蝉時雨、途切れし時に終わるものは
真実はスキマの底に
She got the truth of this event.
However,Her heart is not clear.
because...
「っと、待たせたわね」
紫が慧音達と別れておよそ半刻程の時を経て、紫は先行した三人の前にスキマを潜って姿を現した。その装いはすでにホームズのコスプレではなく、常の如き……とはやや異なるシックなドレス姿である。色こそ紫を基調としているが彼女にしては少々大人しいようにも感じられる。……現状を考えれば恐らく、それこそが『探偵』八雲紫の正装なのだろう。
「ふむ、着替えてきたのか。……こういう時こそ先程のホームズの衣装が映えるのではないか?」
「あら、名探偵というのは往々にして狷介なもの……、ならば最後の締めぐらい私の流儀で行くべきでしょう?」
そう言って紫は堂に入った態度でスカートの端を摘み一礼する。すでに背後に登っていたほんの僅かに欠けた月と相まってその姿は、思わず息を飲むほど幻想的で美しい。
「さて、それでは皆様これより……」
「ちょ、ちょっと待ってよ!!」
「あら、なにかしら?優曇華」
登場して早々に語り出そうとした紫であったが、慌てた様子の優曇華に話を遮られる。とは言ってもその事自体は紫の予想の範疇だった。なにせ……
「……さっき紫は、先に犯人の所に行って、って言ったわよね?」
「ええ、いいましたわ」
「じゃあ……犯人はここに住んでいる人だって言うの?この……」
そう言って、優曇華は目の前のよく知る建物を指差す。そう……
「永遠亭に!!」
彼女が最もよく知る自らの住まいを。
「ええ、その通りですわ」
「そんな……一体誰がやったって言うのよ!!……てゐ、とかは確かに悪戯好きだけど、人を傷つけるようなことは早々やらないわよ?」
「ええ、彼女は犯人ではありませんわ」
紫は友を庇う優曇華の言葉にゆっくりと頷く。
「じゃあ、師匠がやったとでも言うの?確かに師匠なら藍に化けることぐらい簡単でしょうけど……あれで身持ちの堅い人だからあんな真似は絶対にやらないわよ!!」
「ええ、彼女も犯人ではありませんわ」
紫は師を庇う優曇華の言葉にゆっくりと頷く。
「……それじゃ、まさか姫様だとでも?それこそ有り得ないわ。師匠にせっつかれても外に出ることすら嫌がるような方よ?」
「……ええ、その通りですわね」
紫は主を庇う優曇華の言葉にもゆっくりと頷く。
「はは、何?じゃあまさか因幡達の仕業だとでも……」
「優曇華」
「……ッ」
悠然とした態度の紫に尚も言い募ろうとする優曇華であったが、静かな、それでいて確固とした強さを持つ呼び掛けに言葉を詰まらせる。
「出来れば、貴方の方から言って欲しいのだけれど」
「……な、何をよ?」
蝉に変わりすすり鳴く鈴虫の声に溶けてしまいそうな程小さな紫の言葉に、どうにかと言い添えたくなるような弱々しさで優曇華はかろうじて紫に言葉を返す。
「そう、解ったわ……」
紫はその優曇華の言葉に残念そうに首を振る。
「一見巫山戯たように見えながらも、周到な計画により私の式の名誉を貶め、傷つけた犯人、≪スッパテンコー≫は……」
静謐な森厳たる眼差しで改めて優曇華を見遣り……
「貴方よ。鈴仙・優曇華院・イナバ!!」
手に持った扇子を、さながら剣の切っ先の如く優曇華に突きつけた。
「……ッッ」
「な、ちょ、ちょっと待って下さい!!」
と、そう叫んだのはとうの優曇華ではなく、その隣に居た阿求だった。
「紫さん!!それは幾ら何でもあんまりです!!優曇華さんは今日ずっと藍さんのために私達と一緒に聞き込みをしてくれたじゃないですか!!」
「……ええ、表面上は、ね。だけれどそれは≪スッパテンコー≫の正体を探りに来た私達を間違った方向にミスリードするためよ」
「そんな……。酷いです!!優曇華さんはそんな事は一言も言ってません!!求聞持の力を持つ私が保証します!!」
「……それじゃあ、阿求。一つ聞きたいのだけれど」
「な、なんですか?」
「犯人は藍の姿に変化して、裸であちらこちらを回った。優曇華はそれについて何か言っていたかしら?」
「は、はい?」
紫の質問に身構えた阿求だが、その予想外の内容に求聞持の力を持っているにも関わらず思わず聞き返してしまう。
「それで、どうなのかしら?」
「は、はぁ……ええと、言ってませんけれど?」
首を傾げながらも、自らの記憶をあさり紫の質問に答えを返す。
「……おかしいと思わない?」
「は、はい?何がですか」
「本当に気付かない?藍の姿を粧うのに他にも方法があることに」
「解りませんけど……一体なんなんですか!?紫さん言いたいことがあるならはっきりと……」
「催眠術」
「へ?」
自身は激昂しているにも関わらずどこか飄々とした態度を崩さない紫に、流石に憤りを感じた阿求が思わず声を荒げた所でそれまで聞き役に徹していた慧音がポツリとそう呟いた。
「催眠術や暗示。つまり、自身の姿を何らかの方法で変えるのではなく、自身の姿を任意のものだと思い込ませる……このやり方でも『化ける』ことは可能だ」
おとがいに手を当てた慧音が、今の今まで気付かなかった自分に驚きながらもハッキリと言の葉を紡ぐ。
「その通りよ。そして≪スッパテンコー≫はそちらの方法を用いた可能性が高いわ。……右エ門が言っていたのよ≪スッパテンコー≫の姿は辺りが暗いにも関わらずハッキリ見えたと。自身の姿を変える術なら暗ければそのまま見えにくくなるだけよ。けど、催眠術なら弄られているのは認識なんだからそんなの関係なくハッキリと見えるわ」
私だってその証言がなければずっと気付かなかったかも知れないわね、と苦笑する紫。
「で、でも……いえ、もし仮に≪スッパテンコー≫さんが使ったのが催眠術だったとしても、それは優曇華さんが犯人だということにはなりません。その可能性には私だって、慧音さんだって気付かなかったんですから優曇華さんだって気づかなくてもおかしくは……」
「おかしい、のよ阿求。残念ながらね」
「な、なぜですか!?」
「幻波 赤眼催眠(マインドブローイング)」
「は、はい?」
「月眼 月兎遠隔催眠術(テレメスメリズム)」
「な、なんですか?それは?」
「スペルカード名よ、優曇華のね。ここまで言えば解るわね?」
「……まさか」
「そうよ。弾幕ごっこをしない貴方は知らないでしょうけど……催眠術による幻術は彼女の十八番よ。『境界を操る程度の能力』を使わなければ、私ですらその類の術では後塵を拝することになるでしょうね」
そして、と紫は一呼吸置いて、視線を阿求から優曇華に移す。
「そんな貴方が、どうして催眠術による幻術の可能性を思いつかなかったのかしら?……阿求が気付かないのはいいでしょう、慧音が気付かないのも納得出来るわ。でも、専門家の貴方が気付かないのは流石に見逃せないわ。しかも……」
思い出す、紫は今朝の優曇華の言葉を。
『え?ええと……そう、それよ。犯行方法?を考えるとなんで宴会に来てた人が犯人なんて話になるのよ?昨日自由に動けて他人の姿に変化できる奴なんて幻想郷にはたくさんいるわよね?』
「貴方は一度≪スッパテンコー≫の化け方について思慮を巡らせている。にもかかわらず最初に出てきたのは変化の術……これは十分に不自然と言えるわ。そう、私達に≪スッパテンコー≫が使ったのは変化の術だと思わせたかったと疑われても仕方が無いほどに……違うかしら?」
そう言って、紫は優曇華に向けて首を傾げて見せる。その仕草の意味する所は明らかだ。すなわち、反論はあるか、と。そして、水を向けられた優曇華は……
「……ふぅ」
と、ほっと安堵したかのように息を一つ吐いた。
「そうね。確かにそれは私が気付くべき可能性だったわ。御免なさい……ひょっとしたら昨日のお酒がまだ残っていたのかも知れないわ」
そして、一応薬は飲んでおいたのだけれど、と言いつつ軽い笑みすら浮かべて見せる。
「でも、私は≪スッパテンコー≫じゃないわ。そりゃ……気付かなかったのは迂闊だったけど……迂闊だったことを証拠にして、お前が犯人だ、って言われても私は困るわよ。うっかりした、なんてことは誰にだってあるでしょう、ねぇ、阿求?」
そう余裕の態度で阿求に問い掛ける優曇華。紫寄りでその態度を見るならすっとぼけているとも見れるが、言っていることは至極正しい。紫が言っていることは確かに一理あるが、逆に言えばただ理屈が通っているというだけでなんの証明にもなっていないのだから。
「そ、そうです!!うっかりなんて誰にでもあります!!私だって紅茶のカップをうっかり割っちゃったことが19回あります!!」
「……いや、それは流石に多すぎない?」
「ええっ!?」
庇っているはずの優曇華に突っ込まれ驚きの声を上げる阿求。そのやりとりで二人の間には何時ものような空気が流れる。しかし……
「そうね。誰だって一度くらいうっかりすることはあるわね。……それじゃあ、貴方がうっかりせずに吐いた嘘の話でもしましょうか」
「……ッ!」
「嘘……?」
紫の一言が優曇華を固まらせ、阿求に疑問符を浮かばせる。
「ふふ、最初に嘘を吐いた時もそんな反応を見せてくれたら初めから貴方に当たりを付けられたのだけれど……嘘の付き方は兎詐欺直伝かしら?」
「……よく解らないけど、流石にそこまで言い掛かりを付けられたら私だって怒るわよ?紫」
「あらあら、短気な兎さんね。……言い掛かりかどうかは私の話をきちんと聞いてから判断してもらえるかしら?」
一瞬流れた和やかな空気も何処へやら、紫と優曇華の間に視線による火花が散った。その一触即発の雰囲気に阿求はあたふたし、慧音は目を細め密かに阿求の一歩前に出る。
「……いいわ。私が吐いたっていう嘘を聞かせてもらおうじゃない。その代わり言い掛かりだったとしたら私は帰らせてもらうわよ。もう協力もしないわ、藍には悪いけどここまで言われて、ハイそうですかで終われる程私は穏やかじゃないの」
「ええ、構いませんわ。……なにせ捜査はここで終わりなんですもの」
ビリっと再び紫電を視線間で走らせる両者。
「……それについては私も聞きたいな紫。今日一日、行動を共にしたがそれらしい発言は無かったと思うのだが」
そして、そんな二人に割り込んだのは慧音である。両者の険悪さを見て、このまま弾幕戦に突入することを危惧しての発言であった。この二人で戦り合うだけなら良いがこの場には自衛手段を持たない阿求もいるのだ。流れ弾が当たったりすれば大事である。
「慧音がそれに思い当たらないのは仕方ないわね。なにせ貴方は私がその嘘に気付く切っ掛けになった証言を聞いていないんですもの」
「私が聞いていないとなると……また、右エ門の証言か?」
「いいえ、もう一人の方よ」
