※オリキャラが登場します。苦手な方はご注意を。
この日私魂魄妖夢は博麗神社に来ていた。特にこれいった用事があったわけでもなく、何となく寄っただけ。
今日は一日暇を頂けたので顕界へ降りてみたというところである。
そのとき私は博麗霊夢にお茶をご馳走してもらったのだが、お茶請けのおまんじゅうが意外にも美味しかった。
どこで買ったものかと聞いてみると、最近里に出来た新しい和菓子屋からもらっただそうだ。
その後最近あった異変の話や弾幕話で霊夢と盛り上がりつつ、私は帰るとき里へ寄っておまんじゅうを買って帰ろうと考えた。
神社を出て里へ向かう途中、空を飛んでいると原っぱで遊ぶ子供達を見かけた。
男子と女子が数人走り回っている。子供達の上を通り過ぎるときだけ速度を落して、遊んでいるところを眺めた。
そのうち私に気付いたであろう子供達が私に手を振ってきた。私は手を振り返し、里に向かった。
和菓子屋はすぐに見つかった。小さな店だが看板が新しいのでわかった。看板には「松嶋屋」と書いてある。
のれんを潜ると三十台ぐらいの男性の挨拶が響いた。おそらく店主だろう。
正面にはおまんじゅうが入っているであろう箱が四つ、五つほど積まれていた。
入って左手には椅子が二つある。右側には誰が描いたのかはわからない、水墨画が飾られていた。
建物自体は昔からあったものなのか、柱は黒く汚れていた。
お品書きには「おまんじゅう」とだけ。どうやらそれしか作っていない様である。
店主はよく日に焼けていた。和菓子屋以外に外でする仕事でもしているのだろうか?
お品書きの横に「毎週水曜日のみ営業」と書かれた紙があることに気付いた。
「いらっしゃい。お嬢ちゃん、ここに来るのは始めてかな?」
「あ、はい」
「よかったら一つ試しに食べてみてくれよ。もうすぐお店閉めるから、残っていても仕方がないからさ」
店主は自虐気味に笑いつつ、逞しい腕でおまんじゅうを一つ渡してくれた。
美味しい。霊夢にもらったおまんじゅうの味だ。さっきも食べたが、またお茶が欲しくなるぐらい。
「これを四つほど包んでくださいな」
「はいよ!」
店主の後ろから二十台後半ぐらいの、小太りな女性が出てきておまんじゅうを六つ包んでくれた。
女性は店主の奥さんなのだろうか?
「あの」
「良いから、良いから」
要求されたお代金は四つ分だけ。二個もおまけしてくれるなんて。
ちなみに私の持っているお金は幽々子様から頂いたお小遣いである。
「お嬢ちゃんのそれっておもちゃ? まさか本物じゃないよねー」
女性に刀のことを訊かれたらしい。私はうん、ともいいえ、とも言わないでおいた。
「それにしてもお嬢ちゃん、一人でお買い物?」
「ええ、まあ」
「偉いねえ。うちにもあんたぐらいの子が居るんだけど親のこと全っ然聞かないし、親の手伝いなんて殆どしてくれないよ」
「そ、そうなんですか」
「まあ、お嬢ちゃんにうちの子の話聞かせても仕方ないね。ありがとう、また来てね!」
「あ、はい」
四つが六つになったおまんじゅうを風呂敷に包んで背負い、外に出ようとしたところで誰かとぶつかった。
向こうの方が勢い付いている。私は向こうに押し倒される形となった。
「あだっ!」
「わっ!」
土煙をめいっぱい被ったような、埃だらけの少女が私に覆いかぶさっていた。
髪は短く切りそろえられているおかっぱ頭。背格好は私と良く似ていた。
「こらオミエ! お客さんになんてことしてるんだい!」
少女は奥さんらしき女性に怒られていた。奥さんに少女を引き剥がしてもらい、何とか起き上がる。店主の方は苦笑い。
風呂敷の中身はというと見事に潰れていて、おまんじゅうを包んでいる紙から餡子が少し漏れていた。
「お前、お嬢ちゃんが買ってくれたうちの饅頭が潰れてるじゃないの!」
「そんなこと言われても知らないもん! もうすぐお店閉まる時間だと思って、慌てて帰ってきただけなのに!」
「いいから、お嬢ちゃんに謝りなさい!」
少女は奥さん、というか母親らしき女性にゲンコツをもらっていた。少女の目から火花でも散っていそうなゲンコツ。
オミエという少女は潤ませた目で何も言わずに頭を下げると、店の奥へと消えて行った。
主人の計らいで新しいおまんじゅうを渡してくれた。店を出るときにこれ以上何も飛び出してこないのを確認してから店を出る。
何気なく思って振り返ると、店の奥から手を振ってくる少女が見えた。手を振り返し、夕焼けに染まった人里を後にした。
白玉楼。
夕食前には帰ることが出来た。冬が過ぎたとはいえ、まだ春でもないので暗くなると冷える。
帰ってすぐ幽々子様のところへ行き、おまんじゅうの話をするとその場で一つ召し上がられた。
そこそこご満足頂けた様で、どこからともなく現れた幽々子様のご親友、八雲紫様とおまんじゅうを食べ始めた。
お茶を入れてきなさいと言われ、戻ってきたときにはおまんじゅうは無くなっているのであった。
今日はたくさん食べたから満足しているが、明日にでも食べようと思っていたのに。あんまりである。
だがこのおまんじゅうは紫様もお気に召したご様子。
幽々子様から来週ぐらいにまた暇を出すから、そのときまた買ってきてねと頼まれたのであった。
仕方のないお人だと思いながらも、暇をもらう約束をしてもらえた。
遊びに出かけられる。そう思うと嬉しくなった私は、おまんじゅうを食べられたことなどどうでもよくなっていた。
どうせおまんじゅうはあの店に行けばいくらでも食べられる。
幽々子様と一緒に召し上がりたかったのだが、食べられないより食べることが出来た方が嬉しい。
今度買いに行くときは少し多めに買って、いくつか食べてから家に帰ることにしようとか考えた。
※ ※ ※
あれから一週間後。
私は白玉楼で昼食を頂いた後、幽々子様にお小遣いを頂戴して里の本屋に向かった。
本屋では私が少しずつ読んでいるシリーズ物の、時代劇小説を探した。
著者は人里にお住いの、自費出版で小数部だけ本を書いている人。私はこのシリーズの最新刊を中身も見ずに買った。
いつも気に入って読んでいるから、おもしろいに決まっている。
このシリーズは短編集になっているのが殆どなのだが、どれも架空の必殺剣、秘剣、隠し剣が出てきたりしていつもそれを楽しみにしている。
恋愛小説も嫌いではないが、私はやっぱり刀を使う身だし刀を扱う侍、武士の話が好きである。
ここだけの話だが、本の中に出てくる剣を実際に使ってみようと練習したこともある。
結果は誰にも言いたくない。私はまだまだ未熟だということだけ。
例の和菓子屋へ行く前に飴細工屋でも見に行こうかなと思って里を歩いていると見知った顔のメイド、十六夜咲夜と目が合った。
「あら」
「こんにちは」
「里に降りてきて、買い物か何か?」
「いや、今日は暇をもらったからブラブラしてるだけ」
「ああ、そうなの。まあ私も似たようなところよ、今日はね。さっきまでそこの服屋を見ていたの」
「ふうん。折角だし、ちょっとお茶でもする?」
「あらいいわね。どうせならお茶を賭けてアレする?」
「ああ、弾の飛び交うアレ?」
咲夜に誘われてお茶を賭けた弾幕ごっこ。人里から離れて、人気のない森の方へ。
咲夜がナイフを手に取り、私が刀の鯉口を切る。
お互いが構え、相手の目を見て準備が出来たのを確認したら決闘の始まり。
結果を言えば私が負けた。もうちょっとで咲夜を倒せると力んだところで隙を突かれてしまった。
今日は本を買ったせいで、お小遣いは残り少ないというのに。
里の茶屋でお茶だけでなく、お団子三つもつけてと頼まれた。賭けは賭けだ、付けてやるしかない。私はお茶だけにした。
辛うじておまんじゅうを買うお金は残っている。そういえば今日はいつもより多い目にお小遣いを頂いていた様な気がした。
「奢ってもらったお団子はとっても美味しいですわ」
「それは良かったわね……。はぁ、あとちょっとだと思ったのに」
「油断していたわね。こっちから見ていると、隙だらけだったわよ」
あっという間に咲夜は二本の団子を食べてしまった。
かと思えば、私の口の中に一本つっこまれた。
「ご馳走様」
「もごもごもご……。もう行くの?」
「何となくお嬢様に呼ばれた気がしてね。もっとゆっくりして行こうと思っていたけど、またね」
「そう、それは仕方ないわね。今度は勝ってやるんだから」
「決闘ならいつでも受けてたちますわ」
お団子を平らげたら、私も茶屋を出ることにした。悔しい。今度は誰でもいいから、勝ってやろうと思う。
飴細工屋で可愛い動物の飴を見てから、例の和菓子屋へ。その途中寺子屋の先生を見かけたので挨拶した。
和菓子屋。二十台ぐらいの男女二人組が包みを持って店から出て行った。
おそらくお客さんだろう。何だかんだで流行っているみたいである。
入ろうと思ったところで前に見た、やんちゃな店の子供が店から出て行ったのが見えた。
怒鳴り声のようなものが聞こえる。おそらくあそこの店の母親だろう。
子供、オミエはこっちに気付いて手を振っていた。
「また来てくれたんだね!」
「まあね」
「今お母さんが機嫌悪そうにしてるけど、お客さんが来たら機嫌良くなると思うんだ」
「ああ、はいはい」
私が入ったあとに少女が入ろうと考えているのだろう。何はともあれ、松嶋屋の中へ。
「やあ、いっしゃい!」
店主の元気な挨拶。少女は私の後ろにピッタリくっついている。
奥さんも普通に挨拶したのだが、私の後ろにいる少女にはすでに気付いている様子だった。
後ろの子が持ち上げられ、店の奥へ連れられていた。
「商売の邪魔だけはしないでって言ってるでしょ!」
「いやあの、私は別に迷惑とかじゃなかったので」
「ほらお母さん! この人はあたしのこと悪く言ってない!」
「まあまあ、放してあげてください」
「……お嬢ちゃんにそう言われるとはねえ」
少女は降ろされるなり、私のことをジロジロ見だした。
私は気にせずおまんじゅうを四つ頼み、六つ頂いた。
本当は六つ頼んで八つ頂き、うち二つを自分の分にするつもりでいた。
でも咲夜にお茶を奢ることになったので、四つ分のお金しか残っていないのである。
「ねぇ、あなたの刀って本物なのー?」
「ええ、本物よ」
今日はストレートに答えてあげた。少女は「すごいなー!」と目を輝かせて騒いでいる。
店主と奥さんは驚いたが、ここ幻想郷では妖怪退治をしている者の中に刀を使う者も居るだろしそこまで騒ぐこともしないはずだ。
少女は私の片割れにも気になっているようで、私が代金を払って帰ろうと店を出てもついて来ていた。
「あたしオミエっていうの。あなたは?」
「私? 私は魂魄妖夢よ。妖夢でいいわ」
「ヨウムちゃん時間ある? ちょっと遊んでいこうよ!」
遊ぶ、か。私の遊びといえば弾幕遊びが主流。ビー玉やおはじきで遊んだことがないわけではいが。
だが誰かと遊ぶとなれば、何かしら人間離れしている者とばかり。
私には普通の人の知り合いなんて居なかったな、と思ったりして私はこの子についていくことにした。
オミエはよく遊ぶ原っぱがあるからそこに行こうよと誘ってきた。
うん、と頷くとオミエは走っていった。慌ててついて行くのだが、思った以上に速い。
これでも私は日頃から剣術の修行をしている身で、勿論体だって鍛えている。
それなのに追いつけないとは。離されることもないが、詰め寄ることもできない。
民家を抜けて橋を渡り、野を走って着いたのは見たことのある原っぱ。
「あたし、いつもこの辺で遊んでるんだ!」
今は私とオミエ以外居ない様子。
原っぱの奥は森になっていて、妖怪の山の麓に繋がっているらしい。一応森には入れないよう、柵が立てられているみたいだが。
良く見れば柵に霊夢が術に使う御札が幾つも張られていた。
一応結界のようなものを張っているらしい。それなら妖怪が出る、なんてことはないだろう。
「ヨウムちゃん、この前この上飛んでたよね?」
「ええ、そうよ。あれは確か、あなたのご両親がやってるお店へ行く途中ね」
「空飛べるなんてすごいなー!」
「別に、何とも思ってないけどね。巫女とか魔法使いも空飛んでるわけだし」
「でもヨウムちゃんはどちらかと言えば、お侍さんだよね? どうして空飛べるの?」
「んー、それはまあ……修行の賜物?」
「シュギョウ? あたしも修行したら飛べるの?」
「それはどうかしらね。私含めて巫女も魔法使いも不思議な力を持っているからこそ飛べるのよ」
「ああ、不思議な力かぁ。あたしそんなもの無いなー」
「普通は持ってないものよ。諦めなさい」
「ぶー」
「まあまあ、オミエには足があるでしょ。さっき追いかけるの大変だったんだから」
「えへへー、すごいでしょ! 男の子にも負けたことがないんだから!」
「私だって普段から鍛えているのにね。それでも追いつけなかった」
「本当に!? というか、ヨウムちゃんもあたしについて来られるってことは、結構速いね!」
「修行してるからね……」
色々話している最中に少女は何度も駆け回った。走る、ということが好きなのだろう。
私も付き合ってやるとオミエは嬉しそうな顔をした。
喉が渇けば近くにある共用の井戸の水で喉を癒す。
オミエの話によると、家では基本的に農業をしているらしい。
生活に余裕が出てきたので、一家の主人がやりたがっていた和菓子屋を開いたそうな。
あくまでも副業としてだから、一週間に一度しか店を開かないということだと。
この里でお世辞抜きに美味しいと評判らしいから、店の主人も嬉しいだろう。
今度誰かの家に遊びへ行く機会があれば、ここのおまんじゅうを持って行ってやるのも良いかなと思った。
オミエは朝起きると家の掃除、畑仕事を少しだけ手伝って昼食を食べると寺子屋へ行くそうだ。
寺子屋の授業が終われば家に帰っておやつを食べてから家を飛び出し、友達らと遊ぶ。
寺子屋と言えばまあ、上白沢慧音のやっているところだろう。
そして陽が沈む頃になれば家に帰り、お風呂に入って夕食を取れば布団に飛び込む。そんな毎日らしい。
「ヨウムちゃんは普段どうしてるの?」
オミエにそう訊かれたときにはもう夕方。人里の通りに紅い陽射しが差し込んでいる。
彼女はまだ私とお喋りしたい様だが、ここは結界で守られているとはいえ妖怪の山付近。
暗くなれば普通の人間にとって危険な場所になるはず。そろそろ彼女に帰る様促すべきだろう。
「ごめんね、私もう帰らないと」
「えー! 私のこと話したんだから、ヨウムちゃんのことも聞かせてよー!」
「また今度にね」
「また今度っていつ!?」
「来週には来られると思うわ」
「来週ね! 私お店で待ってるから!」
「ええ」
おまんじゅうを包んだ風呂敷を背負い直し、体を浮かせた。オミエがわっ、と小さく驚かせる。
「すごい! 本当に飛んでる!」
「それじゃあ」
「またね!」
上を向いて一気に冥界を目指した。
私はどちらかというと自分の技術や腕前をひけらかすのは好みではないのだが、あのオミエに褒められて悪い気はしなかった。
さらに言うと、私は今まで他人に褒められた覚えが少ない。
どんな些細なことであろうと褒めてくれたことに関してすごく嬉しく思った。
私の周りに居る方々、幽々子様や紫様などの面々を考えれば私など泥まみれの石ころみたいなものだ。
それに比べてあの方々は綺麗に磨かれた宝石みたいなもの。加えて私は未熟故、修行中の身。お師匠様の足元にも及ばない。
白玉楼。
死後の世界であれど、夕陽は届く。だが今は暗闇に支配されていた。
出来るだけ飛ばして帰ってきたつもりなのだが、遅くなってしまったらしい。
使いの霊によると幽々子様はすでに夕餉を頂いていて、今は自室で本を読んでいらっしゃるとのこと。
私はおまんじゅうを持ったまま服についているであろう埃を払い、幽々子様のお部屋の前で挨拶をした。
「幽々子様、妖夢です。ただいま戻りました」
お断りしてから部屋の襖を開ける。幽々子様の表情は穏やかであった。
「遅かったわね。どうしてたの?」
「いやまあ、その」
「誰かと遊んでいたの?」
「例の和菓子屋の娘さんと」
「ああ、そう。で、おまんじゅうは買って来たの?」
「こちらに。四つくださいと言って六つ頂きました」
「いつも二つおまけしてくれるなんて、太っ腹ねえ。そんなことしてお店潰れないのかしら」
「あくまでも副業でしていると聞きましたよ」
「それならまあ、大丈夫なのかしら。こっちは美味しいお饅頭を食べられればそれで良いのだけれど」
「では私は湯浴みと夕餉を済ましてきますので」
「私はもうちょっと本を読んでから布団に入るわ。いつも通り戸締りよろしくね」
「はい、失礼します」
幽々子様の部屋を出て、自分の部屋へ。良かった、幽々子様に怒られるようなことは無かった。
部屋に刀を置き、着替えと手拭いを持って風呂場へ。
そして汗を流し終えれば使いの霊に言って私の分の夕餉をもらった。
普段は当然幽々子様と食べるのだが、私が遅くなった場合はこうして別々で食べるしかない。
部屋の障子を開けて見える月は満月だった。まんまるお月様。
明日は朝早くからお仕事。今日休んだ分しっかり動かないと。
体を流してお腹を膨らませたら口の中を洗い、深夜の見回り。
これは毎日していること。滅多なことでは怪しい者など見ないが、稀に紫様が居たりする。
別に不利益となるようなことをされるわけでもない。ただ驚かされたりするだけ。
幸いなことに今日は何も無かった。戸締りもきちんとされている。
幽々子様の部屋にはまだ明かりがついていた。
「幽々子様、妖夢です」
「ああ、もう見回り終わったの? 私はもうちょっと遅くなるから」
「それでは、おやすみなさいませ」
幽々子様は読書で忙しいご様子。とはいえ私も今読んでいる本があったりする。例の時代劇小説だ。
少しだけ。二、三十ページだけにしておけば明日には響かない。
いっそ明日にしようかなとも思う。それぐらいくたくたに疲れているのだ。
咲夜と弾幕ごっこして、あの少女と追いかけっこもしたし。
やっぱり今日はすぐ布団に入ることにしよう。寝る前に刀の手入れをし、布団に潜り込んだ。
目を瞑れば意識はあっという間に沈んだ。
※ ※ ※
また一週間が経つ。
目が覚めたら寝る前にしていた、白玉楼の見回り。それから主の幽々子様を起こしにいく。
今朝も変わったことはなかった。起こしに行ったときにはもう幽々子様はお目覚めであった。
朝の間に最低限の庭仕事だけ片付け、ちょっと稽古をすればもうお昼の時間。
お腹が膨らめば幽々子様からお小遣いを頂き、里の和菓子屋を目指す。
ベストの内ポケットに風呂敷が入っているのを確認してから白玉楼を飛びだった。
顕界と冥界とを隔てる結界を飛び越えて賑やかな人里へ。
獲ってきたであろう川魚を売っている魚屋と酒蔵を通り過ぎ、お目当ての松嶋屋へ。
今日は真っ直ぐここに来た。あの少女とお喋りするために。
お店に着いてみると短い列が出来ていた。ここまで流行るようになるとは。
でもお店自体が狭いから、列が出来るのは仕方のないことなのかもしれない。
とりあえず列に並んでみたが、私の番はすぐに来た。皆買うものが決まっているからか。
お店の中にはオミエの姿があり、両親と一緒に元気よく挨拶していた。
「あ! ヨウムちゃん!」
「ええ。こんにちは」
「こんにちは。また来てくれたんだね」
オミエは私を見るなり私の手を握って外に連れ出そうとしていた。
先におまんじゅうを買ってからねと言って六つ注文し、八つ頂く。おまけも恒例だった。
「早く行こうよー!」
「はい、はい」
オミエが例の原っぱに行こうとしているのがわかる。お店の主人と奥さんは笑ってそのやり取りをみていた。
「行ってらっしゃいね」
「はい」
二人に別れを告げ、遊びに行こうとするオミエに目配せ。
おまんじゅうをしっかりと持ってから、走り出した彼女について行った。
だが前と道が違う。民家を抜けたところまでは一緒なのだが、橋は渡らずに川の上流の方へ走っている。
上流へ行くということは山を登っていくということ。つまり彼女が行こうとしているのは妖怪の山方向だった。
途中札の貼られた柵にぶつかるのだが、オミエはそれを飛び越えてしまった。
「この先は山に入ることになるわよ」
「いいから、いいから」
ついて行った先では草が生い茂っていた。周りに生えている木や草が高く、背の低い私では遠くが見えない状態。
とにかく彼女が行く後をついて行く。よく見れば獣道みたいに草が倒れている部分があった。
彼女はそこを歩いている模様。そうとわかればはぐれることはないだろう。
そして着いたのは半壊した小屋のある、また別の原っぱだった。
小屋はおそらく昔の猟師でも使っていたのだろう。オミエはその中に入って廃材に腰掛けていた。
「すごいでしょ、ヨウムちゃん。ここは誰にも知られていない、秘密の場所なの」
「こんなところ危ないわ、今すぐにでも山を降りて里へ行くべきよ」
「大丈夫だって。ここで遊んでて妖怪が出たことなんて一度も無かったもん」
周りをよく観察してみれば妖精一匹居ない。人間以外が近づかない謂われでもあるのだろうか。
どちらにせよ長居は絶対に危険だと思う。妖精すら沸かないなんて、逆に何かある。
「ここなら誰も近づかないだろうから、二人っきりで内緒な話出来るよ」
「え?」
「この前私の話したでしょ? だから今日はヨウムちゃんのこと一杯聞かせてもらうんだから」
たったそれだけのためにこんな危なそうなところまで引っ張ってきたとは。
そもそも私の話なんて、そんな大したものでもないというのに。
「ヨウムちゃんってお侍さんなんでしょ? きっとすごい名家なんだよね?」
「……」
家柄で思い出した。幽々子様のことだ。
あの方は昔有名だったとか紫様から聞いたことがあるような、ないような。
私の話をする上で幽々子様のことはとても重要だが、彼女には秘密にしておいた方が良いのかもしれない。
幽々子様は今や霊を操り、その気になれば念じるだけで人の命を奪えるほどのお方。
そんな方のことまで話すのは止めておいた方が良いだろう。
オミエの心遣いに少しだけ感謝した。
幽々子様の話はしないことには代わりないが、周りに人が居ないのならそれに越したことはない。
「そ、そうよ」
「やっぱり! その浮いてる奴も何かあるんだよね?」
「え、ええ。これは……お守りみたいなものよ」
「え? そうなの?」
「そう! お守りよお守り! だから大したことは出来ないの」
「ぶー! もっとスゴイこと出来るんだと思ってたのにー!」
半霊のことも隠しておいた方が良いだろう。幽霊だと気付かれたときは正直に答えるしかないだろうが。
「それにしても、お守りにしてはなんだか幽霊みたいな形だね」
もうバレてしまった。私が隠し事なんてするものじゃなかったか。
「あなたの両親に黙ってくれる?」
「あたしとヨウムちゃんの仲でしょ! 誰にも言わないから!」
「私はね、人間じゃないの」
「え?」
「半人半霊って言ってね、この幽霊みたいなのは私の幽霊なのよ」
「え? え?」
「感覚はあんまり無いけどね、私の意思で動かすことも出来るの」
そう言って半霊をぐるぐる回してやると、オミエはぽかーんと口を開けて動かなくなった。
「それとね、私の家はここ人里にはないの。もっと正確に言うとこの世じゃないの」
「……」
「いつも私は空をずっと登った先へ行っているのよ。私が帰るとき、どこへ行っているかいつも見ていたとは思うけど」
オミエは私の言っていることがわかっているのか、わからないのか。
だがオミエだって幻想郷の住民だ。どこぞのメイド長やら魔法使いみたいに特殊な職業に就いていなくとも、不可思議なことに対する理解は少しばかりあるはずである。
「まさかヨウムちゃんは、化物だなんて言わないよね!?」
「ある意味では化物かもしれないわね。厳密には人間ではないし」
「で、でも……あたしそれでもヨウムちゃんとなら一緒に居られる!」
「無理しなくてもいいのよ」
「無理なんかしてない!」
彼女は私の目を真っ直ぐ見てそう言ってくれた。オミエが理解してくれる子で良かった、と本気で感謝した。
背中の得物を抜き、白く輝く刀の刀身を見せてみる。彼女は一瞬驚いたようだが、恐る恐るこちらに近寄ってきた。
「すごい、綺麗」
「触らないようにね。切れ味はあるんだから」
「これで何を斬ってるの?」
「……悪い妖怪とか、木とか葉っぱをね」
「え? 葉っぱ?」
「こう見えても本業は庭仕事なのよ。だから剪定するのにこう、刀でズバっとね」
「すごい! 何かそれ格好良いなー!」
「そ、そうかな」
「うん!」
商売道具を見せびらかすのはこれぐらいにした。
試しに何か斬ってみて欲しいとしきりにお願いされたが、みだりに見せることは出来ないと断った。
そりゃあ剪定に使ったりするから、本物の武士からすれば私は邪道かもしれない。
それでも剣術の腕をそう簡単に見せることは出来ない。お師匠様にそう教えられたからだ。
刀を抜けるのは何かしらの理由があるときのみである。
「つまりヨウムちゃんは幽霊のくっついた、庭師さんでお侍さん?」
「そうね」
「何だかややこしいなあ……」
「まあ、単に庭師だって思ってくれればそれで良いの」
「ふーん。ところで庭師ってことはさ、誰かお偉いさんの屋敷で仕事してるの?」
「そうそう、白玉楼っていう」
「え?」
「あ」
「どうしたの?」
「いや」
しまった! 屋敷のことまで話すつもりなんてなかったのに!
