01.
目覚まし時計が音を立てる前に、私は目を覚ました。
午前六時。何時もの事だ。
地霊殿の、奥深くにある灼熱地獄跡。そこの整備と管理が、私、霊烏路空の仕事だ。毎朝六時に起きて、身支度を整え、朝食を食べ、遅くとも七時には与えられた職場につく生活を続けているからか、朝は早起きになっていた。最も、こうして今の仕事につく前、もっと言うならばまだ私が妖怪ですらなかった頃。その頃の私は唯の烏で、やはり朝は早かった記憶があるのだから、元よりそう言う性分なのだろう。私と同じく仕事を与えられたはずのお燐は、私と逆で朝が弱いらしく、果たしてお燐はちゃんと働いているのだろうか不安になる事もあるのだけれど。まぁ、少なくとも私の記憶の中に、お燐がこっぴどく叱られていると言った記憶が無いので、きっと平気なのだろう。
「さて、どうしようか」
ベッドの上で上半身だけ起こした状態で、私はそう呟いた。横にはお燐が居るが、この程度の独り言で起きるようなやつではない。元を正せばそもそも私とお燐の部屋は別なので、今こうして一緒のベッドで寝ているのはおかしい事なのだけれど、何度言っても勝手に忍び込むので放っておくことにしたのだ。おかげでそれを承認と捉えたのか、今では私の部屋に徐々にお燐の私物が増えているのが恐ろしい。きっとその内完全に二人部屋になるのだろう。
そんな訳で、問題なのは隣にお燐が寝ている事では無い。
実は、今日は月に数回ある休日だったのだ。少し前はそんな物は無かったのだけれど、これには事情があり、つい先日私はいわゆる“異変”と言う奴を起こしてしまったのだ。山の神様からもらった核融合の力である。最初の内は仕事に使うだけだったのだけれど、まぁ、私も妖怪の端くれだったらしく、この力がどれ程のものか試してみたくなったのだ。今思い返せば実に幼稚な考えだった。私を退治しに来た巫女に対して放った決め台詞の数々を思いだすだけでも、背中がむずむずして恥ずかしくなる。
結果として私は紅白の巫女に倒された訳だけれど。ここで一つ問題が残ってしまったのだ。それは間欠泉や怨霊の事ではなく(しかも後で聞いたのだが、あれはお燐が絡んでいるらしい。聞いてもはぐらかされるので、もう諦めたけれど)、主のさとり様である。
どうも私が異変を起こしたのは、仕事で疲れて自棄になったからではないか――そう思ったらしい。何の為の覚りなのだろうとは思ったけれど、あの方の考えていることなど、私には良い意味でも悪い意味でも分からない。まぁ、私とて休みを貰って嫌なわけではない。決してそんな理由で異変を起こしたわけではなく、成り行きと言う形では在るけれど、月に数日の休みを貰う事になって、そして現在に至るのだ。
そして今日はその休日であるのだが、つい何時もの癖で目覚まし時計をセットしてしまった。まぁ、それより早く起きたのでセットしていようと無かろうと関係なかったけれど。
「寝て過ごすか、それとも……」
まさか一日寝て過ごすと言うのも嫌だった。普段真面目に働いている所為か、何かしていないと落ち着かないのだ。
横で寝ているお燐の頬を引っ張りながら、考える。すると夢の中でも似た様な事をされているのか、うーんと眉を顰めるお燐だったけれど、やはり起きないのでそのまま引っ張りながらどうしようかと考える事にした。
一番可能性が高いのはお燐と遊ぶ事か。最近地霊殿内では外の世界からやってきたスポーツが流行っているので、それをやるのも良いかもしれない。唯一の欠点としては、何かと隙を見つけてはお燐が私のスカートの中を覗こうとする事だけれど、何だか最近ではどうでも良くなってきた。少し前に対抗策としてもんぺを穿いた事があったけれど、あの時はあまりにお燐に反対されたので、それ以来穿いていない。まさか涙と鼻水で顔面をぐちゃぐちゃにして“後生だからそれだけは止めてくれ”なんて言われるとは思っていなかった。人間(私は人間じゃないけれど)怒りを通り越すとどうでもよくなるというのを初めて知った。
さて、お燐を除くとあとはさとり様かこいし様になる訳だけれど、こいし様とは遊ぶ前にまず意思の疎通が難しい。なので、申し訳無いけれどさとり様を選ぶ事になる。
お燐の頬の柔らかさを十分に堪能した所で、いよいよ私はベッドから抜け出した。そうして身支度を整え、ついでにお燐の顔に筆で落書きをしておく。部屋が墨汁臭くなるけれど、涎が垂れているシーツと共に後でお燐になんとかしてもらおう。朝が早い私でさえ、さとり様より先に居間についた事は無い。休日でも私より早起きなのだ。
「あら、おはよう」
「まずは服を着てください」
居間のドアを開けた時、果たして私が見たのは、素っ裸のさとり様だった。優雅に持ったコーヒーカップと組まれた脚のおかげで大惨事だけは避けている。既にあの格好で居間に居る時点で大惨事だけれど。主にさとり様の頭が。
「……そう、休みなのに早く起きてしまったのね」
「ええ、まぁ」
「……どうして良いか分からないと」
「ええ、まぁ」
「なら、ここに行くと良いわ」
突っ立っている訳にもいかず、仕方なく自分の席に座ると、さとり様から一枚のチラシを渡された。はて、素っ裸で第三の目も無いのに、何故分かるのだろうか。と言うか、あれは着脱可能だったのか。良いのかそれで。
ともかく、渡されたチラシを見る。どうやらそれは、地上に新しく出来た店の物の様だ。
「と言っても、出来たのは先月よ。あまり興味無さそうだったから貴女が知らないのも無理は無いけれど」
「そうだったんですか」
大型ホームセンター。有体に言ってしまえばそう言う店だった。全五階建て。地下は無い。それで良いと思う。地底から地上へ出て、また店の地下に行くのはややこしくて敵わない。食料品から日常雑貨、果てはスペルカードまで。とにかく何でも揃っているらしい。更には幻想郷の有力者による様々な講座も有るらしく、今非常に人気――との事だ。
ふむ。確かに用事は無い。時間はある。ならば行ってみようか。どの道こうしていても、さとり様の凹凸の少ない身体を見ながら朝食を食べるくらいしかする事は無いし。食べたら食べたで、お燐にスポーツをしようと言われるだけだ。別に身体を動かすのが嫌いなわけではないが、少なくとも野球もサッカーも二人でやるスポーツではない事くらいは私にも分かる。あれはもっとこう、大人数で青春を感じるスポーツだと思う。お燐みたいに人のスカートの中を覗く口実にはならないはずなのだが。ならばいっそ外に出て見るのも良いかもしれない。
そうして私とさとり様は向き合って朝食を食べる事にした。その最中にこいし様がやってきて、口論になっていたけれど、正直好きにしてくれとしか言いようが無い。私とて好きでこんな意味不明な光景を作っているわけでは無いし、さとり様が阿呆な事をしている理由くらいは知っている。その目的はたった今果たされたわけだけれど。
「本当にこいしって可愛いわよね」
「ええ、まぁ」
最近さとり様と話す時の大半が“ええ、まぁ”となっている気がするが、きっと気の所為だろう。決して相手をするのが面倒なわけではない。
「こいしの怒鳴り声は最高ね。コーヒーが美味しいわ」
「ええ、まぁ」
私が朝食を食べ、まだもう少し先になる店の開店時刻まで時間を潰している間、二人はずっと口論をしていた。本来なら口論ではなく、さとり様が一方的に言われても良いはずなのに、何を思ったかさとり様はこいし様に反論をしたのだ。何一つとして頷くところはなかったけれど。さとり様はこいし様に怒鳴られるのが好きなのだが、それに反論を重ねて最終的にこいし様を言いくるめるのがもっと好きなのだ。納得が行かず逃げ出すこいし様なら尚良し。全く歪んでいる。
「あの子ももっと素直になれば良いものを」
「そうですね」
かと言ってそこまで本能に素直になられても困る。
しかしさとり様は私の心の呟きなど気にも留めずに、ふっとニヒルな表情でコーヒーを啜った。何の事は無い、こいし様に怒鳴られるがためにこんな素っ頓狂な格好をしているだけだ。果たして少し赤い頬は何の意味が有るのだろうか。少しはこいし様の気持ちも汲んであげて欲しいものだ。朝起きたら姉が全裸でペットと食事をしている光景なんて見たら、それは家出だってしたくなる。まさかこいし様の放浪癖はこれじゃあるまいな。だとしたら酷すぎるけれど、どうこう言う心算もないので、そろそろ私は出かける事にした。時刻は午前九時。普段ならこの辺りでお燐が眠そうな顔を私に見せに来る時間だ。
「それじゃあ、私はそろそろ出かけます」
「気を付けて行ってらっしゃい」
はてさて。幻想郷のホームセンターとは、どんなものなのだろうか。珍しく私もドキドキしている。
そうして私は地霊殿を後にした。
02.
