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私は楽園の素敵な巫女、博麗霊夢。
素敵な巫女は素敵な神社の経営を任せられている。
そして、私の主な仕事には博麗大結界の管理とその維持がある。
博麗大結界は博麗神社を社として存在する。だから私は神社を経営しなければならない。しかし神社の維持そのものが幻想郷に必要なのだから私は生活に不自由することも無い。無駄遣いは出来ないが衣食住に困ることもない。要するところ、清潔な暮らしを維持するために苦労をしなくていいのだ。
昼食であるお茶漬けとみそ汁焼き魚にたくあんも神社に居るだけで手に入るし、茶の葉だって気付けば補充されている。昼間なのに縁側で飲茶しつつ呆けることもできる。私は神社に居続ければ良い。そこで問題なのは神社から出る必要がないのではなく、出来る限り神社に居なくてはいけないということだ。
「誰か来ないかなぁ……」
一週間と三日、神社に訪問客がいない。
参拝客はおろか物好きな人妖さえも来ない。
だから家事を粗方終わらせてしまうと暇な時間がやってくる。こうやって縁側に座り一人お茶を飲む時間がやってくる。縁側の飲茶自体に以前から変化がなくとも、訪問者がいないだけで時間の進みがずっと遅く感じるのだ。人里に下りて誰かと話でもしようかとも考えた。ただ今は神社を離れるのは得策ではないと巫女の勘が告げているのだった。
何が起きているわけでもないのに。
時間が有り余っている。手持無沙汰なのである。
この事がどうも納得できず、不服なのだった。
私が最後に魔理沙を見たのは今から一週間と五日前だ。昼過ぎに山菜とキノコを持ってきたので夕飯に味噌煮込みの鍋を作って一緒に食べることにした。その日魔理沙は一日泊まっていって、次の日の昼ごろに帰っていった。
紫は出てきたと思ったらすぐどこかへ行くというのを繰り返していた。最後に見たのは、やはり一週間と三日前だ。日が傾き始めてから縁側でお茶を飲んでいたらいきなり現れて「足りないものは無い?」と聞いてきた。お米と味噌がもう少しでなくなりそうと言っておいた。その日の夕飯前には台所へ補充されていた。
萃香は、一週間と四日前にここで宴会があった時に見た。たらふく飲んで擦り寄ってくるので、角が痛かった。あと酒臭かった。文が絡まれていたが、楽しそうな顔をしていた。内心どう思っているのかは知らない。
「……」
そう、変化が起きるとすれば一週間と四日前からのはずだ。
宴たけなわの時、一人輪から抜けて飲んだのが悪かったのだろうか。特に意味は無い、全体を鳥瞰的に見てみたかったのだ。あとは賽銭箱に寄りかかり火照った体を冷ましたかったのだ。決して邪険にしようと思ったわけではない。
いや思い起こしてみればそれだけではない。
魔理沙、寝るときに布団は自分で敷けと言ったのは悪かっただろうか。
紫、台所で米と味噌の補充を確認したとき、一言でもお礼を言うべきだっただろうか。紫のことだから、私が何か言うのを見えないところから観察し期待していたかも知れない。
萃香、宴会の時に角が痛いからやめてと言ったのが悪かっただろうか。体の特徴というのは直せないものだし、それを言われて傷付いたかもしれない。だから文のところに行ったのかも知れない。
文、宴会の時、萃香は私の次に文のところへ行った。私は文から直々に、天狗は鬼が苦手と聞かされている。文からしたら、私が萃香をけしかけたと勘違いしていそうだ。もしそうだとしたら私はすごく嫌な奴なはず。そんな奴のところにはきっと二度と顔など出したくない。
挙げ始めればまだまだきりがない。
もし次に会ったら、次があったら、謝りたい。
「ぐすん……」
そういえば、一週間と三日前にこんなことがあった。
境内の端っこに蔵がある。紫から「中には大事なものが入っているから触らないように」と何度も聞かされている蔵だ。中を見た記憶が大分おぼろげだったし、一応でも博麗神社の境内である。午後になって、納品物の把握も兼ねて中を掃除でもしてみようと思った。
まず頑丈な錠前がかかっている。そしてその下に高度で複雑な結界が張ってある。結界はともかく、とりあえず錠前を開錠する必要がある。寝室の鏡台の上から三段目の引き出しを開けてみろと、巫女の勘が告げていた。一度寝室へ戻り引き出しを開けてみたら、なんてことは無い、私は予備の退魔針をそこに入れておくのだ。予備の針はそのまま蔵の前に戻る。
懐に常備してある方の針を錠前へ突っ込んだ。
そしたら結界もろとも簡単に開いた。
博麗流の退魔針ならば何でも開くらしかった。
扉を開けて蔵の中を見てみると、埃まみれだったがかなりのものが収納されていた。
一番手近なところに置いてあった本が目に付いた。埃が手につくのを嫌って抓むように持ち上げる。長年に渡って蓄積された塵埃のせいで表紙の文字さえ確認できない。一体何の本かしら。厚さは三十ページほどと薄く、開いてみれば墨で書かれた文字が行書体で埋められていた。妖怪退治の教本らしいということは、一目でわかった。
と、そこで唐突に「霊夢」後ろから話しかけられた。咄嗟に教本を緋袴の中に隠す。
振り向くと、紫の式である藍が入口に立っていた。
両手を袖に入れた袖手の姿勢である。
「そこにあるものは、……今必要なものではない。触らないでくれ」
有無を言わさない語調だった。物々しい剣呑な雰囲気である。対して私はただ掃除をしようと思っていただけなので、「そう、わかったわ」とだけ言って、おとなしく引き下がることにした。
蔵から外に出ると藍が手を差し出してきた。緋袴の中に隠した本がばれたかしらと観念しようとしたら「どうやって開けたかはわからないが、」と口を開く。「合鍵か何か作ったのだろう? 渡してほしい」何か苦いものを口に入れたときのような表情をしていた。
「鍵なんてないわ、これを突っ込んだだけ」と退魔針を見せた。藍は針を見つめ、ややあってから「そうか、月日がたって結界が緩んだのだな」そんな緩い結界を結んだのは誰だろうか?