オミエは目を輝かせて私の目の奥を覗き込んでいる。
つくづく私は嘘をついたり、人に隠し事をするのが下手だなと自分に腹が立ってきた。だが言ってしまったことはもう仕方ない。
どうせこの世の住民ではないと言ってしまったんだし、白玉楼のことも言ってしまっていいだろう。
「こほん。私の家はこの世にはないって言ったけど、つまりわかるわよね? あの世にあるの」
「あの世? え? それって先生が言ってた死後の世界ってこと!?」
「ええ、そうよ」
「嘘……本当にあるんだ、そういうの」
彼女は驚きながらも、私の足元を見ていた。死んでいるのは半分だけだと説明したのだが。
「半分は生きているから。まあ、特別行き来出来るのよ」
特別、と今話のノリで言ったが別に誰だって入ろうと思えば入れる。現に巫女や魔法使いが遊びに来たりするし。
かといってそういうとこまで話すのは面倒だし、この際そういうことにしておけばいい。
隠し事をすることの大変さを今、実感していた。
「死後の世界のお屋敷かぁ。何か素敵かも」
「そう?」
「そのお屋敷って、どんな偉い人が居るの? すごく格好良い人がいるとか? あ、それともヨウムちゃんより強いお侍さんが居るとか!?」
次から次へと遠慮なしに訊いてくれるものだ。でもオミエになら全て話しても大丈夫そうに感じてしまうのが、不思議でならなかった。
とはいえさすがに幽々子様の名前だけは何があっても喋らないことにしよう。
「お侍さんじゃないわね。どちらかといえば……歌人かしらね」
「歌?」
「歌と言っても俳句とか、そういうのね。すごく綺麗で、頭の良い人よ」
「その人は何ていうの?」
「……悪いけど、私の主人のことはこれ以上言えないの」
「どうして? 何か悪いことをした人だったりするの?」
「そうじゃないけど、あの方のことだけは言えない。オミエのことを信じていないわけじゃないけど、ごめん」
「い、良いよ! 色々話してくれて、こっちこそありがとう」
オミエはそう言って満面の笑顔で私の手を握った。ここまでの私の話でも十分満足してもらえたらしい。
そういえば他人に自分の話をアレコレ聞いてもらったのは久しい気がした。
オミエには明かさなかったが、私は見た目どおりの年齢ではない。半死人故、寿命が長いからだ。
だがそこまで話すべきではないと思った。もっと年上だが、そう言って畏まられたりするのも面倒である。
相手にそう疑われたらそうだと言っても良いが、たぶんそこまで考えないだろう。
とはいえ、仮に気付かれたところで特に問題はないと思う。
私は普通の人間とは違う生まれで、変わった人生を歩んできたと理解はしているつもりである。
そんな私の話をおもしろがって聞いてくれたのだ、私を嫌ったりはしてくれないだろう。
辺りがぼんやりと暗くなってきた。そろそろ山に潜む妖怪達が活動し始める時間。
そろそろオミエを里へ返さないと危険だろう。
「オミエ、早めに帰った方がいいわ」
「えー、もっとヨウムちゃんとお喋りしたいのになー」
「妖怪が私達に気がつくかもしれない。今の内に里に戻るのよ」
「……どうしても?」
「どうしてもよ」
「いざとなったらヨウムちゃんが妖怪なんて退治してくれるでしょ?」
「そりゃあ出来るけど、オミエを守りきる自信なんてないわ」
「……」
「仕方ないわね」
私はオミエにくっつき、抱きしめた。落ちないよう、私の体にしっかりつかまってと私の腰に手を回させる。
「飛ぶわよ。速度は出さないけど、落ちない様にね」
「え? え!?」
どうしても動こうとしないのなら、無理やり連れて行くしかない。
飛び上がった後、微かに妖怪の気配が動いた気がした。
やはり何者かが私達に気付き、観察していたらしい。
「すごーい! 空を飛ぶってこういう風になるのかー!」
「暴れないようにね。落ちたら洒落にならないんだから。それと二度とここには近づかないこと。いいわね?」
「えー」
「二人っきりで話ししたいって言うのなら……あなたの家の畑とかどうなのよ。お店やってる時間なら両親はまず来ないでしょうし」
「確かに来ないけど」
「じゃあそうしましょう。絶対危ないところで遊んじゃ駄目よ」
「むー。お母さんみたいなこと言うんだね」
「当たり前のことを言っているだけよ」
夕焼けに包まれた里を目指してゆっくり空を飛んでいく。
私に注意されて黙ってしまったオミエだが、飛んでいることに喜んでいてすぐに機嫌を良くした。
とりあえずいつもの原っぱの上空まで移動した。時間が遅いせいか、そこで遊んでいる子供は居ない。
そこへゆっくり着地し、オミエを降ろした。もう一回飛びたいとせがまれたが今日はもう帰るのよ、と制した。
「私も帰らないといけないから」
「上様に叱られるから?」
「上様とはまた違うんけど……まあ似たようなものかな」
おまんじゅうがあることを確認してから地面を蹴る。
「オミエ、空飛んだことは私とあなただけの秘密よ」
「え? うん、わかった」
オミエに手を振り、天高くを目指した。
オミエも遊ぶ相手が居なくなれば帰るしかないだろう。
遅くなると幽々子様に何か言われそうな気がするから、私も早く帰りたかったのだ。
白玉楼の門を潜った頃には先週と同じく、暗くなってからだった。
春が近づいているとはいえ、やはり夜の空を飛ぶのは寒い。
まだまだ半袖のブラウスに切り替えられそうも無いな。
二の腕を擦りながら軋む廊下を歩いて幽々子様の部屋へ。
「幽々子様、妖夢です。ただいま戻りました」
返事は無かった。もう一度声をかけるがやはり反応はない。
失礼して襖を開けさせて頂くと、火は付いているのに幽々子様のお姿がなかった。
「妖夢、帰ってたの?」
「あ、はい」
背後から声がした。どうやら幽々子様はご入浴なさっていたそうだ。
お食事はこれからとのこと。先週よりは早く帰ることが出来たらしい。
私がお風呂から出た頃には幽々子様は夕餉をご馳走様していたようで、自室で本を読まれていた。
和菓子屋へ行くとオミエと遊んで帰ることが多いので、どうしても暇を頂いた日は幽々子様と話す機会がない。
まあ明日のお昼休みにでもオミエと何をした、とかいう話をおまんじゅうでも頂きながらすれば良いか。
私の夕餉が済めば寝る前まで買った本を読み、刀の手入れをしてから就寝。
私が次里へ降りられるのはまた来週になると思うのだが、オミエが一人であの山に入ったりしないだろうか。
おそらく両親から山は危険だと教えられているだろうし、寺子屋でもきつく注意はされていると思う。
そのうち私みたいになりたい、等と言い出さないかと心配になってきた。
とはいえあの世に来たい、なんてさすがに言いだすはずはないだろう。オミエもそこまでバカではないはず。
どうせこの仕事は私にしか勤まらない、と自負はしている。
自分は未熟者だとわかってはいるが、幽々子様をお守りできるのは私だけだという想いはある。
そのために生まれたときからお師匠様の下で剣を握っていたのだから。
お師匠様のことを考えると、幼い頃稽古をつけてもらったことを思い出してきた。
毎日叱られてばかりだったか。今でも幽々子様にたしなめられたりするが。
でも私はそれで良いと思っている。一人前は永遠に目指し続けるもの。
なってしまったら、私はそこで努力を止めてしまいそうで怖いのだ。
来週はオミエと何をして遊ぼうか。まさか空を飛ぶ術を教えてくれ、なんて言われたりしないだろうな。
※ ※ ※
「ヨウムちゃんって、弾幕ごっこっていうの? 出来たりするの?」
「ええ、出来るわよ。一昨日していたし」
「へー! 出来るんだー! 私にも教えてよ!」
「でもあれはね、普通の人には出来ないのよ」
「え? 巫女さんとか魔法使いとか……ああ、そっか」
「飛べないと困るわよ。それに危険だし、弾幕ごっこは諦めなさい」
「一度で良いからやってみたいと思ってたのになあ」
先週と同じく、昼食を済ませたら真っ直ぐ和菓子屋へ行った。
そしておまんじゅうを買っておまけしてもらい、オミエについて行った。
今日は山の方へ行かず、畑の方へ連れて行かれた。私が言ったことを守ってくれらしい。
畑の周りには数件の家が見えた。どれかがオミエの家なのだろうか。
「じゃあ空飛ぶところから教えてよ!」
「無理ね」
「えー! 即答はいくらなんでも……」
「無理、無理。何の素質もないのに」
「でも、どこかのメイドさんは普通の人間なのに空飛んでるって先生に教えてもらったよ?」
「……あれはメイドっていう種族だから出来るのよ」
「え?」
「だから彼女は人間じゃないの」
「ふーん、じゃあやっぱり普通の人間は飛べないのかあ」
咲夜には申し訳ないが、そういうことにしておいた。正直私も彼女がどうして空を飛べるのかわからないからだ。
今日はずっとこんな調子である。私が弾幕ごっこをしていると知って興味を持ったせいだろう。
確かに弾幕ごっこは楽しいし運動になるが、当然危ない面もある。事故だって起きないわけではない。
妖怪に襲われたときに使えるかも、という理由もあるらしいがそれでも私は断った。
妖怪退治なんて専門の者に任せれば良い。里にそういう者は居るだろうし、それを生業にしている者は少なくないと聞く。
まさか、彼女は空を飛べるようになって私の所へ行きたい等と考えているのではないだろうな。
いや、想像するのは止めておこう。
弾幕ごっこが出来ないのなら、と彼女が普段している遊びにつきおうと提案してみた。
すると彼女は嬉しそうな顔をして私を川原へ連れてきて、川で遊ぼうと誘ってきた。
「ほらヨウムちゃん、こっちこっち」
「ええ」
そこそこ大きな川に到着。昼間は暖かいので、川で遊ぶのは良いかもしれない。川の水は冷たかった。
他に遊んでいる者は居ない。下流の方に離れた所で傘を被った男性が糸を垂らしていた。
刀とおまんじゅうの入った風呂敷を下ろして川の中へ。
オミエは川の虫を捕まえるのが上手かった。跳ねる虫を取っては川に投げ捨てている。
まだまだ寒い時期だからか、虫は少ししか居ないようだがオミエは数少ない虫を次々と捕まえている。
川の石をひっくり返せば色々な虫が潜んでいるのがわかるのだが、虫は危険を感じ取って他の石の影に逃げようとする。
オミエはその瞬間に虫を掴んでいるのだ。私も真似してみようとしてみたが、上手くはいかなかった。
弾幕ごっこや普段の剣の鍛錬があるから何とかなると思っていたのに、中々どうして上手くはいかない。
そもそも要領が違うのかもしれない。必死になって虫を掴もうとしても、水の中の石に指をぶつけるだけ。
余りにも掴めないのでイライラしていると、川底のぬかるみで足を滑らせた。
倒れそうになる私をオミエが掴んでくれたが、それでも止まらずに私は川へ勢いよく浸かる羽目になってしまった。
オミエまで一緒に倒れたものだから、二人ともびしょ濡れ。
釣りをしていた男性から「大丈夫か?」と声をかけられた。「大丈夫!」と返し、とにかく川から上がるしかなかった。
おまけに気付いたときには、陽が沈みかかっているではないか。
オミエが家に来てお風呂に入っていけ、と言ってくれているがもう帰らないといけない。
「そのままだと風邪引いちゃうよ! うちへ来たら良いのに!」
「そう言ってくれるのは本当にありがたいんだけど、もう帰らないと」
「ぶー」
「まあそう言わずに。また来週店へ行くから」
白楼剣を腰に差し、楼観剣と風呂敷を背負って飛び上がる。私の下には水が滴り落ちていた。
「風邪引かないようにねー!」
「ええ、じゃあねオミエ!」
冬の気配は消えつつある。先週より寒くないのだが、水に濡れた状態で風を受けるのでとても寒く感じる。
白玉楼に着いたときには体を擦ってやらないと寒いぐらいだった。
幽々子様に戻りました、と挨拶しに行こうにも濡れたままでは失礼だと思う。
かといって主人より先にお風呂に入るなんて出来ない。
玄関で困っていると、幽々子様から声をかけてくださった。私が帰ってきたのを察知してくださったらしい。
「あ、幽々子様。ただいま戻りました」
「今日は良いお天気だったわね」
「いえその、雨が降っていたとかではなくてですね……川に転んでしまいまして」
「あら、いいわね。川に寝転がって月を眺めるのなんか」
「お風呂にはもう入られましたか?」
「ええ、入ったわよ。服濡れたままで良いから、早く入ってしまいなさい」
「そ、そうさせて頂きます……ぶるぶるぶる」
湯船に浸かっても体は温まらない。体の震えが止まらない。たぶん、風邪を引いたのだろう。
お風呂から上がると体がだるく、ご飯を食う元気が出なかった。
それでもおまんじゅうを食べる元気は出た。今日はこれで食欲を誤魔化そうか。
使いの霊に私の食事を下げてもらい、買い置きの風邪薬を頼んだ。薬を届けてくれたのは霊ではなく、幽々子様だった。
「顔色が悪いわ」
「そんな、幽々子様のお手を煩わせるなど」
「いいから、いいから」
臭くて苦い粉の薬を水で流し込む。余りの苦さに吐き気を催した。
「夜更かししちゃ駄目よ。明日は一日寝てていいからね」
「すみません。暇を頂いた挙句、寝込んでしまって……」
「良いから、良いから。ところで川に入ったって、どういうこと?」
「ああ、それはその、前にお話ししたオミエという子と遊んでいたときに」
「川で遊んでいたの?」
「はい。オミエは川の虫を取るのが上手でした」
「あなたは?」
「一匹も取れませんでした」
「あなたらしくて良いわね」
幽々子様は笑っておられた。こっちは必死にやっても出来なかったというのに。
私が寝る用の布団を、幽々子様が敷き始める。幽々子様のお手を煩わせるわけには、と言うと病人なんだからと輸された。
幽々子様のご好意に甘えて布団に寝転がると、幽々子様が私の頭に手を置かれた。
そういえば私が病気で休んでいるとよく幽々子様が私の頭を撫でてくださったっけ。
優しい手。暖かい手。元気のくれる手。今この瞬間は幽々子様が母親に思えた。
「今日、魔理沙が来ていたのよ」
「遊びにですか?」
「そ。喋ったり、弾幕遊びしたり、お茶飲んだり色々したら満足したのか帰ったけど」
「そういえば最近魔理沙と弾幕ごっこしてなかったな……」
「魔理沙との弾幕遊びはそこそこ良かったわよ。ぎりぎりで勝つとすごく悔しそうにして、ぎりぎりで負けるとすごく嬉しそうにするの」
「……」
「とりあえず、妖夢は早く風邪を治しなさい」
私の部屋から出て行った幽々子様が部屋の襖を閉めた。
寝る前の刀の手入れをしていなかったな、と思い出して布団から這い出る。
今度オミエと会ったときには何をして遊んでやろうか。
また彼女を抱っこして、空を飛んでみようか。きっと喜んでくれる。
刀の手入れは終わった。今日はもう寝よう。
この前買った本は昨日読み終わったし、夜更かしする理由はない。
※ ※ ※
私の風邪は三日続いた。正確に言うと二日なのだが、丸一日余裕を持って休みなさいと幽々子様のお心遣いがあったお陰である。
だが三日目には布団から出て部屋で刀の柄を握ったり、手入れをしたりしていた。
体を動かしたくてウズウズしていたのである。
そうする度幽々子様が私の部屋にやって来られて「安静になさい」と注意されるのであった。
そして次の水曜日がやってきた。風邪は完治している。
いつものように昼食をかきこむと急ぎ気味で白玉楼を飛び出した。
二本の刀と死んでる私と、風呂敷を確認して顕界へ降り立つ。
今日は薄暗かった。太陽が雲で隠れているせいだ。雨が降らなければありがたないのだが。
松嶋屋へ着いたときには、店にお客さんは居なかった。
女性の声の挨拶しか聞こえないのは、主人が居ないせいか。今は奥さんだけでやっているらしい。
訊いたところによると、今日は畑仕事が忙しいので店は片手間でやっているそうだ。
奥さんがお茶でも飲んでいかないかと誘ってくれたが、オミエが私の手を引っ張るので遠慮した。
今日は里からちょっと離れて、紅魔館近くの草原へ。
「ヨウムちゃんってお偉いさんに仕えてるんだっけ?」
「ええ、そうよ。それがどうかした?」
「じゃ、今日一日あたしもお偉いさん!」
「え?」
「今日一日あたしが屋敷のお嬢様とかだと思って、遊んでみない?」
「それって、どういう……」
「さあヨウム、あたしのことはオミエお嬢様と呼ぶのよ!」
なるほど、ようはおままごとがしたいということか。
「ああ、なるほどね。まあ良いわよ、オミエお嬢様」
「あー、なんか良い。ヨウムちゃんもう一回お願い!」
「お嬢様のとこ?」
「うん!」
「オミエお嬢様」
「あー! なんかすごく良い! それにヨウムちゃんが言うとすごくそれっぽく聞こえる」
それっぽい、か。事実幽々子様、西行寺お嬢様の従者みたいなものな私だから、自然とそういう空気を醸し出しているのかもしれない。
「ほらヨウム、あたしは空が飛びたくなったわ!」
「え?」
「前みたいに抱っこして飛びなさい!」
「うーん、まあ良いけど」
「違う違う」
「ああ。かしこまりました、オミエお嬢様」
「そうそう、そんな感じでね」
駄々をこねるオミエのために彼女を空へ案内することに。抱きしめ、私の体に手を回してもらって地面を蹴った。
ゆっくり、かつ低高度で待機。万が一のことを考えて高いところまで飛ばないようにする。
現にオミエがはしゃいで暴れようとするので、落さないよう抱きしめていないと危ない。
「やっぱりすごいなー! ねえヨウムちゃん、あのお屋敷もっと近くで見たい!」
「駄目よ。門番とか警備の者が飛んできて厄介だから」
「ぶー!」
「オミエお嬢様、お嬢様ともあろうお方がみっともないですよ」
「……」
あの紅魔館の門番、美鈴になら絶対に勝てるという自信があるが、咲夜が飛んでくるとなると勝率は五分五分といったところになる。
それにオミエを抱えたまま行くなんて危険だ。仮にも美鈴は妖怪だから、何が起こるかわからない。
「ここで我慢しておきなさい。この状態で誰かに教われたりしたら、オミエを守りきる自信がないの」
「お嬢様!」
「……オミエお嬢様、紅魔館には妖怪や悪魔が潜んでいるので危険です。他所へ行きましょう」
「そこまで言うなら、仕方ないなあ」
オミエの声には緊張感がなかった。妖怪だと聞けば大人でも驚き、怖がる者が居るぐらいだというのに。
確かに美鈴は門番だからか、外へ出歩いて人間を襲うようなことを滅多にしないがそれでも子供のオミエには十二分に脅威である。
このまま里の方へ連れて行こうと思ったとき、高速で移動している者が近づいてきている気配を感じ取った。
降りてオミエをどこかに隠すべきか? それともこのまま人里へ逃げるか?