「と言うと、まさか……」
「ええ、早乙女美千代。あのオバハンですわ。……阿求」
「は、はい!?」
慧音の後ろに隠れていた阿求が紫に呼び掛けられてビクリと肩を跳ねさせる。
「私が風邪気味だと言った後あのオバハンがなんて言ったか、言ってみてもらえるかしら?」
「え、はい。え~美千代さんは『あ~~らそうなのアタクシのように健全な魂を持てば風邪など無縁なのですけれどあ~~の≪スッパテンコー≫の主じゃそんなの望むべくもないですわね~~!!よければ我が家のお薬お使いになります?家のお薬は今噂の永遠亭のお薬ですからよ~~~く効きますわよ!!ひょっとしたら変態も治るかも知れませんわよお~~~ほっほっほっほっほっほ!!』……って言ってましたけど……?」
お~~~ほっほっほっほっほっほ!!、のポーズまで再現した阿求だったが、言い終わった後に不思議そうに首を傾げる。
「ふむ。別段問題になるような証言ではないと思うのだが」
そして、慧音もそれは阿求に同感だったらしく訝しげに紫に視線を向ける。
「ええ、この証言だけだとそうなるわね。けれど、この後の阿求の一言を考慮すると一つ不自然なことが出てくるのよ」
「ええ!?わ、私ですか!?」
「そう阿求、貴方はその後の会話でこう言ったのよ、美千代さんと慧音さんの家の間の通りに住んでいる、ってね」
「は、はあ……?」
「……紫、済まないが話が見えないのだが……「そして!!」……む」
焦れてきた慧音が紫の話を促そうとするが強い語気で遮られる。
「そして……あのオバハンは藍に恨みがあるから隣三十軒先まで藍の≪スッパテンコー≫の噂話をばら蒔いていたのよ。そう……」
そう言って、紫は優曇華の目に視線を合わせる。
「優曇華、貴方が薬を売っていた通り、でね」
「……」
「??」
「……!」
その言葉を聞いた三者の反応は一様に無言であったが、その内実は全く違った。優曇華は作ったかの様な無表情。阿求は変わらず疑問顔である。しかし、慧音だけは紫の言を受けて明らかに何かを閃いた顔になった。その慧音の頭の中には今朝の優曇華の言葉が想起されていた。すなわち、
『ええ、行きますとも。今日回る通りは慧音の家で最後だし、私も昨日藍に助けてもらった恩があるから』
そして、もう一つ、
『あ~、お二方?ショッキングな記事?とか≪スッパテンコー≫って一体なんのこと?』
この二つの証言を考えれば……、
「優曇華は早乙女さんの家とその通りを回っている。にも関わらず≪スッパテンコー≫のことを知らなかっ……た?」
「へ?」
「ええ、そうよ。私もスキマで移動していたから気付かなかったのだけれど、慧音と阿求、そしてあのオバハンの家は同じ通りに並んでいるのよ。なら、優曇華はあのオバハンの家にも立ち寄っているはず。≪スッパテンコー≫のことを話したくてうずうずしているあのオバハンの家にね。にも関わらず優曇華は≪スッパテンコー≫の事を知らないと言った。これを嘘を吐いて知らんぷりした以外にどう解釈しろというのかしら?」
話してくれるかしら優曇華?、と童女のように優曇華に問い掛ける紫。
「……私が行ったときは早乙女さんは家に居なかったのよ。だから使用人の人に薬箱を持って来てもらって薬を補充したの。それならおかしくないでしょう?」
「いえ、おかしいわね。その場合貴方が薬を補充する時間を考えれば三十軒回っているあのオバハンと何処かで行き会っていたはずよ。あのオバハンなら人の家にも上がり込んでいたでしょうからね……それに百歩譲ってオバハンに行き会わなかったとしても人里で有名な藍のあんな話を、馴染みの薬売りの貴方に誰も話さなかったって言うの?通り一つ回って?普通の人間から見れば同じ妖獣である貴方に?」
ようやくといった雰囲気で搾り出した優曇華の反論も、紫の言葉に瞬く間に流されてしまう。このあたりは流石に悠久の時を生きた妖怪と言うべきであろうか。しかし……
「……ッつ!!いいわ解ったわよ!!確かに私は早乙女さんの家に行って彼女に会ったわよ!!でも何を言ったかは全然聞いてなかったの!!だから知らなかったのよ!!」
「……呆れた。貴方それが言い訳になると思っているの?」
「……そう言うと思ったからさっきは言わなかったのよ。……けど仕方ないでしょう?私はあの通りを回るたびにあのオバハンの自慢話やら人の悪口やらを延々と聞かされてるのよ?そりゃ、聞き流すようにもなるわよ」
「「「う゛」」」
優曇華の言いように白けた顔になる紫であったがその後の優曇華の言葉に思わず納得してしまう。他の二人もそれは同様だったらしく明らかに顔色が変わっている。
「それに……」
その三人の様子に気を良くした優曇華は更に語りを続ける。
「私が≪スッパテンコー≫のことを知らんぷりしたって言ったけど……その嘘を吐いて私になんの得があるっていうのよ?今、紫が言った通り私には≪スッパテンコー≫の事を知る機会がいっぱいあったのよ?それなら≪スッパテンコー≫のことを知っているって言ったとしても別に問題はないでしょう?」
「……ふむ、言われてみれば」
「……それは確かにそうですね」
優曇華の得意気な言葉に思わず相槌を打つ慧音と阿求。確かに優曇華の言う通り一見したところその嘘を吐いたところで優曇華に得はないように思える。いや、むしろ無意味な嘘は逆に疑われる理由になりかねない。
「……ということで、慧音と阿求には解って貰えたみたいだけれど……紫?」
「……」
「貴方はどうなの?……私だって鬼じゃないんだから今謝るなら……」
「……ふふ」
「……? 何?」
「ふふふ、貴方は……本当に上手なのね。ひょっとして普段あの蓬莱人や兎詐欺にからかわれてるのもそういう事なのかしら?」
優曇華の反論により、形勢が逆転したかのように見えたが紫は動じずにいつもの胡散臭い笑顔を浮かべ優曇華を圧する。
「……言っている意味が解らないのだけれど?」
「だから、その演技のことよ。……私にこれだけ嘘をつつかれても、諦めずに素知らぬふりを続けられる。全く見事ですわ」
「ああもう、だから言ってるでしょ!!≪スッパテンコー≫のことを知らなかったのは、早乙女さんの話を聞き流したからで……」
「ええ、その話はひょっとしたら本当なのかも知れないわね。けれどもやっぱりそれは嘘なのよ、貴方は≪スッパテンコー≫の事を知っていた。そして、それ故に嘘を吐いた……その前の慧音の予期せぬ発言を聞いたから」
「……」
「……私の発言、だと?」
「そう、貴方は優曇華が嘘を吐く前にこう言ったのよ、『昨日の≪スッパテンコー≫の記事や写真について、当人はなんと言っているんだ?』ってね」
「……その発言が一体どうしたっていうのよ?」
「ふふ、まだ惚けるのね。いいわ、じゃあ話してあげる」
不機嫌そうな優曇華の怒気を煽るように、紫が薄い笑みを浮かべる。
「あの写真に写っている≪スッパテンコー≫はこちらに背中を向けていたわ、更に発明家さんは≪スッパテンコー≫からかなり遠い所から撮影した……つまり、≪スッパテンコー≫は写真を撮られたことに気付いていない可能性が高い」
「……それで?」
「そして、永遠亭にはこの『文々。新聞』は届けられていない……だから、貴方が自分の写真を撮られたことに気付いたのは先程の慧音の言葉を聞いた正にその瞬間だったのよ。……だから貴方はあの時知らんぷりをしたのよ。新聞にのっている写真がどんなものか解らなかったから。その写真と……ついでに記事を読んでいないはずの自分が知り得ぬことを話してしまうのを避けるために。……実際、その判断は正しかったわ、お陰でその時はおかしな発言をせずに件の新聞に目を通すことが出来たのだから」
「……そんな事、そんなの全部推論じゃない。証拠にはならないわ」
「ええ、そうね。この時の、貴方の証言を考えるならね」
そう言って、紫はニヤリと嘲笑うかのような人の癇に障る笑みを浮かべる。
「……ッツ、さっきからはぐらかす様な言い方ばかりして!!もう、うんざりよ!!私が聞きたいのはハッキリとした証拠よ!!これ以上戯言ばかり繰り返すなら……」
「『帽子だけのスッパ写真晒されるよりマシよ』」
「……ッ何ですって?」
紫の人を小馬鹿にした態度にとうとう我慢しきれなくなった優曇華が怒声を発する。しかし、その怒声は紫がポツリと発した一言に遮られる。
「『帽子だけのスッパ写真晒されるよりマシよ』……慧音を慰める時に貴方が言った言葉よ。覚えてないかしら?」
「……覚えてないわね。言ったかもしれないけど……それがどうしたのよ」
「いえ、そうでしょうね。覚えてないくらい無意識に言った言葉じゃなければこんな致命的な証拠になる台詞を貴方は言ったりしないでしょうね」
「……は?」
優越感たっぷりに紫は笑う。だが、優曇華はその台詞の何が致命的なのか解らずに呆けた声を出す。
「さっき言ったわよね。貴方は新聞を見ることが出来なかった、だからあの写真を見ることが出来なかったと。……なら何故……」
紫が優曇華にスッとにじり寄る。
「貴方は≪スッパテンコー≫が帽子をかぶっていた事を知っていたのかしら?」
「へ?」
「おかしいでしょう?誰もが≪スッパテンコー≫の格好については裸、裸と言っていたわ。普通、裸と聞けば頭の先から爪先まで何も身に付けていないことを想像するはず。……間違っても帽子だけかぶっている状態を想像したりはしないわ」
「ちょ、ちょっと待って紫」
「にも関わらず貴方は≪スッパテンコー≫が帽子をかぶっていた事を知っていた。新聞を読んでいない貴方が。なら何故知っていたのか……それは勿論「ちょっと待って!!」……なにかしら優曇華?」
たまらずに、と形容したくなるような調子で紫の言葉を優曇華は遮る。なにせ……
「なにかしら、じゃないわよ。貴方言ってることがおかしいわよ。わかってるでしょう?」
「……どこかおかしいかしら?」
「……ッツ、すっとぼけるのもいい加減にしなさい!!」
無垢な童女のように小首を傾げて見せる紫に、先程の怒りが再燃したのか常らしからぬ怒鳴り声を優曇華は紫に叩きつける。
「新聞を読んでいないっていうのは慧音の家に行くまでの話でしょう!?慧音を慰めてた時には私はもう新聞に目を通してたわ!!」
「あら、いつ目を通したのかしら?私は記憶にないのだけれど」
「~~~ッ私に新聞を見せたのは紫でしょう!?慧音の家の玄関先で!!」
「ふむ。それはこの新聞かしら」
「ええ、そうよ!!私がまだ見てないって言ったら貴方がその新聞を差し出したのよ!!」
「つまり、貴方はこの血塗れの新聞を見たから≪スッパテンコー≫が帽子をかぶっていた事を知っていたと言うのかしら?」
「そうよ!!」
「……本当に?」
「~~~ッそうだって言ってるでしょう!!他に何があるって言うのよ!!」
パン!!