さて、これからさとり様に戴いたチラシと共に、そのお店に行くわけだけれど。
まずは一階――よりももっと前。地上では無く、地底での事になる。普段はあまり地霊殿から出ることの無い私も、旧都の存在くらいは知っていた。唯、詳しくは知らない。なので、この時点で物珍しさに満ちている私に声を掛けてきた者がいたのは少々心強かった。名前は黒谷ヤマメとキスメ。何でも橋姫に会いに行くらしい。しかしまだ朝だと言う事も有って、旧都は割と静寂を保っていた。途中、星熊勇儀に弾幕勝負を挑まれたくらいか。とは言えそれは一回や二回の事ではなく、この間の異変以来それなりに気に入られたらしく、ちょくちょくこう言う誘いが有るのだ。
私より角の多い鬼に会いに行く、そう言い残し、勇儀は私達より先に何処かへ行ってしまった。足取り確かに飛んでいった辺り、多分同じ鬼の友人に会いに行くのだろう。だったら別に格好付けなくてもよいのでは、とも思ったけれど、まぁ本人が気に入っているセリフの様だったので、何も言わないことにした。
次いで会った橋姫はこいし様と一緒にいた。橋姫の膝の上で楽しそうに話すこいし様を見ると、こちらも顔が綻ぶのは母性なのだろうか。だとしたら出来た妹である。是非ともさとり様には爪の垢を煎じて飲んでいただきたい。
“橋姫は常に橋にいてナンボ”と言うのが彼女のモットーらしく、その実彼女はここで寝泊りしている。橋は緩やかな曲線のアーチ状になっていて、その下には川が流れている。橋と川の間は最大で数メートルはあり、斜面の土手には草が茂っていた。しかしそのおかげで敷布団が必要ないと豪語する橋姫だが、果たして夜露や雨の日はどうしているのだろうか。流石にそこまでは知らなかったけれど、土手に置かれた掛け布団達生活道具が雄弁だ。
橋姫とこいし様、そしてヤマメとキスメはこれから朝食だったらしく、橋の入り口で寸胴をこねくり回す橋姫と、その前でじっと待つ三人というのは見ていてとてもシュールな光景だった。橋姫の作る雑炊は絶品だと専らの噂で、私も一度恩恵に預かった事が有るけれど、なるほど確かにあれは絶品だった。ただし、橋姫曰く、
「私は雑炊を作るのが上手いんじゃなくて、雑炊しか作れないのよ!」
だそうだ。それもそのはずである、寸胴と包丁くらいしか調理道具がないのだから。生か煮込むかしか選択肢が無いじゃないか。
なんにせよ、仲睦まじいのは良いことだ。特に橋姫に甘え切っているこいし様など、先程のさとり様とのやり取りが嘘のよう。すっぽりと橋姫に背中を預けて、二人羽織のようになっていて、橋姫に食べさせて貰っている。橋姫も満更でないのか、どことなく嬉しそうなのが尚良い。
私も勧められたけれど、先ほど朝食を食べたばかりなので断り、いざ地上へ向かった。
さて、そうして辿り着いたホームセンターは多くの客で賑わっていた。何せ幻想郷のシェアを一手に引き受けているのだから人気も出るだろう。
因みに、私も財布を持っている。持っている、と言うよりは持たせて貰った、と言うべきか。何分私は賢しい方ではなく、貨幣や紙幣の価値があまり良く分からない。ここだけの話なのだが、私が今こうして月に数日の休みを貰う様になった当初、さとり様からは給料もあげましょうか、と問われた。しかし何か買いたい物も無い私は、それを断ったのだ。なので、私はこの先ずっとお金とは縁のない生活を送る心算だったのだけれど、どうやらさとり様はそうでは無かったらしく、仮の給料を台帳に記載していたようだ。そしてその一部を今私は財布に入れてもらい、こうして紐で首からぶら下げている。金銭や売買の基本的な知識はさとり様に教わったとはいえ、正直に言えば、一人で買い物に来たのはこれが初めての事なので、少し緊張もしている。
ホームセンターの入り口脇には案内板があり、どの階に何が有るのかを示していた。とは言え、特別何か買いたい物がある訳でも無い私は、一階から順に見て行く事にした。
一階は、食材売り場だった。一階とは、つまり地上の事なのだから、一番需要がある物を置くのだろう。確かに食材は誰もが必要とするので、必然的に足を運ぶ事になる。
特に空腹を覚えている訳では無いけれど、美味しそうな物を見ていて嫌な気分になるわけでもないので、ぐるりと一週回って見る。衝動買いだけはしない様に気を付けつつ、木で作られた特価棚にある一つ七十円の林檎を二つ、籠に入れた。私が食べるわけではない。お燐が林檎好きなのである。私は皮つきのまま齧り付くけれど、お燐は口が小さいらしく皮を剥いて小さく切ったのをフォークで食べる。黙っている分には可愛らしいお燐が、より一層可愛くなる瞬間でも有るけれど、言うと本人が悪乗りするだろうから黙っておく。他に買うべき物も見つからず、籠を持ったまま二階に行く事にした。その際にちらりと勇儀の姿が見えたけれど、まぁ、誰かと一緒にいたみたいなので放っておく。
二階は、雑貨売り場だった。日常品から専用品まで様々置いてあり、目が眩みそうな商品の数である。中には誰が買うのか、一メートルで三千円もする白いレースまである。私から見ればレースも大布巾も一緒に見えるだけに、はたして分かる人にはわかるのだろうか。思わず苦笑してしまう。買う買わないは別として、この階は見ていて面白そうだったので回って見た。
「ああそうだ、スペルカード……」
私も最近知った事なのだけれど、実はスペルカードは消耗品らしい。つい先日、お燐と弾幕勝負をしていた際に一枚破れてしまったので、この際だから買うことにした。五枚セットやお徳用サイズの列を掻き分けて、私は百九八円でバラ売りしているスペルカードを予備も考えて二枚、籠に放り込む。この店の凄い所はその階の商品を他の階に持っていっても良い所だ。会計も纏めて一つの階でできる。とは言え、籠を持って移動するのも面倒なので、一度ここで会計をしてしまう事にした。お釣りと共に渡されたレシートを屑篭に捨て、代わりに、周りの客の籠の中も面白い事になっているので、それを見て時間を潰す。
「衣玖、早く来なさい」
「ウェイト、天子様。下着くらい自分で買います」
「嘘言わないの。付き合う以上ふしだらなのは認めないからね」
あの二人組みの籠の中は、靴下やら下着やらに混じって、何故か大根とネギが入っているし、
「霊夢、一つだけなら買ってあげるわよ」
「紫が欲しい」
「……」
「あ、嘘。ごめんなさい。茶葉を買って下さい」
向こうの二人組みの籠の中は様々な茶葉で一杯だ。何に使うのか螺子の棚を熱心に見ている奴もいるし、なにやらしきりに「見るのはタダ見るのはタダ」と繰り返している新聞記者もいる。
とは言え、私も財布にも当然限りがある。昼食を上の階で摂る事を考えたら、余り多くは買えない。現在時刻は午前十一時。朝食が早い私は、昼食も早い。ついでに言えば、食事は静かに摂りたい性格でもある。混雑を避け、今の内に食べておくのが良いだろう。そう思い、私は二階を後にした。
三階についた瞬間目に入ったのは、勇儀が連れだろう鬼と酒を飲んでいる風景だった。いや、それだけだったらまだ良いけれど、量がおかしい。樽って何だ。知り合いだと思われても困るので、目を合わせない様にして店内を巡る。和から洋を経て中華まで、何でも揃っているらしく幾つもの店が軒を連ねていて、その内の蕎麦屋に私は足を運んだ。単に麺が好きなだけである。だからと言って、朝からラーメンを作るさとり様はおかしいと思うけれど。しかも全裸で。エプロンを前後逆にして欲しいと思うのは、後にも先にもあの時位だろう。
因みにこの時、丁度知り合いにあった。まぁ、私は物覚え――特に人の名前を覚えるのが苦手なので、間違えて覚えていたらしい。
「ん。空」
「あー……冷製、蕎麦?」
「間違えるにしても酷い間違え方ね。鈴仙。鈴仙・優曇華院・イナバ」
「あー、そうだった。鈴仙、優曇華院……稲庭、ね」
「……まぁ、いいや。鈴仙で良いよ」
場所が蕎麦屋の前だった所為か、余計面倒な会話だった。
当たり前の事だけれど、鈴仙も食事をしに来たらしい。まだ混み合う前の店内は閑散としていて、落ち着いて食事が出来ると思うとほっとする。
頼んだメニューが来るまでの間、この店に何度か来た事のある鈴仙に話を聞くと、どうやら四階は何かを販売するのがメインではなく、各々が教室を開く場所のようだ。何日何曜日に開催しようがそれは各人の自由らしい。彼女が仕える姫様が開く講座は一つではなく、花道、茶道、書道、陶芸、そして詩吟と週五日も開催されているのだ。しかもそのどれもがかなりの人気を集めていて、四階の講座のシェアの何割かを占めている。らしい。
今日もその教室が午後からあるらしいので、その手伝いをする為食事をしたら別れる事になるけれど、代わりに鈴仙から非常に気になる話を聞いた。それは、最上階は武器専門の階となっていて、様々な武器がおかれていると言う。
正味な話、今日一番心を動かされた気がする。武器。ああ、何て良い響きなのだろう。鈴仙がミリタリーマニアなのは知っているし、私もミリタリーは好きだ。同じミリタリーでも鈴仙が銃専門なのに対し、私は対軍武器の様な、複数を相手できる武器が好きなのだ。もっと分かりやすくいうならば、大きくてメカメカしい武器が大好きである。
急いで私は冷麺と素麺と盛り蕎麦を片付け、先を急いだ。
さて、とは言え全く次に四階に触れないわけにもいかない。食事中(と言っても、鈴仙が食べている間の事だ。私は食事中に会話をするのを好まない)に鈴仙と会話をした際、顔を出すと言ってしまったからだ。まぁ、鈴仙も、私が花や詩に聡い方ではない事を知っているらしく、参加しろとは言わなかったのが救いか。
