Coolier - 新生・東方創想話

sailing saint

2009/09/19 06:17:19
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 過去――

「星は希望に似ていますね」
 聖は天頂近くにある白い小さな輝きに、ついと人差し指を伸ばした。
 村紗水蜜はおとなしく聞いている。
 聖の声はやわらかく心地よく心の中に染み込んでくる。
「星は気づけば、そこにあるものです。見ようとする者には見えるが、見ようとしない者には見えない」
「真昼には星は見えませんよ」
 村紗はいじわるを言った。
 そもそも聖の言葉は妖怪の立場に立っての言葉だったのだろう。妖怪は夜に活動することが多く、だから星の世界に住んでいると言える。
 村紗のための言葉だと言えた。
 しかし村紗は聖の言葉を素直に受け取りたくなかったのだ。
 現状はあまり芳しくない。
 人間の勢力はすぐそばにまで近づいている。迫害されているのは我々である。希望を話すより、まずは人間を討滅したほうがよいのではないかと思わないでもない。聖は人間であり、人間を滅ぼすことをしそうにはないが、自分はいざとなれば、人を殺すことも厭わない。
 そういう決意が村紗にはあった。
 だからこそ、こうして星をのんきに眺める聖を見ていると、やきもきした気持ちになってくる。
 村紗は横目に聖を見る。いささか子どもっぽいふわふわとした表情で、本当に楽しそうに夜空を見上げている。
 悄然とした気持ちが湧いてきた。
 この人は事態の深刻さをまるで理解していないのではないだろうかという疑問。焦燥。
 いままで舟幽霊として船を沈めてきたのには、村紗なりの必然があったのであり、そのことを咎められたところで、私は悪くないのだと主張したかった。
 真昼に星が見えないという反駁には、村紗なりの妖怪としての自尊心がこめられている。
 妖怪は人を殺す。
 それは必然であり、悪ではない。
 人が妖怪を殺すように、妖怪は人を殺す。
 殺さなければ生きていけないという現実がある限り、聖の言葉がいかに聖性を帯びていても、その言葉どおりに生きていけばたちまちのうちに死に至る。
 もちろん、そういった宿命から解放してくれた聖に対して、感謝の念を抱いてはいる。
 ただ、いまの心境としては、不意に空中に投げ出されたようなもので、感情の収まりどころがつかないのである。
 現にそうではないか。
 人は我々を殺す。
 人のために尽くした聖でさえも、場合によっては殺すのだろう。
 いつのまにか村紗は唇をかみしめていた。
 悔しいというよりは、もどかしい。
 けれど聖はかそけき光を放つ蛍のような笑いをこぼしていた。
「よく探してみれば真昼にだって、星は見つかるはずよ」と聖は言う。
 果たして昼になり、聖はじっと中空を睨んでいた。この人は思ったよりも子どもっぽいところがあるのだな、と村紗は思った。
 それから、なんとなくおかしくなって、聖といっしょに真昼の星を探した。
 見つかったのか、見つからなかったのかは覚えていない。
 けれど、妖怪になってから久しぶりに空を見上げることを思い出したのだった。