「ねえ、私はただ中を掃除しようと思っただけなの。ここも博麗神社の境内でしょ?」
蔵を閉じようとする藍へ言ってみる。私を一瞥し、ふむと一声。
「確かにこの蔵はもう十年近くも開けられていなかったのだからな。必要ない物ばかりの筈だし、今すぐにでも燃やした方が良い物も沢山あるだろう。人間の立場からすれば綺麗にした方が良いと思うかもしれない。しかし、残したいという決になったのだから仕方がないんだ」
独り言のように呟いて、すぐに印を結ぶ。
「私はもう一度この蔵を封印する。申し訳ないが蔵の中はこのままにしておいてほしい。しかしこれから結ぶ印が理解できるようなら解除して開ければ良い。理解できないのなら、勉強不足というやつだ。昔に私を困らせた結界の一つだよ」
封印は先ほどよりもさらに高度で理解などできそうにない。勘に頼れば開けられそうだったが、それではどうも負けた気がした。結局そのまま、手を付けるのはやめておいた。
縁側でお茶を一口飲んだ後、正座したまま体をよじって居間を振り返る。部屋の中央に置かれた丸机、私でも抱えられるほどの大きさ。四脚を折り畳めるタイプのものだ。その丸机が乗っている畳の下に例の教本が隠してある。両手と膝の這い這いの体で接近し、畳を持ち上げ、本を取り出して元に戻す。
内容を分かりやすく言ってしまえば、自然が息づく存在そのものを司る八百万の神に同調して自分の感覚を広げる、というものだ。部屋の中にいたまま外の落ち葉の枚数を数えられるという話をよく耳にするが、まさにそれである。習得できれば夜道を歩いていても妖怪の位置など丸わかりだろう。便利なものだ。
目を瞑る。そのまま教本通りに感覚を研ぎ澄まし、手を伸ばす。
丸机の縁を掴もうとする。がつん、鈍い音がした。
「あイタッ」
中指で机の縁を突いたらしい。だめだこりゃ。
痛む中指をさすっていたら、酷くみじめな気分になってきた。一週間と三日、暇つぶしにこの術の修行を続けているものの全く進歩がない。それに加えてなぜ誰もいない神社で一人突き指なんてしているんだろう。札や針を投げるときに使う中指を、だ。
中指をかばいながらごろりと畳に寝転がる。先ほどまでいた暖かな縁側がものすごく遠いもののように見えた。視線が低くなると自分が昆虫か何かになったような錯覚に陥る。虫は大変だよなぁ、一畳移動するだけで体感的にかなりの距離を移動することになる。ちっぽけで、いてもいなくても、何も変わらない。鳥は高いところから見下ろせて便利だ。私だって空を飛べるが霊力を消費するし、疲れる。妖怪退治だって特別楽しいというわけでもない。
――、――――。
私は博麗の巫女、だけど――。
――こんな誰も来ない神社で一人、いったい何をやってるんだろう。
――遠くの方から何かが飛んでくる。霊力をまとった何か。境内裏に着地した。
薄く目を開けてみると、縁側の向こうに魔理沙が立っていた。
小指と薬指で箒を掴むのか。体の重心は土踏まずにかけるらしい。おかしなことだ。
「おーい霊夢、遊びに来たぜー、っておや?」
小さくだが動揺しているようだ。魔理沙の得意げな平常心が乱れるのを感じる。
心というのは複雑なものだ。私はこんなに平常通りだというのに。
(なんだ、昼寝してんのか。残念だな)
昼寝!? ちょっと、寝てなんかいないわよ! と起きようとするが、体が全く動かない。全身が弛緩して、深くて穏やかな自分の呼吸が聞こえる。先ほどは薄目を開けられたのに、今となっては瞼さえ全く動かせない。
しかしそれに対して頭は完全に覚醒している。むしろ、起きている時よりも冴えている。そして周囲一帯の物事が手に取るようにわかる。机についた細かな傷、畳の目の数さえ数えられそうだ。あ、箪笥の上に埃が溜まってる。今度掃除しなきゃ。
(せっかく山の哨戒天狗の目を盗んで山菜とってきたのに)
魔理沙が縁側に籠をゆっくりと置く。山菜を目いっぱいに詰め込んだ籠だ。そして私の飲みかけの湯呑みに急須からお茶を注ぎ足し、ごくごくと飲む。お湯の温度は先ほど沸かしたばかりなので、まだぬるくもなっていない。
私は畳の上で寝転がっているだけなのに、緑茶の温度さえ分かる。
(まあ寝てんのなら仕方がないな。山菜だけ置いていくか)
箒に跨る魔理沙。と、飛び立とうとしたところで次の客が来た。
「あ、見つけましたよ魔理沙さん、山に不法侵入者アリと通報が、」
「バカ静かにしろ、見てみろ寝てんだから」
射命丸 文。魔理沙の後を追ってここまで来たらしい。
文は私の顔を見るとほほおと唸る。
(博麗霊夢の寝顔。ここまで無防備なのも珍しい)
カメラを構える文。この体勢のままでも夢想封印は撃てるだろうか。と霊力を構えようとした時だった。魔理沙の右手が素早く動いた。文のカメラをひったくったのだった。
「あ、なんてことを!」
「前から珍しいカメラだとは思っていたが、ちょっと見せてくれよ」
「十秒、いや五秒だけ返してください! そしたらいくらでも見せてあげますから!」
「今は私のカメラだ。取り返せばいい! 力尽くでな!」
そう言い合いながらどこかへ飛んで行ってしまった。
(不法侵入者、黒白魔法使いが山菜を収集している。集め終わり次第尋問の上、山菜を奪還すること。弾幕決闘になった場合を想定し、黒白魔法使いから確実な勝利を得るために、鴉天狗射命丸文を派遣する。これは訓練ではない。我々の晩御飯がかかっている)