この階はそれまでの息苦しさや煩雑さは無く、空間が良く目立つ。食材売り場や雑貨売り場と違い、区画毎にきっちり分けられている。昇り階段を正面として、左右に四つずつのブースがあり、突き当たりにはそれらよりも一際大きいブースが構えている。恐らくはあれが鈴仙の主が開く教室なのだろう。シェアを占めている、と言う話ではない。もはや主賓だ。客足は多少下の階に比べると少ないものの、十分と言えるほどだろう。腹ごなしにぶらぶらと一周して見てみと、実に様々な、しかも見知った顔が多かった。一番昇り階段に近い側の左右は金髪の人形遣いと、空白のブースだった。
・アリス・マーガトロイドの人形劇
うん、楽しそうだ。小さな子供達の中に一人だけ背の高い、緑の巫女が混じっているのが気になるけど。それを除けば、まぁ、平和な光景である。
・風見幽香のガーデニング教室
私はあまり花には興味がないので、何とも言えない。今はやっていないが、向かいの人形遣い曰く、今まで一度も開かれた事が無いとか。果たしてそれはやる気があるのだろうか。
次の列は、幽霊の姉妹達が奏でる音色に合わせて、向かいのブースで少女が踊っている。
・プリズムリバー三姉妹の音楽教室
人形遣いの隣でやっているからか、静かで情緒的な音楽が流れてきて、心地良い。騒がしい音楽しかやらないと思ったけれど、やはり音楽家はどんな音楽も一流にこなすようだ。一つだけ気になるのは、演奏している面子が時折隣のブースを見ている事だけれど、きっと知り合いか何かなのだろう。
・鍵山雛の日本舞踊教室
……綺麗だ。思わずドキドキしてしまう。このブースだけ、写真を切り取って映像にしたかのようだ。今日見た中では二番目に人が多い様に見える。最前列でフラッシュを焚く奴さえ居なければもっと良かっただろうに、と思ってよく見ると先程二階でぶつぶつ呟いていたのと同一人物だった。迷惑な客にも程がある。
しかし、似合っている。自分にあのリボンや服が似合うとは思えないけれど、お燐にリボンは似合うかもしれない。とは言え、リボンをあしらったお燐が自分のベッドにいると思うと、想像して恥ずかしくなったので頭の隅から追い払う。
三列目は、何とも対称的なブースだった。片方は知っている。吸血鬼の、アルミだったかミリアムだったか……名前は忘れたけれど。そしてもう片方は知らない奴だった。
・レミリア・スカーレットのカリスマ教室
ああそうだ、確かそんな名前だった。
内容は、実は気になる。万民をひれ伏せさせる力は要らないので、せめて広いベッドで眠れる程度の力強さは欲しいところだ。
拳を握り締め、高らかに力説する吸血鬼の声は聞いていて面白かった。
・河城にとりの機械・プログラミング講座
壇上には誰もいないので、やっていないのかと思ったけれど、しかし客はいる。耳を傾けて見れば、ほんの僅かだけ声が聞こえる。はてどういった仕組みなのかと思ったので近くの客に聞いてみると、コウガクメイサイとやらで姿を消しながら解説をしているそうだ。そんなに人見知りが激しいのなら講座など開かなければ良いのに、とも思ったけれど、それなりに需要があるらしく、熱心に筆をとる人が多い。どうやら専門の技術職が集まっているようだ。私には良く分からない。
四列目は、何と言うか、酷かった。
・博麗霊夢の“弾幕初心者の為のホーミング講座”
うん……ん? あれ? 何が可笑しいかと聞かれると困るのだけれど……何だろう、この違和感は。
ああ、あれか。講座に参加するのに教科書を買わなければならないからか。しかも何だこの本、“楽しいグレイズ 上”って。下があるのか。随分息の長い経営を目指している様だ――って、著者も紅白の巫女か。単に売りたいだけじゃないのか。
壇上では何時もの紅白の衣装に、“先手必勝”と書かれたハチマキを巻いた巫女が力説していて、脇には“後出しじゃんけん”と書かれたハチマキをした八雲紫が控えている。突っ込みどころしかない。
(ホーミングってどっちかと言うと先手じゃないよねぇ……と言うか先手派なのか後手派なのかどっちかにしろと。寧ろ何でハチマキなんだ)
しかしそれなりに客がいるのが不思議だ。見れば客層は偏っていて、妖精が多い。まさに教室名通り、弾幕初心者が集まっているようだ。宵闇の妖怪がいるのが気になるけれど、真剣な目つきだったのでそっとしておいた。
・四季映姫・ヤマザナドゥの説教
せめて“講座”をつけろ。完全に説教する気しか無いじゃないか。何が哀しくてわざわざ人に怒られ――なんだ、要はさとり様じゃないか。と言う事は、ここにいる人は皆さとり様と同類か。良かったですねさとり様、この人達なら友達になれますよ。
そして最後は鈴仙の主の講座のブースなのだけれど、何分人が多い。鈴仙には悪いが、花な詩に興味がない私は心の中で謝りながら踵を返した。
03.
さて、そうして五階まで来た私は、思わず走りだしてしまった。昇り階段の正面に悠然と佇むガラスのショーウィンドウのその中に、凄い物を見つけたからだ。
(ガ、ガトリング砲!?)
ガラスに両手を貼り付けた所で、はっと気付いて周囲を見回す。幸いにも誰もいなかったようで、胸をなでおろしつつ、恥ずかしさを紛らわすように一つ咳払いをした。そうしてもう一度店頭のショーウィンドウを見る。
赤く拡張高い絨毯と棚に燦然と置かれた、ガトリング砲。一寸の翳りもなく、黒く鋭く輝いている。砲身は六つ。口径からして二十ミリ弾だろう。だとすればこれはガトリング砲と言うよりは、バルカン砲なのかも知れない。確かめたかったけれど、値札も何もない。非売品、と言う言葉が胸をよぎったけれど、ふるふると頭を振ってそれをかき消した。
欲しい、だが高い事は容易に想像できる。寧ろ売っている事自体が奇跡のようなものだ。客寄せとして置かれているだけで、売ってもらえないかもしれない。しかし、もし値段が設定されているならば、たとえ高くても何時かは買える。そんな淡い期待を抱いて、私は店内へ足を運んだのだけれど。あっさりと砕かれた。
「ああ、あれは非売品ですよ」
泣いてやろうかと思った。入り口のすぐ近くに居た店員に聞いて返ってきた答えが今のだからだ。
とぼとぼと五階を後にし、階段を降りる。右手の買い物袋を放り捨てたい気分だ。外に出た所で、何やら人だかりが出来ている事に気がついた。人だかりは一つの列になっていて、その先頭らしき部分では机を挟んで店員と客がものの受け渡しをしている。看板には“福引開催中”と書いてあったけれど、私はその福引とやらが何かを知らない。と、丁度その時、鈴仙が店から出てきたので駆け寄ってみる。
「鈴仙、“福引”って何?」
「ん。あぁ、籤の一種よ。回して何色の玉が出たか次第で違う商品が貰えるのよ」
「ふぅん。一番凄いと何が貰えるの?」
「この店の場合は、何でも」
「?」
「店内にある欲しいもの、どれでも一つ貰えるんだってさ。私も昨日回したよ。人参だったけど」
「なん、でも? 非売品でも?」
「さぁ、知らない。聞いてみれば?」
鈴仙の言葉を聞き終えるよりも早く、私は全速力で店員に突進していた。
一度は諦めたガトリング砲を手に入れるチャンスが再び巡ってきたのだ。何人たりとも私の邪魔はさせない。
「すいません!」
「な、なんでしょう」
「ここの一番凄いのは、何でも貰えるって聞いたんですけど!」
「あ、ああ、一等の事ですか。確かに一品限り店内の物を差し上げる事になっています」
「非売品でも!?」
「はい?」
「そう、ありがとう!」
はい、確かにそう聞いた。つまり一番良い色の玉を出せば、ガトリング砲が貰えると言う事だ。そして私は腕まくりをして、目の前の玉が出てくる奴を回――そうと思って、首根っこを掴まれた。思わず声が出てしまったじゃないか、一体誰だと思って振り返ると、鈴仙だった。
「何がそんなに欲しいのかは分からないけど、並びなさい」
これは恥ずかしい。そのまま鈴仙に首根っこを掴まれたまま、列の最後尾に並んだ。列はおおよそ十人程度と言ったところか。
「でも、店側も唯で物なんかあげて儲かるのかな」
「空。本当に福引、知らないのね」
残り九人。
「うん、まぁ」
「誰でも福引が出来る訳じゃないわよ。回せるのは店である程度の買い物をしている人だけ」
残り八人。
「そうなんだ。でも私は買ったよ。ほら」
「幾ら?」
残り七人。
「えっと……林檎に、スペルカード。五百三十六円」
「ああ、じゃあ大丈夫」
残り六人。
「少ないと駄目なの?」
「五百円毎に一回よ。じゃないと店側も困るでしょ」
残り五人。
「じゃあ千円買えば二回出来るんだ」
「そう言う事」
残り四人。
「じゃあたくさん買ったほうが、チャンスが多いって事じゃない」
「そうだけど、必ずいい物が当たるわけじゃないわよ」
残り三人。
「そう言えば私一等以外聞いてない。後何があるの?」
「白が外れでティッシュ。青は食材。まぁ、多分その日売れ残った物だろうけど」
残り二人。
「他は?」
「赤がお酒。結構な量よ。で、銅が洗剤セット。当たったら頂戴ね」
残り一人。
「まぁ、私は一回しか回せないけど」
「で、銀が……そうそう、空、レシートは?」
「は?」
福引の前。鈴仙の言葉に、私はぽかんと口をあけてしまった。
「や、レシート。それがないと回せないわよ」
「や、買い物、してるけど」
「そうだけど。レシートと交換だから」
「え」
「え」
「……」
「空?」
思いだす。二階でレジに向かった時、財布を開けた時、おつりを貰った時……。
……。
…………。
………………!