轟音と共に近づいてきたのは鴉天狗にして新聞記者の射命丸文だった。
「あやや!」
私とオミエが一緒にいるのを見た文はここぞとばかりにシャッターを降ろしている。
「どうしたんでしょう、冥界の庭師さんが誘拐ですか」
「誘拐とは人聞きが悪い。一緒に遊んでるだけよ」
「すごーい! ヨウムちゃん天狗と知り合いなのー?」
「まあ、一応ね」
「どうせなら本当に誘拐して頂けませんか? そうじゃないとおもしろい記事にならないんで」
「悪いけど、今取り込み中なの」
オミエにそんなこと出来るはずがない。この子は私の友達だ。大切な友達なんだから。
一旦地面に降りてオミエを放した。また後で飛んであげるから、と約束してから刀に手を伸ばす。
「あなたを嫌ってるわけじゃないけど、今は友達と遊んでる最中だから空気を読んで帰って欲しいの」
「まあまあ、そう言わずにどうですか」
文は私の話を一向に聞いてくれなかった。となれば、実力行使で追い払うしかない。
本当のところを言えばオミエの前で格好つけてみたいな、と思った。
文がカメラのシャッターを降ろそうと指に力を入れたのが見える。
地面を蹴り、彼女の視界外へ逃げてから居合い抜きで文に打ち込んだ。
結果、刀は空を斬って終わった。文は遠くの空へ消えて行く。
返しの太刀筋を向けた頃には完全に見えなくなっていた。
呼吸を整えてから刀を納め、下に降りるとオミエは目を輝かせていた。
「すごーい! ヨウムちゃん本当に刀振れるんだね!」
「……」
オミエは私の剣さばきを見て興奮しているようだが、文に避けられたので褒められても嬉しくなかった。
むしろ恥ずかしいので、別の話題に切り替えたいと思うぐらいである。
だがオミエの興奮はそう簡単に冷めず、その後抱きしめて里の松嶋屋まで空を飛んでやったのにその話で持ちきりだった。
お嬢様ごっこのことなど忘れてもう一回刀を抜いて欲しいとか、試しに何か斬ってくれだの。
和菓子屋へ着いた頃には時間も遅くなっていたのでオミエとは別れた。
また来週どこか連れて行ってねとお願いされ、私は快く引き受ける。
まさか家の中で両親に今日の話をしてはいないだろうな。
出来れば空振りに終わったところだけ伏せて欲しいものだ。未熟であることは十分理解しているから。
今日もクタクタに疲れて帰ってきた。幽々子様は紫様の所へ遊びに行かれているとのこと。
一人で浴場へ行き、お風呂を焚いて天井を眺めてみる。
ふと、彼女の所へ遊びに行くのを楽しみにしている自分に気がついた。
霊夢や魔理沙、咲夜みたいな異変や弾幕ごっこで知り合った友達はいるが、何の接点も無さそうな子と居ることがおかしく思えた。
博麗神社へお邪魔したとき教えてもらったおまんじゅうがきっかけだったか。
霊夢にはある意味感謝すべきなのだろうか。ありがとう、と言いに行ったところで向こうは反応に困るだけだろうな。
この付き合いはどれぐらい続くのだろうか。
そのうち幽々子様がおまんじゅうの味に飽きられたりして、買いにいかなくて良いなんて仰ったりしないだろうか。
例えば、暇をもらえなくなりだして里に行く時間のないまま時間が過ぎていく。
オミエはその間にもどんどん大きくなっていって、久しぶりに会ったときにはもう向こうは大人になっていたりして。
成長の遅い私は今の幼児のまま。久しぶりに会ってみたら向こうは結婚していて、子供も居て。
オミエが昔みたいに走り回ろうとするんだけど体力が落ちていて、私に追いつけないぐらい足が遅くなっていたり。
私がオミエを抱きしめようとすると、逆に抱きしめられる側になって。
いざ飛んでみたらオミエの旦那さんが心配そうに見ているので、すぐに降ろしてしまうことになって。
じゃあまたね、と別れを言った後振り向けば旦那さん、子供と手を繋いで「夕食何にしようか」みたいな話をしていて。
もっと時間が過ぎていけばオミエはおばあさんになる。その頃には私の体はちょっとぐらい大きくなっているだろうか。
向こうは六十歳を越えていて顔には皺が入る様になっている。
そして私が里に行こうと思いながら日々を忙しそうに過ごしていたら、オミエは死んでしまったりする。
私はオミエのことを忘れてしまい、人間以外の知り合いとばかり絡むようになったり。
松嶋屋の看板、店すら無くなったりするのだろうか。もしそうなって、私はオミエのことを覚えていられるのだろうか。
※ ※ ※
人里である事件が起きたらしい。里で通りかかった慧音に教えてもらった。
子供の遊び場としてよく使われている、原っぱにある札を貼った柵が何者かによって破壊された。
里中に緊張感が漂っているのがわかった。里のそこら中を武装した妖怪退治屋が警戒している。
原っぱというと、最初にオミエと遊びに行った場所のことだ。確かにあそこは何かしらの結界を施していた。
その結界を破れるような人間以外が暴れたとしか考えられることは無い、と慧音は言った。
それから原っぱ自体を柵で囲って中へ入れないようにしたとか。子供が遊ばないように、ということだろう。
ただ子供にとって遊び場が亡くなるのは辛いらしく、柵を越えて原っぱで遊ぼうとする子供が後を絶たないとか。
その中にはオミエも含まれているらしかった。あいつと友達だというのならそっちからも注意してくれないか、と慧音に頼まれるほど。
言われなくともそのつもりだ。オミエは妖怪の怖さを知らない。彼女は妖怪を舐めている。
柵には近日中に再び結界が施されることにはなっているらしい。より強力な奴を。
いっそのこと私が出向いて近くに妖怪が居ないか見てきても良いかもしれない。
でも私は冥界の住民だし、私が最終的に守るべき者は幽々子様一人である。
こう言うと薄情者に聞こえるかもしれないが、オミエや慧音、知人が無事ならそれで良い。
どうせそのうち専門職の霊夢が片付けてくれる。私が手を下す必要はたぶん無い。
里を大事にしている慧音も、さすがに私を頼ったりはしなかった。
「私も見回りしても?」
「いや、そこまでしてくれなくても良い」
試しに私の方から警備をした方が良いのか、と仄めかしてみたら丁寧に断られた。
「まあ、そう言ってくれるのは嬉しい。茶でも飲んでいくか?」
「いえ、オミエの所に行ってくるわ」
「そうか。これ以上の騒ぎにはならないと思うんだが、気をつけろよ」
松嶋屋は閉まっていた。玄関に「閉店中」の札が貼られている。
店の中にも人は居ないのだろうか。試しに声をかけていると、店の横から私を呼ぶ声がした。
「ヨウムちゃん!」
「オミエ!」
彼女に誘われて店の影へ。里では今外を出歩いてはいけない、ぐらいになっているらしかった。
それなのになぜオミエがここに居るのか、というのは家を飛び出したからだと自信たっぷりに教えてくれた。
「駄目じゃない! オミエ、ついて行ってあげるから家に帰るのよ」
「やだ! 今日はヨウムちゃんが遊びに来る日なんだもん! ヨウムちゃんと一緒に遊ぶの!」
「先生に外に出たら駄目って言われたんじゃないの?」
「やだやだ! ヨウムちゃんと一緒に空飛びまわりたい!」
「駄目って言ってるでしょう! いつ妖怪が出てくるかわからないのに、外を出歩くなんて危険すぎる!」
「……ヨウムちゃんまでお母さんや先生みたいなこと言うんだ」
「あなたのことが心配だから言ってるの! じゃあこうしましょう。今日はオミエの家に遊びに行くっていうのは?」
「外が良い!」
「な、何で……お願いだからわかってよ、オミエ!」
「絶対に嫌! ヨウムちゃんとお外ではしゃぎ回って遊ぶの!」
あくまでも駄々をこねるつもりらしい。このままでは埒があかない。
力ずくで運ぶこともやろうと思えば出来るが、困ったことに私はオミエの家の場所を知らないのである。
慧音はどうだろう。もしかしたら知っているかもしれない。
捕まえて空を飛べばオミエも逃げられないはず。飛んで慧音の寺子屋まで行ってみるのだ。
そう思って両手を伸ばすとオミエは何をされるか察したのか、走って逃げて行った。
「ほらほら、こっちだよー!」
「オミエ! 待ちなさい、オミエ!」
いつも以上に本気で足を動かした。それなのに中々追いつけない。
白玉楼の広大な庭を駆け回って鍛えたこの足に追いつける者など、殆ど居ないはず。
それなのに目の前の少女に近づけないでいる。
オミエは民家の並ぶ、裏通りを駆け抜けて表通りへ入る。大声で「その子を止めて!」とすれ違う人らへ必死にお願いするしかなかった。
何人か捕まえようとしてくれた人が居たが、オミエはその人達の手を掻い潜ってとうとう里を抜けてしまった。
里を抜けた先は危険だ。妖怪退治屋達の目が届きにくくなって、いざというとき来てくれないかもしれない。
さらに最悪なことに、オミエは前に一度行ったことのある半壊した小屋のあるところへ入って行った。
オミエは小屋のところで止まって息を整えていた。叫んだりしながら走っていたので私は呼吸を落ち着かせるのに精一杯。
「妖怪なんか、怖くない」
「……何を突然。何の力もないあなたでは妖怪に立ち向かうことさえ出来ないのに。あなたは家で家族と一緒に居るべきなのよ。あのご両親が守ってくれるから」
「ヨウムちゃんが守ってくれるもん!」
「え?」
「妖怪が出てきたって、ヨウムちゃんがオミエお嬢様って私を守ってくれると思っているもん!」
「だけど、私はいつも傍に居てあげられるわけじゃない」
「ううん、絶対助けてくれる! あたし信じてる!」
彼女の真剣な眼差しに私は圧倒されていた。そこまでして私を信用してくれるのはとても嬉しい。
でも私が冥界に帰っている間、私はオミエのところに駆けつけて来れるわけじゃない。
最も優先すべきは幽々子様。大体私が白玉楼に居て、オミエが妖怪に襲われたりしてもところでわかるはずがない。
幽々子様とオミエのどちらを助けるか、と訊かれたら躊躇なく幽々子様を助けて欲しいと言う。
当然オミエも大切だが、一番ではない。だがオミエは私が一番だと言ってくれている。
自分に腹が立った。彼女に応えたい私とそうでない私が争っている。そんな自分に腹が立った。
「私、帰るわ」
「え?」
「なんだか気分が悪いの」
「ま、まだ明るいし。ヨウムちゃんが居なくなったらあたし怖いよ」
「だったら早く家に帰りましょうよ。送ってあげるから、さあ」
「……いい」
「え?」
「送ってくれなくてもいい。ヨウムちゃんが遊んでくれないのなら、あたし一人で遊ぶ!」
オミエが山の奥へ足を向けた。追いかけても相変わらず追いつけず、むしろ距離は離れていく一方。
確かにオミエの年齢を考えれば遊びたいのはわかる。でも時と場合というものがある。
少しぐらい怖がらせたほうが良い薬になるのではないか。そう思ったとき、私の足は動かなくなっていた。
暫く追いかけずにいたら戻ってきたりするんじゃないだろうか。
オミエの両親はオミエを心配して探し回っている頃だと思う。
もしかしたら慧音か里の警備の者がこの場所を見に来るかもしれない。
だから私が今このまま帰ってしまっても大丈夫なはずだ。オミエは里に帰る道だって知っているわけだろうし。
私はもうこのまま帰る気だった。大体彼女は駄々をこねるばっかりで人の話を聞こうとしてくれない。
妖怪が里へ侵入してくるかもしれないから危ないと言っているのに、外へ出歩いて遊ぼうなんて間違っている。
挙句、力ずくで家に送りつけようとすれば逃げ回る始末。
オミエのことなんてもう知らない。オミエとの付き合いはこれからどうなるのか、なんて考えていた自分がバカらしく思えた。
彼女が引き返してくる気配は全く感じない。しかし、もう彼女には付き合いきれない。
もう山の方は見なくなった。空を見て、白玉楼へ向かっているから。
白玉楼に戻ってみると、気分はもっと悪くなっていた。
友達としてやってはいけないことをした気がするのだ。
今すぐにでもあの小屋のある所へ戻り、オミエを探しに行きたくて仕方がなかった。
考えれば考えるほど自分に腹が立つ。あのとき死ぬ気で追いかければ良かった。
嫌な想像ばかりが浮かんでくる。誰にも見つけてもらえず、妖怪に襲われたりしていないだろうか。
取り返しのつかないことをした。彼女の安否を確かめに行きたい。
「やり残したことでもあるの?」
帰ってきたと幽々子様にご挨拶しに行くとそう仰られた。なんでもお見通し、ということか。
「私は良いのよ。行ってあげなさい」
「すみません、幽々子様……すぐに帰りますから!」
幽々子様に言われて気付いたおまんじゅうを置いていき、すぐに白玉楼を発った。
人里へ向かう途中、白玉楼へ遊びに行っている最中だという咲夜とその主人に会った。
急いでいるので会釈だけしていくつもりなのだが、吸血鬼の方に絡まれることとなった。
どうしようもないぐらい急いでいるとまくしたてると、向こうはわかってくれたらしく白玉楼へ行ってくれた。
とりあえずは人里に到着。外部の者の気配を感じ取ったのか、慧音が飛んで出てきた。
オミエと妖怪の山付近へ行った後、喧嘩して山へ入って行ったオミエを追わずに帰ったと説明すると、慧音はみるみるうちに顔を青くしていった。
「ば、馬鹿者! オミエの両親から娘が居ないと聞いて、ずっと探しているところなんだぞ! どうしてもっと早く言わなかったんだ!」
「それについては本当に悪いと思ってる。けど、今は急がないと!」
慧音はオミエの両親に事情を伝えに行った後、私の後を追ってくると言った。
半壊した小屋のある所は知っているらしく、そこから山へ入って行く道があることも知っているらしい。
おそらくオミエが入って行った道のことだろう。知っているのなら話は早い。
私は一刻も早くオミエを見つけに行こう。手遅れにならないことを祈って。
小屋のある場所に到着。空を見上げれば満月だった。
満月。つまり妖怪が最も活発に動いている夜。最悪の状況だ。
月の明かりが届かない、暗闇の道へ踏み入れた。妖かしの気配で満たされており、怖いぐらいだった。
でも相手はお化けじゃない。妖怪だ。手が震えているが、オミエはもっと恐怖を感じているに違いない。
私は刀を抜いて山の道を急いだ。オミエが足を滑らせて谷間に落ちたりしていないか、周りをよく見ながら。
どこへ行っても誰かに見られているような気がして、落ち着けなかった。
喉は渇き、足が動かなくなってきた。刀を握っている利き手も疲れてきている。それでも探すのを中断するわけにはいかない。
慧音の言った通り、あのあと慧音に言いに行けば良かった。いや、それ以前に私が追いかけてやれば良かった。
確かにオミエは私の言うことを聞いてくれなかったが、あそこで放ったらかしにすべきではなかった。
ただでさえ里が厳戒態勢だというのに、そんな状態で山へ入って行くオミエは死にに行くようなもの。
険しい山道を登っているだけでも苦しいのに、自責の念にかられてはもう殆ど動けなくなってしまった。
オミエの名前を呼んでも返事はない。遠くから獣の声は聞こえるが、少女の声など聞こえるはずもない。
「ヨウムちゃん……」
誰かが私を呼んでいる。慧音か? いや、彼女は私をちゃん付けでは呼ばない。
「ヨウムちゃん!」
亡霊か、はたまたお化けか。それとも私を知っている妖怪か? 油断はできない。
「ヨウムちゃんってば!」
左からはっきりと私を呼ぶオミエらしき声が聞こえたので振り向くと、物陰からオミエの顔がこちらを覗いていた。
「オミエ! 無事だったのね!」
彼女の近くには誰かが居た。どうやら厄神様らしい。そしてそこは厄神様の祠だった。
刀を一旦納め、厄神様に会釈してからその祠にお邪魔する。
オミエはとても嬉しそうな顔をしていた。怖かったか、と聞くと神様が居たからそうでもなかったそうだ。
厄神様に聞くと、山に入ってきたオミエを里へ送り返そうとしたらしい。
だがオミエは私の言うことを聞かずに飛び出したことで悩んでいて、戻るに戻れなかったとか。
それで今まで厄神様に匿ってもらっていた、ということだそうだ。
「あなたがお友達のヨウムって人ね」
「はい、そうです」
「ヨウムちゃん、ごめんね! あたし怖かったんだ! お腹空いたし、眠たいし……」
「こちらこそ、ごめん」
そのうち慧音がこっちに来るだろう。こっちから来た道を戻れば合流できるだろうし。
運良く神様が居る所にぶつかって、良かったと思う。そうでなければ今頃妖怪の胃の中、なんてのもありえたからだ。
とにかくこのまま連れて帰ろう。里に入るまでは安心も出来ない。
厄神様に頭を下げ、オミエと手を繋いで出口を目指すことにした。
空を飛んで行ったほうが安全だとは思うのだが、慧音と行き違いになるのを避けるためである。
と、出口が見えかかったところで山の上の方から何者かが唸っていることに気付いた。
咄嗟にオミエを抱え、出口を目指す。せめて広い所に出ておきたい。
その何者かが急接近してきたのを感じ、横に飛んでおく。だが間に合わなかったのか、私は吹き飛ばされていた。
強い衝撃。オミエの悲鳴。刀が軋む音。
オミエの名を叫びながら状況を把握しようとするのだが、突如背中に来た衝撃による痛みでどうにかなりそうだった。
死んでいる方の自分に起こされて気がつく。オミエは何者かに体を弄られていた。
今いる場所は例の小屋がある原っぱだった。
山の道とは違って月の明かりが届いている場所だから、その何者かの姿がわかった。
それは大きな獣だった。いや、ただの獣じゃない。妖怪だ。
人間の背丈より遥かに大きい狼が私に背を向けている。その狼の物陰から誰かの手が伸びていた。
「ヨウムちゃん……」
オミエの声だった。大きな狼の唸り声も聞こえた。その唸り声はさっき耳にしたものとよく似ていることに気付く。
そうか、目の前の狼が山を降りていく私とオミエを襲ったのか。
白楼剣を抜き取り、狼のお尻に狙いをつける。思い切り地面を蹴って勢いをつけ、刀身全部を埋め込んでいく勢いで刀を突き刺した。
狼は悶える。上半身を起こして苦しんでいる。血を流しているであろうオミエが見えた。
すぐさま駆け寄り、抱いて狼との距離を取った。オミエの手が力なくぶらんと垂れ下がっている。
噛み付かれたらしく、腹から血が出ていた。すぐ医者に見てもらわなければ危険だろう。
未だに苦しんでいる狼を余所に半壊した小屋に入り、オミエを廃材に寝転がせた。
「オミエ! しっかりして、オミエ!」
「ヨウムちゃん……痛いよう……」
泣き叫ぶような元気もない様子。なんてことだ、気がつくのが遅れていたら完全に食われていたところだった。
だが腑甲斐ない状況であることには変わりない。
スカートの裏地を千切って傷口に当てたが、気休めにもならないだろう。
慧音は何をしているんだろう、と思ったが里の方が煩かった。
騒ぐようなことでも起きているのだろうか。もしかしたら里の方にも妖怪が出ているのかもしれない。
だが今はそれどころではない。この場は私が何とかするしかない。オミエの傍に半霊を置き、小屋の外へ出よう。
「ヨウムちゃん……」
「じっとしてて。あいつ、やっつけてくるから」
「痛いよ。お嬢様のあたしが苦しいんだから、傍に居てよ」
「……しばしお待ちください、オミエお嬢様。憎き妖怪を退治してまいりますから」
小屋を飛び出し、大声を出して狼の気を引いた。狙い通り、私を向いてくれた。
親指で刀の唾を押し出し、鯉口を切って楼観剣の切っ先を奴に向ける。こんなにも大きく、体重のありそうな妖怪退治なんて初めてである。
だがやり遂げなければいけない。でなければオミエを助けることが出来ない。
これは生死をかけた戦い。スペルカードバトル等と言う、スポーツではない。
向こうはそんなものを使えるだけの頭も無いだろう。こちらも相応の、遊びではなく妖怪を斬り伏せる剣を使うだけだ。
刀を正眼に構える。狼の顔面は傷跡だらけ。けっこうな年は食っているだろう。
狼が飛んだ。口を一杯に開け、獰猛な牙を見せながら噛み付いてきた。
慌てて左に転んだが、狼の前足に服が引っかかる。ベストの肩のところが破れていた。
すぐさまこちらを振り返った狼が再度食いついてくる。体勢が悪く、咄嗟に避けられそうも無い。
かくなるうえは剣を合わせて敵を弾いてやるしかなかった。真っ直ぐ飛び掛ってきた狼の顔面に刀を振り下ろした。
だが間合いの計り方が甘かったらしく、浅く斬っただけに終わる。そのまま狼の体当たりを真正面から受けることになった。
草むらに沈められる。落ちたときの痛みはそれほどでもないが、体当たりのダメージが大きすぎた。
この幼い体にとってはそれだけでも脅威であった。大きく体力を消耗させられ、体中に激痛が走っている。
涙だって出てきた。狼は私が弱っているのを察したのか、ここぞとばかりに喰い付いてくる。
右へ左へ転がって牙から逃れているが、いつか掴まってしまうのはわかっていた。
狼が一瞬動きを止めて唸りだす。この隙に一旦刀を捨てて狼の下を潜り抜け、奴の尻に刺さったままの白楼剣を抜き取った。
刀は思ったよりも刺さっていなかったらしく、簡単に抜くことが出来た。
刀を振って血糊をある程度落す。狼はこちらを睨みつけ、吼えながらもう一度かみついて来た。
狙い通りだ。すれ違い様に奴の横を切りつけ、すぐに反対側へ走って地面に置いていた楼観剣を拾う。
これで二本の刀が揃った。そろそろお前にトドメを刺してやる。
死んでいる方の私が戻ってきた。オミエの傍に居るようしていたはずなのだが。
疑問はすぐに解決した。オミエが瀕死に陥っているらしい。今すぐに医者の所へ連れて行かないと。
そのためにも次で決める。次で殺す。これで終わりにする。
お前を斬る剣は西行寺お嬢様を守るための剣ではない。友人を救うために振るう剣だ。
右手に持った楼観剣を振り上げて上段に構える。左手に持った白楼剣は中段に。
中段の剣で守りを固め、上段の剣で近づいてきた敵に振り下ろしをお見舞いする必殺の剣だ。
振り下ろし。剣術における最も基本的な攻撃である。生まれた頃から何度もやってきた動き。
今度こそ外さない。絶対に成功させる。それに狼の動きにはもう目が慣れていた。
期待通り真っ直ぐに飛び込んできた。頭の悪い妖怪で良かったと本当に思う。
最早何の苦労も必要なかった。ただ敵の動きに合わせて剣を振り下ろし、顔を真っ二つにしてやるだけ。
狼は小さな悲鳴を上げ、草むらに転がっていった。
右にずれながら狼から距離を取り、狼が絶命するのを確認してから懐紙で刀に付着した血をふき取り、納刀。
難は去ったと安心したところで、その場に崩れてしまった。どっと汗が噴出してくる。足が笑っていて、上手く立つことが出来ない。
思った以上に強い敵ではなかったが、命がけの戦いだと思えばこれだけ緊張していたのは仕方ないだろう。
そうだ、オミエはどうした。上手く動かない足を引きずって小屋に入ると、オミエがこっちを向いてくれた。
