藤原妹紅は不死人である。彼女の住む深い深い竹林にも朝が訪れようとしていた。彼女の朝は早い。放浪の旅の経験から奇襲というのは朝に多いと彼女は知っている。大軍を襲うならまだしも個人を襲う場合には暗いと居場所を特定できないから朝襲ってくるのではないだろうか、というのが彼女なりの推測である。
「う…ん、朝か…」
辺りはまだ薄暗く、わずかに光が入ってくる程度。少し早起きの小鳥が楽しそうに歌っているばかりで後は静寂に包まれている。
「私も昔のくせが抜けないな。この竹林で私に奇襲をかけてくるヤツなんかほとんどいないっていうのにさ」
完璧にいないと言い切れないのは某お姫さまの存在があるからであろう。
「さて今日は何をしようか。きょうも輝夜のところにでもいくかね…ん?」
彼女の部屋は質素で物が少ない。そんなに贅沢をするタイプでもないし、あったらあったで邪魔になるので必要最低限のものしか置かないのだ。
机の上に古ぼけた一冊の本がぽつんと置いてあった。昨日寝る時には机の上にはなにもなかったはずである。彼女はわずかに入ってくる朝日を頼りに寝床から抜け出し、眼を擦りながら本を手に取った。
「なんだこれ?輝夜のいたずらか?」
表紙には何も書いていないし、裏返してみても文字はおろか所有者の名前すら書いていない。他人のものを勝手に見るという行為に少し後ろめたさを感じた妹紅であったが、好奇心からその本をめくってしまう。何も書かれていないページが続き、半分を少し過ぎたところまでいっただろうか。
『今日の午後一時、人里付近の幻想郷を一望できる丘に行くこと』
「?」
人里付近で幻想郷を一望できる丘といえばひとつしかない。本にはその文章しか書かれておらず、そのほかに情報を得ることは出来なかった。
「まぁ最近輝夜と殺ってばっかりだったしね。たまにはいいか」
そういうと彼女は台所に向かう。今日の朝食は山菜ごはんだ。
―――幻想郷・とある丘―――
「なんだ慧音か。寺子屋はどうした?休みじゃないだろ?」
「なんだとはなんだ、失礼だな。寺子屋の方は午後代理を頼んできた。心配ない」
指定された場所に向かうとそこには人里の守護者、半獣の上白沢慧音がいた。彼女は丘の斜面、長い冬を乗り越え春の日差しを浴びて青々と生い茂る草の上にちょこんと座っていた。慧音の目線の先には人間が暮らす人里があり、中心の通りは絶えず人で賑わっている。
「慧音もこれもらったのか」
「うん、まぁもらったというか見つけたというかな」
「そっか。私も同じだ。」
そう言うと妹紅は慧音の隣に寝転がる。芽吹いたばかりの植物の香りが鼻をくすぐり、ここに我ありと精一杯自己主張をする。周りには昆虫が、ミツバチが、休むことなく動き回っている。
「なぁ妹紅、この本は誰が置いていったんだろうな」
「う~ん。輝夜あたりじゃないか?そうじゃなかったらあのいたずら兎だろ。きっと今も様子をうかがっているに違いない」
キョロキョロと辺りを見渡す妹紅であったが誰かが覗き見をしている様子は全くない。いたって平和な幻想郷の春の一日である。
「私はな妹紅、神様の仕業なんじゃないかと思う」
「………え?」
「な、なんだ」
慧音はバツの悪そうに頬をポリポリと掻く。その頬は気恥ずかしさと春の日射しとも相まって少し紅潮しているようだった。
「慧音ってそんなロマンチストだったっけ?」
「う…。か、考えてもみろ。私たち2人の部屋に気づかれずに侵入出来るものがいるだろうか?お前はともかく私は戸締りだってしっかりしているし、どこぞの妖怪がスキマを使って侵入してこようとも目を覚ますくらいの用心深さだって持っているつもりだ」
「う。さりげなくひどい事を言われているような……まっ、慧音がそういうならそうかもしれないな。これは神様がくれたものさ、ふふ」
慧音の方をみると、ぷいっとそっぽを向いていた。青い髪が風に揺られさらさらとたなびいている。こちらに背を向けてしまったので表情は分からないが機嫌を損なわせてしまったようだ。妹紅は寝転がったまま例の本を取り出す。左手は頭と地面のクッションに、足は組んで、そして右手だけで器用に日記をめくっていく。
ここに来るよう指示されたページまで来た。しかしさっきと違うのはそのページの裏側にうっすらと文字が透けていること。なんだ、さっきはなかったぞと思いながらページをめくる。
『上白沢慧音と手を繋いで帰ること。これは他言してはいけない』
「は、はぁ!?なんでそんなこt、ごがぁっ!!!」
「あややや、すみません!超急いでいたものでして」
幻想郷最速の天狗が後ろからラリアットをかましていた!!
