜胆組』という、現在発生しているこの大問題の謎を追う少数精鋭のプロジェクトチームを結成していた。メンバーには射命丸文などの有力な天狗、比較的自由に動けるエクストラなどの妖怪、人間側の有志などが参加しており、巫女の手足となって様々な情報を手に入れていた。竜胆組の活躍はめざましく、何人かの死者をだしながらも、数ヶ月の調査の末ついに異変のカラクリをつかむことに成功する。
異変の中心にいたのは安倍永時であった。人里の異変だけではない。妖怪の山の異変、その中心にいたのも永時であった。
鬼の内紛の発端となった殺鬼事件。なぜ、誰もが見ているなかで気づかれることもなく短剣を突き刺すことが出来たのか。龍神通りで披露される白沢の奇跡。これはどのような力によって成し遂げられているのか。全ては、永時の娘、白沢の女が持つ「歴史を食べる程度の能力」によるものであった。永時は、安倍家代々に伝わる陰陽師の力を応用して、白沢の力を自分の娘に無理やり植え付けたのだ(白沢の降臨云々はデタラメ)。そして発現した能力、「歴史を喰い」自分を含めた対象を隠蔽する能力を利用して、まず一匹の鬼を殺害、妖怪の山に混乱を引き起こす。この混乱に乗じて、もとから協力体制をしいていた古明地一族が山で蠢動、権力奪取に動いた。古明地一族は返礼として、幻想郷付近の村々で略奪を敢行、集めた食糧を安倍家の蔵に納めた。後は、その食糧を能力で隠蔽しながら人里の大通りにもって行き、人々の目の前で能力を解けば、傍目には食糧がいきなり現れる奇跡のように見える。二つの異変は確かに、一つの陰謀によって起こったのだ。
白沢教、古明地一族の拠点それぞれに対し、博麗の巫女は単身で乗り込んだ。そして、真相を知っていると話し、陰謀をやめて罪を償ってくれと言った。巫女としては出来るだけ穏便に事態を収束させたかったのだ。
だが、この願いが叶うことはなかった。二つの勢力は罪を償う道も、幻想教から逃げる選択肢も、その両方を否定した。彼らが選んだのは自衛という名の、暴走だった。白沢教は白沢の女の力を最大限に使って、人間の里を制圧しようとした。古明地一族は読心の能力を応用し、妖怪たちの心の中に眠るトラウマを呼び起こして、彼らを無力化しようとした。成功の可能性は低かったが、ほとんど自暴自棄となっていた二者にとって、賭ける価値のある博打に思えたのだ。
しかし、結局、この挑戦は異変の元凶たちにとって最悪の結果を招いてしまう。白沢の力をさらに引き出そうとした永時は、これ以上の暴挙に出ようとする父に激昂した白沢の女、自分の娘によって殺されてしまう。娘の意識を制御し操り人形にしていたはずが、それにも限界があったのだ。古明地一族はもっと悲惨だった。妖怪たちのトラウマを呼び起こしたまではよかったものの、妖怪たちの一部が発狂する事態になってしまった。前後不覚に陥った妖怪たちは、古明地一族の屋敷に乱入。そこで今後のことについて協議していたサトリたちを、手当たりしだいに殺してしまう。これにより古明地一族はほぼ全滅。生き残ったのは幼い二人の姉妹だけであった。
異変はその首謀者たちの死によって終わった。だが、この異変が幻想郷に与えた影響はとても大きかった。
白沢教はその教義が大嘘であったことが白日の下にさらされ崩壊したが、その残党は秘密結社化し、現在に至るも存続しているという。
鬼の内乱は殺鬼事件の真犯人が分かったことにより沈静化したが、この事件を機に、鬼たちは少しずつ幻想郷を去る道を選ぶようになる。自分たちの力は狭い幻想郷のなかでは過剰すぎる。このままでは他のものにとっても迷惑だし、自分たちも力を思いっきり使うことが出来ず、鬱憤がたまってしまう。自分たちも己の愚かさに呆れているのだ。鬼たちはそんなことを言いながら、山を去っていった。彼らはどこに行ったのか。それは長らく分かっていなかったが、最近になってそれが地底であることが判明した。幻想郷の地下には地獄がある。いや、あった。死後の魂の裁判を行う是非曲直庁は、経費削減のため幻想郷地下にあった部分の地獄を廃棄したのだ。その際、地獄の極卒をしていた鬼たちの住処も打ち捨てられたのだが、幻想郷の鬼たちはこれを勝手に占領。そのまま住み着いてしまった。
そして、その鬼たちについて行く形で、『嫌われ者』も地底に移住することになった。これは、嫌われ者自身が希望したことで、曰く、このまま対立が続けば古明地一族のようなことが再び起こるかもしれない。だから幻想郷を去るのだと。これに対し幻想郷の妖怪たちは戸惑い、様々な感情を抱いたまま、嫌われ者を見送ることになる。
「あいつらとは、あんまり酒を飲んでなかったなぁ」
とある妖怪がこぼした言葉である。
地底とは相互不可侵の条約が結ばれ、双方の接触は固く禁止された。
さて、最後に大飢饉の顛末について書こう。飢饉は数年ほどたつと落ち着きを見せるようになった。太陽の輝きは相変わらず弱々しいものだったが、人間たちは新しい栄養豊かな作物を手にいれることによって、飢えをしのぐことが出来るようになっていたのだ。新しい作物を育てることが出来るようになったきっかけをつくったのは、あの白沢の女である。彼女が幻想郷を放浪している際、偶然とある洞窟を発見する。その洞窟は特殊なヒカリゴケによって常に真昼のように明るく、また地熱の影響からまるで南国のような暑さを保っていた。白沢の女は人間たちにこの場所について教え、そこからこの『熱気洞』では香辛料、バナナ、サトウキビ、コーヒーなどの南方の作物が育てられるようになった。新しい作物(これらに加えもちろんサツマイモを忘れてはいけない。いや、むしろサツマイモのほうが偉大かも)は人間の腹を満たし、白沢の女はこれをきっかけに人間たちに受け入れられるようになった。
人間の里では人口抑制のための少産政策が取られるようになり、ようやく人口爆発が抑えられた。
幻想郷に人が住み始めてから、千年以上がたった。本当にいろいろなことがあった。人間たちからすれば、自分たちはなんとめまぐるしい歴史のなかで過ごしているのだろうかという思いだった。だが、しかし。外の世界はそんな幻想郷の歴史すら足元に及ばないほど、凄まじい速さで歴史が動いていた。世界の近代化が遂に始まったのだ。我々では想像もつかないほどの技術が次々と開発されていった。それまで遠いはるか彼方であったはずの異国が軍艦を日本に派遣するようになった。いつまでも続くはずの幕府があっけなく滅んだ。
そして、幻想が否定されるようになっていった。
妖怪とは人間の幻想によって成り立つ存在である。外の世界の人間たちが幻想を否定してしまったら、妖怪は存在すら出来ない。妖怪消滅の危機が到来したのだ。
妖怪の賢者たちは長い長い話し合いをおこなった。議論は紛糾し、会議の合間には何人かの賢者が抗議のため自ら命を絶った。話し合いは数年に及び、そして、賢者たちは結論を出す。
『博麗大結界』。それまであった幻と実体の境界よりも遥かに強力な、常識と非常識の結界である。この結界は外の世界の非常識を幻想郷の常識と設定することで外の世界の干渉を完全にシャットアウト、幻想郷を独立した一つの世界にしてしまうことが出来る。そして幻想郷の人間が幻想を認める限り、妖怪は外の世界の認識に左右されることもなくなるのだ。画期的であり、外の世界の近代化に対抗する決定打ともいえた。ただ、一つ問題がある。大結界は完璧な幻想の防壁である。だが、完璧であるがゆえに、外の世界との接点をほとんどゼロにしてしまうのである。それによって問題が生まれることは、火を見るよりも明らかであった。妖怪たちは慌てた。
妖怪は幻想郷の人間だけを狩って生きているわけではない。それだけでは絶対に数が足らない。今度は自分たちが飢える番なのか。妖怪たちはそう嘆いた。これに対し、賢者たちは食糧係をつくった。まず、外の世界の幻想否定にある程度耐えられる者たちを選抜する。そして彼らが外の世界に出向き、人間を狩る。人間の肉は等分に妖怪へ配給される。幾らかの困難はつきまとうだろうが、妖怪の食糧問題もおそらくこれで大丈夫なはずだ。そう賢者たちは推測した。
また、妖怪に対して、人間たちは大結界の設置を比較的冷静に受け止めた。外との交流はほとんど断たれるが、それよりも外の世界に自分たちが統治されるのが嫌だった。明治政府の使者は認識妨害の術によりまだなんとか来ていないが、それでも人間の里がやがて自治を失うことは時間の問題であると考えられていたのだ。大結界は里を外の世界から守ってくれる。人間たちはそう考えた。
多かれ少なかれ、だれもが不安と不満を持っていた。だが、しかたない。こうしなければいけない。幻想郷の人妖はそんな風に様々なものを諦め、妥協の道を選ぼうとしていた。幻想郷は偉大である。過去色んな侵略者にも打ち勝ってきた。しかし、今回ばかりはもう無理だ。寂しい笑顔を浮かべながら、彼らは一歩を踏み出そうした。
けれども、その流れに逆らおうとしたものがいる。
あのエクストラだ。
「一回しか言うつもりはないから、よく聞いてくれ。私はみんなに闘ってもらおうと思っている。
みんな、胸のどこかで悔しいと思っているんじゃないのか? 人間たちが幻想を否定して、自分たちはそれに対し何も出来ずにただ幻想郷に引きこもろうしている。こうやって、言葉にするだけでも、なんて悔しいんだろう。なんて情けないんだろう。これが正しいっていうことは分かる。幻想郷が生き残るにはこうするしかないんだ。分かる、分かるんだよ。
でも、やっぱり納得できないじゃないか。妖怪はそんな存在だったか? 人間たちの近代化を恐れて、こそこそと逃げ去るような、そんな存在だったか? 闇がなくなり電灯の光が夜を照らす? 馬鹿を言うな。闇はいつだって夜の支配者だ。電灯が照らせるのは夜のほんの一部分でしかない。
みんなこのまま幻想郷に引きこもって、あっちはあっち、こっちはこっちなんて、そんな偉そうぶって生きたいのか。そんな生き方で酒が旨くなるのか。私は、そんな幻想郷で弾幕なんてやりたくない!
