※東方憑依華初出キャラを含みます
本当の豊かさ、とか、真の幸福、とか。
そう言うのは全部言葉遊びに過ぎないって、ずっと思っていた。
思っていたし、まだ思っている。
自分が信じていないものを手に入れることなんてできないだろう。
そもそも私は、確かな形で何かを手に入れたことなんかない。
私の持っているものは何時だって、誰かから奪い、盗み、掠めとったものだった。
そうするほかに方法があることを、想像することが出来ていない。
「先ずは金庫を持ちなさい」
そういったのは私の身元引受人ということになっている、寺の生臭坊主だった。
「はあ、金庫」
突然何を言い出すのだろうと思いながら、取りあえず聞き返した。
「仏教には〝不蓄金銀宝戒〟という教えがあります」
「ふちくこんごーほーかい」
「蓄財をしてはならないという戒律です」
しかし私は生まれてこの方蓄財などしたことはない。手に入れた財貨は無くなるまで使い果たし、無くなればまた貢がせて来た。
「そう、貴方は寧ろ貯めなければならない。不蓄金銀宝戒は見習い僧に課される十戒の一つであって、信徒に課される五戒には含まれていません」
聖白蓮はそういって人差し指を立てた。
「私のお役目は貴方を更生させることであって、高僧にすることではない」
「私も坊主になる気はさらさらないけども」
「そう。その更生をする上で、貴方は自ら財貨を稼ぎ、またそれを蓄えることを学ばねばなりません。まず自ら稼ぐとは〝不偸盗戒〟盗んではならない、ということ。そして、それを蓄えるというのは、私有財産という感覚を身に着けることです」
稼ぐのはそうだろうけど、蓄えるというのはピンとこない。そういう表情が彼女にも伝わったのか、さらにこう続けた。
「貴方は蓄財をしたことがないために、自分の金、というものを感じたことがない。他人の財と自分の財の区別がついていないのです。だから盗みを働くし、それを使うことに何の痛痒も覚え得ない。まず自らの財を感じなさい。遍く社会に存する財の内、自らの働きによって選り分けられた、自分のためだけの財を識るのです。自分のためだけの財を識ったとき、初めてそこで他人のためだけの財があることを感覚的に理解ることができます」
そんなことを言われて渡されたのは、里の貸金庫業者である助松金庫の門が入った鍵であった。坊主の癖に何で貸金庫業者なんか知っているんだろうと思わないでもないが、私はそれを取りあえず受け取った。
とはいえ、である。
私が完全憑依事件で巻き上げた金品は大半使い果たしており、残部はすべて八雲紫によって没収された。何らかの形で被害者に補填されるという話だが、いったいどうするというのだろうか。ちなみに例の件は謎のスリ魔による犯行で、正体は疫病神と貧乏神の二人組、博麗の巫女によって既に成敗された、というのが幻想郷に伝わっている全情報である。今のところ私と姉さんの写真等は出回っておらず、道を歩くだけで困るというようなことも起きていない。
被害者たちは泣き寝入りだが、人外連中については盗まれるほうが悪い――ある意味で化かし負けたようなものだからだ――ということになり、また人間連中については、里の外に出てライブに行っていたということから、他の里の人間からは自己責任であるという見方をされているようだ。切羽詰まってライブの運営側に補填するよう迫った者たちもいたようだが、演奏者連中にはご愁傷様である。
閑話休題。
要は、私には金庫に預けるような財産がないということである。
取りあえず寺にいる限りはバカバカしいほど味の薄い少量の食事に毎日ありつくことができる。一輪に口をきいてもらえば酒も多少飲むことができる。しかし私は何時までもこの寺にいるつもりなんか更々ないのである。
私は食事をとらなければ腹も減るし、おいしいものが大好きだ。人間ではないからそれで餓死するということは無いのだけど、何らかの形でお金を得なければ好きなものを食べることもできない。
果たしてどうやってお金を得ればいいのだろうか。
一か月後、そこには酒場で荒稼ぎする私の姿が!