「てめぇ文屋ぁ!!なにしやがる!だいたいおかしいだろ!私は斜面に寝転がってたんだぞ。どうやって後頭部にラリアットかませられるんだよ!!!」
「それはですねー、地面すれすれ、超低空飛行をしていたら本当にたまたま妹紅さんの頭があったんですよー。じゃあ私は超急いでるんでこの辺で。逢引を邪魔するような野暮なマネはしませんので」
そういうと幻想郷最速の天狗は風よりも早くはるか彼方へと飛んで行った。
「も、妹紅大丈夫か…?」
音に反応した慧音が心配そうにこっちを見ている。
(つまり書かれた事に異を唱えるとなにかしら天罰が下ると)
「な、なぁ慧音?そろそろ戻ろうか?」
「う、うん。そうだな」
妹紅は素早く立ち上がると慧音の手を引っ張って立ち上がらせる。慧音を立ち上がらせるのは簡単だった。思いのほか軽い。
「あ、ありがとう。妹紅は優しいな。もう大丈夫だ」
しかし妹紅は手を放そうとしない。片方の手は繋いだまま、もう片方はポケットに突っ込んだまま歩き出す。
「ど、どうした。もう大丈…そうか、妹紅?さては日記に書いてあったな。私と手を繋いで帰らないといけないんだろ?ん?」
慧音の目は普段と違ってニヤニヤとしている。こういう時の慧音は意地悪なんだ。
「ち、違う。私が手を繋ぎたいなと思っただけ…」
「ふふ、そうかそれはうれしいな。なぁ妹紅?私はこれから寺子屋に用事があるんだが一緒に付いてきてくれるか?」
妹紅は黙ってうなずく。日記の内容は言ってはいけない。今度は妹紅が赤くなる番だった。
―――幻想郷・寺子屋への道中―――
2人は手を繋いだまま並んで歩く。春の太陽は背中を照らし、風は遠くから桜の香りと花びらを運んでくる。2人の歩く並木通りは生きる為に散らした木の葉が散らばっていた。
「慧音、寒い?」
そう妹紅が思うのは慧音がいつもの服の上にもう一枚上着を羽織っていたから。しかしその白いカーディガンのような上着はいつも着ている青を基調とした服をより一層鮮やかに引き立てているのだった。
「あぁこれか。これは里の呉服屋にもらったものでな、似合うか?別に寒いというわけじゃないんだ。ただ昼は温かくても陽が落ちると急に冷え込むからな。今でもお世話になっているというわけだ」
そう言うと慧音は片手で上着のずれを直す。
「だいたいお前は炎を操るせいか気温の変化にどんくさい。しかもあの深い竹林じゃあ植物の変化による季節の移り変わりにも気付きづらいだろ」
「う……確かに前人里に来た時はまだ雪がちらついていたような…あれは何日まえだっ」
「1カ月前だ」
「へ?」
慧音のきっぱりとした口調に思わずすっとんきょうな声をあげてしまう。
「お前が人里に来なくなってから1カ月。お前が竹林に引きこもってから1カ月。私がお前と会えなくなってから今日でちょうど1カ月!」
慧音の意外な言葉攻めに縮こまってしまう妹紅。
「………寂しかった…」
「…ごめんな」
慧音の手をぎゅっと握る。心なしか慧音も少しだけ強く握り返してきた気がした。
―――幻想郷・寺子屋―――
ちょうど子供たちは下校時間らしい。ぱらぱらと帰る生徒もいるものの大部分の児童は校庭で鬼ごっこをしたりして遊んでいた。寺子屋の校庭は出入り口を除けば木に囲まれており、新緑が眩しい。西側の一角は桜の木が植えられており、ピンク色の花は丁度見頃である。夜は花見の席になるであろうその場所は今は女の子のままごとの席になっていた。
「あー、けーね先生お帰りー!会いたかったー」
丁度寺子屋の玄関から出てきた女子児童が慧音に抱きつきいてくる。少女の身長は慧音のお腹ほどで抱きつくとちょうどすっぽりと収まった。勢い良く飛びつかれたせいか慧音が倒れそうになったので、受け止める。
「いまからおままごとするの。けーね先生も来るでしょ?けーね先生は優しいお母さんの役だからね?で、私は先生の子供!ね、いいでしょ?」
そう言うと少女は慧音の意見も聞かず手をぐいぐいと引っ張って桜の木の下へと連れて行った。
「あーあ、もこーねーちゃんフラれちゃったな」
声に反応して振り向くとそこには5人ほどの男子児童が立っていた。時々慧音に連れられて寺子屋に来るので大半の子供とは顔見知りなのだ。
「フラれたわけじゃないぞ。そもそも私にはおままごとは似合わないだろ。どっちかっていうとお前達見たいなやんちゃ坊主と鬼ごっこしてたほうがよっぽど似合う」
とぶっきらぼうに返事をして男の子の頭を軽く小突く。
「じゃあもこーねーちゃんはうちらと遊んでくれるのか?」
「ていうかその本は何?おもしろいの?」
腰にくくりつけた鞄からわずかに顔を覗かせた本を指して質問をする。しまった、もっと大きいのにするべきだったか、と思っても後の祭り。いつもは竹で作った水筒やおにぎりの包みを入れるだけの小さなものだったので日記は収まりきっていなかった。
「ああ、これか。私にもよく分からないんだがなぁ…」
ページをぺらぺらとめくるとそこにはまた新しい文字が刻まれていた。
『男の子と共に考えたいたずらを上白沢慧音に実行せよ』
「………」
妹紅の背に一筋の冷や汗が伝った。瞬間後ろからラリアットの気配がしたのでばっと振り向いたがそこには楽しそうに遊んでいる児童の姿しかない。
「もこーねーちゃん、どうした?」
(どうする?命令に従わなければラリアット、もしくはそれと同等の攻撃!しかし慧音にイタズラを仕掛けたとあらばおそらく地が砕けるというあの頭突き!!どうする?考えろ!藤原妹紅、選択の時!)