「ヨウムちゃん」
「妖怪は倒したわ! 早く里に帰って、医者に診てもらうのよ!」
「ヨウムちゃん、寒いよ」
「オミエ! しっかりして!」
「お母さんとお父さんのところに帰りたいよ」
彼女の体が冷たい。刀を鞘ごと抜いておき、オミエを背中に乗せて里まで飛んで運ぶしかない。
オミエを寝かせていた廃材に血がべっとりと染みていた。結構な量の血液を失っているだろう。
いざ地面を蹴って里を目指そうと思ったときにようやく慧音がやってきた。
もう少し早くに来てくれれば、オミエを前もって医者へ連れていけたかもしれないのに。
「大丈夫か!? 里に何匹も妖怪がやって来たから、そっちを追い払うのに背一杯でこっちに来るのが遅れてしまったんだ!」
「じゃ、じゃあ私の刀を持って。急いで医者に診せないと、オミエが死んでしまう!」
「わかった! 私が先を飛んで案内してやろう!」
刀を預け、オミエを落したりしないようしっかりと両手で支えて夜の幻想郷を飛んだ。
何が起こるかわからない夜だから刀は肌身離さず持っていたかったが、彼女を背負うためだから仕方がない。
慧音に先導してもらい、里へ。その途中何度も何度もオミエに話しかけ、意識が途切れたりしないよう注意を払う。
今ばかりは空を飛んでいると言ってもはしゃぐ元気が無さそうだった。
「オミエ? 私の声が聞こえてる?」
「……」
「もうすぐ着くから、もうちょっとがんばって!」
「ヨウムちゃんが、あたしを助けてくれたんだね」
「まだよ。あなたの怪我が治って元気になって始めて、あなたは私に助けられたことになるの」
「でも、ヨウムちゃんが厄神様のところまで迎えに来てくれて、あたし嬉しかった」
「……オミエお嬢様、もうすぐで医者のところに着きます。それまでどうか、ご辛抱を」
「ヨウムちゃん、ありがとう。あたし疲れてきちゃった」
「オミエ!」
「痛いよう」
「まだ気を緩めてはだめよ!」
「……」
「オミエ! オミエっ!」
私の叫びに振り返った慧音の表情からは絶望の色が伺えた。
夜の空だから顔なんて見えるはずもないのに、自分でもそうあって欲しくないと思っていることなのに、もう間に合わないという諦めが感じ取れたのだ。
人里。そこら中に妖怪避けの柵が張っているのだが、壊されている部分もあった。
通りの真ん中辺りに病院があると慧音は言い、そこへ連れて行ってもらった。
その病院の中には十数人の老若男女が寝転がったり、医者の手当てを受けている者達が居た。
慧音が緊急だ、と叫ぶと奥の方に誘われる。奥の方は布で仕切られた、処置室になっていた。
オミエに声をかけたが、反応は無い。それでも私はオミエを布団に寝かせて、診てもらうつもりだ。
慧音と医者に手伝ってもらいながら慎重にオミエを布団に寝かせる。もう意識は無い様子だった。
「……お腹を狼に噛みつかれました」
「出来る限りのことは尽くす。上白沢さんは外で待っていてください」
慧音が額に汗を浮かべている、眼鏡をかけた三十台ぐらいの男性に促されて建物から出て行く。
私に怪我はないのかと訊いてきた。だが私は大した怪我もないので何も言わず、慧音の後ろについて行った。
振り返ると数人の女性が慌しそうに動き始めた。男性の指示で動いているのだろう。
助かって欲しい。でも助からないかもしれない。頭の中はぐちゃぐちゃだった。
慧音が暗い顔で何か言って、差し出された刀を受け取るとどこかへ飛んで行った。オミエの両親でも呼びに行ったのだろうか。
病院の外には中で治療を受けている人の家族らしき者達や、念のための警備と思わしき武器を持った男が数人居た。
その警備の中には博麗神社で巫女をやっている霊夢の姿もあった。
私に気付いた霊夢が何か言ってきたが、私は聞こえない振りをした。今は誰かと話す気分にはなれないからだ。
私はただその場に座りこむしか出来なかった。周りの音なんて全く聞こえて来なかった。
誰かに肩を叩かれた。さっきの医者だった。彼の表情は暗かった。
助からなかったんだ。私は目の前が真っ暗になり、医者の反応に対してうんともすんとも言えないでいた。
不思議と涙は出てこなかった。おそらく実感がないからだろう。
さっきまで喋っていたオミエが死んだと言われても、理解したくない。
また何者かに肩を叩かれた。慧音だった。お別れがどうのと聞こえた。その場から動きたくなかった。もう何もしたくないぐらい。
無理やり引っ張られて、病院の奥へ連れて行かれた。オミエの顔に紙が被せられていた。
松嶋屋の奥さんがオミエの傍で咽び泣いている。店主、オミエの父親はその場で立ち尽くしていた。
私が気がつかないうちにオミエの両親が来ていたのか。
「オミエは、行方不明だったんですが……こいつが見つけてくれたんだ。そうだよな?」
慧音の目からは溢れんばかりの涙が零れている。店主は私を見て何があったんだ、と叫んだ。
説明しようと思うのだが、動かなくなったオミエを見たら何も喋ることが出来なくなった。
「何とか言ったらどうなんだ! オミエは、オミエは!」
「落ち着いてください! こいつだって、妖夢だって……!」
私はその場から逃げ出した。走って、外に出て飛び上がった。
そのまま自分の家を目指し、満月の空を飛んで行った。
白玉楼の門の前で泣き叫んだ。とても今の状態では中へ入れそうにないから。
落ち着くまでは屋敷の中に戻りたくなかったのだ。
私がもう少し早くに行っていればあの狼の妖怪に気付かれなかったかもしれない。
オミエと言い争いをしたとき、すぐに迎えに行ってやれば良かったかもしれない。
狼に襲われたときも、もっと上手くやれたかもしれない。
オミエを救えたかもしれない。でも現実では救えなかった。助けられなかった。
ベストを脱いでみたら、背中のところに赤黒い染みが出来ていた。
オミエの血だろうな。私は血染めのベストをオミエだと思って抱きしめた。
何度も後悔し、悲しみに暮れる。気持ち悪い何かが込みあがってきて吐き気に襲われた。
自分の刀を手に取って見つめた。何が半人半霊の庭師だ。
確かにオミエを殺した妖怪は斬れた。だけどオミエは助からなかった。ただ単に復讐をしただけに終わった。
私はそんなことをするために剣を振っているわけじゃない。そうだ、私は大切な人を守るために剣を振っているんだ。
ちょっと待って欲しい。もしかしてあのとき無理して戦わなくても良かったのではないか。
逃げに逃げて、オミエを小屋に寝かせることなく里に連れて行くことが出来ていたら助かったのかもしれないのではないか。
いや、あの場は迎え撃たなければ背中からやられていた可能性だってある。
それに里にも別の妖怪が出ていたっていうし、万が一その妖怪に目を付けられたら危険なのは変わらない。
何が正しかったのか。結局何をすればオミエは助かったのか。わからなかった。
斬ればわかる。お師匠様はそう仰っていた。
だが斬ったのにわからない。オミエを傷つけた狼を斬ったというのに、何もわかってこない。
手に持っている刀を投げ捨ててやろうと思った。でも出来なかった。
不器用な私にはこれしか取り得がない。かといってその取り得が全く役に立たずだった。
私はこれからどうすれば良いというのだ? 私の頭で考えたところで何も思い浮かばない。
いや、思い浮かぶはずがない。私にそんな難しいことは出来ないだろうし、今までだって考え事をして成し遂げたことはなかっただろうから。
いつもあの方に導かれて動いてきたのだから。あの方に引っ張って頂いていたのだから。
「こんな所に居たの」
誰かに呼ばれた気がした。いや、呼んでくださった。幽々子様が私に声をかけてくださった。
「こっちに来なさい」
「……」
「ほら」
幽々子様が手を差し伸べてくださっている。だが私ごときがその手を取らせて頂いても良いのだろうか?
「そこに居ても仕方ないでしょ」
いや、取るしかない。取らせて頂こう。
どうせ私には自分の行き先を決めることさえ出来ない。
私はこの方に導いていただかないと、どこにも行けないのだ。
「お風呂に入った方が良さそうね」
まだ泣き止まない。顔を上げることは出来そうにない。
「今夜は私と一緒に寝る?」
まさか、私ごときが幽々子様と同じ布団に入るなど。恐れ多くて出来るわけがない。
「あなたが思いつめたところでどうにもならないって、自分でもわかっているでしょ」
「……」
「でも今夜は思いつめなさい。布団の中でいくらでも悔やみなさい。時間が経てば落ち着いてくるでしょうから」
私は口を硬く結んだ。口を開ければ大声でわんわん泣くだろうとわかっているから。
これから幽々子様のお布団にお邪魔するとなれば、大声なんて上げられない。
「良いのよ。心の奥底から響かせてしまいなさい」
「……」
幽々子様は何も訊かれなかった。訊かれたところで上手く喋られるとは思っていないが。
布団の中で目を瞑り、オミエの顔を思い出していた。
彼女と初めて会ったときのこと。彼女の母親に叱られたこと。遊んでも良いと言ったときの嬉しそうな顔。
自分の正体を明かしたときの驚いた表情。ブン屋を追い払おうと刀を振ったあとの、輝かせた目。
狼にやられて苦しそうだった呼吸。最後に聞いた彼女の言葉。
気がついたときには幽々子様に抱かれていた。
噛み殺していた嗚咽はとうとう抑えられなくなり、布団の中でぶちまけた。
※ ※ ※
幽々子様は次の日からいつも通り庭仕事をするようにと仰い、それに従った。
だが昨日の出来事があったわけで、仕事に身が入るはずもなかった。
その度に叱られた。叱られても幽々子様の言葉は殆ど頭に残らなかった。
夜、自分の部屋に一人で居ると何度も泣きそうになった。一晩経ってもオミエの死を受け入れられないでいるからだ。
三日、四日経つと泣くことが少なくなった。
今彼女の魂は彼岸に行ってしまったのだろう。三途の川を渡るのはいつなのか。
そういうことを考えるうちにああ、死んだのかとようやく理解してきた。
五日後には今日のお昼ご飯は何になるんだろう、今度また神社に遊びにいきたいなと考えるようになっていた。
オミエが亡くなってから一週間後。
昼過ぎになって落ちている葉を集めていこうかと思ったとき幽々子様が私に近づいてきた。
「妖夢、今日はあの子の初七日になるんじゃないかしら」
「……そうでしたね」
「行ってあげなさい」
「でも、親戚でもない私が法事に参加するというのも」
「お線香ぐらい立ててあげなさい。今から行けば夕方ごろに着いて、法事も終わってる頃じゃないかしら」
「行ってきても良いのですか?」
「妖夢、今回は特別に行かせてくださいぐらい言っても良いのよ?」
「良いんですか!?」
「ええ。それが終わったらついでに白沢の所にも顔出しておきなさい」
「わ、わかりました! 今すぐ支度します!」
大急ぎで部屋に戻り、刀と風呂敷を持った。お小遣いももらわないと、と思ったところでおまんじゅうを買いにいくわけではないと気付く。
「妖夢」
幽々子様が障子の向こうから声をおかけになった。慌てて障子を開けると、幽々子様からのし袋を渡された。
「これを渡してあげなさい」
「わざわざご用意してくださるなんて」
「早く行っておやり」
「この時間から行くとなると、帰るのが遅くなるかもしれません」
「良いから、良いから」
幽々子様にお礼を言ってから白玉楼を飛び出した。
里。空は赤い。
私は脇目も振らず松嶋屋を目指す。途中慧音に声をかけられたのだが、後でそっちにお邪魔すると言って別れた。
松嶋屋に到着。店は閉まっていた。おかしい。水曜日は必ず営業しているはずなのに。
それともオミエが亡くなったからということで、心苦しいあまり店をやれないのか。
いや、そもそも今日は初七日ではないか。店はやっていなくて当然だ。
「おい!」
女性に声をかけられた。振り向くと、先ほどの慧音だった。
「オミエの両親の、松嶋さんの家に案内してやろうと言っていたのに」
「あ、そうだったの……」
「ほら、こっちだ」
慧音に誘われるがまま、農道を歩いていった。里の通りから少し離れた所。
外で遊んでいる子供は居ないようだ。さすがにあれだけの事があれば遊びたい盛りの子供でも危ないと理解したか。
「葬式には来られなかったのか」
「……ええ」
「あのときの、病院でオミエの父親がお前に酷い態度を取ったが、今はお前に感謝したくて仕方ないそうだ」
「ああ」
「私からもお礼を言いたい気持ちがある。ご苦労だった」
「でも私は……」
「そういうのは止めておけ。お前は冥界に居て、死んだ奴をごまんと見てきたはずだ。あのときこうすれば良かった、なんて考えても仕方ないというのはお前の方がわかっているはずだ」
「慧音は、強いのね」
「強くなんてない。ただ割り切っているだけだ」
「……」
「どうしようもなかったんだ。お前が倒した妖怪の死体を見たとき思ったよ、よくこんな奴を倒せたなって」
「あそこは……」
「ん?」
「あそこにはもう二度と人が入れないようにと、頑丈な柵と結界を施すべきよ」
「一昨日柵は出来たよ。霊夢に結界だって張ってもらった。今後もあそこに子供が入ったりしないよう、見回るつもりだ」
「そう……」
「とはいえ、幻想郷に住んでいる以上妖怪との付き合いは仕方のないことだがな」
「まあね」
「そろそろ見えてきたぞ」
そういえば私は一度オミエに畑にまでなら誘われて言ったことがあったっけ。オミエの家というのは見たことがあるものだった。
家の玄関を開けた慧音が「ごめんください」と声をかけた。
人はすぐにやってきた。出てきたのはオミエの母親だった。私を見て会釈するので返した。
「松嶋屋の前に居たのを見つけて、ここまで連れてきました」
「これはこれは、上白沢さんどうも」
「では、私はこれで」
「え? 慧音はもう帰るの?」
「ああ。お前とも話せたしな」
慧音は玄関の戸を閉めて、あっという間に帰って行った。残された私は奥さんに誘われて客間へ。
「お久しぶりです。この度は……その……」
「良い、良いんだよ」
上手く挨拶を言えないでいると、奥さんがそう言ってくださった。
淹れてもらったお茶を頂戴したいところだが、私は先にのし袋を渡した。
「え、そんな、お譲ちゃん」
「……」
遠慮して受け取ろうとしない奥さんだが、私の目をじっと見た奥さんはのし袋を受け取ってくださった。
奥さんが店主、主人を呼びに行く。私はお茶を飲んで待っていたのだが、主人はすぐにやって来た。
「お嬢ちゃん……」
「お久しぶりです。この度は……」
「お嬢ちゃん、そういうのは良いって言ったでしょ」
また遠慮してくだった。主人の表情は穏やかだったが、気のせいか顔がやつれているようにも見える。
「上白沢さんからそれらしい話しか聞いていないんだが、お嬢ちゃんがオミエを見つけてくれたんだね?」
「はい。でも……」
「良い。見つけてくれたから、良いんだ。それにオミエに怪我させたっていう妖怪はその刀で斬ってくれたって聞いたしね」
主人の横にいる奥さんは泣き始めていた。私ももらい泣きしそうになる。
「オミエは、最後に何か言ったのかい?」
「私にありがとうと。あと痛いって……父と母のところに帰りたいとも」
奥さんはとうとう泣き叫び初めた。奥さんはここに居てもどうしようもないと思われたのか、別の部屋へ行ってしまわれた。
主人も口を閉じ、手で目を覆って泣いていた。
悔しいだろうに。狼に襲われたときオミエの傍に居たのなら彼女を守ってあげられたかもしれない、と思っているのだろう。
落ち着いたオミエの父からオミエの遺灰は先祖代々の墓に収められていると教えてくれたので、お墓の場所を訊いて拝みに行くことにする。
「お嬢ちゃん、本当にありがとう」
泣き止んだ主人が感謝の言葉を振り絞った。私はうんとも、すんとも言えなかった。
別れ際、主人におまんじゅうを渡された。
「こういうのは祝い事で渡すものだとはわかっている。でも受け取って欲しい」
「ありがたく頂戴いたします」
「もし良かったらでいい、これからも暇があればうちに寄って欲しい」
「ええ、是非とも」
私を送りに来た主人と奥さんに会釈をしてオミエの家を出る。もう空は黒くなり始めていた。
墓は里の西のはずれにあるそうだ。里の通りには赤い提灯を出している店が並んでいる。
今はお酒なんて呑める気分ではない。いや、逆に呑まないとやっていられないか。
だが今はお金を持っていない。真っ先に墓へ向かった。
目が暗がりに慣れてきたところで墓守に無理にを言って提灯を貸してもらった。
オミエの遺灰が収められたという墓はすぐに見つかった。他の墓と比べて一際豪華に花を供えられていたからだ。
墓に刻まれた苗字も確認した。きちんと「松嶋家云々」となっている。
提灯を注意深く置いてから楼観剣の鞘に括り付けてある花を千切り、花束の中に押し込んだ。
両手を合わせ、頭を下げる。念仏でも唱えてあげるべきか、と思ったところで念仏なんて知らないということに気付いた。
目を開けて墓を見つめる。もうオミエの死は受け入れたつもりだったが、涙は再び溢れてきた。
泣きやんだ頃には提灯の蝋燭が残り僅かだった。火を消して墓守の家の前に置いて白玉楼を目指した。
慧音はこの幻想郷の人里を愛しているのだろう。その人里が妖怪に襲われて、今回の騒動で人が何人も死んだのかもしれない。
少なくともオミエが死んでいる。慧音だって悲しいだろうに。それなのに今日の慧音はいつもの調子にしか見えなかった。
それは慧音がオミエや他の死んだかもしれない人々はどうにもならなかった、と無理やり納得しているのだろう。
彼女は私に死んだ者達の魂をたくさん見てきたから私の方がわかっているだろう、と言ってきたが彼女は間違っている。
冥界と顕界との結界が薄くなる前まで私は生きてきた者達を殆ど見たことが無かった。
だから私はオミエが死んでしまった次の日も何も出来ずでとても心苦しかった。
だが慧音は違うのかもしれない。彼女は私よりも生きてきた者達を見てきたはずである。
そんな者達が死に直面、あるいは死んでいく様も見てきたはずだ。
くよくよしていても仕方がない、とわかっているのは彼女の方だ。
私の方が死んでいった者達を見てきていないから、今でも辛いのだ。
白玉楼に到着。幽々子様の部屋には小声で挨拶して、すぐ部屋に戻った。
部屋の窓から幽かな月明かりが差し込んでいる。今日は何っていう月だったか。
満月の次の週の月に名前がついていたと思ったのだが、思い出せない。幽々子様ならご存知だろう。
満月の次の夜の月なら名前を知っているというのに。
部屋の箪笥の奥から紙に包まれた、私のベストとスカートを丁寧に取り出した。
これはオミエが亡くなった夜に来ていた私の服一式。
私はこれを大切にしていくつもりである。私に出来た、普通の人の友達。その記念。記念と言ってもありがたいものではないが。
おそらくないだろうが、これを持っていれば絶対に彼女のことは忘れない。
彼女を守りきれなかった悔しさを糧にして私はこれからも修行を続けるつもりだ。
もしあのときオミエお嬢様ではなく、西行寺お嬢様を守って戦っていて、それで幽々子様に危険が及んでいたら私はどうしていただろうか。
オミエと幽々子様を天秤にかけるみたいで酷いとはわかっているが、もしそうなれば私は切腹なんてものでは済まないことになる。
これからも、いやこの先もっと必死になって幽々子様を守りきれる庭師として精進し続ける。
あれから二週間後。私は人里で紅魔館のメイド長とまた会った。
この日は向こうから弾幕勝負に誘われた。結果は私の辛勝だった。
弾幕遊びとはいえ日々の鍛錬の結果を出してやろうと集中して立ち向かってみると勝てたのだ。
咲夜には松嶋屋のおまんじゅうを奢ってもらった。
咲夜はおまんじゅうを食べながら「雰囲気変わった?」等と妙なことを訊いてきた。
私は「特に何もしていないと思うんだけど」と返した。
咲夜は食いついてきた。「何か、顔が大人びた気がする」とおまんじゅうを飲み込んでから言ってきた。
私はうんとも、すんとも言わずに自分のおまんじゅうを平らげた。
霊夢にも会った。私が神社に遊びにいく形で。
結局あの夜の出来事を慧音から詳しい話は聞いていなかったが、霊夢がお茶を飲みながらで教えてくれた。
あの騒動で人が三人死に、十一人の怪我人が出たそうだ。
そう話すときの霊夢は暗い表情をしていたが、慧音みたいに割り切った感じであった。
口には出さなかったが、霊夢だって辛かっただろうに。
何せ霊夢は人間達を守るために巫女を生業としているのだから。
あの夜、病院から出てきた私を見た霊夢は私が死人みたいに見えたらしかった。
半分は死んでるけどね、と言うと霊夢は少しだけ笑った。
どれだけ時間が経とうがオミエのことを忘れた日は無い。
私は彼女の無念、オミエの母親のやるせなさ、父親の悔しさを背負って生きて行くつもりである。
過ちを繰り返すことはないよう、絶対に幽々子様をお守りすると再決心していかなる困難にも立ち向かってやる。
私の剣は友人を守れなかった。この事実を強く受け止め、せめて主人だけでも守ることの出来る剣を完成させるのだ。
もし私が生きている間にオミエの魂が白玉楼に運ばれてくることがあれば、こちらが私の主人よと西行寺お嬢様を紹介してあげようと思う。
この日私魂魄妖夢は博麗神社に来ていた。特にこれいった用事があったわけでもなく、何となく寄っただけ。
今日は一日暇を頂けたので顕界へ降りてみたというところである。
そのとき私は博麗霊夢にお茶をご馳走してもらったのだが、お茶請けのおまんじゅうが意外にも美味しかった。
どこで買ったものかと聞いてみると、最近里に出来た新しい和菓子屋からもらっただそうだ。
その後最近あった異変の話や弾幕話で霊夢と盛り上がりつつ、私は帰るとき里へ寄っておまんじゅうを買って帰ろうと考えた。
神社を出て里へ向かう途中、空を飛んでいると原っぱで遊ぶ子供達を見かけた。
男子と女子が数人走り回っている。子供達の上を通り過ぎるときだけ速度を落して、遊んでいるところを眺めた。
そのうち私に気付いたであろう子供達が私に手を振ってきた。私は手を振り返し、里に向かった。
和菓子屋はすぐに見つかった。小さな店だが看板が新しいのでわかった。看板には「松嶋屋」と書いてある。
のれんを潜ると三十台ぐらいの男性の挨拶が響いた。おそらく店主だろう。
正面にはおまんじゅうが入っているであろう箱が四つ、五つほど積まれていた。
入って左手には椅子が二つある。右側には誰が描いたのかはわからない、水墨画が飾られていた。
建物自体は昔からあったものなのか、柱は黒く汚れていた。
お品書きには「おまんじゅう」とだけ。どうやらそれしか作っていない様である。
店主はよく日に焼けていた。和菓子屋以外に外でする仕事でもしているのだろうか?