「ジョーンちゃーん、ご指名よー!」
「はいはーい!」
まあ荒稼ぎは嘘だし、ご指名というのもまあ冗談みたいなものだ。
私が今働いているのは里のまあまあ中心地にあるお座敷付きの飲み屋である。いくらか包めば座敷にお酌をしてくれる女中さんが付いてくれるというわけである。簡単に言うとコンパニオンをやっているのだ。
「ジョーンちゃん、今日も綺麗だねぇ」
「あらー、紀野屋の旦那、ただで褒めてもなんにもなんないわよ」
「馬鹿言っちゃいけねえや。好きなもん飲みな」
「わーい、私、ドンペリー」
取りあえずただで酒が飲め、飯が食える。
一応それだけじゃなくって、配膳だったり、呼び込みだったり、もっと地味な仕事もいっぱいあるのだが、この札束が舞い飛ぶような空間で働けているというのは個人的には似合っているような気がしている。
「ジョーンちゃん、今度こそ受け取ってもらうぜ」
米問屋を営む紀野屋のオヤジは懐から小箱を取り出した。蓋を開けると、中にはビー玉大の珊瑚の髪飾りが入っている。
「旦那、何度も言ってる通り、アタシはプレゼントは受け取らないって決めてるの」
「オレの何が気に入らねえって言うんだい」
「旦那だけじゃなくて、誰からも断ってるんだって」
「一度出したもんを引っ込めろって言うのかい」
こうなると面倒だ。
背後の廊下を誰かが歩く音が聞こえる。私は咄嗟に彼女を引きずり込んだ。
「えちょ、なに!?」
「この娘、今日誕生日なの!」
「ええっ!」
この店で私の次に可愛いと評判のミサコである。
「(私、誕生日先月だけど)」
「(黙ってりゃ珊瑚が手に入んだから)」
「何、誕生日だと。そいつぁ知らなかった」
むちゃくちゃな展開だがオヤジも酔っているので勢い次第だ。
「ミサコちゃん誕生日か、なんにも用意してなかったなあ」
「いやいや旦那、その手に持ってるの、プレゼントでしょう。惚けちゃってー」
「ん? ああ、……ああ。そう言うことにしといてやるぜ。持ってけ!」
「な、なんかわかんないけどありがとうございますー」
「なんでジョーンは貰ってあげないのさ」
閉店後、明け方の店の前を掃き掃除しながらミサコが不満そうに言う。
「向こうがやるってんだから、貰えば良くない?」
「わふぁひは」
「ちゃんと飲み込んでから喋って」
余り物の寿司を余り物の酒で流し込む。
「アタシは、ヒトに貢がせて生活すんのはもうやめたの」
「じゃあなんで飲み屋女中なんてやってんのさ」
それはまあそういう話になるだろうけども。
「別にお酒奢ってもらうのは店の売り上げだしさ、それは働きの対価でしょ」
「違いがわかんない」
「あんたには分かんないでしょうね」
なにおー、と怒る今日誕生日だったミサコをあしらいながら、その違いは何なのだろうと私も思っていた。
金品っていうのは働きの対価だから価値がある。それがしばらく寺にいたりして、自分なりに色々考えた結果として、おぼろげながら見えてきた考え方である。金品それ自体に価値があるわけじゃなくて、誰かの働きと、誰かの働きを交換によって仲介する存在、それが金品なのではないか。だとすれば、盗んだそれには価値があるのだろうか。貰ったそれに、貢がせたそれに意味はあるんだろうか。
「俺たちは金を貯めるのが好きだが、その金を使うのも好きだ」
噺家の三流亭なんとかいう男が客としてやってきたときに言っていた。
「金っていうのはさ、使ってナンボなんだよ。でもねえ、金を稼ぐのが得意な奴に限って、使うのはへたくそだったりすんのさ」
「使う話じゃなくて、稼ぐ話が聞きたいんだよねえ」
「どんな稼ぎ方だっていっしょサ。皿洗いで一月かけて貯めた金も、俺が高座で三十分喋って稼ぐ金も、価値は一緒だろう?」
「そうかなあ……」
だとすれば、私は何をこだわっているのかということになるのでは。
それからも私は、何かを貰うことはしないで、三か月ほど勤めていた。
私の金庫には着々と金が溜まっていて、でもそれがどういう意味なのか、いまいちわからないのだ。
「最近紀野屋の旦那来ないねえ」
ちょっとした雑談のつもりだった。女中たちの待機部屋でのことだ。ここの客には私を贔屓にしているオヤジが増えたが、中でも結構通い詰めていた紀野屋のオヤジを暫く見ていないなということがふと気にかかったのである。
「え、紀野屋の旦那って倒れたんじゃなかったっけ」
「……え?」
ミサコ含め、複数人が何やら頷いている。
「それマジ?」
「うん。紀野屋の旦那、昔から腎臓が悪かったらしいんだけど、全然節制とかしないし、うちにもしょっちゅう来てたもんね」
「アタシそんな話、全然聞いたことない」
「そういうの忘れたいから来てるんだし、当然じゃない?」
「……」
そうか。あのオヤジがねえ。
幻想郷の医学のレベルはさほど高くない。腎臓を悪くして倒れたというなら、まあ潮時なのだろう。
「おばちゃーん、明日休み貰っていい?」
冬空。
クソみたいに冷たい風が吹いていて、誰もが家から一歩も出たくないような曇り空だ。
私は紀野屋邸を訪ねていた。
「馬鹿デカイ門だな」
果たして中まで音が通るだろうかと考えながら、門をぶん殴る。
ドンと鈍い音。