「な、なぁお前達。もしだぞ?もし仮に慧音にイタズラを仕掛けるとしたら何をする?」
「そりゃースカートめくりに決まってるだろ。けーね先生のスカート丈が長いから一回も見たことないんだぜ。」
(終わった…慧音の頬をツンツンするとか、慧音の髪をわしゃわしゃーってするとかならまだしもよりによってスカートめくりっっ!!)
妹紅の背後に雷が落ち、地面に穴が空いた気がした。というか、ツンツンとかわしゃわしゃーという程度の事がイタズラに分類されるかどうかは甚だ疑問であるが、藤原妹紅にとってイタズラとはそのような甘いものを指すのであろう。
「そうだな、男ならけーね先生のパンツ見てから死なないとな」
(少年よ、見た瞬間に人生が終了するのだがその覚悟はあるのかね?)
「なんだ?もこーねーちゃんもけーね先生のパンツ見たいのか?ふっふっふお主も悪よのぅ」
(少年!その言葉いったいどこで習った!?)
「しょーがねぇなぁ。協力してやるよ、もこーねーちゃん。適当な場所にけーね先生を呼び出してくれよ。うちらは後ろから思いっきりめくってやるからさ、しっかり目に焼きつけときなよ!」
目に焼き付けたいのはお前らの方だろうが!というツッコミもむなしく、少年達は走り去って行った。しょーがない協力してやる。頭突きをされようがなにされようが、私は不死人なんだ。
慧音は桜の木の下で先ほどの女の子を含む数人とままごとをしていた。舞い散る桜の花びらは地面に天然の模様を作り出し、風が吹くたびにその姿かたちを巧みに変化させている。太陽はだいぶ西に傾き万物の影を長くしていた。
「な、なぁ慧音?ちょっいいか?」
「うん?なんだ?――――ごめんね、お母さんちょっと出てくるね」
慧音は女の子の頭を軽くなでるとゆっくりゆっくり立ち上がった。そのまま慧音と視線を合わさずに校庭の端っこまで来た。慧音の後ろは林になっていて子供が隠れるにはもってこいの場所である。
「なんのようだ妹紅?」
「あぁ、きょ、今日はいい天気だな」
「………?今日もなにもここ数日ずっといい天気だったような……」
「あぁ、今日もいい天気だね」
慧音の後ろの木の陰に先ほどの児童たちが集結する。しかし様子がおかしい。妹紅の視線は慧音を通り越し、木の陰に隠れる男の子の1人と目で会話をする。
―――おい、人数が減ってないか…?―――
―――ああ、あいつら土壇場で怖じ気づきやがった。でも大丈夫。3人いれば背後と左右側面はカバーできるっ!―――
―――ホントに大丈夫か?覚悟はあるんだろうな?―――
―――うちらは3人はこの目的の為に生死を共にと誓った戦友!ヘマなんてしないさ―――
―――そうか……その心意気や良し!めくったら全力で逃げるんだぞ!慧音の怒り、この藤原妹紅が一手に引き受けよう!―――
瞬間木の陰から3つの影が一斉に飛び出す。まるで銃弾を恐れぬ兵士のように果敢に飛び出した3人は示し合わせたとおりに背後、左右側面に辿りつき一斉にスカートをめくり上げる。
「「「けーね先生、破れたりっ!!!」」」
「な、何だお前た…ひぁうっ!?」
慌ててスカートを押さえつけるが時すでに遅し!そこには陽のもとにさらされた純白のドロワーズが!!!……………………ドロワーズ?