「捨てちゃった……」
「馬鹿……」
屑篭にレシートを捨てた自分を、記憶の中で見た。
「えっと……回さないなら、もうすぐ閉店ですので宜しいでしょうか?」
閉店。つまり、再びガトリング砲を諦めなければならないと言う事だ。福引は期間限定で、次の私の休日の時には終わってしまっている。つまり、私にとって今この瞬間だけしか、僅かな可能性を叶える事が出来ないのだ。
「空。残念だけど……」
「……ある」
「あえ?」
「後十分、ある!」
踵を返して、店内へ走る。五百円分――いや、この際だ、財布の中身を全部使ってしまおう。どうせ欲しい物は無い。
そうして店の入り口のすぐ近くにあった檸檬を幾つか手にとって、やはり棚に戻した。
どうしてなのかは分からない。分からないけれど、ふと頭の中に、白いアレが浮かんだのだ。赤いお燐の頭にはきっと映えるだろう。寧ろ、恥ずかしがって顔まで赤くするに違いない。そんなお燐を想像するだけで、ふっと笑えた。
ぐっ、と、一筋流れた汗を拭う。そのまま正面の昇り階段を睨み、そして再び走りだす。私の大きい翼を広げて飛ぶには、店内は狭すぎる。一段、また一段と階段を駆け上がり二階に辿り着く。辺りを見回して、お目当てのアイツを見つけた。一メートル三千円の白いレース。数時間前には誰が買うのだろうと思っていたけれど、どうやら需要は私にもあったようだ。すぐさま店員を呼び寄せる。
「この一番高い白のレース、これで買えるだけ頂戴!」
財布を首から外して、紐ごと店員に渡す。うろたえながらも、店員が対応してくれる。
「ありがとう、お釣りは要らない!」
わざわざプレゼント用にラッピングしてもらった商品と、空になった財布と、そして今度こそレシートを大事に持って、急いで階段を降りる。普段は飛んで移動する事が多いので、結構、辛い。再び外まで来た時には、足がガクガクになっていた。
「鈴仙、まだ、大丈夫?」
「凄いね……ギリギリ、セーフ」
それは良かった。ここまで来て間に合わなかったら、唯単に散財しただけになる。いや、間に合っていても散財には違いないけれど。それでもゴール後にご褒美が在るか無いかでは全然違うのだ。
握り締めていたレシートを店員に渡す。少しだけ皺がついてしまっていて、果たして自分が何回福引を回せるだけの買い物をしたのかが気になる。結果、十五回、と言う事になった。人海戦術と言う言葉があるけれど、まるで今の私の様じゃないか。それだけ回せれば何とかなるだろう。
すぅ、と、呼吸を整え、いざ福引の取っ手を握り、時計周りに三回、回した。
白。ティッシュだ。
白。ティッシュだ。
白。ティッシュだ。
……それを繰り返す事十数回。さながら気分はティッシュハンターだ。今ならどこかの妖精の弾幕の物真似が出来る気がする。
しかし、一等が出難いのは分かるけれど、青も赤もでないとはこれいかに。
「空、それが最後よ」
「分かってる」
いい加減当たれ。この一振りで当たれ。私と一等、フュージョンしろ。想像だ、イマジネーションだ。自室にガトリング砲がある日々を思い込む。朝起きて艶やかなガトリング砲を手入れして、仕事が終わってガトリング砲を手入れして、休日はガトリング砲をつれて散歩に出てみよう。
「って、睡眠時間がないじゃない!」
自分で自分に突っ込みを入れた勢いで、つい福引を回してしまった。しまった、と思った時はもう遅い。ああ、まさか。こんな不完全燃焼な福引は嫌だ。
しかして、ぽろりと吐き出された玉は白くなかった。それは夕焼けを弾き返すかの様に輝いている。
「あ」
「あ」
なんと、金色――ではなく。夕焼け空の所為でそう見えなくもないけれど、間違いなくそれは銀色の玉だった。
銀の玉だと何が貰えるのだろうか。果たして渡された箱は白く薄かった。大きさはそれなりにあるけれど、ガトリング砲が入る様な高さはない。
ああ、さようならガトリング砲。せめて君が非売品でよかった。また会いに行くからね。その艶やかな機体を見せておくれ。
「まぁ、良かったじゃない。何も貰えないよりは」
「うん、まぁ」
まぁ、それはそうだけれど。
仕方無しに白い箱を開けてみる。絹かシルクか、やけに手触りが良い。広げてみようと思って、そしてそれが何なのか分かった。
「服かぁ」
「え……いや、まぁ、そうだけど」
丁度良い、さとり様にあげようか。今頃寒さでくしゃみでもしているかもしれないし。
そうして私達は帰路についた。途中、別れるまでの間、横で鈴仙が何か言いたげにしていたけれど何だったのだろう。これもあげる、と言われて何やら花の束を貰ったけれど、どうせ今日の教室で使った物なのだから、要は押し付けられたと言わざるを得ない。仕方ないので後で自分の部屋に飾る事にしよう。
地上から地底へと繋がる帰り道。橋姫とこいし様が一緒にいたので声を掛けた。そして私の持っている箱の話になると、何とも正反対の反応をしてくれた。
「いいなぁ」
「はっ、妬ましい」
「私も少しお燐に嫉妬~」
いや、これはさとり様にあげるつもりです。お燐は服着てるし。さとり様の残念な身体を見るのも切ないので。
すると今度は二人して同じ反応をしてくれた。一体何だと言うのか。
「お空、それは嫌がらせ? お燐の気持ち、知ってるでしょ?」
「あんた中々酷いんだね。妬ましいわ」
ぷぅと膨れてこいし様はどこかに行ってしまった。まぁ、時間からして先に地霊殿に戻ったに違いない。橋姫と二人きりになった私は、どうしたものかと思ったけれど、しっしっと追い払われたので、仕方なく家に帰ることにした。
玄関で再びこいし様に会う。まだこいし様は不機嫌らしく、べっと赤い舌をちょこっと出して走って行った。意味が分からない。
「ただ今戻りました」
「あら、おかえりなさい」
思わず私はずっこけた。服を着ているじゃないか。どう言う事だ。
私の心の声を聴いてくれたのか、さとり様が可笑しそうに笑う。
「……そう、それを私に渡そうとしたのね。でも私がそれを受け取る事は出来ないわ。お燐にあげなさい」
またそれか。どいつもこいつも一体この白い服が何だと言うのか。猫専用の服にしては随分サイズが大きいし、お燐は人型になれるというのに。
するとさとり様はまた私の心を読んだらしい。
「……そう、分かったわ。貰ってあげます。そのリボンも頂戴な」
直接お燐に渡したかったけれど、まぁ手間が省けて良いか。そう思い、さとり様に両方手渡す。私の手に残ったのは、林檎とスペルカードだけだ。
「ああ、そうそう。お空、今から十分後に居間に来なさい」
地霊殿は玄関に入ってすぐ居間に繋がっている。裏庭を通れば居間を通らず自分の部屋に行く事が出来るけれど、面倒だったので、そのまま玄関待つことにした。一体今日は可笑しな事だらけだ。
ぼんやりと待つ事十分。あまり待つのが好きではない私は、それ以上待つことなく居間へ滑りこん、だ?
「う、うわっ、お空! 待って、まだ心の準備が……」
そこに居たのは、見た事のない服を来たお燐だった。横ではさとり様が、何時もの服を着ている。
白一色の服は床までスカートが続いている。絹かシルクかと思ったそれはそうやらそのどちらでもないらしい。ミカドにコードレース、オーガンジー……さとり様の説明を聞いた所で分からないけれど、それが素晴らしくお燐に良く似合う事だけは分かった。Aラインのそれはお燐の華奢な肩を惜しげもなく見せ付けてくれる。こちらからはトレーンが見えない代わりに、縦に入ったフリルが波打っていて目を引く。
普段は三つ編にされたお燐の髪は、結ばれておらず、真っ直ぐに肩まで伸びている。僅かにウェーブがかかった赤い髪の頂点、つまり頭の上にはまるで厄神様の様に私が買った白いレースが乗っている。ドレスが半袖の為、お燐の両腕が見えるが、そのどちらの腕にも白いレースが巻かれていた。恥ずかしいのか、お燐は顔を花で隠している。帰り際に鈴仙に貰った奴だ。
そこまで全て確認して、やっと状況を理解する。
ああ、あれか。
ウエディングドレス、か。
上目遣いにお燐が私を見る。ふむ、これは。なかなか。いやはや。
「お、お空。どう……かな……?」
言わずもがなである。返す言葉が見つからないとはこのことか。
「やっぱり、駄目……?」
「さとり様」
視線はお燐から離さない。そう言えば顔の落書きは何時の間に消したのか。何にせよ、今はそんな事はどうでも良かった。
そしてさとり様に告げる。
「今日は、夕飯は要りません。私も、お燐も!」
「へうわ!?」
言うが早いかお燐に駆け寄り、ひょいと抱き上げる。軽い、軽すぎる。肩も華奢だし、腰も細い。
そのまま自分の部屋まで走る。お燐が花束で私を叩くけれど、抵抗の家にさえ入らない。そうしてあっという間に部屋について、部屋のベッドにお燐をぽすんと寝かせる。すっかりお燐は涙目になっているけれど、お燐は元来強く出る性格ではない事を知っている。こうして私が押せば引かざるを得ないだろう。そしてそれは更に押すチャンスでもある。
「お、お空。冗談だよね? まさか普段悪戯してるのに、怒ったとか? だったら謝るから……そ、そう、今朝あたいに落書きしたでしょ、あれでアイコだよ」
「……」
「や、やっぱり居間に戻ろうよ。着替えるからさ。あたい、お腹空いてるし」
「あるよ」
「へ?」
「お燐の大好きな林檎、あるよ」
袋から林檎を二つ取り出して、一つを机の上におく。私は知っている。お燐が林檎をそのままで食べないことを。そして私は更に知っている。この部屋にフォークなんてない事を。
「お燐」
「な、なに……?」
シャクッ、と、林檎を齧って、口に含む。どうやらお燐も悟ったらしい。私が何をしようとしているかを。
