Coolier - 新生・東方創想話

凍死

2012/01/08 06:51:17
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 鐘が鳴る。

 そうだ。
 彼女は、そのあと姉の事を迎えに行ったのだった。

 彼女は、暁闇の中で緩慢と明け行く空の、色彩の移ろいにある種の予感を感じつつ、目を覚ましたのだった。そして厳寒の闌ける夢幻世界は、止まる事無き吹雪によって、始まっていた。彼女は窓から街を見渡した。街は白い街に向かって、呪詛めいた何事かを独り言ち、紙巻をくわえた。随分冷えきっており、早くも天使が空から落下し、街の至る所に突き刺さっているだろう。町中に雑駁と立ち並ぶ広告塔雪や、工場、四角い形の家、公共機関の線路上等、天使達はこりずにこの夢幻世界の冬を越そうとし、南の空へ向かう為にまず風に乗る。しかし、風に乗ったところで、長時間上空にいればあっというまに凍えてしまうのだ。そのまま彼らは(天使はみんな男だ)、堕ちてしまう。彼らの醜悪な相貌は霜で覆われ、羽は鉄骨のように凍り付いていた。彼の髪は縮れ上がり、鼻は細長かったが、下唇は垂れ下がっていた。そんな醜いオブジェクトに街は溢れているに、違いないのだった。考えるだけで、寒気が走る。冗談ではない。

 彼女は言った。

 きっと姉は、街のどこかをぶらぶらしているに違いない、と。そういう散歩を好きな人なのだ。散歩をしながら、考え事をしているに違いない。まるで子供のように純粋だった。見ているのはとても楽しくて、生き甲斐になるのだが、時折こんな風に消えてしまう。不思議だった。

 また、こうも言ったのだった。

 私はきっと迎えに行かなければならないだろうと。何故なら姉はきっと、寒くてぶるぶる震えているに違いないから。それに私は姉さんのことを暖めてあげなくてはならないから、温かいお茶でも水筒に入れて持って行こうかしら。最近は夢幻世界に面白い兆候が出ている。日々、生活というものを営む私達が感じる、何気ない感じ方の中にすら入り込んでくる、他者の感覚というものが如実に物語っているのだ。私達の世界は、基本的に何度か壊したり別物の何かに作り替えたりと、私達がやりたいようにやっている。けれども、時々ではあるが、些細な問題ではあるものの、ディテールにそれとなく差異が生まれる事があった。それは何となくだけれども、この世界が意思を持っているように感じられる、ということに尽きる。私達は瑣末な変化にでも注意を向け、脳内にこの記憶を結んだ。今日も姉を迎えにいくついで、そんな変化を脳内にメモする旅に出るのだ。そうしましょう。時間はなんといったって有限だし。

 そして、朝餉を済ませた彼女は上着を着、帽子を付けた。窓を見ると叩き付けるようなひどい吹雪だったので、彼女はそのままケイプを付けた。そして彼女は家を出た。二人で引き蘢っている、城のようなものだ。それに何でもそろっている。二人で済むには広すぎるくらいの敷地に、二人で暮らしていた。西洋絨毯も、薪ストーブ、天使共から毟った羽毛で拵えた布団。蔵書等もふんだんに保存してあった。それはまともな本に埋もれて、古人が認めた魔術書なんかもあった。彼女が気に入っているのは歴史書である。それは彼女達の一家相伝の、家系に伝わる彼女達の祖先についての記述だった。しかし、彼女達の祖先については数々の歴史家が著してきた。しかし一向に彼らの著作には一貫性は無く、それに正しいかどうかすら、判らなかった。しかし、彼女はそういった記述と文体と、そして知識を吸収する。彼女の姉はちなみにこういった勉強には全く興味を示さないようだった。一度彼女は自分の知識を披瀝してみたが、ところが不思議なことが起きた。自分ではたいそうな知識を身に付いたと思っていても、いざ姉に話すと、それがいかにも薄っぺらで、自分が物事の本質の、ほんの上っ面を撫でたものでしかないと感じてしまう。姉も詰まらなそうな顔していたから、多分、彼女の知識の頼りなさを見抜いていたのだろう。また、彼女はそのうち寝てしまった。