「わーい、けーね先生は白のかぼちゃパンツだぞーー」
「にっげろー!」
「こ、こらお前達、かぼちゃパンツとドロワーズを一緒にするな!!」
「いや、そこかい!ていうか慧音ドロワ派だったっけ?」
まだ赤くなっている慧音は声こそ出すものの少年達を追おうとはしない。目標はすでに補足されているのだ。知らず知らずの間に妹紅は一歩後ずさりをする。しかしその次が続かない。後ろには何もないのにまるで見えない壁があるかのように。
慧音がゆっくりと振り返る。その顔には笑みが浮かんでいる。そう、笑顔。
「も・こ・たん♪これはどういうことかなぁ?私にも分かるように説明してくれないか?」
「い、いやこれはだな……」
慧音が一歩づつ近づいてくる。見えない壁を気合いで破りつつ後退してきたもののついに校舎という本物の壁にぶつかる。もう逃げられない。そう覚悟した妹紅は覚悟をして目をつむる。
しかし、妹紅の頭にふれたのは慧音の頭ではなく、優しい掌だった。
「まったく、妹紅はいつまでたっても子供だな」
「?…怒らないの?」
「別にドロワーズ見られたくらいでそこまで起こらないさ。あれはある意味見せるものだろう?違うか?まぁ突然のことだからびっくりはするけどな」
慧音の手はわしゃわしゃと妹紅の頭をなでる。あんまり強くするもんだから髪がぐしゃぐしゃになってしまった。
「もしかして日記に書いてあったのか?ドロワーズを穿いてこいって」
「さぁ、どうだろうな」
慧音は優しく微笑んだ。さきほどの笑顔とはまた違う優しい笑顔だった。
一方校庭では…
「こらー、あんた達、私のお母さんになんてことするのよー!」「あれは痴漢よ!今すぐ自警団に通報しなきゃ!」「○○ちゃんはあっちから取り囲んで!包囲するのよ!」
戦争が勃発していた!!
「ち、違う、あれはもこーねーちゃんがどうしてもっていうから!」
「言い訳無用!」
「畜生!もはやこれまでか!我ら3人生まれた日は違えども、願わくば同日、同時刻に死なん!あれが現実のものになろうとは!」
逃げたはずの3人の男子が大量の女子生徒に囲まれている。生死を共に誓った3人はその包囲網を徐々にせばめられ、中央に固まっていた。
やはりおなごは強い。いつの時代もおなごはかくのようにあるべきなのだ。
―――幻想郷・寺子屋の校門―――
陽は傾き、綺麗なオレンジ色に包まれた幻想郷。太陽は一日の終わりを少し惜しみながら山の影へと沈んでいく。家に帰れば優しい家族が待っていて暖かい食事が迎えてくれる。風呂に入って髪を乾かし宿題をして床に就く。そんな平和の日々が続くのがこの幻想郷なのだ。
「先生、お世話になりました」
子供を迎えに来た老婆が慧音に話しかける。老婆は腰こそ曲がっているものの杖は使わず歩み寄ってくる。
「いや、これも好きでやっている事だからな」
「事情を知らない人が見たら慧音は老人に敬語を使わない失礼な教師に見えるんだろうな」
隣にいた妹紅がすかさず相槌を入れる。
「ふふ、そうだな。しかし教え子に敬語を使う教師というのもおかしいだろう」
寺子屋は昼間両親が働いていて家にいることが出来ない子供達の託児所も兼ねている。人里の大人はだいたい昼間は家にいないためほとんどの子供が寺子屋通っているのだ。
通っていないのは一握りの富裕層の子供だけであるが、その子供たちでさえこっそりと家を抜け出して寺子屋に来ることがある。子供が家にいない時はまず寺子屋にいるとみて間違いない。そんなわけで人里の人間の大半は慧音に勉強を教わった人たちなのである。
「私はもうしわくちゃのばあさんになってしまいましたが、慧音先生と妹紅さんはいつまでもお若いままで。子供の頃に遊んでもらった頃の記憶と寸分違いません」
「いやいや、妹紅はまだしも私ももう年だよ。お前と遊んだ時のような無理はもうできないな。覚えてるか?妖怪の山にこっそり忍びこんだこと?」
「はい、もちろん。自分から連れてってとせがんだくせに疲れて泣いてしまって。先生は叱りもしないでおぶってくれましたよねぇ…もう半世紀も前の話でしょうか」
老婆は懐かしげにそういうと遠くに見つけた自分の孫に向かって小さく手を振る。その子供は勢い良く走ってきて「お婆ちゃん、帰ろっ!」というとぐいぐいと手を引っ張る。
「こらころ、ちゃんとさよなら言わないとだめでしょ」
「うん、先生、もこーおねーちゃんさようなら!」
「あぁ、さようなら。気をつけて帰るんだぞ」
「それでは先生と妹紅さんもお気をつけて」
ぺこりと頭を下げ終わると子供と老婆は手を繋いで帰ってゆく。二人が見えなくなる頃には校庭はさっきまでのにぎやかさが嘘のように静まりかえっていた。どうやらみな家路についたらしい。
「昔話のついでになるが、あの老婆の祖母の祖母が丁度お前と私が負けた博麗の巫女と同い年だ」