妖怪らしく人間たちを襲おうじゃないか。夜を忘れようとしている人間たちに、闇の深さをもう一度教えてやろうじゃないか。世界を闇で呑んでやる。私の力を持ってすればそれも可能だ。みんなには私の援護を頼みたい。
あの時のように、妖怪津波を起こそうじゃないか」
妖怪たちの前でエクストラが発した檄を、ほぼ全て収めてみた。
エクストラの演説から一週間後、彼女のもとには、幻想郷の妖怪の三分の一が集まっていた。エクストラの言った通り、彼らはやはり悔しかったのである。エクストラが率いる軍勢は、博麗大結界を作成している途中であった妖怪の賢者たちに叛旗を翻した。ここに幻想郷史上、最大の戦いである『大結界戦争』の火蓋が切って落とされた。
エクストラ軍の戦略はある意味で単純だった。それは、エクストラが世界を闇に呑み込む術の準備のため一年間何も出来ない間、襲い掛かってくる全ての障害を撃退することだ。エクストラの能力ははっきり分かってはいないが、ひとたび能力が全解放されれば、この地球という惑星そのものを暗黒の下に統治することが出来るという。彼らはかつて鬼の宮殿であり、今は天狗が住み着いている鬼角殿(現・天魔殿)に乗り込みこれを占拠、自らの拠点とした。大結界戦争は、妖怪の賢者たちの軍勢がここに何度も攻め込み、何度も失敗することで推移していく。
戦争は一年間に渡って続き、それは激しいものだったという。詳しいことはいまだ妖怪たちの軍機に触れるため公開されてはいないが、一説によると妖怪の三割がこの戦争で死んだらしい。
この戦争中、人間たちは龍神の力によって保護されていた。龍神は人間の里の周辺に障壁を張り、妖怪たちの流れ弾が飛んでこないようにした。人間たちは龍神に感謝しつつ、妖怪の山でときおり煌く閃光を、固唾を飲んで見守るだけだった。龍神の言葉として、いまは妖怪の好きにさせておけ、というものがあったため、人間は大結界戦争には終始不干渉の立場を取ることになったからだ。
当時の博麗の巫女は、なかなか動かなかった。エクストラと当時の巫女は親友同士だった。巫女は、一体どうしたらよいのか分からなかった。
だが、戦争開始から三百五十日め。妖怪の山では死体が積み重なり、その上で戦いが続けられている最中、博麗の巫女はついにやってきた。巫女は単身、エクストラ軍に突っ込んだ。巫女が選んだのは、幻想郷を閉じる道だったのである。エクストラ側の妖怪たちは次々となぎ倒され、巫女はエクストラの前までやってきた。彼女はそこで最初、エクストラの説得を行ったという。だが説得は通じず、巫女とエクストラは戦いはじめた。その余波で山の一部が崩れ地形が変わった。この戦いを大勢の妖怪が見守った(なぜかそこにはあの魅魔もいた)。例によって、割り込むべきではないと考えたのだ。エクストラの攻撃はどことなくあの弾幕に似ており、美しかった。
戦いは、巫女の勝利に終わった。エクストラは素直に敗北を認めたという。
「幻想郷を閉じた時点で、私たちはみな負け犬だ。けれど。負け犬は負け犬なりに、ここを楽しい場所にしろ」
これはエクストラが最後に残した言葉である。その後エクストラは、博麗の巫女により永久にその力を封じられ、小さな子供のような妖怪にされたという。いま、彼女がどこで暮らしているのか、それは分からない。エクストラ軍は降伏し、大結界戦争は多くの犠牲者を出して終わった。新しい幻想郷誕生のイニシエーションだと言えば、それは確かにそうかもしれないが、それでもこれは一つの悲劇であると私は考える。
外の世界の暦で明治十八年、戦争終結後まもなく博麗大結界は完成した。その時、雷鳴と豪雨と共に龍神が姿を現した。龍神はなんと、エクストラの最後の言葉を幻想郷全体で守るように迫った。幻想郷は閉じた世界になる。それでも、平和と歓喜に満ちた場所にせよ。妖怪の賢者たちは自分の全存在を賭けてこれを誓った。すると、豪雨と雷鳴は去り、龍神は天へと還っていった。以後、龍神は現在まで現れていない。
博麗大結界施行後、幻想郷では大結界が完成した年を第零季、以後の年を第一季、第二季と数えていく『季年号』が生まれ、新しい時代の始まりを感じさせた。
人間たちにとって一番変わった事といえば、妖怪にほとんど襲われなくなったことだろう。妖怪たちは閉鎖環境にある幻想郷において、人間たちの数が減らないように人間の里、及びその周辺では絶対に人間を襲わないようにするルールを決めたのだ。これを『人間保護法』という(ルールを理解できない低級妖怪はいる)。人間たちはそれまで老衰に次いで死因の第二位であった妖怪の襲撃がほとんど無くなったことにより、再び人口を拡大させた。以前の大飢饉が思い出されたが、しかし外の世界から幻想入りしてきた様々な書物に書かれた優れた近代的農業技術(もちろん数十年は時代遅れだが)を活用することにより、その不安を払拭することが出来た。
妖怪たちの生活も大きく変わった。食料係の妖怪の活躍のおかげで配給制はうまくいき、妖怪はお気楽に日々を過ごすことが出来るようになったのだ。妖怪たちはエクストラの言葉をよく守ろうとした。毎日弾幕の美しさを磨き、宴会に勤しんだ。それまでもひっそりと行われていた人間の里に遊びに行くことも堂々とするようになった。人間たちの中にはそんな妖怪のため専用の居酒屋を用意するものも現れた。そこでは毎日が人妖宴会であり、夜通し酒によった妖怪の歌が響いた。
大結界をつくることにより、幻想郷は驚くほど平和になったといえる。もちろん、外の世界に対する悔しさは、心の奥深くにずっと根付いていた。けれど、そんな悔しさを感じている暇がないほど、新しい幻想郷は人と妖怪の積極的交流というものに満ちるようになっていった。
新しい時代は楽しい時代となっていった。外の世界からの干渉もなく、平和な時間が過ぎていった。本当に平和だった。
平和過ぎ、だった。
大結界の完成から百年ちょっとがたったころ、幻想郷は相変わらず平和だった。だが、その平和が妖怪たちに平和ボケという病をあたえていた。妖怪は人間の肉さえ食べていればよいというわけではない。人間をかたちだけでもいいから襲い、襲う妖怪と襲われる妖怪という形式を守らないといけない。そうしないと妖怪は妖怪としての存在意義を見失い、その力を失ってしまうのだ。しかし当時の妖怪たちはそれすらめんどくさがるようになってしまっていた。妖怪は基本、怠惰である。
やがて、この平和ボケが幻想郷におおきな危機を招来することになる。
『吸血鬼異変』、レミリア・スカーレットが襲来し、それにほとんど対抗出来なかったのである。
レミリアは幻想郷に入ってすぐさま、自らが幻想郷の支配者になることを宣言した。他の妖怪たちは、妖怪が自由に生きれる数少ない場所になった幻想郷での争いは合理的ではないと、常識論を説いたが、レミリアはこれを一笑に付した。その傲慢さは、かつて月に攻め入った昔の妖怪たちを彷彿とさせた。彼女が根城とした紅魔館からは、西洋から連れてこられた戦力の数々が次々と吐き出され、幻想郷全体を威圧することになった。その内訳は、ゴーレム二十三体、ガーゴイル六十三匹、ヨーロッパドラゴン七頭、スライム七千三百匹である。これらが平野に陣を敷き、揚々と悪魔の歌を歌った。幻想郷の妖怪たちは、このレミリアの示威行為に対して何もすることが出来なかった。いざ闘おうと思っても、自らに宿っていたはずの力が驚くほど目減りしたことに気づいたからだ。無理をしてレミリアに挑んだ妖怪は、吸血鬼の圧倒的なパワーの前に叩き潰された。これだけでもずいぶんと情けないのに、レミリアの力を見た若い妖怪たち(大結界敷設以降に生まれた妖怪)は、彼女のカリスマに惹かれて、続々その傘下に入っていってしまった。古参の妖怪たちは自分たちの堕落を嘆いたが、もう後の祭りだった。
結局、吸血鬼異変は妖怪の賢者たちの介入によって片が付いた。妖怪の賢者たちはまだ力の残っている強豪妖怪を選抜し、レミリアに決闘を申し込んだのだ。レミリアは飛びつくようにこれに乗り、『レミリアゲーム』という武道会を開催する。血を血で洗う凄惨な戦いを予想していた賢者たちは最初鼻白んだが、結果として誰一人死ぬことなく決着がついた。レミリアは観客たちを大いに盛り上げながら、最後に敗北した。
これ以後、吸血鬼と幻想郷は契約(吸血鬼条約)を結ぶ。人間保護法を守る、その代わり食糧は他の妖怪よりも多めに渡す、といった内容でレミリアもこれをよく守っていくことになる。吸血鬼異変は終わった。だが、大きな問題が残った。もちろんそれは、妖怪の弱体化のことである。とにかく形式的でもいいから襲う妖怪、襲われる人間の図式を保たねばならない。だが、そういう演技をしろと言っても妖怪たちはそんな退屈な茶番が出来るか、と反論した。考えてみればそうで、まるで演劇のように形式を守ったとしてもそこに妖怪存在の根本たる恐怖は生まれないだろう。どうせ演技でしょ、と人間は思ってしまう。なら実際に妖怪の能力を駆使し、人間に襲いかかったとしたらどうだろう。そうなったらほぼ確実に人間は死ぬ。一体、どうしたらよいのか。これにはかの妖怪の賢者すら頭を悩ませることとなった。
「あら、簡単じゃない」
ふと、そんな声が聞こえた。
実に気軽に、ある意味空気を読まず。
「決闘っていうかたちにするのよ。へたしたら死んじゃうことはあるかもだけど、ある程度は平和なルールで戦うの。まあ、本当の殺し合いと比べたらお遊びだけど」
ふらりと現れた一人の巫女が、画期的な意見を出した。
「決闘の方法? あんたらの好きな弾幕を使えばいいんじゃない?」
この提案をした巫女の名は、博麗霊夢。現在の博麗の巫女である。
『命名決闘法(スペルカードルール)』。その理念は、妖怪と人間が一定の危険と、一定のルールの下で闘いやすくするというものである。妖怪(もしくは一部の人間)が自らの能力を札(スペルカード)に込め、それを決闘のときに幾枚か所有しておく。決闘はそのカードを用いて行い、全カードを使い切った時点で相手が立っていたら負け、倒れていたら勝ちだ。相手の命を取ることは目的ではなく、あくまで一種のゲームとして決闘は行われ、勝っても負けても恨みっこなし。
また、スペルカードは全てが弾幕であることが義務付けられ、これによってより遊びであるという側面が強化され、死亡率の低下につながった(弾幕は自らの全力で打つものではないため。また加減がつきやすい性質がある)。そして、このルールにおいては美しさも重視される。なぜならば、その者が最も美しいと思う弾幕は、術者の全性質を表わすからだ。これにより弾幕の撃ち合いは、己の全てを表現しながらおこなう、術者同士の魂の触れ合いとなった。
博麗霊夢と妖怪の賢者は何度もルールについて話し合い、時には別の決闘法が提案されたりもしたが、最終的に上記のもので決定された。最初は、弾幕で決闘を行うという法案に多くの妖怪が度肝を抜かれた。しかし、これなら茶番だとしても、とても楽しいものになるとやがて考えるようになる。妖怪は総じてあの妖怪が始めた弾幕が、大好きだったのだ。もちろん、最後までこれに反対した真面目くさった(そのくせ人は襲わない)妖怪もいたが、これらは巫女の一言によって総じて口をつぐむことになる。
「あれ? 龍神あんたたちのところ行かなかった?」
巫女の本来の役目は神と人との取りつなぎ。霊夢は龍神の託宣を受けていたのだ(意識的ではなく、無意識的に)。それによると、我はこの決まり事に賛成である。これで幻想郷は本当の意味で楽しい場所になる。我も力を貸そう。龍神の言葉によって反対派は消滅した。