「きゃ……な、何よいきなり」
「ふふ、今の言葉……聞いていたわね阿求?」
突如として柏手を打った紫に驚く優曇華を無視して、阿求に視線を向ける紫。
「え?ええ、聞いてましたけど」
「そう、ならこれで……事件解決ね」
「は、はい?」
「優曇華。貴方は今、私が持って来た新聞を見たから≪スッパテンコー≫が帽子をかぶっていると解ったって言ったわね?」
面食らう阿求を華麗にスルーして、紫は再び優曇華に向き直る。
「い、言ったけど……」
「ふふ、残念ながら、それは不可能なのよ。だって……」
紫は微笑みながらゆっくりと畳まれた新聞を開いていく。
「この新聞の写真、血糊のせいで≪スッパテンコー≫の頭は……見えないんだもの」
「「「―――――!!」」」
紫が差し出して見せた新聞の写真を見て、全員が大きく目を見開く。
「あ、あ……」
「さて、優曇華。どうして貴方はこの新聞を見て≪スッパテンコー≫が帽子をかぶっているって解ったのかしら?」
「そ、それは……」
「少なくとも私は……答えを一つしか思い浮かべられないのだけれど」
「……ッ」
「ちょ、ちょっと待って下さい!!」
「……何かしら阿求?」
顔色を青くする優曇華とそれを問い詰める紫の間に阿求が果敢に割って入る。
「ええと、ええと……そうです!!優曇華さんが催眠術の幻術を使ったって言うんならそれは写真には写らないんじゃないですか!?」
「写るわ。優曇華の術は『狂気を操る程度の能力』を応用したものよ。この能力の本質は精神の波長を操ること……そして、それは光の波長にも影響を与えるわ。……純粋な人間の精神である亡霊の写った心霊写真、なんていうのを例に出すと解りやすいかしら」
「う……そ、そんなのやってみないと……」
「やったわよ。私がなんの為に発明家に写真を撮ってもらったと思っているの?わざわざ優曇華と同じ術で下半身を隠して」
「あ……、い、いえさっき紫さんは優曇華さんと同じ術は使えないって……」
「……私は後塵を拝する、と言ったのよ。私の術がカメラに通じて、その上を行く優曇華の術が通じないはずないでしょう?……更に言えば『境界を操る程度の能力』を使わなければ、とも言ったわ。使えば優曇華の術は十分再現できる……なんなら今やってみせましょうか?」
「……それは……でも、でも」
「……もう、いいわ阿求。ありがとう」
「優曇華さん?」
阿求の方に手を置き、首を振りつつ優曇華は紫の前に進み出る。
「はぁ……やっぱり慣れないことはやるもんじゃないわね……正直、迷いはしたのよ。あの時、紫達に着いて行こうかっていうのは」
「ええ、それが貴方の一番の失敗ですわ。今日一日、聞いて回ったけれど……直接貴方に繋がる証言は一つもなかったもの。後は……わざわざ藍の幻影に帽子をかぶせたことかしら」
「……それは仕方なかったのよ。催眠術っていうのは何かきっかけがあった方がかかり易いから……『あの帽子をかぶっているのは藍』ていう条件で術を使ったの。レプリカの帽子をかぶってね……、でも……他のにしとけば良かったわ」
失敗したなぁ、と優曇華は顔を右手で覆い、天を、故郷である月を仰ぐ。
「う、優曇華さん!?」
「ごめんなさい、阿求……庇ってもらったけど……正しいのは紫よ。≪スッパテンコー≫は……私」
「そ、そんな……」
阿求に見返り、優曇華……≪スッパテンコー≫はとうとうその言葉を発した。
「……慧音もね……ふふ、何か察してはいたみたいだけれど」
「……紫が犯人について言いたくない、と言っていたからな。最悪の事態として、一応覚悟はしていた」
「そう……最悪って事は一応信じては貰えてたのね……ありがとう」
そう言って、優曇華は悲しげに笑って見せる。
「……何で、何でですか!?何で優曇華さんがこんな事を!?」
阿求がたまらず優曇華に食って掛かる。
「何で……か。……私ね、藍のことを尊敬してたの、多分、師匠の次くらいに。これは嘘じゃないわ。私が知る限り何でも出来たし……私に薬草について教えてくれたこともあったのよ。欠点といえば、橙や紫の事になるとすぐ熱くなっちゃうことだけど……それも私から見れば親として従者として立派な長所に見えてたわ」
けどね、と阿求の頭を撫でながら、優曇華は声のトーンを落とす。
「だからこそ、妬ましくもあった。薬については師匠に学んでいる私に教えられる程の知識も、主人に堂々と代理を任せられてそれをこなせる実力も……身内の事にあんなにも直向きに当たれる実直さも。なまじ似たような立場だからこそ、比べてしまって……惨めになった」
優曇華が俯き、目が前髪に隠れる。
「だから、きっと……少し引きずり下ろしたくなったんだと思う。……普段の私ならそれも抑えられたけど……、そうね、何故あんな事をやったのかと言われれば……少し飲み過ぎたのよ昨日は、それで少し素直になり過ぎた。それが理由よ」
「そんな……そんな理由で!?」
「そんな理由なのよ、悪いとは思うけど。……さて、と」
激昂する阿求をそっと引き離し、優曇華は紫に向き直る。
「待たせたわね。酔ってやった事とはいえ、幻想郷の管理者『八雲』に喧嘩を売った自覚はあるわ。後は煮るなり焼くなり好きにしなさい」
そう言って優曇華は罰を受け入れる罪人のように両腕を広げ、目を閉じる。
「……他に言うことはないの?」
「ええ、ないわ」
「……本当に?」
「くどいわよ。ない」
「……そう。じゃあ、私から言いたいことがあるのだけれど……聞いてもらってもいいかしら?」
「?」
この段に至って、優曇華はとうとう目を開けてしまう。というのも紫の声があんまりにも優しげで、怒りや敵意が微塵も感じられなかったためである。
「さっき貴方は藍のことを妬んだと言っていたけれど……それはお門違いよ。貴方は私の藍に勝るとも劣らない立派な従者だわ。……あの蓬莱人はいい弟子を持ったわね」
「は?」
「え?」
「む?」
紫のあまりにも予想外な言葉に驚きの声を漏らし呆ける三人。……ただ一人優曇華だけは一瞬僅かに眉根を寄せた。
「ええ、根は素直で優しい子なのに、いざとなれば腹芸もできる。……そういうところは、むしろ家の藍も見習って欲しいわねぇ。あの子、意外にそういうのが苦手なのよ」
「……」
「あ、あの紫さん?ちょっと待って下さい」
「あ、ああ私からも言わせてもらうぞ。ちょっと待て紫」
多分に動揺を露にし紫に待ったをかける、白澤と阿礼っ娘。
「あら、なにかしら?」
「なにかしら、って……どうしたんですか紫さん!?確かに優曇華さんは根は悪い人ではないと思いますけど、酔った勢いで藍さんを≪スッパテンコー≫に仕立て上げたんですよ!?なんでそんなに優しいんですか!?」
「ふむ……右に同じ、といったところだな」
紫のしれっとした態度に、顔を真っ赤にして食って掛かる阿求とその肩を抑えつつも鋭い目で紫を睨む慧音。そして、そんな状況で紫は……
「あら、貴方達は信じちゃうのねその話。……どうやら優曇華は友人には恵まれなかったようね」
と、どこかで聞いたような台詞を笑みを浮かべつつ二人に送る。