「へぇ、霊夢とか。思えばそんなに時が経ってたか。あの立て続けに起こった異変も今じゃ作り話だっていう奴もいるくらいだからなぁ。まだ当事者が生きてるってのに」
妹紅は指先から小さな炎を出してすっかり暗くなった辺りを照らす。博麗の巫女はすでに何回も代替わりをし、当時を知る者は強力な生命力を持った者しかいない。それらはあまり人前に姿を現したがらないので、異変は親から子へと語り告がれるうちにさまざまな創作が加えられ、現実にとらわれてはいけない幻想郷でさえ、現実味のないものとなっていた。
もちろん慧音は寺子屋で真実を教えるし、稗田の子孫だって聞かれれば正しいことを教えるのだが平和になれた人里の人間にとってもはや異変というのは馴染みのないものになりつつあった。
「さて私たちも帰るとするか」
「あ、うん。それなんだけど、ご飯食べに行かない?腹が減った」
妹紅は自分のお腹に手を当てながらいう。昼前に家を出てからなにも食べていないのだ。
「ああ、いいぞ。私が良く行く店があるんだがそこでいいか?」
妹紅の日記には新しい文字が浮かんでいた。
『上白沢慧音とご飯を食べに行くこと』
―――幻想郷・とある店―――
店にいるのは慧音と妹紅の2人だけである。村の大通りから少しはずれた所にあるこの店は決して大きいわけではないが落ち着いた雰囲気が場を和ませる。慧音から聞くところによるとこの店の子供が現在寺子屋に通っているとのことである。
昼は働きに村の中央に働きに出てくる客で賑わうそうだが、夜は家族で夕ご飯を食べる家庭が多いせいかそこまでこむことはないらしい。料理は旦那が、接客はその奥さんがやっていて、いずれも慧音の教え子だ。妹紅と反対の黒い髪を持つ綺麗な女性だった。
「慧音先生が、来てくださるのも久しぶりですね」
お茶を2つ持ってきた女将さんが話しかけてくる。
「ああ、そうだな。私はいつもので頼む。少なくていいぞ………なんだその顔は?実はさっき子供たちとままごとをやってきてな。そのために残しておいたお昼ごはんを少し貰ったんだ。なに、少なくするから代金をまけろなんていわないさ」
慧音は品書きも見ずお茶を少し口に含みながら言う。
「いつものってことは通らしいね。私は日替わり定食にしようかな」
女将は「かしこまりました」と言うと注文を告げに厨房へと入って行った。2人が座ったのは窓際の席で外の様子を窺い知ることができる。昼間と違ってガランとした細い通りは時折ネコの鳴き声が聞こえてくるだけで、いたって静か。
しかし家屋から零れる温かい光は暗い路地を優しく包み、寂しさを感じさせるものではない。時折聞こえてくる家族の楽しそうな笑い声も夜闇を追い払わんとするばかりであった。
そうこうするうちに妹紅が注文した日替わり定食が運ばれてきた。
「お、山菜がメインか。朝も山菜料理だったけど、旬の食材はいくら食べてもあきないものだね」
運ばれてきた日替わり定食は山菜ごはんに山菜の天ぷら、焼き魚にこれまた山菜の味噌汁というまさに山菜づくしの料理だった。そして飾りつけの為の桜の花びらが一層春らしさを際立てている。
「悪いけど腹が減ってるから先にいただくよ。いただきます」
「ああ、どうぞ」
丁寧に手を合わせた妹紅はさっそく食べ始める。よほど腹が減っていたのだろう。
ふきのとうの天ぷらは噛んだ瞬間サクッという軽い音が響かせ、口の中に程よい苦みを残して消えていく。ワラビ、ゼンマイが入ったご飯は朝に食べた物と味付けが違いまったく別の物を食べているようであった。香ばしく焼けた魚は冬の厳しい環境を生き延びたせいか身が締まっていて油も乗ってて噛んだ瞬間に肉汁がぶわっと溢れだし、ご飯との相性も抜群である。
「お、慧音はうどんか」
「ああ、ここのうどんがまた格別でな。いただきます」
そう言うと慧音も少しずつ食べ始める。その食べ方は上品というほかなくツユをまったく跳ねさせなかった。あっさりとした味付けのツユは透き通っていて太めの麺にうまくからみつく。
妹紅の定食も残り僅かとなった所で女将が近づいてきた。
「あの、これウチの子が世話して収穫したものなんです。良かったら食べてください。体にも良いと思います」
そう言って差し出したのは真っ赤に熟したイチゴだった。皿に二つずつのったイチゴは丸々と太っていて、子孫を残すがための種を規則正しく並べていた。
いつもは田植えの頃にならないと収穫出来ないイチゴだが今年は天候の影響によりかなり収穫が早かった。聞くところによると外の世界の超異常気象が影響しているらしい。外の世界ほどではないものの幻想郷にもその影響は少しずつ表れ始めていた。
「慧音が先に食べなよ。せっかく教え子が作ってくれたんだ」
「うむ、それじゃあ…………うぅ、まだすっぱいな」
慧音はまるで梅干しを食べた時のように顔をしかめる。