一歩、また一歩とお燐に近づく。狭いベッドの上で、お燐はすぐに逃げ場を失った。逃げられないようにぎゅっと身体を抱き締めて、至近距離でお燐を見つめる。揺れる双眸がより一層私の中の野性を強く焦がす。
「お燐」
「うぅ」
「何時もさとり様が言ってるでしょ。食事の前は?」
「い……」
「い?」
「いただき、ます……」
「ん。食べて」
「んぅ……」
観念したのか、お燐の口に林檎が渡った。瞑った目の所為で表情は分からないけれど、熱を帯びた体と頬は私を拒絶する事無く、それがお燐の答えだと受け取った。
すっと背中に手を回される。やはり緊張していたのだろう、お燐の唾液は粘度が強かった。
狭いベッドで良い。カリスマ講座に行く事はないだろう。
とりあえず明日仕事が終わったら、お燐の部屋と私の部屋の間にある壁を壊そう。一つの部屋にしよう。
真っ白のウエディングドレスに一滴だけ、林檎の果汁が零れた。
それがどちらの口から漏れたものかは分からないけれど、少なくとも、その雫が乾くまでの間は繋がっていたいと、思った。
目覚まし時計が音を立てる前に、私は目を覚ました。
午前六時。何時もの事だ。
地霊殿の、奥深くにある灼熱地獄跡。そこの整備と管理が、私、霊烏路空の仕事だ。毎朝六時に起きて、身支度を整え、朝食を食べ、遅くとも七時には与えられた職場につく生活を続けているからか、朝は早起きになっていた。最も、こうして今の仕事につく前、もっと言うならばまだ私が妖怪ですらなかった頃。その頃の私は唯の烏で、やはり朝は早かった記憶があるのだから、元よりそう言う性分なのだろう。私と同じく仕事を与えられたはずのお燐は、私と逆で朝が弱いらしく、果たしてお燐はちゃんと働いているのだろうか不安になる事もあるのだけれど。まぁ、少なくとも私の記憶の中に、お燐がこっぴどく叱られていると言った記憶が無いので、きっと平気なのだろう。
「さて、どうしようか」
ベッドの上で上半身だけ起こした状態で、私はそう呟いた。横にはお燐が居るが、この程度の独り言で起きるようなやつではない。元を正せばそもそも私とお燐の部屋は別なので、今こうして一緒のベッドで寝ているのはおかしい事なのだけれど、何度言っても勝手に忍び込むので放っておくことにしたのだ。おかげでそれを承認と捉えたのか、今では私の部屋に徐々にお燐の私物が増えているのが恐ろしい。きっとその内完全に二人部屋になるのだろう。
そんな訳で、問題なのは隣にお燐が寝ている事では無い。
実は、今日は月に数回ある休日だったのだ。少し前はそんな物は無かったのだけれど、これには事情があり、つい先日私はいわゆる“異変”と言う奴を起こしてしまったのだ。山の神様からもらった核融合の力である。最初の内は仕事に使うだけだったのだけれど、まぁ、私も妖怪の端くれだったらしく、この力がどれ程のものか試してみたくなったのだ。今思い返せば実に幼稚な考えだった。私を退治しに来た巫女に対して放った決め台詞の数々を思いだすだけでも、背中がむずむずして恥ずかしくなる。
結果として私は紅白の巫女に倒された訳だけれど。ここで一つ問題が残ってしまったのだ。それは間欠泉や怨霊の事ではなく(しかも後で聞いたのだが、あれはお燐が絡んでいるらしい。聞いてもはぐらかされるので、もう諦めたけれど)、主のさとり様である。
どうも私が異変を起こしたのは、仕事で疲れて自棄になったからではないか――そう思ったらしい。何の為の覚りなのだろうとは思ったけれど、あの方の考えていることなど、私には良い意味でも悪い意味でも分からない。まぁ、私とて休みを貰って嫌なわけではない。決してそんな理由で異変を起こしたわけではなく、成り行きと言う形では在るけれど、月に数日の休みを貰う事になって、そして現在に至るのだ。
そして今日はその休日であるのだが、つい何時もの癖で目覚まし時計をセットしてしまった。まぁ、それより早く起きたのでセットしていようと無かろうと関係なかったけれど。
「寝て過ごすか、それとも……」
まさか一日寝て過ごすと言うのも嫌だった。普段真面目に働いている所為か、何かしていないと落ち着かないのだ。
横で寝ているお燐の頬を引っ張りながら、考える。すると夢の中でも似た様な事をされているのか、うーんと眉を顰めるお燐だったけれど、やはり起きないのでそのまま引っ張りながらどうしようかと考える事にした。
一番可能性が高いのはお燐と遊ぶ事か。最近地霊殿内では外の世界からやってきたスポーツが流行っているので、それをやるのも良いかもしれない。唯一の欠点としては、何かと隙を見つけてはお燐が私のスカートの中を覗こうとする事だけれど、何だか最近ではどうでも良くなってきた。少し前に対抗策としてもんぺを穿いた事があったけれど、あの時はあまりにお燐に反対されたので、それ以来穿いていない。まさか涙と鼻水で顔面をぐちゃぐちゃにして“後生だからそれだけは止めてくれ”なんて言われるとは思っていなかった。人間(私は人間じゃないけれど)怒りを通り越すとどうでもよくなるというのを初めて知った。
さて、お燐を除くとあとはさとり様かこいし様になる訳だけれど、こいし様とは遊ぶ前にまず意思の疎通が難しい。なので、申し訳無いけれどさとり様を選ぶ事になる。
お燐の頬の柔らかさを十分に堪能した所で、いよいよ私はベッドから抜け出した。そうして身支度を整え、ついでにお燐の顔に筆で落書きをしておく。部屋が墨汁臭くなるけれど、涎が垂れているシーツと共に後でお燐になんとかしてもらおう。朝が早い私でさえ、さとり様より先に居間についた事は無い。休日でも私より早起きなのだ。
「あら、おはよう」
「まずは服を着てください」
居間のドアを開けた時、果たして私が見たのは、素っ裸のさとり様だった。優雅に持ったコーヒーカップと組まれた脚のおかげで大惨事だけは避けている。既にあの格好で居間に居る時点で大惨事だけれど。主にさとり様の頭が。
「……そう、休みなのに早く起きてしまったのね」
「ええ、まぁ」
「……どうして良いか分からないと」
「ええ、まぁ」
「なら、ここに行くと良いわ」
突っ立っている訳にもいかず、仕方なく自分の席に座ると、さとり様から一枚のチラシを渡された。はて、素っ裸で第三の目も無いのに、何故分かるのだろうか。と言うか、あれは着脱可能だったのか。良いのかそれで。
ともかく、渡されたチラシを見る。どうやらそれは、地上に新しく出来た店の物の様だ。
「と言っても、出来たのは先月よ。あまり興味無さそうだったから貴女が知らないのも無理は無いけれど」
「そうだったんですか」
大型ホームセンター。有体に言ってしまえばそう言う店だった。全五階建て。地下は無い。それで良いと思う。地底から地上へ出て、また店の地下に行くのはややこしくて敵わない。食料品から日常雑貨、果てはスペルカードまで。とにかく何でも揃っているらしい。更には幻想郷の有力者による様々な講座も有るらしく、今非常に人気――との事だ。
ふむ。確かに用事は無い。時間はある。ならば行ってみようか。どの道こうしていても、さとり様の凹凸の少ない身体を見ながら朝食を食べるくらいしかする事は無いし。食べたら食べたで、お燐にスポーツをしようと言われるだけだ。別に身体を動かすのが嫌いなわけではないが、少なくとも野球もサッカーも二人でやるスポーツではない事くらいは私にも分かる。あれはもっとこう、大人数で青春を感じるスポーツだと思う。お燐みたいに人のスカートの中を覗く口実にはならないはずなのだが。ならばいっそ外に出て見るのも良いかもしれない。
そうして私とさとり様は向き合って朝食を食べる事にした。その最中にこいし様がやってきて、口論になっていたけれど、正直好きにしてくれとしか言いようが無い。私とて好きでこんな意味不明な光景を作っているわけでは無いし、さとり様が阿呆な事をしている理由くらいは知っている。その目的はたった今果たされたわけだけれど。
「本当にこいしって可愛いわよね」
「ええ、まぁ」
最近さとり様と話す時の大半が“ええ、まぁ”となっている気がするが、きっと気の所為だろう。決して相手をするのが面倒なわけではない。
「こいしの怒鳴り声は最高ね。コーヒーが美味しいわ」
「ええ、まぁ」
私が朝食を食べ、まだもう少し先になる店の開店時刻まで時間を潰している間、二人はずっと口論をしていた。本来なら口論ではなく、さとり様が一方的に言われても良いはずなのに、何を思ったかさとり様はこいし様に反論をしたのだ。何一つとして頷くところはなかったけれど。さとり様はこいし様に怒鳴られるのが好きなのだが、それに反論を重ねて最終的にこいし様を言いくるめるのがもっと好きなのだ。納得が行かず逃げ出すこいし様なら尚良し。全く歪んでいる。
「あの子ももっと素直になれば良いものを」
「そうですね」
かと言ってそこまで本能に素直になられても困る。
しかしさとり様は私の心の呟きなど気にも留めずに、ふっとニヒルな表情でコーヒーを啜った。何の事は無い、こいし様に怒鳴られるがためにこんな素っ頓狂な格好をしているだけだ。果たして少し赤い頬は何の意味が有るのだろうか。少しはこいし様の気持ちも汲んであげて欲しいものだ。朝起きたら姉が全裸でペットと食事をしている光景なんて見たら、それは家出だってしたくなる。まさかこいし様の放浪癖はこれじゃあるまいな。だとしたら酷すぎるけれど、どうこう言う心算もないので、そろそろ私は出かける事にした。時刻は午前九時。普段ならこの辺りでお燐が眠そうな顔を私に見せに来る時間だ。
「それじゃあ、私はそろそろ出かけます」
「気を付けて行ってらっしゃい」
はてさて。幻想郷のホームセンターとは、どんなものなのだろうか。珍しく私もドキドキしている。
そうして私は地霊殿を後にした。
02.