こうして命名決闘法は施行されことになった。けれども、施行直後すこし不思議なことが起こった。例えば幻想入りしたばかりの妖怪が、それまで命名決闘法のことなどなにも知らなかったのに、いきなりスペルカードを出して弾幕をするようになった。繰り返していうが、この妖怪は本当に命名決闘法を知らなかったのだ。この奇妙な出来事は、龍神のおかげであった。龍神の力により、幻想郷にいる者は自然とスペルカードで決闘をするようになったのである。無意識的に弾幕ごっこがしたくなるのだ。また、この力は巫女にも仮託され、巫女のいる場所では必ず弾幕が行われるようになった。
その後、紅霧異変、春雪異変、永夜異変など様々な異変が幻想郷を襲ったが、これらはことごとく命名決闘法によって決着を見た。そしてなぜか、その異変の首謀者たちは博麗神社に足繁く通うようになる。神社は妖怪のたまり場となった。だが、だからといって神社が妖怪にのっとられたわけではない(勘違いしている人も多いが)。命名決闘法により、人間と妖怪の距離がさらに縮まったおかげだ。妖怪たちは決闘をかたちをとって人間を襲い、人間も決闘によってこれに対抗する。どこまでも形式的ではあるけれども、そこにはかつての緊張感が僅かながらによみがえっていた。なあなあな関係だけではなく、ときにはメリハリもつけることによって、より楽しい関係を人妖は手に入れることが出来たのだ。楽しい関係を築いた人妖の距離が縮まったというわけだ。博麗神社はそんな新しい幻想郷の象徴なのかもしれない(まあ、妖怪だらけなおかげでお賽銭はないけれども)。
さて。
千二百年前から始まった人間と妖怪の物語をここまで長々と語ってきたわけだが、それもここで一旦打ち止めとしたい。人と妖怪は対立を繰り返しながら、少しずつ融和の道を歩んできたのがよく分かったと思う。このままこんな時代が続けばいいのだが。
まあ、でも。今はただ、この瞬間をお酒でも飲んで楽しもう。あなたは幻想郷の歴史を知ったのだ。
そのお酒には千二百年という肴がある。まずいわけが、ない。
了
幻想郷は奥羽と関八州の境目あたりの、山々に囲まれた盆地にある。千二百年前、ここはその人跡未踏さから『幻ヶ原』と呼ばれており、人っ子一人住んではいなかった。だが、それでもこの地はにぎやかだった。常に宴会が開かれ、朗々と歌が響き渡っていた。そう、当時から妖怪たちが住み着いていたのだ。妖怪たちがいつからここを住処としていたのかは記録がないため(また、さすがに古すぎるので、生きている妖怪がほとんどいないため)分かっていないが、この時点で妖怪たちは種族ごとに村を作り暮らしていたらしい。今と変わらず酒を飲み、大声で笑い、喧嘩をして過ごしていた。
そんな幻ヶ原に、かの征夷大将軍坂上田村麻呂の攻撃によって打撃を蒙った蝦夷のとある部族が移り住んできた。リーダーは恵那柿人(かきと)という男で、彼は領域の減少による同族の土地問題を少しでも解決するため、百人程度の希望者と共に、あえて南に下り、やがて幻ヶ原を発見した。ここを開墾し、豊かにした後で、仲間たちを呼び寄せよう。彼らはそう思い飛び上がるほど喜んだ。だが、その喜びは一瞬で打ち砕かれることになる。幻ヶ原が妖怪の住む地だったからだ。今度は妖怪たちが喜ぶ番となった。大量のごちそうが自分からやってきたのだ。なんのためらいもなく、妖怪は恵那たちを襲った。蝦夷の中でも特に勇猛果敢な人物ばかりがそこにいたが、それでも妖怪は強すぎた。一人、また一人と食べられていく。もはやこれまで。彼らは絶望した。
その時である。ふらりと、一人の巫女が現れた。
巫女は妖怪たちを、瞬時に叩きのめした。そして妖怪たちのなかで一番強いやつに会わせろ、話し合いをするぞ、と叫んだ。突然現れた巫女は、いきなり人間と妖怪の調停者になると言い出したのである。
文句のある者は人間だろうが妖怪だろうが拳を叩きつけられ、ここに巫女を仲立ちとした、幻想郷初の人妖間会議が無理やり開かれることとなった。人間側代表は恵那柿人。妖怪側代表は、いつもは家で寝ているがおもしろいことがあると起き上がる、妖怪の賢者、八雲紫。議題は幻ヶ原に人の居住を許すか。許したとして、その場合人は安全か。幻ヶ原は盆地でそんなに広くはないが、それでもまだまだ生活が出来るスペースは余りまくっており、土地問題は存在していなかった。だが、ここで問題となるのは、やはり妖怪が強いというその一点である。例え人が住んだとしても、すぐに妖怪に食べられてしまうのでは意味がない。蝦夷たちは巫女に助けを求めたが、巫女はこれを謝絶。自分は何者にも与してはいけない。常に調停をするだけなのだ。彼女はただ、こう言い続けた。しかし、それと同時にこうも言った。秤はそろえる、と。
会議が開かれたのは巫女の乱入から一ヵ月後。それまでの間に、平安京から陰陽師の一団が幻ヶ原にやってきた。この五十人ほどの集団は全員が、ある夜に夢のなかで巫女にここに来てくれと頼まれた、という人々だった。彼らは事実夢のなかで巫女が言った通りの出来事が起こっていることに驚きつつ、多くの妖怪が住むこの地を日ノ本の安寧を脅かす場所であると考えた。我々はここに住み、妖怪たちを見張ろう。陰陽師たちがそう結論をするのに時間はかからなかった。
ここに妖怪と人間のパワーバランスが成立する。会議は人間の定住を認める決議を出し、妖怪が人間を襲う権利と、人間が妖怪を倒す権利を認めた。この決まりは人間側の代表者の名前を取り、『柿人の約』と呼ばれ、これは現在に至るまで有効である。
また、陰陽師の一団についてくる形で、一人の歴史家がやってきたことも書いておく。まあ、ぶっちゃけて言えば「私」だ。私の八代前の御阿礼の子、稗田阿一である。東の地に大挙してぞろぞろと旅立つ陰陽師に興味半分でついて行き、そのまま幻ヶ原が気に入ったのだ。ここなら、神代のような物語が見られると思ったらしい。
会議の終わった後、巫女は姿を消した。人々が礼を言う間もなかった。
巫女の血統が再び幻想郷の歴史に姿を現すのは、それから四百年後のことである。
人間たちは幻ヶ原に住み始めてすぐに、熱心な人口拡大に努めた。妖怪に対抗するためだ。
最初は、そもそもこんな妖怪だらけの地は捨てようという意見も蝦夷たちのなかにはあった。だが実際に暮らしてみると、ここは多くの実りを手に入れられる土地であることが分かった。作物は北の地にしては異様に良く育つし、狩りをすれば幾らでも獲物を得ることが出来た。なぜか。ここは妖怪の国であるとともに、神々の国でもあったのだ。陰陽師いわく、他と比べると考えられないくらい豊穣の神が大量にいるらしい。これらに信仰を捧げれば、すばらしい恵みを得ることが出来るだろう。
妖精と言われる自然の具現はときたまイタズラをしかけてくるし、なにより妖怪がいる。それでも、ここは楽園と言えた。実際およそ八百年の間、人間は飢餓というものと無縁でいられたのだ。これは日本の、いや世界の他の地域と比べた場合、近代以前においては奇跡である。
幾らでも人口は拡大できる。当時彼らがそう思ってもそれは間違いではなかった。蝦夷たちは北から自分たちの同胞を呼び寄せた。陰陽師たちも自分たちの伝手を使い、集められるだけの人を住まわせた。ただ、あくまで世間には秘密の上で。妖怪たちの国がある、というそれだけで民が恐怖するのは目に見えている。人々には枕を高くして眠って欲しかった。村を作るための元手は、稗田阿一がその財を出資した。これにより稗田家は人間の里最大の家格を手に入れることになる。
妖怪にしてみれば、この流れは涎の垂れる思いだっただろう。食料が勝手に増えてくれるのだから。妖怪は人里を何度も何度も襲撃した。特に赤子が狙われた。その肉が美味だったからだ。現在から考えると信じられないが、大多数の妖怪は人間がこの地からいなくなってもいいと考えていた。いなくなってしまったら遠くまで人間を狩らねばいけないが、まあ、それはそれで別に良し。妖怪は基本、享楽主義者であった。
これに対し、八雲紫は別の見解を持っていた。彼女は幻ヶ原と外を、極僅かなレベルではあるが交流させ続けた。これにより、人里は外の最新知識を保有することが可能となり、これが生活の質を上げ、また武器を更新することが出来た。八雲紫は幻想郷のバランスを保つことが重要だと考えたのだ。これは持続的な食料供給体制を作るためだった。いや、もしかしたら。後の歴史がどう動くのか予測し手を打った? まさかそんな。
閑話休題。もちろん人間たちも妖怪に喰われるがままだったわけではない。逆に妖怪の住処に攻め込むこともあった。幻想郷初期の英雄、陰陽師の安倍秋旗や森近仁ノ助が活躍したのもこの時代である。特に安部秋旗は陰陽師グループのリーダーであり、何体もの鬼を調伏した。現在幻想郷の名家の一つである安倍家は、彼が始祖である。
また、妖怪に対抗する手段の一つとして、『幻想郷縁起』が書かれ始めたのもこの時期であるとここに記しておく。
幻ヶ原に人が住み始めて二百年近くがたったころ。突如、鬼の大群が山を越えてやってきた。人間たちは妖怪の大攻勢が始まったのかと戦慄したが、すぐに幻ヶ原の妖怪たちも動揺していることに気づいた。平安時代中期、京の都を騒がせていた、かの大妖怪酒呑童子。彼が源頼光により討たれた。この大事件は妖怪世界を揺さぶり、狂乱の渦に叩き込んでいた。当時妖怪たちは(幻ヶ原だけではなく日本全体において)その勢力が著しかった。酒呑童子を旗印に京へ攻め上り、天皇の玉体を喰らおう、なんてことを公然と話していたほどだ。それが大妖怪の死とともに混乱の時代に突入する。権力争いが起こったのだ。
そんな時分に、酒呑童子の娘を筆頭に、大江山の残党たる鬼の大群がやってきた。鬼たちは言う。ここを我らの根城にしたい。ここを基点として混乱している日本妖怪界を統一したい、と。幻ヶ原の妖怪たちは、喜んでそれを受け入れた。とてつもない名誉だからだ。だが、そうなると問題が起きる。大江山の鬼たちが住むには、少々手狭であることだ。かの御大将のご令嬢をせせこましい土地に住まわすわけにはいかない。どうしようか、と妖怪たちは頭を抱えた。
そんな時である。龍神が始めて幻想郷にその御姿を現したのは。
厚い厚い黒雲がたちこめ、雷鳴が轟く。地響きが断続的に起こり、地割れが出来始めた。突然なにが起きたのかと、妖怪と人間は空をあおいだ。そこには、天を二分するかのように長い体をうねらせた龍がいた。
「我が名は、幻想龍。聞け、妖怪たちよ。汝らが日本妖怪に秩序をもたらすなら、新しい家を用意しよう」
その後、酒呑童子の娘を含む鬼四人(後の鬼四天王)、八雲紫、人間代表として恵那氏と安倍氏の棟梁、そして記録係として稗田阿爾がこの幻想龍と話し合うことになった。
しばらくして、幻ヶ原に、いや幻ヶ原の北にある山々に変化が起きた。雄大な山脈が、一つに集まり始めたのだ。記録によると、まるで子供が砂遊びで砂を集め、砂のお山をつくるようだったという。ただその時の砂遊びは、何億トンもの土砂を使ったものだった。不可視の手により山々は一つの山となった。これが、現在の妖怪の山である。
鬼の一団はこの新しい山で暮らし始めた。話しによると、この妖怪の山の内部には大空洞があり、そこでは数十万の妖怪が暮らすことが出来るという。ここを拠点とし、鬼たちは打って出た。数年もたたず、混乱は終息。妖怪統一は出来なかったが、一定の平和が生まれた。
一方、人間たちは不満たらたらだった。妖怪たちの勢力が大きくなりすぎてしまったからだ。こちらは増えたといっても数千人程度。あっちはこの十倍はいるのではないか? 人間たちは自分たちが妖怪にあっという間に滅ぼされてしまうのではないかと思った。けれど、幻想龍は人間たちの前にも現れ、こう言った。
