Coolier - 新生・東方創想話

The Moon is a Harsh Mistress

2010/08/03 01:39:44
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 夜。
 縁側より見上げる空は、まるで墨を零したかのように一色に染まっている。しかしその単色の中で、煌々と自己主張を行うものが一つ。そこには無慈悲な夜の女王が、僕を見下げながら鎮座ましましている。

 そして僕はと言えば、その女王の冷たい目線に射竦められながら、得体の知れぬ冷たさを身に纏った女性に酌をして貰っている。

 この幻想郷を見守っていると言われる妖怪の賢者、八雲紫。
 その賢者が僕の隣に腰掛け、僕の一挙一動を見守っている。いや、この場合は監視していると言った方がしっくり来る気がする。

 僕のグラスへと琥珀色の液体を注ぐ彼女の物腰は、とても柔らかだ。
 しかし彼女の醸し出す雰囲気は、彼女が差し出す洋酒に似て蠱惑的で、そしてどこか危険な香りがする。
 このグラスの液体を飲み干せばたちまち僕は意識を失い、誰も知らぬ境界の果てへと隠されてしまうのではないだろうか。そのような誤解を抱かせる程に。

 液体を見詰めながら逡巡する事暫し。氷と共にゆらゆらと揺れる液体は、月の光を飲み込み妖しく輝く。
 このまま見詰めていたとて埒が開かぬと悟った僕は、思うままに埒を開けるべく、頑ななまま閉ざされていた口を開いた。

 口腔より飛び込んだ酒は喉を通り、臓腑へと辿り着く。
 たちまち上昇する体温。たった一口分を嗜んだだけだというのに、まるで胃の中に火を付けられたかのよう。身体の内側より熱が高まっていく。
 さながら酒は、魂という機械を駆動させる燃料と言った所か。このまま彼女の酌に従い飲み続ければ、機械が過熱状態になるのもそう遠くはないだろう。

 全く、何故この様な事態になったのだか……

  ◆  ◆  ◆

 黄昏時。
 日が傾き、他人を推し量る事が困難になる頃合い。

 人と人との領域が曖昧になるこの時合いには、境界さえも曖昧になる。境界とは、誰かが自分という『個』を認識する事で初めて発生し得るからだ。
 『個』が『他』との区別を確認する事で、その両者の間に境界が発生する。ならば、その『個』と『他』の境界線が曖昧になってしまえば、それに追随して境界も曖昧に溶け合うと言う訳だ。

 そう言えば昔、境界に関する小話を誰かから聞いた憶えがある。
 何でも、人が見る世界と妖怪が見る世界は異なるのだと言う。その世界の違いこそが人と妖を隔てる境界なのだと。
 それならば、その境界線上に立つ僕はどうなるのだろう。先程の弁が正しければ、僕が見る世界は人とも妖怪とも異なり、唯一僕だけが見据えられる世界だという理屈になる。
 誰も彼もが同じ世界に生きていながら、僕と同じ世界を見詰めるものは誰も居ない。
 この話を聞いた時、僕は少しの優越感、そしてほんの少しの孤独感を憶えたのだったか。

 まぁ今にして思えば、そもそも自分ではない人物と完璧に同じ世界が見えるものなど一体どれだけ居るというのだろう。
 例えば今の光景。山々の稜線が傾いた日差しにより、色合いを徐々に塗り替えられている景色。この光景を見ている十人の何の変哲もない人々が居たとしよう。
 彼等に「今の山は何色に見える?」と聞いたら全員が同じ答えを返すだろうか。人間は皆同じ世界を見ているはずなのだから。
 しかし、僕には彼等が異口同音を唱えるとは思えない。まぁ、何人かは同じ答えを返すかもしれないだろう。しかし、十人が十人揃って皆と同じ色にしか見えないと答えはしないだろう。それでは十人一色だ。僕は人間がそんなに面白みがない生き物とは考えたくない。
 それに、日本語には五百以上の色を表す言葉が存在する。これこそ、人々が他人との間に存在するどうしようもない境界、それを埋めようと奮闘した結果ではないだろうか。