さすが天狗、腹黒い。というより、たかが山菜集めがどれだけめんどくさいんだ。だが魔理沙にカメラを取られてしまったのは誤算だったか。魔理沙、何にでも興味を示す性格が功を奏したか。この後の弾幕決闘では、魔理沙はカメラを死守すればきっと勝てるだろうが、不用意に使おうとして天狗の素早さに取り返されてしまうのだろう。どちらにせよ、山菜を食べるときは文も呼んでやろう。
さて、山菜をあそこに出しっぱなしにしたらどうなるか分かったものではない。早いところ台所へ持っていかなければ。そう思って術を解こうとするものの、その方法が分からない。手が届かないところにある座布団を睨みつけて引き寄せようとしても無理なように、体が全く動かないのだった。自分の体はただ一定のリズムで穏やかな呼吸を繰り返すだけである。
「あら、こんなところに山菜を置きっぱなしにして」
声がした。縁側の方へ意識を向けてみたら、アリスが立っているのが分かった。
畳の上に寝そべっている私を一瞥し、次に山菜に目を向ける。
(霊夢が寝ている間に誰かが山菜を置いて行った。書置きもないところを見ると、大分急いでいたか恩着せがましいのが嫌いなのかどちらかのようね。あと、この籐の籠には山の河童作の掘り込みがある。天狗や河童が組織外である霊夢のところに山菜を持ってきたとは考えにくい。となれば、誰かなんてもう決まったようなものね)
アリスが靴を脱ぎ縁側から上がりこんでくる。山菜の籠を持って台所の方へ。流し台の隣に置き、虫よけの網を上からかぶせた。戻ってくると居間の丸机の上にメモを置いてゆく。「台所に山菜。お裾分け。食べて」と書いてある。
(魔理沙もしょうがないわね。あんな縁側に置いておいたらどうなるか分からないのに。それでその魔理沙はどこに行ったのかしら。集めた山菜を配ってるとなると、次に行きそうなのは、って話よね)
縁側から降り立ち、靴を履き、四方を見渡している。そうして、何か見つけたようだ。
(あら、真昼間から堂々と魔法を使うなんて。それに相手は鴉天狗。こんなところで決闘となると、なるほど山菜は妖怪の山のものでまんまと謀られたと。さすがの魔理沙もカメラを使われるとちょっと厳しいみたいね。助太刀しにでも行こうかしら。ただし通りすがりを模してね)
西の方向へ飛んで行った。そちらの方向で魔理沙と文は決闘をしているらしい。
少々静寂。と言っても意識を向ければ、穏やかな風が縁の下を通過する音から、屋根の上で小鳥が戯れる音、土の下を昆虫が歩く音などなど、鮮明に聞き取るごとができる。私の周りはこんなにもに賑やかだったのか。鋭くなった感覚を持ちこれはこれで楽しいのかもしれない、などと考える。体が動かせない不自由な現状でのんきが過ぎるだろうか。
「やれやれ、やっと誰もいなくなったようね」
紫の声だ。こんな時になってやっと神出鬼没のスキマ妖怪が姿を現した。
私の後方にスキマが開く。胡散臭そうな笑みを浮かべてスキマごと移動し、私の正面に回り込んでくる。そこで、私の耳あたりに感じていた視線が、畳の上に放り投げておいた教本に注がれた。直後、はっと息をのむ。
「なんてこと、……霊夢、私の声が聞こえる?」
(ああ霊夢! 霊夢! なんてことを! この本! どこから? どうやって? 違う! いつから? 誰にも触れないように? 保管したんじゃ? 蔵? 前あなたが開けたときからずっと? 持っていたの? 鍵! 鍵は? 私が保管しているはず! 結界! 封印! 解除はどうやって? 先代か! 先代の仕業か! せめて私が! 私さえしっかりしていれば! 言い聞かせていれば! こんなことには! なんてこと!)
紫の心の声が知覚の奔流となる。単純なことだ。紫と私とでは頭の構造が違うし、処理できる情報の量にも大きな差がある。まるで数十人に取り囲まれて怒鳴られているようだ。それを一方的に流し込まれては苦痛以外の何物でもない。とりあえずこれをやめてもらう必要がある。
(ゆかりうるさい、からだうごかない、たすけて)
「え? 私がうるさい? わ、わかったわ、うん、静かにしましょう」
(体が動かない? 呼吸はしているし返答があったことから意識もきちんとしているし取り急ぎ命に別状はないだろうけど体が動かない? たすけてとはどういう事? 紫五月蠅いというのは私が五月蠅いということだから、静かにすれば良い?)
(ちがう、あたまがうるさい)
直後、波一つ無い水面のような、完全な静寂。
「――その術、思い出しましたわ。対処法も、ね。一昔前までは苦労しましたもの。こちらのすべてを見透かされてしまうのならば、そこに境界を敷けばよいのよ。簡単なことね」
紫は畳の上に降り立ち、肩を抱き上げるようにして私を持ち上げる。
たったそれだけなのに呼吸がかなり楽になった。
「まずは自分で体を動かせるように直さなくちゃ」
(そうね、このままじゃ何もできないから。頼んだわよ紫)
「頼まれましたわ。じゃあまずは東京タワーでカニを食べようかしら」
(何意味の分からないこと言ってるの)
「そうね、落ち着きましょう。えっと、私の式の名前って何て言いましたっけ?」
(家族の名前を度忘れ!? どんだけテンパってるのよ?)