 現代――

 命蓮寺の朝は早い。
 朝の五時ごろ、まだ太陽が山のきざはしに手をかけたころから、にわかに動き始める。
 聖白蓮の説法。小一時間ほど。
 それから座禅。
 寺の周りの掃除。
 朝の間にやることは多い。
 しかし、村紗の立場は微妙で、基本的に船長である。いまは寺の形態をとってはいるものの、いつかのときには飛びたつこともあるかもしれないし、自動操縦のための整備は彼女の仕事だった。船もとい寺の中心部の動力室に、村紗はこもっている。
 整備といってもほとんどやることはない。妖力というか法力というか、聖の力に自分の力をくわえた魔法的な流れに滞りがないかを調べるくらいしかない。オールグリーン。特に問題なし。諸所のこまごました整備も数十年に一回はやらなければならないだろうが、聖を救出する際にこれ以上なくメンテナンスを大々的におこなったせいか、今のところはこれといってやることがなかった。
 つまり、暇である。
 ただ、暇ではあるものの、自分が船長である以上、船の管理は自分がおこないたくもあり、他方で自分のありようはそのほかにも無いように思えたので、現状を維持しているのである。
 自分が仏教徒であるかと問われればうーんと考えることしばし、答えはでない。
 聖もそのあたりの微妙さを理解しているようで、説法にも座禅にも無理強いをすることはなかった。
「あー、聖の説法長いッなぁ~~!」
 ひょこひょことした妙な歩き方で、封獣ぬえがやってきた。村紗とは知己の仲である。
「足どうしたの? そんな奇妙な歩き方して」
「ぬえ的スネークマンショーだよ」
「しびれたのね」
「しびれたのッ!」
 ぷるぷるしていた。しかし、子どもっぽさを残しているぬえが黙って聖の説法を聞いていたというのも、なかなか珍しい光景ではある。
「たまには、人の話を聞くのもいいと思っただけ」
「珍しい。それで、どうだったの。楽しかった?」
「楽しいわけないっしょ~」
「御仏の言葉を聞くと、妖力が蓄えられるわよ」
「へ~、そうなんだぁ~~~~」
「ん。ねぇ。ぬえ」
「なによ~?」
「妙に言葉の最後を伸ばしているのには意味あるの?」
「ん~、ぬえ的音引きだけど、なにか~?」
「面倒くさいから、普通に話して……」
 本当に面倒くさいキャラだった。そもそも正体不明を謡っておきながら現実に目の前にいる時点で矛盾しまくっている点も面倒くさい。なにより子どもっぽいというところが一番面倒くさい。
 聖は『ぬえぬえ』『ほっちゃん』『ぬーたん』などと言ってかわいがりまくっているが、そんなことをすれば、ぬえは確実につけあがる。
 名前ぐらい、一貫してよ。お願いだから。
 正体不明的に気持ちいいから、いろんな名前で呼ばれるのが好きとか言って、無理やり聖に呼ばせているらしい。
――それ、正体不明じゃなくて意味不明です。本当にありがとうございました。
 でも、まあわからなくもない。
 愛嬌だけは一人前だ。ちょっと生意気なところが、聖の母性本能にマッチしているのかもしれない。
 かたや、村紗は船長キャラなので、なぜだか真面目キャラ扱いされている。
 こう見えて結構軽いキャラだったりするのだが、なかなか周りはそうは思ってくれないらしい。
 船長という呼称がそもそもよくない。船長キャラは真面目でなければならないという決まりはないはずだ。
 無責任船長になってしまおうかしら――などと思いはするのだが。
「船長はつらいよ」などと考える次第。
 そんな独り言を聞かれたのか。
「でもさ~~、よく考えると、村紗って半分ニートだよね」
「ぶっ! な、なにを言ってるの。そんなことないよ。せ、船長的にいろいろと大変なんだから」
「今の時代に船長がする仕事ってほとんど無いはずだよね。戦闘も操縦もほとんどオートマっしょ~~~?」
 へにょりのような音引きが妙にむかついた。
 ニヤニヤしているぬえ。ぬえぬえしているぬえ。ああ、もう意味がわからない。
 本当にむかつく。
「あのね。いままでフラフラしてたあなたと違って、私には使命があるのよ」
「ふうん。どんな」
「だから、聖を復活させて――」
「復活させて?」
 すでに達成している。聖復活はもはや果たされた。あとは――
 あとはなんなのだろう。
「その、仏の世界が、そうごにょごにょと……」
「村紗って、仏門入ってるの?」
「ええ、まあ一応は」
「でもさ~~、なんか中途半端な気がするんだよね」
「あなたに言われたくないのだけど」
「だって、仏門にいるくせに、仏教徒っぽくないじゃん。説法も聞かないし、座禅もしないし、単に聖にくっついているだけなんじゃない?」
 すーっと、体温が下がるのを感じた。
 腰まで水につかったようだった。
 ぬえは子どもっぽくて、時々臓腑をえぐるような言葉を吐いたりもするが、そう感じたのは、おそらく当を得ている部分もあるからだろう。
 図星だったのかもしれない。
「私は――そうね。まだいろいろとひきずっているのよ」
 大人っぽく翳のある表情をつくってみた。
「へえ。かっこいい~~」
 ぬえ的中二病のせいか、なんとなく納得した表情になってくれた。
 それで、その場は別れたのであるが、村紗の表情は暗い。
 確かに今では人の入りが多くなって、村紗も人間への対応に追われたりもしているのであるが、本質的に仏の道を突き進もうとしているのかと言われると自信がないのだ。
 仏の道は、慈愛の道である。
 いつのことだったか、村紗は聖に仏の道とはどのようなものであるかを聞いた覚えがあった。