 ……考えが大きく逸れたな。とにかく、今の黄昏時と言う時分は境界が曖昧になる。即ち、外界より道具が飛び込んでくる確率も高まると言う事。
 そんな訳で僕はいつも黄昏時に、道具を仕入れる為無縁塚へと足を運ぶ事にしている。果たして今回はどのような道具と出会えるだろうか。



 無縁塚への道中。僕は手持ち無沙汰を紛らわす為、漫然と取り留めもない事象に思いを巡らす。
 例えば道具の事――最近僕の琴線に触れるようなものには、中々お目に掛かれていない。ここらで一つ売るのが惜しくなるような一品に出会いたいものだ。
 例えば夕餉の事――この所まともに食を摂っていない気もする。何か良い道具が見つかれば、記念に少し豪勢な物でも作ってみるか。
 例えば晩酌の事――そう言えば酒を嗜む事ともご無沙汰だ。久しぶりに楽しもうにも、如何せん酒は切らしていた憶えがあるな。

 そんな風に他愛もない考えを繰り広げていると、いつの間にか足は無縁塚へと辿り着いていた。
 さて、一体どのような出会いが僕を待っているのやら。期待に胸を躍らせながら、僕は道具の探索を始めた……

  ◆  ◆  ◆

 逢魔時。
 太陽が山間の稜線へとその姿を隠そうとする頃。
 夕闇が迫る中香霖堂へと帰ってきた僕は、無縁塚より得てきたものを番台の上へと置く。
 
 今回見付けた道具はたった一つ。しかしその唯一の戦利品は僕の目論み通り、外の世界から流れ着いた道具だった。

 掌大ほどの無骨な鉄の塊。一見では何に使うのかも予想出来ない。
 塊の一部には、手で握るのであろう部分が設けられている。実際そこを握ってみると、僕の掌にしっくりと収まる。だがこれを掴んでものを叩くのだったら、大人しく玄翁を持ってきた方が効率が良いだろう。
 しかしこの道具は、玄翁よりも遥かに効率良く『あるもの』を叩く事が出来る。
 この塊からは、精緻な仕掛けによって豆粒程の弾を叩き出す事が出来るようになっている。そしてその叩き出された弾は、容易に人の『魂』をその身体より叩き出すだろう。

 そう、これは『銃』。他人を傷付ける為にある外界の道具。

 この様な道具は流石に売り物にする訳にはいかない。かといって非売品として保管しておくのも、余程隠し方に神経を使う必要があるだろう。
 何しろこの道具は指一本を動かすだけの気軽さで、周囲を血に染める事が出来るのだ。誰かに持って行かれてしまっては、それこそ大惨事になりかねない。
 全く面倒なものが飛び込んできたものだ。

「その道具、私が頂いていくわ」

 隠し場所について思いを巡らせる僕へ、虚空より突如投げかけられる言葉が一つ。
 それと共に中空からすらりと伸びた白い陶磁器の様な指が、僕の戦利品をするりと掠め取っていく。
 未だ僕の眼には声の主の姿は見えないが、その掌の主は判りきっている。

「それは非売品だ、勝手に持って行かれては困る。
 何にせよせめて顔くらいは見せて欲しいものだ。掌相手では交渉もしにくい事この上無い」

 その手に握った銃が大きすぎる為か、どこかおぼつかない扱いで中を漂う掌。するとそこから徐々に身体が伸びて行き、少しずつ一個の人物を形作っていく。この光景は急速に伸びゆく萌芽を見ているようで、何やら幻想的だ。
 ややあって萌芽は、一人のあどけない少女へと成長しきった。
 この、まさに少女としか形容出来ない程の幼さに満ちた小さな彼女が、この幻想郷でも指折りの実力者だと信じられる者がどれだけ居るのだろう。
 居るとしたらそれはかなりお目出度い奴に違いないだろう。それほどまでに今の彼女は、本来の実力をまるで感じさせない姿を取っている。
 全く、一体どんな理由が有って彼女、八雲紫はこの様な姿に化けるのだろう。有り余る程の力を持つ強者が弱者を装った所で、得られる利点は何もないだろうに。それとも僕には到底及びも付かない深遠な思慮がそこにはあるのだろうか。