メリケンサック代わりの指輪類は全部没収されたことを久々に思い出して、痺れる右手を振る羽目になる。
「ってて、くそ。すいませーん! 誰かいませんかー!」
紀野屋文左衛門は農家の三男の生まれ。
家を継ぐ望みもなく、早くから商家の丁稚奉公に出され、僅かな小遣いを貯めて苦学したという。三十路手前で独立して米問屋を営み始めるが、既存の同業者組合に疎まれて長らく苦難が続いた。それでも苦心して今の、里一番の米問屋の地位を築くに至った。独身で、偏屈な人柄で知られ、早々に家を追い出されたせいで実家とは絶縁状態、一時期猫を飼っていたが、いなくなってしまったそうだ。
と、いうのが全て中に入れてくれたお手伝いさんから聞いたことだ。
中年の太ったおばさん、という表現だけで八割以上説明が済んでしまうようなその女は、座敷に通した私にお茶を入れ、要約すれば上記のようになる内容を誇張抜きで二時間ほど私に語った。屋敷のでかさの割に使用人の少ない紀野屋邸は、このおしゃべり女には合わない職場だったのだろう。こんな得体の知れない女が訪ねてきたというのに、屋敷に入れてもてなしてしまうというのは非常に非常識だろうと――非常識の化身みたいな私が言うのもなんだが――思うのだが。
ただ、文左衛門があまり万人受けする性格でないのは間違いないらしく、自分から彼を訪ねてくるというだけで随分と珍しがられてしまったのはあるようだ。
どうせ追い返されるだろうが、と前置きの上、女は私を文左衛門の私室へ通した。
和室の中に板の間があって、西洋風のベッドが置かれている、成金のような、それにしてはまあまあセンスの良いみょうちきりんな部屋で、ベッドの上で上体を起こしていた男がこちらを見た。
「誰だ……。うん?」
紀野屋のオヤジは、ぱっと見随分と痩せたように見えた。決して健康的な痩せ方ではなく、やつれている、と表現するべきだろう。
彼はベッドわきのサイドテーブルの上の眼鏡を取ると、それをかけてこちらをじっと見て、私を判別するのに数十秒を要した。
「お……おお? ジョーンちゃんじゃねえか! ど、どうしたぃ?」
「よっす。倒れたらしいじゃない」
私はベッド脇まで近づくと、サイドテーブルの上のものを腕で纏めてずらして、その上に座った。彼は苦笑いして、それも高ぇんだぜと言った。私は意図してこういう振る舞いをするわけではなくて、またそれに他人が魅了されるのは疫病神の能力とかでもなくて。何も考えずに相手にとってふさわしい振る舞いができてしまう私だから、疫病神なんてものになっているのだろう。
「ジョーンちゃんが見舞いに来てくれるなんてな」
「お得意様じゃない。顔くらい見に来るわ」
「そうかい? プレゼントはいっつも突っ返すし、ツレない態度だったじゃあねえか」
「だから言ったでしょ、貢物は受け取らない主義なの」
ただのこだわりでしか、ないのだ。
彼は私の手を握った。店ではよくあることだから、この程度で不快になんかならないし、寧ろ私は骨ばった彼の手に驚いた。
「へっへ、骸骨みてえだろう」
そんな私の驚きは彼にも感じられたようで、彼は不思議な表情で笑った。
「もう長くないの?」
「ぶっは、くく。そんなに直球で聞いてきたのはお前ぇが初めてだぜ」
「え、でも他に聞くことないし」
「まあ、……医者が言うにはもってふた月ぐれぇだそうだ」
「そっか」
「実はもう痛み止めしか処方してもらってねえんだ。無理して生き延びてもいいことねえしなあ」
この男はすっかり諦めているのだ。
いや、諦めているという言葉があたるのか、分からない。ただ、決めてしまっているのだ。選んでしまっているのだ。
「最後にジョーンちゃんが来てくれて俺は嬉しいぜ」
「大事な金づるだからね」
「お前ぇさんは金稼ぎが得意にゃ見えねえが」
「……」
お金と自分。
誰かから金を巻き上げるのが存在意義染みて得意な私が、それでも私なりに金を稼ごうとして、やっぱり迷走していることが、この男には分かるのだろうか。
私は持ってきた風呂敷を開いた。このために私は久々に金庫の中身を使ったのだ。
中から琥珀色の瓶を取り出す。
「病人の見舞いに酒持ってくるとはな。あっは、はっはっは!」
「旦那の好きなものなんか酒以外に知らないからさ」
「へへっ。やっぱりわかっちゃいねえな」
彼は反対側の棚に手を伸ばして、硝子のゴブレットを二つ取り出した。
「分かってないって?」
「俺が好きなのは酒じゃねえ。美人と酒を飲む時間だ。もっといやあ、金を使うことそれそのものさ」
彼はコルクを抜くのに手間取って、代わりに私が空けた。二つのゴブレットをなみなみと酒が満たす。
「乾杯、だ」
「うん、乾杯」
チンと澄んだ音が鳴る。
「旦那は、稼ぐのは得意なのに使うのは下手なクチかい?」
「なんだいそりゃ」
「前に店に来た胡散臭い噺家がそんなようなことを言ってた」
金を稼ぐのが得意な奴に限って、使うのはへたくそだったりする、だったか。
「なるほどそうかもしれねえな」
「やっぱりそうなの」