「具体的に何をすればいいのでしょうか」
 と聞いた。どういう話の流れだったのかは失念してしまっている。
「仏になるだとか、悟ることだとか、そういうふうに難しく考える必要はないわ」
 聖は目を瞑っていた。
 その目が蓮の花のようにゆるやかに開かれた。
 慈愛の眼差しである。
「人に優しくすればいいのよ」
「でも、私は人の感情を受けて妖怪になったんですよ。私を妖怪にしたのは、人の憎悪や恐怖や怨みです。そんな私が人に優しくできるのでしょうか」
 村紗を妖怪にしたのは、人の負の感情だ。
 負の感情から組成されている自分が、正の感情である優しさを誰かに与えることができるのだろうか。
 柄杓によって水を舟に注ぎこんでいたのも、自分が与えられたものをそっくりそのまま返していただけだ。
 怨みや恐怖や憎悪を、与えられたとおりに与え返しただけだ。
 優しくされたことなど一度もなかった。
「では、私があなたに優しくしましょう」
 すっと手が伸びて、頭を柔らかく撫でられる。
 村紗はびっくりして、その場からしりぞいた。
「あら。鼠さんみたいにすばしっこい動き」
「びっくりしただけです」
「でも、これでわかったでしょう。なにをすればよいのかなんて、特に考えることもない。たやすいことなのです。隣にいる人がさびしがっているようなら、頭を撫でてあげればいい。それだけのことなのですよ」
 それだけのことが――、難しい。
 人に優しくするという抽象的な言葉を理解することはできる。
 しかし、まったくの他人にそうすることができるかと自分に問いかけると、とたんに自信がなくなってしまう。聖は自らを封印した人間に、今一度手を差し伸べることができる。それこそ彼女自身が言うように、たやすいことのように、軽々とおこなっている。
 けれど、村紗は自分の過去をどうしても思い出してしまう。
 妖怪は人間を食べる。
 精神的に、肉体的に、喰らいつくす。
 けれど、人間だって妖怪を殺すではないか。
 聖には、受けた恩を返したいと思っていた。しかし聖の崇高な心に触れると、どうしても自分の報恩の気持ちは、どこか下賎なものに思えてしかたなくなる。
 結局、返すべき感情を返しているだけである。
 それは、慈愛や優しさではない。
 柄杓で水をすくって、その怨みがこもった水で舟を沈めるのと、本質的には変わらないようにすら思える。