 歩き続け、昼ごはんを食べ、また歩き、水筒のお茶を飲みつつおやつを食べ、また歩いた。歩くのは苦ではなかったが、一向に見つからない彼女の姉の事を思うと、ひどく心が痛んだ。
 
 夕方を迎える頃。彼女もすっかり疲れ果てていた。寒さの中を歩き続けるのは、体全体がへとへとになり、疲労困憊となってしまう。どこかで休もうかと思っているところに、懐かしい匂い。思わず嬉しさに飛び跳ねながら、彼女はその方向へ歩を進めた。
 彼女は、姉を見つけた。姉は金物屋の軒下に突っ立っていた。
 雪に濡れないように、彼女の姉は避難していたのだった。彼女の姉はくすんだ黄金色の長髪から、水滴を滴らせていた。大分雪に打たれたのだろう。きっと、ずぶぬれ同然になってしまい、それが嫌で、しかしどうしようもなくなったようだ。こうして簡単に見つける事が出来たのは、まさに僥倖であった。彼女は五十メートル程度離れた場所から、姉を見つめていた。姉は臈長けていた、という表現には凡そかけ離れた印象を、彼女に与えたのだった。
 醜さである。あまりに人口的で、作りすぎたような可愛いような感じだったからだ。彼女の姉は、美しくある必要は無く、悪徳のまま生きる自然で、自然とは正に悪徳そのものだった。何故そのように感じるのか、まったく判らない。悪戯好きで、純粋で、彼女にメイドの服を着せてしまう、可愛い人の筈なのだが。そのぞっとするような無垢と常規を逸した玲瓏さも、ひどくわざとらしいものに感じた。彼女は自分の考えを振り払った。そんなことは無いと、振り払った。