「使いきれねえほどの金ってのはある。いや、使いきれるやつもいるかもしれねえが、俺には使えねえ。家族はいねえし、恋人も居ねえ。家はもうでかいのを建てちまって、男だから幾らか高ぇ着物を仕立てたところでそれまでだ。食い物には際限がねえが、好きに飲み食いした結果がこのザマよ」
「アタシはいくら持ってたって使えば一瞬な気がするけどねえ」
「お前ぇさんには金を使う才能があるんだなあ」
「そうかねえ」
使う才能があっても、使いたいだけ稼げなきゃ持ち腐れだ。
男は豪快にゴブレットをあおった。生きるつもりがなければ節制も必要ない。私はなんだかそれが少し妙な気分で、続いて自分のそれを空にした。
「なんで貢がれるのがいやなんでい」
「アタシはちょっと前まで他人の金を巻き上げては、それを使いつぶすような生き方をしてたんだ。でも悪いことは続かないようにできてるらしくて、捕まって寺にぶち込まれてねえ。考えたんだ。中身のない空っぽの金品をジャラジャラ身に着けて、そうやって生きていて、何が楽しかったんだろうってね」
なんで私はこんなことをしゃべってしまっているのか。それはきっと、このもうすぐ死ぬ男になら、何を話しても、穴の中に叫ぶようなものだと思ったのだろう。
「ははっ。半端に悟っちまったわけだ」
「半端に……、まあそうかもね」
「宗教のことはなんにも分かんねえが、商売人の俺から言わせれば金は貯め込んでもなんにもならねえ。稼いだ奴が金を貯め込んじまうと、里全体の金が減っちまうのさ。金は天下のまわりモノっていうだろう? 世の中に自分の金、なんてものはねえのさ。ほんの一時、縁あって自分のところに寄り付いただけ。そのうち出ていって、また帰ってくる。金は呼吸をしてるんだ」
「呼吸?」
酒を注ぐと、彼はまたそれを飲み干した。
「金は息をしてるんだ。だから、金庫に閉じ込めてそのままにしてると、死んじまう。そんな罰当たりな話はない。だから、使わなきゃなんねえよ。金ってのはな」
「そういうもんかい」
私もゴブレットを傾けて、彼の言葉とともに酒を流し込んだ。
「それにな、……金を持ってるからこそ、良くねえこともある」
彼は少し寂しそうな顔をした。
財禍。
財産には幸いと禍いが、いつもセットで付いて回る。
「金は薬と一緒でな。ないと困るがあり過ぎると毒だ」
彼が棚の上を顎でしゃくると、そこには古い古い写真が飾られていた。
「俺の実家だ。あんまり裕福じゃなかったから、食い扶持が稼げなくて、俺はよそに働きに出された。そこまではまあいいさ。良くある話だ。俺が苦労して苦労して、本当に大変な時にも、なんにもしてくれやしなかった。そんで俺が大金持ちになってからしばらくして、うちを訪ねてきた。おこぼれに与りたいと言やあいいのに、長年ほっといてすまなかったと謝りやがる」
「旦那」
「お前ぇさんが受け取ってくれねえから、俺が死んだらこの財産全部、あちこちの寺院や神社に寄進することにした。妙な連中にたかられるのはごめんだ」
私は珊瑚の髪飾りをはじめとした、数々のプレゼントを思い出した。あれは自分に溜まっていく毒を吐き出していたんだ。
「世の中には明日食う米に困るような貧乏人もいる。こういう連中から巻き上げるとすぐに干上がっちまう。一方で俺みたいに、金でおぼれて窒息しちまうような奴もいるのさ。女苑ちゃん」
彼は瓶を掴んで、そこから直に中身を飲み干した。
「ぷはっ。……俺がバカみたいに飲み食いしてバラまいた金が里中に広がっていく。その時に俺は、ほんの少しだけ、この金を通して誰かとつながってる気ぃがすんのさ」
それから彼は年寄りの戯言につき合わせて悪かったといって、私を追い返した。
彼が死んだと聞いたのは、一週間後のことだ。
その日は仕事が休みだった。
私は助松金庫に行って、自分の金庫の中身を全部取り出した。
「深呼吸しな。久しぶりの娑婆だろう」
それを財布に入れて、私は夜の街へと繰り出した。
金品は働きの対価だから価値がある。この考えは変わってない。これに気付かせてくれたのは白蓮だ。でも私はその「働き」ってやつの意味が分かってなかった。
働きというのは、別に汗水垂らすことじゃないし、苦労することでも、慣れないことをすることでもない。紀野屋のオヤジは、帳簿上で数字を右へ左へ動かすだけで金が溜まっていくと言ってた。実は言うほど簡単なことじゃあないんだろうし、それをもって彼の得た金品に価値がないとは思えない。
働きというのは、自分にできるやり方で誰かに影響することなんだ。金品はだから、誰かと誰かの影響を媒介するもので、それ以上でもそれ以下でもない。私にできる働きというのは、やっぱりどこまでいっても誰かから金を巻き上げることでしかなかった。その、疫病神としての私のままで、この里に、この郷に、受け入れられるためには、喜んで金を差し出してくれる連中に影響していくしかないのだ。
助松金庫の貸金庫は、白蓮には悪いが解約した。
何故なら、私の稼ぎは、あんなちっぽけな金庫には入りっこないからだ。
「よう店主、やってる? はぁいあんたらシケた面してんじゃないわ。ここにいる客、全部今からアタシの奢りよ!」
大いに盛り上がる大衆酒場の真ん中で、私は札束をバラまいた。