 しかし、彼女の外見についてはこの際どうでも良い。大事なのは非売品の処遇についてだ。
 そう、扱いに悩んでいたとて、これはもう立派な僕の所有物。それを横合いから掻っ攫われたとあっては、面白い訳がない。
 第一、何故紫は毎度々々今更になってから僕の眼前に現れるのだ。彼女はこの幻想郷を、守護者として逐次見守っているのだとも言う。ならば僕が道具に目を付ける前に、自らの手で回収しておく事だって出来るのではないだろうか。
 それに自分では放置したまま高みの見物を決め込んでいる癖に、人の手に渡った途端に傲岸不遜に現れるその態度。それでは守護者として少し狭量なのではないだろうか。
 しかし言いたい事は数あれど、実際に口にするのは憚られる。何故ならば僕と彼女の間には、絶対的な境界があるからだ。絶望的な実力差という悲しい境界が。
 彼女がその気になれば、僕なんてそれこそ赤子の手をひねるよりも簡単に片付けられるのだろう。
 そんな憤懣やるかたないと言える状況に追い込まれた僕は、ある言葉を口にする。

「まぁ賢者と名高い君が言うのならば、この非売品を持って行くのは構わない。
 しかし賢者と呼ばれる君ならば判るだろう? 何しろこっちも商売なのだから」

 そう、相手が気位が高い人物ならばその立場を利用してやればよい。何故なら立場というものは時として武器にもなるが、逆に己を縛る足枷ともなり得る。この場合、紫は『賢者である』という己の立場の為に、僕の言葉を無下にする事が出来ないはずなのだ。
 ここでもし紫が僕の要望を袖にするのならば、それは彼女が賢者と呼ばれる事を放棄すると言う事。彼女が僕という人物に軽んじて見られても良いとする事。彼女の事だ、そのような愚行は犯さないだろう。

「そうね、対価を支払うのは当然の帰結。ならば道具屋さんは何が望みかしら?」

 予想通り僕の言葉に乗ってくる紫。
 それにしても何でも望みを言え、と来たものだ。これは返答次第で僕という人物の器の大きさを測ろうとでもしているのだろうか。
 フムン……望みか。そう言えば丁度欲しかったものがあるな。

「それならば酒を貰えるかな」

 僕の返答が予想とかけ離れていたのか、紫は呆気にとられたような表情を浮かべていた。
 これは期せずして彼女の鼻を明かせたのかもしれない。そう考えると僕も満更捨てたものではないな。

「いや何、近頃酔いというものとはとんとご無沙汰でね。丁度嗜みたいと思っていたんだ。
 君の事だ、上等な酒を数多く所蔵しているのだろう? ならば幻想郷では普段お目に掛かれない洋酒などを頂けると嬉しいのだが」
「……なるほどお酒、ね。了解したわ。少しの間酒宴の準備でもしながら待っていて頂けるかしら。それほど掛からずに持ってこれるでしょうけど」
「ありがたい、交渉成立だね。流石賢者相手ともなると、商談も円滑に進むものだ」

 商談が終わると、紫は早々に隙間へと姿を消した。行き先は迷い家かそれとも外界か。
 何にせよ上等な酒が楽しめるのだ、ならばその出自は問うまい。
 取り敢えず僕はささやかな一人きりの酒宴、その準備を始める事にした。

  ◆  ◆  ◆

 夜。
 空には大きく輝く満月が一つ。星々の姿が見当たらないのは、今夜は月が余りにも自己主張をしている為に隠れてしまったのだろうか。

 僕はと言うと二つ三つほどの簡単な肴を用意して、縁側へと腰掛けている。
 隣には洋酒の瓶を僕のグラスへと傾ける紫の姿。しかしその姿は先程とはまるで異なり、妖艶な大人の女性へと変貌を遂げている。
 彼女の本質は、一体どちらの姿なのだろうか。あるいは、と僕は考える。

 あるいは、目に見える彼女の姿は全てが偽物なのではだろうか。
 彼女は境界の彼方へとその正体を隠し、決して本当の自分を悟らせようとしない。普段の言動の端々にも、他人の追求を煙に巻こうとする胡散臭さが充ち満ちている。
 幻想郷の守護者たる重責を担うには、それほどの用心深さが必要なのではないのだろうか。
 だとしたら彼女はとても悲しい存在なのかもしれない。
 他の誰かが自分という『個』を認識する事によって境界が生まれ、存在が確立する。ならば誰にもその本質を認識される事がない彼女は、果たして本当に存在すると言えるのだろうか。……これは難しい問題だ。