さて、これからさとり様に戴いたチラシと共に、そのお店に行くわけだけれど。
まずは一階――よりももっと前。地上では無く、地底での事になる。普段はあまり地霊殿から出ることの無い私も、旧都の存在くらいは知っていた。唯、詳しくは知らない。なので、この時点で物珍しさに満ちている私に声を掛けてきた者がいたのは少々心強かった。名前は黒谷ヤマメとキスメ。何でも橋姫に会いに行くらしい。しかしまだ朝だと言う事も有って、旧都は割と静寂を保っていた。途中、星熊勇儀に弾幕勝負を挑まれたくらいか。とは言えそれは一回や二回の事ではなく、この間の異変以来それなりに気に入られたらしく、ちょくちょくこう言う誘いが有るのだ。
私より角の多い鬼に会いに行く、そう言い残し、勇儀は私達より先に何処かへ行ってしまった。足取り確かに飛んでいった辺り、多分同じ鬼の友人に会いに行くのだろう。だったら別に格好付けなくてもよいのでは、とも思ったけれど、まぁ本人が気に入っているセリフの様だったので、何も言わないことにした。
次いで会った橋姫はこいし様と一緒にいた。橋姫の膝の上で楽しそうに話すこいし様を見ると、こちらも顔が綻ぶのは母性なのだろうか。だとしたら出来た妹である。是非ともさとり様には爪の垢を煎じて飲んでいただきたい。
“橋姫は常に橋にいてナンボ”と言うのが彼女のモットーらしく、その実彼女はここで寝泊りしている。橋は緩やかな曲線のアーチ状になっていて、その下には川が流れている。橋と川の間は最大で数メートルはあり、斜面の土手には草が茂っていた。しかしそのおかげで敷布団が必要ないと豪語する橋姫だが、果たして夜露や雨の日はどうしているのだろうか。流石にそこまでは知らなかったけれど、土手に置かれた掛け布団達生活道具が雄弁だ。
橋姫とこいし様、そしてヤマメとキスメはこれから朝食だったらしく、橋の入り口で寸胴をこねくり回す橋姫と、その前でじっと待つ三人というのは見ていてとてもシュールな光景だった。橋姫の作る雑炊は絶品だと専らの噂で、私も一度恩恵に預かった事が有るけれど、なるほど確かにあれは絶品だった。ただし、橋姫曰く、
「私は雑炊を作るのが上手いんじゃなくて、雑炊しか作れないのよ!」
だそうだ。それもそのはずである、寸胴と包丁くらいしか調理道具がないのだから。生か煮込むかしか選択肢が無いじゃないか。
なんにせよ、仲睦まじいのは良いことだ。特に橋姫に甘え切っているこいし様など、先程のさとり様とのやり取りが嘘のよう。すっぽりと橋姫に背中を預けて、二人羽織のようになっていて、橋姫に食べさせて貰っている。橋姫も満更でないのか、どことなく嬉しそうなのが尚良い。
私も勧められたけれど、先ほど朝食を食べたばかりなので断り、いざ地上へ向かった。
さて、そうして辿り着いたホームセンターは多くの客で賑わっていた。何せ幻想郷のシェアを一手に引き受けているのだから人気も出るだろう。
因みに、私も財布を持っている。持っている、と言うよりは持たせて貰った、と言うべきか。何分私は賢しい方ではなく、貨幣や紙幣の価値があまり良く分からない。ここだけの話なのだが、私が今こうして月に数日の休みを貰う様になった当初、さとり様からは給料もあげましょうか、と問われた。しかし何か買いたい物も無い私は、それを断ったのだ。なので、私はこの先ずっとお金とは縁のない生活を送る心算だったのだけれど、どうやらさとり様はそうでは無かったらしく、仮の給料を台帳に記載していたようだ。そしてその一部を今私は財布に入れてもらい、こうして紐で首からぶら下げている。金銭や売買の基本的な知識はさとり様に教わったとはいえ、正直に言えば、一人で買い物に来たのはこれが初めての事なので、少し緊張もしている。
ホームセンターの入り口脇には案内板があり、どの階に何が有るのかを示していた。とは言え、特別何か買いたい物がある訳でも無い私は、一階から順に見て行く事にした。
一階は、食材売り場だった。一階とは、つまり地上の事なのだから、一番需要がある物を置くのだろう。確かに食材は誰もが必要とするので、必然的に足を運ぶ事になる。
特に空腹を覚えている訳では無いけれど、美味しそうな物を見ていて嫌な気分になるわけでもないので、ぐるりと一週回って見る。衝動買いだけはしない様に気を付けつつ、木で作られた特価棚にある一つ七十円の林檎を二つ、籠に入れた。私が食べるわけではない。お燐が林檎好きなのである。私は皮つきのまま齧り付くけれど、お燐は口が小さいらしく皮を剥いて小さく切ったのをフォークで食べる。黙っている分には可愛らしいお燐が、より一層可愛くなる瞬間でも有るけれど、言うと本人が悪乗りするだろうから黙っておく。他に買うべき物も見つからず、籠を持ったまま二階に行く事にした。その際にちらりと勇儀の姿が見えたけれど、まぁ、誰かと一緒にいたみたいなので放っておく。
二階は、雑貨売り場だった。日常品から専用品まで様々置いてあり、目が眩みそうな商品の数である。中には誰が買うのか、一メートルで三千円もする白いレースまである。私から見ればレースも大布巾も一緒に見えるだけに、はたして分かる人にはわかるのだろうか。思わず苦笑してしまう。買う買わないは別として、この階は見ていて面白そうだったので回って見た。
「ああそうだ、スペルカード……」
私も最近知った事なのだけれど、実はスペルカードは消耗品らしい。つい先日、お燐と弾幕勝負をしていた際に一枚破れてしまったので、この際だから買うことにした。五枚セットやお徳用サイズの列を掻き分けて、私は百九八円でバラ売りしているスペルカードを予備も考えて二枚、籠に放り込む。この店の凄い所はその階の商品を他の階に持っていっても良い所だ。会計も纏めて一つの階でできる。とは言え、籠を持って移動するのも面倒なので、一度ここで会計をしてしまう事にした。お釣りと共に渡されたレシートを屑篭に捨て、代わりに、周りの客の籠の中も面白い事になっているので、それを見て時間を潰す。
「衣玖、早く来なさい」
「ウェイト、天子様。下着くらい自分で買います」
「嘘言わないの。付き合う以上ふしだらなのは認めないからね」
あの二人組みの籠の中は、靴下やら下着やらに混じって、何故か大根とネギが入っているし、
「霊夢、一つだけなら買ってあげるわよ」
「紫が欲しい」
「……」
「あ、嘘。ごめんなさい。茶葉を買って下さい」
向こうの二人組みの籠の中は様々な茶葉で一杯だ。何に使うのか螺子の棚を熱心に見ている奴もいるし、なにやらしきりに「見るのはタダ見るのはタダ」と繰り返している新聞記者もいる。
とは言え、私も財布にも当然限りがある。昼食を上の階で摂る事を考えたら、余り多くは買えない。現在時刻は午前十一時。朝食が早い私は、昼食も早い。ついでに言えば、食事は静かに摂りたい性格でもある。混雑を避け、今の内に食べておくのが良いだろう。そう思い、私は二階を後にした。
三階についた瞬間目に入ったのは、勇儀が連れだろう鬼と酒を飲んでいる風景だった。いや、それだけだったらまだ良いけれど、量がおかしい。樽って何だ。知り合いだと思われても困るので、目を合わせない様にして店内を巡る。和から洋を経て中華まで、何でも揃っているらしく幾つもの店が軒を連ねていて、その内の蕎麦屋に私は足を運んだ。単に麺が好きなだけである。だからと言って、朝からラーメンを作るさとり様はおかしいと思うけれど。しかも全裸で。エプロンを前後逆にして欲しいと思うのは、後にも先にもあの時位だろう。
因みにこの時、丁度知り合いにあった。まぁ、私は物覚え――特に人の名前を覚えるのが苦手なので、間違えて覚えていたらしい。
「ん。空」
「あー……冷製、蕎麦?」
「間違えるにしても酷い間違え方ね。鈴仙。鈴仙・優曇華院・イナバ」
「あー、そうだった。鈴仙、優曇華院……稲庭、ね」
「……まぁ、いいや。鈴仙で良いよ」
場所が蕎麦屋の前だった所為か、余計面倒な会話だった。
当たり前の事だけれど、鈴仙も食事をしに来たらしい。まだ混み合う前の店内は閑散としていて、落ち着いて食事が出来ると思うとほっとする。
頼んだメニューが来るまでの間、この店に何度か来た事のある鈴仙に話を聞くと、どうやら四階は何かを販売するのがメインではなく、各々が教室を開く場所のようだ。何日何曜日に開催しようがそれは各人の自由らしい。彼女が仕える姫様が開く講座は一つではなく、花道、茶道、書道、陶芸、そして詩吟と週五日も開催されているのだ。しかもそのどれもがかなりの人気を集めていて、四階の講座のシェアの何割かを占めている。らしい。
今日もその教室が午後からあるらしいので、その手伝いをする為食事をしたら別れる事になるけれど、代わりに鈴仙から非常に気になる話を聞いた。それは、最上階は武器専門の階となっていて、様々な武器がおかれていると言う。
正味な話、今日一番心を動かされた気がする。武器。ああ、何て良い響きなのだろう。鈴仙がミリタリーマニアなのは知っているし、私もミリタリーは好きだ。同じミリタリーでも鈴仙が銃専門なのに対し、私は対軍武器の様な、複数を相手できる武器が好きなのだ。もっと分かりやすくいうならば、大きくてメカメカしい武器が大好きである。
急いで私は冷麺と素麺と盛り蕎麦を片付け、先を急いだ。
さて、とは言え全く次に四階に触れないわけにもいかない。食事中(と言っても、鈴仙が食べている間の事だ。私は食事中に会話をするのを好まない)に鈴仙と会話をした際、顔を出すと言ってしまったからだ。まぁ、鈴仙も、私が花や詩に聡い方ではない事を知っているらしく、参加しろとは言わなかったのが救いか。