「んな!!なんてこと言うんですか!!私だって、私だって……!!本当なら優曇華さんを信じた「いや、ちょっと待て阿求」……ムグ」
紫の言葉に更にヒートアップして怒気を露にする阿求だったが、慧音に物理的に口を塞がれて強制的に言葉を途切れさせる。
「紫。今の台詞が今朝聞いたものによく似ているのは……偶然か?」
「いえ、偶然ではありませんわ」
「……私の記憶では、今朝は友人に恵まれなかったのは藍で……その台詞の後にその藍の無実を証明する言葉が続いたと記憶しているんだが」
ムグッ!?、と阿求が驚きに目を見開く。そして、次の瞬間、慧音と同じ期待の光がその瞳に宿る。
「ええ、そうね。……そして、今回もそういう展開になるわ。……残念ながら完全に無実という訳ではないですけれど」
パンッ、と扇子を開きそれで口元を隠す紫。が、目尻に浮かぶ笑みの色までは隠せていない。
「ちょ、ちょっと待ちなさいよ……私は自分が≪スッパテンコー≫だって認めたのよ?それが……何を証拠に無実だなんて話になるのよ?」
「あら、その言い方だとまるで自分が≪スッパテンコー≫であると認められた方が都合が良いように聞こえますわよ?」
「あっ、しまっ……ッ」
つい、漏らしてしまった失言と、その失言が失言だと認める失言を封じるべく慌てて口を押さえて言葉を飲み込む優曇華。……が、そのリアクションがすでに紫の言が正しいことを認めてしまっている。
「ふふ、気が抜けると素に戻っちゃうのね。この辺はまだまだ、と言ったところかしら」
「~~~ッ、い、一体何を証拠にそんな事、言うのよ」
優曇華は自分の失言を無理やりなかった事にして、リテイクする。まぁ、どう考えても無茶なのだが。
「証拠ならあるわ。昨夜の酔っ払った時の貴方の態度、よ」
「……は?」
「ふふ、自覚がないのね。昨夜の貴方といったら、凄かったわよ?私の実力はすでに師匠を遥かに越えている、とか。姫様みたいなグータラは私が居なければ生きていけないとか……ええ、あんなに不遜な貴方を見たのは初めてでしたわ」
「なっ!?」
「そんなにも強気になっていた貴方が劣等感であんな姑息な事をするかしら?むしろ、藍にまともに挑んでいって玉砕する、なんていうのがらしいと思うのだけれど」
今までの小憎らしい笑みでなく、親愛ののぞく笑みで紫は優曇華の額を扇子で小突く。
「ぐっ、いえでも酔っ払いの態度なんてすぐ変わるものだし、アテにはならないわよ!!」
「そうね、私が本当にアテにしてるのは別のことよ」
「……へ?」
「月の兎は義理堅い、貴方が言ったことよ。そして、私はそれを嘘だとは思ってないわ。だから……貴方が自分の意思であんな事をやったとは思えないの」
「……そ、そんな事……なんで、信じるのよ。それこそ嘘かもしれないでしょう?」
「その理由はもう言ったわよ。貴方の失敗は今日、私達に着いて来たことだって」
クスクスと笑い、狼狽える優曇華に紫は彼女の目を見て、
「それがなければ、私は貴方が友達にあんな嫌がらせをするような子じゃないってことは解らなかったもの。……だから、そうね証拠は……」
優曇華の事を柔らかく抱いて、
「貴方が優しい子だって事実よ。……完璧でしょう?」
花咲くような満面の笑みでそう言った。
「~~~~~ッ」
そう言われた時の優曇華の顔を見た慧音はこう語る、およそ感情と呼べる物をすべて混ぜ合わせて顔に貼り付ければああなるだろう、と。そして、阿求は一言こう語った、今まで見たことないくらいとにかく真っ赤でしたと。
「……皆が紫のことを質が悪いって言うの……」
「?」
「正直、今日一緒に回ってみて眉唾だと思っていたのだけれど……」
優曇華は両手で顔を覆って呻くような声で懸命に喋る。
「今ようやく解ったわ。……アンタ……最悪よ」
そんな風に言われたら喋らざる得ないじゃない、そう言ってせめてもの抵抗にそっぽを向いて優曇華は今度こそ本当の自白を始めたのだった。
≪≫≪≫≪≫≪≫≪≫≪≫≪≫≪≫≪≫≪≫≪≫≪≫≪≫≪≫≪≫≪≫≪≫≪≫≪≫≪≫≪≫≪≫≪≫≪≫≪≫≪≫≪≫≪≫≪≫≪≫≪≫
そんな外の様子を知らずに、永遠亭の奥まった一室で寝そべりながら因幡達の持って来た『文々。新聞』に目を通す人物が居た。やっていることは至極怠惰であるにも関わらず、頬杖をつく仕草や、新聞をめくる手つきにどこか上品さを感じられ、その様はまるでどこかの国の姫君のようである。……それも当然、何故なら彼女は……
「……う~ん、思ったより大事になったわねぇ~」
蓬来山輝夜、竹取物語にてかぐや姫と語られる人物なのだから。
「有る事無い事言いふらしてくれた優曇華と、私に正座させて説教なんて真似してくれた藍にお仕置き出来て一石二鳥……って思ったけど……少しやり過ぎたかしら?」
つぅ、っと額に汗を滲ませつつ、輝夜は思案気な表情を浮かべる。
「……ま、まぁあの二人を懲らしめることは出来たんだし。良しとしましょう、うん」
そう言って、自身の罪悪感と新聞から目を逸らし、ごろりと仰向けになる輝夜であったが……
「ん?あれは……紫のスキマ?なんでここに……」
「ゆかリん式魔帝7ツ兵器!!ゆかりんハンマーー!!」
ゴガァン!!
「くぎゅう!?」
自身の上に開いたスキマに首を傾げると同時、巨大なハンマーに押し潰されつるぺったんと化す。その様は何と言うか、ど根性カグヤとかそんな感じである。もっとも……
「いっつ~~~~~ッ……いきなり何するのよ!?私じゃなければ死んでるわよこれ!!」
上半身をピチピチ跳ねさせながら輝夜が喋れることを見れば解るように下半身だけであったが。
「あら、おかしな事を言うわね、お姫様。いきなり……なんて、貴方まさか私に攻撃される心当たりが無いとでも?」
「ぐっ!?……あ、あるわけないじゃない。私は穢れ無き月の姫よ?」
必死に紫に抗議する輝夜に今朝、文に言ったのと同じ台詞を投げる紫。……それを受ける側の態度は狼狽と余裕という全くの正反対の物
であったが。
「ふむ。ここで認めるなら見逃してやろうと思っていたのだが……」
「? 慧音?貴方まで何の……」
「成敗ッ!!」
ゴドンッ!!
「~~~~~~~~~~~~~~~ッ」
スキマからいつの間にやら出てきていた慧音の姿を見とがめ、一瞬呆気にとられた輝夜であったが、次の瞬間叩き込まれた慧音の頭突き(アンリミテッドver)により声を出すことすら出来ずにのたうち回る。……これもまた上半身のみであったが。
「ぐ、く……一体なんなのよ貴方達!?もう一回言うけど私じゃなければ死んでるレベルよ!?この攻撃は!?……そしていい加減このハンマーをどけなさい!!」
「……姫様。もう、素直になりましょう?……私も御一緒しますから閻魔様に説教されてきましょう」
自らの足を押しつぶす紫のハンマーを憎々しげにゲシゲシ叩く輝夜の前にそう言って進みでてきたのは、だぱーと目の幅涙を流す優曇華である。
「鈴仙!?貴方まさか喋っちゃったの!?何やってるのよ!!それでも私の……」
「てやぁ~~!!」
ベチャッ!!