「マ、マヨヒガに連れて行くわ。そうしましょう。ええっと、右手ってどっちだったっけ」
(…………)
八雲紫も狼狽えるということだ。多少とも時間をあげよう。
しかし、紫が神社に来てくれたというのは大きな進歩だ。私の意志も伝えることができるし、先ほどのパニックの中でもこの教本がどんな存在か詳しく知っているようだった。蔵の中にあるものは一体何なのか。紫に聞けばすべて分かるだろう。頼もしい限りだ。
紫は、タライが要る! と叫び走り出したと思ったら、丸机に躓いて盛大に転んだ。
「痛い!」
頼もしい、はずだ。
(あの、さ。ゆかり、落ち着いて。まずこの術がどんなものか教えてちょうだい)
最強の防御とは何か。過去の妖怪退治屋はそれを考えた。単純に話をする。こちらを傷付けようとするものを攻撃と言い、それを防ぐのは防御と言う。防御とは攻めと守りの間に境界を作り、関係を隔たるものだ。後の防護結界である。
よって境界をはさんで守り側にいれば攻撃は届かない。
攻撃するには、その境界を超える必要がある。
最強の攻撃とは何か。過去の妖怪たちはそれ考えた。単純に話をする。攻撃をするには、結界をはさんで守り側に入ればいい。守り側に入り攻撃をすれば良い。防護結界を崩すのは大変な労力がかかる。ではどうすれば良いか。
守り側にいる者から攻撃をしてもらえば良い。
妖怪たちは人間を買収した。
買収した人間に、結界の中から攻撃させた。
妖怪退治屋は考えた。裏切り者を探さなければならない。
仲間の心まで疑わなければならない――。
「それで発明されたのが、その術」
(すごくどうでもいい話だった)
「先人たちの努力には言葉を選ぶべきですわ」
(だって過去の歴史については何度も聞かされてるし)
「あなたが来るまでは大変だったのよ」
(もう昔のことなんて関係ないでしょ、今は弾幕決闘法があるんだから)
「どうして分かってくれないのかしら。魔理沙だったら歴史の主な出来事と歴代の人物の名前くらい、月単位で何も見ずに言ってみせるのに。それに比べてあなたときたら」
(まあ良いわ。それで、あの蔵の中には当時重宝された術式とかがあると)
「そういうこと」
(なるほど)
「ああお茶が美味しいわ」
(私も飲みたいんだけど)
最初こそ慌てふためいて要領を得ない紫だったが、昔話をするにつれてだいぶ落ち着いてきたようだった。今となっては丸机でお茶をすすっている次第である。まあどちらにせよ、紫が補充してくれた茶の葉だからいいんだけど。
(それでこんな便利な術なのに、どうして最初あんなに慌てたの?)
「二つ理由があるけれど、一つ目が」
(うん)
「寿命を削る」
(ちょっ!? あんた!? ふざけんじゃないわよ!)
「大丈夫。すぐに身体へ影響を及ぼす値じゃないわ。例えると、一時間につき2yhks」
(何その単位、生まれて初めて聞いたんだけど)
「1yhksは、一日徹夜した分に相当するわ」
(……その数値、本当に信用できるんでしょうね)
「本当よ。私が計算したんだもの。睡眠というのは大事なのよ。でも蓄積されていくから、二時間目は4yhks、三時間目は8yhks、四時間目は16yhksといった具合ね」
(この話、もうちょい詳しく聞かせなさいよ)
「1000myhksで1yhksね。夢想封印は1myhks、夢想天生は3myhks、マスタースパークは2myhksよ。スペルカードの有効基準値は4myhksだから、宴会に比べたらよっぽど健康的でしょう? それに、弾幕決闘法が制定される前までは2kyhksの技とか当たり前だったから。あ、1kyhksで1000yhksね。使った瞬間に反動でひっくり返るわよ」
(分かった分かった、もういいわ。それじゃあこれからの話をしましょうよ)
寿命を削っているからか、だんだん頭が痛くなってきた。数字は苦手である。
「術使用中は睡眠状態に近くなる。あなたを神社から引き離すのは、結界の管理上良い方法とは言えないわね。私が心当たりのある人物を連れてくる、というのはどう?」
(分かったわ、そうしましょう)
紫が湯呑みを盆の上に戻し、開いたスキマへ入って行く。
ややあってから同じスキマから再度紫が姿を現した。
「ささ、こちらですわ」
「お邪魔しまーす。ご用件は伺いましたよ霊夢さん。大変ですね」
紫に促されて出てきたのは、稗田の乙女、稗田阿求である。
(博麗霊夢の寝顔、これは中々拝めないものを拝見しました。あちらは完全に起きているとは分かっていても、ここまで無防備な体勢だとそそられるものがありますね。巫女服からちらと覗く肩の線、何と扇情的なんでしょう。仰向けで両手は腹部の上、と。周期的に上下するみぞおちがとてもセクシャル。強気で無関心な日頃の巫女が嘘の様で、)
(ゆかり、こいつあたまがピンクでうるさい)
「だそうですわ、稗田乙女」
「当時この術を使った巫女は、これから退治に向かう人々の緊張と覚悟を目の当たりにして儀式終了後二日は寝込んだと記録があります。しかし今は平和で春ですからね」
(話をそらすな、平和で春なのはあんたの頭だ)
「殺伐としている冬な頭よりは良いでしょう?」
どうやら私の内の声は紫が阿求にも届くようにしてくれたらしい。
紫が教本を懐から取り出し、阿求に差し出す。
「では、簡単に読ませていただきます」と一言。本を開き読み始めるが、その速度の速いこと。ページをめくる手は止まることがなく、しかし阿求の頭脳には確実に情報が詰め込まれてゆく。一ページ一秒のペースで読み終えた後は「念のため」と言って、今度は本を立ててページを流す。二三度そうやって読み返す。
私が本をああやって使うのはペラペラ漫画で遊ぶ時くらいなものだ。
「なるほど分かりましたありがとうございます。すみませんでした、転生前の記憶を受け継げたらよかったのですが、何分大半を忘れてしまうので」
「お気に病むことはございませんわ。膨大な量の資料を管理しているのだもの」
(社交辞令は良いのよ。私は元に戻るの?)