「なに、ホントか?私すっぱいのはあまり得意じゃないんだけどなぁ。むぐ………あれ、全然酸っぱくないぞ。むしろすごく甘い」
「なに?もしかして私のはハズレだったのか。こっちを食べてみろ」
慧音は半分になった食べかけのイチゴを差し出す。
「んんぅ?………いや別にこれも酸っぱくないな……?……」
向かいに座る慧音は片手で机に頬をつき、顔に笑みを浮かべている。
「なぁ、妹紅知ってるか?すっぱいすっぱいと思って甘いものを食べた時は余計に甘く感じるらしいぞ。どうやら本当だったらしいな」
「……つまり謀られたってことか……まぁ慧音らしいっちゃ慧音らしいね。ほらじゃあ私の1個あげるよ。交換だ。ちなみにイチゴは先端からじゃなくてヘタのついてるほうから食べる方がうまいらしいぞ」
皿ごとイチゴを差し出す妹紅だったが慧音は軽く首を振る。
「いやお前が食べてくれ妹紅。私はもうお腹がいっぱいだ。残すのも悪いからうどんも食べてくれないか?もう閉店だろう。早く出よう」
満タン近くだった腹にさらにうどんを詰め込むという作業は困難を極めたがなんとか全部平らげた。店を出る頃には大きく息を吐いて腹の中を調整しなければならないほどで、胃袋にはもう何も入らないように思えた。それでも店から慧音の家まで帰る道中の間に少しは食物を消化できたらしく、かなり楽になっていた。
「じゃあ、妹紅。今日はありがとな」
玄関の前に立った慧音はここまでで大丈夫と手を振った。
「うん、今日は楽しかったよ。またな!」
そう言うと妹紅は炎の翼を広げ飛び去った。赤い線となった妹紅は空にはびこる闇を切り裂いて飛んでいく。もう深夜。昼間とは違う夜の猛者が世界を支配する時間帯。
妹紅が去り際に作り上げた風は軽く慧音の髪を軽く揺らし吹きやんだ。先ほどまでとは違う虚無の空間。静寂が纏わりつく、暗黒の世界に取り残された慧音がポツリと呟く。
「またな、か…………」
ひと際大きな風が慧音の体に容赦なく吹き付けた―――
―――???―――
―なぁ××?春の木がなぜ自の生命力を削ってまでつけた葉を春のうちに落としてしまうか、知ってるか?―
―いいえ、存じません。父上―
―木は取りあえず葉をつける。人間が沢山の子を作るようにナ。しかし出来の良い葉もあレば悪い葉モある―
―?―
―出来の悪い葉に自らの生命力を与えるクライナラその分を出来の良い葉に回ソウと考える。太陽の光モ同ジだ。葉が多クなれば太陽の光ヲ受ケ取ることが出来る葉も当然少ナクなる―
―はぁ……―
―しかし葉ハ文句を言わナい。自分が命ヲ落とすことは子孫繁栄にツナがると知っているカラナ―
―つまり、どういうことでしょうか父上―
―……ツマリ、オ前のヨウナ政治ノ道具ニモナレナイヨウナ忌子ハ殺サレテモ仕方ガナイッテコトダ!―
「っっっっっっっ!!!!」
服は汗でじっとりと濡れていた。白い前髪は汗で張り付き、呼吸も荒い。嫌な予感がする
(なんであの時の事を今ごろ夢で……確かに私は忌子だったかもしれない。女とはいえ成長すれば後々問題になるかもしれない。でも私は!藤原の一族としてっ!)
窓からわずかに入る光に昨日の本が照らされる。が、窓から入ってくる光によって照らされているだけでない。自ら光を発しているかのように見えた。妹紅は本を手に取る。
『すぐに上白沢慧音の家にいくこと』
「慧音!!」
玄関の扉を乱暴に開け放ち閉めることなくそのまま飛び出す。周りでは小鳥たちが何事かと騒ぎ立てる。紅蓮の火鳥を纏う少女は今、幻想郷最速となる―――
―――幻想郷・上白沢慧音の家―――
何も変わっていない、昨日別れた時から。軒先の植木鉢に置物、なにも変わっていない。
なのに。なのに何かが違う。
「慧音!!」
乱暴に扉を開け放つ。いつもはかかっているはずの鍵が、掛かっていない。心当たりのある部屋を片っ端から覗きこむ。
「慧音!?」
寝室。そこに上白沢慧音がいた。
「どうしたんだよ、慧音!」
「やぁ、妹紅か。どうした、今日はやけに早いんだな…」
昨日とは全く違う青白い肌。今にも途切れそうな声。冷たい手。
「なんで!!昨日はあんなに元気そうだったじゃないか!」
「…………」
慧音は布団に入ったまま目を閉じている。時折ゆっくり瞼を開く行為でさえ僅かに残った生命力を徐々にすり減らしているようであった。枕の隣に置いてある帽子が妹紅が持つ昨日の上白沢慧音の記憶と唯一変わらないものであった。
「…………昨日慧音の手を取って起こした時、妙に軽いと思った…」
「そうか、ダイエットしたかいがあったな…」
昨日見た新緑に包まれた丘で人里を見守る温かい眼差しが。
「……上着とドロワーズは!ホントは寒かったんだろ!?体調が悪かったんだろ!?」
「ドロワーズを馬鹿にすると紅魔館の吸血鬼に殺されるぞ…」