「わぷっ!!……ペッペッ何よこれ……って、臭ッ!!ちょ、待ってなにこの匂いシャレになって……けほっけっほ、い、息が……」
「藍さんの名誉を貶めたうえ、理不尽な命令で苦しめた優曇華さんを責めるなんて言語道断です!!豆腐屋『島木』裏名物、臭豆腐で反省してくださいッ!!」
そして、優曇華の後ろからひょっこり飛び出し対生体用化学兵器を輝夜の顔面に投げつけたのは怒り心頭の阿求である。……ちなみに豆腐屋『島木』の臭豆腐は右エ門が名称だけを聞いて開発した臭さのみを追求して作った代物であるため、その臭いは、かつて食いしん坊の幽々子をして、絶対に食べられないと言わしめたほどである。幽々子曰く「臭いを嗅いだだけで満開の西行妖が見えたわ」とのこと。
「……(月姫死亡中)……はっ、いけない本当に死んでたわ。……ふぅ、解った、貴方達の用件は解ったわ、だから、とにかくこのハンマーをどけてくれる?この姿勢じゃ話もまともに出来ないわ」
蘇生して冷静さを取り戻した輝夜が顔についた臭豆腐を拭いつつ、ハンマーを再びペシペシ叩く。
「ふむ。……いいでしょう。確かにこれじゃあ話辛いわ」
紫はグゴゴゴ……と土煙を上げつつゆかりんハンマーを持ち上げる。……一体何tあるんだろう、とはその場に居た全員の思いである。
「全く、これでようやく足が動かせるわ。まさかこの私がカエルみたいな思いをする羽目になるなんてね」
「う……申し訳ありません。でも……流石に限界で……その、罪悪感が」
ようやく開放された足が再生されるのを見遣りつつ言った輝夜の言葉に優曇華は思わず頭を下げる。
「いえ、優曇華さんは悪く無いです。こんな無茶な命令を出す人が悪いんです」
「それに関しては同感だな。いくら主従関係とはいえ、やっていいこと悪いことがある」
「全くね。これじゃ『外』で言うところのパワハラよ」
謝る優曇華に同情的な視線を向けて、改めて輝夜を責める制裁者三名。
「う……なによなによ。みんな私が悪いって言うの?そりゃ、やり過ぎたことは認めるけど……そもそも悪いのは……」
「姫様!!」
ブツブツと何やら言いかけた輝夜であったが、スパァン、と小気味良い障子を開いた音に言葉を遮られる。そして、障子の向こうに姿を現したのは……
「永琳!!良いところに来たわ、襲撃者よ!!」
「「……ッ!!」」
八意永琳。その姿を見て輝夜は素早く永琳に駆け寄り、その背に隠れる。そして、それを迂闊にも見逃してしまった紫と慧音は身構え戦闘態勢に入る。が……
「姫様」
「さぁ、永琳やっちゃいなさい。大丈夫、貴方ならこんなやつらチョチョイのチョイよ」
「姫様!!」
「はいぃ!?」
その声を聞いて輝夜はようやく気付く。永琳の声が初めから怒気に溢れたものであることを、そして、彼女が自分を姫様と呼んでいることに。
(マズイわ。永琳が私を姫様って呼ぶときは大抵シリアスシーンか、本気で怒ってるときだもの)
昔、永琳が教育係だった頃の癖で背筋を延ばしてしまった輝夜には、永琳の背中が今、何よりも恐ろしいものに見えていた。
「姫様……わたくし、少々お尋ねしたき儀があるのですが」
「な、なにかしら?いえ、なんでしょうか先生?」
輝夜の腋を持ち部屋の中央に移動した永琳が、自ら正座した輝夜に灼熱のような感情をを押し殺した声で表面上丁寧に問い掛ける。
「先程、因幡達がとても面白い新聞を持って来たのですが……」
そう言って、永琳が取り出したのは無論『文々。新聞』である。
「この≪スッパテンコー≫……姫様の仕業ですね?」
ギロリと視線で輝夜を斬りつけながら、問いかけ……いや、その確信を持った語調を考えれば確認を取ると言った方が相応しい。どうやら、その天才的な頭脳と身内の直感で≪スッパテンコー≫事件の裏をすでに見抜いてしまっているらしい。
「え~と、それはどうだったかなぁ~~……」
「ひ・め・さ・ま?」
「はいごめんなさい!私がやりました!!」
惚けようとした輝夜であったが、永琳に凄まれ0.1秒で自白する。月の姫の高貴さは何処へやらと言った有様である。
「はぁ……良いですか、姫様。私は姫様が行うことなら大抵の事は応援しますし、協力もします。けれども、幾ら何でもこれは……何と言うか品がないというか……とにかく!!嫁入り前の娘を裸で外に放り出すというのは幾ら何でも度が過ぎています!!」
「……へ?裸で放り出す……って?」
「惚けないで下さい!!こんな惑わすレベルでなく完全に人に成りすますレベルの幻術をウドンゲが使おうと思ったら、姿以外の部分は完全に一致させないと出来ません!!……え、まさか本当に知らなかったの?」
輝夜の本気で呆けた顔を見て、思わず敬語お怒りモードから素に戻る永琳。
「あ~鈴仙?」
「……///」
ギギギ、と優曇華の方に輝夜は顔をやる。するとそこに居たのは顔を真っ赤にして俯く、嫁入り前の乙女鈴仙ちゃん。……そして、それを見た輝夜は逆に顔色を青くする。
「……本当に知らなかったのね」
「知る訳ないでしょう!!知ってたら幾ら何でもあんなこと言わないわよ!!ていうか、そうならそうって言いなさいよ鈴仙も!!」
自身の『幻術で裸の藍の振りして人里回って来い』という命令が、『アンタ人里で公開露出プレイしてきなさい』という命令と変わらないことに気付いた輝夜が大慌てで鈴仙に詰め寄る。
「う、ですが命令ならやらないと……」
「……永遠亭を追い出される、かしら?」
「!?」
永琳が目を細くして、優曇華の言葉を引き継ぐ。
「はぁ、そんなことじゃないかと思っていたけど……ウドンゲ、私が怒っていたのはね。貴方のそんな考えに対してでもあるのよ」
「あ、その……」
「全く、永夜異変がどうして起こったのか忘れた訳じゃないでしょう?」
「う、うぅ……」
「……一度しか言わないから聞きなさい。貴方は私達の同胞にして家族、追い出すなんてこと月がこの空から消えることより有り得ないわ」
「……師匠」
「……と言うか、もし、鈴仙が出て行くなんて言ったら首に縄かけて引きずってでも連れ帰るわよ。私は」
「姫様……うぅぅ……」
片や真っ直ぐ、片や照れてそっぽを向いての、師と主の優しい言葉に涙腺が緩む優曇華。その一方で……
「ねぇ、なんだか居心地が悪くないかしら。慧音、阿求」
「ふむ。それを認めるのは吝かでないが……まぁ、良かったんじゃないか?これで藍の犠牲も無駄ではなくなる」
「あはは、確かにそうかも知れませんね……紫さん……」
「……解ってるわよ。これから藍に三人で土下座するって言うんなら私からこれ以上咎め立てたりはしないわ」
と、些か忘れられた感のある三人が小声で言葉を交わしていた。そして、再び永遠亭主従に目を遣るといよいよ感極まった優曇華が輝夜と永琳に抱きつこうとして……
ゴガァ……ギュリ!!
「へ?」
「え?」
「な?」
……障子を吹き飛ばして伸びてきた九本の黒い尻尾に巻きつかれ宙で静止した。
「ちょ、え?これ何……って、わあぁぁ……!!」
「ウドンゲ!!」
「鈴仙!!」
そして、その尻尾に引かれて障子の向こうにウドンゲは姿を消す。……咄嗟にウドンゲの足を掴んだ永琳を連れて。輝夜も手を伸ばしたのだが、哀しいかな輝夜と永琳では腕のリーチに差があったため空振りに終わってしまった。そして……、
「ひぃぃ、師匠助けてぇぇええ!!」
「っく、なんなのこいつ……九尾の……人狼?何処の誰だか知らないけどさっさとウドンゲを放しなさい!!」
シュパッ……ガシッ!!
「なっ!?私の矢を止めた!?……くっ、しまった速ッ……!?くはっ……」
「師匠!?よくも師匠を……この!!放しなさい!!……ってちょっと何よその巫山戯た密度の弾幕は……きゃああああ!!」
ドガガ!!ドガガ!!ドガガガガガァン!!
と、史上稀に聞く壮絶な着弾音を締めに廊下の向こうから放送される恐怖のラジオドラマin永遠亭。この段に至り、部屋に残された四人はすでに呆然自失である。いや、一人は……
「……忘れて、いたわ」
あまりの恐怖に封印していた記憶を思い出してしまい、今朝出来たばかりのトラウマに身を震わせていたが。そして……、
ガゴン!!ガゴン!!ガゴン!!
「きゃあああ!!」
「……ッこっちに来い阿求!!」
「なんなのよ一体!!」
廊下から壁をブチ破り投擲された何かが部屋の壁に突き刺さる。すわ新手の攻撃かと阿求を庇いつつ身構える慧音と輝夜がその投擲物に目を遣る。
「なっ!!」
「永琳!!ウドンゲ!!……それに……」
「文さん!?なんでここに?って言うかあわわ、なんで裸何ですか!?」
廊下から投擲されたのは丸太を括って作られた十字架であり、そこには目を回して気絶している永琳、優曇華、そして何故か文がゴルゴダの丘の聖者のように……いわゆる、そーなのかースタイルで吊るされている。……何故か素っ裸で。そして……その吊るされた三人の後を追うかのように、壁に開いた穴からゆぅらりと、それは姿を現した。
「ひっ……きゅう(パタリ)」
「阿求!?ッこいつは……一体?」
「とりあえず、味方っぽくないのは確かね」
「……」
ゆらゆら、と不吉を具現化したかのような揺らめく尾。絶望を色彩にしたかのような黒い獣毛に覆われた体躯。ひとたび食い込めば何人たりとも逃れられないであろう牙がズラリと並ぶその口腔……常人ならば目を合わせただけで阿求のように気を失うこと必至な獣人がそこにいた。
「おい紫!!こいつは一体何なんだ!?忘れていたというからにはこいつの事を知っているんだろう!?」
「そ、そうよ!!一体何処のどいつなのよ。この化物は!!」
慌てふためく人里の守護者と月の姫。なにせこの怪物、対峙しているだけで精神的ななにかがガリガリと削れていくのが解るのだ。このままでは遠からず自身も阿求のように気を失ってしまうという確信が二人にはあった。
「……藍よ」
「藍?藍が来たのか!?輝夜、ちゃんと謝るんだぞ!!」
「ええ、謝るわよ、この状況で味方が増えるんなら喜んで!!」
「よし!!それで紫、藍は何処に居るんだ!!」
「何処って……そこよ」
そう言って紫は怪物の方を指差す。
「そこ!?そこって何処……まさか……」
「ちょ、ちょっと、嘘でしょう?」
紫の指差す先にかの怪物しかいないことに困惑する慧音と輝夜だったがあるものに目を止めて、顔を引き攣らせる。そう、藍と同じ九本の尾に。
「まさかこいつが藍なのか!?」
「……え、ええ。私も今朝まで知らなかったのだけれど藍って本気で怒るとこうなるみたいなのよ……あはは」
「あはは、じゃないわよ!!幾ら何でも変わりすぎでしょう!?」