お品書きの横に「毎週水曜日のみ営業」と書かれた紙があることに気付いた。
「いらっしゃい。お嬢ちゃん、ここに来るのは始めてかな?」
「あ、はい」
「よかったら一つ試しに食べてみてくれよ。もうすぐお店閉めるから、残っていても仕方がないからさ」
店主は自虐気味に笑いつつ、逞しい腕でおまんじゅうを一つ渡してくれた。
美味しい。霊夢にもらったおまんじゅうの味だ。さっきも食べたが、またお茶が欲しくなるぐらい。
「これを四つほど包んでくださいな」
「はいよ!」
店主の後ろから二十台後半ぐらいの、小太りな女性が出てきておまんじゅうを六つ包んでくれた。
女性は店主の奥さんなのだろうか?
「あの」
「良いから、良いから」
要求されたお代金は四つ分だけ。二個もおまけしてくれるなんて。
ちなみに私の持っているお金は幽々子様から頂いたお小遣いである。
「お嬢ちゃんのそれっておもちゃ? まさか本物じゃないよねー」
女性に刀のことを訊かれたらしい。私はうん、ともいいえ、とも言わないでおいた。
「それにしてもお嬢ちゃん、一人でお買い物?」
「ええ、まあ」
「偉いねえ。うちにもあんたぐらいの子が居るんだけど親のこと全っ然聞かないし、親の手伝いなんて殆どしてくれないよ」
「そ、そうなんですか」
「まあ、お嬢ちゃんにうちの子の話聞かせても仕方ないね。ありがとう、また来てね!」
「あ、はい」
四つが六つになったおまんじゅうを風呂敷に包んで背負い、外に出ようとしたところで誰かとぶつかった。
向こうの方が勢い付いている。私は向こうに押し倒される形となった。
「あだっ!」
「わっ!」
土煙をめいっぱい被ったような、埃だらけの少女が私に覆いかぶさっていた。
髪は短く切りそろえられているおかっぱ頭。背格好は私と良く似ていた。
「こらオミエ! お客さんになんてことしてるんだい!」
少女は奥さんらしき女性に怒られていた。奥さんに少女を引き剥がしてもらい、何とか起き上がる。店主の方は苦笑い。
風呂敷の中身はというと見事に潰れていて、おまんじゅうを包んでいる紙から餡子が少し漏れていた。
「お前、お嬢ちゃんが買ってくれたうちの饅頭が潰れてるじゃないの!」
「そんなこと言われても知らないもん! もうすぐお店閉まる時間だと思って、慌てて帰ってきただけなのに!」
「いいから、お嬢ちゃんに謝りなさい!」
少女は奥さん、というか母親らしき女性にゲンコツをもらっていた。少女の目から火花でも散っていそうなゲンコツ。
オミエという少女は潤ませた目で何も言わずに頭を下げると、店の奥へと消えて行った。
主人の計らいで新しいおまんじゅうを渡してくれた。店を出るときにこれ以上何も飛び出してこないのを確認してから店を出る。
何気なく思って振り返ると、店の奥から手を振ってくる少女が見えた。手を振り返し、夕焼けに染まった人里を後にした。
白玉楼。
夕食前には帰ることが出来た。冬が過ぎたとはいえ、まだ春でもないので暗くなると冷える。
帰ってすぐ幽々子様のところへ行き、おまんじゅうの話をするとその場で一つ召し上がられた。
そこそこご満足頂けた様で、どこからともなく現れた幽々子様のご親友、八雲紫様とおまんじゅうを食べ始めた。
お茶を入れてきなさいと言われ、戻ってきたときにはおまんじゅうは無くなっているのであった。
今日はたくさん食べたから満足しているが、明日にでも食べようと思っていたのに。あんまりである。
だがこのおまんじゅうは紫様もお気に召したご様子。
幽々子様から来週ぐらいにまた暇を出すから、そのときまた買ってきてねと頼まれたのであった。
仕方のないお人だと思いながらも、暇をもらう約束をしてもらえた。
遊びに出かけられる。そう思うと嬉しくなった私は、おまんじゅうを食べられたことなどどうでもよくなっていた。
どうせおまんじゅうはあの店に行けばいくらでも食べられる。
幽々子様と一緒に召し上がりたかったのだが、食べられないより食べることが出来た方が嬉しい。
今度買いに行くときは少し多めに買って、いくつか食べてから家に帰ることにしようとか考えた。
※ ※ ※
あれから一週間後。
私は白玉楼で昼食を頂いた後、幽々子様にお小遣いを頂戴して里の本屋に向かった。
本屋では私が少しずつ読んでいるシリーズ物の、時代劇小説を探した。
著者は人里にお住いの、自費出版で小数部だけ本を書いている人。私はこのシリーズの最新刊を中身も見ずに買った。
いつも気に入って読んでいるから、おもしろいに決まっている。
このシリーズは短編集になっているのが殆どなのだが、どれも架空の必殺剣、秘剣、隠し剣が出てきたりしていつもそれを楽しみにしている。
恋愛小説も嫌いではないが、私はやっぱり刀を使う身だし刀を扱う侍、武士の話が好きである。
ここだけの話だが、本の中に出てくる剣を実際に使ってみようと練習したこともある。
結果は誰にも言いたくない。私はまだまだ未熟だということだけ。
例の和菓子屋へ行く前に飴細工屋でも見に行こうかなと思って里を歩いていると見知った顔のメイド、十六夜咲夜と目が合った。
「あら」
「こんにちは」
「里に降りてきて、買い物か何か?」
「いや、今日は暇をもらったからブラブラしてるだけ」
「ああ、そうなの。まあ私も似たようなところよ、今日はね。さっきまでそこの服屋を見ていたの」
「ふうん。折角だし、ちょっとお茶でもする?」
「あらいいわね。どうせならお茶を賭けてアレする?」
「ああ、弾の飛び交うアレ?」
咲夜に誘われてお茶を賭けた弾幕ごっこ。人里から離れて、人気のない森の方へ。
咲夜がナイフを手に取り、私が刀の鯉口を切る。
お互いが構え、相手の目を見て準備が出来たのを確認したら決闘の始まり。
結果を言えば私が負けた。もうちょっとで咲夜を倒せると力んだところで隙を突かれてしまった。
今日は本を買ったせいで、お小遣いは残り少ないというのに。
里の茶屋でお茶だけでなく、お団子三つもつけてと頼まれた。賭けは賭けだ、付けてやるしかない。私はお茶だけにした。
辛うじておまんじゅうを買うお金は残っている。そういえば今日はいつもより多い目にお小遣いを頂いていた様な気がした。
「奢ってもらったお団子はとっても美味しいですわ」
「それは良かったわね……。はぁ、あとちょっとだと思ったのに」
「油断していたわね。こっちから見ていると、隙だらけだったわよ」
あっという間に咲夜は二本の団子を食べてしまった。
かと思えば、私の口の中に一本つっこまれた。
「ご馳走様」
「もごもごもご……。もう行くの?」
「何となくお嬢様に呼ばれた気がしてね。もっとゆっくりして行こうと思っていたけど、またね」
「そう、それは仕方ないわね。今度は勝ってやるんだから」
「決闘ならいつでも受けてたちますわ」
お団子を平らげたら、私も茶屋を出ることにした。悔しい。今度は誰でもいいから、勝ってやろうと思う。
飴細工屋で可愛い動物の飴を見てから、例の和菓子屋へ。その途中寺子屋の先生を見かけたので挨拶した。
和菓子屋。二十台ぐらいの男女二人組が包みを持って店から出て行った。
おそらくお客さんだろう。何だかんだで流行っているみたいである。
入ろうと思ったところで前に見た、やんちゃな店の子供が店から出て行ったのが見えた。
怒鳴り声のようなものが聞こえる。おそらくあそこの店の母親だろう。
子供、オミエはこっちに気付いて手を振っていた。
「また来てくれたんだね!」
「まあね」
「今お母さんが機嫌悪そうにしてるけど、お客さんが来たら機嫌良くなると思うんだ」
「ああ、はいはい」
私が入ったあとに少女が入ろうと考えているのだろう。何はともあれ、松嶋屋の中へ。
「やあ、いっしゃい!」
店主の元気な挨拶。少女は私の後ろにピッタリくっついている。
奥さんも普通に挨拶したのだが、私の後ろにいる少女にはすでに気付いている様子だった。
後ろの子が持ち上げられ、店の奥へ連れられていた。
「商売の邪魔だけはしないでって言ってるでしょ!」
「いやあの、私は別に迷惑とかじゃなかったので」
「ほらお母さん! この人はあたしのこと悪く言ってない!」
「まあまあ、放してあげてください」
「……お嬢ちゃんにそう言われるとはねえ」
少女は降ろされるなり、私のことをジロジロ見だした。
私は気にせずおまんじゅうを四つ頼み、六つ頂いた。
本当は六つ頼んで八つ頂き、うち二つを自分の分にするつもりでいた。
でも咲夜にお茶を奢ることになったので、四つ分のお金しか残っていないのである。
「ねぇ、あなたの刀って本物なのー?」
「ええ、本物よ」
今日はストレートに答えてあげた。少女は「すごいなー!」と目を輝かせて騒いでいる。
店主と奥さんは驚いたが、ここ幻想郷では妖怪退治をしている者の中に刀を使う者も居るだろしそこまで騒ぐこともしないはずだ。
少女は私の片割れにも気になっているようで、私が代金を払って帰ろうと店を出てもついて来ていた。
「あたしオミエっていうの。あなたは?」
「私? 私は魂魄妖夢よ。妖夢でいいわ」
「ヨウムちゃん時間ある? ちょっと遊んでいこうよ!」
遊ぶ、か。私の遊びといえば弾幕遊びが主流。ビー玉やおはじきで遊んだことがないわけではいが。
だが誰かと遊ぶとなれば、何かしら人間離れしている者とばかり。
私には普通の人の知り合いなんて居なかったな、と思ったりして私はこの子についていくことにした。
オミエはよく遊ぶ原っぱがあるからそこに行こうよと誘ってきた。
うん、と頷くとオミエは走っていった。慌ててついて行くのだが、思った以上に速い。
これでも私は日頃から剣術の修行をしている身で、勿論体だって鍛えている。
それなのに追いつけないとは。離されることもないが、詰め寄ることもできない。
民家を抜けて橋を渡り、野を走って着いたのは見たことのある原っぱ。
「あたし、いつもこの辺で遊んでるんだ!」
今は私とオミエ以外居ない様子。
原っぱの奥は森になっていて、妖怪の山の麓に繋がっているらしい。一応森には入れないよう、柵が立てられているみたいだが。
良く見れば柵に霊夢が術に使う御札が幾つも張られていた。
一応結界のようなものを張っているらしい。それなら妖怪が出る、なんてことはないだろう。
「ヨウムちゃん、この前この上飛んでたよね?」
「ええ、そうよ。あれは確か、あなたのご両親がやってるお店へ行く途中ね」
「空飛べるなんてすごいなー!」
「別に、何とも思ってないけどね。巫女とか魔法使いも空飛んでるわけだし」
「でもヨウムちゃんはどちらかと言えば、お侍さんだよね? どうして空飛べるの?」
「んー、それはまあ……修行の賜物?」
「シュギョウ? あたしも修行したら飛べるの?」
「それはどうかしらね。私含めて巫女も魔法使いも不思議な力を持っているからこそ飛べるのよ」
「ああ、不思議な力かぁ。あたしそんなもの無いなー」
「普通は持ってないものよ。諦めなさい」
「ぶー」
「まあまあ、オミエには足があるでしょ。さっき追いかけるの大変だったんだから」
「えへへー、すごいでしょ! 男の子にも負けたことがないんだから!」
「私だって普段から鍛えているのにね。それでも追いつけなかった」
「本当に!? というか、ヨウムちゃんもあたしについて来られるってことは、結構速いね!」
「修行してるからね……」
色々話している最中に少女は何度も駆け回った。走る、ということが好きなのだろう。
私も付き合ってやるとオミエは嬉しそうな顔をした。
喉が渇けば近くにある共用の井戸の水で喉を癒す。
オミエの話によると、家では基本的に農業をしているらしい。
生活に余裕が出てきたので、一家の主人がやりたがっていた和菓子屋を開いたそうな。
あくまでも副業としてだから、一週間に一度しか店を開かないということだと。
この里でお世辞抜きに美味しいと評判らしいから、店の主人も嬉しいだろう。
今度誰かの家に遊びへ行く機会があれば、ここのおまんじゅうを持って行ってやるのも良いかなと思った。
オミエは朝起きると家の掃除、畑仕事を少しだけ手伝って昼食を食べると寺子屋へ行くそうだ。
寺子屋の授業が終われば家に帰っておやつを食べてから家を飛び出し、友達らと遊ぶ。
寺子屋と言えばまあ、上白沢慧音のやっているところだろう。
そして陽が沈む頃になれば家に帰り、お風呂に入って夕食を取れば布団に飛び込む。そんな毎日らしい。
「ヨウムちゃんは普段どうしてるの?」
オミエにそう訊かれたときにはもう夕方。人里の通りに紅い陽射しが差し込んでいる。
彼女はまだ私とお喋りしたい様だが、ここは結界で守られているとはいえ妖怪の山付近。
暗くなれば普通の人間にとって危険な場所になるはず。そろそろ彼女に帰る様促すべきだろう。
「ごめんね、私もう帰らないと」
「えー! 私のこと話したんだから、ヨウムちゃんのことも聞かせてよー!」
「また今度にね」
「また今度っていつ!?」
「来週には来られると思うわ」
「来週ね! 私お店で待ってるから!」
「ええ」
おまんじゅうを包んだ風呂敷を背負い直し、体を浮かせた。オミエがわっ、と小さく驚かせる。
「すごい! 本当に飛んでる!」
「それじゃあ」
「またね!」
上を向いて一気に冥界を目指した。
私はどちらかというと自分の技術や腕前をひけらかすのは好みではないのだが、あのオミエに褒められて悪い気はしなかった。
さらに言うと、私は今まで他人に褒められた覚えが少ない。
どんな些細なことであろうと褒めてくれたことに関してすごく嬉しく思った。
私の周りに居る方々、幽々子様や紫様などの面々を考えれば私など泥まみれの石ころみたいなものだ。
それに比べてあの方々は綺麗に磨かれた宝石みたいなもの。加えて私は未熟故、修行中の身。お師匠様の足元にも及ばない。
白玉楼。
死後の世界であれど、夕陽は届く。だが今は暗闇に支配されていた。
出来るだけ飛ばして帰ってきたつもりなのだが、遅くなってしまったらしい。
使いの霊によると幽々子様はすでに夕餉を頂いていて、今は自室で本を読んでいらっしゃるとのこと。
私はおまんじゅうを持ったまま服についているであろう埃を払い、幽々子様のお部屋の前で挨拶をした。
「幽々子様、妖夢です。ただいま戻りました」
お断りしてから部屋の襖を開ける。幽々子様の表情は穏やかであった。
「遅かったわね。どうしてたの?」
「いやまあ、その」
「誰かと遊んでいたの?」
「例の和菓子屋の娘さんと」
「ああ、そう。で、おまんじゅうは買って来たの?」
「こちらに。四つくださいと言って六つ頂きました」
「いつも二つおまけしてくれるなんて、太っ腹ねえ。そんなことしてお店潰れないのかしら」
「あくまでも副業でしていると聞きましたよ」
「それならまあ、大丈夫なのかしら。こっちは美味しいお饅頭を食べられればそれで良いのだけれど」
「では私は湯浴みと夕餉を済ましてきますので」
「私はもうちょっと本を読んでから布団に入るわ。いつも通り戸締りよろしくね」
「はい、失礼します」
幽々子様の部屋を出て、自分の部屋へ。良かった、幽々子様に怒られるようなことは無かった。
部屋に刀を置き、着替えと手拭いを持って風呂場へ。
そして汗を流し終えれば使いの霊に言って私の分の夕餉をもらった。
普段は当然幽々子様と食べるのだが、私が遅くなった場合はこうして別々で食べるしかない。
部屋の障子を開けて見える月は満月だった。まんまるお月様。
明日は朝早くからお仕事。今日休んだ分しっかり動かないと。
体を流してお腹を膨らませたら口の中を洗い、深夜の見回り。
これは毎日していること。滅多なことでは怪しい者など見ないが、稀に紫様が居たりする。
別に不利益となるようなことをされるわけでもない。ただ驚かされたりするだけ。
幸いなことに今日は何も無かった。戸締りもきちんとされている。
幽々子様の部屋にはまだ明かりがついていた。
「幽々子様、妖夢です」
「ああ、もう見回り終わったの? 私はもうちょっと遅くなるから」
「それでは、おやすみなさいませ」
幽々子様は読書で忙しいご様子。とはいえ私も今読んでいる本があったりする。例の時代劇小説だ。
少しだけ。二、三十ページだけにしておけば明日には響かない。
いっそ明日にしようかなとも思う。それぐらいくたくたに疲れているのだ。
咲夜と弾幕ごっこして、あの少女と追いかけっこもしたし。
やっぱり今日はすぐ布団に入ることにしよう。寝る前に刀の手入れをし、布団に潜り込んだ。
目を瞑れば意識はあっという間に沈んだ。
※ ※ ※
また一週間が経つ。
目が覚めたら寝る前にしていた、白玉楼の見回り。それから主の幽々子様を起こしにいく。
今朝も変わったことはなかった。起こしに行ったときにはもう幽々子様はお目覚めであった。
朝の間に最低限の庭仕事だけ片付け、ちょっと稽古をすればもうお昼の時間。
お腹が膨らめば幽々子様からお小遣いを頂き、里の和菓子屋を目指す。
ベストの内ポケットに風呂敷が入っているのを確認してから白玉楼を飛びだった。
顕界と冥界とを隔てる結界を飛び越えて賑やかな人里へ。
獲ってきたであろう川魚を売っている魚屋と酒蔵を通り過ぎ、お目当ての松嶋屋へ。
今日は真っ直ぐここに来た。あの少女とお喋りするために。
お店に着いてみると短い列が出来ていた。ここまで流行るようになるとは。
でもお店自体が狭いから、列が出来るのは仕方のないことなのかもしれない。
とりあえず列に並んでみたが、私の番はすぐに来た。皆買うものが決まっているからか。
お店の中にはオミエの姿があり、両親と一緒に元気よく挨拶していた。
「あ! ヨウムちゃん!」
「ええ。こんにちは」
「こんにちは。また来てくれたんだね」
オミエは私を見るなり私の手を握って外に連れ出そうとしていた。
先におまんじゅうを買ってからねと言って六つ注文し、八つ頂く。おまけも恒例だった。
「早く行こうよー!」
「はい、はい」
オミエが例の原っぱに行こうとしているのがわかる。お店の主人と奥さんは笑ってそのやり取りをみていた。
「行ってらっしゃいね」
「はい」
二人に別れを告げ、遊びに行こうとするオミエに目配せ。
おまんじゅうをしっかりと持ってから、走り出した彼女について行った。
だが前と道が違う。民家を抜けたところまでは一緒なのだが、橋は渡らずに川の上流の方へ走っている。
上流へ行くということは山を登っていくということ。つまり彼女が行こうとしているのは妖怪の山方向だった。
途中札の貼られた柵にぶつかるのだが、オミエはそれを飛び越えてしまった。
「この先は山に入ることになるわよ」
「いいから、いいから」
ついて行った先では草が生い茂っていた。周りに生えている木や草が高く、背の低い私では遠くが見えない状態。
とにかく彼女が行く後をついて行く。よく見れば獣道みたいに草が倒れている部分があった。
彼女はそこを歩いている模様。そうとわかればはぐれることはないだろう。
そして着いたのは半壊した小屋のある、また別の原っぱだった。
小屋はおそらく昔の猟師でも使っていたのだろう。オミエはその中に入って廃材に腰掛けていた。
「すごいでしょ、ヨウムちゃん。ここは誰にも知られていない、秘密の場所なの」
「こんなところ危ないわ、今すぐにでも山を降りて里へ行くべきよ」
「大丈夫だって。ここで遊んでて妖怪が出たことなんて一度も無かったもん」
周りをよく観察してみれば妖精一匹居ない。人間以外が近づかない謂われでもあるのだろうか。
どちらにせよ長居は絶対に危険だと思う。妖精すら沸かないなんて、逆に何かある。
「ここなら誰も近づかないだろうから、二人っきりで内緒な話出来るよ」
「え?」
「この前私の話したでしょ? だから今日はヨウムちゃんのこと一杯聞かせてもらうんだから」
たったそれだけのためにこんな危なそうなところまで引っ張ってきたとは。
そもそも私の話なんて、そんな大したものでもないというのに。
「ヨウムちゃんってお侍さんなんでしょ? きっとすごい名家なんだよね?」
「……」
家柄で思い出した。幽々子様のことだ。
あの方は昔有名だったとか紫様から聞いたことがあるような、ないような。
私の話をする上で幽々子様のことはとても重要だが、彼女には秘密にしておいた方が良いのかもしれない。
幽々子様は今や霊を操り、その気になれば念じるだけで人の命を奪えるほどのお方。
そんな方のことまで話すのは止めておいた方が良いだろう。
オミエの心遣いに少しだけ感謝した。
幽々子様の話はしないことには代わりないが、周りに人が居ないのならそれに越したことはない。
「そ、そうよ」
「やっぱり! その浮いてる奴も何かあるんだよね?」
「え、ええ。これは……お守りみたいなものよ」
「え? そうなの?」
「そう! お守りよお守り! だから大したことは出来ないの」
「ぶー! もっとスゴイこと出来るんだと思ってたのにー!」
半霊のことも隠しておいた方が良いだろう。幽霊だと気付かれたときは正直に答えるしかないだろうが。
「それにしても、お守りにしてはなんだか幽霊みたいな形だね」
もうバレてしまった。私が隠し事なんてするものじゃなかったか。
「あなたの両親に黙ってくれる?」
「あたしとヨウムちゃんの仲でしょ! 誰にも言わないから!」
「私はね、人間じゃないの」
「え?」
「半人半霊って言ってね、この幽霊みたいなのは私の幽霊なのよ」
「え? え?」
「感覚はあんまり無いけどね、私の意思で動かすことも出来るの」
そう言って半霊をぐるぐる回してやると、オミエはぽかーんと口を開けて動かなくなった。
「それとね、私の家はここ人里にはないの。もっと正確に言うとこの世じゃないの」
「……」
「いつも私は空をずっと登った先へ行っているのよ。私が帰るとき、どこへ行っているかいつも見ていたとは思うけど」
オミエは私の言っていることがわかっているのか、わからないのか。
だがオミエだって幻想郷の住民だ。どこぞのメイド長やら魔法使いみたいに特殊な職業に就いていなくとも、不可思議なことに対する理解は少しばかりあるはずである。
「まさかヨウムちゃんは、化物だなんて言わないよね!?」
「ある意味では化物かもしれないわね。厳密には人間ではないし」
「で、でも……あたしそれでもヨウムちゃんとなら一緒に居られる!」
「無理しなくてもいいのよ」
「無理なんかしてない!」
彼女は私の目を真っ直ぐ見てそう言ってくれた。オミエが理解してくれる子で良かった、と本気で感謝した。
背中の得物を抜き、白く輝く刀の刀身を見せてみる。彼女は一瞬驚いたようだが、恐る恐るこちらに近寄ってきた。
「すごい、綺麗」
「触らないようにね。切れ味はあるんだから」
「これで何を斬ってるの?」
「……悪い妖怪とか、木とか葉っぱをね」
「え? 葉っぱ?」
「こう見えても本業は庭仕事なのよ。だから剪定するのにこう、刀でズバっとね」
「すごい! 何かそれ格好良いなー!」
「そ、そうかな」
「うん!」
商売道具を見せびらかすのはこれぐらいにした。
試しに何か斬ってみて欲しいとしきりにお願いされたが、みだりに見せることは出来ないと断った。
そりゃあ剪定に使ったりするから、本物の武士からすれば私は邪道かもしれない。
それでも剣術の腕をそう簡単に見せることは出来ない。お師匠様にそう教えられたからだ。
刀を抜けるのは何かしらの理由があるときのみである。
「つまりヨウムちゃんは幽霊のくっついた、庭師さんでお侍さん?」
「そうね」
「何だかややこしいなあ……」
「まあ、単に庭師だって思ってくれればそれで良いの」
「ふーん。ところで庭師ってことはさ、誰かお偉いさんの屋敷で仕事してるの?」
「そうそう、白玉楼っていう」
「え?」
「あ」
「どうしたの?」
「いや」
しまった! 屋敷のことまで話すつもりなんてなかったのに!