「妖怪は今、人間以外に力を向けている。二百年は人間に見向きもしない。そして二百年後、人間の中から英雄が現れる。その英雄はこの郷すべてに平和をもたらすだろう」
龍の言う通り、妖怪はあまり襲ってこなくなった。ならば、あと二百年後に英雄が生まれるのも本当なのだろうか? 人々はそれを待つことにした。
やがて、幻想龍は大きな信仰を集め、神となった。
そして幻ヶ原はこの偉大な龍の名を頂き、幻想郷、と言われるようになったのである。
妖怪の山は富士山よりも高い。ならば、いきなりこんなものが出来上がって、幻想郷の外では大騒ぎが起きたのではないか? そう思われる方もいるだろう。それは大丈夫だったらしい。例によって八雲紫である。後の大結界のことも考えると、ちょっと歴史に顔を出しすぎとも言えるが、彼女とそれに協力する妖怪の一部は人の認識を阻害する術を、幻想郷の周りにしいた。これにより、幻想郷はしばらくの間、人々から見つかることもなかった。
だが、妖怪には通じない。この時期、一匹のとある妖怪が幻想郷に居ついた。
この女の妖怪の名を、エクストラという。他を圧倒する輝きを放つ豪奢な金髪を持った、おそらく海外から来たであろう妖怪である。彼女はどうしてここにきたのか、それを一切話すことはなかった。ただ、一つおもしろい趣味を持っていた。自らの妖力を光の玉に代え、光弾とし、それを連続発射して光の幕を作る。遠くから見ると、それは鳥のように見えた。
エクストラはこれを『弾幕』と呼び、みんなで作って遊ばないかと他の妖怪を誘い始めた。妖艶かつ無邪気に。
弾幕は瞬く間に妖怪たちのお気に入りとなった。
妖怪の山が生まれてから十年程たったある日。八雲紫は突然、皆で月に攻め入ろうと言い出した。後に、第一次月面戦争と呼ばれることとなる戦いの始まりである。
この戦いへの勧誘に対し幻想郷の妖怪たちは、ノリノリであった。日本妖怪にその名を轟かす幻想郷妖怪軍団である。月の貴人なにものぞ。喰ろうてくれるわ。当時妖怪たちはまたも増長していた。妖怪は基本、調子にのりやすい。
急いで軍勢が整えられた。参謀は八雲紫以下、妖怪の賢者たち(この頃から賢者は役職となった)。軍の下士官は鬼の一派。斥候は快速の天狗。以下、蟲妖怪、歌妖怪、付喪神、妖獣、河童、獣人。敵の心をよむことが出来ると期待されたサトリ妖怪古明地一族。中華からも妖怪が派遣されてきた。あの謎の妖怪エクストラもいる。記録には、風見幽香の名もあった。
作戦開始は、満月の晩。八雲紫が実と虚の境界を弄くり、妖怪たちは湖に映った月に飛び込んだ。月には貴人による都がある。その都は驚天動地の大混乱に見舞われた。いきなり妖怪五万匹が襲ってきたのだから、それも当然だろう。たちまち月の都は火に包まれた。貴人とそのペットたる玉兎たちはすぐさま避難したが、無人となった都は妖怪の徹底的な略奪を受けた。考えてみれば、当時の地球にはガラスの板すら珍しかったのだから、都は未知の宝の山に見えたことだろう。とにかく光るものは全て妖怪によって持ち去られた。
妖怪軍団は略奪物を月の都の中央公園に集め、そこで酒盛りを始めた。青い地球を肴に飲む酒は、それはそれはおいしかったらしい。だが、この宴会はほんの一刻ほどで終わった。
いきなり凄まじい衝撃が妖怪軍団を襲った。衝撃波が半径三町(三百メートル以上)を吹き飛ばした。月人による反撃が始まったのだ。当初妖怪たちは、自分たちは都の真ん中にいるのだから、都そのものを吹き飛ばすような大規模攻撃は行われないと、タカをくくっていた。だが、その予想を裏切り、月人は上空千里(四千キロメートル)から攻撃マス・ドライバー、別名人工隕石砲、という想像もつかないような高度な科学兵器を使ってきたのだ。何発も何発もマス・ドライバーは打ち込まれる。都は全ての建物が吹き飛ばされた。隠れるところを失い、妖怪は直接爆風をうけることになった。妖怪の攻撃は、どれも超高々度にある発射装置には届かない。八雲紫は直接攻撃出来たが、ナノマシンという術によって(目に見えないくらい小さな式神を使うらしい)体内に妖怪封じの薬を打ち込まれてしまい無力化された。
妖怪5千匹がこの隕石攻撃で死に、参謀たる賢者たちは撤退を宣言した。慌てて妖怪たちは海に映った地球へと飛び込んでいった。この時、殿をかって出たのがエクストラである。追撃をかけて来た玉兎たちに対し、たった一人でその攻勢を受け止めてしまった。彼女がいなければ、さらに多くの妖怪が死んでいただろう。エクストラは妖怪の英雄となった(英雄といえば、あくまで噂だが、風見幽香はマス・ドライバーの発射装置の一基を撃ち落としたらしい。さすがに眉唾だ)。
第一次月面戦争は、幻想郷の妖怪の完全なる敗北で終わった。後の調査観測によると、月の都はあっという間に元通りになったらしい。月人たちが都を直接砲撃したのも、すぐに直してしまえるからだった。ただ、その後数年間、街に人が帰ってくることはなかった。どうやら、多くの妖怪の死体から、彼らが考えていたよりもはるかに多い穢れが発生。それが月人たちを都から遠のけていたようだ。その一点だけいえば、単なる敗北だけではないかもしれない。だが、結局奪ったものも全部マス・ドライバーで吹き飛んでしまったし、妖怪軍団の大遠征は文字通り、骨折り損のくたびれ儲けだったことになる。妖怪たちは惨めな気持ちでしばらく過ごすことになった。
さて、ここで少し疑問が残る。あの八雲紫が、この結果を予想できなかったのか? 彼女の頭脳なら、簡単に結果を予想できたのではないか? そもそも事前に月の科学力を調べておかなかったのはなぜか? これらの問いに対し、有力な説の一つとして、間引き説がある。増長していた妖怪たちは、幻想郷のなかで権力争いを始めるかもしれなかった。それを未然に防ぐため、特に危険な妖怪を月との戦争で死なせてしまおうとしたのだ。だが、当時戦争に参加した妖怪の話しを聞くと、「あいつ本気で負けたのを悔しがっていたよ?」(伊吹氏談)、「紫が涙目だったから慰めてあげたのよ~」(西行寺氏談)、という証言を得ることが出来た。八雲紫は本気だったのか、それとも何か策略があったのか。現時点ではまったく分からない。
戦争終結後、妖怪の山のてっぺんに雷が落ちた。山で一番大きかった木が、根元から裂けた。妖怪たちは過ぎたマネをした自分たちを龍神が叱ったのだと噂しあった。
月面戦争から二百年ほどたった時代。幻想郷の人間と妖怪、その双方に少しずつ問題が生まれるようになっていた。
まず、人間の方から書くが、その問題とは人間の犯罪者たちが徒党を組み、盗賊集団を結成してしまったことだ。妖怪という強大な敵の存在があるにも関わらず、なぜ人間の里から離反する人々が出てきたか。それは、盗賊にとって妖怪が敵ではなくなってしまったからだ。盗賊たちは妖怪と手を組んだ。自分たちを襲わない代わりに、盗んだもの、あるいはさらった人間の一部を妖怪に上納していった。これに対し、人里の有力者、特に恵那家などは何回も討伐隊を送ったが、そのたびに失敗してしまう。妖怪退治とは様々な面で勝手が違ったのだ。言うなれば、幻想郷の人間は対妖怪の経験は日本一だが、人間退治の経験はからっきしだったといえるだろう。
次に妖怪たちの問題だが、これは『嫌われ者』の問題である。『嫌われ者』とは、妖怪たちのなかにあって、そのなかでさえ忌み嫌われる能力を持った特殊な妖怪たちのことだ。相手を熱病にしてしまう、嫉妬心を操るなどが代表的だろうか。いや、そんな能力すら霞むくらい恐ろしいのが、心を読む能力だ。この能力を持つサトリ妖怪たち、特に古明地一族は妖怪たちの恐怖の対象だった。彼らは総じて性根が捻じ曲がっており、相手の心の醜さを指摘し、相手が言いよどむのを好んだ。そんな連中ぶん殴ってしまえ、が妖怪のポリシーなのだが、危害を加えるとまた何か自分の秘密をしゃべられてしまうのではないか。それが恐ろしく、何も出来なかった。『嫌われ者』の存在。その存在との対立が少しずつ深まりつつあった。
人間と妖怪、それぞれが持つ問題。だが、このうち人間の問題は、もうまもなく解決することとなる。
日本における初の武家政権がその産声をあげたころ、幻想郷では大事件が起こっていた。
人間も妖怪も、そのほとんどが眠ったまま目を覚まさなくなってしまったのだ。眠らなかったのは妖怪の賢者たち、鬼の四天王、エクストラ、安倍家の一部だけだった。
幻想郷を眠らせた犯人。それは一体の悪霊であった。
その名を魅魔という。魅魔は魂そのものに力を行使することが出来る能力を持っており、幻想郷に生きるもの全ての魂を眠らせてしまったのだ。この悪霊は全人類に憎しみを抱いており、幻想郷を支配してそこに住む人妖を、世界征服のための手駒にしようと考えていた。
いまこの瞬間にも、私は人妖の魂を消し去ることが出来る。抵抗するな。降伏しろ。魅魔は能力の影響を受けなかった者たちにそう言った。
この時点で幻想郷は九分九厘、魅魔に制圧されていた。幻想郷の歴史において、後にも先にも、この地がここまで侵略者の手に落ちてしまったのはこれだけだ。しかし、この危機のなか、幻想郷は最高の宝物を手に入れることになる。
それは、いつか見た光景だった。
誰もが気づかないうちに。
巫女は、いつの間にか魅魔の前にいた。
無論、以前の巫女とは別人。しかしその纏う雰囲気は同一だった。巫女は叫ぶ。私と一対一で勝負しろ。お前が勝ったら私の魂は好きにしていい。だが私が勝ったら皆の魂を解放してくれ。なあ、魅魔。私一人に勝てないようで、どうやって全人類と戦う。
魅魔は激怒した。巫女に飛び掛り、そのまま激しい戦いが始まった。妖怪の賢者の証言によると、この戦いは三日三晩続いたという。誰も加勢しなかった。誰もが、これは一対一でやることに意義があると思ったからだ。
戦いは、巫女の勝利で終わった。魅魔は約束通り、幻想郷人妖の魂を解放。皆は目を覚ました。だが、魅魔はこれであきらめなかった。
一年後、今度は自らの手下である妖怪たちにゲリラ戦を行わせた。これにより幻想郷のあちこちで、魅魔軍団の破壊活動が頻発。人妖が一人でいる時を狙って数人で襲撃し、殺害していった。これに対し、人間、妖怪双方が見回りを強化、ゲリラの潜伏場所を探した。この時に活躍したのが、巫女が連れてきたとある武士団である。この武士団のリーダーは、かの源義経の息子を名乗っていた。そしてその副官を務める女性はなんと平家の血を引いているらしかった。この武士団は、滅んだ平氏の残党と、かつて源義経に付き従った者たちの、混成部隊だったのである。
彼らの働きにより、ゲリラの居場所は判明。幻想郷の妖怪の攻撃によりゲリラは壊滅した。
『睡魂異変』『悪党異変』とそれぞれ呼ばれる出来事が終わった後、幻想郷の人妖は巫女にこの地への定住を願った。魅魔の脅威はいまだ去ってはいなかったからだ。だが、これを巫女は謝絶した。八雲紫がその理由を聞くと、巫女は最初言いたくなさそうに、けれど結局はしぶしぶと話し始めた。
自らに流れる血には、なぜかは分からないけれども、人智を超越した力が眠っている。いや、ありとあらゆる妖怪すら上回る力とすらいえる。もし、この力が制御出来なくなってしまえば、多くの命を奪ってしまうかもしれない。それが恐ろしいから、私の血統は代々人から離れて暮らしているのだ。……血を残さなければいいのかもしれない。だが、それでも。
私たちは誰かを救える力を持っているのだ。