この階はそれまでの息苦しさや煩雑さは無く、空間が良く目立つ。食材売り場や雑貨売り場と違い、区画毎にきっちり分けられている。昇り階段を正面として、左右に四つずつのブースがあり、突き当たりにはそれらよりも一際大きいブースが構えている。恐らくはあれが鈴仙の主が開く教室なのだろう。シェアを占めている、と言う話ではない。もはや主賓だ。客足は多少下の階に比べると少ないものの、十分と言えるほどだろう。腹ごなしにぶらぶらと一周して見てみと、実に様々な、しかも見知った顔が多かった。一番昇り階段に近い側の左右は金髪の人形遣いと、空白のブースだった。
・アリス・マーガトロイドの人形劇
うん、楽しそうだ。小さな子供達の中に一人だけ背の高い、緑の巫女が混じっているのが気になるけど。それを除けば、まぁ、平和な光景である。
・風見幽香のガーデニング教室
私はあまり花には興味がないので、何とも言えない。今はやっていないが、向かいの人形遣い曰く、今まで一度も開かれた事が無いとか。果たしてそれはやる気があるのだろうか。
次の列は、幽霊の姉妹達が奏でる音色に合わせて、向かいのブースで少女が踊っている。
・プリズムリバー三姉妹の音楽教室
人形遣いの隣でやっているからか、静かで情緒的な音楽が流れてきて、心地良い。騒がしい音楽しかやらないと思ったけれど、やはり音楽家はどんな音楽も一流にこなすようだ。一つだけ気になるのは、演奏している面子が時折隣のブースを見ている事だけれど、きっと知り合いか何かなのだろう。
・鍵山雛の日本舞踊教室
……綺麗だ。思わずドキドキしてしまう。このブースだけ、写真を切り取って映像にしたかのようだ。今日見た中では二番目に人が多い様に見える。最前列でフラッシュを焚く奴さえ居なければもっと良かっただろうに、と思ってよく見ると先程二階でぶつぶつ呟いていたのと同一人物だった。迷惑な客にも程がある。
しかし、似合っている。自分にあのリボンや服が似合うとは思えないけれど、お燐にリボンは似合うかもしれない。とは言え、リボンをあしらったお燐が自分のベッドにいると思うと、想像して恥ずかしくなったので頭の隅から追い払う。
三列目は、何とも対称的なブースだった。片方は知っている。吸血鬼の、アルミだったかミリアムだったか……名前は忘れたけれど。そしてもう片方は知らない奴だった。
・レミリア・スカーレットのカリスマ教室
ああそうだ、確かそんな名前だった。
内容は、実は気になる。万民をひれ伏せさせる力は要らないので、せめて広いベッドで眠れる程度の力強さは欲しいところだ。
拳を握り締め、高らかに力説する吸血鬼の声は聞いていて面白かった。
・河城にとりの機械・プログラミング講座
壇上には誰もいないので、やっていないのかと思ったけれど、しかし客はいる。耳を傾けて見れば、ほんの僅かだけ声が聞こえる。はてどういった仕組みなのかと思ったので近くの客に聞いてみると、コウガクメイサイとやらで姿を消しながら解説をしているそうだ。そんなに人見知りが激しいのなら講座など開かなければ良いのに、とも思ったけれど、それなりに需要があるらしく、熱心に筆をとる人が多い。どうやら専門の技術職が集まっているようだ。私には良く分からない。
四列目は、何と言うか、酷かった。
・博麗霊夢の“弾幕初心者の為のホーミング講座”
うん……ん? あれ? 何が可笑しいかと聞かれると困るのだけれど……何だろう、この違和感は。
ああ、あれか。講座に参加するのに教科書を買わなければならないからか。しかも何だこの本、“楽しいグレイズ 上”って。下があるのか。随分息の長い経営を目指している様だ――って、著者も紅白の巫女か。単に売りたいだけじゃないのか。
壇上では何時もの紅白の衣装に、“先手必勝”と書かれたハチマキを巻いた巫女が力説していて、脇には“後出しじゃんけん”と書かれたハチマキをした八雲紫が控えている。突っ込みどころしかない。
(ホーミングってどっちかと言うと先手じゃないよねぇ……と言うか先手派なのか後手派なのかどっちかにしろと。寧ろ何でハチマキなんだ)
しかしそれなりに客がいるのが不思議だ。見れば客層は偏っていて、妖精が多い。まさに教室名通り、弾幕初心者が集まっているようだ。宵闇の妖怪がいるのが気になるけれど、真剣な目つきだったのでそっとしておいた。
・四季映姫・ヤマザナドゥの説教
せめて“講座”をつけろ。完全に説教する気しか無いじゃないか。何が哀しくてわざわざ人に怒られ――なんだ、要はさとり様じゃないか。と言う事は、ここにいる人は皆さとり様と同類か。良かったですねさとり様、この人達なら友達になれますよ。
そして最後は鈴仙の主の講座のブースなのだけれど、何分人が多い。鈴仙には悪いが、花な詩に興味がない私は心の中で謝りながら踵を返した。
03.
さて、そうして五階まで来た私は、思わず走りだしてしまった。昇り階段の正面に悠然と佇むガラスのショーウィンドウのその中に、凄い物を見つけたからだ。
(ガ、ガトリング砲!?)
ガラスに両手を貼り付けた所で、はっと気付いて周囲を見回す。幸いにも誰もいなかったようで、胸をなでおろしつつ、恥ずかしさを紛らわすように一つ咳払いをした。そうしてもう一度店頭のショーウィンドウを見る。
赤く拡張高い絨毯と棚に燦然と置かれた、ガトリング砲。一寸の翳りもなく、黒く鋭く輝いている。砲身は六つ。口径からして二十ミリ弾だろう。だとすればこれはガトリング砲と言うよりは、バルカン砲なのかも知れない。確かめたかったけれど、値札も何もない。非売品、と言う言葉が胸をよぎったけれど、ふるふると頭を振ってそれをかき消した。
欲しい、だが高い事は容易に想像できる。寧ろ売っている事自体が奇跡のようなものだ。客寄せとして置かれているだけで、売ってもらえないかもしれない。しかし、もし値段が設定されているならば、たとえ高くても何時かは買える。そんな淡い期待を抱いて、私は店内へ足を運んだのだけれど。あっさりと砕かれた。
「ああ、あれは非売品ですよ」
泣いてやろうかと思った。入り口のすぐ近くに居た店員に聞いて返ってきた答えが今のだからだ。
とぼとぼと五階を後にし、階段を降りる。右手の買い物袋を放り捨てたい気分だ。外に出た所で、何やら人だかりが出来ている事に気がついた。人だかりは一つの列になっていて、その先頭らしき部分では机を挟んで店員と客がものの受け渡しをしている。看板には“福引開催中”と書いてあったけれど、私はその福引とやらが何かを知らない。と、丁度その時、鈴仙が店から出てきたので駆け寄ってみる。
「鈴仙、“福引”って何?」
「ん。あぁ、籤の一種よ。回して何色の玉が出たか次第で違う商品が貰えるのよ」
「ふぅん。一番凄いと何が貰えるの?」
「この店の場合は、何でも」
「?」
「店内にある欲しいもの、どれでも一つ貰えるんだってさ。私も昨日回したよ。人参だったけど」
「なん、でも? 非売品でも?」
「さぁ、知らない。聞いてみれば?」
鈴仙の言葉を聞き終えるよりも早く、私は全速力で店員に突進していた。
一度は諦めたガトリング砲を手に入れるチャンスが再び巡ってきたのだ。何人たりとも私の邪魔はさせない。
「すいません!」
「な、なんでしょう」
「ここの一番凄いのは、何でも貰えるって聞いたんですけど!」
「あ、ああ、一等の事ですか。確かに一品限り店内の物を差し上げる事になっています」
「非売品でも!?」
「はい?」
「そう、ありがとう!」
はい、確かにそう聞いた。つまり一番良い色の玉を出せば、ガトリング砲が貰えると言う事だ。そして私は腕まくりをして、目の前の玉が出てくる奴を回――そうと思って、首根っこを掴まれた。思わず声が出てしまったじゃないか、一体誰だと思って振り返ると、鈴仙だった。
「何がそんなに欲しいのかは分からないけど、並びなさい」
これは恥ずかしい。そのまま鈴仙に首根っこを掴まれたまま、列の最後尾に並んだ。列はおおよそ十人程度と言ったところか。
「でも、店側も唯で物なんかあげて儲かるのかな」
「空。本当に福引、知らないのね」
残り九人。
「うん、まぁ」
「誰でも福引が出来る訳じゃないわよ。回せるのは店である程度の買い物をしている人だけ」
残り八人。
「そうなんだ。でも私は買ったよ。ほら」
「幾ら?」
残り七人。
「えっと……林檎に、スペルカード。五百三十六円」
「ああ、じゃあ大丈夫」
残り六人。
「少ないと駄目なの?」
「五百円毎に一回よ。じゃないと店側も困るでしょ」
残り五人。
「じゃあ千円買えば二回出来るんだ」
「そう言う事」
残り四人。
「じゃあたくさん買ったほうが、チャンスが多いって事じゃない」
「そうだけど、必ずいい物が当たるわけじゃないわよ」
残り三人。
「そう言えば私一等以外聞いてない。後何があるの?」
「白が外れでティッシュ。青は食材。まぁ、多分その日売れ残った物だろうけど」
残り二人。
「他は?」
「赤がお酒。結構な量よ。で、銅が洗剤セット。当たったら頂戴ね」
残り一人。
「まぁ、私は一回しか回せないけど」
「で、銀が……そうそう、空、レシートは?」
「は?」
福引の前。鈴仙の言葉に、私はぽかんと口をあけてしまった。
「や、レシート。それがないと回せないわよ」
「や、買い物、してるけど」
「そうだけど。レシートと交換だから」
「え」
「え」
「……」
「空?」
思いだす。二階でレジに向かった時、財布を開けた時、おつりを貰った時……。
……。
…………。
………………!