教本を紫に返す。粗方にこにことした後、阿求はごほんと咳払い一つ。
「この術者は少なくとも五十万以上の神々と同時に情報をやり取りします。神を降ろすわけではないので術者の負担は小さいのですが、しかしこれを二週間かけずにマスターしてしまうとはさすが博麗の巫女と言ったところでしょうか。天才的です」
(へえ五十万って、そうなんだ)
「術を終えるときは神々一人一人に祈祷しなければなりません。その様子だと霊夢さんは全く実感されていない様なのですが、今現在お世話になっている神々のお名前をご存知ですか? 全体の何割かが分かれば関係する神々から手がかりがあるかもしれません」
(いんや、誰ひとりさえ)
「……」
(……)
阿求はニコリと笑い、立ち上がる。
「じゃ、私はここらへんで」
帰るの!?
(ま、待って! 私はずっとこのままなの!?)
「そうなんじゃないですか?」
(なんで他人事!? このままじゃ私はyhksが蓄積して死んじゃうのよ!?)
「yhksとはマニアックな単位をご存知ですね」
「私が教えましたら、この子得意げに使っちゃって」
「ああ、子供ほど新しい言葉を使いたがるものですよね」
「ほんとですわ」
(そんな話どうでも良いのよ! 私が死んでも良いの?)
「仕方ないことですよ。閻魔様によろしくお伝えください」
(第二第三の博麗霊夢が現れるだろう! って求聞史記には書いておこう)
(本音聞こえてるから! そんなこと言ってないし! 冗談じゃないし!)
もうだめだ、お先真っ暗だ。私はyhksが蓄積して頭がおかしくなって死んじゃうんだ。しかもこいつら人間の死なんて当たり前の物のようにしているから、私の痛みも悲しみも、全く感じようとしない。絶望的な将来宣告に打ちひしがれる。生涯の悔いをあげ始めればきりがない。
「でも稗田乙女、いくら霊夢が天才的だからと言って、たった一週間と三日でこんな高等技術を習得したとはなかなか考えにくいですわ。話を戻して、どんな可能性が考えられましょう」
紫が口を開く。もう私が死ぬことは前提事項としての話題だ。
「そうですね。神々が人間の前に現れ力を見せるのは畏敬と信仰のためであり、それにより自分の力を維持または強力にするため、という狙いがあります」
「うーん、私には難しいですわね」
紫は人差し指を頬に当て悩むそぶりをする。
「もう少し噛み砕いて説明をお願いできませんこと?」
「では簡単に。たとえば紫様が雨を降らす神だったとしましょう。そして干ばつで苦しんでいる集落があります。その集落の人々は紫様に祈祷をささげ雨乞いをします。このような前提で、紫様はどうすればより簡単に信仰を集めることができますか?」
「当然、その祈祷が始まった直後に雨を降らせてみせますわ」
「そのとおり。神々が集まりやすいのは人が祈願をささげるところです。神を意識した人々がその力を実感すれば、人間は神を信仰するでしょう。祈りさえすれば神々は助けてくれるわけです。では話を戻して、今回の霊夢さんの件です」
「今の話が霊夢の術習得と関係が?」
「大ありですよ。干ばつを博麗神社の環境に、祈祷者を霊夢さんに、今霊夢さんとつながっている神々を先ほどの紫さんとしてみてください。神々は信仰を集めたい訳で、霊夢さんが何かしら不服な点さえあれば、」
もうどうせいいわよ。私はきっと地獄行きだわ。だってこの間閻魔様に言われたもの。と考えていたところだった。多数の霊圧が神社に接近してくる。続々と境内に着陸する。
「いやぁー! 勝った勝った! 危ないところだったぜ!」
「幻想風靡でカメラを取り返したまでは良かったんですけどね。加勢とはいやはや……」
「決闘の火種がそもそも、魔理沙が妖怪の山に侵入したから何でしょう? しかも掛け品は、侵入して集めた山菜何ですって? 魔理沙、あなたが一方的に悪いのよ」
「私は常にベストを尽くす性分だからな。負けは嫌なんだよ。そのオマケが山菜だ」
神社西の上空の弾幕決闘が終わったようだ。魔理沙側の勝利で決着したらしい。
ああ、紫に頼んでこいつらにも辞世の句でも伝えてもらおうか、と思っていると。
「鴉天狗と共闘なんて久しかった! 二対一はさすがに卑怯だから、私は少ないほうに味方をしただけ何だけどな。負けは負けだ! 仕方がない! それにしても納得のいく勝負ってのは気持ちの良いものだ! 全身全霊で正面からぶつかるってな!」
「萃香様、助太刀感謝します。負けは負けですが、こちらもとても楽しかったですよ」
「感謝なんていらん! この間の宴会で付き合って貰ったからな! 気に何てするな!」
「ははぁー」
伊吹萃香が文の隣に着陸。
「お嬢様、今晩の夕食は戦利品の山菜ですわ。天ぷらにしましょう」
「その件だがな咲夜、今日は神社で食べて行こうと思う。準備頼めるか?」
「かしこまりましたわ。夕飯で並べる予定だったワインも館からお持ちしましょう」
「ああそうだ、ついでに館の連中を全員呼んできてくれ。天晴な気分だ」
「左様ですか。……妹様も、でしょうか?」
「うむ、パチェも美鈴も、全員だ。館の警備はパチェの魔法が何とかしてくれるだろう」
「かしこまりましたわ。では行ってまいります」
咲夜とレミリア。魔理沙側に参加したようだ。
「地上には強い人間が沢山いるのね。面白かったね、お姉ちゃん」
「久しぶりに体を動かしましたね。地上もなかなか良いものです」