 彼女は姉に話しかけた。姉は大層喜んだ。
「遅かったね!」
「どこに行っていたの?」
「ずっと遠くに。それも普通は歩いて行けるような場所じゃないのよ。なんだか気分を変えたくって。」
「呆れた。きっと昨日の夜中から出かけていたのでしょう。何となく気配がありませんでしたよ。」
「そうなの、私、歩くの大好きだから、それで、雪が降っていて、随分夜の街がきらきらしていたから、私はその中に吸い込まれて行くように歩いて行ってしまった訳ね。暫く外を歩いていたんだけれども、その時、お歌が聞こえて来た訳ね。あの天使が歌っていたのね。私の周りでどんどん天使が堕ちて行くんだけれども、私は取り敢えず歩いたのね。私の行動原理って、ちょっとしたらすぐ、ずいずい進んでしまう性質だから、でも知らないうちに、不思議な所に迷い込んでしまったの。私は随分戸惑いつつ、それでもうきうきしてましたとも。私は暫くそのまま、雪を踏みしめて……。」
「ずっと付いて行ったのね。」
「知らないうちに。そしたら、この金物屋さんに前に居ました。何だか素敵な感じがして。」
「帰りましょう。」
「でも、お買い物が……。」
「買い物なんてありません!」
「でも、湯たんぽ、買いたいよ。」
「すいません、湯たんぽありますかぁ!」
「流石。」
 彼女は店のサッシュを開け放った。そして大きな声で、奥に佇む店主に届くように叫んだ。しかし人影は無かった。物音一つ、暖房の着いている気配も、無い。そもそもここが本当に誰か住んでいるのか。店に並ぶブリキの薬缶や、何に使うのか一斗缶、炭焼き用の道具や、鍬やシャベル等の農具、高切り鋏といった園芸道具……。それに彼女の姉が欲しがっていた湯たんぽも山のように積まれていた。彼女の姉は一つの湯たんぽを手に取った。彼女はふふっと笑って、そのままお金を番台の、色褪せた算盤の横に置いた。番台の奥にある、座敷を除きこんだ。そこには卓袱台が一つ、埃が積もっていた。森と静まり返っていた、居間であった。彼女達はそっとその静寂を壊さないよう、それは少しの動揺や、場違いによって発せられた言葉を敏感に感じ取り、瞬時に崩れてしまいそうな程、繊細な糸が紡がれ、捻られ、編まれた布であるらしかった。彼女達はその隠微に締め付ける感覚、真綿より軽い、感覚にある種の不穏を感じていた。彼女達はやがてバス停にたどり着いた。最初は歩いて帰ろうかと彼女は感じていたのだけれども、そのうち面倒になってしまった。雪は降り続いていた。気をつけないと、二人の革製の、少しだけ色褪せた長靴が埋もれてしまう、この街全体に降り積もった雪は、まさに海となって道々に横溢し、住人の何人かが溺れて死んでしまう、除雪車によって公道の根雪は取り除かれるが、歩道には除雪車が、積み上げた最早氷山のような雪山が稜線を描いて街を縁取るように、走っていた、彼女達はその稜線の天辺の、一番固まっているところをうまく歩き、そしてこんな事を感じたのだった、街には例によって巨大な壁と、雑貨屋と、饐えた食い物の匂いを湛えた八百屋と、それから労働者のたまり場のような場所があるばかりで、彼女と彼女の姉は、なるべく目を向けないようにした。商店には確かに人影があるように見えたし、声を掛けようと思えば、いつでも声が届くような距離にあるはずだったが。
「姉さん。」
「何、夢月。」
「どうして私達の作る世界にはこう雪が沢山降っていると思いますか?」
「そういえば、何でかしらね。少し前は、そんなことも無かったのにね。でも私って考えてみたらそんなに冬は、嫌いじゃないのね。貴方だってそうでしょう。確かに、寒し、歩きにくいし、でも何だか愛着があるわ。でも、この辺の雪は随分汚れているわ。どろだらけじゃない。」
「泥と混じり合ってるんです。真っ白な雪ってのは中々無いわ。」
「雪が好きなのよ。やっぱり。ずっと慣れ親しんで来たようにも思えるし。私、ずっと昔の事だから忘れちゃったけれども、そんな一年中冬の景色の中で暮らしていたような気がするのね。貴方もそんな気がしない?」
「さぁ、私も忘れてしまったから。でも、そう言われるとそんな気もしますね。」
「うん、それにしても、寒い寒い。」
 彼女は、ケイプを、姉に貸してあげた。彼女の姉は使い方が判らなかったので、それを頭から被ってしまった。まるでお地蔵さんだ、と彼女は笑った。姉は頬を膨らませた。彼女達はバスに乗った。緑色の車体。彼女達は乗車券を取り、一番後ろの席に仲良く座った。バスが動き出す。ちなみに、たった今彼女達が待っていたバス停の名前は、『駅前』だった。

 市営バスの中には、姉のようにすっぽりマントのような、毛布のようなものをすっぽり体を覆った老婆が、五人乗っていた。老婆達は、老婆達の一人の伴侶が、アルコールで死んでしまったらしく、その夫の最期について、ひっそりと話し込んでいる様子だった。老人は、何度入院しても、お酒を飲むのを止めなかった。酒そのものの中毒症状が、彼の内蔵を壊してしまった。それである日、家族総出でその老人を縛り付けて、酒を飲めないようにしてしまった。しかし、老人は逃げ出した。夜中にこっそりと。翌日の朝、老人は原っぱの真ん中で倒れていたそうだ。そんな話をしていた。
 皆、真っ黒な蓑掛けだか筵のようなものをかけていた。それはよく見ると、老婆達の体にぴったりとくっついているようで、よく観察すると体から枯れ草が生えていて、それを丁寧に編んで拵えたといった程、老婆達の体の一部のように、自然に感じられたのだった。老婆達はその、仲間の一人の伴侶の最期を、このように締めくくった。彼は、酔いのままに歩き、倒れ込んで眠るように若き日に夢想した意味不明な欲望と、母親の夢を脳裏に巡らせながら、凍死したのだという。

「私。」
「どうしたの?」
「いいえ、何でも無いから。」
「言って下さい。」
「随分前に、私、お母さんにお話しした事があるの。私が欲しかったものがあって、それを話した事があったの。私、車が欲しかったの。」