イタズラをしても怒らないで優しく微笑んでくれた見なれた顔が。
「寺子屋で会った女の子が会いたかったって言ってたな。午後から休みを貰った慧音に言う言葉じゃない。…いつから行ってないんだ?」
「……そうだな。2週間くらい前だったか…」
女の子を優しく包み込み、抱き寄せる姿が。
「イチゴすら食べれないほど食欲ないのかよ!!!」
昨日の慧音が頭の中に浮かぶ。溢れる涙が、止まらない。怒気のこもった言葉とは裏腹にあふれ出る感情は涙となって頬を伝う。今にも消えて無くなりそうな慧音が涙で滲んでより一層儚く見える。
「よし、今すぐ永遠亭へ行こう。な!きっとすぐに良くなる……っ」
そう言って慧音の手を引っ張って起こそうとするも重くて持ちあがらない。昨日はあんなに軽かったのに。例えば50キロの人間と50キロの人形を背負うとする。両者の決定的な違いは背負われる側に少しでも意思があるかどうか、という事。
それと同じ。今の慧音には起き上がろうとする意志が微塵もない。だから、重い。
「いいんだ妹紅。私はもう十分生きた。人里の守護者として人妖の懸け橋になって。私はそれで十分。それにお前の日常を邪魔したくない。」
「私の……日常………?」
「この1カ月を過ごして分かったような気がするんだ。1カ月も顔を見せなかったってことはやっぱり妹紅の日常は輝夜と共にあるべきなんじゃないかって。人里に来て私や子供達と過ごすより、妹紅は自分の目的を果たすために行動すべきなんだ」
「そんなことない……そんなこと…ないっ…」
妹紅はがっくりと膝をつくと服の袖で何回も涙をぬぐった。何回も、何回も。それでもあふれ出てくる涙をすべて受け止めることは出来ず、慧音の枕元にシミを作り上げる。
「みんな知ってるのか?知らないのは私だけなのか……?」
「いや、寺子屋の子供たちは教えていない。…子供たちの中にはまだ死の概念というものを理解していないものも多い。……もう二度と帰ってこないというのを理解させるには時間がかかる。中途半端に教えて悲しい顔をさせるより私はあの子達の無邪気な笑顔を見ていたいんだ」
途切れ途切れになりながらも最後まで言葉を紡ぎだすと慧音の顔に少しだけ笑みが浮かんだ。結局上白沢慧音とはこういう人物なのだ。いつも自分の事は二の次で周りの人の事を最優先に考える。
さっきだってそう。ホントは妹紅と一緒にいたいのに。妹紅と一緒に笑っていたいのに。妹紅の目的がそれで達成されないのなら自分は一歩下がるべき。あんなセリフ誰が聞いたって嘘だって分かるのに。
妹紅が止まらない涙をぬぐっていると「でもな」と慧音がぽつりと呟く。
「輝夜と一緒にいるべきだって思っていても、やっぱりお前に会いたかったよ、妹紅。昨日は妙に体が軽かったんだ、それまでの数日と違ってな。それまで寝たきりだった人間が急に動けるようになるなんておかしいだろ?でも動けた。神様が一日動くだけの力を与えてくれたんだって信じたいんだ」
ふぅ、と一旦区切ってからまた次の言葉を紡ぎだす。
「誰に会えるか、なんて書いてなかった。でもなんでだろうな?妹紅に会える気がした。私はやっぱり神様の贈り物だと思う。あの本も、一日動くだけの体力も、そして昨日という一日すべて」
「うんっ……うんっ……!」
慧音の右腕が布団から這い出してゆっくりと妹紅の顔に近づく。頬を一撫でした後人差し指で目に溜まった涙を一掬いする。
「なぁ、妹紅?笑ってくれよ?昨日みたいに『慧音はロマンチストだな』って。私は妹紅に笑っていてほしいんだ。私がいなくなった後も……。約束だ」
「いなくなるってなにいってんだよ!私達はまだまだ一緒にいる!一緒に笑っていられる!これもあの本に病気のフリをしろって書かれてるんだろ!?慌てる私を見て楽しもうとしてるんだろ!?さぁ、立ち上がってくれよ…そのヘンテコな帽子かぶって一緒に寺…子屋に行こう!もう起きて支…度しないと授…業に遅刻……し……ちゃう…」
演技じゃないって分かっている。それでも何かに事付けてこの現実を嘘にしたかった。いきなり慧音が立ちあがって「全部お芝居でした」って言ってほしい、そう妹紅は祈った。
腕を上げているのが辛くなったのか慧音の腕は結局布団の中に戻ってしまう。その手をつかんで必死に食い止めようとするも慧音の右腕は頑なに布団の中に戻ろうとした。
「あの世に行ったら博麗の巫女にも白黒の魔法使いにも会えるかな…。あいつらは酒好きだから今もきっと宴会してるんだろうな。私の事も忘れてるかもしれない」
僅かに見開かれた慧音の瞳は天井を、そしてその先の何かを見つめている。
「もう何百年も経ってしまった。妹紅?いままでありがとな。お前がこの幻想郷に来てくれて本当に良かった。人として生まれ、半獣として生き、そして最後隣にお前がいてくれる。妹紅?いつまでも笑っていてくれ。約束だぞ…………―――」