「聖を解放できたら、ご恩返しができると思ったんだけどな……」
 実際には、村紗は聖の顔をもう一度見たかっただけなのかもしれない。
 聖の言葉をもう一度聞きたかっただけなのかもしれない。
 そういった自侭に対しても、聖は拒絶することもなく答えてくれる。
 聖と接していると、人を抱擁するような暖かさがあり、結局、一を返す間に、数倍も何かを貰っているような気分になる。
 申し訳ないと思ってしまう。
 仏門に入りきれないのも、報恩の気持ちを返せないという苦しみがあるからだ。
「人に優しくするのは難しい。悟りきれてないなぁ」
「どうしたね? 船長」
 傍らに目をやると、いつのまにかナズーリンがいた。気配を感じさせないところはさすがといったところか。
「あ、いえね。べつにたいしたことじゃないんだけど」
 と、村紗は曖昧な返事をした。
 言うべきか少し迷ったものの、ナズーリンは気安いところがあって話しやすかった。
 だから、意を決して言った。
「私って、いろいろと宙ぶらりんだなぁと思って。船みたいにゆらゆら揺れてる」
「いいじゃないか。何の問題があるんだ?」
「聖になにひとつ恩返しができてない」
「封印から解放しただけでもたいした功績だと思うが」
「うーん。何か違う気がする」
「いまいち、君の悩みというものが要領を得ないな」
「聖によれば、仏の教えとは人に優しくすることだそうです。けれど私はまだ人が怖い。私を妖怪にしたのは人の負の面ですからね。人と妖怪が争いあう世界も見てきましたし、実際に聖が封印されるところも見ているしかなかったわけです。聖の教えを、私はどこかで受け入れきれていません。だから、昔、私が聖に救われたときの言葉も、本当の意味では届いていなかったのかもしれないのです」
「それで、受けた恩義の意味がわかっていないんじゃないか――とか考えてるわけか」
「そういうことです」
「恩に意味も理由もないけれどね。感謝しているから、それに見合う行為をした。それで結果的に聖白蓮という人物が君の行為によって救われた。それだけのことだよ」
「私は、ただ船を沈めるだけの日々に帰りたくないんですよ。奇妙なことに、それが楽しくないわけでもなかったのです。柄杓で水をすくって、船を沈めるたびに、妖怪としての喜びを覚えていましたからね」
「いま流行りの、さでずむというやつだね」
「流行かどうかはわかりませんが、そうですね、私の人間の食い殺し方は、そうやって船を沈めることだったわけですよ。けれど――、心のなかに空洞が広がっていく感じがしました。なにひとつ満たされず、喰らえば喰らうほど空腹になっていくようで、ますます喰らい尽くさずにはいられなくなる。生き地獄ってやつですか」
「妖怪は人間を食べるからね。当然といえば当然ではある」
「でも、聖はそうあることを望んでいないわけで、だったらその在り方は否定されるべきだと思うわけです」
「船長は真面目だな。妖怪としての在り方と人間としての在り方に引き裂かれているわけか。まあこう言ってはなんだが、聖の考え方には、無理なところがあるからな。自然の摂理をねじまげているところがある。それは本来的には仏の道からははずれる考えのはずなのだが……、聖の人柄が包みこんでいる部分もあるのだろうな」
「あなたはどうなの?」
「私は特にそういうことを思ったことはないな」
「人間を食べちゃったりとかは?」
「さて、一応こう見えても仏の使いなんでね。あまりおおっぴらには言えないが――、そうだ、言い伝えられている話がある。人を食い殺していた女が仏門に入ったという話だ」
「鬼子母神でしたっけ」
「うん。よく知ってるね」
「聖がよく話してくれます」
「つまり、人を何百人単位で食べていようが、とりあえず仏門に入るのに支障はないらしい」
「私もいつかはご恩返しができるというわけですか」
「まあ今でもすでに、そうなっている気はするが――君の納得という点でもあるいはそうかもしれないね。いつかは、これで良いと定まってくるものだよ。船長が心の底から、そうありたいと願っているならね」
「ですが――」
「つらい時期というのは、人間だろうが妖怪だろうがあるものだよ。君の心境は進路が定まらず、もがいている学生のようだ。微笑ましいよ」
「微笑ましいですか」
「悩むということは若い証拠だからね」
「あなたのほうが若そうですが」
「私たちの種族は命のサイクルが短いからねぇ」
「人間のほうがもっと短いはずですよ」
「そうだね」ナズリーンは無愛想に答えた。「だから、人間は妖怪にとってかわいいものだ」