 彼女の姉は言った。彼女はそのまま黙っていた。老婆達が彼女達のことを、無視するようなそぶりをする反面、時折、気がついたように、注視する。しかし、老婆達の相貌を窺い知る事は叶わない。彼女は、筵の奥は深い谷底のような影により、閉ざされている。或は本当に空洞が広がっている、としか言いようの無い感情を彼女は抱いた、その事に狼狽せざるを得なかった。人間の命を奪うことを厭わぬ彼女、怖いものなんて無い彼女、この世界を作ったり壊したり出来る彼女。彼女は戸惑いながら、バス停車ボタンを押した。ブザーが鳴る。バスの車体が傾く。左右に大きく揺れ、彼女はおでこを窓にぶつけた。彼女の姉は小さく悲鳴を上げた。バスは止まった。彼女達はバスを降りた。雪は降り続いていた。ちなみに、バスの停車場の名前は『病院前』だった。老婆達の立ち上がる気配がし、急かされるように、彼女達はその場を離れた。

 彼女達は家路を目指して歩く。彼女達はその間、話をしていた。彼女達は出来るだけ、お互いに言葉を交わすようにしていた。それはお互いの言葉を聞く事で、何より安心するのだった。悩み、苦しみ、嬉しさ、何より言葉自体が曖昧にならないよう、心がけていた。言葉自体が曖昧になるとは、文字通り、まずは言葉は意味を失い、そして文法は失われ、解体される。自然のままに、言葉を言葉足らしめるエスキスを、保たなければならない。生きる上でそのエスキスは涵養されているが、同時にエスキスは逍遥と崩れ落ちる。それはそのまま、深い場所へ破片へと喪失される。彼女達は、辛うじて、この形状を保つ為に言葉を紡ぐのだった。言葉によって世界は生まれ、作られ、補強され、また鏡のように世界から生じた言葉は、最終的に世界への還元と至る。言葉こそ彼らの存在を確かにしているものであった。
「車が欲しいってお母さんに言ったんだけれども、全く不思議な顔をしていたのね。何回も言ったのね。車が欲しいって。」
 白い息を吐きながら、彼女の姉が言った。彼女は車を思い浮かべた。ちょうどあの乗っていたバスのような車だろうか。それとも自転車とか、馬車とか、色々いい方はある。どれだろう。
「だけど、お母さん、車の意味がさっぱり判らなかったの。私の言い方が悪かったのかしら。何回も言ったのよ。でも何にも伝わらないの。私はだんだん怒ってきたわ。だってさっぱり伝わらないんですもの。お母さんがだんだん痴呆症のぼけ老人に感じられたわ。私、いらっとして、ついついばらばらにしちゃったの。お母さんのこと、バラバラにしちゃったの。」
 姉は見ると、泣いていた。
「姉さんが悪いんじゃないわ。お母さんが悪いのよ。姉さんのいうことを判らなかった人が悪いの。」
「私はずっとお母さんが憎くて憎くて仕様が無かったのよ。だって、私の羽を汚いもののように言った事があるのよ。随分小さいときだったけど、私、超傷ついたわ。私、いつでもその事を根に持って、いつか殺してやろうと思っていたわ。だから、私、今になってこんな風に感じます。」
 ここでも、車道の途方に暮れる程の雪は、仕方無いように大量に路傍へ寄せられており、車道の両側には雪の壁が延々と続いていた。その雪山には穴が拵えられていた。かまくらというよりは、動物の巣のようであった。延々と続く雪の壁と、ところどころ掘られた動物の巣。それは大体、人間の子供が膝を抱えて、入れるような程度の穴の大きさだった。姉さんはそれに入ろうとしたが、きゃっと言った。穴には動物の死体が放り込まれていた。頭が牛で、体は人間だった。体は丁寧に折り畳まれており、蒼褪めていた。男性器は、半ば勃起していた。彼女は姉を抱き寄せた。
「怖いわ。」
「早く離れて、姉さん。それは汚いものよ。近づいちゃいけません。」
 彼女は震撼した。先ほどの、敵意に満ちた老婆達の視線といい、この正体不明の動物の死体といい、果たして今回の世界では予想を超えた現象が起きている。映像として醜い男性器を脳髄に刻み付けた。
「こっちのかまくらには何にも入ってないわ。」
「これって何かしら。でも私、こう思います。これはきっと繋がっているわ。」
「どこにです?」
「別の世界。」
 姉さんは足を折り曲げてそのかまくらにすっぽりと収まってしまった。
「私が車だと思って話していたのは、実はお母さんに向けた呪詛の言葉だったと。しかも、私すらしらないどっか外国の言葉で言ってたの。私、どっかからその言葉を引っ張ってきて、それで車の事だと勝手に思い込んで、べらべら喋っていたのだわ。」
「姉さんは、どこからその言葉を知ったのですか?」
「だ か ら。引っ張ってきたって言ったでしょう。」
 お母さんは、私達の事を厭わしく感じていたに違いない。
 彼女達の母は文字通り、姉によってばらばらにされた。その瞬間、何があったのか。光源が放たれ、足下から真っ赤に白熱した球体がみるみるうちに蘇り、柱のような悍ましい光の柱が寒空とは凡そ言いがたい、鉛の天蓋に向けて昇って行く。彼女はそれを少し離れたところから見ていた。母はばらばらになったというか、次の日銅像になっていた。
 彼女達がそのまま歩いていたにも関わらず、家は見えなかった。彼女達は大きな国道から、住宅街の中を彷徨く格好となっていた。家々は四角い変わった形をしていた。窓にはカーテンが引かれていた。夕闇が迫り、菫色の子供らしい宵惑いの眼路の澱みの中に、夕暮れの朱色が射し始めた。その時ぱっと一件の家に灯が灯った。人の声がする。所帯の声音がする、と彼女は思った。
「もう暗くなって来たわ、早く帰りましょう。」
「夢月、ねぇ、ねぇ……引っ張って。」
 せがむ姉に、彼女は手を貸してやって、引っ張って上げた。
「早く行きましょう。何だか、追われている気がするわ。」
「巫女かしら、魔女かしら?」
「最近は、ずっとやってこなかったから、久しぶりにあいつらがきたのかもしれませんね。」
 しかし、また別の圧迫感を彼女は感じ取っていた。それは、あのバスの中の老婆の声無き、音無き澱みめいた気配に似ていた。彼らが彼女達を追っているかと思うと、吐き気がすると感じた。彼女は老人が大嫌いだった。彼女達はずっと若々しい少女の姿だから、そうした老人の醜さに差別意識があったのかもしれない。