そこまで言い終えると、巫女はさめざめと泣いた。
おそらく、あの幻想郷誕生のきっかけとなった巫女が去ったのも、この理由からだったのだろう。人妖は皆が、巫女の血統の数百年に及ぶ苦しみに心を揺さぶられた。どうにかしたい。いや、なんとかしなければいけない。誰しもがそう考えたとき、八雲紫が一つのアイデアを出した。
しばらくして、一人の青年が幻想郷にやってきた。彼は温和な顔立ちをして、しかしどこか高貴な雰囲気を持っていた。妖怪の賢者たちは言う。この方は恐れも多くも、かの安徳天皇である、と。安徳天皇とは、源平の戦いの最終局面、壇ノ浦の戦いにおいて、哀れ入水されたはずのお方である。幻想郷においてもこの一大ニュースは知られており、誰もが、まさかと思った。しかし賢者たちは我々が安徳天皇を保護していたのだと言い、その虚実は、これから行う儀式によって証明すると宣言した。
賢者たちが行おうとしたことを簡単に説明すると、要するに天皇の血を巫女の血統に入れてしまい、巫女の絶大なる力のストッパーにしようというわけである。天皇の力、天照により与えられた日本を統治することが出来る力は、既にその依り代となる三種の神器が次の天皇に渡っているため使えない。だが、この国の最高神の子孫であるというそれ自体が、強大な神力を安徳天皇の体に与えていた。
誰もが、このアイデアに唖然とした。そして皆が唖然としている間に、早々と儀式、つまり巫女と安徳天皇の結婚が執り行われた(安徳天皇は既に天皇ではないため上皇と呼ぶべきかもしれないが、安徳天皇のほうが通りがよいため、このままとする)。安徳天皇は人妖に、これからの巫女の血統のなかには自分の血が入っているが、決して自分の血をうやまってはいけない。自分の血はあくまで「抑え」である。抑えを信仰してしまうと、抑えとしての役割の力をなくしてしまうのだ、と言った。
安徳天皇は巫女との間に子供を作ると、この時代までに全国に散らばってしまった巫女の血統に、自らの血を入れるべく旅に出た。そしてそれ以後、ときたま幻想郷に戻り、自らの子供を愛でたという。
生まれた女の子は、うまく力をコントロールすることが出来た。巫女は、ようやく一族の悪夢が終わったのだと笑顔で泣いた。この時、天から龍神が降りてきた。龍神は幻想郷に新しい時代が始まるのだと告げ、巫女の血統に姓を授けた。その姓を『博麗』という。また、八雲紫は自らの住んでいた幻想郷の東の端の土地を巫女に譲り、ここに巫女の姓を冠した、『博麗神社』を建立した。
幻想郷に『博麗の巫女』が生まれた瞬間である。
博麗の巫女は幻想郷のバランスを取るための存在である。基本的には人間の味方だが、それ以上に幻想郷全体の味方だ。その時の状況によって、常に最善の結論を見つけ出していく。二百年前、龍神が予言した英雄とは博麗の巫女のことだ。
ちなみに、この時の巫女の血筋は不幸な事故により五代で途絶えるが、全国に散らばっていた巫女の血統にはもれなく安徳天皇の血が入っていたため、幻想郷は新しい巫女を得ることができた。以降、世襲と外から血統を連れてくるという二つの方法で巫女は選ばれることになる。
博麗の巫女が誕生したころ、人間側にもう一つ変化があった。ゲリラ討伐で活躍した源平混成部隊。行くあてのないかれらは幻想郷に根を張り、武等(むとう)家を名乗った。そして人間の里を困らせていた盗賊集団を、あっという間に壊滅させてしまった。武士たちには、このような犯罪者たちを懲らしめるノウハウがあったのだ。これにより武等家も、幻想郷のおける大きな家格を手に入れた。
魅魔はその後、幻想郷に対して散発的かつ小規模な襲撃を続けることになる。睡魂異変のような大規模な計略は、妖怪の賢者たちの対策により不可能となっていたからだ。魅魔が何か行動を起こす。そして、博麗の巫女がそれに対応する。以後、幻想郷ではこれが恒例行事のようになっていく。
また、魅魔という幻想郷共通の敵の出現は、人間と妖怪の間に連携を強いた。それまで宿敵同士であった二者が、肩を並べて戦う機会を作ったのだ。そうなると、人間にしても妖怪にしても、お互いのことを多少は知っておいたほうが良くなってくる。このため開かれることになったのが年二回の『人妖宴会』だ。これは人間と妖怪が一緒に楽しむ宴であり、お盆の時期と、年末の時期に、三日間に渡って盛大に催される。もちろん人食いは禁止であり、人肉も肴には出てこない。妖怪からすればそこがちょっと不満だが、それでも人間と酒を酌み交わすというのは意外とおもしろいことだった。その後も妖怪と人間の対立は続いていくが、この人妖宴会によって少しずつ両者は接近していくことになる。
宴といえば酒、酒といえば鬼。ここで少し当時の鬼たちの話をしておこう。鬼は幻想郷の妖怪たちの支配者であった。妖怪の賢者たちは、支配者というよりも支配者の相談役であり、平常時権力を行使していたのは鬼である。妖怪の山には鬼の大宮殿『鬼角殿』(きかくでん)があり、山の政務はここで行われていた。鬼は正直者を尊ぶ性格であり、同じように鬼角殿で執り行われる裁判はとても公正だった。無理やり酒を飲まされることはあったが、それでも鬼はよき統治者だったと言えるだろう。また、鬼は優れた技術も持っていた。その技術力の高さは、なんと現在の外の世界すら凌駕するのではないかとも言われている。一晩で極上の酒を作ってくれる酒虫。無限に酒が湧き出てくる瓢箪。病気や怪我を治す酒を生み出す枡。なぜか酒に関係するものばかりのような気がするが、決してそんなことはなく、遠くの相手の顔を見ることが出来る鏡、牛も馬も使わず一人でに動く車、少しの間入れておけば火も使わずに料理を温めることが出来る箱、なんてものもあった。他の妖怪はこれら鬼の優れた技術の恩恵を得ることができたのである。
鬼の下で幻想郷の妖怪たちは平和に暮らすことが出来た。だが、これに対し不満を持つ者がいた。それは、平和をもたらした当事者である鬼たちであった。
鬼はその根っこから戦いが好きである。けれど時代が下るにしたがい、鬼と戦おうとする者が少なくなってきた。鬼が強すぎたのである。百回戦って、九十九回こちらの負け。百回目で勝てるとしても、誰がそんなに戦うだろう。妖怪たちは鬼の顔色を伺うばかりだったし、人間たちにしても妖怪勢力と戦う場合、鬼と戦うのだけは極力避けた。鬼は段々、退屈を覚えるようになっていったのである。
博麗の巫女が幻想郷に生まれてから、三百年後。日本が群雄割拠の戦国時代に突入していた頃、幻想郷の人間たちはその勢力を大きく拡大していた。人口が遂に三万人を突破したのである。かつて百五十人ほどだったことを考えれば、その二百倍になったのだ。またこの時代は農業技術の大きな発展があり(二毛作の普及や人糞などの肥料、くだものの栽培)、さらなる人口増も可能であるとの推測もあった。人々は神によく祈り、神はその恩恵を人間に与えた。この信頼関係が続く限り、幻想郷の人間は無敵である。人々はそう思った。人里も以前とは比べ物にならないくらい大きくなった。京の都をモチーフにした碁盤の目状の計画構造として再整理され、里の南北を縦断する龍神通りは多くの店舗が軒を連ねるようになった。かつては、流浪の旅商人であった霧雨家が大店をかまえるようになったのもこの頃だ。ついでに書いておくと、人里は長老、もしくは里長と言われる人間の代表者によって治められる。大抵の場合この職には、稗田、恵那、安倍、武等などの人里の名家出身者がなった。
人間の勢力拡大に妖怪たちは徐々に危機感を持つようになった。まさか人間たちがここまで増えるなんて。その上人間は霊的な力の鍛錬を欠かすこともなく、妖怪を打ち負かす者もだんだん増えてきた。陰陽術だけではなく、密教式、修験道式、道教式などの対妖怪術などの研究も盛んだ。何か手を打たなくてはいけない。それが妖怪たちの一般意見になりつつあった。
一度、鬼のとある一派が里を徹底的に焼き払おうとしたことがある。こしゃくな人間たちなど根絶やしにしてしまえ、というわけだが、実際のところは彼らがあまりにも退屈だったからである。だが、これに数百の妖怪が賛同。それらを加えた一団は意気揚々と山を降り始めた。これを止めたのが、あのエクストラである。数百年前、エクストラが始めた弾幕は妖怪たちの一般的な遊びになっていた。妖怪は弾幕の華麗さを競い合った。弾幕の第一人者エクストラは妖怪たちのなかで尊敬を集めていた(それには月面戦争での活躍もあるが)。エクストラは言う。
人間を滅ぼしたいというならば、幻想郷だけではなく、世界中の人間を殺してしまえ。どうしてそう考えない? 肝っ玉の小さな連中め。
妖怪たちは烈火のごとく怒り、エクストラに踊りかかった。エクストラは鬼を含んだ数百の妖怪に対し真っ向から挑み、ボロボロになりながらも最終的に彼らを全員叩きのめした。その武勇にかの鬼の四天王も喝采をあげたという。
これ以後、人間たちに戦いを挑もうという論調はなりをひそめる。そもそも戦いをすれば、結果としてはこちらの勝ちになるだろうが、妖怪も尋常ではない損害を受けるだろう。人間たちの強大化は、もはや誰もが認めるところだった。この時期、人間の里の喧騒を山の上から眺めたとき、妖怪はいつもためいきをこぼしていたという。
そんな時だった。とある一つの計画が持ち上がる。計画の名は『妖怪拡張計画』。発案者は八雲紫である(またお前か!)。八雲紫曰く、この幻想郷の周りに『幻と実体の境界』を創り妖怪勢力の強化を図る。つまりこの境界を創ることにより、幻想郷を幻の世界、外の世界を実体の世界とすることで、外で勢力の弱まった妖怪(存在が幻に近くなってしまった)が自動的に幻想郷に飛ばされてくるようにしようというのだ。今、妖怪が弱くなっているのは数の力のせいだ。ならばを使って妖怪の数を増やそう。八雲紫のこの提案は新参者にどう対応するのかという不安要素があったものの、大した労力も使わず勢力拡大が出来るという点が非常に魅力的であったため、すぐさま実行に移された。
この時、龍神が姿を現している。龍神は妖怪たちに仔細を説明させ、この計画を承認した。そして、ある言葉を残す。
「我は幻想郷を愛している。我が愛する幻想郷には人間と妖怪がいなければいけない」
これは後に『龍の秤の言葉』といわれるようになり、幻想郷においては人妖のバランスが重要であるという認識の大元となった。
境界は無事完成した。そして、日本各地から妖怪たちが飛ばされてきた。飛ばされてきた妖怪たちは最初戸惑い、次に憤慨した。自分が幻の存在であると言われれば、それは怒るだろう。半数はそのまま帰ってしまった。だが、半数は残った。人間たちの勢力拡大は幻想郷だけではなく、日本全体で起こっていたのだ。それをきちんと認識していた妖怪は、自らの退勢を認め、この幻想郷で力を蓄えようと考えた。
境界は思わぬ副産物も生んだ。それは幻想郷の国際化だ。幻と実体の境界は日本だけではなく、全世界をその有効範囲としていた。そのため世界各国から妖怪がやってくるようになる。魔法使いなどの西洋妖怪がもっとも数が多く、他は中華、インド、南北アメリカ、アフリカ、オセアニアの順となる。彼らも半数が帰り(八雲紫のスキマによって)、半数が残った。幻想郷の妖怪は急いで、彼らとの融和を急ぐことになる。最も多用されたのは、婚姻政策だ。新参の者のなかでも名家といえるところと、こちら側の妖怪名家同士を結婚によってつなげようとしたのである。この政策のなかで有名なのは蟲の名家同士の婚姻であり、この時誕生したのがナイトバグ家だ。