 そして難しい問題がもう一つ。更に言えばこちらの問題は僕に対して如実に関わってくる分、切実な事柄だ。
 僕へと課せられた難題。それは「何故八雲紫はここに居る?」と言うものだ。

 僕は元々彼女より銃の対価として酒を受け取り、一人でそれを愉しむつもりだった。
 だと言うのに彼女は僕の隣に堂々と腰掛け、あまつさえ自分用のグラスさえ持参している。ここに居座り酒宴に参加する気なのは見え見えだ。

「さぁどうぞ。貴方の為に用意したお酒なのだから、味わって頂けると嬉しいのだけれど」

 紫がそう言い、僕へとグラスを呷るように促してくる。
 彼女の瞼の奥にある輝きはどこか僕を値踏みするような冷ややかなもので、そこには確かに本質を見抜かせない用心深さがあるように感じた。これは疑心暗鬼なのだろうか。

 しかしこのままグラスに注がれた水面に映る月影と見つめ合っていても仕方が無い。
 酒を飲むのに覚悟を決める、と言うのも何だか妙な話だが、僕は一つ覚悟を決めるとグラスへと口を付けた。



「このお酒は『ムーンシャイン』と言う名が付けられているわ。今日という日に相応しいと思って」

 紫と静かな酒宴を愉しむ事数刻、彼女が今回の席へと持ち込んだ銘柄についてのささやかな知識を教えてくれた。

 ムーンシャイン。つまりは月光か。
 古来より月輪の光は人を狂わすと言い伝えられる。ならばその光は、半妖である僕の影を一体どの様に響かすと言うのだろう。
 人の部分だけを狂わすのか、果てまた全てが狂うのか。人の部分が狂い妖の部分がまともだったとして、はたして本当に狂っているのは人なのか妖なのか。
 疑問は尽きる事がない。彼女と飲み交わす時は特に。

 月影のように捕らえ所が無く、朧月のように実体が定かでない。時折見せる眼光は月光のように冷たく、それでいて月に磨かれたような妖しい美しさがある。
 天蓋の高みより、幻想の万象を見通しているかのような物腰。しかし自ら輝こうとはしない強かさは、それこそ月の本質そのもの。

 本当に彼女は月のような女性だ。
 月光の影響か、どこか霞が掛かってきたような頭で僕はそんな事を考える。偶にはこの様な、酒席も悪くはないか……

  ◆  ◆  ◆

 朝。
 身を焼くような日差しが容赦なく世界を照りつける。

 気が付けば僕は寝室で布団にくるまっていた。
 昨夜の酒宴、それがどのようにお開きになったのかがまるで思い出せない。記憶の糸を手繰ろうとしても、頭蓋骨を無理矢理開こうとしているような痛みが走る為、それどころではない。
 痛む頭を抱えて、僕は必死に洗面台へと身体を引きずっていく。鏡に映った見慣れたはずの顔を見ると、そこには月兎のように真っ赤な目をした僕の顔。こんな酷い面構えだったろうか僕は。

 全く、昨日は悪くないとも思ったが前言撤回だ。やはり彼女には敵わない。
 今後彼女に取り合う時は、もっと深く考えてから行うべきだろう。鳴り止まぬ頭中の鐘。その響きと闘いながら僕はそんな事を密かに決心する。

 気分は最悪。本当に高い授業料を払ったものだ。
 月は厳格な女教師。
鈴月
http://bellm00n.blog108.fc2.com/
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コメント



0.1510簡易評価
22.90名前が無い程度の能力削除
雰囲気がでてるね
23.無評価名前が無い程度の能力削除
砂漠とかの地方文化だと、慈しみ、慈悲、などになるらしいよ
>月
26.90名前が無い程度の能力削除
こういう雰囲気のお話、好きです。
32.100名前が無い程度の能力削除
よかったです、またお願いします
34.100名前が無い程度の能力削除
流石ゆかりん、