金は天下を巡り巡って、稼ぎの得意な奴のところに一時集まる、そうすると私はまたそこへ行って、この里にそれをバラまくのだ。
私の金庫はこの里全体だ。
ねえ旦那、次に店に来たらプレゼント、受け取ってあげるのに。
アンタの財布も私のロッカーになるんだ。
本当の豊かさ、とか、真の幸福、とか。
そう言うのは全部言葉遊びに過ぎないって、ずっと思っていた。
思っていたし、まだ思っている。
自分が信じていないものを手に入れることなんてできないだろう。
そもそも私は、確かな形で何かを手に入れたことなんかない。
私の持っているものは何時だって、誰かから奪い、盗み、掠めとったものだった。
そうするほかに方法があることを、想像することが出来ていない。
「先ずは金庫を持ちなさい」
そういったのは私の身元引受人ということになっている、寺の生臭坊主だった。
「はあ、金庫」
突然何を言い出すのだろうと思いながら、取りあえず聞き返した。
「仏教には〝不蓄金銀宝戒〟という教えがあります」
「ふちくこんごーほーかい」
「蓄財をしてはならないという戒律です」
しかし私は生まれてこの方蓄財などしたことはない。手に入れた財貨は無くなるまで使い果たし、無くなればまた貢がせて来た。
「そう、貴方は寧ろ貯めなければならない。不蓄金銀宝戒は見習い僧に課される十戒の一つであって、信徒に課される五戒には含まれていません」
聖白蓮はそういって人差し指を立てた。
「私のお役目は貴方を更生させることであって、高僧にすることではない」
「私も坊主になる気はさらさらないけども」
「そう。その更生をする上で、貴方は自ら財貨を稼ぎ、またそれを蓄えることを学ばねばなりません。まず自ら稼ぐとは〝不偸盗戒〟盗んではならない、ということ。そして、それを蓄えるというのは、私有財産という感覚を身に着けることです」
稼ぐのはそうだろうけど、蓄えるというのはピンとこない。そういう表情が彼女にも伝わったのか、さらにこう続けた。
「貴方は蓄財をしたことがないために、自分の金、というものを感じたことがない。他人の財と自分の財の区別がついていないのです。だから盗みを働くし、それを使うことに何の痛痒も覚え得ない。まず自らの財を感じなさい。遍く社会に存する財の内、自らの働きによって選り分けられた、自分のためだけの財を識るのです。自分のためだけの財を識ったとき、初めてそこで他人のためだけの財があることを感覚的に理解ることができます」
そんなことを言われて渡されたのは、里の貸金庫業者である助松金庫の門が入った鍵であった。坊主の癖に何で貸金庫業者なんか知っているんだろうと思わないでもないが、私はそれを取りあえず受け取った。
とはいえ、である。
私が完全憑依事件で巻き上げた金品は大半使い果たしており、残部はすべて八雲紫によって没収された。何らかの形で被害者に補填されるという話だが、いったいどうするというのだろうか。ちなみに例の件は謎のスリ魔による犯行で、正体は疫病神と貧乏神の二人組、博麗の巫女によって既に成敗された、というのが幻想郷に伝わっている全情報である。今のところ私と姉さんの写真等は出回っておらず、道を歩くだけで困るというようなことも起きていない。
被害者たちは泣き寝入りだが、人外連中については盗まれるほうが悪い――ある意味で化かし負けたようなものだからだ――ということになり、また人間連中については、里の外に出てライブに行っていたということから、他の里の人間からは自己責任であるという見方をされているようだ。切羽詰まってライブの運営側に補填するよう迫った者たちもいたようだが、演奏者連中にはご愁傷様である。
閑話休題。
要は、私には金庫に預けるような財産がないということである。
取りあえず寺にいる限りはバカバカしいほど味の薄い少量の食事に毎日ありつくことができる。一輪に口をきいてもらえば酒も多少飲むことができる。しかし私は何時までもこの寺にいるつもりなんか更々ないのである。
私は食事をとらなければ腹も減るし、おいしいものが大好きだ。人間ではないからそれで餓死するということは無いのだけど、何らかの形でお金を得なければ好きなものを食べることもできない。
果たしてどうやってお金を得ればいいのだろうか。
一か月後、そこには酒場で荒稼ぎする私の姿が!
「ジョーンちゃーん、ご指名よー!」
「はいはーい!」
まあ荒稼ぎは嘘だし、ご指名というのもまあ冗談みたいなものだ。
私が今働いているのは里のまあまあ中心地にあるお座敷付きの飲み屋である。いくらか包めば座敷にお酌をしてくれる女中さんが付いてくれるというわけである。簡単に言うとコンパニオンをやっているのだ。
「ジョーンちゃん、今日も綺麗だねぇ」
「あらー、紀野屋の旦那、ただで褒めてもなんにもなんないわよ」
「馬鹿言っちゃいけねえや。好きなもん飲みな」
「わーい、私、ドンペリー」
取りあえずただで酒が飲め、飯が食える。
一応それだけじゃなくって、配膳だったり、呼び込みだったり、もっと地味な仕事もいっぱいあるのだが、この札束が舞い飛ぶような空間で働けているというのは個人的には似合っているような気がしている。