幻と実体の境界が創られてから、幻想郷の妖怪の数は五割り増しになった。人間側に片寄りかけていたパワーバランスは、再び水平に戻った。
外の世界では、百年におよぶ乱世が終わりを迎えようとしていた。織田信長、そして豊臣秀吉という二人の英雄の登場である。日ノ本は豊臣家の下に統一されることになったのだ。
豊臣秀吉は間違いなく日本史上最大級の英雄だろう。それは間違いない。文句のつけようがない。だがしかし、彼は野心旺盛な男でもあった。天下統一後の朝鮮出兵がその好例であろう。そしてその朝鮮出兵の最中に、豊臣秀吉の野心の矛先は、幻想郷にも向けられてしまったのである。
それまで、日本の各時代の権力者たちは幻想郷の存在を薄々知りながら、自らが手を出すことによる藪蛇を恐れ、誰もが幻想郷を黙認していた。だが、豊臣秀吉はその出自が農民である時点で型破りであり、常識にとらわれていなかった。日本の平和のため、妖怪の住処に攻め込む。自分は天下を統一した男であり、その軍事力も強大だ。手を尽くせば必ず勝てる。秀吉はそう考えた。もちろん、妖怪の存在を公表し人心を混乱させるわけにはいかないため、準備は秘密裏に行われた。しかし、密かに行われたといっても、彼の天下人の計である。一種ばかばかしいまでにそれは壮大だった。
陰陽師一万人。日本にいる全ての陰陽師を幻想郷に叩きつけるつもりだった。当時、陰陽師はその勢力をほとんど仏教の僧たちに奪われており、歴史だけはあるが実力が全く無い人々であった。能力の鍛錬もあまり行われなくなり、農業をしてくらしていた。秀吉はそんなかれらのプライドを刺激。この戦いで功を挙げれば陰陽師の復権を約束すると言った。陰陽師たちは最初、幻想郷の妖怪たちの力をある程度知っていたため躊躇したが、結局はかつての黄金時代を忘れられなかった。指揮の一切合切は自分たちが取ることだけは秀吉に了承させ、彼らは幻想郷侵攻の準備に入った。
いわゆる『太閤戦争』が始まった。妖怪の賢者たちはこの動きを敏感に察知。大阪城に少数で乗り込み、秀吉を暗殺しようとした。だが、秀吉もずるがしこい。秀吉は天皇に協力を依頼、日本の実権を握る秀吉に対抗する力を持たなかった天皇はしぶしぶ了承した。大阪城は天皇の力により破魔の結界が張り巡らされ、賢者たちは一歩たりとも踏み込むことが出来なくなってしまう。もはや、幻想郷で敵を迎え撃つしかない。妖怪も、そして人間も、戦の準備を急いだ。人間たちの中には、せっかく妖怪を天下人が討ち果たしてくれるのだから、と思うものもいた。だが、幻想郷に人間が暮らし始めてもう七百年、人間の里は一度も外の権力者に支配されたことはないのだ。今までも、そしてこれからも、自分たちのことは、自分たちで決めたかった。
セミたちが鳴き始め、梅雨が終わりを告げようとしている頃。陰陽師一万、それを補佐する雑兵七千が認識阻害の術を破り、幻想郷に侵攻を開始した。妖怪たちは八つの防衛ラインを構築。侵略者たちを全滅させるつもりで待ち構えていた。しかし豊臣軍(以下、こう呼ぶ)は一歩幻想郷に足を踏み入れるとそこで行軍を停止させてしまう。一体何をしているのか。妖怪たちが訝しんでいると、突然轟音とともに青白く輝く砲弾が幻想郷各地を襲った。豊臣軍は20門もの鉄製大砲をここまで運び、そして砲弾に霊力を付与、それを陰陽術のエネルギーによって撃ちだしていたのだ。当時の大砲では到底とどかない、何十キロもの距離をこの霊的砲弾は飛べた。そして着弾すると妖怪を弱らせる術式を発動する。これは陰陽師渾身の策であった。これならば妖怪に直接相対することなく、敵にダメージを与えることができる。妖怪はこれに対し大いに苦戦した。近づけば、大砲の餌食になり可能性が高まる。しかしこのままではジリ貧だ。妖怪たちのなかには、かつて月面戦争におけるマス・ドライバー攻撃を思い出し、またあの一方的敗北を味あうのかと嘆いた者もいた。
だが、豊臣軍が忘れていたことがある。幻想郷には妖怪だけがいるのではない。人間もいるのだ。人里の民は武等家を中心とした決死隊を結成、豊臣軍に密かに近づいた。そして奇襲を敢行し、陰陽師の補佐をしていた雑兵たちに切り込んだ。陰陽師たちはいきなり現れた軍勢に対し、そちらにも大砲を放った。だが、大砲の弾丸は防がれる。決死隊の先頭には、博麗の巫女がいたのである。巫女は強靭な結界を広範囲に発動、決死隊は傷一つつくことはなかった。
この人間たちの切り込みを見ていた妖怪たちは、己を恥じた。自分たちは何をやっている、人間たちに遅れてなるものか。妖怪の山に鬨の声があがった。そして後に、『妖怪津波』とすら言われた突撃が始まる。先頭はかの鬼の四天王、その後ろに天狗たちが続く。津波の中にはあの『嫌われ者』の姿すらあった。陰陽師たちも必死の抵抗を行うが、一度混乱した軍勢はもろい。彼らは体勢を立て直すことは出来なかった。一刻後、妖怪と人間たちにより豊臣軍は押しつぶされてしまった。
後は、単なる残敵掃討であった。豊臣軍は散り散りとなって逃げ帰り、逃げられなかったものは妖怪のエサとなった。この結果を受けて秀吉は幻想郷に使いの者を派遣、講和しようと言ってきた。「そちたちの奮戦あっぱれ」。手紙に書いてあったこの一文を読んで、天下人の面の皮の厚さに幻想郷の人妖は呆れ返った。これ以上戦う必要がないならば、と講和を受け入れることにした。次に戦ってまた勝てる保障もないのだ。秀吉はこれ以後朝鮮出兵にのめり込み、幻想郷に攻めてくることは二度と無かった。
その年の人妖宴会は今までにないほど盛り上がった。人間も妖怪も、お互いがお互いを英雄であると褒め称えたからだ。妖怪は人間に華麗な弾幕を見せ、人間は妖怪に歌を贈った。酒は見る間に消えていき、残るは赤ら顔の群れ。人間の妖怪も、みな顔が赤かった。誰もが笑いあっていた。それは、夢のような時間だったという。
太閤戦争から百年ほどが経過した時、人里の人口は五万人に到達した。農業技術の進歩が始まってからは殆ど倍々ゲームで人の数は増えていった。計画された当初は広すぎるとすら言われた龍神通りも、今となっては往来が激しすぎるため、ときどき人が将棋倒しになってしまうことすらあった。増えすぎではないか、食糧は大丈夫か。少しずつ、そんな声が聞かれるようになってきた。けれども、大多数の人間たちは、自分たちは神々の愛した大地に暮らしている、大丈夫だ、と言いながら笑って不安論を聞き流した。
しかし、破局はすぐそばまで近づいていた。
ある年の夏、太陽の輝きが異様に小さかった。人は汗を流すこともなく農作業をした。涼しくていいじゃないか。そんな風に気楽に捉えていた人々もやがて、やってきた秋の実りが今までの半分以下であったことに愕然とした。大飢饉の始まりであった。人間の里はたちまち食糧難に見舞われ、今まで腹一杯に食べることが当たり前であった幻想郷の人間たちに飢えというものを教え込んだ。恵那、稗田、武等などの名家は蔵にあった米俵を飢えた人々に放出し、なんとか次の年まで持ちこたえさせる。だが、次の年も気候は寒冷で、作物は半分しか実らなかった。その年の冬、遂に餓死者が続出した。
人間たちはそろって神々の前にひざまずき、祈りを捧げた。だが、豊穣の神々は沈痛な面持ちで、喉の奥から搾り出すような声で言う。無理だ。この寒冷な気候は自分たちのような位の神々が何とかできるものではない。これは、もっと尊い御方が決められたことなのだ。この時、龍神もその姿を現し、人々に語りかけている。
「いま、この世界全体が寒くなっているのは、そうしないと後々世界の運営に無理が生まれるからだ。気候はずっと同じというわけにわけにはいかない。この寒さにも理由がある」
神たちの言葉を完全に理解することは難しかったが、それでも、この飢饉は神にすがってもどうしようもないのだということは分かった。人々はただうずくまり、この不幸を嘆くしかなかった。人口が半分であれば。だが、考えてももう遅い。
一方、妖怪たちの側でも深刻な問題が発生していた。鬼の内紛である。
鬼たちのなかでもヒエラルキーの高い位置にいた鬼の一人が、白昼堂々刺殺された。周りには他の鬼たちもおり、直前まで刺殺された鬼と会話をしていたが、不可解なことに気が付いたら彼の腹に短剣が突き刺さっていたという。妖怪の山は蜂の巣のひっくり返したような騒ぎとなり、そして短絡的に容疑者を決めてしまう。鬼を殺した短剣の持ち主、それまで様々な理由で対立していたライバルの鬼こそが犯人だというのだ。あまりにも杜撰な推理だが、当時の鬼の社会ではそれでも良かった。鬼たちは、退屈していた。誰も彼らと戦わなかった。誰も彼らの大好きな喧嘩に付き合わなかった。鬼のストレスは既に、ピークに達していたのだ。本来、鬼の暗黙の了解として、同族との戦いは忌避されていた。だが、それも破られることになったのである。殺鬼事件ともいえる出来事は、あっという間に鬼の大喧嘩へと発展していった。刺殺された鬼の友人がライバルの鬼を殴り、ライバルの鬼が友人の知り合いを殴り……という風に争いは徐々にエスカレート。やがては、妖怪の山全体を巻き込み始めたのである。
人間と妖怪を襲った大きな混乱。
だが、真の混乱はこの先にあった。
『白沢(はくたく)異変』『嫌われ者の地底移住』が起こったのはこの時代のことである。
安倍永時(ながとき)はそれまでほとんど注目を集めたことのない、安部家の次男坊だった。だが彼の兄が飢饉と共にやってきた流行病で死んでしまうと、横滑りの形で安倍家の当主となった。安倍家は、人々に対妖怪のためのさまざまな技術を教えるグループの中核的な役割を任じてきたが、今回の飢饉では蔵にある食糧を放出するのが他の名家に比べ遅かったため、その人望に陰りが見え始めていた。
そんな安倍家の新当主がいきなり、「白沢教」という新興宗教を始めたのだから、人々が当初ますます安倍家を白眼視したのも当たり前だと言えるだろう。だが、この白沢教は驚くべき信仰のシンボルを持っていた。永時曰く、白沢の女。ある日永時が幻想郷を襲う飢饉を嘆いていると、天から聖獣白沢が降臨し「お前が人間を治めよ」と言った。そして白沢は永時の一人娘に憑依し、永時の治世を守護してくれることになったらしい。龍神通りのど真ん中に現れた永時の一人娘は、その頭に二本の角を生やし、人々の目の前で大量の米俵を何もないところから出現させた。そしてそれを皆に振舞った。腹をすかした人間には食事はなによりの現世利益だった。白沢の女は何も言わず、虚ろな目のままでただ父である永時の言われるがままだったが、久しぶりに腹一杯食べることが出来た人々には、どうでもよいことだった。白沢教の教義は一つ。白沢に選ばれた永時を里の主とすること。
人間たちも最初は永時と白沢教を信じなかった。だが、白沢の女が見せる奇跡の技、そして振舞われる食事に、だんだん心が揺らぐことになっていった。そもそも白沢とはこのようなことをする聖獣だったか。そのような疑問も呈されたが、長引く飢饉に疲れていた人々にとって、白沢教は新たな希望になっていった。疑問は、すぐに忘れ去られていった。
永時を人間の里の主としよう。そう主張する人々が少しずつ増え始めた。そして大勢の人間が幻想郷の名家に乗り込み、当主を囲んで、何時間でも説得(脅迫)する事件も起きた。やがて、白沢教の緑の法衣を着た人々が人里の道という道を練り歩くことが日常茶飯事となっていく。あまりにも異様な雰囲気が、人間の里を覆いつつあった。
妖怪の山でも大きな動きがあった。サトリ妖怪古明地一族が、妖怪の政治改革を提唱したのである。