慧音の口がふっと息を吐いた後ゆっくりと閉じていく。そして間もなくして慧音の瞳から徐々に光が消えていく。いつも輝いていたその瞳が活力を失い、慧音と妹紅の世界を遮断するように瞼が閉じられる。
そして上白沢慧音のいない永遠が始まった―――
後日行われた上白沢慧音の葬儀には人妖、そして様々な種族を超えて多くの者が参列した。幻想郷の管理者であるスキマ妖怪や当代の博麗の巫女、滅多に顔をださない幻想郷の実力者、そして慧音の教え子たち。参列者だけでも上白沢慧音がこの幻想郷にとってどれほど重要な位置にいたのかが分かる。
いつもと違う白と黒を基調とした服を着た妹紅は葬儀の間、そして葬儀の後もずっと参列者の様子を窺っていた。人目をはばからずに泣き崩れる者もいれば、遺影に向かって笑顔で語りかける者もいる。妹紅の目には涙はない。もう、流しつくしてしまったから。
「友の死というのは私達蓬莱人にとって避けては通れない道だけど、何回経験してもこればっかりは慣れないものね」
後ろを振り向くとそこには蓬莱山輝夜がいた。こちらも白と黒を基調とした着物を纏っている。ただその黒髪は着物にも負けないほどの鮮やかさを放っていた。
「ほらほら、そんなに泣かないの」
「泣いてない」
「嘘ばっかり。目が赤いわよ。まったく何日間泣き続けていたのかしら」
「………うるさい」
輝夜はふぅ、と息を吐くと妹紅の目を真っ直ぐに見つめる。
「ねぇ妹紅。外の世界にこういう言葉があるのを知ってる?『あなたが生まれた時、あなたは泣き、周りの人は笑っていたでしょう?あなたが死ぬ時はあなたが笑い、周りの人は泣くような人生を送りなさい』って言葉。上白沢慧音には妹紅という泣いてくれる存在がいた。……彼女は、幸せだったんじゃないかしら?」
「そう……なのかな……」
そういうと輝夜は自身の従者を連れて帰っていった。多くは語らない。それでも何千年と殺しあってきた仲。言葉にしなくても分かりあえる。しかし妹紅は確かに見た。輝夜の目がほんの少し赤くなっていたことを。
―――幻想郷・???―――
慧音がいなくなってから初めての満月の夜。空には雲ひとつなく丸い月は黄金の輝きを放っている。風にのって流れてくる桜の花びらが時折視線を遮る。あの頃は満開だった桜ももう散り始めだ。
―――なぁ、結局お前は誰からの贈り物なんだ?―――
妹紅の手には2冊の本。自分の本と慧音の本。慧音の本の中身は見ていない。なんだか野暮のような気がしたから。
―――まぁ慧音が神様の仕業だっていうから神様の物ってことにしてやるよ。ありがとな、お前達が私の前達の前に現れなけりゃ、私は慧音の死に目に会えなかった。お前が慧音の体力をすり減らしたなんてことは言わないさ―――
パチパチと火が爆ぜる。目の前には木をくべて作った焚火があり、炎はこうこうと暗闇を照らしている。妹紅は切り株に腰かけ手に持った本と炎を交互に見つめていた。
さっきから何度も本を炎の中に入れようとしていたが、寸前まで近づけてまた手元に引き戻す。この本が慧音との最後の繋がりに思えたから。それでも意を決め2冊の本をゆっくりと近づけ、そして炎の中にぽん、と投げ入れた。
最初は侵入者を拒むように避けていた炎も徐々に本へと乗り移る。真っ直ぐと立ち上る煙は最初こそ黒く変わったものの、少し経つとまたもとの白い煙へと戻った。
その様子をじっと見つめていた妹紅は本に炎が乗り移ったのを確認するともんぺのポケットに手を突っ込んで空を見上げた。白い煙が満月に向かって伸びていく。上空は風が吹いているはずなのに、真っ直ぐと。
―――なぁ、この前は散々言う事聞いてやったんだ、今度は私の言う事聞いてくれよ。………私は慧音の元にはいけない。私はこれからも永遠を生きていく。だから私の代わりにこの気持ち届けてやってくれないか?私はこれからも笑って生きて行くよって。慧音が愛した幻想郷は私が永遠に守り続けるって。頼んだぞ―――
自身の能力を使って焚火の炎を一回りも、ふたまわりも大きくする。
―――さぁ、燃えろよ燃えろ、炎よ燃えろ。火の子を巻き上げ、月まで、天まで届け、不死の煙―――
不死の少女は天を見上げているので気づかない。炎の中の本にうっすらと輝く文字が浮かんでいることに。本の表紙に炎に負けず浮かび上がった文字は
―――未来日記―――
少女の頬を枯れたはずの涙が一筋だけ伝った。
ググったけどわからんかった
結局未来日記ってなんだったんだなどと無粋なことは言うまい。
妹紅には慧音のいない永遠を、日記に記されてない未来を精一杯生きていくことを願うのみです。
まさかの未来話、そして死別ネタに驚きましたわ。
あの本は慧音に最後の元気を与えただけじゃあない。妹紅が後悔しないように導いてくれたんですねぇ。