「お空ほどじゃないけど、あたいとしたことが張り切りすぎたよ。おなか減ったなぁ」
「高出力を打ち込んでも避けられちゃうんだもの。張り切ったのは良いけど負けは負け。楽しかったけれど折角なんだから勝ちたかったなぁ。うにゅ、さとり様おなか減った」
「あ、これからここで宴会をやるみたいですよ。仲間に入れさせてもらいましょうか」
地底のさとり姉妹とそのペット。
「チルノがいなかったらそこらへん大参事だったね」
「弾幕はおろか炎まで凍らせるなんてまさにパーフェクト、ってやつかしら」
「みんなの林を守るには凍らせた方が賢い判断だと思ったのよ。ね、ルナ」
「スリーフェアリーズで力を分けるとは我ながら名案だったわね」
「スリーどころか、ハンドレット? サウザント? ミリオンかしら?」
「あれ? サウザントとミリオンってどっちが大きいんだっけ?」
「それ以前にまずフェアリーズじゃないし、妖精妖怪ごっちゃごちゃだし」
「今思えばこんな宣言でよく発動したものよね」
「終わったことはどうでもいいわ。みんなヘトヘトなのは変わりない」
「今度はこの氷を解かさなきゃね。その体力は残ってるかしら?」
「チルノを見てみなよ。声枯れちゃってんの。それに比べたらまだまだよ」
「パーフェクトフリーズ! ってね。でも、かっこよかったよ」
「あたいったら、さいきょ、ゴホッ」
数えきれないほどの妖精、妖怪たち。
各々の会話だけでも騒々しいのに、術で過敏になった神経がそのすべてを捕えて放さない。この人数で決闘をしたのだ。全員が全員少なからず怪我をしている。擦り傷に切り傷、服の一部が破けていたりする。しかしそれを気にする者は誰一人としていない。総じて、陽気で健康的で、心地よい興奮を共有している。
「もうマスタースパークも何発撃ったかわからないな。八卦炉が焦げ臭いぜ。何やらこのまま宴会になるみたいだし、修理出すついでに呼んでこようかな、あの古道具屋主人をな。ん? おい見ろよ、霊夢の奴、私らがこんだけ大暴れしたのにまだ寝てやがるぜ!」
どっとあふれる笑い声。
「霊夢起きろー!」「朝だぞ!」「いや、もう夕方だ!」
「昼寝霊夢ー!」「堕霊夢ー!」「よだれいむー!」「守銭奴巫女!」
「守銭奴巫女って何よ! って、あれ?」
気づけば、体を持ち上げ叫んでいた。
顔をあげてみれば、縁側を取り囲む妖精妖怪人間。垣根の様になっている。
「わっははははは!」「起きた起きた!」「寝ぼけ巫女!」
みんな一斉に私を指さして笑っている。
イラッと来た。懐からスペルカードを取り出す。
「夢想、」
「やばい! みんな逃げろ!」
「今度は鬼巫女だ!」
「散れ! 散れ!」
「封印!」
突き指した中指がちくりと痛んだが、不思議と全く気にならなかった。
スキマ空間に光が差す。ぽんと飛び降りてみれば稗田亭書斎、私の部屋だ。八雲の賢者と共に博麗神社を訪問したときそのままの状態。小間使いにはこれから部屋を開けるが何も触るなと告げてきたのだ。
振り返れば八雲紫がスキマから体を出していた。
「お送りいただいて感謝します」
「こちらこそ今回のお力添え、感謝いたします」
「しかし私を呼ぶより紫様一人の方が、霊夢もすっきりしたのでは?」
「博麗の巫女はまだまだ幼いと今回の件ではっきりしたでしょう。私一人では問題を解決出来ても霊夢を安心させることはできませんでしたわ。この点で、阿求様以上の適役はいませんでしたもの」
なるほど、一理ある。納得する。
「ところで阿求様、これから神社で宴会が始まるようですわ。一段落したらスキマでお迎えに上がることもできますが?」
「紫様本人が出席なされないのにお送りいただくなんて、とてもとても」
「それは残念、分かりましたわ。あら、たった今天狗から写真が」
「ふむ、良く撮れてるじゃないですか」
紫から手渡された写真を見ると、神社で騒ぐ面々の様子が撮影されていた。
報告には一枚で事足りるはずなのに次々と送られてくる。今二十枚を超えた。
「天狗も相当嬉しいみたいですね」
「危うく決闘法制定前に逆戻りするところだったのですもの。当然ですわ」
書き物机に広げられた巻物。
私が記録した今回の騒動の全貌。校正する前の原文。
事の起こりは一週間と三日前、博麗神社の蔵が開けられたと緊急の報が入った時だった。八雲の式が駆けつけると、博麗の巫女が蔵の中にいたという。本人いわく、掃除がしたかったとのことだ。巫女を追い出し、封印したのは応急処置。後日蔵の中の品目を数えてみると、一つ足りない。賢者達と神々は幻想郷中を探しに探し回った。いくら探せども見つからない。同時に、賢者たちの間で憶測が飛び交う。
――この中の誰かが持っているのではないか――
表向きは友好的に、裏では腹の探り合いが始まった。
人里でも内密に戦力の補強が行われた。半獣も渋々だったが決断は早かった。
一週間と三日間、冷たい戦争が続いていた。
そして今日の午前、速報一つ目。霧雨魔理沙領土侵犯。
無断で妖怪の山に入ったらしいが、山菜を集めているだけのようだ。霧雨魔理沙ならばいつものことだ。若干人里寄りだが、特別にどこかの団体に所属している訳でもない。しかし無所属だからこそ誰かに唆されて、山の戦力を偵察に来たとも考えられる。