「捨てちゃった……」
「馬鹿……」
屑篭にレシートを捨てた自分を、記憶の中で見た。
「えっと……回さないなら、もうすぐ閉店ですので宜しいでしょうか?」
閉店。つまり、再びガトリング砲を諦めなければならないと言う事だ。福引は期間限定で、次の私の休日の時には終わってしまっている。つまり、私にとって今この瞬間だけしか、僅かな可能性を叶える事が出来ないのだ。
「空。残念だけど……」
「……ある」
「あえ?」
「後十分、ある!」
踵を返して、店内へ走る。五百円分――いや、この際だ、財布の中身を全部使ってしまおう。どうせ欲しい物は無い。
そうして店の入り口のすぐ近くにあった檸檬を幾つか手にとって、やはり棚に戻した。
どうしてなのかは分からない。分からないけれど、ふと頭の中に、白いアレが浮かんだのだ。赤いお燐の頭にはきっと映えるだろう。寧ろ、恥ずかしがって顔まで赤くするに違いない。そんなお燐を想像するだけで、ふっと笑えた。
ぐっ、と、一筋流れた汗を拭う。そのまま正面の昇り階段を睨み、そして再び走りだす。私の大きい翼を広げて飛ぶには、店内は狭すぎる。一段、また一段と階段を駆け上がり二階に辿り着く。辺りを見回して、お目当てのアイツを見つけた。一メートル三千円の白いレース。数時間前には誰が買うのだろうと思っていたけれど、どうやら需要は私にもあったようだ。すぐさま店員を呼び寄せる。
「この一番高い白のレース、これで買えるだけ頂戴!」
財布を首から外して、紐ごと店員に渡す。うろたえながらも、店員が対応してくれる。
「ありがとう、お釣りは要らない!」
わざわざプレゼント用にラッピングしてもらった商品と、空になった財布と、そして今度こそレシートを大事に持って、急いで階段を降りる。普段は飛んで移動する事が多いので、結構、辛い。再び外まで来た時には、足がガクガクになっていた。
「鈴仙、まだ、大丈夫?」
「凄いね……ギリギリ、セーフ」
それは良かった。ここまで来て間に合わなかったら、唯単に散財しただけになる。いや、間に合っていても散財には違いないけれど。それでもゴール後にご褒美が在るか無いかでは全然違うのだ。
握り締めていたレシートを店員に渡す。少しだけ皺がついてしまっていて、果たして自分が何回福引を回せるだけの買い物をしたのかが気になる。結果、十五回、と言う事になった。人海戦術と言う言葉があるけれど、まるで今の私の様じゃないか。それだけ回せれば何とかなるだろう。
すぅ、と、呼吸を整え、いざ福引の取っ手を握り、時計周りに三回、回した。
白。ティッシュだ。
白。ティッシュだ。
白。ティッシュだ。
……それを繰り返す事十数回。さながら気分はティッシュハンターだ。今ならどこかの妖精の弾幕の物真似が出来る気がする。
しかし、一等が出難いのは分かるけれど、青も赤もでないとはこれいかに。
「空、それが最後よ」
「分かってる」
いい加減当たれ。この一振りで当たれ。私と一等、フュージョンしろ。想像だ、イマジネーションだ。自室にガトリング砲がある日々を思い込む。朝起きて艶やかなガトリング砲を手入れして、仕事が終わってガトリング砲を手入れして、休日はガトリング砲をつれて散歩に出てみよう。
「って、睡眠時間がないじゃない!」
自分で自分に突っ込みを入れた勢いで、つい福引を回してしまった。しまった、と思った時はもう遅い。ああ、まさか。こんな不完全燃焼な福引は嫌だ。
しかして、ぽろりと吐き出された玉は白くなかった。それは夕焼けを弾き返すかの様に輝いている。
「あ」
「あ」
なんと、金色――ではなく。夕焼け空の所為でそう見えなくもないけれど、間違いなくそれは銀色の玉だった。
銀の玉だと何が貰えるのだろうか。果たして渡された箱は白く薄かった。大きさはそれなりにあるけれど、ガトリング砲が入る様な高さはない。
ああ、さようならガトリング砲。せめて君が非売品でよかった。また会いに行くからね。その艶やかな機体を見せておくれ。
「まぁ、良かったじゃない。何も貰えないよりは」
「うん、まぁ」
まぁ、それはそうだけれど。
仕方無しに白い箱を開けてみる。絹かシルクか、やけに手触りが良い。広げてみようと思って、そしてそれが何なのか分かった。
「服かぁ」
「え……いや、まぁ、そうだけど」
丁度良い、さとり様にあげようか。今頃寒さでくしゃみでもしているかもしれないし。
そうして私達は帰路についた。途中、別れるまでの間、横で鈴仙が何か言いたげにしていたけれど何だったのだろう。これもあげる、と言われて何やら花の束を貰ったけれど、どうせ今日の教室で使った物なのだから、要は押し付けられたと言わざるを得ない。仕方ないので後で自分の部屋に飾る事にしよう。
地上から地底へと繋がる帰り道。橋姫とこいし様が一緒にいたので声を掛けた。そして私の持っている箱の話になると、何とも正反対の反応をしてくれた。
「いいなぁ」
「はっ、妬ましい」
「私も少しお燐に嫉妬~」
いや、これはさとり様にあげるつもりです。お燐は服着てるし。さとり様の残念な身体を見るのも切ないので。
すると今度は二人して同じ反応をしてくれた。一体何だと言うのか。
「お空、それは嫌がらせ? お燐の気持ち、知ってるでしょ?」
「あんた中々酷いんだね。妬ましいわ」
ぷぅと膨れてこいし様はどこかに行ってしまった。まぁ、時間からして先に地霊殿に戻ったに違いない。橋姫と二人きりになった私は、どうしたものかと思ったけれど、しっしっと追い払われたので、仕方なく家に帰ることにした。
玄関で再びこいし様に会う。まだこいし様は不機嫌らしく、べっと赤い舌をちょこっと出して走って行った。意味が分からない。
「ただ今戻りました」
「あら、おかえりなさい」
思わず私はずっこけた。服を着ているじゃないか。どう言う事だ。
私の心の声を聴いてくれたのか、さとり様が可笑しそうに笑う。
「……そう、それを私に渡そうとしたのね。でも私がそれを受け取る事は出来ないわ。お燐にあげなさい」
またそれか。どいつもこいつも一体この白い服が何だと言うのか。猫専用の服にしては随分サイズが大きいし、お燐は人型になれるというのに。
するとさとり様はまた私の心を読んだらしい。
「……そう、分かったわ。貰ってあげます。そのリボンも頂戴な」
直接お燐に渡したかったけれど、まぁ手間が省けて良いか。そう思い、さとり様に両方手渡す。私の手に残ったのは、林檎とスペルカードだけだ。
「ああ、そうそう。お空、今から十分後に居間に来なさい」
地霊殿は玄関に入ってすぐ居間に繋がっている。裏庭を通れば居間を通らず自分の部屋に行く事が出来るけれど、面倒だったので、そのまま玄関待つことにした。一体今日は可笑しな事だらけだ。
ぼんやりと待つ事十分。あまり待つのが好きではない私は、それ以上待つことなく居間へ滑りこん、だ?
「う、うわっ、お空! 待って、まだ心の準備が……」
そこに居たのは、見た事のない服を来たお燐だった。横ではさとり様が、何時もの服を着ている。
白一色の服は床までスカートが続いている。絹かシルクかと思ったそれはそうやらそのどちらでもないらしい。ミカドにコードレース、オーガンジー……さとり様の説明を聞いた所で分からないけれど、それが素晴らしくお燐に良く似合う事だけは分かった。Aラインのそれはお燐の華奢な肩を惜しげもなく見せ付けてくれる。こちらからはトレーンが見えない代わりに、縦に入ったフリルが波打っていて目を引く。
普段は三つ編にされたお燐の髪は、結ばれておらず、真っ直ぐに肩まで伸びている。僅かにウェーブがかかった赤い髪の頂点、つまり頭の上にはまるで厄神様の様に私が買った白いレースが乗っている。ドレスが半袖の為、お燐の両腕が見えるが、そのどちらの腕にも白いレースが巻かれていた。恥ずかしいのか、お燐は顔を花で隠している。帰り際に鈴仙に貰った奴だ。
そこまで全て確認して、やっと状況を理解する。
ああ、あれか。
ウエディングドレス、か。
上目遣いにお燐が私を見る。ふむ、これは。なかなか。いやはや。
「お、お空。どう……かな……?」
言わずもがなである。返す言葉が見つからないとはこのことか。
「やっぱり、駄目……?」
「さとり様」
視線はお燐から離さない。そう言えば顔の落書きは何時の間に消したのか。何にせよ、今はそんな事はどうでも良かった。
そしてさとり様に告げる。
「今日は、夕飯は要りません。私も、お燐も!」
「へうわ!?」
言うが早いかお燐に駆け寄り、ひょいと抱き上げる。軽い、軽すぎる。肩も華奢だし、腰も細い。
そのまま自分の部屋まで走る。お燐が花束で私を叩くけれど、抵抗の家にさえ入らない。そうしてあっという間に部屋について、部屋のベッドにお燐をぽすんと寝かせる。すっかりお燐は涙目になっているけれど、お燐は元来強く出る性格ではない事を知っている。こうして私が押せば引かざるを得ないだろう。そしてそれは更に押すチャンスでもある。
「お、お空。冗談だよね? まさか普段悪戯してるのに、怒ったとか? だったら謝るから……そ、そう、今朝あたいに落書きしたでしょ、あれでアイコだよ」
「……」
「や、やっぱり居間に戻ろうよ。着替えるからさ。あたい、お腹空いてるし」
「あるよ」
「へ?」
「お燐の大好きな林檎、あるよ」
袋から林檎を二つ取り出して、一つを机の上におく。私は知っている。お燐が林檎をそのままで食べないことを。そして私は更に知っている。この部屋にフォークなんてない事を。
「お燐」
「な、なに……?」
シャクッ、と、林檎を齧って、口に含む。どうやらお燐も悟ったらしい。私が何をしようとしているかを。
一歩、また一歩とお燐に近づく。狭いベッドの上で、お燐はすぐに逃げ場を失った。逃げられないようにぎゅっと身体を抱き締めて、至近距離でお燐を見つめる。揺れる双眸がより一層私の中の野性を強く焦がす。
「お燐」
「うぅ」
「何時もさとり様が言ってるでしょ。食事の前は?」
「い……」
「い?」
「いただき、ます……」
「ん。食べて」
「んぅ……」
観念したのか、お燐の口に林檎が渡った。瞑った目の所為で表情は分からないけれど、熱を帯びた体と頬は私を拒絶する事無く、それがお燐の答えだと受け取った。
すっと背中に手を回される。やはり緊張していたのだろう、お燐の唾液は粘度が強かった。
狭いベッドで良い。カリスマ講座に行く事はないだろう。
とりあえず明日仕事が終わったら、お燐の部屋と私の部屋の間にある壁を壊そう。一つの部屋にしよう。
真っ白のウエディングドレスに一滴だけ、林檎の果汁が零れた。
それがどちらの口から漏れたものかは分からないけれど、少なくとも、その雫が乾くまでの間は繋がっていたいと、思った。
あとヘタレでホーミング大好きな私はやはり受講料を払わなければならないのでしょうか。
ニヤニヤがおさまらないじゃないか。
糖度が高すぎるから次から水を用意してくれると嬉しい。
予想以上に甘くて驚いたんだぜw
>誤字報告を
>そのまま自分の部屋まで走る。お燐が花束で私を叩くけれど、抵抗の家にさえ入らない。
抵抗の内かな?
良いお話をありがとう。
ガトリング砲幻想入りしちゃったのか……
早苗さんは子供に交じって何人形劇見ようとしてんのw
いや、意外と少女趣味なのかもしれないけど。
お空は地霊殿の良心!
ここのさとりんはもうダメだw
茶道しているときの姫をみてみたい
にゃーん
変態分が薄い……が、それを補って余りある甘さだ!
橋の上の四人を想像すると可愛すぎてたまらん。というかパルスィが可愛すぎてたまらんハァハァ
それにしてもブースやコーナーが充実し過ぎててワロタww
あと福引のために要らないもの買っちゃうことって「あるある」よね。