 また彼女は姉と一緒に歩きながら、すでに自身の脳髄から、方向感覚が喪われつつあったことに気がついた。家路までの見慣れた風景は、現れなかった。それどころか、どこを歩いているのか、判然としなくなっていた。川のほとりにあるから、川が見える筈だが見えない。同じような場所、同じような家(あの、四角い家、人気はあるが、まるで造られたかのようにわざとらしい人の気配という奴だ)、同じような雪道の有様、同じような……。
「ねぇ、夢月。すんごく眠いわ。お腹もすいちゃったし。」
「あとちょっとで着きますよ。着きますから、もうちょっと待って下さい。今日のご飯は何にしましょうかね。魚でも食べましょうかね。おせちの残りもありますから。かずのことか。」
「お魚もおせちもいや~。あきちゃったもん。私、オムライス食べたいわ。」
「えっ。」

 夢月はオムライスが作れなかった。オムライスはかなり難しい料理で、奥が深かった。姉さんたっての希望で、女給風の装束で料理をする。夢月はどんな料理も作れる。難しい煮込み料理の仕上げるタイミングも、難しい魚の捌き方も、揚げ物料理も、何十種類もの野菜の名前もそらで言えて、使いこなす事も出来る彼女。野菜を洗ったり、肉を切ったりする動作一つとっても、無駄が無くその臈長けて見え、人間離れしている彼女(いわずもがな彼女は悪魔だが)。何故かあの、ふっくらとした焼き卵を再現出来なかった。何度やっても、フライパンを変えてみたり、チキンライスを炒める際の、火加減をちょっと変えてみたり、再現、いつか食べた最高のオムライスを、表現出来なかったのだ。

「気分が悪い。ちょっと屈んでも良い?」
「良いですよ。姉さん。気分が良くなる迄。」

 顔色が優れないのは、この寒さのせいか。彼女は寒さなんて平気な筈だったが、何か病気かもしれない。その為、彼女は姉の背に手を当て、さすってあげた。上着から伝わる震えは、姉の痙攣する隠微な挙動に違いなかった。彼女達が居たのは、そこは原っぱだった。もっとも、半永久的に続く雪原と化していたが。彼女はぞっとした。