「ジョーンちゃん、今度こそ受け取ってもらうぜ」
米問屋を営む紀野屋のオヤジは懐から小箱を取り出した。蓋を開けると、中にはビー玉大の珊瑚の髪飾りが入っている。
「旦那、何度も言ってる通り、アタシはプレゼントは受け取らないって決めてるの」
「オレの何が気に入らねえって言うんだい」
「旦那だけじゃなくて、誰からも断ってるんだって」
「一度出したもんを引っ込めろって言うのかい」
こうなると面倒だ。
背後の廊下を誰かが歩く音が聞こえる。私は咄嗟に彼女を引きずり込んだ。
「えちょ、なに!?」
「この娘、今日誕生日なの!」
「ええっ!」
この店で私の次に可愛いと評判のミサコである。
「(私、誕生日先月だけど)」
「(黙ってりゃ珊瑚が手に入んだから)」
「何、誕生日だと。そいつぁ知らなかった」
むちゃくちゃな展開だがオヤジも酔っているので勢い次第だ。
「ミサコちゃん誕生日か、なんにも用意してなかったなあ」
「いやいや旦那、その手に持ってるの、プレゼントでしょう。惚けちゃってー」
「ん? ああ、……ああ。そう言うことにしといてやるぜ。持ってけ!」
「な、なんかわかんないけどありがとうございますー」
「なんでジョーンは貰ってあげないのさ」
閉店後、明け方の店の前を掃き掃除しながらミサコが不満そうに言う。
「向こうがやるってんだから、貰えば良くない?」
「わふぁひは」
「ちゃんと飲み込んでから喋って」
余り物の寿司を余り物の酒で流し込む。
「アタシは、ヒトに貢がせて生活すんのはもうやめたの」
「じゃあなんで飲み屋女中なんてやってんのさ」
それはまあそういう話になるだろうけども。
「別にお酒奢ってもらうのは店の売り上げだしさ、それは働きの対価でしょ」
「違いがわかんない」
「あんたには分かんないでしょうね」
なにおー、と怒る今日誕生日だったミサコをあしらいながら、その違いは何なのだろうと私も思っていた。
金品っていうのは働きの対価だから価値がある。それがしばらく寺にいたりして、自分なりに色々考えた結果として、おぼろげながら見えてきた考え方である。金品それ自体に価値があるわけじゃなくて、誰かの働きと、誰かの働きを交換によって仲介する存在、それが金品なのではないか。だとすれば、盗んだそれには価値があるのだろうか。貰ったそれに、貢がせたそれに意味はあるんだろうか。
「俺たちは金を貯めるのが好きだが、その金を使うのも好きだ」
噺家の三流亭なんとかいう男が客としてやってきたときに言っていた。
「金っていうのはさ、使ってナンボなんだよ。でもねえ、金を稼ぐのが得意な奴に限って、使うのはへたくそだったりすんのさ」
「使う話じゃなくて、稼ぐ話が聞きたいんだよねえ」
「どんな稼ぎ方だっていっしょサ。皿洗いで一月かけて貯めた金も、俺が高座で三十分喋って稼ぐ金も、価値は一緒だろう?」
「そうかなあ……」
だとすれば、私は何をこだわっているのかということになるのでは。
それからも私は、何かを貰うことはしないで、三か月ほど勤めていた。
私の金庫には着々と金が溜まっていて、でもそれがどういう意味なのか、いまいちわからないのだ。
「最近紀野屋の旦那来ないねえ」
ちょっとした雑談のつもりだった。女中たちの待機部屋でのことだ。ここの客には私を贔屓にしているオヤジが増えたが、中でも結構通い詰めていた紀野屋のオヤジを暫く見ていないなということがふと気にかかったのである。
「え、紀野屋の旦那って倒れたんじゃなかったっけ」
「……え?」
ミサコ含め、複数人が何やら頷いている。
「それマジ?」
「うん。紀野屋の旦那、昔から腎臓が悪かったらしいんだけど、全然節制とかしないし、うちにもしょっちゅう来てたもんね」
「アタシそんな話、全然聞いたことない」
「そういうの忘れたいから来てるんだし、当然じゃない?」
「……」
そうか。あのオヤジがねえ。
幻想郷の医学のレベルはさほど高くない。腎臓を悪くして倒れたというなら、まあ潮時なのだろう。
「おばちゃーん、明日休み貰っていい?」
冬空。
クソみたいに冷たい風が吹いていて、誰もが家から一歩も出たくないような曇り空だ。
私は紀野屋邸を訪ねていた。
「馬鹿デカイ門だな」
果たして中まで音が通るだろうかと考えながら、門をぶん殴る。
ドンと鈍い音。
メリケンサック代わりの指輪類は全部没収されたことを久々に思い出して、痺れる右手を振る羽目になる。
「ってて、くそ。すいませーん! 誰かいませんかー!」
紀野屋文左衛門は農家の三男の生まれ。
家を継ぐ望みもなく、早くから商家の丁稚奉公に出され、僅かな小遣いを貯めて苦学したという。三十路手前で独立して米問屋を営み始めるが、既存の同業者組合に疎まれて長らく苦難が続いた。それでも苦心して今の、里一番の米問屋の地位を築くに至った。独身で、偏屈な人柄で知られ、早々に家を追い出されたせいで実家とは絶縁状態、一時期猫を飼っていたが、いなくなってしまったそうだ。
と、いうのが全て中に入れてくれたお手伝いさんから聞いたことだ。