オミエは目を輝かせて私の目の奥を覗き込んでいる。
つくづく私は嘘をついたり、人に隠し事をするのが下手だなと自分に腹が立ってきた。だが言ってしまったことはもう仕方ない。
どうせこの世の住民ではないと言ってしまったんだし、白玉楼のことも言ってしまっていいだろう。
「こほん。私の家はこの世にはないって言ったけど、つまりわかるわよね? あの世にあるの」
「あの世? え? それって先生が言ってた死後の世界ってこと!?」
「ええ、そうよ」
「嘘……本当にあるんだ、そういうの」
彼女は驚きながらも、私の足元を見ていた。死んでいるのは半分だけだと説明したのだが。
「半分は生きているから。まあ、特別行き来出来るのよ」
特別、と今話のノリで言ったが別に誰だって入ろうと思えば入れる。現に巫女や魔法使いが遊びに来たりするし。
かといってそういうとこまで話すのは面倒だし、この際そういうことにしておけばいい。
隠し事をすることの大変さを今、実感していた。
「死後の世界のお屋敷かぁ。何か素敵かも」
「そう?」
「そのお屋敷って、どんな偉い人が居るの? すごく格好良い人がいるとか? あ、それともヨウムちゃんより強いお侍さんが居るとか!?」
次から次へと遠慮なしに訊いてくれるものだ。でもオミエになら全て話しても大丈夫そうに感じてしまうのが、不思議でならなかった。
とはいえさすがに幽々子様の名前だけは何があっても喋らないことにしよう。
「お侍さんじゃないわね。どちらかといえば……歌人かしらね」
「歌?」
「歌と言っても俳句とか、そういうのね。すごく綺麗で、頭の良い人よ」
「その人は何ていうの?」
「……悪いけど、私の主人のことはこれ以上言えないの」
「どうして? 何か悪いことをした人だったりするの?」
「そうじゃないけど、あの方のことだけは言えない。オミエのことを信じていないわけじゃないけど、ごめん」
「い、良いよ! 色々話してくれて、こっちこそありがとう」
オミエはそう言って満面の笑顔で私の手を握った。ここまでの私の話でも十分満足してもらえたらしい。
そういえば他人に自分の話をアレコレ聞いてもらったのは久しい気がした。
オミエには明かさなかったが、私は見た目どおりの年齢ではない。半死人故、寿命が長いからだ。
だがそこまで話すべきではないと思った。もっと年上だが、そう言って畏まられたりするのも面倒である。
相手にそう疑われたらそうだと言っても良いが、たぶんそこまで考えないだろう。
とはいえ、仮に気付かれたところで特に問題はないと思う。
私は普通の人間とは違う生まれで、変わった人生を歩んできたと理解はしているつもりである。
そんな私の話をおもしろがって聞いてくれたのだ、私を嫌ったりはしてくれないだろう。
辺りがぼんやりと暗くなってきた。そろそろ山に潜む妖怪達が活動し始める時間。
そろそろオミエを里へ返さないと危険だろう。
「オミエ、早めに帰った方がいいわ」
「えー、もっとヨウムちゃんとお喋りしたいのになー」
「妖怪が私達に気がつくかもしれない。今の内に里に戻るのよ」
「……どうしても?」
「どうしてもよ」
「いざとなったらヨウムちゃんが妖怪なんて退治してくれるでしょ?」
「そりゃあ出来るけど、オミエを守りきる自信なんてないわ」
「……」
「仕方ないわね」
私はオミエにくっつき、抱きしめた。落ちないよう、私の体にしっかりつかまってと私の腰に手を回させる。
「飛ぶわよ。速度は出さないけど、落ちない様にね」
「え? え!?」
どうしても動こうとしないのなら、無理やり連れて行くしかない。
飛び上がった後、微かに妖怪の気配が動いた気がした。
やはり何者かが私達に気付き、観察していたらしい。
「すごーい! 空を飛ぶってこういう風になるのかー!」
「暴れないようにね。落ちたら洒落にならないんだから。それと二度とここには近づかないこと。いいわね?」
「えー」
「二人っきりで話ししたいって言うのなら……あなたの家の畑とかどうなのよ。お店やってる時間なら両親はまず来ないでしょうし」
「確かに来ないけど」
「じゃあそうしましょう。絶対危ないところで遊んじゃ駄目よ」
「むー。お母さんみたいなこと言うんだね」
「当たり前のことを言っているだけよ」
夕焼けに包まれた里を目指してゆっくり空を飛んでいく。
私に注意されて黙ってしまったオミエだが、飛んでいることに喜んでいてすぐに機嫌を良くした。
とりあえずいつもの原っぱの上空まで移動した。時間が遅いせいか、そこで遊んでいる子供は居ない。
そこへゆっくり着地し、オミエを降ろした。もう一回飛びたいとせがまれたが今日はもう帰るのよ、と制した。
「私も帰らないといけないから」
「上様に叱られるから?」
「上様とはまた違うんけど……まあ似たようなものかな」
おまんじゅうがあることを確認してから地面を蹴る。
「オミエ、空飛んだことは私とあなただけの秘密よ」
「え? うん、わかった」
オミエに手を振り、天高くを目指した。
オミエも遊ぶ相手が居なくなれば帰るしかないだろう。
遅くなると幽々子様に何か言われそうな気がするから、私も早く帰りたかったのだ。
白玉楼の門を潜った頃には先週と同じく、暗くなってからだった。
春が近づいているとはいえ、やはり夜の空を飛ぶのは寒い。
まだまだ半袖のブラウスに切り替えられそうも無いな。
二の腕を擦りながら軋む廊下を歩いて幽々子様の部屋へ。
「幽々子様、妖夢です。ただいま戻りました」
返事は無かった。もう一度声をかけるがやはり反応はない。
失礼して襖を開けさせて頂くと、火は付いているのに幽々子様のお姿がなかった。
「妖夢、帰ってたの?」
「あ、はい」
背後から声がした。どうやら幽々子様はご入浴なさっていたそうだ。
お食事はこれからとのこと。先週よりは早く帰ることが出来たらしい。
私がお風呂から出た頃には幽々子様は夕餉をご馳走様していたようで、自室で本を読まれていた。
和菓子屋へ行くとオミエと遊んで帰ることが多いので、どうしても暇を頂いた日は幽々子様と話す機会がない。
まあ明日のお昼休みにでもオミエと何をした、とかいう話をおまんじゅうでも頂きながらすれば良いか。
私の夕餉が済めば寝る前まで買った本を読み、刀の手入れをしてから就寝。
私が次里へ降りられるのはまた来週になると思うのだが、オミエが一人であの山に入ったりしないだろうか。
おそらく両親から山は危険だと教えられているだろうし、寺子屋でもきつく注意はされていると思う。
そのうち私みたいになりたい、等と言い出さないかと心配になってきた。
とはいえあの世に来たい、なんてさすがに言いだすはずはないだろう。オミエもそこまでバカではないはず。
どうせこの仕事は私にしか勤まらない、と自負はしている。
自分は未熟者だとわかってはいるが、幽々子様をお守りできるのは私だけだという想いはある。
そのために生まれたときからお師匠様の下で剣を握っていたのだから。
お師匠様のことを考えると、幼い頃稽古をつけてもらったことを思い出してきた。
毎日叱られてばかりだったか。今でも幽々子様にたしなめられたりするが。
でも私はそれで良いと思っている。一人前は永遠に目指し続けるもの。
なってしまったら、私はそこで努力を止めてしまいそうで怖いのだ。
来週はオミエと何をして遊ぼうか。まさか空を飛ぶ術を教えてくれ、なんて言われたりしないだろうな。
※ ※ ※
「ヨウムちゃんって、弾幕ごっこっていうの? 出来たりするの?」
「ええ、出来るわよ。一昨日していたし」
「へー! 出来るんだー! 私にも教えてよ!」
「でもあれはね、普通の人には出来ないのよ」
「え? 巫女さんとか魔法使いとか……ああ、そっか」
「飛べないと困るわよ。それに危険だし、弾幕ごっこは諦めなさい」
「一度で良いからやってみたいと思ってたのになあ」
先週と同じく、昼食を済ませたら真っ直ぐ和菓子屋へ行った。
そしておまんじゅうを買っておまけしてもらい、オミエについて行った。
今日は山の方へ行かず、畑の方へ連れて行かれた。私が言ったことを守ってくれらしい。
畑の周りには数件の家が見えた。どれかがオミエの家なのだろうか。
「じゃあ空飛ぶところから教えてよ!」
「無理ね」
「えー! 即答はいくらなんでも……」
「無理、無理。何の素質もないのに」
「でも、どこかのメイドさんは普通の人間なのに空飛んでるって先生に教えてもらったよ?」
「……あれはメイドっていう種族だから出来るのよ」
「え?」
「だから彼女は人間じゃないの」
「ふーん、じゃあやっぱり普通の人間は飛べないのかあ」
咲夜には申し訳ないが、そういうことにしておいた。正直私も彼女がどうして空を飛べるのかわからないからだ。
今日はずっとこんな調子である。私が弾幕ごっこをしていると知って興味を持ったせいだろう。
確かに弾幕ごっこは楽しいし運動になるが、当然危ない面もある。事故だって起きないわけではない。
妖怪に襲われたときに使えるかも、という理由もあるらしいがそれでも私は断った。
妖怪退治なんて専門の者に任せれば良い。里にそういう者は居るだろうし、それを生業にしている者は少なくないと聞く。
まさか、彼女は空を飛べるようになって私の所へ行きたい等と考えているのではないだろうな。
いや、想像するのは止めておこう。
弾幕ごっこが出来ないのなら、と彼女が普段している遊びにつきおうと提案してみた。
すると彼女は嬉しそうな顔をして私を川原へ連れてきて、川で遊ぼうと誘ってきた。
「ほらヨウムちゃん、こっちこっち」
「ええ」
そこそこ大きな川に到着。昼間は暖かいので、川で遊ぶのは良いかもしれない。川の水は冷たかった。
他に遊んでいる者は居ない。下流の方に離れた所で傘を被った男性が糸を垂らしていた。
刀とおまんじゅうの入った風呂敷を下ろして川の中へ。
オミエは川の虫を捕まえるのが上手かった。跳ねる虫を取っては川に投げ捨てている。
まだまだ寒い時期だからか、虫は少ししか居ないようだがオミエは数少ない虫を次々と捕まえている。
川の石をひっくり返せば色々な虫が潜んでいるのがわかるのだが、虫は危険を感じ取って他の石の影に逃げようとする。
オミエはその瞬間に虫を掴んでいるのだ。私も真似してみようとしてみたが、上手くはいかなかった。
弾幕ごっこや普段の剣の鍛錬があるから何とかなると思っていたのに、中々どうして上手くはいかない。
そもそも要領が違うのかもしれない。必死になって虫を掴もうとしても、水の中の石に指をぶつけるだけ。
余りにも掴めないのでイライラしていると、川底のぬかるみで足を滑らせた。
倒れそうになる私をオミエが掴んでくれたが、それでも止まらずに私は川へ勢いよく浸かる羽目になってしまった。
オミエまで一緒に倒れたものだから、二人ともびしょ濡れ。
釣りをしていた男性から「大丈夫か?」と声をかけられた。「大丈夫!」と返し、とにかく川から上がるしかなかった。
おまけに気付いたときには、陽が沈みかかっているではないか。
オミエが家に来てお風呂に入っていけ、と言ってくれているがもう帰らないといけない。
「そのままだと風邪引いちゃうよ! うちへ来たら良いのに!」
「そう言ってくれるのは本当にありがたいんだけど、もう帰らないと」
「ぶー」
「まあそう言わずに。また来週店へ行くから」
白楼剣を腰に差し、楼観剣と風呂敷を背負って飛び上がる。私の下には水が滴り落ちていた。
「風邪引かないようにねー!」
「ええ、じゃあねオミエ!」
冬の気配は消えつつある。先週より寒くないのだが、水に濡れた状態で風を受けるのでとても寒く感じる。
白玉楼に着いたときには体を擦ってやらないと寒いぐらいだった。
幽々子様に戻りました、と挨拶しに行こうにも濡れたままでは失礼だと思う。
かといって主人より先にお風呂に入るなんて出来ない。
玄関で困っていると、幽々子様から声をかけてくださった。私が帰ってきたのを察知してくださったらしい。
「あ、幽々子様。ただいま戻りました」
「今日は良いお天気だったわね」
「いえその、雨が降っていたとかではなくてですね……川に転んでしまいまして」
「あら、いいわね。川に寝転がって月を眺めるのなんか」
「お風呂にはもう入られましたか?」
「ええ、入ったわよ。服濡れたままで良いから、早く入ってしまいなさい」
「そ、そうさせて頂きます……ぶるぶるぶる」
湯船に浸かっても体は温まらない。体の震えが止まらない。たぶん、風邪を引いたのだろう。
お風呂から上がると体がだるく、ご飯を食う元気が出なかった。
それでもおまんじゅうを食べる元気は出た。今日はこれで食欲を誤魔化そうか。
使いの霊に私の食事を下げてもらい、買い置きの風邪薬を頼んだ。薬を届けてくれたのは霊ではなく、幽々子様だった。
「顔色が悪いわ」
「そんな、幽々子様のお手を煩わせるなど」
「いいから、いいから」
臭くて苦い粉の薬を水で流し込む。余りの苦さに吐き気を催した。
「夜更かししちゃ駄目よ。明日は一日寝てていいからね」
「すみません。暇を頂いた挙句、寝込んでしまって……」
「良いから、良いから。ところで川に入ったって、どういうこと?」
「ああ、それはその、前にお話ししたオミエという子と遊んでいたときに」
「川で遊んでいたの?」
「はい。オミエは川の虫を取るのが上手でした」
「あなたは?」
「一匹も取れませんでした」
「あなたらしくて良いわね」
幽々子様は笑っておられた。こっちは必死にやっても出来なかったというのに。
私が寝る用の布団を、幽々子様が敷き始める。幽々子様のお手を煩わせるわけには、と言うと病人なんだからと輸された。
幽々子様のご好意に甘えて布団に寝転がると、幽々子様が私の頭に手を置かれた。
そういえば私が病気で休んでいるとよく幽々子様が私の頭を撫でてくださったっけ。
優しい手。暖かい手。元気のくれる手。今この瞬間は幽々子様が母親に思えた。
「今日、魔理沙が来ていたのよ」
「遊びにですか?」
「そ。喋ったり、弾幕遊びしたり、お茶飲んだり色々したら満足したのか帰ったけど」
「そういえば最近魔理沙と弾幕ごっこしてなかったな……」
「魔理沙との弾幕遊びはそこそこ良かったわよ。ぎりぎりで勝つとすごく悔しそうにして、ぎりぎりで負けるとすごく嬉しそうにするの」
「……」
「とりあえず、妖夢は早く風邪を治しなさい」
私の部屋から出て行った幽々子様が部屋の襖を閉めた。
寝る前の刀の手入れをしていなかったな、と思い出して布団から這い出る。
今度オミエと会ったときには何をして遊んでやろうか。
また彼女を抱っこして、空を飛んでみようか。きっと喜んでくれる。
刀の手入れは終わった。今日はもう寝よう。
この前買った本は昨日読み終わったし、夜更かしする理由はない。
※ ※ ※
私の風邪は三日続いた。正確に言うと二日なのだが、丸一日余裕を持って休みなさいと幽々子様のお心遣いがあったお陰である。
だが三日目には布団から出て部屋で刀の柄を握ったり、手入れをしたりしていた。
体を動かしたくてウズウズしていたのである。
そうする度幽々子様が私の部屋にやって来られて「安静になさい」と注意されるのであった。
そして次の水曜日がやってきた。風邪は完治している。
いつものように昼食をかきこむと急ぎ気味で白玉楼を飛び出した。
二本の刀と死んでる私と、風呂敷を確認して顕界へ降り立つ。
今日は薄暗かった。太陽が雲で隠れているせいだ。雨が降らなければありがたないのだが。
松嶋屋へ着いたときには、店にお客さんは居なかった。
女性の声の挨拶しか聞こえないのは、主人が居ないせいか。今は奥さんだけでやっているらしい。
訊いたところによると、今日は畑仕事が忙しいので店は片手間でやっているそうだ。
奥さんがお茶でも飲んでいかないかと誘ってくれたが、オミエが私の手を引っ張るので遠慮した。
今日は里からちょっと離れて、紅魔館近くの草原へ。
「ヨウムちゃんってお偉いさんに仕えてるんだっけ?」
「ええ、そうよ。それがどうかした?」
「じゃ、今日一日あたしもお偉いさん!」
「え?」
「今日一日あたしが屋敷のお嬢様とかだと思って、遊んでみない?」
「それって、どういう……」
「さあヨウム、あたしのことはオミエお嬢様と呼ぶのよ!」
なるほど、ようはおままごとがしたいということか。
「ああ、なるほどね。まあ良いわよ、オミエお嬢様」
「あー、なんか良い。ヨウムちゃんもう一回お願い!」
「お嬢様のとこ?」
「うん!」
「オミエお嬢様」
「あー! なんかすごく良い! それにヨウムちゃんが言うとすごくそれっぽく聞こえる」
それっぽい、か。事実幽々子様、西行寺お嬢様の従者みたいなものな私だから、自然とそういう空気を醸し出しているのかもしれない。
「ほらヨウム、あたしは空が飛びたくなったわ!」
「え?」
「前みたいに抱っこして飛びなさい!」
「うーん、まあ良いけど」
「違う違う」
「ああ。かしこまりました、オミエお嬢様」
「そうそう、そんな感じでね」
駄々をこねるオミエのために彼女を空へ案内することに。抱きしめ、私の体に手を回してもらって地面を蹴った。
ゆっくり、かつ低高度で待機。万が一のことを考えて高いところまで飛ばないようにする。
現にオミエがはしゃいで暴れようとするので、落さないよう抱きしめていないと危ない。
「やっぱりすごいなー! ねえヨウムちゃん、あのお屋敷もっと近くで見たい!」
「駄目よ。門番とか警備の者が飛んできて厄介だから」
「ぶー!」
「オミエお嬢様、お嬢様ともあろうお方がみっともないですよ」
「……」
あの紅魔館の門番、美鈴になら絶対に勝てるという自信があるが、咲夜が飛んでくるとなると勝率は五分五分といったところになる。
それにオミエを抱えたまま行くなんて危険だ。仮にも美鈴は妖怪だから、何が起こるかわからない。
「ここで我慢しておきなさい。この状態で誰かに教われたりしたら、オミエを守りきる自信がないの」
「お嬢様!」
「……オミエお嬢様、紅魔館には妖怪や悪魔が潜んでいるので危険です。他所へ行きましょう」
「そこまで言うなら、仕方ないなあ」
オミエの声には緊張感がなかった。妖怪だと聞けば大人でも驚き、怖がる者が居るぐらいだというのに。
確かに美鈴は門番だからか、外へ出歩いて人間を襲うようなことを滅多にしないがそれでも子供のオミエには十二分に脅威である。
このまま里の方へ連れて行こうと思ったとき、高速で移動している者が近づいてきている気配を感じ取った。
降りてオミエをどこかに隠すべきか? それともこのまま人里へ逃げるか?