完全包囲。攻撃許可を出すか、天魔は決断を迫られた。無所属ならば八つ裂きにしても問題にならないと、天魔も分かっていた。しかしそれは同時に戦争の火ぶたを切ることになる。結果、偽物の令文を鴉天狗に預け、尾行を命令したらしい。
首尾は逐次報告すること。証拠の写真を同封すること。
鴉天狗と本部の応対。時系列順に。
「魔理沙、帰宅後山菜をまとめ、出発。博麗神社に向かう」
「博麗神社到着、神社の縁側に山菜を置く」
「山菜の中に電文が? 確認を」
「山菜に異常なし。博麗霊夢は居間で昼寝している模様。山菜の写真を送る」
「――写真未達。写真未達。写真未達。写真が届かないぞどうした」
「証拠撮影用のカメラ、魔理沙に取られる」
「何をしている。取り返せ。今すぐにだ」
「森の人形師、アリス マーガトロイド神社に接近」「写真未達」「狙撃隊準備完了」
「アリス、神社境内に着陸」「鴉天狗、カメラを取り返せ」「アリスの動向を監視しろ」
「決闘法で手が離せない」「アリスが山菜を屋内へ」「魔理沙の狙いは文の陽動か?」
「魔理沙狙撃可能」「撃つな」「アリスは山菜を操作しているか?」「鴉天狗は一体何を」
「決闘法で手が離せない。八雲の賢者に応援を」
「こちら八雲紫、すでに神社でアリスを監視中ですわ。異常なし、異常なし――」
速報二つ目。八雲紫が博麗神社にて教本を確保。同時に博麗霊夢が術を発動している。自力では解除できない模様。八雲紫は稗田阿求を連れて博麗神社へ。
巻物の記述はひとまずここで終わっている。
写真四十枚のあとに送られてきた用紙、平和維持提案同意書へ稗田阿求の署名をする。
まさか霊夢が本を持っているとは、誰が考えられただろう。かくして、もっとも疑われていた八雲の賢者のメンツは保たれた、というわけだ。緊張状態を知らされていた各所は、この二つ目の速報で大いに盛り上がった。その結果が神社西上空の大乱闘だった。
「それではまた」
「はい、また後程に」
これにて万事解決である。
虫の音色に混ざり、時おり流れてくる共有連絡用チャンネルの報告を聞く。
騒ぎも大分おさまってきた夜中、自宅にて作業を続ける。
そう、私は八雲藍。八雲紫の式。結界の管理と維持などを任されている。
寿命を削って作業をしている。なんと疲労がたまったことか。
マルチタスクで計算してみたら10.56yhks蓄積していた。
「お疲れ様、藍。その報告書ができたらもう休みなさい」
ご主人が帰ってきた。報告用の式を両手いっぱいに抱えて、まだまだ作業を続ける様子。
博麗霊夢は教本を手に入れ私から隠し通した後、神社境内から一歩も外へは出なかった。対して私は結界維持の業務上多くの人物と接する必要がある。それに加えて、実際に蔵へ立ち入ったのは私と霊夢の二人だけ。よって賢者たちから真っ先に疑われたのは私である。もちろん私自身それを仕方のないことだと思うし、私も身の潔白を唱える必要がある。
習得すれば相手の存在と内心を透視するのが今回紛失した禁書の内容。しかしさとり妖怪のように確信を得るまでいかなくても、相手が自分を嫌っていれば何となくそれをわかるものだし、逆もまた然りである。妖怪に限らず、人間だって数十年も生きていれば大体これを感覚で身に着けてしまう。
当時の妖怪退治屋は命を懸けていた。神経質にならざるを得なかった。しかし今は昔のような命のやり取りなど行われることは無い。問題だったのは禁書に記された術の内容ではなく、禁書を収容した蔵が開けられ納品物が紛失したという事実だったのだ。
紫様は無断で霊夢の生活物資運搬の手伝いをしていた。本人の自白でそれが明らかになった。二日ほど経ってからの会議で、私が質問を浴びせられている時だった。「どうしてそんなことを?」「さあ、どうしてでしょうね。禁書を持っているかも知れない霊夢に、秘密で接触するなんて。怪しいわよね私」
結局この一週間と三日間、私は拘束もされずに業務を全うすることができた。並外れた直感力をもつ霊夢のことだ、ただ単にこの術を必要としたのだろう。自覚が本人になくともである。
「紫様、一つだけ納得がいかないので、質問したいのですが」
「いいわよ、どうかした?」
紫様が自室へと進んでいこうとする。そのタイミングで私が呼び止める。
これで全てが落着したように思われる。
しかしこの一連の事件で、私には一つだけ不可解なことがあるのだ。
「どうして霊夢は退魔針なんかで蔵の結界を破ることができたのでしょう」
蔵を再封印する時、一応でも霊夢を納得させるために、私は時間の経過で封印が緩んだと説明した。霊夢は蔵から追い出されたことを不満そうにしていたが「変な結界を結ぶやつもいるのね」それで溜飲を下げたようだった。対して私は、なぜ得意の霊夢の第六感は発動しないのか、針に小細工をしたわけでもなさそうだがどういうことかと様々な疑問を残したまま現在に至る。
「そうねぇ、蔵に結界を張ったのは誰だったか覚えてる?」
「幻想郷の賢者たちと、先代の博麗の巫女。すでに代が変わった後でしたが霊夢はまだ幼く未熟だったために、先代が受け持ったと。そのように記憶しています」
本題から逸れたが大人しく答えることにする。
紫様はやや不満げに「そうなのよ」と頷き、話を続けた。