 かわいいと言われてしまったように感じる。
 もちろん村紗は妖怪であるが、元人間である。かなり人間寄りに近い妖怪であり、妖怪でありながら人間の心境がほぼ正確に理解できる。
 かわいい、か。
 普通は褒め言葉なのだろうが、未熟者と言われたみたいだった。
 ナズーリンのほうが見た目的にはずいぶんと幼く、推定見た目年齢十二歳ぐらいなのだが、まったくもって達観した物腰だ。
 さすがは仏の代理の弟子といったところである。うん、ややこしい。
 それはそれとして、ナズーリンの言葉を今一度思いなおしてみると、どうやら聖の考えを貫徹するには自分の在り様に、ある種の納得が必要なようだった。
 つまり、それは人に優しくすることに対して、これで良いと思えるかどうかにかかっているといえた。
 人から虐げられた自分が、人に優しくできるか。
 できなければ、聖の考えに同調できていない自分をいやでも感じることになる。
 聖が好きで、聖に妄信めいた想いを抱いているがゆえに、その矛盾は、村紗の心を引き裂きそうになる。
「ままならないなぁ……」
 時々は、考えないようにしている。
 村紗は自分の在り様を考えすぎることが破滅へと追いやることも知っていた。
 何百年と生きていく中で、どうやれば矛盾を抱えながら、それなりに、生きていくかを知っていた。
 そういった生き方が嫌いでもあったのだけれど、そういった生き方に慣れ親しんでいる。自分の本然に疑念を抱きながらも、自分自身を欺きながら生きつづけている。
 そういう人は、わりと多いのかもしれない。
「そうだ。船長」
「ん、なんですか?」
「ちょっとした頼まれごとをしてもらえないだろうか」
 ナズーリンは申し訳なさそうに手を合わせた。
「なんです? 半分ニートの暇人ですからなんでも頼まれますよ」
 人に優しく。
 というわけではない。
 これはもう機械的な所作に等しい。
 人から頼まれれば、引き受ける。
 聖の言葉を実践しているだけで、心の底からそうしたいというわけでもない。別段、拒否することもないので、ただなんとなく――そう、なんとなく引き受けているだけだ。
「実は聖を復活させるときに、少々古道具屋の世話になったんでね。その礼金を渡しに言ってくれないか」
「なんの世話になったんです」
「ふふ。まあいいじゃないか。その道具屋の店主には世話になった。ただそれだけのことだ。そのことに対して報いようとするのも、当たり前のことだろう」
「そうですね」
 仏の教えとしては、そうなのだろう。
 ナズーリンは少し楽しそうである。
 聞くのも野暮だと思い、それ以上詮索はしなかった。
 外側から見れば、快諾。
 けれど内側から見れば、ただ面倒くさかっただけ。
 それと少し怖かったのだ。ナズーリンに見透かされるということがひとつ。それともう一つ。これはあまり考えたくないことだが――。
 聖が怖い。一番怖いのは聖なのかもしれないということ。聖の優しさには嘘がなく、まっすぐに届くが、そのまっすぐな優しさに、時に窒息しそうになる。まるで、酸素のようなものだ。酸素は絶対的に必要であるが、本質的には毒に等しい。
 そんなことを考えたりして。
 はぁ、やだやだ。村紗はダメな子です。