輝夜の言葉はもっともで、何と言うか今の藍は九尾は九尾でも尾獣とかその辺りの奴みたく野獣めいており、紫が見た『黒藍』より更に怪物じみている。
「待って。こいつが藍ってことは、標的ってもしかして……」
「……まぁ輝夜だろうな」
「……貴方でしょうねぇ」
「冗談じゃないわよ!?」
絶望的事実に思わず輝夜は声を荒げる。というか良く見れば黒藍の視線は明らかに輝夜を見据えている。
「……ま、待って、その……藍?悪かったわ。私が悪かったから落ち着いて話し合いましょう?」
「グルルルルル」
ミシリ、と畳を軋ませ輝夜の言葉を無視して藍は歩を進める。
「待って、お願いだから待って!!ほら紫、貴方からも……ってそこの二人何逃げようとしてるのよ!?」
藍の主である紫にとりなして貰おうと輝夜が紫に視線を向けると、そこには気絶した面々を小脇に抱え撤退しようとしている紫と慧音の姿があった。
「慧音!!貴方、人里の守護者なんでしょう!?妖怪に追い詰められている人間を見捨てていいの!?」
「いや、私は『人里』の守護者だから月の民は管轄外だな。……というか、そうでなくとも今回は明らかにお前の方に非があるのだし」
「ぐっ!?……紫!!貴方は主として従者の暴走を止めなくていいの!?」
「いえ、家は基本的に放任主義ですので……それに私も慧音と同意見ですわ」
「く、く……薄情者……そもそもね、貴方が」
「グルルルルル……かぁぐぅやぁ」
「ひぃぃ!!」
紫にビシリと指を突きつけ何事か言おうとした輝夜であったがいつのまにやら至近にまで迫っていた藍に呼び掛けられ、悲鳴を上げる。
「ゆぅいぃごぉんはぁぁぁ?」
「ひぃぃぃ!!ちょっと待ってお願いだから待ってぇ!!ほらこの蓬莱の玉の枝あげるから!!」
「……」
輝夜の戯言を無視しゆっくりとその手を輝夜に伸ばす、藍。本来ならそのまま輝夜も素っ裸に剥かれるはずであったが……
「待って待って!!ていうかなんで紫の事はスルーなのよアンタ!!私に≪スッパテンコー≫の案を吹き込んだのは紫でしょう!?」
「「「――――――――――――――――」」」
ガキン、と音を立ててその場の全てが停止した。それはもう紅魔館のメイドが能力を全開で行使してもこうはなるまいと思えるような、それはそれは見事な停止であった。
「……待て、輝夜。今なんて言った?」
そして、時は動き出す!!……もとい、一番最初に動ける様になったのは慧音であった。と言っても藍と輝夜の方に振り向く際の動作は非常にぎこちなかったが。
「? 何って……昨夜私に≪スッパテンコー≫やったら?って言ったのは紫だって……え、もしかして、知らなかったの?」
「済まない、もう少し詳しく話してくれないか?」
「え、ええいいけど」
≪回想開始≫
「うう、あの狐め。私に正座させて説教だなんて、永琳ぐらいよそんな事できるのは……あたた、足が痺れて……うう、許せないわ目にもの見せてやるんだから!!……でも、また説教されるのはイヤね。何かいい方法はないかしら……こういう時は藍のことをよく知ってる奴に聞くべきよね……よし、紫!!」
「うん?あら、月の姫様が私に何か用かしら?」
「うぐ、貴方どれだけ飲んだのよ。お酒臭いわよ?……まぁいいわ、とにかく……かくかくしかじか……という訳で貴方の式に仕返ししたいんだけどなにかいい案ないかしら?」
「あははは、良いわねそれ。うん、最近藍は私にも説教臭いからちょっと懲らしめてやりましょう。そうねぇ、それじゃこんなのどうかしら、題して……八雲藍スッパテンコー事件!!」
「おお、なんか面白そうね!!聞かせて頂戴」
「ええ、いいわよ。まず、貴方の所の月兎に……」
≪回想終了≫
「って、言って私に色々吹きこんでいったのよ。藍は脱ぐと胸が大きくなるから気をつけてね。とかそんな感じの事を色々と」
昨夜の事を思い出しながら語る輝夜。……酔っているとはいえ相手の身内に復讐方法を尋ねる輝夜も輝夜だが、意気揚々と答える紫も紫である。そして……
「……」(けーね)
「……」(らん)
「……(滝汗)」(ゆかりん)
輝夜の回想を聞き終え、あまりの衝撃で元の姿に戻ってしまった藍とシベリアのブリザードの如き視線を紫に送る慧音の二人。しかし、その視線を受ける紫は赤道直下の国で日光浴でもしているかの如く汗を流している。というのも、紫は先の輝夜の言に心当たりがあったからである。
(おかしい、とは……おかしいとは思っていたのよ。犯人が優曇華と輝夜だった場合、藍の胸の話を何処から聞いたのかっていうのは……だって、その話を知っているのは私と橙と豆腐屋一家と、あと私が愚痴ったことがある幽々子ぐらいのはずなんだもの)
実のところ他にも腑に落ちない点というのは幾つかあった。例えば≪スッパテンコー≫という犯行方法があまりに藍の"うぶさ"という急所を捉えすぎている点、藍がうぶいというのはほとんど身内でしかしられていないはずなのに。例えば、そもそも藍が昨夜の記憶がないという点、紫が記憶している限り藍が酒で記憶を失ったということはない。それが、昨夜あんなにも都合良く記憶を無くすものだろうか?もしかして、酔った自分がなにかしたのでは?
「……紫様」
「!?……な、何かしら藍」
嫌すぎる思考に没頭していた紫はビクリ、と肩を跳ねさせ恐る恐る振り返る。
「……今の輝夜の言、何か反論はありますか?」
「イタタタタ!!痛い、痛いって藍!もうちょっと力抜いて、頭割れるからっ!!」
能面のような無表情で素早く主の背後を取った藍が平坦な声で聞く。と言ってもその右手に握られた輝夜の頭がミシミシ軋んでいる辺りから無表情の下に潜む怒りがどれ程のものか知れる。
「ええ~と……」
「ええ~と?」
「ゆかりん、昨夜の事は酔ってて覚えてないから解んない、テヘ☆」
そして、紫は自身に出来る精一杯の愛嬌を持って怒れる天孤にそうのたまった。すると、藍は俯き……
「そうですか……」
ガシッ!!
「そ、そうなのよ……ところでなんで、らんらんはゆかりんの頭を鷲掴みにするのかなぁ~?とっても痛いんだけど」
頭をギシギシ軋ませながらも笑顔をキープする紫の根性はいっそ見事と賞賛されるべき代物であったが、その笑顔が事態を快方に向かわせているとは藍の手に込められた握力を見る限り全く思えなかった。
「ふっふふ、ふふふふふふふ。……輝夜、そして紫様もとい、このスキマ野郎」
「「……な、何かしら?」」
「二人とも少し……」
言いつつ藍は渾身の力でもって、二人の頭を握りしめる。……バキリと致命的な音が響いたのは、果たしてどちらの頭蓋骨からか。
「頭冷やしてこいやぁぁあああああ!!!!」
「「きゃぁぁあああああ!?!」」
……キラン!
そして、腕を振りかぶり全力でバカ主二人を僅かに欠けた月に向かい投擲する。……その速度は屋根をブチ破っても些かも衰えることなく、またソニックブームを起こしていたことから音速を越えていたことは間違いない、それこそ本当に月まで届いてしまいそうな程の勢いであった。
「……う、うぅぅううう~~」
二人を遥か彼方に投げ終えてから、ドシャリと泣き崩れる藍。
ポン
「……?」
そんな藍の肩に手を置いて慰めるのはその場で唯一立っていた慧音であった。そして藍は彼女と目が合うと同時……
「う、うわぁぁぁあああん!!」
と、泣き叫び慧音の胸に飛び込んで行くのであった。……慧音は藍の背中を撫でてやりながら、辺りを見回す。
「……」
右を見れば素っ裸で貼付けにされた永琳と優曇華と文が、
「…………」
左を見れば気絶した阿求が、
「………………………………」
そして、上を見れば主犯二人の砲弾により大穴を開けている屋根越しに青白い月が見えた。
「……虚しい。なんと……虚しい事件だったのだろう」
藍を慰めつつ、慧音は万感の思いを込めて煌々と照る夜空の月に向けて、思わずそう零すのであった。
……こうして、月明かりを浴びる二人を残して、八雲一家と妖怪の山、そして永遠亭を激震させた八雲藍スッパテンコー事件はその幕を閉じたのであった。
美少女名探偵ゆかりんの事件簿ファイルEXTRA 八雲藍スッパテンコー事件~真実はスキマの底に~ 解決編了
≪エピローグ≫
そして事件からおよそ一ヶ月後の満月の夜……
「うぅ、ヒドイ目にあったわ」
ヨロヨロと日傘を杖にしてどうにか自宅の前に辿り着いたのは、≪スッパテンコー≫の主犯こと八雲紫であった。その姿は酷くボロボロであり、弾幕ごっこに十連敗を喫してもしてもこうはなるまいという悲惨な有様であった。
「まさか、あんな事が起きるなんて……一体どうやったのかしら?藍は」
藍に投擲されたあの後、紫と輝夜は驚くべきことに大気圏すら越えて本当に月まで飛んでいったのだった。無論常人なら死んでいるはずの道行であるが、そこは大妖怪:八雲紫と不死人:蓬莱山輝夜である、どうにか生存して月面に着陸(頭から突き刺さることを着陸と呼ぶのなら)することに成功。そして、そこまで来れば、本来なら紫のスキマを潜って帰れるはずだったのだが……、
「う、嘘……」
「なんで満月でないのに地上から月の都に来れるのよ……」
藍の怒りと怨みの成せる技か、二人は何故か月の都に降り立ってしまったのだった。こうなってしまっては次の満月まで紫でも地上には帰れないし、それは輝夜も同様であった。
(それからが大変だったわね。輝夜はなんだか青い顔して怯えちゃうし、ここぞとばかりに月の番人は追い掛け回してくるし……)
幻想郷では全く関係のない事なので忘れられてしまっているが輝夜は月では立派なお尋ね者である。一部、好意的な面々も居るが、それ以外は、見つけ次第注連縄で簀巻きにして静かの海に沈めてしまえ!!という輩がほとんどである。……そして、紫はいわずもがな、そもそも月に招かれざる侵入者である。
(本当に大変だったわね。明らかに対人用じゃないミサイル撃ち込まれた時は本当にどうしようかと思ったわ。……まぁ、帰って来られたし輝夜と仲良くなれたのは良かったけど)
そして、その後、紫を待ち受けていたのはハリウッド映画顔負けの、涙あり、笑いあり、アクションありの輝夜との手に手をとっての大逃走劇であった。お陰で今や紫と輝夜は戦友と言っても差し支えない間柄である。
「……はぁ、それに……これからが一番大変なのよね」
そう言って、紫は自宅の戸口を睨めつける。
「藍になんて言って謝ろうかしら。……まだ、怒ってたりはしないわよ、ね」