轟音と共に近づいてきたのは鴉天狗にして新聞記者の射命丸文だった。
「あやや!」
私とオミエが一緒にいるのを見た文はここぞとばかりにシャッターを降ろしている。
「どうしたんでしょう、冥界の庭師さんが誘拐ですか」
「誘拐とは人聞きが悪い。一緒に遊んでるだけよ」
「すごーい! ヨウムちゃん天狗と知り合いなのー?」
「まあ、一応ね」
「どうせなら本当に誘拐して頂けませんか? そうじゃないとおもしろい記事にならないんで」
「悪いけど、今取り込み中なの」
オミエにそんなこと出来るはずがない。この子は私の友達だ。大切な友達なんだから。
一旦地面に降りてオミエを放した。また後で飛んであげるから、と約束してから刀に手を伸ばす。
「あなたを嫌ってるわけじゃないけど、今は友達と遊んでる最中だから空気を読んで帰って欲しいの」
「まあまあ、そう言わずにどうですか」
文は私の話を一向に聞いてくれなかった。となれば、実力行使で追い払うしかない。
本当のところを言えばオミエの前で格好つけてみたいな、と思った。
文がカメラのシャッターを降ろそうと指に力を入れたのが見える。
地面を蹴り、彼女の視界外へ逃げてから居合い抜きで文に打ち込んだ。
結果、刀は空を斬って終わった。文は遠くの空へ消えて行く。
返しの太刀筋を向けた頃には完全に見えなくなっていた。
呼吸を整えてから刀を納め、下に降りるとオミエは目を輝かせていた。
「すごーい! ヨウムちゃん本当に刀振れるんだね!」
「……」
オミエは私の剣さばきを見て興奮しているようだが、文に避けられたので褒められても嬉しくなかった。
むしろ恥ずかしいので、別の話題に切り替えたいと思うぐらいである。
だがオミエの興奮はそう簡単に冷めず、その後抱きしめて里の松嶋屋まで空を飛んでやったのにその話で持ちきりだった。
お嬢様ごっこのことなど忘れてもう一回刀を抜いて欲しいとか、試しに何か斬ってくれだの。
和菓子屋へ着いた頃には時間も遅くなっていたのでオミエとは別れた。
また来週どこか連れて行ってねとお願いされ、私は快く引き受ける。
まさか家の中で両親に今日の話をしてはいないだろうな。
出来れば空振りに終わったところだけ伏せて欲しいものだ。未熟であることは十分理解しているから。
今日もクタクタに疲れて帰ってきた。幽々子様は紫様の所へ遊びに行かれているとのこと。
一人で浴場へ行き、お風呂を焚いて天井を眺めてみる。
ふと、彼女の所へ遊びに行くのを楽しみにしている自分に気がついた。
霊夢や魔理沙、咲夜みたいな異変や弾幕ごっこで知り合った友達はいるが、何の接点も無さそうな子と居ることがおかしく思えた。
博麗神社へお邪魔したとき教えてもらったおまんじゅうがきっかけだったか。
霊夢にはある意味感謝すべきなのだろうか。ありがとう、と言いに行ったところで向こうは反応に困るだけだろうな。
この付き合いはどれぐらい続くのだろうか。
そのうち幽々子様がおまんじゅうの味に飽きられたりして、買いにいかなくて良いなんて仰ったりしないだろうか。
例えば、暇をもらえなくなりだして里に行く時間のないまま時間が過ぎていく。
オミエはその間にもどんどん大きくなっていって、久しぶりに会ったときにはもう向こうは大人になっていたりして。
成長の遅い私は今の幼児のまま。久しぶりに会ってみたら向こうは結婚していて、子供も居て。
オミエが昔みたいに走り回ろうとするんだけど体力が落ちていて、私に追いつけないぐらい足が遅くなっていたり。
私がオミエを抱きしめようとすると、逆に抱きしめられる側になって。
いざ飛んでみたらオミエの旦那さんが心配そうに見ているので、すぐに降ろしてしまうことになって。
じゃあまたね、と別れを言った後振り向けば旦那さん、子供と手を繋いで「夕食何にしようか」みたいな話をしていて。
もっと時間が過ぎていけばオミエはおばあさんになる。その頃には私の体はちょっとぐらい大きくなっているだろうか。
向こうは六十歳を越えていて顔には皺が入る様になっている。
そして私が里に行こうと思いながら日々を忙しそうに過ごしていたら、オミエは死んでしまったりする。
私はオミエのことを忘れてしまい、人間以外の知り合いとばかり絡むようになったり。
松嶋屋の看板、店すら無くなったりするのだろうか。もしそうなって、私はオミエのことを覚えていられるのだろうか。
※ ※ ※
人里である事件が起きたらしい。里で通りかかった慧音に教えてもらった。
子供の遊び場としてよく使われている、原っぱにある札を貼った柵が何者かによって破壊された。
里中に緊張感が漂っているのがわかった。里のそこら中を武装した妖怪退治屋が警戒している。
原っぱというと、最初にオミエと遊びに行った場所のことだ。確かにあそこは何かしらの結界を施していた。
その結界を破れるような人間以外が暴れたとしか考えられることは無い、と慧音は言った。
それから原っぱ自体を柵で囲って中へ入れないようにしたとか。子供が遊ばないように、ということだろう。
ただ子供にとって遊び場が亡くなるのは辛いらしく、柵を越えて原っぱで遊ぼうとする子供が後を絶たないとか。
その中にはオミエも含まれているらしかった。あいつと友達だというのならそっちからも注意してくれないか、と慧音に頼まれるほど。
言われなくともそのつもりだ。オミエは妖怪の怖さを知らない。彼女は妖怪を舐めている。
柵には近日中に再び結界が施されることにはなっているらしい。より強力な奴を。
いっそのこと私が出向いて近くに妖怪が居ないか見てきても良いかもしれない。
でも私は冥界の住民だし、私が最終的に守るべき者は幽々子様一人である。
こう言うと薄情者に聞こえるかもしれないが、オミエや慧音、知人が無事ならそれで良い。
どうせそのうち専門職の霊夢が片付けてくれる。私が手を下す必要はたぶん無い。
里を大事にしている慧音も、さすがに私を頼ったりはしなかった。
「私も見回りしても?」
「いや、そこまでしてくれなくても良い」
試しに私の方から警備をした方が良いのか、と仄めかしてみたら丁寧に断られた。
「まあ、そう言ってくれるのは嬉しい。茶でも飲んでいくか?」
「いえ、オミエの所に行ってくるわ」
「そうか。これ以上の騒ぎにはならないと思うんだが、気をつけろよ」
松嶋屋は閉まっていた。玄関に「閉店中」の札が貼られている。
店の中にも人は居ないのだろうか。試しに声をかけていると、店の横から私を呼ぶ声がした。
「ヨウムちゃん!」
「オミエ!」
彼女に誘われて店の影へ。里では今外を出歩いてはいけない、ぐらいになっているらしかった。
それなのになぜオミエがここに居るのか、というのは家を飛び出したからだと自信たっぷりに教えてくれた。
「駄目じゃない! オミエ、ついて行ってあげるから家に帰るのよ」
「やだ! 今日はヨウムちゃんが遊びに来る日なんだもん! ヨウムちゃんと一緒に遊ぶの!」
「先生に外に出たら駄目って言われたんじゃないの?」
「やだやだ! ヨウムちゃんと一緒に空飛びまわりたい!」
「駄目って言ってるでしょう! いつ妖怪が出てくるかわからないのに、外を出歩くなんて危険すぎる!」
「……ヨウムちゃんまでお母さんや先生みたいなこと言うんだ」
「あなたのことが心配だから言ってるの! じゃあこうしましょう。今日はオミエの家に遊びに行くっていうのは?」
「外が良い!」
「な、何で……お願いだからわかってよ、オミエ!」
「絶対に嫌! ヨウムちゃんとお外ではしゃぎ回って遊ぶの!」
あくまでも駄々をこねるつもりらしい。このままでは埒があかない。
力ずくで運ぶこともやろうと思えば出来るが、困ったことに私はオミエの家の場所を知らないのである。
慧音はどうだろう。もしかしたら知っているかもしれない。
捕まえて空を飛べばオミエも逃げられないはず。飛んで慧音の寺子屋まで行ってみるのだ。
そう思って両手を伸ばすとオミエは何をされるか察したのか、走って逃げて行った。
「ほらほら、こっちだよー!」
「オミエ! 待ちなさい、オミエ!」
いつも以上に本気で足を動かした。それなのに中々追いつけない。
白玉楼の広大な庭を駆け回って鍛えたこの足に追いつける者など、殆ど居ないはず。
それなのに目の前の少女に近づけないでいる。
オミエは民家の並ぶ、裏通りを駆け抜けて表通りへ入る。大声で「その子を止めて!」とすれ違う人らへ必死にお願いするしかなかった。
何人か捕まえようとしてくれた人が居たが、オミエはその人達の手を掻い潜ってとうとう里を抜けてしまった。
里を抜けた先は危険だ。妖怪退治屋達の目が届きにくくなって、いざというとき来てくれないかもしれない。
さらに最悪なことに、オミエは前に一度行ったことのある半壊した小屋のあるところへ入って行った。
オミエは小屋のところで止まって息を整えていた。叫んだりしながら走っていたので私は呼吸を落ち着かせるのに精一杯。
「妖怪なんか、怖くない」
「……何を突然。何の力もないあなたでは妖怪に立ち向かうことさえ出来ないのに。あなたは家で家族と一緒に居るべきなのよ。あのご両親が守ってくれるから」
「ヨウムちゃんが守ってくれるもん!」
「え?」
「妖怪が出てきたって、ヨウムちゃんがオミエお嬢様って私を守ってくれると思っているもん!」
「だけど、私はいつも傍に居てあげられるわけじゃない」
「ううん、絶対助けてくれる! あたし信じてる!」
彼女の真剣な眼差しに私は圧倒されていた。そこまでして私を信用してくれるのはとても嬉しい。
でも私が冥界に帰っている間、私はオミエのところに駆けつけて来れるわけじゃない。
最も優先すべきは幽々子様。大体私が白玉楼に居て、オミエが妖怪に襲われたりしてもところでわかるはずがない。
幽々子様とオミエのどちらを助けるか、と訊かれたら躊躇なく幽々子様を助けて欲しいと言う。
当然オミエも大切だが、一番ではない。だがオミエは私が一番だと言ってくれている。
自分に腹が立った。彼女に応えたい私とそうでない私が争っている。そんな自分に腹が立った。
「私、帰るわ」
「え?」
「なんだか気分が悪いの」
「ま、まだ明るいし。ヨウムちゃんが居なくなったらあたし怖いよ」
「だったら早く家に帰りましょうよ。送ってあげるから、さあ」
「……いい」
「え?」
「送ってくれなくてもいい。ヨウムちゃんが遊んでくれないのなら、あたし一人で遊ぶ!」
オミエが山の奥へ足を向けた。追いかけても相変わらず追いつけず、むしろ距離は離れていく一方。
確かにオミエの年齢を考えれば遊びたいのはわかる。でも時と場合というものがある。
少しぐらい怖がらせたほうが良い薬になるのではないか。そう思ったとき、私の足は動かなくなっていた。
暫く追いかけずにいたら戻ってきたりするんじゃないだろうか。
オミエの両親はオミエを心配して探し回っている頃だと思う。
もしかしたら慧音か里の警備の者がこの場所を見に来るかもしれない。
だから私が今このまま帰ってしまっても大丈夫なはずだ。オミエは里に帰る道だって知っているわけだろうし。
私はもうこのまま帰る気だった。大体彼女は駄々をこねるばっかりで人の話を聞こうとしてくれない。
妖怪が里へ侵入してくるかもしれないから危ないと言っているのに、外へ出歩いて遊ぼうなんて間違っている。
挙句、力ずくで家に送りつけようとすれば逃げ回る始末。
オミエのことなんてもう知らない。オミエとの付き合いはこれからどうなるのか、なんて考えていた自分がバカらしく思えた。
彼女が引き返してくる気配は全く感じない。しかし、もう彼女には付き合いきれない。
もう山の方は見なくなった。空を見て、白玉楼へ向かっているから。
白玉楼に戻ってみると、気分はもっと悪くなっていた。
友達としてやってはいけないことをした気がするのだ。
今すぐにでもあの小屋のある所へ戻り、オミエを探しに行きたくて仕方がなかった。
考えれば考えるほど自分に腹が立つ。あのとき死ぬ気で追いかければ良かった。
嫌な想像ばかりが浮かんでくる。誰にも見つけてもらえず、妖怪に襲われたりしていないだろうか。
取り返しのつかないことをした。彼女の安否を確かめに行きたい。
「やり残したことでもあるの?」
帰ってきたと幽々子様にご挨拶しに行くとそう仰られた。なんでもお見通し、ということか。
「私は良いのよ。行ってあげなさい」
「すみません、幽々子様……すぐに帰りますから!」
幽々子様に言われて気付いたおまんじゅうを置いていき、すぐに白玉楼を発った。
人里へ向かう途中、白玉楼へ遊びに行っている最中だという咲夜とその主人に会った。
急いでいるので会釈だけしていくつもりなのだが、吸血鬼の方に絡まれることとなった。
どうしようもないぐらい急いでいるとまくしたてると、向こうはわかってくれたらしく白玉楼へ行ってくれた。
とりあえずは人里に到着。外部の者の気配を感じ取ったのか、慧音が飛んで出てきた。
オミエと妖怪の山付近へ行った後、喧嘩して山へ入って行ったオミエを追わずに帰ったと説明すると、慧音はみるみるうちに顔を青くしていった。
「ば、馬鹿者! オミエの両親から娘が居ないと聞いて、ずっと探しているところなんだぞ! どうしてもっと早く言わなかったんだ!」
「それについては本当に悪いと思ってる。けど、今は急がないと!」
慧音はオミエの両親に事情を伝えに行った後、私の後を追ってくると言った。
半壊した小屋のある所は知っているらしく、そこから山へ入って行く道があることも知っているらしい。
おそらくオミエが入って行った道のことだろう。知っているのなら話は早い。
私は一刻も早くオミエを見つけに行こう。手遅れにならないことを祈って。
小屋のある場所に到着。空を見上げれば満月だった。
満月。つまり妖怪が最も活発に動いている夜。最悪の状況だ。
月の明かりが届かない、暗闇の道へ踏み入れた。妖かしの気配で満たされており、怖いぐらいだった。
でも相手はお化けじゃない。妖怪だ。手が震えているが、オミエはもっと恐怖を感じているに違いない。
私は刀を抜いて山の道を急いだ。オミエが足を滑らせて谷間に落ちたりしていないか、周りをよく見ながら。
どこへ行っても誰かに見られているような気がして、落ち着けなかった。
喉は渇き、足が動かなくなってきた。刀を握っている利き手も疲れてきている。それでも探すのを中断するわけにはいかない。
慧音の言った通り、あのあと慧音に言いに行けば良かった。いや、それ以前に私が追いかけてやれば良かった。
確かにオミエは私の言うことを聞いてくれなかったが、あそこで放ったらかしにすべきではなかった。
ただでさえ里が厳戒態勢だというのに、そんな状態で山へ入って行くオミエは死にに行くようなもの。
険しい山道を登っているだけでも苦しいのに、自責の念にかられてはもう殆ど動けなくなってしまった。
オミエの名前を呼んでも返事はない。遠くから獣の声は聞こえるが、少女の声など聞こえるはずもない。
「ヨウムちゃん……」
誰かが私を呼んでいる。慧音か? いや、彼女は私をちゃん付けでは呼ばない。
「ヨウムちゃん!」
亡霊か、はたまたお化けか。それとも私を知っている妖怪か? 油断はできない。
「ヨウムちゃんってば!」
左からはっきりと私を呼ぶオミエらしき声が聞こえたので振り向くと、物陰からオミエの顔がこちらを覗いていた。
「オミエ! 無事だったのね!」
彼女の近くには誰かが居た。どうやら厄神様らしい。そしてそこは厄神様の祠だった。
刀を一旦納め、厄神様に会釈してからその祠にお邪魔する。
オミエはとても嬉しそうな顔をしていた。怖かったか、と聞くと神様が居たからそうでもなかったそうだ。
厄神様に聞くと、山に入ってきたオミエを里へ送り返そうとしたらしい。
だがオミエは私の言うことを聞かずに飛び出したことで悩んでいて、戻るに戻れなかったとか。
それで今まで厄神様に匿ってもらっていた、ということだそうだ。
「あなたがお友達のヨウムって人ね」
「はい、そうです」
「ヨウムちゃん、ごめんね! あたし怖かったんだ! お腹空いたし、眠たいし……」
「こちらこそ、ごめん」
そのうち慧音がこっちに来るだろう。こっちから来た道を戻れば合流できるだろうし。
運良く神様が居る所にぶつかって、良かったと思う。そうでなければ今頃妖怪の胃の中、なんてのもありえたからだ。
とにかくこのまま連れて帰ろう。里に入るまでは安心も出来ない。
厄神様に頭を下げ、オミエと手を繋いで出口を目指すことにした。
空を飛んで行ったほうが安全だとは思うのだが、慧音と行き違いになるのを避けるためである。
と、出口が見えかかったところで山の上の方から何者かが唸っていることに気付いた。
咄嗟にオミエを抱え、出口を目指す。せめて広い所に出ておきたい。
その何者かが急接近してきたのを感じ、横に飛んでおく。だが間に合わなかったのか、私は吹き飛ばされていた。
強い衝撃。オミエの悲鳴。刀が軋む音。
オミエの名を叫びながら状況を把握しようとするのだが、突如背中に来た衝撃による痛みでどうにかなりそうだった。
死んでいる方の自分に起こされて気がつく。オミエは何者かに体を弄られていた。
今いる場所は例の小屋がある原っぱだった。
山の道とは違って月の明かりが届いている場所だから、その何者かの姿がわかった。
それは大きな獣だった。いや、ただの獣じゃない。妖怪だ。
人間の背丈より遥かに大きい狼が私に背を向けている。その狼の物陰から誰かの手が伸びていた。
「ヨウムちゃん……」
オミエの声だった。大きな狼の唸り声も聞こえた。その唸り声はさっき耳にしたものとよく似ていることに気付く。
そうか、目の前の狼が山を降りていく私とオミエを襲ったのか。
白楼剣を抜き取り、狼のお尻に狙いをつける。思い切り地面を蹴って勢いをつけ、刀身全部を埋め込んでいく勢いで刀を突き刺した。
狼は悶える。上半身を起こして苦しんでいる。血を流しているであろうオミエが見えた。
すぐさま駆け寄り、抱いて狼との距離を取った。オミエの手が力なくぶらんと垂れ下がっている。
噛み付かれたらしく、腹から血が出ていた。すぐ医者に見てもらわなければ危険だろう。
未だに苦しんでいる狼を余所に半壊した小屋に入り、オミエを廃材に寝転がせた。
「オミエ! しっかりして、オミエ!」
「ヨウムちゃん……痛いよう……」
泣き叫ぶような元気もない様子。なんてことだ、気がつくのが遅れていたら完全に食われていたところだった。
だが腑甲斐ない状況であることには変わりない。
スカートの裏地を千切って傷口に当てたが、気休めにもならないだろう。
慧音は何をしているんだろう、と思ったが里の方が煩かった。
騒ぐようなことでも起きているのだろうか。もしかしたら里の方にも妖怪が出ているのかもしれない。
だが今はそれどころではない。この場は私が何とかするしかない。オミエの傍に半霊を置き、小屋の外へ出よう。
「ヨウムちゃん……」
「じっとしてて。あいつ、やっつけてくるから」
「痛いよ。お嬢様のあたしが苦しいんだから、傍に居てよ」
「……しばしお待ちください、オミエお嬢様。憎き妖怪を退治してまいりますから」
小屋を飛び出し、大声を出して狼の気を引いた。狙い通り、私を向いてくれた。
親指で刀の唾を押し出し、鯉口を切って楼観剣の切っ先を奴に向ける。こんなにも大きく、体重のありそうな妖怪退治なんて初めてである。
だがやり遂げなければいけない。でなければオミエを助けることが出来ない。
これは生死をかけた戦い。スペルカードバトル等と言う、スポーツではない。
向こうはそんなものを使えるだけの頭も無いだろう。こちらも相応の、遊びではなく妖怪を斬り伏せる剣を使うだけだ。
刀を正眼に構える。狼の顔面は傷跡だらけ。けっこうな年は食っているだろう。
狼が飛んだ。口を一杯に開け、獰猛な牙を見せながら噛み付いてきた。
慌てて左に転んだが、狼の前足に服が引っかかる。ベストの肩のところが破れていた。
すぐさまこちらを振り返った狼が再度食いついてくる。体勢が悪く、咄嗟に避けられそうも無い。
かくなるうえは剣を合わせて敵を弾いてやるしかなかった。真っ直ぐ飛び掛ってきた狼の顔面に刀を振り下ろした。
だが間合いの計り方が甘かったらしく、浅く斬っただけに終わる。そのまま狼の体当たりを真正面から受けることになった。
草むらに沈められる。落ちたときの痛みはそれほどでもないが、体当たりのダメージが大きすぎた。
この幼い体にとってはそれだけでも脅威であった。大きく体力を消耗させられ、体中に激痛が走っている。
涙だって出てきた。狼は私が弱っているのを察したのか、ここぞとばかりに喰い付いてくる。
右へ左へ転がって牙から逃れているが、いつか掴まってしまうのはわかっていた。
狼が一瞬動きを止めて唸りだす。この隙に一旦刀を捨てて狼の下を潜り抜け、奴の尻に刺さったままの白楼剣を抜き取った。
刀は思ったよりも刺さっていなかったらしく、簡単に抜くことが出来た。
刀を振って血糊をある程度落す。狼はこちらを睨みつけ、吼えながらもう一度かみついて来た。
狙い通りだ。すれ違い様に奴の横を切りつけ、すぐに反対側へ走って地面に置いていた楼観剣を拾う。
これで二本の刀が揃った。そろそろお前にトドメを刺してやる。
死んでいる方の私が戻ってきた。オミエの傍に居るようしていたはずなのだが。
疑問はすぐに解決した。オミエが瀕死に陥っているらしい。今すぐに医者の所へ連れて行かないと。
そのためにも次で決める。次で殺す。これで終わりにする。
お前を斬る剣は西行寺お嬢様を守るための剣ではない。友人を救うために振るう剣だ。
右手に持った楼観剣を振り上げて上段に構える。左手に持った白楼剣は中段に。
中段の剣で守りを固め、上段の剣で近づいてきた敵に振り下ろしをお見舞いする必殺の剣だ。
振り下ろし。剣術における最も基本的な攻撃である。生まれた頃から何度もやってきた動き。
今度こそ外さない。絶対に成功させる。それに狼の動きにはもう目が慣れていた。