中年の太ったおばさん、という表現だけで八割以上説明が済んでしまうようなその女は、座敷に通した私にお茶を入れ、要約すれば上記のようになる内容を誇張抜きで二時間ほど私に語った。屋敷のでかさの割に使用人の少ない紀野屋邸は、このおしゃべり女には合わない職場だったのだろう。こんな得体の知れない女が訪ねてきたというのに、屋敷に入れてもてなしてしまうというのは非常に非常識だろうと――非常識の化身みたいな私が言うのもなんだが――思うのだが。
ただ、文左衛門があまり万人受けする性格でないのは間違いないらしく、自分から彼を訪ねてくるというだけで随分と珍しがられてしまったのはあるようだ。
どうせ追い返されるだろうが、と前置きの上、女は私を文左衛門の私室へ通した。
和室の中に板の間があって、西洋風のベッドが置かれている、成金のような、それにしてはまあまあセンスの良いみょうちきりんな部屋で、ベッドの上で上体を起こしていた男がこちらを見た。
「誰だ……。うん?」
紀野屋のオヤジは、ぱっと見随分と痩せたように見えた。決して健康的な痩せ方ではなく、やつれている、と表現するべきだろう。
彼はベッドわきのサイドテーブルの上の眼鏡を取ると、それをかけてこちらをじっと見て、私を判別するのに数十秒を要した。
「お……おお? ジョーンちゃんじゃねえか! ど、どうしたぃ?」
「よっす。倒れたらしいじゃない」
私はベッド脇まで近づくと、サイドテーブルの上のものを腕で纏めてずらして、その上に座った。彼は苦笑いして、それも高ぇんだぜと言った。私は意図してこういう振る舞いをするわけではなくて、またそれに他人が魅了されるのは疫病神の能力とかでもなくて。何も考えずに相手にとってふさわしい振る舞いができてしまう私だから、疫病神なんてものになっているのだろう。
「ジョーンちゃんが見舞いに来てくれるなんてな」
「お得意様じゃない。顔くらい見に来るわ」
「そうかい? プレゼントはいっつも突っ返すし、ツレない態度だったじゃあねえか」
「だから言ったでしょ、貢物は受け取らない主義なの」
ただのこだわりでしか、ないのだ。
彼は私の手を握った。店ではよくあることだから、この程度で不快になんかならないし、寧ろ私は骨ばった彼の手に驚いた。
「へっへ、骸骨みてえだろう」
そんな私の驚きは彼にも感じられたようで、彼は不思議な表情で笑った。
「もう長くないの?」
「ぶっは、くく。そんなに直球で聞いてきたのはお前ぇが初めてだぜ」
「え、でも他に聞くことないし」
「まあ、……医者が言うにはもってふた月ぐれぇだそうだ」
「そっか」
「実はもう痛み止めしか処方してもらってねえんだ。無理して生き延びてもいいことねえしなあ」
この男はすっかり諦めているのだ。
いや、諦めているという言葉があたるのか、分からない。ただ、決めてしまっているのだ。選んでしまっているのだ。
「最後にジョーンちゃんが来てくれて俺は嬉しいぜ」
「大事な金づるだからね」
「お前ぇさんは金稼ぎが得意にゃ見えねえが」
「……」
お金と自分。
誰かから金を巻き上げるのが存在意義染みて得意な私が、それでも私なりに金を稼ごうとして、やっぱり迷走していることが、この男には分かるのだろうか。
私は持ってきた風呂敷を開いた。このために私は久々に金庫の中身を使ったのだ。
中から琥珀色の瓶を取り出す。
「病人の見舞いに酒持ってくるとはな。あっは、はっはっは!」
「旦那の好きなものなんか酒以外に知らないからさ」
「へへっ。やっぱりわかっちゃいねえな」
彼は反対側の棚に手を伸ばして、硝子のゴブレットを二つ取り出した。
「分かってないって?」
「俺が好きなのは酒じゃねえ。美人と酒を飲む時間だ。もっといやあ、金を使うことそれそのものさ」
彼はコルクを抜くのに手間取って、代わりに私が空けた。二つのゴブレットをなみなみと酒が満たす。
「乾杯、だ」
「うん、乾杯」
チンと澄んだ音が鳴る。
「旦那は、稼ぐのは得意なのに使うのは下手なクチかい?」
「なんだいそりゃ」
「前に店に来た胡散臭い噺家がそんなようなことを言ってた」
金を稼ぐのが得意な奴に限って、使うのはへたくそだったりする、だったか。
「なるほどそうかもしれねえな」
「やっぱりそうなの」
「使いきれねえほどの金ってのはある。いや、使いきれるやつもいるかもしれねえが、俺には使えねえ。家族はいねえし、恋人も居ねえ。家はもうでかいのを建てちまって、男だから幾らか高ぇ着物を仕立てたところでそれまでだ。食い物には際限がねえが、好きに飲み食いした結果がこのザマよ」
「アタシはいくら持ってたって使えば一瞬な気がするけどねえ」
「お前ぇさんには金を使う才能があるんだなあ」
「そうかねえ」
使う才能があっても、使いたいだけ稼げなきゃ持ち腐れだ。
男は豪快にゴブレットをあおった。生きるつもりがなければ節制も必要ない。私はなんだかそれが少し妙な気分で、続いて自分のそれを空にした。
「なんで貢がれるのがいやなんでい」
「アタシはちょっと前まで他人の金を巻き上げては、それを使いつぶすような生き方をしてたんだ。でも悪いことは続かないようにできてるらしくて、捕まって寺にぶち込まれてねえ。考えたんだ。中身のない空っぽの金品をジャラジャラ身に着けて、そうやって生きていて、何が楽しかったんだろうってね」