一応お土産は持って来たけど、とドサクサ紛れでかっぱらって来た油揚げによく似た月の料理の包みに目を遣る紫。……お酒という選択肢もあったのだが、事件の発端を考えるとどうしてもその選択肢は選べない紫であった。
「……よし。ここでうだうだ言ってても仕方ないわ。……行くわよ」
そう言って、カラカラとえらく軽い音を立てる地獄の門を開き、自らを裁く閻魔の待つ自宅へと足を踏み入れる。
「ら~ん。今帰ったわよ~、今回の事は全面的に謝るから出てきて頂戴~。ほら、貴方の好きそうなお土産もあるわよ~……おかしいわね。怒ってるにせよ、許してくれるにせよ、すぐに出てくると思ったのに」
藍を呼びながら自宅の廊下を歩くことしばし、藍の姿が全く見えないことに紫は首を傾げていた。
「まさか……怒って出て行っちゃった、とか。いえ、幾ら何でもそんな事は……、はっ、まさか傷心につけ込まれて阿求に美味しく頂かれちゃったり!?」
一歩、歩を進める毎に不安の増して行く紫であったが、思わず稗田亭へのスキマを開こうとしたところで福音が耳に流れてきたため暴挙に走るのを思いとどまる。その福音とは……
トン、トン、トン、トン、トン……
「これは包丁の音……?となると台所!!」
と言うやいなや、台所に向けて紫はダッシュする。そして、台所に掛かった暖簾を潜ると、
「藍!?」
「うひゃあ!?」
流し台の前に立ち、包丁で野菜を切っていた獣耳の少女が慌てて紫の方に振り向いた。
「あ、お帰りなさい紫様」
「……橙?」
振り向いた少女が獣耳持ちであることまでは紫の望んだ通りであったが、その少女に生える尻尾は二本であり……端的に言ってしまえばそこに居たのは藍ではなく、紫の式の式である妖猫の橙であった。
「先月はお疲れさまでした、紫様。……傷はもう治ったんですか?」
橙はそう言ってえらく慣れた手つきで両手を手拭きで拭いつつ、紫を丁寧に労う。その立ち居振る舞いにはこれまでの橙には見られなかった藍のような落ち着きが垣間見えた。
「え、ええ。先月は確かに大変だったけれど……、橙はその話を何処で聞いたのかしら?私はまだ誰にも話していないのだけれど」
紫の言う大変というのは無論、紫と輝夜の月の都冒険記であり、紫は月から戻って自宅に直帰したのでその時の事は誰にも話していないのだが……
「え?ええ、私は慧音に話を聞いたんです。……それにしてもやっぱり紫様は凄いですっ!!犯人の正体を暴いただけでなく、退治してしまうなんて。それに比べて私は藍様を信じる事すらできず……情けないです」
「え?……ええ、そうよ。私にかかればあの程度、軽いものだわ。貴方も精進してこれぐらいは出来るようになって頂戴な」
「はいっ!!頑張ります!!」
最初は尊敬の眼差しでこちらを見る橙が何を言っているのか理解出来なかった紫であったが、持ち前の推理力により状況を三点リーダ二つ分の間で把握する。つまり……
(慧音ね。確かにあの事件の真相をそのまま公表したのでは方々に害がありすぎる、かといって何も言わないままでは藍がそのまま≪スッパテンコー≫になってしまう……恐らく、その辺の事情を考えて上手く辻褄の合うシナリオを語ってくれたんでしょうね)
今ここに居ないワーハクタクに感謝の念を送る紫。……頭に浮かんだ慧音は何故か肩を落とし、溜息を付いていたが。
(それは解かるけど……でも流石にこれは……キツイわ)
紫は再び橙に目を遣る。すると……
「(キラキラキラキラ)」
あまりにも純粋な敬意、要するに『凄いです紫様ビーム』を煌く瞳から魔理沙のマスタースパークばりの威力でぶつけられる。今回の件は流石に自分が悪かったかなぁーと思っている紫にしてみれば、それは何よりも心抉る精神攻撃であった。
(とは言え、きっとあの白澤はこれも織り込み済みなんでしょうね。……私への罰として)
橙の瞳を曇らせないためにやや口元を引き攣らせつつも笑顔を形作る紫は、内心で溜息を付くのだった。
「ところで橙、藍は何処に居るのかしら?少し話があるのだけれど」
そう言って紫はキョロキョロと台所を見回して見せる。普段なら橙が包丁を扱うときは必ずハラハラしながら見守っている藍の姿が傍らに見受けられるのだが……
「あ、藍様は今……その、寝こんでしまってます」
「寝こむ?あの子が病気なんて珍しいわね……ああ、それで貴方がその世話をしているのね。えらいわよ橙」
紫は橙の頭を撫でる。その手の暖かさに橙は心地良さ気に目を細めてゴロゴロと喉を鳴らす。
「それで、藍の具合はどうなのかしら?」
そんな橙を優しげな目で見遣りながら、紫は藍の病状を尋ねる。と言っても先月あれだけ元気に自分を投げ飛ばしたのだから、そこまで心配はしていなかったのだが、
「……」
紫の言葉を聞いて、橙は先程までの喜色の表情とは逆の悲哀の表情を浮かべる。それは紫に不吉な予感を感じさせるには十分な凶兆であった。
「え、なに?そんなに悪いの?橙、藍は一体どうしたっていうの?」
「いえ、その……具合はそこまで悪くはないと思うんですけど……」
思わず、橙に目線を合わせて詰め寄る紫であったが、返ってくる橙の返答はどうにも要領を得ない。
「あのっ紫様、藍様のことで聞きたいことがあるんですけど、いいですか!?」
「え、ええ。構わないけど……」
意を決した、といった感じで今度は橙の方から紫に目線を合わせる。紫はその橙の瞳に宿る光の強さに些か面食らうが、それで話が進むならと頷いて見せる。
「それじゃあ、その、藍様は狼とかがひょっとして苦手だったりするんでしょうか!?」
「はい?」
予想だにしない質問に紫は首を傾げる。そんな紫の様子を見て自分が言葉足らずであったことに気付いた橙は慌てて説明を始める。
「あ、あの藍様なんですけど、私が慧音に話を聞いて謝ったときは元気だったんです。でも私が持って来たこの新聞を見たらその場で倒れちゃったんです……」
そう言って、橙が差し出した新聞を、『文々。新聞』を見て紫は思わず顔を引き攣らせる。それはそうだろう、『文々。新聞』を見る→藍撃沈、という構図に見覚えがあり過ぎるのだから。そして紫は先程に倍する嫌な予感を抱えつつ、『文々。新聞』の一面に目を通す。
「……橙」
「はい?」
「藍はひょっとして切腹とかしようとしなかったかしら?」
「え、どうして解ったんですか!?」
「そりゃあねぇ……」
果たしてその『文々。新聞』にはこう書いてあった。『幻想郷激震!?恐怖、九尾の人狼!!』と。そして、その下の記事には一面に渡って被害内容―山の天狗の四割が負傷しただの、神奈子が裸に剥かれて御柱に括りつけられたため引き篭ってしまっただの―が延々と書かれており、文面の最後は文自身が裸身を晒されたことに怒り心頭であると結ばれており、この者を発見あるいは退治した者には謝礼を出すと書いてある。……退治よりも発見の方が謝礼額が高いのが意味深である。
(そう言えば藍には文が犯人だっていうのは勘違いだって言ってなかったわね、これは……流石にフォローしようがないわ)
紫は処置なしと言わんばかりに額に手を当て天を仰ぐ。なにせ、事情があったとはいえ藍が妖怪の山で暴れたことは厳然とした事実なのだからどうしようもない。せめてもの救いはそのあまりの変貌ぶりに誰もあれが藍だと気付いていない事であろうか。そして、記事を読み終えた紫はふと新聞の日付に目をやり愕然とする。
「これほとんど一月前の新聞じゃないの!?藍ってばそれからずっと引き篭もってるの!?」
紫は橙に向かって思わず叫ぶ。
「は、はい。引き篭っているというか、引き篭もるしかないというか……」
「……どういうこと?」
「最初に切腹しようとしたときに、私だけでは止めきれなかったんですけど、慧音が何処からともなく現れて藍様を簀巻きにしてしまって、紫様が帰ってくるまでそのままにしておけって……流石にどうかとは思ったんですけどまた切腹しようとされたら私ではどうにもできいないと思ったので、そのままに……」
「……そう、それはまた……苦労をかけたわね、貴方にも慧音にも」
はぁ、と息を付いて紫は肩を落とす。道理で橙が一月で大人っぽくなってしまうわけだ、と納得もしていたが。
「……紫様」
「何かしら橙?」
「私、強くなります」
「はい?」
橙の唐突な宣言に紫は思わず素っ頓狂な声を出してしまう。
「今の私では藍様の、そして紫様の力にはなれません。ただの家事ですけど……一月、一人でやってみて、それがよく解ったんです。だからもっと御二人が自慢できるような式になるために強くなります」
「橙……」
「で、でも、ヒック、今は、今は弱くて、何も出来なくて、グス、藍様ずっと泣いてて……だから、だからよろしくお願いします紫様」
途中までは紫すら圧倒せんばかりの気概に満ちていた橙であったが、最後にはボロボロと泣き出してしまう、それでも藍のために懸命に頭を下げる姿はただただ、ひたすらに健気であった。
「……ふむ」
パン、と扇子を開き紫は口元を隠す。自覚していないがそれは紫が好ましい何かを見て笑みを浮かべたことを隠すための癖であった。
「安心なさいな、橙。藍のことは私だって他人事ではないのだし、その上、貴方にそこまで頼まれて無碍にするほど私は薄情じゃないわ」
「……ゆかりしゃまぁ~」
「さぁ橙、行くわよ!!一月サボった藍に喝を入れてやるわ!!」
「はい!!って、ええ!?ゆ、紫様、藍様は今すっごく弱ってるのでもう少し優しい感じに……」
「ダメよ!!自分の式を泣かせるなんて主として最低よ、ここはあの子の主として厳しい対応で行きます!!」
「ええ!?紫様、結構藍様を泣かせてるような……」
「スキマ、オープン!!」
紫は自分に都合の悪い言葉をスラっとスルーし、藍の寝室へのスキマを開く。そして、その肩には何処かで見たような巨大ハンマーが何時の間にか担がれている。
「ああ、そうそう橙」
「はい?」
ノリノリでスキマに飛び込もうとした紫がふと思いついたかのように橙に振り返る。
「さっきの話だけど、慌てなくてもいいわよ。貴方にそんなにすぐに立派になられたら私も藍も寂しいもの。だから、ゆっくり無理せず、素敵に強くなって頂戴な」
紫はそう言って橙に某大怪盗の三代目のような茶目っ気たっぷりのウィンクをする。そして、それを見た橙の顔は綻んでいき……
「……はい!!」
「よし、良い返事よ。それじゃあ、行くわよ!!」
橙の笑顔にこちらも飛びっ切りの笑顔を送った紫がスキマに勢い良く飛び込み、得物を振りかぶる。
「らぁああん!!橙泣かせていつまで寝てるのよ!!起きなさぁぁああい!!」
ゴッドォオン!!