 古道具屋にはすぐに到着したし、礼金も滞りなく渡すことができた。
 店主は少し驚いていたようだが、担保として渡していたらしい子鼠を返却された。
 いま懐でもぞもぞいっている。
 少し、胸のあたりがこそばゆい。
 いままで食欲旺盛な子鼠の世話を、あの店主がさせられていたと思うと同情するばかりだ。担保とは名ばかりの、体の良い託児所ではないか。
 ナズーリンの要領のよさはいったいどこから来るのだろう。
 自分が古道具屋にでかけていくのは別にたいしたことではないし、本当にどうでもよいことではあった。暇だし、聖の声ばかり聞いていると聖の優しさに毒されていくような、わけのわからない正体不明の感情に突き動かされてしまう。
 なので、外にでて、新鮮な空気を吸うのはありがたいことだった。
 そこまで、ナズーリンが考えてくれたのかは、わからないが。
 良い気分転換になったといえる。
 今、外は真昼。
 村紗は空を見上げて、真昼の星を探してみる。
 青空の中では、星の光はなかなか見えるものではない。
「見えるわけないかぁ……」
 上を見上げながら歩いていた。ほとんどがありえないような幻想的成分でできあがっている――ここ幻想郷においても、やはり無秩序というわけではない以上、新しい秩序系が生まれていく。常識は常識として形成されていく。そのひとつとして、真昼の空に星が見えないということがある。
 いや、どこかにあるはずだと探してみるのもおもしろいことであるし、誰かが探していけば、それもまた新しい秩序になっていくのだろう。
 だが、今、このときにおいては、まだ星は見えない。
 星が見える時ではない。
 胸のなかが再び空白に埋められていくような気がして、子鼠がいる胸のあたりに手をあてた。
「助けてくれ」
「ん?」
 声が聞こえた気がした。村紗はきょろきょろと周りを見渡してみた。
 ここは森の中で、日の光はあまり届かない。妖怪がたむろしているような瘴気の強い場所ではあるが、人のいる世界に近い場所でもある。いわゆる境界領域だった。
 聞こえた声を探ってみる。
 草むらのほうから聞こえたようなので、そこをかきわけて進んだ。
 もしかしたら罠なのかもしれない。妖怪が人間を襲うために、そういう手段を使うこともあると聞く。その場合、村紗が妖怪だと知ってがっかりするだろう。
 けれど、聞こえた声の必死さを村紗はよく覚えていた。溺れていく者が、最後の瞬間に出す声に似ている。
 草をかきわけると、そこに息もたえだえな老人がいた。
 人間なのだろうか。人間がこのような場所にいるとは考えにくいことではあった。けれど、人間の匂いが鼻腔をついた。わりとわかりやすい死の匂いとともに。
 村紗は哀れみを覚えて、駆け寄った。
「どうしたのです?」
「ああ、飢えて、渇いて、死にそうでの」
「どうしてこのようなところに?」
「独りで生きていけると思っていた報いよ」
「水がほしいですか」
 老人はかすかにうなずいた。村紗は柄杓を取り出して、老人の身体を抱え起こしてゆっくり飲ませてやった。
 一杯目はわずかに口に含ませて、あとは吐き出させた。二杯目は少しずつ飲ませた。
 それで少しは体力が回復したらしい。
「助かったよ。ありがとう」
「いいえ。私のほうこそありがとうございます」
 老人は村紗の言葉の意味がわからず困惑しているようだった。村紗は立ち上がり、空を見上げた。あいかわらず星は見えないが、そこにはやはり見えない星が在り続けているのだ。そのことが村紗にはわかった気がした。礼を言われたことが嬉しかったのではなく、感謝されるようなことを自然とおこなえたことが嬉しかった。
 聖自身に報恩したわけではないのに、始めて、恩に報いることができるように感じたのである。
 村紗は言った。
「私は、ある人に恩を感じていたのです。どのようにしても返せぬ恩。誠に巨大な優しさでした。おかしいことに、今日偶然出会ったあなたを助けたことにより、その返せぬ恩をいくばくか返せたような気がしたのです」
 そのあとは言葉にならなかった。
 水を掬う代わりに、人を救うのも悪くない。
 そう思えたからこそ、村紗は聖とよく似た優しい微笑を浮かべることができたのである。

構成が貧弱でどうにかならんかと自分でも思う。
彼女が普段なにしてんのかさっぱりわからんせいだと思いたい。
たぶん過去話のほうが描く余地はある気がする。誰か書くだろうな。
超空気作家まるきゅー
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コメント



0.930簡易評価
9.80名前が無い程度の能力削除
ほっちゃーーん!ほ、ほぁーー!
失礼、取り乱しました。
水を掬うかわりに人を救う…いい言葉ですね。
けどナズとの会話で途中から丁寧になったのが気になりました。
16.70名前が無い程度の能力削除
最後の老人どうなのと思ってしまった
ぶっちゃけると取って付けたような
20.90名前が無い程度の能力削除
オチが上手い。

村紗はよくわからない子です。自分自身と向き合えてないような。
この作品の村紗がひとつの答えを見付けることができてよかったです。