「原っぱって不思議よね。」
「何が、ですか?」

「原っぱって、本当に不思議。だって、公園とか遊園地とか、遊び道具が沢山ある場所とくらべたら、何にも無いけど、私、大好きなの。だって、公園とか遊園地って、例えばそこにあるのはブランコだったり、シーソーだったり。ジェットコースターとか、木馬さんとか。私、そういうのは嫌いじゃないのだけれども、何だか凄い窮屈に感じるの。だって、遊び方が限られて居るでしょう。シーソーだったら、私と夢月が二人で乗ってぎっこんばったんしたり、私と夢月がブランコで乗って遊んで。ジェットコースターは二人で乗ってキャーキャー行ったり。それに比べて、原っぱって素敵。だって、何も無いから。何も無いけど、私達で遊びを考えられるでしょう。夢月と鬼ごっこしたり、秘密基地建てたり。いっくらでも私達で遊びを考えられるし、実際に遊べるじゃない。今いる場所も凄い好き。夢月といっぱい、色んな事して遊べるでしょう。なんだって出来るわ。」

 彼女は姉の手をぎゅっと握った。その手はとても柔らかかった。

「何をして遊びますか? 雪合戦でも致しますか?」
「雪だるま作りたいわ。」
「ねぇ、聞いても良い?」
「なぁに。」
「貴方は本当に、私のお姉さんでしょうか?」

 彼女は思った。
 私達の想像を越え、この夢幻世界は成長を続けていた。
 そして、意思というものを手に入れているのではないか。そのような仮説。
 私達が保とうしていた、言語のエスキスをこの世界の体系、あり方にすら、影響を及ぼし始めたというのか。
 しかし、私達は言葉を持つ事は許されないということか。白河夜船で眠り続けるような静寂の世界を作りたかっただけなのだが、時折邪魔にしに来る、巫女とか魔法使いとか、訳の分からん連中を除けばうまくいっていた筈だ。それが、何故か私達を排除しようとしているような、蠢動というか兆候を見せている。
 恐るべき事だ。なんと言う事だ。何より、恐ろしい事がある。とりもなおさず私自身、私自身の感覚や考えというものに、疑惑を抱いているというこの事実だった。この世界の驚愕すべき点、それは創造者にすら影響を及ぼす事なのだった。

 いや、影響を及ぼしたというより、私すら、世界の一部だというのか、そして目の前の少女は、姉さん……? 言葉は世界だと言った、貴方。

 彼女達は漸く、原っぱの端へ着いた。広漠と広がる雪原の、一角に聳える壁にぶつかったのだった。そこの壁をよじ上り、路地裏のような狭い道を歩いて行くと、やがて見慣れた川辺だった。川からは生活排水が流れる為、腐臭が絶えず立っていた。上流に向かって歩道を歩くと(この辺りは、雪かきされていた。住人達は雪を片付けて川に投げ捨てるように、作っている)、川と交差するように、東西に伸びる線路が見えた。歩道はそのまま、線路下の小さなガードレールへ吸い込まれていた。ガードレールの入り口には、一色信号が立っていた。錆び付いた、信号は赤く点滅していた。信号まで私達を、拒むというのか。

「姉さん。」
 取り敢えず、私は彼女に呼びかけた。そうすることで自分自身を勇気づけようとしたのだ。そのまま、手を引っ張った。
「あの、ガードレールの下を通り抜ければ、お家ですから。」

 ガードレールは、車一台通れる程度の狭さだった。日は沈み、あたりは暗澹に飲み込まれていた。風が強くなり始め、吹雪じみて来た。私達は急いだ。背後に迫る、奇妙な逼塞間にせかされるように。その時、彼女が動きを止めた。早く行きましょうと言っても、おびえるように立ち竦んでいた。