「ぎぃやぁぁああああああ!!」
そして、轟くゆかリんハンマーの炸裂音と藍の断末魔。およそ、平穏とはかけ離れたBGMであったが、それを聞いた橙は笑顔をとめられずにいた。
(やっぱり紫様は凄いや)
何せたったの一撃で一月嘆いていた藍が、
「ちょ、紫様!?今のは幾ら何でもシャレになってませんよ!?」
「ほう。私のゆかリんハンマーを止めるなんて……私の想像以上よ藍。褒めてあげるわ」
「止められることを想像してなかったんですか!?それじゃ普通に殺人未遂ですよ今の!?」
「問答無用!!受けてみなさい最強のゆかリん式魔帝7ツ兵器!!ゆかりんワルサー!!」
「……それは普通のワルサーP38って言うんじゃ≪ズキューン≫ぎゃああ!?撃った!!本当に撃ったよこのスキマ!!」
「大人しく的になりなさい!!」
「いやぁぁあああああ!!」
スキマを覗いた橙の目に映るのはいつも通りの元気な藍の姿であり、それはこの一ヶ月どれだけ橙が励ましても見られなかった姿であった。
(……よし決めた!!)
「藍さまぁあ!!」
「ち、橙!?ッ今は来るな橙!!このトリガーハッピーの流れ弾が……」
「誰がトリガーハッピーよ!!」
ズキューン、ズキューン!!
「痛ッ!?かすった!?今かすりましたよ紫様!?実弾でグレイズとか勘弁して下さい!!」
「私の式ともあろう者がその程度で狼狽えない!!ほら橙が降りてくるわよ!!」
「っと橙!!」
スキマから落ちてきた橙を紫の弾幕(9mm口径)を回避しつつ、キャッチするという離れ業を披露する藍。が……
「私決めました!!」
「な、何をだ橙!?」
「私、紫様みたいな式になります!!」
「んなっ……!?ぐはっ!!」
橙が放った衝撃の一言により着地に失敗し、べチャリと腹ばいに落ちる。……それでも腕の中の橙だけは咄嗟に庇っているのは流石の一言に尽きる。そしてその一言に驚いたのは紫も同じだったらしく、追撃の弾丸を放てず立ち尽くしている。
「な、な、な、な、な、な、な、な、な」
「解ったんです!!藍様に必要なのは紫様みたいな人だって。だから私は藍様のために紫様みたいな人になってお仕えします!!」
これなら御二人の式として完璧です!!と橙は顔を輝かせる。その橙の言葉に紫は思わず感動の涙を流し、ワルサーを下ろす。が……
「は、早まるな!!」
「ひあ!?」
藍は必死の、あたかも人工呼吸を行うライフセーバーのように必死な形相で橙に詰め寄る。
「いいか橙!?お前はまだまだ前途有望な幼猫なんだ!!そんな将来の夢はニートですなんて自堕落なことを言ってはいけない!!」
「は、はぁ」
「お前だって日頃の紫様のことは知っているだろう?冬眠はともかくとして、それ以外でも食っちゃ寝食っちゃ寝してばかり、私は橙にあんな大人になって欲しくはな……「らぁ~~ん~~?」……!?」
決死の覚悟で橙を諭す藍であったが、後ろから放たれた怖気の走る妖気にぐわばっと振り向く。果たして、その先に居たのは……
「ユ、ユカリサマ」
物凄いイイ笑顔の紫であった。……何故かその背後には阿修羅の幻影が見えたが。
「随分、好き放題言ってくれたわね。誰がニートですって?誰が要介護老人ですってぇ~~?」
「い、いえ要介護老人とは言ってな……」
「お黙り!!」
紫から放たれる怒気にひぃぃと怯え、藍は橙を抱きしめる。……この状況でその事に嬉しげな顔をする橙はひょっとしたらすでに藍より大物なのかも知れない。
「ふふ、ふふふ。橙に免じて温めの罰で終わらせてあげようと思ったけど、もう容赦しないわ」
「いや、普通実銃を乱射するのは容赦するとは言わないような……?」
「聞く耳持ちません!!行くわよゆかリん式魔帝7ツ兵器!!ゆかりんバスター!!」
「んなっ!?ちょっと紫様!?どっから持って来たんですかその宇宙戦艦ヤ◯トの波動砲みたいなのは!?Made in Moonって書いてあるんですけど!?」
藍はスキマから出てきた規格外の巨大砲を見て驚きの悲鳴を上げる。そして、紫はそんな藍の悲鳴にかけらも慈悲を見せずに光線銃のような発射装置を構える。
「発射10秒前……9……8……」
「っく、逃げなければ、大丈夫あと7秒あれば……」
橙を抱えて、7秒で千里駆ける気合で走りだそうとする藍であったが、
「……略……3……」
「略!?あ、しまっ……」
紫のあんまりなショートカットにツッコミを入れてしまい逃げる機会を逸してしまう。そして、こうなったら橙だけでも、と腕の中の橙に目を向ける。
「あ、あれ?」
「ら、藍様!?こっちですこっち!!」
しかし、気が付くと橙の姿が消えており、声のする方に目を向けると猫の子のように―実際そうなのだが―首根っこを紫に捕まれぶらぶらと揺れている橙の姿が。
「い、いつの間に!?」
「ふふ、私が可愛い橙まで巻き込む訳ないでしょう?さぁ、行くわよ充填率300%!!」
「300!?」
「ゆかりん!!バスタァァーー!!」
放たれるのは白黒のそれをはるかに上回る極光!!その絶対絶命の状況にあって藍は……
「ワ、ワルサーが最強って言ったのにぃぃいい!?」
ごどぉぉぉおおおおおおおん!!!!
最後の最後までツッコミ役の役目を果たして光の露と消えたのであった。
………………
…………
……
「藍様!?藍様!?」
「ああ、橙……最期に……顔をよく見せておくれ」
「駄目です藍様、最期なんて言ったら!?」
「ふっ、橙、私は……お前に会えて幸せだった、よ(ガクッ)」
「らんさまぁ~~!!っく、駄目だよ橙こういう時は落ち着いて……よし、藍様ちょっと待ってて下さい!!」
崩れ落ちた藍を必死に揺さぶっていた橙がダッシュで居間の方へと駆けていく、恐らく薬箱を取りに行ったのだろう。通常粒子砲で撃たれたら薬箱など物の役にも立つまいが入っているのが永林印の薬であるということを考えれば妥当な判断だと言えるだろう。
「まったく、もう」
そして、そんな式二人を崩れた壁に腰掛けて眺めるのは紫である。
(人が珍しく素直に謝ろうと思っていたのに……なんでこうなるのかしら?)
頬杖をついてプスプスと煙を上げる藍を流し目で見つつ、紫は苦笑する。
「でも、ま。これはこれで悪く無いかもしれないわね」
そう……
「藍様生きてますか!?この『不死人に焼き鳥にされても5秒で治るやけどなおし』なら……!!」
そう言って藍に頭から薬をぶっかける橙はこれまでよりもどこか頼もしく見える。もし、その成長の遠因が≪スッパテンコー≫事件にあるというのなら……
「うん。これならこの事件もハッピーエンドって言えるわね。きっと」
傍らでドタバタする孫娘を見遣りながら。紫はそう言って優雅に瓦礫に背を預け、空にある満月を眺めるのだった。
美少女名探偵ゆかりんの事件簿ファイルEXTRA 八雲藍スッパテンコー事件~真実はスキマの底に~ 解決編
今度こそ劇終
お話の決着のつけ方に文句はありません。
俺はバカミスの極北『六枚のとんかつ』だって美味しくいただいちまう男なんだぜ。
でもなぁ、紫様の扱いがなぁ……。
彼女をこよなく愛する読者としては一言物申したくなるところではあるのですが、
主要人物がほぼ満遍なく酷い目に遭っているのと、文字通り月までぶっ飛んだ発想に敬意を表して
「初投稿にもかかわらずの長編執筆、ご苦労様です」と、コメントさせて頂くにとどめます。
それはそうと慧音先生はどうやってスッパテンコー事件をフォローしたんだろう。
文の書いた記事を歴史として喰らって、当たり障りのない方向に改竄したのかしら。
もしそうならさぞかし胃がもたれたんだろうなぁ。先生もご苦労様です。
その理由が酒で記憶がとんだっていうのは東方だからこそ許される荒技だなw
全体としては面白いんだけれども、ギャグや地の文に、くどいと感じる箇所がいくつかあったので
その点を引いてこの点数で。