鬼の内紛はますます激しくなり、鬼の四天王でも止められなくなっていった。鬼同士の闘争は凄まじい。ほんの一瞬の殴り合いでも、半径数十メートルの木々がなぎ倒されるほどなのだ。そんな戦いあちこちで起これば、あっという間に山がぼろぼろになるのは自明の理である。そんな状況を踏まえ古明地一族は、鬼に妖怪の統治は任せて置けない、山の政治は皆の協議制としよう、と主張したのである。つまり妖怪の民主主義を確立しようということだ。これに対し他の妖怪は複雑な気持ちだった。確かに鬼たちにはもう山の実権を任せられないかもしれない。だが、仮に協議制が採用された場合。サトリ妖怪は圧倒的に有利になりのではないか。なにせ彼らは心が読めるのだ。力ではなく議論が重要になったら、全てにおいて勝利をつかむのは古明地一族になってしまうかもしれない。
しかし、考えている猶予はもうあまりなかった。こうしている間にも山は鬼の喧嘩によって危機に瀕しているのだ。古明地一族は今こそ革命の時、鬼を追い出せと叫んだ。
幻想郷全体が混沌とした状況に叩き込まれていたとき、当時の博麗の巫女は白沢教の集会にいた。もちろん白沢教に入信したわけではなく、いつも集会の端っこで何か発言をするわけでもなく、ただぽつんと立っていた。永時は、博麗の巫女も我々の味方であると宣伝したが、これに対して巫女は、無言を貫いた。ある人が尋ねた。どうしてあなたは何もしないのか。二つの大きな異変が幻想郷を覆っているではないか。これに対し巫女はただ一言、こう答えた。
「これは一つの異変である」
実は、博麗の巫女は秘かに『竜胆組』という、現在発生しているこの大問題の謎を追う少数精鋭のプロジェクトチームを結成していた。メンバーには射命丸文などの有力な天狗、比較的自由に動けるエクストラなどの妖怪、人間側の有志などが参加しており、巫女の手足となって様々な情報を手に入れていた。竜胆組の活躍はめざましく、何人かの死者をだしながらも、数ヶ月の調査の末ついに異変のカラクリをつかむことに成功する。
異変の中心にいたのは安倍永時であった。人里の異変だけではない。妖怪の山の異変、その中心にいたのも永時であった。
鬼の内紛の発端となった殺鬼事件。なぜ、誰もが見ているなかで気づかれることもなく短剣を突き刺すことが出来たのか。龍神通りで披露される白沢の奇跡。これはどのような力によって成し遂げられているのか。全ては、永時の娘、白沢の女が持つ「歴史を食べる程度の能力」によるものであった。永時は、安倍家代々に伝わる陰陽師の力を応用して、白沢の力を自分の娘に無理やり植え付けたのだ(白沢の降臨云々はデタラメ)。そして発現した能力、「歴史を喰い」自分を含めた対象を隠蔽する能力を利用して、まず一匹の鬼を殺害、妖怪の山に混乱を引き起こす。この混乱に乗じて、もとから協力体制をしいていた古明地一族が山で蠢動、権力奪取に動いた。古明地一族は返礼として、幻想郷付近の村々で略奪を敢行、集めた食糧を安倍家の蔵に納めた。後は、その食糧を能力で隠蔽しながら人里の大通りにもって行き、人々の目の前で能力を解けば、傍目には食糧がいきなり現れる奇跡のように見える。二つの異変は確かに、一つの陰謀によって起こったのだ。
白沢教、古明地一族の拠点それぞれに対し、博麗の巫女は単身で乗り込んだ。そして、真相を知っていると話し、陰謀をやめて罪を償ってくれと言った。巫女としては出来るだけ穏便に事態を収束させたかったのだ。
だが、この願いが叶うことはなかった。二つの勢力は罪を償う道も、幻想教から逃げる選択肢も、その両方を否定した。彼らが選んだのは自衛という名の、暴走だった。白沢教は白沢の女の力を最大限に使って、人間の里を制圧しようとした。古明地一族は読心の能力を応用し、妖怪たちの心の中に眠るトラウマを呼び起こして、彼らを無力化しようとした。成功の可能性は低かったが、ほとんど自暴自棄となっていた二者にとって、賭ける価値のある博打に思えたのだ。
しかし、結局、この挑戦は異変の元凶たちにとって最悪の結果を招いてしまう。白沢の力をさらに引き出そうとした永時は、これ以上の暴挙に出ようとする父に激昂した白沢の女、自分の娘によって殺されてしまう。娘の意識を制御し操り人形にしていたはずが、それにも限界があったのだ。古明地一族はもっと悲惨だった。妖怪たちのトラウマを呼び起こしたまではよかったものの、妖怪たちの一部が発狂する事態になってしまった。前後不覚に陥った妖怪たちは、古明地一族の屋敷に乱入。そこで今後のことについて協議していたサトリたちを、手当たりしだいに殺してしまう。これにより古明地一族はほぼ全滅。生き残ったのは幼い二人の姉妹だけであった。
異変はその首謀者たちの死によって終わった。だが、この異変が幻想郷に与えた影響はとても大きかった。
白沢教はその教義が大嘘であったことが白日の下にさらされ崩壊したが、その残党は秘密結社化し、現在に至るも存続しているという。
鬼の内乱は殺鬼事件の真犯人が分かったことにより沈静化したが、この事件を機に、鬼たちは少しずつ幻想郷を去る道を選ぶようになる。自分たちの力は狭い幻想郷のなかでは過剰すぎる。このままでは他のものにとっても迷惑だし、自分たちも力を思いっきり使うことが出来ず、鬱憤がたまってしまう。自分たちも己の愚かさに呆れているのだ。鬼たちはそんなことを言いながら、山を去っていった。彼らはどこに行ったのか。それは長らく分かっていなかったが、最近になってそれが地底であることが判明した。幻想郷の地下には地獄がある。いや、あった。死後の魂の裁判を行う是非曲直庁は、経費削減のため幻想郷地下にあった部分の地獄を廃棄したのだ。その際、地獄の極卒をしていた鬼たちの住処も打ち捨てられたのだが、幻想郷の鬼たちはこれを勝手に占領。そのまま住み着いてしまった。
そして、その鬼たちについて行く形で、『嫌われ者』も地底に移住することになった。これは、嫌われ者自身が希望したことで、曰く、このまま対立が続けば古明地一族のようなことが再び起こるかもしれない。だから幻想郷を去るのだと。これに対し幻想郷の妖怪たちは戸惑い、様々な感情を抱いたまま、嫌われ者を見送ることになる。
「あいつらとは、あんまり酒を飲んでなかったなぁ」
とある妖怪がこぼした言葉である。
地底とは相互不可侵の条約が結ばれ、双方の接触は固く禁止された。
さて、最後に大飢饉の顛末について書こう。飢饉は数年ほどたつと落ち着きを見せるようになった。太陽の輝きは相変わらず弱々しいものだったが、人間たちは新しい栄養豊かな作物を手にいれることによって、飢えをしのぐことが出来るようになっていたのだ。新しい作物を育てることが出来るようになったきっかけをつくったのは、あの白沢の女である。彼女が幻想郷を放浪している際、偶然とある洞窟を発見する。その洞窟は特殊なヒカリゴケによって常に真昼のように明るく、また地熱の影響からまるで南国のような暑さを保っていた。白沢の女は人間たちにこの場所について教え、そこからこの『熱気洞』では香辛料、バナナ、サトウキビ、コーヒーなどの南方の作物が育てられるようになった。新しい作物(これらに加えもちろんサツマイモを忘れてはいけない。いや、むしろサツマイモのほうが偉大かも)は人間の腹を満たし、白沢の女はこれをきっかけに人間たちに受け入れられるようになった。
人間の里では人口抑制のための少産政策が取られるようになり、ようやく人口爆発が抑えられた。
幻想郷に人が住み始めてから、千年以上がたった。本当にいろいろなことがあった。人間たちからすれば、自分たちはなんとめまぐるしい歴史のなかで過ごしているのだろうかという思いだった。だが、しかし。外の世界はそんな幻想郷の歴史すら足元に及ばないほど、凄まじい速さで歴史が動いていた。世界の近代化が遂に始まったのだ。我々では想像もつかないほどの技術が次々と開発されていった。それまで遠いはるか彼方であったはずの異国が軍艦を日本に派遣するようになった。いつまでも続くはずの幕府があっけなく滅んだ。
そして、幻想が否定されるようになっていった。
妖怪とは人間の幻想によって成り立つ存在である。外の世界の人間たちが幻想を否定してしまったら、妖怪は存在すら出来ない。妖怪消滅の危機が到来したのだ。
妖怪の賢者たちは長い長い話し合いをおこなった。議論は紛糾し、会議の合間には何人かの賢者が抗議のため自ら命を絶った。話し合いは数年に及び、そして、賢者たちは結論を出す。
『博麗大結界』。それまであった幻と実体の境界よりも遥かに強力な、常識と非常識の結界である。この結界は外の世界の非常識を幻想郷の常識と設定することで外の世界の干渉を完全にシャットアウト、幻想郷を独立した一つの世界にしてしまうことが出来る。そして幻想郷の人間が幻想を認める限り、妖怪は外の世界の認識に左右されることもなくなるのだ。画期的であり、外の世界の近代化に対抗する決定打ともいえた。ただ、一つ問題がある。大結界は完璧な幻想の防壁である。だが、完璧であるがゆえに、外の世界との接点をほとんどゼロにしてしまうのである。それによって問題が生まれることは、火を見るよりも明らかであった。妖怪たちは慌てた。
妖怪は幻想郷の人間だけを狩って生きているわけではない。それだけでは絶対に数が足らない。今度は自分たちが飢える番なのか。妖怪たちはそう嘆いた。これに対し、賢者たちは食糧係をつくった。まず、外の世界の幻想否定にある程度耐えられる者たちを選抜する。そして彼らが外の世界に出向き、人間を狩る。人間の肉は等分に妖怪へ配給される。幾らかの困難はつきまとうだろうが、妖怪の食糧問題もおそらくこれで大丈夫なはずだ。そう賢者たちは推測した。
また、妖怪に対して、人間たちは大結界の設置を比較的冷静に受け止めた。外との交流はほとんど断たれるが、それよりも外の世界に自分たちが統治されるのが嫌だった。明治政府の使者は認識妨害の術によりまだなんとか来ていないが、それでも人間の里がやがて自治を失うことは時間の問題であると考えられていたのだ。大結界は里を外の世界から守ってくれる。人間たちはそう考えた。
多かれ少なかれ、だれもが不安と不満を持っていた。だが、しかたない。こうしなければいけない。幻想郷の人妖はそんな風に様々なものを諦め、妥協の道を選ぼうとしていた。幻想郷は偉大である。過去色んな侵略者にも打ち勝ってきた。しかし、今回ばかりはもう無理だ。寂しい笑顔を浮かべながら、彼らは一歩を踏み出そうした。
けれども、その流れに逆らおうとしたものがいる。
あのエクストラだ。
「一回しか言うつもりはないから、よく聞いてくれ。私はみんなに闘ってもらおうと思っている。
みんな、胸のどこかで悔しいと思っているんじゃないのか? 人間たちが幻想を否定して、自分たちはそれに対し何も出来ずにただ幻想郷に引きこもろうしている。こうやって、言葉にするだけでも、なんて悔しいんだろう。なんて情けないんだろう。これが正しいっていうことは分かる。幻想郷が生き残るにはこうするしかないんだ。分かる、分かるんだよ。
でも、やっぱり納得できないじゃないか。妖怪はそんな存在だったか? 人間たちの近代化を恐れて、こそこそと逃げ去るような、そんな存在だったか? 闇がなくなり電灯の光が夜を照らす? 馬鹿を言うな。闇はいつだって夜の支配者だ。電灯が照らせるのは夜のほんの一部分でしかない。
みんなこのまま幻想郷に引きこもって、あっちはあっち、こっちはこっちなんて、そんな偉そうぶって生きたいのか。そんな生き方で酒が旨くなるのか。私は、そんな幻想郷で弾幕なんてやりたくない!