「蔵の中は大事なものがしまってあるから触らないようにってことと、弾幕決闘法が制定される前は本当に大変だったのよってこと、賢者たちは霊夢に会うたびに、口を酸っぱくして言ってたの。少しでも考えてくれたのなら蔵の中に何があるかくらい分かったでしょうに。しかし霊夢ったらまさかここまで無関心だったなんて思いもしなかったわ。教本を探していた私を含めた賢者全員の盲点が、そこだったってことね」
蔵を封印した結界はそれほど高度なものでは無い。博麗霊夢は結びを理解できなかったようだが、蔵の結界を解除できる程度の実力を持った結界師など、人里でも十人近くいる。蔵の封印それは即ち、今はもう必要ではない技術を封印することであると同時に、人妖共に誓った平和への証だった。
過去を知らぬ者と過去を重んじることが出来ない者にしたら、たとえば自宅の庭に巨大な蔵が存在していたら、ただ邪魔なだけなはず。もしかしたら興味本位で中をのぞいてみようとでも考えてしまうかもしれない。お金に換えようとでも考えるかもしれない。しかし寿命が短い人間にほど、賢者たちはその大切さを綿々と語り続けることだろう。
なるほど、てっきり霊夢はこのことを理解したうえで蔵を開けたと思っていたが、てんで私の見当違いだったようだ。蔵が開けられたと聞いた私は少々感情的になってしまったが、その理由を霊夢はきっと理解できなかっただろう。もしかしたら独り言だと思われたかもしれない。
紫様はスキマを開き、紙切れを一枚取り出し、差し出してくる。
「その紙、霊夢が蔵を開けた速報と同時に私の部屋に出てきたの。ぱりんって音がしたから、きっと森羅結界ね。先代は幻想郷の危機を賢者たちに思い知らせるために、蔵を退魔針一本で開けられるようにしたのよ。それも、封印するときに黙ってね」
紙切れを受け取り見てみると、次のように書かれていた。
“やっぱりダメだったみたいね。霊夢には歴史の教育をきちんとしなきゃよ。この子、自分に直接関係することしか興味がないみたい何だから。永久の少女ゆかりちゃんへ”
紫様が頭を抱えて言った。
「賢者全員が今まで気づかなかったのに、先代は中々のものよ」
お話、面白かったですよ。
しょんぼり霊夢→霊夢を起点とした一騒動→みんな集まって大団円。この流れは王道ながら、いやだからこそ楽しめました。
加えて、一見いつものバカ騒ぎな幻想郷、しかしてその舞台裏では。みたいなエピソードには「おぉ!」と唸りました。
欲を言えば紫様の親ばかっぷりをもうちょっと楽しみたかったのと、彼女に文から送られてきた最後の写真、
その中の一枚を具体的な情景として見せて頂けると、めでたしめでたしな気分が増幅したかな。
最後に、勉強がんば霊夢! 過酷な任務を請け負った慧音先生に敬礼!
>最後に見たのは、やはり一週間と三日前だ
→〝やはり〟が魔理沙の来訪にかかっているのならば、紫様の来訪日も一週間と五日前でなければ不自然かと
>勘に頼れば開けられそうだったが、それではどうも負けた気がした
→〝負けた〟と過去形にしてしまうと霊夢が二度目の開錠を実際にしたような印象を受けるかな?
それはどうも負けのような気がした、などの方が自然かも
>土の下を昆虫が歩く音などなど、鮮明に聞き取るごとができる →聞き取ることが
>(もう昔のことなんて関係ないでしょ、今は弾幕決闘法があるんだから) →命名決闘法、の方が雰囲気が出るかも
>「だそうですわ、稗田乙女」 →阿礼乙女、同じく雰囲気が出るかも
>教本を紫に返す。粗方にこにことした後 →ちょっと意味がわかり辛いかな。しばらくにこにことした後?
>決闘の火種がそもそも、魔理沙が妖怪の山に侵入したから何でしょう?
→「ご注文は何でしょう?」のような使用方法なら理解できます。でもこれは違いますよね?
なのでしょう? と言い換えればわかり易いかな。〝何〟と漢字をあてるのはちょっとおかしい
>しかも掛け品は、侵入して集めた山菜何ですって?
→賭け品? & 山菜なんですって (他にあと二箇所〝何です〟誤記有)
>小間使いにはこれから部屋を開けるが何も触るなと告げてきたのだ →部屋を空けるが
命名決闘法制定以前のしがらみが現在に係ってくるお話を興味深く拝読させて頂きました。
ただ、教本が紛失した時に、紫や藍でさえも霊夢を疑わない事や、誰も来ない一週間に霊夢が出かけない理由が「巫女の勘」だけというのは、やや不自然な感じを受けました。
それと、気にする必要はないのかもしれませんが、なぜ術が解けたのかもよく解りませんでした(私の読解力不足かもしれません)
後、誤字脱字かもしれないものが……私の指摘が間違っていたり、作者様が意図的になさってたのでしたら、大変すみません。
> 要するところ、清潔な暮らしを維持するために~
「要するに、」または「詰まるところ、」では?
> 昼間なのに縁側で飲茶しつつ呆けることもできる。
「飲茶」は中国語ですから、「喫茶」の方がいいかもしれません。
> ただし通りすがりを模してね)
「模して」の「模」は「型どおりに真似る」の意味が強いですから、
この場合は「装って」では?
> 過去の妖怪たちはそれ考えた。
過去の妖怪たちはそれを考えた。
> 侵入して集めた山菜何ですって?
侵入して集めた山菜なのですって?
> 味方をしただけ何だけどな。
味方をしただけなんだけどな。
> 気に何てするな!
気になんてするな!
失礼しました。
次回作楽しみにしています。
そうそう、阿求さんのピンク脳も素敵でしたねー。