期待通り真っ直ぐに飛び込んできた。頭の悪い妖怪で良かったと本当に思う。
最早何の苦労も必要なかった。ただ敵の動きに合わせて剣を振り下ろし、顔を真っ二つにしてやるだけ。
狼は小さな悲鳴を上げ、草むらに転がっていった。
右にずれながら狼から距離を取り、狼が絶命するのを確認してから懐紙で刀に付着した血をふき取り、納刀。
難は去ったと安心したところで、その場に崩れてしまった。どっと汗が噴出してくる。足が笑っていて、上手く立つことが出来ない。
思った以上に強い敵ではなかったが、命がけの戦いだと思えばこれだけ緊張していたのは仕方ないだろう。
そうだ、オミエはどうした。上手く動かない足を引きずって小屋に入ると、オミエがこっちを向いてくれた。
「ヨウムちゃん」
「妖怪は倒したわ! 早く里に帰って、医者に診てもらうのよ!」
「ヨウムちゃん、寒いよ」
「オミエ! しっかりして!」
「お母さんとお父さんのところに帰りたいよ」
彼女の体が冷たい。刀を鞘ごと抜いておき、オミエを背中に乗せて里まで飛んで運ぶしかない。
オミエを寝かせていた廃材に血がべっとりと染みていた。結構な量の血液を失っているだろう。
いざ地面を蹴って里を目指そうと思ったときにようやく慧音がやってきた。
もう少し早くに来てくれれば、オミエを前もって医者へ連れていけたかもしれないのに。
「大丈夫か!? 里に何匹も妖怪がやって来たから、そっちを追い払うのに背一杯でこっちに来るのが遅れてしまったんだ!」
「じゃ、じゃあ私の刀を持って。急いで医者に診せないと、オミエが死んでしまう!」
「わかった! 私が先を飛んで案内してやろう!」
刀を預け、オミエを落したりしないようしっかりと両手で支えて夜の幻想郷を飛んだ。
何が起こるかわからない夜だから刀は肌身離さず持っていたかったが、彼女を背負うためだから仕方がない。
慧音に先導してもらい、里へ。その途中何度も何度もオミエに話しかけ、意識が途切れたりしないよう注意を払う。
今ばかりは空を飛んでいると言ってもはしゃぐ元気が無さそうだった。
「オミエ? 私の声が聞こえてる?」
「……」
「もうすぐ着くから、もうちょっとがんばって!」
「ヨウムちゃんが、あたしを助けてくれたんだね」
「まだよ。あなたの怪我が治って元気になって始めて、あなたは私に助けられたことになるの」
「でも、ヨウムちゃんが厄神様のところまで迎えに来てくれて、あたし嬉しかった」
「……オミエお嬢様、もうすぐで医者のところに着きます。それまでどうか、ご辛抱を」
「ヨウムちゃん、ありがとう。あたし疲れてきちゃった」
「オミエ!」
「痛いよう」
「まだ気を緩めてはだめよ!」
「……」
「オミエ! オミエっ!」
私の叫びに振り返った慧音の表情からは絶望の色が伺えた。
夜の空だから顔なんて見えるはずもないのに、自分でもそうあって欲しくないと思っていることなのに、もう間に合わないという諦めが感じ取れたのだ。
人里。そこら中に妖怪避けの柵が張っているのだが、壊されている部分もあった。
通りの真ん中辺りに病院があると慧音は言い、そこへ連れて行ってもらった。
その病院の中には十数人の老若男女が寝転がったり、医者の手当てを受けている者達が居た。
慧音が緊急だ、と叫ぶと奥の方に誘われる。奥の方は布で仕切られた、処置室になっていた。
オミエに声をかけたが、反応は無い。それでも私はオミエを布団に寝かせて、診てもらうつもりだ。
慧音と医者に手伝ってもらいながら慎重にオミエを布団に寝かせる。もう意識は無い様子だった。
「……お腹を狼に噛みつかれました」
「出来る限りのことは尽くす。上白沢さんは外で待っていてください」
慧音が額に汗を浮かべている、眼鏡をかけた三十台ぐらいの男性に促されて建物から出て行く。
私に怪我はないのかと訊いてきた。だが私は大した怪我もないので何も言わず、慧音の後ろについて行った。
振り返ると数人の女性が慌しそうに動き始めた。男性の指示で動いているのだろう。
助かって欲しい。でも助からないかもしれない。頭の中はぐちゃぐちゃだった。
慧音が暗い顔で何か言って、差し出された刀を受け取るとどこかへ飛んで行った。オミエの両親でも呼びに行ったのだろうか。
病院の外には中で治療を受けている人の家族らしき者達や、念のための警備と思わしき武器を持った男が数人居た。
その警備の中には博麗神社で巫女をやっている霊夢の姿もあった。
私に気付いた霊夢が何か言ってきたが、私は聞こえない振りをした。今は誰かと話す気分にはなれないからだ。
私はただその場に座りこむしか出来なかった。周りの音なんて全く聞こえて来なかった。
誰かに肩を叩かれた。さっきの医者だった。彼の表情は暗かった。
助からなかったんだ。私は目の前が真っ暗になり、医者の反応に対してうんともすんとも言えないでいた。
不思議と涙は出てこなかった。おそらく実感がないからだろう。
さっきまで喋っていたオミエが死んだと言われても、理解したくない。
また何者かに肩を叩かれた。慧音だった。お別れがどうのと聞こえた。その場から動きたくなかった。もう何もしたくないぐらい。
無理やり引っ張られて、病院の奥へ連れて行かれた。オミエの顔に紙が被せられていた。
松嶋屋の奥さんがオミエの傍で咽び泣いている。店主、オミエの父親はその場で立ち尽くしていた。
私が気がつかないうちにオミエの両親が来ていたのか。
「オミエは、行方不明だったんですが……こいつが見つけてくれたんだ。そうだよな?」
慧音の目からは溢れんばかりの涙が零れている。店主は私を見て何があったんだ、と叫んだ。
説明しようと思うのだが、動かなくなったオミエを見たら何も喋ることが出来なくなった。
「何とか言ったらどうなんだ! オミエは、オミエは!」
「落ち着いてください! こいつだって、妖夢だって……!」
私はその場から逃げ出した。走って、外に出て飛び上がった。
そのまま自分の家を目指し、満月の空を飛んで行った。
白玉楼の門の前で泣き叫んだ。とても今の状態では中へ入れそうにないから。
落ち着くまでは屋敷の中に戻りたくなかったのだ。
私がもう少し早くに行っていればあの狼の妖怪に気付かれなかったかもしれない。
オミエと言い争いをしたとき、すぐに迎えに行ってやれば良かったかもしれない。
狼に襲われたときも、もっと上手くやれたかもしれない。
オミエを救えたかもしれない。でも現実では救えなかった。助けられなかった。
ベストを脱いでみたら、背中のところに赤黒い染みが出来ていた。
オミエの血だろうな。私は血染めのベストをオミエだと思って抱きしめた。
何度も後悔し、悲しみに暮れる。気持ち悪い何かが込みあがってきて吐き気に襲われた。
自分の刀を手に取って見つめた。何が半人半霊の庭師だ。
確かにオミエを殺した妖怪は斬れた。だけどオミエは助からなかった。ただ単に復讐をしただけに終わった。
私はそんなことをするために剣を振っているわけじゃない。そうだ、私は大切な人を守るために剣を振っているんだ。
ちょっと待って欲しい。もしかしてあのとき無理して戦わなくても良かったのではないか。
逃げに逃げて、オミエを小屋に寝かせることなく里に連れて行くことが出来ていたら助かったのかもしれないのではないか。
いや、あの場は迎え撃たなければ背中からやられていた可能性だってある。
それに里にも別の妖怪が出ていたっていうし、万が一その妖怪に目を付けられたら危険なのは変わらない。
何が正しかったのか。結局何をすればオミエは助かったのか。わからなかった。
斬ればわかる。お師匠様はそう仰っていた。
だが斬ったのにわからない。オミエを傷つけた狼を斬ったというのに、何もわかってこない。
手に持っている刀を投げ捨ててやろうと思った。でも出来なかった。
不器用な私にはこれしか取り得がない。かといってその取り得が全く役に立たずだった。
私はこれからどうすれば良いというのだ? 私の頭で考えたところで何も思い浮かばない。
いや、思い浮かぶはずがない。私にそんな難しいことは出来ないだろうし、今までだって考え事をして成し遂げたことはなかっただろうから。
いつもあの方に導かれて動いてきたのだから。あの方に引っ張って頂いていたのだから。
「こんな所に居たの」
誰かに呼ばれた気がした。いや、呼んでくださった。幽々子様が私に声をかけてくださった。
「こっちに来なさい」
「……」
「ほら」
幽々子様が手を差し伸べてくださっている。だが私ごときがその手を取らせて頂いても良いのだろうか?
「そこに居ても仕方ないでしょ」
いや、取るしかない。取らせて頂こう。
どうせ私には自分の行き先を決めることさえ出来ない。
私はこの方に導いていただかないと、どこにも行けないのだ。
「お風呂に入った方が良さそうね」
まだ泣き止まない。顔を上げることは出来そうにない。
「今夜は私と一緒に寝る?」
まさか、私ごときが幽々子様と同じ布団に入るなど。恐れ多くて出来るわけがない。
「あなたが思いつめたところでどうにもならないって、自分でもわかっているでしょ」
「……」
「でも今夜は思いつめなさい。布団の中でいくらでも悔やみなさい。時間が経てば落ち着いてくるでしょうから」
私は口を硬く結んだ。口を開ければ大声でわんわん泣くだろうとわかっているから。
これから幽々子様のお布団にお邪魔するとなれば、大声なんて上げられない。
「良いのよ。心の奥底から響かせてしまいなさい」
「……」
幽々子様は何も訊かれなかった。訊かれたところで上手く喋られるとは思っていないが。
布団の中で目を瞑り、オミエの顔を思い出していた。
彼女と初めて会ったときのこと。彼女の母親に叱られたこと。遊んでも良いと言ったときの嬉しそうな顔。
自分の正体を明かしたときの驚いた表情。ブン屋を追い払おうと刀を振ったあとの、輝かせた目。
狼にやられて苦しそうだった呼吸。最後に聞いた彼女の言葉。
気がついたときには幽々子様に抱かれていた。
噛み殺していた嗚咽はとうとう抑えられなくなり、布団の中でぶちまけた。
※ ※ ※
幽々子様は次の日からいつも通り庭仕事をするようにと仰い、それに従った。
だが昨日の出来事があったわけで、仕事に身が入るはずもなかった。
その度に叱られた。叱られても幽々子様の言葉は殆ど頭に残らなかった。
夜、自分の部屋に一人で居ると何度も泣きそうになった。一晩経ってもオミエの死を受け入れられないでいるからだ。
三日、四日経つと泣くことが少なくなった。
今彼女の魂は彼岸に行ってしまったのだろう。三途の川を渡るのはいつなのか。
そういうことを考えるうちにああ、死んだのかとようやく理解してきた。
五日後には今日のお昼ご飯は何になるんだろう、今度また神社に遊びにいきたいなと考えるようになっていた。
オミエが亡くなってから一週間後。
昼過ぎになって落ちている葉を集めていこうかと思ったとき幽々子様が私に近づいてきた。
「妖夢、今日はあの子の初七日になるんじゃないかしら」
「……そうでしたね」
「行ってあげなさい」
「でも、親戚でもない私が法事に参加するというのも」
「お線香ぐらい立ててあげなさい。今から行けば夕方ごろに着いて、法事も終わってる頃じゃないかしら」
「行ってきても良いのですか?」
「妖夢、今回は特別に行かせてくださいぐらい言っても良いのよ?」
「良いんですか!?」
「ええ。それが終わったらついでに白沢の所にも顔出しておきなさい」
「わ、わかりました! 今すぐ支度します!」
大急ぎで部屋に戻り、刀と風呂敷を持った。お小遣いももらわないと、と思ったところでおまんじゅうを買いにいくわけではないと気付く。
「妖夢」
幽々子様が障子の向こうから声をおかけになった。慌てて障子を開けると、幽々子様からのし袋を渡された。
「これを渡してあげなさい」
「わざわざご用意してくださるなんて」
「早く行っておやり」
「この時間から行くとなると、帰るのが遅くなるかもしれません」
「良いから、良いから」
幽々子様にお礼を言ってから白玉楼を飛び出した。
里。空は赤い。
私は脇目も振らず松嶋屋を目指す。途中慧音に声をかけられたのだが、後でそっちにお邪魔すると言って別れた。
松嶋屋に到着。店は閉まっていた。おかしい。水曜日は必ず営業しているはずなのに。
それともオミエが亡くなったからということで、心苦しいあまり店をやれないのか。
いや、そもそも今日は初七日ではないか。店はやっていなくて当然だ。
「おい!」
女性に声をかけられた。振り向くと、先ほどの慧音だった。
「オミエの両親の、松嶋さんの家に案内してやろうと言っていたのに」
「あ、そうだったの……」
「ほら、こっちだ」
慧音に誘われるがまま、農道を歩いていった。里の通りから少し離れた所。
外で遊んでいる子供は居ないようだ。さすがにあれだけの事があれば遊びたい盛りの子供でも危ないと理解したか。
「葬式には来られなかったのか」
「……ええ」
「あのときの、病院でオミエの父親がお前に酷い態度を取ったが、今はお前に感謝したくて仕方ないそうだ」
「ああ」
「私からもお礼を言いたい気持ちがある。ご苦労だった」
「でも私は……」
「そういうのは止めておけ。お前は冥界に居て、死んだ奴をごまんと見てきたはずだ。あのときこうすれば良かった、なんて考えても仕方ないというのはお前の方がわかっているはずだ」
「慧音は、強いのね」
「強くなんてない。ただ割り切っているだけだ」
「……」
「どうしようもなかったんだ。お前が倒した妖怪の死体を見たとき思ったよ、よくこんな奴を倒せたなって」
「あそこは……」
「ん?」
「あそこにはもう二度と人が入れないようにと、頑丈な柵と結界を施すべきよ」
「一昨日柵は出来たよ。霊夢に結界だって張ってもらった。今後もあそこに子供が入ったりしないよう、見回るつもりだ」
「そう……」
「とはいえ、幻想郷に住んでいる以上妖怪との付き合いは仕方のないことだがな」
「まあね」
「そろそろ見えてきたぞ」
そういえば私は一度オミエに畑にまでなら誘われて言ったことがあったっけ。オミエの家というのは見たことがあるものだった。
家の玄関を開けた慧音が「ごめんください」と声をかけた。
人はすぐにやってきた。出てきたのはオミエの母親だった。私を見て会釈するので返した。
「松嶋屋の前に居たのを見つけて、ここまで連れてきました」
「これはこれは、上白沢さんどうも」
「では、私はこれで」
「え? 慧音はもう帰るの?」
「ああ。お前とも話せたしな」
慧音は玄関の戸を閉めて、あっという間に帰って行った。残された私は奥さんに誘われて客間へ。
「お久しぶりです。この度は……その……」
「良い、良いんだよ」
上手く挨拶を言えないでいると、奥さんがそう言ってくださった。
淹れてもらったお茶を頂戴したいところだが、私は先にのし袋を渡した。
「え、そんな、お譲ちゃん」
「……」
遠慮して受け取ろうとしない奥さんだが、私の目をじっと見た奥さんはのし袋を受け取ってくださった。
奥さんが店主、主人を呼びに行く。私はお茶を飲んで待っていたのだが、主人はすぐにやって来た。
「お嬢ちゃん……」
「お久しぶりです。この度は……」
「お嬢ちゃん、そういうのは良いって言ったでしょ」
また遠慮してくだった。主人の表情は穏やかだったが、気のせいか顔がやつれているようにも見える。
「上白沢さんからそれらしい話しか聞いていないんだが、お嬢ちゃんがオミエを見つけてくれたんだね?」
「はい。でも……」
「良い。見つけてくれたから、良いんだ。それにオミエに怪我させたっていう妖怪はその刀で斬ってくれたって聞いたしね」
主人の横にいる奥さんは泣き始めていた。私ももらい泣きしそうになる。
「オミエは、最後に何か言ったのかい?」
「私にありがとうと。あと痛いって……父と母のところに帰りたいとも」
奥さんはとうとう泣き叫び初めた。奥さんはここに居てもどうしようもないと思われたのか、別の部屋へ行ってしまわれた。
主人も口を閉じ、手で目を覆って泣いていた。
悔しいだろうに。狼に襲われたときオミエの傍に居たのなら彼女を守ってあげられたかもしれない、と思っているのだろう。
落ち着いたオミエの父からオミエの遺灰は先祖代々の墓に収められていると教えてくれたので、お墓の場所を訊いて拝みに行くことにする。
「お嬢ちゃん、本当にありがとう」
泣き止んだ主人が感謝の言葉を振り絞った。私はうんとも、すんとも言えなかった。
別れ際、主人におまんじゅうを渡された。
「こういうのは祝い事で渡すものだとはわかっている。でも受け取って欲しい」
「ありがたく頂戴いたします」
「もし良かったらでいい、これからも暇があればうちに寄って欲しい」
「ええ、是非とも」
私を送りに来た主人と奥さんに会釈をしてオミエの家を出る。もう空は黒くなり始めていた。
墓は里の西のはずれにあるそうだ。里の通りには赤い提灯を出している店が並んでいる。
今はお酒なんて呑める気分ではない。いや、逆に呑まないとやっていられないか。
だが今はお金を持っていない。真っ先に墓へ向かった。
目が暗がりに慣れてきたところで墓守に無理にを言って提灯を貸してもらった。
オミエの遺灰が収められたという墓はすぐに見つかった。他の墓と比べて一際豪華に花を供えられていたからだ。
墓に刻まれた苗字も確認した。きちんと「松嶋家云々」となっている。
提灯を注意深く置いてから楼観剣の鞘に括り付けてある花を千切り、花束の中に押し込んだ。
両手を合わせ、頭を下げる。念仏でも唱えてあげるべきか、と思ったところで念仏なんて知らないということに気付いた。
目を開けて墓を見つめる。もうオミエの死は受け入れたつもりだったが、涙は再び溢れてきた。
泣きやんだ頃には提灯の蝋燭が残り僅かだった。火を消して墓守の家の前に置いて白玉楼を目指した。
慧音はこの幻想郷の人里を愛しているのだろう。その人里が妖怪に襲われて、今回の騒動で人が何人も死んだのかもしれない。
少なくともオミエが死んでいる。慧音だって悲しいだろうに。それなのに今日の慧音はいつもの調子にしか見えなかった。
それは慧音がオミエや他の死んだかもしれない人々はどうにもならなかった、と無理やり納得しているのだろう。
彼女は私に死んだ者達の魂をたくさん見てきたから私の方がわかっているだろう、と言ってきたが彼女は間違っている。
冥界と顕界との結界が薄くなる前まで私は生きてきた者達を殆ど見たことが無かった。
だから私はオミエが死んでしまった次の日も何も出来ずでとても心苦しかった。
だが慧音は違うのかもしれない。彼女は私よりも生きてきた者達を見てきたはずである。
そんな者達が死に直面、あるいは死んでいく様も見てきたはずだ。
くよくよしていても仕方がない、とわかっているのは彼女の方だ。
私の方が死んでいった者達を見てきていないから、今でも辛いのだ。
白玉楼に到着。幽々子様の部屋には小声で挨拶して、すぐ部屋に戻った。
部屋の窓から幽かな月明かりが差し込んでいる。今日は何っていう月だったか。
満月の次の週の月に名前がついていたと思ったのだが、思い出せない。幽々子様ならご存知だろう。
満月の次の夜の月なら名前を知っているというのに。
部屋の箪笥の奥から紙に包まれた、私のベストとスカートを丁寧に取り出した。
これはオミエが亡くなった夜に来ていた私の服一式。
私はこれを大切にしていくつもりである。私に出来た、普通の人の友達。その記念。記念と言ってもありがたいものではないが。
おそらくないだろうが、これを持っていれば絶対に彼女のことは忘れない。
彼女を守りきれなかった悔しさを糧にして私はこれからも修行を続けるつもりだ。
もしあのときオミエお嬢様ではなく、西行寺お嬢様を守って戦っていて、それで幽々子様に危険が及んでいたら私はどうしていただろうか。
オミエと幽々子様を天秤にかけるみたいで酷いとはわかっているが、もしそうなれば私は切腹なんてものでは済まないことになる。
これからも、いやこの先もっと必死になって幽々子様を守りきれる庭師として精進し続ける。
あれから二週間後。私は人里で紅魔館のメイド長とまた会った。
この日は向こうから弾幕勝負に誘われた。結果は私の辛勝だった。
弾幕遊びとはいえ日々の鍛錬の結果を出してやろうと集中して立ち向かってみると勝てたのだ。
咲夜には松嶋屋のおまんじゅうを奢ってもらった。
咲夜はおまんじゅうを食べながら「雰囲気変わった?」等と妙なことを訊いてきた。
私は「特に何もしていないと思うんだけど」と返した。
咲夜は食いついてきた。「何か、顔が大人びた気がする」とおまんじゅうを飲み込んでから言ってきた。
私はうんとも、すんとも言わずに自分のおまんじゅうを平らげた。
霊夢にも会った。私が神社に遊びにいく形で。
結局あの夜の出来事を慧音から詳しい話は聞いていなかったが、霊夢がお茶を飲みながらで教えてくれた。
あの騒動で人が三人死に、十一人の怪我人が出たそうだ。
そう話すときの霊夢は暗い表情をしていたが、慧音みたいに割り切った感じであった。
口には出さなかったが、霊夢だって辛かっただろうに。
何せ霊夢は人間達を守るために巫女を生業としているのだから。
あの夜、病院から出てきた私を見た霊夢は私が死人みたいに見えたらしかった。
半分は死んでるけどね、と言うと霊夢は少しだけ笑った。
どれだけ時間が経とうがオミエのことを忘れた日は無い。
私は彼女の無念、オミエの母親のやるせなさ、父親の悔しさを背負って生きて行くつもりである。
過ちを繰り返すことはないよう、絶対に幽々子様をお守りすると再決心していかなる困難にも立ち向かってやる。
私の剣は友人を守れなかった。この事実を強く受け止め、せめて主人だけでも守ることの出来る剣を完成させるのだ。
もし私が生きている間にオミエの魂が白玉楼に運ばれてくることがあれば、こちらが私の主人よと西行寺お嬢様を紹介してあげようと思う。
悪いけど、コメントは控えさせて欲しい。
ただ面白かったとだけ。
二十代?