「どうしたの?」
「いる。」
「えっ。」
「あのひとたちがいる。」 

 彼女の視線の先には、一列に固まる影絵のような人々の群れ。私達の頭上を、ローカル線が通り過ぎる。世界が揺れる。電車の窓から注がれる数多の視線。電車は過ぎ去って、後には雪の煙を吹き飛ばして、私達の頬を打った。視線が霞む。私は、目を開けた。それは、あのバスの中にいた、老婆達であるらしかった。確かなのは、まだ雪が降り続いているという事だ。


 

 
 次の日、いつも通り鐘が鳴り、寝ている姉さんを起こして、一緒に朝ご飯を食べて、いつも通りの生活を送った。






  
あけましておめでとうございます。
今年もなにとぞよろしくお願い致します。
佐藤厚志
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コメント



0.570簡易評価
1.100名前が無い程度の能力削除
いいですね。
幻月さんも好みでした。
3.100奇声を発する程度の能力削除
綺麗な雰囲気が良かったです
5.100名前が無い程度の能力削除
寒々しく、また醜い程に不安定な世界の中で彷徨う姉妹は悪魔という肩書きには似つかない程に弱弱しく、心の底から冷え込んで不安になってくる様なお話でした。
8.100名前が無い程度の能力削除
比類ない。
今年も応援してます。
11.100ねじ巻き式ウーパールーパー削除
この物語を読む事ができて幸せでした
12.90名前が無い程度の能力削除
ストレートな短文を周りの長い一文で引き立てる技術が素晴らしいと思いました。
緩急のつけ方を分かっていらっしゃる。見習いたいです。

誤字報告
『酒そのものの中毒症状が、彼の内蔵を壊してしまった。』
『内蔵→内臓』かと。細かいところですが。
16.100名前が正体不明である程度の能力削除
す、すごい話だ…
17.100保冷剤削除
寒いようで寒くない、少しだけ寒い夢幻姉妹。
老婆というのは衰退とか、停滞から来る自然消滅のような、まあ要するに滅びの象徴に思えて仕方ないのだけど、したら天使というのはなんだろう。老い=時間経過はいかんとも進んで求めねばならず、原っぱのように何も無かったあのころをいくら追い求めてもたどり着けないのだなあと、スキーウェアを着て雪の中を泳いだ幼少期を思い起こす次第。いくつか実体験に沿わせて思い当たるものはあるけど、それは深読みなのであとで一人で楽しみます。
世界観を紡ぐためにいろいろと工夫されたように思います。自分の創ったものが予想を超えて自らを圧迫するなんて経験、してみたいですね。
18.80manchot削除
 まさしく、佐藤さんの描く世界。佐藤さんにしか描けぬ世界。聊か暗き、現代の如き世界。
 愚盲の身なれば、この話の芯まで見通すことは叶わぬながらも、情景の一つ一つを楽しませて頂きました。この陰鬱さに包まれた世界の中にて、元来創造者たるはずの夢幻姉妹もまた、その世界に塗りつぶされているようで。ここでは所詮、少女なのかな、とか。
 このssは、あまりに現代の色に染まっているのです。この雪国の情景は、佐藤さんの見た北国の風景なのでしょうか。

 かかる背景は、もはや東方の範囲を逸脱しているとも言えましょう。されど、佐藤さんのssとは、然ればこそよいのです。逸脱しているからこそ、最も東方らしい、とも言える。

 そんな、わかったようなふりをするのが、せいぜいである気がします。
 とまれ、面白く読ませていただいたのであります。
19.100名前が無い程度の能力削除
言葉にならねえ
22.70名前が無い程度の能力削除
うぅん。私の拙い想像力では満点まで楽しめなかったようだ。しかしこの世界観はまさしく佐藤さんのそれ。
23.100名前が無い程度の能力削除
「面白いのがムカつく」
とだけ書いて100点を入れるのも考えたのですが、それだけで終わらせるのも惜しい。
情景がありありと浮かんできますね。絵本、いや、童話かな?そんな印象を受けました。
その文章そのものに意味があるような。
ああ、でもやっぱり感想つけにくいです。
25.90名前が無い程度の能力削除
濁っているような、でも心地良いと思えるのはどうしてだろう、と思っていたら、
まどろみとはこんな感じだったような気もすると、ふと浮かびました。
ただ彷徨するしか他ありませんでした。良かったです。