なんで私はこんなことをしゃべってしまっているのか。それはきっと、このもうすぐ死ぬ男になら、何を話しても、穴の中に叫ぶようなものだと思ったのだろう。
「ははっ。半端に悟っちまったわけだ」
「半端に……、まあそうかもね」
「宗教のことはなんにも分かんねえが、商売人の俺から言わせれば金は貯め込んでもなんにもならねえ。稼いだ奴が金を貯め込んじまうと、里全体の金が減っちまうのさ。金は天下のまわりモノっていうだろう? 世の中に自分の金、なんてものはねえのさ。ほんの一時、縁あって自分のところに寄り付いただけ。そのうち出ていって、また帰ってくる。金は呼吸をしてるんだ」
「呼吸?」
酒を注ぐと、彼はまたそれを飲み干した。
「金は息をしてるんだ。だから、金庫に閉じ込めてそのままにしてると、死んじまう。そんな罰当たりな話はない。だから、使わなきゃなんねえよ。金ってのはな」
「そういうもんかい」
私もゴブレットを傾けて、彼の言葉とともに酒を流し込んだ。
「それにな、……金を持ってるからこそ、良くねえこともある」
彼は少し寂しそうな顔をした。
財禍。
財産には幸いと禍いが、いつもセットで付いて回る。
「金は薬と一緒でな。ないと困るがあり過ぎると毒だ」
彼が棚の上を顎でしゃくると、そこには古い古い写真が飾られていた。
「俺の実家だ。あんまり裕福じゃなかったから、食い扶持が稼げなくて、俺はよそに働きに出された。そこまではまあいいさ。良くある話だ。俺が苦労して苦労して、本当に大変な時にも、なんにもしてくれやしなかった。そんで俺が大金持ちになってからしばらくして、うちを訪ねてきた。おこぼれに与りたいと言やあいいのに、長年ほっといてすまなかったと謝りやがる」
「旦那」
「お前ぇさんが受け取ってくれねえから、俺が死んだらこの財産全部、あちこちの寺院や神社に寄進することにした。妙な連中にたかられるのはごめんだ」
私は珊瑚の髪飾りをはじめとした、数々のプレゼントを思い出した。あれは自分に溜まっていく毒を吐き出していたんだ。
「世の中には明日食う米に困るような貧乏人もいる。こういう連中から巻き上げるとすぐに干上がっちまう。一方で俺みたいに、金でおぼれて窒息しちまうような奴もいるのさ。女苑ちゃん」
彼は瓶を掴んで、そこから直に中身を飲み干した。
「ぷはっ。……俺がバカみたいに飲み食いしてバラまいた金が里中に広がっていく。その時に俺は、ほんの少しだけ、この金を通して誰かとつながってる気ぃがすんのさ」
それから彼は年寄りの戯言につき合わせて悪かったといって、私を追い返した。
彼が死んだと聞いたのは、一週間後のことだ。
その日は仕事が休みだった。
私は助松金庫に行って、自分の金庫の中身を全部取り出した。
「深呼吸しな。久しぶりの娑婆だろう」
それを財布に入れて、私は夜の街へと繰り出した。
金品は働きの対価だから価値がある。この考えは変わってない。これに気付かせてくれたのは白蓮だ。でも私はその「働き」ってやつの意味が分かってなかった。
働きというのは、別に汗水垂らすことじゃないし、苦労することでも、慣れないことをすることでもない。紀野屋のオヤジは、帳簿上で数字を右へ左へ動かすだけで金が溜まっていくと言ってた。実は言うほど簡単なことじゃあないんだろうし、それをもって彼の得た金品に価値がないとは思えない。
働きというのは、自分にできるやり方で誰かに影響することなんだ。金品はだから、誰かと誰かの影響を媒介するもので、それ以上でもそれ以下でもない。私にできる働きというのは、やっぱりどこまでいっても誰かから金を巻き上げることでしかなかった。その、疫病神としての私のままで、この里に、この郷に、受け入れられるためには、喜んで金を差し出してくれる連中に影響していくしかないのだ。
助松金庫の貸金庫は、白蓮には悪いが解約した。
何故なら、私の稼ぎは、あんなちっぽけな金庫には入りっこないからだ。
「よう店主、やってる? はぁいあんたらシケた面してんじゃないわ。ここにいる客、全部今からアタシの奢りよ!」
大いに盛り上がる大衆酒場の真ん中で、私は札束をバラまいた。
金は天下を巡り巡って、稼ぎの得意な奴のところに一時集まる、そうすると私はまたそこへ行って、この里にそれをバラまくのだ。
私の金庫はこの里全体だ。
ねえ旦那、次に店に来たらプレゼント、受け取ってあげるのに。
アンタの財布も私のロッカーになるんだ。
頭ごなしに更正させられるのではなく、自分自身で成長していく様子がとてもよかったです。
新キャラが幻想郷へ見事に馴染んでいて感動しました
金は使ってなんぼですからなぁ
容易に想像が浮かびますね
とても興味深く、面白いお話でした
お金は使ってなんぼですね、本当に
> 「深呼吸しな。久しぶりの娑婆だろう」
すごい印象に残るセリフ。好き。
女苑はきっと幻想郷でうまくやっていける。そう信じさせるラストも良いですね。
カラッとした文章も好きで、私の好みどストライクでした。
最高に楽しませていただきました。