妖怪らしく人間たちを襲おうじゃないか。夜を忘れようとしている人間たちに、闇の深さをもう一度教えてやろうじゃないか。世界を闇で呑んでやる。私の力を持ってすればそれも可能だ。みんなには私の援護を頼みたい。
あの時のように、妖怪津波を起こそうじゃないか」
妖怪たちの前でエクストラが発した檄を、ほぼ全て収めてみた。
エクストラの演説から一週間後、彼女のもとには、幻想郷の妖怪の三分の一が集まっていた。エクストラの言った通り、彼らはやはり悔しかったのである。エクストラが率いる軍勢は、博麗大結界を作成している途中であった妖怪の賢者たちに叛旗を翻した。ここに幻想郷史上、最大の戦いである『大結界戦争』の火蓋が切って落とされた。
エクストラ軍の戦略はある意味で単純だった。それは、エクストラが世界を闇に呑み込む術の準備のため一年間何も出来ない間、襲い掛かってくる全ての障害を撃退することだ。エクストラの能力ははっきり分かってはいないが、ひとたび能力が全解放されれば、この地球という惑星そのものを暗黒の下に統治することが出来るという。彼らはかつて鬼の宮殿であり、今は天狗が住み着いている鬼角殿(現・天魔殿)に乗り込みこれを占拠、自らの拠点とした。大結界戦争は、妖怪の賢者たちの軍勢がここに何度も攻め込み、何度も失敗することで推移していく。
戦争は一年間に渡って続き、それは激しいものだったという。詳しいことはいまだ妖怪たちの軍機に触れるため公開されてはいないが、一説によると妖怪の三割がこの戦争で死んだらしい。
この戦争中、人間たちは龍神の力によって保護されていた。龍神は人間の里の周辺に障壁を張り、妖怪たちの流れ弾が飛んでこないようにした。人間たちは龍神に感謝しつつ、妖怪の山でときおり煌く閃光を、固唾を飲んで見守るだけだった。龍神の言葉として、いまは妖怪の好きにさせておけ、というものがあったため、人間は大結界戦争には終始不干渉の立場を取ることになったからだ。
当時の博麗の巫女は、なかなか動かなかった。エクストラと当時の巫女は親友同士だった。巫女は、一体どうしたらよいのか分からなかった。
だが、戦争開始から三百五十日め。妖怪の山では死体が積み重なり、その上で戦いが続けられている最中、博麗の巫女はついにやってきた。巫女は単身、エクストラ軍に突っ込んだ。巫女が選んだのは、幻想郷を閉じる道だったのである。エクストラ側の妖怪たちは次々となぎ倒され、巫女はエクストラの前までやってきた。彼女はそこで最初、エクストラの説得を行ったという。だが説得は通じず、巫女とエクストラは戦いはじめた。その余波で山の一部が崩れ地形が変わった。この戦いを大勢の妖怪が見守った(なぜかそこにはあの魅魔もいた)。例によって、割り込むべきではないと考えたのだ。エクストラの攻撃はどことなくあの弾幕に似ており、美しかった。
戦いは、巫女の勝利に終わった。エクストラは素直に敗北を認めたという。
「幻想郷を閉じた時点で、私たちはみな負け犬だ。けれど。負け犬は負け犬なりに、ここを楽しい場所にしろ」
これはエクストラが最後に残した言葉である。その後エクストラは、博麗の巫女により永久にその力を封じられ、小さな子供のような妖怪にされたという。いま、彼女がどこで暮らしているのか、それは分からない。エクストラ軍は降伏し、大結界戦争は多くの犠牲者を出して終わった。新しい幻想郷誕生のイニシエーションだと言えば、それは確かにそうかもしれないが、それでもこれは一つの悲劇であると私は考える。
外の世界の暦で明治十八年、戦争終結後まもなく博麗大結界は完成した。その時、雷鳴と豪雨と共に龍神が姿を現した。龍神はなんと、エクストラの最後の言葉を幻想郷全体で守るように迫った。幻想郷は閉じた世界になる。それでも、平和と歓喜に満ちた場所にせよ。妖怪の賢者たちは自分の全存在を賭けてこれを誓った。すると、豪雨と雷鳴は去り、龍神は天へと還っていった。以後、龍神は現在まで現れていない。
博麗大結界施行後、幻想郷では大結界が完成した年を第零季、以後の年を第一季、第二季と数えていく『季年号』が生まれ、新しい時代の始まりを感じさせた。
人間たちにとって一番変わった事といえば、妖怪にほとんど襲われなくなったことだろう。妖怪たちは閉鎖環境にある幻想郷において、人間たちの数が減らないように人間の里、及びその周辺では絶対に人間を襲わないようにするルールを決めたのだ。これを『人間保護法』という(ルールを理解できない低級妖怪はいる)。人間たちはそれまで老衰に次いで死因の第二位であった妖怪の襲撃がほとんど無くなったことにより、再び人口を拡大させた。以前の大飢饉が思い出されたが、しかし外の世界から幻想入りしてきた様々な書物に書かれた優れた近代的農業技術(もちろん数十年は時代遅れだが)を活用することにより、その不安を払拭することが出来た。
妖怪たちの生活も大きく変わった。食料係の妖怪の活躍のおかげで配給制はうまくいき、妖怪はお気楽に日々を過ごすことが出来るようになったのだ。妖怪たちはエクストラの言葉をよく守ろうとした。毎日弾幕の美しさを磨き、宴会に勤しんだ。それまでもひっそりと行われていた人間の里に遊びに行くことも堂々とするようになった。人間たちの中にはそんな妖怪のため専用の居酒屋を用意するものも現れた。そこでは毎日が人妖宴会であり、夜通し酒によった妖怪の歌が響いた。
大結界をつくることにより、幻想郷は驚くほど平和になったといえる。もちろん、外の世界に対する悔しさは、心の奥深くにずっと根付いていた。けれど、そんな悔しさを感じている暇がないほど、新しい幻想郷は人と妖怪の積極的交流というものに満ちるようになっていった。
新しい時代は楽しい時代となっていった。外の世界からの干渉もなく、平和な時間が過ぎていった。本当に平和だった。
平和過ぎ、だった。
大結界の完成から百年ちょっとがたったころ、幻想郷は相変わらず平和だった。だが、その平和が妖怪たちに平和ボケという病をあたえていた。妖怪は人間の肉さえ食べていればよいというわけではない。人間をかたちだけでもいいから襲い、襲う妖怪と襲われる妖怪という形式を守らないといけない。そうしないと妖怪は妖怪としての存在意義を見失い、その力を失ってしまうのだ。しかし当時の妖怪たちはそれすらめんどくさがるようになってしまっていた。妖怪は基本、怠惰である。
やがて、この平和ボケが幻想郷におおきな危機を招来することになる。
『吸血鬼異変』、レミリア・スカーレットが襲来し、それにほとんど対抗出来なかったのである。
レミリアは幻想郷に入ってすぐさま、自らが幻想郷の支配者になることを宣言した。他の妖怪たちは、妖怪が自由に生きれる数少ない場所になった幻想郷での争いは合理的ではないと、常識論を説いたが、レミリアはこれを一笑に付した。その傲慢さは、かつて月に攻め入った昔の妖怪たちを彷彿とさせた。彼女が根城とした紅魔館からは、西洋から連れてこられた戦力の数々が次々と吐き出され、幻想郷全体を威圧することになった。その内訳は、ゴーレム二十三体、ガーゴイル六十三匹、ヨーロッパドラゴン七頭、スライム七千三百匹である。これらが平野に陣を敷き、揚々と悪魔の歌を歌った。幻想郷の妖怪たちは、このレミリアの示威行為に対して何もすることが出来なかった。いざ闘おうと思っても、自らに宿っていたはずの力が驚くほど目減りしたことに気づいたからだ。無理をしてレミリアに挑んだ妖怪は、吸血鬼の圧倒的なパワーの前に叩き潰された。これだけでもずいぶんと情けないのに、レミリアの力を見た若い妖怪たち(大結界敷設以降に生まれた妖怪)は、彼女のカリスマに惹かれて、続々その傘下に入っていってしまった。古参の妖怪たちは自分たちの堕落を嘆いたが、もう後の祭りだった。
結局、吸血鬼異変は妖怪の賢者たちの介入によって片が付いた。妖怪の賢者たちはまだ力の残っている強豪妖怪を選抜し、レミリアに決闘を申し込んだのだ。レミリアは飛びつくようにこれに乗り、『レミリアゲーム』という武道会を開催する。血を血で洗う凄惨な戦いを予想していた賢者たちは最初鼻白んだが、結果として誰一人死ぬことなく決着がついた。レミリアは観客たちを大いに盛り上げながら、最後に敗北した。
これ以後、吸血鬼と幻想郷は契約(吸血鬼条約)を結ぶ。人間保護法を守る、その代わり食糧は他の妖怪よりも多めに渡す、といった内容でレミリアもこれをよく守っていくことになる。吸血鬼異変は終わった。だが、大きな問題が残った。もちろんそれは、妖怪の弱体化のことである。とにかく形式的でもいいから襲う妖怪、襲われる人間の図式を保たねばならない。だが、そういう演技をしろと言っても妖怪たちはそんな退屈な茶番が出来るか、と反論した。考えてみればそうで、まるで演劇のように形式を守ったとしてもそこに妖怪存在の根本たる恐怖は生まれないだろう。どうせ演技でしょ、と人間は思ってしまう。なら実際に妖怪の能力を駆使し、人間に襲いかかったとしたらどうだろう。そうなったらほぼ確実に人間は死ぬ。一体、どうしたらよいのか。これにはかの妖怪の賢者すら頭を悩ませることとなった。
「あら、簡単じゃない」
ふと、そんな声が聞こえた。
実に気軽に、ある意味空気を読まず。
「決闘っていうかたちにするのよ。へたしたら死んじゃうことはあるかもだけど、ある程度は平和なルールで戦うの。まあ、本当の殺し合いと比べたらお遊びだけど」
ふらりと現れた一人の巫女が、画期的な意見を出した。
「決闘の方法? あんたらの好きな弾幕を使えばいいんじゃない?」
この提案をした巫女の名は、博麗霊夢。現在の博麗の巫女である。
『命名決闘法(スペルカードルール)』。その理念は、妖怪と人間が一定の危険と、一定のルールの下で闘いやすくするというものである。妖怪(もしくは一部の人間)が自らの能力を札(スペルカード)に込め、それを決闘のときに幾枚か所有しておく。決闘はそのカードを用いて行い、全カードを使い切った時点で相手が立っていたら負け、倒れていたら勝ちだ。相手の命を取ることは目的ではなく、あくまで一種のゲームとして決闘は行われ、勝っても負けても恨みっこなし。
また、スペルカードは全てが弾幕であることが義務付けられ、これによってより遊びであるという側面が強化され、死亡率の低下につながった(弾幕は自らの全力で打つものではないため。また加減がつきやすい性質がある)。そして、このルールにおいては美しさも重視される。なぜならば、その者が最も美しいと思う弾幕は、術者の全性質を表わすからだ。これにより弾幕の撃ち合いは、己の全てを表現しながらおこなう、術者同士の魂の触れ合いとなった。
博麗霊夢と妖怪の賢者は何度もルールについて話し合い、時には別の決闘法が提案されたりもしたが、最終的に上記のもので決定された。最初は、弾幕で決闘を行うという法案に多くの妖怪が度肝を抜かれた。しかし、これなら茶番だとしても、とても楽しいものになるとやがて考えるようになる。妖怪は総じてあの妖怪が始めた弾幕が、大好きだったのだ。もちろん、最後までこれに反対した真面目くさった(そのくせ人は襲わない)妖怪もいたが、これらは巫女の一言によって総じて口をつぐむことになる。
「あれ? 龍神あんたたちのところ行かなかった?」
巫女の本来の役目は神と人との取りつなぎ。霊夢は龍神の託宣を受けていたのだ(意識的ではなく、無意識的に)。それによると、我はこの決まり事に賛成である。これで幻想郷は本当の意味で楽しい場所になる。我も力を貸そう。龍神の言葉によって反対派は消滅した。
こうして命名決闘法は施行されことになった。けれども、施行直後すこし不思議なことが起こった。例えば幻想入りしたばかりの妖怪が、それまで命名決闘法のことなどなにも知らなかったのに、いきなりスペルカードを出して弾幕をするようになった。繰り返していうが、この妖怪は本当に命名決闘法を知らなかったのだ。この奇妙な出来事は、龍神のおかげであった。龍神の力により、幻想郷にいる者は自然とスペルカードで決闘をするようになったのである。無意識的に弾幕ごっこがしたくなるのだ。また、この力は巫女にも仮託され、巫女のいる場所では必ず弾幕が行われるようになった。
その後、紅霧異変、春雪異変、永夜異変など様々な異変が幻想郷を襲ったが、これらはことごとく命名決闘法によって決着を見た。そしてなぜか、その異変の首謀者たちは博麗神社に足繁く通うようになる。神社は妖怪のたまり場となった。だが、だからといって神社が妖怪にのっとられたわけではない(勘違いしている人も多いが)。命名決闘法により、人間と妖怪の距離がさらに縮まったおかげだ。妖怪たちは決闘をかたちをとって人間を襲い、人間も決闘によってこれに対抗する。どこまでも形式的ではあるけれども、そこにはかつての緊張感が僅かながらによみがえっていた。なあなあな関係だけではなく、ときにはメリハリもつけることによって、より楽しい関係を人妖は手に入れることが出来たのだ。楽しい関係を築いた人妖の距離が縮まったというわけだ。博麗神社はそんな新しい幻想郷の象徴なのかもしれない(まあ、妖怪だらけなおかげでお賽銭はないけれども)。
さて。
千二百年前から始まった人間と妖怪の物語をここまで長々と語ってきたわけだが、それもここで一旦打ち止めとしたい。人と妖怪は対立を繰り返しながら、少しずつ融和の道を歩んできたのがよく分かったと思う。このままこんな時代が続けばいいのだが。
まあ、でも。今はただ、この瞬間をお酒でも飲んで楽しもう。あなたは幻想郷の歴史を知ったのだ。
そのお酒には千二百年という肴がある。まずいわけが、ない。
了
時系列もばらばら
何より、長すぎです
少し?なとこもあったけどおもしろかったので70点
一ヶ所幻想教になってました。
少し時系列に違和感を感じましたがそれはそれで特に何も言いません。
>またお前か!
阿求の毒舌っぷりが出てるが控えたほうがよいかと...
全体的には面白かったです。